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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(8月)月次掲示板
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東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
011紅蜀葵
 ↑ 紅蜀葵(こうしょっき)

八月になりました。
今月は鎮魂と非戦の誓いの月です。

 天保の時代に顕微鏡をうたいたる短歌が話題 話しつつ行く・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 戦ひを中に措きたる九十年辛くも生き得し吾ここに在り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 清水房雄
 思ふべしネルソン・マンデラ九十五歳の顔を作りし人間の世を・・・・・・・・・・・・・・米川千嘉子
 くすり服むたびにおもへり一兵の柊二が師より賜びし「薬」を・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武田弘之
 むき出しの額に銃弾撃たれしをだれか写しぬだれかを憎む・・・・・・・・・・・・・・・・ 中川佐和子
 野鳥らは地球の地震察知するや ふと思ひつつこゑを仰げり・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松阪弘
 釘ぬきに抜かるる釘の鈍き音に浮かび来父の太き親指・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 わりなけれわりなけれどもわが目交をひるがへり過ぐるを蝶も時も・・・・・・・・・・ 照屋眞理子
 ファシズムの影濃くなりてすでにわが帰る国にはあらず日本は・・・・・・・・・・・・・・・ 渡辺幸一
 炎熱の路面は白く明るめりいゆく生類の影一つなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 春日真木子
 手花火の賑はひ聞けば遠き日のわが子のすがた目にうかびくる・・・・・・・・・・・・・・小野雅子
 人は人を亡くせしのちも生きてゆく死とはさういふものにしあれば・・・・・・・・・・・・・・雨宮雅子
 ニューハーフは兵役免除といふ規定あるやも昭和100年の日本・・・・・・・・・・・・・・栗木京子
 見せられたままを信じる素朴さを昭和のどこかに置き忘れけり・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 歳月の気化を思へり午睡より覚めて肌には藺草がにほふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 耳奥のリンパのゆらぎ朝床に人となるべくかたちひき寄す・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 滝壺をやがて去る水青き真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・山本勲
 ナガサキ全滅の報耳にあり夏野 ・・・・・・・・・・・・・舛田瑤子
 バラジャムを食みて着陸準備かな・・・・・・・・・マブソン青眼
 夏うぐいす自己陶酔のありにけり・・・・・・・・・・・・・平山圭子
 猫が触れゆくしずかな柱夏の家・・・・・・・・・・・・・森央ミモザ
 あんたがたどこさ翡翠がうしろにも・・・・・・・・・・・・森田緑郎
 逃げ水のどこにも逃げ場なき瓦礫 ・・・・・・・・・・・・有村王志
 古本に昭和を嗅ぎぬ蝉時雨 ・・・・・・・・・・・・・・・・・わだようこ
 黄身潰す朝の儀式やかなかなかな・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 むつごとは遠きしろはなさるすべり・・・・・・・・・・・・・河西志帆
 しばらく遠出鳥の手紙をふところに・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 空蝉や脳に沁みたる未完の詩・・・・・・・・・・・・・・吉田透思朗
 夏山に雨の襞なす無辺なり・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤紀生子
 鬼百合やひとり欠伸はを手添えず・・・・・・・・・・・ 川崎千鶴子
 竜神の潟辺に住んで盆踊り・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 舘岡誠二
 金曜日炎帝の吹くトランペット・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佃悦夫
 遠ざかる漢(おとこ)のごとく八月も・・・・・・・・・・・・・ 柚木紀子
 抑止力てふ恐ろしき大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鈴木幸江
熱帯夜言葉出て行く歯の透き間 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 水上啓治
 体臭や向日葵の海ぎらぎらす・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木義雄
 星の寿命の最後は爆発合歓の花・・・・・・・・・・・・・・・高橋明江
 辞儀交す乳房の気配百日紅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今野修三
 かたつむりあしたは海へゆくつもり・・・・・・・・・・・・ 北村美都子
 スーパームーン蛍袋は墓標です・・・・・・・・・・・・・・・・河原珠美
 秋さがす拾った言葉はポケットに・・・・・・・・・・・・・・・・石山一子
 熱帯夜おのれ自身がお荷物で・・・・・・・・・・・・・・・・・・市原正直
 なみなみと水を花瓶(けびょう)に原爆忌・・・・・・・・・・北畠千嗣
 日盛りのマネキンの指空つかむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 糠床に一本の釘秋に入る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 口中のガレの葡萄が熟れてくる・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 痩蛙拒食日記は終わらない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


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ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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そばの花山傾けて白かりき・・・山口青邨
sobaソバの花

    そばの花山傾けて白かりき・・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも

  粟谷は山より暮れてゆく辺り夜目にも白く蕎麦(そば)の花咲く

  窯元へぬかるむ道のつづきけり蕎麦の畑は白とうす紅

  風かるき一と日のをはり陶土練る周囲ぐるりと蕎麦の畑ぞ
・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌群が載っている。
私の住む辺りは大都会の近郊農村で、平地で、蕎麦は昔から栽培されるのを見たことがない。
ということは都会にも近く、かつ温暖で水の便もよく救荒作物である「ソバ」のようなものの世話になる必要のない土地だったということになろうか。

写真①は蕎麦の草を接写したものだが、蕎麦畑の全体像は写真②のようなものである。
buckwheat-6ソバ畑

ソバは夏蒔きと秋蒔きと2回時期があるらしいが、いずれにしても稔るのが早く、2~3カ月で収穫できるらしい。
荒地を厭わないので救荒作物として高冷地では広く栽培されたという。
写真③で「ソバの実」をお見せする。
buckwheat-5ソバの実

この写真は、まだ脱穀したばかりで色が白いが時間が経つと皮が黒っぽくなる。
この実を臼で挽いて出来るのが「ソバ粉」で、粉に少し黒っぽい色がついているのは、皮が混ざっているためである。

 蕎麦はまだ花でもてなす山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 山畑や煙りのうへのそばの花・・・・・・・・与謝蕪村

 道のべや手よりこぼれて蕎麦の花・・・・・・・・与謝蕪村

 山畑やそばの白さもぞつとする・・・・・・・・小林一茶

というような昔の句にも詠まれているように、そのさりげない蕎麦の花の風景が愛(め)でられていたのである。
写真④はソバの花を接写したものである。
buckwheat-7ソバの花

今では「そば」と言えば食べるソバがもてはやされて、どこそこの蕎麦が旨いとか、かまびすしいことである。
しかし文芸の世界では「蕎麦の花」がもてはやされる。
食べる「そば」では実態を描きようがないからである。食べる「そば」は味覚の問題であって、文学、文芸上で描写する対象にはなり得ない。
仮に描写することが出来ても、そこから広がる世界、連想、想像を推し量ることには限界がある。

img_22ソバの草

以下、俳句に詠まれた作品を引用しておく。

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花・・・・・・・・杉田久女

 花蕎麦のひかり縹渺天に抜け・・・・・・・・大野林火

 蕎麦の花下北半島なほ北あり・・・・・・・・加藤楸邨

 蕎麦畑のなだれし空の高さかな・・・・・・・・沢木欣一

 山脈の濃くさだまりてそばの花・・・・・・・・長谷川双魚

 蕎麦咲きて牛のふぐりの小暗しや・・・・・・・・中条明

 山村といふも四五戸や蕎麦の花・・・・・・・・長沢青樹

 月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花・・・・・・・・古賀まり子

 母にまだとる齢あり蕎麦の花・・・・・・・・村松ひろし


みづがめ座われのうちらに魚がゐてしらしらと夏の夜を泳げり・・・・木村草弥
yun_1311エイ

     みづがめ座われのうちらに魚(いを)がゐて
          しらしらと夏の夜を泳げり・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
西洋占星術でいう星座の分け方によると、私は2月7日生まれなので、「水瓶座」ということになる。
占星術については、2004年の夏にFrank Lloyd Wright 氏の発案で「インド占星術」を中心に10回ほど日本、中国、インドなどの暦などについて書いたことがある。
この頃では、週刊誌などにも「占い」「運勢」のページがあって、それらはいずれも西洋占星術の星座表に基づいている。書いてあることは、当り障りのないことで、さして「占い」とも言えないようなものだ。
しかし、一応は自分の星座表くらいは知っていても邪魔にはならない、という程度の代物かなと思う。
星座表は古代ギリシアで、ほぼ出来上がった。
ギリシア神話の「みずがめ座」Aquariusの由来というのは、こんなものだ。
・・・・・トロイの国にガニメデという羊飼いの美少年がいた。
天上から見た大神ゼウスは一目でガニメデを好きになってしまい、ゼウスは鷲に姿を変えてガニメデをさらってしまった。
みずがめ座は、この美少年ガニメデを表している、と言われる。・・・・・

「水瓶」についていうと「甕」という字も使うが、昔は今のように水道があるわけでもなく、水汲みも大変だったので、「水瓶」が使われた。
写真②のような大きなものなど、いろいろあったようだ。
yun_2245水瓶

私の歌だが、着想というか連想というのは単純なもので「みづがめ座」→「水」→「魚」ということから、このような歌が生れた。
魚の読み方「いを」は古語の読みである。
水瓶座とかいう季語はないので、もう少し先になるが「星月夜」の季語による句を引く。

 われの星燃えてをるなり星月夜・・・・・・・・高浜虚子

 子のこのみ今シューベルト星月夜・・・・・・・・京極杞陽

 星月夜生駒を越えて肩冷ゆる・・・・・・・・沢木欣一

 星月夜白き市門のあらびあ海・・・・・・・・角川源義

 寝に戻るのみの鎌倉星月夜・・・・・・・・志摩芳次郎

 星月夜小銭遣ひて妻充てり・・・・・・・・細川加賀

 中尊寺一山くらき星月夜・・・・・・・・佐藤棘矢

 鯉はねて足もとゆらぐ星月夜・・・・・・・・相馬遷子

 星涼し樅のふれあふ音かさね・・・・・・・・星野麦丘人

 星月夜ひとりの刻は沖を見る・・・・・・・・高橋淑子



咲き急ぐことなどはなし睡蓮の葉あひにひとつ莟のまろき・・・・女屋かづ子
a0019858_2277睡蓮②

  咲き急ぐことなどはなし睡蓮の
      葉あひにひとつ莟(つぼみ)のまろき・・・・・・・・・・・・・・・女屋かづ子


この歌は睡蓮を詠っている。今さかりの時期を迎えている花である。
この作者については何も判らない。『角川現代短歌集成』③巻 から引いた。

掲出した写真の一番目、二番目のものは、いずれも「睡蓮」であり、素朴な可憐な蓮である。フランス人画家・モネの絵も、この蓮である。

a0019858_22541睡蓮

蓮には多くの種類があり、花を観賞するだけでなく、食用の「蓮根」として地下茎の部分を極端に太らせる品種改良したものなど、さまざまである。
鑑賞用の蓮にも古代の蓮「大賀蓮」のように古代の古墳から出た蓮の種から発芽させたものなど色々ある。
私の住む辺りは昔から地下水が豊富に「自噴」する地域として、その水を利用した「花卉」(かき)栽培が盛んで、海芋(かいう)──カラーや、花菖蒲などが栽培されるが、これからのお盆のシーズンの花として「花蓮」が水田で栽培され、夏の強い日差しの中にピンクの鮮やかな花を咲かせる。

a0019858_194529花蓮②

a0019858_191621花蓮

もちろん商品として出荷するものは「つぼみ」のうちに切り取り、葉っぱも添えて花市場に出荷される。摘採は太陽のあがる前の早朝の作業である。
月遅れ盆の8月上旬が出荷のピークであり、この時期には臨時に多くの人を雇って、早朝から作業する。

私の歌にも睡蓮、蓮を詠んだものがあるので下記に引いておく。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。
唐招提寺の一連の歌は「夢寐むび」と題して詠んでいる。
「夢寐」は、漢和辞典にも載るれっきとした熟語で「寐」=「寝」の字に同じである。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

  夢寐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ

くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池

結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり

<蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
           *丸山海道

くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ

睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる

   西湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

<睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
               *堀古蝶

睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ

睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面

声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり

てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく

湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ

手にすくふ水に空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ

戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
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「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。


老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後・・・・木村草弥
20110221_896756パンとシュリンクス ルーベンス
 ↑ ルーベンス筆「パンとシュリンクス」─カッセル州立美術館所蔵

     老後つてこんなものかよ二杯目の
             コーヒー淹れる牧神の午後・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

ご存じのように、この話「牧神の午後」のエピソードはギリシャ神話に発するが、有名になったのはフランスの作家・マラルメの詩による。
それに刺激されてドビュッシーの作曲があり、よく知られている。
私の歌は、それらを下敷きにしているのである。 以下、それらについて少しWikipediaの記事を引いておく。

00000464336.jpg
 ↑ ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」CDの一例
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『「牧神の午後」への前奏曲』 (ぼくしんのごごへのぜんそうきょく、仏:Prélude à "L'après-midi d'un faune")ホ長調 は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1892年から1894年にかけて作曲した管弦楽作品であり、彼の出世作である。

概要
この曲はドビュッシーが敬慕していた詩人 マラルメ の『牧神の午後』(『半獣神の午後』)に感銘を受けて書かれた作品である。" 夏の昼下がり、好色な牧神が昼寝のまどろみの中で官能的な夢想に耽る"という内容で、牧神の象徴である「パンの笛」をイメージする楽器としてフルートが重要な役割を担っている。牧神を示す主題はフルートソロの嬰ハ(Cis,C#)音から開始されるが、これは楽器の構造上、非常に響きが悪いとされる音である。しかし、ドビュッシーはこの欠点を逆手にとり、けだるい、ぼんやりとした独特な曲想を作り出すことに成功している。フランスの作曲家・指揮者ブーレーズは「『牧神』のフルートあるいは『雲』のイングリッシュホルン以後、音楽は今までとは違ったやり方で息づく 」と述べており、近代の作品で非常に重要な位置を占めるとされる。曲の終盤ではアンティークシンバルが効果的に使用されている。

この後、ドビュッシーは、歌曲集『ビリティスの3つの歌』(1898年)、無伴奏フルートのための『シランクス』(1913年)、ピアノ連弾曲『6つの古代碑銘』(1914年)などの作品で牧神をテーマにしている。また、ラヴェルのバレエ音楽『ダフニスとクロエ』(1912年初演)にも牧神(パンの神)が登場する。
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私の午後のコーヒー・タイムを「牧神の午後」になぞらえるような不遜な気は、私にはさらさら無い。
コーヒーを呑みながらドビュッシーの、この曲を聴いている、と受け取ってもらえば有り難い。
因みに、2012年はドビュッシー生誕150年の記念すべき年であったことを書き添えておく。
では、また。


その背中ふたつに割りて緑金の山のなだりを黄金虫翔ぶ・・・・前登志夫
010704aokanabun1アオカナブン

  その背中ふたつに割りて緑金の
      山のなだりを黄金虫翔ぶ・・・・・・・・・・・・・前登志夫


この歌は『角川現代短歌集成』③巻から引いた。初出は『鳥総立』(03年刊)。前登志夫については ← に詳しい。

学校の夏休みが始まり、いよいよ少年たちの楽しい夏だ。
掲出の写真は樹の樹液に集る虫である。  写真①はカナブンである。コガネムシとも言う。
樹液は甘い香りがして、実際は酢と甘さとアンモニア臭と色々のものが混ざったものらしい。
とにかく、昆虫採集をして樹液の近くに居ると、体に樹液の匂いが沁みつくものである。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  少年は樹液饐えたる甘き香をにほはせ過ぎぬ露けき朝を・・・・木村草弥

という歌があるが、先に書いたような情景を描いているのである。

樹液の沁み出す樹の傷には、いろいろの虫が集ってくる。虫にも強弱があり、力の強いカブトムシなどはズカズカと樹液に到達するが、弱い虫は遠慮がちにオズオズと周辺から辺りをみながら近づいてくるから面白い。
写真②はカブトムシの雌雄である。
kb-kabu2カブトムシ

私は少年の頃は虚弱児で、活動的な子ではなかったが、田舎ですぐ近くには雑木林があるような環境だったから上級生に連れられて虫を捕まえに行ったりした。水泳なんかも、上級生に無理に川に突き落とされて、溺れまいと必死で泳ぎを覚えたものである。
三番目はミヤマクワガタの雄である。
miyamatarouミヤマクワガタ

四番目の写真はミヤマクワガタの雌である。

040629miyamaミヤマめす

おおよそ昆虫は雄が大きく牙も大きい。少年の頃は何も知らずに牙の大きいのを源氏、小さいのを平家などと呼んでいた。 (昆虫の雄が大きい、というのは正確ではない。バッタ、イナゴ、カマキリなどは雄が小さく、雌が大きい)
樹液の出る傷のある樹が見当たらない場合は、上に書いたように樹液に似た液を作って樹の洞などに置いておくと虫が集ってくるものである。その辺は少年なりの知恵と言えようか。
蝉などは幾つもの種類が朝早くから、やかましく鳴いていた。あまり蝉採りなどはしなかった。蝉の名前が思い出せない小さな蝉でじーじーと鳴くのがうるさかった。
夏の終りに近づくとかなかなと蜩(ひぐらし)が鳴き出す。ツクツクボウシも秋口の蝉である。

先日、暑いさなかをゴルフしていたら、何年も年月を経た大きなポプラの木に羽化した蝉の抜け殻があり、木の周りに地下から幼虫が出てきた穴が、いくつもあった。
日本の蝉は地下に数年棲んでいるから、幼木にはまだ蝉は棲みつかない。
nokogirikun.jpg

五番目はノコギリクワガタという立派なクワガタで、体の色が赤銅色に光っているのが特徴。この虫が子供たちにも人気があった。
昔はクヌギ、ナラなどの雑木は薪として利用されたので数年の更新期を経て伐採された。そんなタキギとしての用途もなくなって、雑木林はうち捨てられた。クヌギやナラは数年で更新されるから再生するのであって、切られなくなっては雑木林は衰退するばかりである。
琵琶湖のほとりに住む今森光彦さんは琵琶湖周辺を丹念にカメラに収めてきた人だが、琵琶湖周辺でも棚田や雑木林は、もう殆ど見られなくなった。
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虫などにまつわる私の歌を少し引いてみる。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)から

     沙羅の寺(抄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   楢の木の樹液もとめて這ふ百足(むかで)足一本も遊ばさず来る

   かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす

   蟻の国の事も知らずで箒もて掃くも殺すもガリバーの我




けふありて銀河をくぐりわかれけり・・・・秋元不死男
natuama天の川②

  けふありて銀河をくぐりわかれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

「天の川」は一年中みえるが、春は低く地平に沿い、冬は高いが光が弱い。
夏から秋にかけて、写真のように起き上がり、仲秋には北から南に伸び、夜が更けると西の方へ向かう。
「銀漢」という表現もあるが「天の川」のことである。

天の川の句としては芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」などの秀句がある。
不死男の句は或る「愛」を想像させて秀逸である。折りしも、月遅れのお盆であり、いろいろと偲ぶにはよい句である。

天の川は英語では「ミルキー・ウエィ」というが、これはギリシア神話の最高神ゼウスの妻・ヘラの乳が天に流れ出したものというところから由来する。
実際は、銀河系の淡い星たちの光が重なりあって白い帯となって見えるもの。
銀の砂のように美しく、七夕伝説とも結びついて「星合」の伝統となっている。
『万葉集』に山上憶良の歌

  天の河相向き立ちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設(ま)けな

の歌が、古くからあり、美しさと星合の七夕伝説とが結びついてイメージされている。
以下、歳時記に載る天の川の句を引いておく。

 北国の庇は長し天の川・・・・・・・・・・・・正岡子規

 虚子一人銀河と共に西へ行く・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 別るるや夢一筋の天の川・・・・・・・・・・・・夏目漱石

 天の川人の世も灯に美しき・・・・・・・・・・・・沼波瓊音

 草原や夜々に濃くなる天の川・・・・・・・・・・・・臼田亞浪

 銀河より聞かむエホバのひとりごと・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 天の川怒涛のごとし人の死へ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 遠く病めば銀河は長し清瀬村・・・・・・・・・・・・石田波郷

 妻と寝て銀漢の尾に父母います・・・・・・・・鷹羽狩行

 ちちははに遠く銀河に近く棲む・・・・・・・・・・・・上村占魚

 天の川逢ひては生きむこと誓ふ・・・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 乳足りて息やはらかし天の川・・・・・・・・・・・・石塚悦郎

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この句とは直接の関係はないが、私はこんな歌を創ったことがある。
(第四歌集『嬬恋』所載)

わがいのちいつ終るべきペルセウス流星群の夜にくちづける・・・・・・・・・・・木村草弥

銀河からの連想であるが、今しもペルセウス流星群の活動の激しい時期である。






薮入や彩あでやかにアロハシャツ・・・・吉田北舟子
5b35e227da87a-500x375アロハシャツ

2_薮入り

       薮入や彩あでやかにアロハシャツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉田北舟子

「やぶいり」というのは、旧暦の7月16日に奉公人が休暇をもらって家に帰り親に会うことが出来る日である。
正月16日にも薮入りがあるので、この日を「後の薮入り」というのが正式である。
掲出の絵は大阪の記念館で展示する薮入りのひとコマで、お内儀に頭を下げて丁稚が帰ってゆくところである。
昔は奉公人の休みは1カ月に一日、十五日の二日だけであり、年端の行かない幼い丁稚たちにとって、親に会えるのは、一年に「薮入り」の日二回だけだった。
と言っても遠方から勤めに来ている者にとっては、それもままならぬことだったろう。
karamo薮入り

二番目の写真も展示の商家の風景である。

関西では、今でも8月16日は「薮入り」の日と呼ぶ。丁稚たちの実家帰りの風習は薄れたので、他所に暮らしている子供たちが家に帰ってくる日とされる。
もっとも、今では、こんな風に日を決めて帰ってくるというのではなく、勤務先の休暇の都合や土曜、日曜に引っ掛けて帰ってくるのが普通である。
それでも「今日は薮入りやなぁ」と言ったりする。
先に書いたように8月15日のお盆前後は、日本の特異日であって、民族の大移動の時期で、その中に「薮入り」の日も含まれる。

kamado薮入り

三番目には、これも直接に関係はないが、昔の台所には、こういう「かまど」があったということで出してみた。
京都では「へっつい」さん、などと呼ぶ。
日本は八百万の神さんの居る国だから、「かまど神」も当然いるわけで、朝晩には灯明をあげ、ご飯を供えるのである。

──中元ということについて──

もともとは、中国の「三元」という考え方があり、上元が1月15日。中元が7月15日。下元が10月15日と称した。
元というのは「はじめ」のことで、一年を三分して考えたのである。
本来は天の神を祀る中国の風習が、かの地でも、中元は節供にあたるものとなり、それが日本に入って贈答習俗と変わったのである。
「中元」という言葉自体が変化してしまい、「お中元」という贈答の中元になってしまった。
8月は、本当に行事が多くて、書くことはいろいろあるので、今回は「薮入り」と「中元」の二つを同時に書くことになった。
以下に「薮入り」と「中元」の句を引いて終りにしたい。

 薮入や皆見覚えの木槿(むくげ)垣・・・・・・・・正岡子規 

 薮入して秋の夕を眺めけり・・・・・・・・松瀬青々

 薮入り子の窺ふや萩薄・・・・・・・・松瀬青々

 薮入の姉の下駄履き野菊摘む・・・・・・・・南南浪

 薮入に実生の桐の育ちかな・・・・・・・・菊地赤水

 盆礼に忍び来しにも似たるかな・・・・・・・・高浜虚子

 盆礼やひろびろとして稲の花・・・・・・・・高野素十

 中元や老受付へこころざし・・・・・・・・富安風生

 中元の使患者にまじり来る・・・・・・・・五十嵐播水

 母居ぬ町に手受けて中元広告紙・・・・・・・・中村草田男

 中元の新聞広告赤刷に・・・・・・・・上野泰

 中元や萩の寺より萩の筆・・・・・・・・井上洛山人


迎火は草の外れのはづれ哉・・・・小林一茶
bondana_350_2盆供

  迎火は草の外れのはづれ哉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

盂蘭盆会(うらぼんえ)は旧暦7月13日から16日まで行われる祖先の魂祀りの行事である。東京などでは新暦の7月にするところがあるが、全国的には旧暦に近い月遅れの8月15日に行われ、この前後を休暇とする企業が多い。
しかも、この前の世界大戦の終戦日が8月15日となったので、すべてのものが一時に集中する特異日となった。

仏壇前に先祖迎えのための霊棚を作り、野菜などを供え、ナスの牛、キュウリの馬を割り箸などで作って供える。
先祖の御霊はキュウリの馬に乗って還り、16日にはナスの牛に乗って、ゆっくりと、あの世にお帰りになる。
ナス、キュウリの由来については、このように説かれている。

13日の夕方、門口で迎え火を焚く。掲出の一茶の句は、その情景を詠んだものである。
もちろん各地で風習が異なるから、いくらかの違いはあるだろう。
私たちの地方では、門先での「迎え火」を焚く習慣はない。その代りに、住まいのある「在所」の入口の道の最寄りの場所に出向いて線香を焚く。
その煙に乗って祖霊が家にお帰りになるという。
もっとも現在では、車の往来も激しいし、そんな風習も廃れて、菩提寺に参詣して、盂蘭盆会供養のご祈祷をした「塔婆」などをいただいて家に持ち帰る。

写真①は霊棚の一例。写真②は盆提灯の一例である。その年に新仏が出た家では親戚が提灯をお供えする。
bon-choutin-150-2盆提灯

8月6日のBLOGで「睡蓮」や花蓮のことを書いた中で、私のところでの花栽培農家の「お盆用の花ハス」の出荷のことに触れたが、
8月上旬から出荷がはじまり、ハスの花のつぼみと、花の咲いたあとの「萼」(がく)、それにハスの葉、の三点セットを花屋やスーパーなどで買い求めて仏壇に飾る。
ハスはお釈迦様がお座りになる花の「うてな」という意味であり、また仏教とハスの花は信仰を彩るものとして切り離せないものである。

bon盆踊り
8月に入ると各地で「盆おどり」が行われる。
開かれる日は村によって決っており、遅くは9月1日に「八朔」の行事の一環として催される。
京都には京都おどりというようなものはなく、「江州音頭」による踊りが一般的である。むろん都会では、いろいろの踊りがごちゃ混ぜに踊られる。

ここで盂蘭盆会の由来について、少し書いておきたい。
この行事は、安居(あんご)の最後の日で、7月15日を盂蘭盆(サンスクリット語でullambana)と呼んで、父母や祖霊を供養し、倒懸の苦を救うという行事。
近年、イランの言語で「霊魂」を意味するウルヴァン(urvan)が原語だという説が出ているが、サンスクリット語の起源などからすれば可能性が高いという。

中国での盆会
盂蘭盆の中国での起源は古く『仏祖統紀』という本では、梁の武帝の大同4年(538年)に帝みずから同泰寺で盂蘭盆斎を設けたことが伝えられている。この行事が一般に広がったのは、仏教者以外の人々が7月15日を中元と言って、先祖に供え物をし、灯籠に点火し祖先を祀る風習によってであろう、と言われる。

日本での盆会
日本では、推古天皇14年(606年)4月に、4月8日と7月15日に斎を設ける、とあり、また斉明天皇の3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西に作って盂蘭盆会を設けたとされ、聖武天皇の天平5年7月(733年)には大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中恒例の仏事となって毎年7月14日に開催し、奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行われ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」をあわせて行なった。
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ここで盂蘭盆あるいは迎え火、門火などのお盆にまつわる句をあげたい。

 盂蘭盆や無縁の墓に鳴く蛙・・・・・・・・・・・・・正岡子規

 あをあをと盆会の虫のうす翅かな・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏

 くちなはのしづかに失せし魂祭・・・・・・・・・・・・・山口誓子

 もの食(た)ぶも食ぶるを見るも盆あはれ・・・・・・・・・・・・・中村草田男

 としよりのひとりせはしきお盆かな・・・・・・・・・・・・・森川暁水

 盆過ぎの墓地の寧けき暗さかな・・・・・・・・・・・・・菖蒲あや

 かの世より父来る盆の帽子掛・・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

 迎へ火やをりから絶えし人通り・・・・・・・・久保田万太郎

 迎火やほそき芋殻を折るひびき・・・・・・・・・・・・・渡辺水巴

 門火焚き終へたる闇にまだ立てる・・・・・・・・・・・・・星野立子

 迎火を女ばかりに焚きにけり・・・・・・・・・・・・・高野素十

 迎火や母つつみ去る風少し・・・・・・・・・・・・・小西敬次郎

 おほわだの父呼ぶ芋殻焚きにけり・・・・・・・・・・・・・板東紀魚
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nasuナスの馬

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の中に、こんな歌を載せた。

    紺しるき茄子に黍がらの脚さして死者の乗る馬つくる盂蘭盆・・・・・・木村草弥

この歌を作った後に、先に書いたような「祖霊迎え」の際の「キュウリの馬」、お帰りの際の「ナスの牛」という謂れを知ったので、
正しくは「死者の乗る牛」でなければならないことが判ったが、そのままにしておく。





うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・高島茂
aaookyouch1夾竹桃赤

    うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・・・・・高島茂

夾竹桃は夏の花である。私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
夾竹桃は原産地はインドだが、江戸時代に中国から渡来して、当初は仏縁の木として寺院に植えられたが、後に一般に植栽されるようになった。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。
aaookyouch夾竹桃白

炎天下に咲く花というのは限られており、夾竹桃は夏の花として欠かすことの出来ない花となった。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、
それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。
明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
私の歌にも夾竹桃を詠んだものはあるが、今回は遠慮して、歳時記に載る俳句を引いて終わる。
句に詠まれるのも多く、俳人には好まれる花のようだ。

 夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男

 夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二

 夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子

 夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦

 白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子

 夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・千代田葛彦

 歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子

 夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨

 夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介

 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨

 夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹

 夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男

 夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男

 鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏
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今日挙げた高島茂の句だが、高島茂のご子息の高島征夫氏が急死された今となっては、感慨新たなるものがある。
征夫氏のブログのサイト<風胡山房>も、主なきままに今だに存在しているが、虚しい限りである。
私のリンクに貼ってあるのも、思い直して消去した。後ろ髪引かれるような想いである。
改めて氏のご冥福を心からお祈りしたい。


雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵まぬがれがたく病む人のあり・・・・木村草弥
011紅蜀葵

    雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)
      まぬがれがたく病む人のあり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、
この歌のすぐ後に

   このひとと逢瀬のごとき夜がありただにひそけき睡りを欲りす・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がつづく。病身の亡妻に対する私の気持を詠み込んである。私自身にとっても愛着のある歌群である。

紅蜀葵は和名を「もみじあおい」という。アオイ科の多年草で、北米フロリダ地方の沼沢地が原産という。
日本には明治初期に渡来し、今では広く栽培される。
私の家にも、いつごろ来たのか、今の家に移った時も種を取っておいて蒔いたので毎年夏には、つぎつぎと真紅の花を咲かせる。
茎は数本かたまって直立し1メートルから2メートルに伸び、暑さが本格的になる7月下旬から9月になっても咲きつづける。
葉の形がモミジに似ていることからモミジアオイの名がついた。
鮮紅色の花の色と言い、長い雄しべと言い、どこか異国的な感じがする花である。
花は朝ひらいて夕方には、しおれる。次に咲く花は、蕾の先から少しはなびらの赤色が覗いて、明日あさに開花する。
咲き終わった実は次第に黒褐色になって丸い大粒の種が、ぎっしり入っている。この種が地面に落ちたものは、翌年芽をだすが、余分なものは抜き取られる。

俳句にも、よく詠まれているので、以下、紅蜀葵を詠んだ句を引いておく。

 引き寄せてはじき返しぬ紅蜀葵・・・・・・・・高浜虚子

 紅蜀葵肘まだとがり乙女達・・・・・・・・中村草田男

 花びらの日裏日表紅蜀葵・・・・・・・・高浜年尾

 踵でくるり廻りて見せぬ紅蜀葵・・・・・・・・加藤楸邨

 一輪の五弁を張りて紅蜀葵・・・・・・・・瀧春一

 侘び住みてをり一本の紅蜀葵・・・・・・・・深見けん二

 伊那へ越す塩の道あり紅蜀葵・・・・・・・・宮岡計次

 夕日もろとも風にはためく紅蜀葵・・・・・・・・きくちつねこ

 仏みて夜に日にいろの紅蜀葵・・・・・・・・菊地一雄

 紅蜀葵わが血の色と見て愛す・・・・・・・・岡本差知子

 紅蜀葵女二人して墓に狎れ・・・・・・・・竹中宏

 紅蜀葵籠屋編む竹鳴らしたり・・・・・・・・岡村葉子



心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・草間時彦
hyakun3百日草②

  心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦


「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも

   百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある。
私の歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
花言葉のことだが、私の歌の「離れゆきたる友」というのは正確ではなく、私の方から何となく離れていった、というべきだろうか。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。

hyakun2百日草③

百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。

nichin6日日草

今では、これも秋まで百日以上も咲きつづける写真③の「日日草」が、これに取って代わるだろう。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。

 百日草ごうごう海は鳴るばかり・・・・・・・・三橋鷹女

 蝶歩く百日草の花の上・・・・・・・・高野素十

 これよりの百日草の花一つ・・・・・・・・松本たかし

 一つ咲き百日草のはじめかな・・・・・・・・瀬野直堂

 病みて日々百日草の盛りかな・・・・・・・・村山古郷

 朝の職人きびきびうごき百日草・・・・・・・・上村通草

 毎日の百日草と揚羽かな・・・・・・・・三輪一壺

 母子年金受く日日草の中を来て・・・・・・・・紀芳子

 働かねば喰えぬ日々草咲けり・・・・・・・・佐伯月女

 日日草なほざりにせし病日記・・・・・・・・角川源義

 紅さしてはぢらふ花の日日草・・・・・・・・渡辺桂子

 日日草バタ屋はバタ屋どち睦び・・・・・・・・小池一寛

 嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草・・・・・・・・白川京子

 些事多し日日草の咲けるさへ・・・・・・・・・増島野花

 出勤の靴結ふ日ざし日日草・・・・・・・・鶴間まさし



志野暁子歌集『つき みつる』・・・・木村草弥
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──書評──

      志野暁子歌集『つき みつる』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・角川書店2018/07/25刊・・・・・・

同人誌「晶」で作品を拝見している志野暁子さんの23年ぶりの本が恵贈されてきた。
先ず、志野暁子の略歴を本書から引いておく。

1929年 新潟県に生まれる
1975年 作歌を始める。「人」短歌会に入会、岡野弘彦先生の指導を受ける
1981年 「花実」50首により第27回角川短歌賞受賞
1995年 歌集『花のとびら』上梓
1996年 「人」短歌会解散により季刊同人誌「晶」に参加、現在に至る
2012年 「しろがね歌会」に入会

本名 藤田昭子

この本には別冊子として、志野暁子の短歌による合唱組曲「九月の花びら」より「サフラン」 「九月の花びら」 「蕊」の三曲の楽譜が添えられている。
因みに、その原歌は下記の通り。   作曲者・筒井雅子

  <薄き翅畳むにも似てサフランの花閉ぢしのちながきゆふぐれ>
  <秋の日のなぜにみじかき サフランは地にわき出でて葉を待たず咲く>
  <かごめかごめ唄ふ幼き輪の中に瞑りて一本の蕊となりゆく>

画像でも読み取れるように、この本の刊行に合わせて、師・岡野弘彦による「帯」の歌

  <おのづから胸に涙のあふれくる シューマンの曲 聞きて眠らむ>
  <今半の牛のそぼろは ほろほろと膝にこぼれて かなしきものを>

が贈られている。何とも微笑ましい師弟愛である。
「つき みつる」という題名が何とも言えない趣があるが、歌集の中を仔細に読んでみても、そのままのフレーズの歌は無い。
岡野弘彦は折口信夫─釈迢空の弟子で、歌の表記について独特の主張を持っていた。
歌の中に句読点を付けるとか、一字空けとかである。
そんな弟子らしく、この歌集でも「一字空け」が多用される。題名の「つき みつる」から、そうである。

この本の「あとがき」に中で、こう書かれている。

<世に言う〈老老介護〉十年間の作品を主に、452首をまとめました。
 ・・・・・少しでも楽なように、喜んで貰えるようにとささやかな努力を重ねてきたという点で、介護の歌も相聞に通じるところがあるのかもしれません。
 ・・・・・夫の余命と示された時間はとうに過ぎました。この世の残り時間、かけがいのない時間を二人で大切に生きたいと思っております。>

何とも羨ましい、お二人の関係である。
巻末の辺りの歌には介護施設に入られたとおぼしいものもあるが、多くは自宅で介護されているようである。

以下、本の順序に沿って歌を見て行きたい。

*ひと日生きて残り世ひと日費(つひ)えたり 今日初蝉を夫はよろこぶ
*余命といふこの世の時間──夫と歩む 小鳥来るさへよろこびとして
*〈おーい〉 呼べばおりてきさうな春の雲 介護タクシー夫と待ちをり

この本の巻頭に載る歌である。
これらの歌は「老老介護」の時間の中でも初期の頃の歌かと思われるが、著者の「夫(つま)恋い」の歌とも思われて微笑ましい。
それらの歌に続いて、巻頭近くに、歌曲にもなった歌の一連がある。下記に引いておく。

*さくら貝は九月の花びら あかときの渚をわれは素足に歩く
*薄き翅畳むにも似てサフランの花閉ぢしのちながきゆふぐれ
*秋の日のなぜに短き サフランは地にわき出でて葉を待たず咲く

作者の故郷は新潟県の、佐渡であるらしい。

*〈佐度ノ嶋生ミキ〉古事記に誌さるる島山あをきわれのふるさと
*朱鷺の棲むあたりと指され目を凝らす日照雨降る刈田かすめり
*雪国生まれの夫と見てをり舞ひながら土に届かず消ゆる淡雪

夫も雪国生まれらしい。故郷を同じくするということは話題性も合って、いいことなのだ。
この本は老老介護の歌ばかりではない。「孫」を詠んだと思われる、こんな歌もある。

*一年生百五十人が遠足の列をゆき麒麟がじつと見おろしてをり
*宿題の片仮名書きつつ好きなのは体育、図工、給食よと言ふ
*一年生八十メートル走のゴール前わが子わが子とカメラが並ぶ

いつ頃の歌であろうか。奈良、京都、ハワイ真珠湾などの歌が見られるが省かせてもらう。
介護の歌にも「二年目」とかの文字が見えて「経年経過」である。

*母ひとりとり残されしふるさとよ ふりむけば暗く海ふぶきゐる

など「母」を詠んだ一連もある。

*ギニョールのごとく病み臥して耳さとく聴きをりつばくろ帰りたるこゑ
*朝空に郭公鳴けり病むわれに吉事を運ぶこゑと思へり
*落ちこんでゐる隙はないといふこゑす この世は花がもう散つてゐる

介護する作者も病気になったのである。さぞや、やきもきされただろうとお察しする。

*われに昭 弟に和と名付けたる父よ 昭和も弟も逝きぬ
*葉に透きて殻脱ぎてあり脱ぎて羽を得しもののこゑ木立より降る
*眠られぬわがため子守歌くちずさむ窓に夜明けのひかり来てをり
*〈また来ます〉〈またとはいつか〉問ひかへす夫の眼差し抱きて帰る
*麻痺やがて嚥下に及ぶを言ふ医師のしづかなる声背をたてて聞く
*九十五年の生涯に他に語らざるインパール戦線の三年があり
*〈また明日ね〉うなづかせて夜を帰りきぬ 夫よかけがへのなき時が過ぎゆく

鑑賞も、そろそろ終わりたい。
挽歌を詠う前に、歌集を纏められた労を多としたい。
癌を病む妻と最後の年月を伴走した私には、よく分るのである。
大変だと思うが、あと、しばらく頑張っていただきたい。
ご恵贈ありがとうございました。 
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角川書店「短歌」誌2018/06月号に、志野さんの新作が掲載されている。  ↓   
志野_NEW

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画像としても読み取れると思うので、ご鑑賞ください。           (完)




花火果て闇の豪奢や人の上・・・高橋睦郎
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     花火果て闇の豪奢や人の上・・・・・・・・・・・・・・・・・・高橋睦郎

夏の風物詩と言えば、何といっても「花火」だろう。花火は何となく「はかない」。それは華やかにパッと咲いては消えてゆくからである。

この句は、挙がる花火そのものを詠むのではなく、花火の終った後を詠んで「闇の豪奢」と言っている。味わい深い。
高橋睦郎については、リンクにしたWikipediaの記事に詳しい。
花火という季語は元来は秋のものであったというが、やはり夏がふさわしく、今では夏の季語として定着している。
花火大会というと昔から東京の隅田川の両国の花火大会が有名でカギヤ、タマヤという花火師がいたらしく、花火が揚がるたびにタマヤ、カギヤの掛け声がかかったという。

tamura花火①

関西では、PL花火大会、琵琶湖花火大会、7月25日の天神祭の後、8月はじめに大川で挙行される花火大会などが有名である。
花火は火薬を使用するので花火師に危険は、つきものである。
今ではテレビなどの映像で知るだけでも、みんな会社組織になっている。国際的に活躍している人たちも多い。
日本の花火は一つ一つが芸術的に出来ているが、外国のものは数にまかせて一度にたくさん打上るものが多い。
日本の二尺玉、三尺玉などの単発の芸術作品もいいが、外国の数で押す手法と混合するのも、よいのではないか。

bg01花火③

ここに掲げた写真は、いずれもWeb上から拝借したものだが、これだけ鮮明に花火を撮るのは難しい。これらの写真は、よく撮れている。

ootutu②尺玉打上筒

四番目の写真には「尺玉打上筒」の説明がある。私は初めてお目にかかるもので、その大きさに改めてびっくりする。
今では打上げはコンピュータ制御で操作するらしいが、その制御に至る準備が大変だろう。
昔は打上げの際の爆発事故で目や手足を損傷した花火師もいた。今でも花火工場の爆発事故などもある。
打上げの際の華やかさに比べて、花火の製造や準備は地味なもので、ご苦労が偲ばれる。
であるから、花火を見る際には、それらのご苦労に対して、一瞬でも心を致したい。
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以下、花火を詠んだ句を古今を通じて引いてみたい。

 小屋涼し花火の筒の割るる音・・・・・・・・・・・・宝井其角

 物焚いて花火に遠きかかり舟・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

 宵々の花火になれて音をのみ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 空に月のこして花火了りけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 子がねむる重さ花火の夜がつづく・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 ねむりても旅の花火の胸にひらく・・・・・・・・・・・・大野林火

 花火あがるどこか何かに応へゐて・・・・・・・・・・・・細見綾子

 半生のわがこと了へぬ遠花火・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

 童話読むことも看とりや遠花火・・・・・・・・・・・・及川貞

 黒き蔵王全し花火一瞬に・・・・・・・・・・・・杉本寛

 犬の舌したたかに濡れ揚花火・・・・・・・・・・・・荒谷利夫

 死にし人別れし人や遠花火・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 陣痛の牛ゐて花火音ばかり・・・・・・・・・・・・今井聖

 花火の夜兄へもすこし粧へり・・・・・・・・・・・・正木ゆう子

 大空のうつろに割れし花火かな・・・・・・・・・・・・前田野生子

 大花火沖の暗さを見せにけり・・・・・・・・・・・・平松荻雨

 海峡に色をこぼして揚花火・・・・・・・・・・・・岩崎慶子

 とめどなく空剥がれ落つ大花火・・・・・・・・・・・・田山康子

 亡き妻に花火を見せる窓あけて・・・・・・・・・・・・野本思愁
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六番目の大野林火の句だが、私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)の中で、「辞世」①というコラージュ風の作品として

  「ねむりても旅の花火の胸にひらく」冬の花火ってさみしくていいもんだよ・・・・・・・・木村草弥
                 *大野林火

という歌を作ったことがある。こういうコラージュの手法は絵画の世界では市民権を得ているが、歌の世界では、なかなか理解を得られず苦労した。



てのひらに蝉のぬけがら ぬけがらを残して人はただ一度死ぬ・・・・永田和宏
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  てのひらに蝉のぬけがら ぬけがらを
      残して人はただ一度死ぬ・・・・・・・・・・・・・永田和宏


この永田和宏の歌は「蝉のぬけがら」を見た目から「人間の生死」にまつわる死生観に話を振って秀逸である。
この歌は『角川現代短歌集成』③巻 から引いた。初出は『風位』(03年刊) 永田和宏については ← に詳しい。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、次のような蝉の抜け殻を詠んだ歌がある。

  空蝉は靡ける萱(かや)にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・木村草弥

写真の蝉はアブラゼミかと思う。
二番目の写真から三枚つづけてアブラゼミの羽化の様子を載せる。
ll0021.kuma羽化①

二番目の写真は地中から這い出てきて、羽化するために足場をがっしりと固めた様子。
地中から這い出て来るのは目撃者によると夜8時頃からという。
羽化の途中は蝉の肌も弱く、敵に襲われたら一発でアウトなので慎重らしい。
羽化に失敗するのが、いくつもあるらしい。
一番目の写真のように葉っぱにすがって羽化するのもあり、地中から出て来た環境なりに羽化する足場を探すらしい。
いよいよ羽化がはじまり、幼虫の背中が割れて蝉が外に半身を乗り出した様子。
ll0031.kuma羽化②

この姿勢から下の方にのけぞり、全身が外に出た後、足で殻に捕まって、のけぞり姿勢を正し、ゆっくりと時間をかけて羽や全身を伸ばす。
羽にも血液が流れ、蝉の成虫の羽の大きさと色になってゆく。
この姿勢の時間は一晩をかけて、ゆっくりと行われる。こうしてアブラゼミならアブラゼミなりの大きさと色に変わってゆくのである。
昆虫の場合には「変態」という用語を使うこともあるが、蝶や蝉など羽が生えて空を飛ぶものには「羽化」という言葉がふさわしい。
ll0011.kuma羽化③

四番目の写真では、羽化が終った蝉が抜け殻から離れたところに静止しており、右側に抜け殻が見えている。写真で見るかぎり、まだ体の色はアブラゼミにはなり切ってはいない。
朝になれば羽化した蝉は餌(樹液など)や配偶者を求めて飛び立たなければならないから、それまでに全身を成虫の体にしておかなければならない。
蝉の成虫の命はせいぜい10日か2週間と言われている。地中で木の根から樹液を吸って生きる数年の期間のことを考えると、誠にはかない命と言うべきだろう。
その故に日本人は古来から多くの詩歌に詠んできたのである。
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以下、私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る一連の歌を引用する。
これらはWeb上のHPでもご覧いただける。

     青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   別離とは白き紙かも夏逝くといのちの影をうつしてゐたり

   かるかやにすがりて羽化を遂げし蝶あしたの露にいのち萌え初む

   空蝉は靡ける萱(かや)にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ

   青蝉は野仏の耳をピアスとし脱皮の殻を残しゆきけり

   野仏の遠まなざしのはたてなる笠置山系に雲の峰たつ

   <汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ

   ひたすらに地に生くるもの陽炎(かぎろ)ひて蟻の行列どこまでつづく

   罪いくつ作り来しとは思はねど差しいだす掌(て)に蟻這はせをり

   蟻の列孜々(しし)と励みし一日は日の昏れたれば巣穴に戻る

   呵責とも慰藉(いしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

   翔べるものわが身になくて哀しめば蜻蛉(あきつ)は岸の水草を発つ

   身も影もみどりとなりて畦(あぜ)渉る草陽炎の青田つづける

   法師蝉去(い)んぬる夏を啼きゆくははかなきいのちこそ一途なれ





かん声をあげて/海へ走り/しぶきのなかに消える/子どもたち・・・・川崎洋
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          海 ・・・・・・・・・・・・・・・川崎洋

     かん声をあげて
     海へ走り
     しぶきのなかに消える
     子どもたち
      わたしは
     砂に寝て
     海を想っている

     ひとつづきの塩水よ
     われらが夏の始まりは
     いずれの国の
     冬のまつさかりか

     そして
     わたしの喜びは
     誰の悲しみ?

---------------------------------------------------------------------------
夏休みになって、毎日あついから、「海」は、子供たちにとっては楽しい遊び場である。

川崎 洋(かわさき ひろし、1930年1月26日 ~ 2004年10月21日)は、日本の詩人・放送作家。東京都出身。
彼は私と同年輩の詩人である。
海に近い東京は大森海岸に生れた。
1944年福岡に疎開。八女高校卒、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。
上京後、横須賀の米軍キャンプなどに勤務。1948年頃より詩作を始め、1953年茨木のり子らと詩誌「櫂」を創刊。
谷川俊太郎らを同人に加え、活発な詩作を展開した。
その傍ら1971年にはラジオドラマ「ジャンボ・アフリカ」の脚本で、放送作家として初めて芸術選奨文部大臣賞を受けた。
1987年、詩集「ビスケットの空カン」で第17回高見順賞。1998年、第36回藤村記念歴程賞を受賞した。
1955年詩集『はくちよう』を刊行。1957年から文筆生活に入る。
日本語の美しさを表現することをライフワークとし、全国各地の方言採集にも力を注いだ。
また1982年からは読売新聞紙上で「こどもの詩」の選者を務め、寄せられた詩にユーモラスであたたかな選評を加え人気を博した。
主なラジオ脚本に「魚と走る時」「ジャンボアフリカ」「人力飛行機から蚊帳の中まで」などがある。
作曲された詩は数多い。
歌の作詞経験も豊富で、NHK全国学校音楽コンクールでは4回作詞を担当した(「きみは鳥・きみは花」「家族」「海の不思議」「風になりたい」)。

「海」に因んだ、次のような彼の文章がある。
大森海岸近くで生まれ、太平洋戦争中、中学2年の時、父の故郷である福岡県の有明海に臨む地に疎開し、敗戦後をはさむ7年間を過ごした後、現住地の横須賀市に居を移す。
つまり彼は、ずーっと海の近くに住み続けてきたことになる、と書いている。

<家で仕事をしていて、不意に海岸へ行きたくなり、飛び出すことがある。 海は不思議な生き物で、あの東京湾の海水の寄せる三浦海岸の磯でさえ、潮の具合によっては、まるでコマーシャル・フィルムに出てくるような、透明で美しい海の表情を見せてくれることがある。夏、ああ海は光の祭りだなと思う。波は二度と同じ形を示さない。美しいものの何と気短かなことだ。「人間は海のようなものだ。それぞれ違った名前を持っていても、結局はひと続きの塩水だ」というゲーテの言葉を思い出したりする。>

<以前、小笠原が返還された年の夏、放送取材の仕事で、巡視船に同乗させてもらい、嵐の海で、マストより高い波を見たことがある。とうとう引き返さねばならぬ激しい荒れようだったが、私は舷側の柱にしがみつき、船酔いのため吐きながら、そんな海を見とどけた。その時、身をのり出して下をのぞくと、海の暴れ方からは思いもつかない、青白くやさしい泡が、船体にくっついて揺れをともにしていたのが忘れられない。>
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今日は8月9日。長崎にプルトニューム原爆が落とされた。
太平洋戦争の末期だが、8月6日には広島に原子爆弾が落とされ、市街が灰燼に帰した上に、数万人の人が放射線により死んだ。
今や戦後生まれの人が日本人の大半を占めて、戦争を知らない人々が殆どであるが、戦中派の一人として、この日は語り継がれるべきだと思う。
さすがの日本軍閥も敗戦を受け入れるきっかけになった両日である。
私は、その頃、軍需工場に動員され、旋盤工としてロケット砲弾の部品を削っていた。
あれから、もう73年が経つ。



陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋む・・・・木村草弥
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    陽が射せばトップレスもゐる素裸が
          ティアガルテンの草生(くさふ)を埋む・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
「ティアガルテン」とは、ドイツの首都・ベルリンの中心部に広がる広大な公園で、掲出写真二枚のようなものである。
プロイセンの頃は、王族の狩猟地だった。
写真①のロータリーの真ん中に立つのが「ジーゲスゾイレ」というプロイセンの勝利の塔であり、ここに上るとベルリンが一望できる。
Wikipediaには、次のような記載がある。

<大ティーアガルテン (Großer Tiergarten) はベルリン中心部、ミッテ区のティーアガルテン地区に位置する広大な公園。

単に「ティーアガルテン」といった場合には、この大ティーアガルテンのことを指す場合が多いが、同じくミッテ区のモアビート地区にもティーアガルテンという名の公園があるため、ティーアガルテン地区のものには「大」を、モアビート地区のものには「小」を冠して区別している。

総面積は210ヘクタールで、これはロンドンのハイド・パーク(125ヘクタール)やニューヨークのセントラルパーク(335ヘクタール)と並ぶ規模である。

かつては王家の狩猟場だった。1818年からと1832年-1840年の2回、造園家ペーター・ヨセフ・レンネによって現在の形に整備される。中心部に戦勝記念塔が建ち、公園内を6月17日通りが通る。西にエルンスト・ロイター広場、南西にベルリン動物園、東にブランデンブルク門がある。>

同じ歌集には、掲出の歌につづいて

  半年の長き冬なれば夏の間は陽に当らむと肌さらしゐつ

  湖と森の都のベルリンは<ゲルマニアの森>の逸話おもはす
・・・・・・・・・・・木村草弥

の歌があるので一体として鑑賞してもらいたい。

広大な森だが、ところどころに広い草生があり、夏の間は市民たちが、こぞって真裸になって「日光浴」をする。そんな写真をいくつか出しておく。 ↓

mm20120524101230_145044581日光浴
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ベルリンは東西ドイツに分かれていたときは「東ドイツ」に属していたので、長らく開発から置き去りにされてきたが、東西が一体化されて、ドイツの首都となったので、
以後の変貌は著しいものがある。
今回の拙歌集『昭和』に載せたのは「ベルリンの壁崩ゆ」──1990年夏── というものであり、ベルリンの壁が崩された1989年の翌年の夏の紀行が基になっている。

この項目のはじめに

  金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す

  金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
・・・・・・・・・・・・木村草弥

の歌があるが、今どきならば、こんな光景はあり得ないが、当時は特に共産圏では「腋毛」を剃るという習慣はなかったのである。
西欧においても、パリなどでは「男の腋毛は良くて、女の腋毛は剃れ、なんておかしい」という運動さえあったのである。
この歌に登場するビルギュップ女史は、私たちのツアーのガイドなどなさっていただいたが、東欧華やかなりし頃は、政治家や学会などの重要な会議の通訳などをされたらしい。
世が世ならば、われわれ下々のツアーのガイドでお茶を濁すような人ではなかったのだが、東欧が崩壊して、仕事が無くなったので、働いておられるのだった。
私はベルリンには、数年後にもう一度行ったが、そのときはベルリンは大改造中で、歌集の中にも歌を載せた「パラストホテル」という東ベルリン有数の名ホテルも解体中だった。
「パラスト」というのは英語でいうと「パレス」宮殿の意味で、旧プロイセンの王宮の跡に建っていた。
つまりパレスホテルということなのであった。当然このホテルは東欧、東独のトップクラスの要人たちが屯するホテルだったようで、その「悪しき」権力のイメージが付き纏い、
なんども経営母体を替えたようだが、解体のやむなきに至ったらしい。
その、まさに解体最中のときに私の二回目のツアーが遭遇して、大きなショックを受けたことを、今も覚えている。
同じ一連に載る

  ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す・・・・・・・・・木村草弥

という教会も、歌集を読まれた三浦好博氏の手紙によると、「廃墟」ではなくて、最低限の補修をして「記念堂」として機能しているという。
今の写真を、下記に。 ↓ 右側のノッポの塔のようなのが「新」教会。

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事ほど左様に、ベルリンの変貌は著しい。

  「ベルリンの壁」とり去りて道となす傍に煤けし帝国議事堂・・・・・・・・・・木村草弥

と詠んだ議事堂も、二回目に行ったときは改修されて「新」ドイツ議会として、新たにドームも付加されたりして観光客を迎えていた。
どれもこれも、浦島太郎のような心境に陥る変貌ぶりであった。 ↓ 今の写真を出しておく。
1280px-Reichstag_panoドイツ国会議事堂

ここは1930年代に、ヒトラーが共産党に罪をなすりつけようと「放火事件」をデッチあげたことで有名だったが、敗戦、東西ドイツ分断などで放置されていた。
それらの経緯が、私の歌からも読み取れよう。

そういう意味でも、 この一連は私にとって「記念碑的な」ものと言えよう。歌集に敢えて収録した所以である。


暦には立秋とある今日の午後黍の葉鳴らす風吹きいでぬ・・・・筏井嘉一
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  暦には立秋とある今日の午後
     黍の葉鳴らす風吹きいでぬ・・・・・・・・・・・・・筏井嘉一


今日は「立秋」である。
しかし、今年の暑さはどうだろう。朝の最低気温が28度を示していたりして、いいかげんにせぇ、という気分だ。
今朝も熱帯夜は免れがたく、南をゆく台風の余波で湿気の多い蒸し暑さである。
これからも暑さは続くだろう。今日以後は暑くても「残暑」と言わなければならないが、まだまだ酷暑真っ盛りという昨今である。嗚呼!

立秋の歌としては、次の歌が古来、人口に膾炙してきた。

   秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる・・・・・・・・・・・・藤原敏行

この歌の詞書(ことばがき)に「秋立つ日によめる」とあるように、立秋の日に詠んだ歌である。
現実には、まだまだ暑い夏だが、二十四節気では、もう「秋」に入ることになる。
「風」のほんのかすかな「気配」によって秋の到来を知る。
この事実を詩にしてみせたことが、季節感に敏感な日本人の心に強くひびきあって、この歌を、今につづく有名な歌として記憶させて来たのである。
この歌は『古今集』巻4・秋の歌の巻頭歌である。
藤原敏行朝臣という人が権力的にはどういう地位にいた人か、私は詳しくないが、この一首で後世に名を残すことになった。

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『古今集』は「夏歌」の最後を凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の次の歌でしめくくっている。

  夏と秋と行きかふ空のかよひぢは かたへすずしき風やふくらむ

この歌には「みな月のつごもりの日よめる」の詞書がついている。
夏と秋とがすれ違う情景を空に一筋の季節の通路を想像して詠んだ歌である。
夏の終りの日に、片側の道から夏が過ぎ去ると、その反対側からは涼しい秋風が吹き始めてすれちがってゆくだろうか、と空想している歌であるが、
現実の季節はまだ暑さの中にあったろう。しかし暦の上では、すでに秋が来ている。

先に書いたように『古今集』の「秋歌」の最初は、それを受ける形で、掲出の藤原敏行朝臣の歌で始まるのである。
このように目に見えない風が、目に見えない秋を運んでやって来たのである。
この歌は実景を詠っているというよりは、むしろ「時の流れ」を詠っている。
こういう人間の「感性」の微妙な働きに対して、繊細に、敏感に耳目をこらす、こういう美意識が、古来、先人たちが大切にしてきた日本人の季節感なのである。
この美意識は、次の『新古今集』になると、ますます研ぎ澄まされ、危ういほどの言葉の結晶になってゆく。

  おしなべて物をおもはぬ人にさへ心をつくる秋のはつかぜ

西行法師の歌である。
「心をつくる」秋のはつかぜといった表現には、『万葉集』はもちろん、『古今集』にも見出されない、内面化された風であると言える。
次いで式子内親王の歌

  暮るる間も待つべき世かはあだし野の 末葉の露に嵐たつなり

こういう歌、こういう物の見方になると、風はもう作者の心象風景の中を蕭条と吹き渡っている無常の時そのものになっているとさえ言えるのである。

しかし『古今集』『新古今集』の、いわば虚構の美意識は『万葉集』には、まだあまり鮮明には見られない。
万葉の歌人たちは「秋」を意識する場合にも、現実に秋風に吹かれている萩の花、雁、こおろぎ、白露などの具体物を先ずみて、その目前の秋の景物を詠んだ。
 例えば

  秋風は涼しくなりぬ馬竝(な)めていざ野に行かな芽子(はぎ)が花見に

  この暮(ゆふべ)秋風吹きぬ白露にあらそふ芽子の明日咲かむ見む

  芦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る


このように吹く秋風についても、詠う対象は風そのものではなく、野に咲く萩であり、遠ざかる雁の声を詠うのである。
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いずれにしても、日本の詩人は、季節の節目節目を、先ず敏感に感じ取らせるものとして、風を絶えず意識していた。
おそらく、それは、四方を海に囲まれ、気象条件も海に支配されている島国に住む民族として、風によって生活と精神生活の両面で左右されてきたということと無縁ではないだろう。

筏井嘉一の歌のことに触れるのが後になった。この歌は歌集『籬雨荘雑歌』(65年刊)に載るもの。

立秋に関する歌として

  十張のねぶた太鼓のつらね打ち夏跳ねつくせ明日は立秋・・・・・・・・・・・・布施隆三郎(『北斗のα』97年刊)

というものもある。青森在住の歌人なのであろうか。



松林尚志『一茶を読む やけ土の浄土』・・・・木村草弥
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──書評──

     松林尚志『一茶を読む やけ土の浄土』・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・鳥影社2018/07/24刊・・・・・・

敬愛する松林氏から標記の本のご恵贈をいただいた。
松林氏の略歴を本書から引いておく。

1930年 長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
現代俳句協会、現代詩人会 各会員。
俳誌「木魂」代表、「海程」同人。
著書
句集 『方舟』 1966 暖流発行所 他
詩集 『木魂集』 1983 書肆季節社 他
評論 『古典と正統 伝統詩論の解明』 1964 星書房
    『日本の韻律 五音と七音の詩学』 1996 花神社
    『子規の俳句・虚子の俳句』 2002 花神社
    『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』 2005 沖積舎
    『斎藤茂吉論 歌にたどる巨大な抒情的自我』 2006 北宋社
    『芭蕉から蕪村へ』 2007 角川学芸出版
    『桃青から芭蕉へ 詩人の誕生』 2013 鳥影社
    『和歌と王朝』 2015 鳥影社 他

私が松林氏を知るきっかけになったのは 『日本の韻律 五音と七音の詩学』 の本を読んで「新短歌」誌に小文を書いたことによる。
私の文章を今ここに引くことが出来ないのだが、以後、御著を恵贈されたりして今に至っている。

この本は主宰される俳誌「こだま」に連載されたのを一冊にまとめられたのである。
金子兜太の本『荒凡夫 一茶』 『小林一茶』 『一茶句集』などの労作があるが、略歴にも書かれているように兜太主宰「海程」にも籍を置かれていたようである。
その兜太も亡くなって、手元にある文章を世に出す気持になられたようである。

私は、この本の題名である「やけ土の浄土」という言葉に注目した。
本を読み進めるうちに巻末の近いところの「十三、晩年の一茶」を読んで納得した。
「柏原焼亡夢」という文字が日記に登場し、現実に、文政十年(1827年)六月に柏原は大火で焼尽、一茶の家も類焼、焼け残りの土蔵で暮らす始末となる。
その年の十一月十九日、その土蔵で死去。
その頃、一茶は
<おろかなる身こそなかなかうれしけれ弥陀の誓ひにあふとおもえば    良寛>
と詠まれる境地に達していたのであろうか。
その頃の句に

       土蔵住居して
  <やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ>

というのがあり、この句から題名の「やけ土」というフレーズが思い付かれたようである。

この本の「帯」文に

  <終始芭蕉を意識しつつ
    独自な境地を切り開いた一茶、
    その歩みを作品を通して辿る。>

とある。
そして「あとがき」には

  <私の文章は広い視野からの一茶俳句鑑賞ではなくて、
    俳句を通じて俳人一茶の歩みを追い、
    その人間像に迫るという形のものになった。>

と書かれている。
一読して、読みやすい本である。
ご恵贈に感謝して、ご紹介の一端とするものである。 有難うございました。    (完)






蓮の葉は静かになりぬ戦いにさやぎて死にし兵のごとくに・・・・香川進
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     蓮の葉は静かになりぬ戦いに
         さやぎて死にし兵のごとくに・・・・・・・・・・・・・・・香川進


今日八月六日は広島に原子爆弾が投下された日である。 その鎮魂の日に因んで、この歌を載せる。
掲出の歌は『角川現代短歌集成』③巻から引いたが、初出は歌集『湖の歌』(84年刊)。
香川進については ← リンクに張ったところなどを参照されたい。
私も一時、彼の主宰する短歌結社「地中海」に席を置いていたことがあり、その「地中海」誌に一年弱ほど彼の自由律の第一歌集『太陽のある風景』について記事を載せたことがあるが、今は纏まっては引き出せないので失礼する。
香川の活躍したのは塚本邦雄や岡井隆らの活動した「前衛短歌」運動に対して、いわば「前衛狩り」を強行したことで知られている。
これは彼一存ということではなく、そういう前衛の運動に対する「短歌界」の保守派の委任を得たような形ではなかったか。
当時、私はまだ歌壇には関係しておらず、事情には詳しくはないが、むしろ関係が無かったからこそ、今となっては客観的に見られると思うのである。
「前衛狩り」は、角川書店発行の月刊誌「短歌」の編集長に山本友一や片山貞美などを送り込むなどの画策の前面に出たのが香川進であったらしい。
今となっては、いろいろの事実が明らかにされているので調べられたい。
毎年一月半ばに皇居で催される「歌会始」の行事の選者や召人として一時香川進が参列していたが、その頃は一種の批判勢力だった岡井隆が、今や、その中心メンバーとして人選などを牛耳っているようであり、世はまさに隔世の感がある。今や会に招かれる人の顔ぶれを見ると専ら岡井隆の息の掛かっている人ばかりと言える様相である。

a0019858_22541睡蓮

『角川現代短歌集成』③巻には「蓮」「睡蓮」の項にいくつか歌が出ているので、それを引いておく。(出典は省略)

   冲(むな)しきが若(ごと)くしあれと念じけむ墨もて描く蓮(はちす)白花・・・・・・・片山貞美

   睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗ふなり・・・・・・・・・・・・・・・石川不二子

   水上の雅歌の如しも睡蓮の花ことごとく発光すれば・・・・・・・・・・・・・・山下雅人

   大賀ハス水のうえしげく咲きほこるその下いかに根っこの修羅場・・・・・・・・・・加藤隆枝

   長江のほとりゆ来たる乾草の中より拾ふ蓮実四つ・・・・・・・・・・・・・石川不二子

   睡蓮の葉はなまけもの水面にひつたりと青き己れを伸べて・・・・・・・・・・・・・奥村晃作

   花びらを散らすことなく身を閉じて睡蓮水に帰りゆきたり・・・・・・・・・・・・・陣内容子

   陶酔はきみだけでない睡蓮がぎつしりと池に酔ひしれてゐる・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎

   睡蓮の閉ぢて色濃き花びらに明日も開かむ明るさのあり・・・・・・・・・・・・・・林三重子

   交配をみづから拒む蓮の話今朝の思ひのすがすがしけれ・・・・・・・・・・・・・・大河原惇行

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今日、八月六日は、広島に原爆が落とされた日である。
今日は朝から慰霊の行事が例年通り行われる。
今日一日、犠牲者を偲ぶとともに、過去に人間が犯してきた「間違い」を思い起し、平和の意味を問い直したいものである。
掲出した香川進の歌も、それを思い出す「よすが」にしたいからである。
私の「意」のあるところを汲んでもらいたい。



デュフィの海のやうなる空にさやぎ欅若葉は一会のさみどり・・・・島田修三
bin070326191301009デュフィ「波止場」

      デュフィの海のやうなる空にさやぎ
         欅若葉は一会(いちゑ)のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三


梅雨が上って、いよいよ照りつける太陽の季節が巡ってきた。
青葉、若葉が萌える時期である。
この島田修三の歌は、そんな季節の一風景をトリミングして見事である。『シジフォスの朝』(砂子屋書房01年刊)
掲出した画像は、デュフィ「波止場」である。

ラウル・デュフィについてWeb上から記事を引いておく。

ラウル・デュフィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 ~ 1953年3月23日)は、野獣派に分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。

画風
アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、VOGUE表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。

生涯
1877年 北フランス、ノルマンディーのル・アーヴルの港街に 貧しいが音楽好きの一家の9人の兄弟の長男として生まれる。父親は金属会社の会計係で、才能ある音楽愛好家。教会の指揮者兼オルガン奏者。母はヴァイオリン奏者。兄弟のうち2人はのちに音楽家として活躍。家計を助けるため14歳でスイス人が経営するコーヒーを輸入する貿易会社で使い走りとして働くためにサン・ジョセフ中学校を離れる。後にル・アーヴルとニューヨークを結ぶ太平洋定期船、ラ・サヴォアで秘書をする。
1895年 18歳のときに美術学校ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始めた。生涯愛したモチーフとなるル・アーヴルの港をスケッチ。右利きのデュフィは技巧に走り過ぎることを懸念し、左手で描いた。学校の友人フリエスらと共にアトリエを借り彼らとアーブル美術館でウジェーヌ・ブーダンを模写。ルーアン美術館でニコラ・プッサン、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、テオドール・ジェリコー、ウジェーヌ・ドラクロワを学ぶ。
1898年~99年 兵役 戦争から戻り病身でヴォージュ地方のヴァル・ダジョルに滞在
1900年 兵役の1年の後にル・アーブル市から1200フランの奨学金を得て23歳のときに一人故郷を離れパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学。モンマルトルのコルトー街で暮らす。レオン・ボナのアトリエで学ぶ。ジョルジュ・ブラックと学友だった。印象主義の画家クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、カミーユ・ピサロなどに影響を受ける。
1902年 ベルト・ヴェイルを紹介されて、彼女のギャラリーにパステル作品を納入。
1903年 アンデパンダン展に出品。
1905年 アンリ・マティス、マルケと知り合い、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、パブロ・ピカソなどの若いアーティストの作品をサロン・デ・ザンデパンダンを見てフォービズムに関心を向けリアリズムに興味を失う。
1906年 ベルト・ヴェイル画廊で個展を開く。
1907年 34歳の時に結婚。生活の為、木版画の制作を始める。
1908年 ブラックとレスタックで制作。セザンヌ風様式を採用。フォービズムから離れていく
1909年 フリエスとミュンヘンに旅行。
1910年 ギヨーム・アポリネール と親交を結ぶ
1911年 当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。
1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。
1913年 南仏イエールに滞在。
1914年 第一次世界大戦が起こり陸軍郵便事業に従事。
1917年 翌年まで、戦争博物館の図書室員となる。
1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。
1919年 ヴァンスに滞在。
1920年 パリに戻りモンマルトルのジョルジュ・ブラックの近所に居を構える。
1922年 フィレンツェ、ローマ、シチリアに旅行。
1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」シリーズが国際装飾美術展で金賞
1936年 ロンドンに旅行。
1938年 パリ電気供給会社)の社長の依頼でパリ万国博覧会電気館の装飾に人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」を描く。イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る。多発性関節炎発症。ポール・ヴィヤール博士は、デュフィの主治医
1943年~44年第二次大戦中はスペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らす
1945年 ヴァンスに滞在。
1950年~52年 リューマチのコーチゾン療法を受けるために米国のボストンへ。
1952年 ヴェネツィア・ビエンナーレの国際大賞を受賞。
1953年3月23日にフランス、心臓発作のためフォルカルキエにて死去。75歳没。ニース市の郊外にあるシミエ修道院墓地に埋葬される。

代表作
サンタドレスの浜辺(1906 年)(愛知県美術館)
海の女神(1936年)(伊丹市立美術館)
電気の精(1937年)(パリ市立近代美術館)長さ60メートル、高さ10メートルの大作
三十年、或いは薔薇色の人生(パリ市立近代美術館)

画集
小学館ウィークリーブック 週間美術館 ルソー/デュフィ 小学館
ユーリディス・トリション=ミルサーニ著 太田泰人訳 デュフィ 岩波世界の巨匠 岩波書店
島田紀夫 千足伸行編 世界美術大全集 第25集 フォービズムとエコールド・パリ 小学館
ドラ・ベレス=ティピ著 小倉正史訳 デュフィ作品集 リブロポート

収蔵
オルセー美術館
ポンピドーセンター
パリ市立美術館等の有名美術館
大谷美術館
国立西洋美術館
石橋財団ブリヂストン美術館
愛知県美術館
メナード美術館
三重県立美術館
島根県立美術館
大原美術館
ひろしま美術館
鎌倉大谷記念美術館
青山ユニマット美術館
ブリヂストン美術館
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島田修三は、こういう人である。

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、歌人、日本古典研究者、愛知淑徳大学学長。

神奈川県生まれ。歌誌「まひる野」所属。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。
愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年学長。短歌は窪田章一郎に師事。
現・角川短歌賞選考委員。

受賞歴
2002年、『シジフオスの朝』で第7回寺山修司短歌賞受賞。
2008年、『東洋の秋』で第6回前川佐美雄賞受賞。
2009年、『東洋の秋』で第9回山本健吉文学賞短歌部門受賞。
2010年、『蓬歳断想録』で第15回若山牧水賞受賞。
2011年、『蓬歳断想録』で第45回迢空賞受賞。

著書
晴朗悲歌集 砂子屋書房 1991
離騒放吟集 砂子屋書房 1993
東海憑曲集 ながらみ書房 1995
風呂で読む近代の名歌 世界思想社 1995
古代和歌生成史論 砂子屋書房 1997
短歌入門 基礎から歌集出版までの五つのステージ 池田書店 1998
島田修三歌集 砂子屋書房 2000(現代短歌文庫)
シジフオスの朝 歌集 砂子屋書房 2001
「おんな歌」論序説 ながらみ書房 2006
東洋の秋 歌集 ながらみ書房 2007
蓬歳断想録 短歌研究社 2010





夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・千代田葛彦
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  夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦


夾竹桃は夏の花である。
私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
夾竹桃は原産地はインドだが、江戸時代に中国から渡来して、当初は仏縁の木として寺院に植えられたが、後に一般に植栽されるようになった。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。

aaookyouch夾竹桃白

炎天下に咲く花というのは限られており、夾竹桃は夏の花として欠かすことの出来ない花となった。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。
明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
私の歌にも夾竹桃を詠んだものはあるが、今回は遠慮して、歳時記に載る俳句を引いて終わる。
句に詠まれるのも多く、俳人には好まれる花のようだ。

 夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男

 夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二

 夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子

 夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦

 白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子

 うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・高島茂

 歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子

 夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨

 夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介

 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨

 夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹

 夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男

 夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男

 鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏



「未来山脈」掲載作品・2018/08 「絵手紙」・・・・木村草弥
光本_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(8)

          絵手紙・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
                ・・・・・2018年8月号掲載・・・・・・

   絵手紙が来た。 みごとなカボチヤ 陽に輝く

   六十二円切手の畑だより 友は野良に精出す

   むかし子供の頃カボチャをくり抜きキリギリスを飼っていた

   カボチャはポルトガル語由来 「ぼうぶら」と呼ぶ地域もある

   トンガは日本向けカボチャの大生産地になった

   もともとトンガにはカボチャの栽培は無かった

   日本で収穫のない冬に収穫できると商社が栽培を勧めた

   冬にスーパーに並ぶカボチャはトンガ産 小振りだ

   ハローウィンのパンプキンはペポ種でまづくて食用に適さない

   カボチャは強健。 放置しておいても逞しく育つ




朝顔を培ふは多けれど夕顔は珍しと言ひて人は褒めをり・・・・木村草弥
128736572280316108502夕顔
 ↑ 俗称・夕顔─正しくは「ヨルガオ」の花

     朝顔を培(か)ふは多けれど夕顔は
         珍しと言ひて人は褒めをり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
「夕顔」と「ヨルガオ」とは混同されて言われるので、注意したい。
私の歌に詠ったのは「ヨルガオ」である。干瓢の原料になる「ユウガオ」のことではない。
私も俗称の「夕顔」としての使用法で詠っていることになる。 混乱させて、ゴメンなさい。
Wikipediaには下記のように載っている。
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ヨルガオ

ヨルガオ(夜顔)とはヒルガオ科の植物の一種。学名Ipomoea alba(シノニムI. aculeata 、I. bona-nox、Calonyction aculeatum)。

 特徴
白花で、熱帯アメリカ原産のつる性植物。原産地においては多年草であるが、日本では春まきの一年草として扱う。4~5月頃に種をまく(発芽には約20度程度必要なので、一般にはゴールデンウィークを目安に蒔くのが望ましい)と、7~10月頃(暖地では11月頃まで)に開花する。花はロート形で夕方から咲き始め翌朝にしぼむ。 日本には明治の始め頃に渡来し、観賞用として栽培された。

ヨルガオのことを「ユウガオ」という人も多いが、標準和名のユウガオ(学名Lagenaria siceraria var. hispida)はウリ科の野菜(かんぴょうの原料となる)で全く別種である。

花言葉は「夜」。

その他
園芸種としては「白花夕顔」や「赤花夕顔」などがあり白花夕顔は直径15cm程の大輪咲きである。上手に開花させるためには水切れしないように朝晩に水を与えて、しおれないように注意しなければならない。 赤花夕顔は和名「ハリアサガオ」といい、茎に多くの突起があることにちなむ。直径5cmほどで極小輪で花の中心が淡い紅紫色に染まる。 どちらも芳香があるので人気が高い。
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また「夕顔」とは「源氏物語」の中の登場人物としても有名である。ただし、植物としては今でいう「ヨルガオ」の花を指さない。
干瓢の原料になる「ユウガオ」の植物のことである。その理由は、この頃には「ヨルガオ」はまだ日本に伝来していないからである。
 これもWikipediaの記事を抄出しておく。

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 ↑ 「夕顔の心あてに」の物語に因む絵

夕顔 (源氏物語)

夕顔(ゆうがお)とは、
1.『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第4帖。帚木三帖の第3帖。
2.『源氏物語』に登場する作中人物の女性の通称。「常夏(ナデシコの古名)の女」とも呼ばれる。

巻名及び人物名の由来はいずれも同人が本帖の中で詠んだ和歌「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」による。

夕顔の人物像
三位中将の娘で、頭中将の側室と言う立場にあったが、その後市井にまぎれて暮らしている。
若い光源氏の愛人となるも、互いに素性を明かさぬまま、幼い娘を残して若死にする。

父の死後、頭中将(当時は少将)と結ばれて一女(後の玉鬘)をもうけるが、本妻の嫉妬を恐れて姿を消した。「帚木」巻で語られた「雨夜の品定め」で、「常夏の女」として名前が出てくるがその時は聞き流される。

登場する回数こそ少ないものの、佳人薄命を絵に描いたような悲劇的な最後が印象に残る女性。
儚げながら可憐で朗らかな性格で、源氏は短い間であったが彼女にのめりこみ、死後も面影を追う。

後には彼女の娘の玉鬘が登場し、物語に色を添える。

あらすじ
源氏17歳夏から10月。
従者藤原惟光の母親でもある乳母の見舞いの折、隣の垣根に咲くユウガオの花に目を留めた源氏が取りにやらせたところ、邸の住人が和歌で返答する。
市井の女とも思えない教養に興味を持った源氏は、身分を隠して彼女のもとに通うようになった。
可憐なその女は自分の素性は明かさないものの、逢瀬の度に頼りきって身を預ける風情が心をそそり、源氏は彼女にのめりこんでいく。

あるとき、逢引の舞台として寂れた某院(なにがしのいん、源融の旧邸六条河原院がモデルとされる)に夕顔を連れ込んだ源氏であったが、深夜に女性の霊(六条御息所とも言われるが不明)が現れて恨み言を言う怪異にあう。夕顔はそのまま人事不省に陥り、明け方に息を引き取った。
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yorugaoBヨルガオつぼみ
 ↑ ヨルガオつぼみ

歌集に載る私の歌の一連を引いておく。

       夕 顔・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ

  三本の高き茎立(くくた)ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し

  昨夜(よべ)咲きて萎れし花はひと日経てはたりと花殻落つるも哀れ

  朝夕に注ぎやる水吸ひあげて競ひて咲ける夕顔いとほし

  鉢に培(か)ふ茎立ち高く二メートル賜びたる人の手数偲ばる

  門に置く夕顔の花みごとにて道ゆく人は歩みとどむる

  朝顔を培ふは多けれど夕顔は珍しと言ひて人は褒めをり

  朝けには早や萎れゐる夕顔に昔語りの姫おもひいづ  

一番後の歌は「源氏物語」の姫「夕顔」のことを指しているのは、言うまでもない。








長嶋南子詩集『家があった』・・・・木村草弥
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──書評──

      長嶋南子詩集『家があった』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・空とぶキリン社2018/08/15刊・・・・・・

未知の長嶋さんから標記の本が贈られてきた。 高階杞一氏の指示によるものだろう。
高階氏には、さまざまのお世話になっている。
長嶋氏の略歴を、この本から引いておく。

茨城県常総市生まれ。
既刊著書
詩集
『あんぱん日記』 1997年 夢人館 第31回小熊秀雄賞
『ちょっと食べすぎ』 2000年 夢人館
『シャカシャカ』 2003年 夢人館
『猫笑う』 2009年 思潮社
『はじめに闇があった』 2014年 思潮社
エッセイ集『花は散るもの人は死ぬもの』 2016年 花神社

既刊本についてネット上に載る「馬場秀和ブログ」という記事を少し長いが引いておく。

『はじめに闇があった』(長嶋南子) 

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早く死んでしまう夫も
暗い目をして引きこもっている息子も 職のない娘も
いっしょに住んでいるこの家族は
よその家族ではないかと疑いはじめた
夜になるとわたしの家族をかざしてうろつく
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『別の家族』より

 この人たちはなぜこの家にいるのか。家族という不可解な存在を前にして、困惑し、殺し殺され、わあわあ泣く。家族という闇を直視する、気迫のこもった家族詩集。単行本(思潮社)出版は2014年8月です。

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むっちり太った息子のからだ
シゴトに行けなくなって
部屋にずっと引きこもっている
どんどん太ってきて
部屋のドアから出られなくなった
餅を食べたら追い出さなければならない
ころしてしまう前に
家のなかに漂っている灰色の雲
--------
『雨期』より


 引きこもりの息子、殺したり殺されたり。
 家族というものは毎日毎日一瞬一瞬が殺し合いです。疲れ切って手を離したら、そのときすべてが終わってしまう。そんな息詰まるような家族というものを、ひたすら書き続けています。
 とりあえず、殺される前に殺します。

--------
ムスコの閉じこもっている部屋の前に
唐揚げにネコイラズをまぶして置いておく
夜中 ドアから手がのびムスコは唐揚げを食べる
とうとうやってしまった
ずっとムスコを殺したかった
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『ホームドラマ』より

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二階から階段をおりてくる足音が聞こえる
息子が包丁もってわたしをころしにくるのだ
ぎゅっと身が引き締まる
早く目を覚まさなくては
ゆうべは
足音をしのばせて
わたしが階段をあがっていく
ビニールひもを持っている
息子が寝ているあいだに
首をしめて楽にしてやらなくては
ぎゅっと身を引き締める
--------
『こわいところ』より

--------
自分が生んだのに悩ましい
わたしは何の心配もなく眠りたい
息子に毛布をかけ床にたたきつける 火事場の馬鹿力
なんども足で踏みつける
生あたたかくぐにゃりとした感触
大きな人型の毛布が床の上にひとやま
こんにゃく じゃがいも ちくわぶ 大根 たこ 息子
--------
『おでん』より


 思い切って息子を殺せばそれでもう安心かというと、そんなこともなく、家族がいる限りどうしようもありません。泣くことも出来ません。猫にもどうしようもありません。

--------
いっそのこと原っぱにいって
オンオン泣けば
ためこんでいたものが一気になくなって楽になるだろう
人前でひそかに泣かなくてすむだろう
まわりは新しい建売住宅ばかりで
原っぱはない
家の前の小さな空き地で大声で泣いたら
頭がおかしい人がいるどこの人だろうかと気味悪がられるだろう
部屋のなかで泣いていると猫が
よってきてなめまわしてくれるだろう
猫になぐさめられるとよけいに泣きたくなるだろう
--------
『泣きたくなる日』より

--------
安泰だと思っていた家なのに
子どもはひきこもりになっていた
傾いたらあわてて窓からとび出してきた
あさってごろには家は沈むでしょう
沈む家からはネズミが
ゾロゾロ這い出してきます
猫 出番です
わたしにはもう出番はない
舞台のそでからそっと客席をのぞき見している
猫 お別れです
--------
『尻軽』より

 猫との別れ。そして家族との別れ。いったい、あれは何だったのか。家族って、いったい何なのか。

--------
仕事を終えて家に帰ると
息子が死んでいた
猫も母もと思ったら
その通りだった
ご飯を食べさせなくていいので
調理しない
レトルトのキーマカレーを食べる
のぞみ通りひとりになったのに
スプーンを持ったまま
わあわあ泣いている
--------
『さよなら』より

--------
ついきのうまで家族をしてました
甘い卵焼きがありました
ポテトコロッケがありました
鳩時計がありました
夕方になると灯がともり
しっぽを振って帰ってくるものがいました
家族写真が色あせて菓子箱のなかにあふれています
しっぽを振らなくなった犬は 息子は
山に捨てにいかねばなりません
それから川に洗たくにいきます
桃が流れてきても決して拾ってはいけません
--------
『しっぽ』より

 というわけで、家族という闇を直視した作品がずらりと並んでいて、一つ読むごとに息詰まるような思いをしました。一番悲しかったのは、猫との別れを書いた詩です。以下に全文引用します。

--------
猫は猫でないものになりかけています

腹の手術あとをなでてやると
のどをならすのでした
荒い息をしながらまだ猫であろうとしています

キセキがおこるかもしれないと
口にミルクを含ませます
飲み込む力が弱く
わたしの腕のなかでじっとしています

重さがなくなったからだを
抱いています
わたしは泣いているのでした
猫は最後まで猫で
のどをならすのです

わたしはわたしでないものになろうとしています
のどをならします
泣いてくれるよね 猫

キセキは起こらないでしょう
季節の変わり目の大風が吹き荒れている夜です
--------
『大風が吹き荒れた夜』より
-------------------------------------------------------------------
長い引用になったが、これらの作品が、今回の本に繋がると思うからである。
どこまでがリアルで、どこまでがフィクションかを問うつもりはない。
所詮「詩」はフィクションの世界である。

長嶋さんのことは何も分からない。ただ若くはないことは確かだろう。
この本の「帯」文には、こう書かれている。

  <すっかり世話を焼かれるからだになった
   もうすぐ焼かれるからだになる

   来し方を振り返れば夢のように浮かんでくる故郷。
   土手下の二軒長屋、ちゃぶ台、草餅、若い父と母・・・・・。
   老いていく日々の感慨を不条理の笑いでくるんだ新詩集。>

この高階氏によるキャプションは、この詩集を要約していると言ってもいいだろう。
長嶋氏の作品を引く前に、こう言ってしまっては身も蓋もない。
少し作品を引いてみる。

     鬼怒川      長嶋南子

   川のなかに呑みこまれそうになった
   鬼がきたのだ
   怒らせてはいけない
   力を抜いてあお向けになって流されていく


   子のないおばさんが
   養女にと母に言ってくる
   おばさんの子になって
   誰もいない昼間こっそり
   タンスのひきだしを開ける
   ひきだしのなかを川が流れている
   女の子が浮いている
   ここに流れついたのかとひとりうなずく

   家が恋しくなるとひきだしをあける
   川に飛び込む
   土手下二軒長屋
   五人きょうだいがいる六畳ひと間に流れつく
   ひきだしのなかを行ったりきたりしていた

   あの夏 わたしは鬼に呑みこまれたのだ
   ずっと鬼の腹のなかにいる
   腹のなかで男と出会い子どもを生んで
   気がついたら
   しらが頭に角を隠したうす汚れたお婆さんがいる
   どこからみてもわたしではないのに
   わたしだ

        からし菜      長嶋南子

   食べすぎて吐く
   口から子どもがでてきた
   口から出まかせの子どもは育たない
   水に流す
   流した子どもは数えきれない

   夜ふけ 寝ているわたしの頭のなかに
   流した子どもが
   ずるずる入り込んでくる
   私の脳に住みついてしまった

   二月の食卓にからし菜
   こまかく刻んで醤油たっぷりかけて
   炊き立てのご飯にのせて食べる
   母親ゆずりの好物
   おいしいと脳は反応する
   脳内の子ども
   おいしいといっている

   子どもは海馬を乗りまわして
   遊び呆けている
   わたしの年金を食いつぶす気でいる

        家があった      長嶋南子

   草ぼうぼうのあき地に立っている
   ここに家があった

   庭先で酔った弟が大の字になって寝ている
   もう少ししたら奥さんと別れることになる 知ってた?
   生れたばかりの娘は別の男に育てられる
   知ってた?

   そんなところで寝てないで
   奥さんと娘のところへ早く行きなよ
   弟はろれつが回らないことばで
   姉さん 早く夫に先立たれること知ってた?
   子どもが引きこもりになること
   知ってた?

   知らない 知らない
   弟がいたことも子どもがいたことも
   おかっぱ頭のわたしはあき地でままごとしている
   子ども役の弟に
   早く学校に行きなさいといっている
   生きたくないと子ども役の弟は
   大の字にむなって寝ている
   草むらでムシが
   知ってる知ってる と鳴いている

   家があった
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この本のⅠ Ⅱ Ⅲ の項目名になっている作品を引いてみた。
項目名にするくらいだから作者にとって愛着のある作品だと思うからである。
これらの詩の醸すアトモスフェアは共通している。
帯文で高階氏が書く通りである。

<すっかり世話を焼かれるからだになった
   もうすぐ焼かれるからだになる

   来し方を振り返れば夢のように浮かんでくる故郷。
   土手下の二軒長屋、ちゃぶ台、草餅、若い父と母・・・・・。
   老いていく日々の感慨を不条理の笑いでくるんだ新詩集。>

不十分ながら、ご恵贈に感謝して鑑賞を終わりたい。
有難うございました。       (完)




桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・きくちつねこ
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        桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・・・・・・きくちつねこ


白桃と言っても早生から晩生までいろいろ種類があるので一概には言えないが、そろそろ桃が出回る季節になってきた。
「白桃」というのは文学的なイメージの世界では「女性の臀部」を象徴するものとして知られている。
桃のもつ特有のなだらかな丸い形。それに胴に入るくびれの線から、そのように概念づけされて来た。
「シンボル・イメージ小事典」などにも、そう書かれている。

掲出した、きくちつねこ氏の句は、そういう「桃」のイメージでありながら、自身としては「子を産まなかった」と言っている。
女としては「子」を産む、というのが、ひとつの大事業であろう、と私なんかは思ってしまう。
男には子を産むということが出来ないから、羨ましいという気分もあって、そう思ってしまうのである。
  
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、こんな歌がある。自選にも採っているものでWebのHPでもご覧いただける。

   かがなべて生あるものに死は一度白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥

いま私の座っている座敷机の前の床の間に、この歌を吉川美恵子さんが書いていただいた軸が掛かっている。
吉川先生は2014年に奈良教育大学書道科教授を退官された。
吉川美恵子さんについては、ここで詳しく書いたので参照されたい。
この歌は、私の最近の「死生観」を濃密に反映したものと言えるだろう。
人間だれでも一度は死ぬものである。一世を風靡する権力者も市井の凡人も、すべて等しく「死」は免れない。
われわれは、そのことを忘れて過ごしがちである。
特に、若い時や健康に恵まれて順調な時には「死」は意識の中にないのが普通であろう。
だが、古来、賢人たちは、このことに何度もメッセージを発してきた。ヨーロッパにおけるキリスト教にいう「メメント・モリ」然りである。
私の歌は、先に書いた「白桃」というイメージを踏まえて「メタファー」を含んでいると理解いただきたい。
白桃という「生」に対応する「死」ということである。
字句の解説をしておくと「かがなべて」というのは、「かが」=日々である。
この言葉には歴史があって「古事記」の倭建命と御火焼の老人との会話

    新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる・・・・・
    日日なべて夜には九夜 日には十日を

というくだりに出てくるフレーズを踏まえている。「なべて」=並べて、であり、「かがなべて」=日々をかさねて、という意味になろうか。
意識して古代の文学的な伝統に連なりたい、というところから、こういう古語を使うことになる。

以下に歌集に載る当該の私の歌8首を引用する。

      かがなべて ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  臥す妻に紅ほのかにも合歓の花のこよひ咲き初む つぎねふ山城

  白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざしゐる宵

  唇(くち)を吸ふかたちにも似て水蜜桃(すいみつ)をすする夕べはほのあかりせり

  かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ

  わが味蕾すこやかなるか茱茰(ぐみ)ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ

  執着を離れ得ざればかたつむり寝ても覚めても殻の中なる

  この夏の去りゆくものを追ひたてて炎となりて夾竹桃もゆ

  夕つかた虹の脆さを哀しめばわが痩身をよぎるものあり

一番はじめの歌の終りの部分「つぎねふ」というのは「山城」にかかる「枕詞」である。
ここに引用した歌の小見出しの全体の章名を「つぎねふ山城」としてある。

私のことを喋るのに多言を費やした。お許しあれ。

歳時記から「桃」の句を引いて終わる。
なお俳句では「桃」は秋の季語である。今日では季節感とズレがある。

 さえざえと水蜜桃の夜明けかな・・・・・・・・加藤楸邨

 白桃を洗ふ誕生の子のごとく・・・・・・・・大野林火

 中年や遠くみのれる夜の桃・・・・・・・・西東三鬼

 朝市の雨沛然と桃洗ふ・・・・・・・・中島斌雄

 白桃に触れたる指を愛しみをり・・・・・・・・斎藤空華

 白桃に入れし刃先の種を割る・・・・・・・・橋本多佳子

 水蜜や足を清しく婚を待て・・・・・・・・秋元不死男

 白桃をすするや時も豊満に・・・・・・・・能村登四郎

 白桃や満月はやや曇りをり・・・・・・・・森澄雄

 白桃の浮きしが一つづつ沈む・・・・・・・・小松一人静

 桃冷す水しろがねにうごきけり・・・・・・・・百合山羽公

 乳房ある故のさびしさ桃すすり・・・・・・・・菖蒲あや

 と見かう見白桃薄紙出てあそぶ・・・・・・・・赤尾兜子

 白桃に触れてはがねの薄曇る・・・・・・・・松本秀子

 

詩誌「芸術と自由」2018/7月号・・・・木村草弥
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──書評・批評──

      詩誌「芸術と自由」2018/7月号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

敬愛する梓志乃さんの主宰する詩誌である。
戦前から続く「芸術と自由」誌を戦後に復刊して今に至っている。
会員が高齢化して若い人が居ないのが難である。
今号からは会員の歌のいくつかを抜き出してみたい。

  五月 父の忌 幾年になろうか空は虹を抱き蒼深い・・・・・・・・・・梓志乃

  月の明るい夜は昭和の詩人が蘇る 老いはしのびやかにくる

  歌を書く 歌を詠む 歌を歌う 歌は滅びを示唆する

  たよりない歩幅どのように視えているのかしばらく犬が従いてくる・・・・・・・・・・藤原光顕

  ペコちゃんの頭叩いてみたい日があってわたしこれからどうなるのかな

  グリーンのベレーちょっと斜めに戦場に行きたがってた 生きてるかまだ

  今日は檸檬が出てこない 憂鬱は指が勝手に文字にしたのに

  コーヒーのにがさと飲み込む異議 提案通りがまかり通る淀んだ空気・・・・・・・・・・宮章子

  茶菓子つまんで帰っただけの会議の顛末 夕日が妙にゆっくり沈む

  赤い紙にしわを寄せてひなげし 五月の風に虫に喰われた‥‥・・・・・・紫あかね

  赤い蝶 黒い蝶が去った後に来て残りの蜜を葉の裏に探す

  「書き換えは改竄でない」国だから 道徳が無限におちてゆく
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いくつかをアトランダムに引いてみた。
生の言葉を連ねるだけでは「詩」とは呼べない。
生の言葉を「ひとひねり」ほしい歌が多い。
同人たちの「研鑽」に期待する。
有難うございました。





  

  
軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・大牧広
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       軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・大牧広


百日紅──「さるすべり」は漢字読みして「ひゃくじっこう」とも呼ばれるが、この木もインド原産という。
最初は仏縁の木だったという。インド=お釈迦様という連想になるのであろうか。だから、はじめは寺院に植えられ、次第に一般に普及したという。
百日紅というのは夏の間、百日間咲きつづけるというところからの意味である。
和名はサルスベリで、木肌がつるつるで、木登りの得意な猿でも滑りそうな、という意味の命名であろうか。
写真の木肌を見てもらいたい。
プロである「植木職人」でも、木から落ちることがある(実際に転落事故が多く体を痛めることがある)ので、験(げん)をかついで植木屋は「さるすべり」とは呼ばず「ひゃくじっこう」と言う。
元来、南国産であるから春の芽立ちは遅く、秋には早くも葉を落してしまう。
この木も夾竹桃と同じく、夏の代表的な花木である。

以下、歳時記に載る句を引く。

 炎天の地上花あり百日紅・・・・・・・高浜虚子

 さるすべり夏百日を過ぎてもや・・・・・・・・・石川桂郎

 いつの世も祷(いのり)は切や百日紅・・・・・・・・中村汀女

 朝よりも夕の初心百日紅・・・・・・・・後藤比奈夫

 さるすべり百千の花観世音・・・・・・・・松崎鉄之介

 一枝はすぐ立ち風のさるすべり・・・・・・・・川崎展宏

 さるすべりしろばなちらす夢違ひ・・・・・・・・飯島晴子

 さるすべり懈(ものう)く亀の争へり・・・・・・・・角川春樹

 秘仏見て女身ただよふ百日紅・・・・・・・・黛執

 いふならば余燼の生や百日紅・・・・・・・・能村登四郎

 百日紅ちちははひとつ墓の中・・・・・・・・上野燎


POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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FI249257_2E未央柳
 ↑ 未央柳(びようやなぎ)

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 月ほそくうすく見ゆるを子は言ひて獣あまた載る絵本をひらく・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 三振りを五振りに七味で気合ひ入れ狐も狸もわれも目覚めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 熊鷹の一羽を鴉の群れが追ふ集団的自衛権の行使かあれは・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋正男
 耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 逝く秋に読み返したる一冊の『白痴』は遠き回転木馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 さはあれど比喩は間接の域を出ずまして暗喩は奢りが臭ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 風渡る聖河のほとり人と人睦みて大悲分けあえるとぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷岡亜紀
 「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか・・・・・・・・・・・・・・・・森山良太
 糸吐きて繭を裡よりつくり出す蚕の声きこゆ夏白き昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜野ムツ
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 エゾイチゲの花が咲いたと妻が言ひさうかと花を覗きにゆきぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 つと視野を過ぎし蛍のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 その身美しきこと知りゐるや知らざるや黒揚羽無心に舞ふ夏の朝・・・・・・・・・・・・・・ 石川恭子
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあつた戦争の前・・・・・・・・・・・・・・永田和宏
 始めしは縄文人か奥久慈の炭火であぶる鮎の塩焼き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも・・・・・・ 久我田鶴子
 小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭・・・・・・・・・・・  阪森郁代
 かなしからずや殻の中まで蝸牛・・・・・・・・・・・・・・ 山田露結
 囀りやサラダの御代わりは自由・・・・・・・・・・・・・・・越智友亮
 緑蔭や脇にはさみて本かたき・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田哲史
 サングラスあたまひと振りして外す・・・・・・・・・・・・・山口優夢
 ががんぼは腕立て伏せして老いてゆく・・・・・・・・・・・・永井幸
 枇杷甘く合はせ鏡に溺れけり・・・・・・・・・・・・・・・・・外山一機
 急用のわたしが走る雉走る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 まなうらに新樹流れてひっそり寝息・・・・・・・・・・・・わだ ようこ
 平和な夢だ平和は夢だ鳴かぬ蝉・・・・・・・・・・・・・・・瀬川泰之
 つまみたる夏蝶トランプの厚さ・・・・・・・・・・・・・・・・・高柳克弘 
 水の面に蜂の垂り足触れにけり・・・・・・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 黒揚羽旅は罅より始まりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨田拓也
 全身を触覚にしてシャワー浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・ 北大路翼
 夏橙その手ざわりの過去を言う・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤淳子
 屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・・奥山津々子
 蕗十杷漬け置く桶の水の色・・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐義知
 モナリザの微笑の先の水羊羹・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 夏木立つばさもちちふさも楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・中村安伸
 避暑家族鳥とも違ふ会話して・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・佐々木香代子
 耳朶染まる多肉植物むんむんと・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 こゑふたつ同じこゑなる竹の秋・・・・・・・・・・・・・・・・ 鴇田智哉
 撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・・・・・・・森岡佳子
 さざなみ今もすこしずつ砂になる・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 恋愛が模型の丘に置いてある・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 岩礁の苔のぬめりの深き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井薔子
 山の蛾のひとり網戸に体当たり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田仁
 あられもなき五体ありけり大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・ 秦夕美
 軍艦島かごめかごめでいなくなり・・・・・・・・・・・・・・ 河西志帆
 白極む父のようなるアマリリス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・乾志摩
 竹は秋の夢二の女猫を抱き・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 ハッカ飴ゴールはみんな正解さ・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 でで虫やきのふのこともはや虚(うつけ)・・・・・・・・・・ 七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
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◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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 これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓ します。アクセス数によるのでしょう。 ご覧ください。


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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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「詩と思想」掲載「イグ・オリンピック」・・・・・木村草弥
イグ_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品「草の領域」──(91)

    イグ・オリンピック・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
         ・・・・・・「詩と思想」2018年8月号掲載・・・・・・・・


          イグ・オリンピック・・・・・・・・・・木村草弥

   先ごろ兄が死んだ。
   兄は優等生でスポーツ万能
   要領もよく、いつもトップを歩んでいた。

   ボクは子供の頃から虚弱児だった。
   しよっちゅう腹を壊し弱虫で
   運動は苦手で頭も良くなかった。
   「お前は俺の影だ」と兄は宣言した。
   だからボクは、いつも兄の「影」だと自認していた。

   オリンピックで表彰台に立つ優勝者。
   勝ち誇って辺りを睥睨する。
   彼には負けた選手の痛みが判るのだろうか。
   ボクは負け犬だったから先ず敗者の心を考えちゃう。
   「イグ・オリンピック」というのを考えついた。
   なぜオリンピックは暑い暑い酷暑の夏に開くのか。
   テレビ放映権を持つマスコミの都合だけだろう。
   今では録画技術もよくなって生放映と違わない。
   時間帯が合わなければ「録画」で見せればいいのだ。
   一九六四年の東京オリンピックは十月十日
   この日は秋晴れの特異日ということで選ばれた。
   真夏のマラソンなど苦行もいいところ。
   選手寿命を縮めるだけだ。
   一方、冬のオリンピックはいい。
   氷や雪がなければ出来ないからだ。
   「イグ・オリンピック」には国歌演奏は無い。
   出走者は自腹で参加する。交通費も出ない。
   メダルはあるがオモチャみたいにちゃちなものだ。
   プラスチックにメッキをした類のもの。
   区民運動会のトロフィーみたいなものだが
   「イグ・オリンピック」というマークが凄い。
   子供たちが原っぱでやる運動会とは、そこが違う。
   「イグ・オリンピック世界記録」が発表される。
   スポーツで世界をいかに平和にしたかが問われる。

   兄が死んだ齢を私が超えた。
   「お前は俺の影だ」と兄は宣言した。
   「影」が自立することは出来るだろうか。
   「イグ・オリンピック」が開催される今日。

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かねて編集部から投稿依頼のあった作品が、本日発売の「詩と思想」8月号に掲載されたので公開しておく。
今号は特集「スポーツの詩」というもので、それに合わせて製作した。
ご感想をいただきたい。


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