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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(6月)月次掲示板
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東日本大震災から八年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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「令和」が始まりました。 新しい時代の幕開けです。
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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六月になりました。 嫌な梅雨が始まります。
この梅雨は米作りや飲料水の確保などに必要ですから我慢いたしましょう。


 燕飛ぶ夕まぐれこの幸福は誰かを犠牲にしてゐるならむ・・・・・・・・・・・・・・・・大崎瀬都
 店先のあをき
榠樝の量感をながめをりけふの想ひのごとく・・・・・・・・・・・・・・横山未来子
 虹をくぐるための切符 にぎりしめた掌すこし汗ばんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡亜紀
 生誕をことほぐべしとクリムトは初めて全裸の妊婦を描ける・・・・・・・・・・・・・・・・・ 篠 弘
 をりをりに風の集へる欅の木ざわと出て行く先は知らない・・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 「鳥の歌」パブロ・カザルス 若き耳には届くなかりしこの弦の音や・・・・・・・・・・三枝浩樹
 曇天をひるがへり飛ぶつばくらの狂ふとも見え喜ぶとも見ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・ 松阪弘
 いつかこの古代湖は海につながるらしい水底に秘す一切とともに・・・・・・・・・・・・・林和清
 遠目には桐かあふちかふぢの花いづれかいづれかすむむらさき・・・・・・・・・・・ 沢田英史
 食べるまへも食べても独り わたくしに聞かせるために咳ひとつする ・・・・・・・・永田和宏
 このごろを死者に親しくわがあればなべてうつくし現し世のこと・・・・・・・・・・・ 照屋眞理子
 むせかえる青葉の樹下を行くならば一気に過ぎよ老いてしまうから・・・・・・・・・・佐伯裕子
 夏の家の水栓とざし帰るとき魚鱗もつ水息ひとつ吐く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山下泉
 かき上げるしなやかな指はつか見ゆ風が大樹の緑の髪を・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 ペン胼胝の消えたる指がうれしげに操るならねノート型バイオ・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 首のべて夕べの水を突く鷺は雄ならん水のひかりを壊す・・・・・・・・・・・・・・・・・・島田幸典
 星雲を抱けるままに佇つわれら野にしなやかな橋脚となる・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代

 赤富士に鳥語一時にやむことあり・・・・・・・・・・ 富安風生
 航跡に碧湧き出す朝曇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 かつてラララ科学の子たり青写真・・・・・・・・・・ 小川軽舟
 アスパラガス茹でるやさしさにも限界・・・・・・・・加藤静夫
 身一つの勝負に出たラムネ玉・・・・・・・・・・・・・ 栗山麻衣
 麦秋の中なるが悲し聖廃墟・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
 雨だれに遊ぶゐもりや安居寺・・・・・・・・・・・・五十崎古郷
 珊瑚礁の骨たちをざくっざくっと踏みつけて行く・・・・・・・豊里友行
 走り梅雨コンビニの傘よく売れる・・・・・・・・・・・・工藤定治
 さつきから葉騒のままで猫がゐる・・・・・・・・・・・青本柚紀
 相槌を打つ翻訳家ところてん・・・・・・・・・・・・・・・丸田洋渡
 溢れゆく梅雨の匂いや犬が死ぬ・・・・・・・・・・・・・大中博篤
 ゆふぞらの糸をのぼりて蜘蛛の肢・・・・・・・・・・・・上田信治
 夏雨のあかるさが木々に行き渡る・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 らんちうの粒餌をすぱと吸うてをり・・・・・・ クズウジュンイチ
 声帯のゆつくり延びる苗木市・・・・・・・・・・・・・・五十嵐秀彦
 あやめ咲く箱階段を突き上げて・・・・・・・・・・・・・・八田木枯
 蝸牛二段梯子の先頭に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森島裕雄
 青梅雨や部屋がまるごと正露丸・・・・・・・・・・・・・・小林苑を
 背をむけて語る母と子杜若・・・・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 新緑や愛されたくて手を洗う・・・・・・・・・・・・・・・・ 対馬康子
 Tシャツで十七歳で彼が好き・・・・・・・・・・・・・・・降矢とも子
 銅は屋根にコインに夏の雨・・・・・・・・・・・・・・・・・寺沢一雄
 万緑やどの木ともなく揺れはじむ・・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 初蚊帳のしみじみ青き逢瀬かな・・・・・・・・・・・・・日野草城
 麦の秋ゴホは日本が好きであった・・・・・・・・・・・京極杞陽
 塩辛に烏賊や鰹や夏始・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 巌流島どの紫陽花も赤ばかり・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 黒南風に売り子の盆の差し出され・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 海賊が祖の王族の薔薇の庭・・・・・・・・・・・・・・・ 杉原祐之
 けふはよく道を聞かれる若葉風・・・・・・・・・・・・・津野利行
 薄翅蜻蛉視線を連れて川岸へ・・・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 大の字に寝ぬれば若葉ゆらめいて・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 非常口探す夢から醒めそうだ・・・・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 拭いても磨いても老いていく鏡・・・・・・・・・・・・・・・富永鳩山
 葉桜やさやと鳴り今日ざわと鳴り・・・・・・・・・・・・・江口明暗
 順風も逆風も鳴り分けている風鈴・・・・・・・・・・・平田キヨエ
 初蝶やくの字くの字で飛ぶ一歩・・・・・・・・・・・・・・・ 盛蓉子
 筍梅雨空のこころになりがたし・・・・・・・・・・・・・・・・ 乾志摩
 円空は作仏聖よ風薫る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田郁子
 ここもまた空き家となりし花十薬・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 紫陽花はロココ調です六分咲き・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子 
 まひるまや陽炎を吐く牛の口・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後 


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 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
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ねそびれてよき月夜なり青葉木莵森かへてまた声をほそめぬ・・・穂積忠
oaobazukuあおばずく

    ねそびれてよき月夜なり青葉木莵(あをばづく)
       森かへてまた声をほそめぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・穂積忠


アオバズクは梟の一種で、鳩くらいの大きさ。「ほうほう」と二声づつ含みのある調子で鳴く。
オーストラリア辺りから渡ってくる夏の渡り鳥だという。

夏の、よい月の夜、寝そびれて、ふと聞きとめた青葉木莵の声。
途絶えたと思うと、思いがけない方角の森で、また鳴きはじめた。
声を細めて鳴きはじめるのが何とも言えず、ゆかしい感じがする。
引き込まれてアオバズクの声を追っている気持が「森かへて」や「声をほそめぬ」によく表れている。
鳥声に心もいつか澄んでゆく。

穂積忠は明治34年静岡県の伊豆に生まれ、昭和29年に没した。教育者だった。
中学時代から北原白秋に師事したが、国学院大学で折口信夫(釈迢空)に学んで傾倒、歌にもその影響が見られる。
昭和14年刊『雪祭』所載。

アオバズクは四月下旬頃に南方から飛来し、都市近郊の社寺などの森に棲んで5、6月頃に産卵、十月頃南方に帰る、という。
そして夜間に活動して、虫や小鳥、蛙などを食うらしい。名前の由来は、青葉の森の茂みの暗がりと声の感じがよく合って、この命名となったものか。
俳句にも、よく詠まれる題材で、少し句を引いてみる。

 こくげんをたがへず夜々の青葉木莵・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏

 夫(つま)恋へば吾に死ねよと青葉木莵・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 青葉木莵月ありといへる声の後・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 青葉木莵さめて片寝の腕しびれ・・・・・・・・・・・・篠田悌二郎

 眠れざる者は聞けよと青葉木莵・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

 青葉木莵おのれ恃めと夜の高処・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

 五七五七と長歌は長し青葉木莵・・・・・・・・・・・・高柳重信

 青葉木莵産着のかたち縫ひ急ぐ・・・・・・・・・・・・杉山岳陽

 青葉木莵次の一語を待たれをり・・・・・・・・・・・・丸山哲郎

 考えを打ち切る青葉木莵が鳴く・・・・・・・・・・・・宇多喜代子

 眼を閉ぢてさらに濃き闇青葉木莵・・・・・・・・・・・・山口速

 うつぶせに寝る癖いまも青葉木莵・・・・・・・・・・・・石川美佐子

 青葉木莵遠流百首を諳じる・・・・・・・・・・・・野沢晴子

 青葉木莵夜もポンプをこき使ふ・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 青葉木莵木椅子を森の中ほどに・・・・・・・・・・・・井上雪


村島典子の歌「糸桜」30首・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(38)

      村島典子の歌「糸桜」30首・・・木村草弥・・・・・・・・・・
                 ・・・・・・・晶106号2019/06掲載・・・・・・・・

           糸桜        村島典子

   鳴きかはし朝をよろこぶヒヨドリらどんぐり山のくぬぎの木末
   朝には可愛ゆしと思ひ夕には憎しと思ふ鵯のつがひの
   咳こみて夜具のなかにぞ溺れける夢には夢の理由ありぬべし
   憂へなき日日と思ふにたまたまに死を言ひいでて夫と諍ふ
   かすかにも予兆はこびて冬のひる門口に立つひとりの女
   かすかなる予兆なるべし門口に葬儀屋来たり広報と告ぐ
   わが死ぬるを予定のこととし話しかく葬セレモニー営業部員は
   世の中はことごと欺瞞にあふれたりえーい儘よと死を予約せり
   わが家の押入れにガスマスクありしこと父を偲べば思ひ出でつも
   コンサイスの頁を破り巻きタバコ拵へし父の若きよこがほ
   本棚におもろさうしと万葉集ながめてありて夕べとなりぬ
   立ち話二言三言せしわれは声はつらつと聴かれしならむ
   天邪鬼ならむと玉城徹をおもふとき玉城徹はわれに近しも
   自らに直にあるをあまのじやく変り者とぞひとは言ふらし
   個人なることをたふとび大衆を厭ふならねど然はさりながら
   鴨ふたつ遊べる川淀ながめ過ぎしまらくゆけば白さぎひとつ
   雛の日のこの山里にやはらかき雨ふりはじむ草しめらせて
   白蛾うまれ沈丁花咲きああ春は従順にしてことしも来たり
   をどりこさう、おにたびらこ、いぬふぐり名を呼ばれをり園児にまじり
   四十雀さへづる木末を風すぎてあなたはすつかり女だと言ふ
       三月二十二日京都御苑を友と訪ひ来ぬ
   禁門をくぐりてくれば彼岸会のみ苑にをさなき桃の小林
   梅林のかたへに咲く桃のくれなゐ、真白、あんずの色の
   糸桜しだれざくらは近衛邸跡の池のほとりに今盛りなり
   糸桜のしたてに写真撮られをりむかし少女の三人は寄りて
   ゆくりなく仙郷にあそぶ心地せり梅ももさくらの饗宴の苑
   台風の道となりけむ片側の荒れしままなる春の御苑は
   糸桜の老い木も片身裂かれしと犬つれしひと嘆くを聞きつ
   根かへりて伐られたりけり樹の洞は伐られしのちに命うつたふ
   天皇の御代かはりますこの春の京都御苑の花のしづけさ
   つつましくかそかなものとおもふとき花ひらく音きこゆるごとし
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いつもながらの村島さんの詠いぶりである。
小林幸子さんが歌集『六本辻』を刊行されて、その批評を村島さん他が書かれている文章が載っている。

ご恵贈有難うございました。



   
   
白雨の隈しる蟻のいそぎかな・・・三井秋風
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    白雨(ゆふだち)の隈しる蟻のいそぎかな・・・・・・・・・・・三井秋風

三井秋風は芭蕉と同時代の俳人。京都の富豪三井氏の一族で、洛西の鳴滝にあった別荘には、芭蕉らの文人が、よく往来したという。
いわゆる「旦那衆」パトロンという役回りと言えよう。
芭蕉が秋風を訪ねた時に残した一句に「梅白しきのふや鶴をぬすまれし」という中国の神仙趣味の句があり、高雅を旨とした交友関係が偲ばれる。
秋風には「柳短ク梅一輪竹門誰がために青き」のような、西山宗因の談林派の影響下にある初期の漢詩風の破調句から、
上に掲出した句のような、夕立に急いで物かげに逃げてゆく蟻を詠む、といった平明な蕉風に近い句まであって、
当時の俳諧一般の作風の変化の推移のあとまで見えて、興味ふかい。『近世俳句俳文集』に載る。

この句の冒頭の「白雨」ゆふだち、という訓み、は何とも情趣ふかいものである。
広重の江戸風景の版画に、夕立が来て、人々が大あわてで橋を渡る景がある。

hiro-atake-b広重

これなどは、まさに白雨=夕立、の光景である。
もともとの意味は「白日」の昼間に、にわかに降る雨のことを「白雨」と称したのである。
こういうところに漢字の表記による奥深い表現を感じるのである。
以下、歳時記に載る蟻と夕立の句を引く。

 ぢぢと啼く蝉草にある夕立かな・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 小夕立大夕立の頃も過ぎ・・・・・・・・・・・・高野素十

 祖母山も傾山も夕立かな・・・・・・・・・・・・山口青邨

 半天を白雨走りぬ石仏寺・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 熱上る楢栗櫟夕立つ中・・・・・・・・・・・・石田波郷

 夕立あと截られて鉄の匂ひをり・・・・・・・・・・・・楠本憲吉

 蟻の道雲の峰よりつづきけん・・・・・・・・・・・・小林一茶

 木蔭より総身赤き蟻出づる・・・・・・・・・・・・山口誓子

 大蟻の雨をはじきて黒びかり・・・・・・・・・・・・・星野立子

 夜も出づる蟻よ疲れは妻も負ふ・・・・・・・・・・・・大野林火

 蟻殺すしんかんと青き天の下・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 ひとの瞳の中の蟻蟻蟻蟻蟻・・・・・・・・・・・・富沢赤黄男

 蟻の列ここより地下に入りゆけり・・・・・・・・・・・・山口波津女

 蟻の列切れ目の蟻の叫びをり・・・・・・・・・・・・・中条明

 蟻の道遺業はこごみ偲ぶもの・・・・・・・・・・・・・・雨宮昌吉


沙羅の花捨身の落花惜しみなし・・・石田波郷
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       沙羅の花捨身の落花惜しみなし・・・・・・・・・・・・・石田波郷

私の歌にも「沙羅」を読んだ作品がある。 こんなものである。

   散るよりは咲くをひそかに沙羅の木は一期(いちご)の夢に昏(く)るる寺庭・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

沙羅の花を詠んだ私の歌としては

   沙羅の花ひそかに朝の地(つち)に還りつぶやく言葉はウンスンかるた

   畳まで緑に染まる沙羅の寺黙読の経本を蟻がよぎりぬ

   地獄図に見し死にざまをさまよへば寺庭に咲く夏椿落つ


『嬬恋』『茶の四季』(いずれも角川書店)に載っている。これらも一体として鑑賞してもらえば有難い。

「沙羅」の花あるいは「沙羅双樹」というのは6月中旬になると咲きはじめるが、
これは平家物語の

  <祇園精舎の鐘の声、
   諸行無常の響きあり、
   沙羅双樹の花の色、
   盛者必滅の理をあらはす>

に登場する有名な花であるが、実はインドの沙羅双樹とは無縁の木であり、「夏椿」を日本では、こう呼んでいるのである。 ↓  
aaoonatutu夏椿大判

こういうことは、よくあることで、たとえば「菩提樹」と言う木は沙羅の木と同様にインドの木で仏教でお釈迦さまの木として有名だが、
ヨーロッパにもベルリンのウンター・デン・リンデン大通などにある木も菩提樹と呼ばれているし、歌曲にも菩提樹というのがあるが、これも全く別の木である。

「夏椿」は一日花で次々と咲いては、散るを繰り返す。
その儚(はかな)さが人々に愛された所以であると言われている。
沙羅の木=夏椿は、その性質上、寺院に植えられていることが多い。
京都のお寺では有名なところと言えば、
妙心寺の塔頭(たっちゅう)の東林院
                城南宮
                真如堂
                法金剛院
                宝泉院

などがある。その中でも東林院は、自ら「沙羅双樹の寺、京都の宿坊」とキャッチコピーを冠している程で「沙羅の花を愛でる会」というのが、この時期に開催されている。
この寺をネット上で検索すると、今年の会は6/15~30ということである。

6_sara30616to11夏椿落花
写真③に見られるように、この時期には散った花が夏椿の木の下に一面に散り敷くようになり、風情ある景色が現出するのである。
いわば沙羅の花は「散った」花を見るのが主眼であるのだ。
だから私は歌で、わっと派手に散った花よりも咲く花が「ひそか」である、と表現したのである。
なお沙羅の字の読み方は「さら」「しゃら」両方あるが私としては「しゃら」の方を採りたい。

俳句にも詠まれているので、それを引いて終わりたい。「沙羅の花」が夏の季語。

 踏むまじき沙羅の落花のひとつふたつ・・・・・・・・日野草城

 沙羅散華神の決めたる高さより・・・・・・・・鷹羽狩行

 沙羅は散るゆくりなかりし月の出を・・・・・・・・阿波野青畝

 沙羅の花もうおしまひや屋根に散り・・・・・・・・山口青邨

 天に沙羅地に沙羅落花寂光土・・・・・・・・・中村芳子

 秘仏の扉閉ざして暗し沙羅の花・・・・・・・・八幡城太郎

 沙羅の花見んと一途に来たりけり・・・・・・・・柴田白葉女

 齢一つ享けて眼つむる沙羅の花・・・・・・・・手塚美佐

 沙羅咲いて花のまわりの夕かげり・・・・・・・・林翔

 沙羅の花夫を忘るるひと日あり・・・・・・・・石田あき子

 沙羅落花白の矜持を失はず・・・・・・・・大高霧海

うっかりして忘れていたが、My Documentsの中に「夏椿の実」というのがあったことを今思い出したので、写真④に出しておく。
夏椿見

東林院でも、そうだが、この頃はインターネット時代で、神社仏閣も、競ってHPを作って参拝者を募っている。
私の友人で歌人仲間で奈良の藤原鎌足ゆかりの談山神社の神官二人がいるが、そのうちの一人はHPを担当して神社のHP製作にあたっている。
HPを開いてから参拝者が3倍になったという。そんな世の中になったのである。
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参考までに、インドに生えている「正当」な沙羅双樹の樹の写真を下記に載せておく。
写真の中に、この樹の「花」が咲いているのが見えるので、ご留意を。
この写真は「yun」の無料提供のものを拝借した。原寸は大きいが縮小した。

yun_3615x.jpg

この写真に添えた「yun」氏のコメントに、こう書いてある。

タイのバンコクにあるワット・ポー内に生えていたサラソウジュ(沙羅双樹)の木(フタバガキ科、学名:Shorea robusta、原産地:インド)です。釈迦(しゃか)が亡くなったときに近くに生えていたことで有名な「沙羅双樹」は平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色,盛者必滅の理をあらはす」でも有名。ただし、日本では育たないので夏椿を代用しています。写真内には花が咲いているのが確認できます。

引用に感謝して、ここに御礼申し上げる。

蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ・・・山口誓子
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     蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

ウォーキングしていて、道端の石の上を蜥蜴(とかげ)が横切ったので、急にトカゲのことを書く気になった。
トカゲは色々の種類が居るが、写真のような「青とかげ」が美しい。
掲出の句は、トカゲの呼吸で喉がひこひこと動いている、と観察眼するどく描いている。

私も蜥蜴を詠んだ歌があるが、多くはないので、いま見つけられないので、この句を掲出する。
変温動物なので冬は冬眠する。
春とともに活動をはじめ、7、8月に土を掘って十個ほど産卵するというが、田舎暮らしながら、私は、まだ見たことがない。
爬虫類はどことなく不気味だが、蜥蜴は可愛い感じの小動物である。
その怜悧そうな目や、喉の動きなどは、動きのすばやさとともに印象的である。

蜥蜴を詠んだ句を引いて終わる。

 三角の蜥蜴の顔の少し延ぶか・・・・・・・・高浜虚子

 歯朶にゐて太古顔なる蜥蜴かな・・・・・・・・野村喜舟

 石階の二つの蜥蜴相識らず・・・・・・・・富安風生

 さんらんと蜥蜴一匹走るなり・・・・・・・・小島政二郎

 父となりしか蜥蜴とともに立ち止る・・・・・・・中村草田男

 薬師寺の尻切れとかげ水飲むよ・・・・・・・・西東三鬼

 直はしる蜥蜴わが追ふ二三足・・・・・・・・石田波郷

 いくすぢも雨が降りをり蜥蜴の尾・・・・・・・・橋本鶏二

 交る蜥蜴くるりくるりと音もなし・・・・・・・・加藤楸邨

 蜥蜴かなし尾の断面も縞をもつ・・・・・・・・中島斌雄

 高熱の青き蜥蜴は沙(すな)に消え・・・・・・・・角川源義

 青蜥蜴おのれ照りゐて冷え易し・・・・・・・・野沢節子

 青蜥蜴オランダ坂に隠れ終ふ・・・・・・・・殿村莵糸子

 蜥蜴楽し青き牛蒡の葉に乗つて・・・・・・・・沢木欣一

 人に馴ることなく蜥蜴いつも走す・・・・・・・・山口波津女


草づたふ朝のほたるよみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ・・・斎藤茂吉
s-109蛍

   草づたふ朝のほたるよみじかかる
      われのいのちを死なしむなゆめ・・・・・・・・・・・・・・・・斎藤茂吉


蛍は農薬の使用などで一時ものすごく数が減ったことがある。
この頃は蛍復活作戦とか言って、蛍の餌となる巻貝「カワニナ」の養殖や放流、農薬使用の自粛などで、あちこちで復活しつつある。
六月中旬になると、そろそろホタルが出はじめる。あいにく梅雨に遭うと蛍狩は中止である。
私の子供の頃は──と言っても、もちろん戦前のことである、蛍狩りには菜種の実を振い落した「菜種がら」を棒の先にくくりつけて、
暗くなると家族や友人たちと川べりに繰り出したものである。川べりと言っても、大河ではない。
せいぜい幅1、2メートルの田圃の中の水路などに蛍は居る。
川べりに着くと、中には悪童がいて、ゴムパチンコに花火弾をつけて人に向かって発射する悪戯をする連中がいた。
運悪く私の腹にあたり火傷をさされて、泣いて家に帰ったことがある。私が小学生の下級生の頃のことだ。
その頃、蛍は文字通り、うじゃうじゃといた。蛍籠に入れて持ち帰り、蚊帳の中に放して明りを消して楽しんだものである。
掲出したのは「ホタルブクロ」という草花である。白花と紅花とがある。
私の家にも一鉢があり、しばらく前からぼつぼつと咲きはじめた。

この茂吉の歌は蛍に感情移入して、蛍の短い命に心をよせて詠んでいる秀歌である。
今日は趣向を変えて俳句、短歌ごちゃまぜに蛍に関するものを採り上げたい。
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 うつす手に光る蛍や指のまた・・・・・・・・・・・・炭太祇

「うつす」は直接には「移す」で、捕まえた蛍を相手の掌中に移しているところだろう。
その蛍が指の股を透かして光っている。相手はうら若い女性か、それとも子供同士か。
いずれにせよ「うつす」が「映す」の語感を伴っている句作りが、全体にふっくらした味をかもしだしている。
炭太祇は江戸中期の俳人。江戸に生れて、京都を永住の地とした。蕪村より7歳年長だったが親しく交わり、影響を与えあった。
人情の機微をとらえた人事句に優れ、特色ある句が多い。

 <初恋や灯籠によする顔と顔>

 <寝よといふ寝ざめの夫や小夜砧>

 大蛍ゆらりゆらりと通りけり・・・・・・・・小林一茶

 蛍這へる葉裏に水の速さかな・・・・・・・・長谷川零余子

 夏草のしげみが下の埋れ水ありとしらせて行くほたるかな・・・・・・・後村上院

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす・・・・・・・・山家鳥虫歌

一番終わりのものは和歌ではなく、7、7、7、5という音数律の「都都逸」と称するものである。
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歳時記から「蛍籠」「蛍狩り」の句を少し引いて終わりにする。

 蛍籠ともり初むれば見ゆるなり・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 蛍籠極星北に懸りたり・・・・・・・・・・・・山口誓子

 あけがたやうすきひかりの蛍籠・・・・・・・・・・・・大野林火

 蛍籠霧吹くことを愛として・・・・・・・・・・・・山口波津子

 吾子の死へ朝が来てゐる蛍・・・・・・・・・・・・時田光子
 
 蛍籠昏ければ揺り炎えたたす・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

この「蛍籠」という季語は古いものではなく、明治38、9年頃から使われはじめたもののようである。

 蛍待つ幽に山のたたずまひ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 夕焼の橋に遊んで蛍待つ・・・・・・・・・・・・鈴木花蓑

 磧(かはら)石蹠にあらく蛍狩・・・・・・・・・・・・高浜年尾

 闇にふむ地のたしかさよ蛍狩・・・・・・・・・・・・赤松恵子

 ひとすぢのこの川あふれ蛍狩・・・・・・・・・・・・前田野生子





池水は濁り太宰の忌の来れば私淑したりし兄を想ふも・・・木村草弥
庄助日誌

    池水は濁り太宰の忌の来れば
       私淑したりし兄を想ふも・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

今日6月13日は小説家・太宰治の忌日である。
昭和23年6月13日、彼は山崎富栄と三鷹上水に入水、同月19日に遺体が発見されたので忌日は今日だが、毎年墓のある禅林寺で行われる「桜桃忌」は19日になっている。

この歌は私の長兄・庄助が私淑していた太宰に、昭和18年に死んだ時に「療養日誌」を送り、それを元に太宰の『パンドラの匣』が書かれたことを意味している。
歌の冒頭の「池水は濁り」のフレーズは、太宰が入水に際して、仕事場の机の上に書き残して置いた、伊藤左千夫の歌

  池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨ふりしきる

に由来している。
この年は雨の多い梅雨で、太宰が、この伊藤左千夫の歌を引用した心情が、よく理解できるのである。

7c3d1b83太宰治
 ↑ 太宰治
太宰治のことについては、ここでは特別に触れることはしないが、『パンドラの匣』のモデルが兄であることは作品の「あとがき」にも明記されているし、
全集の「書簡集」にも兄と太宰との交信の手紙や兄の死に際しての太宰の父あての悔み状などが掲載されている。
写真①は2005年末に次兄・重信の手で上梓された、亡兄・庄助の『日誌』である。
この本については私の2009/04/17付けの記事に詳しい。
太宰治研究家で私宅とも親交のある浅田高明氏が「解説」を書いていただいた。
太宰研究者は、この本に書かれているようにたくさん居るが、兄の「療養日記」と「パンドラの匣」の、モデルと小説との異同や比較研究は浅田氏の独壇場であり、太宰研究者の中では知らぬ人はいない。
これらに関する浅田氏の著書は4冊にも上る。詳しくはネット上で検索してもらいたい。
「木村庄助」については ← のWikipediaの記事に詳しい。写真も見られる。
兄は昭和十八年に亡くなっているので、太宰治の晩年の「無頼」な生活は知らないのは良かったと思う。
兄・庄助は、そんな無頼に憧れていたのではないからである。

太宰治については、このBLOGでも何度か書いたので詳しくは書かない。
この歌の前後に載っている私の歌を引いておく。

   宿痾なる六年(むとせ)の病みの折々に小説の習作なして兄逝く

   私淑せる太宰治の後年のデカダンス見ず死せり我が兄

   座右に置く言の葉ひとつ「会者定離」沙羅の花みれば美青年顕(た)つ

   立行司と同じ名なりし我が祖父は角力好めり「鯱ノ里」贔屓(ひいき)

   我が名をば与へし祖父は男(を)の孫の夭死みとりて師走に死せり


「桜桃忌」という季語も存在しているので、それを詠んだ句を引いて終わりたい。

 太宰忌の蛍行きちがひゆきちがひ・・・・・・・・石川桂郎

 太宰忌やたちまち湿る貰ひ菓子・・・・・・・・目迫秩父

 太宰忌や青梅の下暗ければ・・・・・・・・小林康治

 太宰忌や夜雨に暗き高瀬川・・・・・・・・成瀬桜桃子

 眼鏡すぐ曇る太宰の忌なりけり・・・・・・・・中尾寿美子

 太宰忌の桜桃食みて一つ酸き・・・・・・・・井沢正江

 濁り江に亀の首浮く太宰の忌・・・・・・・・辻田克己
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画像にして掲出した本『木村庄助日誌─太宰治「パント゛ラの匣」の底本』を編集・出版した兄・木村重信も一昨年の1月30日に死んでしまった。
うたた感慨ふかいものがある。




冨上芳秀詩集『白豚の尻』 『詩遊No.59』・・・木村草弥
富上_NEW

詩遊_NEW

──新・読書ノート──

     冨上芳秀詩集『白豚の尻』 『詩遊No.59』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・詩遊社2018/01/01刊ほか・・・・・・・

標記の本が贈られてきた。
巻末の略歴によると、冨上芳秀氏は1948年和歌山市生まれ。
多くの著書がある。
その中で、1980年 詩集『聖母の月』 (紫陽社) というのが目についた。
紫陽社というのは、荒川洋治がやっていた詩の出版社で、私がまだ壮年期の頃ここからこの本を買ったことがある。
昨年、蔵書整理をして詩書は日本現代詩歌文学館などに、まとめて寄贈したので今は手元にないが、本の名前は記憶している。
はっきりとは覚えていないが、『聖母の月』はリリックな詩ではなかったか。まだ若い頃の作品である。

今回の本『白豚の尻』 は題名からして極めて特異である。そして「散文詩」である。
図版の画像からも読み取れると思うが、この画像の作品は「赤き明日の下心」という詩で、画像には、その60パーセントくらいが読み取れる。
読んでみてもらいたい。
それからも判る通り、極めて特異な幻想的な作品で、いかにも現代詩、というところである。

全部を引くことはしないが、この一巻がすべて、こういう風に展開する。
題名の「白豚の尻」については「後記」という巻末の文章に詳しく書かれている。

<この詩集で私が伝えようとしたものが、〈白豚の尻〉である。
 詩で伝えようとしたものというと何かの思想や世界の意味を伝えようとしていると誤解されるかもしれない。
 しかし、 詩というものはそれとは全く逆のものである。
 最初からそんなものがないのが詩なのである。
 私の詩が寓意を持つものであると考える人がいるが、そんなものはない。
 ・・・・・詩は言葉の意味ではなく、その世界を感じることである。
 私が伝えたかったのは、〈白豚の尻〉を感じてもらうことであった。
 ・・・・・この詩集を読んだあなたが、ニヤリと笑うようなことがあったならば、私の〈白豚の尻〉は、確かに、あなたに伝わったのである。>

と書いている。
私は前から、「詩は意味を辿ってはイケナイ。詩は感じるものである」と言ってきたが、まさに、同じことが、ここに書かれている。

ただし、この本には「白豚の尻」という詩は載っていない。「白豚の尻」とは、題名だけであるから、念のため。
この本には「上田寛子の絵」というのが九枚載っている。
どこかで、この絵について書いてあったようだが、今は見つからないが、本文の詩と関連があるものも、ないものもあるようである。

図版②に掲出した「詩遊」には、この『白豚の尻』についての「自詩自注」みたいな文章が載っている。
意味を辿れない人は、それを読め、ということであろうか。

ネットを検索すると、冨上芳秀氏は「大阪文学学校」の講師をなさっているらしい。
「詩遊」には、その生徒たちの作品が載せられているらしい。

また「イプリス Ⅱnd」iにも作品を発表されている。
いま手元にある「イプリス Ⅱnd」26 には「アヤメ沼の帽子売り」として「色事根問の蛍踊り」「ウシウマ君」「約束の町」などの散文詩が載っている。
とにかく、冨上芳秀氏は今や油の乗りきった頃と言え、70歳ということだが、極めて旺盛な活動をなさっているようだ。
中途半端な書き方になったが、ここに、ご恵贈に感謝して筆を置く。 有難うございました。     (完)



あめんぼと同じ身軽さ職退けり・・・岡崎伸
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 ↑ 「水馬」あめんぼう

      あめんぼと同じ身軽さ職退けり・・・・・・・・・・・・岡崎伸

「あめんぼう」は漢字で書くと「水馬」となる。

私の歌にも、こんな作品がある。

   水馬(あめんぼう)がふんばつてゐるふうでもなく水の表面張力を凹ませてゐる・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

「あめんぼう」は小さな、体重の軽い水生昆虫だから、細く長い脚の先で、巧みに水の表面張力を利用して、六本の脚で立って、ひょいひょいと水面を移動する。
私は幼い頃から、内向的な性格で、こんな虫や蟻などの生態を、じっと眺めているのが好きだった。と言って「昆虫少年」になることもなかった。

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 ↑ 「ミズスマシ」

歳時記を見てみると「みずすまし」という名前が、間違って、この「あめんぼう」のこととして呼ばれていたらしい。
「みずすまし」というのは全然別の虫であって、1センチほどの紡錘形の黒い虫である。↑ 上に出した写真の水棲昆虫が、それ。

「まいまい」という名前がある通り、水面をくるくると輪をかいて廻っている。水中に潜るときは、空気の玉を尻につけている。
『和漢三才図会』には <常に旋遊し、周二三尺輪の形をなす。正黒色、蛍に似たり> と書かれている。
「あめんぼう」(水馬)については <長き脚あって、身は水につかず、水上を駆くること馬のごとし。
よりて水馬と名づく> 
と書かれていて、なるほどと納得する。
「あめんぼう」という命名は、飴のような臭いがするので、この名があるという。
以下、「あめんぼう」についての俳句を少し引くが、その中で「水すまし」とあるのは間違いということになる。
読み替えていただきたい。 念のために本当の「水すまし」の写真を出しておいた。

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 水馬水に跳ねて水鉄の如し・・・・・・・・・・・・村上鬼城

 水隈にみづすましはや暮るるべし・・・・・・・・・・・・山口誓子

 夕焼の金板の上水馬ゆく・・・・・・・・・・・・山口青邨

 水馬交み河骨知らん顔・・・・・・・・・・・・松本たかし

 打ちあけしあとの淋しき水馬・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 八方に敵あるごとく水すまし・・・・・・・・・・・・北山河

 水馬はじきとばして水堅し・・・・・・・・・・・・橋本鶏二

 水玉の光の強き水馬・・・・・・・・・・・・八木林之助

 水路にも横丁あつて水馬・・・・・・・・・・・・滝春一

 あめんぼと雨とあめんぼと雨と・・・・・・・・・・・・藤田湘子

 恋に跳ね戦ひに跳ねあめんぼう・・・・・・・・・・・・村松紅花

 あめんぼうつるびて水輪ひろがらず・・・・・・・・・・・・長谷川久々子

 風来の風風来の水馬・・・・・・・・・・・・・・・・・的野雄

 ナルシスの鏡を磨く水馬・・・・・・・・・・・・宮下恵美子

 水すまし水くぼませて憩ひけり・・・・・・・・・・西嶋あさ子


飲みはじめてから/酔いが一応のレベルに達することを/熊本で/「おさが湿る」というそうな・・・川崎洋
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        乾盃の唄・・・・・・・・・・・・・・・・・川崎洋

     飲みはじめてから
     酔いが一応のレベルに達することを
     熊本で
     「おさが湿る」というそうな
     「おさ」は鰓(えら)である
     きみも魚おれも魚
     あの女も魚
     ヒトはみな形を変えた魚である
     いま この肥後ことばの背後にさっとひろがった海へ
     還ろう
     やがて われらの肋骨の間を
     マッコウクジラの大群が通過しはじめ
     落日の火色が食道を赤赤と照らすだろう
     飲めぬ奴は
     陸(おか)へあがって
     知的なことなんぞ呟いておれ
     いざ盃を
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この詩を見るかぎりでは、川崎洋は、結構な「呑んべえ」だったらしい。
「飲めぬ奴は/陸へあがって/知的なことなんぞ呟いておれ」というところなど、痛快である。

この詩の解説で彼は

<川崎洋>は本名である。生まれたのは東京都大森(現大田区)で、大森海岸に近い。太平洋戦争中、中学二年の時、父の郷里である福岡県へ転居した。有明海に臨む筑後の地で、ここで私は敗戦をはさむ七年間を過ごした後、現住地の神奈川県横須賀市に居を移し現在に到る。横須賀はご存じのように東京湾に面した市だ。
つまり私はずーっと海の近くに住み続けてきたことになる。体が潮を含んだ空気に馴染んでいて、生理的に安らぐからだろうが、そればかりではないような気がする。
日本民族は各地からやってきた諸民族の混交だとはよく言われるところだが、だとすると私は、南太平洋地域から流入した祖先の血をかなり色濃く受け継いでいるように思えてならない。・・・・南へは、行けば行くほど精神は弛緩し、手足はのびのびとする。南の持つ楽天性、向日性、陽気・・・。私の嗜好を並べ立てれば、たぶん歳時記の<夏>に属する項目が目につくだろう。
この詩は、私のなかの南が書かせたに違いないと、不出来の責任を祖先になすりつけたいというのが、いまの心境である。

と書いている。
川崎洋は1930年1月26日生まれで、2004年10月21日に死んだ。
私は彼より年長だと思っていたが、調べてみると私は同年の2月7日生まれだから彼の方が数日早く生まれている。
彼の詩は言葉はわかりやすいが、内容に深遠な思想を湛えているものがある。それについては後日に機会があれば紹介したい。
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「盃」などの酒器の写真を載せたが、私は酒は嗜む程度だが、老年期になるまでは日本酒が嫌で、鼻の先に持ってくるだけで不快でビールなどを飲んでいたが、
不思議なことに老年になるとビールを飲むと腹が冷えて、また腹がふくれるばかりで好みではなくなった。
その代わりに日本酒が嫌でなくなり、チビチビと小さい盃で飲むのが性に合ってきた。
加齢によって嗜好も変るのである。
ただし、深酒をして酔いつぶれる人が身近にいて苦労したので、いわゆる「酒飲み」は嫌いである。
少量の酒を肴に文学論など戦わせるような酒が、よい。


ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜・・・桂信子
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    ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜・・・・・・・・・・・・・・・桂信子

写真は白花ホタルブクロに止まるゲンジボタルである。

日本には十種類ほどが居るというが、一般的にはゲンジボタルとヘイケボタルである。
ゲンジの方が大きく、光も強い。
水のきれいなところに棲み、6月中旬ころから出はじめる。ヘイケは汚水にも居るといわれるが確認はしていない。
幼虫は水中に棲み、カワニナなどの巻貝を食べて成長する。
成虫の発光器は尾端腹面にあり、雄は二節、雌は一節だという。
この頃では農薬などの影響で蛍はものすごく減った。今では特定の保護されたところにしか居ない。
0003蛍狩

昔は画像②の絵のように菜種殻で作った箒で田んぼの中の小川に蛍狩りに出たものである。すっかり郷愁の風景になってしまった。
古来、多くの句が作られて来た。

 草の葉を落つるより飛ぶ蛍かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 手の上に悲しく消ゆる蛍かな・・・・・・・・向井去来

 大蛍ゆらりゆらりと通りけり・・・・・・・・小林一茶

などが知られている。 以下、明治以後の句を引いて終わりたい。

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 蛍火の鞠の如しやはね上り・・・・・・・・高浜虚子

 瀬がしらに触れむとしたる蛍かな・・・・・・・・・日野草城

 人殺す我かも知らず飛ぶ蛍・・・・・・・・・前田普羅

 蛍火の流れ落ちゆく荒瀬見ゆ・・・・・・・・山口誓子

 蛍火やこぽりと音す水の渦・・・・・・・・山口青邨

 蛍籠昏ければ揺り炎えたたす・・・・・・・・橋本多佳子

 初蛍かなしきまでに光るなり・・・・・・・・中川宋淵

 死んだ子の年をかぞふる蛍かな・・・・・・・・渋沢秀雄

 蛍くさき人の手をかぐ夕明り・・・・・・・・・室生犀星

 蛍火や女の道をふみはづし・・・・・・・・鈴木真砂女

 ひととゐてほたるの闇のふかさ言ふ・・・・・・・・八幡城太郎
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余談だが、掲出した写真①の白花ホタルブクロが今ちょうど咲いていて、その鉢を先日から玄関に飾ってある。
なよなよした草で紐で周囲を囲ってある。
茎立ち5本で十数輪咲いているが、しばらくは蕾が次々に咲くが花期は20日ほどしかもたない。
後の一年は、もっぱら根を管理するだけである。





はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる・・・塚本邦雄
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     はつなつのゆふべひたひを光らせて
          保険屋が遠き死を売りにくる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・塚本邦雄


今日六月九日は、塚本邦雄の忌日である。 それに因んで作品を引いた。
塚本邦雄は、言うまでもなく前衛短歌運動の旗手の一人として、もう一人の岡井隆とともに昭和20年代の後半から30年代にかけて疾風のように短歌界を駆け抜けた。
2005年に亡くなるまで、多大の影響を短歌界に及ぼしてきた。今もなお、その影響力が及んでいると言えるだろう。
すでに多くの人が、塚本その人と作品について論及している。
私などが、それらに触れることは、おこがましいことであるので、ここでは作品を挙げて引くことに徹する。

掲出歌は、塚本の歌の中では割合に判りやすい歌である。
塚本の歌は「比喩」と、本歌取りをはじめとする「引用」に満ちているので、読者自身も広い読書の蓄積を要求される。
「保険」というものは「死」を前提にした商品であって、この歌は、そういう保険の持つ性格をうまく比喩的に作品化した。
この歌から広がるイメージこそ、前衛短歌の基本である。
本来「短歌」というのは、「作者」=歌の中の「我」、という構図で古来作られて来た。
前衛短歌は、そういう構図を、先ずぶち壊し、歌の中の「私性」を引き剥がした。
明治以後、前衛短歌までの歌を「近代」短歌と規定するなら、前衛短歌以後の歌が「現代」短歌だと、規定することが出来よう。
「近代短歌」に聳える巨人の一人として斎藤茂吉を挙げることが出来る。
「現代短歌」の巨人としては、この塚本邦雄と岡井隆の二人を挙げなければならないだろう。
塚本の歌を少し引いて責めを果たしたい。
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春きざすとて戦ひと戦ひの谷間に覚むる幼な雲雀か

海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も

五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる

イエスは三十四にて果てにき乾葡萄噛みつつ苦くおもふその年歯(とし)

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

暗渠詰まりしかば春暁を奉仕せり噴泉・La Fontaine

ロミオ洋服店春服の青年像下半身なし * * * さらば青春

カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

壮年のなみだはみだりがはしきを酢の壜の縦ひとすぢのきず

馬を洗はば馬のたましひ沍ゆるまで人恋はば人あやむるこころ

レオナルド・ダ・ヴィンチと性を等しうし然もはるけく蕗煮る匂ひ

壮年の今ははるけく詩歌てふ白妙の牡丹咲きかたぶけり

父となり父を憶へば麒麟手の鉢をあふるる十月の水

ノアのごと祖父ぞありける秋風にくれなゐの粥たてまつるべし

紅鶴(フラミンゴ)ながむるわれや晩年にちかづくならずすでに晩年

文学の塵掃きすててなほわれの部屋の一隅なるゴビ砂漠

死のかたちさまざまなればわれならば桜桃を衣嚢に満たしめて

またや見む大葬の日の雨みぞれ萬年青(おもと)の珠実紅ふかかりき

春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状
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塚本邦雄というと、天皇制や戦争ということに拘って作歌して来たと言われている。後の二首は昭和天皇崩御に際しての歌である。
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塚本邦雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

塚本邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日~ 2005年6月9日)は、日本の歌人、詩人、評論家、小説家。

寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。別名に菱川紳、鴻池黙示などがあるが、著書目録にある単行本や文庫本には、これらの著者名で出版されたものはない。 長男は作家の塚本靑史。

人物
滋賀県神崎郡南五個荘村川並(現東近江市五個荘川並町)に生まれる。母方(外村家)の祖父は、近江一円に弟子を持つ俳諧の宗匠だったという。1922年生まれという説もあるが、これは中井英夫が邦雄のデビュー当時、2歳若くすることで20歳代歌人としてやや強引に紹介したことから生まれた俗説である。1938年、神崎商業学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒業。彦根高商(現・滋賀大学)卒という説もあるが、本人が書いた履歴書にそのような記載は一切ない。卒業後、又一株式会社(現三菱商事RtMジャパン)に勤務しながら、兄・春雄の影響で作歌を始める。1941年、呉海軍工廠に徴用され、1943年に地元の短歌結社「木槿」に入会。終戦の年、投下された原爆の茸雲を仰ぎ見た記憶がいつまでも残ったと言う。

戦後は大阪に転じ、1947年に奈良に本部のあった「日本歌人」に入会、前川佐美雄に師事する。1948年5月10日、「青樫」の竹島慶子と結婚。山陽地方に転勤。翌年の4月9日、倉敷で長男・靑史誕生。その後、松江に転勤するが、鳥取在住の杉原一司と「日本歌人」を通じて知り合い、1949年に同人誌『メトード』を創刊。だが杉原は1950年に他界してしまった。

1951年、杉原一司への追悼として書かれた第一歌集『水葬物語』を刊行。同歌集は中井英夫や三島由紀夫に絶賛される。

翌年大阪へ転勤となり、中河内郡盾津町(現東大阪市南鴻池町)へ転居。当地を終の棲家とした。1954年、結核に感染したことが判明し、大東勝之助医師の指示に従い、2年間自宅療養に専念して克服する。回復後も商社勤務を続け、1956年に第二歌集『裝飾樂句(カデンツァ)』、1958年に第三歌集『日本人靈歌』を上梓。

以下24冊の序数歌集の他に、多くの短歌、俳句、詩、小説、評論を発表した。歌集の全冊数は80冊を越える。だが、邦雄の業績で特筆に値するのは、岡井隆や寺山修司とともに1960年代の前衛短歌運動を成功させたことである。またその中にあって「日本歌人」から離れ、永らく無所属を貫いていたが、1985年に短歌結社『玲瓏』を設立して機関誌『玲瓏』を創刊、以後(没後も)一貫して同社主宰の座にある。さらに近畿大学教授としても後進の育成に励んだ。

晩年にも旺盛な活動を続けていたが、1998年9月8日に妻・慶子が他界、2000年7月には自らの健康を損ねた。そのため、晩年を慮った息子の靑史が帰省し、同居して最期を看取った。2005年6月9日没。尚、玲瓏の会員らを中心に、以後、忌日は『神變忌(しんぺんき)』と称するようになっている。 以降に靑史の手で資料の整理がなされ、2009年1月末、自宅にあった邦雄の蔵書・直筆原稿・愛用品や書簡など様々な遺品が日本現代詩歌文学館へ寄贈されている。牧師で倉敷民藝館館長であった叔父・外村吉之介の影響で、聖書を文学として愛読したが、終生無神論者であった。 現在「塚本雄」は商標登録されており、商標権者は著作権継承者と同じく塚本靑史になっている。

作風
反写実的・幻想的な喩とイメージ、明敏な批評性と方法意識に支えられたその作風によって、岡井隆や寺山修司らとともに、昭和30年代以降の前衛短歌運動に決定的な影響を与えた。その衝撃は坂井修一、藤原龍一郎、中川佐和子、松平盟子や加藤治郎、穂村弘、東直子らのいわゆるニューウェーブ短歌にも及んでいる。作品では一貫して正字歴史的仮名遣い(旧字旧仮名)を貫いた。

よく知られた歌には次のものがある。
「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(『水葬物語』巻頭歌)
「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」(『日本人靈歌』巻頭歌)
「突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼」(『日本人靈歌』)
「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」(『感幻樂』)

補遺
塚本邦雄の研究者として、島内景二による文学史的な研究のほか、安永蕗子、岩田正、坂井修一らによる短歌解説などには定評がある。またインターネット上では松岡正剛の解説が比較的よく知られている。

弟子には、研究者でもある島内景二の他、塘健、山城一成、江畑實、阪森郁代、和田大象、林和清、尾崎まゆみ、小黒世茂、大塚ミユキ、松田一美、佐藤仁、魚村晋太郎、小林幹也、森井マスミなどがおり、また北嶋廣敏、笠原芳充、酒井佐忠、橋本治、北村薫、中条省平、茅野裕城子、山口哲人ら多くの信奉者を得た。

邦雄についての資料には、齋藤愼爾篇『塚本雄の宇宙』(2005年・思潮社)や、弟子の楠見朋彦著『塚本雄の青春』(2009年・ウェッジ文庫、2010年ながらみ書房主催の前川佐美雄賞受賞)、塚本靑史が『短歌研究』へ奇数月に連載中の『徒然懐旧譚』などがある。

受賞歴
1959年 『日本人靈歌』で第3回 現代歌人協会賞 受賞
1987年 『詩歌變』で第2回 詩歌文学館賞 受賞
1989年 『不變律』で第23回 迢空賞 受賞
1990年  紫綬褒章 受章
1992年 『黄金律』で第3回 斎藤茂吉短歌文学賞受賞
1993年 『魔王』で第16回現代短歌大賞受賞
1997年  勲四等旭日小綬章 受章

作品
以下は一部のみ。著書の一覧表や在庫の有無については、玲瓏誌や玲瓏の会HPを参照。
ゆまに書房で『塚本邦雄全集』(全15巻別巻1、1998-2001年)が刊行。

短歌
水葬物語(1951年)
日本人霊歌
装飾樂句
水銀伝説
綠色研究
感幻樂
星餐図
蒼鬱境
青き菊の主題
されど遊星 
天変の書
詩歌変
黄金律
汨羅変(1997年)
約翰傳僞書
初學歴然、透明文法 等、間奏歌集や肉筆歌集を入れた歌集の総数は全80余冊。選歌集も多数あり。 『清唱千首―白雉・朱鳥より安土・桃山にいたる千年の歌から選りすぐった絶唱千首』

(撰著 「冨山房」で愛蔵版と新書版:冨山房百科文庫、各1983年)

樹映交感
ウルムスのかどで―横浜市立釜利谷南小学校校歌歌詞(木下大輔作曲)

俳句
断弦のための七十句、花鳥星月、青菫帖、燦爛、裂帛、甘露、流露帖

小説
藤原定家―火宅玲瓏
紺青のわかれ
連彈
菊帝非歌―小説後鳥羽院
獅子流離譚―わが心のレオナルド(集英社、1975年)
荊冠伝説―小説イエス・キリスト

評論
定型幻視論
序破急急
花隠論―現代の花伝書
麒麟騎手―寺山修司論
詩歌宇宙論
言葉遊び悦覧記
国語精粋記―大和言葉の再発見と漢語の復権のために
世紀末花伝書
百珠百華―葛原妙子の宇宙
新古今集新論
ほか多数

文庫
定家百首 良夜爛漫  河出文庫 1984年
十二神将変 同上 1997年
けさひらく言葉 文春文庫 1986年
源氏五十四帖題詠 ちくま学芸文庫 2002年
定家百首・雪月花〈抄〉 講談社文芸文庫 2006年
百句燦燦 現代俳諧頌 同上 2008年
王朝百首 同上 2009年7月
西行百首 同上 2011年3月
花月五百年 ゝ 2012年11月
茂吉秀歌 『赤光』百首 講談社学術文庫 1993年
茂吉秀歌 『あらたま』百首 同上 1993年  以下同
茂吉秀歌 『つゆじも』から『石泉』まで百首 1994年 
茂吉秀歌 『白桃』から『のぼり路』まで百首 1994年
茂吉秀歌 『霜』『小園』『白き山』『つきかげ』百首  1995年
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塚本

塚本青史『わが父─塚本邦雄』という一文を書いたことがある。 ← アクセスして読んでみてもらいたい。


あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ・・・小野茂樹
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    あの夏の数かぎりなきそしてまた
       たつた一つの表情をせよ・・・・・・・・・・・・小野茂樹


過ぎ去った二人の輝かしい夏、あのとき君の表情は、一瞬一瞬変化する輝きそのものだった。
変化に満ちた数かぎりない表情、そして、また、そのすべてが君の唯一の表情に他ならなかった、あの夏の、あの豊かさの極みの表情をせよ、と。
恋人の「数かぎりなき」表情が、同時に「たった一つの」表情であるという「発見」に、この歌の要があることはもちろん、この発見は理屈ではない。
青年の憧れと孤愁も、そこには織り込まれて、心理的陰影が色濃く反映されている。

この歌および小野茂樹については短歌結社「地中海」誌上および「座右の歌」という短文に詳しく書いたことがある。

それを読んでもらえば私の鑑賞を十全に理解してもらえると思うが、ここでも少し書き加えておきたい。
小野茂樹は昭和11年東京生まれ。
河出書房新社の優れた編集者として活躍していたが、新鋭歌人としても将来性を嘱望されていたが、
昭和45年、退社して自宅に戻るべく拾ったタクシーの交通事故に巻き込まれ、あたら30有余歳の若さで急死した。
夫人の小野雅子さんは私も面識があり、原稿依頼もして頂いた仲である。
茂樹と雅子さんは、東京教育大学の付属中学校以来の同級生の間柄で、お互いに他の人と結婚したが、うまく行かず、
たまたま再会して、お互いの恋心に気づき、その結婚を放棄して、初恋の人と再婚した、というドラマチックな経過を辿っている。
それらのことについても、上記の私の「座右の歌」という文章にも書いておいた。
この歌は昭和43年刊の第一歌集『羊雲離散』所載である。

「座右の歌」という文章を読めば判る、というのでは、そっけないので、少し歌を引く。

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ひつじ雲それぞれが照りと陰をもち西よりわれの胸に連なる・・・・・・・・・・・・・・・・小野茂樹

五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声

強ひて抱けばわが背を撲ちて弾みたる拳をもてり燃え来る美し

くぐり戸は夜の封蝋をひらくごとし先立ちてきみの入りゆくとき

いつしんに木苺の実を食らふとき刻々ととほき東京ほろぶ

かの村や水きよらかに日ざし濃く疎開児童にむごき人々

ともしびはかすかに匂ひみどり児のねむり夢なきかたはらに澄む

くさむらへ草の影射す日のひかりとほからず死はすべてとならむ

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2015-01-31小野茂樹
↑ (合成写真) 小野茂樹と、この歌の原稿用紙。最近の小野雅子夫人。 抱いているのは一人娘の綾子さんか。

愛しあう若者のしぐさなども、さりげなく詠まれている。それに学童疎開の経験が彼の心に「苦い記憶」として刻まれていた歌が、いくつかある。
引用した一番あとの歌のように、彼の歌には「孤愁」とも言うべき寂しさがあり、私は、それが彼の死の予感みたいなものではなかったか、と思う。
これについて「座右の歌」には詳しく書いてある。
ぜひ「座右の歌」という私の文章にアクセスして読んで、十全に鑑賞してほしい。
ここにリンクにしたのは「原文」であり、このHPの文章には、いくつか誤植があるので了承いただきたい。
なお、彼の歌に詠まれる夫人は小野雅子さんというが、先年夏に、東京で開いてもらった私の第五歌集『昭和』を読む会には、ご出席いただいた。




散るあとのさみしさあれば誇らかに咲き盛んなるアマリリスかな・・・鳥海昭子
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   散るあとのさみしさあれば誇らかに
     咲き盛んなるアマリリスかな・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


この歌はNHKの「ラジオ深夜便の誕生日の花と短歌365日」という本に載るものである。この本では5/28の花としてある。
この歌のあとの作者のコメントには

   <鮮やかに大輪の花を咲かせるアマリリス。
    散ったあとの寂しさがあるからこそ、アマリリスは華やかに咲き誇っているのです。>

と書かれている。けだし、適切な表現と言うべきだろう。
アマリリスの花言葉は「誇り」 「おしゃべり」である。

大柄な華やかな花で、花壇が一気に賑やかになる。
アマリリスは中米、南米原産のヒガンバナ科の球根植物だという。
わが国へは嘉永年間に渡来し、その頃はジャガタラズイセンと呼ばれたという。
花の時期は短くて、一年の後の季節は葉を茂らせ、球根を太らせるためにある。
強いもので球根はどんどん子球根が増えて始末に終えないほどである。
うちの球根も、あちこちに貰われて行ったり、菜園の隅に定植されたりして繁茂している。

以下、アマリリスの句を少し抜き出してみる。

 燭さはに聖母の花のアマリリス・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 病室の隅の未明やアマリリス・・・・・・・・・・・・石田波郷

 ウエートレス昼間はねむしアマリリス・・・・・・・・・・・・日野草城

 温室ぬくし女王の如きアマリリス・・・・・・・・・・・・杉田久女

 アマリリス跣の童女はだしの音・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 太陽に烏が棲めりアマリリス・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

 アマリリス過去が静かにつみかさなる・・・・・・・・・・・・横山白虹

 原爆の地に直立のアマリリス・・・・・・・・・・・・横山白虹

 アマリリス泣き出す声の節つけて・・・・・・・・・・・・山本詩翠

 アマリリス貧しい話もう止そう・・・・・・・・・・・・川島南穂

 アマリリス眠りを知らずただ真紅・・・・・・・・・・・・堀口星眼

 アマリリス心の窓を一つ開け・・・・・・・・・・・・倉田紘文

 あまりりす妬みごころは男にも・・・・・・・・・・・・樋笠 文

 アマリリス描く老画家の師はマチス・・・・・・・・・・・・皆吉司

 アマリリス耶蘇名マリアの墓多き・・・・・・・・・・・・古賀まり子



竹散つて風通ふ道いくすぢも・・・石田あき子
DSCN2743竹林本命

     竹散つて風通ふ道いくすぢも・・・・・・・・・・・・・・・石田あき子

この句の作者は、石田波郷の夫人である。
私の歌にも次のようなものがある。

  風吹けばかさこそ竹の落葉して私語めくごとしあかとき夢に・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

この歌のつづきに

   竹と竹うち鳴らしつつ疾風は季(とき)の別れをしたたかに強ふ

というのが載っている。ちょうど季節の変わり目で疾風が吹きぬけることがある。
若葉の頃で俳句では「青嵐」という季語がある。
そして、また「竹の秋」「竹落葉」という季語もあるように、竹も新旧交代の時期で、ぐんぐん伸びる筍、若竹の裏に、新葉が出てくると古い葉が落ちるのである。
竹林には、そういう古い葉が降り積もって層になるのである。

私たちの住む辺りにも竹林が多い。聞くところによると関東には竹やぶが少ないそうであるが、私は確かめてみた訳ではない。
竹林というと京都・嵯峨野の竹林が有名である。ここは観光地であり、遊歩道としても整備されている。
写真②は、その嵯峨野の一風景。
thumbnenbutsuji4化野念仏寺竹林

こういう手入れされた竹林はいいが、「竹材」としての利用がなくなって、特に「真竹」の利用価値がなくなって、竹林が放置され、問題を起しているのだ。
竹は放置すると、周辺部へ地下茎を延ばして「侵蝕」してゆく。周辺の雑木林などは、いとも簡単に侵されて、枯れてゆくことになる。
私の住む辺りの低い山には、見渡す限り、放置竹林の侵蝕が見られる。深刻な事態である。

私の歌について言えば「竹の落葉」が「私語めくごとし」というのがミソである。「あかとき」とは「あかつき」の古語である。
俳句にも先に季語を示したが、たくさん詠まれているので、それを引いて終わる。

 竹落葉時のひとひらづつ散れり・・・・・・・・細見綾子

 思ひ出すやうに散るなり竹落ち葉・・・・・・・・久永雁水荘

 竹散るやひとさし天を舞うてより・・・・・・・・辺見京子

 夏に病みて竹枯れやまぬ音に臥す・・・・・・・・斎藤空華

 竹の皮日蔭日向と落ちにけり・・・・・・・・高浜虚子

 ひと来りひと去り竹の皮落つる・・・・・・・・長谷川素逝

 皮を脱ぎ竹壮齢となりにけり・・・・・・・・宮下翠舟

 若竹や鞭の如くに五六本・・・・・・・・・川端茅舎

 竹の奥なほ青竹の朝焼けて・・・・・・・・加藤楸邨

 若竹や傾きわれもかたむけり・・・・・・・・八木林之助



詩と連句「おたくさ」Ⅲ─2・・・鈴木漠
おたくさ_NEW

──鈴木漠の詩──(12)

     詩と連句「おたくさ」Ⅲ─2・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                ・・・・・おたくさの会2019/06/30刊・・・・・・・

今どき現代詩人の中で「連句」を継続して、ずっと手掛けられているのは鈴木漠氏くらいしか居ないだろう。
第三次「おたくさ」2号が届いた。順調に会が運営され、皆さん、張り切って「座」を巻いておられるようで、慶賀至極と申し上げる。
「おたくさ」とは「OTAKSA」紫陽花の学名。シーボルトが愛した女性・楠本タキ(お滝さん)に由来する。神戸市の市花ともなっており、グループ名と誌名に採用された。

今号は、掲出した画像でも読み取れると思うが、「詩」は、三木英治「騙し絵の路」とニページ目に鈴木漠「村の鍛冶屋」の二つが載っている。
あと「連句」として2019/01~2019/05までの十三の作品が収録されている。
形式も「世吉」「テルツァ・リーマ」「二十韻」「ソネット平坦韻」「獅子」など多彩に渡っている。
全部は紹介しきれないので、その中からいくつか載せてみる。

     ソネット平坦韻 鋲はチタン

     自転車転倒による肘骨折
花冷えや老骨継ぐに鋲チタン     土井 幸夫 (花)  a
  椿の宿にともるランタン       鈴木  漠  (春)  a
島つなぐ橋見ゆる丘春深く       中野百合子 (春)  b
 メール返信絵手紙を書く        在間 洋子 (雑)  b

ビー玉にビー玉ぶつかり李熟る    矢野千代子  (夏) c
 緑陰に入り油をば売る        三神あすか  (夏) c
艶なれど今は流行らぬ柳腰      森本 多衣  (恋)  d
 理想の君と告げる看護師       赤坂 恒子  (恋) d

糸楊枝歯間すずしく秋立てる      藤田 郁子  (秋)  e
 郡上踊のリズムにほてる       安田 幸子  (秋) e
特急の零番フォーム月明り       東条 士郎  (月) f
 もつと痩せたいただ言ふばかり    福永 祥子  (雑) f

優勝を花道とするラガーマン       梅村 光明  (冬花)  g
 寒中稽古お八つ豚饅           辻  久々  (冬)  g


2019年五月満尾  兵庫県私学会館   おたくさ連句塾
* ソネット平坦韻。 押韻形式は aabb / ccdd / eeff/ gg

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     賜餐 獏 枕            (注) の字は「正字」だが略字にさせてもらった。

   夢を喰ふ獏とや齢くふのみの我    中野百合子  (新年)
    邪気を払うて回り澄む独楽      鈴木   漠  (新年)
   笑ふ山その微笑みに包まれて     中林ちゑ子  (春)

ウ   下萌え目指し幼出たがる        土井 幸夫  (春)
   探すのは花に紛れし花の窓       梅村 光明  (春)
    もう一押しの欲しき求愛         在間 洋子  (恋)

ナオ ギヤマンに乱反射する恋ごころ     赤坂 恒子  (夏恋)
     夏うぐひすは老いを謳歌し       三神あすか  (夏)
    行く道は野越え山越え果てしなく    森本 多衣  (雑)

ナウ  もの狂ほしく夕紅葉舞ふ         辻  久々  (秋)
    採譜する河岸の木遣の十三夜      東条 士郎  (月)
     地酒を乾してたぐる新蕎麦            執筆  (秋)

2019年四月満尾  兵庫県私学会館   おたくさ連句塾
* 賜餐形式。三句四連、一花一月。 札幌の俳人 故窪田薫の創案。

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私も、いろいろの連句の会に連座したが、或る形式を頑固に「墨守」する人が居て、興をそがれる思いがしたものである。
鈴木漠氏は和洋の詩の形式を渉猟し、それと連句形式とをマッチさせて、新しい、面白い「連句」を創造された。
「テルツァ・リーマ」「ソネット平坦韻」「賜餐」など面白い。

ご恵贈に感謝して、今日は、このくらいにして終わる。 有難うございました。



おはなしはあしたのばんげのこととして二人静の今夜を閉じる・・・鳥海昭子
futarisizukaフタリシズカ

      おはなしはあしたのばんげのこととして
          二人静(ふたりしずか)の今夜を閉じる・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


この歌につけられた作者のコメントには

  <東北のことばで「ばんげ」とは夜のことです。
   話の続きはまたあした、と仲良く布団に入る情景が、花の名前と花ことばからイメージされます。>

と書かれている。まさに適切なイメージぶりと言えるだろう。

ネット上に載るフタリシズカの記事を、下記に引用しておく。
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木々が葉を繁らせ緑に染まり一段落ついた頃、光が射し込まない林下で、フタリシズカは小さな白い米粒のような花を咲かせます。
この花は少し変わっていて、白く見えるのが雄しべで、写真では判りませんが内側に1本の雌しべを包み込むように咲いています。
つまり、花びらも萼もない花ということです。
 また、この花が実を結ぶのと並行して、閉鎖花と呼ばれるつぼみのようなものをつけます。
 この閉鎖花は、開花せず、アリに運ばれるまで待つか、落下するまで植物自体についているそうです。
 ところで、フタリシズカ(漢字では「二人静」と書きます)の名は、花をつけた2本の軸を静御前(しずかごぜん)とその亡霊の舞姿にたとえてつけられたそうですが、
実際には軸が1本だったり、3~5本あったりとまちまちです。
私も1本や3本のものには時々であう機会がありますが、4~5本も軸がついたフタリシズカにもいつかお目にかかってみたいものです。
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この花は上に引用したように、5月から6月にかけて林の中の薄暗い、ひっそりした木蔭に生えるもので、私の歌には、ない。
因みに、フタリシズカの花言葉は「いつまでも一緒に」ということである。
この花言葉から、作者の歌がイメージして作られた。
私には「いつまでも一緒に」なんて言葉を聞くのは、つらい。

「ふたりしずか」の花は、歳時記では「春」の花に収録されている。数は多くはないが引いておく。

 群れ咲いて二人静といふは嘘・・・・・・・・・・高木晴子

 二人静ひとり静よりさびし・・・・・・・・・・角川照子

 二人静をんなの髪膚ゆるみくる・・・・・・・・・・河野多希女

 二人静娶らず逝きし墓の辺に・・・・・・・・・・吉野義子

 生き残ること考へず二人静・・・・・・・・・・丸山佳子

 前の世の罪許されて二人静・・・・・・・・・・檜紀代

 村滅び二人静もほろぶらし・・・・・・・・・・河北斜陽

 高野泊りは二人静を活けし部屋・・・・・・・・・・清川とみ子

 二人静木洩れ日と囁きあふは・・・・・・・・・・渡辺千枝子

 帳りして二人静の咲きはみだす・・・・・・・・・・折笠美秋

 身の丈を揃へて二人静かな・・・・・・・・・・倉田紘文

 



花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・高野素十
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     花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・・・・・・・高野素十

「花菖蒲」はアヤメ科の多年草。「ノハナショウブ」の栽培変種で、観賞用に水辺・湿地に栽培され、品種が多い。
先日、カキツバタについて書いたところで、それらの違いについて触れておいた。
江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培されて、菖蒲園には愛好家がつめかけたという。
hanasyobu1429ss菖蒲田本命③

hanasyobu1418ss菖蒲田本命④

先日、カキツバタのことを載せたBLOGで、関連として菖蒲あやめのことを書いたところで、菖蒲は6月にならないと咲かないと言ったが、これは間違いで、
5月中旬からそろそろ咲き始めるということである。
菖蒲田が満開になり田一面が花で埋まるのが5月下旬から6月上旬にかけてのことである。
私の住む辺りでは豊富な地下水を利用して各種の花卉栽培が盛んだが、5月中旬には「菖蒲まつり」が開催され、来会者に花菖蒲3本づつがプレゼントとして配られるという。
掲出する写真はいずれも菖蒲あやめである。色や柄もいろいろのものがある。私などは、やはり紫色が好きだが、これは各人の好みだろう。
hanasyobu1468ss菖蒲田本命②

私より二つほど年長の花卉栽培専業農家の人が居て、先日の端午の節句には菖蒲をたくさん戴いた。
これは露地のものではなく、ビニールハウスによる促成栽培のものである。
栽培農家としては蕾のうちに出荷し、花屋ないしは消費者の手元についてから花が開くようにするのが普通であるので、
私の方に戴いたのも、もちろん蕾のものであった。花が開いてからは開花期は短く二日ほどで萎れてしまう。
こういう端午の節句の菖蒲とか、お盆の蓮の花とかいう、期日の決まったものは期日に合せて出荷しなくてはならず、それまで花を保存するために
「冷蔵庫」を設置するなど多くの投資が必要である。
一時的に花を切る必要があるので、その時は臨時に人を増やして雇うこともあり、なかなか端(はた)から見て羨むほど楽な仕事ではないらしい。
こういう一時的な需要の集中する花は、その日が過ぎると、とたんに花の相場は大きく下がるのである。
この辺に農家としても経営的な手腕が求められるのである。
hanash花菖蒲

俳句にもたくさん詠まれているが少し引いておきたい。

 夜蛙の声となりゆく菖蒲かな・・・・・・・・水原秋桜子

 花菖蒲ただしく水にうつりけり・・・・・・・・久保田万太郎

 花菖蒲紫紺まひるは音もなし・・・・・・・・中島斌雄

 雨どどと白し菖蒲の花びらに・・・・・・・・山口青邨

 菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射・・・・・・・・石田波郷

 菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり・・・・・・・・野村喜舟

 黄菖蒲の黄の映る水平らかに・・・・・・・・池内たけし

 白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・稲垣きくの

 菖蒲髪して一人なる身の軽さ・・・・・・・・田畑美穂女

 京へつくまでに暮れけりあやめぐさ・・・・・・・・田中裕明

 花菖蒲水のおもてにこころ置く・・・・・・・・加納染人

 白菖蒲空よりも地の明るき日・・・・・・・・中村路子

 ほぐれそめ翳知りそめし白菖蒲・・・・・・・・林翔

 咲きそめて白は神慮の花菖蒲・・・・・・・・藤岡筑邨

 てぬぐひの如く大きく花菖蒲・・・・・・・・岸本尚毅

 花菖蒲どんどん剪つてくれにけり・・・・・・・・石田郷子

 菖蒲田のもの憂き花の高さかな・・・・・・・・糸屋和恵
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「菖蒲しょうぶ」と「あやめ」は厳密には区別されているらしい。
アヤメは野生のものを指し、菖蒲は栽培種を指すらしい。「属」が同じものか違うのか、などは判らない。一応お断りしておく。



強引と思うばかりに蜂もぐる筒花ゆらぐタニウツギかな・・・鳥海昭子
124221664248416413745_taniutugipuro1003タニウツギ

      強引と思うばかりに蜂もぐる
        筒花ゆらぐタニウツギかな・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


この歌の作者のコメントには

  <ハチが筒状に咲くタニウツギの花にもぐりこむと、紅色の花が大きく揺れます。
   美しい花ですが、養蚕の家では、まぎれ込むハチを恐れてタニウツギを嫌うのでした。>

と書かれている。ハチは「蚕」の虫に「悪さ」をするのであろう。その養蚕も、安い外国からの絹製品に押されて、今では日本では廃れてしまった。
作者は鳥海山ふもとの山形県生まれの人。

ネット上に載る記事を、下記に引用しておく。
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タニウツギは日本海側の多雪地帯に多い落葉低木で、葉は対生し、裏側は全体に白い毛が密生していて白っぽいですが、中央脈の上にほとんど毛がなく、これが他の種との区別点になります。花は桃色~紅色で5~7月に咲きます。がく片、雄しべはともに5個、花柱は糸状で長く突き出ています。

 地方によって多くの異なった呼び名があります。新潟、富山、長野、石川、鳥取、岡山の諸県ではタウエバナと呼ぶそうです。田植えのころにきれいな花を咲かせるからです。同じ理由で島根県ではサオトメウツギ(早乙女空木)というそうです。確かに先日訪れたとき、岩美町や温泉町の水田は、田植え終わった直後のようで、小さな苗がきれいに並んでいました。

 私が住んでいる相生市周辺の田植えは6月に入ってからです。寒い雪国の方が田植えが早いということは、何か不自然で、人為的な理由あるような気がします。雪解け水を灌漑に利用するためでしょうか、あるいは一昔前の早場米奨励金の影響でしょうか? タウエバナという呼び名が戦前からあったとすれば、雪解け水灌漑説が当たっているような気がします。

 2004年6月17日の「春秋」(日本経済新聞のコラム)に、タニウツギとニシキウツギの「すみ分け」に関して興味ある記述がありました。下に全文をご紹介します。

 長いトンネルを抜けると、雪国が現れるのは冬の話で、初夏の旅では、上越の山塊を貫くトンネルを抜けても、車窓に映る緑は変わらない。が、山すそには、波打つように広がるタニウツギの濃いピンクの花群が現れ、日本海側の景色へと、鮮やかに転換する。

▼タニウツギは北海道の西部から東北、北陸、山陰と、日本海側のいわゆる豪雪地帯に分布する。命の勢いをそのまま映したような濃い花色は、初夏の里山によく似合う。太平洋側には白花と紅花が混じって咲く近縁のニシキウツギが自生する。脊梁(せきりょう)山脈を境に、両者のすみ分けは厳密だ。

▼同じ初夏の花、アジサイも野生種では太平洋側と日本海側では厳密なすみ分けがあるという。北海道から山陰までの山地にはエゾアジサイが分布する。花びらのように見えるがく片は、したたるような濃青色。太平洋側にはヤマアジサイ。花色は白、水色、ピンク、薄緑など多彩だ。伊豆諸島には栽培品種の西洋アジサイの元になったガクアジサイが自生する。

▼雪国の花は、タニウツギの桃色もエゾアジサイの青も、濃く深く一途(いちず)で純である。太平洋側のニシキウツギやヤマアジサイの花は、自在で軽やかでこだわりがない。気候変動の中でも、花はまだ風土に根差した個性を保っている。この多様性こそ後世に残す資産だ。
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私の住む京都盆地には、この花は、ないのではないか。
私は植物分布には弱いので、関心のある方は、お教え願いたい。タニウツギの花言葉は「豊麗」。

「タニウツギ」を詠んだ句は少ないが引いて終る。

 備前大甕谷の卯木を投げ入れよ・・・・・・・・・・野沢節子

 走ること何時忘れしや谷空木・・・・・・・・・・猿橋統流子

 渓うつぎ濃きときめきの一途なり・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

 渡れねば渡りたき瀬や谷空木・・・・・・・・・・神尾季羊

 織り初めの藍の筬音谷空木・・・・・・・・・・椿文恵

 満身に瀬音聴きをり渓うつぎ・・・・・・・・・・千布昌子

 ふるさとの山くれなゐに谷空木・・・・・・・・・・高橋梓

 水筒に激水満たす渓空木・・・・・・・・・・川上悦子



佐伯泰英『日の昇る国へ』新・古着屋総兵衛十八・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     佐伯泰英『日の昇る国へ』新・古着屋総兵衛十八・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・新調文庫2019/06/01刊・・・・・・・・

このシリーズが今回をもって完結することになった。
思えば、このシリーズの始まったのは十九年も前である。
私は、シリーズが出る度に買い求めて読んできた。
書棚の一段、二段を、これに当てて所蔵してきたが、昨年、蔵書整理のときに、まとめて当地の城陽市図書館に寄贈した。
その後の本も読後は一冊づつ寄贈した。佐伯の本は閲覧希望者が多くて、図書館からの寄贈申し出があったからである。
今回も、読んだら寄贈するつもりである。

     古着太市開催の二日前、将軍家斉近習、自称御用取次古瀬嶺斎なる旗本が古着太市の売上の一部を公儀に上納せよと
     圧力をかけてきた。・・・・・
     そして、バタヴィアのカイト号を引き取りに、一族三百余名を従え、いよいよ総兵衛が海を渡る。
     夢と希望を乗たて「武と商」の物語、ここに完結。

シリーズを終えるにあたり、佐伯が一文を書いているので、それを引いておく。

<新・古着屋総兵衛完結の辞
 新・古着屋総兵衛シリーズも巻を重ねて十八巻『日の昇る国へ』で完結することになった。
 旧作古着屋総兵衛影始末『死闘』を刊行したのが平成十二年七月ゆえ十九年前のことだ。
 スピンオフ『光圀』を加えるとシリーズは全三十巻の大作になった。・・・・・
 シリーズを完結するとき、どの折も、「これでよいのだろうか」という迷いが作者を悩ます。・・・・・
 物語の背景も十六世紀の越南ホイアンの日本人街から六代目総兵衛勝頼が主人公の十八世紀初頭、
 そして、本名グェン・ヴァン・キ、改名して鳶沢総兵衛勝臣が活躍する新・古着屋シリーズが
 十九世紀の初めとむ、何世紀にもわたる物語だ。

 作者の執筆年齢も五十八歳から七十七歳と十九年余にわたっている。
 このシリーズの一作を書くために他のシリーズの二倍のパワーとエネルギーが要った。
 だが、・・・・・これ以上、・・・・・この物語を書き続ける体力はないとことを悟った。・・・・・
 時代小説は虚構の物語だ。だが、同時に過去の史実の中で成り立つ創作でもある。・・・・・
 さて次をどうするか。・・・・
 しばし、・・・・・頭を空っぽにしようと思う。>

巻末に「解説」として、木村行伸が全シリーズの概略を書いている。
「対談・木村行伸×佐伯泰英」 ← アクセスして読んでみてもらいたい。

次回作が、どんなものになるか、期待しておこう。


虚国の尻無川や夏霞・・・芝不器男
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      虚国(むなくに)の尻無川や夏霞・・・・・・・・・・・・・・・・・芝不器男

芝不器男は、大学生時代の望郷の句・・・・・  

    あなたなる夜雨の葛のあなたかな

が虚子に激賞されたが、昭和5年、26歳で病没。
俳壇を彗星のごとく横切った俳人と惜しまれた。
作品わずか200句ほど、中に珠玉作を数多く持つ。

この句は日光中禅寺湖北方の乾燥湿原である「戦場ケ原」を尋ねたときのものである。
「虚国」(むなぐに)はまた「空国」、痩せた不毛の地をいう。
そのような原野を流れる川は、いつのまにか先が消えてしまう尻無川。あたり一面夏霞が茫々とかかっている。
句全体に一種の虚無感がただよい、時空を越えて古代世界に誘われるような情緒の感じられる句である。

不器男は明治36年愛媛県生まれ。東京大学林学科、東北大学機械工学科を出た。
独特の語感を持ち、古語を交えて、幽艶な調べをかもし出す。時間空間の捉え方も個性的だった。
昭和9年刊『芝不器男句集』所載。
以下、不器男の句を少し引く。

 汽車見えてやがて失せたる田打かな

 人入つて門のこりたる暮春かな

 向ふ家にかがやき入りぬ石鹸玉

 国原の水満ちたらふ蛙かな

 麦車馬におくれて動き出づ

 南風の蟻吹きこぼす畳かな

 井にとどく釣瓶の音や夏木立

 川蟹のしろきむくろや秋磧(かはら)

 浸りゐて水馴れぬ葛やけさの秋

 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和

 野分してしづかにも熱いでにけり

 草市や夜雨となりし地の匂ひ

 大年やおのづからなる梁響

 寒鴉己(し)が影の上におりたちぬ

掲出の写真①は、新緑が芽生えはじめたばかりの頃の日光戦場ケ原のものである。
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芝不器男 写真②は旧制松山高等学校時代のもの。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

芝不器男(しば ふきお、1903年(明治36年)4月18日 ~ 1930年(昭和5年)2月24日)は、日本の俳人。本名は太宰不器男(結婚後)。

 生涯
1903年(明治36年)愛媛県北宇和郡明治村(現・松野町)で生まれる。父・来三郎、母・キチの4男。
不器男の名は、論語の「子曰、君子不器」から命名された。1920年(大正9年)宇和島中学校を卒業し、松山高等学校に入学。

1923年(大正12年)東京帝国大学農学部林学科に入学。夏期休暇で愛媛に帰省中に関東大震災が起こり、以後、東京へは行かなかった。
姉の誘いで長谷川零余子が主宰する『枯野』句会に出席し句作を始める。当初、号を芙樹雄または不狂としていた。
1925年(大正14年)東京帝大を中退し、東北帝国大学工学部機械工学科に入学。
兄の勧めで吉岡禅寺洞の主宰する『天の川』に投句。禅寺洞に勧められ、本名の不器男に改号。
『天の川』で頭角を現し俳誌の巻頭を占めるようになる。

1926年(大正15年)『ホトトギス』にも投稿を始め、高浜虚子より名鑑賞を受け注目を浴びる。
冬季休暇で帰省して以後は仙台に行かなかった。1927年(昭和2年)東北帝大より授業料の滞納を理由に除籍処分を受ける。

1928年(昭和3年)伊予鉄道電気副社長・太宰孫九の長女・文江と結婚し太宰家の養嗣子となる。
1929年(昭和4年)睾丸炎を発病し福岡市の九州帝国大学附属病院後藤外科に妻を伴い入院。この時に初めて禅寺洞と対面した。
12月に退院し福岡市薬院庄に仮寓。主治医・横山白虹の治療を受ける。
1930年(昭和5年)1月になると病状が悪化し、2月24日午前2時15分永眠、享年26。

生涯に残した俳句は僅か175句である。句風は古語を交えて、近代的な抒情味の中に幽艶を感じさせた。
主治医で俳人の横山白虹は「彗星の如く俳壇の空を通過した」と評した。

郷里の松野町では毎年命日に「不器男忌俳句大会」が開催されている。
1988年(昭和63年)松野町が生家を改装し、「芝不器男記念館」が開館した。
また、2002年(平成14年)生誕100年を記念して愛媛県文化振興財団により「芝不器男俳句新人賞」が設けられた。

作品集
不器男全句集(1934年)
定本芝不器男句集(1970年)



「未来山脈」掲載作品・2019/06 「樹 林」・・・木村草弥
光本_NEW

800px-Elephas_naumanniナウマン象 複製標本
↑ ナウマン象 複製標本
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(18)

       樹 林・・・・・・・・・・木 村 草 弥
             ・・・・・・・2019/06掲載・・・・・・・・

       樹 林        木 村 草 弥

    原始、地上は森に覆われ、海には生命の胎動があった

    幾億年かの昔、記憶にもない時代である

    当時の鬱蒼たる森は、今は数百、数千メートルの地下深くの地層に

    地層の摺折さながら石炭の層として残っている

    それらの物質の一部は広大な油田となって地底深くに眠る

    人が生まれて来るのは、その数億年の後、近々七十万年のことだ

    もとより当時の地表も鬱蒼たる樹林に覆い尽くされていた

    今はほとんど一木をも留めぬ山西省の黄土地帯も樹林であった

    揚子江の河畔の森には象が群棲しており

    西部の山地にはパンダの先祖の奇獣が群をなす自然があった


谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな・・・金子兜太
yun_2642鯉
 
      谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな・・・・・・・・・・・・金子兜太

昭和30年代、いわゆる前衛俳句が俳句界を席捲したが、作者はその旗手だった。
この句は、その後の時期の作品。
「無季」の定型句だが、夜、狭い谷あいで鯉がもみ合っている情景を詠んでいるが、性的なほのめかしも感じられる生命のざわめきがある。
無季句ではあっても、この句が喚起する生命力の盛んなほとばしりは、季節なら夏に通じるものに違いない。
「鯉」というのが季語にないので<非>季節の作品として分類したが、鯉が盛んに群れて、もみ合うというのは繁殖行動以外にはないのではないか。
ネット上で見てみると、鯉の繁殖期は地域によって異なるが4~6月に水深の浅い川岸に群れて産卵、放精するという。
それこそ、兜太の言う「歓喜」でなくて何であろうか。
昭和48年刊『暗緑地誌』に載るもの。

無季俳句の関連で一句挙げると

 しんしんと肺蒼きまで海の旅・・・・・・・・・・・・・篠原鳳作

という句は、戦前の新興俳句時代の秀作で、南国の青海原を彷彿と思い出させるもので秀逸である。

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ここらで兜太の句を少し。下記のものはアンソロジーに載る彼の自選である。

 木曾のなあ木曾の炭馬並び糞(ま)る

 魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ──トラック島にて3句

 海に青雲生き死に言わず生きんとのみ

 水脈の果炎天の墓標を置きて去る

作者は戦争中はトラック島に海軍主計将校として駐在していて敗戦に遭う。

 青年鹿を愛せり嵐の斜面にて

 銀行員等(ら)朝より蛍光す烏賊のごとく

作者は東京大学出。日本銀行行員であった。いわゆる「出世」はしなかった。

 どれも口美し晩夏のジャズ一団

 鶴の本読むヒマラヤ杉にシャツを干し

 男鹿の荒波黒きは耕す男の眼

 林間を人ごうごうと過ぎゆけり

 犬一猫二われら三人被爆せず

 馬遠し藻で陰(ほと)洗う幼な妻

 富士たらたら流れるよ月白にめりこむよ

 梅咲いて庭中に青鮫が来ている

 遊牧のごとし十二輌編成列車

 麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人

 酒止めようかどの本能と遊ぼうか

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 ↑ 「ぎらぎらの朝日子照らす自然かな」の句碑。



POSTE aux MEMORANDUM(5月)月次掲示板
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東日本大震災から八年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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「令和」が始まりました。 新しい時代の幕開けです。
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
17193df6b1fe081e4228eb7991140605d5c8e997_87_1_12_2宇治新茶
 ↑ 「宇治新茶」摘み取りイベント

新緑の五月になりました。
新人は五月病にならないようにストレスに気をつけましょう。 旧人はのんびりと。

 手に摘みしやはらかき葉よ軒先に新茶一服いただいてゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・内藤明
 あけぼののいろにもみづる楓の時間しづかに熟れてゐるなり・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 亡きひとが作りし薔薇の乾燥花崩るるときのおとのかそけさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池光
 シャガールの「サーカス」のごとく浮遊する 船の上なるこのひとときは・・・・・・・・・中川佐和子
 にんげんに尾があったなら性愛はもっとさびしい 風を梳く草・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大森静佳
 きみからの手紙はいつも遠浅の海が展けてゆくようだ 夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小島なお
 行く春のひかりとなりて 柿稚葉。標なき終焉へ 皆、ひた向かふ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 成瀬有
 黒糖のようなる鬱がひろがりてからまる髪をほどいておりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 野口あや子
 なまぐさく馬酔木花の匂ふころだらう生きてゐた犬は公園を駆く・・・・・・・・・・・・・・ 河野美砂子
 みづからが飛べざる高さを空と呼び夕陽のさきへ鳥もゆくのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・光森裕樹
 横穴墓掘られた頃の野やいかに田んぼの水に映る青空・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 ひとが死にあきたる穴に嵌めらるるひとつのピース くちをつぐみな・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 音もなく射しくるものをひかりとも影とも言ひて小公園に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 急傾斜地崩壊危険蒲公英黄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高島茂
 死ぬときは箸置くやうに草の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小川軽舟
 すでに女は裸になつてゐた「つづく」・・・・・・・・・・・・・・・加藤静夫
 入れているふしぎの海のナディア像・・・・・・・・・・・・・・・川合大祐
 行春や涙をつまむ指のうら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 八田木枯
 中指を般若の口に入れてみる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森山文切
 あをあをと山きらきらと鮎の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高田正子
 壁の染みあるいは逆立ちの蜥蜴・・・・・・・・・・・・・・・・・・芳賀博子
 雉の鳴く頃にはいくさ頭抱く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 初夏の口笛で呼ぶ言葉たち・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・生駒大祐
 かしはもち天気予報は雷雨とも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 上田信治
 黄昏の夢
コカコーラ飲みほしぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・大中博篤
 眠りへの入口しれず春逝きぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 晩春や猫のかたちに猫の影・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 細胞の隅々にまで新茶汲む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・栗山麻衣
 終わっていく平成それからエルドラド・・・・・・・・・・・・・・・・大川崇譜
 脈打つ度にゆれる♂♀(野花)よ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大迫香雪
 麦の秋海の向かうも麦の秋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 行間の白から春の海に出る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・月波与生
 陸の鳥海の鳥遭うころもがへ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 テニス部はいつも朗らか風五月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 猫の仔をタオルに包み農学部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 春深しやさしくされて泣けてくる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 囀りや投函口に銀の屋根・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子 敦
 マネキンの眼はうつろ黄砂降る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市堀玉宗
 朝寝して躯に裏と表あり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高勢祥子
 墜落の蝶に真白き昼ありぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安田中彦
 存分に肥えて機を待つ牡丹かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・江口明暗
 にもつは靴だんまりのなか虻になる・・・・・・・・・・・・・・・・・青本柚紀
 牡丹やどかと置かれしランドセル・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 より苦きクレソン添へる銀の皿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三嶋ちとせ
 夏みかん小さな切手に小さい人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸田洋海
 粉を吹いて祖父は微睡む花林檎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川千早
 雨は何色海の鳥居赤を濃くし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渥美ふみ
 天守からパパを呼ぶ声夕薄暑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・寺沢一雄
 いただいたさやえんどうとりあえず塩茹で・・・・・・・・・・・・伊藤角子
 イタリアンパセリが胸毛見せている・・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 土筆野や起筆のやうに楡一樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後


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 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
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国家より犬猫供出命令来北海道割当十万七千匹・・・長谷川知哲
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──<非>季節の歌──

     国家より犬猫供出命令来
            北海道割当十万七千匹・・・・・・・・・・・・・長谷川知哲


短歌結社「短歌人」で、こんな歌とコメントを見つけた。
コメントには、こう書かれている。
<軍馬の碑はあるが、殺された犬猫の碑はない。寒さの中で戦う兵隊さんの外套や軍靴を作るため、国中の無数の犬猫が供出命令を受ける。>

続いて、こんな歌が引かれている。

     仏壇の抽斗に戦死せし叔父の
            ブリキの型押し勲章ひとつ・・・・・・・・・・・・・・長谷川知哲


コメントには、こう、ある。
<兵卒を、英語ではexpendables、消耗品と呼ぶ。冗談のような、薄っぺらなブリキの勲章が帝国より下賜される。グリコのおまけに似ている。 >
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久しぶりに、短歌の中に「知性」を見た、という気がする。
先の戦争の、「狂気」のような時代を、何も知らない世代には、こういうことも、きちんと言っておかなければならないだろう。
人間だけでなく、今はペットととして愛玩されている彼らにも、こういう受難の時代があったのだよ、ということである。
私も初めて知る事実である。
また、日本軍は兵卒を「消耗品」と呼んだのは知られていることだが、「英語」でも、そう呼ぶ、と、このコメントには書かれていて、悲痛な思いになった。

「短歌人」の作者の、誠実な知性を見せていただいたので、敢えて転載させてもらった。 
有難うございました。





堀井令以知『言語文化の深層をたずねて』・・・木村草弥
堀井

──新・読書ノート──(再掲載・初出2015/05/30)

     堀井令以知『言語文化の深層をたずねて』・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・ミネルヴァ書房2013/05/30刊・・・・・・・・

先に「エッセイ」として堀井令以知の死去にまつわるエピソードなどを載せたが、彼の「自伝」の本である。
先のエッセイと一緒に読んでもらいたい。
さっそくアマゾンから取り寄せたのが、画像に出した本である。
このシリーズの本としては2012年に日本史学者・上田正昭の本を買って読んだことがある。 
堀井令以知の本は、もっと分厚くて詳細な索引も付く学術的な体裁である。

この本に入る前に、ネット上で「京都流・古都技」というサイトに堀井令以知のインタヴュー記事が三回にわけて載っていたので紹介する。
(注・この記事は、その後、削除されたので現在は存在しない。 念のため。)
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2007年1月17日水曜日

≪特別編≫関西外国語大学 堀井令以知教授 <前編>
今月の京師は≪特別編≫でお送りします。
特別編第二回目は『関西外国語大学 堀井令以知教授』です。

幼い頃から言語学者を目指し、現在フランス語と京ことばと共に教壇に55年立っておられる堀井先生に身近に使われている“京ことば”の意外に知られていない裏話をじっくりと三話に分けて掲載いたします。お楽しみ下さい。
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教壇に立って55年
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―― 京都出身とお伺いしたのですが、幼い頃はどのようなお子さんだったのでしょうか。
“言語”には興味がおありでしたか?

私は大学の教壇に立って55年になります。非常勤なども含め、全部で11大学で教えてきました。
1925年生まれで、中学校1年生の時の志望欄に夢は『言語学者』と書きました。幼い頃から『言葉』には興味がありましたし、関心を持っておりました。

子どもの頃も今と変わりません。終始そんなに目立つところもなければ、それほど引っ込むこともなく、普通の子でした(笑)。

私の住んでいた京都の家は、今ではもう建築150年経っております。古い家ですが、今でもまだ残っており、親戚の者が守ってくれています。

うなぎの寝床、間口が狭い割には奥行きがある家、いわゆる町家で暮らしていたので、当然京都の伝統ともふれあい、京都御所によく散歩に行きました。

現在、私は関西外国語大学で言語学とフランス語も教えています。戦前、私の家が『欧文の印刷屋』をやっていたことと関係があります。
東一条に関西日仏学館があるのですが、初代の学館長ルイ・マルシャン氏は印刷の用事で自宅に来られました。テキストを作ったり、学館の仕事を請けていたのです。
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言語学者
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―― どうして言語学者になろうと思われたのですか?

中学生の頃、私が言語学者になろうと思っていたのには、新村出先生という広辞苑の著者でもある先生の影響があります。

広辞苑はその当時はまだ前の辞苑の段階でした。印刷屋の父は、その辞典に非常に敬意をはらっており、父も私を言語学者にするつもりだったようです。

そんな中、私が旧制中学4年の時に太平洋戦争が始まりました。印刷屋の仕事も、欧文の仕事が出来なくなり、日本語の印刷に切り替えたのです。

そして私も軍隊へ行きました。昭和20年の6月18日まで広島の部隊でした。
原爆投下前、運よく京都の部隊へ転属になり、私は京都で「忍び難きを忍び」という終戦の詔書を聞きました。

それから、大阪外大の前身、大阪外専に復学しました。そして、言語学を勉強するために京大に行き、そこで勉強をして今日に至っているのです。
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ふるさとの言葉
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―― どのような経緯で言語を研究されるようになったのですか

大学で始めはヨーロッパ系の言語に関心を持っていました。
しかし、1950年(昭和25年)に、当時の言語学会、社会学会、民俗学会など8つの学会が連合しまして、第1回長崎県対馬の総合調査を行ったとき、『言語学会』から、一番若かったのですが、私がメンバーに加えてもらい調査に行き、全島をまわり方言を調べました。

今も元気ですが、その当時はもっと元気でしたので、上島から下島までのほとんどを周ったことが、日本語を研究しなければと思ったきっかけなのです。

私の知っている方言と言うと、何といっても、『京ことば』です。当時は京ことばの字引が一つもありませんでした。

他の地域の方言集は出版されていたのですが、肝心の京都が空白地帯だったのです。それは、研究の上で不思議なことでした。
地元のこともわからないなんて、と思い、それから少しずつ調査を始めたことが、京ことばを研究するようになったきっかけなのです。

まず考えたのは、小さい頃から、一番近くて、よく散歩をしていた御所のこともわからない、ということでした。

そこで、御所の中では、どのような言葉が話されていたか、と疑問に思ったのです。そして京都の御所のことを調べだしました。

≪特別編≫関西外国語大学 堀井令以知教授 <中編>
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京ことば
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―― 京ことばの地域の範囲はどこからどこまでなのですか?

「上がる」「下がる」

「上がる」「下がる」という地域ですね。
東入(イル)、西入という所が、おおよそ京ことばの範囲だと思ってください。ほとんど間違いありません。
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いろいろな京ことば
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私は、祇園の舞妓さんがよく使う「京ことば」は3つあると考えています。

「おたのもうします」・「すんまへん」それから、「おおきに」この3つが一番よく使われるのです。
フランスのパリで生活していても、この3つに当たることばをよく使います。おたのもうします「シルブプレ」、すんまへん「パルドン」、おおきに「メルシー」。
京都では、その3つの言葉を祇園の花街でよく使っています。おもしろいでしょ?

室町の問屋街でも使われている、いわゆる商人の言葉。ちょっと独特なのですが、これがおおよそ京ことばの典型的な町家のことばです。

もう1つは西陣のことばです。織屋さんのことば。室町ことばと共通性はありますが、ちょっとまた違います。

京都には伝統産業というのが50種類程あります。扇屋さんは扇屋さんの。そこで使われている職人ことばは他の人ではわからないような言葉です。
他には、友禅染、清水焼、竹細工、京漆器、和菓子屋、京料理などの職人ことばがあります。だから、一概に京ことばと言っても、総合的に見なければならないのです。
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はんなり
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『京都の雅びなことば』の代表のひとつは「はんなり」という言葉。元々「はんなり」というのはどういう気持ちを表すかというと、色彩について言うことが多いのです。
だから「まぁ、奥さん、ええ帯しめといやすなぁ。はんなりしたええ帯どすなぁ」と使います。

『明るい、上品、雅び、すきっとしている』という意味をかね合わせたのが「はんなり」です。
部屋がスキッと綺麗になっていることも「あぁこの部屋ははんなりしてますな」と使います。

まったり「まったりする」というのも使われ方が変わってきているんですよね。
元々は“料理用語”だったのです。またい(全)の語幹に接尾語「り」を付け、「まったり」と言ったのが起源なのですが、料理用語での使われ方は「梅酒も、数年つけますと、まったりした味やな」というふうに使うのです。とろっとしてコクがある、穏やかな味のことです。

京都は正月の雑煮は白味噌ですね。白いお味噌、御所ことばではしろのおむしと言います。しろのおむしでね、とろけるようなとろっとした味が出てくるでしょ。
そういうときの味加減のことを、「まったり」と言うのです。

ところが、その意味を若者が変えだしたんです。日曜なんかに「明日家でまったりしよう」と、そういう風に使うようになったのです。

だから、たぶん料理用語が全国区の地位を占めてきて、料理用語として、テレビなんかで放映されたんですね。
それを原宿か新宿か、あの辺の若者たちが使い出して、逆輸入されてきてしまったのです。それでこの辺にも広がってのんびりする意味になりました。
だからその意味は広辞苑には載っていません。そういう風に若者の使うことばが変遷している。
さまざまな京ことばが、若者ことばの意味に代わりつつある。急にここ数年の現象なのです。

≪特別編≫関西外国語大学 堀井令以知教授 <後編>
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言葉は常に『揺れている』
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―― 言語は変わっていきますが、言語が乱れているのをどうお考えですか?

意外とどんな言語も乱れているのです。だから私は「乱れている」という言葉は使いません。「揺れている」といっているのです。
日本語が生きている限り、動いている、揺れているのです。

そんな今の時代に、奈良時代の人が来ても平安朝時代の人が来ても何を言っているのかわからないはずです。

例えば、「つらら」と言う語がありますよね。「つらら」と言ったら、平安時代には氷のことだったのです。
当時は「つらら」のことを「たるひ」と言っていました。氷が垂れるから「たるひ」なのです。

現在でもそれは東北地方に残っていて、そこでは「たるひ」とか「たろひ」と言われています。平安時代の使い方が各地に残っていて、面白い現象ですね。

では、何故「つらら」と言うかというと、元来氷はつるつるしているから「つらら」というのです。

英語にも意味が大きく変わる語がありますよ。「ナイス」というのも、今ではいい意味で使っていますが、元々は「ばかな」という意味でした。
このように、どの言語も揺れているのです。
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「たこ」と「いか」
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普通に言うとお正月にあげるのは「たこ」ですよね。ところが、私どもが小さい時は「いか」と言っていました。
「いか」といったらみんな笑うのですが、本来このあたりは「いか地帯」なのです。

江戸時代の文献を見ると、江戸は「たこ」、上方は「いか」と言うと書いてあるのです。江戸と京都を比較して並べて記載されています。

うちの祖母は文久元年生まれなのですが、「いか」と言っていました。私の小さい時は「いか」と「たこ」どちらも知っていましたね。

何故「たこ」になってしまったかというと、『お正月』の歌が原因だと思います。
「もういくつ寝るとお正月、お正月にはたこあげて」と歌いますよね。「いかあげて」とは言わないでしょ。(笑)

京都学研都市付近を調べると「いーか」と言ったり、洛北でも、「いかのぼり」とか「いかのぼし」と言います。どうやら京都市を跨いだ南北には残っているようです。
まだ他の名称もあるのです。面白いでしょ、京都では「いか」というと逆に笑われてしまいますね。

こんなことを話し出したら、何時間あっても足らへんよ(笑)
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『おおきに』
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―― 変わってくるのが当たり前でこれは残さなあかんって言う言葉はありますか?

全国広しと言えども、京都で使われる言葉だけは京都弁・京都方言ではなく、「京都語」や「京ことば」と言い、私の著作の中でも「京ことば」・「京都語」と書きます。
それほど京都というのはプライドが高いということなのです。

京都の人が一番残したい言葉のトップは何だと思いますか?大阪の人と偶然にも一致したのです。

―― 「おおきに」ですか?

そうやね。「おおきに」がトップなのです。この頃、若い人は使わないようになっています。「ありがとう」と言うようになっていますね。

『おおきに』は江戸時代後期の後半から使い出されはじめました。
元は「おおきに」は「はなはだ・大いに」ということだったので「おおきに、お世話さん」とか、他のことばに付けられていました。
ありがとうだけでは物足りなくなって「おおきに」を付け出し、「おおきにありがとう」といった。それでは長いので省略して、「おおきに」が残ったのです。
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『ほっこり』
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『ほっこり」は本来疲れて帰ってきた時に、「やっと会議が済んでほっこりしたわ」と疲れを休める時に使います。

昔はそういう時も使ったのですが、今は使わなくなりました。今の人は「あそこの喫茶店へいってほっこりしよう」という意味で使っています。
このように、時代によって意味が変わった京ことばがいろいろあるのです。

―― 今の学生さんと先生が学生さんだったころとどう教育は変わっていますか?

それは違いますね。「先生かわいいね」と言われることがあります(笑)。でも、『かわいい』というのが始めは理解できなかったのです。
何故かわいいと言われているのか、もう言葉の感覚が違っているのです。私は常に学生と喋っていても、言葉の動態をキャッチしています。  ―終わり―
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なぜ、このようなインタヴュー記事を長々と載せたかというと、本書にも同様のことが書かれていて重複するからである。
先の「エッセイ」に引いた記事にも書かれていたが、彼・堀井令以知は、この本の校正「初校」を済ませて亡くなったという。
だから、この本のはじめに書房の編集部からの「添書き」が載せられている。 
普通、校正というのは二校、三校あたりまで行うのだが、著者が亡くなったので、あとは書房の編集部が責任をもって校正したということである。

46堀井令以知
 ↑ 晩年の堀井令以知

この本の「はしがき」をスキャナで引いておく。 (文字化けがあれば指摘されたい。直します)

     はしがき
本書は私が言語学者として、幼少のころから、どのようにことばについて関心を抱き、ことばを学
習し、研究してきたかを自伝としてまとめたものである。
老齢になった私は、今では語彙論の分野で、京ことばの研究、特に御所ことばの研究において上げ
た業績によって一般に知られている。また、言語学の視点から本格的な語源研究を行い、ことばの由
来を解明するなど、日本語の研究を促進していることによっても、多くの人から評価を得ている。
ヨー口ツバの諸言語について若いころから関心があったことも、本書によつて理解していただけるで
あろう。
今までのささやかな業績は次の三分野に大別される。
第一に、京ことばについて『京都のことば』『京都府ことば辞典』『京都語を学ぶ人のために』『お
公家さんの日本語』など多くの著書・論文を執筆した。特に御所ことばは、明治維新まで京都御所で
使用され、日本語の研究に重要な位置を占めるにもかかわらず、従来、理解する人は少なかった。皇
室の御所ことば使用が減少している現今、御所ことばの研究は貴重であろうとおもう。
第二に、私は語源研究についても多くの書物を残している。『日本語の由来』のような啓蒙書をは
じめ、本格的な『語源大辞典』を作成し、『日常語の意味変化辞典』 『上方ことば語源辞典』を著し、
『決まり文句語源辞典』 『外来語語源辞典』を刊行した。
語彙論の分野において、多くの人々に日本語への関心を喚起するのに役立つように努力したつもり
である。
第三に、私は若いころから、フランス語の意味論を研究し、フランス文化の発展に尽した功績によ
り、昭和四九年(一九七四)にはフランス政府からパルム•アカデミック勲章、昭和五一年には功労
国家勲章を受けた。その成果の一郤も本書に収めることにした。
私の言語学研究の態度は、言語と人間・社会•文化を結ぶ絆を大切にする方針に基づいている。著
者独自の言語一般理論の探究は今も続けている。
深く広い視点から言語研究を促進し、『一般言語学と日本言語学』 『ことばの不思議』『比較言語学
を学ぶ人のために』などの著書にみられるように、ョ—ロッパ諸言語についても言及し、日本語と諸
言語との意味の対照比較研究も行ってきた。
NHKの大河ドラマやスペシャルドラマでは多くのシーンで言語指導を行い、かっては「クイズ日
本人の質問」に出演して、ことばのルーツを解説し,民改にもことばの問題で出演の機会に恵まれた。
朝日新聞には「ことばの周辺」と題して三年間毎週執筆し、平成二○年度は「折々の京ことば」を京
都新聞に毎日執筆掲載して好評を得た。
自分のたどってきた言語研究の道筋を述べることは、いかに困難な仕事であるかを痛感している。
幸い、幼少のころからの資料を保存しておいたので、忘れられようとする記憶をたどりながら、ここ
に大正・昭和・平成を生きてきた私の、ことばの研究を通じての自叙伝をまとめることができた。失
われた言語生活の時を求めようとする人達の参考にしていただければ幸いである。
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この本は
第一章 少年のことば
第二章 言語学習期
第三章 言語研究を始める
第四章 西ヨーロッパの言語生活
第五章 フランス語と印欧語
第六章 語源をさぐる
第七章 京都語の研究
第八章 言語一般の理論
第九章 方言の研究
第十章 「わたくし」について         という構成になっている。

第二章には、学徒出陣のため繰り上げ卒業となり「豊橋第一陸軍予備士官学校」に入る頃のことが詳しく書かれている。
古い資料が保存されており、その周到さには感心するばかりである。
巻末には「年譜」も載っているが、これを見ると彼・堀井令以知は、私の次兄・木村重信と同年であり、「豊橋第一陸軍予備士官学校」も同期であることが判る。
彼らは「特甲幹」と称する身分で、入校した時点で「伍長」に任官している。戦争で一般兵のみならず、将校も消耗が激しく、即戦力化が急がれたのである。
面識があったかどうかは判らない。私の兄もポツダム少尉である。 機会があれば聞いてみたい。
この豊橋陸軍士官学校の跡地は「愛知大学」になり、後日、彼・令以知が勤務することになるが、その奇縁についても書かれている。
第三章の中に「自由間接話法」というところがあり、私も教えてもらった大阪外語の和田誠三郎先生の名前も出てきて、その和田先生から「自由間接叙法」について教わった記憶が戻った。

「年譜」によると、彼の父は堀井二郎といって明治32年生まれ、とある。私の母は33年(1900年)生まれである。
父親は、伯父さんの経営する京都の弘文社という印刷所に勤めて印刷技術を覚え、昭和11年に独立して「堀井欧文印刷所」を起すことになる。
ここに「伯父」とあるから、父親の兄ということになるが、父親の兄というのも早くから京都に出て、印刷屋を営んでいたことになる。
主な得意先が関西日仏学館だったことなどは先のエッセイに書いた通りである。
結婚は遅く、35歳になってからだと判る。

大部の本であり、詳しく引くことは出来ないが、私も「ことば」に関わることをやっているので、彼の言語学などについての専門的なことも関心があり、面白い。
これからも折々にひもといて読んでみたい。
不完全ながら、今日は、このくらいにする。


那須信孝『心の窓』~街角の掲示板~ ・・・木村草弥
那須_NEW

──新・読書ノート──

     那須信孝『心の窓』~街角の掲示板~ ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・方丈堂出版2019/05/26刊・・・・・・・・

この本は、私の大学の同級生で、親友の那須信孝が、自坊の「一行寺」の路傍に毎日掲げてきた「法話の掲示板」に載せてきた文句を一冊にまとめたものである。
「まえがき」に、こう書かれている。

<一行寺の堂宇を再建して頂いて五十年足らず、毎月一回、時には二回か三回、掲示法語を記載して参りました。
 通りがかりの人が、その意味をわざわざ尋ねに訪れられたり、宗門の要人・学者の方々から賛辞を頂いたり、
 そして「御本にされたら」との要請があったりしました。
 住職を辞任し、法嗣の住職就任にあたって、やっとまとめることにいたしました。
 聖典をはじめ有名な方々の金言や無名の方々の句、自作の言葉など六百首余りにも及びます。
 その中から約百五十首を選び、難しい金句の説明、また当時の特別な社会的な事件や身近な出来事を感じて引用したものには説明も交えましたので、往時を偲んで頂ければと存じます。
 また、挿絵の花のイラストを描いてくれた孫・新戸彩月、平成十五年三月に六十四歳で往生された木村泰三氏が生前に楽しんで掲示の揮毫をしてくださったことを偲び、ここに感謝申し上げます。
                          一行寺第十五代住職 釋 信孝  >

以下、無信心者としての私が、恣意的に選んで抽出するのをお許しいただきたい。 掲示年月日は省略する。(木村草弥・記)

   劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ     与謝野晶子

お内陣荘厳に魂を込められた物心の建立荘厳して頂いたことに対しての、感謝と賛辞の意味で掲示しました。

   化土は死人の生まるるところ 真実の浄土は生ける人の生まるるところなり     曽我量深

曽我量深は那須君の敬愛する仏教学者で、大谷大学学長などを務められた人である。 極めて難しい本だが、先年、彼に関する本を那須君は著した。

     生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も    一休和尚

   我なくとも法は尽きまじ 和歌の浦 あおくさ人の あらんかぎりは  親鸞聖人の辞世の句、という

   地のめぐみ天のめぐみをゆたにうくる わが身尊き春のあけぼの    九条武子

   散れば咲き咲けばまた散る春ごとに花のすがたは如来常住    一休和尚

   やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ   山本五十六

   年たけて いよよ帰らん 古里や いのちのもとの 永久の自然へ   平沢 興

平沢先生は、元・京都大学総長。六月十七日、八十九歳で還帰されました。偉大なる凡人として最も尊敬し、人生の指針として親しく接しさせて頂き、ご遺言で葬儀の導師をさせて頂きました。

   業の落葉がふりつもり腐葉土のようになり ながい年月には私の肥料になる   榎本栄一

   はだかで 生まれてきたのに何不足    小林一茶

   念仏して五欲の暑さ忘れうぞ    句仏上人

大谷 光演、1875年(明治8年)2月27日 ~ 1943年(昭和18年)2月6日)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」。俳号は「句仏」。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。

   ただ生き ただ死ぬ ただの二字に 一切が輝き ただの二音に万有は光る   坂村真民

   無一物中、無尽蔵 花あり月あり楼台あり     蘇東坡

   寿命とは仏の寿   賜った寿を生きること

これは那須君が自分の米寿にあたって、掲示した言葉である。  ↑

   万代に年は来経とも梅の花 絶ゆることなく咲き渡るべし   万葉集

新元号「令和」を迎えることになって、平成最後の日に掲げた言葉である。

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先年、このブログで採り上げたが、「曽我量深に聞く『宗教的要求の象徴・法蔵菩薩』」を参照されたい。
私の解説が稚拙なので分かりにくいかも知れないが、お許しを。

那須信孝君は、私と同年生まれであり、同じ大学で共に学んだ仲である。専攻は違うが「親友」と言ってよいだろう。
西本願寺門前にある自坊「一行寺」は、西本願寺の、いわば「塔頭」のような存在であるらしい。
彼は前門主とも親しく、門主みずから一行寺に遊びに来られるような仲だったという。
彼は、先にも書いたように、つい最近、五月二十六日に住職を退き、息子の一真 に住職の座を譲った、という。その記念として、この本が出版されたという。
信孝君、おめでとうございます。われわれ市井の者とは立場が違うが、長年ご苦労さまでした。
佳い本をいただき愛読させていただきます。
私の知っている、例えば、坂村真民さんが採り上げられているなど、親しみを持って読みました。
有難うございました。            (完)







三村あきら詩集『楽土へ』・・・木村草弥
楽土_NEW

──新・読書ノート──

      三村あきら詩集『楽土へ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・澪標2019/05/31刊・・・・・・・

この本が贈られてきた。
山田兼士先生が「帯文」を書いておられる。
この作者は、七十歳を過ぎてから、大阪文学学校で、小説や詩を学んだらしい。
そこで山田兼士に勧められて、この詩集を編んだという。

三村あきら
1936年 岡山県の北辺に生まれる

この詩集の概要は、山田兼士の「帯文」に書かれている通りである。
この本には、全部で30篇の作品が、ほぼ見開き2ページに一篇の詩として収録されている。
少し作品を見てみよう。

       枯れ野をゆく      三村あきら

   仕事に疲れて呻きながら
   御堂筋を南へくだり
   銀杏並木に和らげられながら
   南御堂に辿りつく

   椎の巨木の下に句碑はある
   ・・・・・夢は枯れ野をかけめぐる (芭蕉)
   ストレスが溜まり 吟詠すると
   心労から解きほぐされた

   夢を求めて枯れ野をかけめぐり
   楽土を求めて呻吟し
   土木を生業にして生きた

   母の匂いは 土のにおい
   作業服のぬくもりは 母の肌
   枯れ野に 安養の祈りをささげる

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この詩は Ⅰ 楽土へ の八番目に載るものだが、ほぼ、この詩集の概略を盛った作品と言っていいだろう。

こんな詩もある。

       平安な家庭     三村あきら

   窓が明るんでくる カタンコトン
   遠く環状線の鉄橋の響き
   寝間のなかで 鉄路の音を聞き分け
   その日の天候を予知し 起きる

   最近 向いに高層マンションが建ち
   生駒の遠景は閉ざされ 鉄路の響きは遮断
   窓 窓から幼児の泣き声
   虐待かと窓から身をのりだす

   窓 窓から夫婦喧嘩のがなりあい
   ギャンブルに敗けたら取り返せ
   死ぬほど働いても何もならん
   銭がすべての世の中と

   平和な家庭に夢をあたえる
   都構想 カジノで大儲け予告
   依存症は法律が守ってくれる

   ギャンブルで楽しい家庭
   心寂れ カタンコトンの響きを懐かしみ
   窓を見あげると 狭い青

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この詩は、今どき大阪で話題になっている「大阪都構想」を、皮肉っている。
また「幼児虐待」などの時事性にも触れていて秀逸である。
こういう時事に敏感な耳も大切にしたい。
そして大阪人には東に聳える「生駒」連山が、原風景として必須なのだが、それが懐かしく詠われている。
大阪と言っても広いから、北大阪、南大阪、あるいは和泉地方の人々には違和感があるかも知れない。

Ⅱ 望郷  には、離れてきた古里への郷愁が詠われている。
1936年生まれだから、先の大戦の記憶を濃く持つ作者である。大戦争中に少年期を過ごした。
作品を引くことはしないが、詩として情趣深く描かれていることを書いておきたい。
作者は、もう若くはないが、これからも折に触れて詩を書いてもらいたい。

ご恵贈に感謝して筆を置く。        (完)



山田兼士詩集『孫の手詩集』・・・木村草弥
孫の手_NEW

──山田兼士の詩と詩論──(18)

      山田兼士詩集『孫の手詩集』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・澪標2019/06/02刊・・・・・・・・

畏敬する山田先生が、標記の本を出された。
文字通り「孫」を詠んだ詩─娘さんが生んだ「ハル」という男の孫を詠んだ21篇の短詩から成る。
「ハル」というから女の子かと思うところだが、どうやら「ハル」というのは、この子の名前に因む「愛称」らしい。
嫁いだ娘さんの生んだ子、つまり「外孫」である。
横浜に住んでいて、毎日LINEで写真が送られて来る、という。
短歌の世界では「孫の歌は詠うな」と言われているが、「詩」の世界では、たくさんあるらしい。寡聞にして私は知らなかった。
さすがにフランス文学に精通した山田先生だけあって、この本に書かれている。

<孫のことを書いた詩はこれまでにもたくさんありますが、一冊がまるごと孫の詩というのは、私にはヴィクトル・ユゴー『祖父たる術』と金子光晴『若葉のうた』ぐらいしか思いうかびません。>

この本には、一冊そっくりではないが、孫を詠った詩が「前書き」や「挿入」の形で載っている。
谷川俊太郎、梶井基次郎、シュペルヴィエル、などである。

少し詩を引いてみよう。

      春の帰還       山田兼士

   三月 一七〇〇グラムで生まれ
   六月 四〇〇〇グラムで巣立って行ったハル
   八月 六〇〇〇グラムになって帰ってきた
   やあ大きくなったなあ
   と呼びかけたら ほほえむ
   と思ったのに 号泣された。

   ボードレールの善良な老婆なら
   絶望に泣くところだが
   二十一世紀の祖父はがまん強い
   しばらく遠目で目配せしあって
   一時間後には抱きあげていた
   おたがい 緊張気味ではあったが。

   十一月 木枯らしが吹いた
   明日はハルが
   三か月ぶりに帰ってくる
   体重計を用意して
   小春日和を
   待ち構えている祖父である。


       はるのたんじょうび      山田兼士

   おじいちゃんが ておしぐるまと
   えほんを おくってくれたよ
   たんじょうびの ぷれぜんとだって

   ておしぐるまは じきにおせるようになったよ
   あるくのにべんりだって すぐわかった
   えほんには 手のえがたくさんあって
   おかあさんは しゃしん? だっていうけれど
   ぼくの手ににてるのも にてないのもあって
   ずいぶんちいさな手もあるよ

         ・・・・・・

   はやくはなせるようになりたいな
   字もおぼえたいな
   ておしぐるまなしで
   あるけるようになりたいな
   はるはきょう 一さいになりました

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後の詩が巻末に載るものである。
予定より六週間も早く、早産の未熟児で生まれた孫なので、心配はらはら。
それだけに可愛いくて仕方がないのであろう。
この本に挿入される写真も、すべて山田先生によるという徹底ぶりである。その写真も、ぼかしてあってカット風で好ましい。
いかにも現代らしく、スマホやら、LINEやらを駆使した、でれでれの「おじいちゃん」丸出しの、微笑ましい一冊である。

ご存じのように、西欧詩の「ソネット」は、一篇が、4 4 3 3、または4 4 4 2 の行分けによって書かれる。
これは国によって違いがあるからだが、今回の詩の三分の一くらいが、見事なソネットになっていることを指摘しておきたい。

ご恵贈に感謝して紹介を終わりたい。六月の今では、 もう「歩き」だしたのではないか。    (完)


    

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