K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201710<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201712
尾池和夫句集『瓢鮎図』・・・・・木村草弥
尾池_NEW

──新・読書ノート──

      尾池和夫句集『瓢鮎図』・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・角川書店2017/10/25刊・・・・・・・

ご存知のように尾池和夫氏は先年まで京都大学総長を務められた地震学の大家である。→Wikipedia─尾池和夫
京都新聞の一面に「天眼」という大きな囲み記事があるが、そこに月に一回ほど記事を書いておられる地元では有名人である。
私は、いつも面白く、かつ有益に拝見している。
今は京都造形大学の学長をなさっている。内外の地震学会などで多忙だが、私は寡聞にして俳句を趣味としておられることは知らなかった。
科学者で俳人としては、東大学長でもあった有馬朗人が居られる。
この本は角川俳句叢書の「日本の俳人100」という企画で出版されたものである。
先ず尾池氏が俳句の世界で、どういう地位を占めておられるかを書いておく。
京都の俳句結社「氷室」─金久美智子主宰のもとで、副主宰を務めておられ、来年一月から主宰のポストにお付きになることが決まっているという。
「氷室」には1993年四月号から作品を発表され、令夫人・尾池葉子さんも同じ結社の俳人である。
この句集は、第一句集『大地』に次ぐ第二句集ということになる。
この句集の題名の「瓢鮎図 ヒョウネンズ」というのは、妙心寺の塔頭・退蔵院が所有する国宝の絵に由来する。
この絵は画僧・如拙の手になるもので、足利義持の命で「瓢箪でなまずを押さえる」という禅の「公案」を描いた、応永22年(1415年)以前の作だという。
「あとがき」の中で、作者は故郷・高地の学校に居るときにあだ名に「なまず」と呼ばれていたこと。「氷室」誌でも2009年以来「瓢鮎抄ひょうでんしょう」の欄を持っているという。
因みに、「鮎」という字はアユを指すのではなくナマズのことである。音読みは「ねん」や「でん」と訓むので、念のため。
漢字の読み方には「漢音」「呉音」「宋音」など、中国から伝来したときの「音」が複数あって、ややこしい。
昔から俗信として「地震は地下でナマズが暴れているから」だと言われているが、作者の意図として、この題名をつけたことと関連があるのは確かだろう。
掲出した画像の「帯文」でも読み取れると思うが、地震学者として作者は以前から2050年南海地震襲来を唱えて、警鐘を発しておられる。

作品を引いてみよう。

     ■山門を今年へ抜けし鐘のこゑ

     ■キムチにはキムチ色して田螺かな

     ■三門に僧の彳む夕立かな

     ■巳遊喜さま龍比古まゐる懸想文

     ■プレートの出会ふ地溝の霞かな

     ■小満や富士むはゆたかにマグマ持つ

     ■断層性盆地の底の熱帯夜

     ■菅公の地震の記録を初仕事

     ■君そこに花に埋もれるやうに立て

     ■西行の月あればけふ花の山

     ■鰹船南海トラフ沖にあり

     ■灼熱の鉄路は構造線に沿ひ─バンドン

     ■新たまねぎ総長室へどさと来る

     ■この鰤は氷見とひときは声を張る

     ■のれそれと出自同郷のどけしや

     ■母子草学徒出陣記録展

     ■息災や賀状二人の主治医より

     ■王様に会ふ自家用機春夕べ

     ■おんちやんのうるめぢやないといかんきに

     ■木の実割るチンパンジーわ真似て割る

     ■暁闇の桶に浅蜊の騒ぎ立つ

     ■ゲルニカを前に汗拭くこと忘れ

     ■夕凪や海蝕台に星を待ち

     ■初景色火の根一つの富士箱根

     ■花冷や伊豆に単成火山群

     ■万緑や甲骨文にある地震

     ■二億年のチャートを洗ふ夏の潮

     ■地震情報ポケットに鳴り春寒し

     ■春暁やひたすら睨む日本地図

     ■わが道の先へ先へと飛蝗かな

     ■年逝くや水噴き上ぐる銅の鶴

     ■明けぬれば雪まどやかに丸の内

     ■結構と医師のひとこと夏隣

     ■風邪の妻モーツァルトの他不要

     ■蟹行やものの芽を踏む道なれば

     ■鰻筒したたらせ行く沈下橋

     ■研究者のゴリラ顔なる立夏かな

     ■おほざつぱな秤をつかひ茸売る

     ■寒月やハラルマークの串団子

     ■菰巻は津波の高さ浜離宮

多く引き過ぎたかも知れない。さすがに科学者だけあって、目の付け所が独特である。
十数年前に急性心筋梗塞に襲われ、病院に駆け込んで命拾いされたという。その頃の句をいくつか引いた。
ネット上では、その頃の詳細な闘病記が見られるが、さすが科学者でメモ・記録も精細なものである。
京大総長という地位の高い有名人なので、海外出張でも、彼にしか詠めない句が見られ、さすがである。この辺で終わる。


キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』上・下・・・・・木村草弥
応為_NEW

北斎_NEW

──新・読書ノート──

      キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』上・下・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・・・彩流社2015/06/25刊
     
この本は先日、阿倍野ハルカス美術館で開催された「北斎展」の際にミュージアム・ショップで買い求めたものである。
カナダ人女流作家の手による大部の本である。
先ずはアマゾンの書評に載る読者の評を引いておく。

投稿者雪獅子2015年6月23日

 葛飾北斎の娘、お栄の生涯を描いた小説。
 父北斎の名声と膨大な作品のなかに、自らの画業を埋められてしまい、“謎の絵師”となってしまったお栄。
その彼女の心境が、北斎に対する愛情と、遊女の志乃との友情の物語でつづられていく。
 お栄は理解者といえる男たち(式亭三馬・渓斎英泉・南沢等明)と或いは恋をし、或いは結婚をしても、結局は北斎の工房へ戻っていく。
北斎を支えて手伝い、ほとんど分身のように父親に思われていることが嬉しい反面、自らの画業が混同されてしまう憤懣もある。
そうした日々の中で、不遇であっても誇り高く生きる志乃と、江戸時代を生きる女の悩みを共有する。
多面的にお栄の心の内が描かれていて、読み応えがある……のだが、気になるところがいくつかある。
 例えば、日本女性が男性に「隷属」している、とあっさり断じているところとか。
この小説ではお栄の同性との交際圏は親族以外はほとんど吉原に限られているわけだから、そういう視点はやむを得ないのかもしれない。
しかし、同時代でも階級や教育、稼業や都市か農村かなどによって様相はいろいろ異なっているわけで、一括りに江戸時代の日本女性全員のあり方を決めつけられてもなあ……と思う。
(例えば、同時代のイギリス女性でも、探検家のイザベラ・バードと切り裂きジャックの被害にあった娼婦たちのどちらに視点を置くかで、かなり違った見え方になるだろう)
 他にもいくつかあるが、この小説自体の瑕疵になるほどのことではない。
 まあ、私が杉浦日向子の愛読者だから、江戸時代をもう少し良く思いがちなのかもしれないが……。
--------------------------------------------------------------
投稿者be3osakaベスト500レビュアーVINEメンバー2017年9月29日

まず北斎に興味をもち、その後娘お栄への興味もわいてきました。
本書は北斎とお栄の普通の生活ぶりを知りかつ当時の社会で二人がどう生きていたのかが浮かびあがってくる貴重なものです。シーボルトも登場します。
巻末の著者のあとがき-葛飾応為に魅せられてと、訳者あとがきも読ませるものが多くあって良かったです。
---------------------------------------------------------------
投稿者Amazon カスタマー2014年12月29日

著者の方がよく江戸の町民文化を取材されてるなぁと感心しました。
情景が目に浮かび、楽しく読ませて頂きました。
和訳の表現も多彩で秀逸だったことも大きく影響していたと思います。
応為という存在を知ることができただけでなく、北斎を人間として身近に感じられる貴重な作品です。
--------------------------------------------------------------------------
カナダ人作家といってもアメリカで活躍する人である。
アメリカの小説は、とかく長くて、描写が冗長だというのが私の意見である。
この本も微に入り細にわたり、と描写が細かいが、肝心のところが抜けていたりする。
この本は娘「お栄」の目から見た北斎を描いていて間違いはないが、とにかく北斎という人は90年生きた化け物のような偉人であるから全体像を描くのは難しいだろう。
近年、欧米の資料などから研究が物凄く進んでいるらしい。
私が北斎を採り上げた十数年前とは比較にならないらしい。
この本のカバーに「あの絵を描いたのは私」とあるように、中風で指が震えて筆致もままならぬ晩年の北斎を支えて、「きれいな線」を引き、鮮やかな赤色を塗る、などは「お栄」の手になるものらしい。
華々しい「北斎展」の盛況ぶりからすれば、この本も、もっと売れてもよさそうなのだが再版の知らせはないのが残念である。
とにかく大部の小説に仕立てられた労苦を称えたい。


岩崎恭子詩集『ひばりの声が聴こえない』・・・・・木村草弥
岩崎_NEW

──新・読書ノート──

     岩崎恭子詩集『ひばりの声が聴こえない』・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・空とぶキリン社2017/09/15刊・・・・・・

私には未知の著者・岩崎恭子さんから、この本が贈呈されてきた。
高階杞一氏の指示によるものだろう。
巻末に載る略歴によると、1967年 福岡県生まれ。 2004年「詩学」新人。 2006年「詩と思想」2005ベスト・コレクション。
同年 第15回播磨文芸祭「わたしの詩」一般部門 最優秀作    とある。
全部で17篇の作品が収録されているが、「あとがき」によると20代から書き溜めてきたものだという。
それにしても、この年数からみると収録作品が少ないのではないか。
<2004年「詩学」新人。 2006年「詩と思想」2005ベスト・コレクション。同年 第15回播磨文芸祭「わたしの詩」一般部門 最優秀作>というのが、どの作品に当たるのか、
など「初出」を書き加えてもらいたかった。
とは言え、詩を書き抜いてみよう。

            ひばりの声が聴こえない       岩崎恭子

     感情を失った手足が
     冷えた大地に転がっている
     まとわりつく霧の粒子
     カタカタと細かに震えながら谷底に
     落ちてゆく声
     ひばりの声が聴こえない五月
     空の高さが分からない

     世界の端っこに咲く花
     突き上げられた一本の腕が
     風に揺らされ
     微笑んでいる

     その瞳の奥に張りついた記憶は
     誰の記憶か

     ひばりの声が聴こえない五月
     谷底で見失った声をわたしは拾いあつめる
     こぼれ落ちる涙
     指先で光っている

---------------------------------------------------------------------------
この本の題名になっている詩であるから著者にとって愛着のある作品なのであろう。
別の「紅い花」や「黄色い世界の果てに」などの作品を読むと、著者は看護師なのではないか、と推察したりする。

この本の「帯」に
<確かにあったもの/確かに触れられたもの・・・・・・
 喪失から再生への祈りをこめた、鮮烈な第一詩集。> とある。
ヒバリは五月に空高く、鳴いて飛翔する。 その声が聴こえない、というのである。
だが「詩は意味を辿ってはいけない」という。 著者の「喩」を無理に知ろうとするのはやめるべきだろう。
「まとわりつく霧の粒子」という言葉の選択は、田舎暮らしの私には、よく判る。 野づらを這ってゆく霧の流れの中を散歩したりするからである。

別の作品を引いてみる。

        紅色の手       岩崎恭子

     スカートの裾にあの人の顔がひろがって
     朝顔の紅に染まっていく
     私は子犬を胸に抱き甘えん坊の香りを嗅ぐ
     子犬の肉はやわらかい
      
     らせん状に手をのばすあの人の指先が
     スカートの裾から自らの紅を簡潔させようとしている
     私は子犬を抱きしめ
     しっとり濡れた鼻先を噛む
     口中に溶けてゆく甘えん坊の香り
     紅色はほんのり微熱を帯び
     朝顔の螺旋はそのつぼまりに私を捻りあげる
     肩にかかる紅色の肌
     蒸せかえる空気は息苦しく
     子犬だけはと高く手をさしあげる
            (後略)

--------------------------------------------------------------------------
この一連では、私は或る「性的な」喩を意識したが、間違っているだろうか。

巻頭に「このまま」という詩を単独で置いたこと。
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ などの区分けの意味なども分からない。
「詩は意味を辿ってはいけない」と言いながら、意味を辿っている自分を発見する。
これからも、作品をたくさん書いていただきたい。
ご恵贈有難うございました。 不十分ながら、ご紹介まで。






萩岡良博歌集『周老王』・・・・・木村草弥
周老王_NEW

──新・読書ノート──

      萩岡良博歌集『周老王』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・ながらみ書房2017/10/10刊・・・・・・

萩岡氏は前登志夫創刊の「ヤママユ」の編集長をなさっている。
この本は『空の系譜』 『木強』 『禁野』につづく第四歌集になる。
私の歌集刊行とともに、やり取りをしていて、その彼の歌の鑑賞を私のブログに載せてきた。
ご参考までに前歌集『禁野』 ← についての私の鑑賞は、ここで読めるのでアクセスされたい。

題名とカバー画については少し説明が必要だろう。
「あとがき」に、こう書いてある。

<歌集のタイトルとした「周老王」も、今はもう失われてしまった うぶすな宇陀の地名のひとつである。> 
それは次の歌から採られた。
    <うぶすなに周老王とふ字(あざ)があるその謂れもはや審らかならず>
    <匿はれ老いたりければ修羅王は周老王と言はれたりしか>

古代の事象と地名である。 それを<この歌集の中だけででも、非在のひかりを放っていることを願っている。>として拾い上げたのである。
蛇足的に書いておくと「非在」という言葉は先師・前登志夫の好きな言葉であった。

装画は宇陀市役所のホールに掲げてある吉田初三郎の「大和宇陀神武天皇御聖跡御図絵」の一部を市の了解を得て使っているという。
萩岡氏は長く郷土で学校長などを勤められた人であり、教育関係に詳しい名士であるから当然の許可であろうと推察する。
萩岡氏は以前から、郷土─産土(うぶすな)に強いこだわりを持って歌にして来られた。
この本も、それの延長上にあるものである。
その上に今回の歌集は、かけがえのない存在としての「老いる父母」を多く詠っているのが特徴である。
以下、巻を追って歌を挙げてみる。

   *雪の森に雪けむり立つきらきらと時間はときに見ゆることあり
   *蕗の薹天麩羅にして食べをり身過ぎのにがさも春の香に立つ
   *蕗のたう食べつつ思ふいつまでも恋のにがみはさみどりのまま
   *枯れ野焼く野火が走れり短歌とは永遠とぢこめるしなやかな檻
   *驟雨来ぬぴたりと蝉のこゑやみて樹樹の時間があをくざわめく

「うぶすな」を詠んだ歌を引いてみた。
都会暮らしの人には見えない時空である。 「しなやかな檻」 「樹樹の時間があをくざわめく」などの、さりげない比喩が的確である。

   *胸鰭の痛む夜なりさういへばながく泳がぬ岩間にありて
   *ほんたうの青は汚れぬかぶらさがるあけびをあふぐ空のしづもり
   *崖つたふ真水の夢を濡れ地蔵ほろろみどりの泪に見する
   *蜘蛛の網に塩辛とんぼかかりゐて晩夏の夕映えなかなか果てぬ
   *陽が昇り醒めゆく邑をにじ色の霧がつつめりしばし繭色

田舎人なればこそ見える世界がある。 田舎暮らしというものは、そういうものである。
私も田舎人であるから、こういう叙景と、そこから深まる「心象」には心から敬意を表したい。 お見事である。
いま少し歌を抽いてみよう。

   *ひるがへる若葉に迷ふわが額を踏みて行くなり孕みし鹿は
   *奥宇陀のみどりに迷ひ行きゆけば胎中といふ村に出でたり
   *ふつか家を空けしあひだに青虫は柚子の若葉を食みつくしたり
   *若夏の金魚売り来てぽんぽんはぜ屋、かうもり傘の修繕屋も来つ
   *つぶやきは雨をよび本降りとなりぬ「さよなら三角また来て四角」

「胎中」というような地名も激しい「喚起力」をもって我々に迫ってくる。 つねづね私の言っていることである。
今はもう消え去って無くなった風習や伝承、行事なども同じことである。
「金魚売り」「ぽんぽんはぜ屋」「かうもり傘の修繕屋」なども消えた風景となった。
「ぽんぽんはぜ屋」は、当地では「ポン菓子屋」という。
「ふつか家を空けた間に若葉を食みつくした青虫」との確執なども田舎ならではの光景である。その虫の除去なども一つの「仕事」となるのである。

   *行水も猫のゆまりも覗き見し昭和の塀に節穴ありき
   *田の畦に裾をからげてゆまりする老婆がをりぬまなうらの夏

「ゆまり」とは排尿のことである。 「裾をからげてゆまりする老婆」とは、どういうことか、理解できないと思うので解説してみよう。
昔は今のようにパンティやズロースを履いていなかった。「腰巻」という下着だった。だから、それを捲り上げて腰をかがめて排尿できるのだった。
だから男用の小便器にも後ろ向きに屈んで尻を突き出して、シャーと排尿できたのである。

   *共稼ぎの妻を職場の論理で言ひ負かす梅雨寒の夜を酔ふままに
   *ベルボトムのジーンズに下駄かつかつとさみしき硬派気取りてゐたり
   *めざむれば雪の朝なり夢に見しひとの乳房の感触のこる
   *見つからぬ まだ あはゆきの汝が胸のしろき曠野をさまよつてゐる
   *CカップD・Eカップ闊歩するさくら咲く街あふぎつつゆく

父母の老いの看取りが著者ひとりでは出来なくなり奥さんも早期退職された。
著者の若かりし頃の回想の歌、そして「情念」に満ちた歌などを引いた。 こういう若さこさ歌の根源である。 せいぜい詠まれたい。
そして、著者も「あとがき」に書く通り、全巻を占める父母の老いをめぐる歌を引く。

   *杖にすがり父は記憶に生きてゐる兵士となりて真夜を歩めり
   *夢を病む父睡らせてしののめのクレマチス咲く庭に降り立つ
   *「このひとらぼけてはんねん」ケアハウスのある日の母の内緒の話
   *あけびの実割れゆくまでをちちははの衰へゆくを目守りつつ 秋
   *広告の裏に書かれし母のメモ走り書きなれど正字体なり

   *あの夏の忍びがたきを忍び来つ父は鎖骨に星を刻みて
   *口あけてかすかにほうけたる老い父が見上げる空に朴の花咲く
   *父危篤ただに急げる病院へ赤信号にことごとく遭ふ
   *あつ気なく父逝きたまふあつ気なく逝かしめしこと孝養として
   *掌をにぎりつつ思ひをり三日前に手指の爪を剪りやりしこと

父を詠った歌を引いた。
父は朝鮮済州島で、陸軍上等兵として終戦を迎えた。
著者は、この歌集は「グリーフワーク」だという。グリーフとは死別などによる深い悲しみ、の由である。

   *物置にほうけたる母の仕舞ひおきし蒔かるるを待つ種子のしづけさ
   *足をもてばもつたいないと言ふ母の歩けぬ足の爪を剪りたり
   *ほうけゆく母はかなしも風呂に入れてやさしく洗ふ血縁の尾を
   *襁褓とれぬをさなと介護パンツ穿く母が炬燵に蜜柑食みをり
   *生くるとはまづは喰ふこともみないと言ひつつ母は粥を喰ひをり

介護─看取りは理屈ではない。肉親の場合「情」がからむから余計に難しい。 そういう情景をさらりと歌にされた。
いよいよ鑑賞を終わりたい。
巻末には、こんな歌が置かれているる

   *母は沼おぼろおぼろと深みゆきてぬきさしならぬまでにいとほし
   *雪の上にけもののあしあとてんてんとつづきてをりぬ母のなづきへ

「ぬきさしならぬまで」という字句に、言外にさまざまの事象を想像させて秀逸である。
すべてを語りきらずに「言いさし」の形にとどめた技法に感心する。
末尾の歌は三字だけを漢字にして、あとは「かな」にしたところが味わい深い。
「雪の上にけもののあしあとてんてんと」という個所には大和宇陀の地の佇まいを見る心地がして成功している。

佳い歌集を贈呈いただいた。 深い余韻のうちに鑑賞を終わることをお伝えしたい。
有難うございました。 母上をお大事に。      (完)






浜田昭則・遺歌集『暗黒物質』・・・・・木村草弥
暗黒物質_NEW
↑ 浜田昭則第三歌集『暗黒物質』
非線形_NEW
↑ 第二歌集『非線形』 2002/07田中美術印刷刊
免疫系_NEW
 ↑ 木村草弥 第一詩集『免疫系』角川書店2008/10/25刊

──新・読書ノート──

      浜田昭則・遺歌集『暗黒物質』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・青磁社2017/07/16刊・・・・・・


この本には巻末に浜田氏の顔写真入りの「略歴」と、牧雄彦氏の「あとがき 1」と娘さん浜田恭江さんの「あとがき 2」とが載せられている。
浜田氏は昭和16年満州生れ。 鳥取県の倉吉東高校から大阪大学理学部物理学科卒業。
各地の高校の理科教師を勤め、定年後も非常勤講師を経て、平成26年からは大阪教育大学の非常勤講師を歴任された。
そして昨年2016/07/16 に大動脈解離で死去された、いう。
私とは11歳も若い、惜しまれる死である。
私が短歌結社「地中海」に居たときに親しく付き合っていただいた。 大阪歌会などで一緒に過ごしたものである。
亡妻の死後は会うこともなくなり疎遠になっていたが私の歌集を出したときは欠かさず贈呈したし、年賀状だけはやり取りしていたが3年ほど前から音信が途絶えた。

今回、娘さんから本をいただいて書架から旧著などを引き出して読み返してみた。
第二歌集『非線形』の頃は、私はまだブログはやっていなくて、40首抄を書き出したものが、この本に挟み込んであった。
その中に、こんな歌がある。

  <法螺貝のあをき音ながる法善寺横丁みだりがはしき席を>

ここ法善寺横丁には「正弁丹吾亭」(注・字は間違っているかも知れないのでお許しを)という居酒屋があって前登志夫や米満英男などの酒好きの歌人が屯していたらしい。
その米満氏と私の歌集の批評をしてもらった縁で知り合いになって、短歌関係の会のあとで梅田の阪急百貨店横で酒食を共にしたことがあり、酒の好きな浜田氏を誘ったことがある。
この歌のように浜田氏も誰かと、ここに行かれたことがあるのである。
その米満氏も先年亡くなられており、親しい人を、また喪った。
画像の3番目に出した私の第一詩集『免疫系』に、こんな歌がある。

              比喩として二連──物理学徒A ・Hに──   
   <競馬場の帰りにつつく関東煮 非ユークリッドと君は言へども>
   <「幾何学に王道はなし」弟子たりしプトレマイオスの治世はいかに>

ここにいう「物理学徒A ・H」というのが浜田氏のことなのである。
このくだりはもちろん浜田氏にもお伝えしたことである。
浜田氏は「競馬」も好きであった。お住まいの枚方市のすぐ先には淀の京都競馬場もあったし、よく出かけておられたらしい。
歌の中にある「関東煮(かんとだき)」とは「おでん」のことで、今はそんな言い方はしないが昔は関西では、そう呼んだのである。

前置きは、このぐらいにして本論の歌集に入りたい。
画像でも読み取れるが、「地中海」大阪支社長・牧雄彦氏による「帯」文と「あとがき」は懇切丁寧なもので、この本の要約は尽きていると思われるが私も少し書きたい。
さすがに「物理学徒」として浜田氏の歌は難解である。
私などは数学、物理が大の苦手で、小学生レベルの「ツル・カメ算」さえ覚束ない始末であるから歯が立たない。
したがって採り上げるのもエピソード的になるのをお許しいただきたい。
歌を引いてみる。

   *言の葉を出ださぬ国になりゆくか液晶パネルに見入る猿たち  → 「猿たち」とは痛烈な皮肉である。
   *うばたまの暗黒物質のふところに育まれたりわれらの地球は
   *この国に『塵劫記』あり寝る前にかたはらに置き開かず眠る
      
『塵劫記』は江戸時代の算術書。 1627年吉田光由執筆。
顕彰碑が常寂光寺にある。関孝和や貝原益軒などに影響を与えたという。
浄土経の「塵点劫」に由来するという。

   *ヒトとしてよきことならむ休肝日人間として腑抜けのやうに  → 「休肝日」にも手厳しい。
   *このところウィキペディアには多からむ対称性の破れの検索  → ノーベル賞受賞の頃の光景である。
   *取るにたらぬ会話とがまん重ねつつわが家の対称性を保てり
   *ケータイは絆か時を食ひちらす蝗かひとこと仕舞ひなさいと  → 浜田氏はケータイが嫌いである。
   *つき合ひのほぼ半世紀短歌でなく民謡ほめくるる酒友の席に
   *ほどほどに酔へばのみどもかろやかに貝殻節を唄ふひととき  → 酒の歌は分かりやすい。
   *ほろほろとゆく石だたみのれそれをあてに上燗酌みたる宵を
   *炊きたてのぎんなん御飯ほこほこと冬立てる日のわが休肝日
   *ふぐ料理つつきつつ酌む湯田の夜を獺祭といふ酒愛でながら
   *待ちかねしをのこ来たりてはづみたり超対称性粒子さかなに
   *先生の逝かれて二十六年目 オンザロックに浮かれてゐます  →  内山龍雄教授。

酒に因む歌を並べてみた。 とにかく数が多いのは浜田氏が酒をこよなく愛したからである。

   *かうやつて戦への道あゆみしか茂吉のわだち踏みたくはなし  →  戦時中の歌人たちの聖戦賛美を批判。
   *フクシマは安全ですよ あしたから秘密保護法にて守るゆゑ  →  フクシマ対応への批判。
   *核物理を学びておよそ半世紀事故は「犯罪」と語りつづけて
   *田村麻呂の嘆願空しく阿弖流為の果てし丘視る風邪癒ゆる朝  →  歴史的「弱者」への視線の温かさ。

原子力発電反対も浜田氏の持論であった。 アベの強行政治が露出している今、浜田氏はどう言うだろうか。

浜田氏が亡くなったのは、まさに末娘さんの十年目の命日だったという。 何という悲しい符合だろうか。

   *ベガデネブ指になぞりてアルタイルひときは著く子の七回忌
   *逝きし娘の魂はいづべに北の窓あけて呼びこむさくら吹雪を  →  子を詠んだ絶唱である。

   *すこしづつ吹雪にかすみゆく家並みこの地を離れ五十と二年
   *あらたしき年の電話の母のこゑ二尺ばかりのゆきのつもるを
   *ややはやき夕べの酒に酔ひをれば母危ふしと告ぐるいもうと
   *小夜更けし仏間に眠る母のかほわが生きざまに思ひめぐらす
   *まなぶたを拭ふいくたり託されし辞世の歌を詠み上ぐるとき

ご母堂さまに因む歌である。 悲しみの中で、よくぞ詠まれた。

牧氏の「あとがき」によると、浜田氏の歌は、全部27文字に統一されているという。 そんな営為も止めるという歌が巻末にある。

   *二十七文字短歌よさらばいふほどの由もあらざる試みなれば

字面が綺麗に揃って見やすいが、そろえるのに苦労されただろう。 物理学徒らしい几帳面さである。
そろそろ拙い鑑賞を終わりたい。

   *赤人のうた思ひつつときを待つ富士の高嶺のダイヤモンドを
   *願はくは形而上から形而下に生きて知りたしダークマターを
   *わかるほど解らない謎あらはれてわれから遠くなりゆく宇宙

専門家である浜田氏にしてもなお「解らない謎」があるという巻末の歌に、門外漢である私は少し救われた気分になった。

浜田さん、しばらくのお付き合い有難うございました。
まもなく私も、そちらに参ります。        (完)







みどり児と同じ高さで笑みかわすきみ乳母車われ車椅子・・・・・西村美智子
babycar2.jpg

──新・読書ノート──

      みどり児と同じ高さで笑みかわす
            きみ乳母車われ車椅子・・・・・・・・・・・西村美智子


友人の西村美智子さんが、NHK横浜の短歌大会で、掲出の歌が小池光 選で優秀賞を得た、と言って来られた。
メール文の中で「孫でもなく曾孫でもなくゆきづりの赤ん坊との束の間の交流です。」と書いておられる。
おめでとうございます。
西村さんとは長らく会っていない。
西村さんは、先年、難病指定の何とか病に罹られ闘病中で、2012年に私の第五歌集『昭和』の批評会を三井修氏のお世話で東京で開いてもらった翌日に、横浜に出向いて会ったきりである。
掲出の歌は乳母車に乗る幼児と、車椅子に乗る西村さんの目線の高さが同じである、という哀歓に満ちた佳い歌である。
「きみ乳母車われ車椅子」という「対句」表現が秀逸である。
この歌から西村さんは外出には車椅子を使っておられることが分かり、私は悲痛な感覚に襲われた。お大事になさってください。
西村さんは今は短歌結社「塔」に所属して歌を作っておられる。
西村さんは京都の同人誌に拠って小説などを書いておられた。↓ 私のブログでも紹介したので下記の記事をクリックして見てください。 
『無告のいしぶみ』

西村さんには『イル・フォルモサ』という本もあるので、アクセスしてみてください。

なお掲出画像は、私が勝手に見つけて載せたものであるから、お許しを。




涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』・・・・木村草弥
ノア_NEW

──新・読書ノート──

     涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』・・・・・・・・・木村草弥

旧知の編集工房ノア社主・涸沢純平氏から表題の本が贈られてきた。
関西では名の通った文芸に特化した出版社である。
ここからは『木村庄助日誌』─太宰治「パンドラの匣」の底本─を木村重信の編集で先年出してもらった。
早いもので、あれから、もう十年も経ってしまった。

この本は表題通り、涸沢さんが関わった文人とのいきさつを書いたものである。
「帯文」の裏面には

<大阪淀川のほとり、中津の路地裏の出版社。
 港野喜代子、永瀬清子、清水正一、黒瀬勝巳、
 天野忠、大野新、富士正晴、東秀三、中石孝、
 足立巻一、庄野英二、杉山平一、桑島玄二、
 鶴見俊輔、塔和子。 本づくり、出会いの記録。 >

と書かれている。 この帯文に、この本の一冊が要約されていると言える。

この本は還暦のときにまとめられた、というが、校正刷りのまま放置されていたが思い切って上梓された。
巻末に載る「略年史」が2006年までなのも、その理由だという。

画像に出したが、この本の装丁の、清水正一の筆跡の

   <雪ガフッテイル
      チ エ ホ フ・・・・・>

というオノマトペが何ともなく秀逸である。

不十分ながら紹介まで。
これからも地方からの文化発信に注力願いたい。 有難うございました。



伝田幸子歌集『冬薔薇』・・・・・木村草弥
伝田_NEW

──新・読書ノート──

      伝田幸子歌集『冬薔薇』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・角川書店2017/08/25刊・・・・・・

伝田幸子さんの第六歌集『冬薔薇』が恵贈されてきた。
伝田さんは「潮音」所属の人で長野市にお住まいである。
伝田さんは光本恵子さんの友人で、先だって上梓された『紅いしずく』の「あとがき」に
<海辺のふるさと鳥取からこの分水嶺の町、信州に移り住んでからは、伝田幸子様に格別なご厚情をいただいて・・・・・>
と書いておられる仲である。
私も「未来山脈」の会の際に下諏訪町でお会いしたことがある。 お綺麗な方である。光本さんとは四歳ほど年長であられるようである。
伝田さんは私と同じように歌は「歴史的かなづかい」「文語定型」で発表されているが、そういう方々とも深い交流があるというところに光本さんの懐の深さが見えるというものである。
さて、この本に
   <母の歌褒めざりしこと悔いながら母の歌集を繰り返し読む>
というのがあり、お母さまも歌人であったのだと知った次第である。
この本には2009年から2017年春までの九年間の作品から四百余首が採録されているという。

この本の「あとがき」に
   <私的には、四年間母を在宅介護していましたが、途中で疲労が極度に達し肺炎を患い、二ケ月程生死を彷徨っていた時期もありました。
    二〇一二年十一月、母が九十七歳で他界しました。母は最期まで意識がしっかりしていました。
    死の二日前に、夫と私に「良く看てくれてありがとう」と、酸素マスクの下より言葉を発したのが最期となり、静かで厳かな死でした。
    ・・・・・そんな母への思いが本歌集には底流としてあります。>
と書かれている。
この本を読むときは、この言葉に心したいと思うのである。

題名になった歌は、巻末に据えられた歌
    <ふるさとにぽつりと咲きゐる冬薔薇(さうび)むかしのこゑの遠く尾をひく>
から採られている。薔薇は、バラと訓読みにすることが多いが、この字には音読みでソウビと書くこともある。
この歌の場合も音読みで、しかも歴史的かなづかいで「さうび」とルビを振ってあり、音数もきっかりと合わせてある。お見事なものである。

以下、順を追って鑑賞してみよう。
先に挙げた巻末の歌とは逆に、巻頭には
   <一脚の椅子はいつきやくの影を引き春の日差しの中に溶けをり>

の歌が載せられている。 ほのぼのとした叙景の佳い歌である。 イントロの歌として優れた編集の冴えである。
著者が底流という「母」を詠んだ歌
   <母の手がサクランボひとつ抓み上げほほゑみかへす春のくちびる>
   <春の日に黄楊の小櫛を挿しやれば母は大正の雛(ひひな)となれり>
   <身だしなみ怠る日の母のウィッグが傾きかかる柱の杭に>
   <耳慣れぬ間質性肺炎とふ病名を貰ひたる母あつけらかん>
   <生きるとは地を踏みしむること 寒風にねこやなぎの芽銀にかがやく>

終りの歌は「看取り」の歌の連続の中に据えて秀逸である。
続きに「いまわの母」の一連を引いておく。
   <今朝われは奪衣婆となり母の下着剥ぎ取り着替へさせ病院に行く>
   <行く先に明るい迷路あるやうで母はこの世の出口を探す>
   <こはばりゐる母の手なりき葬式は簡素にと酸素マスクの下より>
   <これの世のとばり閉ぢむとせし母の途切れし呼吸 またひと呼吸>
   <苦労してきた母の手だ節高き両手を胸にをさむる>
   <甘栗を好み剥きゐし母の爪くらくらと今焼かれゐるなり>

身内の死に際しても著者の目は冷徹に見つめて秀歌に昇華させている。
文語定型でありながら「苦労してきた母の手だ」というくだりなどは、自在に口語を取り入れて著者の「才」(ざえ)を感じさせて秀逸である。

作者の歌には「善光寺」が度々登場する。これは前の歌集でも、そうだった。少し引いてみよう。
   <善光寺の風鐸ぬける木枯しにあまざけ茶屋ののれん揺れをり>
   <善光寺回向柱に触れながらとほい時間を呼び寄せてゐる>
   <救はれたい人、人、人、の列つづき回向柱にさくらはなびら>
   <暗闇の戒壇巡り「極楽の錠前」握り来てうつつに戻る>
   <雪のあさ善光寺門前町の石畳ひとり踏み行き「お数珠頂戴」>

私も一度、善光寺に詣でたことがあるが、祭事のときの混雑は凄いもので、 後世を頼む善男善女がいかに多いかということである。
それらの景を、余すところなく描写して秀逸である。

「羈旅」の歌も多い。少し引いてみる。
   <今もなほ無人駅なる姨捨駅裸電球雨にけむれる>
   <陸半球にひらくあさがほ無き町のケアンズに二歳のコアラを抱く>
   <東洋のナポリと言はれし長崎に路面電車のゆるやかに走る>
   <マリア像の足元にゐる蛇たちが木の実を銜へ地球に巻きつく>
   <日本海の潮に揉まれ立ち尽くすローソク島に夕日きてゐる>
   <旅に来て夕餉のひととき心ほぐし海藻焼酎「いそっ子」お湯割り>
   <春浅き動物園に泳ぎゐる海驢の眼うるるーんうるるーん>
   <ゆふぐれを白装束の霊媒とトイレに出会ふ ここは恐山>

自在な詠みぶりである。そして諧謔に満ちている。そして終わりから二首目の歌のオノマトペなどお見事である。
そして、私の目に留まった歌を引く。
   <美容室のうぬぼれ鏡にひとときを満たされてをり春浅き午後>  ←「うぬぼれ鏡」という表現がお見事。
   <白梅の匂ひくる坂のぼりつつ「小保方」擁護者の顔思ひ出づ>  ←ひところ大騒ぎだった時事を捉えて秀逸。
   <芽吹きたる欅の若葉永遠に生あるごとし 春はソプラノ>     ←結句の「春はソプラノ」が佳い。
   <やはらかき風に心のほどけゆく春は待つもの人は恋ふもの>  ←「春は待つもの人は恋ふもの」の対句が光る。
   <夏つばき白日のもと咲き競ひ日暮れを待ちてことりと落つる>  ←「沙羅双樹」を詠んでいる。
   <僅かでも転がる石は苔むさず歩みの鈍(のろ)さを憂ふことなし>
   <いくつ橋渡り来しならむこの先の待ちゐる橋に今は触れざり>  ←「待ちゐる橋」という言葉に含みを持たせる。
   <ほんたうに言ひたいことが言へないまま枯葉のやうに散るのはよさう>  ←この口語の使い方が的確。
   <ガラス器に大いなる葡萄盛られゐるつぶらつぶらは情愛の覇者>    ←「つぶらつぶら」のオノマトペの冴え。
   <葡萄うたふとき思はるる「百房の黒き葡萄」と「葡萄木立」を>

末尾の歌は或る有名歌人の歌の本の題名などである。こういうところに作者の読書遍歴が、さりげなく表白されている。
終わりに作者が滅多に詠わない子や夫の歌を引きたい。

   <炎暑のなか子が一週間通ひつめ思ひ果しつスミナガシ一頭>
   <捕虫せしオオムラサキの桐箱は子の勲章として今も納むる>

これには子が幼かった頃の回想であろうか。ほのぼのとした情感あふれる佳い歌である。虫などは学術的にカタカナで表記するので、その面からも的確な歌づくりである。
そして夫君を詠んだ歌

   <洗濯物取り込み忘れたる夫が鼻唄交じりにいそいそ仕舞ふ>
   <ブーメランのやうに返りてくる愛と返りては来ぬ愛の質感>
   <「Ich liebe dich」と書いて渡されし燐寸箱出づ四十年遙か>
   <見える場所に置かず忘れず・・・・・アール・ヌーヴォーのラベルの燐寸箱>

母上の看取りなどで作者が疲れていたときに夫は助けてくれたのであろう。
また求婚された若き日の思い出の品が詠われていて、読者の胸にも響くものがある。佳い歌である。
老いても尚ふたりの愛は深まるばかりである。どうぞ、お幸せに。

最後に母を詠んだ歌を引いて不十分ながら鑑賞を終わりたい。 ご恵贈ありがとうございました。

   <もうゐない母おもふなり晩秋の縁側にただ膝を抱へて>

              (完)








若松喜子歌集『砂嘴のソクラテス』・・・・・木村草弥
松永_NEW

──新・読書ノート──

       若松喜子歌集『砂嘴のソクラテス』・・・・・・・・・・・・・木村草弥

若松喜子さんの歌集が送られてきた。
私には未知の人である。「地中海」広島の松永智子さんのお弟子さんらしい。
「あとがき 1」を松永さんが、「あとがき 2」を若松さんが書いておられる。
それによると若松さんは、松永さんの夫君・松永信一氏の教え子であるらしい。
信一氏は広島大学国語科の教授であられたが若松さんの卒業の年の八月に亡くなられた、という。
若松さん夫婦はお二人とも同窓で、お二人とも教員生活を送られたようだ。 「あとがき 1」に松永さんが夫君・若松博史氏の名前を挙げておられる。

この本『砂嘴のソクラテス』は、昭和52年から平成28年までの525首を収録している。 この間に十年間の作歌活動の休止期間があるらしい。
全体はⅠとⅡに分けられているが期間の明示はない。
題名の採られた歌
   <青鷺が静止画像のごとたてり砂嘴のソクラテスとひそかに名付く>
というのはⅡの初めの方に載っている。 掲出した本の画像からも見てとれると思うが、獲物を求めて浅瀬に佇む青鷺の姿態を無駄なく描写して秀逸である。
なにぶん、休止時期を含めると50年という長い期間の歌であるから歌の総数はすごい数だと思われ、その中からの525首だから作者の姿を求めるのが難しい。
そんな事情をお許しいただいて、歌を抽出してみたい。

             Ⅰ
  <寒の日に裸足でピタピタ駈けてゆく一年九か月のいのちのあかし>
  <頭よせ砂場に屈む幼らの蟻を潰すと声ひそめあう>
  <オムレツを残して眠る子腕に重し乾ける泥の眉毛にのこる>
  <子は不意にスカートの裾にもぐりくる一年ぶりの勤めに出る朝>
  <取り合いの兄弟げんかを諫めつつ今万華鏡なりわれの子育て>

Ⅰの初めの方に載る「子育て」の歌から引いた。
子供たちの行動を微細に観察した佳い歌群である。

  <工場の夜学に学べるA子さん原綿を紡ぐつらさを告ぐる>
  <直立の真只中に淡淡とスト宣言書 われが読みあぐ>
  <何もかも急かるる朝なり鍵をかけ五人それぞれに出でゆくわが家>
  <四十五人思春期の子ら がっぷりと四つに組み合う四月となれり>
  <三十代最後の年の夏に挑み大山登山のメンバーに入る>
  <人が人を評価するというこの行為小さき文字に所見欄埋める>
  <われのする公開授業『万葉集』新しきチョーク五本確かむ>

作者の学校での活動を活写した歌を引いてみた。 日教組の強い時期だった。作者も結構、活動家だったのだろう。「スト宣言書」などという言葉は今では懐かしい死語となってしまった。
こういうように、歌というものは時代を、作者の原時点での姿を、記録に留めるものであるから、意識して詠み残したいものである。
「回想」の歌は弱い。 原時点での「現在形」での歌を詠みたい。
終わりからの二首など職場詠として極めて秀逸である。 作者の並々ならぬ才能を感じさせる。

  <ははに習い流れにむつき濯ぎおればくずれかけたる椿ちかづく>
  <母の日に届きし小荷物紐とけば姑(はは)の手揉みの新茶が匂う>
  <長病みの舅(ちち)をみとれる姑(はは)のいてふるさとはあり六百キロの果て>
  <鼻腔栄養の管に生かされ六か月小康状態に舅(ちち)はいませり>
  <東シナ海をみおろす白き病棟にちちを看取りて姑はいませり>

夫君の両親の故郷は鹿児島らしい。 年老いた両親の看取りの哀歓が、さりげなく見事に詠われている。

Ⅰの終わりに近い辺りにある歌
  <坂道はいずれも海につづく道 旧日本海軍造船の街>
  <教諭一児童数三の分教場新卒なりし夫の初任地>
  <対岸の街から届く正午の時報きっかり三分エーデルワイス>

二十年ぶりに訪れたという回想の歌である。 この町「呉」に著者は今も暮らすのである。
ここまでが、Ⅰの歌である。

             Ⅱ
  <光の粒はじき返す柿の実の緑ひときわ目に沁むあした>

Ⅱの項目のはじめに載る歌である。 
どういう情景で詠まれた歌か審らかには分からないままに引いてみたが「叙景」の歌として的確である。

  <出勤のはずの月曜その朝がいちばん寂しいと夫のことば>
  <二つ折りになりて痛みに耐える夫 だまって渡す乾いたタオル>
  <束ねられ届きし寄せ書き〈大好きな若松校長先生〉と児ら>
  <酒をのみ煙草をふかしあっさりと逝きしままなりふりむかぬなり>
  <生前の夫みずから書き置きし喪主の挨拶わたくしが読む>
  <二年間夫の書きたる闘病記痛みの記述そして空白>
  <はじめての四国遍路に発つあした外灯の下に長くバス待つ>
  <瀬戸内の夕凪好きになれぬと言いその一点を夫譲らず>

晩年の夫君に関する歌を引いてみたが、夫君の「死」を直接的に詠んだ歌は無いようである。
なにぶん歌の数が多いので、見落としがあればゴメンなさい。
「闘病記」などの記述があるので、こういう概念的なものでなく「具体」を盛った歌作りになっていれば、よかったのにと思う。
その他、作品は引かないが「宇品港」などの一連は細密な叙景になっていて秀逸である。

  <半年の入院生活左手首認識票をしずかにはずす>
  <爪を切るいや正しくは切ってもらう土曜日の午後 麻痺の右の手>
  <ああ、これはじょうびたきの声甲高く鳴き終りたりひとり春の日>
  <雨、雨、雨、歌詠むひと日暮れんとす病を得てより三年となる>
  <車椅子に乗るを忘るる秋の日のハウステンボス石畳なり>
  <山あいの校庭跡に日のありて車椅子停めさくら見上ぐる>
  <夫が逝き十一年なり山裾のえごの木にことしの花咲く>
  <若若しいひとの呼ぶ声こんなとき写真の夫のすこし寂しい>
  <麻痺の右手袖にとおしてひっぱってボタンを留める手順無駄なく>

著者の「病後」を詠んだ歌を引いてみた。
「病を得てより三年」とか「夫が逝き十一年」とかのフレーズが見えるが、それらの歌の「行間」に、並々ならぬ著者の苦闘を偲ぶしかない。
以上、おぼつかない思いのままに鑑賞を終わることをお許しいただきたい。
先にも書いたが、中断も含めて五十年という歳月は重い。 感想が断片的にならざるを得ないのが苦しい。
ご恵贈有難うございました。        (完)




川添英一歌集『胸躍百首』『絢爛百首』・・・・・木村草弥
川添_NEW

──新・読書ノート──

      川添英一歌集『胸躍百首』 『絢爛百首』・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・夢叶舎2017/03/31~2017/07/04刊・・・・・

旧知の友人──川添英一の本である。
これらは2016年05月08日からFB上に毎日一首づつ発表したものの書籍化である。
彼のFBはフォロワー1400人を超える好評だと言い、毎日発表される作品を、私のFBのページに毎回「シェア」して紹介している。
前にも書いたと思うが彼は奈良教育大学書道科の出身で長らく中学校教諭として勤務、途中、網走に移住して『流氷記』なる歌集をものしている。
書家としての経験から2009年に『優美書体』15書体フォントを刊行、年賀状などに使われるようになった。
それ以後、歌を毛筆で書いて発表するようになった。
今回の一連の本も、その体裁を採用している。
ご恵贈に感謝して、いくつか歌を引いて終わる。

  ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて

  刑務所も二つ岩海岸(ノトルン・ワタラ)も校区にて網走二中声太き子ら

  生まれ死に生まれ死にして流氷の真っ赤に燃えるたまゆらにいる

  流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ

  雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る

  君と結ばれて死ぬなら怖くないそんな真紅の薔薇を見ている

  白き肌夜の女体を思うわしめ白木蓮の花は匂いぬ

  長い間しまっておいた鞄持ち誰も知らない旅に出て行く

  口の中弾ける甘さと酸っぱさと呑み込むしばし甘夏を喰う



三井修『うたの揚力』・・・・木村草弥
三井_NEW

       三井修『うたの揚力』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・砂子屋書房2017/07/21刊・・・・・・・

私がいつもお世話になっている三井修氏の本である。
この本は、巻頭の「はじめに」という個所に書かれているように、砂子屋書房のホームページで「日々のクオリア」という一首評のページに2016年の一年間連載されたものである。
隔日執筆というハードな作業の成果である。
今は、こういうのが流行っていて、例えば「ふらんす堂」のものなどがある。ここは毎日執筆である。ここからもう何冊もの名著が誕生している。
採り上げられた作品は現代歌人の出来るだけ最近の歌集から引かれた。

2016/01/04の巻頭の歌は昭和20年3月の東京大空襲の歌

     逆立った髪の先から燃えてゆく裸になった白いろうそく     福島泰樹

2016/12/30の巻末の歌は

     時刻表は褪せて西日に読めざりき岬の鼻に待つ風のバス     永田和宏

記事の終わりには三首の歌を載せるという体裁である。

     無人駅となりて久しきホームには破れ目破れ目にをみなへし咲く

     日のあるうちに帰りきたればどうかしたのかと問ふ さうなのか

     いつの間に携帯の電池が切れてゐたそんな感じだ私が死ぬのは 


三井氏は今は短歌結社「塔」の選者をされている。そんな関係から前主宰の永田和宏の歌で、この本を閉められたのも、けだし的確なことだと思う。

もっと多くの紹介をしなければならないのだが、ほんのさわりだけ引いたことをお詫びしたい。
有難うございました。


光本恵子・第七歌集『紅いしずく』・・・・木村草弥
光本_NEW_NEW

光本②_NEW
↑ 第六歌集『蝶になった母』 角川書店2011/07/29刊

──新・読書ノート──

       光本恵子・第七歌集『紅いしずく』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・本阿弥書店2017/06/04刊・・・・・・

敬愛する光本恵子さんの最新歌集である。
この第七歌集の前に、二番目に掲出した第六歌集『蝶になった母』 角川書店2011/07/29刊 がある。
この二冊は、掲出した画像でも読み取れるように、義母、実母そして師・宮崎信義の死などに次々と直面する時期に重なるので切り離せないものである。
光本さんの本の編集は直近の数年の作品を除くもので、この歌集では2007年から2011年までの作品をまとめてある。
この編集の仕方は、古い編集のやり方と言えるもので、最近では直近の作品から編集するのが一般的である。
というのは、こういう直近の作品を保留するやり方では、現在の著者の「在り様」と乖離するからである。
一頃は、こういう直近の数年分の作品を、言わば「温める」という手法が採られた。
しかし、、今どきの、せちがらい時代に、現時点での著者の姿をぼやけさせるような「数年の保留を置く」手法は、ふさわしくない、と私は考える。今年は、はや2017年なのである。
しかし、これは私の主義であって、光本さんには独自の考えがあっていいのである。  閑話休題。

私は一読して題名にもなっている「紅いしずく」という言葉に立ち止まってしまった。
この歌は巻頭に近い2008年の作品で、「帯」裏にある五首の中にも採られていて、作者にも愛着のある歌だと思うのである。
  <厳寒の季節を耐えて身をよじらせ紅いしずくは花を咲かせる>
同じ項目の歌に
   <こぶしの大樹は待っていた 厳しい寒さを凌いで花を振舞う>
   <山と山の間から覗くあかねの光線は湖をつきぬけこの身に絡まる>
   <ほどけてゆく感覚の白い季節に湖は淡い水彩画を描きはじめた>
が続いている。 細かく引きすぎたかも知れないが、これらは一体として鑑賞しなければ「紅いしずく」という表現を読み解けないと思うからである。
「紅いしずく」とは「あかね色の朝日」の光に辛夷の花の雫が赤く光る、ということだろう。 この一連の、この比喩表現は、鮮烈である。
光本さんは、直接的な表現が多く、余り比喩を使わないが、この一連は生き生きと輝いて秀逸である。
信州の冬は厳しい。 作者の住む諏訪湖も凍結するなど寒さの厳しいことでは有名である。
これらの歌で、厳しい信州の寒さに「仮託」しながら、自由律の口語短歌の道に邁進する「覚悟」を表明された、と私は受け取った。

この歌集の、もう一つのハイライトは「死刑囚・岡下香」との歌のやり取り、歌集『終わりの始まり』の出版、死刑執行と献体、ということであろう。
この本にも「付録 死刑囚岡下香のこと」17ページが添えられている。
岡下の歌を少し引いておく。
   <壁の汚れはペンキでも塗り消せるけど罪の跡だけまた浮かんでくる>
   <獄舎にもあるささやかな幸せ 米粒ほどの蜘蛛が顔を見せたとき>
   <古里の三次 山河の恵みと人情を忘れはしないがもう戻れない>
   <夢を見て今日という日に行き止まり開ける怖さよ未来山脈の扉>
   <ようやく気づいた反省と償いの違い 償いは命を差し出したときに叶う>
いろんな誹謗中傷に耐えながら、歌集出版、面会、献体、と光本さんはキリスト者として、よく面倒を見られた。並の者には出来ないことである。
   <独房から小さな字でびっしり手紙をくれた もう届かぬ 八・四・十>
   <歌集『終わりの始まり』を遺し諦めと感謝の白い顔 忘れない>
「岡下香死刑執行」という項目の歌である。 この歌にある通り、死刑執行は2008/04/10であった、という。
そして「岡下香献体・火葬」の歌は
   <すべての罪は赦され 献体の肉塊は人の役に立ったと告げている>

   <平成二十一年一月二日食道癌 眠るように逝った宮崎信義九十六歳十ケ月>
   <光本たのむよ そのことばに支えられ今朝も編集に取り掛かる>
   <西村陽吉も土岐善麿も渡辺順三も啄木の血におどる口語歌のいま>
京都女子大学に在学中の頃から師事した宮崎は口語短歌運動の大きな指導者だった。
その「死」の瞬間が、ここに切り取られている。 切々たる募師の気持ちが表白されている。

続いて、光本さんが執着して取り組んでいる口語表現者「金子きみ」の存在がある。 それらを詠った歌。
   <「金子きみ偲ぶ会」終え飛び乗るあずさ号 心地よい疲れ>
   <恨みを残すな 開拓農民の意地を著した金子きみ『薮踏み鳴らし』>
小説家としても著作が受賞したという金子きみ。 光本さんが愛して執着する所以である。

前の第六歌集には、義母、実母などとの別れを詠った作品があった。 それらを受けた歌が、この本にある。
   <あの雲はかあさん そちらは義母さん あちらはじっと見詰める仔犬>
そして2008年には、実父の死があった。
   <脳梗塞で倒れ母亡き後は嫁のみゑちゃんに看取られて逝った父>
こうして身近な人々や歌の師や先輩の死を見送った後には、次女・玲奈さんの結婚があった。
   <娘よ何が起ころうともおまえの人生 暴風雨も明日は晴れる>
沖縄での結婚式の当日は嵐だったという。そこで、この歌の表白となった。
光本さんは長女出産の後「子宮ガン」に侵され必死の闘病の末、これを克服できた。 そして授かった次女の命だった。
それらの経緯は歌集『薄氷』 『素足』 『おんなを染めていく』エッセイ『夾竹桃』などに詳しい。

著者は、よく転ぶらしい。 私も何度か真剣に「転ばないように」と忠告したことがある。 そういう怪我を詠んだ歌。
   <額から雷にたたきつけられたような光 砕けた顔 私はどこにいるか>
   <ここはどこですか築地の聖路加です 日野原先生の病院だ>
他にも諏訪湖畔を散歩中にも転んだりしたことがある。 度々申し上げて失礼だが、齢を重ねると転ぶことが致命傷になることもあるので、ご注意を。

光本さんは京都に在学中に知り合った「彼」と、一旦は郷里の鳥取で教師になったのを振り捨てて、はるばる信州の彼の元へと嫁いできた。
前歌集では香港赴任中の彼の元へ出向いて東南アジアを旅したこと。ドイツ人のホームステイ人を頼って二人でドイツ、スイスを旅した一連が詠われたが、この本では、その後が続く。
   <やはり手が触れたり脚をぶつけたりくっついているほうがいい>
   <夫の造るイングリッシュガーデン 五トンの土入れ替えて薔薇が咲く>
   <牡蠣フライが食べたいと夫 幼い日の厨房よみがえる>
   <花いっぱいの庭 野菜よりバラと夫 物のない時代は野菜を作った>
   <チェロを弾き絵を描いて花をそだて古い家をまもるあなた>
「彼」は地元のオーケストラに所属して、チェロを弾く人である。 そんな「彼」との生活が、さりげなく、心温まる情景で詠まれている。

終わりに、光本さんの「覚悟」をさりげなく詠んだ歌を引いて終わりたい。
   <躓いても転んでもまた立ち上がればいい体験がわたしを創る>
   <迷い道こそ未知への遭遇 分水嶺の湖で背を伸ばす>
   <尻おおきく胸ぼいん 君の造った土偶のように胸を張る>

不十分ながら、この歌集の鑑賞を終わりたい。 ご恵贈有難うございました。   (完)



佐伯泰英「新・古着屋総兵衛14・にらみ」・・・・・木村草弥
にらみ_NEW

──新・読書ノート──

     佐伯泰英「新・古着屋総兵衛14・にらみ」・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・新潮文庫2017/06/01刊・・・・・・・

   大黒屋に脅迫状が届いた。
   古着太市を取りやめぬと客を殺戮するという。
   影・九条文女との接見との帰途,総兵衛一行は怪しい靄に包まれ、南蛮鎧兜の集団により奇妙な飛び道具で襲撃される。
   総兵衛は諜報網のすべてを使って情報を集める。
   やがて、坊城麻子から有力な情報が届いた。
   禁裏と公儀の狭間に蠢く鵺のような役割があるという。
   総兵衛は一計を案じ読売を使って敵を誘き出すことにした。・・・・・・・

----------------------------------------------------------------------------
いつもながらの泰英ぶし、である。
この文庫版は六月と十二月という半年に一度づつ刊行される。

この本の「あとがき」で、伊勢の勢田川沿いにある河崎の町と、ベトナムの「ホイアン」の町との風景が一緒であることに触れている。
この町は、十代目総兵衛勝臣が生まれ育った土地である。
これからの、この小説の進展にとって、これは貴重な示唆であるように思えるので、一筆しておく。
ぜひ、ご一読を。


内藤恵子『詩・エッセイ・評論集成』・・・・・木村草弥
内藤_NEW

──新・読書ノート──

       内藤恵子『詩・エッセイ・評論集成』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・エディット・パルク2017/02/04刊・・・・・・・

この本は先に紹介した詩誌「Messier」同人の内藤氏の近刊である。
先日、紹介した件の返礼として恵贈されてきたものである。
この本の奥付に載る「著者略歴」を引いておく。

1936年 東京生まれ
1959年 学習院大学独語・独文学科卒業
1964年 京都大学文学部研究科博士課程入学
1971年 シュトットガルト工科大学マスターコース終了
1986年 京都大学教育学部教育学専攻卒業
1988年 京都工芸繊維大学非常勤講師ドイツ語担当
2010年        〃      退職
著書・翻訳・評論など多数

はじめに、「献詩」として「メシエ」誌主宰者・香山雅代あての作品があるが、その一節に

<高踏
 美的
 難解たれ
 強い衝撃に突き上げられる
 魂の叫びに
 忠実たれ>

というフレーズがある。 
これは、まさに香山氏の詩の特徴を言い当てて的確であるが、翻って内藤氏の詩は、それとは反対の平易な、わかりやすいものである。
この本の題名にもなっている巻頭の詩「遠望」を引いてみる。

         遠望           内藤恵子
            母には買うことを禁じられていた駄菓子屋

  ボックス型の乳母車
  掴り立ちして
  外を眺める
  頭の上から落ちてくる
  急な坂
  上から下へ
  下から上へ
  人が歩いている
  麓には駄菓子屋
  背後には人の気配
  京都言葉がふんわり
  手に握らせてくれる温もり
  重曹の苦みの残る
  パン菓子
  甘食
  記憶の果てから
  蘇った急な坂
  刻印された
  舌の上の甘食の痕跡

  店頭で飽くことなく
  甘食を探し
  衝動買いをおさえることが
  出来ない大人の私

  食べるたび
  ふくれ上がった
  山の割れ目から
  隠れた祖父が
  姿を現す
----------------------------------------------------------------------------
この詩「遠望」は内藤氏の郷愁を綴ったものだろう。
この一篇の詩が、内藤氏の作品のすべてを代表している、と言っても過言ではないだろう。

続く「揺れる」と題する詩に

<・・・・・
  庇護され
  未来への何の不安も
  持たぬ
  幸せな時代
  ものうげな時間の記憶
 
  いくつもの苦楽を
  重ねて
  ひとり身になった今も
  爽やかな風に
  踊る葉影が
  心を揺らす
  ・・・・・>

というフレーズがある。
これこそ、先に私が書いたことの証左と言えるだろう。

Ⅱ エッセイについて触れておくと、「ゴブラン織り」「おやつの思い出」などに年少期のことが書かれていて、山の手のインテリ家庭に不自由なく育った環境が、かいま見える。
それらのことと、先に引いた詩作品とは完全にリンクしているようである。

著者には『境界の詩歌』という「独と和の異色の評論集」と題される「詩歌は言葉の壁を超え得るのか 翻訳の可能性と不可能性」に触れた評論などがあるが、ここでは触れない。

誠に不十分ながら、この本の紹介を終わりたい。
ご恵贈有難うございました。


香山雅代編集・詩誌「messier」49号から・・・・・木村草弥
メシエ_NEW

      香山雅代編集・詩誌「messier」49号から・・・・・・・・・・・木村草弥

          羽音を聴いた日       香山雅代

  宙を 歩んでいる風(ふう)だった
  ふたりは
  ひろい階段の上から 半ばまで
  夢みるように
  手を 携え
  ほとんど 宙に浮かんでいるといった具合に 軽く ふぅわり 風を摑んで
  降りてゆくのだ
  消えゆくように こころに微笑を浮かべながら その微笑で いっそう軽くなって
  透けた翼に 風圧を 孕んでゆく
  祝祭の 気風が あたりに立ちこめ
  振り返り みあげると
  段上のそこに 現れた幻像こそ
  頭部の欠けた 大理石の 考古の憂い
  かの サモトラケのニケの
  渦巻く 息吹き 芬芳の乱れ

----------------------------------------------------------------------------

          金継教室        佐伯圭子

    (前略)
  それぞれが
  ひび割れたもの欠けたものを
  胸に抱いて辿りつき
  前にならべている
  
  落とされ 当てられ
  ほうり投げられ
  ぶつかり損なわれた
  器たちが
  今 待っている

     (中略)
  整えられて 
  塗られ付けられ
  磨かれたあと
  金粉をふりかけられて
  そっと待っている

  ひと晩 風呂の端に置いて
  眠らせてと 教えられ
  携えて帰る
  ふと見るとわたしの躰も
  繋がって ヒトに返っている

------------------------------------------------------------------------------

          色彩幻想      安部由子

  ヴァイオリンを弾きながら
  昏い舗道に
  あなたは立ち尽くす
  放射する遠心力を指先に集め
  眩い光のなかに疾走する感性を
  そこだけ明るく溶かして
  あなたがある
  色彩は退嬰する街を投影して
  日々の祭りが続く

----------------------------------------------------------------------------------

          好日     内藤恵子

  天空に
  火星の笑窪をつけた
  新月が浮ぶ

  茜色の残照に
  斜形のシルエット
  深紫を深め
  波うつ鋭角の稜線も
  眼下に引きつれて
  浮ぶ雲を手繰り寄せ
  胸に抱き
  頭にかざし
  裾を覆い
  姿を隠す

  だが あけぼの
  すっぱり全身を曝け出す
  白色の潔さが
  紺碧の空にそびえ立つ

    (後略)
----------------------------------------------------------------------------
佐伯圭子の「金継教室」が、言いたいことと選択した言葉との調和という点で秀逸である。
内藤恵子の作品の最終連「今日日是好日」は蛇足であるから (後略)とした。

これらは、もとより私の独断であるが、もっと厳しい批評会があったことを書いて、終わりたい。
ご恵贈ありがとうございました。



   

詩誌「カルテット」第3号から・・・・・・・木村草弥
カルテット_NEW

     詩誌「カルテット」第3号から・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

編集発行人・山田兼士の詩誌「カルテット」第3号が恵贈されてきた。
その中から独断的に引いて、ご紹介する。
今号から同人以外の詩人が招待されることになった。 画像にも出ている人たち他である。 少し引く。

     ちょうちょ         高階杞一

  ちょうちょを見ていると
  次はちょうちょになれたらな
  なんて思えてきます
  誰にいやがられることもなく
  誰のじゃまもせず
  ひとり
  草木のあいだを舞っている
  そんな
  ちょうちょにも
  たぶん
  生きる苦労はあるんだろうけど
  それでも 次に生まれてくるときは
  ちょうちょがいいな
  と
  思えてきます

  春の終わり
  余白のような午後

  縁側にひとりでいると
  目の前の
  小さな庭が
  どこか遠い草むらと  
  つながっているように思えてきます
-----------------------------------------------------------------------------
いつもながらの高階さんのメルヘンっぽい詩である。
終連三行の詩句
<小さな庭が
  どこか遠い草むらと  
  つながっているように思えてきます>
が秀逸である。

       あわいつみ       江夏名枝

  夢の中では母音が書けない。

  鏡はいつも孤独で、夢のひわいろを絵画のように吸う。
  いくつかの数式が溶けている壁の彩度、夢にはわたしを感じる暗闇がない。

  繋留する、紙の舟。夢の水より軽い舟。

      (中略)

  重ねあわせても混じりあわない破片。

  昨晩はとても疑り深いひとに、ひとかけらを渡した。
  どうしたら、あなたの誇りを守れるだろう。
---------------------------------------------------------------------------------
萩原朔太郎記念とおるもう賞に輝いた江夏さんの近作である。
「あわいつみ」とは「淡い罪」のことであろうか。 それを、ひらがな表記にするところに彼女の意図がある。

      アベローネとともに       山下泉

  罌粟つぶのかわいた味に耳すますどこか下草を踏みしめたとき

  いつか作った日課表に会う 偶然を宿命にする遠きソノリテ

  ブリオシュを指に割くとき青みたる麦そよぎいる箸墓おもう

  おりにふれ空に正坐をする雲はアクロポリスの列柱のいろ

  アベローネと二度呼びかける声があり声のかたちにふりむく虚空

  まんじりと古壁画ぬけて古街道あかるい闇のなか泛かびゆく

  ふたかみやま雌峯を根から見あげいる古き眼差しに手繰られながら

  石窟に冬のみどりの影ひらき仏陀の頬のふくらみ削る

  冬の枝灰のねむりを覚ましゆく桜色の灰受けとめるため

  われはわれのききみみずきん手を垂れて夜の大樟の真下に立てば
-------------------------------------------------------------------------------
いつもながらの山下さんの短歌ぶりである。
ここに言う「アベローネ」とは、
<アベローネ、僕はあなたについて語りたくない。僕たちが互いに欺いていたからではない。
あなたが忘れたことがない一人の男をあなたがあの頃も愛していたからでもない、愛の女性よ、そして、僕がすべての女を愛してきたからでもない。
言うことには不当しか生じないからなのだ。 (マルテの手記)>
というリルケの詩句の女性、を指すものだと思う。.山下さんはリルケに私淑した高安国世に学んだのである。

他にも引くべきものがあるが、今回は、この辺で紹介を終わりたい。 有難うございました。



浅井和代「まだみつからない」12首・・・・・木村草弥
たかまる_NEW

──新・読書ノート──

     浅井和代「まだみつからない」12首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・藤原光顕・編集「たかまる通信」106号2017.4.1.所載・・・・・・

        まだみつからない      浅井和代

  私に逢うと哀しくなる そう言ってあなたはまた逢いに来る
  ふたりでいると子供みたいな人ポケットのゴミまでサラケ出してしまう
  やさしすぎるといわれた日は遠く掌にかくれる傷あと
  恋愛と結婚のちがい漸くわかりじゃがいもの皮いつもより厚くむく
  窓から青いセーターの腕を伸ばし風を掴まえそうな三月
  アネマネの花びら風に揺れて女である喜びふくらんでくる
  オレンジの種ナイフに突き刺さりまたひとり友が母となる夏
  秋の陽射しの電車に揺られて美しい嘘をさがしに出かける
  あわてる兎をみつけられない八月喫茶「アリス」の前にマンホール
  誰かがきっと嘘をつく金曜日都会(まち)で透明な地球儀が売れる
  恍惚とひげを剃る男が戦争という厄介を思いつく
  いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり     (「新短歌選集」「年刊新短歌」より)
------------------------------------------------------------------------------
敬愛する藤原光顕氏から「たかまる通信」106号が送られてきた。
藤原氏の新作は、ご自身の闘病のことが綴られているが、生々しいので詩作品としては、いかが、と思い、この作品群を載せる。
この作品の右上には<SHINTANKA 1988~ CHRONICLE >の表記があり、「過去記事」の再録と知れるが、佳い歌だと思って頂いた。 ご了承を得たい。
この一連は、今よく見られる事実をズラズラと連ねただけの歌ではなく、一時期の「新短歌」のようにエスプリが効いて素敵だ。
戦前の一時期の宮崎信義のモダニズムの作品のように心地よい。これぞ詩だと思う。 「寓意的」でもあり秀逸。
「アネモネ」のことを「アネマネ」と表記するなども時代を感じさせる。

ご恵贈ありがとうございました。 
(お断わり) いつもは「藤原光顕の歌」というジャンル分けで載せているが、今回は藤原作品ではないので「新・読書ノート」のジャンルにした。ご了承を。


  
佐伯圭子詩集『空ものがたり』・・・・・・木村草弥
佐伯_NEW

──新・読書ノート──

       佐伯圭子詩集『空ものがたり』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・編集工房ノア2017/03/01刊・・・・・・

佐伯圭子さんは、香山雅代さんが主宰する詩誌「Messier」の同人であるが、私は名前は知ってはいるが未知の人であった。
ご本人の経歴なども一切判らない。香山さんから恵贈されてくる「Messier」誌上で作品を拝見するのみであった。
昨秋に「Messier」48号をいただいたときに初めて拙ブログで採りあげたのを香山さんか、同人のどなたかが見てくださったのであろうか。
それが今回の佐伯さんの詩集の贈呈になったものと思われる。有難く拝受して、ここに鑑賞して紹介する次第である。
この本は「あとがき」も何もないものだが、既刊の本の名前が出ているので、ご紹介する。

佐伯圭子
日本現代詩人会会員
兵庫県現代詩協会会員
ひょうご日本歌曲の会会員
兵庫県芸術文化団体「半どんの会」文化賞受賞
詩集『今、わたしの頭上には』1989年 蜘蛛出版
詩集『風祭』1999年 編集工房ノア
詩集『繭玉の中で息をつめて』2013年 思潮社
詩誌「Messier」同人

この詩集には28篇の詩が収録されている。 二、三引いてみよう。

        塔の上       佐伯圭子

  あの日 塔のてっぺんに昇った
  足もとは濃い霧がかかって懐かしい街が霞んで見えた
   
  もう共に居て温かいものを口に運ぶことは無いが
  夕空に煌めき始めた星を一つ二つと数えてみることは出来る

  目の前に塔の高みが見えたから
  昇って行こうとする意思が働いた

  空に向かって昇っていくことは
  空の底へ落ちていくこと

  もう暗い螺旋階段を昇ることも無い
  立ちつくす塔の上まで来たのだから

  ちりぢりになることは 軽くなること
  宇宙の粒子になること

  風だろうか わたしをここへ運び
  塔の上に押し上げたのは

  押し上げられながら 汗して歩いた道のさまざまの
  匂いが立ち昇って来るのを知る 足もとまで

  街の騒めきの隙間 少女らの声が
  まだ整わないままふくらんでいる

  激しく揺れた街まちが 失ったものを抱えたまま
  光りながら放射状に 拡がっていく

この詩は巻頭に載るもので、先に書いた「Messier」48号にも載っていたものである。
巻頭に置かれたということは作者にとって愛着のある一篇なのであろう。
もう二十数年前になるが阪神地方を襲った震災の記憶に連なるものであろう。
「塔」とは、どこでもいいが、例えば、神戸ポートタワーと仮定してみても、いい。
  <激しく揺れた街まちが 失ったものを抱えたまま
    光りながら放射状に 拡がっていく >
という終連の配置が秀逸である。

一つ置いた後の詩に「空中に置いた片足」という題の作品があるが、これも巻頭詩につづくものであるし、「アナーキーなことばが」という詩も同様である。
次に、この本の題名になっいる詩を引く。

       空ものがたり       佐伯圭子

  いつもの夜の散歩道
  いつもの歩道に
  いつもの空
  なのに
  今日のこの空は
  しっかり頭上を覆っていて
  わたしの命の被布のよう
  いつもの独りの散歩道
  十三夜の月わ飾って
  豆名月ね
  栗名月とも言うのですね

  満月じやなくてもいいさ
  と 空の語っていて
  今日はわたしたげの空と言ってもいい?
  訊くと
  今夜はあんただけの空さ
  と おおらかな返事が返ってきた
  今 ここに在るのは
  空とわたしはだけ

  何時ものわたしの散歩道
  もう現世(このよ)ではないような
  この一瞬の 不確かな
  宇宙の風のその下で
  今年はじめての秋虫の音に送られて
  バスが一台通っていった
  下車したひとが散らばって
  それぞれどこかへ帰っていく
  
  今日の夕べの空ものがたり
  いつもの独りの
  散歩道

佐伯さんは、いつも夜に散歩されるらしい。
私は早朝に朝日を浴びながら歩く主義である。体内時計のリズムは朝日と共に目覚めるので、それに従いたい、という考えに基づく。 人それぞれで、いい。 閑話休題。

先に著者の経歴を紹介した中に「ひょうご日本歌曲の会会員」というのがあるが、香山雅代さんもやっておられる。詩に音楽専門の方が曲をつけて歌曲にする、というものである。
何と奥ゆかしい趣味であろうか。 そんなことから「歌曲のために」と付記されている詩を引いておく。

        黒い手袋        佐伯圭子

  冷たい空の下
  ふんわり包まれ 触れ合っていた
  なのに どこかで
  失くしてしまった片方の手袋

  まだ新しい 心地よい手触り
  お気に入りの黒い手袋
  今頃どこかの寒い道
  暗くなった空の下で
  相棒求めて
  ひっそりと

  ああ 雪が降ってきた
  心はどこまでも追いかけるけれど
  あのぬくもりは もう戻らない
  遠のいていく
  黒い手袋の記憶
  微かなその手触り              (歌曲のために)


この詩集全体の題が「空」ものがたり、とあるように、収録される詩が、みんな「空」と関係があるようである。
だから「空ものがたり」と題された佐伯さんの意図を汲み取ることができるのである。
散歩しながら「空」を眺めておられる佐伯さんの姿を思い浮かべていた。

引く詩が少なくて申し訳ないが、引用は、このくらいにしたい。
佐伯さんの詩は、いわゆる「現代詩」のような難解なところはないので読みやすい。 皆さんも、せいぜい鑑賞されたい。
ご恵贈に感謝して、ここに紹介した次第である。 これからも益々のご健詠をお祈りして、筆を置く。 有難うございました。   (完)
--------------------------------------------------------------------------------
この本の発行元の「編集工房ノア」というと、社主の涸沢純平とは私も旧知の仲であり、また先日亡くなった私の兄・木村重信の編集により『木村庄助日誌』─太宰治『パンドラの匣』の底本を先年刊行したのでアクセされたい。





木村弥生の俳句・・・・・・木村草弥
俳句_NEW
 ↑ 合同句集「南東俳塵帳」平成九年七月吉日刊
俳句②_NEW
俳句③_NEW

──新・読書ノート──

     木村弥生の俳句・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・「南東俳塵帳」平成九年七月吉日刊・所載・・・・・・

亡妻・弥生は生前、南部コミセン(コミュニティ・センターの略)で開かれていた中島巴旦を講師とする「あらみ句会」で俳句を詠んでいた。
この合同句集は発行されたときに見せてもらったので、その存在は知っていた。
弥生が亡くなっても、彼女の遺品整理などは一切していない。
クローゼットが手狭になったので少し衣類を捨てただけである。
この本はダイニングのアイロンをかけたりするテーブルの前の本棚に収められていたのを引っ張り出してみたのである。
中島巴旦は他に「巴句会」の講師もしていて、この句集は「あらみ句会」と「巴句会」の合同句集ということである。
掲出した画像に見られるように中島巴旦が毛筆で書いたものを転写したものである。
「序」に、当時の城陽市文化協会理事長・奥田敏晴の文章があるが、彼こそ今の市長ということになる。
講師の中島巴旦も数年前に亡くなっており、その孫・中島有佳里さんが司法書士になっており、先年、私方のアパート─メゾン・ド・マルスの保存登記の際にお世話になった。
現在はお婿さんを迎えられ、お婿さんは中島姓を名乗っておられるとのこと。これも奇しき因縁というべきであろう。

この本には弥生と親しかった島本順子さん、私と一緒に短歌会に居た甲田啓子さんや神内周子さんの名前も見える。島本さんも亡くなって早や数年が経つ。
会員一人に十二句づつ収録されている。講師の中島巴旦だけは十八句である。

弥生の句を全部、書き抜いてみる。

        畦道       木村弥生

     万歩計四角に歩く春の畦

     菖蒲田に小さき角芽押し合ひす

     畦に沿ひ早苗の列も曲りゆく

     幾重にも茶畑のうねり迫り来る

     亀甲の竹に五月の光り触れ

     松の芽の千本立ちに風少し

     梅雨明けのクレーン動いて空狭め

     水桶にゆらぐ白さの豆腐切る

     風の道探して葱の苗掃除

     踊りの手下向き加減風の盆

     きらきらと穂の上泳ぐ金銀糸

     息白し一人走れば皆走り

当然、講師である中島巴旦の添削がされていると思うが、素直だった弥生らしい俳句である。
弥生は都会生まれだったが、田舎に嫁いできて、私の母から農作業の手ほどきを受けて、菜園の仕事を楽しんでやっていた。
力の要る土の掘り起こしなどには、どしどし私をこき使っていた。
農作業というのは植物が日々に成長して成果を生むので面白いもので、弥生も、その魅力に執り付かれていたようである。

<万歩計四角に歩く春の畦> の句は面白い。万歩計とあるから散歩の情景だろう。
万歩計に歩数を拾われるので、歩くときも四角く歩くように努めるという微笑ましい情景が詠まれている。

<風の道探して葱の苗掃除>の句について少し解説してみよう。
ネギは梅雨の頃に掘りあげて日陰に吊るしておく。
この句の季節は九月はじめである。当然まだ残暑が厳しいから、風の通る涼しいところを選んでネギ苗の枯れた部分を削いで掃除をする。
その苗を畑に定植して秋のネギが育ってゆくという算段である。 この句には、そういう経緯が詠まれているのである。

島本順子さんの句を少し。

     子の婚をまず書き入れて初暦

     春うらら行きも帰りも歩きます

     地下道を出てコスモスの風に遇う

     嫁がせて娶らせて年終りけり

甲田啓子さんの句を少し。

     初明りちょっと開けおく厨窓

     太陽が大好きですと苗木札

     甘南備の緑蔭 記紀の話など

     母が来る柿一杯の旅鞄

弥生は2006年に亡くなったので、今年はちょうど十年である。
たまたま手にした句集から亡妻を偲ぶよすがにしたい。


辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
辰巳_NEW

──新・読書ノート──

     辰巳美績・自分史『「運」「鈍」「根」~なにくその精神~』・・・・木村草弥
             ・・・・・2016/05刊 非売品・・・・・・・・

こうして掲出してみると表紙の色が微妙に違う。現物は鮮やかな濃緑である。表紙の布は辰巳織布の製品である。
著者の説明をしておく。
辰巳美績(たつみ・よしつぐ)氏は大正13年(1924)10月10日生まれ。今の三重県名張市に出生した。
大阪府岸和田市に、辰巳織布株式会社を設立し、現在は会長を務める。:今年で満92歳となる。

辰巳美績氏とは縁戚ということになる。私の長女の女の子─孫の結婚相手の祖父ということである。
一昨年の結婚式でお目にかかり、今年の年賀状に、この本の上梓のことが書かれていたので、一月三日の私の一族の新年宴会に来た孫に言って贈ってもらったという次第。
孫などのプライバシーもあるので人名などは遠慮しておくので、ご了承ねがいたい。

この本は、文字通り、辰巳美績氏の一代記である。今もなお矍鑠として会社内外に目を光らせておられる様子が手に取るように、よく分かる。
記憶力も旺盛で幼い頃からの写真もたくさん収録されている。
辰巳美績氏の夫人は鈴子さんというが、この本を読むと、鈴子さんの内助の功が絶大であったことが判る。
この本を贈呈されたときに本に添えてある手紙も鈴子さんの代筆である。因みに、鈴子さんの生年月日が書いてないので不明だが美績氏とは二歳違いのようである。

辰巳美績氏は地元の小学校から松阪市の松阪商業学校に進学。1942年に横浜専門学校に入学する。1944年徴兵繰り上げにより仙台陸軍予備士官学校に「特甲幹」伍長として入学。
因みに、私の兄・木村重信も、この制度により豊橋予備士官学校に入学しているので親近感を抱いたことを書いておく。ポツダム少尉である。

この本には辰巳美績氏の「年譜」「家系図」、辰巳織布株式会社「年譜」など微に入り細をうがつ詳細なものである。
私は全編を詳しく読んでみたが、ここにすべてを引くことは出来ない。
今の時代は、とにかく物騒な世の中であり、どこから攻撃されるか分からないから、プライバシーの露出には気を付けたい。

戦後は物が不足していて、物さえあれば商いになる時代があったが、徐々に生産、流通が体制が整うようになり、そういう時代の趨勢をみて辰巳織布という会社設立に進まれた。
会社は1960年4月5日に誕生するが辰巳美績氏は池田繊維の専務をされていたので鈴子夫人が社長となられて発足した。
この本には鈴子夫人の昼夜を分かたぬ尽力のことが書かれている。

<家内は、朝は暗い内に起き、寮生の朝食の準備をし、日中は工場に入り、検反、管巻、筬通し、織り以外のことは全てした。
 また手の薄い所に手伝いに行き、午後は女の子に洋裁を教え、三度の食事の買い出しをし、一刻も休む時がなかった。
 夏場はクーラーがないため、しばしば食堂のデコラの食卓の下にくたびれ果てて寝ていたことを覚えている。
 急に出荷をいわれた日には、家内は徹夜で検反をすることもしばしばであった。>

私は繊維関係には無知なので、この本に書かれている当該部分について語ることは止めたい。
昭和36年(1961)9月16日、第二室戸台風により当時の工場が全壊したことが書かれている。復旧のために名張で瓦を買い占めたことなどである。
この台風では、私の方の会社の荒茶製造工場70坪余が全壊し建物と機械設備が全滅したことを思い出した。
そういう同時代だったのである。

立志伝中の人物として、自宅を立派なものに新築されたエピソードが載っている。写真を見ても豪壮なものである。
さぞや立派なものであろう。

1980年に長男の雅美氏が専務として入社された。当時の習慣として同業他社で武者修行させるのが常道であった。雅美氏も一年間、他社で「奉公」された。そして今は社長である。
雅美氏は京都大学出身ということだが、学部などは判らない。

繊維製品の製造過程で「糊つけ」という工程(サイジング)があるらしいが、それらは外注にしていたが2009年に関空対岸の地に「のりつけや」というサイジング工場を建築した。
この工場は24時間操業だという。
巻末には「人生訓集」というのが書いてある。「大欲せよ」「記録を残せ」「常に背伸びせよ」など、長年の人生を生きた知恵が述べられている。

私は繊維には門外漢であるから、とりとめもない紹介になったことをお詫びする。
これからもお元気で活躍されるようお祈りして、紹介を終わる。
本のご恵贈有難うございました。



『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・木村草弥
鳥居_NEW
↑ 発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷
鳥居②_NEW
 ↑ 岩岡千景「セーラー服の歌人 鳥居」2016/02/10初版 発行KADOKAWA
torii4.jpg
↑ 著者 近影

──新・読書ノート──

      『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷・・・・・・

「セーラー服の歌人」鳥居 として今や歌集はベストセラーとなっている人である。
寡聞にして私は最近まで彼女のことを知らなかった。NHK関西の「関西熱視線」で彼女のことを取り上げていて初めて知った。
そして掲出した二冊の本を読んでみた。
「母の自殺」「児童養護施設での虐待」「小学校中退」「ホームレス生活」「拾った新聞で字を覚えた」など過酷な人生を経てきた人である。
今も私生活の詳しいことは明かされていない。 謎である。 
これは多分、出版社の意図的な演出でもあろうし、壮絶な生きざまをしてきたので、私生活が明るみに出ることによって、改めてPTSDに襲われるのを避けた、とも言えようか。
「近影」はネット上から拝借したのだが、義務教育も禄に受けていないので、中学校の制服だったセーラー服に憧れがあり、最近は外出のときにはセーラー服を着るようにしているという。
歌集『キリンの子』だけを読んだだけでは鳥居を理解できない。
岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居』は2012年以来、彼女に何度もインタビューしてまとめられた本で、この本を読むと彼女のことが、よく分かるのである。

それらを読むと、なぜ「鳥居」→「短歌」なのか、という疑問が解ける。
第六章光明という個所でDVシェルターの施設に居るときに、一時的に外出して図書館に行った鳥居が、たまたま歌集の短歌の棚にあった穂村弘『シンジケート』を手に取った。
  <体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ>
「そんな温かい家庭の光景が頭の中に広がりました。そして、幸せな気持ちになりました」という。
その後、鳥居がホームレス生活を経て大阪に移り住んだ後のこと『吉川宏志集』(邑書林)との出会いがあった。
   <洪水の夢から昼にめざめれば家じゅうの壜まっすぐに立つ>
「一首の中に死と美しさ、そして違和感が果てしない広がりを持って詠み込まれている」ことに鳥居は感銘を受けた、という。
短歌には、自分と同じ「孤独のにおい」がしたのだという。以後、鳥居は、吉川あるいは結社「塔」と関係を持つことになる。

2012年、現代歌人協会が主催する「全国短歌大会」に、鳥居は自作を応募する。
    「思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ」
の歌が穂村弘の選で佳作に入選したのである。
同じ2012年に、鳥居は短歌誌「塔」十月号の「十代・二十代歌人特集」に「攪乱」という連作を発表する。
歌集には「攪乱」の項目はないが「なんで死んだの」という名前の七首の歌が、それらしい。 引いてみる。

   *室内の宙吊りライトちりぢりにみな揺れていて我のみ気づく
   *朝焼けを見ると悲しいもうすぐに明日が来るよ眠れないまま
   *病室の壁の白さに冴えてゆく意識のすみに踏切の音
   *本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繍のように
   *揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
   *刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁
   *あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの

これらを見ると、よく構成されて作られていることが判る。最後の歌なども「、」の区切りなど詩的ですら、ある。技巧的である。
虐待された過去を乗り越えてゆくことが出来れば、この人の詩才は限りなく広がる可能性を感じる。

2013年夏、鳥居は「第三回 路上文学賞」に「エンドレス シュガーレス ホーム」と題した掌編小説で応募し「大賞」を獲得する。
その全文は歌集の「あとがきにかえて」という形で収録されている。
掌編とは言っても長いので、ここに引くことはしないが、最後の部分だけ引いておく。

    危険な目に 遭わされる心配が ない、ということは、こんなにも自由です。
    家がないことは
    こんなにも のびのびとした 自分自身の心を 取り戻すことができます。
                           今夜は 月が とても綺麗です。

2013年9月、「鈴木しづ子さんに捧ぐ」という短歌の連作十首がインターネットサイト「詩客」に掲載された。
歌集では「赤い靴─鈴木しづ子さんに捧ぐ」9首として載っている。 引いてみる。

       ダンサーになろか凍夜の駅間歩く   しづ子
   履いたまま脱げなくなったと笑ってるストリッパーはみな赤い靴

   待ち受けの〈旦那と子ども〉を見やる人 緞帳あがりポールに絡まる

   姉さんは煙草を咥え笑いたくない時だって笑えとふかす

   ねっとりと膣口色に照らされて練習どおり ゆっくりと脱ぐ

   母の日の花屋は赤く染まりおりショーウィンドウにふれる指先

        娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ   しづ子
   踊りつつ太宰を浮かべ笑うとき観客からの手拍子生まる

   好きな人今はいないと聞いたのにあやとりのごと交わってしまう

   膝抱え音なしで見る天気予報知らぬ男が寝ている夜更け

   照らされていない青空ここに居る人たちはみな「夜」って呼ぶの

鈴木しづ子は「娼婦俳人」などと呼ばれて底辺の世界を生きる人の世界を詠んだ、独特の世界を俳句で表現した人である。
その作品に触れた鳥居が歌でもって再現してみたものである。 この想像力が素晴らしい。

終りに、私の目に留まった歌を引いて終わる。

*目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
*大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
*全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
*先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばっていく
*爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」
*早朝の八百屋は群青色をして植物だけが呼吸している
*さぎょうじょでわたしまいにちはたらいた40ねんかん 濡れる下睫毛
*お月さますこし食べたという母と三日月の夜の阪みちのぼる
*壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
*もう誰も知らない母の少女期をみどりの蚊帳で包めり昭和
*渡された本が読めずにルビふりを頼んだ 8日に貰いに来ます
*道端で内臓曝す猫の目はあおむけのまま空を映して
*休日は薬を飲まず過ごしてみるこんなに細い心をしていたか
*牛乳のパック開ければ1ℓの牧場の朝がゆわんと揺れる
*次々と友達狂う 給食の煮物おいしいDVシェルター
*友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服
*海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち
*私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る
*錠剤は財布のなかで押し出され欠けた薬の粉がちらばる
*手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた

長い間しいたげられてきた鳥居だが、今しも吉川や岩岡らに支えられて「陽のあたる」場所に躍り出たのだが、その故に「やっかみ」や謂れのない中傷に曝されることがあろう。
現代の短歌界は、学歴の高い、教養に満ちた学生や学者などが重用される風潮がある。
鳥居も作品が短歌誌に載った直後には「平がな表記に笑える」などと学生から嘲笑された、らしい。
それらを乗り越えて、逞しく育ってほしい。     (完)






佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
佐伯_NEW

──新・読書ノート──

     佐伯泰英『虎の尾を踏む』―新・古着屋総兵衛 第十三巻―・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・新潮文庫2016/12/01刊・・・・・・・・

        拉致された九条文女の行方は杳として知れず、焦る総兵衛は意を決し、江戸城への潜入を試みる。
        また、北郷陰吉らの探索によって、異国の仮面兵と老中牧野忠精の関係がみえてきた。
        文女救出劇は老中牧野との全面対決に発展。
        ついにイマサカ号とマードレ・デ・デウス号が駿河湾で激突する。
        敵船甲板上、女首領が構えた銃口は総兵衛一人に狙いを定めていた。


お馴染みの私の愛読書の新シリーズである。
ぜひお読みいただきたい。


阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・木村草弥
歳月の気化_NEW
 ↑ 阪森郁代第七歌集『歳月の気化』2016/11/25刊
ボーラ_NEW
  ↑ 阪森郁代第六歌集『ボーラといふ北風』2011/04/25刊 

──新・読書ノート──

      阪森郁代第七歌集『歳月の気化』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・角川書店2016/11/25刊・・・・・・・・

阪森郁代氏の第七歌集『歳月の気化』である。
五年前に第六歌集『ボーラといふ北風』を恵贈され、私は十二首の歌を抄出して返礼とした。 それに続く今回の本の贈呈である。
阪森氏は、塚本邦雄創刊の「玲瓏」に拠る歌人であり、1984年の第30回・角川短歌賞の受賞者で才知渙発の人である。
受賞作は「野の異類」の歌50首であり、1988年に刊行された第一歌集『ランボオ連れて風の中』などは私は読んでいない。

第六歌集『ボーラといふ北風』も、いくつかの趣向を凝らした歌集で、贈呈されたときには気づかなかったのだが、のちに読み返してみて、いろいろ教示されることがあった。
例えば、
<小余綾(こゆるぎ)の急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭>
という歌が146ページにあるが、 「こゆるぎの」は枕詞で、「磯」「いそぎ」に掛かる。
「こゆるぎの磯」は相模の国、いまの小田原市の大磯辺りの海岸を指す。 古歌に
    「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」
    「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」
とある歌などが出典であるらしい。
また「にはたづみ」も「渡る」「川」にかかる枕詞である。
このように、さりげない体(てい)を採りながら、実は綿密に計算し尽くされた本と言えるのである。
いかにも塚本門下の歌というべく、塚本邦雄が生きていたら激賞したであろう。

今回の本の題名も「歳月の気化」という。 この本の88ページに
  <歳月の気化を思へり午睡より覚めて肌には藺草がにほふ>
という歌があり、この歌から題名が採られた、という。 年月の経過を表現するのに「歳月の気化」とは何とも凝ったことである。
作者は深い教養に支えられた、ペダンチック、かつ、ブッキッシュな表現者と言うべきである。
掲出した「帯」文は編集者が趣向を凝らしたもので、此処にこの本のエッセンスが凝縮していると言えるが、実は、このフレーズは「あとがき」の中で作者が書いていることなのである。
だから、この本を読むときは、心して、この言葉を玩味したいものである。

この本は、ほぼ逆編年体で編集されているという。
巻頭の歌は
   *さざなみを立てて過ぎゆく歳月を南天は小さく笑つて見せた
   *とめどなく散るものあれど日暮れともなれば従きゆくパスタの店へ
   *乳の香の牡蠣を夕餉に十二月エルサレムにも雪は降るらし

巻頭の項目「冬ざれの町」から引いた。 「南天は小さく笑って見せた」なんていうくだりは何とも不気味であり、一首を屹立させた。
「乳の香」の歌など上句と下句が俳句でいう二物衝撃のように、別物でありながら歌の中で巧く融合した。

   *イーハトーブは菫の季節それのみになめとこ山の熊も平らぐ
   *生者にも死者にも会はず北上はイーハトーブへ抜ける風のみ
   *若き賢治とつひに目の合ふ一瞬間ポシェットは肩を滑り落ちたり

「あとがき」に書かれているが、今年は念願の「塚本邦雄展」が北上市の日本現代詩歌文学館で開催され、塚本の残した厖大な資料を前に文学に立ち向かう師の情熱に打たれたのであった。

作者の初期の歌集の歌には、スタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が見られる。 例えば

   <透明な振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝>
   <枯野来てたつたひとつの記憶から背のみづのやさしく湧ける>
   <いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある>

などだが、年月が経つにつれて阪森の歌は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだものは減ってきているようだ。
いわば作風が「自在」になって来た。「何でもない」ことが坦々と詠われて来るようになる。
以下、私の好きな歌を引いておく。

   *初めての、言ひかけて口ごもるその場かぎりのやうで風花
   *すひかづらの実のなるあたりを見上げつつきのふに隷属しない生き方
   *レノン忌を忘れてゐたる迂闊さを振幅としてひと日風あり
   *アルカディアはギリシャの地名巴旦杏を一粒のせた焼き菓子もまた
   *はしがきもあとがきも無き一冊を統べて表紙の文字の銀箔
   *土に手をよごして夏の草を引く短歌をつくるよりかひがひし
   *持ち上げて木箱の重さ膝に置くジュゼツペ・アルチンボルトの画集

物の名、人名などに触発されて歌が作られている。 その楚辞もまた的確である。 歌柄もまた多岐にわたっている。
『赤毛のアン』十首は、この本に則って作られたが、本の要約としても秀逸。

   *ヨブ記から少しはみ出す付箋あり花水木すでに花期を終へたり

   *薔薇といふ響きは朗ら花舗に来て硝子の向かう触れ得ぬままに
   *それぞれの朝をうべなふ鰯にはレモンの呪文 ほんの数滴
   *一の道抜けて二の道ゆくごとき無音の蝶々臆せずにゐよ
   *空き部屋にこもりて夏至の一日を見目にあたらし『虫の宇宙誌』

「歳月の気化」と題名に言う通り、一巻は、さりげない体を採りながら坦々と日々や事象を消化しながら進行してゆく。

   *整理して整理のつかぬ本ばかり一冊分の隙間になごむ

著者は長年住み慣れた堺市から吹田市に転居された。その転居に伴う本棚の整理の一点景であろうか。
私も転居ということではないが、家の建て替えで移転したことがあり、ささやかながら蔵書の処分に困ったことがある。
先ず、雑誌類は多くを捨てた。雑誌に一年間連載した記事なども愛着があったが、背に腹は代えられなかった。
まさかのときは国立国会図書館などに保管されているものをコピーすればよい、と思い切ったことである。「断捨離」も時には必要か。 閑話休題。

   *蝙蝠に身じろぎしたこと厄介な倦怠のこと今なら話せる
   *摘み取ったこともあったと振り返る言葉は葉でも実でもあるから

「蝙蝠」は西欧では狡猾なものの暗喩とされることがある。 私も、そんな比喩の歌を作ったことがあるが、阪森氏の、この歌の場面では、それはないようである。
日本に棲む蝙蝠は小さな弱い獣で人家に棲み付く。時には「厄介」な騒動を起こす。作者も一度は、そういうことに遭遇したかも知れない。
この「厄介」という楚辞は上句と下句とを繋ぐ言葉として機能しているようである。
「今なら話せる」という日常にありふれた「会話」体が、この歌の中では有効に働いていて秀逸である。それは次の「摘み取った」という歌に自然に繋がってゆく。

   *白木蓮風にひらけば真白なる手套となりて寄る辺なき手指
   *おほよそは肩の高さの立葵 薄ら氷ほどの月を仰ぐは
   *はるばると真狩村産 匙をもてメルヘンかぼちやのわたをくりぬく
   *あれは燕だつたか昨日ともけふとも知れず仄めきの中
   *ありふれたプロセスチーズを齧りつつ曖昧母音のやうな返答
   *うかうかと浅黄斑蝶を呑み込めどどこへもたどり着けぬ夏空
   *いろどりの傘を開くは吉凶を占ふごとし水木の下で
   *文学の果実刹那のあまやかさナタリー・バーネイといふは源氏名

さりげない比喩を伴いながら風景や事象が坦々と詠われてゆく。
時には外国へ行かれるらしい、以下のような歌は現地で作られたようである。

   *フィラデルフィアは当てて費拉特費と書く三十七度の夏を歩いた
   *スーラが正面にあり最後までアウトサイダーだつたバーンズ

アメリカ東海岸の夏は蒸し暑い。東洋のモンスーン気候とは違うが暑さは格別である。
そろそろ歌集の鑑賞も終りにしたい。

   *くちびるに木通のむらさきあしらふは三越伊勢丹のマネキン
   *夜は更けて砂のしづもり自転車のサドルが消えて無くなることも
   *不意をつく鵙の鳴き声一瞬に水引草は赤に目覚める

巻末から三首引いた。 
とりとめもない、締まらない鑑賞に終始した。 凡人のやることとお笑いいただきたい。
比喩表現などの見落としもあるかも知れない。その節は何とぞ、お許しを。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。   (完)





香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・木村草弥
メシエ_NEW

──新・読書ノート──

    香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・2016/11/26発行・・・・・・・

香山雅代氏から、いつも発行の都度ご恵贈いただきながら、このブログで採りあげるのは初めてである。
いつもはお礼状を差し上げて失礼している。
香山氏は西宮にお住まいで、かの地の文化界でも、また「能」や「日本歌曲関西波の会」というところなどで、詩に曲をつけたものなどを発表されている異色の作家である。
掲出した図版でも読み取れるが同人四人で活躍されている。
今回は同人・内藤恵子氏の短い作品を紹介したい。   ↓

デコポンimg55833098

          デコポン       内藤恵子

        白い平面に
        橙色の球体
        緑のでこぼこ
        テーブルの上の陰影
        壁に並ぶ果実二つ
        重い
        慌てて両手で受ける
        丸く突び出す先端
        中へ落ち込み
        まわりは盛り上がる
        胴体につく突起

        皮をむく
---------------------------------------------------------------------------
代表である香山雅代氏の作品を引かなかったことは、お詫びしたい。
香山氏の作品は長いし、かつ高踏的であり、拙ブログの読者には難しすぎると思って、平易な内藤氏の作品を引かせてもらった。
お許しいただきたい。
内藤氏の作品は、ご存じの「デコポン」の特徴を簡潔に表現し得ている。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。




久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
鳥恋行_NEW
 ↑久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊
雨を見上げる_NEW
 ↑久我田鶴子第七歌集『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
      ・・・『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊 『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊・・・・・・・

先に久我田鶴子歌集『菜種梅雨』の恵贈を受けて、その鑑賞を、このブログに載せたが、折り返し久我さんから先行する二冊の本が送られてきた。
いずれも大部の本である。
砂子屋書房の社主・田村雅之、ながらみ書房の社主・及川隆彦ともに前衛短歌はなやかなりし頃に編集者として活躍された人である。
そして今ともに出版社経営者として活躍されている。
この二冊を通読してみて、歌集の鑑賞という面からだけではなく、「エピソード」風に書いてみたい。
先ず『雨を見上げる』の「あとがき」を読んでいたら

<及川さんには、同郷のよしみと若い頃から何かと心にかけていただいてきた。
 お互いにながらみを食べて育ったというだけでなく・・・・・>

というくだりに目を止めた。(注・アンダーラインは筆者)
「ながらみ」というのは食べ物だったのか、とWikipediaなどで調べてみた。
久我さんの故郷である九十九里浜で獲れる巻貝で美味、とある。学問的には「ダンベイキサゴ」というらしい。
同郷である及川さんは、これを自分の出版社の名前にされたのである。 よく判りました。
私は遊び心に満ちた人間で、何にでも好奇心旺盛なのである。 お許しあれ。

*「胡乱」なる言葉の具体 湯上がりのビールの酔ひが五体をめぐる
久我さんとは「地中海」の全国大会などで顔を合わせ、すこし言葉をやりとりしたに過ぎないが、酒は殆ど呑まれない印象があったのだが、いくつか飲酒の歌があるので意外な気がした。
この二冊の本の頃、久我さんは「コンピュータ管理のマンモス校」へ転勤された。コンクリート打ち放しとガラスの多い現代風の学校に戸惑われた様子が見てとれる。
もともと久我さんはインターネットには弱い人だった記憶がある。
*存在を証すカードを受けしより03T001Fが私らしき
*先進的教育といふがあるごとく指先ばかり小器用になる
*愚痴となる歌をひそかに反故にして三十六計笑ふに如かず
*耳奥のリンパのゆらぎ朝床に人となるべくかたちひき寄す
*鍼治療うけつつ聞けばひとのこゑ滋味あるものとし身内に入り来
*声が来て神経叢をさやがせり無限自在のわれゐるどこか
*パソコンをつかふ俊敏スマート氏にふるひおとされ消ゆるが必定
*ひそやかに歌詠みゐるさへ脅かし職場といふが息止めにくる
*寄せくるる子らの傷みに苛立ちに生かされありし教師の日々は
*ペン胼胝の消えたる指がうれしげに操るならねノート型バイオ

私事ながら私も使っているのは、ここ何台もソニーのノートパソコン─ヴァイオである。

そんな、馴染めない戸惑いから「鳥を求め、花を求めて、森や湿原に出かけることが多かったのは、相応の理由があったのだと思う」と書かれている。
第六歌集の題名を『鳥恋行』とされたことが、その証左であろう。
*傷を負ひゆきしものあり雪に血の擦りあとはつか残る森のみち
*蝶型の足跡なれば栗鼠と知る胡桃の木から森へと向かふ
*用心の仕方がいかにも貂らしく摺り足ぎみに雪上をゆく

観察の精細な叙景の行き届いた歌群である。
また他に琵琶湖西岸の滋賀県高島郡マキノ町 などというと京都に住む私などには、すぐに判る土地だが、こんなところにも出向いて歌にされた行動力の広さに感服する。

*熊臭し されば熊領こころして登るにしかずわが登山靴
*さきほどの緑一塊の落とし主 なるほど猿も笹を食ふなり
*うちつぱなしのコンクリートに巣をかけし燕が今朝は偉く見えたり
*彫像になりたる樟がなほにほふ女の頸から胸のあたりを
*樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂

この二首からは、ほのかなエロティシズムが薫りたつのを感じる。

*口開くとけぽつと魚を吐き出せり宇治平等院屋根にかはせみ

「わが水系」などの項目の歌には「ふるさと」が詠われている。

*鼻濁音の有無と信仰に境して流るる川やふるさとの川
*真言と日蓮を分け海に入る川といへども幅数メートル
*川渡り鼻濁音来て鼻濁音なきわれらのことばにまじる

日蓮が生まれたのは上総小湊である。その地域では日蓮宗が信仰されているだろう。
因みに、私宅の宗教も日蓮宗・身延派である。この地域は浄土宗が占めているが、わが先祖は幕末の頃に布教があって一族を挙げて改宗したという。
久我さんの歌に詠まれる川は「作田川」で、この川を隔てて、宗教と鼻濁音が違うということである。
この川は境川とも言われているらしく、地形が宗教や言葉の境になっていくというのは、昔の文化の成り立ちとして面白い。
簡潔ながら中身の深い佳い歌である。
このごろはNHKのアナウンサーなども「鼻濁音」の指導が厳しくないらしいが、「鼻濁音」の中でも「が」の音は何とも奥ゆかしい気がするのである。
方言の尊重もいいが、日本語の共通語として、この鼻濁音は尊重してほしいものである。 私は、そういう主義である。

*もみぢならぬやつでのなどとわらひつつわがてのひらを愛でくれし母
*幾人もの精液にまみれ死ににけり<解放軍>が訪れし昼
*アゴタ・クリストフ、ジャン・クリストフ わが内にずれて重なる名前の記憶
歌の対象は多岐にわたって展開する。「回想」から「現代」へで、ある。それらから少し引いてみた。

弔歌にも触れてみよう。春日井建を詠った一連もあるが、
*みづからを褒めてやりたいと全歌集まとめたるのち言ひし忘れず
この歌は「地中海」長老として香川進を助け、また香川進の代理の先兵として「前衛狩り」に角川書店「短歌」編集長に乗り込んだ山本友一の死を詠んでいる。
私も船田敦弘の「いじめ」に耐え切れずグループを抜けたときに手を出してもらったのが山本友一であった。その挨拶のために新宿の山本宅を訪れたことを思い出す。
ご子息は三菱商事の幹部として活躍しておられたが、同居されており、朝食のために焼かれた干物の魚の匂いが部屋に残っていたのを思い出す。
船田亡き今となっては、こんな回想をしても許されよう。
私は一概に「前衛狩り」に走った香川たちを責めるつもりはない。前衛の提灯持ちをした編集者の独走を抑えたいという守旧派の歌壇や社主たる角川源義の意向を香川が含んだものであろう。
ついでに書いておくと、塚本邦雄や岡井隆などはアクの強い人間で今なお強い影響力を持っている。
前衛短歌はなやかなりし頃、塚本の取巻きとして活躍されていた人が酒席で私に洩らされたことがある。何か塚本の説に異を唱えると、とたんに歌壇から「干された」と。
また岡井隆も同様で「未来」の中でも彼に異を唱える人間は排除された。私も「未来」に席を置いていたが私は川口美根子門下であったが、それらにまつわる話を聞かされたことがある。
岡井隆は本来、左翼なのだが、老来、勲章ほしさに皇室にすり寄り「皇室御用掛」などを務めている。その論功行賞で文化功労者に選出された。
斎藤茂吉や土屋文明らが文化勲章受章者であるから、彼らに肩を並べたいという欲望が岡井隆にはあるのだろう。俗物臭ぷんぷんである。 閑話休題。

*昨夜よりのあめ葬送の昼もなほやまず銚子の潮の香ひそめ

この歌は『雨を見上げる』に載るものだが、青柳猛氏のことを詠んでいる。青柳氏とは私にも思い出がある。
どこの全国大会であったか、班別歌会の司会を仰せつかったことがあり、その中に青柳氏が居られ、たしか「ら抜き」の乱用を言われ、言語学者の金田一春彦が「許容」するような発言をしているのはケシカランと激しく攻撃した発言をされた。私が「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私も激しく攻撃されたのを覚えている。
言語というものは絶えず揺れ動いているもので、概して言語学者などは寛容である。「ら抜き」言葉にも一定の法則性があり、将来、正当と認められるのは近い、という。私には言語学者の友人たちが居り、彼らは皆そういう意見である。 閑話休題。

この二冊の本には父親の体調不良から死に至る歌が縷々詠われている。
特に第七歌集『雨を見上げる』には、父の歌が多い。
*かたはらの椿に蛇が潜めると確かにゐると父の指さす
*二、三日前より目白来てゐると父の指さすさざん花の方
*飲み方を忘れし父か生きむためコップ一杯の水に身構ふ
*身を起こしこころゆくまで脚を掻きひとしごとせりと言ひたりけふは
*指折りてなにかぞへゐる父ならむポータブルトイレにまたがれるまま
*ふたたびを点滴につなぐいのちなり「かあさんは」とは妻呼ぶことば
*いくたびも娘に子なきを嘆きしかどこにもをらぬ孫の名をいふ
引きだしたらきりがない。項目名「青葉ほととぎす」「たなばた」「脱ぎうるならば」「潮騒」「とんちんかん」「夢、うつつ」「手ぶくろ」「二月三月」など、ずっと病む父の看取りの歌である。
*柿好きの父に食ませむ三月はイスラエルの柿シャロンフルーツ
*七十九歳になりたる母の髪に触れ「おめでたう」いふ父の指さき
*血圧の高きに怯ゆる母が越え熱に苦しむ父の越えし二月
*一月の八日未明を一期とし帰れる天の星のまたたき
*呼気のにほひ変はりたりしは三日前その父を置きわが訪はざりき
*肯ひつ否みつ父に来るはずの死を待ち迎へし新年なるも
*梅一枝たづさへし日を境としこの世の父に逢ふことのなき

『雨を見上げる』の巻末近くに「十月の想念」─香川進先生の十三回忌に寄せて、という項目がある。
*たまたまのめぐりあはせもえにしにて地中海わが漕ぎわたる海
*ゆづらざるわがもの言ひにウィスキーダブルを手にしはだかりもせり
*かはしたる約束ならね「地中海」編集しばし吾が預かるも

身内のこと、「族うから」のことを全く詠わない人も多いが、久我さんは、ここに見てきたように多くの族の歌を、特に「父」の歌を詠まれた。
人が死んで、偲んで詠む歌は感動が薄い。同時進行で、現在形で読まれる歌は勁い。本人にとっても、生涯の記念となる。だから私なども、どんどん詠む主義である。
掲出した図版で読み取れるが、本の「帯文」は出版社が知恵をしぼって書きだしたもので、編集の意図が凝縮して出ている。
改めて、眺めてもらいたい。
ご恵贈に感謝して、不十分ながら鑑賞を終わりたい。 有難うございました。   (完)






久我田鶴子第八歌集『菜種梅雨』・・・・・・・・・・木村草弥
久我①_NEW
 ↑ 第八歌集『菜種梅雨』─2016/06/05刊
久我②_NEW
↑ 第五歌集『雨の葛籠』─2002/06/10刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第八歌集『菜種梅雨』・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・砂子屋書房2016/06/05刊・・・・・・・

短歌結社「地中海」の編集長である久我田鶴子さんから、この歌集が恵贈されてきた。
私は縁あって一頃この会に席を置いていたので久我さんとも旧知の仲であるが、個人的に親しいということはなかった。
久我さんを知ったのは「地中海」に入った直後に、才能ある若手として教えてもらって第一歌集『転生前夜』を買い求めてからである。
その頃「地中海」編集長は椎名恒治で、私は最近亡くなった船田敦弘の紹介で同誌上に、香川進の第一歌集『太陽のある風景』論をほぼ一年間にわたって書かせてもらった。
先日「香川進研究Ⅱ」という大部の本が送られてきて読んだばかりで、その読後感を久我さんに送ったところだった。
そのお返しに今回この歌集をいただいたという次第である。
書架を探してみると、二番目に図版を出しておいた第五歌集『雨の葛籠』を恵贈されており、十首の歌を抽出して久我さんに返信している。
この本は2002年に出ており、その頃は私はまだブログをやっていないので、ここで紹介することもなかった。ご参考までに図版のみ出しておく。

久我さんは高校の国語の先生であられた。数年前に早期退職され、今は「地中海」編集長専従として、かつ文法と教科書の指導書の仕事をされているようである。
「あとがき」に、それらのことが触れられている。
この歌集には、2011年3月から2015年までの350首が収録されている。年齢にして55歳から60歳に至る、という。
「あとがき」を少し引いてみよう。

<2011年の年明けに父が死に、暫くぼんやりしていたところに遭遇した東日本大震災。・・・・それまでに体験したことのない地震は、いっしゅん死を覚悟させるほどであった。
 それでも私にはまだ、9・11の同時多発テロの衝撃に比べれば、なんとか乗り越えられるかと思われた。・・・・・
 だが3・11の衝撃は、あとからボディブローのようにきた。・・・・・この歌集は、まったく「あの日」以後の産物である。
 “以後”の私の日常は、週に二日のペースで高速道路を使って父のもとへ通っていた二年間。・・・・・
 毎月、仲間たちと「地中海」を発行し、歌集をまとめたいという人がいればそのお手伝いをした。
 そんな中で、福島、とりわけ郡山との縁が深まったのは、そこにいる「地中海」の会員たちがつぎつぎと歌集出版にむけて動きだしたからである。
 理由のないことではない。短歌は、生きることと繋がっている。・・・・・
 また、菜種梅雨の季節がくる。死んでしまったものも元素にかえり、どこかでなにかに再生されてゆくだろう。・・・・・
 受け容れがたい死に戸惑ったたましいも、どこかで安らいでいてほしい。>

久我さんは千葉市にお住まいで、千葉市は、この震災で液状化現象などで埋立地は大きな被害があり、コスモ石油の貯蔵タンクが炎上するなどニュースになった。
久我さんも当然大きなショックをお受けになったと思われ、それらのことが上記の文章になっている。

歌を見てゆきたい。
ここに書かれている通り彼女の父親の介護に携わっておられたが、それらにまつわる歌が詠まれている。
『雨の葛籠』の中に

  <誕生日になにがほしいと言ひやれば「いのち」とおどけて父は言ひたり>

というのがあり、私は十首抄の中に、この歌を引いている。
今回の歌集にも巻頭近くに「父」を詠った歌が並んでいる。

*こゑにしてことば発するちからさへ息の領域 うしなはれゆく
*誤嚥性肺炎なるが父の息しだいに細めつひに止めし日
*吐きつくすやうに発せし言の葉の父にうなづき問ひ返さざり
*ちちのみの父の手帳を火につつみ送りぬ春の彼岸のそらへ
*降る 何が 降る菜種梅雨 亡きひとの芽吹きどこかではじまつてゐる
*誕生日に何がほしいと訊けるとき「いのち」と言ひしは何歳の父か

一番最後に引いた歌が、先に引いた第五歌集の歌と照合するのである。
また五首目の歌に<降る菜種梅雨 亡きひとの芽吹きどこかではじまつてゐる>と詠まれているように、歌集の題名の「菜種梅雨」は父親への追慕の念へと繋がってゆくのである。

この歌集には「亡き人」を偲ぶ歌が多い。結社の主軸として、また豊かな才能の持ち主として若いときから嘱望されてきた久我さんにとっての交友の広さを窺わせる。
*<ヴィルゴ>にて最後に茂樹のつかひたるグラスの行方まなざしに追ふ
  *ヴイルゴ・・・ここで小中英之とともに飲んだのが、小野茂樹の最後の夜であった。
*なつかしく茂樹を語りみづからを<隠れ羊>と言ひたりかの日
                 小野茂樹がつくったグループ「羊の会」
ここに詠まれるのは藤井常世さんである。その藤井さんは2013年10月30日に亡くなられたので、この歌がある。
*あかねさす『水葬物語』に殉じしか 鬣は銀、水になびける (藤田武)
*この夏の三平峠に出逢ひたる渡辺松男 ああ、衣笠草
 沢瀉は夏の水面の白き花孤独死をなぜ人はあはれむ (雨宮雅子『水の花』)
*水の花おもだか土中に冬を越す会へざり人はやがての春に
*いちにんのために捧ぐるそれはそれ さらにこころは自在にありき (関原英治)
*かん高きこゑに目玉の父親が子の危機すくふ水木のしげる
*をさへやうのなきを放ちてあかはだか村山槐多ある日の香川 (香川進)

このように列記しては趣がないが、歌集の中では連作として詠われていて哀切である。
ここに引かれる雨宮雅子の「孤独死」の歌が発表されたときには、私も慄然としたのを覚えている。私のような老年に達すると、むしろ孤独死に憧れのような感情を抱くから不思議である。

とりとめのない「採りあげ方」で失礼するが、この歌集には意識して「ひらがな」表記がなされているのに気づく。
香川進もひらがなの歌が多かった。もちろん日本語は「漢字カナまじり文」表記で成り立つ言語であるから、一概に「ひらがな」を推奨するつもりはないが、「ひらがな」は優しい。
巧く使うと歌に趣が出る。その意味で久我さんの作歌の仕方に賛成する。
少し歌を引いてみよう。
*いきどほりもの言ふひとのかたはらにちやらんぽらんの息継ぎをする
*とめどなくわけのわからぬにんげんのはつろはつろにまきこまれつつ
*踊り場にたまりてをりぬわたぼこりわたぐもわたがしわたぼうしわたし
*さやうなら 言の葉しろくゆくものをつなぎとめむとするにはあらず
*ざらついて心に触れくるこゑなるをよみがへらせてはあぢはひ尽くす
*ひとが死にあきたる穴に嵌めらるるひとつのピース くちをつぐみな
*きざみこみきたへたる皺すくと立てジョージア・オキーフ晩年の顔
*たうとつの死よりひととせあらがへるたましひの顔とほざかりゆく
*かはいさうなんかぢやないと泣きゐしが気がすんだやうに立ち上がりたり
*ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも

アトランダムに引いてみたが、ヒラガナにしたところと、漢字にしたところの必然性の選択が秀逸であり、非の打ちどころが無い。
そして「言葉遊び」に興ずる久我さんが居る。「踊り場」の歌などが、そうである。私も「言葉遊び」が好きである。
久我さんの歌集すべてを読んだわけではないが、以前の歌と比べて、久我さんの「歌づくり」が自在になった気がするのである。

私事で失礼するが、五月、六月に突然、体調不良に襲われ、手脚はむくみ肩、腰、下肢が痛み、全身脱力して起居もままならず、原因が判らず四苦八苦した。
私なりに調べて専門医に駆け込み、原因が判って治療し、おかげで軽快した。「リウマチ性多発筋痛症」という診断である。
これにはステロイドが著効するが副作用があるので体調を見ながら薬を減らしてゆくのがコツという。
一時は字を書くこと、キーボードを操ることも出来なかったことを考えると健康ということの有難さが身に沁みる。ご放念いただきたい。
病み上がりなので根気が続かないので失礼して、私の好きな歌を引いて終りにしたい。

*呂の字とふ突き出すをんなのおちよぼぐち紅おしろいにキスのこと言ふ
*二には二の安らかさありいちばんを風除けにして道草を食ふ
*わたくしをいでざる論の埒のそと羊が雲になりゆくところ
*昼ながらワインに生牡蠣 土曜日といふ気安さが夫にまだある
*晴れたるをよろこぶこゑは春蝉の、よろこぶ花はたてやまりんだう
*おほかたは忘れて暮らす幼年期火傷に負へるわれの聖痕(スティグマ)
*おほかた葉落とせる梢にうつり来て 六、七、八、ぱつとゐなくなる
*どこからか転がりきたる風情なり洋梨机上に追熟のとき
*くれなゐを遊びのごとく編みこめる平らなる籠ブルキナファソの
*あんとんね 背中をさする手のぬくみ上総訛りのふところに抱く
*たをたをとはたたき白く秋蝶は葉裏へまはる 生をいとなむ
*拒否すれば罪に問ふとぞ銅鑼ひびき<一億総活躍>の世に連れださる
*非情なる青やはらかく押しかへすちから恃みて拳をひらく




笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
笠原_NEW

──新・読書ノート──

     笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・現代短歌社2016/10/07刊・・・・・・・

笠原真由美さんは1960年の生まれで東京の短大の国文科を出られ、2012年に光本恵子さん主宰「未来山脈」に入って会員になられた。
下諏訪町立図書館に勤務していて、2002年頃「口語の短歌の作り方」と題して話す光本を聴講したのが、短歌に接するきっかけだったようである。
この本には「序」として10ページにわたって光本恵子が詳しく述べている。
この文章は、この本の要約として的確なもので過不足がなく、私が此処に改めて書くことは何もないのであるが、そう言ってしまっては実も蓋もないので少し書いてみたい。

読書や音楽やサッカーの松本山雅FCを愛する笠原さんだが、そういう豊富な読書や音楽鑑賞などが身に付いていることが読み取れる。
この歌集では、彼女の一代記が時系列ではなく、かつ過去形ではなく現在形で綴られる。
故郷の信州を出て東京の大学を出て就職し、会社で経理の仕事をしていて、あと帰郷して、同じ中学校の彼と結婚するが、彼の生家は精密機械の工場を経営していた。
そんな葛藤が「Ⅱ幻想家族」に描かれる。彼女が題名とした一章である。だから私は此処に並ぶ50首の歌に彼女の思いが凝縮している、と思うのである。

 *優雅ね、と言われて優雅に暮らしてみせる ジャスミンの影に幻想家族
 *リビングにレース模様の影ゆれて 失望のなかの幻想家族
 *ネクタイは色別にして収納する その赤い実を食べてはいけない
 *四人家族在るべきかたちにととのえて もう求めるな、人生は私物
 *見ぬふりをしてきたものたち一斉に衣ぬぎすてて襲いくる春
 *冷たいね、と言われてこたえる「そうかもね」 手放しはしない幻想家族

その後に並ぶ歌からも読み取れるように、彼女が今もこの「幻想家族」というものに捉われていると、私は言うつもりはない。
彼女は「あとがき」の中で、こう書く。
  <「本当の話がしたい」と、いつも思っていた。・・・・>
  <私はようやく長年の精神的酸欠状態から脱し、深い呼吸ができるようになった。>
  <この歌集のなかには二十代から五十代までの“わたし”がいる。>
  <光本恵子先生はいつも私に「短歌があれば生きられます」と言う。>

ここに「幻想家族」の域を脱して辿りついた彼女の「今」が語られている。

ここで、一般的には余り触れられないことだが、「詩句」としての日本語の「韻律」のことを書いてみたい。
上古から日本語の韻律は、さまざまに試みられてきた。
それらは五音、七音の繰り返しによる「音数律」の創造として結実した。
それらは「和歌」定型詩として今に至るまで機能している。
「口語短歌」を標榜する非定型の歌とて例外ではない。「散文」と「詩」との違いは、どこにあるのか。それは「韻律」─美しい詩としての「調べ」があるかどうか、であろう。
だから現代の口語短歌と言えども、この韻律を無視できない。限りなく「五音」「七音」の流れに「沿う」ものが美しい。
笠原さんの作品に即して見てみよう。

 リビングに/レース模様の/影ゆれて/ 失望のなかの/幻想家族
 ネクタイは/色別にして/収納する/ その赤い実を/食べてはいけない
  四人家族/在るべきかたちに/ととのえて/ もう求めるな、/人生は私物

いま便宜的に歌の区切りを入れてみた。見事に五音、七音の韻律に近いものにまとまっている。だから「美しい」。流麗である。
私は此処に彼女の豊富な読書の裏付けを感じるのである。
短歌は「詩」である。「日常」とは違う。「非日常」であるから、歌を詠むときには工夫が要る。
笠原さんの歌からは、そういうことを深く感じ取ることが出来て秀逸である。
ついでに書いておくと「その赤い実を/食べてはいけない」 「もう求めるな、/人生は私物」などのフレーズは、見事に詩句と化している。

この歌集を読んでいて気付くことに独特の「ルビ」が付られていることである。
例えば、「花群」─むれ。 「削除して」─けして。 「家庭」─いえ。 「背後」─せなか。 「起立つ」─たつ。 「坂道」─さか。 「現在」─いま。 
これらを読んだときに違和感があったが、じっくりと見てみると、先に私が書いた韻律を整えるための「読み」であることに気づいたが、その良し悪しについては人それぞれだろう。

先に書いたように「序」の光本恵子の文章に主たる要約は尽きているが、私の好きな歌をいくつか引いて終わる。

 *わけもなく岬という字に憧れる 果てない私の脱出願望
 *雨に顔を打たれ銀色の空を見る 無数の粒になり私は消える 
 *“ママ”だから私は帰る丘の上 ライラックの香のまつわる家に
 *叱られて「ニセモノのママはあっちいけ!」と泣いた息子がスーツを着る
 *名古屋風味噌おでんにて地酒を呑む 夫の学生時代聴きつつ
 *樹影ゆれ鳥のひと啼きに風炉点前が一瞬止まる 和敬清寂
 *丘の上から光る湖を見わたして人生と和解した ここで生きてゆく
 *山雅が好きアルウィンが好きそれだけで名も知らぬ人と二時間話した
 *東京ヴェルデイ戦にかけつけた山雅サポーターが京王線をジャックする
 *この手から叩き落とされた台本を冬野に拾う まだ終われない
 *短歌はいい 読めば似た人を見つけられる 一緒に泣ける
 *フォーマット作業を託すものとしてハイドロアクアを飲んでいる朝
 *ちがう生き方もあったのだろう 高地に生まれて蛇行する川を知らず
 *みずうみにヨットを教える君がいて光ふくらみまた夏がくる
 *はつ夏の光のなかにキンレンカが晴ればれと咲く 逢えてよかった

多くの歌が並んでいるので佳い歌を漏らしたかも知れない。 お詫びする。
豊かな才能に恵まれた作者の今後の精進に期待して、ご恵贈の御礼を申しあげて筆を置く。 有難うございました。



 
田中成彦第四歌集『田園曲』パストラーレ・・・・・・・・木村草弥
田中_NEW

──新・読書ノート──

      田中成彦第四歌集『田園曲』パストラーレ・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・北斗書房2016/09/22刊・・・・・・・

この本は田中成彦氏の第四歌集になるが「海外旅行詠」だけを収録したものである。
2001年春のモロッコの旅から、2001年夏の「中国山西省」、2002年夏の「スペイン銀の道」、2003年夏の「フランス」、2004年夏の「中欧」、2005年夏の「ドイツ」、2006年夏の「西バルカン」、2007年夏の「アルプスⅠ」、2008年夏の「アルプスⅡ」、2010年夏の「アルプスⅢ」、2012年春の「バスク」、2012年秋の「西欧」に至る旅を詠んだ作品573首から成っている。
収録歌数が多いので、1ページ5首を配する構成になっている。
田中氏は音楽に詳しいようで著書には、すべて題名に音楽用語が付けられている。
第一歌集『前奏曲』はプレリュード、第二歌集『喜遊曲』はディヴェルティメント、第三歌集『協奏曲』はコンチェルト、そして今回の『田園曲』はパストラーレ、である。

田中氏の経歴を書いておく。
「吻土短歌会」を主宰しておられ、進学校として名高いヴイアトール学園・洛星高校の元副校長であられた。キリスト者である。
もちろん先生は、この学校の出身で、茶道三千家のひとつ武者小路千家 家元 千宗守宗匠なども此処の出身であるという。
京都歌人協会評議員。日本歌人クラブ代表幹事(京都府)。現代歌人協会会員。読売新聞「京都よみうり文芸」選者。などを務めておられる。

「あとがき」の中で
<訪れた土地や出会った人々の激変を思い知らされることにはもはや耐え得なくなった。
 伝えられる海外情報にその思いを強くする。例えば『喜遊曲』にて詠んだ地域の今はどうか。
 旧ソ連ウクライナは兵器の実験場となり、トルコは幾重もの民族・勢力の抗争が激化、エジプトの〈アラブの春〉は狂暴な砂嵐を呼び、
 シリアは犠牲と廃墟とを際限なく生み、パキスタンは襲撃事件に怯え、ギリシアは難破しそうな老朽船となり果てた。
 本書の作歌対象となった中欧・西欧でも事態は切迫している。いたる所で難民の通行や居住に関する緊張が高まり、パリやブリュッセルの市民を襲った悲劇は言うまでもない。
 かくて今後は海外に出かけることも稀になり、行く先もおそらく限定されるゆえ、これまでを区切りとして一巻に纏めることにした。>
と書かれている。けだし、この本の成り立ちと性格を端的に示したものとして引いておく。

以下、歌のいくつかを引く。

*おほよそは隊商宿もさびれつつ一頭の驢馬こぼれ餌を食む (モロッコ)
*オリーヴ油搾る石臼回しゆく驢馬のしりへに暫くを添ふ 
*露店へと好奇向けたる鼻先を不意にかすめて驢馬の黒耳
*削る者、研ぐ者、焼く者、染むる者、 迷路の街に全て揃ひぬ
*地下水路(カナート)を雪の嶺より引き来たる砂漠の町に夕べ到りぬ
*乾隆帝の石碑は四種の文字刻み満州文字を正面に据う (中国山西省)
*長旅の疲れひもじさ今更に柔き粥など摂れば知りたり
*ヒンドゥー教由来の神か腹厚き鳩摩羅(くまら)天の薄らなる笑み
*耕して天にいたらむ段畑のこれぞ華北よ一つ丘越ゆ
*飾りたる店舗も館もおしなべて黄砂を厚く被る色見す
*日本の信徒と名のればハビエルと呟き司祭は親しみ示す (スペイン)
*ゴシックもガウディも共に景を成す巡礼街道ふところ広し
*通り雨止みたる丘にサンチャゴの三つの尖塔確と見えたり
*最果ての聖地に到り祈ること余りに多し二十一世紀
*いにしへは膝行(ゐざ)りて詣づる巡礼路二百余段を只ふり仰ぐ (フランス)
*二作家にゆかりの居宅相近しサンテグジュペリ遠藤周作
*『中世の秋』を駆け抜け王公の驕りも無念も遠き説話ぞ
*喧噪も掏摸(すり)も絶えざるカレル橋されど一度は渡る旅びと (中欧)
*壮絶にフス派抗い討たれける「わが祖国」終章の砦は近し
*積み肥か麦芽か臭ひの混じり合ふチェコの鄙辺のビール工場
*巡礼をなす少女らの讃美歌にロココの装飾和音震はす
*「山上の説教」の絵にて只一人視線寄するは画家自身かも
*ハイネまた歩みけむ道中世の木組み家遺すゴスラーに入る (ドイツ)
*司祭ルターここに雌伏の長かりき今は尼僧の祈り清らか
*ドイツ史の主役は常にザクセンと「帝王行進」の壁画長大
*会談のありたる日より六十年今ポツダムをひたと見据ゑむ
*「無憂」サン・スーシと名付けし王は宮殿の湿気に脚を病みて悩みぬ
*絶景を独り占めせし湖岸なり白くかがやく旧チトー邸 (西バルカン)
*〈若き娘〉ユングフラウは恥ぢらひ持つや頂に今日も僅かの雲を添はせて (アルプスⅠ)
*山岳戦を簡潔に茂吉詠みにける北伊チロルの森深く行く (アルプスⅡ)
*日本より信徒来たるを喜びて司祭は聖歌にフルート奏づ (アルプスⅢ)
*巡礼はここより峠を越ゆるなり石畳みち宿のひしめく (バスク)
*十字軍ここより発ちて征きたるを人ら誇れりのちの悲惨も (西欧)

多くの歌の中から引くのは難しかった。 典型的な歌を漏らしたかも知れない。 お詫びする。
ご恵贈に感謝して、引用を終わる。 有難うございました。 今後のご健詠を。



蓮實重彦『伯爵夫人』・・・・・・・・・・・木村草弥

31GEgZZJSdL__SX332_BO1,204,203,200_

──新・読書ノート──

      蓮實重彦『伯爵夫人』・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・新潮社2016/06/22刊・・・・・・・

      帝大入試を間近に控えた二朗は、謎めいた伯爵夫人に誘われ、性の昂ぶりを憶えていく。
       そこに容赦なく挑発を重ねる、従妹の蓬子や和製ルイーズ・ブルックスら魅力的な女たち。
       しかし背後には、開戦の足音が迫りつつあるらしい――。
       蠱惑的な文章に乗せられ、いつしか読者は未知のエクスタシーへ。
           著者22年ぶりとなる衝撃の長編小説。


どういう本?

タイトロジー(タイトルの意味)
伯爵夫人とは何者なのか? 同じ“夫人”という呼称を持ちながら、「ボヴァリー夫人」(フローベール)や「サド侯爵夫人」(三島由紀夫)とは異なる、出自不明の魅力を湛えたファム・ファタール。
「この世界の均衡」に関わる彼女の正体が気になる方は、ぜひご一読を!

メイキング
「向こうからやってきたものを受け止めて、好きなように、好きなことを書いたというだけなんです」(三島賞受賞記者会見より)

装幀
カバーにあしらったのは、本作における重要な“助演女優”、ルイーズ・ブルックスのポートレート(1928年撮影)。
表面に光を吸収する特殊加工を施し、深みのある美しさを表現しましたが、読者から「人肌のように艶めかしい」という感想を多数いただくとまでは予想しておらず、嬉しい誤算でした。

著者プロフィール
蓮實重彦 ハスミ・シゲヒコ
1936(昭和11)年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。教養学部教授を経て1993年から1995年まで教養学部長。1995年から1997年まで副学長を歴任。1997年から2001年まで第26代総長。
主な著書に、『反=日本語論』(1977 読売文学賞受賞)『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1989 芸術選奨文部大臣賞受賞)『監督 小津安二郎』(1983 仏訳 映画書翻訳最高賞)『陥没地帯』(1986)『オペラ・オペラシオネル』(1994)『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』(2007)『随想』(2010)『「ボヴァリー夫人」論』(2014)など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。
.
新潮社の書評誌「波」七月号に載る書評などを引いておく。
---------------------------------------------------------------------------
       元東大総長にして話題の新鋭作家による本年度三島由紀夫賞受賞作――。
        この優雅で退嬰的で巧緻極まる長編小説を筒井康隆、黒田夏子、瀬川昌久の三氏が読む。



[蓮實重彦『伯爵夫人』刊行記念特集]
        情強調文欲と戦争・・・・・・・・筒井康隆

 江戸切子のグラスで芳醇なバーボンをロックで飲んだ。そんな読後感の作品である。
 主人公の二朗は旧制の高等学校に通い東大を目指している晩稲の青年で、作中にも暗示されるプルーストの少年時代のように、女性と抱擁しただけで射精してしまうという純真さだ。時代は戦前、舞台は主に帝国ホテル。ロビーに入ると「焦げたブラウン・ソースとバターの入りまじった匂い」が漂ってくるというあたりでたちまちかの良き時代に引き込まれてしまう。タイトルの「伯爵夫人」も貴族でありながら突然傳法肌になったりして驚かせてくれる。ここから先は二朗や伯爵夫人その他の人物の回想との入れ子構造になっての展開となるのだが、挿入されるのは丸木戸佐渡ばりの情欲場面と、憚り乍らわが「ダンシング・ヴァニティ」が先鞭をつけた繰り返される戦争場面である。
 奇妙で魅力的な人物が次つぎと登場するのが嬉しい。宝塚かSKDかという男装の麗人だの、友人の濱尾が投げたボールをワンバウンドで股間に受けてしまった二朗を介抱してしきりにその金玉を弄り回したがる女中頭や女中たちだの、正体は伊勢忠という魚屋のご用聞きなのだが病的に変装が好きな男だの、名前だけだが「魔羅切りのお仙」だの「金玉潰しのお龍」だのが出てきて笑ってしまう。他にもヴァレリーや吉田健一や三島由紀夫の陰が見え隠れする。当時はボブ・ヘアと呼ばれていた断髪の従妹蓬子も魅力的だが、そのスタイルで有名だったルイーズ・ブルックスよりも、キャラクターとしてはクララ・ボウに近い。さらに嬉しいことには懐かしい映画や俳優たちが続出。伯爵夫人に出逢う最初のシーンで二朗はアメリカ映画の「街のをんな」を見てきたばかりなのだが、伯爵夫人と抱き合う時にその演技をなぞるケイ・フランシスとジョエル・マクリーの主演者に加えて往年のギャングスターであるジョージ・バンクロフトまで登場させているので笑ってしまう。この二朗はずいぶんと映画好きで、全部上映すると六時間かかるという気ちがいじみたシュトロハイムの「愚なる妻」まで見ている。シュトロハイムが偽伯爵を演じた故の連想である。情欲場面ではヘディ・キースラーが絶頂に達する演技で有名になったチェコの映画「春の調べ」(原題「エクスタシー」)を思い出したり、戦争がらみでは主演ヘレン・ヘイズ、ゲイリー・クーパー、アドルフ・マンジュウの「戦場よさらば(武器よさらば)」が出てきたり、なんと無声映画時代の小津安二郎「母を恋はずや」における吉川満子の母と大日方伝の兄と三井秀男の弟との微妙な確執が死んだ兄の思い出に繋がったりもする。さてこの辺で、いったいこの話、時代はいつなのか、二朗の年齢はいくつなのかという疑問に囚われる。というのも前記の映画はいずれも昭和六年から十年あたりに公開されたものであり、そして二朗が一日の記憶を語った最後、「ふと夕刊に目をやると、『帝國・米英に宣戰を布告す』の文字がその一面に踊っている」、つまり昭和十六年十二月八日なのである。ここでやっとこの一篇、目醒めたばかりの二朗が一瞬にして思い出した夢だったのだなと納得するのだ。
 戦争と愛欲の場面が入れ子構造の中で交錯するうち似たような表現が繰り返され、金玉に打撃を受けるたびに「見えているはずもない白っぽい空が奥行きもなく拡がっているのが、首筋越しに見えているような気が」し、そしてまた「ぷへー」とうめいて失神するのはエクスタシーの場合と同じで、ホテルの回転ドアは常に「ばふりばふり」と回っている。前記わが「ダンヴァニ」で用いて自信がなかった繰り返しが他でもないこの作者によって文学的になり得た上、しかも笑いさえ伴うのだと教えられ、安心させられた。
 たとえいつの時代を描こうと小説作品は常に現代を表現している。作者が現代に生きているのだから何を書こうがそうなのだ。大正時代から昭和初期にかけて性的頽廃が徐徐に充満しつつあったあの時代の中、次第に軍人や憲兵の姿が何やらきな臭く彷徨しはじめ、そして破滅に繋がる戦争へと突入していくのはまさに現代に重なる姿であろう。そしてあの時まだ子供だった小生が楽しくエノケン映画を見ながらも、近づいてくる戦争に、戦争は悪いものなどとは夢にも思わずなぜか胸ときめかせわくわくし、面白がっていたことが今のように思い出されてならないのだ。 (つつい・やすたか 作家)

        危険な感情教育・・・・・・・・・黒田夏子

 息つぎのすきもないことばの勢いに乗ってあちこちを長い年月にわたって引きまわされたようにおもうのだが、じつのところこの作中時間は、冒頭「傾きかけた西日を受けて」から終景「…時間が時間でございますから、今日は夕刊をお持ちしました…」までちょうど一昼夜、しかもその大半を中心人物は熟睡してすごし、そのあいだに戦争が始まっていたという鮮やかな設定になっている。
 この朝、ラヂオの臨時ニュースは、つぎつぎと“大本営発表”を伝えていたはずで、作品全体の背中に戦争が重く貼りついていることは随所に書きこまれてもいるとおりだが、読み手としては、せっかく睡らせてもらえた作中人物にあやかって、“諜報機関”だの“特務工作”だのはあくまでも裏側にひそませ、その前夜の実質わずか数時間の個人としての激動のほうに素直にかまけていることにする。
 そうたどれば全篇は、極度に凝縮された成人儀礼の時間であり、“伯爵夫人”による手荒な授業時間である。
 この、翌年に帝国大学法科の入学試験を、翌々年に徴兵検査をひかえた旧制高等学校生にとって、“伯爵夫人”とは、異性すなわち他者すなわち全ての外界であり、それゆえ極端な怖れと憧れの対象、謎の塊、虚実の不分明として現前する。そしてその言動と、語り聞かす経歴中の所業とは、その妄想を埒を超えて拡大し、方図もない強烈さで二面性をつきつけ、あげく、両親の寝所から聞こえる嬌声の“レコード”のそもそもの音源はだれのものかとか、“伯爵夫人”が産んだという祖父の子“一朗”と自分“二朗”とはどちらがどちらかとか、自己同一性さえゆさぶりつくして、突如、手のとどかない闇世界に去っていってしまう。「…正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保たれているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから…」と言いつつ、迫る危難の時代に備えて“ココア缶”と“絹の靴下”とのひとかかえを置きみやげとして託していったりするのが、この苛酷な両極性の教師の情の形なのだ。
 二朗が“伯爵夫人”と最後に一緒にいたのは、作中現実としては冒頭の回転扉のあるビルヂング地下二階の“茶室”だが、そこの風景は「…さる活動写真の美術の方が季節ごと作り変えている」人工物で、ここは「どこでもない場所」「存在すらしない場所」「何が起ころうと、あたかも何ごとも起こりはしなかったかのように事態が推移してしまった場所」、「…だから、わたくしは、いま、あなたとここで会ってなどいないし、あなたもまた、わたくしとここで会ってなどいない」と“伯爵夫人”は言う。
 この“場所”は、ごく初めのほうで“級友”が“同級生”として言及する“あの虚弱児童”の原型らしい実在の作家の、最終長篇最終景での八十老の感慨である「記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった」とまっすぐにひびきかわす。ちなみにこの“同級生”の広く知られている実年齢によって作品の時代の空気が早くから特定できるなど、人も事もさりげなく適切な布置それ自体で説明ぬきに納得されるのは端的に“活動写真”の手法で、それらおびただしい語句章句、視覚的聴覚的形象はいずれも単独に放置されることなく、反復や相似や対比をかさね、たてよこななめに照応し、読み手がともすれば流れの速さに足を取られ、重層する虚構に踏みまよう構造を、限定してしまうのではない微妙な律儀さで支えていく。
 この律儀さは、もうさっさと睡らせてやれと言いたくなる疲労困憊のはずの帰宅の寝間に届いていた“従妹”の長手紙に「さっそく返事をしたため」る作中人物のありようにもかよって、読み手がつい楽しくなるほどの律儀さで、とても一度読んだだけでは拾いきれない、また読もうと誘ってくる蠱惑として、この作品をいっそう豊かに充実させている。 (くろだ・なつこ 作家)

         随想 『伯爵夫人』の時代と私のかかわり・・・・・・・・瀬川昌久

 かねがね敬愛する蓮實重彦さんが「新潮」四月号に「伯爵夫人」という小説を書いて評判になっている、と聞いて早速本屋に走ったが、既にどこも品切れだった。間もなく第29回三島由紀夫賞を受賞された時の記者会見で、小説を書くきっかけの一つに、「ある先輩が日米開戦の夜にジャズをきいていたこと」を上げられた、という情報を友人たちが連絡してきて、「あれは貴方のことだよ」と告げてくれた。どういう意味でか判らぬながらも、受賞そのものは非常に嬉しく思っていたところ、やっと本を入手して急いで目を通してみると、主人公の二朗が長い遍歴の末帰宅して眠り込みやっと目をさますと、夕刊に米英との開戦が報じられている、と末尾に書いてある。
「新潮」七月号の受賞インタビューの中で、蓮實さんは、私の名前を出して「トミー・ドーシー楽団による『Cocktails for Two(愛のカクテル)』のレコードを派手にかけられたら、ご両親から『今晩だけはおやめなさい』とたしなめられた」ことを引用して、私が戦争中もジャズをずっときいていたのは、戦前の日本に豊かな文化的環境があった証左だと述べておられる。これを読んで、今度は私の方が深い感銘を受けた次第であるが、小説「伯爵夫人」の中には、残念ながら音楽の話は出てこない。しかし蓮實さんは、映画を通じて、音楽にも極めて造詣が深く、昨年映画と音楽について対談した時に、日本映画がいかにアメリカのモダンな手法を採り入れていたかの例として、エディ・カンター主演の「突貫勘太」(一九三一年)の冒頭の歌が、PCL映画「ほろよひ人生」(一九三三年)にそっくり流され、更にエノケンの「青春酔虎伝」(一九三四年)のオープニングに、ダンサーやエノケン、二村定一らの長々と歌い踊っている場面を映像を通じて説明された。その時エディ・カンターを囲んで華麗に歌い踊るゴールドウィン・ガールズのまばゆいばかりの大群舞の場面を指して、「みんな背中は何もつけてないガールズの一糸乱れぬグループを使ってこんな題材を作っちゃうんだから、そんな国との戦争など勝てるはずもない」と申されたので皆大笑いした。
 次に文中出てくる二朗の数人の級友の中に、「文士を気どるあの虚弱児童」の「平岡」の名が出てくる。「新潮」のインタビューでも「仮面の告白」評が出てくるので明らかに三島由紀夫(本名平岡公威)のことであろう。私はたまたま三島とは初等科から大学まで同級で、文学面を離れて親しく友達付き合いを重ねた。彼が体育や教練を好まず見学することが多かったのは事実だが、病弱で休むことはなかった。勿論作文の才には秀で、高校時代から小説を書いて注目されていた。大学にも一緒に入ったが、兵役は丙種不合格で、私の新調したばかりの制服を彼に貸した覚えがある。小説にはよくいわれる彼の変質性が強調されている嫌いがあるが、それは彼の一種の遊び心であったと思う。戦後学生のダンスパーティが盛んになった時は、我々の仲間の常連になって、きれいな女性パートナーを追っかけ廻したものだ。彼の著書「旅の絵本」にも出てくるが、彼が昭和32年夏にニューヨークに来た時私も前年から滞在していたので、始終顔を合わせた。彼は戯曲「近代能楽集」をブロードウェイで上演する話がすすんで、プロデューサーを決めて出演俳優のオーディションや劇場の手配を行うのに立ち会い、年内オープニングを目指していた。親友のドナルド・キーンの手配によるものだったが、その手順が次々に延びてしまって、彼はイライラしていた。流石の彼も資金を節約するためグリニッチ・ヴィレッジの安宿に引っ越して耐乏生活を始めたので、慰労の意味で、彼の好きなスパニッシュダンスを見せるスペインレストランに誘ったりした。「何故これ程芝居公演にこだわるのか」と訊ねると、彼はいたずらっぽく笑って答えた。――「先ずニューヨーク・タイムズ紙の日曜日の演劇欄に、僕の芝居の記事がいかに書かれるかを読みたい。それは芝居の初日、芝居がハネると、プロデューサーや劇評家たちが続々と集まる「サーディス」というレストラン・バーで、彼等が作品について議論する結果によって、作品の運命が決るんだ。僕は当日「サーディス」の片隅にそっと座って、彼等の議論に耳を傾けるスリルを味わいたいんだ。それだけだよ」。残念ながらその時は上演に至らず、彼は失意のまま帰国した。その彼は結婚して白い塔のある豪奢な自宅に、ドナルド・キーンと私共夫妻をよんで会食しながら、あの時のことを語ったものだ。「仮面の告白」にある「下司ごっこ」などについては、何れ蓮實さんと二人だけでワインでも飲みながらお互いの体験を語り合う機会を楽しみにしたい。 (せがわ・まさひさ 評論家)
---------------------------------------------------------------------------------
担当編集者のひとこと

「文学的事件」の意味するところ

    担当者の特権で本作の原稿をいち早く読ませていただいた際、すぐさま「これは文学的事件だ!」と直感しました。
    構想40年に及ぶ大著『「ボヴァリー夫人」論』を完成させ、映画時評からの引退すら宣言したばかりの著者が、なお語彙レベルで新たな表現領域に踏み込んだことに強く衝撃を受けたのです。
    三島賞受賞により作品を取り巻く状況が大きく変化した現在も、その気持ちは変わりません。
    『伯爵夫人』の事件性は、まずもってテクストにこそ宿っています。  2016/07/06
.


神田鈴子歌集『春の蟻』・・・・・・・・・・木村草弥
神田_NEW

──新・読書ノート──

      神田鈴子歌集『春の蟻』・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・青磁社2016/07/03刊・・・・・・・・・・

 思い返せば、大阪歌会でいつもお会いする神田さんであった。
いつのことだったか、体を壊されて入院されたと聞いて山本孟さんと一緒に病院へお見舞いに行ったことがある。そんなことで個人的にも親しくお付き合いするようになった。
 私の贈呈した歌集のお礼などに何度も手作りのケーキを頂いたことがある。いつも美味しく賞味したことである。
 さて、この歌集のことだが、牧雄彦氏の装丁が印象的である。「春の蟻」という字と、それに続くカットが面白い。
 奥田清和氏、牧雄彦氏の「あとがき」などに詳しく書かれていて、私が特に付け加えることなど何もないが、それだけでは芸がないので、少し歌を引いて書いてみたい。
 奥田氏は神田さんの小学校での担任だったという。何という古い縁(えにし)だろう。それらの思い出が「序文」に書かれていて趣ふかい。
 何分、二十八年にわたる歌の中からの精選であるから、この歌集の収録されたものを更に選ぶというのは極めて難しい。年度別の歌から一つづつ引くことになるだろう。

*弱りたる終の力をふり絞り母は指輪を抜きてわが手に
*生き甲斐はケーキ作りと決めゐしを短歌の道に連なりて来ぬ
*空襲の記憶たどればまざまざと夜空をのぼる火の柱立つ
*片ひざを抱きて夫は爪を切る明日は失ふ足を撫でつつ
*さしのべし細きかひなにわれを抱き夫はいまはの口づけをせり

これらの歌には母、夫との悲痛な「訣れ」が詠まれている。四首目の歌など、まさに絶唱というべく秀逸である。

*庇ひくるる手のなきこの身晒しつつ目くらむほどの遠き坂道
*震災に倒れしままの夫の墓碑割れ目を春の蟻のぼりゆく

二首目の歌から、この歌集の題名が採られているが、この歌は「大阪歌人クラブ市長賞」を得られたという記念すべき歌である。

*夫の知らぬ孫二人増え片言のとびかふ居間を見守るうつしゑ
*母子馬のつかず離れず草食める都井の岬の朝のつゆけさ

二首目の歌は都井岬に寄り添っている母子馬に托して、神田さんの心象が投影されている。

*夫の齢はるかに越えて生くる日よ冬の星座のまたたき仰ぐ
*禁断のさくらの実を食み立たされし集団疎開の飢ゑもはるけし
*夜の道に落としし銀のイヤリングこの月光を吸ひてゐるべし

三首目の歌の放つ雰囲気を読者は何とも言えぬ沈潜さを持って共有するのである。

*母逝きし齢をつひにけふ越えぬつね護られし日を重ね来て
*おだやかな元旦の光射し初むる干支は午年駆けてもみむか
*八歳に途絶えし父の記憶なり行年三十五歳の墓碑を撫でつつ

二首目の歌の結句「午年駆けてもみむか」という表現に神田さんの非凡な歌の才能を、かいま見る思いである。
今年、神田さんは傘寿を迎えられたという。その記念すべき年に、この歌集を上梓されたのを、私も悦びを共有してお祝いしたい。
 私が付け加えることは何もないが、敢えて言葉を連ねた次第である。
 有難うございました。どうぞ、お健やかにお過ごしください。

copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.