K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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詩誌「カルテット」第3号から・・・・・・・木村草弥
カルテット_NEW

     詩誌「カルテット」第3号から・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

編集発行人・山田兼士の詩誌「カルテット」第3号が恵贈されてきた。
その中から独断的に引いて、ご紹介する。
今号から同人以外の詩人が招待されることになった。 画像にも出ている人たち他である。 少し引く。

     ちょうちょ         高階杞一

  ちょうちょを見ていると
  次はちょうちょになれたらな
  なんて思えてきます
  誰にいやがられることもなく
  誰のじゃまもせず
  ひとり
  草木のあいだを舞っている
  そんな
  ちょうちょにも
  たぶん
  生きる苦労はあるんだろうけど
  それでも 次に生まれてくるときは
  ちょうちょがいいな
  と
  思えてきます

  春の終わり
  余白のような午後

  縁側にひとりでいると
  目の前の
  小さな庭が
  どこか遠い草むらと  
  つながっているように思えてきます
-----------------------------------------------------------------------------
いつもながらの高階さんのメルヘンっぽい詩である。
終連三行の詩句
<小さな庭が
  どこか遠い草むらと  
  つながっているように思えてきます>
が秀逸である。

       あわいつみ       江夏名枝

  夢の中では母音が書けない。

  鏡はいつも孤独で、夢のひわいろを絵画のように吸う。
  いくつかの数式が溶けている壁の彩度、夢にはわたしを感じる暗闇がない。

  繋留する、紙の舟。夢の水より軽い舟。

      (中略)

  重ねあわせても混じりあわない破片。

  昨晩はとても疑り深いひとに、ひとかけらを渡した。
  どうしたら、あなたの誇りを守れるだろう。
---------------------------------------------------------------------------------
萩原朔太郎記念とおるもう賞に輝いた江夏さんの近作である。
「あわいつみ」とは「淡い罪」のことであろうか。 それを、ひらがな表記にするところに彼女の意図がある。

      アベローネとともに       山下泉

  罌粟つぶのかわいた味に耳すますどこか下草を踏みしめたとき

  いつか作った日課表に会う 偶然を宿命にする遠きソノリテ

  ブリオシュを指に割くとき青みたる麦そよぎいる箸墓おもう

  おりにふれ空に正坐をする雲はアクロポリスの列柱のいろ

  アベローネと二度呼びかける声があり声のかたちにふりむく虚空

  まんじりと古壁画ぬけて古街道あかるい闇のなか泛かびゆく

  ふたかみやま雌峯を根から見あげいる古き眼差しに手繰られながら

  石窟に冬のみどりの影ひらき仏陀の頬のふくらみ削る

  冬の枝灰のねむりを覚ましゆく桜色の灰受けとめるため

  われはわれのききみみずきん手を垂れて夜の大樟の真下に立てば
-------------------------------------------------------------------------------
いつもながらの山下さんの短歌ぶりである。
ここに言う「アベローネ」とは、
<アベローネ、僕はあなたについて語りたくない。僕たちが互いに欺いていたからではない。
あなたが忘れたことがない一人の男をあなたがあの頃も愛していたからでもない、愛の女性よ、そして、僕がすべての女を愛してきたからでもない。
言うことには不当しか生じないからなのだ。 (マルテの手記)>
というリルケの詩句の女性、を指すものだと思う。.山下さんはリルケに私淑した高安国世に学んだのである。

他にも引くべきものがあるが、今回は、この辺で紹介を終わりたい。 有難うございました。



浅井和代「まだみつからない」12首・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     浅井和代「まだみつからない」12首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・藤原光顕・編集「たかまる通信」106号2017.4.1.所載・・・・・・

        まだみつからない      浅井和代

  私に逢うと哀しくなる そう言ってあなたはまた逢いに来る
  ふたりでいると子供みたいな人ポケットのゴミまでサラケ出してしまう
  やさしすぎるといわれた日は遠く掌にかくれる傷あと
  恋愛と結婚のちがい漸くわかりじゃがいもの皮いつもより厚くむく
  窓から青いセーターの腕を伸ばし風を掴まえそうな三月
  アネマネの花びら風に揺れて女である喜びふくらんでくる
  オレンジの種ナイフに突き刺さりまたひとり友が母となる夏
  秋の陽射しの電車に揺られて美しい嘘をさがしに出かける
  あわてる兎をみつけられない八月喫茶「アリス」の前にマンホール
  誰かがきっと嘘をつく金曜日都会(まち)で透明な地球儀が売れる
  恍惚とひげを剃る男が戦争という厄介を思いつく
  いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり     (「新短歌選集」「年刊新短歌」より)
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敬愛する藤原光顕氏から「たかまる通信」106号が送られてきた。
藤原氏の新作は、ご自身の闘病のことが綴られているが、生々しいので詩作品としては、いかが、と思い、この作品群を載せる。
この作品の右上には<SHINTANKA 1988~ CHRONICLE >の表記があり、「過去記事」の再録と知れるが、佳い歌だと思って頂いた。 ご了承を得たい。
この一連は、今よく見られる事実をズラズラと連ねただけの歌ではなく、一時期の「新短歌」のようにエスプリが効いて素敵だ。
戦前の一時期の宮崎信義のモダニズムの作品のように心地よい。これぞ詩だと思う。 「寓意的」でもあり秀逸。
「アネモネ」のことを「アネマネ」と表記するなども時代を感じさせる。

ご恵贈ありがとうございました。 
(お断わり) いつもは「藤原光顕の歌」というジャンル分けで載せているが、今回は藤原作品ではないので「新・読書ノート」のジャンルにした。ご了承を。


  
佐伯圭子詩集『空ものがたり』・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       佐伯圭子詩集『空ものがたり』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・編集工房ノア2017/03/01刊・・・・・・

佐伯圭子さんは、香山雅代さんが主宰する詩誌「Messier」の同人であるが、私は名前は知ってはいるが未知の人であった。
ご本人の経歴なども一切判らない。香山さんから恵贈されてくる「Messier」誌上で作品を拝見するのみであった。
昨秋に「Messier」48号をいただいたときに初めて拙ブログで採りあげたのを香山さんか、同人のどなたかが見てくださったのであろうか。
それが今回の佐伯さんの詩集の贈呈になったものと思われる。有難く拝受して、ここに鑑賞して紹介する次第である。
この本は「あとがき」も何もないものだが、既刊の本の名前が出ているので、ご紹介する。

佐伯圭子
日本現代詩人会会員
兵庫県現代詩協会会員
ひょうご日本歌曲の会会員
兵庫県芸術文化団体「半どんの会」文化賞受賞
詩集『今、わたしの頭上には』1989年 蜘蛛出版
詩集『風祭』1999年 編集工房ノア
詩集『繭玉の中で息をつめて』2013年 思潮社
詩誌「Messier」同人

この詩集には28篇の詩が収録されている。 二、三引いてみよう。

        塔の上       佐伯圭子

  あの日 塔のてっぺんに昇った
  足もとは濃い霧がかかって懐かしい街が霞んで見えた
   
  もう共に居て温かいものを口に運ぶことは無いが
  夕空に煌めき始めた星を一つ二つと数えてみることは出来る

  目の前に塔の高みが見えたから
  昇って行こうとする意思が働いた

  空に向かって昇っていくことは
  空の底へ落ちていくこと

  もう暗い螺旋階段を昇ることも無い
  立ちつくす塔の上まで来たのだから

  ちりぢりになることは 軽くなること
  宇宙の粒子になること

  風だろうか わたしをここへ運び
  塔の上に押し上げたのは

  押し上げられながら 汗して歩いた道のさまざまの
  匂いが立ち昇って来るのを知る 足もとまで

  街の騒めきの隙間 少女らの声が
  まだ整わないままふくらんでいる

  激しく揺れた街まちが 失ったものを抱えたまま
  光りながら放射状に 拡がっていく

この詩は巻頭に載るもので、先に書いた「Messier」48号にも載っていたものである。
巻頭に置かれたということは作者にとって愛着のある一篇なのであろう。
もう二十数年前になるが阪神地方を襲った震災の記憶に連なるものであろう。
「塔」とは、どこでもいいが、例えば、神戸ポートタワーと仮定してみても、いい。
  <激しく揺れた街まちが 失ったものを抱えたまま
    光りながら放射状に 拡がっていく >
という終連の配置が秀逸である。

一つ置いた後の詩に「空中に置いた片足」という題の作品があるが、これも巻頭詩につづくものであるし、「アナーキーなことばが」という詩も同様である。
次に、この本の題名になっいる詩を引く。

       空ものがたり       佐伯圭子

  いつもの夜の散歩道
  いつもの歩道に
  いつもの空
  なのに
  今日のこの空は
  しっかり頭上を覆っていて
  わたしの命の被布のよう
  いつもの独りの散歩道
  十三夜の月わ飾って
  豆名月ね
  栗名月とも言うのですね

  満月じやなくてもいいさ
  と 空の語っていて
  今日はわたしたげの空と言ってもいい?
  訊くと
  今夜はあんただけの空さ
  と おおらかな返事が返ってきた
  今 ここに在るのは
  空とわたしはだけ

  何時ものわたしの散歩道
  もう現世(このよ)ではないような
  この一瞬の 不確かな
  宇宙の風のその下で
  今年はじめての秋虫の音に送られて
  バスが一台通っていった
  下車したひとが散らばって
  それぞれどこかへ帰っていく
  
  今日の夕べの空ものがたり
  いつもの独りの
  散歩道

佐伯さんは、いつも夜に散歩されるらしい。
私は早朝に朝日を浴びながら歩く主義である。体内時計のリズムは朝日と共に目覚めるので、それに従いたい、という考えに基づく。 人それぞれで、いい。 閑話休題。

先に著者の経歴を紹介した中に「ひょうご日本歌曲の会会員」というのがあるが、香山雅代さんもやっておられる。詩に音楽専門の方が曲をつけて歌曲にする、というものである。
何と奥ゆかしい趣味であろうか。 そんなことから「歌曲のために」と付記されている詩を引いておく。

        黒い手袋        佐伯圭子

  冷たい空の下
  ふんわり包まれ 触れ合っていた
  なのに どこかで
  失くしてしまった片方の手袋

  まだ新しい 心地よい手触り
  お気に入りの黒い手袋
  今頃どこかの寒い道
  暗くなった空の下で
  相棒求めて
  ひっそりと

  ああ 雪が降ってきた
  心はどこまでも追いかけるけれど
  あのぬくもりは もう戻らない
  遠のいていく
  黒い手袋の記憶
  微かなその手触り              (歌曲のために)


この詩集全体の題が「空」ものがたり、とあるように、収録される詩が、みんな「空」と関係があるようである。
だから「空ものがたり」と題された佐伯さんの意図を汲み取ることができるのである。
散歩しながら「空」を眺めておられる佐伯さんの姿を思い浮かべていた。

引く詩が少なくて申し訳ないが、引用は、このくらいにしたい。
佐伯さんの詩は、いわゆる「現代詩」のような難解なところはないので読みやすい。 皆さんも、せいぜい鑑賞されたい。
ご恵贈に感謝して、ここに紹介した次第である。 これからも益々のご健詠をお祈りして、筆を置く。 有難うございました。   (完)
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この本の発行元の「編集工房ノア」というと、社主の涸沢純平とは私も旧知の仲であり、また先日亡くなった私の兄・木村重信の編集により『木村庄助日誌』─太宰治『パンドラの匣』の底本を先年刊行したのでアクセされたい。





木村弥生の俳句・・・・・・木村草弥
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 ↑ 合同句集「南東俳塵帳」平成九年七月吉日刊
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──新・読書ノート──

     木村弥生の俳句・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・「南東俳塵帳」平成九年七月吉日刊・所載・・・・・・

亡妻・弥生は生前、南部コミセン(コミュニティ・センターの略)で開かれていた中島巴旦を講師とする「あらみ句会」で俳句を詠んでいた。
この合同句集は発行されたときに見せてもらったので、その存在は知っていた。
弥生が亡くなっても、彼女の遺品整理などは一切していない。
クローゼットが手狭になったので少し衣類を捨てただけである。
この本はダイニングのアイロンをかけたりするテーブルの前の本棚に収められていたのを引っ張り出してみたのである。
中島巴旦は他に「巴句会」の講師もしていて、この句集は「あらみ句会」と「巴句会」の合同句集ということである。
掲出した画像に見られるように中島巴旦が毛筆で書いたものを転写したものである。
「序」に、当時の城陽市文化協会理事長・奥田敏晴の文章があるが、彼こそ今の市長ということになる。
講師の中島巴旦も数年前に亡くなっており、その孫・中島有佳里さんが司法書士になっており、先年、私方のアパート─メゾン・ド・マルスの保存登記の際にお世話になった。
現在はお婿さんを迎えられ、お婿さんは中島姓を名乗っておられるとのこと。これも奇しき因縁というべきであろう。

この本には弥生と親しかった島本順子さん、私と一緒に短歌会に居た甲田啓子さんや神内周子さんの名前も見える。島本さんも亡くなって早や数年が経つ。
会員一人に十二句づつ収録されている。講師の中島巴旦だけは十八句である。

弥生の句を全部、書き抜いてみる。

        畦道       木村弥生

     万歩計四角に歩く春の畦

     菖蒲田に小さき角芽押し合ひす

     畦に沿ひ早苗の列も曲りゆく

     幾重にも茶畑のうねり迫り来る

     亀甲の竹に五月の光り触れ

     松の芽の千本立ちに風少し

     梅雨明けのクレーン動いて空狭め

     水桶にゆらぐ白さの豆腐切る

     風の道探して葱の苗掃除

     踊りの手下向き加減風の盆

     きらきらと穂の上泳ぐ金銀糸

     息白し一人走れば皆走り

当然、講師である中島巴旦の添削がされていると思うが、素直だった弥生らしい俳句である。
弥生は都会生まれだったが、田舎に嫁いできて、私の母から農作業の手ほどきを受けて、菜園の仕事を楽しんでやっていた。
力の要る土の掘り起こしなどには、どしどし私をこき使っていた。
農作業というのは植物が日々に成長して成果を生むので面白いもので、弥生も、その魅力に執り付かれていたようである。

<万歩計四角に歩く春の畦> の句は面白い。万歩計とあるから散歩の情景だろう。
万歩計に歩数を拾われるので、歩くときも四角く歩くように努めるという微笑ましい情景が詠まれている。

<風の道探して葱の苗掃除>の句について少し解説してみよう。
ネギは梅雨の頃に掘りあげて日陰に吊るしておく。
この句の季節は九月はじめである。当然まだ残暑が厳しいから、風の通る涼しいところを選んでネギ苗の枯れた部分を削いで掃除をする。
その苗を畑に定植して秋のネギが育ってゆくという算段である。 この句には、そういう経緯が詠まれているのである。

島本順子さんの句を少し。

     子の婚をまず書き入れて初暦

     春うらら行きも帰りも歩きます

     地下道を出てコスモスの風に遇う

     嫁がせて娶らせて年終りけり

甲田啓子さんの句を少し。

     初明りちょっと開けおく厨窓

     太陽が大好きですと苗木札

     甘南備の緑蔭 記紀の話など

     母が来る柿一杯の旅鞄

弥生は2006年に亡くなったので、今年はちょうど十年である。
たまたま手にした句集から亡妻を偲ぶよすがにしたい。


辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
             ・・・・・2016/05刊 非売品・・・・・・・・

こうして掲出してみると表紙の色が微妙に違う。現物は鮮やかな濃緑である。表紙の布は辰巳織布の製品である。
著者の説明をしておく。
辰巳美績(たつみ・よしつぐ)氏は大正13年(1924)10月10日生まれ。今の三重県名張市に出生した。
大阪府岸和田市に、辰巳織布株式会社を設立し、現在は会長を務める。:今年で満92歳となる。

辰巳美績氏とは縁戚ということになる。私の長女の女の子─孫の結婚相手の祖父ということである。
一昨年の結婚式でお目にかかり、今年の年賀状に、この本の上梓のことが書かれていたので、一月三日の私の一族の新年宴会に来た孫に言って贈ってもらったという次第。
孫などのプライバシーもあるので人名などは遠慮しておくので、ご了承ねがいたい。

この本は、文字通り、辰巳美績氏の一代記である。今もなお矍鑠として会社内外に目を光らせておられる様子が手に取るように、よく分かる。
記憶力も旺盛で幼い頃からの写真もたくさん収録されている。
辰巳美績氏の夫人は鈴子さんというが、この本を読むと、鈴子さんの内助の功が絶大であったことが判る。
この本を贈呈されたときに本に添えてある手紙も鈴子さんの代筆である。因みに、鈴子さんの生年月日が書いてないので不明だが美績氏とは二歳違いのようである。

辰巳美績氏は地元の小学校から松阪市の松阪商業学校に進学。1942年に横浜専門学校に入学する。1944年徴兵繰り上げにより仙台陸軍予備士官学校に「特甲幹」伍長として入学。
因みに、私の兄・木村重信も、この制度により豊橋予備士官学校に入学しているので親近感を抱いたことを書いておく。ポツダム少尉である。

この本には辰巳美績氏の「年譜」「家系図」、辰巳織布株式会社「年譜」など微に入り細をうがつ詳細なものである。
私は全編を詳しく読んでみたが、ここにすべてを引くことは出来ない。
今の時代は、とにかく物騒な世の中であり、どこから攻撃されるか分からないから、プライバシーの露出には気を付けたい。

戦後は物が不足していて、物さえあれば商いになる時代があったが、徐々に生産、流通が体制が整うようになり、そういう時代の趨勢をみて辰巳織布という会社設立に進まれた。
会社は1960年4月5日に誕生するが辰巳美績氏は池田繊維の専務をされていたので鈴子夫人が社長となられて発足した。
この本には鈴子夫人の昼夜を分かたぬ尽力のことが書かれている。

<家内は、朝は暗い内に起き、寮生の朝食の準備をし、日中は工場に入り、検反、管巻、筬通し、織り以外のことは全てした。
 また手の薄い所に手伝いに行き、午後は女の子に洋裁を教え、三度の食事の買い出しをし、一刻も休む時がなかった。
 夏場はクーラーがないため、しばしば食堂のデコラの食卓の下にくたびれ果てて寝ていたことを覚えている。
 急に出荷をいわれた日には、家内は徹夜で検反をすることもしばしばであった。>

私は繊維関係には無知なので、この本に書かれている当該部分について語ることは止めたい。
昭和36年(1961)9月16日、第二室戸台風により当時の工場が全壊したことが書かれている。復旧のために名張で瓦を買い占めたことなどである。
この台風では、私の方の会社の荒茶製造工場70坪余が全壊し建物と機械設備が全滅したことを思い出した。
そういう同時代だったのである。

立志伝中の人物として、自宅を立派なものに新築されたエピソードが載っている。写真を見ても豪壮なものである。
さぞや立派なものであろう。

1980年に長男の雅美氏が専務として入社された。当時の習慣として同業他社で武者修行させるのが常道であった。雅美氏も一年間、他社で「奉公」された。そして今は社長である。
雅美氏は京都大学出身ということだが、学部などは判らない。

繊維製品の製造過程で「糊つけ」という工程(サイジング)があるらしいが、それらは外注にしていたが2009年に関空対岸の地に「のりつけや」というサイジング工場を建築した。
この工場は24時間操業だという。
巻末には「人生訓集」というのが書いてある。「大欲せよ」「記録を残せ」「常に背伸びせよ」など、長年の人生を生きた知恵が述べられている。

私は繊維には門外漢であるから、とりとめもない紹介になったことをお詫びする。
これからもお元気で活躍されるようお祈りして、紹介を終わる。
本のご恵贈有難うございました。



『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・木村草弥
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↑ 発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷
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 ↑ 岩岡千景「セーラー服の歌人 鳥居」2016/02/10初版 発行KADOKAWA
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↑ 著者 近影

──新・読書ノート──

      『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷・・・・・・

「セーラー服の歌人」鳥居 として今や歌集はベストセラーとなっている人である。
寡聞にして私は最近まで彼女のことを知らなかった。NHK関西の「関西熱視線」で彼女のことを取り上げていて初めて知った。
そして掲出した二冊の本を読んでみた。
「母の自殺」「児童養護施設での虐待」「小学校中退」「ホームレス生活」「拾った新聞で字を覚えた」など過酷な人生を経てきた人である。
今も私生活の詳しいことは明かされていない。 謎である。 
これは多分、出版社の意図的な演出でもあろうし、壮絶な生きざまをしてきたので、私生活が明るみに出ることによって、改めてPTSDに襲われるのを避けた、とも言えようか。
「近影」はネット上から拝借したのだが、義務教育も禄に受けていないので、中学校の制服だったセーラー服に憧れがあり、最近は外出のときにはセーラー服を着るようにしているという。
歌集『キリンの子』だけを読んだだけでは鳥居を理解できない。
岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居』は2012年以来、彼女に何度もインタビューしてまとめられた本で、この本を読むと彼女のことが、よく分かるのである。

それらを読むと、なぜ「鳥居」→「短歌」なのか、という疑問が解ける。
第六章光明という個所でDVシェルターの施設に居るときに、一時的に外出して図書館に行った鳥居が、たまたま歌集の短歌の棚にあった穂村弘『シンジケート』を手に取った。
  <体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ>
「そんな温かい家庭の光景が頭の中に広がりました。そして、幸せな気持ちになりました」という。
その後、鳥居がホームレス生活を経て大阪に移り住んだ後のこと『吉川宏志集』(邑書林)との出会いがあった。
   <洪水の夢から昼にめざめれば家じゅうの壜まっすぐに立つ>
「一首の中に死と美しさ、そして違和感が果てしない広がりを持って詠み込まれている」ことに鳥居は感銘を受けた、という。
短歌には、自分と同じ「孤独のにおい」がしたのだという。以後、鳥居は、吉川あるいは結社「塔」と関係を持つことになる。

2012年、現代歌人協会が主催する「全国短歌大会」に、鳥居は自作を応募する。
    「思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ」
の歌が穂村弘の選で佳作に入選したのである。
同じ2012年に、鳥居は短歌誌「塔」十月号の「十代・二十代歌人特集」に「攪乱」という連作を発表する。
歌集には「攪乱」の項目はないが「なんで死んだの」という名前の七首の歌が、それらしい。 引いてみる。

   *室内の宙吊りライトちりぢりにみな揺れていて我のみ気づく
   *朝焼けを見ると悲しいもうすぐに明日が来るよ眠れないまま
   *病室の壁の白さに冴えてゆく意識のすみに踏切の音
   *本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繍のように
   *揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
   *刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁
   *あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの

これらを見ると、よく構成されて作られていることが判る。最後の歌なども「、」の区切りなど詩的ですら、ある。技巧的である。
虐待された過去を乗り越えてゆくことが出来れば、この人の詩才は限りなく広がる可能性を感じる。

2013年夏、鳥居は「第三回 路上文学賞」に「エンドレス シュガーレス ホーム」と題した掌編小説で応募し「大賞」を獲得する。
その全文は歌集の「あとがきにかえて」という形で収録されている。
掌編とは言っても長いので、ここに引くことはしないが、最後の部分だけ引いておく。

    危険な目に 遭わされる心配が ない、ということは、こんなにも自由です。
    家がないことは
    こんなにも のびのびとした 自分自身の心を 取り戻すことができます。
                           今夜は 月が とても綺麗です。

2013年9月、「鈴木しづ子さんに捧ぐ」という短歌の連作十首がインターネットサイト「詩客」に掲載された。
歌集では「赤い靴─鈴木しづ子さんに捧ぐ」9首として載っている。 引いてみる。

       ダンサーになろか凍夜の駅間歩く   しづ子
   履いたまま脱げなくなったと笑ってるストリッパーはみな赤い靴

   待ち受けの〈旦那と子ども〉を見やる人 緞帳あがりポールに絡まる

   姉さんは煙草を咥え笑いたくない時だって笑えとふかす

   ねっとりと膣口色に照らされて練習どおり ゆっくりと脱ぐ

   母の日の花屋は赤く染まりおりショーウィンドウにふれる指先

        娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ   しづ子
   踊りつつ太宰を浮かべ笑うとき観客からの手拍子生まる

   好きな人今はいないと聞いたのにあやとりのごと交わってしまう

   膝抱え音なしで見る天気予報知らぬ男が寝ている夜更け

   照らされていない青空ここに居る人たちはみな「夜」って呼ぶの

鈴木しづ子は「娼婦俳人」などと呼ばれて底辺の世界を生きる人の世界を詠んだ、独特の世界を俳句で表現した人である。
その作品に触れた鳥居が歌でもって再現してみたものである。 この想像力が素晴らしい。

終りに、私の目に留まった歌を引いて終わる。

*目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
*大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
*全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
*先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばっていく
*爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」
*早朝の八百屋は群青色をして植物だけが呼吸している
*さぎょうじしょでわたしまいにちはたらいた40ねんかん 濡れる下睫毛
*お月さますこし食べたという母と三日月の夜の阪みちのぼる
*壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
*もう誰も知らない母の少女期をみどりの蚊帳で包めり昭和
*渡された本が読めずにルビふりを頼んだ 8日に貰いに来ます
*道端で内臓曝す猫の目はあおむけのまま空を映して
*休日は薬を飲まず過ごしてみるこんなに細い心をしていたか
*牛乳のパック開ければ1ℓの牧場の朝がゆわんと揺れる
*次々と友達狂う 給食の煮物おいしいDVシェルター
*友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服
*海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち
*私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る
*錠剤は財布のなかで押し出され欠けた薬の粉がちらばる
*手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた

長い間しいたげられてきた鳥居だが、今しも吉川や岩岡らに支えられて「陽のあたる」場所に躍り出たのだが、その故に「やっかみ」や謂れのない中傷に曝されることがあろう。
現代の短歌界は、学歴の高い、教養に満ちた学生や学者などが重用される風潮がある。
鳥居も作品が短歌誌に載った直後には「平がな表記に笑える」などと学生から嘲笑された、らしい。
それらを乗り越えて、逞しく育ってほしい。     (完)






佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
佐伯_NEW

──新・読書ノート──

     佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・新潮文庫2016/12/01刊・・・・・・・・

        拉致された九条文女の行方は杳として知れず、焦る総兵衛は意を決し、江戸城への潜入を試みる。
        また、北郷陰吉らの探索によって、異国の仮面兵と老中牧野忠精の関係がみえてきた。
        文女救出劇は老中牧野との全面対決に発展。
        ついにイマサカ号とマードレ・デ・デウス号が駿河湾で激突する。
        敵船甲板上、女首領が構えた銃口は総兵衛一人に狙いを定めていた。


お馴染みの私の愛読書の新シリーズである。
ぜひお読みいただきたい。


阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・木村草弥
歳月の気化_NEW
 ↑ 阪森郁代第七歌集『歳月の気化』2016/11/25刊
ボーラ_NEW
  ↑ 阪森郁代第六歌集『ボーラといふ北風』2011/04/25刊 

──新・読書ノート──

      阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・角川書店2016/11/25刊・・・・・・・・

阪森郁代氏の第七歌集『歳月の気化』である。
五年前に第六歌集『ボーラといふ北風』を恵贈され、私は十二首の歌を抄出して返礼とした。 それに続く今回の本の贈呈である。
阪森氏は、塚本邦雄創刊の「玲瓏」に拠る歌人であり、1984年の第30回・角川短歌賞の受賞者で才知渙発の人である。
受賞作は「野の異類」の歌50首であり、1988年に刊行された第一歌集『ランボオ連れて風の中』などは私は読んでいない。

第六歌集『ボーラといふ北風』も、いくつかの趣向を凝らした歌集で、贈呈されたときには気づかなかったのだが、のちに読み返してみて、いろいろ教示されることがあった。
例えば、
<小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭>
という歌が146ページにあるが、 「こゆるぎの」は枕詞で、「磯」「いそぎ」に掛かる。
「こゆるぎの磯」は相模の国、いまの小田原市の大磯辺りの海岸を指す。 古歌に
    「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」
    「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」
とある歌などが出典であるらしい。
また「にはたづみ」も「渡る」「川」にかかる枕詞である。
このように、さりげない体(てい)を採りながら、実は綿密に計算し尽くされた本と言えるのである。
いかにも塚本門下の歌というべく、塚本邦雄が生きていたら激賞したであろう。

今回の本の題名も「歳月の気化」という。 この本の88ページに
  <歳月の気化を思へり午睡より覚めて肌には藺草がにほふ>
という歌があり、この歌から題名が採られた、という。 年月の経過を表現するのに「歳月の気化」とは何とも凝ったことである。
作者は深い教養に支えられた、ペダンチック、かつ、ブッキッシュな表現者と言うべきである。
掲出した「帯」文は編集者が趣向を凝らしたもので、此処にこの本のエッセンスが凝縮していると言えるが、実は、このフレーズは「あとがき」の中で作者が書いていることなのである。
だから、この本を読むときは、心して、この言葉を玩味したいものである。

この本は、ほぼ逆編年体で編集されているという。
巻頭の歌は
   *さざなみを立てて過ぎゆく歳月を南天は小さく笑つて見せた
   *とめどなく散るものあれど日暮れともなれば従きゆくパスタの店へ
   *乳の香の牡蠣を夕餉に十二月エルサレムにも雪は降るらし

巻頭の項目「冬ざれの町」から引いた。 「南天は小さく笑って見せた」なんていうくだりは何とも不気味であり、一首を屹立させた。
「乳の香」の歌など上句と下句が俳句でいう二物衝撃のように、別物でありながら歌の中で巧く融合した。

   *イーハトーブは菫の季節それのみになめとこ山の熊も平らぐ
   *生者にも死者にも会はず北上はイーハトーブへ抜ける風のみ
   *若き賢治とつひに目の合ふ一瞬間ポシェットは肩を滑り落ちたり

「あとがき」に書かれているが、今年は念願の「塚本邦雄展」が北上市の日本現代詩歌文学館で開催され、塚本の残した厖大な資料を前に文学に立ち向かう師の情熱に打たれたのであった。

作者の初期の歌集の歌には、スタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が見られる。 例えば

   <透明な振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝>
   <枯野来てたつたひとつの記憶から背のみづのやさしく湧ける>
   <いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある>

などだが、年月が経つにつれて阪森の歌は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだものは減ってきているようだ。
いわば作風が「自在」になって来た。「何でもない」ことが坦々と詠われて来るようになる。
以下、私の好きな歌を引いておく。

   *初めての、言ひかけて口ごもるその場かぎりのやうで風花
   *すひかづらの実のなるあたりを見上げつつきのふに隷属しない生き方
   *レノン忌を忘れてゐたる迂闊さを振幅としてひと日風あり
   *アルカディアはギリシャの地名巴旦杏を一粒のせた焼き菓子もまた
   *はしがきもあとがきも無き一冊を統べて表紙の文字の銀箔
   *土に手をよごして夏の草を引く短歌をつくるよりかひがひし
   *持ち上げて木箱の重さ膝に置くジュゼツペ・アルチンボルトの画集

物の名、人名などに触発されて歌が作られている。 その楚辞もまた的確である。 歌柄もまた多岐にわたっている。
『赤毛のアン』十首は、この本に則って作られたが、本の要約としても秀逸。

   *ヨブ記から少しはみ出す付箋あり花水木すでに花期を終へたり

   *薔薇といふ響きは朗ら花舗に来て硝子の向かう触れ得ぬままに
   *それぞれの朝をうべなふ鰯にはレモンの呪文 ほんの数滴
   *一の道抜けて二の道ゆくごとき無音の蝶々臆せずにゐよ
   *空き部屋にこもりて夏至の一日を見目にあたらし『虫の宇宙誌』

「歳月の気化」と題名に言う通り、一巻は、さりげない体を採りながら坦々と日々や事象を消化しながら進行してゆく。

   *整理して整理のつかぬ本ばかり一冊分の隙間になごむ

著者は長年住み慣れた堺市から吹田市に転居された。その転居に伴う本棚の整理の一点景であろうか。
私も転居ということではないが、家の建て替えで移転したことがあり、ささやかながら蔵書の処分に困ったことがある。
先ず、雑誌類は多くを捨てた。雑誌に一年間連載した記事なども愛着があったが、背に腹は代えられなかった。
まさかのときは国立国会図書館などに保管されているものをコピーすればよい、と思い切ったことである。「断捨離」も時には必要か。 閑話休題。

   *蝙蝠に身じろぎしたこと厄介な倦怠のこと今なら話せる
   *摘み取ったこともあったと振り返る言葉は葉でも実でもあるから

「蝙蝠」は西欧では狡猾なものの暗喩とされることがある。 私も、そんな比喩の歌を作ったことがあるが、阪森氏の、この歌の場面では、それはないようである。
日本に棲む蝙蝠は小さな弱い獣で人家に棲み付く。時には「厄介」な騒動を起こす。作者も一度は、そういうことに遭遇したかも知れない。
この「厄介」という楚辞は上句と下句とを繋ぐ言葉として機能しているようである。
「今なら話せる」という日常にありふれた「会話」体が、この歌の中では有効に働いていて秀逸である。それは次の「摘み取った」という歌に自然に繋がってゆく。

   *白木蓮風にひらけば真白なる手套となりて寄る辺なき手指
   *おほよそは肩の高さの立葵 薄ら氷ほどの月を仰ぐは
   *はるばると真狩村産 匙をもてメルヘンかぼちやのわたをくりぬく
   *あれは燕だつたか昨日ともけふとも知れず仄めきの中
   *ありふれたプロセスチーズを齧りつつ曖昧母音のやうな返答
   *うかうかと浅黄斑蝶を呑み込めどどこへもたどり着けぬ夏空
   *いろどりの傘を開くは吉凶を占ふごとし水木の下で
   *文学の果実刹那のあまやかさナタリー・バーネイといふは源氏名

さりげない比喩を伴いながら風景や事象が坦々と詠われてゆく。
時には外国へ行かれるらしい、以下のような歌は現地で作られたようである。

   *フィラデルフィアは当てて費拉特費と書く三十七度の夏を歩いた
   *スーラが正面にあり最後までアウトサイダーだつたバーンズ

アメリカ東海岸の夏は蒸し暑い。東洋のモンスーン気候とは違うが暑さは格別である。
そろそろ歌集の鑑賞も終りにしたい。

   *くちびるに木通のむらさきあしらふは三越伊勢丹のマネキン
   *夜は更けて砂のしづもり自転車のサドルが消えて無くなることも
   *不意をつく鵙の鳴き声一瞬に水引草は赤に目覚める

巻末から三首引いた。 
とりとめもない、締まらない鑑賞に終始した。 凡人のやることとお笑いいただきたい。
比喩表現などの見落としもあるかも知れない。その節は何とぞ、お許しを。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。   (完)





香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・2016/11/26発行・・・・・・・

香山雅代氏から、いつも発行の都度ご恵贈いただきながら、このブログで採りあげるのは初めてである。
いつもはお礼状を差し上げて失礼している。
香山氏は西宮にお住まいで、かの地の文化界でも、また「能」や「日本歌曲関西波の会」というところなどで、詩に曲をつけたものなどを発表されている異色の作家である。
掲出した図版でも読み取れるが同人四人で活躍されている。
今回は同人・内藤恵子氏の短い作品を紹介したい。   ↓

デコポンimg55833098

          デコポン       内藤恵子

        白い平面に
        橙色の球体
        緑のでこぼこ
        テーブルの上の陰影
        壁に並ぶ果実二つ
        重い
        慌てて両手で受ける
        丸く突び出す先端
        中へ落ち込み
        まわりは盛り上がる
        胴体につく突起

        皮をむく
---------------------------------------------------------------------------
代表である香山雅代氏の作品を引かなかったことは、お詫びしたい。
香山氏の作品は長いし、かつ高踏的であり、拙ブログの読者には難しすぎると思って、平易な内藤氏の作品を引かせてもらった。
お許しいただきたい。
内藤氏の作品は、ご存じの「デコポン」の特徴を簡潔に表現し得ている。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。




久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
鳥恋行_NEW
 ↑久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊
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 ↑久我田鶴子第七歌集『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
      ・・・『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊 『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊・・・・・・・

先に久我田鶴子歌集『菜種梅雨』の恵贈を受けて、その鑑賞を、このブログに載せたが、折り返し久我さんから先行する二冊の本が送られてきた。
いずれも大部の本である。
砂子屋書房の社主・田村雅之、ながらみ書房の社主・及川隆彦ともに前衛短歌はなやかなりし頃に編集者として活躍された人である。
そして今ともに出版社経営者として活躍されている。
この二冊を通読してみて、歌集の鑑賞という面からだけではなく、「エピソード」風に書いてみたい。
先ず『雨を見上げる』の「あとがき」を読んでいたら

<及川さんには、同郷のよしみと若い頃から何かと心にかけていただいてきた。
 お互いにながらみを食べて育ったというだけでなく・・・・・>

というくだりに目を止めた。(注・アンダーラインは筆者)
「ながらみ」というのは食べ物だったのか、とWikipediaなどで調べてみた。
久我さんの故郷である九十九里浜で獲れる巻貝で美味、とある。学問的には「ダンベイキサゴ」というらしい。
同郷である及川さんは、これを自分の出版社の名前にされたのである。 よく判りました。
私は遊び心に満ちた人間で、何にでも好奇心旺盛なのである。 お許しあれ。

*「胡乱」なる言葉の具体 湯上がりのビールの酔ひが五体をめぐる
久我さんとは「地中海」の全国大会などで顔を合わせ、すこし言葉をやりとりしたに過ぎないが、酒は殆ど呑まれない印象があったのだが、いくつか飲酒の歌があるので意外な気がした。
この二冊の本の頃、久我さんは「コンピュータ管理のマンモス校」へ転勤された。コンクリート打ち放しとガラスの多い現代風の学校に戸惑われた様子が見てとれる。
もともと久我さんはインターネットには弱い人だった記憶がある。
*存在を証すカードを受けしより03T001Fが私らしき
*先進的教育といふがあるごとく指先ばかり小器用になる
*愚痴となる歌をひそかに反故にして三十六計笑ふに如かず
*耳奥のリンパのゆらぎ朝床に人となるべくかたちひき寄す
*鍼治療うけつつ聞けばひとのこゑ滋味あるものとし身内に入り来
*声が来て神経叢をさやがせり無限自在のわれゐるどこか
*パソコンをつかふ俊敏スマート氏にふるひおとされ消ゆるが必定
*ひそやかに歌詠みゐるさへ脅かし職場といふが息止めにくる
*寄せくるる子らの傷みに苛立ちに生かされありし教師の日々は
*ペン胼胝の消えたる指がうれしげに操るならねノート型バイオ

私事ながら私も使っているのは、ここ何台もソニーのノートパソコン─ヴァイオである。

そんな、馴染めない戸惑いから「鳥を求め、花を求めて、森や湿原に出かけることが多かったのは、相応の理由があったのだと思う」と書かれている。
第六歌集の題名を『鳥恋行』とされたことが、その証左であろう。
*傷を負ひゆきしものあり雪に血の擦りあとはつか残る森のみち
*蝶型の足跡なれば栗鼠と知る胡桃の木から森へと向かふ
*用心の仕方がいかにも貂らしく摺り足ぎみに雪上をゆく

観察の精細な叙景の行き届いた歌群である。
また他に琵琶湖西岸の滋賀県高島郡マキノ町 などというと京都に住む私などには、すぐに判る土地だが、こんなところにも出向いて歌にされた行動力の広さに感服する。

*熊臭し されば熊領こころして登るにしかずわが登山靴
*さきほどの緑一塊の落とし主 なるほど猿も笹を食ふなり
*うちつぱなしのコンクリートに巣をかけし燕が今朝は偉く見えたり
*彫像になりたる樟がなほにほふ女の頸から胸のあたりを
*樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂

この二首からは、ほのかなエロティシズムが薫りたつのを感じる。

*口開くとけぽつと魚を吐き出せり宇治平等院屋根にかはせみ

「わが水系」などの項目の歌には「ふるさと」が詠われている。

*鼻濁音の有無と信仰に境して流るる川やふるさとの川
*真言と日蓮を分け海に入る川といへども幅数メートル
*川渡り鼻濁音来て鼻濁音なきわれらのことばにまじる

日蓮が生まれたのは上総小湊である。その地域では日蓮宗が信仰されているだろう。
因みに、私宅の宗教も日蓮宗・身延派である。この地域は浄土宗が占めているが、わが先祖は幕末の頃に布教があって一族を挙げて改宗したという。
久我さんの歌に詠まれる川は「作田川」で、この川を隔てて、宗教と鼻濁音が違うということである。
この川は境川とも言われているらしく、地形が宗教や言葉の境になっていくというのは、昔の文化の成り立ちとして面白い。
簡潔ながら中身の深い佳い歌である。
このごろはNHKのアナウンサーなども「鼻濁音」の指導が厳しくないらしいが、「鼻濁音」の中でも「が」の音は何とも奥ゆかしい気がするのである。
方言の尊重もいいが、日本語の共通語として、この鼻濁音は尊重してほしいものである。 私は、そういう主義である。

*もみぢならぬやつでのなどとわらひつつわがてのひらを愛でくれし母
*幾人もの精液にまみれ死ににけり<解放軍>が訪れし昼
*アゴタ・クリストフ、ジャン・クリストフ わが内にずれて重なる名前の記憶
歌の対象は多岐にわたって展開する。「回想」から「現代」へで、ある。それらから少し引いてみた。

弔歌にも触れてみよう。春日井建を詠った一連もあるが、
*みづからを褒めてやりたいと全歌集まとめたるのち言ひし忘れず
この歌は「地中海」長老として香川進を助け、また香川進の代理の先兵として「前衛狩り」に角川書店「短歌」編集長に乗り込んだ山本友一の死を詠んでいる。
私も船田敦弘の「いじめ」に耐え切れずグループを抜けたときに手を出してもらったのが山本友一であった。その挨拶のために新宿の山本宅を訪れたことを思い出す。
ご子息は三菱商事の幹部として活躍しておられたが、同居されており、朝食のために焼かれた干物の魚の匂いが部屋に残っていたのを思い出す。
船田亡き今となっては、こんな回想をしても許されよう。
私は一概に「前衛狩り」に走った香川たちを責めるつもりはない。前衛の提灯持ちをした編集者の独走を抑えたいという守旧派の歌壇や社主たる角川源義の意向を香川が含んだものであろう。
ついでに書いておくと、塚本邦雄や岡井隆などはアクの強い人間で今なお強い影響力を持っている。
前衛短歌はなやかなりし頃、塚本の取巻きとして活躍されていた人が酒席で私に洩らされたことがある。何か塚本の説に異を唱えると、とたんに歌壇から「干された」と。
また岡井隆も同様で「未来」の中でも彼に異を唱える人間は排除された。私も「未来」に席を置いていたが私は川口美根子門下であったが、それらにまつわる話を聞かされたことがある。
岡井隆は本来、左翼なのだが、老来、勲章ほしさに皇室にすり寄り「皇室御用掛」などを務めている。その論功行賞で文化功労者に選出された。
斎藤茂吉や土屋文明らが文化勲章受章者であるから、彼らに肩を並べたいという欲望が岡井隆にはあるのだろう。俗物臭ぷんぷんである。 閑話休題。

*昨夜よりのあめ葬送の昼もなほやまず銚子の潮の香ひそめ

この歌は『雨を見上げる』に載るものだが、青柳猛氏のことを詠んでいる。青柳氏とは私にも思い出がある。
どこの全国大会であったか、班別歌会の司会を仰せつかったことがあり、その中に青柳氏が居られ、たしか「ら抜き」の乱用を言われ、言語学者の金田一春彦が「許容」するような発言をしているのはケシカランと激しく攻撃した発言をされた。私が「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私も激しく攻撃されたのを覚えている。
言語というものは絶えず揺れ動いているもので、概して言語学者などは寛容である。「ら抜き」言葉にも一定の法則性があり、将来、正当と認められるのは近い、という。私には言語学者の友人たちが居り、彼らは皆そういう意見である。 閑話休題。

この二冊の本には父親の体調不良から死に至る歌が縷々詠われている。
特に第七歌集『雨を見上げる』には、父の歌が多い。
*かたはらの椿に蛇が潜めると確かにゐると父の指さす
*二、三日前より目白来てゐると父の指さすさざん花の方
*飲み方を忘れし父か生きむためコップ一杯の水に身構ふ
*身を起こしこころゆくまで脚を掻きひとしごとせりと言ひたりけふは
*指折りてなにかぞへゐる父ならむポータブルトイレにまたがれるまま
*ふたたびを点滴につなぐいのちなり「かあさんは」とは妻呼ぶことば
*いくたびも娘に子なきを嘆きしかどこにもをらぬ孫の名をいふ
引きだしたらきりがない。項目名「青葉ほととぎす」「たなばた」「脱ぎうるならば」「潮騒」「とんちんかん」「夢、うつつ」「手ぶくろ」「二月三月」など、ずっと病む父の看取りの歌である。
*柿好きの父に食ませむ三月はイスラエルの柿シャロンフルーツ
*七十九歳になりたる母の髪に触れ「おめでたう」いふ父の指さき
*血圧の高きに怯ゆる母が越え熱に苦しむ父の越えし二月
*一月の八日未明を一期とし帰れる天の星のまたたき
*呼気のにほひ変はりたりしは三日前その父を置きわが訪はざりき
*肯ひつ否みつ父に来るはずの死を待ち迎へし新年なるも
*梅一枝たづさへし日を境としこの世の父に逢ふことのなき

『雨を見上げる』の巻末近くに「十月の想念」─香川進先生の十三回忌に寄せて、という項目がある。
*たまたまのめぐりあはせもえにしにて地中海わが漕ぎわたる海
*ゆづらざるわがもの言ひにウィスキーダブルを手にしはだかりもせり
*かはしたる約束ならね「地中海」編集しばし吾が預かるも

身内のこと、「族うから」のことを全く詠わない人も多いが、久我さんは、ここに見てきたように多くの族の歌を、特に「父」の歌を詠まれた。
人が死んで、偲んで詠む歌は感動が薄い。同時進行で、現在形で読まれる歌は勁い。本人にとっても、生涯の記念となる。だから私なども、どんどん詠む主義である。
掲出した図版で読み取れるが、本の「帯文」は出版社が知恵をしぼって書きだしたもので、編集の意図が凝縮して出ている。
改めて、眺めてもらいたい。
ご恵贈に感謝して、不十分ながら鑑賞を終わりたい。 有難うございました。   (完)






久我田鶴子第八歌集『菜種梅雨』・・・・・・・・・・木村草弥
久我①_NEW
 ↑ 第八歌集『菜種梅雨』─2016/06/05刊
久我②_NEW
↑ 第五歌集『雨の葛籠』─2002/06/10刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第八歌集『菜種梅雨』・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・砂子屋書房2016/06/05刊・・・・・・・

短歌結社「地中海」の編集長である久我田鶴子さんから、この歌集が恵贈されてきた。
私は縁あって一頃この会に席を置いていたので久我さんとも旧知の仲であるが、個人的に親しいということはなかった。
久我さんを知ったのは「地中海」に入った直後に、才能ある若手として教えてもらって第一歌集『転生前夜』を買い求めてからである。
その頃「地中海」編集長は椎名恒治で、私は最近亡くなった船田敦弘の紹介で同誌上に、香川進の第一歌集『太陽のある風景』論をほぼ一年間にわたって書かせてもらった。
先日「香川進研究Ⅱ」という大部の本が送られてきて読んだばかりで、その読後感を久我さんに送ったところだった。
そのお返しに今回この歌集をいただいたという次第である。
書架を探してみると、二番目に図版を出しておいた第五歌集『雨の葛籠』を恵贈されており、十首の歌を抽出して久我さんに返信している。
この本は2002年に出ており、その頃は私はまだブログをやっていないので、ここで紹介することもなかった。ご参考までに図版のみ出しておく。

久我さんは高校の国語の先生であられた。数年前に早期退職され、今は「地中海」編集長専従として、かつ文法と教科書の指導書の仕事をされているようである。
「あとがき」に、それらのことが触れられている。
この歌集には、2011年3月から2015年までの350首が収録されている。年齢にして55歳から60歳に至る、という。
「あとがき」を少し引いてみよう。

<2011年の年明けに父が死に、暫くぼんやりしていたところに遭遇した東日本大震災。・・・・それまでに体験したことのない地震は、いっしゅん死を覚悟させるほどであった。
 それでも私にはまだ、9・11の同時多発テロの衝撃に比べれば、なんとか乗り越えられるかと思われた。・・・・・
 だが3・11の衝撃は、あとからボディブローのようにきた。・・・・・この歌集は、まったく「あの日」以後の産物である。
 “以後”の私の日常は、週に二日のペースで高速道路を使って父のもとへ通っていた二年間。・・・・・
 毎月、仲間たちと「地中海」を発行し、歌集をまとめたいという人がいればそのお手伝いをした。
 そんな中で、福島、とりわけ郡山との縁が深まったのは、そこにいる「地中海」の会員たちがつぎつぎと歌集出版にむけて動きだしたからである。
 理由のないことではない。短歌は、生きることと繋がっている。・・・・・
 また、菜種梅雨の季節がくる。死んでしまったものも元素にかえり、どこかでなにかに再生されてゆくだろう。・・・・・
 受け容れがたい死に戸惑ったたましいも、どこかで安らいでいてほしい。>

久我さんは千葉市にお住まいで、千葉市は、この震災で液状化現象などで埋立地は大きな被害があり、コスモ石油の貯蔵タンクが炎上するなどニュースになった。
久我さんも当然大きなショックをお受けになったと思われ、それらのことが上記の文章になっている。

歌を見てゆきたい。
ここに書かれている通り彼女の父親の介護に携わっておられたが、それらにまつわる歌が詠まれている。
『雨の葛籠』の中に

  <誕生日になにがほしいと言ひやれば「いのち」とおどけて父は言ひたり>

というのがあり、私は十首抄の中に、この歌を引いている。
今回の歌集にも巻頭近くに「父」を詠った歌が並んでいる。

*こゑにしてことば発するちからさへ息の領域 うしなはれゆく
*誤嚥性肺炎なるが父の息しだいに細めつひに止めし日
*吐きつくすやうに発せし言の葉の父にうなづき問ひ返さざり
*ちちのみの父の手帳を火につつみ送りぬ春の彼岸のそらへ
*降る 何が 降る菜種梅雨 亡きひとの芽吹きどこかではじまつてゐる
*誕生日に何がほしいと訊けるとき「いのち」と言ひしは何歳の父か

一番最後に引いた歌が、先に引いた第五歌集の歌と照合するのである。
また五首目の歌に<降る菜種梅雨 亡きひとの芽吹きどこかではじまつてゐる>と詠まれているように、歌集の題名の「菜種梅雨」は父親への追慕の念へと繋がってゆくのである。

この歌集には「亡き人」を偲ぶ歌が多い。結社の主軸として、また豊かな才能の持ち主として若いときから嘱望されてきた久我さんにとっての交友の広さを窺わせる。
*<ヴィルゴ>にて最後に茂樹のつかひたるグラスの行方まなざしに追ふ
  *ヴイルゴ・・・ここで小中英之とともに飲んだのが、小野茂樹の最後の夜であった。
*なつかしく茂樹を語りみづからを<隠れ羊>と言ひたりかの日
                 小野茂樹がつくったグループ「羊の会」
ここに詠まれるのは藤井常世さんである。その藤井さんは2013年10月30日に亡くなられたので、この歌がある。
*あかねさす『水葬物語』に殉じしか 鬣は銀、水になびける (藤田武)
*この夏の三平峠に出逢ひたる渡辺松男 ああ、衣笠草
 沢瀉は夏の水面の白き花孤独死をなぜ人はあはれむ (雨宮雅子『水の花』)
*水の花おもだか土中に冬を越す会へざり人はやがての春に
*いちにんのために捧ぐるそれはそれ さらにこころは自在にありき (関原英治)
*かん高きこゑに目玉の父親が子の危機すくふ水木のしげる
*をさへやうのなきを放ちてあかはだか村山槐多ある日の香川 (香川進)

このように列記しては趣がないが、歌集の中では連作として詠われていて哀切である。
ここに引かれる雨宮雅子の「孤独死」の歌が発表されたときには、私も慄然としたのを覚えている。私のような老年に達すると、むしろ孤独死に憧れのような感情を抱くから不思議である。

とりとめのない「採りあげ方」で失礼するが、この歌集には意識して「ひらがな」表記がなされているのに気づく。
香川進もひらがなの歌が多かった。もちろん日本語は「漢字カナまじり文」表記で成り立つ言語であるから、一概に「ひらがな」を推奨するつもりはないが、「ひらがな」は優しい。
巧く使うと歌に趣が出る。その意味で久我さんの作歌の仕方に賛成する。
少し歌を引いてみよう。
*いきどほりもの言ふひとのかたはらにちやらんぽらんの息継ぎをする
*とめどなくわけのわからぬにんげんのはつろはつろにまきこまれつつ
*踊り場にたまりてをりぬわたぼこりわたぐもわたがしわたぼうしわたし
*さやうなら 言の葉しろくゆくものをつなぎとめむとするにはあらず
*ざらついて心に触れくるこゑなるをよみがへらせてはあぢはひ尽くす
*ひとが死にあきたる穴に嵌めらるるひとつのピース くちをつぐみな
*きざみこみきたへたる皺すくと立てジョージア・オキーフ晩年の顔
*たうとつの死よりひととせあらがへるたましひの顔とほざかりゆく
*かはいさうなんかぢやないと泣きゐしが気がすんだやうに立ち上がりたり
*ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも

アトランダムに引いてみたが、ヒラガナにしたところと、漢字にしたところの必然性の選択が秀逸であり、非の打ちどころが無い。
そして「言葉遊び」に興ずる久我さんが居る。「踊り場」の歌などが、そうである。私も「言葉遊び」が好きである。
久我さんの歌集すべてを読んだわけではないが、以前の歌と比べて、久我さんの「歌づくり」が自在になった気がするのである。

私事で失礼するが、五月、六月に突然、体調不良に襲われ、手脚はむくみ肩、腰、下肢が痛み、全身脱力して起居もままならず、原因が判らず四苦八苦した。
私なりに調べて専門医に駆け込み、原因が判って治療し、おかげで軽快した。「リウマチ性多発筋痛症」という診断である。
これにはステロイドが著効するが副作用があるので体調を見ながら薬を減らしてゆくのがコツという。
一時は字を書くこと、キーボードを操ることも出来なかったことを考えると健康ということの有難さが身に沁みる。ご放念いただきたい。
病み上がりなので根気が続かないので失礼して、私の好きな歌を引いて終りにしたい。

*呂の字とふ突き出すをんなのおちよぼぐち紅おしろいにキスのこと言ふ
*二には二の安らかさありいちばんを風除けにして道草を食ふ
*わたくしをいでざる論の埒のそと羊が雲になりゆくところ
*昼ながらワインに生牡蠣 土曜日といふ気安さが夫にまだある
*晴れたるをよろこぶこゑは春蝉の、よろこぶ花はたてやまりんだう
*おほかたは忘れて暮らす幼年期火傷に負へるわれの聖痕(スティグマ)
*おほかた葉落とせる梢にうつり来て 六、七、八、ぱつとゐなくなる
*どこからか転がりきたる風情なり洋梨机上に追熟のとき
*くれなゐを遊びのごとく編みこめる平らなる籠ブルキナファソの
*あんとんね 背中をさする手のぬくみ上総訛りのふところに抱く
*たをたをとはたたき白く秋蝶は葉裏へまはる 生をいとなむ
*拒否すれば罪に問ふとぞ銅鑼ひびき<一億総活躍>の世に連れださる
*非情なる青やはらかく押しかへすちから恃みて拳をひらく




笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・現代短歌社2016/10/07刊・・・・・・・

笠原真由美さんは1960年の生まれで東京の短大の国文科を出られ、2012年に光本恵子さん主宰「未来山脈」に入って会員になられた。
下諏訪町立図書館に勤務していて、2002年頃「口語の短歌の作り方」と題して話す光本を聴講したのが、短歌に接するきっかけだったようである。
この本には「序」として10ページにわたって光本恵子が詳しく述べている。
この文章は、この本の要約として的確なもので過不足がなく、私が此処に改めて書くことは何もないのであるが、そう言ってしまっては実も蓋もないので少し書いてみたい。

読書や音楽やサッカーの松本山雅FCを愛する笠原さんだが、そういう豊富な読書や音楽鑑賞などが身に付いていることが読み取れる。
この歌集では、彼女の一代記が時系列ではなく、かつ過去形ではなく現在形で綴られる。
故郷の信州を出て東京の大学を出て就職し、会社で経理の仕事をしていて、あと帰郷して、同じ中学校の彼と結婚するが、彼の生家は精密機械の工場を経営していた。
そんな葛藤が「Ⅱ幻想家族」に描かれる。彼女が題名とした一章である。だから私は此処に並ぶ50首の歌に彼女の思いが凝縮している、と思うのである。

 *優雅ね、と言われて優雅に暮らしてみせる ジャスミンの影に幻想家族
 *リビングにレース模様の影ゆれて 失望のなかの幻想家族
 *ネクタイは色別にして収納する その赤い実を食べてはいけない
 *四人家族在るべきかたちにととのえて もう求めるな、人生は私物
 *見ぬふりをしてきたものたち一斉に衣ぬぎすてて襲いくる春
 *冷たいね、と言われてこたえる「そうかもね」 手放しはしない幻想家族

その後に並ぶ歌からも読み取れるように、彼女が今もこの「幻想家族」というものに捉われていると、私は言うつもりはない。
彼女は「あとがき」の中で、こう書く。
  <「本当の話がしたい」と、いつも思っていた。・・・・>
  <私はようやく長年の精神的酸欠状態から脱し、深い呼吸ができるようになった。>
  <この歌集のなかには二十代から五十代までの“わたし”がいる。>
  <光本恵子先生はいつも私に「短歌があれば生きられます」と言う。>

ここに「幻想家族」の域を脱して辿りついた彼女の「今」が語られている。

ここで、一般的には余り触れられないことだが、「詩句」としての日本語の「韻律」のことを書いてみたい。
上古から日本語の韻律は、さまざまに試みられてきた。
それらは五音、七音の繰り返しによる「音数律」の創造として結実した。
それらは「和歌」定型詩として今に至るまで機能している。
「口語短歌」を標榜する非定型の歌とて例外ではない。「散文」と「詩」との違いは、どこにあるのか。それは「韻律」─美しい詩としての「調べ」があるかどうか、であろう。
だから現代の口語短歌と言えども、この韻律を無視できない。限りなく「五音」「七音」の流れに「沿う」ものが美しい。
笠原さんの作品に即して見てみよう。

 リビングに/レース模様の/影ゆれて/ 失望のなかの/幻想家族
 ネクタイは/色別にして/収納する/ その赤い実を/食べてはいけない
  四人家族/在るべきかたちに/ととのえて/ もう求めるな、/人生は私物

いま便宜的に歌の区切りを入れてみた。見事に五音、七音の韻律に近いものにまとまっている。だから「美しい」。流麗である。
私は此処に彼女の豊富な読書の裏付けを感じるのである。
短歌は「詩」である。「日常」とは違う。「非日常」であるから、歌を詠むときには工夫が要る。
笠原さんの歌からは、そういうことを深く感じ取ることが出来て秀逸である。
ついでに書いておくと「その赤い実を/食べてはいけない」 「もう求めるな、/人生は私物」などのフレーズは、見事に詩句と化している。

この歌集を読んでいて気付くことに独特の「ルビ」が付られていることである。
例えば、「花群」─むれ。 「削除して」─けして。 「家庭」─いえ。 「背後」─せなか。 「起立つ」─たつ。 「坂道」─さか。 「現在」─いま。 
これらを読んだときに違和感があったが、じっくりと見てみると、先に私が書いた韻律を整えるための「読み」であることに気づいたが、その良し悪しについては人それぞれだろう。

先に書いたように「序」の光本恵子の文章に主たる要約は尽きているが、私の好きな歌をいくつか引いて終わる。

 *わけもなく岬という字に憧れる 果てない私の脱出願望
 *雨に顔を打たれ銀色の空を見る 無数の粒になり私は消える 
 *“ママ”だから私は帰る丘の上 ライラックの香のまつわる家に
 *叱られて「ニセモノのママはあっちいけ!」と泣いた息子がスーツを着る
 *名古屋風味噌おでんにて地酒を呑む 夫の学生時代聴きつつ
 *樹影ゆれ鳥のひと啼きに風炉点前が一瞬止まる 和敬清寂
 *丘の上から光る湖を見わたして人生と和解した ここで生きてゆく
 *山雅が好きアルウィンが好きそれだけで名も知らぬ人と二時間話した
 *東京ヴェルデイ戦にかけつけた山雅サポーターが京王線をジャックする
 *この手から叩き落とされた台本を冬野に拾う まだ終われない
 *短歌はいい 読めば似た人を見つけられる 一緒に泣ける
 *フォーマット作業を託すものとしてハイドロアクアを飲んでいる朝
 *ちがう生き方もあったのだろう 高地に生まれて蛇行する川を知らず
 *みずうみにヨットを教える君がいて光ふくらみまた夏がくる
 *はつ夏の光のなかにキンレンカが晴ればれと咲く 逢えてよかった

多くの歌が並んでいるので佳い歌を漏らしたかも知れない。 お詫びする。
豊かな才能に恵まれた作者の今後の精進に期待して、ご恵贈の御礼を申しあげて筆を置く。 有難うございました。



 
田中成彦第四歌集『田園曲』パストラーレ・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      田中成彦第四歌集『田園曲』パストラーレ・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・北斗書房2016/09/22刊・・・・・・・

この本は田中成彦氏の第四歌集になるが「海外旅行詠」だけを収録したものである。
2001年春のモロッコの旅から、2001年夏の「中国山西省」、2002年夏の「スペイン銀の道」、2003年夏の「フランス」、2004年夏の「中欧」、2005年夏の「ドイツ」、2006年夏の「西バルカン」、2007年夏の「アルプスⅠ」、2008年夏の「アルプスⅡ」、2010年夏の「アルプスⅢ」、2012年春の「バスク」、2012年秋の「西欧」に至る旅を詠んだ作品573首から成っている。
収録歌数が多いので、1ページ5首を配する構成になっている。
田中氏は音楽に詳しいようで著書には、すべて題名に音楽用語が付けられている。
第一歌集『前奏曲』はプレリュード、第二歌集『喜遊曲』はディヴェルティメント、第三歌集『協奏曲』はコンチェルト、そして今回の『田園曲』はパストラーレ、である。

田中氏の経歴を書いておく。
「吻土短歌会」を主宰しておられ、進学校として名高いヴイアトール学園・洛星高校の元副校長であられた。キリスト者である。
もちろん先生は、この学校の出身で、茶道三千家のひとつ武者小路千家 家元 千宗守宗匠なども此処の出身であるという。
京都歌人協会評議員。日本歌人クラブ代表幹事(京都府)。現代歌人協会会員。読売新聞「京都よみうり文芸」選者。などを務めておられる。

「あとがき」の中で
<訪れた土地や出会った人々の激変を思い知らされることにはもはや耐え得なくなった。
 伝えられる海外情報にその思いを強くする。例えば『喜遊曲』にて詠んだ地域の今はどうか。
 旧ソ連ウクライナは兵器の実験場となり、トルコは幾重もの民族・勢力の抗争が激化、エジプトの〈アラブの春〉は狂暴な砂嵐を呼び、
 シリアは犠牲と廃墟とを際限なく生み、パキスタンは襲撃事件に怯え、ギリシアは難破しそうな老朽船となり果てた。
 本書の作歌対象となった中欧・西欧でも事態は切迫している。いたる所で難民の通行や居住に関する緊張が高まり、パリやブリュッセルの市民を襲った悲劇は言うまでもない。
 かくて今後は海外に出かけることも稀になり、行く先もおそらく限定されるゆえ、これまでを区切りとして一巻に纏めることにした。>
と書かれている。けだし、この本の成り立ちと性格を端的に示したものとして引いておく。

以下、歌のいくつかを引く。

*おほよそは隊商宿もさびれつつ一頭の驢馬こぼれ餌を食む (モロッコ)
*オリーヴ油搾る石臼回しゆく驢馬のしりへに暫くを添ふ 
*露店へと好奇向けたる鼻先を不意にかすめて驢馬の黒耳
*削る者、研ぐ者、焼く者、染むる者、 迷路の街に全て揃ひぬ
*地下水路(カナート)を雪の嶺より引き来たる砂漠の町に夕べ到りぬ
*乾隆帝の石碑は四種の文字刻み満州文字を正面に据う (中国山西省)
*長旅の疲れひもじさ今更に柔き粥など摂れば知りたり
*ヒンドゥー教由来の神か腹厚き鳩摩羅(くまら)天の薄らなる笑み
*耕して天にいたらむ段畑のこれぞ華北よ一つ丘越ゆ
*飾りたる店舗も館もおしなべて黄砂を厚く被る色見す
*日本の信徒と名のればハビエルと呟き司祭は親しみ示す (スペイン)
*ゴシックもガウディも共に景を成す巡礼街道ふところ広し
*通り雨止みたる丘にサンチャゴの三つの尖塔確と見えたり
*最果ての聖地に到り祈ること余りに多し二十一世紀
*いにしへは膝行(ゐざ)りて詣づる巡礼路二百余段を只ふり仰ぐ (フランス)
*二作家にゆかりの居宅相近しサンテグジュペリ遠藤周作
*『中世の秋』を駆け抜け王公の驕りも無念も遠き説話ぞ
*喧噪も掏摸(すり)も絶えざるカレル橋されど一度は渡る旅びと (中欧)
*壮絶にフス派抗い討たれける「わが祖国」終章の砦は近し
*積み肥か麦芽か臭ひの混じり合ふチェコの鄙辺のビール工場
*巡礼をなす少女らの讃美歌にロココの装飾和音震はす
*「山上の説教」の絵にて只一人視線寄するは画家自身かも
*ハイネまた歩みけむ道中世の木組み家遺すゴスラーに入る (ドイツ)
*司祭ルターここに雌伏の長かりき今は尼僧の祈り清らか
*ドイツ史の主役は常にザクセンと「帝王行進」の壁画長大
*会談のありたる日より六十年今ポツダムをひたと見据ゑむ
*「無憂」サン・スーシと名付けし王は宮殿の湿気に脚を病みて悩みぬ
*絶景を独り占めせし湖岸なり白くかがやく旧チトー邸 (西バルカン)
*〈若き娘〉ユングフラウは恥ぢらひ持つや頂に今日も僅かの雲を添はせて (アルプスⅠ)
*山岳戦を簡潔に茂吉詠みにける北伊チロルの森深く行く (アルプスⅡ)
*日本より信徒来たるを喜びて司祭は聖歌にフルート奏づ (アルプスⅢ)
*巡礼はここより峠を越ゆるなり石畳みち宿のひしめく (バスク)
*十字軍ここより発ちて征きたるを人ら誇れりのちの悲惨も (西欧)

多くの歌の中から引くのは難しかった。 典型的な歌を漏らしたかも知れない。 お詫びする。
ご恵贈に感謝して、引用を終わる。 有難うございました。 今後のご健詠を。



蓮實重彦『伯爵夫人』・・・・・・・・・・・木村草弥

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──新・読書ノート──

      蓮實重彦『伯爵夫人』・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・新潮社2016/06/22刊・・・・・・・

      帝大入試を間近に控えた二朗は、謎めいた伯爵夫人に誘われ、性の昂ぶりを憶えていく。
       そこに容赦なく挑発を重ねる、従妹の蓬子や和製ルイーズ・ブルックスら魅力的な女たち。
       しかし背後には、開戦の足音が迫りつつあるらしい――。
       蠱惑的な文章に乗せられ、いつしか読者は未知のエクスタシーへ。
           著者22年ぶりとなる衝撃の長編小説。


どういう本?

タイトロジー(タイトルの意味)
伯爵夫人とは何者なのか? 同じ“夫人”という呼称を持ちながら、「ボヴァリー夫人」(フローベール)や「サド侯爵夫人」(三島由紀夫)とは異なる、出自不明の魅力を湛えたファム・ファタール。
「この世界の均衡」に関わる彼女の正体が気になる方は、ぜひご一読を!

メイキング
「向こうからやってきたものを受け止めて、好きなように、好きなことを書いたというだけなんです」(三島賞受賞記者会見より)

装幀
カバーにあしらったのは、本作における重要な“助演女優”、ルイーズ・ブルックスのポートレート(1928年撮影)。
表面に光を吸収する特殊加工を施し、深みのある美しさを表現しましたが、読者から「人肌のように艶めかしい」という感想を多数いただくとまでは予想しておらず、嬉しい誤算でした。

著者プロフィール
蓮實重彦 ハスミ・シゲヒコ
1936(昭和11)年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。教養学部教授を経て1993年から1995年まで教養学部長。1995年から1997年まで副学長を歴任。1997年から2001年まで第26代総長。
主な著書に、『反=日本語論』(1977 読売文学賞受賞)『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1989 芸術選奨文部大臣賞受賞)『監督 小津安二郎』(1983 仏訳 映画書翻訳最高賞)『陥没地帯』(1986)『オペラ・オペラシオネル』(1994)『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』(2007)『随想』(2010)『「ボヴァリー夫人」論』(2014)など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。
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新潮社の書評誌「波」七月号に載る書評などを引いておく。
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       元東大総長にして話題の新鋭作家による本年度三島由紀夫賞受賞作――。
        この優雅で退嬰的で巧緻極まる長編小説を筒井康隆、黒田夏子、瀬川昌久の三氏が読む。



[蓮實重彦『伯爵夫人』刊行記念特集]
        情強調文欲と戦争・・・・・・・・筒井康隆

 江戸切子のグラスで芳醇なバーボンをロックで飲んだ。そんな読後感の作品である。
 主人公の二朗は旧制の高等学校に通い東大を目指している晩稲の青年で、作中にも暗示されるプルーストの少年時代のように、女性と抱擁しただけで射精してしまうという純真さだ。時代は戦前、舞台は主に帝国ホテル。ロビーに入ると「焦げたブラウン・ソースとバターの入りまじった匂い」が漂ってくるというあたりでたちまちかの良き時代に引き込まれてしまう。タイトルの「伯爵夫人」も貴族でありながら突然傳法肌になったりして驚かせてくれる。ここから先は二朗や伯爵夫人その他の人物の回想との入れ子構造になっての展開となるのだが、挿入されるのは丸木戸佐渡ばりの情欲場面と、憚り乍らわが「ダンシング・ヴァニティ」が先鞭をつけた繰り返される戦争場面である。
 奇妙で魅力的な人物が次つぎと登場するのが嬉しい。宝塚かSKDかという男装の麗人だの、友人の濱尾が投げたボールをワンバウンドで股間に受けてしまった二朗を介抱してしきりにその金玉を弄り回したがる女中頭や女中たちだの、正体は伊勢忠という魚屋のご用聞きなのだが病的に変装が好きな男だの、名前だけだが「魔羅切りのお仙」だの「金玉潰しのお龍」だのが出てきて笑ってしまう。他にもヴァレリーや吉田健一や三島由紀夫の陰が見え隠れする。当時はボブ・ヘアと呼ばれていた断髪の従妹蓬子も魅力的だが、そのスタイルで有名だったルイーズ・ブルックスよりも、キャラクターとしてはクララ・ボウに近い。さらに嬉しいことには懐かしい映画や俳優たちが続出。伯爵夫人に出逢う最初のシーンで二朗はアメリカ映画の「街のをんな」を見てきたばかりなのだが、伯爵夫人と抱き合う時にその演技をなぞるケイ・フランシスとジョエル・マクリーの主演者に加えて往年のギャングスターであるジョージ・バンクロフトまで登場させているので笑ってしまう。この二朗はずいぶんと映画好きで、全部上映すると六時間かかるという気ちがいじみたシュトロハイムの「愚なる妻」まで見ている。シュトロハイムが偽伯爵を演じた故の連想である。情欲場面ではヘディ・キースラーが絶頂に達する演技で有名になったチェコの映画「春の調べ」(原題「エクスタシー」)を思い出したり、戦争がらみでは主演ヘレン・ヘイズ、ゲイリー・クーパー、アドルフ・マンジュウの「戦場よさらば(武器よさらば)」が出てきたり、なんと無声映画時代の小津安二郎「母を恋はずや」における吉川満子の母と大日方伝の兄と三井秀男の弟との微妙な確執が死んだ兄の思い出に繋がったりもする。さてこの辺で、いったいこの話、時代はいつなのか、二朗の年齢はいくつなのかという疑問に囚われる。というのも前記の映画はいずれも昭和六年から十年あたりに公開されたものであり、そして二朗が一日の記憶を語った最後、「ふと夕刊に目をやると、『帝國・米英に宣戰を布告す』の文字がその一面に踊っている」、つまり昭和十六年十二月八日なのである。ここでやっとこの一篇、目醒めたばかりの二朗が一瞬にして思い出した夢だったのだなと納得するのだ。
 戦争と愛欲の場面が入れ子構造の中で交錯するうち似たような表現が繰り返され、金玉に打撃を受けるたびに「見えているはずもない白っぽい空が奥行きもなく拡がっているのが、首筋越しに見えているような気が」し、そしてまた「ぷへー」とうめいて失神するのはエクスタシーの場合と同じで、ホテルの回転ドアは常に「ばふりばふり」と回っている。前記わが「ダンヴァニ」で用いて自信がなかった繰り返しが他でもないこの作者によって文学的になり得た上、しかも笑いさえ伴うのだと教えられ、安心させられた。
 たとえいつの時代を描こうと小説作品は常に現代を表現している。作者が現代に生きているのだから何を書こうがそうなのだ。大正時代から昭和初期にかけて性的頽廃が徐徐に充満しつつあったあの時代の中、次第に軍人や憲兵の姿が何やらきな臭く彷徨しはじめ、そして破滅に繋がる戦争へと突入していくのはまさに現代に重なる姿であろう。そしてあの時まだ子供だった小生が楽しくエノケン映画を見ながらも、近づいてくる戦争に、戦争は悪いものなどとは夢にも思わずなぜか胸ときめかせわくわくし、面白がっていたことが今のように思い出されてならないのだ。 (つつい・やすたか 作家)

        危険な感情教育・・・・・・・・・黒田夏子

 息つぎのすきもないことばの勢いに乗ってあちこちを長い年月にわたって引きまわされたようにおもうのだが、じつのところこの作中時間は、冒頭「傾きかけた西日を受けて」から終景「…時間が時間でございますから、今日は夕刊をお持ちしました…」までちょうど一昼夜、しかもその大半を中心人物は熟睡してすごし、そのあいだに戦争が始まっていたという鮮やかな設定になっている。
 この朝、ラヂオの臨時ニュースは、つぎつぎと“大本営発表”を伝えていたはずで、作品全体の背中に戦争が重く貼りついていることは随所に書きこまれてもいるとおりだが、読み手としては、せっかく睡らせてもらえた作中人物にあやかって、“諜報機関”だの“特務工作”だのはあくまでも裏側にひそませ、その前夜の実質わずか数時間の個人としての激動のほうに素直にかまけていることにする。
 そうたどれば全篇は、極度に凝縮された成人儀礼の時間であり、“伯爵夫人”による手荒な授業時間である。
 この、翌年に帝国大学法科の入学試験を、翌々年に徴兵検査をひかえた旧制高等学校生にとって、“伯爵夫人”とは、異性すなわち他者すなわち全ての外界であり、それゆえ極端な怖れと憧れの対象、謎の塊、虚実の不分明として現前する。そしてその言動と、語り聞かす経歴中の所業とは、その妄想を埒を超えて拡大し、方図もない強烈さで二面性をつきつけ、あげく、両親の寝所から聞こえる嬌声の“レコード”のそもそもの音源はだれのものかとか、“伯爵夫人”が産んだという祖父の子“一朗”と自分“二朗”とはどちらがどちらかとか、自己同一性さえゆさぶりつくして、突如、手のとどかない闇世界に去っていってしまう。「…正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保たれているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから…」と言いつつ、迫る危難の時代に備えて“ココア缶”と“絹の靴下”とのひとかかえを置きみやげとして託していったりするのが、この苛酷な両極性の教師の情の形なのだ。
 二朗が“伯爵夫人”と最後に一緒にいたのは、作中現実としては冒頭の回転扉のあるビルヂング地下二階の“茶室”だが、そこの風景は「…さる活動写真の美術の方が季節ごと作り変えている」人工物で、ここは「どこでもない場所」「存在すらしない場所」「何が起ころうと、あたかも何ごとも起こりはしなかったかのように事態が推移してしまった場所」、「…だから、わたくしは、いま、あなたとここで会ってなどいないし、あなたもまた、わたくしとここで会ってなどいない」と“伯爵夫人”は言う。
 この“場所”は、ごく初めのほうで“級友”が“同級生”として言及する“あの虚弱児童”の原型らしい実在の作家の、最終長篇最終景での八十老の感慨である「記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった」とまっすぐにひびきかわす。ちなみにこの“同級生”の広く知られている実年齢によって作品の時代の空気が早くから特定できるなど、人も事もさりげなく適切な布置それ自体で説明ぬきに納得されるのは端的に“活動写真”の手法で、それらおびただしい語句章句、視覚的聴覚的形象はいずれも単独に放置されることなく、反復や相似や対比をかさね、たてよこななめに照応し、読み手がともすれば流れの速さに足を取られ、重層する虚構に踏みまよう構造を、限定してしまうのではない微妙な律儀さで支えていく。
 この律儀さは、もうさっさと睡らせてやれと言いたくなる疲労困憊のはずの帰宅の寝間に届いていた“従妹”の長手紙に「さっそく返事をしたため」る作中人物のありようにもかよって、読み手がつい楽しくなるほどの律儀さで、とても一度読んだだけでは拾いきれない、また読もうと誘ってくる蠱惑として、この作品をいっそう豊かに充実させている。 (くろだ・なつこ 作家)

         随想 『伯爵夫人』の時代と私のかかわり・・・・・・・・瀬川昌久

 かねがね敬愛する蓮實重彦さんが「新潮」四月号に「伯爵夫人」という小説を書いて評判になっている、と聞いて早速本屋に走ったが、既にどこも品切れだった。間もなく第29回三島由紀夫賞を受賞された時の記者会見で、小説を書くきっかけの一つに、「ある先輩が日米開戦の夜にジャズをきいていたこと」を上げられた、という情報を友人たちが連絡してきて、「あれは貴方のことだよ」と告げてくれた。どういう意味でか判らぬながらも、受賞そのものは非常に嬉しく思っていたところ、やっと本を入手して急いで目を通してみると、主人公の二朗が長い遍歴の末帰宅して眠り込みやっと目をさますと、夕刊に米英との開戦が報じられている、と末尾に書いてある。
「新潮」七月号の受賞インタビューの中で、蓮實さんは、私の名前を出して「トミー・ドーシー楽団による『Cocktails for Two(愛のカクテル)』のレコードを派手にかけられたら、ご両親から『今晩だけはおやめなさい』とたしなめられた」ことを引用して、私が戦争中もジャズをずっときいていたのは、戦前の日本に豊かな文化的環境があった証左だと述べておられる。これを読んで、今度は私の方が深い感銘を受けた次第であるが、小説「伯爵夫人」の中には、残念ながら音楽の話は出てこない。しかし蓮實さんは、映画を通じて、音楽にも極めて造詣が深く、昨年映画と音楽について対談した時に、日本映画がいかにアメリカのモダンな手法を採り入れていたかの例として、エディ・カンター主演の「突貫勘太」(一九三一年)の冒頭の歌が、PCL映画「ほろよひ人生」(一九三三年)にそっくり流され、更にエノケンの「青春酔虎伝」(一九三四年)のオープニングに、ダンサーやエノケン、二村定一らの長々と歌い踊っている場面を映像を通じて説明された。その時エディ・カンターを囲んで華麗に歌い踊るゴールドウィン・ガールズのまばゆいばかりの大群舞の場面を指して、「みんな背中は何もつけてないガールズの一糸乱れぬグループを使ってこんな題材を作っちゃうんだから、そんな国との戦争など勝てるはずもない」と申されたので皆大笑いした。
 次に文中出てくる二朗の数人の級友の中に、「文士を気どるあの虚弱児童」の「平岡」の名が出てくる。「新潮」のインタビューでも「仮面の告白」評が出てくるので明らかに三島由紀夫(本名平岡公威)のことであろう。私はたまたま三島とは初等科から大学まで同級で、文学面を離れて親しく友達付き合いを重ねた。彼が体育や教練を好まず見学することが多かったのは事実だが、病弱で休むことはなかった。勿論作文の才には秀で、高校時代から小説を書いて注目されていた。大学にも一緒に入ったが、兵役は丙種不合格で、私の新調したばかりの制服を彼に貸した覚えがある。小説にはよくいわれる彼の変質性が強調されている嫌いがあるが、それは彼の一種の遊び心であったと思う。戦後学生のダンスパーティが盛んになった時は、我々の仲間の常連になって、きれいな女性パートナーを追っかけ廻したものだ。彼の著書「旅の絵本」にも出てくるが、彼が昭和32年夏にニューヨークに来た時私も前年から滞在していたので、始終顔を合わせた。彼は戯曲「近代能楽集」をブロードウェイで上演する話がすすんで、プロデューサーを決めて出演俳優のオーディションや劇場の手配を行うのに立ち会い、年内オープニングを目指していた。親友のドナルド・キーンの手配によるものだったが、その手順が次々に延びてしまって、彼はイライラしていた。流石の彼も資金を節約するためグリニッチ・ヴィレッジの安宿に引っ越して耐乏生活を始めたので、慰労の意味で、彼の好きなスパニッシュダンスを見せるスペインレストランに誘ったりした。「何故これ程芝居公演にこだわるのか」と訊ねると、彼はいたずらっぽく笑って答えた。――「先ずニューヨーク・タイムズ紙の日曜日の演劇欄に、僕の芝居の記事がいかに書かれるかを読みたい。それは芝居の初日、芝居がハネると、プロデューサーや劇評家たちが続々と集まる「サーディス」というレストラン・バーで、彼等が作品について議論する結果によって、作品の運命が決るんだ。僕は当日「サーディス」の片隅にそっと座って、彼等の議論に耳を傾けるスリルを味わいたいんだ。それだけだよ」。残念ながらその時は上演に至らず、彼は失意のまま帰国した。その彼は結婚して白い塔のある豪奢な自宅に、ドナルド・キーンと私共夫妻をよんで会食しながら、あの時のことを語ったものだ。「仮面の告白」にある「下司ごっこ」などについては、何れ蓮實さんと二人だけでワインでも飲みながらお互いの体験を語り合う機会を楽しみにしたい。 (せがわ・まさひさ 評論家)
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担当編集者のひとこと

「文学的事件」の意味するところ

    担当者の特権で本作の原稿をいち早く読ませていただいた際、すぐさま「これは文学的事件だ!」と直感しました。
    構想40年に及ぶ大著『「ボヴァリー夫人」論』を完成させ、映画時評からの引退すら宣言したばかりの著者が、なお語彙レベルで新たな表現領域に踏み込んだことに強く衝撃を受けたのです。
    三島賞受賞により作品を取り巻く状況が大きく変化した現在も、その気持ちは変わりません。
    『伯爵夫人』の事件性は、まずもってテクストにこそ宿っています。  2016/07/06
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神田鈴子歌集『春の蟻』・・・・・・・・・・木村草弥
神田_NEW

──新・読書ノート──

      神田鈴子歌集『春の蟻』・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・青磁社2016/07/03刊・・・・・・・・・・

 思い返せば、大阪歌会でいつもお会いする神田さんであった。
いつのことだったか、体を壊されて入院されたと聞いて山本孟さんと一緒に病院へお見舞いに行ったことがある。そんなことで個人的にも親しくお付き合いするようになった。
 私の贈呈した歌集のお礼などに何度も手作りのケーキを頂いたことがある。いつも美味しく賞味したことである。
 さて、この歌集のことだが、牧雄彦氏の装丁が印象的である。「春の蟻」という字と、それに続くカットが面白い。
 奥田清和氏、牧雄彦氏の「あとがき」などに詳しく書かれていて、私が特に付け加えることなど何もないが、それだけでは芸がないので、少し歌を引いて書いてみたい。
 奥田氏は神田さんの小学校での担任だったという。何という古い縁(えにし)だろう。それらの思い出が「序文」に書かれていて趣ふかい。
 何分、二十八年にわたる歌の中からの精選であるから、この歌集の収録されたものを更に選ぶというのは極めて難しい。年度別の歌から一つづつ引くことになるだろう。

*弱りたる終の力をふり絞り母は指輪を抜きてわが手に
*生き甲斐はケーキ作りと決めゐしを短歌の道に連なりて来ぬ
*空襲の記憶たどればまざまざと夜空をのぼる火の柱立つ
*片ひざを抱きて夫は爪を切る明日は失ふ足を撫でつつ
*さしのべし細きかひなにわれを抱き夫はいまはの口づけをせり

これらの歌には母、夫との悲痛な「訣れ」が詠まれている。四首目の歌など、まさに絶唱というべく秀逸である。

*庇ひくるる手のなきこの身晒しつつ目くらむほどの遠き坂道
*震災に倒れしままの夫の墓碑割れ目を春の蟻のぼりゆく

二首目の歌から、この歌集の題名が採られているが、この歌は「大阪歌人クラブ市長賞」を得られたという記念すべき歌である。

*夫の知らぬ孫二人増え片言のとびかふ居間を見守るうつしゑ
*母子馬のつかず離れず草食める都井の岬の朝のつゆけさ

二首目の歌は都井岬に寄り添っている母子馬に托して、神田さんの心象が投影されている。

*夫の齢はるかに越えて生くる日よ冬の星座のまたたき仰ぐ
*禁断のさくらの実を食み立たされし集団疎開の飢ゑもはるけし
*夜の道に落としし銀のイヤリングこの月光を吸ひてゐるべし

三首目の歌の放つ雰囲気を読者は何とも言えぬ沈潜さを持って共有するのである。

*母逝きし齢をつひにけふ越えぬつね護られし日を重ね来て
*おだやかな元旦の光射し初むる干支は午年駆けてもみむか
*八歳に途絶えし父の記憶なり行年三十五歳の墓碑を撫でつつ

二首目の歌の結句「午年駆けてもみむか」という表現に神田さんの非凡な歌の才能を、かいま見る思いである。
今年、神田さんは傘寿を迎えられたという。その記念すべき年に、この歌集を上梓されたのを、私も悦びを共有してお祝いしたい。
 私が付け加えることは何もないが、敢えて言葉を連ねた次第である。
 有難うございました。どうぞ、お健やかにお過ごしください。

佐伯泰英『死の舞い』―新・古着屋総兵衛 第十二巻―・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

        佐伯泰英『死の舞い』―新・古着屋総兵衛 第十二巻―・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・新潮文庫2016/06/01刊・・・・・・・

       長崎沖に出現した妖しいガリオン船。
        謎の仮面の戦士たちが船上で舞う──。
        江戸では五回目の古着太市の準備が佳境を迎えていた。
        そんな折、ガリオン船の仮面の戦士たちが大黒屋の前に姿を現す。
        巻を措く能わざる衝撃の第十二巻。


この本の「あとがき」に佐伯が書いている。
  <十九世紀に入り、日本にどんどん異国の影が忍び寄ってくる。
    鎖国下にある徳川幕府は、漠とした外圧に曝されている。
    なんとなく現代と似通った、「不安の時代」と思える。
    総兵衛の指導力が問われる、ということはこちらの才が問われるということだ。
    ともかく頭を絞って書き上げた時代小説、いや、現代小説です。>
とある。

この本が出たとき、私の体調は最悪で、本を読むどころではなかった。
つい最近、この本が出たことを知ってアマゾンから取り寄せた。 久しぶりの佐伯ぶしに接した。

余談になるが、創刊号以来、定期購読してきた週刊「日経ビジネス」をやめることにした。
先日着いた7/11号が最後となった。前金切れを契機に止めることにした。
はじめは月二回から旬刊になり、今の週刊になった。ずっと三年分前金を払って読んできたが、この齢になって、ビジネスでもないだろう、と思ったからである。
ともあれ、この雑誌から得たものは多かったと思う。 一筆書き添えました。







       
北村薫『うたあわせ』─北村薫の百人一首・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     北村薫『うたあわせ』─北村薫の百人一首・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・新潮社2016/04/22刊・・・・・・

     短歌は、美しく織られた謎……言葉の糸をほぐして、隠された暗号を読み解く。

    歌と歌を繋ぐ糸を見つけて、向かい合い、背を向け、また遠く離れてなお響き合う、歌の奏でる音を聴く。
    独自の審美眼で結び合わせた現代短歌五〇組一〇〇首。
    塚本邦雄+石川美南から、三井ゆき+佐佐木幸綱まで、短歌総数五五〇首を収録。
    確かな読みで、その魔力を味わい尽くす、前代未聞のスリリングで豊かな短歌随想。        

北村薫の本については、以前にを採りあげたことがある。
はじめに新潮社の読書誌「波」四月号に載る書評と座談会の記事を引いておく。
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   [北村 薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』刊行記念特集]
       百首を這いめぐる触手     佐伯裕子
 

 はっとする鑑賞に出会った。吉川宏志の「夢に棲む女が夢で生みし子を見せに来たりぬ歯がはえたと言いて」に関わる箇所だ。結句のしんとした怖さをどう読み取るか。
フローベールの『ジュリアン聖者』(岩波文庫)の一行、山田九朗訳が引用される。「――一度も泣かずに歯が生えた」。生き物を殺戮することに取り憑かれる幼児の描写だ。
かつて、この一行に「慄えた」と著者は書く。
 だが、山田訳の一行は、原文の意味を一瞬のうちに誤読させるもののようだった。「歯もはえそろったが、そのために泣いたことは一度もない」(桑原武夫訳)など、忠実な訳が紹介されていく。
だが、理に適って見えるどの訳も、著者を戦慄させてはくれなかった。
「夢という非現実から、その小さいが白々とした《歯》が現実に食い入って来そうになる」という結句の解釈。翻訳の一行に導かれた鑑賞が、吉川の一首をさらに怖いものにしている。
 心動かされた初発の印象を、安易に「正しさ」に譲りわたさないのは、創作者としての心意気だ。どの鑑賞にも息づくその姿勢は、歌人の藤原龍一郎、穂村弘との巻末の鼎談でも露出する。
木下龍也の「つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる」などの解釈にまつわるやりとりだ。
「店先に並ぶ菓子パンの袋がそっと囁く」とする、直観的で一途な解釈にたじろぐ二人。著者の抑えがたい想像力が浮き彫りにされる場面である。
 韻律に関わる箇所も印象深い。
仙波龍英の「ひら仮名は凄じきかなはははははははははははは母死んだ」、香川ヒサの「ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む」の二首の組だ。
本来は「母母母母母母」となるところが、短歌の場合、平仮名だと「ははははは・ははははははは」と五句七句に別けて読まれてしまう。すると、読後に「哄笑」が響きわたる。
この一首から、韻律の怖さと同時に、仙波の韻律への憎悪を読み取っているのである。香川の歌も、一字空けの効果を、「短歌の調べが世界を引き裂く」もの、と鋭く指摘する。
 何しろ「――一度も泣かずに歯が生えた」という一行に、瞬時に共振する感性だ。たった一行が放つ衝撃を、今度は一首の短歌に読み取ろうとする。
読後の瞬時の戦慄をもとに書かれているのだが、その視線は、百首の歌を這いめぐる触手のようにも思えてくる。
「かくのごと綴られてゆくよろこびのこゑいかばかりわたしが言葉ならば」はどうだろう。詞書「吉行淳之介『目玉』読後」を添える西村美佐子の一首だ。
艶のある文章を読む悦びが全身でうたわれている。
この官能的な歌を鑑賞するのに、著者自身が言葉になって、一首を這いめぐるのである。書くことの愉悦、読むことの愉悦を知る者の、最良の選歌といっていい。
 読んでいて嬉しいのは、選ばれた歌がユニークだったり、これまで気づかなかった秀歌だったりすることだ。それも、どちらかといえば、仄暗い深淵を湛える歌が多いように思われる。
例えば、三井ゆきの、夫を焼き場に送った一首、「覚えてもゐぬことを思ひ出さむとす君を包みし火の色などを」。ああ、こんなに凄まじい挽歌があったのかと、しばらく感じ入ったのだった。
 戦慄する「歯」のイメージを呼び起し、「世界を引き裂く」調べの怖さを指摘し、そうして「言葉と同化する」法悦へと読者を誘っていく。そのような鑑賞のうちに、著者自身が見ている風景の仄暗さ、もの悲しさに浸されてしまうのである。
 誤読を恐れず、初発の感動を手放さない鑑賞に、わたしは自由な広がりを感じた。小説家である著者には、一首のめぐりに、重層的なイメージやドラマが見えていたにちがいない。
短歌は、好んで読み承いでくれる人によって、豊かに太っていく詩型なのだ。   (さえき・ゆうこ 歌人)
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       [北村 薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』刊行記念特集]
        【座談会】短歌というミステリーの謎とき   北村 薫×藤原龍一郎×穂村 弘


本書の巻末に収録された〈歌人と語る「うた合わせ」〉(ラカグsokoでの公開トーク)の一部をご紹介します。

北村 「短歌俳句は作る人でなければ、本当に味わうことはできない」といわれます。私は短歌を作らないんです。「歌人には、どう読まれるのだろうか」と、恐る恐る(笑)、お聞きいたします。
穂村 韻文のパワーって、いわゆる正しさみたいなものからずれたところで成立することがやっぱりあって、そういうことを、書き手の感受性がつきとめているっていうのかな。でも、それは韻文をやる人はみんな直感的に知ってるんだけど、北村さんは直感的に知っていることを、散文的にもう一回、検証されている。韻文の魅力は正しさだけにはないっていうことを重々知っていながら、同時に散文的な執念みたいなものも持っていて、そこに、謎を解いていくミステリーのセンスを感じるんです。
 僕はミステリーをそんなに読み込んでいるわけじゃないけど、自分が好きなミステリーって再読できる。それは散文的な謎が解けても、その奥には命とか存在とか人生とか、そういう根本的な謎があって、それがむしろ強化される。謎が解けたことによって、事件は解消されるが、残った一人一人の人間の命や人生はより混沌として異様な感じになって、世界はなんて恐ろしいんだっていうふうに思えるものこそが、すごくかっこいいって思うんだけど、それは、韻文的な深さと散文的な誠実さの両方がないと成立させることのできないジャンルだって思うんですよね。北村さんも、普段ミステリーを書くときに、そういう書き方をしていると思うのですが、短歌を読むときにも、その両輪をすごく回してるっていう感じがするんです。韻文だからわからなくていいとか、そういう読み方ではなくて、ある種の正しさ、散文的な明快さを突き詰めようとする。でも、それがどこかで破綻すると、声を上げて喜ぶみたいなところがあって。とても楽しそうなんです。それを楽しいって感じる感受性がすごくあるんだな、と。だから、この本はとてもスリリングなんですよ。
 短歌っていうのは、誰でも一人では味わい切れないジャンルっていう感じがするんです。こういう名手がその味わいかたを教えてくれる――しかも自分が普通とは違う読みをしたっていうことも堂々と書いてくれているから、そこが、やっぱりすごく面白いんです。
藤原 これは北村薫っていう人の目で短歌を読みこんだもので、単なる現代短歌の鑑賞の本ではないですよね。それは歴然とわかります。穂村さんがおっしゃったことは、まったくそうなんです。そして全部読んでいくと、「うた合わせ」として短歌が二首並んで選び出されているけど、結局はその章の中にほぼ九割九分まで一首目のことしか書いてなくて、最後にちょっとだけもう一首のことが触れられているというような章もある、ただの鑑賞の本ではありえない書き方です。
 やっぱり覗いてる窓が違うんですよね。歌人からは、こういう読みって出ないと思うんですよ。
北村 そのお言葉は、すごくありがたいですね。ほかの人が書かない、書けないだろうって本を書くことが、書く者の務めですからね。
穂村 それに、とにかく楽しそうですよね。小説を書くときより楽しんでいるんじゃないかって思うぐらい、文章にも、その感じがにじみ出ています。ずっと短歌を書いてると、短歌って面白いのかな?――みたいな感じになって、わからなくなってくる。最初の何か月かはすごく面白いって確信していたのに。だから、改めて「あ、短歌ってやっぱり面白いんだ」って、思いました。文体そのものも喜びに満ちています。非常に貴重なカンフル剤となってくれる感じがします。
藤原 この本は普通の短歌の読み方を教える本ではないんです。歌人向けでもない。短歌だけでなく文学全般に興味がある人が、読者として想定されている本だと思います。こういう形で現代短歌を読み解いた本はなかった。こういう形の読みに、現代短歌は直面して来なかったんです。どうしても二十年、三十年と短歌を創っていると、ほとんどの歌人の看板を知っているような気になってしまうので、一切のしがらみがない立場で、作品として読んでいるというところがとても貴重だと思います。たくさんの人に読んで欲しいですね。(きたむら・かおる 作家)(ふじわら・りゅういちろう 歌人)(ほむら・ひろし 歌人)
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北村薫/キタムラ・カオル
1949年埼玉県生まれ。早稲田大学では、ミステリ・クラブに所属。母校埼玉県立春日部高校で国語を教えるかたわら、1989年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。
1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。
小説に『秋の花』 『六の宮の姫君』 『朝霧』 『スキップ』 『ターン』 『リセット』 『盤上の敵』 『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『月の砂漠をさばさばと』 『ひとがた流し』
『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)『語り女たち』 『1950年のバックトス』 『いとま申して 「童話」の人びと』 『慶應本科と折口信夫 いとま申して2』 『飲めば都』 『八月の六日間』 『太宰治の辞書』 『中野のお父さん』などがある。
読書家として知られ、『詩歌の待ち伏せ』 『謎物語』 『ミステリは万華鏡』 『読まずにはいられない 北村薫のエッセイ』 『書かずにはいられない 北村薫のエッセイ』など評論やエッセイ、
『名短篇、ここにあり』 『名短篇、さらにあり』 『とっておき名短篇』 『名短篇ほりだしもの』 『読まずにいられぬ名短篇』 『教えたくなる名短篇』(宮部みゆきさんとともに選)などのアンソロジー、新潮選書『北村薫の創作表現講義』、新潮新書『自分だけの一冊 北村薫のアンソロジー教室』など創作や編集についての著書もある。




又吉直樹『火花』せきしろ×又吉直樹『まさかジープで来るとは』『カキフライが無いなら来なかった』・・・・・木村草弥
又吉①_NEW
 ↑ 「火花」 文藝春秋2015/08/15刊 第17刷
又吉②_NEW
 ↑ 幻冬舎2011/05/10刊 第4刷
又吉③_NEW
 ↑ 幻冬舎文庫 平成25/10/10刊 初版

──新・読書ノート──

   又吉直樹『火花』せきしろ×又吉直樹『まさかジープで来るとは』『カキフライが無いなら来なかった』・・・・・・・・・・木村草弥

いま話題になっいる又吉直樹である。
『火花』は百万冊単位のベストセラーになっている。
私がアマゾンから買ったのは、いずれも古書である。 後の二冊なんかは1円というもので送料257円が付くのみという安さである。
アマゾンの書評欄に載るコメントを一つひいておく。
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多分これが芥川賞を取るでしょう投稿者 エア 投稿日 2015/7/7

芸人だからっていろいろな見方がされるのでしょうけど、この火花は純文学として十分に完成度が高いです。
以前に賞をとって有名になった某イケメン俳優の小説とは全くものが違います。
芥川賞の候補になる価値はありますし、多分これが芥川賞を取ると思います。

これはエンタメ小説ではありませんので、普段純文学を読んでいない人にとっては
つまらない小説になるかもしれません。
ここで酷評している人たちは、最近の芥川賞の受賞作や、今回の候補作を読んだのでしょうか?
それらに比べて、そんなに劣っていると思ったのでしょうか?
私は今回の候補作は全部ではありませんが読みました。
それらと比べても決して遜色がない作品だと思います。
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又吉は、読書が好きだと公言するだけあって、小説を書き慣れている。文体は昭和風で少し古めかしいけれど。
ピースという吉本所属の漫才師という話題性のある人だからというニュース性に富んだことも受賞に大きく貢献していると言える。

私が引いた後の二冊の本が面白かった。
「自由律俳句」というのも私には親近感があった。 「せきしろ」などについてはWikipediaで見てもらいたい。

「共著」ではあるが、仔細に見てみると、ページの上に「せきしろ」とか「又吉直樹」なんて書いてあるから、それが二人の作の目印なのだろう。
『カキフライが無いなら来なかった』が先に発刊されたようだ。文庫化されたのは後だが。
せきしろ作と思われる句はやめて、又吉作と思われる句を少し引く。

     二日前の蜜柑の皮が縮んでいる

     憂鬱な夜を救ってくれる本といる

     坊さんが大量にアイスを買っていた

     まだ眠れる可能性を探している朝

     ハンガーに何もかかってない引っ越した日

     猿がデジャブとつぶやいた

     フタをしめない主義なのか

ところどころに「散文」が挿入してあって、こういうところで又吉は小説を書く修練をしているようだった。大事なことである。

     熟年カップルが影と影にキッスさせてた

     このベンチは止めよう昔ちょっと

     占い師が犬に吠えられている       (以上、『カキフライが無いなら来なかった』より)

     イントロは良かった

     こんな大人数なら来なかった

     急に番地が飛んだぞ

     男が読む新聞の裏が猥褻

     日記を劇的にしたがる癖がある

     黙る場所と馬鹿でも気付く雰囲気

     何かの記念日だと気づいたが遅い

     立ち小便の湯気に怯える

     鳥居と同じ色の唇

     自分が注文した料理が余っている

     嫌な予感ミラーボールがある

     自分だけ吠えられると悪魔と思われる

     家にいると決めた日の夕焼けが誘う

     鬼門で転ぶ平凡な男だ

     大盛りという嫌がらせもある

     分不相応なほど良い詩集は押入れの奥へ

     便座を拭いている段階でノックされている

     下巻しかない      (以上『まさかジープで来るとは』より)

          



「夷酋列像」を見る─国立民族学博物館展示・・・・・・・・・・・・木村草弥
アイヌ
中村_NEW
↑ 中村真一郎 『蠣﨑波響の生涯』新潮社 平成4/01/15十刷
アイヌ_NEW
 ↑ 日本史リブレット 浪川健治 『アイヌ民族の軌跡』山川出版社 2016/03/30六刷

──新・読書ノート──

     「夷酋列像」を見る─国立民族学博物館展示・・・・・・・・・・・・木村草弥

かねてネットの上で色々お教えいただいているO君と同道して、上記の展示を一緒に見る機会を得た。 2016/04/16のことである。
もう何年も交友しているのだが、それはネット上のことで、お会いするのは初めてである。
同氏は茨木市に住んでおられ、民博には図書室などに、しょっちゅう通っておられるようで、JR茨木駅で待ち合わせ、バスで万博記念日本庭園前まで行き、庭園内を突き切って民博に至る。
私の次兄・重信が阪大教授と併任で、ここの教授を一時期つとめていたことがある。
私が、これらの絵に接したのは、中村真一郎 『蠣﨑波響の生涯』新潮社 平成4/01/15十刷 の本を読んだのが初めてである。
この本は絵を中心に書かれたものではないが、絵の筆者である「蠣﨑波響」なる人物について書いた精細な、学術的な本である。
箱入りの大部の本で、総ページ数687ページ、厚さ4センチ、定価5000円、私の買ったのは古書だが4200円した。
先ず、『夷酋列像』についてのWikipediaの記事を引いておく。
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『夷酋列像』(いしゅうれつぞう)は、江戸時代後期の松前藩の家老で、画家としても高名な蠣崎波響が、北海道東部や国後島のアイヌの有力者をモチーフに描いた連作肖像画である。

成立の経緯
寛政元年(1789年)5月、国後島とメナシのアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた70人余りの和人を殺害した。これがクナシリ・メナシの戦いである。
事件を受けた松前藩は260名の討伐隊を派遣したが、その指揮官の一人が蠣崎波響だった。
戦いを鎮圧した後に討伐隊は藩に協力した43人のアイヌを松前城に同行し、さらに翌年の1790年にも協力したアイヌに対する二度目の謁見の場が設けられた。
藩主・松前道広の命を受けた蠣崎波響は、アイヌのうちもっとも功労があると認められた12人の肖像画を描いた。これが「夷酋列像」である。
絵は寛政2年(1790年)11月に完成し、波響はクナシリ・メナシの戦いで失った藩の威信を回復するために絵を持参して上洛する。
大原呑響・高山彦九郎・佐々木良斎の尽力により、夷酋列像は光格天皇の叡覧を仰ぐことになる。

描かれた人物
1.マウタラケ(麻烏太蠟潔) - ウラヤスベツ惣乙名
2.チョウサマ(超殺麻) - ウラヤスベツ乙名
3.ツキノエ(貲吉諾謁) - クナシリ惣乙名
4.ションコ(贖穀) - ノッカマフ乙名
5.イコトイ(乙箇吐壹) - アッケシ乙名
6.シモチ(失莫窒) - アッケシ脇乙名
7.イニンカリ(乙唫葛律) - アッケシバラサン乙名
8.ノチクサ(訥窒狐殺) - シャモコタン乙名
9.ポロヤ(卜羅亜鳥) - ベッカイ乙名
10.イコリカヤニ(乙箇律葛亜泥) - クナシリ脇乙名
11.ニシコマケ(泥湿穀末決) - アッケシ乙名
12.チキリアシカイ(窒吉律亜湿葛乙) - ツキノエの妻、イコトイの母
松前廣長『夷酋列像附録』より

収蔵場所
『夷酋列像』は粉本・模写を含めると6種が存在する。
1.ブザンソン美術館:イコリカヤニを除く11人の肖像に松前廣長の序文2枚が附属する。来歴は不明。
2.函館市中央図書館:ションコ、イコトイの肖像。『御味方蝦夷之図』の名で伝えられる。
3.松浦史料博物館:12人すべての肖像。平戸藩主・松浦静山が松前道廣から原本を借りて、お抱えの画工に模写させたと伝えられる。
4.常楽寺(浜松市):イニンカリ、ノチクサ、ポロヤ、イコリカヤニ、ニシコマチ、チキリアシカイの6人の肖像。住吉派の画家・渡邊廣輝が文化元年(1804年)に模写する。
5.北尾家所蔵:12人すべての肖像。天保14年(1843年)に小島貞喜が模写する。
6.粉本(函館市中央図書館所蔵):波響からその子である蠣崎波鶩に与えられたもの。シモチが欠けている代わりに、人名未詳の者3名の肖像が加わる。北海道指定有形文化財。
なお、北海道新幹線新函館北斗駅構内の連絡通路には地元のロータリークラブが制作した「夷酋列像」の大型の陶板壁画が展示されている。
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明治維新のときには「廃仏毀釈」の風潮が吹き荒れ、古来の貴重な絵画、彫刻が散逸し、多くが外国に売られたりした。
今回の展示の主たる部分をなすのはフランスは「ブザンソン美術館」所蔵の絵などで、今回、里帰りで日本で展示されているもので、日本各地を巡回している
この絵がフランスに所蔵されるようになった経緯ははっきりしないが、フランス人宣教師が幕末に函館で布教していたので、その折に持ち出されたのかも知れない。
今でも函館にはフランス系のカトリック教会が現存する。
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蠣崎 波響(かきざき はきょう)/蠣崎 広年(かきざき ひろとし)は、江戸時代後期の画家、松前藩家老。

生涯
松前藩12代藩主・松前資広の五男に生まれる。13代藩主・道広は異母兄。母は松前藩の家臣・長倉長左衛門貞義の娘・勘子。家老職を継いだ長男・波鶩(広伴)も画家として知られる。
なお、幕末期の家老であった下国崇教も一時期波響の養子であったことがある。
生まれた翌年に父が亡くなり、兄・道広が跡を継いだため、家禄五百石の家老蠣崎家の養子になる。
幼い頃から画を好み、8歳の頃馬場で馬術の練習を見て、馬の駆ける様を描いて人々を驚かせたと伝えられる。
叔父・広長は波響の才能を惜しんで、安永2年(1773年)に江戸に上がらせ、南蘋派の画家・建部凌岱に学ばせた。
間が悪く翌3年に凌岱が亡くなると、師の遺言に従い宋紫石に師事。
天明20年(1783年)20歳の時松前に戻り、この年の冬から大原呑響が約一年松前に滞在し、以後親交を結ぶ。波響と号したのはこのころからである。
寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦い(寛政蝦夷蜂起)で松前藩に協力したアイヌの酋長を描いた『夷酋列像』(函館市中央図書館に2点所蔵。1980年代にフランスのブザンソン市立美術館で「夷酋列像」11点が発見)を翌年冬に完成させ、これらが後に代表作とされる。
寛政3年(1791年)3月に同図を携え上洛、『夷酋列像』は京都で話題となり、光格天皇の天覧に供され、絵師波響の名は一時洛中で知られた。
円山応挙につき、その画風を学び以後画風が一変する。文化4年(1807年)、幕府が北海道を直轄地にしたため、松前家は陸奥国伊達郡梁川藩に転封され、波響も梁川に移った。
文政4年(1821年)、松前家が松前に復帰すると、波響も翌年松前に戻り、文政9年63歳で没した。

画の門弟に、継嗣の波鶩のほか・高橋波藍・高橋波香・熊坂適山・熊坂蘭斎などがいる。

交友
画人では円山応挙を始め、岸駒、四条派の松村呉春、皆川淇園等と、文人では漢詩人菅茶山や六如、橘南谿、伴蒿蹊等と生涯を通じ交流があった。
また木村兼葭堂を通じ、大名家では増山正賢や松浦静山等と交流した。京都をたびたび訪れ、温和な性格で社交的な波響は歓待された。
また梁川に転封となった頃は度々江戸を訪れ、酒井抱一や俳人松窓乙二などとも交流している。

森鴎外は『伊澤蘭軒』で波響を紹介している。地元では度々展覧会が催されたが、全国的に知られたのは中村真一郎『蠣崎波響の生涯』からである。
自筆資料は函館市立図書館に所蔵されている。
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絵をすべて載せることは出来ないので、いくつか取捨して紹介する。

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↑ 「イコトイ」像
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 ↑ 「マウタラケ」像
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↑ 「ノチクサ」像
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 ↑ 「ツキノエ」像
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この展示に関連して私の畏敬するブログ友O君が、彼のブログ「竹林の愚人Ⅲ」に記事を載せているので参照されたい。
アイヌ_NEW
↑ 今回の展示内容を解説したパンフレット

展示をざっと見たあと、ランチを摂って、みんぱくゼミナール「夷酋列像を考える」を聴講。   
   開催時間:13:30~15:00(開場:13:00)
   場所:国立民族学博物館 講堂
    講師:右代啓視(北海道博物館学芸主幹)
       内田順子(国立歴史民俗博物館准教授)
       日髙真吾(国立民族学博物館准教授)

以下、少し見にくいかもしれないが、講義内容のレジュメを画像で出しておく。  ↓
アイヌ①
アイヌ②
アイヌ③
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O君が、これについての記事や写真を FB ←リンクになっています。クリックしてください。 に公開されたので、覗いてみてください。楽しい半日だった。
いろいろお世話になり感謝いたします。



原田マハ 『暗幕のゲルニカ』・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      原田マハ 『暗幕のゲルニカ』・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・新潮社2016/03/28刊・・・・・・・

        反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画、ピカソの〈ゲルニカ〉。
        国連本部のロビーに飾られていたこの名画のタペストリーが、2003年のある日、突然姿を消した
        ――誰が〈ゲルニカ〉を隠したのか? ベストセラー『楽園のカンヴァス』から4年。
        現代のニューヨーク、スペインと大戦前のパリが交錯する、知的スリルにあふれた長編小説。
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原田マハは私の愛読する作家である。
先ず新潮社の読書誌「波」2016年4月号から記事を引いておく。

       [原田マハ『暗幕のゲルニカ』刊行記念特集]【インタビュー】
         「暗幕のゲルニカ事件」が伝えたもの      原田マハ

「どうにかしてピカソに挑んでみたい」。そう思ったのは二〇歳のときでした。私は当時関西の大学に通っていました。ちょうどそのころ京都市美術館で大規模なピカソ展があったんです。忘れもしない、一九八三年七月一四日。自分の誕生日にピカソを見て強く衝撃を受け、それが小説『暗幕のゲルニカ』に結実したときにはすでに三〇年以上の時間が流れていました。
 二〇世紀絵画の巨匠、ピカソ。多くの作品の中でも〈ゲルニカ〉は特別な絵です。一九三七年にドイツ軍がスペインの街ゲルニカに行った無差別空爆をモチーフに、パリ万国博覧会のパビリオンの壁画として描かれた巨大な油彩画です。
『暗幕のゲルニカ』を書く直接のきっかけも、やはり実際に起こった出来事でした。〈ゲルニカ〉には、油彩と同じモチーフ、同じ大きさのタペストリーが世界に3点だけ存在します。ピカソ本人が指示して作らせたもので、このうち1点はもともとニューヨークの国連本部の会見場に飾られていました(ちなみに1点はフランスの美術館に、もう1点は高崎の群馬県立近代美術館に入っています)。しかし事件は二〇〇三年二月に起こります。イラク空爆前夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずのタペストリーが暗幕で隠されていたのです。私はそれを、テレビのニュースで知りました。
 同じ年の六月、スイスのバーゼルで行われた印象派の展覧会を訪れたところ、会場のロビーにそのタペストリーが飾られていたのです! 横には、暗幕の前でパウエル国務長官が演説をしている写真と、展覧会の主催者にして大コレクター、エルンスト・バイエラー氏のメッセージがありました。「誰が〈ゲルニカ〉に暗幕をかけたかはわからない。しかし彼らはピカソのメッセージそのものを覆い隠そうとした。私たちはこの事件を忘れない」と。そしてタペストリーは所有者の意向により、国連本部から他の美術館に移されました。
 結局、誰が暗幕をかけたのかは未だにわかりません。アメリカがイラクに軍を向ける、その演説にそぐわないと考えた何者かでしょう。けれど、その何者かは〈ゲルニカ〉に暗幕をかけることで、作品の持つ強いメッセージを図らずも世界中に伝えることになったのです。
 名画と呼ばれる作品は世界に多くありますが、〈ゲルニカ〉ほどメッセージ性が強くインパクトのある絵画を私は知りません。この作品を実際にマドリッドで見たことがありますが、六〇年以上前のことがなんら色あせず、カンヴァスの中にありました。空爆がまさに今起こったかのような生々しさでした。恐怖を描いて、平和を訴える。絵画なんだけど、ドキュメンタリー。忘れたい、でも忘れてはいけない出来事。〈ゲルニカ〉はそれらの矛盾をすべて内包している――抽象化することで逆にリアリズムを感じさせる傑作だと思います。
 ピカソは決して反戦主義者、平和主義者ではありませんでした。けれども〈ゲルニカ〉は、アートが強いメッセージを持ち、政治や国を動かすこともありうると信じさせてくれる作品です。現代では政治的なモチーフを取り扱う作家はたくさんいますが、彼らはみんなゲルニカの子どもたちだと私は思っています。
 実際は、美術が戦争を直接止められることはないかもしれません。それは小説も同じでしょう。けれど「止められるかもしれない」と思い続けることが大事なんです。人が傷ついたりおびえたりしている時に、力ではなく違う方法でそれに抗うことができる。どんな形でもクリエイターが発信していくことをやめない限り、それがメッセージになり、人の心に火を灯す。そんな世界を、私はずっと希求しています。     (はらだ・まは 作家)
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    [原田マハ『暗幕のゲルニカ』刊行記念特集]
          ピカソをめぐる壮大な美術ドラマ      大森 望

 絵画ミステリーの新機軸と高く評価され、二〇一二年の第25回山本周五郎賞を受賞した『楽園のカンヴァス』。その続編というか、姉妹編にあたる長編が登場した。その名も『暗幕のゲルニカ』。アンリ・ルソーの〈夢〉が焦点だった前作に対し、今回の核はパブロ・ピカソの名画〈ゲルニカ〉。『楽園のカンヴァス』では、若き日のピカソが脇役のひとりとして重要な役割を果たしたが、本書では壮年のピカソが舞台の中央でスポットライトを浴びる。
 物語は、一九三七年四月二十九日、グランゾーギュスタン通りにあるピカソのアトリエ兼住居で幕を開ける。視点人物は、ピカソの若い愛人で、〈泣く女〉など多くの名画のモデルをつとめたことでも知られる写真家のドラ・マール。のちに〈ゲルニカ〉制作過程の写真を撮影し、後世に貴重な記録を残す彼女の目から、〈ゲルニカ〉誕生のドラマとその後の数奇な運命が描かれてゆく。そのタッチは細やかで、ピカソの人となりや息づかいをありありと伝える。

 ピカソが絵を描き出す瞬間は、いつも唐突だった。雑談したり、くだらない冗談を言ったりしたあとに、モデルをほんの数秒間みつめて、さらさらとコンテを、あるいは鉛筆を動かし始める。……気がつくと、世にも不思議な絵ができ上がっている。どこからどう見ても写実的な像ではない、けれどこれ以上ないほどにモデルの特徴を瞬時にとらえ、デフォルメした造形。目をそむけたくなるほど醜くもあり、天上の美しさをも兼ね備えた人物像。

 ピカソは、内戦のさなかにあるスペイン共和国政府の依頼を受け、この年の五月に開幕するパリ万国博覧会のスペイン館のために、壁を埋めつくすほど巨大な新作を描くことになっていた。アトリエに届けられたキャンバスは、約三五〇センチ×七八〇センチ。何を描くべきか思い悩むピカソだが、その朝の新聞がすべてを変える。「ゲルニカ 空爆される/スペイン内戦始まって以来 もっとも悲惨な爆撃――」
 そこから、物語は二〇〇一年九月十一日のニューヨークに飛ぶ。二一世紀側の主人公は、日本出身のピカソ研究者、瑤子。ニューヨーク大学で美術史修士、コロンビア大学で美術史博士号を取得し、三十五歳でニューヨーク近代美術館(MoMA)に採用され花形部門である絵画・彫刻部門でアジア人初のキュレーターとなった(前作の主役のひとり、ティム・ブラウンも、瑤子の上司として登場する)。愛する夫、イーサンはアート・コンサルタント。だが、幸福な結婚生活は、ワールド・トレード・センターを襲った二機の旅客機により、とつぜん断ち切られる……。
 ゲルニカ空爆と9・11テロ、二つの大きな悲劇が対置され、ピカソの〈ゲルニカ〉が第二次大戦とイラク戦争をつなぐ。題名の“暗幕のゲルニカ”とは、ニューヨークの国連本部、国連安全保障理事会の入口に飾られている〈ゲルニカ〉のタペストリーのこと。しかし、二〇〇三年二月、コリン・パウエル米国務長官がイラク空爆を示唆する演説をそこで行った際、くだんの〈ゲルニカ〉は、なぜか青いカーテンと国旗で隠されていた。
 この史実を下敷きに、原田マハは空想の翼を広げ、大胆不敵な物語を紡ぐ。実在の人物が実名で登場する二〇世紀パートと違って、二一世紀パートでは、米国大統領や国務長官も架空の名前に置き換えられ、小説は虚実皮膜の間を縫うように進んでゆく。後半の焦点は、瑤子が企画する「ピカソの戦争」展と〈ゲルニカ〉をめぐる策謀。物語はクライマックスに向かってどんどん加速し、『楽園のカンヴァス』をも凌ぐ壮大な美術ドラマが展開する。驚愕のラストまで目が離せない。 (おおもり・のぞみ 書評家)




松永智子歌集『川の音』・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     松永智子歌集『川の音』・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・本阿弥書店2016/03/30刊・・・・・・・

この本は、松永さんの第六歌集になる。
「あとがき」によると、平成15年から26年までの作品から407首を収録したという。
松永さんは短歌結社「地中海」の重鎮でいらっしゃるから、この期間に1200首にのぼる歌があったという。
偶然にも、数日前に山本登志枝さんの歌集『水の音する』が届き、拝見したばかりであった。
しかも松永さんは「川の音」といい、山本さんは「水の音する」である。
詠まれる対象も、詠みぶりも、大変よく似ている。
短歌名鑑によると、松永さんは昭和四年のお生まれで、私より一歳年長であられる。 山本さんは、ずっとお若く昭和22年のお生まれとある。

松永智子さんには、私が「地中海」に在籍中は大変お世話になった。
「地中海」は、グループ制を執っており、松永さんは広島の「青嵐」グループを率いておられる。香川進の直接の謦咳に接した古参の幹部であられる。

さて、歌集のことである。
掲出した画像でも読み取れると思うが、「帯」文には

   <耳をすます。
    遠く音のはてたるその先に
    なお聞こえくるものは。
    目を凝らす。
    あかときのゆくりなく
    見上ぐる空に広がる世界は。

          自在なる精神の飛翔。
          第六歌集。>

とある。
「帯」裏には誰の選かはわからないが六首が引いてある。

  ・とほくなり近くなりまたとほくなるひびきのありて秋天たかし

  ・ゆれやまぬふうせんかづらかの夏のとほくなりつつまぼろしならず

  ・にんげんのかわきの無慙さらしつつ原爆ドームいまふかきかげ

  ・紅葉より紅葉へかかる吊橋 寥寥としてひびく水の音

  ・はるかなり啄木鳥の樹をたたく音ブナの林をふきすぐる風

  ・星のふるひびきの底なる夜の川闇ふかくして音なくながる

この歌集の題名を「川の音」という。 ここに引かれる歌にも「水の音」「夜の川」などの言葉が見られる。
この「水」また、五首目の歌に見られる「風」が、一巻を通じての通奏低音として読者の耳に響くのである。
また四首目の歌「吊橋」が四音で切れていること、次に一字分スペースを置いて補ってあるとは言え、わざと「字足らず」にするところなどに松永さんのレトリックがあると指摘しておく。
そういえば、松永さんから以前にいただいた歌集からも、この「水」「風」というのが作者の特徴として挙げられると思う。

巻頭にあるのは「ひびき」という一連である。この一連は独りぐらしの松永さんの「心象」を巧みに描いてあり秀逸である。

  ・秋の日のふかくさし入る畳のうへあまりにさびし立ちあがりたり
  ・ふいにして落ちゆくひびきとおければ双の手を垂れ秋天にきく
  ・とほくなり近くなりまたとほくなるひびきのありて秋天たかし
  ・なぜこんなにしづかですかと問ふてみる応へはない風のない夜   ←応へはない の字足らずの作為
  ・こぼれ出ることばがこぼれ こぼれ出ることのなかつた泪がこぼれ
  ・端坐して書いてゐるかげしづかですさびしすぎます夜があけます
  ・お月さんさびしくないの野に立つて呼んだやうにいまならいへさう
  ・雨の音に目ざむる夜ふけいづくにか濡るるをこばむ石のあるべし   ←あるべし というキッパリとした断定または推量

これらを見てみると、これらの歌を巻頭に置いた作者の編集意図を明確にくみ取ることが出来よう。

巻頭の歌につづく「春山」という一連。

  ・しづかなる胎動さながらかなしめばいま茫茫と芽ぶく春山    ←かなしめば は「愛しめば」と私は読む
  ・山の春まひるあかるしそこはかとなくただよふは梅の花の香
  ・備前の甕にしづもる梅の花山のくぼみさながらにして      ←私は桜よりも梅の花が好きである
  ・身のうちの「散華」の一語置き去りにことしの桜花終りたり

「項目」に拘っていては前に進まない。以下、私の好きな歌を列挙する。

  ・さぬき野は麦のうれどき見のかぎり靄ばかりなり靄ふみてゆく    ←靄ふみて という表現が独特で秀逸
  ・刈るまへの麦おもげなるさぬき野「同行二人」のこゑとほくして   ←私も過年、四国巡礼の真似ごとをした
  ・かなしみのこぼれさうなるいぬふぐり 花は空のふかさやしれる   ←花は空の が字足らずなので前に空白をひとつ
  ・男泣きに香川進の死を悼み逝きし東籬男 うたのこりたり  
  ・うつくしき欲望といへば幻想と笑ひかへり来そしてまた闇
  ・ふれたればふりむく蟷螂目のひかりうすみどりなり瞬時たぢろぐ
  ・いのちのをはりみてゐる背中とは思ひみざりきかげしづかなりき
  ・かなしめばつつむものなきてのひらにひえひえとしてただ白き花置く
  ・うたがふをしらぬ目なれば寄りきたる子鹿の目なれば雲うつりをり    ←「なれば」のリフレインが秀逸
  ・いのちの終りみるごとくして六月をはりの落日を見き
  ・みどりごのいのちさながらひつそりと竹藪の奥に産着の乾され
  ・きさらぎは風の音ばかりといふなかれ塀のうへなる梅の木の花

巻末の歌から
  ・後を飛ぶ数羽の鴉向きかはるその度ふためきおくれととのふ     ←精細な観察眼が秀逸
  ・ながるるごと飛びゆく鴉数十羽なにや見つらむ朝あけはてたり
  ・旋回のかたちのままなり声たてぬ鴉ひとむれ視界より去る

たくさんの歌が収録されているので見落とした歌も多いと思うが、この辺で鑑賞を終わりたい。
「ひらがな」の多用などで流れるようなリズム感を創出された。 
長い歌歴の賜物と言えるが、いつもながらの松永さんの佳い歌群を楽しませてもらった。
時しも、私の親しい人の死に遭って、ふかく沈潜していた私の心を慰めていただいた。 深く感謝いたします。
ご本のご恵送有難うございました。
ご健康に留意され、益々のご健筆の程を。

  


  
山本登志枝歌集『水の音する』・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     山本登志枝歌集『水の音する』・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・ながらみ書房2016/03/18刊・現代女性歌人叢書⑦・・・・・・・・

この本は山本登志枝さんの第三歌集で、『神かも知れぬ』 『風のミロンガ』につづくものである。
「あとがき」に
<平成十三年より平成二十六年、五十代半ばから六十代後半の作品408首を収めました。
 平成十六年に二人の娘が相次いで結婚して寂しかったのもつかのま、七人の孫に出会うことになり、
 あっというまに十年が過ぎてしまいました。
 そんな日々のなかに、風に吹かれていると、ふと生きているという思いになる、水の音が聞こえてくると、
 ほっとしている私がいました。
 風は地球の息吹、水の音は鼓動のなつかしさなのかもしれません。
 風に吹かれながら、水音をききながら、自然の中の一部となって歌えればという思いをこめて『水の音する』を歌集名にしました。>
とある。

山本登志枝さんとの関わりは、私の歌集『昭和』を読む会で書評をしていただいたのが最初である。詳しくは『昭和』を読む会─記録抄で見られる。
あと所属される「晶」の作品を紹介したり、久保田登編『定型の広場─吉野昌夫評論集』の校正をなさった際に同書を恵送されて拙ブログに採りあげたことがある。

さて歌集のことである。
項目名としては「虹の輪」 「夏のふかみ」 「まがりくねつた道」 「すみれも咲けり」 「水の音する」が掲げられる。
巻頭の歌は
   ・雪しまき視界たちまちにくらみしがまた冠雪の木々が見えくる
であるが、総体に自然をよく観察した、落ち着いた詠み方に終始している。

題名の採られている歌は巻末の項目に載るものである。
   ・青き空そよげる若葉したたれる水の音するそれだけなれど

「帯」裏に歌が五首抄出されている。自選か、編集者が選んだものか判らないが、この一巻を表すものと捉えていいだろう。
その五首を引いておく。

  ・翡翠はぬるめる水に零しゆく色といふものはなやかなものを

  ・吹く風はさびしかれども幾つかづつ寄りあひながら柚子みのりゆく

  ・書きながら見知らぬ人に書くごとく水に書きゐるごとく思へり

  ・青き空そよげる若葉したたれる水の音するそれだけなれど

  ・かなかなの声をきかむとだれもみな風見るやうな遠きまなざし

「あとがき」に見られるように娘さんたちの妊娠のことなどが詠まれている。 目に留まった歌を引く。

  ・花芽大の胎児の写真示しつつ「心臓ばくばく動いてゐたの」
  ・地震つよく揺れゐるときもみどりごはいのちの泉深く眠れり
  ・上目づかひに確かめながら眠りたり腕のなかのいとしきものが
  ・夕道を帰りゆくなりあゆみが丘の子の家に点る窓の灯胸に
  ・お腹の子がしやつくりしてゐるわかるのと愛しげに手を当てながら言ふ
  ・新しき命と出会ひかけがへなき人を失ふ夏のふかみに
  ・この秋の句点のやうなひとときか何おもふなく砂浜に立つ
  ・をのこごはわが草傷に唱へたりイタイノイタイノトンデイケ
  ・月光に照らされゐたる線路ありきどこへ行かうとしたのだらうか
  ・死は〈かねてうしろに迫れり〉何ひとつ分からぬことを知るのみなのに
  ・生まれたるばかりのみどりご何ゆゑにまぶしがりゐる眉しかめつつ
  ・みなどこに行つたのだらう本の背にこの世の名前のこしたるまま
  ・幼子をあやしゐたりしがほどもなく撃たれき戦場ジャーナリストの女性
  ・オリオン座のきれいな季節めぐり来ぬ吸ひ込まれさう夜更けの空に
  ・飛んでしまつた風船を追ひ泣きゐし子腕たくましく四人子の母

ここに引いた歌のように、作者の歌は、地味な、目立たない詠いぶりである。
師事された吉野昌夫氏の歌が、このようであったのか、私には判らない。
ご恵送に感謝して、拙い感想の一文を終わる。 有難うございました。



  
新井瑠美第三歌集『霜月深夜』・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       新井瑠美第三歌集『霜月深夜』・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・青磁社2016/01/27刊・・・・・・・

新井瑠美さんは塚本邦雄が健在で前衛歌人として活躍していたころ取り巻きとして活動されていたらしい。
その頃、私は歌壇とは無縁であったので詳しくは知らない。
その頃の評論などを見た記憶があるが、いま手元にないので引き出せない。とにかく活発に執筆されていたらしい。
私と同じ市にお住まいであり、亡夫君はプロゴルファーとして高名な新井進プロであったという。
私は新井プロとも知り合ったことはない。名前を知るのみである。
『朱金の扇―新井瑠美歌集』 (1978年) (短歌世代シリーズ〈第31篇〉)というのが第二歌集であるのか審らかではない。この本も私は未見である。
今回の歌集の「あとがき」で
< 『霜月深夜』は、三十有余年振りの三集目であります。
  あまりにも過ぎ去った歳月を、惜しむものではありますが、すべては私の断念と怠惰のもたらしたことであります。
  最晩年を迎えて、詠み放った歌の数々に未練がでておりました。
  始めの結社〈短歌世代〉で十年、自由に詠ませてもらって二冊の歌集を出した後、〈椎の木〉に移籍、経緯のことは省くとして、
  二十余年会員として在籍したものの・・・・・その間、一冊も纏め得ませんでした。・・・・・・
  在籍中、詠み残した歌稿も整理不十分のため大方を散逸し、残りを生きた証として纏めることにしました。・・・・・・
  二集目の書評をして下さった、河野裕子様の生原稿が三十数年振りに現れたり、ご家族がアメリカへ行かれる前、
  現代歌人集会の理事の端っこに加えて頂き、永田和宏様のもと、広報の使い走りをさせて下さったことも、
  又、平成十年には、城陽短歌大会の選者を河野裕子様にお願いし盛り上げて下さったことなど、
  このたび、ご子息の淳様にお世話になるとは、長いご縁があったとしか思えません。・・・・・ >

などと書かれている。
この中に出てくる「城陽短歌大会」という企画に私も首を突っ込んだが、私は新井さんを立ててやって行こうとしたが、知名度もないのに田舎宗匠風に威張る女の人が居て、まとまらず、
私も匙を投げてしまって降りた記憶がある。 私との縁は、そのときからである。
新井さんも、その折から「塔」に加入されたらよかったのである。塚本邦雄に可愛がられたというプライドが許さなかったのか。
私は、その後、米満英男氏や川添英一氏と知り合ったり、三井修氏にお世話になったり「塔」の若手と交友したりして視野を広げることが出来た。
米満氏とは大阪で一度お会いして酒食を共にしたことがあり主宰された歌誌「黒曜座」を送ってもらったり、山中智恵子さんの署名入りの歌集を何冊か頂いたこともあるが先年亡くなられた。
川添氏は新井さんの文にも出てくる現代歌人集会のパネリストなどをやられたらしいから新井さんも、ご存じかも知れない。
川添氏は奈良教育大学書道科の出身で、筆跡のきれいな人である。「流氷記」を出しておられ、大阪の中学教諭をされていたが今は再任用で教えておられるらしい。
もう何年も前になるが新井さんから「蔵書を整理したい」と連絡があって自宅を訪問して何冊かを頂いた。
塚本邦雄の同行者だけあって、彼の著作の殆どが揃っていたように記憶する。
好きな本を、と言われたが著名な本で一冊切りの本をもらうのは躊躇されて遠慮したが、これは後悔している。やはり主著というべきものをもらっておけばよかったのに。

回想は、このくらいにして歌に入りたい。
この本の「帯文」が掲出画像から読み取れると思うが、ここに書き抜いてみる。

< 言葉を鍛え、磨き、削ぐ。そうして彫琢された詩句が、
  完成された美意識のもとに統べられ、
  三十一音へと収斂していく。
  日々の些事は詩化され、韻きとなって読者のなかに長く揺曳する。
  底光りする華やかな佇まいをみせる、
  熟達の第三歌集。 >

とある。 誰が書いたか知らないが、これこそ、この本の要約として的確だと言えるだろう。

巻頭に「相聞の秋」という項目があり
  ■いちまいの柿の照葉を添へながら手紙(ふみ)ぞたぬしき相聞の秋

が巻頭の歌である。この一連は7首の歌から成るが、次のような歌がつづく。
  ■カメレオンの餌は生きたる蟋蟀と花野に狩れば百の叫喚

  ■赤まんま可憐なりしが秋を祝ぐ中野重治がよぎる目の前

  ■助数詞の弱りもぞすれ一頭とよばふ揚羽のむらさきの蝶

新井さんの男孫かが爬虫類とか虫とかを飼っているらしく、それらの題材から作歌に至っていると思われるが、それらをリアリズムではなく「現代短歌」たらしめている詠み方である。
二番目の歌も中野重治の詩の「赤ままを歌うな」を踏まえていると知るべきである。
三番目の歌も昆虫類をよぶときに「一頭」というように数詞では言うということである。
これらの表現技法こそ新井さんが塚本たちの前衛短歌運動から学びとったものと言えよう。
さりげないように見えながら「言葉を鍛え、磨き、削ぐ。そうして彫琢された詩句」へと昇華されている。
だから、読者の人よ。 「素通り」してもらっては困る。
帯文にある通り「日々の些事は詩化され、韻きとなって読者のなかに長く揺曳する」するのである。


  ■時ならぬ雷のとよみに断たれたる霜月深夜夢のあとさき

「夢のあとさき」という項目の、この歌から題名が採られているようである。
この一連には次のような歌が並ぶ。
  ■落花しきりの木下に佇てば花菩薩 蓬(ほほ)けゆくのも悪くはないか

  ■われの海馬汝れの海馬がそれぞれの見当識を言ひたて始む

  ■〈芸術でメシが喰えるか !!〉夏の夜の吊広告がはためきながら

日常に目にする些事も見事に詩句として昇華されて、珠玉の作品と化している。
「迷路」という一連の終りの歌は
 ■「そして誰も居なくなるのよ」歳晩の葉書ひそりと舞ひ込みきたり

晩年を迎えた老人の身には、ちくりと刺さる警句のような歌である。

  ■〈風景は心の鏡〉 かの画家は水辺のそばに白馬置きたり

高名な日本画家の作品に、そんな絵があった。「宇治」という項目の歌だが、私は別の風景を思い浮かべた。

  ■呆けるまで生くればたぶん捨てられる 盆灯籠がくるくる廻る

「しがらみ」という項目の歌である。

  ■ぶざまなる生きかたもせむ鳥串を横に啣へて未亡人(われまだ死なず)

「すぎゆき」という項目に、こんな歌がある。
  ■我武者羅に戦ひをりし頃ほひの書房〈さんぐわつ〉みつみつの棚

熟年歌人たちには懐かしい京都寺町の三月書房のことであろう。今でも短歌関係の本を置いて頑張っておられるようである。店主は宍戸さんと言ったか。
私などは今では本屋の店頭に行くことは無い。インターネット上でアマゾンから買う。昼前に発注すれば夜には届く。私の旧著も並んで売られている。

  ■長靴はひとりで履ける二歳児は黄の長靴で晴れの日も行く

多くは引かないが、こういう孫、ひ孫の歌が散見する。お子たちが、すぐ近くにお住まいのようである。

「浴衣の足穂」という項目がある。
  ■日帰りの旅といへども充ち足りぬ自然法爾の雪月花見て

  ■湯帰りの浴衣の足穂に出会ひしよその風采を鬼才と知らず

この歌は稲垣足穂の姿を見た昔の記憶から引きだされたものだろう。無頼の稲垣足穂として有名であった。
はじめの歌も、素通りしてもらっては困る。
「自然法爾じねんほうに」とは浄土真宗でいう自力を捨て、如来の絶対他力に任せること。「法爾」はそれ自身の法則に則って、そのようになっていること、を意味する。
このように各所にブッキッシュな仕掛けが施されていると知るべきである。
巻末の項目名は「しかと見よ」だが
  ■ひこまごは寝返り始む頭(つむり)あげ老いさらぼふをしかと見てをれ

という歌など自分を客観視して、突き放して見つめ、かつ表現していて、秀逸である。

多くの歌があるので佳い歌を見過ごしたかも知れない。不十分をお詫びしておく。
遅きに失した出版だが、帯文の「底光りする華やかな佇まいをみせる、熟達の第三歌集。」ということである。
ご恵贈に感謝して紹介の一文を終わる。



千種創一歌集『砂丘律』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      千種創一歌集『砂丘律』・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・青磁社2015/12/07刊・・・・・・・

この人は、1988年生まれの若い人だが私には未知の人だった。この歌集が出たことは承知していたが、掲出画像②のような案内が届いたのでアマゾンから取り寄せた。
先ず、スキャナの調子が悪いので、裏表紙に載る三人のコメントを画像として出しておく。   ↓
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一見して「変わった」編集の本である。
画像でも見られるように右側にガーゼの網目のような部分が見えるが「綴じ布」である。
それに紙質が、うす黒い色をしたザラ紙のようである。経費を節約するために紙の質を落としたのか。
いずれにしても著者の執着が色濃く出た本である。
批評会のパンフに「口語短歌の新たな地平」とあるが、こんにち、短歌に於いて「口語」使用は珍しいことではないから、私には違和感がある。
一読してみて、この作者の作品は短歌というよりも「短詩」というべき表現が多い。
「短歌」の世界では、まだまだ、作者=私という拘りや、作品に「意味」を読み取ろうとする、あるいは「意味」が辿れなけれはならない、という風潮が強い。
しかし今では短歌賞の作品でも「詩人」気質の人が増えてきている。佐藤弓生なども、そうである。
「詩」を読むときは、意味を辿ってはいけない。この人の歌には、このことを意識して読まないといけないものが多い。
私は、それが悪い、と言っているのではない。
現代詩を作ったり、読んだりするのに慣れた人間には、それらの作品に違和感がない、と言いたいのである。
この人は「塔」所属だが、本質的に、この結社は出自的に「リアリズム」であるから、結社の中では批評などで色々と言われていることだろうと推察される。

画像として出した三人のコメントの中では、ミュージシャンという岸田繁の言葉が極めて的確だ。
意味にこだわらずに作品を「詩」として批評していて秀逸である。なまじ歌壇という「塵」にまみれていないだけに新鮮である。

二番目のコメントに三井修が執筆していることから、作者は東京外国語大学の出身だろう。三井も、ここの出身である。
因みに私は大阪外語フランス語に居たことがある。
余談だが、同じ国立とは言っても東京外語と大阪外語では「成り立ち」が違う。前者は政府が作ったが、後者─大阪外語は民間が資金を出して設立し、後に国に「寄付」したのである。
今では大阪外語は大阪大学外国語学部として再編成されてしまった。
初代校長は中目覚という人で、この人も皆で選んだのである。
アラビア語つながりでいうと、大阪外語のアラビア語の先生で、後に大阪外語の学長もされた田中四郎という人の本『やわらかなアラブ学』(新潮選書) 『駱駝のちどりあし』(新潮社)という本を面白く読んだことがあるので披露しておく。
  筆が滑った。本題に戻ろう。

「あとがき」に記してあるが、この本は19歳から27歳までの間に作った421首が収められている。
その中には2013年の「塔新人賞」を得た「keep right」30首。2015年の「第26回歌壇賞」次席の「ザ・ナイト・ビフォア」30首などが含まれる。

この本の「項目」建てはⅠからⅥに分けられ、「項目名」は無く、項目の裏ベージに「引用」やらコメントやらが書かれている。
例えば、Ⅵの裏ページには
<砂漠を歩くと、関係がこじれてもう話せなくなった人と、
            死んだ人と、何が違うんだろって思う。>

書かれている。
こういう極めて「ブッキッシュ」な編集の仕方は私も好きで、私の歌集の中でも試みてみたので、嬉しい。 私好みである。
アラビア語の文章が筆記体で載っていたり、Ⅳのところには村上春樹がイスラエルで賞を得たときの受賞の言葉
               <本日、私は小説家として、
すなわち嘘を紡ぐプロとしてエルサレムへ来ました。>

という言葉が原文の英語と一緒に載っている。
この言葉は、文学というものが「嘘を紡ぐ」という表現で言われていて、実に「示唆的」である。
作者も「あとがき」で <ほとんどの連作において事実ではなく真実を詠おうと努めた> と書いているのに私は感動した。
「事実ではなく真実を」というのが、これこそが文学者としてあるべき姿である。
事実に捉われ過ぎると、真実を見誤ることがあるのである。
このことは、とかく歌壇では理解されず孤立することがあるが、負けずに振舞っていただきたい。

私の好きな歌を引いてみる。

巻頭の歌
  ■瓦斯燈を流沙のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか

石川美南も引いているが、巻頭にこの歌を据えたというところに、作者の「覚悟」があるというべきだろう。
瓦斯燈というのは或る種の比喩というべく、地中から噴き出すガスを燃やす産油国特有の風景とも受け取れよう。
この歌など既成の短歌の概念からは、はみだした作品と言える。まさに「短詩」と私の言う所以である。

巻末の歌
  ■指こそは悪の根源 何度でも一本の冬ばらが摘まれて

この歌には「悪について」という前書きがついている。 これも極めて比喩的な歌と前書きというべきものであり、秀逸である。
ここに引いた歌などはキチンと定型に収まっているが、作者の歌には定型に収まり切らないものも多い。
現代短歌では珍しいことではないし、非難すべきことでもない、と私は受容する。

  ■爽健美茶とBOSSを買って河口でふたりは蟹をみつけた
 
この歌は、淡い恋人との逢瀬を連想させる若い頃の作品だろう。非定型の歌のようでありながら、下句ではキチンと定型に収まっているところも面白い。

連作の中では、私はⅣの「或る秘書官の忠誠」の一連に注目した。この一連には英文で「カインとアベル」のエピソードが、さりげなく配されている。
中東での或る出来事の「喩」であろうが読む者の心の底に澱(おり)のように沈んで澱(よど)むものがある。
  ■アヴォカドをざつくりと削ぐ(朝の第一報の前のことである)
  ■実弾はできれば使ふなといふ指示は砂上の小川のやうに途絶へる
  ■忠誠を花に譬へちやいけないぜ 高速道路、夏盛り

作者は新カナ表記を執るが、この一連だけは歴史的かなづかいになっているのも何かの意図があってのことと推察される。
佳い一連である。

Ⅲの裏ページに岑参の漢詩が載せられている。
<馬を走らせて西東 天に到らんと欲す
   家を辞して月の両回 円なるを知る
    今夜知らず 何れの処にか宿せん
           平沙万里 人煙を絶つ>

時代も場所も違うが、中東の沙原に置き換えて見事である。また作者の読書量の豊かさをも想起させる。
ペダンチックだが、こういうところも私好みである。

歌壇賞応募作という「ザ・ナイト・ビフォア」の一連は私には物足りなかった。
先に書いたⅢの中の「秋、繰り返す」の一連などの方が、ずっと、いい。

  ■秋冷、という言葉を選ぶとき西南西に死海は碧い
  ■羽に黒い油をつけて換気扇とまる 失意と呼べなくもない
  ■靴スークとおり抜けつつ靴たちのこれから歩く砂地をおもう

二首目の歌など、俳句でいう「二物衝撃」を思わせて秀逸である。

以上、総括的なことを書いたので、後は私の好きな歌を思いつくままに列挙する。

  ■だれひとり悲しませずに林檎ジャムをつくりたいので理論をください

  ■三日月湖の描かれている古地図をちぎり肺魚の餌にしている

  ■わたしたち秋の火だからあい (語尾を波はかき消す夜の湖岸に

  ■梨は芯から凍りゆく 夜になればラジオで誰かの訃報をきいた

  ■煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか

  ■口移しで夏を伝えた いっぱいな灰皿、置きっぱなしの和英

  ■イヤホンをちぎるように外す、朝焼ける庁舎の屋根の旗をみあげて

  ■見事 むしろ 花束のたえない、お出で、たえない町だ 花束

  ■声が凍えているな、秋、何度でもマグダラのマリア愛してしまう

  ■Marlboroの薫りごと君を抱いている、草原、というには狭い部屋

  ■どうしてもオリンピックに興味がなくBBCの声を落とした

  ■かといってナショナリズムを離れれば杉の木立はやや肌寒い
           辞令と魚
  ■にっぽんを発つというのに心臓が仙人掌みたい、メキシコみたい

  ■昼過ぎの通りは沙と光であって猫一匹とすれ違うかな

  ■会いたさは来る、飲むための水そそぐとき魚の影にような淡さに

  ■夜の窓をあけて驚く、砂まじる風が柳とこすれる音に

  ■虐殺を件で数えるさみしさにあんなに月は欠けていたっけ

  ■深く息を、吸うたび肺の乾いてく砂漠は何の裁きだろうか
             keep right
  ■北へ国境を越えればシリアだが実感はなくジャム塗りたくる

  ■召集の通知を裂いて逃げてきたハマドに夏の火を貸してやる

  ■映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる

  ■君の村、壊滅らしいとiPhoneを渡して水煙草に炭を足す

  ■川というものをわたらない生活 ハンガーはあるけど掛けるかい

  ■アンマンの秋を驚く視野の隅、ぎんやんまだったろう、今の

  ■来た。 砂色の5JD札ねじ込んでハマドは部屋からいなくなる

  ■僕もそのひとりであって東洋系が風の遠くでライター灯す

  ■中国人ではないと告げる、告げるとき蔑してないと言いきれますか

  ■骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな

  ■沙に埋れつつも鈍さをひかってる線路は伸びる旧帝都(イスタンブール)へ

  ■予備役が召集されたとテロップの赤、画面の下方を染める

  ■戦況も敵もルールも知らされずゲームは進む 水が飲みたい
     よいか汝ら、報復死刑制度の中にこそ生命がある。(クルアーン牡牛章 第179章より)
  ■サイダー瓶、埃に曇る。絶対にゆけない春の柵の向こうで

  ■そもそもが奪って生きる僕たちは夜に笑顔で牛などを焼く

  ■iPhoneに蛍のような灯をともしあなたは絹のシャツを拾った

  ■告げている、砂漠で限りなく淡い虹みたことを、ドア閉めながら

  ■さよならが一つの季節であるならば、きっと/いいや、捨てる半券
                 スペインのアンダルシアにはかつてアラブ人がいて、
                                 アル=アンダルスという地名だった。

  ■仙人掌を蔦のさみどりのぼりゆくスペイン、夏の、スペイン、夏野

  ■この雨の奥にも海はあるだろう きっとあなたは寝坊などして

とりとめもない抽出になってしまった。歌の数が多いので、見逃した歌も多いだろうからお許しいただきたい。
まだまだ若いし、才能がはじけ満ちる歌集を前にして、あなたの作品がこれからも大きく開花することを祈って筆を置きたい。

三井修氏とは、私の第四歌集『嬬恋』の合同出版記念会で批評いただいて以来の仲で、第五歌集『昭和』を読む会を東京で開いてもらったりして大層お世話になった恩のある人である。
三井氏の歌集『海図』が出たとき、私は彼を現代のマルコポーロになぞらえたことがある。
千種創一氏も前途洋々たる未来を期待される逸材である。
私は批評会には出られないが、ご盛会をお祈りするばかりである。 佳い歌集を読ませていただいた快い昂ぶりに浸っていることをお伝えしたい。
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著者からのメールを引いておく。

< 各章扉の言葉に絡めて歌集を批評頂いたのは、木村様が初めての方ですので、とても嬉しく存じます。
また、私の文学意識まで正確に汲み取ってくださり、実に作家冥利に尽きます。
恐縮ながら一点だけ申し上げれば、実はこの名前は本名です。よく言われますが、地名はチクサで私はチグサです。 >

私としても、とても嬉しい。 好漢ご自愛され益々のご健筆を期待する。 以上、蛇足ながら付記する。 2月4日朝 記。








佐伯泰英『八州探訪』―新・古着屋総兵衛 第十一巻―・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     佐伯泰英『八州探訪』 新・古着屋総兵衛 第十一巻・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・新潮文庫2015/12/01刊・・・・・・・・

おなじみの佐伯泰英・新・古着屋総兵衛シリーズの新作である。

     人心荒廃が激しいという関八州は高崎の賭場。用心棒の短筒の銃口は総兵衛に向けられた。

   文化二年の元日。年賀の挨拶で賑わう大黒屋の目下の話題は、信一郎とおりんの祝言の話と次の船団長の人選であった。
   そんな中、年賀客より武州・上州など関八州の田畑の荒廃と無宿者の増加という情報がもたらされ、重ねて「影」からは「八州探査」の指令が下った。
   天松、忠吉を供に上州高崎に入った総兵衛は、早速賭場に潜入する。盆茣蓙の奥には異彩を放つ異人の用心棒がいた……。


「立ち読み」も出来るのでアクセスされたい。




大塚ひかり『本当はエロかった昔の日本―古典文学で知る性愛あふれる日本人―』・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    大塚ひかり『本当はエロかった昔の日本―古典文学で知る性愛あふれる日本人―』・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・新潮社2015/11/18刊・・・・・・・・

          日本男児はエロかった。大和撫子もエロかった。そしてエロいは偉かった!

    兄と妹の近親姦から国が始まる『古事記』、若き日に義母を犯して子を産ませた光源氏が、
     老いては若い男に妻を寝取られるなど不倫の恋満載の『源氏物語』、
    実は弥次喜多は駆け落ちした男色カップルだった『東海道中膝栗毛』など。
    日本の古典文学に刻まれた「エロ大国ニッポン」の、パワーあふれる姿を余すところなく紹介。


先ず新潮社の読書誌「波」十二月号に載る書評を引いておく。  ↓
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    ギリシャのエロスと日本の古典       江川達也

 キリスト教が支配していた中世ヨーロッパは科学的に遅れていた。ヨーロッパが世界を席巻したのは、ルネッサンス以降である。
そう、ギリシャ哲学の復活、ネオプラトン主義によって、ヨーロッパは世界をリードすることが出来た。
ギリシャ哲学の原点はギリシャ神話にある。そしてギリシャ神話の中心にエロス(愛と性)の肯定があるのだ。
このギリシャ神話よりも、よりエロスに溢れた神話が日本の神話だ。言ってしまえば、日本文化は、西洋文化の2000年先を走っているのだ。もっと先かもしれない。
古典を原文で読むとその事に気付く。
 大塚さんの母国語は現代日本語ではない、と私は思っている。彼女の母国語は古文(昔の日本語)なのだろう。解読するように読むのではなく、心に響く言葉として古典が読めるのだと推測する。
今まで、いろんな人が源氏物語を現代語訳してきたが、まるでダメだった。現代語訳することに意味がない。原文を心で読まないと意味がないのである。
なので、私は、原文と現代語(私の訳)と絵を併記した漫画の源氏物語を描いた。源氏物語の現代語訳をあれこれ読むと原文からかけ離れた訳がされている。
多分、明治以降に入って来たキリスト教的ヨーロッパ思想の世界観によってねじ曲げられた教育を受けた日本人が現代語訳し、ヨーロッパの言語を日本語の中に入れて改造された現代日本語を使っているからなのだと私は思っている。
文化を逆行させたキリスト教の性を抑圧した世界観では、古典は、理解不可能だ。そのフィルターで解釈すれば、明らかに辻褄のあわない現代語訳になるのだ。
大塚さんの書かれた源氏物語の訳と解説というかナビゲーションは、キリスト教的世界観からの視点をなくし、古文を母国語とする人が原文中心にそれを現代の日本人に伝えようとしている姿を感じさせる。
大塚さんの今回の本でも書かれていた「帚木」で光源氏が紀伊守の屋敷に方違えで泊った時の「おもてなし、ってのは、下半身のおもてなしもないとあかんでしょ」という、今でいうと「性接待する女の子は用意してないの? そういう娘を出してよ」と下半身接待を迫る言葉に関しても、きちんと解釈されている。
私も源氏物語を訳す時、他の人はどう訳したのか気になっていろいろ読んでみた。
この言葉を「というような冗談を言った」みたいな感じで訳しているものもあり、思わず私は心の中で「ちょっと待ってよ。ここは、枕営業の強要であって、冗談を言ってんじゃないでしょ」ってつっこんでしまった。
私の視点から見ると多くの源氏物語の現代語訳は、エロスを肯定してないので辻褄があわない。本当に原文を読んだことがあるのか疑わしく思ってしまうのは、私だけだろうか。
源氏物語の原文は、「隠語(淫語、陰語と言った方がいいかも)」で溢れてることも原文を深読みするとわかる(母国語が古文の大塚さんは当然、そこら辺は全て味わっておられるようだ)。
女性器や男性器を意味する言葉等、性的な意味を持たせる言葉の宝庫が源氏物語だ。
源氏物語の「帚木」を解読しながら一番私が個人的に気に入った隠語は、「芽」という言葉だ。当然この「芽」は女性器を意味する。
また、「女」「目」「愛」という言葉も「め」には、含まれるのだ。源氏物語は直接的な性描写は薄いとされているが、自然の描写によって、性的な描写をしていることは、原文に馴れると一目瞭然だ。
そう、自然にエロスを感じて自然にとけ込むのが日本人の性なのだ。世界の文化を2000年以上先取りしている。いや、もっとかもしれない。
そもそも、日本の成り立ち自体が男の神と女の神がまぐわって出来たエロい子供たちなのだ。そう、日本の地形はエロスなのである。
地形や自然がエロスなのだ。私も何十年も地形のエロスを世に問うて来たが、これは、日本の古典の流れからの整合性のある主張なのだ。
 古典を原文でいきなり読むのはかなり難しいだろう。まずは大塚さんのこの本を読み常識を洗ってから参ろう。  (えがわ・たつや 漫画家)
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「立ち読み」も出来るのでアクセスされたし。

大塚ひかり/オオツカ・ヒカリ
1961年横浜市生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。
『源氏の男はみんなサイテー』、『ブス論』、『愛とまぐはひの古事記』、『女嫌いの平家物語』、個人全訳『源氏物語』全六巻(以上、ちくま文庫)、
『本当はひどかった昔の日本』(新潮社)、『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(草思社)など著書多数。

青山七恵『繭』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

        青山七恵『繭』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・新潮社2015/08/31刊・・・・・・・・

新潮社の読書誌「波」9月号にのる記事を二つ引いておく。  ↓
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[『繭』刊行記念インタビュー]  幻想の「繭」から脱け出すとき・・・・・・・・・・青山七恵

――『繭』は一作ごとに新しい挑戦をしてきた青山さんの小説のなかでも、より踏み込んだ人間関係が描き出されていて、非常に力の入ったものになりましたが、まず最初に、どこから着想されたのですか?
 普段、自分の年齢を意識することはあまりないんですけれど、昔からの同世代の友達と話していると、選択した生き方は違っても、それぞれ十代二十代の頃とは違う不安や生きづらさを抱えているのを切実に感じるんです。友達としては話を聞くことくらいしかできませんが、小説家として、小説を通して別のかたちで助けになることもできるのではと思い、同世代の女性が読んで元気がでる小説を書きたい、と思ったのが出発点です。
――作中には、舞と希子という30代前半のふたりの女性がでてきます。美容師の舞は自分の店を開いて結婚もして、夫は仕事が続かず専業主夫として支えてくれていて、ともすれば充実した毎日のようにも見えるのですが、冒頭、舞が夫のミスミに暴力を振るう場面から始まるのに、衝撃を受けました。
 暴力による支配はどんな状況でも許しがたいことですが、ミスミはそれを逆手に取って、暴力をふるわせることによって舞を支配しています。ミスミのように、周りの人間を精神的に支配して罪悪感を持たせることで自尊心を満たそうとする人の話を聞くと本当に腹が立つのですが、小説のなかではそれを極端に描いてみようと思いました。一度この状態に陥ってしまうと、支配されているほうは自分が相手に操られていることを自覚できないから、舞のようにひたすら自分を責めてしまう。他者と深く関係しあうことは一生をかけて挑む甲斐のあることだと思いますが、程度の差はあっても、常にこの支配被支配の関係に陥る危険を孕んでいるのではと思います。
――舞は夫との対等な関係に、すごく執着しています。
 舞は「パートナーは対等であるべき」という理想をはっきりと持っています。ただ、当事者たちが納得する「対等」と社会的に正しいとされる「対等」には常に少しずれがあるのではないでしょうか。舞はどちらかといえば、後者の「対等」という言葉に引きずられているような気もします。
――希子は会社勤めをしながら、道郎という恋人が自分の部屋にやってくるのを待ち続けていて、ここではないどこかで彼と一緒に暮らすことを夢見ています。
 舞がミスミと対等な関係にならなくては、という強迫観念に取り憑かれているのと同様に、希子は、こうであってくれたら、という自分の幻想のなかの道郎に取り憑かれています。ひとりの生身の人間を愛しているわけではないのです。こういう幻想は未来に向かって人をひっぱってくれるものですが、あまりに餌をやりすぎて強固に育った幻想は、人をその場に縛りつけて内から少しずつその人を引き裂いていってしまいます。
――白いマンションのなかで営まれている舞と希子の生活を想起させる『繭』というタイトルも印象的です。
 さなぎが成虫になるあいだ繭は居心地のいい保護室になりますが、出るべきときに自力で突き破ることができないと、繭のなかで成虫は息絶えてしまう。人間にも生物としての直感で、いまこの状態を突き破らないとどこにも進めない、というときは必ずあって、『繭』はそういう突破の瞬間を同時に迎えたふたりの話なのだと思います。
――幻想と現実のあいだで、どうにも身動きがとれなくなってしまったときに出会ったふたりの話でもある。
 そうですね。そういうときを一緒に迎えることができる人がいるのは心強いと思いますが、それでも結局、それぞれの繭からは自分の力で出るしかありません。読んだ人が元気になる小説を私流に書くと、どうしてもこういう不穏なトーンの小説になってしまうんですが、舞と希子が出会って、日常の出来事のなかでちいさな変異が積み重なって、最後に大きな変異が生まれるところに、この小説の救いがあるように感じます。
――ラストに、希子が手のひらに舞の体温を感じて、その熱がひとつになって世界を溶かしていく場面が鮮やかでした。
 著者としても、最後にようやく開放感を感じることができました。これまでもずっと対になる人間関係ばかりを書いてきましたが、だんだん対の状態すら怪しくなってきて、『繭』では最後のシーンもふくめ、舞と希子という独立したふたつの存在が、ひとつの存在をふたりで分けあっているような瞬間が何度もあった気がします。私が小説家として取り憑かれているのも、そんな予見不能な関係の変異の瞬間なのかもしれません。      (あおやま・ななえ 作家)
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[『繭』刊行記念特集]     鏡と鍵・・・・・・・・・・・・小池昌代

 単色ではただ綺麗に見えた絵の具が、他の色と混ざりあううちに、思いがけないほどの、どす黒い色に変化していく――作者はまさに絵を描くように、人間の関係性とその変化を、巧みな筆致で描いている。
 主な登場人物は、美容師の舞と夫のミスミ、そして二人に介入していく羽村希子であるが、彼らの周囲に、希子が執着していく遠藤道郎や、ミスミの親族、そして舞の美容院で働く若い男女などが配される。
 舞台は、舞・ミスミ夫妻と希子の暮らす集合住宅であり、舞の店である美容院。いずれも密室の「劇場」である。
 それにしても、ここで選ばれている「美容師」という職業は興味深い。
彼らは人の髪に触り、ときには髪型を劇的に変えたりすることで、人を支配する呪術的な力を、無意識のうちにも、育てているように見える。
 客としての希子に、あるとき舞が言う。「希子さん、髪伸びましたね」。そして仕事帰りに、また店に寄っていくようにと誘う。美容師としてはごく当たり前の声掛けであろう。
だがその言葉の背後には、意味を超越した支配関係が蛇のようにぬめぬめと動き出しているように感じられる。
 夫婦間の、とりわけ妻から始まった「暴力」が、この小説の中心に置かれたテーマである。舞はミスミとの関係が、「対等」でないことに苛立ち、ますますミスミを打つようになる。
しかし対等とはどういうことであろう。
それを言う舞の暴力は、ミスミからも暴力を「対等に」ひきだしたということか。彼らは暴力を最悪の手段だと理解しながらも、相手のなかへ生々しく侵入する手段を他に知らない。
おぞましいが理解できないものでもない。それは一瞬、愛にも見え、双方を結びつける接着剤にも見える。
このような関係を主導するのが、最初は経済力を握る舞に見えるのだが、やがて被虐的で優しく見えるミスミのほうが、女を操りすべての関係を歪めさせている、悪の根源かもしれないと思えてくる。
 美容院の「鏡」が、写しとった現実をそのまま跳ね返すという機能以上のものを背負わされている点も見逃せない。
通常、客と美容師というのは、常に鏡を通して互いの意思を確認しあう。
二者は向き合うのではなく、同じ方向を見る。視線の先で待ちかまえている鏡は、当人たちの姿のみならず、二者の関係性までも、折り返して当人につきつける。その異様さ、その不思議さ。
 舞の美容室で、客として椅子に座る希子の背後に、舞とミスミがいるという状況下、「鏡のなかで、わたしたちの視線は縫われるように交錯した」と書かれているが、単なる視線には思えない。
それは肉をつけた生々しい視線である。作品内にも大きな鏡が設えられてあり、読者の脳内に映しだされるのは、常に反転する現実である。
「……どうしてなの?」という言葉を軸に、前半と後半では、舞から希子へと語り手が移る。これもまた鏡的作用である。
二人はまったく違う人間なのに、同じ人間というくらいに、どこか似ている。誕生日も同じだし。
誰かが誰かに「似ている」ことをめぐっては、希子が指名手配中の逃亡犯の顔に、遠藤道郎を重ねるところもあった。
希子が思わなければ、繋がりようのない二人であるが、彼女の妄想の力によって、真実すらも歪められ、妄想に歩み寄りそうな気配がある。
 遠藤を逃亡犯と決めつけ話す希子に「お前、どっかおかしいんじゃないの」と道郎が言う。読者の多くも、同じことを言いたいだろう。もっとも、希子は一人で狂ったのではない。
舞とミスミ、そして道郎と関わったことによって、異常の領域へと押しやられた。関係のなかで狂ったのである。
 関係の「侵入」をイメージさせる「鍵」のエピソードも重要で、三人は、互いの家の鍵を盗み合うという異常な行いを通して、互いのなかへ侵入するが、それが明るみに出ても、三者の関係は継続する。
三人は、いつしか「仲間」になってしまったということか。
 破綻はすぐそこに来ているように思える。だがこれは終わりでなく、始まりなのかもしれないということが示唆される。自我が崩れ、流れだし、誰が誰なのか見分けもつかない。
この無秩序な混沌を支えているのが、端正な文章と堅牢な構成である。    (こいけ・まさよ 詩人・作家)




高村薫『空 海』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ 高村薫 近影

──新・読書ノート──

        高村薫『空 海』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・新潮社2015/09/30刊・・・・・・・・・

    空海は二人いた。 民間信仰に息づく弘法大師を含めると、つまりは三人か。

   劇場型宗教リーダーとして、国土経営のブルドーザーとして生き、死しては民間信仰の柱として日本人の心を捉えてやまぬ男。
   わが国の形而上学の基礎を築いたのみか、治水事業の指揮まで執った千二百年前のカリスマ。
   一人の人間にそれを可能にしたのは一体何だったのか――。空海の足跡を髙村薫がカメラ片手に辿る思索ドキュメント。


新潮社の読書誌「波」10月号に載る記事を、二つ続けて引いておく。     ↓
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[『空海』刊行記念インタビュー]  空海を追い求め21世紀の日本を視る・・・・・・・高村 薫

――読者の多くは、阪神淡路大震災のあと、大阪在住でもある高村さんが作風を変えた、端的に言えば仏教の世界に近づいたんじゃないかと感じているようですね。
『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』の三部作でも、主人公は禅宗の僧侶だった……。

○仏教的世界観に私が接近した、というよりも、むしろ「いのち」への接近だったように思います。「いのち」というものは論理だけでは捉えられない。
まして数式に落とし込むことなど出来ようはずもない。その「いのち」に接近する方法として宗教があったということです。
宗教の中でも、キリスト教でなく自ずから仏教を選んでいたというのは、仏教の方がより「いのち」に近い、という点が大きい。
西洋の一神教というものは、あくまで世界を作った創造主を中心とした信仰です。
宇宙的な巨大なものから微細なものまで、あらゆる「いのち」を包含することが出来るとなると、やはり仏教しかないんじゃないか。大震災のあと、そういうふうに考えるようになったんです。
――本書の、空海が書き残した文章を読み解く件りを読んでいて、目の付け処がとても高村さんらしいと思ったのは、空海が密教の奥義や自らの神秘体験を「言語化」すべく、もがき続けていたという指摘です。
○空海は「言葉の人」だったと思います。中国語も日本語同様に自在に操れた語学の達人だったし、手紙類を含め膨大な著作を遺した文字の人でもある。
文字の人が、同時に、文字の届かない神秘体験をする――この二つの全く相容れない世界が、一人の人間の中に存在しているんですね。
彼は自らの神秘体験と、同じ自分の中にある言語とを結びつけようとする、またそうせざるを得ない。言葉で言い当てて初めて、神秘体験はなにがしかの意味をもつからです。
だけどこれは完全には出来なかった。最終的には、言葉の論理を飛び越えるほかない。つまりどうしても飛躍があるということですね。
神秘体験や密教の世界は、そもそも言葉で表し尽せないものだけれど、言葉でもって接近しようとする努力、言語の運動、それこそが宗教的言語であるはずだと私は思うんです。
この点で空海は、非常に真面目な宗教者であった。
 残念なことに、言語化してゆく努力は終生続くのだけれど、結局は貴族を含めた一般人からなかなか理解してもらえなかった。そうして彼の一代限りでこの努力も終わってしまう。
空海が死んで何が残ったかというと、それは密教の儀式なんですね。目に見える儀式や作法。言葉の運動よりも宗教儀礼の方が残ってしまったということです。
――さらに驚いたのは、本書第5章です。「空海は二人いた。そうとでも考えなければ説明がつかない」という件りがとても鮮烈でした。
○能力を開花させた分野が多岐にわたっているため、どれが本当の空海かと戸惑うかもしれませんが、空海本人の中では何も矛盾がないんです。
間違いなく彼が天才だと思うのは、普通の人なら艱難辛苦するだろうことをいとも簡単にやってのけてしまうところ。
実務的才覚に恵まれている一方で、仏道修行では神秘体験まで起こす、つまり修行のセンスも十分だった。
そして、仏教で得た世界観をきちんと朝廷の政の場で活かす才能までもっている――本当に幅広く何でも出来た天才だったわけですけれど、それは一代限り、あまりにも偉大だったから弟子が育たなかったんですね。
空海の死後、教団の内外でその存在は次第に忘れられてゆくのですが、教団の生き残りのためには、やはり何か仕掛けが必要だったんでしょう。
七、八十年経ってから突然、空海は生きているのだという「入定信仰」なるものが現れる。
ですから生前の空海と死してのちの空海とは、完全に切り離された別の存在である――二人の空海とはその意味です。
――死してのちの空海は、日本人の信仰のメカニズムに今なお脈々と息づいていますね。お遍路さんであったり、現世利益追求型であったり、形は様々ですが。
○現世利益を求めるから日本的で、大衆的で、近代的なものだということではないと思います。
確かに成田山新勝寺で車の御祓いを受けるといった一面もあるけれど(笑)、もっと奥深いところで、お山を拝むとかご来光を拝みに出かけるといった神祇信仰が日本人の心の底に刻まれている。
ということは、日本人はもともと非常に宗教的な民族であって、そこが我々の精神の基盤となっているわけです。空海もまた、そうした日本古来の宗教的基盤から出てきた人だった。
すると彼は、うんと分かりやすく言えば、そうした日本列島の神様と、仏様をくっつけたと言うこともできる。
この基盤がなければ、空海が生まれ変わってお大師さんとなり、今日まで千二百年にわたって信仰を集めるということもまた、なかったと思うんです。
――本書は、二〇一五年現在の宗教シーンにまで筆を及ぼしてあります。元オウム真理教信者にインタビューしている件りには興味をそそられました。
○カルト教団が出てきた八〇年代は、反理性の方向、つまり現実に背を向けて神秘的なものに救いを求める方向に全世界が傾いていた時代です。
だけどそこには言葉が欠けていた。空海が力を注いだ言語化という行為は、世界をちゃんと言葉で説明するという近代精神にもつながるものですが、オウムにはそれがない。
もっとも、現代ではそうした神秘性への希求すら消えかかっていますけれど。       (たかむら・かおる 作家)
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[『空海』刊行記念特集]  空海が現代人ならと想像させる書 ・・・・・・・・・・南 直哉

 自慢話めいた言い草になって恐縮だが、以前、私は著者の大作小説のモデルだと思われていた時期がある。
『新リア王』『太陽を曳く馬』の主人公の禅僧の様子が私にソックリだと、多くの人たちから言われたのだ。
 それはそれで驚いたが、しかし、作品が私に与えた衝撃は、モデル云々などというレベルのものではない。
そこに開陳されていた、我が曹洞宗の祖、道元禅師の主著『正法眼蔵』に対する読みの深さと強度だった。
 いつかまたお目にかかって、さらに突っ込んだ話を伺いたいものだと思っていたら、著者が空海上人について書くのだという。これにまた驚いた。
実は、私にも空海上人に思い入れがあったからである。
 私は、日本の仏教史上、その思想の構造的独自性とインパクトにおいて、空海、法然、親鸞、道元の四祖師に過ぐるはない、と考えている。とりわけ、空海上人と道元禅師はまさに好対照である。
 超越的な理念や絶対神的存在を現実世界の根拠に置いて、その世界に存在するものの構造全体を説明する思想を形而上学というなら、日本において初めて形而上学を持ち込み、それを理論的に体系化したのが空海上人だと、私は考える。
そして、その影響は彼以後の様々な思想的言説に対して抜群かつ絶大であった(今なおである)。
 彼が導入した密教は、大日如来という超越者が人間たる修行僧と修行の果てに合一するというパラダイムを持つ。空海上人はこれを「即身成仏」として理論化した。
 この理論は、根底にアニミズム的心性を保持している日本の思想風土に極めて馴染みがよかったのである(「現人神」の存在と「ありのままの世界がそのまま仏の世界である」的言説の大量発生)。
 おそらく、法然、親鸞、道元、日蓮など、鎌倉時代の仏教革新運動の担い手たちは、淵源が空海上人である思想(天台本覚思想)への挑戦者として、その強力無比な縛りを断ったのだ。
 特に道元禅師は、仏教の核心である「観無常」の立場を決してゆずらず、さらに形而上学を持たない日本的心性を背景に、あらゆる形而上学的言説を拒否して、いわば形而「外」的な視点を確保しながら、独自の体系を構築した。その思想的態度は、まさに空海上人の対角線上にあるだろう。
 このような筋書きの読みは浅薄かもしれないが、本書に見る捌きも鮮やかな空海上人の思想解説は、私の読みも満更的外れでもないと思わせてくれた。
 今回著者の描き出す空海上人の全体像に触れて、私が特に感慨深く思ったのは、空海上人が現代人だったら、あるいは出家しなかったのではないかということだ。
 法然、親鸞、道元などの祖師は、現代にあっても出家しただろうと思える。彼らにはどこかに実存の「苦」に対する痛覚がある。それが彼らを遂には出家に導くような気がする。
 しかし、空海上人の場合、「苦」によって出家したようには、どうしても思えない。
熱烈な「絶対的真理」への情熱と、それに到達する方法への渇望を胸に秘める、空前絶後の「万能の天才」が、それを実現する場を当時にあっては仏教以外に見出しえなかった結果の行為、それが彼の出家に見える。羽目を外して言えば、もし彼が現代人なら、桁違いの「天才マルチクリエイター」などと言われるような人物になったのではないか。
「お大師様」として、歴史上の人物がこれほど広汎に信仰されてきた事実からして、私は彼のカリスマが、単に仏教僧侶の範疇に納まるものとは思われない。
 最後にあえて蛇足を言わせていただければ、その空海上人を観る作者の眼は、当の空海上人の、さらにその向こうを観ている気がする。真理の、仏教の、あらゆる言説の彼方。
強引な我田引水をお許しいただきたい。私は、著者の観る彼方に、釈尊も道元禅師も観たに違いない、「実存」の無常があると思うのだ。      (みなみ・じきさい 禅僧)
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参考までに紹介しておく。   ↓ 本人の画像として、どうぞ。


南 直哉(みなみ・じきさい)とは、長野県出身の禅僧である。  宗派は曹洞宗。
早稲田大学第一文学部卒業。
大学卒業後、サラリーマン時代を経て26歳で出家する。
福井県の曹洞宗・永平寺で約20年の修行を積んだのち、福井県霊泉寺住職、恐山菩提寺の院代(住職代理)に就く。
著書に「語る禅僧」 「なぜこんなに生きにくいのか」など。





高橋秀実『不明解日本語辞典』・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       高橋秀実『不明解日本語辞典』・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・新潮社2015/11/27刊・・・・・・・

        読めば読むほど、日本語がわからなくなるんですけど。

    「普通」って何? 「ちょっと」って何? 「っていうか」って何?……。
    毎日何気なく使っている言葉の意味を、みなさんは本当に理解していらっしゃいますか?
    あまたの辞典類の頁をめくり、日本語の持つあいまいさ、難解さに正面から立ち向かい、時に茫然とたたずむ。
    小林秀雄賞作家によるユニークな辞典風エッセイ。


新潮社の読書誌「波」12月号に載る紹介記事を引いておく。   ↓
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     [高橋秀実『不明解日本語辞典』刊行記念特集]
       【インタビュー】言葉の海で溺れて来ました    高橋秀実

――これまでにない内容の本ですが、本書の特徴は?
 言葉というのは、通常は文脈の中にあるんですが、それを切り取ると不可解なものになります。
前後に文章があるならすっと頭に入るけど、そこだけ切り取ると、ものすごい違和感に襲われるんですね。
「これは長さ1メートルです」とセンテンスで言われれば理解できますが、「長さ」だけだと、「長さって何?」となる。
その「何」っていうのも「何?」ということになり、どんどん迷宮に入っていく。今回はその言葉の迷宮にあえて入ってみようと。
 妻が私に「ちょっと話があるんだけど」と言う時は、絶対に「ちょっと」じゃないんです。「少し話があるんだけど」という時は短時間なんですけど、「ちょっと」だとかなり深刻な話になる。
だから、「ちょっと」というのは「かなりのこと」。下手すると話は翌朝まで続きますから。少なくとも「少し」ではない。ですので、言葉自体に意味があると考えると、ちょっと違うんじゃないかと。
 最近の辞書って、「まえがき」に「この辞書は10万数千語を収録して、今使われている言葉もできる限り網羅した」とかなんとか、誇らしげなんですよ。でも、一昔前の辞書は違った。
私が好きなのは『大言海』で、編纂者の大槻文彦さんが序文を書いているんですが、それを読むと、「おのがまなびの浅きを恥じ責むるのみ」とかある。
どうしても語源がわからないので、専門家の家に訪ねていったけど留守だった。電車の中で方言を耳にしてその人に意味を問いつめたら迷惑がられた。
古い言葉は、なんとかなるけど、新しい言葉になるとさっぱりわからないから、あとの人にお任せする、みたいなことが書いてあるんです。
諸橋轍次さんの『大漢和辞典』も、間違いがきっとあるんで、後の人、よろしくお願いします、みたいなことが書いてある。いずれにしても「すみません」という感じなんですね。
『大言海』って、「言葉の海」。言葉について考えると海に溺れるようだ、ということなんです。私は今回、その海に溺れたんです、ずぶずぶに。
だから、この本は、私はこんなふうに溺れましたという記録でもある。『はい、泳げません』日本語バージョンみたいな(笑)。
読者の方はたぶん、通常の辞書のように、「あっ、そういうことか」みたいには絶対にならなくて、一緒に溺れることになります。申し訳ないんですけど。
――32語はどうやって選んだんですか?
 たとえば、担当編集者から「どうも」はどうですかと提案があって、調べてみると、「どうも」は「どうもこうも」の略らしい。すると、あんまり話が展開しない。
どうせ溺れるなら、溺れがいのある深海みたいなところで溺れたいから「どうも」は「あ」の中に入れたんです。「あ」のほうが深みにはまりそうで。
 なるべく、日常的に使っている短めの言葉のほうがいいですね。
気がついたのは、たとえば「ちょっと」について編集者と話していて、「今回、ちょっとにしようと思ったんですけど、ちょっとよくわかんなくて、そちらでもちょっと資料ないですか?」「わかりました。じゃあ、僕のほうでもちょっと調べてみます」みたいに「ちょっと」が連鎖していくんですね。
「っていうか」もそうですね。「っていうか」というのをやろうと思っているっていうか、みたいに(笑)。
言葉を対象化できないっていうか、溺れちゃう。批判するつもりが、自分で口にしてしまう現象に襲われる。
――「辞典」と銘打っているわりには32語しかありません。たぶん世界で一番語彙の少ない辞典になりましたね。
 普通、10万語網羅、ですからね。妻がキャッチコピーをつくったんです。
「これさえマスターすれば、あなたも立派な日本人!」
 要するに、ラジオ体操みたいなもので、音楽聴いただけで体を動かすことができたら、あなたも日本人、みたいな語彙ばかりです。
 外国語を勉強する時に、よくありがちなのは、文法から入るでしょ。まず、ルールを学んで、言葉を覚えていこうとする。私、それはちょっと間違っているような気がするんです。
たとえばサッカーを覚える時、まずボールがあって、ボールをゴールに入れることが最重要ですよね。ルールを覚えることじゃない。
ゴールをねらっているうちに、こういうルールがあるからそれはやっちゃダメよ、というふうに、後で教わればいいわけなんです。
 それと同じで、言葉というのも最大の目的は相手に何かを伝えること。後で、こういうルールがあるんだと覚えればいいんであって、ルールを勉強しても言葉はマスターできない。
 たとえば英語でも、SVOCとか、三単現を覚えたって話せない。それより、アメリカ英語だったら、とりあえず相手をほめる。great! marvelous! fantastic! とか。
讃える言葉を連発しているうちに道が開けてくる。で、そのうち文法があって、ああ、そういう言い方はダメなんだと学ぶわけですよ。
 スペイン語もそう。私は、entoncesがキーワードな気がした。日本語でいうと、「そして」「だから」みたいな言葉。とりあえずentoncesと言っておけば間が持つ。
エントンセス、エントンセスと言っていれば、だんだんスペイン語を話しているふうになってくるんです。
 では、日本語の場合、それはどんな言葉なのかというと、「っていうか」とか「なに?」でしょう。「なにがなにしてさ」「えっ、なにがなにしたの?」みたいな。
外国人力士が日本語を早くきれいに覚えられるのは、文法を無視しているからじゃないですか。
まず「なにがなにしてなんとやら」を覚える。単語を覚えなくても、「なにがなにしたから」と言うだけで、わかったりするんです。
たとえば、昼前に、「いやあ、なにがなにしてないから」と言えば、「まだちゃんこができてないから」とわかっちゃうみたいな。
そういう、日本人が繰り返し使っている「ちょっと」「えー」「すみません」みたいな短い言葉を厳選したのが本書なんです。
――「おわりに」の中で、奥様との会話がヒントになっているとありました。(ここで栄美夫人登場)
(栄美)家で仕事をすることが多いので、とにかく二人でよく会話しますね。彼がえんえんと喋っていて、それを私が記憶するみたいな関係。
原稿について、ああじゃないか、こうじゃないかと、いろんなことを考えていて、それを私に吐き出すんですね。正直、面白くないと、「だから何?」とか訊いちゃう。
彼、溺れているからわからないんですよ。すると、悔しいもんだから、私が面白がるまで、試行錯誤するんです。
(秀実)私がさんざん話した後、彼女が「それで私のことは愛してるの?」と訊いたりするんです(笑)。「もちろんだよ」「愛するあまりだよ」と答えますけどね。
話の腰を折られているようですが、やっぱり「愛」がないとダメですね。夫婦の会話ですし。
(栄美)私は浮き輪みたいなもんですよ。私は溺れたくないし、海も泳ぎたくない……。
――最後に、この本で何を感じてほしいですか?
 もっと会話しましょう、かな。賀茂真淵の言葉を借りるなら、声のまにまに言をなそう。日本語は、不明解だからこそ、会話しましょう、ですかね。 (たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
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高橋秀実/タカハシ・ヒデミネ

1961(昭和36)年横浜市生れ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、ノンフィクション作家。
『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
他の著書に『TOKYO外国人裁判』 『ゴングまであと30秒』 『にせニッポン人探訪記』 『素晴らしきラジオ体操』 『からくり民主主義』
『トラウマの国 ニッポン』 『はい、泳げません』 『やせれば美人』 『趣味は何ですか?』 『おすもうさん』 『結論はまた来週』 『男は邪魔!』など。



岡井隆歌集『暮れてゆくバッハ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ 最新刊の歌集『暮れてゆくバッハ』
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 ↑ 2010/07/25 思潮社刊─「注解詩」という新たな領域を切り拓いたとされる

──新・読書ノート──

       岡井隆歌集『暮れてゆくバッハ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・書肆侃侃房2015/07/31刊・・・・・・・・・

この本が出てから、もう数か月経つが、短歌だけではなく「詩」もあり、また「花と葉と実の絵に添へて」という18ページに及ぶ挿絵と歌のコラボしたページもあるという特色のあるもの。
この本の「帯」裏に

 < この本は、一見すると、きはめて形而下的な契機によつて成立したやうに見える。
   しかし、詩歌といふのは、さういふ形而下的な動機を超えて動くものだ。
   作者は、それまで長く続けて来たいくつかの仕事を辞めた。
   そのためもあつて、詩や歌をつくる悦びを覚えるやうになった。 
   どうやらその流れが、この本の底のところで、ささやかな響きを立ててゐるやうに作者は思つてゐるのだが、錯覚であらうか。  >

という「あとがき」の一文が載っている。
これは、この本の性格を端的に表現しているようだ。

はじめに「岡井隆は短歌を革新しつづける」というコメントを引いておく。  ↓
投稿者
谷内修三
投稿日 2015/8/10
詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
 岡井隆『暮れてゆくバッハ』は歌集。私はいいかげんな人間なので、最初から最後まで順を追って歌集を読むわけではない。テキトウにぱっと開いて、そのとき目に飛び込んできたのが、

     ケータイの在りかをぼくので呼びあてる、弁証法の正と反だね

 あ、おもしろい。
 おもしろいと思ったのは「ケータイ(電話)」が歌に詠み込まれていること。もう「ケータイ」は古くて、いまは「スマホ」なのかもしれないが、そういう「新しいもの」を岡井の年代の人が歌に詠み込むことがうれしい。
 というのも、この春、「西日本詩人セミナー(だったかな?)」で若手(中堅?)の歌人と話す機会があったのだが、そのとき彼らは「イメージの共有」ということを言った。「葡萄の種」と「梅干しの種」を例にひいて、「葡萄の種」は歌になるが「梅干しの種」はだめだ、と。「葡萄(の種)」には歌として詠まれてきたひとつのイメージがあり、それを共有することが歌の「核心」である、ということらしい。このときの「共有」を「継承」と言い直すと、それは「伝統」につながる。また「結社」というものにもつながる。「結社」とは、ある「イメージ」の共有(継承)の仕方を学び、育てる仕組みである。
 まあ、それはそれでわかるけれど、何とも古くさいというか……。
 で、そのとき若手の歌が何首か紹介されたのだが、この岡井の歌に比べると、とても古くさい印象がある。「葡萄の種」にひきずられている。どんなに新しいことを詠んでみても、詠み方のなかに「定型」がある。「抒情の定型」がある。
 岡井のこの一種には「抒情の定型」がない。「定型」を突き破っている。「抒情の定型」がないとしたら、では何があるのか。
 行動(アクション)がある。「動詞」がある。「行動/動詞」というのは「人間」を貫き、「人間」を「ひとつ」にしてしまう。誰の「行動/動詞」であれ、それを他人が「反復(反芻)」するとき、その「行動/動詞」はやすやすと「共有/継承」されてしまう。
 具体的に言い直そう。
 ケータイをどこに置いたかわからない。ケータイが見当たらない。さて、どうする? 電話を鳴らしてみる。岡井はここでは、誰かが見失った電話を「それじゃあ、ぼくので呼んでみる(鳴らしてみる)」と言って電話をかけている。それに応答してどこかから着信音が聞こえる。見つかった。こういう一連の動き(行動/動詞)を「呼びあてる」ということばで結晶させている。
 こういうことは、だれもが一度はしたことがあると思う。これは、さらに言い直せば、岡井のしていること(行動/動詞)を読者の「肉体」がおぼえているということである。岡井のことばによって、読者の「肉体」がおぼえていることが、読者の「肉体」のなかに甦ってきて、あ、「わかる」という感じが生まれる。岡井が「わかる」のではなく、読者が「わかる」。読者はその瞬間、岡井を忘れて、自分の経験を思い出している。
 「行動/運動」が、岡井と読者(複数)によって共有される。共有されるけれど、それを実際に味わうのはあくまで「ひとり」。「動詞」は、そんなふうにして、離れて存在している人間の「肉体」をつなぐ力を持っている。
 このあと、岡井は、どきっとさせる。

      < 弁証法の正と反だね >

 うーん、弁証法か。弁証法については、私は個人的にいろいろ思うことがある。弁証法では世界は把握できないと思っているのだが、そういうことはわきにおいておいて。
 岡井はここでは弁証法を正と反の対立を止揚ととらえている。岡井のケータイが正なのか、探しているケータイが反なのか、どっちでもいいが、呼び出すことで失われたものの在りかを探し当てる(止揚、結論に達する)ときのふたつのケータイの関係が弁証法の正と反のような形で運動している。
 ここにも書かれてはいないけれど、「止揚する」という「動詞」が存在する。「弁証法」ということばのなかに「運動/動詞」がある。
 これがおもしろい。

 岡井は、すでに継承されている存在のイメージを利用して歌を書いているのではない。ひとりの個人に帰って(つまり、伝統に属している自分を深く掘り下げて「私」という肉体に帰って)、そこから動きはじめる。その動きは誰にでも共有できる「動詞」である。「動詞」を生き直しているともいえる。
 ここに、岡井のことばの力がある。
 失われたケータイを手元にあるケータイで探し当てる。そういうことを「弁証法」のなかにある正と反の対立、さらに対立を止揚するという「動詞の比喩」で言い直す。それがおもしろい。
 「比喩」はもっぱら「名詞」と「名詞」の言い換えが多い。「君はバラのように美しい」では「君」と「バラ」が言い換えられている。これは歌人たちがいう「イメージ」の共有(継承)につながるのだけれど、岡井は「比喩」は「動詞」においても成り立つということを実践している。
 「呼びあてる」は「さがす」という「動詞」の「比喩」なのだ。「言い直し」なのだ。「言い直す」ことで、見えなかったことを明らかにする。「さがす」は「あてる」(どこにあるか、あてる)でもある。

 その直前の歌。

      幾つかの袋のどれかに横たはつてゐる筈なのだ可愛い耳して

 これは前後するが探しているケータイのことを詠んでいる。そこにあるどれかの袋(バッグ)のなかにケータイはあるはずである。そのケータイを「可愛い耳」と呼んでいる。比喩である。この比喩が、文字通り可愛い。
 いや、そのケータイの持ち主が誰であるか私は知らないが(もしかすると、妻のケータイなのかもしれないが)、何となく、岡井の若い愛人というものを想像してみる。いいなあ、若い愛人がいて、「今夜、どう?」なんて電話を待っている。その耳のかわいらしさ。誘いをひたすら待っている無言の耳。自分からは催促しない無言の耳。ね、可愛いでしょ?
 というのは、私の欲望なのだが……。
 歌なんて、というか、文学なんて、作者の「主張/感情」なんか、どうでもいい。自分の「主張/感情」にかってにすりかえて読めばいい。つまり、自分の「欲望(本能)」を発見するためにある。自分の欲望(本能)なのに、あ、岡井もそうなんだと勝手に解釈して、「同士」になったつもり。
 「同士」と書こうとしたら「動詞」という変換が先にあらわれて、その瞬間に思ったのだけれど、そうか「同士」というのは「動詞」を共有する人間のことか、と思いなおした。いっしょに行動してこそ「同士」。
 「欲望(本能)」というのも、「動詞」だね。動いてはじめて、何かが実現する。
 あ、脱線したかな?
 でも、脱線したおかげで、「可愛い耳」という比喩にも、どこかで「動詞(欲望/本能)」が潜んでいるということが、偶然発見できた。

 若者の歌よりも、さらに先を行っている若々しさ。それは次の歌にも。

     真面目に弾くピアニスト。でも真面目には聞いていないぼくがわかる、悲しい

 ここでも「わかる」という「動詞」が歌の中心である。「わかる」は、このとき「理解する」ではなく、「発見する」である。「新しい」がそこに隠れている。真面目に聞かないというのは別に新しいことではないけれど、ピアニストの真面目がわかった瞬間に、「ぼく」の真面目ではないがわかる。「わかる」というひとつの「動詞」が「真面目」を中心にして大きく動いている。
 「動詞」のなかにこそ、「歌」の本質がある。
 この大きな変化を、岡井は「悲しい」ということばでしめくくっている。「悲しい」は「抒情的」なニュアンスが強いが、この「悲しい」のつかい方も、私は新鮮に感じた。
 「悲しい」は形容詞。形容詞は「用言」、つまり「動詞」のように「動く」。「悲しい」はひとつの状態にとどまっているのではなく、動くのだ。ピアニストの真面目が「わかり」、自分がまじめでないのが「わかる」。その「わかる」のなかの変化が「悲しい」というものを生み出す。生まれてきた「悲しい」。そのときだけの、一回性の感情の「動き」なのである。どんどん動いている「悲しい」。
 「わかる」は単に「頭」で「わかる」のではない。「わかる」瞬間、「頭」以外のものも動いている。「感情」とひとは言うかもしれないが、私は「肉体」が動いているのだと思う。ことばで、どこそこと指定(指摘)はできないけれど、「肉体」が全体としてもやもやとして動き、そのことばにならないもやもやから「悲しい」が動きはじめる。

 こういう短歌の「革新」を、若い歌人の歌ではなく、岡井の歌で知るというのは、少し残念な感じもする。短歌は岡井の力を必要としているんだなあ、と改めて感じる一冊だ。
 途中にスケッチと手書きの歌(手書きの文字)が何ページかあり、岡井は絵も描くのかと思った。どの絵も「線(輪郭)」が明瞭で、姿が歌に似ているとも思った。
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31dusCpS3iL__SX298_BO1,204,203,200_岡井隆「告白」

『わが告白』という本が2011年に出されたが、この本に関する書評を引いておく。  ↓
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著者岡井は歌人にして宮内庁御用掛。内科医として国立豊橋病院内科医長でもあった。
生まれは1928年、この一月に87歳になった。
1957年、アララギ派の歌人Aと結婚して以来、
翌58年Bと同棲。12年後の70年九州に逃避行する形で、Cと同棲、結婚。
そして1989年、NHK学園海外旅行に講師として加わった時、同学園絵画センターの講師として参加していた新見恵理子に出会い、同棲、98年に正式に結婚、入籍した。

恵理子と出会った時は隆が61歳、恵理子は32歳年下の29歳であった。
「愛の焔は老いず」と表現した所以である。
子はかすがい、と言うが、A、Bとはそれぞれ女子ひとり、Cとは男二人女子ひとり、三人の子をなした。
文中、子の結婚で救われたような思いを吐露しているが、心中、子供に対する苦衷はあったらしい。
Aとの結婚に関して、
「なにかすべてが終わってしまったあとで、今までの7年のつき合いの責をとる形でAと結婚した。私はまちがっていた。」
「Aの歌は目立たなかった。その点妥協してつき合っていたのは私の間違いである。一緒になるなら、相手に対し敬意を持てる人をえらぶべきなのだ。」
と深い悔悟の念を述べているが、これがB、Cとの結婚に生かされた形跡はない。むしろ最初の失敗を引きずる形で、「こんな筈ではなかった、、」という思いがあったに違いない。
従って先の悔悟は、いまの恵理子に向けた言、といってよいだろう。

いま「恵理子に向けた言」と述べたが、この「告白」全体も恵理子に向けたものであろう。
その意味では、「告白」は未完であり、これから変わり得るものでもあろう。

三度の出会いと別離について、歌人として、つまり表現者としての自己とのかかわりを、
「わたしは、昭和33年アララギ系の素朴リアリストだったAからのがれて、Bと棲んだ。あの時も、筆を捨てて、そのあと、表現の実験に行った。歌集『土地よ痛みを負え』、は、そこで使われた歌のレトリックそのものが、失踪の記録だったかもしれない。」

「同じような比喩で言えば歌集『天河庭園集』の世界を捨てて沈黙した昭和四十五年の九州行はCと共に、家出したのであった。」

と述べている。
しかしこれは、自己正当化というか、ある種の「甘え」の匂いが強くする。
もっと「自己に誠実であるか」を自問自答すべきであろう。

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念のためにWikipedia から記事を引いておく。   ↓

岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - )は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。

経歴
愛知県名古屋市出身。父も「アララギ」の歌人である傍ら、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)の技術者で、後に専務取締役も務めた。旧制愛知一中(現愛知県立旭丘高等学校)、旧制第八高等学校、慶應義塾大学医学部卒。医学博士。内科医師として、国立豊橋病院内科医長などを歴任した。

17歳のときに作歌を始め、1946年「アララギ」に参加、土屋文明の選歌を受ける。1951年、近藤芳美を中心とした「未来」創刊に参加。アララギ派の影響が濃い浪漫的な生活詠から出発したが、1955年に塚本邦雄との交流が始まり、寺山修司とも知り合い、青年歌人会議、東京歌人会などの活動に参加。現代詩の暗喩技法を取り入れながら、ナショナリズムなど先鋭的な主題を表現することで現代短歌に思想性を導入し、前衛短歌運動の旗手の一人となった。1957年より吉本隆明と「定型論争」を繰り広げ、前衛短歌の理論的基礎を構築した。北里研究所付属病院の医師として勤務していたが、1970年の夏に辞職して20歳ほど年下の愛人女性と九州に隠遁、あらゆる文学活動を停止した。その5年後に歌集『鵞卵亭』を発表して歌壇に復帰。1985年以降は、W・H・オーデンらの影響からライト・ヴァースを提唱し、口語と文語を融和した柔らかい作風に転換していく。1989年より1998年まで深作光貞の誘いにより京都精華大学人文学部教授。この時同僚だった上野千鶴子と交友を持ち始める。中日新聞・東京新聞に『けさのことば』を長年にわたって連載中。2014年まで日本経済新聞歌壇選者。

1993年から歌会始選者となり宮廷歌人となったが、そのことに対して歌壇では批判と論争が巻き起こった。2007年から宮内庁御用掛。

評論では、斎藤茂吉論が多い。詩集でも高見順賞を受賞するなど、詩人としても高い評価を得ている。

門下に小嵐九八郎、池田はるみ、山田富士郎、加藤治郎、大辻隆弘、江田浩司、田中槐、紀野恵、大滝和子、東直子、高島裕、嵯峨直樹、笹公人、岡崎裕美子、中沢直人らがいる。

受賞歴
1983年、『禁忌と好色』で迢空賞
1990年、『親和力』で斎藤茂吉短歌文学賞
1995年、『岡井隆コレクション』で現代短歌大賞
1999年、『ウランと白鳥』で詩歌文学館賞
1996年、紫綬褒章
2004年、旭日小綬章
2005年、『馴鹿時代今か来向かふ』で読売文学賞詩歌俳句賞
2007年、『岡井隆全歌集』で藤村記念歴程賞
2009年、『ネフスキイ』で小野市詩歌文学賞
2009年、日本芸術院会員
2010年、『注解する者』で高見順賞
2011年、『X-述懐スル私』で短歌新聞社賞

著作

単著
斉唱 白玉書房 1956
土地よ、痛みを負え 白玉書房 1961
海への手紙 歌論集 白玉書房 1962
朝狩 白玉書房 1964
眼底紀行 思潮社 1967
現代短歌入門 危機歌学の試み 大和書房 1969 のち講談社学術文庫
戦後アララギ 短歌新聞社 1970
岡井隆歌集 思潮社 1972
茂吉の歌 夢あるいはつゆじも抄 創樹社 1973
辺境よりの註釈 塚本邦雄ノート 人文書院 1973
鵞卵亭 六法出版社 1975
慰藉論 吉本隆明から斎藤茂吉 思潮社 1975
韻律とモチーフ 大和書房 1977
岡井隆歌集 国文社(現代歌人文庫 2) 1977 
歳月の贈物 国文社 1978
天河庭園集 国文社 1978
遥かなる斎藤茂吉 私流「茂吉の読み方」思潮社 1979
時の峡間に 現代短歌の現在 岡井隆評論集 雁書館 1979
ロマネスクの詩人たち 萩原朔太郎から村上一郎まで 国文社 1980
前衛短歌の問題 現代職人歌から古代歌謡まで 短歌研究社 1980
メトロポオルの燈が見える 砂子屋書房 1981
近藤芳美と戦後世界 蒼土舎 1981
人生の視える場所 思潮社 1982
歌のかけ橋 六法出版社 1983
花を視る人 砂子屋書房 1983
古代詩遠望 続・前衛短歌の問題 短歌研究社 1983
斎藤茂吉 人と作品 砂子屋書房 1984
岡井隆の短歌塾 入門編 六法出版社 1984
茂吉の万葉 現代詩歌への架橋 短歌研究社 1985
αの星 短歌新聞社 1985
岡井隆の短歌塾 鑑賞編 六法出版社 1986
岡井隆全歌集 1-2 思潮社 1987
犀の独言 砂子屋書房 1987
今はじめる人のための短歌入門 角川選書 1988
人麿からの手紙 茂吉の読み方 短歌研究社 1988
けさのことば 2 砂子屋書房 1988
鵞卵亭談論 六法出版社 1989
岡井隆の短歌塾 鑑賞編・古代歌謡 六法出版社 1989-90
親和力 砂子屋書房 1989
文語詩人宮沢賢治 筑摩書房 1990
宮殿 沖積舎 1991
太郎の庭 砂子屋書房 1991
愛の茂吉 リビドウの連鎖 評論集 短歌研究社 1993
斎藤茂吉と中野重治 砂子屋書房 1993
岡井隆コレクション 1-8 思潮社 1994-96
禁忌と好色 短歌新聞社 1994
茂吉の短歌を読む 岩波セミナーブックス 1995
短歌の世界 岩波新書 1995
茂吉と現代 リアリズムの超克 短歌研究社 1996
前衛歌人と呼ばれるまで 一歌人の回想 ながらみ書房 1996
夢と同じもの 短歌研究社 1996
歌を創るこころ 日本放送出版協会(NHK短歌入門) 1996 
けさのことば 3 砂子屋書房 1996
月の光 詩集 砂子屋書房 1997
大洪水の前の晴天 砂子屋書房 1998
ウランと白鳥 短歌研究社 1998
前衛短歌運動の渦中で 一歌人の回想 ながらみ書房 1998
ヴォツェック/海と陸 声と記憶のためのエスキス ながらみ書房 1999
詩歌の近代 岩波書店 1999 (日本の50年日本の200年)
ことばの朝風 中日新聞社 2000
挫折と再生の季節 一歌人の回想 ながらみ書房 2000
臓器 砂子屋書房 2000
E/T 書肆山田 2001
短歌-この騒がしき詩型 「第二芸術論」への最終駁論 短歌研究社 2002
吉本隆明をよむ日 思潮社 2002
〈テロリズム〉以後の感想/草の雨 砂子屋書房 2002
旅のあとさき、詩歌のあれこれ 朝日新聞社 2003
伊太利亜 書肆山田 2004
馴鹿時代今か来向かふ 砂子屋書房 2004
『赤光』の生誕 書肆山田 2005
岡井隆全歌集 全4巻 思潮社 2005-06
ぼくの交遊録 ながらみ書房 2005 ISBN 4861100445
二〇〇六年水無月のころ 角川書店 2006 ISBN 4046217200
岡井隆の現代詩入門 短歌の読み方、詩の読み方 思潮社 2006 ISBN 4783717125
わかりやすい現代短歌読解法 ながらみ書房 2007 ISBN 4860234308
家常茶飯 砂子屋書房 2007 ISBN 4790410072
初期の蝶/「近藤芳美をしのぶ会」前後 歌集 短歌新聞社 2007 ISBN 4803913498
歌集『ともしび』とその背景―後期斎藤茂吉の出発 短歌新聞社 2007 ISBN 4803913633
鴎外・茂吉・杢太郎 「テエベス百門」の夕映え 書肆山田 2008
ネフスキイ 書肆山田 2008
瞬間を永遠とするこころざし 日本経済新聞出版社 2009 日本経済新聞「私の履歴書」をまとめたもの
私の戦後短歌史 小高賢聞き手 角川書店 2009
注解する者 詩集 思潮社 2009
詩歌の岸辺で―新しい詩を読むために 思潮社 2010 ISBN 4783716668
X-述懐スル私 歌集 短歌新聞社 2010 ISBN 4803914974
静かな生活-短歌日記2010 歌集 ふらんす堂 2011 ISBN 4781403387
今はじめる人のための短歌入門(角川ソフィア文庫) 角川学芸出版 2011 ISBN 4044054029
わが告白 コンフェシオン 新潮社 2011 ISBN 4103317116
森鴎外の『うた日記』 書肆山田 2012 ISBN 4879958387
今から読む斎藤茂吉 砂子屋書房 2012 ISBN 4790413837
角川短歌ライブラリー岡井隆の短歌塾 入門編 角川学芸出版 2012 ISBN 4046526114
岡井隆歌集 現代詩文庫 思潮社 2013 ISBN 4783709785
岡井隆詩集 現代詩文庫 思潮社 2013 ISBN 4783709777
ヘイ龍カム・ヒアといふ声がする(まつ暗だぜつていふ声が添ふ)―岡井隆詩歌集2009‐2012 思潮社 2013 ISBN 4783733686
新輯けさのことば 4 砂子屋書房 2013 ISBN 4790414787
木下杢太郎を読む日 幻戯書房 2013 ISBN 4864880409
銀色の馬の鬣 砂子屋書房 2014 ISBN 9784790415398
暮れてゆくバッハ 書肆侃侃房 2015 ISBN 9784863851924
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転載の記事が多くて申し訳ないが、2005年に『馴鹿時代今か来向かふ』で「読売文学賞」を受賞したときの記事を引いておく。↓
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 戦後の短歌史と重なるといってもいい歌歴は、華々しくも起伏に富む。

 「アララギ」の歌人である両親のもとで10代から作歌し、1951年の「未来」創刊に参加。やがて始まった塚本邦雄氏とこの人との交流が前衛短歌運動を推し進め、吉本隆明氏との「定型論争」など、活発な評論活動を繰り広げた。

 だが、70年に突然、家庭も医師としての職場も捨てて九州に出奔し、5年間短歌から遠ざかった。92年には宮中歌会始選者への就任が論議も呼んだ。

 長い歌歴の中で、作風も変化を重ねた。受賞作にはそれが反映して、幅の広い多彩な作品が並ぶ。選考委員は「成熟した歌集。熟練と危うさが拮抗(きっこう)している」「自らのキャリアや立場に対する意識が薄まり、自由さを得た」と評した。

 「去年あたりから背負っているものが軽くなった気はしています。若い人に仕事がまかせられるようになったし、私生活では子供たちが自立してきた」

 <ゆつたりと廂に到(いた)る大いなる反(そ)りこそ見ゆれ雨絶えまなく>
といった韻律の美しい格調高い作の一方に、実験的な時事詠や口語体の作品がある。朗読のための連作、ことば書きや注の多用も特徴的だ。

 若い歌人とも積極的にかかわってきた。ライトバースの文体をいち早く評価したり、10年ほど前から、東京を始め関西や名古屋で若手中心の研究歌会を指導したり。だが、与えるばかりではない。若者の言葉遣いや発想の新しさを吸収して、より高度な形で自作に取り入れてしまう。
<窓際まで行かない、枯れ木の撓むのを見ない今日こそ〈始まる〉のかも>
実にやさしい笑顔を見せるのに、「岡井さんはこわい」とささやかれてしまうゆえんだ。

 数年前、30歳以上年の離れた妻と結婚した。
<よこになつて休めといふから寝てゐると側(そば)に来て傘(かさ)見せ寝かさないえり子>。
2人の関係を詠んだ歌は多い。「短歌は作者の背景を下敷きにして読まれるということも大切ですから」。あとがきに自らの履歴を織り込んでみたのも一つの試みである。

 一風変わった標題は
<かつてまだ定義されたることのない馴鹿時代今か来向(きむ)かふ>の一首による。

 「馴鹿はシカでもカモシカでもなく、家畜かと思えば野性味もあるとらえどころのない動物。現代という“世代”が失われ、家族が揺らぎ、個人と個人が裸で対しているような、定義しがたい奇妙な時代に、その名を付けてみたんです」

 時代を、社会を、自分自身を、鋭敏に感じ取り、先端を走り続けてきた歌人は、自在さを増してさらに旺盛に詠み続けるのだろう。(小屋敷 晶子記者)

『馴鹿時代今か来向かふ』
岡井隆
出版社:砂子屋書房
発行:2004年10月
ISBN:4790408167
価格:¥5250 (本体¥5000+税)
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彼も年齢を重ねて、今年は87歳になる。またいくつか病気をして今に至っているので、新聞連載の仕事なんかもいくつか辞めたらしい。
アクの強い人ではあるが年齢には勝てない。 執筆は今でもやっているが年齢相応のものとならざるを得まい。
ただし、今回の本に見る通り、長年のキャリアがあるから発想は自在であり、軽やかである。
今後の動向がみものである。 他人の引用ばかりでは気が引けるので、この本のタイトルになっている項目の一連を引いて終わる。

    暮れてゆくバッハ・・・・・・・・・岡井隆

  ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ

  ものの見事に裏切られてはかくし持つ刃を握るとぞ薔薇は陰険

  つひに此処まで来たのだとは思はねど限られて来た遁辞の甘さ

  後ろから道を迫つて来るバスにおびえてしまふ 紅梅の花

  意地の悪い夕日がひどくまぶしくて熊笹原のふちへ踏み込む

  いろいろに考へてみてその果てにとつた行為は納まりがいい

  聖イグナチオ教会の昼の鐘が鳴るむろんわたしを慰めるために




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