K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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陰陽五行とインド占星術・・・・・・・木村草弥 (Doblogから転載)
陰陽五行とインド占星術

2004/07/27のBlog
占星術いろいろ(10)─東洋五千年の知恵─■TB:占星術・暦:■
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──香港の暦─通書─────木村草弥

「占星術いろいろ」として書いてきたが、インド占星術については資料のないままに(1)(2)(3)で打ち切りとした。最初から「占星術いろいろ」には最低10回は書きたいと思っていたので、今回は間に合わせの感がするが、香港の暦について岡田先生の本を参照しながら書いて、それこそ今回をもって一区切りとする。
二番目の写真は何度も引用してきたが、岡田芳朗先生の本である。
この中に19ページにわたって「香港の暦」のことが書いてある。香港は長年のイギリス植民地から先年中国に返還されたが、基本的に一国二制度ということで極端には変わっていない。

──香港の運勢暦──通書──
香港やマカオでは年末には、さまざまのカレンダーや暦を売っている。中でも目を引くのは暦で、日本の運勢暦にあたるものは中国では「通書」と呼ばれているが、日本の暦に比べて、とにかく厚くて豪華、表紙の色も金ピカで派手である。
三番目の写真が不鮮明だが、通書では老舗の「永経堂」発行のものの表紙である。縁起のいい赤や金をふんだんに使った派手な装丁。タテ25.5センチ、ヨコ12.5センチ、厚さ4センチで、電話帳くらいの厚さで枕に丁度よさそう。やや厚手の紙を二つ折りにして袋とじにし、約200丁、400ページに達する。
表紙には福の神が童子たちに金銀財宝を山積みにした手押し車を押させている目出度い絵を掲げる。見返しには十二支による一日十二時辰と、世界時と香港をはじめとする世界の主要都市の時刻などを示している。
四番目の写真が、その第一ページで、丁卯(1987)年春牛耕田図を描き、耕牛の大きさや色、それを引く牧童(芒神)についてのさまざまな記載による啓示によって、今年の農耕の吉凶を占う。また「地母経」や「地母曰」と判断の由来を記し、春社、秋社、冬至、大寒の日付、分竜と三伏(初伏、中伏、末伏)の日付、および四季の土用事(土用)の日付を掲げる。
この辺のところは日本の暦と、よく似ている。
四季の黄帝の図を示し、道教の神・張天師の「鎮宅浄水神符」などの神符
洗頭(頭髪を洗うこと)や裁衣の吉日
耳鳴りやくしゃみの時刻による占い
二十八宿の占い
六十花甲(干支)の諸神の方位
などが書かれている。
五番目の写真で、ようやく「丁卯年大字通書」ようやく今年(1987)の暦の本体に到達した。
上段に太陽暦、中段以下に農暦(太陰太陽暦)を配している。暦は農暦の正月初一日から始まるので、太陽暦の最初の日付は毎年違っている。この年の場合は1月29日から始まり、翌年2月16日で終っている。
毎日の記事は、第一段に太陽暦の日付と星期(中国では曜日を日本のように、日曜、月曜、火曜・・・などとは言わない)、第二段に「天徳」「鳳凰」など、その日に配当された吉神と十二辰刻法による時刻ごとの吉凶、第三段にその日の禁忌事項、これは「忌」の字の下に、例えば「穿井開池」とか「結網取魚」のように具体的に記述される。第四段以下が農暦の記事で、まず日付、干支、二十八宿、十二直が記されている。二十八宿のうち、角・房・尾・・・・・井・張などの14星宿は朱色で印刷され、十二直でも同じく一部が朱色で印刷される。これは朱色は吉、黒色は凶を示すことが多いことによるが、必ずしも統一されていないらしい。第五段は二行にわたる大きな字で「宜」と書いて、その下に祭祀、祈福、結婚、入学、理髪、裁衣など、さまざまな行為に対して吉とされるものを記す。吉事註の下には凶日の記事が載る。
この段には二十四節気や七十二候も記入される。日蝕や月蝕もここに記載される。

──李淳風の時刻の占い──
これは掌を使った占いだが、この占いは日本の「六曜」の起源になったもの。もともとは、この通書にあるように、一日12刻ごとに大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡が循環していく。日本には室町時代に入ってきて、幕末頃には目的も名称も変わって、日本の今日の六曜になった。大安=大安、留連=友引、速喜=先勝、赤口=赤口、小吉=先負、空亡=仏滅となった。
発案者は李淳風「儀鳳暦」を作った唐代の暦学者だが、何故か日本では諸葛孔明の発案とされる。
もとの掌を使った占いについては岡田先生の本に詳しいが、省略する。
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こうして香港の暦を見てみると、一部、日本式に変更が加えられているが、基本的に日本の暦と同じようである。
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2004/07/23のBlog
占星術いろいろ⑨──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■


──インド占星術(3)誰にもわかるインド占星術?──────木村草弥

(1)(2)とインド占星術の、ほんのさわりの所を紹介してきたが、これから先は「占い」の分野に入るので、それは私の興味の範囲を超えるので、それ以上は立ち入らない。一番はじめに書いたように、私は「占い」というものは信じない、たとえ物凄くよく当るとしても、私は試してみようという気が全くない。
したがって、インド占星術に関しては、今回で書き込みを完了する。今回はインド占星術についての「常識」的な用語についてレポートする。
今回ラオ先生の『やさしいインド占星術・入門編』その他を取り寄せて読み、その付属としてサービスで私の「ホロスコープ」を送ってもらった。ホロスコープというのは、もともとは西洋占星術の用語であり、インド占星術でも一応は使っているが、正式には「チャート」という用語を使っている。私のホロスコープでもRasi Chartというように書いてある。イギリスの長期の植民地支配で英語が定着しているので、この本も原文は英語である。インド人は数学などの理数系の思考に秀でているのと、英語が普及していることもあって、今やソフト制作などはアメリカから大量にインドに下請けに出されていることは周知の通りである。
そんなことでインド占星術はアメリカで人気があり、母国インドの方式を捻じ曲げたような発展もしているらしい。
今回の見出しに「誰にでもわかるインド占星術?」と書いたが、果たして誰にでも判るだろうか。だから、わざと「?」マークを打っておいた。
これは私に「占い」の願望がないのが災いしているのは確かだろう。その願望がなければ真剣に学ぼうとしないからである。
いずれにしても(1)(2)を読み解くのに必要なことを補足して書いておく。

──ヴェーダとジョーティッシュ──
インド占星術は別称ヒンドゥー占星術と言われるようにヒンドゥー教と切っても切れない関係にあるものである。インド古来の思想ヴェーダの教えから来ている。
ヴェーダには、リグ・ヴェーダをはじめとする4つのヴェーダがある。リグ・ヴェーダという名前くらいは耳にしたことがあろうが、ヴェーダとは根源的な自然の摂理を音で表現したもので、それは教えというよりも神の賛歌と言ったほうが適切だと書かれている。太古の聖者(リシ)たちが超越意識(真我)において直接知覚したもの、あるいは天から得た啓示などとも言われており、人間が創造したものではないとされている。だから身体的・精神的な鍛錬を経て高い意識次元すなわち真我に達したとき、おのずと理解されるものだ、と説かれる。その理解のためにサンスクリット語による教えJyotish
「ジョーティッシュ」すなわち「光の科学」と呼ばれるものがあるのだ、と。
ジョーティッシュの主流は約5000年前に聖者パラシャラが神から啓示を受けて著したブリハット・パラシャラ・ホラ・シャシュトラ(BPHS)という経典をもとにしたシステムが「ラオ先生のやさしいインド占星術」に書かれているのだという。

何だか最初から勿体をつけるような書き方になったが解説書にそう書かれているのを書き写したまでである。難しい理論を平易に読み解いて、はじめて庶民レベルまで普及する、ということがあるので、インド占星術は神秘主義で勿体をつけている、という私の批判のもとになっている。
今日、天体の運行もかなり究明され、人間が宇宙へ行こうかという時代である。5000年前の聖者の受けた啓示をいつまでも振りかざすのは感心しない。

──惑星の象意と惑星の吉凶──
チャートを読むとき惑星の強弱ということを調べる。それは、その人の人生における中心的なテーマとなるからである。太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星、ラーフ、ケートゥであるが、たとえば太陽には「王、魂、エゴ、勇気、プライド、地位、名誉、権力、エネルギー、濃い赤」などの象意が配当されている。他のものは省略する。占いをするつもりはないからだ。
他に惑星の吉凶というものがあり、
 吉→木星、金星、水星、月(ただし水星、月は中立的)
 凶→土星、火星、太陽、ラーフ、ケートゥ
が配当されている。

──ハウスと支配星──
インド占星術では、それぞれの星座に一つづつハウス(室)が対応する。どの星座にどのハウスが対応するかは出生日時によって決る。
それぞれの星座にはオーナーとして惑星が一つづつ割り振られる。このオーナーを英語ではLordと言う。大家を意味する英語のHouse LordのLordと同じで、しかし日本語では「支配星」と訳されている。ラーフとケートゥは星座を支配しない。
割り振りなどの詳細は省略する。

──在住──
星座を土地、ハウスを建物、支配星を大家とすると、次は店子(たなこ)である。ハウスの住人である。
惑星が、ある星座あるいはハウスにあることを、在住すると言い、その惑星を在住星と呼ぶ。
これらのことは、何の説明もなしに一昨日、昨日と書いてきたことで、先ず説明してから本文や表を掲げるという訳にもゆかず、遅くなったが了承願いたい。

──ナクシャトラとヴィムショタリ・ダシャー──
ナクシャトラとは、12星座とは異なる、27の星座区分で、月が毎日ナクシャトラを一つ通過することから「星宿」と呼ばれている。インド占星術では、12星座と同様あるいはそれ以上にナクシャトラが重視されており、ヴィムショタリ・ダシャーもナクシャトラを基準に定義される。
12星座の幅はそれぞれ30度であるのに対し、ナクシャトラの幅は13度20’である。それぞれの星座には、ナクシャトラが3つ弱入る。
ナクシャトラには、それぞれ支配惑星がある。ナクシャトラの名前と位置、そして支配惑星は昨日の文章で「表」にして掲げたので思い出してもらいたい。

月が在住するナクシャトラをジャンマ・ナクシャトラと呼ぶ。それは「出生時の星宿」という意味である。私のホロスコープに則して見てみれば、月は牡羊座の29度41’に在住している。この位置はナクシャトラで言えばクリッティカーが、ジャンマ・ナクシャトラ、ということになる。
この時の支配星は太陽である。
私のホロスコープ(チャート)の場合、私のヴィムショタリ・ダシャーは太陽から始まる。その後、順番に月、火星、ラーフ・・・・・という具合に120年サイクルで循環する。先に掲げた「表」の右側末尾に記入した年数が私のヴィムショタリ・ダシャーの年数の推移を表すことになる。
この後には延々と説明が続くが省略する。
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以上、一昨日、昨日とインド占星術(1)(2)として書いてきたことの補足としての書き込みは終る。私の手元には、これ以上の資料がない。
私のインド占星術を瞥見した限りの印象では、インド占星術は「月」に固執した暦法だということに尽きる。だから、言い直すと古い「太陰暦」に固執したものと言えよう。太陰暦には修正すべき点が多いことは自明のことである。暦法そのものも発展、進歩しなければならない。「占い」の領域に留まっていてよい、というものではない。私はインド占星術の神秘性を有難いとは思わないし、極めて保守頑迷な暦法だ、とも思う。
もし、また後日思い出すことがあったら補記したい。
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2004/07/22のBlog
占星術いろいろ⑧──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■────木村草弥


──インド占星術(2)・ナクシャトラ(星宿)のことなど────木村草弥

昨日は私のホロスコープについて本によって読み解きながら進めて来た。
ここで私が目下テキストとしている本その他について書いておく。
(1)K・ナラヤン・ラオ『やさしいインド占星術・入門編』(星雲社・企画ASC、
2001年刊)
(2)インド占星塾『ベイシック・スキル講座』
(3)ソフト『インド占星術用語集』 India Senseijutsu.doc
(2)は(1)の本を買ったときに、本は難しいから読み解く補助にと添付して無料で呉れたもの。(3)はFrank Lloyd Wright氏がネット上で見つけてメール送信していただいたもの。ネット上で「インド占星術」と検索して、いろいろやってみたら出てくる。
私は氏に教えられて、それらを保存して利用しているが「Junior Jyotish」というものがあり、このサイトからフリーソフトをダウンロードすることが出来る。
この中にホロスコープのひな型の図が出てくる。

──ナクシャトラ(Nakshatra)星宿について──
昨日の(1)で、このことについて少し触れたので、ここで27のナクシャトラについて書く。先ず基本用語の説明。

ナクシャトラ:インド占星術には、天空を12で分ける12星座区分の他に、27で分けるナクシャトラ分割法がある。これは、月が約27日で天空を一周することに対応しており、月を重視するインド占星術では非常に重要な概念の一つである。各ナクシャトラは13度20分づつ均等に分割され、13度20分×27で合計360度となり、先に説明した12星座の360度と同じになる。9つの惑星が、それぞれ3つのナクシャトラを支配している。(9×3=27)
ダシャー(Dasha):ナクシャトラの支配星のそれぞれには、ダシャーと呼ばれる惑星期間が対応する。惑星はダシャーの期間中に、その力を充分に発揮し、もともとの出生図中においてその惑星が示している事象を、それが良いものであれ悪いものであれ、現象化させる。ダシャーは非常に便利なインド占星術の未来予測技法のひとつで、これにより出生図に示されているカルマが、いつ発現するかを知ることが出来る。
ヴィムショタリ・ダシャー(Vimshottari Dasha):多くのダシャー・システムがある中で、ヴィショタリ・ダシャー・システムは、すべてのインド占星術家によって最も多用され、最も信頼されているという。このシステムでは、出生時の月が位置するナクシャトラの位置を始点としてダシャーが計算される。

何だか難しい話になって来たが、ここで一覧表を掲げることにする。

NO. 度数──ナクシャトラ──ナクシャトラの支配星──ヴィムショタリ・ダシャーの年数
1. 0度~13.20'----アシュヴィニー-------ケートゥ--------------7年
2. ~26.40'-------バラニー------------金星---------------20年
3. ~40.00'-------クリッティカー---------太陽---------------6年
4. ~53.20'--------ローヒニー-----------月---------------10年
5. ~66.40'-------ムリガシラー----------火星--------------7年
6. ~80.00'-------アールドラー----------ラーフ-------------18年
7. ~93.20'-------プナルヴァスー---------木星-------------16年
8. ~106.40'-------プシャー-------------土星-------------19年
9. ~120.00'-----アシュレーシャー---------水星------------17年
10.~133.20'-------マガー-------------ケートゥ-------------7年
11.~146.40'----プールヴァ・パルグニー-----金星-------------20年
12.~160.00'----ウッタラ・パルグニー--------太陽-------------6年
13.~173.20'-------ハスタ----------------月--------------10年
14.~186.40'-------チトラー---------------火星-------------7年
15.~200.00'------スヴァーティー----------ラーフ------------18年
16.~213.20'------ヴィシャーカー-----------木星------------16年
17.~226.40'------アヌダーラー------------土星------------19年
18.~240.00'------ジェースタ--------------水星------------17年
19.~253.20'-------ムーラ---------------ケートゥ------------7年
20.~266.40'----プールヴァ・アシャーダー------金星-----------20年
21.~280.00'-----ウッタラ・アシャーダー-------太陽------------6年
22.~293.20'-------シュラヴァナ-------------月------------10年
23.~306.40'-------ダニシュター------------火星------------7年
24.~320.00'------シャタビシャー-----------ラーフ-----------18年
25.~333.20'----プールヴァ・バードラパダー-----木星----------16年
26.~346.40'----ウッタラ・バードラパダー-------土星----------19年
27.~360.00'-------レーヴァティー------------水星----------17年
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このナクシャトラ(星宿)一覧表は先にも書いたがインド占星術については重要なものらしい。
私のホロスコープに関して言えば、昨日も書いたように私の月の在住の角度が29.41’と判定されたので、それをこの表によって求めると、NO.3の度数~40.00’のところに当り、したがってナクシャトラはクリッティカー、支配星は太陽、となることになる。
表の最後のヴィムショタリ・ダシャーの年数、というのがどう使うのが、まだ判らない。

インド占星術ではナクシャトラ・27星宿だが、これと同じ考え方は中国にもあり、中国の場合は、一つ増えて「二十八宿曜表」となる。これについては7/17付けの占星術いろいろ④日本の暦で触れておいたが、28番に一つ増えて、インド名は「アビジト」牛の頭の形状をしている。二十八宿では「牛」という漢字で表されるが、インドと違って二十八宿では、日の吉凶を占うのみになっている。
インドの27星宿と中国の28宿、との関連や前後関係は審らかではないが、弘法大師・空海がもたらした密教占星術の原典となった『宿曜経』というのは27宿と七曜を用いて運勢判断をするインド伝来の占星術書であると言われる。実は空海に中国で密教を伝授したのは恵果である。そして恵果はインド僧不空の弟子であった。不空は多くの密教の経典とともに、インド占星術を中国に伝え、それを中国で『宿曜経』として翻訳させた、と言われているので、ここらにインドと中国との関連があると思われる。7×4=28、となり、7曜と関連づけて考えるならば中国の二十八宿の方に合理性があるように見える、がいかがであろうか。七曜とは、今でもわれわれが使っている七曜と同じもの、つまり日月火水木金土である。『宿曜経』の中では日曜を「蜜・蜜曜」とも記している。これは当時の中央アジアの国際語であったソグド語の表現が混入したもの、と言われている。先に触れた月の「白分」「黒分」の概念もインド由来のものとして、当然、空海の『宿曜経』にも載っているという。

──インド占星術と惑星──
インド占星術で使用する惑星は、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星、ラーフ、ケートゥの9つである。ラーフとケートゥは、太陽の軌道と月の軌道の二つの交点を意味し、それぞれ西洋占星術ではドラゴンヘッドとドラゴンテールと呼ばれている。この二つは実在する惑星ではなく、概念上の存在で、影の惑星と呼ばれている。太陽は恒星、月は衛星であって、厳密には惑星ではないことは言うまでもないが、単純化するために、これら9つをすべてまとめて惑星(Planet)と呼ぶことになっている。
12の星座に、星座自体を分割せずに、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星という7つの惑星をどうやって割り振るか。もし12の星座を7つの惑星で分割すると、一つの惑星に各星座を171%づつ割り当てることになり、星座を分割してしまう。インド占星術では、先ず太陽に獅子座(シンハ)という一つだけの星座を割り当て、月に蟹座(カルカ)という一つだけを割り当てる。そうすると、次は残りの5つの惑星に2つづつの星座を割り当てることで解決する。
──割り当て──
火星には牡羊座とさそり座の二つが割り当てられる。
金星には牡牛座と天秤座の二つが 〃
水星には双子座と乙女座の二つが 〃
木星には射手座と魚座の二つが 〃
土星には山羊座と水瓶座の二つが 〃 。
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2004/07/20のBlog
占星術いろいろ⑦──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■────木村草弥

──インド占星術(1)・ホロスコープ─────木村草弥

長らく待たされたが、昨日ようやく私と妻のホロスコープなるものが送られて来た。日本語は一切なしの不親切なもの。おまけに記載された記事を、本『ラオ先生のやさしいインド占星術・入門編』によって読み解いて解釈しなければならない。解説・説明は一切ない!!!。
三番目の写真が、そのコピーである。私のは色々書き込みをしたので写真は妻・弥生のものである。
以下、私の「ホロスコープ」を例にして私なりに読み解いたことを書いてみたい。もしインド占星術に詳しい人がご覧になって間違っていれば指摘してもらいたい。とにかく私は「素人」の俄か勉強の付け焼刃に過ぎないので、的外れのことも書くかと思うので、よろしくお願いしたい。
今までに中国の四柱推命その他の占星術、日本の暦のこと、アジアの暦のことなど書いてきたが、資料としては多くのものが手に入るが、インドのものは資料も少なく、とにかく不親切である。文句を言いたいことは多々ある。
掲出した写真は妻・弥生のものなので、間違わないようにほしい。
記載の項目の配置などは同じである。

──Rasi Chart──南インド方式と北インド方式──
先ず、左上のRasi Chart という項目である。Rasi とは「出生図」という意味であり、このホロスコープを読み解く上でも、また私のホロスコープ全体の中でも、最重要の項目である。
はじめにお断りしておくが、ホロスコープの書き方には南インド方式と、北インド方式と(他にもあるが)、という二つの方式があり、このチャートの書き方は南インド方式のものである。その違いについては、後で述べることにする。
──ホロスコープの3タイプ──
先に書いたようにホロスコープの書き方には主に南インド方式と北インド方式があるが、もう一つオリヤ、マイティリ、ベンガル方式というのがあるが、問題を単純化するために無視することにする。
南と北方式の違いは次の通り。
 星座の位置──北インド方式→変動。南インド方式→固定。
 星座の順番──北→反時計回り。南→時計回り。
 星座番号──北→記入する。南→記入の必要なし。
本には図示されているが、この編集画面では無理であり、省略する。写真でかすかに読み取れると思うが、南インド方式では四角い図の周りに縦横に12個の星座を書き込む。星座の記入は固定であり判り易い。

星座の記入の仕方は、南インド方式は固定だから、左上角に魚座を入れる。そして時計回りに牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、さそり座、射手座、山羊座、水瓶座を配置する。(北インド方式は省略)
先にRasi Chart は「出生図」と書いたが、これはホロスコープにしたときの呼び方で、通常はRasi とは「星座の名前」のことである。
いま便宜的に左上角の魚座から説明をはじめたが、「星座番号」としては牡羊座が一番である。一覧表にすると下記の通り。
星座番号──日本語───ヒンズー語───英語──角度
 1 ────牡羊座──メーシャ(Mesha)──Aries──0度~30度
 2 ────牡牛座──ヴリシャ(Vrisha)──Taurus──~60度
 3 ────双子座──ミトゥナ(Mithuna)──Gemini──~90度
 4 ────蟹座───カルカ(Karka)───Cancer──~120度
 5 ────獅子座──シンハ(Simha)───Leo───~150度
 6 ────乙女座──カニャー(Kanya)───Virgo──~180度
 7 ────天秤座──トゥラー(Tula)────Libra──~210度
 8 ────さそり座─ヴリシュチカ(Vrishchika)─Scorpio─~240度
 9 ────射手座──ダーヌ(Dhanu)──Sagittarius──~270度
10 ────山羊座──マカラ(Makar)──capricorn───~300度
11 ────水瓶座──クンバ(Kumbha)──aquarius──~330度
12 ────魚座───ミーナ(Meena)──Pisces───~360度

──木村草弥のホロスコープは?──
さて私のホロスコープは、どうなのか。
はじめに、インド占星術では重要な3つのポイントがある。自分のホロスコープで最も大切なものを簡単に答えなさいと言われたら、以下の3つを挙げなければならない。
 ①出生時のアセンダント
 ②月の星座(出生時に月が在住していた星座の位置)
 ③出生のジャンマ・ナクシャトラ(出生時に月が在住していたナクシャトラのこと)

アセンダント(ascendant)=ASCまたはACと略記。生まれた瞬間の東の地平線と黄道が交わるポイントで、インド占星術ではラグナという。占星術では最も重要な個人の感受点となり、このアセンダントが位置する星座が第一室となる。

具体的に私のホロスコープで説明する。私のRasi Chart では、
①ACは牡牛座にある。在住する角度も表示されているが、単純化するために省略する。
②月の星座は牡羊座29.41’に在住する。
③出生のジャンマ・ナクシャトラは「クリッテイカー」でナクシャトラの支配星は「太陽」である。ここでは上に書いた度数が問題になる。②によって算出された度数29.41’をナクシャトラ(星宿)の計算表に基づいて見てみると~40.は上に書いたような判定になる。

別のカーラカ(Karaka)=表示体という判定法によると、アートマ・カーラカ(Atma Karaka)=真我の表示体というのは、最も度数の高い(30度に近い)惑星をアートマ・カーラカと呼び、これは特にジャイミニ占星術で重視される。アセンダントの支配星のように重要な役割を担うとされる。
私のチャートに戻って言うならば、②で月の星座が牡羊座29.41’にあるということは極めて30度に近く、この判定が極めて重い「真我の表示」を示していることになる。
後でナクシャトラ(星宿)の一覧表をお示しするが、上記のように、この三点を押さえておけば、私のホロスコープの基本は押さえたことになる。

私のホロスコープの読み解きは、今日は、ここまでにしておく。いろんなことが一時にわっと出てくると、私も読者も混乱するので、少しづつ書いてゆくことにする。
ただ、以下のことだけは西洋占星術との関連で、先ず押さえておかなければならないと思うので書いておく。
西洋占星術では各人の生年月日から「どの星座に属するか」が、まず求められるが、インド占星術では、上に説明したように、各人が、どの星座に属するか、などということは「無意味」であり、また求められない、というかホロスコープにも、星座だけを取り出して強調することは一切ない。

──トロピカル星座帯とサイドリアル星座帯の度数による差異──
よく西洋占星術とインド占星術とでは、所属星座が違う、とか言われるが、それは次のようなことだ。
西洋星学で使用される星座の位置は、毎年の春分点を牡羊座の起点(0度)としている。かつては実際の星座の位置と対応していたが、地球の歳差運動のために、毎年少しづつ(およそ72年に1度づつの割合)星座の位置が逆行し、現在では実際のそれよりも、およそ24度近くずれている。
つまり、現在の春分点は牡羊座0度ではなく、魚座6度近くにある。この星座をトロピカル星座(移動星座)と呼び、インド占星術ではサイドリアル星座(固定星座)を使用し、この両者の差異およそ24度を、現在におけるアヤナーンシャ(Ayanamsha)と呼んでいるものである。
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ここまで読み解いてきた私の感想である。
①星座表は先にも書いたようにバビロニアに発しギリシァ、ローマ、そして現在のヨーロッパに普及し、インドにも達した。(7/19日付けの占星術いろいろ⑥を参照のこと)私は星座表の思想はインドが発祥地かと誤解していたが、発祥はずっと西であった。
②中国ではインドと同じように極めて古い古代に占星術が発見されたが、単純な太陰暦(月の運行の観察)と太陽の運行による季節の推移との矛盾を太陽暦との折衷によって古代の早い時期に修正してきた。二十四節気などがそれである。これには次々と興亡はあったけれども、その時々に強力な集権的な政権が出来て、暦法を修正し、その普及を図ってきたから太陰太陽暦への移行も早かった。
現在、インドは太陽暦を中央政府としては採用しているが、今でもインドには14の公用語があり、ヒンズー教、イスラム教、シーク教、ジャイナ教、キリスト教、仏教など複数の宗教が信仰され、そして数十種類の暦法が存在している。暦が違うから一年の初めも、月の初めも、したがって日々の日付(暦日)も違う。
インドでは中央集権的な政権が暦法を統一するような努力をして来なかった。だから今でも「月の運行」を基礎とする太陰暦の影響を重く引きずっている。
現在ではインド政府は暦法の整理統合のために1952年に国定の太陽暦を採用したが、太陽暦が暦法の中心になることは出来ず、今まで通りの旧暦の、それも数十種類の暦法が、てんでばらばらに無秩序に使用されているようだ。口の悪い人は暦法改正委員会は新しい暦を一つ増やして混乱の種を蒔いたと言われているらしい。
暦法が「占い」の段階に留まっているのならば、それはそれでよいが、宇宙や年月の運行を正確に「暦」として把握し、庶民にも判りやすい形で周知する責任が中央政府にはあるだろう。インドの特徴は「混沌」にある、という批判を為政者が甘受するようでは許されない。
今回、インド占星術に関わって、いろいろ本を読んだり、ホロスコープを送ってもらったり、ネット上でインド占星術のサイトを検索して目を通した結果、私はインド占星術の現状に、はっきり言って失望した。混乱は混乱として、それらを整理して、特段の努力をしなくても庶民にも容易にアクセス出来るような、例えば日本、中国のような年度別の「暦」のようなものが出てきて、はじめて暦法が民衆の手にあると言える。インド占星術は、それらを整理することなく、混沌のままに放置して「神秘性」を逆手にして金儲けに走っているようだ。たとえばネット上では「インド人の○○先生は一席35000円が相談料の相場」などと書かれている。
案外、先にも書いたが、インド人のしもじもの庶民は自分の「守護神」を拝む、などのレベルに安住しているのではないか。
「用語集」と首っぴきでホロスコープを読み解かなければならない、というようなことではインド占星術に明日はない。関係者(インテリ)の自己満足に過ぎない。「難解」を売り物にした商法とも受け取れる。
私の意見をぶしつけに書き過ぎたかも知れない。ご批判はお受けする。
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2004/07/19のBlog
占星術いろいろ⑥──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■

──暦とは何か──────木村草弥

ひとくちに「暦」と言っても、意味するところはさまざまである。壁に掛けられたカレンダーや手帳なども「暦」だし、中国で盛大に祝われる「春節」は「農暦」の新年であるというときの「農暦」とか「太陽暦」「太陰太陽暦」というような「暦法」をいうときも「暦」である。その他「たべもの暦」とか「女の暦」というような人生や四季のめぐりになどの変遷を或る描写をするときにも使われる。
中国ではカレンダーの類を「暦譜(れきふ)」と言って区別しているので大変わかりやすい。農暦や太陽暦、旧暦などを対象にする場合は「暦法」と表現する。
どちらにしても、暦には年月日それに「週」という要素があって、さらに、年をいくつか集めて、世紀とかミレニアムとか区切ってみたり、一年を四季とか二十四節気とか七十二候に分けることもある。先に見たようにインド暦では1カ月を新月から満月までの「白分」と、満月から晦日(みそか)までの「黒分」に二分する方法も見られる。十日ごとの「旬」とか七日ごとの「週」などというのは、生活の便利さから起きたもので、多くの暦に見ることが出来る。
──太陽の暦と月の暦──
地球が太陽の周りをぐるりと一回転する長さを1太陽年とか1回帰年と言うが、その長さは
365.2422日(365日と5時間48分46秒)
大ざっぱに365日と4分の1日である。

暦を構成する、もう一つの重要な要素である月の満ち欠け朔望(さくぼう)の長さは
29.53059日(29日12時間44分2.9秒)
これも大ざっぱに言って29日半である。こちらは月が地球の周りを一回転する長さで「朔望月(さくぼうげつ)」という。季節によって月の運行には大きなバラツキがあるため、最長と最短では13時間21分もの差がある。
人類が使ってきた暦は、太陽だけのものを「太陽暦」、月だけのものを「純粋太陰暦」、そして両者を組み合わせたものを「太陰太陽暦」と呼んでいる。温帯地方では春夏秋冬の四季の変化があるから、太陽の運行を計測しやすいが、低緯度の地方では、それが難しい。それに対して、月の位相(かたち)の変化──新月、上弦、満月、下弦、晦日という変遷は誰の目にも判然として判りやすいので、はじめは月の朔望によった太陰暦が早くに出てきた。
人類は、意外に早く天文の技術を習得したようで、私が第四歌集『嬬恋』(角川書店)の「マヤの落暉」の中で歌に詠んだように、マヤ族はBC3世紀には、すでに数学上の「ゼロ」の概念を発見していたし、「天文の民」でもあった。歌を引用する。7/9付けのBLOGでご覧いただける。

 マヤ人は「暦の民」なり一年を365.24日割りいだしたる────木村草弥

今日われわれが採用する太陽暦とほぼ同じである。メキシコのユカタン半島にゆくと2000年も前の「天文台」が崩れかかっているが、残っている。また、その形が今の天文台と同じような円筒形をしているのにも驚かされる。

──太陰太陽暦と季節──
月の満ち欠けによって日付(暦日)を数える太陰太陽暦では、実際の季節と日付とが毎年11日づつずれてゆくから「何月何日」という日付を見ただけでは、実際の季節は判らない。
本当の季節を知る方法には大きく分けてオリエント方式と中国方式とがある。
オリエント方式とは、バビロニアに発してギリシァや古代ローマでも行われ、ヨーロッパでは今日でも用いられており、東に普及してインドにまで影響を与えた方式である。。それは太陽が黄道付近に設定された十二の星座(黄道十二宮)のどこに位置しているかによって、正しい季節を知る方法である。これは星座の占いに結びつき、いまだに人気を博している。
他方、中国の方法は、二十四節気によるもので、これは太陽の1年、つまり365日を24に等分して、その一つ一つに立春とか雨水というように季節を表す名称をつけ、暦の上に書き付けて、月の満ち欠けによる暦日と二十四節気の両者を睨み合わせることによって正しい季節を知るものである。これはまた閏月を置く目安にもなるものである。
つまり、太陰太陽暦の暦日は月(太陰)の満ち欠けによるが、毎年11日づつずれて進む。そして閏月の後では逆に20日前後逆戻りしてしまうから、たとえば3月3日の雛祭と言っても、まだ桃の花の咲かない年もあれば、とっくに散ってしまっている年もある。一方、二十四節気は太陽の動きによって決められるので、清明といえば毎年同じ頃(太陽暦で言えば4月5日前後)となる。だから、実際の季節を知らないと大変なことになる農業などでは、暦日よりも二十四節気や、同じ性格を持つ土用や八十八夜や二百十日などの雑節を目安にしたのである。

──グレゴリオ暦──閏年の入れ方──
太陽暦にも「閏(うるう)」がある。一年365日の後のハンパな時間を、一日の閏日を設けて調整しなければならない。
古代ローマの「ユリウス暦」では、四年ごとに閏日を挿入して、この問題を解決した。もっとも138年で一日の差を生じることにはなる。
現在われわれが使っているグレゴリオ暦では「閏年は4年に1回だが、400年間に三回省略する」という方法で、この問題も見事に処理している。

──中国暦の閏の入れ方──
太陰太陽暦の場合は、より深刻である。何しろ両者の差は11日にも及ぶからである。しかも月の満ち欠けを単位とする太陰太陽暦の本質からして、閏は月を単位として設けなければならない。したがって、おおよそ33カ月に1回の割で閏月を設けることになるが、閏月をどこに挿入するか、どのような時に置くか、といういわゆる置閏法の確立が必要になってくる。
中国古代の「殷」の甲骨文には「十三月」という月名が見られるらしく、おそらく閏月は年末に置かれたものと思われる。春秋時代になると、19年を「1章」とし、1章に7回閏月を設ける「19年7閏法」が成立する。これは古代ギリシァの「メトン法」と同じもので太陽暦の19年の日数と、7回閏月を設けた太陰暦の19年の日数がほぼ一致する。これを「章法」と呼んだが、この章法が成立したのと同じ頃、「二十四節気」も成立すると、二十四節気の「中気」を利用して閏月を決定する方法が考案された。中気とは二十四節気のうち、雨水、春分、穀雨、夏至など偶数番のものである。中国暦では、朔をふくむ日をある暦日の第一日(朔日)とし、次の朔の前までの1カ月にふくまれる中気によって月名を決める。二十四節気では「冬至」が11月の中気に定められており、暦の計算の基礎となる。だから、冬至を含む月が11月であり、大寒を含む月が12月であり、雨水を含む月が正月である。そして、もし中気を含まない月が到来したならば、月名がつけられないから、それを前の月の閏月とする。この方法は今も太陰太陽暦では同じである。

──中国最古の暦「甲骨文暦」──
神話の時代はさておき、今日、史料によって確認できる中国最古の暦法は「殷」時代のものである。中国文化史年表によれば、「殷」というのは紀元前1700年~紀元前1100年の政権である。この甲骨文は河北省安陽市小屯の殷廃墟から得られたものである。清朝末期の光緒25年(1899年)のこと、当時国子監祭酒(最高学府の学長)であった王懿栄のもとに龍骨(亀板)が薬種商から持ち込まれ、その甲羅に古い文字が刻まれていたのを同家の劉鉄雲が発見し、甲骨文の意味に気づいて大規模に収集につとめた。王の死後1903年に劉鉄雲によって最初の甲骨拓本集『鉄雲蔵亀』が出版され、羅振玉、などの多くの学者によって甲骨文の研究が進められた。その後1928年以降に小屯で殷墟の発掘が行われ、大量の甲骨文が出土した。日中戦争の苦難を乗り越えて研究が進められ『殷暦譜』が執筆され、殷暦の概要が明らかになった。
この研究を通じて紀元前1300年頃、殷の19代の王・盤庚が、ここに都を置いたことが明らかになった。この地は天邑商または大邑商と呼ばれ、殷の国の中心であった。因みに西洋では紀元前1183年にトロイ戦争が終っている。
ところで、殷の甲骨文は、亀の甲や牛の肩甲骨などに占いの文章が刻まれている。そこに十干もしくは六十干支を用いて日付が記されており、また六十干支の表も発見されており、これらが殷時代にすでに形成されていたことが判明する。
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2004/07/18のBlog
占星術いろいろ⑤──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■

──アジアの暦────────木村草弥

7/17付けでは、今日の日本の暦の実用的な面を紹介した。このように古代中国の深遠な、しかも難解な思想が、極めて実用的な形で日常生活に、簡単に取り入れられているのは、高度な工業社会が成立し、印刷の面でも大規模な大量印刷もたちどころに可能であり、価格も極めて廉価であるということが必須の要件としてあるからであろう。

そんなことを考えながら、ふと『アジアの暦』(岡田芳朗、2002年刊、大修館書店)という本のことを思い出し書架から引っ張りだした。今日は、この本をもとにしてアジアの暦のことを書いて見る。
二番目の写真が、その本である。岡田先生には『明治改暦』『暮しのこよみ歳時記』『日本の暦』『暦ものがたり』『南部絵暦』などの著書がある。
「暦」は各民族、各宗教ごとにさまざまなものがある。以下、興味のありそうなものを中心に取り上げる。
はじめに、この本に載るグラビアの紹介である。
三番目の写真は(クリックして拡大してもらえば少しは読み取れる)中国の清朝時代の年画の略暦である。光緒31年<西暦1905年>の太陰太陽暦である。
中国の春節(旧正月)には家中に赤、青、緑、黄などの色あざやかな年画が貼り巡らされ、晴れやかな気分にさせてくれるという。「略暦」とは簡略化した暦という意味であろう。幸福をもたらす神々や目出度い絵柄など富貴長寿、子孫繁栄を祈る人々の願いを書いた年画は中国文化の一面を示すものである。この略暦には太歳神、財神などの方位と月の大小、24節気の日付などが記載されている。
下の部分は「ベトナムの日めくり」でグレゴリオ暦と農暦の日付が入っている。
右の赤刷のものは2月12日火曜日で「壬午年 正月大 壬寅月 初一」と漢字で書いてある。またベトナム語で「テト」の文字も見える。これは太陰太陽暦の元日な訳である。中国の春節にあたるものがベトナムでは「テト」という。この日めくりではテトの3日間は赤色で印刷されている。このような色分けは日本の日めくりと同じである。ベトナムは中国文化の影響下にあったので、暦が太陰太陽暦であるのは尤もだが、24節気が中国そのままというのには驚かされる。「小寒」「大寒」などの気候がベトナムにある訳がないのだが。この暦には「十二支」の名前の漢字は、そのまま書いてあるが「卯」のウサギの絵はないという。寅と辰の間に、なんと「猫」の絵が描かれている。しかも口に魚をくわえた格好をしているという。ところ変わればさまざまということである。

四番目の写真は、また一段と読み取り難いがインドのカレンダーで、サカ紀元1900年<西暦1979年>のヒンズー暦だという。毎日複数のヒンズー暦の日付が入っているらしい。
このグラビアの左下の部分はネパールのカレンダーだということだが、説明は省略する。
──インド暦の不思議──
インドのカレンダーや日めくりには実に不思議なことに出会うという。毎月1日から数えて15日までくると、とたんに、また1日に戻って、2日、3日、4日・・・・と続く。16日とか17日とかいう日付は出てこない。唖然とするばかりであるが、よく見ると、ある月は3日の次は5日となり、5日の次は7日になる。かと思うと7日が二日続いたり、13日が二日続いたりする。これは大変と併記される太陽暦(グレゴリオ暦)を確かめると、ちゃんと毎日一日づつ進んでいる。「インド暦には16日から29日までの日付が無い」インド暦は太陰太陽暦なので1カ月の日数は29日か30日である。1カ月前半半月と後半半月に分けて最大15日とし両方合わせて1カ月としているという。
新月から上弦の月を経て満月に至る半月を「明るい月」すなわち「白分(はくぶん)」とし、満月から下弦を経て晦日に至る半月を「暗い月」すなわち「黒分(こくぶん)」とし、両者を合わせて1カ月とする。黒分の最終は必ず三十日と称している。日本の太陰太陽暦で29日の小の月も30日の大の月も、月末を「晦(みそか)」と呼んでいるのと同じである。数多いインド暦の中では黒分にはじまり白分に終るものもある。これは「満月」を月始めとする方式である。
インド暦については、この本から多くの示唆を得たが、それは「インド占星術」について書くときに詳しく書きたい。

グラビアは無いが、この本には「暦の仕組み」「中国の暦」「東アジアの暦」「イスラムの暦」「インドネシアの暦」などについて書かれている。
それらの中から私がかねてから多少は知っていることについて書いてみる。

──バリ島のウク暦──
インドネシア共和国はグレゴリオ暦を採用しているから、国家的行事にはこれが用いられるが、国民の大半はイスラム教徒であるから、宗教的行事にはイスラム暦が用いられる。グレゴリオ暦はオランダ統治時代の1914年に導入されたので月名はオランダ語に由来するものをインドネシア語風に変化させて使用する。イスラム暦、地域性のあるジャワ暦などがあるが省略する。
さて問題のバリ島にはバリ・サカ暦というヒンズー暦があるが、それとは別に「ウク暦」という、一年は210日という独特の暦法がある。これには1日の週から10日の週まで十種類の週があり、それらがさまざまに組み合わされて、極めて複雑な構成になっているが、バリ島では殆ど毎日行われている祭事や行事の多くが、このウク暦によって決められているから、この知識がないとバリ島の文化を理解できない、と言われている。
バリ観光の目玉のひとつになっている「ガルンガン」はウク暦の正月の祖霊迎えの行事であるし、学問や芸術の神サラスワティの祭日もウク暦によって決められる。この「ウク」というのは7日から成る一週間のことで、このウクがウク暦の基幹をなしている。一年の日数が210日というのは7日週のウクの30回の日数である。これらの30週には、たとえば、第一週=シンタ(Sinta)=美しい、大きい、という風な名称がつけられている。そしてウク暦七日週の曜日の名称は、次のようである。
 第一曜日 ラディテ(RadIte)=日曜日=太陽神アディティヤの日。
 第二曜日 ソーマ(Soma)=月曜日=月の神ソーマの日。男性神で神酒のことでもある。
 第三曜日 アンガラ(Anggara)=火曜日=災いの神アンガラの日。
 第四曜日 ブダ(Buda)=水曜日=月神ソーマの子で、ブダとは賢い子の意味。
 第五曜日 ウラスパティ(Wraspati)=木曜日=創造神ブリハスパティを讃える吉日。
 第六曜日 シュクラ(Sukra)=金曜日=神々の師で未来を予見できるシュクラ神を讃える日。
 第七曜日 サニスカラ(saniscara)=土曜日=黒い神シャニーの日で悪い日。
ウク暦の曜日の決め方などには一定のルールがあるが省略する。
ウク暦にはインケルという「禁忌週間」があり、決められた週間には、魚を獲ることを禁ずる、とか木を切ることを禁ずる、とかが決められている。まだまだ書くことは多いが、この辺にする。

私の第四歌集『嬬恋』にバリ島で作った一連があるので、ここに再録する。

 バリ島

古稀の語の韻(ひび)きもかなしケチャを聴く追はるるごときバリ島の夜

白き波寄するサンゴの岩礁へ夕陽落ちゆく浜風ぬるく

網膜に薄き紗かかるごとく見つモンキーフォレスト猿の交尾を

鷲(ガルーダ)はヴィシュヌ神の乗物ぞ赤き朝日が野に射し初むる

風景がわれを容るると思ふとき路上にアヒルの群が溢れぬ

椰子の樹は棄つるものなし柱となり葉を壁として屋根を葺くなり

バナナの青き広葉に飯を盛りてをりおかずも盛りて神に供ふる

アグン山ふもとの大きバトゥール湖火口に碧き水をたたへて

アグン山3142メートルバリ島の聖山にして何処からも見ゆ

ブサキ寺(プラ)はアグン中腹に鎮座せり一千年の歳月を経て

聖アグンを背景にして三、五、十一層の塔(メルー)つらなる景を畏れつ

一年を二百十日で括るとふバリのウク暦は常夏なれば

幾段も棚田のつづく田園は椰子たかだかと木蔭をつくる

「蜜蜂の求愛の踊」と名づけたる美(は)しき一組の男女の踊り
 *蜜蜂の求愛の踊=オレッグ・タムブリリガン

ケチャ踊りはドイツ人画家ウォルター・シュピース創案1928年

チャッチャッと声発しつつ踊るケチャはラーマーヤナ物語演じゐるなり

聖獣バロンと魔女ランダとの終りなき戦も長しチャロナラン劇

をとめ三人腰つき優美に踊りたりラッサム王物語ガムラン音高く

選ばれてレゴン・クラトン村中の憧れの的少女うつくし

盛装せる女が頭上に供へ物を載せてむかふは村祭(オダラン)の寺
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2004/07/17のBlog
占星術いろいろ④──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■

──日本の暦──今の姿──────木村草弥

インド占星術のラオ先生の本を買った時にサービスで私のホロスコープを作ってもらえるとのことで生年月日などのデータを送ったので、その返事があってから本格的に書きたい。
それまでは「日本の暦」の現実の姿を書いてみる。
先に書いたように日本の暦については、あちこちから年度毎の「暦」を贈呈される。先ず各新聞の地域販売店が年末には必ず呉れる。それらは尤もらしい数百円の定価が印刷されているが何千万部も印刷されるので販売店に入る値段は50円までであろう。それらは殆ど「高島易断所」のものである。高島にも幾つかの系列がある。
二番目の写真は「平安神宮」が呉れた暦。私のところは職業柄、毎年「献茶」しているので、その献茶講社から配布してくる。他に、地元の氏神さん「賀茂神社」も呉れる。「占星術いろいろ②」に書いたが安倍晴明の系統の土御門家が古来大きな力を持っており、この平安神宮の暦は発行・土御門文書編纂所、となっている。
中国4000年、日本に伝来してからでも2000年近い歴史を「日本の暦」は有している。だから体系だって整理されているのは勿論、庶民の利便のために毎年、その年度の暦を配布する。

──九星──
と言って各人の年度別の「星」が決まっているのである。私は生れ年から「七赤金星」ということになっている。
ちなみに全部あげてみると、「一白水星」「二黒土星」「三碧木星」「四緑木星」「五黄土星」「六白金星」「八白土星」「九紫火星」ということになっており、これらは年度別の配置であり、変わらない。掲出の三番目の写真は字が読みにくいが「七赤金星」の吉方、相性などが書いてある。この画像をクリックして拡大して見てもらえば何とか読み取れる。

──六曜──大安・仏滅・先勝・先負・友引・赤口──
「暦」は、一冊平均40ページ~60ページあるが、こと細かに暦に関する「常識」なるものも教えてくれる。平安神宮の呉れたものが一番詳しい。それを書き抜いてみよう。
「六曜」は暦の中でも、日本人には一番なじみのあるもので、結婚式には、絶対「仏滅」を避けて、「大安」とか「友引」にするとかのことは100パーセント近くの人が選ぶのではないか。
「六曜」は、日に配して吉凶を表すので、一月(旧暦)一日を先勝、二月一日を友引、三月一日を先負、四月一日を仏滅、五月一日を大安、六月一日を赤口として、ここに書いた順序で日々循環する。七月には再び先勝に戻り、八月一日は友引以下各月おなじく循環する。
先勝=午前は吉、午後は凶、急いで吉
友引=午前は利益なく、夕刻吉
先負=平静を守って吉、午後は吉
仏滅=吉凶なし
大安=吉日にて万事進んでよし
赤口=正午は吉、前後は大凶なり
こんな風に書かれている。葬儀の日時なども、これによって左右される。六曜なのに月によって並び方の間隔に変化があるのは、毎月ついたちに来るのが決っているからである。
「六曜」は中国陰陽道の「小六壬」なる選日が我国に伝わり、変化したものである。
四番目の写真には「九星」による「方位吉凶早見表」が載っていて、拡大すると割合読みやすい。

──納音──
五番目の写真には平成16年各人数え年などの他に「納音」というのが載っている。これは私も今まで見過ごしていたものだが、今回くわしく見てみると「山頭火」「井泉水」などの熟語があり、これを「納音」と言うらしいが、ここに引用した二つは俳人に関係がある雅号である。種田山頭火と荻原井泉水が、ここからペンネームを借用していることを、初めて発見した。いずれも自由律俳人であることも、面白い符合である。
私の納音は「路傍土」とある。私は「草」が好きでペンネームにしているくらいだが、草は路傍の土に生えるもので、何だか嬉しくなった。

──二十八宿──
暦には先にあげた最もポピュラーな六曜の他にも「二十八宿」という「角」「亢」など28の漢字のものがある。これは、月が27日半弱で全天を一周するとき通過する軌道付近の28の星座であって、月、太陽、惑星等の位置を示すため、中国、インドなどで用いられたものである。後これが月の位置と離れて(ただしインド流では形式上多少関係がある)日に配当され吉凶を占うに至った。

──十二直──
先にあげた二十八宿や、ここにあげる十二直などは、やや暦に拘る人が「六曜」などに付加して、これらのいずれもが「吉」であることを選択して、行動するもの。
「十二直」は「建」「除」「満」「平」「定」「執」「破」など12の漢字1字のもので、その起源は明らかではないが、中国古代から行われた暦註で、淮南子や漢代の暦譜にすでに見えている。月建、すなわち毎月節日の夕方北斗七星の柄が指す方位の十二支、と密接な関係を持ち、これと同じ十二支の日を「建」の日とする。

そのほか男女の「厄年」「方位の吉凶」それに月の満ち欠けによる潮位の時刻など太陰暦に由来する、漁業にたずさわる人などには必須の潮汐図、時刻など実用的なものも載っている。だから、現実問題として「暦」は庶民生活に欠かせない面を多分に持っていると言えよう。
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2004/07/16のBlog
占星術いろいろ③──東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■

 番外編:インドの話──ガネーシャ神のことなど──木村草弥

インド占星術のことを読み解くのに、読みなずんでいるので、ここらで気分を変えてインドのことなど、少し書いてみる。番外編とする所以である。

掲出の写真はインドで人気のある神様「ガネーシャ神」の画像である。これも私がFRANKさんにお願いして見つけてもらったもの。
私の月次掲示板POSTに掲げた「占星術」の統一ロゴの補助ロゴとして「インド占星術」について書くときには、必ず、これを掲げることにする。
ガネーシャ神についてはFRANK LLOYD WRIGHT氏のページに詳しく解説してあるので見てほしい。
私は1999年正月に、その頃はまだ現役で仕事をしていたので、9日間の休暇をもらって北インドを旅した。その印象記は同人誌「かむとき」に載せた。Web上でも「インド文学散歩」という記事でご覧いただける。

さて「インド」のことだが、この名前はイギリス人がINDIAと呼んだことから今でも対外的にはリパブリック・オブ・インディアのように使用されるが、正式には「バーラタ」というのが正確である。英語ではJAPANというが日本ではニホンとかニッポンというのと同じである。上に書いた私の「インド文学散歩」にも書いておいたが、これは有名なタゴールの詩の中にも出てくる。
博識ついでに披露しておくと、インドを旅していて「ヴィシュヌプール」のように地名の語尾の「プール」とつくのはヒンズー教に由来する地名である。ほかに「バード」と語尾につく地名はイスラム教に由来することを示す。(たとえばハイデラバードなど)このことは旅の全行程を共にしたインド人ガイドのメーラ君から聞いた。因みに、このメーラ君はインド人のくせに辛いものが大嫌いで、それでよくインドに暮らせるものと、みんなで冷やかしたものである。ヴィシュヌプールという名前はヴィシュヌ神に因む。
神の名前が出てきたので、インドの神様について、少し。
本質的にヒンズー教は多神教である。神様の名前は枚挙にいとまがないが、シヴァとヴィシュヌとブラフマーが古来より三大神とされる。
シヴァ神は荒ぶる神である。しかし一方では恵み深い神でもあり、踊りの名手で「ナタ・ラージャ」と呼ばれ舞踊を志す人々は、この踊るシヴァ神を信仰する。
ヴィシュヌは太陽の光を神格化したものとされ、十あるいは二十四の化身を表わすに至る。仏教の開祖ゴーダマ・ブッダも、その化身の一つとされる。ヴィシュヌ信仰がインド全土に普及したのは、この化身の思想による。先に挙げたタゴールも、このヴィシュヌに捧げた詩を書いている。ヒンズー教のバイブル『パガヴァット・ギーター』には「道徳が衰え不道徳が栄えるたびに余は自身を創出する」と説かれる。この考えによりヴィシュヌはさまざまな姿をとって世の人々を救うのである。
インドを旅するとヒンズー教寺院の薄暗がりに、ぬっくと立つリンガに出会う。さらに目をこらせば、リンガを包む丸いものヨーニがある。リンガ(またはリンガム)は「ヨーニ」とともにサンスクリット語でそれぞれ「男根」と「女陰」を意味する。リンガはシヴァ神をシンボライズしたものであり、すべての生きとし生きるものは男性原理と女性原理の合一によって万物の生成を見るからである。
因みに私は、サンスクリット語というのは中世の言語で現在は死語だと思っていたが、西インドのプーナ大学で博士号を得られた阿部慈園氏の本を読むと、インド全土でサンスクリット語を自由に会話し、読み書き出来る人が5000人はいるという。1990年代の現在の話である。だから同大学のサンスクリット語科では集会や行事はすべてサンスクリット語で挙行されるという。ヨーロッパで公式行事のとき、たとえばイギリス議会の開会式でエリザベス女王がラテン語で一席語るというよりも更に一歩実用性は深いというべきである。

ここでガネーシャ神について簡単に触れておく。インド人は皆子供の頃から自分個人の「守護神」というのを持っている。これはインド占星術に基づいて判定したものであろうが、これは庶民段階にも徹底したものである。バスの運転手はバスの中に、その神を祀り、折にふれて香を焚き礼拝する。
ガネーシャは父はシヴァ神、母はパールヴァティ。パールヴァティは穏やかな、教養のある女神で、広い信仰を集め、いつも捧げられた多くの花に包まれている。
ガネーシャは父シヴァ神の怒りを買い、象の首とすげかえられたので、画像のような姿をしている。ガネーシャは知恵と慎重さの神、文学の神、金運の神、利殖の神などと言われるが、「インド占星術の守護神」とされるとは、今回はじめて占星術の本を読んで知ったことである。なぜガネーシャが象の首にすげかえられたか、のいきさつなどはFRANK氏のページに詳しい。ガネーシャだけを祀った寺院というのもあり、ニューデリーで、金持ちが寄進して建てたというガネーシャ寺院を詳しく見学したことがある。金ピカの派手な寺院だった。

インドという国は国土も広いが、そこに住む人の数も半端じゃない。公称9億とか10億とかいう人間が国土にひしめく。
現代のインドの現実は、身分カーストのほかに職業カーストが二重に存在して、がんじがらめとなっている。このカーストの下には更に「アンタッチャブル」と呼称される不可触賎民も存在するのである。ガンジス川の有名な聖地ヴァナーラシの沐浴のシーンを見学に舟に乗って川の半ばまで出たことがあるが、岸の上部に見える、豪邸は川岸で火葬場(ガート)の仕事に従事する不可触賎民の親方の邸だという。インドでも死体を処理する仕事は賎しいものとされ、彼らは、それに専一的に従事して、見返りに莫大な富を得ているのである。路上に住まう乞食も多く、インドを旅すると、そういう「混沌」たるものの上に成り立っているインドの現実をかいま見て、人生観が変わるような経験をするのである。
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2004/07/15のBlog
占星術いろいろ②─東洋五千年の知恵──■TB:占星術・暦:■

──中国創世記と日本神話───────木村草弥

今回は、いわゆる「占星術」を離れて、吉野裕子氏や福永光司氏の本を下敷きにして、日本人の原初記録などに、いかに中国の道教が深く根をおろしているか、を書いてみたい。それを理解するならば、現在もなお日本人の精神生活に深い影響をもつ「陰陽五行」や「暦」のことが十全に判るだろう、と思うからである。
中国の古典から『日本書紀』の記述が、丸写しにひとしい「借用」に終始している実例を、以下にお示しする。
中国の古典、『淮南子(えなんじ)』 (淮南王劉安撰、紀元前140年)の「天文訓」には、天地創造が次のように記されている。
「天地未だ形(あらは)れざるときは、憑々翼々、洞々属々たり。故に大昭といふ。(中略)清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なるものは凝滞して地となる。清妙の合専するは易く、重濁の凝ケツするは難し。故に天、先づ成りて地、後に定まる。」
また『三五暦記』(呉、徐整撰、220~280年)には
「未だ天地あらざりしとき、渾沌として鶏子(たまご)の如く、溟として始めて牙(きざ)し、濛澒として滋萌す。」
と見えている。

『日本書紀』(720年撰上)では、どう書かれているか。
「いにしへ、天地未だ剖(わか)れず、陰陽の分れざりし時、渾沌たること鶏子の如く、くぐもりて牙(きざし)をふふめり。その清陽(すみあきらか)なるもの薄靡きて天となり、重濁れるもの、とどこほりて地となるに及びて、精妙なるが合ひ搏(あふ)ぐは易く、重濁れるが凝りかたまるは難ければ、天まづ成りて地、後に定まる。然る後に神聖(かみ)その中に生(あ)れましき。」

中国創世記は、古代中国の思想・哲学の根幹をなすものであるが、『古事記』とともに日本古典の双璧をなす『日本書紀』の冒頭が、その借用で始まっていることは、私どもに次のようなことを類推させる。
つまり、その揺籃期に、中国の文字、思想、哲学、学術、医術、暦など、あらゆる面において、その洗礼を受けた日本文化は、その基底に中国文化の影響を濃厚に宿しているということである。
古代中国の思想・哲学の基本をなしているものは陰陽五行思想であり、前述の創世記もその表れである。従って、陰陽五行を抜きにしては日本を語ることは出来ないのである。

ここで、いささか読者の注意を喚起しておきたいことは、これらの日本古典と中国創世記などの比較研究は、戦前は(明治以降第二次世界大戦敗戦まで)日本固有の「国体」を保持するということで、日本古代思想に甚大な影響を齎したというより、道教思想そのままとも言える、これらとの比較研究は弾圧され、禁じられて来たということである。福永先生たちの研究は、敗戦後になって、やっと解禁され、日の目を見ることになったのである。

正史に記載される「暦本」の初めての渡来は、欽明天皇14年の紀元553年。降って推古天皇10年の602年には百済僧観勒(かんろく)による暦本・天文地理・遁甲方術書の移入があった。
そこで日本に入った陰陽五行思想の歩みは、7世紀初頭までは緩慢であったが、640年頃、南淵請安、高向玄理らの学僧や、留学生の帰朝後は急速に浸透し、ことに663年、百済滅亡の結果、多くの百済亡命者を迎えた天智朝に至って様相は一変し、さらに次の天武天皇に及んで陰陽五行思想の盛行は、その頂点に達したと思われる。
自身、天文遁甲をよくされた天武天皇は、壬申の乱の後、陰陽寮(おんみょうりょう)を設け、治世4年の675年には占星台を造営されたが、大宝律令によれば、陰陽寮の組織は長官・副長官を頭に、陰陽師(おんみょうじ)、陰陽博士以下の職員から成り、その任務は占筮・占星・漏刻などの管掌にあった。
平安時代には賀茂保憲、安倍晴明が斯道の大家として聞こえている。中世以降は晴明の後裔・土御門家が代々世襲して長に任じられたが、徳川時代になると、その権限は一層強化され、諸国の陰陽師を統括した。
一方、徳川家康は、陰陽五行の奥義を体得して天源術を創始した天海僧正を重用したが、家康死後も彼は秀忠・家光と三代にわたって仕えたから、その影響は多大だったと思われる。
陰陽五行および実践としての陰陽道は日本渡来以来、国家組織の中に組み込まれ、一貫して朝廷を中心に祭政・占術・年中行事・医学・農業などの基礎原理となり、時に権力者によって軍事に至るまで広範囲に実践応用された。
しかし明治維新を境に陰陽五行は「迷信」として退けられ、国家の中枢から、その姿を完全に消してしまったのである。
そして先に書いたように日本文化あるいは日本国体が、日本固有のものであるかのように欺瞞するために、これらの中国古代思想が日本文化に与えた影響などの比較研究は厳しく弾圧されたのである。
今では、日本固有の文化と見られる「侘び、寂び」の境地も(たとえば俳句の芭蕉など)道教などの老荘思想の影響をモロに受けている、という研究もなされている。
国家の中枢からは排除されたが、これらの古代中国思想は暦の宗家をはじめ、庶民生活の中に、脈々と生きづいているといえよう。
千田稔氏が、この本の中で『日本の道教遺跡』にも触れたことだとして次のように書いている。
「古代の海部(あま)と呼ばれた集団が、わが国に道教的思想、あるいは神仙思想をもたらしたのではないか。」
「浦島伝説の源流は、中国の洞庭湖周辺の龍女説話や仙郷淹留譚に求めることが出来る。揚子江下流部の説話が黒潮に乗って直接にか、あるいは環シナ海を活動の舞台とした航海民族によって日本列島にもたらされたと推定することも出来る。」
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2004/07/14のBlog
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──陰陽五行思想と道教のことなど─────木村草弥

FRANK LLOYD WRIGHT氏が標記のような企画をお立てになったので、私も以前から関心を持っていたので、何か書こうと資料を集めはじめた。
しかし、事は容易ではなかった。というのは、ことが「占い」「占星術」に関することであり、私は本来的に、そういうものは信じない人間なので、読み進むのにも抵抗があった。一番目の写真はFRANK LLOYD WRIGHT氏が、このシリーズのために選定していただいたロゴマークである。星座配置などが読み取れる。
二番目の写真は吉野裕子『陰陽五行と日本の民俗』 (1983年、人文書院刊)という学術的な本である。
三番目の写真は福永光司編『道教と東アジア』 (1989年、人文書院刊)という本だが、福永先生は京都大学の人文科学研究所教授(所長)をされていて、この本は共同研究の成果である。執筆者には先に書いた吉野裕子氏も含まれる。
これらの本を私が読んだのは10数年も前のことだが、日本人の、上は天皇家から、しもじもの庶民にいたるまでの精神史のなかに、生活の基盤のなかに、広範な範囲で中国に発する「道教」の思想が深く沈潜して基礎をなしている、と思ったからである。
吉野裕子氏は、この本で、こう書いている。
中国哲学は具象の哲学である。根元の陰陽二気から派生した木火土金水の五気に、時間・空間・事物・事象の一切が還元され、それらはまた青赤黄白黒の五色によって象徴される。季節の推移さえ具象化され、天子が四方に四季を迎えるのはその好例である。・・・・・・
これらの二著は、もちろん低俗な「占い」の域を論じたものではないが、上の文章につづけて吉野氏の書かれることを辿ってみよう。
陰陽五行を導入して日本の民俗をみるとき、思いがけず謎がとけ、私どもの祖先は理屈のないことを余りしていないことがよくわかる。民俗行事は理によって貫かれた構造を、しっかりと持っているのである。・・・・・
こういう庶民民俗に関わることは、学者は殆ど手掛けなかったものを吉野氏などが「理」の面から解明されていったのである。
さて、四番目の写真はくだんの「インド占星術」の本である。この本の著者K・ナラヤン・ラオ氏はインドの会計検査院院長を勤められた人という。
市販の週刊誌などに載る「占い」の殆どは「西洋占星術」によるもので「星座表」によって生年月日を1年を12に分けている。
インド占星術はインド5000年の歴史を有する「哲理」だと言い、それは「光の科学」だという。これはJyotishと呼ばれるもの。そしてインド占星術の本来の目的は、人々を深い瞑想状態に導き、高い意識の状態を経験させることにある、と言う。星座表などは西洋占星術と同じ。というより、インド占星術がペルシャなどを伝わって西方に齎された、とみることが出来る。ただし、星座の配置などは30度ほど違う。
解説書のプリントも一緒にいただいたが、難しい。おいおいと書いてみるつもり。
さて五番目の一番下の写真は日本でもおなじみの中国伝来の、道教に発する「四柱推命」の本である。日本に流布する「暦」は神道系と言わず、仏教系と言わず、みな道教の教理というか哲理にもとづく。
掲出した本の著者・昇龍は「開運アドバイザー」と称し、やさしく噛み砕いて庶民の抵抗を受け流すように平易に書いている。おまけに美男子で年齢もとても若くて、その上、中国皇帝4000年の歴史を持つ秘伝「奇門遁甲」「命主占法」を操れる数少ない占術家、と自称する。父は中国人医師、母は運命鑑定の第一人者の翠真佑氏。幼い頃から特殊な能力を持って占術界に入る。

「四柱推命」学は、中国最古の文明「夏(か)」の時代から絶えることなく受け継がれてきた学問で、生まれた年・月・日・時間による四つの柱から、その人の運命を読み取る、というものである。四柱推命という名は、ここから発する。「命を推しはかる」という意味から「命理学」とも呼ぶ。

生年月日から導き出した宿命のことを「命主」と称するが、この命主を読み取るために、道教の十干・十二支を用いる。
十干(じっかん)とは甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと) を指す。「陰陽五行説」に基づいて、自然界の五元素である木、火、土、金、水を象徴しており、さらにそれぞれを陽(兄)(え)と陰(弟)(と)に割り振ったものである。
十二支とは、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い) のことであり、一般的に生まれ年を、これらで表わすが、命主占法では生まれ日も十二支で表わすことが出来る。
これらのことについては、3/30付けのBLOG「庚申さんのこと」に詳しく解説したことと同じである。

陰陽五行説では、生まれた瞬間に、初めて地球上の空気を吸うことになるが、これを四柱推命学では「気」を受けると考える。そして、生年月日によって、どのような「気」を受けたかを、陰陽五行に照らし合わせて細かく分類しているのである。
十干のキャラクターは、すべて「相生」と「相克」の関係にある。各五行は隣の五行と助け合い、二つ隣の五行と傷つけ合う。

ここまで、いろいろ解説したようなことは、陰陽五行説の基本であり、吉野先生の本でも書かれている。
これらの陰陽五行説に基礎を置いて、「占い」の各宗家は、尾ひれをつけて競っている訳である。
6/3付けの「草弥の詩・元命法という占術」に採り上げた万象学という一派も陰陽五行説に基づくものであり、エネルギー指数などという、もっともらしい用語を操っている。口承による伝承も多い、と言い、雑多な派が出てくる一因かとも考えられる。
ここまでの道教の理論だては、納得するとして、いわゆる週刊誌的な運勢なるものは、差しさわりのないことが書かれているに過ぎず、私が詩にしたように、面白おかしく書くことだって出来る。ここまで来ると西洋占星術も四柱推命の書く文章も、見分けがつかないから、いい加減なものである。

ロゴマークを一番上に入れたので本の写真の位置がずれてしまったのは、仕方ないことであり、ご了承をお願いしたい。
この本の読者は若者にしぼってあるようで、きわめて取っ付きやすい書き方になっている。いま人気のある四柱推命の占い師として脚光を浴びているというだけあって見事なものである。
インド占星術の本の読解になずむような書き方をする人に、爪の垢を煎じて飲ましてやりたい気がする。

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