K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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鈴木漠・編 詩と連句「おたくさ」 Ⅱ─17・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
おたくさ

──鈴木漠の詩──(9)

       鈴木漠・編 詩と連句「おたくさ」 Ⅱ─17・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    非懐紙十八韻──尻取り押韻

      半仙戯     ─安丸てつじ追悼

  気も休まる鉄人が摇る半仙戯       鈴木 漠(春)
   詮議空しく陽炎の中           土井 幸夫(春)
  仲良しの約束のごと桃咲きて      在間 洋子(春)
   機転利かせる言葉優しき       三神あすか(雑)
  甃石に月光跳ねる雨上り         森本 多衣(月)
   ガリア戰記をひもとく爽涼          山名 才(秋)
  諒として菊の酒酌む恋支度       三木 英治(秋恋)
   謫所暮しも妻居らばこそ         梅村 光明(恋)
  こそばゆく甘ゆる子等の有難き      赤坂 恒子(雑)
   焚火囲んで校歌斉唱               洋子(冬)
  声明の木霊に堂宇冷え冷えと          幸夫(冬)
   エトランゼなり何時も何処でも          多衣(雑)
  デモクラシー説きつつ啜る心天         あすか(夏)    (注)心天─ところてん。
   紅娘は秀つ枝飛翔ち               英治(夏)     (注)紅娘─てんたうむし。秀─「ほ」と訓む。
  立稽古運筆作家の謝罪から            光明(雑)
   絡繰りのやうぎこちなき礼             恒子(雑)     (注)絡繰り─「からくり」と訓む。
  醴泉の花のみ寺の開帳を          永田 圭介(花)
   魚島あたりなびく 靡き藻             執筆 (春)

二〇一五年三月首尾 (ファクシミリ)おたくさの会 X 海市の会
* 安丸てつじ(1928~2015)おたくさの会同人。2015年2月28日歿。享年八十八歳。
* 半仙戯。ぶらんこの異称。
*尻取り押韻は挙句から発句へ循環回帰。


    蜻蛉

   冬のフルート

  風に聴く冬のフルート終夜灯       中野百合子(冬)
   寝つけぬままに褞袍ひき寄せ      山名 才 (冬)    (注)褞袍─「どてら」と訓む。
  壁も朽ち軋む柱の長屋にて        辻 久々 (雑)
   胡座もかけぬ伸び過ぎた脚      森本多衣 (雑)     (注)胡座─「あぐら」と訓む。
ウ  夕月に日曜大工なほ続く         鈴木 漠 (月)
   瓢箪とても個性とりどり         在間洋子 (秋)
  京の町露地を巡れば火が恋し     中林ちゑ子 (秋)
   手と手をとりて登る坂道         安田幸子 (恋)
ナカ 特許許可と杜鵑啼きくちづけ    三神あすか (夏恋)   自由律   (注)杜鵑─「ほととぎす」と訓む。
   滑舌訓練に汗しとど             土井幸夫 (夏)   〃
  謙るやう青空の熱気球           矢野千代子 (雑)   〃      (注)謙る─「へりくだる」と訓む。
   下界はるか血圧の上がる             久々 (雑)   〃
  囀りを浴び診療所開きます               才 (春)   〃
   ぜんまいの背比べののの•の          百合子(春)   〃
  半眼の石仏に舞ひ散る花              洋子(花)    〃
   きみと結ばれる未来であれ             漠 (恋)    〃
ナオ 霍乱を移しし人と差し向ひ          多衣 (夏恋)           (注)霍乱─「かくらん」暑気あたりの意味。
   同伴したきモリエール劇             あすか (恋)
  真ん丸の月見団子に笑まふ月           幸子 (月)
   壷いつぱいに穂薄を活け             ちゑ子(秋) 
ナウ 蟷螂の目と鉢合せ倒け転ぶ          久々 (秋)
   宝籤購ひ運を試さん                洋子 (雑)
  確率論得意の友と花の宴              幸夫 (花)
   畑打つ男女憩ふ遠景                執筆 (春)

二〇一五年一月満尾  兵庫県私学会館  おたくさ連句塾
*蜻蛉。 蜻蛉の四枚羽と胴を摸した新形式。林空花創案の胡蝶のヴァリエーション。ナカ8句は自由律。
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詩人の鈴木漠氏から「おたくさ」誌を賜った。
「オタクサ」とは、「紫陽花」の学名。幕末のシーボルトが愛した女性・楠本タキ─お滝さん、に由来する。
神戸市の市花になっている。
鈴木氏の主宰される「連句塾」の名前に採用されている。
鈴木漠氏のことは今までに何度か、このブログで紹介したが、今回は九回目になる。
連句形式として私には初見の「韻」の連句を出しておく。

はじめに出したのは「尻取り」押韻になっている。
第一句の末尾「せんぎ」が第二句のはじめに「尻取り」になって押韻している、ということで、後も同様の形を取る。
しかも、この連句は「非懐紙」となっており、これは通常の連句は「懐紙」のように「二つ折り」の形式になっているのだが、「非」懐紙の形式だということである。

二番目の連句は「蜻蛉」という形式で、これについては、本文末に解説されている通りである。
おまけに「ナカ」の八句は「自由律」になっているところがユニークであり、連句の堅苦しい形式から超越している。
私などは勝手な人間なので、こういうのは大歓迎である。

もっと引きたいが、こういう形式のあるものはスキャナが複雑で、手間がかかって仕方ないので、この二つを引用するにとどめる。 ご了承願いたい。

──鈴木漠の詩──としてブログに書いたものは、拙ブログ左端の「カテゴリ」に纏めて載っているので、参照されたい。





連句・テルツァ・リーマ「霜柱」・・・・・・・・・・・・・・・・ 辻 景ほか
鈴木漠0001

──鈴木漠の詩──(8)

   連句・テルツァ・リーマ「霜柱」・・・・・・・・・・・・・・・・ 辻  景 ほか

   霜柱一足ごとのこの世かな             辻    景(冬) a
    石蕗(つは)の黄金は生の名残か        三浦あすか(冬) b
   何時とても栄華の綺羅のいと儚(はか)な    毬  まち子(雑) a

    目刺し肴に呷(あふ)れるリカー         鈴木   漠(春) b
   花びらを載せし庭下駄履きかねし         山名   才(花) c
    進学果たす孫の誇りか              服部恵美子(春) b

   デート中咄嗟の風に髪跳ねし           中林ちゑ子(恋) c
    サングラスして逢瀬重ねる            在間 洋子(夏恋) d
   はたと止む河鹿の顫音(トリル)早い寝し    中野百合子(夏) c

    宇宙の静寂(しじま)琴座チャンネル         まち子(雑) d
   舟を出し十五夜を祝(ほ)ぐ古都の池          恵美子(月) e
    紅葉の錦タイムトンネル                    漠(秋) d

   烏瓜野面彩る超サイケ                 あすか(秋) e
    ピカソの描く歪なる裸婦                ちゑ子(恋) f
   火事宿す瞳見開きて幼気(いたいけ)            景(冬) e

    悴(かじか)みながら拵(こさ)へるピラフ         才(冬) f

2010年12月首尾    おたくさ連句塾

テルツァ・リーマ Terza Rima (三韻詩)
 中世イタリアに起源を持つ脚韻定型詩。

 十三世紀初頭のダンテ「神曲 LA DIVINA COMMEDIVA」は「地獄篇」「煉獄篇」「天堂篇」の全曲がこの形式で書かれた。
 三の倍数行プラス一行でで構成される。押韻形式は aba/bcb/cdc/ded/efe/f
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私にとっては初見の韻形式の連句である。
中世の西欧詩の押韻形式を「連句」に取り入れたものである。 とても面白い。

掲出した鈴木漠編『連句集・轣轆帖』は2011/05/01編集工房ノア刊のもので54篇の連句作品が載っている。
連衆の人々の数は実人数で64を数える。
先に紹介した『ぜぴゅろす抄』の出版が2004年なので、七年ぶりの刊行ということになる。
鈴木漠の「連句」にかける執念には敬意を表したい。

あと、もう一つ「テルツァ・リーマ」形式の連句が載っているので、以下に引く。
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   連句・テルツァ・リーマ「京柱峠」・・・・・・・・・・・・宮崎鬼持ほか

     土佐と阿波境(さか)ふ峠かしぐれけり      宮崎 鬼持(冬) a
      関所の祉に続く蕎麦刈               鈴木  漠(冬) b
     Uターン逸る心は天翔(がけ)り           松本 昌子(雑) a

      祖父母の智慧に吾も肖(あやか)り       服部恵美子(雑) b
     機を織る音間遠なる月の夜                 昌子(月) c
      水駅に声落す初雁                     鬼持(秋) b

     早稲酒の出荷原簿に紙縒(こより)撚(よ)る         漠(秋) c
      娘奥手で家事の切盛り                    昌子(恋) d
     さりながら隣の坊(ぼん)が慕ひ寄る            恵美子(恋) c

      哀別の歌残す防人(さきもり)                   漠(雑) d
     夏月も日に異(け)に痩せて楫(かぢ)枕            鬼持(夏月) e
      せゝらぎ高き明易の森                    恵美子(夏) d

     よちよちと孫と雛(ひよこ)が駆けつくら            昌子(雑) e
      春風邪あるな七里けつぱい                  鬼持(春) f
     古里を縁(よすが)となして朝桜               恵美子(花) e
     
      レガッタの櫂(かい)立てゝ完敗                漠(春) f 

*京柱峠。四国の秘境徳島県東祖谷郷の高知県境にある峠の名。藩政時代、祖谷山一揆の首謀者が処刑梟首された地として知られる。
 京柱は古代信仰の神の依代の木、清浄柱(きよらぎ・きよばしら)が語源(柳田國男説)か。
*けっぱいは「結界」の訛り。魔障を七里四方に入れないための境界。

     
天人といえども時至れば身に現れる五衰/移りゆく季節に魂たちは感じ易い/万物は流転する・・・・・・・・・鈴木漠
遊戯論

──鈴木漠の詩──(7)

          天人五衰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     傾く太陽に殉じて散る白い花 沙羅
     天人といえども時至れば身に現れる五衰
     移りゆく季節に魂たちは感じ易い
     万物は流転するそのサンサーラ

     大道芸の撓む竿先に回る危うい皿
     自転を停められない我ら愛(いと)しの地球で
     愛し合う者どうしが優しく組む腕
     不安や痛苦に向き合う気持はいつも真っ新(さら)

     宇宙開闢(かいびゃく)をもたらしたビッグ・バンとは
     蕾から須臾にして解放された花びらだ
     我ら皆 相対性理論の海原漂う舟の舵(ラダー)

     詩が求める不易なるもの即ち常永遠(とことわ)
     太陽は日日に昇りまた沈む しかし
     その太陽にして変容するのだ 疾(と)っくの昔

ソネット抱擁韻。押韻形式は abba/acca/dee/dff
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この詩は鈴木漠詩集『遊戯(ゆげ)論』編集工房ノア2011/02/01刊 に載るものである。
ここには「遊戯」という小項目の自由詩が9篇。
「愛染」という小項目の「ソネット」形式の詩が18篇。
「果樹園」という小項目の「テルツァ・リーマ」形式の詩が9篇 収録されている。

「押韻形式」に書かれているように詩の行の末尾が、それぞれ「脚韻」を踏んでいる。

次に「テルツァ・リーマ」形式の詩をひとつ引いておく。
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          愛 染 ****・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
              まことに 愛にあふれた家は/のきばから 火を吹いてゐるやうだ   八木重吉

     愛し愛される数式とは そんなにも
     激しく哀しい方程式なのだろうか
     ボードレールの謂う火龍(シメール)の如き背の荷も

     気付かぬまま時間の翼は徒(いたずら)に老化
     恩愛の現場はまた燃える家でもあるらしい
     扉を推せば奈落へまで続くその渡り廊下

     生老病死や五蘊盛苦(ごうんじょうく)に囲繞される四囲
     業火を忘れがちな私たちは玩具と遊ぶ子供
     エコーしてやまぬ言霊のエクスタシー

     愛とは他者に自らを投影することだと雖(いえど)も
     自己の内部にも異形の者は棲みつき
     方便の比喩の車は門外を去る気配だけれども

     遂には愛染の炎に身体髪膚包まれて尽き
     美人の香骨もいつか車塵と化さざるを得ず*
     世界の終りにも背後を昇る不可思議の月*

     遺される一枚の羽とニルヴァーナの絵図

*テルツァ・リーマ Terza Rima (三韻詩) 押韻形式は aba/bcb/cdc/ded/efe/f
*「美人香骨 化作車塵(美人の香骨化して車塵となる)」古代銭塘の美妓・蘇小小による(「楚小志」)
*不可思議の月。「三輪山の背後より不可思議の月立てり はじめに月と呼びしひとはや」山中智恵子
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            心象の帆・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                    暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外   子規

     連句嫌いだった筈の正岡子規に
      同い年幸田露伴と付合いした記録
      しかも旧派宗匠幸堂得知の捌きに

     あの子規の句が一直された事実に驚く
      立句に据えた大島蓼太の句は「春雨に傘」
      露伴「柳四五本並ぶ」と続く脇句も漫(すず)ろく

     子規の第三句初案は「陽炎に」と付く丈高さ
      だが春雨に陽炎では天象の打越しは自明
      すかさず得知が「蛙の声」と匡(ただ)した確かさ

     セオリーとしては常識ながら文学の革命
      志す矜持を傷つけられたか 美食の舌
      子規の連句嫌いは多分この挿話が発端の頑迷

     後日 連句は文学に非ずと論断した
      連句三つの要因は対話と変化と虚構を当てる
      然るに写生主義を掲げる子規の文芸観の下

     虚構などとはもっての外まして十九世紀も果てる
      近代の文学に対話や付合など不要とばかり
      脇句以下一切の付句を切って捨てる

     発句は文学なり連句は文学に非ずと憚り
      大見栄を切った子規の俳諧革新の手付き
      そのラディカリズムが裂く世界の薄明かり

     須磨の寓居に労(いたつ)きの身を養う有明の月
      座右に典籍を積み獺祭書屋(だっさいしょおく)主人を自称
      時代は文明開化の波濤 近代の暁

     折しも沖を過ぎる白い帆の心象

*テルツァ・リーマ 押韻形式は aba/bcb/cdc/ded/efe/fgf/ghg/hih/i
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三番目に引いた詩は巻末に載るものであるが、子規のことが書かれていて、とても面白い。
子規の文学革新の功績はめざましく、認めなければならないが、反面、我田引水式に自分の意図を強調するために、
かなり牽強付会的な面もあったことは否めない。
与謝蕪村は、それまでは絵画の作者としてのみ評価されていたのを、俳句作者として再評価したのは子規であるが、
その評価も「写生」の一面からのみ評価されているようで、蕪村という作家の全面目を評価し得ていない、と今では言われている。
そのようなことは「万葉集」は評価するが、「古今集」や「新古今集」は一蹴する、など極端であった。

この詩集の「帯」で、関西での詩壇の重鎮・杉山平一が

<鈴木漠さんは、早くより九鬼周造に発したソネット14行詩に注目し、
 わが国の詩には困難と思われた脚韻の面白さを探求し、40年に及ぶ。
     韻を工夫した精妙な手際の良さにはね感心させられる。
        前人未踏の境地を生み出しつつある。>

と書いている。けだし鈴木漠の「執念」というべきであろう。敬意を表しておきたい。
日本詩の韻律には57577などの「音数律」が万葉以来ぴったりで、今もなお、その命脈を保持していると思うが、
ヨーロッパ詩などに一般的な「脚韻」は、試みられたものの「定着」はして来なかった。
日本でも古来「沓冠」(くつかぶり)などの「頭韻」「脚韻」の組み合わせなどが試みられ、近年それらを再評価して、
歌人たちの中でも修練としてやられてきたので、私も「未来」誌に居るときに編集部から指名されて企画に加わったことがある。
それらについては、このブログでも紹介したことがある → 沓冠「秘めごとめく吾」の一連のもの──が、現実の持続した文学運動としては定着しなかった。

四面楚歌とも言える中で、執拗に、この面を追及してきた鈴木漠の執念に脱帽して、鑑賞を終わる。

     
       

     
薄氷を揺すりせせらぐ野川かな/言葉はづみて摘む蕗の薹/果実盛る赤絵の皿もうららかに・・・・・・・・圭介・漠・英治
鈴木漠五

  ──鈴木漠の詩──(6)

          薄 氷(半歌仙)・・・・・・・・永田圭介・鈴木漠・三木英治

   春  薄氷(うすらひ)を揺すりせせらぐ野川かな         圭介

   春   言葉はづみて摘む蕗の薹                   漠

   春  果実盛る赤絵の皿もうららかに                英治

       碁盤に石の響き定まり                      圭

   夏月 冷奴くづして独り月涼し                      漠

   夏   蛍火舞ふは仮名文字のごと                   英

      世の外(ほか)のひかりこの世へ移しけり             圭

   恋   眩みて白き肌に入れ揚げ                     英

   恋  ひたすらに生くる証しの恋もして                  漠

   秋   ものの形のかげる秋風                       圭

   月  夜もすがら月の射しこむ廃屋に                   英

   秋   紅葉手折りて媼(おうな)歩み来(く)                漠

      あさきゆめいまあやかしの郷(さと)にあり              圭

   冬   狼遠く吠ゆるらしきを                         英

   冬  猟銃をほてる片頬(ほ)に当てしのみ                漠

       宮仕へ辞しはや十年(ととせ)経ぬ                 圭

   花  数奇者の衣を染めて花ふぶき                    英

   春   ポストへ落す春の音信                        漠

                                 圭介・漠・英治 各六句
                          1992年二月首 同年四月尾(文音)

  連句集『虹彩帖』鈴木漠・編 1993年11月書肆季節社刊より
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この本は「連句集」の三番目として刊行されたもので、この本には連句の形式の中で「歌仙」「半歌仙」のみ25件が収録されている。
当初は鈴木漠も、形式には、まだバラエティが無かった様子である。
先に紹介したようなソネット形式も何もない、からである。
この本には連衆として25人が参加されている。
この本の巻末に、鈴木漠が「虹のエクリチュール」という5ページの文章を書いている。一部を引く。

<近年、連句見直しの機運が高まるのに呼応するかのように、現代詩の分野でも、盛んに連詩の試みが行われるようになっている。
共同制作のメリット、その新鮮さなどが、あらためて注目されはじめているのであろう。・・・・・・
こと連詩に関しては、詩人たちの間でも、まだなお方法論の端緒すら見出し得ない状況だといってよいのではないか。・・・・・
自由詩(フリー・ヴァース)としての現代詩が書かれはじめて、すでに百年ちかい歳月が経過している。そして、それはそれなりに、現代の詩想や詩情を叙べるべき器として定着し、相当の成果を挙げてもきたのだったが、その黄金期はすでに過去のものになった、と私などは認識している。
もっと限定した言い方をすれば、活字文化の精粋としての現代詩、あるいは言語表現上のさまざまな制約から「自由」であるべき詩形式としての現代詩の役割は、1950、60年代を頂点として、ほぼ終わっただろうと感じているのである。
その背景、その要因には、何と言っても、情報メディアの革新が挙げられるであろうか。かつて活字一辺倒であったメディアが、いまや映像と音声を中心としたものへと様変わりしたなかで、文芸各ジャンルのそれぞれの在りようも、多様に変化せざるを得ない状況におかれていると言ってよい。・・・・・
袋小路へ向かいつつあるかに見える現代詩に、虹のエクリチュール、その七彩の言葉の富を回復することが出来るかどうか。
遠からぬ日の現代詩の滅びを予感しながら、なおしばらく、詩のトポスから連句の詩法との接点を模索し続けるほかはないと思い定めているのである。>

これは現代詩の実作者としての実感であろうか。
近年、「連句」に注力する彼の熱い思いを見知るのである。



刹那とは永遠に似て花吹雪/帆に光る風受けて解纜/初虹へ母の願ひは届くらん・・・・・・・・・・・・鈴木漠ほか
鈴木漠四

──鈴木漠の詩──(5)

        連句(ソネット)刹那と永遠・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠ほか

     刹那とは永遠に似て花吹雪         小林三千子(花)

      帆に光る風受けて解纜            鈴木  漠(春)
    
     初虹へ母の願ひは届くらん          在間 洋子(春)

      どうにかなるさそつと嘯(うそぶ)き     森本 多衣(雑)



     エアコンを止めて持ちだす渋団扇       香山 雅代(夏)

      カットグラスが棚を占めをり          山名  才(夏)

     たとふれば君の笑顔は樹の香り        宅見 まき(恋)

      忍ぶ恋にもさがない口端            松本 昌子(恋)



     月と来て愁はしげなる影法師              多衣(月)

      傘開ききる紅天狗茸                  洋子(秋)
     
     土瓶蒸し旬の野菜もありつたけ              才(秋)



      孫に絵手紙贈る折ふし                 雅代(雑)

     誰(た)が弾くや琴の音色は浜千鳥           昌子(冬)

      寒九の雨にぬれ船宿り*                 まき(冬)


2004年四月首尾 NHK神戸文化センター おたくさの会
   *寒九の雨。寒の入り九日目に降る雨。豊年の吉兆。
        ソネット抱擁韻=abba/cddc/eff/egg

鈴木漠・編 連句集『ぜぴゅろす抄』2004年・編集工房ノア刊より

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鈴木漠は最近は「連句」に注力している。
彼の編になる連句集も十以上にものぼるようだ。
この『ぜぴゅろす抄』は10集目にあたる。
これには46篇の連句作品が収録されている。連衆は46人にものぼる。
簡単に説明するのは難しいが、連句にはさまざまな制約、約束事があるが、
ここに採り上げた「座」は西欧詩の十四行詩(ソネット)の形式を取ったものである。
ソネットとは四行、四行、三行、三行に分けた計十四行からなる詩の形式である。
古来の連句には、こういう形はなかったが、西欧詩に慣れた文化人によって取り入れられた。
また、この座では「ソネット抱擁韻=abba/cddc/eff/egg」という韻の踏み方も採用されている。
「脚韻」であるから、↑ の説明を参照して、読み解いてもらうと興味も増すというものである。
これも明治以後に西欧詩に倣って取り入れられたものである。
(注)「ソネット」とは中世イタリアに起源をもつ「脚韻定型詩」。ヨーロッパ中に広まり、17世紀初頭のイギリスではシェイクスピアが多作。
19世紀フランスでも、ボードレール、ランボー、ヴァレリーなどが秀作を残した。わが国では立原道造、中原中也などの無押韻ソネットが知られている。
平坦韻、交差韻、抱擁韻など三種の修辞法がある。
詳しい説明はWikipediaで。
フランスのソネット形式については ← の記事を参照されよ。

「連句」には色々な形式がある。「歌仙」「半歌仙」が主なものだが「二十韻」「百韻」「二十八宿」「短歌行」などがある。
ここでは、以下に「短歌行」という一連を引いておく。
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          寒 駅(短歌行)・・・・・・・・・・宮崎修二朗・鈴木漠・松本昌子


     寒駅の玻璃戸うすづく夕陽かな                 宮崎修二朗(冬)
      越年蝶は羽たたむのみ                     鈴木  漠(冬)
     小豆粥幸ほどほどに侘び住んで                松本 昌子(新年)
      昼食(ひる)はタンポポサラダなど如何(どう)?         修二朗(春)
  ウ 東風(こち)吹いて月を笑はせゐたりけり                 漠(春月)
      真珠色せる石鹸玉消ゆ                         昌子(春)
     mer mere頬触れし児の母となる                    修二朗(恋)
      草矢投げては癒す失恋                           漠(夏恋)
     遠花火音なくひらき崩れゆき                        昌子(夏)
      積木のぬしも三代目なる                        修二朗(雑)
     黄菊白菊さらには青き菊もがな                        漠(秋)
      鶸(ひわ)の群れ来る屋上庭園(ルーフガーデン)           昌子(秋)
 ナオ 有明にまぼろしのファド舟も宿も                     修二朗(月)
      今は昔の銅鑼よ汽笛よ                            昌子(雑)
     地球儀をまはす端居の語らひに                         漠(夏)
      ぬつと現(あ)れたる隣家の蝦蟆(がま)                 修二朗(夏)
     文のせて紙飛行機が垣根越え                         昌子(恋)
      幼馴染みのままの夫婦(めをと)で                       漠(恋)
     パソコンに蜜月(ハネムーン)写真取り込まん               修二朗(恋)
      喜怒哀楽の古日記読む                          昌子(冬)
 ナウ 更くる夜の情念さらと細雪                           漠(冬)
      固茹(かたゆで)たまご若者は欲(ほ)り                 昌子(雑)
     花筵軍歌労働歌より知らず                        修二朗(花)
      大漁旗揚げめざせ魚島                            漠(春)

   2003年一月首尾(ファクシミリ) ひょんの会
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(お断り)
7句目の 「mere」の前の「e」の上には、フランス語なので「アクサングラーヴ」という記号が付くのだが、
表示できないので、ご了承いただきたい。
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ここに作品を収録するのに手間が掛かるし、余り多くても退屈だと思うので、今回は、この辺で。


飢渇は屡々 魂を星に似せる/飢えは 年わかい隻眼の狼を 純粋にしていったのだ・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠③

  ──鈴木漠の詩──(4)

        天 狼・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     飢渇は屡々(しばしば) 魂を星に似せる
     
     古代中国の草原を あるとき はてもしれぬ飢餓が覆うた
     飢えは 年わかい隻眼(かため)の狼を 純粋にしていったのだ
     また幾夜かは皓々たる月明がつづき やがてその月の虧(か)けはじめる夜
     ついに彼の渇仰は頂点に達した 杳(くら)く永遠のようにけぶる地平線にむかって
     彼は疾駆しはじめた
     最後に──人々は 美しく恚(いか)りを燃やして 溶けて空間を 翔(か)けり行く
     悽愴な一頭のけだものを 目撃したのであった


     飢渇は屡々 魂を星の如くする
     古代中国の人々が 光度負(マイナス)一・六等のあの大輝星を「天狼」と名づけた由来は
     つまびらかにするべくもないが 何ものへともなく はげしく閃いた狼の忩怒は
     私の内なるなべての志向と渇仰の果てに つめたく いまも輝くのである
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処女詩集『星と破船』1958年濁流の会刊 に載るものである。
原本は見つからないので、掲出画像の『鈴木漠詩集』(現代詩文庫・思潮社2001/02/28刊)「初期詩篇」から引いた。
鈴木漠はWikipediaなどによると1936年徳島生まれというから、この詩集が出たとき彼は弱冠22歳ということになる。
このアンソロジーの巻末には彼の師とも言える前衛歌人の塚本邦雄が「いづくにか船泊(ふなはて)すらむ」という7ページ半にわたる解説の文を寄せている。
今ここに、それを引くことはしないが、先に掲出した「天狼」の詩も引用されている。
あと、塚本も引いているいくつかの詩を以下に載せておく。
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        風景のなかの人体図・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     風景のなかで人体は
     噴泉となって立ちあがり
     それからそのままで
     ほとんど涸れてしまっている
     それは粘土の骨格からなる
     一縷の望楼である
     あらゆる洪水の先触れとして
     まずやってくるだろう時間の
     断崖(きりぎし)を見張る哨兵である

第五詩集『風景論』1977年書肆季節社刊より
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        坩堝(るつぼ)について・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     坩は土の器
     堝は磁器
     けだし錬金術師の俤(おもかげ)は
     蒼白として土人形に似るであろう
     はじめて火事を目撃した夜の
     甘美な怖れと呪縛と

     坩堝は発熱する
     たとえば水を掬いあげる掌のかたち
     火がそれを願望したなら
     すでにそこに坩堝はある
     これはまた幻想の茂み
     どんな主題をも錯綜させる
     抽象された物質の火を責めるために
     自身はどんな火に抱かれるのか

     樅のなかにひそむ火
     麦わらの火
     本を焦がしあらゆる記憶を焚く火
     ここでは坩堝を
     もっと熱するための炎が必要か?
     娘たちが跳び越える夏至の火?
     木の太腿を擦りあわせ
     ふいごに汗をしたたらせる火?

     坩堝の奥は夜の庭園
     これはまた火の食事
     けれどこころしなければならない
     坩堝の飽食するときを
     叡智を煮る仕事に倦む日日を
     虚空を裂き大地を割って
     地獄からの悪意がふいに
     眼の前に直立するであろう必至の刻を

     弁証法の螺旋階段をかけ昇るばかりではない
     火を汲む愚かな容器のかたち
     火もまた輪廻の器をめぐるのだ
     終りのない遍歴を旅人は続けているのだろうか
     風はあくまで青いのに?
     坩堝が冷めるまでの
     つかの間を
     山は移し終えられただろうか?
     星は微塵となっただろうか?

第六詩集『火』1977年書肆季節社刊より
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        井 筒・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     心の種を播き
     いつか茂らせる ことばの
     ささやかな果樹園
     見えない水脈(みお)を掘りあてる
     婚姻とは
     真新しい井桁を組むことだ
     流れ来(きた)り 流れ去る
     すべてのもの
     ときに地表にあふれ出て
     泉は澄んだ笑い声をたてる
     本来は無一物たるべく
     若い夫と妻の組みあわせ
     婚姻とは
     家具調度の倹(つま)しいたたずまい
     夏の終りには
     精いっぱいにかがやく洗濯物
     都市であれば その平面上に積む
     田舎のイリュージョンを
     丘の起伏や野火などを
     できるだけ原初的に
     かつは音楽的に!
     齲歯の位置ほどにも
     相互にずれる遠近感の中へ
     西風の呼気
     潅木と腐葉土の匂いを
     与えられた小さな秩序に
     かてて加えるならば
     深井に映る星
     嬰児の
     愛くるしい笑顔をこそ

第九詩集『妹背』1986年書肆季節社刊より
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メタファを駆使してあるので、慣れない人にはわかり難いかも知れない。
たとえば『妹背』の中の一連などは、この頃、彼が結婚したことが判る。仔細に読み解いてもらいたい。
     
          
潰えた家々は/月明りの中で/自らの全き形態を/夢見ていただろうか・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠②

  ──鈴木漠の詩──(3)

        変容 * * * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     日々に積み累ねる
     時間の柱にも
     地異によってもたらされた
     断層があり
     さらでだに
     変貌を続ける都市図がある
     たとえば それは
     脇道と本通りの
     埋めがたい段差ともなるだろうか
     水道管からは
     秩序なく水が溢れ
     建築は しばしば
     その骨格を露わにするのだが
     潰(つい)えた家々は
     月明りの中で
     自らの全き形態を
     ときには球体や円錐形を
     夢見ていただろうか
     変容 とは
     内なる他者に出遇うこと
     言葉の新しい脈絡を
     見出だすことだろう
     空を刷く彗星の尾は
     夜々を遠離(ざか)り
     明日はパステルで描かれた太陽が
     癒しのように
     市街図の上を回るだろう

   詩集『変容』(編集工房ノア1998年5月刊)より
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ご承知のように、1995/01/17夜明けに阪神大震災が起こり、神戸をはじめとする地域は大きな損害を受けた。
作者は神戸在住の人であるから、この地震に遭遇しているわけである。
この詩集は、これを受けて書かれたものである。「変容」という題名が、それを物語っている。
「変容」という詩には「*」から「****」まであり、掲出したものは「***」であり、題名の横にアスタリスクが記載されている。
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        形態 * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     一斉に緑の火を点じて
     萌黄 若草 うぐいす色
     重畳する植物相の下陰に
     脱皮したばかりの蛇は はやくも
     エロスの滑(ぬめ)りをかがやかせる
     知恵の輪を 結んだり解(ほど)いたり
     その疑問符
     ときには間投詞
     言葉とは 光の
     ひとつの形態だと思えてくる
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        変容 * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                          太陽が臀を燻すと
                              われらは変容(メタモルフォズ)した  竹友辰


     殻を割って
     羽化する昆虫たち
     橋の下の薄暗がりで
     ひめやかに
     脱皮をおえたばかりの蛇
     みずみずしい少年は
     徒歩(かち)でもって水を渉る
     その指でめくられる
     見えない日捲(めく)り暦
     めくるめく太陽の変貌は
     固くて青い房から
     やがて熟成する葡萄 のようだ
     橋の下を水は流れ
     すべては停(とど)まることを知らぬ
     須臾の少年も
     時々刻々を変容し
     老いと死と
     自らの再生に向かって
     すでに急ぎ足だ
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         虹 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     幼子が開く絵本の
     その彩色の中から
     そのまま続くかのように
     雨の霽(は)れ間を
     淡い虹は 懸かる

     悲しみ苦しみ そして愁い
     日々に過ぎていく事象は
     ときに苛酷でさえある
     絵本の物語が
     しばしばそうであるように

     物語の結末はどのようであれ
     いっさいを慰藉(いしゃ)するために
     天と地を結んで
     虹は懸からなければならぬ
     虹を
     懸けなければならぬ

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この詩集には全部で45篇の作品が収められているが、うち15篇は阪神大震災以前に発表されているので、別の性格を持っていると言えるだろう。
ここに引いた4作品は、読めば判るように、何らかの意味で大震災を惹いていると言える。
詩としてのメタファーも駆使してあるので玩味してもらいたい。     


     
ようやく太陽は生まれて/ひとすじ/洗朱の帯が解かれている・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠

──鈴木漠の詩──(2)

        洗朱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     沖の方には
     巨きな器があって
     絶えず時間を汲み上げている
     夜明けちかく
     波打際はめくれていて
     それは 婚姻の床の
     柔らかく冷たい敷布だ
     群れて飛んで
     鳥たちはそのまま
     愛憐の文様となるのだろう
     ここでは
     自然が 人間を
     人間の営みを模倣するのだ
     ひっそりとして
     死者と生者とが
     交わる気配もする
     天地に慈しみはない*
     と いわれるのだが
     あの 雲と波との重なるあたり
     ようやく太陽は生まれて
     ひとすじ
     洗朱(あらいしゅ)の帯が解かれている*
     曙
     蕩児のように
     光を背負って
     船が一艘帰ってくる

         *天地に・・・。老子「上篇」
          *洗朱。色名、黄色を帯びた薄い朱色。

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        銀・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     年老いて
     樹木は眠っているが
     その枝々の固い芽も
     心なしか少しくふくらんで
     春隣(はるとなり)
     という優しい言葉
     万物ほほえむ季節は
     すぐ手の触れるところまで
     近づいたらしい


     明け方
     青年の夢の中に降り積んで
     淡雪
     更衣(きさらぎ)
     消えがての
     名残の銀箔世界
   
   鈴木漠詩集『色彩論』(1993年書肆季節社刊)から
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ようやく鈴木漠の詩集を手に入れたので披露しておく。
2009/04/29には、この詩集から「橙」の詩を引いたことがある。
難しい語句はないが、しみじみとした詩境が盛られているので鑑賞されたい。
二番目の詩には、今の季節がらの詩を引いておいた。
引き続き、いくつかの詩集から作品を引く予定である。
鈴木漠については ← Wikipediaに詳しい。

光は直進し/あるいは屈折する/卓上に盛られる果実や/…非時香菓・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠
7color-2.jpg

   ──鈴木漠の詩──(1)

        橙・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

    光は直進し
    あるいは屈折する
    卓上に盛られる果実や
    壜の頸(くび)の丸みのあたりでは
    光は滑降しているようだ
    壜の中に水は あくまで
    透きとおっているのだが
    水はけっして自分自身を
    裸だなどと思わないだろう
    不定形の水にとって
    折々の容器のかたちは
    折々の衣裳であるからだ
    夕闇に囲まれた家庭の
    小さな食卓を
    一顆の灯(あか)りが蜜柑色に照らし出し
    その点灯をまねて 籠の中の
    柑橘の類は香りを揮発させる
    果実のめぐりで 光は
    わずかに彎曲しているようだ
    …一般相対性理論演習
    …非時香菓(ときじくのかくのこのみ)
    光源は ほんとうは何処にあるのか
    これら光は
    何処から来て何処へ消えていくのか
    明滅するすべての存在の
    その末端に連なって
    家族はそれぞれに
    光の劇を眺めている
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実は、私は、この鈴木漠氏の詩集『色彩論』(1993年書肆季節社刊)は見ていない。
この詩集はいろいろの「色彩」の色を一つ一つ取り出して詩を構成してあるらしい。
この詩は「橙色」オレンジを題にして作られている。
鈴木氏は近畿大学文芸学部で詩歌論を講じておられたらしい。
ここに引いたのは、村山精二氏の「ごまめのはぎしり」というサイトを偶然ネット上に見つけて、そこに載るものの転載である。
鈴木氏とは私の詩集を贈呈した縁で、塚本邦雄の死去に伴う思潮社発行の月刊詩誌『現代詩手帖』の「特集」に書かれた「押韻芳香領へ」という記事のコピーをいただいたのが発端である。
以下、村山氏が、この詩について書かれるのを引いておく。

 <書名だけは以前から知っていた『色彩論』をいただきました。感激です。さすがに高名な詩集だけに、色彩を操った作品は見事です。その中で、どれを紹介するかは迷うところですが、やはり私の感性に最も合うのは、これでしょう。
硬質な、いい作品ですね。惚れ惚れします。私も興味をそそられている光と水についての、詩人らしい考察。蜜柑と家族との平易に見える組み合わせも、光と水があることによって、まったく違った意味合いに捉えられます。私がやりたかったことを、93年にすでにやられてしまった、という思いです。
 作品としては、もちろん私という個人が書いて、それが残るのが一番いいと思っています。しかし人類という立場に立てば、誰が書いてもいいでしょう。そういう意味で、科学と詩という分野で、この作品が出現したことは喜ばしいことです。後世の批評家がこの作品についてどう判断するか判りませんが、少なくとも私は20世紀の成果と考えています。
 「詩人のための物理学」、「水とはなにか」、「ろうそくの科学」など科学と詩を結ぶ著名な本がすでに存在します。しかし、それらはあくまでも科学という目で書かれたもので、詩人の側からの接近はあまりありません。鈴木漠さんがそれをすでに達成していることに驚き、賞賛を惜しみません。>

この原文にある漠という字が獏になっている誤りのみ訂正しておいた。
一度、この詩集を全部見てみたくなった。
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以上の記事は、実は2008/12/18付けでDoblogに載せたのだが、Doblogが二月はじめに障害を起こし、記事の掲出も取り出しも不可能になっていたのだが、最近、一時的に見られるようになったので、急いで取り出して、ここに転載するものである。
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(追記・2011/02/20)
つい最近ネット古書店から鈴木漠の詩集、連句集をいくつか買ったので、本の画像を出しておく。
多くが書肆季節社の制作になるものである。前衛歌人であった塚本邦雄が拠った出版社として知られる。
今から、もう三十数年か四十年も前になるが、この出版社の本を何度か買ったことがある。
政田岑生は懐かしい名前である。

  

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