K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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山口謡司 『 ん 日本語最後の謎に挑む』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
「ん」

──新・読書ノート──<日本語倶楽部>──(12)

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   山口謡司 『 ん 日本語最後の謎に挑む』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・・・・・・新潮新書2010/02/20刊・・・・・・・・・・・・・・

つい先日、『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明 という本を採り上げた。
この本は同じ著者による、その本の続編である。
ついでに、この本の「帯」裏の写真を出しておく。ここには、この本の項目が出ているからである。

「ん」裏

この本については、新潮社「波」三月号に著者自身による紹介記事が載っているので全文を貼り付けておく。

   「ん」をめぐるミステリー・・・・・・・・山口謠司

 トンボ鉛筆といえば、「Tombow」というローマ字を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、虫の名前なら「Tonbo」と書かれるべきではないだろうか。また東京メトロの駅名「日本橋」には、「Nihombashi」と書かれている。これも、なぜ「日本」の「n」が「m」と書かれているのだろうか。このように「ん」と書かれる日本語が、ローマ字では「m」と書かれている例は他にも多数みられる。これは本書執筆へのひとつの契機になった。
 日本語表記の歴史を精査してみると、我が国には平安時代初期まで「あいうえお」から始まる平仮名や片仮名はなく、すべて漢字を利用した万葉仮名で書かれていた。万葉仮名で書かれた奈良時代の文献『古事記』『日本書紀』『万葉集』などには、実はただの一文字も「ん」という字は使われていないのである。
 また、平安時代初期に著されたとされる『伊勢物語』には「掾」が「えに」と書かれており、『土佐日記』にも本来「あらざんなり」と書くところを「あらざなり」と「ん」を抜いて書いてある。鎌倉初期の鴨長明『無名抄』には、「和歌を書くときには、〈ン〉と撥ねる音は、書かないのが決まりである」と記されているのである。また、江戸時代でも、井原西鶴の『好色一代男』には「ふんどし」を「ふどし」と書いてある。
「ん」は無くてもよい日本語だったのだろうか?
 江戸時代の国学者、本居宣長は、この点について次のように述べている。「我が国の五十音図は、整然と縦横に並ぶものとして作られているが、この『ン』という音は、いずれにも当てはまらない。これは、日本語の音としては認められないものである。だからこそ古代の日本語には『ン』という音がないのである」(『漢字三音考』より拙訳)
 しかし、「書かない」のではなく「書けない」というのが平安時代の実状だった。なぜなら平仮名の「ん」、片仮名の「ン」、また、それを書き表すためのもととなる漢字も存在しなかったからである。そして、その影響は江戸時代まで続いていた。
 江戸時代には、「しりとり」遊びもなかったし、「んー」と返したり、「うん!」と相槌を打つ言葉もなかった。現代の日本語からは、かつて「ん(ン)」がなかったなどとは考えられないだろう。
 では、この「ん」を、いつ、誰が創り出したのか。また、どうして現代日本語の五十音図の最後に取り入れられたのか。
 日本語の脇役的な存在「ん」を主役にして、とくとその舞台裏までお見せしたい一心で、四年間をかけ、私は本書を書いた。前著『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』(新潮新書)と共にお読み頂ければ、「あいうえお」から「ん」までの音と文字の歴史、隠された機能と壮大な思想から日本文化の奥深さを知って頂けると思う。
 日本語は実に面白く、ミステリーに満ちている。  (やまぐち・ようじ 大東文化大学文学部准教授)

的確な要約と言えるので、↑ 先ずこれを読んでもらいたい。

ところで、この「帯」の冒頭に書かれているローマ字の「n」「m」のことだが、執筆動機となったものだが、このことについて彼の奥さんがフランス人であり、そのネイティヴな日本人ではない、いわゆるネイティヴ外人の日本語についてのローマ字表記についてのエピソードから、この本は始まる。
地下鉄の駅名が、日本橋にほんばし=nihobashiと筆記されることからの疑問である。
彼の妻がローマ字で書いたメモを持って買い物に行くときに「あんぱん」→ampan、「がんもどき」→gammodoki と書くそうである。「帯」に載る nihombashi の場合と同じである。
結論を急ぐために説明してしまえば、英語やフランス語、ドイツ語などヨーロッパ諸言語の辞書をひもといてみると、「n」と「m」の表記には厳然たる書き分けがあることが判る。
つまり、次に来る子音が「m」「b」「p」である場合は、普通「n」がその直前に現れることはなく、「m」が書かれるという原則である。
これらのことは、多少、西欧語教育に触れたことのある人なら経験があり、周知のことかも知れない。
口に出して発音してみれば「m」「b」「p」の場合は、唇が触れる「接唇音」であることが判るだろう。このことは彼の本には書かれていないが、私は読んで、すぐ、そのことに気付いた。

他にエピソード的に紹介すると<西洋人は「んー」が大嫌い>というのは、彼の奥さんは、日本人なら誰しもよく発する、喉の奥の方から鼻に抜けるような「んー」という声が大嫌いなのだそうだ。これは西洋人一般がそうらしい。
こういう場合に、フランスも含めて欧米の漫画や小説を見ると、我々日本人が「んー」という音を出す場面では「mmm」「hmmm」と書いてある。日本語に直せば「ムムム」や「フムムム」だという。試しに妻に向かって「んー」の代りに「ムムム」と答えてみると嫌な顔をしないという。

この本には「空海」や「サンスクリット語」のことなど、日本語の発展、新展開に関する重要な話も書いてあるので、先に紹介した『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明 の本とともに読んでもらいたい。
<日本語倶楽部>の一環として、ここに採り上げた次第である。



山口謡司『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明 ・・・・・・・・・・・木村草弥
日本語の奇跡

──新・読書ノート・・初出Doblog2008/03/03──<日本語倶楽部>──(11)

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  山口謡司『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・・・・・・・新潮新書2007年12月刊 ・・・・・・・

「日本語」にこだわるものとして、漢字カナまじり文という世界でも特異な表記法を築き上げた先人たちの叡智と努力を、こうして判りやすく体系的に一冊にまとめた、最近でのヒット作として、先ず喜んでおきたい。
カタカナやひらがな、漢字を巧みに組み合わせることで、素晴らしい言葉の世界を創り上げてきた日本人。先師先達のさまざまな労苦の積み重ねをわかりやすく紹介しつつ、これまでにない視野から日本語誕生の物語を描く。
著者の山口謠司は1963年長崎県生まれ。大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、大東文化大学文学部准教授。

ここでネット書店BK-1 の、この本の紹介に載る「オリオン」という人の書評を貼り付けておきたい。
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 『堤中納言物語』に、ある貴人からの贈り物への返礼として、カタカナで和歌を書き送った(虫めづる)姫君の話が出てくる。
 本居宣長の門人伴信友は、この一篇に寄せて、「さて其片仮名を習ふには五十音をぞ書いたりけむ。いろは歌を片仮名に書べきにあらず」と記した(『仮名本末』)。和歌をカタカナで書いてはいけない。草仮名すなわちひらがなで書かなければならないというのだ。
 ここに、この本で書きたかったことの淵源がある。著者は、あとがきでそう述べている。
 伴信友がカタカナを五十音図に、ひらがなをいろは歌に対応させたことを敷衍して、著者は本書で、日本語を培ってきた二つの世界を腑分けしてみせた。すなわち、〈アイウエオ〉という「システム」(日本語の音韻体系)を支える世界と、〈いろは〉という「情緒」(言葉に書きあらわすことが出来ない余韻)を支える世界。
 それは同時に、日本という国家を支えてきた二つの要素に対応している。外来の普遍的な思想(たとえば儒教、仏教)や統治制度(たとえば律令制)と、「国語」としての日本語でしか伝えられない「実体」とでもいうべきもの(たとえば民族性、もののあはれ)。
 著者は「システム」と「情緒」を、空海の業績に託して、「情報」と「実」とも言いかえている。
《空海が持ち帰ってきたものは、情報より「実」とでもいうべき意識ではなかったか。言ってみれば、借り物ではない世界を実現する力である。
 むろん、それまでの日本に「実」というものがなかったわけではない。しかし、「世界」とは中国であり、「普遍の伝達」とは中国の模倣とイコールであった。「実」という意識はまだ薄かったであろう。(略)
 「実」という意識は、あるいは、芸術家が模倣を繰り返す修行時代を抜けだし独創の境地に立った地点と似ているとでも言えようか。模倣は本来、「実」を必要とはしない。模倣によってあらゆる技術を身につけようとするときの条件は、いかにして「実」を捨てられるかである。しかし、捨てようと思えば思うほど、目の前の壁となって「実」は大きく姿をあらわしてくる。そして、いかにして「実」を捨てられるかともがき続ける修行のなかで、最後の最後に幻のように残った「実」こそが、まさしく独創の足場となるのではなかろうか。
 折りしも日本では、本当の意味での独創が始まろうとしていた。日本語において、それは〈カタカナ〉と〈ひらがな〉へとつながってゆくのである。》
 こうして著者は、漢字伝来から(鳩摩羅什による仏典漢訳の方法に倣った)万葉仮名の創造を経て、漢字の簡略化によるカタカナの、また、そのデフォルメ(草書体)を利用したひらがなの発明へ、そして、十世紀前半と目されるいろは歌の誕生(作者不詳)へと説き及んでいく。
 また、空海によるサンスクリット語の伝来に端を発し、十一世紀後半を生きた天台僧明覚による(子音と母音を組み合わせた)日本語の音韻体系の解明から本居宣長へ、そして「情緒よりシステムの構築を必要とした」明治時代、大槻文彦による五十音配列の『言海』と至る五十音図誕生の物語を語っていく。
《〈いろは〉と〈アイウエオ〉の両輪によって情緒と論理の言語的バランスを取ることができるこのような仕組みの言語は、日本語以外にはないだろう。あらゆる文化を吸収して新たな世界を創成するという点で、それは曼荼羅のようなものだと言えるかもしれない。
 我々はそうした素晴らしい日本語の世界に生きているのである。》
 この末尾に記された言葉がどこまで真実のものでありうるのか。それは、千年をはるかに超える日本語探求の歴史の重みを踏まえた、これからの言語活動の質にかかっている。
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ここに紹介した「オリオン」氏の書評だけからは、少し判りにくいかも知れない。
この本の「帯」には

<日本人が創り上げた たぐい稀な言葉の世界!
 かつてない視野から描く日本語誕生の壮大な物語。>

とある。そして「帯」の裏面には

 ○淵源としてのサンスクリット語
 ○万葉仮名の独創性
 ○空海が唐で学んできたこと
 ○<いろは>の誕生
 ○妙覚、加賀で五十音図を発明す
 ○藤原定家と仮名遣い
 ○さすが、宣長!

が挙げられているが、これらは「目次」に書かれているものである。
私が部分的に知っていることが、この本によって体系的に知らせてもらって有難かった。
私たちが「表意文字」「表音文字」などと、簡単に言い過ぎてしまっていることも、この本では「表意記号」「表音記号」と書かれていて、その方が的確な言い方である。これに関連していうと、第二章「淵源としてのサンスクリット語」に、このことが書かれている。

<ひらがな><カタカナ>と我々が何げなく使っている「言い方」だが、第七章「仮名はいかにして生まれたのか」に詳しく書かれている。
なぜ「仮名」なのか。ここには、こう書かれている。

<どうして「仮」という言葉がついているのか。当時、「仮名」は別に「借字」(しゃくじ)という呼称もあったが、これは「漢字を借りる」という意味である。「仮」の意味が分かれば、「借」という字がつけられた意味も理解できるだろう。
漢字は、奈良時代以来、別名で「真名」(まな)と呼ばれていた。「真」とは「中身がいっぱいに詰まっている」という意味を本来持つ漢字であり、「仮」とは「中身のない見せかけの」の意味である。>
中国伝来の漢字を使って「日本語」の表記を、どうしてゆくか、を考えて、漢字の「音」(おん)を利用するだけではなくて、「漢字を簡略化する」「漢字の一部を利用する」などして<カタカナ>が考案され、全体をデフォルメした草書体(当時は「草仮名」と呼ばれていた)を利用して<ひらがな>が、新しい我が国独自の文字となっていったのである。因みに<ひらがな>という呼称が起こったのは江戸時代になってからである。
漢字の意味や発音を捨て去った「見せかけ」の部分を使うからこそ、我が国独自の文字は「仮名」という名称で呼ばれることになったのである。

著者も「あとがき」で<書き足りない・・・・・。稿を終えての思いはそれに尽きる。>と書くように、「新書」というページ数の制約もあるので仕方がないのだが、この本に肉付けした内容豊富な一冊を、著者には、ぜひお願いしたいものである。
日本語にこだわる人には必読の一冊である。よく売れていて12/20の初版から、すぐに1/15には2刷が出ている。私の買ったのは2刷のものである。


「日本語倶楽部」──元Doblog記事の「再録」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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元Doblog記事の「再録」──

2007/06/01のBlog

──★日本語倶楽部★──(1)

   買春(かいしゅん)という言葉について・・・・・・・・・・・木村草弥

もう十数年も前のことになるが、私の旧制中学校から大学も同じ友人で、某一流会社の専務まで勤めて威張っていた男が、放送局のアナウンサーが「買春」を「かいしゅん」と読み上げるのは、けしからんと、私あての手紙で言ってきたことがある。
当然、私は正当な返事をしたが、このことは日本語の成り立ちに面白い示唆を含むので、少し書いてみる。

結論を先に言っておこう。「買春」を「かいしゅん」と読むことは正しい。
日本語というのは「音」(おん)と「訓」(くん)の二本立てで成り立つ言語である。
この友人の言ってきたことにも一理はある。「売買」(バイバイ)という熟語があるように「音よみ」すれば「買」は「バイ」と発音するが、事は、そう簡単ではないのだ。
(お断り) 概念を正確にするために、これからは「音(おん)読み」は「カタカナ」で、「訓(くん)読み」は「ひらがな」で表記するようにする。 

「売春」(バイシュン)という音読みの言葉があるので「買春」を音読みでしてしまうと、おなじ発音になってしまって紛らわしい。そこで考えられたのが「かい・シュン」という読み方である。
日本語の読み方には先に言ったように二通りある上に、このような一つの熟語に「音読み」と「訓読み」を一緒にして「読み」を合成することがある。こういうのを「湯桶」(ゆ・トウ)読み、あるいは「重箱」(ジュウ・はこ)読み、と称するものである。
「湯」は訓読みでは「ゆ」であり、「桶」は音読みでは「トウ」である。これが湯桶読み。重箱を読むときは「ジュウ・はこ」と読む。これが重箱読みと称されるもの。
太古、日本には文字が無かった。歴史時代になって中国、朝鮮半島から渡来人によって、かの地の先進的な文明が齎されるときに「漢字」という文字が一緒に渡来した。しかし、文字は無くても、「言葉」はあった。それが「和語」あるいは「やまとことば」と称されるもの=訓読み、の基礎となるものである。
一方、大陸から齎された漢字による「漢語」は音読みとして成立し、以後、日本語は、この二つの「読み」を使い分けて、今日に至っている。
有名な「万葉集」は、原文は全部、漢字表記である。上に述べたように「やまとことば」も「漢字に由来するもの」も、すべて漢字で書かれている。その仕組みは複雑で、単に「音」(オン)を表わすもの、漢文を読み下す時の上下かえり点式のものなどの組み合わせで表記される。ここで一例をあげる。
有名な柿本人麻呂の歌

ひんがしの野にかぎろひのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ

(原文) 東 野炎 立所レ見而 反見為者 月西渡 (万葉集巻①歌番号48)

の歌は後世に賀茂真淵が訓み下したとされるが、結句の「月かたぶきぬ」の原文は「月西渡」の三文字である。だから今の万葉学者の中には、これはいかにも文学的な「意訳」であり、人麻呂の言いたかったのは、単純に「月西渡る」ではなかったのか、と言われたりしいている。
このように「訓(よみ)くだし」てゆく訳だが、国語専門の友人に聞いてみたら、どうしても訓みくだせない歌が数個あるらしい。

私がもっともらしく、ここに書いたことは国語辞典、漢和辞典の中規模のものであれば、巻末に書いてあることである。先に述べた「漢語」の中には「漢音」「唐音」「呉音」という、渡来時期の前後によって「発音」の違うものがあり、余計にややこしい。たとえば仏教用語──お経、などは「呉音」である。極端な例では、一つの漢字に、この三つの「音」が全部使われているものがある。実例は、お楽しみに、お探し願いたい。これを「日本語倶楽部」のクイズにして皆さんに当ててもらおうか。

はじめに私の友人の憤慨していた「買春」=かい・シュン、は、上に書いた「湯桶読み」にあたるわけである。こんな用例は、いくらでもある。「思惑」=おも・ワク、もそうである。他に、どんな用例があるか、探してみてほしい。
そのお楽しみに、ここでは、これ以上の例示はやめておく。

たとえば「五月一日」を「ごがつ・ついたち」と読むのが一般的だが、昔の軍隊あるいは今のお役所などでは「ごがつ・いっぴ」などの読み方をする。私なども、その真似をして「いっぴ」と言ってみたりもする。
この場合の「ついたち」という読み方は「和語」「やまとことば」である。

(注)上に書いた「万葉集」の原文に当りたければ、
 『萬葉集』本文篇─佐竹明広・木下正俊・小島憲之 共著(塙書房)が
 漢文の原文と「訓み下し文」を併記してあり、かつ値段も2100円と手ごろである。
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2007/06/02のBlog

──★日本語倶楽部★──(2)
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「ら」抜き言葉のこと・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

日本語が乱れていると言って、よく例にあげられるのが「ら」抜き言葉である。もう十年以上も前になるが、或る短歌結社の全国大会の班別歌会で、地方ではかなり威張っている人が、この「ら」抜き言葉に触れて、何かの機会に国語学者の金田一春彦氏に、そのことを言ったら金田一さんは、たいして取り合わなかった、と憤慨して話した。私は、そのとき司会者をしていたが、「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私まで攻撃の対象にされてしまったことがある。

言語、あるいは言葉というものは揺れ動くものである。 今ある言語あるいは言葉あるいは表記というものは、時代とともに変化する。そういう点で専門の学者の方が寛容である。

見出しに挙げた「ら」抜き言葉も、何の原則もなしに「ら」抜きにされているわけではないのだ。
長野県─信州方言では「ら」抜きが一般的らしいが、たとえば「見ることが出来る」という可能動詞では「見れる」となる。一方、誰かに「見つめられる」という意味の「受身動詞」では「ら」抜きではなく「見られる」となる。
このように規則性は、ちゃんとあるのである。
いま私は信州方言と言ったが、私は信州人でもなく、また信州と言っても木曾谷、佐久平、伊那谷その他縦に走る山脈によって隔てられた信州には一律にはゆかない違いがあるかと思う(間違いは指摘して下さい)が、これは信州出身のかなり影響力のある文化人の発言であるから当らずとも遠からずだと思う。
信州人は東京には多くの人が進出しており、文化人も多い。
だからというわけではないが、「ら」抜き言葉は、遠からず「許容」されて一般的になると、私は見ている。

辞書などを見てみると上古以来、日本語の使い方は、ものすごく変化して来た。「ことわざ」「格言」的な言葉など本来の意味と違う意味に現在は使われているものが、たくさんある。これについても「日本語倶楽部」のアンケートの対象にしても面白いので、ここで実例を挙げることは控えておく。これらを、よく知るためには国語辞典ではなく「古語辞典」を紐解いてみると面白い。暇な何もすることがない時など、辞書は最高の友人になり得る。
よく言われることだが、文化人とか詩人とか歌人、俳人と呼ばれる人の机の脇には辞書が、でんと置かれて、ちょっとした疑問や物忘れなどの折に触れて彼らは辞書を引く。素人に限って、そういう努力をしない。これが才能が開花するかしないかの分かれ道である、と。
その通りで恐れ入るが、いずれにせよ辞書には何千年の日本人の「日本語」に関する叡智が詰め込まれているのである。

私自身は駄目な男だが、私の同級生には仏文の教授や国語学の専門家や外国人に対する日本語教育のパイオニアなど、錚々たる友人がたくさん居るので、著書などを戴く機会も多いので勉強させてもらっている。

いずれにしても言葉は揺れ動くものだということを言っておきたい。その変化は先ず「発音」から始まる。それが「表記」と矛盾してくる時に、例えば「新かなづかい」のような大掛かりな国語表記についての大変動が起きるのである。これは何も日本語だけの問題ではなく外国などでもしょっちゅう起っていることである。
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5/19.17:00追記
いま届いた「読売新聞(大阪)」夕刊を開いてみたら、金田一春彦先生が91歳で今日なくなられたという。文化功労者。解説には、私が先に書いた通りの事が書いてある。すなわち「言葉は時代とともに絶えず変化する」が持論で、若者の「ら」抜き言葉などにも理解を示した、など。早く書いておいてよかった。ご冥福をお祈りしたい。
5/20.追記
京都新聞は今朝の記事で大きく伝えた。先生は八ヶ岳の別荘に滞在中に倒れ、意識不明のまま甲府市の病院で、蜘蛛膜下出血のため死去された。
今日の記事には玉村文郎同志社大学名誉教授の話として、次のように書かれている。
<今春、東山七条の智積院に真言声明の研究に訪れられ、同席させて頂いた時にも、お元気だったので、突然の訃報に驚き、また残念でならない。新村出先生と春彦先生の父、京助先生は先輩後輩の関係で、新村出記念財団発足では春彦先生に陰に陽に助言いただき、発起人にもなって頂いた。同じ国語学の研究者として北京で一緒に滞在したこともあるが、幅広い方で、難しい専門の歴史的なアクセントの研究も一般の人に実に面白く上手に話された。>
見出しは「難しい話を面白く」とある。これこそ達人の真髄である。この玉村文郎君は私の同級生で国語学と外国人留学生に対する日本語教育のパイオニアである。国語学の著書の他に『日本語学を学ぶ人のために』
『新しい日本語研究を学ぶ人のために』などの本がある。

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2007/06/03のBlog

──★日本語倶楽部★──(3)

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日本語の成り立ち(1)──訓読の由来・・・・・・・・・・木村草弥

先日来、「買春」「ら」抜き言葉、など、いろいろの話題を書いてきたが、日本語の「訓読」というのは、簡単に書いてしまっては、いけないのではないか、と考えて2、3回にわけて少し書いてみることにする。
初回は訓読の由来について。

上古、私たちの祖先は文字を知らない人たちであった。大切な事は、もっぱら「語り部」の口伝えによって伝承された。
日本と中国との間には、遠く西暦2、3世紀の頃から多少の行き来はあったが、応神天皇の16年(285年)に、百済から王仁が「論語」「千字文」などを携えて来た。漢字によって記録し、漢籍を読んで知識を得るようになったのは、それから後のことである。
漢字を知った日本人は、さっそくそれを二つの方面に利用しはじめた。
(1)漢字を表音文字として活用し、わが国の固有の言葉や地名、人名などを書き表すことであった。「つしま」を都斯馬、「みこと」を彌己等、などと書く。これが真仮名(まがな)つまり「古事記」や「万葉集」の和歌などを書くのに用いられた、いわゆる万葉仮名である。またその方法を簡略にしたのが、後の平仮名や片仮名である。たとえば日本語の「ア」という音を表わした漢字「安」を簡略にして「あ」と書き、あるいは漢字「阿」の一部をとって「ア」と書いた。日本語の表記のために、今日に至るまで大きな働きを演じてきた仮名の起こりは、実はここにあったわけである。

(2)つぎに中国の書物を理解するために、それを日本式に訳して読む方法を考えた。もちろん当初は、中国や朝鮮から渡来した人たちについて、原書をそのまま棒読みしたに違いない。たとえば雄略天皇から中国六朝の宋国にあてた手紙や、推古天皇の15年に、小野妹子が隋に届けた「日出処天子、致書日没処天子、無恙」という手紙などは、整った漢文であるし、「懐風藻」という見事な漢詩集さえも我が国で作られている。しかし外交文書は、当初は渡来人の起草したものであろうし、また自由に漢詩を作れたのは、特別な教育を受けた人か留学生に限られていた。漢籍や仏典をもっと手近に会得する方法はないかと、幾たびも繰り返して翻訳の努力を重ねるうちに、こうした願いがかなって、いつしか訳読の型が習慣的に決ってきた。たとえば「我=われ」「汝=なんじ」「草=くさ」「木=き」と訳する。これを訓読みという。「仁義」だの「国家」だのという言葉は固有の日本語では訳しにくいので、そのまま中国式の発音を真似て「じんぎ」「こっか」と言い、わが国の言葉の中に取り入れてしまう。これが音読みである。
こうして訓と音とを併用して、先ず一つ一つの漢字の訳し方が決ってきた。多くの漢字には、訓(字訓)と音(字音)の双方がつけられた。草=くさ、木=き、国=くに、家=いえ、などは字訓であり、同じ字だが、草=ソウ、木=ボク、国=コク、家=カ、などは字音である。

また、中国語では単語を一定の順序に並べて文意を表現するだけで、日本語の用言の活用にあたるものがないし、また単語の橋渡しをする助辞(助字)も少ない。もちろん単語の並び方も日本語と違っている。そこで先ず単語の訳し方を決めるとともに、次には語順を日本語式に入れ替えたうえ、活用語尾やテニヲハなどの助辞を補わねばならない。日本と朝鮮は言語の性質が似ているから、三韓においても漢文を読むにはこのような方法を用いた。朝鮮ではそれを吏読(リト)と言い、わが国では訓読と呼ぶ。
単語を和訳し、語順を入れ替え、活用語尾や助辞を補うという手順を経て、「食肉」「登泰山」という漢語は、肉を食らう、泰山に登る、という日本語に訳される。こうして奈良時代の末には、もう今日の訓読法に近い訳読の仕方が、だいたい成立していたと考えられる。漢文訓読の方法は、平安時代の博士家、鎌倉・室町時代の五山の僧侶、江戸時代の学者たちなど、それぞれに多少の特色があり、ことに訓点のつけ方には、いろいろの変遷があったが、詳細は省略するが、近代、現代の我々が習ったものは明治45年(1912年)に作られた折衷法に従っているのである。

当時の中国と言えば、世界に冠たる文明を誇ったものであり、日本人にとっては、見るもの、聞くものがすべて驚異の的であった。我々の祖先が精魂を傾けて、この外来の文化をわが物にしようと心掛けた努力の結晶が仮名の発明となり、また漢文の訓読法となって稔ったと言うよう。
次回からは、字音、漢音・唐音・呉音、字訓などについて触れたい。
(参考文献)貝塚茂樹ほか『漢文について』から間違いのないようにほぼ忠実に転記した。
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2007/06/04のBlog

──★日本語倶楽部★──(4)

日本語の成り立ち(2)──呉音・漢音・唐(宋)音について・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

まだ大規模の往来がなく、西国(さいごく)の住民たちが風のたよりに細々と大陸の文明の末端に接していた頃にも、すでに漢語が日本語の中に紹介されている。馬 ma 、梅 mei は、早くから訛ってウマ、ウメとなり、竹 tiuk →タケ、麦 mek →ムギ、銭 dzien →ゼニ、郡 giuen →グン、などの言葉も極めて古い時代に借用されて、まるで固有の日本語であるかのように、生活の中に溶け込んでしまった。
だが系統的に漢字の字音が訳読されたものと言えば、呉音・漢音・唐(宋)音の三つを挙げなければならない。
もっとも呉音の前にも、推古時代以前の碑文や古代歌謡をしるすのに用いられた珍しい漢字の音がある。たとえば、明=マ、宜=ガ、移=ヤ、居=ケ、止=ト、意=オ、己=コ、などがそれで、これは中国の六朝以前、つまり3、4世紀ごろの発音を反映したものであり、その痕跡は万葉仮名にも残っている。その詳しいことは省略して、まず呉音の伝来とその系統を考えてみよう。
応神天皇からあと推古時代にかけて、朝鮮から王仁、段楊爾、曇徴などのすぐれた学者や僧侶が渡来し、多くの文物がもたらされた。つまり6世紀ごろになって、にわかに大陸との文化的な接触が増えてきた。その頃に取り入れられた字音が次第に固まって、呉音と呼ばれる字音の層を形成した。
当時の中国は南北朝の時代で、文化の中心はむしろ長江下流、つまり古代の呉の国の故地に建国した南朝にあったが、のち隋・唐が天下を統一してから、北方の長安が首都となり、江南の発音は呉音と呼ばれて軽んじられるに至った。日本でもその風を真似て、のちの漢音に対して、その前に伝わった南朝式の字音を呉音と呼んだのであろう。
呉音の主な特色は五つある。
(1) 漢語の清濁の区別を読み分ける。
 〔例〕 半p ハン⇔盤b バン、刀t タウ⇔陶d ダウ、糟ts サウ⇔曹dz ザウ。 漢音では盤ハン、陶タウ、曹サウ のように清(す)んで読む。
(2) 漢語の鼻音mnなどをマ行、ナ行に読む。
 〔例〕 馬mメ、万mマン、奴nヌ・ノ、難nナン、人nニン。 漢音ならば馬バ、万バン、難ダン、人ジンのように、バ行、ダ行、およびジに濁って読む。
(3) 六朝の漢語では、広いaと、狭いaとを区別した。(狭いaの上には・という記号がつくが、ここでは表示できないので省略し、例のみ書く)
 〔例〕 干カン⇔間ケン、歌カ⇔家ケ。 漢音では間カン、家カと読んで、区別しない。
(4) 中国の庚・清・青などの諸韻および祭・斉などの韻は、だいたいeに近い母音を含んでいたと思われる。だから漢音では京ケイ、青セイ、礼レイ、西セイと読む。しかし呉音では、なぜか、これをア段に読む。
 〔例〕 京キャウ、青シャウ、礼ライ、西サイ、と読む。これは南朝特有の方言的な癖を反映したものらしい。
(5) 中国の欣韻、元韻に属する字を、近ゴン、隠オン、言ゴン、建コンのようにオ段に読む。漢音では近キン、隠イン、言ゲン、建ケン、である。

ところが平安時代つまり8、9世紀に入ると、わが国からしきりに遣唐使が入唐し、また空海や慈覚大師のような名僧も唐土に留学した。
当時の都は大陸の西北地方に近い長安であったから、これらの人々の習得してきた、いわゆる漢音は当時の標準語だったものの、いわば中国の西北方言であった。呉音の層とは、その時代も違い、土地も異なるので、両者の間にはかなりの隔たりがあった。
朝廷では、音博士や僧侶に対し、この新来の漢音を学ばせることにしたが、すでに呉音はかなり広く日本人の生活に浸透していたため、一朝一夕には改まらない。結局、仏典の読経には今まで通り呉音が多く用いられたし、当時のインテリたちに愛好された漢籍の読み方は、次第に漢音に傾き、一般人の言語生活には、漢呉両音混用の状態が生じてしまった。
漢音の特色は先に呉音のところで書いたが、漢音でなぜ、清濁を混同し、鼻音のmnをバ、ダに読んだかと言えば、当時の長安において、b d gをp t kから区別せず、またmnをb d に近く発音する癖が起っていたためで、たまたま留学生が忠実に、その風を伝えたからに他ならない。(清濁を混同する癖は、下って今日の北京語にも残っているが現代中国語に関することなので、ここでは触れない)
漢音、呉音の二つの層が重なったことは、日本語の漢字音を混乱させ、多くの漢字に二種、三種の字音が出来て、学習上まことに面倒な事態を引き起こした。たとえば同じ字について次のように使い分けている。
 〔例〕 極ゴク楽(呉音)⇔極キョク致(漢音)、東京キャウ(呉音)⇔京ケイ浜(漢音)、古今コン(呉音)⇔今キン時(漢音)、関西サイ(呉音)⇔西セイ洋(漢音) など。
熟語の上下字に漢呉両音の混用されたものがある。
 〔例〕 「面目メンボク」は、呉音ならメンモク、漢音ならベンボク というのが当然であるが混用されている。「埋没マイボツ」は呉音マイモチ、漢音バイボツが正当。
正月、二月という際に「グワツ」と読むのは、まったく両者の絡み合った混生児である。このようなものを慣用音という。「乙オツ」と読むのも呉音オチ、漢音イツを混用したものである。

最後に唐音とも宋音とも呼ばれる新しい字音の層がある。12、13世紀の鎌倉・室町時代の頃、中国の宋と往来した禅僧の伝えたのが、これである。北宋は開封に、南宋は江南の杭州に都した。ただし当時はすでに今日の北京語の母体をなす標準語が成立しかけていたので、日本に伝わった唐宋音は、かなり今の北京語に似ている。ここでは例を挙げるにとどめる。
 〔例〕 湯たん婆ポ、和尚ヲシャウ、暖簾ノレン、緞子ドンス、蒲団フトン、椅子イス、下司ゲス、箪笥タンス、行灯アンドン、普請フシン、 など。
唐宋音は数も少ないし、さほど負担にはならない。

こうして見てくると、漢字の字音が多岐にわたり、学習上からも面倒なのだが、字音伝来の歴史として理解し、それぞれの体系のあらましを心得ておきたい。
今日では、実生活上、いずれかの「音」に統一されてゆく傾向にある。間違いでない限り、どちらでもいい場合は、それが望ましい。たとえば「発疹」は以前は呉音で「ホッシン」と呼ばれていたが、次第に漢音で「ハッシン」と呼ばれるようになったのは、一例。
次回は「字訓」について簡単に触れたい。
(参考文献)貝塚茂樹ほか『漢文について』
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こうして見てくると「呉音」はほぼ時代的に、もと呉の国の辺りの発音を表わしているので呼び方として妥当だが、「漢音」は時代的には「唐」の首都の辺りの発音であるから「唐音」という呼び方が本来的には正しかった。「漢」という国は、ずっとずっと昔の国だったから、「漢」の国の「音」が、どうだったか、は判らない。だから、呉音の後に漢音という呼び方は、すべきではなかった。強力な唐という国で使われていた「漢字」の音、というような単純な発想から「漢音」と呼ばれるようになったのだろう。「唐音・宋音」というのは唐音はやめて「宋音」とすべきだった。
しかし、これは歴史的に呼ばれて来たことなので仕方ないことではあるがーー。
ずっと以前から疑問に思っていたことなので、この機会に書いておく。

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──★日本語倶楽部★ ──(5)

日本語の成り立ち(3)──字訓について・・・・・・・・・・木村草弥


漢字の意味を取り、それを日本語に訳して読むのが訓であるが、山ヤマ、草クサのような素直な訳をつけたものを正訓という。熟語のうちでも、本来わが国にあった言葉に、素直に漢字をあてた場合には、手洗テアライ、神棚カミダナ、昔話ムカシバナシ、のように、すらりと読むことが出来る。
しかし既成の漢語の熟語に対して、いちいちの漢字を問題とせずに、全体として適当な訳語をあてはめた場合には、独特の訓が成立する。全体の意味をとって訳したのであるから、これを義訓という。
 〔例〕 七夕タナバタ、団扇ウチワ、海苔ノリ、蟷螂カマキリ、鴛鴦オシドリ。
また逆に、本来わが国にある言葉を仮名で書かずに、やや気取って漢字の熟語にあてた場合もある。この場合にも結果から見れば義訓で読むこととなる。
 〔例〕 祝詞ノリト、時雨シグレ、百足ムカデ、足袋タビ、不知火シラヌヒ。
明治以降に外国語が輸入されると、それを仮名で書かずに、意義の上から類似している漢字をあてた。これもやはり義訓の一種である。
 〔例〕 燐寸マッチ、硝子ガラス、麦酒ビール、煙草タバコ、倶楽部クラブ。
次に日本人の生活の中から生まれ出たいろいろの熟語のうちには、音と訓をつきまぜて読むものも少なくない。
 〔例〕 夕刊ゆうカン、手本てホン、消印けしイン、水鉄砲みずテッポウ。
このように、上字を訓で、下字を音で読むものを湯桶(ゆとう)読み、という。
これに対して
 〔例〕 天窓テンまど、本棚ホンだな、仕立シたて、馬車馬バシャうま。
このように上字を音で、下字を訓で読むものを重箱読み という。

字訓は漢字の意義を取ってこしらえた訳語であるから、その漢字に幾つかの意義があれば、それに対する訓も幾つも用意せねばならない。たとえば
漢字「生」に対して、「いきる」「うまれる」「うむ」「なま」などの訓があり、「行」に対して、「いく」「おこなう」のなどの訓が並存するのは、そのためである。特に「姓名」には誰しも一工夫こらすのが常であるから、ふだん使わないような訓読みがしばしば登場する。地名にもまた珍しい訓がある。ただし、これらのうちには、むしろ固有の日本名に対して、その意義に近い漢字をもじってあてたものもある。
 〔例〕(姓名)日下クサカ、服部ハットリ、五月女サオトメ、五十嵐イガラシ
 (地名)利根トネ、乙訓オトクニ、柘植ツゲ、七浦シツラ、勿来ナコソ。
七寸五分クツワタ、子子子ネコジ、大歩危オオボケ
などに至っては、事情を知らぬ者には読める筈がない。

さて、漢字に対して字音と字訓とが並存し、かつ訓読みが、これ程範囲を拡大した原因はどこにあるのだろうか。それは文字としての漢字の本質に由来する。
漢字は中国の言葉の音を代表するのはもちろん、同時に言葉の意義をも表わしている。abcなどの表音文字と違って、漢字は表意文字(むしろ表語文字と言う方がよい)である。意義を表わす以上は、いちいちの字に対する訳がつけられ、やがて訳が固定すれば、その応用が許される。そこで、借用するには極めて便利であるが、かといって、むやみに乱用すると煩雑に流れるのを避けがたい。

ここに書かれているのを読むと、今どきの、子供の名前の命名法には疑問を感じざるを得ない。当て字、宛て音もいいところで、自制的な行動を求めたい。

これで、今回の「日本語の成り立ち」シリーズは終わりにする。
(参考文献)貝塚茂樹ほか『漢文について』

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2007/06/06のBlog
──★日本語倶楽部★ ──(6)

日本語の実際─呉音・漢音・唐音の実例・・・・・・・・・・・木村草弥


私は短歌の世界に入る前に、時期的にいうと昭和60年頃、「日本漢字能力検定」に挑んでいたことがある。子供の頃から、国語や文学が好きで中等学校の頃にも点数も良かったし、自信もあった。日本語という国語は生まれた時から意識せずに使ってきて、私の身についたものだった。学校教育を離れて久しく、実生活では不自由なく読み、書き、していた。
この漢字能力検定というのは、一時、「文部省公認」という資格に認定され、英語検定などと同じように、上から1級、2級という風にランク分けされるようになるが、その前は、段位と級位のランク分けで、上は5段とか7段とかのランクもあった。もっとも、こういう高段の試験は数年に一回しか試験がなかった。
この検定は京都に本部のある日本漢字能力検定協会というのが主催しており、会長は京都大学名誉教授の日比野丈夫、顧問には有光次郎、貝塚茂樹などの名前があった。
さてテキストを取り寄せて、やり始めてみると、学校の国語教育、つまり文部省の国語教育の指導要綱に準拠しており、字を書く時の「ハネ」なども厳密に採点段階で審査され、守れていないと減点になった。一般人は1級から受験できたが、(というのは小学校、中学校単位の集団受験が多かった。この段階では、当然、学校教育での学習指導要綱により、受験できる級位はおのずと決っていた)、自信があるからと言って、どこの段位から受験できるということはなく、必ず1級から順番に受験することになる。
1級は200点満点で160点が合格点であり、先に書いたように筆順の「ハネ」なども、ひとつ5点の配点だから、かなり気を使うことになる。
因みに、私は1級から受験して、幸い一回で1級に合格、あと春秋と年2回の試験を受けることになる。初段に合格し、2段にも、途中の失敗もなく到達した。1級は中学までの国語教育──当用漢字(今は常用漢字)表、音訓表などに準拠したものだが、初段からは表外漢字や旧字体の漢字(正漢字)などが出題対照となるので難度は、著しく高くなる。初段からは合格点は200点満点で170点だった。 それ以後は、短歌の世界に脚を踏み入れたので、先へは進まなかった。 だから2段の立派な免状が残っている。

いま手元に、そのときのテキストがあるので、それに基づいて書いてみよう。
先に呉音・漢音・唐音などのことを書いたときに、いろいろ質問があり、実例を示してほしい、などのご意見があったので、ここでは、それらの実例を出来るだけ多く挙げてみることにする。

(1)呉音の例
呉音は仏教用語に残っているものが多い。 (呉音に該当するもののみ、カナで音を付す)
 〔例〕 菩提ぼだい、法主ーす、衆生しゅじょう、冥加みょうー、勤行ごんぎょう、修行しゅぎょう、読経どきょう、解脱げー、輪廻ーね、礼拝らいはい、回向えこう、欣求ごんぐ、権化ごんげ、金堂こんどう、建立こんりゅう、還俗げんぞく、清浄しょうじょう、自業じごう。
日常用語に残る呉音は下記のようなもの。
 〔例〕 平等びょうー、強情ごうじょう、天然ーねん、人間にんげん、本名ーみょう、無言むごん、黄金おうごん、献立こんー、有無うむ、境界きょうー、最期ーご、文句もんー、関西ーさい、極楽ごくー、金色こんじき、会釈えしゃく、家来けー。

これらの熟語を、いまワープロで入力して変換してみたが、これらの言葉は、みな常用漢字の音訓表に載っているものと見え、ちゃんとIMEに入っていて遅滞なく変換できる。

(2)漢音の例
 〔例〕 平穏へいおん、強行きょうこう、自然しぜん、人権じんけん、期間きかん、終生しゅうせい、著名ちょめい、格言かくげん、献金けんきん、有益ゆうえき、無礼ぶれい、境内けいだい、初期しょき、文化ぶんか、北西ほくせい、極地きょくち、会社かいしゃ、家庭かてい。

このように、現在われわれが使っている漢字では、漢音で読むものが最も多い。
ここまで変換した漢字もIMEで遅滞なく変換できる。

(3)唐音(宋音)の例
 〔例〕 行灯あんー、提灯ちょうちん、蒲団ふとん、緞子どんす、炭団たどん、風鈴ーりん、花瓶ーびん、椅子いす、甲板かんぱん、行火あんー、饂飩うどん、饅頭ーじゅう、銀杏ーなん、、石灰しっくい、普請ーしん、亭ちん、餡あん、栗鼠りす、行宮あんぐう、行脚あんぎゃ、胡散うー、胡乱うろん、和尚おー、明朝みんー、南京ーきん。

これらのうち、「石灰」は「しっくい」、「亭」は「ちん」とは変換できなかった。「せっかい」「てい」と漢音で変換できた。

(4)同じ字が呉音・漢音・唐音三つに読み分けられる例 同じ字は太字で示す
〔例〕呉音=京都きょうー、読経ーきょう、頭痛ずー、光明ーみょう、平和ーわ、行列ぎょうー、外科げー。
 ★ 漢音=京浜けいー、経済けいー、頭髪とうー、明治めいー、和楽かー、行進こうー、外国がいー。
 ★ 唐音=南京ーきん、看経ーきん、饅頭ーじゅう、明朝みんー、和尚おー、行脚あんー、外郎ういー。

(5)慣用音 いろいろの音がゴッチャに混ぜて使用されている例
 〔例〕 格子こうー、脚立きゃー、信仰ーこう、懸念けー、合戦かっー、留守ーす、情緒ーちょ、掃除ーじ、仁王にー、一切ーさい、早速さっー、愛想ーそ、愛着ーじゃく、弟子でー、法度はっと、音頭ーど、納得なっー、納屋なー、納戸なんー、出納ーとう、拍子ひょうー、博徒ばくー、反物たんー、夫婦ふうー、法主ほっー、由緒ゆいー、暴露ばくー。

こうして見てくると、日本語というのは何とも複雑なものか、と思うとともに、日常生活では、それらを巧みに使いわけて見事に、読み書きしていると感心する次第である。
余り長くなるので、あとは次回にしたい。
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2007/06/07のBlog

──★日本語倶楽部:★──(7)

「四字熟語」の話──「南船北馬」ほか・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

1993年1月に「南船北馬」と題する中国旅行に関する紀行歌文集を上梓した。
私は中国には数回しか行っていないし、中国を語るのは、おこがましいかも知れないが、人気作家・村上春樹の文章なども引用して、文明批評的な小文にはなったかと思っている。
(1)そこで、この題名の「南船北馬」である。ここに採り上げる「四字熟語」としても有名なものであり、その意味は、中国の南部地方では、川が多いので船を利用し、北方は平原が多いので馬に乗って、旅をする。そこから敷衍して、今日は南を船で旅し、明日は馬で北へ行く、という国中を忙しく飛び回る意味の喩え、となる。
四字熟語には、みな「出典」というものがあり、この南船北馬の出典は『淮南子』(えなんじ)「斉俗訓」という本に載るものである。
「四字熟語」の解説書は、いろいろ出ていると思うが、私の手元にあるのは、以前に書いた漢字能力検定の時に揃えた真藤建志郎『「四字熟語」の辞典』(昭和60年)というのが、総収録数を書いてないので判らないが、とにかく270ページにわたってギッシリと載っている。日本語ないしは漢字能力検定には四字熟語は必ず出題されるので、版を重ねているものと思う。出典を細かく明記していないものは駄目である。
いま、この文章を入力するに当ってワープロで「なんせんほくば」と一気に入力して変換してみたが、有名な熟語だけあって、スパッと変換できた。

(2)いま『淮南子』が出て来たので、ついでに挙げると「新陳代謝」という熟語も、出典は『淮南子』俶真訓である。「陳」とは、陳腐の意味で、古いこと。「謝」は、去ること。古いものが去って、代りに新しいものが来ること。
このように四字熟語は和製のものもあるが圧倒的に中国の古典伝来のものが多い。

(3)上に書いた私の小冊子にも書いたのだが、「一衣帯水」という熟語がある。この熟語の意味は一筋の帯のように狭い川の意から、その川を挟んで二つのものの間が非常に近い、という喩え。「衣帯」というのは着物の帯のこと。だから、この四字熟語は、意味から区切りを入れるとすると「いちい・たいすい」ではなく「いち・いたいすい」と読むべきである。「衣帯」という熟語が先に存在し、そこから、この四字熟語が出来たということである。私は先の小冊子で「いち・いたいすい」と書いて注意を喚起しておいたら、これを読んだ友人が「木村君、よくぞ、区切りを入れておいてくれました」と感謝された。これを見るかぎり彼も、それまでは「いちい・たいすい」だとばかり記憶していたものだろう。
この熟語は「わが国と中国は、同文同種、一衣帯水の関係にある」などと用いられるが、日本語と中国語は、同じ「漢字」を使用するとは言え、現代中国語とは大きな隔たりがあり、同種とは言えない。発音も乖離がはなはだしい。
因みに、この「一衣帯水」の出典は『南史』陳後主紀、ということになっている。

(4)折角の機会だから、あと少し四字熟語を挙げてみよう。
「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)この四字熟語ふた並びは、徳川家康が戦の幟に二行に並べて書いた、ので有名である。意味は「けがれ多い現世を嫌い、おだやかな浄土を恋い願う」というもので、出典は仏教の経典の文句である。呉音のことを書いたときにも挙げておいたが、これらの仏典の発音は、「呉音」のものである。

(5)「如是我聞」この頃は余り聞かないが、以前は「自分は、このように聞いた」という意味で、よく使われた。仏典の書き出しの言葉で、釈迦の説法を述べるとき、「如是我聞」と前置きして説明する。この言葉も熟語として有名で、いま「にょぜがもん」と一気に入力したがスパッと変換された。出典は『仏地経論』という。

(6)「因果応報」これも最もポピュラーな四字熟語。因果は原因と結果。善因からは善果が、悪因からは悪果が、それぞれに応じて現われるというもの。出典はやはり仏典の『慈恩伝』から。

このように四字熟語には、それぞれに対応する「同義語」と「類語」それに「反義語」が存在する。これらが明記されているのが、よい熟語辞典と言える。
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2007/06/09のBlog

──★日本語倶楽部:★──(8)

新かなづかいと旧かなづかいのこと・・・・・・・・・・木村草弥


ある人と交信していて、私の歌の「旧かなづかい」のことが話題になった。
今や「新かなづかい」が法律で施行されて50年以上が経ち、今さら「旧かなづかい」というのが、むしろ異常なのかも知れないが、旧かなづかいには「歴史的かなづかい」として意味もある訳で、日本語の変遷を辿る点からは意義のあることで、一概に無視することは出来ない。
そこで、今日は新・旧かなづかいについて、少し書いてみたい。

ある人との交信のきっかけは私の歌の旧かなづかいによる「をとめ」という表記である。新カナでは「おとめ」と書く。
旧カナでは、雌雄を示す「雄」または「男」、「女」は「をす」「をとこ」「をんな」「をみな」と表記するが、これは歴史的に「わ行」音ではWOと発音していた時期があったことの名残りである。

★五十音図を思い出してもらいたい。 「わ行」はローマ字表記にすると

WA WI WU WE WO というのが、「わ行」の音を読み分けていた時代の発音である。
「ひらがな」で書くと、 わ、ゐ、う、ゑ、を、 となる。
今は、それが WA I U E O になってしまっているのである。

どこの国の言語も、時代とともに変化し、言語「表記」と「発音」との矛盾が、いつか生じる。それを時期時期に「表記」を「発音」に近づけるように修正して来るのが普通である。
わが国の場合、昭和21年11月16日に内閣告示第33号によって「現代かなづかい」が施行されるに至ったのである。
その結果、旧カナの「ゐ」「ゑ」「を」は、「い」「え」「お」と書くようになった。ただし助詞「を」は元のままである。

★ここで わ行「旧カナ」の<和語><字音>を書き抜いてみる。代表的なものだけにする。
藍=あゐ、紫陽花=あぢさゐ、位=くらゐ、紅=くれなゐ、率いる=ひきゐる、参る=まゐる、居る=ゐる、井戸=ゐど、田舎=ゐなか、域=ゐき、院、員、韻=ゐん。

餌=ゑ、植える=うゑる、飢える=うゑる、声=こゑ、末=すゑ、据える=すゑる、杖=つゑ、絵=ゑ、壊=ゑ、園=ゑん、円=ゑん、援助=ゑんじょ。

上に書きぬいた中で「植ゑる」「飢ゑる」「据ゑる」の文語は「わ行」の下二段活用だが、文法を覚えるのには、数の少ない、あるいは例外から暗記するのが、覚える近道である。これらの終止形は「飢う」「植う」「据う」の三語のみであり、これをしっかり覚えておけば、植ゑる、ほかの表記を間違うことはない、のである。

青=あを、香り=かをり、十=とを、尾=を、丘=をか、おかしい=をかしい、桶=をけ、惜しい=をしい、終る=をはる、居る=をる、女=をんな、汚職=をしょく、温度=をんど、温泉=をんせん。

むかし布施明のヒット曲で「シクラメンのかほり」という歌があった。この歌の作詞・作曲は、ある銀行の幹部出身の小椋佳のものだが、この人は「香り」という単語の旧カナ表記を「かほり」だと勘違いして、間違って作詞したのである。正しくは上に書いたように、香り=かをり、が正当である。
なまじ間違った「知ったかぶり」をしないで、新かなづかいで「かおり」としておけば恥をかかずに済んだのだ。

★今は「か、き、く、け、こ」の発音になつているものも、以前は KWA KWI KWU KWE KWO と発音されたものがあった。今でも、一部の地方では、この古い発音が残っている所がある。「旧カナ」では、古い表記で書く。

菓子=くわし、化=くわ、貨幣=くわへい、過去=くわこ、会=くわい、結果=けっくわ、怪談=くわいだん、壊滅=くわいめつ、活発=くわつぱつ、習慣=しゅうくわん、喚起=くわんき、観察=くわんさつ、緩慢=くわんまん、返還=へんくわん、科学=くわがく、愉快=ゆくわい、冠=くわん、完=くわん。
瓦解=ぐわかい、願=ぐわん、頑張る=ぐわんばる、外国=ぐわいこく、二月=にぐわつ。

小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの傑作『怪談』は、原文は英語で書かれたもので、そこでは英文の表記は
「KWAIDAN」となっていることに留意を求めたい。上に書いたことの、ひとつの証明になろうか。

★今は「じ」「ず」に書くものも旧カナでは「ぢ」「づ」と書くものがあるが、これもS音による「さ行」ではなく、T音の「た行」の濁音DZ音という別の発音がされていたものの名残りであり、それらは区別される。

味=あぢ、鯵=あぢ、氏=うぢ、舵=かぢ、路=ぢ、閉じる=とぢる、捻じる=ねぢる、恥じる=はぢる、肘=ひぢ、女=ぢょ、軸=ぢく。
預かる=あづかる、東=あづま、泉=いづみ、渦=うづ、うなずく=うなづく、築く=きづく、盃=さかづき、静か=しづか、訪ねる=たづねる、水=みづ、譲る=ゆづる、豆=づ、頭=づ。

書き抜きだすと、きりがないくらいに長くなるので、またの機会にしたい。
ただ、禄に辞書にあたることもしないで、恥をさらしている田舎俳人・歌人の笑えぬ「間違い」を書いて終わる。

★「あるいは」(或るいは)は、「あり」の連体形+間投助詞「い」+係助詞「は」で成り立つものだが、旧カナといえば「い」→「ひ」になると勘違いして「あるひは」と書く人がある。これは間投助詞「い」の意味が不明になった誤用である。
★「老い」は、旧カナでも「老い」であるが、これを「老ひ」と書く人がいる。これも上に書いたのと同じ間違いである。
あやふやな、未熟な癖に辞書にあたってキチンと覚えようとしないミスである。旧カナを採用するからには、それなりの勉強する覚悟が要るのだ。後は、時期をみて、また書き継ぐことにする。

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2007/06/10のBlog

──★日本語倶楽部★──(9)

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古代日本語の「八母音」について・・・・・・・・・・・・木村草弥

昨日付けの記事をご覧になったエスペラ氏からコメントを頂いて、
佐賀県の或る地域の老人には、今でも「七母音無アクセント」の「ゐ」音が話されている、という。
「七母音」などと言っても、一般的には、何のこっちゃ、ということになろうが、古代日本語には現代日本語の「かなづかい」の母音─あ、い、う、え、お─のほかに、もっと多くの母音があったというのである。

そこで今回は、これに関して少し書いてみたい。
先ず、今でもネット上で見られる当該の論文をお見せする。

上代特殊仮名遣古代の文献では、い・え・おの三段について、か・さ・あ・は・ま・や・ら各行とその濁音行の音が二種類に分れてゐた事に基き、漢字を遣ひ分けて萬葉假名の文章が書かれてゐる。一つの音節を表記するのに複數の假名の中から一つの假名を選んでゐるかのやうに見えるので、これを「上代特殊假名遣」と呼ぶ。

「假名遣」と呼びならはされてゐるが、「上代特殊假名遣」は、音節の辨別が存在した事實の表記への反映である。當時の音韻組織に基いた「表音的」な表記であると言つて良い。だから、「上代特殊假名遣」は、「假名遣」とは呼ばれてゐるものの、今普通に云ふ假名遣とは意味合ひが異るものである。

假名遣は、表記の混亂の意識が生じてはじめて必要となる概念である。混亂のない、或は混亂の意識の無い時代に、現代的な意味での假名遣は存在しない。「上代特殊假名遣」の存在した時代には、定家以後に意識されるやうな混亂は存在しなかつた。言換へれば、上代には假名遣の問題はなかつた。

概説
萬葉假名や、平安朝以前の文獻には、或種の規則がある。8世紀の文献には、現代とは異る音韻體系に基く表記の規則が存在する。この表記の規則を「上代特殊假名遣」と呼ぶ。

日本書紀と古事記、萬葉集、風土記等の上代の文献では、言葉によつて、音節を表はす漢字が遣ひ分けられてゐる。現代の日本人には「古」「故」「孤」「許」「己」の「こ」は同じ音節「こ」を表はすもののやうに思はれる。しかし、上代の文献では、「言」「心」の「こ」を「許」「己」で表記し、「古」「故」「孤」では表記しない。逆に、「戀」「越」「子」の「こ」は必ず「古」「故」「孤」で表記し、「許」「己」では表記しない。

このやうに、二類の區別される音節をそれぞれ、甲類・乙類と呼ぶ。

記紀以降の文獻には(或は記紀にすら)、「上代特殊假名遣」の規則に合致しない混亂した表記が見られる。

萬葉集では、後になつて編纂された卷に、一部の音韻が失はれた爲生じた混亂が存在するので、時代が下るに從つて「上代特殊假名遣」の規則は意識されなくなつたものと考へられてゐる。記紀における混亂は、書寫の際の誤もあるのだらうと考へられてゐる。

江戸時代の研究
契冲の「和字正韻」、奧村榮實の「古言衣延辨」、そして石塚龍麿の「假字遣奧山路」の三著が江戸時代の萬葉假名の研究としては代表的なものである。萬葉假名研究には他に草鹿砥宣隆「古言別音鈔」、「假名大意抄」「萬葉用字格」等がある。

上代假名遣の存在に初めて氣附いたのは本居宣長である。宣長は、「古事記」の用字に偏りがある事を「古事記傳」の序文で報告してゐる。

宣長の發見を受けて、石塚龍麿が古事記・日本書紀・萬葉集を調査してゐる。

假名遣奥山路
寛政十年/1798年以前に成立か。
石塚龍麿著
上代特殊假名遣の詳細な報告書。
清音「え」「き」「け」「こ」「そ」「ち」「と」「ぬ」「ひ」「へ」「み」「め」「よ」「ろ」と、濁音「ぎ」「ご」「ど」「び」「べ」の各音節における二類の區別が示されてゐる。ただし、「古事記」のみ、「ち」「も」の二類の別がある、とされてゐる。
「用字用法上の區別が見附かつた」と云ふ發見の報告である。記述には混亂が見られ、發見の意義は一般に理解されなかつた。橋本進吉に見出され、紹介されるまで、長い間忘れ去られてゐた。
昭和四年になつて、正宗敦夫らの日本古典全集に收録された(第三期)。
龍麿には「古言清濁考」の著作もある。

奥村榮實は、「古言衣延辯」で延暦・天暦(901~957)以前には、あ行の「え」とや行の「え」とに音韻上の區別があり、書分けがなされてゐた事を述べた。

古言衣延辯
文政十二年/1829年成立。
奥村榮實著
「衣・延」の區別に關する研究書。
「新撰字鏡」では「衣」と「江」が區別されてゐる事。
古語では「ゆ・え」とや行に活用する動詞がある事。
本居宣長「字音假字用核」で扱はれてゐる字餘りの事について。和歌にはや行の「え」が多く、あ行の「え」が少いが、字餘りの場合、あ行の「え」を含む場合に限られてゐる事。
阿行ノ假字として「衣・依・愛・哀・埃・英・娃・翳・榎・荏・得」を、夜行の假字として「延・要・曳・叡・江・吉・枝・兄・柄・頴娃」を擧げる。
「え」に二種類の別がある事は、龍麿も氣附いてゐた。榮實は「音韻の區別があつたから表記にも區別が生じた」と考へてゐたやうで、その點、高く評價されてゐる。
ほかに、萬葉假名における文字の使ひ分けについては、以下のやうな研究があつた。

假字袋
八木美穂
古言別音鈔
草鹿砥宣隆
江戸時代の間に、上代における文字の遣ひ分けの背景には音韻の區別があつたものであるらしい、と考へられるやうになつてゐた。

明治以降の研究
明治になつて、橋本進吉は萬葉集の研究を進めてゐた。橋本は、萬葉假名に於る文字の使ひ分けを整理してゐた。橋本はこの遣分けを「上代特殊假名遣」と呼び、甲乙二類の音韻の區別に據るものであるとした。

研究の過程で橋本は、石塚の「假名遣奥山路」の存在に氣附いた。橋本は「國語假名遣研究史上の一發見――石塚龍麿の假名遣奥山路について――」(「帝國文學」1917年11月號)で報告し、同書を高く評價した。橋本は、「ぬ」ではなく「の」に二類がある、「古事記」の「ち」には二類がない、として、龍麿の説を訂正した。

上代特殊假名遣は當時の音韻に基く表記である、と云ふ橋本の主張には、現在までに反對意見も幾つか出てゐる。しかし、上代の文献を解釋する上で上代特殊假名遣は屡々重要な鍵となつた。その爲、この上代特殊假名遣が存在したと云ふ事實は、現在のところ學問上の定説として認められてゐる。

現在知られてゐる「上代特殊假名遣」は、一部の音を表記する文字にのみ出現してゐる。しかし、それは上代以前の日本語に八つの母音があつた事の名殘なのではないか、と云ふ説がある。即ち、現在知られてゐるa・i・u・e・oに ï・ë・ö を加へた八母音が古代の日本語の母音であつたのではないか、と云ふ説である。
(注・アンダーラインは草弥)
有坂秀世は「上代特殊假名遣に母音調和の痕跡がある」と指摘した。母音調和はアルタイ語系言語の特色とされ、日本語がアルタイ語系である可能性が高い事を示唆する。

ただし、古代の日本語における八母音説は假説に過ぎず、上代特殊假名遣にしても萬葉假名にのみ見られる擬似的な「假名遣ひ」である。いづれにしても、平安時代末以來の一般的な意味での假名遣ひ――歴史的假名遣とは直接、關係があるものではない。

參考
国語学史 日本人の言語研究の歴史
馬渕和夫・出雲朝子著・笠間書院
日本語の歴史
佐藤武義編著・朝倉書店
日本語概説
加藤彰彦・佐治圭三・森田良行著・おうふう
資料日本語史
沖森卓也編・おうふう
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また、こんな記事がネット上で見られる。

苗字に残る八母音表記 ── 「日本の苗字七千傑」より──
 我が国の地名は大和朝廷成立以前から存在しており、各地名は領土画定を明確にする目的で各部族国家群により体系的に命名されている。 各地に残存する環状列石は、無文字時代における領土明示の地籍簿なのである。
 中央政権樹立後は地域に拠る方言は存在するものの、日本語の基層(文法)が北方系、語彙が南方(中国江南)系で言語の融合が進み、奈良朝頃までは八母音が存在したことが万葉仮名により裏付けられる。
 平安時代初期には五十音図が登場して、次第に五母音化が進むが表記法としては仮名遣いに残存する。
(注・アンダーラインは草弥)
 また地名から発祥した多くの苗字も上古の八母音の名残りや旧仮名遣いの影響がうかがえる。

現代仮名
(5母音) 旧仮名遣
(8母音) 主要苗字例
あ あ 阿部 青木 安藤 新井 東 秋山 荒木 浅野 足立 天野 浅井 相沢 有馬
い い 伊藤 池田 石川 今井 岩崎 市川 五十嵐 飯田 稲垣 泉 入江 一色
ゐ 井上 井口 井手 井出 井川 井原 井沢 井本 猪股 猪俣 猪狩 院相
う う 上田 内田 植田 梅田 宇野 臼井 牛島 浦田 海野 鵜飼 卜部 漆原
え え 榎本 榎 榎田 江口 江藤 江崎 江川 荏原 海老名 海老沢 塩冶 朴井
ゑ 遠藤 恵良 恵藤 恵本 恵比須 恵川 恵島 絵内 絵野沢 絵所 絵沢 殖栗
お お 太田 大野 奥村 落合 押田 隠岐 織田 音羽 興津 刑部 忍坂 鬼柳
を 小川 岡田 小田 尾崎 長田 及川 緒方 荻野 越智 乙葉 折井 園城寺

 昭和21年(1946)の内閣告示「現代かなづかい」により法令、公文書、雑誌、放送などの社会的規範となる。
 母音はあ行に統一されたが「を」はわ行に残置され、「ゐ」、「ゑ」は古典などを除き使用を控えさせられる。
 表音主義が画期的なものと国語改良論者は言うが、「は」、「へ」、「を」は頻繁に表記例外の矛盾が存在する。
 また「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の混同、「おう」、「おお」、「おー」のお列長音の表記混乱が見られる。
 古事記の太安麻呂の「太」は、旧仮名遣いでは「おほ」で於保と通ずるが、墓場の中で苦笑いと思われる。
 織田も小田も現代では「おだ」だが、旧仮名遣いでは「おだ」、「をだ」と振り仮名が異なるのである。
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長すぎる引用になったかも知れない。
つまり、古代日本語には、今はもう無くなった「発音」が存在したということである。
エスペラ氏が言ってこられた佐賀県の一部に「ゐ」wi音で、しかも「無アクセント」が「発音されている」ということである。
一般的には知られていなくても、国語学、言語学の世界では、知られていることで、研究もされているのである。
エスペラ氏のコメントでは「七母音」となっているが、学問的には「八母音」と言われているのが普通である。詳しくは上に引用の論文を見てもらいたい。
人によっては、五母音以外の三母音を「い」ダッシュ、「え」ダッシュ、「お」ダッシュ という書き方をされる場合がある。
ついでに申し上げておくと「無アクセント」とは「平板」アクセントのことで、今でも東北をはじめ各地で一般的に見られる現象であり、最近の若者を中心にする発音は、だんだん「平板化」する傾向にある。この頃では、NHKのアナウンサーなどにも(厳しい発音指導をしないためか)平板な発音をする傾向がある。
私の記事は、特殊な、こ難しいことを書くのが目的ではないのだが、折角のコメントを頂いたので、特に書いてみた。

なお、 「わ」行の表記 わ、ゐ、う、ゑ、を WA、WI、WU、WE、WO は、母音を、5母音としても「発音的」に区別できることであり、強いて七母音あるいは八母音とする必要もないのである。平安朝では、すでに、そのように五母音で整理・説明されているのである。
また「観察」を「くわんさつ」KWAN─と発音するなどの古い形なども、今は「か」行 K音だけになっているが、かつては KW音が存在したということであり、「母音」というよりも「子音」とのからみで論じられるべきことであろう。
なお、今回の場合は、当時の時代を表すのには「上古」「上代」とするのが正確かと思うが、一般的な「古代」としておいたので、ご了承ねがいたい。

ネット上で「八母音」で検索すると数十のサイトが出てくる。
それらをサーフィンするのも面白い。たとえば「縄文語を復元したい」という記事なんかも多分に示唆的である。

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2007/11/18のBlog

──★日本語倶楽部★──(10)──(但し、一部削除した個所があります)

「四字熟語」メーカーの話・・・・・・・・・・木村草弥

「親父さん」のサイトその他で、標記の話題が出ていたので、私も興味を引かれて、やってみた。
「木村草弥」と入力したら、返ってきた「答え」は、なんと「嫌味急行」だった。
何とも「嫌味」な答えだが、このナンセンス、暴虐ぶりが面白いと言えば面白い。
私のペンネームが「草弥」なのが、その判定の根拠かも知れない。
もう一つのペンネーム「艸木茂生」では「多分王子」というものだった。
「艸」という字が表外漢字のJIS第二水準にあるからであろう。
ついでに私の本名でやってみたら、こんどは「計算不足」と来たもんだ。
しばし、一人で大爆笑したものである。
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ところで話が変わるが、もう数年も前、1999年に、朝日新聞に連載されたらしいが、
所ジョージの『四字列語』というのがあった。
これは新潮社から本になったので買ったことがある。
この本の「帯」には
<古くさい四字熟語なんて、もう使えない!
 鬼才・所ジョージさんが、面白くて暮らしに役立つ
 新語八十八個を一挙公開>
とある。 少し引いてみよう。

 ■自動挨拶じどうあいさつ
なんとなく挨拶してしまったが、誰なのか思い出せない、という歯がゆい状況を指す。
 使用例=「このお歳暮、どこから来たんだろ」「自動挨拶かも知れない」と使う。

そう言えば、そろそろ「お歳暮」のシーズンである。「例年の通りに出しておくか」。

 ■作詩錯覚さくしさっかく
ロマンチストだと自ら言う人、詩を書いたり読んだりするのが好きだなどという奴にかぎって、気持ち悪かったり、顔立ちが凄かったりする。ないものねだり、の意。
 使用例=アイドルが立場を利用して本を出したり、学校に入学する事などに使う。

 ■三度増築みたびぞうちく
少しづつよくしようという考えが、かえってロクな結果を招かない、ということ。目の前の物に左右されてしまう計画性のなさを指す。

三度も増築を繰り返されると、近所の人たちにしてみれば、その度に挨拶されても、工事の音やら何やらで大迷惑する。従って、「仏の顔も三度まで」や「我田引水」の意も含む。

 ■燃料来客ねんりょうらいきゃく
ガソリンは、車を動かすために入れるのだが、気がつくとそのガソリンも、人と同じように運んでいる事になる。燃費を考えるならば、出来るだけ軽い方がよいのだが、乗せないわけにはいかない。その事から、一つの事には素晴らしいが、他の事には邪魔になるほどダメ、というものを指す。
 使用例=「登山もいいし、旅行もいいけど、燃料来客だからね。パンツ一枚ってわけにいかネエもんな」など。

今しも、自動車燃料が史上最高値をつけている。時宜を得た標語だと言えよう。

 ■孔雀体質くじゃくたいしつ
かわいい娘を見つけると髪を整えたり、ネクタイを締め直したりと、尾羽をこれでもかと広げる孔雀の発情期のように期間のない性質。男女を問わずである。
 類似語=斑魚体質うぐいたいしつ 発情した時に顔全体に脂がにじみ出て顔に赤い線が現れる。あかはら。
 使用例=「あいつ、あんなに明るかったっけ」「女の子がいるからだな」「普段と違う。孔雀体質だわ」など。



   
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