K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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吉野弘の詩
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 四つ葉のクローバー・・・・・・・・・・・ 吉野 弘

クローバーの野に坐ると
幸福のシンボルと呼ばれているものを私も探しにかかる
座興以上ではないにしても
目にとまれば、好ましいシンボルを見捨てることはない

四つ葉は奇形と知ってはいても
ありふれて手に入りやすいものより
多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる
その比喩を、誰も嗤うことはできない

若い頃、心に刻んだ三木清の言葉
<幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか>
を私はなつかしく思い出す

なつかしく思い出す一方で
ありふれた三つ葉であることに耐え切れぬ我々自身が
何程か奇形ではあるまいかとひそかに思うのは何故か

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この詩も詩集『陽を浴びて』に収録されているものである。
この詩もカトラン(ソネット)の形式に則ったものだが平易な言葉を使いながら、鋭い詩語となっている。
いましも、まだ風は冷たいが、もうすぐ春の野にクローバーが萌えいづることであろう。
季節に先駆けて、この詩を採りあげた。
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  陽を浴びて・・・・・・・・・・・・吉野 弘

冬の朝
通勤時間をすぎた郊外電車の駅
人影まばらな長いホームの
屋根のないところで
やわらかな陽を浴び
私は電車を待っていた

ひととき
食と性とにかかわりのない時間
消費も生産もせず
何ものかから軽く突き放されていた時間

何ものか
私を遥かな過去から今に送り出したきたもの
無機質から生命への長い道程(みちのり)
生命の持続のための執拗な営み
信じがたいほど緻密で
ひたむきでひたすらであった筈の意思

その意思に収監されたまま
私は、そのとき
ひたむきでもなく
ひたすらでもなく
食と性との軛(くびき)を思い
ぼんやりと
冬の陽を浴びていた
逸脱など許す筈のない意思が
見て見ぬふりをしているらしい、ほんのひととき
あり余るやわらかな光を
私は私自身に、存分に振舞っていた
ホームで
電車を待ちながら

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この詩のキーワードは「食と性」である。こういう言葉の選択の的確さが何とも言えず見事だ。
また「ひたむきでもなく、ひたすらでもなく」という、二字だけ変えたリフレインが利いている。
1983年花神社刊行の詩集『陽を浴びて』より。私の親友・宮田操の好きな詩人である。


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