K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(12月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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本年も十二月、最終となりました。
泣いても笑っても「師走」の到来です。

 葦べ行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 志貴皇子
 いたぶるとなぶるを辞書に引き比ぶ甚振(いたぶ)るうつつは辞書より辛し・・・・・ 沢口芙美
 みまかりてしまへばはらからではなくてうをの牙はも魚にむらがる・・・・・・・・・・・・ 柳沢美晴
 流し樽流れいし世のゆたかなり瀬戸内海に雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 玉井清弘
 廊下ゆく杖の音立つ雪の日の白鳥の声刈田にきこゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・板宮清治
 定食を囲んで話すほんとうの笑顔でいようお醤油かけて・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 岩尾淳子
 朝しぐれすぎてさだまる海の色うつくしければ自転車に乗る・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井ゆき
 冬の日は誰のものにもあらざれば一直線に日向を歩む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沖ななも
 萩もみぢとらへがたなきあかるさの 窓辺に充ちて、仮の世この世・・・・・・・・・・・・・ 中西洋子
 海底に塩噴く臼のあるといふ説話なかなか嬉しきものを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恩田英明
 国家解体おもひみるかな領土なく国語なくただに<言葉>響きあふ水の星・・・・・・水原紫苑
 頭よりヤマメ食ふとき大陸の塵も胃壁も融けつつあらむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒瀬珂瀾
 しつかりと我をみつめて泣くなといふ冬の垣根のつはぶきの花・・・・・・・・・・・・・・・秋山佐和子
 ちよつとだけよろけぬるかな足もとの椿の花を踏むまいとして・・・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
 液晶の青うなばらに文字浮きてきょうの出来事伝えていたり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久我田鶴子
 亡き母を知る人来たり十二月・・・・・・・・・・・・長谷川かな女
 落ちてゐるからたちの実や十二月・・・・・・・・・・吉岡禅寺洞
 武蔵野は青空がよし十二月・・・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子
 わが生死食思にかかる十二月・・・・・・・・・・・・・・・相馬遷子
 御岳に雲の荒ぶる 十二月・・・・・・・・・・・・・ ・ 伊丹三樹彦
 星冴ゆる戌亥を守る鬼瓦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 家猫の小さなくしゃみ今朝の冬・・・・・・・・・・・・・・・・ 盛蓉子
 星流るすうっと走る裁ちばさみ・・・・・・・・・・・・・・ 北畠千嗣
 深秋やさうかと思ふ竹林・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 冬立つやひとりひとつの顕微鏡・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 河を越え伸びをり塔の影師走・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 太ももの外側ほぐし冬の虹・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉川わる
 冬麗に象形文字の割り出され・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 セスナ機も花野におなじ風のなか・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 冬枯れのサラリーマンの目を労わる・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 脱力のセーター椅子の背もたれに・・・・・・・・すずきみのる
 古暦つまり風葬ではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 そこここに団栗ならばそこここに・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 リビングの隅の聖樹の消し忘れ・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 原子炉が目覚めし町や冬の蝶・・・・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 また嘘をつくリアシートにはポインセチア・・・・・・・・ 奥村明
 流るるといはず揺れをる冬の川・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 水洟をすする眼の鋭さよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 亡国の名の酒場ある風邪心地・・・・・・・・・・・・・・青木ともじ
 木枯らしはくしゃくしゃにしてポケットへ・・・・・・・・・青島玄武
 ひとの手に墨匂ひたり牡蠣の旬・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 しぐるるや切絵のむすめ白眼無き・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 澄みてなほ水は面をうしなはず・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 冬の川舌のごとくに夜が来る・・・・・・・・・・・・・・・・・青本柚紀
 ただの妻ただの星子の風邪癒えて・・・・・・・・・・・・和知喜八
 さんらんと冬雲のあり午後の塀・・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 海豚抱くほかなき海の青さかな・・・・・・・・・・・・・・・青山青史
 善人が黙えらぶ世の鵙日和・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹岡一郎
 枯野行く少し狂ひし腕時計・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 露の径日の山荘を仰ぎけり・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 てのひらに硬き切符や冬ぬくし・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 外套の中の寂しき手足かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岬光世
 すつぴんでするりセーター脱ぎながら・・・・・・・・・・ 九里順子
 なにかを捨てて来た道をかえりみる・・・・・・・・・・・・天坂寝覚
 口紅が食み出している帰り花・・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 思い出の話ばかりを枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

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 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
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明日のため今日の願いがありましてハナカタバミの葉のやすむ宵・・・・・鳥海昭子
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     明日のため今日の願いがありまして
       ハナカタバミの葉のやすむ宵・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


ハナカタバミ
花片喰(ハナカタバミ)はカタバミ科カタバミ属の多年草である。
学名:Oxalis bowiei
和名でなく学名のオキザリス・ボーウィと呼ばれることも多い。
原産地は南アフリカのケープ地方である。日本へは観賞用として江戸時代に渡来した。
暖地では野生化しているものも見られる。
草丈は5~30センチくらいである。
葉は3出複葉(1枚の葉が3つの小さな葉に分かれた形)である。
小葉は丸みのある倒心形で、細かな毛が生えている。
開花時期は10~11月である。
葉の間から花茎を伸ばし、散形花序を出して濃い桃色の花をつける。
散形花序というのは、茎先からたくさん枝が出て、その先に1個つずつ花がつく花序のことである。
花径は3~5センチと大きく、花の真ん中は黄色い。
日当たりがよい場所を好み、曇っていたり日陰になったりすると花を閉じる。
写真は晩秋の一日、大阪へ注ぎ込む淀川の土堤に野生化したものが撮られた。
さまざまの色の園芸種があるらしい。
鳥海さんが歌に添えられたコメントによると

<夜になると、ハナカタバミは祈るように葉を閉じます。病と闘っていたころ、また葉を開くあしたを思い、希望を感じたものです>

という。私は、そういう現象をまだ観察する機会を得なかった。花言葉は「決してあなたを捨てない」

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ネット上では下記のような記事も見える。

<ムラサキカタバミ(紫片喰)の園芸種で、カタバミ属の植物のうち球根性の種類を園芸上はオキザリスと呼んでいるようです。葉はクローバー形で、色彩の変化に富んでおり、赤紫を始め斑入りなどいろんなのが有るようです。
花色も紅、紫紅、桃、藤、黄、白に複色など多彩です。夏植えで秋咲きの種類が多いのですが、冬~春咲き、夏咲きの種類もあります。球根は指先ほどの小型で、無霜地帯では庭植えもできます。
秋に咲いた花と春に咲く花では、微妙に違うような感じでした。>

歳時記を当ってみたが、句は載っていないようである。ご了承を。


日動画廊扉の把手は青銅の女体にて腰のくびれをつかむ・・・・・阿木津英
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↑ 「クリスティン・ピエール展」から──パリ日動画廊ホームページより

──東京風景いくつか──

   ■日動画廊扉の把手は青銅の
      女体にて腰のくびれをつかむ・・・・・・・・・・・・・・・・・阿木津英


日動画廊(にちどうがろう)は1928年創業の洋画商。日本国内の洋画商としては、最も歴史があるとされる。
店の名前の由来は、最初の画廊は日本橋の高島屋の近くだったが、立ち退きをせまられ、旧日本動産火災保険会社の粟津社長の好意で敷金、家賃なしで西銀座の新築ビルの1階に日動画廊を出すことになる。
日本動産火災が日動火災と呼ぶようになるのは、その後のこと。
HPを見ると、系列に名古屋、福岡、フランスのパリ、軽井沢、茨城県の笠間日動美術館がある。ギャラリーは銀座にあり、今の所在地は銀座5-3-16。
毎年作家の個展を開催している。現在まで多数の作家たちを輩出してきた伝統ある画廊とされる。
取り扱い作家は油彩、彫刻、版画を主に、内外の物故・現役作家あわせて数百名になる。
関連するネット上を閲覧すると、こんな記事があった。

<日動画廊の長谷川智恵子副社長が2009年11月19日、フランス大使公邸で行われた叙勲式で、レジオン・ドヌール勲章オフィシエに叙されました。
長谷川智恵子氏は夫の長谷川徳七氏(日動画廊社長、1998年芸術文化勲章コマンドゥール受章)とともに、フランス美術を印象派から近代、現代美術に至るまで日本に広く紹介し、国内多数の美術館のコレクション形成に貢献したほか、笠間日動美術館(茨城県笠間市)の創立にも尽力しました。>

今の社長は長谷川徳七というらしい。

私の記事をご覧になった光本恵子さんから、次のようなメールをもらったので感謝して、披露しておく。 ↓

< 日動画廊の長谷川氏の先祖が鳥取県の赤碕の出身で、その関係で赤碕の港に三度笠の石彫ができました。
それは神戸の港のメリケン波止場にも同じ人の作品で「海援隊」の石彫があります。
作品紹介には、
「著名な彫刻家・流政之氏が「波しぐれ三度笠」というタイトルで制作した彫刻で、日本海に映えるすばらしい景色をつくり出している。」
と書かれています。 
赤碕の菊港(明治の半ばまで千石船が通っていた港――私は幼い頃この港で泳いでいました)の丸石で組んだ防波堤の先端にこの彫刻があります。
この地は日本海でも最もたくさんの墓地が日本海に沿って「花見潟墓地」があります。それは見事な墓地です。司馬遼太郎の書いたものの中にもあります。 >

光本恵子さんも、ここ赤碕のご出身である。

掲出の阿木津英の歌は、店のドアの把手が青銅製の「女体」だとして、その腰のくびれをつかむことになるのを、巧みにエロチックに表現して秀逸である。

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   ■電脳に追いたてられてふらふらの
        僕は歩くよ夜の地下鉄・・・・・・・・・・・・・・・・・・栗明純生


この人は確か「銀座短歌会」というところに所属する若手の都会派歌人である。
写真は「地下鉄博物館」に展示される丸の内線301号車と奥は銀座線1001号車である。以下は、その説明。

<未だファンの多い丸ノ内線の真っ赤な車両。いくつかは払い下げになり個人で所有している方もいらっしゃるとか。
そんな人気の真っ赤な300型車両は、どんな活躍をしてきたのでしょうか。
博物館では、車内に入ると窓に映写機で映し出された開通当時から博物館に納められるまでの映像を見ることが出来ます。>

   ■地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり・・・・・・・・・・・・・・前登志夫

この歌も青春の日々に過ごした東京を偲んで作られている。奈良・吉野山住みだったが先年亡くなった。

   ■大江戸線地下ふかぶかと降りゆくに青きあやかしかケータイ光る・・・・・・・・・・・・小島熱子

大江戸線が開通して、もう数年になるが、それまで不便だったところが大変便利になった。
後発の路線ということで、走る深度はとても深いから、駅について地上にでるのに急角度のエスカレータに延々と乗ることになる。
そのエスカレータの速度が遅いのでイライラする。こんなときに思い出されるのがロシア・モスクワの地下鉄のエスカレータの速さである。
ここも地下深いので、必然的にエスカレータが速くなったものだろう。各駅もそれぞれ装飾的で、個性があって面白い。
東京で一番新しい地下路線は「りんかい線」だろうか。ここも便利になって埼京線川越まで直通で行ける。
私は京都人なので、東京には時たま行くだけで詳しくないので、間違いがあったら訂正してほしい。

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    ■鶯も通ったろうかうぐいすだに 
      かつて東京は川と谷と武蔵野の森だった・・・・・・・・・・・・光本恵子


鶯谷駅は大ターミナルである上野駅の隣に隠れて影が薄く、都区内のJR駅の中でもとりわけ地味で小規模である。
それを裏付けるかのように、山手線の駅ではいちばん乗降客数が少ない。
駅の西側は上野の山で、寛永寺の墓地になっている。
東側は市街地だが、なぜかラブホテルが密集している。駅ホームから眺めても、ラブホテルばかりが目につく。
こんなにも駅からラブホテルが見える駅も珍しい。

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   ■「笹の雪」の暖簾(のれん)のかたる昔もあって
            根岸の里の入り陽の朱・・・・・・・・・・・・・・・・・梓志乃


「根岸」というと正岡子規が住んでいたところで、今は台東区になっているが、ここには私は、まだ行ったことがない。
古い家並などが残っているのだろうか。この歌からは、そんな気配も感じられるのだが。。。。
ネット上に載る記事によると、この「子規庵」のあるのは「笹の雪」の看板のある辺りらしい。そこで聞けば判ると書いてある。
Wikipediaに載る記事を引いて終りたい。
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俳句・短歌の改革運動を成し遂げた子規は、近現代文学における短詩型文学の方向を位置づけた改革者として高く評価されている。

俳句においては、所謂月並俳諧の陳腐を否定し、芭蕉の詩情を高く評価する一方、江戸期の文献を漁って蕪村のように忘れられていた俳人を発掘するなどの功績が見られる。
またヨーロッパにおける十九世紀自然主義の影響を受けて写生・写実による現実密着型の生活詠を主張したことが、俳句における新たな詩情を開拓するに至った。

その一方で、その俳論・実作においてはいくつかの問題を指摘することもできる。
俳諧におけるゆたかな言葉遊びや修辞技巧を強く否定したこと。
あまりに写生にこだわりすぎて句柄のおおらかさや山本健吉の所謂「挨拶」の心を失ったこと。
連句(歌仙)にきわめて低い評価しか与えず、発句のみをもって俳句の概念をつくりあげたこと、
などは近代俳句に大きな弊害を与えているといってよい。

俳句における子規の後継者である高浜虚子は、子規の「写生」(写実)の主張も受け継いだが、それを「客観写生」から「花鳥諷詠」へと方向転換していった。
これは子規による近代化と江戸俳諧への回帰を折衷させた主張であると見ることもできる。

短歌においては、子規の果たした役割は実作よりも歌論において大きい。
当初俳句に大いなる情熱を注いだ子規は、短歌についてはごく大まかな概論的批評を残す時間しか与えられていなかった。
彼の著作のうち短歌にもっとも大きな影響を与えた『歌よみに与ふる書』がそれである。

『歌よみに与ふる書』における歌論は、俳句のそれと同様、写生・写実による現実密着型の生活詠の重視と『万葉集』の称揚・『古今集』の否定に重点が置かれている。

特に古今集に対する全面否定には拒否感を示す文学者が多いが、明治という疾風怒涛の時代の落し子として、その主張は肯定できるものが多い。

子規の理論には文学を豊かに育ててゆく方向へは向かいにくい部分もあるという批判もあるが、「写生」は明治という近代主義とも重なった主張であった。
いまでも否定できない俳句観である。

日本語散文の成立における、子規の果たした役割がすこぶる大きいことは司馬遼太郎(司馬『歴史の世界から』1980年)によって明らかにされている。


幼児が顔近づけて呼びかける「セントポーリア、セントポーリア」・・・・・・鳥海昭子
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     幼児が顔近づけて呼びかける
       「セントポーリア、セントポーリア」・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


セントポーリア イワタバコ科 

 学名:Saintpaulia(イワタバコ科セントポーリア属の総称)
 和名:アフリカスミレ(アフリカ菫)
セントポーリアの学名は、この植物の発見者であるサン・ポーリーレール氏の名に由来する。英名はアフリカン・バイオレット。

<一応,四季咲きです。和名は「アフリカスミレ(アフリカ菫)」ですが,いわゆる菫とは違います。ビロードのような毛の生えた丸い葉が特徴で,この葉を葉柄から切り取り挿し木をしておくと繁殖することができます。>

ネット上を見ると、こんな説明がしてあるが、この花は暑さ、寒さには弱い草で、原則として室内栽培の花である。色はいろいろある。花言葉は「小さな愛」「深窓の美女」。

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<室内で育てることを前提とした植物です。花色は豊富で、小型の植物なので場所をとらず鉢花として人気があります。空中の湿度が高い方が好みますが、土が湿った状態にしておくと根が腐りやすい性質があるので注意が必要です。寒さ、暑さに弱く初心者の方は品種を十分に選んだ方がよいでしょう。普通に出回っているものは比較的丈夫なものが多いです。最近は小型のミニ種の人気が高い。>

育て方については、以下のような記事がある。

●空中の湿度が高いのを好みます
●暑さ、寒さに弱い性質があります
●一年を通して室内で栽培する

 <室内向きの植物で、全体的に小型で場所をとらないので鉢植えとして人気があります。花の色はピンク、赤、紫などがあり、特に紫は濃いものから淡い色のものまであります。フチどりが入ったり、しま模様になるものもあります。普通種、ミニ種、茎が伸びるトレイル種などがありますが、初心者は普通種の「オプチマラ」が花つきもよく比較的育てやすい。温度と日当たりが充分あれば一年中咲きます。品種もバラエティーが多く、セントポーリアだけを集めて栽培している栽培家もたくさんいます>

 <室内で一年中育てることになるので結構、葉の上などにホコリがたまりやすい。ときどき葉を痛めないようにホコリを軽くふき取りましょう。また、花や葉に傷が付くとそこから傷みやすいので、咲き終わりの花や枯れかけた花はこまめに取り除くようにしましょう>

 <がんがんの直射日光は葉が焼けただれてしまうのでヤバイ。一年を通してやわらかい光が必要です。レースのカーテン越しの日光がちょうどよいでしょう。もともと弱い光の下でも充分育つ植物で、セントポーリア専門で育てている方は、植物育成用の蛍光灯を用いて栽培する方も多い。これなら室内の窓から離れた暗めの場所でも育つからです
普通は窓際で管理することになりますが、寒さに弱く気温が5℃切るとを枯れてしまいますので、冬場は夜には室内の奥に移動させましょう。暑すぎるのも良くないので、夏場は風通しを良くしましょう。北向きのベランダなども案外よく育ちます(夏場だけ)>

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 <4月から10月は生育が旺盛な時期です。指で鉢土の表面を触ってみて湿り気を感じないくらいになったらたっぷりと与えましょう。冬の時期はあまり育たないのでそれよりは水やりの回数を減らしましょう。水をやりすぎると腐りますので注意。水やりの際、葉に水がかかるとそこだけ葉の色がぬけてしまったり病気にかかる原因にもなりますので、株元からそっとじょうろなどで与えます。
 肥料は薄めた液体肥料を月に1から2回与えます。室温が20から30℃を保てる時期には通常通り肥料を与えましょう。それ以外の時期は必要ありません。やりすぎると花つきが悪くなることがあります>

 <室内で栽培することを前提としているのでにおいがなく軽いものがよい。バーミキュライト5:パーライト5の割合で混ぜた土か、セントポーリア専用培養土を買い求めましょう。>

 <根がよく伸びて鉢の中がいっぱいになるので、1年に1回は植え替えが必要です。適期はだいたい6月下旬がよいでしょう。土は、上の項のものを使用します>

 <葉ざしでふやすのが一番ポピュラーです。根が出るには20℃以上の気温が必要です。温室などの加温設備があれば別ですが、普通は6月から10月の間におこないます。表面に傷の付いていない元気な葉を、3から4cm軸を付けて切り取り、用土の項で説明した土に斜めに差します。土が乾いたら水をやるようにします。ずっと湿った状態にしておくと葉の切り口から腐ることがあります。発根して芽が出てきますので、芽が大きく(2~3枚の葉がでてきたら)小さな鉢に植え替えます。
葉ざしした株はだいたい花が咲くまで、半年から8ヶ月くらいかかります。>



佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・新潮文庫2016/12/01刊・・・・・・・・

        拉致された九条文女の行方は杳として知れず、焦る総兵衛は意を決し、江戸城への潜入を試みる。
        また、北郷陰吉らの探索によって、異国の仮面兵と老中牧野忠精の関係がみえてきた。
        文女救出劇は老中牧野との全面対決に発展。
        ついにイマサカ号とマードレ・デ・デウス号が駿河湾で激突する。
        敵船甲板上、女首領が構えた銃口は総兵衛一人に狙いを定めていた。


お馴染みの私の愛読書の新シリーズである。
ぜひお読みいただきたい。


踏みつけられ、撥ねとばされ、蹴ちらかされ/通勤ラッシュのメトロのホームに/踵の無くなった靴の持ち主は・・・・・中原道夫
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    東京メトロ霞ケ関駅で・・・・・・・・・・・・・・・・・中原道夫

     踏みつけられ、撥ねとばされ、蹴ちらかされ
     磨りきれた傷を残して
     通勤ラッシュのメトロのホームに
     切り落とされたサラリーマンの足の一部が落ちていた

     跳び乗った電車の中で
     踵の無くなった靴の持ち主は
     やがて自分の足が
     ちぐはぐで不揃いになっていることに気がつくことだろう
     そして、だれも恨むことのできないこの不幸なできごとを
     仕方なしに笑いに替えてごまかすことだろう
     (ああ、参ったな、困ったな、どうしよう)

     泣きだしたくなるようなこの笑い
     困惑を吃逆のように呑み込んでしまうこの笑い
     ぼくらの日常に纏わり付いているこの笑い
     ぼくは無性に切なくなって
     磨りきれたゴムの塊をそっとポケットに仕舞う
     哀しいぼく自身を拾うように

     まもなくホームに電車が入ってくる
     通勤客が降りてくる
     いつ切り落とされるか分からぬ靴を履いて
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念のために書いておくと「霞ヶ関」駅の名前の表記は「ケ」を全角で書くのが正式であるらしい。小文字にしない。
この中原の詩の場合、きちんと「霞ケ関」と書いてある。さすがである。

この詩は<日本詩歌紀行3 『東京 詩歌紀行』>(2006年北溟社刊)に載るものである。
現代の都市交通のありようやサラリーマンの哀歓の様子が、かいま見られるだろう。
因みに、付け加えておくと、私の旧作の歌3首も収録されている。

   うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり

   振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく

   ペン胼胝の指を擦ればそのさきに言葉乞食が坐つてゐるよ・・・・・・・・・・・・木村草弥

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参考までに霞ヶ関駅を発車する「小田急電鉄メトロはこね23号東京メトロ千代田線」の動画を載せておく。






阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・木村草弥
歳月の気化_NEW
 ↑ 阪森郁代第七歌集『歳月の気化』2016/11/25刊
ボーラ_NEW
  ↑ 阪森郁代第六歌集『ボーラといふ北風』2011/04/25刊 

──新・読書ノート──

      阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・角川書店2016/11/25刊・・・・・・・・

阪森郁代氏の第七歌集『歳月の気化』である。
五年前に第六歌集『ボーラといふ北風』を恵贈され、私は十二首の歌を抄出して返礼とした。 それに続く今回の本の贈呈である。
阪森氏は、塚本邦雄創刊の「玲瓏」に拠る歌人であり、1984年の第30回・角川短歌賞の受賞者で才知渙発の人である。
受賞作は「野の異類」の歌50首であり、1988年に刊行された第一歌集『ランボオ連れて風の中』などは私は読んでいない。

第六歌集『ボーラといふ北風』も、いくつかの趣向を凝らした歌集で、贈呈されたときには気づかなかったのだが、のちに読み返してみて、いろいろ教示されることがあった。
例えば、
<小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭>
という歌が146ページにあるが、 「こゆるぎの」は枕詞で、「磯」「いそぎ」に掛かる。
「こゆるぎの磯」は相模の国、いまの小田原市の大磯辺りの海岸を指す。 古歌に
    「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」
    「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」
とある歌などが出典であるらしい。
また「にはたづみ」も「渡る」「川」にかかる枕詞である。
このように、さりげない体(てい)を採りながら、実は綿密に計算し尽くされた本と言えるのである。
いかにも塚本門下の歌というべく、塚本邦雄が生きていたら激賞したであろう。

今回の本の題名も「歳月の気化」という。 この本の88ページに
  <歳月の気化を思へり午睡より覚めて肌には藺草がにほふ>
という歌があり、この歌から題名が採られた、という。 年月の経過を表現するのに「歳月の気化」とは何とも凝ったことである。
作者は深い教養に支えられた、ペダンチック、かつ、ブッキッシュな表現者と言うべきである。
掲出した「帯」文は編集者が趣向を凝らしたもので、此処にこの本のエッセンスが凝縮していると言えるが、実は、このフレーズは「あとがき」の中で作者が書いていることなのである。
だから、この本を読むときは、心して、この言葉を玩味したいものである。

この本は、ほぼ逆編年体で編集されているという。
巻頭の歌は
   *さざなみを立てて過ぎゆく歳月を南天は小さく笑つて見せた
   *とめどなく散るものあれど日暮れともなれば従きゆくパスタの店へ
   *乳の香の牡蠣を夕餉に十二月エルサレムにも雪は降るらし

巻頭の項目「冬ざれの町」から引いた。 「南天は小さく笑って見せた」なんていうくだりは何とも不気味であり、一首を屹立させた。
「乳の香」の歌など上句と下句が俳句でいう二物衝撃のように、別物でありながら歌の中で巧く融合した。

   *イーハトーブは菫の季節それのみになめとこ山の熊も平らぐ
   *生者にも死者にも会はず北上はイーハトーブへ抜ける風のみ
   *若き賢治とつひに目の合ふ一瞬間ポシェットは肩を滑り落ちたり

「あとがき」に書かれているが、今年は念願の「塚本邦雄展」が北上市の日本現代詩歌文学館で開催され、塚本の残した厖大な資料を前に文学に立ち向かう師の情熱に打たれたのであった。

作者の初期の歌集の歌には、スタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が見られる。 例えば

   <透明な振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝>
   <枯野来てたつたひとつの記憶から背のみづのやさしく湧ける>
   <いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある>

などだが、年月が経つにつれて阪森の歌は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだものは減ってきているようだ。
いわば作風が「自在」になって来た。「何でもない」ことが坦々と詠われて来るようになる。
以下、私の好きな歌を引いておく。

   *初めての、言ひかけて口ごもるその場かぎりのやうで風花
   *すひかづらの実のなるあたりを見上げつつきのふに隷属しない生き方
   *レノン忌を忘れてゐたる迂闊さを振幅としてひと日風あり
   *アルカディアはギリシャの地名巴旦杏を一粒のせた焼き菓子もまた
   *はしがきもあとがきも無き一冊を統べて表紙の文字の銀箔
   *土に手をよごして夏の草を引く短歌をつくるよりかひがひし
   *持ち上げて木箱の重さ膝に置くジュゼツペ・アルチンボルトの画集

物の名、人名などに触発されて歌が作られている。 その楚辞もまた的確である。 歌柄もまた多岐にわたっている。
『赤毛のアン』十首は、この本に則って作られたが、本の要約としても秀逸。

   *ヨブ記から少しはみ出す付箋あり花水木すでに花期を終へたり

   *薔薇といふ響きは朗ら花舗に来て硝子の向かう触れ得ぬままに
   *それぞれの朝をうべなふ鰯にはレモンの呪文 ほんの数滴
   *一の道抜けて二の道ゆくごとき無音の蝶々臆せずにゐよ
   *空き部屋にこもりて夏至の一日を見目にあたらし『虫の宇宙誌』

「歳月の気化」と題名に言う通り、一巻は、さりげない体を採りながら坦々と日々や事象を消化しながら進行してゆく。

   *整理して整理のつかぬ本ばかり一冊分の隙間になごむ

著者は長年住み慣れた堺市から吹田市に転居された。その転居に伴う本棚の整理の一点景であろうか。
私も転居ということではないが、家の建て替えで移転したことがあり、ささやかながら蔵書の処分に困ったことがある。
先ず、雑誌類は多くを捨てた。雑誌に一年間連載した記事なども愛着があったが、背に腹は代えられなかった。
まさかのときは国立国会図書館などに保管されているものをコピーすればよい、と思い切ったことである。「断捨離」も時には必要か。 閑話休題。

   *蝙蝠に身じろぎしたこと厄介な倦怠のこと今なら話せる
   *摘み取ったこともあったと振り返る言葉は葉でも実でもあるから

「蝙蝠」は西欧では狡猾なものの暗喩とされることがある。 私も、そんな比喩の歌を作ったことがあるが、阪森氏の、この歌の場面では、それはないようである。
日本に棲む蝙蝠は小さな弱い獣で人家に棲み付く。時には「厄介」な騒動を起こす。作者も一度は、そういうことに遭遇したかも知れない。
この「厄介」という楚辞は上句と下句とを繋ぐ言葉として機能しているようである。
「今なら話せる」という日常にありふれた「会話」体が、この歌の中では有効に働いていて秀逸である。それは次の「摘み取った」という歌に自然に繋がってゆく。

   *白木蓮風にひらけば真白なる手套となりて寄る辺なき手指
   *おほよそは肩の高さの立葵 薄ら氷ほどの月を仰ぐは
   *はるばると真狩村産 匙をもてメルヘンかぼちやのわたをくりぬく
   *あれは燕だつたか昨日ともけふとも知れず仄めきの中
   *ありふれたプロセスチーズを齧りつつ曖昧母音のやうな返答
   *うかうかと浅黄斑蝶を呑み込めどどこへもたどり着けぬ夏空
   *いろどりの傘を開くは吉凶を占ふごとし水木の下で
   *文学の果実刹那のあまやかさナタリー・バーネイといふは源氏名

さりげない比喩を伴いながら風景や事象が坦々と詠われてゆく。
時には外国へ行かれるらしい、以下のような歌は現地で作られたようである。

   *フィラデルフィアは当てて費拉特費と書く三十七度の夏を歩いた
   *スーラが正面にあり最後までアウトサイダーだつたバーンズ

アメリカ東海岸の夏は蒸し暑い。東洋のモンスーン気候とは違うが暑さは格別である。
そろそろ歌集の鑑賞も終りにしたい。

   *くちびるに木通のむらさきあしらふは三越伊勢丹のマネキン
   *夜は更けて砂のしづもり自転車のサドルが消えて無くなることも
   *不意をつく鵙の鳴き声一瞬に水引草は赤に目覚める

巻末から三首引いた。 
とりとめもない、締まらない鑑賞に終始した。 凡人のやることとお笑いいただきたい。
比喩表現などの見落としもあるかも知れない。その節は何とぞ、お許しを。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。   (完)





ひろひ読み拾ひよみつつふとはぐれる終りに近き此の物語・・・・・・木村草弥
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    ■ひろひ読み拾ひよみつつふとはぐれる
          終りに近き此の物語・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
同じ一連につづく歌を、引いておく。

    ■あの空の向うは楕円の空洞か
      ずるい蝙蝠(かうもり)が俺を追ひつめる・・・・・・・・・・・木村草弥


これらの歌は、いずれも「比喩」になっているもので、私の人生を「此の物語」と表現してみた。
無慈悲な歳月の推移を「ずるい蝙蝠」と描いてみたが、いかがだろうか。
掲出した図版は「源氏物語絵巻・朝顔」の段のもので、私の歌とは直接の関係は全く無い。「物語」からの連想である。

現代短歌の世界では、現代詩と同様に、こういう「比喩」表現が盛んに使われる。
もちろん、そういう「比喩」を一切しない人もあるが、リアリズム・オンリーでは歌に深みが出ない。
「比喩」には「直喩」「隠喩」など多くのやりかたがあるが、一般的に一番多いのが「ごとく」というような、単純な直喩を使ったものである。
この場合には、よほどしゃれたものでないと、読者を揺さぶるような感動を与えない。
私は短歌の世界に入る前には現代詩をやっていたので、短歌の世界に入っても、そういう「比喩」表現を採用するのに、何の抵抗もなかった。
この歌も、もう二十年も前の作品だが、先に引いた歌と同様に、すでに老境を意識したものになっている。
「ずるい蝙蝠」と言ってみたが、果たして、現実の蝙蝠が「ずるい」かどうかは判らない。
蝙蝠には悪いが、私の直感が、そう書かせたということである。
ヨーロッパの文学の世界でも、蝙蝠は良い印象を与える描き方はされていないので、そういう潜在意識を私も受け継いだと言えるだろう。

次に引用するのはネット上で見つけたものだが、東京大学の入試問題らしい。
「比喩」「蝙蝠」などに関係するので、よければ読んでみてほしい。 作曲家の三善晃の文章らしい。
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東大1996年
《第五問 現代文/芸術論(個と普遍)問題文(約1600字)
【出典】「指に宿る人間の記憶」三善晃

五 次の文章を読んで,後の設問に答えよ。
 谷川俊太郎さんの詩《ポール。クレーの絵による「絵本」のために》のなかの一編<死と泉>は,「かわりにしんでくれるひとがいないのでわたしはじぶんでしなねばならない」と始まる。それで,「わたしはわたしのほねになる」。そのとき私の骨は,この世のなにものも携えてゆくことができない。「せめてすきなうただけは きこえていてはくれぬだろうか わたしのほねのみみに」。
 この十年ほど,ときどき右腕が使えなくなる。細かい五線紙に音譜を書き揃える仕事のためか,頸椎が変形か摩耗かして,痺れと痛みが何カ月か続く。その間,右手はピアノも弾けない。鍵盤のうえに指を置いて触るだけだ。
 しかし,そうすると,ピアノの音が指の骨を伝って聴こえてくる。もちろん,物理的な音が出るわけでない。だが,それはまぎれもなくピアノの音,というよりもピアノの声であり,私の百兆の細胞は,指先を通してピアノの歌に共振する。こうして,例えばバッハを”弾く”。すると,子どものとき習い覚えたバッハの曲は,誰が弾くのでもない,大気がずっと歌い続けてきている韻律のように”聴こえて”くる。
 骨の記憶のようなものなのだろう。それは日常の意識や欲求とは違って,むしろア私とはかかわりなく自律的に作動するイメージである。多分,子どものときから腕や指先に蓄積された運動イメージが,鍵盤の手触りに条件反射して聴覚イメージを喚起する,ということなのだろう。だが,そうして私に響いてくる韻律は,私の指の運動を超えている。それは私の指が弾くバッハではなく,また,かつて聴いた誰かの演奏というものでもない。バッハの曲ではあるが,そのバッハも韻律のなかに溶解してしまっている。
 日常の時空を読み取る五感と意識の領域でなら,私は絶えず「自分」と出会っている。改めて振り返るまでもない日常の小さな起伏と循環……そこに出会い続ける「自分」は,丸山圭三郎さんの言われた「言分け」(言葉で理解する)と「身分け」(身体で理解する)を借りて言えば,最終的にはいつも「身分け」る自分だった。
 私は,私が他者のなかに生き,私の言葉が他者のためにしかなく,私の仕草が他者にしか見えないことを「身分け」ている。蝙蝠が自ら発する音波の反響で自分の位置を知るように,私は自分では決してなることのできない他者の鏡を借りて,絶えず自分を見続けていることも,私は「身分け」ている。そのような生き方をどのように「言分け」ても,その「言分け」は,「身分け」られる生き方を超えることはできない。例えば,どんなに死を「言分け」ても,それは私自身の生の「身分け」を超えることができない。それでもなお私は,その「身分け」を「言分け」し続けなければならない。
 だから私は,イ自分との出会いのなかに,自分を見失い続けてきた。しかし,「わたしのほね」になるほかない私の指が,私の内部で私にだけ響かせるものは,他者を介在させることなく私を凝視める「自分という他者」の声なのだ。
 私のなかに,「分け」ようとする私と絶縁した私がいる。それはウ私の指の骨にも宿っている<人間の記憶>でもあるだろうか。
 私が音を書こうとするのは,その人間の記憶のためであり,また,その記憶に操られてのことなのかもしれない。それならば,いつか私が「わたしのほね」になるときに,私は「自分という他者」として自分と出会い,人間の記憶に還ることができもしようか。

[注]丸山圭三郎---一九三三~一九九三。哲学者。

(一)「私とはかかわりなく自律的に作動するイメージ」(傍線部ア)とは,どういうことか,説明せよ。
(二)「自分との出会いのなかに,自分を見失い続けてきた」(傍線部イ)とあるが,なぜか,説明せよ。
(三)「私の指の骨にも宿っている<人間の記憶>」(傍線部ウ)とは,どういうことか,説明せよ。


《第五問》現代文解説・解答

●(一)「私とはかかわりなく自律的に作動するイメージ」(傍線部ア)とは,どういうことか,説明せよ。
【解説】「私とはかかわりなく自律的に作動するイメージ」という傍線部の主語は「それ」で,「それ」は前文によれば「骨の記憶のようなもの」になる。また「骨の記憶のようなもの」は前の段落末尾から,「誰が弾くのでもない,大気がずっと歌い続けてきている韻律」→「何か普遍的な韻律」ぐらいになろうか。そこで傍線部の「イメージ」は「何か普遍的な韻律」と置き換えられる。
 「私とはかかわりなく」は,傍線部を含む一文の直前に「それは日常の意識や欲求とは違って,むしろ」とあるわけだから,「日常の意識や欲求」と関わりなくという意味であろう。
 また,「自律的に作動する」の同意部は,直後の,事実上,「つまり」でつながれた「多分,子どものときから腕や指先に蓄積された運動イメージが,鍵盤の手触りに条件反射して聴覚イメージを喚起する,ということなのだろう。」になる。「腕や指先に蓄積された運動イメージが,鍵盤の手触りに条件反射して喚起される」ということである。
 合成してみると,「私の日常の意識や欲求と関わりなく,腕や指先に蓄積された運動イメージが,鍵盤の手触りに条件反射して喚起される,空間に遍在する韻律のこと。」
【解答例】
私の日常の意識を超え,身体に蓄積された運動イメージが鍵盤の手触りに条件反射して喚起される,何か普遍的な韻律のこと。

●設問(二)「自分との出会いのなかに,自分を見失い続けてきた」(傍線部イ)とあるが,なぜか,説明せよ。
【解説】まず主語は「私」である。次に傍線部を含む一文の直前に,「だから」とあるから,傍線部の理由が直前の形式段落にあることは明白である。単純に言えば「そのような生き方をどのように『言分け』ても,その『言分け』は,『身分け』られる生き方を超えることはできない。(例えば,…。)それでもなお私は,その『身分け』を『言分け』し続けなければならない」から,が答になる。しかし,これでは筆者独特の術語(いわば論理的比喩)が混ざっていてよくわからない。もう1つ前の形式段落まで行くと,「言分け」は「言葉で理解する」,「身分け」は「身体で理解する」と説明されている。つまり,「私は,そのような生き方をどう言葉で理解しても,身体での理解を超えられないのに,それでも言葉で理解し続けなければならないから」ということになる。また,「そのような生き方」の指示内容はその前にあり,それは「私は,私が他者のなかに生き,私の言葉が他者のためにしかなく,私の仕草が他者にしか見えないことを『身分け』ている。(蝙蝠が…は比喩)。私は自分では決してなることのできない他者の鏡を借りて,絶えず自分を見続けていることも,私は『身分け』ている。」を指す。「他者を通して自分を見続ける生き方」ぐらいにまとめられる。合成する。

【解答例】
他者を通して自分を見続ける生き方は,身体で理解するしかないのに,なお言葉で理解しようとし続けなければならないから。

●設問(三)「私の指の骨にも宿っている<人間の記憶>」(傍線部ウ)とは,どういうことか,説明せよ。
【解説】傍線部の主語は「それ」であり,指示内容は直前の「『分け』ようとする私と絶縁した私」である。そこで,「身体による理解と言葉による理解,つまり,理解することと縁を切った自分」ということになる。
 さらに「私の指の骨にも宿っている<人間の記憶>」の同意部分を探してみよう。まず設問(一)では「骨の記憶のようなもの」があった。「私の身体に蓄積された何か普遍的な韻律」ということであった。
 さらに「『わたしのほね』になるほかない私の指が,私の内部で私にだけ響かせるものは,他者を介在させることなく私を凝視める『自分という他者』の声なのだ。」が見つかる。「私の内部に蓄積されている,他者が介在することがない『自分という他者』」ぐらいにまとまる。『自分という他者』は「個の中の普遍的なもの」ぐらいの意味だろう。
 「理解することと縁を切った自分」「私の身体に蓄積された何か普遍的な韻律」「私の内部に蓄積されている,他者が介在することがない『自分という他者』」「個の中の普遍的なもの」を合成する。
【解答例】
たとえば韻律のように,他者を通した自分への理解とは無縁の,人間の個の身体の内部に蓄積されている普遍的なもののこと。

以上。

★文章寸評(読解とは関係ありません。)
 もう少しわかりやすく書いてもらえないかなあ,三善先生!


ふりむけば障子の桟に夜の深さ・・・・・・長谷川素逝
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  ふりむけば障子の桟に夜の深さ・・・・・・・・・・・・・・・・長谷川素逝

障子というと、昔はもっと広い呼称であったが、今では「明り障子」のみを「障子」という。
掲出の写真は「雪見障子」と呼ぶもので、これにも、いろいろの形のものがある。
「明り障子」には美濃紙や半紙などを貼るが、やはり無地のものが佳い。
紙を越した光線はやわらかく、落ち着いた感じがして好ましい。
今風の家でも一部屋くらいは座敷があり、障子があるだろう。

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写真②は「葦簾障子」というもので、夏になると障子や襖を、この「よしず障子」に入れ替えたものである。
「よしず」の一本一本に隙間があり、夏の蒸し暑さから「通風」を保って、多少なりとも和らげようとの思惑の産物であった。
この頃では、よほどの古い家か大きな家でないとお目にかからない。
冬になれば外して収納しなければならないから、その収納スペースも大変である。
障子は、防寒、採光のための建具だが、また奥ゆかしい空間を作り出す用具でもあった。
一年に一度は、紙を張り替える「障子貼り」というのが年中行事として行なわれていた。
障子の枚数の多い家など大変である。
「障子紙」の用意からはじまり、糊を炊き、障子を外して古い紙の剥しと、水洗いが、また大変であった。

昔のわが家では「障子の張替え」は、専ら母の仕事だった。
父は仕事で忙しかったから、そういう家事は殆ど手伝わなかった。子供たちにも手伝わせなかった。
田舎の家だから障子の枚数も多かった。母は手際がよかったから、貼る障子紙も、「桟」の幅に合せて事前に剃刀で、きれいに切り揃えて用意してあった。
貼って糊が乾いてから、霧吹きで水を吹き付けると、乾いたときにピンと張ってきれいに仕上がるのだった。
今の我が家は、すっかり洋風になって「障子」は四枚だけになった。 夏用の「よしず障子」も無い。

以下、障子の句を引いて終わりにしたい。

 美しき鳥来といへど障子内・・・・・・・・原石鼎

 しづかなるいちにちなりし障子かな・・・・・・・・長谷川素逝

 死の如き障子あり灯のはつとつく・・・・・・・・松本たかし

 柔かき障子明りに観世音・・・・・・・・富安風生

 うすうすと日は荒海の障子かげ・・・・・・・・加藤楸邨

 われとわが閉めし障子の夕明り・・・・・・・・中村汀女

 涛うちし音かへりゆく障子かな・・・・・・・・橋本多佳子

 嵯峨絵図を乞へば障子の開きけり・・・・・・・・五十嵐播水

 枯色の明り障子となりにけり・・・・・・・・山口草堂

 煎薬の匂ひ来る障子閉ざしけり・・・・・・・・角川源義

以下ネット上に載る長谷川素逝の記事を転載しておく。
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写真は下の記事中にも書かれている句碑。
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津の生んだ俳人 長谷川素逝
俳誌『阿漕』
 阿漕浦の岩田川寄り、ヨットのマストが林立している伊勢湾海洋スポーッセンターの前の海岸堤防の所に、わりあい大きな石碑が立っている。これが津の生んだ、全国的にも有名な俳人長谷川素逝の句碑で、次の句が刻まれている。
 遠花火海の彼方にふと消えぬ
 この句は、昭和10年7月下旬に詠まれた。その当時、津中学校の国語教師をしていた素逝は、夕方から乙部の自宅に集まってきていた俳友たちと、夫人と妹さんを伴って、涼を求めて海の方へ散歩に出掛けた。贄崎海岸から新堀に出て、そこの渡しで岩田川を渡って、阿漕浦へ出た。浜辺を歩くうちに、暗い海の彼方に遠く花火の上がるのが見られた。音もなく、ふと消える遠花火の風情を素逝はそう詠んだ。このエピソードは、俳友七里夏生氏の直話による。

 素逝長谷川直次郎は、明治40(1907)年大阪に生まれた。父が大阪砲兵工廠の技師だったからで、本籍は津市。大正4(1915)年、父の退職によって津に帰り、養正小学校に転入。津中学校を経て、京都の第三高等学校文科入学、俳句を田中王城・鈴鹿野風呂に師事した。昭和4年、「京鹿子」(野風呂主宰)の同人となり、「ホトトギス」初入選は昭和5年。昭和7年、三島重砲連隊幹部候補生として入隊している。除隊後、津の自宅に帰り、母校の関係で「京大俳句」の創刊に参加し、一方地元三重の俳句の振興を目指して俳誌「阿漕」を昭和8年創刊、主宰した。昭和9年4月、京都伏見商業学校の教員となるが、その9月津中学校の教員となって津に帰った。ところが、昭和12年中国との戦争が始まると程なく砲兵少尉として応召。昭和13年12月、病を得て入院、内地送還となった。翌年、その間の句を収録した句集「砲車」を出版してその名をうたわれた。

 その後は、病をいやしながら句作に励み、句集「三十三才」「ふるさと」「村」「暦日」と編んでいく。その静寂な自然凝視の句は、「ホトトギス」を通じて全国の俳人たちに親しまれた。落葉を詠んだ句が多かったので、"落葉リリシズム"ともいわれた。一時、甲南高等学校教授となったこともあったが再入院し、戦後は各地に転地療養したが、ついに昭和21年10月10日、旧大里陸軍療養所で没した。享年わずかに40歳であった。

 高浜虚子は、その死をいたんで、「まっしぐら炉に飛び込みし如くなり」の句を寄せた。


私の心もとない半生のミスプリントに朱線を引かう・・・・・・木村草弥
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   私の心もとない半生の
      ミスプリントに朱線を引かう・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌は、私の経てきた人生を「喩」的に表現したものである。
長い生の中では、いくつかの失敗や間違いを重ねたので、それを「ミスプリント」と表現してみた。
掲出した画像は、原稿の「校正」の見本である。 編集・校正には一定の約束ごとがあり、出鱈目にやるものではない。

私は第一歌集を出したときに角川書店の担当が呉れた編集手帳に載る「校正記号」で勉強した。
詳しくは、「校正記号表」 ← というサイトを参照されよ。PDFだが、荒瀬光治著より引用されたもの。

いろいろやってみると面白いものである。
私も第五歌集『昭和』(角川書店)まで上梓したが、そのときには「筆者校正」を「三校」にわたってやった。
この歌集は私のパソコンに保存してある原稿をCD-Rで出版社に届けたもので、この原稿に私のミスのないかぎり、出版社や印刷所による「入力ミス」というのは起こらないので、
以前のような「活版」印刷と違って、校正個所は大幅に少ない。

「朱線」というのは、赤い線を引いて「抹消」または「訂正」するときに使うもので、例えば、次に引用するような場面にも使われる。

以下は、Yahoo! JAPAN - My Yahoo! 「智恵袋」という質問サイトに載るものである。
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質問

「離婚歴があると,戸籍に☓がつけられる。それが,バツイチの語源だ」という話を母が言っていました。本当の話でしょうか。

ベストアンサー に選ばれた回答

本当です。

戸籍謄本の配偶者を書きこむ欄に、離婚すると朱線のバツ(☓)が記されるところから、そういわれます。

余談ですが。。。

本籍地を移すと、「☓」が消えます。
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このサイトの記事の必要な部分のみに要約したことを了承されたい。

妻が亡くなって、いろいろの法的処置が必要になって、私の戸籍謄本を取り寄せたが、その謄本には妻の記載欄に大きく☓印が入れられて「抹消」されている。
私の手元にあるのは謄本であるから黒線に見えるが、原本は「朱線」で抹消されているのであろう。
同じく、私の娘たちも結婚して出て行ったものは、私の戸籍から☓印をつけられて「抹消」されている。
謄本が手元にあるので、それを掲出できたらいいのだが、プライバシーにわたるので、それは見せられない。



季節はああ次々とやつて来る私はもう急ぐこともない・・・・・・・木村草弥
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    季節(シーズン)はああ次々とやつて来る
        私はもう急ぐこともない・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「生き急ぎ」という言葉があるが、これは反面では「死に急ぎ」にも通じることである。
今しも、年末にさしかかってきて、友人、知人、親戚などから「喪中はがき」が連日のように舞い込む始末である。
私のような歳になってくると、友人の死の知らせに接することが多い。
そんなハガキに添え書きしてあるペン字には、自分自身の体のことで「胃がんで全摘出した」とか「パーキンソン病になってしまった」とか書いてある。

掲出した私の歌は、もう二十年以上も前の旧作だが、この頃に、私はもう、こんな「死生観」を濃密に抱いていたということである。
私は十代の思春期の頃に、長兄や姉や祖父や妹やら、叔父の死などが連続して異様な感覚に打ちのめされた。
「死」ということに、否応なく直面させられたのである。
この頃から、私の身近に「死」が存在した、と言えるだろう。
だから、私自身にとっては、掲出歌のような心境は不思議でも何でもないのである。

私の掲出歌とは直接の関係はないが、必要があってネット上をサーフィンしていたら、下記のような記事に出会ったので載せておく。
いつごろの記事なのかも不明。
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「死急(しにいそぎ)温泉」 (宮城県)

 温泉には、様々な成分が溶けこんでいて、それが健康にもよいのだが、中には成分があまりにも強烈で、注意しないと体に悪いような温泉もある。この死急温泉はその代表的なものである。

 岩風呂にたたえられたお湯は、ちょっと見ただけでは何の変哲もないきれいな湯である。ただ、よく見れば湯面に、羽虫や小動物の死骸が浮かんでいることに気がつくだろう。そして、鼻をつく強烈な臭い。

 ここの温泉は、硫酸をかなりの濃度で含んでいるので、長時間入っていると体が溶けてしまう。慣れた人で一分。初心者は十秒くらいつかるだけにするのが安全であろう。

 東北本線黒勝田からバスと、電車で乗りついでくるこの死急温泉は、その名の通り地獄の一丁目のような恐ろしいムードのところである。馬車を降りると、そこにはポツンと、一軒の古びた宿があるだけ。宿のすぐ横は墓場で、時々火の玉がふわふわ漂っている。

 そんなところまで来たのは、あなた以外にひとりもいない。そこで宿の扉を開け、ごめん下さい、と言う。三度ほど叫んだところでやっと奥から、
「ふはーい」
 と言って前歯が一本もない皺だらけの老婆が腰を曲げて出てくる。
「今晩泊めてもらえませんか」
「えっ。そしだらもしかすっど、おめえは、お、お、お、お客さんだばや」
「そうです」
「そうか」
 
 なぜか急に老婆は無口になる。ジロリ、とあなたを見つめて、小さな声でこう言ったりするのだ。
「死んでも、知らんぜよ」
 背中に冷たい水をあびせかけられたように、ゾーッとするであろう。

 しかし、私はこの死急温泉へ何度も行き、その卒塔婆館を経営する老夫婦をよく知っているのだが、そのお婆さんは小比類巻ミチといって、本当はとても親切な人である。

(中略)

 宿の裏手に、露天風呂がある。前述したように、初心者は十秒くらいしか入ってはいけない湯なので、岩などにつかまってすぐにあがれるように身構え、ちゃっと入って、十数えたらすぐ出るようにしよう。その時体のバランスを崩して湯に頭から落ち、強い酸を飲んでしまい、げぼっ、とむせたりし、我を忘れて暴れまわり、足をすべらせて掴みどころを見失ったりしていると、足元のほうから、ジューッと体が溶けていくので大変な悲劇となる。そういう意味では、恐ろしい温泉である。

交通 東北本線黒勝田駅からバス25分で死出路へ。死出路から乗合馬車で1時間。車で行ける道はない。
泉質 硫酸。55度。
効能 機敏性を養う。度胸試し。
宿 1軒。
◆卒塔婆館 Cランク。収容10人。経営者が不気味。
-----------------------------------------------------------------------
何とも異様な温泉があるものである。「死に急ぎ」という言葉を使ったので、その関連で「検索」に引っかかった言葉端であると、お許しいただきたい。

いずれにしても、「生き急ぎ」「死に急ぎ」はするものではない。物事や歳月の推移も、あるがまま受け入れたいものである。



冬が来た。白い樹樹の光を体のうちに蓄積しておいて、夜ふかく眠る・・・・・・前田夕暮
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  冬が来た。白い樹樹の光を体のうちに
      蓄積しておいて、夜ふかく眠る・・・・・・・・・・・・・・・・前田夕暮


この歌は、「口語自由律短歌」と呼ばれるものである。
「白い樹樹の光」というのを、たとえば雪を被って白くなった樹木と捉えることも出来るが、それだと詩的な面白味は薄れる。
むしろ葉が落ちて、裸になった樹木にあたっている冬の日の光そのものを、作者は「白い」と感じているのだろう。
この歌は、白い樹樹の光を「体のうちに蓄積しておいて」という捉え方も面白いが、それを受けて「夜ふかく眠る」と続くところに、作者のすぐれた資質がよく出ている。
詩句における昼から夜への移行が、歯切れのいい転換によって新鮮さとふくらみを生んでいる。
昭和15年刊『青樫は歌ふ』所収。

いま歳時記を繰っていて気がついたのだが、「裸木」という季語は載っていない。
「冬木」というのはあるが、ものすごく詳しい歳時記なら載っているかも知れないが、私などは「裸木」という表現の方が、好きである。
「冬木」と言ってしまっては、葉を落とした樹木の感じを、表現の面で狭めてしまうと思うのである。
「裸木」の方が季節感を限定せずに膨らみがあり、読者の想像に任せる面が多いのではないか。
歳時記の見出し語としては「枯木」というところに入れられている。
表現として「枯木」と「裸木」では、趣きが違うのではないか。

前田夕暮については、前にも採り上げたことがある。
この歌などは強いて「短歌」と呼ばなくても「短詩」としてのリズムも的確で、すぐれた作品である。
前田夕暮は自然主義的な定型短歌から出発し、昭和ひと桁の頃に自由律に転換し、掲出したような歌を作った。
その後、戦争さなかには自由律に対する弾圧の時代が来て、戦争末期に定型短歌に復帰するに至るのだが、
自由律の作品にも、この歌のように佳いものもあるが、全体としてみると、自由律のものは散漫な作品が多く、私などは「定型」の作品の方が、粒が揃っている、と思う。

枯木の句を少し引いて終る。

 枯木中少年の日の径あり・・・・・・・・川口松太郎

 犬細し女も細し枯木中・・・・・・・・高野素十

 真青に海は枯木を塗りつぶす・・・・・・・・山口青邨

 妻は我を我は枯木を見つつ暮れぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 大枯木しづかに枝をたらしたる・・・・・・・・長谷川素逝

 鞦韆を漕ぎはげむ木々枯れつくし・・・・・・・・橋本多佳子

 赤く見え青くも見ゆる枯木かな・・・・・・・・松本たかし

 千曲川磧(かはら)の先の桑も枯る・・・・・・・・森澄雄


POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
aaootuwabuつわぶき
 ↑ ツワブキ

十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。

 国と国揉み合ふあはひ七十年なほ裸なり従軍慰安婦・・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 歳をいへばはやはや一期一会ぞと思へど心ふらふら遊ぶ・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 にすぎてるあなたとわたし鍋の中にくだけてゆける牡蠣のはらわた・・・・・・・薮内亮輔
 しづかなる寒きあしたをよしとして目覚めたりけりわが幸せや・・・・・・・・・・・・・宮 英子
 歩み来し最後の一歩をここに止め死せるカマキリ落ち葉の上に・・・・・・・・・・北沢郁子
 あっけなく終わるものありおとろえず残る執あり花の場合も・・・・・・・・・・・・・・小高 賢
 句の中の戦後間もなき青空よ 林檎も雁も晩秋の季語・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 晩秋の沼の面の水馬は微かな光の輪を踏みて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修
 走るしかないだらうこの国道がこの世のキリトリセンとわかれば・・・・・・・・・・・山田 航
 日常の貌保ちつつ足早に歳月は去り再びあはず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川恭子
 からすうりの赤きが枝に二つ三つ裏山の冬の木はやわらかし・・・・・・・・・・・・ 斎藤芳生
 結論を述べる男の強張りし眉間の皺の歳月の溝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 晩秋の長い林道ゆくうちに獣めきたる禁漁区かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 花野にて死因問ふ人振り払ふ・・・・・・・・・・・・・ 吉川千早
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 夜歩けば朱き月影たぷたぷと・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 猿を見て人を見て秋風の中・・・・・・・・・・・・・・きくちきみえ
 目礼を交はしてゆける水の秋・・・・・・・・・・・・・小林すみれ
 紅葉するさくら卵の中の街・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 秋の薔薇行けばどこまで同じ町・・・・・・・・・・・・・上田信治
 木星に似る喉飴を舐めて秋・・・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 色町の音流れゆく秋の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 サングラス誰そ彼の世に紛れたる・・・・・・・・・・・中塚健太
 秋雨やふるえるわかめとコンドーム・・・・・・・・・・・・榊陽子
 菊を見て菊のひかりを見て菊を・・・・・・・・・・・・・小池康生
 向き合はない道路標識秋の暮・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 酒蔵はピートの香り蔦紅葉・・・・・・・・・・・・・・・・・栗山麻衣
 頭痛薬一錠二錠秋となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 ネクタイのキリンこぼれて秋の電車・・・・・・・・・・ わだようこ
 小鳥来る解体される給水塔・・・・・・・・・・・・・・・・・倉田有希
 逆光に町のありたる刈田道・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 しぐるるや紅き表紙の「遊女考」・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 秋冷をただよう雲の飛行船・・・・・・・・・・・・・・・・・・工藤定治
 身を寄せて十一月の水餃子・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 菊焚くや綺麗な灰もおのづから・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 団栗のこつんと撥ねる目を醒ます・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 一線に野焼の炎空濁す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 銀匙のくもり訝る秋思かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 サンダルの斜めに減りし夜の秋・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 銀杏のにほひたつ道キャンパスへ・・・・・・・・・すずきみのる
 いちじくや宇宙の闇に星あまた・・・・・・・・・・・・・・・北畠千嗣
 これほどに何故にまっすぐ彼岸花・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 道一つ違えたかしら穴惑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 山手線は里芋の煮転がし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 粘菌の迷路のような展開図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


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Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

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 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
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木村草弥の本について
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香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・2016/11/26発行・・・・・・・

香山雅代氏から、いつも発行の都度ご恵贈いただきながら、このブログで採りあげるのは初めてである。
いつもはお礼状を差し上げて失礼している。
香山氏は西宮にお住まいで、かの地の文化界でも、また「能」や「日本歌曲関西波の会」というところなどで、詩に曲をつけたものなどを発表されている異色の作家である。
掲出した図版でも読み取れるが同人四人で活躍されている。
今回は同人・内藤恵子氏の短い作品を紹介したい。   ↓

デコポンimg55833098

          デコポン       内藤恵子

        白い平面に
        橙色の球体
        緑のでこぼこ
        テーブルの上の陰影
        壁に並ぶ果実二つ
        重い
        慌てて両手で受ける
        丸く突び出す先端
        中へ落ち込み
        まわりは盛り上がる
        胴体につく突起

        皮をむく
---------------------------------------------------------------------------
代表である香山雅代氏の作品を引かなかったことは、お詫びしたい。
香山氏の作品は長いし、かつ高踏的であり、拙ブログの読者には難しすぎると思って、平易な内藤氏の作品を引かせてもらった。
お許しいただきたい。
内藤氏の作品は、ご存じの「デコポン」の特徴を簡潔に表現し得ている。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。




いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた/雲海の中に・・・・・/・・・・・・大岡信
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      さむい夜明け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた
     雲海の中に・・・・・・
     となかいたちは氷河地帯に追いやられ
     微光の中を静かな足で歩んでいた

     いくたびか古城をめぐる伝説に
     若い命がささげられ
     城壁は人血を吸ってくろぐろとさび
     人はそれを歴史と名づけ蔦で飾った

     いくたびか季節をめぐるうろこ雲に
     恋人たちは悲しくめざめ
     いく夜かは
     銀河にかれらの乳が流れた

     鳥たちは星から星へ
     おちていった
     無法にひろがる空を渡って
     心ばかりはあわれにちさくしぼんでいた

     ある朝は素足の女が馳けさった
     波止場の方へ
     ある朝は素足の男が引かれてきた
     波止場の方から

     空ばかり澄みきっていた
     溺れてしまう 溺れてしまうと
     波止場で女が
     うたっていた

     ものいわぬ靴下ばかり
     眼ざめるように美しかった
-------------------------------------------------------------------------
この詩は、学習研究社『うたの歳時記』冬のうた(1985年12月刊)に載るものである。
「いくたびか」という詩句の3回のルフランなども詩作りの常套手段とも言えるが、この一篇で「初冬」の「さむい夜明け」の、さむざむしさを表現し得たと言えるだろう。



草弥の詩作品「柊の花」─「詩と思想」誌2016/12月号掲載・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(87)
    
        柊の花・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・「詩と思想」誌2016/12月号掲載・・・・・・・

  柊(ひいらぎ)は、悪魔を祓うとかいう言い伝えで、
  家の玄関脇に植えられていたりする地味な木だが、
  鋭いノコギリ状の葉を持っている。
  この木は初冬に、その鋸歯の葉の蔭に小さな白花をつける。
  季節が寒い冬であり、しかも皆いそがしい十二月だから、
  この花に気づく人も少ないだろう。
  今この花の花盛りで十一月下旬から咲きはじめた。
  傍を通ると、すずやかな佳い香りがする。
  人によってはスズランに似た香りだという。
  花言葉は「用心」「歓迎」
  雌雄異株で、
  雄株の花は二本の雄蕊が発達し、
  雌株の花は花柱が長く発達して結実する。
  実は長さ十二~十五ミリになる核果で、
  翌年六─七月に暗紫色に熟す。
  その実が鳥に食べられることにより、
  種が散布されることになるのである。

  結構かわいらしい清楚な花である。
  図鑑を見るとモクセイ科の常緑小高木と書いてある。
  柊という名前の由来は疼(ひいらぐ)で「痛む」という意味である。
  疒(やまいだれ)に旁(つくり)に冬と書く。
  熟語に「疼痛(とうつう)」があるのをご存じだろう。
  葉の棘に触れると疼痛を起こすことから言う。
  「いら」とは「苛」で棘を意味する。
  本来、この木は関西以西の山地に自生する暖地性の木らしい。
  この頃に咲く花としては「枇杷」の花などもある。
  さざんか、茶の花などは、よく知られているものである。
  この頃に咲く花は初夏の頃に実をつける習性がある。
  年が代って節分になると、
  この木の小枝に鰯の頭を刺して、
  魔除けの縁起かつぎをする木として、一般に知られているが、
  この頃では家が小さくなって、
  この木が植えられる家が見られなくなって、
  この風習も廃れる一方であろう。

  私の第二歌集『嘉木』に
  こんな歌があるので、それを引いて終わる。

       ひひらぎの秘かにこぼす白花は
          鋭き鋸歯(きよし)の蔭なるゆふべ    木村草弥
-------------------------------------------------------------------------------
かねて「詩と思想」編集部から投稿の依頼があって、すみやかに提出済であったが、本日、掲載誌が発売されたので披露しておく。



雑器の美はどこにでも転がつてゐる、もと溲瓶とは見えませんなあ・・・・・木村草弥
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     雑器の美はどこにでも転がつてゐる、
            もと溲瓶(しびん)とは見えませんなあ・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
掲出の写真①は韓国の昔の「溲瓶」と言われるものである。私の歌に詠っている物も、まさに朝鮮の「尿瓶」からの歌である。

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写真②は「染付け古便器」(陶磁器製)である。写真に写っているものは男性の立ち小便用の便器で、古いものだが、収集されて展示されているもの。これらの展示の中に、問題の「シビン」があるのである。今では常用漢字に、この字がないので、先に書いたように「尿瓶」と書いて「シビン」と訓(よ)ませている。
写真③に、現在の「尿瓶」なるものを掲げておく。

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私が歌に詠んだ時の現物は写真に撮っていないので、代りに掲出した写真を掲げたものであることを、お断りしておきたい。
この写真は民間テレビの人気番組「お宝なんでも鑑定団」HPから見つけたものである。
このHPに載る記事をそのまま紹介する。

神奈川県の菊地広十志氏(35歳)の鑑定依頼である。
5、6年前に父が韓国に行った時、ホテルの骨董店で焼き物を物色中、あまり見たこともない焼き物に引かれ、店員に尋ねると「水などを入れて使っていたものです」とのこと。花瓶か水差しだと思い4万円で購入。帰国の際、空港の手荷物検査で一もんちゃく。係官がわんさか集り、サイズは測るは、焼き物の絵を描くは、何故か笑い出す人まで・・・・・。不安になった父が尋ねると「おそらく600年ほど前の文化遺産かも知れない」とのこと。驚く父に係官は「これは尿瓶です」。
現在、床の間にお気に入りの一品として飾っている父。なんとかやめさせたいのだが・・・・・、と息子が鑑定を依頼。本人鑑定額1000円。
鑑定結果は、1000年から900年前のもの。酒や液体を入れて使われていた。依頼品は日本人が好む形。鑑賞陶器としては評価されるもの。鑑定額は6万円。

この鑑定のように、この陶器は「酒」などを入れていたものだが、私も見た「シビン」は、実に、これに似た形をしているから、紛らわしいのである。
事実、中世の茶人たちは、これを「花器」として珍重し、花を生けて茶室に置いたりしたのである。私の歌は、そういうのを詠んでいるのである。お騒がせしました。
因みに、私の歌は「結界」という項目名のところに収録してあるが、長くなるので引用は控えておく。


山の神留守のあけびを採りにけり・・・・浅井紀丈
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  山の神留守のあけびを採りにけり・・・・・・・・・・・・・・・浅井紀丈

「あけび」は漢字では「通草」と書く。
雑木林などに生える落葉の蔓低木である。栽培のものもあるかも知れないが、野生のものであろう。
今ではアケビなんて言っても、知る人も少ないし、むかし食べたときは甘くておいしかったが、いまなら食べても美味とは思わないのではなかろうか。
写真①が熟して果皮が裂けた実である。黒い実のまわりの白い果肉を食べる。

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アケビは春4月に写真②のように花を咲かせる。
名前の由来は、裂けた「開け実」が転じてアケビになったと言われている。
果肉は甘くて、山の味覚として賞味されたが、果皮のことは、私は何も知らなかったが、干しアケビや塩漬けにしたりするらしい。
山形地方には春の彼岸の決まり料理として干しアケビを食べる習慣があるらしい。
また秋の彼岸には、先祖がアケビの船に乗って来るという言い伝えから仏壇に供え、あとキノコ類を詰めて焼いて食べるという。

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夏に写真③のように緑色の若い実になり、秋になって熟して、果皮は紫色に熟して、果皮が縦に裂けて果肉が見えるようになる。
茎は「木通」モクツウ、果実を「肉袋子」ニクタイシと言うらしい。漢方では生薬として使われるし、蔓は籠などを編み、葉や茎は草木染の染料となる。
俳句にも詠まれているが、カラスなどが食べているのを見て、そこにアケビがあることが判明したりするらしい。
写真④は果皮が裂ける前のアケビの実である。

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以下、俳句に詠まれる句を引いて終りたい。

 鳥飛んでそこに通草のありにけり・・・・・・・・高浜虚子

 むらさきは霜がながれし通草かな・・・・・・・・渡辺水巴

 主人より烏が知れる通草かな・・・・・・・・前田普羅

 垣通草盗られて僧の悲しめる・・・・・・・・高野素十

 通草食む烏の口の赤さかな・・・・・・・・小山白楢

 夕空の一角かつと通草熟れ・・・・・・・・飯田龍太

 滝へ行く山水迅き通草かな・・・・・・・・山口冬男

 採りたての通草を縁にぢかに置く・・・・・・・・辻田克己

 もらひ来し通草のむらさき雨となる・・・・・・・・横山由

 通草垂れ藤の棚にはあらざりし・・・・・・・・富安風生

 何の故ともなく揺るる通草かな・・・・・・・・清崎敏郎

 あけびの実軽しつぶてとして重し・・・・・・・・金子兜太

 通草熟れ消えんばかりに蔓細し・・・・・・・・橋本鶏二

 山の子に秋のはじまる青通草・・・・・・・・後藤比奈夫

 あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・橋本美代子

 通草手に杣の子山の名を知らず・・・・・・・・南部憲吉

 口あけて通草のこぼす国訛・・・・・・・・角川照子

 山姥のさびしと見する通草かな・・・・・・・・川崎展宏

 のぞきたる通草の口や老ごころ・・・・・・・・石田勝彦

 八方に水の落ちゆく通草かな・・・・・・・・大嶽青児

 一つ採りあとみな高き通草かな・・・・・・・・嶋津香雪

 あけび熟る鳥語に山日明るくて・・・・・・・・・福川ゆう子

 あけびなぞとりて遊びて長湯治・・・・・・・・阿久沢きよし




白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ/自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・・・オルダス・ハックスリー
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    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

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この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
--------------------------------------------------------------------------
詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
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757px-Correggio_038コレッジョ
 ↑ コレッジョの絵 (ベルリン 絵画館)
西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・飯名陽子
aaoosyumei秋明菊大判

    おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子

この花は「秋明菊シュウメイギク」と言うのだが、音数が多いので俳句などでは、掲出句のように「貴船菊キブネギク」と五音で詠まれることが多い。
ただし「菊」と名がついているが、キク科ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の植物である。 念のため。
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事典には、次のように載っている。

■シュウメイギク キンポウゲ科アネモネ属
学名:Anemone hupehensis var. japonica(=Anemone japonica)
 別名:キセンギク(貴船菊),キブネギク(貴船菊)
 花期:秋

白く見えるのは花ではなく,萼です。花(萼)が散った後,黄色くて丸いものが残っているのもおもしろいです。葉は根本に大きいのがあり,花をつける茎には小さな葉しかありません。

中国と日本の本州、四国、九州に分布します。日本のものは古い時代に中国から渡来したという説が有力になっています。
大型の多年草で高さ0.5~1.0mになり、9~10月頃に咲くので秋明菊といいます。また、京都市北部の貴船に多く見られることから貴船菊(キセンギク・キブネギク)の別名があります。
花は紅色の八重咲で5~7cm位です。

1844年にフォーチュンにより、中国の上海からイギリスに送られ、1847年にアネモネ・ビィティフォリア(ネパール原産で30~90cmの多年草。白花、ピンク花等があり、シュウメイギクに似ている)と交配され、多くの園芸品種ができました。日本ではその後、一重で白花、ピンク花が知られていました。しばらくこの3種類(八重・紅色、一重・白、ピンク)しか栽培されていなかったのですが、近年、ピンクの矯性品種や、濃紅一重、白八重など、徐々に増えてきています。
また、この仲間(アネモネ属)は、花びらに見えるものは花びらではなく、萼片が花弁状になったもので花弁はありません。
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俳句にも詠まれていると思ったが、歳時記にも、少ししか載っていない。

 露霜にしうねき深し貴船菊・・・・・・・・・・・・我里

 菊の香や垣の裾にも貴船菊・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 観音の影のさまなる貴船菊・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 貴船菊一茎活けし直指庵・・・・・・・・・・・・右城暮石

 貴船菊活けて鏡にみどり差す・・・・・・・・・・・・岡本差知子

 山水を厨に引くや貴船菊・・・・・・・・・・・・坂巻純子

 寺の田も水を落とせり貴船菊・・・・・・・・・・・・大岳水一路

 こと艸にまじりてのびし貴船菊・・・・・・・・・・・・山本竹兜

 水をゆく真白なる雲貴船菊・・・・・・・・・・・・竹下白陽

 夕月に細き首のべ貴船菊・・・・・・・・・・・・関木瓜

 秋明菊カレーを食べし息に触れ・・・・・・・・・・・・大林清子
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「秋明菊」ということで掲出句を選びはじめたが、「キブネキク」という5音が俳句作りには適しているので、圧倒的に「貴船菊」の例句が多いので、ご了承を。


草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は秋が急速らやってきて、冷たい日々があり、紅葉も順調なようである。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・・・・和泉式部
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izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/1付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。



家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・・・久保田不二子
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     家毎に柿吊るし干す高木村
        住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子・俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

参考までに赤彦の旧居・「柿蔭山房」 ← のリンクを貼っておくので参照されたい。

私が敬慕する自由律歌人で、同じ下諏訪町にお住まいの光本恵子さんにお聞きしたところ、下記のようなメールをいただいたので転載しておく。 ↓

< 久保田不二子については、先妻(うた)の子である政彦を育て、さらに自分(不二子)と赤彦との間に3男2女を育てた。政彦は1917年に十八歳で死去。
不二子との長男の建彦には、私の夫の垣内敏広が伊那北高校時代に漢文の先生として習ったと言っています。
次男の夏彦さんには私もお目にかかったことがあります。
赤彦は先妻のうたさんのことをあまりに愛していたので、再婚した不二子さんは哀しい思いをされたようですね。
二人で養鶏所をなさっていたころはよかったのでしょうか。
まあ赤彦は大正15年に50歳で亡くなり、不二子さんは昭和40年(1965年)まで長く生きられたので、子供様は教師として、お母様を守ったのでしょうね。
高木は我が家から割と近いです。昔の甲州街道筋にあり、赤彦の暮らした柿蔭山坊は多くの人が今も訪ねます。またお出かけください。私がご案内させて戴きます。 >

島木赤彦については ← を参照されよ。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

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私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・藤野智寿子
d0056382_20162867クヌギの実

      どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・・・・・・・・・藤野智寿子 
  
団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。

小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・橋本多佳子

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 
草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・桂信子
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      草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・・・・・・・・桂信子

草紅葉クサモミジは野草や低木が初冬になって色鮮やかに色づくことを、こう形容する。特別に「草紅葉」という名の草や木がある訳ではない。
写真①のような鮮やかな場所は、どこにでもあるものではない。オトギリソウ、オカトラノオ、トウダイグサなどは特に美しい。

草紅葉を、古くは「草の錦」と呼んだが、『栞草』には「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」とある。
けだし、草紅葉の要約として的確なものである。
そして、その例として

  織り出だす錦とや見ん秋の野にとりどり咲ける花の千種は

という歌を挙げている。霜が降りはじめる晩秋の、冷えびえとした空気を感じさせる季語である。

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秋芳台のように草原と露出した岩石のコントラストが見られる所の草紅葉が趣があって面白い。(写真②③)
この季語は、小さく、地味で目立たない草が紅葉することによって、集団として錦を織り成す様子を表現しているのである。
その結果として、「荒れさびた」感じや「哀れさ」を表すのである。
古来、詩歌にたくさん詠まれてきたが、ここでは明治以降の句を引いておく。

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 猫そこにゐて耳動く草紅葉・・・・・・・・高浜虚子

 くもり日の水あかるさよ草紅葉・・・・・・・・寒川鼠骨

 帰る家あるが淋しき草紅葉・・・・・・・・永井東門居

 草紅葉へくそかつらももみぢせり・・・・・・・・村上鬼城

 大綿を逐うてひとりや草紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 内裏野の名に草紅葉敷けるのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 たのしさや草の錦といふ言葉・・・・・・・・星野立子

 草紅葉磐城平へ雲流れ・・・・・・・・大野林火

 絵馬焚いて灰納めたり草紅葉・・・・・・・・吉田冬葉

 白根かなしもみづる草も木もなくて・・・・・・・・村上占魚

 山芋の黄葉慰めなき世なり・・・・・・・・百合山羽公

 鷹の声青天おつる草紅葉・・・・・・・・相馬遷子

 菜洗ひの立ちてよろめく草紅葉・・・・・・・・小野塚鈴

 草もみぢ縹渺としてみるものなし・・・・・・・・杉山岳陽

 酒浴びて死すこの墓の草紅葉・・・・・・・・古館曹人

 吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・角川源義

 良寛の辿りし峠草紅葉・・・・・・・・沢木欣一

 屈み寄るほどの照りなり草紅葉・・・・・・・・及川貞

 学童の会釈優しく草紅葉・・・・・・・・杉田久女

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2008年初夏に旅した「能取湖畔のサンゴ草の紅葉」 ← も有名なところなので、ここにリンクに貼っておく。

熱き血のなほ潜みゐむ現身のうすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・木村草弥
p2_ra乳房

   熱き血のなほ潜みゐむ現身(うつしみ)の
     うすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』((角川書店)に載るものである。
この歌は、亡妻がまだ元気であったときの思い出の作品であり、今となっては記念碑的なものであり愛着がある。

日本文学では、古来、乳房のことを、私の歌のように「垂乳」(たりち)と表現する。
散文的には「胸乳」(むなち)と言うこともあるが、私は「垂乳」の方が好きである。これは加齢によって「垂れてきた」乳房の意味ではないので、ご留意を。
「たらちねの母」という表現がある。これは母という言葉にかかる「たらちねの」という「枕詞」(まくらことば)であり、これは漢字で書くと「垂乳根」となり、乳房のことから転化して、母または親を修飾する「枕詞」になったものである。
近代短歌の頃には、枕詞なんて古臭いなどと言われたときもあったが、現代短歌では歌に深みを増すために最近は枕詞の使用が見直されてきているのである。
以下、百科事典に載る記事を転載して、お茶を濁したい。
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 乳房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間の乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、多くの哺乳類のメスに存在する、皮膚の一部がなだらかに隆起しているようにみえる器官で、その内部には、乳汁(母乳、乳)を分泌する機能を持つ外分泌腺の乳腺(にゅうせん)が存在する。幼児語ではおっぱいとも呼ばれる。

乳房の表面には、乳汁が外部に分泌される開口部を含む乳頭(にゅうとう)が存在する。哺乳類では、産まれてから一定期間の間の乳児は乳汁を主たる栄養源として与えられ、生育する。哺乳類の名前は、ここから来ている。オスの乳房、乳腺はその生産機能と分泌の機能を持たないため通常、痕跡的である。

哺乳類でもあるヒトの乳房は、通常は胸部前面に左右1対にて存在する。地球上に人類が誕生して以来、ヒトの乳房の存在意義は、出産後母乳を分泌し、乳児を育てることであるが、文明が発達した現代においては、母乳を代替品の粉ミルクにより置き換えることも可能ではあるが、医学的に考察すれば その与えられた免疫機能の重要性は極めて高く、代替品では近似してはいても、その本来の成分には遠く及ばない。免疫の極めて低い状態で出生する新生児に確実に免疫を獲得させる目的からも、母乳が勧められる。 また、ヒトの乳房は、乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。

乳房の構造
乳房の構造乳房の表面は皮膚で覆われる。ヒトの女性では、通常は胸部の大胸筋の表面の胸筋筋膜上に左右1対が存在し、およその位置は、上下が第3肋間~第7肋間、左右は胸骨と腋窩の間である。乳房は第一次性徴期は性差がなく男児と同じ(第1段階)であるが、第二次性徴期に脂肪組織が蓄積する(特に脂肪組織が蓄積するのは第2段階第3段階の間)。乳房の脂肪組織の形は人種差や個人差が非常に大きい。高齢者になると乳房の中身が徐々に衰退するため乳房が徐々に下垂する。

乳房の内容は、その容積の9割は脂肪で、1割が乳腺である。乳腺は、乳房一つあたり15~25個の塊として存在し、乳頭の周囲に放射状に並ぶ。それぞれの塊を葉(よう)と呼ぶ。それぞれの乳腺の葉からは乳管が乳頭まで続き、乳腺より機能し分泌された乳は、乳管、乳頭を通して体外へ出る。乳房組織の脂肪組織は乳の生産には全く関係しない。

乳房の成長
Tannerの分類によれば、両性において共通するのが第1段階である。その後、女性は第2・3・4段階の課程を経、第5段階において女性成人型に変化する。また、男性は第1段階を維持し、男性成人型になる。

女性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第2段階 乳輪下に脂肪組織が蓄積し始める。乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化。(定義上では、ここから思春期)
第3段階 脂肪組織が蓄積し外見差が出てくる
第4段階 乳輪が隆起し、ほぼ成人型になる
第5段階 女性成人型となる
男性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第1段階 乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化し、男性成人型となる。

乳汁の分泌とその調節
乳児に母乳を与える様子血液を原料に乳を作る。乳房組織の脂肪は乳の生産自体には関係がないため、その大きさと母乳の量・質には因果関係はない。乳(ちち)は、乳汁(にゅうじゅう)ともいい、ヒトや動物のうち哺乳類が幼児に栄養を与えて育てるために母体が作りだす分泌液で、乳房組織で作られ乳首から体外に出てくる。乳房組織は血液の赤みをフィルターして乳にする。出産直後に母体から出る乳は初乳と呼ばれ、幼児の免疫上重要な核酸などの成分が含まれている。

どんな哺乳類も本来子供を出産した後、数ヵ月から数年の哺乳期間だけ母体は乳を作り出す。タバコの喫煙習慣のある女性は脂肪組織に蓄えられたダイオキシンなどの極めて毒性の高い物質が母乳に混じり、排出される。

平時は母乳は決して出ないが、妊娠・分娩後には脳下垂体から泌乳刺激ホルモン(プロラクチン)、オキシトシンが分泌され、このときだけは母乳が生産されるようになる。まれにホルモン異常などの疾患により、妊娠しなくとも母乳が出る場合がある。稀に、男性から出ることもある。

他の哺乳類の乳房
仔豚に母乳を与える豚哺乳類の乳腺の発達する部位は、左右対称に前足の腋の下から後ろ足の間、恥骨に続く乳腺堤と呼ばれる弓状の線上にある。この上の発達部位の中で、それぞれ哺乳類の種によって、特定のいくつかが発達する。前の方が発達する場合、子供は前足の腋の下に口を突っ込むことになるし、後ろが発達すれば、腹部下面に乳房が並ぶことになる。

一般的に多産の動物ほど乳房の数は多く、牛は4つ、犬は8つ、豚は14個存在する。乳頭と子が産直後に固定されるものもある。

なお、ヒトにおいても極く稀に本来の発達部位より前(主に脇の下の部分に生じるが、同様に乳腺堤上にあたる腹部の左右から股関節にかけての部位に生じる場合もある)に1対(複数発生例もあり、最大で9対生じる事もあるという)の乳頭を持つ例があり、「副乳」と称される。稀に膨らむ場合もあるが、ほとんどの場合が発達せずホクロのように見える。これは現在、哺乳類でもある人類の、地球上での出現・進化と深く関連していると推測されている。

社会的存在 
一方、女性特有の器官である乳房の大小は、1970年代以降より女性の身体的魅力の一要因とされており、現代においては関心も高い(関連を参照)。
また、大小にかかわらず、均整の取れた美しい乳房を美乳と呼ぶ。



久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
鳥恋行_NEW
 ↑久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊
雨を見上げる_NEW
 ↑久我田鶴子第七歌集『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
      ・・・『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊 『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊・・・・・・・

先に久我田鶴子歌集『菜種梅雨』の恵贈を受けて、その鑑賞を、このブログに載せたが、折り返し久我さんから先行する二冊の本が送られてきた。
いずれも大部の本である。
砂子屋書房の社主・田村雅之、ながらみ書房の社主・及川隆彦ともに前衛短歌はなやかなりし頃に編集者として活躍された人である。
そして今ともに出版社経営者として活躍されている。
この二冊を通読してみて、歌集の鑑賞という面からだけではなく、「エピソード」風に書いてみたい。
先ず『雨を見上げる』の「あとがき」を読んでいたら

<及川さんには、同郷のよしみと若い頃から何かと心にかけていただいてきた。
 お互いにながらみを食べて育ったというだけでなく・・・・・>

というくだりに目を止めた。(注・アンダーラインは筆者)
「ながらみ」というのは食べ物だったのか、とWikipediaなどで調べてみた。
久我さんの故郷である九十九里浜で獲れる巻貝で美味、とある。学問的には「ダンベイキサゴ」というらしい。
同郷である及川さんは、これを自分の出版社の名前にされたのである。 よく判りました。
私は遊び心に満ちた人間で、何にでも好奇心旺盛なのである。 お許しあれ。

*「胡乱」なる言葉の具体 湯上がりのビールの酔ひが五体をめぐる
久我さんとは「地中海」の全国大会などで顔を合わせ、すこし言葉をやりとりしたに過ぎないが、酒は殆ど呑まれない印象があったのだが、いくつか飲酒の歌があるので意外な気がした。
この二冊の本の頃、久我さんは「コンピュータ管理のマンモス校」へ転勤された。コンクリート打ち放しとガラスの多い現代風の学校に戸惑われた様子が見てとれる。
もともと久我さんはインターネットには弱い人だった記憶がある。
*存在を証すカードを受けしより03T001Fが私らしき
*先進的教育といふがあるごとく指先ばかり小器用になる
*愚痴となる歌をひそかに反故にして三十六計笑ふに如かず
*耳奥のリンパのゆらぎ朝床に人となるべくかたちひき寄す
*鍼治療うけつつ聞けばひとのこゑ滋味あるものとし身内に入り来
*声が来て神経叢をさやがせり無限自在のわれゐるどこか
*パソコンをつかふ俊敏スマート氏にふるひおとされ消ゆるが必定
*ひそやかに歌詠みゐるさへ脅かし職場といふが息止めにくる
*寄せくるる子らの傷みに苛立ちに生かされありし教師の日々は
*ペン胼胝の消えたる指がうれしげに操るならねノート型バイオ

私事ながら私も使っているのは、ここ何台もソニーのノートパソコン─ヴァイオである。

そんな、馴染めない戸惑いから「鳥を求め、花を求めて、森や湿原に出かけることが多かったのは、相応の理由があったのだと思う」と書かれている。
第六歌集の題名を『鳥恋行』とされたことが、その証左であろう。
*傷を負ひゆきしものあり雪に血の擦りあとはつか残る森のみち
*蝶型の足跡なれば栗鼠と知る胡桃の木から森へと向かふ
*用心の仕方がいかにも貂らしく摺り足ぎみに雪上をゆく

観察の精細な叙景の行き届いた歌群である。
また他に琵琶湖西岸の滋賀県高島郡マキノ町 などというと京都に住む私などには、すぐに判る土地だが、こんなところにも出向いて歌にされた行動力の広さに感服する。

*熊臭し されば熊領こころして登るにしかずわが登山靴
*さきほどの緑一塊の落とし主 なるほど猿も笹を食ふなり
*うちつぱなしのコンクリートに巣をかけし燕が今朝は偉く見えたり
*彫像になりたる樟がなほにほふ女の頸から胸のあたりを
*樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂

この二首からは、ほのかなエロティシズムが薫りたつのを感じる。

*口開くとけぽつと魚を吐き出せり宇治平等院屋根にかはせみ

「わが水系」などの項目の歌には「ふるさと」が詠われている。

*鼻濁音の有無と信仰に境して流るる川やふるさとの川
*真言と日蓮を分け海に入る川といへども幅数メートル
*川渡り鼻濁音来て鼻濁音なきわれらのことばにまじる

日蓮が生まれたのは上総小湊である。その地域では日蓮宗が信仰されているだろう。
因みに、私宅の宗教も日蓮宗・身延派である。この地域は浄土宗が占めているが、わが先祖は幕末の頃に布教があって一族を挙げて改宗したという。
久我さんの歌に詠まれる川は「作田川」で、この川を隔てて、宗教と鼻濁音が違うということである。
この川は境川とも言われているらしく、地形が宗教や言葉の境になっていくというのは、昔の文化の成り立ちとして面白い。
簡潔ながら中身の深い佳い歌である。
このごろはNHKのアナウンサーなども「鼻濁音」の指導が厳しくないらしいが、「鼻濁音」の中でも「が」の音は何とも奥ゆかしい気がするのである。
方言の尊重もいいが、日本語の共通語として、この鼻濁音は尊重してほしいものである。 私は、そういう主義である。

*もみぢならぬやつでのなどとわらひつつわがてのひらを愛でくれし母
*幾人もの精液にまみれ死ににけり<解放軍>が訪れし昼
*アゴタ・クリストフ、ジャン・クリストフ わが内にずれて重なる名前の記憶
歌の対象は多岐にわたって展開する。「回想」から「現代」へで、ある。それらから少し引いてみた。

弔歌にも触れてみよう。春日井建を詠った一連もあるが、
*みづからを褒めてやりたいと全歌集まとめたるのち言ひし忘れず
この歌は「地中海」長老として香川進を助け、また香川進の代理の先兵として「前衛狩り」に角川書店「短歌」編集長に乗り込んだ山本友一の死を詠んでいる。
私も船田敦弘の「いじめ」に耐え切れずグループを抜けたときに手を出してもらったのが山本友一であった。その挨拶のために新宿の山本宅を訪れたことを思い出す。
ご子息は三菱商事の幹部として活躍しておられたが、同居されており、朝食のために焼かれた干物の魚の匂いが部屋に残っていたのを思い出す。
船田亡き今となっては、こんな回想をしても許されよう。
私は一概に「前衛狩り」に走った香川たちを責めるつもりはない。前衛の提灯持ちをした編集者の独走を抑えたいという守旧派の歌壇や社主たる角川源義の意向を香川が含んだものであろう。
ついでに書いておくと、塚本邦雄や岡井隆などはアクの強い人間で今なお強い影響力を持っている。
前衛短歌はなやかなりし頃、塚本の取巻きとして活躍されていた人が酒席で私に洩らされたことがある。何か塚本の説に異を唱えると、とたんに歌壇から「干された」と。
また岡井隆も同様で「未来」の中でも彼に異を唱える人間は排除された。私も「未来」に席を置いていたが私は川口美根子門下であったが、それらにまつわる話を聞かされたことがある。
岡井隆は本来、左翼なのだが、老来、勲章ほしさに皇室にすり寄り「皇室御用掛」などを務めている。その論功行賞で文化功労者に選出された。
斎藤茂吉や土屋文明らが文化勲章受章者であるから、彼らに肩を並べたいという欲望が岡井隆にはあるのだろう。俗物臭ぷんぷんである。 閑話休題。

*昨夜よりのあめ葬送の昼もなほやまず銚子の潮の香ひそめ

この歌は『雨を見上げる』に載るものだが、青柳猛氏のことを詠んでいる。青柳氏とは私にも思い出がある。
どこの全国大会であったか、班別歌会の司会を仰せつかったことがあり、その中に青柳氏が居られ、たしか「ら抜き」の乱用を言われ、言語学者の金田一春彦が「許容」するような発言をしているのはケシカランと激しく攻撃した発言をされた。私が「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私も激しく攻撃されたのを覚えている。
言語というものは絶えず揺れ動いているもので、概して言語学者などは寛容である。「ら抜き」言葉にも一定の法則性があり、将来、正当と認められるのは近い、という。私には言語学者の友人たちが居り、彼らは皆そういう意見である。 閑話休題。

この二冊の本には父親の体調不良から死に至る歌が縷々詠われている。
特に第七歌集『雨を見上げる』には、父の歌が多い。
*かたはらの椿に蛇が潜めると確かにゐると父の指さす
*二、三日前より目白来てゐると父の指さすさざん花の方
*飲み方を忘れし父か生きむためコップ一杯の水に身構ふ
*身を起こしこころゆくまで脚を掻きひとしごとせりと言ひたりけふは
*指折りてなにかぞへゐる父ならむポータブルトイレにまたがれるまま
*ふたたびを点滴につなぐいのちなり「かあさんは」とは妻呼ぶことば
*いくたびも娘に子なきを嘆きしかどこにもをらぬ孫の名をいふ
引きだしたらきりがない。項目名「青葉ほととぎす」「たなばた」「脱ぎうるならば」「潮騒」「とんちんかん」「夢、うつつ」「手ぶくろ」「二月三月」など、ずっと病む父の看取りの歌である。
*柿好きの父に食ませむ三月はイスラエルの柿シャロンフルーツ
*七十九歳になりたる母の髪に触れ「おめでたう」いふ父の指さき
*血圧の高きに怯ゆる母が越え熱に苦しむ父の越えし二月
*一月の八日未明を一期とし帰れる天の星のまたたき
*呼気のにほひ変はりたりしは三日前その父を置きわが訪はざりき
*肯ひつ否みつ父に来るはずの死を待ち迎へし新年なるも
*梅一枝たづさへし日を境としこの世の父に逢ふことのなき

『雨を見上げる』の巻末近くに「十月の想念」─香川進先生の十三回忌に寄せて、という項目がある。
*たまたまのめぐりあはせもえにしにて地中海わが漕ぎわたる海
*ゆづらざるわがもの言ひにウィスキーダブルを手にしはだかりもせり
*かはしたる約束ならね「地中海」編集しばし吾が預かるも

身内のこと、「族うから」のことを全く詠わない人も多いが、久我さんは、ここに見てきたように多くの族の歌を、特に「父」の歌を詠まれた。
人が死んで、偲んで詠む歌は感動が薄い。同時進行で、現在形で読まれる歌は勁い。本人にとっても、生涯の記念となる。だから私なども、どんどん詠む主義である。
掲出した図版で読み取れるが、本の「帯文」は出版社が知恵をしぼって書きだしたもので、編集の意図が凝縮して出ている。
改めて、眺めてもらいたい。
ご恵贈に感謝して、不十分ながら鑑賞を終わりたい。 有難うございました。   (完)






吾が贈りし口紅それは夢の色ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・木村草弥
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   吾が贈りし口紅それは夢の色
      ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「化粧」の一連の歌を採り上げたので載せておく。

亡妻は国産のものでは資生堂の化粧品を使っていたようだが、私が海外旅行の土産として買って帰った「シャネル」の製品も、よく常用していた。
香水やオーデコロンなどは「シャネル」の5番を愛用していた。マリリン・モンローがネグリジェ代わりに身につけて寝たというものである。
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以下に百科事典に載る記事を転載しておく。

 口紅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

口紅(くちべに、lipstick)とは、人が顔に着彩する目的で唇に塗るために使われる化粧品の一種である。

一般的に、ベニバナを原料とし、ワックスや顔料を溶かして型に入れ固めて作られるが、製品としての口紅にはこれらのほかにも色素、界面活性剤、酸化防止剤、香料など多数の成分が含まれる。

なお、口紅の訳語としてしばしば使われる「ルージュ(rouge)」とは、フランス語で赤という意味である。しかし、昨今では赤色でない口紅も存在するようになり、オレンジ系・ピンク系・ベージュ系など様々な色味に大別される。 唇に質感だけを加える半透明なグロスと呼ばれる物もある。

形状はスティック状の物が一般的で、フタをとり直接あるいは一旦口紅用の筆(リップブラシともいう)に取って唇に塗布する。スティック状でないものは直接唇には塗りにくいので、筆に取って塗布する。

なお、英語では「リップスティック(lipstick)」といい、略して「リップ」と呼ぶことがある。しかし、日本ではそのように略すと口紅より、主に唇の乾燥を防ぐために用いられる薬用リップクリームを連想させる。業界では、両方扱っているメーカーが多いために、この2つは使い分ける傾向にある。

歴史
約、7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが、始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、約、紀元前3000年の頃のエジプト人が使用されたと思われる口紅が発見され、約紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

効果
現代において、化粧のうちでも重要な要素とされ、色、質感などが重要である。光沢も重要であり、光彩を放つパールやラメが混入されていることがある。
保湿機能などが付加され、冬期の乾燥した環境に使用できる製品も開発されている。
夏期には紫外線防止効果のあるものも選ばれる。

口紅にまつわるエピソード
男性が女性に口紅を贈る場合に、「少しづつ取り戻したい」などという気障な言葉が添えられることがある。
本来の意図と反して、ワイシャツなどに付着した口紅は、浮気の証左としての痕跡とされるが、満員電車などで意図せずにつく場合もある。
食器などに付着すると、成分の関係で落ちにくい汚れとなる。最近では付着しにくいものも多い。
口紅を塗る動作そのものを「紅を引く(べにをひく)」と表現することがある。
かつて春先の化粧品のキャンペーンやプロモーションの中心商品といえば、口紅であった。
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掲出の私の歌だが「口紅それは夢の色」なんて、甘ったるい表現で、今となっては冷や汗ものだが、これも亡妻の元気なときの仲のいい夫婦の一点景として大目に見てもらいたい。


べに刷きてブラシにはつか残れるを目元にも刷く汝の朝化粧・・・・・木村草弥
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   べに刷きてブラシにはつか残れるを
     目元にも刷く汝(な)の朝化粧(けはひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私は男で化粧には弱いし、また、お化粧の仕方も時代とともに変遷するので、詳しいことは判らない。

以下に事典に載る記事を転載しておく。
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写真は化粧品会社のコマーシャルのサイトから

 化粧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

化粧(けしょう)とは、主に顔や体に白粉や口紅などの化粧品をつけて、人間が美しく粧うこと。祭礼など儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ、メイキャップ、メイクともいう。

古代
口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは、出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインを施していることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われた。また、貴族達もそれに倣うようになった。
この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。
当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した。

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。
口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸や京都などの都会の女性に流行した。
日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に鉛を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による死亡が多くみられ、戦後に規制されてからも、このような死者は後を絶たなかったといわれている。

舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧を行なう。目・眉・口などの顔のパーツや、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう、工夫がされている。また歌舞伎や京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧を施す。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMやドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

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↑ 写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。野草のように、どこにでも生えている花である。

私は先に2009/08/11に「化粧」について下記のような記事を載せたので、再掲しておく。

   私は化粧する女が好きだ
     虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。

    化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

   女の体はお城である、中に一人の甘えん坊の少女がかくれている

   女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている

   旅をする 風変りなドレスを着てみる 寝てみる 腋の下を匂わせる女

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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。

この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。
この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。
その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。
一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。


 

ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・文挟夫佐恵
image1銀杏の実

     ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

銀杏(ぎんなん)の実の採れるシーズンになってきた。
関西では、大阪のメインストリートである御堂筋の街路樹にイチョウの木がたくさん植えられており、茂った枝を刈り込むのに邪魔になるギンナンの実のふるい落としが年中行事として行われるので、例年多くの人が手袋と袋持参で下で待ち構えている。一つの風物詩である。

事典には、次のように書かれている。
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ギンナンは、つややかで半透明の深い緑色、ねちねちした歯ざわり、香ばしい木の香りとほろ苦い野生の味。 都会に住む私たちへの自然からの贈り物です。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、有名な大銀杏(おおいちょう)があるせいか、露店で焼きぎんなんを売っています。 アツアツの殻を苦労して割って中身を食べるのは最高ですね。

イチョウの種子。イチョウの木は古生代末期に出現。
今から一億5000万年前のジュラ紀には世界中に大規模な森林を作るほど栄えていましたが、 その後滅んだと欧米では考えられていました。
しかし日本に存在するという事が知られ、 ダーゥインはこれを「活きている化石」と呼びました。
樹皮のコルク質のおかげで害虫や火災にも強いのが特徴です。
コルク質に水を含んでいるので火事になると木から水を噴出すそうで、 大火の時に水を噴出して周りの人を救ったという水噴きイチョウの伝説が日本各地に残っています。
イチョウには雄の木と雌の木があり、10月頃に雌の木に実がなります。 オレンジ色の実の中の硬い殻に守られた胚乳がぎんなんです。

原産は中国。日本全国に植わっています。(ほとんどは人間が植樹したもの)
旬は 10月頃の採れたてから3ヶ月間ぐらいがおいしいです。半年も経つと実が縮み、 黄色くなって弾力も無くなって味が落ちてきます。
調理 ゆでる場合:まず、ペンチなどで殻を割って中身を取り出します。
薄皮が付いたまま、 浅い鍋にヒタヒタの水を入れてゆでながら、玉じゃくしの底で転がすようにして薄皮を剥いていきます。
焼く場合 :軽く殻に割れ目を付けておいて、フライパンで空炒りするかオーブントースターで焼きます。

食べ方 焼いたぎんなんをそのまま食べてもいいし、茶碗蒸しやガンモドキのパーツに欠かせません。
ぎんなんの入っていない茶碗蒸しは、食べる者の期待を裏切りますよね。

秋も深まり、山々が色付く頃、葉っぱが黄色い樹木がイチョウです。
その木の実を【ぎんなん】(銀杏)といって、木には、雄(オス)と雌(メス)があり、雄の木には実がなりません。
街路樹に植えられているところも少なくありませんが、実には独特の強烈なにおいがあるので 雄の木を用いているところが多いようです。
「イチョウの木なのに、何故か実が付かない。」という経験のある方もいると思いますが それは、きっと雄の木だからでしょう。

雄の木と雌の木の違いは、葉に切り込みが入っているのが雄の木で、入っていないのが雌の木だという説や、雄の木の枝は立ち、雌の木の枝は横に広がるという説がありますが、確かなところは分かっていないのが現状のようですので、花や果実で識別するのが良いでしょうね。

街路樹だけではなく、神社の境内とか、結構身近にある木なので、機会がありましたらよ~く観察してみてください。

イチョウの実 を取り出す?!
ぎんなんは、店に売っているような形のまま、木に実ってるわけではありません。
ぢつは、ぎんなんは種なんです!

地面に落ちた実を拾い、バケツのような容器の中で果肉を腐らせてから流水でよく洗い、中の種を取り出します。
(これは匂いがきつく、果肉の油脂が白くかたまり手が荒れる作業、ぎんなん作りでもっともきつい。)

取り出された種は、天気のいい日を選んで天日に干されて何日も何日もかけ、じっくりと乾燥していきます。
(毎日のように空とにらめっこ。晴れたら出して雨が降ったら引っ込めて…。)

仕上げは、居間の薪ストーブの横に広げておいて、最後の乾燥作業を行います。
(部屋の中に、キョーレツなぎんなんの香りが充満するのは、言うまでもありません。
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ginnanギンナン実
↑ 樹になるギンナンの実

ぎんなんは「茶碗蒸し」や「がんもどき」の中に入れたりする。
上の文章にもある通り、ギンナンの実の「果肉」は熟すと、とても臭いし、おまけにウルシかぶれのようなひどい症状を呈するので皮膚にじかに触れるのは危険である。
おいしい実を取り出すのが、ひと苦労である。

折角、嵯峨野の句を出したので、関連する句を少し引いておく。

 薮中にある四辻や嵯峨の秋・・・・・・・・・・・・・・・森桂樹楼

 嵯峨硯(すずり)摺つて時雨の句をとどむ・・・・・・・・・・・・・青木月斗

 残る音の虫や嵯峨野に母を欲り・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 初紅葉日の斑を踏みし奥嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・明石真知子

 お薄所望嵯峨野の茶屋の竹床几・・・・・・・・・・・・・・有木幸子


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