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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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小西亘『詩歌とめぐる 南山城・月ケ瀬』・・・木村草弥
小西①_NEW 
小西②_NEW
↑ 「帯」裏 この本に書かれる項目が一覧で見られる

──新・読書ノート──

      小西亘『詩歌とめぐる 南山城・月ケ瀬』・・・・・・・・・・・木村草弥 
               ・・・・・・・「澪標」2021/03/03刊・・・・・・・・    

この本が贈呈されてきた。
敬愛する小西先生の労作である。ご上梓おめでとうございます。
先ず、今までの著書を一覧しておく。
1996年 『注釈青谷絶景』 (発行企画世話人会)
2004年 『月ケ瀬と斎藤拙堂』 (月ケ瀬村教育委員会・共著)
2012年 『青谷梅林文学散歩』 (城陽市観光協会)
2012年 『「月瀬記勝」梅渓遊記』 (「梅の月ケ瀬へ」編集委員会)
2013年 『相楽歴史散歩』 (山城ライオンズクラブ・共著)
2019年 『宇治の文学碑を歩く』 (澪標)

ここに挙げた本の中で、かつて私のブログに書いたものがある。 ↓
『青谷梅林文学散歩』 ← リンクになっているので読んでみてください。
『宇治の文学碑を歩く』       〃
また、小西氏は南山城の名士であられて、あちこちに文章を書いたり、講演したりなさっている。
その中で、下記 ↓
JA京都やましろ「やましろ探訪」南山城文学散歩⑪」の記事を見かけたので、読んでみてほしい。全部で⑫のシリーズものである。
赤字の部分は「リンク」になっているので、クリックして読んでください。

さて、本書のことである。 一見して「固い本」だなという印象である。
書かれる内容は図版②に出した「帯」裏 のようになっている。
私のような「感覚的な」人間の書くものと違って、理詰めの学術的な本である。
ここで、この本に同梱されてきた著者の挨拶文を貼り付けておく。      
小西③_NEW
 
ここにも書かれているように、著者も、そのことは判っているようである。
私は最近「ものぐさ」に陥ってしまい、他人の文章を書き写すのがツライので、こうしてズボラをして「画像」としてお見せする始末である。お許しを。
     
ここでは、私の住む「青谷」に因んだ 「二、上田三四二 青谷梅林」に触れてみたい。

   満ちみちて梅咲ける野の見えわたる高丘は吹く風が匂ひつ    上田三四二

上田三四二の第一歌集『黙契』(昭和三十年刊)の歌である。
小西さんは、この「高丘」が当地の国立京都療養所(現・国立南京都病院)から見える「天山」てんやま、だとされる。
平成十四年にJR奈良線「山城青谷」駅前広場の一角に、この歌の歌碑が建てられた。
この世話をされた人々の中の幾人かと私は知り合いであり、短歌会でもご一緒したが、とかく世間の付き合いというのは難しく、主導されたK氏の金銭的なズサンさなどもあり、その人らとは私は深くは付き合わなかった。
もともと青谷には駅はなかった。村の人々は「長池」駅まで歩いていたのである。
梅の咲く時期のみ「臨時停車場」が設けられていたのだが、梅林保勝会などの運動で昭和八年に常設の「山城青谷」駅が開設されたのである。
駅のすぐ近くには「製材所」があり、そこを詠った三四二の歌もある。この製材所は今も盛業中である。
病院の官舎に住んでいた三四二が出かける時には一本道だから、必ず、この横を通って駅に行ったのだった。
三四二の本も何冊かあったのだが、蔵書整理をしたので今は私の手元には無い。
三四二については、このブログにも書いた。  → 「ちる花は」。リンクになっているのでお読みください。

この本には資料として『青谷小学校百年誌』のことに触れられているが、この本を編集した人A氏も独断専行の人で、私は意識して関わらなかった。
余計なことに終始したかも知れない。
読書好きの人間には興味深い本で、知らないことが一杯載っている。折々に繙いて読むことになるだろう。
多くの方々の閲覧をお願いしたい、と思う。 ご恵贈有難うございました。      (完)






佐田公子第五歌集『夢さへ蒼し』・・・木村草弥
佐田_NEW

──新・読書ノート──

     佐田公子第五歌集『夢さへ蒼し』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・「いりの舎」2020/12/28刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。経歴など公表されているものを書いておく。

佐田公子[サタキミコ]
1952年埼玉県生まれ。1981年、日本女子大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程後期単位取得退学。
現在は、東洋学園大学・日本獣医生命科学大学・慈恵柏看護専門学校・早稲田速記医療福祉専門学校・NHK文化センターなどの非常勤講師。専攻は平安文学、和歌文学
短歌結社「覇王樹」編集発行人。

著書
歌集
『鏡の風景』 平成四年
『ももか』 平成十一年
『過去世のかけら』 平成十九年
『さくら逆巻く』 平成二十九年
著書
『栗木京子の作品世界』 平成二十年
『古今集の桜と紅葉』 平成二十年
『古今和歌集論─和歌と歌群の生成をめぐって』 平成二十八年

本の「あとがき」によると、平成二十三年三月~二十八年末までの歌456首ということてある。
平成二十九年九月末に長男を亡くされ、平成三十年十二月末に夫君・佐田毅氏が鬼籍に入られた、という。
だから、この本にはお二人の「死」にまつわる一連は含まれないということである。
ページ数の関係から、それも仕方のないことだとは思うが、このお二人を喪ったという重大事件を収録しないというのは、どういうことなのか。
以前は、直近の作品は収録しないという傾向の時期はあった。しかし、大家であっても直近の作品まで収録するというのが最近の編集の仕方である。
十数年も数年も前の、作者の「現」地点を反映しない歌を読まされる読者に、どういう顔をしろというのか。
主宰者クラスともなれば、歌集は四、五年には一回出したいものである。
現在は、そういうせちがらい、あわただしい世の中なのである。 ひと言、苦言を申しあげておく。 

歌集の題名は「いづこからくる哀しみか やまとうた 二上山の夢さへ蒼し」が採られている。
<思えば古代への淡いロマンから私の人生は始まったようなものである。もっとも当初はその現実の過酷さや哀しみを知るべくもなかったのだが。>
と書かれている。
来年春三月には東日本大震災から丸十年経つことになる。
この歌集には、それにまつわる歌が多く収録されている。

   *み熊野の古き道すぢゆきゆけば牛馬童子の細き目に会ふ
   *ふる道をひたすらたどり辿りなばわれは木霊の影になりなむ
   *カップ麺に湯を入れ二階に持ちきたる直後 大地震大地震来たり
   *停電の復旧したる午前二時 テレビ一面 気仙沼燃ゆ
   *二週間避難所暮しとふ電話 ともかく今野さん無事でよかつた
   *智恵子さん和子さんにあき子さん恵美子さんも桂子さんも無事
   *被爆から六十五年経つ日本「フクシマ」ではない福島である

結社「覇王樹」の会員で、かの地に住むひとたちの安否を案ずる歌が、たくさん詠われている。そのうちの幾つかを引いた。

長男氏の病臥の歌がある。
   *肺水腫、心不全を病む息子 水無月二日雨足激し
   *夫の手の題字に金箔押されをり散りゆく桜のカバーのよろし     歌集『さくら逆巻く』成る
   *わが歌集成れども鬱 鬱 鬱の日々 吾子の病を詠みたる歌集
   *入院のわが子の冬物詰め込むる手提げ袋のぽーんと膨らむ
   *入院の息子に贈る腕時計 箱の中よりチチハハと鳴る
   *カレーパン食べても水は五十ミリ 透析の子はあーうまさうに食ぶ
   *心臓の画像の下の洞白し 子に与へにし左腎のあたり
前歌集にはわが子の病気のこと、などが多く詠われたらしい。
はじめに書いた私の「意見」を取り消したい気分である。お許しあれ。

夫君・毅氏とも仲むつまじく過ごして来られたらしい。いくつか引いておく。
   *わが庵は生家の辰巳 巳の年の夫と歌にて世を睨みをり
   *こでまりの蕾は「しばし待て」と言う 夫よりま白き言葉欲しき日
   *午前二時結句の決まらぬ歌ひとつ憑かれ憑かれて夫と諍ふ
   *氷上を君に抱かれ風を切る北軽井沢の遠きまぼろし
   *ベコニアの咲き盛りをる遊歩道 囁きあへるいくつもの恋
   *わが夫と四十回目の年越さむ かたみに嘶き止めず走らん    翌年は午年なりき
   *籠りゐる夫に見せんと手折りにし赤き山茶花夕べに散りぬ
   *夫と息子に明るき色のTシャツを選ぶ間われの鬱は弾ける
   *若き日の交換日記が出でてきぬ 君はわれわ待ちわれは君待つ
   *君のゐる病室に来て古びたる交換日記を「ほらね」と開くる
   *山茶花をことさら愛づる君なれば赤、白、ピンクを翳してみせん  山茶花は咲いて散ります塀の上それから地上に身投げをします 毅
   *君が肩抱けばわれらはいと淡き人なる影をもちて生れたり
   *生くるため手離すをの子二人をり一人は息子一人は夫
   *君と吾を繋ぐメールの危ふさよ 十指に託す言の葉足らず

作者と夫君の愛の交換を愉しんで読んでみてください。
この他に、勤務する大学での学生との交流の歌。娘さんのことを詠んだ歌などがあるが省略させてもらう。
カバーの絵は「覇王樹」の編集委員で気鋭の画家である高橋美香子氏の手によるものという。
この歌集全般に結社「覇王樹」の会員の皆さんに対する心遣いが見られて「師弟」のほのぼのとした関係を見せてもらった。
これからも佳い歌を詠んでいただき、次歌集の早い刊行を待ちたい。  有難うございました。     (完)






浜江順子詩集『あやうい果実』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      浜江順子詩集『あやうい果実』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・思潮社2020/09/30刊・・・・・・・・

この詩集が恵贈されてきた。
浜江氏とはメールのやりとりなどの交流があるだけである。
私の詩集を送ったりしたのみで、浜江氏からの詩集を頂いたのは初めてである。
私は『闇の割れ目で』の帯文を書いている入沢康夫が短評を書いた山陰の同郷の詩人・渡部敬直と同じ三井葉子の会に同人として席を置いていたことがあるような間接の関係があるに過ぎない。
私は詩人と「自称」しているだけの人間で、現代詩作家たちと切り結ぶような作品は書けない。
今回、私のブログ本『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』を送ったのに対する返礼の意味で、初めて詩集を贈呈されたものであろう。

浜江順子 著書
詩集
『プールで1000m泳いだ日』 1985年 詩学社
『内在するカラッポ』 1990年 思潮社
『奇妙な星雲』 1993年 思潮社
『去りゆく穂に』 2003年 思潮社
『飛行する沈黙』 2008年 思潮社 第42回小熊秀雄賞
『闇の割れ目で』 2012年 思潮社 第9回日本詩歌句賞
『密室の惑星へ』 2016年 第8回更科源蔵文学賞

詩誌「hotel第二章」、「歴程」同人
日本現代詩人会、日本詩人クラブ 会員

これ以外の生年月日などの略歴は一切ない。
最近は女の作家の場合、歌人も含めて、こういうことが多い。
作家というのは「自分をさらけ出す」存在だと私などは思うのであり、作家というのは、いわば「カミングアウト」した存在であるべきだと、私などは思うのだが、いかがだろうか。
文芸作品も「時代」と深く切り結ぶものだという点からすると、同時時代から隔絶することは出来ない。
著者からのメールによると、アンソロジーなどには明記してあると言い、1948年生れということなので付記しておく。

この本の「帯」裏に、同じ著者によって、として
『去りゆく穂に』─浜江順子の破天荒な詩的想像力は、その遠い未来の望見からもたらされたかのごとくだ。─野村喜和夫・帯
『飛行する沈黙』─収録されている全作品において意識の集中に切れがない。─辻井喬「選考の感想」あさひかわ新聞
『闇の割れ目で』─ここに集められているのは、全て、先鋭的な幻想力と逞しい造形力とに支えられた作品群だ。─入沢康夫・帯
『密室の惑星へ』─浜江順子の、最も際立った特質は、一言にして言えば、「批評」ということになるだろう。このような特質をつよく実感させる詩作品は、そう、ざらにあるものではない。─天沢退二郎・帯

これらのキャッチコピーが載っているので紹介しておく。
この本の「あとがき」で著者は、こう書いている。

<『あやうい果実』は、すべて新型コロナウイルス発生以前に書いたものである。いま読むと、なぜか現在の状況に符合するようなところもあるのは不思議といわざるをえない。・・・・・菌やウイルスなどの感染症により、地球上の人人の多くがその命を奪われ、いまや我々が手にできるものは、まさにあやういとしかいいようがない。・・・・・
そんな死が今余りにも無残な状態で世界を席巻し、死の尊厳が失われているように感じる。『あやうい果実』は、さまざまな死を見詰め、詩にしたものだ。リアルに描くことは避けた。・・・・・>

これらの言葉は、この本を要約したものとして、極めて的確なものである、と言えるだろう。敢えて紹介する次第である。
短い作品を一つ採り上げておく。

      ボッチの沼へと      浜江順子

  少し尖ったボッチを押すと
  小宇宙はどんより痛い灰色を
  噛み殺しながらくねっている
  死は棒状になって
  雲がかった妙な音楽とともに
  変形ドーム状の小さな宇宙を
  ひとり支配してみせる
  ぬめっとした赤い舌には
  もう教えてもらいたくない
  ちっぽけな扁形の宇宙は
  なにやら沼へとやすやすと変容し
  何もかも呑み込もうとしている
  知らぬものか
  どこかで心臓の音も
  かすかに共鳴している
  ボッチはピッチを速めて
  鋭角な感覚を有している
  どこに飛ぼうとしているのか
  遠くに愉快な鳥たちの声もこもっているのに
  太陽はつまらぬ青の円筒になろうとしている
  ボッチの沼は近い
-------------------------------------------------------------
掲出した画像だが、スキャンすると元の色が再現できない。
題字の文字は、本当は「金色」である。スキャンすると黒色になってしまうので了承されたい。
この絵はカンディンスキー「白い縁のある絵」が原画である。

私の「詩」の理解は萩原朔太郎や三好達治などの「近代詩」、現代であれば大岡信や谷川俊太郎、三井葉子などのところ、までである。
考えてみれば、みんな私と同年代の作家たちであることに気づく。
だから私は、自分自身を「現代詩人」と名乗ることに躊躇する。敢えて、そのことを書いて、この文章を終わる。
有難うございました。                                 (完)



松林尚志詩集『初時雨』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      松林尚志詩集『初時雨』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・砂子屋書房2020/11/22刊・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
松林氏との「なれそめ」や著書その他については前著『山法師』の時に詳しく書いたので、お読みいただきたい。

松林氏は私と同年の1930年生れである。
私あての私信で「終活のつもりで本にまとめている」とあったが、豊富な読書量と「詩」と「句」と「論」にわたる真摯な執筆活動であり、敬服するばかりである。
掲出した画像でも読み取れると思うが、郷原宏の書くように「碁」の打ち手としても名手らしい。一芸に秀でた人は、「多芸」でもあるようだ。

作品に当たってみよう。
この本の題名が採られた詩を引いてみる。

   初時雨

  うそ寒い時雨が押し包むように訪れている
  足音を忍ばせ ひたひたと限りない遠さから寄せてくる
  私はかき抱くように布団にくるまったまま耳を澄ましている
  私の魂だけがいそいそと旅支度を始め 漂泊の旅に出る
  初老のさびしさをかきたてるようにあてどない旅に出る
  ひび割れた欅の幹を濡らし
  枯れた葦を濡らし
  朽ちた白壁を濡らし
  降るともなく降る時雨のように訪れる
  枯野の犬を濡らし
  旅人の蓑と笠を濡らし
  懐かしい歌枕を濡らし
  語られぬ言葉を濡らし
  しんしんと訪れ しんしんと去ってゆく
  まつわりつく存在の衣裳をどこまでも脱ぎ捨ててゆき
  寂寥が魂を透きとおらせるまで
  私はさまよう

     みのむしの得たりかしこし旅しぐれ    芭蕉

----------------------------------------------------------------------
詩作の常道だが、「濡らし」のルフランが見事に効いている。
このⅡという章には、この作品のように、俳人たちの句が末尾に置かれている。
それらの俳句は、詩の本文と照応して、的確である。
俳人として一家を構えて奮闘される松林氏ならではのことである。

巻末近くに「相武病院にて 95・11・10瀧春一先生を見舞う」という作品があるが、「あとがき」の中に、こう書かれている。
<瀧春一先生は俳誌「暖流」を主宰していた俳人で、私は先生のお宅で下宿生活を送っている。先生は脳梗塞で倒れられ、・・・この年に九十五歳でお亡くなりになっている。・・・・・>
松林氏の俳句との「えにし」は、その時に始まったのであった。
また詩人・村野四郎とのなれそめも書かれていて、松林氏が詩人、俳人として現在おられることの原点が判って、すとんと腑に落ちるものがあった。

あと一篇だけ作品を引いておく。

     早 春

  海はおびただしい死者を洗い清めてどこまでも碧い
  早春の寒さに身を引締めて果てしなく拡がり
  地鳴りのような轟きをこもらせる
  おどろおどろしく押し寄せてくるあの音に耳を傾けよ

  岬へと大地がせり出す岩礁地帯
  波をかぶっては漆黒の巌が現れる
  うがたれた眼窩の奥の暗闇に眼をこらせ

     ・・・・・・・・

  海は原始の生命を育んでどこまでも碧い
  さかしらな人間を寄せ付けない豊穣の海
  しなやかに鷗舞い 魂遊ぶ 果てしない海
----------------------------------------------------------------------
この詩は、作者が喀血して療養している時の作品か。「あとがき」の記述から、ふと、そなんことを思った。

とりとめもない文章になったが、この辺で終りにしたい。
「終活」などとおっしゃらずに、これからも佳い詩句を、ものして頂きたい。有難うございました。    (完)



現代短歌を読む会『塚本邦雄論集』・・・木村草弥
塚本_NEW

──新・読書ノート──

      現代短歌を読む会『塚本邦雄論集』・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・短歌研究社2020/10/02刊・・・・・・・・・

この本が山下泉氏から贈られてきた。
山下氏は、私が兄事する山田兼士先生の夫人である。
関西学院大学で「塔」創立者・高安國世にドイツ語と短歌を学ばれた。現在「塔」選者である。
掲出した画像から、この本の概要が読み取れると思う。
この会は尾崎まゆみの提唱で2010年に発足している。
これまでに、山中智恵子、葛原妙子、塚本邦雄、前川佐美雄(継続中)と読み継いで来て、現在までに二十名近い参加者を得ているという。

本書のことである。
この本の「後記」に藤原龍一郎が書いている。

<塚本邦雄生誕百年の年に、塚本邦雄論集を出そうというプランが実現できたことは嬉しい。
 私が初めて現代短歌を読む会に参加させていただいたのは、二〇一五年八月だったのではないかと思う。
 対象歌集は塚本邦雄の二冊目の歌集『装飾樂句カデンツァ』、場所は京阪寝屋川駅前の公共施設だった。
 暑い日だったと記憶している。その後、新大阪駅前の貸会議室などに場所を変えながら、二〇十八年まで続いた。
   ・・・・・ この本の最終校正をしている最中に、岡井隆氏が亡くなられた。時代の変換を否応なく、実感せざるをえない。
 そう思えば、この一巻のそれぞれの塚本邦雄論も、書かれるべき価値、読まれるべき価値が大きくなるのではないか。>

多くを引くことが出来ないので、この言葉を引いて、ご紹介の役目の一端を果たしておきたい。
「帯」裏に ◎本書の内容として「本論集の見取り図」として、こう書かれている。

     ●池田裕美子  幻視=見神の使命とメソッド
     ●尾崎まゆみ  言葉と肉
     ●楠 誓英    塚本邦雄の口語について
     ●楠見朋彦    われの不和
     ●彦坂美喜子  塚本邦雄
     ●藤原龍一郎  魔王転生
     ●山下 泉    塚本邦雄のポエティク 

この本をお贈りいただいた山下泉氏への返礼の意味を込めて、山下氏の論考に少し触れることにする。

山下氏の論は「塚本邦雄のポエティク」の傍題として「リルケのことなど」と書かれている。
リルケは高安國世の研究テーマの一つであったし、その弟子として山下氏が、いつも書かれていることである。
論は Ⅰ 初期詩学の概観 として

   つひにバベルの塔、水中に淡黄の燈をともし──若き大工は死せり       (未来史/雨季に)
   しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり            (鎮魂曲/帆の章)
   磔刑の釘うつひびき夜もすがら 死火山の襞に湖はひかりて       (水葬物語/アルカリ歌章)

が引かれている。
ここで私事に立ち入ることを許されよ。
私は第四歌集『嬬恋』に「ダビデの星──イスラエル紀行──二〇〇〇年四月二九日~五月八日」を載せたが、その中でゴルゴダの丘への磔刑の幻視を描いたが、
その中に、ここに引かれる二番目の歌を、塚本邦雄の歌として「挿入」した。
これは私にとって記念碑的な旅だったが、ここに、その歌を見出して感慨新たなるものがある。
畏れ多いことながら、私の幻視は、塚本邦雄の幻視と、そこで繋がった気がしたことである。

山下氏の論は Ⅱ 「見ること」をめぐって   と続くが、本書への言及は、この辺で勘弁いただきたい。

同好の人たちの購読をお願いして、ささやかな紹介を終わる。 有難うございました。    (完)


武藤ゆかり歌集『みちひらき』・・・木村草弥
武藤_NEW

──新・読書ノート──

      武藤ゆかり歌集『みちひらき』・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・南天工房2017/06/06刊・・・・・・・・

敬愛する武藤ゆかり氏から、この本を恵贈された。
武藤氏には私の歌集『昭和』を上梓した際に三井修氏の主宰する同人誌「りいふ」6号2012/07に「魂は痛みを越えて」─木村草弥歌集『昭和』を読む懇篤な批評文を書いてもらった。← リンクになっているのでお読みいただきたい。
そして同年夏に三井修氏のお世話で東京で開いてもらった『昭和』を読む会にも出席していただいた。
その時以来、私の本の批評文を何度も書いてもらっている。

武藤ゆかり 略歴
1965年茨城県常陸太田市生まれ。
東京外国語大学卒業。
1998年 「短歌人」入会。日本写真協会会員。
著書
歌集『夜の姿見』(フーコー)、『ささめ琴』(短歌新聞社)、『ほくろの北斗七星』(近代文芸社)、『ゆかしめて森』(沖積舎)、
『とこはるの記』 『異界伝説』 『たそがれ通信』 『ひなたみち』 『北ときどき晴れ』 以上「南天工房」など。
新聞記者をされていた期間もあり、写真集数冊刊行。写真のプロである。
武藤氏は自宅を「常春庵」と称しておられ、「南天工房」という名前も自前の出版社である。

この歌集の「あとがき」の末尾に、こう書かれている。
<・・・・・『ひなたみち』 『北ときどき晴れ』と本書と合わせて「ひなたみち三部作」としたい。・・・・・>
一ページ6首掲載というぎっしりと重い本で、総歌数1105という大部のものである。これは2012年~2015年に詠まれたもので極めて多作だと言える。
上の文章に続いて
<言語や歴史、科学や地理など、世の中には面白い未知の世界がたくさんある。
 それら魅力あふれる大陸へ向けて、小さな舟を漕ぐように歌を歌っていきたい。
 歌は朗詠であり呼吸である。息を吸い込むときは前向きに、吐き出すときは後ろ向きになり、自分の息が小舟の推進力になれば楽しいではないか。
 たとえどこにもたどり着けなくても、小舟が逆に走ってしまっても、楽しい気分で歌を歌いたい。
 そして、不思議に満ちたこの国の全体が、いつか生命力に光り輝く「いやしろち」と化す夢を見ていたい。・・・・・>

と書かれている。
武藤氏は多弁である。歌も多作である。
何分、歌の数が多いので見落としも多いと思うが、歌を見てゆきたい。

この本は先に引いたように2012年から2015年までのものであるから、第一部から第三部の章立ては暦年によるものだろうか。
第一部には「三河の蝉」 「六ケ所村の九月」 「のへじ行」 「津軽にて」 「りんごの国」 「さいぎさいぎ」 「嶽温泉」などの名前が並ぶ。
巻頭の「三河の蝉」から
  ・二人して帰省してから手渡しの謹賀新年ことしもよろしく
  ・ふるさとの黄門もなか別便でお送りします喜寿の祝いに
  ・痛み止め飲んでいますか要返事折れていなくて幸いでした
  ・虫眼鏡あてて読んでねあずま路の果てより届く郵便はかき
  ・なすの花開きましたと絵手紙に添え書きにじむ前略草々

始めの部分を続けて引いた。
自動小銃の引き金を引くように、歌が連射的に出てくる。そして、それが物語になってゆく。
これが作者の歌の特徴のようである。一首一首に意味を汲み取っては、いけない。

次の「六ケ所村の九月」を見てみよう。
  ・そよろとも風吹かぬ日のかざぐるま弥栄平のおちこちに立つ
  ・大いなる湿原はあり不夜城のむつ小川原港近きところに
  ・窓開けて走っていいか二重柵の内側にある濃縮工場
  ・白鳥は知るや知らずや使用済み核燃料が村にあること
  ・みりぐれいまいくろぐれいなのぐれい灰色という響きにも似て
  ・土地の人らしき男現れて浜なすの実を口に含めり

この土地には見過ごせない「現実」があるのだが、歌は淡々と詠まれてゆく。

  ・おいで風おいで霧雨お岩木の白く凍える鳥の海から──嶽温泉
  ・鳥肌が立つほど痛い耳の奥生きるってのは時々つらい──小岩井農場
  ・凪ぎわたる野辺地の海に真向かいて心にひらく追憶の花──のへじ行
  ・謎めいた配置の神社めぐりたし津軽の北斗七星伝説──津軽にて
  ・沿道にりんご農園続きおりああどこまでも津軽のくには──りんごの国
  ・ゆるやかな林道のぼる嶽温泉やらいの雨にもみじ濡れつつ──嶽温泉
  ・引き算の豊かさ満ちているところみちのく津軽らんぷの宿は──らんぷの宿

第二部から引く。
  ・使用済み核燃料の貯蔵庫に影を落として戦闘機飛ぶ──上北の道
  ・十二湖は鶏頭場の池に雨落ちて九月の水をうつくしくする──深浦の記
  ・硫黄の香ひばの林に漂いて霊場恐山の山門あらわる──恐山参拝記
  ・月よりの微風を受けてかざぐるまゆっくり回る弥栄平
  ・お豆腐にこんもりかつお節掛けておひとりさまのお昼ご飯を──自画像
  ・今日明日の命とばかりうみねこは切羽詰まった声で鳴きおり──うみねこの島
  ・菜食のたまものなれや細き目に笑みを絶やさぬ青年僧ら──永平寺参拝

第三部から。
  ・十三湖きのうの雨に泥となる濁りの底のやまとしじみよ──津軽海峡
  ・めいめいが胸にかなりあ飼いながらその鳴き声を隠そうとする──かなりあの歌
  ・虹の脚なぜか三つに分裂し東海村を突き刺しており
  ・つつがなき暮らしぶりにていとこ殿わが両親をいたく喜ばす──青森屋
  ・湯上がりのお客をさらに熱くするすこっぷ三味線熟練の技
  ・はは二度目ちちは初めてわれ五度目三途の川を仲良く渡る──恐山へのいざない
  ・口寄せに尋ねたきことあるという母の主張は強くはなけれど
  ・酸ヶ湯には美肌成分あるようで父の素肌はいよよつやめく──酸ヶ湯へのいざない
  ・目に見えず鼻に臭わぬ高濃度核物質の汚染やいかに──地層
  ・秋晴れの東海村は石神の小学校に鐘ひびくなり
  ・極楽はろっかぽっかの露天風呂くびから上は氷点下でも──ろっかぽっか
  ・花びらを変色させて酸性の雨が降るなり常陸太田に──操縦室
  ・昼寝する黒毛和牛の向こうにも菜の花畑広がっており──菜の花慕情
  ・葦毛崎いかにと問わばあまがける銀河鉄道始発駅とぞ

「東海村」は作者の住むところである。なぜ、ここに住んでおられるのか知らないが、或いは夫君の勤務地なのか、と想像する。
雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。作品数が多すぎて神経が集中しなかった。
「多作」が作者の本領である。これからも、ご健詠を。  有難うございました。        (完)



河西志帆句集『水を朗読するように』・・・木村草弥
河西_NEW

関_NEW

──新・読書ノート──

     河西志帆句集『水を朗読するように』・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・邑書林2008/12/12刊・・・・・・・

河西志帆さんには、FBで出会った。と言っても、ネット上での付き合いで、まだ会ったことはない。
FBでの付き合いも、恐らく今年に入ってからのことではないか。
どんな人か判らないので、ネット上で検索して作品を検索してみた。
私の知人が金子兜太の「海程」に居て、その人からもらったバックナンバーの中に秀逸句として河西志帆さんの名前があった。
二年前くらいのことである。
それから注目して、付き合いが始まったのは、その後のことである。
私のブログの「月次掲示板」に河西さんの句を継続して引くようになった。
そんな付き合いの中で、残部も手元にない中、古本で見つけた、と言って、今回この本をいただいた。
有難うございます。

掲出した画像でも読み取れると思うが、金子兜太の「帯」文が的確である。
金子兜太が亡くなって、結社も解散し、後継結社も発足した。彼女も、そこに加わっていると思うが、詳しくは知らない。

この本は、もう十年以上も前に出た本だが、新本同様で、きれいな本である。
この本には「序にかえて」という金子兜太の五ページにわたる文章がある。
この文章は「海程」所収「秀作鑑賞」の文を転用したもののようである。
とにかく河西志帆さんは兜太に可愛いがられていたらしい。
「帯」にも書かれているが、彼女は現代の「口語」で俳句を作っているということである。
そして、この本には「枝折り」として、相原左義長、田村みどり、池田澄子、鳴戸奈菜、島田牙城の五人が、見開き2ページづつ書いている。
そして「跋」として「水辺の女」と題する関容子氏の五ページにわたる文章がある。
ご承知のように、関氏は「インタヴュアー」として高名な人であり、今は主に歌舞伎を中心したエッセイを書いておられる。
二番目に掲出した本も河西さんからいただいたものだが、関さんの著書である。
関さんと河西さんとの出会いも面白い。
この「跋」のはじめのところに書かれているが、上田在の小さな温泉の湯で二人は出会い、行を共にして今日まで親しく付き合っているのだった。
関さんも俳句を齧られるので、話題は次第に俳句に移っていったらしい。
FB上での二人の親しげなやり取りを見ていて、ようやく、その疑問が氷解した気分である。「人」との付き合いから、全ては始まる、ということである。

以上が「イントロ」であり、これからが河西志帆の句の世界に切り込むことになる。
「あとがき」に書かれているが、志帆さんの俳歴である。「あとがき」の文章を引いておこう。

<第一製薬「笹鳴句会」に誘ってくれた従姉の保里吉子には、言葉にできないほどの感謝をしている。
 ここで始めて俳句というものと、丸山海道先生にお会いした。
 ここから続く俳句を通しての沢山の方との出会いは、金子兜太先生へと導かれていった。・・・・・>

巻末のところに  <水を朗読するように * 三八八句 * 畢 >とあるように、全部で388句が収録されているようだ。
「章」立てとして「気乗りせぬ鬼」 「八月十四日」 「木箱で帰す」 「まじめに並ぶ」の項目が立てられている。

この句集を読んでいて、定型を激しく崩すことはないが、多少の破調の句が見られるが、この傾向は、いつ頃から始められたのだろうか。
傍から眺めていると、俳句の結社の世界は、多分に「宗匠」的であるように私には見える。
丸山海道の「京鹿子」にしても伝統的な定型の世界だし、この句集に見られる「破調」というか「自由律」というかの詠み方は金子兜太に出会ってからのものなのか。
この句集が出されるまでに、既に二十年の句歴があるというのだから、その中から388句というのは少ない気がするから私は、そう思うのである。
私なんかは短歌作家だが、文語定型、歴史的かなづかい、も口語自由律も、勝手にやってきたが、私みたいな男は極めて例外的な存在である。
そんな私から見て、志帆さんは、俳壇において、確かに稀有な存在だろうと思う。
それに、金子兜太が、そうだったように極めて「革新的」な心情の持ち主であるようであり、また「無言館」に心寄せるところなども革新的である。
「章立て」のところに「八月十四日」と、わざわざ置いてあるところも意図的であろう。

いよいよ句を挙げて行かなければならないのだが、典型的な句は金子兜太の文章や「枝折り」の中で皆さんが引いておられ、私が出る幕もないのだが、少し引いてみる。

「気乗りせぬ鬼」
    *熊野曼荼羅玉音放送の頃か
    *南風そのどんつきの尾鷲駅
    *裸木や思わぬところから弟
    *小鳥来る空気は描けなくて困る
    *サニーレタス錆びたり会いたくなったり
    *アネモネや膵臓の中にある孤島
    *黒南風という賑やかな挫折かな
    *はんざきの前も後も国境
    *栗爆ぜて何だか科野が騒がしい  
    *位置について啓蟄のはじまりぬ
    *裸木や鎖骨恥骨の高さなど
    *来世に鶴でも白鳥でも困る

「八月十四日」
    *雪列車「女一枚上野まで」
    *モンゴロイド日暮れの葱を抜いている
    *軍人が前列中央さるすべり
    *赤紙の赤を知りたる単衣
    *軍事郵便うける朧に口があり
    *ゲートルは枯野に続くと知っていた
    *八月や左卍と鉄十字
    *ふらここの頂上ひろしまが見える
    *人を許す青野がこんなにやわらかい
    *夏風邪や男のパジャマ着て眠る
    *万緑のいつも二階に谷がある

「木箱で帰す」
    *木箱で帰す海市から来た母を
    *錆釘のいきなり曲がるから寒い
    *ところてん大声でする癌のはなし
    *号泣のあと厄介な凍豆腐
    *冬の田の二人の男一緒に帰る
    *口数の少ない葦に用がある
    *秋鯵やはみ出している猫の足
    *親に過去子に過去りんごかじりかけ
    *ちちははの骨が重なる冬桜

「まじめに並ぶ」
    *お向いも裏も嫁なしきんぽうげ
    *井守家守きみを守ると言われても
    *蛇の衣モンロー・バーグマン・デートリッヒ
    *玉川上水よこぎる烏瓜にもなる
    *先頭の海鼠にバンザイクリフかな
    *鍵かけて寒がる金魚をおいてきた
    *野火のあとここは昨日がよく見える

アトランダムに引いてみた。もっと佳い句を見落としたかも知れない。
この句集から、また私のブログの「月次掲示板」に句を拾うことになるだろう。

秀でた才能に敬礼して、ご恵贈に感謝して終わる。有難うございました。ご健詠を。      (完) 



    
野田順子詩集『あの夏は金色と緑と水色だった』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     野田順子詩集『あの夏は金色と緑と水色だった』・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・「空とぶキリン社」2020/10/31刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。私には未知の人である。恐らく高階杞一氏が指示されたものだろう。
野田さんは 1967年 浜松市生まれ。
詩集 『恩寵』 2008年
    『うそっぷ』 2011年
    『蟻の日』 2015年
    『ただし、物体の大きさは無視できるものとする』 2018年

という経歴の持ち主である。
少し作品を引いてみよう。

題名の『あの夏は金色と緑と水色だった』という名前の作品は無い。

       消しゴム    野田順子

  わたしはふたつの人生をあゆんできたらしい
  ひとつめは練習のつもりで
  あとからやり直すもうひとつの人生を夢見ながら

  水彩画にようにやさしい色合いの夕焼け雲に
  少女の頃のねがいをはっきりと刻んでおけばよかった

  描き直したいので 消しゴムをください 消しゴムをください

  いいえ 水彩画は消せませんよ といわれて
  それなら火をつけようかと思案するうちに
  わたしにわりあてられた分は あっというまに色あせてゆく

--------------------------------------------------------------------

      未完の物語     野田順子

  無理してハッピー・エンドの物語を書かなくてもいいよ
  苦労なんかしないで済んだらそのほうがいい
  楽なほうを選ぶなって怒られたけれど
  それはその人が怒りたいからわたしが怒られただけで
  誰にも迷惑をかけないなら楽なほうがいいに決まってる
  しんどいほうばっかり選んできたらひねくれちゃって
  今では自分が書く物語の主人公がしあわせになるのさえ許せなくて
  まだひとつも物語が完成できない

--------------------------------------------------------------------

       雨の中で     野田順子 

  雨が降ると 君を思い出す
  君がわたしを思い出すだろうということも思い出す
  雨が降ると 冷たい雨でもどこかがちょっとあたたかくなる
  雨が降ると 舐めてみるわけじゃないけれどちょっと甘い気持ちになる
  雨が降ると 濡れた路面からなつかしい匂いが立ちのぼる

  わたしは雨が降らないと君を忘れているけれど
  君はいつでもわたしを想っていてくれますか

--------------------------------------------------------------------
野田さんの詩句は極めて平易である。

あの夏は金色と緑と水色だった がコロナ禍との闘いの今年の夏は、いかがでしたか。
益々お元気で詩を作ってください。 ご恵贈有難うございました。
高階さんにはお世話になっています。






新短歌クラブ「潮」182号ほか・・・木村草弥
潮_NEW

──新・読書ノート──

      新短歌クラブ「潮」182号ほか・・・・・・・・・・・木村草弥

奈良の宮章子さんから、新短歌クラブ「潮」182号など三冊が贈られてきた。
私の詩集『修学院夜話』進呈へのお返しであろうか。
ここに載る歌いくつかを引いて御礼としたい。

   ・蝉の合唱が降ってくる朝 コロナ禍など消えそうな日ざしの饗宴・・・・・・・宮章子

   ・夏 しなやかな子鹿の首の曲線に遠い恐竜のおもかげ・・・・・・・やひろ こおる

   ・背番号のない草野球の少年たちよ 黒揚羽を追い空の旅人になれ・・・・・・・林貞行

   ・「きゅうりのにおいや」花の色水で遊ぶ コロナは無縁 !? 園庭の声・・・・・・・米田奈津

   ・パンデミック収束に向けて今できること # 自宅にいよう ・・・・・・・橋本宗和

   ・試練で迎えた春 ちいちゃんはコマなし自転車に挑戦中です・・・・・・・村田史子




  

高城修三『月と太陽』─日本書紀の女たち・・・木村草弥
高城_NEW

──新・読書ノート──

       高城修三『月と太陽』─日本書紀の女たち・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・澪標2020/06/20刊・・・・・・・・

この本は版元の澪標・松村信人氏から恵贈された。
高城修三氏は芥川賞作家であるが、奈良の巻向山の麓に住んで、かの地にまつわる人々のことを書いておられたが、今は大津市に住んでおられるようだ。
「連歌の会」などを催しておられるらしい。
この本も画像でも読み取れると思うが、日本書紀にまつわる女たちを採り上げておられる。
神武天皇の九州での后であった「吾平津媛」に始まり、「日本武尊を助けた女たち」 「神功皇后」 「衣通姫」 「推古天皇」 「斉明天皇」 「額田王」 「大伯皇女と但馬皇女」 「持統天皇」までを採り上げている。

「帯」裏面に、こう書かれている。
<皇室が日本の聖なる王として台頭する過程で、その后妃となった女たちは「産む力」を武器に、
 背後に控える氏族や部族の輿望をになって、夫に激しく恋し、また嫉妬する力で夫と対峙しながら、 我が子を産み育てていく。  記・紀の世界に名を連ねる女たちの消長は、支配階級の葛藤、社会や政治思想の変遷を映したものであり、
 その跡を追うことなしに我が国の古代史を語ることはできないのである。> (「まえがき」より)

ここに、この本の要約が尽くされていると言っていいだろう。

以上、概略だけ紹介した。




久我田鶴子第九歌集『雀の帷子』・・・木村草弥
久我_NEW

──新・読書ノート── 

     久我田鶴子第九歌集『雀の帷子』・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・砂子屋書房2020/09/20刊・・・・・・・・

この本が贈呈されてきた。
久我さんは若い。まだ六十代半ばであるが高校の国語科教師を辞めて、短歌結社「地中海」編集長をなさっている。
私も一時、この会に席を置いていたものとして、お付き合い下さっているのである。
久我さんの前著について、このブログで紹介したことがある。 リンクになっているので参照されたい。 → 『菜種梅雨』

今このリンクにした私の文章を読んでみて、丁度、体調不良で倒れていた時だった、と判る。
あの時は体全体が起居もままならず、四苦八苦していたことが蘇る。ここに書いておいたことが貴重なことのように思える。
これも久我さんのお蔭である。

さて、久我さんは多くを語らない人である。この本を頂いて「雀の帷子」という文字に既視感があったので思い出してみた。
角川書店「短歌」誌に載る歌として記憶していたのである。
この本は編年で編まれていて、 Ⅰ~Ⅴまで、2016年~2020年までの作品が並んでいる。
Ⅰ の扉裏に<韻文にたちもどれない幾日も 便器をみがけ湯垢をおとせ> と掲げられている。
この文章が誰のものなのか判らないが、この言葉に私は衝撃を受けた。
目下の私は、まさに「韻文にたちもどれない」日々を過ごしているからである。ここに言われるように、そんな雑駁な日々を克服して行かなければならない。
そのためには「便器をみがけ湯垢をおとせ」なのである。この一連に私は久我さんからの「警句」として読んだ。

そして画像でも読み取れると思うが「帯」文の四行が何とも抜群である。
「どこかで風が吹いている。草の穂が揺れ、ぱらんと種をこぼした。」という表現が『雀の帷子』という本の題名と響き合って秀逸である。
この「詩句」が、この本の要約として秀でている。他に余計なことは何も喋る必要もないのだが、少し歌を引いて書いてみたい。

一巻は、一見すると淡々と進行していくように見えるが、中身は凝縮していて、濃い。
ここに断片的に引くことに躊躇するが、お許しいただきたい。

久我さんは今や名士であるから、あちこちに「招かれ」て行かれる。
「越後雪前」の一連は宮柊二、香川進の縁で招かれたものだが、その中に詠まれた一首を挙げておく。

      一本の蠟燃しつつ妻も吾も暗き泉を聴くごとくゐる (宮柊二)
   ・らふそくの炎のゆらぎかの一首ひき寄せながら手を合はせをり

この柊二の歌は、私も若き日に読んで、その歌の沈潜した雰囲気に浸ったものである。戦前の某温泉場での柊二、英子の逢瀬を詠んだものである。
こんな風に一首引き出してみても何の趣もないがお許しを。
「知覧にて」の一連も忘れ難い。
   ・知覧にて宜蘭をおもふかの地より特攻に発ち死ねざりし者
   ・知覧茶の花しろく咲くひそやかにむかしをいまにひきよせながら

「ひらがな」を多用した試みも快い。

   ・空爆の的にされたる民主主義「ゲルニカの木」を見せしめとして
   ・にんげんが為す快楽に“殺す”あり見逃さざりき桃原邑子は

桃原邑子の著書を編集し直した久我さんとして、拘った一連であろう。
本土決戦に備えて沖縄に布陣した「日本軍」が、現地オキナワの女の人を「強姦」した事実は、中国戦線に於ける「慰安婦」事件と同じ醜聞であることを指摘しておきたい。

三枝浩樹氏との「二人五十首」の一連も名士ならではの出版社の試みであった。
   ・「海ゆかば」ながるる日々を育ちきて谷川俊太郎その詩の明度
   ・原爆画展示会場より逃げだしし「あなた」とはわたし 友の語りに
   ・ちりぢりになりたる雲を呼ばひつつ渚にふるふ緑の小枝

前の二首の歌は、まさに私と同世代の「谷川」や「原爆展」のことである。
終わりの三首目の歌は「小野茂樹」のことで、私も小野未亡人との関係で文章に書いたことがある。そんなことも思い出した。
作者の歌は淡々としたようでいて、3:11や原発の爆発、津波のことなど「時事」にも触れていて敏感である。

   ・べにふうきの茶葉のひらくを待ちながら産地対馬から大西巨人へ
   ・ウンカが噛んだ茶葉の甘さを教へつつ蜜香紅茶こころにも効く

「べにふうき」には傍点があるが表記し切れなかったので了承を。
私は職業柄、日本の紅茶にも知見があるが、作者も招かれてか、日本紅茶に詳しい。そこに「大西巨人」という作家の名前が出てくるところなど珍しい。

いよいよ巻末の歌に入りたい。

   ・庭の草たんぼの草と思ひしもベランダに来て花咲かせをり
   ・帷子は雀のなればあさみどりひかりを透きてさやとゆらげる

この本の題名は、これらの一連から採られている。

巻末の一連は
   ・強風にけふは黄砂が飛んでくる何かよりましと言ひかけし唇
   ・てなづけてしまふもひとつか新コロと呼ぶにいささか抵抗あれど
   ・種を蒔きはぐくむ時間 わたくしに蒔かれし種とわが蒔きし種

ここには教師として「わが蒔きし種」という自負が見えている。「自恃」と言い換えてもいいかも知れない。この辺のところは教師としての歓びだろう。
とりとめのない雑駁な鑑賞に終始した。この辺で終わる。ご恵贈有難うございました。   (完)




松村信人の詩「ナカタニを呼べ」・・・木村草弥
イプリス_NEW

       松村信人の詩「ナカタニを呼べ」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・イプリスⅡ31号所載・・・・・・・

この松村信人の詩は、先年上梓された『似たような話』(思潮社刊)と、よく似た手ざわりの作品である。


          ナカタニを呼べ     松村信人

   西成の居酒屋で友人と飲んでいるとき
   隣席のチンピラ風の男に因縁をつけられた
   友人は腕つぷしが強い
   相手はまずいと察したのかちよっと顔を貸せと奥の部屋に連れて行った
   奥座敷には兄貴分と思われる男と若い女が飲んでいた
   私らの姿を認めたとたん一気に険悪な雰囲気になった
   友人が突然
   ナカタニを呼べ 呼んで来い
   凄い形相で私を戸口の方へ押しやった
   暑気の残る店外に慌てて飛び出したものの
   ナカタニがどこにいるのかわからない
   仕事柄の捌きを得意としているのだろうが
   どうして良いかわからず右往左往
   ともかく公衆電話をさがす
   慣れない場所でもたついていると
   店から若い店員が息を切らせて駆け寄ってきて
   何とかおさまりましたとの報告

         ・・・・・・・・・

   友人は依然として消息不明
   今でも西成に足を踏み入れると
   どこかにナカタニが見張っているような気がする
------------------------------------------------------------------------------
『似たような話』とよく似た手ざわりの作品である。
このプロットが面白い。
松村氏の作品は、こういう手ざわりのものが多い。だから「似たような話」なのであろう。





細見和之詩集『ほとぼりが冷めるまで』・・・木村草弥
細見_NEW

──新・読書ノート──

       細見和之詩集『ほとぼりが冷めるまで』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・澪標2020/08/01刊・・・・・・・・

細見氏は季刊詩誌「びーぐる」の山田兼士など四人の編集同人の一人である。
Wikipediaに載る経歴を下記しておく。

細見 和之
(ほそみ かずゆき、1962年2月27日 – )は、日本の詩人、京都大学教授、大阪文学学校校長。専門はドイツ思想、特にテオドール・アドルノ。
兵庫県、現在の丹波篠山市生まれ。丹波篠山市在住。兵庫県立篠山鳳鳴高等学校、大阪大学文学部卒業、同大学院人間科学研究科博士課程満期退学。2007年「アドルノの場所」で大阪大学から博士(人間科学)。
大阪府立大学講師、助教授、教授を経て、2013年5月より自分の詩に曲を付けはじめるとともに、高校時代のバンド仲間とtheチャンポラパンbandを結成、丹波篠山市を中心に大阪でもライブ活動も行ない、ソロでの展開をふくめて活動を模索している。2014年から大阪文学学校校長兼任。2016年4月から京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部教授。

著書
単著
『沈むプール――詩集』(イオブックス, 1989年)
『バイエルの博物誌』(書肆山田, 1995年)
『アドルノ――非同一性の哲学』(講談社, 1996年)
『アイデンティティ/他者性』(岩波書店, 1999年)
『言葉の岸』(思潮社, 2001年)、第7回中原中也賞候補
『アドルノの場所』(みすず書房, 2004年)
『言葉と記憶』(岩波書店, 2005年)
『ポップミュージックで社会科』(みすず書房, 2005年)
『ホッチキス』(書肆山田, 2007年、第13回中原中也賞候補)
『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む――言葉と語りえぬもの』(岩波書店, 2009年)
『「戦後」の思想――カントからハーバーマスへ』(白水社, 2009年)、第7回日本独文学会賞
『永山則夫――ある表現者の使命』(河出書房新社, 2010年)
『家族の午後――細見和之詩集』(澪標, 2010年)、第7回三好達治賞受賞
『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(岩波書店, 2011年)、第3回鮎川信夫賞候補
『闇風呂』(澪標, 2013年)
『フランクフルト学派』(中公新書, 2014年)
『石原吉郎――シベリア抑留詩人の生と詩』(中央公論新社, 2015年)
『「投壜通信」の詩人たち <詩の危機>からホロコーストへ』岩波書店、2018

私は『家族の午後』や『「投壜通信」の詩人たち <詩の危機>からホロコーストへ』などを読んだことがある。

細見さんの詩は何も難しいことのない身辺に取材したものである。
今回の本には全部で28編の作品が載っている。
その中から二つの作品を引いておく。

       宴のような時間──三井葉子さん追悼

  王朝風の美人
  それが三井さんから
  誰もが受けていた印象でした
  私が大阪文学学校に入学したとき
  あでやかな和服姿の三井さんがいらして
  金時鐘さんがあろうことか
  「三葉虫 ! 」などと声をかけられると
  三井さんがキッと睨まれて
  川崎彰彦さんがアハハハと笑ってらした
  それは、それは、美しい宴のような時間でした
  海外に長期滞在したことのない私にとって
  思えば文学学校は留学先でした
  ドイツ語が話されるのでもない
  フランス語が話されるのでもない
  けれども、普段とは違う日本語がたえず飛び交っている
  かけがえのない別世界──
  三井さんもそこで
  私が聞いたことのない日本語を話されていました
  私が読んだことのない日本語を書かれていました

  三井さんが亡くなって
  あらためて気づいたことがふたつありました
  三井さんの第一詩集『清潔なみちゆき』が一九六二年
  私が生まれた年に出版されていたこと
  そして、三井さんの本名が「幸子」であったこと
  三井さんは幸子というもうひとりの女性をひそめて
  私が生きてきただけの年月
  詩を書いてこられたのでした

  ──それかって一瞬のことや
  三井さんはきっとそう言われるでしょうね
  三井さん
  ひとの結びつきは難しい・・・・・
  ですね
--------------------------------------------------------------------------
三井さんと少しだけ関わりのあった私として、この詩を引いておいた。

        夕暮れは不意に訪れて

  以前、家族座という詩を書いた
  私と妻、ふたりの娘が目に見えない力で挽き合って
  ひとつの星座を象っているイメージ
  近くで父母の星があることを私は想定したいなかった

  父が亡くなって
  母と妻の折り合いが悪くなった
  私と妻のあいだで口喧嘩が絶えなくなった
  娘たちは大好きだったクラブをやめた

  父の引力が全体を引き締めてくれていたのか
  アインシュタインによれば
  そもそも引力とは時空の歪みに過ぎないのだが・・・・・

  家族の夕暮れは不意に訪れるものなのだ
  星は宇宙にちりぢりに散らばって
  どんな形だったかもう誰にも分からない
--------------------------------------------------------------------------
細見さんの詩は極めて分かりやすいものだが、内面に詩情を湛えている。 
第7回三好達治賞を受賞した『家族の午後』も、そんな分かりやすい作品だった。
この本は版元の「澪標」松村信人氏からいただいた。 

  

 

矢澤靖江歌集『音惑星』・・・木村草弥
矢澤_NEW

──新・読書ノート──

      矢澤靖江歌集『音惑星』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・本阿弥書店2020/06/21刊・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
矢澤さんの第二歌集ということになる。

矢澤靖江
1941年 埼玉県加須市生まれ
1995年 コスモス短歌会入会
2009年 歌集『月明かり雨』 (角川書店) 刊行
2015年 「灯船」創刊に参加

私のブログを調べてみたが、第一歌集『月明かり雨』の書評は無いようである。
私は一昨年、終活の意味を込めて、蔵書を日本現代詩歌文学館などに寄贈したので、手元にも本は無い。
恐らくハガキによる寸評で済ませたのであろう。
しかし、矢澤さんからは毎年年末に次年度の絵や彫刻などの芸術作品をカレンダーにしたものが贈られてくる。
国内外の有名作家のものなどであり、かなりの芸術作品の収集家であるらしい。カレンダーには「KAZEN」の名前が入っており、これが矢澤さんの会社だろうと思われる。
今もリビングの壁に、そのカレンダーが見える。

矢澤さんは高野公彦に師事されているようで、今回も7首の歌が「帯」裏に引かれている。

   *風花のひかりはららぐ嵯峨ゆけばわれをめぐりてやさし木立は
   *サッカーのドリブル、フェイント、パス、シュート一筆書きのボールの軌跡
   *遮断機の上がりて渡りゆく足は線路のとほきひびきを跨ぐ
   *あかときを墨すり賀状書く夫よ木犀の香の中に明けゆく
   *レコードに針を落とせるたまゆらを刹那とおもひ永遠とおもふ
   *ぴちぴちと水の粒子にとびのつて光子あそぶ秋の噴水
   *東京に〈ほんとの空〉はないといふ 今はほんとの夜ももうない

そして、「帯」表には、小島ゆかりの文章が画像でも読み取れるだろう。
略歴に見える「灯船」というのは、どういうものだろう。ネット検索してみると、
『灯船』というのはコスモス短歌会の会員で昭和40年より以前に生まれ、発行当時80歳を上限に区切ったメンバーで構成された68名を同人とする結社内同人誌です。
昨年末現在で15号まで発行し、年四回批評会を行っています。 とある。

さて、今回の歌集のことである。
表紙カバーの絵は、イタリア人の彫刻家チェッコ・ボナノッテの≪「音」──微かな風が竹を吹き過ぐ≫、という作品らしい。
この本のために描いてくれたものという。
恐らく、収集家である矢澤さんの支援する彫刻家なのであろう。 趣のある面白い絵である。
「あとがき」にも書かれているが、作者のご夫君は二年前の六月に亡くなられた。
この本は、ご夫君の三回忌を記念して出された。「あとがき」末尾に、こう書かれている。

<第一歌集『月明かり雨』を誰よりも熱心に読んでくれた夫は、第二歌集を待ち望んでいてくれました。
 心をこめて亡き夫にこの歌集を捧げたいと思います。
 令和二年六月二十一日 夫・矢澤真司の三回忌に>

微笑ましい夫婦愛である。

この本には2014年から2019年までの476首が載せられている。
章分けはなく、項目名のみ84の体裁になっている。
「あとがき」に、こう書かれている。
<2018年二月に、私の突然の入院に続き、元気そのものだった夫に病気が見つかりました。
 三月の初めに入院することになった夫は、同じ病棟の一つ置いて隣の部屋でしたので、
 私は一日の大半を夫の部屋に出向いて過ごし、毎回の食事もいつも一緒にいただいておりました。
 私が退院するまでの十数日間は、お互いの身体の苦痛もそれ程なく、「恩寵のような時間ね」と言いながら様々なことを語り合いました。
 それは二人にとって懐かしい時間でありました。やがて私は退院し、夫は三ケ月余の入院のあと風のように逝ってしまいました。
 仕事を離れ、日常を離れた、いわば「何にも捉われない時間」──結婚生活は五十五年に及びましたが、このような時間を最後に共有できたことを大切に胸の奥にしまっています。・・・・・>

長い引用になったが、この本の肝が、ここにあると感じたからである。

歌集名の「音惑星」は
   ことばなき音惑星はさびしからむティラノサウルス折々吠ゆれど
から採られているという。これは作者の造語だという。見事な選択というべきだろう。
一巻は、淡々と描写され、何の力みもない。「音」という切り口で、この一巻を取りまとめてみせた、と言えるだろう。

歌を引きながら見て行こう。

   ■天壌に雪ふるあしたさざんくわは雪をかづきて雪より白し
   ■雨宮雅子この世に在さず冬の月さしくる庭の白きさざんくわ
   ■うす紅にひかりたたへて散り際のさざんくわにひと日細き雨ふる

巻頭に置かれる一連である。作者は雨宮雅子の心情に心寄せるらしい。雨宮雅子の歌を知る者には共感できるものがある。

   ■北西風吹く海暮れはてて蟹競りのこゑひびきをり三国港市場
   ■大きなる生色の月窓に光るタリンの夜空のスーパームーン
   ■軽井沢銀座うめゆく傘、傘、傘、雨宿りのわが視界を動く
   ■千曲川を来る春風は藤村に牧水に吹きしいにしへの風

国内外に旅されたらしいが、そうしいう羇旅の歌も、羇旅としては詠われていない。日常の歌の延長として、さりげなく詠われて好ましい。

   ■ヨーヨー・マのチェロの音澄みて透明な時間の中にわれは入りゆく
   ■上野にて第九聴き終へ午前零時とげぬき地蔵の初詣せり

音楽会などにも造詣が深いが、これも日常の一コマとして、さりげなく配されている。

ご夫婦お二人の日常を描いた歌は、愛情ふかく微笑ましい。
   ■乾杯はビールと夫は決めてゐて次のワインは私が決める
   ■焼鮎の頭と尻尾を夫が食べ骨抜きし身をわたしに呉れる

いよいよ、愛する夫との別れのシーンに入らなければならない。その前後の歌を引いておく。
   ■手術するか、しないか、迫りくる問ひの鋭き刃物に三日対峙す
   ■脚病めば歩み果敢なしいちやう散る本郷通りの凹凸を知る
   ■この世より滅びてゆかむ夫の呼吸見守りて三男二女の子らあり
   ■「臨終です」医師なる息子告げにけりこの寂寞を怺ふたまゆら
   ■病室より昨日も届きし夫のこゑ「おはよう、起きたよ、今日は何時来る ? 」
   ■朝早く日ごと届きし夫の電話失くなりて今朝のかなかなのこゑ
   ■七人の鍋が今では二人鍋夫は変はらず鍋奉行なり
   ■やはらかき新子食べれば夏来たり銀座の街に夫なきわれに

そして巻末の歌は、これである。

   ■子育ても思ひ出となり水底の石にゆらめく晩夏のひかり

ご子息たちは皆、立派に成人され、ご夫君の残された会社も順調のようである。
心安らかに余日を過ごされることを祈って、ご恵贈りの御礼としたい。雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。有難うございました。    (完)






長嶋南子詩集『海馬に乗って』・・・木村草弥
海馬_NEW

──新・読書ノート──

       長嶋南子詩集『海馬に乗って』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・空とぶキリン社2020/09/01刊・・・・・・・・・

この本が贈られてきた。
発行日付よりも、ずっと前に届いた。
長嶋南子さんについては、前詩集が出たときに2018/08/02に書いた。 → 『家があった』 参照されたい。

茨城県常総市生まれ。
既刊著書
詩集
『あんぱん日記』 1997年 夢人館 第31回小熊秀雄賞
『ちょっと食べすぎ』 2000年 夢人館
『シャカシャカ』 2003年 夢人館
『猫笑う』 2009年 思潮社
『はじめに闇があった』 2014年 思潮社
『家があった』 2018年 空とぶキリン社
エッセイ集『花は散るもの人は死ぬもの』 2016年 花神社

Wikipediaに長嶋南子の項目が出ている。そこに「実息はイラストレーターのゴンゴンこと長嶋五郎。」とある。
この本の表紙及扉絵は長嶋五郎とあり、ご子息の絵であるらしい。

「海馬」とは何なのか。辞書には、こう書いてある。 ↓
海馬(かいば、英: hippocampus)は、大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部。特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官。
その他、虚血に対して非常に脆弱であることや、アルツハイマー病における最初の病変部位としても知られており、最も研究の進んだ脳部位である。心理的ストレスを長期間受け続けるとコルチゾールの分泌により、海馬の神経細胞が破壊され、海馬が萎縮する。心的外傷後ストレス障害(PTSD)・うつ病の患者にはその萎縮が確認される。βエンドルフィン(=脳内ホルモンの一つ)が分泌されたり、A10神経が活性化すると、海馬における長期記憶が増強する。
神経科学の分野では、海馬体の別の部位である歯状回と海馬をあわせて「海馬」と慣例的に呼ぶことが多い。
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ネットを探したら、これが出てきた。長いが引いてみる。 ↓
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)    2019-11-06 07:11:02 | 詩(雑誌・同人誌)
長嶋南子「干し柿」(「Zero」12、2019年06月14日発行)

 朝吹亮二『ホロウボディ』の「わたしはむなされていた」は、「意味」がわからない。「意味」がわからないからこそ、私はあれこれ「余分」なことを考える。そして、その「余分」を朝吹の差し出している「余分」と交換する。
 朝吹は「余分」と感じていないかもしれないが、表現されたもの、読者に提出されたものは「余分」と定義してもいいと私は思っている。ほんとうに朝吹にとって必要なものならば、それを朝吹は「ことば」として提出するはずがない。ずっと朝吹自身で抱え込んでいるはずである。他人が読んでかまわないと判断したのは、それがすでに「余分」になったからである。
 詩は、多くの商品のように「売れる」ということは少ない。だからなかなか「商品」とは認められないのだが、少なくとも書いたひとは「商品」にしようとしている。(商売ではなく、芸術のために書いているとかなんとか言うのは、方便である。)そして、「商品」というのは、どんなときでも「余分」なもの、自分では「つかわなくなったもの」である。「ことば(詩)」が特徴的なのは、それを「商品」として売り払ってしまった後も、なおかつ自分のものと言える点である。「売ったはずのことば」は依然として、書いた人の「肉体」のなかに残っていて、それを踏まえて「ことば」からさらに「余分」を生み出し続けることができる。他人が(たとえば私が)、朝吹の「発表したことば(売りに出したことば)」を引き継ぎ、加工して売り出すと「盗作/剽窃」ということになる。「換骨奪胎」という言い方もできるけれど。
 あ、脱線した。
 もとにもどって言いなおそう。
 「詩」だけに限らないが、あらゆる「商品」は、それをつくった人がどう思っているかわからないが、「余分」なのものにすぎない。どれだけ「余分」を生み出すことができるかが、いわば「商品価値」を決める。「ことばの暴走」がときに「詩」として評価されるのは、つまり、そういうことである。
 「意味」以上のものがある。
 その「意味以上」は、どうつかっていいか、「他人(読者)」にはわからない。でも、なんとなく、それを「つかってみたい」という気持ちになる。書いた人に「余分」なものが、なぜか自分には「必要」に見える。「それ、おもしろそう」という感じが、この場合「必要」ということなんだけれど。
 その「余分」をつかえば、何かおもしろいことが自分にもできそう。つまり「余分」を生み出せそうな感じ、自分が自分ではなくなる(自分の限界を越えられそうな気がする)。そういう感じを味わうために、たぶん、ひとは「ことば」を読む。詩を読む。小説を読む。

 という前置きは、必要ないものかもしれないが、私は書いておきたくなった。

 と書いて、やっと、長嶋南子「干し柿」について書き出せるかなあ、と私は思っている。
 何回か書いたが、私にとって長嶋南子は「おばさんパレード」には欠かすことのできないスターである。この「おばさん」はどんな「余分」を持っているのか。「意味」を越える「余分」をどんな具合に吐き出しているか。
 「干し柿」の全行。

渋柿をもらった
皮をむいてベランダに吊るす

わたしをベランダに吊るす
しわしわになって食べごろ
こんなに甘くなるんだったら
もっと前に干せばよかった

ベランダで
陽をあびて風にふかれ
水分が抜けていく
張りがなくなったこのからだ
いまさら甘くなったって

つやつやの渋柿のころがなつかしい
誰にもかじられず
ふくれっ面でななめ向いて
タバコふかしてエラそうにしていたあのころの

 「渋柿」という「もの」と、歳をとって(あ、歳を重ねて)、他人のあれこれを許容できる(受容できる)という「長嶋の事実」が、「甘い」ということばのなかで「交換される」。長嶋は「渋柿」と「自分」を等価交換(意味の明確化)をしている。「商売」している。
 この段階では「余分」は、まだ生まれていない。
 「余分」は「しわしわになって食べごろ/こんなに甘くなるんだったら/もっと前に干せばよかった」という「思い(比喩による強調)」である。といっても、これはきちんと順序だった動きではない。比喩による強調によって意味が明確化されるのだから、ほんとうは、そのふたつ「意味」と「強調(余分)」は区別できない。はっきりしているのは、この「意味」と「余分」をことばにするまでは、「意味」にとって「余分」は必要なものだった。長嶋には、その「余分」がなければ「意味」は成立しなかった。でも、実際にことば(意味)にしてしまったら、もうそれ(余分)はいらない。長嶋には「わかってしまった(意味が明確になった)」ことになる。だから「これ、買ってちょうだい」と売りに出すのである。
 私は、「あ、買います」とすぐに手を伸ばす。「それ」が欲しいのだ。それを自分のものにすれば、自分の知らなかった「意味」が明確になる、と思ってしまう。
 でも、「それ、買います」と言って、それを「自分のもの」にするために、あれこれつかおうとするのだが、うーん、うまくいかない。そうだよなあ。それは長嶋の「肉体」のなかで動いていた、長嶋に必要だったことば(意味を明確にするための過剰)であって、それをそのまま私がつかうという具合にはいかない。自分のつかえるように、工夫しなくてはならない。
 どうすればいいのかな?
 これは、よくわからない。わからないまま、私は、べつのことを考える。長嶋のことばを「つかう」のではなく、それを「目の前」において、自分のことばを動かす。長嶋のつかい方とは違うつかい方をする。(これを、私は「誤読」と呼んでいる。)
 どんなふうにか。こんなふうにである。

 長嶋のことば(詩)は「批評」である。
 「もっと前に吊るせばよかった」は、よく人が言う「もっと前に……すればよかった」という「後悔」の表現ではない。「こんなに甘くなって、だらしない」という「自己批判」を含んでいる。「自己批判」なのに「後悔」を装っている。つまり、この「装い」が「余分」ということになる。そして、それを「売り」に出しているのだ。さて、だれが買うか。買って、どんな顔をしてそれをつかうか。そういう「いじわる」な開き直りがある。この奇妙で、強烈な「いじわる」を私は「おばさん」の特徴だと考えている。「おじさん」にはこういう「いじわる」は思いつかない。「おっさん」は「いじわる」をするよりも「甘えん坊」になる。
 「おばさん」の「批評」は「おばさん」自身にも向けられる。「水分が抜けていく/張りがなくなったこのからだ」という具合に。
 と、思ってはいけない。これは実は「自己批判/自己批評」ではない。「このからだ」と書いているが、「この」からだだけを問題にしているのではない。
 これはねえ、ほかの「おばさん」を笑っているのである。自分を批評するふりをして、ほかの「おばさん」を笑っている。ここが「余分」のポイント。ここに書かれている「しわしわ」の女、(歳をとって、しわが増えた女)、性格(人柄?)が「甘く」なった女を想像するとき、たとえば私は、長嶋を思い浮かべない。私は長嶋にあったことがないから、長嶋がほんとうに存在するかどうかもしれない。長嶋を個人的に知っている一以外は、ここでは「どこかでみかけたおばさん(自分の知っているおばさん)を思い浮かべながら、ここに書かれていることを「事実」だと「誤読」する。
 ここには長嶋を超えていく「余分」、「他のおばさん」につながっていく「余分」が書かれている。
 むりやりがんばっていえば、これは長嶋を「他人」にしてしまって、そのうえで「他人としての長嶋」を笑っている。そういう「余分」なことをするのである。ふつうは、そういう「余分」なことはしない。ちらっと頭をかすめるかもしれないが、かすめたらかすめたまま、かすめさせる。明確に、だれにでもわかるような「ことば」にはしない。
 長嶋のしていることは、他人を笑う(おばさんを笑う)ことで、笑い(批評)を共有することだ。ここで笑った瞬間、共感した瞬間、読者は「長嶋おばさん」になるのだ。
 「他人としての長嶋」を笑った後、長嶋は「ほんとうの長嶋」に帰っていく。つられて、読者も、そこについてゆく。それが最終連。「なつかしい」ということばが特徴的だが、長嶋は、「甘くなった渋柿」ではなく、渋いままの「若い渋柿」を、やっぱりいちばん美しいと感じている。大事にしている。「私はただの干し柿ではない。渋柿だった」と自慢している。この自慢が、また、読者を気持ち良くさせるんだけれど。つまり、自分も「渋柿だった」と思い込ませるんだけれど。

 これってさあ。
 私は、ここで「いじわる」になる。
 これこそ「余分」じゃない? それなりに歳を重ねたんだから、いまさら「若いときは美しかった」なんて言っても、だれが信じる? 歳を重ねたら、やっぱり「渋柿」ではなく「干し柿」にならないと。
 若いおじさん(たぶん、私は長嶋より「若い」と感じている。ウディ・アレンによれば、男は歳をとらないそうだから)は、そういう「いじわる」を言う。
 あ、でも、私がいま書いたことは、ちゃんと長嶋は書いているね。
 やっぱり年の功。
 あるいは、女の強さ。
 「男(おじさん、おっさん)には書けないだろう、ざまをみろ」と、もう笑われてしまっている。
 私はなんとか「ちょっかい」を出したいのだが、いつでも押し切られてしまう。長嶋が先頭に立って「おばさんパレード」に繰り出したら、私は、長嶋に見つからないように電信柱の影にかくれて、それを見つめてみたい。
 見つけられて、あんなところに隠れちゃって、と詩に書かれるような「いじわる」されるといやなので、あらかじめ書いておく。
---------------------------------------------------------------------
長いので適当に読み飛ばしてもらいたい。
ここに引かれている「干し柿」という作品が、今回の本に、同じ題で収録されている。

ところで「海馬に乗って」というフレーズは、どこに出てくるのか。
巻末の近い「わたしは忙しい」という長い詩の中にある。

     ・・・・・・・・・・
   ぼくは ? (はてな)です と息子は書く。

   真夏の高速道路で たったの五秒間で
   息子は ? の国へ海馬に乗って行ってしまった
   戻っておいでと叫ぶ
   海馬にニンジンでも食べさせれば戻ってくるか
   せっせとニンジンを買ってくる
   真夏の空にはいつのまにか
   イワシの大群が押しよせてきた
   海馬は息子を乗せたまま
   戻ってこない
   ニンジンにもイワシらにも見向きもしない

   ──おかねを稼いでおかあを楽にさせたい
   と  ? の国から便りが届いた

      ・・・・・・・・

長い詩の一部である。
とにかく今度の長嶋南子さんの詩は、何だか「不気味」である。
前の詩集『家があった』とは、別の不気味さ、である。
前の詩集から、丁度二年ぶりの本である。長嶋さんは1943年生まれとあるから、まだまだお若い。
またの詩集を期待して不十分ながら筆を置く。有難うございました.。       (完)








宮沢肇詩論集『一本の葦』・・・木村草弥
宮沢_NEW

──新・読書ノート──

       宮沢肇詩論集『一本の葦』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・待望社2020/07/20刊・・・・・・・・

詩人の宮沢肇氏から、この本が贈られてきた。宮沢さんの詩は、詩「邂逅」は、このブ゜ログで紹介したことがある。リンクになっているのでアクセスされたい。

宮沢肇
詩誌「地球」 「未開」 「風」各同人を経て、現在「花」 「佐久文芸 火映」に作品を発表。
1959年 詩集『雄鶏』
1964年 詩集『青春寓話』
1982年 詩集『仮定法の鳥』
1991年 詩集『鳥の半分』 第32回中日詩賞
1996年 詩集『帽子の中』 第8回長野県詩人賞
1997年 『宮沢肇詩集』
2000年 『朝の鳥』
2003年 詩集『分け入っても』 第3回現代ポイエーシス賞
2009年 詩集『舟の行方』 
2015年 詩集『海と散髪』 
1988年 合唱組曲作詞『望月の駒』 三木稔作曲
1996年     〃    『おとめの泉』 太田桜子作曲
2012年 共著エッセイ『信濃追分紀行』 第2回秋谷豊千草賞
日本現代詩人会。 日本文芸家協会所属。
世界芸術文化アカデミー(W .A...A. C.)の終身会員    など

輝かしい詩歴の持ち主であられる。
この本は、一応「詩論集」と書いたが、120ページほどの小冊子である。

「目次」は
Ⅰ 詩人への手紙
     J・シュペルヴィエル
     土橋治重さんの花と禅
     石原武兄の原郷
     一本の葦から想像力へ
     深層につながる詩語を求めて
Ⅱ 詩想片言
     石ころの詩
     故に、詩在り

ここでは「石ころの詩」の冒頭(1)の文章を引いておく。
----------------------------------------------------------------------------

すでに存知の人も多いと思うが、まど・みちおさんに、「石ころ」という詩がある。
1979年『風景詩集』に収められている。先ずその全篇を書き写しておきたい。

  夏の まひる
  とある 道ばたの
  小さな石ころが ひとつ
  消えました
  通りがかった
  雲の影が
  ふと 包んで
  持って行ったのでした

  その夜
  世界中の 岩山たちが
  嵐のように 叫び合いましたが
  おとむらいだったでしょうか
  お祝いだったでしょうか


  人の耳には
  ただ そのあたりに
  コオロギの声が 一りん
  小さく光って
  咲いているきりでした

----------------------------------------------------------------------------
この詩から(2)ではポーランドのノーベル賞詩人に話は続き、(10)まで詩論がつづくのでした。
「詩論」を手作業で入力し直すというのは不可能なので、ほんのさわりの部分だけ紹介した無礼をお許しいただきたい。
高邁な詩論集を賜り有難うございました。 これにて「紹介」といたします。      (完)






照屋眞理子句集『猫も天使も』・・・木村草弥
照屋_NEW

──新・読書ノート──

        照屋眞理子句集『猫も天使も』・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・角川書店2020/07/15刊・・・・・・・・・

この本が贈られてきた。照屋さんは昨年七月十五日に亡くなられた、という。ご夫君の手による遺句集ということである。
私は著者のことは何も知らなかったのだが、第三歌集『恋』が角川書店から送られてきて、私は → 照屋眞理子第三歌集『恋』書評を、2013/04/29に、このブログに書いた。
詳しくは当該「書評」を見られたい。リンクになっている。
私は一昨年、終活の意味も込めて蔵書を、すべて「日本現代詩歌文学館」などの図書館に寄贈したので、照屋さんの本も今は私の手元には無い。
残っているのは先に挙げた拙ブログの記事だけである。
いま読み返してみると、ネット上に載る記事などを引いて、よく書けていると思う。

照屋眞理子さんは、こういう人である。
1951年生まれ。成城大学文芸学部卒業。句誌「季刊芙蓉」代表。塚本邦雄氏に短歌俳句を学ぶ。
1980年サンデー毎日代表現代百人一首塚本邦雄賞、1981年短歌研究新人賞次席。
歌集『夢の岸』、『抽象の薔薇』、『夢』。 句集『月の書架』、『やよ子猫』。

画像でも読み取れると思うが、書評家として名高い東郷雄二氏が 7ページに及ぶ「序文」を書いておられる。
また、「玲瓏」同人である尾崎まゆみ氏が「時の流れ」レール・デュ・タン と題して2ページの文章を書いておられる。
   〈時の流れ〉終の一滴馨りたち掌上軽し一壜の虚無   第一歌集『夢の岸』所載
この歌は、いかにも才女だった照屋眞理子さんの歌らしい才気煥発の作品であり、塚本邦雄「玲瓏」門下らしいもので、この歌を選択された尾崎まゆみ氏の手腕に感嘆する。
リンクに引いた私の書評にも書いた通り、私は彼女の作品に詳しくはなく、贈呈された本を通じて知るのみである。
まして私は俳句は作らない一介の素人であるが、少し句を引いてみたい。

この本は、伝統的な「部立て」に従って編集されている。
「目次」を引いてみよう。

序       東郷雄二
虹二重




新年


十五分
時の流れ     尾崎まゆみ

「虹二重」の章は、「季刊芙蓉」120号(最終号)令和元年六月に載る一連である。

     サンタ・マリアマリア風光る

     春浅し束ねて細き母の髪

     陽炎に置かむと母を連れ出しぬ

     ちりめんを猫とわけあふ朝餉かな

     握つてはだめ桜貝こはさぬやう

     春は曙ちかぢかと猫の鼻

     こんな日に遺言書かなむ山笑ふ

     かの世かも知れぬ目覚や大朝寝

     大瑠璃の声降る朝や神います

     信ずれば起こる奇跡や虹二重

全句を引いてみた。この一連は主宰される俳句結社「芙蓉」を休刊される際のものであるから、作者の想いが籠っていると言っていいだろう。
彼女がクリスチャンかどうかは知らないが、「サンタ・マリア」という呼び掛けは無信心の者は、先ずしないのではないか。
「こんな日に遺言書かなむ」とかいう措辞も示唆的である。彼女は恐らく体調不良から「神の恩寵」を求めていたのではないか。私にはそんな遺書めいた表現に見える。
以下、俳句には素人である私の目に止まった句を列挙して終わる。

     忘れずよ父を送りし日の春泥

     立春大吉けふの地球の踏みごこち

     たらちねの歩幅小さき犬ふぐり

     生死何とも知れぬものなり桜東風

     ばか野郎こんな若葉の日に逝くな

     夕焼がきれいとそれだけの電話

     またの名は蛍この世を夢と言ふ

     江ノ電は水母に逢ひに行く電車

     御器齧眞砂女苦手と囁きぬ

     黒猫を入れて全き木下闇

     コクトーの耳がここにも夏逝く日

     リルケヘッセ漱石太宰休暇果つ

     夕星や芙蓉はけふを閉づるころ

     母刀自やさやかに子の名忘らるる

     少年の躰よく寝る神の留守

     蛍田といふ駅木枯に灯る

     たたまれて褻に帰りゆく金屏風

     ヨゼフてふ父のかなしみクリスマス

     パン種の寝てゐる隙を毛糸編む

     北風のロヘルとシャヘルよく笑ふ

     猫どちは猫の御慶の鼻寄せて

     楽浪の滋賀にもとほる絵双六

     アスパラガスみどり二十歳の恋もまた

     湯たんぽや斯く母も母恋ひにしか

     雪女郎恋して溶けてしまひけり

     師系塚本邦雄柘榴を火種とし

そして、巻末の一句は、これで畢っている。

     わたくしを捨てに銀河のほとりまで

才気煥発な一生(よ)を照屋眞理子さんは、自在に、かつ賢明に、猫と共に生き抜かれた。お疲れさまでした。ゆっくりとお休みください。
ご恵贈に感謝いたします。有難うございました。                (完)



高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・木村草弥
恭子_NEW

──新・読書ノート──

       高尾恭子歌集『裸足のステップ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・現代短歌社2020/06/27刊・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。表紙の固いドイツ装の小ぶりの瀟洒な本である。
作者は「地中海」誌に所属する大阪の人である。
「地中海」大阪支社に居られるから私も存じているし、お会いしたこともあるかも知れないが、深い付き合いはない人である。
年賀状は差し上げているし、今回の私の歌集『信天翁』もお送りしたが、返信の記録はない。
とにかく、こまめに交信をするような人ではないようである。
この本にも「あとがき」に来歴は書かれているが「略歴」などは一切ない。とにかく「言葉少ない」人である。
「あとがき」や「帯」文の久我田鶴子によると、京都生まれの大阪人だという。
大阪で三十八年間、高校国語教員をやって来られた。2014年に定年退職されている。
「あとがき」には、こう書かれている。

<定年が近づいた頃から、一つの区切りとして歌集を出したいという思いはあった。
 しかし、退職すると月日はあっという間に過ぎてゆき、歌集のことは先延ばしになってしまった。
 ・・・・・とりわけ、点字図書館の音訳ボランティアは、今では生活の大きな部分を占めるようになった。
 ひょんなことから始めたバルーンアート、自然観察会の活動等々、・・・・・人生の第二ステージは私の行動半径や交友関係を広げていった。
 ところが新型コロナウイルスで私の生活も激変した。・・・・・歌集作りに着手することにしたのだ。・・・・・
 私が短歌に出会ったのは二十代半ばである。
新任として赴任した府立高校の先輩教員小西美智子氏は「地中海」大阪支社の同人で、当時の大阪支社長奥田清和氏に紹介され「地中海」に入った。
しかし数年後仕事と家庭の両立だけで精一杯になり、長い長い空白のあと、・・・・・学校が週休二日制になり、第四日曜日の歌会に出掛ける精神的余裕が生まれてから、もう一度短歌を始めることになった。
 ・・・・・二〇〇〇年から二〇二〇年までの372首を選び出した。あらためてふり返ってみると、ありふれた一市民の生活を詠んだものばかりである。
 平明な詠いぶりに表れているように、実生活も気負わず自然体で歩みたいと心がけてきた。
 「和して同ぜず」を座右の銘に、〈裸足のステップ〉を軽やかに踏みながら。>

長い引用になったかも知れないが、この文章に、この本の要約が尽くされていると言えるからである。
以下、歌を引きながら鑑賞していきたい。
歌集の題名は、巻末に「裸足のステップ」の一連があり、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む
の歌から採られている。
作者の詠いぶりも選歌も几帳面なものである。「和して同ぜず」を座右の銘と言われるように実践しておられるのである。

章建ては、Ⅰ Ⅱ Ⅲ になっているが、経時的になっているかは分からない。

   *焼きたてのパンを抱えて闊歩する「おおきに毎度」の声ひびく町
   *あつあつのチヂミほおばりカンサハムニダ鶴橋市場の迷路にあそぶ
   *自由軒の暖簾くぐれば横向きに織田作之助老いて腰かけている
   *夕暮れの水掛不動は異形めき関東煮みたいな大阪ミナミ
   *高層のビルに変わった下町をチンチン電車が寝ぼけて走る
   *見はるかす〈あべのハルカス〉大陸の嚏うつりて雲居にかすむ

巻頭の「大阪点景」に載る歌である。この本の巻頭に、作者は今の大阪のラフスケッチを描いてみせた。
「関東煮かんとだき」とは「おでん」のことである。今の若い人たちは知らないかもしれない。

   *ままごとのように暮らした茨木の三軒長屋に灯りが見える
   *ふりかえる日は銀の匙 ポン菓子の砲台黒くあの角に待つ
   *うつむいた子の背を押すドラえもん耳かじられし傷がうずける
   *夕風が子を取ろ子取ろと吹きすざびぐらりと揺るる朱の一輪車
   *スタートのピストルかわいた音はなつ十月十日の空青かりき

巻頭の次の項目の歌である。この辺のところは多分に経時的であるようだ。

   *本当は瞳があったはずなのに少女はモジリアニの絵に閉じこもる
   *質問が詰問となり煮つまったカレーのような放課後の室
   *紙飛行機とばさんほどに一行の退学届を少女は持ち来
   *はつ夏の緑まぶしく引きこもる汝のメールに絵文字をおくる
   *学校の前まで来たと俯きて少女は細き肩ふるわせる

思春期の若者は揺れ動いている。反抗期でもある。彼らと交わりながらの教師の生活は尊いものである。
何十年の出来事を、この一巻に圧縮したので、歌の「推移」も、すばやい。

   *肩書をはずせば人は線と面さやさやとして花ちらす風
   *花散らす口縄坂の風にのる背さびしき織田作之助の影
   *下二段活用おぼえる子ら乗りてそういえば考査の始まる七月
   *泣かしたり苛められたり遠き日を秘めおりトンボのちびた鉛筆
   *鉛筆を器用に削る友ありき今ならクラスのヒーローとよぶ
   *とびっきりの御褒美だったカルピスの水玉模様はじけ散る夏
   *水饅頭つるりと食めば子を産みし遠き五月の朝すがすがし
   *行水に汗を流せばぽんぽんをはたきくれたり祖母といた夏
   *浜田さんが五分遅れて来てくれそうな曽根歌会の戸外は晴れて
   *上書きのできぬ言の葉あたためて『暗黒物質』の宙めぐりたし

ここに「浜田昭則」氏の名前と著書が出てくる。私にも懐かしい人である。ここに書かれるように浜田氏は、いつも遅刻してくる人だった。
物理学徒でありながら、競馬とビールの好きな人だった。そんな人柄を表すように「動脈瘤解離」で急死された。
私は酒に弱かったので、酒好きな先輩歌人のお相手をするために浜田氏に同席をお願いして阪急百貨店脇で酒席を共にした記憶が甦る。

   *ゆく年と来る年つなぐ梵鐘を父は聞いたか逝きてしまいぬ
   *今触れた父の冷たさ一本の樹より寂しく元朝に立つ
   *しろがねのハモニカひとつ静かなり今は主なきベッドのかたえ
   *生きもののはずむ五月よ好物の鰻どんぶり父に手向けぬ
   *かなしみは忘れた頃に 一〇〇〇メートル平泳ぎしながら泣きぬれている
   *復員の後を余生とながらえて父は末期のひと声あげき
   *父逝きて語りつがれぬ戦あり雨後の送り火ひとすじ点る
   *文章にすれば二枚に足らぬとぞ死線を越えし父の自分史

ここに父親との別れが描かれている。これらの歌を、どうしても収録したかった、と「あとがき」にある。

   *骨董の市に見つけし鉄瓶をはるかにたどる祖母のぬくもり
   *しかられて祖母の蒲団にもぐりこむ黒い膏薬貼った手ぬくし
   *ここだけの内緒話をつめこんだ寄木細工の祖母の針箱

ここに祖母との思い出が淡々と詠まれている。佳い歌群である。

熊野古道や志摩半島や沖縄への羇旅の歌にも佳いものがあるが省く。

   *ひとり居の母の飯炊く時分かと八頭芋の皮あつく剥く
   *脈絡のなき日は遠し我楽多と母が捨てにしグリコのおまけ
   *足し算が引き算になる母の日々ひとすじ庭の白梅かおる
   *浅漬けの柚子大根をたずさえて日に日に遠し母の棲む家
   *口だけになっても母は毒を吐くカーネーションの一輪赤し
   *不意打ちにデイサービスは嫌いやと母の視線がまっすぐ伸びる
   *底冷えの京の町屋に蓬髪の母は流離の灯りをともす
   *身に合わぬ母の大島ふるさとの取っ手壊れし箪笥にしまう
   *辛口のお伽話の終章を母は小筆の草書にちらす
   *「健ちゃんは車掌になったか」問う母が古い写真の真ん中に居る
   *べとついた母の茶碗を洗いつつ寺山修司ほどに憎めず
   *堀川の土手の桜を仰ぎみる「もう帰ろう」と母の言うまで
   *息ほそき母のいのちよ如月の淡雪しろく片肺に降る
   *六月の母の暦の明るさよ三色ペンのゴミ収集日

ここに母との思い出と確執などが表現されている。思えば「肉親」というものも寂しいものである。

   *右肩をいからせて子は発ちゆけり八重の桜のほわほわとして
   *段ボール五箱と発ちし子の部屋に欠けたドラえもんの貯金箱あり
   *新しきスーツ二着をひっさげて子は発ちゆけり熊谷という町
   *祝婚の三十九年目うしろから抱きしめられて夕日があかい
   *三角に手と手つなげばこれ以上小さくならぬ家族の単位
   *遠き日を三十一文字が記憶する いぶりがっこと炊きたての飯
   *がらんどうのオフィスに夫は息ひとつ吐いて四月の暦をやぶる
   *小説は読まない夫と四十年すこしは同じ夢をみている

ここに「子」と「夫」のことが書かれているが、作者は、そういう眷属のことは描かない人である。寡黙である。それも一つの生き方である。

   *ユリノキを仰ぐ朝の空たかく憲法九条ゆがんで映る
   *水あめのような歴史をふりかえり百田尚樹の言葉をこばむ
   *戦後レジーム脱却すなわち戦前がはじまっている 狼が来た

ここには現下の保守派の動向に批判的な作者の姿が見え、私は尊敬する。こういう時事を詠うことも歌人としては大切である。

いよいよ巻末に迫ってきた。

   *白内障のまなこ近づけ〈ぴ〉か〈び〉か迷いたり音訳録音
   *京うまれ大阪そだちを恃みつつアクセント辞典をボロボロにする
   *わたくしの声をだれかが待ちおらん 録音室の二時間あまり
   *着ぶくれたコートに挟まれ立ち飲みの卓に昭和のほおづえをつく
   *大阪のおばちゃんと括られ気がつけばヒョウ柄スカーフ三枚持てり

ここに作者の「今」が表現されている、と言っていいだろう。
巻末の歌は、先にも引いたが、
   *纏足のようなパンプスぬぎすてし女こぞりて現在を駆けゆく
   *沖縄は梅雨明けという爪赤く染めて裸足のステツプを踏む

で終わっている。何十年かの思いを、この一巻に込められた。
この後も佳い歌を詠んで、次歌集を期待したい。ご恵贈有難うございました。         (完)











千種創一歌集『千夜曳獏』・・・木村草弥
千種_NEW

──新・読書ノート──

      千種創一歌集『千夜曳獏』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・青磁社2020/05/10刊・・・・・・・・

この本は予告があったので、すぐにアマゾンに注文して「予約」したが、どういう都合か、届くのが遅れて今になった。
この本も独特の体裁で、黒刷りの上に半透明の紙が被せられ、下の黒字が、ぼやけて見えている、というのが掲出した画像である。
ネット上に載る著者の予告文には、<獣の獏のように色々な表情を見せる装幀は、濱崎実幸氏の手によるもの>と書かれている。
続いて、『千夜曳獏』自選12首と目次が載っている。
それを引いておく。

『千夜曳獏』自選12首と目次

 千夜曳獏 自選12首

   でもそれが始まりだった。檸檬水、コップは水の鱗をまとい

   耳鳴りは竜の泣き声、大切にされずに育った灰色の竜

   風邪薬、封を開ければ白い霧、あなたのふるさとが遠いこと

   むきだしの松の根と似た悔恨がやがて私を絞め殺すだろう

   日向からあなたの拾ってきた椿、いま感情の日記に載せる

   すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり

   あなたがたまに借りて返しに来るための白い図書館になりたい

   千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

   花束を一度ボンネットへ置いた、遠くへ言葉を飛ばそうとして

   擦り切れるまで聴いている、雨の音ええなあ、というあなたの声を

   白に白かさねて塗れば天国は近く悩みと祈りは近く

   五〇〇年くらいがいいよ ライターへ炎を仕舞うあなたの鋭(はや)さ


 千夜曳獏 目次

歌集千夜曳獏 扉 裏    話し足りないというのは美しい感情だ


 つじうら
 水文学

Ⅱ 扉 裏    私はベティがコートを脱ぐのを手伝った。彼女の赤毛にそぐわない、赤いドレスを着ていた。青ざめて、
             やせて見えた。彼女は言った。
             「なぜ私が来たか。たぶん不思議に思っているでしょう。なぜかというと、花婿には花を持っていくものだし、
             死体にも花を持っていくものだし、花婿が死体でもある場合には、花束二つに値するからよ」 彼女が
             それらの言葉をしゃべったとき、まるで前もって準備してきたかのように言った。
                                                                 『ショーシャ』
                                                    アイザック・バシェヴィス・シンガー


 越えるときの火
 連絡船は十時

Ⅲ 扉 裏        名のために捨つる命は惜しからじ終に止まらぬ浮世と思へば
                                                   平塚為広
                      契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはありとも
                                                    大谷吉継

 
砂斬り
金吾中納言

Ⅳ  扉  裏     古人無復洛城東
                  今人還対落花風
                  年年歳歳花相似
                  歳歳年年人不同
                  (劉廷芝) 「代悲白頭翁」

 ミネルヴァ
 水煙草森


 デパートと廃船
 赤 丸

Ⅵ 扉  裏       「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのが怖くってたまらな
                   いのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻のように生きている未来を想像すると、それ
                   が苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」
                                                                         「硝子戸の中」
                                                                           夏目漱石

 リッツカールトン
 Re: 連絡船は十時
 眼と目と芽と獏

Ⅶ  扉  裏    しかし、炎に包まれる前に、端まで燃えたキャンバス地がめくれ上がり、少女とトカゲの絵の下に張られ
                ていたもう一枚の絵が見えた。巨大なトカゲと、小さな少女──一秒の何分の一かの時間、彼はルネ・ダー
                ルマンが守り、逃亡の際に持っていこうとしていた絵を見た。それからキャンバスは明るく燃えてしまった。
                                                                        「少女とトカゲ」
                                                                   ベルンハルト・シュリンク

 虹蔵不見

Ⅷ  扉  裏   キブツを逃げ出して大学にはいり、数学を五年間勉強し、難関の卒業試験も突破した。卒論に手間どっ
               ているが、それだってたまたまのことだ。
               ぼくがこれまでに手にいれたものを、誰にも持っていかせはしない。
               怠惰のせいで──それに懸念をはさむ余地はないが──ぼくはいまだに彼女に恋心を抱いている。顔の
               輪郭もおぼろで、背丈、目の色、声色を思い出すのにしばらくああだこうだと自分とやりあわなくてはい 
               けないほどなのに。
                                                                『エルサレムの秋』 
                                                           アアブハム・B・イェホシュア  
 
 ユダのための福音書



Ⅹ  扉  裏   心情や物事は決着がつく方が稀で完全で最終的な決着がつくことを奇跡という それは自力で引き寄せるこ
               とはできない ある日突然訪れる 歪んで見逃さないように 悲しむのも忘れるのも自然でいなさい
                                                                金剛大慈悲晶地蔵菩薩
                                                           (市川春子「宝石の無国」第六巻)

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 冷たい高原
 至 空港
 暖かさと恐ろしさについて
 この林を抜けると花の名を一つ覚えている
 清澄白河
 いつか坂の多い街で暮らしましょう

煩を厭わず書き出してみた。
前の本と同様に、「扉」裏に書き出される詩句散文などは、著者の読書の遍歴とも言え、極めて「ブッキッシュ」で、私の好きなスタイルである。
Ⅴ の章は短い散文詩が二篇載せられている。これだけが文体は口語だが、「歴史的かなづかい」になっている。前の歌集でもあったが、著者は色々の試みをやってみたいらしい。

私なんかは「自由詩」から出発したので何の違和感もないが、短歌形式に固執する人は違和感を持つかも知れないが、そういう人には、もっと自由な発想を持って、と言いたい。

       千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

自選の中の、この歌から題名が採られている。古典である『千夜一夜物語』から、この歌が作られたのは、確かだろう。
獏(ばく)は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。
人の夢を喰って生きると言われるが、この場合の夢は将来の希望の意味ではなくレム睡眠中にみる夢である。
悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えると同じ悪夢を二度と見ずにすむという。
著者は扉裏にも引くように「漢語」が好きである。だから「獏」が引かれているのだが、想像上の動物だから、中東には現実には、獏は居ない。

また Ⅲの章なんかは、関ケ原の合戦の小早川秀秋などの連作の形を取ったもので「物語詩」を作ってみせた、と言えよう。
ここには全部を引ききれないが、先に、細かい字で申し訳ないが書き抜いた部分を見てもらいたい。
「叙事」と「抒情」の取り合わせ──総合ということである。彼は「引用」と「短歌」で統合しよう、としたのである。読者は、その努力を汲み取らなければならない。
例えば、大谷吉継は、癩病、今でいうハンセン病に冒されて顔が見にくく変形していたのを頭巾で隠して奮闘した悲劇の猛将だった。その彼が詠んだのが
    契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはありとも
の歌である。
さりげなく、それを引用することで「関ケ原合戦」での西軍の悲哀を描出してみせた。それが「金吾中納言」の項のエッセンスである。

またⅧの章
「ユダの福音書」にまつわる連作もある。極めてきらびやか、である。

ここで私の第四歌集『嬬恋』出版記念会を2003年に東京で開いてもらった時の三井修の批評の一部を少し長いが抜書きしておく。

<学生時代からアラブにかかわって来た中で、いろいろの問題を抱えた異質なイスラエルという国─イスラエルの国策会社である航空機製造会社の対日総代理店を取ろうと思って働きかけて、イスラエル入国・出国の記録の痕跡を残すとアラブ圏に戻れないので苦労して出入りしていたから、会社生活の中で一番思い出深いのが、イスラエルである。そんなことで「ダビデの星」の章には関心を持って読んだ。
木村さんの歌集を読んで一番感じたことは、叙事的なことを短歌で詠うことの難しさということだ。 私も両親が韓国に居たことがあるので、会社をやめてから韓国に行って、たとえば旧朝鮮総督府の建物の前に立って短歌にしようとしたが57577という短歌にならない。そこでやむなく「長歌」にした。つまり、短歌には短歌でしか詠えない分野があり、散文には散文に適した分野がある。
短歌という詩形は、作者の心の中を詠うには適しているが、物事を記録するとか、情報を伝えることは不得手だということである。
「ダビデの星」辺りのくだりは、叙事的なことを詠う、説明するという個所に無理がある。その辺の難しさは、作者の木村さん自身も、よく判っていて「あとがき」の中で「歌で表現できることには限界があるので、それを散文で補いたいという意図である」と書かれていて、なるほどと思った。今の複雑なイスラエルのような状況を説明するには短歌だけでは出来ない。だから木村さんの苦しい妥協だったと思う。
それなら最初から全部を散文にしたらどうか、と言われそうだが、そこが、われわれ歌詠みの悲しさで、短歌の形で何とか表現したい、という気持ちがあるので、よく判る。
作品としては、「ダビデの星」は余り成功しているとは言えないが、叙事的なことを短歌で詠うことの、一つの問題を提起した、と言える。
この一連の中で一首あげるとすると、  P170の
      何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ 
を挙げたい。これは説明に終わっていない。作者自身の気持ちが詠われている。>  閑話休題。

キリストはユダヤ教徒だった。ベツレヘムで生れ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と奇跡を起こし、民衆の支持を集めつつあった。ヤダヤ教の律法学者はイエスの説く教義が律法をないがしろにするものと捉えた。それはイエスが自分を「神の子」と称したからである。イエスの力を脅威と感じ、ローマ総督ピラトから死刑の宣告をさせ、十字架磔刑へと導いたのである。
そういう一連のことがⅧの「ユダのための福音書」の章に描かれているのである。著者はキリストの死を「ユダ」の側面から取り上げてみせた。

自選の歌の中で
       すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり

が出ているが、この歌ひとつでは何のことか分からないが、この歌に添えられた詞書は、
<「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(マルコによる福音書十四、二十一) >
と書かれている。
これと一体として読まないと、万全の理解は届かないだろう。
この章の末尾は
        岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる
で終わっている。

私の言いたいのは、「叙事」の難しさ、ということである。
この本で著者は、それを「詞書」や「引用」で補おうとした。

Ⅹ の章 には先に抜書きしたような項目だが、その中にあるのが東京都江東区にある「清澄白河」という地名。
東京の下町である一方で、"珈琲の街"や"カフェの街"などと呼ばれ、おしゃれな街としても有名な人気エリアらしい。
清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と、東京メトロ半蔵門線が通っており、毎日多くの人が利用する接続駅でもある。
清澄白河駅の目の前にあるのが「小名木川」いまは散歩コースとして勧められてるらしいが、元はといえば人工の用水路だった。
西に行くと隅田川、東に行くと荒川につながっている川で、大江戸にするための物資の運搬路として掘削されたところ。「たくさんのおしゃれな橋が架かっているんです」と言われて驚く。
1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし行徳から江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの江戸湾(東京湾)北部は当時、砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった(また、沖合を迂回した場合でも、風向きによっては湾内の強い風波を受け船が沈むことも起き、安全とは言えなかった)。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが始まりである。運河の開削によって、安全に塩を運べるようになり、かつ経路が大幅に短縮された。
運河の名は開削者の「小名木」に因むのである。 閑話休題。
それは、さておき、この場所が著者らに所縁(ゆかり)の場所らしい。
      飲み干せばペットボトルは透きとおる塔として秋、窓際に立つ
の歌を始めとして17首の歌が並んでいる。「地名」の喚起力というものがあるから、それは確かだろう。

さて、この本一巻を通じて、縷々描かれてきたことは何なのか。

つまり著者の読書遍歴にまつわるところから、盛りだくさんのストーリーを紡いでみせているが、全体として通底しているのは「ぼくたちの恋」を描出したかったのではないか。
その恋が成就するかどうか、は判らないが、この本の本流として、一貫して流れていると思うのである。


      梨の花 あなたとなまでするたびに蠟紙のように心を畳む
      喉の痛みをうつしてしまい遅い朝あなたのための鮭粥を炊く
      ぬるい雨の夜にあなたと手を指をパズルのように絡めたことを
      僕たちは駅になりたい何度でも夏とか罰の過ぎてくような
      あなたが静かな力を入れて板チョコの少し震えて破片になった
      湖でいたり熊でいたりして輪郭が心に追いついていない、あなた

千種創一については前歌集『砂丘律』については2016年に書いた。← リンクになっているので読んでみてください。

「あとがき」で著者は書く。
<本書は、二十七歳から三十一歳までに詠んだ三六二首を納めている。編年体ではない。
 ここ数年、短歌から離れようとした、すると濁流、のような感情に苦しくなって、詩や翻訳にしがみついた、そしてまた短歌へ流れ着いてしまった。
 本の一行一行は弱々しい藁かもしれない、でも何かの本のどこかの一行が、あなたが濁流の中で手を伸ばす藁になることもある、この本の一行一行にもそういう祈りを込めたつもりだ。>
二〇二〇年四月七日 水の聴こえる街にて   千種 創一

上に引いた自選歌に、この本の要約が尽きていると思うが、私の目に止まった歌を抽出して終わりたい。

     ■告げないという狡(かしこ)さを恥じながらピザを切ってる円い刃で
     ■弱さゆえ愛されること/窓側の書架にかすかな傾きがある
     ■忘れないでね/窓から河が見えている/ふたりは霧に隠れてしまう
     ■花氷という概念ひからせて雨季の終りを抱き合っている
     ■あなたの手にふれたいというかわせみにどの感情の名を与えよう
     ■飛行機はどこで眠るの そのあとの花火をあなたは水に落とした
     ■ピスタチオの殻を割るとき淡緑の何故だ、かなしみ繰り返すのは
     ■ローマ貨の冷えをユダヤ貨に替えて愛わからないまま秋の街
     ■死ぬことで完全となる 砂嵐に目を閉じている驢馬の一頭
     ■一枚の金貨のようにガリラヤの湖の夕、遠のいていく
     ■岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる
     ■永久に会話体には追いつけないけれど口語は神々の亀 
     ■鉄橋の軋みは鯨の声に似て、あなたはくじらをみましたか、見ましょ
     ■胸にあなたが耳あててくる。校庭のおおくすのきになった気分だ
     ■紙辞書を扉のように閉じたときあなたの震えと寝惚けと二度寝    
     ■エクレアの包をひらく潮風も希望もそこに乱反射して


知覚ゲームのような、脳がトレーニングを受けるような心地よい一巻を見せていただいた。
「短歌」というより、私は「短詩」として面白く拝見した。
また、ゆっくりと再読して、追記するかも知れないことを書いておく。有難うございました。      (完)





古谷鏡子詩集『浜木綿』・・・木村草弥
浜木綿_NEW

──新・読書ノート──

      古谷鏡子詩集『浜木綿』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・空とぶキリン社2020/06/10刊・・・・・・・・

この本が贈られてきた。私には未知の人であるが高階杞一氏の指示によるものだろう。
巻末に載る略歴などから書いておく。

古谷鏡子
東京都生まれ
東京女子大学日本文学科卒
日本現代詩人会員

著書
詩集
『声、青く青く』 花神社 1984年
『眠らない鳥』   〃   1991年
『発語の光景』   〃     2000年
評論集
『詩と小説のコスモロジィ─戦後を読む』 創樹社 1996年
『命ひとつが自由にて─川上小夜子の生涯』 影書房 2012年
『パウル・クレーへ─気ままな旅を』 沖積舎 2016年

この本の「あとがき」に
<たぶんこの本は、私にとって最後の詩集、というか、「詩のようなもの」の集成の最後の本になりましょう。
 ・・・・・「詩とは何か」という問いは、終始、私のなかにあり、その答えはまだ見えていません。
 ただ散文と異なって、論理を超えて遠くに飛ぶことができる、というのがいまの私にとって「詩のようなもの」の魅力なのかもしれない、と思っています。
 「言葉」 「そして」 「六分儀」 「きょうは詩人」という小さい雑誌ながら、詩歴の長い詩誌の友人たちの助けを受けて、ようやくここまで辿り着いたと、かれらに深く感謝しています。>

と書かれている。作者は謙虚な人であるらしい。
この後に続けて装幀の星野美智子さんのことが書かれて、日本におけるリトグラフ技法の第一人者だと謝意を表されている。

これらの記載から古谷氏は、かなりの詩歴と評論の書き手であるらしい。若くはないだろう。
以下、詩を見てみよう。

          街角     古谷鏡子

   街角。 まちかどという語のひびきが
   あなたを今ここから連れだそうとしている どこか遠いところ
   あなたの近辺に街角はない
   蔦草のからまった垣根 白い小花が咲きみだれ
   「あのコンビニの角を左にまがって」とひとがいう

         ・・・・・・・

   街角。 を探してあなたは古都にゆく 日常は捨てる
   林のなか きっちりと寺院の庭を仕切って瓦屋根の土塀がつづく
   土塀は直角にまがり くずれない 土に菜種油をまぜて築いたので
   少しずつ壁土の色は変化していると解説書にある 時空を超え
   その土塀の色の変りようをだれが見届けるというのだろう

   街角。 あなたにその答えはまだ見えてこない
-------------------------------------------------------------------------
巻頭の作品の抄出である。
詩頭と終わりとに「街角。」を置くなどの詩形を熟知した練達の作者、とみえる。
この本の題名が採られた作品を引いてみよう。

         浜木綿    古谷鏡子

   はまゆうの鉢があった

   ものごころついたころには あるときには
   日当たりのよい広縁に あるときは 小さな庭の片隅に
   家移りするたびに車に揺られ
   いつもはまゆうの鉢があった

         ・・・・・・・

   どのような所縁 どのような筋道をたどって
   そのひとのもとに届いたか もうだれも知らない
   だが
   そこにはいつもはまゆうの鉢があった

   古歌にいう
    み熊野の浦の浜ゆふ百重なす心は思へど直にあはぬかも
   よろづひとの葉のむかしからの到来品「浜ゆふ」
   そのひとのこころの行方を知るすべはない もはや

           ・・・・・・・・・

   散華という美名のもとに
   どれほど多くのひとが荒野にからだを曝したか
   重々しく桜花が垂れ 花びらの散りしくなか
   そのひとの死が帰ってくる 引きちぎられた

         ・・・・・・・・

   そこにはいつも浜木綿の鉢があった

---------------------------------------------------------------------------
コロナウイルスの跳梁で、人々は蟄居を強いられ、街は息を潜めていた。
そんな空気に浸るように、この本が届いた。
「練達」の詩人は騒がない。 ひたすらに静謐である。
そんな敬意と共に、この詩集を読み終わった。
「最後の詩集」などと言わずに、また佳い作品を見せて欲しい。
ご恵贈有難うございました。快い余韻の中に居ることをお伝えして鑑賞を終わる。       (完)



山口謡司 『〈ひらがな〉の誕生』 『文豪の凄い語彙力』・・・木村草弥
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 ↑ 「ひらがなの誕生」裏表紙

──新・読書ノート──

      山口謡司 『〈ひらがな〉の誕生』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・KADOKAWA文庫2016/05/14刊・・・・・・・・

まとめて買った本を出版年月順に紹介してきたが、今日は最後の二冊を採り上げる。
この本の要約として本の裏表紙を掲げておいた。
日本人が大陸渡来の「漢字」に触れて、それを記述語として使い始めたが、中国から借りた漢字を用いた「万葉かな」で言葉を記した。
また漢字を読むために「カタカナ」を編み出した。
しかし日本人の心を書き表すためには新しい文字が必要となってきた。それが「ひらがな」である。
掲出したカバー裏に、第一章~第四章のタイトルが読み取れるだろう。

第四章の最後のところに「日本語の1000年」という項目がある。そこには、こう書かれている。

<言葉は時代を反映する。 万葉仮名が使われていた時代には、中国を中心とした漢字文化圏の中で成長していこうとする逞しい精神が『万葉集』の歌の中に色濃く映る。
 しかし、唐という強大な求心力を持った王朝が滅ぶと同時に、繊細で女性的な世界が出現する。
 漢字では書き表すことが出来ない、それこそが〈ひらがな〉が支えた時代であった。
 ・・・・・『万葉集』の時代にあっては、柿本人麻呂、山上億良、大伴家持などは、漢字を駆使して、漢詩では表せない日本の心を歌い上げようとした。
 そして、万葉の時代の最後の幕引きをしたのが、菅原道真だった。
・・・・・道真が亡くなり、漢字漢学の世界が薄れていくことによって、和歌の世界の紀貫之などの男性歌人に続いて、小野小町などの女性歌人の時代に移っていく。
 紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』などの登場も女性作家によるものだった。
・・・・・道真が生きていた頃から、それから1000年後のことというと、1900年前後、明治時代に当たる。日本語にとっても、その変化は、現代日本語の基礎となったときであった。・・・・・>

極めて不十分ながら、この本の紹介とする。

       
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 ↑ 『文豪の凄い語彙力』 裏表紙

       『文豪の凄い語彙力』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・さくら舎刊2018/04/07初版2018/09/08九刷・・・・・・

いよいよ最後の本である。
上にも書いたように、この本は良く売れたもので、私が買ったのは九刷である。半年ほどの間に増刷されたのである。
この本は、今までのように専門的なことを、びっしり詰め込んだものではなく、「語彙」と「作家」ごとに四ベージに短くまとめて記述されている。
だから、とても読みやすい。「文献学」らしくなく、取っつきやすい、のである。
図版にも出したが、一例として「正岡子規」の項をみてみよう。

   薫風くんぷう  薫風とつづけて風の名となす  正岡子規

ただ夏の風というくらいの意に用いるものなれば「薫風」とつづけて一種の風の名となすにしかず。
けだし蕪村の炯眼は早くこれに注意したるものなるべし。    正岡子規『俳人蕪村』

これらの文章に続いて、二ページ目には「爽やかな初夏の風」として、白居易の『長恨歌』や菅原道真の「東風こち」のエピソードなどが書かれている。
三ページ目には「季節をあらわす風の言葉いろいろ」が紹介され、四ページ目には正岡子規の略歴が載っているという具合である。  
ここに、さりげなく与謝蕪村のことが書かれているが、中世から近世にかけて、和歌というなら「古今和歌集」、俳人と言えば「松尾芭蕉」が称揚された。
そういう風潮を打破して、歌ならば「万葉集」俳人ならば「蕪村」を採り上げたのが正岡子規の功績なのである。
因みに「俳句」と名付けたのも子規である。子規は伝来したばかりのベースボールに熱中し「野球」と名付けたのも彼である。

こんな風に63項目の「語彙」と「作家」が載っている。もう一つ「漱石」を採り上げてみよう。

   出立 しゅったつ   出立の日   夏目漱石

出立の日には朝から来て、色々世話をやいた。
来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れて呉れた。
                                       夏目漱石『坊ちゃん』

読み方次第でさまざまな意味に
「しゅったつ」 「いでたち」などの読みの違いなどに触れて、明治二十年、文部省は、尋常小学校の「読本」に「しゅつたつ」という読み方を定めた、という。

極めて雑駁な不十分の紹介ながら、このり辺で終りにする。
後日、何か書き加えることがあるかも知れない。



山口謡司 『てんてん』 『日本語を作った男 上田万年とその時代』・・・木村草弥
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てんてん裏_NEW
 ↑ 「てんてん」裏表紙

──新・読書ノート──

    山口謡司 『てんてん』 ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・角川選書2012/01/25刊・・・・・・・

今回、山口謡司関連の本として四冊の本を古本で買い求めた。いずれも新本同様だが安価なものである。
私は読書の習慣として、何か読みたいと思ったら、集中して読んで解明したい主義である。
こういうやり方をすると身につきやすいと思うからである。
しかし学問的、体系的なことは、素人の人間にはなかなか難しい。
ましてや「日本語」の成り立ちについてということになると、表記する文字の無かった上古から始まるからである。
もう二十年近く前から「日本語倶楽部」として、何とか迫ろうと努力してきた人間として「蟷螂の斧」であるかも知れないし、周囲をぐるぐる回るだけかも知れないが、お許しを。

先ず、「大東文化学院」というのは、どういう学校なのかということである。Wikipediaには詳しく載っている。  ↓

大東文化大学は、大正期における日本の政治・経済・社会・文化の近代化の過程で見られた西洋偏重の傾向を是正し、漢学を中心とする東洋文化の振興を図ろうとする木下成太郎による「漢学振興運動」を発端として、1923年(大正12年)の帝国議会衆議院本会議において可決した「漢学振興ニ関スル建議案」に基づき設立された大東文化学院にはじまる。
漢学(特に儒教)を中心として東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に儒教に基づく道義の確立を期し、更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して「新しい文化の創造」を目指す、と定められている。1985年(昭和60年)に制定された。
そして、2008年(平成20年)9月には、創立百周年に向けた基本計画「中期経営計画(CROSSING2023)」を策定。この中で、これからの21世紀における時代のあるべき姿を提言し、建学の精神を「多文化共生を目指す新しい価値の不断の創造」と現代的に読み替え、掲げている。
初代総長は平沼騏一郎であった。

私の言いたいのは、そういう大学だからこそ、山口謡司が専門的に取り組んでいる「書誌学」「文献学」の研究は処を得ていると思うのである。
彼の勤務先の大東文化大学文学部中国文学科を検索すると、学生たちと談笑する山口の写真が使われている。人気がある彼だから宣伝効果もあるのであろう。

この本は単純にというか、乱暴に言うと「てんてん」すなわち「濁点」が、いつから文字の上で表記されるようになったか、を解明したものである。
この本の「おわりに」で
<言語の歴史は、人間の歴史であると教えてくださったのは我が師・亀井孝である。そして、日本語における濁音ならびに濁点について、大胆な発想と大きな言語学的な視野で臨んだのも亀井師であった。
師の論文「かなはなぜ濁音専用の字体をもたなかったのか──をめぐってかたる」が書かれてからすでに四十年がたつ。
二十五年前、この論文に出会い、助言をいただく機会を得てから、幾度となく読み返した。以来、日本語における濁点の意味と「てんてん」という記号の不思議さが脳裏から離れることはなかった>書かれている。

亀井孝 ← とは、こういう人である。アクセスされたてい。
「共編著」の項目に「日本語の歴史 全7巻別巻」があるが、私はこれを買って読んだことがあるが、専門的で難しい本だった。
このWikipediaの記事に「弟子」として山口の名前が載っているのに留意されよ。

万年_NEW

      『日本語を作った男 上田万年とその時代』・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・集英社インターナショナル2016/02/29刊・・・・・・・・・

この本が採り上げる上田万年 ← というのは、こういう人である。

この本は、いかにも書誌学者、文献学者らしい索引や出典に詳しいもので、厚さ五センチもある辞典のようなものである。
この本のカバー折り返し裏に、こう書かれている。

<明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。
 明治にはまだ「日本語」はなかったのである。
 「日本語」(標準語)を作ることこそが国(国家という意識)を作ることである──
 近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。 >

この本の要約として極めて的確な文章である。 
因みに、この本で第29回和辻哲郎文化賞を受賞している。この賞は学術的な著作に贈られるもので、ふさわしいものと言えよう。

井上ひさしのシナリオに『國語元年』(こくごがんねん)というのがある。 ↓
1985年の6月8日から7月6日までNHK総合テレビの「ドラマ人間模様」枠で放送されたテレビドラマ。シナリオは中公文庫から『國語元年』として刊行されている。
1986年にこまつ座制作で上演された演劇。紀伊國屋ホールにて初演。戯曲は新潮文庫から『國語元年』として刊行されている。
いずれも井上ひさしによる脚本・戯曲で、明治初期にお国の土台、軍隊言葉に混乱がないようにと「全国統一話し言葉」作成を命じられたとある文部省官吏の苦闘を描いた作品である。

これなどは、上田万年の苦闘の「現実版」と言えるだろうか。

この本は、先に書いたように極めて文献的で難しいものだから、この本の章名を書き抜いておこう。

  第一章  明治初期の日本語事情
  第二章  万年の同世代人と教育制度
  第三章  日本語をどう書くか
  第四章  万年、学びのとき
  第五章  本を、あまねく全国へ
  第六章  言語が国を作る
  第七章  落語と言文一致
  第八章  日本語改良への第一歩
  第九章  国語会議
  第十章  文人たちの大論争
  第十一章 言文一致への道
  第十二章 教科書国定の困難
  第十三章 徴兵と日本語
  第十四章 緑雨の死と漱石の新しい文学
  第十五章 万年万歳 万年消沈
  第十六章 唱歌の誕生
  第十七章 万年のその後

先に書いた井上ひさしのシナリオのことは、この本の第一章と第十三章に引かれている。
とにかく著者の引用は「こまめ」であり、遺漏がない。
ネットを検索すると某氏が、この本には間違いが数十か所もあるから撤収せよ、とか「和辻哲郎賞」を辞退せよ、とか書かれているが、仮に間違いがあるとしても、再販などのときに訂正されるのが普通である。
ここには新村出の『広辞苑』が引き合いに出されているが、編集方針に異論の出るのは当たり前で、編集部はいちいち採り上げることはないのである。
私の友人の国語教師も異論を申しあげたと言っていたが、必要なものは後の版で修正されるのが普通である。
私の同級生で国語学者の玉村文郎は、いま「新村出記念財団」の代表理事を務めている。ここは広辞苑などから入る著作権料などを管理している。
その資金で公募で研究者に補助をしている。玉村君の前任は堀井令以知だった。堀井は私の住む村の出身である。それらのことは前にブログに書いた。
堀井の前任は金田一春彦だった。

周囲をぐるぐる回るばかりで本文に触れることは部分的にしか出来なかった。お許しを。
緻密な、ぶ厚い本を前にして、半ば茫然という心境である。


やまぐちヨウジ『妻はパリジェンヌ』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       やまぐちヨウジ『妻はパリジェンヌ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・文芸春秋社2005/06/25刊・・・・・・・・

先日来、山口謡司先生の本を二冊、再掲載したりして来た。
先生がFBに居られることを知り、サイトを読んでみた。とても面白いと思ったので「友だち」申請をしてみた。
すぐに承認の返信が来て、私が先生の本を十数年前に採り上げたことなどを知らせた。
なにぶん先生の「友だち」というのは2700余の人が登録されていて、私も、そういう「その他大勢」の一人であることは承知している。
Wikipediaの記事を見て面白そうな本を数冊アマゾンの古本で買い求めた。
その中の一冊、この本を先ず採り上げる。

先生のFBのタイトルバックに「i OG i US」と書いてある。何だろうと気になっていたが、この疑問は、この本を開いて、すぐ解決した。
⒈画廊での出会い のところで先生が今の夫人ラファエロと出会うことになったいきさつのところである。
彼は絵描きでもある。パリ七区のボンマルシェというデパートの裏手にある画廊での話。
そこに並べられていた彼の絵を気に入ったラファエロが話しかけたきたことが、愛の発端。
その絵のサインが「i OG i US」─YOJI をラテン語で書くと、こうなる、ということ。愛称「ラフィー」と呼ぶようになる。
こういうストーリーを語りながら、どうしてイギリスのケンブリッジ大学の共同研究員になったのか、どうしてパリに来たのか、などがさりげなく書かれている。
彼の専門は「書誌学」「文献学」だが、これは林望の専門で、その林の知遇を得てロンドン、バリに居るのだった。
人生には、こういう他人との「出会い」が大きな意味を持つ。
私も一頃二十数年前に林望の本『イギリスはおいしい』 『イギリスは愉快だ』などの珠玉のエッセイの本を読んだ。
その林望の弟子が彼なのであった。
ラフィーは二十二歳で弁護士になったという頭のいい人。
そんな人が三年の同棲生活の後、日本の大学での職が確保されて帰国することになったときに、弁護士の職を棄てて彼について来日することになる。
これこそ「愛」の力の齎すものでなくて何だろう。
そして子供を作る決心をして妊娠するが七か月で早産して860グラムしかない息子ガブリエル─愛称ガビーを帝王切開で産み、数か月ICUで過ごす。
いろいろあって、何とかガビーは順調に育った。
この本が出たのは2005年だから、それから十五年経っているガピーも成人に達しているのではないか。
ガビーが果たして日本の高等教育を受けているのか、それとも帰国してフランスで学んでいるのか。
それらについてのプライバシーは判らないが、山口謡司の凄い著作のスピードなどを勘案すると、前妻と子供への養育費の必要があったが故ではないのか、など考えてしまう。
この本は気軽なエッセイだが、後で採り上げることになる研究書では極めて詳しい、いかにも書誌学者らしい索引などがびつしりと書かれている。

いま彼のFBのサイトでは「諺」「言い回し」などがYouTubeを駆使して講義が連日語られているが、これらは遠からず編集し直して一冊の本になるだろう。

そんな彼の顔つきなどの日本人離れした容姿を見ていると、私がもう七十年も前にラテン語の授業を受けた野上素一先生の容姿とそっくりだと思う。
今でもそうだと思うが、私の居た大学では西欧語を専攻すると「ラテン語」か「古代ギリシア語」が必修だった。
私はラテン語を選択し野上先生から一年間教わった。
先生は野上豊一郎と野上弥生子の長男で、ローマ大学に留学し、そこで出会ったイタリア人の夫人を日本に連れて帰られた。
後にイタリア文学科の主任教授を務められた。私たちは「イタ文」と呼んでいた。同級だった小松左京の出た学科である。
奥さんが向こうの人だと食生活の関係か、肌艶や容姿が西洋人ぽくなるのか。
そんな、とりとめもないことを考えた。 以上、余談である。  とても面白い一冊で、あっという間に読み切ってしまった。



古田鏡三歌集『せせらぎ』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       古田鏡三歌集『せせらぎ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・ながらみ書房2020/05/30刊・・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。「未来山脈」の会員だが、私には未知の人である。
巻末に載る略歴を引いておく。

古田鏡三
1947年 長野県木曽郡大桑村 生まれ
1962年 石川島汎用機械木曽事業所に就職
20歳代より自由詩、作詞を始める。各種の講座、同人誌に入会
1992年 「未来山脈」入会。光本恵子に師事

この略歴の、すぐ後に
<詩、短歌の魔力にとりつかれ、70歳代の今、口語自由律の世界をゆっくり歩いています。> と書いてある。
この本はソフトカバーの「帯」もない清楚な本づくりであり、著者の思いが籠っているようで好感が持てる。
この本には巻頭に「序文」として光本恵子が6ページにわたって詳しく書いていて、本の要約が尽くされているので、私が付け加えることは何もないのだが、少し書いてみる。

この本は一ページに四首の歌を組んであり、ページ数も176ページあるので相当な歌の数だろう。
巻末には若い頃に没頭した「歌謡」詩が16篇収録されている。この頃、古田氏は「作詞家」になりたかったのだろう。
いずれも整った佳い作詞である。いずれも三番まである長いものなので、ここに引くのは見送る。

光本恵子は序文でも「木曽馬のような頑固で優しい男」と書く。
私には未知の人だが、「木曽の工場で働き、木曽の田畑を耕し、牛を飼って育て、それ木曽牛として売って」生きてきたのだろう。
古田氏と光本とのふれあいは、光本がラジオ信越放送の「口語短歌入門」をやっていた頃で1990年代のことだという。
古田は、その番組の常連だった、という。それから三十年。長い付き合いである。

光本の序文に続いて、木曽御嶽山の雪を被ったカラー写真と
   「きそ」の語源を 尋ね歩く 瀬音にまざり 此こだよ 石ころの声
の歌を刷ったページがある。これも作者のこだわりだろうか。 佳い歌である。

巻頭の一連は「夕焼とんび」という名前で
   ■母ちゃんは米を肩に おらは提灯を手に水車小屋へ沢づたいの夜道
   ■川向こうの山を軽便が行く 材木をいっぱい背にしてひとり静かに
   ■子牛と競り市 手綱にひびく最後のひと声に牛がうなずく
   
これらの歌が載っている。作者の「原風景」なのであろう。

   ■メロンは妻へ花は仏壇へ温泉帰りの買物 今日は母の日
   ■君は我れを惑わす古い頭を押しのけて「未来山脈」がやってくる
   ■夕飯を食べつつ将来のショウの字を家族に聞く これが幸せ
   ■わが母を看取り妻は子を背負い同じ鍬をもつ

ここで、作者の「癖」について指摘しておきたい。
「此」 「我」などの送り仮名のことである。
アンダーラインを入れておいた。
これらは、もちろん間違いではない。ただ「此処」 「我」でいい筈である。それが嫌ならカナ書きでもいいのである。

   ■どうなるのか我が家 安政三年が平成の大修理に入った
   ■ぽつぽつと生きざまを語る職人の手は休むことを知らない
   ■土台が有って屋根がある 人と木材で生き返ろうとする
   ■首都圏に積雪のニュースが今日も 一メートルの雪つづきの町

作者の故郷も、わが家も古いらしい。それらの哀歓を淡々と歌にしていて秀逸である。

   ■剥製の第三春山号に寄りそう飼い主の姿開田高原の時は流れて
   ■調教の女性に従い木曽馬は不運の歴史を背負い今日も歩む
   ■「きんこ」とは繭玉のこと絹糸から布になる 蚕さんがつくるのだ
   ■稲が藁になり縄になる手を加えれば草鞋になる さあ歩こう

作者は故郷を詠う。木曽馬を詠う。信州で盛んだった養蚕のことを偲ぶ。よいことである。

「歌謡詩をうたう」という項目があって、短歌を始める前に熱中したことを詠う。
   ■体験が声に唄の味に染みついたそんな歌い手様に逢いたい
   ■短歌ならば作詞ならばと始めたけれど詞は没でレコード化ならず
   ■聞いて書いて読んで詩と詞 歌に唄 さわやかな風だ

無数の作詞をめざす人たちが居て、作詞家の世界も果てしない。ありきたりの才能では、芽が出ない。
そんな挫折が、歌の原動力になるのである。木曽人がんばれ。

「旅へ」という旅行の歌がつづく一連がある。
   ■倉敷を歩く瀬戸大橋わたる島もある 古さ新しさ味わいつつ
   ■小豆島の桟橋で独りたたずむ女 船から降りてきた男と去った
   ■セントレアを後に野間灯台へちょうど引潮 岩場は緑の海草だ
   ■あでやかに素朴なおどり黒の帯 由来は歴史の上に立って

旅の哀歓が、さりげなく詠われている。

   ■のろまで下手でそっぽ向かれそれでも歌謡詩風に生きてみようか
   ■人のこころを自然のながれを文字にして口語短歌と語らう夕べ
   ■一枚の白い紙に何を描く 絵か文字かそれとも白のまま

思いは果てしなく、さまざまに巡る。

   ■土が草が叫ぶ とにかく働けや機械化して尚はたらくのだ
   ■耕耘機に飛び出た蛙まだ眠ってたのか さあ眼を覚ませ百姓だ
   ■御嶽海のポスター壁に貼り今日も野良仕事の行き帰りに立ちどまる
   ■助手席にいつも地図を乗せ少年の日の夢をさがしつづける

「農」に生きる男の一生の「あれこれ」である。   
   
この本の巻末にある歌
   ■今日もせせらぎが聞こえてくる 誰かがささやいている

この歌から、この本の題名が採られている。
簡潔であって、かつ清楚な佳い歌である。
作者の歌は冗長なところがなく、よく推敲されている。
「未来山脈」の最近号に載る歌も、よく整っている。

巻末に近い「桧の木」という項目の歌
   ■人間ドックの精密検査四通 やはりそうか覚悟して空を
   ■おれの誕生日と日記に書く あと三年とは書けなかった
   ■仕事に酒に世の風によくぞ耐えぬいた 胃袋さん

これらの歌が意味するものは何なのか、何の説明もないので分からないが、私の思い過ごしであることを祈っておく。

とりとめのない雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。
これからも佳い歌を詠っていただくようお祈りして抄出を終わる。
ご恵贈有難うございました。           (完)




山口謡司 『 ん 日本語最後の謎に挑む』・・・木村草弥
「ん」

──新・読書ノート──初出2010/03/09──(再掲載)

      山口謡司 『 ん 日本語最後の謎に挑む』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・・・・・・新潮新書2010/02/20刊・・・・・・・・・・・・・・

つい昨日、『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明 という本を採り上げた。
この本は同じ著者による、その本の続編である。
ついでに、この本の「帯」裏の写真を出しておく。ここには、この本の項目が出ているからである。

「ん」裏

この本については、新潮社「波」三月号に著者自身による紹介記事が載っているので全文を貼り付けておく。

   「ん」をめぐるミステリー・・・・・・・・山口謠司

 トンボ鉛筆といえば、「Tombow」というローマ字を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、虫の名前なら「Tonbo」と書かれるべきではないだろうか。
また東京メトロの駅名「日本橋」には、「Nihombashi」と書かれている。これも、なぜ「日本」の「n」が「m」と書かれているのだろうか。
このように「ん」と書かれる日本語が、ローマ字では「m」と書かれている例は他にも多数みられる。これは本書執筆へのひとつの契機になった。
 日本語表記の歴史を精査してみると、我が国には平安時代初期まで「あいうえお」から始まる平仮名や片仮名はなく、すべて漢字を利用した万葉仮名で書かれていた。
万葉仮名で書かれた奈良時代の文献『古事記』『日本書紀』『万葉集』などには、実はただの一文字も「ん」という字は使われていないのである。
 また、平安時代初期に著されたとされる『伊勢物語』には「掾」が「えに」と書かれており、『土佐日記』にも本来「あらざんなり」と書くところを「あらざなり」と「ん」を抜いて書いてある。
鎌倉初期の鴨長明『無名抄』には、「和歌を書くときには、〈ン〉と撥ねる音は、書かないのが決まりである」と記されているのである。
また、江戸時代でも、井原西鶴の『好色一代男』には「ふんどし」を「ふどし」と書いてある。
「ん」は無くてもよい日本語だったのだろうか?
 江戸時代の国学者、本居宣長は、この点について次のように述べている。「我が国の五十音図は、整然と縦横に並ぶものとして作られているが、この『ン』という音は、いずれにも当てはまらない。これは、日本語の音としては認められないものである。だからこそ古代の日本語には『ン』という音がないのである」(『漢字三音考』より拙訳)
 しかし、「書かない」のではなく「書けない」というのが平安時代の実状だった。
なぜなら平仮名の「ん」、片仮名の「ン」、また、それを書き表すためのもととなる漢字も存在しなかったからである。そして、その影響は江戸時代まで続いていた。
 江戸時代には、「しりとり」遊びもなかったし、「んー」と返したり、「うん!」と相槌を打つ言葉もなかった。現代の日本語からは、かつて「ん(ン)」がなかったなどとは考えられないだろう。
 では、この「ん」を、いつ、誰が創り出したのか。また、どうして現代日本語の五十音図の最後に取り入れられたのか。
 日本語の脇役的な存在「ん」を主役にして、とくとその舞台裏までお見せしたい一心で、四年間をかけ、私は本書を書いた。
前著『日本語の奇跡―〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明―』(新潮新書)と共にお読み頂ければ、「あいうえお」から「ん」までの音と文字の歴史、隠された機能と壮大な思想から日本文化の奥深さを知って頂けると思う。
 日本語は実に面白く、ミステリーに満ちている。  (やまぐち・ようじ 大東文化大学文学部准教授。)

的確な要約と言えるので、↑ 先ずこれを読んでもらいたい。

ところで、この「帯」の冒頭に書かれているローマ字の「n」「m」のことだが、執筆動機となったものだが、このことについて彼の奥さんがフランス人であり、そのネイティヴな日本人ではない、いわゆるネイティヴ外人の日本語についてのローマ字表記についてのエピソードから、この本は始まる。
地下鉄の駅名が、日本橋にほんばし=nihobashiと筆記されることからの疑問である。
彼の妻がローマ字で書いたメモを持って買い物に行くときに「あんぱん」→ampan、「がんもどき」→gammodoki と書くそうである。「帯」に載る nihombashi の場合と同じである。
結論を急ぐために説明してしまえば、英語やフランス語、ドイツ語などヨーロッパ諸言語の辞書をひもといてみると、「n」と「m」の表記には厳然たる書き分けがあることが判る。
つまり、次に来る子音が「m」「b」「p」である場合は、普通「n」がその直前に現れることはなく、「m」が書かれるという原則である。
これらのことは、多少、西欧語教育に触れたことのある人なら経験があり、周知のことかも知れない。
口に出して発音してみれば「m」「b」「p」の場合は、唇が触れる「接唇音」であることが判るだろう。このことは彼の本には書かれていないが、私は読んで、すぐ、そのことに気付いた。

他にエピソード的に紹介すると<西洋人は「んー」が大嫌い>というのは、彼の奥さんは、日本人なら誰しもよく発する、喉の奥の方から鼻に抜けるような「んー」という声が大嫌いなのだそうだ。これは西洋人一般がそうらしい。
こういう場合に、フランスも含めて欧米の漫画や小説を見ると、我々日本人が「んー」という音を出す場面では「mmm」「hmmm」と書いてある。
日本語に直せば「ムムム」や「フムムム」だという。試しに妻に向かって「んー」の代りに「ムムム」と答えてみると嫌な顔をしないという。

この本には「空海」や「サンスクリット語」のことなど、日本語の発展、新展開に関する重要な話も書いてあるので、先に紹介した『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明 の本とともに読んでもらいたい。




山口謡司『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明・・・木村草弥
日本語の奇跡

──新・読書ノート・初出Doblog2008/03/03──(再掲載)

  山口謡司『日本語の奇跡』<アイウエオ>と<いろは>の発明・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・・・・・・・新潮新書2007年12月刊 ・・・・・・・

「日本語」にこだわるものとして、漢字カナまじり文という世界でも特異な表記法を築き上げた先人たちの叡智と努力を、こうして判りやすく体系的に一冊にまとめた、最近でのヒット作として、先ず喜んでおきたい。
カタカナやひらがな、漢字を巧みに組み合わせることで、素晴らしい言葉の世界を創り上げてきた日本人。
先師先達のさまざまな労苦の積み重ねをわかりやすく紹介しつつ、これまでにない視野から日本語誕生の物語を描く。
著者の山口謠司は1963年長崎県生まれ。大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、大東文化大学文学部准教授。 現在、教授。

ここでネット書店BK-1 の、この本の紹介に載る「オリオン」という人の書評を貼り付けておきたい。
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 『堤中納言物語』に、ある貴人からの贈り物への返礼として、カタカナで和歌を書き送った(虫めづる)姫君の話が出てくる。
 本居宣長の門人伴信友は、この一篇に寄せて、「さて其片仮名を習ふには五十音をぞ書いたりけむ。いろは歌を片仮名に書べきにあらず」と記した(『仮名本末』)。
和歌をカタカナで書いてはいけない。草仮名すなわちひらがなで書かなければならないというのだ。
 ここに、この本で書きたかったことの淵源がある。著者は、あとがきでそう述べている。
 伴信友がカタカナを五十音図に、ひらがなをいろは歌に対応させたことを敷衍して、著者は本書で、日本語を培ってきた二つの世界を腑分けしてみせた。
すなわち、〈アイウエオ〉という「システム」(日本語の音韻体系)を支える世界と、〈いろは〉という「情緒」(言葉に書きあらわすことが出来ない余韻)を支える世界。
 それは同時に、日本という国家を支えてきた二つの要素に対応している。
外来の普遍的な思想(たとえば儒教、仏教)や統治制度(たとえば律令制)と、「国語」としての日本語でしか伝えられない「実体」とでもいうべきもの(たとえば民族性、もののあはれ)。
 著者は「システム」と「情緒」を、空海の業績に託して、「情報」と「実」とも言いかえている。
《空海が持ち帰ってきたものは、情報より「実」とでもいうべき意識ではなかったか。言ってみれば、借り物ではない世界を実現する力である。
 むろん、それまでの日本に「実」というものがなかったわけではない。
しかし、「世界」とは中国であり、「普遍の伝達」とは中国の模倣とイコールであった。「実」という意識はまだ薄かったであろう。(略)
 「実」という意識は、あるいは、芸術家が模倣を繰り返す修行時代を抜けだし独創の境地に立った地点と似ているとでも言えようか。
模倣は本来、「実」を必要とはしない。模倣によってあらゆる技術を身につけようとするときの条件は、いかにして「実」を捨てられるかである。
しかし、捨てようと思えば思うほど、目の前の壁となって「実」は大きく姿をあらわしてくる。
そして、いかにして「実」を捨てられるかともがき続ける修行のなかで、最後の最後に幻のように残った「実」こそが、まさしく独創の足場となるのではなかろうか。
 折りしも日本では、本当の意味での独創が始まろうとしていた。日本語において、それは〈カタカナ〉と〈ひらがな〉へとつながってゆくのである。》
 こうして著者は、漢字伝来から(鳩摩羅什による仏典漢訳の方法に倣った)万葉仮名の創造を経て、漢字の簡略化によるカタカナの、また、そのデフォルメ(草書体)を利用したひらがなの発明へ、そして、十世紀前半と目されるいろは歌の誕生(作者不詳)へと説き及んでいく。
 また、空海によるサンスクリット語の伝来に端を発し、十一世紀後半を生きた天台僧明覚による(子音と母音を組み合わせた)日本語の音韻体系の解明から本居宣長へ、そして「情緒よりシステムの構築を必要とした」明治時代、大槻文彦による五十音配列の『言海』と至る五十音図誕生の物語を語っていく。
《〈いろは〉と〈アイウエオ〉の両輪によって情緒と論理の言語的バランスを取ることができるこのような仕組みの言語は、日本語以外にはないだろう。あらゆる文化を吸収して新たな世界を創成するという点で、それは曼荼羅のようなものだと言えるかもしれない。 我々はそうした素晴らしい日本語の世界に生きているのである。》
 この末尾に記された言葉がどこまで真実のものでありうるのか。それは、千年をはるかに超える日本語探求の歴史の重みを踏まえた、これからの言語活動の質にかかっている。
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ここに紹介した「オリオン」氏の書評だけからは、少し判りにくいかも知れない。
この本の「帯」には

<日本人が創り上げた たぐい稀な言葉の世界!
 かつてない視野から描く日本語誕生の壮大な物語。>

とある。そして「帯」の裏面には

 ○淵源としてのサンスクリット語
 ○万葉仮名の独創性
 ○空海が唐で学んできたこと
 ○<いろは>の誕生
 ○妙覚、加賀で五十音図を発明す
 ○藤原定家と仮名遣い
 ○さすが、宣長!

が挙げられているが、これらは「目次」に書かれているものである。
私が部分的に知っていることが、この本によって体系的に知らせてもらって有難かった。
私たちが「表意文字」「表音文字」などと、簡単に言い過ぎてしまっていることも、この本では「表意記号」「表音記号」と書かれていて、その方が的確な言い方である。
これに関連していうと、第二章「淵源としてのサンスクリット語」に、このことが書かれている。

<ひらがな><カタカナ>と我々が何げなく使っている「言い方」だが、第七章「仮名はいかにして生まれたのか」に詳しく書かれている。
なぜ「仮名」なのか。ここには、こう書かれている。

<どうして「仮」という言葉がついているのか。当時、「仮名」は別に「借字」(しゃくじ)という呼称もあったが、これは「漢字を借りる」という意味である。
「仮」の意味が分かれば、「借」という字がつけられた意味も理解できるだろう。
漢字は、奈良時代以来、別名で「真名」(まな)と呼ばれていた。
「真」とは「中身がいっぱいに詰まっている」という意味を本来持つ漢字であり、「仮」とは「中身のない見せかけの」の意味である。>
中国伝来の漢字を使って「日本語」の表記を、どうしてゆくか、を考えて、漢字の「音」(おん)を利用するだけではなくて、「漢字を簡略化する」「漢字の一部を利用する」などして<カタカナ>が考案され、全体をデフォルメした草書体(当時は「草仮名」と呼ばれていた)を利用して<ひらがな>が、新しい我が国独自の文字となっていったのである。因みに<ひらがな>という呼称が起こったのは江戸時代になってからである。
漢字の意味や発音を捨て去った「見せかけ」の部分を使うからこそ、我が国独自の文字は「仮名」という名称で呼ばれることになったのである。

著者も「あとがき」で<書き足りない・・・・・。稿を終えての思いはそれに尽きる。>と書くように、「新書」というページ数の制約もあるので仕方がないのだが、この本に肉付けした内容豊富な一冊を、著者には、ぜひお願いしたいものである。
日本語にこだわる人には必読の一冊である。よく売れていて12/20の初版から、すぐに1/15には2刷が出ている。私の買ったのは2刷のものである。
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この本の「続編」に当たる本も出ていて、私も採り上げているので、後日アップすることにする。






松延羽津美歌集『水の神さま』・・・木村草弥
水_NEW

──新・読書ノート──

      松延羽津美歌集『水の神さま』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・ながらみ書房2020/04/30刊・・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。私には未知の人である。
巻末の略歴を引いてみよう。

松延羽津美
1949年 福岡県八女郡立花町生まれ
2001年 NHK学園通信講座にて作歌開始
2002年~2006年3月まで 教養講座「万葉集」受講
2013年 久留米毎日文化教室(恒成美代子講師) 受講 今に至る
2017年 「未来」短歌会(中川佐和子選歌欄) 入会 現在に至る

私も「未来」に十数年居たし、恒成美代子氏とも交遊しているので、この本が贈られてきたものと思う。
恒成さんのなれそめについては、この記事 → 「恒成美代子歌集」を見てもらいたい。

前置きが長くなった。
この本には「跋」として8ページにわたる詳しい解説を恒成美代子氏が書いておられる。
そこには松延氏の人となり、ご夫君の仕事のこと、など詳しく書かれていて、私が付け加えることは何もないのだが、苦言、忠告も含めて少し書いてみる。

ご夫君は「水利」に関する仕事を生業としておられたようで、歌集の題名は、それに因んでいるらしい。
この本は「編年体」でまとめられているという。

   ■新しき年の始めの蛇口よりほとばしりたり水の神さま

この歌から本の題名が採られている。ご夫君の仕事に関係するものとして極めて的確な選択だろう。
しかも「水の神さま」という項目が巻頭を飾っているのも納得される。

   ■ゴックンと咽喉をならす一杯がはじける夕餉キラリ麦秋
   ■ひさかたの雨のめぐみにたつ早苗われは米とぐ玻璃戸の内に
   ■ほとばしる玉来川の水源の流れるを汲む葦の根元に
   ■ストレリチア、キングプロテア、孔雀草、講話に咲けるは腸内フローラ
   ■花水木の木陰に寄りてプルトップ開けて話すも埒のなきこと
   ■ベランダに五月の風は吹き渡り浅葱努(ゆめ)みし ねぎ坊主立つ

「水」に関する歌などを引いてみた。
六首目の歌には「あさきゆめみし」という「いろは歌」が、さりげなく引かれていて古典を学ばれた片鱗が見える。
「ゴックン」とか「キラリ」とかの言葉がカタカナで書かれているのも作者の特徴だが、それが効果的かどうか、は疑問のあるところ。

   ■珊瑚礁の海に仲間と繰り出して海水浴せしあの夏の燦
   ■沖縄に住みし一年九ケ月を思ひおこせばただ若かりき
   ■夏雲のわきたつ下に葵ちやんとサンシャインプールで一日遊ぶ
   ■別れ際を改札口でハグすれば咲子の身長吾を越えてをり
   ■仕事終へ日暮れに帰る足取りの重き夫なり おつかれさまです
   ■〈百聞は一見に如かず〉スカイプにひとり住まひの息子と語る
   ■頻繁に夫のメールに着信のあれば目覚むる真夜一時半
   ■熊本の激しき地震に怯えたる子らの避難をわが預かりぬ
   ■くつきりと甦る日々の折折を顕徳町の官舎に見たり
   ■夫の背を四十五年見送れば朝な朝なの体調の見ゆ
   ■橋梁は夫の仕事の一つゆゑ「ハイヤ大橋」如何に見ますや

夫の「たつき」子や孫に触れた歌を、まとめて引いてみた。
そろそろ、「まとめ」に入りたいが、苦言になると思うが読んでみてほしい。
この本を頂いたときに「栞ひも」が挟まれていたページがあった。そこには、この歌があった。

   ■「二次災害になりませんやうに」と見守る救助ヘリのホバリング

この「なりませんやうに」の「やうに」は誤用である。
文語なら「よー」は何でも「やう」だと思ったら大間違いである。
要点だけ指摘しておく。この「なりませんように」は助動詞特活という用法で「「推量」「意志」「勧誘」の意味を表す語である。
だから「旧かな」でも「ように」が正解なのである。この使用法は、よく間違われるもので注意したい。

巻末の一つ前の項目に「秋の午後」の一連があって

   ■はるかなるドリー羊の誕生がフラッシユバックす『私を離さないで』
   ■「『鉄の蜜蜂』つて何なんだ」と夫の言ふ「医療かな」と漠然と答ふ
   ■『水神』のページをめくる秋の午後 眼下の稲穂刈られてゐたり

『』の中は本の題名だろうが、二番目に引いた歌の夫の問いについて「医療かな」と漠然と答ふ、というのはトンチンカンも甚だしい。
この岡井隆の歌は、これである。

   <今日もまたぱらぱらつと終局は来む鉄の蜜蜂にとり囲まれて    岡井隆>

この歌から『鉄の蜜蜂』という題名が採られているのである。
さて「鉄の蜜蜂」とは、何の象徴だろうか?
ネット上にも、いろいろの評が出ているが、真正面から切り込んだものは見当たらない。
この「鉄の蜜蜂」という「比喩」が難解だからである。
毒針は持ってはいるが、潰せば弱いミツバチである。それが「鉄」だというのである。
こういう比喩を彼は好んで使う。彼は詩人でもあり、詩の世界では「詩は解釈するものではなく、感じるものだ」ということになっている。
彼は、それに従っているのであり、だから、ただ感じればいいのである。

ただ、松延氏の本に載る「医療かな」と漠然と答ふ、というのは頂けない。

岡井隆の、この歌集には、それは例えば、

   <行きたくない。だが、ねばならぬ会合に大岡詩集読みながら行く>

   <一輪の傘が咲くとき 不思議だなあ 雨の方から降ってくるんだ>

   <旧友の吉田はむかし農村の工作隊へ行つたときいた(何をいまさら)>

などの「ただごと歌」が載っている。これらの歌は高尚なことを詠っているのではないのである。
私も「未来」に暫くいたことがあるので「ああこれが岡井隆翁の肉声なのだ」、と、妙に納得したり安心したりさせられるのである。ただし私が意見を異にいている、彼の皇室と原発に関する歌などには私は同意しない。

今回特に印象に残ったのは、巻末に置かれた「父 三十首」である。 ここには

    <紀元前十四世紀のむかしより父と子はつねに妬み合いしか>

    <キリスト者として戦中を耐へし父。苦しき転向を重ねたるわれ。>

    <「マスコミにたてつくことは止めよ、隆。」いたき体験が言はせた至言>

のような著者の親子の愛と相克を巡る力作が並んでいるが、本書で、著者もまたおなじ目に遭った、という告白に接して刮目せざるを得なかった。

    <十代にていぢめに会ひぬ「隆、それは耐へる外ないぜ」よ言ってくれたが>

    <学校側の知人にひそかに手をまはしをりたりとはるかのちに知りたり>

私は漸くにして衰微の影が搖蕩しないでもない、著者第三十四番目の歌集を閉じながら、もしもその父親の恩寵の手なかりせば、この偉大な歌人の運命はいかばかりであったろう、と余計な思案をせずにはいられなかった。

私が、岡井の本を読んで感じたことに拘りすぎたかも知れないが、この岡井の本を読んだのなら、せめて、これに類することを感じて欲しかった、と思った故である。
岡井隆は「未来」の創刊同人であり、今も「編集者」に名前を留めてはいるが体調不良で歌の発表もない。
岡井隆を「雲上人」のように扱うのは止めにしたい。

文語文法にしろ、短歌の世界は、たやすくはないことを肝に銘じていただきたい。
そのことを申しあげて鑑賞を終わりたい。ご恵贈有難うございました。        (完)



『山法師』松林尚志句集・評〈しなやかな野生美 山中葛子〉・・・木村草弥
20180902004901海原・創刊号
↑ 「海原」創刊号
松林_NEW
↑ 松林尚志句集『山法師』

──新・読書ノート──

      『山法師』松林尚志句集・評〈しなやかな野生美 山中葛子〉・・・木村草弥

金子兜太の「海程」の後継誌である「海原」に下記の記事が載っているので「転載」しておく。

『山法師』松林尚志句集〈しなやかな野生美 山中葛子〉

『海原』No.15(2020/1/1発行)誌面より。

松林尚志句集『山法師』 二十句抄(山中葛子・抄出)

 若き母白くいませり半夏生草
 今朝の秋布衣の雀もきてゐたり
 黄金田や女神の臥せしあと残る
 リュックには餡パン一つ山法師
 連なる蔵王茂吉メッカに秋惜しむ
 手術果つ羊の顔して夏の雲
 花かたばみ帰りはどこに佇んでゐるか
 術後二年泰山木の花仰ぐ
 母がりの遠の紅葉尋めゆかな
 新涼や那智黒を先づそつと置く
 亡羊を追ひきし荒野月赤し
 綿虫の一つ浮かんではるかなり
 広場にガーゼ踏まれしままに凍ててあり
 鉄棒に五月の闇がぶら下がる
 大根提げて類人猿のごときかな
 妻に紅茶われに緑茶や冬あたたか
 ポストに落す原稿の嵩年の果て
 虎ふぐでジュゴンでありし兜太逝く
 足寒し戦後を刻みしわが齢
 遠い日向見つむるわれも遠い日向

     しなやかな野生美  山中葛子

 あとがきによれば、「私は詩を読むことから俳句に入っており、無季を容認した瀧春一先生のもとで学び、また金子兜太さんの「海程」にも加わって歩んできた」とされる松林尚志氏は、「海程」「暖流」での活躍。また、俳誌「木魂」「澪」の代表を全うされておられる。ことに評論『古典と正統』『芭蕉から蕪村へ』をはじめ、多くの評論集を世に著しておられ、その研究心のゆたかさは『和歌と王朝勅撰集のドラマを追う』(「海程」五二一号)など記憶に新しい。さて、『山法師』は『冬日の藁』(平成二十一年刊)以後の、平成十五年から三十年までの七〇五句を収録されている。

 リュックには餡パン一つ山法師
 山法師心が急に軽くなる
 晩年は素のままがよし山法師

 自宅の目前に山法師の並木があり、その清楚な白い花を咲かせる好きな樹にあやかり、迷わず決めたとされる句集名の山法師の三句である。
 一句目の「餡パン一つ」に省略された旅立ちの心情は、臍もゴマもあるふわふわな笑みがこぼれてきそうな美学を思う比喩のあざやかさ。そして二句目の、自然界と溶け合った天人合一のみごとさは、三句目の「素のままがよし」の、白い花へのノスタルジーゆたかな晩年を称える自画像でもあろう。
 追悼句の多い一巻は、また吟行句も多く、能動的な野生をひきよせて実にドラマチックである。

 森は若葉縄文土器と府中郷土の森村野四郎記念館詩人のペン
 『実在の岸辺』パンジー濃紫
 逆白波の歌碑茂吉メッカ巡礼行黄落直中に
 月涼し百鬼も化粧して遊ぶ
 寝につくは地蔵を倒すごとき冬

 しなやかな野生美にみちびかれる作品世界は、まるで自然界を解明する文学の明かりのようではないか。

 近代を封じて駒場夏蒼し
 たつのおとしご空に浮かんで春夕焼
 遠い日向見つむるわれも遠い日向

 ここには前句集『冬日の藁』の暖色のかがやきが、さらに憧憬という閃きを存在させていよう。四片の苞の中心にある球形の花。湾曲した数本の脈のあざやかな葉形。空に上向く『山法師』は、宇宙空間にみごとな明かりをともしている。
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松林尚志氏とは、かなり前からの縁がある。
『日本の韻律 五音と七音の詩学』 1996 花神社刊 を読んだことが松林氏との始まりである。
これに基づいて宮崎信義の「新短歌」誌に記事を書いたのである。
昨年秋に、この句集『山法師』を頂いて、このブログで読後感を載せたので参照されたい。 → 松林尚志句集『山法師』
ここには私と松林氏との「なれそめ」も書いてある。


木村安夜子歌集『言がたり』・・・木村草弥
木村_NEW

──新・読書ノート──

     木村安夜子歌集『言がたり』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・フジ456 j 舎2019/07/15刊・・・・・・・

この本は、いささか特異な形で上梓された。
第一に「クラウド・ファンディング」で一般から資金を募り、募金に応じた人に配本された。
私も案内を受けたが、いくらだしたらいいのか分からないので応じなかった。
今回は私の本を贈呈したお返しとして頂いた。
いま奥付を見ていて思ったのだが、発行者・木村義博とある。
もしや、これは作者のご主人の会社なのではないか。ご主人が六十五歳にして会社を起業されたということからの私の判断である。
間違っていたらゴメンなさい。
第二に本作りが凝られている。ドイツ装のように固い表紙で、かつ背は「和綴じ」で製本してある。
どちらも機械製本では無理で、手作業のものである。したがって製作費も高くつくだろう。
本づくりは一生に一度の思い出だから、ということも判るが、他人を巻き込んだ大層な出版には、私には違和感がある。
「自費出版」というのは、本来、「読んでもらう」ために出すのであって、そういう意味から私は賛成しかねる。
余計なお喋りになった。お詫びする。

作者は青森の人らしい。ご主人と二人で故郷を離れ、東京ほかを経て、今は大阪に落ち着かれた。
二人の子供を育てあげ、ケアマネージャーという難関の国家資格も得られて、今がある。
この本には主宰・光本恵子氏の4ページにわたる詳細な「序」文があり、そこに一代記から詳しく書かれていて、私がいまさら書き加えることはないが、少し書いてみる。
作者は宮崎信義の「新短歌」誌に所属十年、それ以後「未来山脈」ということである。
大阪では、井口文子さんの指導する「七花会」で歌を詠んで来られた。それらの経緯は「あとがき」に詳しい。
私も宮崎信義や井口文子さんとは、いささか縁があるし、書きたい私事もあるが今は遠慮しておく。その井口さんも、つい最近亡くなられた。 合掌。

作者は「定型」から短歌の世界に入られたらしい。
この本の初めの部分に「氾濫待つこころ」として18首の作品が載っている。
   ■わが内を少女のように躍らせて未知なる土地に銅鑼鳴らしゆく
   ■抱かれたくて飛び込みゆけば生駒山はるむらさきに霞んでばかり
   ■三十二年目のはかなごとケーキの前に君と子がいる
   ■遠景は宮崎信義 憤怒の時は金子きみ バイブルのようにまためくる歌集
これらの歌が、いつ作られたかは分からないが、「口語」の使い方が見事である。
あとは「1981~1999年 揺さぶってみるこころ」
    「2000~2007年 ずんずん景色が変わる」
    「2008~2013年 透明な声」
    「2014年から 覚悟が楽しい」
など、「見出し語」の付け方が独特で、作者の特異な才能をかいま見ることが出来る。

   ■死ぬなら五月がいいと言った寺山修司 澄み透る空見ている
   ■たらふく食べた胃を抱えながらソマリアの惨劇うつすテレビ視ている
   ■大阪から青森へ三十七才の手紙を投函赤いポストの向こうに故里
   ■点と線が上手く描けない 子供のはざまで仁王立ちになる
   ■二〇〇〇年のスタートに駆けだす 介護保険法に札束ぶらさがる
   ■もうすぐ四十八歳 何してるのと問う日の組合活動
   ■私の解雇は不成立 一九九九年八月六日裁判勝訴
   ■医師より夫の告知を受ける いきなり暗い小部屋
   ■無声の人となり筆談の夫 ことばの森を分け入るような
作者は、物事をはっきり言う人らしい。「介護保険」「組合活動」「夫の発病」など激動の様に息を呑む。

   ■二十歳の娘 十五歳の息子 ずんずん景色が変わるおいてけぼりの
   ■老後はビートルズと吉田拓郎がいいね 友と愉快なおしゃべり
   ■二〇〇〇年の言葉 介護保険 リストラ あなたの再起
   ■青虫二匹を水責めにした日 殺人事件の報道が賑やかだ
   ■A4の看板が軒下にゆれる『燕の夫婦子育て奮闘中』
   ■今日も六時から六時の勤務時間 長かったのか短かったのか
   ■PLの花火にバンザイする三歳の自閉児 おおきくなあれ
   ■生まれたばかりの児を見に行く日 宮崎信義遺歌集『いのち』が届く
   ■きっぱりと井口文子「一行詩です」その背に宮崎先生が見えた
   ■来年の約束をして朝顔のタネがころがる 手のひらにひんやり
   ■はやぶさみたいな白い雲が秋空に浮く あそこに憲法九条を描こう
   ■認知症の人を怒るな 難聴の人に舌うちするな 貴方もその一人です
   ■声を失くした夫と十五年 次は髄膜炎と病名もらう
   ■さみどりの葉を喰べつくす幼虫の澄んだ瞳 初夏の風ふく
   ■脳こうそくに倒れた集中治療室の井口文子 いつもの微笑みと短歌ひとすじ
   ■「俺はロックンロール」悪い奴じゃなかった 樹木希林の澄んだ瞳

雑駁な鑑賞なしの抽出になったが、お許しいただきたい。何分、何十年ぶりの本の批評は出来ない。
批評は光本恵子の「序」にお任せする。
ご恵贈有難うございました。ご夫婦ともども、ご自愛を。           (完)




石川美南歌集『体内飛行』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      石川美南歌集『体内飛行』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・短歌研究社2020/03/20刊・・・・・・・・

敬慕する石川美南さんから標記の本をご恵贈いただいた。
石川さんの第五歌集ということになる。
この本には何も書かれていないが、東京外国語大学のご出身である。
前歌集『架空線』ほかについては ← を参照されたい。
ずっと若いが、同じ東京外語出身の千種創一の歌集『砂丘律』には、石川さんの「評」が裏表紙に載っている。
この本については『砂丘律』 ← をクリックされたい。

この本に収録されたのは「短歌研究」誌2017年一月号から三か月おきに2018年十一月まで八回にわたり連載された一連「体内飛行」が元になっている。
これに同じ「短歌研究」2019年一月号、四月号に発表された一連「1980--2019」他を付加して280首からなっている。
こういうのは「ふらんす堂」などが十年ほど前から企画、実行しているもので、著名歌人、俳人を競わせて評判になっているものである。
石川さんも今を嘱望される作家で、こういう企画を持ち込まれるというのは喜ばしいことである。

この本には書かれていないが、石川さんは1980年のお生まれであり、晩婚そして四十歳前後での出産ということでである。
本の題名にも、そのまま採られて、文字通り、この本一冊は妊娠、出産の記録の歌ということになる。
前の本と同様に、極めてブッキッシュな編集で「引用」「前書き」なども一杯で、私の好きな本である。
基本的に、自分の体、生活に立脚したリアリズムの歌作りである。
難しい比喩表現などは無い。

少し本に立ち入って見てみよう。
発表の一連毎に表題がつけられている。
 ⒈ メドゥーサ異聞
 ⒉ 分別と多感
 ⒊ 胃袋姫
 ⒋ 北西とウエスト
 ⒌ エイリアン、ツー
 ⒍ 飛ぶ夢
 ⒎ トリ
 ⒏ 予言

少し歌を引いてみる。
   ■メドゥーサの心にばかり気が行つてペルセウス座流星群の星見ず
   ■目を覗けばたちまち石になるといふメドゥーサ、真夜中のおさげ髪
   ■翼ある馬を産みたる悲しみのメドゥーサ、襟に血が付いてゐる        メドゥーサ異聞
   ■浅い雪 あなたと食事するたびにわたしの胸の感触が変はる
   ■逡巡の巡の音湿り、今週はあなたが風邪を引いて会へない
   ■夕暮れの薬缶覗けば大切な暮らしの中にあなたが暮らす
   ■眠りへと落ちゆく間際ひたすらに髪撫でてゐる これは誰の手     分別と多感
こうして彼女の「大切な」人が、彼女の中で育ってゆくのである。
 
         豆の袋に豆の粒みな動かざるゆふべもの食む音かすかにて   小原奈実
   ■『穀物』同人一人にひとつ担当の穀物ありて廣野翔一はコーン
   ■「燕麦よ」「烏麦よ」と言ひ合つて奈実さん芽生さん小鳥めく
同人誌創刊の光景である。この章には前書きや言葉書きが入る。いずれも的確。

   ■試着室に純白の渦作られてその中心に飛び込めと言ふ
   ■引き波のごときレースを引いて立つ沖へ体を傾けながら
   ■本棚に『狂気について』読みかけのまま二冊ある この人と住む
   ■二人して数へませうね暮れ方の蚊帳に放てば臭ふ蛍を
   ■勘違ひだらうか全部 判押して南東向きの部屋を借りる
   ■生活は新しい星新しい重力新しい肺呼吸
   ■柔らかなミッションとして人間の肌の一部に触れて寝ること
   ■慣れてしまふ予感怖くて皮膚といふ皮膚掻きむしりながら入籍
彼の愛に包まれながら、
だんだんと一緒に暮らす現実に慣らされて行くのである。

⒍ 飛ぶ夢 は、前書き、引用が多い。というより、すべてに引用が付く。

      燕燕は梢から飛び立ち、人々の頭上を回りながら滑空している。
        ひとしきり冷たい雫が落ちてきた。彼女が流した涙のようだ。   莫言「嫁が飛んだ !」

   ■医師とわたしのあひだボックスのティシュー置かれて、ひとたび借りぬ

      放心した自分の横顔に、富士の反射がちかりと来る   前田夕暮『水源地帯』
   ■をととひと同じ讃美歌、曇つては晴れゆく視界、はい、誓ひます
      濃淡さまざまの黄色に彩られた地球は、我が吊籠の周囲において徐ろにその円周を縮めつつあった。  稲垣足穂「吊籠に夢む」
   ■我が顔を心配さうに見下ろせる心配な心配なあなたよ
愛する祖母が、同じ頃に亡くなり葬儀があったのである。祖母を焼く儀式には出ずに婚礼支度をしていた。

   ■顔こする五本のゆびを見つめつつうかうか弾むわたしの声よ
   ■わたしとは違ふ速さに弾みゐる右心房右心室左心房左心室
   ■宿主の夏バテなんぞ物ともせずお腹の人は寝て起きて蹴る
   ■椅子までの八歩を歩む 立つたまま履けなくなつたパンツを持ちて
   ■つやつやの腹部ちらりと確かめて「ビリケンさんに似てきた」と言ふ
   ■陸亀のやうに歩めり「横顔」がいつも流れてゐた地下街を
   ■目を細め生まれておいで こちら側は汚くて眩しい世界だよ
   ■薄明に目をひらきあふときのため枕辺に置く秋の眼鏡を
ここまでが「体内飛行」の歌である。
そして「1980--2019」は石川さんの一代記の一年に一首づつの、誕生から現在までの連作である。
     1980 誕生
   ■廊に響く祖母の万歳三唱をわたしは聞かず眠りゐしのみ
     1990 小学四年一学期の保護者面談で
   ■「美南ちやんだけは女の武器を使はず戦つてゐて偉いと思ふ」
     1997 『短歌朝日』に投稿を始める
   ■岡井隆の顔写真 (その下にわたしが上げた小さな花火)
     2004 黒瀬珂瀾兄の結婚式に出席
   ■新郎の法衣はピンク 檀家さんが「いい男ね」とじわじわ騒ぐ
      2015 シンガポールで短歌朗読
   ■真夜中の樹を見に行かう この街ではストツキングを誰も履かない
      2018 「短歌研究」の作品連載始まる
   ■「会ふたびに薄着になる」と弾む声 五月、はためく蓮を見てゐた
       2018 出産
   ■うちの子の名前が決まるより早く周子さんがうちの子を歌に詠む
       2019 子どもの名前は透
   ■トーと声に出せば溢るる灯・湯・陶・問ふ・島・糖等、滔々と

結婚、我が子誕生、と、お慶びの連続する、作者にとっては「記念碑」的な一巻である。
お見事な歌いぶりで、何とも嬉しい気分になる本である。
歌作りと共に私生活でも充実した「生」を生きていただきたい。
九十歳の老爺からのお祝いのメッセージである。
ご恵贈有難うございました。               (完)
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これを読まれた石川さんからメールが来て、
<あとがきにも少し書いていますが、連載のタイトルを「体内飛行」にすると決めた時点では、
妊娠・出産はおろか、結婚も決まっていなかったのです。
あとから現実がタイトルに追い付いてしまって、びっくりしています。>
と書かれている。
「あとがき」には<第七回で「体内飛行」というタイトルに思いがけず実生活が追いついたときには、奇妙な問いさえ頭に浮かんだ>と書かれているが、このタイムラグの不思議さに、気が付かなかったのは私の間抜けだった。
ここに付記して、この符合に敬意を表して置こう。       (4/8記)





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