K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(1月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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     謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

2017年となりました。
昨年は日本では自然災害、世界的にはテロなどありました。政治の動きのことはともかく、健康には留意したいものです。 
老来、冬の寒さが身にこたえるようになってきて、すっかり意気地なしになってしまった。
拙ブログは十年一日のような記事ですが、よろしくお付き合いください。

 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
 春にあふと思ふ心はうれしくて今一年の老ぞそひける・・・・・・・・・・・・・・・・・・凡河内躬恒
 ファシズムの影濃くなりてすでにわが帰る国にはあらず日本は・・・・・・・・・・・・・渡辺幸一
 海域と言うときいっそう広域の海に浮かんだ列島は冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 花山周子
 ゆふぞらを無人機が飛び無人機を撃つ無人機が来る 夕明かり・・・・・・・・・・・ 高野公彦
 後につづく者はなかれ と言ひおきて 発ちゆきにけり。征きて還らず・・・・・・・ 岡野弘彦
 くすり服むたびにおもへり一兵の柊二が師より賜びし「薬」を・・・・・・・・・・・・・・・ 武田弘之
 部屋ぬちにゐて木枯しの音を聞く少しづつ壊れ始める身体よ・・・・・・・・・・・・・・ 新井瑠美
 塩焼きの海老に酢橘を絞りたり海老の怒りが深いほど旨し・・・・・・・・・・・・・・・・・小島なお
 で、鍋はひとつの戦場鍋奉行裃をつけた詩語は控えよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柳沢美晴
 竹馬にのるおもしろさ楽しさに雪降る路を遠く行きたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市村八洲彦
 あたたかき体温持てる人間のペン握る手と銃握る手と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 銃より本を──マララさん受賞のことば平和憲法ゆらぐ地に聞く・・・・・・・・・・・・・ 高尾文子
 雪の上にけもののあしあとてんてんとつづきてをりぬ母のなづきへ・・・・・・・・・・ 萩岡良博
 内戦で壊滅したるアレッポの石鹸日本にまだまだ売らる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田康子
 あけぼのの光おごそかに世を開き凍ったまなこ射し貫けり・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 さざなみを立てて過ぎゆく歳月を南天は小さく笑つて見せた・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 境内に入る一礼や初鴉・・・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 アイスホッケー構へて眉を鉤形に・・・・・・・・・・・岬光世
 書初や真白な子をあづかりぬ・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 冬帝に体毛といふ体毛を・・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 太陽はもはや熟れごろ初詣・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 人日やただまつすぐにバス通り・・・・・・・・・・・青木ともじ
 冬蜂の死よ天井の高くあり・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 冬さうび抱かれて白き息となる・・・・・・・・・・・・大中博篤
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 寒林に向かふを知られてはならず・・・・・・・・・青本柚紀
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・ 青山青史
 男湯と女湯代はる去年今年・・・・・・・・・・・・・・ 小池康生
 洞窟の画は初夢に狩りしもの・・・・・・・・・・・・・中村清潔
 マフラーに大き黒子の隠さるる・・・・・・・・・・・山下つばさ
 冬麗や平らな靴に足ほてる・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 スケートや渦抜けたくて抜けられず・・・・・・・・・杉原祐之
 霜柱係累にまた一祠づつ・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 大さむ小さむ音なく数行削除・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 お団子は串に粘つて道に雪・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 初日の出中継エデンの東より・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 裏面に粉雪溶けてゐる割符・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 冬銀河縄文土器と京友禅・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 一年が眠り歌留多に金ひとすじ・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 空きビルの落書き消えず越年す・・・・・・・・・・・ 工藤定治
 麻雀のルールを賀詞に続けをり・・・・・・・・・・・ 津野利行
 借景の冬のポプラはなほ高く・・・・・・・・・・ ・・ きしゆみこ
 初扇静かに閉ぢて仕舞とす・・・・・・・・・・・・すずきみのる
 二両車の初日はさみて曲りをり・・・・・・・・・・・ 薮内小鈴
 冬銀河子が減り子守唄が減り・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 寒苺累々と乳を垂れあへり・・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 ホと息が前へ連なる寒の内・・・・・・・・・・・・・・・ 北川美美
 杖買うて使はずかへる初弘法・・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 雪折の雪に溺れてゆくごとし・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 膝を抱く胸のふくらみ寒牡丹・・・・・・・・・・・・・・・下楠絵里
 大寒にサムといふ名を付けにけり・・・・・・・・・・・吉川わる
 さよならはLEDの青に降る雪・・・・・・・・・・・・・・・・奥村明
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 冬紅葉山径染めて人染めて・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 とある日の心の揺れや虎落笛・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 去年今年ペンパイナッポーアッポーペン・・・・・ 北畠千嗣
 群鶏の背を光らせよ初日の出・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 冬ざるる空き箱に紐ただかける・・・・・・・・・・・・・・ 七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
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ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

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 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
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「交配中」のビラを掲げてマルハナバチがトマトの黄花の花粉にもぐる・・・・木村草弥
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07セイヨウオオマルハナバチ
  
      「交配中」のビラを掲げてマルハナバチが
            トマトの黄花の花粉にもぐる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選60首にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いたたげる。

「マルハナバチ」は温室やビニールハウスでの野菜、果実などの交配に導入されたもので、園芸先進国オランダで実用化され、
今も写真①のような段ボール箱に入って空輸されて来る。段ボールには「精密機械」「チェック貨物」などのステッカーが貼られている。
箱の中には女王蜂1匹を筆頭に、オス蜂、働き蜂の計50匹くらいの一家族が入っている。ただし巨大なコロニーは作らず家族に近い。
値段は何と1箱19635円(税、送料込み)もする。
写真②に、その「セイヨウオオマルハナバチ」学名・Bombus terrestris の写真を出しておく。
日本産の「クロマルハナバチ」もオランダで飼育され輸入されるが、これになると21945円もする。

日本では平成2年に国内に導入されたばかりだが、ヨーロッパではすでに早くから実用化され、一般的な技術として普及しているという。
彼らを有効にトマトの花を訪れさせる最大のコツは「学習飛行」だという。マルハナバチは、ある一定種の花をつづけて訪花する習性があるのである。
このため、はるばるオランダからやって来たマルハナバチは最初、ネットで囲った1棟のハウス内で学習飛行した後、開け放たれたハウスの中をトマトの花を求めて移動するという。
通常、1棟のハウスの中に1匹のマルハナバチが活動していれば充分という。
とは言っても、先年、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げられたように、ヨーロッパから移入した「セイヨウオオマルハナバチ」が生命力旺盛であるため、日本の野外に出てしまったら、在来の「ニホンマルハナバチ」を駆逐してしまう恐れがある、という。
移入したトマト農家などの厳重な管理が必要になってきた。

写真③は「ミディトマト」である。ここで「トマト」について書いて置こう。
12003-01ミディトマト①

トマトは17世紀にポルトガル人によって伝えられ、最初は鑑賞用に栽培されていたという。「蕃茄」と呼ばれた。
今日では、最もポピュラーな果実として広く食べられている。
露地ものもあるにはあるが、通年作物として「ハウス栽培」されるのが普通である。
元来トマトは夏の果物だが、今ではハウス栽培のおかげで一年中食べられるようになった。
後でも書くが、マルハナバチに花粉の媒介をしてもらうということは、「農薬」を使えないということでもあり、食べる上でもトマトは安全な果物と言えよう。

photo-02トマトの種床

写真④がハウスに植えつけるトマトの苗床である。スポンジ様のものに一粒づつ種を蒔いて発芽させる。
これをハウスに定植し液肥を入れた水を循環させる「水耕栽培」が普通である。
その間、余計な葉や枝を取り去ったり、枝を吊り上げるなど人手のいる作業が要る。
日本の夏は暑いので、この期間中はハウスの中が高温になり過ぎるので栽培は休んで、ハウスの消毒や秋からの定植に備えて苗などの準備をする。
私の知人も大規模なトマト栽培家がいるので、よく見せてもらった。

掲出の歌を含む一連8首を読んでもらえば、よく判っていただけると思うので、それを引いておきたい。

  マルハナバチ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 外は寒い北風が吹く温室の中はぽかぽか春の暖かさ

 「交配中」のビラを掲げてマルハナバチがトマトの黄花の花粉にもぐる

 温室は液肥の流れる礫耕栽培トマトには農薬は使はぬ

 虫を殺す農薬が人間に良い筈がない「自然の知恵」に戻れよ

 葡萄のやうな房生(な)りでミディトマトが鈴なりに垂れる壮観

 園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた

 この列はイタリア品種の料理用「サンマルツァーノ」トマトが真つ赤だ

 次々と温室トマトの直売所に車が来て採りたての果実が買はれてゆく

240px-Fleurtomateトマト花

「トマトの黄花」といっても判らないので写真⑤に出しておく。

トマトの効用を、このように言っても「露地」栽培で「旬」のトマトなら、昔の風味も味わえるだろうが、今は消費者が一年中トマトが食べられるという生活に狎れてしまい、このような旬の味を求めるというのは「ないものねだり」の感がある。
それともうひとつ、大量生産、大量消費の時代になると、生産者から末端の消費者の手に渡るまでの日数を考えると「品傷み」のしない品種がタキイ種苗などの大手の育種メーカーで開発され、今の主流をなす「桃太郎」などの品種が市場を占める事態となるのである。したがって味も画一的になってしまう。
今の主流の「桃太郎」というトマトも完熟したものを、その場で食べれば、とてもおいしい品種なのだが、今では流通過程で日数がかかってしまい、かつ家庭でも野菜室に入れておいて、すぐに食べるというものでもないから「味」が劣化する。
昔のトマトには適当な「酸味」があったが、今のトマトには、それがない。
これは消費者が「甘い」トマトを求めるからだという。確かに「桃太郎」などは酸味は殆ど感じられない。
このようなことを知ると、今のトマトの風味については、消費者にも、その責任の一端がありそうであるが、いかがだろうか。
昔わたしたちの子供の頃は(農村だったから)学校から帰ると、冷たい水にトマトが冷してあり、それを皮もむかずに、そのままかじりついたものである。
適当な酸味もあり自然の風味というものがあった。
しかし、いまでは、そんなことを言ってみても「詮ない」ことである。

P1030584ミニトマト

写真⑥に「ミニトマト」を出しておく。
最近の学者の研究で、トマトに癌予防の著効があるということが判ったという。そんなことで亡妻にはせっせとトマトを食べさせていた。
少なくとも「免疫力」を高める作用はあるのではないかと思う。
病院では皮をむくのが面倒なので、専ら「ミニトマト」を愛用していた。皮ごと食べるので、しっかりした歯ごたえもあり、おいしいものである。
なお夏季には私の家では菜園にトマト、ミニトマトを栽培しているがミニトマトは実が鈴なりにわんさとついて、おびただしく生るものである。


かなしみのきわまるときしさまざまの物象顕ちて寒の虹ある・・・・坪野哲久
990930a虹
  
      かなしみのきわまるときしさまざまの
             物象顕(た)ちて寒の虹ある・・・・・・・・・・・・・・・・・坪野哲久


俳句の場合の季語としては「虹」は夏季のものとされる。
日本での気象条件からすると、高温多湿の夏に虹が多いのは当然である。
冬に虹を詠む場合には、季節の言葉をつけて「寒の虹」のようにして季語とする。

この坪野哲久の「寒の虹」の歌は、そういう点から見ても面白い。
雨と太陽光線とがあって虹が立つのが普通だが、哲久は「物象顕ちて寒の虹」が立つと詠っている。
これは上の句に「かなしみのきわまるとき」と書いているように、作者の心が空に立たせた幻の虹かとさえ思わせる。
「きわまるときし」の「し」は強調の助詞である。
このように上の句と下の句とが相まって、歌に独特の孤高性と浪漫性をもたらしている。『碧巌』所載。

加藤楸邨の句に

 Thou too Brutus ! 今も冬虹消えやすく

というのがあるのを思いだした。冬の虹というのは、そういう消えやすい「はかない」ものである。
坪野哲久の歌の「かなしみのきわまるとき」という把握の仕方と相通じるものがあるかと思う。
坪野哲久については前にも一度採り上げたことがあるが、昭和初期にプロレタリア短歌運動で活躍、昭和5年、第一歌集『九月一日』を刊行したが発禁処分を受ける。
昭和46年『碧巌』で読売文学賞受賞。石川県生まれ。昭和63年没。
哲久の歌は心象を詠いあげたものが多い。叙景だけの歌というものはない。
「物象」などという「漢語」の使い方が独特である。仏教用語も多用する。
以下、少し哲久の季節の歌を引いて終わりにする。

 母のくににかへり来しかなや炎々と冬涛圧(お)して太陽没(しづ)む

 母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零(ふら)すなり

 天地(あめつち)にしまける雪かあはれかもははのほそ息絶えだえつづく

 牡丹雪ふりいでしかば母のいのち絶えなむとして燃えつぎにけり

 寒潮にひそめる巌(いはほ)生きをりとせぼねを彎(ま)げてわが見飽かなく

 死にゆくは醜悪(しうを)を超えてきびしけれ百花(びやくげ)を撒かん人の子われは

 もろもろのなげきわかつと子を生みき子の貌(かほ)いたしふる霜の花

 冬星のとがり青める光もてひとりうたげすいのちとげしめ

 冬なればあぐらのなかに子を入れて灰書きすなり灰の仮名書き

 曇天の海荒るるさまをゆめにみき没細部なる曇天あはれ
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はじめから8首までの歌は、ふるさと石川県に臨終の母を看取った時の歌であろうか。
時あたかも冬の時期であったようで、能登の怒涛の寄せる海の景物と相まって、母に寄せる心象を盛った歌群である。
歌集『百花』『桜』『留花門』から引いた。
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今日は、阪神大震災が起きてから二十二年である。
朝から追悼一色である。 打撃から、未だに立ち直れない人も多い。

その朝、私は京都南部の自宅で激しい揺れに見舞われたが、震源から外れていたので建物が壊れるなどの被害はなかった。
丁度、私はイタリアのシチリア島の旅に出かけていて、その前日に帰ったばかりで、厳しい「時差ボケ」で明け方まで眠れず、ようやくウトウトとしたところだった。
妻や子供たちは、友人、知人たちの救援にリュックをかついで出かけるなど大騒動だった。
交通機関も、阪急電鉄で言うと、「西宮北口」までしか行けなかった。 後はみな徒歩である。
「ボランティア」という言葉が日本に定着したのも、この時からである。
私は多くの「紀行文」を書いてきたが、この時の旅は、出鼻をくじかれて、今に至るまで執筆できていない。書く気になれなかったのである。

記念日に当り、一筆書き添えるものである。 合掌。





かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり・・・・・高安国世
高安
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無題リルケ詩集

(再録)──Doblog 旧記事──初出2005/01/16

     かきくらし雪ふりしきり降りしづみ
             我は真実を生きたかりけり・・・・・・・・・・・・高安国世


この歌は高安国世の初期の作品で「真実」と題されている。昭和26年刊の第一歌集『Vorfruhling』に載るもの。(お断り・u の上にはウムラウト(・・)が付いている)
高安先生は大阪の開業医の家に生れたが、母・やす子がアララギの歌人だった影響で少年期から短歌に親しみ、またドイツ文学を専攻することになったが、父親は医者にしたかったらしい。
家庭の中で何らの葛藤があったと思われ、そのことが、この歌によく表れている。それは「我は真実を生きたかりけり」という詩句になっている。
この歌は、そういうドイツ文学者として生きてゆくという高安氏の決意表明みたいなもので、先生にとっては、極めて愛着のあった歌らしく、自選歌集でも巻頭に載せられている。
作品としても有名なもので高安国世といえば、まず、この歌が引用される。

先生について詳しくは → Wikipedia─高安国世を参照されたし。

私事になるが、私は大学で第二外国語にドイツ語を選び、その関係から高安先生の授業も受けた。その頃、先生は京都大学助教授になったばかりであった。
その頃から先生は「歌人」としても有名であったらしいが、私はその頃短歌には無関心であったから、そんなことは知らなかった。
先生も教室では短歌のことは一切お話しにはならなかった。
先生は旧制高校の頃は第三高等学校の教授であり、新制大学になって三高は京都大学吉田分校になり、教養課程を担当していた。
三高出身の連中に聞くと、教室では短歌の話を、よくされたという。
先生はアララギ出身らしく「リアリズム」を基礎に置いておられるが、後に短歌結社「塔」を創立されるなど「主知的リアリズム」という主張を確立された。

この歌の出だしの「かきくらし雪ふりしきり降りしづみ」という「たたみかける」ようなリズムが秀逸である。
歌のはじめの「かきくらし」というところは、学者として生活できるようになるまでの「生きる苦しみ」のような生活観を想像させる。
高安先生の私生活について、私は多少のことを知っているが、ここでは書くべきことではないと思うので、触れない。
同じ歌集に載る歌ひとつと、晩年の歌集『光の春』から4首を引いて終りにしたい。

   二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひいづるはや

   ゆるくゆるく過ぐる病院の一日よ忘れいし生命の速度と思う ──『光の春』より4首──

   わが父のあやぶみしごと何一つ世の表うら知らず過ぎ来し

   われ亡くとも変らぬ世ざま思いおり忘れられつつドイツに在りし日のごと

   焼き棄ててくればよかりしもろもろも恐らくは単純に火にくべられん

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ここに引用した歌を子細に見てみると、はじめのものは旧カナで、後の四首は新カナになっていることが判る。
これは先生が途中から新カナ表記に変わられたからである。
この頃は、そういうのが流行っていた。「未来」の近藤芳美が、そうだった。高安国世は「未来」創刊同人だった。
だが後に旧カナ(歴史的かなづかい)に復帰するのが流行り岡井隆など多くの歌人が復帰したが、近藤芳美は頑固に新カナを押し通した。
永田和宏なども新カナ→ 旧カナに数年前から復帰した。
ついでに書いておくと、アララギ系から出発した高安国世、岡井隆、永田和宏、みなリアリズムである。
先に書いたように高安先生は「主知的リアリズム」を唱えられたし、岡井隆の歌も「比喩」のオブラートにくるまれているので騙されるが、基本的にリアリズムである。
だから彼らは自分や家族のことを詠う。
だが、同じ「前衛歌人」と呼ばれても、塚本邦雄は自分や家族は詠わない。「われ」の把握の仕方が全く違う、と言える。
余り採り上げられないことだが、敢えて言っておく。
また天皇家とのかかわりでも、「歌会始」などを通じて岡井隆や永田和宏は「擦り寄って」行ったが、塚本邦雄は擦り寄らなかった。
歌壇に絶大な支配力を有する岡井隆などが存命中だから今は触れられることが全くないが、これらは塚本、岡井の決定的な違いであることを言っておく。

図版として掲出した『光沁む雲』(短歌新聞社昭和50年刊)は歌集『朝から朝』までの歌を収録したもので解説を永田和宏が書いている。
それとドイツ文学者としてのリルケ詩集の文庫本の表紙を二つ出しておく。
先生はリルケ研究の第一人者だった。
この旧記事にも、もちろん画像があった。しかし、Doblogが不調になったとき今のfc2にデータを移すとき画像は移せなかった。

母親の高安やす子さんの記事をある筈だが、高安病院のことも書いたので、旧記事を少し調べてみる。お待ちあれ。


新年の色あざやけき青竹を結界として茶の湯点てけり・・・・木村草弥
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       新年(にひどし)の色あざやけき青竹を
               結界として茶の湯点(た)てけり・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌は自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
この歌のつづきに

 をろがみて三啜り半に服したる新年の茶のこのほろにがさ・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っている。この一連は「結界」という小項目の13首からなるが、この項目の一番終わりの歌は

 黒光る帳場格子の結界に大福帖吊りき創業の祖(おや)・・・・・・・・・・木村草弥

このように「結界」という言葉は、さまざまに使われているので、少し説明したい。

k-13kihon結界

写真②は茶道で使う「結界」である。形は色々あるが、私のはじめの歌の場合は、これを「青竹」で作ってあるということである。
この写真のものは茶道具屋が売っているものだが、茶道の原初的な意味から言うと、どんなものでもよいのである。
そもそも「結界」とは、Simabandhaという言葉の訳語とされ、仏教教団に属する僧尼の秩序を保つため一定地域を区画すること、に発する。いわば聖と俗との境界である。
それが茶道その他にも取り入れられたもの。「女人結界」というのも宗教界にはある。また神社などの「注連縄」(しめなわ)も結界の一つである。
先に書いた聖と俗との境界を示すものである。
私の三番目の歌に則して言うと、昔の商家の、いわゆる「帳場」の一角を区切る「格子」(こうし)も一つの結界なのであった。店頭とは違った空間を作るものだからである。
こういう風に「結界」という言葉は便利なもので、さまざまに変形して使われている。

kazuho茶筅

写真③には茶道で使う「茶筅」を掲げてみたが、新年に使うものは「青竹」で作られ、緑色あざやかなものである。
もっとも茶道具というのは三千家でも少しづつ変化しているので、ここではあくまでも一般論として読んでもらいたい。茶筅の穂先の形からして変わる。

私の二番目の歌の「をろがみて」というのは「おしいただいて」ということで、茶道で茶を呑む時に茶碗を両手で持って顔のあたりにもってきて「おしいただく」動作のこと。
「拝む」というのが「をろがむ」である。
「三啜り半」というのが、茶碗に入った抹茶の湯を呑む時の作法とされる。一番最後の茶は音をたてて「啜る」のである。
このことを誤解して、音をたてずに服する人があるが、それは「勘違い」というものである。ズルズルと音をたてて啜るのが正解である。
なお、この「啜る」という口の動きが、外国人には出来ない。西洋人には、先ず無理である。
英語の「drink」(飲む)という言葉は、たとえばスープを飲む時にスプーンの先を唇にあてて、舐めるように、あるいは、注ぎ込むように飲むのが「ドリンク」なのである。
日本人は「啜る」ことが出来るので、スプーンの横から「啜り」がちである。
文化あるいは風習というものは、このように変わっていて、一つの言葉の「翻訳」されたものの中だけでは、表現し切れないものが含まれているのである。
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今日、1月15日は古来「小正月」と言って、正月の行事があった。一般的には、この日には「小豆かゆ」を食べる風習があった。今でも我が家などでも、この行事を守っている。
この日をもって一応、正月行事は終ることになる。
祝日の「成人の日」は、今は移動休日になってしまったが、前は先に述べたような理由から「小正月」に因んで1月15日に決めて制定されたのであった。
そんな日にちなんで、今日は「新年」「茶道」ないしは「結界」のことを書いてみた。



あだし野に日の一すぢの霰かな・・・・徳永山冬子
2701ac241df72953e782a5738387d041化野念仏寺

    あだし野に日の一すぢの霰かな・・・・・・・・・・・・・・・徳永山冬子

嵯峨野の化野(あだしの)念仏寺の辺りは千年前には「風葬」の地であった。
風葬とは、今でもチベットなどで行われる死体を野っぱらに放置して、獣や鳥に肉を食わせ、あるいは腐るに任せる葬送の方法である。
この寺は現在は浄土宗に属する寺だが、およそ1000年前、空海が、ここに五智山如来寺を開創し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことにはじまるという。
「あだし野」というと『徒然草』にも「あだし野の露消える時なく、鳥辺野の烟立さらでのみ住み果る習なれば、如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ」と書かれている、
かつての葬送の地に建ち、境内に集められたおびただしい数の石仏が、葬送地としての過去を彷彿とさせる。
寺の本尊は阿弥陀如来で、湛慶の作。本堂は江戸時代に再興されたもの。
夏の8月23~24日の地蔵盆のときの「千灯供養」は有名である。
この寺の地番は 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町 という。

写真②に夏の「千灯供養」の様子を出しておく。

PN2010082301000790_-_-_CI0003千灯供養

掲出句は、夏の千灯供養が、凄絶ではありながら、火の力によって温もりを感じるのに対して、きびしく凍てる京都の冬の名も無き石仏のみじめな姿を、
よく活写しているというべきだろう。

 石くれ仏ひしめく限り冬茜・・・・・・・・文挟夫佐恵

 凍仏(いてほとけ)小にしてなお地にうもれ・・・・・・・鈴木六林男

 石仏の首から首へ虎落笛(もがりぶえ)・・・・・・・・鷹羽狩行

 冬ざれの片寄せ小さき仏たち・・・・・・・・二橋満璃

 化野のひとつづつ消ゆ冬灯・・・・・・・・間中恵美子
 
 鼻寒きわれに鼻なき餓死仏・・・・・・・・秋元不死男

 風葬の明るさの原ひかりは凍(し)み・・・・・・・・榎本冬一郎

のような句も、同じく冬の季節のあだし野の石仏を描いて秀逸である。
他の季節の、あだし野を詠んだ句は、また後日。
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20101209234354d3aお土居①
145b5676お土居②
img_6お土居③
7hptih_bお土居④
 ↑ 「お土居」─現在の写真四枚

長い間、都の置かれてきた京都の地には土塁をめぐらせた「街区」が仕切られていた。そのなごりが、豊臣秀吉によって再整備された「お土居」である。
つまり、この「お土居」の内側が「洛中」であり、外側は「洛外」ということである。
この区域より外は人間の住む場所ではなく、その「お土居」の外は「葬送」の地であった。
庶民の死者は、この「お土居」の外に置かれ、いわゆる「隠亡」(おんぼう)と呼ばれる葬送の専門職の人間が、
ここ、あだし野や、東山の鳥辺野、洛北の蓮台野などに死体を放置(風葬)したのであった。
今では京都市北区に「蓮台野町」という地番があり、住宅地になっていて、人々は何も知ることもなく平気に暮らしているが、
もともとは葬送地であったから、地名にそれが残っているのである。




ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ・・・・細川加賀
recipe54ごまめ

──季節の一句鑑賞──おせち「ごまめ」「数の子」

  ■ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ・・・・・・・・・・・・・・・細川加賀

今ごろになると、もう正月の「お節料理」もなくなったと思うが、お節(せち)料理の代表選手である「ごまめ」を採り上げたい。
これは「カタクチイワシ」の稚魚を天火乾燥させたもので、「五万米」とも「田作り」とも呼ばれる。
このカタクチイワシを焦がさぬように煎り、あめ煮にしたもの。
小さいながら、ゴマメには「尾かしら」もついており、安価でありながら縁起物として重宝されたのである。
カタクチイワシの体全体が食べられるので、栄養的にも優れている。私も大好きである。
私は「入れ歯」が一本もない。全部、自分の歯であるが、虫歯などで修復はしてある。
ゴマメなどの固いものも支障なく噛めるので快調である。
私の歯は掲出句そのものである。

ゴマメを詠んだ句を少し引く。

 自嘲して五万米の歯ぎしりといふ言葉・・・・・・・・富安風生

 噛み噛むや歯切れこまかにごまめの香・・・・・・・・松根東洋城

 田作や河童に入歯なかるべし・・・・・・・・秋元不死男

 口ばつかり達者になりしごまめかな・・・・・・・・橋場もとき

 田作や箸に触れ合ふ海の色・・・・・・・・柴田清風居

 齢重ねなほ田作のほろ苦き・・・・・・・・鷹野映

 孫の顔ひとりふえたるごまめかな・・・・・・・・三宅応人

 こしかたの正直すぎしごまめかな・・・・・・・・川上梨屋

 田作の秤りこぼるる光かな・・・・・・・・永井暁江

つぎに、もう一つの代表として「数の子」を採り上げよう。

img10131191068数の子

  ■ひとり飲む酒数の子の粒々も・・・・・・・・・・・・・・佐野良太

「数の子」は、アイヌ語で「かど」というのが「にしん」のことで、その卵巣を「かどの子」というのが語源だと言われている。
粒々の数が多くて「多産」の卵であるところから、子孫繁栄の意味もこめてある。
ニシンの漁期は4、5月だと言われ、乾燥したり塩蔵にしたりして保存する。
日本近海では獲れなくなったが、本来は食べる習慣がなかったカナダや北欧から大量に輸入されるようになり、今では一年中出回っている。
このぷりぷりとした歯ごたえが私は好きである。
数の子を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 数の子を好む子は皆母似にて・・・・・・・・大谷句仏

 数の子にいとけなき歯を鳴らしけり・・・・・・・・田村木国

 今は亡き子よ噛めば数の子の音のして・・・・・・・・加藤楸邨

 数の子をかみかみひとりなるを思ひ・・・・・・・・龍岡晋

 数の子の妻のこめかみめでたけれ・・・・・・・・石田波郷

 数の子を噛む音子より起りけり・・・・・・・・浦野芳南

 数の子や一男一女大切に・・・・・・・・安住敦


かるた切る心はずみてとびし札・・・・・高橋淡路女
matsuitengudou百人一首
 ↑ ↓ 百人一首の札
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82A2-1いろはカルタ
 ↑ いろはカルタ
unsun02うんすんカルタ
 ↑ うんすんカルタ

    かるた切る心はずみてとびし札・・・・・・・・・・・・・・・・高橋淡路女

正月の遊びとして「カルタ」は必須のものであった。カルタの語源はポルトガル語であるらしい。
カルタ遊びには「歌かるた」という小倉百人一首、「花かるた」、「いろはかるた」、「ウンスンかるた」、「トランプ」などがある。今ではトランプが主流であろうか。
掲出の写真は「歌かるた」の小倉百人一首のもの。競技用のものは「読み札」と「取り札」とに分れているが、掲出のものは歌を全部書いてあるもの。
今では、こういう古典かるたをやるのは、お正月と言えども珍しいのではないか。
「うんすんカルタ」の札や点棒なども出しておいた。 詳しくは後の方で。

「百人一首」には「恋」の札があって、昔は男女混ざって佳き恋の鞘当だったのだが、掲出句は、その情景を描いている。

「いろはかるた」は、たとえば「犬も歩けば棒にあたる」のようなもの。もっとも、これは江戸の文句で、京では「一寸先は闇」、大阪では「一を聞いて十を知る」などと変化していたという。

 ↓ 写真は、「ウンスンかるた」の内の絵札(スン唐人)である。
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詳しくは下記の ↓ リンクを見てもらいたい。絵札、数札などカラーで綺麗に載っている。
「ウンスンかるた」 は、南蛮かるたを元に日本で作られた「天正かるた」から作られたと思われる日本独自のカルタ。
元禄年間の成立と言われる。75枚1組。滅亡したと思われていたが、熊本県人吉市で遊び継がれているのが発見された無形文化財という。
ヨーロッパのカードの影響を大きく受けており、歴史的にも貴重なものという。
スーツ(マーク)は、いす(棒)、ぱお(剣)、こつ(聖盃)、おうる(貨幣)、ぐる(巴)の5種類。数札は1-9まで。絵札はスン(唐人)、ウン(七福神)、レイ(王)、カバ(従士)、ソウタ(女王)、ロバイ(龍)の6種類。代表的な遊び方に「8人メリ」がある。8人が4人づつ2組に分かれて行なうゲームで、敵味方が交互に座ってトリックテイキングゲームを行なうという遊び方をする。
詳しくはリンクに貼ったところを参照されたい。

01001093_Unsunkarutanoyuugihou-2ウンスンかるた
写真 ↑ は、その遊びの写真。この写真では老人ばかりだが、検索した他のものには若い人がプレイするものもあったことを付記しておく。
九州国立博物館のサイトにも関連記事が載っているので参照されたい。

「ウンスンかるた」の名前の由来ついて次のように書かれているものがあるので紹介しておく。

<ポルトガル語で1を意味する「ウン」、最高を意味する「スン」が名前の由来とされています。また、カルタ遊びの禁止令で、昨日まで盛んに遊んでいた人が「うんともすんとも言わなくなった」ということからこの名前が付いたともいわれています。 
ウンスンカルタは、江戸時代に全国で流行しましたが、賭博(とばく)に使われたため寛政(かんせい)の改革(1787年~93年)で禁制になりほとんど廃れてしまいました。
しかし、人吉にだけは残り、今日まで伝えられてきました。> 
(「うんともすんとも」という慣用句の語源でもある)

なぜ私が、ここに「ウンスンかるた」のことを、長々と書くかというと、
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  沙羅の花ひそかに朝の地(つち)に還りつぶやく言葉はウンスンかるた・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるからである。この歌は「ウンスンかるた」なるものが、いかなるものか知らない人がほとんどなので、判りにくいと評判は良くなかったが、私には愛着のあるものなので、ここに引用してみた。

以下、歳時記に載る「歌留多」の句を少し引いて終る。

 歌留多とる皆美しく負けまじく・・・・・・・・高浜虚子

 かれがれの日々を歌歌留多そらんじぬ・・・・・・・・滝井孝作

 歌留多読む恋はをみなのいのちにて・・・・・・・・野見山朱鳥

 歌かるたよみつぎゆく読み減らしゆく・・・・・・・・橋本多佳子

 刀自の読む咳まじりなり歌留多とる・・・・・・・・皆吉爽雨

 法師出て嫌はるるなり歌がるた・・・・・・・・阿波野青畝

 掌に歌留多の硬さ歌留多切る・・・・・・・・後藤比奈夫


竹馬の高さとなりし子の世界・・・・宮地玲子
KX2F1133竹馬
 
       竹馬の高さとなりし子の世界・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮地玲子

竹馬はかつて子供の遊び、特に冬の遊びだった。
幼な友達を「チクバの友」というのも、ここから出ているが、長ずれば皆それぞれに散ってゆくのが世の定めである。
「いろはにほへと」を一緒に習った仲間が、「色はにほへど散りぬる」さまに散ってゆく。

googleなどで「竹馬」と検索すると、「竹馬の作り方」というのがいくつか載っているが、私たち農村の子供たちが、手づくりで作っていた頃と違って、この写真のようにもアルミのパイプにプラスチックの「足置き」がついている。
私たちが子供の頃の竹馬は、本体の竹にカマボコの板を縦に半分に割って、二本の板棒を荒縄で軸にくくりつけただけの簡単なものだった。
竹馬に乗る時は、わら草履履きか、はだしで乗って足の指の股で軸の竹を挟んでいたものである。
今の子供は、みな靴履きのままだから、どうしても乗るのが安定しないから、頑丈な「支え」が必要なのだろう。
だから竹馬に乗っての「騎馬戦」などというものは、先ず不可能である。

先にも書いたが「竹馬」は冬の季語である。竹馬の句を少し引いて終りにする。

topimg竹馬


 竹馬や青きにほひを子等知れる・・・・・・・・中村草田男

 わが竹馬ひくきを母になげきけり・・・・・・・・大野林火

 竹馬のめり込む砂地にて遊ぶ・・・・・・・・山口波津女

 竹馬の雪蹴散らして上手かな・・・・・・・・星野立子

 竹馬に土ほこほこと応へけり・・・・・・・・山田みづえ

 戞々と来しは竹馬女の子なり・・・・・・・・井沢正江

 竹馬の濶歩行先なけれども・・・・・・・・橋本美代子

 竹馬の土まだつかず匂ふなり・・・・・・・・林翔
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981646a132682ace8e9dd64dad1edaaa鏡開き①
m_f0216148_11284139鏡開き②

今日1月11日は「鏡開き」の日と言って、正月の間、神棚や仏壇などにお供えしてあった「お鏡餅」を割って、お雑煮などにする「正月行事」の日である。
関西では「松の内」──1月7日が過ぎると飾ってあった餅を下げ、寒い寒気で餅がひび割れるのを避けるために、釜や大鍋などの中に入れて置いた鏡餅を木槌などで割って食べられる大きさにするのである。
正式には、包丁を使うのは忌む、とされるので、木槌などで割るのが、いい。
もっとも、私の家では、包丁を使って薄く切り、「かきもち」にしていた。
昔は大きい鏡餅をお供えしたから、こういう行事も必要だったが、今ではスーパーなどに、プラスチックで成形した鏡餅があるので、それで済ませてしまう。
これなどは、重ね餅が一体化したもので、およそ趣はないが、独り暮しでは、それも致し方ない始末である。
なお、京都では神棚など神事のところは二段重ねの餅を、仏壇など仏事のところには三段重ねの鏡餅を供えるのが普通である。
だからスーパーなどでも三段重ね鏡餅が、ちゃんと売られている。
この鏡開きで割った餅を大釜で炊いて「ぜんざい」をふるまったりしたものである。
関西では、奈良の天理教本部での、この行事が今でも盛大に催される。

参考までに「鏡開き」の句を引いて終わりにする。

 可も不可もなく生きて割る鏡餅・・・・・・・・福田甲子雄

 パック裂く鏡開と云うべきや・・・・・・・・武村文一

 鏡餅開く木槌の音高く・・・・・・・・谷口佳寿

 神妙な鏡開の豆剣士・・・・・・・・丸茂ひろ子





大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・吉田すばる
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       大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・・・・・・・・・・・吉田すばる

「十日戎」は大阪の今宮戎神社の祭礼である。
一年はじめの1月10日は「初戎」として何十万の人が、一説では百万人が、さほど広くはない境内に押すな押すなの様相を見せる。
 ↑ 今宮戎のホームページを見てもらいたい。
前日の9日夜は「宵えびす」、11日は「残り福」と称して、わざと、この日に参詣する人もある。
社殿の裏に廻って、羽目板をどんどん叩いて「えべっさん、頼んまっせ」と大声で言うのが上方風である。
掲出した写真が当日の神社の境内の様子である。
参拝のあと、「福笹」という笹の枝に小判やらをぶらさげたものを買い求めて、肩にかついで帰る。
笹は笹だけで売られ、それにつける小判などは、別途金を払って追加するのである。
東京の「熊手」に福面をつけたりするのと同様のことである。

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 ↑ 写真③が公募された福娘が売る福笹。

『年浪草』という本に「諺にいふ、この神は聾にましますとて、参詣の諸人、社の後の板羽目を敲く。その音、昼夜にかまびすし。これ、今日参詣して諸願を訴ふる謂ひなり。」とある。
近年は「福娘」と称して公募して福笹の売り子を募っているが、応募者が多いので、なるべく美人を選ぶという。今年は45人採用したという。
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1月10日前後には南地の花柳界の芸妓の綺麗どころを「宝恵かご」と称する駕籠に乗せて近在を練り歩く行事がある。これも神社の宣伝のためとは言え、人気がある。
この「宝恵かご」については今年は1月10日に練り歩かれるが、画像としては「たまぞう」氏のサイトなどが詳しい。

ネット上では、他にも動画などがたくさん見られる。お試しあれ。

以下、十日戎を詠んだ句を引いて終る。

 福笹をかつぎ淋しき顔なりし・・・・・・・・高浜年尾

 地下道を華やぎ通る福笹持ち・・・・・・・・橋詰沙尋

 初戎ねがひのうなじうつくしく・・・・・・・・牧野多太士

 十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・中本圭岳

 小火騒ぎありて今宮宵戎・・・・・・・・後藤鬼橋

 福笹にきりきり舞の小判かな・・・・・・・・倉西抱夢

 きらきらと賽銭舞へり初戎・・・・・・・・金田初子

 福笹の大判小判重からず・・・・・・・・嶋杏林子

 凶くれて残り福とは面白し・・・・・・・・細見しゆこう

 雑踏を夫にかばはれ初戎・・・・・・・・上野美代子

 残り福疲れし声をあげて売る・・・・・・・・大戸貞子

 吉兆や佳人に足を踏まるるも・・・・・・・・大野素郎

 商ひも恋もたのみて宵戎・・・・・・・島谷征良

 初戎笹の葉一枚づつの福・・・・・・・・三島敏恵

 残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・吉川一竿




怖いもんって/そら嫁はんにきまってますがな/なにがしとやかな京おんなですか/芯はきついですわ・・・・根来真知子
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     怖い・・・・・・・・・・・・・・・根来真知子

     怖いもんって
     そら嫁はんにきまってますがな
     なにがやさしいですか
     なにがしとやかな京おんなですか
     芯はきついですわ
     こないだもな・・・・・・・
     <Nさんの眼がここでマジになった>

     ついこのあいだも
     捨てたつもりの電話番号のメモ
     見つけられましたんや
     へぇ ちょっとかわいらしい子ぉどしたんや
     嫁はん そのメモをつきつけてひと言
     「家(うち)にあるもんは買わんかてよろしい」

     それだけで終わりますかいな
     翌月 えらい金額の請求書がきましたわ
     へぇ わしあてに
     恐る恐る聞いたら
      なんたらちゅう名ぁのハンドバッグらしいですわ

     そんなん家(うち)にたんとあるのに・・・・・・

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この愉快な詩も『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。
京都人の見かけでは判らない、芯は冷徹な人柄の一端を、巧みに捉えている。
掲出した写真は、私が勝手に載せたものであるが、このバッグも十数万円余りの値段がついている。
初めてパリに行ったとき、娘に頼まれてポシェットを買いにルイ・ヴィトンの本店に行ったことがある。
今まではシャンゼリゼを入った横丁にあったが、2005年にシャンゼリゼの大通りに面したところに「新」本店が出来たらしい。
もう、ん十年前の話である。


辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
辰巳_NEW

──新・読書ノート──

     辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
             ・・・・・2016/05刊 非売品・・・・・・・・

こうして掲出してみると表紙の色が微妙に違う。現物は鮮やかな濃緑である。表紙の布は辰巳織布の製品である。
著者の説明をしておく。
辰巳美績(たつみ・よしつぐ)氏は大正13年(1924)10月10日生まれ。今の三重県名張市に出生した。
大阪府岸和田市に、辰巳織布株式会社を設立し、現在は会長を務める。:今年で満92歳となる。

辰巳美績氏とは縁戚ということになる。私の長女の女の子─孫の結婚相手の祖父ということである。
一昨年の結婚式でお目にかかり、今年の年賀状に、この本の上梓のことが書かれていたので、一月三日の私の一族の新年宴会に来た孫に言って贈ってもらったという次第。
孫などのプライバシーもあるので人名などは遠慮しておくので、ご了承ねがいたい。

この本は、文字通り、辰巳美績氏の一代記である。今もなお矍鑠として会社内外に目を光らせておられる様子が手に取るように、よく分かる。
記憶力も旺盛で幼い頃からの写真もたくさん収録されている。
辰巳美績氏の夫人は鈴子さんというが、この本を読むと、鈴子さんの内助の功が絶大であったことが判る。
この本を贈呈されたときに本に添えてある手紙も鈴子さんの代筆である。因みに、鈴子さんの生年月日が書いてないので不明だが美績氏とは二歳違いのようである。

辰巳美績氏は地元の小学校から松阪市の松阪商業学校に進学。1942年に横浜専門学校に入学する。1944年徴兵繰り上げにより仙台陸軍予備士官学校に「特甲幹」伍長として入学。
因みに、私の兄・木村重信も、この制度により豊橋予備士官学校に入学しているので親近感を抱いたことを書いておく。ポツダム少尉である。

この本には辰巳美績氏の「年譜」「家系図」、辰巳織布株式会社「年譜」など微に入り細をうがつ詳細なものである。
私は全編を詳しく読んでみたが、ここにすべてを引くことは出来ない。
今の時代は、とにかく物騒な世の中であり、どこから攻撃されるか分からないから、プライバシーの露出には気を付けたい。

戦後は物が不足していて、物さえあれば商いになる時代があったが、徐々に生産、流通が体制が整うようになり、そういう時代の趨勢をみて辰巳織布という会社設立に進まれた。
会社は1960年4月5日に誕生するが辰巳美績氏は池田繊維の専務をされていたので鈴子夫人が社長となられて発足した。
この本には鈴子夫人の昼夜を分かたぬ尽力のことが書かれている。

<家内は、朝は暗い内に起き、寮生の朝食の準備をし、日中は工場に入り、検反、管巻、筬通し、織り以外のことは全てした。
 また手の薄い所に手伝いに行き、午後は女の子に洋裁を教え、三度の食事の買い出しをし、一刻も休む時がなかった。
 夏場はクーラーがないため、しばしば食堂のデコラの食卓の下にくたびれ果てて寝ていたことを覚えている。
 急に出荷をいわれた日には、家内は徹夜で検反をすることもしばしばであった。>

私は繊維関係には無知なので、この本に書かれている当該部分について語ることは止めたい。
昭和36年(1961)9月16日、第二室戸台風により当時の工場が全壊したことが書かれている。復旧のために名張で瓦を買い占めたことなどである。
この台風では、私の方の会社の荒茶製造工場70坪余が全壊し建物と機械設備が全滅したことを思い出した。
そういう同時代だったのである。

立志伝中の人物として、自宅を立派なものに新築されたエピソードが載っている。写真を見ても豪壮なものである。
さぞや立派なものであろう。

1980年に長男の雅美氏が専務として入社された。当時の習慣として同業他社で武者修行させるのが常道であった。雅美氏も一年間、他社で「奉公」された。そして今は社長である。
雅美氏は京都大学出身ということだが、学部などは判らない。

繊維製品の製造過程で「糊つけ」という工程(サイジング)があるらしいが、それらは外注にしていたが2009年に関空対岸の地に「のりつけや」というサイジング工場を建築した。
この工場は24時間操業だという。
巻末には「人生訓集」というのが書いてある。「大欲せよ」「記録を残せ」「常に背伸びせよ」など、長年の人生を生きた知恵が述べられている。

私は繊維には門外漢であるから、とりとめもない紹介になったことをお詫びする。
これからもお元気で活躍されるようお祈りして、紹介を終わる。
本のご恵贈有難うございました。



都の外れには/底なしの池があって/坊主や女の骨が沈んでいる/それを拾ってきて/部屋の中で生き返らせて遊ぶ・・・・冨上芳秀
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        骨遊び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨上芳秀

       都の外れには

       底なしの池があって

       坊主や女の骨が沈んでいる

       それを拾ってきて

       部屋の中で生き返らせて遊ぶ

       坊主は木魚を叩くが

       音感はまるでないので苛める

        女は酒を飲ませて

       算盤で計算させて間違えると

       足の裏をくすぐって

       死ぬほど笑わせる

       冬枯れの池に漁師は凍えながら

       網を投げ入れて

       遊ぶための骨を引き上げている。

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この詩も『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。
ここにいう「池」とは、作者によると嵯峨野の「広沢池」のことである。
この池は周囲1.3キロほどの割合に広い池で、989年に宇多天皇の孫・寛朝僧正が池の北西に遍照寺を建立した際に造らせたとされる。
今はもう寺はないが、昔は釣殿や月見堂があったとされ、月見の名所として大宮人や歌人が訪れ、歌を詠んだという。
この詩は、一見すると何となく不気味な感じがするが、幻想を含んだ現代詩であって、面白い。
この辺りも幾多の戦乱に巻き込まれたので、この池にも屍などが放り込まれたらしい、という設定で、この詩は成り立っている。



蜜蜂のうなりのやうにまとひつく耳鳴りあはれ蠟梅かをる・・・・木村草弥
sosin-roubai蝋梅本命

    蜜蜂のうなりのやうにまとひつく
      耳鳴りあはれ蠟梅かをる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の家の庭にある「蠟梅」は近年12月末から新年にかけて咲いている。

『滑稽雑談』という本に「蠟梅、一名黄梅花。この物、もと、梅の類にあらず。臘月に小黄花を開く。蘭の香に似たり。葉は柿葉に似て、小にして長し。大坂にて<唐梅>といふ。この名、臘月の義にあらず。その花、黄蠟色に似たり。ゆゑにこれを名とするなり」とある。
簡にして要を得た文章である。梅に似て、梅でない、黄蠟色の、極めて香りのよい花である。

sosin-roubai3蝋梅

sosin-roubai2蝋梅の実

写真③は蠟梅の実である。
夏のはじめに実り、地面に落ちると発芽して新しい木になるが、条件さえ良ければ、やたらに増えるので始末が悪いので、見つけたらこまめに引っこ抜く。
枝も徒長枝が伸び放題に伸びるので、取り除かないと、庭の他の木を日陰にするので始末が悪い。
樹木には新しい徒長枝に花芽がつくものと、古い枝に花芽がつくのと二種類あるが、蠟梅は梅と一緒で徒長枝には花芽はつかないので、どしどし切ってよいのである。

以下、蠟梅を詠んだ句を引いて終る。

 蠟梅や雪うち透かす枝のたけ・・・・・・・・芥川龍之介

 蠟梅や枝まばらなる時雨ぞら・・・・・・・・芥川龍之介

 蠟梅のかをりやひとの家につかれ・・・・・・・・橋本多佳子

 蠟梅の咲いてゐるなり煤の宿・・・・・・・・百合山羽公

 蠟梅の花にある日のありとのみ・・・・・・・・長谷川素逝

 蠟梅の咲きうつむくを勢ひとす・・・・・・・・皆吉爽雨

 蠟梅のこぼれ日障子透きとほす・・・・・・・・菅裸馬

 蠟梅に日の美しき初箒・・・・・・・・遠藤梧逸

 蠟梅や時計にとほき炬燵の間・・・・・・・・室生とみ子

 蠟梅のこぼれやすきを享けにけり・・・・・・・・林登志子
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「臘」という字と「蠟」という字は区別される。
偏が「虫」と「月」と違っているように、ロウソクの字の場合は虫偏の「蠟」であり、
暦の十二月の異称の「臘月」の場合は月偏の「臘」である。
これらは、いずれも常用漢字の表外漢字であるが、画数の多い字で略字で表記される場合が多いが、ここでは「正字」で出しておいた。

なお蛇足だが、私の歌にあるように、「香る」という言葉の歴史的かなづかいは「かをる」が正しい。
「香り」ならば「かをり」である。
布施明が歌って大ヒットした歌「シクラメンのかほり」というのがあるが、なまじ大ヒットしたが故に、この仮名づかいが正しいように誤解されているが、
これは作者の小椋佳の勘違いによる間違いであり、いつまでも恥を曝しているようなものである。
知ったかぶりをして、歴史的かなづかい(旧かな)にしたために間違ったのである。
ここは素直に「新」かなづかいにしておいたら、恥をかかずに済んだのである。
今や「新かなづかい」が制定されてから60年以上が経ち、「旧かなづかい」なんて全く縁のない人々が殆どであるから、
「旧かなづかい」で詩歌を作ったり、書いたりするには、それ相応の「覚悟」と「勉強」が要る。
安易な気持でやられては困るのである。「国語辞典」「古語辞典」には載っているので参照する癖をつけたい。
このブログ上でも、これにつられて「かほり」と書いてあるのを時々見かける。念のために申し上げておく。




 くの字くの字に/折れ曲がった路地/紫の煙が這う/ここは東山のふもと石塀小路・・・・松山妙子
24013PAAK019_03_02石塀小路

         石塀小路・・・・・・・・・・・・・・・松山妙子

     くの字くの字に
     折れ曲がった路地
     石畳を囲むようにそびえる石の塀の上を
     紫の煙が這う
     忍者がひょっこり
     とびだしてきてもおかしくない
     ここは東山のふもと石塀小路

     路地のさきにぽつり
     狭い路地 どんつき折れると またぽつり
     狐火のように門灯がともる
     ゆれるあかりのあいまに
     しずかにきこえる三味線の音

     海底深く 船底深く
     乙姫さまに案内された 龍宮城
     鯛や平目に杯を傾け 杯をかさね
     ゆれるこころ
     ゆれるゆどうふ
     ゆれるゆげ

     酔いがまわった足取りで
     石畳のように角張った
     とうふのかどなぞりながら
     本当のかえりみちさがしている
----------------------------------------------------------------------
この詩は、日本詩歌紀行2.『滋賀・京都 詩歌紀行』という本(著者・日本詩歌句協会、発売・北溟社)に載るものである。
名前の通り、詩・歌・句の地名によるアンソロジーである。
私も要請があって3首の歌が載っている。

「石塀小路」というのは、京都の東山山麓の「路地」のことである。「路地」を京都では、長く伸ばして「ろーじ」と発音する。
写真①は、この路地の入り口に掲げられる路地の門灯である。
 
↓ 写真②は石塀小路入り口。 写真③は石塀小路の一部。 写真④は明りの入った夜景。
04石塀小路入り口
02石塀小路
03石塀小路

近くには「高台寺」などもあり、「清水寺」にも近い。
「三年坂」(産寧坂と書かれることもある)「二年坂」など清水寺かいわいの土産物屋の多い通りは、すぐそこである。
三年坂の辺りの、「売らんかな」の雰囲気とは違って、写真③に見るような昔の趣を伝える、落ち着いた通りである。
石塀小路が出来たのは比較的最近のことで、大正時代の初期の頃だ。
石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地だったが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、
圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造った。
↓ 写真⑤は圓徳院の外壁だが、この赤レンガは外国から輸入して築いた壁で、レンガが珍しい当時としてはモダンな雰囲気を作った。
ishibekoji_2.jpg

石塀小路に入る路地には、はじめに掲出したガス燈のような電灯が掲げられていて、すぐにわかる。

ここが、 現在のような姿に完成したのは、昭和になって、しかも戦後になって京都から市電が廃止されるようになり、市電に使われていた石畳をここに敷いたことからのようである。
石塀小路が出来た頃には現在のように旅館や飲み屋さんはなかったが、東山を舞台とした映画ロケが盛んにされた頃から、
映画関係者を目当てとした旅館や飲食店などが建ち並び、現在のような姿になった。
今でもここの旅館を愛する映画関係者も多く、ここから夜には祇園に繰り出す事も多いようだ。
地元の方も町並みを大切に保存されている。

八坂神社から南に歩き、石塀小路を目指して歩くと、大きな建物があるわけではないので、探し出すのに少し時間がかかる。
しかし、小路に入ると石畳の道が続き、町の雰囲気はガラッと変わる。
自動車の乗り入れ制限があるので、閑静な雰囲気があり、ゆったりとしてそぞろ歩きが出来る。
石畳なので夏場の照り返しがきつくなく、アスファルトの道を歩いているときの、うだるような感じがない。

それぞれのお店を覗いてみると、一見料金が高そうなところが多そうなのだが、意外とリーズナブルなところもあるが、
人気の観光スポットなので、早くから予約を入れないとなかなか泊まったりすることは難しそう。
しかし一見さんお断りが無いので、早い時期から予約すれば、宿泊できるらしい。
この通りは特別な許可がないと、自動車の通行が出来ないこともあり、町の情緒を楽しむのにゆっくりと歩くことが出来る。
通りの雰囲気もさることながら、少し足を伸ばすだけで、高台寺や八坂の五重塔に行くことが出来るので、京都東山観光をするにははずせまないところ。

料亭などの、しっとりした商売もあるし、旅館なども風情がある。
私は、別にお金をもらったわけではないので、個々の紹介はしない。ネット上で検索されたい。
「詩」にも書かれているが、「湯豆腐」は京都の冬の食べ物として、絶好のものではないかと思う。京都は「水」がいいので、おいしい豆腐がある。

この詩は、さほど巧い作品ではないが、最終連の

      石畳のように角張った
      とうふのかどなぞりながら

というくだりは、秀逸である。
この「松山妙子」という作者のことは、私は何も知らない。

ネット上では「石塀小路」と検索すると多くの記事が出ているので各自調べられよ。




冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・・・久保田万太郎
c0007122_7415486寒椿

   冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

久保田万太郎の句は私も大好きなので何度も採り上げてきた。
万太郎は夫人を亡くされてから「隠棲」された。
身辺には或る女の人が寄り添っていたが、その人にも先立たれて沈潜した生活をしていた時期があるが、この句はその頃のものであろうか。

「寒椿」または「冬椿」とも書かれるが、この花はツバキ科で、山茶花や茶とは同じカメリア属である。
椿は、なかでも「薮椿」と呼ばれるものは、学名をCamellia japonica と言うように、日本の固有種である。
日本では、初冬から晩冬にかけて寒中に咲くものを「寒椿」と称している。
寒椿の学名はCamellia sasanqua cv. Fujikoana と言うが、ラテン語の学名の付けかたの世界では「cv」とは「園芸品種」とされている。
藪椿が、日本固有の椿の原種ということであろうか。詳しいことは学名のページを見てもらいたい。

写真①は、「獅子頭」(ししがしら)という品種の寒椿で、物の本によっては「山茶花」に分類されているのもあるとのことで、まことに紛らわしい。
椿や山茶花については先に詳しく書いたが、椿と山茶花との区別の仕方として、ツバキは花が散るときに萼(がく)のところから、花がポロッと全体が落ちるのに対して、
サザンカは花びらが一枚づつばらばらと落ちる、という違いがあるとされている。
しかし、寒椿の花は、サザンカと同じように花びらがばらばらに散るものもある、というから、余計にややこしい。
一般的にツバキは、いま書いたように花全体がポロッと落ちるので、昔の武士は縁起が悪いと嫌がったという。
先に書いたように、学名でもCamellia sasanqua までならサザンカなのである。
なお、Camellia というのは17世紀のチェコの宣教師Kamell氏の名に因んでいることも、椿のところで書いたと思う。

123450987245516312944寒椿・白

写真②は白の寒椿である。山茶花か寒椿か、紛らわしいと追求されても私には判定は出来ない。
歳時記を見ると、一重咲きの早咲きには白に紅の絞りの「秋の山」、桃色の「太郎冠者」があり、
八重のものには白の牡丹咲きの「白太神楽」、紅絞りの「白露錦」というような品種があると書いてあるが、
それらの写真がないのは残念である。

寒椿を詠んだ句を引いて終わりたい。

 竹薮に散りて仕舞ひぬ冬椿・・・・・・・・前田普羅

 冬椿落ちてそこより畦となる・・・・・・・・水原秋桜子

 寒椿つひに一日の懐手・・・・・・・・石田波郷

 寒椿落ちたるほかに塵もなし・・・・・・・・篠田浩一郎

 山の雨やみ冬椿濃かりけり・・・・・・・・柴田白葉女

 寒椿朝の乙女等かたまりて・・・・・・・・沢木欣一

 白と云ふ艶なる色や寒椿・・・・・・・・池上浩山人

 妻の名にはじまる墓碑や寒椿・・・・・・・・宮下翠舟

 海女解けば丈なす髪や冬椿・・・・・・・・松下匠村

 寒椿嘘を言ふなら美しく・・・・・・・・渡辺八重子

 花咲いておのれをてらす寒椿・・・・・・・・飯田龍太

 寒椿月の照る夜は葉に隠る・・・・・・・・及川貞



山田兼士『詩の翼』・・・・・木村草弥
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──山田兼士の詩と詩論──(13)

      山田兼士『詩の翼』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・響文社2017/01/13刊・・・・・・

山田先生の詩集を除く十一番目の本である。
これまでの二十数年間に書かれたものをまとめられたもので、「あとがき」によると、全36篇は内容的に三つに分けられる。
第一章「現代詩の百年」には、荻原朔太郎から現代までの日本現代詩を。
第二章「フランス詩の百年」には、ボードレールから二十世紀半ばまでのフランス詩について。
第三章「詩の翼」には比較文学的な、あるいは自儘な文章といくつかの追悼エッセイを収められている。

「帯」の裏には

<「詩の翼」は、島田陽子追悼文中に引用した、小野十三郎のフレーズ「軽く翼を泳がせて/重い荷物を運べ」から着想を得たものです。
 「詩」という重い荷物をどこまでこのささやかな「翼」で運べるのか分かりませんが、
 もともと「詩」そのものが「翼」なのではないかとの思いもあります。>

と書かれている。 これこそ本書の意図を簡潔に要約したものと言えるだろう。

なにぶん大部の本なので、ここで簡単には説明できないので、上記の要約で察していただきたい。
詳しくは本文を読んでもらいたい。  以上、不十分ながら紹介する次第です。


オモシロク狂ツテ舞ヘバ/身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ/声ハ大気ヲツン裂イテ/スガタハ空ノ青ニ染ム・・・・大岡信
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       閑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     ハツ春ノ
     空ニタチマチ湧キイデテ
     羽音モタテズ狂ヒタツ
     雪サナガラノ思ヒカナ

     オモシロク狂ツテ舞ヘバ
     身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ
     声ハ大気ヲツン裂イテ
     スガタハ空ノ青ニ染ム

     閑閑タリ
     ヒトリ遊ビノ
     小宇宙

     巌ニ星モ エイ
     咲カシテミシヨウ
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この詩は学習研究社1985年12月刊の「うたの歳時記」─冬のうた、に載るものである。
5、7という日本の伝統的な音数律に則った詩作りになっている。
日本の現代詩作家も、こういう日本古来の韻律に時には立ち返ることもあるのである。

掲出した写真は北海道の鶴居村で舞う鶴の姿である。
鶴は春の繁殖期を前にして、もう番いの間で愛を確かめる愛技ともいえる「舞い」をはじめるのである。
涙ぐましい自然の摂理とも言えようか。
「鶴」はメデタイものの縁起物として引かれるので、新年を迎えた今の時期のものとして出しておく。
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昨日一月三日は私の子供たち、孫たち、ひ孫一人を含めて十一人が集まって新年宴会を行った。
孫の配偶者の妻は急性の耳の病気にかかり腫れあがったので欠席した。 お大事に。
みんなが持ち寄った材料で、高級肉のしゃぶしゃぶや、大粒の生ガキのレモン搾り、口にいれるととろけるようなブルーチーズなど。
何よりも今の家族の身めぐりの出来事や話題など話に盛り上がった。
長女がfacebookに載せていた画像だけかと思っていたら現物の日本酒の「薦かぶり」を呉れた。後日ぼつぼつ賞味したい。
小学校三年の男孫は父親からプレゼントされたおもちゃのヘリコプタを飛ばしに、少し離れた公園に親たちと行った。うまく飛んだらしい。
昨年初夏には思わぬ発病に見舞われたが何とか回復できて幸運だった。
こうして一族が無事再会できたことを記して、今年も新年を迎えることが出来たことに感謝したい。







三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・・佐藤鬼房
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  三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房

正月三が日のうちの最後の日であるから、元日の厳粛さや、二日の楽しさとは違った感慨で受け取られる日であろうか。
この日は、皇位の始まりを祝う元始祭として、明治初期から重要な日となった。

先に書いたが、2008年十二月中旬の南九州の旅には、往復に大阪南港→←志布志港のダイヤモンド・フェリーの「サンフラワー」を利用した。
私たちの乗ったのは「きりしま」号だった。姉妹船として「さつま」号があり、二隻で交互に運行している。

さんふわわあ きりしま
1993年8月26日就航。12,418総トン、全長186m、幅25.5m、出力34,200馬力、航海速力24.7ノット。
旅客定員782名。車両積載数:トラック175台・乗用車140台。三菱重工業下関造船所建造。
いくつかの変遷を経て、目下は商船三井グループ に所属する。

掲出句の通り、大きなトラックや乗用車などを載せるために船は舷側と船尾の大口を開けているのである。
正月休みは一月三日までというところが多いので、翌四日か五日から仕事始めというところが多いだろう。

以下、一月三日を詠んだ句を引いて終る。

 籠居や三日のうちに思ふ顔・・・・・・・・石川桂郎

 静かに身を養ふに似て三日過ぐ・・・・・・・・松崎鉄之介

 三日の客羽衣舞うて失せにけり・・・・・・・・文挟夫佐恵

 水のごと一日二日三日過ぐ・・・・・・・・神蔵器

 ちりぢりに子が去り雪となる三日・・・・・・・・福田甲子雄

 山せみも川せみも来し三日かな・・・・・・・・大峯あきら

 長崎の坂動き出す三日かな・・・・・・・・有馬朗人

 三日はやもの書きといふ修羅あそび・・・・・・・・鍵和田秞子

 三日はや雲に映れる船渠(ドック)の灯・・・・・・・・藤木倶子

 風位また変り三日の船着場・・・・・・・・千田一路

 昼過ぎを立ち読みに出る三日かな・・・・・・・・坂本宮尾

 正月三日赤い実採りに山へ行く・・・・・・・・森下草城子

 たあいなく酔うて三日の過ぎにけり・・・・・・・・阿戸敏明

 広重の富士や三日の駿河湾・・・・・・・・田中きよ子

im_Silja_Symphony01シリヤ・シンフォニー
 ↑ シリヤ・シンフォニー号

ご参考までに、私がかつて乗船した北欧のバルト海のシリヤラインの船シリヤ・シンフォニー号 59900トンと比べると貧弱なのは言うまでもない。
このシリヤラインは車も乗せるが、多くの外国人を含む観光客を載せる客船としての機能が主であるから、おのずから設備が違う。
上記のリンクにアクセスしてもらえば、多くの姉妹船のことも書いてある。
もともとはフィンランドの船会社であったが、現在は、先年行ってきた、エストニア・タリンのフェリー会社が経営権を握っていて、会社名も「タリンクシリヤライン」というらしい。

これに比べて、今回利用したのは、あくまでも「フェリー」としての機能が主の船であるから、その違いは当然のことである。



蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・橋閒石
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 ↑ おせち重箱
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 ↑ 初荷飾り
 
       蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・・・・・・橋閒石

ただ単に「二日」というと俳句では「一月二日」を指す決まりになっている。つまり「新年の季語」ということである。
同様に「三日」「四日」「五日」「六日」というのも同じ扱いであるから、ご承知を。

正月休みというものも、外出したり、また特別の行事がないかぎり退屈なものである。
掲出句は、そんな雰囲気を巧く捉えて作品に仕立てている。「午後三時」という夕方近くの様子を活写している。
「おせち」料理というものも、正月の間中たべ続けると、飽きてくるが、その中に「蓮根」が入っているが、これは縁起かつぎで、蓮根は穴があいていて、その穴から「先」が見える、という趣向である。
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hatuni-1-.jpg
o0480064010966021870初荷

昔は、元日が家族のみで過す印象が強いのに比べ、「一月二日」は、初荷、初商い、書初め、掃き初め、縫い初め、などの行事の日とされた。
これは、この日が初仕事の吉日とされていたためである。
農家では「鋤初め」、漁師では「船乗り初め」などとなる。
私の家は商家だったので、正月休み中にも拘らず従業員が出勤してトラックなどに「初荷」を積んで出発を見送った。
その後には、酒肴のもてなしがあったので、みな、喜んで出社したものである。
荷物そのものは年内に注文を受けて荷造りを済ませてあったもの。

 元日は嬉し二日は面白し・・・・・・・・・・丈左

という古い句のあるのも、そういう情景を活写していよう。

今でも「初荷」の習慣はあるが、正月休み明けの日にやるところが多い。
以下、「一月二日」に因む句を引いて終りたい。

0000000028_0000013612書き初め①
P1010840書き初め②
 ↑ 「書き初め」

 鞆の津や既に二日の船出ある・・・・・・・・・・松根東洋城

 海鼠あれば二日正月事足んぬ・・・・・・・・・・田中田士英

 船神のかざりしづかに二日の夜・・・・・・・・・・伊東月草

 客のあと硯開きぬわが二日・・・・・・・・・・石塚友二

 蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・橋間石

 つねのごと烏賊売の来て二日かな・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 窯元の賀状届きぬ二日かな・・・・・・・・・・宮田正和

 腹の上に猫のせてゐる二日かな・・・・・・・・・・行方克巳

 二日はや猪撃ちとめて担ぎこし・・・・・・・・・・大口元通

 ざくざくと歩く二日の雑木山・・・・・・・・・・飯田晴

 子が駆けて二日いろどる宇治堤・・・・・・・・・・小松初枝

 磨る墨の吸ひつきのよき二日かな・・・・・・・・・・澤田佳久

 二日はや鑿研ぐ阿波の人形師・・・・・・・・・・溝淵匠史

 知覧にきて泣いて帰りぬ二日かな・・・・・・・・・・村井国男



藤原光顕の歌「これだけの」14首・・・・・・・・・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(31)

      藤原光顕の歌「これだけの」14首・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・「たかまる通信」No.105/2017.01.01所載・・・・・・・

         これだけの       藤原光顕

  咲き残るランタナの花を陽が移る 小春日の庭にあの人がいない

  ふるさとの愛染川は谷間の細さ 八歩で渡れる橋があった

  検索をかけてもなにも出てこない「赤レンガの家」とあるだけのメモ

  秋が来て古い少年倶楽部を開く 軍国少年は明るく凛々しい

  アマルフィのあの窓の人は何をしているのかそんな画面を見ている

  画面のユングフラウが陰るあの人がもう一度行きたかったあの山

  なんとなく心躍らせて記憶にあるバシー海峡こんなところにあった

  たぶん何かがあって時々思い出すバンコクのゆるい坂下のレストラン

  どの窓も眩しく秋の陽を反す たぶんあの病院で死ぬことになる

  似ていると言えば怒るあの女(ひと)は じゃりん子チエを私は好きだ

  有り合わせ足して5品のひとりおでん5分温めてひとりで食う

  食うなと医師が言う 食いたいと体が言う 八十一歳は体に従う

  いつ何がどうなってこんな秋にいるのか 八十余年が茫々遠い

  これだけのものだったのか八十年が見渡せる丘に紫煙が消える
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いつもながらの光顕ぶし である。 老いの哀歓の影が深い。そして亡くなった夫人への愛が見てとれる。
この冊子の24ページの「詩語録」という余白を埋めるところに私のブログの旧記事の文章を載せていただいた。
これは岡山の詩人の秋山基夫の詩集『薔薇』を鑑賞したものだが2012/04/13の記事である。
これを見ると、藤原さんが私のブログを、よく読んでくださっていることが判る。有難いことである。
こういうことがあるから、ブログに毎日書くことがやめられないのである。執筆者冥利に尽きるというものである。
藤原さんの六番目の歌の「バシー海峡」に関していうと、私の第一歌集『茶の四季』に、こんな歌がある。

   <この海はバシー海峡かの先はフィリピンよと君は言ふなり>

この歌は台湾最南端のガランピ岬で作ったものであるが、藤原さんの歌からの連想である。閑話休題。

藤原さん、有難うございました。 大晦日に冊子は到着したのだが、新年の初仕事としてアップした次第。



湯浴みして 血の蘇る 大旦・・・・・・・伊丹三樹彦
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↑ 北野天満宮2017酉年大絵馬
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 ↑ 酉年絵馬
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      湯浴みして 血の蘇る 大旦(おおあした)・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦

ここ数年間、有名な

   去年今年貫く棒の如きもの・・・・・・・・・高浜虚子

を引いてきたが、余りにも芸が無いので、余り知られていない佳句を引いた。

この句は前衛俳人として名のある伊丹三樹彦の作品である。
ご覧になると判るように575の間に「一字アキ」を施した斬新な句である。
現代詩などでは多用する表現である。

ともあれ、年が改まったのであるから、気分を新たにして生きたい。
新年の念(おもい)というのは、古来さまざまに詠まれて来た。
以下、少し引いて年頭の「初」ブログとしたい。

  ■老の愛水のごとくに年新た・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏

  ■人死んでまた死んで年新たなり・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

こんな句もある。

  ■いざや寝ん元日はまたあすのこと・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

蕪村としては、ぐっと砕けた、磊落な作である。「自筆句帖」は、蕪村が最晩年に自ら記録していた自作句集。
会心とする作には〇印を振ってあり、これも、そのひとつ。
晩年の蕪村の心のあり様をうかがわせるような句である。

俳句をおやりの人には常識だが、歳時記には春、夏、秋、冬の四つの季節のほかに「新年」という季節分けがあって、
分冊の場合は全部で5冊になるのである。
そこに載る句を少し引いておく。

 去年の如く今年の如く母のそば・・・・・・・・萩原麦草

 この間逢ひしばかりに去年今年・・・・・・・・高浜年尾

 針に糸通してゐるや去年今年・・・・・・・・細見綾子
 
 おいらくのほのぼのかなし明の春・・・・・・・・山口青邨

 読みさして方丈記あり去年今年・・・・・・・・遠藤梧逸

 去年今年一と擦りに噴くマッチの火・・・・・・・成田千空

 白光の一筋通ひ去年今年・・・・・・・・平井照敏

 去年今年闇の向ふに犬鳴いて・・・・・・・・渡辺七三郎

 いそがしき妻も眠りぬ去年今年・・・・・・・・日野草城

 命継ぐ深息しては去年今年・・・・・・・・石田波郷

 去年今年雨降り埋む妻との隙・・・・・・・・角川源義

 去年といひ今年といひて火に集ふ・・・・・・・・鷹羽狩行

 去年今年去年今年とて今更に・・・・・・・・能村登四郎

 夢もなし吉凶もなし去年今年・・・・・・・・森澄雄

 去年今年ニーチェを読んで老い知らず・・・・・・・・野崎ゆり香

 洗ひ干す筆のいのち毛去年今年・・・・・・・・松本可南




POSTE aux MEMORANDUM(12月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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本年も十二月、最終となりました。
泣いても笑っても「師走」の到来です。

 葦べ行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 志貴皇子
 いたぶるとなぶるを辞書に引き比ぶ甚振(いたぶ)るうつつは辞書より辛し・・・・・ 沢口芙美
 みまかりてしまへばはらからではなくてうをの牙はも魚にむらがる・・・・・・・・・・・・ 柳沢美晴
 流し樽流れいし世のゆたかなり瀬戸内海に雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 玉井清弘
 廊下ゆく杖の音立つ雪の日の白鳥の声刈田にきこゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・板宮清治
 定食を囲んで話すほんとうの笑顔でいようお醤油かけて・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 岩尾淳子
 朝しぐれすぎてさだまる海の色うつくしければ自転車に乗る・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井ゆき
 冬の日は誰のものにもあらざれば一直線に日向を歩む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沖ななも
 萩もみぢとらへがたなきあかるさの 窓辺に充ちて、仮の世この世・・・・・・・・・・・・・ 中西洋子
 海底に塩噴く臼のあるといふ説話なかなか嬉しきものを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恩田英明
 国家解体おもひみるかな領土なく国語なくただに<言葉>響きあふ水の星・・・・・・水原紫苑
 頭よりヤマメ食ふとき大陸の塵も胃壁も融けつつあらむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒瀬珂瀾
 しつかりと我をみつめて泣くなといふ冬の垣根のつはぶきの花・・・・・・・・・・・・・・・秋山佐和子
 ちよつとだけよろけぬるかな足もとの椿の花を踏むまいとして・・・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
 液晶の青うなばらに文字浮きてきょうの出来事伝えていたり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久我田鶴子
 亡き母を知る人来たり十二月・・・・・・・・・・・・長谷川かな女
 落ちてゐるからたちの実や十二月・・・・・・・・・・吉岡禅寺洞
 武蔵野は青空がよし十二月・・・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子
 わが生死食思にかかる十二月・・・・・・・・・・・・・・・相馬遷子
 御岳に雲の荒ぶる 十二月・・・・・・・・・・・・・ ・ 伊丹三樹彦
 星冴ゆる戌亥を守る鬼瓦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 家猫の小さなくしゃみ今朝の冬・・・・・・・・・・・・・・・・ 盛蓉子
 星流るすうっと走る裁ちばさみ・・・・・・・・・・・・・・ 北畠千嗣
 深秋やさうかと思ふ竹林・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 冬立つやひとりひとつの顕微鏡・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 河を越え伸びをり塔の影師走・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 太ももの外側ほぐし冬の虹・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉川わる
 冬麗に象形文字の割り出され・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 セスナ機も花野におなじ風のなか・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 冬枯れのサラリーマンの目を労わる・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 脱力のセーター椅子の背もたれに・・・・・・・・すずきみのる
 古暦つまり風葬ではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 そこここに団栗ならばそこここに・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 リビングの隅の聖樹の消し忘れ・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 原子炉が目覚めし町や冬の蝶・・・・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 また嘘をつくリアシートにはポインセチア・・・・・・・・ 奥村明
 流るるといはず揺れをる冬の川・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 水洟をすする眼の鋭さよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 亡国の名の酒場ある風邪心地・・・・・・・・・・・・・・青木ともじ
 木枯らしはくしゃくしゃにしてポケットへ・・・・・・・・・青島玄武
 ひとの手に墨匂ひたり牡蠣の旬・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 しぐるるや切絵のむすめ白眼無き・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 澄みてなほ水は面をうしなはず・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 冬の川舌のごとくに夜が来る・・・・・・・・・・・・・・・・・青本柚紀
 ただの妻ただの星子の風邪癒えて・・・・・・・・・・・・和知喜八
 さんらんと冬雲のあり午後の塀・・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 海豚抱くほかなき海の青さかな・・・・・・・・・・・・・・・青山青史
 善人が黙えらぶ世の鵙日和・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹岡一郎
 枯野行く少し狂ひし腕時計・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 露の径日の山荘を仰ぎけり・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 てのひらに硬き切符や冬ぬくし・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 外套の中の寂しき手足かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岬光世
 すつぴんでするりセーター脱ぎながら・・・・・・・・・・ 九里順子
 なにかを捨てて来た道をかえりみる・・・・・・・・・・・・天坂寝覚
 口紅が食み出している帰り花・・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 思い出の話ばかりを枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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入江敦彦『イケズの構造』・・・・・・・木村草弥
いけず

──新・読書ノート──

     入江敦彦『イケズの構造』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 
                  ・・・・・・新潮文庫平成19年初版・平成23/02/10三刷・・・・・・・   

「京都本」だが、著者の入江敦彦とは、こういう人である。
   <1961年京都市西陣、髪結いの長男に生まれ、機の音に囲まれて育つ。
    多摩美術大学染織デザイン科卒業。1991年渡英、ロンドン在住。エッセイスト。
    主な著書として、生粋の京都人ならではの視点と鋭い筆致で京都の深層を描き
    話題を呼んだ『京都人だけが知っている』シリーズをはじめ、『イケズの構造』
    『秘密の京都』など。ほかにも英国の文化と生活に関する著作も多数。>

新潮社のホームページに載る紹介記事を引いておく。
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       イケズの構造

     誘って、拒んで、迷わせる……ほんまにイケズな京のひとびと
     よそさん、イケズに出会う

 京都の暖簾をくぐると、そこにはかならずイケズが待ち受けている。と、よそさんはいいます。
 が、果たしてそれは真実でしょうか。
 
■老舗編
 創業ン百年という笄屋さんへ、英国の女友達にあげるプレゼントを買いに行ったとき、
ちょうどそこのご主人が若い女性客へにっこりと最後通告を言い渡しているのに行き当たったことがあります。
「申し訳ありまへんなあ。うちにはお宅さんに売らせていただけるようなもんは置いてへんみたいですわ。また、なんぞの際に寄っとくれやす。おおきに」
 彼女が店を辞したあと思わず吹き出してしまった私に、彼は困ったような笑顔で話し掛けてきました。
「誰ぞに頼まれはったとかでおいやしたんやけど、さっぱり要領を得えしまへんのですわ。
梳かはるんか結い髪に飾らはるんか、自宅で使わはんのか携帯用か、柘植か塗りか。欲しがったはる人の趣味もようわからん言わはるし。
しまいには三千円くらいで適当に何でもええて明後日向いたはるさかいね。すんまへんけどて申し上げたんです」。
 きっと、くだんの子はイナカに帰ってから櫛の依頼人と一緒に「やっぱ、京都ってちょーイケズ」と憤慨するんでしょうね。
「信じらんないよねー。売ってくれないんだよ!」とか愚痴っているに相違ありません。
でも、どう考えたって私には店に非があるとは思えない。
どころか「その先の百円ショップにプラスチック製のがありまっさかい、それにしとかはったらどないです? ご予算で三十本買えまっせ」
くらい言ってやっても全然オッケーですね(彼女には、いっそそのほうが親切に感じられたかもしれません)。
そんなふうに思うのは私が京都人だからでしょうか。
それとも「お客様は神様」的対応から外れたら、それはもう、シキタリに縛められた特異な世界=イケズに分類されてしまうのでしょうか。
 客によって売り物を売らない。これは京都に来たよそさんが遭遇する確率の比較的高い出来事です。
むろん本当にナイ袖は振れナイだけの場合もありますが。
「たったいま売り切れてしまいましてん。すんませんねえ」「ちょうど品切れしてるんですわ。こんどはいつでけるかわかりまへん」
 とやんわりお断りする。
これは「相応しくない」と判断した客から自分たちの扱う商品を護るための手段であり、
本当に必要としてくれているお得意様のためにそれらを確保する方法論でもあります。
バブルの頃、群がる日本人客(よそさん)に向かって商品を床にばら撒き漁らせたパリのブランド店があったそうです。
それに比べて京老舗のなんと奥床しいことでしょう。
  
■訪問編
 数々のシキタリを体で覚えてゆくなかで、販売拒否の次によそさんたちが出会うのが《誘惑のイケズ》です。
早い話が「ぶぶづけ」のバリエーションですね。
「ぶぶづけ」自体は前述したように幻のイケズですが、これに類する“本意でない接待”はあらゆる場所で奈落の口を開けています。
それらに足を突っ込まないように歩くのは骨の折れる作業。
好意の見極めは恋愛というシチュエーションでなくとも失敗すると怪我します。要は距離感とバランス感覚なんですけどね。
 商家が基本のこの街では、ごく最近まで鍵をかける習慣がありませんでした。夏ともなれば玄関は開けっ放し。
そして、そんな物理的な敷居の低さが手伝ってか、彼ら彼女らは些細なことで実に頻繁に行き来します。もちろんアポなし。
けれどまた、それゆえに京都人は「ぶぶづけ」を出されないよう訪問や辞去のタイミングに細かく気を配るようになります。
もちろんその背景には、子どもの頃からの経験の積み重ねがあります。京都人は相手が幼いからって無礼や不躾を容赦しませんからね。
みんな辛ぁーい“ぶぶづけ”を啜りながら人間関係の機微を学んでゆくのです。

「取材先でコーヒーを勧められて、お願いしたんですけどいつまで待っても出てこなかったんですが、これってイケズですか」と、
インタビューを受けたライターさんから訊ねられて困ったことがあります。
ものを書く仕事をしていても近頃は情況を分析して的確に捉える作業なんてしないんですねえ。
 相手が忙しそうかどうか。相手のステイタス。どのくらいの時間を割いてもらったのか。取材の時間帯。取材中の雰囲気。
コーヒーは出前になるのか、その場で淹れるのか。ご挨拶なのか厚意なのか。自分が好かれているかどうか。相手に関する知識がどれくらいあるのか。
これからの付き合いは存在するのか。両者に利害関係はあるのか。あるなら、その程度はいかばかりか。取材のギャランティは発生しているのか。
誰か仲介者があったのか。アポのときの様子はどうだったのか。どんな文脈で「コーヒー」という言葉が登場したのか。
なにより、どんな言い方だったのか。そういう情報がなければ判断のしようがありません。

A ただ単に「コーヒー飲まはりますか」と言われたのか。
B あるいは「そない急かんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす」か。
C それとも「喉渇きましたなあ。コーヒーでもどないです」だったのか。
D もしくは「コーヒーでよろしか」と訊かれたのか。
 仮に、初対面に近い京都人があなたというよそさんにコーヒーを勧めるとしたら、その表現は大きく分けて以上四つのバリエーションに分かれます。

 もしAならば、ただの挨拶の可能性が高いです。ほぼ無意識ですからコーヒーがやってくることは、まずありません。
「おはようさん。どこ行かはんの」と声をかけた京都人が期待してる返事は「ちょっとそこまで」であって詳しい日程ではありません。
あなたが答えるべきは「へえ、おおきに」。そう口にしておいて頃合を見計らい暇を告げるのが定石です。
もし、これが会話を始める前のオファーなら言葉通りの質問。それでいてコーヒーが運ばれてこなければイワズモガナでしょう。
手際よく切り上げる必要があります。

 Bも挨拶の一種なのですが、これは京都人の悪癖でもありますね。
あなたは絶対に「いや嬉しいわあ。そやけど、そんなん結構です」と遠慮せねばならないのですが、いっぺんくらいでは許してもらえません。
「なんでですのん。よろしやん」「コーヒーお嫌いやったら紅茶にしまひょか」「もう淹れかけてまっさかい。な」と執拗です。
しかしどんなに執拗でも断り続けねばならぬ蟻地獄のような、これは風習なのです。
京都人ですらいい加減鬱陶しいと思っています。が、やめられない。
「これはぶぶづけで言うてるのんとちゃいまっせ」とまで迫られても固辞が原則。当然ながらコーヒーの出る幕はナシ。

 怖いのがC。なぜならこの台詞は京都人にとって精一杯のストレートな「撤収!」の合図。
この台詞には脊髄反射で鞄を抱え直さねばなりません。
喉渇きましたなあと“疲れ”を強調したうえで訊ねるのは、辞退してくれというメッセージだからです。しかもコーヒーでもといっている。
このでもは「なんでもええし」と突き放すでも。あとには無言の「ちゃっちゃと済ませとくれやす」がついています。
「こんど時間のあるときに、また呼ばれまっさ」と席をたちましょう。

 唯一誘いに乗ってもよさそうなのがDです。
(後略……この先は本書でおたしかめください)
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「京都人」と付き合うのは難しいですぞ!!!
では、続編をお楽しみに。

いよいよ本年も押し詰まってきた。 本年も後一日を残すのみである。
佳い年越しをなされるようお祈りして本年の「稿」を終わる。






リルケ死にし日なりき冬の薔薇の辺に・・・・・脇村禎徳
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    リルケ死にし日なりき冬の薔薇の辺に・・・・・・・・・・・・・・・脇村禎徳

今日12月29日はドイツ人の作家・リルケの忌日である。
掲出句は、そのリルケと冬薔薇とを情趣ふかく描いて秀逸である。
リルケには薔薇を詠んだ24篇の詩があり、それに因んで詩集の表紙を出しておいた。

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ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875年12月4日~ 1926年12月29日)は、オーストリアの詩人、作家。
シュテファン・ゲオルゲ、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに世紀転換期を代表するドイツ語詩人として知られる。

プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学び、早くから詩を発表し始める。
当初は甘美な旋律をもつ恋愛抒情詩を発表していたが、ロシアへの旅行における精神的な経験を経て『形象詩集』『時祷詩集』で独自の言語表現へと歩みだした。
1902年よりオーギュスト・ロダンとの交流を通じて彼の芸術観に深い感銘を受け、その影響から言語を通じて手探りで対象に迫ろうとする「事物詩」を収めた『新詩集』を発表、
それとともにパリでの生活を基に都会小説の先駆『マルテの手記』を執筆する。

第一次大戦を苦悩のうちに過ごした後スイスに居を移し、ここでヴァレリーの詩に親しみながら晩年の大作『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』を完成させた。
『ロダン論』のほか、自身の芸術観や美術への造詣を示す多数の書簡もよく知られている。
詳しくはWikipedia → ライナー・マリア・リルケ を参照されよ。

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以下は「冬薔薇」について書いておく。

   冬薔薇を剪(き)るためらひは何事ぞ貴きものを奪ふここちす・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので小項目名「薔薇」というところに、バラを詠った歌をまとめてあるものの一つである。
バラは何と言っても「花の女王」であることは間違いない。在来種の野バラから、さまざまな改良が加えられて、今ではハイブリッドや遺伝子レベルの技術を駆使して新品種が産出されている。
写真②も「レッドヒロシマ」というハイブリッドによる品種物である。

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バラには痛い棘(とげ)があるのが難点だが、今ではトゲのない品種もあるのではないか。
バラの中でも、人それぞれ好みがあろうが、私は写真②のような「真紅」のバラが好きである。豪華なレディーという印象である。
妻の入院中にはあちこちからバラの花束をいただいたことがある。妻の大学の時の友人の某大学教授N女史から、お見舞いの花のアレンジが贈られてきたことがある。
バラが主体のアレンジであって、そんなことから、今日はバラの花のことを書いてみる気になった。

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写真③もハイブリッドものの新品種である。なんとも色合いが華麗である。ついでに、写真④にもハイブリッドもののバラを掲出しておく。これも色合いが鮮やかな花である。

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このバラには「ジーナ・ロロブリジーダ」の名がついている。そう言えばロロブリジーダの雰囲気が出ているバラである。
書き遅れたが写真③のバラの名は「マダム・ビオーレ」とある。N女史などは、まさに、そういう雰囲気にふさわしいとも言える。
そのN女史だが、先年、急性の脳梗塞に罹り半身不随で闘病の末、いまは車椅子の生活を余儀なくされている。

長年、歌作りをやっているとバラを詠み込んで、あちこちに歌を発表しているもので、歌集にする場合には、
それらを「薔薇」という項目にまとめる、というようなことをする。
以下、ここにまとめた「バラ」の歌一連を引いておきたい。
掲出した歌の主旨は「冬薔薇」を剪る時には、万物の命の休止している冬の季節に、せっかく咲いた花を切り取るということに、
極端にいうと「生き物の命」を奪うような気が一瞬した、ということである。

         薔 薇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

     キーボード打てるをみなの傍(かた)へにはコップに挿せる紅薔薇にほふ

     老いびとにも狂気のやうな恋あれと黒薔薇みつつ思ふさびしさ

     飲みあけしミニチュア瓶に薔薇挿せばそこより漂ふスコッチの香り

     鬱屈のなきにもあらず夕つかた何もなきごとく薔薇に水やる

     喪に服し静もる館は薔薇垣を結界として何をか拒む

     冬薔薇を剪るためらひは何事ぞ貴きものを奪ふここちす

     冬薔薇を剪る妻の手に創(きず)ありぬ薔薇のいのちの棘の逆襲

     ほのぼのとくれなゐ淡き冬薔薇にそそのかさるる恋よあれかし

     薔薇図鑑見つつし思ふ園生には緋の花責めの少女ゐたりき

     たまさかに鋏を持てばことごとく刺す意あらはに薔薇は棘見す

     言へばわが心さびしもしろたへに薔薇咲き初めて冬に入りたり

「冬薔薇」を詠んだ句を引いて終る。薔薇は「さうび」(そうび)とも発音する。

 尼僧は剪る冬のさうびをただ一輪・・・・・・・・・・・・山口青邨

 冬薔薇(さうび)石の天使に石の羽根・・・・・・・・・・・・中村草田男

 冬の薔薇すさまじきまで向うむき・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 冬ばら抱き男ざかりを棺に寝て・・・・・・・・・・・・中尾寿美子

 冬さうび咲くに力の限りあり・・・・・・・・・・・・上野章子

 冬薔薇や賞与劣りし一詩人・・・・・・・・・・・・草間時彦

 ぎりぎりの省略冬薔薇蕾残す・・・・・・・・・・・・津田清子

 夫とゐて冬薔薇に唇つけし罪・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 孤高とはくれなゐ深き冬の薔薇・・・・・・・・・・・・金久美智子

 冬薔薇や聖書に多き科の文字・・・・・・・・・・・・原田青児

 ふと笑ふ君の寝顔や冬の薔薇・・・・・・・・・・・・マブソン青眼



湯豆腐を食ひ尽くしたるメディア論・・・・・秋尾敏
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   湯豆腐を食ひ尽くしたるメディア論・・・・・・・・・・・・・秋尾敏

「湯豆腐」の句としては

   ■湯豆腐やいのちのはてのうすあかり・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

が人口に膾炙して有名である。
久保田万太郎は昭和38年73歳で没した。
晩年、子供を亡くし、それを機に家を出て赤坂に隠れ住んだ。起居のかたわらに一人の女性がいたが、彼女は37年末に急死した。万太郎は深い孤独に陥り、自らも半年後に急逝した。
彼の死のいきさつについて書いたことがあるので、参照されたい。
この句は相手の女性の死後詠んだ句のひとつ。湯豆腐の白い揺れを見つめつつ、一場の夢に過ぎない人生を眼前に見ているような気配を伝える句である。
「いのちのはてのうすあかり」が句の眼目だが、空漠かつ幽遠である。
こういう句の深い「読み」については、若い頃には思い及ばないことで、人生の晩年に至って、ようやく思いに辿りつくことが出来るのである。
昭和38年刊遺句集『流寓抄以後』所載。
この句は何度となく引いてきたので遠慮して、今回は掲出句を引いた。

掲出句は、文化人であろうか、湯豆腐を食いながら「メディア論」を戦わしているという現代的な句である。
「湯豆腐を食い尽くして」も、なお口角泡を飛ばして議論している、という青っぽい連中の、微笑ましい光景であろう。
若い頃には私にも、こういう熱中した時期があった、と懐かしい感慨を持って、この句を抽出した次第である。
今しも年も押し詰まって、遅い忘年会の風景と受け取ってもらっても結構であろう。

湯豆腐は冬の暖かい味覚として、親しみふかいものである。今では季節を問わず食べられるが、やはり冬のものであろう。
京都南禅寺順正の湯豆腐などが有名だが、京都には「豆腐」の老舗がいくつかあり、この頃では宅急便を利用して全国に宅配されているようだ。
以下「湯豆腐」を詠んだ句を少し引いておきたい。

 湯豆腐や澄める夜は灯も淡きもの・・・・・・・・渡辺水巴

 湯豆腐の一と間根岸は雨か雪・・・・・・・・長谷川かな女

 湯豆腐や障子の外の隅田川・・・・・・・・吉田冬葉

 湯豆腐にうつくしき火の廻りけり・・・・・・・・萩原麦草

 湯豆腐に箸さだまらず酔ひにけり・・・・・・・・片山鶏頭子

 湯豆腐やみちのくの妓(こ)の泣き黒子・・・・・・・・高橋瓢々子

 混沌として湯豆腐も終りなり・・・・・・・・佐々木有風

 湯豆腐や紫檀の筥(はこ)の夫婦箸・・・・・・・・日野草城

 湯豆腐や男の嘆ききくことも・・・・・・・・鈴木真砂女

 永らへて湯豆腐とはよくつき合へり・・・・・・・・清水基吉

 鳥羽僧正湯豆腐食べに下りけり・・・・・・・・鈴木栄子

 さりげなき話湯豆腐煮ゆるまで・・・・・・・・山本一歩

 湯豆腐や差し向かひといふ幸不幸・・・・・・・・安藤美保

 湯豆腐のふつふつそつけなき白さ・・・・・・・・日向和夫


ゆきふるといひしばかりの人しづか・・・・・室生犀星
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──<雪>の句─3態──オムニバス風に──
   
   ■ゆきふるといひしばかりの人しづか・・・・・・・・・・・・室生犀星

この句の「場」を考えてみると「雪が降っていますね」と言った「人」も、それを聞いている相手、つまり句の作者自身も、部屋の中にいて、
おそらくは障子も閉めきったまま静かに対座しているのだろう。
あるいは別の情景も考えられるだろうが、いずれにせよ、雪が降るのを、じかに目撃しているのではない。
障子の外の世界を鋭敏に感じとって、ひとこと発したまま、また黙ってしまった人。
そのため、部屋の中に満ち足りた情感の世界が、一層濃く形づくられてゆく。
「人」は女性でなければなるまい。
昭和18年刊の『犀星発句集』所載。

こういう短詩形の中に、極めて凝縮された、みづみづしい感性の表現の妙は俳句ならではのもので、余白の部分を、読者にさまざまに想像させる表現の妙、と言える。

こんな句は、いかがだろうか。

   ■降る雪や明治は遠くなりにけり・・・・・・・・・・・・中村草田男

草田男の数多い句の中でも、とりわけ有名な句。今では作者名さえ知らずに、この句を口にしている人も多かろう。
この句の由来は、昭和6年、作者が20年ぶりに東京で小学校上級生当時通学した母校青南小学校(東京、青山高樹町在住当時)を訪ね、往時を回想して作ったものという。
初案は「雪は降り」だった。
「降る雪や」という上句が、「明治は遠く」という中七に、離れつつ大きく転じてゆくところに、この句の秘密があり、有名になり過ぎたにもかかわらず、
或る「ういういしい」感慨が紛れずに保たれているのも、その所為だろう。
「明治は遠く」というが昭和6年であるから、大正の15年をいれても丁度20年の年月である。「十年ひと昔」というから「ふた昔」ということになる。
その伝でいうと、今は平成26年であるから「昭和も遠くなった」という感慨を抱いても、まんざら言いすぎでもあるまい。この句は前にも引いたことがある。

雪に因んで、こんな句も、ある。

   ■雪はげし抱かれて息のつまりしこと・・・・・・・・・・橋本多佳子

多佳子は杉田久女に俳句の手ほどきを受けたのち、山口誓子に学んだ。
彼女は女性の情感のほとばしりや揺らぎを的確にとらえて表現した。
対象を即物的に鋭くとらえる厳しさと、句の表情の豊かさでは、近代女流中、有数の人と言ってよい。
30代後半に夫に先立たれたが、追慕の句に優れたものが多く、この句もその一つである。
はげしく雪の降りしきるのを見つめながら、その景色に呼び覚まされるように、かつて強く抱かれて息がつまるようであった、と当時のことを思い出している。
この句も彼女の代表作で、私も以前に引用したことがある。
昭和26年刊『紅糸』所載。

「雪」にまつわる秀句3つを、オムニパス風に採り上げてみた。
京都では年内に雪の降ることは近年では滅多にないが「竜安寺」の石庭の雪の写真を出してみた。




老いざまのかなしき日なり実千両・・・・・草間時彦
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    老いざまのかなしき日なり実千両・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

「千両」「万両」は初冬に赤や黄の実を見せる。極めて日本的な景物である。
同じような実だが、少しづつ微妙に違う。 掲出写真は「千両」の実である。
白い実のものもある。
manryo29白千両の実

同じようなものに「南天」がある。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも、こんな歌の一連がある。

    妻病めばわれも衰ふる心地して南天の朱を眩しみをりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    冬の午後を病後の妻と南天の朱実を見つつただよふごとし

    古稀となる妻を見てゐる千両と万両の朱実はなやぐべしや

妻亡き今は哀切な気分になる旧作である。
南天という木はどこにでも生える強い木で、赤い実は野鳥の冬の絶好の餌で、みんな啄ばまれてしまうが、
その未消化の糞の中の種が、あちこちにばら撒かれて繁茂するのである。
南天の赤色はさむざむとした冬景色の中に点る「一点景」ではあるが、病む身を養う妻を抱えての、
私の愁いは、まことに深いものがあったのである。そんな心象を歌にしたのが、この歌である。
「千両」「万両」の実も、同様の扱いをしてもよいものである。

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以下、歳時記に載る南天、千両、万両の句を引いておく。

 実南天二段に垂れて真赤かな・・・・・・・・富安風生

 あるかなし南天の紅竹垣に・・・・・・・・滝井孝作

 南天軒を抽(ぬ)けり詩人となりにけり・・・・・・・・中村草田男

 南天の実に惨たりし日を憶ふ・・・・・・・・沢木欣一

 いくたび病みいくたび癒えき実千両・・・・・・・・石田波郷

 千両の実だけが紅し日照雨過ぎ・・・・・・・・細田寿郎

 かけ足で死がちかづくか実千両・・・・・・・・石田貞良

 千両や筧の雫落ちやまず・・・・・・・・水谷浴子

 万両や癒えむためより生きむため・・・・・・・・石田波郷

 実万両女がひそむ喪服妻・・・・・・・・高萩篠生

 雪染めて万両の紅あらはるる・・・・・・・・鈴木宗石

 いにしへを知る石ひとつ実千両・・・・・・・・伊藤敬子

 清貧は夫の信条実千両・・・・・・・・有保喜久子

 授乳といふ刻かがやけり実千両・・・・・・・・猪俣サチ

 万両を埋めつつある落葉かな・・・・・・・・山本梅史

 万両の実にくれなゐのはいりけり・・・・・・・・千葉皓史

 千両より万両赤し東慶寺・・・・・・・・中村勢津子

 抱くたびに子の言葉増え実万両・・・・・・・・野田禎男
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こうして見てくると、南天、千両、万両ともに、明るいイメージの句は少なくて、むしろ「沈潜」した句が多いことに気付く。
それは、私の歌のイメージとも重なることに驚くとともに、共感するのである。



十人の一人が気付き枇杷の花・・・・・高田風人子
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   ■十人の一人が気付き枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・高田風人子

「枇杷」はバラ科の常緑高木で、初冬に枝先に三角形総状の花序の花を咲かせる。花は白く香りがよい。
実は初夏に熟する。甘くて香りのよい果実である。庭木としては、めっきり少なくなった。
枇杷の木は葉が大きくて長楕円形で、葉の裏に毛がびっしりと生えている。葉の表面の色は暗緑色である。
『滑稽雑談』という本に「枇杷の木、高さ丈余、肥枝長葉、大いさ驢の耳のごとし。背に黄毛あり。陰密婆娑として愛すべし。四時凋れず。盛冬、白花を開き、三四月に至りて実をなす」とある。
簡潔にして要を得た記事だ。
冬に咲く珍しい植物のひとつである。寒い時期であり、この花をじっくりと眺める人は多くはない。
こんな句がある。

   ■蜂のみが知る香放てり枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・・右城暮石

この句などは、先に書いたことを、よく観察して句に仕上げている。こんな句はどうか。

   ■だんだんと無口が好きに枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・三並富美

   ■一語づつ呟いて咲く枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・西美知子

   ■咲くとなく咲いてゐたりし枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・大橋麻沙子

いずれも「枇杷の花」の、ひっそりと咲く様子を的確に捉えている。

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写真②にビワの実を載せる。昨年の初夏にビワの実の記事を書いた。果実として品種改良され、「茂木ビワ」が有名である。

以下、枇杷の花を詠んだ句を引いて終る。

 枇杷の花霰はげしく降る中に・・・・・・・・野村喜舟

 死ぬやうに思ふ病や枇杷咲けり・・・・・・・・塩谷鵜平

 枇杷咲いて長き留守なる館かな・・・・・・・・松本たかし

 花枇杷や一日暗き庭の隅・・・・・・・・岡田耿陽

 故郷に墓のみ待てり枇杷の花・・・・・・・・福田蓼汀

 枇杷の花子を貰はんと思ひつむ・・・・・・・・原田種茅

 枇杷の花母に会ひしを妻に秘む・・・・・・・・永野鼎衣

 枇杷の花くりやの石に日がさして・・・・・・・・古沢太穂

 枇杷の花妻のみに母残りけり・・・・・・・・本宮銑太郎

 枇杷の花柩送りしあとを掃く・・・・・・・・・庄田春子

 枇杷の花暮れて忘れし文を出す・・・・・・・・塩谷はつ枝

 病む窓に日の来ずなりぬ枇杷の花・・・・・・・・大下紫水

 花枇杷に暗く灯せり歓喜天・・・・・・・・岸川素粒子

 雪嶺より来る風に耐へ枇杷の花・・・・・・・・福田甲子雄

 枇杷の花散るや微熱の去るやうに・・・・・・・・東浦六代

 訃を告げる先は老人枇杷の花・・・・・・・・古賀まり子

 贋作に歳月の艶枇杷の花・・・・・・・・中戸川朝人

 伊勢からの恋文めいて枇杷の花・・・・・・・・坪内稔典


寒菊も黄を寄せ合へばさみしからずさ庭の隅のひだまりの中・・・・・木村草弥
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    寒菊も黄を寄せ合へばさみしからず
       さ庭の隅のひだまりの中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
「寒菊」というのには、特別に品種があるわけではなく、初冬に咲く晩生の菊をまとめて言っているようである。ここに掲げたものは黄色であるが、白色もあれば淡藍色のものもある。

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写真②のものは白い色をしている。これも寒菊の一種とされている。
私の歌は寒さの中に、けなげに咲く寒菊に寄せて、私の心象を盛ったもので、単なる写生と受け取ってもらっては、困る。

古い俳句を見てみると

   寒菊や粉糠のかかる臼の端・・・・・・・芭蕉

   泣く中に寒菊ひとり耐(こた)へたり・・・・・・・・嵐雪

   寒菊や日の照る村の片ほとり・・・・・・・・蕪村

   寒菊や臼の目切りがぼんのくぼ・・・・・・・・一茶

などの作品がある。
冬の景物には「ものがなしさ」の心象が盛られることが多い。寒菊も、同様である。
以下、寒菊を詠った句を引いておきたい。

 寒菊を憐みよりて剪りにけり・・・・・・・・高浜虚子

 寒菊の雪をはらふも別れかな・・・・・・・・室生犀星

 寒菊や世にうときゆゑ仕合せに・・・・・・・・岩木躑躅

 弱りつつ当りゐる日や冬の菊・・・・・・・・日野草城

 冬菊のまとふはおのがひかりのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 寒菊の霜を払つて剪りにけり・・・・・・・・富安風生

 寒菊や母のやうなる見舞妻・・・・・・・・石田波郷

 わが手向(たむけ)冬菊の朱を地に点ず・・・・・・・・橋本多佳子

 冬菊の乱るる色を濃くしたる・・・・・・・・鹿野佳子

 寒菊の空の蒼さを身にまとひ・・・・・・・・渡辺向日葵

 寒菊や耳をゆたかに老い給へ・・・・・・・・越高飛騨男

 冬菊の括られてまたひと盛り・・・・・・・・横沢放川



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