K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥の詩作品「柊の花」─「詩と思想」誌2016/12月号掲載・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(87)
    
        柊の花・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・「詩と思想」誌2016/12月号掲載・・・・・・・

  柊(ひいらぎ)は、悪魔を祓うとかいう言い伝えで、
  家の玄関脇に植えられていたりする地味な木だが、
  鋭いノコギリ状の葉を持っている。
  この木は初冬に、その鋸歯の葉の蔭に小さな白花をつける。
  季節が寒い冬であり、しかも皆いそがしい十二月だから、
  この花に気づく人も少ないだろう。
  今この花の花盛りで十一月下旬から咲きはじめた。
  傍を通ると、すずやかな佳い香りがする。
  人によってはスズランに似た香りだという。
  花言葉は「用心」「歓迎」
  雌雄異株で、
  雄株の花は二本の雄蕊が発達し、
  雌株の花は花柱が長く発達して結実する。
  実は長さ十二~十五ミリになる核果で、
  翌年六─七月に暗紫色に熟す。
  その実が鳥に食べられることにより、
  種が散布されることになるのである。

  結構かわいらしい清楚な花である。
  図鑑を見るとモクセイ科の常緑小高木と書いてある。
  柊という名前の由来は疼(ひいらぐ)で「痛む」という意味である。
  疒(やまいだれ)に旁(つくり)に冬と書く。
  熟語に「疼痛(とうつう)」があるのをご存じだろう。
  葉の棘に触れると疼痛を起こすことから言う。
  「いら」とは「苛」で棘を意味する。
  本来、この木は関西以西の山地に自生する暖地性の木らしい。
  この頃に咲く花としては「枇杷」の花などもある。
  さざんか、茶の花などは、よく知られているものである。
  この頃に咲く花は初夏の頃に実をつける習性がある。
  年が代って節分になると、
  この木の小枝に鰯の頭を刺して、
  魔除けの縁起かつぎをする木として、一般に知られているが、
  この頃では家が小さくなって、
  この木が植えられる家が見られなくなって、
  この風習も廃れる一方であろう。

  私の第二歌集『嘉木』に
  こんな歌があるので、それを引いて終わる。

       ひひらぎの秘かにこぼす白花は
          鋭き鋸歯(きよし)の蔭なるゆふべ    木村草弥
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かねて「詩と思想」編集部から投稿の依頼があって、すみやかに提出済であったが、本日、掲載誌が発売されたので披露しておく。



アンソロジー『詩と思想詩人集2016』所載「たんぽぽ」・・・・・・・・・・・・木村 草弥
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 ↑ ニホンタンポポ
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(86)

      たんぽぽ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・アンソロジー『詩と思想詩人集2016』所載・土曜美術社出版販売刊・・・・


       た ん ぽ ぽ 
        ──たんぽぽの絮とぶ誰も彼も大事   岡本眸
        
   蒲公英─たんぽぽ の咲く季節は長くて
   晩冬から春の盛りまで見られる   

   思えば 私も
   タンポポの歌をいくつも詠んだものだ

      やくざなる言葉あそびに過ごす身にひとひら落つる蒲公英(たんぽぽ)の絮

      終(つひ)の日はたんぽぽの絮とぶやうにふるさとの野の雲をゆきたし

      黒南風(くろはえ)に捲かるるやうにたんぽぽの絮ながれゆく涅槃あるべし

   ところで、最近よく見かけるタンポポは「西洋タンポポ」だ
   日本タンポポは花の萼(がく)片が反り返っていないので区別は容易だ
   今やわれわれの目にするほとんどは西洋タンポポに侵食されてしまった。
   この頃では牧草の輸入が盛んで
   それらの中に紛れて日本にはない植物の種が
   すごい勢いでなだれ込んでいる。
   西洋タンポポの渡来は、もっと早いが
   「帰化植物」であることには違いない
   この頃では日本タンポポと西洋タンポポが交配して
   「雑種」が出来ていると言われている

   タンポポの綿の飛散は、もう始まっている
   先日、京都大学薬学部の構内を散歩していたら
   タンポポの綿柄には、もう綿が飛んだ後で何もなかった。

       ひと粒の種に還るべし たんぽぽの
             白き絮(わた)とぶ空はろばろと    木村草弥
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かねてから「詩と思想」編集部から投稿依頼があって、提出済みの作品が本日発売の「詩と詩人集2016」となって発表されたので、ここに出しておく。




角川書店「短歌」誌・特集所載「近隣諸国とは仲良く」・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品「草の領域」──(85)
         
           近隣諸国とは仲良く・・・・・・・・・・・・・・・ 木村草弥
               ・・・・角川書店「短歌」誌2016年8月号・特集「戦争体験者が今伝えたいこと」所載・・・・

 確かに最近の中国による南方でのやり方には違和感を感じざるを得ない。
それは一種の覇権主義とも受け取れる。私は先年のベトナム観光中に反中
デモに遭遇して深く感じるものがあった。
 「越南」とは中国南部の「越」国よりも南という意味だろう。そういう意味で都合
のよい時だけ「領有」宣言をする嫌いはある。 
 だが最近のアベ政権による、あからさまな反動路線には反対の声を挙ざるを
得ない。戦中戦後を生き抜いて来た世代の一人として、また日本の侵略を事実
として現認して来た一人として、また国内外の悲惨な被害を体感した一人として、
侵略の事実は率直に認め、その上に立って近隣諸国とは仲良くして付き合って
もらいたい。
 威勢の良いことを言い格好よいアドバルーンを上げるだけに終始する姿勢は改
めてもらいたい。
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角川書店「短歌」誌2016年8月号・特集「戦争体験者が今伝えたいこと」という企画に私の文章を求めてきたので、かねて提出してあったのが、本日発売になったので、ご披露する。


「詩と思想」2016/07号掲載・草弥の新作詩「上と下」・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(84)

      草弥の詩作品「上 と 下」・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・「詩と思想」2016/07号所載・・・・・・

     上 と 下       木村草弥

   タオダさんと仰言いましたか。
   どんな字を書きますか。
      土(つち)偏に上下と書きます。
      垰田です。
      IMEの表外漢字にも出ています。
      「訓」は「たお」で出ています。
      もっとも、漢和中辞典あたりでは載っていません。
      この苗字は極めて珍しく全国順位では一一五七三位。
       全国人数はおよそ五八〇人と言われます。
      「名字由来ネット」というサイトで調べますと、
       私は広島県出身ですが、此処におよそ二六〇件が
      数えられ、北隣の島根県が五〇件と次いでいます。
       だから、ほぼ広島県近辺に発する苗字と考えられます。
      私の苗字は「タオダ」と訓(よ)みますが、他には
       同じ字を書いて「タカダ」と訓む姓もあるようです。
      自分の苗字なので少し調べてみました。
      Wiktionaryというところがあり、
      〈会意的造字法による国字。
      尾根が最も低くなった土地を上下で表す。
       「たわ」「鞍部」。〉  と記載されています。
      垰野とか垰畑、垰谷、垰村など広島県、
       山口県に見られる姓であるようです。
   人名、地名には地域の特異性があるようですね。
   私の知人に「小(こ)圷(あくつ)」という苗字の方が居られます。
   この「圷」という字もIMEで出てきますが、
   調べてみたら「圷」とは川沿いの低湿地のこと。
   苗字としては茨城県に非常に多く分布しているらしい。
   なるほど。私の知人も土浦市に居住しておられます。
   この字も日本製の国字ということです。
   この字の対義語は「塙」で、
   山などの小高い場所を「塙(はなわ)」と言い、
   逆に川沿いの低湿地を「圷(あくつ)」と言います。
   「阿久津」「安久津」などの苗字も、
   このような地形から派生したのでしょう。
       「峠(とうげ)」という字がありますが、
       これも地形から来た国字で、
      よく知られているので漢和辞典にも出ておりますね。
       偏(へん) を「山」「土」と付け替えて旁(つくり)の「上」「下」で、
       様々に苗字が出来る面白さを体験いたしました。
       有難うございました。
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この作品は「詩と思想」2016年七月号に載るもので、編集部企画による題詠「上と下」で作者指定で投稿を求めて来たものである。
作品は速やかに提出済みで、本日、発売されたので公開する。



アンソロジー『詩と思想詩人集2015』所載「水 馬」・・・・・・・・・・・・木村 草弥
詩と思想
800px-Mating_Water-Walking_IMG_7100アメンボウ
 ↑ あめんぼう
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(83)
      
       水 馬・・・・・・・・・・・・木村 草弥
          ・・・・・・アンソロジー『詩と思想詩人集2015』所載・土曜美術社出版販売刊・・・・・・・・

           水 馬           木村 草弥
              ──ナルシスの鏡を磨く水馬──宮下恵美子
      
     水馬─あめんぼう は
     小さな、体重の軽い水生昆虫だから、
     細く長い脚の先で、巧みに水の表面張力を利用して、
     六本の脚で立って、ひょいひょいと水面を移動する。
     少年は、内向的な性格で、こんな虫や蟻などの生態を、
     じっと眺めているのが好きだった。
     と言って「昆虫少年」というのでもなかった。

     歳時記を見てみると
     「みずすまし」という名前が、間違って、
     この「あめんぼう」のこととして呼ばれていたらしい。
     「みずすまし」というのは全然別の虫であって、
     一センチほどの紡錘形の黒い虫である。
     「まいまい」という名前がある通り、
     水面をくるくると輪をかいて廻っている。
     水中に潜るときは、空気の玉を尻につけている。
     『和漢三才図会』には
         <常に旋遊し、周二三尺輪の形をなす。
         正黒色、蛍に似たり> と書かれている。
     「あめんぼう」(水馬)については
         <長き脚あって、身は水につかず、
         水上を駆くること馬のごとし。
         よりて水馬と名づく>
     と書かれていて、なるほどと納得する。
     「あめんぼう」という命名は、
     飴のような臭いがするので、この名があるという。

       水馬がふんばつてゐるふうでもなく
          水の表面張力を凹ませてゐる
──木村草弥
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かねて提出中の私の詩作品「水馬」の掲載されたアンソロジー『詩と思想詩人集2015』が出たので、今日の日付で載せておく。
詩の末尾に載せた歌は、私の第2歌集『嘉木』(角川書店)に収録されているものである。
この歌集の「自選」歌にも採っているので、 ↑ のリンクからもお読みいただける。






「詩と思想」2015年7月号掲載・新作詩『寒椿』・・・・・・・・・・・・木村草弥
詩と思想
t-konoesiro近衛白(関西)
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   草弥の詩作品<草の領域>
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      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(82)

      寒 椿・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
         ・・・・・・「詩と思想」2015年7月号掲載・・・・・・・・・


          寒 椿            木村草弥   
              ──寒椿嘘を言ふなら美しく  渡辺八重子──

   「寒椿」または「冬椿」とも書かれるが、
   この花はツバキ科で、山茶花や茶とは同じカメリア属である。
   椿は、なかでも「薮椿」と呼ばれるものは、
   学名をCamellia japonica と言うように、
   日本の固有種である。
   日本では、初冬から晩冬にかけて寒中に咲くものを「寒椿」
   と称している。
   寒椿の学名はCamellia sasanqua cv. Fujikoana と言うが、
   ラテン語の学名の付けかたの世界では
   「cv」とは「園芸品種」とされている。
   藪椿が、日本固有の椿の原種ということであろうか。
   「獅子頭(ししがしら)」という品種の寒椿があるが、
   物の本によっては「山茶花」に分類されているのもあるので、
   まことに紛らわしい。
   椿と山茶花との区別の仕方として、
   ツバキは花が散るときに萼(がく)のところから、花がポロッと全体
   が落ちるのに対して、
   サザンカは花びらが一枚づつばらばらと落ちる、という違い
   があるとされている。
   しかし、寒椿の花は、サザンカと同じように花びらがばらば
   らに散るものもある、というから、余計にややこしい。
   一般的にツバキは、いま書いたように花全体がポロッと落ち
   るので、
   昔の武士は縁起が悪いと嫌がったという。
   先に書いたように、学名でもCamellia sasanqua までなら
   サザンカなのである。
   なお、Camellia というのは十七世紀のチェコの宣教師
   Kamell氏の名に因んでいることも、書いておこう。
   白い寒椿もある。

       冬つばき世をしのぶとにあらねども    久保田万太郎

   久保田万太郎の句は私も大好きで何度も採り上げてきた。
   万太郎は子供を亡くされてから「隠棲」された。
   身辺には或る女の人が寄り添っていたが、
   その人にも先立たれ沈潜した生活をしていた時期があるが、
   この句はその頃のものであろうか。
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かねて注文を受けていた新作詩が本日発売の「詩と思想」2015年7月号に載って発売されたので、ここに載せておく。
時期的にはマッチしないが、ご了承ねがいたい。






木 村 草 弥 第 六 歌 集 『無 冠 の 馬』 (完)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(81)
          
            木 村 草 弥 第 六 歌 集 『無 冠 の 馬』 (完)
                           ・・・・・・・・・KADOKAWA2015/04/ 25 刊・・・・・・・・・・・
「帯」文

<卓抜したエロスとインテリジェンスで綴る斬新奇抜な詩的
  世界。外国詠にも及ぶテーマの広さはもはや追随するもの
  がないといっていいだろう。破天荒かつ英国競馬史上最
  高と語られるセントサイモンを彷彿させる珠玉の第6歌集。>

「帯」裏  自選5首

  三椏(みつまた)の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

  午年(うまどし)生まれ ましてや無冠のわれながら馬齢を重ね八十五となる

  八ツ手の花ひそと咲く白昼(ひる)凩(こがらし)や ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ氏逝く

  シレーヌの素肌に昼と夜が棲む、さて、やさしさを縛つてはみたが

  哀しみとポテトチップスと比べつつしあはせ計れば鳴る赤ケトル


無冠の馬   目次

Ⅰ 無冠の馬
   ゴッホの耳
  無冠の馬
  落花
  無音
  大文字
   湿気
  中禅寺湖
  マンデラ氏逝く
  去年今年
  父・重太郎 五十回忌
   朝型にんげん
   一枚の絵
   大津曳山祭

Ⅱ テラ・インコグニタ
 A.スリランカの歌
  インド洋のひとつぶの涙
  「アーユ・ボー・ワァン」
  キャンデイ
  「セイロン紅茶」
  アヌラーダブラ
   ミヒンタレー
   ポロンナルワ
   ガル・ヴィハーラ
  シーギリヤ・ロック
  ダンブッラ

  B.フランスの美しき村
  フランスの美しき村
  小フランス地区─ストラスブール─
   リクヴィル村─アルザス・ワイン街道─
  タルト・フランベ
  オベルネ─九月二十二日
  ヴェズレー─サント・マドレーヌ聖堂
   ベッコフといふ郷土料理の由来
   ロマネ・コンティのワイン畑
  エスカルゴ
   「フランスの美しき村」─ワン
  ディジョン
  コルマール
   ワインの聖地ボーヌ
  リヨン─美食の街

 C.王道─カンボジア
   『王道』─La Voix Royale─
   シェムリアップ 
  アンコール・トム
  タ・プロム
   スラスラン
  アンコール・ワット
  乳海撹拌
   バンテアイ・スレイ
  トンレサップ湖

ギリシアの歌 補遺

Ⅲ. 幽明─弥生の死あとさき
  前立腺─Prostata─
  生きる
  幽明
   明星の
  うつしみは
   州見山
  菊慈童めき 付・挿入歌二首
  京終と称ふる地なる(抄)

初出一覧
著者 略歴

総歌数 四百二十三首
装 丁  熊 谷 博 人  
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         Ⅰ. 無冠の馬



      (この紙片の裏面) ↓


      セントサイモン
      牡・黒鹿毛・イギリス産
        父:Galopin
        母:St.Angela
        競走成績:十戦十勝
         (一つは非公式戦)
        英国首位種牡馬:
        一八九〇~一八九七、一九〇〇、一九〇一年
        主な勝ち鞍:
           アスコット・ゴールドC
           エプソム・ゴールドC
           グッド・ウッドC

        ゴッホの耳    
         
白鳥の帰る頃かもこぶし咲き白き刹那を野づらに咲(わら)ふ

一斉に翔びたつ白さにこぶし咲き岬より青い夜が来てゐる

三椏(みつまた)の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

沈丁の香の強ければ雨ならむ過去は過去なり今を生きなむ

誰に逢はむ思ひにあらず近寄ればミモザの花の黄が初々し

生憎の雨といふまじ山吹の花の散り敷く狭庭また佳し

白もくれん手燭のごとく延べし枝(え)の空に鼓動のあるがに揺るる

松の芯が匂ふおよそ花らしくない匂ひ──さうだ樹脂(やに)の匂ひだ

ひと冬の眠りから覚めたか剪定した葡萄の樹液したたり止まぬ

天上天下唯我独尊お釈迦様に甘茶をかける花祭 ひとすぢに生きたい
    
チューリップはらりと散りし一片にゴッホの削ぎし耳を想ひつ

<チューリップの花には侏儒が棲む> といふ人あり花にうかぶ宙(そら)あり

ブルーベリージャムを塗りゆく朝の卓ワン・バイ・ワンとエンヤの楽響(な)る

千年(ミレニアム)きざみに数ふる西洋か 日本は百年に戦さ五度(いつつたび)

        無冠の馬

ドーパミンはパーキンソン病に著効なりと病む友言へり 分泌に励めよ

ドーパミンなだめかねつる我なればパーキンソン病に罹るなからむ

七十の齢を越えざりし父のこと思へば十五歳われは超えたり

七十まで現役たりし我のことご苦労様と誰も言ひくれず

草原を馬上に駈ける少年よアルタンホヤグ・イチンノロブよ
                              ─逸ノ城─

十戦十勝かつ英国首位種(しゆ)牡(ぼ)馬(ば)─セントサイモンは《無冠馬》だつた
                        ─一八八一年~一九〇八年─

午(うま)年生まれ ましてや無冠のわれながら馬齢を重ね八十五となる

        落 花

深吉野のこのいつぽんが落花するその日があらむ花乞食(こつじき)に

落花舞ひあがれば花神たつごとし八重の垂乳根の逢魔が刻を

海鳴りに椿の森の咲き満てり狂ひてみたき月夜なりける

緋椿のこぼるる先を海女ふたり海へ向へり また長丁場

椿の花流るる川に沿ひゆけば岩すべる水にたちまち失せぬ

鬱と咲き鬱と落ちたる椿なれ一輪の朱に重さありにけり

はたと膝打ちたるごとく椿落つ三輪(みわ)の百千(ももち)の椿の山は

椿咲く出雲八重垣つらつらに隠し隠せぬ神の婚かな

凡愚凡人しかも陰萎のあけくれの曇りのひと日こころたゆたふ

落ちやまぬ椿の花よちちふさを包む現(うつつ)の幻影として

花御堂はみどりの樹の下ひしやくもて甘茶を注ぐ金銅の仏に

しだれ梅とうとうたらりとしだれゐし旧宅の庭夢に出でつも

菜の花が黄に濃きゆふべたはやすく人死につづきせつなくなりぬ

母逝きて巡る忌日に思ひ出づ俯きて咲く片栗の花

        無音

蛍火の消えしかなたに目をやりぬ無音の闇に耳が冴えつつ

人間とちがふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛が葉かげに眠る

たはやすき泪もあれな老いてなほ懐かしき名の父子草とは

数ふれば小判草百両ほどあらむ殖えてもさびし中空の穂の

辰砂壺に水入れず挿す小判草朝な夕なに頭(づ)を垂れきたり

        大文字

山腹の盆の送り火─如意ケ岳に薪(たきぎ)を積みて「大」を描けり

筆づかひの途切れにも似て一ところ火勢の強き火床が見ゆる

松ヶ崎の妙法、西賀茂の船形、金閣寺の左大文字、西山の鳥居形

               *与謝蕪村
<大文字やあふみの空もただならね>京と琵琶湖とは空つづき

大文字消えゆくときに背後にはくらぐらと比叡の山容ありぬ

        湿気

軽薄な明るさをいつか蔑んだ張りついた汗が乾かない午後

些細な嘘が限りなく増殖する午後ぶあつい湿気にどつぷり巻かれ

蛸飯とコロッケで済ます昼ごはん乾電池が梅雨の湿気を帯びる

夜の藤ひとりでゐたき時もあり月も光を放たずにゐよ

幻影かはた目眩しか一陣の蒼き風吹く土偶の口より

        中禅寺湖

いろは坂上り下りの二分けに四十八の急カーブなす

男体山のふもとに拡がる湿原は神々が争ひし戦場ケ原

修験者の修行の場とふ峠道その名もすさまじ金精峠

エレベータに百メートルくだるひとときを一分として滝を見にゆく

中禅寺湖の水を落してしぶきたつ華厳の滝ぞ投身の俤(おもかげ)

湖の避暑地の別荘そのままにイタリア大使館記念公園

ペンションの窓より見放くる湖を緋の矢はなちて朝日のぼれる

        マンデラ氏逝く

太陽へ真つすぐ伸びる石(つ)蕗(は)の花ひそやかな黄にまた出逢ひたり

大輪を誇りし花も惜しまれて大菊のこの枯れつぷり いかに

枯芒刈り取ればかの日吹かれたる風に重さのありと気づきつ

竹田城址ここが二の丸天空の城塞かとも雲海に浮かぶ

捨てるものまとめて背(せな)を丸めゐつ「寒いね」と交はす声が白いよ

いくばくの蕾を残し山茶花散る置いてけぼりの三輪車ひとつ

子を産みて母となる子よ山茶花の蕾の紅の膨らみ初めつ

冬うらら代る代るに嬰(やや)を抱く帰省の子らも今日限りなり

着ぶくれて動作鈍きを嗤はれぬ柚子ひと絞り皿の鯖へと

些事ひとつなどと言ふまじ煮凝りがぷるんと震ひひれ酒旨し

何にしよ迷ひ箸しておでん鍋はんぺん三角まづは摘みぬ

河豚(ふぐ)鍋を囲みて酒は辛口でお喋りはづむ年忘れなり

むかご飯零余子(むかご)の三つ四つほど茶碗の中に湯気を立てをり

八ツ手の花ひそと咲く白昼(ひる)凩や ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ氏逝く


        去年今年

        悼・三井葉子さん  一月二日
玄冬や 風荒びくるきのふけふ佳人の逝きて儚(はかな)くなりぬ

寄り添へば枯野に雪の降りしきる七種粥(ななくさがゆ)をふうふうと吹く

うす味が好き初春の七種粥幾たび星辰移りたりしか

鈍色の雲どんよりと冬の空 薬師詣での高畑町帰り

しぐれつつ陽の射しゐるや生駒山かいつぶり沼に水脈を引きをり

水脈曳きて古刹に鴨ら鎮もれる堆(うづたか)き落葉はいまだ朽ちざり

          東福寺
夢すべて池に沈めて蓮枯るる通天橋背に冬ざるるかな

          随心院
際やかに小野の丘なみ冬に入る文塚ひそと寺の裏なり

寒椿耐ふる美徳を亡母訓(い)ひぬ耀(かが)よふ花のはつか匂ひて

ひと肌の恋しき季(とき)となりにけり湯たんぽ抱きて寝(い)ぬるも哀れ

暖とると猫を抱きて寝るといふ女(ひと)よ 生憎われ猫嫌ひ

霧ふかく鬼女の裔(すゑ)かと思はせてななかまどの実ぎらぎら朱し

梅咲くとほのかなる香を運びきていのち育(はぐく)む如月讃歌

忍び足で迫りくる夢ふたつ三つ限りある時間(とき)の愛着のやうに

一日は全ての人に二十四時間 老いはじめるとこれが短い

        父・重太郎 五十回忌

亡き父の五十回忌に集ひたる族(うから)にただよふ金木犀の香

山茶花の蕾の紅も膨らみ来 十月十四日父の祥月命日

茶の花の咲き初めにけり茶一筋に生き来し父の一生(ひとよ)なりしか

茶の花の散るを寂しと思ひゐる父の蔵書に古き書き込み

焼香炉回して合掌なしをれば僧の読経も佳境に入りぬ

妙法蓮華経方便品第二
ほうにょぜ そうにょぜ しょうにょぜ たいにょぜ りきにょぜ さにょぜ いんにょぜ
所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。

厳(いかめ)しき父なりき家長たりて食事は一人離れて箱膳に向く

盆栽に水遣り拒みし少年の我にバケツの水をぶつかけし父

兵隊になりたかつたが徴兵検査は第一乙種とて口惜しがれりと

父と対等に物言ひしことなし逆らへば張り手とびきぬ

子育ては母に任せき 道楽に身を任せきと聞きしは後年

小学校卒のみの自分知るゆゑに子には充分に機会与へつ

晩年は仏の重太郎と呼ばれしが若い時には激情家たりし

和紙綴りの帳簿に見ゆる父の筆墨痕鮮か達筆にして

父の達筆享け継ぎしは登志子、庄助のみ重信も我も水茎うるはしからず

食べものが閊(つか)へると言ひ手術(オペ)せしが六十九歳の父食道癌に果つ

幼子の髪三つ編みに草の花つけて歩めば菊日和なり

      朝型にんげん

うらうらと陽が上りくる 大祖母は両手あはせて拝(をろが)みゐしが

「ご来迎」と今も言ふなり あかときの富士の山腹に列なす人ら

古代より太陽神は崇められ例へばエジプト神話の太陽神ラー

日本の太陽神は天照大神(あまてらすおおみかみ) 岩戸に隠れて威光示せり

<太陽の消失>は古代は一大事 「夜」はた「日蝕」におののきたりき

おほよそは体内時計は太陽の出入りのリズムに適(かな)ふと言へり

「早起きは三文の徳」古人いふ体内時計に従ひゆかな

わたくしは朝型にんげん 早朝はすいすいすいと仕事が捗(はかど)る

             一枚の絵       

ふるさとを出でて五十年経し友が「故郷」と名づけし絵をゑがきたり

丘の楢の梢の上にうかぶ白き雲ひとつふたつ三つ描く友の絵

裸木のくぬぎの景色鮮けく雪と冬と友の記憶幼し

春めきて木津川の水ぬるみつつ宙天たかく雲雀があがる

田舎より街に暮すが長しと言ひ友は土色の絵の具(チユーブ)をひねる

友の父が訥々と生きし田園は友が心のうちなる「土色」

真夜冷ゆるしじまの声のごとくにも蝕まれたる原風景ぞ

一枚の絵が出来あがる過程(プロセス)に五十年の歳月かなし

      大津曳山祭 ─十月十日─

       天孫神社
天孫と名づけし社に十三の山車(だし)うち揃ひからくり奉ず

              孔明祈水山
所望所望の声とび交へば孔明は扇ひらきて水湧かしめつ

       西行桜狸山
コンチキチ祭囃子を響かせて西行桜の狸山曳く

所望され西行法師は花の精と問答しをり「くじ取らず山」

袴にも家紋の入れる盛装に西行桜の狸山曳く

       龍門滝山
所望は龍門の滝に鯉のぼるからくりの銘は宝暦十二年

        源氏山
石山に紫式部が物語る源氏山とふ廻(めぐ)れる舞台

        石橋山
所望は天呂山なる岩よりゆ唐獅子出でて牡丹と遊ぶ

       月宮殿山
謡曲の月宮殿に因みたる所望は鶴と亀とが踊る

        西宮蛭子山
福々しきえびすが鯛を釣り上ぐる商売繁昌は「西宮蛭子」

        西王母山
崑崙の西王母が賀(いは)ふ桃の実は二つに割れて童子出でたり

        猩々山
唐国(からくに)の揚子の里に住むといふ高風は酌む尽きざる酒泉

       湯立山
天孫の湯立ての神事奉つり笹の湯ふらす「五穀豊穣」

       殺生石山
能楽の殺生石に因みたる所望は玉藻が狐に変る

       郭巨山
からくりの郭巨が持てる鍬の柄にはらりはらりと時雨さしぐむ

二十四孝の郭巨は母を敬(うやま)ひて黄金(こがね)の釜を掘りいだしたり

       神功皇后山
所望所望の声かけられてからくりの神功皇后文字書きつける

大津絵の鬼が笑(ゑ)まへる店先をかすめるごとく山車曳かれゆく







             Ⅱ. テラ・インコグニタ
 




      (この紙片の 裏面) ↓

             いまだ知らざる土地─Terra Incognita─
     心の中のロビンソン・クルーソー
      膨らみ続ける自由な空想
     夢詰め込んだトランクで出発
     未知の世界に旅立つ──




            A.スリランカの歌   ──二〇〇三年二月~三月──




     (この紙片の 裏面) ↓

     造物主はまだ
     解体前の種子のありさま

     種子の
     ある
     さま
      ─大岡信『悲歌と祝祷』より─



       インド洋のひとつぶの涙─スリランカ

亜大陸インドの南ひとつぶの涙を零(こぼ)ししやうなり、スリランカ

スリランカ「光り輝く島」と言ひ誇りも高く彼ら口にす

      六世紀編纂の本『マハーワンサ』王権神話─
シンハラ人に言ひ伝へあり「ライオンを殺した者(シンハラ)」とふ建国神話
                   
西風に乗りて来たりしマルコ・ポーロ「世界で一番すばらしき島」と

タミル人「解放の虎」テロ止めて一年たつと言ひ祝賀の旗たつ

二〇〇三年春日本にて停戦の会議あると聞くうれしきことなり

     BC十世紀の神話
ソロモン王がシバ女王に贈りたる大きルビーはスリランカ産てふ

野生象三千頭ゐる密林の径にうづ高し象のうんちは

     「アーユ・ボー・ワァン」

「アーユ・ボーワァン」便利な言葉こんにちは、有難う、さやうならにも

長寿(アーユ)が延び(ボー)ますやうに(ワァン)の意なるとガイド氏言へり、合掌して言ふ
          
ガイドなるヴィプール君言ふVIPULは「人気がある」意とほほゑみにけり

我らまた彼らにならひ何事にも合掌して言ふアーユ・ボー・ワァン

まとはりつく物売りの子に合掌しアーユ・ボー・ワァン言へば渋き顔せり

この場合「かんべんしてね」の意味ならむしつこき売り子のたぢろぎたるは

     キャンデイ

      キャンディ湖畔の仏歯寺あつき信仰を集める
レイに良し仏花にも良し五彩あるプルメリアの花季(とき)とはず咲く
                          
夕まけて涼風たつる頃ほひに灯(あかり)を点して仏歯寺混みあふ

   キャンディ郊外ペラデニヤ植物園、十四世紀の王バーフ三世が娘のために創立─
TVのこの木なんの木気になる木モデルの大樹フィーカス・ベンジャミナ

長寿番組「世界ふしぎ発見!」のテーマ曲に映す傘状の大樹

樹の下に入れば太き枝いり組みて八方に伸ぶる壮んなるかな

熱帯にも季節あるらし花の季(とき)は十二月から四月と言ひぬ

植物の相(ファウナ)にも盛衰あるらむか絶滅危惧種の双子椰子とふ
                          
スリランカの食事は「カリー」指先でおかずを飯に混ぜて食する

外つ国人のわれらもぢかに指先で食べてみたれば彼ら喜ぶ

クレープの皮のやうなる「ホッパー」に好みのおかずを包みて食べる


     「セイロン紅茶」

紅茶の産地ヌワラエリヤは高地にて涼しく気温二十度といふ

ヌワラエリヤは気候温和イギリス植民地には避暑地となりぬ

「セイロン紅茶」いまも紅茶の最高峰爽やかな香気と深い水色

紅茶の工程─萎凋→酸化→揉捻→篩ひ分け、なり

     アヌラーダプラ

      ─紀元前五世紀、最初の古都アヌラーダプラ─
ティサ池に影を映せる大岩をえぐりてなせる御堂と仏塔(ガーダハ)
                    
金色(こんじき)の涅槃仏据ゑし本堂は浅草寺の援けに彩色せしてふ
                    
恋ほしもよサーリヤ王子と俗女マーラ刻める石は「恋人の像」

もと椰子のプランテーションたりしゆゑPalm Garden Village Hotelと名づく

客室はコテージふうに疎らなる林の中に配されてゐつ

ひろらなる湖(うみ)につらなる庭にして野生の象も姿見すとふ
                       
     ミヒンタレー

プルメリアの花咲く石階六百段はだしにて登るアムバスタレー大塔

陽にやけし岩のおもてが足裏に熱き苦行の岩山のぼる

向ひあふ丘の頂に真白なるマハー・サーヤ大塔の見ゆ

     ポロンナルワ

ワタダーギヤ、ハタダーギヤとて大小の仏塔あつまるクォード・ラングル

     十世紀から十二世紀にシンハラ王朝の首都ポロンナルワは
     巨大な人工池のほとり─
乾きたる此の地に水を湛へしは歴代の王の治世ぞ池は

クォードとは四辺形の意、城壁に囲める庭に建物十二

見学の中学生多し観光客に英語で質問せよとの課題

     ガル・ヴィハーラ

涅槃像、立像、坐像巨いなる石の縞見すガル・ヴィハーラは

立像は一番弟子なるアーナンダ涅槃に入りし仏陀を悲しむ

なだらかなる姿態よこたへ仏陀はも今し涅槃の境に至るか

足裏と頭ささふる枕にみる渦巻模様は太陽のシンボル

     シーギリヤ・ロック

     シーギリヤ─岩壁のフレスコ画は五世紀のもの─
忽然とシーギリヤ・ロック巨いなる岩現れぬ密林の上に

いづこにも巨岩を畏れ崇(あが)むるかシーギリヤ・ロック地上百八十メートル

父殺しのカーシャパ王とて哀れなる物語ありシーギリヤ・ロック

     鉄製ラセン階段は一九三八年にイギリス人が架けた
汗あえて息せき昇る螺旋階ふいに現はるシーギリヤ美女十八

草木染めに描ける美女(アプサラ)は花もちて豊けき乳房みせてみづみづし
                         
ターマイトン土で塗りたる岩面に顔料彩(あや)なり千五百年経てなほ
                            
貴(あて)なる女は裸体、侍女は衣(き)被て岩の肌(はだへ)に凛と描ける
      
     一九六七年バンダル人が侵攻し多くのフレスコ画を剥がす
昔日は五百を越ゆるフレスコ画の美女ありしといふ殆ど剥落

獅子(シンハ)の喉(ギリヤ)をのぼりて巨いなる岩の頂に玉座ありしか
         
シンハ・ギリヤいつしかつづまりシーギリヤ仏僧に寄進されし稀なる王宮

聞こゆるは風の音のみこの山に潰えしカーシャパ王の野望は

     ダンブッラ
     
五つある石窟寺院は歴代の王が競ひて造り継ぎてし

はじまりはワラガムバーフ王がタミル軍を破りて建てしよBC一世紀

ダンブッラ寺の由来は「水の湧き出づる岩」とふ意味に因める

第二窟マハー・ラージャ・ヴィハーラとは偉大なる王の意、仏像五十六体

   ジャヤワルダナ全権大使のこと
   一九五一年九月サンフランシスコ対日講和会議の時、
   セイロン全権大使ジャヤワルダナ(後の大統領)は、
   ソ連の対日賠償の過大な要求を盛り込んだ修正条項に反対して、
   仏陀の言葉を引いて、参加国に寛容の精神を説いた、という。
   日本は、この恩義に報いるため、スリランカには多額の借款や
   援助の手を差し伸べている。
   現在の首都ジャヤワルダナプラの名は、この人の名を採っている。
首都スリー・ジャヤワルダナプラ通称コーッテは
十五世紀のコーッテ王国の名に因む。

「スリー」光り輝くさまと言ひスリランカの「スリ」も同じ意味なり

  つい数年前までタミール人「解放の虎」テロとの血みどろの抗争があり、大統領が訴へた
「憎しみは憎しみにより止むことなく、愛により止む」ブッダの言葉
            ─Hatred ceases not by hatred , but by love ─

     ゴール・フェイス・グリーン
インド洋より吹きくる風も心地よし凧あげする人あまた群れゐつ




            B.フランスの美しき村  ──二〇一三年九月──
         ─アルザス・ブルゴーニュ─



        (この紙片の 裏面) ↓


         大地はオレンジのように青い。
     ─ポール・エリュアール─



          フランスの美しき村   

「フランスの美しき村」訪ねむとはるばる来たるブルゴーニュ此処

ビジネスクラス隣席のサマール・ケリー女史ダン・ブラウン新作『インフェルノ』読む

アルフォンス・ドーデ『最後の授業』独仏支配交替のアルザスの悲哀

巨いなるドームのごとく横たはるストラスブール駅朝もやの中

サマータイムなれどももはや九月下旬、午前七時はいまだ暗いよ

  キッシュ─練りパイ生地にベーコン野菜クリームを入れチーズを振りかけて焼き上げる
三角形のキッシュ出でたり素朴なるアルザス・ロレーヌの郷土料理ぞ

街中を出づれば田園は霧の中、濃き朝霧は「晴」の予兆なり

     小フランス地区─ストラスブール─
  
ドイツ風の木組みの家多し、ドイツの原型たりし神聖ローマ帝国

木組みなる「小フランス」地区イタリア戦争帰りのフランス兵が休息

その町で性病流行し患者たちを隔離せし病院を「小フランス」と蔑称

じめじめしたる不衛生なる水辺、革なめし業や漁師の住みたる一郭

「小フランス」(プチツト・フランス)木組みの家の景観を売りものにして今は観光地

「プチット・フランス」名前も家並みも可愛いいエリヤとなりぬ

       リクヴィル村─アルザス・ワイン街道─

街道沿ひはぶどう畑つづき木組みの家が点在する可愛いい村を縫つてゆく

「美しき村」のひとつリクヴィルここも昔ながらの木組みの家並

リクヴィル村役場HOTEL DE VILLEの文字も彩(あや)に花もて飾る

昔ながらの菓子クグロフや塩からきプレッツェルも並べて売らる

        タルト・フランベ

アルザス風タルト・フランベ日本のお好み焼にさも似たるかな

パン生地を薄く伸ばしスライス玉ねぎ、ベーコン、生クリームを載せ強火の窯で焼く

ピザとの違ひ チーズは使はず身近なる食材使ひシンプルに作る

フランベとは料理用語で「燃やす」謂。短時間で出来るパンの意ならむ

         オベルネ 九月二十二日

近在の村人総出に繰り広げるオベルネ収穫祭に人ら蝟集す

小さき村オベルネ人口数百人、万余の人ら駐車場に溢る

        ヴェズレー─サント・マドレーヌ聖堂

ブログ友M氏は建築学徒ヴェズレーの聖マドレーヌ寺院が卒論なりといふ

なだらかな丘に広がるサント・マドレーヌ教会、世界遺産なり「ヴェズレーの教会と丘」

聖マドレーヌそは「マグダラのマリア」かつては娼婦、悔悛し復活したキリストを最初に見し人

この丘はサンチァゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の出発点のひとつ、ホタテガイの舗鋲

物語的な柱頭彫刻、旧約に取材す「エジプト人を殺すモーゼ」といふものあり

物語的な柱頭彫刻はロマネスク建築に始まると書誌いふ

少年ダビデが巨人戦士ゴリアテを倒す物語、信仰篤きダビデの勇気を讃ふ

字を読めぬ人が大半なりし昔、絵解きで諭す柱頭なりぬ

        ベッコフといふ郷土料理の由来

かつて月曜日はアルザスの主婦らの洗濯日なりき、手仕事の一日掛りの大仕事

   前日の日曜日の夜。牛、豚、羊やらの肉の切れ端を白ワインと一緒にベッコフ鍋に漬け込んだ
   翌朝その鍋に野菜やら何でも入れて馴染みのパン屋に預けた


牛肉はカトリックを豚肉はプロテスタントを羊肉はユダヤ教を表すと言へり

パン屋は預かったベッコフ鍋にパン生地の余り物で隙間を押さへ余熱の石窯に入れてあげた

仕事の帰りにベッコフ鍋を受け取るとうまい具合に鍋料理が完成してゐた

ベッコフとはアルザスの土鍋La Beackoffe パン焼窯から出来たアルザス語

        ロマネ・コンティのワイン畑

夕食はブルゴーニュ名物「ブフ・ブルギニョン」ブフとは牛肉の意、赤ワイン煮なり

グラン・クリュ街道なる葡萄畑の丘「コート・ドール」ゆく、黄金の夕焼け

バス途上、銘酒「ロマネ・コンティ」の畑を見むとて写真撮るなり

バスまたタクシーに畑を見にくる人多し。タクシーで乗り付けし中国人たち

「ロマネ・コンティ」年間六千本のみ瓶詰と言ひ、されば一本数十万円の高値

消えかかりし石のプレート石垣に嵌め込みたりな「ロマネ・コンティ」

              エスカルゴ

ブルゴーニュ名物のかたつむり料理、ガーリックとバター風味のエスカルゴ

かつては葡萄の葉につく害虫たりしが食べたら美味と飼つて当地名産に

              「フランスの美しき村」─ワン

リヨン北西四十一キロ もとワン城の城壁の村、いまはニズィ門残る

ワン村の人口五二三人、九月最初の週末に音楽祭を開く

高みより見放(さ)くれば周りみなボジョレ・ワイン畑が果てなくつづく

「ボジョレ・ヌーヴォー」新酒解禁売り出さるフルーティなれど好みさまざま

        デイジョン

中世のブルゴーニュ公国の首都デイジョン「金羊毛騎士団」活躍せりき

ブルゴーニュ大公宮殿いま市役所と美術館として威容見すなり

ノートルダム・ド・デイジョン教会ゴシックなり六世紀作「黒い聖母像」置く

一五一三年九月司令官ルイ・ド・ラ・トレモイユ四〇万エキュもて「黒い聖母」に捧ぐ

ディジョン名産マスタード老舗MAILLEの店リベルテ通り百貨店ラファイエットの前

創業一七四七年の伝統と言ひ誇りを持つて商ひをする

われもまた商人の裔(すゑ)、商人(あきうど)の矜持もふかく肯(うべな)ひにけり

              コルマール

コルマールも木組みの家並美しく「小ベニス」とふ水路の辺り

どの家も木組みの窓辺に赤きゼラニウムの花籠吊るす

コルマールかつての神聖ローマ帝国の自由都市、アルザス「十都市同盟」

最古の文献は八二三年、コルンバリウム鳩小屋の意味とし伝ふ

コルマールいまは電機部品製造、製薬業 十一万六千の人口擁す

コルマール郊外に日本企業あまた進出、日本語補習学校ありといふ

              ワインの聖地ボーヌ

     ボーヌのオスピス 一四四三年ブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロランが創設。
     入院の条件は貧者であること。無料で施療した。
     王侯貴族から寄進された葡萄園で生産したワインで費用をまかなつた。


「神の宿」(オテル・デユー) と呼ばれし施療院、屋根瓦が黄、赤、褐色と文様うつくし

「栄光の三日間」と称するワイン祭、ワイン・オークションはその年の相場占ふ

わが畏友・田辺保の本『ボーヌで死ぬということ』彼はカトリック信者だつた

              リヨン─美食の街

フルヴィエールの丘より見渡すリヨンの街、ここは黄金の聖母を頂く大聖堂

リヨン都市圏一六四万人を擁し古くよりヨーロッパ一の絹織物の産地

われの住む所は金糸・銀糸生産の日本一。金糸の輸出先はここリヨンといふ

祇園祭の鉾に掛かれる「胴掛」のゴブラン織はリヨン産なり

「ヌーヴェル・キュイジーヌ」創始者ポール・ボキューズ一九六五年獲得の三ツ星いまも保つ

「メール・ブラジェ」女性として初めてミシュラン三ツ星獲得、その弟子の一人がポール・ボキューズ

明日帰国の一夜われらはボキューズの弟子の店にてささやかなる晩餐



       C.王道─カンボジア  ──二〇〇二年十二月──


   (この紙片の 裏面) ↓


      ヴィシュヌの蹄の跡からは海水が抜け、
      雷鳴にも似た大きな音をたてながら、
     冥界へすさまじい勢いで落下していった。
      ─ヴィシュヌ神話より─


       『王道』─La Voie Royale─

クメールの統べし五百年の栄華の跡ひそと佇む然(さ)れども峨々と

しかけたる猪の罠も錆びつかせ闇を抱きて密林ねむる

《ながく夢を見つめる者は自(し)が影に似てくる》といふインドの諺

P・ボワデッフル言へり《『王道』は狂ほしきバロックのごとき若書き》

「若い時は死とは何かが判らない」初対面のクロードにペルケン言へり

シレーヌの素肌に夜と昼が棲む、さて、やさしさを縛つてはみたが

             シェムリアップ

ゲートありて遺跡見学証ことごとに見せつつ通る真夏日の下

見学証三日通用にて四十米ドルなんでも米ドルが通用する国

休息のホテルの昼に同行のU氏離婚の秘め事洩らす

            アンコール・トム

アンコール・トム築きしジャヤヴァルマン七世は仏教徒にて慈悲深しといふ

回廊の浮彫に描くはトンレサップ湖に魚をすなどる漁師の姿

闘鶏にチェスに賭事なす人ら食事の民も生活(たつき)ほほゑまし
                     
クメールとチャンパの戦ひ水上の戦闘のさまつぶさに彫れる

象の隊、騎馬隊、歩兵びつしりとクメール軍の行進のレリーフ

バイヨンの仏塔の四面は観世音菩薩の顔にて慈悲を示すや

されど君、説かるるはクメールの言ひ分ぞ正義はいつも支配者の側に

海の民たりしチャンパは越南の大国にして富みてゐたりき

富める国チャンパの財宝かすめむとクメール軍の侵ししならむ

チャム族は今は貧しき少数民族ヴェトナムの地に祖神を守る

            タ・プロム

巨いなる榕樹(スポアン)はびこるタ・プロム堂塔は樹にしめつけらるる
                        
大蛇のごと堂にのしかかり根を下ろす榕樹のさまも中央回廊

石組の透き間くまなく根と幹が入り込む景は霊廟タ・プロム

たけだけしき植物の相も見せむとて榕樹を残すも遺跡政策

            スラスラン

王と王妃の沐浴せる池スラスラン七つの蛇神(ナーガ)のテラスありたり
                         
水浴場(スラスラン)はポル・ポト統べし時代には稲田にされしとふ広らなる池
                         
            アンコール・ワット

大き池わけて詣づる西参道アンコール・ワットに我は立ちたり

五つの塔を水面に映し鎮もれる寺院の空に浮かぶ白雲

王都(アンコール)なる寺院(ワツト)とし建つる大伽藍ヴィシュヌの神を祀りゐるなり
              
中央塔と第一回廊の角を結ぶ線が一三五度の二等辺三角形

西面が正面たるは施主たりし王の霊廟のゆゑと伝ふる

寛永九年森本右近太夫の落書きは仏像四体を奉納と記す

西面は「マハーバーラタ」描きたり即ち古代インドの叙事詩

行軍するスールヤヴァルマン二世その先に天国と地獄の浮彫ありぬ


            乳海攪拌

ヴィシュヌはも神八八人阿修羅九二人もて蛇を綱として海を攪拌させつ

「乳海攪拌」さながら交合のエロスに似てそこより天女アプサラ生(あ)れたり

王なべて不老不死を願ふもの「撹拌」ののち妙薬・甘露得しといふ

王子率(ゐ)てラーマ軍が悪魔ラヴァーナ討つ猿が王子を助くる逸話
                             
ラーマ王子はヴィシュヌ神の化身その顔をスールヤヴァルマン王に似せたり

這ひ登る第三回廊への石階は石の壁とふ譬(たとへ)ふさはし
                      
中途にて凍れる(フリーズ)ごとく女人をり登るより下りが怖き急階
                     
歯を見せて笑ふ女神(デヴァータ)めづらしと見れば豊けき乳房と太腿
                      
回廊の連子窓に見放くる下界には樹林の先にシェムリアップの町

夕陽あかき野づらの果てを影絵(シルエツト)なして少年僧三人托鉢にゆく
                        
クメールの大平原に太陽が朱の玉となり落ちてゆきけり

地雷に脚を失ひし人老いも若きも寺院の門(かど)に物乞ひをせり
                            
            バンテアイ・スレイ ─東洋のモナリザ─

『王道』を読みしも昔はるばると女の砦(バンテアイ・スレイ)に来たれる我か

クララ率(ゐ)て女神像盗み捕縛されし逸話はマルロー二十二歳
               
マルローが盗まむとせる女神像(デヴァータ)ひそやかなる笑みたたへてをりぬ
                         
ラージェンドラ・ヴァルマン二世建てしとふ赤褐の塔千余年経(ふ)る
                          
「東洋のモナリザ」と評さるる女神とて汗あえて巡る午後の祠堂を

ひと巡りにて足る寺院ロープ張りて女神と我らを近づけしめず

蓮の台(うてな)ゆ股に女を挟みその胴に爪をたつるヴィシュヌ神はも
                            
            トンレサップ湖

牛に引かす荷車に木舟のせてゆく先は湖トンレサップか

水牛に水浴びさせる少年の総身に水滴したたりやまず

竹編みて作る「もんどり」田の溝を溯る小魚とらへむがため

砂洲にある小さき学校フランス語の看板かかぐトンレサップ湖畔

湖の筏の生簀に飼ふ鯰(なまず)たけだけしくも餌に飛びつく
                      
果てもなく広がる湖その先は大河メコンに連なるといふ

魚醤にて食へば思ほゆ湖の網にかかりし小魚の群

椰子の実に大き穴あけて供さるる果汁ははつか青臭かりき

素はだかに濁れる水に飛び込みてはしやぎゐる児らに未来のあれな


        ギリシアの歌 補遺

    クノッソス宮殿─ギリシア・クレタ島─

聖なる蛇飼はれてゐたる筒ありぬ地母神崇むるミノア人のもの

乳ふさも露はに見せて地母神は聖なる蛇を双手に握る

石棺の四面に描くフレスコ画ミノアの人の死者の儀式ぞ

いにしへの王の別荘より出でしゆゑ「アギア・トリアダの石棺」と名づく

<フエストスの円盤>に記す線文字Aいまだ解読されぬ象形渦巻く

「ユリの王子」と名づくる壁画は首に巻く百合の飾りをしてゐたりけり

高き鼻の巫女(み こ)の横顔《パリジェンヌ》は前十五世紀の壁画の破片

ティラ島の火山爆発しクレタなる新宮殿崩壊すBC一四五〇年

八十隻の船団を率(ゐ)てトロイなる戦に行けるイドメネアスいづれ
                            
黒衣なる聖職者が八百屋の店先で買ふ葡萄ひと房

タベルナでゆふべ出会ひし美青年 今日はゲイのカップルでビーチを



        Ⅲ. 幽 明 ─弥生の死あとさき─




      (この紙片の 裏面)  ↓


     愛の神よ、何と辛い別れかな。
       ─コノン・ド・ベチューヌ『シャンソン』(海の彼方の巡礼者)





      前立腺─Prostata─

いのちあるものはいとほし冬さればプランターに培(か)ふビオラ・フィオリーナ

ま白なる花あまたつけ咲き満ちし一夏(いちげ)はニューギニア・インパチェンス

間なくして用済みとなる器官なれ愛(いと)しきかなや我が前立腺(Prostata)

PSAの示す数値よ老い初めしうつしみに点す哀愁の翳(かげ)

男たる徴(しるし)はばまむ薬にて去勢に同じきLH・RHアナログ

下垂体ゆ出づるホルモン断たんとし予後よき癌かわれのadenocarcinoma( 腺癌)

猛々しき男ならざる我ながら男を止めよと言はるる哀れ

生きたきは平均余命にて充分とうつしみを割く術(すべ)は拒みつ

いとしきは吾妻なれば病める身を看取りてやらな、それが気がかり

semen(精 液)の一雫こそ恋しけれ間なくし絶ゆる腺をおもへば

       生 き る

たやすくは人は死ねざり夥しき下血にまみれゐたりても なほ

  抗癌剤それは毒物「毒をもて毒を制す」と世に言ふ
妻に効く抗癌剤求め尋(と)め来たる某がんセンター丘の上にあり

マンスリー・マンション三階、病室より持ち帰り洗ふ妻の下着を

「原発不詳」とカルテに書かれゐたりけりロプノールのごとくわれらさまよふ

妻に効く抗癌剤なしのご託宣、異郷の空に夕光(ゆふかげ)赤く

「死に場所は故郷が理想」主治医言ふ、われら同意す帰心矢のごとく

民間の救急車に揺られ帰りつく京都の地なり地の香なつかし

ベッド拘束されてゐたのが嘘のやうリハビリの成果杖なしで歩く

点滴も服用薬もなし自前なる免疫力で妻は生きる

小康のひとときを得し安らぎに家族の絆(きずな)深まる春だ

  イタリアの諺にいふ、<人は時を測り 時は人を計る>
アメリカ留学帰りのM助手斯界の権威、三十代なかば

   リニアック二一〇〇CDはアメリカ製深部照射X線治療器
照射時間十五秒×2、リニアックは我がいとしの前立腺(prostata)を射る

照射位置を示す腰間の+の字三七回済みたればアルコールで消す

「夫婦して癌と共生、なんちやつて笑はせるわね」妻がつぶやく

       幽 明

  母の死は十三年前の四月十二日、妻の死は四月十五日
桜ちる頃に死にたる母と妻、お供にと母が連れたまひけむ

「一切の治療は止めて、死んでもいい」娘(こ)に訴へしは死の三日前

好みたる「渡る世間は鬼ばかり」観てゐたりしは半月前か

吾(あ)と娘の看取りに違ひあると言ひ「娘は本を読み聞かせてくれる」

  園芸先進国オランダの東インド会社にインターネットで発注した
誕生日三月五日にと空輸されし薔薇シャンペン・ゴールド見分け得ぬ 哀(かな)し

夢うつつに希(ねが)ふ心理のもたらすか幻の孫の血液型を言ふ

   若い頃には聖歌隊に居て、コーラスや音楽をこよなく愛した妻だが
夏川りみの「心つたえ」の唄ながすCDかけたれど「雑音」だといふ

    オキシコンチン、モルヒネ鎮痛薬なれど所詮は麻薬
訴ふる痛みに処方されし麻薬 末期(まつご)の妻には効き過ぎたらむ

たやすくは人は死ねざり赤だしのごときを妻は吐きつづけ 果つ

とことはに幽明を分くる現(うつ)し身と思へば悲し ま寂(さび)しく悲し

助からぬ病と知りてゐたれども死なれてみればわれは孤(ひと)りよ 

   昨年春の私の前立腺ガン放射線治療は成功したやうだ
私の三カ月ごとの診察日「京大」と日記にメモせり 妻は

<朝立ち>を告ぐれば「それはおめでたう」何がおめでたいだ 今は虚しく

<男性性>復活したる我ながら掻き抱くべき妻亡く あはれ

         明 星 の 

けふ一と日誰とも言葉交はさざりき初夏のゆふべを小綬鶏の鳴く

       聞きなしと覚えて亡嬬の呟くとや
ちよつと来いちよつと来いとぞ宣(のたま)へど主(ぬし)の姿が見えませぬぞえ

哀しみとポテトチップスと比べつつしあはせ計れば鳴る赤ケトル

      四国遍路、同行三人
渦潮を見つつ辿れる海道は落花しきりの鳴戸の春ぞ

さまざまの過去を抱きて来し人ら菜の花の黄に鈴鳴らしゆく

鎮魂の念(おも)ひやまずも南(みんなみ)の里べの土を踏みて歩めば

吾(あ)と共に残る日生きむと言ひ呉るる人よ、同行二人に加へ

       最御崎寺・室戸東寺
最御崎(ほつみさき)いづれば虚空に風立ちて御厨人窟(み く ろ ど)といふ洞の見えつつ

<明星(あかぼし)の出でぬる方の東(ひがし)寺>などて迷ひを抱きませうぞ

       金剛頂寺・室戸西寺
薬師(くすし)なる本尊いまし往生は<月の傾く西(にし)寺の空>

赤まんま路傍にひそと咲きながら「あなたの役に立ちたい」といふ

紫の斑も賑はしく咲きいづる杜鵑草(ほととぎす)それは「永遠にあなたのもの」

        う つ し み は

うつしみははかなく消えて失せにけり肉(しし)の記憶もおぼろとなりて

   <夢うつつに希ふ心理のもたらすか幻の孫の血液型を言ふ>
亡き妻が譫言(うはごと)に希(ねが)ひし三女の子生れいでたり梅雨の半ばを

亡き妻の<生れ変り>と言はれをり生殖年齢ぎりぎりの男孫

流産あまた前置胎盤逆子など乗り越えて帝王切開に生まる

        廣貴(ひろき)と名づけらる
三番目の孫とし言ひていとけなし二十年の歳月われを老いしむ

       州見山

三香原布當(みかのはらふたぎ)の野辺をさを鹿は嬬(つま)呼び響(とよ)む朝が来にけり

山の端の羅(うすもの)引きて朝日いづ茶畑の丘の緋の朝ぼらけ

あしひきの州見(くにみ)の山ゆ見かへれば朝霧のおぼに流るる泉川

あららぎの丹(に)の実光れる櫟坂(いちさか)は寧楽(なら)と山城へだつる境

猫と老人めだつ島なるイドラ島エーゲ海の光燦と注ぎぬ

エーゲ海の島の日向に老人が屯しゐたり そんな日が来る

ニッポンの老いびとたちも日がな日がなG(グラウンド)ゴルフの球(たま)と遊べり

いそいそと誰に見しよとの耳飾り身をやつし行く老いの華やぎ

百歳を超すひと三六二七六人祝ふべきかな老人国ニッポン

<死にし人は死もて齢を堰きたる>と言ふを諾(うべ)なふ 青葡萄生なる

狩衣(かりぎぬ)の乱るるなへに狛錦(こまにしき)紐解き待てる若草の嬬

拓かれし州見台てふ仮り庵(いほ)に愛(め)ぐはし女男(め を)の熟睡(うまい)なるべし


    菊慈童めき  付・挿入歌二首

人倫の通はぬ処、狐狼野千(ころうやせん)の住み処(か)とぞいふ菊咲く処

  甘谷の水は菊水「菊慈童」の七百歳のいのちこそ憶へ─ 木村草弥

蜜壺にあふるるものに口つけて陶然とすれば菊慈童めき

ケータイがどこかで鳴るな、あの音を鳴らぬ設定にしておきなさい

その場所をあなたの舌がかき混ぜた 快楽(けらく)の果てに濃い叢(くさむら)だ

ふたりは繋がつて獣のかたちになる 濃い叢にあふれだす蜜

頭と頭よせあつてかき抱けばぢきに夜の闇が二人を包む

刻々と<時>は進むがカレンダーはもう見ないでよ無明のうつつ

睦みあひもだえしのちは寂(さび)しくも泥のごとくに眠れるわれら

山の端に朝日のぼりぬあかときをわれらはひしと掻き抱きたり

  ぬれてほす山路の菊のつゆのまにいつしか千歳を我は経にけむ─ 素性法師

飲むからにげにも薬と菊水の月は宵の間身は酔ひにつつ

<愛の寓意>何の謂ひぞも 股間から春画のままに滾(たぎ)るものかな

   長歌 京終と称ふる地なる(抄)

    石川郎女と大伴宿祢田主との贈答歌
遊士(みやびを)とわれは聞けるを屋戸借さずわれを還せりおその風流士(みやびを)
遊士にわれは有りけり屋戸借さず還ししわれぞ風流士にはある


山背(やましろ)の 杣のわが屋戸(やど) 西つかた 神奈備山に

五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の樹の

弥(いや)つぎつぎに 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通はむ。

青丹によし 寧楽(なら)の京師(みやこ)に 春の日は 山し見がほし

秋の夜は 河し清(さや)けし 旦(あさ)雲に 鶴(たづ)は乱れつ

夕霧に かはづは騒ぐ。

京終(きようばて)と称(とな)ふる地なる 仮庵(いほ)の 高楼の屋戸ゆ

玻璃戸より ふりさけ見れば 春日なる 若草山に 雪は著(しる)しも

一人して 巻きたる帯を 二人して 帯解(おびとけ)て寝(ぬ)る 若草の嬬(つま)。



新作短歌・角川『短歌』四月号掲載「ハロン湾の朝日」12首・・・・・・・・・・・・木村草弥
角川

4ハロン湾の朝日
 ハロン湾の朝日  ↑

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(80) 

     ハロン湾の朝日/新作歌12首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・ベトナム紀行①/角川書店『短歌』誌2014年四月号掲載・・・・

  うらうらと水墨画のごとき島影を染めてハロン湾に朝日出でたり

         一九九四年にユネスコ世界遺産指定
  ハロン湾─石灰岩台地が沈降し浸食が進んで奇岩、島々

  「ベトナム」と言へば我ら熟年は果てしなき泥沼の「ベトナム戦争」想ふ

  共産主義の防波堤たらんとアメリカが遥か越南に介入せしなり

  ゲリラが潜むと「一村みな殺し」作戦─火焔放射もて焼き尽したり

  密林を枯葉剤で丸坊主にする、手段を選ばず暴虐し放題

  下半身がつながつた結合双生児ベトちやんドクちやんのこと

  ホーチミン市クチ県郊外全長二〇〇㎞の「クチ・トンネル」随一の観光名所

  今しも西沙(ホアンサ)、南沙(チユオンサ)諸島占拠する中国の覇権主義抗議デモに遭ふ

         ベトナム国人口九〇〇〇万人。東南アジアの大国
  戦争で死亡三百万人。十四歳以下の子供が人口の半数を占める若い国

  ホーチミンは建国の父。ベトナム通貨はどの額面もホーチミン肖像

  米粉で作るベトナムの麺フォー。牛肉味だがあつさりスープ

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かねて提出中の私の新作短歌が、本日発売の角川書店「短歌」誌2014年四月号に発表されたので出しておく。
これは一昨年十一月に行ったベトナム紀行の際に作ったものだが、この歌のテーマを過去の「ベトナム戦争」に絞った。
作品の質については内心忸怩たるものがあるが、お読みいただきたい。
原文は「タテ書き」で読みやすいので、大きな本屋の店頭で読んでいただけば有難い。これには安いが「原稿料」が支払われる。
このときの紀行文については → 「ベトナム世界遺産紀行9日間」をご覧いただきたい。



「詩と思想」2014年8月号掲載・新作詩「アンドロギュヌス」・・・・・・・・・・・木村草弥
アンドロ

川端

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   草弥の詩作品<草の領域>
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──草弥の詩作品──(79)

   「詩と思想」2014年8月号掲載・新作詩「アンドロギュヌス」・・・・・・・・・・・木村草弥    

      アンドロギュヌス・・・・・・・・・・木村草弥

        あの子は売られて行きましたよ。
        もう少し早くいらっしゃればよかったのに。
        あなたに貰った薬を大切にしまっていましたよ。
        ちゃんと持って行きましたよ。
        たっしゃな子だから、一生にあの薬の数ほど、
         風邪をひくことはないでしょう。
        会った時、私も彼女も風邪をひいていたのだった。
         少女はその薬を風邪薬と信じていたのだろう。
            (川端康成『掌の小説』化粧の天使達)
     少年の頃に亡長兄の蔵書で川端康成の本をむさぼり読んだ。
     『掌の小説』や『浅草紅団』などである。
     まだ子供だったので性的には深い読解が出来なかった。
     『掌の小説』では堕胎しようと東京市電運転系統図を見なが
     ら男の掛声に合せて窓敷居から飛び下りて、どしんと尻餅を
     つく描写の「叩く子」や、「愛犬安産」という仔犬の産まれ
     る描写などに瞠目した。
     『浅草紅団』では主人公の弓子が時折、男に変装して「明公」
     という若者に変装したりして、いわゆる「アンドロギュヌス」
     (両性具有)の少女として設定されるなど「倒錯したエロチ
     シズム」を描写するところなど大正末期から昭和初期の大都
     会東京下町の風俗を活写したものだと今になって判るのだ。
     「女であること」を必要以上に露出する舞踏団やカジノ・フ
     ォーリー、売春など肉体の商品化は現代に続く風俗なのだ。
     弓子が「私は地震の娘です」と言い切り、小学校五年生だっ
     た関東大震災の混迷のさなかに姉の悲恋を見たのだ。
     アンドロギュヌスの聖性を帯びた美少女や、彼女と同様に、
     変装好きな紅団の面々。ポン引き、無頼の徒など、健全な市
     民から疎外された者たちを存分に跳梁させる『浅草紅団』の
     「アノミーそのものの世界」は、関東大震災に引続いて世界
     恐慌の波に洗われることになる「一九二〇年代の東京を裏返
     しにした陰画」を見る思いがする。
     それはプロレタリア文学が夢想していた革命の設計図とは別
     に、川端が垣間見た地下世界(アンダーワールド)の不逞な
     活力を活写した、と言えるだろうか。
     「地震の娘」の弓子に代わって、彼女よりも鮮明な輪郭で、
     算術が得意で成熟した女になりきっている「春子」。
     川端自身は後年『浅草紅団』を読み返すのに四日間もかかっ
     たと「嘔吐を催すほど厭であった」と述べているが、後には
     『浅草紅団』を好意的に捉え『伊豆の踊子』が人々を天城越
     えの旅に誘ったように『浅草紅団』は昭和初年代の風俗が綴
     られた都市文学として新しく評価されて来たのである。
     二〇〇五年にはアメリカでも翻訳されて、浅草の観光案内書
     として「浅草観光の上級あるいはマニア向けコース案内書」
     と呼ばれ、平成の今も残っている浅草独特の怪しい雰囲気を
     味わうことが可能だ、と解説されるに至っている。

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「詩と思想」2014年8月号用に編集部から投稿依頼があり、原稿を送っておいたが、本日それが掲載された雑誌が発行になった。
その日付に合わせてアップする次第である。
八月になると出版される「詩と思想詩人集2014」というアンソロジーに出した詩(4/10付でアップ済)と同じく「川端康成」を扱っている。






アンソロジー『詩と思想詩人集2014』掲載・新作詩「ガーラ湯沢」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
詩と思想

review_6045_1ガーラ湯沢
review_6138_1ガーラ湯沢
 ↑ 二枚とも投稿写真より拝借。借用に感謝します。
800px-Gala-yuzawa_staガーラ湯沢駅
↑ ガーラ湯沢駅    ↓ 駅構内
800px-Galayuzawa-eki01ガーラ湯沢駅
800px-Gala-yuzawa-Station-wicketガーラ湯沢駅改札口
↑ ガーラ湯沢駅改札口

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(78)

    アンソロジー『詩と思想詩人集2014』掲載・新作詩「ガーラ湯沢」・・・・・・・・・・木村草弥

       ガーラ湯沢・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

         「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた」
         と川端康成は書いた。 
    一九三五年『文学界』の編集者だった小林秀雄は、この
    小説には、このフレーズの前に長い描写があったのだが、
    編集者の権限で小林がばっさり削って、この有名な出だ
    しになったらしい。こういうレトリックを「ポッと出」
    手法という。(閑話休題)
    トンネルばかりが多い上越新幹線だが
    今ではトンネルを抜けると「越後湯沢」駅である。
    冬季だけ開業の臨時駅「ガーラ湯沢」は
    ゴールデンウイークの五月はじめまで春スキーを楽しむ
    男女で混んでいる。
    この駅はJR東日本の若手の思いつきから始まった。
    そして成功してJR東日本の関連会社としては大成功し
    た社内プロジェクトなのだ。
    今ではシーズン中、一日に数千人が利用する。
    ここは元々、上越新幹線・越後湯沢駅に隣接する保安基
    地だった。
    その裏山に開業したのがガーラ湯沢スキー場だ。
    ここ新潟県南魚沼郡湯沢町は元々豪雪地帯だ。
    今ではスキーだけでなく「スノボ」スノーボードで滑る
    若者が多い。だから「スキー場」ではなく「スノーパー
    ク」と称する施設が流行りだ。
    首都圏から最速で七七分で着く「ガーラ湯沢駅」を出る
    と、スキーセンター・カワバンガから八人乗りゴンドラ
    が中央エリアのレストハウス・チアーズに動いている。
    ここからは初心者用ゲレンデへ「フェートン」というリフト
    や中上級者用リフトが何本も連なっている。
    エーデルワイスは滑走距離一六〇〇mを誇る。
    標高一一八一mの高倉山頂からは上級者用の非圧雪コー
    ス九〇〇mなどが連なる。パウダーと迫りくるこぶにチ
    ャレンジだ。下まで滑り下りてもリフトが上まで送って
    くれるから楽だ。
    遊び疲れたら「下山コース・ファルコン」という二五〇
    〇m、標高差五七三mを一気に駅前のスキーセンター・
    カワバンガまで滑走できるルートもある。
    スキーセンター・カワバンガにはSPAガーラの湯、レ
    ストラン、更衣室などが完備している。レストハウス・
    チアーズにもレストランがある。
    山頂の下の尾根には「愛の鐘」というカップルには嬉し
    いところもある。まさに至れり尽くせりである。
         高倉山頂から勢いよくパウダースノーの斜面に
         滑り出たのはいいが
        ゲレンデの外れのブッシュに突っ込んで
        男はそのまま帰って来なかった。
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この作品は、土曜美術社出版販売「詩と思想」編集部から参加依頼のあったアンソロジー『詩と思想詩人集2014』用に用意した新作ものである。
作品投稿の締切は2014/04/10であり、出版は2014/08/01発売された。


草弥の詩作品・新作「シーギリヤ・レディ」12首・・・・・・・・・・・木村草弥
短歌
25121028287シーギリヤ
 ↑ シーギリヤ・ロック──スリランカ
main_PCMB02シーギリヤ・ロック
↑ シーギリヤ・ロックの俯瞰
lrg_10375026ロック頂上への登り口
 ↑ ロック頂上への登り口
c0156438_08666シーギリヤ
 ↑ 岸壁画の一部
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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──草弥の詩作品──(77)

      シーギリヤ・レディ──スリランカ── ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・角川書店「短歌」誌10月号掲載・・・・・・・・・・

  忽然とシーギリヤ・ロック巨いなる岩現れぬ密林の上に

  いづこにも巨岩を畏れ崇(あが)むるかシーギリヤ・ロック地上百八十メートル

  父殺しのカーシャパ王とて哀れなる物語ありシーギリヤ・ロック

  汗あえて息せき昇る螺旋階ふいに現はるシーギリヤ美女十八

  草木染に描ける美女(アプサラ)は花もちて豊けき乳房みせてみづみづし

  ターマイトン土で塗りたる岩面に顔料彩(あや)なり千五百年経てなほ

  貴(あて)なる女は裸体、侍女は衣(きぬ)被(き)て岩の肌(はだへ)に凛と描ける

  昔日は五百を越ゆるフレスコ画の美女ありしといふ殆ど剥落

  獅子(シンハ)の喉(ギリヤ)をのぼりて巨いなる岩の頂に玉座ありしか

  聞こゆるは風の音のみこの山に潰えしカーシャパ王の野望は

  熱帯にも季節あるらし花の季は十二月から四月と言ひぬ

   ──つい数年前までタミール人「解放の虎」テロとの血みどろの抗争があり、大統領が訴へた──
  「憎しみは憎しみにより止むことなく、愛により止む」ブッダの言葉

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角川書店「短歌」誌10月号に私の作品の寄稿の注文があって、本日2013/09/25付で発売となったので、載せておく。
原文はタテ書きである。
これには安いが原稿料が支払われる。

嬬恋

掲出したのは私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)だが、この歌集の表紙の写真を撮るために2003年の春にスリランカへ行った。
それにまつわる紀行文「光り輝くインド洋のひとつぶの涙の雫-スリランカ」があるが、この歌集には、その時に作った歌は収録できなかった。

この巨大な石塊の岩棚に美女アプサラの絵が描かれている。
スリランカはイギリスの植民地の頃には「セイロン」と呼ばれていたが、「シーギリヤ・レディー」と俗称されている。
これらの歌は、この歌集以後のものとして結社誌にも発表したし、習作帳にも保存してあったが、第五歌集『昭和』(角川書店)編集の際には収録を忘れて、これにも洩れている。
そんなことで公表するのは久しぶりである。


草弥の詩作品・新作「原初の美」・・・・・・・・・・・・木村草弥
詩と思想
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 ↑ 影絵芝居 ワヤン・クリッの一場面
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(76)
 
     原初(もとつはじめ)の美・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

     バリ島
   バリ──朝の露、昼の陽、
   やがて来る濡れたような完璧な闇
   バリ島に舞い下りた神々は贅沢だ
   寺院は花と贈り物に満ちる
   信仰ふかい人々と
   蓮の花のゆっくりした開花と落花のテンポ
   湧く水は渇きを知らず
   大地は全てをつつんでふかぶかと呼吸する
   花々は虫を遊ばせ
   自らの肢体の美しさを見せつけて微笑(ほほえ)む
   バリ──聖と俗との間を行き来する
   原初(もとつはじめ)の美意識の島、花々満ちて
   うねうねと棚田がつづく風景の
   行きつく先はウブドゥの村
   パンダワ王子コワラ王子の争いの
   やるせない物語の影絵芝居(ワヤン・クリッ)
   ガムランの楽に合せて操り師(ダラン)は
   人形つかい語る叙事詩(マハー・バーラタ)を
   人形は水牛の皮と骨でもって
   精緻につくる心の影なのだ

     仏伝図 ─ボロブドール─
   摩耶夫人は不思議な夢を語った、
   アショカの園の昼下りのこと
   釈尊の誕生を予言するバラモン僧に
   感謝の布施をする王と摩耶
   苦行で痩せ細った太子に
   乳粥をさしあげる娘スジャータが居た
   この名に因んで「めいらく」という乳製品会社が
   「スジャータ」コーヒー・フレッシュを売り出した
   怒り、憂いは醜い顔に彫られた
   「悪い顔」(ヴィルパ)の文字を添えて
   禅定とは気を集中し思惟をこらし
   真理を追求(ついぐ)する姿と言う
   釈尊の初転法輪の力によって
   バラモン僧は比丘(びく)になった
   百二十一面目のレリーフの「仏伝図」
   涅槃まで描かれずここにて終る
   第一円壇ま東に向くストゥーパは
   幸運を招くとみな像に手を伸ばす
   たたなわる巨(おお)きな石塊のシルエット
   平原に赤い夕陽が没してゆく
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詩誌「詩と思想」2013年8月号に、この私の新作が掲載された。
本日付けで発売となったので、ここに載せておく。
原文はタテ書きである。





草弥の詩作品・新作「春 の 修 羅」・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
詩人集2013
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 ↑ 宮沢賢治『春と修羅』初版本

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(75)

         春 の 修 羅・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ─死者たちの 野に風車ひとつ からからから─
                                            石牟礼道子


三・一一以降、なんとも重苦しい感覚がまとわりついて
離れない。
宮沢賢治生誕二ケ月前(1896/06/15)に発生した三陸地震津
波が県内に多くの爪痕を残した中での生誕だった。
また誕生から五日目の八月三十一日には秋田県東部を震
源とする陸羽地震が発生し、秋田県及び岩手県西和賀郡
・稗貫郡地域に大きな被害をもたらした。
この一連の震災の際に、母イチは賢治を収めたえじこ(乳
幼児を入れる籠)を両手で抱えながら上体で蔽って念仏
を唱えていたという。
家業が質屋の息子である賢治は、農民がこの地域を繰返
し襲った冷害などによる凶作で生活が困窮するたびに、
家財道具などを売って当座の生活費に充てる姿にたびた
び接し、この体験が賢治の人格形成に大きな影響を与え
たとされている。

     いかりのにがさまた青さ
      四月の気層のひかりの底を
     唾し はぎしりゆききする
      おれはひとりの修羅なのだ

      ああかがやきの四月の底を
      はぎしり燃えてゆききする
     おれはひとりの修羅なのだ

     草地の黄金をすぎてくるもの
      ことなくひとのかたちのもの
      けらをまとひおれを見るその農夫
      ほんたうにおれが見えるのか

     (まことのことばはここになく
     修羅のなみだはつちにふる)
              *<宮沢賢治「春と修羅」抄>

生きものたちが冬の厳しい寒さをやりすごすために、
代謝を制限して眠ったような状態を冬眠という。
北国で太陽が遠ざかる冬に活動しているものは本当に数
えるほど少ない。

        大怪獣クラーケンのように
        無慈悲に襲いかかってくる
        大津波よ!
        修羅よ! 春の修羅よ!

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この詩作品は、土曜美術社出版販売が発行するアンソロジー『詩と思想詩人集 2013』用に準備したものである。
これはアンソロジーであるため、一篇は字数25字×46行以内という制限があるので、それに合わせて推敲した。
もちろん原文はタテ書きである。
まあ何とか読める作品になったかと思っている。
こういう風に他人の作品を取り込むことを文学用語で「コラージュ」という。

発行日は、2013/08/31だが、本日できあがってきたので本の表紙の画像を出しておく。
題名が「春の修羅」なので、陽春の今に出しておく。
折しも三陸沿岸は東日本大震災・津波から丸二年が過ぎた。 その犠牲者の鎮魂の意味も込めてある。




木 村 草 弥 第 五 歌 集『昭 和』 自選63首 付・三井修・帯文、 批評ほか
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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昭和

──草弥の詩作品<草の領域>──(73)

     木 村 草 弥 第 五 歌 集 『昭 和』 
            ・・・・・・・・角川書店2012年4月1日刊・・・・・・

       自 選 6 3 首 抄  ◆長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火

 Ⅰ 昭和
    雨しぶく昭和最後の夜の更けの大き寂寥はのちも思はむ──安立スハル『安立スハル全歌集』
欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
システム手帳に白ばかり殖え日々すごす存在論を抱へて浮遊す
花だより<落花しきり>と告げをればそを見に行かむ落花しきりを
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶(おも)ひぬ
マンハッタンチェリー掬(すく)へば人生を違(たが)へたるものカクテルの夢
ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくおたまじやくしの尻尾
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 Ⅱ 順礼
    方舟を降りたるのちの永かりしノアの老後をさびしみ思ふ──菊地原芙二子『雨の句読点』
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
ほむら立つまでに勢へる詩(うた)ことばあなたはいつまで生きられますか
AIBOに尾を振らせゐし少年が新世紀に挑むロボットサッカー
ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
                *のれそれ──魚の穴子の稚魚
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつしてみせう
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋(うづ)む
ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
ヴルタヴァの流れはカレル橋をゆきさざめくごとく<わが祖国> 響(な)る
J・Sバッハ二十七年を合唱長(カントール)として働きし聖トマス教会
皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る

 Ⅲ 花籠
    ことばとことばかもす韻きのうつくしと残り生の花残り生の霜──坪野哲久『胡蝶夢』
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ
灌仏の日に生まれ逢ふ鹿の仔はふぐりを持ちてたのもしきかな
蛇(くちなは)は己が脱皮を見せざりき蒼ざめし肌を膚(かは)うすき艶を
<青蛙おのれもペンキぬりたてか>ひくりひくりと息やはらかき
          *芥川龍之介
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ

 Ⅳ やつてみなはれ
    一脚の椅子しろくして闇ありきつねに疲るるあゆみといふは──小國勝男『飛鏡』
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
夏果てて紅蜀葵の紅(こう)いろ褪せぬ非ユークリッドは君は言へども
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ〉見る季節なり
髪しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ
ほろ酔ひて寝てしまふには惜しきなり五月の夜の美しければ
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス)
おろかにも日々を過してゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
孵化したるばかりの仔蜘蛛が懸命に糸張りをるも払はねばならぬ
光合成終へし落葉が地に還るいのちの核を揺る大欅
汝(な)をそこに佇たしめてみむ岩かげの秋海棠のうすくれなゐの
大和摂津河内和泉を一望に国見せりけむ葛城族長
一九三○年午年生まれ私の七度の干支(えと)かりそめならず
老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麺の茹で加減

 Ⅴ エピステーメー
    朱漆の小さき櫛を秘そめ持ち万緑のなか陽に触れしめず──長岡千尋『天降人』
イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど> に潜みゐるといふ
この世にはこの世の音色 鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
葛城の山ふところに大き寝釈迦の若き御顔よ涅槃西風(ねはんにし)吹く
エリカ咲く日影のけぶるむらさきも孤りなるゆゑ思ひ出でつも
仲良し三人組と言はれ変はらぬ友情で結ばれた妙子とF子と弥生
何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
青蝉(ひぐらし)ははかなく死にき葉のかげに身すぎ世すぎのはざまを墜ちて
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ
千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ
フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず
私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

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 Ⅵ プロメーテウスの火
     ─苦艾(チェルノブイリ)の香りかすかに移りたる雪かロシアの雪ひとつかみ──塚本邦雄『約翰伝偽書』
       =「苦艾(にがよもぎ)の香り」がかすかにある「ロシアの雪」のひとつかみは三月にフクシマに降った雪に繋がる=



         長歌と散文    プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
        ─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし  福島泰樹─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何思ひつつ
  死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を
  
     ─騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら  佐々木六戈─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ  meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ 
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂(い)ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

    ─黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も  春日真木子─
  
  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食へず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
 
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつばら)に!   
     
     ─余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す  米川千嘉子─
  
  三陸の 死者と生者を 憶ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ
  

二〇十一年三月十一日十四時四六分十八秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖一三〇kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード九・〇を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五〇〇km、東西約二〇〇kmの広範囲に及んだ 。この地震により、場所によつては波高十m以上、最大遡上高四〇・五mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。

また、大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによつて、東北と関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は二万人以上、建築物の全壊・半壊は合せて二四万戸以上、ピーク時の避難者は四〇万人以上、停電世帯は八〇〇万戸以上、断水世帯は一八〇万戸以上に上つた。政府は震災による被害額を十六兆から二五兆円と試算してゐる。

地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、過熱による水素爆発で大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した。これにより、周辺一帯の住民は長期の避難を強ひられてゐる。

    ─「電力を生むために人を殺すな」と静かなる怒り湛へて言ひき  大口玲子─

プロメーテウスは、神々の姿に似せて創造された人類に、ヘーパイストスの作業場の炉の中に灯芯草を入れて点火し、それを地上に持つて来て「火」を伝へた。
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考へた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しさうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しさうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるやうに計画してゐた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考へを見抜き、不死の神々にふさはしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のやうに死ねばすぐに腐つてなくなつてしまふ運命を持つようになつた。
その行ひに怒つたゼウスは、プロメーテウスをカウカソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強ひたが、プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問を受けた。
プロメーテウスが天界から火を盗んで人間与へたことに怒ったゼウスは、人間に災ひをもたらすために「女性」(パンドーラ)といふものを作るように神々に命じた。
パンドーラは人間の災ひとして地上に送り込まれた人類最初の女性とされる。「パン」=全てのもの、「ドーラー」=贈り物ドーロンの複数形。
「パンドラの匣」のエピソードで有名。

原子力発電が、プロメーテウスの「第二の火」に擬(ぎ)せられて久しいが、パンドラの匣ならぬ、厄介な火を抱え込んだものである。
「想定外」といふ言葉に誤魔化されてはならない。
千二百年も前に今回と同じやうな規模の地震・大津波襲来の歴史的記述が残つてゐる。   
延喜元年(九〇一年)に成立した公式史書『日本三代実録』に載る。

貞観十一年五月二十六日(ユリウス暦八六九年七月九日、グレゴリオ暦換算七月十三日)の大地震発生と大津波について、次のやうに記述する。

五月・・・廿六日癸未 陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝諸J漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乗船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

同年十二月十四日には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣はして奉幣し、神前に告文を捧げ国家の平安を願ってゐる。この年は、貞観大地震・大津波をはじめとして相次ぐ天災や事変が相次ぎ世の中は騒然としてゐた。
京の都では、町衆が祇園社に御霊鎮を祈願して今につづく「祇園祭」を巡行させたのも、この年である。

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     三井修 「帯文」 と 抄出 9首

              木村草弥の心は自在である。

    「昭和」という時代を見つめつつ、その眼差しは遥か彼方へ飛翔する。

             その世界は山城から東欧まで、

            その言葉は万葉語からラテン語まで、

            その心は亡妻からプロメテウスまで、

         空間、時間を自由に行き来している。───三井修


   祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

   まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

   わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬

   順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため

   イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

   花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗皙(しろ)し

   方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず

   わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

   修二会果て火の行法の終るとき寧楽の都に春は来にけり

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 ──書評──

     木村草弥歌集『昭和』・・・・・・・・・松村由利子
           ・・・・・・・・・角川書店「短歌」誌2012年8月号所載・・・・・・・・・・

 二十代の若者はともかく、「昭和」という元号は多くの人に、いくつもの
重い歴史体験を想起させると同時に、懐かしく慕わしい思いを抱かせる。

  わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬

 著者は、昭和一ケタ生まれの歌人。
年齢を感じさせない、かろみのある詠みぶりが魅力である。自在な歌ごころ
が、読むほどに心地よい。

  ちぎれ雲がひとつ  へうへうと少年の心の中をとび交つた

  ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて

  ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麵の茹で加減

 少年の心は、肉体の加齢とは関係なく、夢想を育て続ける。日常生活の中
に漂う「ちぎれ雲」のような想念や、温めてきた「物語」の数々には、はっ
とさせられる。

  追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向うから来る

  あり余る愛でわたしは白い肌に灰青色の釉薬をかけた

  老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後

  私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

 この作者は、日常詠から思いがけない奇想へといきなり飛躍する。その振
幅の大きさと文体の多様なことには、魅了されるばかりだ。
 卷末には、長歌と散文「プロメ—テウスの火」も。充実の第五歌集。 〈松村由利子・評〉

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「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』を紹介
           ・・・・・・・・・京都新聞 2012/04/14 朝刊掲載・・・・・・・・・・・・・・

城陽市で宇治茶問屋を経営してきた木村草弥さん(82)がこのほど、山城地域の風景や妻への思いなどを詠んだ歌集「昭和」を自費出版した。
九年ぶり五冊目の歌集で、昭和の時代を見つめつつ、日常から異国の情景まで、幅広いテーマで詠んだ490首が紹介されている。
木村さんは、家業の製茶業のかたわら、国内外を旅して歌を詠み、これまでに四冊の歌集を自費出版してきた。
五冊目は、九年間に詠んだ新作が中心で、自身の人生の象徴である激動の時代「昭和」への思いでまとめた。
巻頭歌は、祈りのイメージを歌にした
    祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
また、亡き妻との思い出を詠んだ
    妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ

    イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

山城地域を題材にした
    梅の花の記憶の村に相違なし雨から雪に変はる早春

など、日々の暮らしから異国の情景まで、「気まま」な独自の世界を表現している。
A5版215ページで、角川書店刊。        (京都新聞南部支社・小坂綾子)

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       詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
               日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)

 木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、

イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

 というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
 この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
 で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
 「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
 あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
 私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
 「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
 歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
 こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。

祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

 ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
 「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
 それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。

 木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。

まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

 歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
 「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
 宙→野→黄昏。
 この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
 いいなあ、この「来る」は。
 この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
 繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。

 こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。

 あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
 日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。

ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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    「寸簡」・・・・・・・西井弘和・私信より

全部を読みきっていませんが、ぼくの好きな歌、気になる歌。いうてもいいですか。
巻頭歌がいい。

 祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

祈らばや、胸中の沼、なんていいですね。みなさんおっしゃるのではないですか。

   身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙の浮き橋

身のうちに曳きずるものあり……宙の浮き橋、とは。定家の、春の世の夢の浮橋……横雲の空、など、柄にもなく思い出したり。
大体、貴兄の歌で、新古今調の華やぎや流麗さをしばしば感じたりするのはぼくだけかしら。

   ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり

ひっそりと……、がいいなあ。徐かにうるほひにけりと文語体を使ってるのも、夕顔が出てくるのも大共感。うまいなあこの優婉なる色気。

   ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて

ひとむれの花のゆきつく先には……、と散文があって、あまりにも寂しい物語があって、と散文的助詞でくくって。いやらしいほどうまい。
律を破ってのやないかと思うけど、やはりリズムがあって。

   ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた

昆虫少年はまたいいなあ全部。ちぎれ雲がひとつ、が好きだ。へうへう、とは。

   目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ

生きてゐることに理由は要らぬ、目を閉ぢて耳を傾け……。静かなる喝破。

   きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり

きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ、この、ひとつというのがいい。昼やね。苦し紛れかも知れんけど。

   男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう

これからは姿をやつして見せう。なりをやつしてみせう、いいねえ。いなおり。

   熟したる躰の張りも誇らかに若き男女は抱き合ひ眼交ふ

熟したる躰の張りも誇らかに……オスロの若者たち、抱き合い眼交うてはりましたか、圧倒されますね。

   小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり

小手毬は花虻の群れ……、揺れ戻しけり、まで見ている。怖い作者の目。

   日常の一歩向こうの月光(つきかげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ

日常の一歩向こうの月光に……、素晴らしい表現。こうはなかなか歌えないですね。

なんかいえそうに思ったのはこの辺まで読んでの気持でした。
あとはまだ読んでないのです。旺盛な詩作・思索活動、すてきですねえ。
ただ、外国旅行の歌は目を瞠っているのはわかりましたが、どうしてか、あんまりぴたーっとくるのがなかったですねえ。

   時ならぬ「アヴァンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌

アヴァンティポポロ、まだ歌われているのかと思ったりしましたが。

でもこの歌集、痛快でした。楽しかった。も少し読ませてもらいます。
三井さんの感覚はどうなんやろと思いました。京子さまによろしく。

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  歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・三浦 好博──私信より抄出

  四月に入って遅い桜が一斉に咲き出して来ました。
 これから花狩人になって野山を歩きまわりたい季節です。
 この度は御歌集『昭和』ご出版誠におめでとうございます。
九年ぶりのご出版だそうで、たくさんの歌の中から纏める作業は大変であったろうとお察し致します。
その間には2冊の詩集を編まれているので、詩作に力が入っていたかもしれません。
 文学者はひとの生き死ににはとても敏感ですので、昨年の3・11について詠まれないひとは居ないと思いました。
木村様もこの『昭和』の巻末にて「プロメーテウスの火」の項を立ち上げておられました。私は先ずそこから読ませて頂きました。
原子力にも豊富な知識から噛んで含めるように、私にも解りました。
ありがとうございます。
 以下、内容に即して鑑賞させて頂きました。
『西行花伝』は辻邦生の小説で私も読んだ事があります。
現在、大河ドラマ「平清盛」がやられて居ますが、待賢門院藤原璋子との関係は、ドラマのようには辻邦生は描いていなかったと思います。
出家の大きな原因であった事はたしかな事のようですが。。。。
 橋閒石の〈お浄土が……〉の句と下句の奥様の状況がぴったりの雰囲気でした。
 木村様は多くの短歌結社の誌に作品を発表されて居る関係で、とても自由に作歌されていることが解ります。自由律は短詩にも通じますので、インパクトがありますね。
大和言葉にある春夏秋冬のさまざまな言霊をあやつるというか、遊ぶというか、美しくも愉しい事ですね。
 昭和という時代の殆どを生きて来た木村様にとって、青春と玄冬の歌よく解ります。
この昭和の間には朱夏と白秋もあったと思うのですが、この期間はどんなものであったのでしょう。HPやブログにあるいは書いてあるかもしれませんね。
 巡礼の項は国内の例えば四国八十八ヶ所の寺巡りもやられたでしょうし、スペインの巡礼の道も辿られた事が解ります。
まさしく「道」という言葉が美しいです。
その道のひとつ「 海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも」(万葉集)の「海柘榴市」を山辺のみちに私も訪れました。
「ヒロシマの原爆ドームの、、、、、」と詠まれましたウィルヘルム教会はその後、何年かをかけて元通りにしたようです。
落成式(?)の前の年に殆ど修復されかかった教会を見ました。
 ルターよりも百年も前に改革の旗を揚げたフスは時節を誤ったのでしょう、未だ力が弱かったのですね。
 木村様は積まれた深い教養から、諸外国のあらゆる対象に深く分け入ることができます。
同じものを見てもまったく私などとは違う見方考え方ができて、歌が流れるように出来てしまいます。羨ましく思っても詮無い事ですが。。。。
 旧日本軍が東南アジア、わけてもシンガポールで行った行為の詳細が歌を読んで分かりました。最近たまたま、岩波現代文庫にてクリスチャンの「汝殺すなかれ」の父の教えを忠実に守り、学徒動員で徴兵された初年兵が、中国にて八路軍の捕虜を刺殺する訓練にて、これを拒否し、その後のありとあらゆる上官の拷問的な暴力に耐えた歌集を読んだばかりでした。「渡部良三歌集『小さな抵抗』殺戮を拒んだ日本兵」でした。
 夕顔の花は私も大好きです。宵闇に白く浮き立つ姿が素敵ですね。
又、池坊の若き女師範が朝顔を茶の湯に飾っておりましたのを、テレビ(日めくり万葉)で見ましたが、そんな素敵な花飾りもあるのですね。
 シルヴィア・プラスの詩は読んだことがありませんので、この項は理解が及びませんでした。才能をもっともっと発揮して欲しかったのに自殺してしまったそうですね。
 インド・カジュラホのミトゥーナの寺院のヒンズーのエロチックな群像には私も驚きました。写真をたくさん撮ったのを覚えております。
 大和葛城山は躑躅の名所ですね。私も行きました。山頂一面に咲いて圧巻でした。大混みでしたが自分もその一人でしたから我慢しました。
「春の花言葉」はそれぞれの花の花言葉を一首に入れて詠むやり方で、私も第三歌集の『ときの扉』にたくさん収録しました。
連翹、アネモネ、エリカ、ヒヤシンスなどの歌が好きです。
 伊能忠敬の生家は当地から一時間の佐原で、何度か資料館に行きました。本当に凄い人でした。努力という言葉がぴったりの方でした。
彼の末裔になる人が時々当地で、伊能忠敬について講演して呉れるのを聴いたことがありますが、大変謙虚な方で、血筋であると納得しました。
死ぬことを意識に置いてやれば、彼のような偉業が達成できるのですね。
 わたしが選んだ好きな歌は下記に挙げさせていただきました。
 
   木村 草弥歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・・・三浦 好博

  ・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
  ・身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋
  ・君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
  ・ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
  ・〈お浄土がそこにあかさたなすび咲く〉病みあがりの妻うたたねしゐき
  ・春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花----日本の美神の終楽章
  ・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  ・希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
  ・わが生はおほよそ昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬
  ・上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず
  ・放物線の最高点にゐる時を噴水は知つてきらめき落ちる
  ・日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
  ・サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく
  ・海柘榴市に逢へば別れの歌垣ぞ名残りの雪の降る弥生尽
  ・きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
  ・すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
  ・金髪のビルギュップ女史きらきらと脇毛光らせ「壁」さし示す
  ・戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
  ・皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
  ・尖塔のセント・アンドリュース教会に日本軍の慰安所ありき
  ・使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
  ・かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ
  ・激つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
  ・昼ふかき囀りやがて夢となり欅(けやき)は今し木語を発す
  ・沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
  ・額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ
  ・枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪るりゐつ
  ・乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちぶさ)の静脈青しはつ夏の来て
  ・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
  ・悲しみの極みに誰か枯木折る臥床に首を捩ぢて聴く夜半
  ・起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖

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     藤原光顕 『昭和』読了しました ──私信より抄出

歌集『昭和』ようやく読み終わりました。
批評などとはとても言えませんが、二、三の感想と心に残った歌を記してみます。

●祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
 西井さんの仰るとおり、いい歌です。「胸中の沼」わずか4文字からのイメージの拡がり… もちろん「橋渡りゆく」という結句あってのことですが。
一集を象徴するようで、巻頭にふさわしい一首と思います。
●欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
 「身の幅の橋」短歌ならではの見事な表現と思います。
●白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
 「白魚」「桜」「行きつ放しの世」 うまく言葉で繋げませんが、心奥深くへ沈み拡がってゆく淡い哀しみ。
●ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
 まさに草弥短歌というべき一首でしょうか。自分では正しく使えないのですが、ここは旧かなでないと歌にならないと思います。
●一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
 病をかかえて生きる日々の頼りない時間と「豌豆の花の白さ」と…
●蕗の薹の苦さは古い恋に似て噛めばふるさと今もみづみづしい
●わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
 さりげない状況説明のような末尾に置かれた「玄冬」の二字の重さ。
●目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
●男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
●すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
●金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
●イエス・ノー迫りたる日の将軍の蝋人形据ゑわれらに見しむ
 「東欧紀行」に続く一連の旅行詠。短歌という不自由な形式での叙景ということもあるのか、充分に感情移入できないもどかしさが残りました。
私も何度か試みましたが、当事者の感動はなかなか伝わらないようです。旅行詠の難しさを思います。
●流沙のごと流るる銀河この夏の逝かむとしつつ乏精液症(オリゴス・ペルミア)
 「オリゴス・ペルミア」の詳しい意味を調べてみて「流沙のごと流るる銀河」の象徴する意味や切なさがわかりました。
●乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちふさ)の静脈青しはつ夏の来て
●藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳(め)憶ひいづるよ
●老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
●「生きているの」といふ絵は男と女の下半身をオブジェのやうに描く

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    白子れい 私信より(抄出)

ひと雨ごとに桜のつぼみがふくらんでまいります。
御歌集『昭和』の御上梓おめでとうございます。
早速にお送りいただきありがとうございました。
私とほぼ同年輩(私は昭和二年生)、同じ戦時下で、また終戦後の不自由な生活の中で生きられながら、
大きく羽搏かれた一生の、なんて広く大きい世界で生きられたものよと、ほとほと見上げながら、
また短歌のみならず長歌、散文、そしてお茶の製造と幅広く奥ゆき深く生きられたお姿に感服いたしました。

★祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
★花の季大人のいしぶみ輝きて春日連山いま旺んなり
★春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花・・・・日本の美神(ミューズ)の終楽章(コーダ)
★母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて
★まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢ふ
★わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
★日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
★きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
★むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
★ブラジャーとヒギニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
★指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
★ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲>
★人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
★かの人に賜びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
★生活の醗酵しゆく日の暮れを人はそれぞれ家を目指せり
★湖を茜に染めて日の照ればひしめき芽吹く楢の林ぞ
★鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
★死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれ肯(うべな)ふ
★枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
★生死のみ韻律にのせ詠みたかり秋野をゆくと人に知らゆな
★もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
★うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
★麟片に覆はれねむる冬の芽の満天星あかしことごとく紅し
★三輪山の檜原の端に木いちごの赤き実熟るる冬となりたり
★まぼろしの皇子馳せゆけよ標野なる草のひろらの錦の中を
★わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
★この世にはこの世の音色鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
★真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず
★愛ひとつ告げし日ありき愛ひとつ失くしし日あり過去は茫々
★私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

日本各地のみならず世界を舞台に、また哲学的思考があると思えば楽器のリズムあり、
本当にぐいぐい引き込まれてゆきました。
同じ戦後の生き方の、かくも異なる生き方があるものよと眼をみひらくおもいで、お作品の数々をみせていただきました。
とりだしたら六十首を越えましたので、しぼりにしぼって三十首を書かせていただきました。
素晴らしいよみごたえのある御歌集、本当に有難うございました。
またグループの勉強会の折みんなに紹介させていただきたいと思って居ります。
季節の変り目どうぞくれぐれも御身体に御留意下さいませ。     三月二十八日

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     鎌田弘子  私信より(抄出)

春になりました。
御歌集『昭和』ご上梓お祝い申上げ、拝読のこと、いつも乍らまことに有難うございます。
オペラのバリトンの歌手に聞きほれるような感じのお作品と思うなど、おめにかかったことはありませんのに、ご想像申上げて居ります。

☆どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
☆花だより<落花しきり> と告げをればそを見に行かむ 落花しきりを
☆ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
☆手すさびに眉ひき直し唇(くち)を描く重ねる愛戯うち返す波
☆男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
☆人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
☆干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
☆白堊なる三層のホテル・ラッフルズかつてサマセット・モーム逗留す
☆「昭南」と改めしめし日本軍ラッフルズ・ホテルも高級宿舎とす
☆老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
☆開帳を晴れがましとて観音は切れ長の目を伏してゐたまふ
☆涅槃図の白きは象の嘆くなり土踏まずゆたかに臥し給ひける
☆涅槃図に摩耶夫人とぞ見いでたる白き御顔は沙羅双樹の下
☆楊貴妃の白き顔(かんばせ)ひき寄せて梨花のもとにび玄宗愉快
☆スィートピー 香のよき花と選ばれてエドワード戴冠の出でたち寿ぐ
☆四十は「人生の正午」とユングいふかの佳人まさに燦とかがやく
☆千年で五センチつもる腐葉土よ楮の花に陽があたたかだ

「長歌と散文 プロメーテウスの火」も後世へのよい記録となりましょう。

<昭南>について
  白靴や名も昭南と改まり   多羅尾 豪
職場(舞鶴の海上保安部)の句会で、海軍時代の一句と教えてもらいました。思い出です。

多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
三月十一日、私はあの日の朝発って京都府の綾部市 もう誰も住まぬ(弟の歿後)屋敷(家と土地)を見に行っておりました。古木の紅梅がさかりでした。
翌日の帰途、新幹線や東京の電車ちょっと心配しました。
ひどい揺れを経験せずに済んだこと恩寵かどうか・・・です。
短歌に対する気持が変ってしまいましたね。
昨年は八十歳(昭和六年生)記念 自祝の鳩杖を購って少しおしゃれをした日の外出に携えて居ます。
広辞苑にも載ってますが、鳩は食するときむせないのです。おろす故の由。
把手が銀製の鳩の型。杖の部分は軽いように籐の太いのです。
短歌新聞社が終りになって、私の歌集『むべ』『時の意味』何冊も引き取りました。
佐藤祐禎氏(大熊町、未来、新アララギ)の歌集『青白き光』が原発のことゆえに話題になり、個人的にも電話、お手紙などで行き来があります。
それともうひとつ 細野豪志(原発担当・環境大臣)四十歳は私の妹の長男で京大卒後しばらく私の家から三和総研に通っており、
鳩山さんのスカウトで三島から二十七歳のとき以来民主党です。
私たちには子供がありませんので、豪志は幼いときから私たちもとても可愛がって大きくなりました。
豪志は背丈185cm、靴30cmですから、靴下掛りと寸法を置いてある三越でシャツそしてネクタイの掛りをして居ります。

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    黒松武蔵   私信抄と抽出歌 

歌集『昭和』の上梓おめでとうございます。
とりわけ「順礼」は私も旅が大好きなので、ウン、ウンと頷きながら読むことでした。
かつて私も観て廻った地が沢山出てきましたせいでもあります。
プラハ城では、黄金の小道の途中にカフカがよく訪ねて作品を書いたという店がありましたが、カフカ大好きの私はすっかり舞い上がってしまって、
ぼーっとしている間に財布を掏られて、頭の中真っ白、再び「ぼーっ」でした。
その後のカレル橋もミュシャも半ば茫然として歩き訪ねました(一文なしでは絵も買えず)。
フスの像は市民広場のことかと思いますが、すぐその近くにカフカ記念館がありましたがご存じでしたか。
私たちのツアーは、その日の午後自由時間でしたので、私独り通訳の方を予約しておいて、カフカ関係の場所を巡りました。
とてもいい記念になり、記念館で求めたメダルは今も机上を飾ってくれております。 平成24年4月5日

  抽出歌・・・・・・・・・・・・・・・黒松武蔵

   Ⅰ 昭和
 ○一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
 ○希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
 ○あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
 ○たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり

   Ⅱ 順礼
 ○繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
 ○君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すぢ
 ○むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
 ○すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
 ○人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
 ○まなかひにベルリン・フィルが竪琴のごとくに建てりポツダム広場
 ○ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
 ○ボヘミアの自立叫びしフスの像「真実は勝つ」の文字を刻めり
 ○干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
 ○ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき

   Ⅲ 花籠
 ○冬眠より覚めて幾月くちなはは早も脱ぎたり去年の衣を
 ○手づくりの柏餅とて志野の皿納戸に探しぬ母の日なれば
 ○しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
 ○昼ふかき囀りやがて夢になり欅は今し木語を発す

   Ⅳ やつてみなはれ
 ○おろかにも日々を過ごしてゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
 ○磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東の冬
 ○こだはらず肥れる女がシクラメン抱きて過ぐる聖夜(きよしよ)の街
 ○わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

   Ⅴ エピステーメー
 ○何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
 ○闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蝉は啼くなり
 ○茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき

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     辰っちゃんblogより抄出

・木村草弥氏の「昭和」について
「あとがき」によるとこの歌集は氏の第五歌集で「嬬恋」を出したあと「九年も放置していたので、たくさんの歌が溜まってしまい、前歌集の発刊の際に歌の数が多くなり過ぎて削除した旧作にも愛着があり、捨て難いので、いくつか拾った」とあるからはっきりしているのは前歌集出版から最近までの作品ばかりではなさそうだということである。そこに氏の最近の心境の一端が見えるような気がする。文学的にもきっと高い評価を受けるだろう歌集でありながら敢えてメモリアルなものに執着されているのはどうなんだろうという思いもあるが氏もとうに八〇歳を越えておられるはずだ。そこに私は気むずかし屋?の木村氏の人間性の暖かさを感じるのだ。そして少し安心する。
「〇〇君 歌集は生きている内に出すもんだよ」と、かつて私に言われたことがある。
今 思うとそれは氏の生き様を直に教えていただいた私にとっては最初の大切な忠告なのでありまた多様な人生哲学を感じさせた一瞬でもあった。
どこか超越したような風貌と言動は時に人を寄せ付けないような厳しさを感じさせるが内なるものはさびしく 少年のような純粋さと憧憬を持った夢見る やさしくて義理堅い人なのだ。そうでなかったらあの奥様亡き後の連綿とした思いは説明が付かないのである。
この歌集はⅥ章からなっている。そのうち大部分は(歌集より後記に曰く)「歌集出版の際削除したもののうち捨て難いと思う歌を拾った」とあるように大部分は旧作が占めているのであろうか。
つまり私はある目的を持ってこの歌集を読み始めたのであった。
たとえばこの歌集の作品の中には先に出版された詩集「免疫系」と重複する部分がかなりあるのだ。
それは何か意図的なものがあるのだろうが私には少しだけ見えるような気がしている。それは具体的なものではなく情緒的な観測なのだが。
しかし 私は木村氏の家近くに住まいながら実はあまり木村氏を知っているとは言えないのに気づく。
    (Ⅰ)
  ・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡り行く
ペ-ジを繰るとまずこの何とも言えぬはじめの一首にどきりとさせられる。いつ頃の作品であろうか。不思議な世界に引き込まれるような一瞬である。
おそらくまだ奥様存命中の歌なのだろうがこの歌の沼の不気味さは異様だ。
木村氏の内側深く巣くうあらゆる負の連鎖に繋がるかなしみの原点を見るような心象風景にちがいない。
如何ともしがたい人間が負っている業の象徴としてこの沼がある。しかし氏はただの傍観者ではない。
「一つの橋渡り行く」が実に力強く 夢想的、情緒的ではあるが強情的な意志を示している。
不思議な異次元に入り込んだような気持ちの良い感動が襲う。このあたりの表現が何とも言えず巧なのだ。
この初出の歌が示すごとくこの歌集は人生の奥深い何かに向かってまだ見ぬ普遍性を見極めようとする木村氏の渾身のかなしみを表現しようとしているような いわば鎮魂歌にさえ見える。それは恣意的でありながら文学に嵌ってしまった者の宿命なのだが木村氏の場合あまりにも次の空間が見えてしまうのではないかとさえ思われるのだ。
今 一つの例歌を上げたがこの歌集全体をを貫いているのはまさにそのことなのである。
しかし その歌ですらいつ発表されたものなのか私は知らない。多分奥様の亡くなるずっと前のことなのかも知れない。そしてそれは最後まで分からなかった。
先にも書いたがこの歌集は木村氏の単なる記念碑的な記録誌ではないのだ。
常識的に見るならばそれは木村氏の自分史でもあろうが自分史に止まらない品格と重量感をもっているのだ。
つまりこれは木村氏の気力と気迫を込めた至高の文芸作品を目指したもので木村氏の豊かな資質を遺憾なく見せつけた いわばそれに値するような優れた歌集なのだ。
ある一つのことに拘らない姿勢が見て取れるのだ。いつ出来た作品など どうでも良いことなのだから。
   (Ⅱ)
先に私は「氏も八十歳を過ぎ・・・」と書いたがいたって意気軒昂なのである。
いま最近長く御会いしていないが昔の歌仲間がその元気さにあきれていたのであった。
以下私が気に入ったものを記しておきたい。
・まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る(Ⅰ)
・ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくあたまじゃくしの尻尾
・春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光を放つ
・あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
・ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
・春くれば辿り来し道 巡礼の朝の色に明けてゆく潮(Ⅱ)
・サンチァゴ・デ・コンポステ-ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美しく
・睦みあひ光るものらの返り梅雨さかる水馬の真昼がありぬ
・ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
・しぐれたるグリ-クの墓に佇めば<ソルベ-グ>流るる幻聴に居る
・激つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水(Ⅲ)
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す
・藤咲くや温き触覚たのしみて水をざぶざぶ使い慣れゆく
・愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり
・鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
・道をしへ去りにしかなた鶺鴒は尾羽を水に石たたきゆく(Ⅳ)
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・きりぎしの垂水のしぶくつはぶきの黄の花よりぞたそがれにける
・わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
・追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向こうから来る
・四十から四十も齢かさね来つ曲がり角などとつくに過ぎた(Ⅴ)
・茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
・振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな
        2012/04/04

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      村島典子私信と『昭和』抄

いつの間にか晩春の候となりました。お茶の新芽も美しいことでしょう。
沖縄から帰り、御歌集再読いたしました。
「昭和」という歌集名は少し、意外な感触があり、ああそうなのだ、木村さんは昭和一桁のお生まれだったのだ、と、その時代へのスタルジーを改めて感じた次第です。
だからこそ、詩人であられるのだろうと、納得いたします。
東洋と西洋、ギリシャ神話から 、記紀万葉集、と、三井さんも語られていますように、時空のはるけさが、木村さんの世界。
ときどき私は置いてくらいますが、この迷路は何篇かの短編小説を愉しむように、従来の歌集にはない、きらきらした世界であると思います。
はがきにて申し上げました通り、長歌と散文「プロメテウスの火」は迫力あるお作品。
とりわけ、長歌という詩形の、訴える力に感動いたしました。
お歌を抄出して感想に代えさせていただきます。

◆家族図鑑のページめくれば蘇る田の橋わたる大祖母の翳(かげ)
◆白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
◆あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
◆繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◆ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
◆戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◆三本の高き茎立ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し
◆青桐は夜も緑なす夏なれば顔(かんばせ)あをく端居に睡る
◆激(たぎ)つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
◆小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
◆うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
◆うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
◆いづこより母の声するあすときか隧道の向ういまだ見え来ず
◆あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◆何もない何も持たない人やある心やさしき愛もてる人

          四月二十三日

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   木村草弥歌集『昭和』 愛惜の三十首・・・・・・・・・石山淳(詩人)

◇祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
◇どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
◇君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
◇ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
◇わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
◇もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り
◇楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌
◇繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◇レモン一顆のやうなる愛か花火果て夏終章のオルガスムスか
◇「壁」取れし歓喜の日々も遠のきて物の値あがりてビールが苦し
◇ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
◇戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◇との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措(お)く
◇一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
◇愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙(もだ)しをり
◇この広野まつ黄に染むる菜の花をうちひらき顕(た)つ女体は幻
◇柔らかで快いものそは汝(なれ)の秘め処なる火口(ほくち)が叫ぶ
◇沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
◇言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごと夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり
◇春の夜に奈良墨にほふ街ゆけば大和ことばの「おいでまし」浴ぶ
◇磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東(くにさき)の冬
◇仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり
◇わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
◇老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
◇しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
◇人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
◇一冊の作品集にまとめた、まるで自らの手で撒く散華のやうに
◇あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◇フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ

以上30首、抄出の楽しみとむつかしさを学ばせていただきました。
詩集『愛の寓意』の流れが、いまもたゆたう、亡きご令室様への想いが胸を打ち、
私にも近いうちに訪れるであろう「死」との対峙を照らし合わせて味読させていただきました。
崇高な愛の形が、私の心のうちを駆け巡っていきます。
密度の高い感性と個性豊かな思考に感動いたしました。   2012年4月23日

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   木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・・・・光本 恵子

  ・わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬

「昭和」はこのテーマでもあり、木村草弥の経歴を考えると、納得するのである。
下の句の「青春、玄冬」のとくに玄冬は冬とか暗い、黒の意ではあるが、辞書によれば、五行説からとある。
そもそも五行説とは、漢代に陰陽説が説かれたが、そのなかの教えに「宇宙の満物のすべては五行の相生、相克によって生成される、の説で一生は「青春、朱夏、白秋、にして玄冬でおわる」という。
木村の青春時代は、大阪外語──現在の大阪大学外国語学部で、後には京都大学文学部を専攻しているが、中途で結核という病で療養した。
本人曰く「文芸など遊学に没頭し同校に七年間在籍するが」一九五六年には在籍期間満了のため余儀なく中途退学をしている。
 いずれにしても、勉学や文芸、旅をして、自由に学んだ時代であった。そしては玄冬の時代にさしかからんとするところで昭和は終わった。
木村は一九三〇年(昭和五)に京都府下(現在の城陽市)の宇治茶問屋に生まれた。
姉兄妹六人きょうだいの四番目に生まれているにも拘らず、結局、親の茶問屋を継ぐことになったようである。
それは文芸好きな茶問屋のおっさんなのである。

京都には江戸時代から文人茶が隆盛し、文人気質の知的な人が大勢いた。
江戸の政治に口出ししても詮無いと決めては、茶を呑みながら、道具を手の平で愛で、文学を語り、旅の思い出をぼつぼつ喋っては随想を書き、茶道具を自らの手でひねった文人ら。
まさに木村はそういった京都人の血を引く文人である。

 ・どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり  p12

文人気質の 木村草弥は自己意識の強い人である。ちょっとやそっとでは妥協しない、妥協したくない。
結局あれこれ他者という壁にぶつかっては、また自分のところに戻ってくる。結局どこにも従わず、所属せず、自分で自己を探そうとする。
自己鍛錬は欠かさない。それが「存在論を抱へて行き来するばかり」であろう。
 また、木村の短歌にエロス的な歌が多いのはなぜか。

 ・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
 ・ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草(くさ)刈るドイツの夏は

大らかで、合理的なドイツ女性のさっぱりした気性が垣間見える作である。
木村の作はエロスとはいえ、じめじめしたところはなく、自由で大らかな点が特徴だ。
それはフランス文学を学んだ人だからいえる洗練されたロマンチシズムが流れている。
その上、彼は若くして病気に罹り、学校を中退せざるを得なかった。それだけに身体への関心たかく、「生きる」「生ききる」ことへの思いは強い。
生きることは人や自然を愛することだとの意識が強くて愛情の深い人である。

 ・萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ  p113
 ・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す    p113
 ・もはや夢みることもなき此の我に眩しき翳を見する藤波  p114

「人間学」というのか、人間探求を怠らない作者・木村草弥は常に夢をもち夢を追い求めてきた。

<私が掴まうとするのは何だらう 地球は青くて壊れやすい>

の歌のように、追求して追い求めても、それを手にしたとたん、シャボン玉のようにパッと弾けてしまう。
まさにパスカルの言う「人は無限の偉大さと無限の卑小の中間にある存在」だからだろうか。

 ・「夢なんて実現しない」といふ勿れ「夢しか実現しない」と思へ  p178
 ・老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ  p195

「夢を持たないと実現もしない」と言い切る強さを持つ。
木村はアイロニーの強い人と思ってきたが、本書の短歌は率直で若やいでいる。人は夢を追いかけ、青い鳥を尋ね、捜し求める生き物だから。
最後に少年の日の歌を。

 ・母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて  p22
 ・空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける  p23
 ・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた  p24
 ・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ  p35
 ・もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り  p38

                            (2012/05/18)
草弥の歌・ 新作「ゴッホの耳」12首・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
短歌六月号
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の歌<草の領域>──(74)

       ゴ ッ ホ の 耳 ・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
         ・・・・・・・・・角川書店月刊誌「短歌」6月号掲載・・・・・・・・・

     白鳥の帰る頃かもこぶし咲き白き刹那を野づらに咲(わら)ふ

     三椏(みつまた)の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

     沈丁の香の強ければ雨ならむ過去は過去なり今を生きなむ

     誰に逢はむ思ひにあらず近寄ればミモザの花の黄が初々し

     生憎の雨といふまじ山吹の花の散り敷く狭庭また佳し

     白もくれん手燭のごとく延べし枝(え)の空に鼓動のあるがに揺るる

     松の芯が匂ふおよそ花らしくない匂ひ──さうだ樹脂(やに)の匂ひだ

     ひと冬の眠りから覚めたか剪定した葡萄の樹液したたり止まぬ

     天上天下唯我独尊お釈迦様に甘茶をかける花祭 ひとすぢに生きたい
    
     チューリップはらりと散りし一片にゴッホの削ぎし耳を想ひつ

     <チューリップの花には侏儒が棲む> といふ人あり花にうかぶ宙(そら)あり

     ブルーベリージャムを塗りゆく朝の卓ワン・バイ・ワンとエンヤの楽響(な)る

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かねてから角川書店「短歌」編集部からの投稿依頼があり、提出済みの新作の歌が、本日発売の「短歌」誌2012/06月号に掲載されたので披露しておく。
これには安いが原稿料が支払われる。
こうして横書きに載せるしかないが、原文は縦書きで、日本語の表記として「趣き」のあるものである。
大きな書店の店頭には配本されているので、「立ち読み」でも、ぜひ読んでみていただきたい。
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この歌を見た私の友人・玉村文郎君から、下記のような手紙をもらったので披露しておく。
彼は国語学というより「日本語学」の権威である。
『日本語学を学ぶ人のために』という著書もあり、中国などでも活躍する有名な人である。(同志社大学名誉教授)
私はいろいろ教えてもらって、以前に「ケンタッキー・フライドチキンの中国語表記は」の記事を書いたことがある。参照されたい。
持つべきものは「友」である。
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はや水無月に入り、紫陽花が咲き始めました。
あっという間に今年も半ば近く過ぎ、驚いております。
角川の『短歌』誌に掲載されました「ゴッホの耳」の短歌ありがたく拝読いたしました。

自然のたたずまい、人生のことを鋭く描かれた十二首、おもしろく共感を覚えました。
文語調あり、口語調あり、混ざりありで、いろとりどりですが、
「三椏の」と「沈丁の」について、少し感想を述べさせてもらいます。

A:三椏の ①「春くればゆゑ」の部分
文語では「春くれば」のように、已然形で表現しますと
<確定条件>になりますので「春くればなり」もしくは
「春来たるゆゑ」あるいは「春さりしゆゑ」(万葉風)
にした方がよかったと考えます。
②「紙漉きの村に」は、字余りですので(ダメというわけではありませんが)
定型のリズムの方が好もしいと考える小生には、「村に」→「村」
もしくは「紙漉き村に」としたくなります。
B:「沈丁の」の第五句
「生きなむ」は「生きむ」よりも少々間接的な感を伴うと思います。
「今を生きむ」とすると強すぎるでしょうか。
堀辰雄の誤解による「いざ生きめやも」(『風立ちぬ』)
正しくは「生きざらめやも」です、などを連想しました。

歌詠まざる散文的思考による感想ですので、気になさらぬようお願いいたします。

今年は、いつも気温乱調、多雨、五月も雨がよく降りました。
くれぐれも、ご自愛くださいますよう、お願い申します。 妄言多謝。
     六月二日         玉村文郎
  
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)──木村草弥歌集『昭和』評
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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   詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
         日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)

 木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、

イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

 というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
 この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
 で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
 「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
 あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
 私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
 「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
 歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
 こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。

祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

 ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
 「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
 それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。

 木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。

まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

 歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
 「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
 宙→野→黄昏。
 この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
 いいなあ、この「来る」は。
 この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
 繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。

 こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。

 あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
 日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。

ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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敬愛する詩評論家の谷内修三氏が、さっそく、以上のような批評を書いてくださった。有難いことである。
感謝申上げ、ここに転載する次第である。

草弥の詩作品─長編詩・『プロメーテウスの火』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
3goki.jpg
 ↑ 東電・福島第一原発3号機の爆発の写真。余りの惨状に政府は非公開にしているもの─アメリカの新聞が公開。
Heinrich_fueger_1817_prometheus_brings_fire_to_mankind火を与えるプロメーテウス
 ↑ハインリッヒ・フューガー画 <人間たちに火を与えるプロメーテウス>

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──(72)

      長編詩・『プロメーテウスの火』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
     ─苦艾(チェルノブイリ)の香りかすかに移りたる雪かロシアの雪ひとつかみ  塚本邦雄『約翰伝偽書』─
        =「苦艾(にがよもぎ)の香り」がかすかにある「ロシアの雪」のひとつかみは三月にフクシマに降った雪に繋がる=



         長歌と散文    プロメーテウスの火
        ─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし  福島泰樹─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何思ひつつ
  死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を
  
     ─騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら  佐々木六戈─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ  meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九○ 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七○万年、セシウム一三七=三○年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九○=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ 
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂(い)ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

    ─黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も  春日真木子─
  
  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食へず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
 
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつばら)に!   
     
     ─余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す  米川千嘉子─
  
  三陸の 死者と生者を 憶ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ
  

二○一一年三月一一日一四時四六分一八秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖一三○kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード九・○を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五○○km、東西約二○○kmの広範囲に及んだ 。この地震により、場所によつては波高一○m以上、最大遡上高四○・五mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。

また、大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによつて、東北と関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は二万人以上、建築物の全壊・半壊は合せて二四万戸以上、ピーク時の避難者は四○万人以上、停電世帯は八○○万戸以上、断水世帯は一八○万戸以上に上つた。政府は震災による被害額を一六兆から二五兆円と試算してゐる。

地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、過熱による水素爆発で大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した。これにより、周辺一帯の住民は長期の避難を強ひられてゐる。

    ─「電力を生むために人を殺すな」と静かなる怒り湛へて言ひき  大口玲子─

プロメーテウスは、神々の姿に似せて創造された人類に、ヘーパイストスの作業場の炉の中に灯芯草を入れて点火し、それを地上に持つて来て「火」を伝へた。
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考へた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しさうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しさうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるやうに計画してゐた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考へを見抜き、不死の神々にふさはしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のやうに死ねばすぐに腐つてなくなつてしまふ運命を持つようになつた。
その行ひに怒つたゼウスは、プロメーテウスをカウカソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強ひたが、プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問を受けた。
プロメーテウスが天界から火を盗んで人間与へたことに怒ったゼウスは、人間に災ひをもたらすために「女性」(パンドーラ)といふものを作るように神々に命じた。
パンドーラは人間の災ひとして地上に送り込まれた人類最初の女性とされる。「パン」=全てのもの、「ドーラー」=贈り物ドーロンの複数形。
「パンドラの匣」のエピソードで有名。

原子力発電が、プロメーテウスの「第二の火」に擬(ぎ)せられて久しいが、パンドラの匣ならぬ、厄介な火を抱え込んだものである。
「想定外」といふ言葉に誤魔化されてはならない。
千二百年も前に今回と同じやうな規模の地震・大津波襲来の歴史的記述が残つてゐる。   
延喜元年(九○一年)に成立した公式史書『日本三代実録』に載る。

貞観十一年五月二十六日(ユリウス暦八六九年七月九日、グレゴリオ暦換算七月十三日)の大地震発生と大津波について、次のやうに記述する。

五月・・・廿六日癸未 陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝諸J漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乗船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

同年十二月十四日には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣はして奉幣し、神前に告文を捧げ国家の平安を願ってゐる。この年は、貞観大地震・大津波をはじめとして相次ぐ天災や事変が相次ぎ世の中は騒然としてゐた。
京の都では、町衆が祇園社に御霊鎮を祈願して今につづく「祇園祭」を巡行させたのも、この年である。

(2011/08/01作)
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「チェルノブイリ」というロシア語は「苦艾」(にがよもぎ)の意味である。
引用した塚本邦雄の歌は、それに因んでいる。
この他に数人の歌人の関連する名歌を作中に引用させてもらった。
その中の春日真木子の歌のアンダーラインの部分は原文では「傍点」だが、このフォーマットでは出せないので「下線」にした。ご了承を。
こういう厳しい現実を詠うときには、短歌という形式は抒情に流れてふさわしくないと考えて、「叙事詩」の形の「長歌」と、説明的な散文を混ぜてみた。
第四歌集『嬬恋』で試みたのと同じ手法である。
これらの事象を扱ったものにも先日紹介した和合亮一の詩「詩の礫」「詩ノ黙礼」などがあり、実地に検分したものとして、インパクトのある作品になっている。
それに比べて私の作品は遠隔地に居るので臨場感もなく、観念的にならざるを得ないが、これらを詠うことは「機会詩」として、また同時代人として必須のことであり、
不十分は承知の上で書き記しておくものである。
被災地の人々も「悲惨さ」に狎れて、当然、怒りをぶつけるべき相手に、意思を示さない、もどかしさがある。
放射能汚染の実態は、かのチェルノブイリよりも深刻であり、極めて健康にも最悪なのを知るべきである。
それらの危険性が、小出しに小出しに知らされるので、その深刻さを皆理解していない。 呑気すぎる。
詩の中にも書いたが、もっともっと怒って当然なのである。 それが官僚や企業を突き上げ、動かすのである。
私の立場を明らかにしておきたい。
福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」の名は仏教の文殊菩薩に由来するが、1995年にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止した。ナトリウムと水が触れれば、激しい「水反応」を起すが、この技術はまだ完全には確立しておらず、作業員が死亡するなど大事故であった。
この時以来、私は「反原発」の立場を表明している。
今や原子力発電は「安価」とは言えず、また放射能を帯びた物の最終処分も確立していなくて、問題が先送りされている状態で、燃焼済み核燃料や放射能を帯びた汚染物が大量に、処分のめども立たないまま保管されている。
それに放射能というのは長年にわたって人体に悪さをするし、目に見えないので始末に悪い。
チェルノブイリの、あの悲惨さが25年経った今も現実に存在することを他山の石として(今やフクシマが、その現実になってしまったのだが)過ちを繰り返さないようにしたい。
先に「スタジオ・ジブリ」の例をお示ししたが、私も同様に「原子力発電」によらない電気で生活したい、と強く主張する。
それによって多少の不自由を強いられても我慢する。

これは草稿であり、歌集などに発表するまでに、まだまだ推敲することがある。

はじめに掲出した画像について少し補足しておく。

ドイツの画家・ハインリッヒ・フリードリッヒ・フューガー(Heinrich Friedrich Füger)(1751-1818)が描いた『人間たちに火をもたらすプロメーテウス』は、ドイツ語では『Prometheus bringt den Menschen das Feuer』と言う。

bringen Zは、Zを持って来るという意味である。

der Menschは、人間という意味だ。
ここでは、複数形3格(den Menschen)になっている。

das Feuerの語義は、火である。ここでは4格になっている。

プロメーテウスは、神々の反対を無視する形で人間たちに火を与えた。
左手の人差し指を唇の前に置いているのは、内密の行為であることを示している。
向かって左下に描かれている彫像は、暖かさを得られない生き物の姿を描いているが、火がもたらされるまでは、人間はこのような生気のない姿で暮らしていたわけである。

この作品は、ウィーンにあるリヒテンシュタイン美術館(Liechtenstein Museum)で見ることが出来る。

草弥の詩作品・短歌 「エピステーメー」12首・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
短歌
kozo3bigコウゾの雌花
↑ コウゾの花=雌花
kouzo09コウゾの花
↑ 下の白いのは雄花と雄花のつぼみ

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──(71)

       エピステーメー ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ

    手漉紙のやうにつつましく輝(て)る乳房それが疼くから紅い実を蒔かう

    紅い実をひとつ蒔いたら乳房からしつとりと白い樹液が垂れた

    呵責(かしゃく)とも慰藉(ゐしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

 プラトン、アリストテレス「感覚的知覚=ドクサ」に対立する「理性的認識=エピステーメー」『哲学用語辞典』
    フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ

    振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな

    われわれはひととき生きてやがて死ぬ白い紙子の装束をまとひ

    惜しみなく春をひらけるこぶし花、月出でぬ夜は男に倚(よ)りぬ

    くるめきの季(とき)にあらずや<花熟るる幽愁の春>と男の一語

    花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず

    異臭ある山羊フロマージュ食(は)みをりぬ異臭の奥に快楽(けらく)あるかと

    私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

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昨年の十二月中旬に角川書店・月刊誌「短歌」三月号用に、「短歌」編集部から私の新作の歌12首の
投稿依頼があって、締切が1月20日なので、すぐに用意して一月上旬に発送した。
この三月号は本日2月25日発売されたので、今日の日付で載せるものである。

縦書きと横書きでは印象が全然違うので、大きな書店の店頭で立ち読みしてもらいたい。
これには、安いが原稿料が支払われる。

木村草弥詩集『愛の寓意』の山田兼士ツイート「短評」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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   木村草弥詩集『愛の寓意』について山田兼士ツイート「短評」・・・・・・・・・・・木村草弥


詩人・評論家の山田兼士さんのHPのdiaryからのツィート2011/02/15 に下記のような「短評」が出ているので引いておく。

<木村草弥『愛の寓意』(角川書店)ブロンツィーノの「愛の寓意」など西洋名画への解説や長歌や短歌をすべて「詩」として編纂したミクスト詩集。
通常の行分け詩もあるが、中心を成すのは伝統的詩型と散文詩型の対照。いわゆる「現代詩」の領域を思う存分拡大するとこういうかたちになるのか、と納得。>

山田兼士(やまだ・けんじ)

1953年岐阜県大垣市生れ。フランス文学者・詩評論家。大阪芸術大学教授。大阪文学協会理事。
著書『ボードレール《パリの憂愁》論』『小野十三郎論』『ボードレールの詩学』(共に砂子屋書房)
『抒情の宿命・詩の行方―朔太郎・賢治・中也』(思潮社)『百年のフランス詩―ボードレールからシュルレアリスムまで』(澪標)
詩集『微光と煙』(思潮社)など。編著『対訳・フランス歌曲詩集』(彼方社)『歌う!ボードレール』(同朋舎)『小野十三郎を読む』(思潮社)など。
共著『萩原朔太郎の世界』(砂子屋書房)『谷川俊太郎《詩》を語る』(澪標)など。
訳書『ボードレールと「パリの憂愁」』(ヒドルストン著、沖積舎)、
『フランス歌曲の珠玉―深い理解と演奏のために』(フランソワ・ル・ルー他著、春秋社、美山節子との共訳)など。
詩誌「別冊・詩の発見」主宰。季刊「びーぐる―詩の海へ」編集同人。



草弥の詩──「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──再掲載・私の誕生日に因んで

  草弥の詩─「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・木村草弥

   心拍の打つリズムを聴いている。
   ああ!私のいのちのリズム!
   あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
   時にはドキドキしたり
   落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
   1/f のいのちの揺らぎ!

   ロウソクの炎が揺れている。
   今日は私のン十年の誕生日
   自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
   火をつけて
   じっと見つめている。
   ハピーバースデー ツー ユウ!
   口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
   ローソクの炎が揺れている。
   1/f の炎の揺らぎ!

   買って来た「物」についているバーコード。
   同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
   細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
   その線の間隔の並びが心地よい。
   もっとも バーコードとは言っても
   マトリックス型二次元コードは駄目!
   1/f のバーコードの線の揺らぎ!

   どこかで メトロノームが
   かちかちと リズムを刻んでいる
   ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
   規則正しい、ということもいいことだが
   一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
   強弱、弱強の、
   寄せては返す波のようなリズムの
   波動が欲しい!
   1/f のおだやかな波動の揺らぎ!

   杉板の柾目の箱を眺めている。
   寒い年、暑い年、
   雨の多い年、旱魃の年────
   それらの気候の違いが
   柾目の間隔に刻印されている柾目。
   等間隔ではない樹のいのちのリズム!
   1/f の樹の柾目の揺らぎ!

   そよ風が吹いている。
   小川のせせらぎが聞こえる。
   自然現象は
   時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
   今は
   そよ風が吹き
   小川のせせらぎの音が心地よい!
   1/f の自然のささやきの揺らぎ!

   どこかで
   ラジオの「ザー」というノイズが流れている
   周波数が合わないのか─────。
   もう片方の耳には
   妻の弾くピアノの音の合間に
   かちかちというメトロノームの
   規則正しい音が聞こえる。

   そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
   メトロノームの規則正しい音とが
   いい具合に調和するような
   ちょうど中間にあるような
   1/f の調和したリズムの揺らぎ!

   私の体のリズムと同じリズムである
   <1/f の揺らぎ>に包まれて
   <1/f のやさしさ>に包まれて
   今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
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この作品は私の詩集『免疫系』(角川書店)に収録した。
これは<1/f えふぶんのいち>という言葉に触れて、私の詩作の感受性が一気に開花したものである。
因みに申し上げると「1/f 」とは音楽用語というよりは科学用語である。関心のある方は、お調べ願いたい。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。
この詩が成功しているかどうか、は読者の判定に待つほかないが、いかがだろうか。

今年は一緒に祝ってくれる人があって、ケーキを切って、ささやかな祝宴を開いた。


詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)・木村草弥『愛の寓意』・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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わが敬愛する谷内修三氏が、私の詩集『愛の寓意』について触れて下さった。
有難いことである。
以下に、その全文を転載しておく。
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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)木村草弥『愛の寓話』(角川書店、2010年11月30日発行)
(草弥注・谷内氏では「寓話」となっているのは間違い)

 木村草弥『愛の寓話』には、短歌(和歌)がいくつか載っている。私は不勉強で知らなかったのだが、木村は歌人だったのか。
(詩集の文末の「著書」一覧を見ると、歌集がある。)


その場所をあなたの舌がかき混ぜた 快楽(けらく)の果てに濃い叢(くさむら)だ

ふたりは繋がつて獣のかたちになる 濃い叢にあふれだす蜜


 この二首は「口語的」な作品だが、


拓かれし州見台てふ仮り庵(いほ)に愛(め)ぐはし女男(めを)の熟睡(うまい)なるべし


 という旧かなづかいの文語調の作品もある。
 この「短歌」に触れて、木村のことばの秘密が少しわかったような気がした。木村のことばは非常に読みやすいが、それは日本語のリズムを短歌(和歌)の形で鍛えているからである。伝統の文学形式をとおして、音感だけではなく、イメージの飛躍のさせかたもきっと鍛練しているのだ。

 だから、「散文」も、ふつうの「散文」とは違う。
 もっとも、今回の本は「詩集」と書いてあるから「散文」と違って当たり前ではなるのだが。

 「ピカソ「泣く女」」の書き出し。


「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法だ。
この絵は一九三七年に製作されたという。
派手な赤と青の帽子をかぶり、髪をきれいに梳かしつけた大人の女性が、幼児のように、恥も外聞もなく、ひたすら泣いている。
モデルはドラ・マール。当時ピカソの愛人だった。
マン・レイによる彼女の写真が残っており、知的で個性の強い神経質そうな美人である。
ほっそりした繊細な指に長いトランペット型シガレットホルダーを挟んで煙草をくゆらす姿は、粋なパリジェンヌという雰囲気である。


 一行一行は「散文」である。けれど、一行と、次の一行が「散文」のつながりではない--というところに、何か秘密があるのかもしれない。「散文」というのは、基本的にあることがらを書いたら、そのことがらを踏まえながらことばが動いていくものだが、木村のこの作品には、そういうことばの運動がない。木村は「散文」の鉄則を踏まえずに書いている。
 具体的に言いなおすと。
 「「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法だ。」という書き出しを受けて、二行目は「この絵は一九三七年に製作されたという。」とつながるのだが、この二つの文章に「散文」の「要素」がない。「キュビズム」がさらに詳しく説明されるわけではない。まあ、「キュビズム」が1937年当時絵画のひとつの運動であったことはわかるが、それ以外のことはわからない。さらに、「派手な赤と青の帽子をかぶり、髪をきれいに梳かしつけた大人の女性が、幼児のように、恥も外聞もなく、ひたすら泣いている。」も、前の文章とは何の関係もない。派手な帽子の女がひたすら泣けば「キュビズム」になるわけではない。また、1937年に女が泣いたからといって「キュビズム」になるわけではない。さらに「モデルはドラ・マール。当時ピカソの愛人だった。」とつづくが、これも「キュビズム」とは関係がない。
 「「キュビズム」というのは……」と書きはじめながら、木村のことばは、その「キュビズム」に対する木村の考え方を表明するわけでもなければ、書くことによって「定義」が深まるわけでもない。ピカソの「泣く女」が見えてくるわけでもない。
 何なの? 「散文」ではないから、これはこれでいいのかもしれないが、やっぱり何なの?と思ってしまう。何を書きたい?
 「愛人」について書いた関係なのだろうか、その後、ピカソの女性関係が延々と書かれていく。これは、ピカソのスキャンダル(?)を報告する文章? いや、そうでもないなあ。
 もしかすると、「散文」の堅苦しい、前後関係の緊密なことばの運動ではなく、和歌のもっているリズムでことばを動かしたい、ことばをほぐしたいということなのかなあ。

 そんなことを考えていると、突然、


芸術家は怖い。
蜘蛛が餌食の体液を全て吸い尽すように、他人の喜怒哀楽、全ての感情を吸い取って自分の糧にしようとする。


というような、ピカソに対する感想が書かれる。そして、


紛れもないサディストであったピカソにとって、ドラを泣かせるのは簡単だったし、ドラもまた都合よく泣いてくれる女ではあった。彼女があられもなく泣き顔を曝すとき、ピカソの動かない目は羽をちぎられてもがく蝶をじっと観察するように眺めていたのだろう。
そんなシーンを思うと怖い。
(略)
蜘蛛が干からびた獲物の残骸を網からぽいと捨てるように、ピカソはドラを捨てた。
ピカソの残酷さが遺憾なく発揮された『泣く女』は傑作となり、ドラの名前も美術史に永遠に残ることになった。


 あ、これは、「泣く女」について書いた詩ではなく、その絵が書かれた背景を描いた「評伝」なのか。いや、そうじゃないなあ。「泣く女」を借りて、蜘蛛と餌食の命を懸けた「愉悦」を描いているのかもしれない。蜘蛛と蝶の「愉悦」を語ることばの響きを楽しんでいるのかもしれない。そのイメージを楽しんでいるのかもしれない。
 おもしろいなあ。
 すると、最後が、突然やってくる。その最後が、とてもとてもとてもとてもとても、何回「とても」を繰り返していいかわからないくらい、おもしろい。


厖大な作品量、数えきれない女性関係も含めて、ピカソという名前自体が一種のブランドなのだが、彼のフルネームを知るとまた驚く。
まるで「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ・・・・・・」のように長い--
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウル・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニーダド・ルイス・イ・ピカソ」!


 この最後の、長い長い名前を木村は書きたかったのかもしれない。
 いや、そんなことはない、名前ではなく、ピカソについて書きたかったのだと木村は言うかもしれないが、私は「誤読」する。絶対に、この長い名前が書きたかったのだ。
 名前の最後の「ルイス・イ・ピカソ」というのは父の姓と母の姓である。出自を明確にするためなのか、スペイン人の名前は両方の姓を持つことになっている。名前のなかに人間関係がある。--この「人間関係」に収斂するように、女をめぐるスキャンダル(?)を書いたのだ。
 ピカソのなかに、そんなにたくさんの「名前」があるのだから、その「名前」のひとりひとりが、それぞれの女とつきあったっていいじゃないか。
 そして、私はカタカナ難読症なので、読むことができないのだけれど、この名前--そのリズム、きっと、それはカタカナを読めるひとにはおもしろいに違いない。そこに音楽があるに違いない。それはきっと、詩集の冒頭の作品の、


三香原(みかのはら) 布当(ふたぎ)の野辺を さを鹿は嬬(つま)呼び響(とよむ)。山みれば山裳(やまも)みがほし 里みれば里裳(さとも)住みよし。


 というようなものなのだ。「意味」はもちろんある。けれどひとは「意味」だけでことばを読むわけではない。むしろ、どんな「意味」があろうと、「音」がおもしろくないければ、それを読まない。「音」を読み違えながら、「意味」を超えていくのだ。
 「泣く女」について書いたことばのなかに、


彼女があられもなく泣き顔を曝すとき、ピカソの動かない目は羽をちぎられてもがく蝶をじっと観察するように眺めていたのだろう。


ということばがあったが、そのなかほどの「比喩」は「意味」であると同時に「音」であり、イメージである。いや、音とイメージだけであると言った方がいいかな。「羽をちぎられてもがく蝶」と書くとき、木村はピカソの目を一瞬忘れる。木村は忘れないかもしれないが、私は忘れる。蝶の苦悩と、苦悩の愉悦のようなものを感じ、なんだかうれしくなる。
 「散文」を装いながら、「意味」を逸脱していく「音」を木村は書いているのかもしれない。

草弥の詩作品「散文詩・宇宙暗闇と生命の光」・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品(26)──再掲載・初出Doblog2004/10/11

     散文詩・宇宙暗闇と生命の光 ・・・・・・・・木村草弥
          ───la obscurite cosmique dans la clarte de la vie

人間が集い住む場所──都市の中に、夜でも光が溢れるようになって、もうどれくらいの歳月が経ったのだろう?
 人工衛星から地球を撮影すると、夜、宇宙の暗闇と一つながりの半球に、都市がある場所だけ光が見える。
それは、天上に輝く星の光に似ているようでもあり、清流の上を飛ぶ蛍を思い出させるようでもある。
暗闇の中の光は、恐らく太古の人類にとっての炎の記憶に結びついている。
蛍光灯によって照らし出されたフラットな室内照明よりは、暗闇に輝く街灯の方に喚起力がある。

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この前の戦争に狩り出されて南の島で蛍の何万という大群が樹にむらがっているのを見た兵隊の話がある。「蛍の木」という。
本来、自然界の文法においては、地上や水中で光るものは、必ず生命である。
ライアル・ワトソンは著書『未知の贈りもの』の中で、インドネシアの夜の海で船の下の巨大な発光体に出会った体験について書いている。
その正体は、無数のイカの発する光であった。
この出会いが、ワトソンが地球上の生命潮流の中を彷徨する一つのきっかけになったのではないか。

死という絶対の暗闇と交錯する時、生命の光は世界そのものと同じくらいの強度をもって、私たちの心に焼き付けられる。
都市のビルの高層レストランから外の夜景を見るとき、そこに広がる光の海の正体が、判りきったものだと思うことで、
私たちは何か大切なものを失ってはいないか?
地上の光は生命の作用であるという光の文法に立ち返るとき、はじめて私たちは、その大切なものを回復できるのではないか?
ユークリッドやトレミーをはじめとする古代の思想家は、光は目から放出されるものだと考えた。
何かを「見る」ということは、何かを「触る」ということと同じであると考えた。
生命の作用として、光の本性を考えると、それほど私たちの実感から離れているわけではない。

アマゾンのマナウス近郊で、夜、ワニの目を見に行ったことのある友人の話───。
ネグロ川に浮かぶフローティング・ハウスに一泊した。
アレクサンドルというインディオの青年に率いられて、ボートに乗ってネグロ川に漕ぎ出した。
月のない晩で、川の油のように滑らかな黒い水面と、川沿いの木々、そして、その上の天空が、少しづつ質感の違う一連なりの黒として私たちを包んだ。
アレクサンドルがサーチライトで照らし出す水辺の暗闇に、丸々と光の点が見えて来た。それがライトを反射して光るワニの両眼であった。

死と隣りあわせの南の島で、蛍の木を見つめる兵士たちを包んでいたものも、夜の海で巨大な発光体のイカに接近されたライアル・ワトソンの頭上にあったものも、全てを包み込む一つの巨大な「宇宙暗闇」ではなかったか?
私たちが築きあげた都市の中で、もはや無数のイカの群にも、蛍の木にも、ワニの目にも出会うことはない。
都市化によって、私たちが失ったもの、消え去ったものの大きさに心を震わせない人は果たしているだろうか?
私たちは何かを摑もうとしている。
太古から変ることなく私たちを包んできた宇宙暗闇の中で、何かを摑むために宇宙暗闇の中の光という文法が、太古から生命の印であった、という地点まで戻るしかない。

夜でも昼のように明々と照らし出された机の上で、私はインターネットをサーフィンし、エアコンの効いた部屋に閉じこもり、車のドアを閉める音が消えた後の静寂の中に、辛うじて文明以前の太古の響きを聴く。大自然の営みの気配は遠く去り、ガラスと鋼鉄の生命維持装置が、私の目を曇らせる。
しかし、そんな私のちっぽけな生命をも、宇宙暗闇はきっと包んでいる。
今もなお、インドネシアの海で光るイカの群が、南の島の木に集う何十万匹という蛍が、ネグロ川の川辺に潜むワニが、しっとりと包まれているように、文明の中に棲む、この私も、どこまで続くか判らない、果てしのない深い闇に抱かれて、今までに見たこともない素晴らしいものとの出会いを夢みている。 (完) (2004.10.03作)
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①「草弥の詩作品」では今までから、題名の次に副題としてフランス語表記を書いてきたが、ご存じのようにフランス語には「アクサンテギュ」や「アクサングラーヴ」という記号が付く。
私のワープロもフランス語表記の設定をしているが、これらは転送したりすると外されてしまう。
これが日本語という特殊なワード・プロセッサの操作を経由したシステムの弱点である。
英語、フランス語、ドイツ語など西欧語同士では、こういう障害は起らない、という。
専門家にも聞いてみた結果がこれである。
従って、私のフランス語表記の「副題」は、はじめから、そういう記号は、承知の上で外してあるので、予めご了承くださるよう一言申しあげる。
②この作品は詩集『免疫系』(角川書店2008/10刊)に収録してあるので、ご覧ください。


草弥の詩・アダージェット・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
426px-Gustav_Mahler_1909マーラー
almaアルマ・マーラー

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(70)

     アダージェット・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ──吾が爪の変形しゆく夕まぐれ
            『マーラー五番アダージョ』黄の部屋に盈つ───山口紀子


  ルキーノ・ヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』というのがあった。
  その主題曲として
  マーラーのシンフォニー五番、第四楽章アダージェットが挿入され、
  多くの人の耳に馴染み深い、忘れられない音楽となった。
  ヴェニスを舞台に展開する屈折した同性愛のエロスとは
  無縁であることは言うまでもないが、
  この曲はマーラーがアルマ・シントラーに贈った愛の曲である。

  マーラーは一九○一年十一月に知り合い、一ヵ月後に婚約し、
  四ヵ月後に結婚した。

  マーラーと親しかったオランダの指揮者メンゲルベルクは
  自分のスコアの第四楽章のアダージェット部分に、
  こんなメモを書き残している。

   <注:このアダージェットはグスタフ・マーラーが
    アルマに宛てた愛の告白である!
    彼は手紙の代りにこの自筆譜を彼女に贈り、言葉
    を一切添えなかった。
    だが彼女はそれを理解し、「来てください!!!」
    と返事を書いた。
    これは二人が私に話してくれたことである!W.M
    また、スコアの左端には、冒頭のヴァイオリンによ
    る旋律にぴったり当てはまる七行の詩が書き込まれ
    ている。
    
       どれほど君を愛しているか
       私の太陽よ
       言葉では言い尽くせない
       ただ君に憧れ
       君を愛しているとだけ
       訴えることしかできない
       君は我が至福の喜び!

    シンフォニックなラヴレターと呼べるアダージェットは
    「言葉なき歌曲」だが、言葉がついているに等しいと
    言える。>

  前登志夫の弟子に石坂幸子という歌人が居て、山口紀子と二人で
  「たらえふ通信」というハガキによる歌語りを交換していた。
  石坂幸子がC型肝炎で逝って「たらえふ通信」と歌友・山口紀子
  が残された。

    残されて生きる心にほんのりと
      芙蓉のような明るさありて・・・・・・・・・・・・山口紀子

  その残された山口紀子と木村草弥は、一年弱「えふえむ通信」なる
  ハガキ通信をしていた。
  山口紀子は第三子出産後、厳しい腎臓障害に陥り、週三回の透析を
  必要とするような生活に苦しんでいた。

    吾が爪の変形しゆく夕まぐれ
      『マーラー五番アダージョ』黄の部屋に盈つ

  という冒頭の歌は、「爪の変形しゆく」と詠って悲痛である。
  「えふえむ通信」は、そんな紀子の体調を慮って、つい遠慮する私に
  紀子が苛立ち、いつしか通信に齟齬を来たすようになって解消した。
  あれから、もう十数年が経つが紀子はどうしているだろうか。

    マーラー死後その妻アルマ波乱なす
       華やかな恋あまたしたりき・・・・・・・・・・木村草弥

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↓ MP3のYouTube版を貼り付けておくので約10分だが曲を楽しんでください。





草弥の詩「畢詩・京終と称ふる地なる」・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
塔

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(69)

      畢詩・京終と称ふる地なる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

            ──石川女郎と大伴宿祢田主との贈答歌──
       遊士(みやびを)とわれは聞けるを屋戸借さずわれを還せりおその風流士(みやびを)  
       遊士にわれは有りけり屋戸借さず還ししわれぞ風流士にはある


  山背(やましろ)の 杣のわが屋戸(やど) 西つかた 神奈備山に
  五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の樹の
  弥(いや)つぎつぎに 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通はむ。
  青丹によし 寧楽(なら)の京師(みやこ)に 春の日は 山し見がほし
  秋の夜は 河し清(さや)けし 旦(あさ)雲に 鶴(たづ)は乱れつ
  夕霧に かはづは騒ぐ。
  京終(きやうばて)と称(とな)ふる地なる 仮庵(いほ)の 高楼の屋戸ゆ
  玻璃戸より ふりさけ見れば 春日なる 若草山に 雪は著(しる)しも
  一人して 巻きたる帯を 二人して帯解(おびとけ)て寝(ぬ)る 若草の嬬(つま)。

     わが命 ま幸(さき)くあらば また逢はむ
     ひたぶるに 貪(むさぼ)らむかな この熟睡(うましね)を 

奈良地図

奈良に住んでいるか、奈良によほど詳しい人以外に「京終」を「キョウバテ」と読める人は少ない。

「京終」の地名としての歴史は鎌倉時代以降だそうである。位置からして、平城京外京の南端(厳密にいえばやや端よりやや南)であったと考えられる。
「平城京の端」よりも「外京の端」と言ったほうがいいかも知れない。理由は、鎌倉時代の奈良中心地は現在とほぼ同位置であり、記録上「京終」が南端らしい。
以下、平城京以来の歴史に遡って辿ってみよう。

元興寺小塔院趾の西側を通る道は、平城京東六坊大路の名残である。
平城京は、南北が北一条大路から九条大路まで、東西は朱雀大路を中心として西四坊大路から東四坊大路までが九条大路に至る。
奈良市の北西部から大和郡山市に及ぶ、南北四・八キロ、東西四・三キロに及ぶ、唐の長安の都を模した堂々たる日本の首都であった。
平城京の左京(東部)は、南一条大路から五条大路まで、五坊大路から七坊大路まで、三条分東へはり出していて、外京と呼ばれていた。
都が京都に遷る時、平城京の中心にあった宮殿や、主な建物は解体されて、使える材料は出来るだけ平安京の建設に使われた。
その跡地は経済観念の発達した国司の指導で、付近の農民を集めて壇を削り、溝や池を埋めて農地や民家にしたので、都が京都に遷った後は、万葉集に詠われているように

  立ちかわり 古きみやことなりぬれば道の芝草 長く生ひにけり

といった風景となり、やがてどこが宮殿の跡かも分からなくなっていった。
しかし、平城京に建立された社寺はそのまま残されたので、これ等の諸大寺を中心として門前町を形成していった。
ことに外京には、総国分寺であり、盧遮那仏がおわす世界最大の木造建築である大仏殿を持つ東大寺、藤原氏の氏神である春日大社、氏寺の興福寺、仏教寺院として日本最古の歴史を持つ元興寺等がある上、京街道に直結しているので、貴族の祖霊参り、平安時代に盛んになった長谷詣や熊野詣、江戸時代頃から庶民に拡がったお伊勢参り等で賑わい、門前町が宗教都市を形成し、観光都市として発達していった。
現在、奈良市は西郊へ拡張したり、周辺の町村を合併する等で、平城京より随分広くなっているが、旧奈良市と呼ばれる大正時代頃までの奈良の町は、ほとんど、この外京に当る部分である。

【平城京六坊大路】
平城京時代、朱雀大路は幅約八十四メートル、普通の大路でも道幅が約二十四メートルもあって、大路と大路の間には、約十二メートル幅の小路を東西南北に各三本づつ設けたというから、道幅は狭くなったり、多少折れ曲がったりはしているが、(道の東側が残ったり西側が残ったりして、折れ曲がったのだろうか。)
旧六坊大路は、京終・瓦堂・東木辻・鳴川・高御門・脇戸・下御門・餅飯殿・橋本・東向・花芝等、往時を偲ばす町名の町を貫いて、旧外京の中心を、一条通りから京終まで南北に通っている。
この六坊大路を境にして、東に興福寺、元興寺が、さらに東には東大寺が建立されたので、この西側辺りは門前町として賑わいを見せていたのだろう。
昔のことに思いを馳せながら、六坊大路の名残の道を京終から北へとたどってみよう。

【京終駅周辺】
奈良に住んでいるか、奈良によほど詳しい人以外に「京終」を「キョウバテ」と読める人は少ない。
京終町は広くて、昔は京終郷とか京終村と呼ばれていた位なので、北京終町とか南京終町等に分かれているのだが、戦争中、中国の北京や南京への関心が高まった時には「ペキンおわり町にはどう行きますか?」とか、「ナンキンおわり町はどちらでしょうか?」と道を尋ねられて、最初はとまどったものだ。
この地は平城時代、五条大路の延長線と、外京六条大路の交差するところで、文字通り、京の終、京の果からきた名前だろう。
平城時代の京終は、京の果とは言いながら、京洛の内だから、どのような人達が住んでいたのかよく分からないが、明治の中頃位までは、住民の多くは農業を営む農村地帯であったようだ。

この京終駅の一つ先には「帯解おびとけ」という、何となくゆかしい名前の駅がある。
この桜井線は、愛称を「万葉まほろば線」と称し、この先、「天理」「三輪」などを経て桜井まで達する。


  
草弥の詩「樹液と甲虫たち」・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
010704aokanabun1アオカナブン
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(68)

   樹液と甲虫たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ──少年は樹液饐(す)えたる甘き香をにほはせ過ぎぬ露けき朝を──

学校の夏休みが始まり、いよいよ少年たちの楽しい夏だ。
家の中に閉じこもらずに野山に出かけよう。
雑木林に行くとナラ、クヌギなどの広葉樹の太い木には樹液の沁み出る傷がある。
そんなところには木の樹液に集る虫が寄ってきて樹液を舐めている。
カブトムシ、クワガタムシ、カナブンなどの甲虫やムカデなどである。
樹液は甘い香りがして、実際は酢と甘さとアンモニア臭と色々のものが混ざったものらしい。
とにかく、昆虫採集をして樹液の近くに居ると、体に樹液の匂いが沁みつくもので、
題名に添えた歌は、そんな少年の情景を詠んでいる。

樹液の沁み出す木の傷には、いろいろの虫が集ってくる。
虫にも強弱があり、力の強いカブトムシなどはズカズカと樹液に到達するが、弱い虫は遠慮がちに
オズオズと周辺から辺りをみながら近づいてくるから面白い。

少年は虚弱児で、活動的な子ではなかったが、田舎ですぐ近くには雑木林があるような環境
だったから上級生に連れられて虫を捕まえに行ったりした。
水泳なんかも、上級生に無理に川に突き落とされて、溺れまいと必死で泳ぎを覚えたものである。

おおよそ昆虫は雄が大きく牙も大きい。少年の頃は何も知らずに牙の大きいのを源氏、小さいのを平家
などと呼んでいた。
いま、昆虫の雄が大きい、と書いたが、それは正確ではない。
昆虫と言っても多くの種類があり、甲虫目(鞘翅目)は雄が大きいことが多い。
バッタ、イナゴ、カマキリなどバッタ目(直翅目)は雄が小さく、雌が大きい。
もっとも、これらは樹液にたかる虫ではなく、草を食べたり、草の汁を吸ったりする昆虫である。

とにかく、樹液の出る傷のある樹が見当たらない場合は、先に書いたように樹液に似た液を作って
樹の洞などに置いておくと虫が集ってくるものである。その辺は少年なりの知恵と言えようか。

蝉などは幾つもの種類が朝早くから、やかましく鳴いていた。あまり蝉採りなどはしなかった。
蝉の名前が思い出せない小さな蝉でじーじーと鳴くのがうるさかった。
夏の終りに近づくとカナカナと蜩(ひぐらし)が鳴き出す。ツクツクボウシも秋口の蝉である。

先日、暑いさなかをゴルフしていたら、何年も年月を経た大きなポプラの木に羽化した蝉の抜け殻があり、
木の周りに地下から幼虫が出てきた穴が、いくつもあった。
日本の蝉は地下に数年棲んでいるから、幼木にはまだ蝉は棲みつかない。

ノコギリクワガタという立派なクワガタが居て、体の色が赤銅色に光っているのが特徴。
この虫が子供たちにも人気があった。
昔はクヌギ、ナラなどの雑木は薪として利用されたので数年の更新期を経て伐採された。
そんなタキギとしての用途もなくなって、雑木林はうち捨てられた。
クヌギやナラは数年で更新されるから再生するのであって、切られなくなっては雑木林は
衰退するばかりである。

そんな虫たちを詠んだ草弥の歌がある。

             沙羅の寺(抄)

     楢の木の樹液もとめて這ふ百足(むかで)足一本も遊ばさず来る

     かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす

     蟻の国の事も知らずで箒もて掃くも殺すもガリバーの我

新潮社の読書誌『波』2004年8月号の連載コラム「猫の目草」103回で、
故・日高敏隆先生が「カブトムシたちの苦労」というのを書いていらっしゃる。
それを読むと、交尾の済んだカブトムシの雌は卵を生みつける手ごろな「腐葉土」を
見つけて産卵すると、雌の一生は終る。カブトムシの幼虫は腐葉土を食べて育つ。
カブトムシと並んで子供たちの関心の的であるクワガタムシは、親はカブトムシと同じく
樹液を唯一の食物としているのに、どういうわけか「朽木」に産卵し、幼虫は朽木を食べて育つ。
朽木により腐り方がいろいろあり、クワガタムシの種類によって好みも違うが、総じて朽木は
腐葉土に比べて栄養価がずっと低い。
だからクワガタムシの幼虫が親になるには、少なくとも2、3年はかかる。けれど、その代わり、
親は、カブトムシと違って2年以上生きられる。同じ樹液に集る虫なのに、カブトムシと
クワガタムシは、まるで違った一生を過ごしているのである。
──こんなことは、今はじめて知ったことである。自然は一面、公平なところがあるのだ。

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(2010/07/20作)
習作中のため改作することがあります。


散文詩「イェイツの墓碑銘」・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
ドラムクリフ教会(イエイツ墓)

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(67)

      散文詩・イェイツの墓碑銘・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

         Cast a cold Eye

         On Life,on Death

         Horseman,pass by!・・・・・・・・・・・・William Butler Yeats


氷河によって削られ特異な形をしたベンブルベン山(525m)の見えるドラムクリフの聖コロンバ教会。
ここはノーベル賞詩人のW.B.イェイツの祖父が牧師を務めていた教会で、イェイツもよくここを訪ねており、
ここの墓地にイェイツの墓がある。

この教会の敷地の一角には立派な「ハイクロス」があり、写真も撮った。
この特異な形のベンブルベン山の見える土地にはイェイツは幼い頃から家族で夏を過し、
この自然がイエイツの詩作にも大きな影響を与えたと言われている。
ここスライゴー郊外のドラムクリフで、イェイツは村の人々から聞いた口伝えの伝説を集め
『アイルランド農民の妖精物語と民話』(1888年)、『ケルトの薄明』(1890年)に収めたりした。
そして民話に触発された独自の詩の世界を完成させた。
また『秘密の薔薇』(1896年)では、妖精や神々、英雄を登場させたりもした。

ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats, 1865年6月13日 ~ 1939年1月28日)は、
アイルランドの詩人、劇作家。
イギリスの神秘主義秘密結社黄金の暁教団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)のメンバーでもある。
ダブリン郊外、サンディマウント出身。
神秘主義的思想をテーマにした作品を描き、アイルランド文芸復興を促した。
日本の能の影響を受けたことでも知られる。

イェイツの属した、黄金の夜明け団(The Hermetic Order of the Golden Dawn)とは、
19世紀末にイギリスで創設された近代西洋儀式魔術の秘密結社である。
黄金の暁会、ゴールデンドーンなどとも訳され、GD団と略される。
この結社は1888年3月1日、ウィリアム・ウィン・ウェストコット、マグレガー・メイザース、
ウィリアム・ロバート・ウッドマンの三人によって発足。
最盛期には100名以上の団員を擁したが、内紛により1903年頃までに3結社に分裂する。
その教義はカバラを中心に、 当時ヨーロッパでブームを起こしていた神智学の東洋哲学や薔薇十字団伝説、
錬金術、エジプト神話、占い、グリモワールなどを習合させたもの。
教義の習得ごとに、生命の樹(カバラの創世論の図)になぞらえた位階を設定。昇格試験を経て上位の位階に
進むというシステムを採用し、一種の「魔法学校」の様相を呈していた。
後の多くの西洋神秘主義団体も、このシステムを受け継いでいる。
人間の階級は当初最低が「ニオファイト」で最高が「アデプタス・マイナー」であるとされていたが、
後期には指導者が勝手にそれらより上の階級である「アデプタス・メジャー」等を名乗り始める。
長らくその内容は謎に包まれていたが、イスラエル・リガルディによって出版されて公に知れることになった。
なおリガルディーはのちに自宅を魔術マニアに荒らされ、コレクションを盗まれる。
これを天罰だという向きもあった。

イェイツは1865年 画家J・イェイツのもとに生まれる。15歳まではロンドンで過ごす。
1880年 ダブリンに帰郷。父の影響で絵の勉強をしたが、むしろ文学の方面で実力を発揮した。
1889年 「アシーンの放浪」出版。ケルトの古伝説に興味を持ち始める。
1892年 アイルランド文芸協会設立。
1899年 アイルランド国民劇場協会設立。
1923年 ノーベル文学賞受賞。

イェイツは1939年南イタリアで亡くなったが、遺言により第二次大戦後、ここに改葬されて、
懐かしい教会の墓地に眠っている。
墓石には、亡くなる数日前に書かれたという「ベンブルベンの麓にて」と題する詩の一部が彫られている。
 
      Cast a cold Eye

      On Life,on Death

      Horseman,pass by!

私は、まだ詩の全文にも当たっていないし、不正確は承知の上で下記のように訳してみた。
私のやっている短歌の音数律に則っている。

      冷徹な 視線を 

      生に、死に 投げて
 
      馬の乗り手は、 時の過ぎつつ

墓碑には、この詩とともに、生死の年月日が刻まれている。
黒い石の墓石に白い字が印象的な、簡素な墓である。
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(2010/05/15作)
習作中のため改作することがあります。

イェイツパンフレット

写真は、当地の教会でくれたイェイツに関するブックレットである。
ここにはDerick Binghamが記事を書き、Ross Wilsonがポートレートを、ほかの数人が写真を撮ったとある。

散文詩と長歌「愛の寓意」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(63)

    散文詩と長歌・愛 の 寓 意・・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥

魅力的になりたければ「謎を纏うこと」と、ココ・シャネルは言った。
「謎めいているからこそ、人生は生きるに値する」と、アルフレート・クービンは言った。
「謎以外の何を愛せよう」──デ・キリコは言った。
古来「謎」をめぐる名言がいくつもある。

いくつもの謎を纏った絵と言えば、イタリアのメディチ家からフランス国王フランソア一世に
贈られたブロンツィーノの『愛の寓意』の絵がピカ一であろう。
寓意画は十六世紀に流行した。
画家が難解で凝った寓意や擬人像を考案し、鑑賞者はその解読に挑戦するという賞玩が、
宮廷社会での知的遊戯となった。
『愛の寓意』の絵も、彼らの目を悦(よろこ)ばせるとともに、その教養や見識を問うたものだ。
まだ、すべての謎が解き明かされたものではなく、謎は謎を呼び、さまざまな解釈がなされて、
作品の魅力を倍加させて今日に至っている。

真っ先に目を引くのは、色彩の美しさだろう。
冷たい光に浮かび上がる、陶器のように滑らかな裸身、その輝く白さが、背景の妖しいブルーに
よく映える。クッションの赤や衣装の緑という配色にも、心憎いばかりの計算がある。
計算と言えば、人物のポーズもそうだ。
主役二人の取り澄ました表情と、引き伸ばされ捩れた官能的肢体の落差が効果的である。
そして直角に上げ、だらりと下げ、画面を横切る、腕、腕。
軽快に一歩踏み出し、くの字に曲げ、しどけなく投げ出される、脚、脚。
これらの動きと方向が少しでも違えば、作品の均衡は崩れてしまうに違いない。
そして圧倒的なエロティスムがある。
その放射の源は、右手に矢、左手に金のリンゴを持つ成熟した女性と、両性具有的な面立ちの
少年との絡み合いだ。
身につけているのはティアラだけという彼女は、少年のキスを受け、指に乳首をはさまれ、
横顔はあくまで典雅で無表情ながら、頬と耳をほのかに紅潮させている。
Z型の非常に不自然な体位は、恍惚のあまり脱力しつつある瞬間なのだろうか。
そんな彼女の頭を繊細な手で支える相手も、やはり不自然で無理な姿勢を取っている。
背にブルー・白・緑の小さな三色翼を生やし、片足を赤いクッションに載せた彼は、顔の輪郭
からどう見ても思春期前後の少年の筈だが、下半身はすでに一人前の逞しさが感じられ、
そうしたアンバランスなところが見る者の不安を増幅する。背中に見えるベルトは矢筒を下げ
るもので、矢筒そのものは左足の近くにある。右の足元には、番いの白鳩が見える。
少年の背後の暗がりには、醜い老婆や、口をあける女の横顔、カーテンをむんずと摑む腕の主の
禿げ頭で白髭の老人も白黒の大きい翼を生やしている。その他にもまだ何人かの人物が居る。
こうした登場人物たちや、さまざまな物、それらが何を意味するのか。
ブロンツィーノの友人だったヴァザーリの記述──<彼は特異な美しさをたたえた絵を描いたが、
それはフランス国王フランソアのもとへ送られた。絵には裸のヴィーナスと、彼女にキスする
キューピッドが描かれ、周りには快楽、戯れ、欺瞞、嫉妬、愛の情欲などが描かれていた>や、
当時の図像研究書『イコノギア』、また現代イコノロジー(図像解釈学)の泰斗パノフスキーの
説などがあるので参照されよ。 因みに、この絵はロンドン・ナショナルギャラリー所蔵。

ひとつだけ書いておこう。
白髭の老人が「時の翁」である。砂時計と大きな翼が象徴するものは、無慈悲な「時」であり、
この絵の一番上に居ることからも、あらゆるものに君臨するのである。
彼が荒々しく容赦なく剥ぎ取ろうとしているカーテンはロマンティックな薄闇色ブルーであり、
夜の帳に隠れていた、愛という名のもとに蠢くさまざまなもの──快楽、戯れ、欺瞞、嫉妬、
情欲などが、一挙に白日のもとに曝されるところだ。
だけど、何かがおかしい。
キューピッドは、ヴィーナスとゼウスとの間に生れた息子なのだ。
つまり、この二人は、愛の女神と、その実子なのだ。これは母子像なのだ。
本能的にアブノーマルを感じさせるところに、この『愛の寓意』の絵の凄さ、があるのだ。
愛というものの大きな要素である<官能>は人間性を逸脱させることもある──この絵は、
そう語っているようである。
しかし、作者ブロンツィーノは、それを肯定しているのか、否定しているのか。謎である。

       極東の果て古代中国には「菊慈童」という不老不死の物語があった
          そんな夢幻の境に沈潜する男が現代に居たのである
             現代版「愛の寓意」そのものである
              以下は、その男の夢物語である

              菊慈童めき・・・・・・・・長歌と挿入歌二首

     人倫の通はぬ処、狐狼野千(ころうやせん)の住み処(か)とぞいふ菊咲く処
      ──甘谷の水は菊水「菊慈童」の七百歳のいのちこそ憶へ──木村草弥
     蜜壺にあふるるものに口つけて陶然とすれば菊慈童めき
     ケータイがどこかで鳴るな、あの音を鳴らぬ設定にしておきなさい
     その場所をあなたの舌がかき混ぜた 快楽(けらく)の果てに濃い叢(くさむら)だ
     ふたりは繋がつて獣のかたちになる 濃い叢にあふれだす蜜
     頭と頭よせあつてかき抱けばぢきに夜の闇が二人を包む
     刻々と<時>は進むがカレンダーはもう見ないでよ無明のうつつ
     睦みあひもだえしのちは寂(さび)しくも泥のごとくに眠れるわれら
     山の端に朝日のぼりぬあかときをわれらはひしと掻き抱きたり
     あなたとの子が欲しいと君は言ふ、君の子宮はもう無いのだよ
      ──ぬれてほす山路の菊のつゆのまにいつしか千歳を我は経にけむ──素性法師
     飲むからにげにも薬と菊水の月は宵の間身は酔ひにつつ
     <愛の寓意> 何の謂ひぞも 股間から春画のままに滾(たぎ)るものかな

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(2010/05/05作)
習作のため改作することがあります。
「菊慈童めき」の長歌の部分は歴史的かなづかいを採用しています。ご了承ください。
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この絵は「愛のアレゴリー」とか「愛の勝利の寓意」とか書かれることもある。
ここで参考までにブロンツィーノのことを載せておく。

アーニョロ・ブロンツィーノ(Agnolo Bronzino, 1503年11月17日 - 1572年11月23日)は、マニエリスム期のイタリアフィレンツェの画家。本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トルリ(Agnolo di Cosimo)。ブロンツィーノという愛称は、恐らく彼の髪の色であった「青銅」色を意味するイタリア語”ブロンツォ”に由来する。メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍する。「愛の勝利の寓意」に代表される画風は、極めて知的・技巧的で洗練された美しさに満ちている。また、肖像画にも多数の優れた作品を残している。

生涯
ブロンツィーノは1503年11月17日フィレンツェ近郊の貧しい肉屋の息子として生まれた。ブロンツィーノは始めラファエリーノ・デル・ガルボの弟子となり、次いで1515年頃からポントルモの工房で働き始めた。 1523年から25年にかけて、ガッルッツォのカルトゥジオ会修道院の回廊装飾、次いでサンタ・フェリチタ教会のカッポーニ家礼拝堂の装飾を師ポントルモと共に行った。カッポーニ家礼拝堂の天井にある4つの円形パネルの内2つはブロンツィーノの手によるとされている。

1531年には、デッラ・ローヴェレ家の元で働くためペーザロに移住した。 1530年から45年にかけて制作された一連の肖像画(≪ウゴリーノ・マルテッリの肖像画≫≪パンチャティキ夫妻の肖像画≫は、芸術家としての新局面を示している。

1539年、ポッジョ・ア・カイアーノの装飾に従事していたポントルモの要請によりフィレンツェに帰還した。フィレンツェ公コジモ一世とエレオノーラ・ディ・トレドの結婚祝祭のための装飾に携わった後、彼はメディチ家の宮廷画家となり、ドゥカーレ宮殿内(現ヴェッキオ宮殿内)の公妃エレオノーラ・ディ・トレドの私用礼拝堂の装飾を施した。宮廷画家として公爵家族の一連の肖像画を制作し、さらにはメディチ家により設立されたばかりの綴れ織り工場のため、数々の下絵を制作した。


1557年のポントルモの死後、サン・ロレンツォ教会において未完になっていた彼のフレスコ画装飾を完成した。

ブロンツィーノはアカデミア・デル・ディゼーニョの設立に関わり、1563年には設立者のひとりとなった。

1572年11月23日に弟子であり、息子のように扱っていたアレッサンドロ・アローリの家で亡くなり、サン・クリストフォロ・デイ・アディマリ教会に葬られた。

草弥の詩「五十音図」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
50onh.png

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(62)

  五 十 音 図・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥


       あ い う え お
       か   く け こ
       さ し す せ そ
       た ち つ て と
       な に ぬ ね の
       は ひ ふ へ ほ
       ま み   め も
       や い ゆ え よ
         り る れ ろ
       わ ゐ う ゑ を
       ん


       あ い う え お
       か き   け こ
         し す せ そ
       た ち つ て と
       な に ぬ ね の
       は ひ ふ へ ほ 
       ま み む め も
         い ゆ え よ
       ら り る れ ろ
       わ ゐ う ゑ を
       ん 



   原っぱに散らばる二枚の五十音図表には
   虫に食われた穴が空いていた
   弥いちゃんが その穴を仔細に見たら
   虫に食われた穴の文字は

       き む ら く さ や
    
   だと判った
   そこで 弥いちゃんは
   その字たちを拾い集めて
   五十音図表の虫食いの穴に嵌め込んだ
     むかし
   弥いちゃん は くさやの奥さんだった
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(2010/04/27作)
習作のため改作することがあります。


ひとり連詩・「残 照」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
イコン

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(59)

        ひとり連詩・ 残 照・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
          ──春潮の快楽(けらく)か老いのうす明かり──



   <川は枕の下を流れ>
   と詠んだのは吉井勇
   川は きのうへ流れ
   ひとりぼっちの川は流れる 無信心
   性書ひらく一瞬 さくらが咲いた
   本なんか読むなよ 満開の桜だ
   母の展(ひろ)げる地図に さくらさくら
   襞(ひだ)をひろげると地図が消えている
   妻の手の鳴る方へ 魚形の眼(まなこ)だ
   春の夜の不思議な夢に家族の目だ
   私の咎(とが)で傷つくお月さまだ
   春の雨 やがて弔い唄になる。


   花は雫(しずく)して木偶(でく)の唇はひらき
   弱肉強食の歯にしらしらと桜満ち
   木偶に木偶来て きのうのさくらだね
   死者の目に残るさくらの幾ひらぞ
   生は死の一部分であり
   生きる証(あかし)の腐臭を放つのだ 贄(にえ)
   じっとしていると集(つど)う孤と孤と孤
   あこがれのあれは けだものの火のかたち
   青嵐 火の手が及ぶかもしれぬ
   待つ身ゆえに 郵便受に日が落ちる。


   野菜サラダの上を菜種前線通過中
   存在証明 大きな音で茶碗が割れる
   こっそりと研ぐ快感のナイフ
   ナイフ研ぐ かすかに青を零(こぼ)す指
   フラスコの中の白濁した未来
   黄泉比良坂(よもつひらさか) 缶を蹴ったり石を蹴ったり
   ガードレールをざくっと越えてゆく記号
   「柿の種」をポリポリ 遺産相続人になる
   木のぬくもり 男と女の過失率
   毀れゆく確かなものなど有りはしない
   屈託もなく春風が春画をめくる
   吉野は天川村洞川(どろがわ)から陀羅尼助丸が届く
   いいえ、言葉の置き薬です。


   体内と体外の毛の出来ごころ
   通せんぼは止(よ)して あなたの夢の中
   春の体内の橋はぐらぐらと危険だ
   木の腋をくすぐり女は雨を待つ   
   気持よさそうに紐がのびている
   そう、蛇になったら行くところがある
   しばらくは木の股に 生きているよと揺れている
   そう、ふんころがしの一生に似て来たな。
   
       ひとつぶの朱(あけ)の残照 生きている。

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(2010/04/10作)
原作は縦書きで、ルビも振れるが、このフォーマットではフリガナが振れないのでカッコに納めた。
見苦しいがお許しあれ。 習作中のため改作することがあります。
この四月で、母の十八周忌。妻・弥生の四周忌になる。 その菩提追善のための献詩として作った。

いま昼前に札幌に住む亡妻の妹・克子さんから命日の生花が届いた。仏前に供えた。

掲出した「ロシア正教のイコン」画像は手持ちの画像を出したもので、私の詩とは直接には無関係である。


草弥の詩・ 老 後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
226さくら草満開

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(58)

    老 後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
      ──老後とは死ぬまでの日々花木槿  草間時彦──  


  嫌な右目だ 左目はゆっくり空へ向けよう
  揺れるブランコ
  雌猫の目が右目で睨んでいる
  黒い箱の中が暗いとは限らない
  なめらかな時間の薄皮をそっと剥ぐ
  いちにちをむすんでひらいて酔いながら
  風流だなあ 時間の秘処を洗いつつ
  赤ちゃんが赤い ぬくとい朝である。
  
  ひょうたんがふらりと訪ねてきた喪の日
  ガラス器に音楽満ちて昼の葬
  読経する不確かに声寄せ合って
  木の葉一枚もらって帰る葬式
  朝の歯ブラシがやわらかい
  てのひらは明るく開かれ朝のトースト
  昼餉のあとのまどろみの夢見に春画がどぎつい
  性犯罪のようにぬいぐるみが温かい
  楕円形の眠い意識のまま白い陶器
  夕暮にさわってすこし大人 花いちもんめ
  ことりことり足音も忍ばせて幽霊もさみしい
  思考の隣の有象無象がくたびれる
  暮れてゆく窓の不思議を呑みこもう
  馬鹿馬鹿しい長い電話があった
  抜いて差す釘一本。

  老後ってこんなものか二杯目のカプチーノ
  呆ける楽しさ 帽子が水に浮いている
  飽きの来ぬ背中を眺め日が暮れる
  木の股の先に木の股 苦笑する
  未来から過去へ点いたり消えたりしている電灯
  存在の赤さに秋の灯が沁みる
  手を振りつづける 平凡な日常が消えないように。

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 (2010/04/05作)
この作品も「楽市」次次号用に準備していたのだが、次号の発行予定も未定なので、ここにWeb上に発表することにする。



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