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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(2月)月次掲示板
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東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
2009.02.28ポンポン山の福寿草
↑ 高槻ポンポン山の福寿草(藤目俊郎氏撮影)

今年も、はや二月になりました。 
「二月は逃げる」と言われて早く経ちます。

 月日は行くにまかせて微かなる身なれば過ぎゆく人も追はずに・・・・・・・・・・・・・・北沢郁子
 いずこかに銀河の生れていずこかに銀河が滅ぶ 冬の陽穏し・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井修
 愛児なる原発の最期見届けむ僭主はあはれ不老不死とや・・・・・・・・・・・・・・・・・水原紫苑
 乗りたくて後先みずにバスに乗るいづれこの世のどこかに着かむ・・・・・・・・・・蒔田さくら子
 限界の高さに伸びて樹木らはひれぞれの天に触れてよろこぶ・・・・・・・・・・・・・・・橋本喜典
 人の世の手放す時間ゆたかなる時のたっぷり 囲炉裏かこめば・・・・・・・・・・・・・ 玉井清弘
 胡坐から体育座りに変えながら「廃炉」の文字を持ちつづけおり・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 顔の横へ手をふりあげる答礼はヒトラーにおなじ安倍首相なり・・・・・・・・・・・・・・一ノ関忠人
 いつの間にか武器売る国となり居しか逃れなくここに塊として・・・・・・・・・・・・・・大河原惇行
 御旗振り立て都市常民を脅迫す、かかる「愛国」にわれは与せず・・・・・・・・・・・・・・・高島裕
 塚本邦雄いまさばいかに歌ひますや 苦艾は淡黄の花つけるとふ・・・・・・・・・・・・雨宮雅子
 ひとつぶの種にも
あることの形にこもる意志を思えり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 用心の仕方がいかにも貂らしく摺り足ぎみに雪上をゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 紫に凍てし茜を統べ終えてひとり光を放ちゆく月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・清原日出夫
 世界週末時計はすすむ酷熱の五輪寒雨の学徒出陣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原龍一郎
 桃のつぼみほころぶ朝 ささやきは麺麭の耳からわたしの耳へ・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中・・・・・・・・・・・・・・・ 三橋敏雄
 冬枯や熊祭る子の蝦夷錦・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 正岡子規
 滴りてしんがりの透く氷柱かな・・・・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 ふたつみつ咲き初む梅やアラビア語・・・・・・・・・・薮内小鈴
 漕ぎ出しは獣の目してスキーヤー・・・・・・・・・・・・青木ともじ
 懐手して旧友に会わぬよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮子
 着ぶくれて奥の奥なるチョコレート・・・・・・・・・・・・青島玄武 
 ストーブの近く雲母の棚の冷え・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 まだもののかたちに雪の積もりをり・・・・・・・・・・片山由美子
 セーターの毛玉を取れと神の声・・・・・・・・・・・・・・ 杉山久子
 少しだけ手伝つてみる雪まろげ・・・・・・・・・・・・・・ 岡田由希
 巨石文明滅びてのこる冬青空・・・・・・・・・・・・・・・・・ 仲寒蝉
 裸木の瘤は風得て太りゆく・・・・・・・・・・・・・・・・ しのぶ日月
 寝転べば金管楽器となる寒夜・・・・・・・・・・・・・・・ 柏柳明子
 春炬燵男腕組みして眠る・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村与謝男
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・・・・・青山青史
 鴉ゐて白鷺もゐて枯木立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 妻書斎まで来てバレンタインデー・・・・・・・・・・・・・津野利行
 バス降りて走る塾の子寒昴・・・・・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 鳥飼つて二月の空を明るくす・・・・・・・・・・・・・・・・ 青本柚紀
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 関節が革手袋に出来上がる・・・・・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 鉛筆の高さ揃へて春を待つ・・・・・・・・・・・・・・・・・寺沢一雄
 春泥の先へひよこを触りにゆく・・・・・・・・・クズウジュンイチ
 あかあかとてのひら舞へり雪兎・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 描きかけの消防車なり出動す・・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 首かしげて犬鷲は空考える・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸田洋海
 自転車の轍にじみて斑雪道・・・・・・・・・・・・・・ すずきみのる
 春立つと午前零時のメール鳴る・・・・・・・・・・・・・・ 江口明暗
 探梅や寄り来る猫の縞模様・・・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 けふよりはびつこの黒き恋の猫・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 紅白の梅の匂へる神の里・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 二ン月の谷や小さく鳥も見え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 梅が香やガスのほのほを細くする・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 熊の湯は谷の深雪に五六軒・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 雪原の中のハウスや苺狩・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 杉原祐之
 寒月や珈琲あおく待つ夫人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 折紙のはじめに三角天に鶴・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 探鳥の探梅行となりにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原千賀子
 交代の守衛の背中冬ざるる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森紀子
 月欠けてレノンは呼んでいるレノン・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 パラシュート閉づやう睡り雪しまき・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 風花や何処吹く風といふやうに・・・・・・・・・・・・・・・・市堀玉宗
 見取図と違うあなたのへその位置・・・・・・・・・・・・・・月波与生
 鉄条網ひとつひとつの棘に雪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子敦
 琉球の航海のよう甘藷(きび)穂波・・・・・・・・・・・・・・豊里友行
 節分の牛舎へ雪の小さき階・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後


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 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』(角川書店刊)
 歌集 『昭和』(角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
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亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・本多静江
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    亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・・・・・・・・・・・・本多静江

冬の季節には「牡蠣」(かき)が美味なるものの一つである。
写真①は「焼き牡蠣」である。

フランス人も牡蠣をよく食べることは知られている。
Web上で見つけた「フランス落書き帳」というサイトによると、ボルドー(正確にはアルカッション)の牡蠣生産は有名らしい。
フランス国内需要の元になるチビ牡蠣の約70%を供給しているという。

a0008105_19524フランス牡蠣
↑ 写真②の、牡蠣9個、白ワイン、パン、海を見ながらのロケーションを含めて6ユーロ(約1000円)くらいだという。
(もっとも、これは産地で食べる値段であって、パリのそこそこの店で食べたら20ユーロ以上取られるらしい)
日本でも酢牡蠣にして食べるが、フランスでは生牡蠣にレモンをしぼって食べる。
また、この地方では焼いたソーセージと一緒に食べることも多いと言い、その場合は赤ワインとともに賞味するらしい。
私はオランダで「ムール貝」を食べたことがあるが、フランスで「牡蠣」を生食したことはない。

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↑ 写真③は「牡蠣フライ」だが、外食しても、家庭でも、この牡蠣フライが一番ポピュラーではないかと思う。
牡蠣は「海のミルク」と表現されるように、栄養素を豊富に含んでいる。出来れば、海の汚染されていない、きれいな海の産地のものが望ましいだろう。
写真①に載せた「焼き牡蠣」は適当に水分が飛んで、しかも海水のほのかな塩気が食欲をそそる。
先年の1月下旬に安芸の宮島に遊んだが、そこで「焼き牡蠣」を食べた。
目の前で網で焼いてくれて熱々を食べる。ふーふー言いながらの美味で2個で400円だった。

写真には載せないが土鍋での水炊きもおいしいものである。冬の季節には暖かい鍋物は、体が温まって、ほっこりした気分になる。
妻が元気な時は、家でも、よく食べたが、妻が亡くなった今では鍋物はほとんど姿を消した。

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↑ 写真④は牡蠣とホーレン草のクリームパスタである。
このように和風、洋風さまざまに料理は工夫できよう。今は年代によって料理の好みもさまざまであるから、ある料理法に固執する必要はないのである。
年配者向きには、牡蠣の使い残りで「牡蠣のしぐれ煮」なども喜ばれる。ご飯が少し余った時など、こんな佃煮も重宝なものである。
牡蠣雑炊なども水炊きの後のエキスの入った汁の活用として、おいしくいただける。
何だか、料理番組みたいになってしまったが、冬の味覚として私の大好きな食品である。

以下、牡蠣を詠んだ句を少し引いて終りたい。

 牡蠣はかる水の寒さや枡の中・・・・・・・・高浜虚子

 牡蠣鍋の葱の切つ先そろひけり・・・・・・・・水原秋桜子

 牡蠣の酢に和解の心曇るなり・・・・・・・・石田波郷

 だまり食ふひとりの夕餉牡蠣をあまさず・・・・・・・・・加藤楸邨

 牡蠣むきの殻投げおとす音ばかり・・・・・・・・中村汀女

 灯の下に牡蠣喰ふ都遠く来て・・・・・・・・角川源義

 母病めば牡蠣に冷たき海の香す・・・・・・・・野沢節子

 牡蠣好きの母なく妻と食ひをり・・・・・・・・杉山岳陽

 牡蠣そだつ静かに剛き湾の月・・・・・・・・柴田白葉女

 夕潮の静かに疾し牡蠣筏・・・・・・・・打出綾子

 牡蠣殻が光る鴉の散歩道・・・・・・・・藤井亘


赭土の坂をのぼれば梅の香はすがすがしかり肺を満たして・・・木村草弥
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   赭(あか)土の坂をのぼれば梅の香は
         すがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の住む「青谷」という所は鎌倉時代からの梅の名所である。
今では「城州白」という品種の梅が「梅酒」の原料としてピカ一であるとかで珍重されているらしい。
「梅」の歌は、私はいくつも作ったし、BLOGにも再三載せてきた。
特に2月19日は私たちの長姉・登志子の死んだ日であり、このこともBLOGに書いたことがある。

梅の花は、その香気と花の姿が万葉集の頃から愛でられた。その頃は「花」と言えば梅のことであった。
桜が花の代表のようになるのは「古今和歌集」になってからである。
それに、梅の花は花期が長く、桜のように、わっと咲いて、わっと散ることはないから趣がある。
私は梅の名所に住んでいるから言うのではなく、梅の方が好きである。

hana565_1_ume紅梅

紅梅は白梅よりも花の開花がやや遅いのが普通である。
濃艶な感じがする。
尾形光琳の「紅白梅図」の絵の紅梅、白梅の対照の美しさが思い出される。

梅の花は古典俳句にもたくさん作られてきた。

 梅が香にのつと日の出る山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 むめ一輪一りんほどのあたたかさ・・・・・・・・服部嵐雪

 二もとの梅に遅速を愛すかな・・・・・・・・・与謝蕪村

などの句が、それである。
その香気、春を告げる開花の時期に、句眼がおかれている。
以下、梅を詠んだ句を引いて終わる。

 山川のとどろく梅を手折るかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 梅一枝つらぬく闇に雨はげし・・・・・・・・水原秋桜子

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・中村草田男

 悲しめば鱗のごとく梅散りしく・・・・・・・・原コウ子

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・石田波郷

 てのひらを添え白梅の蕾検る・・・・・・・・大野林火

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・・星野立子

 梅が香に襲はれもする縋られも・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・西島麦南

 静けさのどこか揺れゐて梅白し・・・・・・・・鷲谷七菜子

 月光に花梅の紅触るるらし・・・・・・・・飯田蛇笏

 うすきうすきうす紅梅によりそひぬ・・・・・・・・池内友次郎

 紅梅に雪かむさりて晴れにけり・・・・・・・・松本長

 伊豆の海や紅梅の上に波ながれ・・・・・・・・水原秋桜子

 一本の紅梅を愛で年を経たり・・・・・・・・・山口青邨

 紅梅の燃えたつてをり風の中・・・・・・・・松本たかし

 紅梅や熱はしづかに身にまとふ・・・・・・・・中村汀女

 梅紅し雪後の落暉きえてなほ・・・・・・・・西島麦南

 厄介や紅梅の咲き満ちたるは・・・・・・・・永田耕衣

 紅梅や一人娘にして凛と・・・・・・・・上野泰

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の紅のただよふ中に入る・・・・・・・・吉野義子

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・古賀まり子



凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・相生垣瓜人
muraムラサキシジミ

──京の冬の庭の句いくつか──

   ■凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「凍蝶」については何度も書いた。最近にも載せたが、成虫のまま冬を越す蝶のことである。
写真①のムラサキシジミも、成虫のまま越冬することが知られている本州に棲む蝶である。
「築地」とは築地塀とも言うが、泥土を固めて作った塀で上に瓦を乗せてある。
京都の寺院の塀などは、みな築地造りである。
この句は、冬の季節の今、そんな築地を眺めながら、「凍蝶は、この庭のどこかで越冬しながら春を待ちこがねて、やがて春になれば、
この高くはない築地を越えてゆくのだろう」と思いをめぐらしているのである。
しみじみとした情趣のある句である。

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   ■如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

俳句は17字と短いので語句を省略することが多い。この句も「ひとひら」ということについては何も書いてない。
この句の場合、「ひとひら」というのが、今の季節の梅の花びらが浮いているのか、あるいは水に映る金閣を花に譬えて「ひとひら」と言ったのか、
読者にさまざまに想像させる言外の効果をもたらすだろう。
何もかも言い切ってしまった句よりも、「言いさし」の句の方が趣があるというものである。

   春雪や金閣金を恣(ほしいまま)・・・・・・・・松根東洋城

   池にうつる衣笠寒くしぐれけり・・・・・・・・・名和三幹竹

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   ■寒庭に在る石更に省くべし・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

   梅天やさびしさ極む心の石・・・・・・・・・・中村汀女

   みな底の余寒に跼み夕送る・・・・・・・・・宮武寒々

これらの句は龍安寺で詠まれたものである。
写真③には雪の石庭を出してみた。
掲出の誓子の句は「石更に省くべし」という大胆なことを言っている。
この寺は臨済宗妙心寺派の古刹だが、応仁の乱の東軍の大将・細川勝元が創建したが応仁の乱で消失し、勝元の子・政元が再興したが
寛政9年(1797)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失い、現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものという。
因みに、最初に掲出した相生垣瓜人の句は、ここ龍安寺で詠まれたものである。

kakura-nisonin35w愛新覚羅浩(嵯峨)家

  ■僧も出て焼かるる芝や二尊院・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

   雪解(ゆきげ)水ここだ溢れて二尊院・・・・・・・・・波多野爽波

二尊院は嵯峨野の西の小倉山の山懐にある。
ここには正親町三条を源とする「嵯峨」家30代にわたる菩提寺で、写真④に掲出する嵯峨家の墓がある。
愛新覚羅浩という、元の満州国皇帝の弟に嫁いだ浩は嵯峨家の出身である。

    からくにと大和のくにがむすばれて永久に幸あれ千代に八千代に

昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、愛新覚羅浩が、わが身を顧みて、心からその喜びを歌に詠んだ。まな娘・慧生の23回忌であった。
小倉山というのは「百人一首」で知られるところである。

giouji1祇王寺

   ■祇王寺と書けばなまめく牡丹雪・・・・・・・・・・・・・・・高岡智照尼

    句を作る尼美しき彼岸かな・・・・・・・・・吉井勇

    祇王祇女ひそかに嵯峨の星祭・・・・・・・・・岡本綺堂

    声のして冬をゆたかに山の水・・・・・・・・・鈴木六林男

    祇王寺の暮靄(ぼあい)の水の凍てず流る・・・・・・・丸山海道

    しぐるるや手触れて小さき墓ふたつ・・・・・・・・・貞吉直子

「祇王寺」とは平家物語で知られる白拍子祇王ゆかりの寺である。寺というよりも庵であろうか。
平清盛の寵愛を受けていたが、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで尼となった。
後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたという。
この庵は法然上人の門弟・良鎮によって創められた往生院の境内にあったが、
今の建物は明治28年に、時の京都府知事・北垣国道が嵯峨にあった別荘の一棟を寄付したものである。
所在は嵯峨鳥居本小坂町である。
この句の作者高岡智照尼については←ここを参照されたい。


2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい /ずっこけているほうがいい・・・吉野弘
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──吉野弘の詩──(4)
  
       祝婚歌・・・・・・・・・・・吉野弘


   2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
   立派すぎないほうがいい
   立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい
   完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと
   うそぶいているほうがいい
   2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい
   ずっこけているほうがいい
   互いに非難することがあっても 非難できる資格が
   自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい
   正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
   正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
   気づいているほうがいい
   立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
   無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに
   光を浴びているほうがいい
   健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに
   ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい
   そして なぜ胸が熱くなるのか
   黙っていても 2人にはわかるのであってほしい
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この詩は、吉野弘の作品の中でも、よく引かれるものである。
これは吉野が身内の結婚式に招待されたが、所用があって出られないので、式で、この詩を朗読してもらったというものである。
多少は説教ぽいところもあるが、心あたたまる詩である。



詩と連句「おたくさ」Ⅲ─1・・・鈴木漠
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──鈴木漠の詩──(11)

     詩と連句「おたくさ」Ⅲ─1・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

今どき現代詩人の中で「連句」を継続して、ずっと手掛けられているのは鈴木漠氏くらいしか居ないだろう。
その鈴木漠氏だが、高齢になられたので、一旦は、この「おたくさ」誌のピリオドを打つ予定でおられたが、「続けろ」の声で、第三次「おたくさ」を継続されることになった、という。
先ずは慶賀と申し上げる。
「おたくさ」とは「OTAKSA」紫陽花の学名。シーボルトが愛した女性・楠本タキ(お滝さん)に由来する。神戸市の市花ともなっており、グループ名と誌名に採用する。と書かれている。

先ず、表紙に載る「俳句」赤松恒子 騙し絵(トロンプ・ルイユ)抄 から、季節の句を三句
 
      島ひとつ手のひらに乗せ春の昼

      亀鳴くやトロンプ・ルイユ出られない

      春はあけぼのアンパン食べて死へ一歩

           句集『トロンプ・ルイユ』(2013年ふらんす堂刊)から

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  蜻蛉 句点読点
    蜻蛉形式。林天花創案「胡蝶」のヴァリエーション。
     四枚の羽根と胸から成るその蜻蛉の形態に合せ構成。
     ナカ8句は自由律、ただし長句は十七音節、短句は十四音節。


     寒夕焼襲の色に島ふたつ       赤坂 恒子 (冬)
       凍鳥空の句点読点          梅村 光明 (冬)
     テレヴィには韋駄天走り写りゐて   三神あすか (雑)
      筋トレをする孫のあけくれ       東条 士郎  (雑) 
   真ん丸よ僕の心とお月さま       在間 洋子  (月)
      紫苑は常の位置にけぶれる     藤田 郁子 (秋)
     地芝居に憎まれ役の恋敵        鈴木   漠 (秋月)
       この世あの世と愛の道行き     矢野千代子 (恋)
ナカ   思ひを込めて頭文字を袖に編み   安田 幸子 (恋) 自由律
       母の日のプレゼント似顔絵        あすか (夏)  〃
     水羊羹が竹筒から飛び出し           光明 (夏)  〃
       笑ひ堪へ薄茶など呈す            恒子 (雑)  〃
     ほしいままに花を賞でたる隠れ家       士郎 (花)  〃
      朝寝朝湯夜は書を繙き             洋子 (春)  〃
     よぎる蝶々の白き澪ひとすぢ          郁子 (春)  〃
      難病を治す薬はいつ?             幸子 (雑)  〃
ナオ  純情な挨拶発すロボットが        土井 幸夫 (雑)
      声冴えわたる廊下ぴかぴか      辻  久々 (冬)
    雪女月光を浴び透き通る             恒子 (冬月)
     貧乏徳利傾げ勧杯                光明 (雑)
    福引の景品いつもティッシュのみ        あすか (新年)
     残る氷はすぐに割れさう              士郎 (春)
    花祭り仮想の列に御父さん             洋子 (花)
     髯捻りつつ手には桜湯                漠 (春)

       2019年1月首尾  兵庫県私学会館  おたくさ連句塾

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    非懐紙十八韻 ─尻取り押韻─
    山眠る

   山眠るよそほひ脱ぎて木々眠る     中野百合子 (冬)
    群るると見えて寒雀散り         鈴木   漠 (冬)
   縮緬を肌に用ゐる人形師         東条  士郎 (雑)
     後ろ姿に春時雨きて          梅村  光明 (春)
   汽笛今線路を覆ふ花ふぶき        赤坂  恒子 (花)
    不器用ながらぶらんこが好き      土井  幸夫 (春)
   隙ありと飛び込むきみの右心室     福永  祥子 (恋)
     質問ぜめも愛ゆゑにこそ       在間  洋子 (恋)
   こそばゆく弟きやあと奇声あぐ      安田  幸子 (雑)
     胡坐をかくす麦藁帽で         藤田  郁子 (夏)
   腕止まり塩なめる蝿みどりの眼      辻   久々 (夏)
     飲めない吾に四杯五杯と        矢野千代子 (雑)
   いと丸き不可思議の月昇りたり      三神あすか (月)
    垂り幕のごと並ぶ干柿          森本  多衣 (秋)
   がき大将涙ぐみゐる稲架の陰           士郎 (秋)
     家厳の怒り如何にしやうか           恒子 (雑)
   親族訪ふ歳徳神の方角に              光明 (新年)
     苦になる歌留多振袖が邪魔             漠 (新年)

   2019年1月首尾 兵庫県私学会館  おたくさ連句塾
     *尻取り押韻は挙句から発句へ循環回帰。

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お見事な捌きである。作品はたくさん載っているが、そのうちの三つだけを抄録した。
また「散文」では、ダンテ「神曲」の韻律「テルツァ・リーマ」などの解説が周到である。文字通り「蒙を啓かれる」思いである。
 鈴木氏の労を多としたい。 有難うございました。





     

       

電車は満員だった。/いつものことだが/若者と娘が腰をおろし/としよりが立っていた。・・・吉野弘
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──吉野弘の詩──(3)

        夕焼け・・・・・・・・・・・吉野弘

   いつものことだが
   電車は満員だった。
   そして
   いつものことだが
   若者と娘が腰をおろし
   としよりが立っていた。
   うつむいていた娘が立って
   としよりに席をゆずった。
   そそくさととしよりが坐った。
   礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
   娘は坐った。
   別のとしよりが娘の前に
   横あいから押されてきた。
   娘はうつむいた。
   しかし
   又立って
   席を
   そのとしよりにゆずった。
   としよりは次の駅で礼を言って降りた。
   娘は坐った。
   二度あることは と言う通り
   別のとしよりが娘の前に
   押し出された。
   可哀想に
   娘はうつむいて
   そして今度は席を立たなかった。
   次の駅も
   次の駅も
   下唇をキュッと噛んで
   身体をこわばらせて-----。
   僕は電車を降りた。
   固くなってうつむいて
   娘はどこまで行ったろう。
   やさしい心の持主は
   いつでもどこでも
   われにもあらず受難者となる。
   何故って
   やさしい心の持主は
   他人のつらさを自分のつらさのように
   感じるから。
   やさしい心に責められながら
   娘はどこまでゆけるだろう。
   下唇を噛んで
   つらい気持で
   美しい夕焼けも見ないで。
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吉野弘の詩は、日常に見聞きすることを淡々と作品にしていて、サラーマンなどにも好評だった。
登場した場所もよかった。同人誌「櫂」の同人の川崎洋、茨木のり子や谷川俊太郎、大岡信などとの交友も有効だった。




恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか・・・壬生忠見
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 ↑ 「歌合わせ」の書付(参照)
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 ↑ 「百人一首」の札─この歌が書かれている

──非季節の一首鑑賞──

     恋すてふわが名はまだき立ちにけり
              人しれずこそ思ひそめしか・・・・・・・・・・・・・壬生忠見


この歌は平安時代、宮中の清涼殿で「恋」を主題にした「歌合わせ」の際に、壬生忠見が「秘めたる恋心」を詠んだものである。
実は、この歌は、バレンタイン・デーのプレゼントとして或る人から贈られたチョコレート菓子に添えられたものである。
この菓子は「小倉山荘リ・オ・ショコラ」の製造で、ぴりっとした「柿の種」を色とりどりのチョコートでコーティングしたものである。
もともと、この会社は「あられ」菓子が専門で、その特色を生かして製作されたものである。
テトラ袋に7.8個づつ個包装されて、食べるのにも簡便にできるようになっている。

壬生 忠見(みぶ の ただみ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。右衛門府生・壬生忠岑の子。父・忠岑とともに三十六歌仙の一人に数えられる。

天暦8年(954年)に御厨子所定外膳部、天徳2年(958年)に摂津大目に叙任されたことが知られるほか、正六位上・伊予掾に叙任されたとする系図もあるが、詳細な経歴は未詳。

歌人としては天暦7年(953年)10月の内裏菊合、天徳4年(960年)の内裏歌合に出詠するなど、屏風歌で活躍した。
勅撰歌人として『後撰和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に36首入集。家集に『忠見集』がある。

逸話として
「天徳内裏歌合」で
     恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか(『拾遺和歌集』恋一621・『小倉百人一首』41番)
と詠み、
     忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
と詠んだ平兼盛に敗れたために悶死したという(『沙石集』)。
なお、『袋草紙』では悶死まではしておらず、家集には年老いた自らの境遇を詠んだ歌もあり、この逸話の信憑性には疑問が呈されている。



煮凝りの魚の眼玉も喰はれけり・・・西島麦南
nikogori2ひらめのアラにこごり

   煮凝りの魚の眼玉も喰はれけり・・・・・・・・・・・・・・・・西島麦南

煮魚を汁とともに寒夜おいて置くと、汁がこごり固まる。これが煮凝(にこご)りである。特に骨にはゼラチンが多く含まれているのでよく凝る。
掲出の写真は、ひらめのアラを使った煮凝りだという。アラを、このように捨てずに有効利用するとおいしい食物になる。
適当な写真がないので出せないが、掲出句に詠まれる煮魚の煮凝りは冬には普通に見られるものであった。

nikogori1ふぐ煮こごり

写真②は、高級食材の「ふぐ」の皮などを煮詰めた「ふぐの煮凝り」であり、ふぐのセット料理の一品としてだされるもの。
こうなると、たかが煮凝りなどとは言えない、高級料理である。

煮凝りは、どちらかと言うと、大人向きの食事で、子供向きではない。掲出の句は、そういう機微もうまく捉えた、ほのぼのとした句である。
以下、煮凝りの句が多くあるので、それを引いて終りたい。

 煮凝を探し当てたる燭暗し・・・・・・・・高浜虚子

 煮凝や色あらはなる芹一片・・・・・・・・大谷碧雲居

 煮凝や親の代よりふしあはせ・・・・・・・・森川暁水

 寂寞と煮凝箸にかかりけり・・・・・・・・萩原麦草

 煮凝や父在りし日の宵に似て・・・・・・・・草間時彦

 煮凝りを箸にはさみて日本人・・・・・・・・山口波津女

 煮こごりや夫の象牙の箸づかひ・・・・・・・・及川貞

 煮凝や他郷のおもひしきりなり・・・・・・・・相馬遷子

 煮凝りのひえびえと夜のかなしけれ・・・・・・・・長谷川湖代

 煮凝りや母の白髪の翅のごと・・・・・・・・土橋璞人子

 煮凝や死後にも母の誕生日・・・・・・・・神蔵器

 煮凝や凝るてふことあはれなる・・・・・・・・轡田進

 煮凝りて眼鼻なほあり鮒の貌・・・・・・・・松本翠影

 煮凝やますます荒るる海の音・・・・・・・・佐藤漾人

 煮凝や若狭の入江深うして・・・・・・・・辻桃子

 居酒屋のいつもの席の凝鮒・・・・・・・・沖鴎潮

 煮くづれしまま煮凝となりにけり・・・・・・・・来栖恵通子

 煮凝の喉にとけゆく母国かな・・・・・・・・大屋達治

 さびしさの煮凝り売りし頃のこと・・・・・・・・高島征夫


今日は楽しいバレンタインデー。あなたはチョコを貰いました?・・・木村草弥
chocotop02抹茶チョコ

──エッセイ──

   今日は楽しいバレンタインデー。
          あなたはチョコを貰いました?・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真①は宇治茶の茶問屋さん発売の「抹茶濃厚生チョコ」である。

今日2月14日は、女の人が男性にチョコレートを呉れる日とされている。
しかし、案外、なぜそうなったかを知る人は少ない。
「義理チョコ」なんていう奇妙な習慣まで出来てしまった。歴史的沿革をひもといてみよう。
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 バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。
つまり、バレンタインというのは、人の名前なのです。どんな人だったかというと・・・。

 西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまったのです。

 ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンチノはそれを拒否しました。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまったということです。(269年という説もあります)。

Q) バレンタインデーはどのように始まったの?

A) ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。

 496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを、新しい行事の守護聖人としたのです。

 次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。

Q) バレンタイン・カードの始まりは?

A) バレンチノは、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語りました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンチノと親しくなりました。そして、バレンチノが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンチノは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

 そのうち、若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行きました。現存する最古のものは、1400年代初頭にロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたもので、大英博物館に保存されています。

 しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女とも、お互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。バレンチノがしたように「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもあります。現在アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

Q) どうしてチョコレートをあげるの?

A) 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

 では、チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。

 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。
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layer4_118ロイズ生チョコ
写真②は北海道の「ロイズ」ROYCE’の「生チョコレート<山崎シェリーウッド>」1080円、である。
写真①のような抹茶を使った変り種(定価1080円)もいいが、私はオーソドックスに生チョコと行きたい。
数年前に「ロイズ」の生チョコをもらってから、すっかり、ここの贔屓になった。北海道では他にも「六花亭」のものも有名ではある。
ROYCE'と書いてロイズと読ませるのも印象に残る。

バレンタイン・デーには、何もチョコをあげるばかりが能ではない。
ネット上では、さまざまのギフトが載っている。中には男性下着を贈るというのがあり、なまめかしい「Tバック」を贈る人もあるらしい。
「一緒に旅行に行く」というギフトもあるというが、これなど、まさに本命中の彼氏であり、身も心も捧げようという、いじらしい女心の発露と言えるだろう。





あり余るやわらかな光を/ ホームで/ 電車を待ちながら・・・吉野弘
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──吉野弘の詩──(2)

     陽を浴びて・・・・・・・・・・・・吉野 弘

   冬の朝
   通勤時間をすぎた郊外電車の駅
   人影まばらな長いホームの
   屋根のないところで
   やわらかな陽を浴び
   私は電車を待っていた

   ひととき
   食と性とにかかわりのない時間
   消費も生産もせず
   何ものかから軽く突き放されていた時間

   何ものか
   私を遥かな過去から今に送り出したきたもの
   無機質から生命への長い道程(みちのり)
   生命の持続のための執拗な営み
   信じがたいほど緻密で
   ひたむきでひたすらであった筈の意思

   その意思に収監されたまま
   私は、そのとき
   ひたむきでもなく
   ひたすらでもなく
   食と性との軛(くびき)を思い
   ぼんやりと
   冬の陽を浴びていた
   逸脱など許す筈のない意思が
   見て見ぬふりをしているらしい、ほんのひととき
   あり余るやわらかな光を
   私は私自身に、存分に振舞っていた
   ホームで
   電車を待ちながら

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この詩のキーワードは「食と性」である。こういう言葉の選択の的確さが何とも言えず見事だ。
また「ひたむきでもなく、ひたすらでもなく」という、二字だけ変えたリフレインが利いている。
1983年花神社刊行の詩集『陽を浴びて』より。私の亡親友・宮田操の好きな詩人である。


「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・戸田静雄
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──京の冬の句アラカルト──

     <■「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・・・・・・・・・・・・・・戸田静雄

立春も過ぎたので歳時記の上では、もう「春」だが、まだまだ寒いので「冬」の季語の句を、まとめて載せてみたい。
「梅」は厳密には春の季語だが、ここでは大目にみてもらおう。
「おこしやす」は「よくおいで下さいました」ということである。
「やす」とか「やして」とかいう接尾語が京言葉の特徴である。
「やす」と「やして」とは、ちょっとニュアンスが違う。「やす」は言い切りの形だが、「やして」は語尾の余韻の引いたような言い方である。
「おいでやす」は標準語の「いらっしゃい」にあたるが、「おいでやして」は「よくいらっしゃいました」とか「よく来てくれましたなぁ」とかの言い回しになるだろうか。
こういう言い方は若い人には、段々忘れられて、というか「言い回しが使いこなせなくなって」廃れる傾向にある。

kityou4黄蝶

    ■凍蝶の恋に終止符仁王門・・・・・・・・・・・・・・・・・中野英歩

「凍蝶」については後にも書くが、蝶の種類によっては成虫のまま冬を越すものがいくつかある。
↑ 写真に載せる「黄蝶」も、その中のひとつである。
凍蝶が恋をする筈もないが、作者の中の恋の思い出が「仁王門」と結びついているのだろう。
面白い、ふくらみのある句である。

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   ■冴えざえと宿に非常の縄梯子・・・・・・・・・・・・・・・・中田多喜子

「冴え」が冬の季語である。
普通、旅館や病院、ホテルなどには「非常階段」というのが設置されていて、緑色の避難経路の標識がある。
ただ小規模な建物の場合、非常の場合に備えて脱出口と縄梯子があるところもあるようだ。
この句は、そういう非常の時を想定する場合のさむざむとした印象を、うまく一句にまとめている。

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    ■酢茎買ふ京の言葉にさそはれて・・・・・・・・・・・・・・・・松下セツ子

京都の冬の味覚として千枚漬や「すぐき」がある。千枚漬は初冬のものであるが、すぐきは保存が利くので一冬中ある。

      柴漬の茶づけ旨きや冬の京・・・・・・・・星野茜

      冬紅葉余韻涼しき京ことば・・・・・・・・清水雪子

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    ■なはとびにおはいりやしてお出やして・・・・・・・・・・・・・・・・西野文代

「縄跳び」が冬の季語である。
この句は「京言葉」をうまく句に取り入れて成功しているだろう。
「おはいりやして」という京言葉は「お入りになってちょうだい」ということであり、「お出やして」とは「出てください」ということである。
丁寧語の「お」が頭についているのは、言うまでもない。

     漬茄子は一夜にかぎる京の宿・・・・・・・・務中昌己

     京ことば聞こゆる街の暖簾かな・・・・・・・・松井広子

     はんなりと京の言の葉あたたかし・・・・・・・・八木沢京子

後の二句の季語がどれか、何時の季語なのかは今わからない。
京言葉に「おおきに」という感謝を表す言葉がある。
標準語でいうと「有難うございます」ということだが、この言葉の語源は「大きく有難う」の「大きく」=「大きに」という表現のうち、
後の方の「有難う」以下が省略されたものである。
大阪弁でいう「まいど」=「毎度」が「毎度有難う」の後半が脱落したのと、同じことである。

いずれにせよ、今では大阪弁というより吉本芸能系のドハデな、かつ「下品な」大阪弁というより汚い「河内弁」が、
あたかも大阪弁ないしは関西弁かのごとく振舞っているが、残念なことである。
正式の大阪弁というのは「島の内」辺りのものが純粋のものであるが、それらは今では形が崩れてしまって無くなってしまったと言える。
「知ったかぶり」をして京言葉なり関西弁を乱用してもらいたくないものである。


あおくけぶった空から/ 紙鳩のように /冬のひかりがおちてきた・・・苗村和正
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     あおい朝の湖辺で・・・・・・・・・・・・・・・・苗村和正

     あおくけぶった空から
     紙鳩のように
     冬のひかりがおちてきた

     こんな朝の
     だれも通らない湖へかたむく道は
     むきたての木の実のように固くしめっている

     こどもは
     そのひかる道を 髪をゆさぶってかけてゆく

     きくきくと風をならす
     折れ葦の中に ああ めざめている
     ちいさな太陽
     遠い距離となった
     こどもとわたしの間に
     駱駝のかたちで垂れさがっている

     まぶしい風景の
     きれぎれの寒さ

     撓みながらうごく
     遠い湖の波のうえに
     しろくしきりにうごくものはなんだろう

     あかあかと
     染まって
     こどもは まだ はしっている

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』から)
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この詩に出てくる湖は「琵琶湖」である。
冬の琵琶湖に行く人は、観光客では、めったにないだろう。
枯れ葦も火を放って焼かれて、春の芽だちを促すようにされているだろう。
人も自然も、みな、来ん春の用意をしているのである。



水仙が咲いている/ ひと月余り/ 水仙の花は咲いている/ 私の部屋の花びんに・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(20)再掲載・初出Doblog2006/02/02

       水仙・・・・・・・・・・高田敏子

      水仙が咲いている
      昨年の暮れから ずっと
      ひと月余り
      水仙の花は咲いている
      私の部屋の花びんに

      花は少し疲れて
      花びらのへりを少しちぢませて
      花は私を見ている
      夜 机の前に坐る私を
      家族の目のないときの
      誰にも知られない一人のときの私を
      少し疲れた花のやさしさで

      灯を消しても
      花の視線は私の上にあるのだった
      闇の中
      ほの白い清らかな星のかたちで
      私の生をいたわり
      静かな眠りへと誘ってゆく

(詩集『こぶしの花』から)



運転免許証を更新した・・・木村草弥
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      運転免許証を更新した・・・・・・・・・・・・・木村草弥

昨日、私の運転免許証を更新した。
七十五歳以上になると、運転免許証の更新は何度も「講習」を受けたりして手続きが煩雑になる。
先ず「認知機能検査」というのがあって、それに合格しないと先に進めない。
掲出した画像のものは、昨年に受けた「認知機能検査」のものである。
たかをくくっていて、前回の数値が少し悪かったので、今回は「記憶術」を駆使して努力したので、点数は、ご覧のように立派なものである。
先へ進むのにも時間がかかる。
第二回目の「高齢者講習」というのが昨日だった。講義と車の運転の実技とあり、二時間以上かかる。
「認知機能検査」の数値の悪い人は三時間である。更に悪い人は専門病院で診察を受けてください、となる。

私の場合、問題は「視力」が落ちていることであった。合格ラインは、0.7の視力があることだが、ギリギリでセーフだった。
城陽警察署での、更新の最終手続きで、その視力検査もクリアして、新しい免許証の発給を待つばかりとなった。
これで後三年間車に乗れる。
私のところは、ド田舎なので、車が無かったら、病院にも買い物にもタクシーなどを使わざるを得ないので不便である。
しかし、これが最終の免許証になるだろう。次回となると私は92歳ということになるから生きているかどうか。
まあ、そんなことで振り回された数か月だったが、やれやれ。



四つ葉は奇形と知ってはいても/その比喩を、誰も嗤うことはできない・・・吉野弘
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──吉野弘の詩──(1)

       四つ葉のクローバー・・・・・・・・・・・ 吉野 弘

   クローバーの野に坐ると
   幸福のシンボルと呼ばれているものを私も探しにかかる
   座興以上ではないにしても
   目にとまれば、好ましいシンボルを見捨てることはない

   四つ葉は奇形と知ってはいても
   四つ葉は奇形と知ってはいても
   多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる
   その比喩を、誰も嗤うことはできない

   若い頃、心に刻んだ三木清の言葉
   <幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか>
   を私はなつかしく思い出す

   なつかしく思い出す一方で
   ありふれた三つ葉であることに耐え切れぬ我々自身が
   何程か奇形ではあるまいかとひそかに思うのは何故か

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この詩は詩集『陽を浴びて』に収録されているものである。
この詩もカトラン(ソネット)の形式に則ったものだが平易な言葉を使いながら、鋭い詩語となっている。
いましも、まだ風は冷たいが、もうすぐ春の野にクローバーが萌えいづることであろう。
季節に先駆けて、この詩を採りあげた。


枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・松尾いはほ
15832784_org_v1291646405枯れ蓮
jyoururi12浄瑠璃寺①
 ↑ 浄瑠璃寺
09051537_522826a8b6dfa浄瑠璃寺・九体仏
 ↑ 浄瑠璃寺・九体仏

       枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・・・・・・・・・・・・松尾いはほ

掲出句の背景として浄瑠璃寺の写真を出しておく。

普通、「ハス」は蓮根を採るための農作物だが、この頃では「生け花」用に「花蓮」が栽培されている。
私の方の近所でも花卉栽培農家があちこちに「蓮田」を作っている。
もっとも忙しい時期は、月遅れ盆の前10日間くらいである。お盆の行事に蓮の花を仏前に供えるからである。

「枯れ蓮」というのが冬の季語で、葉や蓮の実が残骸のように転がっているのが「あわれ」を催すというので、古くからの季語になっている。

以下、枯れ蓮を詠んだ句を引いておく。

 枯蓮の銅(あかがね)の如立てりけり・・・・・・・・高浜虚子

 蓮の骨日日夜夜に減りにけり・・・・・・・・青木月斗

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し・・・・・・・・水原秋桜子

 湖の枯蓮風に賑かに・・・・・・・・高野素十

 枯蓮をうつす水さへなかりけり・・・・・・・・安住敦

 枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・西東三鬼

 ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・秋元不死男

 白くさむく枯蓮の裾透きにけり・・・・・・・・草間時彦

 枯蓮の敵味方んく吹かれゐる・・・・・・・・清水昇子

 枯蓮(はちす)考へてゐて日が動く・・・・・・・・岸田稚魚

 枯蓮の折れたる影は折れてをる・・・・・・・・富安風生



心拍の打つリズムを聴いている。/ ああ!私のいのちのリズム!/1/f のいのちの揺らぎ! ・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──再掲載・私の誕生日に因んで

      「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・木村草弥

   心拍の打つリズムを聴いている。
   ああ!私のいのちのリズム!
   あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
   時にはドキドキしたり
   落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
   1/f のいのちの揺らぎ!

   ロウソクの炎が揺れている。
   今日は私のン十年の誕生日
   自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
   火をつけて
   じっと見つめている。
   ハピーバースデー ツー ユウ!
   口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
   ローソクの炎が揺れている。
   1/f の炎の揺らぎ!

   買って来た「物」についているバーコード。
   同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
   細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
   その線の間隔の並びが心地よい。
   もっとも バーコードとは言っても
   マトリックス型二次元コードは駄目!
   1/f のバーコードの線の揺らぎ!

   どこかで メトロノームが
   かちかちと リズムを刻んでいる
   ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
   規則正しい、ということもいいことだが
   一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
   強弱、弱強の、
   寄せては返す波のようなリズムの
   波動が欲しい!
   1/f のおだやかな波動の揺らぎ!

   杉板の柾目の箱を眺めている。
   寒い年、暑い年、
   雨の多い年、旱魃の年────
   それらの気候の違いが
   柾目の間隔に刻印されている柾目。
   等間隔ではない樹のいのちのリズム!
   1/f の樹の柾目の揺らぎ!

   そよ風が吹いている。
   小川のせせらぎが聞こえる。
   自然現象は
   時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
   今は
   そよ風が吹き
   小川のせせらぎの音が心地よい!
   1/f の自然のささやきの揺らぎ!

   どこかで
   ラジオの「ザー」というノイズが流れている
   周波数が合わないのか─────。
   もう片方の耳には
   妻の弾くピアノの音の合間に
   かちかちというメトロノームの
   規則正しい音が聞こえる。

   そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
   メトロノームの規則正しい音とが
   いい具合に調和するような
   ちょうど中間にあるような
   1/f の調和したリズムの揺らぎ!

   私の体のリズムと同じリズムである
   <1/f の揺らぎ>に包まれて
   <1/f のやさしさ>に包まれて
   今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
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この作品は私の詩集『免疫系』(角川書店)に収録した。
これは<1/f えふぶんのいち>という言葉に触れて、私の詩作の感受性が一気に開花したものである。
因みに申し上げると「1/f 」とは音楽用語というよりは科学用語である。関心のある方は、お調べ願いたい。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。
この詩が成功しているかどうか、は読者の判定に待つほかないが、いかがだろうか。

「1/f ゆらぎ」については、このWikipediaの記事に詳しい。  



寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・龍居五琅
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      寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・・・・・・・龍居五琅

私は「裸木」という言葉が好きなのだが、この言葉の季語が無い。 たから、仕方なく「寒林」というのを引いておく。 

      裸木(はだかぎ)の蕭条と立つ冬の木よ われは知るなり夏木の蒼(あを)を・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
葉を落として粛然と立つ冬の木にも、緑の葉を茂らせた、華やかな夏木の季(とき)があるのである。
「冬の木よ、わたしはそれをよく知っているよ」という呼びかけである。冬木の姿を通して夏木を思い描いている歌である。

『栞草』に「夏木立は茂りたるをいひ、冬木立は葉の脱落したるさまなどいふべし」と書かれている。まさに簡潔にして要を得た言葉と言える。
俳句の季語としては「冬木」「寒木」「冬木立」「枯木」「寒林」などがあるが、この頃では「寒林」が多用されるという。
「枯木」という言葉は、葉を落としただけの冬木の表現としては適切ではない。文字通り「枯れた」木と紛らわしいからである。
掲出した私の歌のように冬木から夏木を連想するという意味では「枯木」は使いたくない。

いま「寒林」という季語を紹介したので、それを詠んだ句を引きたい。

 寒林の日すぢ争ふ羽虫かな・・・・・・・・杉田久女

 寒林の一樹といへど重ならず・・・・・・・・大野林火

 寒林を三人行くは群るる如し・・・・・・・・石田波郷

 寒林やとつくに言葉消えやすく・・・・・・・・石橋秀野

 寒林に日も吊されてゐたりしよ・・・・・・・・木下夕爾

 寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・龍居五琅

 冬森を管楽器ゆく蕩児のごと・・・・・・・・金子兜太

 寒林に待つは若者眉根濃し・・・・・・・・星野麦丘人

 寒林の奥にありたる西の空・・・・・・・・鷲谷七菜子

 寒林の起ち上る夕日かな・・・・・・・・北野登

 寒林に海の匂ひがよぎりけり・・・・・・・・青木たけし



立春の風は茶原を吹きわたり影絵となりて鶸たつ真昼・・・木村草弥
7d3f2449カワラヒワ

      立春の風は茶原を吹きわたり
            影絵となりて鶸(ひは)たつ真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌の前に

      立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり

という歌が載っている。これらは私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
普通、「ヒワ」と呼んでいるが正しくは「カワラヒワ」というらしい。写真がそれである。
漢字で書くと「鶸」という字で、スズメくらいの大きさで、羽を広げたときの鮮やかな黄色がめだつ鳥である。
この鳥は「留鳥」ということであり、繁殖期以外は集団で行動する。
私の方の茶園は木津川の河川敷にあり、今ころになると茶畑でよく見られる。

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の中にも

   野分のなか拝むかたちに鍬振りて冬木となれる茶畝たがやす

   固き芽の茶の畝耕し寒肥(かんごえ)を施(や)れば二月の風光るなり

という歌が載っている。これらも掲出歌と同じ時期を詠んだものである。

昨日は「立春」だった。昔の人が「春立つ」と季節分けした日が来たのである。
今年は一月は、ずっと寒かった。
二月の声を聞くと、そんな寒さが嘘のように日中は最高気温も10度を越えて12、3度を示すようになった。
さすがに朝晩は寒く、田園地帯では、まだ結氷も見られる昨今である。
「大寒」が1月20日ころで、節分、立春というと名前とは裏腹に一年でも、最も寒い頃であるが、さすがに季節は争えないもので、
「光」が全くちがって来て、光量が豊かになってきたという実感がするのである。
これらは野良で、実際に日光を浴びたものでないと実感は出来ないかも知れない。
この頃になると「日の出」の時刻は冬至の頃に比べても十数分早くなった程度だが、
「日の入り」は、ずっと遅くなって、冬至の頃に比べると一時間半ほどは太陽が長く照っている。
「春の日は暮れそうで暮れない」という言葉が昔からある。
私の歌群は、そういう季節感を実生活に則して詠んだものである。

20090215085526ヒワ群舞
↑ 掲出した私の歌の場面を写真にすると、こういう写真になる(撮影はM.N氏)。

以下、ヒワを詠んだ句を引いて終わる。 なおヒワは秋の季語である。

 鶸鳴くや杉の梢に日の残り・・・・・・・・柏後

 砂丘よりかぶさつて来ぬ鶸のむれ・・・・・・・・鈴木花蓑

 鶸渡り群山こぞり山を出づ・・・・・・・・相馬遷子

 北の空暗し暗しと鶸が鳴く・・・・・・・・飯田龍太

 鶸渡る建てしばかりの墓の辺を・・・・・・・・飯田龍太

 大たわみ大たわみして鶸わたる・・・・・・・・上村占魚

 鶸渡る比叡へ流るる霧に乗り・・・・・・・・鈴間斗史

 つと飛びし真鶸高らに天がける・・・・・・・・今牧茘枝

 鶸渡る雨の峠の草伝ひ・・・・・・・・堀口星眠

 さざめきのありて真鶸の枝うつり・・・・・・・・斎藤夏風

 群れし鶸田の土を舐め木に散りぬ・・・・・・・・城取信平

 風と来てオロフレ山に鶸の声・・・・・・・・長谷川草洲

 

詩誌「カルテット」6号・・・木村草弥
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──山田兼士の詩と詩論──(16)

      詩誌「カルテット」6号・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・2019/02/02刊・・・・・・

詩誌「カルテット」は、図版でも読み取れるように、山田兼士、江夏名枝、山下泉、田原 の四人の同人による年刊(?)詩誌である。
だから雑誌の名前を「QUARTETTE」という所以である。
江夏名枝さんは、三井葉子さんが尽力された萩原朔太郎記念とをるもう賞受賞から羽ばたかれた人であるから、次のような詩作品を載せておられる。

    コワイワナア──三井葉子さまへ    江夏名枝

   「あんたたち、盗んだ ! 」
   東京の詩人さんに、しゃらっと云ったんですって
   そのとき目をパチクリしたでしょ、きっと
   トーキョーの詩人さんたち

   「テンノーさん盗んで、東に持ってった ! 」
   三井さんは可憐に、わたを編むみたいに譲らなくて
   いにしえよりも深きに遡ってしまう   
   昭和の御代を生きて

   問うて喰う
   (あんたら、いつまでも薄っぺらい ! )
   いたずらなのか、菩提樹の葉か
   チクリと刺すのか、気まぐれなのか

   とをてくう
   雨ヤ風トタタカッテ
   勝ッタリ負ケタリシテモ
   シャアナイネン

   嗚咽する電話口の石原吉郎をいなした
   いまは透ける葡萄色の湯のなか

         山田兼士「コワイワナア 三井葉子さん追悼」に導かれ

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この詩は、在りし日の三井さんの口ぶり、仕種を彷彿させて秀逸である。
短時間ではあったが、三井さんの許の身を寄せた者として、身につまされる作品であった。

その他、ここには「公開対談」として2018/11/18の、関西詩人協会総会での「詩を書くことをめぐって」という小池昌代と山田兼士の対談の記事が面白い。

巻末の「詩集カタログ2018」には、私の詩集『修学院幻視』も採り上げてもらっている。

簡略な紹介だが、終わります。 ご恵贈有難うございました。






立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・秋元不死男
852006200720E5B08FE9B9BFE38080E69DB1E5A4A7E5AFBA_E7B8AEE5B08F-abf0e小鹿
 ↑ 奈良公園の仔鹿
12_17p4出雲大社「立春大吉」符

       立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

掲出句に合わせて「仔鹿」の画像を出しておく。

「立春」は二十四節気の一つ。暦の上では今日から「春」になる。
まだまだ寒いが、これから「立夏」の前日までの90日間の季節をいう。これを「九春」という。これは「春九旬(90日間)」のことである。
春は寒暑の移り変わりの時期で、二月は寒く、三月に入って寒暖を繰り返しながら、次第にあたたかくなって、四月に暖かさが定まるということである。
昨日は「節分」だったが、この字の「節」の通り、季節がこの日をもって分かたれるのである。寒い寒い冬よ早く去れ、春よ来たれ、という「春」が動きはじめ、春の「気持」が用意されてゆく。
写真①は出雲大社の「立春大吉」の吉札である。
この「立春大吉」という字はタテ書きにすると左右対称形になるから縁起がいい、と古代中国の時代から言い慣わされてきたお目出たい字である。
『山の井』という本に「よろづのびらかに豊かなる心を仕立つ」と書かれているように、春の到来を喜ぶ気持が生まれる頃である。
「春」という字は「張る」「発る」が語源だというが、万物発生の明るい季節感を表現したものである。

harunootodure和菓子「春のおとずれ」
写真②は「春のおとずれ」という名前の立春の季節生菓子で伊勢の「赤福餅」で有名な老舗のもの。
ここは先年、日付表示のことで世間を騒がせたが、「赤福餅」は伊勢のみやげとして欠かすことの出来ないものだから、お客さまの後押しも得て、徐々に立ち直ってきたようだ。
淡い紅色のういろう生地で、こしあんを包んで折りたたみ、梅の花に見立てた菓子である。
伝統的な和菓子の世界では、こういう季節感を大切にした、ほのぼのとした情緒が賞味できる。

siratamatubaki和菓子白玉椿
写真③は、同じ老舗の「白玉椿」という季節の生菓子で、茶道の炉の季節の茶花は何と言っても椿が主役。
早春の今、色つやの美しい葉に囲まれて白一重中輪の早咲き種の白玉椿が花咲かせているのに因む。
伊勢芋を練り込んだ特製の生地で、こしあんを包み、白い清楚な花が茶席の床を飾る白玉椿に見立てている。

「立春」という抽象的な概念を表現するのは難しいもので、ならば、こういう季節感を持った具体的な「物」で視覚的に表わした方がいいと考えて、やってみた。

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P1151721立春初しぼり
写真④は日本酒の「立春搾り」という本日限りの限定版である。
日本酒は消費がじりじり減る傾向にあるので、こういう限定版の商品を発売して何とか売り上げを伸ばしたいという涙ぐましい努力である。
おかげで、こういう限定ものは、よく売れているらしい。インターネット上でも、いくつかの銘柄の立春酒が見られる。
昨年秋からの日本酒の仕込みも今が最盛期で、「蔵出し」の原酒などはおいしいものである。
左党ならぬ私なんかも美味だと思う。
このような趣向は、あちこちのメーカーが同じように採用している。

t-konoesiro近衛白(関西)

写真⑤は「白椿」である。
以下、「立春」を詠んだ句を引いて終わる。

 寝ごころやいづちともなく春は来ぬ・・・・・・・・与謝蕪村

 春立つや愚の上に又愚にかへる・・・・・・・・小林一茶

 雨の中に立春大吉の光りあり・・・・・・・・高浜虚子

 さざ波は立春の譜をひろげたり・・・・・・・・渡辺水巴

 立春や一株の雪能登にあり・・・・・・・・前田普羅

 かかる夜の雨に春立つ谷明り・・・・・・・・原石鼎

 山鴉春立つ空に乱れけり・・・・・・・・内田百閒

 春立つと拭ふ地球儀みづいろに・・・・・・・・山口青邨

 冬よりも小さき春の来るらし・・・・・・・・相生垣瓜人

 春立ちて三日嵐に鉄を鋳る・・・・・・・・中村草田男

 立春の米こぼれをり葛西橋・・・・・・・・石田波郷

 春が来て電柱の体鳴りこもる・・・・・・・・西東三鬼

 立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・秋元不死男

 立春の雪のふかさよ手鞠唄・・・・・・・・石橋秀野

 人中に春立つ金髪乙女ゆき・・・・・・・・野沢節子

 立春の鶏絵馬堂に歩み入る・・・・・・・・佐野美智

 立春のぶつかり合ひて水急ぐ・・・・・・・・会田保

 畳目の大きく見えて春立つ日・・・・・・・・八田和子



節分の春日の巫女の花かざし・・・五十嵐播水
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   節分の春日の巫女の花かざし・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

掲出した写真は春日大社の節分祭で真夜中に行われる「暁祭」の巫女の神楽奉納。

「節分」は「立春」の前日で、追儺(ついな)──おにやらい、の行事が行われる。
豆を撒いて鬼を退散させ、自分の新しい齢の数だけの豆を食べるのが一般の風習になっている。
関西では戸口に鰯の頭を刺した柊ヒイラギの枝を差したりする。
また、「太巻き寿司」をそのまま、恵方の方角(今年は南南西)を向いて黙って一気に食べる、という風習が流行りだした。
もともと節分は一年に四回あり、季節の変わり目つまり「節」の変わり目にあったが、いつしか立春の前日に集中して行われるようになった。
旧正月で行われた行事──鰯の頭や柊の枝を戸口に差すこと、あるいは十二月晦日ないしは正月の追儺の行事も、節分に移行して、節分の行事となっている。

↓ 写真②は、奈良の春日大社の節分の行事である「春日万灯籠」のもので、三千とも五千とも言われる石灯籠に火が入った様は荘厳かつ圧巻である。
46282753_v1283755338春日万灯籠

京都、奈良には神社仏閣が多いが、この日にはあちこちで盛大な豆まきが行われる。客寄せのために有名人を招いて豆まきをさせたりする。
この節分の行事は室町時代から、今のような形になったと言われている。
壬生寺では壬生狂言「節分」が上演され、参詣者は素焼きの「ほうらく」を買って氏名、年齢などを墨で書いて厄除けを祈願奉納する。
この「ほうらく」は四月の大念仏会で上演される壬生狂言の「ほうらく割り」の中で割られ、これで厄除け、開運が授けられる。
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↑ 写真③は京都の壬生寺の壬生狂言の中の「炮烙ほうらく割り」の場面である。

寺院では「星まつり」と称するところもある。
私の家の菩提寺は日蓮宗だが、特別御祈祷と称して、携帯用の小さい「お札」を呉れるので運転免許証のケースの中に入れて持ち歩くのである。
もちろん御祈祷料が要る。

なぜ節分が年一回になり立春の前日だけに集中したのか、それだけこの日が寒い冬から春に向かう日として一番印象深いからであろう。
その期待感については、明日の「立春」のところで詳しく書きたい。

掲出した句も、春日大社のものであるから、ここで春日大社について少し書いてみたい。

春日大社は710年、藤原鎌足の子、藤原不比等が平城京遷都の際に藤原氏の氏神を祀ったのが始まりとされる。
一方、春日大社の社伝によると、奈良時代後期の768年に現在地に創設されたのが始まりとされている。
このタイムラグは何なのかというと、新興氏族の藤原氏と、すでに他の神々が奈良の山々に居る中で新たに新興の神様を持ってくるためには、
関係者たちとのコンセンサスを得るのに時間がかかったという説があるらしい。(梅原猛『隠された十字架・法隆寺論』新潮文庫)
いわゆる「成り上がり」は「伝統」には弱いということである。
その後、平安時代に入って藤原氏が天皇の外戚となって強大な権力を持つと、皇族や貴族の春日大社詣が増え、庶民の間にも信仰が深まってゆく、というところである。
ついでに書いておくと「興福寺」は藤原氏の「氏寺」であり、現在の寺域は狭いが、当時は今の奈良国立博物館の辺りの奈良公園なども、すべて興福寺の寺領だったという。

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↑ 写真④は滋賀県の多賀大社の節分祭の様子。神官の撒いている豆が鬼にかかるのが見える。

話は春日大社に戻るが、毎年二月と八月に3000ある灯籠に火を入れるが、これらの灯籠の多くは庶民からの奉納であるから、民間信仰の広がりが伺える。
因みに、奈良の「鹿」のことだが、この鹿は「神鹿」として、野生だが人間が限りなく「保護」するものとして今日に至っているが、
御神体であるタケミカズチは白い鹿に乗って鹿島からやって来たとされ、現在に至るまで奈良の鹿は神のお使いということになっている。

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↑ 写真⑤は京都の八坂神社の「福鬼」である。この鬼はわざわざ「福鬼」と断ってあるように、この鬼に頭を撫でてもらうと悪魔が退散して福がもたらされるということである。
以下、節分を詠んだ句を引いて終わりたい。

 節分の何げなき雪ふりにけり・・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や灰をならしてしづごころ・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や家ぬちかがやく夜半の月・・・・・・・・水原秋桜子

 節分やちろちろ燃ゆるのつぺ汁・・・・・・・・村上鬼城

 節分の豆少し添へ患者食・・・・・・・・石田波郷

 節分や田へ出て靄のあそびをり・・・・・・・・森澄雄

 節分の雪の精進落しかな・・・・・・・・手塚美佐

 米洗ふみづひかりをり節分会・・・・・・・・原けんじ

 節分の陽に透き烏賊の滴れる・・・・・・・・池田和子

 節分の月傾けし軒端かな・・・・・・・・県多須良
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京都の「節分」行事では、色々の面白いものもある。
左京区聖護院の「須賀神社」では江戸時代の風俗「懸想文(けそうぶみ)売り」が出て、良縁を得る縁起物を売る。
上京区の「廬山寺」の「鬼の法楽」という演出は絵画的に面白いものである。
赤青黒三匹の鬼が踊りまわるが、護摩の火を受け、豆と餅を投げられて退散する。





(転載)節分に懸想文はいかが?・・・京都・須賀神社
kesoubumi03懸想文売り

──(転載)──

以下の文章と写真は「ディープな京都と認知療法」の中のサイトから転載させてもらったものである。いつの年の記事かは不明。転載に深く感謝するものである。
記事末尾の俳句二つは、私が見つけて来て、載せたものである。(草弥記)

    節分に懸想文はいかが?・・・・・・・京都・須賀神社・・・・(転載)

 吉田神社をはじめ京都の神社やお寺では、節分に鬼が出るところが多いのですが、懸想文(けそうぶみ)売り が出るのは、ここ聖護院を東に入った所にある須賀神社をおいてはないでしょう。「懸想文」とは聞き馴れないものですが、これは直訳するとラブレターということになります。ラブレターを「売る」とは、またどういうことなのか?疑問が湧いてきます。好奇心の虫がうずうずしてきます。

kesoubumi01須賀神社

須賀神社は小さな神社で、普段は街のなかに埋もれてほとんど目立たない存在なんですが、節分の二月2・3日になると、お琴の音や、案内を語るおばさんの声がスピーカーから流れ、がぜん活気づいてきます。参拝客も大勢こられます。この境内に入るとすぐ目につくのが、写真①と③の怪しい二人組み。
手に持つのが「懸想文」です。これを売るのが「懸想文」売りで、怪しい二人組みこそ、その正体なのです。
写真①は、その「売り人」にカメラを向けて、ポーズを取ってもらったところなのです。

kesoubumi02懸想文売り

これがうわさの「懸想文売り」なのです。懸想文とは、説明によると「縁談や商売繁盛などの願を叶える符札で、鏡台や箪笥に入れておくと容姿が美しくなり、着物が増え、良縁にめぐまれるというので、古くより町々の娘や嫁にあらかたなものとして買い求められた。この風習は明治以降はなくなり、いまは須賀神社が二月三日の行事をしている」ということなのす。そこで私もぜひ一つ買ってみなくては。もっとも私は別の良縁を求めているわけではないのですが・・・。

この姿は、懸想文の外装にも描かれていて、忠実に再現しているようです。
 
 さっそく件の懸想文を開けてみることにしました。奉書紙に包まれていたのは、梅の枝に結ばれた風情の結び文。そこにはゆかしい和歌が変体がなで書かれています。
「むすほれし 霜はうちとけ 咲く梅の 花の香おくる 文召せやめせ 」と読めます。

kesoubumi05懸想文

kesoubumi06懸想文

 写真が④と⑤に分かれてしまいましたが、④が外装、⑤が中身ということです。
さらに、結び文を解いて読むことにします。こちらは普通のかな書きなので読むだけなら苦労はありません。
「行く水の 流れは 絶えずして・・・」と、なんとラブレターが諸行無常の「方丈記」の冒頭から始まります。艶っぽい内容を期待していたのは、あてがはずれました。

「 創造や漂ひ化せしてふ地(つち)の いにしへぶりの 大地を 」とか「活人剣の像成(かたち)し」とか、なかなか難しい漢語や縁語・懸詞がちりばめられて、ちょっとやそっとでは歯が立たない内容になっています。とても女の人が書いたものとはみえません。これはどこかの大学の国文学の先生が書いているのだと聞いたことがあります。
 最後には、
「壬午(みずのえうま)の春 巳遊喜より
 春駒さままいる」

とあり、この内容は毎年変わっていること、差出人と受取人の名前はそれぞれその年の干支にちなんだ名前になっているのが解ります。あとで調べてみると、最近では
緋兎美(ひとみ)->龍比古(たつひこ)->巳遊喜(みゆき)->春駒(はるこま)

と、女男女男(女性の名前が字は古風なのに、読みは今時風なのが面白いですね)と、毎年つながっているようです。ちょっと考えてみれば、12人のとんでもない片思いの数珠つなぎが、円環をなしているわけで、シェクスピアもびっくりものなんですねぇ。こんなにレアーで、奇想天外・霊験あらたかな懸想文を、皆さんもぜひゲットされるといいと思います。ただしお代は壱千円也で、売りだしは来年の二月2・3日までまたなければならないのですが・・・。

終わりに、俳句の大家の詠んだ句を引いて終わる。

 もとよりも恋は曲ものの懸想文・・・・・・・・高浜虚子

 淡雪を讃ふることも懸想文・・・・・・・・後藤比奈夫


拙蔵書を「日本現代詩歌文学館」に寄贈。・・・木村草弥
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      拙蔵書を「日本現代詩歌文学館」に寄贈。・・・・・・・・・・・・・木村草弥

昨年夏に、終活の意味も含めて拙蔵書を「日本現代詩歌文学館」に寄贈した。
その整理がついたので、「日本現代詩歌文学館」から、寄贈書籍リストが送られてきた。
もっと冊数があると思ったが、全部で411冊とパンフレット11冊である。
あちらにあれば、何らかの形で有効に活用されるだろう。
他に寄贈したのは「城陽市図書館」「京都府立 京都学・歴彩館」などであるが、古書業者「寒梅堂」も車二台分持って帰ったから、かなりの冊数にはなるだろう。
小説、文庫などはブックオフ・ネットにかなり送った。
やれやれである。 取敢えず、ご報告まで。



小西亘『宇治の文学碑を歩く』・・・木村草弥
小西_NEW

──新・読書ノート──

     小西亘『宇治の文学碑を歩く』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・澪標2019/02/10刊・・・・・・・

小西亘氏が新しい本を出された。 ご上梓おめでとうございます。
226ページもの分厚い労作である。
この本の「帯」に東義久氏の文章が載っている。

  <歌碑を舞台装置として、
   これまで蓄積した博識を十二分に発露し
   縦横無尽に時代を紡ぎ駆け巡る。
   それは歴史の実証主義と文学の浪漫がほどよく融合し、
   読み手をいい気分にしてくれる。
   そして、読み終えたとき、宇治の奥深さにもう一度、
   自分の足と目で触れてみたくなる。>

そして、巻末には「『宇治の文学碑を歩く』によせて」という解題の短文が載っている。

先ず、目次を見せておく。

   宇治川右岸を歩く
   塔の島・宇治川左岸の文学碑
   さわらびの道、源氏物語ミュージアム、大吉山(仏徳山)頂上へ
   三室戸・黄檗・木幡へ
   槙島・伊勢田・大久保・志津川へ

これは小西氏が実際に歩いて探訪したルートを示している。

著者プロフィールは以下の通りである。

小西 亘 (コニシ ワタル)

1958年京都府南山城村に生まれる。
1982年より京都府立高校に勤務、現在京都府立南陽高校国語科教諭。
著書: 1996年『注釈青谷絶賛』(発行企画世話人会)
     2004年『月ヶ瀬と齋藤拙堂』(月ヶ瀬村教育委員会・共著)
     2012年『青谷梅林文学散歩』(城陽市観光協会)
     2012年『「月瀬記勝」梅渓遊記』(「梅の月ヶ瀬へ」編集委員会)
     2013年『相楽歴史散歩』(山城ライオンズクラブ・共著)

この本は何年もかけて、資料にも詳しく当たって、裏付けも取って、まとめられた、文字通り「労作」と言えるもので、小西氏の営為に脱帽である。 おめでとうございます。

先ず、文句を言うようだが、私が読んで「違和感」を覚えた点を指摘したい。

本文は、目次に出ているルートを辿るかたちで描写されるが、先ず指摘しなければならないのが、叙述が「です」「ます」調の会話体だということである。
この文体は文芸評論家の中村光夫が取り入れたもので、ひところ真似されたが、小西氏の場合、感じを柔らかくしようとの意図であろうと思う。
普通に見られる「である」調は、文章の冗長さを避ける意味で長年の間に習熟されてきたもので「文章語」として、読みやすいものである。
第二に指摘したいのは、「目次」に見られるように「項目」建てが極端に少なく、宇治の地理に詳しくない人間には読みにくい、ということである。
目次にしろ、本文にしろ、もっと「項目」は細かく立てて、読みやすくする必要があろう。

歌や俳句の頭に丸数字が見られるが、これは文学碑の一連番号らしい。全部で52ある。
これなどは、巻末などに番号順に「文学碑一覧」として書き出すのが親切というものだろう。
著者は、実地に歩いて探訪されたので分かり切ったことであろうが、読者に「著者の歩き」を強いるのは、いかがなものか。
読者は、どこからでも「任意の個所を開いて」読めるという親切さが必要ではないか。
最近よく見られることだが、例えば、マラソンとか駅伝の実況で、解説者のコメントが、ずらずらと長いのは興ざめするのと同じである。
文章は、というか、センテンスは短く、歯切れよく「区切りたい」ものである。
それに、手書きのイラスト風でいいから、文学碑の所在地を示した「地図」がほしい。


先ず「苦情」から述べた無礼をお詫びする。
こんなことを言う人は、先ずいないと思うから、あからさまな、「敢えて」の助言と受け取ってもらえば有難い。

著者の、細かく資料に当る姿勢には敬意を表します。とにかく「実証的」で、私のような感覚的な人間には出来ないことである。
小西氏の勉強ぶりには頭が下がります。

大部の本なので、ほんの一部を採り上げるが、本文の鑑賞に入りたい。
「巨椋池干拓碑」というネットの記事がある。先ず、この記事を下記に引いておく。 ↓

京都府宇治市槇島町一ノ坪(巨椋池土地改良区事務所内)
建立年 1942年
建立者 巨椋池土地改良区
寸 法 高360×幅150×奥行30cm
碑 文
[西]
巨椋池干拓之碑【題額】
此地モト巨椋池ト称シ往古宇治木津桂三川ト連レル一大湖沼ニシテ後世漸次改修ヲ経シモ明治中期マデハ沿岸」
一帯ノ水禍連年絶エズ尋イデ同四十三年淀川改修ニ因リ独立ノ一沼沢トナリシニ災害尚終熄セズ而モ水運魚獲」
ノ利益ハ失ハルルコト多キニ到レリ土地ノ先覚者夙ニ之ヲ憂ヘ大ニ其根本的干拓ノ急務ナルヲ論ジ初メ府営ヲ」
冀ヒシモ果サズ是ニ於テ干拓期成同盟会ヲ興シ現地ノ自営ニ頼ルノ已ムナキニ及ビ又幸ニ 昭和ノ御代ニ入リ」
国営開墾ノ議起ルヤ好機ヲ逸セズ万難ヲ排シ一意之ガ実現ニ努メシ結果同四年帝国議会ニ豫算ノ通過ヲ見更ニ」
幾多曲折ノ後漸ク同七年二月本池施工ヲ決定セラレ十一月耕地整理組合ヲ結成シ翌八年六月起工ノ運ニ会ヘリ」
爾来八年有餘ノ歳月ヲ閲シ同十六年十一月竣工ヲ告ゲ遂ニ多年ノ宿望ヲ達スルヲ得タリ而シテ干拓事業ノ経営」
ハ政府ト京都府ト組合トノ三者協力ニ依リ経費ハ国庫及ビ組合ノ支出ニ係リ合計三百四十二万四千餘円ヲ算シ」
以テ干拓田六百五十町歩及ビ周囲既耕地改良一千餘町歩ヲ得タリ
抑モ巨椋池ハ古ク万葉集ニ其名著ハレ爾後文人墨客ノ来遊相継ギ沿岸亦史蹟ニ富ム近年天然記念物ニ指定セラ」
レシむじなもノ如キ水藻ヲ首メ各種鳥類魚族ノ一大繁殖地ニシテ周辺住民ハ祖先以来其恵沢ニ浴スルコト尠カ」
ラザリキ即チ累年ノ水害ニモ屈セズ恒ニ郷土ノ風物ヲ愛護シ伝統ノ生業ヲ継紹シテ以テ現時ニ及ベルモノ洵ニ」
故アリトナス吾等此地ニ生育シ親愛ノ情浅カラザリシニ今ヤ地勢ト景観トノ一新セルヲ望メバ懐旧ノ情甚ダ切」
ナリ而モ滄桑ノ変ニ深ク 聖代ノ餘徳ヲ感ゼザルヲ得ズ況ヤ 皇国未曾有ノ時局ニ直面シ食糧増産ノタメ干拓」
地域ノ利用多大ナルヲ惟ヘバ吾等ノ光栄ト欣悦トハ文詞能ク尽スヲ得ザル所ニシテ住民積年ノ艱難ト奮闘ト亦」
初テ報イラレタルニ庶幾キヲヤ即チ上下内外ニ亘リ関係各方面ガ一致協力ノ賜物ナルヲ顧ミテ向後一層ノ人和」
ヲ計リ粉骨砕身厚生ニ資シ以テ時局克服ニ貢献センコトヲ期セザル可ラズ乃テ蕪文ヲ撰シテ大要ヲ叙シ之ヲ後」
昆ニ伝ヘント欲ス細事ハ別ニ巨椋池干拓誌ニ詳ニス
昭和十七年十一月
農林大臣 井野碩哉篆額 巨椋池耕地整理組合長 池本甚四郎撰文 松窓吉田芳男書」
[西]
巨椋池干拓摘録
一工事直前ノ巨椋池 周囲四里 面積八百町歩 水深平均三尺
一起工 昭和八年六月 竣工 昭和十六年十一月
一開墾干拓事業費 参百四拾参万四千円
一成功反別 六百五十町歩 既耕地改良 一千三十四町歩
一主ナル関係者
創業期
池本甚兵衛 玉井源次郎 藤田為治郎 山上歌吉 奥山仙造
田村秀太郎 内田又右衛門
久世郡長後藤善二 京都府技師樺島多賀助 同高橋藤五郎
施工期
国営事務所
所長可知貫一 狩野直* 高橋嘉吉
京都府
知事斎藤宗宜
耕地課長樺島多賀助 地方技師宮本憲象
干拓事務所長石垣茂市 金子武馬 樺島多賀助 奥田一郎
耕地整理組合
組合長玉井源次郎 山田賀方 池本甚四郎
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長く引きすぎたかも知れないが、ここには巨椋池の概要が詳しく書かれている。
宇治川、木津川、桂川という三川合流地にあって、それらの川の「遊水池」として機能していたのである。
水深は平均三尺(約1m)とあるから浅い池であった。
それが三川の改修によって高い堤防が築かれ、「内水」池となって水質が悪くなった様子が読み取れる。だから「干拓」となったのである。

さて、本題の文学碑のことである。

    鳰浮いてなごりの池の夕茜    水也

この句碑は平等院の傍の宇治市観光センターの敷地内にあるという。小西本63ページ。文学碑の一連番号では⑫となる。
これは、先に、くどくどと引いた文章の中に出てくる「池本甚四郎」の句である。「水也」が彼の雅号。
干拓という水にまつわる仕事に精魂を果たした人として、この雅号は、ぴったりである。
いま検索してみたが、Wikipediaには登載されていないが、京都府議会議員から国会議員として京都二区から出て当選している。戦前のことである。
彼は小倉村の出身で、父親の後を継いで干拓に尽力したとあるので、小倉村の有力者だったろう。
小倉村は巨椋池の周縁部にあって、水が増水しても、ここまでは漬かなかった。
昭和28年に淀川が決壊して、辺り一面が元の巨椋池に戻るという災禍があったが、そのときも、この地域は水に漬かなかった。
小倉村久保 という集落には今でも丸久小山園、山政小山園、共栄製茶などの豪商の抹茶専門の茶問屋が軒を並べている地区だが、これらの店の旦那衆は余技として俳句などを嗜んだ。
池本甚四郎も、そのような系譜に連なるのだろうと推察できる。

この句の載る原本は、池本氏の『句日記』昭和23年の項にみられる、とあるが、そこでは

    鳰浮いてなごりの池の夕

と出ているという。 これは本にするときの活字の拾い間違いによる誤植だろう。
私は家業の商売の「山城園報」というパンフレット制作の関係で、幼い頃から印刷所に出入りしていたが、活版印刷の場合、活字は「部首」ごとに整理されている。
だから「茜」という字は「草冠」の部首に入っている筈なのだが、拾うときに間違って「日」偏の「晒」という字を拾ってしまったか、活字を仕舞うときに間違って「茜」の棚に戻してしまったか、である。

とにかく、小西氏の検証は綿密で、行き届いていて敬服するばかりである。
本文に何も触れない、という無礼を免れる意味から、この池本氏の句だけ引いておくので、お許しいただきたい。

この本の趣旨とは離れるが、小西氏は南山城の名士であられて、あちこちに文章を書いたり、講演したりなさっている。
その中で、下記 ↓
JA京都やましろ「やましろ探訪」南山城文学散歩⑪」

の記事を見かけたので、読んでみてほしい。全部で⑫のシリーズものである。
赤字の部分は「リンク」になっているので、クリックして読んでください。

碌な本文の鑑賞に入ることなく終わるのは逡巡するが、本文の鑑賞は、詳しい人の解題に待ちたい。
不躾な物言いをお詫びします。私の真意をお汲み取りください。有難うございました。   (完)


風 吹いてゐる/木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木/ああ こんなよる・・・吉原幸子
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8c12b04f8c3cad2f1dab9bf7a231e2bb吉原幸子

       風 吹いてゐる/木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木/ああ こんなよる・・・・吉原幸子                

吉原幸子が死んで十七年になる。
2012年11月に彼女の『全詩』集が新たな資料も加えて新装刊行された。
先ずWikipediaに載る彼女の概略を引いておく。
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吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 ~ 2002年11月28日)は、日本の詩人。

東京・四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。三陽商会の創業者、吉原信之は実兄。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。高校時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻昱子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)、また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌に詩作を発表した。一浪の後、1952年(昭和27年)、東京大学文科二類に入学。在学中は演劇研究会に在籍し、サルトルやブレヒトなどの現代劇に出演。1956年(昭和31年)、東大仏文科卒業。初期の劇団四季に入団、「江間幸子(えま さちこ)」の芸名で第6回公演のアヌイ作『愛の條件 オルフェとユリディス』(音楽・武満徹)にて主役を務めるも同年秋に退団。1958年(昭和33年)、黒澤明の助監督であった松江陽一と結婚、一児をもうけるが1962年に離婚。同年、那珂太郎を通じて草野心平を紹介され、歴程同人となる。

1964年(昭和39年)5月、第一詩集『幼年連祷』を歴程社から350部自費出版。思潮社社主の目にとまり、第二詩集『夏の墓』を思潮社から出版。またこの年、吉行理恵、工藤直子、新藤涼子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人と8人でぐるーぷ・ゔぇが(VEGA,ベガ)を起ち上げ、1968年の休刊まで詩誌を刊行。1965年(昭和40年)、『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を受賞。1974年(昭和49年)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞受賞。この頃より諏訪優、白石かずこ、吉増剛造らと共に、詩の朗読とジャズのセッション、舞踏家山田奈々子との舞踏公演など、詩と他分野のコラボレーションを手がけるようになる。1983年(昭和58年)7月、新川和江と共に季刊詩誌『現代詩ラ・メール』(思潮社, 書肆水族館)を創刊。1993年の通巻40号を以て終刊するまで広く女性詩人や表現者の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には小池昌代、岬多可子、高塚かず子らがいる。

1990年頃から手の震えなど身体の変調を来し、1994年にパーキンソン症候群と診断される。1995年(平成7年)、新川和江によってまとめられた最後の詩集『発光』を出版。同年第3回萩原朔太郎賞を受賞。2001年(平成13年)に自宅で転倒し入院。翌2002年11月28日、肺炎で死去。

生前に「私にはふたつ秘密があるの」と語っていた秘密のひとつはレズビアンであったというもので、作品の中でそのことを抽象的に表しているが、本人の口から公式には発表されていない。

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詩集
幼年連祷 歴程社 1964(自費出版)
幼年連祷 思潮社 1964
夏の墓 思潮社 1964
オンディーヌ 思潮社 1972
昼顔 サンリオ出版 1973
吉原幸子詩集 思潮社 1973 (現代詩文庫)
魚たち・犬たち・少女たち サンリオ出版 1975
夢 あるひは… 青土社 1976
夜間飛行 思潮社 1978
新選吉原幸子詩集 思潮社 1978(新選現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II 思潮社 1981
花のもとにて春 思潮社 1983
吉原幸子 中央公論社 1983(現代の詩人 12)
恋唄 沖積舎, 1983(現代女流自選詩集叢書)
ブラックバードを見た日 思潮社 1986
樹たち・猫たち・こどもたち 思潮社 1986
新編 花のもとにて春 思潮社 1988
発光 思潮社 1995
続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫), 新選吉原幸子詩集の改訂版
続続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II, III 思潮社 2012
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風 吹いてゐる
 
木 立ってゐる

ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

風 吹いてゐる 木 立ってゐる 音がする

よふけの ひとりの 浴室の

せっけんの泡 かにみたいに吐きだす

にがいあそび  ぬるいお湯

なめくぢ 匍ってゐる

浴室の ぬれたタイルを

ああ こんなよる 匍ってゐるのね なめくぢ

おまへに塩をかけてやる

するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる

  おそろしさとは

  ゐることかしら

  ゐないことかしら

また 春がきて また 風が吹いてゐるのに

わたしはなめくぢの塩づけ

わたしはゐない

どこにも ゐない

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて

流れてしまったの

ああ こんなよる

                           (吉原幸子 「無題」より)
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よく引かれる詩である。
冒頭の三行ほどは、部分的に引くと「短詩」としても自立する。
これは彼女が学んできたフランス詩のジュール・ルナールの詩などを想起させる。
ルナールの詩は、こんなものである。

◇ ジュール・ルナール(岸田国士訳)



長すぎる。





二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。


詩は削ぎ落して短いほど、鋭くなる。私も少年のころ、これらの詩に触れて、心ふるえたものである。
彼女は詩作品は、全部「旧かな」で書いたと言われているが、きわめて我流である。
旧カナでは、促音、拗音などでも字を小さくしないのが伝統的だが、彼女の場合には新カナ表記のように、小さく書く。 例 →「立ってゐる」。
だから我流という所以である。
文学作品だから、これが間違いだとは言い切れないが、これが短歌、俳句という伝統的な領域ならば、結社の主宰者などによって直されるだろう。
また彼女の詩集の題名にもなっているが『夢 あるひは』というのがあるが、この「あるひは」というのは勘違いによる誤用である。
これは「或いは」英語でいうと「or」の意味だと思われるからで、文語だから「あるひは」だろうという間違った類推によるもので、あちこちで見られる。
「あるいは」は──「あり」の連体形「ある」+間投助詞「い」+係助詞「は」──から成るもので、「あるひは」とするのは「い」の意味が不明になったための誤用、
と古語辞典に明記してある。 これらは日本語表記の約束事であるから、一定のルールの下で使ってもらわないと困る。
私が、彼女の誤用と断定するのは他のところで「或る日」という用法があって、彼女の使い分けが明確だからである。念のために言っておく。
他の詩も二、三引いてみる。
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   -小ちゃくなりたいよう!

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 ひどく光る太陽を 或る日みた

 煙突の立ちならぶ風景を 或る日みた

 失ったものは 何だったらう

 失ったかはりに 何があったらう

 せめてもうひとつの涙をふくとき

 よみがへる それらはあるだらうか

 もっとにがい もっと重たい もっと濁った涙をふくとき

 

  わたしの日々は鳴ってゐた

   -大きくなりたいよう!

   -大きくなりたいよう!

 

  いま それは鳴ってゐる

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 空いろのビー玉ひとつ なくなってかなしかった

 あのころの涙 もうなけなくなってしまった

 もう 泣けなくなってしまった

 そのことがかなしくて いまは泣いてる   (吉原幸子 「喪失」より)

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 雲が沈む

 そばにゐてほしい

 

 鳥が燃える

 そばにゐてほしい

 

 海が逃げる

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 何もかもがひとつになる

 

  指がなぞる

  匂はない時間の中で

  死がふるへる

 

 蟻が眠る

 そばにゐてほしい

 

 風がつまづく

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 夢が終る

 

 何もかもが

 黙る                    (吉原幸子 「日没」)

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 大きくなって

 小さかったことのいみを知ったとき

 わたしは”えうねん”を

 ふたたび もった

 こんどこそ ほんたうに

 はじめて もった

 誰でも いちど 小さいのだった

 わたしも いちど 小さいのだった

 電車の窓から きょろきょろ見たのだ

 けしきは 新しかったのだ いちど

 

 それがどんなに まばゆいことだったか

 大きくなったからこそ わたしにわかる

 

 だいじがることさへ 要らなかった

 子供であるのは ぜいたくな 哀しさなのに

 そのなかにゐて 知らなかった

 雪をにぎって とけないものと思ひこんでゐた

 いちどのかなしさを

 いま こんなにも だいじにおもふとき

 わたしは”えうねん”を はじめて生きる

 

 もういちど 電車の窓わくにしがみついて

 青いけしきのみづみづしさに 胸いっぱいになって

 わたしは ほんたうの

 少しかなしい 子供になれた  (吉原幸子 「喪失ではなく」)

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 純粋とはこの世でひとつの病気です

 

 ゆるさないのがあなたの純粋

 もっとやさしくなって

 ゆるさうとさへしたのが

 あなたの堕落

 あなたの愛  (吉原幸子 「オンディーヌ」より)

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 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは そこにゐました

 ついきのふ ついきのふまで

 そこにゐて 笑ってゐました

 

 あのひとは 生きてゐました

 さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ

 おいしいね おいしいねと言って

 そこにゐて 食べてゐました

 

 あたしのゑくぼを 見るたび

 かはいいね かはいいねと言って

 あったかいてのひら さしだし

 ぎゅっとにぎって ゐました

 

 あのひとの 見た夕焼け

 あのひとの きいた海鳴り

 あのひとの 恋の思ひ出

 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは 生きてゐました      (吉原幸子 「あのひと」より)
 
 

「未来山脈」掲載作品・2019/02 「オダガン・モド」・・・・木村草弥
未来_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(14)

      「オダガン・モド」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・2019/02掲載・・・・・・

      オダガン・モド     木 村 草 弥

  モンゴルの十歳の少年が留学する母親と一緒に来日した

  農地に面する樹木に囲まれたアパートに住んだ

  自然に囲まれて良かったと思ったが彼の反応は違った

  草原から来た彼には木が邪魔だった

  木々が緑で覆われる頃になると怖いと言い出した

  一望さえぎるもののない草原に育った彼には木々の緑は目障りだった

  風が吹く夜などは泣き出さんばかりに怖がった

  家財道具でも木の用途は住いの骨組みに僅かに使われるだけ

  半砂漠のゴビでハイラースという大きな木が二、三本聳えている

  それは「オダガン・モド(巫女(みこ)の木)」と呼ばれて信仰される
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この木の画像があるかと調べてみたが、みつからなかった。 悪しからず。


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。・・・三好達治
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      雪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三好達治

         太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

         次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

掲出の書は、この詩を書いた彼の「習作」である。

三好達治は、私が少年の頃から好きな詩人だった。大学に居るときに文芸講演会があって、大きな法経教室で三好達治が話をした。
題名も詳しい話の内容も忘れたが、その中でポール・ヴァレリーの言葉として
  <散文は歩行であるが、詩はダンスである>  という話が、私には数十年来、ずっと心に残っている。
このことは、あちこちに書いたし、このBLOGでも書いたかと思うが、散文と詩の違いを極めて的確に、この言葉は言い表わしている、と思う。
参考までに書いておくと、ヴァレリーの、この言葉は彼のエッセイ「詩と抽象的思考」(1939年)の中で書いていることである。
そんなことで三好達治は大好きな詩人として私の「詩」生活とともに、あった。
達治は私とは、もう二世代も前の人、というより私の母と同じ歳だが、彼の詩集は私の書架に残っている。
正確に言うと、昨年夏に私の書斎を整理して殆どの本を「日本現代詩歌文学館」や城陽市図書館などに寄贈したので、現在、私の手元には、ない。
晩年の「駱駝の瘤にまたがって」という枯淡の境に達した作品なども、舐めるようにして読んだ。

達治の詩は難解な詩句は何もない。俳句や短歌という日本の伝統詩にも理解があり、自分でもたくさん作っている。
「詩」の中に俳句や短歌をコラージュとして含めることも、よくあった。
と、いうより、短歌とか俳句とか詩とかのジャンルの区分をしなかった。

掲出した詩は、一行目と二行目との「太郎」と「次郎」の詩句の違いだけで、字数もきっちり同じという、すっきりした詩の構成になっている。
「詩」作りの常套的な手法として「ルフラン」(リフレイン)が有効であるが、この詩の場合には、これがお手本というような見事なルフランである。

この詩を下敷きにして短歌などがいくつか作られた。
もちろん、その作者なりの必然的な表現として、ではあるが・・・・・・・。

9_photo07三好達治

三好達治(1900年8月23日 ~ 1964年4月5日)は、大阪市西区西横堀町に生まれた。
父政吉・母タツの長男。家業は印刷業を営んでいたが、しだいに没落し、大阪市内で転居を繰り返した。達治は小学時代から「神経衰弱」に苦しみ、学校は欠席がちだったが、図書館に通って高山樗牛、夏目漱石、徳冨蘆花などを耽読した。大阪府立市岡中学に入学し、俳句をはじめ、「ホトトギス」を購読した。学費が続かず、中学2年で中退し、大阪陸軍地方幼年学校に入学・卒業、陸軍中央幼年学校本科に入学、大正9年陸軍士官学校に入学するも翌年、退校処分となった。このころ家業が破産、父親は失踪し、以後大学を出るまで学資は叔母の藤井氏が出してくれた。

大正11年、第三高等学校文科丙類に入学。三高時代はニーチェやツルゲーネフを耽読し、丸山薫の影響で詩作を始める。
東京帝国大学文学部仏文科卒。
大学在学中に梶井基次郎らとともに同人誌『青空』に参加。その後萩原朔太郎と知り合い、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる。シャルル・ボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の全訳を手がけた後、処女詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。

十数冊の詩集の他に、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』、随筆集『路傍の花』『月の十日』などがある。また中国文学者吉川幸次郎との共著『新唐詩選』(岩波新書青版)は半世紀を越え、絶えず重版されている。 

若いころから朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、彼女の両親の反対にあい、断念。
が、アイが夫佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、アイを妻とし、三国で暮らす。しかし、すぐに離婚する。
これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』(現在は講談社文芸文庫)である。

1953年に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』)、1963年に読売文学賞を受賞(『定本三好達治全詩集』 筑摩書房)。翌年、心臓発作で急死。
没後ほどなく、『三好達治全集』(全12巻、筑摩書房)の刊行が開始された。

20090426110815792s三好達治墓

三好達治の墓は大阪府高槻市の本澄寺にある。三好の甥(住職)によって境内の中に三好達治記念館が建てられている。
私の畏敬するBLOG友であるbittercup氏による「三好達治記念館、墓、伝記などの記事」と写真などがあるので参照されたい。


POSTE aux MEMORANDUM(1月)月次掲示板
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東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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     謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

2019年となりました。
昨年は日本では自然災害、世界的にはテロなどありました。政治の動きのことはともかく、健康には留意したいものです。 
老来、冬の寒さが身にこたえるようになってきて、すっかり意気地なしになってしまった。
拙ブログは十年一日のような記事ですが、よろしくお付き合いください。

 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
 春にあふと思ふ心はうれしくて今一年の老ぞそひける・・・・・・・・・・・・・・・・・・凡河内躬恒
 ファシズムの影濃くなりてすでにわが帰る国にはあらず日本は・・・・・・・・・・・・・渡辺幸一
 海域と言うときいっそう広域の海に浮かんだ列島は冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 花山周子
 ゆふぞらを無人機が飛び無人機を撃つ無人機が来る 夕明かり・・・・・・・・・・・ 高野公彦
 後につづく者はなかれ と言ひおきて 発ちゆきにけり。征きて還らず・・・・・・・ 岡野弘彦
 くすり服むたびにおもへり一兵の柊二が師より賜びし「薬」を・・・・・・・・・・・・・・・ 武田弘之
 部屋ぬちにゐて木枯しの音を聞く少しづつ壊れ始める身体よ・・・・・・・・・・・・・・ 新井瑠美
 塩焼きの海老に酢橘を絞りたり海老の怒りが深いほど旨し・・・・・・・・・・・・・・・・・小島なお
 で、鍋はひとつの戦場鍋奉行裃をつけた詩語は控えよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柳沢美晴
 竹馬にのるおもしろさ楽しさに雪降る路を遠く行きたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市村八洲彦
 あたたかき体温持てる人間のペン握る手と銃握る手と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 銃より本を──マララさん受賞のことば平和憲法ゆらぐ地に聞く・・・・・・・・・・・・・ 高尾文子
 雪の上にけもののあしあとてんてんとつづきてをりぬ母のなづきへ・・・・・・・・・・ 萩岡良博
 内戦で壊滅したるアレッポの石鹸日本にまだまだ売らる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田康子
 あけぼのの光おごそかに世を開き凍ったまなこ射し貫けり・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 自転車のサドル三角先回りしたくて四角四面の街へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 蝶型の足跡なれば栗鼠と知る胡桃の木から森へと向かふ・・・・・・・・・・・・・・・・・久我田鶴子
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 白粥に七草浮かべ春の膳・・・・・・・・・・・・・・・梅木望輔
 クラウディア・モニカ人の名冬の園・・・・・・・・・・・・ 媚庵
 境内に入る一礼や初鴉・・・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 アイスホッケー構へて眉を鉤形に・・・・・・・・・・・岬光世
 書初や真白な子をあづかりぬ・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 冬帝に体毛といふ体毛を・・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 太陽はもはや熟れごろ初詣・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 人日やただまつすぐにバス通り・・・・・・・・・・・青木ともじ
 冬蜂の死よ天井の高くあり・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 冬さうび抱かれて白き息となる・・・・・・・・・・・・大中博篤
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 寒林に向かふを知られてはならず・・・・・・・・・青本柚紀
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・ 青山青史
 男湯と女湯代はる去年今年・・・・・・・・・・・・・・ 小池康生
 洞窟の画は初夢に狩りしもの・・・・・・・・・・・・・中村清潔
 マフラーに大き黒子の隠さるる・・・・・・・・・・・山下つばさ
 冬麗や平らな靴に足ほてる・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 スケートや渦抜けたくて抜けられず・・・・・・・・・杉原祐之
 霜柱係累にまた一祠づつ・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 大さむ小さむ音なく数行削除・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 お団子は串に粘つて道に雪・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 初日の出中継エデンの東より・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 裏面に粉雪溶けてゐる割符・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 冬銀河縄文土器と京友禅・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 一年が眠り歌留多に金ひとすじ・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 空きビルの落書き消えず越年す・・・・・・・・・・・ 工藤定治
 麻雀のルールを賀詞に続けをり・・・・・・・・・・・ 津野利行
 借景の冬のポプラはなほ高く・・・・・・・・・・ ・・ きしゆみこ
 初扇静かに閉ぢて仕舞とす・・・・・・・・・・・・すずきみのる
 二両車の初日はさみて曲りをり・・・・・・・・・・・ 薮内小鈴
 冬銀河子が減り子守唄が減り・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 寒苺累々と乳を垂れあへり・・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 ホと息が前へ連なる寒の内・・・・・・・・・・・・・・・ 北川美美
 杖買うて使はずかへる初弘法・・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 雪折の雪に溺れてゆくごとし・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 膝を抱く胸のふくらみ寒牡丹・・・・・・・・・・・・・・・下楠絵里
 大寒にサムといふ名を付けにけり・・・・・・・・・・・吉川わる
 さよならはLEDの青に降る雪・・・・・・・・・・・・・・・・奥村明
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 冬紅葉山径染めて人染めて・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 とある日の心の揺れや虎落笛・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 群鶏の背を光らせよ初日の出・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 トマト缶トマトまみれの日々を経て・・・・・・・・・・ 芳賀博子
 諏訪湖とは昨日の夕御飯である・・・・・・・・・・・・・ 石部明
 モーリタニア産のタコと今から出奔す・・・・・・・・・・ 榊陽子
 海亀のような声です 孤独です・・・・・・・・・・・・・月波与生
 おしやべりの呼吸毛糸を編む呼吸・・・・・・・・・・・・大西遼
 着膨れて墓の心地がしてならぬ・・・・・・・・・・・・市堀玉宗
 結界の電線哭くや枯野道・・・・・・・・・・・・・・・・しのぶ日月
 ちやりぢやりとタイヤチェーンの鳴る初荷・・・・・鈴木牛後
 鶴に化りたい化りたいこのしらしら暁の・・・・・・金原まさ子
 凍蝶の記憶遺品の眼鏡とぶ・・・・・・・・・・・・・・・・豊里友行


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このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
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著書──
 歌集 『茶の四季』(角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』(角川書店刊)
 歌集 『昭和』(角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』(澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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