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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(1月)月次掲示板
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東日本大震災から九年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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     謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

2021年となりました。
昨年は日本でも世界でも「コロナ禍」に振り回されました。政治の動きのことはともかく、健康には留意したいものです。 
老来、冬の寒さが身にこたえるようになってきて、すっかり意気地なしになってしまった。
拙ブログは十年一日のような記事ですが、よろしくお付き合いください。

 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
 春にあふと思ふ心はうれしくて今一年の老ぞそひける・・・・・・・・・・・・・・・・・・凡河内躬恒
 職を棄て母国へ帰る人多しEU離脱の刻が迫りて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺幸一
 海域と言うときいっそう広域の海に浮かんだ列島は冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・花山周子
 しづかなる鯖街道の昼光を令和の白き蝶よぎりゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高野公彦
 後につづく者はなかれ と言ひおきて 発ちゆきにけり。征きて還らず・・・・・・・ 岡野弘彦
 くすり服むたびにおもへり一兵の柊二が師より賜びし「薬」を・・・・・・・・・・・・・・・ 武田弘之
 時に身を任せすぎてはいけないよ切り株のように心を抱く・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小島なお
 竹馬にのるおもしろさ楽しさに雪降る路を遠く行きたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市村八洲彦
 軟水で淹れた紅茶にサンキスト・レモン一切れ酸つぱい戦後・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 令和元年八月やうやくナガサキの地に帰り来つ被爆十字架・・・・・・・・・・・・・・・・高尾文子
 ヘッセは雲 三好達治は海 われは桜 おのがじしの郷愁・・・・・・・・・・・・・・・・・ 楠田立身 
 湧きあがる思ひまつすぐ詠はむかいつさんに木をかけのぼる栗鼠・・・・・・・・・・・萩岡良博 
 内戦で壊滅したるアレッポの石鹸日本にまだまだ売らる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田康子 
 あけぼのの光おごそかに世を開き凍ったまなこ射し貫けり・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 蝶型の足跡なれば栗鼠と知る胡桃の木から森へと向かふ・・・・・・・・・・・・・・・・・久我田鶴子
 冬の蝶ひらりと過ぎぬ思想にも裏面があると思つてもいい・・・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 白粥に七草浮かべ春の膳・・・・・・・・・・・・・・・梅木望輔
 あかねさす近江の国の飾臼・・・・・・・・・・・・・・有馬朗人 
 幻聴も吾がいのちなり冬の蝶・・・・・・・・・・・・中岡毅雄
 倒・裂・破・崩・礫の街寒雀・・・・・・・・・・・・・・ 友岡子郷
 双峰の
歌恵方の筑波山・・・・・・・・・・・・・・・足立公彦
 初夢のどこでもドアを開きけり・・・・・・・・・・・・・・ 金子敦
 煤竹を伐りにふらりと裏山へ・・・・・・・・・・・・・・市堀玉宗
 クロッカス小指にできること少し・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 丸餅や冷たくされて拝まれる・・・・・・・・・・・・・・河西志帆
 ストーブをつけるだ消すだだけのこと ・・・・・・ 津野利行
 襤褸市に兜太の自筆句入り本・・・・・・・・・・・しのぶ日月   
 揺すられて気づくわたしの樹の記憶・・・・・・・・月波与生
 踵よりこゑ絞り出す寒稽古・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 水仙の香に溺れ行く岬みち・・・・・・・・・・・・左近司しをぎ 
 人日やただまつすぐにバス通り・・・・・・・・・・・青木ともじ
 冬蜂の死よ天井の高くあり・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 冬さうび抱かれて白き息となる・・・・・・・・・・・・大中博篤
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 寒林に向かふを知られてはならず・・・・・・・・・青本柚紀
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・ 青山青史
 男湯と女湯代はる去年今年・・・・・・・・・・・・・・ 小池康生
 洞窟の画は初夢に狩りしもの・・・・・・・・・・・・・中村清潔
 マフラーに大き黒子の隠さるる・・・・・・・・・・・山下つばさ
 大さむ小さむ音なく数行削除・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 初日の出中継エデンの東より・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 裏面に粉雪溶けてゐる割符・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 冬銀河縄文土器と京友禅・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 一年が眠り歌留多に金ひとすじ・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 空きビルの落書き消えず越年す・・・・・・・・・・・工藤定治
 借景の冬のポプラはなほ高く・・・・・・・・・・ ・・きしゆみこ
 初扇静かに閉ぢて仕舞とす・・・・・・・・・・・すずきみのる
 二両車の初日はさみて曲りをり・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 寒苺累々と乳を垂れあへり・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 ホと息が前へ連なる寒の内・・・・・・・・・・・・・・・北川美美
 杖買うて使はずかへる初弘法・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 雪折の雪に溺れてゆくごとし・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 膝を抱く胸のふくらみ寒牡丹・・・・・・・・・・・・・・・下楠絵里
 大寒にサムといふ名を付けにけり・・・・・・・・・・・吉川わる
 さよならはLEDの青に降る雪・・・・・・・・・・・・・・・・奥村明
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 冬紅葉山径染めて人染めて・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 とある日の心の揺れや虎落笛・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 群鶏の背を光らせよ初日の出・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 トマト缶トマトまみれの日々を経て・・・・・・・・・・ 芳賀博子
 モーリタニア産のタコと今から出奔す・・・・・・・・・・榊陽子
 おしやべりの呼吸毛糸を編む呼吸・・・・・・・・・・・・大西遼
 雪の汽車吹雪の汽車とすれちがふ・・・・・・・・・・鈴木牛後 


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ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 (角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』 (短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』 (角川書店刊)
 歌集 『昭和』 (角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』 (KADOKAWA刊)
 歌集 『信天翁』 (澪標刊) 
 詩集 『免疫系』 (角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』 (角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』 (澪標刊)
 詩集 『修学院夜話』 (澪標刊)
 エッセイ集 『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』 (澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆エッセイ集『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』、第四詩集『修学院夜話』、第七歌集『信天翁』、第六歌集『無冠の馬』、第三詩集『修学院幻視』は、下記のところで買えます。  
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アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
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一人退き二人よりくる焚火かな・・・久保田万太郎
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    一人退(の)き二人よりくる焚火かな・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

この頃では「焚火」も簡単には出来なくなってしまった。
条例で「野焼き」が規制されているのに表れているように、ダイオキシン規制の影響でもあろうし、「火」を焚くことに世の中が神経質になっているからである。

「たきび」という童謡の風景は、今や死語と化してしまった。

00376巽聖歌
 ↑ 巽聖歌

この歌は、作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂。(今風の表記になっているので了承を)

     <かきねの かきねの まがりかど
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      きたかぜぴいぷう ふいている>

     <さざんか さざんか さいたみち
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      しもやけ おててが もうかゆい>

     <こがらし こがらし さむいみち
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      そうだん しながら あるいてく>

という唄などは、もはや郷愁の中の一風物となってしまったのである。
作詞、作曲とも著作権が有効なので、You Tube なども違法なものはすぐに削除されるので、このサイトで「試聴」」されたい。 

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この童謡「焚き火」の作詞者・巽聖歌に因む土地として伝えられるのが ↑ ここである。
中野区上高田にある『たきび』の歌発祥の地。一般人の住居であるが、中野区による説明板がここの傍にある。
歌詞冒頭の垣根の風情が現在も見ることができる。

当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。
その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。
「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。
同年の9月に、「幼児の時間」のコーナーの「歌のおけいこ」12月分で放送するために巽の詞に曲を付けて欲しいと、NHK東京放送局から渡辺のもとに依頼があった。
詞を見て「ずっと捜し求めていた詞」だと感じた渡辺は、「かきねのかきねの」「たきびだたきびだ」などの繰り返す言葉を気に入り、
詞を口ずさんでいるうちに自然にメロディが浮かび、10分ほどで五線譜に音符を書き込み完成させた。

今でも「行事」としての「どんど」「とんど」という大掛かりな焚火もあるが、これらは予め届け出て許可をもらったものである。
この唄にもある通り、「落葉焚き」というのは自然現象とは言え、降り積もる落葉という厄介ものを処分する良い方法だったのである。
この燃えた灰の中にサツマイモを入れて「焼き芋」にして、ほかほかの熱いのを食べるのは、冬の子供の楽しみのひとつだったのに。。。
古来、洋の東西を問わず、「火」というものは「穢れ」を浄化するものとして崇められてきた。

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 ↑ 写真に掲げる「那智の火祭り」などは、その一例である。
ヒンズー教や仏教における「火葬」の風習なども「穢れ」を浄化する意味以外の何ものでもない。
京都の夏を彩る「大文字の送り火」なども、そういう意味であり、それに「鎮魂」「魂送り」の意味も含まれる。
「火」はあたたかい。万物を焼き尽くすものでありながら、「冷たく」はない。
輪廻し転生する思想が「火」には含まれているのである。

「焚火」を詠んだ句も、古来たくさんある。それらを引いて終る。

 焚火かなし消えんとすれば育てられ・・・・・・・・高浜虚子

 燃えたけてほむらはなるる焚火かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 離れとぶ焔や霧の夕焚火・・・・・・・・原石鼎

 夜焚火に金色の崖峙(そばた)てり・・・・・・・・水原秋桜子

 道暮れぬ焚火明りにあひしより・・・・・・・・中村汀女

 紙屑のピカソも燃ゆるわが焚火・・・・・・・・山口青邨

 とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな・・・・・・・・松本たかし

 ねむれねば真夜の焚火をとりかこむ・・・・・・・・長谷川素逝

 焚火火の粉吾の青春永きかな・・・・・・・・中村草田男

 隆々と一流木の焚火かな・・・・・・・・西東三鬼

 安達太郎の瑠璃襖なす焚火かな・・・・・・・・加藤楸邨

 若ものとみれば飛びつく焚火の秀・・・・・・・・能村登四郎

 夕焚火あな雪ぞ舞ひ初めにけり・・・・・・・・石塚友二

 わめきつつ海女は焚火に駈け寄りぬ・・・・・・・・稲垣雪村

 焚火中身を爆ぜ終るもののあり・・・・・・・・野沢節子

 ひりひりと膚にし響かふ焚火かな・・・・・・・・青木敏彦



鼻眼鏡ずり落ちさうにかけゐつつ母はこくりと日向ぼこする・・・木村草弥
bde6043338658086a8b9e786e6dea216ひなたぼこ

     鼻眼鏡ずり落ちさうにかけゐつつ
         母はこくりと日向ぼこする・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「人」のひなたぼっこの写真がないので、猫のもので代用した。
冬の日、風の当たらない南側の日向で「ひなたぼっこ」をするのは気分のいいものである。
掲出した私の歌は、93歳で亡くなった母の往時の姿を偲んで歌にしたものである。

aegean_l戸口老夫婦

写真②はギリシアの「エーゲ海」クルーズを旅したときのもので、戸口に座る老夫婦で、これも基本的には「ひなたぼっこ」と言ってもよいだろう。
この写真には

  歩く我に気づきて「やあ」といふごとく片手を挙ぐる戸口の老は・・・・・・・・・木村草弥

  戸口の椅子二つに坐る老夫婦その顔の皺が語る年輪

  愛よ恋よといふ齢こえて枯淡の境地青い戸口の椅子に坐る二人


の歌が、私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載っている。
なお私のWebのHP「エーゲ海の午睡」の紀行文にも収録してあるので、ご覧いただきたい。

以下、「ひなたぼっこ」を詠んだ句を引いて終わりたい。

 日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ・・・・・・・・高浜虚子

 うとうとと生死の外や日向ぼこ・・・・・・・・村上鬼城

 冬日掬ふ如き両掌や日向ぼこ・・・・・・・・池内友次郎

 日向ぼこ笑ひくづれて散りにけり・・・・・・・・富安風生

 つかのまのきづなをたちてひなたぼこ・・・・・・・・飯田蛇笏

 日向ぼつこ日向がいやになりにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 日向ぼこ神の集ひも日向ならむ・・・・・・・・大野林火

 ふるさとにたよりおこたり日向ぼこ・・・・・・・・中村汀女

 日向ぼこ父の血母の血ここに睦め・・・・・・・・中村草田男

 かへる山ありて猿たち日向ぼこ・・・・・・・・山口波津女

 けふの日の燃え極まりし日向ぼこ・・・・・・・・松本たかし

 胸もとを鏡のごとく日向ぼこ・・・・・・・・大野林火

 手に足に青空染むとは日向ぼこ・・・・・・・・篠原鳳作

 犬がものを言つてきさうな日向ぼこ・・・・・・・・京極杞陽

 デスマスクある壁を背に日向ぼこ・・・・・・・・石原八束

 太陽の手をいただいて日向ぼこ・・・・・・・・堀内薫

 太陽に吾も埃や日向ぼこ・・・・・・・・平赤絵

 日向ぼこ身のうちそとに母のゐて・・・・・・・・長谷川せつ子




水底を見て来た顔の小鴨かな・・・内藤丈草
magamoマガモ雄

──季節の一句鑑賞──「水鳥」3態──

  ■水底を見て来た顔の小鴨かな・・・・・・・・・・・・・・・内藤丈草

今日は「水鳥」を詠んだ句三題をオムニバス風に採り上げる。
丈草は芭蕉の高弟で、禅に学ぶところ深く、芭蕉とはとりわけ心の通じあう門弟だったと言われている。尾張犬山藩士だったが、病弱のため「遁世」した。
この句は、鴨が水に潜っては、ついと浮かぶ。そのけろりと澄ました表情に「水底を見て来た顔」を見てとったところが面白い。
丈草の俳諧作者としての天分は、芭蕉一門の数ある作者の中でも抜群だったという。
彼は芭蕉の「さび」の精神を最もよく伝えた弟子と言われるが「飄逸な俳味」においても抜きん出ていた。
その笑いには品格の高さと洒脱さがあるという。『丈草発句集』所載。
写真①は、マガモ雄の成鳥である。

magamo5マガモ雌

  ■海暮れて鴨の声ほのかに白し・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

気鋭の俳人として江戸で名を挙げつつあった芭蕉は、貞享元年41歳の時、門人千里を連れて『野ざらし紀行』の旅に出発した。
蕉風確立の基礎をなす撰集『冬の日』を尾張で生んだ記念碑的な旅であった。
上の句は、その滞在中のものである。海辺で一日を過ごした時の作と自注している。
とっぷりと暮れた海づらを、鴨の声が渡ってくる。「白し」は「顕(しる)し」を内に含んでおり、感覚の鋭さが、このような用語法に表れている。
その白く顕きものが、「ほのかに」海を渡って来るから余情が広がったのである。
中七は「鴨の声ほの」「かに白し」と句跨りになるが、これを5、5、7の破調と読むのもよいが、私は句跨りと捉えたい。『野ざらし紀行』所載。
写真②は、マガモの雌である。

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  ■水鳥やむかふの岸へつういつい・・・・・・・・・・・・・・・広瀬惟然

放浪の俳人惟然は美濃の酒造業の家に生れたが、妻子を捨てて家出し、剃髪して芭蕉晩年の弟子となる。惟然坊と通称された。
天真爛漫に行動する風狂な人となりは、句作にもそのまま表れ、口語の擬声、擬態語を多用して、対象を活写する技法を開発した。
これは、つと口を出る心の動きをとらえる上で優れた技法だった。
「梅の花赤いは赤いは赤いはな」のような句が、よく知られている。
上の句でも水鳥の生態を「つういつい」に活写したが、常にこれが成功する訳ではない。
擬音語や擬態語は印象が強いだけに、惰性的に用いると、たちまち陳腐なものになってしまうからである。『惟然坊句集』所載。

私の住む辺りに一番近いところというと「琵琶湖」が水鳥の大棲息地だが、ここは、かなり前から「禁猟区」になっているので野鳥にとっては天国である。
ここは鴨肉の生産地でもあるが、養殖したり、他所からの移入鳥で仕事をこなしている。

「鴨」「水鳥」というのは冬の季語で、歳時記に載る例句も大変多い。少し引いて終る。

 水鳥や氷の上の足紅く・・・・・・・・・・・・・野村喜舟

 水鳥の沼が曇りて吾くもる・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 水鳥のしづかに己が身を流す・・・・・・・・・・・・柴田白葉女

 寝るときはひたすら眠れ浮寝鳥・・・・・・・・・・・・吉田やまめ

 小閑充実鴨くさきまで鴨の群・・・・・・・・・・・・中村草田男

 幻の母来て 屈む 鴨の岸・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦

 さみしさのいま声出さば鴨のこゑ・・・・・・・・・・・・岡本眸

 抜け目なささうな鴨の目目目目目目・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 うたかたとなるまで鴨の漂へり・・・・・・・・・・・・小沢克己

 寝化粧を長しと思ふ鴨の声・・・・・・・・・・・・星野石雀

 見事なる腹が頭上を鴨返す・・・・・・・・・・・・市村究一郎


「交配中」のビラを掲げてマルハナバチがトマトの黄花の花粉にもぐる・・・木村草弥
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↑ 日本産 クロマルハナバチ
  
      「交配中」のビラを掲げてマルハナバチが
            トマトの黄花の花粉にもぐる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選60首にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いたたげる。

「マルハナバチ」は温室やビニールハウスでの野菜、果実などの交配に導入されたもので、園芸先進国オランダで実用化され、従来は、段ボール箱に入って空輸されて来たが、この「セイヨウマルハナバチ」が日本の環境中に逃げると、日本の生態系を乱すというので、規制が強化され、今では日本在来の「クロマルハナバチ」が日本国内で飼育、生産されるようになった。

このダンボールのセットは、下記のような仕様になっている。
商品名 アグリ・トップ®クロマルDX
商品情報 ハチの種類:クロマルハナバチ(和名)
JANコード:4562297520860
商品規格 女王バチ 1頭
働きバチ 50頭以上
雄バチ(出荷時)10頭以下
卵・幼虫・蛹 多数
装着蜜量:約2.5kg
同封物:
・蜂用花粉(20g)4セット
・「上手な使い方」冊子など
主な利用作物と1箱あたりの使用面積の目安 大玉トマト(施設)約300坪
ミニトマト(施設)約250坪
ナス(施設)100〜200坪
イチゴ(施設)約300坪

ハチの数などの多少によって値段もまちまちだが、ここに掲出した商品は値段は1箱29000円(税、送料込み)てある。

日本では平成2年に国内に導入されたばかりだが、ヨーロッパではすでに早くから実用化され、一般的な技術として普及しているという。
彼らを有効にトマトの花を訪れさせる最大のコツは「学習飛行」だという。マルハナバチは、ある一定種の花をつづけて訪花する習性があるのである。
マルハナバチは最初、ネットで囲った1棟のハウス内で学習飛行した後、開け放たれたハウスの中をトマトの花を求めて移動するという。
通常、1棟のハウスの中に1匹のマルハナバチが活動していれば充分という。

写真③は「ミディトマト」である。ここで「トマト」について書いて置こう。
12003-01ミディトマト①

トマトは17世紀にポルトガル人によって伝えられ、最初は鑑賞用に栽培されていたという。「蕃茄」と呼ばれた。
今日では、最もポピュラーな果実として広く食べられている。
露地ものもあるにはあるが、通年作物として「ハウス栽培」されるのが普通である。
元来トマトは夏の果物だが、今ではハウス栽培のおかげで一年中食べられるようになった。
後でも書くが、マルハナバチに花粉の媒介をしてもらうということは、「農薬」を使えないということでもあり、食べる上でもトマトは安全な果物と言えよう。

photo-02トマトの種床

写真④がハウスに植えつけるトマトの苗床である。スポンジ様のものに一粒づつ種を蒔いて発芽させる。
これをハウスに定植し液肥を入れた水を循環させる「水耕栽培」が普通である。
その間、余計な葉や枝を取り去ったり、枝を吊り上げるなど人手のいる作業が要る。
日本の夏は暑いので、この期間中はハウスの中が高温になり過ぎるので栽培は休んで、ハウスの消毒や秋からの定植に備えて苗などの準備をする。
私の知人も大規模なトマト栽培家がいるので、よく見せてもらった。

掲出の歌を含む一連8首を読んでもらえば、よく判っていただけると思うので、それを引いておきたい。

  マルハナバチ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 外は寒い北風が吹く温室の中はぽかぽか春の暖かさ

 「交配中」のビラを掲げてマルハナバチがトマトの黄花の花粉にもぐる

 温室は液肥の流れる礫耕栽培トマトには農薬は使はぬ

 虫を殺す農薬が人間に良い筈がない「自然の知恵」に戻れよ

 葡萄のやうな房生(な)りでミディトマトが鈴なりに垂れる壮観

 園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた

 この列はイタリア品種の料理用「サンマルツァーノ」トマトが真つ赤だ

 次々と温室トマトの直売所に車が来て採りたての果実が買はれてゆく

240px-Fleurtomateトマト花

「トマトの黄花」といっても判らないので写真⑤に出しておく。

トマトの効用を、このように言っても「露地」栽培で「旬」のトマトなら、昔の風味も味わえるだろうが、今は消費者が一年中トマトが食べられるという生活に狎れてしまい、このような旬の味を求めるというのは「ないものねだり」の感がある。
それともうひとつ、大量生産、大量消費の時代になると、生産者から末端の消費者の手に渡るまでの日数を考えると「品傷み」のしない品種がタキイ種苗などの大手の育種メーカーで開発され、今の主流をなす「桃太郎」などの品種が市場を占める事態となるのである。したがって味も画一的になってしまう。
今の主流の「桃太郎」というトマトも完熟したものを、その場で食べれば、とてもおいしい品種なのだが、今では流通過程で日数がかかってしまい、かつ家庭でも野菜室に入れておいて、すぐに食べるというものでもないから「味」が劣化する。
昔のトマトには適当な「酸味」があったが、今のトマトには、それがない。
これは消費者が「甘い」トマトを求めるからだという。確かに「桃太郎」などは酸味は殆ど感じられない。
このようなことを知ると、今のトマトの風味については、消費者にも、その責任の一端がありそうであるが、いかがだろうか。
昔わたしたちの子供の頃は(農村だったから)学校から帰ると、冷たい水にトマトが冷してあり、それを皮もむかずに、そのままかじりついたものである。
適当な酸味もあり自然の風味というものがあった。
しかし、いまでは、そんなことを言ってみても「詮ない」ことである。

P1030584ミニトマト

写真⑥に「ミニトマト」を出しておく。




かなしみのきわまるときしさまざまの物象顕ちて寒の虹ある・・・坪野哲久
990930a虹
  
      かなしみのきわまるときしさまざまの
             物象顕(た)ちて寒の虹ある・・・・・・・・・・・・・・・・・坪野哲久


俳句の場合の季語としては「虹」は夏季のものとされる。
日本での気象条件からすると、高温多湿の夏に虹が多いのは当然である。
冬に虹を詠む場合には、季節の言葉をつけて「寒の虹」のようにして季語とする。

この坪野哲久の「寒の虹」の歌は、そういう点から見ても面白い。
雨と太陽光線とがあって虹が立つのが普通だが、哲久は「物象顕ちて寒の虹」が立つと詠っている。
これは上の句に「かなしみのきわまるとき」と書いているように、作者の心が空に立たせた幻の虹かとさえ思わせる。
「きわまるときし」の「し」は強調の助詞である。
このように上の句と下の句とが相まって、歌に独特の孤高性と浪漫性をもたらしている。『碧巌』所載。

加藤楸邨の句に

 Thou too Brutus ! 今も冬虹消えやすく

というのがあるのを思いだした。冬の虹というのは、そういう消えやすい「はかない」ものである。
坪野哲久の歌の「かなしみのきわまるとき」という把握の仕方と相通じるものがあるかと思う。
坪野哲久については前にも一度採り上げたことがあるが、昭和初期にプロレタリア短歌運動で活躍、昭和5年、第一歌集『九月一日』を刊行したが発禁処分を受ける。
昭和46年『碧巌』で読売文学賞受賞。石川県生まれ。昭和63年没。
哲久の歌は心象を詠いあげたものが多い。叙景だけの歌というものはない。
「物象」などという「漢語」の使い方が独特である。仏教用語も多用する。
以下、少し哲久の季節の歌を引いて終わりにする。

 母のくににかへり来しかなや炎々と冬涛圧(お)して太陽没(しづ)む

 母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零(ふら)すなり

 天地(あめつち)にしまける雪かあはれかもははのほそ息絶えだえつづく

 牡丹雪ふりいでしかば母のいのち絶えなむとして燃えつぎにけり

 寒潮にひそめる巌(いはほ)生きをりとせぼねを彎(ま)げてわが見飽かなく

 死にゆくは醜悪(しうを)を超えてきびしけれ百花(びやくげ)を撒かん人の子われは

 もろもろのなげきわかつと子を生みき子の貌(かほ)いたしふる霜の花

 冬星のとがり青める光もてひとりうたげすいのちとげしめ

 冬なればあぐらのなかに子を入れて灰書きすなり灰の仮名書き

 曇天の海荒るるさまをゆめにみき没細部なる曇天あはれ
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はじめから8首までの歌は、ふるさと石川県に臨終の母を看取った時の歌であろうか。
時あたかも冬の時期であったようで、能登の怒涛の寄せる海の景物と相まって、母に寄せる心象を盛った歌群である。
歌集『百花』『桜』『留花門』から引いた。
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今日は、阪神大震災が起きてから二十六年である。
朝から追悼一色である。 打撃から、未だに立ち直れない人も多い。

その朝、私は京都南部の自宅で激しい揺れに見舞われたが、震源から外れていたので建物が壊れるなどの被害はなかった。
丁度、私はイタリアのシチリア島の旅に出かけていて、その前日に帰ったばかりで、厳しい「時差ボケ」で明け方まで眠れず、ようやくウトウトとしたところだった。
妻や子供たちは、友人、知人たちの救援にリュックをかついで出かけるなど大騒動だった。
交通機関も、阪急電鉄で言うと、「西宮北口」までしか行けなかった。 後はみな徒歩である。
「ボランティア」という言葉が日本に定着したのも、この時からである。
私は多くの「紀行文」を書いてきたが、この時の旅は、出鼻をくじかれて、今に至るまで執筆できていない。書く気になれなかったのである。

記念日に当り、一筆書き添えるものである。 合掌。





かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり・・・高安国世
高安
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無題リルケ詩集

(再録)──Doblog 旧記事──初出2005/01/16

     かきくらし雪ふりしきり降りしづみ
             我は真実を生きたかりけり・・・・・・・・・・・・高安国世


この歌は高安国世の初期の作品で「真実」と題されている。昭和26年刊の第一歌集『Vorfruhling』に載るもの。(お断り・u の上にはウムラウト(・・)が付いている)
高安先生は大阪の開業医の家に生れたが、母・やす子がアララギの歌人だった影響で少年期から短歌に親しみ、またドイツ文学を専攻することになったが、父親は医者にしたかったらしい。
家庭の中で何らの葛藤があったと思われ、そのことが、この歌によく表れている。それは「我は真実を生きたかりけり」という詩句になっている。
この歌は、そういうドイツ文学者として生きてゆくという高安氏の決意表明みたいなもので、先生にとっては、極めて愛着のあった歌らしく、自選歌集でも巻頭に載せられている。
作品としても有名なもので高安国世といえば、まず、この歌が引用される。

先生について詳しくは → Wikipedia─高安国世を参照されたし。

私事になるが、私は大学で第二外国語にドイツ語を選び、その関係から高安先生の授業も受けた。その頃、先生は京都大学助教授になったばかりであった。
その頃から先生は「歌人」としても有名であったらしいが、私はその頃短歌には無関心であったから、そんなことは知らなかった。
先生も教室では短歌のことは一切お話しにはならなかった。
先生は旧制高校の頃は第三高等学校の教授であり、新制大学になって三高は京都大学吉田分校になり、教養課程を担当していた。
三高出身の連中に聞くと、教室では短歌の話を、よくされたという。
先生はアララギ出身らしく「リアリズム」を基礎に置いておられるが、後に短歌結社「塔」を創立されるなど「主知的リアリズム」という主張を確立された。

この歌の出だしの「かきくらし雪ふりしきり降りしづみ」という「たたみかける」ようなリズムが秀逸である。
歌のはじめの「かきくらし」というところは、学者として生活できるようになるまでの「生きる苦しみ」のような生活観を想像させる。
高安先生の私生活について、私は多少のことを知っているが、ここでは書くべきことではないと思うので、触れない。
同じ歌集に載る歌ひとつと、晩年の歌集『光の春』から4首を引いて終りにしたい。

   二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひいづるはや

   ゆるくゆるく過ぐる病院の一日よ忘れいし生命の速度と思う ──『光の春』より4首──

   わが父のあやぶみしごと何一つ世の表うら知らず過ぎ来し

   われ亡くとも変らぬ世ざま思いおり忘れられつつドイツに在りし日のごと

   焼き棄ててくればよかりしもろもろも恐らくは単純に火にくべられん

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ここに引用した歌を子細に見てみると、はじめのものは旧カナで、後の四首は新カナになっていることが判る。
これは先生が途中から新カナ表記に変わられたからである。
この頃は、そういうのが流行っていた。「未来」の近藤芳美が、そうだった。高安国世は「未来」創刊同人だった。
だが後に旧カナ(歴史的かなづかい)に復帰するのが流行り岡井隆など多くの歌人が復帰したが、近藤芳美は頑固に新カナを押し通した。
永田和宏なども新カナ→ 旧カナに数年前から復帰した。
ついでに書いておくと、アララギ系から出発した高安国世、岡井隆、永田和宏、みなリアリズムである。
先に書いたように高安先生は「主知的リアリズム」を唱えられたし、岡井隆の歌も「比喩」のオブラートにくるまれているので騙されるが、基本的にリアリズムである。
だから彼らは自分や家族のことを詠う。
だが、同じ「前衛歌人」と呼ばれても、塚本邦雄は自分や家族は詠わない。「われ」の把握の仕方が全く違う、と言える。
余り採り上げられないことだが、敢えて言っておく。
また天皇家とのかかわりでも、「歌会始」などを通じて岡井隆や永田和宏は「擦り寄って」行ったが、塚本邦雄は擦り寄らなかった。
今は触れられることが全くないが、これらは塚本、岡井の決定的な違いであることを言っておく。

図版として掲出した『光沁む雲』(短歌新聞社昭和50年刊)は歌集『朝から朝』までの歌を収録したもので解説を永田和宏が書いている。
それとドイツ文学者としてのリルケ詩集の文庫本の表紙を二つ出しておく。
先生はリルケ研究の第一人者だった。
この旧記事にも、もちろん画像があった。しかし、Doblogが不調になったとき今のfc2にデータを移すとき画像は移せなかった。

母親の高安やす子さんの記事をある筈だが、高安病院のことも書いたので、旧記事を少し調べてみる。お待ちあれ。


新年の色あざやけき青竹を結界として茶の湯点てけり・・・木村草弥
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       新年(にひどし)の色あざやけき青竹を
               結界として茶の湯点(た)てけり・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌は自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
この歌のつづきに

 をろがみて三啜り半に服したる新年の茶のこのほろにがさ・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っている。この一連は「結界」という小項目の13首からなるが、この項目の一番終わりの歌は

 黒光る帳場格子の結界に大福帖吊りき創業の祖(おや)・・・・・・・・・・木村草弥

このように「結界」という言葉は、さまざまに使われているので、少し説明したい。

k-13kihon結界

写真②は茶道で使う「結界」である。形は色々あるが、私のはじめの歌の場合は、これを「青竹」で作ってあるということである。
この写真のものは茶道具屋が売っているものだが、茶道の原初的な意味から言うと、どんなものでもよいのである。
そもそも「結界」とは、Simabandhaという言葉の訳語とされ、仏教教団に属する僧尼の秩序を保つため一定地域を区画すること、に発する。いわば聖と俗との境界である。
それが茶道その他にも取り入れられたもの。「女人結界」というのも宗教界にはある。また神社などの「注連縄」(しめなわ)も結界の一つである。
先に書いた聖と俗との境界を示すものである。
私の三番目の歌に則して言うと、昔の商家の、いわゆる「帳場」の一角を区切る「格子」(こうし)も一つの結界なのであった。店頭とは違った空間を作るものだからである。
こういう風に「結界」という言葉は便利なもので、さまざまに変形して使われている。

kazuho茶筅

写真③には茶道で使う「茶筅」を掲げてみたが、新年に使うものは「青竹」で作られ、緑色あざやかなものである。
もっとも茶道具というのは三千家でも少しづつ変化しているので、ここではあくまでも一般論として読んでもらいたい。茶筅の穂先の形からして変わる。

私の二番目の歌の「をろがみて」というのは「おしいただいて」ということで、茶道で茶を呑む時に茶碗を両手で持って顔のあたりにもってきて「おしいただく」動作のこと。
「拝む」というのが「をろがむ」である。
「三啜り半」というのが、茶碗に入った抹茶の湯を呑む時の作法とされる。一番最後の茶は音をたてて「啜る」のである。
このことを誤解して、音をたてずに服する人があるが、それは「勘違い」というものである。ズルズルと音をたてて啜るのが正解である。
なお、この「啜る」という口の動きが、外国人には出来ない。西洋人には、先ず無理である。
英語の「drink」(飲む)という言葉は、たとえばスープを飲む時にスプーンの先を唇にあてて、舐めるように、あるいは、注ぎ込むように飲むのが「ドリンク」なのである。
日本人は「啜る」ことが出来るので、スプーンの横から「啜り」がちである。
文化あるいは風習というものは、このように変わっていて、一つの言葉の「翻訳」されたものの中だけでは、表現し切れないものが含まれているのである。
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今日、1月15日は古来「小正月」と言って、正月の行事があった。一般的には、この日には「小豆かゆ」を食べる風習があった。今でも我が家などでも、この行事を守っている。
この日をもって一応、正月行事は終ることになる。
祝日の「成人の日」は、今は移動休日になってしまったが、前は先に述べたような理由から「小正月」に因んで1月15日に決めて制定されたのであった。
そんな日にちなんで、今日は「新年」「茶道」ないしは「結界」のことを書いてみた。



あだし野に日の一すぢの霰かな・・・徳永山冬子
2701ac241df72953e782a5738387d041化野念仏寺

    あだし野に日の一すぢの霰かな・・・・・・・・・・・・・・・徳永山冬子

嵯峨野の化野(あだしの)念仏寺の辺りは千年前には「風葬」の地であった。
風葬とは、今でもチベットなどで行われる死体を野っぱらに放置して、獣や鳥に肉を食わせ、あるいは腐るに任せる葬送の方法である。
この寺は現在は浄土宗に属する寺だが、およそ1000年前、空海が、ここに五智山如来寺を開創し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことにはじまるという。
「あだし野」というと『徒然草』にも「あだし野の露消える時なく、鳥辺野の烟立さらでのみ住み果る習なれば、如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ」と書かれている、
かつての葬送の地に建ち、境内に集められたおびただしい数の石仏が、葬送地としての過去を彷彿とさせる。
寺の本尊は阿弥陀如来で、湛慶の作。本堂は江戸時代に再興されたもの。
夏の8月23~24日の地蔵盆のときの「千灯供養」は有名である。
この寺の地番は 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町 という。

写真②に夏の「千灯供養」の様子を出しておく。

PN2010082301000790_-_-_CI0003千灯供養

掲出句は、夏の千灯供養が、凄絶ではありながら、火の力によって温もりを感じるのに対して、きびしく凍てる京都の冬の名も無き石仏のみじめな姿を、
よく活写しているというべきだろう。

 石くれ仏ひしめく限り冬茜・・・・・・・・文挟夫佐恵

 凍仏(いてほとけ)小にしてなお地にうもれ・・・・・・・鈴木六林男

 石仏の首から首へ虎落笛(もがりぶえ)・・・・・・・・鷹羽狩行

 冬ざれの片寄せ小さき仏たち・・・・・・・・二橋満璃

 化野のひとつづつ消ゆ冬灯・・・・・・・・間中恵美子
 
 鼻寒きわれに鼻なき餓死仏・・・・・・・・秋元不死男

 風葬の明るさの原ひかりは凍(し)み・・・・・・・・榎本冬一郎

のような句も、同じく冬の季節のあだし野の石仏を描いて秀逸である。
他の季節の、あだし野を詠んだ句は、また後日。
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20101209234354d3aお土居①
145b5676お土居②
img_6お土居③
7hptih_bお土居④
 ↑ 「お土居」─現在の写真四枚

長い間、都の置かれてきた京都の地には土塁をめぐらせた「街区」が仕切られていた。そのなごりが、豊臣秀吉によって再整備された「お土居」である。
つまり、この「お土居」の内側が「洛中」であり、外側は「洛外」ということである。
この区域より外は人間の住む場所ではなく、その「お土居」の外は「葬送」の地であった。
庶民の死者は、この「お土居」の外に置かれ、いわゆる「隠亡」(おんぼう)と呼ばれる葬送の専門職の人間が、
ここ、あだし野や、東山の鳥辺野、洛北の蓮台野などに死体を放置(風葬)したのであった。
今では京都市北区に「蓮台野町」という地番があり、住宅地になっていて、人々は何も知ることもなく平気に暮らしているが、
もともとは葬送地であったから、地名にそれが残っているのである。




ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ・・・細川加賀
recipe54ごまめ

──季節の一句鑑賞──おせち「ごまめ」「数の子」

  ■ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ・・・・・・・・・・・・・・・細川加賀

今ごろになると、もう正月の「お節料理」もなくなったと思うが、お節(せち)料理の代表選手である「ごまめ」を採り上げたい。
これは「カタクチイワシ」の稚魚を天火乾燥させたもので、「五万米」とも「田作り」とも呼ばれる。
このカタクチイワシを焦がさぬように煎り、あめ煮にしたもの。
小さいながら、ゴマメには「尾かしら」もついており、安価でありながら縁起物として重宝されたのである。
カタクチイワシの体全体が食べられるので、栄養的にも優れている。私も大好きである。
私は「入れ歯」が一本もない。全部、自分の歯であるが、虫歯などで修復はしてある。
ゴマメなどの固いものも支障なく噛めるので快調である。
私の歯は掲出句そのものである。

ゴマメを詠んだ句を少し引く。

 自嘲して五万米の歯ぎしりといふ言葉・・・・・・・・富安風生

 噛み噛むや歯切れこまかにごまめの香・・・・・・・・松根東洋城

 田作や河童に入歯なかるべし・・・・・・・・秋元不死男

 口ばつかり達者になりしごまめかな・・・・・・・・橋場もとき

 田作や箸に触れ合ふ海の色・・・・・・・・柴田清風居

 齢重ねなほ田作のほろ苦き・・・・・・・・鷹野映

 孫の顔ひとりふえたるごまめかな・・・・・・・・三宅応人

 こしかたの正直すぎしごまめかな・・・・・・・・川上梨屋

 田作の秤りこぼるる光かな・・・・・・・・永井暁江

つぎに、もう一つの代表として「数の子」を採り上げよう。

img10131191068数の子

  ■ひとり飲む酒数の子の粒々も・・・・・・・・・・・・・・佐野良太

「数の子」は、アイヌ語で「かど」というのが「にしん」のことで、その卵巣を「かどの子」というのが語源だと言われている。
粒々の数が多くて「多産」の卵であるところから、子孫繁栄の意味もこめてある。
ニシンの漁期は4、5月だと言われ、乾燥したり塩蔵にしたりして保存する。
日本近海では獲れなくなったが、本来は食べる習慣がなかったカナダや北欧から大量に輸入されるようになり、今では一年中出回っている。
このぷりぷりとした歯ごたえが私は好きである。
数の子を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 数の子を好む子は皆母似にて・・・・・・・・大谷句仏

 数の子にいとけなき歯を鳴らしけり・・・・・・・・田村木国

 今は亡き子よ噛めば数の子の音のして・・・・・・・・加藤楸邨

 数の子をかみかみひとりなるを思ひ・・・・・・・・龍岡晋

 数の子の妻のこめかみめでたけれ・・・・・・・・石田波郷

 数の子を噛む音子より起りけり・・・・・・・・浦野芳南

 数の子や一男一女大切に・・・・・・・・安住敦


かるた切る心はずみてとびし札・・・高橋淡路女
matsuitengudou百人一首
 ↑ ↓ 百人一首の札
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82A2-1いろはカルタ
 ↑ いろはカルタ
unsun02うんすんカルタ
 ↑ うんすんカルタ

    かるた切る心はずみてとびし札・・・・・・・・・・・・・・・・高橋淡路女

正月の遊びとして「カルタ」は必須のものであった。カルタの語源はポルトガル語であるらしい。
カルタ遊びには「歌かるた」という小倉百人一首、「花かるた」、「いろはかるた」、「ウンスンかるた」、「トランプ」などがある。今ではトランプが主流であろうか。
掲出の写真は「歌かるた」の小倉百人一首のもの。競技用のものは「読み札」と「取り札」とに分れているが、掲出のものは歌を全部書いてあるもの。
今では、こういう古典かるたをやるのは、お正月と言えども珍しいのではないか。
「うんすんカルタ」の札や点棒なども出しておいた。 詳しくは後の方で。

「百人一首」には「恋」の札があって、昔は男女混ざって佳き恋の鞘当だったのだが、掲出句は、その情景を描いている。

「いろはかるた」は、たとえば「犬も歩けば棒にあたる」のようなもの。もっとも、これは江戸の文句で、京では「一寸先は闇」、大阪では「一を聞いて十を知る」などと変化していたという。

 ↓ 写真は、「ウンスンかるた」の内の絵札(スン唐人)である。
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詳しくは下記の ↓ リンクを見てもらいたい。絵札、数札などカラーで綺麗に載っている。
「ウンスンかるた」 は、南蛮かるたを元に日本で作られた「天正かるた」から作られたと思われる日本独自のカルタ。
元禄年間の成立と言われる。75枚1組。滅亡したと思われていたが、熊本県人吉市で遊び継がれているのが発見された無形文化財という。
ヨーロッパのカードの影響を大きく受けており、歴史的にも貴重なものという。
スーツ(マーク)は、いす(棒)、ぱお(剣)、こつ(聖盃)、おうる(貨幣)、ぐる(巴)の5種類。数札は1-9まで。絵札はスン(唐人)、ウン(七福神)、レイ(王)、カバ(従士)、ソウタ(女王)、ロバイ(龍)の6種類。代表的な遊び方に「8人メリ」がある。8人が4人づつ2組に分かれて行なうゲームで、敵味方が交互に座ってトリックテイキングゲームを行なうという遊び方をする。
詳しくはリンクに貼ったところを参照されたい。
九州国立博物館のサイトにも関連記事が載っているので参照されたい。

「ウンスンかるた」の名前の由来ついて次のように書かれているものがあるので紹介しておく。

<ポルトガル語で1を意味する「ウン」、最高を意味する「スン」が名前の由来とされています。また、カルタ遊びの禁止令で、昨日まで盛んに遊んでいた人が「うんともすんとも言わなくなった」ということからこの名前が付いたともいわれています。 
ウンスンカルタは、江戸時代に全国で流行しましたが、賭博(とばく)に使われたため寛政(かんせい)の改革(1787年~93年)で禁制になりほとんど廃れてしまいました。
しかし、人吉にだけは残り、今日まで伝えられてきました。> 
(「うんともすんとも」という慣用句の語源でもある)

なぜ私が、ここに「ウンスンかるた」のことを、長々と書くかというと、
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  沙羅の花ひそかに朝の地(つち)に還りつぶやく言葉はウンスンかるた・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるからである。この歌は「ウンスンかるた」なるものが、いかなるものか知らない人がほとんどなので、判りにくいと評判は良くなかったが、私には愛着のあるものなので、ここに引用してみた。

以下、歳時記に載る「歌留多」の句を少し引いて終る。

 歌留多とる皆美しく負けまじく・・・・・・・・高浜虚子

 かれがれの日々を歌歌留多そらんじぬ・・・・・・・・滝井孝作

 歌留多読む恋はをみなのいのちにて・・・・・・・・野見山朱鳥

 歌かるたよみつぎゆく読み減らしゆく・・・・・・・・橋本多佳子

 刀自の読む咳まじりなり歌留多とる・・・・・・・・皆吉爽雨

 法師出て嫌はるるなり歌がるた・・・・・・・・阿波野青畝

 掌に歌留多の硬さ歌留多切る・・・・・・・・後藤比奈夫


竹馬の高さとなりし子の世界・・・宮地玲子
KX2F1133竹馬
 
       竹馬の高さとなりし子の世界・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮地玲子

竹馬はかつて子供の遊び、特に冬の遊びだった。
幼な友達を「チクバの友」というのも、ここから出ているが、長ずれば皆それぞれに散ってゆくのが世の定めである。
「いろはにほへと」を一緒に習った仲間が、「色はにほへど散りぬる」さまに散ってゆく。

googleなどで「竹馬」と検索すると、「竹馬の作り方」というのがいくつか載っているが、私たち農村の子供たちが、手づくりで作っていた頃と違って、この写真のようにもアルミのパイプにプラスチックの「足置き」がついている。
私たちが子供の頃の竹馬は、本体の竹にカマボコの板を縦に半分に割って、二本の板棒を荒縄で軸にくくりつけただけの簡単なものだった。
竹馬に乗る時は、わら草履履きか、はだしで乗って足の指の股で軸の竹を挟んでいたものである。
今の子供は、みな靴履きのままだから、どうしても乗るのが安定しないから、頑丈な「支え」が必要なのだろう。
だから竹馬に乗っての「騎馬戦」などというものは、先ず不可能である。

先にも書いたが「竹馬」は冬の季語である。竹馬の句を少し引いて終りにする。

topimg竹馬


 竹馬や青きにほひを子等知れる・・・・・・・・中村草田男

 わが竹馬ひくきを母になげきけり・・・・・・・・大野林火

 竹馬のめり込む砂地にて遊ぶ・・・・・・・・山口波津女

 竹馬の雪蹴散らして上手かな・・・・・・・・星野立子

 竹馬に土ほこほこと応へけり・・・・・・・・山田みづえ

 戞々と来しは竹馬女の子なり・・・・・・・・井沢正江

 竹馬の濶歩行先なけれども・・・・・・・・橋本美代子

 竹馬の土まだつかず匂ふなり・・・・・・・・林翔
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981646a132682ace8e9dd64dad1edaaa鏡開き①
m_f0216148_11284139鏡開き②

今日1月11日は「鏡開き」の日と言って、正月の間、神棚や仏壇などにお供えしてあった「お鏡餅」を割って、お雑煮などにする「正月行事」の日である。
関西では「松の内」──1月7日が過ぎると飾ってあった餅を下げ、寒い寒気で餅がひび割れるのを避けるために、釜や大鍋などの中に入れて置いた鏡餅を木槌などで割って食べられる大きさにするのである。
正式には、包丁を使うのは忌む、とされるので、木槌などで割るのが、いい。
もっとも、私の家では、包丁を使って薄く切り、「かきもち」にしていた。
昔は大きい鏡餅をお供えしたから、こういう行事も必要だったが、今ではスーパーなどに、プラスチックで成形した鏡餅があるので、それで済ませてしまう。
これなどは、重ね餅が一体化したもので、およそ趣はないが、独り暮しでは、それも致し方ない始末である。
なお、京都では神棚など神事のところは二段重ねの餅を、仏壇など仏事のところには三段重ねの鏡餅を供えるのが普通である。
だからスーパーなどでも三段重ね鏡餅が、ちゃんと売られている。
この鏡開きで割った餅を大釜で炊いて「ぜんざい」をふるまったりしたものである。
関西では、奈良の天理教本部での、この行事が今でも盛大に催される。

参考までに「鏡開き」の句を引いて終わりにする。

 可も不可もなく生きて割る鏡餅・・・・・・・・福田甲子雄

 パック裂く鏡開と云うべきや・・・・・・・・武村文一

 鏡餅開く木槌の音高く・・・・・・・・谷口佳寿

 神妙な鏡開の豆剣士・・・・・・・・丸茂ひろ子





大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・吉田すばる
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       大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・・・・・・・・・・・吉田すばる

「十日戎」は大阪の今宮戎神社の祭礼である。
一年はじめの1月10日は「初戎」として何十万の人が、一説では百万人が、さほど広くはない境内に押すな押すなの様相を見せる。
 ↑ 今宮戎のホームページを見てもらいたい。
前日の9日夜は「宵えびす」、11日は「残り福」と称して、わざと、この日に参詣する人もある。
社殿の裏に廻って、羽目板をどんどん叩いて「えべっさん、頼んまっせ」と大声で言うのが上方風である。
掲出した写真が当日の神社の境内の様子である。
参拝のあと、「福笹」という笹の枝に小判やらをぶらさげたものを買い求めて、肩にかついで帰る。
笹は笹だけで売られ、それにつける小判などは、別途金を払って追加するのである。
東京の「熊手」に福面をつけたりするのと同様のことである。

『年浪草』という本に「諺にいふ、この神は聾にましますとて、参詣の諸人、社の後の板羽目を敲く。その音、昼夜にかまびすし。これ、今日参詣して諸願を訴ふる謂ひなり。」とある。
近年は「福娘」と称して公募して福笹の売り子を募っているが、応募者が多いので、なるべく美人を選ぶという。今年は45人採用したという。

1月10日前後には南地の花柳界の芸妓の綺麗どころを「宝恵かご」と称する駕籠に乗せて近在を練り歩く行事がある。これも神社の宣伝のためとは言え、人気がある。
この「宝恵かご」については今年は1月10日に練り歩かれるが、画像としては「たまぞう」氏のサイトなどが詳しい。

ネット上では、他にも動画などがたくさん見られる。お試しあれ。

以下、十日戎を詠んだ句を引いて終る。

 福笹をかつぎ淋しき顔なりし・・・・・・・・高浜年尾

 地下道を華やぎ通る福笹持ち・・・・・・・・橋詰沙尋

 初戎ねがひのうなじうつくしく・・・・・・・・牧野多太士

 十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・中本圭岳

 小火騒ぎありて今宮宵戎・・・・・・・・後藤鬼橋

 福笹にきりきり舞の小判かな・・・・・・・・倉西抱夢

 きらきらと賽銭舞へり初戎・・・・・・・・金田初子

 福笹の大判小判重からず・・・・・・・・嶋杏林子

 凶くれて残り福とは面白し・・・・・・・・細見しゆこう

 雑踏を夫にかばはれ初戎・・・・・・・・上野美代子

 残り福疲れし声をあげて売る・・・・・・・・大戸貞子

 吉兆や佳人に足を踏まるるも・・・・・・・・大野素郎

 商ひも恋もたのみて宵戎・・・・・・・島谷征良

 初戎笹の葉一枚づつの福・・・・・・・・三島敏恵

 残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・吉川一竿




怖いもんって/そら嫁はんにきまってますがな/なにがしとやかな京おんなですか/芯はきついですわ・・・根来真知子
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     怖い・・・・・・・・・・・・・・・根来真知子

     怖いもんって
     そら嫁はんにきまってますがな
     なにがやさしいですか
     なにがしとやかな京おんなですか
     芯はきついですわ
     こないだもな・・・・・・・
     <Nさんの眼がここでマジになった>

     ついこのあいだも
     捨てたつもりの電話番号のメモ
     見つけられましたんや
     へぇ ちょっとかわいらしい子ぉどしたんや
     嫁はん そのメモをつきつけてひと言
     「家(うち)にあるもんは買わんかてよろしい」

     それだけで終わりますかいな
     翌月 えらい金額の請求書がきましたわ
     へぇ わしあてに
     恐る恐る聞いたら
      なんたらちゅう名ぁのハンドバッグらしいですわ

     そんなん家(うち)にたんとあるのに・・・・・・

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この愉快な詩も『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。
京都人の見かけでは判らない、芯は冷徹な人柄の一端を、巧みに捉えている。
掲出した写真は、私が勝手に載せたものであるが、このバッグも十数万円余りの値段がついている。
初めてパリに行ったとき、娘に頼まれてポシェットを買いにルイ・ヴィトンの本店に行ったことがある。
今まではシャンゼリゼを入った横丁にあったが、2005年にシャンゼリゼの大通りに面したところに「新」本店が出来たらしい。
もう、ん十年前の話である。


闘鶏は/夕日を/厚く着込んで/鎮まっている・・・野本 昭
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      野のほとり・・・・・・・・・・野本 昭

   △ 闘鶏
 
   闘鶏は
   夕日を
   厚く着込んで
   鎮まっている

    △ 昼寝

   うたたねの
   終始
   怒号の鳥と
   諍っている

    △ 羽抜鶏 
  
   羽抜鶏は
   見かけほどには堪えていない
   陽を直に浴びられるだけ
   血潮に赫いて
   場末の道を力強く歩み行く

    △ ハンカチーフ

   白いハンカチーフに
   赤い唇を押しつけて
   女は去っていった
   男はそのハンカチーフを
   壁に貼って三年になるけれど
   一度も
   女の消息を聴いていない

    △ 蛙

   緑葉に縋りついて
   あの蛙は
   緑の色素を吸い取ったよう
   その分だけ
   周りの葉が白つぽい
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これは月刊詩誌「詩と思想」2018年12月号に載るものである。

野本昭
1938年2月8日生まれ。北海道教育大学卒。稚内高校定時制教諭を経て、現在フリーライター。千葉県柏市在住。
詩集『幼らは夕日を浴びて眠る』 (2007年 鳥影社刊) というのがあるらしい。

これ以外の情報はない。

近代詩の有名なものとして、フランスのジュール・ルナールの「短詩」がある。
また、三好達治の詩に

   蟻が蝶を引いてゆく
   ああ
   ヨットのようだ

というものである。
私は野本氏の短詩を読んで、一瞬、ルナールや三好達治を連想した。

ここに引いたのは、雑誌に載るものを忠実に再現したもので、△なども元のままである。
闘鶏の画像は私が勝手に載せたものである。


藤原光顕の歌「星花忌②抄」・・・木村草弥
たかまる_NEW

──藤原光顕の歌──(50)

       藤原光顕の歌「星花忌②抄」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・「たかまる」誌No.120/2021.1所載・・・・・・・・・

       星花忌②抄 その後 1      藤原光顕

  咲き誇るランタナの横に立たせてみる あの笑顔で佇たせてみる
  卵焼きの色は淋しい 少しずつひとり暮らしに慣れていくのか
  庭が初夏になった あなたは綺麗なお花畑を見ただろうか
  雑草園が秋色になった あの世へぬける 光が透ける
  連れていってやればよかったドバイ、マルタ もっと遠くへ逝ってしまった
  十数回海外へも行ったもう一度スイスの願いは未遂に終わった
  春・夏・秋・冬 ふたりで散歩するだけであんなに喜んでいた
  川の畔り田んぼの畦道 草花を抜いてきては雑草園を賑やかにした
  うさぎの好きな人だったうさぎを提げたガラケーをそのまま使う
  ぽつんと言った須磨のこと六甲山のこと 亡くなる前のいつだったか
  五か月経って夢に出てくる あの日のように「まだァ」と言う
  迷ってまた玄関に置く 少し汚れた妻のウォーキングシューズ
  まだ出てくるアルバム何冊寒い午後をまたさかのぼる三十何年
  オモチャみていな炊飯器で毎日一合炊く毎日一口ずつ余る
  この味忘れるまいと噛み続ける 妻手作りのジャムが尽きる
  あれから一年 生き残ったこころは庭の草むしりに集中する
  ひとりではさまにならない スーパーの帰りにいつも休んだベンチ
  ミックスサラダとあれば刻んだキャベツを買うひとりで食えばまさしく餌だ
  「歌書いてなければパパはダメになるかも」いまごろになって人づてに聞く      (つづく) 
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藤原光顕さんから季刊誌が届いた。
巻頭に載る「星花忌」は、宮崎信義の歌集『梅花忌』に因むものだと藤原氏はいう。
何分、歌の数が65と多いものなので、ネット原稿で送り直しを求めたが返事がないので「抄出」で失礼するがお許しいただきたい。
「本」という紹介欄で、私の本『修学院夜話』と『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』を採り上げていただいた。御礼申し上げる。


 
蜜蜂のうなりのやうにまとひつく耳鳴りあはれ蠟梅かをる・・・木村草弥
sosin-roubai蝋梅本命

    蜜蜂のうなりのやうにまとひつく
      耳鳴りあはれ蠟梅かをる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の家の庭にある「蠟梅」は近年12月末から新年にかけて咲いている。

『滑稽雑談』という本に「蠟梅、一名黄梅花。この物、もと、梅の類にあらず。臘月に小黄花を開く。蘭の香に似たり。葉は柿葉に似て、小にして長し。大坂にて<唐梅>といふ。この名、臘月の義にあらず。その花、黄蠟色に似たり。ゆゑにこれを名とするなり」とある。
簡にして要を得た文章である。梅に似て、梅でない、黄蠟色の、極めて香りのよい花である。

sosin-roubai3蝋梅

sosin-roubai2蝋梅の実

写真③は蠟梅の実である。
夏のはじめに実り、地面に落ちると発芽して新しい木になるが、条件さえ良ければ、やたらに増えるので始末が悪いので、見つけたらこまめに引っこ抜く。
枝も徒長枝が伸び放題に伸びるので、取り除かないと、庭の他の木を日陰にするので始末が悪い。
樹木には新しい徒長枝に花芽がつくものと、古い枝に花芽がつくのと二種類あるが、蠟梅は梅と一緒で徒長枝には花芽はつかないので、どしどし切ってよいのである。

以下、蠟梅を詠んだ句を引いて終る。

 蠟梅や雪うち透かす枝のたけ・・・・・・・・芥川龍之介

 蠟梅や枝まばらなる時雨ぞら・・・・・・・・芥川龍之介

 蠟梅のかをりやひとの家につかれ・・・・・・・・橋本多佳子

 蠟梅の咲いてゐるなり煤の宿・・・・・・・・百合山羽公

 蠟梅の花にある日のありとのみ・・・・・・・・長谷川素逝

 蠟梅の咲きうつむくを勢ひとす・・・・・・・・皆吉爽雨

 蠟梅のこぼれ日障子透きとほす・・・・・・・・菅裸馬

 蠟梅に日の美しき初箒・・・・・・・・遠藤梧逸

 蠟梅や時計にとほき炬燵の間・・・・・・・・室生とみ子

 蠟梅のこぼれやすきを享けにけり・・・・・・・・林登志子
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「臘」という字と「蠟」という字は区別される。
偏が「虫」と「月」と違っているように、ロウソクの字の場合は虫偏の「蠟」であり、
暦の十二月の異称の「臘月」の場合は月偏の「臘」である。
これらは、いずれも常用漢字の表外漢字であるが、画数の多い字で略字で表記される場合が多いが、ここでは「正字」で出しておいた。

なお蛇足だが、私の歌にあるように、「香る」という言葉の歴史的かなづかいは「かをる」が正しい。
「香り」ならば「かをり」である。
布施明が歌って大ヒットした歌「シクラメンのかほり」というのがあるが、なまじ大ヒットしたが故に、この仮名づかいが正しいように誤解されているが、
これは作者の小椋佳の勘違いによる間違いであり、いつまでも恥を曝しているようなものである。
知ったかぶりをして、歴史的かなづかい(旧かな)にしたために間違ったのである。
ここは素直に「新」かなづかいにしておいたら、恥をかかずに済んだのである。
今や「新かなづかい」が制定されてから70年以上が経ち、「旧かなづかい」なんて全く縁のない人々が殆どであるから、
「旧かなづかい」で詩歌を作ったり、書いたりするには、それ相応の「覚悟」と「勉強」が要る。
安易な気持でやられては困るのである。「国語辞典」「古語辞典」には載っているので参照する癖をつけたい。
このブログ上でも、これにつられて「かほり」と書いてあるのを時々見かける。念のために申し上げておく。




くの字くの字に/折れ曲がった路地/石畳を囲むようにそびえる石の塀の上を/紫の煙が這う・・・松山妙子
24013PAAK019_03_02石塀小路

         石塀小路・・・・・・・・・・・・・・・松山妙子

     くの字くの字に
     折れ曲がった路地
     石畳を囲むようにそびえる石の塀の上を
     紫の煙が這う
     忍者がひょっこり
     とびだしてきてもおかしくない
     ここは東山のふもと石塀小路

     路地のさきにぽつり
     狭い路地 どんつき折れると またぽつり
     狐火のように門灯がともる
     ゆれるあかりのあいまに
     しずかにきこえる三味線の音

     海底深く 船底深く
     乙姫さまに案内された 龍宮城
     鯛や平目に杯を傾け 杯をかさね
     ゆれるこころ
     ゆれるゆどうふ
     ゆれるゆげ

     酔いがまわった足取りで
     石畳のように角張った
     とうふのかどなぞりながら
     本当のかえりみちさがしている
----------------------------------------------------------------------
この詩は、日本詩歌紀行2.『滋賀・京都 詩歌紀行』という本(著者・日本詩歌句協会、発売・北溟社)に載るものである。
名前の通り、詩・歌・句の地名によるアンソロジーである。
私も要請があって3首の歌が載っている。

「石塀小路」というのは、京都の東山山麓の「路地」のことである。「路地」を京都では、長く伸ばして「ろーじ」と発音する。
写真①は、この路地の入り口に掲げられる路地の門灯である。
 
↓ 写真②は石塀小路入り口。 写真③は石塀小路の一部。 写真④は明りの入った夜景。
04石塀小路入り口
02石塀小路
03石塀小路

近くには「高台寺」などもあり、「清水寺」にも近い。
「三年坂」(産寧坂と書かれることもある)「二年坂」など清水寺かいわいの土産物屋の多い通りは、すぐそこである。
三年坂の辺りの、「売らんかな」の雰囲気とは違って、写真③に見るような昔の趣を伝える、落ち着いた通りである。
石塀小路が出来たのは比較的最近のことで、大正時代の初期の頃だ。
石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地だったが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、
圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造った。
↓ 写真⑤は圓徳院の外壁だが、この赤レンガは外国から輸入して築いた壁で、レンガが珍しい当時としてはモダンな雰囲気を作った。
ishibekoji_2.jpg

石塀小路に入る路地には、はじめに掲出したガス燈のような電灯が掲げられていて、すぐにわかる。

ここが、 現在のような姿に完成したのは、昭和になって、しかも戦後になって京都から市電が廃止されるようになり、市電に使われていた石畳をここに敷いたことからのようである。
石塀小路が出来た頃には現在のように旅館や飲み屋さんはなかったが、東山を舞台とした映画ロケが盛んにされた頃から、
映画関係者を目当てとした旅館や飲食店などが建ち並び、現在のような姿になった。
今でもここの旅館を愛する映画関係者も多く、ここから夜には祇園に繰り出す事も多いようだ。
地元の方も町並みを大切に保存されている。

八坂神社から南に歩き、石塀小路を目指して歩くと、大きな建物があるわけではないので、探し出すのに少し時間がかかる。
しかし、小路に入ると石畳の道が続き、町の雰囲気はガラッと変わる。
自動車の乗り入れ制限があるので、閑静な雰囲気があり、ゆったりとしてそぞろ歩きが出来る。
石畳なので夏場の照り返しがきつくなく、アスファルトの道を歩いているときの、うだるような感じがない。

それぞれのお店を覗いてみると、一見料金が高そうなところが多そうなのだが、意外とリーズナブルなところもあるが、
人気の観光スポットなので、早くから予約を入れないとなかなか泊まったりすることは難しそう。
しかし一見さんお断りが無いので、早い時期から予約すれば、宿泊できるらしい。
この通りは特別な許可がないと、自動車の通行が出来ないこともあり、町の情緒を楽しむのにゆっくりと歩くことが出来る。
通りの雰囲気もさることながら、少し足を伸ばすだけで、高台寺や八坂の五重塔に行くことが出来るので、京都東山観光をするにははずせまないところ。

料亭などの、しっとりした商売もあるし、旅館なども風情がある。
私は、別にお金をもらったわけではないので、個々の紹介はしない。ネット上で検索されたい。
「詩」にも書かれているが、「湯豆腐」は京都の冬の食べ物として、絶好のものではないかと思う。京都は「水」がいいので、おいしい豆腐がある。

この詩は、さほど巧い作品ではないが、最終連の

      石畳のように角張った
      とうふのかどなぞりながら

というくだりは、秀逸である。
この「松山妙子」という作者のことは、私は何も知らない。
詩人住所録によると、さいたま市浦和区にお住まいらしい。
著書に『北京の太陽』 『橋を渡る』 『この坂』などがあるらしい。

ネット上では「石塀小路」と検索すると多くの記事が出ているので各自調べられよ。




冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・久保田万太郎
c0007122_7415486寒椿

   冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

久保田万太郎の句は私も大好きなので何度も採り上げてきた。
万太郎は夫人を亡くされてから「隠棲」された。
身辺には或る女の人が寄り添っていたが、その人にも先立たれて沈潜した生活をしていた時期があるが、この句はその頃のものであろうか。

「寒椿」または「冬椿」とも書かれるが、この花はツバキ科で、山茶花や茶とは同じカメリア属である。
椿は、なかでも「薮椿」と呼ばれるものは、学名をCamellia japonica と言うように、日本の固有種である。
日本では、初冬から晩冬にかけて寒中に咲くものを「寒椿」と称している。
寒椿の学名はCamellia sasanqua cv. Fujikoana と言うが、ラテン語の学名の付けかたの世界では「cv」とは「園芸品種」とされている。
藪椿が、日本固有の椿の原種ということであろうか。詳しいことは学名のページを見てもらいたい。

写真①は、「獅子頭」(ししがしら)という品種の寒椿で、物の本によっては「山茶花」に分類されているのもあるとのことで、まことに紛らわしい。
椿や山茶花については先に詳しく書いたが、椿と山茶花との区別の仕方として、ツバキは花が散るときに萼(がく)のところから、花がポロッと全体が落ちるのに対して、
サザンカは花びらが一枚づつばらばらと落ちる、という違いがあるとされている。
しかし、寒椿の花は、サザンカと同じように花びらがばらばらに散るものもある、というから、余計にややこしい。
一般的にツバキは、いま書いたように花全体がポロッと落ちるので、昔の武士は縁起が悪いと嫌がったという。
先に書いたように、学名でもCamellia sasanqua までならサザンカなのである。
なお、Camellia というのは17世紀のチェコの宣教師Kamell氏の名に因んでいることも、椿のところで書いたと思う。

123450987245516312944寒椿・白

写真②は白の寒椿である。山茶花か寒椿か、紛らわしいと追求されても私には判定は出来ない。
歳時記を見ると、一重咲きの早咲きには白に紅の絞りの「秋の山」、桃色の「太郎冠者」があり、
八重のものには白の牡丹咲きの「白太神楽」、紅絞りの「白露錦」というような品種があると書いてあるが、
それらの写真がないのは残念である。

寒椿を詠んだ句を引いて終わりたい。

 竹薮に散りて仕舞ひぬ冬椿・・・・・・・・前田普羅

 冬椿落ちてそこより畦となる・・・・・・・・水原秋桜子

 寒椿つひに一日の懐手・・・・・・・・石田波郷

 寒椿落ちたるほかに塵もなし・・・・・・・・篠田浩一郎

 山の雨やみ冬椿濃かりけり・・・・・・・・柴田白葉女

 寒椿朝の乙女等かたまりて・・・・・・・・沢木欣一

 白と云ふ艶なる色や寒椿・・・・・・・・池上浩山人

 妻の名にはじまる墓碑や寒椿・・・・・・・・宮下翠舟

 海女解けば丈なす髪や冬椿・・・・・・・・松下匠村

 寒椿嘘を言ふなら美しく・・・・・・・・渡辺八重子

 花咲いておのれをてらす寒椿・・・・・・・・飯田龍太

 寒椿月の照る夜は葉に隠る・・・・・・・・及川貞
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今日は「小寒」寒の入りである。
その名の通り、今朝は冷えた。
今年は結構、平年並みの寒さになりそうだという。これから「大寒」に向けて寒さの強くなる時季である。
喪中の人宛てに「寒中お見舞い」を投函した。






『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・小林サダ子
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・・・・小林サダ子(「からの」)

・・・・・『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』それにしても大作でした。面白うございました。
あらゆる面での景色の多さに驚きました。
一番に心に残り、最大に心を動かされた一つは、「三月十一日の悲劇を忘れないために」であります。
私は何も知らなかったのです。知らされなかったと言いますか、本当に驚き以外の何ものでもありません。
佐藤祐禎さんの歌のことも、原発以前の本当のことも初めて知りました。何という恐ろしいことが政治と経済によって侵されてきたのでしょうか。・・・・・
今また北海道に核廃棄物の処理場建設問題が起こって住民の反対運動が弱められているようです。フクシマのことが、もっともっと人に知られなければならないのでしょう。
あなたのブログを読む人は一部分です。・・・・・世間の人々は結構に自分本位であって、無知無関心に日を過ごしているのですから。
あのフクシマは、人災だったということすら忘れてしまっているのです。恐ろしいことです。・・・・・
玉城入野の奥さんの三原由起子は浪江町出身ですよね。
その電力を頼りにして生きてきたのが、われわれ東京人というわけですか。
「日本のマスコミは一行も書かなかった」マスコミも大資本の味方なのです。 『青白き光』を探してみます。
・・・・・精力的にご活躍の様子うかがえます。今後とも、どうぞ、紙面にて読ませていただきたいものです。
珠玉の131篇でした。  桂信子さんは晩年、玉城徹と行き来ありましたっけ。
   2020年12月29日               小林サダ子 拝
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小林サダ子氏は玉城徹の結社「うた」に居た人である。今は「からの」に所属しておられ、角川「短歌」誌の12首欄で私とご一緒する仲である。私より一歳若い。2020年に夫君を亡くされた。
私の歌集『昭和』を読む会を東京で開いてもらった際に出席していただいた。その節はお世話になりました。



冨上芳秀の詩「大人の森」など4篇
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──冨上芳秀の詩──(13)

       冨上芳秀の詩「大人の森」など4篇
           ・・・・・「詩的現代」No.35/Decenber.2020所載・・・・・・・

       大人の森      冨上芳秀

「もう少し大人になってください」大人になるというのは股間に毛を生やすこ
とだと思って、もやもやとたくましく育てました。「ああ、すっかり何でも妥協
することができるように成長しましたね」森の闇のなかで生息している小鬼は
とてもクレバーです。でも、小鬼って何かの喩えでしょうと毛根に住む眠り姫
が尋ねました。股間にできた森も、その森に澄むいたずらな小鬼も何かの譬え
ですって。それは、森の中で大きくなったり小さくなったりしているペニスの
譬えだとあなたは言いたいのですね。残念ながら、小鬼は奥深い緑の森に棲ん
でいる小鬼以外の何者でもないのです。ペニスはあなたのペットでしかありま
せん。肉色のペニス、赤黒くたくましく怒張しているペニス、いいですねと軽
薄な笑いを浮かべながら。森の中にひっそりと建っている小屋から出て来て、
せっかくたくましく成長してきた大人のペニスを平凡な人生のごみ箱にポンと
捨ててしまいました。「もう少し大人になってください」と世界は大きく閉じて
きたのでした。

         眠る男

「毎晩、お酒はどれくらい飲みますか」「さあ、わかりません。いつも飲みた
くなくなるまで飲んでいます」医者は苦笑しました。緑色の猫の眼をした若い
美しい看護師はいつものようにやさしく微笑んでいます。すずしい風が町の
人々の疲れた脳髄を鎮めるように吹き抜けていきます。山の向うの更に重なっ
た果無しの山脈の山巓で大きな男が眠っています。太陽が昇っても沈んでも男
は眠っています。もちろん夜も男は眠っています。星明りの下で男は安らかな
寝息を立てています。男の鼻から漏れる息が風になって人々の胸を吹き抜けて
います。男は眠ってばかりですが、いつ目を覚ますのでしょうか。「睡眠時無
呼吸症のおそれがありますね。身長は何センチですか」「百七十三センチです」
「すると、七十八キログラムが適正体重です」森の湖のほとりで真っ黒い猫が、
九十四グラムもある大きな金色の鯉を緑色の眼を燃やして狙っています。ガシ
ガシガシ、猫が骨を噛む音が森の中に響いています。眠っている男の呼吸が止
まりました。静かな夜です。うがーと大きな音を立てて男はまた呼吸し始めま
した。もうすっかり朝になって人々は忙しく働きだしました。明るい太陽の下
で、男は静か寝息を立てて眠っています。

       神様の徘徊

真夜中に何度も玄関のブザーが鳴る。今夜も神様が外を徘徊しているのだ。あ
まりうるさいので、ドアを開けて外に出るとステテコに、チヂミのシャツを着
た白い姿の神様が、「私は手足がガンで歩けないのです」と細い手足をふらふ
らさせて哀れな表情で訴えかけてくる。「眠れなくて、とてもさみしいのです
」「さびしいからといって丑三つ時に、他人(ひと)の家のブザーを何度も鳴ら
すのは迷惑ですよ」「眠れないのです」「とにかくこんな時間にブザーを鳴ら
すのはやめなさい。おやすみ」と言って、私は拒絶の意思を示すためにドアを
乱暴にバタンと閉めた。神様と私の時間の川は、全く別の位相を流れているの
に、突然、踏み越えようとしてきた。「バカなやつだ」いくら結界を超えよう
としても無理だ。「助けて」と叫んでいる白い姿は遠い川の暗い流れに消えた。
私はそんな神様が何人、自らの川に溺れて死のうと何の関心もない。目の前の
パソコンの画面の中には、この世の暗い現実が映っている。その画面を食い入
るように見ている私の背後には過去の幽霊たちが私の生を冷めたく笑っている。

       マスクの世界

唇に微笑みを浮かべているのに、マスクをしているから私のあなたへの好意が
伝わらないのでしょうか。あなたのマスクの下には人の好い微笑みが私に向け
られていると信じています。でも、あなたのマスクの下には意地悪にへの字に
曲げられた唇が見えます。だから、私も唇をへの字に曲げてあなたに向き合っ
ています。白いマスクをした人たちができるだけ会話をしないように、距離を
保って行き交っています。でも、本当にマスクの下には唇があるのでしょうか。
「ねえ、あたしってきれい」マスクを取った女の口は大きく裂けているのでし
た。ずいぶん昔、小学生を恐怖に陥れた口裂け女の都市伝説です。私が見たの
は、それとはまったく違っていました。口ではなく深い大きな穴でした。そん
な穴を見た者は、その穴に吸い込まれて穴の世界に生きなければなりません。
マスクの下には何がある。そんなことは言えません。口が裂けても言えません。
マスクの下の暗い穴を見つけた時、私もマスクを取って私の暗い穴をあなたの
暗い穴に重ねたのでした。そのぬめぬめとした快楽の事は誰にも言えない秘密
です。
----------------------------------------------------------------
この精力的な冨上芳秀氏の詩作には、瞠目するばかりてある。
プロットが、とにかく面白い。
4連目の「マスクの世界」など、現下のコロナ騒ぎの中での「マスク」についてアイロニー深く追求していて秀逸である。
とにかく冨上芳秀氏の詩作からは目が離せない。
ご恵贈有難うございました。ここに披露して皆さんのお目にかける次第である。益々のご健筆を。
既に、ご承知だろうと思うが、冨上芳秀氏は「大阪文学学校」の詩部門の講師を担当されている。
この学校は小野十三郎らによって設立され、ここの学生からは芥川賞や直木賞作家を何人も輩出している。








詩「鎌八幡」・・・冨上芳秀
詩遊_NEW

──冨上芳秀の詩──(12)

      鎌八幡・・・・・・・・・・冨上芳秀
       ・・・・・・「詩遊」No.68所載・・・・・・

円珠庵は三韓坂にある。この坂は異国からの来賓を迎えた鴻臚
館があった古道である。その前を通った時、私は江戸時代の初めに
国学の祖と言われた契沖が庵を結んだ地だと知った。
ある時、円珠庵で古典文学の講座が開かれているということを知
って、問い合わせの電話をかけた。「御祈祷ですか」という返事に、
何か、不思議な感じを受けた。私は祈祷とか、占いというものを、
異常なまでに嫌悪する傾向がある。結局、私はその講座にはいかな
かった。
それから、何年も経ったある時、私は円珠庵を訪ねようと思った。
というのは、その時、私は文学散歩にはまっていたからである。調
べてみると文学の舞台になった土地、お墓、歌碑や詩碑などいたる
ところにあった。地理的空間を移動すれば、時間の重層を旅するこ
とができる。実際に歩くことによって、その土地の気を感じる。ま
た、運動にもなる。
小さな階段を登ると木々の生い茂った薄暗い庭である。寺の玄関
は奥にあった。ここで契沖は『万葉代匠記』を著したのである。左
手には、榎の大木があった。私は、あっと息をのんだ。その太い幹
には江戸時代に使われていたような鉄製の鎌がびっしりと打ち込ま
れていたのである。それが、噂に聞く鎌八幡であった。大坂冬の陣
で、真田幸村が、境内にあった榎に鎌を打ちつけて勝利を祈願した
という伝承があった。だが、願いの意味はいつしか悪縁を断ち切る
切実な信仰変わっていった。私の目の前の夥しい鎌は苦悶し、叫ん
でいる。新しいものが多いが、中には木製部分が朽ち落ち、赤さび
た刃の部分のみが残っているのもある。「あの男と別れさせてくだ
さい」という意味の切実な願いが書き込まれた絵馬が掛けられてい
た。お寺で御祈祷してもらい、鎌を打ち込むのである。
久しぶりに訪れた鎌八幡の境内は、撮影禁止となり、絵馬はすべ
て裏返されて、願い事が見えないようになっていた。しかし、相変
わらず、悪縁断絶の必死な祈りの声が渦巻いている静かな鎌八幡で
あった。世の中には、縁結びを願う明るく幸せな願いもあるが、そ
の逆に、悪縁に苦しむ人生もある。付きまとわれ、痛めつけられ、
苦しみ悶えながら、なお未練が残る人々の愛憎の情念の苦悩を鎌八
幡の榎は傷つきながら引き受けて立っているのであった。
--------------------------------------------------------------------------
畏敬する冨上芳秀氏の近作である。
こういう「行分け」しない散文詩の手法が最近の冨上芳秀氏のものである。
玩味して鑑賞してもらいたい。





オモシロク狂ツテ舞ヘバ/身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ/声ハ大気ヲツン裂イテ/スガタハ空ノ青ニ染ム・・・大岡信
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       閑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     ハツ春ノ
     空ニタチマチ湧キイデテ
     羽音モタテズ狂ヒタツ
     雪サナガラノ思ヒカナ

     オモシロク狂ツテ舞ヘバ
     身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ
     声ハ大気ヲツン裂イテ
     スガタハ空ノ青ニ染ム

     閑閑タリ
     ヒトリ遊ビノ
     小宇宙

     巌ニ星モ エイ
     咲カシテミシヨウ
---------------------------------------------------------------------
この詩は学習研究社1985年12月刊の「うたの歳時記」─冬のうた、に載るものである。
5、7という日本の伝統的な音数律に則った詩作りになっている。
日本の現代詩作家も、こういう日本古来の韻律に時には立ち返ることもあるのである。

掲出した写真は北海道の鶴居村で舞う鶴の姿である。
鶴は春の繁殖期を前にして、もう番いの間で愛を確かめる愛技ともいえる「舞い」をはじめるのである。
涙ぐましい自然の摂理とも言えようか。
「鶴」はメデタイものの縁起物として引かれるので、新年を迎えた今の時期のものとして出しておく。









『修学院夜話』評・・・冨上芳秀
詩遊_NEW

修学院夜話_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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         『修学院夜話』評・・・・・・・・・・・・冨上芳秀 
            ・・・・・「詩遊」No.68「詩についてのメモ 19」所載・・・・・・・・

木村草弥詩集『修学院夜話』(二〇二〇年十一月一日刊、澪標)木村草弥は、一九三〇年生まれで、来年の二月には、九十一歳になるという年齢の歌人であり、詩人である。
驚くほど元気で、パソコンなども自在に使いこなし、エネルギッシュにブログなどを常に更新している。
博覧強記、柔軟な思考、みずみずしい感性で書かれる文章は、魅力的である。
〈老来、雑駁な生活に終始しているので、短歌の韻律に馴染めないので、最近は専ら散文詩である〉とこの詩集の「あとがき」に書かれているが、木村草弥は歌人として出発し、今も現役の歌人として活躍している。
最近、メールで送っていただいたのだが、角川書店「短歌」誌二〇二〇年十二月号に掲載された「聖玻璃」という十二首の短歌は実にすばらしいものである。

    ・葡萄摘むアダムの裔(すゑ)の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす
    ・聖玻璃の御堂の藍に身をおけば地中海恋ふる瞼(まなぶた)も青
    ・地中海あまりに青し薔薇までの距離とわが死の距離を想ふも
    ・誰がための葬(はふ)りの鐘か薔薇窓の不死鳥(フェニーチェ)の彫り翳る聖堂
    ・腋萌えてなほ少年期を出でざれば百合は朝けをまだ封印す
    ・かの魂の空洞(カベルネ)を埋めよ濃あぢさゐ彩(いろ)七色に身を染めて 夏
    ・古典辞典(レキシコン)みてゐる室に雷ひびき刺青図譜の革表紙光(て)る
    ・展翅さるる緋蝶の羽根に血の蔓が青く流るるまぼろしを見つ
    ・マルキ・ド・サド像の鼻梁をよぎる罅(ひび)みつつしをれば春雪しきる
    ・サドの忌の美術館(ミユゼ)に観るなる少年の緑衣に並ぶ金釦の列
    ・爪彩るをみながレモン垂らしつつエウロパの宴短か夜なりし
    ・コロナ禍の襲来いかに凌(しの)ぎしやエウロパの佳人いまだ文(ふみ)来ず

 この若々しい新鮮な感覚は短歌ではあるが、詩として一もすぐれたものである。
最新の歌集『信天翁』((二〇二〇年三月一日刊、澪標)については、「ジジイの覗き眼鏡8」(「詩的現代」三十三号、二〇二〇年六月十五日刊)で短歌と詩のボーダーに位置するものと捉えたが、
この十二首は短歌にして、鮮烈な詩であり、そのポエジーは青年のものではないかと私は感動した。
『修学院夜話』の「あとがき」には〈『修学院幻視』を出してから丸二年経った。/今回その後編をだすことになった。ここに至るまでに様々あったので、その経緯を書いておきたい。旧稿は、原資料の数が多すぎて著作権に触れるということで断られた。/もう数年前のである。そんなことで放置してあったが、原稿を半分に減らし、他の新作を加えて『修学院幻視』を上梓したのである。したがって原稿が残っているので、愛着もあり残りの原稿を今回出す決心をした〉と『修学院夜話』上梓の経緯を記している。
『修学院夜話』は私にとっては、批評の対象とすることはむつかしい。というのは、『修学院幻視』に比べて、詩人木村草弥があまり出てこないからである。
博覧強記の人、木村草弥が語る内容は、興味深いものである。しかし、『修学院夜話』が『修学院幻視』の資料の数が多かったので、割愛したものの拾遺であったのなら、資料が多く載せられているのも、納得できることである。その資料がそのまま掲載されていても、著作権に触れるとは思わない。
「『後水尾院御集』恋の歌」「後水尾院の側近 中村通村の歌」など、多くが資料とその通釈であっても別に問題はない。
〈後水尾院については、近衛家に伝わる『陽明文庫』の資料や禁裏の近くに居た僧侶の日記など、資料が多いと言えるだろう。/これは私の詩であって、論文ではないので、なるだけ平易にしたいのだが、説明しないと分かりにくくなるので、最低限にして資料を引きたい。//それらの資料を読んでいると「儲君(ちょくん)」という今では聴き慣れない単語が出て来る/これは、元はと言えば中国古代の漢代に発する制度だということである。儲君=皇太子と考えていいのだが、どっこい複雑である。//皇太子は、必ずしも在位中の天皇の長男を指すとは限らない。/歴史的に皇位は、長幼の序を重んじつつ、本人の能力や外戚のの勢力を考慮して決定され、/長男であれば必ず皇太子になれるとは限らなかった。―後略―〉
木村草弥自身が、〈これは私の詩であって、論文ではない〉と述べている。私は本人が詩であると言えば、詩であるという立場であるから、この詩に異論を唱える気はない。
頻繁に行われる改行は木村草弥の詩であるという気持ちの表れである。〈論文ではない〉というのは、論文似ているという自覚である。
確かに、この作品は、木村草弥の興味にしたがって、言葉を紡ぎだし、後水尾院を中心にその周りの世界を資料に従って説明していく。
だから、木村草弥が出ていないというのは、語弊がある。
木村草弥の興味の赴くところが資料に従って語られてはいるが、木村草弥自身の肉体や心(感情や思い、自身の存在に対する考察)が語られることはない。
この作品にとっては、資料の内容を語ることが大切なのである。資料の世界についてほとんど知らない私がこの作品を批評の対象に出来ないのは、そういう訳である。
私は木村草弥の語る言葉に、未知の知識を与えられ、感心するばかりである。
何篇かの散文詩が、初めの方にあるが、資料を語る旺盛な探求心に比べて淡白であった。





『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・冨上芳秀
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・・・・・・・・冨上芳秀
             ・・・・・・「詩遊」No.68所載「詩についてのメモ 19」・・・・・・・・

木村草弥著『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』(二〇二〇年十二月一日刊、澪標)の帯文には
〈2004年2月から十数年書き綴ったK―SOHOYA POEM BLOG その中から珠玉の131篇 草弥の〈うた〉の華よ、はばたけ-〉とある。
これは帯文の性質上、このような文章になっているが、本文中の「はしがき」の要点から抜き出しているので木村草弥自身の手になるものと推察できる。
実際、私もそのブログを拝見して、精力的に毎日のように書かれていることがわかる。
ブログという性質上、記述としても、わかりやすく、『修学院夜話』の資料の説明が論文に近い客観的な記述ではなく、より自由に自分の意見を述べているので、木村草弥という詩人の生身の姿が感じられるように思われる。
短歌や俳句を紹介しながら、自分の感想を述べている。私などは、その道に暗いから、知らない短歌や俳句を教えてもらうのは、大いに勉強になる。
例えば「ルノアールの女に毛糸編ませたし 阿波野青畝」という一文がある。俳句をタイトルにしてその句について語るのである。
〈「毛糸編む」というのが冬の季語である。/この頃では、昔のように毛糸を編む人を余り見かけなくなったが、「ニット手芸」は相変わらず盛んで、亡妻の学友であった人は、今やニットサロンを経営し、NHKの趣味講座の先生をするなど大活躍している。この頃では男のニットの先生も出てきたりしている。/この句は、ルノアールの絵に出てくる豊満な女の人に毛糸を編ませてみたい、という、いかにも男の人らしい句である。//この句については亡妻との間の会話について、私には哀しい思い出がある。/もう二十年も前の今ごろ、食事も録に摂れずの最悪期から食欲も出て、体力も戻りかけた時期に、私がこの句を見つけて、病院に行って妻に見せたら、これが大変気に入ったらしく、いろんな人に、この句を披露していた姿を思い出す。/妻の死後、家の中を整理していたら、妻の仕事部屋にしていた二階の南向きの陽のよく当たる部屋に、未使用の毛糸玉がたくさん出てきた。私の娘たちも仕事に忙しくて、毛糸編みなどはしないし、捨てるのも忍びないので、そのままにしてある。/こういう遺品というものは、見るのも辛いものである。/昔は私たち兄妹の着るセーターは、みな母の手編みだった。着込んだセーターは解いて皺を伸ばし、また編み直して新しいセーターに仕立てたものだった。/亡妻も編み機を使って私のセーターも手作りだった。(後略)〉こうした記述をブログとして発表したのである。
これを木村草弥は詩と言っていないので、本人が詩と言えば詩であるという私の考え方からはこの文章を詩であるとは言わないが、この話をテーマにいい生活詩が書けるような気がする。
ここには、生身の木村草弥が息づいている。〈このブログはヴァーチャルなもので、私が死んだら消え失せてしまうので、何とかして「紙媒体」として残したかった〉(「はしがき」)とあるように、現代においてはブログで発信し、書物にするというのが、いいような気がする。
来年、二月には、九十一歳になるという木村草弥のエネルギッシュな活躍がますます期待できる。私もその姿に勇気づけられ、見習わなくてはいけないと思う。
〈やっておきたいことは、ほぼやり終えた心境である〉と書いておられるが、まだまだ書いておいてほしいことがある。それは、これまでの人生の自伝的なエッセイである。
本当の仕事はまだ、これからなのでないだろうかと若輩の身でありながら、大先輩にお願い申し上げる次第である。
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畏敬する冨上氏が、自身が発行する詩誌で、この評を載せていただいた。
この「詩についてのメモ 19」には、前の本についても書かれているので、項を改めて載せる。
有難うございました。



 

『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・三浦好博
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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     『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・三浦好博(「地中海」元編集委員)

新年あけましておめでとうございます。
『四季の〈うた〉』を頂戴してから随分と時間が経ってしまいました。
京都新聞に写真入りの書評が出ておりまして、草弥様のお顔をしっかりと拝見させていただきました。
『四季の〈うた〉』には夏や冬の何倍もの春や秋の〈うた〉に力が注がれていますのは、勅撰和歌集などの歌合わせにもある「春」と「秋」のそれぞれの趣と共通するものがあるのかも知れませんね。
私が持っている歳時記は小さなもので、それにも例句はそれなりにありますが、これとは別に「花の大歳時記」(角川出版、秋山庄太郎、森澄雄監修)で美しい沢山の写真と俳句を楽しんでおります。
『四季の〈うた〉』は万葉集や、古今新古今和歌集を初めとする勅撰和歌集などの古典や近現代短歌、歳時記よりの古い俳句や近現代俳句、更には洋の東西の近現代詩など、短詩型全般の膨大な引用等を縦横無尽に駆使して紡ぎ出したエッセイになっておりまして、一度読んだだけでは惜しいような作りになっております。
佐藤祐禎の『青白き光』は原発事故のある前に私も読んでおりました。その予言が的中してしまったと事故の後思ったものです。
鈴木真砂女は千葉の出身で才能豊か、瀬戸内寂聴と同じく奔放な方でしたね。橋本多佳子などと私好みの句を取り上げて下さって喜ばしいです。
これらに限らず、草弥さんの艶っぽいうたが随所に出て来てこれも嬉しいです。映画『ベニスに死す』の映画の美意識も何か共通していて嬉しいです。
アテルイの項、私も東北出身で、都からの被征服者の末裔としてアテルイに、又、その二百年後の「前九年の役」「後三年の役」など藤原氏の戦いに大変興味がありました。東北の至る所に坂上田村麻呂や八幡太郎義家の像が建っていて、被征服者が何故にかような像を建てているのか疑問でしたが、建てさせられたのだと思いました。吉川宏志の歌は弱者を意識していて好感を持っています。
ベルリンの二度目のツアーの時のウィルヘルム教会の件で私の名前を入れて戴き恐縮です。
角川短歌集成では草弥さんのうたも散見されますね。私は歌会では、参加者の作品の主題となる歌語について、この角川短歌集成の5つの分冊から調べて「このような短歌があるので参考にされたい」を、歌の批評と合わせて発言するのを常としています。
このメールを書きながらも、「YouTube 」で音楽をかけながらやっています。長いものでは6時間のクラシックメドレーがありますね。水瓶座のひとは芸術家に多く、それだけ感覚感情が鋭く深いのでしょうか。私の好きなモーツアルトやシューベルト、それに大江健三郎やチェーホフなどなど。その代わり出鱈目なところもあるそうですね。草弥さんも水瓶座ですか。
ハマナスの花は千葉の隣りの茨城の海岸でも見られます。函館の立待岬は石川啄木の墓がある処で、啄木を訪ねて北海道のあちこちを回った時に寄りました。海霧は当地でも夏は普通に見られます。
以上、大変雑な読後感になってしまいました。これからもこの『四季の〈うた〉』を横に置いて、歌会の時の参考にしたいと思います。
大変ありがとうございました。       2021年1月2日     三浦好博
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敬愛する三浦氏から懇篤な評をいただいた。心より御礼申し上げます。
「花の大歳時記」(角川出版、秋山庄太郎、森澄雄監修)は私も愛用しておりました。
そのメールの中で、私の本の中で「地中海」編集委員とあるが「元・編集委員」と訂正せよ、と書いてある。
三浦氏の後任は、ここでも採り上げた大阪の高尾恭子さんだとのこと。ここに記しておきます。



 
三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・佐藤鬼房
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     三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房

正月三が日のうちの最後の日であるから、元日の厳粛さや、二日の楽しさとは違った感慨で受け取られる日であろうか。
この日は、皇位の始まりを祝う元始祭として、明治初期から重要な日となった。

先に書いたが、2008年十二月中旬の南九州の旅には、往復に大阪南港→←志布志港のダイヤモンド・フェリーの「サンフラワー」を利用した。
私たちの乗ったのは「きりしま」号だった。姉妹船として「さつま」号があり、二隻で交互に運行している。
2018年に、これらの船は新造され、秋から就航している。画像は新しい船である。

さんふわわあ きりしま
新さんふらわあ きりしま
就航日 2018年9月15日
総トン数 約13,500トン
全長 192m
全幅 27m
喫水 6.8m
航海速力 23ノット
主機関 8,830kw×2基
旅客定員 709名(定員)
積載
車両数 大型トラック※
121台
乗用車 134台

いくつかの変遷を経て、目下は商船三井グループ に所属する。

掲出句の通り、大きなトラックや乗用車などを載せるために船は舷側と船尾の大口を開けているのである。
正月休みは一月三日までというところが多いので、翌四日か五日から仕事始めというところが多いだろう。

以下、一月三日を詠んだ句を引いて終る。

 籠居や三日のうちに思ふ顔・・・・・・・・石川桂郎

 静かに身を養ふに似て三日過ぐ・・・・・・・・松崎鉄之介

 三日の客羽衣舞うて失せにけり・・・・・・・・文挟夫佐恵

 水のごと一日二日三日過ぐ・・・・・・・・神蔵器

 ちりぢりに子が去り雪となる三日・・・・・・・・福田甲子雄

 山せみも川せみも来し三日かな・・・・・・・・大峯あきら

 長崎の坂動き出す三日かな・・・・・・・・有馬朗人

 三日はやもの書きといふ修羅あそび・・・・・・・・鍵和田秞子

 三日はや雲に映れる船渠(ドック)の灯・・・・・・・・藤木倶子

 風位また変り三日の船着場・・・・・・・・千田一路

 昼過ぎを立ち読みに出る三日かな・・・・・・・・坂本宮尾

 正月三日赤い実採りに山へ行く・・・・・・・・森下草城子

 たあいなく酔うて三日の過ぎにけり・・・・・・・・阿戸敏明

 広重の富士や三日の駿河湾・・・・・・・・田中きよ子

im_Silja_Symphony01シリヤ・シンフォニー
 ↑ シリヤ・シンフォニー号

ご参考までに、私がかつて乗船した北欧のバルト海のシリヤラインの船シリヤ・シンフォニー号 59900トンと比べると貧弱なのは言うまでもない。
このシリヤラインは車も乗せるが、多くの外国人を含む観光客を載せる客船としての機能が主であるから、おのずから設備が違う。
上記のリンクにアクセスしてもらえば、多くの姉妹船のことも書いてある。
もともとはフィンランドの船会社であったが、現在は、先年行ってきた、エストニア・タリンのフェリー会社が経営権を握っていて、会社名も「タリンクシリヤライン」というらしい。

これに比べて、今回利用したのは、あくまでも「フェリー」としての機能が主の船であるから、その違いは当然のことである。



蓮根の穴も二日の午後三時・・・橋閒石
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 ↑ おせち重箱
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 ↑ 初荷飾り
 
       蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・・・・・・橋閒石

ただ単に「二日」というと俳句では「一月二日」を指す決まりになっている。つまり「新年の季語」ということである。
同様に「三日」「四日」「五日」「六日」というのも同じ扱いであるから、ご承知を。

正月休みというものも、外出したり、また特別の行事がないかぎり退屈なものである。
掲出句は、そんな雰囲気を巧く捉えて作品に仕立てている。「午後三時」という夕方近くの様子を活写している。
「おせち」料理というものも、正月の間中たべ続けると、飽きてくるが、その中に「蓮根」が入っているが、これは縁起かつぎで、蓮根は穴があいていて、その穴から「先」が見える、という趣向である。
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hatuni-1-.jpg
o0480064010966021870初荷

昔は、元日が家族のみで過す印象が強いのに比べ、「一月二日」は、初荷、初商い、書初め、掃き初め、縫い初め、などの行事の日とされた。
これは、この日が初仕事の吉日とされていたためである。
農家では「鋤初め」、漁師では「船乗り初め」などとなる。
私の家は商家だったので、正月休み中にも拘らず従業員が出勤してトラックなどに「初荷」を積んで出発を見送った。
その後には、酒肴のもてなしがあったので、みな、喜んで出社したものである。
荷物そのものは年内に注文を受けて荷造りを済ませてあったもの。

 元日は嬉し二日は面白し・・・・・・・・・・丈左

という古い句のあるのも、そういう情景を活写していよう。

今でも「初荷」の習慣はあるが、正月休み明けの日にやるところが多い。
以下、「一月二日」に因む句を引いて終りたい。

0000000028_0000013612書き初め①
P1010840書き初め②
 ↑ 「書き初め」

 鞆の津や既に二日の船出ある・・・・・・・・・・松根東洋城

 海鼠あれば二日正月事足んぬ・・・・・・・・・・田中田士英

 船神のかざりしづかに二日の夜・・・・・・・・・・伊東月草

 客のあと硯開きぬわが二日・・・・・・・・・・石塚友二

 蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・橋間石

 つねのごと烏賊売の来て二日かな・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 窯元の賀状届きぬ二日かな・・・・・・・・・・宮田正和

 腹の上に猫のせてゐる二日かな・・・・・・・・・・行方克巳

 二日はや猪撃ちとめて担ぎこし・・・・・・・・・・大口元通

 ざくざくと歩く二日の雑木山・・・・・・・・・・飯田晴

 子が駆けて二日いろどる宇治堤・・・・・・・・・・小松初枝

 磨る墨の吸ひつきのよき二日かな・・・・・・・・・・澤田佳久

 二日はや鑿研ぐ阿波の人形師・・・・・・・・・・溝淵匠史

 知覧にきて泣いて帰りぬ二日かな・・・・・・・・・・村井国男



「未来山脈」掲載作品2021/01「ハレとケ」・・・木村草弥    
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   草弥の詩作品<草の領域>
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──「未来山脈」掲載作品──(37)

       ハレとケ       木 村 草 弥

   「ハレ」は「ケ」という言葉と対立的に用いられる

   「け・はれなく」(褻晴無く)とは「いつも」という意味である

   ケは日常、ハレは晴れがましい時ということになる

   むかし「褻衣(けごろも)」はふだん着、反対が「晴着(はれぎ)」である

   このケは「気」のことだ。日本語ではキ・ケ・カと音が変化する

   ケは目に見えず存在する根源のような存在である

   では何故「ケ」が「ハレ」と対立するのか

   古代人はケという根源の存在が充満してしまうと

   万物も隠(こも)ってしまって命が衰弱してゆく、と捉えた

   神に祈って「ケ」を祓ってもらうと「ハレ」の状態となる
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「万葉集」研究者の中西進氏の研究を参考にさせてもらった。
ハレとケ、ということは、よく言われることである。「ケ」は「褻」という難しい字を書くが表外漢字に出てくる、れつきとしたものである。




湯浴みして 血の蘇る 大旦・・・伊丹三樹彦
松尾大社大絵馬2021
 ↑ 松尾大社 丑年 大絵馬
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↑ 晩白柚お正月飾り

       湯浴みして 血の蘇る 大旦(おおあした)・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦

ここ数年間、有名な

   去年今年貫く棒の如きもの・・・・・・・・・高浜虚子

を引いてきたが、余りにも芸が無いので、余り知られていない佳句を引いた。

この句は前衛俳人として名のある伊丹三樹彦の作品である。
ご覧になると判るように575の間に「一字アキ」を施した斬新な句である。
現代詩などでは多用する表現である。

ともあれ、年が改まったのであるから、気分を新たにして生きたい。
新年の念(おもい)というのは、古来さまざまに詠まれて来た。
以下、少し引いて年頭の「初」ブログとしたい。

  ■老の愛水のごとくに年新た・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏

  ■人死んでまた死んで年新たなり・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

こんな句もある。

  ■いざや寝ん元日はまたあすのこと・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

蕪村としては、ぐっと砕けた、磊落な作である。「自筆句帖」は、蕪村が最晩年に自ら記録していた自作句集。
会心とする作には〇印を振ってあり、これも、そのひとつ。
晩年の蕪村の心のあり様をうかがわせるような句である。

俳句をおやりの人には常識だが、歳時記には春、夏、秋、冬の四つの季節のほかに「新年」という季節分けがあって、
分冊の場合は全部で5冊になるのである。
そこに載る句を少し引いておく。

 去年の如く今年の如く母のそば・・・・・・・・萩原麦草

 この間逢ひしばかりに去年今年・・・・・・・・高浜年尾

 針に糸通してゐるや去年今年・・・・・・・・細見綾子
 
 おいらくのほのぼのかなし明の春・・・・・・・・山口青邨

 読みさして方丈記あり去年今年・・・・・・・・遠藤梧逸

 去年今年一と擦りに噴くマッチの火・・・・・・・成田千空

 白光の一筋通ひ去年今年・・・・・・・・平井照敏

 去年今年闇の向ふに犬鳴いて・・・・・・・・渡辺七三郎

 いそがしき妻も眠りぬ去年今年・・・・・・・・日野草城

 命継ぐ深息しては去年今年・・・・・・・・石田波郷

 去年今年雨降り埋む妻との隙・・・・・・・・角川源義

 去年といひ今年といひて火に集ふ・・・・・・・・鷹羽狩行

 去年今年去年今年とて今更に・・・・・・・・能村登四郎

 夢もなし吉凶もなし去年今年・・・・・・・・森澄雄

 去年今年ニーチェを読んで老い知らず・・・・・・・・野崎ゆり香

 洗ひ干す筆のいのち毛去年今年・・・・・・・・松本可南




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