K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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三井葉子さんの極私的思い出など・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
びーぐる三井

三井
  ↑ 『<うた>と永遠 三井葉子の世界』 2001/06/30深夜叢書社刊

──三井葉子の詩・句──(11)

       三井葉子さんの極私的思い出など・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

今年、一月二日に亡くなった三井葉子さんを追悼する特集号の「びーぐる」24号が出た。
三井葉子さんを追悼する「論考」「エッセイ」などが多く掲載されている。
「びーぐる」編集同人の山田兼士、細見和之の両氏は「萩原朔太郎記念とをるもう賞」の選考委員でもあり、また大阪文学学校の関係からも三井さんと深い交流があった。
「びーぐる」24号に載っている山田兼士先生の評論と、「コワイワナア─三井葉子さん追悼」 ← の二篇をリンクに貼っておくので、ご覧ください。

私も第一詩集『免疫系』を発刊して以来、三井さんと付き合うことになり、三井さん主宰の「楽市」の末期の同人に名を連ねていたので、この機会に三井さんの思い出など、少し書く。

三井葉子さんについては、掲出した『<うた>と永遠 三井葉子の世界』責任編集・斎藤慎爾 が詳しい。
この本には、三井さんが大量の資料を提供されて編集されたのであろう。
自筆と思われる「年譜」も詳しい。 古本も出回っているので、お読みいただきたい。
私は、三井さんと知り合って、しばらくしてから古本で大半の著書を手に入れた。
詳しいことは、この本や「びーぐる」でお読みいただくとして、私は<極私的>な思い出を書いてみたい。

オランダ直送の薔薇のこと
ごぞんじのように、オランダは園芸大国で、「切り花」や「球根」などを世界に輸出している。
その中に「東インド会社」というのがあり、(これは昔オランダが海外に植民地を抱えていた頃に活躍した国策会社の名前である)日本に出張所があって広く「花」の通信販売を手がけている。
ひよんなことから、この会社からバラの切り花を亡妻や親しい女の人に贈るようになった。
知り合ってから、三井葉子さんにも彼女の誕生日一月一日に合わせて年末に「真紅のバラ」を届けるようになった。
新年早々には配送がないので、十二月三十日指定で、お誕生日のお祝いのコメントをつけて届けていた。
亡くなられる前の年末にも自宅の方にお届けしたが、入院中で、しかも重篤な容体とは知らなかった。
したがって届いたという連絡もなかった。
オランダ直送のバラは、とても日持ちがよくて、お礼の電話のときに、三井さんも、そうおっしゃった。
女の人は、お花をもらうのが大好きであり、亡妻しかり、親しい女友達しかり、三井さんも喜ばれた。

三井葉子さんは、ええ衆のお嬢さんである
三井さんの生家は北河内で田畑百町歩を所有する屈指の地主であり、かつ事業として釦製造会社を経営する家であった。
「生駒山」まで他人の土地を踏まずに行ける」と豪語するほどだったらしい。(もっとも、これは地主たちの常套句であって、実際には生駒山まで行くには何千、何万町歩も必要とする)
戦後の農地改革で広大な農地はタダ値同然に取り上げられ、一族は残った財産をめぐってドロ沼のような親族争いが起きたらしい。
三井さんは一人の弟さんと組まれたらしいが、三井さんの葬儀の際には、その人の名前と姿があった。
自筆年譜にも一端は書かれているが、私には多少のことは洩らされた。
二十歳のときに山荘博氏と結婚されたが、その嫁入りのときは「女中さん」を連れての嫁入り、だというから、この一事を知るだけでも羽振りの良さは判るというものである。

塚本邦雄との交友について
三井さんに恵贈した私の第一詩集『免疫系』をご覧になって手紙をいただいた。
それまでは、三井さんは私には未知の人である。
お手紙には塚本邦雄と親しかったこと、詩人であった角田清文、書肆季節社の政田岑生らと交友があり、その縁で初期の「楽市」誌は書肆季節社から出ている、ことなどが語られた。
塚本邦雄は私の第二歌集『嘉木』を読売新聞の時評で採り上げてくれたが、そんな関連で三井さんが親近感を持っていただいたのかと思われる。
今も書架には角田清文の詩集『桂川情死』が残っているが、これは私が若い頃に買った本である。
三井さんからは書庫の整理をするのだと何冊かの他人の詩集を、亡くなる一年前かに贈っていただいた。

王朝派詩人と呼ばれる所以
第五詩集『夢刺し』、第八詩集の『浮舟』の頃には、集中して中世の和歌なんかに取材する詩集が並ぶ。これが「王朝派」詩人と呼ばれる所以である。
それが三井さん独特の世界として展開されるので、たやすく、はないのである。
私などは短歌をやっていて、中世の古今和歌集などの古典にも親しんでいるので違和感はないが、現代詩人は概して、こういう「伝統」とは「切れて」いると主張する人が多い。
だから余計に難解ということになろうか。三井さん独特の「言い差し」に終始するので判りづらい。
そういう意味では三井さんは「頑固」である。

エッセイが面白い
三井さんには『二両電車が登ってくる』 『大阪弁歳時記 ええやんか』 『猫版大阪弁歳時記 よろしゃんナ』などの大阪にまつわる「エッセイ」がある。
これらは新聞などに連載されたものをまとめたものだが、面白い。
もっとも「大阪弁」とは言っても、三井さんの語られるのは「河内弁」であって、大阪言葉の正統としては「島の内」言葉というのがあるのである。

独特の句読点の打ち方
ごぞんじのように日本語には、読みやすいように適宜「句読点」をつけることになっている。
文章の段落として、一息つくところに「読点」(、)文章の終りに「句点」(。)を振るのが常道である。
三井さんの文章では、それが「逆」に振られることが多い。初期から中期の作品には見られないが、晩年になると、これが頻発する。
ましてや「私信」になると、毛筆を使われるので、判りにくいこと、はなはだしい。みんな困ったのではないか。

句集『桃』 『栗』をめぐって
三井さんには、掲出の俳句の句集が二冊ある。いずれも京都の洛西書院の刊行である。
平井照敏との交友の中で勧められて始められたようである。
平井照敏亡きあとも毎月、東京の句会に上京されるほど熱心だったらしい。その結果が、この二冊である。
私も恵贈されて拝見したのだが、三井さんは俳句では「旧カナ」を採っておられたということだったが、「かなづかい」が新旧混交している。
『栗』を刊行されて間もなく、三井さんから電話があって「鈴木漠」氏が、かなづかいの間違いを四十ケ所あまり指摘し来られた、とおっしゃり、洛西書院に文句を言って、刷り直しをしたいが、校正をしてもらえないか、ということだった。
私は短歌作りには旧カナを採用していて慣れているので、どうぞ、と申し上げたが、その後なにも言って来られなかったので、そのままになっている。
三井さんは「校正」というようなことには熱心でなかったのか。
現代詩作者でも、どういう風の吹き回しか、旧カナの詩を書かれたりするが、間違いが多い。
名前はあげないが、恵贈された詩集を読んで、間違いを指摘してあげたことがある。
現代詩人は新カナで作品を書く人が殆どで、何の因果か、慣れない旧カナで詩を書いたりするから間違うのである。
生まれたときから「新カナ」しか習っていない人が「旧カナ」を採用するには、それなりの覚悟と勉強が必要なのである。
俳句でも短歌でも「結社」に属しておれば、主宰や同人が指摘してくれるので勉強できるのだが、詩人は、そういう場がないのか。

三井さんには詩集が多い
三井さんの本や年譜を見てみると、ほぼ一年半から二年おきくらいに詩集が出ている。
これは三井さんが熱心に詩を書かれたことにもよるが、金銭的に恵まれた家庭であったことも影響しているだろう。
先にも書いたように財産があるから上梓する資金に困ることがなかった。
一介の主婦が、こんなにも本を出せる訳がないのである。
晩年には何人かの「孫」の名前が登場するが、それまでは肉親の名前を作品の中に出されることはなかった。

『萩原朔太郎記念 とをるもう賞』のこと
この賞の創設については、萩原朔太郎の「またいとこ」である萩原隆が三井葉子さんに相談したことが発端になっているらしい。
萩原隆は萩原一族の本家であり、八尾の地で代々医師を営んできた家系である。隆は亡くなったが、ご子息が開業しておられる。
彼は大阪大学医学部の出身だが、医院開業の傍ら府立高校の学校医をしていた。
私の旧制中学の同級生で大阪府立高校長をしていたF君がおり、彼・隆とは親しかったらしく、『ザシキワラシ考』の出版記念会には一緒に出席したことがある。
そういえばF君も名前は同じ「隆」だったので、在職中も親しかったのだろうか。

新しい文明の利器には疎かった
三井さんはケータイも使えず、ようやくFAXだけは使えるようになられたが、ワープロ、パソコンなど何も操作できなかった。
これは私の推測だが、お嬢さんだったから、自転車にも恐らく乗れなかったのではないか。
中年以後には「ローケツ染め」に凝っておられた時期があるらしい。ローケツ染めの作品などが『三井葉子の世界』の本に写真がでている。
詩の合評会では、凄く厳しい批評をなさった。
短歌の世界でも昔は批評がものすごく厳しかったらしい。短歌も俳句も昔は男の世界だったから、それでもよかったが、今では女の人ばかりである。
だから今では下手な作品でも、いいところを採り上げるようにして褒めないといけない。すぐに辞めてしまうからである。
そういう意味からも三井さんの指導は前時代的だなと思ったものである。
指導で思い出したが、三井さんは「音訓表」や「おくりがな」では「当用」漢字の頃の指導をされた。
今は「常用」漢字の世界で「おくりがな」も「活用語尾だけ送れ」という時代である。合評会で、当用漢字のおくりがなに固執して執拗に間違いと指摘されるので、私から一言申し上げたことがある。
いま思い出したが、女性にありがちなことだが、三井さんも「蔭で人の悪口」を言う人だった。聴いていて、いい気分ではなかった。

三井葉子さんの経歴については  → WIkipedia─三井葉子

とりとめもない、駄文に終始したが、キレイごとは「びーぐる」などに一杯載っているから、お許しいただきたい。
また、気がつけば補足したい。




三井葉子句集『栗』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
栗

──三井葉子の詩・句──

     三井葉子句集『栗』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・洛西書院2012/06/30刊・・・・・・・・・・

三井葉子さんはベテランの現代詩作家なのだが、平井照敏に勧められて「俳句」も作っておられる。
その師匠の、平井照敏は先年亡くなったが、ゆかりの句会が首都圏であれば、喜んで出かけられるという。
第一句集『桃』は、このプログでも採り上げたことがある。
<俳句は世界中で一番短い詩である>とは、平井照敏の言葉である。彼自身も、もともとは詩人だったが、感化されて俳人となった人である。
加藤楸邨の「寒雷」誌の編集長などを務めた。
私は彼の編集になる 平井照敏編『新歳時記』全5巻(河出書房新社)1989年初版 を愛用している。
私は以前入っていた同人誌の関係で、彼ゆかりの俳人・岡井省二(故人)などと知り合ったこともあって懐かしい。
以下、今の時期の句をいくつか引いておきたい。

     切れ切れのまにこそ蛍とびにけり

     氷菓子媼が掬ふ匙白し

     夏の浜行きちがふ波無量波

     ひとり寝は頼りなけれど半夏生

     帯の間にぶんぶんはつみ帰る朝

     石門に濡れ髪が待つ晩夏かな

     めんそーる くちびるに塗るむなしかり

     賤しきをあきらめてカニ横に這ふ

     雲湧きて鯨一族空を行く

     蜘蛛の子や破れ目を逃げるはじめかな

     菊喰らひ おや まあ肥えて子蛞蝓

     呼んだとて応ふるものか立葵

     止まらざる時止めむとか あぶら蝉

     落鮎や胎は子孕むあぶらにて

     夏草や長けし子眺め飽きずゐる

     それならば畦豆も播く夏の畔

     星は無機 なれど恋かな別れかな

     あら おぼろ 月に背中を見せて寝る

     蝶がとぶなぜ飛ぶのかを知りたさに

     こそばゆとのばした肢を摺るてふてふ

     人殺(あや)むちからのごとき花芯かな

     億年と言へばしづかな安堵かな

     ではまたね そろりと別れバスに乗る

     五十にもなる子と頒かつ青菜かな

     情動や どれみふあそらと柳絮とぶ

     良き子持ち栗の渋皮剥く夜かな

掲載順に選んだが、季節は春から秋へと亘っているし「無季句」もあるようだ。
「一字アキ」などの試みもあり、面白い。真っ当な俳人からは邪道と呼ばれることもやってみてもらいたい。
ただし、切れ字「かな」の安易な使用にはギモンが残る。


三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・・・・・・・・・・ 中西弘貴
わかば頃
三井葉子

──三井葉子の詩・句──

     三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・・・・・・・・・・ 中西弘貴

<ま>の創造──三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・ 中西弘貴

一読、甚だ突飛ですが、直感的に太宰を思いました。
なぜ太宰を思ったのか、繰り返し『灯色醗酵』を読み、まだある筈の太宰治全集を捜し
出し、何十年ぶりかで、読み返してみたりしている間に、かなりの時間が経ってしまいま
した。このまま拘っていますとお礼状も出せずじまいになりそうですので、感想を書き記
すことにしました。

  「死なうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉として
  である。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられてゐた。これは
  夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思った。

太宰の『晩年』の巻頭作「葉」の書き出しです。

詩集名にもなつている「灯色醗酵」

    善人なをもちて往生をとぐ。いはんや悪人をや

  このお文章に出会ったのはわたしには大事件であった。どうしたら生き
  られるのか分からなかったわたしのむねに、とつぜん灯がついた。
  価値を作るのは世界を作ることである。
                        (「灯色醗酵」)

この、麻の布地を貰って夏まで生きようと思ったという出会いと、親鸞のお文章に出会
い生きられると思ったという、事物・事柄と生きるという思いとの出会い。親鸞のお文章
に出会ったことと、麻の布地を貰ったことの、比較ではなく、何かとの出会いにより、「生
まれられる」「生まれられる」と思ったことと、「生きてゐよう」と思った呼吸に、なんと
なく共通のものを感じたのでした。
「虚構に出会ったのよ」という詩語からも同様の呼吸を感じました。
太宰の、特に初期のころの作品は、虚構と告白が織り成す特異な文体がみられます。虚
構は告白によって支えられ、告白は虚構の妙のうちに為され、作者の眩きが導入されて告
白と虚構の一致という独特のかたちが創出されていますが、三井さんの『灯色醗酵』に同
じょうなものを感じ取つたように思えます。

虚構と告白の一致。どれが虚構でどれが告白かの詮索ではなく、虚構と告白が互いに織
り成して創出された世界。虚構が発するものと告白が発するものとの間の世界。詩集を読
んでいくと、この<間>〈ま〉が、本詩集の核となっているように思えます。
たとえば、
「現代詩」
「リンゴのひと切れを歯でたのしみ/歯から舌に渡るまを世界と呼び」の渡るまの
〈ま〉。
「夢刺し」
「地獄と極楽のあいだは川が流れていたので/わたしは川を渡るゆめをみた」という
〈あいだ〉。
「橋上」
「あの世とこの世を彼岸と呼び此岸と呼び/虚空には/橋が/懸かっているといい
ますが」の〈虚空〉。
「長雨」
「うつらうつらしているまに暮らし向きが変わるんだろうか」の〈ま〉。
「カミ笑い」
「ヒトとヒトの間にはうつすらとしたミドリの線があり/皮膚のようにヒトを守って
いる」の〈間〉。

「価値を作るのは世界を作ることである。」という「世界」は、「歯から下に渡るま」の
世界であり、その〈ま〉をもって「虚構に出会ったのよ」と断言しているように思えてなり
ません。
〈ま〉とは、時の間、であり、空の間、であり、そして人の間に他なりません。
〈ま〉の造形へ。「虚構の庭は五色の花びら」。三井さんの詩はまさにそこに咲くのでしょう。

   そんならわたしも生きられると十八のわたしは思った。生きられる、で
   はなく生まれられるとわたしは思った。死に死にて生き生きるいのちで
   ある。
虚構──価値を作る──世界を作る──生まれられる
虚構に出会った── 〈詩〉との出会い——虚構の創出——〈ま〉の造形
読者であるわたしの想像が、このような思念を巡らせ、『灯色醗酵』に〈ま〉の創造とい
うことを読み取りました。〈詩〉を語る作品が多くあります。

   詩は連続せずに
   切るので切るということがその姿のうちにあり詩を書くわたしは
   切って傷んでいたかもしれない。

   散文は山の池に写っている
   どこかに行きたかったスカ—トをひっばって
   流れて行く
   秋の雲
                (「夕雲」部分)

詩は切る。散文は流れる。これは作品「姐」でいう「そうか/詩人にとって個体こそが
自律スルが、散文では関係こそが生きると/いうことなンャなァ」に呼応し、散文は〈ま〉
を埋め詩は〈ま〉を創出する。そしてその〈ま〉は、「いのち懸けを あ、そうか/ひょうき
んというのだな」とする軽妙さをも指し示し、また「山里で暮らしていると/眼に入るも
のがゆれている//町にきて/ビルディングの大きな窓から外をみると//朝も昼も/お
んなじ/こんな力サブタを土のうえに作っていたのか」(「現代詩」)と痛烈に力サブタのよ
うなこの国の現代詩を撃ち抜きます。
粟津則雄氏が栞文でいう「秘められていたものがあらわになったことで、ことばのひと
つひとつが、その意味合いと色合いを変える。そして、それぞれ他のことばと新たな関係
を結ぶのである」とは、秘められた〈ま〉が、三井さんの手によってあらわにされたことで
あり、その〈ま〉によつて新たな関係が生み出されるのでしょう。

漢字──ひらかな——カタカナ
三井さんはこの〈ま〉を生み出すために表記の文字を縦横無尽に使い分けます。
一行の文字数から行変え、行空けによる空間の創出。句の挿入により語りと呟きの表現
効果。挿入された句や詩語の語尾に付されるカタカナ表記によって読者に作者自身の呟き
を思わせます。(この作者を思わす眩きの術にも太宰を思いました。)

   詩人か。
   ソンナモン、最低やと小説家の姐はいう。

という書き出しを持ち

   ホンマモンなんてこの世にある力イナと言われそうでアルのを、ひそ
   かにおそれているのである。
   姐よ。

と結語する作品「姐」がとても面白く、 三井さんの虚構と告白の〈ま〉を描いて絶妙と思
いました。

  「ことしも咲いて出る 梅」の、おんなとおとこの〈ま〉
  「日はまた沈む」での、日がのぼり日は沈む〈ま〉
  「断絶」でみる、断絶と共生の〈ま〉
  「踏み返し」では、ウソと実の〈ま〉

たくさんの 〈ま〉のかたちを読ませていただきました。
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今日とどいた『若葉頃』2012/No.64に載る中西弘貴氏の評論を引かせていただいた。立派な評である。
いま調べてみると、中西弘貴氏は、「富田砕花賞」の第19回 2008年(平成20年)の受賞者らしい。
中西弘貴「飲食」、松尾静明「地球の庭先で」の二人受賞となっている。

『灯色醗酵』については昨年の発行直後に書いた←私の記事を参照されたい。


(お断り)中西弘貴氏の文章はスキャナで取り込んだので、どうしても字の文字化けが生じる。
     殆どは修正したが、もし、おかしいところがあれば指摘いただきたい。直します。よろしく。



もう おしまい/つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして/・・・・・・・三井葉子
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──三井葉子の詩・句──

        花・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

    もう おしまい

    つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして

    土も木も水も欲しがっていたけれども逃げていってしまった

    日のうつろいのあいまあいまに

    ふくらんで

    そんなに美しく鳴いていた呼ぶこえを

    日のあいまに置き残したかたみのかわりに

    逃げてしまって

    引きおとそうとしていたのに

    空(くう)をにぎっている手をやさしくなだめて

    欲しいものが地のうえに落ちている身替り
     のあなたがその手のうえにひらいて下さ
     ったのに それでも  
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
この詩は三井葉子さんの『夢刺し』(1969年8月刊)に載るものである。
題名のように、まるで<夢見>の中に居るような詩句が並んでいる。
これを解説するのは、とても難しい。
夢見ごこちのままに、何度も繰返して鑑賞するしかないだろう。
そういうフェアリー・テールみたいな一連が、この詩集には、一杯ある。


 
好きよと書いて/封をして/おお とんぼ/あきつあかねというような/よい名貰って・・・・・・・・・三井葉子
草のような文字゛

akatoアカトンボ②

         とんぼ・・・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

     好きよと書いて

     封をして

     てがみにするとてがみはわたしの身替りになり

     いまごろは

     静岡かしら

     はるばると

     もみじの山を越えて行く


     夜になると霜がふる

     いちばん逢いたくなるそのときは

     七色の魔除けの紐でからだじゅう ぐるぐる巻いて寝ていましょう

     そらがあかねに染まるころ

     わたしのてがみが発って行く


     おお とんぼ

     あきつあかねというような

     よい名貰って

     まちがえないで行けるかしら


     わたしのひたいに当るほど

     低くとんぼが飛んでいる

     ねえ あなた

     そのうちに届きます

     いまごろは箱根の山をこえている。
-----------------------------------------------------------------------
この詩は、三井葉子さんの詩集『草のような文字』(深夜叢書社1998年5月刊)に載るものである。
この詩集には全部で32篇の詩が載っているが、女が男に語りかけるような体裁になっている。
この本の装丁が、昔の源氏物語絵巻のような図版になっていて、まるで「王朝物語」に出てきそうな雰囲気を漂わせている。
三井さんが「王朝風」詩人、と呼ばれる所以である。
三井葉子詩集『灯色醗酵』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
三井葉子

──三井葉子の詩・句──

      三井葉子詩集『灯色醗酵』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・・思潮社2011/07/30刊・・・・・・・・・・・

私の敬愛する三井葉子さんが新・詩集『灯色醗酵』(ひいろはっこう)を上梓された。
2010/06に詩集『人文』(じんもん)(編集工房ノア刊)を出されたばかりの矢つぎ早の刊行である。
いつも言っていることだが、三井さんの詩は、平易な言葉で綴られているのだが、中身は、なかなか読み解けない、難しいのである。
今回の、この詩集は今年になって体調検査のためにほぼ四週間入院されて無聊の日を過ごす中でまとめられたという。
私の旧知の詩も二、三あるが、おおよそは新作の書き下ろしである。
どの作品を引いたらいいのか、選ぶのに苦労するが、この本の「裏の帯」に載っている短い詩を、先ず引いてみる。

      夕凪・・・・・・・・・・・三井葉子

     海は
     凪をあそんでいる

     かすみ立ち かすみ消えるあの凪に誰か雑(ま)じることがあるのだろうか
     
     ことば、と、 わたしは呼んでみる

                                       
     たそがれひとり戸に立ち寄りて切なくきみを思はざらめや と
     
     わたしも外に出て
     戸口に立つことも覚えたのだ

     ことばは消えることができる
     わたしはなにを消したのだろう
     とぶように逃げて行く時(とき) に立ちはだかって
     失うものを
     あずけたのではないか
     ことばに

     ことばは消える
     ことばは抱きしめる

     そんな愉楽の
     夕凪の
     とき
     を

     ねえ
     誰か覚えてる?


      *三世紀中国の女詩人・子夜の作。『車塵集』(佐藤春夫訳)「思ひあふれて」より。

この本にはフランス文学者で文芸評論家の粟津則雄氏が、<「不思議な無欲」──『灯色醗酵』によせて> という「栞」を書いておられる。 引いてみよう。

<三井葉子さんの詩は、軽やかだが、軽くはない。それどころかそれは、時としておそろしく
重いものを垣間見せてくれるのだが、それがしつこく居すわって、あいまいな重苦しさ
を生み出すことはない。この重いものは、まるで自分の重さを恥じらってでもいるように、
たちまち身をひるがえして、ことばの流れのなかに溶け込んでゆく。そして、ことばのひとつ
ひとつに、あるいはくっきりとした、あるいは微妙な表情を与えることによって、その
軽やかな流れを、支え、推し進めるのである。  (中略)

もちろん、この日常は、ただのんびりと身を委ねて居られるようなたちのものではない。
一見何ごともないようだが、実はここかしこに、さまざまな驚異や飛躍や陥穽が待ち構え
ている。しかもそれらは、なかなか一筋縄で片付くような代物ではない。落し穴に気が付い
て飛びこえてみると、着地したところが本当の落し穴だったりする。そうかと思うと、対象
の謎めいた手触りが、触っているうちに、ごく平明な、あるあたたかさのしみとおもったもの
に変ってゆく。何かなまなましい情念が積め込まれたような気配が、一瞬にして、からりと
乾いた透明なものとなる。
こんなふうに言うと、三井さんの詩がいかにも巧みに巧んだものであるように思われるかも
知れないが、いや事実巧みに巧んだものであるにはちがいないが、そこには、巧みさという
ことに執したようなところはない。そういうことから発するあいまいな粘りといつたものは
いささかも感じられない。三井さんは、彼女自身の、また彼女を取り巻く人ひどの、欲求や
欲望や情念を、およそ斜に構えることなく虚心に迎え入れているが、そういう彼女の姿勢を
支えているのは、ある不思議な無欲である。この無欲は、何かを拒み、何かを否定すること
によって成立するものではない。進んでものにとらわれることによってものを奥底に向かっ
て突き抜けたときに生まれ出るものだ。三井さんの詩には、そういう無欲そのものを核と
することによってはじめて可能であるような、欲求や欲情がしみとおっていながらまことに
自由なことばの動きが見られるのである。 (後略) >

あと一、二篇、詩を引いておく。

     あいさつ・・・・・・・・・・・三井葉子

     なにしろはじめて行く家なのであいさつを考えている
     こんにちは
     も。なあ
     はじめましてというのも節がないし

     道端まではみ出している
     のうぜんかずら
     ちょっと枝を払ってやると姿がよくなるのにナとよその家の心配をしながら
     坂道

     五番地?
     六
     七がない。細道を曲がる

     汗拭いてやがて五月の町をゆく     葉子

     これはじぶんへのアイサツ。名刺を出すまえにもう、帰り支度である。
     名刺なんぞいつごろから使われるようになったんだろう。

     句はあいさつ。
     するとやっぱりもとは装飾か
     暑苦しくデコレーションしない装飾なのだ
     ハイクは世界でいちばん短い詩だと誰か言ったけれど。


        断 絶・・・・・・・・・・・三井葉子

      夜中にデンワのベルが鳴って
      いまから死ぬ
      と
                
      石原さんが言った

      わたしはちょっと考えたが
      仕方ないので
      どうぞ と言った

      彼はそのとき死ななかったがさくらのような雪のふる抑留地シベリアで
      凍っていたので、ときに解けたくなるのだ。

      でも

      凍っているからこそヒトとヒトとの間は断絶することができる。それこ
      そがわたしたちが共生できる基なのだと彼は言ったのだ

      夕焼け雲が解けながら棚引いている

      断絶も
      共生も
      もう わたしたちには用がないわね。


        *詩人・石原吉郎。
      
----------------------------------------------------------------------------
「谷内修三の読書日記」① 「谷内修三の読書日記」②に詳しい書評があるので参照されたい。


 むずかしいことに/飽いて/どうしてもカンタンにしたい/すると/白いフェンスに/木槿のはなが咲いているのでした・・・・・・三井葉子
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       木槿のはな・・・・・・・・・・三井葉子

     むずかしいことに
     飽いて

     どうしてもカンタンにしたい

     では
     イチニのサン
     わたしたちは肉体のはずかしさを手で拭って
     拭っても
     また垂れている紐のくちをへの字にして
     東の角を曲がる

     すると
     白いフェンスに
     木槿のはなが咲いているのでした。
-----------------------------------------------------
この詩は、三井葉子詩集『草のような文字』(1998年5月深夜叢書社刊)に載るもの。

7/19付けで「ムクゲ」の記事を載せたときに

   ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・三井葉子

という三井さんの句を載せた。
この句は誰か判らないが「逝きたまひし」と尊敬語になっているので、親しい目上の人の死に際して作られたものだろう。
いま、たまたま開いてみた詩集の中に、この詩を見つけたので載せてみた。
三井さんの詩は、使われている言葉自体は何でもないのだが、「詩」としては、とても「難しい」と、よく言われる。
<非>日常である、詩句の典型であろう。
そこらに転がっている言葉を拾ってきて、<非>日常の詩句に仕立てる。
意味があるようで、無さそうで、それが三井さんの詩の特徴である。

例えば、この詩の 第二連の

   では
   イチニのサン

なんていうところが、それである。思いつきで付けられた詩句である。

「詩」は意味を辿ってはいけない。詩句に脈絡は無いのである。
詩人によって発想は、さまざまであり、詩句に起承転結のある人もあれば、「意味的」に辿れる人もある。私の詩などは、どちらかというと辿れる方である。
三井さんの場合は、「辿れない」典型であろう。だから、よく「難しい」と言われる所以である。
詩は、声に出して朗読してみるとよい。
この詩も短いから何度でも朗読できよう。
すると、この詩一編が、不思議な趣をもって立ち上がり、或る「まとまり」となって知覚できるだろう。
そうなれば「詩」の鑑賞として一歩近づけた、と言える。

もう おしまい つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして・・・・・・・・・三井葉子 
      
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        花・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

    もう おしまい

    つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして

    土も木も水も欲しがっていたけれども逃げていってしまった

    日のうつろいのあいまあいまに

    ふくらんで

    そんなに美しく鳴いていた呼ぶこえを

    日のあいまに置き残したかたみのかわりに

    逃げてしまって

    引きおとそうとしていたのに

    空(くう)をにぎっている手をやさしくなだめて

    欲しいものが地のうえに落ちている身替り
     のあなたがその手のうえにひらいて下さ
     ったのに それでも  
--------------------------------
この詩は三井葉子さんの『夢刺し』(1969年8月刊)に載るものである。
題名のように、まるで<夢見>の中に居るような詩句が並んでいる。
これを解説するのは、とても難しい。
夢見ごこちのままに、何度も繰返して鑑賞するしかないだろう。
そういうフェアリー・テールみたいな一連が、この詩集には、一杯ある。 


好きよと書いて/封をして/手紙にするとてがみは・・・・・・・・・・三井葉子
草のような文字゛

akatoアカトンボ②

         とんぼ・・・・・・・・・・三井葉子

     好きよと書いて

     封をして

     てがみにするとてがみはわたしの身替りになり

     いまごろは

     静岡かしら

     はるばると

     もみじの山を越えて行く


     夜になると霜がふる

     いちばん逢いたくなるそのときは

     七色の魔除けの紐でからだじゅう ぐるぐる巻いて寝ていましょう

     そらがあかねに染まるころ

     わたしのてがみが発って行く


     おお とんぼ

     あきつあかねというような

     よい名貰って

     まちがえないで行けるかしら


     わたしのひたいに当るほど

     低くとんぼが飛んでいる

     ねえ あなた

     そのうちに届きます

     いまごろは箱根の山をこえている。
-------------------------------------
この詩は、三井葉子さんの詩集『草のような文字』(深夜叢書社1998年5月刊)に載るものである。
この詩集には全部で32篇の詩が載っているが、女が男に語りかけるような体裁になっている。
この本の装丁が、昔の源氏物語絵巻のような図版になっていて、まるで「王朝物語」に出てきそうな雰囲気を漂わせている。
三井さんが「王朝風」詩人、と呼ばれる所以である。
ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・・・・・三井葉子
aaoomukuge1むくげ大判

  ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

詩人の三井葉子さんも俳句を作られるのである。句集『桃』(2005年5月洛西書院刊)所載。
彼女の俳句の師匠は平井照敏で、彼の発案による「山の上句会」で1999年に始まったという。
この句会には詩を書く人が多く参加した。<俳句は世界で一番短い詩だ>と句を作りはじめた照敏が胸を張った、と三井さんは書いている。その平井照敏も亡くなって、もう数年になる。
この句は、死んだ人が誰かは何も書いてないが、親しい人が亡くなったことを知る。
「逝き賜ひし」と尊敬語表現になっているから「目上」の尊敬する人だと判る。
俳句では「弔句」と言って、重要な意味を持つので、誰かを前書きにでも書いて欲しかった。
「ひらひらと」というオノマトペの表現が独自的で面白い。
三井さんの俳句については、これからも折をみて載せたい。

木槿あるいは槿と書かれる「ムクゲ」はアオイ科の落葉低木。
原産地は小アジアとも中国とも言われ、我が国への渡来は古く平安時代に薬用植物として中国から伝わったらしく『延喜式』に「卯杖」としてその名があるという。
「木槿」は中国名で、韓国の国花になっているが「無窮花」ムグンファと呼ぶ。この名前から日本名の「むくげ」の発音が由来するという。
ムクゲは朝3時ころに開花した花は夕方にはしぼんでしまう一日花。
『和漢三才図会』に「すべて木槿花は朝開きて、日中もまた萎まず、暮に及んで凋み落ち、翌日は再び開かず。まことにこれ槿花一日の栄なり」とあり、ムクゲの花の特徴を的確に描いている。
「万葉集」のアサガオにムクゲを充てる説には植物学者は否定的であるという。
先に、古くは薬用植物として渡来したと書いたが、白花の乾燥したものは煎じて胃腸薬に、樹皮は水虫の特効薬になるという。

ムクゲは俳句では「秋」の季語になっているが、地方によって異なるだろうが、私の辺りでは、もう六月下旬から咲きはじめるから違和感がある。
花は長く咲きつぎ秋まで鑑賞できる。
私の歌にはムクゲを詠んだものは一つもないので、歳時記に載る句を引いておく。

 日の出待つやむくげいつせいに吹かるる中・・・・・・・・大野林火

 墓地越しに街裏見ゆる花木槿・・・・・・・・富田木歩

 台風まだ木槿揺るのみ舟溜り・・・・・・・・石田波郷

 他人の母の八重歯や木槿も若々し・・・・・・・・中村草田男

 木槿咲く籬の上の南部富士・・・・・・・・山口青邨

 白木槿嬰児も空を見ることあり・・・・・・・・細見綾子

 亡き父の剃刀借りぬ白木槿・・・・・・・・福田寥汀

 木槿咲かせて木曽人の無愛想・・・・・・・・森澄雄

 白木槿芯まで白し加賀女・・・・・・・・沢木欣一

 拭けば乾くみどり児の髪夕木槿・・・・・・・・岡本眸

 木槿咲くトランペットの破調音・・・・・・・・遠山弘子

 四五人の賛美歌木槿咲きそめし・・・・・・・・藤田湘子

 いい朝のいい顔でゐて白木槿・・・・・・・・能村登四郎

 むくげ垣なるほど馬の顔大き・・・・・・・・神尾季羊

 老後とは死ぬまでの日々花木槿・・・・・・・・草間時彦

 白むくげ燦爛として午前九時・・・・・・・・川崎展宏

 木槿咲き揚羽来る日の刻同じ・・・・・・・・佐久間東城

 白木槿湖畔を走る貨車の音・・・・・・・・皆川盤水

 木槿咲き円をいくつも湾の浮槽(ブイ)・・・・・・・・和知喜八

 花木槿素足はばかる尼寺の廊・・・・・・・・小宮山恭子

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       木槿のはな・・・・・・・・・・三井葉子

     むずかしいことに
     飽いて

     どうしてもカンタンにしたい

     では
     イチニのサン
     わたしたちは肉体のはずかしさを手で拭って
     拭っても
     また垂れている紐のくちをへの字にして
     東の角を曲がる

     すると
     白いフェンスに
     木槿のはなが咲いているのでした。
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この詩は、三井葉子詩集『草のような文字』(1998年5月深夜叢書社刊)に載るもの。

いま、たまたま開いてみた詩集の中に、この詩を見つけたので載せてみた。
三井さんの詩は、使われている言葉自体は何でもないのだが、「詩」としては、とても「難しい」と、よく言われる。
<非>日常である、詩句の典型であろう。
そこらに転がっている言葉を拾ってきて、<非>日常の詩句に仕立てる。
意味があるようで、無さそうで、それが三井さんの詩の特徴である。

「詩」は意味を辿ってはいけない。詩句に脈絡は無いのである。
詩人によって発想は、さまざまであり、詩句に起承転結のある人もあれば、「意味的」に辿れる人もある。私の詩などは、どちらかというと辿れる方である。
三井さんの場合は、「辿れない」典型であろう。だから、よく「難しい」と言われる所以である。
詩は、声に出して朗読してみるとよい。
この詩も短いから何度でも朗読できよう。
すると、この詩一編が、不思議な趣をもって立ち上がり、或る「まとまり」となって知覚できるだろう。
そうなれば「詩」の鑑賞として一歩近づけた、と言える。

三井葉子・句まじり詩集『花』より・・・・・・・木村草弥
三井葉子「花」

       あれ・・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

      いのちが
      なにものとも関わりなく生れてきたことを思えば

      いのちとは
      なにものとも関わりなく生きているもののことである

      もちろん
      私の老いなどとはなんの関係もない

      いのちは
      つやつや
      スタコラ サッサ

      なにか
      いるナ とは思っていたが
      老人になると
      彼が疾っている
      のが
      見える

      肩張って
      駆けているのが

      は は は

      は

      あれは なあに?
     
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2008年10月に私の詩集『免疫系』(角川書店)を上梓して進呈した縁で、大阪府八尾市在住の詩人・三井葉子さんと知り合った。
彼女は17、8歳の頃から塚本邦雄の身辺にあった人で、塚本や、詩人で編集者だった政田岑生のやっていた「書肆季節社」などと近しい人である。私は塚本邦雄の弟子ではないが、私の第二歌集『嘉木』を出したときに読売新聞夕刊の「短歌時評」に採り上げて批評文を書いてもらった縁がある。
また、塚本邦雄が生きていた頃から季刊誌「楽市」を出しておられるが、その発行元は「創元社」である。ここも三好達治などの詩集など私が昔から親しんだ出版社として馴染みがある。「楽市」は昨年12月発行のもので64号を数える。
今回、私の詩集贈呈の縁で昨年五月に出たばかりの、句まじり詩集『花』(深夜叢書社刊)をいただいた。
実は、この詩集については昨年秋にブログに採り上げたのだが、Doblogが記憶装置のハードディスクの不調のために、私の記事が読み取りも引き出しも不能になってしまったので、遅くなったが、ここに再掲載するものである。

この「あれ」と題する詩は巻頭から四番目に載るものである。
「あれは なあに?」なんて、とぼけてはいるが、この詩集全般に詩人・三井葉子の「老い」を見つめる視線が鋭い。
普通、詩人と言われる人には二派があり、日本古来の「定型」に否定的な人と、肯定的な人とに二分される。概して「荒地」系の詩人は西欧詩のカトランなどには好意的でも、日本の「音数律」「定型」には拒否反応を示す人が多い。
さすがに三井さんは塚本邦雄の傍にあった人らしく、そんな「食わず嫌い」ではない。
先には句集『桃』も出されているらしい。
そして今回の詩集も「句まじり詩集」と銘打っておられる。
この詩は「私の老いなどとはなんの関係もない」と言われているけれども、それは「反語」表現であって、老いを意識されていることは自明のことである。
末尾の「あれは なあに?」なんていうところなど、人を食っている。
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         値(あたひ)・・・・・・・・・・・三井葉子

  死に値するようなことはなにもない と塩野七生はいう
  一
  二
  三
  四
  五百段

  あしもとにひた ひたと暮色しのびよる

  ひた
  ひた
  湧いているような
  波のような

  白い乳
  ひた
  ひた

  ひた
  石段を濡らす
  ひた
  ひた
  苔を濡らす

  死にアタイスルものなどなにもない と私も思う

  五百段では な
  見上げる空に春の昼

  死に値(あたひ)するかもしれず空の星。
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「詩」というのは、論理的に辿っても鑑賞できない代物である。
「一 二 三 四 五百段」というところなども、「語呂合わせ」的なものであって論理的ではないが、この詩の中にあっては、欠くことの出来ない必須のフレーズとなっているのである。
作者の中では、いつか見た「五百段」という石段の現実の記憶があって、それが、この詩の中に、ふいっと甦ってきたのである。
「死に値するようなことはなにもない」というのは、それだけ「死」というものが人生最大の関心事であり、何者にも代え難い一大事であることを表している。
この詩集は「句まじり詩集」と銘打たれるように、日本語固有の五、七という「音数律」が前面に出てくる。例えば
「あしもとに/ひたひたと暮色/しのびよる」「見上げる空に/春の星」「死に値/するかもしれず/空の星」などが、そうである。
そして全編として、人生というもの、死というもの、老いというものへ観照に読者をいざなうのである。
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     はなも小枝を・・・・・・・・・・三井葉子

   ながい間 
   死は禁忌であったので てのひらでやさしく伏せられていた
   指を
    じっとみていると それは
   犬が鳴く夜もあったし
   月光が
    おお
   月光のふちから這い上がってくることもあった
   虫籠が
   伏せてあるような
   夜
   も
   あったのだ
   虫出せ
   角(つの)出せ
   と
   誰がどう騒いでも 天はシンーと したものだ

   生が
   止まっていた 血が
   ひろがっていた
   暖かい
   土

   てのひらの中には時間というもの
   がいて
   美しい
   とは
   そういうことなのだ 海の中の
   島は
   ひたと海に伏せている
   死は
   ながい間
   禁忌だったので
   はなのように咲いても
   彼は
   根の国にいた

   指の間がもぞもぞしてこそばゆい

   こそばゆしのばしたあしを摺る蝶々

   てふてふと
   蝶海峡を
   越えてゆく


   暖流や
   はなも小枝を
   ひろげつつ。
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この詩の「初出」は武田肇が発行しているGANYMEDE39号2007/04/01発行に載ったものらしい。
この詩誌は短歌作家なども作品を載せていて、私の知る歌人なども歌を発表しているから、この雑誌には馴染みがあるのである。
この作品については谷内修三の批評文がネット上で見られるのでアクセスされたい。
この詩がガニメデに初出だと知ったのも、この谷内の評を読んだからである。

詩には同じフレーズを繰返す「ルフラン」という修辞があって、ここでも「伏せ」という表現が生きている。また「詩は ながい間 禁忌だったので」というルフランの効果も利いている。
「てふてふと 蝶海峡を」のフレーズは、有名な、今や古典となった安西冬衛の『春』の詩《てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた》を踏まえているのである。
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     月離る日離る里のはなふぶき・・・・・・・・・三井葉子

   聞いてくださる?
   わたしが 子に宿るようになったのを
   むかしはわたしが 子を宿したのに

   あ
   わたしが翳っている

   あ
   なんという胴欲

   西日
   動いている

   いとしまれて育ったはずの
   内ではない外で
   日に会い
   彼方にこそ向いていとしまれたはずの わたしのいま
   子の胎にいると思うわたしの安堵を

   忘れるために
   離れるために
   ふぶいていたはなふぶき

   日に向いて
   日から出て
   あ
   と
   立ち止まる

   くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月*

   あの
   とぼとぼと
   ときには跳び ときには
   消えながらあるいた あれは

   肩です
   げんきよく動いている
   足です
   まあ 指も五本とエコーが写しているいちまいの胎の映像

   式部は泣くかしら くらきより暗き道をあるいた式部は まっかな
   かおをして 泣くかしら

   おお お
   よしよし。

*くらきより=和泉式部996年16か17歳当時のうた。『拾遺集』(哀傷1342)
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この詩集には「しおり」が添付されており宇多喜代子、藤本義一、鈴村和成が書いているが、この詩については、藤本義一が「詩は永遠の迷路」の一文を寄せている。
この詩の「出だしの三行」を引いて
<この三行で、こちらは文章の上で今まで一度として感じたこと、考えたことのない世界に連れ込まれてしまうのだ>
と述べている。
先にも書いたが、詩の発想というのは論理的なものではないから直感で捉えるしかない部分がある。
この詩については「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」というサイトで2008/06/04の(1)から、06/16の(8)まで、この詩集について詳しい関連記事が書かれているので、参照されたい。

私が下手な解説をするよりも、谷内の精細な「読み」を紹介する方がいいので、くどくなるかも知れないが、この詩に関する部分を引いておく。
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三井葉子『花』(7)
2008-06-13 01:27:27 | 詩集 三井葉子『花』(7)(深夜叢書、2008年05月30日発行)

 きのう、坂多瑩子「母は」に触れながら、「私」と「母」が入れ替わるのを感じた。三井葉子も、それに似た感覚のことを書いている。
 「月離(さか)る日離(さか)る里のはなふぶき」。その1連目。

聞いてくださる?
わたしが 子に宿るようになったのを
むかしはわたしが 子を宿したのに

 「宿る」。誰かが誰かに。その逆も起きる。--これは、たとえば母がこどもを宿すということを例にとれば、そこに不可逆の「時間」があるから、絶対的にありえない。母が子を宿すということはあり得ても、子が母を宿すということは、「時間」の流れがめちゃくちゃになるから、そういうことは本来許されない。
 何から許されないのか。(草弥・注。下線部は草弥。以下、同じ)
 論理からである。「頭」からである。
 そうであるなら、「頭」で考えるのをやめればいいのである。ただ「肉体」の感じだけを頼りにすれば、「時間」の流れは消えてしまい、そこには母と子が一体になる、ひとつの体になるということだけが存在する。
 その一体感のなかで、母と子は簡単に入れ替わる。母が胎内の子の動きを感じる。それは母の肉体の内部のできごとだけれど、そういう動きを感じているとき、母は同時に子が母の肉体の存在を感じていることを知っている。腹を蹴る。そのときこどもの足が母の原の感触を感じていることを知っている。
 内と外は簡単に入れ替わる。というよりも、もともと、そんなものは区別ができない。同時に存在する。そして、その「同時」という感覚が、不可逆の「時間の流れ」を消してしまう。「時間の流れ」が消えてしまうから、母が胎児であってもかまわないのだ。胎児が母であってもかまわないのだ。胎児と母が同時に存在しているということで、はじめて「いのち」がつながるのである。「同時」が存在しなければ、「いのち」はつながらないのだから。

 私の書いていることは、奇妙に「論理的」すぎるかもしれない。
 三井は、私の書いているような、面倒くさい「論理」をふりまわさない。簡単に「同時」のなかへ入っていって、するりと「いれかわり」をやってのける。


いとしまれて育ったはずの
内ではない外で
日に会い
かなたにこそ向いていとしまれたはずの わたしのいま
子の胎にいると思うわたしの安堵を

 「同時」は、「入れ替わり」は「安堵」といっしょに存在する。母→子という時間の流れが消滅し、区別がなくなること、その瞬間の「安堵」。「同時」とは「安堵」以外の何者でもない。

 この入れ替わりは、母と子の間だけで起きるのではない。他人との間でも起きるのである。たとえば三井は和泉式部の歌を読む。そうすると和泉式部は三井の胎内に入ってきて、胎児として成長する。「時間」の流れ(歴史の流れ)からいうと、三井は式部のはるかはるか先の「子」である可能性はあるが、その逆はない。式部が三井の「子」である可能性は、「時間」が阻止している。絶対に、ありえない。はずである。
 しかし、強い共感によって、三井と式部の感覚が一体になるとき、その瞬間「時間」(歴史)は消えてしまう。「時間」が消えてしまうことが「一体」の真の意味である。

聞いてくださる?
わたしが 子に宿るようになったのを
むかしはわたしが 子を宿したのに

と詩を始めた三井は、最後には、まったく違った「場」にいる。

式部は泣くかしら くらきよりくらき道をあるいた式部は まっかな
かおをして 泣くかしら

おお お
よしよし。

 三井は式部の子孫(?)であることをやめて、ここでは突然式部の「母」になって、式部をあやしている。
 そして、こうやって式部をあやすとき、「安堵」するのは式部だけではない。その「安堵」する式部を見て、三井自身も「安堵」するのである。
 泣くこどもをあやす母。母にあやされてこどもがにっこり笑って安堵する。だが、そのとき安堵しているのはこどもだけではない。母こそが一番安堵している。安堵のなかで二人は一体になり、入れ替わる。泣き止み、にっこり笑うこどもの顔にこそ、母は安堵をもらう。母はあやされる。
 この安堵のくりかえし、入れ替わりは、三井たち女性が、「時間」を消し去りながら共有してきた「宝」である。

 こういう詩は、ほんとうにいい。すばらしい。美しい。
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私の考えでは、この詩を創られた頃、作者は子供さんに子供がうまれ、つまりお孫さんが出来て、人間の受胎、妊娠、誕生、などの経験が生じ、そこから「わたしが 子に宿るようになった」などのフレーズが生れた、と想像する。
詩は、さまざまに「韜晦」するのである。この一連のところに出てくる「エコーが写しているいちまいの胎の映像」などは「お孫さん」の胎児の映像であろう。そして「おお お よしよし」というのも作者が、その子をあやしている、のである。それらのことどもを、この詩の中にパッチワークのように配して「韜晦」したのである。
上に引いたのは、あくまでも谷内修三のものであるから、人々は、これに捉われずに、さまざまに読み解いていいのである。

ここで、先に紹介した谷内修三(やち・しゅうそ)の記事の他の一部を、他の詩に触れたものだが、少し長いが引用しておこう。
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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

三井葉子『花』(8)
2008-06-16 10:29:20 | 詩集 三井葉子『花』(8)(深夜叢書、2008年05月30日発行)
 きのう「比喩」について書いたが、三井には「比喩」を題材にした詩がある。「自伝・喩」

ある 晴れた日
父はむすめに おや おまえは鴨の子のようだねえと言った
それで わたしは
その日から鴨の子になった

ある日 わたしは
荒海や佐渡に横たふ天の川というハイクに出会った

どうして?
陸に川が横たふの? 陸が海に横たわっているのではないかと思ったが
鴨の子にさえなったわたしを思い出して
あら
おじさん
天がほしかったのねえと思った

荒海にさえなれば天地等価にすることができるあらあらしい自己消滅の
あらうみの
しぶき

わたしの父もいつかは鴨になりたかったのだ
ただおじさんと違うのは父がむすめを泳がせたことだ


ユウ ユウ

ララ ラ ユウユウ喩
わたしは水掻きで 水掻きながら

って
いったいなんだろうと思う
わたしを鴨の子にした

って

もしかして
変化?
進化
かも
よ。

 「喩」は「変化」か「進化」か。「変化」と「進化」に共通することばは「化」、「ばける」である。それは別のことばで言えば「なる」でもある。自分ではなく、自分以外のものに「なる」。そして、この作品には、その「なる」が「自己」と関係づける形で、しっかりと書かれている。

荒海にさえ「なれ」ば天地等価にすることができるあらあらしい「自己」消滅の

 「なる」と「自己」。しかもその「自己」は「消滅」と硬く結びついて「自己消滅」というひとつのことばになっている。「自己消滅」して、つまり、いま、ここにある「自己」を消し去って、何かに「なる」。そういうことが、「喩」のなかで起きている。
 「鴨の子」と言われたとき、そしてそれを信じたとき、三井はそれまでの三井ではない。何かが別のものになっている。それが「変化」か「進化」かは、人によって判断がわかれるだろう。そういう判断がわかれるものはどうでもいい(ともいえないだろうけれど、私はいったん無視する)。判断がわかれるだろうけれど、そこには「わたし」が「わたし以外のもの」に「なる」という運動があることだけは、共通認識として持ちうる。そういう「共通認識」をもとに、私は考えたいのである。
 この「なる」という運動のなかで、とても重要なのは、同じ行にある「天地等価にすることができる」ということばだ。
 「なる」という運動の最中は、それまでの判断基準が成り立たない。それまで「固定」されていたものがばらばらになる。どれが重要で、どれが重要でないかは、「なる」という運動のなかでは消えてしまう。何が重要かは、常に「自己」にとっての問題だから、「自己消滅」すれば、重要さを決める基準も消えてしまうのは、当然の「数学」である。
 この「天地等価」の状態、「天」も「地」も等しい、という状態を、私がこれまで三井の作品について説明するときつかってきたことばで言いなおせば、「混沌」である。
 「混沌」のなかでの「生成」。
 そういうことが「喩」の瞬間に、起きている。

 「喩」はそれまでの判断基準の解体である。揺り動かしである。判断基準がゆれるということは、「自己」がゆれる、「自己」が消えてしまう恐れがあるということである。その恐れに対して、恐れて身を引くのではなく、恐れの中に飛び込んでゆく。飛び込んで行って、自己が自己でなくなってもかまわないと決めて、「喩」を生きる。「喩」として生成する。再生する。生まれ変わる。そうすると、世界そのものが変わってしまうのだ。
 いままで見えていた世界が、まったく新しく見える。
 「荒海や佐渡に横たふ天の川」。
 それは世界の「再構築」である。
 こうしたことを、三井はもちろん「再構築」などというめんどうなことばでは書いていない。

あら
おじさん
天がほしかったのねえと思った

 「ほしかった」。何かを欲する。何かを手に入れることは、「自己」がその何かによっていままでの「自己」を超越できるからである。(と、少しめんどうなことばで書いておく。)この「自己超越」を「ほしい」という簡単なことば、日常のことばでまるづかみにしてしまうところが三井のすごいところである。
 「喩」には「ほしい」に通じる思いがあるのだ。自己にはない何かを「ほしい」と思う気持ちが人間を突き動かす。いまのままでは手に入らないものを「喩」になることによって手に入れるのだ。「ほしい」と「なる」は重なり合って、世界そのものをも変えていく。
 「自伝」ということばを信じれば、三井は、そんなふうにして三井の世界をつくってきたのである。ことばをつかって、常に自己解体(自己消滅)し、「混沌」(天地等価の状態)に身をくぐらせ、そしてそのつど、何かに「なる」、何かに「再生する」。そうすることによって世界を「生成」しなおす。世界を「再構築」する。
 三井は、そういう詩人である。

 いや、それ以上の詩人である。

 私は、どこかから借りてきたような「再構築」だの「混沌」だの「生成」だのという、めんどうくさいことばをつかってしか感想を書けないが、三井はそういう借り物のことばをつかわない。あくまでも三井の生活している世界のことばで語りきってしまう。(草弥・注。下線部は草弥。以下、同じ)
 私は、三井の「喩」の意識と、その意味について、めんどうくさいことを書いたけれど、そういうめんどうくさいことよりも、もっと感心したことがある。


ユウ ユウ

ララ ラ ユウユウ喩

 この口語のリズム。「喩」は私の発音(口語)では「ユ」だが、三井の関西弁なら「ユウ」なのである。(私は三井の話すことばを聞いたことがないので、想像で書いている。間違っているかもしれないが。)関西弁は1音節のことばを、母音を伸ばす(重ねる)形で2音節にする。その「口語」がそのまま文字にすることで、「ユ」と書いたとき(発音したとき)には触れ得ない世界をつかみとる。
 「喩」は「ゆうゆう」。「ゆうゆう」は「悠々」。ゆったりしている。広々としている。「自己解体(自己消滅)」→「混沌」→「生成(再生)」→「再構築」などという固苦しい世界ではないのだ。ゆったりと、のんびりと、いつも話している日常と地続きなのである。「おまえは鴨の子のようだねえ」ということば--それは日常なのである。そういうことばをそのまましっかり受け止めて、そのことばからずれずにことばをつづける。そこに三井のほんとうの力がある。ことばの力がある。これはほんとうにすごいことである。

 最後の連。

もしかして
変化?
進化
かも
よ。

 この連に、ふいに「鴨の子」の「鴨」が「かも」になって甦り、笑い話(冗談)のようにして作品が終わるのも楽しい。「自己消滅」だの「再構築」なんてことばでガチガチになると、いやだよねえ。大阪の漫才(私は実際には見たことはないのだが)のように、さらっと「おち」をつけて、さっと引き上げる。
 いいなあ、これ。
 私はたぶん、ごちゃごちゃややこしいことを書かずに、「かもは鴨の子のカモかよ」と突っ込むべきだったんだろうなあ。それだけで、この詩の魅力はより輝いたんだろうなあ、と思う。ごめんね。せっかくの話芸をぶち壊しにしちゃって、と反省するしかない。

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       形(すがた)・・・・・・・・・・・・三井葉子

   恵那の雪 ゑの形して残りけり

   わたしは恵那に行きました 恵那は岐阜県にあります

   平(たいら)に坐って山をみています
   残雪の形(すがた)が吉凶の占いになったことも あったのよ 昔

   溺れそうな海で海流が変化するとき
   ひやっと 横っ腹に
   冷たい

   海道をまがるときに
   みえるのよ
   島

   島 ?
   では
   もう陸生(りくせい)ね わたしたち とわたしはときどき思い出すのです
   わたしたちが成り立ったときのこと
   まだ

   島に 這い上らなかったときのこと。
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この詩では、前半では恵那の山を見ていながら、後半になると「陸生」になる前の「海」の記憶へと突然に飛ぶ。こういう作者の飛躍に驚いては、いけない。
こういうのが詩人の発想だからである。詩人の発想と表現は、自在に詩面を飛躍し、飛び回るのである。私が、詩人の「韜晦」と呼ぶ所以である。
私は、この詩を見ながら、少年の日に触れた、自由律の俳句

   <島が月の鯨となつて青い夜の水平・・・・・・・・・・・荻原井泉井>

を思い出していた。

この詩集の「あとがき」で三井葉子は書く。

<ずうっとことばと共寝だったな、と思う。おまえさんがいてくれての人生よ、などと言ってみたい。
 この間は、湯豆腐やいのちの果てのうすあかり 万太郎 が立てた拵えの。豆腐白壁のうすあかいいのちのいろ──を泣いたりした。もちろんなが年、非定型をおこなった、つまりわたしの無法が涙ぐんだのである。しかしながらこのところのわたしの関心事は変化について、である。簡単に言えば 老化がわたしの身の上にきた。はじめてみるじぶんである。すると。成り上る形姿が、また消えるところに射し込んでいる詩型に気付いた。さすがになあと、なにがさすがかは分からないが、この集を「句まじり」と呼びたいと思う理由である。>



これ以上、私が付け加えることは何のない。

なお、三井葉子さんは少女の頃から詩を書き続けて来られたので、はや1984年には土曜美術社から「日本現代詩文庫(19)」として「三井葉子、倉橋健一、吉原幸子」集としてアンソロジーが出ている有名な専門詩人であることを申し添えておく。

この辺で、今回の三井葉子の詩37篇の中からの抜粋の鑑賞を終る。
有難うございました。
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三井葉子さんの、この詩集が今年度の「第一回 小野市詩歌文学賞」の詩部門の受賞作となった。
副賞・100万円。
昨年までは、この市出身の歌人であり小説家でもあった上田三四二の名を冠した賞であったが、今回から改称されて授賞も短歌、俳句、詩の三分野に拡大された。
心から、おめでとう、と申し上げる。
知り合ったばかり私としても喜ばしい限りである。
授賞式は5月23日午後から「第20回 上田三四二記念 小野市短歌フォーラム」の中で開催される。当日は、茂山千之丞の「連歌盗人」という狂言。授賞式の後、パネルデイスカッション「詩歌・言葉の楽しみ」が、パネリスト・馬場あき子、茂山千之丞、辻井喬、宇多喜代子、コーディネーター・永田和宏 で行われる。第三部は一般公募の短歌の表彰と選評が行われる。
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2月9日付けで載せた詩『ヤコブの梯子』を、三井葉子さん主宰の季刊誌『楽市』に投稿しておいたら、このたび4月1日発行の『楽市』65号に掲載されて、4月2日に届いた。

楽市

あいにく誤植があって、はじめから5行目の「天上」が「天井」になっている。これは完全な「変換」ミスだが、仕方ないかと思う。
「合評会」が五月下旬に大阪であるというが、どうするか、まだ未定である。
まあ、こういう具合に詩人たちとの新しい交友が始まるのも、悪くはない。
以上、ご報告まで。

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