K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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きりぎりす生き身に欲しきこと填まる・・・・・・・・・・・・・・・野沢節子
img012きりぎりす

     きりぎりす生き身に欲しきこと填まる・・・・・・・・・・・・・・・野沢節子

キリギリス科の虫で体長は3.5センチほど。翅は腹部を包むようにたたむ。緑色で褐色の斑がある。
チョン、ギースを繰り返して鳴く。ギースチョンとも聞きなす。秋の半ばまで昼に鳴く。
翅脈は鋸の歯のようになっていて、こすりあわせて鳴く。

平安時代から江戸時代まで「コオロギ」のことを「キリギリス」と呼んでいた、らしい。
つまり古今集時代から江戸時代まで、コオロギのことを「きりぎりす」と呼んでいたと言い、混同しやすいので留意したい。
芭蕉の句の「むざんやな甲の下のきりぎりす」というのも、もちろん「コオロギ」のことである。

以下、キリギリスを詠んだ句を引く。

 スカートを敷寝の娘きりぎりす・・・・・・・・滝井孝作

 一湾の潮しづもるきりぎりす・・・・・・・・山口誓子

 きりぎりす時を刻みて限りなし・・・・・・・・中村草田男

 泥濘におどろが影やきりぎりす・・・・・・・・芝不器男

 わが胸の骨息づくやきりぎりす・・・・・・・・石田波郷

 曲らむと鉄路かがやききりぎりす・・・・・・・・軽部烏頭子

 崖下に道なし崖のきりぎりす・・・・・・・・山口波津女

 きりぎりす腸(わた)の底より真青なる・・・・・・・・高橋淡路女

 山の鉱泉に父の晩年きりぎりす・・・・・・・・高島茂

 夜の底に泣く貌もてりきりぎりす・・・・・・・・辛島睦子

 きりぎりす生あるかぎり紅をさす・・・・・・・・久米富美子

 きりぎりす胸に組まれる死者の指・・・・・・・・大井雅人

 きりぎりすチョンを忘るるときもあり・・・・・・・・岡本無漏子
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引用した一番はじめの句の「敷寝」の意味が判る人も少なくなっただろう。
女子学生が制服のスカートのヒダを、夜、蒲団の下にキチンと整えて寝ている間にヒダをきれいに圧し直すことをいう。
今ではベッドで寝る人が殆どであり、こういう光景には、お目にかかれないと思われる。
因みに、この作者の滝井孝作は小説家として有名な人。


夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦
aaookyouch1夾竹桃赤

      夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦

夾竹桃は夏の花である。私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
夾竹桃は原産地はインドだが、江戸時代に中国から渡来して、当初は仏縁の木として寺院に植えられたが、後に一般に植栽されるようになった。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。
aaookyouch夾竹桃白

炎天下に咲く花というのは限られており、夾竹桃は夏の花として欠かすことの出来ない花となった。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、
それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。
明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
私の歌にも夾竹桃を詠んだものはあるが、今回は遠慮して、歳時記に載る俳句を引いて終わる。
句に詠まれるのも多く、俳人には好まれる花のようだ。

 夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男

 夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二

 夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子

 夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦

 白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子

 うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・高島茂

 歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子

 夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨

 夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介

 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨

 夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹

 夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男

 夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男

 鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏


浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花・・・・・・・・・・・・・・・杉田久女
sobaソバの花

      浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花・・・・・・・・・・・・・・・杉田久女

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも

  粟谷は山より暮れてゆく辺り夜目にも白く蕎麦(そば)の花咲く

  窯元へぬかるむ道のつづきけり蕎麦の畑は白とうす紅

  風かるき一と日のをはり陶土練る周囲ぐるりと蕎麦の畑ぞ
・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌群が載っている。
私の住む辺りは大都会の近郊農村で、平地で、蕎麦は昔から栽培されるのを見たことがない。
ということは都会にも近く、かつ温暖で水の便もよく救荒作物である「ソバ」のようなものの世話になる必要のない土地だったということになろうか。

写真①は蕎麦の草を接写したものだが、蕎麦畑の全体像は写真②のようなものである。
buckwheat-6ソバ畑

ソバは夏蒔きと秋蒔きと2回時期があるらしいが、いずれにしても稔るのが早く、2~3カ月で収穫できるらしい。
荒地を厭わないので救荒作物として高冷地では広く栽培されたという。
写真③で「ソバの実」をお見せする。
buckwheat-5ソバの実

この写真は、まだ脱穀したばかりで色が白いが時間が経つと皮が黒っぽくなる。
この実を臼で挽いて出来るのが「ソバ粉」で、粉に少し黒っぽい色がついているのは、皮が混ざっているためである。

 蕎麦はまだ花でもてなす山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 山畑や煙りのうへのそばの花・・・・・・・・与謝蕪村

 道のべや手よりこぼれて蕎麦の花・・・・・・・・与謝蕪村

 山畑やそばの白さもぞつとする・・・・・・・・小林一茶

というような昔の句にも詠まれているように、そのさりげない蕎麦の花の風景が愛(め)でられていたのである。
写真④はソバの花を接写したものである。
buckwheat-7ソバの花

今では「そば」と言えば食べるソバがもてはやされて、どこそこの蕎麦が旨いとか、かまびすしいことである。
しかし文芸の世界では「蕎麦の花」がもてはやされる。
食べる「そば」では実態を描きようがないからである。食べる「そば」は味覚の問題であって、文学、文芸上で描写する対象にはなり得ない。
仮に描写することが出来ても、そこから広がる世界、連想、想像を推し量ることには限界がある。

img_22ソバの草

以下、俳句に詠まれた作品を引用しておく。

そばの花山傾けて白かりき・・・・・・・・・山口青邨

 花蕎麦のひかり縹渺天に抜け・・・・・・・・大野林火

 蕎麦の花下北半島なほ北あり・・・・・・・・加藤楸邨

 蕎麦畑のなだれし空の高さかな・・・・・・・・沢木欣一

 山脈の濃くさだまりてそばの花・・・・・・・・長谷川双魚

 蕎麦咲きて牛のふぐりの小暗しや・・・・・・・・中条明

 山村といふも四五戸や蕎麦の花・・・・・・・・長沢青樹

 月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花・・・・・・・・古賀まり子

 母にまだとる齢あり蕎麦の花・・・・・・・・村松ひろし


這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・・・・・・・・・高橋沐石
hamahiru021浜昼がお

     這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・・・・・・・・・高橋沐石

「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。
ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。
砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。
地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。

この句は、浜昼顔の生態をよく観察したもので、海辺に咲く浜昼顔を過不足なく描写して秀逸である。

私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。

 きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女

 浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂

 浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥

 はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏

 浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一

 浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一

 昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・飯島晴子

 海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠

 浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟

 浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治

 潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子

 天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子

 浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子

 風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子

 つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・・清崎敏郎

 海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子

 浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子


地蔵会や高くひびくは母の鉦・・・・・・・・・・・・・・・中村若沙
109地蔵盆

    地蔵会や高くひびくは母の鉦(かね)・・・・・・・・・・・・・・・中村若沙

8月23、24日は地蔵菩薩の縁日、この日の祭りが地蔵盆である。
お盆の行事と結合したので地蔵盆という。
毎月24日はお地蔵さまの縁日なのだが、上に書いたようにお盆の行事と一緒になって、この日に開かれるようになった。
地蔵菩薩は末法の世の末に46億7000万年かの先に衆生を救いに来ると言われている。
特に子供の守り本尊で、写真②のような路傍の地蔵堂のお地蔵さまに、子や孫の順調な生育を願って、涎掛けや頭巾を手縫いしてお地蔵さまに着せる、
ということがされる。
扉の前に垂れる鈴鳴らしの紐には願をかける子や孫の名前と年齢を書き込むのが普通である。
4-13-3地蔵祠
お地蔵さまはお寺の境内に祠として祀られているものもあるが、多くは町や村の路傍──辻や三叉路などに建っているのが多い。
この地蔵盆という行事は関西、特に京都で派手に催される。
京都市内では8月22日頃から3日間、町内の大人たちが総出で接待をする。主役は子供である。
この日には路傍にあるお地蔵さんも祠から出して、町内の集会所あるいは当番の役員宅などに場所を設営して、
提灯を飾り、縁日のように金魚すくいなどをする。
しかし、基本は宗教的な行事なので「数珠繰り」などを子供たちにさせるなどする。
はじめには町内の僧侶が読経をすることになっている。

ji06地蔵盆
写真③では、ちょうど僧が拝んでいる後姿が見える。地域によって祭りの様子は様々である。
私の住む地域では町内役員がやっていたが、今では子供会に任せて、収入も一切、子供会のものとして自主財源として使えるように変えた。
私の所は田舎であり、京都市内のような大掛かりなことは昔から、しない。開催日も子供会の親の集りやすい、前後の日曜や土曜日にすることが多い。
ji01地蔵盆②

地蔵盆は子供のお祭とはいっても、やはりお地蔵さんを祀る宗教行事の一環であるから、写真④のように「数珠繰り」などもさせる。
数珠繰りとは108玉の大きな数珠を「南無阿弥陀仏」とお経を唱えながら手でたぐって廻すものである。
写真の中に祭壇に向かって読経する僧の姿が写っている。こういう行事の次第は地域によって違う。
この地蔵盆の費用は、どうするのか、ということだが、町内の各家から「お賽銭」または「お供え」のかたちで何千円かのお金を包んでお供えする。これは町内の戸数によって違うから総額には大きな開きがあるだろう。
因みに、田舎だが私の町内(自治会)は現在120戸くらい、私たちの小さい頃は60戸くらいだった。
もちろん地域や大きさによって、まちまちであることは言うまでもない。

ji08地蔵盆③
写真⑤は子供の余興で「金魚すくい」をさせているところ。
こういうのは専門の露天商を呼んで来て、費用は町内会もちで、子供たちには無料でさせる。
上に書いた「幻燈」などは、教養的要素のものと言える。
暑い夏の盛りであるから、かき氷の機械を据えて「かき氷」を振舞うこともあるようだ。
今は少子化の時代であり、小学校も統合、廃校になる時代であるから、こういう地蔵盆の在り方も少しづつ変わってゆくだろう。
今では郊外に新興住宅地も増え、そういう地域では「お地蔵さん」のないところが多いので、そういう地域対象にお地蔵さんの「貸し出し」をするお寺があるそうで、
この時期になると新聞、テレビの絶好のニュースとなる。

大変な数のお地蔵さんを大小取り揃えてあるそうで、好みの大きさのお地蔵さんを借りてゆくそうだ。
時代は変わっても、こういう伝統的な行事とは縁が切れないのが、人間社会の辛いところである。
首都圏の人には、こういう風習もないから理解が及ばないことが多かろう。

以下、地蔵盆を詠んだ句を少し引いて終りにする。先に言ったように地域性のある行事なので有名俳人の句は、余り、ない。

 地蔵会や芒の中に灯のともる・・・・・・・・長谷川零余子

 幻燈はいま西遊記地蔵盆・・・・・・・・・大堀たかを

 さまよへるちさき蛍や地蔵盆・・・・・・・・五十崎古郷

 地蔵盆とみに露けくなりにけり・・・・・・・・河原白朝

 涎掛け取替え在す地蔵盆・・・・・・・・松井蕪平

 両の手の吾が子よその子地蔵盆・・・・・・・・宮城きよなみ

 六波羅はいま陋巷の地蔵盆・・・・・・・・西尾砂穂


六斎や久世も桂も盆休み・・・・・・・・・・・・・・・中嶋黒洲
bouzu壬生六斎踊②

       六斎や久世も桂も盆休み・・・・・・・・・・・・・・・中嶋黒洲

仏教では1カ月に6つの「斎日」というものがあり、それは8、14、15、23、29日と晦日の6日。
これらの日には斎戒謹慎し仏の功徳を修し、鬼神に回向して善心を発起すべきとされた。これが六斎日である。


この六斎念仏踊りという行事は関西それも京都に伝わるもののようであり、これを詠んだ句にも有名人のものはないようである。
京都には嵯峨野念仏保存会、壬生六斎念仏などが保存会を結成して保存につとめている。写真①②は壬生六斎念仏の踊りの一場面である。
kumo2壬生六斎踊①

■踊り念仏とは
飢饉や疫病に苦しむ人々を救うこと、念仏を分り易く民衆に伝えることを目的に採用された宗教的手法のことである。

鎌倉期に一遍が開いたという時宗は、この流れに属するが、六斎念仏はそれより前に平安時代に空也が始めたものが源流である。
壬生六斎念仏では、空也上人が托鉢に用いる鉢を叩いて「南無阿弥陀仏」と唱えながら市中を練り歩いたという伝承に起源を求めている。
嵯峨野、壬生とも空也系だと称し、ほかにも流派があるらしい。
写真③④とも嵯峨野六斎念仏保存会に伝わる木札と無形文化財の指定書である。
fuda六歳念仏札
syojo六歳念仏指定書

■六斎念仏の由来
「六斎」という言葉の文献上の初出は『日本書紀』に持統天皇の5年(691年)2月に公卿らに詔して六斎を行なわしめたという記事がある。
念仏踊りは、いつしか六斎日と結びついて、六斎念仏と呼ばれるようになり、いつごろからか、お盆信仰と深く結びつけられるようになり、
今ではほとんどの六斎保存団体が、現在はすっかりお盆行事の一環という位置に定着してしまった。
六斎念仏踊りは8月16日の壬生六斎念仏をはじめとして、地蔵盆の頃に地蔵盆の行事とも結びついて催行されるのが多く、遅くは8月29日催行というのもある。
B035吉祥院六斎踊

写真⑤は吉祥院六斎念仏のもので8月25日午後8時吉祥院天満宮の境内で催行されるという。
桂六斎念仏(8月23日奉納)のHPは鳴り物入りで写真も多く詳しいサイトだったのだが、今は「休会」となっているようで残念である。
ここも地蔵盆の一環という感じであり、神社の境内で催行というのも神仏習合で面白かったのだが。。。。

先に書いたが、六斎念仏は京都を中心とする地域性が強く、詠まれた句も多くはないが、以下に書き抜いておきたい。

 清水の舞台灯すや六斎会・・・・・・・・水茎春雨

 六斎の太鼓打つ子に父の笛・・・・・・・・岸本久栄

 六斎や身を逆しまに打つ太鼓・・・・・・・・高崎雨城

 六斎の念仏太鼓打ちてやむ・・・・・・・・中田余瓶

 息合ひて六斎太鼓乱れ打ち・・・・・・・・つじ加代子

 六斎は太鼓を抛りあげにけり・・・・・・・・田中告天子


つくつくし尽きざる不思議ある山に・・・・・・・・・・・・・・・・中川宋淵
tukutukuつくつくぼうし

     つくつくし尽きざる不思議ある山に・・・・・・・・・・・・・・・・中川宋淵

私の歌にも、こんなのがある。
  
   法師蝉去(い)んぬる夏を啼きゆくははかなきいのちこそ一途(いちづ)なれ・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたものである。

法師蝉というのはつくつくぼうしのことである。
こういう虫の声や蝉の鳴き声、鳥の鳴き声などは「聞きなし」と言って、鳴き声から名前がついたりする。
つくつくぼうしも「おーし、つくつく」とも聞きなしされる。夏の終り頃から鳴きはじめる。
いよいよ夏も去るのか、という感慨の起る鳴き声である。

「つくつくぼうし」は立秋の頃から晩秋まで聞かれる秋の蝉の代表である。小型で羽は透明、体は緑かかった黒。
先にも書いたが鳴き声に特徴があり『和漢三才図会』には
「按ずるに、鳴く声、久豆久豆法師といふがごとし。ゆゑにこれに名づく。関東には多くありて、畿内にはまれなり」とある。また「秋月鳴くものなり」という。
鳴き声の面白さと、秋鳴く点に、かえって或るさびしさが感じられ、それが法師蝉の名にもこめられているようである。

歳時記にも多くの句が載っているので、それを紹介して終りたい。

 高曇り蒸してつくつく法師かな・・・・・・・・滝井孝作

 法師蝉煮炊といふも二人きり・・・・・・・・富安風生

 また微熱つくつく法師もう黙れ・・・・・・・・川端茅舎

 法師蝉しみじみ耳のうしろかな・・・・・・・・川端茅舎

 飯しろく妻は祷るや法師蝉・・・・・・・・石田波郷

 繰言のつくつく法師殺しに出る・・・・・・・・三橋鷹女

 つくつくし尽きざる不思議ある山に・・・・・・・・中川宋淵

 我狂気つくつく法師責めに来る・・・・・・・・角川源義

 山へ杉谷谷へ杉坂法師蝉・・・・・・・・森澄雄

 法師蝉あわただし鵙けたたまし・・・・・・・・相生垣瓜人

 島山や鳴きつくさんと法師蝉・・・・・・・・清崎敏郎

 法師蝉むかしがたりは遠目して・・・・・・・・高野寒甫

 法師蝉雨に明るさもどりけり・・・・・・・・冨山俊雄

 くらがりに立つ仏体に法師蝉・・・・・・・・三島晩蝉

 黒潮とどろく岩にひた鳴く法師蝉・・・・・・・・高島茂

 法師蝉なきやみ猫のあくびかな・・・・・・・・高島征夫


天の川怒涛のごとし人の死へ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
natuama天の川②

     天の川怒涛のごとし人の死へ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

「天の川」は一年中みえるが、春は低く地平に沿い、冬は高いが光が弱い。
夏から秋にかけて、写真のように起き上がり、仲秋には北から南に伸び、夜が更けると西の方へ向かう。
「銀漢」という表現もあるが「天の川」のことである。

天の川の句としては芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」などの秀句がある。
天の川は英語では「ミルキー・ウエィ」というが、これはギリシア神話の最高神ゼウスの妻・ヘラの乳が天に流れ出したものというところから由来する。
実際は、銀河系の淡い星たちの光が重なりあって白い帯となって見えるもの。
銀の砂のように美しく、七夕伝説とも結びついて「星合」の伝統となっている。
『万葉集』に山上憶良の歌

  天の河相向き立ちてわが恋ひし君来ますなり紐解き設(ま)けな

の歌が、古くからあり、美しさと星合の七夕伝説とが結びついてイメージされている。
以下、歳時記に載る天の川の句を引いておく。

 北国の庇は長し天の川・・・・・・・・・・・・正岡子規

 虚子一人銀河と共に西へ行く・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 別るるや夢一筋の天の川・・・・・・・・・・・・夏目漱石

 天の川人の世も灯に美しき・・・・・・・・・・・・沼波瓊音

 草原や夜々に濃くなる天の川・・・・・・・・・・・・臼田亞浪

 銀河より聞かむエホバのひとりごと・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 けふありて銀河をくぐりわかれけり・・・・・・・・・・・秋元不死男

 遠く病めば銀河は長し清瀬村・・・・・・・・・・・・石田波郷

 妻と寝て銀漢の尾に父母います・・・・・・・・鷹羽狩行

 ちちははに遠く銀河に近く棲む・・・・・・・・・・・・上村占魚

 天の川逢ひては生きむこと誓ふ・・・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 乳足りて息やはらかし天の川・・・・・・・・・・・・石塚悦郎

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この句とは直接の関係はないが、私はこんな歌を創ったことがある。
(第四歌集『嬬恋』所載)

わがいのちいつ終るべきペルセウス流星群の夜にくちづける・・・・・・・・・・・木村草弥

銀河からの連想であるが、今しもペルセウス流星群の活動の激しい時期である。






月見草ぽあんと開き何か失す・・・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵
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    月見草ぽあんと開き何か失す・・・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)にも

    月見草ほのかなる黄に揺れをればけふの情(こころ)のよすがとやせむ・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある。

「月見草」というのは俗称で、月見草というのは別の花である。正しくは「待宵草」という。
南米チリの原産で、わが国には1851年に渡来したという。繁殖力旺盛で、今では海辺や河原、鉄道沿線、河川の堤防などに広く分布する。

太宰治が

<富士には月見草が、よく似合う>

と言ったのも、この待宵草のことである。

いずれにしても、黄色の、よく目立つ花で、私がいつも散歩する木津川の堤防にもたくさん咲いている。
何となく女の人と待ち合わせるような雰囲気を持つ花で、ロマンチックな感じがするのである。

以下に歳時記から句を引くが、みな「待宵草」を詠んだものだという。

 乳色の空気の中の月見草・・・・・・・・高浜虚子

 月あらぬ空の澄みやう月見草・・・・・・・・臼田亞浪

 月見草蛾の口づけて開くなり・・・・・・・・松本たかし

 項(うなじ)一つ目よりもかなし月見草・・・・・・・・中村草田男

 月見草ランプのごとし夜明け前・・・・・・・・川端茅舎

 開くより大蛾の来たる月見草・・・・・・・・高橋淡路女

 月見草はらりと地球うらがへる・・・・・・・・三橋鷹女

 月見草咲き満ち潮騒高くなりぬ・・・・・・・・道部臥牛

 月見草河童のにほひして咲けり・・・・・・・・湯浅乙瓶

 月見草夜気ともなひて少女佇つ・・・・・・・・松本青石

 月見草歩み入るべく波やさし・・・・・・・・渡辺千枝子

 月見草怒涛憂しとも親しとも・・・・・・・・広崎喜子

 月見草夕月より濃くひらく・・・・・・・・安住敦

 月見草馬も沖見ておとなしく・・・・・・・・橋本風車


燃えさかり筆太となる大文字・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子
dai2002大文字

     燃えさかり筆太となる大文字・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

8月16日には各家庭に還っていた御魂が送り火に送られて、あの世にお帰りになる。
京都では、各家庭で送り火を焚くことはなく、東山の如意ケ岳で行なわれる「大文字」(だいもんじ)の巨大な送り火に代表させて焚くことになる。
この山は通称・大文字山と言われ、多くの奉仕する人々の力によって毎年おこなわれる。
この日は山腹に薪を焚く石の台座が据えられ、薪を井桁に組んで積み上げ午後8時を期して点火する。
この「大」の字は第一画73メートル、第二画146メートル、第三画124メートル。
字画に沿って4メートル間隔に75個の穴を掘り、松の薪を使用する。松は火付きがよいからである。
この行事は慶長年間からはじまったという。
この後に8:10分に松ケ崎の「妙法」、8:15に西賀茂正伝寺の「船形」と金閣寺のうしろ山の「左大文字」、
8:20に洛西曼陀羅山で「鳥居形」の順に間隔を空けて、火をつけてゆく。
京都の街は東山、北山、西山と三方を山に囲まれ、南は加茂川が流れる地形のように開けている。
火は東山から北山、西山と順に移ってゆくのである。掲出した写真のうちに「左大文字」はない。
「左大文字」は「大文字」の真向かいにあたり、字体も「大文字」の反対の書き方と考えてもらえば判りやすい。

myo2002妙

hou2002法

「妙」「法」は横に並んで一体となっている。
これらの山それぞれには別々の「火の講」があり、真剣な宗教的行事のようなものと考えれば理解しやすい。
知らない人は「大文字焼」などということがあるが、これは、あくまでも盆の送り火という宗教的行事であるから、間違った呼び方はしてほしくない。

写真④は「船形」である。
fune2002船形

点火される薪の湿り具合とか、いろんな要素のために火床にも場所によって火の勢いに違いがあり、それがまた趣きのあるところである。
先に言ったように10分から15分づつずらして点火されるから、当然、最初に点火された「大文字」と、後から点火されたものとは火勢に違いが出てくる。
そういう火色の違いを眺めるのも面白いものだ。昔は今のような高層建築がなかったから、市内のどこからでも見られたが、今では高層ビルの屋上でなければ見られない。

torii2002鳥居形

「鳥居形」は愛宕山と言えば分りやすいだろう。曼陀羅山というのは愛宕山の支峰である。
愛宕山は火伏せの神として「火の用心」の神様で、古来、京都市民は交代で月参りをして火災からの鎮撫を祈ってきた山である。
愛宕山の上り口には鳥居が建っており、鳥居形は、それに因んだものかも知れない。
鳥居形が点火されるまでに、この間30分。京の三山は火の色に彩られる。

京都の夏は初夏の葵祭に始まり、七月の祇園祭を経て、このお盆の大文字の送り火で、ひと夏を送ることになる。
千年余の都として、これらの行事は、いずれも大がかりなもので、さすがに王朝の首都としての貫禄に満ちている。
さればこそ、古来、先人たちは詩歌に詠んできたのである。

以下、大文字を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 いざ急げ火も妙法を拵(こしら)へる・・・・・・・・小林一茶

 大文字やあふみの空もただならね・・・・・・・・与謝蕪村

 大文字の残んの火こそ天がかり・・・・・・・・皆吉爽雨

 送り火の法も消えたり妙も消ゆ・・・・・・・・森澄雄

 筆勢の余りて切れし大文字・・・・・・・・・岡本眸

 大文字消えなんとしてときめける・・・・・・・・佐野青陽人

 大文字畦の合掌に映えゐたり・・・・・・・・米沢吾亦紅

 はじめなかをはり一切大文字・・・・・・・・岩城久治

 一画もおろそかならず大文字・・・・・・・・田中千鶴子

 さびしさのことにも左大文字・・・・・・・・藤崎さだゑ
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2007年はNHKが全国に「京都の五山の送り火」を75分にわたって中継の放映をした。
この送り火が宗教行事であること。また、これを維持管理するのに、各送り火ごとに特色のあること、などを採り上げた。おおむね妥当な、いい放映だった。
また地元の京都新聞夕刊は、同年の8/6~11まで「五山の送り火」と題する特集記事を6回にわたって掲載した。
内容はNHKが解説で採り上げたのと同様だったが、「火」を支える「人」の面から詳しく取材されて、時宜を得たいい記事だった。

先年起こった東日本大震災で二万人にのぼる人が命を落したので、その鎮魂の意味をこめて大文字の送り火を拝したことである。


雑念満ちゐたりいちじくを開き食ふ・・・・・・・・・・・・・・桂信子
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       雑念満ちゐたりいちじくを開き食ふ・・・・・・・・・・・・・・桂信子

無花果(いちじく)はアラビア原産で、江戸時代に日本に入ってきたという。
私の住む辺りでも、田圃に畔(くろ)を作って土を盛り上げ、無花果を作っている。無花果と書くが、花がないわけではなく、これは中国名のインジェクフォが訛って、こうなったという。
イチジクの木は放置すると3メートルから6メートルにも達する落葉喬木であるが、
日本では栽培する木は収穫し易いように1メートルくらいの高さで枝を横に整枝する。
実は新しい枝に生るので、冬には徹底して旧徒長枝を切り詰める。

fig11いちじく木②

写真②のように多くの実が生るが、生育のよいものを残して摘果する。八月頃から実が熟しはじめ10月頃まで生る。軟弱果実であり、痛み易い。
アラビア原産ということだが、アダムとイブが蛇にそそのかされて「禁断の木の実」を食べたというのが、このイチジクである。
事実、中東ではイチジクが多い。向うも暑い土地なので、生食というよりも「乾燥いちじく」として多くが売られている。

itijikuzaruドライいちじく

写真③が乾燥させたイチジクである。ギリシア、トルコ、イスラエルなどに行くと、いたるところで売られている。
フニャフニャに柔かくはなく、噛み応えのあるドライフルーツである。日本にもドライいちじくの形で輸入されている。
品質にはピンからキリまであり、一流の取り扱い店のものは、おいしい。私も向うへ行ったときは何度も買って帰った。
なお、中東産のドライいちじくは皮の色が白い品種で、日本でみられる皮の黒いものとは品種が違うので念のため。

私の歌にも、こんなのがある。  ↓

   星に死のあると知る時、まして人に快楽(けらく)ののちの死、無花果熟す・・・・・・・・・木村草弥

この歌は、私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、Web上でもご覧いただける。

d020701aいちじく

写真④が箱詰めされて商品として出荷される生イチジクである。生食としては1、2日しか日持ちしない。
熟しすぎたものはいちじくジャムとして食べても、おいしいものである。

以下、歳時記から無花果の句を引いて終りにする。

 無花果の古江を舟のすべり来し・・・・・・・・高浜虚子

 乳牛に無花果熟るる日南かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 いちじくのけふの実二つたべにけり・・・・・・・・日野草城

 無花果のゆたかに実る水の上・・・・・・・・山口誓子

 天地(あめつち)に無花果ほどの賑はひあり・・・・・・・・永田耕衣

 雑念満ちゐたりいちじくを開き食ふ・・・・・・・・桂信子

 蜂が吸ふいちじく人は瞬時も老ゆ・・・・・・・・細見綾子

 無花果や目の端に母老いたまふ・・・・・・・・加藤楸邨

 無花果や永久に貧しき使徒の裔・・・・・・・・景山旬吉

 無花果にパンツ一つの明るさ立つ・・・・・・・・平畑静塔

 無花果食べ妻は母親ざかりなり・・・・・・・・堀内薫

 日本海黒無花果に無言なり・・・・・・・・黒田桜の園


侘び住みてをり一本の紅蜀葵・・・・・・・・・・・・・・・深見けん二
011紅蜀葵

      侘び住みてをり一本の紅蜀葵・・・・・・・・・・・・・・・深見けん二

紅蜀葵(こうしょっき)は和名を「もみじあおい」という。
アオイ科の多年草で、北米フロリダ地方の沼沢地が原産という。日本には明治初期に渡来し、今では広く栽培される。
私の家にも、いつごろ来たのか、今の家に移った時も種を取っておいて蒔いたので毎年夏には、つぎつぎと真紅の花を咲かせる。
茎は数本かたまって直立し1メートルから2メートルに伸び、暑さが本格的になる7月下旬から咲きはじめ、9月になっても咲きつづける。
葉の形がモミジに似ていることからモミジアオイの名がついた。
鮮紅色の花の色と言い、長い雄しべと言い、どこか異国的な感じがする花である。花は朝ひらいて夕方には、しおれる。
花の蕾だが、蕾の先から少しはなびらの赤色が覗いているものは、明日あさに開花する。
咲き終わった実は次第に黒褐色になって丸い大粒の種が、ぎっしり入っている。
この種が地面に落ちたものは、翌年芽をだすが、余分なものは抜き取られる。

この花は私にも、ひとしお愛着のあるもので、下記のようないきさつがある。

   雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)まぬがれがたく病む人のあり・・・・木村草弥

   このひとと逢瀬のごとき夜がありただにひそけき睡りを欲りす

これらの歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、病身の妻に対する私の気持を詠み込んである。私自身にとっても愛着のある歌群である。

以下、紅蜀葵を詠んだ句を引いておく。

 引き寄せてはじき返しぬ紅蜀葵・・・・・・・・高浜虚子

 紅蜀葵肘まだとがり乙女達・・・・・・・・中村草田男

 花びらの日裏日表紅蜀葵・・・・・・・・高浜年尾

 踵でくるり廻りて見せぬ紅蜀葵・・・・・・・・加藤楸邨

 一輪の五弁を張りて紅蜀葵・・・・・・・・・瀧春一

 伊那へ越す塩の道あり紅蜀葵・・・・・・・・宮岡計次

 夕日もろとも風にはためく紅蜀葵・・・・・・・・きくちつねこ

 仏みて夜に日にいろの紅蜀葵・・・・・・・・菊地一雄

 紅蜀葵わが血の色と見て愛す・・・・・・・・岡本差知子

 紅蜀葵女二人して墓に狎れ・・・・・・・・竹中宏

 紅蜀葵籠屋編む竹鳴らしたり・・・・・・・・岡村葉子

 紅蜀葵常住はだかなる昼を・・・・・・・・臼田亜浪

 草にねて山羊紙喰(は)めり紅蜀葵・・・・・・・・飯田蛇笏

 紅蜀葵真向き横向ききはやかに・・・・・・・・花蓑

 沖の帆にいつも日の照り紅蜀葵・・・・・・・・中村汀女

 つま立てて跼む女や紅蜀葵・・・・・・・・星野立子

 紅蜀葵日に向く花の揺れて居り・・・・・・・・土方花酔

 紅蜀葵砂浴び鶏の寄りどころ・・・・・・・・田島秩父

 紅蜀葵子の見上ぐるに撓ひ咲く・・・・・・・・西森請子


己が花粉浴びまみれてや立葵・・・・・・・・・・・・・・・三橋敏雄
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     己(し)が花粉浴びまみれてや立葵・・・・・・・・・・・・・・・三橋敏雄

アオイ科の越年草で人間の背丈よりも高くまで伸びる。単にアオイという植物はなく、一般にタチアオイのことを葵という。
原産地は中国、小アジアで、日本には室町時代に渡来し、鑑賞用に、また薬用に植えられたという。

葵の名が日本で最初に現れるのは「万葉集」だが、これはフユアオイまたはフタバアオイ(写真②)であるらしい。
futaba-aoiフタバアオイ本命

京都の「葵祭」に用いられるのもフタバアオイで、花ではなく葉を「挿頭」(かざし)にされるのである。
この植物は葵の名はついていても全く別のものでウマノスズクサ科のものである。
徳川家の家紋に使われたのが、これで、葉を三枚組み合わせて使われた。
先に5/15付けの「葵祭」の記事を書いた時に牛車の脇に吊るされるのが「藤の花」かと書いたのは正解で、葵祭は挿頭にフタバアオイの葉をかざしたので、この名がついたことが判明した。
写真③にフタバアオイの花をお見せする。
futaba-aoi3フタバアオイ花

話は変わるが、ネアンデルタール人の埋葬骨と一緒にタチアオイの花粉が発見されているという。
中国の唐代に牡丹が台頭するまではタチアオイが花の代表選手だったという。
花言葉は「平安」「単純」。花の色には白、赤、紫などがある。中国美女の立ち姿に似ており、古い中国で花の代表だったのも頷ける。

俳句にもたくさん詠まれており、それを引いて終わる。

 ひともとの葵咲きつぎたのしけれ・・・・・・・・日野草城

 門に待つ母立葵より小さし・・・・・・・・岸風三楼

 峡深し暮をいろどる立葵・・・・・・・・沢木欣一

 立葵のぞき棚経僧来たる・・・・・・・・石原八束

 咲きのぼるばかり葵の咲きのぼる・・・・・・・・見学玄

 蜀葵人の世を過ぎしごとく過ぐ・・・・・・・・森澄雄

 呼鈴を押してしばらく立葵・・・・・・・・鷹羽狩行

 雨はゆめなり雨の夜は白蜀葵・・・・・・・・阿部完市

 立葵まつすぐに来て破顔せり・・・・・・・・金谷信夫

 呼ぶ子帰る子十二時の立葵・・・・・・・・広瀬直人

 立葵大きな雨が三日ほど・・・・・・・・矢島渚男




卓上日記いま真二つ半夏生・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木栄子
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      卓上日記いま真二つ半夏生・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木栄子

今日7月2日は半夏生である。
半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ=カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも。

七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、
現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。
この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。
また地方によってはハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行う事に対する戒めともなっている。

関西ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。

この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。
この頃に咲く花を半夏生または半夏生草という。掲出した写真が、それである。
この花が咲くときに、花序に近い葉の数葉は下半部が白くなる。花穂は白い小さな花をたくさん付ける。
「片白草」とも呼ばれるが、この名前は開花の時期と、葉の様子を表している。
本格的に梅雨の時期に入って咲く印象的な草と花である。

以下、季節としての「半夏生」と、草としての「半夏生」(片白草)を詠んだ句を引く。

 汲まぬ井を娘のぞくな半夏生・・・・・・・・・・言水

 田から田へ水の伝言半夏生・・・・・・・・・・鈴木喜美子

 平凡な雨の一日半夏生・・・・・・・・・・宇多喜代子

 貝の砂噛んでむなしき半夏生・・・・・・・・・・羽田岳水

 笹山を虻と越えけり半夏生・・・・・・・・・・岡井省二

 半夏生点せば仔牛おどろきぬ・・・・・・・・・・宮田正和

 半夏生北は漁火あかりして・・・・・・・・・・千田一路

 塩入れて湯の立ち上がる半夏生・・・・・・・・・・正木ゆう子

 高原の風身に添へる半夏かな・・・・・・・・・・恩田秀子

 塔の空より半夏の雨の三粒ほど・・・・・・・・・・斉藤美規 

 生涯を素顔で通し半夏生・・・・・・・・・・出口善子

 朝の虹消えて一ト雨半夏生・・・・・・・・酒井黙禅

 夕虹に心洗はれ半夏生・・・・・・・・・・八島英子

 降りぬきし空のうつろや半夏生・・・・・・・・・・渡部杜羊子

 地球儀のどこが正面半夏生・・・・・・・・・・田中太津子

 木の揺れが魚に移れり半夏生・・・・・・・・・・大木あまり

 朝の戸に死者の音声半夏生・・・・・・・・・・山口都茂女

 水攻の野に咲くものに半夏生・・・・・・・・・・細川子生

 片白の何をたくらむ半夏生草・・・・・・・・・・松岡心実

 半夏生の白は化粧の白ならめ・・・・・・・・・・酒井土子

 一樹下にしののめ明り半夏生・・・・・・・・・・西坂三穂子


白南風や裏木戸を開けて日輪・・・・・・・・・・・・・・・野崎憲子
5361062白南風
海程

      白南風や裏木戸を開けて日輪・・・・・・・・・野崎憲子

この句は、私の友人から貰った金子兜太・主宰「海程」誌に、秀句として、主宰が抽出したものである。
「白南風」の説明として、下記を引いておく。  ↓

< 鳥羽・伊豆の漁師は、梅雨始めの強い南風を黒南風、梅雨期間中の強い南風を荒南風(あらはえ)、梅雨明けを白南風と呼ぶという。
九州西北部では、今でもこのことばを使っているが、白や黒は、雲の色からの命名である。
すなわち、梅雨中の陰雲な日の南風が黒南風で、そよそよと吹く季節風である。ただし、荒南風は黒南風が強くなって、出漁などに好ましくない風のこと。
白南風は、梅雨が明けて黒雲が去り、空に巻雲や巻層雲が白くかかるころ、そよ吹く南からの季節風のことである。

歳時記では、黒南風は仲夏(六月六日~七月六日)、白南風は晩夏(七月七日~八月七日)の季語に配されている。
「おもろさうし」には、黒南風に相当する語は見当たらない。しかし、梅雨明けのころの南風のことをうらしろ(浦白)と言っている。
まはえ(真南風)という語もある。これも白南風と見て良い。唐・南蛮から富を運んだ風のことだろう。いわゆる夏至南風のことである。夏至南風という語は「おもろ語」にはない。
案外あたらしいことばなのかも知れない。
なお、久高島には、フシ・アギ(星上げ)という風に名がある。この風は黒南風に相当するだろう。 >

「黒南風」と「白南風」のことについては先日のブログで書いた。 「白南風」と言ってもイメージ化出来ないので、イメージとして掲出のような画像を出しておく。
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ここに引かれている他の句を挙げておく。
もちろん引用は私の独断で、季節に合うものを引いたことを了承されたい。

   夏うぐいす自己陶酔のありにけり・・・・・・・・・平山圭子

   死後少し残る聴力夕かなかな・・・・・・・・・松本夕二

   熱帯夜言葉出て行く歯の透き間・・・・・・・・・水上啓治

   母の来て小鳥をつかむ仕草かな・・・・・・・・・水野真由美

   ぼーっと灯り一重瞼を閉じにけり・・・・・・・・・三井絹枝

   草いきれ皮虜は牢のようでもあり・・・・・・・・・茂里美絵

   猫が触れゆくしずかな柱夏の家・・・・・・・・・森央ミモザ

   撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・森岡佳子

   滝壺をやがて去る水青き真昼・・・・・・・・・山本勲

   遠さかる漢(をとこ)のごとく八月も・・・・・・・・柚木紀子
   
   逃げ水のどこにも逃げ場なき瓦礫・・・・・・・・・有村王志

   捨て犬を連れてジューンブライドや・・・・・・・・・石川義倫

   夏橙その手ざわりの過去(むかし)を言う・・・・・・・・・伊藤淳子

   ずぶ濡れの姉が桑の実くれしかな・・・・・・・・・大西健司

   屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・奥山津々子

   雨立ち込めて昆虫展の奥に人・・・・・・・・・小野裕三

   泡となる金魚のことば戦の匂い・・・・・・・・・狩野康子

   鬼百合やひとり欠伸は手を添えず・・・・・・・・・川崎千鶴子

   大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・・佐々木香代子

   夏山に雨の襞なす無辺なり・・・・・・・・・佐藤紀生子



青蛙喉の白さを鳴きにけり・・・・・・・・・・・・・・松根東洋城
00164-1モリアオガエル

     青蛙喉の白さを鳴きにけり・・・・・・・・・・・・・・松根東洋城

厳密に言うと「青蛙」という種類はちゃんと居るのだが、この句の場合、そんな厳密な区別をして作ってあるとは思えない。
一般的に「緑色」の蛙ということだろう。
写真は「モリアオガエル」である。大きくなっても体長6~7センチくらいのカエルである。
「青蛙」という種類は緑色の体長7センチくらいのカエルで、シュレーゲルアオカエルという、れっきとした名前を持っている。
「モリアオガエル」は本州、四国、九州の平地の低い木や草に棲む。指先に吸盤がある。

00164-2モリアオガエル卵塊

写真②はモリアオガエルの卵塊である。
浅い池や沼のあるところで枝先が水面に張り出した低い木の葉の先に卵を産む。孵った蛙のオタマジャクシは水面に落ちるという工夫である。
写真のように枝先の白っぽい塊が卵塊である。

370742雨蛙

↑ 雨蛙は住宅地なんかの草や木にも繁殖する。
天気が雨模様になってくると、湿気を感知してキャクキャクキャクと鳴く。
私の家の辺りにもたくさん居るが、どこで卵、あるいはオタマジャクシになるのか、いまだに知らない。

 ↓ 上に書いた「青蛙」シュレーゲルアオガエルの写真
9395020シュレーゲル・アオガエル

「シュレーゲル」なんていう外国名がついているが、れっきとした日本の固有種である。
Wikipediaに載る記事を下記に引いておく。
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シュレーゲルアオガエル
Rhacophorus schlegelii

学名
Rhacophorus schlegelii
(Günther, 1858)
和名
シュレーゲルアオガエル
英名
Schlegel's green tree frog
シュレーゲルアオガエル(Rhacophorus schlegelii)は、両生綱無尾目アオガエル科に分類されるカエル。
名前はオランダのライデン王立自然史博物館館長だったヘルマン・シュレーゲルに由来する。
「シュレーケルアオガエル」とも言われる。

分布
日本の固有種で、本州・四国・九州とその周囲の島に分布するが、対馬にはいない。

形態
体長はオス3cm-4cm、メス4cm-5.5cmほど。体色は腹側は白く背中側は緑色をしているが、保護色で褐色を帯びることもある。虹彩は黄色。

外見はモリアオガエルの無斑型に似ているが、やや小型で、虹彩が黄色いことで区別できる。また別科のニホンアマガエルにも似ているが、より大型になること、鼻筋から目、耳にかけて褐色の線がないこと、褐色になってもまだら模様が出ないことなどで区別できる。

生態
水田や森林等に生息し、繁殖期には水田や湖沼に集まる。繁殖期はおもに4月から6月にかけてだが、地域によっては2月から8月までばらつきがある。

食性は肉食性で昆虫類、節足動物等を食べる。

繁殖期になるとオスは水辺の岸辺で鳴く。鳴き声はニホンアマガエルよりも小さくて高く、「コロロ・コロロ…」と聞こえる。卵は畦などの水辺の岸辺に、泡で包まれた3cm-10cmほどの卵塊を産卵する。泡の中には200個-300個ほどの卵が含まれるが、土中に産卵することも多くあまり目立たない。孵化したオタマジャクシは雨で泡が溶けるとともに水中へ流れ落ち、水中生活を始める。

なお、地域によってはタヌキがこの卵塊を襲うことが知られる。夜間に畦にあるこの種の卵塊の入った穴を掘り返し、中にある卵塊を食うという。翌朝に見ると、水田の縁に泡と少数の卵が残されて浮いているのが見かけられる。
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以下、青蛙ないしは雨蛙を詠んだ句を引いて終わりたい。

 梢から立小便や青かへる・・・・・・・・小林一茶

 青蛙おのれもペンキぬりたてか・・・・・・・・・・芥川龍之介

 青蛙ばつちり金の瞼かな・・・・・・・・川端茅舎

 軒雫落つる重たさ青蛙・・・・・・・・菅裸馬

 青蛙影より出でて飛びにけり・・・・・・・・中川宋淵

 空腹や人の名忘れ青蛙・・・・・・・・井上末夫

 雨蛙人を恃みてうたがはず・・・・・・・・富安風生

 雨蛙ねむるもつともむ小さき相・・・・・・・・山口青邨

 枝蛙喜雨の緑にまぎれけり・・・・・・・・西島麦南

 掌にのせて冷たきものや雨蛙・・・・・・・・太田鴻村


をさなごのひとさしゆびにかかる虹・・・・・・・・・・・・日野草城
990930a虹

     をさなごのひとさしゆびにかかる虹・・・・・・・・・・・・日野草城

この句は、幼子と虹を見ている情景を、微笑ましく描写して秀逸である。

ここで虹の句を歳時記から少し引く。

 虹立ちて忽ち君の在る如し・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 虹のもと童ゆき逢へりその真顔・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 虹といふ聖なる硝子透きゐたり・・・・・・・・・・・・山口誓子

 虹なにかしきりにこぼす海の上・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 野の虹と春田の虹と空に合ふ・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 天に跳ぶ金銀の鯉虹の下・・・・・・・・・・・・・山口青邨

 いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず・・・・・・・・・・・・山口誓子

 虹消えて了へば還る人妻に・・・・・・・・・・三橋鷹女

 目をあげゆきさびしくなりて虹をくだる・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 虹を見し子の顔虹の跡もなし・・・・・・・・・・・・石田波郷

 虹が出るああ鼻先に軍艦・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 虹二重神も恋愛したまへり・・・・・・・・・・・・津田清子

 海に何もなければ虹は悲壮にて・・・・・・・・・・・・佐野まもる

 別れ途や片虹さらに薄れゆく・・・・・・・・・・・・石川桂郎

 赤松も今濃き虹の中に入る・・・・・・・・・・・・・中村汀女

「虹」は、ギリシア神話では、女神イリスが天地を渡る橋とされるが、美しく幻想的であるゆえに、文学、詩歌で多くの描写の素材とされて来た。
終わりに私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せた「秘めごとめく吾」と題する<沓冠>15首のはじめの歌を下記する。

 げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・木村草弥


枇杷の木の少年枇杷を一つ呉れる・・・・・・・・・・・・・・・秋篠光広
biwa004びわの実②

    枇杷の木の少年枇杷を一つ呉れる・・・・・・・・・・・・・・秋篠光広

これもウォーキングする道端の家の庭に、たわわに枇杷(びわ)の木に実が生っているのを見たので、載せる気になった。
ビワの実は、今が時期である。
販売用には、栽培種で「茂木」ビワが有名である。
ビワは種が大きくて、食べるところは周囲の果肉で、あんまり食べるところが多くなくて、人によって好き嫌いがあるようである。
高級品は薄い紙に包まれていたりする。

枇杷というのは、花が初冬の十二月頃に咲いて、果実は翌年の梅雨の頃に熟する。
写真②が枇杷の花。地味な、目立たない花である。
biwaびわの花12月

枇杷の葉はかなり大きめのもので、この葉は薬草としても珍重される。
ものの本によると、枇杷の花は白く小さいが、香りがよい、と書いてあるが、嗅いだことはない。
寒い時期だから、この花を仔細に観察した人は多くはない筈である。
栽培種でなく、庭木として植えられているのは写真③のような、小ぶりの実である。
biwa2びわの実

毎日通る道筋で、たわわに実っている庭木があるが、今日通ったら、その一部に紙袋が被せられていた。
肥料も、ろくに与えていない庭木だから、さほど美味しい枇杷が採れるとも思わなかったが、やはり果実として世話をしてみたいのであろうか、
と歩きながら考えたことである。

枇杷の実を詠った句を引いて終わりたい。

 枇杷の雨やはらかしうぶ毛ぬらしふる・・・・・・・・太田鴻村

 枇杷熟れて古き五月のあしたかな・・・・・・・・加藤楸邨

 やはらかな紙につつまれ枇杷のあり・・・・・・・・篠原梵

 枇杷の柔毛(にこげ)わが寝るときの平安に・・・・・・・・森澄雄

 枇杷買ひて夜の深さに枇杷匂ふ・・・・・・・・中村汀女

 枇杷の種つるりと二男一女かな・・・・・・・・橋間石

 枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする・・・・・・・・橋本多佳子

 船室の明るさに枇杷の種のこす・・・・・・・・横山白虹

 袋破れ一顆は天へ枇杷実る・・・・・・・・稲垣法城子

 枇杷たわわ朝寝たのしき女の旅・・・・・・・・近藤愛子

 菩提寺の枇杷一族のごとこぞる・・・・・・・・中田六郎

 枇杷山の眩しさ海に近ければ・・・・・・・・畠山譲二

 枇杷に点る色のはるばる着きしごとし・・・・・・・・宮津昭彦

 灯や明し独り浴後の枇杷剥けば・・・・・・・・石塚友二

 枇杷啜り土佐の黒潮したたらす・・・・・・・・渡辺恭子

 走り枇杷すでにひさげり火山灰の町・・・・・・・・大岳麗子



完全にわれを無視蛇の直線行・・・・・・・・・・・・・菅八万雄
aodai20041青大将

    完全にわれを無視蛇の直線行・・・・・・・・・・・・・菅八万雄

蛇には、いくつかの種類が居るが、掲出の写真は「青大将」である。
蛇は以前に私の歌を引いて書いたので、詳しくは書かない。
蛇は私の地方では「くちなわ」という。
語源は「朽ちた縄」の意味であり、古来「くちなは」として古語にもあるので、その古い表現が今でも残っているということである。
青大将は日本に居る蛇の中では一番長い。私の子供の頃の記憶では、もっと青い(緑がかった)蛇だったように記憶するが、あてにはならない。

写真②は「しまへび」「(縞蛇)である。青大将とは、ずっと小型で細い。
sw-1upシマヘビ

蛇は野ネズミなどを食べるので有益な生き物なのだが、その姿から嫌われ、手ひどい仕打ちを受けることが多い。
日本に棲む蛇で有毒なのは「まむし」(蝮)、「やまかがし」である。 沖縄には「はぶ」が居る。

私の旧宅には大きな庭石が前栽にあり、その石の下に、わが家の「主」の青大将が棲んでいた。体の紋の記憶から、そうだとわかる。
この主が居たので、わが家に巣を作るツバメが何度も雛を呑まれたことがある。
雛が大きくなって巣立ち間際になる絶好のタイミングを知っていて、未明の薄暗い頃に呑み込むのである。
冬眠から「啓蟄」の頃に出てくるが、体の成長につれて「皮」を脱いで大きくなる。
蛇は「巳」(み)と言うが、「巳成金」と言って利殖の神様とされ、その「抜け殻」を財布の中に仕舞っている人が居るほどである。
だから私の家では、追っ払うことはあっても、決して打ち殺すようなことはしなかった。
「巳ぃさん」と敬称をつけて呼ばれていた。

以下、蛇を詠んだ句を引いて終わる。

 とぐろ巻く蛇に来てゐる夕日かな・・・・・・・・原石鼎

 尾のさきとなりつつもなほ蛇身なり・・・・・・・・山口誓子

 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首・・・・・・・・阿波野青畝

 吾去ればみ仏の前蛇遊ぶ・・・・・・・・橋本多佳子

 見よ蛇を樹海に落し鷹舞へり・・・・・・・・及川貞

 蛇打つてなほまぼろしの蛇を打つ・・・・・・・・宮崎信太郎

 蛇去つて戸口をおそふ野の夕日・・・・・・・・吉田鴻司

 蛇逃げて我を見し眼の草に残る・・・・・・・・高浜虚子

 蛇の眼にさざなみだちて風の縞・・・・・・・・松林朝蒼

 蛇の衣傍にあり憩ひけり・・・・・・・・高浜虚子

 袈裟がけに花魁草に蛇の衣・・・・・・・・富安風生

 老斑の手にいま脱ぎし蛇の衣・・・・・・・・山口草堂

 平凡な往還かがやく蛇の殻・・・・・・・・沢木欣一

 蛇の衣いま脱ぎ捨てし温もりよ・・・・・・・・秋山卓三

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f-yamakagasi04ヤマカガシ
 ↑ ヤマカガシ

「Wikipediaヤマカガシ」に詳しい。  写真で見る「赤い斑点」が不気味である。「まむし」と並んで毒蛇だと言われている。




紫陽花に置いたる五指の沈みけり・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏
ajisai40アジサイ

    紫陽花に置いたる五指の沈みけり・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

「紫陽花」の時期としては6月中旬が最盛期で、今日では少し時期を失しているかも知れない。
何といってもアジサイは梅雨の花である。
あじさいの「あず」は集まる、「さい」は真藍の語からきたもので、古語ではアズサイと呼んだ。
落葉低木で、もともとは日本の山野に自生していたガクアジサイから改良されたものという。
ajisai30アジサイ

ajisai7紫陽花③

庭園や寺院などの鑑賞植物として梅雨期の花として、おおらかに、みづみづしく咲くものとして目立つ存在である。
わりに花期が長くて、小さくて多い四弁の花を、毬状に群がって咲かす。花弁に見えているのは「萼(がく)」で、花はその中で細かな粒になっている。
白、淡緑、紫そして淡紅色と花の色が変化するので「七変化」と称される。
花の色が変わるのはフラポン系の物質が変化するためと言われている。
また植えられている土が酸性かアルカリ性かによって花の色が左右されるという。
日本の山野に自生していたガクアジサイを西洋に持って行ったのはシーボルトだと言われるが、
これが西洋で品種改良されて、こんにち我々が目にするさまざまの園芸種の西洋アジサイになったという。
今ではヨーロッパでもアジサイはすっかり定着してしまったらしい。
「万葉集」には、左大臣橘卿の

  あぢさゐの八重咲くごとく弥つ代にをいませわが背子見つつ偲ばむ

という歌の他に1首が載っている。

私の住む近くでは西国三十三ケ所霊場巡りの札所でもある宇治市の三室戸寺が広い庭園の木の下に何千本ものアジサイを植えて有名である。

俳句にもたくさん詠まれているので、少し引いて終わりたい。
写真④はガクアジサイである。
ajisai27ガクアジサイ
 
 紫陽花や帷子(かたびら)時の薄浅黄・・・・・・・・松尾芭蕉

 紫陽花に雨きらきらと蝿とべり・・・・・・・・飯田蛇笏

 ゆあみして来てあぢさゐの前を過ぐ・・・・・・・・山口誓子

 紫陽花やはかなしごとも言へば言ふ・・・・・・・・加藤楸邨

 あぢさゐの花より懈(たゆ)くみごもりぬ・・・・・・・・篠原鳳作

 あぢさゐや軽くすませる昼の蕎麦・・・・・・・・石川桂郎

 あぢさゐは初花のうすいろにこそ・・・・・・・・松村蒼石

 大仏の供華鎌倉の濃紫陽花・・・・・・・・百合山羽公

 紫陽花の真夜の変化はわれ知らず・・・・・・・・鈴木真砂女

 紫陽花の醸せる暗さよりの雨・・・・・・・・桂信子

 紫陽花や家居の腕に腕時計・・・・・・・・波多野爽波

 あぢさゐや逢はばすずしくもの言はむ・・・・・・・・細見綾子

 紫陽花を買ふ夕暮の河の色・・・・・・・・有馬朗人

 紫陽花や恋知らぬ間のうすみどり・・・・・・・・林翔

 紫陽花剪るなほ美(は)しきものあらば剪る・・・・・・・・津田清子

 絹の服着なじむ午後を日の四葩(ひら)・・・・・・・・鍵和田釉子

 父の日の紫陽花ふかく切られけり・・・・・・・・日下部宵三

 考へのまとまりかかり濃紫陽花・・・・・・・・成瀬正俊



どの谷も合歓のあかりや雨の中・・・・・・・・・・・・角川源義
img70合歓の花本命

     どの谷も合歓のあかりや雨の中・・・・・・・・・・・・角川源義

いつも散歩というかウオーキングというか、の道の途中に合歓の木が三本ある。
ネムの花は、これからが丁度、花どきである。
この木はマメ科ネムノキ属。本州、四国、九州および韓国、台湾、中国、さらに南アジアに広く分布するという。
落葉高木で高さ6~9メートルに達し、枝は斜めに張り出して、しなやか。葉は羽状に細かく分かれた複葉で、夜になるとぴたりと合わさる。
そのゆえに葉の睡眠として「ネム」の名がつけられた。この図鑑の説明を読んでから、実際の木を見てみると、まさにその説明の通りである。

この句の作者・角川源義も俳人だったが、「角川書店」の創業者として著名な人である。

芭蕉の句に

 象潟や雨に西施がねぶの花

というのがあるが、「合歓」の花は、そういう悲運の女性を象徴するもののようで、この二つのものの取り合わせが、この一句を情趣ふかいものにした。
合歓の花については多くの句が詠まれている。少し引いてみよう。
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 総毛だち花合歓紅をぼかしをり・・・・・・・・・・・・川端茅舎

 雲疾き砂上の影やねむの花・・・・・・・・・・・・三好達治

 銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 花合歓や補陀落(ふだらく)といふ遠きもの・・・・・・・・・・・角川春樹

 合歓に来る蝶のいろいろ花煽・・・・・・・・・・・・・星野立子

 合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず・・・・・・・・・・・・安住敦

 花合歓の下を睡りの覚めず過ぐ・・・・・・・・・・・・飯田龍太

 合歓咲けりみな面長く越後人・・・・・・・・・・・・森澄雄

 合歓の花不在の椅子のこちら向く・・・・・・・・・・・・森賀まり

 合歓咲くや語りたきこと沖にあり・・・・・・・・・・・・橋間石

 風わたる合歓よあやふしその色も・・・・・・・・・・・・加藤知世子

 山に来て海を見てゐる合歓の花・・・・・・・・・・・・菊地一雄

 花合歓の夢みるによき高さかな・・・・・・・・・・・・大串章

 葉を閉ぢし合歓の花香に惑ひけり・・・・・・・・・・・・福田甲子雄

 霧ごめの二夜三夜経てねむの花・・・・・・・・・・・・・藤田湘子
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私にも合歓を詠んだ歌がある。第二歌集『嘉木』(角川書店)に

 夕されば仄(ほの)と咲きいづる合歓の香に待つ人のゐる喜びがある・・・・・・・・木村草弥

この歌は、この歌集の「つぎねふ山城」の章の「夏」に載る。「待つ人」とは、もちろん妻のことである。
その妻が亡くなった今となっては、一層想いは深いものがある。
念のために、その一連を引用してみよう。

 若き日の恋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

咲き満ちて真夜も薔薇(さうび)のひかりあり老いぬればこそ愛(いと)しきものを

夕されば仄と咲きいづる合歓の香に待つ人のゐる喜びがある

はまなすの丘にピンクの香は満ちて海霧(じり)の岬に君と佇ちゐき

茎ほそき矢車草のゆれゐたる教会で得し恋いつまでも

むらさきのけぶる園生の遥けくてアガパンサスに恋の訪れ

幸せになれよと賜(た)びし鈴蘭の根が殖えをりぬ山城の地に

原爆を許すまじの歌ながれドームの廃墟に夾竹桃炎ゆ

ガーベラに照り翳る日の神秘あり鴎外に若き日の恋ひとつ

百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと

藤房の逆立つさまのルピナスは花のいのちを貪りゐたり

しろじろと大きカラーの花咲きて帆を立てて呼ぶ湖の風

これらの歌は、それぞれの花の「花言葉」に因む歌作りに仕立ててある。それぞれの花の花言葉を子細に調べていただけば、お判りいただけよう。
もう十数年以上も前の歌集だが、こうして読み返してみると、感慨ふかいものがある。「合歓の花」からの回想である。


 沙羅の花捨身の落花惜しみなし・・・・・・・・・・・・・石田波郷
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       沙羅の花捨身の落花惜しみなし・・・・・・・・・・・・・石田波郷

私の歌にも「沙羅」を読んだ作品がある。 こんなものである。

   散るよりは咲くをひそかに沙羅の木は一期(いちご)の夢に昏(く)るる寺庭・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

沙羅の花を詠んだ私の歌としては

   沙羅の花ひそかに朝の地(つち)に還りつぶやく言葉はウンスンかるた

   畳まで緑に染まる沙羅の寺黙読の経本を蟻がよぎりぬ

   地獄図に見し死にざまをさまよへば寺庭に咲く夏椿落つ


『嬬恋』『茶の四季』(いずれも角川書店)に載っている。これらも一体として鑑賞してもらえば有難い。

「沙羅」の花あるいは「沙羅双樹」というのは6月中旬になると咲きはじめるが、
これは平家物語の

  <祇園精舎の鐘の声、
   諸行無常の響きあり、
   沙羅双樹の花の色、
   盛者必滅の理をあらはす>

に登場する有名な花であるが、実はインドの沙羅双樹とは無縁の木であり、「夏椿」を日本では、こう呼んでいるのである。 ↓  
aaoonatutu夏椿大判

こういうことは、よくあることで、たとえば「菩提樹」と言う木は沙羅の木と同様にインドの木で仏教でお釈迦さまの木として有名だが、
ヨーロッパにもベルリンのウンター・デン・リンデン大通などにある木も菩提樹と呼ばれているし、歌曲にも菩提樹というのがあるが、これも全く別の木である。

「夏椿」は一日花で次々と咲いては、散るを繰り返す。
その儚(はかな)さが人々に愛された所以であると言われている。
沙羅の木=夏椿は、その性質上、寺院に植えられていることが多い。
京都のお寺では有名なところと言えば、
妙心寺の塔頭(たっちゅう)の東林院
                城南宮
                真如堂
                法金剛院
                宝泉院

などがある。その中でも東林院は、自ら「沙羅双樹の寺、京都の宿坊」とキャッチコピーを冠している程で「沙羅の花を愛でる会」というのが、この時期に開催されている。
この寺をネット上で検索すると、今年の会は6/15~30ということである。

6_sara30616to11夏椿落花
写真③に見られるように、この時期には散った花が夏椿の木の下に一面に散り敷くようになり、風情ある景色が現出するのである。
いわば沙羅の花は「散った」花を見るのが主眼であるのだ。
だから私は歌で、わっと派手に散った花よりも咲く花が「ひそか」である、と表現したのである。
なお沙羅の字の読み方は「さら」「しゃら」両方あるが私としては「しゃら」の方を採りたい。

俳句にも詠まれているので、それを引いて終わりたい。「沙羅の花」が夏の季語。

 踏むまじき沙羅の落花のひとつふたつ・・・・・・・・日野草城

 沙羅散華神の決めたる高さより・・・・・・・・鷹羽狩行

 沙羅は散るゆくりなかりし月の出を・・・・・・・・阿波野青畝

 沙羅の花もうおしまひや屋根に散り・・・・・・・・山口青邨

 天に沙羅地に沙羅落花寂光土・・・・・・・・・中村芳子

 秘仏の扉閉ざして暗し沙羅の花・・・・・・・・八幡城太郎

 沙羅の花見んと一途に来たりけり・・・・・・・・柴田白葉女

 齢一つ享けて眼つむる沙羅の花・・・・・・・・手塚美佐

 沙羅咲いて花のまわりの夕かげり・・・・・・・・林翔

 沙羅の花夫を忘るるひと日あり・・・・・・・・石田あき子

 沙羅落花白の矜持を失はず・・・・・・・・大高霧海

うっかりして忘れていたが、My Documentsの中に「夏椿の実」というのがあったことを今思い出したので、写真④に出しておく。
夏椿見

東林院でも、そうだが、この頃はインターネット時代で、神社仏閣も、競ってHPを作って参拝者を募っている。
私の友人で歌人仲間で奈良の藤原鎌足ゆかりの談山神社の神官二人がいるが、そのうちの一人はHPを担当して神社のHP製作にあたっている。
HPを開いてから参拝者が3倍になったという。そんな世の中になったのである。
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参考までに、インドに生えている「正当」な沙羅双樹の樹の写真を下記に載せておく。
写真の中に、この樹の「花」が咲いているのが見えるので、ご留意を。
この写真は「yun」の無料提供のものを拝借した。原寸は大きいが縮小した。

yun_3615x.jpg

この写真に添えた「yun」氏のコメントに、こう書いてある。

タイのバンコクにあるワット・ポー内に生えていたサラソウジュ(沙羅双樹)の木(フタバガキ科、学名:Shorea robusta、原産地:インド)です。釈迦(しゃか)が亡くなったときに近くに生えていたことで有名な「沙羅双樹」は平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色,盛者必滅の理をあらはす」でも有名。ただし、日本では育たないので夏椿を代用しています。写真内には花が咲いているのが確認できます。

引用に感謝して、ここに御礼申し上げる。

蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ・・・・・・・・・・・・・・山口誓子
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     蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

ウォーキングしていて、道端の石の上を蜥蜴(とかげ)が横切ったので、急にトカゲのことを書く気になった。
トカゲは色々の種類が居るが、写真のような「青とかげ」が美しい。
掲出の句は、トカゲの呼吸で喉がひこひこと動いている、と観察眼するどく描いている。

私も蜥蜴を詠んだ歌があるが、多くはないので、いま見つけられないので、この句を掲出する。
変温動物なので冬は冬眠する。
春とともに活動をはじめ、7、8月に土を掘って十個ほど産卵するというが、田舎暮らしながら、私は、まだ見たことがない。
爬虫類はどことなく不気味だが、蜥蜴は可愛い感じの小動物である。
その怜悧そうな目や、喉の動きなどは、動きのすばやさとともに印象的である。

蜥蜴を詠んだ句を引いて終わる。

 三角の蜥蜴の顔の少し延ぶか・・・・・・・・高浜虚子

 歯朶にゐて太古顔なる蜥蜴かな・・・・・・・・野村喜舟

 石階の二つの蜥蜴相識らず・・・・・・・・富安風生

 さんらんと蜥蜴一匹走るなり・・・・・・・・小島政二郎

 父となりしか蜥蜴とともに立ち止る・・・・・・・中村草田男

 薬師寺の尻切れとかげ水飲むよ・・・・・・・・西東三鬼

 直はしる蜥蜴わが追ふ二三足・・・・・・・・石田波郷

 いくすぢも雨が降りをり蜥蜴の尾・・・・・・・・橋本鶏二

 交る蜥蜴くるりくるりと音もなし・・・・・・・・加藤楸邨

 蜥蜴かなし尾の断面も縞をもつ・・・・・・・・中島斌雄

 高熱の青き蜥蜴は沙(すな)に消え・・・・・・・・角川源義

 青蜥蜴おのれ照りゐて冷え易し・・・・・・・・野沢節子

 青蜥蜴オランダ坂に隠れ終ふ・・・・・・・・殿村莵糸子

 蜥蜴楽し青き牛蒡の葉に乗つて・・・・・・・・沢木欣一

 人に馴ることなく蜥蜴いつも走す・・・・・・・・山口波津女


あめんぼと同じ身軽さ職退けり・・・・・・・・・・・・岡崎伸
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 ↑ 「水馬」あめんぼう

      あめんぼと同じ身軽さ職退けり・・・・・・・・・・・・岡崎伸

「あめんぼう」は漢字で書くと「水馬」となる。

私の歌にも、こんな作品がある。

   水馬(あめんぼう)がふんばつてゐるふうでもなく水の表面張力を凹ませてゐる・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

「あめんぼう」は小さな、体重の軽い水生昆虫だから、細く長い脚の先で、巧みに水の表面張力を利用して、六本の脚で立って、ひょいひょいと水面を移動する。
私は幼い頃から、内向的な性格で、こんな虫や蟻などの生態を、じっと眺めているのが好きだった。と言って「昆虫少年」になることもなかった。

img_346084_6081285_1ミズスマシ
 ↑ 「ミズスマシ」

歳時記を見てみると「みずすまし」という名前が、間違って、この「あめんぼう」のこととして呼ばれていたらしい。
「みずすまし」というのは全然別の虫であって、1センチほどの紡錘形の黒い虫である。↑ 上に出した写真の水棲昆虫が、それ。

「まいまい」という名前がある通り、水面をくるくると輪をかいて廻っている。水中に潜るときは、空気の玉を尻につけている。
『和漢三才図会』には <常に旋遊し、周二三尺輪の形をなす。正黒色、蛍に似たり> と書かれている。
「あめんぼう」(水馬)については <長き脚あって、身は水につかず、水上を駆くること馬のごとし。
よりて水馬と名づく> 
と書かれていて、なるほどと納得する。
「あめんぼう」という命名は、飴のような臭いがするので、この名があるという。
以下、「あめんぼう」についての俳句を少し引くが、その中で「水すまし」とあるのは間違いということになる。
読み替えていただきたい。 念のために本当の「水すまし」の写真を出しておいた。
以下に引く句の一番最後に掲出した西嶋あさ子の句の「水すまし」も間違った使用法であるから、念のため。

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 水馬水に跳ねて水鉄の如し・・・・・・・・・・・・村上鬼城

 水隈にみづすましはや暮るるべし・・・・・・・・・・・・山口誓子

 夕焼の金板の上水馬ゆく・・・・・・・・・・・・山口青邨

 水馬交み河骨知らん顔・・・・・・・・・・・・松本たかし

 打ちあけしあとの淋しき水馬・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 八方に敵あるごとく水すまし・・・・・・・・・・・・北山河

 水馬はじきとばして水堅し・・・・・・・・・・・・橋本鶏二

 水玉の光の強き水馬・・・・・・・・・・・・八木林之助

 水路にも横丁あつて水馬・・・・・・・・・・・・滝春一

 あめんぼと雨とあめんぼと雨と・・・・・・・・・・・・藤田湘子

 恋に跳ね戦ひに跳ねあめんぼう・・・・・・・・・・・・村松紅花

 あめんぼうつるびて水輪ひろがらず・・・・・・・・・・・・長谷川久々子

 風来の風風来の水馬・・・・・・・・・・・・・・・・・的野雄

 ナルシスの鏡を磨く水馬・・・・・・・・・・・・宮下恵美子

 水すまし水くぼませて憩ひけり・・・・・・・・・・西嶋あさ子


ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜・・・・・・・・・・・・・・・桂信子
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    ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜・・・・・・・・・・・・・・・桂信子

写真は白花ホタルブクロに止まるゲンジボタルである。

日本には十種類ほどが居るというが、一般的にはゲンジボタルとヘイケボタルである。
ゲンジの方が大きく、光も強い。
水のきれいなところに棲み、6月中旬ころから出はじめる。ヘイケは汚水にも居るといわれるが確認はしていない。
幼虫は水中に棲み、カワニナなどの巻貝を食べて成長する。
成虫の発光器は尾端腹面にあり、雄は二節、雌は一節だという。
この頃では農薬などの影響で蛍はものすごく減った。今では特定の保護されたところにしか居ない。
0003蛍狩

昔は画像②の絵のように菜種殻で作った箒で田んぼの中の小川に蛍狩りに出たものである。すっかり郷愁の風景になってしまった。
古来、多くの句が作られて来た。

 草の葉を落つるより飛ぶ蛍かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 手の上に悲しく消ゆる蛍かな・・・・・・・・向井去来

 大蛍ゆらりゆらりと通りけり・・・・・・・・小林一茶

などが知られている。 以下、明治以後の句を引いて終わりたい。

2_photほたる

 蛍火の鞠の如しやはね上り・・・・・・・・高浜虚子

 瀬がしらに触れむとしたる蛍かな・・・・・・・・・日野草城

 人殺す我かも知らず飛ぶ蛍・・・・・・・・・前田普羅

 蛍火の流れ落ちゆく荒瀬見ゆ・・・・・・・・山口誓子

 蛍火やこぽりと音す水の渦・・・・・・・・山口青邨

 蛍籠昏ければ揺り炎えたたす・・・・・・・・橋本多佳子

 初蛍かなしきまでに光るなり・・・・・・・・中川宋淵

 死んだ子の年をかぞふる蛍かな・・・・・・・・渋沢秀雄

 蛍くさき人の手をかぐ夕明り・・・・・・・・・室生犀星

 蛍火や女の道をふみはづし・・・・・・・・鈴木真砂女

 ひととゐてほたるの闇のふかさ言ふ・・・・・・・・八幡城太郎
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余談だが、掲出した写真①の白花ホタルブクロが今ちょうど咲いていて、その鉢を先日から玄関に飾ってある。
なよなよした草で紐で周囲を囲ってある。
茎立ち5本で十数輪咲いているが、しばらくは蕾が次々に咲くが花期は20日ほどしかもたない。
後の一年は、もっぱら根を管理するだけである。

花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・・・・・・・高野素十
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     花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・・・・・・・高野素十

「花菖蒲」はアヤメ科の多年草。「ノハナショウブ」の栽培変種で、観賞用に水辺・湿地に栽培され、品種が多い。
先日、カキツバタについて書いたところで、それらの違いについて触れておいた。
江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培されて、菖蒲園には愛好家がつめかけたという。
hanasyobu1429ss菖蒲田本命③

hanasyobu1418ss菖蒲田本命④

先日、カキツバタのことを載せたBLOGで、関連として菖蒲あやめのことを書いたところで、菖蒲は6月にならないと咲かないと言ったが、これは間違いで、
5月中旬からそろそろ咲き始めるということである。
菖蒲田が満開になり田一面が花で埋まるのが5月下旬から6月上旬にかけてのことである。
私の住む辺りでは豊富な地下水を利用して各種の花卉栽培が盛んだが、5月中旬には「菖蒲まつり」が開催され、来会者に花菖蒲3本づつがプレゼントとして配られるという。
掲出する写真はいずれも菖蒲あやめである。色や柄もいろいろのものがある。私などは、やはり紫色が好きだが、これは各人の好みだろう。
hanasyobu1468ss菖蒲田本命②

私より二つほど年長の花卉栽培専業農家の人が居て、先日の端午の節句には菖蒲をたくさん戴いた。
これは露地のものではなく、ビニールハウスによる促成栽培のものである。
栽培農家としては蕾のうちに出荷し、花屋ないしは消費者の手元についてから花が開くようにするのが普通であるので、
私の方に戴いたのも、もちろん蕾のものであった。花が開いてからは開花期は短く二日ほどで萎れてしまう。
こういう端午の節句の菖蒲とか、お盆の蓮の花とかいう、期日の決まったものは期日に合せて出荷しなくてはならず、それまで花を保存するために
「冷蔵庫」を設置するなど多くの投資が必要である。
一時的に花を切る必要があるので、その時は臨時に人を増やして雇うこともあり、なかなか端(はた)から見て羨むほど楽な仕事ではないらしい。
こういう一時的な需要の集中する花は、その日が過ぎると、とたんに花の相場は大きく下がるのである。
この辺に農家としても経営的な手腕が求められるのである。
hanash花菖蒲

俳句にもたくさん詠まれているが少し引いておきたい。

 夜蛙の声となりゆく菖蒲かな・・・・・・・・水原秋桜子

 花菖蒲ただしく水にうつりけり・・・・・・・・久保田万太郎

 花菖蒲紫紺まひるは音もなし・・・・・・・・中島斌雄

 雨どどと白し菖蒲の花びらに・・・・・・・・山口青邨

 菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射・・・・・・・・石田波郷

 菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり・・・・・・・・野村喜舟

 黄菖蒲の黄の映る水平らかに・・・・・・・・池内たけし

 白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・稲垣きくの

 菖蒲髪して一人なる身の軽さ・・・・・・・・田畑美穂女

 京へつくまでに暮れけりあやめぐさ・・・・・・・・田中裕明

 花菖蒲水のおもてにこころ置く・・・・・・・・加納染人

 白菖蒲空よりも地の明るき日・・・・・・・・中村路子

 ほぐれそめ翳知りそめし白菖蒲・・・・・・・・林翔

 咲きそめて白は神慮の花菖蒲・・・・・・・・藤岡筑邨

 てぬぐひの如く大きく花菖蒲・・・・・・・・岸本尚毅

 花菖蒲どんどん剪つてくれにけり・・・・・・・・石田郷子

 菖蒲田のもの憂き花の高さかな・・・・・・・・糸屋和恵
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「菖蒲しょうぶ」と「あやめ」は厳密には区別されているらしい。
アヤメは野生のものを指し、菖蒲は栽培種を指すらしい。「属」が同じものか違うのか、などは判らない。一応お断りしておく。



今度こそ筒鳥を聞きとめし貌・・・・・・・・・・・・・・・飯島晴子
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     今度こそ筒鳥を聞きとめし貌・・・・・・・・・・・・・・・飯島晴子

「ツツドリ」は、人間の住むような里山には近づかず、林間に居て、鳴き声だけが遠くから聞こえてくる。
この句は、そういう筒鳥の生態を、よく捉えている。
私の歌にも、こんなものがある。

  筒鳥の遠音きこゆる木の下に九十の母はのど飴舐むる・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。

筒鳥は郭公やほととぎすと同じ仲間で姿、形が似ている。これらの鳥は鳴声は田舎なら、よく聞くことがあるが、姿を見ることはめったにない。
この種類の鳥は子育ての際に、独特の「托卵」という習性があることが共通している。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも

   み熊野の出で湯に宿るあかときにぽぽろぽぽろと筒鳥の声

という歌を載せている。
掲出の歌のことだが、私の母は93歳で亡くなったが、この歌は90歳の頃のことを詠んでいる。母には曾孫も出来ていたから文字通り悠々自適の晩年だった。
初夏のむせかえるような陽気の日には大きな木の蔭でのんびりと過ごしていた。
「のど飴」を舐める母、というところに私の歌作りの工夫を込めたつもりである。

以下、歳時記に載る句を少し引いて終わりたい。

 つつ鳥や木曽の裏山木曽に似て・・・・・・・・加舎白雄

 筒鳥を幽かにすなる木のふかさ・・・・・・・水原秋桜子

 筒鳥なく泣かんばかりの裾野の火・・・・・・・・加藤楸邨

 筒鳥や楢の下草片敷けば・・・・・・・・石田波郷

 筒鳥鳴けり腕を撫でつつ歩むとき・・・・・・・・大野林火

 旅にして聴く筒鳥も辰雄の忌・・・・・・・安住敦

 筒鳥やひとの名彫られ一樹立つ・・・・・・・・中島斌雄

 筒鳥や涙あふれて失語症・・・・・・・・相馬遷子

 筒鳥や分れて道は火山灰ふかく・・・・・・・・皆吉爽雨

 筒鳥や思はぬ尾根に牛群れて・・・・・・・・堀口星眠

 筒鳥や山に居て身を山に向け・・・・・・・・村越化石

 筒鳥の遠音近づくことのなし・・・・・・・・森田峠

 筒鳥の風の遠音となりにけり・・・・・・・・三村純也

 筒鳥やこんにやく村はすぐ陰る・・・・・・・・茂木連葉子

 筒鳥や豆が双葉となりし朝・・・・・・・・矢上万理江



まざまざと夢の逃げゆく若葉かな・・・・・・・・・・・・・・寺田寅彦
konara小楢本命

     まざまざと夢の逃げゆく若葉かな・・・・・・・・・・・・・・寺田寅彦

今や見渡すかぎり、みどり一色の若葉である。 この句は、そんな季節感を巧く作品化している。
作者の寺田寅彦 ← というのは、こんな人である。物理学者だが夏目漱石に師事し俳句やエッセイなどをよくした。

私の歌にも、若葉を詠んだ、こんなものがある。

   日が照ればエーテルのごとく香を放つ楢の若葉よ午前六時だ・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

写真は小楢の若葉である。ちょうど開花期で雄花序が垂れ下がっている。
ナラ、クヌギの類は人家に近い、いわゆる「里山」の木で、薪にされてきたもので、伐採した後には株元から次の新芽が出てきて林が更新するのである。

konara4コナラ青

写真②はナラの実、いわゆるドングリである。ナラの実は細長い。クヌギの実は、もっと丸い形をしている。

里山は薪などに加工して、伐採して世代更新をしないと木は大きくなりすぎて逆に荒廃する。
この頃では農村でも台所では電気やプロパンガスを使うので薪の使い場所がない。
ようやくシイタケ栽培のホダ木としてシイタケの菌を打つ位であるが、そのシイタケが中国産に押されて価格が下がり日本産は採算が合わないとかで、栽培は減っている。
五月に入ると里山も気温がぐんぐんあがり、天気のよい、湿気の多い日には林はむっとむせかえるような様子になる。
yun_1079白糸の滝

私の歌は、そういう楢の林が新緑に満ちた朝六時の光景を詠っている。
新芽からはツンとする新緑特有の香りが立ち、太陽が中天にさしかかると、むせかえるような空気に包まれる。
「森林浴」というのは本来、ロシアで言われてきたことで、針葉樹の木から出る「フィトンチッド」というエーテル系の成分が体によいことを指したのだが、
今では広葉樹の森の森林浴も含めて言われるようになってしまった。しかし、いずれにせよ森林浴というのは、いいものである。

俳句にも「新緑」「新樹」など多く詠まれているので、それを引いて終わりたい。

 大風に湧き立つてをる新樹かな・・・・・・・・高浜虚子

 夕風の一刻づつの新樹濃し・・・・・・・・中村汀女

 阿蘇も火を噴くと新樹のきのふけふ・・・・・・・・百合山羽公

 夜の新樹詩の行間をゆくごとし・・・・・・・・鷹羽狩行

 若葉して御目の雫拭はばや・・・・・・・・松尾芭蕉

 若葉して手のひらほどの山の寺・・・・・・・・夏目漱石

 動くもの皆緑なり風わたる・・・・・・・・五百木瓢亭

 槻若葉雫しやまずいつまでも・・・・・・・・加藤楸邨

 青葉若葉しかすがに逝く月日かな・・・・・・・・中川宋淵

 青葉満ちまなこばかりの稚魚誕生・・・・・・・・加藤一夫

 新緑やうつくしかりしひとの老い・・・・・・・・日野草城

 新緑の天にのこれりピアノの音・・・・・・・・目迫秩父

 摩天楼より新緑がパセリほど・・・・・・・・鷹羽狩行

 水筒の茶がのど通る深みどり・・・・・・・・辻田克己

 まぶたみどりに乳吸ふ力満ち眠る・・・・・・・・沖田佐久子


金雀枝の黄金焦げつつ夏に入る・・・・・・・・・・・・・松本たかし
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       金雀枝の黄金焦げつつ夏に入る・・・・・・・・・・・・・松本たかし

エニシダの咲き誇る季節になった。
もともとエニシダはヨーロッパ原産の植物である。
私にはキリスト教と深く結びついている木のように思える。
私の歌に次のような作品がある。

    金雀枝(えにしだ)は黄に盛れどもカタリ派が暴虐うけしアルビの野なる・・・・・・・・・・・木村草弥

エニシダは地中海原産で、ヨーロッパに広く野生化している。日本には中国を経て、延宝年間に入ってきたと言われる。
オランダ語ではゲニスタやヘニスタと呼ばれていたが、日本ではエニスタと言われるようになり、今のエニシダになったという。マメ科の落葉低木。

この歌は1998年5月に南フランスに旅した時にボルドーの内陸部のアルビに立ち寄った時の歌である。
アルビというと、画家ロートレック(日本では慣習的に「ロートレック」で呼ばれるが、正しくは「トゥルーズ=ロートレック(ロトレック)」でひとつの姓である)の故郷で、
その美術館も見たが、ガイドがさりげなく説明した「異端審問」で、この地でカタリ派が受けた暴虐を思い出して歌にしたものである。
アルビの野は、それらのカタリ派の無惨な血の記憶が染み付いているのである。


エニシダは初夏の花である。この歌は第二歌集『嘉木』(角川書店)に載っている。
この歌のすぐ後には

   まつすぐにふらんすの野を割ける道金雀枝の黄が南(ミディ)へつづく

が載っている。高速道路の路傍には、文字通り「エニシダ」の黄色が果てしなく続くのであった。

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「異端審問」あるいは「魔女狩り」というのは、キリスト教の歴史の中でも「負」の遺産として語り継がれているが、旅の中でも、こうした心にひびく体験をしたいものである。
そして、深く「人間とは」「神の名のもとに」という愚かな蛮行を思い出したい。

そんな意味からも、掲出した石田波郷の句は、私には関連づけて読みたい作品だったので、引いてみた。

「カタリ派」については、← ここにリンクした「世界宗教大辞典」の記事に詳しい。長いものだが参照されたい。


以下、エニシダを詠んだ句を少し引く。

 えにしだの黄色は雨もさまし得ず・・・・・・・・高浜虚子

 えにしだの夕べは白き別れかな・・・・・・・・臼田亜浪

 エニシダの花にも空の青さかな・・・・・・・・京極杞陽

 金雀枝(えにしだ)や基督に抱かると思へ・・・・・・・石田波郷

 金雀枝やわが貧の詩こそばゆし・・・・・・・・森澄雄

 金雀枝の咲きそめて地に翳りあり・・・・・・・・鈴木東州



真向ひて恵那山は観るべしつつじ原・・・・・・・・・・・・・松本たかし
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   真向ひて恵那山は観るべしつつじ原・・・・・・・・・・・・・松本たかし

躑躅(つつじ)は桜のシーズンが終ったあとで一斉に訪れる。
ツツジは、このように難しい字を書くが、それは、中国で毒性のあるツツジを羊が食べて、足踏みしてもがき、うずくまってしまったというので、
この字を宛てたという。発音としては「テキチョク」と読む。

ツツジと総称されるが数十種類あると言われている。一般に植えられているツツジの他に、山つつじなどがある。
数年前に奈良県の葛城山のツツジを見に行ったことがあるが五月の連休の前後だったが、すごい人出で頂上に昇るケーブルカーの順番待ちで二時間も待った。
仕方ないので下で昼食を済ませた。
ここのツツジは山頂から少し下がった斜面に数万株がピンク色に密集して咲いている。

写真②のような白いツツジも趣のあるものだ。
tutuji6つつじ③

ツツジの花には蜜があるが、この山には猿が生息しており、花の時期には、この花を摘まんで食べるという。
私も子供の頃、ツツジの花の蜜を吸ったことがあるがおいしいものである。
九州にゆくと雲仙のツツジも有名であり、長野県の須坂市の奥にある五味池破風高原は100万株を超えるツツジで名高いらしい。
226226つつじ④

満天星(どうだん)つつじというのがあるが、普通のツツジとは別のものであり、花には白、ピンクがあるが、馬酔木の花のような形をしている。
秋になると葉が紅葉して美しい。
写真④が、それ。
doudantutuji.jpg

ツツジというと、京都市水道局の蹴上浄水場にはたくさんのツツジが植えられており、
この花のシーズンだけ一般に開放されて市民が見物に押しかけるので有名である。
桜では大阪造幣局の桜の通り抜けが有名だが、浄水場は背の高い木は落葉などの関係で植えられないので、
背の低いツツジが斜面の芝生に植えられているのだ。

rengetutuji2レンゲツツジ

写真⑤には、毒性があるというレンゲツツジをお見せする。山つつじの一種であろうか。

「ツツジ」は、古来さまざまの形で句に詠まれてきた。それを引いて終る。

 盛りなる花曼陀羅の躑躅かな・・・・・・・・高浜虚子

 山の娘のすこやかにゆく躑躅かな・・・・・・・・日野草城

 死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり・・・・・・・・臼田亞浪

 吾子の瞳に緋躑躅宿るむらさきに・・・・・・・・中村草田男

 花終へしつつじ野けふの虹立たす・・・・・・・・大野林火

 夕つつじ美しくしてひとり病む・・・・・・・・加藤霞村

 日の昏れてこの家の躑躅いやあな色・・・・・・・・三橋鷹女

 白つつじこころのいたむことばかり・・・・・・・・安住敦

 山つつじ照る只中に田を墾く・・・・・・・・飯田龍太

 躑躅より地に着いて蜘蛛走り出す・・・・・・・・川崎展宏

 人に会はん気遅れ少し躑躅かな・・・・・・・・榑沼清子

 つつじ山暗きところにけものの眼・・・・・・・・田村一翠

 仏性の火炎となりし白つつじ・・・・・・・・椎橋清翠



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