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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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東日本大震災から九年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
after006ヒマワリ
↑ 向日葵 (ヒマワリ)

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 月ほそくうすく見ゆるを子は言ひて獣あまた載る絵本をひらく・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 三振りを五振りに七味で気合ひ入れ狐も狸もわれも目覚めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 熊鷹の一羽を鴉の群れが追ふ集団的自衛権の行使かあれは・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋正男
 耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 さはあれど比喩は間接の域を出ずまして暗喩は奢りが臭ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 風渡る聖河のほとり人と人睦みて大悲分けあえるとぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷岡亜紀
 「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか・・・・・・・・・・・・・・・・森山良太
 糸吐きて繭を裡よりつくり出す蚕の声きこゆ夏白き昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜野ムツ
 能登の海真白にかがやく初夏は来ぬあな瑞々と立山の藍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井健二
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 エゾイチゲの花が咲いたと妻が言ひさうかと花を覗きにゆきぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 つと視野を過ぎし蛍のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 その身美しきこと知りゐるや知らざるや黒揚羽無心に舞ふ夏の朝・・・・・・・・・・・・・・ 石川恭子
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあつた戦争の前・・・・・・・・・・・・・・永田和宏
 譫妄の父泣き語る戦ひの空をほととぎす啼きてわたれり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・萩岡良博
 夕月夜美しかりし夢の中しづかにゐたる浴衣の女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 櫟原聰
 抗へる詩型にあらず。松の木の脂ほどの勁き泪欲しけれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・喜多弘樹
 いちまいの小さな地図を拾ひたり葉脈むすうに透けたる葉つぱ・・・・・・・・・・・・・・・・ 小谷陽子
 「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」ON AIR最中にて湾岸戦争勃発したる・・・・・・・藤原龍一郎
 易占に猫の安否を問うている愚かなること限りなけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも・・・・・・ 久我田鶴子
 千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ・・・・・・・・・・・・・ 千種創一
 小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭・・・・・・・・・・・  阪森郁代
 真青な中より実梅落ちにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤田湘子
 人類の旬の土偶のおっぱいよ・・・・・・・・・・・・・・・・ 池田澄子
 かなしからずや殻の中まで蝸牛・・・・・・・・・・・・・・・山田露結
 まなうらに新樹流れてひっそり寝息・・・・・・・・・・・・わだ ようこ
 平和な夢だ平和は夢だ鳴かぬ蝉・・・・・・・・・・・・・・・瀬川泰之
 つまみたる夏蝶トランプの厚さ・・・・・・・・・・・・・・・・・高柳克弘 
 水の面に蜂の垂り足触れにけり・・・・・・・・・・・・・・・ 村上鞆彦
 裏庭のカンナ淫らに変声期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原月彦
 噴水はまこと大きな感嘆符・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 金子敦
 夏の夜や口を開けば覗き込む・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 軍艦島かごめかごめでいなくなり・・・・・・・・・・・・・・ 河西志帆
 月見草躰しずかになりにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 匙入れて葛饅頭のひとゆらぎ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 脱皮せぬままに蟹のアポストロフィ・・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 語り部と呼ばれ青芒のごとし・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉山久子
 黒揚羽旅は罅より始まりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨田拓也
 全身を触覚にしてシャワー浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・北大路翼
 囀りやサラダの御代わりは自由・・・・・・・・・・・・・・・・越智友亮
 緑蔭や脇にはさみて本かたき・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田哲史
 ががんぼは腕立て伏せして老いてゆく・・・・・・・・・・・・・永井幸
 枇杷甘く合はせ鏡に溺れけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・外山一機
 急用のわたしが走る雉走る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 夏橙その手ざわりの過去を言う・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤淳子
 屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・・奥山津々子
 蕗十杷漬け置く桶の水の色・・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐義知
 モナリザの微笑の先の水羊羹・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 夏木立つばさもちちふさも楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・中村安伸
 避暑家族鳥とも違ふ会話して・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・佐々木香代子
 耳朶染まる多肉植物むんむんと・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 こゑふたつ同じこゑなる竹の秋・・・・・・・・・・・・・・・・ 鴇田智哉
 撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・・・・・・・森岡佳子
 さざなみ今もすこしずつ砂になる・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 恋愛が模型の丘に置いてある・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 岩礁の苔のぬめりの深き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井薔子
 山の蛾のひとり網戸に体当たり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田仁
 あられもなき五体ありけり大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・ 秦夕美
 竹は秋の夢二の女猫を抱き・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 ハッカ飴ゴールはみんな正解さ・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 でで虫やきのふのこともはや虚(うつけ)・・・・・・・・・・ 七風姿
 牛糞の苦さを漱ぐリラの風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後


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著書──
 歌集 『茶の四季』 (角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』 (短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』 (角川書店刊)
 歌集 『昭和』 (角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』 (KADOKAWA刊)
 歌集 『信天翁』 (澪標刊) 
 詩集 『免疫系』 (角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』 (角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』 (澪標刊)
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向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ・・・前田夕暮
23ひまわり②

     向日葵(ひまはり)は金の油を身にあびて
        ゆらりと高し日のちひささよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田夕暮


前田夕暮は明治44年「詩歌」を創刊、自然主義短歌を唱えて若山牧水と共に、明治末期歌壇に一時代を画したが、
大正に入るや一転、この歌のように対象のもつ生命感を鮮やかに描くことに力を傾けるようになる。
「金の油を身にあびて」には、太陽さえも小さく見えるほどの盛んな向日葵の花への讃歌がある。
この歌の「ゆらり」の個所には傍点が打たれている。
昭和3年休止していた「詩歌」を復刊し、新感覚派風の口語自由律短歌を提唱、たとえば
  「冬が来た。白い樹樹の光を体のうちに蓄積しておいて、夜ふかく眠る」
のような方法で歌を詠んだ。
戦時下に定型歌に復帰、平明で好日的な歌風を貫いたが、振幅の大きい作歌生涯を送ったと言える。
昭和26年没。
この歌は大正3年刊『生くる日に』所載。以下、夕暮の歌を少し引く。
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秋の朝卓の上なる食器(うつは)らにうすら冷たき悲しみぞ這ふ

君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

初夏の雨にぬれたるわが家の白き名札のさびしかりけり

夕日のなかに着物ぬぎゐる蜑(あま)乙女海にむかひてまはだかとなる

自然がずんずん体のなかを通過する──山、山、山

野は青い一枚の木皿──吾等を中心にして遥かにあかるく廻転する

戦ひに敗れてここに日をへたりはじめて大き欠伸をなしぬ

チモールに病めるわが子を嘆かへる吾ならなくに坂道くだる

ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に

一枚の木の葉のやうに新しきさむしろにおくわが亡骸は

枕べに一羽のしとど鳴かしめて草に臥(こ)やれりわが生けるがに

雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は
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6首目7首目の歌は自由律短歌の時期のもの。
終りから4首の歌は最晩年のもので、自分の「死に顔」を詠むという特異なものである。
掲出した歌と3首目の歌は夕暮の代表作として、よく引用されるものである。
いまは多磨霊園に眠っている。
ネット上から記事と写真を載せておく。
maedayuugure前田夕暮墓

本名・前田洋造 (1883-1951・明治16年-昭和26年)
昭和26年4月20日歿 69歳 (青天院静観夕暮居士) 多磨霊園
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魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて

木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな

若竹は皐月の家をうらわかき悲しみをもてかこみぬるかな (収 穫)

沈思よりふと身をおこせば海の如く動揺すなり、入日の赤さ

ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ

我がこころの故郷つひにいづかたぞ彼の落日よ裂けよとおもふ (生くる日に)

蜜蜂のうなりうづまく日のもとをひっそりとしてわがよぎりたり

ひたむきに空のふかみになきのぼる雲雀をきけば生くることかなし (原生林)
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昭和26年、前年よりの仰臥生活が続くなか、1月には主治医が急逝し「自然療法」に入った。
死期を感じた夕暮は遺詠「雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は」他を遺し、4月20日午前11時30分東京・荻窪の自宅「青樫草舎」で死を迎えた。
自らの死をも清々しく客観的に歌った彼の自我意識は最後まで醒めていた。
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ゴーギャン・ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、外光や色彩に多くの影響がみうけられる彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった。いまその塋域に立つと、赤や黄や白い供花の間から碑面を光らせている主の清らかさが偲ばれる。

「空遥かにいつか夜あけた木の花しろしろ咲きみちてゐた朝が来た」



とうすみはとぶよりとまること多き・・・富安風生
ookawaオオカワトンボ

      とうすみはとぶよりとまること多き・・・・・・・・・・・・・・・・富安風生

生れたばかりの蜻蛉が、まだ飛び立つには不安な姿を、じっと水辺の草にとめている。その辺りでは、水草が川水に揺られてなびいているのだった。
「トウスミトンボ」は水辺に居る蜻蛉で、この句はそんな生態をよく捉えている。
季語としては「蜻蛉生る」が夏の季語であり、単なる「蜻蛉」は秋の季語であることに注意したい。
蜻蛉は春から成虫が飛びはじめるが、秋になるとアキアカネ(アカトンボ)など大量に集団で群れて飛ぶのが、よく人目につくので、蜻蛉は秋の季語とされたのだろう。
蜻蛉の種類もたくさんあるが、掲出の写真のものは「オオカワトンボ」という。主に水辺を棲息域とする飛翔力の弱い蜻蛉である。
アキアカネやオニヤンマなどの種類は、かなりの距離を楽に移動する。
なお蛇足だが、トンボには羽根を広げて止まるのと、羽根を閉じて止まる、の二種類がある。
カワトンボの種類は写真のように羽根を閉じて止まる。アキアカネなどは羽根を広げて止まる。

私の敬愛するTokira氏の記事によると、最近では「オオカワトンボ」の呼称を「ニホンカワトンボ」と統一されたという。
詳しくは「日本産トンボ標本箱」を参照されたい。

以下、歳時記に載る「蜻蛉生る」の句を少し引く。
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 蜻蛉生れ覚めざる脚を動かしぬ・・・・・・・・・・・・中村汀女

 蜻蛉うまれ緑眼煌とすぎゆけり・・・・・・・・・・・・水原秋桜子 

 藺を伝ひ生るる蜻蛉に水鏡・・・・・・・・・・・・松本たかし

 草渡る風の蜻蛉を生みにけり・・・・・・・・・・・・龍橙風子

 蜻蛉生れてくらくらと水の上・・・・・・・・・・・・山上樹実雄

 水底より生れて蜻蛉みづいろに・・・・・・・・・・・・堀好子

 蜻蛉生れ雷迫る野を漂へり・・・・・・・・・・・・・中井眸史

 沢瀉に泉の蜻蛉生れけり・・・・・・・・・・・・根岸善雄

 糸とんぼ生れし歓喜水去らず・・・・・・・・・・・・勝部仇名草

 糸蜻蛉尾の先藍にして瀟洒・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

 蜻蛉生(あ)れ水草水になびきけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 萍(うきくさ)の動くがままに糸とんぼ・・・・・・・・・・・・八重九皐

 糸とんぼ可憐に交みさまよひ出る・・・・・・・・・・・・鈴木石夫

 糸とんぼ骨身けづりし彩なせり・・・・・・・・・・・・新谷ひろし

 流れゆくものに止まりて糸蜻蛉・・・・・・・・・・・・遠山りん子

 おはぐろや旅人めきて憩らへば・・・・・・・・・・・・中村汀女

 川蜻蛉木深き水のいそぎをり・・・・・・・・・・・・・能村登四郎

 ひたひたと水漬く板橋川とんぼ・・・・・・・・・・・・逸見嘉子


全長のさだまりて蛇すすむなり・・・山口誓子
sw-1upシマヘビ

  全長のさだまりて蛇すすむなり・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

この句は山口誓子の昭和24年、50代に入る頃の作品である。
蛇は身をくねらせて前に進むが、その動く姿の中から「全長のさだまりて」という見どころを把握したところに、この句の非凡さがある。
それは、ここにおのずと表白された誓子壮年期の人生上の覚悟が感じられるからである。
この句を読む人は、あるいは一瞬、とまどうかも知れない。
しかし、じっと見つめるならば、蛇の一刻たりとも停止することのない全身運動が、全体としては見事に、かつ、いやおうなしに
「全長のさだまりて」進む運動なのだという発見に、深い意味を見出して、心を打たれるのではなかろうか。
昭和30年刊『和服』所載。

日本に棲む蛇にも無毒、有毒いろいろの種類がいるが、掲出の写真は「シマヘビ」という普通に棲息する無毒の蛇の図鑑に載るものである。
アオダイショウという蛇も一般的だが、蛇の写真というのは難しいもので、ほぼ保護色になっているから、
自然の中で撮った写真は、周りの植物などに紛れて写真的には、うまくない。やむなく図鑑から拝借した。
日本にいる蛇のうち、有毒のものはマムシ、ヤマカガシ、沖縄のハブなどである。
私の住む田舎などでは、マムシは普通に見られる蛇で、丁度いま頃がマムシの繁殖期で、草叢などに不用意に手などを入れると、噛まれたりする。マムシに関しては医院や保健所などに血清が常備されており、手当てが早ければ死ぬことはない。
マムシを捕まえるときは、首ねっこを押さえ、毒を持つ牙を折り取り、皮を剥いで、軒下などに吊るしてあった。これを焼酎に漬けると、いいマムシ酒になる。
みんな蛇を怖がるが、蛇は「巳(み)ーさん」と呼ばれて丁重に保護されて来た。
私の旧宅には大きな岩塊が庭にあり、その岩と土との間の隙間に大きなシマヘビが「主(ぬし)」として棲息していた。
毎年、巣をかけるツバメが大きくなると蛇が出てきて呑み込んでしまう事故などもあったが、蛇は「利殖」の神様として崇敬されていたので、駆除されることなく大切にされて来た。
蛇は大きくなるために「脱皮」するが、その抜け殻は財布などに入れて利殖のお守りにされた。
私の子供の頃は家ネズミなどもたくさん居たので、夜寝ていると、そういうネズミを求めて蛇が天井裏を、ずーずーと這う音がしたものである。
無毒の蛇は人間には、むしろ有益な動物であったと言えるだろう。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に

    春を挿す・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 蛇(くちなは)はおのが脱皮を見せざりき蒼ざめし肌をまたその艶を

 巳(みー)さまは利殖の神のお使者ぞい粗末にすまじ石ぶつけまい


のような歌を作って載せた。この一連には、もっと多くの蛇の歌があったが、歌の数が多くなりすぎるので、この二首のみを収録した。
ただし『茶の四季』自選のなかには入っていないので、Web上では、ご覧いただけない。
ここに収録漏れの一連の歌を第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたので下記する。

 黐(もち)が枝に結はれし尻尾そのままに蛇の殻あり 奔り去る翳(かげ)・・・・・木村草弥

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歳時記に載る蛇の句を少し引いて終りにする。

 蛇逃げて我を見し眼の草に残る・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 蛇の眼にさざなみだちて風の縞・・・・・・・・・・・・松林朝蒼

 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 蛇去って戸口をおそふ野の夕日・・・・・・・・・・・・吉田鴻司

 蛇の衣傍にあり憩ひけり・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 袈裟がけに花魁草に蛇の衣・・・・・・・・・・・・富安風生

 老斑の手にいま脱ぎし蛇の衣・・・・・・・・・・・・山口草堂

 蛇の衣いま脱ぎ捨てし温もりよ・・・・・・・・・・・・秋山卓三

 胞衣塚の草にまぎれて蛇の衣・・・・・・・・・・・・・大場美夜子


「未来山脈」掲載作品2020/07「最後の審判」・・・木村草弥    
未来_NEW

800px-Conques_doorway_carving_2003_IMG_6330コンクのサント・フォア聖堂のティンパヌム(タンパン)
 ↑ コンクのサント・フォア聖堂のティンパヌム(タンパン)

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(31)
     
          「最後の審判」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・2020/07掲載・・・・・・・

      最後の審判      木 村 草 弥

   フランス、コンクのサント・フォア教会の「タンパン」

   タンパンとは教会の扉の上部の半円形のアーチ部分

   キリストの上げた右手に神の国、

   下げた左手に地獄の有様が彫られている

   十二世紀初めから一一三〇年頃の作品である

   シトー会の聖ベルナールは先立つクリュニー会の華美さを嫌った
   
   イエス・キリストの清貧な生活に帰れ、ということである

   だが、そのシトー会にしてからが讃美歌合唱に血道をあげていた

   ロマネスクの時代は「ヨハネ黙示録」の時代と言われる

   『新約聖書』の最後を飾る歴史物語が定着していった

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ヨーロッパの「中世」を語ることは、なかなか難しい。ヨーロッパの周縁部からの蛮族─異教徒が何波にもわたって侵入し、大混乱に陥っていた。
当然、キリスト教界も混乱を極め、「終末思想」が支配した。
「最後の審判」というのがささやかれた。
蛮族の襲来を何とか乗り切った後は、また別の精神世界が展開するが、それは、また別の機会に。



三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』・・・木村草弥
三井_NEW

──三井修の本──(7)

     三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・青磁社2020/06/26刊・・・・・・・・

いつもお世話になっている三井修氏が、今まであちこちに発表された文章をまとめて、初エッセイ集を出された。
恵贈されてきたので、さっそく読んでみた。300ページに及ぶ大部の本である。
エッセイは面白くて、読み出したら途中で止められない。
装幀は千種創一君の本『千夜曳獏』と同じ濱崎実幸で、独特の面白いものになっている。
カバーの紙の裏面は柄の模様刷りになっていて、それを半分、折り返して、図版に見られるような体裁になっているのである。
濱崎実幸氏は有名な装幀家らしく注目されている。
私も2004年からブログを書いているが、言わば詩歌句にまつわる「エッセイ」のようなものである。
だから機会があれば、その中から選んで一冊の本にして上梓したい気持は前から抱いている。
そんな意味から、大変参考になった。

目次を見てみよう。
故里のこと
しただみ
父のこと
能登の熊
能登の少年
父の短歌
わたしの原風景

故里の歌人たち
自然詠の復活に向けて 坪野哲久の歌に思うこと
哲久の父
・・・・・
大野誠夫と津川洋三
風土の歌人 岡部文夫
富山における木俣修  風土と時代と人生
信仰と科学  津川洋三の場合
雪の歌人  岡部文夫
・・・・・
坪野哲久と島木赤彦
岡部文夫歌集『雪天』

アラビア語圏で
自然体で
・・・・・
中東の小さな島で一人詠む─ バハレーン歌日記
・・・・・
短歌に「アラブの春」
雪降る国から砂降る国へ
アラビアを垣間見た二人
鹹き水
・・・・・

歌人論
田中栄さんのこと
「その時七十歳」
永田和宏の母の歌
光の歌人
華麗なる文学的転変
宮柊二の後記歌集における韻律性──リフレイン、対句表現の多用
高安國世
高安國世の創作語
死を見つめた歌人  青井 史
釈迢空の墓
折口春洋の歌
「あな」考  葛原妙子作品を中心に
ヨルダン河の彼方
「アララギ」転機の歌集
牛飼いの歌
左千夫の連作論
開会宣言
「私にとっての方代とは・・・・・親戚のオジサン」
水野昌雄の叙情性について

多く引きすぎたかも知れない。
出典が明示されていないので分からないが、北陸中日新聞の歌壇の選者などもなさっているので、あちらの新聞に載せられたものかも知れない。
ひとつ短い文章を引いてみよう。

     短歌に「アラブの春」

  海外詠はそれぞれの時代で主な担い手や主な発信地があった。かつてはモスクワ在住の駐在員
  夫人たちの投稿グループがあったし、国際結婚してヨーロッパに住む女性たちの活躍があったし、
  男性でも駐在員の歌や、刑務所のような特殊な環境で発信される短歌も話題を呼んだ。
   中東に関して言えば、約二十年ほど前バーレーンに在住した商社員の三井修、三年前までアブ
  ダビで日本語教師をしていた斎藤芳生などの先例はあったが、それらはあくまで点としての存在
  でしかなかった。それが最近、面としての動きを示し始めていることが注目される。
   今年に入って「中東短歌」という雑誌が創刊された。これは現在ヨルダン在住の二十五歳の千
  種創一(東京外大の「外大短歌」出身)を中心に、前述の三井修、斎藤を含む柴田瞳、町川匙、
  幸瑞の、何らかの形で中東に関わりのある六人が参加している。

       絨毯のすみであなたは火を守るように両手で紅茶をすする     千種創一
       朝明けはモスクも霧の中なりき砂塵と祈りの声はとけ合う      斎藤芳生

  更に「中東短歌」とは別に、シリアの首都ダマスカスで研究生活を送った柳谷あゆみの『ダマ
  スカスへ行く 前・後・途中』という歌集が出版された。

       過ぎるたびなにやらひとりになる カーブ、あれは海ではなくダマスカス

  これらの中東を巡る短歌の新しい動きは、あたかもここ数年のいわゆる「アラブの春」に呼応
  するかのような印象さえ与えるが、その前途は「アラブの春」同様、混沌としている。

もう一つ引いてみよう。

          わたしの原風景

      故郷の雪の夜に居ると思うまで月光盈ちて明るき砂漠       三井修

  雪深い北陸で生まれ育ったが、大学を出てから就職したら、アラピアに転勤になった。駐在中、
  よく夜の砂漠へドライブをした。夜の砂漠は街の灯火がないので、星空は実に凄まじい。プラネ
  タリウムで見るよりもはるかに多くの星が、文字通りビロードのような漆黒の空に犇めき合って
  いる。原始人が見た夜空とはこんなだっただろうと思う。
   「月の砂漠」という童謡もあったが、月夜の砂漠も素晴らしい。明るいが無彩色である。墨絵
  という感じとも違う。そのうち、これは故郷の能登の夜の光景と同じだと思うようになった。
  全ての輪郭が明瞭であり、全てが無彩色なのである。全てが静かで、全てが自らの存在を静か
  に主張しているのである。私はアラビアの砂漠に居ながら、少年となって故郷の能登の雪の夜に
  居るような錯覚に襲われた。これから家に帰れば、まだ若い父母が居て、明るい電灯が私を待っ
  ているようにさえ思えた。
   故郷で暮らしたのが十八年、東京に出てアラビア語を学んで以来、アラビアと付き合い始めて、
  かれこれ三十年以上、うち、アラビアに住んだのが述べ七、八年になる。最近は故郷に帰ること
  も少なくなった。たまに帰る機会があっても、大体冬以外の季節である。冬の能登にはもう何十
  年も帰っていない。

この本の題名になっている「雪降る国から砂降る国へ」の項目の歌も引きたいが4ページと長いので、引くのは勘弁願う。
ネット上にある文章なら、簡単にコピペしたら転載できるのだが、紙媒体だとスキャナするか、手入力するしかない。
スキャナも便利だが、どうしても「文字化け」するので修正に手間を食うのである。
業務用の大きなスキャナがあれば話は別であるが。
まだ全部を読んだ訳ではないが、ゆっくり読ませていただく。
ご恵贈有難うございました。 コロナウイルス跳梁で不自由極まりないが、どうぞ、ご自愛を。       (完)





  
戦争に遠くブーゲンビリア咲く・・・玉山翆子
img075ブーゲンビリア④

   戦争に遠くブーゲンビリア咲く・・・・・・・・・・・・・・玉山翆子

この句の詠まれた場所は、沖縄であろうか、それとも東南アジアのどこかの国であろうか。
いずれにしても、さる世界大戦の苦い思い出のまつわる土地に違いない。鎮魂の深い思いのこめられた重い句である。
その思いがブーゲンビリアという真紅の花とマッチしているというべきだろう。
もはや敗戦後75年の歳月が経とうとしている。
戦後生まれの人が人口の大半を占めるとは言え、さる世界大戦の悲惨な記憶は、語り継がれるべきであり、文芸作品とて同じである。
そういう意味で、この句の語る奥行きは深いものがある。

dsc00762ブーゲンビリア③

二番目の写真は沖縄のものである。
ブーゲンビリアはハイビスカスと共に熱帯を代表する花。よじ登る性質の潅木である。
大きく花びらのように見える部分は苞葉で、受粉の手伝いをするハチドリを呼び寄せるためという。
苞葉は果実になる時期まで残る。
ブーゲンビリアは原産地はブラジルと言い、19世紀フランスの戦艦がソロモン諸島からヨーロッパへ持ち帰った木で、
その時の艦長の名前がブーゲンビリアBougain villea だという。学名は、この名前のあとにglabra がつくだけ。
オシロイバナ科の木と言われ、和名はイカダカズラという。
ブラジル原産だと言いながら、艦長が19世紀にソロモン諸島から持ち帰ったということは、
すでに古くからポリネシア、ミクロネシア一帯には広く分布していたことになる。
ブーゲンビリアの本当の花は、この苞葉の中に黄白色の小さな花が、それである。
イギリスでは、ブーゲンビリアを「ペーパーフラワー」と呼ぶらしい。
いずれにしても改良種など、色も紫から黄色、ピンクなど極彩色の数々の色がある。
蔓性のよじ登る性質があるので人工的な形にしやすくタイ国などでは巧みに細工したアーチなどのガーデンが見られる。

俳句では、ブーゲンビリアという7音が邪魔をして詠まれる句は多くはない。歳時記でも載せていないものも多い。
以下、その数少ない句を引いてみる。

 ブーゲンビリアテラスに読める老夫婦・・・・・・・・・・古賀まり子

 ブーゲンビリア無口になるも旅疲れ・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 ブーゲンビリア咲かせ北大植物園・・・・・・・・・・千葉仁

 日を秘めてブーゲンビリア棚をなす・・・・・・・・・・森田峠

 ブーゲンビリア紅き緑蔭なせりけり・・・・・・・・・・山崎ひさを

 ぶつかるはブーゲンビリアバス走る・・・・・・・・・・小路紫峡

 天界をブーゲンビリアまた紊す・・・・・・・・・・北登猛

 ブーゲンビリア民話は死より始りぬ・・・・・・・・・・曹人

 咲きのぼるブーゲンビリア椅子涼し・・・・・・・・・・伊都子



高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・木村草弥
恭子_NEW

──新・読書ノート──

       高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・現代短歌社2020/06/27刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。表紙の固いドイツ装の小ぶりの瀟洒な本である。
作者は「地中海」誌に所属する大阪の人である。
「地中海」大阪支社に居られるから私も存じているし、お会いしたこともあるかも知れないが、深い付き合いはない人である。
年賀状は差し上げているし、今回の私の歌集『信天翁』もお送りしたが、返信の記録はない。
とにかく、こまめに交信をするような人ではないようである。
この本にも「あとがき」に来歴は書かれているが「略歴」などは一切ない。とにかく「言葉少ない」人である。
「あとがき」や「帯」文の久我田鶴子によると、京都生まれの大阪人だという。
大阪で三十八年間、高校国語教員をやって来られた。2014年に定年退職されている。
「あとがき」には、こう書かれている。

<定年が近づいた頃から、一つの区切りとして歌集を出したいという思いはあった。
 しかし、退職すると月日はあっという間に過ぎてゆき、歌集のことは先延ばしになってしまった。
 ・・・・・とりわけ、点字図書館の音訳ボランティアは、今では生活の大きな部分を占めるようになった。
 ひょんなことから始めたバルーンアート、自然観察会の活動等々、・・・・・人生の第二ステージは私の行動半径や交友関係を広げていった。
 ところが新型コロナウイルスで私の生活も激変した。・・・・・歌集作りに着手することにしたのだ。・・・・・
 私が短歌に出会ったのは二十代半ばである。
新任として赴任した府立高校の先輩教員小西美智子氏は「地中海」大阪支社の同人で、当時の大阪支社長奥田清和氏に紹介され「地中海」に入った。
しかし数年後仕事と家庭の両立だけで精一杯になり、長い長い空白のあと、・・・・・学校が週休二日制になり、第四日曜日の歌会に出掛ける精神的余裕が生まれてから、もう一度短歌を始めることになった。
 ・・・・・二〇〇〇年から二〇二〇年までの372首を選び出した。あらためてふり返ってみると、ありふれた一市民の生活を詠んだものばかりである。
 平明な詠いぶりに表れているように、実生活も気負わず自然体で歩みたいと心がけてきた。
 「和して同ぜず」を座右の銘に、〈裸足のステップ〉を軽やかに踏みながら。>

長い引用になったかも知れないが、この文章に、この本の要約が尽くされていると言えるからである。
以下、歌を引きながら鑑賞していきたい。
歌集の題名は、巻末に「裸足のステップ」の一連があり、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む
の歌から採られている。
作者の詠いぶりも選歌も几帳面なものである。「和して同ぜず」を座右の銘と言われるように実践しておられるのである。

章建ては、Ⅰ Ⅱ Ⅲ になっているが、経時的になっているかは分からない。

   *焼きたてのパンを抱えて闊歩する「おおきに毎度」の声ひびく町
   *あつあつのチヂミほおばりカンサハムニダ鶴橋市場の迷路にあそぶ
   *自由軒の暖簾くぐれば横向きに織田作之助老いて腰かけている
   *夕暮れの水掛不動は異形めき関東煮みたいな大阪ミナミ
   *高層のビルに変わった下町をチンチン電車が寝ぼけて走る
   *見はるかす〈あべのハルカス〉大陸の嚏うつりて雲居にかすむ

巻頭の「大阪点景」に載る歌である。この本の巻頭に、作者は今の大阪のラフスケッチを描いてみせた。
「関東煮かんとだき」とは「おでん」のことである。今の若い人たちは知らないかもしれない。

   *ままごとのように暮らした茨木の三軒長屋に灯りが見える
   *ふりかえる日は銀の匙 ポン菓子の砲台黒くあの角に待つ
   *うつむいた子の背を押すドラえもん耳かじられし傷がうずける
   *夕風が子を取ろ子取ろと吹きすざびぐらりと揺るる朱の一輪車
   *スタートのピストルかわいた音はなつ十月十日の空青かりき

巻頭の次の項目の歌である。この辺のところは多分に経時的であるようだ。

   *本当は瞳があったはずなのに少女はモジリアニの絵に閉じこもる
   *質問が詰問となり煮つまったカレーのような放課後の室
   *紙飛行機とばさんほどに一行の退学届を少女は持ち来
   *はつ夏の緑まぶしく引きこもる汝のメールに絵文字をおくる
   *学校の前まで来たと俯きて少女は細き肩ふるわせる

思春期の若者は揺れ動いている。反抗期でもある。彼らと交わりながらの教師の生活は尊いものである。
何十年の出来事を、この一巻に圧縮したので、歌の「推移」も、すばやい。

   *肩書をはずせば人は線と面さやさやとして花ちらす風
   *花散らす口縄坂の風にのる背さびしき織田作之助の影
   *下二段活用おぼえる子ら乗りてそういえば考査の始まる七月
   *泣かしたり苛められたり遠き日を秘めおりトンボのちびた鉛筆
   *鉛筆を器用に削る友ありき今ならクラスのヒーローとよぶ
   *とびっきりの御褒美だったカルピスの水玉模様はじけ散る夏
   *水饅頭つるりと食めば子を産みし遠き五月の朝すがすがし
   *行水に汗を流せばぽんぽんをはたきくれたり祖母といた夏
   *浜田さんが五分遅れて来てくれそうな曽根歌会の戸外は晴れて
   *上書きのできぬ言の葉あたためて『暗黒物質』の宙めぐりたし

ここに「浜田昭則」氏の名前と著書が出てくる。私にも懐かしい人である。ここに書かれるように浜田氏は、いつも遅刻してくる人だった。
物理学徒でありながら、競馬とビールの好きな人だった。そんな人柄を表すように「動脈瘤解離」で急死された。
私は酒に弱かったので、酒好きな先輩歌人のお相手をするために浜田氏に同席をお願いして阪急百貨店脇で酒席を共にした記憶が甦る。

   *ゆく年と来る年つなぐ梵鐘を父は聞いたか逝きてしまいぬ
   *今触れた父の冷たさ一本の樹より寂しく元朝に立つ
   *しろがねのハモニカひとつ静かなり今は主なきベッドのかたえ
   *生きもののはずむ五月よ好物の鰻どんぶり父に手向けぬ
   *かなしみは忘れた頃に 一〇〇〇メートル平泳ぎしながら泣きぬれている
   *復員の後を余生とながらえて父は末期のひと声あげき
   *父逝きて語りつがれぬ戦あり雨後の送り火ひとすじ点る
   *文章にすれば二枚に足らぬとぞ死線を越えし父の自分史

ここに父親との別れが描かれている。これらの歌を、どうしても収録したかった、と「あとがき」にある。

   *骨董の市に見つけし鉄瓶をはるかにたどる祖母のぬくもり
   *しかられて祖母の蒲団にもぐりこむ黒い膏薬貼った手ぬくし
   *ここだけの内緒話をつめこんだ寄木細工の祖母の針箱

ここに祖母との思い出が淡々と詠まれている。佳い歌群である。

熊野古道や志摩半島や沖縄への羇旅の歌にも佳いものがあるが省く。

   *ひとり居の母の飯炊く時分かと八頭芋の皮あつく剥く
   *脈絡のなき日は遠し我楽多と母が捨てにしグリコのおまけ
   *足し算が引き算になる母の日々ひとすじ庭の白梅かおる
   *浅漬けの柚子大根をたずさえて日に日に遠し母の棲む家
   *口だけになっても母は毒を吐くカーネーションの一輪赤し
   *不意打ちにデイサービスは嫌いやと母の視線がまっすぐ伸びる
   *底冷えの京の町屋に蓬髪の母は流離の灯りをともす
   *身に合わぬ母の大島ふるさとの取っ手壊れし箪笥にしまう
   *辛口のお伽話の終章を母は小筆の草書にちらす
   *「健ちゃんは車掌になったか」問う母が古い写真の真ん中に居る
   *べとついた母の茶碗を洗いつつ寺山修司ほどに憎めず
   *堀川の土手の桜を仰ぎみる「もう帰ろう」と母の言うまで
   *息ほそき母のいのちよ如月の淡雪しろく片肺に降る
   *六月の母の暦の明るさよ三色ペンのゴミ収集日

ここに母との思い出と確執などが表現されている。思えば「肉親」というものも寂しいものである。

   *右肩をいからせて子は発ちゆけり八重の桜のほわほわとして
   *段ボール五箱と発ちし子の部屋に欠けたドラえもんの貯金箱あり
   *新しきスーツ二着をひっさげて子は発ちゆけり熊谷という町
   *祝婚の三十九年目うしろから抱きしめられて夕日があかい
   *三角に手と手つなげばこれ以上小さくならぬ家族の単位
   *遠き日を三十一文字が記憶する いぶりがっこと炊きたての飯
   *がらんどうのオフィスに夫は息ひとつ吐いて四月の暦をやぶる
   *小説は読まない夫と四十年すこしは同じ夢をみている

ここに「子」と「夫」のことが書かれているが、作者は、そういう眷属のことは描かない人である。寡黙である。それも一つの生き方である。

   *ユリノキを仰ぐ朝の空たかく憲法九条ゆがんで映る
   *水あめのような歴史をふりかえり百田尚樹の言葉をこばむ
   *戦後レジーム脱却すなわち戦前がはじまっている 狼が来た

ここには現下の保守派の動向に批判的な作者の姿が見え、私は尊敬する。こういう時事を詠うことも歌人としては大切である。

いよいよ巻末に迫ってきた。

   *白内障のまなこ近づけ〈ぴ〉か〈び〉か迷いたり音訳録音
   *京うまれ大阪そだちを恃みつつアクセント辞典をボロボロにする
   *わたくしの声をだれかが待ちおらん 録音室の二時間あまり
   *着ぶくれたコートに挟まれ立ち飲みの卓に昭和のほおづえをつく
   *大阪のおばちゃんと括られ気がつけばヒョウ柄スカーフ三枚持てり

ここに作者の「今」が表現されている、と言っていいだろう。
巻末の歌は、先にも引いたが、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む

で終わっている。何十年かの思いを、この一巻に込められた。
この後も佳い歌を詠んで、次歌集を期待したい。ご恵贈有難うございました。         (完)











山椒の脇すぎたれば葉ずれして匂ひたつなりすずやかなる香・・・木村草弥
W_sanshou4041山椒の花

   山椒(さんせう)の脇すぎたれば葉ずれして
     匂ひたつなりすずやかなる香・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
写真①がサンショウの花である。
山椒の匂いは葉から発するもので花そのものには匂いがあるかどうかは判らない。
掲出した歌の次に

      摘み取りし山椒の若葉を摺りこみて田楽豆腐の竹串ならぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、季節の木の芽として香り高く、重宝なものである。もちろん私の方には山椒の木がある。

sansyo-ao-zaru040617山椒の実

写真②が山椒の実である。
今その実が緑色に色づいて一杯なっているところである。
実は熟すると黒っぽくなるが、一般的には完熟させることはない。というのは青いまま採りいれて、山椒こんぶとか、佃煮とかに実を使うからである。
「山椒ちりめん」などちりめんじゃこと山椒を炊いて、よく乾かしたものは熱いご飯に載せると美味なものである。
山椒のぴりりと辛い成分は腐敗を防ぐ作用もあるらしい。日本人の生活の知恵である。

山椒の木は香りの強い木であるが、こういう香りの高い木の葉を好む虫がいるので始末が悪い。
アゲハチョウの類の蝶である。写真③はクロアゲハ蝶の雌である。

kuroageha-omoteクロアゲハ雌

この歌のつづきに

      山椒の葉かげに卵を生みゐたる黒揚葉蝶わらわらと去る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある通りである。この幼虫自身も、つぶすと山椒の匂いがする。
大きな山椒の木になると多少食われても支障はないが、苗木の段階では、すっかり丸坊主にされてしまうことがある。
油断も隙もあったものではない。写真④はクロアゲハ幼虫の終齢期のもの。

kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

山椒の花、山椒の芽は俳句では春の季語である。
それらを少し引いて終わりたい。

 日もすがら機織る音の山椒の芽・・・・・・・・長谷川素逝

 芽山椒の舌刺す一茶の墓詣・・・・・・・・野沢節子

 朝夕に摘む一本の山椒の芽・・・・・・・・上村占魚

 芽山椒青年を摘む匂ひして・・・・・・・・星野明世

 花山椒煮るや山家の奥の奥・・・・・・・・松瀬青々

 風立てば山椒の花も揺らぎたる・・・・・・・・神津杉人

 誰か知る山椒の花の見え隠れ・・・・・・・・渡辺桂子



POSTE aux MEMORANDUM(6月)月次掲示板
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東日本大震災から九年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
FI249257_2E未央柳
 ↑ 未央柳(びようやなぎ)

六月になりました。 嫌な梅雨が始まります。
この梅雨は米作りや飲料水の確保などに必要ですから我慢いたしましょう。


 燕飛ぶ夕まぐれこの幸福は誰かを犠牲にしてゐるならむ・・・・・・・・・・・・・・・・大崎瀬都
 店先のあをき
榠樝の量感をながめをりけふの想ひのごとく・・・・・・・・・・・・・・横山未来子
 虹をくぐるための切符 にぎりしめた掌すこし汗ばんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡亜紀
 をりをりに風の集へる欅の木ざわと出て行く先は知らない・・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 「鳥の歌」パブロ・カザルス 若き耳には届くなかりしこの弦の音や・・・・・・・・・・三枝浩樹
 曇天をひるがへり飛ぶつばくらの狂ふとも見え喜ぶとも見ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・ 松阪弘
 いつかこの古代湖は海につながるらしい水底に秘す一切とともに・・・・・・・・・・・・・林和清
 遠目には桐かあふちかふぢの花いづれかいづれかすむむらさき・・・・・・・・・・・ 沢田英史
 食べるまへも食べても独り わたくしに聞かせるために咳ひとつする ・・・・・・・・永田和宏
 このごろを死者に親しくわがあればなべてうつくし現し世のこと・・・・・・・・・・・ 照屋眞理子
 むせかえる青葉の樹下を行くならば一気に過ぎよ老いてしまうから・・・・・・・・・・佐伯裕子
 夏の家の水栓とざし帰るとき魚鱗もつ水息ひとつ吐く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山下泉
 しづくして虹消えはてし宇陀の野の伝承ひとつ緑青を噴く・・・・・・・・・・・・・・・・・ 萩岡良博
 この都市の地下にひそめるなまぐさき青大将の日々太りゆけ・・・・・・・・・・・・・・喜多弘樹
 大いなるにごりの中に棲まひするなまずのひげの濃き夕まぐれ・・・・・・・・・・・・・・ 櫟原聰
 たからかに贅(ふすべ)ゆすりて笑ひたる翁のやうだ夏のくすのき・・・・・・・・・・・・小谷陽子
 壁に並べ貼られたるマッチのラベルなど見あげなにとなく夏の日過ぎし・・・・・・・真中朋久
 東京の午前を午後を生きのびて歩みて春は名のみの街区・・・・・・・・・・・・・・ 藤原龍一郎
 かき上げるしなやかな指はつか見ゆ風が大樹の緑の髪を・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 ペン胼胝の消えたる指がうれしげに操るならねノート型バイオ・・・・・・・・・・・・ 久我田鶴子
 目裏は蛍の季節 ひんやりとピアスのかけら口にふふめば・・・・・・・・・・・・・・・・ 阪森郁代
 赤富士に鳥語一時にやむことあり・・・・・・・・・・富安風生
 麦秋の中なるが悲し聖廃墟・・・・・・・・・・・・・ 水原秋桜子
 万緑やどの木ともなく揺れはじむ・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 初蚊帳のしみじみ青き逢瀬かな・・・・・・・・・・・・日野草城
 蛞蝓といふ字どこやら動き出す・・・・・・・・・・・後藤比奈夫
 揚羽より速し吉野の女学生・・・・・・・・・・・・・・・・藤田湘子
 麦の秋ゴホは日本が好きであった・・・・・・・・・・京極杞陽
 航跡に碧湧き出す朝曇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 生卵小鉢に一つづつ涼し・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小川軽舟
 アスパラガス茹でるやさしさにも限界・・・・・・・・ 加藤静夫
 相対死とは故郷の青葉闇・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原月彦
 身一つの勝負に出たラムネ玉・・・・・・・・・・・・・ 栗山麻衣
 雨だれに遊ぶゐもりや安居寺・・・・・・・・・・・・五十崎古郷
 珊瑚礁の骨たちをざくっざくっと踏みつけて行く・・・・・・・豊里友行
 改札のぱかんと開いて更衣・・・・・・・・・・・・・・・・・ 金子敦
 けふはよく道を聞かれる若葉風・・・・・・・・・・・・・津野利行
 サニーレタス錆びたり会いたくなったり・・・・・・・ 河西志帆
 牛込のボクシングジムさみだるる・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 仏弟子の妙に生々しき素足・・・・・・・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 ひとりだが孤独ではない喉仏・・・・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 走り梅雨コンビニの傘よく売れる・・・・・・・・・・・・ 工藤定治
 さつきから葉騒のままで猫がゐる・・・・・・・・・・・ 青本柚紀
 相槌を打つ翻訳家ところてん・・・・・・・・・・・・・・・ 丸田洋渡
 溢れゆく梅雨の匂いや犬が死ぬ・・・・・・・・・・・・・大中博篤
 ゆふぞらの糸をのぼりて蜘蛛の肢・・・・・・・・・・・・上田信治
 夏雨のあかるさが木々に行き渡る・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 らんちうの粒餌をすぱと吸うてをり・・・・・・ クズウジュンイチ
 声帯のゆつくり延びる苗木市・・・・・・・・・・・・・・五十嵐秀彦
 あやめ咲く箱階段を突き上げて・・・・・・・・・・・・・・八田木枯
 蝸牛二段梯子の先頭に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森島裕雄
 青梅雨や部屋がまるごと正露丸・・・・・・・・・・・・・・小林苑を
 背をむけて語る母と子杜若・・・・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 新緑や愛されたくて手を洗う・・・・・・・・・・・・・・・・ 対馬康子
 Tシャツで十七歳で彼が好き・・・・・・・・・・・・・・・降矢とも子
 銅は屋根にコインに夏の雨・・・・・・・・・・・・・・・・・寺沢一雄
 塩辛に烏賊や鰹や夏始・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 巌流島どの紫陽花も赤ばかり・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 黒南風に売り子の盆の差し出され・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 海賊が祖の王族の薔薇の庭・・・・・・・・・・・・・・・ 杉原祐之
 拭いても磨いても老いていく鏡・・・・・・・・・・・・・・富永鳩山
 葉桜やさやと鳴り今日ざわと鳴り・・・・・・・・・・・・江口明暗
 順風も逆風も鳴り分けている風鈴・・・・・・・・・・平田キヨエ
 筍梅雨空のこころになりがたし・・・・・・・・・・・・・・・・乾志摩
 円空は作仏聖よ風薫る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田郁子
 ここもまた空き家となりし花十薬・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 紫陽花はロココ調です六分咲き・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子 
 草青むはやさに歩む牧支度・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後 


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★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 (角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』 (短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』 (角川書店刊)
 歌集 『昭和』 (角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』 (KADOKAWA刊)
 歌集 『信天翁』 (澪標刊) 
 詩集 『免疫系』 (角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』 (角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』 (澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第七歌集『信天翁』、第六歌集『無冠の馬』、第三詩集『修学院幻視』は、下記のところで買えます。   
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踏まれながら花咲かせたり大葉子もやることはやつてゐるではないか・・・安立スハル
oobako04大葉子

   踏まれながら花咲かせたり大葉子(おほばこ)も
     やることはやつてゐるではないか・・・・・・・・・・・・・・・・安立スハル


安立さんは私を短歌の道に引き入れてくれた恩人である。宮柊二創立の有力な短歌結社「コスモス」の幹部であられた。
この歌のように歌の作り方も独自の詠み方をする人で自在な心情の持ち主であったが、先年亡くなられた。

オオバコあるいはオンバコともいうが、この歌のように踏まれるような路傍に生える雑草で、花の終わったあとの茎を双方からからませて草相撲をしたものだった。

oobako05オオバコ花

写真②はオオハゴの穂と花である。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  おんばこの穂を引抜きて草角力(すまふ)したるもむかし夕露しとど・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、子供の頃は、こうして遊んだものであった。昔の遊びは素朴で単純なものであった。
この草は「車前草」とも書かれる。この命名の由来は往来の踏まれるような所にもかまわず生える強い草であるからだろう。
この草を詠んだ句は多くはないが、それを引いて終わりたい。

 車前草に蹄痕ふかし五稜郭・・・・・・・・富安風生

 おほばこの花の影あり草の上・・・・・・・・星野立子

 湖畔にて車前草の露滂沱たり・・・・・・・・富安風生

 近ぢかと路よけあふや車前草鳴る・・・・・・・中村草田男

 話しつつおほばこの葉をふんでゆく・・・・・・・・星野立子

 車前草に夕つゆ早き森を出し・・・・・・・・室生とみ子

 踏まれつつ車前草花を了りけり・・・・・・・・勝又一透

 車前草の葉裏くぐりに蛇去りぬ・・・・・・・・青木可笑

 車前草の花かかげたり深轍・・・・・・・・高木良多

 車前草の花引抜きて草角力・・・・・・・・大崎幸虹
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安立スハルが自歌集『この梅生ずべし』の「あとがき」で、こんなことを書いている。 以下引用。

『歌集名「この梅生ずべし」は源義朝の言葉です。私の家にこんな記録が残されて居ります。
 平治の乱に敗れた源義朝が、再挙を計ろうとして京都を脱し東国に赴く途中、美濃の国の五郎右衛門という百姓の家に、しばらく身を匿したことがありました。平氏の追求があまりに手きびしかったからです。五郎右衛門はその家にしばらく義朝をかくまいながら懇に面倒をみたのですが、やがて追手の勢いも衰えたので、義朝はふたたび東国を指して出立することとなりました。
 出立の日に義朝は、虎口の難を逃れ得たことを謝し、五郎右衛門に一振の刀を与えて、「源氏が世に栄えるときがきたら、この刀を持参せよ、必ず恩賞をとらすであろう。今は追ってくる敵もなく、安心してこの地を立つことが出来る。これを祝して『安立(あんりゅう)』を其方の苗字とし、以後安立五郎右衛門と名のるように」と云い残しました。
 義朝は更に安立家の紋所も考案しました。義朝は食事のとき、佩刀の笄を箸の代用としたのですが、茶碗の上に笄を置いた形を安立家の紋所とすればよいといって、「丸に笄の行違い」という風変わりな紋所を考案したのです。
 その日の膳には梅干しが添えてあったのですが、義朝は殊のほかこれを悦んで食べ、「この梅生ずべし」と言いながらその梅干しの種を庭に投げました。「この梅生ずべし」とは、源家の再興を念じていた義朝が、その希求をこめて云った言葉かと思います。義朝の立ち去ったのち、不思議なことに、この梅干の種が芽を出し、やがて枝を伸ばし、的樂たる花を咲かせたのです。安立家ではこれを有難がって家木とし、極めて鄭重に扱いました。その木の寿命が尽きて枯れてしまうと、今度は幹を切り取って家の中に持ちこみ、「古木さま(こぼくさま)」と称して子々孫々に伝えました。この古木さまなるものは、私も名古屋の本家の仏間で見たことがありますが、昭和二十年に戦災で焼失しました。
 安立五郎右衛門には娘がひとり居りましたが、義朝の去ったあと、この娘に義朝の子が生まれました。女の子だったそうですが、その子が長じたとき、これに養子を迎えてあとを嗣がせたところ、また女の子が生れ、その女の子にも女の子が生れるというふうに、しばらくは女子を通じて家系がつづいたとかいうことです。』
引用終り:筑摩書房編輯 「この梅生ずべし」『現代短歌全集 第十五巻』筑摩書房、1981年、136P以下


イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど>に潜みゐるといふ・・・木村草弥
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↑ 二枚貝に産卵しようとするイタセンパラ

     イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり
           木津川の<わんど>に潜みゐるといふ・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
どんな魚なのか、Wikipediaの記事を引いておく。
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イタセンパラ

イタセンパラ(板鮮腹、Acheilognathus longipinnis)は、コイ科のタナゴ亜科に分類される淡水魚の一種。
別名はビワタナゴ(琵琶鱮、琵琶鰱)。

分布
日本固有種。淀川水系・富山平野・濃尾平野の3か所に分布するが、それぞれ生息地は限定的で個体数も減少しており絶滅が危惧されている(後述)。
日本海側を含むそれぞれ離れた地域に限局して生息するという特異な分布状況は生物地理学的見地からも貴重である。
DNA解析とマイクロサテライト分析により、各地域個体群はそれぞれ固有の遺伝的組成をもつことが判明している。

かつては琵琶湖の内湖や巨椋池に多く生息したが、いずれも戦前までに絶滅した。
1941年に干拓で消滅した巨椋池の名残と考えられる京都競馬場内の池が京都府により1999年に生態調査されたが本種は確認されなかった。
ビワタナゴの別名は本種の模式産地である琵琶湖に由来する。しかし1936年以降琵琶湖およびその周辺での確認例はなく、現在生息する可能性はない。国立科学博物館や東京大学には琵琶湖産個体の標本が保存されている。

形態
全長7-8 cm。最大で12 cm以上に達しタナゴ類としては比較的大型である。体形は著しく左右に扁平で体高比1.9-2.3と体高が高く、オスメス間の体格差はあまりない。
背鰭と臀鰭は尾鰭付近にまで達し、分岐鰭条数は背鰭14-16、臀鰭13-16でいずれも日本産タナゴ類中最多。
このため両鰭は魚体とのバランス的に大きく見え、種小名 longipinnis (長い羽をもつ、の意)の由来になったと考えられる。大型個体では鰭条がより長く伸びる。
稚魚期は背鰭中央部に稚魚斑と呼ばれる楕円形の黒斑が入るが、成長にしたがい薄れて不明瞭となる。

体色は褐色を帯びた銀白色で、鰓ぶた後部(第5側線鱗付近)に暗色小斑がある。体側の縦条はないかきわめて不明瞭。側線は完全で、側線有孔鱗数は35-37。
近縁種のゼニタナゴは側線が不完全な点で区別される。口ひげはない。咽頭歯数1列5-5、脊椎骨数33-35。消化管はきわめて細長く渦巻き状。染色体数は2n=44。

オスの婚姻色は鮮やかで、鰓ぶたから背にかけて淡紫色に、体側前半部は淡紅色に染まり、腹部下端は黒くなる。
背鰭と尻鰭は黒で縁取られ、くっきりとした黒と白の点列が2-3本現れる。小型の1歳魚では発色が淡い傾向があり、また地域個体群によっても発現様態に差異がみられる。
一方、メスは明らかな婚姻色を呈することはなく褐色味が抜けてより明るめの銀白色となり、腹部が膨らむとともに淡灰色の産卵管を2-3 cmほど伸ばす。
産卵管は最長時でも尻鰭後端をわずかに超す程度で、他のタナゴ類に比べ太く短い。

オオタナゴとの類似
本種の形態的特徴は大陸原産のオオタナゴにきわめて類似している。たとえばオオタナゴの種小名 macropterus とは「大きな鰭」の意で、本種の種小名と由来が共通する。そのため1939年に朝鮮総督府水産試験場の研究者である内田恵太郎により、本種は日本固有種ではなくオオタナゴの異名同種とする見解が示された。しかし後年の研究で、口ひげや縦条の有無・食性・繁殖期・卵形が異なることが判明したためこの見解は否定された。DNA分析によれば本種とオオタナゴの遺伝的距離はゼニタナゴより遠い。なお稚魚はカネヒラやバラタナゴにも似るが、背鰭の稚魚斑によって判別される。

和名の由来
「イタセンパラ」の和名は濃尾平野における地方名に由来し「板のように平たい体形で、色鮮やかな腹部をもつ魚」の意である。
濃尾平野のセンパラまたはセンパ・センペラは本種を含むタナゴ類一般に対する混称で、「びた銭に見える」ことを由来とする説もある。
原記載由来のビワタナゴではなく一方言が標準和名となっていることについては、以前はともかく現在では本種が生息しないと考えられる琵琶湖にちなむ呼称は不適当であるためとされる。

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↑ 淀川の「わんど」

生態

生息環境
河川のワンドやタマリ(河跡湖)・池沼・ため池といった、水流がないかもしくは緩やかでヨシやガマなどが繁茂する浅瀬、およびそれに繋がる水路に生息する。
水中に餌となる藻類が豊富で水底に産卵床となる二枚貝類が生息することも必須条件である。流れが強く水深のある河川本流部は生息に適さないと考えられ、淀川では本流にはまったく生息せず過去の確認例もない。

一方、河川本流や用水路などの外部水域と完全に遮断された停滞水域にガマや水草類が密生するような状態も生息環境には適さず、水質清浄な湧水や伏流水と適度な開水域があり、河川の自然水位変動や用水路・ため池の人為管理にともなう環境の撹乱(植生や水底の更新)が発生する場所が適する。撹乱のない止水環境では、水草類の過剰な繁茂により水中への日射が不足し餌となる藻類の増殖が阻害される、また水底が富栄養化やヘドロの堆積により貧酸素状態となり二枚貝類の生息が圧迫される、などの問題が生じる。河川敷(氾濫原)における、冬の渇水期に本川からいったん隔離され翌春の増水で再び本川と繋がる浅い水たまりといった一時的水域は、特に仔稚魚の生育場所として重要である。

食性
仔稚魚は主に動物プランクトンを捕食するが、成長にしたがい藻類主体の植物食性へと変化していく。
成魚はもっぱら付着藻類を餌とし、このため本種の腸は日本産タナゴ類としては最も長い。野生個体は配合飼料にはなかなか餌付かず、本種の飼育が困難とされる要因のひとつである。ただし仔稚魚から飼育された個体はアユ用配合飼料を摂食し、屋外の池で自然発生する藻類を餌として飼育された個体に比べ摂食量は少ないが成長はよい。

繁殖行動
繁殖期は秋で、9-11月(盛期は10月中旬-下旬)にイシガイ・ドブガイ・ササノハガイなどイシガイ科の淡水生二枚貝を産卵母貝として繁殖行動をとる。秋に産卵するコイ科魚類は希少で、タナゴ類では本種とカネヒラ・ゼニタナゴの3種が秋産卵型である。貝種による選好性はイシガイ>ササノハガイ>小型のドブガイ>その他の順で、産卵管が短いことから殻高の低いイシガイやササノハガイをより好み、殻高が高いドブガイでは小型の個体のみを選択する。

オス同士は二枚貝をめぐり激しく縄張り争いをし、確保した貝に産卵管を伸長させたメスを誘い込む。メスはしばらく貝から数cm斜め上方で倒立ぎみに静止して出水管を注視し、水が出ているかどうかで貝の生死を確認すると、出水管へ産卵管を挿入し鰓葉内に卵を産み付ける。メスの産卵は0.2秒ほどの瞬間に行われるため目視での観察は難しい。1個の母貝に対する産卵個数は30-40個、1個体の産卵回数は2-5回である。産卵終了直後、オスは貝の入水管へ接近し尾鰭側を下げた姿勢で放精するが、産卵開始前からさかんに放精を行うオスも頻繁にみられる。複数のオス同士による闘争中メスは貝に近づけないが、オス達が貝から離れた隙に産卵してしまうこともあり、その場合は各オスが一斉に放精する。精子は入水管から吸い込まれ、卵は貝体内で受精する。

生活史
卵は約3.4×1.3 mmの細長い米粒形をしており、不透明な黄色で弱い粘着力をもつ。17-25 ℃の水温では受精から90時間ほどで孵化するが仔魚はそのまま母貝内にとどまり、ほどなく発生をほぼ停止して前期仔魚(ウジ状の発生段階)のまま越冬する。越冬時の仔魚は干上がりに耐性をもち、水がほとんどなくなってしまうような場所でも泥中に潜った母貝が無事ならば生存可能である。本種の人工繁殖研究の結果、仔魚の成長には秋~冬~春の水温変動が必須条件であり、5 ℃程度の低水温期を経過しないと発生が再開しないことが判明している。

翌年3月頃、水温が10-15 ℃に上昇すると発生を再開し、卵黄の栄養分を吸収しつつ成長する。半年以上という長期間を母貝内で過ごした後、表層水温が20 ℃を超える5-6月に後期仔魚が母貝から浮出する。この時点での全長は7-8 mmで、シロヒレタビラやタイリクバラタナゴなどとともに岸辺の表層で群れを形成する。淀川下流のワンドでは、個体数が多かった1980年代前半頃には本種だけで数百匹から数千匹になる巨大な群れも観察されたという。鰭が未発達なため遊泳力は高くないが目は大きく発達しており、ワムシやミジンコなどの動物プランクトンを捕食する。仔稚魚期の魚体は体高が非常に低く前後に細長いが、成長とともに体高は高くなっていく。

全長2-2.5 cmほどの幼魚に成長すると体高がまだ低いことを除いて成魚とほぼ同様の形態的特徴をそなえ、沖合の底層に移動して藻類食に移行する。初夏になると最も活発に摂餌して急速に成長し、秋口には5-6 cmの大きさとなりオスメスともに成熟する。摂食活動は次第に鈍化し繁殖期にはほぼ停止して繁殖行動に専念するようになる[26]。寿命はおおむね1-2年で、繁殖を終えた冬に斃死する個体が多く、越冬した成魚も2年目の繁殖後にはほぼ死滅する。

希少種として

減少の経緯
1950-60年代にかけ、生息地となる河川のワンドやタマリ・岸辺の湿地帯・ため池などの多くが河川改修や圃場整備といった高度経済成長期の開発によって消滅した。都市化にともなう生活・工業排水による水質汚濁や河川用水路への農薬流出といった要因も重なり、産卵床となる二枚貝類は減少あるいは絶滅し、本種が生息可能な水域は著しく狭められ個体数が激減した。

富山平野では、主要な生息地であった放生津潟が富山新港として開発され海水が流入し周辺水路も護岸化されたため、1958年を最後に生息確認例が皆無となった。淀川では水質汚濁が著しく1960年代初頭を最後に生息が確認されなくなった。このため1960年代後半になると富山平野と淀川からは絶滅したものと考えられるようになった。濃尾平野では木曽川水系下流域の一部で生息確認が得られていたものの、やはり生息域・個体数とも減少が続いた。1950年頃には大垣市付近の水路やため池に多数生息していたが、タイリクバラタナゴ増殖の影響を受け次第に姿を消していった。

天然記念物
生息確認例が途絶え絶滅したともみられていた淀川であるが、1971年3月、比較的良好な自然環境が残る城北(しろきた)ワンド群の城北公園裏ワンドで市岡高校生物部の生徒達によって再発見された。その後の調査により淀川左岸のワンド23か所で生息が確認されたが、水質が悪い右岸のワンドでは確認されなかった。

この再発見を契機として次第に保護の機運が高まり、関東平野のミヤコタナゴとともに1974年6月、日本の文部大臣(当時)により文化財保護法に基づき国の天然記念物に指定された。淀川のワンド群は最大の生息地とされ、詳細な調査研究の対象となり生態の解明が進んだ。また行政と保護団体が連携し、環境保全活動や人工ワンド建設などの保護増殖策も実施されることとなった。こうした保護活動は淀川ではいったん奏功し、母貝が移植された右岸のワンドでも生息が確認されるようになった。個体数も増加し、この年代における城北ワンド群の仔稚魚総数は数万から数十万匹であったと推計される。

氷見市・日進市での発見
1989年、富山県氷見市の万尾川で近畿大の学生4人がオス1匹を発見し、翌1990年に大阪教育大でその個体がイタセンパラと同定され、同川に生息することが確認された。富山県における生息確認はおよそ30年ぶりのことであった。発見後ただちに実施された調査の結果、氷見市では万尾川から十二町潟、隣接する仏生寺川に生息することが判明した。1996年には愛知県日進市の天白川水系で発見され、過去に本種の確認例がない同水系で初めて生息が確認された。

両市の個体群はもともと生息していたのではなく、淀川水系または木曽川水系からの人為的移植によるものとする推測もあったが、本種は天然記念物に種として指定されているため、いずれも来歴にかかわらず即座に行政による保護対象となった。氷見市の個体群は1995年にアイソザイム分析で在来系統であることがほぼ判明し、その後DNA解析によって固有の遺伝的組成を有することが裏づけられた。一方、日進市の個体群が在来のものかどうかは未検証であるが、富山大と氷見市教委によりDNA解析が進められている。

絶滅危惧
国の天然記念物として保護を受けるようになり、淀川ではワンドに生息する魚種の第4位を占めるまでに個体数が増加するなどの成果もみられた。しかし年代が進むにつれブラックバス・ブルーギルの食害やタイリクバラタナゴとの競合といった外来魚の圧迫が増大し、加えて人間による観賞魚としての飼育や売買を目的とする密漁も横行したため、個体数は年々減少し生息地も縮小していった。

淀川では1983年に完成した淀川大堰の影響で平時水位が50 cm上昇して二枚貝類の繁殖に重要な水深30 cm以下の浅瀬が1/4に減少し、また水位変動がなくなり氾濫原がダム湖のように湛水域と化したため、さらに生息が圧迫された。人工ワンドや保護池でも環境の撹乱が不足して次第に水底の状態が悪化し、当初定着していた二枚貝が死滅するなどして生息不能な状態となっていった。

氷見市では1993年に万尾川改修工事が実施され、それにともない十二町潟では水が抜かれて魚類生息不可能な状態となった。半年後に十二町潟の水位は降雨により回復したが、万尾川からは遮断され十二町潟水郷公園として整備されたため生息地として再生する見込みはなくなった。仏生寺川からも姿を消しており、生息地は万尾川ただ1か所を残すのみとなった。

1995年、本種は環境庁(当時)により種の保存法に基づき国内希少野生動植物種に指定され、翌1996年には関係4省庁が合同で「イタセンパラ保護増殖事業計画」を策定、行政主導の保護活動が本格化した。絶滅危惧IA類(環境省レッドリスト)。

各生息地の状況
淀川水系 国交省近畿地方整備局淀川河川事務所が1994年から毎年実施している生息調査では、2005年を最後に4年連続で稚魚が1匹も確認されなくなった。この危機的状況をうけ同事務所は、淀川大堰の操作によって自然に近い水位変動を人為的に発生させてワンドの環境改善を図るとともに、2017年をめどにワンドの倍増をめざす計画案を策定した。また同事務所と大阪府水生生物センターは2009年秋、現状の淀川における生息環境適性の把握をねらいとして、以前に淀川で捕獲して人工繁殖させたイタセンパラ500匹の再放流を実施した。場所などの詳細は非公開とされたが、2010年度の調査では5年ぶりに稚魚133匹を確認したと公表、放流個体が繁殖したものと推定されている。 富山平野 1998年に仏生寺川で再発見され、生息地は万尾川とあわせて2か所となった。調査では毎年多数の稚魚が確認されており、氷見市は現在、継続的に生息確認が得られる全国唯一の生息地となっている。ただし仏生寺川では2001年から、万尾川では2004年から本種生息地でオオクチバスが確認されており、捕食による個体数減少が懸念される[46]。2008年12月、オオクチバスに捕食されていることが胃の内容物(捕食された消化前の小魚)のDNA解析で裏づけられたと報道された。
 以下、省略
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長い引用になったが、必要に応じて、飛ばして読んでほしい。
「イタセンパラ」という名前の由来なども書かれている。

lrg_10319680流れ橋
 ↑ 木津川に架かる「流れ橋」(上津屋橋) 

私の歌集に載る、この歌の一連は、こんな歌が載っている。 ↓

        木津川・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  日々あゆむ我が散歩みち歩数計が八千五百を示せば戻る

  狼煙(のろし)台がありしと聞けり飯岡(いのをか)は木津川に張り出だしたる丘

  イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど>の潜みゐるといふ

  あまたなる謎の遍歴ありしとぞ継体天皇の筒城宮(つつきのみや)跡

  筒城宮ありたる辺り同志社女子大学の赭 (あか)きチャペル見ゆ

  小春日を浴びつつ展(ひら)く茶畑に茶の花白く咲き初めにけり

  「三川合流点から十三km」木津川の堤防の標(しるべ)よぎりつつゆく

  三川合流すなはち宇治川、桂川、木津川あひ合ふ地点いふなり

  音如ケ谷瓦窯(おんじょがたにがえう)跡あり平城(なら)京の瓦を焼きし跡と伝ふる

  窯跡は相楽台なる新興の大住宅地に囲まれにけり

  かの女史住む住宅地すぎゆけば楢の並木の黄葉つもる

  丸瓦軒平瓦鬼瓦刻印瓦、ヘラ書き瓦ありき

  古書しるす一貫百文、瓦窯二烟作工七十九人功人別十四文

           八幡、西山廃寺出土
  瓦焼く職人の戯画線刻の人面と名前裏面に残す
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三番目に載せた写真の「流れ橋」は、欄干のない木造の橋で、時代劇の撮影なんかに、よく使われる。


生きるとは/朽ちはてることだが/草の茎を噛んで立っていること/きついにがみをのみつくすこと・・・丹野文夫
suibaすいば本命

      「異徒の唄」序章・・・・・・・・・・・・・・・・丹野文夫

    生きるとは

    朽ちはてることだが

    それだけではない

    草の茎を噛んで立っていること

    きついにがみをのみつくすこと

    あすもあさっても

    憑かれた行いの昼と夜を

    己れの熱に耐えてたたかうことなのだ

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今日は、いわゆる「現代詩」と言われる詩を出してみた。
この丹野文夫のことは、私は何も知らない。
清水昶の『詩の根拠』──清水昶評論集(昭和47年11月冬樹社刊)という古い本を書庫から引っ張りだして読んでいて、見つけたものである。

この詩について清水昶は、こう書いている。

・・・・・「生きることは朽ちはてること」という断言の背後に疼いている「生き急ぐ」ラディカリズムを支えるのも、またおのれの生きている肉体であり、その肉体を突きはなしてなお、どうしようもなく生に執着するみずからの肉体深く内なる告発をつよくすることによって、生理的な痛みを逆に外部に向けていくのである。・・・・・

部分的な引用では、何だか訳が判らないと思うが、こういう詩歌の場合、読者がいま置かれている「心のありよう」によってさまざまに解釈できるだろう。

というのは、私は最近ずっと「生きる」ということ──それは「死ぬ」ということに連なってゆくのだが、──について考えることが多いからである。
それは私が、病気の亡妻を抱えて日々を過ごしてきたということもあるだろう。
また先だって、宮田美乃里さんとアラーキーの写真歌集を読んだことにも関係するだろう。

丹野文夫の表現したかったものは「孤独な個我」ということであろう。
苦汁に満ちた「孤独な個我」の時期というのは、長い人生の中では起ってくるものであり、いま私自身が、そういう時期に遭っているのではないか、と思うのである。
詩歌の読み方、受け取り方は人それぞれであってよいのである。


六月の氷菓一盞の別れかな・・・中村草田男
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   六月の氷菓一盞の別れかな・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男

六月に入って蒸し暑くなってきた。
暦の上での「入梅」は今年は6月10日だが、すでに数日前から「梅雨入り」しており、関西でも時おり激しい雨が降ったりしている。

蒸し暑いときには、こういう「氷菓」が合う。
「梅雨寒」という日もあるが、全般的には湿気の多い、むしあつい日がつづく嫌な季節である。

掲出した草田男の句は、誰かが訪ねてきて、か、それとも一緒に食事をした後にデザートとして出てきた「氷菓一盞」というから、何か冷たいものを食べて、
「別れた」のだが、後がどうなったかは書かれていないから、読者それぞれに想像したらいいのである。
読者に「梅雨寒」のような、冷え冷えとする雰囲気を伝える佳句である。

六月のことを旧暦では「みなづき」と言うが、太陽暦では七月にあたる。
漢字では「水無月」と書くが、太陽暦の六月では雨が多いから「水無月」と書くのは違和感があろう。
六月から七月にかけて、和菓子の季節の生菓子として「みなづき」というのがあるが、これも旧暦でないと趣が出ないが、
現実には6月から7月上旬にかけて売り出される。

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写真②は「五建ういろ」屋の「ういろう」だが、これがいわゆる「みなづき」であり、6、7月にかけて売り出されるが、ここの店は、一年中、売っている。
いわば、この店の看板商品である。私は、この店のものが一番好きである。
土台になっている部分が白だけではなく、抹茶入りのもの、黒砂糖入りなど、いろいろある。
その上に小豆の粒餡がたっぷり乗っているのである。
「ういろう」とは「外良」と書く。
もともとは中国伝来のものらしいが、名古屋でも「ういろう」と称するものが菓子の名産品となっている。

以下、「六月」「入梅」「梅雨寒」などを詠んだ句を引いて終わる。

 六月を綺麗な風の吹くことよ・・・・・・・・・・・・正岡子規

 六月の風にのりくる瀬音あり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 六月の女すわれる荒筵・・・・・・・・・・・・石田波郷

 六月の花のさざめく水の上・・・・・・・・・・・・飯田龍太

 六月のゆふべや肩に道具箱・・・・・・・・・・・・山口誓子

 杉に雨ふる六月の杉こんもりと・・・・・・・・・・・・森澄雄

 天気図の皺くしやくしやに梅雨くらし・・・・・・・・・・・・富安風生

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ・・・・・・・・・・・・日野草城

 二夜三夜傘さげ会へば梅雨めきぬ・・・・・・・・・・・・石田波郷

 童謡(わらべうた)かなしき梅雨となりにけり・・・・・・・・・・・・相馬遷子

 ひとの句が心占めをり梅雨入前・・・・・・・・・・・・林 翔

 うとましや声高妻も梅雨寒も・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 梅雨寒や崖田にねまる出羽の山・・・・・・・・・・・・角川源義

 梅雨寒や屏風を渡る蝸牛・・・・・・・・・・・・庄司瓦全

 我が胸に梅雨さむき淵ひそみけり・・・・・・・・・・・・中村嵐楓子

 梅雨寒の猫に怒りをよみとらる・・・・・・・・・・・・三沢みよし



草笛で呼べり草笛にて応ふ・・・辻田克巳
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   草笛で呼べり草笛にて応ふ・・・・・・・・・・・・・・・・辻田克巳

「草笛」なつかしい響きである。
うまい人にかかると、どんな葉でも草笛になる。
私は子供の頃から「鈍」な子供で、うまく操れなかった。
掲出の辻田克巳は京都・宇治に住む人である。たしか教職にあった人で、今では小さいながら結社を率いているらしい。
この人も「草笛」は巧かったのであろう。
写真の吹き方は葉を平らにして吹いているが、ものの本によると葉を丸めても吹けるらしい。私は見たことがない。
私の亡長兄・庄助が病気療養中に気晴らしに草笛を吹いているのを聴いたことがある。はるかはるかの遠い昔の思い出である。

草笛を詠んだ句は多くはないが、少し引いて終わる。


 草笛の葉は幾千枚もありかなし・・・・・・・・山口青邨

 荒れ濁る海へ草笛鳴りそろふ・・・・・・・・西東三鬼

 子守り子や緑ひねりて草の笛・・・・・・・・平畑静塔

 草笛や物差余すランドセル・・・・・・・・石井花紅

 草笛や眼を遠き雲に据ゑ・・・・・・・・宮原山水

 兄のふく草笛にやや憂あり・・・・・・・・美野田ひろ

 草笛や泣く母の顔子にふしぎ・・・・・・・・伊藤みちこ

 草笛のきこゆるごとき手紙かな・・・・・・・・加藤三七子

 左右の手の草笛の音を吹き分けぬ・・・・・・・・三宅清三郎

 母の忌や野に草笛の輪があふれ・・・・・・・・若つき輝



まどろみて覚むればつよき梔子の香りまとひて黒猫が過ぐ・・・木村草弥
aaookuchin1梔子

   まどろみて覚むればつよき梔子(くちなし)の
     香りまとひて黒猫が過ぐ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
ものの本によると、この木は本州中南部、四国、九州で見られるものだという。
常緑低木で1メートルから3メートルくらいのものである。葉は光沢があり、写真①のように六弁の香りの高い花をつける。
香りと言っても、とても強い香りで屋外にあるからよいが、とても屋内には置けない強い香りである。

kuchin2梔子の実

花が終わると写真②のような実をつける。
秋になると、この実は漢方薬で解熱剤に用いられたり、自然色素として鮮やかな黄色を出すので、染料やお正月料理のクリキントンの色づけに使ったりする。
以前に住んでいた土地は広かったので、このクチナシの木を植えていた。母が、その実を採集してお正月料理の時に利用していた。
ただ、この木には、こういう香りの強い木を好む虫がわんさとついて困ったものである。人の人差し指くらいもある無毛の虫である。
書きおくれたが、「くちなし」という名前は、この実が熟しても口を開かないので、こんな名前になったという。
なお漢名の「梔子」という字は花が杯に似ているためについたという。

aomushi青虫②

クチナシにつく虫は写真③の虫そっくりではないが、いま手元に、その写真がないので、よく似た虫の写真で代用するが、こんな感じの虫である。
この写真の虫はパセリなどにつく虫でパセリも香りが極めて強い草であるから、この種類の虫には共通するものがある。
成虫はアゲハチョウの類である。

文学の世界では「口なし」と捉えて

   山吹の花色衣主や誰れ問へど答へず口なしにして・・・・・・・・・・・・素性法師

のように詠われた。

私の歌のことだが、黒猫がクチナシの香りをまとって過ぎる、というのは文学的な大げさな表現で、
黒猫が過ぎてゆくにつれてクチナシの香りがした、ということである。
黒猫と白いクチナシの花との対比ということも私は考えた。

以下、クチナシを詠った句を引いて終わる。なお夏の季語としては「梔子の花」である。

 口なしの花咲くかたや日にうとき・・・・・・・・与謝蕪村

 薄月夜花くちなしの匂ひけり・・・・・・・・正岡子規

 山梔子の蛾に光陰がただよへる・・・・・・・・飯田蛇笏

 スモッグにくちなしの白傷付けり・・・・・・・・滝井孝作

 驟雨くるくちなしの香を踏みにじり・・・・・・・・木下夕爾
 
 口なしの花はや文の褪せるごと・・・・・・・・中村草田男

 今朝咲きしくちなしの又白きこと・・・・・・・・星野立子

 くちなしの花より暁けて接心会・・・・・・・・中川宋淵

 夜をこめて八重くちなしのふくよかさ・・・・・・・・渡辺桂子

 辞してなほくちなしの香のはなれざる・・・・・・・・中田余瓶

 山梔子のねばりつくごと闇匂ふ・・・・・・・・森島幸子

 梔子に横顔かたき修道女・・・・・・・・三宅一鳴

 風生れ来るくちなしの花の中・・・・・・・・入江雪子




蟇歩く到り着く辺のある如く・・・中村汀女
hikigaeru-hinataニホンヒキガエル

  蟇(ひき)歩く到り着く辺のある如く・・・・・・・・・・・・・・中村汀女

ガマは、オタマジャクシの時期以外は、水に入ることはない。
湿気のある草地や土管や床下、穴の中などに棲息し、夕方に出てきてミミズや虫などを捕らえて食べる。
冬は土の中で冬眠するが、2、3月頃一度冬眠から覚めて池に集り、「抱接」して産卵し、また冬眠に戻り4、5月頃に出てくる。
グロテスクで鈍重、動作も緩慢だが、それが自分を思わせるためか、秀句の多い季語である。
掲出した中村汀女の句も、誤解なく読める秀句である。

掲出の一番目の写真はニホンヒキガエルの横顔である。アズマヒキガエルと、どこが違うのか、私には判らない。
二番目の写真は、それを拡大したもの。

hiki-jisenn2ヒキ耳腺

盛り上がっている部分が、目のうしろにある耳腺であり、講釈師でおなじみの、ガマの油がたーらりたらーり、という所で、特有の毒液を分泌する。
その右側の平たい〇の部分が「鼓膜」である。

img1085ヒキ卵塊

三番目の写真が、浅い水中に産みつけられたヒキガエルの「卵塊」である。
カエル類の卵は、みな紐状のゼラチン質のものに包まれており、中に黒い卵が数百個ないしは数千個入っている。
私はヒキガエルの卵塊は見たことがないが、普通のトノサマガエルやツチガエルなどの卵塊は子供の頃に何回もみたことがある。
カエルの種類によって紐状の太さや長さは、みな違いがある。

img1035ヒキ卵

四番目の写真が、その卵塊を拡大したもの。管の中の黒い粒粒が卵の1個1個である。
この管状のゼラチン様のものは卵の栄養になるとともに、卵を外界から保護する作用も果たしている。
ヒキガエルの卵1個の大きさは直径6ミリと言われている。
卵の大きさとカエルの成虫の大きさは、やはり成虫の大きさと比例して、大きさに違いがあるようだ。
五番目の写真が卵から孵った「オタマジャクシ」である。
はじめは「外鰓」があるが、じきに外鰓はなくなり、写真のような姿になる。

img1098ヒキおたまじゃくし

この後は、後ろ足が出て、前足が出て、だんだんカエルの姿に似て来て、最後に尻尾が取れてカエルの姿になる。
これを「変態」と言うが、このとき水から酸素を得る鰓呼吸から、空気から酸素を得る肺呼吸に替わる。
変態して、すぐの幼体は、形はすっかりカエルの形をしているが、大きさは1円玉に乗るほどの小ささである。
これが大きくなると体長15、20センチにもなるのである。

ヒキガエル、ガマを詠んだ句を引いて終る。

 蝿のんで色変りけり蟇・・・・・・・・・・高浜虚子

 蟇交む岸を屍の通りをり・・・・・・・・・・中村草田男

 てのひらに茶碗の重み蟇鳴くも・・・・・・・・・・大野林火

 蟇総身雨具鎧はせて・・・・・・・・・・角川源義

 蟇のこゑ沼のおもてをたたくなり・・・・・・・・・・長谷川素逝

 蟇出でて一山昏き接心会・・・・・・・・・・中川宋淵

 崖下へ捨てし蟇鳴く崖下に・・・・・・・・・・殿村兎糸子

 蟇子をうとむとはあらざりき・・・・・・・・・・小林康治

 蟇のこゑ一夜鉄塊より重し・・・・・・・・・・目迫秩父

 跳ぶ時の内股しろき蟇・・・・・・・・・・能村登四郎

 蝦蟇よわれ混沌として存へん・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 日輪を呑みたる蟇の動きけり・・・・・・・・・・橋間石

 蟇鳴いて孤島のやうな大藁屋・・・・・・・・・・成田千空

 蟇ほども歩まず山に親しむよ・・・・・・・・・・村越化石

 蟇交む川に片肢遊ばせて・・・・・・・・・・福田甲子雄

 だぶだぶの皮のなかなる蟇・・・・・・・・・・長谷川櫂

 蟇は蟇人は人恋ふ夜なりけり・・・・・・・・・・小沢実

 喉袋ふくらみしのみ夜の蟇・・・・・・・・・・奥坂まや

 蟇踏んでしまひし夜のわだかまり・・・・・・・・・・大口公恵





蟇誰かものいへ声かぎり・・・加藤楸邨
azuma8アズマヒキガエル

   蟇(ひきがへる)誰かものいへ声かぎり・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

蟇─ヒキガエルは、「がま」とも言うが、この頃では目にかからないカエルになってしまった。
ヒキガエルは鳴くことがない、と言われる。繁殖期に、ぐーぐーと底ごもるような声で鳴くという。
私の旧宅にはガマが住み着いていたが、いつしか見かけなくなった。

ガマの説明は後にして、掲出の楸邨の句について先に書いておく。
上に書いたようにガマは鳴かないので、却って不気味であり、だから楸邨は「誰かものいへ声かぎり」と詠んだ。
主観俳句の典型的な秀句である。

一番目の写真は「アズマヒキガエル」という東日本に棲むガマのもの。日本には4種1亜種のカエル目ヒキガエル科が居るという。
学名はBufo japonicus formosus と言い、ハンサムなニホンのヒキガエル、という意味だという。
ニホンヒキガエルは本州の鈴鹿山脈以西と、四国、九州、壱岐、五島列島、屋久島、種子島に棲息。
他にナガレヒキガエル、ミヤコヒキガエルがいる。

03080027ヒキ抱接①

二番目の写真はガマの「抱接」(amplexus)である。
ヒキガエルは産卵のときに雄が雌の背中に取り付いて産卵を刺激するだけ。「交尾」はしない。
精子は産まれた卵(のある水中)に放出するだけ。

03050015ヒキ抱接②

ヒキガエルは雌に比べて雄の数が数倍も多いので、三番目の写真のように複数の雄が一匹の雌に取り付くことが多い。
三番目の写真では4匹が抱接している。その圧力で雌が圧死することが報告されている。
「抱接」はラテン語の「抱擁」から派生して「用語」として使う。

hikigaeru-ushiroニホンヒキ

四番目の写真は西日本に生息するニホンヒキガエルの、背後からの写真である。
なかなか背中全面を撮った写真は多くはない。後で横顔などを詳しくお見せする。
ヒキガエルは、この写真のように背中にイボイボがあるのが特徴である。
普通カエル類の皮膚は湿りを帯びた平滑なものが多いがヒキガエルは、イボがある。
子供の頃、棒でつついたりしていじめたことがあるが、ヒキガエルの背中の皮膚は、とても硬くて丁度ワニの皮のようで、つついても撥ね返るような硬さだった。
アズマヒキガエルとニホンヒキガエルは「亜種」の違いと言われる。先に書いたように三重県西を縦に走る鈴鹿山脈で棲息域を隔てている。

miyako01ミヤコヒキガエル

五番目の写真が「ミヤコヒキガエル」という沖縄に棲むヒキガエルである。胸の模様が本州に棲む2種とは、少し違っている。

このつづきは、BLOGを改めて、同じく蟇を詠んだ句を掲げて載せたい。
そこでは「ニホンヒキガエル」の写真などを載せることにしている。

こういう蟇の写真は気味悪いという人は、見ないようにお願いする。6/23日付のBLOGにつづく。


高旨清美歌集『雀のミサ曲』・・・木村草弥
高旨_NEW

369832_list雀のミサ曲
↑ 「雀のミサ曲」楽譜

──新・読書ノート──

      高旨清美歌集『雀のミサ曲』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・ながらみ書房2020/06/17刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。高旨さんの第四歌集ということになる。
巻末に載る略歴を引いておく。

高旨清美 略歴
1946年生まれ
1985年 第一歌集『モデラート』刊行
1995年 第二歌集『珈琲 パペット』刊行
2006年 第三歌集『無限カノン』刊行
2019年 雨宮雅子作品鑑賞『昼顔讃歌』刊行
「晶」同人
現代歌人協会会員 
日本歌人クラブ会員

この本の「あとがき」に、こう書かれている。
<この『雀のミサ曲』は、私の第四歌集にあたる。2007年から2020年にわたる作品427首を収め、
 タイトルを〈冬の陽のさせる窓辺に聴きてゐる小さき調べ「雀のミサ曲」〉 からとした。
 「雀のミサ曲」はモーツァルト作曲の小さなミサ曲「ミサ・ブレヴィス」の中の一曲である。
 もの心ついてからというもの、いつも大家族に猫を交えての生活を続けてきたが、ある年、一人住いに移行した。十年ほど前のことである。
 人生後半に入りながら、ほぼ初めてと言ってよいひとり暮らしの経験である。
 諸事情により、猫と共にある生活は断念したが、私にとっては昨日も今日も、暮らしはさして変わることはない。
 ・・・・・窓からは、遠く新宿の超高層ビル群が見える。が、周辺は意外なほど静けさが保たれており、ときどき雀やひよどりが窓近い木々に訪れる。
 窓は、しかしながら、空や小鳥のさえずりや心地よい風を送り届けてくれるだけのものではない。
 近隣の窓や、散歩の道すがらの窓から偶然、洩れ聞いてしまう人々の声。
 それらは生きることの苦悩に満ちたものであることがしばしばである。
 一見、何事もなく過ぎて行く日々にも、街の家々の窓からの音や声が聞こえてくるようになったのは、私自身のささやかな生活の変化のゆえであろう。>

多く引きすぎたかも知れないが、この本一巻に漂う雰囲気を、極めて端的に表していると思うからである。
私と高旨さんとの出会いは第三歌集『無限カノン』を読んだときに始まる。
このブログに載せた鑑賞文を読んでもらいたい。 → 「無限カノン」
私が高旨さんに会ったのは、私の第五歌集『昭和』を読む会が、三井修氏のお世話で2012/07/28に東京ルノアール池袋西武横店マイスペースで行われた際に出席して頂いた。
多くの人々が一緒だったので親しく話すことは出来なかったことをお詫びする。
そして昨年、雨宮雅子作品鑑賞「姫顔讃歌」離教への軌跡の本が恵贈されてきた。リンクになっているのでお読みいただきたい。

さて、モーツァルトの「雀のミサ曲」のことである。YouTubeに何曲か出ているが、著作権の関係で後で削除されることがあるので、ここに引くことは遠慮するがネット上で聴ける。→ https://youtu.be/18yt0ipj1q8 など。

この本は、ながらみ書房がやっている「現代女性短歌叢書24」に入れられている。名誉なことである。
この本は章建てにはなっていない。
少し歌を引いてみよう。

   ■深夜ラジオをつければ誰か熱心に古代オリエントを語りてをりき
   ■ましぐらに抹香鯨は降りゆけり深海三千メートル指して
   ■コスモスの揺れゐる村と思ひけりきのふも今日も浅間は見えず
   ■いつの間にのぼりてゐたるオリオンか気づけるときに風やみてをり
   ■三十歳の頃の背丈より五ミリ縮みてわれはこの世を歩く
   ■病棟の窓に聞こゆる夕潮の引くとき長の姉は逝きたり
   ■やうやくに文具通販カタログに見出でぬひと束百本のこよりを
   ■繰り返し読み来し「生誕物語」若きマリヤと懐ふかきヨセフ
   ■霜柱たちやすき関東ローム層 都市にも凛き花稀に咲く
   ■羽毛より細かなる葉をそよがせてジヤカランダの木は飛翔ねがふや
   ■百合の蕊にブラウスの胸汚されて聖餐を受く日曜の朝
   ■おこじよともをこぜとも似る〈おこじゆ〉なりお小茶に食ぶるやはき菓子の名
   ■夜の更けし遊歩道にわれを待つ尻尾のながきよその飼ひ猫
   ■健脚の人にてあれど顔小さくなりて眠りたまひき とはに
   ■シュレッダーにかけし書類を捨てにゆく日日の芥の袋と共に
   ■五日まへ妻を亡くしし向かい家の主が今朝は出勤してゆく
   ■通りひとつ距てて家を移りきてみ寺の鐘の聞こえずなりぬ
   ■乱婚の鳩のつがひの物かげにひそみて真昼思ひ遂げをり
   ■一匹のねずみを腹に納めたる猫はゆつくり振り向かず去る
   ■頭と尾食べ残ししは真つ当なる猫のネズミを食する作法
   ■「火の用心」拍子木たたき声合はせ町会の人 夜の更けをゆく
   ■〈海軍カレー〉といふを食みをりヨコスカに梅雨の晴れ間のひと日あそびて
   ■人の猫をもらひて栖鳳は妖しき〈斑猫〉描きたりけり
   ■登山靴はくは何年ぶりのこと共に歩きし姉今はなし
   ■庭先にかりんの花の咲き満つる家あり五月の軽井沢町
   ■昨日二万歩けふも二万歩ま盛りの春の信濃を歩き尽くさむ

著者は日々の詳細は描かない。淡々と、在りし日の姉や、猫たちの哀歓を精細に観察して歌にする。家猫ではなく、外猫を愛するのである。
猫がネズミを食べるシーンや、その作法など圧巻である。
すべては正確な観察と写生から始まる。
   ■ちいちやんとわが親しめる野良猫を人はそれぞれ違ふ名に呼ぶ
   ■梁山泊の看板女優も既に亡し むらさきテントの色のにじめり
   ■担ぎ屋とふしごとの昔ありしこと夜思へり脈絡もなく
   ■外猫のミイは老いたる天使のやう威厳に満ちてやさしかりけり
   ■用心の深きまなざし向けながら近づきて来ず白猫貴婦人
   ■まろやかに渋み深きを好みたる亡き母に淹る煎茶一服
   ■ユフラテス川はみるみる真二つに割れきバビロンは攻め入られたりき
   ■消防士の訓練のこゑひびき来る さくら吹雪けるわれの窓辺に
   ■カインのごといのち守らるるしるし〈地域の猫〉はさくら耳もつ
   ■樹がない、と少年は声をあげたりき幾度も空を仰ぎゐたりき
   ■しろふくろふのやうなるいとこ茶を点てて侘助椿を庭に育てき
   ■古参新参交じるにちにち おのづから地域猫にも序列生まれき
   ■食物アレルギーの幼なの世話をする友の苦労話を聞きてとき過ぐ
   ■春の野に今年はじめて出会ひたるカナヘビの背の色みづみづし
   ■抑揚の人声に似るあをインコ一羽は一羽を甘くさそへり
   ■三とせまへいたくやせにし肉むらの復して人は体重計にのる
   ■あをうまの目に光あり近づけば乗れと誘ふこゑ雲間より

とりとめのない抽出になったが、著者の日常は、かくも淡々として、かつ静謐である。
今しも届いた「晶」誌に載る高旨さんの一連「花まつり」の歌を引いて終わる。

   ・「光明真言」四行の経ひらがなに書かれてあれば口づさみたり
   ・解き明かしくるる人なく読みてをり四行の経 〈おんあぼきや べいしやらのう・・・〉
   ・〈まに はんどまじんばら はらばりたや うん〉呪文めけどもありがたからむ
   ・薬王院なれば薬効あらたかにあるべし流行病に世は満つ
   ・本物とまがふ黒猫像置かるこの家の庭にもうをらぬ猫

ここでも「猫」である。しかし、流行病コロナウイルス跳梁の今どきの歌として、ぴったりである。
ご恵贈に感謝して鑑賞を終わる。有難うございました。      (完)



虹消えて了へば還る人妻に・・・三橋鷹女
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     虹消えて了へば還る人妻に・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

この句は、いかにも才女だった三橋鷹女らしく、「虹」に何か望みを抱いていたのだろうか。
その虹が消えてしまって、なあんだ、つまんないの、というような彼女の溜息がこぼれてきそうな句である。
消えて了へば、人妻に還る、という把握の仕方も情熱的だった彼女らしい句。

ここで虹の句を歳時記から少し引く。

 虹立ちて忽ち君の在る如し・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 虹のもと童ゆき逢へりその真顔・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 虹といふ聖なる硝子透きゐたり・・・・・・・・・・・・山口誓子

 虹なにかしきりにこぼす海の上・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 野の虹と春田の虹と空に合ふ・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 天に跳ぶ金銀の鯉虹の下・・・・・・・・・・・・・山口青邨

 いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず・・・・・・・・・・・・山口誓子

 をさなごのひとさしゆびにかかる虹・・・・・・・・・・・・日野草城

 目をあげゆきさびしくなりて虹をくだる・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 虹を見し子の顔虹の跡もなし・・・・・・・・・・・・石田波郷

 虹が出るああ鼻先に軍艦・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 虹二重神も恋愛したまへり・・・・・・・・・・・・津田清子

 海に何もなければ虹は悲壮にて・・・・・・・・・・・・佐野まもる

 別れ途や片虹さらに薄れゆく・・・・・・・・・・・・石川桂郎

 赤松も今濃き虹の中に入る・・・・・・・・・・・・・中村汀女

「虹」は、ギリシア神話では、女神イリスが天地を渡る橋とされるが、美しく幻想的であるゆえに、文学、詩歌で多くの描写の素材とされて来た。
終わりに私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せた「秘めごとめく吾」と題する<沓冠>15首のはじめの歌を下記する。

 げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・木村草弥


茹であげしアスパラガスが蒼々と皿に盛られて朝餉は愉し・・・木村草弥
img10282771691アスパラ

    茹であげしアスパラガスが蒼々と
      皿に盛られて朝餉は愉(たの)し・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私の家ではアスパラガスを菜園で育てていた。今は、もう、無い。年数が経つと株が衰えるのである。
アスパラガスというと昔は白いアスパラガスを指したが、近年は新芽のグリーンアスパラが季節のものとして賞味されるようになった。
私の歌も、もちろんグリーンアスパラである。

asuparaimgアスパラ

写真②に緑と白のアスパラを出しておく。白いアスパラは新芽に土を寄せて日光を遮断したものである。
これを茹でても食べられるし、缶詰にして年中食べることが出来る。西洋料理の付け合せなどには、よく使われた。
どちらを好むかは、人それぞれである。
今でもヨーロッパに行くと、アスパラガスの料理が旬のものとして名物だが、いずれも「白」アスパラである。
日本人は季節の「旬」ということを重視するので、先に書いたように近年は緑色のアスパラが盛んに出回るようになった。
写真③が地面から顔を出したアスパラガスの新芽である。
asuparagas3アスパラガス

アスパラガスは地中にかなり太い地下茎を這わせて、その所々から新芽を出す。その良さそうなところを地面すれすれのところから切り取る。
種または苗を植えてから2、3年は根を育てるために新芽の切り取りは、しない。これをすると先で十分な収穫が得られない。
掲出した歌の次に

  アスパラの新芽を食(た)ぶるは一刻(いつとき)ぞ あとはひととせ根を養(か)ふるなり・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、このように一年の大半はアスパラの根に堆肥を施すなど、根を養うのである。

asuparagasアスパラ木

アスパラガスは冬の間は地上部は全部枯れる。
春になると新芽が出て、切り取って食べないかぎり、写真④のように茎と葉の茂る形になる。
夏の間は十分に日光を浴びさせて光合成をして、根に栄養を蓄えるようにする。
なよなよとしたもので風で倒れたりして倒伏するので杭や紐で支柱を立てる。
生け花用のアスパラガスは、食用のものとは少し種類が違う。

アスパラガスの産地として北海道は有名だ。

アスパラガスは、植えつけてから十年間は、たっぷりと収穫出来るが、それを過ぎると根が老化して芽が出にくくなるので、改植が必要である。

私の持っている歳時記にはアスパラガスの句は収録されていない。






村島典子の歌「うしろの正面だあれ」30首・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(42)

      「うしろの正面だあれ」30首・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・「晶」110号/2020.6掲載・・・・・・・・・

          うしろの正面だあれ     村島典子

   雪もよひ比叡のおやまにゐる雲のわが街のへに動きくるらし
   控へ目にはぐれ鶫の囀るを聴きをり二月川下にして
   はるばると来たるものかな『赤光』百首 塚本邦雄は吾を幻惑す
   いつせいに春をよろこぶクヌギ原あまたヒヨドリ鳴きかはしゐて
   ウイルスに脅ゆる地上にきらきらと如月尽のひかり及べり
   雨なかに鶫がよびあふあの庭に桜が咲くよ行つてみるかい
   ヒヨドリよそんなに驚かなくてよいわたしは庭の桜の主だ
   コロナウイルス怖れつつ来しデパートは何ゆゑかくも込み合ひをらむ
   壮齢の夫婦がレジに長蛇なし買ひ求めたる食品の嵩
   ウイルスよりわれに恐ろしにんげんの殺気たちたる長蛇の列の
   人間はわきて脆弱生きものはいつかは死ぬるとみな知れれども
   アカゲラが桜の幹をつつきをり、むかし田舎に半鐘ありき
   マスクなくトイレットペーパー消え失せつ半鐘鳴らす人影もなし
   村の外れに避病院のありしこと通学のたび見てとほりたり
   避病院であること幼きわれは知らず息詰めてゆけと大人は言ひつ
   避病院の手前にありし仮小屋も忌避されたりき戦後十年
   さらさらと南天の葉末を風すぎて滅びてもよいか地球人たち
   歯を抜くと勇みて出でてゆきし人泣いて帰つて来さうな気がす
   米投げの峠をこえて帰る人に白粥カボチャ炊きて待たむよ
   わが庭は芽吹きに励むむくむくと蕗の姑土もちあぐる
   すでに父母死者なればこの混沌の令和の春に在さずやすけし
   ジゴクノカマノフタの上に首落したる薮椿あさあさ数ふ二つ三つと
   にんげんに見らるることのなき隙に椿は落すくれなゐの首
   墓ひとつ造るこころは晩年のやすらぎなりぬ子には知らえず
   まつすぐに山へと向かふ倒木をくぐりて跨ぎて陽のさす方へ
   ミツバツツジ両脇おほふ山道を辿りゆくべし浄き平へ
   尾あるもの薮をよぎりぬ二十年前銀のしつぽにわれ出くはせり
   難解な評論集なり図書館に四年の閑に四人出で入る
   四人のうちの一人にあれば一堂に会ひたきものを山の図書館
   ゆめうつつ「人は泥棒、明日は雨」うしろの正面だあれ
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新型コロナウイルス禍で騒々しい中でも、村島さんは歌を詠んでおられる。
益々お元気で何よりである。
出版もウイルス禍で仕事が遅れているのか。
私が最近「予約」しておいた本も一か月半遅れて、ようやく着いた。
今日は「梅雨寒」だが、蒸し暑い本格的な梅雨が迫っている。どうぞ、ご自愛を。








青蛙おのれもペンキぬりたてか・・・芥川龍之介
00164-1モリアオガエル

        青蛙おのれもペンキぬりたてか・・・・・・・・・・・・・・・・芥川龍之介

厳密に言うと「青蛙」という種類はちゃんと居るのだが、この句の場合、そんな厳密な区別をして作ってあるとは思えない。
一般的に「緑色」の蛙ということだろう。
芥川龍之介については昨年くわしく書いたが、この句を掲出して書いたことはないので、ここで書いておきたい。
写真は「モリアオガエル」である。大きくなっても体長6~7センチくらいのカエルである。
「青蛙」という種類は緑色の体長7センチくらいのカエルで、シュレーゲルアオカエルという、れっきとした名前を持っている。
「モリアオガエル」は本州、四国、九州の平地の低い木や草に棲む。指先に吸盤がある。

00164-2モリアオガエル卵塊

写真②はモリアオガエルの卵塊である。
浅い池や沼のあるところで枝先が水面に張り出した低い木の葉の先に卵を産む。孵った蛙のオタマジャクシは水面に落ちるという工夫である。
写真のように枝先の白っぽい塊が卵塊である。

370742雨蛙

↑ 雨蛙は住宅地なんかの草や木にも繁殖する。
天気が雨模様になってくると、湿気を感知してキャクキャクキャクと鳴く。
私の家の辺りにもたくさん居るが、どこで卵、あるいはオタマジャクシになるのか、いまだに知らない。

 ↓ 上に書いた「青蛙」シュレーゲルアオガエルの写真
9395020シュレーゲル・アオガエル

「シュレーゲル」なんていう外国名がついているが、れっきとした日本の固有種である。
Wikipediaに載る記事を下記に引いておく。
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シュレーゲルアオガエル
Rhacophorus schlegelii

学名
Rhacophorus schlegelii
(Günther, 1858)
和名
シュレーゲルアオガエル
英名
Schlegel's green tree frog
シュレーゲルアオガエル(Rhacophorus schlegelii)は、両生綱無尾目アオガエル科に分類されるカエル。
名前はオランダのライデン王立自然史博物館館長だったヘルマン・シュレーゲルに由来する。
「シュレーケルアオガエル」とも言われる。

分布
日本の固有種で、本州・四国・九州とその周囲の島に分布するが、対馬にはいない。

形態
体長はオス3cm-4cm、メス4cm-5.5cmほど。体色は腹側は白く背中側は緑色をしているが、保護色で褐色を帯びることもある。虹彩は黄色。

外見はモリアオガエルの無斑型に似ているが、やや小型で、虹彩が黄色いことで区別できる。また別科のニホンアマガエルにも似ているが、より大型になること、鼻筋から目、耳にかけて褐色の線がないこと、褐色になってもまだら模様が出ないことなどで区別できる。

生態
水田や森林等に生息し、繁殖期には水田や湖沼に集まる。繁殖期はおもに4月から6月にかけてだが、地域によっては2月から8月までばらつきがある。

食性は肉食性で昆虫類、節足動物等を食べる。

繁殖期になるとオスは水辺の岸辺で鳴く。鳴き声はニホンアマガエルよりも小さくて高く、「コロロ・コロロ…」と聞こえる。卵は畦などの水辺の岸辺に、泡で包まれた3cm-10cmほどの卵塊を産卵する。泡の中には200個-300個ほどの卵が含まれるが、土中に産卵することも多くあまり目立たない。孵化したオタマジャクシは雨で泡が溶けるとともに水中へ流れ落ち、水中生活を始める。

なお、地域によってはタヌキがこの卵塊を襲うことが知られる。夜間に畦にあるこの種の卵塊の入った穴を掘り返し、中にある卵塊を食うという。翌朝に見ると、水田の縁に泡と少数の卵が残されて浮いているのが見かけられる。
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acd0807181054005-p1.jpg
akutagawa-tokyo30w我鬼先生

芥川の句は青蛙の皮膚の色を巧みに捉えてユーモアたっぷりに表現してある。
彼の写真の下の画像は「我鬼先生」と自称した彼自筆の戯画である。

以下、青蛙ないしは雨蛙を詠んだ句を引いて終わりたい。

 梢から立小便や青かへる・・・・・・・・小林一茶

 青蛙喉の白さを鳴きにけり・・・・・・・・松根東洋城

 青蛙ばつちり金の瞼かな・・・・・・・・川端茅舎

 軒雫落つる重たさ青蛙・・・・・・・・菅裸馬

 青蛙影より出でて飛びにけり・・・・・・・・中川宋淵

 空腹や人の名忘れ青蛙・・・・・・・・井上末夫

 雨蛙人を恃みてうたがはず・・・・・・・・富安風生

 雨蛙ねむるもつとも小さき相・・・・・・・・山口青邨

 枝蛙喜雨の緑にまぎれけり・・・・・・・・西島麦南

 掌にのせて冷たきものや雨蛙・・・・・・・・太田鴻村







わが味蕾すこやかなるか茱萸ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ・・・木村草弥
800px-Gumi1グミの実

   わが味蕾すこやかなるか茱萸(ぐみ)ひとつ
     舌に載すれば身に夏の満つ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
茱萸(ぐみ)は秋に収穫するものもあるようで、それは種類が違う。ここでいう茱萸は「夏ぐみ」と称するものである。
この頃では栽培種のグミも出ているが、私の子供の頃に親しんだのは、少し渋みのあるグミだった。

gumi20090706グミの実

昔は甘味が簡単には手に入らなかったので、田舎では家の敷地の中に、こういう季節の果樹を植えてあった。
グミは渋みのある中に甘酸っぱい素朴な味の実だった。
人間より先に小鳥たちがよく知っていて、油断すると食べ尽くされてしまうのだった。
実の表面にはざらざらした細かい黄色の点々があった。
ものの本によるとグミ科の落葉喬木とある。食べられるのは苗代グミと唐グミだという。
写真②のものでは実の先に「花」の名残りが、くっついているのが判る。

dsc05439グミの実

生(な)るときには文字通り写真③のように鈴なりに生るものである。
この頃でも散歩しているとグミが一杯生っているのを見ることがある。
時期的には梅雨前の今頃が最盛期である。この頃では食べる人もなく、専ら小鳥のご馳走になっているようだ。
いま食べれば、さほどおいしいとも思わないかも知れない。
この実の生っているのを見ると、さあ夏がやって来たなあ、という感じがするのである。

歳時記に載る句を引いて終わりたい。

 苗代茱萸うれぬ因幡へ流れ雲・・・・・・・・大谷碧雲居

 島の子と岩グミ噛めば雲親し・・・・・・・・中島斌雄

 田植ぐみ子が一人ゐて揺りゐたり・・・・・・・・若色如月

 夏ぐみや童話作家はいつも若し・・・・・・・・河府雪於

 洞窟に八幡様や苗代茱萸・・・・・・・・・関梅香

 苗代茱萸たちまちに葬終りたり・・・・・・・・上野さち子

 夏く゜みの大粒の枝に母歓喜・・・・・・・・竹林清

 夏ぐみや息やはらかに牛老いし・・・・・・・・黒杉多佳史

 夏茱萸を含めば渋き旅愁かな・・・・・・・・村岡黎史



クレソンに高嶺の水がかよひ初め山荘区切るせせらぎがあつた・・・木村草弥
0山荘
DSC01036クレソン

     クレソンに高嶺の水がかよひ初め
          山荘区切るせせらぎがあつた・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

この歌につづいて、こんな歌がある。

      クレソンの花のみくまり人の世に師弟のえにしの水が流れる

     蕗の
の苦さは古い恋に似て噛めばふるさと今もみづみづしい・・・・・・・・・木村草弥

IMG_1005せせらぎ

Wikipediaに載る記事を引いておくが、今では「クレソン」で通用する。和名のオランダガラシなんて言う人は誰も居ない。
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オランダガラシ(和蘭芥子)は水中または湿地に生育するアブラナ科の多年草。クレソン(フランス語:Cresson)ともいう。または、クレス(cress)ともいう。
ヨーロッパから中央アジアの原産。
学名としてはNasturtium officinale、N. nasturtium-aquaticum、N. aquaticum、Rorippa nasturtium-aquaticum(別属Rorippa に含める場合)が用いられる。

ヨーロッパ原産。北アメリカ、南アメリカ、アジア(日本を含む)、オセアニアに移入分布する。

特徴
抽水植物もしくは沈水植物。繁殖力はきわめて旺盛。切った茎は水に入れておけば容易に発根するうえ、生長が速い。
オランダガラシは清流にしか育たないという俗説は誤りで、汚水の中でも生育する。
日本でもよく似たコバノオランダガラシ(N. microphyllum またはN. officinale var. microphyllum)とともに川や溝に野生化・雑草化しているのがよく見られる。
葉は奇数羽状複葉、5月頃、茎の先に白い小花を咲かせ、その後細いさや状の種子をつける。

日本には明治の初めに在留外国人用の野菜として導入されたのが最初とされている。
外国人宣教師が伝道の際に日本各地に持って歩いた事で広く分布するに至ったと言われている。
日本で最初に野生化したのは、東京上野のレストラン精養軒で料理に使われたもので、茎の断片が汚水と共に不忍池に流入し根付いたと伝えられている。
現在では各地に自生し、比較的山間の河川の中流域にまで分布を伸ばしており、ごく普通に見ることができる。

爆発的に繁殖することで水域に生育する希少な在来種植物を駆逐する恐れや水路を塞ぐ危険性が指摘されている。
日本では外来生物法によって要注意外来生物に指定されており、駆除が行われている地域もある。

栽培
半水生なので水耕栽培に向いており、特に弱アルカリ性の水でよく生育する。栽培すると高さ 50-120 cm にもなる。
耐寒性は強く冷涼な気候を好む為、夏に水温が上がりすぎると弱る。
日本では品種はないが、イギリスではWater、Water large leaved、Water broad leavedといった品種がある。
クレソンと野生種N. microphyllumとの種間雑種のNasturtium x sterileはサラダ用に栽培されている。
自家栽培
ベランダなどで水耕栽培、プランターを使用し育てることが出来る。水没したままの葉は枯れることがあるが、水面より上の部分が健全なら問題ない。
食品とする場合、衛生上時々水を換えること。湿った畑でも容易に育つ。 アオムシやコナガなどに葉をかじられたり、ハダニも付きやすい。



葉桜となりし座敷の利茶かな・・・木村亞土/太宰治『パンドラの匣』の底本「木村庄助日誌」
DSCN4367葉桜

   葉桜となりし座敷の利茶かな・・・・・・・・・・・・・・木村亞土

この句は私の兄・木村重信のものである。「亞土」は、その俳号である。兄は学生時代に一時、俳句をやっていたことがある。
私がまだ14、5歳の頃のことだが、記憶力の一番強い頃で、この句のことは、よく覚えている。
実は、この「亞土」という雅号は亡・長兄、木村庄助が使っていたもので、長兄が昭和18年に22歳で死んでから、重信兄が継承して使っていたもの。
亡・長兄、木村庄助は中等学校卒業後、茶業修行のために静岡の某商店に見習い奉公に出ていた。
そこで結核に罹り、帰省して静養。
その間に文学書に耽溺し、その頃の新感覚派の川端康成などを読みふけり、その後、太宰治に私淑し、習作を太宰に送るなどしていた。
兄の没後、結核療養日記「太宰治を偲ぶ」と題したもの──日記とはいうものの、丸善で製本させた立派な装丁のものである──が太宰に送られ、これを元に太宰の『パンドラの匣』が書かれた。
これらのことは、この作品の解説の中で詳しく書かれていて、周知の事実である。全集の中の「書簡集」には太宰からの手紙も収録されている。
この「日記」は戦災で多くが焼失したが、そのうちのいくつかが残り、「日本近代文学館」の展示室に展示されていたという。

庄助日誌

この「木村庄助日誌」には太宰治研究者の浅田高明氏が居られ、私や兄の家に来られて、専門的に、日記と太宰の小説との異同を研究され、5冊の単行本にまとめて上梓されている。
この「日記」は兄・重信の再三の要請に応じて、近年、太宰未亡人・津島美知子氏から3冊が返還されてきて、現在、兄・重信が保管している。
この「日記」が何とか出版されたのは先に、このブログにも載せた。
日陰にあった日記が広く公衆の目にさらされることになり、私たち兄弟としても嬉しい限りである。
Wikipedia─木村重信

私が中学生の頃、家には、庄助の蔵書の文学書などがたくさんあり、私は、それらをむさぼるように読んだものである。
私が今日、短詩形ではあるが、文芸の道に脚を踏み入れるようになったのは、その頃の原体験がもたらしたものである。
「庄助」という特異な命名は、私たちの祖父が立行司・木村庄之助と同姓同名であったが、その祖父が自分の名前から取って「庄助」と名づけたことに由来する。

太宰の小説と、亡・庄助の「日記」との異同などをみてみると、ものすごく面白い。どの作家によらず、何らかの資料が底本として存在するのである。
それでなければ、人間の発想などというものには限界があり、ネタは、すぐに尽きてしまう。
時に、資料提供者と、作家との間に軋轢が生じるが、亡兄・庄助は太宰に私淑していたものであり、その遺言によって「日記」は提供されたものであり、そういう紛争は起るはずもないことであった。

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庄助は療養中に陶芸なども、少し手がけていたので、私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の中の「茶の歌」と「族の歌その他」に、次のような歌があるので、それを引いておく。
これらの歌はWeb上のHPに載せた自選50首にも含まれるから、アクセスしてもらえば見ることが出来る。

      家族(うから) ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    兄・木村庄助
   茶商ふ家に生まれし長(をさ)の子は茶摘みさなかの五月に逝きぬ

   青嵐はこぶ焙炉(ほいろ)の香にぞ知る新茶の季(とき)と兄の忌日を

   宿痾なる六年の病みの折々に小説の習作なして兄逝く

   私淑せる太宰治の後年のデカダンス見ず死せり我が兄

   兄の書きし日記を元に書かれたり太宰治の「パンドラの匣」

   池水は濁り太宰の忌の来れば私淑したりし兄を想ふも

太宰が玉川上水に愛人と投身自殺した年は、雨の多い梅雨で、今でも大々的な新聞報道を忘れない。
太宰の仕事場の机の上には、伊藤左千夫の歌「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨ふりしきる」が書き抜いてあったという。
私の歌の出だしの部分「池水は濁りーー」云々は、それを踏まえている。

   水茎のうるはしかりし庄助の墨痕出できぬ納屋の匣より

   座右に置く言の葉ひとつ「会者定離」(ゑしやぢようり)沙羅の花見れば美青年顕つ

    祖父・木村庄之助
   立行司と同じ名なりし我が祖父は角力好めり「鯱ノ里」贔屓(ひいき)


      夜咄(よばなし)の茶事・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ

   風化せる恭仁の古材は杉の戸に波をゑがけり旧(ふる)き泉川

   雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく

   釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

   緑青のふきたる銅(あか)の水指にたたへる水はきさらぎの彩(いろ)

   アユタヤのチアン王女を思はしむ鈍き光の南鐐(シヤム)の建水

   呉須の器の藍濃き膚(はだへ)ほてらせて葩(はなびら)餅はくれなゐの色

   手捻りの稚拙のかたちほほ笑まし茶盌の銘は「亞土」とありて

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ここに引いた一番あとの歌の「亞土」は、先に書いた庄助の雅号のことである。


千種創一歌集『千夜曳獏』・・・木村草弥
千種_NEW

──新・読書ノート──

      千種創一歌集『千夜曳獏』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・青磁社2020/05/10刊・・・・・・・・

この本は予告があったので、すぐにアマゾンに注文して「予約」したが、どういう都合か、届くのが遅れて今になった。
この本も独特の体裁で、黒刷りの上に半透明の紙が被せられ、下の黒字が、ぼやけて見えている、というのが掲出した画像である。
ネット上に載る著者の予告文には、<獣の獏のように色々な表情を見せる装幀は、濱崎実幸氏の手によるもの>と書かれている。
続いて、『千夜曳獏』自選12首と目次が載っている。
それを引いておく。

『千夜曳獏』自選12首と目次

 千夜曳獏 自選12首

   でもそれが始まりだった。檸檬水、コップは水の鱗をまとい

   耳鳴りは竜の泣き声、大切にされずに育った灰色の竜

   風邪薬、封を開ければ白い霧、あなたのふるさとが遠いこと

   むきだしの松の根と似た悔恨がやがて私を絞め殺すだろう

   日向からあなたの拾ってきた椿、いま感情の日記に載せる

   すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり

   あなたがたまに借りて返しに来るための白い図書館になりたい

   千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

   花束を一度ボンネットへ置いた、遠くへ言葉を飛ばそうとして

   擦り切れるまで聴いている、雨の音ええなあ、というあなたの声を

   白に白かさねて塗れば天国は近く悩みと祈りは近く

   五〇〇年くらいがいいよ ライターへ炎を仕舞うあなたの鋭(はや)さ


 千夜曳獏 目次

歌集千夜曳獏 扉 裏    話し足りないというのは美しい感情だ


 つじうら
 水文学

Ⅱ 扉 裏    私はベティがコートを脱ぐのを手伝った。彼女の赤毛にそぐわない、赤いドレスを着ていた。青ざめて、
             やせて見えた。彼女は言った。
             「なぜ私が来たか。たぶん不思議に思っているでしょう。なぜかというと、花婿には花を持っていくものだし、
             死体にも花を持っていくものだし、花婿が死体でもある場合には、花束二つに値するからよ」 彼女が
             それらの言葉をしゃべったとき、まるで前もって準備してきたかのように言った。
                                                                 『ショーシャ』
                                                    アイザック・バシェヴィス・シンガー


 越えるときの火
 連絡船は十時

Ⅲ 扉 裏        名のために捨つる命は惜しからじ終に止まらぬ浮世と思へば
                                                   平塚為広
                      契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはありとも
                                                    大谷吉継

 
砂斬り
金吾中納言

Ⅳ  扉  裏     古人無復洛城東
                  今人還対落花風
                  年年歳歳花相似
                  歳歳年年人不同
                  (劉廷芝) 「代悲白頭翁」

 ミネルヴァ
 水煙草森


 デパートと廃船
 赤 丸

Ⅵ 扉  裏       「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのが怖くってたまらな
                   いのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻のように生きている未来を想像すると、それ
                   が苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」
                                                                         「硝子戸の中」
                                                                           夏目漱石

 リッツカールトン
 Re: 連絡船は十時
 眼と目と芽と獏

Ⅶ  扉  裏    しかし、炎に包まれる前に、端まで燃えたキャンバス地がめくれ上がり、少女とトカゲの絵の下に張られ
                ていたもう一枚の絵が見えた。巨大なトカゲと、小さな少女──一秒の何分の一かの時間、彼はルネ・ダー
                ルマンが守り、逃亡の際に持っていこうとしていた絵を見た。それからキャンバスは明るく燃えてしまった。
                                                                        「少女とトカゲ」
                                                                   ベルンハルト・シュリンク

 虹蔵不見

Ⅷ  扉  裏   キブツを逃げ出して大学にはいり、数学を五年間勉強し、難関の卒業試験も突破した。卒論に手間どっ
               ているが、それだってたまたまのことだ。
               ぼくがこれまでに手にいれたものを、誰にも持っていかせはしない。
               怠惰のせいで──それに懸念をはさむ余地はないが──ぼくはいまだに彼女に恋心を抱いている。顔の
               輪郭もおぼろで、背丈、目の色、声色を思い出すのにしばらくああだこうだと自分とやりあわなくてはい 
               けないほどなのに。
                                                                『エルサレムの秋』 
                                                           アアブハム・B・イェホシュア  
 
 ユダのための福音書



Ⅹ  扉  裏   心情や物事は決着がつく方が稀で完全で最終的な決着がつくことを奇跡という それは自力で引き寄せるこ
               とはできない ある日突然訪れる 歪んで見逃さないように 悲しむのも忘れるのも自然でいなさい
                                                                金剛大慈悲晶地蔵菩薩
                                                           (市川春子「宝石の無国」第六巻)

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 冷たい高原
 至 空港
 暖かさと恐ろしさについて
 この林を抜けると花の名を一つ覚えている
 清澄白河
 いつか坂の多い街で暮らしましょう

煩を厭わず書き出してみた。
前の本と同様に、「扉」裏に書き出される詩句散文などは、著者の読書の遍歴とも言え、極めて「ブッキッシュ」で、私の好きなスタイルである。
Ⅴ の章は短い散文詩が二篇載せられている。これだけが文体は口語だが、「歴史的かなづかい」になっている。前の歌集でもあったが、著者は色々の試みをやってみたいらしい。

私なんかは「自由詩」から出発したので何の違和感もないが、短歌形式に固執する人は違和感を持つかも知れないが、そういう人には、もっと自由な発想を持って、と言いたい。

       千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

自選の中の、この歌から題名が採られている。古典である『千夜一夜物語』から、この歌が作られたのは、確かだろう。
獏(ばく)は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。
人の夢を喰って生きると言われるが、この場合の夢は将来の希望の意味ではなくレム睡眠中にみる夢である。
悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えると同じ悪夢を二度と見ずにすむという。
著者は扉裏にも引くように「漢語」が好きである。だから「獏」が引かれているのだが、想像上の動物だから、中東には現実には、獏は居ない。

また Ⅲの章なんかは、関ケ原の合戦の小早川秀秋などの連作の形を取ったもので「物語詩」を作ってみせた、と言えよう。
ここには全部を引ききれないが、先に、細かい字で申し訳ないが書き抜いた部分を見てもらいたい。
「叙事」と「抒情」の取り合わせ──総合ということである。彼は「引用」と「短歌」で統合しよう、としたのである。読者は、その努力を汲み取らなければならない。
例えば、大谷吉継は、癩病、今でいうハンセン病に冒されて顔が見にくく変形していたのを頭巾で隠して奮闘した悲劇の猛将だった。その彼が詠んだのが
    契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはありとも
の歌である。
さりげなく、それを引用することで「関ケ原合戦」での西軍の悲哀を描出してみせた。それが「金吾中納言」の項のエッセンスである。

またⅧの章
「ユダの福音書」にまつわる連作もある。極めてきらびやか、である。

ここで私の第四歌集『嬬恋』出版記念会を2003年に東京で開いてもらった時の三井修の批評の一部を少し長いが抜書きしておく。

<学生時代からアラブにかかわって来た中で、いろいろの問題を抱えた異質なイスラエルという国─イスラエルの国策会社である航空機製造会社の対日総代理店を取ろうと思って働きかけて、イスラエル入国・出国の記録の痕跡を残すとアラブ圏に戻れないので苦労して出入りしていたから、会社生活の中で一番思い出深いのが、イスラエルである。そんなことで「ダビデの星」の章には関心を持って読んだ。
木村さんの歌集を読んで一番感じたことは、叙事的なことを短歌で詠うことの難しさということだ。 私も両親が韓国に居たことがあるので、会社をやめてから韓国に行って、たとえば旧朝鮮総督府の建物の前に立って短歌にしようとしたが57577という短歌にならない。そこでやむなく「長歌」にした。つまり、短歌には短歌でしか詠えない分野があり、散文には散文に適した分野がある。
短歌という詩形は、作者の心の中を詠うには適しているが、物事を記録するとか、情報を伝えることは不得手だということである。
「ダビデの星」辺りのくだりは、叙事的なことを詠う、説明するという個所に無理がある。その辺の難しさは、作者の木村さん自身も、よく判っていて「あとがき」の中で「歌で表現できることには限界があるので、それを散文で補いたいという意図である」と書かれていて、なるほどと思った。今の複雑なイスラエルのような状況を説明するには短歌だけでは出来ない。だから木村さんの苦しい妥協だったと思う。
それなら最初から全部を散文にしたらどうか、と言われそうだが、そこが、われわれ歌詠みの悲しさで、短歌の形で何とか表現したい、という気持ちがあるので、よく判る。
作品としては、「ダビデの星」は余り成功しているとは言えないが、叙事的なことを短歌で詠うことの、一つの問題を提起した、と言える。
この一連の中で一首あげるとすると、  P170の
      何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ 
を挙げたい。これは説明に終わっていない。作者自身の気持ちが詠われている。>  閑話休題。

キリストはユダヤ教徒だった。ベツレヘムで生れ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と奇跡を起こし、民衆の支持を集めつつあった。ヤダヤ教の律法学者はイエスの説く教義が律法をないがしろにするものと捉えた。それはイエスが自分を「神の子」と称したからである。イエスの力を脅威と感じ、ローマ総督ピラトから死刑の宣告をさせ、十字架磔刑へと導いたのである。
そういう一連のことがⅧの「ユダのための福音書」の章に描かれているのである。著者はキリストの死を「ユダ」の側面から取り上げてみせた。

自選の歌の中で
       すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり

が出ているが、この歌ひとつでは何のことか分からないが、この歌に添えられた詞書は、
<「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(マルコによる福音書十四、二十一) >
と書かれている。
これと一体として読まないと、万全の理解は届かないだろう。
この章の末尾は
        岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる
で終わっている。

私の言いたいのは、「叙事」の難しさ、ということである。
この本で著者は、それを「詞書」や「引用」で補おうとした。

Ⅹ の章 には先に抜書きしたような項目だが、その中にあるのが東京都江東区にある「清澄白河」という地名。
東京の下町である一方で、"珈琲の街"や"カフェの街"などと呼ばれ、おしゃれな街としても有名な人気エリアらしい。
清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と、東京メトロ半蔵門線が通っており、毎日多くの人が利用する接続駅でもある。
清澄白河駅の目の前にあるのが「小名木川」いまは散歩コースとして勧められてるらしいが、元はといえば人工の用水路だった。
西に行くと隅田川、東に行くと荒川につながっている川で、大江戸にするための物資の運搬路として掘削されたところ。「たくさんのおしゃれな橋が架かっているんです」と言われて驚く。
1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし行徳から江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの江戸湾(東京湾)北部は当時、砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった(また、沖合を迂回した場合でも、風向きによっては湾内の強い風波を受け船が沈むことも起き、安全とは言えなかった)。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが始まりである。運河の開削によって、安全に塩を運べるようになり、かつ経路が大幅に短縮された。
運河の名は開削者の「小名木」に因むのである。 閑話休題。
それは、さておき、この場所が著者らに所縁(ゆかり)の場所らしい。
      飲み干せばペットボトルは透きとおる塔として秋、窓際に立つ
の歌を始めとして17首の歌が並んでいる。「地名」の喚起力というものがあるから、それは確かだろう。

さて、この本一巻を通じて、縷々描かれてきたことは何なのか。

つまり著者の読書遍歴にまつわるところから、盛りだくさんのストーリーを紡いでみせているが、全体として通底しているのは「ぼくたちの恋」を描出したかったのではないか。
その恋が成就するかどうか、は判らないが、この本の本流として、一貫して流れていると思うのである。


      梨の花 あなたとなまでするたびに蠟紙のように心を畳む
      喉の痛みをうつしてしまい遅い朝あなたのための鮭粥を炊く
      ぬるい雨の夜にあなたと手を指をパズルのように絡めたことを
      僕たちは駅になりたい何度でも夏とか罰の過ぎてくような
      あなたが静かな力を入れて板チョコの少し震えて破片になった
      湖でいたり熊でいたりして輪郭が心に追いついていない、あなた

千種創一については前歌集『砂丘律』については2016年に書いた。← リンクになっているので読んでみてください。

「あとがき」で著者は書く。
<本書は、二十七歳から三十一歳までに詠んだ三六二首を納めている。編年体ではない。
 ここ数年、短歌から離れようとした、すると濁流、のような感情に苦しくなって、詩や翻訳にしがみついた、そしてまた短歌へ流れ着いてしまった。
 本の一行一行は弱々しい藁かもしれない、でも何かの本のどこかの一行が、あなたが濁流の中で手を伸ばす藁になることもある、この本の一行一行にもそういう祈りを込めたつもりだ。>
二〇二〇年四月七日 水の聴こえる街にて   千種 創一

上に引いた自選歌に、この本の要約が尽きていると思うが、私の目に止まった歌を抽出して終わりたい。

     ■告げないという狡(かしこ)さを恥じながらピザを切ってる円い刃で
     ■弱さゆえ愛されること/窓側の書架にかすかな傾きがある
     ■忘れないでね/窓から河が見えている/ふたりは霧に隠れてしまう
     ■花氷という概念ひからせて雨季の終りを抱き合っている
     ■あなたの手にふれたいというかわせみにどの感情の名を与えよう
     ■飛行機はどこで眠るの そのあとの花火をあなたは水に落とした
     ■ピスタチオの殻を割るとき淡緑の何故だ、かなしみ繰り返すのは
     ■ローマ貨の冷えをユダヤ貨に替えて愛わからないまま秋の街
     ■死ぬことで完全となる 砂嵐に目を閉じている驢馬の一頭
     ■一枚の金貨のようにガリラヤの湖の夕、遠のいていく
     ■岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる
     ■永久に会話体には追いつけないけれど口語は神々の亀 
     ■鉄橋の軋みは鯨の声に似て、あなたはくじらをみましたか、見ましょ
     ■胸にあなたが耳あててくる。校庭のおおくすのきになった気分だ
     ■紙辞書を扉のように閉じたときあなたの震えと寝惚けと二度寝    
     ■エクレアの包をひらく潮風も希望もそこに乱反射して


知覚ゲームのような、脳がトレーニングを受けるような心地よい一巻を見せていただいた。
「短歌」というより、私は「短詩」として面白く拝見した。
また、ゆっくりと再読して、追記するかも知れないことを書いておく。有難うございました。      (完)





椎落花煩悩匂ふ無尽かな・・・川端茅舎
20100321164925742椎の花

    椎落花煩悩匂ふ無尽かな・・・・・・・・・・・・・・・川端茅舎

椎(しい)の花は5、6月になると、深緑色の葉に混じって、強い甘い香りのする淡黄色の雄花が穂状に開く。
スダジイとツブラジイがあり、スダジイの実は円錐形、ツブラジイの実は球形と、やや違うが、共にブナ科の常緑喬木、20メートルから25メートルにも達する。
暖地の木である。雌雄同株で虫媒花だが、雄しべが花粉を撒くと、穂ごと雄花は落ちる。
強い匂いで、酔うような異様な雰囲気になる。美しい花ではないが、セクシーな、活力のある空気を生み出す。
だから、掲出した川端茅舎の句でも「煩悩匂ふ無尽」と表現している。
しかも時期としては「落花」を詠んでいるのである。
私の歌にも歌集『嬬恋』(角川書店)所載

   饐(す)ゆるごとく椎の花咲き斎庭(ゆには)なる仁王の像は固く口つぐむ・・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがあるが、掲出した句の方が佳いと思って、この句を掲げる。
俳句にも多くの椎の花の句があるが、総じて上に述べたような句境のものが多い。それを引いて終わる。

 旅人のこころにも似よ椎の花・・・・・・・・松尾芭蕉

 尾長どり巣かけし椎は花匂ふ・・・・・・・・水原秋桜子

 椎咲くや恋芽ぐみゐる英語塾・・・・・・・・野村喜舟

 杜に入る一歩に椎の花匂ふ・・・・・・・・山口誓子

 椎の花こぼれて水の暗さかな・・・・・・・・増田手古奈

 椎匂ふ夜を充ち充ちて書きゐたり・・・・・・・・大野林火

 椎咲きてわが年輪のほのぐらき・・・・・・・・松村蒼石

 下品下生の仏親しや椎の花・・・・・・・・滝春一

 椎にほふ未定稿抱き眠る夜も・・・・・・・・能村登四郎

 言葉のあと花椎の香の満ちてくる・・・・・・・・橋本多佳子

 椎咲いて猫のごとくに尼老いぬ・・・・・・・・河野静雲

 花椎の下照る径や子を賜へ・・・・・・・・星野麦丘人

 遠目にはもゆる色なり椎の花・・・・・・・・松藤夏山

 教師みなどこか疲るる椎の花・・・・・・・・上野波翠



忍冬に茶事の客あり朝日窯・・・田下宮子
siryoukan1朝日焼窯芸資料館

   忍冬(にんどう)に茶事の客あり朝日窯・・・・・・・・・・・・・・・田下宮子

朝日焼(あさひやき)は京都府宇治市で焼かれる陶器。
宇治茶の栽培が盛んになるにつれ、茶の湯向けの陶器が焼かれるようになった。
江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられていた。
なお、朝日焼の由来は朝日山という山の麓で窯が開かれていたという説と、朝日焼独特の赤い斑点(御本手)が、旭光を思わせるという説がある。
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歴史
宇治地方は古くから良質の粘土が採れ、須恵器などを焼いていた窯場跡が見られていた。
室町時代、朝日焼が興る前には、経歴も全く不詳な宇治焼という焼き物が焼かれ、今も名器だけが残されている。
 今日、最古の朝日焼の刻印があるのは慶長年間のものである。
しかし、桃山時代には茶の湯が興隆したため、初代、奥村次郎衛門藤作が太閤豊臣秀吉より絶賛され、
陶作と名を改めたというエピソードも残っていることから、当時から朝日焼は高い評判を得ていたことになる。
後に二代目陶作の頃、小堀遠江守政一(小堀遠州)が朝日焼を庇護、そして指導したため、名を一躍高めることとなった。
同時に遠州は朝日焼の窯場で数多くの名器を生み出している。
 三代目陶作の頃になると、茶の湯が一般武士から堂上、公家、町衆に広まっていき、宇治茶栽培もますます盛んになり、宇治茶は高値で取引されるようになった。
それに並行して朝日焼も隆盛を極め、宇治茶の志向に合わせて、高級な茶器を中心に焼かれるようになっていった。

朝日焼の特徴
朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴である。
そして、それぞれの特徴によって呼び名が決まっている。

燔師(はんし)
分かりやすく解釈すると、師匠が焼いた物という意味である。赤い粗めの斑点がぽつぽつと表面に浮き出たような器をいう。

鹿背(かせ)
燔師とは対称的に、肌理細かな斑点が見られる器をいう。鹿背とは名の如く、鹿の背中でそれを思わせるような模様から名付けられている。

紅鹿背(べにかせ)
鹿背の中でも、特に鉄分が多く、よりくっきりと紅色が見えるものを指す。
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上に引用した百科事典の記事のように、宇治の「朝日焼」は古い歴史を有している。
写真は「朝日焼窯芸資料館」の建物。

朝日焼は宇治川の川東にあり、宇治橋を上流に向けて数百メートル上ったところにある。
窯元は代々、松林豊斎を襲名していて、当代は15世だったが先年十一月に亡くなり、長男・佑典氏が十六世を襲名された。
因みに先年開催された「伊勢・志摩サミット」で京田辺産の玉露を淹れる急須に、ここ朝日焼のものが使われたという。

「朝日焼作陶館」というのがあり、作陶もできる。
当代の豊斎氏は、事業も大きくされ儲けておられるようだったが、先年敷地の大半を茶問屋の福寿園に買い取ってもらい、ここには「福寿園宇治茶工房」という店舗が開設されている。
先々代(13世ということになるのか)は、芸術家肌のひとで儲けには繋がらなかったかもしれないが、芸術的には良い作品を作られたようだ。
私の父は、「窯だし」のときには招待されて、気に入ったものを何点か所蔵していた。
今もわが家にあるが趣のあるものである。

朝日焼の「急須」は注ぎ口のところが特徴があり、お茶の最後の一滴まで、急須に残らずに注ぎ切れる。

suikazura5金銀花

掲出句の「忍冬」というのは、先に採り上げた「スイカズラ」のことである。

この「川東」地区は宇治上神社や興聖寺のほかに「源氏物語ミュージアム」などもあり、興味のあるところである。
ぜひ一度、脚をのばしてみられては、いかが。

スイカズラの花については先に書いたので、今日は触れない。


君が育て君が摘み来し食卓のスイカズラ甘く匂いていたり・・・鳥海昭子
suikazuraスイカズラ

   君が育て君が摘み来し食卓の
    スイカズラ甘く匂いていたり・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


スイカズラの花言葉は「愛の絆」「友愛」という。
スイカズラの説明をネット上から、以下に、引用しておく。
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スイカズラは、つるは右巻きで、まわりの木などに絡み付いて、よく延び若枝には褐色の毛がびっしりと生えていますが、後で毛はなくなります。
葉は対生、形は長楕円形で先は鈍頭、基の方は円形あるいはくさび形をしています。長さ3~6センチで葉縁は全縁となっています。
スイカズラは、冬にも葉が落ちないことから、忍冬(ニンドウ)の名があります。
花は枝の上部の葉腋から短枝をだし、2個の花をつけます。大きさは3~4センチで花冠の外面には軟毛が生えています。下の方から中頃までは筒状で、その先は上片1、下2片の唇状となっています。色は始めは白で後に黄色となります。甘い香りがあります。雄しべ5、花柱1。
果実は褐色で広楕円形をしています。
生薬名で金銀花(きんぎんか)といいます。
管状になった花を引き抜き、管の細いほうを口に含んで静かに吸うと、良い香りがあって、花の蜜は甘い味がすることから「スイカズラ」といわれています。
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上の説明で「金銀花」というのがあるが、その状態のスイカズラの花が、写真②である。

suikazura5金銀花

白色から薄茶色に変わったのが見てとれよう。
淡紅色に咲く花もあるらしい。

 忍冬のこの色欲しや唇に・・・・・・・・・三橋鷹女

という佳句があるのが、それである。
以下、この花の句を引いて終わる。

 忍冬神の噴井を司る・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 すひかずら尾根のかなたの椎の群・・・・・・・・・・・・志摩芳次郎

 忍冬の花折りもちてほの暗し・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 雨ぐせのはやにんどうに旅二日・・・・・・・・・・・・石川桂郎

 魂魄の塔にすがりし忍冬花・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 忍冬の花のこぼせる言葉かな・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 忍冬乙女ら森を恋ひ来たり・・・・・・・・・・・・・堀口星眠

 渡船場よりすこし風くる忍冬・・・・・・・・・・・・佐野美智

 結界に吹かれ忍冬朱を殖やす・・・・・・・・・・・・松本澄江

 山荘に独りが好きやすひかずら・・・・・・・・・・・・堤俳一佳



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