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草弥の詩作品<草の領域>
poetic, or not poetic,
that is question. me free !
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──お知らせ──
発売開始!!木村草弥第五歌集『昭 和』・・・・・・・・webKADOKAWAほか
かねて発売準備中の私の新・歌集『昭和』が、2012/03/24に発売された!!
角川書店のウエブ・サイトwebKADOKAWAで用意してあるので、← ここから注文出来る。
ただし、角川では、この金額だと送料を加算されるので、送料サービスを希望される場合はアマゾンなどを選択されたい。
発行部数が少ないので、一般書店には配本されていないので、
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈である。
一般書店からの取り寄せは、角川書店の配本部門・角川グループパブリッシング発売、と指定されたい。
ネット書店ではセブンネットショッピング、Livedoor.Books、紀伊国屋書店BookWeb、 楽天ブックス、HTVローソンホットステーション、ブックメール倶楽部、
全国書店ネットワークe-hon でも買えるようになっている。
もう少し日時が経てば、もっと多くのネット書店や一般の書店からも取り寄せ出来るだろう。 よろしく。
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓

↑ 伸びはじめた茶の新芽──宇治・堀井七茗園
新緑の五月になりました。
新人は五月病にならないようにストレスに気をつけましょう。 旧人はのんびりと。
手に摘みしやはらかき葉よ軒先に新茶一服いただいてゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・内藤明
プラネタリウムに巨き宇宙を眺め来しまなこが細かき緑雨よろこぶ・・・・・・・・・久々湊盈子
気流には美しい谷があるといふ 翼くらぐらとすべりゆく鳶・・・・・・・・・・・・・・・・河野美砂子
そら豆の一つ一つをむくときにわが前に立つ若き日の母・・・・・・・・・・・・・・・・・岡部桂一郎
花菖蒲一面に咲く季選び再び歌のどちと巡らむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神作光一
小さいと消耗少なく長生きとわたしを見ながら言つてくれるな・・・・・・・・・・・・・・・・今野寿美
横顔のあなたの中に島ありて逆光に浮く そこまでは漕げぬ・・・・・・・・・・・・・・・・松平盟子
サンザシの白き小花の季も過ぎて疲れ果てたるにほひ残せり・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
頑丈に蓋をされたる古井戸の、かすかに揺れて遠いみずおと・・・・・・・・・・・・・・・・松村正直
やはらかに時は地球を回しつつ草木を育て我を老いしむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高野公彦
水の上五月の若きいなびかり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大野林火
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
少年の素足吸ひつく五月の巌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
おそるべき君等の乳房夏来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
酔うてしまうには美しい五月の夜・・・・・・・・・・・・・・・・・有馬籌子
佐伯祐三のたましひの絵と五月は遇ふ・・・・・・・・・・・・・ 高島茂
うつむけば人妻も夏めけるもの・・・・・・・・・・・・・・・・ 長谷川春草
春は曙血圧計をしかと見る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高島征夫
アルバムの薔薇は私の罪なのか・・・・・・・・・・・・・・・久保田元紀
あといふこえがふるへて春の底に〇・・・・・・・・・・・・・・・・・御中虫
点と点むすぶ嬉しさ野遊びは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮崎斗士
春の声となり家の外過ぎて行く・・・・・・・・・・・・・・・・・林田紀音夫
赤軍が籠りし山の芽吹きかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・斎藤朝比古
涅槃図の蛸大足を伸ばしゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涼野海音
どんな帽子この子に春を呼びたるは・・・・・・・・・・・・・・依光正樹
一声もあげずに人や涅槃寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下坂速穂
草餅にならぬ蓬を束にして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
股間から憲法九条そそり立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大友逸星
原発の電気が効くよ電気椅子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸山進
あの日から他人の靴を履いている・・・・・・・・・・・・・・・・・ 〃
北上川人になど生れるもんじゃねえ・・・・・・・・・・・・・・・吉田成一
ここにいます すみれ タンポポ さくら草・・・・・・・大和田八千代
ご不在のようでしたので咲きました・・・・・・・・・・・・・・・・須川柊子
季語といふ漢語(からごころ)こそ桜かな・・・・・・・・・・・・・関悦史
キャンバスの上部の余白鳥曇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿
ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
コメントは各記事の末尾に「コメント」「CM」という欄がありますから、それをクリックしてお入りください。
私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
GoogleやYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。
☆閲覧の仕方☆
「当月」の記事は開いている状態でご覧になれますが、「先月」などのバックナンバーの閲覧は、上部のカレンダーの « の印を押して「過去」へ進んでください。
ただしカレンダーの無いものもあります。
「月別アーカイブ」は30件表示するようになっています。30件以上ある場合は「NEXT」を押して進んでください。
「カテゴリー」を選んでいただくと、当該カテゴリーの一覧として、ずらっと出てきます。よろしく。
私の記事は、引用、リンク、転載フリーです。事後でもお知らせ下さると嬉しいです。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。
Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。
アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
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この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。
★─My Works─★
著書──
歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
詩集 『免疫系』(角川書店刊)
詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)
★木村草弥の本について
私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。
★ 木村草弥─Wikipedia ★
★ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

9条守ろう!ブロガーズ・リンクに参加しています(0215)
日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「地球上のすべての人が、
人類すべての知識への自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、
と想像してみてください。」 ──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ
★「角川書店」話題の新刊書籍
★「新潮社」 今月の新刊
★講談社BOOK倶楽部
★「集英社文庫」新刊
★「岩波書店」
★「青土社・ユリイカ」
★詩の本の思潮社
★土曜美術社出版販売「詩と思想」
★文芸春秋社・書籍ショールーム
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神田川祭の中をながれけり・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
夏祭の、五穀の生産暦とは無縁な、いわゆる都市型の祭礼の華やかさは、江戸の山王権現(日枝神社)と神田明神(神田神社)の祭に典型が見られたという。
この二神社の祭は天下祭と呼ばれ幕府公認の祭事だった。
今の日本橋の川筋がひとつの境になっていたという。
久保田万太郎は浅草生まれだが、この句は神田明神の祭を詠んだものか。
神田川もコンクリートで岸を固められて細くなったり暗渠になったりしている。
昔の神田川の風情を詠んだ懐かしい句として、この句は鑑賞したい。
どの祭を指すか判らないまま、江戸の夏祭に触れてみたい。
浅草三社祭は古くは陰暦三月だったが、今年は5月18日~20日に催行される。今日は、その日に因んで、この句を載せることにした。
ご存じかと思うが浅草寺と浅草神社は神仏習合の頃からの仕来りで、浅草神社の祭礼とある。
浅草寺の縁起は古く、本尊観音が宮戸川(今の隅田川)で漁師に拾われたのは推古朝のことだという。
三社とは、その時の漁師、浜成、武成の兄弟と土師直中知(はじのあたいなかとも)を指す。
人の名前に「社」という字が宛てられる理由は知らない。
とにかく、この観音の出現により、武蔵野の片隅だった江戸湾近くの寒村が次第に江戸の盛り場として、人の通う所となっていったのだという。
三社まつり山王まつりともに雨・・・・・・・・・・・・・室積徂春
折角、山車や神輿を飾ったのに、という江戸っ子の舌打ちが聞こえてきそうである。
今年のお祭は、どうであろうか。
庶民の夏にかかせない行事に縁日があることを忘れては片手落ちである。
都市生活に伴い、江戸中期以降、日中勤務する商人や職人にとって夜の市(いち)は憩いの場で、参詣によるご利益と市の立つ賑わいは、庶民の夢と実用が重なっていた。
もっと先のことになるが、7月10日に観音様に参詣すれば4万6000日分の参詣に相当するということと、夜市で楽しむということは、まことに一挙両得の感があったのではないか。
朝顔を見にしののめの人通り・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
夫婦らし酸漿(ほほづき)市の戻りらし・・・・・・・・・・・・高浜虚子
これらの句は朝顔市、酸漿市の描写だが、夏の夜の路傍に、アセチレンガスを点けて、飴や綿菓子、小亀やヒヨコなどの小動物、草花、金魚などを売っていた夜店は懐かしい風物詩であった。夕食後、家族そろって夕涼みをかねて出掛けた思い出を持つ人は多いだろう。
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三社祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭である。江戸三大祭は通説では神田祭、山王祭、深川祭の事であるが、深川祭に代えてこちらを加える学説もある。
旧幕以来の江戸文化の中心であった神田とも、隅田川以東の下町文化圏とも浅草は別個であるが巧妙に両者のイメージを利用してきた背景がある。文化圏について鈍感な行政やマスコミの影響もあり、その中心部は土地持ちの富裕層が多かったにも関わらず下町イメージで語られる不思議な町「浅草」の魔力といっても過言ではない。
但し、「観光宣伝色が強い」「浅草の内部での結束が悪すぎる」「各町神輿連合をヤクザが組の宣伝に利用している(昔は酒をタカリにしか来なかったが、現在では同好会を主催)」など問題点も多く、地元都民の全面的支持は受けていない。参加者のモラルの低下も指摘される処であり、このため自治体としての台東区も万が一に火の粉を被りたくないためか、暖かく見守りはするが積極的に関わろうとしない「隣の話」という態度を崩していない。この背景には「祭り」でありながら「氏子」が中心としての求心力をもち得ない特殊な事情があり、何かあっても責任の押し付け合いに終始する浅草の悪癖が根底にある。
現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は浅草神社例大祭。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。
本来ならば氏子が担ぐのが正当であるが、一時期、担ぎ手不足の時代に他所から担ぎ手を募った歴史はある。現在は人員は足りているが、神輿同好会が参加している。ふんどしを穿いてる担ぎ手も結構多い。
祭りの構成
1日目(金):名物大行列(浅草芸者、田楽、手古舞、白鷺の舞、等が登場)
2日目(土):氏子各町神輿連合渡御
最終日(日):宮だし・本社神輿各町渡御・宮入り

──新・読書ノート──
小澤京子歌集『アウトバーン』 抄・・・・・・・・・・・木村草弥
この本は著者の第二歌集で、二〇〇九年四月二十三日に角川書店から刊行されたものである。
この本の「帯」で所属する同人誌「ぱにあ」主宰者・秋元千恵子が書いている。
<未曾有の大恐慌の風が、日本に波及している今年、団塊の世代の夫君が退職する。
十七年間の単身赴任を支えてきた著者の、子育て、歌づくり、海外への夫訪いに、与謝 野晶子が重なる。
取り残された不安と孤独、歳月の葛藤に中で、ひたすらに生き、歌を励まし、歌を変化させながら、第一歌集を超えた。
『アウトバーン』は、前向きな著者の象徴であり、退職後の夫君と拓く時代を、次の歌集につなぐ、熱い決意である。>
けだし、この歌集を要約する文章として的確である。
以下、私の心に響いた歌を引いておく。
*高速のバスに揺られて夫を訪う遠距離恋愛の気分にひたり
*八尾町に長き冬を過ごしいる夫を訪ねて数日おりぬ
*飴玉をほしがるごとくねだられて夏の一日君と過ごしぬ
*鉄幹を追う晶子の想いにて太平洋を八時間に飛ぶ
*夫の住むサンフランシスコの街なかに異人種の中のひとりなるわれ
*冬空の雲ひとつなき寂しさをメールに打てば一篇のうた
これらの歌には離れ住む夫婦の心の有り様を、ほのぼのと活写しており秀逸である。
*膝に乗せ末期の水を飲ませたり愛犬ひと声残して逝きぬ
*身の裡に響きて止まぬ「英雄」は自負と自我との戦う一日
*粗塩で揉みて輝くらっきょうを甕に眠らす水無月十日
*独り居の部屋にむかえる友としてたおりて活ける一輪の百合
*壁に貼るジグソーパズルのスヌーピー欠けておりたり耳のひとつが
*知っているつもりに怠る匙かげん今日のポトフはちょっぴり辛い
*天敵とひそかに思う人と会い「ここだけのこと」とりあえず聞く
*冒険は常に身近にあるものか仕舞いおきたるジーンズを穿く
それらの日々にあっても、生活に、趣味に、歌づくりにと、作者の営為はつづく。
それらの日々に埋没せぬように、作者は人々との交流の中でも、日々新しい。
ここに挙げた歌にあっては、「日常」を「非日常」に転換する心の動きが見られて秀逸だ。
挙げた歌の末尾のものは上句と下句との二物衝撃的な歌づくりが面白くて成功している。
*湯に浮かぶ身体の軽さ姑の言うひとぉつふたぁつと肩に手を添う
*失せ物に姑が荒げる声を背に捜す素振りも慣れて十年
*七草の朝に唐土の鳥鳴かす母が俎叩く音する
「看取り」は大変である。私には嫁、姑の相克の記憶はないが、よく聞くことである。
その代わりに私には亡妻の宿痾との付き合いの数年があったので、ご苦労がよく判る。
夫君の単身赴任の間にも、よく仕えられたのである。
ただ終わりに挙げた歌の「母」は実母の思い出かも知れず、予めお断りしておく。
*身に積もる毒となるらむ子の放つ我への言葉タリウムならねど
*かくれんぼ「もういいかい」に「まあだだよ」吾子は戻らず我のみ残る
子離れも、また難しく、哀しいものである。
*熊野を舞う玉三郎の艶めきて書割りの桜はらりはららぐ
*平凡な会話がふいに華やぎぬ貴腐ワインに舌あそばせ
そんな日常の中に、このような至福の刻があったりする。そんな一齣を見事に切り取られた。
もっとも後の歌は夫君との外つ国での情景かも知れない。
長い長い夫君の単身赴任も終って、二人仲良く旅を出来るのも楽しいものである。
以下、それらの歌を列挙する。
*福岡に黄砂舞い来ぬ楼蘭の魔法にかかり夫と腕組む
*わが夫と山形の酒「初孫」を酌みかわしおり秋の夜長に
*万里にはまだ余りある日々ならむ長城歩む夫につきて
*「二十一世紀」デパートを出でグラウンドゼロに佇む
*車とめローレライの岩に耳澄ます団塊世代の夫と友らと
*縦横に戦車走りしアウトバーン独裁者ヒットラーの遺産となりぬ
*ドイツより戻りし身には至福の楽ひねもす雨音聞きて過ごしぬ
*市場に買いし林檎は酸っぱいよ遥かなる日の弁当のうさぎ
アトランダムに挙げたので順不同があるかも知れない。
これからは仲良く「旅」を続けてもらいたい。現実の旅も、人生の旅も。
終わりに、一巻を通じて私が一番好きな歌を引いて鑑賞を終る。
「かなしさ」とひらがな書きにしたところが秀逸である。「かなしさ」は「愛(かな)しさ」に通ずる。
佳い歌集を賜り、ほのかな昂ぶりのうちに時間を過ごした。 感謝して筆を措く。
*木を離るる刹那の花のかなしさよ桜は赤き蕊をふるわす

すぎし時もきたる日も
わすれたる昼の夢なれや
ただ今宵
君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ・・・・・・・・・・・・竹久夢二
夢二は、いつも満たされぬ心を抱き、郷愁を抱いてさまよいつづけた「永遠の旅びと」である、と言われている。
茂(も)次郎という泥くさい名前が本名であるが、この名前を嫌い「夢二」というペンネームに替え、名前の通り、常に夢を追いつづけたと言える。
この詩は夢二の夢の通い路を詠んでいるが、しかし「真実」もまた、瞬時ののちには、虚しい夢となってしまうことを、一番よく知っていたのも、夢二自身であったろう。
どの時代においても、恋も人生もすべては夢、そう知りながら、やはり人は、恋をし、人生をひたすら歩いてゆかなければならないようである。
この詩を引用している私の心中にも、亡妻とともに過ごして来た日々を振り返って、それらの日々が、ああ夢のように過ぎ去ったのか、という深い感慨に満たされるのである。
太閤秀吉は死に際して「夢のまた夢」と呟いたというが、私の心中にも深く共感するものがある、と告白せざるを得ないだろう。
夢二の詩の終連の
<君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ>
という表白を忘れないように心に刻みたい、と念じて・・・・・。


「王朝文化の華」─陽明文庫名宝展を見る・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
目下開催中の標記の展覧会を見た。
これについては昨年、京都文化博物館で一部のものを見たが、今回、大掛かりな展観とあって覗いてみた。
これについては、同じFc2に居られる → 「遊行七恵の日々是遊行」のサイトに詳しいので、ぜひ参照されたい。

↑ 国宝・熊野懐紙3幅のうち後鳥羽天皇筆

↑ 類聚歌合(二十巻本歌合)部分
国宝、重要文化財などに指定されているものが多い。

↑ 近衛家略系譜
近衛家は藤原道長を祖とする直系で、宮廷公家として天皇家の傍に仕えた名門公卿の一族であり、
「陽明文庫」は第二十九代の近衛文麿が紀元二千六百年を記念して、京都の宇多野に保存のために開設したものである。
陽明文庫(ようめいぶんこ)は、京都市右京区宇多野上ノ谷町にある歴史資料保存施設。
公家の名門で「五摂家」の筆頭である近衛家伝来の古文書(こもんじょ)、典籍、記録、日記、書状、古美術品など約20万点に及ぶ史料を保管している。昭和13年(1938年)、当時の近衛家の当主で内閣総理大臣であった近衛文麿が京都市街地の北西、仁和寺の近くの現在地に設立した。近衛家の遠祖にあたる藤原道長(966 - 1028)の自筆日記『御堂関白記』から、20世紀の近衛文麿の関係資料まで、1,000年以上にわたる歴史資料を収蔵し、研究者に閲覧の便を図るとともに、影印本の刊行などの事業を行っている。これに匹敵するものに九条流摂関家の一条家の「桃華堂文庫」がある。
近衛家は、終始、天皇の傍に居られた筆頭公家であり、天皇家との縁戚も、ただならぬものがある。
天皇家から移って来られた方──例えば、十八代「信尋」は後陽成帝の皇子であり、また十七代「信尹」の妹・前子は後陽成帝の女御で、後水尾帝の母である。
今回の名宝を見ても、明治期以後の絵画の所蔵品などにも、当時随一の画家、横山大観、上村松園などの作品があり、それらは寄贈されたものだろう。
「陽明文庫」については、このWikipediaの記事に詳しい。

石畳 こぼれてうつる実桜を
拾ふがごとし!
思ひ出づるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿
これは土岐善麿のローマ字三行書きの歌集の巻頭の作で、原文はローマ字。
明治43年刊『NAKIWARAI』に載るもの。
短歌三行書きは親友・石川啄木、また「アララギ」派から出た釈迢空らに影響を与えた。
「実桜」はサクランボのこと。
思い出すことの内容は描写せず、ただそれが石畳に散る実桜を拾う感じだと、直截な気分の感触だけを記述する。
きびきびした語の動きは感傷をも律動感に溶かし込んでいる。
2行目の末尾に感嘆符!を打つなど新機軸を打ち出そうとしたことは、明らかだった。
土岐善麿は新聞記者としての経歴も長く、その幅ひろい視野に立って、戦後になっても国文学者として、漢学者として、またエスペランティストとして活躍した。能の新作も試みた。
青年時代の号は「哀果」で、この詩を作った頃は哀果だった。昭和55年没。
三行書きの詩(歌というべきか)を少し書き抜く。
指をもて遠く辿れば、水いろの
ヴォルガの河の
なつかしきかな。
おほかたの、わかきむすこのするごとき
不孝をしつつ、
父にわかれぬ。
手の白き労働者こそ哀しけれ。
国禁の書を
涙して読めり。
焼跡の煉瓦のうへに、
小便をすれば、しみじみ、
秋の気がする。
りんてん機今こそ響け。
うれしくも、
東京版に雪のふりいづ。
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大正末期から昭和ひと桁、10年代にかけての「自由律」短歌運動にも深くかかわった。その頃の歌
上舵、上舵、上舵ばかりとつてゐるぞ、あふむけに無限の空へ
いきなり窓へ太陽が飛び込む、銀翼の左から下から右から
あなたをこの時代に生かしたいばかりなのだ、あなたを痛々しく攻めてゐるのは
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敗戦後の歌に作者の歌として有名なものがある。それを少し引く。
ふるき日本の自壊自滅しゆくすがたを眼の前にして生けるしるしあり
鉄かぶと鍋に鋳直したく粥のふつふつ湧ける朝のしづけさ
あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
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写真②は、銀座カフェ・ヨオロッパにて、大正3年4月。
前列右より若山牧水、土岐善麿
後列右より古泉千樫、前田夕暮、斎藤茂吉、中村憲吉。
土岐善麿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土岐 善麿(とき ぜんまろ1885年6月8日 ~ 1980年4月15日)は、日本の歌人・国語学者。
略歴・人物
東京・浅草の真宗大谷派の寺院の息子に生まれる。府立一中を経て、早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘をうけ、同級の若山牧水とともに作歌に励んだ。
卒業の後、読売新聞記者となった1910年に第一歌集『NAKIWARAI』を「哀果」の号で出版、この歌集はローマ字綴りの一首三行書きという異色のものであり、当時東京朝日新聞にいた石川啄木が批評を書いている。同年啄木も第一歌集『一握の砂』を出し、文芸評論家の楠山正雄が啄木と善麿を歌壇の新しいホープとして読売紙上で取り上げた。これを切っ掛けとして善麿は啄木と知り合うようになり、雑誌『樹木と果実』の創刊を計画するなど親交を深めたものの翌年啄木が死去。その死後も、善麿は遺族を助け、『啄木遺稿』『啄木全集』の編纂・刊行に尽力するなど、啄木を世に出すことに努めた。
その後も読売に勤務しながらも歌作を続け、社会部長にあった1917年に東京遷都50年の記念博覧会協賛事業として東京~京都間のリレー競走「東海道駅伝」を企画し大成功を収めた(これが今日の駅伝の起こりとなっている)。翌1918年に朝日新聞に転じるが自由主義者として非難され、1940年に退社し戦時下を隠遁生活で過ごしながら、田安宗武の研究に取り組む。
戦後再び歌作に励み、1946年には新憲法施行記念国民歌『われらの日本』を作詞する(作曲・信時潔)。翌年には『田安宗武』によって学士院賞を受賞した。同年に窪田の後任として早大教授となり、上代文学を講じた他、杜甫の研究や能・長唄の新作をものにするなど多彩な業績をあげた。他に紫綬褒章受賞。
第一歌集でローマ字で書いた歌集を発表したことから、ローマ字運動やエスペラントの普及にも深く関わった。また国語審議会会長を歴任し、現代国語・国字の基礎の確立に尽くした。

──新・読書ノート──
『芸術と自由』誌No.282より・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
◆ 新・・・・・・・・・・・・・・・剣持政幸
空白の時間がすぎあのと指せた建物が消えている
道幅の拡張で消されてしまう家屋 百年も経たない新の軽さ
置き去りにされた腕時計弄くられ良いことばかり浮かんでる
純粋に生きるのも良いだろう 枯草へ火を放ち過去を炙り出せ
情熱があることは若さの証明 歌に吐くのは過去の渇きか
短歌とはなに──金子きみが遊びで良いと嘲笑(わら)うだろう
唇が濡れ始め生きることに欲が出てきた 俺も男だったか
膨らみのない腕 筋肉質でない男に寄せる花芯の囁き
生命を育む母胎に吐き出すのはネバネバの戯れ言ばかり
突き刺せる力が欲しい 針のように抉りたい獣の目線
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◆ とにかくの春・・・・・・・・・・・藤原光顕
道を削り穴を穿ち三月は町じゅう春を掘り出している
二月の暦を剥ぐと陽ざしが三月になる うすい汚れも見えてくる
おそらくはそのまま消される 監視カメラへちょっと余分な動きしてみる
一時間に二本のパスが遅れる「遅れるからバス」と言った人もういない
そう言えば一日二本のふるさとのあのバスは今も走っているか
バッグひとつ忘れなければ。財布・鍵・手帳に薬3種類ほど
気がつけば階段の手すり持っている転ばぬ先 のつもりだったが
CECILEのカタログが届く この雨があがれば春が来るという
春 と見上げる雲が花水木の道に続く もう歩くこともないだろう
何もない岬はエリモと思い出すまで しんどい朝が春である
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今日とどいた『芸術と自由』誌No.282より剣持政幸、藤原光顕両氏の作品を引いておく。
剣持政幸氏の作品は、リアリズム・オンリーだった氏には珍しく「比喩」を駆使した表現になっている。
<唇が濡れ始め生きることに欲が出てきた 俺も男だったか
膨らみのない腕 筋肉質でない男に寄せる花芯の囁き
生命を育む母胎に吐き出すのはネバネバの戯れ言ばかり>
の個所などは「暗喩」として秀逸である。 彼の身の上に何かあったのか。
藤原光顕氏の一連は、いつもながらの光顕節として飄逸で、老いの哀歓を表現して面白い。

はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は
をゆび の うれ に ほの しらす らし・・・・・・・・・・・・・・・・・会津八一
会津八一の歌は「ひらがな」書きで、しかも単語と助詞などを間隔を空ける独特の表記の仕方に特色のある歌である。
初夏の風になってきたなぁ、と、み仏は「をゆび」=小指の「うれ」=末端=先で、ほのかにお感じになったようだ。
という意味の歌であり、み仏と一体になるような感じで、作者がいわば言葉によって、ひたと寄り添おうとしている仏の温容、その慈悲に満ちたたたずまいが、おのずと浮びあがってくるようである。
八一については前回に少し書いたので、ここでは繰り返さない。大正13年刊の『南京新唱』に載るもの。
南京とは、北の京都に対して奈良を指して言ったもの。
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会津八一の歌を二、三ひいておく。
あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ
あまごもる やど の ひさし に ひとり きて てまり つく こゑ の さやけさ
かすがの の しか ふす くさ の かたより に わが こふ らく は とほ つ よ の ひと
このごろ は もの いひ さして なにごと か きうくわんてう の たかわらひ す も
さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を ひさしみ こひ つつ か あらむ
いちじろく ひとき の つぼみ さしのべて あす を ぼたん の さかむ と する も


──映画鑑賞──
中島みゆき「歌旅」劇場版・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
シングル「アザミ嬢のララバイ」で1975年にデビューして以来、シンガーソングライターだけでなく、さまざまな分野でも活躍している中島みゆきのコンサート・ムービー。
2007年に敢行され、大盛況のうちに幕を閉じたコンサートツアー「歌旅」のステージが映し出されていく。
1980年代から2000年代のヒット曲や人気曲をメインに構成された、新旧のファンにはこたえられないセットリストもさることながら、
ますます円熟味の増した中島の歌声と彼女しか醸し出せない詩の世界には、ただただ圧倒させられる。
全32公演が行われ、約10万人の動員をマークした、中島みゆきのコンサートツアー「歌旅」。
1980年代を代表するヒット曲「御機嫌如何」と「ファイト!」、アイドルグループTOKIOへ提供された「宙船(そらふね)」、
NHKの人気テレビ番組「プロジェクトX 挑戦者たち」のテーマ曲に用いられた「地上の星」、
東日本大震災後の東北地方を中心にUSEN音楽放送へのリクエストが集まった「糸」など、彼女の輝かしいキャリアを振り返るとともに、
アーティストとして不動の魅力を再確認できる曲目で構成されたステージが進む。
「中島みゆき」については、← Wikipediaの記事を参照してもらいたい。
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「中島みゆき・オフィシャルサイト」は ← こちら。
年譜を見ると、彼女は今年で満60歳になるらしい。
スリムなボディと言い、発声と言い、とても若々しい。
たっぷり堪能の二時間だった。
最近の彼女の活動を見てみよう。
2007年8月から新たに設立されたヤマハミュージックアーティストがマネジメントが行う。秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。
2009年11月3日、紫綬褒章を受章。受賞に際して、うれしい気持ちを「棚から本マグロ」と表現した。
中島曰く、「ふつう、何か頂けそうでも辞退する(考える)ところだが、褒章はふつうではないため、すぐに返事をした」という。
2010年10月から2011年1月まで3年ぶりの全国ツアー「中島みゆきTOUR2010」が27公演9会場で行われた。
このツアーから各公演の様子を伝えるTwitterを開始した(ツアー終了後は、中島に関する最新情報を伝えるスタッフ公式Twitterとなった)。
メロディは 覚えやすいメロディーラインもあるが、息継ぎがし辛い曲も多い。四分の三拍子で構成された楽曲も多数見受けられる。
歌詞については、 中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、
その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。
非常に巧みな比喩表現を用いており、聞き手によってそれぞれ異なった意味を受け取ることができる。
普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。
例えば、1991年発売のアルバム『歌でしか言えない』収録曲の「永久欠番」。
この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、東京書籍発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。
対照的に、工藤静香に提供した「MUGO・ん…色っぽい」や西田ひかるに提供した「きっと愛がある」のように軽いノリの詞も存在する。
ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー(「MUGO・ん…色っぽい」 - “ん、色っぽい”(カネボウ)、「きっと愛がある」 - “アイがある”(三菱電機))にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。
「見返り美人」や佐田玲子に提供しセルフカバーした「くらやみ乙女」のように、悲劇に内包される喜劇性を最大限に強調したユーモラスな詞も存在する。
中島みゆきの作品世界を自己パロディ化したような内容でもある。
歌唱法は 基本的に、深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。
曲によって、また曲の中でも情景や詞が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。
いま掲載できる動画を挙げてみたが、はじめの二つは公式らしいので削除されることもない。
いま思い出すと、「未来」の「川口美根子」選歌欄に居たときに、合同の出版記念会を何度か開いてもらった。
先生も歌が好きで、会の終わりに、みんなで歌った曲の中に、これらの歌があった。
その川口先生も惚けられて今は老人施設におられるのである。嗚呼!

つちふるや日輪たしかに黄に変じ・・・・・・・・・・・・・山口素逝
「つちふる」を漢字で書けば「霾」となる。なんて難しい字だが、今でいう「黄砂」のことである。
昔は「黄沙」と書いたが、常用漢字では「砂」を採用している。
黄砂については今さら言うまでもないが、中国北部やモンゴルの砂塵が偏西風によって日本まで運ばれてくるもの。
朝鮮半島では、距離的に近いので、その被害もひどいらしい。学校が休校になったりするらしい。
「霾」の字は雨かんむりに狸という字がくっついているが、昔は古代中国ではタヌキが悪さをして、こんな変な天気になると信じられていたのであろう。
とにかく「黄砂」「霾る」というのが春の季語になっている。
例年、黄砂の襲来は五月になるとひどくなる。日によっては激しく降る日がある。黄砂アレルギーの人も出る始末である。
黄砂の句は多くはないが、少し引いておく。
青麦にオイルスタンド霾る中・・・・・・・・・・・・富安風生
真円き夕日霾なかに落つ・・・・・・・・・・・・中村汀女
つちふりしきのふのけふを吹雪くなり・・・・・・・・・・大橋桜坡子
幻の黒き人馬に霾降れり・・・・・・・・・・・・小松崎爽青
驢馬の市つちふるままに立ちにけり・・・・・・・・・・三篠羽村
霾ぐもり大鉄橋は中空に・・・・・・・・・・・・山崎星童
黄塵のくらき空より鳩の列・・・・・・・・・・・・鈴木元
鉢の蘭黄塵ひと日窓を占む・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
黄沙濃し日冰輪(ひょうりん)となりて去る・・・・・・・しづの女
喪の列や娶りの列や霾る街・・・・・・・・大橋越央子

舞へ舞へかたつぶり、
舞はぬものならば、
馬の子や牛の子に蹴させてん、
踏みわらせてん、
まことに美しく舞うたらば、
花の園まで遊ばせん・・・・・・・・・・・・・・・・ 『梁塵秘抄』
蝸牛かたつむりは陸産の巻貝で、でんでんむし、まいまい、とも言われる。
関東地方の森や野に多いのはミスジマイマイで殻の直径が3.5センチ、2センチほどの高さで黒っぽい三本の帯斑がある。
暖かくなると活動をはじめ、農家にとっては農作物を害するので困り者である。
いろいろの種類があり、ヒダリマキマイマイは貝殻を前から見て口が左にあり、黒い帯は一本である。
他にクチベニマイマイ、セトウチマイマイ、ツクシマイマイなどがよく見られる種類だという。
大きいのはアワマイマイで四国の山地に居る。
雌雄同体だが、交尾は別の個体とする。

写真②はオトメマイマイという名前らしい。かわいい小さい種類である。
童謡に歌われる「角」というのは「目」である。突くとひょいと引っ込める。
芭蕉の句に
かたつぶり角ふりわけよ須磨明石
というのがあるが、この角というのも、もちろん目であり、古来、角──争う、という連想から詠われたものが多い。どこか遊び心の湧く季語だったようである。
古句を引くと
蝸牛の住はてし宿やうつせ貝・・・・・・・与謝蕪村
蝸牛見よ見よおのが影法師・・・・・・・・小林一茶
などがある。明治以後の句を引いて終わりたい。

蝸牛(ででむし)の頭もたげしにも似たり・・・・・・・・正岡子規
雨の森恐ろし蝸牛早く動く・・・・・・・・高浜虚子
蝸牛や降りしらみては降り冥み・・・・・・・阿波野青畝
やさしさは殻透くばかり蝸牛・・・・・・・・山口誓子
あかるさや蝸牛かたくかたくねむる・・・・・・・中村草田男
蝸牛喪の暦日は過ぎ易し・・・・・・・・安住敦
蝸牛いつか哀歓を子はかくす・・・・・・・・加藤楸邨
蝸牛遊ぶ背に殻負ひしまま・・・・・・・・山口波津女
蝸牛や岐れ合ふ枝もわかわかし・・・・・・・石田波郷
かたつむり日月遠くねむりたる・・・・・・・・木下夕爾
悲しみがこもるよ空(から)の蝸牛・・・・・・・・鷹羽狩行
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや・・・・・・・・永田耕衣
かたつむり甲斐も信濃も雨の中・・・・・・・・飯田龍太
妻の疲れ蝸牛はみな葉の裏に・・・・・・・・沢木欣一

柿若葉愛静かなる日を照るも・・・・・・・・・・・・岩崎富美子
今しも「柿若葉」のうす緑が美しい季節である。
私の地方では、柿の若葉が茂りはじめて来て、枝に止まるスズメなどの小鳥の姿が隠れるようになると、お茶摘みが出来る頃になると言われている。
「柿若葉」の適当な写真がないので、もう少し先になるが、柿の花の写真を掲げておく。
それにしても、この句のように「愛静かなる」などと言われると、この作者は、この句を詠んだとき「静かな愛」に包まれていたのだなぁと思う。
なかなか、こういう句や歌は詠めないものであり、羨ましい。
昔は「柿」の木は民家の敷地には必ず一本くらいはあったものだが、この頃では見かけなくなった。今は昔ほど「柿」の実を食べなくなった。
他に、いくらでも「食べるもの」が豊富にあって、第一、ナイフで皮を剥いて、小分けにして、種を出して食べなければならない、というのが面倒らしい。
その点、指だけで剥いて食べられる「みかん」や「バナナ」などには衰えない人気があるのと好対照である。
初夏に「柿の若葉」は、つややかに光る萌黄色をしていて、さわやかで新鮮である。
みずみずしくデリケートに、のびのびした「命」そのもののような若葉であり、初夏の心にひびく眺めのひとつであるのは、確かであろう。
以下、「柿若葉」の句は多くはないので、「柿の花」の句も引いて終わる。
柿若葉雨後の濡富士雲間より・・・・・・・・・・渡辺水巴
柿若葉重なりもして透くみどり・・・・・・・・・・富安風生
節目多き棺板厚し柿若葉・・・・・・・・・・中村草田男
まだ柿のほか月かへす若葉なし・・・・・・・・・・篠原梵
柿若葉嬰児明るき方のみ見る・・・・・・・・・・鎌田容克
父の代の風が吹きをり柿若葉・・・・・・・・・・高橋沐石
柿若葉すこし晴れ間を見せしのみ・・・・・・・・・・川口益広
こぼるるもくだつも久し柿の花・・・・・・・・・・富安風生
柿の花農婦戸口に入る背見ゆ・・・・・・・・・・大野林火
柿の花あまたこぼれて家郷たり・・・・・・・・・・岸風三楼
飲食に腋下汗ばむ柿の花・・・・・・・・・・岡本眸
葬式に従兄弟集まる柿の花・・・・・・・・・・広瀬直人
総領は甚六でよし柿の花・・・・・・・・・・高橋悦男
ふるさとへ戻れば無官柿の花・・・・・・・・・・高橋沐石
行宮跡ひそかに守りて柿の花・・・・・・・・・・築部待丘

享けつぎて濃く蘇るモンゴル系
ゐさらひの辺に青くとどめて・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
よく知られていることだが、いわゆる「モンゴリアン」という人種のお尻には尾骶骨の上の方に、特有の「蒙古斑」という青い「あざ」の模様が幼少期には見られる。
大きくなると、それは薄れて見えなくなる。
ハンガリー人なども源流はモンゴリアンと言われているが、その後白人との混血も進んでいるのだが、今でも「蒙古斑」は見られるのだろうか。
掲出した写真はネット上から拝借したもので「白人」のお尻であり、「蒙古斑」とは関係がない。
このように見事にくびれたプロポーションは黄色人種には、ない。
現在の南北アメリカ大陸に渡ったネイティヴ・アメリカンは、ずっと昔にベーリング海峡を渡って辿り着いたモンゴリアンだと言われているが、そう言われているからには、この「蒙古斑」が彼らにも認められるということなのだろうか。
念のために申し添えると「ゐさらひ」というのは「尻」のことを指す「やまとことば」古語である。
お尻というところを「いさらい」と言えば、何となく非日常化して来るではないか。
これは「おむつ」というところを「むつき」と言い換えるのと同様のことである。いわば「雅語」化するのである。
これらは詩歌の世界においては常套的な手段である。
ずっと昔に、うちの事務所にいた子育て中の事務員さんと雑談していて、話がたまたま「蒙古斑」のことになったところ、その人は真顔になって「うちの子には、そんなアザはない」と反論して来たことがある。われわれ日本人はモンゴリアンといって必ず「蒙古斑」があるのだと説明したことである。もちろん人によってアザの濃淡はあるから気づかなくても不思議ではない。
それにしても、掲出の写真の人のお尻あるいはプロポーションのすばらしさは、どうだろう。
この辺で、終わりにする。


──三井葉子の詩・句──
三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・・・・・・・・・・ 中西弘貴
<ま>の創造──三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・ 中西弘貴
一読、甚だ突飛ですが、直感的に太宰を思いました。
なぜ太宰を思ったのか、繰り返し『灯色醗酵』を読み、まだある筈の太宰治全集を捜し
出し、何十年ぶりかで、読み返してみたりしている間に、かなりの時間が経ってしまいま
した。このまま拘っていますとお礼状も出せずじまいになりそうですので、感想を書き記
すことにしました。
「死なうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉として
である。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられてゐた。これは
夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思った。
太宰の『晩年』の巻頭作「葉」の書き出しです。
詩集名にもなつている「灯色醗酵」
善人なをもちて往生をとぐ。いはんや悪人をや
このお文章に出会ったのはわたしには大事件であった。どうしたら生き
られるのか分からなかったわたしのむねに、とつぜん灯がついた。
価値を作るのは世界を作ることである。
(「灯色醗酵」)
この、麻の布地を貰って夏まで生きようと思ったという出会いと、親鸞のお文章に出会
い生きられると思ったという、事物・事柄と生きるという思いとの出会い。親鸞のお文章
に出会ったことと、麻の布地を貰ったことの、比較ではなく、何かとの出会いにより、「生
まれられる」「生まれられる」と思ったことと、「生きてゐよう」と思った呼吸に、なんと
なく共通のものを感じたのでした。
「虚構に出会ったのよ」という詩語からも同様の呼吸を感じました。
太宰の、特に初期のころの作品は、虚構と告白が織り成す特異な文体がみられます。虚
構は告白によって支えられ、告白は虚構の妙のうちに為され、作者の眩きが導入されて告
白と虚構の一致という独特のかたちが創出されていますが、三井さんの『灯色醗酵』に同
じょうなものを感じ取つたように思えます。
虚構と告白の一致。どれが虚構でどれが告白かの詮索ではなく、虚構と告白が互いに織
り成して創出された世界。虚構が発するものと告白が発するものとの間の世界。詩集を読
んでいくと、この<間>〈ま〉が、本詩集の核となっているように思えます。
たとえば、
「現代詩」
「リンゴのひと切れを歯でたのしみ/歯から舌に渡るまを世界と呼び」の渡るまの
〈ま〉。
「夢刺し」
「地獄と極楽のあいだは川が流れていたので/わたしは川を渡るゆめをみた」という
〈あいだ〉。
「橋上」
「あの世とこの世を彼岸と呼び此岸と呼び/虚空には/橋が/懸かっているといい
ますが」の〈虚空〉。
「長雨」
「うつらうつらしているまに暮らし向きが変わるんだろうか」の〈ま〉。
「カミ笑い」
「ヒトとヒトの間にはうつすらとしたミドリの線があり/皮膚のようにヒトを守って
いる」の〈間〉。
「価値を作るのは世界を作ることである。」という「世界」は、「歯から下に渡るま」の
世界であり、その〈ま〉をもって「虚構に出会ったのよ」と断言しているように思えてなり
ません。
〈ま〉とは、時の間、であり、空の間、であり、そして人の間に他なりません。
〈ま〉の造形へ。「虚構の庭は五色の花びら」。三井さんの詩はまさにそこに咲くのでしょう。
そんならわたしも生きられると十八のわたしは思った。生きられる、で
はなく生まれられるとわたしは思った。死に死にて生き生きるいのちで
ある。
虚構──価値を作る──世界を作る──生まれられる
虚構に出会った── 〈詩〉との出会い——虚構の創出——〈ま〉の造形
読者であるわたしの想像が、このような思念を巡らせ、『灯色醗酵』に〈ま〉の創造とい
うことを読み取りました。〈詩〉を語る作品が多くあります。
詩は連続せずに
切るので切るということがその姿のうちにあり詩を書くわたしは
切って傷んでいたかもしれない。
散文は山の池に写っている
どこかに行きたかったスカ—トをひっばって
流れて行く
秋の雲
(「夕雲」部分)
詩は切る。散文は流れる。これは作品「姐」でいう「そうか/詩人にとって個体こそが
自律スルが、散文では関係こそが生きると/いうことなンャなァ」に呼応し、散文は〈ま〉
を埋め詩は〈ま〉を創出する。そしてその〈ま〉は、「いのち懸けを あ、そうか/ひょうき
んというのだな」とする軽妙さをも指し示し、また「山里で暮らしていると/眼に入るも
のがゆれている//町にきて/ビルディングの大きな窓から外をみると//朝も昼も/お
んなじ/こんな力サブタを土のうえに作っていたのか」(「現代詩」)と痛烈に力サブタのよ
うなこの国の現代詩を撃ち抜きます。
粟津則雄氏が栞文でいう「秘められていたものがあらわになったことで、ことばのひと
つひとつが、その意味合いと色合いを変える。そして、それぞれ他のことばと新たな関係
を結ぶのである」とは、秘められた〈ま〉が、三井さんの手によってあらわにされたことで
あり、その〈ま〉によつて新たな関係が生み出されるのでしょう。
漢字──ひらかな——カタカナ
三井さんはこの〈ま〉を生み出すために表記の文字を縦横無尽に使い分けます。
一行の文字数から行変え、行空けによる空間の創出。句の挿入により語りと呟きの表現
効果。挿入された句や詩語の語尾に付されるカタカナ表記によって読者に作者自身の呟き
を思わせます。(この作者を思わす眩きの術にも太宰を思いました。)
詩人か。
ソンナモン、最低やと小説家の姐はいう。
という書き出しを持ち
ホンマモンなんてこの世にある力イナと言われそうでアルのを、ひそ
かにおそれているのである。
姐よ。
と結語する作品「姐」がとても面白く、 三井さんの虚構と告白の〈ま〉を描いて絶妙と思
いました。
「ことしも咲いて出る 梅」の、おんなとおとこの〈ま〉
「日はまた沈む」での、日がのぼり日は沈む〈ま〉
「断絶」でみる、断絶と共生の〈ま〉
「踏み返し」では、ウソと実の〈ま〉
たくさんの 〈ま〉のかたちを読ませていただきました。
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今日とどいた『若葉頃』2012/No.64に載る中西弘貴氏の評論を引かせていただいた。立派な評である。
いま調べてみると、中西弘貴氏は、「富田砕花賞」の第19回 2008年(平成20年)の受賞者らしい。
中西弘貴「飲食」、松尾静明「地球の庭先で」の二人受賞となっている。
『灯色醗酵』については昨年の発行直後に書いた←私の記事を参照されたい。
(お断り)中西弘貴氏の文章はスキャナで取り込んだので、どうしても字の文字化けが生じる。
殆どは修正したが、もし、おかしいところがあれば指摘いただきたい。直します。よろしく。

老いびとにも狂気のやうな恋あれと
黒薔薇みつつ思ふさびしさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
バラに関しては、このBLOGにも何度か書いてきたが、四季咲きの薔薇があるとは言え、やはり今の時期が薔薇のシーズンである。
私の歌では「狂気」=黒、という連想のイメージから黒バラとしたが、何と言ってもバラは「真紅」が好きだ。情熱的な真っ赤が一番ふさわしい。
もっとも「黒」バラとは言っても、掲出した画像のような色のものを黒バラと称しているらしい。
薔薇は紀元前から北半球の各地に自生しているバラ科の植物だが、いまバラとして鑑賞されているのは、ほとんど「近代バラ」である。

近代バラの歴史は古くはなく、その黎明はナポレオン一世の皇后ジョゼフィーヌによって、ヨーロッパ原産の一季性大輪のものと、中国産の四季咲き庚申バラを交配させたことに始まる。
1867年にフランスの園芸家ギヨが、ラ・フランスという名花を作り出し、近代バラの主流の地位を確立して以来、今日までおびただしい新種が国際登録されてきた。
世界的に、それほど芸術の場に採りあげられた花はないし、どれだけ多くの男性が、バラを捧げて愛を告げたことであろうか。
花言葉は「愛」。単純、明快である。
今みつけた句に、こんなのがあった。
薔薇大輪稚ければ神召されしや・・・・・・・・・・角川源義
この句は源義が、誰か肉親の死に際して詠んだものであろうが、私には身に沁みるものである。

歳時記にもバラを詠んだ句は多い。
それらの中からいくつか選んで終わる。
薔薇に付け還暦の鼻うごめかす・・・・・・・・・・・・西東三鬼
タイピストコップに薔薇をひらかしむ・・・・・・・・・・・・日野草城
咲き満ちて雨夜も薔薇(さうび)のひかりあり・・・・・・・・水原秋桜子
手の薔薇に蜂来れば我王の如し・・・・・・・・・・・・中村草田男
憂なきに似て薔薇に水やつてをり・・・・・・・・・・・・安住敦
薔薇垣の夜は星のみぞかがやける・・・・・・・・・・・・山口誓子
雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
薔薇剪れば夕日と花と別れけり・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
睡る嬰児水あげてゐる薔薇のごとし・・・・・・・・・・飯田龍太
薔薇咲かせ心の奢り失はず・・・・・・・・・・・・稲畑汀子
薔薇挿せど空瓶になほ洋酒の香・・・・・・・・・・・・桂信子
おうおうと金春家いま薔薇のとき・・・・・・・・・・・・森澄雄
足袋に散る薔薇の花びら更年期・・・・・・・・・・・・横山房子
バラ垣をもて一切を拒みけり・・・・・・・・・・・・徳永山冬子

手にすくふ水に空あり菖蒲田の
柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
私の地方は、豊富な地下水を利用して花菖蒲、かきつばた、海芋(かいう)カラーなどの花卉栽培の盛んなところで、この時期になると「花菖蒲」田が見ごろになる。
この歌は数年前の亡妻の大手術の後の小康の頃の様子を詠っている。
手にすくった水に空の青さが映っている、という歌の意味であるが、今となっては、妻との思い出として忘れられない歌になってしまった。
「菖蒲」の句を少しひいて終わる。
白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・・・・・稲垣きくの
この句なども、作者にいかなる事情があったか分からないが、私の心象に激しく迫るものがある。
菖蒲見しこころ漂ふ如くなり・・・・・・・・・・・・・藤田湘子
文芸のいいところは、読者が、作者の意図を離れても、さまざまに解釈し得るということである。
花菖蒲の群生を見ても、私の場合、妻に心が行って、「こころ漂う」というフレーズに心動かされるのであった。

白菖蒲剪つてしぶきの如き闇・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫
この句なんかも私の身にびんびん響くものがある。それは、受け取る私の心が、そういう受動の個所に居るというからに他ならない。
風渉りゐて菖蒲田の白ばかり・・・・・・・・・・・・篠崎圭介
この「叙景」は、何ともない情景のようであるが、心象に迫るものを持っている。
ほぐれそめ翳(かげ)知りそめし白菖蒲・・・・・・・・・・・・林 翔
菖蒲が心を持つ筈もないのだが、人というものは、何につけても、心を盛りたがるものである。「翳知りそめし」という表現が秀逸である。

大いなる月の暈(かさ)ある夕べにて
梨の蕾は紅を刷きをり・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
写真は蕾でなく開いた梨の花だが、「二十世紀」という種類である。
ほぼ真白だが、心持ち少しピンクがかっていると言えようか。
写真②が純白の梨の花である。

梨の栽培は、外国では芸術的な大きな梨は余り作らないので、なるべく手間のかからない栽培をするが、日本では労働集約的な手間をかけて立派な果実を作ろうとする。
梨の受粉も、花粉を人手で一つ一つ雌蘂に付けるという大変な手間をかける。
受粉が済んだら、よい実だけを残して、あとは全部もぎとる「摘果」という作業をする。
その後には一つづつ紙袋をかぶせるという手間をかける。
この頃では「無袋」栽培というのも一部では行なわれてはいるが、主流は「袋」ありである。
写真③が受粉作業の様子。

筆の先に雄しべの花粉をつけて、花の雌蘂に一つ一つつけてゆく大変な作業。
梨の木は落葉する木で冬には幹と枝だけである。冬の間に徒長枝などを剪定して活かす枝だけを残す。
先年秋に、梨の実で、このBLOG記事に 梨の実 のことで少し書いた。二十世紀という梨の株の最初の開発者のことなども書いたので、参照してもらいたい。
写真④が広い梨畑に一斉に花が咲いた様子である。

古来、梨の花は俳句に詠まれてきたので、それを引く。
梨棚の跳ねたる枝も花盛り・・・・・・・・松本たかし
青天や白き五弁の梨の花・・・・・・・・原石鼎
梨咲くと葛飾の野はとのぐもり・・・・・・・・水原秋桜子
梨の花わが放心の影あゆむ・・・・・・・・山下淳
多摩の夜は梨の花より明けにけり・・・・・・・・斎藤羊圃
能登けふは海の濁りの梨の花・・・・・・・・細見綾子
梨の花郵便局で日が暮れる・・・・・・・・有馬朗人
はてしなき黄土に咲いて梨の花・・・・・・・・青柳志解樹
キリストの蒼さただよふ梨の花・・・・・・・・福田甲子雄
梨の花白にはあらず黄にあらず・・・・・・・・信谷冬木

杭いつぽん打ちこみをれば野の蕗が
杭の根もとに淡き香はなつ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第三歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌のつづきに
ほろ苦き野蕗の茎は蒼々と生味噌まぶせばはりはり旨し・・・・・・・・・木村草弥
という歌が載っているので、一体として鑑賞してもらいたい。
蕗(ふき)は本来、野生していたものを人間が栽培して野菜用に改良したものが出回っている。
写真は花のついた野蕗である。食用には花のつく前の新芽の茎を摘む。
新しい茎を採って売られているが、季節の味覚として、ちよっとほろ苦いところが美味なものである。

この蕗の新芽が写真②の「蕗のとう」である。
これは少し大きくなったもの。ほんの新芽は砲弾型している。
それは早春の野草狩で見られる。
これらの野生のものでなく山形県などでは、大型の2メートルにも達する蕗を栽培している。
いずれも茎だけを食用にする。
もっとも子供の頃は、このほろ苦さが嫌で、食べられなかったものである。いわば大人の味といえようか。
ここで写真③にフキノトウの芽だし直後の写真を出しておく。

蕗は俳句にも詠まれているので、それを少し引いて終る。
うすうすと日は空にあり蕗の原・・・・・・・・田村木国
あらはれて流るる蕗の広葉かな・・・・・・・・高野素十
蕗切つて煮るや蕗畠暮れにけり・・・・・・・・石田波郷
母の年越えて蕗煮るうすみどり・・・・・・・・細見綾子
風みどり母が蕗煮る時かけて・・・・・・・・古賀まり子
言ひ勝ちて妻ほきほきと蕗を折る・・・・・・・・庄中健吉
母とあれば風ゆづり合ふ蕗円葉・・・・・・・・神林信一
よろこびの淡くなりたり蕗茂る・・・・・・・・本宮銑太郎
きやらぶきを煮つめ短き四十代・・・・・・・・大島龍子
夜の蕗むく父母の墓ねむりをらむ・・・・・・・・寺島京子

──新・読書ノート──
辻桃子『生涯七句であなたは達人 』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・新潮社2012/03/23 刊・・・・・・・・・・
「採られる俳句」はどう作る――すべての秘訣が、この一書にあります。
芭蕉いわく「一世の内、秀逸の句三、五句あらんは作者也。十句に及んは名人也」。
だったら、生涯に七句も秀句があれば、もう達人です。夢のようなことは考えず、焦らず、こつこつと続けましょう。
本書がお手伝いします。
大ヒット『あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか』に続く、じっくり読んで身につく桃子流指南、第二弾。
新潮社の読書誌「波」四月号に載る著者の紹介文を引いておく。
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七句で達人かもしれないが・・・・・・・・・・・・・辻桃子
二〇〇八年二月に、『あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか』を新潮社から刊行したところ、思った以上に大勢の方々にお読みいただけたようで、たくさんの反響が寄せられた。特に「波」の読者には、俳句をやっている方が多いようで、本誌で存在を知り、手に取ったという方がたくさんおられた。そこで今回、第二弾『生涯七句であなたは達人』が刊行されたので、再び「波」誌上をお借りし、本書の序文を引きながら、狙いを説明させていただきたい。
江戸時代の言葉で書かれた昔の句などは、難しくて読まないけれど、新聞や雑誌の俳句欄は気をつけて読む、という人は、もうそれだけで「俳句の道」に入ったといっていい、といったのは高浜虚子だ。
「俳諧スボタ経」という文章のなかで、そういっている。それだけではない。俳句は作らなくても、解説書などを読んで、なるほどと合点のいく句が一句か二句あれば、それも俳句の道に入ることだといい、さらに、俳句の面白みはわからなくても、額や襖に張ってある俳句を何気なく見たことのある人は、みな俳句の道に足を踏み入れたことになるのだ、とまでいっている。
この考えでいけば、一句つくればもう立派に俳人ということになる。最初に読んだときは、虚子先生、ずいぶん過激なことをおっしゃるな、と思ったが、俳句の入口は、虚子のいうように確かに広い。
俳句は、つぶやきのような、吐息のようなことばを組み合わせただけで、一句になる。わずか五七五の短さだが、読んだ人に自分の心が伝わり、感動させることもできる。山奥の木の葉に降った一滴のしたたりが、泉になり小川になって地を潤し、やがて大河となって海にそそぐように、人生の些細な一コマ一コマを俳句にすくいとってゆくことで、人の一生をうつしだすことだってできる。こんなたのしいことはない。
だが、俳句を作りはじめた人は、必ず迷ったり焦ったりする。こんな短い句、すぐになんとかできそうだと思ったのに、なかなか自分の満足する句ができない、と思うからだ。でも、ちょっと待ってと言いたい。
野球だって、ゴルフだって、剣道だって、いきなりうまくなるわけはない。手にまめをつくりながら、いやというほどバットやクラブや竹刀を振り続けることが必要だ。稽古が大切なのは文芸もスポーツも似ている。
初心のころ、私が「俳句って、なんでしょう」と師の波多野爽波に尋ねたら、先生は「まず一万句作ってから質問しなさい」と言った。その一万句も、同じような句をむやみにノートに書きつらねればいいのではない。信頼できる先生を選び、その人がよし、とした句が一万句ほどたまるまでは、こつこつとやりなさい、というたとえ話である。俳句は入りやすい文芸だが、同時に奥も深いのだ。
芭蕉の弟子の去来と許六が著した『俳諧問答』という本に、「一世の内、秀逸の句三、五句あらんは作者也。十句に及んは名人也」という芭蕉の言葉が出てくる。一生のうちに「これはよい」と師匠も世間も認める句が三句か五句あれば、プロの俳人といえる。十句もあれば、それはもう滅多に出ない名人だ、というのだ。これもまた門人に対して、あせらずつづけなさい、という諭しを含んだたとえ話だろう。
一生こつこつつくり続けて、一万句もできたら、そのうちの三句か五句がよければそれでよいのだ。十句で名人というなら、七句もあれば達人だろうが、名人や達人などという夢のようなことは考えなくていい。
日々の自分の人生をいとおしんで、その中からすくい上げたことばで、俳句を作りつづけてゆくことが大切だ。その句のなかには、あなたの人生がつまっているのだから。 (つじ・ももこ 俳人)
辻桃子/ツジ・モモコ
1945年、横浜市生まれ。画家志望だったが、18歳(早稲田大学1年)で俳句入門。1987年「俳句って、たのしい」を掲げて『童子』を創刊主宰。現代俳句を経て、現在日本伝統俳句協会理事。「俳句はがき絵」を創始。現代詩で花椿 詩の公募賞 優秀賞、鷹俳句賞、第10句集『饑童子』で第5回加藤郁乎賞受賞。俳画と書の業績から第2回手島右卿特別賞受賞。テレビ・雑誌の俳壇選者多数。著書に『やさしい罠』など詩集4冊、句集12冊、『俳句って、たのしい』などエッセー6冊、『桃子流虚子の読み方』など評論3冊、『点字歳時記』全5巻など歳時記13冊、『俳句の作り方』など入門書20冊、はがき絵指導書2冊等。新潮社刊の著作に『あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか』がある。
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私は「俳句」は作らない。つまり実作者ではないが、「短詩形」文芸の愛好者として、若い頃から俳句には親しんで来たし、このブログでも採り上げている。
実作するとなれば、この本に書かれているほど、事は簡単ではない。
↓ は、この本にも書かれている前著である。もちろん知っていたが、今回、次作が出たので、ブログにも採り上げることにした。

「立ち読み」も出来るので、お試しあれ。
念のために、この前著について触れた著者のさわりの部分を、ここにコピペしておく。 ↓
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あなたの俳句はなぜ佳作どまりなのか・・・・・・・・・・辻桃子
俳句には十七音しかありません。たぶんあなたの句は、何かを言いすぎているか、何かが足りないのです。それさえ分かれば、佳作常連組から一歩抜け出ることができます。「俳句って、たのしい」がモットーの辻桃子さんが、懇切丁寧に添削実例を交えながら解説します。俳句に限らず、短くて的確な文章を書きたい方にも、大いに参考になるでしょう。
第一講 正直に
■正直に
逃げました全焼でした震災忌 さいとう二水
誰かが、そう語ったのだろう。あるいは自分が言ったのかもしれない。話し言葉をそのまま正直に一句にした。なんとなくおかしいのに、しみじみと哀しくなる。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 松尾芭蕉
を思い出す。俳句の基本は、なんといってもまず、正直であることだ。
残る蠅もの食ひ出すや現れて はらてふ吉
秋になって、夏に元気だった虫が次々に居なくなる中で、いつまでも残って元気に飛び回る蠅を「残る蠅」という。やっと居なくなったかと思えば、いったいどこに隠れていたのかい。ものを食べ始めれば顔を出して、ブンブンたかって……やれやれ。なんだか働きのない亭主にブツブツ言っているようで、おかしくてせつない。
緋目高のうるさく泳ぎ水しづか 高野圭子
緋目高をじっと見ている。水槽の優雅な雰囲気にくらべ、ちょこまかとなんとせわしいことか。それを作者は正直に思ったとおり「うるさく」と言った。
ここがいい。これ格好つけたり、文学的修辞に凝ったりすると却ってつまらなくなる。「華やかに」なんていったのでは月並。美しい、華やかとプラスのイメージの「熱帯魚」を、「うるさい」というマイナスのイメージでとらえたのがよかった。この句、ただうるさいだけでなくまだ続きがある。どんなにうるさく泳ごうともやはり水槽の水そのものは静かなのだ。ほんとだ。
文学的に上手そうな句を作ろうとあれこれこねくっているとなかなかこうはいかない。思ったことを正直に言う歯ぎれのよさが一句を成功させた。
■一寸待て
音の無き星月夜なりふと気付く 大塚恒造
俳句はどの句も気をつけて読めば、「ふと思い」「はっと気づき」「つと浮かんだ」ことを詠んでいる。ということは、これらは大前提なのでどの句からも省略されていると考えるべきだ。いくら正直に「ふと、思った」にしても、「ふと」と使いたくなったら、一寸待て!だ。「なり」「けり」という切字を使えば、それだけで、「ふっと思えばそうなのであった」という感じがこめられているのだから、切字もまた効率よく使いたい。
→音の無き星月夜にてありにけり
■即き過ぎ
跛がなんとか歩く梅雨の入 佐藤文時
私は、不自由な身体のことはやたらに句材にしたくない。だがこの句は、作者が自分のことを、多少の自嘲と自愛をこめて正直に詠んでいるらしいので採った。私もぎっくり腰が痛くて時々歩けなくなるが、それでも用があれば無理やり歩き回ったりするので、この句の感じはよく解る。それにしても、内容の憂鬱さをだめ押しするように暗く淋しい「梅雨の入」では即き過ぎ。この内容を単なる愚痴でなく、俳句作品として成立させるにはなんとしても、もっと明るく意表をついた「エッ!!」というような季語を持って来よう。「梅雨の明」としたら?
■季語の説明はしない
何となく淋しさただよう秋近し 田中ちか
「秋」という季節には、豊かな稔りの季という意味と同時に「人生の晩年」、「下り坂」、「生命の下降」といったイメージがある。秋といえば淋しさはもう言わずに。作者は正直にそう思ったのだろうが、改めて季語の説明はしないように。ここは逆に、反対のイメージのある「ふかし芋」とか、「芋子汁」などという、元気の出そうな季語をもってくると、また活きる。
■もっと推敲を
菊食うて何やら清き息吐けり 岡村虎女
この菊、黄菊か、あるいは「もってのほか」といわれるほど美味の薄紫色か。菊を食べて「清き息を吐く」とは仙人にでもなったような不思議な気分でいい。原句は〈菊を食べ何やら清き息を吐く〉。一句の中の助詞、「てにをはの」はできるだけ少なくして、すっきりさせよう。
色とりどり秋の生みたてたまごかな 臼井美和子
玉子もよく見ると、かすかにいろいろな色がある。よく見ている句だ。だが、上六の字余りを解消したい。
「玉子」だけでは季語ではない。「寒玉子」は冬の季。「春玉子」というふうにも使うが、単純に「秋の玉子」「夏の玉子」などといわずに、「秋の」は玉子でない部分にくっつけたい。「色」の方に「秋」をつけてみたら、〈生みたてのたまご秋色とりどりに〉などとなる。〈とりどりの生みたてたまご文化の日〉などすることもできる。とりどりに再考、推敲を。

──新。読書ノート──
木下直之『股間若衆―男の裸は芸術か―』 ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・新潮社 2012/03/30刊・・・・・・・・・
“曖昧模っ糊り”の謎を追求する本邦初、前代未聞の研究書
露出か隠蔽か修整か?
幕末から現代に至る“古今”日本人美術家たちの男性の裸体と股間の表現を巡っての葛藤と飽くなき挑戦!
付録に「股間若衆」巡礼モデルコースも。駅前に、役所に、公園に、体育館に……
気がつけば雨の日も風の日も裸のまま、“彼”は、あなたのそばに佇んでいる!
新潮社の読書誌「波」2012年4月号より書評を引いておく。
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男の股間(沽券)にかかわる本・・・・・・・・・・・田丸公美子
『股間若衆―男の裸は芸術か―』。
「古今和歌集」をもじった「股間若衆」、それに「男の裸」とくれば、猫にまたたび、シモネッタの名を持つ私が手に取らないはずはない。
しかもこのタイトル、不純な購買動機をカムフラージュしてくれる「芸術」という2文字が後に加えられているので、臆することなく書店のレジに本が出せる。
こんな細やかな気配りができる著者、ただ者ではない。
著者の木下直之氏は、江戸の粋人を思わせる言語センスの持ち主だ。「和漢朗詠集」は「股間漏洩集」に、日本の裸体彫刻特有の中途半端な股間は、曖昧模糊をもじった「曖昧模っ糊り」に、北村西望の甘い妥協は「とろける股間」にと、洒脱な表現が次々に繰り出される。だからといって軽いお遊び本かと思えば大間違い。ベースになったのは、氏の「日本近現代彫刻の男性裸体表現の研究」というから、アカデミックで読み応えがあるのも当たり前。
ベネトンのPR写真で名を馳せたオリビエーロ・トスカーニが、月替わりカレンダーに、昨年は女性器、今年は男性器のアップ写真を使い、イタリアで国をあげての大論争を巻き起こしている。カレンダーを作らせた弱小組合はその宣伝効果で販売増を享受。「政治、宗教、戦争、経済、すべては下半身から始まる」と彼が皮肉ったように、股間は、権力を愚弄する挑発や、経済を動かすツールにもなる。その影武者的な実態を、史実を通して見せてくれるのが本書。イデオロギーを振りかざさない姿勢がなんとも粋だ。
木下氏は東大の文化資源学の教授。この人の手にかかれば、股間も立派な文化資源。その博覧強記ぶりは尋常ではなく、股間をめぐる考察は、民俗学、社会学、図像学をカバーし、彫刻、写真、絵画、検閲、進化論、風俗など多彩なテーマに広がっていく。文相の指示で、自分の彫刻から股間部分を切り取る朝倉文夫、三島由紀夫の聖セバスチャンへの傾倒、額縁ショーの裏話、「わだつみのこえ」の彫像が辿った運命、日本初の裸体画展の宣言文など、面白い話題も満載で読み物としても楽しめる。真面目な内容なのに、「赤羽駅前にある男性裸体像がもし生身の人間だったらどうなるか」という仮定で冒頭から笑わせてくれるし、難解な文の合間には、とぼけたボケもかましてくれるから嬉しい。
それにしても、性的なものを卑下する象牙の塔で、東大教授が沽券ならぬ「股間にかかわる」本を書く。かなりリスキーな決断だ。だがご乱心の木下先生、一読者の心配をよそに、パンツ姿の著者近影?まで披露して、最後まで人を食ったユーモアを忘れない。
唯一残念なのは、この本を最も喜んで読んだであろう米原万里がいないことだ。
一緒に読んで笑えない寂しさを噛みしめていたら、何と、著者も「こんな話を『パンツの面目 ふんどしの沽券』を残してくれた米原万里さんとしてみたかった」と書いていた。万里が没して6年、バトンは木下氏に引き継がれたようだ。
本書には、他の特典もある。まず、豊富な図版。駅前や街頭、ビル内の裸体彫刻や古い写真が目を楽しませてくれる。中でもアメリカから130年ぶりに里帰りした松本喜三郎の生人形が素晴らしい。特に股間は、初めて勃起のメカニズムの解明に挑んだレオナルド・ダ・ビンチのデッサンと並ぶ精巧さで、まちがいなく芸術だ。
もうひとつの特典が、街で遭遇する彫刻作品を、新たな視点で観賞できるようになること。木下氏は、古寺巡礼ならぬ「股間巡礼」を付録につけ、街歩きの楽しみまで提供してくれるのだ。私たちも、この本を読んだあとは、股間若衆を探す旅に出よう。そして、目のやり場に“迷わず”股間を注視し考察を深めよう。
最後に、股間を論ずるのは下品と決めつけるお固い人、是非この本を読んで欲しい。知性で料理されたサブカルチャーの面白さに魅せられるはずだ。本書は、知性やユーモア指数、とりわけ心のゆとりを測るリトマス試験紙なのだ。
(たまる・くみこ イタリア語会議通訳・エッセイスト)
木下直之/キノシタ・ナオユキ
1954年浜松市生まれ、東京藝術大学大学院中退、兵庫県立近代美術館・東京大学総合研究博物館を経て、東京大学文化資源学研究室教授。
美術・写真・見世物・祭礼・記念碑・建築・博物館・動物園・戦争などを通して19世紀日本の文化を考えてきた。著書に『美術という見世物―油絵茶屋の時代―』(平凡社・ちくま学芸文庫・講談社学術文庫、サントリー学芸賞)、『ハリボテの町』(朝日新聞社)、
『写真画論―写真と絵画の結婚―』(岩波書店、重森弘淹写真評論賞)、『世の途中から隠されていること―近代日本の記憶―』(晶文社)、
『わたしの城下町―天守閣からみえる戦後の日本―』(筑摩書房、芸術選奨文部科学大臣賞)などがある。
「立ち読み」も出来る。お試しあれ。
立ち読みとは言え、面白い図版なども見られる。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや・・・・・・・・・・・・・寺山修司
今日五月四日は寺山修司の忌日であるので、それに因んで載せることにする。
この歌は寺山修司の名歌として、よく引用されるものである。
この歌の言わんとするところは、現下の状況下で、逆説的な意味をたくさん含んでいると思うが、いかがであろうか。
寺山修司は昭和10年青森県三沢市生まれ。
高校生の頃は俳句に没頭する。
早稲田大学に入学、同年、第二回短歌研究新人賞受賞。以後、前衛短歌運動の一翼を担う。
やがて映画、演劇に進み、次第に短歌から遠ざかるが、その青春性や土俗性に根ざした作品は今も多くのファンを持つ。昭和58年没。
近年、彼の名を冠した「寺山修司短歌賞」なるものが開設された。以下、彼の歌をみてみよう。
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海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌
ドンコサックの合唱も花ふるごとし鍬はしずかに大きく振らむ
人間嫌いの春のめだかをすいすいと統べいるものに吾もまかれむ
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
茛火を床に踏み消して立ちあがるチエホフ祭の若き俳優
アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ
夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず
小市民のしあわせなどに遠くわれが見ており菜屑うかべし河口
うしろ手に春の嵐のドアとざし青年はすでにけだものくさき
ある日わが貶めたりし夫人のため蜥蜴は背中かわきて泳ぐ
地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり
地下鉄の汚れし壁に書かれ古り傷のごとくに忘られ、自由
木曜日海に背かれきて眠るテーブルをわが地平線とし
大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり
寺山修司については、2009/05/04に、彼の忌日に際して『月蝕書簡』に触れた記事を載せているので参照されたい。
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寺山修司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年(昭和10年)12月10日~ 1983年(昭和58年)5月4日)は日本の劇作家、詩人、作家、映画監督、競馬評論家など幅広い分野で活躍した。
1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山のこうした記述には多分に創作が混じっていると言われる。
戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」という。本籍地は青森県上北郡六戸村(現・三沢市)。
父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。
1941年(昭和16年)八戸市へ転居。
父八郎出征のため、母と青森市へ転居。青森市マリア幼稚園入園。
1942年(昭和17年)青森市立浦町尋常小学校(現浦町小学校)入学。
1945年(昭和20年)青森空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす、B29による集中砲弾攻撃だった。母ハツとともに命からがら逃げ惑い、焼け出される。家も焼けて一面焼け野原。
ハツの兄を頼って、六戸村古間木(現三沢市)の古間木駅前(現三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは米軍キャンプで働く。
米軍差し押さえの民家に移る。
1948年(昭和23年)古間木中学校入学。
秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校
1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。高校文学部会議結成。同期生に沢田教一。
1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。在学中から歌人として活動。18歳で第2回「短歌研究」新人賞受賞。
在学1年足らずで中途退学。
1967年(昭和42年)演劇実験室・天井桟敷を結成。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。
1970年3月24日、人気漫画「あしたのジョー」の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。
1971年、『書を捨てて町へ出よう』で劇映画に進出した。
1983年、東京都杉並区河北総合病院にて、肝硬変で死去。享年47。
その後、天井桟敷の劇団員を中心に演劇実験室「万有引力」結成。現在に至る。青森県三沢市に寺山修司記念館あり。
歌集
句集
寺山修司青春歌集
詩
長編叙事詩・李庚順
未刊詩集ロング・グッドバイ
寺山修司少女詩集
評論など
幅広く評論をしており、ジャンルは漫画、歴史人物、小説、映画などジャンルは広い。 竹宮恵子の「風と木の詩」1巻に寺山修司の解説有り、また「サザエさんの性生活」について書いた事がある。
脚本
ラジオ
テレビ
映画
(監督作品を除く)
みな殺しの歌より 拳銃よさらば(1960年)
乾いた湖(1960年)
わが恋の旅路(1961年)
夕陽に赤い俺の顔(1961年)
涙を、獅子のたて髪に(1962年)
初恋・地獄篇(1968年)
無頼漢(1970年)
サード(1978年)
怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年)
長編
演劇
「演劇の文学ばなれ(戯曲ばなれ)」を主張し続けた。戯曲に書かれて完結した世界を、舞台でそのまま再現することが演劇なのか。「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」。演劇は、演劇という独自の表現なのであり、創造のきっかけとなるキーワードとしての「台本」(「戯曲」とは異なる)のみ許される、とした。
演劇の重要な構成要素であるはずの観客に焦点を当てる作品も上演した(「観客席」)。「俳優座や文学座があって、どうして観客座という名の劇団がないのか」。
彼の考え方は生前の演劇界においては異端視され、主に海外で評価されることになった。没後20年以上経った現在では、数多くの劇団が寺山作品を上演し、新たなる観客との出会いを試み続けている。
主な作品
毛皮のマリー
犬神
盲人書簡
邪宗門
阿片戦争
中国の不思議な役人
青ひげ公の城
身毒丸
奴婢訓
レミング
映画
長編
書を捨てよ町へ出よう(1971年)
田園に死す(1974年)
ボクサー(1977年)
草迷宮(1979年、1983年)
さらば箱舟(1984年)
短編
猫学(キャットロジー)
檻囚
トマトケチャップ皇帝
ジャンケン戦争
ローラ
蝶服記
青少年のための映画入門
迷宮譚
疱瘡譚
審判
父
消しゴム
マルドロールの歌
一寸法師を記述する試み
二頭女―影の映画
書見機
作詞
涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)
新 初恋(1968年、江夏圭介)
時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)
涙のびんづめ(1969年、伊東きよ子)
さよならだけが人生ならば(1969年、六文銭)
首つりの木(1970年、J.A.シーザー)
酔いどれ船(1970年、緑魔子)
あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)
戦争は知らない(1971年、本田路津子)
孤独よ おまえは(1971年、ザ・シャデラックス)
勇士のふるさと(1972年、ヤング101)
人の一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)
君にお月さまをあげたい(1973年、郷ひろみ)
海猫(1973年、北原ミレイ)
新宿港(1974年、桜井京)
浜昼顔(1974年、五木ひろし)
元気ですか(1976年、JOHNNYS'ジュニア・スペシャル)
ぼくの消息(1976年、豊川誕)
与謝野晶子(1978年、朝丘雪路)
もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)
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寺山修司記念館
当館は遺族の寺山修司の母:はつ氏より三沢市に寄贈された遺品を、保存公開するために約3年の歳月をかけ建設されました。寺山修司と親しかった粟津潔氏のデザインをもとに、九條今日子氏をはじめとする元天井棧敷のメンバーなど数多くの関係者のアドバイスを得て平成9年7月に開館を迎えました。延床面積約833m2の展示棟とホワイエ棟が渡り廊下でつながり、上空から見るとその様はテラヤマ演劇・映画の小道具として登場した「柱時計」を彷彿とさせます。ホワイエ棟外壁には149枚の陶板が貼り込まれ、寺山修司と交流のあった約30人のメッセージ陶板がテラヤマ作品を題材にしたものとともに、にぎやかに彩っています。テラヤマ芸術はもとより、当市の総合芸術発信基地としての一翼も担っています。
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職業は、寺山修司です
寺山修司は、昭和10年12月10日に寺山八郎、はつの長男として出生しました。9歳の時、青森空襲で焼け出され、父親の実家がある三沢市で小学校4年生から中学校1年生まで過ごしました。父親が戦死、母親は九州へ働きに出るようになり、そのため、青森市の母親の親戚宅である映画館歌舞伎座で生活し、青森高校へ進学します。
学生時代は短歌や俳句などに没頭しました。早稲田大学教育学部国文学科へ入学し、18歳の時、『チェホフ祭』を発表し、第2回「短歌研究」新人賞を受賞しました。腎臓の難病ネフローゼとの3年半にわたる闘病生活を経て、ラジオドラマ『中村一郎』を発表し、民放祭会長賞を受賞した後、シナリオライターとして歩み始めました。ラジオドラマから、演劇、映画、テレビドラマへと活動範囲を広げていき、31歳の時に、横尾忠則、九條映子らと演劇実験室「天井棧敷」を設立しました。専用の劇場を備えた「天井棧敷館」を所有し、47歳で亡くなるまでの17年間、2千人近い団員が入れ替わり立ち代わり参加しました。国内だけでなく海外での公演活動も多く、特にヨーロッパでは前衛芸術への評価が高く、毎年のように招待されて公演を行いました。
寺山修司は、いつも斬新な企画にあふれ、病身にもかかわらず演劇や映画の現場に参加し、死の直前まで執筆活動を続けました。詩や短歌、俳句、映画、演劇、ラジオドラマ、文学から競馬やボクシングにいたるまでの幅広い評論、小説、作詞、エッセイなど多領域にわたる前線で活躍していたため、「職業は、寺山修司です」と名乗っていました。
時代の先駆者として疾走し続けた寺山修司が、故郷として振り返るのはいつも三沢でした。自叙伝的作品にはいつも、多感な少年時代を過ごした三沢市近郊の風景や同窓生の名前が登場します。
記念館の散策道に立てられた「文学碑」に彫られた彼の文章
― 百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる ―
世代を超え、時代を超えて、人々の心に強烈に作用しながらテラヤマワールドは生き続けます。
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寺山修司については、高校生の頃には俳句に没頭していたが、のち短歌を手がけるようになって賞を得たが、他人の俳句作品からの「剽窃」であるとの指摘を受けた。
しかし、彼は一切頓着しなかったらしい。
今なら、それは通らないと思われるが、とにかく彼は強烈な個性の持ち主であったようだ。
また自分の経歴なども「でたらめ」な記述をしたし、彼の死後も母上はご存命であったが、創作(歌など)の中では(私の引いた歌の一番最後の歌のように)「死なせて」しまっている。
だから彼の言うこと、書くことは、すべて「創作」「虚構」と受け取ったほうが無難である。
俳句や短歌という古い世界に固執する性分ではなかったから、奔放な、太く短くという一生を遂げたと言えよう。

──新・読書ノート──
福岡伸一『せいめいのはなし』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・新潮社2012/04/27刊・・・・・・・・・・
内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司との「はなし」で輝く、動的世界!
「動的平衡」は生物の世界から、経済、文学、時間、意識、分類へと縦横無尽に広がっていく。
いつも好奇心に目を輝かせている自由闊達な四人が「福岡伸一」の生命観に化学反応を起こしていく。
相互につながる四つの「はなし」と、躍動する動的思考で語る著者の「はなし」
――立ち上がってくる新たな福岡伸一ワールドとは?
新潮社の読書誌「波」2012年5月号より書評を引いておく。
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グルグル回ること・・・・・・・・・・・鵜飼哲夫
ディベートと対話は、似て非なるものである。とりわけ相手を言い負かすためのディベートの場合、自分の正しさばかりを言いたて、相手の言い分の粗を探し、結局、議論の最初から最後まで自分の意見はなんにも変わらない。深夜の討論番組や国会審議の声高な議論の応酬、あれはディベートですね。議論に勝った本人はうれしいかもしれないが、いつまでたっても自分の意見に固執する分、意見の成熟はなく、言い負かされた相手をムッとさせているだけで終わるケースも少なくない。世界は狭くなるだけだ。
相手の意見に耳を傾けながら意見をキャッチボールする対話の場合、語り合うことで意見が変わることがある。刺激しあって、新たな仮説を共同でつくることもある。対話によって意見は成熟し、世界は広くなる。『せいめいのはなし』は、対話のよさを存分に引き出した対談集である。
福岡伸一さんが著作で示してきた一連の考えを4人との対話によって多面的かつ口語でわかりやすく説明した本書を読むと、人間の細胞はかつ消え、かつ結びて久しくとどまりたるためしなし、半年もたてば、自分の体を構成している原子はすっかり食べたものと入れ替わりながら全体として一定のバランス、つまり動的平衡が保たれているという。体の中で分子の合成と分解が絶え間なくグルグルと行われていることが「生きている」ということで、この流れが止まり、新陳代謝がなくなることが「死ぬ」ということなのだ。
グルグルと意見を回すことで一定のバランスをつくる。この点で本書は、動的平衡のいきいきした対話集なのだ。
ただ、意見の回し方も色々である。哲学者の内田樹さんとの対話は、ゴールに向ってお互いにパスを出し合い、攻めあがる展開が魅力だ。グルグル回ることの大切さを拡張し、経済、つまり人々が共存するためにも、商品が退蔵されずグルグル回ることが大切だという内田理論は面白かった。
細胞が周囲の細胞と空気を読みあいながら将来を決める、つまり隣の細胞が「僕は筋肉の細胞になります」というと、ほかの細胞が「じゃあ、僕は神経の細胞になりましょう」などと決めている(この事実は、福岡さんの著作で初めて知った。そうだったのか! 細胞にはあらかじめ、それぞれの役割が決まっているものだと、思い込んでいた)ことと同じように、二人は対話の空気を読みあい、絶妙なパスを出し合い、新たな社会構造を探っている。「ゴール!」と何回も叫びたくなる刺激的対話であった。
作家の川上弘美さん、朝吹真理子さんとの対話では、お互いに正面を向いてボールを蹴りあい、対話そのものを楽しんでいる。変化してやまない混沌とした動的平衡の世界を、いかに記述するかについて語り合う川上対談は、オチが落語みたいで笑った。こんなところにも動的平衡があったのか!
朝吹さんの小説に出てくるウーパールーパーに触発され、大人になることを拒否し、子供のような可塑性や柔軟性を持つウーパールーパー的な存在は、好奇心が旺盛で、知性的になるという対話はユニークでフレッシュだった。
一方で、解剖学者の養老孟司さんとの対話は、似ているとはどういうことか、分類とは何か、そもそも混沌とした世界を人間の意識はなぜ秩序だてて認識しようとするのかという、科学や人間の根本に遡って意見交換している点が特色で、ボールゲームをしながら、ゴールとは何か、ゴールの大きさは今のままでいいのか、について話し合っている風がある。
「捉えた瞬間に生命はそこにはない」という福岡発言が、本書を象徴している。恋もまた、捉えたと思ったらそこにはない。でも、人は恋を追いかけ、生命の神秘を探求し、対話を欲する。虫好きの福岡さんが、タモをもって人間の不思議をつかまえたい、と駆け回っているさまが伝わってきた。 (うかい・てつお 新聞記者)
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福岡伸一は、難しいことも平易に語ってくれる、私の好きな科学者である。
「立ち読み」も出来るのでアクセスされたし。
ほんのさわりでも、この本の「エッセンス」とも言うべき部分を、かいま見させてくれるからである。

あまぐものたどきも知らず老いぬれば
死も遺伝的プログラムなる・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
掲出の写真はDNA螺旋構造の模型である。
この歌については多少の説明が必要だろう。
「あまぐもの」というのは「たどき」にかかる枕詞ということになっている。
「たどき」=「たづき」で方便あるいは手段、すべ、手がかり、などを意味する。
だから私の歌の場合、これという「すべ」もなく徒(いたずら)に何ということもなく生きて来たが、老いが身にしみる齢になって来た、そして「死」も遺伝子によって予め決っているプログラムによって差配されるのであろうか、ということである。
「枕詞」というのは日常生活では全く縁のない言葉であるが、詩歌の世界では文章の趣きや深みを出すために、よく使われる。
これは日本だけではなく西洋文学でも同じことである。
例えば、よく知られているのでは
「青丹(あをに)よし」というのは「奈良」にかかる枕詞である。
「石走る(いわはしる)」というのは「滝」=「垂水」、「近江」などにかかる枕詞。
有名な志貴皇子の歌
石走る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも
は皆さんにも、よく知られているのではないか。
このように枕詞は、うまく使うと詩歌に深みを出すのに好都合なのである。
この私の歌の場合、それが成功しているかどうかは、読者の皆さんのご鑑賞にお任せする。
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草弥の詩作品<草の領域>
poetic, or not poetic,
that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──(73)
木 村 草 弥 第 五 歌 集 『昭 和』
・・・・・・・・角川書店2012年4月1日刊・・・・・・
自 選 6 3 首 抄 ■長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
Ⅰ 昭和
雨しぶく昭和最後の夜の更けの大き寂寥はのちも思はむ──安立スハル『安立スハル全歌集』
欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
システム手帳に白ばかり殖え日々すごす存在論を抱へて浮遊す
花だより<落花しきり>と告げをればそを見に行かむ落花しきりを
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶(おも)ひぬ
マンハッタンチェリー掬(すく)へば人生を違(たが)へたるものカクテルの夢
ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくおたまじやくしの尻尾
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり
Ⅱ 順礼
方舟を降りたるのちの永かりしノアの老後をさびしみ思ふ──菊地原芙二子『雨の句読点』
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
ほむら立つまでに勢へる詩(うた)ことばあなたはいつまで生きられますか
AIBOに尾を振らせゐし少年が新世紀に挑むロボットサッカー
ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
*のれそれ──魚の穴子の稚魚
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつしてみせう
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋(うづ)む
ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
ヴルタヴァの流れはカレル橋をゆきさざめくごとく<わが祖国> 響(な)る
J・Sバッハ二十七年を合唱長(カントール)として働きし聖トマス教会
皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
Ⅲ 花籠
ことばとことばかもす韻きのうつくしと残り生の花残り生の霜──坪野哲久『胡蝶夢』
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ
灌仏の日に生まれ逢ふ鹿の仔はふぐりを持ちてたのもしきかな
蛇(くちなは)は己が脱皮を見せざりき蒼ざめし肌を膚(かは)うすき艶を
<青蛙おのれもペンキぬりたてか>ひくりひくりと息やはらかき
*芥川龍之介
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ
Ⅳ やつてみなはれ
一脚の椅子しろくして闇ありきつねに疲るるあゆみといふは──小國勝男『飛鏡』
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
夏果てて紅蜀葵の紅(こう)いろ褪せぬ非ユークリッドは君は言へども
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ〉見る季節なり
髪しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ
ほろ酔ひて寝てしまふには惜しきなり五月の夜の美しければ
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス)
おろかにも日々を過してゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
孵化したるばかりの仔蜘蛛が懸命に糸張りをるも払はねばならぬ
光合成終へし落葉が地に還るいのちの核を揺る大欅
汝(な)をそこに佇たしめてみむ岩かげの秋海棠のうすくれなゐの
大和摂津河内和泉を一望に国見せりけむ葛城族長
一九三○年午年生まれ私の七度の干支(えと)かりそめならず
老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麺の茹で加減
Ⅴ エピステーメー
朱漆の小さき櫛を秘そめ持ち万緑のなか陽に触れしめず──長岡千尋『天降人』
イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど> に潜みゐるといふ
この世にはこの世の音色 鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
葛城の山ふところに大き寝釈迦の若き御顔よ涅槃西風(ねはんにし)吹く
エリカ咲く日影のけぶるむらさきも孤りなるゆゑ思ひ出でつも
仲良し三人組と言はれ変はらぬ友情で結ばれた妙子とF子と弥生
何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
青蝉(ひぐらし)ははかなく死にき葉のかげに身すぎ世すぎのはざまを墜ちて
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ
千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ
フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず
私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい
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Ⅵ プロメーテウスの火
─苦艾(チェルノブイリ)の香りかすかに移りたる雪かロシアの雪ひとつかみ──塚本邦雄『約翰伝偽書』
=「苦艾(にがよもぎ)の香り」がかすかにある「ロシアの雪」のひとつかみは三月にフクシマに降った雪に繋がる=
長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし 福島泰樹─
大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何思ひつつ
死んでゆきしか
巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を
─騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら 佐々木六戈─
プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
meltdown(メルトダウン)ぞ meltthrough(メルトスルー)ぞ
沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
君知るや 放射性物質の半減期とふを
沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ
まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂(い)ひぞ
放射能の 数値は チェルノブイリ超えき
─黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も 春日真木子─
雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
牛肉も食へず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
先は長いぞ!
おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
安全神話 ふりまきし輩(やつばら)に!
─余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す 米川千嘉子─
三陸の 死者と生者を 憶ひつつ
すべての死者に 手を合はせ
すべての生者に 祈り捧げむ
二〇十一年三月十一日十四時四六分十八秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖一三〇kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード九・〇を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五〇〇km、東西約二〇〇kmの広範囲に及んだ 。この地震により、場所によつては波高十m以上、最大遡上高四〇・五mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
また、大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによつて、東北と関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は二万人以上、建築物の全壊・半壊は合せて二四万戸以上、ピーク時の避難者は四〇万人以上、停電世帯は八〇〇万戸以上、断水世帯は一八〇万戸以上に上つた。政府は震災による被害額を十六兆から二五兆円と試算してゐる。
地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、過熱による水素爆発で大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した。これにより、周辺一帯の住民は長期の避難を強ひられてゐる。
─「電力を生むために人を殺すな」と静かなる怒り湛へて言ひき 大口玲子─
プロメーテウスは、神々の姿に似せて創造された人類に、ヘーパイストスの作業場の炉の中に灯芯草を入れて点火し、それを地上に持つて来て「火」を伝へた。
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考へた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しさうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しさうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるやうに計画してゐた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考へを見抜き、不死の神々にふさはしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のやうに死ねばすぐに腐つてなくなつてしまふ運命を持つようになつた。
その行ひに怒つたゼウスは、プロメーテウスをカウカソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強ひたが、プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問を受けた。
プロメーテウスが天界から火を盗んで人間与へたことに怒ったゼウスは、人間に災ひをもたらすために「女性」(パンドーラ)といふものを作るように神々に命じた。
パンドーラは人間の災ひとして地上に送り込まれた人類最初の女性とされる。「パン」=全てのもの、「ドーラー」=贈り物ドーロンの複数形。
「パンドラの匣」のエピソードで有名。
原子力発電が、プロメーテウスの「第二の火」に擬(ぎ)せられて久しいが、パンドラの匣ならぬ、厄介な火を抱え込んだものである。
「想定外」といふ言葉に誤魔化されてはならない。
千二百年も前に今回と同じやうな規模の地震・大津波襲来の歴史的記述が残つてゐる。
延喜元年(九〇一年)に成立した公式史書『日本三代実録』に載る。
貞観十一年五月二十六日(ユリウス暦八六九年七月九日、グレゴリオ暦換算七月十三日)の大地震発生と大津波について、次のやうに記述する。
五月・・・廿六日癸未 陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝諸J漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乗船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉
同年十二月十四日には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣はして奉幣し、神前に告文を捧げ国家の平安を願ってゐる。この年は、貞観大地震・大津波をはじめとして相次ぐ天災や事変が相次ぎ世の中は騒然としてゐた。
京の都では、町衆が祇園社に御霊鎮を祈願して今につづく「祇園祭」を巡行させたのも、この年である。
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三井修 「帯文」 と 抄出 9首
木村草弥の心は自在である。
「昭和」という時代を見つめつつ、その眼差しは遥か彼方へ飛翔する。
その世界は山城から東欧まで、
その言葉は万葉語からラテン語まで、
その心は亡妻からプロメテウスまで、
空間、時間を自由に行き来している。───三井修
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗皙(しろ)し
方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
修二会果て火の行法の終るとき寧楽の都に春は来にけり
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「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』を紹介
・・・・・・・・・京都新聞 2012/04/14 朝刊掲載・・・・・・・・・・・・・・
城陽市で宇治茶問屋を経営してきた木村草弥さん(82)がこのほど、山城地域の風景や妻への思いなどを詠んだ歌集「昭和」を自費出版した。
九年ぶり五冊目の歌集で、昭和の時代を見つめつつ、日常から異国の情景まで、幅広いテーマで詠んだ490首が紹介されている。
木村さんは、家業の製茶業のかたわら、国内外を旅して歌を詠み、これまでに四冊の歌集を自費出版してきた。
五冊目は、九年間に詠んだ新作が中心で、自身の人生の象徴である激動の時代「昭和」への思いでまとめた。
巻頭歌は、祈りのイメージを歌にした
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
また、亡き妻との思い出を詠んだ
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
山城地域を題材にした
梅の花の記憶の村に相違なし雨から雪に変はる早春
など、日々の暮らしから異国の情景まで、「気まま」な独自の世界を表現している。
A5版215ページで、角川書店刊。 (京都新聞南部支社・小坂綾子)
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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。
木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)
木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。
木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。
まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る
歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
宙→野→黄昏。
この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
いいなあ、この「来る」は。
この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。
こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。
あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり
「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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「寸簡」・・・・・・・西井弘和・私信より
全部を読みきっていませんが、ぼくの好きな歌、気になる歌。いうてもいいですか。
巻頭歌がいい。
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
祈らばや、胸中の沼、なんていいですね。みなさんおっしゃるのではないですか。
身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙の浮き橋
身のうちに曳きずるものあり……宙の浮き橋、とは。定家の、春の世の夢の浮橋……横雲の空、など、柄にもなく思い出したり。
大体、貴兄の歌で、新古今調の華やぎや流麗さをしばしば感じたりするのはぼくだけかしら。
ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
ひっそりと……、がいいなあ。徐かにうるほひにけりと文語体を使ってるのも、夕顔が出てくるのも大共感。うまいなあこの優婉なる色気。
ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて
ひとむれの花のゆきつく先には……、と散文があって、あまりにも寂しい物語があって、と散文的助詞でくくって。いやらしいほどうまい。
律を破ってのやないかと思うけど、やはりリズムがあって。
ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
昆虫少年はまたいいなあ全部。ちぎれ雲がひとつ、が好きだ。へうへう、とは。
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
生きてゐることに理由は要らぬ、目を閉ぢて耳を傾け……。静かなる喝破。
きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ、この、ひとつというのがいい。昼やね。苦し紛れかも知れんけど。
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
これからは姿をやつして見せう。なりをやつしてみせう、いいねえ。いなおり。
熟したる躰の張りも誇らかに若き男女は抱き合ひ眼交ふ
熟したる躰の張りも誇らかに……オスロの若者たち、抱き合い眼交うてはりましたか、圧倒されますね。
小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
小手毬は花虻の群れ……、揺れ戻しけり、まで見ている。怖い作者の目。
日常の一歩向こうの月光(つきかげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ
日常の一歩向こうの月光に……、素晴らしい表現。こうはなかなか歌えないですね。
なんかいえそうに思ったのはこの辺まで読んでの気持でした。
あとはまだ読んでないのです。旺盛な詩作・思索活動、すてきですねえ。
ただ、外国旅行の歌は目を瞠っているのはわかりましたが、どうしてか、あんまりぴたーっとくるのがなかったですねえ。
時ならぬ「アヴァンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌
アヴァンティポポロ、まだ歌われているのかと思ったりしましたが。
でもこの歌集、痛快でした。楽しかった。も少し読ませてもらいます。
三井さんの感覚はどうなんやろと思いました。京子さまによろしく。
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歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・三浦 好博──私信より抄出
四月に入って遅い桜が一斉に咲き出して来ました。
これから花狩人になって野山を歩きまわりたい季節です。
この度は御歌集『昭和』ご出版誠におめでとうございます。九年ぶりのご出版
だそうで、たくさんの歌の中から纏める作業は大変であったろうとお察し致しま
す。その間には2冊の詩集を編まれているので、詩作に力が入っていたかもしれ
ません。
文学者はひとの生き死ににはとても敏感ですので、昨年の3・11について詠
まれないひとは居ないと思いました。木村様もこの『昭和』の巻末にて「プロ
メーテウスの火」の項を立ち上げておられました。私は先ずそこから読ませて頂
きました。原子力にも豊富な知識から噛んで含めるように、私にも解りました。
ありがとうございます。
以下、内容に即して鑑賞させて頂きました。
『西行花伝』は辻邦生の小説で私も読んだ事があります。現在、大河ドラマ
「平清盛」がやられて居ますが、待賢門院藤原璋子との関係は、ドラマのように
は辻邦生は描いていなかったと思います。出家の大きな原因であった事はたしか
な事のようですが。。。。
橋閒石の〈お浄土が……〉の句と下句の奥様の状況がぴったりの雰囲気でした。
木村様は多くの短歌結社の誌に作品を発表されて居る関係で、とても自由に作
歌されていることが解ります。自由律は短詩にも通じますので、インパクトがあ
りますね。大和言葉にある春夏秋冬のさまざまな言霊をあやつるというか、遊ぶ
というか、美しくも愉しい事ですね。
昭和という時代の殆どを生きて来た木村様にとって、青春と玄冬の歌よく解り
ます。この昭和の間には朱夏と白秋もあったと思うのですが、この期間はどんな
ものであったのでしょう。HPやブログにあるいは書いてあるかもしれませんね。
巡礼の項は国内の例えば四国八十八ヶ所の寺巡りもやられたでしょうし、スペ
インの巡礼の道も辿られた事が解ります。まさしく「道」という言葉が美しいで
す。その道のひとつ「 海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜し
も」(万葉集)の「海柘榴市」を山辺のみちに私も訪れました。
「ヒロシマの原爆ドームの、、、、、」と詠まれましたウィルヘルム教会はその
後、何年かをかけて元通りにしたようです。落成式(?)の前の年に殆ど修復さ
れかかった教会を見ました。
ルターよりも百年も前に改革の旗を揚げたフスは時節を誤ったのでしょう、未
だ力が弱かったのですね。
木村様は積まれた深い教養から、諸外国のあらゆる対象に深く分け入ることが
できます。同じものを見てもまったく私などとは違う見方考え方ができて、歌が
流れるように出来てしまいます。羨ましく思っても詮無い事ですが。。。。
旧日本軍が東南アジア、わけてもシンガポールで行った行為の詳細が歌を読ん
で分かりました。最近たまたま、岩波現代文庫にてクリスチャンの「汝殺すなか
れ」の父の教えを忠実に守り、学徒動員で徴兵された初年兵が、中国にて八路軍
の捕虜を刺殺する訓練にて、これを拒否し、その後のありとあらゆる上官の拷問
的な暴力に耐えた歌集を読んだばかりでした。「渡部良三歌集『小さな抵抗』殺
戮を拒んだ日本兵」でした。
夕顔の花は私も大好きです。宵闇に白く浮き立つ姿が素敵ですね。又、池坊の
若き女師範が朝顔を茶の湯に飾っておりましたのを、テレビ(日めくり万葉)で
見ましたが、そんな素敵な花飾りもあるのですね。
シルヴィア・プラスの詩は読んだことがありませんので、この項は理解が及び
ませんでした。才能をもっともっと発揮して欲しかったのに自殺してしまったそ
うですね。
インド・カジュラホのミトゥーナの寺院のヒンズーのエロチックな群像には私
も驚きました。写真をたくさん撮ったのを覚えております。
大和葛城山は躑躅の名所ですね。私も行きました。山頂一面に咲いて圧巻でし
た。大混みでしたが自分もその一人でしたから我慢しました。
「春の花言葉」はそれぞれの花の花言葉を一首に入れて詠むやり方で、私も第三
歌集の『ときの扉』にたくさん収録しました。連翹、アネモネ、エリカ、ヒヤシ
ンスなどの歌が好きです。
伊能忠敬の生家は当地から一時間の佐原で、何度か資料館に行きました。本当
に凄い人でした。努力という言葉がぴったりの方でした。彼の末裔になる人が
時々当地で、伊能忠敬について講演して呉れるのを聴いたことがありますが、大
変謙虚な方で、血筋であると納得しました。死ぬことを意識に置いてやれば、彼
のような偉業が達成できるのですね。
わたしが選んだ好きな歌は下記に挙げさせていただきました。
木村 草弥歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・・・三浦 好博
・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
・身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋
・君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
・ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
・〈お浄土がそこにあかさたなすび咲く〉病みあがりの妻うたたねしゐき
・春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花----日本の美神の終楽章
・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
・希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
・わが生はおほよそ昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬
・上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず
・放物線の最高点にゐる時を噴水は知つてきらめき落ちる
・日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
・サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく
・海柘榴市に逢へば別れの歌垣ぞ名残りの雪の降る弥生尽
・きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
・すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
・金髪のビルギュップ女史きらきらと脇毛光らせ「壁」さし示す
・戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
・皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
・尖塔のセント・アンドリュース教会に日本軍の慰安所ありき
・使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
・かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ
・激つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅(けやき)は今し木語を発す
・沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
・額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ
・枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪るりゐつ
・乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちぶさ)の静脈青しはつ夏の来て
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・悲しみの極みに誰か枯木折る臥床に首を捩ぢて聴く夜半
・起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
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藤原光顕 『昭和』読了しました ──私信より抄出
歌集『昭和』ようやく読み終わりました。
批評などとはとても言えませんが、二、三の感想と心に残った歌を記してみます。
●祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
西井さんの仰るとおり、いい歌です。「胸中の沼」わずか4文字からのイメージの拡がり… もちろん「橋渡りゆく」という結句あってのことですが。
一集を象徴するようで、巻頭にふさわしい一首と思います。
●欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
「身の幅の橋」短歌ならではの見事な表現と思います。
●白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
「白魚」「桜」「行きつ放しの世」 うまく言葉で繋げませんが、心奥深くへ沈み拡がってゆく淡い哀しみ。
●ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
まさに草弥短歌というべき一首でしょうか。自分では正しく使えないのですが、ここは旧かなでないと歌にならないと思います。
●一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
病をかかえて生きる日々の頼りない時間と「豌豆の花の白さ」と…
●蕗の薹の苦さは古い恋に似て噛めばふるさと今もみづみづしい
●わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
さりげない状況説明のような末尾に置かれた「玄冬」の二字の重さ。
●目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
●男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
●すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
●金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
●イエス・ノー迫りたる日の将軍の蝋人形据ゑわれらに見しむ
「東欧紀行」に続く一連の旅行詠。短歌という不自由な形式での叙景ということもあるのか、充分に感情移入できないもどかしさが残りました。
私も何度か試みましたが、当事者の感動はなかなか伝わらないようです。旅行詠の難しさを思います。
●流沙のごと流るる銀河この夏の逝かむとしつつ乏精液症(オリゴス・ペルミア)
「オリゴス・ペルミア」の詳しい意味を調べてみて「流沙のごと流るる銀河」の象徴する意味や切なさがわかりました。
●乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちふさ)の静脈青しはつ夏の来て
●藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳(め)憶ひいづるよ
●老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
●「生きているの」といふ絵は男と女の下半身をオブジェのやうに描く
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白子れい 私信より(抄出)
ひと雨ごとに桜のつぼみがふくらんでまいります。
御歌集『昭和』の御上梓おめでとうございます。
早速にお送りいただきありがとうございました。
私とほぼ同年輩(私は昭和二年生)、同じ戦時下で、また終戦後の不自由な生活の中で生きられながら、
大きく羽搏かれた一生の、なんて広く大きい世界で生きられたものよと、ほとほと見上げながら、
また短歌のみならず長歌、散文、そしてお茶の製造と幅広く奥ゆき深く生きられたお姿に感服いたしました。
★祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
★花の季大人のいしぶみ輝きて春日連山いま旺んなり
★春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花・・・・日本の美神(ミューズ)の終楽章(コーダ)
★母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて
★まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢ふ
★わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
★日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
★きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
★むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
★ブラジャーとヒギニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
★指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
★ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲>
★人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
★かの人に賜びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
★生活の醗酵しゆく日の暮れを人はそれぞれ家を目指せり
★湖を茜に染めて日の照ればひしめき芽吹く楢の林ぞ
★鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
★死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれ肯(うべな)ふ
★枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
★生死のみ韻律にのせ詠みたかり秋野をゆくと人に知らゆな
★もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
★うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
★麟片に覆はれねむる冬の芽の満天星あかしことごとく紅し
★三輪山の檜原の端に木いちごの赤き実熟るる冬となりたり
★まぼろしの皇子馳せゆけよ標野なる草のひろらの錦の中を
★わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
★この世にはこの世の音色鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
★真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず
★愛ひとつ告げし日ありき愛ひとつ失くしし日あり過去は茫々
★私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい
日本各地のみならず世界を舞台に、また哲学的思考があると思えば楽器のリズムあり、
本当にぐいぐい引き込まれてゆきました。
同じ戦後の生き方の、かくも異なる生き方があるものよと眼をみひらくおもいで、お作品の数々をみせていただきました。
とりだしたら六十首を越えましたので、しぼりにしぼって三十首を書かせていただきました。
素晴らしいよみごたえのある御歌集、本当に有難うございました。
またグループの勉強会の折みんなに紹介させていただきたいと思って居ります。
季節の変り目どうぞくれぐれも御身体に御留意下さいませ。 三月二十八日
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鎌田弘子 私信より(抄出)
春になりました。
御歌集『昭和』ご上梓お祝い申上げ、拝読のこと、いつも乍らまことに有難うございます。
オペラのバリトンの歌手に聞きほれるような感じのお作品と思うなど、おめにかかったことはありませんのに、ご想像申上げて居ります。
☆どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
☆花だより<落花しきり> と告げをればそを見に行かむ 落花しきりを
☆ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
☆手すさびに眉ひき直し唇(くち)を描く重ねる愛戯うち返す波
☆男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
☆人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
☆干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
☆白堊なる三層のホテル・ラッフルズかつてサマセット・モーム逗留す
☆「昭南」と改めしめし日本軍ラッフルズ・ホテルも高級宿舎とす
☆老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
☆開帳を晴れがましとて観音は切れ長の目を伏してゐたまふ
☆涅槃図の白きは象の嘆くなり土踏まずゆたかに臥し給ひける
☆涅槃図に摩耶夫人とぞ見いでたる白き御顔は沙羅双樹の下
☆楊貴妃の白き顔(かんばせ)ひき寄せて梨花のもとにび玄宗愉快
☆スィートピー 香のよき花と選ばれてエドワード戴冠の出でたち寿ぐ
☆四十は「人生の正午」とユングいふかの佳人まさに燦とかがやく
☆千年で五センチつもる腐葉土よ楮の花に陽があたたかだ
「長歌と散文 プロメーテウスの火」も後世へのよい記録となりましょう。
<昭南>について
白靴や名も昭南と改まり 多羅尾 豪
職場(舞鶴の海上保安部)の句会で、海軍時代の一句と教えてもらいました。思い出です。
多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
三月十一日、私はあの日の朝発って京都府の綾部市 もう誰も住まぬ(弟の歿後)屋敷(家と土地)を見に行っておりました。古木の紅梅がさかりでした。
翌日の帰途、新幹線や東京の電車ちょっと心配しました。
ひどい揺れを経験せずに済んだこと恩寵かどうか・・・です。
短歌に対する気持が変ってしまいましたね。
昨年は八十歳(昭和六年生)記念 自祝の鳩杖を購って少しおしゃれをした日の外出に携えて居ます。
広辞苑にも載ってますが、鳩は食するときむせないのです。おろす故の由。
把手が銀製の鳩の型。杖の部分は軽いように籐の太いのです。
短歌新聞社が終りになって、私の歌集『むべ』『時の意味』何冊も引き取りました。
佐藤祐禎氏(大熊町、未来、新アララギ)の歌集『青白き光』が原発のことゆえに話題になり、個人的にも電話、お手紙などで行き来があります。
それともうひとつ 細野豪志(原発担当・環境大臣)四十歳は私の妹の長男で京大卒後しばらく私の家から三和総研に通っており、
鳩山さんのスカウトで三島から二十七歳のとき以来民主党です。
私たちには子供がありませんので、豪志は幼いときから私たちもとても可愛がって大きくなりました。
豪志は背丈185cm、靴30cmですから、靴下掛りと寸法を置いてある三越でシャツそしてネクタイの掛りをして居ります。
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黒松武蔵 私信抄と抽出歌
歌集『昭和』の上梓おめでとうございます。
とりわけ「順礼」は私も旅が大好きなので、ウン、ウンと頷きながら読むことでした。
かつて私も観て廻った地が沢山出てきましたせいでもあります。
プラハ城では、黄金の小道の途中にカフカがよく訪ねて作品を書いたという店がありましたが、カフカ大好きの私はすっかり舞い上がってしまって、
ぼーっとしている間に財布を掏られて、頭の中真っ白、再び「ぼーっ」でした。
その後のカレル橋もミュシャも半ば茫然として歩き訪ねました(一文なしでは絵も買えず)。
フスの像は市民広場のことかと思いますが、すぐその近くにカフカ記念館がありましたがご存じでしたか。
私たちのツアーは、その日の午後自由時間でしたので、私独り通訳の方を予約しておいて、カフカ関係の場所を巡りました。
とてもいい記念になり、記念館で求めたメダルは今も机上を飾ってくれております。 平成24年4月5日
抽出歌・・・・・・・・・・・・・・・黒松武蔵
Ⅰ 昭和
○一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
○希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
○あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
○たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
Ⅱ 順礼
○繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
○君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すぢ
○むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
○すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
○人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
○まなかひにベルリン・フィルが竪琴のごとくに建てりポツダム広場
○ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
○ボヘミアの自立叫びしフスの像「真実は勝つ」の文字を刻めり
○干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
○ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき
Ⅲ 花籠
○冬眠より覚めて幾月くちなはは早も脱ぎたり去年の衣を
○手づくりの柏餅とて志野の皿納戸に探しぬ母の日なれば
○しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
○昼ふかき囀りやがて夢になり欅は今し木語を発す
Ⅳ やつてみなはれ
○おろかにも日々を過ごしてゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
○磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東の冬
○こだはらず肥れる女がシクラメン抱きて過ぐる聖夜(きよしよ)の街
○わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
Ⅴ エピステーメー
○何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
○闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蝉は啼くなり
○茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
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辰っちゃんblogより抄出
・木村草弥氏の「昭和」について
「あとがき」によるとこの歌集は氏の第五歌集で「嬬恋」を出したあと「九年も放置していたので、たくさんの歌が溜まってしまい、前歌集の発刊の際に歌の数が多くなり過ぎて削除した旧作にも愛着があり、捨て難いので、いくつか拾った」とあるからはっきりしているのは前歌集出版から最近までの作品ばかりではなさそうだということである。そこに氏の最近の心境の一端が見えるような気がする。文学的にもきっと高い評価を受けるだろう歌集でありながら敢えてメモリアルなものに執着されているのはどうなんだろうという思いもあるが氏もとうに八〇歳を越えておられるはずだ。そこに私は気むずかし屋?の木村氏の人間性の暖かさを感じるのだ。そして少し安心する。
「〇〇君 歌集は生きている内に出すもんだよ」と、かつて私に言われたことがある。
今 思うとそれは氏の生き様を直に教えていただいた私にとっては最初の大切な忠告なのでありまた多様な人生哲学を感じさせた一瞬でもあった。
どこか超越したような風貌と言動は時に人を寄せ付けないような厳しさを感じさせるが内なるものはさびしく 少年のような純粋さと憧憬を持った夢見る やさしくて義理堅い人なのだ。そうでなかったらあの奥様亡き後の連綿とした思いは説明が付かないのである。
この歌集はⅥ章からなっている。そのうち大部分は(歌集より後記に曰く)「歌集出版の際削除したもののうち捨て難いと思う歌を拾った」とあるように大部分は旧作が占めているのであろうか。
つまり私はある目的を持ってこの歌集を読み始めたのであった。
たとえばこの歌集の作品の中には先に出版された詩集「免疫系」と重複する部分がかなりあるのだ。
それは何か意図的なものがあるのだろうが私には少しだけ見えるような気がしている。それは具体的なものではなく情緒的な観測なのだが。
しかし 私は木村氏の家近くに住まいながら実はあまり木村氏を知っているとは言えないのに気づく。
(Ⅰ)
・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡り行く
ペ-ジを繰るとまずこの何とも言えぬはじめの一首にどきりとさせられる。いつ頃の作品であろうか。不思議な世界に引き込まれるような一瞬である。
おそらくまだ奥様存命中の歌なのだろうがこの歌の沼の不気味さは異様だ。
木村氏の内側深く巣くうあらゆる負の連鎖に繋がるかなしみの原点を見るような心象風景にちがいない。
如何ともしがたい人間が負っている業の象徴としてこの沼がある。しかし氏はただの傍観者ではない。
「一つの橋渡り行く」が実に力強く 夢想的、情緒的ではあるが強情的な意志を示している。
不思議な異次元に入り込んだような気持ちの良い感動が襲う。このあたりの表現が何とも言えず巧なのだ。
この初出の歌が示すごとくこの歌集は人生の奥深い何かに向かってまだ見ぬ普遍性を見極めようとする木村氏の渾身のかなしみを表現しようとしているような いわば鎮魂歌にさえ見える。それは恣意的でありながら文学に嵌ってしまった者の宿命なのだが木村氏の場合あまりにも次の空間が見えてしまうのではないかとさえ思われるのだ。
今 一つの例歌を上げたがこの歌集全体をを貫いているのはまさにそのことなのである。
しかし その歌ですらいつ発表されたものなのか私は知らない。多分奥様の亡くなるずっと前のことなのかも知れない。そしてそれは最後まで分からなかった。
先にも書いたがこの歌集は木村氏の単なる記念碑的な記録誌ではないのだ。
常識的に見るならばそれは木村氏の自分史でもあろうが自分史に止まらない品格と重量感をもっているのだ。
つまりこれは木村氏の気力と気迫を込めた至高の文芸作品を目指したもので木村氏の豊かな資質を遺憾なく見せつけた いわばそれに値するような優れた歌集なのだ。
ある一つのことに拘らない姿勢が見て取れるのだ。いつ出来た作品など どうでも良いことなのだから。
(Ⅱ)
先に私は「氏も八十歳を過ぎ・・・」と書いたがいたって意気軒昂なのである。
いま最近長く御会いしていないが昔の歌仲間がその元気さにあきれていたのであった。
以下私が気に入ったものを記しておきたい。
・まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る(Ⅰ)
・ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくあたまじゃくしの尻尾
・春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光を放つ
・あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
・ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
・春くれば辿り来し道 巡礼の朝の色に明けてゆく潮(Ⅱ)
・サンチァゴ・デ・コンポステ-ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美しく
・睦みあひ光るものらの返り梅雨さかる水馬の真昼がありぬ
・ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
・しぐれたるグリ-クの墓に佇めば<ソルベ-グ>流るる幻聴に居る
・激つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水(Ⅲ)
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す
・藤咲くや温き触覚たのしみて水をざぶざぶ使い慣れゆく
・愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり
・鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
・道をしへ去りにしかなた鶺鴒は尾羽を水に石たたきゆく(Ⅳ)
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・きりぎしの垂水のしぶくつはぶきの黄の花よりぞたそがれにける
・わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
・追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向こうから来る
・四十から四十も齢かさね来つ曲がり角などとつくに過ぎた(Ⅴ)
・茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
・振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな
2012/04/04
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村島典子私信と『昭和』抄
いつの間にか晩春の候となりました。お茶の新芽も美しいことでしょう。
沖縄から帰り、御歌集再読いたしました。
「昭和」という歌集名は少し、意外な感触があり、ああそうなのだ、木村さんは昭和一桁のお生まれだったのだ、と、その時代へのスタルジーを改めて感じた次第です。
だからこそ、詩人であられるのだろうと、納得いたします。
東洋と西洋、ギリシャ神話から 、記紀万葉集、と、三井さんも語られていますように、時空のはるけさが、木村さんの世界。
ときどき私は置いてくらいますが、この迷路は何篇かの短編小説を愉しむように、従来の歌集にはない、きらきらした世界であると思います。
はがきにて申し上げました通り、長歌と散文「プロメテウスの火」は迫力あるお作品。
とりわけ、長歌という詩形の、訴える力に感動いたしました。
お歌を抄出して感想に代えさせていただきます。
◆家族図鑑のページめくれば蘇る田の橋わたる大祖母の翳(かげ)
◆白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
◆あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
◆繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◆ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
◆戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◆三本の高き茎立ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し
◆青桐は夜も緑なす夏なれば顔(かんばせ)あをく端居に睡る
◆激(たぎ)つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
◆小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
◆うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
◆うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
◆いづこより母の声するあすときか隧道の向ういまだ見え来ず
◆あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◆何もない何も持たない人やある心やさしき愛もてる人
四月二十三日
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木村草弥歌集『昭和』 愛惜の三十首・・・・・・・・・石山淳(詩人)
◇祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
◇どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
◇君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
◇ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
◇わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
◇もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り
◇楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌
◇繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◇レモン一顆のやうなる愛か花火果て夏終章のオルガスムスか
◇「壁」取れし歓喜の日々も遠のきて物の値あがりてビールが苦し
◇ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
◇戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◇との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措(お)く
◇一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
◇愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙(もだ)しをり
◇この広野まつ黄に染むる菜の花をうちひらき顕(た)つ女体は幻
◇柔らかで快いものそは汝(なれ)の秘め処なる火口(ほくち)が叫ぶ
◇沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
◇言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごと夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり
◇春の夜に奈良墨にほふ街ゆけば大和ことばの「おいでまし」浴ぶ
◇磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東(くにさき)の冬
◇仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり
◇わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
◇老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
◇しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
◇人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
◇一冊の作品集にまとめた、まるで自らの手で撒く散華のやうに
◇あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◇フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
以上30首、抄出の楽しみとむつかしさを学ばせていただきました。
詩集『愛の寓意』の流れが、いまもたゆたう、亡きご令室様への想いが胸を打ち、
私にも近いうちに訪れるであろう「死」との対峙を照らし合わせて味読させていただきました。
崇高な愛の形が、私の心のうちを駆け巡っていきます。
密度の高い感性と個性豊かな思考に感動いたしました。 2012年4月23日
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木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・・・・光本 恵子
・わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
「昭和」はこのテーマでもあり、木村草弥の経歴を考えると、納得するのである。
下の句の「青春、玄冬」のとくに玄冬は冬とか暗い、黒の意ではあるが、辞書によれば、五行説からとある。
そもそも五行説とは、漢代に陰陽説が説かれたが、そのなかの教えに「宇宙の満物のすべては五行の相生、相克によって生成される、の説で一生は「青春、朱夏、白秋、にして玄冬でおわる」という。
木村の青春時代は、大阪外語──現在の大阪大学外国語学部で、後には京都大学文学部を専攻しているが、中途で結核という病で療養した。
本人曰く「文芸など遊学に没頭し同校に七年間在籍するが」一九五六年には在籍期間満了のため余儀なく中途退学をしている。
いずれにしても、勉学や文芸、旅をして、自由に学んだ時代であった。そしては玄冬の時代にさしかからんとするところで昭和は終わった。
木村は一九三〇年(昭和五)に京都府下(現在の城陽市)の宇治茶問屋に生まれた。
姉兄妹六人きょうだいの四番目に生まれているにも拘らず、結局、親の茶問屋を継ぐことになったようである。
それは文芸好きな茶問屋のおっさんなのである。
京都には江戸時代から文人茶が隆盛し、文人気質の知的な人が大勢いた。
江戸の政治に口出ししても詮無いと決めては、茶を呑みながら、道具を手の平で愛で、文学を語り、旅の思い出をぼつぼつ喋っては随想を書き、茶道具を自らの手でひねった文人ら。
まさに木村はそういった京都人の血を引く文人である。
・どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり p12
文人気質の 木村草弥は自己意識の強い人である。ちょっとやそっとでは妥協しない、妥協したくない。
結局あれこれ他者という壁にぶつかっては、また自分のところに戻ってくる。結局どこにも従わず、所属せず、自分で自己を探そうとする。
自己鍛錬は欠かさない。それが「存在論を抱へて行き来するばかり」であろう。
また、木村の短歌にエロス的な歌が多いのはなぜか。
・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
・ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草(くさ)刈るドイツの夏は
大らかで、合理的なドイツ女性のさっぱりした気性が垣間見える作である。
木村の作はエロスとはいえ、じめじめしたところはなく、自由で大らかな点が特徴だ。
それはフランス文学を学んだ人だからいえる洗練されたロマンチシズムが流れている。
その上、彼は若くして病気に罹り、学校を中退せざるを得なかった。それだけに身体への関心たかく、「生きる」「生ききる」ことへの思いは強い。
生きることは人や自然を愛することだとの意識が強くて愛情の深い人である。
・萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ p113
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す p113
・もはや夢みることもなき此の我に眩しき翳を見する藤波 p114
「人間学」というのか、人間探求を怠らない作者・木村草弥は常に夢をもち夢を追い求めてきた。
<私が掴まうとするのは何だらう 地球は青くて壊れやすい>
の歌のように、追求して追い求めても、それを手にしたとたん、シャボン玉のようにパッと弾けてしまう。
まさにパスカルの言う「人は無限の偉大さと無限の卑小の中間にある存在」だからだろうか。
・「夢なんて実現しない」といふ勿れ「夢しか実現しない」と思へ p178
・老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ p195
「夢を持たないと実現もしない」と言い切る強さを持つ。
木村はアイロニーの強い人と思ってきたが、本書の短歌は率直で若やいでいる。人は夢を追いかけ、青い鳥を尋ね、捜し求める生き物だから。
最後に少年の日の歌を。
・母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて p22
・空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける p23
・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた p24
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ p35
・もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り p38
(2012/05/18)
草弥の詩作品<草の領域>
poetic, or not poetic,
that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──(73)
木 村 草 弥 第 五 歌 集 『昭 和』
・・・・・・・・角川書店2012年4月1日刊・・・・・・
自 選 6 3 首 抄 ■長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
Ⅰ 昭和
雨しぶく昭和最後の夜の更けの大き寂寥はのちも思はむ──安立スハル『安立スハル全歌集』
欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
システム手帳に白ばかり殖え日々すごす存在論を抱へて浮遊す
花だより<落花しきり>と告げをればそを見に行かむ落花しきりを
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶(おも)ひぬ
マンハッタンチェリー掬(すく)へば人生を違(たが)へたるものカクテルの夢
ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくおたまじやくしの尻尾
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり
Ⅱ 順礼
方舟を降りたるのちの永かりしノアの老後をさびしみ思ふ──菊地原芙二子『雨の句読点』
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
ほむら立つまでに勢へる詩(うた)ことばあなたはいつまで生きられますか
AIBOに尾を振らせゐし少年が新世紀に挑むロボットサッカー
ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
*のれそれ──魚の穴子の稚魚
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつしてみせう
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋(うづ)む
ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
ヴルタヴァの流れはカレル橋をゆきさざめくごとく<わが祖国> 響(な)る
J・Sバッハ二十七年を合唱長(カントール)として働きし聖トマス教会
皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
Ⅲ 花籠
ことばとことばかもす韻きのうつくしと残り生の花残り生の霜──坪野哲久『胡蝶夢』
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ
灌仏の日に生まれ逢ふ鹿の仔はふぐりを持ちてたのもしきかな
蛇(くちなは)は己が脱皮を見せざりき蒼ざめし肌を膚(かは)うすき艶を
<青蛙おのれもペンキぬりたてか>ひくりひくりと息やはらかき
*芥川龍之介
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ
Ⅳ やつてみなはれ
一脚の椅子しろくして闇ありきつねに疲るるあゆみといふは──小國勝男『飛鏡』
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
夏果てて紅蜀葵の紅(こう)いろ褪せぬ非ユークリッドは君は言へども
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ〉見る季節なり
髪しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ
ほろ酔ひて寝てしまふには惜しきなり五月の夜の美しければ
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス)
おろかにも日々を過してゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
孵化したるばかりの仔蜘蛛が懸命に糸張りをるも払はねばならぬ
光合成終へし落葉が地に還るいのちの核を揺る大欅
汝(な)をそこに佇たしめてみむ岩かげの秋海棠のうすくれなゐの
大和摂津河内和泉を一望に国見せりけむ葛城族長
一九三○年午年生まれ私の七度の干支(えと)かりそめならず
老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麺の茹で加減
Ⅴ エピステーメー
朱漆の小さき櫛を秘そめ持ち万緑のなか陽に触れしめず──長岡千尋『天降人』
イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど> に潜みゐるといふ
この世にはこの世の音色 鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
葛城の山ふところに大き寝釈迦の若き御顔よ涅槃西風(ねはんにし)吹く
エリカ咲く日影のけぶるむらさきも孤りなるゆゑ思ひ出でつも
仲良し三人組と言はれ変はらぬ友情で結ばれた妙子とF子と弥生
何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
青蝉(ひぐらし)ははかなく死にき葉のかげに身すぎ世すぎのはざまを墜ちて
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ
千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ
フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず
私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい
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Ⅵ プロメーテウスの火
─苦艾(チェルノブイリ)の香りかすかに移りたる雪かロシアの雪ひとつかみ──塚本邦雄『約翰伝偽書』
=「苦艾(にがよもぎ)の香り」がかすかにある「ロシアの雪」のひとつかみは三月にフクシマに降った雪に繋がる=
長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし 福島泰樹─
大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何思ひつつ
死んでゆきしか
巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を
─騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら 佐々木六戈─
プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
meltdown(メルトダウン)ぞ meltthrough(メルトスルー)ぞ
沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
君知るや 放射性物質の半減期とふを
沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ
まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂(い)ひぞ
放射能の 数値は チェルノブイリ超えき
─黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も 春日真木子─
雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
牛肉も食へず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
先は長いぞ!
おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
安全神話 ふりまきし輩(やつばら)に!
─余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す 米川千嘉子─
三陸の 死者と生者を 憶ひつつ
すべての死者に 手を合はせ
すべての生者に 祈り捧げむ
二〇十一年三月十一日十四時四六分十八秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖一三〇kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード九・〇を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五〇〇km、東西約二〇〇kmの広範囲に及んだ 。この地震により、場所によつては波高十m以上、最大遡上高四〇・五mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。
また、大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによつて、東北と関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は二万人以上、建築物の全壊・半壊は合せて二四万戸以上、ピーク時の避難者は四〇万人以上、停電世帯は八〇〇万戸以上、断水世帯は一八〇万戸以上に上つた。政府は震災による被害額を十六兆から二五兆円と試算してゐる。
地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、過熱による水素爆発で大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した。これにより、周辺一帯の住民は長期の避難を強ひられてゐる。
─「電力を生むために人を殺すな」と静かなる怒り湛へて言ひき 大口玲子─
プロメーテウスは、神々の姿に似せて創造された人類に、ヘーパイストスの作業場の炉の中に灯芯草を入れて点火し、それを地上に持つて来て「火」を伝へた。
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考へた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しさうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しさうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるやうに計画してゐた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考へを見抜き、不死の神々にふさはしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のやうに死ねばすぐに腐つてなくなつてしまふ運命を持つようになつた。
その行ひに怒つたゼウスは、プロメーテウスをカウカソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強ひたが、プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問を受けた。
プロメーテウスが天界から火を盗んで人間与へたことに怒ったゼウスは、人間に災ひをもたらすために「女性」(パンドーラ)といふものを作るように神々に命じた。
パンドーラは人間の災ひとして地上に送り込まれた人類最初の女性とされる。「パン」=全てのもの、「ドーラー」=贈り物ドーロンの複数形。
「パンドラの匣」のエピソードで有名。
原子力発電が、プロメーテウスの「第二の火」に擬(ぎ)せられて久しいが、パンドラの匣ならぬ、厄介な火を抱え込んだものである。
「想定外」といふ言葉に誤魔化されてはならない。
千二百年も前に今回と同じやうな規模の地震・大津波襲来の歴史的記述が残つてゐる。
延喜元年(九〇一年)に成立した公式史書『日本三代実録』に載る。
貞観十一年五月二十六日(ユリウス暦八六九年七月九日、グレゴリオ暦換算七月十三日)の大地震発生と大津波について、次のやうに記述する。
五月・・・廿六日癸未 陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝諸J漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乗船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉
同年十二月十四日には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣はして奉幣し、神前に告文を捧げ国家の平安を願ってゐる。この年は、貞観大地震・大津波をはじめとして相次ぐ天災や事変が相次ぎ世の中は騒然としてゐた。
京の都では、町衆が祇園社に御霊鎮を祈願して今につづく「祇園祭」を巡行させたのも、この年である。
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三井修 「帯文」 と 抄出 9首
木村草弥の心は自在である。
「昭和」という時代を見つめつつ、その眼差しは遥か彼方へ飛翔する。
その世界は山城から東欧まで、
その言葉は万葉語からラテン語まで、
その心は亡妻からプロメテウスまで、
空間、時間を自由に行き来している。───三井修
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗皙(しろ)し
方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
修二会果て火の行法の終るとき寧楽の都に春は来にけり
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「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』を紹介
・・・・・・・・・京都新聞 2012/04/14 朝刊掲載・・・・・・・・・・・・・・
城陽市で宇治茶問屋を経営してきた木村草弥さん(82)がこのほど、山城地域の風景や妻への思いなどを詠んだ歌集「昭和」を自費出版した。
九年ぶり五冊目の歌集で、昭和の時代を見つめつつ、日常から異国の情景まで、幅広いテーマで詠んだ490首が紹介されている。
木村さんは、家業の製茶業のかたわら、国内外を旅して歌を詠み、これまでに四冊の歌集を自費出版してきた。
五冊目は、九年間に詠んだ新作が中心で、自身の人生の象徴である激動の時代「昭和」への思いでまとめた。
巻頭歌は、祈りのイメージを歌にした
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
また、亡き妻との思い出を詠んだ
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
山城地域を題材にした
梅の花の記憶の村に相違なし雨から雪に変はる早春
など、日々の暮らしから異国の情景まで、「気まま」な独自の世界を表現している。
A5版215ページで、角川書店刊。 (京都新聞南部支社・小坂綾子)
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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。
木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)
木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。
木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。
まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る
歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
宙→野→黄昏。
この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
いいなあ、この「来る」は。
この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。
こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。
あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり
「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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「寸簡」・・・・・・・西井弘和・私信より
全部を読みきっていませんが、ぼくの好きな歌、気になる歌。いうてもいいですか。
巻頭歌がいい。
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
祈らばや、胸中の沼、なんていいですね。みなさんおっしゃるのではないですか。
身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙の浮き橋
身のうちに曳きずるものあり……宙の浮き橋、とは。定家の、春の世の夢の浮橋……横雲の空、など、柄にもなく思い出したり。
大体、貴兄の歌で、新古今調の華やぎや流麗さをしばしば感じたりするのはぼくだけかしら。
ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
ひっそりと……、がいいなあ。徐かにうるほひにけりと文語体を使ってるのも、夕顔が出てくるのも大共感。うまいなあこの優婉なる色気。
ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて
ひとむれの花のゆきつく先には……、と散文があって、あまりにも寂しい物語があって、と散文的助詞でくくって。いやらしいほどうまい。
律を破ってのやないかと思うけど、やはりリズムがあって。
ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
昆虫少年はまたいいなあ全部。ちぎれ雲がひとつ、が好きだ。へうへう、とは。
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
生きてゐることに理由は要らぬ、目を閉ぢて耳を傾け……。静かなる喝破。
きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ、この、ひとつというのがいい。昼やね。苦し紛れかも知れんけど。
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
これからは姿をやつして見せう。なりをやつしてみせう、いいねえ。いなおり。
熟したる躰の張りも誇らかに若き男女は抱き合ひ眼交ふ
熟したる躰の張りも誇らかに……オスロの若者たち、抱き合い眼交うてはりましたか、圧倒されますね。
小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
小手毬は花虻の群れ……、揺れ戻しけり、まで見ている。怖い作者の目。
日常の一歩向こうの月光(つきかげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ
日常の一歩向こうの月光に……、素晴らしい表現。こうはなかなか歌えないですね。
なんかいえそうに思ったのはこの辺まで読んでの気持でした。
あとはまだ読んでないのです。旺盛な詩作・思索活動、すてきですねえ。
ただ、外国旅行の歌は目を瞠っているのはわかりましたが、どうしてか、あんまりぴたーっとくるのがなかったですねえ。
時ならぬ「アヴァンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌
アヴァンティポポロ、まだ歌われているのかと思ったりしましたが。
でもこの歌集、痛快でした。楽しかった。も少し読ませてもらいます。
三井さんの感覚はどうなんやろと思いました。京子さまによろしく。
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歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・三浦 好博──私信より抄出
四月に入って遅い桜が一斉に咲き出して来ました。
これから花狩人になって野山を歩きまわりたい季節です。
この度は御歌集『昭和』ご出版誠におめでとうございます。九年ぶりのご出版
だそうで、たくさんの歌の中から纏める作業は大変であったろうとお察し致しま
す。その間には2冊の詩集を編まれているので、詩作に力が入っていたかもしれ
ません。
文学者はひとの生き死ににはとても敏感ですので、昨年の3・11について詠
まれないひとは居ないと思いました。木村様もこの『昭和』の巻末にて「プロ
メーテウスの火」の項を立ち上げておられました。私は先ずそこから読ませて頂
きました。原子力にも豊富な知識から噛んで含めるように、私にも解りました。
ありがとうございます。
以下、内容に即して鑑賞させて頂きました。
『西行花伝』は辻邦生の小説で私も読んだ事があります。現在、大河ドラマ
「平清盛」がやられて居ますが、待賢門院藤原璋子との関係は、ドラマのように
は辻邦生は描いていなかったと思います。出家の大きな原因であった事はたしか
な事のようですが。。。。
橋閒石の〈お浄土が……〉の句と下句の奥様の状況がぴったりの雰囲気でした。
木村様は多くの短歌結社の誌に作品を発表されて居る関係で、とても自由に作
歌されていることが解ります。自由律は短詩にも通じますので、インパクトがあ
りますね。大和言葉にある春夏秋冬のさまざまな言霊をあやつるというか、遊ぶ
というか、美しくも愉しい事ですね。
昭和という時代の殆どを生きて来た木村様にとって、青春と玄冬の歌よく解り
ます。この昭和の間には朱夏と白秋もあったと思うのですが、この期間はどんな
ものであったのでしょう。HPやブログにあるいは書いてあるかもしれませんね。
巡礼の項は国内の例えば四国八十八ヶ所の寺巡りもやられたでしょうし、スペ
インの巡礼の道も辿られた事が解ります。まさしく「道」という言葉が美しいで
す。その道のひとつ「 海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜し
も」(万葉集)の「海柘榴市」を山辺のみちに私も訪れました。
「ヒロシマの原爆ドームの、、、、、」と詠まれましたウィルヘルム教会はその
後、何年かをかけて元通りにしたようです。落成式(?)の前の年に殆ど修復さ
れかかった教会を見ました。
ルターよりも百年も前に改革の旗を揚げたフスは時節を誤ったのでしょう、未
だ力が弱かったのですね。
木村様は積まれた深い教養から、諸外国のあらゆる対象に深く分け入ることが
できます。同じものを見てもまったく私などとは違う見方考え方ができて、歌が
流れるように出来てしまいます。羨ましく思っても詮無い事ですが。。。。
旧日本軍が東南アジア、わけてもシンガポールで行った行為の詳細が歌を読ん
で分かりました。最近たまたま、岩波現代文庫にてクリスチャンの「汝殺すなか
れ」の父の教えを忠実に守り、学徒動員で徴兵された初年兵が、中国にて八路軍
の捕虜を刺殺する訓練にて、これを拒否し、その後のありとあらゆる上官の拷問
的な暴力に耐えた歌集を読んだばかりでした。「渡部良三歌集『小さな抵抗』殺
戮を拒んだ日本兵」でした。
夕顔の花は私も大好きです。宵闇に白く浮き立つ姿が素敵ですね。又、池坊の
若き女師範が朝顔を茶の湯に飾っておりましたのを、テレビ(日めくり万葉)で
見ましたが、そんな素敵な花飾りもあるのですね。
シルヴィア・プラスの詩は読んだことがありませんので、この項は理解が及び
ませんでした。才能をもっともっと発揮して欲しかったのに自殺してしまったそ
うですね。
インド・カジュラホのミトゥーナの寺院のヒンズーのエロチックな群像には私
も驚きました。写真をたくさん撮ったのを覚えております。
大和葛城山は躑躅の名所ですね。私も行きました。山頂一面に咲いて圧巻でし
た。大混みでしたが自分もその一人でしたから我慢しました。
「春の花言葉」はそれぞれの花の花言葉を一首に入れて詠むやり方で、私も第三
歌集の『ときの扉』にたくさん収録しました。連翹、アネモネ、エリカ、ヒヤシ
ンスなどの歌が好きです。
伊能忠敬の生家は当地から一時間の佐原で、何度か資料館に行きました。本当
に凄い人でした。努力という言葉がぴったりの方でした。彼の末裔になる人が
時々当地で、伊能忠敬について講演して呉れるのを聴いたことがありますが、大
変謙虚な方で、血筋であると納得しました。死ぬことを意識に置いてやれば、彼
のような偉業が達成できるのですね。
わたしが選んだ好きな歌は下記に挙げさせていただきました。
木村 草弥歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・・・三浦 好博
・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
・身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋
・君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
・ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
・〈お浄土がそこにあかさたなすび咲く〉病みあがりの妻うたたねしゐき
・春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花----日本の美神の終楽章
・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
・希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
・わが生はおほよそ昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬
・上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず
・放物線の最高点にゐる時を噴水は知つてきらめき落ちる
・日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
・サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく
・海柘榴市に逢へば別れの歌垣ぞ名残りの雪の降る弥生尽
・きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
・すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
・金髪のビルギュップ女史きらきらと脇毛光らせ「壁」さし示す
・戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
・皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
・尖塔のセント・アンドリュース教会に日本軍の慰安所ありき
・使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
・かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ
・激つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅(けやき)は今し木語を発す
・沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
・額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ
・枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪るりゐつ
・乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちぶさ)の静脈青しはつ夏の来て
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・悲しみの極みに誰か枯木折る臥床に首を捩ぢて聴く夜半
・起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
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藤原光顕 『昭和』読了しました ──私信より抄出
歌集『昭和』ようやく読み終わりました。
批評などとはとても言えませんが、二、三の感想と心に残った歌を記してみます。
●祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
西井さんの仰るとおり、いい歌です。「胸中の沼」わずか4文字からのイメージの拡がり… もちろん「橋渡りゆく」という結句あってのことですが。
一集を象徴するようで、巻頭にふさわしい一首と思います。
●欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
「身の幅の橋」短歌ならではの見事な表現と思います。
●白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
「白魚」「桜」「行きつ放しの世」 うまく言葉で繋げませんが、心奥深くへ沈み拡がってゆく淡い哀しみ。
●ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
まさに草弥短歌というべき一首でしょうか。自分では正しく使えないのですが、ここは旧かなでないと歌にならないと思います。
●一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
病をかかえて生きる日々の頼りない時間と「豌豆の花の白さ」と…
●蕗の薹の苦さは古い恋に似て噛めばふるさと今もみづみづしい
●わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
さりげない状況説明のような末尾に置かれた「玄冬」の二字の重さ。
●目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
●男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
●すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
●金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
●イエス・ノー迫りたる日の将軍の蝋人形据ゑわれらに見しむ
「東欧紀行」に続く一連の旅行詠。短歌という不自由な形式での叙景ということもあるのか、充分に感情移入できないもどかしさが残りました。
私も何度か試みましたが、当事者の感動はなかなか伝わらないようです。旅行詠の難しさを思います。
●流沙のごと流るる銀河この夏の逝かむとしつつ乏精液症(オリゴス・ペルミア)
「オリゴス・ペルミア」の詳しい意味を調べてみて「流沙のごと流るる銀河」の象徴する意味や切なさがわかりました。
●乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちふさ)の静脈青しはつ夏の来て
●藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳(め)憶ひいづるよ
●老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
●「生きているの」といふ絵は男と女の下半身をオブジェのやうに描く
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白子れい 私信より(抄出)
ひと雨ごとに桜のつぼみがふくらんでまいります。
御歌集『昭和』の御上梓おめでとうございます。
早速にお送りいただきありがとうございました。
私とほぼ同年輩(私は昭和二年生)、同じ戦時下で、また終戦後の不自由な生活の中で生きられながら、
大きく羽搏かれた一生の、なんて広く大きい世界で生きられたものよと、ほとほと見上げながら、
また短歌のみならず長歌、散文、そしてお茶の製造と幅広く奥ゆき深く生きられたお姿に感服いたしました。
★祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
★花の季大人のいしぶみ輝きて春日連山いま旺んなり
★春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花・・・・日本の美神(ミューズ)の終楽章(コーダ)
★母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて
★まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢ふ
★わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
★日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
★きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
★むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
★ブラジャーとヒギニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
★指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
★ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲>
★人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
★かの人に賜びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
★生活の醗酵しゆく日の暮れを人はそれぞれ家を目指せり
★湖を茜に染めて日の照ればひしめき芽吹く楢の林ぞ
★鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
★死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれ肯(うべな)ふ
★枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
★生死のみ韻律にのせ詠みたかり秋野をゆくと人に知らゆな
★もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
★うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
★麟片に覆はれねむる冬の芽の満天星あかしことごとく紅し
★三輪山の檜原の端に木いちごの赤き実熟るる冬となりたり
★まぼろしの皇子馳せゆけよ標野なる草のひろらの錦の中を
★わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
★この世にはこの世の音色鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
★真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず
★愛ひとつ告げし日ありき愛ひとつ失くしし日あり過去は茫々
★私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい
日本各地のみならず世界を舞台に、また哲学的思考があると思えば楽器のリズムあり、
本当にぐいぐい引き込まれてゆきました。
同じ戦後の生き方の、かくも異なる生き方があるものよと眼をみひらくおもいで、お作品の数々をみせていただきました。
とりだしたら六十首を越えましたので、しぼりにしぼって三十首を書かせていただきました。
素晴らしいよみごたえのある御歌集、本当に有難うございました。
またグループの勉強会の折みんなに紹介させていただきたいと思って居ります。
季節の変り目どうぞくれぐれも御身体に御留意下さいませ。 三月二十八日
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鎌田弘子 私信より(抄出)
春になりました。
御歌集『昭和』ご上梓お祝い申上げ、拝読のこと、いつも乍らまことに有難うございます。
オペラのバリトンの歌手に聞きほれるような感じのお作品と思うなど、おめにかかったことはありませんのに、ご想像申上げて居ります。
☆どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
☆花だより<落花しきり> と告げをればそを見に行かむ 落花しきりを
☆ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
☆手すさびに眉ひき直し唇(くち)を描く重ねる愛戯うち返す波
☆男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
☆人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
☆干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
☆白堊なる三層のホテル・ラッフルズかつてサマセット・モーム逗留す
☆「昭南」と改めしめし日本軍ラッフルズ・ホテルも高級宿舎とす
☆老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
☆開帳を晴れがましとて観音は切れ長の目を伏してゐたまふ
☆涅槃図の白きは象の嘆くなり土踏まずゆたかに臥し給ひける
☆涅槃図に摩耶夫人とぞ見いでたる白き御顔は沙羅双樹の下
☆楊貴妃の白き顔(かんばせ)ひき寄せて梨花のもとにび玄宗愉快
☆スィートピー 香のよき花と選ばれてエドワード戴冠の出でたち寿ぐ
☆四十は「人生の正午」とユングいふかの佳人まさに燦とかがやく
☆千年で五センチつもる腐葉土よ楮の花に陽があたたかだ
「長歌と散文 プロメーテウスの火」も後世へのよい記録となりましょう。
<昭南>について
白靴や名も昭南と改まり 多羅尾 豪
職場(舞鶴の海上保安部)の句会で、海軍時代の一句と教えてもらいました。思い出です。
多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
三月十一日、私はあの日の朝発って京都府の綾部市 もう誰も住まぬ(弟の歿後)屋敷(家と土地)を見に行っておりました。古木の紅梅がさかりでした。
翌日の帰途、新幹線や東京の電車ちょっと心配しました。
ひどい揺れを経験せずに済んだこと恩寵かどうか・・・です。
短歌に対する気持が変ってしまいましたね。
昨年は八十歳(昭和六年生)記念 自祝の鳩杖を購って少しおしゃれをした日の外出に携えて居ます。
広辞苑にも載ってますが、鳩は食するときむせないのです。おろす故の由。
把手が銀製の鳩の型。杖の部分は軽いように籐の太いのです。
短歌新聞社が終りになって、私の歌集『むべ』『時の意味』何冊も引き取りました。
佐藤祐禎氏(大熊町、未来、新アララギ)の歌集『青白き光』が原発のことゆえに話題になり、個人的にも電話、お手紙などで行き来があります。
それともうひとつ 細野豪志(原発担当・環境大臣)四十歳は私の妹の長男で京大卒後しばらく私の家から三和総研に通っており、
鳩山さんのスカウトで三島から二十七歳のとき以来民主党です。
私たちには子供がありませんので、豪志は幼いときから私たちもとても可愛がって大きくなりました。
豪志は背丈185cm、靴30cmですから、靴下掛りと寸法を置いてある三越でシャツそしてネクタイの掛りをして居ります。
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黒松武蔵 私信抄と抽出歌
歌集『昭和』の上梓おめでとうございます。
とりわけ「順礼」は私も旅が大好きなので、ウン、ウンと頷きながら読むことでした。
かつて私も観て廻った地が沢山出てきましたせいでもあります。
プラハ城では、黄金の小道の途中にカフカがよく訪ねて作品を書いたという店がありましたが、カフカ大好きの私はすっかり舞い上がってしまって、
ぼーっとしている間に財布を掏られて、頭の中真っ白、再び「ぼーっ」でした。
その後のカレル橋もミュシャも半ば茫然として歩き訪ねました(一文なしでは絵も買えず)。
フスの像は市民広場のことかと思いますが、すぐその近くにカフカ記念館がありましたがご存じでしたか。
私たちのツアーは、その日の午後自由時間でしたので、私独り通訳の方を予約しておいて、カフカ関係の場所を巡りました。
とてもいい記念になり、記念館で求めたメダルは今も机上を飾ってくれております。 平成24年4月5日
抽出歌・・・・・・・・・・・・・・・黒松武蔵
Ⅰ 昭和
○一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
○希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
○あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
○たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
Ⅱ 順礼
○繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
○君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すぢ
○むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
○すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
○人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
○まなかひにベルリン・フィルが竪琴のごとくに建てりポツダム広場
○ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
○ボヘミアの自立叫びしフスの像「真実は勝つ」の文字を刻めり
○干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
○ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき
Ⅲ 花籠
○冬眠より覚めて幾月くちなはは早も脱ぎたり去年の衣を
○手づくりの柏餅とて志野の皿納戸に探しぬ母の日なれば
○しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
○昼ふかき囀りやがて夢になり欅は今し木語を発す
Ⅳ やつてみなはれ
○おろかにも日々を過ごしてゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
○磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東の冬
○こだはらず肥れる女がシクラメン抱きて過ぐる聖夜(きよしよ)の街
○わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
Ⅴ エピステーメー
○何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
○闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蝉は啼くなり
○茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
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辰っちゃんblogより抄出
・木村草弥氏の「昭和」について
「あとがき」によるとこの歌集は氏の第五歌集で「嬬恋」を出したあと「九年も放置していたので、たくさんの歌が溜まってしまい、前歌集の発刊の際に歌の数が多くなり過ぎて削除した旧作にも愛着があり、捨て難いので、いくつか拾った」とあるからはっきりしているのは前歌集出版から最近までの作品ばかりではなさそうだということである。そこに氏の最近の心境の一端が見えるような気がする。文学的にもきっと高い評価を受けるだろう歌集でありながら敢えてメモリアルなものに執着されているのはどうなんだろうという思いもあるが氏もとうに八〇歳を越えておられるはずだ。そこに私は気むずかし屋?の木村氏の人間性の暖かさを感じるのだ。そして少し安心する。
「〇〇君 歌集は生きている内に出すもんだよ」と、かつて私に言われたことがある。
今 思うとそれは氏の生き様を直に教えていただいた私にとっては最初の大切な忠告なのでありまた多様な人生哲学を感じさせた一瞬でもあった。
どこか超越したような風貌と言動は時に人を寄せ付けないような厳しさを感じさせるが内なるものはさびしく 少年のような純粋さと憧憬を持った夢見る やさしくて義理堅い人なのだ。そうでなかったらあの奥様亡き後の連綿とした思いは説明が付かないのである。
この歌集はⅥ章からなっている。そのうち大部分は(歌集より後記に曰く)「歌集出版の際削除したもののうち捨て難いと思う歌を拾った」とあるように大部分は旧作が占めているのであろうか。
つまり私はある目的を持ってこの歌集を読み始めたのであった。
たとえばこの歌集の作品の中には先に出版された詩集「免疫系」と重複する部分がかなりあるのだ。
それは何か意図的なものがあるのだろうが私には少しだけ見えるような気がしている。それは具体的なものではなく情緒的な観測なのだが。
しかし 私は木村氏の家近くに住まいながら実はあまり木村氏を知っているとは言えないのに気づく。
(Ⅰ)
・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡り行く
ペ-ジを繰るとまずこの何とも言えぬはじめの一首にどきりとさせられる。いつ頃の作品であろうか。不思議な世界に引き込まれるような一瞬である。
おそらくまだ奥様存命中の歌なのだろうがこの歌の沼の不気味さは異様だ。
木村氏の内側深く巣くうあらゆる負の連鎖に繋がるかなしみの原点を見るような心象風景にちがいない。
如何ともしがたい人間が負っている業の象徴としてこの沼がある。しかし氏はただの傍観者ではない。
「一つの橋渡り行く」が実に力強く 夢想的、情緒的ではあるが強情的な意志を示している。
不思議な異次元に入り込んだような気持ちの良い感動が襲う。このあたりの表現が何とも言えず巧なのだ。
この初出の歌が示すごとくこの歌集は人生の奥深い何かに向かってまだ見ぬ普遍性を見極めようとする木村氏の渾身のかなしみを表現しようとしているような いわば鎮魂歌にさえ見える。それは恣意的でありながら文学に嵌ってしまった者の宿命なのだが木村氏の場合あまりにも次の空間が見えてしまうのではないかとさえ思われるのだ。
今 一つの例歌を上げたがこの歌集全体をを貫いているのはまさにそのことなのである。
しかし その歌ですらいつ発表されたものなのか私は知らない。多分奥様の亡くなるずっと前のことなのかも知れない。そしてそれは最後まで分からなかった。
先にも書いたがこの歌集は木村氏の単なる記念碑的な記録誌ではないのだ。
常識的に見るならばそれは木村氏の自分史でもあろうが自分史に止まらない品格と重量感をもっているのだ。
つまりこれは木村氏の気力と気迫を込めた至高の文芸作品を目指したもので木村氏の豊かな資質を遺憾なく見せつけた いわばそれに値するような優れた歌集なのだ。
ある一つのことに拘らない姿勢が見て取れるのだ。いつ出来た作品など どうでも良いことなのだから。
(Ⅱ)
先に私は「氏も八十歳を過ぎ・・・」と書いたがいたって意気軒昂なのである。
いま最近長く御会いしていないが昔の歌仲間がその元気さにあきれていたのであった。
以下私が気に入ったものを記しておきたい。
・まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る(Ⅰ)
・ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくあたまじゃくしの尻尾
・春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光を放つ
・あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
・ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
・春くれば辿り来し道 巡礼の朝の色に明けてゆく潮(Ⅱ)
・サンチァゴ・デ・コンポステ-ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美しく
・睦みあひ光るものらの返り梅雨さかる水馬の真昼がありぬ
・ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
・しぐれたるグリ-クの墓に佇めば<ソルベ-グ>流るる幻聴に居る
・激つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水(Ⅲ)
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す
・藤咲くや温き触覚たのしみて水をざぶざぶ使い慣れゆく
・愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり
・鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
・道をしへ去りにしかなた鶺鴒は尾羽を水に石たたきゆく(Ⅳ)
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・きりぎしの垂水のしぶくつはぶきの黄の花よりぞたそがれにける
・わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
・追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向こうから来る
・四十から四十も齢かさね来つ曲がり角などとつくに過ぎた(Ⅴ)
・茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
・振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな
2012/04/04
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村島典子私信と『昭和』抄
いつの間にか晩春の候となりました。お茶の新芽も美しいことでしょう。
沖縄から帰り、御歌集再読いたしました。
「昭和」という歌集名は少し、意外な感触があり、ああそうなのだ、木村さんは昭和一桁のお生まれだったのだ、と、その時代へのスタルジーを改めて感じた次第です。
だからこそ、詩人であられるのだろうと、納得いたします。
東洋と西洋、ギリシャ神話から 、記紀万葉集、と、三井さんも語られていますように、時空のはるけさが、木村さんの世界。
ときどき私は置いてくらいますが、この迷路は何篇かの短編小説を愉しむように、従来の歌集にはない、きらきらした世界であると思います。
はがきにて申し上げました通り、長歌と散文「プロメテウスの火」は迫力あるお作品。
とりわけ、長歌という詩形の、訴える力に感動いたしました。
お歌を抄出して感想に代えさせていただきます。
◆家族図鑑のページめくれば蘇る田の橋わたる大祖母の翳(かげ)
◆白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
◆あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
◆繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◆ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
◆戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◆三本の高き茎立ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し
◆青桐は夜も緑なす夏なれば顔(かんばせ)あをく端居に睡る
◆激(たぎ)つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
◆小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
◆うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
◆うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
◆いづこより母の声するあすときか隧道の向ういまだ見え来ず
◆あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◆何もない何も持たない人やある心やさしき愛もてる人
四月二十三日
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木村草弥歌集『昭和』 愛惜の三十首・・・・・・・・・石山淳(詩人)
◇祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
◇どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
◇君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
◇ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
◇わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
◇もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り
◇楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌
◇繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◇レモン一顆のやうなる愛か花火果て夏終章のオルガスムスか
◇「壁」取れし歓喜の日々も遠のきて物の値あがりてビールが苦し
◇ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
◇戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◇との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措(お)く
◇一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
◇愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙(もだ)しをり
◇この広野まつ黄に染むる菜の花をうちひらき顕(た)つ女体は幻
◇柔らかで快いものそは汝(なれ)の秘め処なる火口(ほくち)が叫ぶ
◇沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
◇言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごと夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり
◇春の夜に奈良墨にほふ街ゆけば大和ことばの「おいでまし」浴ぶ
◇磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東(くにさき)の冬
◇仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり
◇わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
◇老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
◇しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
◇人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
◇一冊の作品集にまとめた、まるで自らの手で撒く散華のやうに
◇あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◇フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
以上30首、抄出の楽しみとむつかしさを学ばせていただきました。
詩集『愛の寓意』の流れが、いまもたゆたう、亡きご令室様への想いが胸を打ち、
私にも近いうちに訪れるであろう「死」との対峙を照らし合わせて味読させていただきました。
崇高な愛の形が、私の心のうちを駆け巡っていきます。
密度の高い感性と個性豊かな思考に感動いたしました。 2012年4月23日
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木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・・・・光本 恵子
・わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
「昭和」はこのテーマでもあり、木村草弥の経歴を考えると、納得するのである。
下の句の「青春、玄冬」のとくに玄冬は冬とか暗い、黒の意ではあるが、辞書によれば、五行説からとある。
そもそも五行説とは、漢代に陰陽説が説かれたが、そのなかの教えに「宇宙の満物のすべては五行の相生、相克によって生成される、の説で一生は「青春、朱夏、白秋、にして玄冬でおわる」という。
木村の青春時代は、大阪外語──現在の大阪大学外国語学部で、後には京都大学文学部を専攻しているが、中途で結核という病で療養した。
本人曰く「文芸など遊学に没頭し同校に七年間在籍するが」一九五六年には在籍期間満了のため余儀なく中途退学をしている。
いずれにしても、勉学や文芸、旅をして、自由に学んだ時代であった。そしては玄冬の時代にさしかからんとするところで昭和は終わった。
木村は一九三〇年(昭和五)に京都府下(現在の城陽市)の宇治茶問屋に生まれた。
姉兄妹六人きょうだいの四番目に生まれているにも拘らず、結局、親の茶問屋を継ぐことになったようである。
それは文芸好きな茶問屋のおっさんなのである。
京都には江戸時代から文人茶が隆盛し、文人気質の知的な人が大勢いた。
江戸の政治に口出ししても詮無いと決めては、茶を呑みながら、道具を手の平で愛で、文学を語り、旅の思い出をぼつぼつ喋っては随想を書き、茶道具を自らの手でひねった文人ら。
まさに木村はそういった京都人の血を引く文人である。
・どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり p12
文人気質の 木村草弥は自己意識の強い人である。ちょっとやそっとでは妥協しない、妥協したくない。
結局あれこれ他者という壁にぶつかっては、また自分のところに戻ってくる。結局どこにも従わず、所属せず、自分で自己を探そうとする。
自己鍛錬は欠かさない。それが「存在論を抱へて行き来するばかり」であろう。
また、木村の短歌にエロス的な歌が多いのはなぜか。
・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
・ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草(くさ)刈るドイツの夏は
大らかで、合理的なドイツ女性のさっぱりした気性が垣間見える作である。
木村の作はエロスとはいえ、じめじめしたところはなく、自由で大らかな点が特徴だ。
それはフランス文学を学んだ人だからいえる洗練されたロマンチシズムが流れている。
その上、彼は若くして病気に罹り、学校を中退せざるを得なかった。それだけに身体への関心たかく、「生きる」「生ききる」ことへの思いは強い。
生きることは人や自然を愛することだとの意識が強くて愛情の深い人である。
・萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ p113
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す p113
・もはや夢みることもなき此の我に眩しき翳を見する藤波 p114
「人間学」というのか、人間探求を怠らない作者・木村草弥は常に夢をもち夢を追い求めてきた。
<私が掴まうとするのは何だらう 地球は青くて壊れやすい>
の歌のように、追求して追い求めても、それを手にしたとたん、シャボン玉のようにパッと弾けてしまう。
まさにパスカルの言う「人は無限の偉大さと無限の卑小の中間にある存在」だからだろうか。
・「夢なんて実現しない」といふ勿れ「夢しか実現しない」と思へ p178
・老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ p195
「夢を持たないと実現もしない」と言い切る強さを持つ。
木村はアイロニーの強い人と思ってきたが、本書の短歌は率直で若やいでいる。人は夢を追いかけ、青い鳥を尋ね、捜し求める生き物だから。
最後に少年の日の歌を。
・母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて p22
・空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける p23
・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた p24
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ p35
・もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り p38
(2012/05/18)

水にじむごとく夜が来て燃ゆるてふ
スノーフレーク白き花なり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
スノーフレークはオーストリア、ハンガリー、南ヨーロッパに自生する植物で、水仙と同じように育てていい球根植物である。
ヒガンバナ科で学名をLeucojum aestivumという。スズランの花とよく似た花である。
極めて耐寒性のあるもので、水仙などと同様に数年は植えっぱなしでもよい。
数年に一度、掘りあげて夏の間を陰干しして10月ころに地面に植えつけるだけでいい。
頭に何か横文字のつくスノーフレークという種類があるが、花も全く別のものがある。
私の方の庭にも数株あり水仙やムスカリなどと集団を作っている。
ひっそりとした、地味な、言い方を変えると「清楚」な花である。
だから私の歌のような表現になったと言えようか。
この作品は恐らく「花言葉」を元に群作を作っていた時のものだと思う。
たしか花言葉に、歌の前半のような表現があったのではないか。
清楚であるだけに夜になれば燃えるという情念的な作歌の方法である。
言い遅れたがスノーフレークとは「雪片」という意味であり、花茎の先に小さい花がスズランのように垂れて咲くのでスズランスイセンという呼び名もある。
早春に咲くスノードロップとは別の種類であり、花の形も違う。
歳時記には、載せていない本が多い。「花の歳時記」には載っていて、俳句もほんの少し載せてある程度である。
音数が「スノーフレーク」と7音もあるのが敬遠される由来である。
俳句は17音しかないから、7音も取られてしまっては、後の10音で一句を形成しなくてはならず、制約があり、窮屈であるからだ。
こういうことは字数の多い横文字のものには多々あることである。
早口で発音してしまえばいいのだが、堅苦しく考える人には出来ない芸当である。
スノーフレーク子とその子らを迎へけり・・・・・・・市村究一郎
という句があるが、これはスノーフレークを5音に発音すればよい、ということである。
作者の市村氏はフランス文学者として著名な方であり、こういう縮める発音にも違和感がないのであろう。

──映画鑑賞──
松竹映画『わが母の記』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
海外の映画祭で感動と喝采の嵐──
日本の家族の愛に、世界が泣いた!
感動と称賛の声は、海の向こうから上がり始め、またたく間に世界各国に広がっていった。
第35回モントリオール世界映画祭の審査員特別グランプリ受賞を皮切りに、続く第16回釜山国際映画祭のクロージング作品となり、
その後もシカゴ、ハワイ、インドと、さまざまな国際映画祭の出品作に名を連ねている『わが母の記』。
昭和を生きた日本の家族の物語が、時代も国境も越えて、なぜこれほどまでに、現代に生きる人々の心を揺さぶり続けているのだろうか──。
小説家の伊上洪作は、幼少期に兄妹の中でひとりだけ両親と離れて育てられたことから、母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた。
父が亡くなり、残された母の暮らしが問題となり、長男である伊上は、妻と琴子ら3人の娘たち、そして妹たちに支えられ、
ずっと距離をおいてきた母・八重と向き合うことになる。老いて次第に失われてゆく母の記憶。その中で唯一消されることのなかった、真実。初めて母の口からこぼれ落ちる、伝えられなかった想いが、50年の時を超え、母と子をつないでゆく──。
家族だからこそ、言えないことがある。家族だからこそ、許せないことがある。それでも、いつかきっと想いは伝わる。ただ、愛し続けてさえいれば──。
たとえ時代が変わり、社会が複雑になり、困難な未来が訪れても、家族の絆だけは変わらない。
人と人との絆の大切さを知った今の時代にこそふさわしい、希望に満ちた普遍の愛の物語が、2012年ゴールデンウィーク、日本中を感動で包みます──。
昭和の文豪・井上靖の自伝的小説を、
豪華キャストで描く親子の絆の物語
原作は、昭和を代表する文豪・井上靖が、自身の人生、家族との実話をもとに綴った自伝的小説「わが母の記~花の下・月の光・雪の面~」。
『天平の甍』『敦煌』をはじめとする数々のベストセラーを生み出し、多くの作品が今現在もテレビ化・映画化されている、まさに国民的作家である。
監督は、『突入せよ!あさま山荘事件』『クライマーズ・ハイ』などの社会派作品で高く評価されている原田眞人。
主人公の伊上洪作に役所広司、母の八重に樹木希林、娘の琴子には宮﨑あおい他、日本を代表する実力派俳優たちの豪華競演が実現した。
伊上家とその周りの人々を演じる出演者たちが、記憶を脱ぎ捨てていく八重への慈しみに満ちた眼差しを心を込めて演じることで、
老いも死も人生の大切な一幕であることを教えてくれる。
撮影は、井上靖が家族とともに過ごした東京・世田谷区の自宅(撮影終了後、旭川へ移築中)で行われ、数々の名作が誕生した実際の書斎を使用、
井上の面影をも写し取る。また、故郷である伊豆・湯ヶ島、そして軽井沢を舞台に山のふもとに広がるわさび田、海から臨む富士山など、
ずっと残しておきたい日本の美しい風景を存分にきりとった。

あらすじ
ふと甦る、子供の頃の記憶。土砂降りの雨のなか、軒下に立っていた。向かい側には、不機嫌な顔をした母と、まだ幼い二人の妹がいる──。小説家の伊上洪作(役所広司)は、父の見舞いに訪れた湯ヶ島の両親の家で、物想いにふけっていた。「あれ、どこだっけ?」と妹たち志賀子(キムラ緑子)と桑子(南 果歩)に問えば、口々に答えが返ってくる。幼少期に伊上はひとりだけ両親と離れて育てられていた。「僕だけが捨てられたようなものだ」軽い口調で話す伊上だが、本当はその想いをずっと引きずっていた。
東京に帰ると、妻の美津(赤間麻里子)、長女の郁子(ミムラ)、二女の紀子(菊池亜希子)が、伊上の新作小説にせっせと検印を捺している。ベストセラー作家の家族の大切な仕事なのに、三女の琴子(宮﨑あおい)の姿はない。自室にこもって夕食にも降りて来ない琴子に、不満を募らせる伊上。繊細な紀子は、その姿を見ているだけで、息が苦しくなる。だが、当の琴子は声を荒げる伊上に反抗的な態度で言い返す。そして深夜、持ち直したかに見えた父(三國連太郎)の訃報が入る。
父亡き後、母・八重(樹木希林)をどうするかが問題となり、独身で身軽な桑子が面倒を見る。ある日、桑子に連れられて八重が伊上家を訪れ、伊上がとっくに送った弟の誕生祝いを、まだ送っていないと言い張る。父が亡くなる少し前から始まった物忘れが、どうやらますますひどくなったらしい。苛立つ伊上に八重は、「あの女に預けたのは一生の不覚だった」と言い出す。5歳から8年間、伊豆の山奥の土蔵で、伊上を育てた曾祖父の妾・おぬいのことだ。おぬいとの思い出を大切にしている伊上は、八重に強い眼差しをぶつける。だが、八重は視線を外して辻褄の合わないことを口にし、翌朝にはもう湯ヶ島に帰っていく。
八重の誕生日に、川奈ホテルに集まる一族。志賀子の夫の明夫(小宮孝泰)や、運転手の瀬川(三浦貴大)、秘書の珠代(伊藤久美子)も参加しての盛大なお祝い会だ。八重は機嫌よく過ごしていたが、さらに記憶は薄れていた。夫との思い出をほとんど失くしている姿に、伊上と妹たちは少なからぬショックを受ける。自分を捨てた母を許してはいないけれど、その記憶を失くされたらケンカにもならない──嫌味のつもりで言った自分の言葉に胸をつまらせる伊上。気を紛らわせようと、娘たちとビリヤードを始める伊上は、まもなく結婚する郁子に「これが最後の家族旅行」と言われて、さらにしんみりしてしまう。
郁子が赤ん坊を抱いて里帰りした日、湯ヶ島は大騒ぎになっていた。今は志賀子夫婦が八重と同居しているのだが、交通事故に遭って家で療養している明夫を「働かないならご飯をあげない」と罵倒するというのだ。
しばらく伊上が引きとることになるが、八重を冗談のタネにする家族に、琴子が突然怒り出す。「みんなおばあちゃんの気持ちになってないから、おばあちゃんの心をこじらせてしまうのよ」。さらに話は伊上の子育て批判に発展、紀子までもが初めて父に反抗する。日頃から家族を小説やエッセイのネタにする父への不満が、一気に爆発したのだ。
八重は琴子の提案で、軽井沢の別荘で暮らすことになる。琴子と瀬川、手伝いの貞代(真野恵里菜)の3人で面倒を見るが、八重の天真爛漫な言動に振り回されながらも、どこか楽しくもあった。

おぬいの五十回忌の法要で、顔を合わせる一族。琴子はプロの写真家になり、運転手を辞めさせた瀬川と付き合っている。紀子はハワイへの留学を父に許される。八重は夜に徘徊するようになり、もう誰が誰かも分からなくなっていたが、家族は八重が元気なだけで満足だった。
ある朝、おぬいに息子を奪われたという八重の言葉に感情を抑えられなくなった伊上は、初めて母と対決しようと「息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね」と問いつめる。だが、八重の口からこぼれたのは、伊上が想像もしなかったある〈想い〉だった。こらえきれず、母の前で嗚咽する伊上。

母との確執を乗り越え、晴れ晴れとした気持ちで紀子を送るハワイ行きの船に乗りこむ伊上。だが、伊上のもとに八重がいなくなったという知らせが届く──。
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井上靖については、若干の思い出がある。
以前に入っていた読書会が小旅行をすることになり、井上靖の「生い立ちの記」に因んで伊豆に行った。
この映画に描かれるようなワサビ田もあったりした。
泊まった旅館の近くには『檸檬』で有名な梶井基次郎ゆかりの家があったりした。
私はズボラな性格で、碌に下調べもしなかったが、みんな熱心に資料を集め、読み込んでいたものである。
この映画は、映画化にあたって視覚的に派手になりそうな演出なので、原作を知るものにとっては若干の違和感があるが、
これは、どんな文学作品でも映画化にあたっては生じるもので、仕方ないかと思う。
しかし、全般的に「せりふ回し」が早く、落ち着きがなかったのが残念である。
はじめの方で、新刊本の奥付に「印税」のハンコを押すシーンがあり、ベストセラーとて、家族総出でこなすシーンがあるが、
今では、こんな風習は廃れて、見ることもない。一つの時代風景というべきものであった。
なお、井上靖には男の子二人があるが、この映画では男の子は無視される。
映画館で買ってきたパンフレットには、長男・修一の家庭教師をしていた川端香男里(ロシア文学者、川端康成の養女の婿。川端康成記念館理事長)が「井上家の思い出」という記事を書いているが、そこに、このことが書かれている。
また、同じパンフにスペシャル対談として、井上修一(井上靖の長男)と大村彦次郎(元・講談社の文芸誌編集長)の話が載るが、次のようなやりとりがある。
大村 原作と映画の違いということでは、家族構成も変わっていましたね。
井上 映画は『リア王』みたいな三姉妹に変更されています。原田眞人監督は最初からそうしようと思われていたみたいですね。
おかげで僕の居場所はなくなったけど(笑)。確かに女優さんたちがいっぱいいた方が映画として華やかになりますし、また父と娘の確執から祖母を描いたほうが分かりやすいということもあったのかもしれません。
原作と映画化の異同というのは、そういうことである。
それにしても「山本五十六」に続いて、役所広司の主演の作品を、よく見るな、思う。
ここで「雑学」を少し。
「役所広司」という芸名の由来は、彼が学校を出てから数年間「役所」に勤めていたところから「役所」と名づけたという。
この話は、この映画の紹介のテレビで、樹木希林が話しているのを聴いた。

暗闇を泳ぐ生きものだったから
まなこをなくしたのねペニスは・・・・・・・・・・・・・・・佐藤弓生
佐藤 弓生(さとう ゆみお、女性、1964年2月15日 生れ )は、詩人、歌人、翻訳家。石川県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。
夫は作家・評論家の高原英理。 井辻朱美の影響により作歌を始め、1998年より歌誌「かばん」所属。
2001年、「眼鏡屋は夕ぐれのため」で第47回角川短歌賞受賞。幻想的な作風。
著書
詩集『新集・月的現象 』沖積舎 1991
第1歌集『世界が海におおわれるまで』 沖積舎 2001
詩集『アクリリックサマー 』沖積舎 2001
第2歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため 』角川書店 2006(21世紀歌人シリーズ)
第3歌集『薄い街』 沖積舎 2010
翻訳
英国風の殺人 シリル・ヘアー 世界探偵小説全集 国書刊行会 1995
地下室の殺人 アントニイ・バークリー 国書刊行会 1998(世界探偵小説全集)
佐藤弓生の作品を私は余り知らない。 アンソロジー『角川現代短歌集成 』から少し引く。
生まれる子生れない子とひしめいて保温ポットの中のきらきら
わたしかなしかったらしい冷蔵庫の棚に眼鏡を冷やしおくとは
かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような
まっくらな野をゆくママでありました首に稲妻ひとすじつけて
みずうみの舟とその影ひらかれた莢のかたちに晩夏をはこぶ
往診の鞄おおきくひらかれて見れば宇宙のすはだは青い
うさぎ入りガラスケースに手をかざし生がまだよく混ざっていない
胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を
人工衛星(サテライト)群れつどわせてほたるなすほのかな胸であった地球は
ほろほろと燃える船から人が落ち人が落ちああこれは映画だ
百の部屋百の机のひきだしに息ひそめおり聖書の言葉
コーヒーの湯気を狼煙に星びとの西荻窪は荻窪の西
不完全な引用で申訳けないが、この人は基本的に「詩人」だなと思う。
既成の「歌人」という分類では分けられないと思う。
掲出した歌も、恐らくは連作だろうと思うのだが、この歌の前後に並ぶ歌が判れば、もう少し判るだろう。
後から引いた12首の歌は作者の自選だから自分でも好きな作品なのだろう。
掲出歌と、この12首の歌とで連作として読んでも面白い。
「ペニス」に因んで、画像には「スペルマ」の顕微鏡写真を出してみた。
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
木村草弥
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四月になりました。陽春の到来です。
新人の春です。 旧人はひっそりと暮らしましょう。
だんだんにわたしに占める死者の量増えきて傘にはりつくさくら・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺松男
うぐひすの声にうたた寝より覚めぬ紀伊の野べ行く列車にありて・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
春の花が咲きまだ声の調はぬうぐひすが啼きとりあへず 春・・・・・・・・・・・・・・・山埜井喜美枝
薔薇垣をかはるがはるに出でて入るほつそりとせる雀の春子・・・・・・・・・・・・・・・・・横山未来子
かつて海から上がりしときの足裏の記憶あたらし春の潮騒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐伯裕子
青空に群れ波だちてゐしのちのさくらの花のゆくへ知るなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松坂弘
赤土に赤き土偶の眠れるをしずかに満ちて桜ひらきたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 奥田亡羊
遠見にはさわに花咲くシダレにて棒突っ張って枝支えてる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 奥村晃作
死はそこにあるかと思ふあかるさに菜の花咲けりその花を食ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 外塚喬
おとろへて生あざやかや桜八重・・・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
さくら咲きあふれて海へ雄物川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
愛咬やはるかはるかにさくら散る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時実新子
野を穴と思い跳ぶ春純老人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・永田耕衣
亜隆隆ほどの朝魔羅遠辛夷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
せんべいを箱ごとつぶす花ふぶき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大友逸星
投げ込み寺に春を投げ込む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・添田星人
遠く遠く誰のものでもないカヌー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北村幸子
体温になるまで仮面はずせない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・笠嶋恵美子
不安だった鳥のかたちになるまでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・岸裕見子
人間の匂いを壺に入れておく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本多洋子
うつくしきもののひとつに豆の種・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八上桐子
海を拝んだ空を拝んだそんな顔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳永政治二
少し余白があってアイヌの叙情詩は・・・・・・・・・・・・・・・・・・墨作二郎
我らすでにうそ寒族と呼ばれんか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺隆夫
ひとすじの春は障子の破れから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三条東洋樹
春光漸老離人夢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鄭民欽
傾けた本から滴り落ちる湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・悠とし子
ふがいない男でござる蟹の泡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古谷恭一
インターチェンジからジャンクションまで放射能・・・・・・・・原田否可立
ブータンの蝶が置いてく試供品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勝又明城
悪いけど枯芝のやうなをんなぢやない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御中虫
このラベルきれいにはがす嗚呼春だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
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歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
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私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
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日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「地球上のすべての人が、
人類すべての知識への自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、
と想像してみてください。」 ──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ
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葱坊主子を憂ふればきりもなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
葱(ねぎ)はユリ科の多年草。原産地は中央アジアで、中国へは二千年以上も前に渡ってきて栽培されていたという。日本へも古くから渡来している。
葱は春になると茎の先に花の塊をつける。それがネギ坊主である。
花の一つ一つは小さいもので、全体が苞葉(ほうよう)に包まれている時は擬宝珠(ぎぼし)に似た形をしている。
そこから葱坊主の名前で呼ばれるようになった。この花の一つ一つが葱の種になる。
写真①はビニールハウスの中で一斉に葱坊主になった壮観さである。
普通、葱や玉ネギは種から発芽させた「苗」を買って植えつける。この方が品種ものが栽培できるからである。
自分の家で出来た種を蒔いて育てるといろいろの品種が交配して雑種になる。
しかし種採りの農家はなるべく交配しないように一種類のネギを大規模にかためて栽培し、ネギ坊主から種を採り、それを蒔いて苗にして販売する。
この苗栽培を専門にしている農家もある。
一概にネギ坊主と言っても、種類によってネギ坊主の花の色にも違いがある。

写真②は「あさつき」という細いネギの花である。淡いピンクあるいは薄むらさき色で美しい。
一般的にネギ坊主が出来ると、ネギはしわしわになり、食べられない。だからネギ坊主は、食用の場合には、早くにネギ坊主を切り取ってしまう。
この頃ではインスタントものの味噌汁やラーメンなどの具に刻んだネギの真空乾燥したものが入っているから、ネギなどの薬味野菜の用途も大きく膨らんだと言えよう。

歳時記に載る句を紹介して終りたい。
泊ることにしてふるさとの葱坊主・・・・・・・・種田山頭火
臀丸く葱坊主よりよるべなき・・・・・・・・西東三鬼
水溜跳べぬがありて葱の花・・・・・・・・石川桂郎
葱の花ふと金色の仏かな・・・・・・・・川端茅舎
葱坊主灯台に風鳴るところ・・・・・・・・沢木欣一
葱坊主干しひろげあり儚(ぼう)々と・・・・・・・・飯島晴子
書くうちに覚悟となりぬ葱坊主・・・・・・・・宇多喜代子
葱坊主さびしき故にわが愛す・・・・・・・・吉川千代子
葱坊主いつしか意地を折りゐたり・・・・・・・・三好潤子
所在なき旅の日暮を葱坊主・・・・・・・・森澄雄
干満をかさねて島の葱坊主・・・・・・・・藤田湘子
葱の花少しひもじき日昏れ刻・・・・・・・・鈴木真砂女
疲れどつと夕日のなかの葱坊主・・・・・・・・南部憲吉
風筋のまだ定まらぬ葱坊主・・・・・・・・湯下量園
良寛の地や不揃ひの葱坊主・・・・・・・・野本ナヲ子
葱坊主にも横顔のありにけり・・・・・・・・榊原池風
見抜かれし嘘にたじろぐ葱坊主・・・・・・・・田中洋子
隣り家もひとりの暮らし葱坊主・・・・・・・・赤松シゲ子





















