FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201811<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201901
POSTE aux MEMORANDUM(12月)月次掲示板
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
620px-Euphorbia_pulcherrima_redfox1.jpg

本年も十二月、最終となりました。
泣いても笑っても「師走」の到来です。

 葦べ行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 志貴皇子
 いたぶるとなぶるを辞書に引き比ぶ甚振(いたぶ)るうつつは辞書より辛し・・・・・ 沢口芙美
 みまかりてしまへばはらからではなくてうをの牙はも魚にむらがる・・・・・・・・・・・・ 柳沢美晴
 流し樽流れいし世のゆたかなり瀬戸内海に雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 玉井清弘
 廊下ゆく杖の音立つ雪の日の白鳥の声刈田にきこゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・板宮清治
 定食を囲んで話すほんとうの笑顔でいようお醤油かけて・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 岩尾淳子
 朝しぐれすぎてさだまる海の色うつくしければ自転車に乗る・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井ゆき
 冬の日は誰のものにもあらざれば一直線に日向を歩む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沖ななも
 萩もみぢとらへがたなきあかるさの 窓辺に充ちて、仮の世この世・・・・・・・・・・・・・ 中西洋子
 海底に塩噴く臼のあるといふ説話なかなか嬉しきものを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恩田英明
 国家解体おもひみるかな領土なく国語なくただに<言葉>響きあふ水の星・・・・・・水原紫苑
 頭よりヤマメ食ふとき大陸の塵も胃壁も融けつつあらむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒瀬珂瀾
 しつかりと我をみつめて泣くなといふ冬の垣根のつはぶきの花・・・・・・・・・・・・・・・秋山佐和子
 ちよつとだけよろけぬるかな足もとの椿の花を踏むまいとして・・・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
 液晶の青うなばらに文字浮きてきょうの出来事伝えていたり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久我田鶴子
 捲られてブリキ色なる冬空はボーラと呼ばれし北風の所為(せい)・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 亡き母を知る人来たり十二月・・・・・・・・・・・・長谷川かな女
 落ちてゐるからたちの実や十二月・・・・・・・・・・吉岡禅寺洞
 武蔵野は青空がよし十二月・・・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子
 わが生死食思にかかる十二月・・・・・・・・・・・・・・・相馬遷子
 御岳に雲の荒ぶる 十二月・・・・・・・・・・・・・ ・ 伊丹三樹彦
 星冴ゆる戌亥を守る鬼瓦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 家猫の小さなくしゃみ今朝の冬・・・・・・・・・・・・・・・・ 盛蓉子
 星流るすうっと走る裁ちばさみ・・・・・・・・・・・・・・ 北畠千嗣
 深秋やさうかと思ふ竹林・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 冬立つやひとりひとつの顕微鏡・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 河を越え伸びをり塔の影師走・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 太ももの外側ほぐし冬の虹・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉川わる
 冬麗に象形文字の割り出され・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 セスナ機も花野におなじ風のなか・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 冬枯れのサラリーマンの目を労わる・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 脱力のセーター椅子の背もたれに・・・・・・・・すずきみのる
 古暦つまり風葬ではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 そこここに団栗ならばそこここに・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 リビングの隅の聖樹の消し忘れ・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 原子炉が目覚めし町や冬の蝶・・・・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 また嘘をつくリアシートにはポインセチア・・・・・・・・ 奥村明
 流るるといはず揺れをる冬の川・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 水洟をすする眼の鋭さよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 亡国の名の酒場ある風邪心地・・・・・・・・・・・・・・青木ともじ
 木枯らしはくしゃくしゃにしてポケットへ・・・・・・・・・青島玄武
 ひとの手に墨匂ひたり牡蠣の旬・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 しぐるるや切絵のむすめ白眼無き・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 澄みてなほ水は面をうしなはず・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 冬の川舌のごとくに夜が来る・・・・・・・・・・・・・・・・・青本柚紀
 ただの妻ただの星子の風邪癒えて・・・・・・・・・・・・和知喜八
 さんらんと冬雲のあり午後の塀・・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 海豚抱くほかなき海の青さかな・・・・・・・・・・・・・・・青山青史
 善人が黙えらぶ世の鵙日和・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹岡一郎
 枯野行く少し狂ひし腕時計・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 露の径日の山荘を仰ぎけり・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 てのひらに硬き切符や冬ぬくし・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 外套の中の寂しき手足かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岬光世
 すつぴんでするりセーター脱ぎながら・・・・・・・・・・ 九里順子
 なにかを捨てて来た道をかえりみる・・・・・・・・・・・・天坂寝覚
 口紅が食み出している帰り花・・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 冬が来るとイヌキが云えり枕元・・・・・・・・・・・・・・ 金原まさ子



ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
コメントは各記事の末尾に「コメント」という欄がありますから、それをクリックしてお入りください。
私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
 GoogleYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。

閲覧の仕方
「当月」の記事は開いている状態でご覧になれますが、「先月」などのバックナンバーの閲覧は、上部のカレンダーの « の印を押して「過去」へ進んでください。
「月別アーカイブ」は30件表示するようになっています。30件以上ある場合は「NEXT」を押して進んでください。
「カテゴリー」を選んでいただくと、当該カテゴリーの一覧として、ずらっと出てきます。よろしく。 
私の記事は、引用、リンク、転載フリーです。事後でもお知らせ下さると嬉しいです。
パソコンの画面は「最大化」でご覧ください。

私のブログは大きい写真が入りますので、チョン切れを避けるためです、よろしく。

☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』(角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』(角川書店刊)
 歌集 『昭和』(角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』(澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』、第三詩集『修学院幻視』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

Wikipedia─木村草弥

Facebook─木村草弥

Twitter─木村草弥

ランキングを確認する ★ ──登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
 これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓ します。アクセス数によるのでしょう。 ご覧ください。


banner99条守ろう

  9条守ろう!ブロガーズ・リンクに参加しています(0215)
 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

Banner_125x125_0003_D.jpg

   「地球上のすべての人が、
  人類すべての知識への自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、
  と想像してみてください。」
──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ

「角川書店」話題の新刊書籍
「新潮社」
講談社BOOK倶楽部
「集英社文庫」新刊
「岩波書店」
「青土社・ユリイカ」
詩の本の思潮社
土曜美術社出版販売「詩と思想」
文芸春秋社・書籍ショールーム





大空のあくなく晴れし師走かな・・・久保田万太郎
thumb5冬晴れ

    大空のあくなく晴れし師走かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

今日は「師走」という言葉について、少し書いてみたい

「師走」とは陰暦十二月の異称で、ほぼ太陽暦の一月の時期に該当するが、他の陰暦の月の名称と違って、師走だけは太陽暦の十二月にも使う。
師走の語源として「お経をあげるために師僧も走るほど忙しい」とする説から、年末の多忙を表わす語として定着したためだろうと言われている。

はじめに申しあげておくが「師走」の読み方としては「しわす」ではなく「しはす」と訓(よ)みたいものである。

『万葉集』巻8・冬雑歌(歌番号1648)に

   十二月(しはす)には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く含(ふふ)めらずして

という「紀少鹿女郎」の歌として載っている。
この歌の原文は

   十二月尓者 沫雪零跡 不レ知可毛 梅花開 含不レ有而
しはすには あわゆきふると しらねかも うめのはなさく ふふめらずして

であって、これを上記のように訓み下しているわけである。
この訓み下しが誰によってなされたかは知らないが、万葉集の頃に、すでに「十二月」が「しはす」と読まれていたという証明にはならない。
つまり「しはす」という訓みが、十二月=しはす、ということが、すでに定着していた頃に「訓み下された」に過ぎないからである。
書き遅れたが、万葉集の頃には、日本にはまだ文字はなかったので、日本語を書き表わすには、漢字を借用して表記された。
だから漢字の「音」オン「訓」クンを漢字に当てはめている。万葉集では、それに「漢文」の「反り点」のように(上の歌の例の③⑤のフレーズ)文章が綴られている。

以前に書いたことだが、分かりやすい例をあげてみる。

有名な柿本人麻呂の歌(巻1・歌番号48)の

     ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ

は名歌としてもてはやされるが、これは賀茂真淵が訓み下したものであって、原文は

     東 野炎 立所レ見而 反見為者 月西渡

であって、「月西渡」を「月かたぶきぬ」と訓むのは「意訳」ではないか、人麻呂は単純に「月にしわたる」としたのではないか、という万葉学者の異論もあるのである。

万葉集の「訓み下し」に深入りして脱線したので、本論に戻そう。
「角川俳句大歳時記」の「師走」の考証欄には以下のように書かれている。

元禄11年に出た『俳諧大成新式』という本に

<ある説に、およそ亡き人の来ること、一とせに二たびなり。盂蘭の盆内と年の尾にありて、いにしへは大歳(おほどし)にも魂(たま)迎へせしよし、兼好のころもなほありと見えたり。それをとぶらふ僧と、仏名の師と、道もさりあへず走りありくゆゑに、師走といふなりとあり。>

と書かれているのが、今日、一番妥当な説として定着しているらしい。

ここで「師走」を詠んだ句を引いて終る。

 隠れけり師走の海のかいつぶり・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

 エレベーターどかと降りたる町師走・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 極月や晴をつづけて巷ある・・・・・・・・・・・・松根東洋城

 極月の人々人々道にあり・・・・・・・・・・・・山口青邨

 病む師走わが道或はあやまつや・・・・・・・・・・・・石田波郷

 青き馬倒れていたる師走かな・・・・・・・・・・・・金子兜太

 がんがんと鉄筋のびる師走かな・・・・・・・・・・・・高柳重信

 法善寺横丁一軒づつ師走・・・・・・・・・・・・稲畑汀子

 極月の舞台悪党ぞろぞろと・・・・・・・・・・・・馬場駿吉

 極月の書棚に置きし海の石・・・・・・・・・・・・高室有子

 自転車よりもの転げ落ち師走かな・・・・・・・・・・D・J・リンズィー

 極月の罅八方にかるめ焼・・・・・・・・・・・中村弘

 ソムリエの金のカフスや師走の夜・・・・・・・・・・・・深田やすを

 赤札を耳に師走の縫ひぐるみ・・・・・・・・・・・・大町道

 迷いなく生きて師走の暦繰る・・・・・・・・・・・・田島星景子

 関所めく募金の立ちし街師走・・・・・・・・・・・・杉村凡栽


群青のストールに深く身を包む冬の眸をもつ人に逢ふため・・・村田嘉子
ginzawako_LL.jpg

──銀座態──

    ■群青のストールに深く身を包む
        冬の眸(め)をもつ人に逢ふため・・・・・・・・・・・・・・・村田嘉子


33.jpg

「深く身を包む」ストールの羽織り方と言えば、このスタイルであろうか。
今どき流行りの着方というと、こういうことになるのだろうか。
「冬の眸をもつ人」という言い方が、とてもしゃれている。
おでかけの行き先は、もう銀座しか、ないだろう。

1240636764_photo.jpg

   ■いつぽんの櫂のわたくし朝雨の
        ガラスの林道漕ぎ銀座まで・・・・・・・・・・・・・・小黒世茂


この歌の作者は前衛歌人であった塚本邦雄の愛弟子で、才気煥発な女の人である。
銀座も、すっかり高層化したので、それを「ガラスの林道」と表現した比喩に満ちた歌である。
先に挙げた歌ではないが、この時、彼女は、どんな服装をしているのであろうか。
さまざまに、読者に想像させるのである。
短詩形の場合、答えが一つしかないような作品では面白くない。さまざまに考えさせるのが、よい。

1000630165.jpg

   ■夜の青 乾く銀座の石畳
       雪よりほかに乞ふものはなし・・・・・・・・・・・・・高崎淳子


今の銀座の、どこに石畳があるのか、私は知らない。
今は、もう無いとしても、乾く冬の銀座の石畳に雪よ、降ってほしい、という表現は秀逸である。

    ■モンパリの歌母と口ずさみ歩む夜の
        外堀セーヌの春の香のたつ・・・・・・・・・・石田容子


この歌は、銀座をフランスのパリになぞらえて詠まれている。パリの町並みはナポレオン3世によって都市計画がなされ、5階以上の高さの建物はないが、外見的には似ていなくもない。

9155082.jpg

      ■雪赤く降り青く解け銀座の灯・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

赤い灯、青い灯、と俗称される巷灯が、時ならぬ雪に映えているのを巧みに詠んでいる。

よく知られていることだが、ここでネット上に載る銀座の成り立ちを転載しておく。
-------------------------------------------------------------------------
ginza_aedmap.gif

銀座の地形と成り立ち ~銀座が海だった頃から~

それは海から始まった
徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年(慶長8年)には、銀座はまだ海だった。
江戸に城はあったものの、城の東側は利根川水系の作る低湿地で、葦(あし)が繁っていた。
江戸の西側には、関東ローム層からなる武蔵野台地が広がっていた。
武蔵野台地の東側には、いくつもの谷が深く切れ込み、坂や崖を作っていた。
現在の東京都心の高台は、こうした台地の先端部分に当たる。
上野、本郷、小石川、四谷、赤坂、白金などいわゆる山の手を形成する高台だ。

日比谷入江の埋め立て
江戸城も、こうした台地の先端に築かれていた。
江戸城から見ると、現在の日比谷あたりは浅い海の入江。
日比谷の海を隔てて、日本橋から半島のように砂州が出ている。
これを江戸前島といい、前島の付け根の部分に、江戸湊(みなと)が築かれた。
幕府が最初に埋め立てたのが、日比谷の入江だった。
江戸城の目の前まで入り込んでいた入江だけに、船で攻め込まれる危険があったからだ。
加えて、武士たちを住まわせる屋敷も必要だった。
そこで埋め立て工事に拍車がかかり、江戸城から前島にかけて、新しい陸地が造られた。

水の都 江戸
日比谷の埋め立てに先立って、江戸城と江戸湊を結ぶ堀が造られた。
道三堀というこの運河は、現在は姿を消しているが、江戸城へ物資を運ぶ幹線運河だった。
川の多い江戸では、水上交通が便利であることに、幕府はいち早く気がついた。
武士、町人にとっても同じこと。
猪牙(ちょき)舟で行ける所まで行き、降りてから歩くのが普通だった。
ヴェネツィアの水上タクシーと同じ様に、猪牙舟はお江戸の人たちの足だったわけだ。
水をたたえた堀と猪牙舟の実物は、「江東区立深川江戸資料館」に再現されている。

消えた三十間堀
銀座にも、掘割が巡らされていた。現在、掘割も川もまったく残っていない。
すべて埋め立てられ、道路や高速道路に変えられてしまった。
橋は消え、その名前だけが交差点や高架橋の名称として残っている。
消えた川と掘割の代表例が、銀座通りの東側を並行して流れていた「三十間堀」だ。

三十間堀にかかる三原橋とその上を走るチンチン電車
江戸時代に造られ、1949年(昭和24年)に埋め立てられて姿を消した。
名残は唯一、「三原橋」という名前が、人びとのなかに通称として残っていること。
晴海通りと旧三十間堀が交わるあたりは、歩くと、橋のあった証拠の起伏が感じ取れる。

橋あってこそ銀座
最も有名な数寄屋橋は、外濠(ぼり)にかかっていた。
現在、上を高速道路が走る。

数寄屋橋附近
銀座にあった橋のすべてが、今は水ではなく車の流れる道と接している。
白魚橋(昭和通り)、京橋(高速道路)、城辺橋(外堀通り)、山下橋(同)、土橋(同)、新橋(同)、蓬莱橋(昭和通り)、采女橋(首都高)、万年橋(同)、三吉橋(同)etc.
今こうした橋は銀座への入口として、往時と同じ役割を果たしている。
流れる水はなくなっても、銀座へ足を踏み入れるときめきは、変わらない。


明日のため今日の願いがありましてハナカタバミの葉のやすむ宵・・・鳥海昭子
FI2618571_1E.jpg

     明日のため今日の願いがありまして
       ハナカタバミの葉のやすむ宵・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


ハナカタバミ
花片喰(ハナカタバミ)はカタバミ科カタバミ属の多年草である。
学名:Oxalis bowiei
和名でなく学名のオキザリス・ボーウィと呼ばれることも多い。
原産地は南アフリカのケープ地方である。日本へは観賞用として江戸時代に渡来した。
暖地では野生化しているものも見られる。
草丈は5~30センチくらいである。
葉は3出複葉(1枚の葉が3つの小さな葉に分かれた形)である。
小葉は丸みのある倒心形で、細かな毛が生えている。
開花時期は10~11月である。
葉の間から花茎を伸ばし、散形花序を出して濃い桃色の花をつける。
散形花序というのは、茎先からたくさん枝が出て、その先に1個つずつ花がつく花序のことである。
花径は3~5センチと大きく、花の真ん中は黄色い。
日当たりがよい場所を好み、曇っていたり日陰になったりすると花を閉じる。
写真は晩秋の一日、大阪へ注ぎ込む淀川の土堤に野生化したものが撮られた。
さまざまの色の園芸種があるらしい。
鳥海さんが歌に添えられたコメントによると

<夜になると、ハナカタバミは祈るように葉を閉じます。病と闘っていたころ、また葉を開くあしたを思い、希望を感じたものです>

という。私は、そういう現象をまだ観察する機会を得なかった。花言葉は「決してあなたを捨てない」

FI2618571_2E.jpg

ネット上では下記のような記事も見える。

<ムラサキカタバミ(紫片喰)の園芸種で、カタバミ属の植物のうち球根性の種類を園芸上はオキザリスと呼んでいるようです。葉はクローバー形で、色彩の変化に富んでおり、赤紫を始め斑入りなどいろんなのが有るようです。
花色も紅、紫紅、桃、藤、黄、白に複色など多彩です。夏植えで秋咲きの種類が多いのですが、冬~春咲き、夏咲きの種類もあります。球根は指先ほどの小型で、無霜地帯では庭植えもできます。
秋に咲いた花と春に咲く花では、微妙に違うような感じでした。>

歳時記を当ってみたが、句は載っていないようである。ご了承を。


日動画廊扉の把手は青銅の女体にて腰のくびれをつかむ・・・阿木津英
CHR_6029ピエール
↑ 「クリスティン・ピエール展」から──パリ日動画廊ホームページより

──東京風景いくつか──

   ■日動画廊扉の把手は青銅の
      女体にて腰のくびれをつかむ・・・・・・・・・・・・・・・・・阿木津英


日動画廊(にちどうがろう)は1928年創業の洋画商。日本国内の洋画商としては、最も歴史があるとされる。
店の名前の由来は、最初の画廊は日本橋の高島屋の近くだったが、立ち退きをせまられ、旧日本動産火災保険会社の粟津社長の好意で敷金、家賃なしで西銀座の新築ビルの1階に日動画廊を出すことになる。
日本動産火災が日動火災と呼ぶようになるのは、その後のこと。
HPを見ると、系列に名古屋、福岡、フランスのパリ、軽井沢、茨城県の笠間日動美術館がある。ギャラリーは銀座にあり、今の所在地は銀座5-3-16。
毎年作家の個展を開催している。現在まで多数の作家たちを輩出してきた伝統ある画廊とされる。
取り扱い作家は油彩、彫刻、版画を主に、内外の物故・現役作家あわせて数百名になる。
関連するネット上を閲覧すると、こんな記事があった。

<日動画廊の長谷川智恵子副社長が2009年11月19日、フランス大使公邸で行われた叙勲式で、レジオン・ドヌール勲章オフィシエに叙されました。
長谷川智恵子氏は夫の長谷川徳七氏(日動画廊社長、1998年芸術文化勲章コマンドゥール受章)とともに、フランス美術を印象派から近代、現代美術に至るまで日本に広く紹介し、国内多数の美術館のコレクション形成に貢献したほか、笠間日動美術館(茨城県笠間市)の創立にも尽力しました。>

今の社長は長谷川徳七というらしい。

私の記事をご覧になった光本恵子さんから、次のようなメールをもらったので感謝して、披露しておく。 ↓

< 日動画廊の長谷川氏の先祖が鳥取県の赤碕の出身で、その関係で赤碕の港に三度笠の石彫ができました。
それは神戸の港のメリケン波止場にも同じ人の作品で「海援隊」の石彫があります。
作品紹介には、
「著名な彫刻家・流政之氏が「波しぐれ三度笠」というタイトルで制作した彫刻で、日本海に映えるすばらしい景色をつくり出している。」
と書かれています。 
赤碕の菊港(明治の半ばまで千石船が通っていた港――私は幼い頃この港で泳いでいました)の丸石で組んだ防波堤の先端にこの彫刻があります。
この地は日本海でも最もたくさんの墓地が日本海に沿って「花見潟墓地」があります。それは見事な墓地です。司馬遼太郎の書いたものの中にもあります。 >

光本恵子さんも、ここ赤碕のご出身である。

掲出の阿木津英の歌は、店のドアの把手が青銅製の「女体」だとして、その腰のくびれをつかむことになるのを、巧みにエロチックに表現して秀逸である。

mtmgb1.jpg

   ■電脳に追いたてられてふらふらの
        僕は歩くよ夜の地下鉄・・・・・・・・・・・・・・・・・・栗明純生


この人は確か「銀座短歌会」というところに所属する若手の都会派歌人である。
写真は「地下鉄博物館」に展示される丸の内線301号車と奥は銀座線1001号車である。以下は、その説明。

<未だファンの多い丸ノ内線の真っ赤な車両。いくつかは払い下げになり個人で所有している方もいらっしゃるとか。
そんな人気の真っ赤な300型車両は、どんな活躍をしてきたのでしょうか。
博物館では、車内に入ると窓に映写機で映し出された開通当時から博物館に納められるまでの映像を見ることが出来ます。>

   ■地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり・・・・・・・・・・・・・・前登志夫

この歌も青春の日々に過ごした東京を偲んで作られている。奈良・吉野山住みだったが先年亡くなった。

   ■大江戸線地下ふかぶかと降りゆくに青きあやかしかケータイ光る・・・・・・・・・・・・小島熱子

大江戸線が開通して、もう数年になるが、それまで不便だったところが大変便利になった。
後発の路線ということで、走る深度はとても深いから、駅について地上にでるのに急角度のエスカレータに延々と乗ることになる。
そのエスカレータの速度が遅いのでイライラする。こんなときに思い出されるのがロシア・モスクワの地下鉄のエスカレータの速さである。
ここも地下深いので、必然的にエスカレータが速くなったものだろう。各駅もそれぞれ装飾的で、個性があって面白い。
東京で一番新しい地下路線は「りんかい線」だろうか。ここも便利になって埼京線川越まで直通で行ける。
私は京都人なので、東京には時たま行くだけで詳しくないので、間違いがあったら訂正してほしい。

Uguisudan-stn.jpg

    ■鶯も通ったろうかうぐいすだに 
      かつて東京は川と谷と武蔵野の森だった・・・・・・・・・・・・光本恵子


鶯谷駅は大ターミナルである上野駅の隣に隠れて影が薄く、都区内のJR駅の中でもとりわけ地味で小規模である。
それを裏付けるかのように、山手線の駅ではいちばん乗降客数が少ない。
駅の西側は上野の山で、寛永寺の墓地になっている。
東側は市街地だが、なぜかラブホテルが密集している。駅ホームから眺めても、ラブホテルばかりが目につく。
こんなにも駅からラブホテルが見える駅も珍しい。

image6.jpg

   ■「笹の雪」の暖簾(のれん)のかたる昔もあって
            根岸の里の入り陽の朱・・・・・・・・・・・・・・・・・梓志乃


「根岸」というと正岡子規が住んでいたところで、今は台東区になっているが、ここには私は、まだ行ったことがない。
古い家並などが残っているのだろうか。この歌からは、そんな気配も感じられるのだが。。。。
ネット上に載る記事によると、この「子規庵」のあるのは「笹の雪」の看板のある辺りらしい。そこで聞けば判ると書いてある。
Wikipediaに載る記事を引いて終りたい。
------------------------------------------------------------------------
俳句・短歌の改革運動を成し遂げた子規は、近現代文学における短詩型文学の方向を位置づけた改革者として高く評価されている。

俳句においては、所謂月並俳諧の陳腐を否定し、芭蕉の詩情を高く評価する一方、江戸期の文献を漁って蕪村のように忘れられていた俳人を発掘するなどの功績が見られる。
またヨーロッパにおける十九世紀自然主義の影響を受けて写生・写実による現実密着型の生活詠を主張したことが、俳句における新たな詩情を開拓するに至った。

その一方で、その俳論・実作においてはいくつかの問題を指摘することもできる。
俳諧におけるゆたかな言葉遊びや修辞技巧を強く否定したこと。
あまりに写生にこだわりすぎて句柄のおおらかさや山本健吉の所謂「挨拶」の心を失ったこと。
連句(歌仙)にきわめて低い評価しか与えず、発句のみをもって俳句の概念をつくりあげたこと、
などは近代俳句に大きな弊害を与えているといってよい。

俳句における子規の後継者である高浜虚子は、子規の「写生」(写実)の主張も受け継いだが、それを「客観写生」から「花鳥諷詠」へと方向転換していった。
これは子規による近代化と江戸俳諧への回帰を折衷させた主張であると見ることもできる。

短歌においては、子規の果たした役割は実作よりも歌論において大きい。
当初俳句に大いなる情熱を注いだ子規は、短歌についてはごく大まかな概論的批評を残す時間しか与えられていなかった。
彼の著作のうち短歌にもっとも大きな影響を与えた『歌よみに与ふる書』がそれである。

『歌よみに与ふる書』における歌論は、俳句のそれと同様、写生・写実による現実密着型の生活詠の重視と『万葉集』の称揚・『古今集』の否定に重点が置かれている。

特に古今集に対する全面否定には拒否感を示す文学者が多いが、明治という疾風怒涛の時代の落し子として、その主張は肯定できるものが多い。

子規の理論には文学を豊かに育ててゆく方向へは向かいにくい部分もあるという批判もあるが、「写生」は明治という近代主義とも重なった主張であった。
いまでも否定できない俳句観である。

日本語散文の成立における、子規の果たした役割がすこぶる大きいことは司馬遼太郎(司馬『歴史の世界から』1980年)によって明らかにされている。


幼児が顔近づけて呼びかける「セントポーリア、セントポーリア」・・・鳥海昭子
FI2618567_1E.jpg

     幼児が顔近づけて呼びかける
       「セントポーリア、セントポーリア」・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


セントポーリア イワタバコ科 

 学名:Saintpaulia(イワタバコ科セントポーリア属の総称)
 和名:アフリカスミレ(アフリカ菫)
セントポーリアの学名は、この植物の発見者であるサン・ポーリーレール氏の名に由来する。英名はアフリカン・バイオレット。

<一応,四季咲きです。和名は「アフリカスミレ(アフリカ菫)」ですが,いわゆる菫とは違います。ビロードのような毛の生えた丸い葉が特徴で,この葉を葉柄から切り取り挿し木をしておくと繁殖することができます。>

ネット上を見ると、こんな説明がしてあるが、この花は暑さ、寒さには弱い草で、原則として室内栽培の花である。色はいろいろある。花言葉は「小さな愛」「深窓の美女」。

FI2618567_2E.jpg

<室内で育てることを前提とした植物です。花色は豊富で、小型の植物なので場所をとらず鉢花として人気があります。空中の湿度が高い方が好みますが、土が湿った状態にしておくと根が腐りやすい性質があるので注意が必要です。寒さ、暑さに弱く初心者の方は品種を十分に選んだ方がよいでしょう。普通に出回っているものは比較的丈夫なものが多いです。最近は小型のミニ種の人気が高い。>

育て方については、以下のような記事がある。

●空中の湿度が高いのを好みます
●暑さ、寒さに弱い性質があります
●一年を通して室内で栽培する

 <室内向きの植物で、全体的に小型で場所をとらないので鉢植えとして人気があります。花の色はピンク、赤、紫などがあり、特に紫は濃いものから淡い色のものまであります。フチどりが入ったり、しま模様になるものもあります。普通種、ミニ種、茎が伸びるトレイル種などがありますが、初心者は普通種の「オプチマラ」が花つきもよく比較的育てやすい。温度と日当たりが充分あれば一年中咲きます。品種もバラエティーが多く、セントポーリアだけを集めて栽培している栽培家もたくさんいます>

 <室内で一年中育てることになるので結構、葉の上などにホコリがたまりやすい。ときどき葉を痛めないようにホコリを軽くふき取りましょう。また、花や葉に傷が付くとそこから傷みやすいので、咲き終わりの花や枯れかけた花はこまめに取り除くようにしましょう>

 <がんがんの直射日光は葉が焼けただれてしまうのでヤバイ。一年を通してやわらかい光が必要です。レースのカーテン越しの日光がちょうどよいでしょう。もともと弱い光の下でも充分育つ植物で、セントポーリア専門で育てている方は、植物育成用の蛍光灯を用いて栽培する方も多い。これなら室内の窓から離れた暗めの場所でも育つからです
普通は窓際で管理することになりますが、寒さに弱く気温が5℃切るとを枯れてしまいますので、冬場は夜には室内の奥に移動させましょう。暑すぎるのも良くないので、夏場は風通しを良くしましょう。北向きのベランダなども案外よく育ちます(夏場だけ)>

FI2618567_3E.jpg

 <4月から10月は生育が旺盛な時期です。指で鉢土の表面を触ってみて湿り気を感じないくらいになったらたっぷりと与えましょう。冬の時期はあまり育たないのでそれよりは水やりの回数を減らしましょう。水をやりすぎると腐りますので注意。水やりの際、葉に水がかかるとそこだけ葉の色がぬけてしまったり病気にかかる原因にもなりますので、株元からそっとじょうろなどで与えます。
 肥料は薄めた液体肥料を月に1から2回与えます。室温が20から30℃を保てる時期には通常通り肥料を与えましょう。それ以外の時期は必要ありません。やりすぎると花つきが悪くなることがあります>

 <室内で栽培することを前提としているのでにおいがなく軽いものがよい。バーミキュライト5:パーライト5の割合で混ぜた土か、セントポーリア専用培養土を買い求めましょう。>

 <根がよく伸びて鉢の中がいっぱいになるので、1年に1回は植え替えが必要です。適期はだいたい6月下旬がよいでしょう。土は、上の項のものを使用します>

 <葉ざしでふやすのが一番ポピュラーです。根が出るには20℃以上の気温が必要です。温室などの加温設備があれば別ですが、普通は6月から10月の間におこないます。表面に傷の付いていない元気な葉を、3から4cm軸を付けて切り取り、用土の項で説明した土に斜めに差します。土が乾いたら水をやるようにします。ずっと湿った状態にしておくと葉の切り口から腐ることがあります。発根して芽が出てきますので、芽が大きく(2~3枚の葉がでてきたら)小さな鉢に植え替えます。
葉ざしした株はだいたい花が咲くまで、半年から8ヶ月くらいかかります。>



踏みつけられ、撥ねとばされ、蹴ちらかされ/磨りきれた傷を残して/サラリーマンの足の一部が落ちていた・・・中原道夫
800px-Kasumigaseki-Sta-A3a.jpg

    東京メトロ霞ケ関駅で・・・・・・・・・・・・・・・・・中原道夫

     踏みつけられ、撥ねとばされ、蹴ちらかされ
     磨りきれた傷を残して
     通勤ラッシュのメトロのホームに
     切り落とされたサラリーマンの足の一部が落ちていた

     跳び乗った電車の中で
     踵の無くなった靴の持ち主は
     やがて自分の足が
     ちぐはぐで不揃いになっていることに気がつくことだろう
     そして、だれも恨むことのできないこの不幸なできごとを
     仕方なしに笑いに替えてごまかすことだろう
     (ああ、参ったな、困ったな、どうしよう)

     泣きだしたくなるようなこの笑い
     困惑を吃逆のように呑み込んでしまうこの笑い
     ぼくらの日常に纏わり付いているこの笑い
     ぼくは無性に切なくなって
     磨りきれたゴムの塊をそっとポケットに仕舞う
     哀しいぼく自身を拾うように

     まもなくホームに電車が入ってくる
     通勤客が降りてくる
     いつ切り落とされるか分からぬ靴を履いて
--------------------------------------------------------------------------
念のために書いておくと「霞ヶ関」駅の名前の表記は「ケ」を全角で書くのが正式であるらしい。小文字にしない。
この中原の詩の場合、きちんと「霞ケ関」と書いてある。さすがである。

この詩は<日本詩歌紀行3 『東京 詩歌紀行』>(2006年北溟社刊)に載るものである。
現代の都市交通のありようやサラリーマンの哀歓の様子が、かいま見られるだろう。
因みに、付け加えておくと、私の旧作の歌3首も収録されている。

   うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり

   振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく

   ペン胼胝の指を擦ればそのさきに言葉乞食が坐つてゐるよ・・・・・・・・・・・・木村草弥










小倉正宏『人類人々の喜びと悲しみの409の詩歌・言葉』・・・木村草弥
小倉_NEW

──新・読書ノート──

     小倉正宏『人類人々の喜びと悲しみの409の詩歌・言葉』・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・澪標2018/07/10刊・・・・・・・

この本を澪標の社長・松村氏から恵贈された。
小倉正宏 ← とは、こういう人である。Wikipedia のリンクになっているから参照されよ。
この本の奥付に詳しく載っているが多くて引ききれない。
掲出画像でも読み取れると思うが、ゲーテ、モーツァルトなど多くの有名人の言葉を拾い集めたものである。
小倉氏の長年の労作として、敬意を表したい。

その中でも、「七章 ドイツと世界を暗黒に突き落としたヒトラーとナチス・ドイツ」の項目の記載は衝撃的である。
私たちが部分的に知っていることを、ここに纏めて提示された。
この七章を前にしては、それまでと、それ以後の記事が色あせて見えるように思える。
その究極の提示が
341  戦争に負ければ国民は滅びる・・・・・戦後生き残るものは下等な人間だけだ。    ヒトラー
342 ヒトラーは来た。そして去った。しかしドイツ国民は残る。   敗戦後にベルリンに現れた看板

ヒトラーに迎合し、災禍を招いたことへの贖罪に、ドイツ国民は苦しむことになるのである。
日本人とて、先の大戦中の事態を招いたことに多大の責任があるのである。

各章の終りのところに「あなた(読者)の思い・言葉」というのがあるが、読者は、ここに「読後感」を記せ、ということだろうか。
こういう試みも、本としては初めて目にすることである。

ところで、この本を読んで若干の違和感を抱いたことを書いておく。
例えば「人存在とはいったい何者なのか」 「人の世社会人々の地上は何なのか」 「御自身の考えへの聊かでも何らかになりますれば」 というような文脈の表現である。
これは著者の書き言葉であるが、いかにも「聞き慣れない」言葉であって、何となく意味は分かっても、妙に引っかかる言葉である。
こういう、著者の独特の「癖」に付き合わされる一巻だったことを率直に申し上げておく。

とは言っても、この本は著者が生涯をかけた『ドイツ三部作』の最終章、であることは、喜んで受容する。
有難うございました。


ひろひ読み拾ひよみつつふとはぐれる終りに近き此の物語・・・木村草弥
535px-Ch20_asago.jpg

    ■ひろひ読み拾ひよみつつふとはぐれる
          終りに近き此の物語・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
同じ一連につづく歌を、引いておく。

    ■あの空の向うは楕円の空洞か
      ずるい蝙蝠(かうもり)が俺を追ひつめる・・・・・・・・・・・木村草弥


これらの歌は、いずれも「比喩」になっているもので、私の人生を「此の物語」と表現してみた。
無慈悲な歳月の推移を「ずるい蝙蝠」と描いてみたが、いかがだろうか。
掲出した図版は「源氏物語絵巻・朝顔」の段のもので、私の歌とは直接の関係は全く無い。「物語」からの連想である。

現代短歌の世界では、現代詩と同様に、こういう「比喩」表現が盛んに使われる。
もちろん、そういう「比喩」を一切しない人もあるが、リアリズム・オンリーでは歌に深みが出ない。
「比喩」には「直喩」「隠喩」など多くのやりかたがあるが、一般的に一番多いのが「ごとく」というような、単純な直喩を使ったものである。
この場合には、よほどしゃれたものでないと、読者を揺さぶるような感動を与えない。
私は短歌の世界に入る前には現代詩をやっていたので、短歌の世界に入っても、そういう「比喩」表現を採用するのに、何の抵抗もなかった。
この歌も、もう二十年以上も前の作品だが、先に引いた歌と同様に、すでに老境を意識したものになっている。
「ずるい蝙蝠」と言ってみたが、果たして、現実の蝙蝠が「ずるい」かどうかは判らない。
蝙蝠には悪いが、私の直感が、そう書かせたということである。
ヨーロッパの文学の世界でも、蝙蝠は良い印象を与える描き方はされていないので、そういう潜在意識を私も受け継いだと言えるだろう。




佐伯泰英『いざ帰りなん』新・古着屋総兵衛 17・・・木村草弥
佐伯_NEW

──新・読書ノート──

     佐伯泰英『いざ帰りなん』 新・古着屋総兵衛 17・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・新潮文庫2018/12/01刊・・・・・・・

新・古着屋総兵衛 シリーズ17 ということになる。

   北郷陰吉の報告では、鳶沢一族の荷運び方の文助の様子がおかしいという。
   分不相応な料理屋に出入りしているし、怪しい白い粉を手に入れている。
   総兵衛は、陰吉の他、林梅香、忠吉、筑後平十郎を招集して文助の後をつけるのだが、
   見事に巻かれてしまう・・・・・。
   交易船団は、カイト号を建造しているバタヴィアのオランダ商館造船場に人を残し、
   ホイアンで最後の荷を積み込み、いよいよ帰国の途についた。

作者の「あとがき」によると、このシリーズも、次の巻で最終回になるらしい。
いつもながらの見事なプロットである。
---------------------------------------------------------------------------
この本は新本だが、発送人は「八千代逸品堂」となっている。
新刊本を、発行と同時に第三者に譲って販売しているのである。
出版不況が声高に言われるが、販売方法も、このように変化していると知って、改めて事態の深刻さを知った次第である。





ふりむけば障子の桟に夜の深さ・・・長谷川素逝
FI2618565_1E.jpg

  ふりむけば障子の桟に夜の深さ・・・・・・・・・・・・・・・・長谷川素逝

障子というと、昔はもっと広い呼称であったが、今では「明り障子」のみを「障子」という。
掲出の写真は「雪見障子」と呼ぶもので、これにも、いろいろの形のものがある。
「明り障子」には美濃紙や半紙などを貼るが、やはり無地のものが佳い。
紙を越した光線はやわらかく、落ち着いた感じがして好ましい。
今風の家でも一部屋くらいは座敷があり、障子があるだろう。

FI2618565_2E.jpg

写真②は「葦簾障子」というもので、夏になると障子や襖を、この「よしず障子」に入れ替えたものである。
「よしず」の一本一本に隙間があり、夏の蒸し暑さから「通風」を保って、多少なりとも和らげようとの思惑の産物であった。
この頃では、よほどの古い家か大きな家でないとお目にかからない。
冬になれば外して収納しなければならないから、その収納スペースも大変である。
障子は、防寒、採光のための建具だが、また奥ゆかしい空間を作り出す用具でもあった。
一年に一度は、紙を張り替える「障子貼り」というのが年中行事として行なわれていた。
障子の枚数の多い家など大変である。
「障子紙」の用意からはじまり、糊を炊き、障子を外して古い紙の剥しと、水洗いが、また大変であった。

昔のわが家では「障子の張替え」は、専ら母の仕事だった。
父は仕事で忙しかったから、そういう家事は殆ど手伝わなかった。子供たちにも手伝わせなかった。
田舎の家だから障子の枚数も多かった。母は手際がよかったから、貼る障子紙も、「桟」の幅に合せて事前に剃刀で、きれいに切り揃えて用意してあった。
貼って糊が乾いてから、霧吹きで水を吹き付けると、乾いたときにピンと張ってきれいに仕上がるのだった。
今の我が家は、すっかり洋風になって「障子」は四枚だけになった。 夏用の「よしず障子」も無い。

以下、障子の句を引いて終わりにしたい。

 美しき鳥来といへど障子内・・・・・・・・原石鼎

 しづかなるいちにちなりし障子かな・・・・・・・・長谷川素逝

 死の如き障子あり灯のはつとつく・・・・・・・・松本たかし

 柔かき障子明りに観世音・・・・・・・・富安風生

 うすうすと日は荒海の障子かげ・・・・・・・・加藤楸邨

 われとわが閉めし障子の夕明り・・・・・・・・中村汀女

 涛うちし音かへりゆく障子かな・・・・・・・・橋本多佳子

 嵯峨絵図を乞へば障子の開きけり・・・・・・・・五十嵐播水

 枯色の明り障子となりにけり・・・・・・・・山口草堂

 煎薬の匂ひ来る障子閉ざしけり・・・・・・・・角川源義



『修学院幻視』私信と書評・・・萩岡良博
f0231709_10162845.jpg
↑ 柊の花
20080530_hiiragi_03329.jpg
 ↑ 柊の実
修学院_0001_NEW
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


     『修学院幻視』私信と書評・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・萩岡良博 (「ヤママユ」編集長)

敬愛する萩岡氏から手紙が来て、標記のような懇篤な私信と書評を賜った。
ここにその全文を転載しておく。
------------------------------------------------------------------------------
鉄線の帰り花が一輪、霜月尽日のひかりの中にそよいでいます。
詩集『修学院幻視』ご恵贈賜りありがとうございました。
ちょうど巻頭にあります「柊の花」がびっしりと咲いている時分に読み出しましたので、今年はこの目立たない花をじっくり眺めました。
ぼんやりと日を送っていますので、実には気がつきませんでした。
来年の六~七月には注意して見てみたいと思います。
十年ほど前、この花の咲く十二月初旬に、はじめて男の孫が生まれましたので、魔を祓う意味もこめて柊刀(しゅうと)と名づけましたが、「あなたの名前どう訓むの?」にも柊希や宮柊二が出てきて感慨深いものがありました。
こんな恣意的で個人的な読み方で申し訳ありませんが、続けます。
京都市内で下宿をしながら大学の四年間を過ごしましたが、全共闘運動の影響が残っていて休講、休講が相次ぎ、次第に学校から足が遠のき、お寺巡りをするようになりました。
しかし桂離宮と修学院離宮は申込みが必要で、その手間を惜しんで行かずじまいでした。
ものを知らないということは怖いものだと思い知らされのが、Ⅱの「修学院幻視」でした。
詩という形で木村さんが蘇らせてくださった後水尾院という文化的存在は、京都の歴史がもつ洗練された雅びさと奥深さを体現している人物として、遅ればせながら小生の意識に深く刻みこみました。
帯に米寿とありますが、木村さんの詩精神のみずみずしさは、後水尾院の生命力を支えていたお夏、お秋、お冬、お春の詩に見る命の源泉としてのエロスから湧き出てくるものだと思いつつ拝読しました。
<「お前は俺の影だ」と兄は宣言した。>や<「影」が自立することは出来るのだろうか。>という詩句がありますが、影の深さ、濃さだけ命の輝きは強く、木村さんの詩として、短歌として、十二分に自立していると思います。
来年は、この詩集を携えて、修学院離宮を訪れたいと思います。
明日から師走、くれぐれもご自愛下さいますよう。
  十一月三十日               萩岡良博
----------------------------------------------------------------------------
私の作詩の意図を汲み取っていただき、有難うございます。
萩岡氏については、このブログに何度か萩岡氏の歌集などについて載せたことがあるので参照されたい。  ↓
「やすらへ。花や。」
「周老王」
「禁野 抄」    ← いずれも「リンク」になっている。クリックされよ。





私の心もとない半生のミスプリントに朱線を引かう・・・木村草弥
01-01.gif

   私の心もとない半生の
      ミスプリントに朱線を引かう・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌は、私の経てきた人生を「喩」的に表現したものである。
長い生の中では、いくつかの失敗や間違いを重ねたので、それを「ミスプリント」と表現してみた。
掲出した画像は、原稿の「校正」の見本である。 編集・校正には一定の約束ごとがあり、出鱈目にやるものではない。

私は第一歌集を出したときに角川書店の担当が呉れた編集手帳に載る「校正記号」で勉強した。
詳しくは、「校正記号表」 ← というサイトを参照されよ。PDFだが、荒瀬光治著より引用されたもの。

いろいろやってみると面白いものである。
私も第六歌集『無冠の馬』(角川書店)まで上梓したが、そのときには「筆者校正」を「三校」にわたってやった。
この歌集は私のパソコンに保存してある原稿をCD-Rで出版社に届けたもので、この原稿に私のミスのないかぎり、出版社や印刷所による「入力ミス」というのは起こらないので、
以前のような「活版」印刷と違って、校正個所は大幅に少ない。

妻が死んで、いろいろの法的処置が必要になって、私の戸籍謄本を取り寄せたが、その謄本には妻の記載欄に大きく☓印が入れられて「抹消」されている。
私の手元にあるのは謄本であるから黒線に見えるが、原本は「朱線」で抹消されているのであろう。
同じく、私の娘たちも結婚して出て行ったものは、私の戸籍から☓印をつけられて「抹消」されている。
謄本が手元にあるので、それを掲出できたらいいのだが、プライバシーにわたるので、それは見せられない。



「未来山脈」掲載作品・2018/12 「松柏美術館」・・・・木村草弥
b2b9d_0001353819_1.jpg
20110110_1549152.jpg
↑ 大渕池から松柏美術館を望む
syouen6.jpg
 ↑ 上村松園 画
haru01.jpg
 ↑ 上村松篁 画
上村淳之 鴫 画廊表玄
 ↑ 上村淳之 鴫
光本_NEW
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


──「未来山脈」掲載作品──(12)

      「松柏美術館」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・2018/12掲載・・・・・・

     松伯美術館      木 村 草 弥

   元(株)クボタ専務のK氏が来宅されて恐縮の至り

   小学校の恩師が近くの老人ホームに入居中でお見舞のついで、と

   本年度の「健詠賞」受賞お祝いメールへの返礼

   上村松園、松篁、淳之の三代にわたる作品を収集展示する松伯美術館

   広大な大渕池を眼下に眺める閑静なたたずまい

   ここは元近鉄社長・佐伯勇の別邸跡に建つ美術館

   大渕池緑地に面して閑雅なK氏宅が建つ高級住宅地

   高台の住宅地の I 女史宅から朝の散歩に池畔を歩いた

   女史が亡くなって二年  きつい坂道の記憶

   カイツブリが きりりりと鋭く鳴いていた朝明け
--------------------------------------------------------------------------
K氏の来宅から「大渕池」「松柏美術館」などへの回想を一連の作品にまとめてみた。
上村家三代の作品が納められてある。
ぜひ訪れてみられよ。いいところである。
この地にまつわる私の I 女史との関わりも、ちらっと出しておいた。




      
季節はああ次々とやつて来る私はもう急ぐこともない・・・木村草弥
8499b_convert_20091212092412.jpg

    季節(シーズン)はああ次々とやつて来る
        私はもう急ぐこともない・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「生き急ぎ」という言葉があるが、これは反面では「死に急ぎ」にも通じることである。
今しも、年末にさしかかってきて、友人、知人、親戚などから「喪中はがき」が連日のように舞い込む始末である。
私のような歳になってくると、友人の死の知らせに接することが多い。
そんなハガキに添え書きしてあるペン字には、自分自身の体のことで「胃がんで全摘出した」とか「パーキンソン病になってしまった」とか書いてある。

掲出した私の歌は、もう二十年以上も前の旧作だが、この頃に、私はもう、こんな「死生観」を濃密に抱いていたということである。
私は十代の思春期の頃に、長兄や姉や祖父や妹やら、叔父の死などが連続して異様な感覚に打ちのめされた。
「死」ということに、否応なく直面させられたのである。
この頃から、私の身近に「死」が存在した、と言えるだろう。
だから、私自身にとっては、掲出歌のような心境は不思議でも何でもないのである。
一昨年に次兄・重信が死んで、私はそのような気持ちを、一層強く持つようになった。
いずれにしても、「生き急ぎ」「死に急ぎ」はするものではない。物事や歳月の推移も、あるがまま受け入れたいものである。



木村草弥詩集『修学院幻視』に寄せて・・・・・貝沼正子
修学院_0001_NEW
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


      木村草弥詩集『修学院幻視』に寄せて・・・・・・・・・・・・・貝沼正子(「未来山脈」会員)

木村様は、とても米寿を過ぎている方とは思えないほどお元気で、パソコンを自在に操り、旺盛な知識欲と独自の文学表現で、短歌も詩もエッセイも毎月あちこちの雑誌に健筆を揮われていらっしゃるのです。
 この度の詩集『修学院幻視』の御上梓は、詩集では三冊目になるそうです。
私は以前の作品を知りませんし、詩の方に疎いので適切な批評とはなりませんが、未来山脈会員の好で小感を書かせていただきます。

最初に、御水尾天皇像のシックな装丁、山田兼士様の帯文に惹かれて読み始めたら、ぐいぐい引き込まれ一気に拝読いたしました。
岩手出身の私は、宮沢賢治の詩に親しみをもっていますが、この詩集は、従来の詩形もあれば解説、説明、解題のような散文詩もあり、作者独特の構成と展開に瞠目してしまいました。
並外れた知識とエロスで綴る斬新奇抜な詩的世界は、まさに作者のワンダーランドと呼ぶべきでしょう。

作品群から抜粋して
1 春の修羅
 どの作品も一行二十五字から三十字くらいで改行され、散文よりは詩の形態を持つものが多い。
作品の内容から作者の関心が多方面にわたるのが見て取れ、背景や歴史、数字的なものもよく調べられている。
厳密さへのこだわりが遺憾なく発揮されていて、特に名字を取り上げた「上と下」の作品は、ネットで詳しく調べられていて興味深い。
「あなたの名前どう訓むの?」では、今どきのキラキラネームが出てきて思わず苦笑いしてしまった。そんなクラスの担任にはご苦労様ですと言いたい。

Ⅱ 修学院幻視
 後水尾天皇を尊敬する作者は執筆にあたり、関連する歴史書はもとより、桂山荘や修学院山荘の歴史を厳密に調べ、造園が完成するまでを詳しく書かれている。
惜しいと思うのは、「百聞は一見に如かず」と言われているように、庭園の写真や平面図があればもっと読者に伝わるのではないかと思ったことである。
筆者も京都は昔、三回ほど行ったことがあるが、市内にある有名な神社やお寺、太秦が主で、桂離宮も修学院離宮も行ったことが無い。
またほかの庭園に比べ常時公開されているわけでもなく、参観するにも事前の申し込みと許可が必要とあり敷居が高いようだ。
現在はネットで調べる方法があるので、参考までに見てみたら写真が載っていてなるほどと思った次第である。
本書で、池や上中下の茶屋のことまで詳しく書かれていても、山荘全体の配置関係が見えないと文章から想像するしかないと思うからである。
 作者が「畢詩 あとがきに代えて」の中で「現代詩は何でもあり、だから「見てきたような」虚構で彩ってみた」と断言されているように、遊女がらみの作品群は作者の自由奔放な想像力が存分に発揮されていて、密かな愉悦さえ想わせる。
江戸時代初期の後水尾天皇が、平安時代の貴族が好んだ王朝文化に憧れを抱き、池に浮かべた船上で和歌を詠み、管弦を奏で、酒宴を設けるといったことを修学院離宮でおやりになられた。
徳川幕府による朝廷支配に反発しつつ、宮廷文化を継承してゆく場として、修学院離宮の造営に力を注いだことが、歴史的背景から浮かび上がり興味深い。
筆者の住む一関とは隣町の平泉でも、毎年「藤原まつり」が行われ多くの観光客で賑わう。中でも義経の東下り行列の様子や毛越寺庭園の大泉が池に舟を浮べて、平安絵巻さながらの舟遊びはとても人気があり見物客が多い。
それより大規模な修学院離宮で、宮廷文化人の優雅な遊びはどのようなものだったのか想像するしかないが、この詩集にそのきっかけを頂いたことを感謝している。
ありがとうございました。
 木村様の旺盛な作詩意欲と想像力、益々のご健筆をお祈りいたします。
-------------------------------------------------------------------------
私信にわたる部分もあるが、一部を引用すると誤解を招くこともあるので、ほぼ全文を引いた。ご了承を得たい。
貝沼正子さんは、今は口語自由律の「未来山脈」に居られるが、前は加藤克己の結社「個性」に所属しておられた。 
「個性」は、かなり自由な結社で、自由律や口語など、何でもありのところだった。
私も口語、文語、定型、非定型、自由律、 の区別なく、自由に作歌しているので 、「うまが合う」というのだろうか。
貝沼正子氏には、『燦燦ブルー』(1999年個性叢書)があるらしいが、私は未見である。
その「個性」が主宰者の死によって解散したので、貝沼さんは光本恵子主宰「未来山脈」に移って来られたようである。
因みに私の第六歌集『無冠の馬』の書評もいただき、このブログで紹介したことがある。
私は「短歌」を始めたときから「文語、歴史的かなづかい」を基本に作歌してきたが、若い頃から「現代詩」に親しんできたので、自由な作風にも憧れがある。
そんな中、宮崎信義から誘われて口語自由律の「新短歌」に一時所属していたことがあり、第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)は自由律の作品である。
この本の「帯」文は光本恵子さんが書いていただいた。

余計なことを書いたかも知れないが、不十分な紹介よりも、詳しい方がいいと思ったので、お許しいただきたい。
貝沼さん、有難うございました。失礼にわたる点があれば、お詫びします。



冬が来た。白い樹樹の光を体のうちに蓄積しておいて、夜ふかく眠る・・・前田夕暮
E8A3B8E69CA8E38080裸木

       冬が来た。白い樹樹の光を体のうちに
              蓄積しておいて、夜ふかく眠る・・・・・・・・・・・・・・・・前田夕暮


この歌は、「口語自由律短歌」と呼ばれるものである。
「白い樹樹の光」というのを、たとえば雪を被って白くなった樹木と捉えることも出来るが、それだと詩的な面白味は薄れる。
むしろ葉が落ちて、裸になった樹木にあたっている冬の日の光そのものを、作者は「白い」と感じているのだろう。
この歌は、白い樹樹の光を「体のうちに蓄積しておいて」という捉え方も面白いが、それを受けて「夜ふかく眠る」と続くところに、作者のすぐれた資質がよく出ている。
詩句における昼から夜への移行が、歯切れのいい転換によって新鮮さとふくらみを生んでいる。
昭和15年刊『青樫は歌ふ』所収。

いま歳時記を繰っていて気がついたのだが、「裸木」という季語は載っていない。
「冬木」というのはあるが、ものすごく詳しい歳時記なら載っているかも知れないが、私などは「裸木」という表現の方が、好きである。
「冬木」と言ってしまっては、葉を落とした樹木の感じを、表現の面で狭めてしまうと思うのである。
「裸木」の方が季節感を限定せずに膨らみがあり、読者の想像に任せる面が多いのではないか。
歳時記の見出し語としては「枯木」というところに入れられている。
表現として「枯木」と「裸木」では、趣きが違うのではないか。

前田夕暮については、前にも採り上げたことがある。
この歌などは強いて「短歌」と呼ばなくても「短詩」としてのリズムも的確で、すぐれた作品である。
前田夕暮は自然主義的な定型短歌から出発し、昭和ひと桁の頃に自由律に転換し、掲出したような歌を作った。
その後、戦争さなかには自由律に対する弾圧の時代が来て、戦争末期に定型短歌に復帰するに至るのだが、
自由律の作品にも、この歌のように佳いものもあるが、全体としてみると、自由律のものは散漫な作品が多く、私などは「定型」の作品の方が、粒が揃っている、と思う。

枯木の句を少し引いて終る。

 枯木中少年の日の径あり・・・・・・・・川口松太郎

 犬細し女も細し枯木中・・・・・・・・高野素十

 真青に海は枯木を塗りつぶす・・・・・・・・山口青邨

 妻は我を我は枯木を見つつ暮れぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 大枯木しづかに枝をたらしたる・・・・・・・・長谷川素逝

 鞦韆を漕ぎはげむ木々枯れつくし・・・・・・・・橋本多佳子

 赤く見え青くも見ゆる枯木かな・・・・・・・・松本たかし

 千曲川磧(かはら)の先の桑も枯る・・・・・・・・森澄雄






POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
aaootuwabuつわぶき
 ↑ ツワブキ

十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。

 国と国揉み合ふあはひ七十年なほ裸なり従軍慰安婦・・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 歳をいへばはやはや一期一会ぞと思へど心ふらふら遊ぶ・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 にすぎてるあなたとわたし鍋の中にくだけてゆける牡蠣のはらわた・・・・・・・薮内亮輔
 しづかなる寒きあしたをよしとして目覚めたりけりわが幸せや・・・・・・・・・・・・・宮 英子
 歩み来し最後の一歩をここに止め死せるカマキリ落ち葉の上に・・・・・・・・・・北沢郁子
 あっけなく終わるものありおとろえず残る執あり花の場合も・・・・・・・・・・・・・・小高 賢
 句の中の戦後間もなき青空よ 林檎も雁も晩秋の季語・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 晩秋の沼の面の水馬は微かな光の輪を踏みて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修
 走るしかないだらうこの国道がこの世のキリトリセンとわかれば・・・・・・・・・・・山田 航
 日常の貌保ちつつ足早に歳月は去り再びあはず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川恭子
 からすうりの赤きが枝に二つ三つ裏山の冬の木はやわらかし・・・・・・・・・・・・ 斎藤芳生
 結論を述べる男の強張りし眉間の皺の歳月の溝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 晩秋の長い林道ゆくうちに獣めきたる禁漁区かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 路地裏にひとり老婆はあきなひす 明石のたこ焼きあつあつの十・・・・・・・・久我田鶴子
 クレパスで描ききれない洋梨の 歪み ふくらみ はにかみ たくらみ・・・・・・・阪森郁代
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 花野にて死因問ふ人振り払ふ・・・・・・・・・・・・・ 吉川千早
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 夜歩けば朱き月影たぷたぷと・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 猿を見て人を見て秋風の中・・・・・・・・・・・・・・きくちきみえ
 目礼を交はしてゆける水の秋・・・・・・・・・・・・・小林すみれ
 紅葉するさくら卵の中の街・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 秋の薔薇行けばどこまで同じ町・・・・・・・・・・・・・上田信治
 木星に似る喉飴を舐めて秋・・・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 色町の音流れゆく秋の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 サングラス誰そ彼の世に紛れたる・・・・・・・・・・・中塚健太
 秋雨やふるえるわかめとコンドーム・・・・・・・・・・・・榊陽子
 菊を見て菊のひかりを見て菊を・・・・・・・・・・・・・小池康生
 向き合はない道路標識秋の暮・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 酒蔵はピートの香り蔦紅葉・・・・・・・・・・・・・・・・・栗山麻衣
 頭痛薬一錠二錠秋となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 ネクタイのキリンこぼれて秋の電車・・・・・・・・・・ わだようこ
 小鳥来る解体される給水塔・・・・・・・・・・・・・・・・・倉田有希
 逆光に町のありたる刈田道・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 しぐるるや紅き表紙の「遊女考」・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 秋冷をただよう雲の飛行船・・・・・・・・・・・・・・・・・・工藤定治
 身を寄せて十一月の水餃子・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 菊焚くや綺麗な灰もおのづから・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 団栗のこつんと撥ねる目を醒ます・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 一線に野焼の炎空濁す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 銀匙のくもり訝る秋思かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 サンダルの斜めに減りし夜の秋・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 銀杏のにほひたつ道キャンパスへ・・・・・・・・・すずきみのる
 いちじくや宇宙の闇に星あまた・・・・・・・・・・・・・・・北畠千嗣
 これほどに何故にまっすぐ彼岸花・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 道一つ違えたかしら穴惑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 山手線は里芋の煮転がし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 山羊の匂いの白い毛糸のような性・・・・・・・・・・・ 金原まさ子


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
コメントは各記事の末尾に「コメント」という欄がありますから、それをクリックしてお入りください。
私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
 GoogleYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。

閲覧の仕方
「当月」の記事は開いている状態でご覧になれますが、「先月」などのバックナンバーの閲覧は、上部のカレンダーの « の印を押して「過去」へ進んでください。
「月別アーカイブ」は30件表示するようになっています。30件以上ある場合は「NEXT」を押して進んでください。
「カテゴリー」を選んでいただくと、当該カテゴリーの一覧として、ずらっと出てきます。よろしく。 
私の記事は、引用、リンク、転載フリーです。事後でもお知らせ下さると嬉しいです。
パソコンの画面は「最大化」でご覧ください。

私のブログは大きい写真が入りますので、チョン切れを避けるためです、よろしく。

☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

Wikipedia─木村草弥

Facebook─木村草弥

Twitter─木村草弥

ランキングを確認する ★ ──登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
 これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓ します。アクセス数によるのでしょう。 ご覧ください。


banner99条守ろう

  9条守ろう!ブロガーズ・リンクに参加しています(0215)
 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

Banner_125x125_0003_D.jpg

   「地球上のすべての人が、
  人類すべての知識への自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、
  と想像してみてください。」
──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ

「角川書店」話題の新刊書籍
「新潮社」
講談社BOOK倶楽部
「集英社文庫」新刊
「岩波書店」
「青土社・ユリイカ」
詩の本の思潮社
土曜美術社出版販売「詩と思想」
文芸春秋社・書籍ショールーム





いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた/雲海の中に・・・・・・/微光の中を静かな足で歩んでいた・・・大岡信
cad86f2e5112cd6eeda764c19c59e690髴ァ譛ャ蜻ス_convert_20091129072955

      さむい夜明け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた
     雲海の中に・・・・・・
     となかいたちは氷河地帯に追いやられ
     微光の中を静かな足で歩んでいた

     いくたびか古城をめぐる伝説に
     若い命がささげられ
     城壁は人血を吸ってくろぐろとさび
     人はそれを歴史と名づけ蔦で飾った

     いくたびか季節をめぐるうろこ雲に
     恋人たちは悲しくめざめ
     いく夜かは
     銀河にかれらの乳が流れた

     鳥たちは星から星へ
     おちていった
     無法にひろがる空を渡って
     心ばかりはあわれにちさくしぼんでいた

     ある朝は素足の女が馳けさった
     波止場の方へ
     ある朝は素足の男が引かれてきた
     波止場の方から

     空ばかり澄みきっていた
     溺れてしまう 溺れてしまうと
     波止場で女が
     うたっていた

     ものいわぬ靴下ばかり
     眼ざめるように美しかった
-------------------------------------------------------------------------
この詩は、学習研究社『うたの歳時記』冬のうた(1985年12月刊)に載るものである。
「いくたびか」という詩句の3回のルフランなども詩作りの常套手段とも言えるが、この一篇で「初冬」の「さむい夜明け」の、さむざむしさを表現し得たと言えるだろう。



埴輪の目ほんのり笑ふ土こねし古墳時代の庶民が笑ふ・・・群馬県・熊沢峻
lif1808210017-p1はにわ

      埴輪の目ほんのり笑ふ
           土こねし古墳時代の庶民が笑ふ・・・・・・・・・・・・群馬県・熊沢峻


この歌は、角川書店「短歌」十月号の題詠「土」に載るものである。
この歌に照応するものとして、当該画像を引いてみたが、いかがだろうか。
どこの場所からの出土品か知らない。
かなり壊れた状態で出土したらしく、欠けた部分を復元した跡が、なまなましい。

ここには、中西洋子氏選による作品が載っているので、そのうちの、いくつかを引いておく。

 手を合はせ祈りしままによみがへる土偶が月の光を宿す・・・・・青森県・木立徹
 凍てし土に転びて泣きしわが顔の涙も洟も凍りし大陸・・・・・埼玉県・中門和子
 黒土の下層に眠る関東ローム天地返しにさむる万年・・・・・神奈川県・滝沢章
 ふるさとの共同墓地の墓じまい土葬の祖母の土を拾いき・・・・・神奈川県・大和嘉章
 土の匂ひやがて濃くなる気配あり東南東から雨雲ちかづく・・・・・千葉県・渡辺真佐子
 病院のベッドで雨をながめてる氷雨村雨時雨土砂降り・・・・・茨城県・小野瀬寿
 緑陰の土のしめりにふり返る夏の夕ぐれ 訪問者はだれ・・・・・茨城県・吉川英治
 ひんやりと湿った土に胸をあて蜥蜴のように眠りたき昼・・・・・京都府・山口直美
 耕せば畝に蜥蜴のはね上がる目鼻をもたぬ土神様よ・・・・・大阪府・北井美月
 南天は小さな白き花散らす泥土に未知の星図ひろげて・・・・・秋田県・長尾洋子
 白土の茶碗の欠片累々と久々利荒川豊蔵の庭・・・・・岐阜県・三田村広隆
 田には田の一枚一枚名がありき亡母は土の違ひを知りき・・・・・和歌山県・植村美穂子
 知らぬ間に更地になった一画の土は初めて夏の風知る・・・・・福岡県・原口萬幸
 白蓮の散りたるのちも香りつつ腐れつつ土に還らんとする・・・・・北海道・土肥原悦子



花岡カヲル歌集『枯葉のみやげ』・・・木村草弥
花岡_NEW

──新・読書ノート──

      花岡カヲル歌集『枯葉のみやげ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・未来山脈社2018/11/20刊・・・・・・・

標記の本が届いた。 未来山脈叢書202編
花岡カヲルさんは、こういう人である。
1935年長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。
1956年 信州大学教育学部を修了。諏訪地区の小中学校に勤務する。
1960年 花岡清雄と結婚して岡谷市に住む。 二人の娘に恵まれる。
1993年 立野行雄に誘われ「未来山脈」入会。

花岡カヲルの受賞歴 を引いておく。

①平成13年 第八回口語短歌全国大会佳作に入選
  地上に灼熱の暑さを残し 真赤な太陽がビルの中に吸い込まれて行く
②短歌四季(平成15年1月号~12月号)の四季吟詠で特選となり、「現代歌人俊英選集Ⅳ」短歌招待席に参加
  胃にやさしい白い粥 緑の色に映えて今生きるのだと我は噛みしむ
③平成24年度 未来山脈健詠賞 受賞
④平成26年新春読者文芸で口語短歌一席となり、長野日報社から楯を頂く
  筆おろし馬と一文字描く 墨の香が仄かに流れてゆく年初め

この本のはじめに主宰・光本恵子の7ページに及ぶ「序文」が載っている。
そこには花岡さんの歌の主要な部分が述べ尽くされているので、私が余計なことを書く必要もないが、敢えて書いてみる。

題名になった「枯葉のみやげ」の意味である。

  *玄関に枯葉のみやげをつけて二つ並んだ大きな靴小さな靴

次女さち子は千葉大学の薬学部を卒業し、キッセイ製薬から外資系のダイナボットに転職、選ばれてアメリカの本社に行ったあと、高校の同期だった人と結婚。その後、結婚相手とイタリアへ渡る。
この歌は、結婚した二人が広尾の自宅マンションに帰宅した時の玄関の様子を詠ったものという。
男物の大きな靴と娘の小さな靴、その靴には枯葉が乗っていた。赤く色づいたケヤキの葉が仲のよい二人の靴についてきたのだろう。
その葉を「お土産」と捉える母の想い。この歌から歌集名が採られた、という。

  *覚えたてのイタリア語で「ボナセーラ」娘と国際電話する夫

そんな幸せの絶頂にあった次女が病に侵されて、そして不帰の人となってしまった。

  *病む娘を庇い気遣う婿 言葉や仕草の端ばしにしみでるいたわり
  *近代医療の粋 最善の治療もむなしく次女さち子逝く
  *娘編みかけのセーターを私の手で仕上げる 婿は喜んで着る

悲しみの渕に立たされた花岡さんは一年間ほど歌が詠めなかったという。
そして、立ち直った彼女が作品を発表した「全国口語短歌大会」の歌が冒頭に引いた歌である。

「ただならぬ轟音」と題される一連がある。
住んでおられた岡谷市湊地区を襲った土石流の災害である。2006年7月19日のことである。

  *早朝四時半ただならぬ轟音 天変地異かと驚愕し身がちぢむ
  *一気に家も人も車も石も大きな木さえ根こそぎ押し流す濁流
  *小田井澤川の思いがけぬ土石流 心に痛くきざまれた爪痕
  *我家のある小田井岬を遠くから望む 八千年前土石流で作られたという
     < 土石流汗した畑を流しけり >──原天明に師事したときの俳句である。  

長い人生の中には、予想もしないことが起こるものである。

  *ぶっつかる 食器を壊す 転ぶ 私の中で何かが壊れてゆく
  *三月二十日は吟の発表会 独吟の初舞台が刻一刻と迫る緊張のルツボ
  *高齢者学級で原天明師と出会う 俳句の学びの世界へ導かれ

短歌以外にも、さまざまなことに挑戦する花岡さんである。
そんな中でも、冒頭に挙げた歌の入選が光っている。

  *新春文芸「口語短歌」一席の楯が長野日報社から届けられる
  *楯を胸に抱きしめてしみじみと二十年短歌に歩みきた熱き思いに浸る

御夫君の病みや死去に関する歌が少ないのが、私には不満である。

  *退職後夫は何時も傍らに 助け合って生きてきた二人三脚の夫婦
  *病の検査治療加療を繰り返した夫と共に十三年二人で通った大学病院

すこし引いたが、詠み方が概念的である。具体的な、生き生きした表現が欲しかった。
不十分ながら、いよいよ巻末の歌である。

  *二十余年ひたすら紡ぎ積み上げた短歌の束 歩みきた証を綴る

ここで一巻を通読して感じた私の、ささやかな違和感を敢えて申しあげる。
「歩みきた」は「文語」の表現である。口語短歌というからには、ここは「歩んできた」としたい。
他にも、こういう表現があるので敢えて書いてみた。ご了承をお願いしたい。

六百余の膨大な歌の中から、いくばくの秀作を拾い得たか覚束ないが、これで拙い鑑賞を終わる。
私よりは五歳ほどお若いが、益々ご壮健で過ごされるようお祈りいたします。
率直な物言いをお詫びする。  有難うございました。           (完)




山の神留守のあけびを採りにけり・・・浅井紀丈
FI2618554_1E.jpg

  山の神留守のあけびを採りにけり・・・・・・・・・・・・・・・浅井紀丈

「あけび」は漢字では「通草」と書く。
雑木林などに生える落葉の蔓低木である。栽培のものもあるかも知れないが、野生のものであろう。
今ではアケビなんて言っても、知る人も少ないし、むかし食べたときは甘くておいしかったが、いまなら食べても美味とは思わないのではなかろうか。
写真①が熟して果皮が裂けた実である。黒い実のまわりの白い果肉を食べる。

FI2618554_2E.jpg

アケビは春4月に写真②のように花を咲かせる。
名前の由来は、裂けた「開け実」が転じてアケビになったと言われている。
果肉は甘くて、山の味覚として賞味されたが、果皮のことは、私は何も知らなかったが、干しアケビや塩漬けにしたりするらしい。
山形地方には春の彼岸の決まり料理として干しアケビを食べる習慣があるらしい。
また秋の彼岸には、先祖がアケビの船に乗って来るという言い伝えから仏壇に供え、あとキノコ類を詰めて焼いて食べるという。

FI2618554_3E.jpg

夏に写真③のように緑色の若い実になり、秋になって熟して、果皮は紫色に熟して、果皮が縦に裂けて果肉が見えるようになる。
茎は「木通」モクツウ、果実を「肉袋子」ニクタイシと言うらしい。漢方では生薬として使われるし、蔓は籠などを編み、葉や茎は草木染の染料となる。
俳句にも詠まれているが、カラスなどが食べているのを見て、そこにアケビがあることが判明したりするらしい。
写真④は果皮が裂ける前のアケビの実である。

FI2618554_4E.jpg

以下、俳句に詠まれる句を引いて終りたい。

 鳥飛んでそこに通草のありにけり・・・・・・・・高浜虚子

 むらさきは霜がながれし通草かな・・・・・・・・渡辺水巴

 主人より烏が知れる通草かな・・・・・・・・前田普羅

 垣通草盗られて僧の悲しめる・・・・・・・・高野素十

 通草食む烏の口の赤さかな・・・・・・・・小山白楢

 夕空の一角かつと通草熟れ・・・・・・・・飯田龍太

 滝へ行く山水迅き通草かな・・・・・・・・山口冬男

 採りたての通草を縁にぢかに置く・・・・・・・・辻田克己

 もらひ来し通草のむらさき雨となる・・・・・・・・横山由

 通草垂れ藤の棚にはあらざりし・・・・・・・・富安風生

 何の故ともなく揺るる通草かな・・・・・・・・清崎敏郎

 あけびの実軽しつぶてとして重し・・・・・・・・金子兜太

 通草熟れ消えんばかりに蔓細し・・・・・・・・橋本鶏二

 山の子に秋のはじまる青通草・・・・・・・・後藤比奈夫

 あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・橋本美代子

 通草手に杣の子山の名を知らず・・・・・・・・南部憲吉

 口あけて通草のこぼす国訛・・・・・・・・角川照子

 山姥のさびしと見する通草かな・・・・・・・・川崎展宏

 のぞきたる通草の口や老ごころ・・・・・・・・石田勝彦

 八方に水の落ちゆく通草かな・・・・・・・・大嶽青児

 一つ採りあとみな高き通草かな・・・・・・・・嶋津香雪

 あけび熟る鳥語に山日明るくて・・・・・・・・・福川ゆう子

 あけびなぞとりて遊びて長湯治・・・・・・・・阿久沢きよし




白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ/柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・オルダス・ハックスリー
kohakucyou02-1コハクチョウ飛翔

    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

--------------------------------------------------------------------
この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
--------------------------------------------------------------------------
詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
-----------------------------------------------------------------------
757px-Correggio_038コレッジョ
 ↑ コレッジョの絵 (ベルリン 絵画館)
西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・飯名陽子
aaoosyumei秋明菊大判

    おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子

この花は「秋明菊シュウメイギク」と言うのだが、音数が多いので俳句などでは、掲出句のように「貴船菊キブネギク」と五音で詠まれることが多い。
ただし「菊」と名がついているが、キク科ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の植物である。 念のため。
---------------------------------------------------------------------
事典には、次のように載っている。

■シュウメイギク キンポウゲ科アネモネ属
学名:Anemone hupehensis var. japonica(=Anemone japonica)
 別名:キセンギク(貴船菊),キブネギク(貴船菊)
 花期:秋

白く見えるのは花ではなく,萼です。花(萼)が散った後,黄色くて丸いものが残っているのもおもしろいです。葉は根本に大きいのがあり,花をつける茎には小さな葉しかありません。

中国と日本の本州、四国、九州に分布します。日本のものは古い時代に中国から渡来したという説が有力になっています。
大型の多年草で高さ0.5~1.0mになり、9~10月頃に咲くので秋明菊といいます。また、京都市北部の貴船に多く見られることから貴船菊(キセンギク・キブネギク)の別名があります。
花は紅色の八重咲で5~7cm位です。

1844年にフォーチュンにより、中国の上海からイギリスに送られ、1847年にアネモネ・ビィティフォリア(ネパール原産で30~90cmの多年草。白花、ピンク花等があり、シュウメイギクに似ている)と交配され、多くの園芸品種ができました。日本ではその後、一重で白花、ピンク花が知られていました。しばらくこの3種類(八重・紅色、一重・白、ピンク)しか栽培されていなかったのですが、近年、ピンクの矯性品種や、濃紅一重、白八重など、徐々に増えてきています。
また、この仲間(アネモネ属)は、花びらに見えるものは花びらではなく、萼片が花弁状になったもので花弁はありません。
--------------------------------------------------------------------
俳句にも詠まれていると思ったが、歳時記にも、少ししか載っていない。

 露霜にしうねき深し貴船菊・・・・・・・・・・・・我里

 菊の香や垣の裾にも貴船菊・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 観音の影のさまなる貴船菊・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 貴船菊一茎活けし直指庵・・・・・・・・・・・・右城暮石

 貴船菊活けて鏡にみどり差す・・・・・・・・・・・・岡本差知子

 山水を厨に引くや貴船菊・・・・・・・・・・・・坂巻純子

 寺の田も水を落とせり貴船菊・・・・・・・・・・・・大岳水一路

 こと艸にまじりてのびし貴船菊・・・・・・・・・・・・山本竹兜

 水をゆく真白なる雲貴船菊・・・・・・・・・・・・竹下白陽

 夕月に細き首のべ貴船菊・・・・・・・・・・・・関木瓜

 秋明菊カレーを食べし息に触れ・・・・・・・・・・・・大林清子
---------------------------------------------------------------------
「秋明菊」ということで掲出句を選びはじめたが、「キブネキク」という5音が俳句作りには適しているので、圧倒的に「貴船菊」の例句が多いので、ご了承を。


草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は秋が急速らやってきて、冷たい日々があり、紅葉も順調なようである。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十二回・・・・木村草弥
宇治_NEW
宇治_0001_NEW

──月刊「茶の間」連載──(12)

   月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十二回・・・・・・・・・木村草弥

    ひととせを描ける艶(ゑん)の花画集ポインセチアで終りとなりぬ

 秋の期間、茶の木はたっぷりと秋肥(あきこえ)を与えられて、十二月の今は冬眠に入っている。
だから今月は茶からは離れて季節を詠んだ歌を採り上げようと思う。
 今の時期は花の彩りに欠ける。
そんな中にあって鮮やかな緋色を 見せつけるのがポインセチアだ。
最近は品種改良されてマーブル模様のものなどがあるが、私は緋色が好きである。

   黄落(こうらく)を振り返りみる野のたひら 野はゆく年の影曳くばかり

   野仏の翳(かげ)れば野には何もなくすとんと冬陽落ちてゆきたり


 黄落とは紅葉(こうよう)の別名である。歌の場面では平素は使わないような単語を使って趣向を凝らす。
 古い歴史を有する山城の地にはあちこちに石の野仏が見られ、動乱や戦に巻き込まれた人々の鎮魂の祈りが偲ばれるのである。
今では開発が進み変貌著しい当地だが古(いにしえ)人の情感を想起したい。

   雷鳴が記憶をつんざく夜明けにてまほろばの紙となりたる冬蝶

 冬の夜明けなどに突然、雷が鳴ったりする。これを「寒雷」と呼ぶが、れっきとした俳句の季語だ。
冬の間にいつの間にか家の隅などに蝶が越冬しているのが見られる。
紙のように静止して、じっと耐える蝶の姿は何ともいじらしいものである。

   垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる極月(ごくげつ)の夜に月の利鎌(とかま)だ

   振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく


 長い年月を生きて来ると心が垢じみてくる気がするものだ。そんな心境を詠んでみた。
 
一年間の連載のページを与えていただき、拙い歌と文章にお付き合い有難うございました。
 読者の皆様の健康と幸運をお祈りしてペンを置く。            

-------------------------------------------------------------------------------
一年間の連載が終わって、ほっとした気分と、一抹の寂しさも覚える。
それにしても、担当者がネットを調べ、アマゾンから私の歌集を買い求めて、拙宅を訪ねて来られたのは昨年の晩秋のことであった。
これらの営為に対して有難く御礼を申しあげたい。
この雑誌は、当地だけではなく、定期購読者など広く読まれているもので公称発行部数は40万部だと言われている。
その上に、一回の執筆料として15000円も戴ける。
短歌雑誌と比べると破格の高さである。 このことにも厚く御礼申し上げたい。
私のブログの読者の皆様も、お付き合いいただき有難うございました。
いよいよ十二月─師走である。 向寒の折から御身ご自愛くださるようお祈り申し上げる。   (完)




        
やはらかき身を月光の中に容れ・・・桂信子
450-20051109115426129満月

    やはらかき身を月光の中に容れ・・・・・・・・・・・・桂信子

秋は月が美しい。空気が澄んでいるからである。
今日は「望月」つまり満月なので、「月光」の句を採り上げる。 

桂信子は、大正3年大阪市生まれの俳人。
以前にも採り上げたことがあるが、結婚して2年にして夫と死別。
女盛りの肉体の「いとおしさ」「わりなさ」が「やはらかき」の一語にこもっているようだ。
澄んだ光をまるで大きな器のように溢れさせている秋の月。
その中に歩み入る成熟したひとりの女性。孤独感を根にして、みずみずしい心と体の揺らぐ思いを詠みすえている。『月光抄』昭和24年刊所収。2004/12/16死去。行年90歳。

以前にも採り上げた句と重複するかも知れないが桂信子の句を少し引く。

   ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

   クリスマス妻のかなしみいつしか持ち

   閂(かんぬき)をかけて見返る虫の闇

   ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

   ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

   衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

   窓の雪女体にて湯をあふれしむ

   ゑんどうむき人妻の悲喜いまはなし

   ひとり臥てちちろと闇をおなじうす

   暖炉ぬくし何を言ひ出すかも知れぬ

   虫しげし四十とならば結城着む

   寒鮒の一夜の生に水にごる

   さくら散り水に遊べる指五本

   きさらぎをぬけて弥生へものの影

   忘年や身ほとりのものすべて塵

   地の底の燃ゆるを思へ去年今年


しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・和泉式部
51UVvCNDO9L__SS500_.jpg
izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/1付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。



家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・久保田不二子
FI2618557_1E.jpg

     家毎に柿吊るし干す高木村
        住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子・俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

参考までに赤彦の旧居・「柿蔭山房」 ← のリンクを貼っておくので参照されたい。

私が敬慕する自由律歌人で、同じ下諏訪町にお住まいの光本恵子さんにお聞きしたところ、下記のようなメールをいただいたので転載しておく。 ↓

< 久保田不二子については、先妻(うた)の子である政彦を育て、さらに自分(不二子)と赤彦との間に3男2女を育てた。政彦は1917年に十八歳で死去。
不二子との長男の建彦には、私の夫の垣内敏広が伊那北高校時代に漢文の先生として習ったと言っています。
次男の夏彦さんには私もお目にかかったことがあります。
赤彦は先妻のうたさんのことをあまりに愛していたので、再婚した不二子さんは哀しい思いをされたようですね。
二人で養鶏所をなさっていたころはよかったのでしょうか。
まあ赤彦は大正15年に50歳で亡くなり、不二子さんは昭和40年(1965年)まで長く生きられたので、子供様は教師として、お母様を守ったのでしょうね。
高木は我が家から割と近いです。昔の甲州街道筋にあり、赤彦の暮らした柿蔭山坊は多くの人が今も訪ねます。またお出かけください。私がご案内させて戴きます。 >

島木赤彦については ← を参照されよ。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

FI2618557_2E.jpg

私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・藤野智寿子
d0056382_20162867クヌギの実

      どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・・・・・・・・・藤野智寿子 
  
団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。

小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・橋本多佳子

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 
copyright © 2018 Powered By FC2ブログ allrights reserved.