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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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『橋本多佳子全句集』・・・木村草弥
橋本_NEW

──新・読書ノート──

      『橋本多佳子全句集』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・角川書店2018/08/25刊・・・・・・・・

橋本多佳子の句は、このブログでも何回採り上げてきただろうか。
みづみづしい女人俳句の典型として、現代俳句界に屹立する人である。
今回この本を通読してみて、私の知っている句が、彼女の代表作ばかりだと改めて知った。
彼女の句集は『海燕』 『信濃』 『紅絲』 『海彦』 『命終』の五冊で、 『命終』は亡くなってから出た遺句集である。

       雪の日の浴身一指一趾愛(いと)し

よく知られているこの句は 『命終』の巻末に載るもので、遺書のように色紙に書いて遺された作品である。
女人のナルシスムの句だが、彼女は進行した「肝臓癌」で、大阪の回生病院にかつぎこまれ、開腹されたが、末期ガンということで手術せず閉じられた、という。
そういう末期ガンではあっても、この句に詠まれるように、彼女の肢体は美しかったのだろう。
手術を受けるために入浴した自が肢体を眺めて、この美しい句が生まれたのだろう。 「絶唱」というべき作品である。
「年譜」によると、昭和35年(61歳)7月、胆嚢炎で大阪回生病院入院、黄疸のため入院長引く、とあり、これが彼女の「宿痾」だったことが分かる。
そして、昭和38年5月29日肝臓癌により死去した。

五冊の句集に収録されなかった作品が、この本では「補遺」として、本の四割ほどのスペースを占めているが、彼女の意図通り、なるほど、「採れる」句は少ない。
そこにも彼女の選択の精細さを汲み取ることが出来るというものである。

私が私淑していた近藤英男先生は奈良教育大学で教鞭を執っておられた関係からか、橋本多佳子を少しは知っておられたようで、よく話の中に出てきた。
先生は結核で国立京都療養所で療養されていた間に俳句に接せられて、余技として俳句を嗜まれていたらしい。
津田清子とも親しかったらしく、「三詩形」の会のときにも津田清子が呼ばれて来られたことがあった。
この本を読んで津田清子が橋本多佳子に随伴して一緒に各地に行っていることを知った。「年譜」に度々登場する。
津田清子については私のブログに書いたことがあるので参照されたい。 → 津田清子句集『無方』

橋本多佳子が奈良に住んでいたことは知っていたが、その土地が「あやめ池」だと知った。
他所の人には分からないだろうが、奈良を知る人には「あやめ池」は、かつて近鉄の「あやめ池遊園地」のあった場所で奈良の郊外の景勝地だった。
もちろん彼女の住んでいたのは、その前のことだろう。
大阪帝塚山から奈良に疎開したのだった。「年譜」によると昭和19年5月奈良県生駒郡伏見村字菅原(現奈良市あやめ池)へ疎開、とある。
戦争末期のことで、この地では、お嬢様育ちの、かよわい腕を振るって土を耕し、鶏を飼ったりした。
もちろん食料としてであるが、その鶏を「締めて」処理することが出来なかったので、他人に、さばいてもらった、とある。
豪商の、なに不自由のない生活から一転して、食べるために農民の顔を伺い、食料を求めたらしい。

西東三鬼、平畑静塔らとの日吉館での「奈良俳句会」の修練が始まる、ことも「年譜」に出ている。これで多佳子は激しく鍛えられた。
それらのいきさつについては私のブログに、こんな記事を載せた。 → 「多佳子の句」

以前にブログに載せた句が彼女の代表作だと思うが、せっかく全句集を手に入れたのだから、他の句も少し引いてみる。
■の印を打った句は、前にブログに引いたものの再掲である。

       ■万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて

       ■雄鹿の前吾もあらあらしき息す

       ■女(め)の鹿は驚きやすし吾のみかは

       ■雪はげし抱かれて息のつまりしこと

       ■月光にいのち死にゆくひとと寝る

       ■曼殊沙華咲くとつぶやきひとり堪ゆ

       ■雪はげし夫の手のほか知らず死ぬ

       ■夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟

       ■白炎天鉾の切尖深く許し

       ■生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣

       ■山茶花のくれなゐひとに訪はれずに

       ■雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる

       ■枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする

       ■乳母車夏の怒涛によこむきに

    *落葉松の散る野の椅子をたたみて去る
     *鶏しめる男に雪が殺到す
     *初蝶に合掌のみてほぐるるばかり
     *青蛇の巻き解けてゆく尾の先まで
     *いなびかり想ひはまたもくりかへす
     *いなびかり船橋にひくき言かはす
     *いなびかり病めば櫛など枕もと
     *凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ
     *死ぬ日いつか在りいま牡丹雪降る
     *梅雨に広肩石のヨハネの顔欠けて
     *墨工房せましわが香を畏れはじむ
     *煤膚の墨工佳しや妻ありて
     *この雪嶺わが命終に顕ちて来よ
     *生きてまた絮あたたかき冬芒
     *蒟蒻掘る泥の臭たてて女夫仲
     *百姓の不機嫌にして桃咲けり
     *蟇いでて女あるじに見えたり
     *老いよとや赤き林檎を掌に享くる
     *九月来箸をつかんでまた生きる
     *産みし乳産まざる乳海女かげろふ
     *年迎ふ櫛の歯ふかく髪梳きて
     *万燈会廻套利玄とすれちがふ
     *土中より筍老いたる夫婦の材
     *一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす
     *潮出づる海女がぴつたり肉つつみ
     *農婦帰る青田をいでて青田中
     *壬生念仏とても女なればみめよき面
     *仰臥する胸ほととぎす縦横に
     *青双丘乳房と名づけ開拓民 
     *蜥蜴食ひ猫ねんごろに身を舐める
     *火の修二会闇に女人を結界して 
     *雪はげし化粧はむとする真顔して
     *髪洗ひ生き得たる身がしづくする
     *青き踏む試歩よ大きく輪を描いて

以前にブログに引いた句も■を打って引いた。詳しくは当該ブログを読まれたい。
引き出すと、きりがないので、この辺にするが、拾い落としがあれば追記することにする。



筒井早苗歌集『椿は咲きて』・・・木村草弥
筒井_NEW

──新・読書ノート──

      筒井早苗歌集『椿は咲きて』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・青磁社2019/09/26刊・・・・・・・

この本は筒井早苗さんの第七歌集ということになる。他に叢書としてアンソロジーがあるらしい。
ここで、この本の巻末に載る筒井さんの略歴を引いておく。

1933年生
1954年 新月入会
1064年 新月賞受賞
1982年 歌集『遠光る海』
1990年 歌集『日のある時間』 現代歌人集会賞受賞
      現代歌人叢書『筒井早苗歌集』
1995年 歌集『鳥は還らず』 
2002年 歌集『藤の領域』
2010年 歌集『霜月祭』
2012年 歌集『混沌』

筒井さんとは、近隣に住むものとして年賀状のやりとりなどはしてきたが、詳しい付き合いは無い。
短歌結社「新月」の代表として、かつ有名歌人の一角として、また地域の大会の指導者としても活躍して来られた。
私は昨年、終活として詩歌関係などの蔵書を日本現代詩歌文学館などの図書館にまとめて寄贈したので書架は空っぽになった。
だから、筒井さんからの贈呈本があったかどうかも確認できない。
私のブログの過去記事も検索してみたが、筒井さんの本については出て来なかった。
ブログは2004年二月からなので、それ以前に贈呈を受けているかもしれないが、蔵書整理をしたので確認できなかった。ご了承を得たい。

「あとがき」によると昨年末で主宰された「新月」を終刊にされたらしい。
どこの結社も会員の老齢化や若い人の参加者が無いなどの問題に直面しているらしい。
「塔」などは若い会員が増えているというが、これは指導者が意識して努力していることの証左だろう。
前書きが長くなったので、筒井さんの歌を見てみよう。

この本には「椿」の歌が多い。
筒井さんは椿の花が好きなのだろうか。
椿の花の好きな人として豊臣秀吉、俳人の石田波郷などが知られる。

この本の Ⅱの章の中に「椿は咲きて」という項目がある。そこに載る歌

   *覚悟などあるもあらぬも天命の尽くる日は来む椿は咲きて

「帯」裏の自選五首の中にも、この歌が引かれているから、この歌から題名が採られたと言ってもいいだろう。
椿を詠んだ歌を少し引いてみよう。

   *とりどりの椿の花に見詰められ見つめ返して日盛り歩む
   *いづれ解る否わかるまい八重一重色それぞれに椿は咲きて
   *つらつらと思ひ出さる共に見し巨勢の春野のつらつら椿
   *五色椿の咲くころほひか枝移りさへづるかの日の鳥はいづこぞ
   *白毫寺の五色の椿を見定めて巡る椿の囲む境内
   *五色椿の五色まなこに収めきて仄めく胸や夜ふけてなほ

「椿」の花に寄せる心象が詠まれている。
六番目に引いた歌の「仄めく胸」という何とも言えない色気の表現が秀逸である。

   *人恋ふる心忘れて久しきよ人恋ふはよし山上の虹
   *短歌なくて何が残らむ不器用で整理下手なるこのわたくしに
   *生かされて加速してゆく一年の良きも悪しきもすでに茫茫
   *「香虎」シャンフウに口腹満ちてそれぞれの方へと別れのてのひらを振る
   *八十歳を越えたる命の使ひ道あるやあらずや春の日暮るる
   *海外クルーズ楽しみをりし時代など霞む一日一日の密度

「短歌なくて何が残らむ」というところに、歌に執着して半生を生きてきた筒井さんの「矜持」が見られる。
また、ひところ「海外クルーズ」に興じられていた歌を読んだことがある。
それらの、こもごもが、ここには詠まれている。

愛する娘さんが急逝されたという歌が見える。「生きたかりけむ」という一節である。

   *娘の歌声しづかに流れ祭壇にほほゑむ遺影が胸をゆさぶる
   *うつすらと死化粧され目を閉づる柩の中の子よ美しき
   *老いてなほ涸るることなき涙とて喪失感が身をめぐりゆく
   *ひとつ咲きうかがふやうに二つ咲く紅椿なりあしたも咲けよ

子に先立たれるという逆縁の哀しみの歌である。老いると、さまざまなことに出会うことになる。そして、ここにも「椿」である。
このようして、この一巻は「椿」が縦糸のように通貫していると言うべきだろう。

拙い鑑賞を、そろそろ終わりたい。巻末のところに

   *六十五年詠み続け得し恩寵を思へよ沈む夕日が赫い
   *変化する水の流れを越えきたる命なりけり令和のひかり

の歌が見られる。 けだし一巻を締めくくる歌として結構なものであろう。
これにて、この本の鑑賞を終わる。雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。 ご恵贈有難うございました。
これからも佳い歌を残していただきたい。        (完)




松林尚志句集『山法師』・・・木村草弥
松林_NEW

──新・読書ノート──

       松林尚志句集『山法師』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・ふらんす堂2019/09/25刊・・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。松林氏については、このブログで何度か書いてきた。
松林尚志というのは、こういう人である。  ↓
 
1930年 長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
現代俳句協会、現代詩人会 各会員。
俳誌「木魂」代表、「海程」同人。
著書
句集 『方舟』 1966 暖流発行所 
    『冬日の藁』 2009 角川書店
詩集 『木魂集』 1983 書肆季節社 他
評論 『古典と正統 伝統詩論の解明』 1964 星書房
    『日本の韻律 五音と七音の詩学』 1996 花神社
    『子規の俳句・虚子の俳句』 2002 花神社
    『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』 2005 沖積舎
    『斎藤茂吉論 歌にたどる巨大な抒情的自我』 2006 北宋社
    『芭蕉から蕪村へ』 2007 角川学芸出版
    『桃青から芭蕉へ 詩人の誕生』 2013 鳥影社
    『和歌と王朝』 2015 鳥影社 
    『一茶を読む やけ土の浄土』 2018  鳥影社   他

私が松林氏を知るきっかけになったのは 『日本の韻律 五音と七音の詩学』 の本を読んで「新短歌」誌に小文を書いたことによる。
この本が出たのが1996年であり、まだ私はブログをやっていなかったので、私の文章を今ここに引くことが出来ないのだが、以後、御著を恵贈されたりして今に至っている。

この本は主宰される俳誌「こだま」その他に載ったものを一冊にまとめられたのである。
略歴にも書かれているように兜太主宰「海程」にも籍を置かれていたようである。
その兜太も亡くなって、手元にある句を世に出す気持になられたようである。

先ず、この記事 →  「大井恒行の日日彼是」を読んでみていただきたい。

見出しになっている「汗冷める老人に席譲られて」の句は巻末の「平成二十九年・三十年」のところに載っている。
大井氏のサイトには金子兜太のこと、朝日俳壇の選者として金子の後任に高山れおな、が就任してことなどが引かれている。
私も高山れおな、のことは、このブログに載せたことがあるので親近感を持って読んだ。

松林氏は私と同じ年の生まれで、「目下は終活の日々です」と年賀状に書かれる状態で、私も同様の心境である。
子供たちが文芸には縁がないので、私が死んだら膨大な量の本も屑になってしまうので昨年、日本現代詩歌文学館などに蔵書を寄贈して書架は、からっぽになった。

前書きが長くなったので、そろそろ句集を見てみよう。
「あとがき」に

<前句集『冬日の藁』を出したのは平成二十一年で、そこには平成十四年までの句を集めている。
 ・・・・・平成十五年以降の句をまとめることとした。・・・・・ともかく705句をまとめることが出来た。
 ・・・・・私は詩を読むことから俳句へ入っており、無季を容認した滝春一先生のもとで学び、
 また金子兜太さんの「海程」にも加わって歩んできた。
 ・・・・・俳句も詩歌の一端を担うとすれば、やはり思いを陳べる表現志向も底流している筈である。
 ・・・・・兜太さんは、季語がなければならないと言った覚えはないとの言葉を残しており、最後の九句には無季の句が四句あった。・・・・・
 外題の「山法師」は、我が家の前に並木があり、初夏の季節になると清楚な白い花を咲かせ、
 ・・・・・この集には山法師を詠んだ句を幾つか載せている。そんなことから迷わず決めた。・・・・・>

と書かれている。煩を厭わず引いてみた。 では、私の目に止まった句を引く、

平成十五年・十六年
     *暖かさうなマダム羊が初夢に
     *冬桜耿之介書の独歩の詩
     *青山二丁目風縦横に茂吉の忌
     *森は若葉縄文土器と詩人のペン      村野四郎記念館
     *さかしらの猿も頬染む年酒かな
     *烏骨鶏梅より白し城守る           小田原城 
     *リュックには餡パン一つ山法師
     *一棒を食らひて海鼠涙せり

平成十七年・十八年
     *鶏鳴に覚めし初夢しばし追ふ
     *果汁壜残せし人の春逝けり          悼 伊藤陸郎氏
     *仮面土偶は蟷螂の貌ばつた飛ぶ
     *寒すばる金輪際をしやがむ君
     *芽木そろひ柔軟体操風まかせ
     *アイネクライネナハトムジーク柿若葉
     *弱冠にして若干は鶴の性
     *寒星をみしみし踏んで大熊座

平成十九年・二十年
     *花曇握り返さるる手に力
     *ベンチ三つ老人三人蝌蚪の紐
     *地の果てに灯台ありと来しが芒         銚子吟行
     *一月やはつしはつしと冬木の芽
     *虫眼鏡虫の目玉に睨まれぬ
     *寒禽のぎやーていぎやーてい鳴き去るも

平成二十一年・二十二年
     *指添へる弥勒の思案春の地震
     *会釈して去りしその笑み梅に浮く        悼 阿部完一氏
     *梅雨深し管を巻かれて磔に
     *寒の夜景眼にちりばめて高階に         傘寿を迎へし日
     *蛇泳ぐ池しなやかにめぐる女
     *さはやかや兜太に活を入れられて

平成二十三年・二十四年
     *雪のせて笑みおほどかや石仏
     *根こそぎの魔王の津波迫り迫る          東日本大震災
     *花終はり毛虫一匹宙ぶらりん
     *来春のことを話せり病む兜太と
     *洗はれて河床の石の聡き冬

平成二十五年・二十六年
     *気を楽にせよと声あり恵方神
     *起き上がり小法師のんのん春愁ひ
     *まぼろしの学徒の軍靴聴く寒夜
     *晩年は素のままがよし山法師

平成二十七年・二十八年
     *痛切に句を吐き逝けり冬の蝶          上間月吐氏を悼む
     *虫は蝶へザムザ氏は虫に変身す
     *原節子より智衆思へり花馬酔木          鎌倉
     *たひらげし秋刀魚の骨のきれいなり
     *冬晴れや無一物即無尽蔵

平成二十九年・三十年
     *冬灯尼僧の青き頭も光り
     *卒寿二人身近に逝きて春深し
     *陽炎や「折々のうた」幾年経し           大岡信氏逝去
     *寒卵コツンと割れておてんと様
     *青鮫の去りにし庭か梅白し             金子兜太師逝去
     
「帯」裏には「自選十五句」が載っているが、そこには収録されていない句を選んだ。
最近は「ただごと句」のような作品が多いが、私は俳句は作らないが、松林氏のような、こういうブッキッシュな、教養的な句づくりが好きである。
なにぶん句の数が多いので佳句を見落としたかも知れない。
雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。 有難うございました。    (完)



後閑達雄句集『母の手』・・・木村草弥
後閑_NEW

──新・読書ノート──

     後閑達雄句集『母の手』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・ふらんす堂2017/09/04刊・・・・・・・

FBで知り合った後閑達雄氏から、この本が贈られてきた。
先ず、発行元である「ふらんす堂」社長山岡喜美子さんの紹介記事をネット上から拝借し、ここに貼り付けておく。  ↓
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後閑達雄(ごかん・たつお)の句集『卵』に次ぐ第2句集である。
前句集に引き続き装画は漫画家のつげ忠男氏。後閑さんとは交流のある間柄である。
後閑達雄さんは、昭和44年(1969)年神奈川県生まれ。
平成3年 流通経済大学卒業。 千葉県流山市に在住、現在は「椋」(石田郷子代表)所属。
本句集は『卵』上梓よりほぼ8年間の作品を四季別に収録したものである。
俳句をはじめたきっかけは、「うつ病がひどい時、母にすすめられ始めました」と『卵』のあとがきに記されている。
タイトルは、その母との濃密な関係を象徴するものとしての「母の手」である。

      *吾よりも母の手あたたかしいつも

第一句集上梓後、母のアルツハイマーが進行し介護生活を経て、私自身初めての一人暮らしをしています。

本句集の「あとがき」の言葉である。
こう書くご本人の後閑さん自身も、肉体の持病と精神の病に苦しみ薬が離せない毎日だ。

     *障碍者後閑達雄と書いて蟬

     *渡り鳥働かぬまま生きてをり

     *秋思なりずつと薬を飲む病気

     ⋆冬の鵙大きな粒の頭痛薬

タイトルが示すように母を詠んだ句がかなり多い。
それは著者と母との現実であり、そこにはわれわれを圧倒的するものがある。

     *春立ちぬ母の肌着を畳みつつ

     *吾よりも母の手あたたかしいつも

     *母に腕嚙まれてしまふカーネーション

     *初桜母と手のひら合はせけり

     *跪き母に白靴履かせけり 

いくつか紹介したが、あたたかな「母の手」が詠まれていると同時にここから見えてくるのは、著者の「手」である。
母に働きかける「手」である。あらゆる記憶をなくしつつある母を、この世につなぎとめておこうとする「手」である。

いつか後閑さんと電話で話したときに、
「今日は、母の見舞いに行ってきました。そうしたら、お母さん、僕の顔をぺろぺろぺろぺろ舐めるんですよ。顔中を舐められて帰ってきました」

と。

母と子のきわめて動物的な愛情のつながりだ。言葉にはならなくても愛おしいものとしてのとして存在するもの。

本句集はある意味で極限状況におかれた著者の壮絶な日々であるはずだが、句集を一貫しているものは、清々しいまでの明るさである。
それを支えているのが母への愛であり、母からの絶対的な愛だ。へんな言い方だが、臍と臍が見えない糸でむすびついているような感じ。

本句集に、石田郷子代表が序句を寄せている。

       春を待つ手を甘嚙みの白猫と     郷子

やはり「手」である。
「春を待つ手」とは、著者の「手」であり母の「手」だ。
句集そのものへの挨拶句となっている。

本句集の担当はPさん。

Pさんは、『卵』の時から後閑達雄さんの俳句が好きだと言っていた。Pさんの紹介する句は

     *料峭や親指でむくゆで玉子

     *水温む生まれたるもの立ちあがり

     *エプロンの深きポケット蓬摘む

     *シクラメン部屋あたためて待つてゐる

     *頬白の飛ぶ明るさを待つてをり

     *夏料理箸を正しく使ふ人

     *夏空の下やドラムを組み立てて

     *傘の骨残りし二百十日かな

     *夜の卓レモンの卓となりゐたり

     *指先にナンの熱さよ小鳥来る

     *冬眠の前の薬を数へけり

この句集を老人ホームで寝たきりの母に報告するつもりです。

と「あとがき」に書かれているが、句集『母の手』を手に取られたお母さまはどんな反応をされるだろうか。
病状が大分すすんでおられるとも伺っているが。

本句集の装丁は、和兎さん。
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はじめから、他人の記事ばかりで失礼するが、この文章が要を得ているので、敢えて引用させてもらった。お許しいただきたい。
ただし、その記事そのままではなく、補筆、構成し直したので、ご了承を。

この本の「カバー」裏に

◆自選十句
雛あられレジの所に置いてある
啓蟄のよごれた顔でこんにちは
目の前の大きなお尻潮干狩
母に腕嚙まれてしまふカーネーション
先生がダリアの前で立ち止まる
手打そば秋の風鈴鳴り出して
虫売の立てば大きな男かな
よく拭きし眼鏡を母に菊日和
鯛焼に鯛は入つてゐないけど
今日も俳句にありがたうです日脚伸ぶ

が載っている。 自選であるからには、これらの句が作者の愛着のあるものなのだろう。
全篇を通じて、一巻は、このようにして、淡々と、坦々と、進行する。それが後閑氏の俳句の特徴である。
そして全篇を通じて「母」との濃厚な関係があるのである。
 

    *てのひらの小鳥の卵割れてをり

    *あたたかき洗濯物を畳みけり

    *アパートに日の差す時間初燕

    *子も妻もなくて母居る花はこべ

    *花冷えや母と二人で暮らす部屋

    *朝寝して車通ると揺れる家

    *夏至の日や見切シールを貼る仕事

    *パソコンの修理業者へ藺座布団

    *空蝉を三個拾ひて二個落とす

    *冷蔵庫中に小さな部屋のある

    *秋深しタクシーで行く精神科

    *団栗のごりごり廻る洗濯機

    *木枯らしやマクドナルドのない町に

    *冬帽の母に私物の少なさよ

    *泣く母に何もできずよ冬の梅

いまアトランダムに句を抽出してみた。 文字通り「ただごと句」と言えるものである。短歌の世界で「ただごと歌」と称される作品があるように、である。
私は「ただごと句」が悪いと言っているのではない。
前衛句の反動として、今は、こういう何でもない句が俳壇全体を覆っているという印象を受ける。
それは師匠である石田郷子氏の作風自体が、そうである。
句集の構成は歳時記の通り、春夏秋冬で纏められている。 以下のようなものである。これもアトランダムに引いてみた。

「春」
白梅の芯まで濡れてをりにけり
旧姓で母呼んでみる梅の花
雛あられレジの所に置いてある
吾よりも母の手あたたかしいつも
目の前の大きなお尻潮干狩
二時からの面会時間げんげ摘む

「夏」
母に腕嚙まれてしまふカーネーション
火の上で廻り始める鮑かな
月曜の軽い貧血ほととぎす
三人でいつぱいの部屋蟬時雨

「秋」
鶏の土蹴つてゐる残暑かな
チューナーを一ミリずらし星月夜
西瓜切る人の数より多く切る
アパートにフレッツ光小鳥来る
新米の水を静かに流しけり
低血糖起こさぬやうに茸飯
梨を食ぶ母は小さく口開けて

「冬」
表札を出さぬ暮らしや冬に入る
白鳥の喧嘩つひには脚も出る
白鳥の居場所タクシー無線より
沢庵を最後に食べて昼休み
セーターの背中つまんで別れけり
母の胸むかし豊かに冬至風呂
数へ日の薬たくさん貰ひたる
元日を母の個室に過ごしけり

ただ、お母上の病気と、ご本人の「うつ病」だかのことが気にかかる、と書いて筆を置きたい。 ご自愛を。
雑駁な書き方に終始したことをお詫びする。 またFB上でお会いいたしましょう。
最近は「ふらんす堂」の本に接することが多い。歌集なんかも、そうである。
ご恵贈有難うございました。      (完)







秋の句──角川『新歳時記』第五版から・・・木村草弥
家鴨_NEW

──新・読書ノート──

      秋の句──角川『新歳時記』第五版から・・・・・・・・・・・・・木村草弥


角川『新歳時記』第五版を買い求めたので、先日来、ここに載る作品を当ブログに載せているが、今日は少しまとめて、私の目に止まる句を引いてみる。
順不同、季節の前後も問わないことにする。文字通り、アトランダムということである。
*印のあるのが、当歳時記に採句されている、ことを示す。

   *秋深し猫に波斯(ペルシャ)の血が少し・・・・・・・・・・加藤静夫
   *赤い羽根つけて電車のなか歩く・・・・・・・・・・・・・・・   〃

この作者は、こういう「諧謔」味のある句を得意とする。
秋の句ではないが、
        麦飯や昔日本に社会党    
というような作品がある。「第48回角川俳句賞」の受賞者である。「鷹」月光集の作家。
昭和28年(1953)の東京・小石川生まれ。昭和63年(1988)に「鷹」に入会し藤田湘子に師事。平成3年(1991)「鷹」新人賞、平成13年(2001)「鷹」星辰賞、平成16年(2004)「鷹」俳句賞を受賞。
平成20年(2008)年、第1句集『中肉中背』を上梓。
第二句集『中略』は、前句集以後の8年間の作品を収録。

   冬たんぽぽ本気になればすごい我
   一重瞼だからこんなに暑いのか
   水着なんだか下着なんだか平和なんだか

この句のみならず読んでいて吹き出してしまう句が多い。 「独身」だという。
加藤静夫は、この3句をみてもわかるように独自の文体をもってユーモラスに俳句をつくる。
エンターテイメント性があり読者に開かれている句集だ。

    ポインセチア( 中略) 泣いてゐる女

この句から題名が採られている。句の構成としても極めて現代俳句的な句である。
この句集の作句中に東日本大震災があり、句集の構成も「以前」と「以後」に分けるという凝ったものになっている。


   *椿の実割れてこの世に何の用・・・・・・・・・・市堀玉宗

この人も「第42回角川俳句賞」の受賞者である。遍歴の末に能登半島の寺の住職に納まっている。
この句の「この世に何の用」というところなど、何となくお坊さんを連想させる。
句集に『雪安居』があり、第3回中新田俳句大賞。 第26回 泉鏡花記念金沢市民文学賞受賞。
この句集の「帯」に載っている  ↓

◆正直 金子兜太

玉宗の青年期をおもうと、さすらい(流離)の語が出てくる。勤めを辞めてさすらい、出家したあともさすらっていた。
困った男だとおもいながら、正直な奴だともおもっていた。ようやく能登の寺に落ち着き、俳句をはじめたと聞く。
どんな句をつくるものやら。
すいせんなのかなんなのか、こんなのが本当のすいせん文かもしれないと自負。呼呼。

序・沢木欣一

FBにページを持っていて、ほぼ毎日、多くの句の習作を発表している。
ご本人から連絡があり、「枻」と「栴檀」の同人ということなので追記しておく。


    *描く撮る詠むそれぞれに秋惜しみ・・・・・・・・・・鷹羽狩行
    *妻と寝て銀漢の尾に父母います・・・・・・・・・・   〃
    *林火忌やニスの匂ひの模型船・・・・・・・・・・・   〃
    *小牡鹿の斑を引き緊めて海に立つ・・・・・・・   〃
    *天に満ちやがて地に満ち雁の声・・・・・・・・・   〃
    *全長に回りたる火の秋刀魚かな・・・・・・・・・   〃
    *白といふはじめの色や酔芙蓉・・・・・・・・・・・   〃

長らく俳人協会会長として俳壇に君臨してきた人である。結社誌「狩」を廃止し、引退した。
後継に片山由美子を指名し顧問に納まっているらしい。
この本には多くの作品が採用されている。私のブログで特集したこともある。


    *月明や門を構へず垣ゆはず・・・・・・・・・・片山由美子   
    *口に笛はこぶに作法月の雨・・・・・・・・・・   〃
    *「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・   〃
    *断崖をもつて果てたる花野かな・・・・・・・・   〃
    *ぱさと落ちはらはらと降り松手入・・・・・・・   〃
    *かまどうま午前零時は真の闇・・・・・・・・・   〃
    *青松虫時雨新宿三丁目・・・・・・・・・・・・・・   〃

片山由美子の句の採用は一段と多い。そのはじめの部分から少し引いた。
2019年に俳誌「香雨」を創刊、主宰。俳人協会理事。青山学院女子短期大学国文科非常勤講師。
NHK文化センター講師。蛇笏賞選考委員。 など今や俳壇の重鎮である。


    *耳照つて白露の瓶(みか)の原にあり・・・・・・・・・・岡井省二
    *秋色や一弦琴の音の中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   〃
    *さびしさのすでに過ぎたるぬかごめし・・・・・・・・   〃
    *銀杏の苦味の数を食みにけり・・・・・・・・・・・・・・   〃
    *まつすぐに鱸の硬き顔が来ぬ・・・・・・・・・・・・・・   〃
    *木犀やしづかに昼夜入れかはる・・・・・・・・・・・・   〃
    *大阿蘇の撫子なべて傾ぎ咲く・・・・・・・・・・・・・・   〃
    *山しめぢ買へば済みけり初瀬詣・・・・・・・・・・・・   〃

岡井省二の採句も多い。はじめの句にある瓶原というのは南山城にある地名である。現・木津川市にある。
三重県度会郡生まれ。大阪大学医学部卒業。内科医のかたわら句作をはじめ、加藤楸邨および森澄雄に師事。
1968年、「寒雷」に入会、1970年、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1991年、「槐」を創刊、主宰。
代表句に、宇治市・三室戸寺参道の句碑に刻まれた「あぢさゐの色をあつめて虚空とす」(句集『鯨と犀』所収)
彼については晩年の頃に三詩系─つまり「詩・歌・句」のことであるが、の集まりで一度会ったことがある。
私の知った頃ばガンを病んでいて、末期だということだった。
現世の浅ましさというか、そのことを知って彼の結社の門人の引き抜きが横行したというから凄まじい。
晩年は仏典に関心を示し、最後の句集『大日』の題にも、それらが見られる。
平井照敏と親しかったらしい。


    *牛追つて我の残りし秋夕焼・・・・・・・・・・鈴木牛後

この人は2018年度の角川俳句賞の受賞者で、今年、句集『にれかめる』を刊行し、その記事を当ブログに載せた。
まだ新人なので採句は少ない。


    *木犀や同棲二年目の畳・・・・・・・・・・高柳克弘

この人は俳句誌「鷹」の編集長をしている人である。 この人も、まだ若いので採句は多くない。


    *死ぬときは箸置くやうに草の花・・・・・・・・・・小川軽舟
    *数珠玉をあつめて色のちがふこと・・・・・・・・  〃
    *爪汚す仕事を知らず菊膾・・・・・・・・・・・・・・・  〃
    *老鹿の闘はぬ角伐られけり・・・・・・・・・・・・・  〃
    *灯を消せば二階が重しちちろ鳴く・・・・・・・・   〃
 
藤田湘子の後を受けて、結社「鷹」主宰を務める人である。
東京大学法学部卒で、政府系金融機関の幹部を務めるという経歴のエリートである。
俳人には東大法学部出のインテリが多い。
そういう経歴から自然に深く接するということが少ないので、吟行くらいしか自然に接しないので草や虫を詠んだものは少ない。
老鹿の句なんかも奈良の「角伐り」の儀式の景を詠んだものだろう。


     *苧殻買ふ象牙の色の五六本・・・・・・・・・・木田千女

つい先年亡くなったが当地の城陽市で俳句結社「天塚」を主宰していた人である。当地周辺には多くの門人が居る。
系譜としては鷹羽狩行の「狩」系ということだった。 
この句の「苧殻をがら」なんて言っても、分からない人が殆どだろう。 
おがら【麻幹・苧殻】 皮をはぎ取った麻の茎。
盂蘭盆うらぼんの迎え火・送り火にたき、また、供え物に添える箸とする。 あさがら。
こうして次第に「死語」になってゆく季語も多い。   

きりがないので、この辺で終わる。
私のブログに載せた人の分は、ここには載せていないので、ご了承を。
この本は大活字なので、収録の説明や「本意」なども無く、読み物としては物足りない感じがする。
長年、平井照敏の歳時記の精細な編集に親しんできたので、いっそう、そんな感じがするのだろう。
思い付いたら、また加筆することになる。



鈴木牛後句集『にれかめる』・・・木村草弥
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      鈴木牛後句集『にれかめる』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・角川書店2019/08/15刊・・・・・・・・・

鈴木牛後氏とは、こういう人である。 → Wikipedia─鈴木牛後

角川俳句賞を受賞された報道などから、鈴木氏のことは注目してきた。ネット上で手に入る情報から、私のブログの「月次掲示板」に句を引いたりしてきた。
今回、頭書の本が発売されたのでアマゾンに予約注文を出しておいたのが到着した。
カバーの牛の頭部の絵は冨田美穂さんの版画だという。
Wikipediaの記事から分かるように、鈴木氏は「牛飼い」であり、六十頭の牛を飼っているという。
そういう意味で、この絵は独特の雰囲気のある佳いものである。
鈴木氏の句は、観念的に頭の中でひねくったものではなく、泥くさい生活感に溢れたもので好感が持てる。
歌人でいうと帯広にお住まいの時田則雄を思い出す。彼も農業を営みながら数々の優れた歌を発表している。

題名の「にれかめる」も特異なものである。「にれかむ」という動詞は、偶蹄目の牛、羊などが、一度呑み込んだ草を吐き戻して「反芻」することを意味している。
おまけに「にれかめる」と連体形にしてあり、この言葉の後には体言が来るわけで、それは鈴木氏の職業柄「牛」でなければならないだろう。
「あとがき」の中で、作者は
<まるで牛が反芻するように、言葉を自分の中で噛み返しながら、適当なところでふっと出してみているのかもしれません。>
と書いている。
これほど的確な題名があるだろうか。

所属される結社の主宰・黒田杏子氏の「序句」は、こうである。
     <牛飼詩人六十頭の草を干す>

私は生業にしていた宇治茶の茶問屋の余技の仕事として、大正時代から続く茶の「通信販売」に携ってきたので、北海道には多くの得意先があり、かの地の地名には詳しい。
この本によると鈴木氏は、上川郡下川町三の橋 に住んでおられるらしい。
ここは上川郡でも一番北で「天塩」と言ってもいいところ。
私の持っている地図では、一の橋までしか出ていないが、今ネットで検索してみたところ「三の橋」は下川の市街地に近い所らしい。
下川町の東には「北見山地」が南北に走っていて、山の向こうは、もう「北見」である。
雪ふかい土地らしい。
広い牧草地が拡がるが、牧草の刈り取りも機械で行われるが、刈り取った草は、これも機械でトイレットロールのように巻き取って、ビニールでくるんで防水をして野っぱらに置いておく。
以前は「サイロ」に入れて発酵させたが、今は省力化のために、ロールの中で発酵するのである。
道北を旅すると車窓から、この牧草ロールが見られる。
私事になるが、私が毎朝呑んでいる牛乳はサロベツ牛乳という名前で、この地のすぐ北にある天塩郡豊富町の産である。
そんな私事から、親しい感じを抱いたことも書き添えておきたい。
農業も畜産も環境は極めて厳しく、農家ではないが農村に住む私には、よく判るのである。
だから、普通なら俳句作り、どころではないと思うのだが、立派な俳句を作られ、かつ受賞もされて凄いことである。

余談ばかりではなく句集の鑑賞に入りたい。
「帯」裏に、自選作品十句が引かれている。
書き写してみよう。

    *にれかめる牛に春日のとどまれり
    *日も月も天塩国や大雪解
    *牛死せり片眼は蒲公英に触れて
    *発情の声たからかに牛の朱夏
    *仔牛待つ二百十日の外陰部
    *満月を眼差し太き牛とゐる
    *草紅葉歩けばひらく牛の蹄
    *雪の夜の腹をゆたかに妊み牛
    *ストーブを消せばききゆんと縮む闇
    *雪にスコップ今日と明日との境目に

この一連に、この句集が要約されていると言えるだろう。
いずれも「牛飼い」という生業に、どっしりと脚を張った秀句である。
牛の授精は、畜産試験場などから提供される優秀な種牛の精液のカプセルから雌牛の子宮に注入されて終わる。
四番目の句の「発情の声」というのは雌牛のことである。獣医が、そんな雌牛の発情期を感じとって、精液を子宮に注入するのである。
酪農家の場合、生まれてくる仔牛の雌は残して牛乳生産に使い、雄の仔は肉牛用として売られるようである。
この辺のところも、生まれてくる仔牛にとっても運命の分かれ目となる。

以下この本から私の目に止まった句を引いて終わりたい。この本の章立ては Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅴ となっていて「章名」は無い。

   *羊水ごと仔牛どるんと生れて春
   *牧開き牧夫たるわれ小さしよ
   *牧牛の口へ口へと夏の草
   *終戦日牛の破水のざばんと来
   *刷られたる牛の墨色秋澄めり     冨田美穂「牛の温度展」
   *冷ややかや人工乳首に螺子がある
   *トラクター停め初雪の錨とす
   *牛の眼にとほく牛ゐて牧閉す
   *オホーツクの海の重さや十二月
   *春遠き手もて牛乳捨ててをり      地震による停電などで絞った乳が出荷できず捨てられた
   *ここここと牛乳注げば飛び散る春
   *春動くるろるろるろと牛の舌
   *よくはたらく我も毒餌を曳く蟻も
   *トラクターの影にわが影ある晩夏
   *脱いでなほ思ふかたちよ冬帽子
   *堆肥舎に湯気立ちのぼる年の暮
   *初蝶は音なく猫に食はれけり
   *ものの芽や角を焼かるる牛の声
   *売物件に土の匂ひのある五月
   *牛食はぬ草の伸びゆく西日かな
   *陰裂のごとくに鹿の啼く真闇
   *ちやりぢやりとタイヤチェーンの鳴る初荷
   *仔牛の寒衣脱がせ裸と思ふ春
   *夜へ夜へ火蛾のごとくに来る記憶
   *歩くとは雪から足を引つこ抜く
   *冬ざれて牛ざざざらとわれを舐む

まだまだ佳い句があるが、きりがないので、この辺にする。
読後に快い余韻の残る一冊だった。
私も殆どの本の歌集を角川書店から出した。その打ち合わせのために何度か編集部に行った。短歌編集部の隣りに「俳句編集部」があるのだった。
今これを書きながら、そんなことを思い出していた。 
これからも生業に押しつぶされずに頑張って佳い句を詠んでいただきたい。
不十分ながら、この辺で鑑賞を終わる。      (完)








木村ゆり『写真集・Saudade nostalgic journey around the world』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      木村ゆり『写真集・Saudade nostalgic journey around the world』・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・幻冬舎2019/07/30刊・・・・・・・・・・

私の次女・木村ゆりの写真集が上梓された。
数年前に刊行目前まで行っていた写真集が出版社の倒産で挫折した痛手から立ち直っての刊行だから感慨ふかい。
240ページに及ぶ写真集である。
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↑ 現代企画室 (1999/12/1)刊
『路上の瞳』─ブラジルのストリートチルドレンやスラムの子供たちと暮らした400日──に続くものである。

本文の「前書き」に、こう書かれている。

   <ボサノバの曲名や歌詞にもよく登場するsaudade。
    「saudade : サウダージ」は、今は離れている愛する人や土地、
    大切な何かを恋い慕う思いを表すポルトガル語の言葉です。
    出会った美しい情景がこれからも続いていくようにと祈りにも似た思いを込めて、
    色彩に満ちながらもどこか儚い風景と、そこに暮らす人々や生きものへのsaudade。     
    そして、今も私をいざなってやまない旅へのsaudade。・・・・・・・>

アマゾンにも既に広告が出ているのでアクセスしてみてください。
『路上の瞳』も、アマゾンで買えるので、どうぞ。

木村ゆり 略歴
本名─馬崎ゆり
京都産業大学外国語学部スペイン語専攻
写真スタジオに住み込み写真を習得。
フォトライターとして今に至る。





松本修『全国アホバカ分布考  はるかなる言葉の旅路』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     松本修『全国アホバカ分布考  はるかなる言葉の旅路』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・太田出版1993/08/05刊・初版第一刷・・・・・・・・

この本はテレビ朝日の傑作番組「探偵 ! ナイトスクープ」から取材が始まった壮大な取材の記録である。
この本は、その時に買って読んだものだが、昨年の蔵書整理で図書館に貰われていった。
今回、先日、友人の小説家・沢良木和生氏の娘さんの落語家の毎日新聞連載の記事を「転送」で友人たちに送信したところ数人から面白いと反応があった。
それが「アホバカ」の分布のことだったので、アマゾンの中古本で取り寄せてみた。
すこし帯の背のところが色褪せているだけで新本同様のもの、しかも初版ものが、何と98円、送料が350円で合計448円という安さである。

松本修とは、こういう人である。 出典・Wikipedia

松本 修(まつもと おさむ、1949年11月5日 - )は、朝日放送制作局局長プロデューサー。

滋賀県高島郡海津村(現在の高島市マキノ町海津)出身。
1972年、京都大学法学部卒業後、朝日放送に入社。
『霊感ヤマカン第六感』、『ラブアタック!』をはじめ数々の番組の企画、ディレクターを担当した。
1988年には『探偵!ナイトスクープ』をプロデューサーとして立ち上げた。

1970年代後半、『ラブアタック!』で「どんくさい」という近畿方言の単語を全国に広めた。

当時の副社長だった藤井桑正は、『ラブアタック!』のディレクターだった松本の制作能力を高く評価し、朝日放送の局部長会議で彼をプロデューサーとしたテレビ番組の制作が必要だと発言した。

現在は、企画を務めている(2010年4月23日放送分までは、チーフプロデューサー)。
1991年に、『探偵!ナイトスクープ』の「全国アホ・バカ分布図の完成」編で日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞、ギャラクシー賞選奨、ATP賞グランプリを受賞。
2010年度から、大阪芸術大学放送学科の教授も兼任している。

現在は68歳になっておられ第一線からは引いておられるようである。

日本列島は南北に長く、地質、植生なども「ブラキストン線」などで分かれるようである。
「アホ」と「バカ」は、滋賀県と岐阜県の県境の「関ケ原」辺りで分かれるらしい。
他にも色々あるのだが、細かい字で、ぎっしりと書かれて、考証は凄い。
「アホ」という言葉は関西人には日常ありふれたもので、日常会話の言葉の「語尾」に、例えば「何言うてんねん、アホ」とか簡単に付く。
関東人は「アホ」と言わられると、最大の侮辱かのようにカンカンになって怒るが、逆に関西人は「バカ」と言われると傷つく。
詳しくは引けないが、興味があれば取り寄せて読んでみてください。
先に書いたように、こんな詳しい考証の本が500円玉で、おつりがくる値段で買えるのである。

書評として評判の高い次のサイトを出しておくので、アクセスしてみてください。→ 松岡正剛「千夜千冊」2003/02/21



根来眞知子詩集『雨を見ている』・・・木村草弥
根来_NEW

       根来眞知子詩集『雨を見ている』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・澪標2019/08/20刊・・・・・・・・

この詩集が贈られてきた。
この作者の名前には記憶があったので、私のブログを調べてみたら、あった。
はじめに書いておく。
日本詩歌紀行2.『滋賀・京都 詩歌紀行』という本(著者・日本詩歌句協会、発売・北溟社)というのがあった。 名前の通り、詩・歌・句の地名によるアンソロジーである。
私も要請があって3首の歌が載っている。
その中の「怖いもんって」という愉快な詩を2013/01/09に載せたことがあった。
ただ根来さんの名前「眞知子」を「真知子」と誤記していることをお詫びしたい。

根来眞知子さんは1941年生まれ。
京都市在住。
大阪大学文学部卒業。大阪文学学校23期生。
福中都生子「ポエム」から詩誌「叢生」を経て、現在は「現代京都詩話会」所属。
詩集『ささやかな形見』 『乾いた季節』 『夜の底で』 『私的博物誌』 『たずね猫』

この本の「あとがき」に、こう書かれている。
<私が第一詩集「ささやかな形見」を出版したのは詩誌「ポエム」(福中都生子主宰)に参加していた独身だった頃。
 昨年末にすみくらまりこさんのJUNPAから復刻版が出版されて、奥付の一九六六年刊という年号にいささか感銘を受けました。
 ・・・・・長い年月そんなにも詩のことを思っていても、詩の方は一瞥もくれないという時期もあり。・・・・・>

そういう長い詩とかかわった時間を持つ著者である。
根来さんの詩は平易で分かりやすい。
現代詩の、難しくて何が書いてあるのか、さっぱり判らない詩とは大違いである。
作品を引いてみよう。 まず、この本の題名が採られている作品である。

       雨を見ている       根来眞知子  

   私は雨を見ている
   降るとも見えぬ細かな雨
   私はその雨に濡れている庭を見ている
   草や木や石を

   まだ寒かったとき
   ほつほつ咲いて
   春の息吹を感じさせてくれた黄色い花
   蝋梅 連翹
   今見ればどの樹も皆緑濃い

   うっとりするピンクで
   大勢の人を驚かせ楽しませたしだれ桜
   これも今は幾筋もの
   緑濃い枝が滝のように垂れている

   濡れる飛び石のまわりの苔も
   しっとりふくらみ
   いまこの庭は
   次の季節に移ろうとしている

   思ってみる
   ゆっくり確実に
   いくつもの芽生え
   いくつもの成育
   そしていくつもの終焉
   この庭にも回ってゆく時

   うかつにあわただしく過ごせば
   気付かぬ季節の優しさ
   雨が光らせ風が動かす
   闌けてゆく季節の息吹

   私は雨を見ている
   雨に濡れていく庭の
   移ろう時を見ている
------------------------------------------------------------------------
少し長いが全部引いてみた。
題名に採っただけあって、この一連は根来さんにとって愛着があるのだろう。
ご覧のように、極めて平易で、何の難しいところもない。
この詩集一巻の様子は、ほぼ、こんな調子である。
この本は Ⅰ Ⅱ Ⅲ という章建てになっているが章名は無い。だから、いつ頃の作品で、製作時期の前後なども一切わからない。

今の季節に合わせて、こんな作品を引いてみよう。

        八月       根来眞知子

   そろそろお盆の用意をという頃に
   ふと思い出す一枚の古びた写真
   今はない父の生家の仏壇の上
   戦闘帽をかぷった若者
   南方で戦死したとだけ知っていた父の弟
   貧しい暮らしだったあの頃

       ・・・・・・・

   太平洋戦争の戦死者三百万人
   多くは戦死や病死 また玉砕という自殺であった
   と 知った時のやりばのない怒り
   二十歳そこそこの健康体だった叔父もまた

         ・・・・・・・

   戦争という愚かしさの激流に
   いやおうなくまきこまれていった叔父の無念
   そしてたくさんの若い兵士たちの無念
   が 立ちのぼる八月
   いやな月だ

           思い出     根来眞知子

   たっぷり水を湛えた池の底から
   ふつふつわく泡のように
   何の変哲もない土の中から
   ほつほつ現れる芽のように

   胸の奥深くから
   現れては消えまた現れ
   あっちにひっかかり
   こっちにたまり
   時にふと気に掛かる

   あれもこれも忘れに忘れたのに
   いまだに消えず残っている
   いとしいようなあれ
   とまどうようなあれ

   思い出ってやつは
------------------------------------------------------------------------
引いてみると、キリがないので、後ひとつ、今年の厳しい暑さを乗り越えるために、こんな詩を引いて終わる。 

            夏よ      根来眞知子 

   空が高くなり
   雲が薄くなり
   陽が穏やかになり

   寝付きが楽でぐっすり眠れて
   朝から体も良く動き
   そうだ
   爽やかな季節が戻ってくるのだ
   と気づくうれしさ
   さあ張り切ってみるかと一人つぷやく

   去りゆこうとしている
   夏よ
   おまえはいつからそこまで
   過酷な季節になったのだ
   焼かれるような暑さ それも連日
   たたきつけて降る雨 それも集中的に
   巨大台風の猛威 それもいくつも

        ・・・・・・・・

   肩をいからせるように去りゆく夏よ
          ・・・・・・・・

------------------------------------------------------------------------
まだ今年の夏は終わってはいない。
ヒロシマとナガサキの原爆への鎮魂の夏。
敗戦の日々の思い出の夏。
内外の為政者の「身勝手な」振舞いに対する「怒り」も、ふつふつと湧いてくるが、今日は根来さんの本を読んで、それらを、ぐっと抑えたい。
ご恵贈有難うございました。
私ほど老齢ではないが、もはや若くはないので御身ご自愛ください。        (完)



       
現代短歌文庫・144「恒成美代子歌集」・・・木村草弥
恒成_NEW

──新・読書ノート──

     現代短歌文庫・144「恒成美代子歌集」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・砂子屋書房2019/05/18刊・・・・・・・

この本が贈られてきた。
恒成美代子さんは、短歌結社「未来」の主要作家で、近藤芳美の弟子であった。
私も「未来」に一時、籍を置いていたことから、お名前は存じているし、私の著書も差し上げたし、年賀状の交換もしていた仲である。
私は川口美根子のところに所属していた。
亡妻がガンに罹り、その闘病に伴走するために私は歌壇とも縁を切って「未来」からも離れた。
そんなことからも、恒成さんとも、すっかり疎遠になってしまった。
妻が亡くなり、その間の闘病の日々などを綴った詩集『免疫系』(角川書店)を出すべく、その打ち合わせのために、平成20年秋に久々に上京して、その足で、さいたま市の川口先生のお宅にお邪魔したが、先生はすでに痴呆の症状が出ていて、妹さんが面倒をみておられる状態だった。
その後、音信不如意のまま川口先生は施設に入られ、先年、亡くなられたが、告知もなく無く、淋しい晩年だった。
私が歌壇とも縁を切っていた時期にも、角川書店「短歌」編集部からは歌の注文を頂くなど可愛がってもらい、それらの作品は
    「生きる」 「短歌」誌2005/6月号
    「幽明」  「短歌」詩2006/10月号
    「明星の」  「短歌」誌2008/10月号
に載ったが、いずれも、この詩集の中に一緒に収録した。

すっかり前触れが長くなってしまった。お詫びする。
恒成美代子さんは「未来」の主要作家で、近藤芳美亡き今は、どの欄に所属しておられるのか分からない。会員は、どこかの「欄」に所属する決まりになっているからだ。
詳しくはWikipedia─恒成美代子を見てもらいたい。
「未来」も、すっかり替わった。主宰の岡井隆も体調を崩しているらしく短歌雑誌にも作品は出ていない。
選者の顔ぶれも、すっかり変わり新しい顔の名前が見られる。「未来」生え抜きではない人も選者になっている。

この砂子屋書房の「現代短歌文庫」は、主要な短歌作家の第一歌集の再録などを中心にしたアンソロジーである。
ここには第一歌集『ひかり凪』をはじめとして、自選の歌やエッセイ、評論などが載っている。
今回、私に本を贈っていただいたのには、私が書いた「雨宮雅子」さんに関する記事が、恒成さんの記事に触れているからである。
それは、 高旨清美『昼顔讃歌』 という本にまつわることである。 ← リンクになっています。アクセスして読んでみてください。

この本『恒成美代子歌集』には、処女歌集の『ひかり凪』をはじめ、自選歌などが主要なページを占めているのだが、敢えて、巻末の「歌論・エッセイ」から、恣意的に文章を選んで、書いてみる。 お許しを。

「鷹女から蕪村へ」というのがある。「未来」2008/02月号に書かれた文章である。
<俳句を読むのは、好きなほうである。短歌をはじめたころ俳句もつくっていて、地方新聞に投稿していた。・・・・・
 なぜ俳句をやめたかと言うと、誰に訊ねても短歌と俳句は両立できない、と言う。人によっては節操がないと、忠告してくれる。
 節操よりも、両立する能力がなかったのだろう。当時、好きだった俳人は三橋鷹女だった。
        鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
        詩に痩せて二月渚をゆくはわたし
 鷹女の孤独は私の孤独でもあった。鷹女の激しさのなかに、わたしの激しさを見る思いがした。・・・・・>

私のブログにも、これらの句を採り上げたのがある。 ↓ リンクになっているので、読んでみてください。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし  三橋鷹女
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし   三橋鷹女

また、吉原幸子にまつわる、こんな文章もある。 「未来」2005年1月号 掲載

<四十代の十年間、わたしはじたばたともがいていた。・・・・・
 そんな時に巡り遇ったのが、吉原幸子の詩だった。
      風 吹いてゐる
      木 立ってゐる
      ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
 『幼年連禱』のなかの「無題ナンセンス」という詩の冒頭の一節に不覚にも涙がこぼれた。>

私のブログにも、この詩に触れた文章がある。 ↓
風 吹いてゐる /木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木   吉原幸子

極めて恣意的な、私的な思いからの「リンク」で申し訳ないが、お許し願いたい。

今回この本を頂いて、多分に懐旧的な気分になったので、その気分のままに、恒成美代子さんにお返しする次第である。
私のブログの「リンク」にも、目を通していただきたい。
ご恵贈有難うございました。あなたの処女歌集も、ゆっくり読ませていただきます。         (完)



俳句誌「鷹」2019/7号を読む・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      俳句誌「鷹」2019/7号を読む・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

俳句結社「鷹」は、この七月に創刊五十五年を迎えるという。
七月七日には、京王プラザホテルで、55周年記念大会と同人総会が開催されるという。
普通は外から客を迎えて開催されるのだが、この会は外からは招かず、「鷹」同人だけで開かれるという。 

私は俳句の実作者ではないし、もちろん局外者である。
ただ、折勝家鴨句集『ログインパスワード』を読んだことから、折勝さんの知己を得て、付き合っているので、頒価1300円を支払って取り寄せてみた。
↑ リンクになっているのでアクセスしてみてください。
その折勝さんは、現在、「鷹」の事業部長という席にあって、大会準備に大忙しだろう。 

私は局外者ではあるが、「鷹」の創立者・藤田湘子の同行者だった「飯島晴子」に多少のゆかりがあるのである。 ↓ の文章を読んでもらいたい。  
「俳人・飯島晴子のこと」

さて「鷹」2019/7号のことである。
巻頭に、小川軽舟「風塵」12句が載っている。

     青麦や大聖堂は遠く燃ゆ       小川軽舟

     筍のうつふんと掘りあげられし

     ダービーの風塵と去る馬群かな


初句は、もちろん、パリはシテ島のノートルダム大聖堂の火災による焼失のことである。
二番目に引いた句の「うつふんと」というオノマトペが秀逸である。
そして、日本ダービーの景を「風塵」として把握した。いずれも時事として的確である。
現・主宰の小川軽舟は、前主宰からの指名と先輩同人たちの挙っての賛成で推挙されたという。そんな「いきさつ」も、この号に詳しい。

この号の「俳句時評」に大西朋氏が自由律俳句の住宅顕信のこと、映画化のことを書いている。
私は2012/03/02に「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」という記事を書いている。 ← リンクになっています。アクセスして読んでください。
私は映画は見ていないが、この句が彫られて岡山の旭川のほとりに建っている。

私も短歌結社に所属していたので経験があるが、結社の成り立ちによって、結社誌の構成も、さまざまである。
俳句のヒエラルキーには詳しくないが、「鷹」は古くからの伝統を守っているらしい。
古参作家による「日光集」一人6句。幹部を集めた「月光集」一人5句。あとは「鷹集」という4~1句の欄。
その間に「推薦30句」軽舟選というのや、「秀句の風景」という2ページの批評の欄があったりする。
「俳壇の諸作」として、結社外の作品について折勝家鴨氏が2ページの批評を書いている。
他に、記念号だけあって、主宰の「自選50句」があったり、「主宰に聞く」10ページが組まれている。
「特集 平成、あの年」というのに多くのページが組まれている。
その中の「平成の鷹俳句を読む」企画の「昨日のように」上田鷲也による記事の中で
      梅白し死者のログインパスワード     折勝家鴨 (24年)
が引かれているが、このことからも、、この句が、一つのメルクマールとして燦然と光っていることが分かる。

極めて走り書きに過ぎない書き方になったが、「鷹」創立55周年にあたり、お祝いの意味を込めて書いてみた。
大会には、同人たち三百数十人が集うそうである。   おめでとうございます。    (完)



小野雅子歌集『青陽』鑑賞・悲傷──メビウスの環・・・木村草弥
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小野雅子
 ↑ 小野茂樹夫人・小野雅子歌集『青陽』ながらみ書房刊平成九年七月十日
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──新・読書ノート──

小野雅子歌集『青陽』鑑賞    「地中海」誌 一九九七年十月号 掲載

       悲傷──メビウスの環・・・・・・・・・・・・木村草弥

久我田鶴子の『雲の製法』を先日読んだばかりの感慨のさめぬうちに、この歌集にめぐりあうことになった。
いまは亡き小野茂樹の、余りにも有名な
・あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ
 と詠われた、その人の歌集である。
久我はその本の中で山川方夫の作品の特質についての川本三郎の言葉を紹介して、「耐える」という静かな受容の態度の「スティル・ライフ」(静物画)のような、と表現している。
この亡夫君の特徴をとらえた評は、そのままそっくり、この『青陽』という歌集一巻を通底するものとして把握できるのではなかろうか。
巻頭の歌は
・家の中を風とほりゆき初夏の朝の光はみどりに染まる
これは叙景という具象を通過することによって抒情したものと言うべきである。
それは、おのずから亡夫君の逝った五月に通うであろう。
・夕茜いろ褪せゆけば三日月は淡き白より金色となる
・明けそむる窓の幅よりなほ長き雁の棹ひがしを指して消えゆく
などの歌にも同じことは言える。しっかりとした叙景に支えられた心象詠というべきものである。
こういう観察の精細さ、確かさによって、歌はいずれも確固とした存在感のあるものとなっている。観念だけの、うわ滑りの歌ではない、安心して読める作品がつづく。
「季節」を詠って、それが亡夫君への思慕へと傾斜してゆく作品を拾うと
・花の季を過ぎたる枝を仰ぎ見る還りては来ぬ花、時、人よ
・灯のゆくへ問はずにおかむ川を往き海の果てゆき空に連なる
・夏空は昏れむとしつつひとひらの雲さへあらぬ悲しみのごと
・走るがに時は移りてみどり濃し想ひは季に届きがたしも
・花冷えの夕出しに行く三通の手紙どれかは過去へ着かぬか
・花の木の下に集ひし若き日の人らの中に夫だけがなき
そして、これらの歌を通過して
・街灯のひかりの域にしろがねの斜線を引きて夕立のとき
・若者のドラマみるよる空蝉のやうなる揚げたそら豆の殻
のような喩の表現の的確な歌に出逢うことが出来る。
一首目の歌の「しろがねの斜線」という比喩は驟雨を描いた安藤広重の版画の景をも想起させる「絵画的な喩」となっている。二首目の歌の比喩は何でもない日常の現代風景を描きながら、そら豆の殻の空蝉のやうなる、と表現して、比喩だけではなく、どこか白けた現代の若者を象徴することに成功している。
また
・瞑りゐるわが右側は恋のはなし左にリサイクルの話が聞こゆ
・待合室の老女ふたりは日日炊ぐ米の量より会話はじめつ
のような「聞くともなしに聞いている」日常の景をトリミングして、文芸表現の域に高めた作品がある。しかも前者からは「環境」問題を、後者からは老齢者あるいは独居老人のことなどを考えさせる。現代に生きる問題意識をも提起しているというべきだろう。
・他人の掌の湿りとどむる吊革の白き握りにすがるほかなし
なども、現代の日本の「クリーン志向」を詠っているとみることも出来ようか。
歌を詠むほどに、亡夫君がある顕ち出でて仕方がないという風情の歌がつづく。
・ペーパーナイフに弾みをつけて紙を切るかく切り捨てて生きたきがあり
・とほき日に夫の言ひたるそのままにわが癖を娘が指摘し嗤ふ
・伝へらるるは死にゆける者伝ふるは生きてゐる者いつの世にても
・曲り多き道ゆきたればわが想ひ研がれて淡きものとなりたる
・いとほしき人は逝きても涙する朝夕あればわれは生きゆく
・口紅のケースを握りしめて描く元旦のわが唇の弧を
これらの歌は、時をへだてても、なお、生々しく起こって来る「悲傷」というべきものである。
その極限にあるのが
・闇にゐてスイッチの位置をさがしゐるこの指先をいのちと言はむ
・闇の中に力をこめて手を開くかく生きそしてにんげんは死ぬ
のような歌である。ここには「孤り」の人間の姿が詠われている。それは「情念」とも言えようし、また反対に「諦念」とも言い得ようか。
巻末の一首は
・人間に生れしことの幸ひに思ひ至れば濃き濃きみどり
これは「人間」というよりは「茂樹」の愛に包まれて一人の「女」として生きてきた「幸ひ」に「思ひ至った」のであろう。そして「濃き濃きみどり」という若葉の五月に想いは巡って、それはメビウスの環のように、亡夫君の若葉の下の死につながってゆく。
先に述べたことが「悲傷」というのは、そういう意味において作者の想いを的確に要約出来ると思う所以である。

歌集の「帯」で発行人及川隆彦氏は「髪」かんむりに「春」つくりという難しい字を使って「髪がなびく」の意味に訓ませたいらしい。この字はJIS第二水準のリストにもないのだが、白川静の「字通」を繙いてみると、この字は、抜け毛、髪が乱れる、の意味とある。この字は「帯」という字をつけて熟語にすると「かみかざり」の意味になると書かれている。
夫君を亡くして何年たっても「悲傷」の日々はつづき若葉の五月が巡って来るが、春の「かみかざり」を飾ってユーカリの木の下に佇む作者の姿が、まざまざと見えるようである。
そういう思いのする一巻であった。    (完)
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この記事は、ただいま私の手元になくて、PCにも保存していなかったので、小野雅子さんにお願いしてコピーを送っていただいた。
いま読み返してみても、われながら、いい記事である。
「悲傷──メビウスの環」という題名が何とも的確である。
このようにPCの「my document」に保存したので、いつでも取り出せる。
有難うございました。


佐伯泰英『日の昇る国へ』新・古着屋総兵衛十八・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     佐伯泰英『日の昇る国へ』新・古着屋総兵衛十八・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・新調文庫2019/06/01刊・・・・・・・・

このシリーズが今回をもって完結することになった。
思えば、このシリーズの始まったのは十九年も前である。
私は、シリーズが出る度に買い求めて読んできた。
書棚の一段、二段を、これに当てて所蔵してきたが、昨年、蔵書整理のときに、まとめて当地の城陽市図書館に寄贈した。
その後の本も読後は一冊づつ寄贈した。佐伯の本は閲覧希望者が多くて、図書館からの寄贈申し出があったからである。
今回も、読んだら寄贈するつもりである。

     古着太市開催の二日前、将軍家斉近習、自称御用取次古瀬嶺斎なる旗本が古着太市の売上の一部を公儀に上納せよと
     圧力をかけてきた。・・・・・
     そして、バタヴィアのカイト号を引き取りに、一族三百余名を従え、いよいよ総兵衛が海を渡る。
     夢と希望を乗たて「武と商」の物語、ここに完結。

シリーズを終えるにあたり、佐伯が一文を書いているので、それを引いておく。

<新・古着屋総兵衛完結の辞
 新・古着屋総兵衛シリーズも巻を重ねて十八巻『日の昇る国へ』で完結することになった。
 旧作古着屋総兵衛影始末『死闘』を刊行したのが平成十二年七月ゆえ十九年前のことだ。
 スピンオフ『光圀』を加えるとシリーズは全三十巻の大作になった。・・・・・
 シリーズを完結するとき、どの折も、「これでよいのだろうか」という迷いが作者を悩ます。・・・・・
 物語の背景も十六世紀の越南ホイアンの日本人街から六代目総兵衛勝頼が主人公の十八世紀初頭、
 そして、本名グェン・ヴァン・キ、改名して鳶沢総兵衛勝臣が活躍する新・古着屋シリーズが
 十九世紀の初めとむ、何世紀にもわたる物語だ。

 作者の執筆年齢も五十八歳から七十七歳と十九年余にわたっている。
 このシリーズの一作を書くために他のシリーズの二倍のパワーとエネルギーが要った。
 だが、・・・・・これ以上、・・・・・この物語を書き続ける体力はないとことを悟った。・・・・・
 時代小説は虚構の物語だ。だが、同時に過去の史実の中で成り立つ創作でもある。・・・・・
 さて次をどうするか。・・・・
 しばし、・・・・・頭を空っぽにしようと思う。>

巻末に「解説」として、木村行伸が全シリーズの概略を書いている。
「対談・木村行伸×佐伯泰英」 ← アクセスして読んでみてもらいたい。

次回作が、どんなものになるか、期待しておこう。


那須信孝『心の窓』~街角の掲示板~ ・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     那須信孝『心の窓』~街角の掲示板~ ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・方丈堂出版2019/05/26刊・・・・・・・・

この本は、私の大学の同級生で、親友の那須信孝が、自坊の「一行寺」の路傍に毎日掲げてきた「法話の掲示板」に載せてきた文句を一冊にまとめたものである。
「まえがき」に、こう書かれている。

<一行寺の堂宇を再建して頂いて五十年足らず、毎月一回、時には二回か三回、掲示法語を記載して参りました。
 通りがかりの人が、その意味をわざわざ尋ねに訪れられたり、宗門の要人・学者の方々から賛辞を頂いたり、
 そして「御本にされたら」との要請があったりしました。
 住職を辞任し、法嗣の住職就任にあたって、やっとまとめることにいたしました。
 聖典をはじめ有名な方々の金言や無名の方々の句、自作の言葉など六百首余りにも及びます。
 その中から約百五十首を選び、難しい金句の説明、また当時の特別な社会的な事件や身近な出来事を感じて引用したものには説明も交えましたので、往時を偲んで頂ければと存じます。
 また、挿絵の花のイラストを描いてくれた孫・新戸彩月、平成十五年三月に六十四歳で往生された木村泰三氏が生前に楽しんで掲示の揮毫をしてくださったことを偲び、ここに感謝申し上げます。
                          一行寺第十五代住職 釋 信孝  >

以下、無信心者としての私が、恣意的に選んで抽出するのをお許しいただきたい。 掲示年月日は省略する。(木村草弥・記)

   劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ     与謝野晶子

お内陣荘厳に魂を込められた物心の建立荘厳して頂いたことに対しての、感謝と賛辞の意味で掲示しました。

   化土は死人の生まるるところ 真実の浄土は生ける人の生まるるところなり     曽我量深

曽我量深は那須君の敬愛する仏教学者で、大谷大学学長などを務められた人である。 極めて難しい本だが、先年、彼に関する本を那須君は著した。

     生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も    一休和尚

   我なくとも法は尽きまじ 和歌の浦 あおくさ人の あらんかぎりは  親鸞聖人の辞世の句、という

   地のめぐみ天のめぐみをゆたにうくる わが身尊き春のあけぼの    九条武子

   散れば咲き咲けばまた散る春ごとに花のすがたは如来常住    一休和尚

   やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ   山本五十六

   年たけて いよよ帰らん 古里や いのちのもとの 永久の自然へ   平沢 興

平沢先生は、元・京都大学総長。六月十七日、八十九歳で還帰されました。偉大なる凡人として最も尊敬し、人生の指針として親しく接しさせて頂き、ご遺言で葬儀の導師をさせて頂きました。

   業の落葉がふりつもり腐葉土のようになり ながい年月には私の肥料になる   榎本栄一

   はだかで 生まれてきたのに何不足    小林一茶

   念仏して五欲の暑さ忘れうぞ    句仏上人

大谷 光演、1875年(明治8年)2月27日 ~ 1943年(昭和18年)2月6日)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」。俳号は「句仏」。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。

   ただ生き ただ死ぬ ただの二字に 一切が輝き ただの二音に万有は光る   坂村真民

   無一物中、無尽蔵 花あり月あり楼台あり     蘇東坡

   寿命とは仏の寿   賜った寿を生きること

これは那須君が自分の米寿にあたって、掲示した言葉である。  ↑

   万代に年は来経とも梅の花 絶ゆることなく咲き渡るべし   万葉集

新元号「令和」を迎えることになって、平成最後の日に掲げた言葉である。

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先年、このブログで採り上げたが、「曽我量深に聞く『宗教的要求の象徴・法蔵菩薩』」を参照されたい。
私の解説が稚拙なので分かりにくいかも知れないが、お許しを。

那須信孝君は、私と同年生まれであり、同じ大学で共に学んだ仲である。専攻は違うが「親友」と言ってよいだろう。
西本願寺門前にある自坊「一行寺」は、西本願寺の、いわば「塔頭」のような存在であるらしい。
彼は前門主とも親しく、門主みずから一行寺に遊びに来られるような仲だったという。
彼は、先にも書いたように、つい最近、五月二十六日に住職を退き、息子の一真 に住職の座を譲った、という。その記念として、この本が出版されたという。
信孝君、おめでとうございます。われわれ市井の者とは立場が違うが、長年ご苦労さまでした。
佳い本をいただき愛読させていただきます。
私の知っている、例えば、坂村真民さんが採り上げられているなど、親しみを持って読みました。
有難うございました。            (完)







三村あきら詩集『楽土へ』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      三村あきら詩集『楽土へ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・澪標2019/05/31刊・・・・・・・

この本が贈られてきた。
山田兼士先生が「帯文」を書いておられる。
この作者は、七十歳を過ぎてから、大阪文学学校で、小説や詩を学んだらしい。
そこで山田兼士に勧められて、この詩集を編んだという。

三村あきら
1936年 岡山県の北辺に生まれる

この詩集の概要は、山田兼士の「帯文」に書かれている通りである。
この本には、全部で30篇の作品が、ほぼ見開き2ページに一篇の詩として収録されている。
少し作品を見てみよう。

       枯れ野をゆく      三村あきら

   仕事に疲れて呻きながら
   御堂筋を南へくだり
   銀杏並木に和らげられながら
   南御堂に辿りつく

   椎の巨木の下に句碑はある
   ・・・・・夢は枯れ野をかけめぐる (芭蕉)
   ストレスが溜まり 吟詠すると
   心労から解きほぐされた

   夢を求めて枯れ野をかけめぐり
   楽土を求めて呻吟し
   土木を生業にして生きた

   母の匂いは 土のにおい
   作業服のぬくもりは 母の肌
   枯れ野に 安養の祈りをささげる

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この詩は Ⅰ 楽土へ の八番目に載るものだが、ほぼ、この詩集の概略を盛った作品と言っていいだろう。

こんな詩もある。

       平安な家庭     三村あきら

   窓が明るんでくる カタンコトン
   遠く環状線の鉄橋の響き
   寝間のなかで 鉄路の音を聞き分け
   その日の天候を予知し 起きる

   最近 向いに高層マンションが建ち
   生駒の遠景は閉ざされ 鉄路の響きは遮断
   窓 窓から幼児の泣き声
   虐待かと窓から身をのりだす

   窓 窓から夫婦喧嘩のがなりあい
   ギャンブルに敗けたら取り返せ
   死ぬほど働いても何もならん
   銭がすべての世の中と

   平和な家庭に夢をあたえる
   都構想 カジノで大儲け予告
   依存症は法律が守ってくれる

   ギャンブルで楽しい家庭
   心寂れ カタンコトンの響きを懐かしみ
   窓を見あげると 狭い青

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この詩は、今どき大阪で話題になっている「大阪都構想」を、皮肉っている。
また「幼児虐待」などの時事性にも触れていて秀逸である。
こういう時事に敏感な耳も大切にしたい。
そして大阪人には東に聳える「生駒」連山が、原風景として必須なのだが、それが懐かしく詠われている。
大阪と言っても広いから、北大阪、南大阪、あるいは和泉地方の人々には違和感があるかも知れない。

Ⅱ 望郷  には、離れてきた古里への郷愁が詠われている。
1936年生まれだから、先の大戦の記憶を濃く持つ作者である。大戦争中に少年期を過ごした。
作品を引くことはしないが、詩として情趣深く描かれていることを書いておきたい。
作者は、もう若くはないが、これからも折に触れて詩を書いてもらいたい。

ご恵贈に感謝して筆を置く。        (完)



井上荒野『あちらにいる鬼』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     井上荒野『あちらにいる鬼』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・朝日新聞出版刊。初版2019/02/28 第五刷2019/05/30・・・・・・・・

掲出した図版でも読み取れるように、よく売れている本である。
「作者の父・井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった」と瀬戸内寂聴が書くように、「スキャンダル」でなくて、何だろうか。
ところが、この本では、作者の母との「三角関係」が、普通ならば、ドロドロした愛憎劇になるところが、そうならず、譬えは悪いかもしれないが、「戦友愛」みたいなもので繋がっているように感じるのである。

カバー装の絵は、恩地孝四郎の「ポーズの内 憩」(『恩地孝四郎版画集』形象社刊)というものらしい。
大正末期より昭和初期にかけて起こった大衆文学ブームにより、本は庶民にとって身近な存在になり、出版社は次々と個性的かつ内容にふさわしいデザインの書籍を作った。
恩地孝四郎は明治24年に東京に生まれ、その生涯を通し、版画、詩、書籍の装幀、写真などの分野ですぐれた作品を遺した。

この本の「初出」は、「小説トリッパー」2016年冬季号から2018年秋季号に発表されたもの。
この本は、独特の編集がなされている。
「chapter 1 1966 春」  「みはる」 ~ 「chapter 5 1973、11、14」   「みはる」 「笙子」
「chapter 6 1978~1988」  「寂光」 ~ 「chapter 7 1989~1992」  「寂光」 「笙子」
「chapter 8 2014」   「寂光」 「笙子」

という風に章立てが進行してゆく。
「みはる」のちの出家後「寂光」は瀬戸内晴美のことであり、 「笙子」は井上光春の妻のことである。
小説とは言っても、限りなくルポルタージュに近い。もちろん、小説であるから作者の創作になる部分も多いだろう。
別段に引いた「対談」にもあるように、瀬戸内晴美の証言から多くの部分が引かれているだろう。
だから、小説としてのプロットは秀でたものがあるが、細かい点では私小説と言っていいだろう。
この本で、作者の井上荒野は「海里」という名前で登場する。

小説の最後は、こう描写されている。

<目が覚めると篤郎はもういなかった。きっと私が眠ってしまったから、自転車で散歩にでも行ったのだろう。
 私も行こう、今出れば追いつくだろう。・・・・・
    さようなら。
 私は呟く。そうしなければならないことが不意にわかったのだ。だがそのとき、私は自分の娘たちのことも、長内さんのことも考えていなかった。
 ただ篤郎のことだけを考えている。>
  

私が下手な紹介をするより、下記の記事を読んでみてもらいたい。 ↓

※AERA 2019年2月18日号より抜粋
不思議な三角関係について、瀬戸内寂聴と語り合った。
*  *  *
瀬戸内寂聴(以下寂聴):この作品を書く前、もっと質問してくれて良かったのよ。

井上荒野(以下荒野):『あちらにいる鬼』はフィクションとして書こうと思ったので、全部伺ってしまうよりは想像する場面があったほうが書きやすかったんです。

寂聴:そうでしょうね。荒野ちゃんはもう私と仲良くなっていたから。そもそも私は井上さんとの関係を不倫なんて思ってないの。井上さんだって思ってなかった。今でも悪いとは思ってない。たまたま奥さんがいたというだけ。好きになったらそんなこと関係ない。雷が落ちてくるようなものだからね。逃げるわけにはいきませんよ。

荒野:本当にそうだと思います。不倫がダメだからとか奥さんがいるからやめておこうというのは愛に条件をつけることだから、そっちのほうが不純な気がする。もちろん大変だからやらないほうがいいんだけど、好きになっちゃったら仕方がないし、文学としては書き甲斐があります。大変なことをわざわざやってしまう心の動きがおもしろいから書くわけで。

寂聴:世界文学の名作はすべて不倫ですよ。だけど、「早く奥さんと別れて一緒になって」なんていうのはみっともないわね。世間的な幸福なんてものは初めから捨てないとね。

荒野:最近は芸能人の不倫などがすぐネットで叩かれますが、怒ったり裁いたりしていい人がいるとしたら当事者だけだと思うんですよね。世間が怒る権利はない。母は当事者だったけれど怒らなかった。怒ったら終わりになる。母は結局、父と一緒にいることを選んだんだと思います。どうしようもない男だったけど、それ以上に好きな部分があったんじゃないかって書きながら思ったんです。

寂聴:それはそうね。

荒野:母は父と一緒のお墓に一緒に入りたかった。お墓のことはどうでもいい感じの人だったのに。そもそも寂聴さんが住職を務めていらした天台寺(岩手県二戸市)に墓地を買い、父のお骨を納めたのも世間的に見れば変わっていますよね。自分にもう先がないとわかったとき、そこに自分の骨も入れることを娘たちに約束させました。

寂聴:私が自分のために買っておいた墓地のそばにお二人で眠っていらっしゃるのよね。

荒野:私には、母が父を愛するあまり何もかも我慢していたというより、「自分が選んだことだから、夫をずっと好きでいよう」と決めたような気がするんです。だから『あちらにいる鬼』は、自分で決めた人たちの話なんです。

寂聴:そうね。

荒野:そもそも母は、寂聴さんのことはもちろん、ほかの女の人がいるってことを私たちの前で愚痴を言ったり怒ったりしたことは一度もない。父が何かでいい気になっていたりすると怒りましたけどね。

寂聴:思い返すと私はとても文学的に得をしたと思いますよ。以前は井上さんが書くような小説を読まなかったの。読んでみたらおもしろかったし、彼の文学に対する真摯さは一度も疑ったことがない。だから、井上さんは力量があるのにこの程度しか認められないということが不満でしたね。井上さんは文壇で非常に寂しかったの。文壇の中では早稲田派とか三田派とかいろいろあって、彼らはバーに飲みに行っても集まる。学校に行ってない井上さんにはそれがなかった。みんなに仲良くしてもらいたかったんじゃなかったのかしら。孤独だったのね。だから私なんかに寄ってきた。

荒野:父はいつもワーワー言ってるから場の中心にいたのだと思っていましたが、違ったんですね。確かに父にはものすごく学歴コンプレックスがありました。アンチ学歴派で偏差値教育を嫌っていたのに、私のテストの点数や偏差値を気にしていましたね。相反するものがあった。自分のコンプレックスが全部裏返って現れている。女の人のことだってそうかも。

寂聴:「俺が女を落とそうと思ったら全部引っかかる」って。

荒野:女遊びにも承認欲求があったのかもしれない。寂聴さんから文壇では孤立していたと伺ってわかる気がしました。そういえば以前、「寂聴さんがつきあった男たちの中で、父はどんな男でした?」とお尋ねしたら、「つまんない男だったわよッ」とおっしゃいましたよね(笑)。

寂聴:私、そんなこと言った? ははは。いや、つまんなくなかったわよ。少なくとも小説を書く上では先生の一人だった。

荒野:『比叡』など父とのことをお書きになった作品でも設定は変えていらっしゃいますね。父の死後はお書きにならなかったですが。

寂聴:もうお母さんと仲良くなっていたからね。井上さんは「俺とあんたがこういう関係じゃなければ、うちの嫁さんと一番いい親友になれたのになあ」と何度も言っていた。実際にお会いしたら、確かに井上さんよりずっと良かった。わかり合える人だったし。

荒野:最終的には仲良くしていただきましたよね。いちばんびっくりしたのは死ぬ前に母がハガキを寂聴さんに書いたということ。私にも黙っていたから。

寂聴:ハガキは時々いただきましたよ。私が書いた小説を読んでくれて、「今度のあの小説はとても良かった」って。自分ではよく書けたと思っていたのに誰も褒めてくれなかったから、すごく嬉しかった。本質的に文学的な才能があったんですよ。だから井上さんの書いたものも全面的に信用してなかったと思う。

荒野:小説についてはフェアな人でした。私の小説もおもしろいときはほめてくれるけど、ダメだと「さらっと読んじゃったわ」ってむかつくことをいう。父は絶対けなさなかったのに。

寂聴:井上さんはあなたが小さい頃から作家になると決めていたの。そうじゃなかったら「荒野」なんて名前を誰がつける?

荒野:ある種の妄信ですよね。

寂聴:今回の作品もよく書いたと思いますよ。売れるといいね。テレビから話が来たら面倒でも出なさいよ。テレビに出たら売れる。新聞や雑誌なんかに出たって誰も読まないからね。

荒野:はい(笑)。

(構成/ライター・千葉望)
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何とも凄い「作家根性」ではないか。

瀬戸内寂聴が頼まれて住職を務めている岩手県の僻地の、つぶれかかった「天台寺」のために、自分の稼いだ原稿料や印税をつぎ込んで再興し、千人を超す人々に「法話」の会を催し、墓地を分譲して浄財を募る、などしてきた。
その墓地の一画に瀬戸内さんの予定区画もあるらしいが、その傍に井上光晴と妻が眠るのを希望した、という。
この三角関係の何とも麗しいことではないか。

瀬戸内晴美の出家の「師僧」は「今東光」であり、1973年11月の瀬戸内晴美の中尊寺での出家得度に際しては、師僧となり「春聽」の一字を採って「寂聴」の法名を与えた。

終わりに、言っておきたいことがある。
それは、リンクに引いた対談の中で井上荒野が言っていることだが、

<これが小説だからですよね。ルポルタージュではなく、基本的には私の創作です。
父であり母である人のことを書いているけれど、私にとっては彼らは小説の登場人物なんです。
だから、この三人の事実を書いたわけではなくて、私にとっての、この三人の真実を書いたんだなって思います。>

アンダーラインを引いたのは私だが、「事実」と「真実」とは違うということを彼女が指摘していることは、的確で、凄いことだと思う。
このことを強調しておきたい。

井上荒野
1961年生まれ。1989年「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞。2008年『切羽へ』で直木賞。
2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞。2016年『赤へ』で柴田錬三郎賞。2018年『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞受賞。など。

「井上光春」などはWikipedia などを参照されたい。
リンクになっています。 ↓ 読んでみてください。
「井上荒野」対談
「作家の読書道・井上荒野」


櫟原聰歌集『火謡』 『碧玉記』 『華厳集』 評論集『一語一会』・・・木村草弥
火謡_NEW
 ↑ 砂子屋書房2002/08/08刊
碧玉記_NEW
 ↑ 本阿弥書房2013/07/25刊
華厳集_NEW
 ↑ 砂子屋書房2016/05/08刊
一語一会_NEW
↑ ながらみ書房2016/09/20刊

──新・読書ノート──

   櫟原聰歌集『火謡』 『碧玉記』 『華厳集』 評論集『一語一会』・・・・・・・・・・木村草弥

まだ会ったことはないが、櫟原聰氏は、私の畏敬する人である。
FBで知己を得て、いつも私のブログの記事にアクセスして「いいね」をポチッと押していただき、時たまコメントを書いてくださる仲である。
先ずWikipedia櫟原聰を引いておく。 ← リンクになっているのでアクセスされたい。
これを見れば判る通り、奈良の有名な進学校・東大寺学園を出て、京都大学文学部国文科を卒業して、すぐ母校の東大寺学園に就職、最後は教頭を務められた、という経歴である。
詳しくはWikipediaを見てもらいたい。
「ヤママユ」の前登志夫の弟子として歌と論の両面で活躍されている。文化講座の講師なども、あちこで勤めておられる。
ここに掲出した本は、アマゾンのネット古書で、まとめて買った。
そんな高名な櫟原先生の本とは言え、古書としては馬鹿ほど安い。一番高いのが『火謡』で300円、一番安いのが『華厳集』で1 円である。いずれも新本同様の本である。
送料が257円とか取られるが、トータルでも2000円でおつりが来る始末である。
「進呈本」は多くは、そのまま売りに出される。私の本の場合も同様で、アマゾン古書として多くが出回っているが、目にとめた人が買って読んでもらえば有難いのである。

本の数が多いので、走り書きになると思うが、ぼつぼつと読んでみたい。

先ず、前登志夫の作品から、私に響く歌を少し引いておく。

   かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり (『子午線の繭』昭和39)

   地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり (『子午線の繭』昭和39)

   夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ (『子午線の繭』昭和39)

    暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か (『子午線の繭』昭和39)

    さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は (『霊異記』昭和47)

   狂ふべきときに狂はず過ぎたりとふりかへりざま夏花揺るる (『霊異記』昭和47)

    杉山に朝日差しそめ蝉のこゑかなしみの量(かさ)を湧き出づるなり (『霊異記』昭和47)

    三人子(みたりご)はときのま黙し山畑に地蔵となりて並びゐるかも (『縄文記』昭和52)

    雲かかる遠山畑と人のいふさびしき額(ぬか)に花の種子播く (『鳥獣蟲魚』平成4)

   夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで (『青童子』平成9)

前登志夫の本も何冊かあったのだが、昨年、日本現代詩歌文学館にまとめて寄贈したので、今は手元にない。
エッセイも名手だった。それらから引用できないのが残念である。
ここに引いた歌が代表作のすべてかどうか、も自信がないが、前登志夫が「自由詩」から出発したというのは重要なことだろう。
どこかの座談会で[縦の関係としての伝統]ということを発言していた、のを記憶している。(記憶が間違っていたらゴメンナサイ)
前衛短歌華やかなりし頃は、伝統から「切れる」ことが叫ばれたが、前川佐美雄に会って短歌に転向して以後、前登志夫は土俗性を含むアニミズムに沈潜してきた。
それが伝統ということなのだろう。  (閑話休題)。

今回、取り寄せた本が、櫟原聰の作品を網羅的に捉え得ているかは自信がないが、初めての本なので努力してみよう。

『火謡』である。 2002年8月8日刊行の本である。 第四歌集ということになる。
「あとがき」で
<この間、世紀末から二一世紀へと、世界は大きく動き・・・・本歌集に収録した歌も、その世相を自ずと反映しているだろう。
 歌集名を『火謡』としたゆえんである。願わくは、歌からわが心身を浄化する炎として立ち、未来をも照らし出さんことを。>

と書かれている。「火謡」とは、火の歌、という意味だろうか。
先に、前登志夫の歌を抄出したのには意味がある。
弟子である櫟原聰が、どういう歌を詠っているか、という比較のためである。

   *あかつきの夏野を走る鹿あれば太き腕に抱きしめられむ
   *しゆわしゆわと熊蝉啼いて街はいま夏野の記憶語りはじめる
   *空と風のレストラン森に開店す木の実を摘みに森へ行かうよ
   *樹は暑き風に揺らげり街に立つ家森林となりはじめたり
   *刺客らは街に満ちゐて子を殺め樹を殺めしづかに生くる日本

この本の巻頭に載る歌から引いた。 巻頭には自信作を据えると巷間言われるからである。
これらの歌では「森林」→「街」へとイメージが変換されている。前登志夫の詠った「森林」から、櫟原聰の「街」へで、ある。
前登志夫の「踏襲」ではなく、櫟原聰としての「一歩」ということであろうか。
東大寺という有名な寺院の経営する学園に務める者として「仏たち」に接するのは日常のことであろう。
だから「仏」の歌が多く詠まれる。

   *如来よりも菩薩を好むこのわれの修行足らざる悟らざる、よし
   *持国天増長天広目天多聞天戒壇院の青やかな気よ
   *胎蔵界曼荼羅にわれは孕まれて秋深まれる大和国原

Ⅱの章のはじめに「火の謡となる」という一連がある。 ここから題名が採られているらしい。

   *真青なる空の深みへのびあがる樹木の骨は火の謡となり
   *鳥が飛ぶ明日香の明日は卑弥呼より日見子へ渡り火の謡となる

二番目の歌は私には分からない。古語、古代語を専門に学んだという著者ならではのこととして受け取っておく。
この本の真ん中あたりに「身に沁む不況日本」とかの歌がある。
もう忘却の彼方になってしまったが、新世紀はじめの頃、日本は不況だったのか。「ミレニアム」の五月に私は亡妻とイスラエルに行っていたのだが。

   *宣りつづけ呪ひとなりしわが言葉青葉の梢ゆさやに消えゆけ
   *夕しぐれに濡れつつひとり鳴く鹿よ奈良の秋ひそとここに来たらむ

巻末の「都市の歩道を」には、新世紀初に起こったニューヨークのビル崩壊の大事件の一連がある。

   *わが額に飛行機の先突き刺さるニューヨークの空あくまで青く
   *イスラムの教へ身近に迫り来る文明世界の支配を絶てと

現時点に生起する事件にも敏感に作歌される姿勢に共感する。   『火謡』終わり。

『碧玉記』である。 2013/07/25刊行である。 第六歌集ということになる。
この間に、第五歌集『古事記』雁書館 2007年 があることになる。
「古事記」は著者が専門として学習されたようだが、手元にないので仕方がない。
この本の「後記」に
<この間、歌の師である前登志夫を失うという事態に遭遇した。> とある。
前登志夫の死は2008年(平成20年)4月5日のことである。
<30代から40代にかけては、いわば全力疾走の状態にあった。> と書く。
歌集名の由来は図版でも読み取れるように
   <君の掌に乗する碧玉耀へり街の精霊となりてひびけよ> に由来する。

「伴侶」という項目に
   *君こそは最高の伴侶ある時はわが陽光の楽の音のごと
   *寛衣よりこぼるる乳房匂ひたつ白昼夢の中なる女
   *夕暮れは嘆きの雨にうたれゐてわが半生の伴侶たるべき

これらの一連は「喩」にくるんであるが、令夫人を詠んだものにちがいなかろう。 佳い一連である。特に二首目の歌はエロチックで佳い。

この本辺りから、肩肘の力が抜けて、櫟原聡独自の、平易な詠いぶりになってきたようである。
この本には仏像、東大寺、学園の描写などが載ることになる。

   *華厳とは奈良のことだとわが言へばほほゑみてをり奈良の佛は
   *春の日は新入生にふりそそぎ花ふぶき舞ふ校庭となる
   *大佛に参拝するを最後とし東大寺学園生となりたり

また生地である大和郡山や、いま住む家から望むと思われる「生駒」連山を詠んだ歌がある。

   *横たはる女体のこどき生駒嶺やとも寝をせむと眼つむれり
   *生駒川流れゆくなり富雄川流れ澄むなりふたつ並びて
   *わが父の物理学者の人生は認知症とぞ記憶失ひ

三首目の歌に物理学者だったという父君のことが、さりげなく詠われている。
また、著者は音楽にも蘊蓄が深いらしい。それらに因む歌が見られる。

  *言問へば空はまさをに深まりてショパンとリストの楽の音は来る
  *マーラーを聴けば遙けし夜の闇に漕ぎ出づ男、女のひびき

はじめに引いた歌は、この本の巻末に載るものであった。

   *君の掌に乗する碧玉耀へり街の精霊となりてひびけよ
   *苦しみの地方の王となり果てて御霊帰りぬ父の碧玉
                                          『碧玉記』終わり。

『華厳集』である。 砂子屋書房2016/05/08刊で、第八歌集ということになる。
この本の「後記」に、こう書かれている。

<東大寺に関係する学園に六年間学び、大学を出てからはそこに職を得て、いつしか四〇年を閲することとなった。
 その間、半ばは東大寺の境内に過ごし、心は常に華厳の教えとともにあった、と言ってようだろう。
 「一切即一」「重々無尽」とは、万物すべてのつながりを意味する。その思いをもって、『華厳集』と名付けた。
 二つの大震災において、人のつながりは明らかに見られたし、また父の死後、母を介護する日々の中、人々の助けを実感する毎日が続いている。
重々無尽に繋がる、生きとし生けるものの関連に、改めて気づかされる日々である。>

この言葉は、この一巻をめぐる歌を貫いていると言えるだろう。

   *母います平城蝸牛庵足萎えて歩みもならぬ母はいませり

巻頭の「紡ぐ」という項目にある歌である。 ご母堂の入っておられる施設のことが詠まれている。

この本には海外に亘る「羇旅」の歌が多い。 海外に足を延ばせる時間か出来たからだろう。
項目名だけ引いてみる。 「サンマルコの鐘」「ヨーロッパ音楽の旅」「ヨーロッパ絵画の旅」「真珠湾」など。
国内旅行でも「信州は秋」「奥入瀬の秋」「朝の林道」など。 少し歌を引いてみよう。

   *操船の女水兵くつきりとランジェリーの線を身する白服
   *強風に帽子を押さへ目をこらすハレアカラ火山のクレーターはや

一首目はハワイの真珠湾での光景である。エロスに満ちた佳い写生詠である。女水兵の姿が彷彿とする。

   *寒蝉に聴く前登志夫前登志夫父ゐぬわれの閑居に沁みて
   *朝繰る雨戸にひたと吸ひつきて戸惑ひ顔の守宮を目守る
   *青幡の忍坂の寺の石仏幽かに遺す白鳳の朱
   *花に酔ふ花のごときを抱きながら春三月の酒沁みわたる
   *春昼や妻のおしやべり続きをり娘の音楽も子等のダンスも
   *ストラヴィスキー火の鳥も奏されて楽友協会ホール輝く
   *ラスメニーヤス、王女の側にベラスケス誇れる姿示しゐたりき
   *青の時代のピカソに会へりバルセロナピカソ美術館の夕暮れ

総体として平易なリアリズムの歌が多い。
この本の鑑賞は、この辺で終わる。                『華厳集』終わり。

『一語一会』である。 ながらみ書房2016/09/20刊。 評論集である。
大方は「ヤママユ」誌に連載されたものを集めたものである。 一篇6ページほどの文章である。
前登志夫の歌に因んで書いてものが多い。その他のものでも、筆者の旺盛な読書力に裏打ちされてブッキッシュである。
ここで「目次」の項目を引いておく。

Ⅰ 現代短歌の心と言葉 
   1 前登志夫の歌と思想──原発は既に荒れて
2 存在の住処
   3 『前登志夫全歌集』に寄せて
   4  『樹下集』の頃
   5 「私」論の地平
   6  奈良の歌
Ⅱ 古歌と現代
   1 ほととぎすの歌
   2 古歌の歌人たち
Ⅲ 口語短歌の文法序説
Ⅳ 選歌と添削──前登志夫の系譜
Ⅴ 講演録

スキャナの調子も悪くて、ここに書き写すにも根気が要るので、かんべんしていただき、「目次」の項目を並べるだけにする。
教師だけあって、その論旨は精細を極めている。

駆け足の紹介に終始したことをお詫びする。
今回はじめて櫟原聰先生の労作に接し得て、幸運だった。有難うございました。
気が付けば、補筆するかも知れない。               (完)



高旨清美『昼顔讃歌』・・・木村草弥
六花_NEW

──新・読書ノート──

    高旨清美・雨宮雅子作品鑑賞『昼顔讃歌』─離教への軌跡・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・六花書林2019/05/24刊・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
高旨清美さんは同人雑誌「晶」で、いつも作品を拝見している人である。
ここに居る村島典子さんとは親しくお付き合いさせてもらっているが、高旨さんとは名前を知るのみで親しい付き合いはない。
そんな私に御著を頂いて有難いことである。厚く御礼申し上げる。
いま調べてみると、「晶」79号2012/09/18で私のブログに高旨清美さんの作品「猫友だち20首」を採り上げているのである。
そこには、私は、こう書いている。 
<高旨さんは、無類の猫好きとして知られているが、今回も猫を媒体として、古今を飛翔して都会の哀歓を詠んで、読者を引き付ける。>
ネット検索で出てくるのは変な体裁になっているが、ご覧いただきたい。

さて、雨宮雅子は高名な歌人であるから、よく知られている人である。
彼女の歌集に『昼顔の譜』というのがあり、高旨さんの本の「昼顔讃歌」というのは、ここから採られている。
題名の副題として書かれる「離教」というのは、Wikipediaの記述を参照されたいが、長年キリスト者として過ごしてきた彼女がキリスト教を離れたことを意味する。
画像でも読み取れるように長年、私淑してきた雨宮雅子を精彩に鑑賞したのが、この本になる。

いまネット検索していいると、こんな記事が目に留まった。  ↓

  雨宮雅子さんの生前最後の作品 ?    恒成美代子

『短歌往来』(ながらみ書房)の2015年1月号の「編集後記」を読んでいたら、「本号、雨宮雅子氏の作品は生前最後の作品ではないかと思われる。」と書いてあった。
雨宮さんは昨年の10月25日、85歳で亡くなられている。
作品締切のことなど、考えあわせると、そのようにも思う。

           昼顔         雨宮 雅子

      海の風に触れゐるところ須臾の間をはた悠久を咲ける昼顔
      

      曼珠沙華この世の修羅も見尽さで野放図なるは穏しき野ゆゑ


      父母の知らざりし世よいまの世にわれも知らざること多くなる


      神はいますや画然としてものらみな秋のひかりのなかなるひと日


      肩掴み老耄にわれを据ゑたがる強きちからよいつ勝負せむ

                                     (7首中の5首)

亡くなられたのちに読者に届いた歌。
2首目の「この世の修羅も見尽さで」は、曼珠沙華であり、作者そのひとでもあろう。
もう、新作が読めないと思うと、ほんとうに惜しまれてならない。
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ここでも「昼顔」である。 雨宮さんは、この「昼顔」に、物凄い執着があったのが窺える。
高旨さんも、巻末に載る「エッセイ」で、こう書いている。

     悠久を咲く昼顔  「雅歌」62号2015年4月号所載

  海の風に触れゐるところ須臾の間をはた悠久を咲ける昼顔
                               「短歌往来」2015年1月号

「昼顔」は、雨宮さんが繰り返しうたってきた花のひとつである。
とりわけ昼顔を好んだのではないだろうか。
第八歌集『昼顔の譜』のあとがきには、こう記されている。
   「昼顔」は私の大好きなはな。貌花とも言われるこの花のあえかな美しさは、この世のものではない感じがある。
    あの世からの音信のように昼顔を眺めて暮らした一夏──

この年(2002年)の四月に、雨宮さんは東京・江東区から湘南の地に転居したのだった。
そして縁の深かった海辺の地で、2014年10月、一生を終えられた。
昼顔は、線路沿いの空き地などに普通に見られる。
浜辺に咲くのは浜昼顔であるが、どちらも強靭な植物でありながら、その色と姿ははかない、と見えるほどに淡い。
雨宮さんは昼顔に、天からの光を湛える「受動的な器」としての美しさを見ていたのではないだろうか。
昼顔は、天からの使者、メッセンジャーとしての働きをもつ花。
その存在は単独では果敢ないが、ときに神の仲介者として、永遠を示唆する美を輝かせるものとなる。

   けふひと日ひかりによりて耐へさせよ昼顔のうへ夏のきてをり    『昼顔の譜』

   昼顔のむらがるところかがやきて壮年の人の汗したたらす      『非神』
   ひるがほは群生のうへ翳りたり神の横顔の過ぎむとしつつ

「神」は雨宮さんの思惟における翳りの源の一つ。
現実の生の課題を抱え、そこから解き放たれることを願っての求道の心を、長く、苦しく、離教するまでもち続けた雨宮さんであった。

   わがつぎの世にも咲くべし夏果つる無人の駅の昼顔の花      『秘法』

雨宮さんから歌誌「雅歌」の「招待席」のページのお話をいただいてお引き受けしてから、いつの間にか十八回を重ねた。
・・・・・六年間の誌面での歳月を「雅歌」の皆様に感謝申し上げると共に最後まで拙い鑑賞文を続けさせていただいたことで、少しでも雨宮さんのお気持ちにお応えできただろうかと思う。
永遠の眠りにつかれた雨宮さんのご平安を、心よりお祈りする。
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ここに引いた高旨さんの文章に、この本のエッセンスが凝縮していると言えるだろう。
ほんの一部に触れただけで恐縮するが、ご恵贈に対する御礼としたい。
不十分な鑑賞に終始したことをお詫びします。             (完)







折勝家鴨句集『ログインパスワード』・・・木村草弥
家鴨_NEW

──新・読書ノート──

     折勝家鴨句集『ログインパスワード』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・ふらんす堂2017/04/27刊・・・・・・・・

この句集が恵贈されてきた。
折勝家鴨さんとは、FBの「友人」として出会った。 と言ってもヴァーチャルな付き合いであって、まだ会ったことはない。つい二か月くらい前のことである。
あ、これは不正確である。
名前を知ったのはネット上の「週刊俳句」の「2018角川俳句賞落選展」という記事の中で見つけて、私のブログの「月次掲示板」に何度か採り上げた。
そこには「*一次予選通過作品」の表示があったので、そこそこの実力の作家なのだということが分かった。
その命名が特異である。だから、初めから強い印象を持った。
ネット検索していると、この句集に載る「跋」の加藤静夫の文章が出てきた。
今回、現実の句集をいただく前に、この文章は目にしていたのである。
私は2004年からネット上でブログを書いていて、余程の事故がない限り毎日更新してきた。
私のブログは詩、歌、句という「短詩系」に特化したものとして編集しているので、俳句は物凄く、たくさん引用してきたが、現実の「句集」をいただくのは滅多に無い。
というのは、俳人には「俳人以外の者が、とやかく言うな」というような排他的な気風があるようなのである。
私はブログをやり始めるときから、大岡信「折々のうた」を参考にしてきたので、俳句、川柳などに拒否感は全くないし、逆に極めて強い「親近感」を持つことを強調しておきたい。
前置きが長くなった。

この句集は綺麗な造本である。こうしてスキャナで取り込むとハレーションを起こして分からないが地色に白くボカシで「鍵」が十個ほども描いてある。
装丁・和兎と書いてあるが、凝ったもので快い。
版元のふらんす堂の案内を読むと「ドイツ装」だと書いてある。
調べてみると「ドイツ装」というのは製本の初めの段階で表紙と背表紙に厚紙を糊付けする工程を指すらしい。
厚紙を貼るのはすべて手作業だというこで、あと強力なプレス機で、ぎゅっと押さえつけるらしい。
改めて、この本を手に取って、しげしげと眺めてみると、そのことが、よく判る。
そんな意味でも、この句集は、とても凝った製作になるものだった。
このことからも、版元からして、この女流俳人の門出に、並々ならぬ趣向を凝らしたというべきである。 敢えて書いておく。

この本が出たときの版元・ふらんす堂社長の「ふらんす堂編集日記」というのを読んでもらいたい。
ここには、この俳句会「鷹」主宰・小川軽舟の「序」文から、加藤静夫の「跋」文のさわりが載っている。
私が、わざわざ書かなくても、読めるからである。 (注・本文中で色が赤になっている部分はリンクになっているからクリックされたい)

ここで私と「鷹俳句会」との多少の縁(えにし)について書いておきたい。
先ず「俳人・飯島晴子のこと」という私の一連の記事(カテゴリに収録)を読んでみてもらいたい。
ご存じのように飯島晴子は「鷹」藤田湘子の同行者である。そんなことで「鷹」ないしは藤田湘子のことはずっと前から意識の中にあったのである。

周辺をぐるぐる廻るのではなく、そろそろ本題に入りたい。

著者の折勝家鴨(おりかつ・あひる)さんは、昭和37年(1962)生まれ、横浜市在住の俳人である。女性である。
平成15年(2003)「鷹」に入会し藤田湘子に師事、平成17年(2005)に小川軽舟に師事、平成20年(2008)「鷹」同人、平成24年(2012)「鷹新葉賞」を受賞されている。
平成27年から「事業部長」を務めている。どんなことをやるのか私には分からないが、いろんな会としての事業の設営などの「下積み」をするらしい。
平成30年に第14回日本詩歌句随筆評論大賞俳句部門努力賞を受賞されている。
生年から勘定してみると、もう五十歳代ということになり若くはない。
本句集は2003年から2016年までの13年間の作品を収録した第1句集である。序を小川軽舟主宰、跋を加藤静夫さんが寄せている。
彼女の現実の姿を彷彿させるために、この本の「跋」に書かれた加藤静夫の文から、少し引く。  ↓

「もちろん俳句が注目されたわけではなかった。吟行の際のファッションが只事ではないのである。………
折勝家鴨は紐ワンピ(細い肩紐のワンピース)の裾をひらひらさせながら、踵の高い靴で平然と野山を闊歩するのだ。
ある時は胸元が大胆にカットされたブラウス、またある時は膝上数センチの革のミニスカート……、
俳句の神様も赤面するようなファッションに、私たち鷹衆は吟行のたびに度肝を抜かれ胸を痛めたものである。」

センセイショナルな引用であったかも知れないが、私が勝手に言っているのではないので、お許しを。
題名「ログインパスワード」がネット用語であるように、現代のツールを駆使する才女であるらしい。

「目次」は
第一章 市松模様
第二章 大陸
第三章 ラブホテル
第四章 多肉植物     となっている。

作品を見てみよう。

 *働く日数えてしだれざくらかな  
 *山桜夜はきちんと真っ暗に
 *かんたんによろこぶおたまじゃくしかな
 *わたくしは女キャベツの葉をめくる

これらが小川軽舟の先ず引く作品である。  そして

 *梅白し死者のログインパスワード 
 
出世作という一句。 これが句集の題に取られている。 現代を言い表して、過不足がない。これについては後でも書く。

  *桜咲く金を遣いに東京へ

 この感覚、よくわかる。 田舎暮らしの私には、「金を使いに」という感覚はないが、地方から来た人にある実感なのだろう。
 
  *沈黙を待って三分ヒヤシンス

 喫茶店か何かの相対の席、相手を思い口を開くのを待っているが三分が限度というのだ。この沈黙を句にできるのか、と驚く。
 上手い。 きっと、ヒヤシンスが咲いていたのだろう。 

  * 良き夫の基準まちまちジギタリス

 ジギタリスの何であるかを知ると、少し怖い句。花は美しく観賞用に置く人もいる。 

  *十七歳年下の彼胡桃割る

 単純に彼の若さと逞しさに称賛の声をあげたのだろう。 詠み手の歳を取ったと感じ始めた感覚に共鳴する。

  *日が落ちて妻となりけり冬薔薇

 切り替える必要あり、職業婦人と妻。よくわかる。「日が落ちて」フルタイムで目一杯の感じが出ている。冬薔薇に両立への矜持  が現れている。

  *太陽を描くクレヨン昭和の日

 この句によって想起されるもの、昭和の子供の持つクレヨン、大体の子はお日さまを描くとき、赤かオレンジ、ちょっと変わった子がいて、黄色・緑・黒、心理分析なんかしていたなあ。

  *わたくしは女キャベツの葉をめくる

 すごく共感する。「女は作られる」と言った思想家がいた。普段女と思って行動しているわけではないが、「わたくしは女」そう思う瞬間のひとつがこれだ。

  *雪兎家族はガラス戸のむこう

 不思議な暖かさが感じられた。ガラス戸で遮られていても、視線や灯り、この場面では、雪兎を作る子供は外にいてほしい。

  *うららかや開けて嬉しきコンビーフ

 この句にも大共感。独身の一人暮らしで、遅く起きたときのブランチを思い出す。コンビーフの缶は、開けるのに技と時間が必要なのだ。

  *働く日数えてしだれざくらかな

 なぜしだれざくらなのだろうか?働く日を数えるのはなぜなのか。こう言うとき読み手は、自身の経験に照らし合わせるしかすべがない。
桜咲く頃、家庭には状況の変動が起こる。夫の転勤、子供の進学進級。主婦が今の仕事をやめざるを得なくなる。
日ごと膨らむ桜の蕾、しだれざくらの花時は遅い。仕事に来るのはあと何日?

  *露の世や畑のなかのラブホテル

 この光景は私のすむ町から近い奈良大阪の府県境にもある。「露の世」この言葉が、佳い。

  *鳥籠を十月の風通りけり

 この鳥籠に鳥はいるのだろうか?多分、空。だから気づいた。そう思って読んだ。秋のさっぱりと透き通る涼感が感じられた。

  *引越のトラックに乗る今日の月

 どんな事情かは知らぬが、最後は荷物と一緒にトラックの助手席に乗るような引っ越し。
俳人冥利につきるのは「今日の月」に気づいたこと。嬉しさが最後に浮き出る。

  *雛の日やつんと冷たき除光液

 女性独特の句。 一日の終わりの爪の手入れ。

  *子の恋は子供産む恋雪間草

 本能に任せる恋の結末、浮き世の合間にふっと出されるニュース。

  *夏近し少年院の楠大樹

 建物と塀、外から見える唯一のもの、楠大樹。中でも季節感がある恐らく唯一のもの、少年達は希望を抱くのだろうか。

  *象の背の夏蝶空へ飛びたてり

 象にとっては、何でもないこと。存在もわかってないこと。夏蝶の行動が美しく、輝いて見えたのだ。

   *生きること死ぬこと春に笑うこと

 ここでは「死ぬこと」と繋げて対句表現で整えて、春の高揚感をさらに持ち上げている。

   *圧倒的多数のひとり黒揚羽

 目立ちたい。そういう願望もあるのかもしれない。それに否定的なスタンスを持っているのかもしれない。現実は圧倒的多数の中へ埋もれている。

  *梅白し死者のログインパスワード

 まず滑らかな口調に誘われ、一度口ずさむと、もう忘れられなくなる。
死者のログインパスワード?私はもう死んでしまった人が、冥界で与えられる認識符号のようなものを想像した。
ようやく辿り着き、これを与えられて落ち着く、そんな状況を、である。
他の方の解釈では、この世の残されたものの困惑を語っておられた。
多分ログインなのだからそっちだ、と思ったのだが、第一印象から離れられない。

  *文学と余りご飯と虫の声

 この作者の、主婦としての日常。

  *てのひらのどんぐり家に帰らぬ子

 夕飯の支度の時間が迫る、親が帰ろうといっても、まだという子。夕暮れの懐かしい光景である。

  *古き家の古き鏡や梅真白

平成十七年、武蔵小金井での吟行句だという。加藤静夫は、この句に彼女の成長を見た、という。

  *太陽に遠く女陰あり稲の花

この句は大胆で凄い。 開き直った成熟した女の作品である。 秀逸。

  *桐は実に奇数は次の数を待つ

これは、主宰・小川軽舟の句 「偶数は必ず割れて春かもめ」 を踏まえたものとみて間違いなかろう。

  *萩咲くや笑顔の母の近餓(ちかがつ)え

浅学にして私は、この言葉「近餓え」を知らなかった。辞書によると「飲食の後、すぐにまた食欲を催すこと。また、その人。転じて、色欲にもいう。」とある。
凄い句である。
加藤静夫も、「まさかあのアヒルから、この言葉が出て来るとは思わなかった」と書いている。 勉強されたのだろう。

とりとめもない書き方になった。

  *ヒール高きは女の自信秋気澄む
  *女から男は生まれ春夕
  *本妻は太ってもよし竹煮草
  *シクラメン夫の早寝に後れを取る

折勝さんは、見目麗しい女性らしい。 そんな自信が、これらの句に出ている。
そういう「女性」性を前面に出した、現代女性らしい句集、だと受け取った。
言い遅れたが、この句集は「新かなづかい」を採用していて若い人にも受け入れられるだろう。
爽やかな読後感の中に読了したことを書いて御礼としたい。 有難うございました。     (完)


  
宗形光歌集『スマトラトラ』・・・木村草弥
宗形_NEW

──新・読書ノート──

      宗形光歌集『スマトラトラ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・本阿弥書店2019/03/21刊・・・・・・・・・

この歌集が贈られてきた。
著者の宗形光氏は私には未知の人だが、今をときめく短歌結社「塔」の会員であり、「さいたま歌会」などで三井修氏の指導を受けておられる。
そのついでに言うと、つい先日「北さいたま歌会」などに拠る久川康子歌集『桜回廊』の恵贈を受け、鑑賞文をブログに載せたばかりであった。
↑ リンクになっているので、アクセスされたい。
三井修氏には私の第四歌集『嬬恋』批評会で批評いただいて以来、第一詩集『免疫系』、第二詩集『愛の寓意』の「栞」文の執筆をしてもらった上に、
第五歌集『昭和』を読む会を東京で開いて貰う設営など一切を取り仕切っていただいた恩のある方である。敢えて書き加えて御礼申し上げる。
( 注・赤字になっている部分は、リンクになっていることを示すのでアクセスして読んでみてください )

宗形光氏の略歴は
1961年 福島県生まれ
2010年 「塔」短歌会入会
としか書かれていない。
この本を読み進めたり、三井修氏の9ページに及ぶ「解説 現代社会活写の歌集」という文章によると、宗形氏は「税務職員」であるらしい。
それにまだ若いし、現役で仕事をしておられると思われるなどの事情から仕事や職務内容を明かすことはできないらしい。
今まだ若いと書いたが、計算してみると、もう58歳ということになり、初老の域にさしかかっており、若いとは言えないことに気づく。
この歌集『スマトラトラ』は2010年から2017年の467首の歌が編年体で納められている、という。
宗形氏は本名・吉光というらしい。そこから「光」というペンネームを採られた。
題名の「スマトラトラ」という命名だが、インドネシアのスマトラ島に棲息する「スマトラ虎」の謂いとのことである。
この本の121ページに「スマトラトラ」の項目があり、そのはじめに

  *スマトラ島に棲むトラなればその和名スマトラトラと命名されぬ

という歌があり、そこから題名が採られている。
Wikipediaによると、「スマトラトラは、トラの中で最小の亜種である。また現存する亜種の中で最も南に生息し、唯一島に生息しているトラでもある。
生息域は、インドネシア国スマトラ島の熱帯モンスーン林である。」
と書かれていて、森林伐採などにより生息域が狭まり「絶滅危惧種」に指定されているという。

ついでに書いておくと、宗形氏の歌の載せ方は独特で、この項目の歌も「トラ」の歌は、この一首のみで、後の12首は全く別の「日常詠」である。

  *千駄木の路地の真中で黒猫は脚あげ舐めるひたすら舐める
  *電柱の根元に生ゆる蒲公英は過ぎゆく車の風に揺れいる
  *健診の結果告げたる医師を思い納豆パックの膜を剥がしぬ
  *公園にスマホの明かりが仄めきて長き黒髪照らしておりぬ
  *荒川の土手に背中をくっつけて見上げてみれば空しか見えず

私なんかは「連作」として同じテーマの歌を並べたりするが、宗形氏の歌は項目の中でも自立している。
ただ一首、一首が精細な観察によって詠まれていて、リアリティを感じさせるのが秀逸である。
ここにあげた歌の終わりからの二首などは「相聞」であろうか。
「荒川」というのは、しょつちゅう出てきて、作者の住所が北区であることから、近いのであろうか。

この本については図版でも読み取れると思うが、前・主宰・永田和宏の「帯」文に書かれているように全篇が「坦々と」「淡々と」進行してゆく。
このことが一巻を通読した強い印象である。 そのことを先ず指摘しておきたい。
最近いただく歌集の特徴は「坦々と」「淡々と」ということである。
考えてみれば、今どきの世の中は単調で、特筆すべき社会現象が起きにくい。それが歌作りにも反映しているだろう。
みんなの日常生活も、そうである。
だが、世界に目を向けると痛ましい、残虐な事件も頻出する。そういうことに宗形氏は果たして、どういう反応を示すのか、それらは余り描かれない。

ここで税務職員としての「仕事」の歌を引いてみる。
  *ようやくに謎が解けたるここちして箸の袋に取引図かく
  *おまえはぼけおまえはつっこみ役をやれ復命ののち上司は言いき
  *秋風を夏のスーツに受けながら質問検査権を行使す
  *ていねいにていねいにさらにていねいに説明してもたりぬか説明
  *三十年、当該職員であるからに違和なくなりぬ当該の文字

私も現役の頃は、吹けば飛ぶような会社の代表をやっていたから、税務職員には何度か接触したが、まじめに、几帳面に納税してきたから、申告を「否認」されるようなことはなかった。
「優良法人」になることはなかったが、納税申告は、ほぼ「是認」されていたので税務職員との直接の接触は少なかった、と言えるだろう。
私は、なるつもりがなくて家業の商売を継いだが、私の専攻は文学部で、簿記のボの字も知らなかったが、引き継いだ会社の帳簿組織は完備しており、それを踏襲すればよかったのである。
簿記のイロハは知り合いの税理士に教わったが、税務は私が税理士に頼らずに自分で申告していた。
勉強してみれば難しいものではないのである。税金を誤魔化そうとするから苦労するのであって、何事も明るみに出してやれば簡単なのである。
私は、「素人」だったから、そういう主義でやってきて大過なく過ぎたと思っている。
先に引いた宗形氏の歌のことなどは私には違和感のある「作戦」のように見えた。ただ、そういう不正を働く輩が居るからの「策」なのであろう。

宗形氏の歌には通勤途上の駅や電車の中の歌などが多い。
  *「お体を引いて下さい」アナウンス繰り返される五度早口で
  *池袋のブクロに力を込めながら繰り返される車内放送
  *出張の一日を静かに区切るごとチャイムが鳴れり新横浜に
  *響きたるドアー閉まりますのアナウンスその二秒後にドアは閉まりぬ
  *抑揚はげに心地よし「ハンゾーモン サブウェイ ラーイン フクトシン サブウェイ ラーイン」

たくさんあるが、そのほんの一部を引いてみた。

穂村弘の歌集を読んでおられるようである。
穂村の歌には「ただごと歌」のような作品が多いが、これも現代社会の様子を反映したものだろう。

  *枕元に穂村弘の歌集置くスマホと眼鏡を載せんがために

この歌などは、直接、穂村の歌に触れることなく「スマホと眼鏡を載せんがために」歌集を置く、として皮肉である。

今どきは短歌も雪崩を打って「口語」化している。
宗形氏の歌は、完全な口語文脈でありながら、文語体になっているのが、ままある。
例えば
  *この朝も珈琲店を過ぐるとき窓にスーツの我が映れり
  *丁寧に話しはじめて用件はわからぬままに留守電終わる

この二首を比べてみて、終わりの歌は完全な口語文脈だが違和感はない。
では、一首目を「過ぎるとき」としても何ら問題はないと思うが、いかがだろうか。
結句が「映れり」となっているから、そうされたのかも知れないが、ここも「スーツの私が映る」としたら、いいのではないか。
歌の完成度が変わるだろうか。
こういうところが何か所もある。 私の違和感を持ったところである。
とは言っても、そんなことは枝葉末節のことであって何も問題にする必要もないかもしれない。
しかし、多くの人に、もっと短歌を広めてゆく必要があるとするならば、このことは大切なことではないかと思うのである。
無理に「文語」文脈にする必要がない、と言いたいだけである。

とりとめもない雑駁な鑑賞も、そろそろ終わりにしなければならない。
巻末近くに、こんな歌がある。

  *あなたってコロンボのような人ですね褒め言葉として受け取っておく

この歌も、恐らく、税務調査での「ひと駒」ではないか。
刑事コロンボの画面で、コロンボの常套手段が、別れ際のセリフがある。それが、また有効なのである。
多分、この推測は正しいと思う。

  *ありぬべし分母と分子 柿ピーのPの割合案じて食す

この歌などは、文語文脈が有効なものである。

いずれにしても、爽やかな一冊を読ませていただいた。そんな感想のうちに終わりにしたい。
ご恵贈有難うございました。 不十分な鑑賞をお詫びする。       (完)


日向輝子歌集『朱花片』・・・木村草弥
日向_NEW

──新・読書ノート──

     日向輝子歌集『朱花片』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・角川書店2019/03/25刊・・・・・・・

この本は日向輝子さんの第三歌集になる。
日向輝子さんの第二歌集『夕ぐれの記憶を探しに』については、← このブログに書いたことがある。
いま読み返してみると、歌集の本質に迫り得ていない不十分な文章であることが判る。
この第三歌集については柳川創造氏の19ページに及ぶ長文の「跋に代えて」という周到な解説がついている。
柳川氏は結社誌「綱手」主宰者・田井安曇亡きあと「綱手」の編集人をされている人である。(発行人は井上美地)
この文章は第二歌集『夕ぐれの記憶を探しに』を踏まえて、著者の父上の籔島五郎や母上の徳子の生い立ちなどに詳しく触れながら書かれている。
けだし、この文章を読むことによって、日向さんの歌を十全に読み解くことが出来るようである。
私は、この文章を読む前は、この第三歌集の歌を採り上げて書かれているのかと思ったが、そうではなくて、第二歌集などを巡って日向輝子という人間を際立たせるものである。
私が第二歌集『夕ぐれの記憶を探しに』の文章に書いた不的確さを修正し、正してくれるものである。

この本は2010年7月から2017年9月までの歌から334首が選ばれている。
題名の「朱花片」というのは、「アララギ」の吉田正俊の歌集『朱花片』に因むものだという。
吉田正俊は「アララギ」の幹部だったが、「綱手」の主宰者・田井安曇の師系・近藤芳美にも繋がる人であり、いわば象徴的な命名である。
この命名についても柳川創造の「声がかり」があるようである。
この色「朱花」というのは「はなだ色」のことであり、それに因んで「萬葉集」から四首引かれている。
そのうちの一首
  <はねず色の移ろひやすき情なれば年をそ来経る言は絶えずて>
                          (巻十二・3074 作者不詳)
が引かれている。
ここで私の極私的懐旧にひたることを許されたい。
私の第二歌集『嘉木』
  <はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり>
は、万葉集の上記の歌を踏まえて作られている。
この歌は塚本邦雄が読売新聞の「短歌時評」で採り上げて書いてくれたものである。
「はなだ色」とか「はねず色」とかも同じ表現のものである。 (閑話休題)

以下、この本に沿って少し書いてみたい。

  *感情より人は老ゆると風ぬるきビルの谷間にひらく木槿(ムグンファ)
  *ハングルは話せず読めずおずおずと地図をひろげる乙支路入口(ウルチロイツク)
  *安寧はアンニョンハセヨの안녕と幼き男の子教えくれたり
       昭和十四年、松阪商業学校を終えた父は、海を渡り朝鮮銀行に就職した
  *此処に四年勤めしならん 旧朝鮮銀行京城本店朝九時の大扉
  *鵲と木槿の国より帰り来て庭の目白にこぼすパン屑

木槿(むくげ)は韓国の「国花」である。ムグンファと発音するが原語は漢字で「無窮花」と表記する。この漢字の韓国語読みがムグンファなのである。
韓国では李朝がハングルを創始したように中国離れを意識した運動がめだつが、このように言葉というものは、そんなに一朝一夕には切り離せないものである。
木槿は、ご承知のように夏の間、次々と花が咲き次いで咲くので無窮花と呼ばれ、韓国の国花となったものである。

作者は日々起こることにも鋭敏に反応して作歌する。

  *唐突に止まりし時間 日常の曇りに紛るる山桑の花
  *朱鳥元年春睦月 地震振るとあれば栞して閉ず  (『日本書紀』天武天皇 下)
  *フクシマの安達原の鬼たちよ息災なりや また春が来る

これらは東日本大震災に因む歌である。

*唐突に母の始めし昔語り父と出逢えばそこで終わりぬ
*さくらさくら桜に紛う四辻に子の名を母は置き忘れたり
*亡き父の地図に広がるバイカル湖 立ち待ちの月が昇り始むる
*二つ目のプッチンプリン平らげて「哀しいねえ」と母は呟く
*八十歳越えたる母と五十代終わる私に五月は曇る
*わが母は乙女のごとく微笑めり その一切の終わりたる今
*罷りゆく母に持たさむ赤き薔薇、加賀の友禅、ミルクキャラメル
   二人暮らしとなった両親が飼い始めたのは、ジュリーという名の雄犬だった
*見るたびにかたちを変える秋雲が犬のジュリーに見ゆる夕暮れ
*秋空の青深ければわが母のみ骨を抱きて伊勢へと下る
*東京に生まれし母の定めたる奥つ城所 父のふるさと
*逝きてのち出でて来たりし一通の「延命治療希望しません」
*飲めぬ酒に酔いては帰り「月の砂漠」歌いおりしは壮年の父
*わが嫁ぎ行きたる夜も「月の砂漠」調子外れに唄いおりしと
*ある時はミルクチョコレートが出でて来ぬ父の昭和の通勤鞄
*手の甲に載せて味見る林檎ジャム母の流儀の朽葉色して

父と母に因む歌をまとめてみた。
父は前の歌集の時に亡くなっているが、母の死は、この歌集のさなかだったが、坦々と詠われている。
これが日向さんの詠いぶりの特徴である。父の故郷は三重県であり、母は東北生まれだが、墓は夫と一緒にしてくれ、希望したという。
第二歌集と、この第三歌集とで、肉親の詠み方が違ってきた。

この歌集には外国旅行詠が見られるのが特徴である。少し引いてみる。

*耳切りしゴッホを容れし病院の廻廊に咲く花のくれない       アルル
*うなだるるガリア虜囚は刻まれて凱旋門は街道に建つ       オランジュ
*極東の夏の記憶を持たざれば夾竹桃の花やさしかり        エクサンプロバンス
*會安は海のシルクロードの果ての町 黄の家壁に茉莉花は揺る ベトナム  2016年秋
*日本橋に金星紅旗翻る 町の朝を水満たす音
*菩提樹は散りやすき花 散らせつつ夏の朝を蜜蜂は飛ぶ      中欧    2017年六月
*プラハ城黄金小路二十二番地カフカ三十七歳の仕事場なりき
*時差ぼけの身体引き摺るブルクリンク絵葉書描きのアドルフが行く   ウイーン

雑駁な鑑賞を、そろそろ終わりにしたい。ここらで私の好きな歌を引いて終わる。

*端渓の硯の海の生ぬるき薄ずみに書く海のひと文字
*長谷寺に花香「もみぢ」買いたるにわが住む町の夜には明し
*こぼたるる生家より夫は貰い受く東の棟の鬼瓦一枚
*逆光を浴びて夫の影ふかし長の子なれど家承けざれば
*手擦れせる譜面に弾きいる「紡ぎ歌」子は上り阪のぼりいるのか
*来(こ)、来(き)、来(く)、来るはずのなき人を待つ夏鳥の飛ぶ馬場下町に

数少ない「夫」と「子」を詠んだ歌も、ついでに引いておいた。

装丁の熊谷博人氏、角川書店編集部・打田翼氏には私も最新歌集でお世話になった。
柳川創造氏の「跋」文は、この本の鑑賞の上で大変に役立ったことを敢えて書いておきたい。
ご恵贈有難うございました。 雑駁な鑑賞をお詫びする。       (完)




作・東義久 画・こばやしなおこ『東北、風の六人衆』・・・木村草弥
風_NEW

──新・読書ノート──

     作・東義久 画・こばやしなおこ『東北、風の六人衆』・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・澪標2019/03/11刊・・・・・・・

この本は「東日本大震災」を忘れないために企画されたものである。
掲出した画像でも読み取れると思うが「チャリティコンサート響きプロジェクト代表」の本田馨氏が企画されたものである。
それに賛同して、文・東義久 画・こばやしなおこ の二氏が執筆された、綺麗な「童話」「童画」集である。

「序章」は「ぼくは風のミュージシャン」と題されている。

     ①
    黒髪を 風にさらして 踊るきみ
    きみが踊れば ぼくが歌おう
    野の花に 負けない ほどの 美しさ
    きみは きれいだ もっときれいにおなり

    哀しみに 打ちのめされて 沈んでしまうきみ
    きみが泣いたら 風さえ消えるさ
    愛してもなぜか 哀しく切なくて
    愛を忘れた
    もっと 愛してごらん

    ※風 風のような 出会いを 信じていたい
     空飛ぶ鳥は ぼくの友だち
     自由に 憧れ 風を連れ 旅をする
     ぼくは ぼくは ぼくは 風のミュージシャン

     ②
     いつの日か 別れ そしてまた 出会うだろう
     繰り返しつつ 人生の旅 どこへ行く
     どこへでも行く
     唇に 歌を忘れずに
     もっと 遠いところへ

     ※風 風のような 出会いを 信じていたい
     空飛ぶ鳥は ぼくの友だち
     自由に 憧れ 風を連れ 旅をする
     ぼくは ぼくは ぼくは 風のミュージシャン


「風の六人衆」とは、「陸前次郎」 「陸奥太郎」 「陸中花子」 「羽前長介」 「雨後の弥七」 「磐城五郎」 のことである。

     ぼくらは風だよ。
     自由をいちばんの友にして飛び回る。 そうさぼくらは東北風の六人衆。
     ぼくらはいつも大きな笑い声を風のなかに聴いていた。
     山のてっぺんからぼくらは台地に向かう。小さなちいさな人間たちがぼくらを見上げている。
     帽子が風に撥ねた。
         ・・・・・・
     海の底ふかく、風たちは何を求めようというのか。
     ぼくらは風。

ここで、宮沢賢治の小説『風の又三郎』のことが、話の中に取り込まれてくる。

     どっどど どどうど
     どどうど どどう
     どっどど どどうど
     どどうど どどう
         ・・・・・
     「風の又三郎が来ている。ぼくらといっしょに飛んでいる。
     ぼくらのところへ来てくれたんだ !」

     どっどど どどうど
     どどうど どどう
     どっどど どどうど
     どどうど どどう

     みんなは風の又三郎の風の歌声を口々に唱えた。
     祈りにも似た合唱が起こった。
     力が体の底から湧き上がってくるような、
     独りではないぞという優しい感じ。
     ぼくらはあの日を忘れない。二〇一一年三月十一日午後二時四十六分。


     (終章)
     祈り~明日のために~


     ①
     小さな花 風にそよぐ あの花のように生きたい
     自然のままに 咲いている あの花のように生きたい
     生きるために 生まれてきて 生きる意味さえ判らずに
     死ぬ日のことを思う なにゆえひとは 祈る
     明日のために
     ②
     行く度か 別離を知り あなたの痛みを思う
     今は恨みなど 微塵もなく ただ遭いたいともう一度
     生きるために 生まれてきて 生きる意味さえ判らずに
     死ぬ日のことを思う なにゆえひとは 祈る
     明日のために
     ③
     夢を追う こころも萎え 日々に流され 生きていく
     それでも 命の 焔消せず 掌合わせ祈るだけ
     生きるために 生まれてきて 生きる意味さえ判らずに
     死ぬ日のことを思う なにゆえひとは 祈る
     明日のために

-------------------------------------------------------------------------
何度かフレーズをルフランするところなど、お見事である。 私は「詩の技法」を知り尽くした方だと感動した。

途中をパスしたことをお許しいただきたい。
      
東義久氏の「文」もさることながら、こばやしなおこ氏の「画」が、童話にマッチして何とも秀逸である。
最後に裏表紙の画を、お見せして終わりたい。
ご恵贈有難うございました。 深い感動のうちに読了したことをお伝えしたい。     (完)        

風_NEW

    

        
    
光本恵子『口語自由律短歌の人々』・・・木村草弥
光本_NEW

──新・読書ノート──

     光本恵子『口語自由律短歌の人々』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・鶫書房2019/03.29刊・・・・・・・

先ず、版元の「鶫書房」というのは、「ながらみ書房」の編集者だった爲永憲司氏が昨年、独立して設立されたところである。
この本は、光本恵子氏が「長野日報」紙に二十年にわたって書き続けて来られたものを一冊にまとめられたものである。
その息の長い営為に敬意を表したい。
「口語自由律」の歴史は長い。
この本の「裏・帯」に「本書の主な登場人物」として、ずらっと名前が出ている。
煩を厭わず、書き抜いてみる。

青山霞村/浅野英治/足立公平/井伊文子/石川啄木/石原純/石本隆一/伊東音次郎/伊藤文市/稲村謙一/太田静子/太田治子/大槻三好/香川進/笠木次郎/川窪艸太/川崎むつを/草飼稔/児山敬一/佐藤日出夫/清水信/抄滋郎/逗子八郎/炭光任/高草木暮風/田中収/近山伸/津軽照子/津島喜一/土岐善麿/中野嘉一/鳴海要吉/西出朝風/西村陽吉/長谷川央/花岡謙二/原三千代/平井乙麿/藤井千鶴子/藤本哲郎/古川眞/前田夕暮/松本昌夫/松本みね子/宮崎信義/森谷定吉/柳原一郎/山田盈一郎/六條篤/渡辺順三

なぜ煩を厭わず書き抜いたかというと、私には未知の人が多く、採り上げるのが困難だからであり、せめて「名前」を挙げて敬意を表したい、と思ったからである。

新聞連載という字数の規制があるので、一篇は短い。だから「触れられる」ことにも限界がある。
私が知る何人かについて、極めて「私的」な、かつ、「恣意的」な記述に終始するが、ご理解を得たい。

香川進のこと。
私は短歌を始めて、地元で「梅渓短歌会」というのを作って知人、友人たちに声をかけて二十数名で月一回「歌会」をやり始めた。
その際に、私は国文学徒でもないので、誰か指導者に来てもらいたいというので「地中海」の幹部だった船田敦弘氏を招いたのである。
彼は高校の国語の教師だった。
その縁から「地中海」短歌会に数年所属したことがある。
その時に船田氏宅で『香川進全歌集』に接した。
私は若い頃から「自由詩」に接していたので、香川の「自由律」の処女歌集『太陽のある風景』に注目した。
そこから勧められるままに「香川進の自由律短歌についての私的考察」 (「地中海」誌1994年~1995年)という毎号連載の文章を書かせてもらった。
いま私の手元には、それらの掲載誌が無いので、詳しく検証することが出来ないのを許してもらいたい。
私の論の趣旨は、この歌集の根底には、徳永直の小説『太陽のない街』が、色濃く反映されているという論で、それらを立証しようとしたものである。
この徳永直の小説は、当時のプロレタリア文学の一つの到達点として、高い評価を得ていたらしい。
題名の付け方が、明らかに徳永の本を意識したものになっている。そこに私は着目したのであるが。
それらは勿論ことば足らずで、「地中海」内でも話題にはならなかった。
話は替わるが、香川進というと、前衛短歌華やかなりし運動にブレーキをかけるべく、保守派からの働きかけの先鋒として活動し、角川「短歌」編集部に山本友一を編集長として送り込むなどの策動をしたと言われている。
一年近く、この記事を載せてもらったが、香川進は何の発言も、反論もなかった。読んでいなかったのではないか。
ただ、今でも「香川進・検証」ということが「地中海」内でやられていて、その分厚い本が私あてに送られてくるということは、私の文章が意識されているということだろうか。

前置きが長くなった。
光本氏の本では「口語自由律歌人 香川進」 「歌集『湾』と香川進の逡巡」 という二つの項目の文章がある。
前者は『太陽のある風景』を、後者は『氷原』 『湾』について触れている。
そして、昭和56年の或る会で「宮崎信義の弟子」だと告げると、大きな体と手で私と握手したのであった、と書かれている。

1958年『湾』で第4回日本歌人クラブ推薦歌集(現日本歌人クラブ賞)受賞、1973年『甲虫村落』で第7回迢空賞受賞、1992年『香川進全歌集』で第15回現代短歌大賞受賞。
また「宮中歌会始」の選者をするなど、歌壇では栄達した地位を占めていた、と言えるだろう。
だから香川進は「地中海」内では「カリスマ」的な扱いになっていて、自由な発言が出来ないような雰囲気にあることを、敢えて書いておく。

石本隆一も香川の弟子で、独立してからの彼の結社名も「氷原」であるのも、香川の第二歌集『氷原』の名前をもらったものである。
彼についても「石本隆一のこと」という文章が4ページにわたって書かれている。
角川「短歌」編集長を務めているが、これも香川進の推挙によるものだろう。

高草木暮風断片(一) (二)
もちろん私は彼の歌については何も知らないが、大学に居た頃、人形劇マリオネットをやっていた友人に誘われて、その練習に立ち会ったことがあるが、その会場が高草木暮風の家だった記憶がある。
昭和二十年代のことである。すでに結構な老人であった記憶である。確か「右京区」だっと思う。
「高草木」という名前が特異なので記憶に残っているのである。
彼の歌に関することではなく恐縮するが、いま思い出したことなので書いておく。
この本によると、昭和34年に67歳のときに脳出血で倒れ、左半身不随になり、昭和40年73歳で亡くなった、書かれている。
私が姿を見かけたのは、まだ元気だった晩年ということになろうか。

浅野英治の歌。
彼についても4ページの文章がある。4ページというのが、新聞連載の一回のスペースだったらしい。
彼も独特のキャラクターだった。
私は会ったことはないが、手紙などで何度も文通した。
彼は東京で、喫茶店かスナックをやっていて、そこが文人、歌人の溜まり場になっていたらしい。
光本氏の本によると吉祥寺の「スナック・パピヨン」だという。
彼が自由律の結社として会誌「倚子イシ」を出していたが、この独特の名前を付けたのが玉城徹だと聞いた。
私は、これを「椅子」と書いて、こっぴどく叱られたことがある。
彼は、そういう点で歌人には顔が広く、新年の角川名刺交換会ではあちこち挨拶に回っていたらしい。
宮崎信義は短歌研究社とは懇意であったが、角川編集部には余り縁がなく、浅野英治を頼って、この会にも出たらしい。
その頃の宮崎信義の口ぶりでは「浅野さんは東京では有名人でっせ」ということだった。
とにかく病身の人で、地元の四日市辺りの出版社から次々と歌集を出すのが印象に残っている。
我の強い人で、少しでも彼の言い分に反論すると、とたんに交友を絶ってくるという人だった。

余り長すぎると迷惑なので、そろそろ終わりに入りたい。

「作歌工房─日本の詩歌の韻律に関して」 (「新短歌」誌1996年~1997年)という枠を貰って、この表題で見開き2ページの記事を毎号連載で一年余り書かせてもらった。
いま手元に原本が無いので、間違いがあればお許しを得たい。
この記事を書いているときには、「新短歌」のナンバーツーを自称する川口克己から陰に陽に「嫌がらせ」を受けた。
彼も亡くなった今だから、遠慮なく書くことが出来る。
私が宮崎信義のもとを離れる決心をしたのも、それが原因である。
このような「嫌がらせ」は他にもあったようで、奈良の「潮」の藤本哲郎が「新短歌」をやめたのも、私と同じだったかと思う。
今でも思い出すが、細かい几帳面な字で、びっしりと書いてきたものである。
そんな時も、宮崎信義は、しれっーとして知らん顔をしていて、そんな一面が宮崎にはあったことを書いておきたい。

極めて「私的」な、かつ、「恣意的」な記述に終始したことをお許しいただきたい。
私も卒寿という齢になったので、遠慮なく書かせてもらったことを告白しておきます。 どうか、お許しを。
書き足りなかったことは、後日、補筆することがあるかも知れないので、予めお含みを。
ご恵贈有難うございました。          (完)





久川康子歌集『桜回廊』・・・木村草弥
衣川_NEW

──新・読書ノート──

        久川康子歌集『桜回廊』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・短歌研究社2019/03/22刊・・・・・・・・・

久川康子さんは私には未見の人である。
巻末に載る略歴によると

1944年 新潟県南魚沼市生まれ
2007年 NHK文化センターの「短歌教室」に学ぶ
2011年 「塔」短歌会入会

ということである。短歌を学びはじめてから十年余りで歌集上梓にこぎつけられたのは、著者の熱心さによるものだろう。
この本には三井修氏の10ページにも及ぶ精細な「解説」文がついていて、そこに、すべてが要約されているので、私が改めて付け加えることは何もないのである。
そう言ってしまっては身も蓋も無いので、少し書いてみる。
掲出した画像でも読み取れると思うが、この「帯」文は、この歌集の本質を突いていると言えるだろう。

第一に、この歌集『桜回廊』という題名の付け方が、今の季節ぴったり、である。
今しも、日本列島は「桜回廊」真っ盛りというところである。
第一歌集という晴れがましい本の出版を、この時期に合わせたという、心憎いばかりの配慮に敬意を表したい。
それと共に、この本の大きな主題というべき「妹」さんの病気と死にまつわるのも「桜」と関係があるだろう。
  <桜見るこれが最後とおもふらし手をのべ花に触れる妹>
という歌に代表される一連の作品も「桜」に連なると思うからである。

三井修氏の「解説」の表題は──一枚の布としての歌集──と題されている。
< 久川康子さんとの出会いは、久川さんが、さいたま新都心にあるNHK文化センターの私の教室の受講生になった時だと思う。
 ・・・・・やがて教室は卒業され、特に私からお誘いしたわけでもないのに「塔」に入会され、現在は「塔」北さいたま歌会の中心となっている。 >

と三井氏は馴れ初めに触れている。
これを読んで感じるのは、久川さんが、熱心な歌人なのだな、ということである。
私自身の経験から言っても、この頃が「歌作り」が面白くて仕方がない時期であり、湧くように「歌」が出来る頃である。

   *かすかなるひかりと思ひ新薬を受くると癌病む妹は言ふ
   *死にたいと泣く妹におろおろと受話器をもちかへうんと答へる
   *母の着し小紋に顔をおしあててこれを棺に入れてと妹
   *桜見るこれが最後とおもふらし手をのべ花に触れる妹
   *寄りて来る猫三匹に声をかけ額を撫でやるいもうとの家に
   *ガーゼ交換手伝ひたれば妹の身巡りに立つ濃き臭ひあり
   *オキシコンチン二錠をのむととても楽キッチンに話す妹の声
   *痰をとりまた痰をとる 妹のそげたる頬の温きなり

この本の中で、圧倒的に多いのが、「肺がん」を病む妹さんの闘病と死にまつわる歌である。
ここに、その一端を引いてみた。
末尾から二番目の歌の「オキシコンチン」というのは、モルヒネ系の痛み止めの「麻薬」である。
こんなところに出して不躾とは思うが、私の亡妻もガンと闘病したし、その闘病に私は歌壇とも縁を切って「伴走」したので、よく判るのである。
その前の歌も切ない作品である。「がん臭」というものがあり、ガン末期患者特有の「臭い」である。これも体験した人でないと判らないことである。
まだまだ引くべき歌は多いが、妹さんに関する作品は、このくらいにしたい。

歌の作り方、歌集のまとめ方は人それぞれであって、自由にやったらいいのだが、久川さんは身の周り、眷属、夫のこと、子供たちの事、を積極的に詠っていて好ましいと私は思う。
この人は、一体どういう生活をしているのか、皆目わからない歌作りをする人が、ままあるが、久川さんは詠っている。

   *仕事から離れられずにパソコンと教材かかへ娘が帰り来る
   *生徒達へ賀状書く娘のねむらざるひと夜しんしん 珈琲香る
   *帰れぬと真夜の電話に仕事から解放されざる娘の声ひくし

娘さんは教員であるらしい。それらを詠んだ歌を引いてみた。
教員の身巡りも苛酷である。巷間よく聴くことである。

   *やはらかな三千グラムのみどりごを抱けばうつすらまなこをひらく
   *三日目の赤ちやんにまだ名前無く産まれる前のベビ子と呼ばる
   *あかちやんの目元息子にそつくりと言ふ人言はない人等姦し
   *柔らかき足裏に立ちたるみどり児の視界はふいに開けたるべし
   *幼きが座りたる椅子へそろそろとにほひをかぎに猫の寄り行く

子供さんは二人らしい。この一連は息子さんの子にまつわるものである。

   *まみえたる縄文杉のこと何も夫は語らず二日過ぎても   
   *屋久杉の霊やどるとふストラップ夫購ひきたり病む妹に
   *髪冷えて帰り来たれば明り見ゆ山より夫戻りたるらし
   *一行は八名と言ひ台風の進路へ向かひ夫は発ちたり
   *聖岳も強風圏内登頂はできただらうか ケータイ鳴らず
   *四日目に明日帰るとメールあり湿る道路に無数の落ち葉
   *夫のゐぬ一日はさまざま片づけを思ふのみにて一日過ぎゆく
   *耳遠きことまた忘れ話しかく 気配にふりむくことある夫に

旦那さんは「山登り」が好きらしい。他の歌に、夫との「諍い」のことを詠んだものもある。この程度のことに目くじらを立てることもないだろう。
末尾の二首など、老いゆく夫婦の日常の点景として、微笑ましい。

   *五男なる父五歳までを過ごしし家 仏壇に焚く香の眼にしむ
   *ほんたうの理誰も知らぬらし幼き父のもらはれゆきしを
   *亡き父の実母を知りし人もはやをらぬらしとふ謎めく系図

父にまつわる「系図」のことなどが詠われている。昔は、どこも子だくさんで、かつ、貧しかった。

この歌集の巻末は
   *忘るるといふも大事と内科医のことばは今日の滋養となれり
   *とりとめの無きこと話ししいもうとの声無き四年 夕顔の咲く

とりとめのない鑑賞に終始した。
これは、この本の編集の仕方にも関連すると思う。
こうして書き抜いて、まとめると、或る形になるが、この本を読み進めるだけでは散漫な印象である。
「項目」名の付け方、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ などの「章立て」に名前を付けくわえる、などの工夫が必要だろう。
そのためには今までに他人の出した歌集を眺めて勉強してみることも必要だろう。
つまり「起承転結」ということである。次の本では、そういう工夫を凝らしてもらいたい。
久川さんの作風は「平坦」である。時には感情の赴くままに、歌に吐露してもいいのではないか。
余計な放言に過ぎたかも知れない。お許しを得たい。
ご恵贈有難うございました。才能ある作者の、速やかな次の歌集の上梓をお祈りして、筆を置く。    (完)










小谷陽子歌集『ねむりの果て』・・・木村草弥
小谷_NEW

──新・読書ノート──

      小谷陽子歌集『ねむりの果て』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・本阿弥書店2019/03/16刊・・・・・・・


小谷陽子さんは「ヤママユ」所属の、大阪の人である。
歌集に『光の帯』 『ふたごもり』 ともに砂子屋書房刊があるが、私は未見である。
「ふたごもり」の刊行は2003年であるから、もう十六年も前のことである。
私は歌集を出すたびに贈呈してきたし、年賀状も交わしている仲であるが、親しくは交際していない。
ご病身であられるようで「あとがき」にも書かれている。
小谷さんについては、角川「短歌」2018年6月号の歌「月のぼり来む」12首を私のブログに載せたことがある。 ← リンクになっているので、ご覧いただきたい。

今回の本には2003年から2009年頃までの歌が収録されている、という。
長い間、歌集の上梓がなかったのは「あとがき」に書かれるように、仕方のないことだが、この本に載る歌の後に、もはや十年の歳月が経っているのである。
だから、われわれ読者は、十年前の小谷さんを「読む」ことになる。
ひところは、作品を温めるということで、年数を開けることが多かったが、今どきの「せちがらい」世の中にあっては、こういう編集態度は、いかがなものかと私などは思ってしまう。
事実、最近の歌集の上梓の様子を見ていると、直近の作品まで収めているのが多い。私なども、そういう態度である。
そういう意味でも、小谷さんの次回の歌集は早目の上梓をお願いしたい。
率直な物言いに過ぎたことを、お詫びします。

「月のぼり来む」12首の記事のところでも書いたが、小谷さんは、前登志夫の弟子として、前登志夫の「草木蟲魚」の心に沈潜した域を表白しようとしたように思われる。
ひらがなを多用した歌づくりが独特である。今回の本についても、そのことが言える。たくさんあるが、先ず一つだけ挙げておく。

   *たましひのひびきのままに生れいでしすずしきことば はる なつ あき ふゆ

和歌の伝統に照らして「かな」文字の美しさを強調したのが、身に沁むのである。 秀逸である。

この本の題名の「ねむりの果て」というのは、巻頭に収録されている18首の一連から採られているようである。少し引いてみよう。
   *たましひは舫ひ解かれてただよへりながくながく夕陽を見つむ
   *長月はふかきねむりの果ての朝いづくのだれとわれに問はずや
   *こんこんと雪ふる雪ふるいつのまに「夜色楼台図」の町あゆみしか  蕪村画
   *髻を残してたしか消えしわれあはゆき降ればルージュを引けり

この項目に載る歌から引いた。
「たましひは」の歌は「帯」にも引かれていて、作者にとっても愛着のある一首だろうと思われる。

「ねむりの果て」とは、何を意味するのだろうか。
「あとがき」に書かれている文章を「帯」に編集者が引いている。

       < 一日のねむりの果て、
         一生のねむりの果て、
   自身の底にある記憶や無意識のねむりの果て、
      ねむりの果てに新たなめざめがあり、
       未知の発見があればうれしい。    >

佳い言葉である。 ここに、この歌集一巻の要約が尽くされている、と言っても過言ではないだろう。

小谷さんの住む所は大阪市でも有数の高級住宅地である。
この辺り一帯は「帝塚山」と呼ばれる土地で、万代東のすぐ西には広大な「万代池」公園がある。
それは、さておき、「あとがき」のはじめに、
<子供の頃、私の家は、大阪の上町台地の縁にあった。家から少しばかり西へ歩くと、急な長い石段が下の町に続き・・・・・。
大昔、海はここまで迫っていたという。天気の良い日、よく石段の天辺に座って、眼下の町に沈みゆく夕日をうっとりと眺めた。>
と書かれている。
少し西に行くと「夕陽が丘」という地名のところがあったりする。
こんな歌がある。
   *天王寺西門前のバス停にほうと夕陽を見守る人ら   「ほう」には傍点が打たれている
   *そのかみはわたつみなりき見下ろせる街に今日を触れゆく夕陽
   *墨染めの尼僧ののぼる愛染坂その足首にさくら降るなり
   *くちなは坂われは雪降る天保の夜を逃るるをみないちにん
   *心中塚に礼せしのちを見上ぐれば空をせばめて立つラブホテル

ここにも、いくつかの「坂」の名が出てきたが、いよいよ「地名の喚起力」について書く。
   *ここ粉浜、玉出、姫松、岸ノ里茅渟の海より来る涅槃西風
   *あられうつ路面電車に住吉の弟日娘の末裔も乗らずや
   *姫松を過ぎて住吉鳥居前レールのひびきは潮のひびき
   *ふりむけば海みえしとぞ反橋の頂きに来てくちずさむ和歌
   *すつぽん屋の木札のゆれてうらがへる路地の入口「生血アリマス」
   *大腿筋、二頭膊筋盛りあげて谷町筋の春ゆく力士
   *はしきやし翁のうたの遠里小野へバスにゆらるる霞のなかを

これらの歌からは、私のいう「地名の喚起力」を感得できないだろうか。
大阪に住む人とか、この地を訪ねた人とかには、おなじみの土地であって、だから、これらの歌を読むと、ニヤリとするのである。
これらの歌は住吉大社かいわいの地名が、たくさん詠われている。南海電車に乗っていると、これらの駅名に出会う。
五首目の歌などからは、このかいわいの下町の風景が目に浮かぶようではないか。
今しも大相撲大阪場所の最中だが、谷町筋の辺りにも相撲部屋があったりする。相撲の「ひいき筋」を「タニマチ」などと言うのも、ここから来ているのである。
六首目の歌の「遠里小野おりおの」という堺市へかけての地名なども特異なもので、読者の心の中に長く残るだろう。

全部で426首という膨大な歌群なので多くを引くことが出来ないので、あとは私の心に留まる歌を引いてみたい。

  *病いくつはらむうつし身ぼろぼろの春のおぼろやさてもうつし身
   *全身でわれを見てゐる今日の犬かの夜のひとのまなざしに似て
   *よこたはる犬の脇腹ひとすぢのひかりをのせて低く上下す
   *なめくぢら踏みてしまへる前足の置きどころなく犬に降る雨
   *極月の月の夜犬よ耳立てていづくのこゑを聞かむとすらむ
   *この犬の余命みじかし告げられてひと日ひと日の心つつまし
   *寒の水すくふ舌なりわたくしの掌を舐めくれししなやかな舌
   *全身でわれを見てゐる今日の犬かの夜のひとのまなざしに似て
   *まなざしに恨みを込むる犬なりき雨の日「臭あ」と言ひしときなど
   *夜の扉をへだてて外は木枯らしの内は死にゆくものの息の音

飼っている紀州犬ミサキにまつわる歌を引いた。多く引きすぎたかも知れない。ただ作者の思いがこもっていると感じたからである。

   *平城京右京五条二坊あたりついとなかぞら鳥よこぎりぬ
   *あをぞらの剥がれてゆくよあきつしま盲の鑑真座す寺を出づ

唐招提寺を詠んだ一連の中の歌である。ここにも地名の喚起力を感じることが出来る。

   *むかしむかしあるところにと父の声とほくなりゆきまだ覚めぬ夢
   *おおははの母音のひびきゆるやかに蛇行してくる熊野川原
   *わたくしの生れる前の蒼き楽滝のほとりにめつむりゐたり
   *「行つてきます」「おはやうお帰り」玄関は道祖神のごとくははそはのゐて
   *「もみないなあ」と朝餉の卓にはは言へりそのかみ毛瀰は神の供物ぞ
   *禿頭に鳥の糞のせ歩み来るちちのみの父はた常世神
   *耳しひの父はひらたく眠りゐるこの世のふかき水甕の底
   *病む父にあがなふものは葛素麺葛湯葛切りわがくづのうた
   *ゆつくりと大鳥歩みのおほちちの棚田のほとりをあゆみゆくかな
   *おほははの手にて日に日によみがへる黄金色の糠床ありき
   *粘菌の写真見てゐて肩ごしにあなたのやうとささやかれたり

身近の人々を詠んだ歌を、まとめて引いた。

   *はつなつの四方にひびきてはれやかなうたびと登志夫のうたへる短歌や
   *うぐひすの鳴きそこなひも混じりつつ四月五日も過ぎてしまへり    前登志夫の忌日
   *玄関に履いたであらう大きなるスリッパありぬしづかに揃ふ
   *先生のつむりのかたちを知る帽子グレーのソフトの窪やはらかく
   *大空の干瀬にも差さむ夕あかりひとつしづかな海星を拾ふ   「大空の干瀬」前の本の題名

先師・前登志夫を詠った歌を拾ってみた。
雑駁な、不十分な鑑賞になったが、お許しを得たい。 ゆったりとした「かな」文字の起承転結にたゆたう心地がした。
巻末の歌は

   *「さくら咲く」うたひ出づればみづみづと立ち上がるなりこの世の時間

健康に留意されて、今後ますますのご健詠をお祈りいたします。 ご恵贈有難うございました。    (完)





小西亘『宇治の文学碑を歩く』・・・木村草弥
小西_NEW

──新・読書ノート──

     小西亘『宇治の文学碑を歩く』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・澪標2019/02/10刊・・・・・・・

小西亘氏が新しい本を出された。 ご上梓おめでとうございます。
226ページもの分厚い労作である。
この本の「帯」に東義久氏の文章が載っている。

  <歌碑を舞台装置として、
   これまで蓄積した博識を十二分に発露し
   縦横無尽に時代を紡ぎ駆け巡る。
   それは歴史の実証主義と文学の浪漫がほどよく融合し、
   読み手をいい気分にしてくれる。
   そして、読み終えたとき、宇治の奥深さにもう一度、
   自分の足と目で触れてみたくなる。>

そして、巻末には「『宇治の文学碑を歩く』によせて」という解題の短文が載っている。

先ず、目次を見せておく。

   宇治川右岸を歩く
   塔の島・宇治川左岸の文学碑
   さわらびの道、源氏物語ミュージアム、大吉山(仏徳山)頂上へ
   三室戸・黄檗・木幡へ
   槙島・伊勢田・大久保・志津川へ

これは小西氏が実際に歩いて探訪したルートを示している。

著者プロフィールは以下の通りである。

小西 亘 (コニシ ワタル)

1958年京都府南山城村に生まれる。
1982年より京都府立高校に勤務、現在京都府立南陽高校国語科教諭。
著書: 1996年『注釈青谷絶賛』(発行企画世話人会)
     2004年『月ヶ瀬と齋藤拙堂』(月ヶ瀬村教育委員会・共著)
     2012年『青谷梅林文学散歩』(城陽市観光協会)
     2012年『「月瀬記勝」梅渓遊記』(「梅の月ヶ瀬へ」編集委員会)
     2013年『相楽歴史散歩』(山城ライオンズクラブ・共著)

この本は何年もかけて、資料にも詳しく当たって、裏付けも取って、まとめられた、文字通り「労作」と言えるもので、小西氏の営為に脱帽である。 おめでとうございます。

先ず、文句を言うようだが、私が読んで「違和感」を覚えた点を指摘したい。

本文は、目次に出ているルートを辿るかたちで描写されるが、先ず指摘しなければならないのが、叙述が「です」「ます」調の会話体だということである。
この文体は文芸評論家の中村光夫が取り入れたもので、ひところ真似されたが、小西氏の場合、感じを柔らかくしようとの意図であろうと思う。
普通に見られる「である」調は、文章の冗長さを避ける意味で長年の間に習熟されてきたもので「文章語」として、読みやすいものである。
第二に指摘したいのは、「目次」に見られるように「項目」建てが極端に少なく、宇治の地理に詳しくない人間には読みにくい、ということである。
目次にしろ、本文にしろ、もっと「項目」は細かく立てて、読みやすくする必要があろう。

歌や俳句の頭に丸数字が見られるが、これは文学碑の一連番号らしい。全部で52ある。
これなどは、巻末などに番号順に「文学碑一覧」として書き出すのが親切というものだろう。
著者は、実地に歩いて探訪されたので分かり切ったことであろうが、読者に「著者の歩き」を強いるのは、いかがなものか。
読者は、どこからでも「任意の個所を開いて」読めるという親切さが必要ではないか。
最近よく見られることだが、例えば、マラソンとか駅伝の実況で、解説者のコメントが、ずらずらと長いのは興ざめするのと同じである。
文章は、というか、センテンスは短く、歯切れよく「区切りたい」ものである。
それに、手書きのイラスト風でいいから、文学碑の所在地を示した「地図」がほしい。


先ず「苦情」から述べた無礼をお詫びする。
こんなことを言う人は、先ずいないと思うから、あからさまな、「敢えて」の助言と受け取ってもらえば有難い。

著者の、細かく資料に当る姿勢には敬意を表します。とにかく「実証的」で、私のような感覚的な人間には出来ないことである。
小西氏の勉強ぶりには頭が下がります。

大部の本なので、ほんの一部を採り上げるが、本文の鑑賞に入りたい。
「巨椋池干拓碑」というネットの記事がある。先ず、この記事を下記に引いておく。 ↓

京都府宇治市槇島町一ノ坪(巨椋池土地改良区事務所内)
建立年 1942年
建立者 巨椋池土地改良区
寸 法 高360×幅150×奥行30cm
碑 文
[西]
巨椋池干拓之碑【題額】
此地モト巨椋池ト称シ往古宇治木津桂三川ト連レル一大湖沼ニシテ後世漸次改修ヲ経シモ明治中期マデハ沿岸」
一帯ノ水禍連年絶エズ尋イデ同四十三年淀川改修ニ因リ独立ノ一沼沢トナリシニ災害尚終熄セズ而モ水運魚獲」
ノ利益ハ失ハルルコト多キニ到レリ土地ノ先覚者夙ニ之ヲ憂ヘ大ニ其根本的干拓ノ急務ナルヲ論ジ初メ府営ヲ」
冀ヒシモ果サズ是ニ於テ干拓期成同盟会ヲ興シ現地ノ自営ニ頼ルノ已ムナキニ及ビ又幸ニ 昭和ノ御代ニ入リ」
国営開墾ノ議起ルヤ好機ヲ逸セズ万難ヲ排シ一意之ガ実現ニ努メシ結果同四年帝国議会ニ豫算ノ通過ヲ見更ニ」
幾多曲折ノ後漸ク同七年二月本池施工ヲ決定セラレ十一月耕地整理組合ヲ結成シ翌八年六月起工ノ運ニ会ヘリ」
爾来八年有餘ノ歳月ヲ閲シ同十六年十一月竣工ヲ告ゲ遂ニ多年ノ宿望ヲ達スルヲ得タリ而シテ干拓事業ノ経営」
ハ政府ト京都府ト組合トノ三者協力ニ依リ経費ハ国庫及ビ組合ノ支出ニ係リ合計三百四十二万四千餘円ヲ算シ」
以テ干拓田六百五十町歩及ビ周囲既耕地改良一千餘町歩ヲ得タリ
抑モ巨椋池ハ古ク万葉集ニ其名著ハレ爾後文人墨客ノ来遊相継ギ沿岸亦史蹟ニ富ム近年天然記念物ニ指定セラ」
レシむじなもノ如キ水藻ヲ首メ各種鳥類魚族ノ一大繁殖地ニシテ周辺住民ハ祖先以来其恵沢ニ浴スルコト尠カ」
ラザリキ即チ累年ノ水害ニモ屈セズ恒ニ郷土ノ風物ヲ愛護シ伝統ノ生業ヲ継紹シテ以テ現時ニ及ベルモノ洵ニ」
故アリトナス吾等此地ニ生育シ親愛ノ情浅カラザリシニ今ヤ地勢ト景観トノ一新セルヲ望メバ懐旧ノ情甚ダ切」
ナリ而モ滄桑ノ変ニ深ク 聖代ノ餘徳ヲ感ゼザルヲ得ズ況ヤ 皇国未曾有ノ時局ニ直面シ食糧増産ノタメ干拓」
地域ノ利用多大ナルヲ惟ヘバ吾等ノ光栄ト欣悦トハ文詞能ク尽スヲ得ザル所ニシテ住民積年ノ艱難ト奮闘ト亦」
初テ報イラレタルニ庶幾キヲヤ即チ上下内外ニ亘リ関係各方面ガ一致協力ノ賜物ナルヲ顧ミテ向後一層ノ人和」
ヲ計リ粉骨砕身厚生ニ資シ以テ時局克服ニ貢献センコトヲ期セザル可ラズ乃テ蕪文ヲ撰シテ大要ヲ叙シ之ヲ後」
昆ニ伝ヘント欲ス細事ハ別ニ巨椋池干拓誌ニ詳ニス
昭和十七年十一月
農林大臣 井野碩哉篆額 巨椋池耕地整理組合長 池本甚四郎撰文 松窓吉田芳男書」
[西]
巨椋池干拓摘録
一工事直前ノ巨椋池 周囲四里 面積八百町歩 水深平均三尺
一起工 昭和八年六月 竣工 昭和十六年十一月
一開墾干拓事業費 参百四拾参万四千円
一成功反別 六百五十町歩 既耕地改良 一千三十四町歩
一主ナル関係者
創業期
池本甚兵衛 玉井源次郎 藤田為治郎 山上歌吉 奥山仙造
田村秀太郎 内田又右衛門
久世郡長後藤善二 京都府技師樺島多賀助 同高橋藤五郎
施工期
国営事務所
所長可知貫一 狩野直* 高橋嘉吉
京都府
知事斎藤宗宜
耕地課長樺島多賀助 地方技師宮本憲象
干拓事務所長石垣茂市 金子武馬 樺島多賀助 奥田一郎
耕地整理組合
組合長玉井源次郎 山田賀方 池本甚四郎
-----------------------------------------------------------------------------
長く引きすぎたかも知れないが、ここには巨椋池の概要が詳しく書かれている。
宇治川、木津川、桂川という三川合流地にあって、それらの川の「遊水池」として機能していたのである。
水深は平均三尺(約1m)とあるから浅い池であった。
それが三川の改修によって高い堤防が築かれ、「内水」池となって水質が悪くなった様子が読み取れる。だから「干拓」となったのである。

さて、本題の文学碑のことである。

    鳰浮いてなごりの池の夕茜    水也

この句碑は平等院の傍の宇治市観光センターの敷地内にあるという。小西本63ページ。文学碑の一連番号では⑫となる。
これは、先に、くどくどと引いた文章の中に出てくる「池本甚四郎」の句である。「水也」が彼の雅号。
干拓という水にまつわる仕事に精魂を果たした人として、この雅号は、ぴったりである。
いま検索してみたが、Wikipediaには登載されていないが、京都府議会議員から国会議員として京都二区から出て当選している。戦前のことである。
彼は小倉村の出身で、父親の後を継いで干拓に尽力したとあるので、小倉村の有力者だったろう。
小倉村は巨椋池の周縁部にあって、水が増水しても、ここまでは漬かなかった。
昭和28年に淀川が決壊して、辺り一面が元の巨椋池に戻るという災禍があったが、そのときも、この地域は水に漬かなかった。
小倉村久保 という集落には今でも丸久小山園、山政小山園、共栄製茶などの豪商の抹茶専門の茶問屋が軒を並べている地区だが、これらの店の旦那衆は余技として俳句などを嗜んだ。
池本甚四郎も、そのような系譜に連なるのだろうと推察できる。

この句の載る原本は、池本氏の『句日記』昭和23年の項にみられる、とあるが、そこでは

    鳰浮いてなごりの池の夕

と出ているという。 これは本にするときの活字の拾い間違いによる誤植だろう。
私は家業の商売の「山城園報」というパンフレット制作の関係で、幼い頃から印刷所に出入りしていたが、活版印刷の場合、活字は「部首」ごとに整理されている。
だから「茜」という字は「草冠」の部首に入っている筈なのだが、拾うときに間違って「日」偏の「晒」という字を拾ってしまったか、活字を仕舞うときに間違って「茜」の棚に戻してしまったか、である。

とにかく、小西氏の検証は綿密で、行き届いていて敬服するばかりである。
本文に何も触れない、という無礼を免れる意味から、この池本氏の句だけ引いておくので、お許しいただきたい。

この本の趣旨とは離れるが、小西氏は南山城の名士であられて、あちこちに文章を書いたり、講演したりなさっている。
その中で、下記 ↓
JA京都やましろ「やましろ探訪」南山城文学散歩⑪」

の記事を見かけたので、読んでみてほしい。全部で⑫のシリーズものである。
赤字の部分は「リンク」になっているので、クリックして読んでください。

碌な本文の鑑賞に入ることなく終わるのは逡巡するが、本文の鑑賞は、詳しい人の解題に待ちたい。
不躾な物言いをお詫びします。私の真意をお汲み取りください。有難うございました。   (完)


岩井久美子歌集『峠のうた』・・・木村草弥
岩井_NEW

──新・読書ノート──

     岩井久美子歌集『峠のうた』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・ながらみ書房2019/01/29刊・・・・・・・

標記の本が贈呈されてきた。私には未知の人である。
短歌結社「地中海」昴グループ所属で、巻末の「あとがき 1」に松永智子さんが書いているので、松永さんが指示されて届いたものだろう。
松永さんには以前に親しくお世話になったことがあるからである。
この岩井さんのことは巻末に載る住所以外は何も判らない。
最近は、どの結社の人でも、生年月日も年齢も勤め先も、何も書いてないことがある。女の人に多い。
こうして歌集を出すということは、半ば「カミングアウト」することであるから、そういう風潮には、私は疑問を呈しておく。
「あとがき 1」の冒頭で、松永さんは、こう書く。

<日常的に己を語ろうとしない岩井久美子。>

まさに松永さんは、作者の本質を捉えている、と言えるだろう。
しかし、「短歌を作る」という営為は、すでに自分を曝すということであるから、変な「秘匿」は、歌を作る上からもプラスにはならない、と私は思う。
岩井さんの特徴は「口語うた」だということである
今では「口語うた」は珍しくないし、「口語うた」は歌壇の中に定着したと言えるが、口語、文語混じりの歌、というのが大半である。
だが、岩井さんは、徹底して「口語」である。
文脈こそ57577の「定型」にほぼ沿った歌作りになっているが、「口語うた」に徹底している。
それは「口語自由律」の運動とも違っている。
私は、岩井さんの歌で、「口語うた」の新しい展開を見た、と実感するのである。

この本の鑑賞に入って行こう。
掲出した図版から読み取れると思うが、この本の「帯」の文章は、この歌集の本質を的確に捉えていると言える。
作者は山陰地方の海沿いで生まれ、今は地中海に面した海沿いに住まいする。
その中国山地の「峠」というものが作者の心の中に存在する。 「峠のうた」と題された所以である。

*桜咲く城跡にたつ学舎 たしかにわたしは青春を生きた
*くにざかい峠をこえればふるさと 満開の桜ことしふたたび
*ふるさとは山のむこう吹きわたる風が冷たいこのくにざかい

「峠」の歌はいくつもあるが、その中から、この一連を引いておく。
作者が学んだ学舎のこと、作者の青春などが、浮かび上がってくる。

巻頭の歌は「夏の焚き火」と題される。
*「お手伝い」祖父母に並び田の中に立ってわが子の挙げる泥の手
*六時間峠越えれば田の中に母が草とるわたしのふるさと
*日のなかの太い揚羽の幼虫莢だけ残し胡麻の葉を食う
*ふり向いてみる人のない夏の焚き火高高と天に燃えあがってゆく

こうして故郷の景色を巻頭に置いたというところに、作者の故郷への執着を読み取ることができるだろう。

作者には二人の子があり、男の子、女の子らしい。
*おおかたの予想の外れ女児を産み誰にともなくするVサイン

恐らく作者は女の子が欲しかったのだろう。だから「Vサイン」というのが微笑ましい。

*はいはいで部屋を出てゆくみどりご 必ず一度止まりふりむく
*手袋とバッグをかごに積み込み小さな自転車が待機している
*幼子が寄せてくる頬の柔らかさ噛んで確かめるわたしは母親
*「事故るなよ」毎朝同じ夫の声腹も立たず飽きもせず聞く
*玄関に子ら争ってわたくしを迎える足音しあわせの音
*じゃれあって帰る子ふたり赤と黄の小さな傘が離れては寄り

子供たちと夫との愛に満ちた歌を引いてみた。
職場を詠った歌は無いが、作者は教員であるらしいが、詳しくは詠われない。

*アパートに帰り着いたとメールあり息子を見送り二時間の後
*夕ぐれの空に大きい白い月 息子はひとり異郷に暮らす
*軒下に残したままのオートバイに年あらたまる主なきまま
*ひとつ家に暮らしてはや十九年「ふうん」と夫は新聞を読む
*朝からの雨ふりつづく秋の夜夫も娘もまだ帰らない

幼子たちを詠んだ日々が経過して、こんな日々が今となった。それらの日々が哀歓ふかく歌にされていて秀逸である。

*抱きとれば赤子の体やわらかく日暮れの空は濃い茜色
*下の児を抱きとるあいだ上の児は園庭に待つ小さなその傘
*夏の日のビルの谷間をとおりすぎ浜離宮に聞くこの蝉の声
*「ちょっと待て」幼子二人に声をかけ中腰になり写真撮る夫
*子や孫を見送りその後ひとり飲むテイクアウトのコーヒーの味
*めずらしく夫の呼ぶ声指をさす東の空に消えかけの虹

このようにして、子供たちも成人して旅立って行った。この本の中に歳月の経過が、鮮やかに顕ち上がるのである。
そして、巻末の歌は

*雨あがり雨戸開ければ靴脱ぎにインパチェンスの赤い花びら

大した波乱万丈もないまま、一巻は終わりを迎える。
平穏な日々を描いた歌集であった。 拙い鑑賞を終わる。 ご恵贈有難うございました。   (完)



浅田高明『私の太宰治論』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       浅田高明『私の太宰治論』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・文理閣2019/01/30刊・・・・・・・


浅田高明氏から標記の本が贈られてきた。 赤字の部分は「リンク」になっているのでアクセスされたい。

この本は『探求太宰治「パンドラの匣」のルーツ・木村庄助日誌』 1996年  に次ぐ、太宰治研究としては五冊目のものである。

私と浅田氏との「なれそめ」は、浅田氏が私たちの長兄・木村庄助と太宰治との研究のために、当地にある昔の「傷痍軍人・京都療養所」─今の国立南京都病院に勤めていた某医師と同道して私宅を訪問されたことに始まる。
太宰治と木村庄助との関係は太宰治全集などで公知のことなので、ここでは繰り返さない。
太宰治関連の資料は、次兄・木村重信の方にあるので、そのことを伝えて兄宅に行ってもらったのだが、浅田氏が書かれた本の写真などに「間違い」があるのを指摘して、訂正してもらった、事ぐらいしか、私は関与していない。
後に兄・重信が「木村庄助日誌」─『パンドラの匣』の底本を復刻出版したときの解説を書いてもらったのも浅田氏である。
太宰治の研究者は何人も居るが、『パンドラの匣』に特化して実地に研究したのは浅田氏だけである。

この本の「あとがきに代えて」の中で
<在野研究の第一人者「太宰文学研究会」会長・長篠康一郎氏、木村庄助ご実弟で原始美術研究家の大阪大学名誉教授・木村重信氏、太宰治文学研究の泰斗・神戸女学院大学名誉教授・山内祥史氏の三先生には、今までに種々、格別のご指導教示を賜りましたが、惜しくも近年相次いでご他界されました。・・・>
と書かれている。
その浅田氏も心臓と腎臓に病を持たれて療養中で、病院のベッドサイトにPCを持ち込んで、この本の執筆と校正などをやられたそうである。
この本に収められた原稿は、あちこちに書かれたものを、まとめられたもののようである。まさに浅田氏の研究の集大成と言えるだろう。厚さ5cmにも及ぶ大部の本である。
「木村庄助日誌」─『パンドラの匣』の底本 を兄・重信が出した際には、私も校正の一端を担ったことがあるので、思い出ふかいものがある。
浅田氏は私と同じ1930年生まれ、本年「卒寿」となられる。病を癒やされ、お元気になられることをお祈りする。
中身に立ち入ることもなく恥じ入るばかりだが、ここに紹介して御礼に替えたい。 有難うございました。
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(追記2/5)
浅田氏からメールが来た。 旧メールは廃止されたので、新しいメル・アドである。
病床で「動く頭と指だけで書きました。遺書のつもりで書きました。疲れました。」と書いてある。
何とも、壮絶なメールである。
私の二通の手紙を見てくださったのである。 ご養生専一に願います。




井奥成彦/谷本雅之編『豪農たちの近世・近代─19世紀南山城の社会と経済』・・・木村草弥
井奥_NEW

──新・読書ノート──

     井奥成彦/谷本雅之編『豪農たちの近世・近代─19世紀南山城の社会と経済』・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・東京大学出版会2018/09/25刊・・・・・・・

浅田周宏氏から、この本を恵贈された。厚さ3センチもある分厚い学術研究書である。定価9200円。
これには、いきさつがあるのである。
Wikipedia 『浅田家文書』という江戸時代からの豪農・浅田家に伝わってきた文書が、東京大学経済学部に保管されていて、学者たちが、それを読み込んでさまざまに研究し、その成果を発表してきた。
その続編の研究成果が、この本である。上の「赤字」になっている部分は「リンク」を意味します。アクセスして、ご覧ください。
この本の前編になる本を頂いて、私が執筆したのが、上に挙げたWikipedia なのである。

この本を読み込んで、当該部分に書き加えた。
それは、第2章 「豪農・浅田家の資本蓄積」(石井寛治) からの抜粋である。

<天明期に領主・津藩による苛酷な負担に苦しみ経営難に陥っていた西法花野村の豪農・浅田家が、
 堺屋・八木家からの金融により苦境を凌ぎ、在方肥料商人として地域への安価な肥料の導入に努めたことから、
 地全体の生産力向上をもたらし、浅田家の手作・小作経営の収益を押し上げて資産を蓄積した。>

この本自体は、他にも言及する膨大なものであるが、浅田家に該当するものに限定して採り上げた。
ここに書かれる「堺屋・八木家」は、木津川対岸の木津の街にあって、木津川舟便を束ねる問屋として、水運がらみで自己資本の蓄積を重ね、当該地域の「豪農の中の豪農」に成長した、と書かれている。
この本では、「豪農」と書かれているが、私は水運に関わる「商人」だというのが正しいと思う。
その蓄積した資金で、農地を取得して「地主」となっていたとしても「豪農」というのは、違うのではないか、というのが私の意見である。
浅田家のように「農地経営」に専念するのが「豪農」というのが正しい、と思うが、いかがだろうか。
この八木家だが、明治になって「鉄道貨物便」が発達してくると、雨や嵐などの天候に左右されないので、船便は廃れ、従事していた人々は廃業していった。
八木家も、木津を離れ、子孫の人は学者の道に進まれた、と書いてある。

私宅は分家なので直接の関係はないが、「本家」は小さいながらも木津川船便の問屋をやっていたが、鉄道便に負けて「離散」し、どこかへ行き、本家の墓は私宅が管理している。
時代の移り変わりというものは、かくも苛酷なものである。
この本を頂いた機会に、敢えて書いておく。
ご恵贈有難うございました。


映画脚本×原作小説・高林陽一/東義久『夜が明けたら』・・・木村草弥
夜_NEW

──新・読書ノート──

     映画脚本×原作小説・高林陽一/東義久『夜が明けたら』・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・澪標2012/04/20刊・・・・・・・

敬愛する東義久氏から、この本が贈られてきた。

前半が高林陽一の映画脚本であり、真ん中にシナリオ化にあたっての高林氏の文章が、映画化に至るまでの東氏の文章などがあり、後半が原作の小説である。
高林陽一 ← についてのWikipedia を出しておく。
この小説は、旧「関西文学」に載ったもので、新「関西文学」の発行にあたられたのが澪標社長・松村信人氏という因縁になるらしい。
それに二人は奇しくも昭和24年生まれというらしい。

私は映画が好きということもない無芸な人間で、高林陽一という名前は聞いたことがある、というに過ぎない。
画像に出したのでも読み取れると思うが、「帯」の大林宣彦の文章が、この本ならぴに映画の特徴を表しているようである。
私は学生の頃─終戦直後のことであり、フランス映画を毎週のように京極辺りの映画館で観ていた。
戦争中に、かの地で上映された旧作や、戦後に封切られたものなど、さまざまであった。
アメリカ映画は好きではなかった。

この映画を撮られた頃、すでに高林氏は80歳になられていたようである。
Wikipedia を見てみると、この本の出た年の夏に亡くなっておられる。
この本の中でも、年老いた老人の顔として写真が出ている。
Wikipedia によると 1931年生まれとあるから、私とは1歳若い。

この本の要約などは不可能である。 
したがって、ここに書けることも、何もないのをお許しいただきたい。

この頃、東氏は地方公務員をしておられたらしい。
今は絵に因んだ童話の本を書いたりしておられる。
当地、南山城においては名士として知られている。
旧著をいただき、これからも精力的に「新作」をモノにされるようお祈りするばかりである。
有難うございました。




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