K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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那須信孝『曽我量深に聞く 宗教的要求の象徴・法蔵菩薩』限りなく純粋感性を求めて・・・・木村草弥
那須_NEW

──新・読書ノート──

     那須信孝『曽我量深に聞く 宗教的要求の象徴・法蔵菩薩』限りなく純粋感性を求めて・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・大法輪閣2018/04/15刊・・・・・・

私の大学の同級生で、浄土真宗本願寺派「一行寺」住職の那須信孝から、この本が贈られてきた。
400ページ余りの難しいものである。
彼は、この寺の次男だったが、兄が京都大学を出たあと日本電池(現GSユアサ)の社長になったので寺の跡を継いだ。
彼は京大に入ったときは専攻は西洋史で、私の親友だった亡・手塚晃と同じ京都二中の出身だった。
のちに仏教学専攻に転科して卒業した。
今の「一行寺」は西本願寺前に聳える立派な寺だが、これは彼が継いでから建てたもので、私たちが泊まり込みで酒を飲みながら文学論を闘わせた元の家は民家のような「しもたや」だった。
これから判るように彼の家は西本願寺の本山付きの寺院だったようである。
今は譲位されたが前・門主の大谷光真氏は東大出ということもあり、那須の寺に遊びに来られるような親密な間柄だったようである。
私的な話に過ぎたようである。 本論に戻る。 
難しい本なので先ず周辺部から入りたい。 ここに論じられる人物から。

曾我量深 (そがりょうじん)
[生]1875.9.5. 新潟
[没]1971.6.20. 京都
真宗大谷派の僧。 1899年真宗大学卒業。真宗,東洋,大谷の各大学教授を歴任する一方,清沢満之主宰の『精神界』の編集なども行い,1961~67年大谷大学学長をつとめた。
著書『救済と自証』『法蔵菩薩』など。『曾我量深選集』 (12巻,1970~72) がある。

阿頼耶識(あらやしき)、梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञानは、大乗仏教の瑜伽行派独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のこと。
アーラヤ識。唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる。

原語と漢訳

「阿頼耶識」は、サンスクリットの ālaya( आलय) の音写と、vijñāna(विज्ञान) の意訳「識」との合成語。
ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。
「無没識(むもつしき)」と訳される場合もあるが、これは ālaya の類音語 alaya に由来する異形語である。
旧訳では阿羅耶識、阿梨耶識(ありやしき)」。また、蔵識(藏識)、無没識(むもつしき)」とも訳し、頼耶識、頼耶等と略されることもある。

ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる。またそうして生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)する。

この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが、その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる。諸法の種子を内蔵している点からは一切種子識(sarva-bījaka-vijñāna)、過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは異熟識(vipāka-vijñāna)、他の諸識の生ずる基である点からは根本識(mūla-vijñāna)、身心の機官を維持する点からは阿陀那識(ādāna-vijñāna、執持識/執我識。天台宗では末那識の別名)と呼ばれる。

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「法蔵菩薩」についてネット上から引いておく。

正信偈の教え-みんなの偈-

法蔵菩薩の願い

【原文】
法 蔵 菩 薩 因 位 時
在 世 自 在 王 仏 所

【読み方】
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の因位(いんに)の時、
世自在王仏(せじざいおうぶつ)の所みもとにましまして、

 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』には、釈尊が、阿難(あなん)という仏弟子に語って聞かせるというかたちで、法蔵菩薩のことが詳しく紹介されています。そして広く人類を救いたいという願いを発(おこ)された菩薩の徳が讃えられるのです(聖典6頁~)。そのあらましは、次の通りです。
 ある日、阿難尊者(そんじゃ)がお見受けしたところ、釈尊は、いつになく、すがすがしいご様子で、歓びにあふれて、輝いておられるように思われたのです。そこで、阿難尊者は、そのわけをお尋ねしたのです。すると釈尊はお告げになりました。「きみは、とてもよいことを尋ねた。私がこの世に出現したのは、教えを説いて人びとを救い、真実の利益りやくを与えるためなのだ。私が歓びにあふれているのは、人びとに真実の利益を明らかにする時がきたからなのだ」と。そして、法蔵菩薩のことをお説きになられたのです。
 遠い遠い昔の、そのまた遠い遠い昔、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏がおられました。その時、一人の国王がおられました。王は、その仏の教えをお聞きして、心からの喜びを懐いだかれたのです。そして、自分も仏になって、世の人びとを悩みや苦しみから救いたいと願うようになられたのです。王は、国を棄て、王位を捨て、世自在王仏のもとで出家して修行者となり、法蔵と名告(なの)られました。これが法蔵菩薩です。
 法蔵菩薩は、諸仏の浄土がどのようにしてできたのか、それを教えていただきたいと、世自在王仏に願い出られました。そして、自分も、教えの通りに修行して浄土を建立(こんりゅう)したいという決意を述べられたのです。世自在王仏は、菩薩の熱心な願いに応じて、二百十億という、ありとあらゆる仏の浄土の成り立ちと、それらの浄土にいる人びとのありさまをつぶさにお示しになったのです。
 法蔵菩薩は、それらの浄土のありさまを拝見された後、五劫(ごこう)という途方もなく永い期間にわたって思惟を重ねられ、この上にない優れた願いを発されたのです。すなわち、仏になって理想の浄土を実現するための願いを発されたのです。それが四十八項目からなる本願なのです。
 この本願の第十八の願では、自分が仏に成るとしても、自分が実現する浄土に、一切の人びとが心から生まれたいと願って、もし人びとが往生できないのであれば、自分は仏には成らないと誓われたのです。
 さらに、『大無量寿経』には、次のようなことも説かれています。阿難尊者は、釈尊にお尋ねするのです。「法蔵菩薩は、すでに仏に成っておられるのでしょうか、それとも、まだ仏に成っておられないのでしょうか」と。すると、釈尊はお答えになりました。「もうすでに仏に成っておられる。いま現に、西方の、ここから十万億の世界を越えた安楽浄土におられるのだ」と。つまり、法蔵菩薩の四十八願はすべて成就されて、阿弥陀仏に成られたということです。ついで、阿難尊者が「法蔵菩薩が阿弥陀仏になられてから、もうどれほどの時が過ぎたのでしょうか」とお尋ねすると、釈尊は、「おおよそ十劫の時が経過しているのだ」と、教えられたのです。
 このお話のなかに、「五劫」「十劫」という言葉がありましたが、「劫」は、時間の長さです。これには諸説が伝えられていますが、有名なのは次のような話です。
 横幅四十里、高さも四十里、奥行も四十里という大きな岩石があったとして(もちろん富士山よりも大きい)、その岩のそばを羽衣を身にまとった天女が百年(あるいは千年)に一度通りかかるのです。すると羽衣の袖がサッと岩にふれるのです。これを何度も何度も繰り返すと、岩が磨り減ります。この岩石が完全に摩滅してしまうのに要する時間よりも、さらに長い時間を一劫というのです。十劫はその十倍です。このような、とてつもなく長い時間のことが言われるのは、数量ではとらえきれない質の深さを表わそうとするからです。仏の慈悲の深さが、始まりと終わりを考える必要のないものであることを教えようとしていると思われるのです。
(九州大谷短期大学長 古田和弘)
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正信念仏偈

「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)〈正信念佛偈〉」は、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文。一般には略して「正信偈(しょうしんげ)」の名で親しまれている。
真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。
同じ親鸞撰述の『三帖和讃』とともに、本願寺第8世蓮如によって、僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう制定され、現在も行われている。

大きく二つの部分によって構成されている。
「総讃」の2句に続く前半は、「依教段」と言われ『仏説無量寿経(大無量寿経)』に依って明らかにされている、浄土往生の正因は信心であり、念仏は報恩行であることを説明し讃嘆している。
後半の部分は「依釈段」と言われ、インド・中国・日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆している。
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とにかく仏教の教えは難解である。それは仏教が中国を経て流布されるにあたり、「漢語」に翻訳されたことが第一だと言われている。
だから最近では原典であるサンスクリット語から研究される場合が多い。
一読して、最も難解な曽我の本から彼・那須は入ったようである。

こんにち世界的な宗教図を見てみると「キリスト教」「イスラム教」「仏教」「ヒンドゥー教」「ユダヤ教」などに大別されるだろう。
「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」は共にエルサレムの地を発祥地とする「一神教」である。
いま書いた順番に発生の歴史が古い。そして、これらの宗派は、いずれも「旧約聖書」を経典として尊重する。
「旧約聖書」「新約聖書」ともに書いてあることは難しくない。「コーラン」に至っては宗教書というより世俗的な指南書という体のものである。
だから大衆には「わかりやすい」習俗訓と言えるものである。だから今広がっている宗派はイスラム教のみである。
仏教は世界的に言って、極めて少数派である。
ヒンズー教の世界では釈迦はヒンズー教の一派として把握されているに過ぎない。
こういうことを言うと仏教者はカンカンに怒るが、客観的に見て、これが現実なのである。
私は「仏教徒」とも言えない人間だが、世界各地を旅してきて、エルサレムの地にも足を踏み入れて見てきた実感として、このように言っておきたい。
仏教学者にも、その責任の一端はあるだろう。
「難解な教義」を「やさしく平易に」説くのが識者のするべき態度であろう。難しく、むつかしくしてきたから大衆は寺から離れて行って「葬式仏教」に堕落した。
親友である那須だからこそ、敢えて、日ごろ感じていることを書かせてもらった。

周辺部をぐるぐる回るばかりで、肝心の那須の本に触れていないが、難しいので本論に切り込めない私の不徳をお詫びしておく。
私の出来ることは、こんなことが限度である。 お許しいただきたい。
彼の著書の個所を見ると『如何に中陰法要を勤めるか~中有を如何に捉えるか~』という本があるが、これなら多少は歯がたつかとも思うがお坊さん用の本かも知れない。
ご恵贈に感謝して、貧しい紹介を終わりたい。 有難うございました。


鳥巣郁美詩集『時刻の帷』・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       鳥巣郁美詩集『時刻の帷』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・コールサック社2018/03/20刊・・・・・・・

著者・鳥巣郁美氏から、この本が贈呈されてきた。
本に載る略歴によると、鳥巣氏は1930年生まれ。広島女子高等師範学校理科卒業。長らく教職におられた。
著書として、
詩集『距離』 『時の記憶』 『原型』 『影絵』 『春の容器』 『背中を』 『灯影』 『埴輪の目』 『日没の稜線』 『冬芽』 『浅春の途』などがある。
「解説」として、コールサック社の編集者である佐相憲一氏の8ページにわたる詳しい記事がある。
この本には全部で43篇の作品が収録されている。
詩集というと、20篇くらいのものが一冊というのが多いが、この本は分厚いものである。

一読して、今の時季を詠んだものを引いておく。

          弥生三月     鳥巣郁美

   踏みとる地の硬ばりを弾いてゆく意思のひとつ 大気の柱が上向く
  生を揺すり戻して 自ずと定まる地平はその営みを告げる 識した一
  点の弾みが時間の一隅を震わせていた 地殻に含みもつ生の鼓動の
  促しを饗けて萌える時刻の 共々に晋む歩み それら無数の弾みの籠
  る稚い萌色もまた 朝の道で息弾ませていた 装い新しい幼な子と共
  に 現在をこぼち歩んだ

   ひやりと降りる大気の包んだ草々の 幼芯の辺り 未だ潜む新髄の
  僅かな震えが 重い空に呼応していた それら素枯れた庭面の一隅の
  微かな萌色 空は陽差しを戻して ひたと上向く新葉の兆しを包む
  冬日の底の 過ぎ越した空への無数の希求を秘め持って 意志持つ如
  く 荒れた土肌を這い伸びる幾筋か 其処此処で露われ見えて やが
  て揃い立つ葉片の かすかな兆しを受けとめてゆく


           豪快な桜花に   鳥巣郁美

   枝先までも花塊に埋もれる
   桜樹の降りこぼす一枚の花弁
   幾日か風晒す夜半を揺れ戻した
   巨大な枝々が中空に在る

   群なす花塊のいくつか
   いちどきに放つ饗宴の
   意志持つ如く中空に伸び亙る枝先の
   いちめんの静寂を目に籠らせている

   春を成すひたすらな惟いであったか
   振りこぼす如き枝先の花塊の
   確かさを結んで横並ぶ日
   ひとときわ極める生の姿を含み視ている

   開いた空に生きざま告げて
   忽然と顕われ視せる華冠から
   宙空を舞い降りる定めないひとひらがある
   時経たず辿り踏むなべての一枚

   内向かう人の径にもこぼれ華やいだ
   根太く揺るぎない桜樹の
   注ぎ傾く陽に輝かに定まる花の生きざま
   ふいの欠落を含んでなおずしりと据わる

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多くを引けないことをお許しいただきたい。
鳥巣さんとは何年か、お付き合いがあるが、いま調べてみても私のブログに載せたものはないようである。
私と同じ年のお生れであり、いわば私と同じく、老境にあられるようである。
本を一読して、使われる熟語が、独特である。 「ごとく」という直喩を「如く」のように表記されるのが目立つ。
「意志持つ如く」というフレーズが何度か出てくる。 使われる言葉が漢語的で難しい。
 
私は、ここに引いた「豪快な桜花に」が作者の詩の中でも典型的な作品だと感じた。
佐相氏も、この詩について触れている。

巻末の詩「ひとつの経路が」 には
「背を押すものは ・・・・・生の道行を囲う ・・・・・ゆくりない時刻の帷」と書かれて<ゆくりない時刻の帷>のフレーズがあり、
ここから、この詩集の題名が引かれている。

ご恵贈有難うございました。
不十分な紹介になり、お詫び申し上げる。




 


地中海大阪支社合同歌集「水路Ⅱ」・・・・・木村草弥
地中海_NEW

       地中海大阪支社合同歌集「水路Ⅱ」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・九曜書林2017/12/30刊・・・・・

「地中海」大阪支社長・牧雄彦氏から、この本が送られてきた。
大阪支社は私が「地中海」に在籍していた頃は何度か歌会に参加して、楽しい交流をさせてもらった懐かしいところである。
牧氏の前の支社長は奥田清和氏が長らく務められた。私がお邪魔していた頃は奥田氏にお世話になった。
今回の本には24人の人が出詠しているが、私の知る人たちの多くが故人になっている。最近では浜田昭則氏などである。
また自分のグループを結成して独立して行かれた人が五人ある、と書かれている。
牧氏の「あとがき」によると、支社創設以来、毎月の歌会を欠かすことなく続け、昭和56年7月に歌会200回を記念して合同歌集「水路」が発刊されている。
今回、歌会600回を迎えたのを機に、ふたたび合同歌集を、との声が上がり「水路Ⅱ」が発行されることになった。

この本は各自24首の歌を発表し、題名の下に短いエッセイを載せるという体裁である。
はじめに奥田清和「孔孟ねむる」を引いておく。

   奥田清和「孔孟ねむる」

   合同歌集『水路』を刊行してすでに三十六年という。
   不易流行─さはさりながらいたずらに馬齢を重ね卒寿も
   過ぎて、日々盲いゆくわが身は頑迷固陋な自己流の歌に
   甘んじて詠み続けている次第。子曰く「寿(いのちなが)ければ則
   ち辱(はじ)多し」のこころか。

みあらかに黄金の鵄舞ひたてりパプアに果てし吾兄の日なれば

獺祭のみだれを寛(ゆる)しまどろむに桃源郷を裂く選挙カー

電磁波の世にあらしめばあかねさす紫野辺にメール打ちしか

収束はいつの日なるや原子炉の未知との遭遇おろおろと夏

津の国の島熊山を越えゆきし万葉人はケイタイ持たず

贈られし栃木の美酒に酔はむかな友のいぶきをよき盃に

桃太郎はたかぐや姫など信じつつ育ち来しなり遠世の翁

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久しぶりに奥田ぶし、にお目にかかった。日本酒好きな奥田先生らしい歌が痛快である。
原子炉やケータイなどに鋭い警句を発している。
エッセイの文章なんかも鋭い。
孔子の「寿(いのちなが)ければ則ち辱(はじ)多し」の引用なども「寿」の字の訓(よ)みかた、極めて鋭い。お見事である。

       牧雄彦「春の空蹴る」

は、いくつかの「挽歌」を載せている。

赤き花乱れ咲きたる国に逝く君の笑顔にこゑのあらなく   (内田禮子さん)

杖ひけど背筋のばして歩みゆくあなたの影が遠ざかるなり   (古市きぬゑさん)

み柩は花また花に埋もれて君がかんばせ白しうつくし   (東原登美枝さん)

たましひの抜けたる顔は君ならず目を開けよそして声かけくれよ   (浜田昭則氏)
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内田さん以外の人は私にも旧知の人たちである。
ビール好きで、競馬も愛した浜田さんの姿が私の脳裏に去来する。

       高尾恭子  灯り

ふたたびは逢わぬ人かと木版画の賀状繰りたり月山は雪

下二段活用おぼえる子ら乗りてそういえば考査の始まる七月

生かされて生きる八月はしきやしキリスト(ラクリマ・クリスティ)の涙グラスに満たす

共謀罪強行採決スカートの裾のほつれを気にしてる間に

つやつやの青首大根ぶった切る戦後七十年の暮れなんとして
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高尾さんは教師である。そして今は「地中海」誌の編集委員をなさっているらしい。
ここに詠まれている時事詠などに鋭い感受性を見る思いがする。ご活躍を祈りたい。

       山本孟  わが戦中戦後

   昭和という年号には西暦で言い換えられないニュアン
   スがある。私の時間と空気を同じくし、戦争と飢餓とい
   う重苦しい生き難い時代を中に挟んでいるからだ。その
   意味で懐かしい昔ではない。それなのに忘れ難い昔であ
   る。・・・・・・・

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と書いて、戦中回顧の歌を連ねている。
私が第五歌集『昭和』を刊行したのと同じ思いかとおもうのである。

       春夏秋冬   神田鈴子

吹きそめし風にさそはれ散るさくら五弁そのままわがてのひらに

墨の香のにほふ部屋ぬち真白なる色紙に二羽の鶴をあそばす

夫逝きて四半世紀の過ぎゆきを振り返るけふ紫陽花に雨

夫の忌に合はせて編みし歌集なり墓前に供ふ二十五回忌

少年の心を持ちたるまま逝きぬ不条理突きて爽やかなりき   (浜田昭則さん)

わが作るケーキに夢を運び来よイヴの夜空にひかるシリウス
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神田さんは昨年歌集を初めて上梓された。しっとりとした佳い歌集だった。そして何とかいう賞も受賞された。
おいしいケーキを作り、生徒を抱える先生でもある。
ここに出された歌は歌集発行後の新作だという。いずれも佳い歌である。
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       植田和子  いのちあふるる

朽ちたる木戸につる草の花咲き乱れ人去りていのちあふるるままに

二坪ほどの西行庵のかまど跡土のくぼみに花は吹きよる

風立ちて光を散らす池の面にかいつぶりの影つと浮き上がる

青虫は小指がほどに育ちたり鵯が来ている動くな動くな
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青虫に注ぐ視線なども温かである。

引く歌が少なくて申し訳ないが、この辺で鑑賞を終わりたい。
久しぶりに皆さんに会ったような気分に浸ったことを書いておきたい。
ご恵送有難うございました。


佐伯泰英「故郷はなきや」新・古着屋総兵衛15・・・・木村草弥
ふるさと_NEW

──新・読書ノート──

     佐伯泰英「故郷はなきや」新・古着屋総兵衛15・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・新潮文庫2018/01/01刊・・・・・・・・

     鳶沢信一郎率いる交易船団が、ようやく越南に到着した。
     一行は政変時に離れてしまった総兵衛の母親・今坂恭子の安否確認に総力を挙げる。
     一方、江戸では、丹石流の剣を遣う手練れの浪人・筑後平十郎が総兵衛暗殺の刺客を
     請け負ったとの情報がもたらされた。
     平十郎は、稀代の名刀・福岡一文字則宗に執心しているという。
     知恵者の小僧の忠吉は犬の甲斐を連れて何喰わぬ顔で、その長屋へと向かった・・・・・・。  


お馴染みの「新・古着屋総兵衛」シリーズの(15)である。 二時間ほどで読了した。
いつもながらの見事なプロットである。



香山雅代主宰・詩誌「Messier」50号記念号・・・・木村草弥
メシエ_NEW

──新・読書ノート──

     香山雅代主宰・詩誌「Messier」50号記念号・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・2017/12/05発行・・・・・・・・

詩と歌曲の両面で活躍される香山雅代主宰の詩誌が50号になり、今号は記念号として増ページになっている。
「招待席」の作品として鈴木獏の「燃える本座」というソネット抱擁韻という形式の詩が巻頭に載っている。
鈴木獏氏とは親しく付き合ってもらっていて、何冊も本を買ったり、また貰ったりしている仲である。
先ず、その作品を引いておく。

     燃える本座  ─C・Messier賛     鈴木獏
     
     はるか宇宙の果から届く重力の波に
     微かに感応しているだろう鞦韆の綱
     イクォールで結ばれる永遠と刹那
     ビッグ・バンによって生れた光と闇に

                     *
     かつてリルケの言葉の宇宙に新しく生れた
     「揺籃座」「燃える本座」などの未知なる星座
     母を意味する大文字Mの星へ帰りなんいざ
     落下を受け留めている大いなる者へのレター

     遠いビッグ・バンの記憶をとどめながら
     カタログの番号に順(したが)って整列する星雲たち
     すべての存在が薄明りする暁降(あかときくたち)ち

     ときに念念生滅を繰返す星たちの亡骸
     レンズを磨き続けてこそ観照(テオーリア)は極まる
     名付けてこそすべての物は輪郭が定まる

*ソネット抱擁韻の試み。押韻形式は abba/cddc/eff/egg 。
*リルケの宇宙。「ドゥイノの悲歌」による。
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鈴木氏お好みの「ソネット抱擁韻」によるものである。
ソネットとは西欧の14行詩の形式で、ここでは4、4、3、3の形を採用している。 国によっては4、4、4、2の行分けになるところもある。
韻の踏み方は「脚韻」である。
押韻形式は abba/cddc/eff/egg  となっているから確かめてみられよ。
西欧詩の押韻には他にも「テルツァ・リーマ」などの形式があり、鈴木氏の本を読むと、さまざまのパターンがあり、学べて、面白いものである。
これらの他に鈴木氏は「連句」もおやりで、一座の人々との「座」の巻き方などを見るのも楽しいものである。
こういう脚韻や連句の分野では鈴木氏はパイオニアであり、第一人者であることを書き添えておく。

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      揚羽蝶       佐伯圭子

     今日ここで
     この庭で
     生まれました と
     揚羽蝶があいさつに来る
     羽化したばかりの瑠璃揚羽

     〈いい羽ですね〉
     見とれていると
     “先祖はこの羽で韃靼海峡をわたりました”
     プランターの青々したパセリを全部食べ
     日々大きくなったころの
     幼虫の逞しさ 見せて

         ・・・・・・・・・・・

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         優しい時間       阿部由子

     時を知らせる鐘が鳴る
     内なる声から外へ
     帰り道を忘れた彼方の空から
     呼びかける声のあのかを問うために
     歩き出してみる 再び
     哀しみに向かって
     時を分け 愛を語らず
     いまだ視えない街角で
     シグナルを点滅する

        ・・・・・・・・・・

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         花姿     内藤恵子

     すずやかな様姿
     楚々とした佇まい
     うち黙る昼

     陽が翳るや
     長いうなじを伸ばし
     淡い黄緑のおもてを覗かせ
     星形の花唇を開いて
     やさしいメロディーを奏でる

         ・・・・・・・・・

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      天空ポスト      香山雅代

     時代の忘れもの
     お城です
      モノフォニィとポリフォニーで綯う
     音世界
     非時(ときじく)の古城址です

     古城といっても
     十六世紀の 西洋の物語などではありません
     歴とした 日本列島上の
     薔薇の 咲きかおる 城跡です
      ─Komm, lieber mai, und mache die baume wieder griin・・・・ *
     幽かに 口遊む 若者の声が 聴こえてではありませんか

            ・・・・・・・・・

   *作詞 クリスチャン・オーヴァベック

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会員の作品については「抄出」になったのをお詫びする。
五十号を超えて、更なる飛躍をなさるようお祈りして筆を置く。 有難うございました。



 


渡部兼直詩集『唄ふ浮世絵』・・・・木村草弥
渡部_NEW

──新・読書ノート──

     渡部兼直詩集『唄ふ浮世絵』・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・編集工房2017/10/01刊・・・・・・・

知人の渡部兼直氏が、この本を送って来られた。
彼とは三井葉子さんの詩誌「楽市」で一緒だったが親しいという間柄ではなかった。

この本には全部で8篇の作品が載せられている。
「雨」「人さらひ」「たそがれに逢ふ」「四行詩エチユド」「四行詩ノオト」「狂詩三首」「雪の囱」「唄ふ浮世絵」である。
本の題名になっている詩を引いておく。

       唄ふ浮世絵

   夜桜の露地
   三味のね
   唄はぬ唄
   曲なき曲
   もつとも高尚 もつとも粋
   色氣
   おかあはん

   エクスキユゼ モア
   エリク サチ おとづれる
   家具の作曲家
   家具ひとつないのに驚く
   四畳半
   ちりてのちおもかげにたつ
   ぼたんかな 夜半翁
   床の間の柱
   花瓶ぶらさがり
   視たことないちひさい花

   視たことない
   きれいなおばあはん
   爪弾き
   唄ふ
------------------------------------------------------------------------
また「狂詩三首 頓珍鑑著」として「漢詩」三篇が載っている。 一つ引く。

       登 山

   大山登山塗炭苦
   宿酔吐氣荒療治
   必死抱岩濡雜巾
   想望今夜一杯酒

ご覧になれば判るように、いわゆる漢詩の「平仄」や「韻」を無視した作り方になっている。
作者としては、頓珍鑑著として、言わば「開き直った」体を取っているというべきか。それにしては「浅い」のではないか。
この前には「四行詩ノオト」という欄を設けて、わざわざ中国詩の型を細かく書いているのと、相反するのではないか。
これらは単なる「敷衍」というべきことが書かれているに過ぎず、自説でもない、とすれば、この安易な漢詩の出来具合は、どうか。
中国の漢詩にも、唐以前に編纂された「古体詩」と、唐以後に作られた「近体詩」があるのも私は知っている。
「近体詩」が平仄や韻など、さまざまな約束事で拘束されているのに対して「古体詩」は自由であったという。

それらに因んで、例えば、毛沢東なども自由な詩を作っている。

  <山 翻 江 倒 海 巨 瀾 捲 奔 騰 急 萬 馬 戦 猶 酣──毛沢東>

この詩は私の第四歌集『嬬恋』の中の「ダビデの星」の中で引用した。
   
また「あとがき」には「当用漢字表」についての不同意などが縷々書かれているが、言葉と発音、表記の間の「乖離」については、どの国でも起こっていることであり、各国とも苦慮している。
ドイツなども、そうである。
どこかで、或る「線」を引かざるを得ない。 我が国の場合が「当用漢字」いまの「常用漢字」になっているというべきである。
漢字の発明国である現代中国の「簡略体」表記など、渡部氏は、どう言うのだろうか。
渡部氏は「字体」に踏み込んで述べていて「旧字体」で本編を展開している。
それは文学者の論として尊重されるべきものであるが、例えば「囱」マド という字など、どうだろうか。「窓」と表記したものと、どこがどう違うというのだろうか。
ここまで来ると私の目には「偏執」と映る、が、いかがだろうか。


渡部兼直 わたなべ かねなほ 略歴
1931 米子に生まる
`55 早稲田大学文学部国文科卒
`73 「たうろす」同人
`76 「松江詩篇」(紫陽社)
`81 「フェミーナあるいは女性都市」(南柯書局)
`82 「山陰詩人」同人
`94 「夜半翁へのオオド」(編集工房ノア)
`95 「プレヴェル詩集」(同)
`96 「ハワイに死す」(同) 
`03 「楽市」同人
`03 「失はれし女を求めて」(今井書店)
`05 「R.クノオ ひとつの詩法のために」(二言語版、編集工房 遊)
`08 「地球訪問」(編集工房 遊)
`09 「梨の体をしてゐるいくつかの詩」(編集工房 遊)
`11 「かなカナ」(編集工房 遊)
`13 「渡部兼直全詩集」 (編集工房ノア)

以前に恵贈された本に触れて書いた私の返事を参照されたい。 → 「渡部兼直全詩集」
ここにわざわざ引いたのには意味がある。 
この文章をお読みいただけば判ることだが、渡部氏の論説は独特で、一般的に確立していることに「反している」論がある。
文学者であるから「自論」を展開するのは自由だが、敢えて「臍を曲げて」いるかのごとき論は、筋違いとも言えるかと思う。
或いは「曲解」とも受け取れよう。

私の当該・旧記事を読み取れない場合を危ぶんで、下記に再録しておく。  ↓
-------------------------------------------------------------------------
この詩は下線を引いておいた部分「タモフ」の表記にギモンが残る。
カタカナ表記は同氏のもので、わざわざカタカナ書きにしてあるので、際立っているからである。
このフレーズは「給う」という字の旧かな表記なのだが、「タマフ」の「う音便」であるから「タモウ」が正当である。
これは私の友人の国文学専門の人に電話で確認してみたから確実である。
文学作品であるから、学説としてさまざまの説を主張するのは自由だが、一定の文学的「表記」として定着しているものについては、それに従うのが普通だろう。

こういうことは、ままあり得ることで、先にも書いたが吉原幸子の作品が歴史的かなづかいを採用しながら、促音、拗音を「小文字」で表記していることなど「我流」である。
これについては岡井隆が角川「短歌」誌上で触れているので追記しておく。

ついでに書いておくと「或いは」は旧かなでも、この通りが正当で「あるひは」と書くのは間違いである。
詳しくは古語辞典などに当たってみてもらいたい。
渡部氏は私などと違って「国文学徒」なのだから、正しい表記に努めてもらいたい。
なお気づいた点について二、三触れておく。

「松江詩篇」は、同氏の故郷・米子市のすぐ隣にある街・島根県の松江その他、鳥取県などにまつわるものとして注目した。
この巻の後半に奈良、京都が含まれる他、何回か作品化されているが、何かの契機があって触れられたのであろうか。
この作品の巻末の「松江詩篇注」は、読者に対して親切である。
「松江 五」には「連句」が載っているが、私もひと頃誘われて座に加わったものとして懐かしく拝見した。
ただ四句の「かほり」は頂けない。旧かなでは「かをり」が正当で、これは歌謡曲の「シクラメンのかほり」で有名だが、これも作者の勘違いによる間違いの最たるものである。
「助詞」の省略などが習作期から見られるのも同氏の特徴だ。例えば「海猫子ども育てる」「時ゆつくり流れる」「太陽ころがり行く」など。
また新かなづかいの作品であっても「ゆつくり流れる」など拗音、促音などが「大文字」で表記されているのは、原本のときからのものか、それとも校正洩れか。
「ハワイアンパラダイス」の詩の初連「逃げやう」は「逃げ様」だろうか、それとも「助動詞特活」か、それならば旧カナでも下線部「逃げよう」となるはずである。
「梨の体をしてゐるいくつかの詩」の中の「愛する女と地球への旅に出やうとしてゐる」の部分は明らかに「助動詞特活─意志」で「出よう」でなければイケマセン。
「かくもかほれば」も「かをれば」 でなければならない。
私は短歌は旧カナで作っているので、これらについては厳しく指導されたので、敢えて指摘させてもらった。
国文学専攻の渡部氏としては「瑕疵」である。国文学徒でなかったら私は何も言わないのだが、敢えて書かせてもらった。
------------------------------------------------------------------
長々と引用したりしたが、ご了承を得たい。
渡部氏は長らく松江の地で「名士」として過ごして来られたようであるから、その氏が言うのだから、と間違って受け取られては困るので敢えて書いている。

ご恵贈に預かりながら、文句ばかり書いたようで申し訳ない。お許し願いたい。
老来、益々お元気の様子で、これからも健筆を振るわれるようお祈りして筆を置く。 有難うございました。


尾池和夫句集『瓢鮎図』・・・・・木村草弥
尾池_NEW

──新・読書ノート──

      尾池和夫句集『瓢鮎図』・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・角川書店2017/10/25刊・・・・・・・

ご存知のように尾池和夫氏は先年まで京都大学総長を務められた地震学の大家である。→Wikipedia─尾池和夫
京都新聞の一面に「天眼」という大きな囲み記事があるが、そこに月に一回ほど記事を書いておられる地元では有名人である。
私は、いつも面白く、かつ有益に拝見している。
今は京都造形大学の学長をなさっている。内外の地震学会などで多忙だが、私は寡聞にして俳句を趣味としておられることは知らなかった。
科学者で俳人としては、東大学長でもあった有馬朗人が居られる。
この本は角川俳句叢書の「日本の俳人100」という企画で出版されたものである。
先ず尾池氏が俳句の世界で、どういう地位を占めておられるかを書いておく。
京都の俳句結社「氷室」─金久美智子主宰のもとで、副主宰を務めておられ、来年一月から主宰のポストにお付きになることが決まっているという。
「氷室」には1993年四月号から作品を発表され、令夫人・尾池葉子さんも同じ結社の俳人である。
この句集は、第一句集『大地』に次ぐ第二句集ということになる。
この句集の題名の「瓢鮎図 ヒョウネンズ」というのは、妙心寺の塔頭・退蔵院が所有する国宝の絵に由来する。
この絵は画僧・如拙の手になるもので、足利義持の命で「瓢箪でなまずを押さえる」という禅の「公案」を描いた、応永22年(1415年)以前の作だという。
「あとがき」の中で、作者は故郷・高地の学校に居るときにあだ名に「なまず」と呼ばれていたこと。「氷室」誌でも2009年以来「瓢鮎抄ひょうでんしょう」の欄を持っているという。
因みに、「鮎」という字はアユを指すのではなくナマズのことである。音読みは「ねん」や「でん」と訓むので、念のため。
漢字の読み方には「漢音」「呉音」「宋音」など、中国から伝来したときの「音」が複数あって、ややこしい。
昔から俗信として「地震は地下でナマズが暴れているから」だと言われているが、作者の意図として、この題名をつけたことと関連があるのは確かだろう。
掲出した画像の「帯文」でも読み取れると思うが、地震学者として作者は以前から2050年南海地震襲来を唱えて、警鐘を発しておられる。

作品を引いてみよう。

     ■山門を今年へ抜けし鐘のこゑ

     ■キムチにはキムチ色して田螺かな

     ■三門に僧の彳む夕立かな

     ■巳遊喜さま龍比古まゐる懸想文

     ■プレートの出会ふ地溝の霞かな

     ■小満や富士むはゆたかにマグマ持つ

     ■断層性盆地の底の熱帯夜

     ■菅公の地震の記録を初仕事

     ■君そこに花に埋もれるやうに立て

     ■西行の月あればけふ花の山

     ■鰹船南海トラフ沖にあり

     ■灼熱の鉄路は構造線に沿ひ─バンドン

     ■新たまねぎ総長室へどさと来る

     ■この鰤は氷見とひときは声を張る

     ■のれそれと出自同郷のどけしや

     ■母子草学徒出陣記録展

     ■息災や賀状二人の主治医より

     ■王様に会ふ自家用機春夕べ

     ■おんちやんのうるめぢやないといかんきに

     ■木の実割るチンパンジーわ真似て割る

     ■暁闇の桶に浅蜊の騒ぎ立つ

     ■ゲルニカを前に汗拭くこと忘れ

     ■夕凪や海蝕台に星を待ち

     ■初景色火の根一つの富士箱根

     ■花冷や伊豆に単成火山群

     ■万緑や甲骨文にある地震

     ■二億年のチャートを洗ふ夏の潮

     ■地震情報ポケットに鳴り春寒し

     ■春暁やひたすら睨む日本地図

     ■わが道の先へ先へと飛蝗かな

     ■年逝くや水噴き上ぐる銅の鶴

     ■明けぬれば雪まどやかに丸の内

     ■結構と医師のひとこと夏隣

     ■風邪の妻モーツァルトの他不要

     ■蟹行やものの芽を踏む道なれば

     ■鰻筒したたらせ行く沈下橋

     ■研究者のゴリラ顔なる立夏かな

     ■おほざつぱな秤をつかひ茸売る

     ■寒月やハラルマークの串団子

     ■菰巻は津波の高さ浜離宮

多く引き過ぎたかも知れない。さすがに科学者だけあって、目の付け所が独特である。
十数年前に急性心筋梗塞に襲われ、病院に駆け込んで命拾いされたという。その頃の句をいくつか引いた。
ネット上では、その頃の詳細な闘病記が見られるが、さすが科学者でメモ・記録も精細なものである。
京大総長という地位の高い有名人なので、海外出張でも、彼にしか詠めない句が見られ、さすがである。この辺で終わる。


キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』上・下・・・・・木村草弥
応為_NEW

北斎_NEW

──新・読書ノート──

      キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』上・下・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・・・彩流社2015/06/25刊
     
この本は先日、阿倍野ハルカス美術館で開催された「北斎展」の際にミュージアム・ショップで買い求めたものである。
カナダ人女流作家の手による大部の本である。
先ずはアマゾンの書評に載る読者の評を引いておく。

投稿者雪獅子2015年6月23日

 葛飾北斎の娘、お栄の生涯を描いた小説。
 父北斎の名声と膨大な作品のなかに、自らの画業を埋められてしまい、“謎の絵師”となってしまったお栄。
その彼女の心境が、北斎に対する愛情と、遊女の志乃との友情の物語でつづられていく。
 お栄は理解者といえる男たち(式亭三馬・渓斎英泉・南沢等明)と或いは恋をし、或いは結婚をしても、結局は北斎の工房へ戻っていく。
北斎を支えて手伝い、ほとんど分身のように父親に思われていることが嬉しい反面、自らの画業が混同されてしまう憤懣もある。
そうした日々の中で、不遇であっても誇り高く生きる志乃と、江戸時代を生きる女の悩みを共有する。
多面的にお栄の心の内が描かれていて、読み応えがある……のだが、気になるところがいくつかある。
 例えば、日本女性が男性に「隷属」している、とあっさり断じているところとか。
この小説ではお栄の同性との交際圏は親族以外はほとんど吉原に限られているわけだから、そういう視点はやむを得ないのかもしれない。
しかし、同時代でも階級や教育、稼業や都市か農村かなどによって様相はいろいろ異なっているわけで、一括りに江戸時代の日本女性全員のあり方を決めつけられてもなあ……と思う。
(例えば、同時代のイギリス女性でも、探検家のイザベラ・バードと切り裂きジャックの被害にあった娼婦たちのどちらに視点を置くかで、かなり違った見え方になるだろう)
 他にもいくつかあるが、この小説自体の瑕疵になるほどのことではない。
 まあ、私が杉浦日向子の愛読者だから、江戸時代をもう少し良く思いがちなのかもしれないが……。
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投稿者be3osakaベスト500レビュアーVINEメンバー2017年9月29日

まず北斎に興味をもち、その後娘お栄への興味もわいてきました。
本書は北斎とお栄の普通の生活ぶりを知りかつ当時の社会で二人がどう生きていたのかが浮かびあがってくる貴重なものです。シーボルトも登場します。
巻末の著者のあとがき-葛飾応為に魅せられてと、訳者あとがきも読ませるものが多くあって良かったです。
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投稿者Amazon カスタマー2014年12月29日

著者の方がよく江戸の町民文化を取材されてるなぁと感心しました。
情景が目に浮かび、楽しく読ませて頂きました。
和訳の表現も多彩で秀逸だったことも大きく影響していたと思います。
応為という存在を知ることができただけでなく、北斎を人間として身近に感じられる貴重な作品です。
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カナダ人作家といってもアメリカで活躍する人である。
アメリカの小説は、とかく長くて、描写が冗長だというのが私の意見である。
この本も微に入り細にわたり、と描写が細かいが、肝心のところが抜けていたりする。
この本は娘「お栄」の目から見た北斎を描いていて間違いはないが、とにかく北斎という人は90年生きた化け物のような偉人であるから全体像を描くのは難しいだろう。
近年、欧米の資料などから研究が物凄く進んでいるらしい。
私が北斎を採り上げた十数年前とは比較にならないらしい。
この本のカバーに「あの絵を描いたのは私」とあるように、中風で指が震えて筆致もままならぬ晩年の北斎を支えて、「きれいな線」を引き、鮮やかな赤色を塗る、などは「お栄」の手になるものらしい。
華々しい「北斎展」の盛況ぶりからすれば、この本も、もっと売れてもよさそうなのだが再版の知らせはないのが残念である。
とにかく大部の小説に仕立てられた労苦を称えたい。


岩崎恭子詩集『ひばりの声が聴こえない』・・・・・木村草弥
岩崎_NEW

──新・読書ノート──

     岩崎恭子詩集『ひばりの声が聴こえない』・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・空とぶキリン社2017/09/15刊・・・・・・

私には未知の著者・岩崎恭子さんから、この本が贈呈されてきた。
高階杞一氏の指示によるものだろう。
巻末に載る略歴によると、1967年 福岡県生まれ。 2004年「詩学」新人。 2006年「詩と思想」2005ベスト・コレクション。
同年 第15回播磨文芸祭「わたしの詩」一般部門 最優秀作    とある。
全部で17篇の作品が収録されているが、「あとがき」によると20代から書き溜めてきたものだという。
それにしても、この年数からみると収録作品が少ないのではないか。
<2004年「詩学」新人。 2006年「詩と思想」2005ベスト・コレクション。同年 第15回播磨文芸祭「わたしの詩」一般部門 最優秀作>というのが、どの作品に当たるのか、
など「初出」を書き加えてもらいたかった。
とは言え、詩を書き抜いてみよう。

            ひばりの声が聴こえない       岩崎恭子

     感情を失った手足が
     冷えた大地に転がっている
     まとわりつく霧の粒子
     カタカタと細かに震えながら谷底に
     落ちてゆく声
     ひばりの声が聴こえない五月
     空の高さが分からない

     世界の端っこに咲く花
     突き上げられた一本の腕が
     風に揺らされ
     微笑んでいる

     その瞳の奥に張りついた記憶は
     誰の記憶か

     ひばりの声が聴こえない五月
     谷底で見失った声をわたしは拾いあつめる
     こぼれ落ちる涙
     指先で光っている

---------------------------------------------------------------------------
この本の題名になっている詩であるから著者にとって愛着のある作品なのであろう。
別の「紅い花」や「黄色い世界の果てに」などの作品を読むと、著者は看護師なのではないか、と推察したりする。

この本の「帯」に
<確かにあったもの/確かに触れられたもの・・・・・・
 喪失から再生への祈りをこめた、鮮烈な第一詩集。> とある。
ヒバリは五月に空高く、鳴いて飛翔する。 その声が聴こえない、というのである。
だが「詩は意味を辿ってはいけない」という。 著者の「喩」を無理に知ろうとするのはやめるべきだろう。
「まとわりつく霧の粒子」という言葉の選択は、田舎暮らしの私には、よく判る。 野づらを這ってゆく霧の流れの中を散歩したりするからである。

別の作品を引いてみる。

        紅色の手       岩崎恭子

     スカートの裾にあの人の顔がひろがって
     朝顔の紅に染まっていく
     私は子犬を胸に抱き甘えん坊の香りを嗅ぐ
     子犬の肉はやわらかい
      
     らせん状に手をのばすあの人の指先が
     スカートの裾から自らの紅を簡潔させようとしている
     私は子犬を抱きしめ
     しっとり濡れた鼻先を噛む
     口中に溶けてゆく甘えん坊の香り
     紅色はほんのり微熱を帯び
     朝顔の螺旋はそのつぼまりに私を捻りあげる
     肩にかかる紅色の肌
     蒸せかえる空気は息苦しく
     子犬だけはと高く手をさしあげる
            (後略)

--------------------------------------------------------------------------
この一連では、私は或る「性的な」喩を意識したが、間違っているだろうか。

巻頭に「このまま」という詩を単独で置いたこと。
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ などの区分けの意味なども分からない。
「詩は意味を辿ってはいけない」と言いながら、意味を辿っている自分を発見する。
これからも、作品をたくさん書いていただきたい。
ご恵贈有難うございました。 不十分ながら、ご紹介まで。






萩岡良博歌集『周老王』・・・・・木村草弥
周老王_NEW

──新・読書ノート──

      萩岡良博歌集『周老王』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・ながらみ書房2017/10/10刊・・・・・・

萩岡氏は前登志夫創刊の「ヤママユ」の編集長をなさっている。
この本は『空の系譜』 『木強』 『禁野』につづく第四歌集になる。
私の歌集刊行とともに、やり取りをしていて、その彼の歌の鑑賞を私のブログに載せてきた。
ご参考までに前歌集『禁野』 ← についての私の鑑賞は、ここで読めるのでアクセスされたい。

題名とカバー画については少し説明が必要だろう。
「あとがき」に、こう書いてある。

<歌集のタイトルとした「周老王」も、今はもう失われてしまった うぶすな宇陀の地名のひとつである。> 
それは次の歌から採られた。
    <うぶすなに周老王とふ字(あざ)があるその謂れもはや審らかならず>
    <匿はれ老いたりければ修羅王は周老王と言はれたりしか>

古代の事象と地名である。 それを<この歌集の中だけででも、非在のひかりを放っていることを願っている。>として拾い上げたのである。
蛇足的に書いておくと「非在」という言葉は先師・前登志夫の好きな言葉であった。

装画は宇陀市役所のホールに掲げてある吉田初三郎の「大和宇陀神武天皇御聖跡御図絵」の一部を市の了解を得て使っているという。
萩岡氏は長く郷土で学校長などを勤められた人であり、教育関係に詳しい名士であるから当然の許可であろうと推察する。
萩岡氏は以前から、郷土─産土(うぶすな)に強いこだわりを持って歌にして来られた。
この本も、それの延長上にあるものである。
その上に今回の歌集は、かけがえのない存在としての「老いる父母」を多く詠っているのが特徴である。
以下、巻を追って歌を挙げてみる。

   *雪の森に雪けむり立つきらきらと時間はときに見ゆることあり
   *蕗の薹天麩羅にして食べをり身過ぎのにがさも春の香に立つ
   *蕗のたう食べつつ思ふいつまでも恋のにがみはさみどりのまま
   *枯れ野焼く野火が走れり短歌とは永遠とぢこめるしなやかな檻
   *驟雨来ぬぴたりと蝉のこゑやみて樹樹の時間があをくざわめく

「うぶすな」を詠んだ歌を引いてみた。
都会暮らしの人には見えない時空である。 「しなやかな檻」 「樹樹の時間があをくざわめく」などの、さりげない比喩が的確である。

   *胸鰭の痛む夜なりさういへばながく泳がぬ岩間にありて
   *ほんたうの青は汚れぬかぶらさがるあけびをあふぐ空のしづもり
   *崖つたふ真水の夢を濡れ地蔵ほろろみどりの泪に見する
   *蜘蛛の網に塩辛とんぼかかりゐて晩夏の夕映えなかなか果てぬ
   *陽が昇り醒めゆく邑をにじ色の霧がつつめりしばし繭色

田舎人なればこそ見える世界がある。 田舎暮らしというものは、そういうものである。
私も田舎人であるから、こういう叙景と、そこから深まる「心象」には心から敬意を表したい。 お見事である。
いま少し歌を抽いてみよう。

   *ひるがへる若葉に迷ふわが額を踏みて行くなり孕みし鹿は
   *奥宇陀のみどりに迷ひ行きゆけば胎中といふ村に出でたり
   *ふつか家を空けしあひだに青虫は柚子の若葉を食みつくしたり
   *若夏の金魚売り来てぽんぽんはぜ屋、かうもり傘の修繕屋も来つ
   *つぶやきは雨をよび本降りとなりぬ「さよなら三角また来て四角」

「胎中」というような地名も激しい「喚起力」をもって我々に迫ってくる。 つねづね私の言っていることである。
今はもう消え去って無くなった風習や伝承、行事なども同じことである。
「金魚売り」「ぽんぽんはぜ屋」「かうもり傘の修繕屋」なども消えた風景となった。
「ぽんぽんはぜ屋」は、当地では「ポン菓子屋」という。
「ふつか家を空けた間に若葉を食みつくした青虫」との確執なども田舎ならではの光景である。その虫の除去なども一つの「仕事」となるのである。

   *行水も猫のゆまりも覗き見し昭和の塀に節穴ありき
   *田の畦に裾をからげてゆまりする老婆がをりぬまなうらの夏

「ゆまり」とは排尿のことである。 「裾をからげてゆまりする老婆」とは、どういうことか、理解できないと思うので解説してみよう。
昔は今のようにパンティやズロースを履いていなかった。「腰巻」という下着だった。だから、それを捲り上げて腰をかがめて排尿できるのだった。
だから男用の小便器にも後ろ向きに屈んで尻を突き出して、シャーと排尿できたのである。

   *共稼ぎの妻を職場の論理で言ひ負かす梅雨寒の夜を酔ふままに
   *ベルボトムのジーンズに下駄かつかつとさみしき硬派気取りてゐたり
   *めざむれば雪の朝なり夢に見しひとの乳房の感触のこる
   *見つからぬ まだ あはゆきの汝が胸のしろき曠野をさまよつてゐる
   *CカップD・Eカップ闊歩するさくら咲く街あふぎつつゆく

父母の老いの看取りが著者ひとりでは出来なくなり奥さんも早期退職された。
著者の若かりし頃の回想の歌、そして「情念」に満ちた歌などを引いた。 こういう若さこさ歌の根源である。 せいぜい詠まれたい。
そして、著者も「あとがき」に書く通り、全巻を占める父母の老いをめぐる歌を引く。

   *杖にすがり父は記憶に生きてゐる兵士となりて真夜を歩めり
   *夢を病む父睡らせてしののめのクレマチス咲く庭に降り立つ
   *「このひとらぼけてはんねん」ケアハウスのある日の母の内緒の話
   *あけびの実割れゆくまでをちちははの衰へゆくを目守りつつ 秋
   *広告の裏に書かれし母のメモ走り書きなれど正字体なり

   *あの夏の忍びがたきを忍び来つ父は鎖骨に星を刻みて
   *口あけてかすかにほうけたる老い父が見上げる空に朴の花咲く
   *父危篤ただに急げる病院へ赤信号にことごとく遭ふ
   *あつ気なく父逝きたまふあつ気なく逝かしめしこと孝養として
   *掌をにぎりつつ思ひをり三日前に手指の爪を剪りやりしこと

父を詠った歌を引いた。
父は朝鮮済州島で、陸軍上等兵として終戦を迎えた。
著者は、この歌集は「グリーフワーク」だという。グリーフとは死別などによる深い悲しみ、の由である。

   *物置にほうけたる母の仕舞ひおきし蒔かるるを待つ種子のしづけさ
   *足をもてばもつたいないと言ふ母の歩けぬ足の爪を剪りたり
   *ほうけゆく母はかなしも風呂に入れてやさしく洗ふ血縁の尾を
   *襁褓とれぬをさなと介護パンツ穿く母が炬燵に蜜柑食みをり
   *生くるとはまづは喰ふこともみないと言ひつつ母は粥を喰ひをり

介護─看取りは理屈ではない。肉親の場合「情」がからむから余計に難しい。 そういう情景をさらりと歌にされた。
いよいよ鑑賞を終わりたい。
巻末には、こんな歌が置かれているる

   *母は沼おぼろおぼろと深みゆきてぬきさしならぬまでにいとほし
   *雪の上にけもののあしあとてんてんとつづきてをりぬ母のなづきへ

「ぬきさしならぬまで」という字句に、言外にさまざまの事象を想像させて秀逸である。
すべてを語りきらずに「言いさし」の形にとどめた技法に感心する。
末尾の歌は三字だけを漢字にして、あとは「かな」にしたところが味わい深い。
「雪の上にけもののあしあとてんてんと」という個所には大和宇陀の地の佇まいを見る心地がして成功している。

佳い歌集を贈呈いただいた。 深い余韻のうちに鑑賞を終わることをお伝えしたい。
有難うございました。 母上をお大事に。      (完)






浜田昭則・遺歌集『暗黒物質』・・・・・木村草弥
暗黒物質_NEW
↑ 浜田昭則第三歌集『暗黒物質』
非線形_NEW
↑ 第二歌集『非線形』 2002/07田中美術印刷刊
免疫系_NEW
 ↑ 木村草弥 第一詩集『免疫系』角川書店2008/10/25刊

──新・読書ノート──

      浜田昭則・遺歌集『暗黒物質』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・青磁社2017/07/16刊・・・・・・


この本には巻末に浜田氏の顔写真入りの「略歴」と、牧雄彦氏の「あとがき 1」と娘さん浜田恭江さんの「あとがき 2」とが載せられている。
浜田氏は昭和16年満州生れ。 鳥取県の倉吉東高校から大阪大学理学部物理学科卒業。
各地の高校の理科教師を勤め、定年後も非常勤講師を経て、平成26年からは大阪教育大学の非常勤講師を歴任された。
そして昨年2016/07/16 に大動脈解離で死去された、いう。
私とは11歳も若い、惜しまれる死である。
私が短歌結社「地中海」に居たときに親しく付き合っていただいた。 大阪歌会などで一緒に過ごしたものである。
亡妻の死後は会うこともなくなり疎遠になっていたが私の歌集を出したときは欠かさず贈呈したし、年賀状だけはやり取りしていたが3年ほど前から音信が途絶えた。

今回、娘さんから本をいただいて書架から旧著などを引き出して読み返してみた。
第二歌集『非線形』の頃は、私はまだブログはやっていなくて、40首抄を書き出したものが、この本に挟み込んであった。
その中に、こんな歌がある。

  <法螺貝のあをき音ながる法善寺横丁みだりがはしき席を>

ここ法善寺横丁には「正弁丹吾亭」(注・字は間違っているかも知れないのでお許しを)という居酒屋があって前登志夫や米満英男などの酒好きの歌人が屯していたらしい。
その米満氏と私の歌集の批評をしてもらった縁で知り合いになって、短歌関係の会のあとで梅田の阪急百貨店横で酒食を共にしたことがあり、酒の好きな浜田氏を誘ったことがある。
この歌のように浜田氏も誰かと、ここに行かれたことがあるのである。
その米満氏も先年亡くなられており、親しい人を、また喪った。
画像の3番目に出した私の第一詩集『免疫系』に、こんな歌がある。

              比喩として二連──物理学徒A ・Hに──   
   <競馬場の帰りにつつく関東煮 非ユークリッドと君は言へども>
   <「幾何学に王道はなし」弟子たりしプトレマイオスの治世はいかに>

ここにいう「物理学徒A ・H」というのが浜田氏のことなのである。
このくだりはもちろん浜田氏にもお伝えしたことである。
浜田氏は「競馬」も好きであった。お住まいの枚方市のすぐ先には淀の京都競馬場もあったし、よく出かけておられたらしい。
歌の中にある「関東煮(かんとだき)」とは「おでん」のことで、今はそんな言い方はしないが昔は関西では、そう呼んだのである。

前置きは、このぐらいにして本論の歌集に入りたい。
画像でも読み取れるが、「地中海」大阪支社長・牧雄彦氏による「帯」文と「あとがき」は懇切丁寧なもので、この本の要約は尽きていると思われるが私も少し書きたい。
さすがに「物理学徒」として浜田氏の歌は難解である。
私などは数学、物理が大の苦手で、小学生レベルの「ツル・カメ算」さえ覚束ない始末であるから歯が立たない。
したがって採り上げるのもエピソード的になるのをお許しいただきたい。
歌を引いてみる。

   *言の葉を出ださぬ国になりゆくか液晶パネルに見入る猿たち  → 「猿たち」とは痛烈な皮肉である。
   *うばたまの暗黒物質のふところに育まれたりわれらの地球は
   *この国に『塵劫記』あり寝る前にかたはらに置き開かず眠る
      
『塵劫記』は江戸時代の算術書。 1627年吉田光由執筆。
顕彰碑が常寂光寺にある。関孝和や貝原益軒などに影響を与えたという。
浄土経の「塵点劫」に由来するという。

   *ヒトとしてよきことならむ休肝日人間として腑抜けのやうに  → 「休肝日」にも手厳しい。
   *このところウィキペディアには多からむ対称性の破れの検索  → ノーベル賞受賞の頃の光景である。
   *取るにたらぬ会話とがまん重ねつつわが家の対称性を保てり
   *ケータイは絆か時を食ひちらす蝗かひとこと仕舞ひなさいと  → 浜田氏はケータイが嫌いである。
   *つき合ひのほぼ半世紀短歌でなく民謡ほめくるる酒友の席に
   *ほどほどに酔へばのみどもかろやかに貝殻節を唄ふひととき  → 酒の歌は分かりやすい。
   *ほろほろとゆく石だたみのれそれをあてに上燗酌みたる宵を
   *炊きたてのぎんなん御飯ほこほこと冬立てる日のわが休肝日
   *ふぐ料理つつきつつ酌む湯田の夜を獺祭といふ酒愛でながら
   *待ちかねしをのこ来たりてはづみたり超対称性粒子さかなに
   *先生の逝かれて二十六年目 オンザロックに浮かれてゐます  →  内山龍雄教授。

酒に因む歌を並べてみた。 とにかく数が多いのは浜田氏が酒をこよなく愛したからである。

   *かうやつて戦への道あゆみしか茂吉のわだち踏みたくはなし  →  戦時中の歌人たちの聖戦賛美を批判。
   *フクシマは安全ですよ あしたから秘密保護法にて守るゆゑ  →  フクシマ対応への批判。
   *核物理を学びておよそ半世紀事故は「犯罪」と語りつづけて
   *田村麻呂の嘆願空しく阿弖流為の果てし丘視る風邪癒ゆる朝  →  歴史的「弱者」への視線の温かさ。

原子力発電反対も浜田氏の持論であった。 アベの強行政治が露出している今、浜田氏はどう言うだろうか。

浜田氏が亡くなったのは、まさに末娘さんの十年目の命日だったという。 何という悲しい符合だろうか。

   *ベガデネブ指になぞりてアルタイルひときは著く子の七回忌
   *逝きし娘の魂はいづべに北の窓あけて呼びこむさくら吹雪を  →  子を詠んだ絶唱である。

   *すこしづつ吹雪にかすみゆく家並みこの地を離れ五十と二年
   *あらたしき年の電話の母のこゑ二尺ばかりのゆきのつもるを
   *ややはやき夕べの酒に酔ひをれば母危ふしと告ぐるいもうと
   *小夜更けし仏間に眠る母のかほわが生きざまに思ひめぐらす
   *まなぶたを拭ふいくたり託されし辞世の歌を詠み上ぐるとき

ご母堂さまに因む歌である。 悲しみの中で、よくぞ詠まれた。

牧氏の「あとがき」によると、浜田氏の歌は、全部27文字に統一されているという。 そんな営為も止めるという歌が巻末にある。

   *二十七文字短歌よさらばいふほどの由もあらざる試みなれば

字面が綺麗に揃って見やすいが、そろえるのに苦労されただろう。 物理学徒らしい几帳面さである。
そろそろ拙い鑑賞を終わりたい。

   *赤人のうた思ひつつときを待つ富士の高嶺のダイヤモンドを
   *願はくは形而上から形而下に生きて知りたしダークマターを
   *わかるほど解らない謎あらはれてわれから遠くなりゆく宇宙

専門家である浜田氏にしてもなお「解らない謎」があるという巻末の歌に、門外漢である私は少し救われた気分になった。

浜田さん、しばらくのお付き合い有難うございました。
まもなく私も、そちらに参ります。        (完)







みどり児と同じ高さで笑みかわすきみ乳母車われ車椅子・・・・・西村美智子
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──新・読書ノート──

      みどり児と同じ高さで笑みかわす
            きみ乳母車われ車椅子・・・・・・・・・・・西村美智子


友人の西村美智子さんが、NHK横浜の短歌大会で、掲出の歌が小池光 選で優秀賞を得た、と言って来られた。
メール文の中で「孫でもなく曾孫でもなくゆきづりの赤ん坊との束の間の交流です。」と書いておられる。
おめでとうございます。
西村さんとは長らく会っていない。
西村さんは、先年、難病指定の何とか病に罹られ闘病中で、2012年に私の第五歌集『昭和』の批評会を三井修氏のお世話で東京で開いてもらった翌日に、横浜に出向いて会ったきりである。
掲出の歌は乳母車に乗る幼児と、車椅子に乗る西村さんの目線の高さが同じである、という哀歓に満ちた佳い歌である。
「きみ乳母車われ車椅子」という「対句」表現が秀逸である。
この歌から西村さんは外出には車椅子を使っておられることが分かり、私は悲痛な感覚に襲われた。お大事になさってください。
西村さんは今は短歌結社「塔」に所属して歌を作っておられる。
西村さんは京都の同人誌に拠って小説などを書いておられた。↓ 私のブログでも紹介したので下記の記事をクリックして見てください。 
『無告のいしぶみ』

西村さんには『イル・フォルモサ』という本もあるので、アクセスしてみてください。

なお掲出画像は、私が勝手に見つけて載せたものであるから、お許しを。




涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』・・・・・・・・・木村草弥

旧知の編集工房ノア社主・涸沢純平氏から表題の本が贈られてきた。
関西では名の通った文芸に特化した出版社である。
ここからは『木村庄助日誌』─太宰治「パンドラの匣」の底本─を木村重信の編集で先年出してもらった。
早いもので、あれから、もう十年も経ってしまった。

この本は表題通り、涸沢さんが関わった文人とのいきさつを書いたものである。
「帯文」の裏面には

<大阪淀川のほとり、中津の路地裏の出版社。
 港野喜代子、永瀬清子、清水正一、黒瀬勝巳、
 天野忠、大野新、富士正晴、東秀三、中石孝、
 足立巻一、庄野英二、杉山平一、桑島玄二、
 鶴見俊輔、塔和子。 本づくり、出会いの記録。 >

と書かれている。 この帯文に、この本の一冊が要約されていると言える。

この本は還暦のときにまとめられた、というが、校正刷りのまま放置されていたが思い切って上梓された。
巻末に載る「略年史」が2006年までなのも、その理由だという。

画像に出したが、この本の装丁の、清水正一の筆跡の

   <雪ガフッテイル
      チ エ ホ フ・・・・・>

というオノマトペが何ともなく秀逸である。

不十分ながら紹介まで。
これからも地方からの文化発信に注力願いたい。 有難うございました。



伝田幸子歌集『冬薔薇』・・・・・木村草弥
伝田_NEW

──新・読書ノート──

      伝田幸子歌集『冬薔薇』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・角川書店2017/08/25刊・・・・・・

伝田幸子さんの第六歌集『冬薔薇』が恵贈されてきた。
伝田さんは「潮音」所属の人で長野市にお住まいである。
伝田さんは光本恵子さんの友人で、先だって上梓された『紅いしずく』の「あとがき」に
<海辺のふるさと鳥取からこの分水嶺の町、信州に移り住んでからは、伝田幸子様に格別なご厚情をいただいて・・・・・>
と書いておられる仲である。
私も「未来山脈」の会の際に下諏訪町でお会いしたことがある。 お綺麗な方である。光本さんとは四歳ほど年長であられるようである。
伝田さんは私と同じように歌は「歴史的かなづかい」「文語定型」で発表されているが、そういう方々とも深い交流があるというところに光本さんの懐の深さが見えるというものである。
さて、この本に
   <母の歌褒めざりしこと悔いながら母の歌集を繰り返し読む>
というのがあり、お母さまも歌人であったのだと知った次第である。
この本には2009年から2017年春までの九年間の作品から四百余首が採録されているという。

この本の「あとがき」に
   <私的には、四年間母を在宅介護していましたが、途中で疲労が極度に達し肺炎を患い、二ケ月程生死を彷徨っていた時期もありました。
    二〇一二年十一月、母が九十七歳で他界しました。母は最期まで意識がしっかりしていました。
    死の二日前に、夫と私に「良く看てくれてありがとう」と、酸素マスクの下より言葉を発したのが最期となり、静かで厳かな死でした。
    ・・・・・そんな母への思いが本歌集には底流としてあります。>
と書かれている。
この本を読むときは、この言葉に心したいと思うのである。

題名になった歌は、巻末に据えられた歌
    <ふるさとにぽつりと咲きゐる冬薔薇(さうび)むかしのこゑの遠く尾をひく>
から採られている。薔薇は、バラと訓読みにすることが多いが、この字には音読みでソウビと書くこともある。
この歌の場合も音読みで、しかも歴史的かなづかいで「さうび」とルビを振ってあり、音数もきっかりと合わせてある。お見事なものである。

以下、順を追って鑑賞してみよう。
先に挙げた巻末の歌とは逆に、巻頭には
   <一脚の椅子はいつきやくの影を引き春の日差しの中に溶けをり>

の歌が載せられている。 ほのぼのとした叙景の佳い歌である。 イントロの歌として優れた編集の冴えである。
著者が底流という「母」を詠んだ歌
   <母の手がサクランボひとつ抓み上げほほゑみかへす春のくちびる>
   <春の日に黄楊の小櫛を挿しやれば母は大正の雛(ひひな)となれり>
   <身だしなみ怠る日の母のウィッグが傾きかかる柱の杭に>
   <耳慣れぬ間質性肺炎とふ病名を貰ひたる母あつけらかん>
   <生きるとは地を踏みしむること 寒風にねこやなぎの芽銀にかがやく>

終りの歌は「看取り」の歌の連続の中に据えて秀逸である。
続きに「いまわの母」の一連を引いておく。
   <今朝われは奪衣婆となり母の下着剥ぎ取り着替へさせ病院に行く>
   <行く先に明るい迷路あるやうで母はこの世の出口を探す>
   <こはばりゐる母の手なりき葬式は簡素にと酸素マスクの下より>
   <これの世のとばり閉ぢむとせし母の途切れし呼吸 またひと呼吸>
   <苦労してきた母の手だ節高き両手を胸にをさむる>
   <甘栗を好み剥きゐし母の爪くらくらと今焼かれゐるなり>

身内の死に際しても著者の目は冷徹に見つめて秀歌に昇華させている。
文語定型でありながら「苦労してきた母の手だ」というくだりなどは、自在に口語を取り入れて著者の「才」(ざえ)を感じさせて秀逸である。

作者の歌には「善光寺」が度々登場する。これは前の歌集でも、そうだった。少し引いてみよう。
   <善光寺の風鐸ぬける木枯しにあまざけ茶屋ののれん揺れをり>
   <善光寺回向柱に触れながらとほい時間を呼び寄せてゐる>
   <救はれたい人、人、人、の列つづき回向柱にさくらはなびら>
   <暗闇の戒壇巡り「極楽の錠前」握り来てうつつに戻る>
   <雪のあさ善光寺門前町の石畳ひとり踏み行き「お数珠頂戴」>

私も一度、善光寺に詣でたことがあるが、祭事のときの混雑は凄いもので、 後世を頼む善男善女がいかに多いかということである。
それらの景を、余すところなく描写して秀逸である。

「羈旅」の歌も多い。少し引いてみる。
   <今もなほ無人駅なる姨捨駅裸電球雨にけむれる>
   <陸半球にひらくあさがほ無き町のケアンズに二歳のコアラを抱く>
   <東洋のナポリと言はれし長崎に路面電車のゆるやかに走る>
   <マリア像の足元にゐる蛇たちが木の実を銜へ地球に巻きつく>
   <日本海の潮に揉まれ立ち尽くすローソク島に夕日きてゐる>
   <旅に来て夕餉のひととき心ほぐし海藻焼酎「いそっ子」お湯割り>
   <春浅き動物園に泳ぎゐる海驢の眼うるるーんうるるーん>
   <ゆふぐれを白装束の霊媒とトイレに出会ふ ここは恐山>

自在な詠みぶりである。そして諧謔に満ちている。そして終わりから二首目の歌のオノマトペなどお見事である。
そして、私の目に留まった歌を引く。
   <美容室のうぬぼれ鏡にひとときを満たされてをり春浅き午後>  ←「うぬぼれ鏡」という表現がお見事。
   <白梅の匂ひくる坂のぼりつつ「小保方」擁護者の顔思ひ出づ>  ←ひところ大騒ぎだった時事を捉えて秀逸。
   <芽吹きたる欅の若葉永遠に生あるごとし 春はソプラノ>     ←結句の「春はソプラノ」が佳い。
   <やはらかき風に心のほどけゆく春は待つもの人は恋ふもの>  ←「春は待つもの人は恋ふもの」の対句が光る。
   <夏つばき白日のもと咲き競ひ日暮れを待ちてことりと落つる>  ←「沙羅双樹」を詠んでいる。
   <僅かでも転がる石は苔むさず歩みの鈍(のろ)さを憂ふことなし>
   <いくつ橋渡り来しならむこの先の待ちゐる橋に今は触れざり>  ←「待ちゐる橋」という言葉に含みを持たせる。
   <ほんたうに言ひたいことが言へないまま枯葉のやうに散るのはよさう>  ←この口語の使い方が的確。
   <ガラス器に大いなる葡萄盛られゐるつぶらつぶらは情愛の覇者>    ←「つぶらつぶら」のオノマトペの冴え。
   <葡萄うたふとき思はるる「百房の黒き葡萄」と「葡萄木立」を>

末尾の歌は或る有名歌人の歌の本の題名などである。こういうところに作者の読書遍歴が、さりげなく表白されている。
終わりに作者が滅多に詠わない子や夫の歌を引きたい。

   <炎暑のなか子が一週間通ひつめ思ひ果しつスミナガシ一頭>
   <捕虫せしオオムラサキの桐箱は子の勲章として今も納むる>

これには子が幼かった頃の回想であろうか。ほのぼのとした情感あふれる佳い歌である。虫などは学術的にカタカナで表記するので、その面からも的確な歌づくりである。
そして夫君を詠んだ歌

   <洗濯物取り込み忘れたる夫が鼻唄交じりにいそいそ仕舞ふ>
   <ブーメランのやうに返りてくる愛と返りては来ぬ愛の質感>
   <「Ich liebe dich」と書いて渡されし燐寸箱出づ四十年遙か>
   <見える場所に置かず忘れず・・・・・アール・ヌーヴォーのラベルの燐寸箱>

母上の看取りなどで作者が疲れていたときに夫は助けてくれたのであろう。
また求婚された若き日の思い出の品が詠われていて、読者の胸にも響くものがある。佳い歌である。
老いても尚ふたりの愛は深まるばかりである。どうぞ、お幸せに。

最後に母を詠んだ歌を引いて不十分ながら鑑賞を終わりたい。 ご恵贈ありがとうございました。

   <もうゐない母おもふなり晩秋の縁側にただ膝を抱へて>

              (完)








若松喜子歌集『砂嘴のソクラテス』・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       若松喜子歌集『砂嘴のソクラテス』・・・・・・・・・・・・・木村草弥

若松喜子さんの歌集が送られてきた。
私には未知の人である。「地中海」広島の松永智子さんのお弟子さんらしい。
「あとがき 1」を松永さんが、「あとがき 2」を若松さんが書いておられる。
それによると若松さんは、松永さんの夫君・松永信一氏の教え子であるらしい。
信一氏は広島大学国語科の教授であられたが若松さんの卒業の年の八月に亡くなられた、という。
若松さん夫婦はお二人とも同窓で、お二人とも教員生活を送られたようだ。 「あとがき 1」に松永さんが夫君・若松博史氏の名前を挙げておられる。

この本『砂嘴のソクラテス』は、昭和52年から平成28年までの525首を収録している。 この間に十年間の作歌活動の休止期間があるらしい。
全体はⅠとⅡに分けられているが期間の明示はない。
題名の採られた歌
   <青鷺が静止画像のごとたてり砂嘴のソクラテスとひそかに名付く>
というのはⅡの初めの方に載っている。 掲出した本の画像からも見てとれると思うが、獲物を求めて浅瀬に佇む青鷺の姿態を無駄なく描写して秀逸である。
なにぶん、休止時期を含めると50年という長い期間の歌であるから歌の総数はすごい数だと思われ、その中からの525首だから作者の姿を求めるのが難しい。
そんな事情をお許しいただいて、歌を抽出してみたい。

             Ⅰ
  <寒の日に裸足でピタピタ駈けてゆく一年九か月のいのちのあかし>
  <頭よせ砂場に屈む幼らの蟻を潰すと声ひそめあう>
  <オムレツを残して眠る子腕に重し乾ける泥の眉毛にのこる>
  <子は不意にスカートの裾にもぐりくる一年ぶりの勤めに出る朝>
  <取り合いの兄弟げんかを諫めつつ今万華鏡なりわれの子育て>

Ⅰの初めの方に載る「子育て」の歌から引いた。
子供たちの行動を微細に観察した佳い歌群である。

  <工場の夜学に学べるA子さん原綿を紡ぐつらさを告ぐる>
  <直立の真只中に淡淡とスト宣言書 われが読みあぐ>
  <何もかも急かるる朝なり鍵をかけ五人それぞれに出でゆくわが家>
  <四十五人思春期の子ら がっぷりと四つに組み合う四月となれり>
  <三十代最後の年の夏に挑み大山登山のメンバーに入る>
  <人が人を評価するというこの行為小さき文字に所見欄埋める>
  <われのする公開授業『万葉集』新しきチョーク五本確かむ>

作者の学校での活動を活写した歌を引いてみた。 日教組の強い時期だった。作者も結構、活動家だったのだろう。「スト宣言書」などという言葉は今では懐かしい死語となってしまった。
こういうように、歌というものは時代を、作者の原時点での姿を、記録に留めるものであるから、意識して詠み残したいものである。
「回想」の歌は弱い。 原時点での「現在形」での歌を詠みたい。
終わりからの二首など職場詠として極めて秀逸である。 作者の並々ならぬ才能を感じさせる。

  <ははに習い流れにむつき濯ぎおればくずれかけたる椿ちかづく>
  <母の日に届きし小荷物紐とけば姑(はは)の手揉みの新茶が匂う>
  <長病みの舅(ちち)をみとれる姑(はは)のいてふるさとはあり六百キロの果て>
  <鼻腔栄養の管に生かされ六か月小康状態に舅(ちち)はいませり>
  <東シナ海をみおろす白き病棟にちちを看取りて姑はいませり>

夫君の両親の故郷は鹿児島らしい。 年老いた両親の看取りの哀歓が、さりげなく見事に詠われている。

Ⅰの終わりに近い辺りにある歌
  <坂道はいずれも海につづく道 旧日本海軍造船の街>
  <教諭一児童数三の分教場新卒なりし夫の初任地>
  <対岸の街から届く正午の時報きっかり三分エーデルワイス>

二十年ぶりに訪れたという回想の歌である。 この町「呉」に著者は今も暮らすのである。
ここまでが、Ⅰの歌である。

             Ⅱ
  <光の粒はじき返す柿の実の緑ひときわ目に沁むあした>

Ⅱの項目のはじめに載る歌である。 
どういう情景で詠まれた歌か審らかには分からないままに引いてみたが「叙景」の歌として的確である。

  <出勤のはずの月曜その朝がいちばん寂しいと夫のことば>
  <二つ折りになりて痛みに耐える夫 だまって渡す乾いたタオル>
  <束ねられ届きし寄せ書き〈大好きな若松校長先生〉と児ら>
  <酒をのみ煙草をふかしあっさりと逝きしままなりふりむかぬなり>
  <生前の夫みずから書き置きし喪主の挨拶わたくしが読む>
  <二年間夫の書きたる闘病記痛みの記述そして空白>
  <はじめての四国遍路に発つあした外灯の下に長くバス待つ>
  <瀬戸内の夕凪好きになれぬと言いその一点を夫譲らず>

晩年の夫君に関する歌を引いてみたが、夫君の「死」を直接的に詠んだ歌は無いようである。
なにぶん歌の数が多いので、見落としがあればゴメンなさい。
「闘病記」などの記述があるので、こういう概念的なものでなく「具体」を盛った歌作りになっていれば、よかったのにと思う。
その他、作品は引かないが「宇品港」などの一連は細密な叙景になっていて秀逸である。

  <半年の入院生活左手首認識票をしずかにはずす>
  <爪を切るいや正しくは切ってもらう土曜日の午後 麻痺の右の手>
  <ああ、これはじょうびたきの声甲高く鳴き終りたりひとり春の日>
  <雨、雨、雨、歌詠むひと日暮れんとす病を得てより三年となる>
  <車椅子に乗るを忘るる秋の日のハウステンボス石畳なり>
  <山あいの校庭跡に日のありて車椅子停めさくら見上ぐる>
  <夫が逝き十一年なり山裾のえごの木にことしの花咲く>
  <若若しいひとの呼ぶ声こんなとき写真の夫のすこし寂しい>
  <麻痺の右手袖にとおしてひっぱってボタンを留める手順無駄なく>

著者の「病後」を詠んだ歌を引いてみた。
「病を得てより三年」とか「夫が逝き十一年」とかのフレーズが見えるが、それらの歌の「行間」に、並々ならぬ著者の苦闘を偲ぶしかない。
以上、おぼつかない思いのままに鑑賞を終わることをお許しいただきたい。
先にも書いたが、中断も含めて五十年という歳月は重い。 感想が断片的にならざるを得ないのが苦しい。
ご恵贈有難うございました。        (完)




川添英一歌集『胸躍百首』『絢爛百首』・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      川添英一歌集『胸躍百首』 『絢爛百首』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・夢叶舎2017/03/31~2017/07/04刊・・・・・

旧知の友人──川添英一の本である。
これらは2016年05月08日からFB上に毎日一首づつ発表したものの書籍化である。
彼のFBはフォロワー1400人を超える好評だと言い、毎日発表される作品を、私のFBのページに毎回「シェア」して紹介している。
前にも書いたと思うが彼は奈良教育大学書道科の出身で長らく中学校教諭として勤務、途中、網走に移住して『流氷記』なる歌集をものしている。
書家としての経験から2009年に『優美書体』15書体フォントを刊行、年賀状などに使われるようになった。
それ以後、歌を毛筆で書いて発表するようになった。
今回の一連の本も、その体裁を採用している。
ご恵贈に感謝して、いくつか歌を引いて終わる。

  ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて

  刑務所も二つ岩海岸(ノトルン・ワタラ)も校区にて網走二中声太き子ら

  生まれ死に生まれ死にして流氷の真っ赤に燃えるたまゆらにいる

  流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ

  雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る

  君と結ばれて死ぬなら怖くないそんな真紅の薔薇を見ている

  白き肌夜の女体を思うわしめ白木蓮の花は匂いぬ

  長い間しまっておいた鞄持ち誰も知らない旅に出て行く

  口の中弾ける甘さと酸っぱさと呑み込むしばし甘夏を喰う



三井修『うたの揚力』・・・・木村草弥
三井_NEW

       三井修『うたの揚力』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・砂子屋書房2017/07/21刊・・・・・・・

私がいつもお世話になっている三井修氏の本である。
この本は、巻頭の「はじめに」という個所に書かれているように、砂子屋書房のホームページで「日々のクオリア」という一首評のページに2016年の一年間連載されたものである。
隔日執筆というハードな作業の成果である。
今は、こういうのが流行っていて、例えば「ふらんす堂」のものなどがある。ここは毎日執筆である。ここからもう何冊もの名著が誕生している。
採り上げられた作品は現代歌人の出来るだけ最近の歌集から引かれた。

2016/01/04の巻頭の歌は昭和20年3月の東京大空襲の歌

     逆立った髪の先から燃えてゆく裸になった白いろうそく     福島泰樹

2016/12/30の巻末の歌は

     時刻表は褪せて西日に読めざりき岬の鼻に待つ風のバス     永田和宏

記事の終わりには三首の歌を載せるという体裁である。

     無人駅となりて久しきホームには破れ目破れ目にをみなへし咲く

     日のあるうちに帰りきたればどうかしたのかと問ふ さうなのか

     いつの間に携帯の電池が切れてゐたそんな感じだ私が死ぬのは 


三井氏は今は短歌結社「塔」の選者をされている。そんな関係から前主宰の永田和宏の歌で、この本を閉められたのも、けだし的確なことだと思う。

もっと多くの紹介をしなければならないのだが、ほんのさわりだけ引いたことをお詫びしたい。
有難うございました。


光本恵子・第七歌集『紅いしずく』・・・・木村草弥
光本_NEW_NEW

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↑ 第六歌集『蝶になった母』 角川書店2011/07/29刊

──新・読書ノート──

       光本恵子・第七歌集『紅いしずく』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・本阿弥書店2017/06/04刊・・・・・・

敬愛する光本恵子さんの最新歌集である。
この第七歌集の前に、二番目に掲出した第六歌集『蝶になった母』 角川書店2011/07/29刊 がある。
この二冊は、掲出した画像でも読み取れるように、義母、実母そして師・宮崎信義の死などに次々と直面する時期に重なるので切り離せないものである。
光本さんの本の編集は直近の数年の作品を除くもので、この歌集では2007年から2011年までの作品をまとめてある。
この編集の仕方は、古い編集のやり方と言えるもので、最近では直近の作品から編集するのが一般的である。
というのは、こういう直近の作品を保留するやり方では、現在の著者の「在り様」と乖離するからである。
一頃は、こういう直近の数年分の作品を、言わば「温める」という手法が採られた。
しかし、、今どきの、せちがらい時代に、現時点での著者の姿をぼやけさせるような「数年の保留を置く」手法は、ふさわしくない、と私は考える。今年は、はや2017年なのである。
しかし、これは私の主義であって、光本さんには独自の考えがあっていいのである。  閑話休題。

私は一読して題名にもなっている「紅いしずく」という言葉に立ち止まってしまった。
この歌は巻頭に近い2008年の作品で、「帯」裏にある五首の中にも採られていて、作者にも愛着のある歌だと思うのである。
  <厳寒の季節を耐えて身をよじらせ紅いしずくは花を咲かせる>
同じ項目の歌に
   <こぶしの大樹は待っていた 厳しい寒さを凌いで花を振舞う>
   <山と山の間から覗くあかねの光線は湖をつきぬけこの身に絡まる>
   <ほどけてゆく感覚の白い季節に湖は淡い水彩画を描きはじめた>
が続いている。 細かく引きすぎたかも知れないが、これらは一体として鑑賞しなければ「紅いしずく」という表現を読み解けないと思うからである。
「紅いしずく」とは「あかね色の朝日」の光に辛夷の花の雫が赤く光る、ということだろう。 この一連の、この比喩表現は、鮮烈である。
光本さんは、直接的な表現が多く、余り比喩を使わないが、この一連は生き生きと輝いて秀逸である。
信州の冬は厳しい。 作者の住む諏訪湖も凍結するなど寒さの厳しいことでは有名である。
これらの歌で、厳しい信州の寒さに「仮託」しながら、自由律の口語短歌の道に邁進する「覚悟」を表明された、と私は受け取った。

この歌集の、もう一つのハイライトは「死刑囚・岡下香」との歌のやり取り、歌集『終わりの始まり』の出版、死刑執行と献体、ということであろう。
この本にも「付録 死刑囚岡下香のこと」17ページが添えられている。
岡下の歌を少し引いておく。
   <壁の汚れはペンキでも塗り消せるけど罪の跡だけまた浮かんでくる>
   <獄舎にもあるささやかな幸せ 米粒ほどの蜘蛛が顔を見せたとき>
   <古里の三次 山河の恵みと人情を忘れはしないがもう戻れない>
   <夢を見て今日という日に行き止まり開ける怖さよ未来山脈の扉>
   <ようやく気づいた反省と償いの違い 償いは命を差し出したときに叶う>
いろんな誹謗中傷に耐えながら、歌集出版、面会、献体、と光本さんはキリスト者として、よく面倒を見られた。並の者には出来ないことである。
   <独房から小さな字でびっしり手紙をくれた もう届かぬ 八・四・十>
   <歌集『終わりの始まり』を遺し諦めと感謝の白い顔 忘れない>
「岡下香死刑執行」という項目の歌である。 この歌にある通り、死刑執行は2008/04/10であった、という。
そして「岡下香献体・火葬」の歌は
   <すべての罪は赦され 献体の肉塊は人の役に立ったと告げている>

   <平成二十一年一月二日食道癌 眠るように逝った宮崎信義九十六歳十ケ月>
   <光本たのむよ そのことばに支えられ今朝も編集に取り掛かる>
   <西村陽吉も土岐善麿も渡辺順三も啄木の血におどる口語歌のいま>
京都女子大学に在学中の頃から師事した宮崎は口語短歌運動の大きな指導者だった。
その「死」の瞬間が、ここに切り取られている。 切々たる募師の気持ちが表白されている。

続いて、光本さんが執着して取り組んでいる口語表現者「金子きみ」の存在がある。 それらを詠った歌。
   <「金子きみ偲ぶ会」終え飛び乗るあずさ号 心地よい疲れ>
   <恨みを残すな 開拓農民の意地を著した金子きみ『薮踏み鳴らし』>
小説家としても著作が受賞したという金子きみ。 光本さんが愛して執着する所以である。

前の第六歌集には、義母、実母などとの別れを詠った作品があった。 それらを受けた歌が、この本にある。
   <あの雲はかあさん そちらは義母さん あちらはじっと見詰める仔犬>
そして2008年には、実父の死があった。
   <脳梗塞で倒れ母亡き後は嫁のみゑちゃんに看取られて逝った父>
こうして身近な人々や歌の師や先輩の死を見送った後には、次女・玲奈さんの結婚があった。
   <娘よ何が起ころうともおまえの人生 暴風雨も明日は晴れる>
沖縄での結婚式の当日は嵐だったという。そこで、この歌の表白となった。
光本さんは長女出産の後「子宮ガン」に侵され必死の闘病の末、これを克服できた。 そして授かった次女の命だった。
それらの経緯は歌集『薄氷』 『素足』 『おんなを染めていく』エッセイ『夾竹桃』などに詳しい。

著者は、よく転ぶらしい。 私も何度か真剣に「転ばないように」と忠告したことがある。 そういう怪我を詠んだ歌。
   <額から雷にたたきつけられたような光 砕けた顔 私はどこにいるか>
   <ここはどこですか築地の聖路加です 日野原先生の病院だ>
他にも諏訪湖畔を散歩中にも転んだりしたことがある。 度々申し上げて失礼だが、齢を重ねると転ぶことが致命傷になることもあるので、ご注意を。

光本さんは京都に在学中に知り合った「彼」と、一旦は郷里の鳥取で教師になったのを振り捨てて、はるばる信州の彼の元へと嫁いできた。
前歌集では香港赴任中の彼の元へ出向いて東南アジアを旅したこと。ドイツ人のホームステイ人を頼って二人でドイツ、スイスを旅した一連が詠われたが、この本では、その後が続く。
   <やはり手が触れたり脚をぶつけたりくっついているほうがいい>
   <夫の造るイングリッシュガーデン 五トンの土入れ替えて薔薇が咲く>
   <牡蠣フライが食べたいと夫 幼い日の厨房よみがえる>
   <花いっぱいの庭 野菜よりバラと夫 物のない時代は野菜を作った>
   <チェロを弾き絵を描いて花をそだて古い家をまもるあなた>
「彼」は地元のオーケストラに所属して、チェロを弾く人である。 そんな「彼」との生活が、さりげなく、心温まる情景で詠まれている。

終わりに、光本さんの「覚悟」をさりげなく詠んだ歌を引いて終わりたい。
   <躓いても転んでもまた立ち上がればいい体験がわたしを創る>
   <迷い道こそ未知への遭遇 分水嶺の湖で背を伸ばす>
   <尻おおきく胸ぼいん 君の造った土偶のように胸を張る>

不十分ながら、この歌集の鑑賞を終わりたい。 ご恵贈有難うございました。   (完)



佐伯泰英「新・古着屋総兵衛14・にらみ」・・・・・木村草弥
にらみ_NEW

──新・読書ノート──

     佐伯泰英「新・古着屋総兵衛14・にらみ」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・新潮文庫2017/06/01刊・・・・・・・

   大黒屋に脅迫状が届いた。
   古着太市を取りやめぬと客を殺戮するという。
   影・九条文女との接見との帰途,総兵衛一行は怪しい靄に包まれ、南蛮鎧兜の集団により奇妙な飛び道具で襲撃される。
   総兵衛は諜報網のすべてを使って情報を集める。
   やがて、坊城麻子から有力な情報が届いた。
   禁裏と公儀の狭間に蠢く鵺のような役割があるという。
   総兵衛は一計を案じ読売を使って敵を誘き出すことにした。・・・・・・・

----------------------------------------------------------------------------
いつもながらの泰英ぶし、である。
この文庫版は六月と十二月という半年に一度づつ刊行される。

この本の「あとがき」で、伊勢の勢田川沿いにある河崎の町と、ベトナムの「ホイアン」の町との風景が一緒であることに触れている。
この町は、十代目総兵衛勝臣が生まれ育った土地である。
これからの、この小説の進展にとって、これは貴重な示唆であるように思えるので、一筆しておく。
ぜひ、ご一読を。


内藤恵子『詩・エッセイ・評論集成』・・・・・木村草弥
内藤_NEW

──新・読書ノート──

       内藤恵子『詩・エッセイ・評論集成』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・エディット・パルク2017/02/04刊・・・・・・・

この本は先に紹介した詩誌「Messier」同人の内藤氏の近刊である。
先日、紹介した件の返礼として恵贈されてきたものである。
この本の奥付に載る「著者略歴」を引いておく。

1936年 東京生まれ
1959年 学習院大学独語・独文学科卒業
1964年 京都大学文学部研究科博士課程入学
1971年 シュトットガルト工科大学マスターコース終了
1986年 京都大学教育学部教育学専攻卒業
1988年 京都工芸繊維大学非常勤講師ドイツ語担当
2010年        〃      退職
著書・翻訳・評論など多数

はじめに、「献詩」として「メシエ」誌主宰者・香山雅代あての作品があるが、その一節に

<高踏
 美的
 難解たれ
 強い衝撃に突き上げられる
 魂の叫びに
 忠実たれ>

というフレーズがある。 
これは、まさに香山氏の詩の特徴を言い当てて的確であるが、翻って内藤氏の詩は、それとは反対の平易な、わかりやすいものである。
この本の題名にもなっている巻頭の詩「遠望」を引いてみる。

         遠望           内藤恵子
            母には買うことを禁じられていた駄菓子屋

  ボックス型の乳母車
  掴り立ちして
  外を眺める
  頭の上から落ちてくる
  急な坂
  上から下へ
  下から上へ
  人が歩いている
  麓には駄菓子屋
  背後には人の気配
  京都言葉がふんわり
  手に握らせてくれる温もり
  重曹の苦みの残る
  パン菓子
  甘食
  記憶の果てから
  蘇った急な坂
  刻印された
  舌の上の甘食の痕跡

  店頭で飽くことなく
  甘食を探し
  衝動買いをおさえることが
  出来ない大人の私

  食べるたび
  ふくれ上がった
  山の割れ目から
  隠れた祖父が
  姿を現す
----------------------------------------------------------------------------
この詩「遠望」は内藤氏の郷愁を綴ったものだろう。
この一篇の詩が、内藤氏の作品のすべてを代表している、と言っても過言ではないだろう。

続く「揺れる」と題する詩に

<・・・・・
  庇護され
  未来への何の不安も
  持たぬ
  幸せな時代
  ものうげな時間の記憶
 
  いくつもの苦楽を
  重ねて
  ひとり身になった今も
  爽やかな風に
  踊る葉影が
  心を揺らす
  ・・・・・>

というフレーズがある。
これこそ、先に私が書いたことの証左と言えるだろう。

Ⅱ エッセイについて触れておくと、「ゴブラン織り」「おやつの思い出」などに年少期のことが書かれていて、山の手のインテリ家庭に不自由なく育った環境が、かいま見える。
それらのことと、先に引いた詩作品とは完全にリンクしているようである。

著者には『境界の詩歌』という「独と和の異色の評論集」と題される「詩歌は言葉の壁を超え得るのか 翻訳の可能性と不可能性」に触れた評論などがあるが、ここでは触れない。

誠に不十分ながら、この本の紹介を終わりたい。
ご恵贈有難うございました。


香山雅代編集・詩誌「messier」49号から・・・・・木村草弥
メシエ_NEW

      香山雅代編集・詩誌「messier」49号から・・・・・・・・・・・木村草弥

          羽音を聴いた日       香山雅代

  宙を 歩んでいる風(ふう)だった
  ふたりは
  ひろい階段の上から 半ばまで
  夢みるように
  手を 携え
  ほとんど 宙に浮かんでいるといった具合に 軽く ふぅわり 風を摑んで
  降りてゆくのだ
  消えゆくように こころに微笑を浮かべながら その微笑で いっそう軽くなって
  透けた翼に 風圧を 孕んでゆく
  祝祭の 気風が あたりに立ちこめ
  振り返り みあげると
  段上のそこに 現れた幻像こそ
  頭部の欠けた 大理石の 考古の憂い
  かの サモトラケのニケの
  渦巻く 息吹き 芬芳の乱れ

----------------------------------------------------------------------------

          金継教室        佐伯圭子

    (前略)
  それぞれが
  ひび割れたもの欠けたものを
  胸に抱いて辿りつき
  前にならべている
  
  落とされ 当てられ
  ほうり投げられ
  ぶつかり損なわれた
  器たちが
  今 待っている

     (中略)
  整えられて 
  塗られ付けられ
  磨かれたあと
  金粉をふりかけられて
  そっと待っている

  ひと晩 風呂の端に置いて
  眠らせてと 教えられ
  携えて帰る
  ふと見るとわたしの躰も
  繋がって ヒトに返っている

------------------------------------------------------------------------------

          色彩幻想      安部由子

  ヴァイオリンを弾きながら
  昏い舗道に
  あなたは立ち尽くす
  放射する遠心力を指先に集め
  眩い光のなかに疾走する感性を
  そこだけ明るく溶かして
  あなたがある
  色彩は退嬰する街を投影して
  日々の祭りが続く

----------------------------------------------------------------------------------

          好日     内藤恵子

  天空に
  火星の笑窪をつけた
  新月が浮ぶ

  茜色の残照に
  斜形のシルエット
  深紫を深め
  波うつ鋭角の稜線も
  眼下に引きつれて
  浮ぶ雲を手繰り寄せ
  胸に抱き
  頭にかざし
  裾を覆い
  姿を隠す

  だが あけぼの
  すっぱり全身を曝け出す
  白色の潔さが
  紺碧の空にそびえ立つ

    (後略)
----------------------------------------------------------------------------
佐伯圭子の「金継教室」が、言いたいことと選択した言葉との調和という点で秀逸である。
内藤恵子の作品の最終連「今日日是好日」は蛇足であるから (後略)とした。

これらは、もとより私の独断であるが、もっと厳しい批評会があったことを書いて、終わりたい。
ご恵贈ありがとうございました。



   

詩誌「カルテット」第3号から・・・・・・・木村草弥
カルテット_NEW

     詩誌「カルテット」第3号から・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

編集発行人・山田兼士の詩誌「カルテット」第3号が恵贈されてきた。
その中から独断的に引いて、ご紹介する。
今号から同人以外の詩人が招待されることになった。 画像にも出ている人たち他である。 少し引く。

     ちょうちょ         高階杞一

  ちょうちょを見ていると
  次はちょうちょになれたらな
  なんて思えてきます
  誰にいやがられることもなく
  誰のじゃまもせず
  ひとり
  草木のあいだを舞っている
  そんな
  ちょうちょにも
  たぶん
  生きる苦労はあるんだろうけど
  それでも 次に生まれてくるときは
  ちょうちょがいいな
  と
  思えてきます

  春の終わり
  余白のような午後

  縁側にひとりでいると
  目の前の
  小さな庭が
  どこか遠い草むらと  
  つながっているように思えてきます
-----------------------------------------------------------------------------
いつもながらの高階さんのメルヘンっぽい詩である。
終連三行の詩句
<小さな庭が
  どこか遠い草むらと  
  つながっているように思えてきます>
が秀逸である。

       あわいつみ       江夏名枝

  夢の中では母音が書けない。

  鏡はいつも孤独で、夢のひわいろを絵画のように吸う。
  いくつかの数式が溶けている壁の彩度、夢にはわたしを感じる暗闇がない。

  繋留する、紙の舟。夢の水より軽い舟。

      (中略)

  重ねあわせても混じりあわない破片。

  昨晩はとても疑り深いひとに、ひとかけらを渡した。
  どうしたら、あなたの誇りを守れるだろう。
---------------------------------------------------------------------------------
萩原朔太郎記念とおるもう賞に輝いた江夏さんの近作である。
「あわいつみ」とは「淡い罪」のことであろうか。 それを、ひらがな表記にするところに彼女の意図がある。

      アベローネとともに       山下泉

  罌粟つぶのかわいた味に耳すますどこか下草を踏みしめたとき

  いつか作った日課表に会う 偶然を宿命にする遠きソノリテ

  ブリオシュを指に割くとき青みたる麦そよぎいる箸墓おもう

  おりにふれ空に正坐をする雲はアクロポリスの列柱のいろ

  アベローネと二度呼びかける声があり声のかたちにふりむく虚空

  まんじりと古壁画ぬけて古街道あかるい闇のなか泛かびゆく

  ふたかみやま雌峯を根から見あげいる古き眼差しに手繰られながら

  石窟に冬のみどりの影ひらき仏陀の頬のふくらみ削る

  冬の枝灰のねむりを覚ましゆく桜色の灰受けとめるため

  われはわれのききみみずきん手を垂れて夜の大樟の真下に立てば
-------------------------------------------------------------------------------
いつもながらの山下さんの短歌ぶりである。
ここに言う「アベローネ」とは、
<アベローネ、僕はあなたについて語りたくない。僕たちが互いに欺いていたからではない。
あなたが忘れたことがない一人の男をあなたがあの頃も愛していたからでもない、愛の女性よ、そして、僕がすべての女を愛してきたからでもない。
言うことには不当しか生じないからなのだ。 (マルテの手記)>
というリルケの詩句の女性、を指すものだと思う。.山下さんはリルケに私淑した高安国世に学んだのである。

他にも引くべきものがあるが、今回は、この辺で紹介を終わりたい。 有難うございました。



浅井和代「まだみつからない」12首・・・・・木村草弥
たかまる_NEW

──新・読書ノート──

     浅井和代「まだみつからない」12首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・藤原光顕・編集「たかまる通信」106号2017.4.1.所載・・・・・・

        まだみつからない      浅井和代

  私に逢うと哀しくなる そう言ってあなたはまた逢いに来る
  ふたりでいると子供みたいな人ポケットのゴミまでサラケ出してしまう
  やさしすぎるといわれた日は遠く掌にかくれる傷あと
  恋愛と結婚のちがい漸くわかりじゃがいもの皮いつもより厚くむく
  窓から青いセーターの腕を伸ばし風を掴まえそうな三月
  アネマネの花びら風に揺れて女である喜びふくらんでくる
  オレンジの種ナイフに突き刺さりまたひとり友が母となる夏
  秋の陽射しの電車に揺られて美しい嘘をさがしに出かける
  あわてる兎をみつけられない八月喫茶「アリス」の前にマンホール
  誰かがきっと嘘をつく金曜日都会(まち)で透明な地球儀が売れる
  恍惚とひげを剃る男が戦争という厄介を思いつく
  いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり     (「新短歌選集」「年刊新短歌」より)
------------------------------------------------------------------------------
敬愛する藤原光顕氏から「たかまる通信」106号が送られてきた。
藤原氏の新作は、ご自身の闘病のことが綴られているが、生々しいので詩作品としては、いかが、と思い、この作品群を載せる。
この作品の右上には<SHINTANKA 1988~ CHRONICLE >の表記があり、「過去記事」の再録と知れるが、佳い歌だと思って頂いた。 ご了承を得たい。
この一連は、今よく見られる事実をズラズラと連ねただけの歌ではなく、一時期の「新短歌」のようにエスプリが効いて素敵だ。
戦前の一時期の宮崎信義のモダニズムの作品のように心地よい。これぞ詩だと思う。 「寓意的」でもあり秀逸。
「アネモネ」のことを「アネマネ」と表記するなども時代を感じさせる。

ご恵贈ありがとうございました。 
(お断わり) いつもは「藤原光顕の歌」というジャンル分けで載せているが、今回は藤原作品ではないので「新・読書ノート」のジャンルにした。ご了承を。


  
佐伯圭子詩集『空ものがたり』・・・・・・木村草弥
佐伯_NEW

──新・読書ノート──

       佐伯圭子詩集『空ものがたり』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・編集工房ノア2017/03/01刊・・・・・・

佐伯圭子さんは、香山雅代さんが主宰する詩誌「Messier」の同人であるが、私は名前は知ってはいるが未知の人であった。
ご本人の経歴なども一切判らない。香山さんから恵贈されてくる「Messier」誌上で作品を拝見するのみであった。
昨秋に「Messier」48号をいただいたときに初めて拙ブログで採りあげたのを香山さんか、同人のどなたかが見てくださったのであろうか。
それが今回の佐伯さんの詩集の贈呈になったものと思われる。有難く拝受して、ここに鑑賞して紹介する次第である。
この本は「あとがき」も何もないものだが、既刊の本の名前が出ているので、ご紹介する。

佐伯圭子
日本現代詩人会会員
兵庫県現代詩協会会員
ひょうご日本歌曲の会会員
兵庫県芸術文化団体「半どんの会」文化賞受賞
詩集『今、わたしの頭上には』1989年 蜘蛛出版
詩集『風祭』1999年 編集工房ノア
詩集『繭玉の中で息をつめて』2013年 思潮社
詩誌「Messier」同人

この詩集には28篇の詩が収録されている。 二、三引いてみよう。

        塔の上       佐伯圭子

  あの日 塔のてっぺんに昇った
  足もとは濃い霧がかかって懐かしい街が霞んで見えた
   
  もう共に居て温かいものを口に運ぶことは無いが
  夕空に煌めき始めた星を一つ二つと数えてみることは出来る

  目の前に塔の高みが見えたから
  昇って行こうとする意思が働いた

  空に向かって昇っていくことは
  空の底へ落ちていくこと

  もう暗い螺旋階段を昇ることも無い
  立ちつくす塔の上まで来たのだから

  ちりぢりになることは 軽くなること
  宇宙の粒子になること

  風だろうか わたしをここへ運び
  塔の上に押し上げたのは

  押し上げられながら 汗して歩いた道のさまざまの
  匂いが立ち昇って来るのを知る 足もとまで

  街の騒めきの隙間 少女らの声が
  まだ整わないままふくらんでいる

  激しく揺れた街まちが 失ったものを抱えたまま
  光りながら放射状に 拡がっていく

この詩は巻頭に載るもので、先に書いた「Messier」48号にも載っていたものである。
巻頭に置かれたということは作者にとって愛着のある一篇なのであろう。
もう二十数年前になるが阪神地方を襲った震災の記憶に連なるものであろう。
「塔」とは、どこでもいいが、例えば、神戸ポートタワーと仮定してみても、いい。
  <激しく揺れた街まちが 失ったものを抱えたまま
    光りながら放射状に 拡がっていく >
という終連の配置が秀逸である。

一つ置いた後の詩に「空中に置いた片足」という題の作品があるが、これも巻頭詩につづくものであるし、「アナーキーなことばが」という詩も同様である。
次に、この本の題名になっいる詩を引く。

       空ものがたり       佐伯圭子

  いつもの夜の散歩道
  いつもの歩道に
  いつもの空
  なのに
  今日のこの空は
  しっかり頭上を覆っていて
  わたしの命の被布のよう
  いつもの独りの散歩道
  十三夜の月わ飾って
  豆名月ね
  栗名月とも言うのですね

  満月じやなくてもいいさ
  と 空の語っていて
  今日はわたしたげの空と言ってもいい?
  訊くと
  今夜はあんただけの空さ
  と おおらかな返事が返ってきた
  今 ここに在るのは
  空とわたしはだけ

  何時ものわたしの散歩道
  もう現世(このよ)ではないような
  この一瞬の 不確かな
  宇宙の風のその下で
  今年はじめての秋虫の音に送られて
  バスが一台通っていった
  下車したひとが散らばって
  それぞれどこかへ帰っていく
  
  今日の夕べの空ものがたり
  いつもの独りの
  散歩道

佐伯さんは、いつも夜に散歩されるらしい。
私は早朝に朝日を浴びながら歩く主義である。体内時計のリズムは朝日と共に目覚めるので、それに従いたい、という考えに基づく。 人それぞれで、いい。 閑話休題。

先に著者の経歴を紹介した中に「ひょうご日本歌曲の会会員」というのがあるが、香山雅代さんもやっておられる。詩に音楽専門の方が曲をつけて歌曲にする、というものである。
何と奥ゆかしい趣味であろうか。 そんなことから「歌曲のために」と付記されている詩を引いておく。

        黒い手袋        佐伯圭子

  冷たい空の下
  ふんわり包まれ 触れ合っていた
  なのに どこかで
  失くしてしまった片方の手袋

  まだ新しい 心地よい手触り
  お気に入りの黒い手袋
  今頃どこかの寒い道
  暗くなった空の下で
  相棒求めて
  ひっそりと

  ああ 雪が降ってきた
  心はどこまでも追いかけるけれど
  あのぬくもりは もう戻らない
  遠のいていく
  黒い手袋の記憶
  微かなその手触り              (歌曲のために)


この詩集全体の題が「空」ものがたり、とあるように、収録される詩が、みんな「空」と関係があるようである。
だから「空ものがたり」と題された佐伯さんの意図を汲み取ることができるのである。
散歩しながら「空」を眺めておられる佐伯さんの姿を思い浮かべていた。

引く詩が少なくて申し訳ないが、引用は、このくらいにしたい。
佐伯さんの詩は、いわゆる「現代詩」のような難解なところはないので読みやすい。 皆さんも、せいぜい鑑賞されたい。
ご恵贈に感謝して、ここに紹介した次第である。 これからも益々のご健詠をお祈りして、筆を置く。 有難うございました。   (完)
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この本の発行元の「編集工房ノア」というと、社主の涸沢純平とは私も旧知の仲であり、また先日亡くなった私の兄・木村重信の編集により『木村庄助日誌』─太宰治『パンドラの匣』の底本を先年刊行したのでアクセされたい。





木村弥生の俳句・・・・・・木村草弥
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 ↑ 合同句集「南東俳塵帳」平成九年七月吉日刊
俳句②_NEW
俳句③_NEW

──新・読書ノート──

     木村弥生の俳句・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・「南東俳塵帳」平成九年七月吉日刊・所載・・・・・・

亡妻・弥生は生前、南部コミセン(コミュニティ・センターの略)で開かれていた中島巴旦を講師とする「あらみ句会」で俳句を詠んでいた。
この合同句集は発行されたときに見せてもらったので、その存在は知っていた。
弥生が亡くなっても、彼女の遺品整理などは一切していない。
クローゼットが手狭になったので少し衣類を捨てただけである。
この本はダイニングのアイロンをかけたりするテーブルの前の本棚に収められていたのを引っ張り出してみたのである。
中島巴旦は他に「巴句会」の講師もしていて、この句集は「あらみ句会」と「巴句会」の合同句集ということである。
掲出した画像に見られるように中島巴旦が毛筆で書いたものを転写したものである。
「序」に、当時の城陽市文化協会理事長・奥田敏晴の文章があるが、彼こそ今の市長ということになる。
講師の中島巴旦も数年前に亡くなっており、その孫・中島有佳里さんが司法書士になっており、先年、私方のアパート─メゾン・ド・マルスの保存登記の際にお世話になった。
現在はお婿さんを迎えられ、お婿さんは中島姓を名乗っておられるとのこと。これも奇しき因縁というべきであろう。

この本には弥生と親しかった島本順子さん、私と一緒に短歌会に居た甲田啓子さんや神内周子さんの名前も見える。島本さんも亡くなって早や数年が経つ。
会員一人に十二句づつ収録されている。講師の中島巴旦だけは十八句である。

弥生の句を全部、書き抜いてみる。

        畦道       木村弥生

     万歩計四角に歩く春の畦

     菖蒲田に小さき角芽押し合ひす

     畦に沿ひ早苗の列も曲りゆく

     幾重にも茶畑のうねり迫り来る

     亀甲の竹に五月の光り触れ

     松の芽の千本立ちに風少し

     梅雨明けのクレーン動いて空狭め

     水桶にゆらぐ白さの豆腐切る

     風の道探して葱の苗掃除

     踊りの手下向き加減風の盆

     きらきらと穂の上泳ぐ金銀糸

     息白し一人走れば皆走り

当然、講師である中島巴旦の添削がされていると思うが、素直だった弥生らしい俳句である。
弥生は都会生まれだったが、田舎に嫁いできて、私の母から農作業の手ほどきを受けて、菜園の仕事を楽しんでやっていた。
力の要る土の掘り起こしなどには、どしどし私をこき使っていた。
農作業というのは植物が日々に成長して成果を生むので面白いもので、弥生も、その魅力に執り付かれていたようである。

<万歩計四角に歩く春の畦> の句は面白い。万歩計とあるから散歩の情景だろう。
万歩計に歩数を拾われるので、歩くときも四角く歩くように努めるという微笑ましい情景が詠まれている。

<風の道探して葱の苗掃除>の句について少し解説してみよう。
ネギは梅雨の頃に掘りあげて日陰に吊るしておく。
この句の季節は九月はじめである。当然まだ残暑が厳しいから、風の通る涼しいところを選んでネギ苗の枯れた部分を削いで掃除をする。
その苗を畑に定植して秋のネギが育ってゆくという算段である。 この句には、そういう経緯が詠まれているのである。

島本順子さんの句を少し。

     子の婚をまず書き入れて初暦

     春うらら行きも帰りも歩きます

     地下道を出てコスモスの風に遇う

     嫁がせて娶らせて年終りけり

甲田啓子さんの句を少し。

     初明りちょっと開けおく厨窓

     太陽が大好きですと苗木札

     甘南備の緑蔭 記紀の話など

     母が来る柿一杯の旅鞄

弥生は2006年に亡くなったので、今年はちょうど十年である。
たまたま手にした句集から亡妻を偲ぶよすがにしたい。


辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
辰巳_NEW

──新・読書ノート──

     辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
             ・・・・・2016/05刊 非売品・・・・・・・・

こうして掲出してみると表紙の色が微妙に違う。現物は鮮やかな濃緑である。表紙の布は辰巳織布の製品である。
著者の説明をしておく。
辰巳美績(たつみ・よしつぐ)氏は大正13年(1924)10月10日生まれ。今の三重県名張市に出生した。
大阪府岸和田市に、辰巳織布株式会社を設立し、現在は会長を務める。:今年で満92歳となる。

辰巳美績氏とは縁戚ということになる。私の長女の女の子─孫の結婚相手の祖父ということである。
一昨年の結婚式でお目にかかり、今年の年賀状に、この本の上梓のことが書かれていたので、一月三日の私の一族の新年宴会に来た孫に言って贈ってもらったという次第。
孫などのプライバシーもあるので人名などは遠慮しておくので、ご了承ねがいたい。

この本は、文字通り、辰巳美績氏の一代記である。今もなお矍鑠として会社内外に目を光らせておられる様子が手に取るように、よく分かる。
記憶力も旺盛で幼い頃からの写真もたくさん収録されている。
辰巳美績氏の夫人は鈴子さんというが、この本を読むと、鈴子さんの内助の功が絶大であったことが判る。
この本を贈呈されたときに本に添えてある手紙も鈴子さんの代筆である。因みに、鈴子さんの生年月日が書いてないので不明だが美績氏とは二歳違いのようである。

辰巳美績氏は地元の小学校から松阪市の松阪商業学校に進学。1942年に横浜専門学校に入学する。1944年徴兵繰り上げにより仙台陸軍予備士官学校に「特甲幹」伍長として入学。
因みに、私の兄・木村重信も、この制度により豊橋予備士官学校に入学しているので親近感を抱いたことを書いておく。ポツダム少尉である。

この本には辰巳美績氏の「年譜」「家系図」、辰巳織布株式会社「年譜」など微に入り細をうがつ詳細なものである。
私は全編を詳しく読んでみたが、ここにすべてを引くことは出来ない。
今の時代は、とにかく物騒な世の中であり、どこから攻撃されるか分からないから、プライバシーの露出には気を付けたい。

戦後は物が不足していて、物さえあれば商いになる時代があったが、徐々に生産、流通が体制が整うようになり、そういう時代の趨勢をみて辰巳織布という会社設立に進まれた。
会社は1960年4月5日に誕生するが辰巳美績氏は池田繊維の専務をされていたので鈴子夫人が社長となられて発足した。
この本には鈴子夫人の昼夜を分かたぬ尽力のことが書かれている。

<家内は、朝は暗い内に起き、寮生の朝食の準備をし、日中は工場に入り、検反、管巻、筬通し、織り以外のことは全てした。
 また手の薄い所に手伝いに行き、午後は女の子に洋裁を教え、三度の食事の買い出しをし、一刻も休む時がなかった。
 夏場はクーラーがないため、しばしば食堂のデコラの食卓の下にくたびれ果てて寝ていたことを覚えている。
 急に出荷をいわれた日には、家内は徹夜で検反をすることもしばしばであった。>

私は繊維関係には無知なので、この本に書かれている当該部分について語ることは止めたい。
昭和36年(1961)9月16日、第二室戸台風により当時の工場が全壊したことが書かれている。復旧のために名張で瓦を買い占めたことなどである。
この台風では、私の方の会社の荒茶製造工場70坪余が全壊し建物と機械設備が全滅したことを思い出した。
そういう同時代だったのである。

立志伝中の人物として、自宅を立派なものに新築されたエピソードが載っている。写真を見ても豪壮なものである。
さぞや立派なものであろう。

1980年に長男の雅美氏が専務として入社された。当時の習慣として同業他社で武者修行させるのが常道であった。雅美氏も一年間、他社で「奉公」された。そして今は社長である。
雅美氏は京都大学出身ということだが、学部などは判らない。

繊維製品の製造過程で「糊つけ」という工程(サイジング)があるらしいが、それらは外注にしていたが2009年に関空対岸の地に「のりつけや」というサイジング工場を建築した。
この工場は24時間操業だという。
巻末には「人生訓集」というのが書いてある。「大欲せよ」「記録を残せ」「常に背伸びせよ」など、長年の人生を生きた知恵が述べられている。

私は繊維には門外漢であるから、とりとめもない紹介になったことをお詫びする。
これからもお元気で活躍されるようお祈りして、紹介を終わる。
本のご恵贈有難うございました。



『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・木村草弥
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↑ 発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷
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 ↑ 岩岡千景「セーラー服の歌人 鳥居」2016/02/10初版 発行KADOKAWA
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↑ 著者 近影

──新・読書ノート──

      『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷・・・・・・

「セーラー服の歌人」鳥居 として今や歌集はベストセラーとなっている人である。
寡聞にして私は最近まで彼女のことを知らなかった。NHK関西の「関西熱視線」で彼女のことを取り上げていて初めて知った。
そして掲出した二冊の本を読んでみた。
「母の自殺」「児童養護施設での虐待」「小学校中退」「ホームレス生活」「拾った新聞で字を覚えた」など過酷な人生を経てきた人である。
今も私生活の詳しいことは明かされていない。 謎である。 
これは多分、出版社の意図的な演出でもあろうし、壮絶な生きざまをしてきたので、私生活が明るみに出ることによって、改めてPTSDに襲われるのを避けた、とも言えようか。
「近影」はネット上から拝借したのだが、義務教育も禄に受けていないので、中学校の制服だったセーラー服に憧れがあり、最近は外出のときにはセーラー服を着るようにしているという。
歌集『キリンの子』だけを読んだだけでは鳥居を理解できない。
岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居』は2012年以来、彼女に何度もインタビューしてまとめられた本で、この本を読むと彼女のことが、よく分かるのである。

それらを読むと、なぜ「鳥居」→「短歌」なのか、という疑問が解ける。
第六章光明という個所でDVシェルターの施設に居るときに、一時的に外出して図書館に行った鳥居が、たまたま歌集の短歌の棚にあった穂村弘『シンジケート』を手に取った。
  <体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ>
「そんな温かい家庭の光景が頭の中に広がりました。そして、幸せな気持ちになりました」という。
その後、鳥居がホームレス生活を経て大阪に移り住んだ後のこと『吉川宏志集』(邑書林)との出会いがあった。
   <洪水の夢から昼にめざめれば家じゅうの壜まっすぐに立つ>
「一首の中に死と美しさ、そして違和感が果てしない広がりを持って詠み込まれている」ことに鳥居は感銘を受けた、という。
短歌には、自分と同じ「孤独のにおい」がしたのだという。以後、鳥居は、吉川あるいは結社「塔」と関係を持つことになる。

2012年、現代歌人協会が主催する「全国短歌大会」に、鳥居は自作を応募する。
    「思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ」
の歌が穂村弘の選で佳作に入選したのである。
同じ2012年に、鳥居は短歌誌「塔」十月号の「十代・二十代歌人特集」に「攪乱」という連作を発表する。
歌集には「攪乱」の項目はないが「なんで死んだの」という名前の七首の歌が、それらしい。 引いてみる。

   *室内の宙吊りライトちりぢりにみな揺れていて我のみ気づく
   *朝焼けを見ると悲しいもうすぐに明日が来るよ眠れないまま
   *病室の壁の白さに冴えてゆく意識のすみに踏切の音
   *本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繍のように
   *揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
   *刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁
   *あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの

これらを見ると、よく構成されて作られていることが判る。最後の歌なども「、」の区切りなど詩的ですら、ある。技巧的である。
虐待された過去を乗り越えてゆくことが出来れば、この人の詩才は限りなく広がる可能性を感じる。

2013年夏、鳥居は「第三回 路上文学賞」に「エンドレス シュガーレス ホーム」と題した掌編小説で応募し「大賞」を獲得する。
その全文は歌集の「あとがきにかえて」という形で収録されている。
掌編とは言っても長いので、ここに引くことはしないが、最後の部分だけ引いておく。

    危険な目に 遭わされる心配が ない、ということは、こんなにも自由です。
    家がないことは
    こんなにも のびのびとした 自分自身の心を 取り戻すことができます。
                           今夜は 月が とても綺麗です。

2013年9月、「鈴木しづ子さんに捧ぐ」という短歌の連作十首がインターネットサイト「詩客」に掲載された。
歌集では「赤い靴─鈴木しづ子さんに捧ぐ」9首として載っている。 引いてみる。

       ダンサーになろか凍夜の駅間歩く   しづ子
   履いたまま脱げなくなったと笑ってるストリッパーはみな赤い靴

   待ち受けの〈旦那と子ども〉を見やる人 緞帳あがりポールに絡まる

   姉さんは煙草を咥え笑いたくない時だって笑えとふかす

   ねっとりと膣口色に照らされて練習どおり ゆっくりと脱ぐ

   母の日の花屋は赤く染まりおりショーウィンドウにふれる指先

        娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ   しづ子
   踊りつつ太宰を浮かべ笑うとき観客からの手拍子生まる

   好きな人今はいないと聞いたのにあやとりのごと交わってしまう

   膝抱え音なしで見る天気予報知らぬ男が寝ている夜更け

   照らされていない青空ここに居る人たちはみな「夜」って呼ぶの

鈴木しづ子は「娼婦俳人」などと呼ばれて底辺の世界を生きる人の世界を詠んだ、独特の世界を俳句で表現した人である。
その作品に触れた鳥居が歌でもって再現してみたものである。 この想像力が素晴らしい。

終りに、私の目に留まった歌を引いて終わる。

*目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
*大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
*全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
*先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばっていく
*爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」
*早朝の八百屋は群青色をして植物だけが呼吸している
*さぎょうじょでわたしまいにちはたらいた40ねんかん 濡れる下睫毛
*お月さますこし食べたという母と三日月の夜の阪みちのぼる
*壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
*もう誰も知らない母の少女期をみどりの蚊帳で包めり昭和
*渡された本が読めずにルビふりを頼んだ 8日に貰いに来ます
*道端で内臓曝す猫の目はあおむけのまま空を映して
*休日は薬を飲まず過ごしてみるこんなに細い心をしていたか
*牛乳のパック開ければ1ℓの牧場の朝がゆわんと揺れる
*次々と友達狂う 給食の煮物おいしいDVシェルター
*友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服
*海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち
*私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る
*錠剤は財布のなかで押し出され欠けた薬の粉がちらばる
*手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた

長い間しいたげられてきた鳥居だが、今しも吉川や岩岡らに支えられて「陽のあたる」場所に躍り出たのだが、その故に「やっかみ」や謂れのない中傷に曝されることがあろう。
現代の短歌界は、学歴の高い、教養に満ちた学生や学者などが重用される風潮がある。
鳥居も作品が短歌誌に載った直後には「平がな表記に笑える」などと学生から嘲笑された、らしい。
それらを乗り越えて、逞しく育ってほしい。     (完)






佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・新潮文庫2016/12/01刊・・・・・・・・

        拉致された九条文女の行方は杳として知れず、焦る総兵衛は意を決し、江戸城への潜入を試みる。
        また、北郷陰吉らの探索によって、異国の仮面兵と老中牧野忠精の関係がみえてきた。
        文女救出劇は老中牧野との全面対決に発展。
        ついにイマサカ号とマードレ・デ・デウス号が駿河湾で激突する。
        敵船甲板上、女首領が構えた銃口は総兵衛一人に狙いを定めていた。


お馴染みの私の愛読書の新シリーズである。
ぜひお読みいただきたい。


阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・木村草弥
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 ↑ 阪森郁代第七歌集『歳月の気化』2016/11/25刊
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  ↑ 阪森郁代第六歌集『ボーラといふ北風』2011/04/25刊 

──新・読書ノート──

      阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・角川書店2016/11/25刊・・・・・・・・

阪森郁代氏の第七歌集『歳月の気化』である。
五年前に第六歌集『ボーラといふ北風』を恵贈され、私は十二首の歌を抄出して返礼とした。 それに続く今回の本の贈呈である。
阪森氏は、塚本邦雄創刊の「玲瓏」に拠る歌人であり、1984年の第30回・角川短歌賞の受賞者で才知渙発の人である。
受賞作は「野の異類」の歌50首であり、1988年に刊行された第一歌集『ランボオ連れて風の中』などは私は読んでいない。

第六歌集『ボーラといふ北風』も、いくつかの趣向を凝らした歌集で、贈呈されたときには気づかなかったのだが、のちに読み返してみて、いろいろ教示されることがあった。
例えば、
<小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭>
という歌が146ページにあるが、 「こゆるぎの」は枕詞で、「磯」「いそぎ」に掛かる。
「こゆるぎの磯」は相模の国、いまの小田原市の大磯辺りの海岸を指す。 古歌に
    「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」
    「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」
とある歌などが出典であるらしい。
また「にはたづみ」も「渡る」「川」にかかる枕詞である。
このように、さりげない体(てい)を採りながら、実は綿密に計算し尽くされた本と言えるのである。
いかにも塚本門下の歌というべく、塚本邦雄が生きていたら激賞したであろう。

今回の本の題名も「歳月の気化」という。 この本の88ページに
  <歳月の気化を思へり午睡より覚めて肌には藺草がにほふ>
という歌があり、この歌から題名が採られた、という。 年月の経過を表現するのに「歳月の気化」とは何とも凝ったことである。
作者は深い教養に支えられた、ペダンチック、かつ、ブッキッシュな表現者と言うべきである。
掲出した「帯」文は編集者が趣向を凝らしたもので、此処にこの本のエッセンスが凝縮していると言えるが、実は、このフレーズは「あとがき」の中で作者が書いていることなのである。
だから、この本を読むときは、心して、この言葉を玩味したいものである。

この本は、ほぼ逆編年体で編集されているという。
巻頭の歌は
   *さざなみを立てて過ぎゆく歳月を南天は小さく笑つて見せた
   *とめどなく散るものあれど日暮れともなれば従きゆくパスタの店へ
   *乳の香の牡蠣を夕餉に十二月エルサレムにも雪は降るらし

巻頭の項目「冬ざれの町」から引いた。 「南天は小さく笑って見せた」なんていうくだりは何とも不気味であり、一首を屹立させた。
「乳の香」の歌など上句と下句が俳句でいう二物衝撃のように、別物でありながら歌の中で巧く融合した。

   *イーハトーブは菫の季節それのみになめとこ山の熊も平らぐ
   *生者にも死者にも会はず北上はイーハトーブへ抜ける風のみ
   *若き賢治とつひに目の合ふ一瞬間ポシェットは肩を滑り落ちたり

「あとがき」に書かれているが、今年は念願の「塚本邦雄展」が北上市の日本現代詩歌文学館で開催され、塚本の残した厖大な資料を前に文学に立ち向かう師の情熱に打たれたのであった。

作者の初期の歌集の歌には、スタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が見られる。 例えば

   <透明な振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝>
   <枯野来てたつたひとつの記憶から背のみづのやさしく湧ける>
   <いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある>

などだが、年月が経つにつれて阪森の歌は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだものは減ってきているようだ。
いわば作風が「自在」になって来た。「何でもない」ことが坦々と詠われて来るようになる。
以下、私の好きな歌を引いておく。

   *初めての、言ひかけて口ごもるその場かぎりのやうで風花
   *すひかづらの実のなるあたりを見上げつつきのふに隷属しない生き方
   *レノン忌を忘れてゐたる迂闊さを振幅としてひと日風あり
   *アルカディアはギリシャの地名巴旦杏を一粒のせた焼き菓子もまた
   *はしがきもあとがきも無き一冊を統べて表紙の文字の銀箔
   *土に手をよごして夏の草を引く短歌をつくるよりかひがひし
   *持ち上げて木箱の重さ膝に置くジュゼツペ・アルチンボルトの画集

物の名、人名などに触発されて歌が作られている。 その楚辞もまた的確である。 歌柄もまた多岐にわたっている。
『赤毛のアン』十首は、この本に則って作られたが、本の要約としても秀逸。

   *ヨブ記から少しはみ出す付箋あり花水木すでに花期を終へたり

   *薔薇といふ響きは朗ら花舗に来て硝子の向かう触れ得ぬままに
   *それぞれの朝をうべなふ鰯にはレモンの呪文 ほんの数滴
   *一の道抜けて二の道ゆくごとき無音の蝶々臆せずにゐよ
   *空き部屋にこもりて夏至の一日を見目にあたらし『虫の宇宙誌』

「歳月の気化」と題名に言う通り、一巻は、さりげない体を採りながら坦々と日々や事象を消化しながら進行してゆく。

   *整理して整理のつかぬ本ばかり一冊分の隙間になごむ

著者は長年住み慣れた堺市から吹田市に転居された。その転居に伴う本棚の整理の一点景であろうか。
私も転居ということではないが、家の建て替えで移転したことがあり、ささやかながら蔵書の処分に困ったことがある。
先ず、雑誌類は多くを捨てた。雑誌に一年間連載した記事なども愛着があったが、背に腹は代えられなかった。
まさかのときは国立国会図書館などに保管されているものをコピーすればよい、と思い切ったことである。「断捨離」も時には必要か。 閑話休題。

   *蝙蝠に身じろぎしたこと厄介な倦怠のこと今なら話せる
   *摘み取ったこともあったと振り返る言葉は葉でも実でもあるから

「蝙蝠」は西欧では狡猾なものの暗喩とされることがある。 私も、そんな比喩の歌を作ったことがあるが、阪森氏の、この歌の場面では、それはないようである。
日本に棲む蝙蝠は小さな弱い獣で人家に棲み付く。時には「厄介」な騒動を起こす。作者も一度は、そういうことに遭遇したかも知れない。
この「厄介」という楚辞は上句と下句とを繋ぐ言葉として機能しているようである。
「今なら話せる」という日常にありふれた「会話」体が、この歌の中では有効に働いていて秀逸である。それは次の「摘み取った」という歌に自然に繋がってゆく。

   *白木蓮風にひらけば真白なる手套となりて寄る辺なき手指
   *おほよそは肩の高さの立葵 薄ら氷ほどの月を仰ぐは
   *はるばると真狩村産 匙をもてメルヘンかぼちやのわたをくりぬく
   *あれは燕だつたか昨日ともけふとも知れず仄めきの中
   *ありふれたプロセスチーズを齧りつつ曖昧母音のやうな返答
   *うかうかと浅黄斑蝶を呑み込めどどこへもたどり着けぬ夏空
   *いろどりの傘を開くは吉凶を占ふごとし水木の下で
   *文学の果実刹那のあまやかさナタリー・バーネイといふは源氏名

さりげない比喩を伴いながら風景や事象が坦々と詠われてゆく。
時には外国へ行かれるらしい、以下のような歌は現地で作られたようである。

   *フィラデルフィアは当てて費拉特費と書く三十七度の夏を歩いた
   *スーラが正面にあり最後までアウトサイダーだつたバーンズ

アメリカ東海岸の夏は蒸し暑い。東洋のモンスーン気候とは違うが暑さは格別である。
そろそろ歌集の鑑賞も終りにしたい。

   *くちびるに木通のむらさきあしらふは三越伊勢丹のマネキン
   *夜は更けて砂のしづもり自転車のサドルが消えて無くなることも
   *不意をつく鵙の鳴き声一瞬に水引草は赤に目覚める

巻末から三首引いた。 
とりとめもない、締まらない鑑賞に終始した。 凡人のやることとお笑いいただきたい。
比喩表現などの見落としもあるかも知れない。その節は何とぞ、お許しを。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。   (完)





香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・2016/11/26発行・・・・・・・

香山雅代氏から、いつも発行の都度ご恵贈いただきながら、このブログで採りあげるのは初めてである。
いつもはお礼状を差し上げて失礼している。
香山氏は西宮にお住まいで、かの地の文化界でも、また「能」や「日本歌曲関西波の会」というところなどで、詩に曲をつけたものなどを発表されている異色の作家である。
掲出した図版でも読み取れるが同人四人で活躍されている。
今回は同人・内藤恵子氏の短い作品を紹介したい。   ↓

デコポンimg55833098

          デコポン       内藤恵子

        白い平面に
        橙色の球体
        緑のでこぼこ
        テーブルの上の陰影
        壁に並ぶ果実二つ
        重い
        慌てて両手で受ける
        丸く突び出す先端
        中へ落ち込み
        まわりは盛り上がる
        胴体につく突起

        皮をむく
---------------------------------------------------------------------------
代表である香山雅代氏の作品を引かなかったことは、お詫びしたい。
香山氏の作品は長いし、かつ高踏的であり、拙ブログの読者には難しすぎると思って、平易な内藤氏の作品を引かせてもらった。
お許しいただきたい。
内藤氏の作品は、ご存じの「デコポン」の特徴を簡潔に表現し得ている。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。




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