K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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村島典子の歌「あいまい」31首・・・・・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(29)
    
     村島典子の歌「あいまい」31首・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                      ・・・・・「晶」97号2017/03所載・・・・・・・

             あいまい         村島典子

  ヴィオロンの音色かなしきこの秋は耳傾くる犬のあらなくに
  そのやうに綺麗なこゑに鳴く鳥はくぬぎ林の木末(ぬれ)の方に
  あいまいな夕べの時間たそがれの空を来たれり地を覆ひたり
  屑かごに捨てにしわれの歌の反故音たつるなり間をおきて二度
  卓上に秋日を曳きてさ緑の冊子あらはる「続・森岡貞香歌集」
  図書館にて一日まへに借りたりしわが卓上の「森岡貞香断章」
  この日ごろあの世にいます人の書物読みふけるなりたか子と貞香
  声だして笑つてしまふ貞香のうた事故さへふしぎな図形をもてり
     「けふここに人と車と衝突し白墨をもて描きありたり」 (『黛樹』)
  毒ガスといかで読みつる垂れて来しゴム管は酸素と人の言ひしを
     「酸素ぞとゴム管かほの上に垂れてきぬ息のしづまり死なざりしかも」 (『未知』)
  いかでわが曖昧ならむ出掛けむと立つときスリッパちぐはぐに履く
  川端の草ぐさ見むと迂回せり数珠玉もある長沢川には
  野ぶだうの瑠璃のつぶ実を目の端におきてぞ歩く長沢川端
  屈折のわたしの心立ち直りなはしろぐみの一枝折りきつ
  「生椎茸」とふ箱より出づるは椎茸の菌床なりき面妖なるもの
  蓬莱山のすそに立つなり冬の虹ふとき脚もつ全きかたちに
  虹めざし車をかくる太き虹の近づくたびに道退きにけり
  このあたり岩切さんの住まひあらむ琵琶湖大橋はし詰わたる
  高島の勝野のあたりもう一つ虹出づるみゆみづの息たつ
  変形のセコイアをいふあけぼのすぎ対称形のもみぢの樹林
  野坂山のもみぢ背向に黄葉をはじむる杉のなみだぐましも
  ぞろぞろと車も人もゆくものか五百本の黄葉樹林
  メタセコイアの葉のぎざぎざの鋸歯見あぐ巨大なる鳥五百羽の鳥
  強風にちぎれし枝ののこぎり葉振りあるくひと幾人も見つ
  拾ひたるメタセコイアのもみぢ葉をしばらく持ちしが道端に捨つ
  垂直に樹はたつものを水平に過りゆくなり人も車も
  五百本の曙杉がいつせいに黄の葉を降らす静寂(しじま)をおもへ
  返事もらへぬ手紙百通書きしこと一途な恋をけさ思ふなり
  極月のあしたの月のもちづきの湖の上にあり嘉(よみ)するごとし
  できるだけ長生きをして俺よりは先に死ぬべしと息子の言へり
  声がはりせし三人のうしろから末の子のボーイソプラノが来る
  十人の食事つくればわたくしの七十二歳も生き生きとせり
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村島さんから恒例の「晶」誌を賜った。
いつもながらの旺盛な作歌に敬意を表する。
琵琶湖西岸に位置する高島市のメタセコイアの並木道は有名らしい。
写真を撮る人のマナー違反がニュース種になったりしている。
私はまだ見ていない。 昨年初夏に体調不良になって以来、すっかり出無精になってしまった。
おまけに、この一月末の実兄の重信の死にショックを受けている。 虚弱児だった私と違って兄は頑健だったので定期的な検診をしていなかったらしい。
悪性リンパ腫の見落としで体調が悪くなったときは末期で手の打ちようがなかったらしい。
余計な愚痴をこぼしてしまった。 
ご恵贈ありがとうございました。 これからも益々のご健詠を。


村島典子の歌「一夏」32首・・・・・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(28)

     村島典子の歌「一夏」32首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・「晶」No.96号2016/12所載・・・・・・・

  こんなところに画鋲ありしか物干しのハンガーの上小鳥のやうに
  飛び跳ねてそののち行方知れずなりし画鋲なりけり数日探す
  ちひさなる桃も袋を被りゐてもう笑はずにはをれないわたし
  桃こそはわが娘なれ花も実もむすめのやうに微笑むやうに
  人熟れず時間のみ熟れてゆく夏の天空に積むおほき白雲
  ああつひに褥瘡出でぬわが犬の左右の腿の痩せさらぼへて
  骨みえて横たはりゐるわが犬のはや半分の嵩となりたり
  このわれを浄化せむとし褥瘡の身にひたすらに見つむる犬は
                  七月二十八日夕刻死す、十七歳五ケ月であつた。
  五分ほど眼をはなしたるその隙に息ひきとりぬ独り逝かせたり
  保冷剤と氷ありたけ抱かせて一夜留めつ、死にたり 三太
  ああ座敷まなかにからだ寄り添ひて七月の夜を犬と眠りき
  もの言へば身体が哭きぬ喪ひて犬はかへらずこれの世にゐず
  勾玉の形して眠る犬のうへ狭庭のちひさき花を散らしつ
  みづうみが遠景に見ゆ山中の霊園に犬を焼きに来にけり
  行きゆけど行き着かず苑に迷ひたりペット埋葬所の焼却炉どこ
  右にんげん左ペットと記されし着きてしまひぬ葬り処に
  まつぶさにわれは見にけり三日間水絶ちしわが犬の命終
  耳をたて何を聴かむとせしならむ死を迎へたるその隙すらも
  十七年生きぬきし犬かなしみは胸抉るがに間歇に来つ
  どれほどにわが日月の降りつもりふかぶかとありし犬との暮し
  けふ犬のベッド上掛け捨てにけり大型ゴミ回収車留守の間に去る
  洗ひてもおまへの匂ひは沁みつきて毛布三枚上掛け二枚
  「死んだおまへの残したものは汚れた首輪と二本の乳歯ほかには何も残さなかつた」
  廊下にてゴキブリ転がり死にてをり薄明のなか死はゆるぎなし
  犬の死とゴキブリの死はわたしには同じではない同じではないが
  こんなにもつくつくぼふしが懐かしくげんきか元気げんきか元気
  餡パンを犬に供へておさがりをわれはいただくお盆中日
  エプロンの紐を引つ張りほどきたる仔犬のころが不意に衝きくる
  忘れ草くわんざう咲きて川原に夏一点の朱が点りぬ
  油蝉ころがる屍たまねぎの皮もて裹みぬ荒草のうへ
  ちいちいとわれを呼ぶ虫草むらに潜みてこの世もあの世もあらず
  花となる魂もあらばや夕さりてどんぐり山に萩は咲きそむ
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おなじみの村島さんの一連である。
今回は長年連れ添って来られた愛犬「三太」の死を詠まれた。
はじめの五首だけが犬の歌ではないが、それらの歌が後につづく犬の一連の導入部として秀逸である。
「一夏」─いちげ、という題名が村島さんのこの夏を簡潔に表しているようである。 玩味してお読みいただきたい。
ご恵贈に感謝します。 ご壮健にて、ご越年を。




  

      
村島典子の歌「星の林」30首・・・・・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(27)

     村島典子の歌「星の林」30首・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・「晶」95号2016/09所載・・・・・・・

          星の林        村島典子

  一首づつ数珠繰るごとく読みつげり森岡貞香のことば木々の香
  星の林といふはいづらぞ夜の闇にぼうと灯れる山のあるべし
  星の林といふはいづらの山中の昼すらぼうと光ると言はめ
  「わが父 塚本邦雄」をたどりつつ二十歳の頃のわたしに会へり
  前衛短歌をいかに思ふかと問ひたまふ吉野のお山に考へし日よ
  あばら骨二十四本われにありその一本がけさは疼きぬ
  こゑは人間 診察室より呼びくるる加藤先生のおほらかな声
  われはまた流しに凭れゐしならむエプロンの前ぐつしより濡らし
  裏隣の夫婦あひつぎ亡くなりしを知らずに過ぎき三月が過ぎき
  孤独死と言はむ言はざる犬連れて門通るとき声かけくれし
  ホスピスに入りし一人をおもふ夕、柿のま白き花に気づきぬ
  ああ神は残酷ならむそれぞれに死をたまひたる星の林に
  裏庭の青きゆふぐれ柿の木に柿の花咲く五月の地上
  実生なる柿の一木も壮年となれば苔など幹に生やしぬ
  ひいふうみいと数ふる朝のあいさつに柿は笑へり小花のぞかせ
  雨降れば雨におほつち潤ひぬあかなすきうり獅子とんがらし
                *
  立つといふことに拘るわが犬は頽(くづほ)れるたび呻き声あぐ
  前足も身を運べざり後足まして立たざりいざり移動す
  跛行なる犬とわたしに春すぎて夏きたるらし地にぞ雨降る
  われはもやお母さんとぞ呼ばれたる獣医師は鎮静剤をくれたり
  良性か悪性なるか如何せん大き腫瘍は鮮血を噴く
  凍結の処置ほどこされ横たはる親指ほどの大きさに瘤
  伸縮性包帯を巻き老犬は傷病兵のごとく横臥す
  転移より老衰のはうが早からむ医師とわたしは共謀者なり
  鎮静剤のませしのちは頑なに歯をくひしばり水も拒絶す
  むつき外しお尻をぬぐひ包帯を替へしところで夜が明けにけり
  とろとろと薬の効果あらはれて眠れる犬よまだ生きたいか
  人ならば眠つてよいかと問ふならむ抱きおこして背を摩りをり
  もうまもなくお暇しますと言ひ出さめ六月青い紫陽花の朝
  犬と生きしことなき人よわたくしを愚かと言ふか愚かなるべし
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いつもながらの村島さんの佳い歌群である。「星の林」という題名が的確である。
死にかけている老犬に注ぐ視線が温かい。
この号の前の94号を三か月前にいただいたのだが、丁度、私は体調を崩していて、ここに紹介できなかった。
手、指がむくみ、全身脱力で、力も入らず、文字を書くことも、キーボードを操ることにも難儀した。
お詫びするとともに、今は軽快したので、ご放念いただきたい。
有難うございました。
  



村島典子の歌「冬の日」34首・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(26)

     村島典子の歌「冬の日」34首・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・「晶」93号2016/03所載・・・・・・・

       冬の日         村島典子

  雨を呼ぶわれであるらし雨つれて時計回りの琵琶湖周遊

  湖の西ゆきゆくわれら比良をすぎ伊吹嶺めざす鬨の声あげ

  左岸より湖めぐりゆく半日の旅ぞ北指すころに伊吹嶺

  過去より未来へ列車よぎるか未来から過去世へゆくか曖昧ならむ

  生れかはり死にかはりせむわたくしを乗せて鈍行列車はい行く

  切り離されて敦賀へむかふ四輌の列車ここよりわれは旅人

  各停のドアー出で入る風のありわれら旅人霜月まひる

  手動ドアの珍しきかなヒラケゴマと釦を押して一人降りたり

  川いくつ湖へそそげる霜月の雨のみづうみ膨らむごとし

            *

  けさ秋は澄明なればわがからだ青一色に染まりゆくなり

  腫ればれと咲いてゐたのだアキノノゲシ然りげなきこと今日の歓び

  街上に死者とわたしと行きあへりあをあをと冬のそら澄めるころ

  われはいま冴えわたるらし矩形の窓辺をよぎる囁きを聴く

  深きねむりの奥にて鳴きしものの声近づき来たり犬となるまで

  乳母車に乗せゐるものは赤子、否、わが老耄の犬にさうらふ

  乳母車に乗せゐるものは犬なれば長き耳あり尻尾をもてり

  むくつけき狼などではありません赤頭巾のお祖母さんです

  乳母車に乗せて廻れば犬すらや極楽ごくらくと呟くごとし

  雨乞ひの地蔵のまへに畏まりわが犬のわれお辞儀をなせり

  床下にもぐり匍匐前進す夢のなかにてトイレを探す

  朝まだきわれは籠りて神様を呼び出したりトイレの神様

  たまはりし水菜辛子菜むらさきの葉先をもてり刃物のやうな

  むらさき色の辛子菜を湯に放つときアントシアニンすなはち出づる

  タネ屋にて購ひし種にてむらさきの不可思議な菜の育ちしといふ

  しやきしやきと歯のたつる音冬の日の夕餉のわれの菜を食める音

  柚子の種酒にひたして皹のわが手の指になじませむとす

  目と耳といづれ残らむこれの世のまぼろしとして耳目養ふ

  おほどしの辺りあたりに満つるをこゑ擦るるまでの魍魎のこゑ

  森岡貞香よみつつおもふキリストの誕生会の朝の少女聖歌隊

  階段下り犬抱きにゆく夜よるをわれはもこの世の人にあらずや

  鳥すらやく急くことのある暮れはてて水菜あらふと庭に出できつ

  熱々の牡蠣を食べよと備長の炭運びくるおほつごもりに

  焼かれつつ苦しき牡蠣は炭の上に口わひらけり食べられむとす

  窓ガラス掠めゆくものま青なる空へ飛び去り離れゆくもの
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いつもながらの村島さんの作品である。
今回は秋から冬への身辺を詠われた。
ご恵贈に感謝して、ご披露するものである。





村島典子の歌「青空が翔ぶ」33首・・・・・・・・・・・・木村草弥
村島_NEW

──村島典子の歌──(25)

     村島典子の歌「青空が翔ぶ」33首・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・・・・「晶」92号2015/12所載・・・・・・

     青空が翔ぶ     村島典子

   夜ごと夜ごと他者なるわれは夢に来て狂へる人となりゆくごとし
   晴朗な明快な日がくるだらうわが晚年はいまどのあたり
   ほんたうの歌とは何か足もとゆ先生のこゑわれを衝きぬく
   さみどりの翡翠の念珠なにごともなけれど取り出で眺むる夕べ
   杖つきてF氏去りゆく後ろでの君ますならばF氏のやうに
   取り返しつかないことの一つにて一枚目残し手紙を出せり
   非常ベル鳴らせてしまひパニックののち静かなる居直りがくる
   ながいながい夢の途中と思ふまで推理小説こぐらかりきぬ
   戦後七十年目「ヒロシマを、わたしを、償(まど)うて」と叫ぶ死者たち
   償うてくれと焼けて身体が海へゆく八月六日七つの川を
   蝉声は世界をふるはす静寂の未明の大地ひとつかなかな
   天の虫かひこは桑の葉にもぐりこの世を食める音かそけくも
   一 、二、三、四回ねむりうつくしき繭となりたり宇宙を産まむ
   桑の葉を摘みに出できぬ幼日のまさこちやんとわれ草履を履きて
   カタツムリ集めて力エル屋に売りにゆく力ーパイドの匂ひ漂ふ家に
   犬おまへだんだん人間に似てきたる甘え鳴きして立てぬと呼ばふ
   夜々なきて愚図るおまへはもうわれの生みし子である尻尾をもてり
   かくのごとき小さきことも死の後は思ひ出だしてわれは泣くらむ
   百閒のやうには泣かぬ泣きつかれ車房に揺るる百閒をかし
   風土には風土のひかり草木さへあふみの国の気立てをもてり
   ひらくよさあひらくよと歌ひつつあさがほは咲くひとの見ぬまに
   夢やなあと思ひながらに見るゆめもこれの世の蜜曖昧なれど
         ルネ•マグリット展にて七首
   あきらかに鳥は交歓するのだらう鳥のかたちに青空が翔ぶ
   見ゆるもの見えざるものは木のあはひゆつくり馬上の婦人よぎりぬ
   はや足は靴の一部に融けあひて石壁のまへ揃へられたり
   見しことはなべて忘れよ振り向かばあしたの樹々は目鼻を生やす
   岩の上に祀られたればピレネー城地球をまはる衛星となり
   永遠はかくのごとくにおだやかに城を乗せたる巨き岩浮く
   青空に白雲の浮きルネ・マグリットなんて明快なんて難解
   丹波橋にて乗り換ふるとき背後から服が投げらるわたしの上衣
   忘れ物力ーデガンを放りくれしは端正な人ドアが閉まる
   なにかかう空(くう)なるものがわたくしを兎に角無事に歩ますらしも
   目を閉ぢてわれは聴きをり長月のはじめの雨が夜を渡りくる
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敬慕する村島典子さんの新作である。
比喩と心象表現で書かれているので平易ではないが、味わっていただきたい。
スキャナで取り込んだので「文字化け」がまだあれば指摘してください。すぐに直します。
贈呈に感謝して紹介を終わる。




村島典子の歌「踏絵」31首・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(24)

      村島典子の歌「踏絵」31首・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・「晶」91号2015/09所載・・・・・・・

       踏絵      村島典子

   ある日ふとわたしを束ね旅に出む地上は春だ装ひをせよ

   子育ての季節となりて鉄塔の上にカラスの家が建ちたり

   頓馬なるムクドリたちが換気扇に巣を営むと藁をはこび来

   犬は犬のことばもつらむすれ違ふとき鼻よせあひて何か語れり

   とりあへず三回飲まさむと獣医師とわれは額を寄せて言ひあふ

   衰へて文句を言はなくなりましたと告げたるとたん二ャーンと言ひつ

   永別はいつの日かくる起きいでて濡れたる鼻を手に包みたり

   けさの足きのふの足にあらざるや文明言ひしをわが犬に問ふ
                                 * 土屋文明
   ほいほいとハウ酸だんごを置き回るゴキブリになりし気持せりけり

   牡丹ざくら校舎のうらの丘にあり秘密のわれの花の基地なり

   学校のうらのごみ焼却場ゆきてエンピツの屑など探しき

   一途なる思ひをもちしわれなりき若き日先生は持て余されき

   いまならば分る気がせり先生のきびしさは存在の深きさびしさ

   「わたしつて成つていく者」と言ひたりし高橋たか子もうゐず

   東寺なる弘法市にひしめきてアジアびとあり古物あがなふ

   二千四百万円の李朝の壺の商談も古物商らの筵のうへで

   その下の花台十万と声がとぶ欧州の人戸惑ふばかり

   弘法市にて踏絵売られてゐたりけりちかぢか寄りゆくキリシタン遣品

   キリシタン踏絵のイエス・キリスト像息を呑みわれ吸はれゆくなり

   ブロンズのマリアの像の枠板に嵌められてあり小さな踏絵

   大いなる独逸あやめもつぎつぎに花ひらき花つぼみそして了りぬ

   ハルノノゲシ、オニノノゲシとわき見して麺麭買ひにゆく雨の上がれば

   だんだんに歳とることに在り慣れて夕べは小さな段差につまづく

   刑死まへの幸徳秋水の遺言の如是而生如是死(かくのごとくにしていきかくのごとくにしす)

   幸衛といふ秋水の甥ゑかきにて普通に生きしと書物に知れり

   訳もなくかなしくなりぬ歩きつつ無人の家のムラサキクンシラン

   訳ありてかなしくなりぬスパゲッティ・ナポリタンを犬と分かちて

   あれは何時のことだつたかとふと思ふとほいとほい前世の夏

   ああ一生は不可思議なるよ生れ生れて初めを知らず終りを知らず

   新しき眼鏡つくると来しわれは百のめがねに見つめられをり

   角めがね丸めがねあり真ん中にやさしき力ーブの桃色めがね
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村島典子さんの新作の歌群である。
いつもながらの練達の歌作りに瞠目して鑑賞した。 隠れキリシタンの「踏絵」が弘法市に出ているとは、値打を知らない、ひどい仕打ちである。
摂津辺りは高山右近の関係もあり、キリシタンが多かったというから、恐らくは、それらに因む遺品であろう。
みなさんも、じっくりと読んでもらいたい。
ご恵贈ありがとうございました。
スキャナで取り込んだので「文字化け」があれば指摘してください。 すぐに直します。




村島典子の歌「春のくぢら」30首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(23)

      村島典子の歌「春のくぢら」30首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・「晶」90号2015/06所載・・・・・・・・

        春のくぢら         村島典子

   雲海の只中およぐごとくゆく春のくぢらにわれはなりたし
   東北に星屎(ほしくそ)のあり沖縄に印部石(しるびいし)あり春のにつぼん
   はたはたと琉球の地図風に鳴るしるびいしとふ石のありけり
   しるびいし置かれてのちに琉球の古地図は成りき十八世紀
   清国を経て琉球に伝ひ来しフランス三角点測量法は
   国の位置は王の位置たりルイ十四世も乾隆帝も尚敬王も
   行きしことなけれど今もアラゴーの北指す国の子午線の石
           *
   神宮の社にかるたの声ひびき木霊かへれるきさらぎの湖
   寒の雨みづをもぬらす君はまたはらからひとり見送りたりし
   むかしより姉はかなしき掟もつと見送る坂に氷雨ふり来る
   大津皇子を送りし姉のかなしみに近江湖北の雪を見にきつ
         二月九日、湖西から湖北、湖東へとJRを乗り継ぎて、琵琶湖をー周す。
   胎内をくぐりゆくごとトンネルをいでて列車は雪原に生る
   われらいま比良雪嶺の裾をゆく雪けむりあげ対向車すぐ
   歌はねばまぼろしとなる雪原を列車すぎたり雪けむりあげ
   近江なる今津、塩津のみづうみの消えてしまひぬ霏々と雪ふる
   雪照りの近江塩津の時間待ちホIムの雪に君は触れにゆく
   安曇川は雪原のなか黒々と一筋のみづ墨ひくごとし
   天恵の雪とおもへり高月の観音さまの御堂のうへに
   ふぶきたる雪に伊吹の山みえず余呉湖もみえず非在のごとし
   ささなみの志賀のみづうみ廻る日のたふとき時間きらきらとせり
   とほき日の歌誌ひらきたり夕ぐれのひかりの中に歌零れたり

        「流星の尾が打ち降ろす一瞬を人は壊るるために生れにし」
                        小林幸子「O」Ⅳ号「河づくし」より

   こんなとき汀子さんなら何とせむ黙して君の背をさするほか
   二子橋のてすりの柱かぞへつつ母に会ひたき姉とおとうと
   おとうとは多摩川わたりかの岸へかの日のごとく母に逢ひしや
   斯くありてあなたの中を旅します「晶」創刊号から八十八号
   「アフリカの詩」より太鼓が鳴りはじむいのち森く大地の歌よ
   振りかへる隙にあなたは階段を妖精のやうに駆け上りたり
   天上に一番星ののぞくとき渋谷松涛町春のゆふやみ
   春はまためぐり来たれど君まさず地上あはあは花につつまる
   むざむざと死なせし人にあらなくに夕べさくらはわれを泣かしむ
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今号は「晶」の創刊同人であった原田汀子さんの追悼号である。 94歳だった。 八冊の歌集を上梓されているようだ。
ここに引いた村島さんの歌の後半は、原田汀子さんの追憶が詠まれている。
第三者には判らない経緯が歌にされているが、情趣ふかい内容になっている。
他の人の追悼文などによると、「ヤママユ」創刊者の前登志夫の薫陶も受けて来られたようで、「晶」として、ここに集まる人々との繋がりが、ようやく判った。
現責任者の小林幸子さんも村島さんも前登志夫の高弟でいらっしゃる。 勿論、「ヤママユ」以外の系譜の方も、いらっしゃる。
村島さんの懇切な追悼文もあるが省略させてもらう。
今号の「あとがき」に、以下のような村島さんの文章があるので、引いて筆を置く。  ↓
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あとがき
★三月の半ば、那覇まで映画を見に行った。
1泊二日の旅。半世紀の後に封印を解かれた
「イザイホウ」という1966年の久高島の
神事の記録作品である。12年に一度午年の
旧暦十一月十五日に行われるイザイホーは、
久高島の成巫儀礼の祭事。 1978年を最後
に消滅する。島で生まれ育った、三十歲から
四十一 歳までの女性(両親も夫も島人)の神
女となる儀式である。1942年にはほぼ完
全な秘祭であったが、12年ごとに学者、見
学者、マスコミに少しずつタブーが犯されて
いく。その上、ノロの高齢化、過疎化で肝心
の該当者が激減する。
モノクロの映像、小さな劇場に息を張り詰
める。「えーふぁい」「えーふぁい」という掛
け声が、夕闇のなかでいっそう遠く連呼され
る。一日目の「夕神遊び」は裸足に洗い髮で
「七つ橋わたり」を繰り返す。その場面を注
視していたのに、度々わたしは睡魔に引き込
まれた。「見てはならぬ」と命じられたように。
1967年の島での試写でこの秘祭は上映
を封印されたのだった。往復の機上は、春の
雲海の上。ふしぎな旅だった。 (村島)


村島典子の歌『紅葉』20首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
村島

──村島典子の歌──(22)

       村島典子の歌『紅葉』20首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・季刊歌誌「晶」89号・2015/03/05所載・・・・・・・・

        紅葉         村島典子

  五時半に起きいでめがねを磨きをり紅葉づる山をしかと見むため
  雷神とともに来しかなさつきまで雨ふりゐたり瑞石山は
  吹きあがりまた吹きしづむ紅葉の渓を流るる雨後の愛知川
  旦度橋こえて紅葉の寺へいさ一人二人三人連ね
  山門をくぐりしところに購へり紅葉の切手きつねのてぶくろ
  本堂の葭葺きの屋根のもみぢあめ雨後にぞいよよ冴えわたりける
  なでぼとけおびんづるさま本堂の外陣の端のありがたきかな
  隙間なく散り敷くもみぢ踏みてゆく踏みつつ磔刑のキリストおもふ
  永源寺の裏山くらし愛知川はながれながれて夕照を曳く
  しなやかに細枝の楓きりぎしを風にそよぐと見て立ち尽す
  三つの首渓にさしだす吹き舞へる紅葉ふぶきに禊せるごと
  枝なベて川へ伸びたりかへるでは可愛ゆしここだく手をふりにけり
  すつぽりと紅葉の寺の夕景に友とわたしと夫のつつまる
  もみぢ曼陀羅参道くだり憩ひをりあつあつ蒟蒻売られてゐたり
  振り向けば夕陽のなかを水はゆき錦の秋の鈴鹿山脈
             *
  竹むらの竹の葉ずれに神やどり歳あらたまる大萱の山
  あらたまの歳のはじめに大雪のみづの近江に降りつもりたり
  厳冬の凍れる水面に下りきて鳥たちあそぶ公園の池
  足元よりくづほれはじむ雪だるま昨日の雨にまけずありしを
  あふむきて空を眺めて雪だるま小さき家のまへに立ちをり
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おなじみの村島典子さんの歌の一連である。
最近は娘さんの嫁いでおられる沖縄は渡嘉敷島を詠ったのが多かったが、今回は、お住まいの滋賀県の琵琶湖東岸にある紅葉の名所・永源寺辺りを詠まれた。
いつもながら心象に沁みる歌群である。
歌の中には、いくつかの地名が出てくるが、検索で調べられたい。



村島典子の歌「木霊草霊」20首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
村島

──村島典子の歌──(21)

       村島典子の歌「木霊草霊」20首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                          ・・・・・・・・季刊歌誌「晶」88号2014/12所載・・・・・・・・・・

        木霊草霊     村島典子

   カナカナの鳴きそむるかな黎明は木霊草霊そら満つやまと
   夕合歓のはな敷きのベて眠らばや死者とわかたむ淡きくれなゐ
   手につつむ冷たきみづの心地よくガラスの器ふたつ買ひたり
   紺碧の海と青空わたり来よ少女こそ鳥、琉球の鳥
   小三の少女がひとり降りてくるスカイマークの大き翼ゆ
   少年は少年の誇り忍ばせてわが前あるく五十メ ートルさき
   あ、さて、あさてさて南京たますだれ少女の鬻ぐままごとの店
   一片の詩篇のやうだねすぢ雲の夕空みあぐ子らと路上に
   長沢川にみづはあふれて流れたり葦の穂むらも引きたふしたり
   暗きへやのソファーに凭れし人見ゆる何するなくも坐りゐるなり
   窓辺からひかりあまねく射し入りて鬼灯のひとつ灯を点したり
   踏みしだく葛の葉むらに去年見てし可愛ゆき蛇の潜みかあらむ
   目覚むればまた雨のおと床の上に厭き厭きとして愚図愚図とせり
   ずぶんずぶんと足元沈き草はらをよぎり書肆まで本買ひにゆく
   葛のはな三つ盗みて帰るわれ甘き香はなつ花くび提げて
   たかさぶらう田の畦に咲くきよらかな秋のしるしぞ知る人なしに
   行き違ふ手紙ありしや鳥はこぶ魂とおぼゆる湖のうへ
   水中に犬の介護をながながとけさは聞きをり耳泳がせて
   東にはひがしの友垣南にはみなみの子らありわれは湖辺に
   つひにわが庭の浜木綿咲きにけり南の島に種子拾ひ来し

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この号は今年上梓された村島さんの歌集『地上には春の雨ふる』批評特集となっているので、その中から一つ引いておく。

         天上と地上と        小林幸子

村島典子歌集『地上には春の雨ふる』の作品の背景には、それぞれに磁力のつよい三つの土地がある。
  雨霽れしのちの湖上に厳しき雪のお山のあらはるるかも
  近江より吉野へ鳥よたつべしと花咲くまへの山が呼ぶなり
  大きなる胎と思へりささなみの志賀のみづうみ破水せりけり
第一歌集『夕暮れのみづ』のころから作者は大津市打出浜に住み、戸口まで打ち寄せてくる琵琶湖を詠いつづけて来た。
二人子を巣立たせたのち、湖岸からは少し離れた大津市一里山へ移り住み、琵琶湖とのほどよい距離感が生まれたようだ。
かつての湖の中へ誘い込まれるような惧れと不安が遠のき、全存在をつつみこむ真水の胎として感受されている。
古代的な歌枕の地である近江の国、雨後の湖上に,雪の比叡山がきわやかに現れる巻頭歌は,やわらかなしらべと古語によって風景を称える土地頌めの歌である。
二首目は,吉野山中に病み臥す師、前登志夫に、鳥になって逢いにゆけと山が呼ぶ。
師の命終の迫る予感が吉野行を促すのだ。
三首目は、傷めつけられた自然の悲鳴のような湖の氾濫を、「破水」という母胎の苦しみとして引き受けずにはいられない。
  清涼のみづふふみます喉の戸に白山桜は花あふれしむ
  ひらひらと訣れの合図点滴の手首ぞかなし振りたまひけり
  点滅し呼びあふほたる雨の夜の合図を送る人のあらなくに
一、二首目は、前登志夫の死の三日前、四月二日に古野の家を訪ねた歌である。
「清涼のみづ」をふふむ師の「喉の戸」に咲きあふれる白山桜は、その旅立ちを祝福するかのようだ。
歌集には「ああわれに歌の師のあり今生にいさかひをせし師のおはしけり」という哀しみ深い歌がある。
様ざまな葛藤があり、師と「ヤママユ」から遠ざかることになったが前登志夫から分かたれた詩魂はいささかも失われることはなかった。
そのことはよくわかっていたよ、と師は点滴の手首を振り伝えようとしたのだろう。
三首目はそれから二年後、前登志夫の歌碑のある黒滝村で、愛娘いつみさんも一緒に蛍をみた夜の場面である。
水辺から湧き上がるように蛍が飛び交い、吊橋をつつむ夢幻の光景。
ひとつ蛍はいつみさんの傘の柄に、第子たちの指から指にとまり、息づいていた。
「合図を送る人のあらなくに」と打ち消しながら、師の合図をありありと受けとめている。
  墓山は昏れてをぐらしてんてんと自決の島に白き花咲く
  浜下りとふ言葉すずしき琉球のをみなの春のうんずんの海
  沖縄人の妻となりたるわれの子の三弦弾くに涙こぼるる
  魚のまなこ取り合ひ喰らふ二人子はキジ厶ナーぞな樹を揺さぶれり
長女が沖縄の渡嘉敷島に嫁ぎ、琉球の血を継ぐ二人子が生まれた。南島との縁は村島典子にとって運命的なものに思える。
渡嘉敷島は、終戦の年の三月二十八日、集団自決を強いられ島民三百数十人が死ぬという過酷な歴史をもつ。
渡嘉敷島を歩くとき、島人の死を、自らの痛苦として感受せずにはいられない。しかし島で過ごす日々が、作者をお島の悠久の時間につつみこんでゆく。
沖縛を択んだ娘の靱さや、島に育つ子供たちの明るさによって、生命力が作者にも付与されるのだろう。
  地上には春の雨ふる雲上は晴天である咋日もけふも
  にんげんは必ず死ぬと告げられて地球の出づる月の平原
  蒼穹はこの世のそとにひらかれて生まれしまへの時間をたたふ
歌集名となった一首目、私は前登志夫の「木木の芽をぬらして春の雨ふれりそれ以上のことありとおもへず」という『青童
子』の歌を思い出す。
何事もなく四李が巡り、木々の芽をぬらして春の雨がふる自然の営みのかけがえのなさを、大震災後の日々を生きる今ほど思うことはない。
掲出歌は、沖縄への機上でみた、雲上と地上の不思議な風景の対比に、天体の摂理を慼受する。
雨は地上のなべてを生み、育むものだ。近江、吉野、渡嘉敷という、トポスの共通項は雨、水であるといってもいい。
二首目は、月面探査機「かぐや」のとらえた映像を視ているのだろう。月の平原に沈む小さな地球の懐かしさ。
その星には「必ず死ぬと告げられ」た人間が住む。必ず死ぬ人間だからこそその暮らしが愛おしい。
それは地球の時間からみればほんの瞬きの間に過ぎないのだが。・・・瞬きの間から永遠に近い時間までが村島典子の時間感覚なのである。
三首目の「蒼穹」は、歌集表紙の深い蒼色であろう。時間と空間が溶解する宇宙の色のようでもある。そこに永い未生の時間を過ごして、またいのちは地上に生まれるのだ。
  梢から「あつちゆく!こっちゆく!」と鳴く鳥につきて林をくぐり来しかな
  見上ぐれば橡のさみどり雨の森千のこどもの潜めるごとし
  小川の上に木の橋ひとつ渡されて往き来す人は丘の畑へ
どれも記しておきたい歌である。鳥の声の聞き倣しのおもしろさ、どんな鳥だろうか。
村島さんは雨がすきな人だ。雨の森の橡の木に潜む千のこどもは、これから生まれて来るこどもだろうか。
大江健三郎の、故郷の森の樹に再生するこどものようでもある。
三首目はどこにでもありそうな里山の風景だが、村島さんの生まれ育った大阪郊外の里の原風景にも思える。
  草むらに大き薬缶は転がりてただ在ることをわたしに迫る
  年越さば臓器のふたつ失はむ夫のつくりしあまたの器
  野にひとつ小さき椅子の据ゑられて老い人のため朝を待つなり
草むらに転がっている大きな薬缶の単純で圧倒的な存在感。
大手術をひかえている夫のつくる器の、素朴であたたかい手触りはいのちそのものだ。
野にひとつおかれた小さき椅子には、星空のもと父母や師がそっときて座る。朝が来るとその椅子には、作者や夫も座るのだろう。
永遠という時間のさざなみが打ち寄せる野原の椅子である。

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いつもながら読む者の心象に深く迫ってくる村島さんの歌群である。
小林幸子さんの批評も的確である。 小林さんは短歌結社「塔」の選者をなさっている。
村島さんから当該歌集をいただいた時には、私も、このブログ ← で取り上げたので参照されたい。
ご恵贈に感謝して、ご紹介しておく。

(お断り)スキャナで原稿を取り込んだので、多くの文字化けが生じる。子細に修正したが、まだあれば指摘してください。
すぐに直します。



村島典子の歌「花の楽土」30首・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
村島

──村島典子の歌──(20)

      村島典子の歌「花の楽土」30首・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・・「晶」86号2014/06所載・・・・・・・・・・

          花の楽土     村島典子

     星つつむやはらかき雲ゆめに見しきのふの祖(おや)の夢にかあらむ

     あふちの樹切り倒されぬ犬つれて遊びし小さきお山もさびし

     栴檀の樹はつつましく立ちゐたりあはあはと甘き香を漂はせ

     あしひきの憶良・旅人のなげきさへ時間のそとぞと春の雨ふる

     あふぐたび旅人の妻を思ひけりあふちの花は今年は咲かぬ

     寒の戻りし日暮ま直ぐな百合の樹はうすくれなゐの芽をやしなへり

     鴨の糞そこここに残りし沼の辺にもう鴨はゐず早春の風

     寒の戻りの夕空に浮く雲ふたつ眺めてあれば逆立つごとし

     沖縄へ発つと勇みし夫の背はをさなごほどの喜びあふる

     夫ゆきて残りし犬とわたくしとさて留守事になにをせむとや

     いそいそと出かけし一人うきうきと自由を満喫せし一人

     かたくなに抗ふ犬を促してポストまで来つ左様なら手紙

     「老いた親の捨て方」とふ見出しの載りし週刊誌広告欄なれど読み捨てがたし

     「親を捨てよ」はかく明解なことばゆゑアナタマカセの子らよ目覚めよ

     信頼のきはみならむか今昔の姥捨てといふかなしき掟

     老耄のわたしの犬はもう行かぬ春待つ山も鳥鳴く森も

     犬の行かぬ早春の山明るかり犬よ若き日はたちまち過ぎぬ

     二歳なりし犬とはぐれし谷間なりそのま清水に手を浸したり

     早春の山へりんごの荷をひきてから信濃から来しとふりんご売り人

     りんご木箱おまけに貰ふ木の箱は昭和の匂ひ時間のにほひ

     人の名を呼びつつあるく人の名を二度呼びたれば花ふりかへる

     らんまんの春にひきたるこの風邪はインフルエンザB型なりぬ

     頭四肢胸腰なベて痛みたり百叩きとふ刑にやあらむ

     はるあふみお山も里も野も川も花の楽土とひと言ふなれど

     インフルエンザに罹ればこんなに苦しいぞ天道虫にも告げずにをれず

     さくら通り連れ立つひとや犬つれてすずろ歩きをするひとの見ゆ

     五日目に禁忌をやぶり蒼天にほれぼれとさくらさくらを愛づる

     れうらんの花の四月の川筋を風邪(ふうじや)のわれは咳きこみて過ぐ

     いくひらの花びら鳥のまなこもて遊ぶこの世の春の近江に

     喑緑の川さかのぼりらんらんと眼のひかる祖に会ひにゆく
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恵贈されてきた村島典子さんの新作である。
インフルエンザに罹られたようだ。 私が腎臓結石が動いて苦しんでいた頃のことである。
私の持病は、いまも動いて悪さをしている。
村島さんは先日歌集『地上には春の雨ふる』を上梓されたのは、→   ここで紹介した

有難うございました。




村島典子歌集『地上には春の雨ふる』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
典子

──村島典子の歌──(19)

     村島典子歌集『地上には春の雨ふる』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                       ・・・・・・・ながらみ書房2014/05/29刊・・・・・・・・・

この歌集は、私が敬愛する村島典子さんの第五歌集である。
本日ご恵贈されてきたので、ご披露する。
村島さんの歌については、発表される度に、ここで紹介してきたが、この歌集には、それらの作品がほぼ収められている。
即ち、2007年早春から2013年初冬までの作品四百首が、ほぼ年代順に収録されている。
先ず、題名の採られている一連を引いておく。

          地上には春の雨ふる

   きさらぎの淡海かすむ琵琶のうみ万(よろづ)の鳥のこの世にあそぶ

   朝もやの水面に降りてあそびたり父ははそしてこぞ逝きしひと

        武田百合子『富士日記』を読みつつ五首。
   本の中のことにてあれど犬が死にわたしは哭きぬ机に伏して

   著者の日々読みつぎくればその夫、娘、その犬身内のごとし

   日に三度の献立よむも面白し濃やかなりし百合子の暮し

   泰淳の死は近づくか、死の予感「日記」にあふる胸つまりたり

   ただ過ぎに過ぎゆくものと記されし春夏秋冬しみじみとして

   ☓ 父ははも師もいませねば夜に爪切りて咎めらるることなしさみし

   ☓ 秋埋めし球根なれば芽を出せりはや忘れゐしところにも出づ

   ☓ 水の中歩かむとして出できたり雨しげきなか傘さしながら

   ☓ きさらぎの水中ウオーク雨の日も春です雨を見ながらあるく

   立ち話する肩ごしに見えゐたり美容室に髪洗はるるひと

   ☓ 此の月は修繕月となりぬべし外科歯科内科医者めぐりする

   ☓ 待ち時間二時間にしてぐらぐらと生身のわれ石となるまへ

   ☓ 神経を殺すとたやすく言ひきられ麻酔の口がまず従へり

   「この歳になつても死にたいと思ふ日があるのよ」晩年に言ひしか白洲正子

   かくありて春はめぐりぬひと日づつ死者にちかづくわれと思へり

   地上には春の雨ふる雲上は快晴である昨日もけふも

   ☓ 父ははの位牌にならび微笑みます至誠院釈道登居士こぞの春より

ここに書き抜いたのが「晶」に載る初出の歌だが、その中から「☓」をつけた歌が削除されている。
そして、別のところから、下記の歌が持って来られて繋がれている。

   花二三分咲くとし聞けば落ちつかずさむき夕べの川辺まで来つ

   さりながらなづなたんぽぽほとけのざ可憐な花は野に揃ひたり

   朝なさな鳴くウグヒスに声あはせ鳴かずにをれずほゝほゝほきい

これが歌集の「編集」ということである。
また私には初見の歌の一連もある。 「アリラン碑」という一連である。

            アリラン碑

   山羊の頭蓋波に洗はれゐたりけり遠世のごとし渡嘉敷の浜
                  ・
                  ・
                  ・
      渡嘉敷島南方の山の中腹に、朝鮮人従軍慰安婦の碑がある。
        この島への配置は七人。内四人は戦時中非業の死を遂げ、二人が終戦時に脱出。
        一人は残留の後孤独死なせると言ふ。


   ハングルの詩文刻みし陶器盤のいしぶみありぬアリランの碑なり

   鱗もつごとくに光るアリラン碑この島に死にたりき慰安婦四人

   和名にて呼ばれたりしよハルエ、カツコ、キクマル、スズラン、ミツコ、アキコ

   韓国名ペ・ホンギ、アキコ残留の後ニッポンに孤独死なせり

   朴ハルモニこの渡嘉敷の浜に立ち故国おもひき海のかなたの

   コンペイトウ恵みもらひし少年の語るアリラン慰霊モニュメント

今しも韓国女性慰安婦の問題が論議されている。日本人としての「恥部」の記憶として、これらの女性たちには十分な補償がなされなければならないだろう。
ましてや、「従軍慰安婦の問題は存在しない」かのようなことを言う輩は論外である。
ここに村島さんが一項目を設けて歌を発表された「良心」に最大の敬意と賛意を表するものである。
そして、ここに「アリラン碑」を建てられた島の皆さんにも感謝を捧げたい。
また、下記のような一連もある。

                  秘匿特攻艇壕

         渡嘉敷島の渡嘉志久ビーチに秘匿特攻艇壕が一つ遺されありき。
            このビーチから米兵は上陸せり。敵戦艦に体当たりし、撃沈させる目的ら造られしベニヤ板のボートは、
            一艇も使はれず、米兵の上陸に至りぬ。


   くろぐろと離島(ぱなり)のいくつ洋上にすがた現る船にゆくとき

   かの人の母国ならむかまぼろしの半島あらはれ消ゆるつかの間

   島々のあひだにすごき朱を曳きて夕日ありけり林間ゆみゆ

   光の帯ひきつつ慶良間の海に入る凄まじきかなこの世の落暉

   海浜の丘を穿ちて造られしとふ壕のひとつが遺されにける

   秘匿特攻艇隠されし壕のまへに立つ上陸戦は幻影ならず

   自沈せし特攻艇はベニヤ製爆雷二個を装備されたり

   隊員の生還不可といはれたり挺身隊は出撃せざりき

沖縄の地は日本本土を守る前線基地として、あまたの人の血にまみれた戦場だった。
我らは、このことを深く脳裏に刻み、身を処すべきだろう。 これらの一連を歌にされた村島さんに改めて敬愛の念を捧げたい。

この歌集に収録された多くの歌については、先に書いたように、発表される都度、ここで紹介してきたので、多くは繰り返さない。
ここに、ご恵贈に感謝して披露申し上げる次第である。 有難うございました。   



   
村島典子の歌「古代の渚」34首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(18)

     村島典子の歌「古代の渚」34首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・「晶」85号2014/03所載・・・・・・・・

        古代の渚     村島典子

   木漏れ日は風のまばたき梢から一匹の虫着地せりけり
   老犬はひねもす庭にいねながら昨日とちがふ今日を生きをり
   去にし人のひとりひとりを呼びながら水辺をいゆく霜月十日
   さくら紅葉のしたゆくときし死者の数ふえゆくらむや十指に足りず
   鳳仙花はてぃんさぐぬはな朝鮮と琉球に咲くつよくかなしく
   夏すだれ外し洗ふと門にいでて振りあふぐ天沖縄につづく
   子の手術はじまる頃かおろおろと窓磨きをり愚かな母は
   わが少女南の島にこの朝ひとり起きいで登校せむや
   枕頭の目覚し時計が子を起す南島の朝はまだ喑からむ
   祈りとはかく果敢無くてさびしきか子安地蔵のまへにかがめば
   蒼あをとひろごる海を思ふとき樹海の梢波打ちにけり
   「生き直す」とつぶやきてみるはらはらと柿は錦のもみぢを散らす
   やりすごすといふ感じにて南島のむすめに会ひにゆくまでの時間
          *
   そらと海奪ひあはむとにんげんの愚かしきかもこの星に棲み
   海坂のむかうはわれの知らぬ域東シナ海とその上のそら
   花火草はじける昼を渡嘉敷島の港に着きぬ近江びとわれ
   人のゐぬ冬の島辺の砂浜に癌病む娘と海を見てをり
   蒼穹はこの世のそとへひらかれて生まれしまへの時間をたたふ
   星砂の浜にきたりて娘と二人もろ腕ひろぐ飛び立てわれら
   ヤドカリの歩みし跡はうつくしき道をなしたり砂丘にのびて
   蟹のつけしハの字の跡も道なせば辿りゆきつく小さき巣穴に
   殻に息ふきかけヤドカリ追ひだすと少女とわれは力をあはす
   蟹の巣穴に棒さしこみて悪さする少女八歳われ六十九歳
   引き潮の浜につくりし富士山へ雪を降らせり南島に子は
   砂盛りてつくりし富士もゆふぐれは波に攫はれ消ゆべくなりぬ
   モモタマナといふ浜に生ふる樹黒き実ををりをり零す泪のやうに
   モモタマナ黒き大きな実をこぼす牛の優しきまなこの形
   その盛りはや過ぎたれどサガリバナ橋のたもとに見にきたりけり
   バクチノキ、ボロボロノキ、アマクサギ、セウベンノキを図鑑に探る
   そこまでは古代の渚(なぎさ)蒼穹の渡嘉敷の涯ウン島に来つ
   白砂に岩生えしごとくろぐろとビ—チロックは古代の渚
   冬の浜に拾ひし貝はスイジガヒ火難の護符なり星のかたちの
   クリスマスツリーに星は飾られて渡嘉敷島の満天の星
   昨夜(きぞ)浜にあふぎし島の三日月のこよひ近江の湖の上にいづ

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村島典子さんの新作が「晶」誌に掲載され、私に恵贈されてきた。
いつもながらの心象の盛られた、心うつ作品群である。
南の島の嫁がれた娘さんがガンの手術をうけられたようである。
健やかに恢復されることをお祈りするばかりである。


村島典子の歌『マザーレイク』32首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(17)

       村島典子の歌『マザーレイク』32首・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・「晶」84号2013/12所載・・・・・・

        マザーレイク     村島典子

                        *七月十二日卨橋たか子死去
  わたくしの夢想そだてしかの人は神に召されたり炎暑の夜明け
  誰よりも厳しき視線神まさばかの人のごとしとある日は思ひき
  青ぶだう紫ぶだう水晶のごときしづけさ死者のいきざし
  ふるさとの墓原の辺のぶだう棚に眸をあけよ懐かしき人
  樟も篠懸けの木も百合樹もただあをあをと真夏の大地
  白桃を食めばおもほゆあしひきの山の泉に守りしやまびと
  この夏の庭の食客緑金の胴かがやかすオハグ口トンボ
  とんぼとんぼ少女のうしろ歩くときわたしは厶カシトンボなりにき
  わが少女糸をあやつり老犬の毛を小さなるクッションにせり
  ヒロシマハ行キタクナイと少年の言へりォキナハのわたしのうまご
  戦争ノ話ハシナイデと二度言ひき集団自決の島ゆ来りて
  火焰茸触るれば火傷するといふ注意書くぬぎに捲かれてありぬ
  ああ夏は炎を噴くか蝉さへも沈黙したり息を詰めをり
  公園の奧ふかくきて仰ぎをり檪の半身枯れてありけり
  キクヒムシの退治なさむと吊るされしぺットボトルの透明の首
  媚薬もとめ下りゆきたるキクヒムシ根方の壜の酒に溺るるか
  猛烈な雨の来りてにんげんのつつましき暮し打ちに打ちたり
  暴風雨そは友にあらず家を揺り庭木々を揺り山さへも揺る
  ふるさとの墓原の川あふれけり一門の墓水漬きたりけり
  秋彼岸の交野のやまの裾の川あふれあふれてみ墓をあらふ
  此岸にも曼珠沙華咲き川の辺にしばし佇むわれはひとりに

      *台風十八号がすぎし翌钥、瀬田唐橋を訪ぬ。春、唐茶色に新装されしを。
  瀬田川は汚れよごれて流れたり右岸左岸の道をあふれて
  唐茶色といふを悉に見むとして勢多の唐橋にけふは来れり
  唐茶色は黄土いろなり濁流のあふるる今朝の川のいろなり
  まんまんと水を湛へて苦しめる琵琶湖なりけり放流をせず
  動脈となりて下れる増水の瀬田川、洗堰にて留められたり
  放水を止められし湖よ宇治川の氾濫ふせぐと支流をあふる
  大きなる胎と思へりささなみの志賀のみづうみ破水せりけり
  まんまんの水漲りし胎なれば見よみづうみの苦しめるさま
  マザーレイク空を映せり近江のうみ昏き器と歌はれし日の
  「全歌集」より気の立ちのぼりたちまちに野分のあとの湖のゆふぐれ
                           * 『前登志夫前歌集』
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村島典子さんから季刊誌「晶」が届いたので、ご紹介する。
いつもながらの村島さんの見事な詠いぶりである。
沖縄に住む孫さんの言動。
琵琶湖のほとりのお住まいのめぐりの草木虫魚の佇まい。
集中豪雨をもたらし、京都・滋賀の両県に多大の被害を与えた台風十八号のこと。
などを「マザー・レイク」と題して32首の作品として昇華された。
その力量に瞠目したい。 ご恵贈に感謝する。
原文はスキャナで取り込んだので、いくつかの「文字化け」が生じる。子細に修正したが、まだあれば指摘してください。すぐに直します。 よろしく。

村島典子「蜻蛉の滝」32首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(16)

     村島典子「蜻蛉の滝」32首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・「晶」83号2013.9所載・・・・・・・・・・

        蜻蛉の滝      村島典子

   ししくしろ春の熟睡(うまい)の只中へ人はきたりて犬を呼びをり
   すくすくと君は行きませ鳰鳥のかづく湖辺に立ちて送らむ
   今津より旅をして来しみづならむ岸辺うつ波はつなつの湖
   単純にわたしを糺す朝の野にはじめてのやうに陽がのぼりきて
   半世紀まへの少年かたはらにしやがめばはつかわれら羞ぢらふ
   語らはず交換せし本に挟まれし短き手紙中学時代の
   半世紀へだてはじめて聴く声のはや少年の声にはあらず
   野薔薇咲くゆふぐれあはき花あかりもう明日あたりあなたはゐない
   「西の魔女は死んだ」と指文字に記しおくべし朝の戸口に
   垂足三角形白紙(しらかみ)の上に作りをり鬱はもすこし去りたるけはひ
   体おもく沈むばかりの水中に右足そろり左足そろり
   棹若葉の木下待てば花しぐれさみどりの降る昼やはらかし
   信号の変りしみじかき時の間を去年逝きにし君が過れり
   鱗(いろこ)千まいしろく光らせわが厨に一尾の魚はまなこをあける
   いさきと言ふ美しき魚竜宮の物語せよ地上のひとに
             *
       野洲に平家終焉の地あり。平宗盛父子は嫌倉から京への移送の途次、
        この近江国篠原にて斬首され、首は京へ、胴のみここに埋葬されしとふ。

   生き恥も死に恥もさらしし宗盛の父子のねむれる胴塚に来つ
   工場の脇のをぐらき木叢なか胴塚はあり力ップ酒供ふ
   幽かなる父子の墓石しづもりぬ幻ならむ今生もまた
   首洗ひの池の伝承工場に埋め立てられて小さしあはれ
   見るべきほどのことは見つとし死の際に平家の末裔(すゑ)と言ひきりし父
   生きるとふさびしきことの願文のしろたへの布まきし狛犬
   八千矛の神の妻問ふ神語り思ひみるかな兵主(ひやうず)の斎庭に
   葦原の瑞穂のくにの野洲の田の早苗に神の風吹きわたる
   田植ばな空木のしろき花の山ゆきゆくパスは獣めきたり
   岩根(いはがね)のこごしき山にしづまります渡来の人の彫りし仏は
              *
   義経の逃げてきたりし西河(にじつこ)の山里ふかく滝の音せり
   半月の周期に水の顕れしといふ音無川の橋わたりけり
   音無川の川へそそぐと六月のみづは落下す蜻蛉の滝
   淹つぼの深くすずしき岩盤をうがちて夏のみづくだる見ゆ
   滝口に覗けばこの身誘はる落下するどき井光(ゐひか)なるベし
   たかおかみ滝のしぶきに清められ鎮められたりひとつ魂
   岩濡らしひかり曳くなり古代(いにしよ)ゆ岩を彫りつぐ清凉のみづ
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「晶」83号が送られてきた。
敬愛する村島典子さんの新作が載っている。
いつもながら、心に深く沁みる歌群である。 鑑賞されたい。

(お断り)
歌の部分はスキャナで取り込んだので、どうしても多くの「文字化け」が生じる。子細に修正したが、まだあれば指摘されたい。すぐに直します。


村島典子の歌「春のきよみづ」30首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
村島

──村島典子の歌──(15)

     村島典子の歌「春のきよみづ」30首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・「晶」82号2013.6所載・・・・・・・・

      春のきよみづ      村島典子

  久高島のノロのをみなの捕獲せし海蛇おもふ春の島辺の
  海蛇を食しし日ありき沖縄へ子を嫁がせしうりずんの島
  売られゐる瓶のまむしを見むとして石切詣で正月三日
  参道の脇に並びし瓶詰めのまむしを見つつ心たかぶる
  切手貼りわすれし手紙のとどくころ雪ふりはじむ早春の山
  青空から雪のふりくる夕ぐれです  神様のおくりものです
  歳晩に活けしヒサカキ生きつづけ花咲きにけりやよひ三月
  仏壇に花咲爺さんひそむらしヒサカキの枝に春呼ぶならむ
  ヒサカキの妖しきにほひ人のゐぬ仏間にみちて春が破裂す
  犬の膀胱の容量いかほど夜をへだて雨のひるまで外面にいでず
  大雨のなか傘さしかけて老犬のながーい放尿につきあひにけり
  朝のうち不機嫌なひと夕飯のひとつきの酒に立ち直りたり
  猪の荒らしし土手を繕ふと夫いでゆけり悪童のごと
  お彼岸にうまれし夫よと思ひつつ竹藪の背にうぐひすを聴く
  うつむけるスノードロップの白き花亡母のちひさき嚔のごとし
  時を殺すと思ひつめにし日もありきこの世のそとへ桜咲きそむ
  ささなみの春の近江へようこそとうぐひす来鳴く花の蔭から
  満開のさくらの下に震へゐるきのふ南の島から来し子
  緋ざくらのウチナハ、ヤマトの山ざくらいづれ美しみんなみの子よ
  うすべにの花の京都のきよみづの三年坂を少女をつれて
  大道店の古銭のまへにとどまれば時間は江戸の世、琉球の世に
  島人口七百人の離島から来たる子百人のうしろにならぶ
  長蛇なす列の尾の先老い人もこどもも時間のうしろにならぶ
  花踏みて石きだ上るいにしへゆ踏みしめられて傾く石を
  だんだんにこころ清まる南島の子らと桜の清水山に
  きよみづの音羽の滝のほそきみづに柄杓さしだす体をのベて
  音羽の滝の三筋のみづにロぬらす春のきよみづ忘れざらめや
  ぬり箸の一膳えらぶ少年を目守りゐたり群衆のなかに
  茶碗坂くだりてくれば韓国の人らそろひて和服にあそぶ
  そぞろ雨さくら雨ふる清水の舞台にわれら春のまれびと

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南島の渡嘉敷島から来た孫の子供たちを連れての、春の清水の風景を詠まれた村島典子さんの歌である。
この雑誌の「あとがき」に村島さんが、この一連について記事を書いておられるので、スキャンしておく。

 春休み、ちょうど桜の満開の季節に、沖縄
の渡嘉敷島から、子供たちが婦ってきた。物
心ついてから、花季の帰省は初めてのこと。
新六年生になる少年と二年生になる少女。渡
嘉敷小学校のこの春の全校生徒は十三人。慶
良間太鼓やエイサーや沖縄空手、三線と、子
供たちは、小さい頃から芸能にかかわる。
 山羊の頭蓋波に洗はれゐたりけり遠世のご
 とし渡嘉敷の浜
 ちょうど去年の四月、島の浜で目にした山
羊の骨を詠んだ拙作。この歌に対して、知人
を通して沖縄からこんなコメントをいただい
た。「山羊を密殺することは違法ですが、沖
縄では自分で育てた山羊を自分たちで殺して
食することはあたりまえのことでした。(略)
山羊の解体は海辺でなされます。血抜きをさ
れた山羊は体毛を焼きはらわれて、白き裸体
を海辺にさらします。いよいよ解体です。お
そらく舌を出したその頭蓋は、波に洗われて、
眼をとじて永遠の眠りについています。(略)
「速世のごとし渡嘉敷の浜」は現代日本のど
こにも見られない、まるで縄文時代の男たち
の姿が再現したかのようです。」
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  <山羊の頭蓋波に洗はれゐたりけり遠世のごとし渡嘉敷の浜>

記事にも書かれているように日本本土では、もはや目にかからぬ風景である。
ニワトリなどの解体は、農村では私の子供の頃は見慣れた風景だったが。。。
ご恵贈に感謝して、ご紹介まで。

(お断り)スキャナで取り込むと、どうしても多くの「文字化け」が生じる。子細に直したが、まだあれば指摘してください。すぐに直します。


村島典子の歌「花矢倉」35首・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
「晶」81号

──村島典子の歌──(14)

   村島典子の歌「花矢倉」35首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

      花矢倉           村島典子

   雨あとの地の面に落ちて大きなる鴉の尾羽くろぐろとして
   球根を土に埋めてゐるひとは密議めきをり俯きてをり
   厳冬の地中にいのち育めと数へつつ埋む来る春のため
   なんといふ楽しいひと日柿の木にのぼりて下りて遊びせむとや
   向き合ひて渋柿を剝くもくもくと日ごと数へし二百個がほど
   柿二百個剥きて吊してこの日暮ふゆの暮しの儀式となさむ
   雨にぬれし紅葉黄葉を踏みゆくはかの世へかかる橋ゆくごとし
   足元ゆ雨は降りくる暮れ方といふには早き長等山の峰
   暗きくらき山の石段ふみのぼりまた踏みくだり雨中をゆく
   こんなにも疲れ果てたる日の暮も夕餉つくると立ち上がりたり
                *
   河ふたつ越えてゆくベし人の待つ吉野大淀しぐれてあらむ
   未来すらたちまち過ぎむ窓そとのひつぢ田見つつ運ばれてゆく
   けさの雨やみて川辺にたつ霧の異界へいゆくわれと思へよ
   夜半すぎて屋根に来し雨ざんざんと降れば旅寝のいよいよ淋し
   さくら紅葉散り敷く山へ急坂をみちびかれゆく金峰山寺へ
   山林抖擻するにあらなくひたすらに奧駈みちの登り口に来つ
   まぼろしの声きく喑きまひるまの懺悔懺悔六根清浄
   なつかしき人に会ふごと開扉の奧の憤怒の像にまみゆる
   ことば呑み呼吸を忘れあふぎをり青き憤怒の蔵王権現
   真上よりするどき眼光降りきたりたちまちにして金縛り受く
   まぼろしの花咲く山を思ひみよ人と訣れし日の花矢倉
   紅葉はしみてかなしも尾根に棲む暮しのめぐりしぐれに濡れつ
   しとしとと時雨の音を忍ばせてわれと人とを逢はしめたまへ
   春さればかの世も花の咲くならむ花のもとにて逢はむと約す
   ああわれに歌の師のあり今生にいさかひをせし師のおはしけり
   紅葉するこの世のゆふベまろき碑(いし)やまとくんなか眺め坐しませ
   あしひきの秋野の山はあのあたり背をまもられて青き石文
   老い木なるしだれ桜の冬の枝に雨滴は銀の玉を咲かせたり
   水分(みくまり)のやしろに人の絶ゆるとき桧皮の屋根に月しろかかる
   うぶぎぬの赤子の襦袢月光をあびてゐたらむ子守の社
             *
   独り言つぶやきにつつ橋わたる七つの橋を七たぴわたる
   湯たんぼをふたつ購ふ冬されば温き寝床にふゆごもりせむ
   合図なく逝きたりしひと君らしく死を死ににけむわたしを置きて
   老犬も毛布をかけてねむりたり初冬の雨夜のさびしかりけり
   取り残したる渋柿の実に鵯がきて枝ゆさぶりて一つ落しつ
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届けられた「晶」81号に載る村島典子さんの歌である。
いつもながら見事な詠いぶりである。 ご鑑賞いただきたい。
なお、これはスキャナで取り入れたので、どうしても文字化けが生じる。 子細に修正したが、まだあれば指摘してください。すぐに直します。
ご恵贈に感謝して筆を置く。


村島典子の歌「かりゆし遊び」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(13)

     村島典子の歌「かりゆし遊び」・・・・・・・・・・・・・木村草弥

       かりゆし遊び     村島典子

     六月六日、向ひ隣の家解体はじまる。故ありて、生活せし日のまま一切が処分さる。
   春の夕べ歌をうたひてありし窓生贄となる前線(フロント)として
   それはもはやホロコースト、家毀たるる日の六月の朝
   屋根瓦を男ら剥がすクレーンの長く黄色き首を操り
   降ろされし瓦いちまいいちまいをハンマーをもて壊す男あり
   老犬もわれも心底脅えたり破壊はある日脳におよぶ
   形あるもののなべては毀るると犬にもの言ひおのれを諭す
   三年間はむくどりの家軒先に子育ての賑やかな春がありけり
   窓硝子取り除かれてくろぐろと眼窩あらはる二階正面
   解体の玄関脇のあぢさゐの浅黄の鞠を雨があらへり
   静寂はひとときなれど雨なかに解体工夫らの休憩に人る
   崩落の後のしづもりただ黒き地とぞなりぬる夏至の雨ふる
   杖つきて君がきませる夢を見きをぐらき雨の湖をわたりて
   ふるさとは水口あたりと聞きしより水口あたりに降る雨おもふ
   うつそみの人なるわれや雨中にまつぶさに見つ家の滅ぶを
   一斉に梅雨に入りたる列島を磔刑の島と言ひし弘彦
          *
   くらみつつ空あふぎたり何処からか懷かしきひとの声は降りくる
   鴉一羽雀をしたがへ翔ぶところ奇妙なものにわれ行き会ひし
   かやつり草あそこにあると思ひつつひとまづ犬の行く方へゆく
   ざんざんと七月の雨すでにはや道は流れの下にありたり
   いつしんに電車を待ちて風を待つとほいところへ行きたしと思ふ
   ひかりあふれこぼるる桝ありわたくしの脳の迷路の伝達物資
   セロトニン木の橋わたれわたくしがわたくしとなるこの朝の森
   薬袋をさげてゆつくり歩く人を追ひ越しにけり薬袋さげて
   箱あけて見てしまひたり赤ん坊のあたまぐらゐの梨の実ななつ
   人類の祭典なれど夜をこめし二百余の国の民は平和か
   「かりゆし」の琉歌を教へくるる子は口三味線に風をつまびく
   節回しむつかしければ歩きつつかりゆしかりゆしかりゆし遊(あし)び
   北辰をめぐる星々常ならむわが生の緒の時間のそとに
   「孔子」読む晚夏の暑き夜のそらに星あつまれり天命とはなにか
   蝉ひとつ長啼きしのち沈黙す雨後の街路のひなたのにほひ
   ぬけがらをひとつ梢に掛けおかむわが晩年の紗の夏ごろも
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「晶」80号が贈呈されてきた。
いつもながら、村島さんの歌は心象にひびくものがあり、感銘ふかい。
形あるものは、遅かれ早かれ「滅びる」ということを情趣ふかく一連の歌にされた。
娘さんが沖縄の男性と結婚されたことは先に歌を引いて書いたが、今回も題名に「かりゆし」とある。

因みに「かりゆし」とは、こんな意味である。 ↓  また、これを冠した企業名その他がある。

かりゆし - 嘉利吉。沖縄方言で、「めでたい」「自然との調和」などの意味。
かりゆし (企業) - 沖縄県の企業。リゾートホテル等を運営。
かりゆし(貨物船) - 琉球海運が運航するRO-RO船。
かりゆし(貨客船) - 八重山観光フェリーが運航するフェリー。
かりゆしウェア - 沖縄県などで主に夏に着用されるアロハシャツに似たシャツ。
沖縄かりゆしフットボールクラブ - 沖縄県那覇市をホームタウンとするサッカーのクラブチーム。九州サッカーリーグ所属。
八月のかりゆし - 2003年に公開された日本映画。
かりゆしクラブ - 沖縄の地域政党。旧琉球独立党。

ここに転記して御礼としたい。
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これをご覧になった「2000円札マスター」氏から、こんなコメントをいただいた。 ↓

<あと「かりゆし58」というバンドもあります。二千円札からみで数日前渋谷公会堂の公演を見に行きました。
YouTubeで見られます。会場は若い人たちでいっぱいでした。そのうち記事にするかもしれません。>





「かりゆし58 Wikipedia」
 ↑ 彼らのことは、ここに詳しい。

ここに紹介し、感謝申し上げる。

短歌誌「晶」79号から山本登志枝、村島典子、高旨清美の歌・・・・・・・・木村草弥
晶

──新・読書ノート──

   短歌誌「晶」79号から山本登志枝、村島典子、高旨清美の歌・・・・・・・・木村草弥   

         栞・・・・・・・・・・・・・・山本登志枝

   いくたびも燕の低くよぎりゆく降りみ降らずみの小雨ふる道
   脚立に座り丁寧に鋏を入れてをり亡き父ににる老いし庭師は
   ロンサム・ジョージといふゾウガメの死亡記事読めば南の海光さし来
   夜間飛行の音がしてゐる星のなかリオデジャネイロまで行くにあらむか
   捨て台詞のこしその場を去りてきてあかとき闇のなかに覚めたり
   樹々の葉のあひより漏るる灯りあり黒南風の吹く夜は更けつつ
   面影を忘るるまでに時たたば分かることなどあるかも知れず
   相続人が行方不明といふ廃屋 草 はえてゐる屋根も二階も
   聖フランンスコに会ひしことのあるならむ恐るることなく寄りくる雀
   明日の車中に読まうと栞挿みたり遠く銀河のきらめけるころ
            ※
   せせらぎをききつつ行けば道の辺に「栢の森」といふ停留所あり
   飛鳥川は男の注連縄が やや行けば女の注連縄が高々張られて
   イタドリやスカンポなどと教はりて飛鳥の里の奧へとゆけり
   二百段上れば会へる川上坐宇須多岐比賣命に
   雨乞ふと皇女祈りしところといふ岩がありたり飛鳥川辺に
   奥飛鳥の夜闇は蛙の鳴くこゑす一つ二つと星も見えつつ
   宿の部屋「人鹿」の名札に子蛙の止まりゐるのもかりそめならず
   無患子の神樹のもとを風かよひ裳裾吹かるるとき世にさそふ
   み社の風きよければ神々はいますと思ふ憂きこの世にも
   神の使ひなのかもしれず境内にひかりまとひて這へるくちなは

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        うりずんの島・・・・・・・・・・・・・村島典子

   にほてるや琵琶の真清水ゆく春の水面の鳥と別れきにけり
        四月六日、娘家族の住む沖綞、渡嘉敷島に渡る。渡嘉敷島は、先の戦争において
          昭和二十年三月二十八日村民集団自決を強ひらる。死者三百数十名。

   港にて迎へくれしは少年の日焼けせし顔釣果をほこる
   ミ—バイとフエフキダイとグルクンと貝のいろいろ大漁なりき
   大潮の干潟をあるく潮干狩る島人たちの後ろをあるく
   浜下りとふ言葉すずしき琉球のをみなの春のうりずんの海
   潮溜りの珊瑚の淵に身をかがめ小さき魚の遊ぶを見たり
   アバサ—のひとつにやあらむ細き淵往き来するみゆ泳者のごとし
           *アバサ—はハリセンボン
   グスク島へ干潟をあるく満潮の波あとしるき島のすそまで
   拝所をいただきに秘む城山自決こばみし人ら籠りし
   生れ島を山よりのぞみ隠れすむいくさ世あはれいのちなりけり
   潮引けば道のあらはる城山を下りきたりし帽子の女
   畑なかに島人立ちて遠くから吾を見つめゐる穴のあくほど
   客人のわれと思へりちかぢかとオバア寄りくるしげしげ見らる
   若いさ—姉妹かね—と会ふごと言はるわれと娘と
   沖縄人の妻となりたるわれの子の三弦弾くに涙こぼるる
   軍備なき国でありしを戦争のもつとも酷きいけにへの島
   刀でなく三弦床に飾られし戦をいとふ国人なれば
   山中にケラマツツジの残ん花火花と呼ばるてんてんと咲く
   大ススキ子らの丈ほど繁るかな案内されをり海見ゆるまで
   ハブの味ウミへビの味山羊の味海人のこどもの語るは愉し
   魚のまなこ取り合ひ喰らふ二人子はキジムナ—ぞな樹を揺さぶれり
   島にノロ、われに孫あり平成のこの渡嘉敷に三晚いねけり
   潮騒をききつつ眠る波音ははるけき母の血のひびきせり
   窓辺まで潮満ち来らし明けたれば船出せむかも旅人なれば
   ツツドリと人の告ぐれど時鳥きよきよきよと三度鳴きたり
   朝戸出の人ならなくにホトトギス啼く島山を船出せむかも
   首里城ををみな三世めぐりたり琉球の血を継ぐわが女童は
   井泉は涸れてあれども滴々としたたりやまず時は斎庭に
   龍潭の池にバリケンあまた棲み雛したがふを子とわれと見つ
   帰りくれば花らんまんの近江なりたつた四日の旅にしあれど
   犬とゆく山の明るし山桜こずゑにあふる数かぎりなし
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       猫友だち・・・・・・・・・・・・・高旨清美

   白合歓と思ひゐし樹にこの夕べうす紅帯ぶる花のひらけり
   新宿の雑踏の中を飛びてゐるイトトンボますぐに帰れ水辺へ
   ひとり暮らしを訪ね歩くとNPO法人のひとわがべルを押す
   斑陽のこぼるる松の林より海見むと乗る一両電車
   七月の盆に入る日ぞ花店に仏花選りゐる初老の男
   あれこれと花苗買ひし夕暮れにそつとおまけをくれたる店主
   チョコレ—トコスモスほのかにチヨコの香を醸せり都市のうす夕闇に
   呼吸するもの生臭し夏の花活けたる花瓶の水捨てにゆく
   アランの『幸福論』なども本棚にありてひたむきなりし若き日
   とほき日に読みし『聖母の軽業師』ひらきぬけふは寓話欲しくて
   あまたなる時間封じて積まれゐき納戸の奥の音楽テ—プ
   山なせる録音テ—プのいづこにかひそまむ銀パリに聴きしシヤンソン
   この世のこと知らで聴きたり銀パリのかたき椅子に身じろぎもせず
   ウェーベルンの楽にシャンソン重なりて混沌としたテープ再生す
   工事音窓より入り来て「幸せを売る男」をかき消してゆく
   ボワイエの鼻音のよろし梅雨ぐもる夕べに聴けるLPレコ—ド
   それぞれの贔屓を自慢しあひつつわれら猫にて結ばれてをり
   友だちは猫友だちに限るねと猫引き寄せるきみは人ぎらひ
   君の猫と我の猫とが真夏の夜ゆめのやうなる宴ひらかむ
   オッド・アイの白猫われの亡き猫に似たれば路地に足をとめをり

----------------------------------------------------------------------------
山本さんの歌は、時事の報道を耳にしたぞうがめの死とか相続人の行方不明とかを巧みに歌にされた。
後段は「飛鳥」の今昔を行き交って秀逸である。

村島さんは、娘さんが沖縄のウチナンチュと結婚されたらしく、かの地の血を引く孫がお出来になったようで、
また<若いさ—姉妹かね—と会ふごと言はるわれと娘と>という歌のように、ご満悦のご様子であり、南国に遊んで心身ともにリフレッシュされたようで、喜びたい。

高旨さんは、無類の猫好きとして知られているが、今回も猫を媒体として、古今を飛翔して都会の哀歓を詠んで、読者を引き付ける。
いずれも長年の歌作りの「手練れ」の才(ざえ)が見事である。
ご恵贈に感謝して、筆を擱く。 なお、ルビは都合で省略したので、よろしく。

(お断わり)本文はスキャナで取り込んだので、どうしても「文字化け」が生じる。子細に修正したが、まだあればお知らせ下さい。 訂正します。



ふくしまを思ひゐる間に山に立つ虹後しさりはかなくなりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村島典子
晶0005

──村島典子の歌──(11)

    ふくしまを思ひゐる間に山に立つ
           虹後しさりはかなくなりぬ・・・・・・・・・・・・・・村島典子


「晶」77号2012/2月号に載る村島さんの歌の一連を引いておく。

          虹を連れゆく・・・・・・・・・・・・・村島典子

 ゆふがほが秋のまひるま一つ咲き昨日のやうな去年のやうな

 木の臼にゆふべの雨のみづあふれ山の時間へわれを誘(いざな)ふ

 見下ろして日ごと数ふる渋柿の実のけさは百個を超える

 芽吹きそろふ柿の嫩葉のやはらかく目に撫でゐたりし晩春のころ

 神の眼にといふにあらなく五月より渋柿の実を目守りたるわれ

 はや紅葉してありにけり一本の実生の渋柿、壮年のひと木

 柿は柿の春夏秋冬を全うす 鴉の播きしひとつぶの種

 躊躇ひはいづこより来つはてさても振り返りざま転びたりけり

 バスを降りむと踏み外したる右足は左手首に助けられたり

 コスモスが揺れてゐたのだ道端のどこかに人の眼差しをして

 呼びかけよ呼びとめよ秋の日は風景の崖へ人をいざなふ

 虹の橋ふたつくぐりて会ひに来つ近江安曇川しぐれふるなか

 虹めざし一つくぐればまた一つ小さき虹の山すそに立つ

 安曇川の芸術村へたどりゆくわが乗るくるま虹を連れゆく

 白鬚神社の鳥居立つなり湖の面に銀のしぐれのきらめく水に

 ふくしまの建屋の上にたつ虹を、かなしきことを思ふしまらく

 ふくしまを思ひゐる間に山に立つ虹後しさりはかなくなりぬ

 ふたつ虹くぐりて過ぎき高島の勝野はるけく濡れそぼちあり

 新旭今津マキノとたどりゆくマキノ新浜しぐれてあらむ

 近づけば消えゆく虹の紅葉の山の間に美(は)しみづの化身は

 ときどきは亡父亡母もまじりゐてどこまで行きても旧き村道

 このままずつと眠らせよと懇願す車中に友は疲れはてけり

 『富士日記』また読みかへす人は生きやがて死にゆくを諾はむため

 年賀状舞ひ戻りきぬ一年の無音おそろし生死のいかに

 本人が死んでしまへば如何せむ生たしかむる手立てなきわれ

 無言にて逝きたるや人ふるさとの黄泉平阪こえてゆきしか

 男童の三人つれて犬つれてわれ新年の墓地をめぐりぬ

 かさこそと音たて黄葉踏みしめて生きの緒は土の上を過ぎたり

 粉砂糖ふりかけしやうとふ形容の陳腐なれども新年のやま

 発見はつねに鮮やぐ陽の射して「雪は水色なのだ」と言ひき
                       *武田百合子

 指先の皸ひどく朝の顔ゴム手袋に洗ひてみたり

 ゴム手袋にシャボン泡立てこの朝愉しきひと日はじまらむとす
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東日本大震災から一年になるので、敢えて「ふくしま」に因む歌を掲出してみた。
村島さんの歌には、よく読書の成果の句が引かれているが、これも歌を引き立てていて秀逸である。
「読書人」として、これらは必須のことであるからである。
佳い歌群をお見せいただいた。
この「晶」誌に載っている他の人の作品にも、しみじみとした良い歌がある。

 
秋の子のわたし真つ赤な彼岸花の野をするすると過ぎゆかむもの・・・・・・・・・・・村島典子
晶0004

──村島典子の歌──(10)

     秋の子のわたし真つ赤な彼岸花の
          野をするすると過ぎゆかむもの・・・・・・・・・・・村島典子


          蛇を踏む犬・・・・・・・・・村島典子

 尾根道の木の根の陰に潜まりし縞へびをわが犬は踏みたる

 思ひきや蛇の愕きはいかならむ悠然と崖くだりゆきしを

 このごろは蛇に遇はずと言ひし日に蛇を踏みたるわたくしの犬

 その死より幾日すぎける道端の鼬のむくろ、毛の裘(かはごろも)

 ファンタジーの世界なりけり竹林はクローン竹のしづけさに満つ

 音楽の響りやみしとき静寂を待ちうけしごと鳥鳴きいだす

 鳥たちはとほくへ合図をおくるらし人はもむかし袖振りにけり

 灼けつちを喘ぎながらに帰りつく我が家といふを犬認識す

 蛇の頭を踏みしわが犬炎天の庭に伸びをり目を瞑りをり

 犬といへど瞑想いなりふかぶかと夕暮はきぬ犬のかたへに

 老びとは幼きものの傍らに、山の広場にブランコを漕ぐ

 天国の余り風なり風の漕ぐぶらんこはもう夕雲のなか

 かんぷーは髪むすぶ紐とりどりの色ゴムさげて女童来り

 六歳の少女のももいろワンピース竿に揺れをりうれしきごとし

 ママゴトのやうなお盆のお供へをけふはせりけり手を合せけり

 仏壇も位牌もなけれど父母は帰りきませりこの数日を

 戒名を称ふることのたいせつさ私の中へ死者を呼び出す

 『左岸だより』巻末にきて作者なる玉城徹の死のとき迫る

 夜の窓あけて呼ぶなり月明に赤のワインを供せむとして

 大水にことしの蛍は流されぬ吉野、黒滝、天川、熊野

 去年(こぞ)雨の黒滝川に明滅せし吉野のひとのたましひ、ほたる

 一年は人を老いしむ大津波、台風いはむや原発惨事

 花の壺と呼ばれし果実いちじくを二つに割りて朝の食卓

 白き汁に口をぬらして食(たう)べたりたちまち秋の野の広がれり

 まんまんと晩夏のみづは流れをり宇治川を越ゆ大和へ入りぬ

 黄金に田畑実れるたたなづく青垣やまとへひと日たびびと

 台風に伏す稲の辺に跪く農夫ありけり見て過りたり

 みつみつと菱の葉しげる沼の面の白鷺はそのうへに佇ちをり

 厳(いつか)しきこゑ荒らげる婦人あり後部座席に子を叱るらし

 阿房列車にあらねどわれは百のたのしみすこし味はひにけり

 秋の子のわたし真つ赤な彼岸花の野をするすると過ぎゆかむもの
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この歌群は「晶」76号に載るものである。
愛犬の散歩の途中で犬が縞蛇を踏んだことを契機として、この一連は構成された。
真ん中すぎのところには、この前の号で紹介した奈良は吉野の、先師・前登志夫の死にまつわる「黒滝村」の一連を曳いて詠われている。
一連は、東日本大震災にも思いは巡って、沈潜した情趣ふかい歌群として終始していて、好ましい。

     
軽井沢の歌鳥の森の女主人 こゑうつくしきクロウタドリ・・・・・・・・・・・・・・・村島典子
晶0003

──村島典子の歌──(9)

     軽井沢の歌鳥の森の女主人
              こゑうつくしきクロウタドリ・・・・・・・・・・・・・・・村島典子


        クロウタドリ・・・・・・・・・・・・・・・村島典子

     はらはらと髪ぬけおちし朝なりわれ悲しみの尼僧のごとし

     広汎性脱毛症といふなれば眉睫毛さへある日抜けたり

     花ふぶき浴みて帰りくさらさらと無音の花のひとりの禊

     かなしみは花の明るさ天空の無情の青さ花浴みながら

     夜目に白く花にほひ咲くにつぽんのひむがしの地もまなく咲くらむ

     福島をフクシマと呼ぶ現実を深く悲しむただにかなしむ

     乳牛の背骨あらはに痩せゐるを見つつしわれは号泣したり

     放射能汚染地域と名指しされ人はも逐はる平成二十三年

     太き舌からませ甘ゆ牧牛を人にあらねば殺せといふか

     五月野に黄金のうぶげを吐きたるは草にれがみしわたくしの犬

     人に逢ふごとく来にけり谷間なるはつ夏の木の梢をあふぐ

     軽井沢の歌鳥の森の女主人 こゑうつくしきクロウタドリ

     軽井沢を偲ぶ幾日わたくしに憧れ恐れでありし船渡川佐知子

     フランス語にて犬を躾けたりしひと刺繍に光を縫ひ取りしひと

     檸檬の花レモンの匂ひに咲くと言ひし一年前の船渡川佐知子

     千ケ滝の小川の岸に生えをりし 鳥足升麻、節黒仙翁

     朴の木の朴の花蕊はじらひぬいま一つ天上の花ひらきたり

     亡きひとはそこここに来て呼びかくる茉莉花は甘き茉莉花の香に

     葉桜の下にて一人とゆきあへり魚のごとし木漏れ日くぐる

     異類婚姻譚五月の山の朴の木の花の下にて考ふるわれ

     けふわれは三度泣きけり今生に再び会へざる人を思ひて

     わが犬前へ前へと回り来て草食みたしとわれを促す

     一年に飼犬殺処分二十八万匹動物病院にテロップ流る

     ガス室に送られ長く苦しみて殺さるる間も主を待ちながら

     犬は耳を患ひてをり待合室の長椅子に待つ猫のとなりに

     呆然とわれは鏡を覗きゐる鏡の中に母がいますを

     老いし娘と老いし母しみじみと出会ひたり鏡の中のほほゑむ人と

     来てみれば枇杷はしづけき青き実をさはにやしなふ墓原の道

     枇杷の木に枇杷の実みのり墓原に六月はきぬ季節めぐりぬ

     三月(みつき)すぎしのちも愈いよ悲しくて淡海のうみに雨降りしきる

     フクシマは雨となるらし六月の雨原発の建屋を濡らす

     雨あがりし真昼間比叡はみづうみを徒(かち)にて渡れとわたしを誘(おび)く
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私の敬愛する村島典子さんから短歌同人誌「晶」No.75号が恵贈されてきた。
掲出したのは、そこに載る村島さんの歌32首である。
なにか「広汎性脱毛症」とかいう疾患に罹られたようだが、お大事になさってください。
真ん中頃から、同人であった船渡川佐知子さんの訃にまつわる歌が続いている。
この人はフランス語関係の翻訳もなさった人のようで、短歌についても一家言もっておられたようだ。
俳句も「短詩」と把握されていたというが、「俳句は世界中で一番短い詩である」とは、詩人にして俳人としても著名な平井照敏の言である。

船渡川佐知子/ふなとがわ・さちこ
1935年横浜に生れる。1958年日本女子大学文学部社会福祉学科卒業。

『精神病者の魂への道 』 (みすず書房1966年刊)
[著者] ゲルトルート・シュヴィング [訳者] 小川信男 [訳者] 船渡川佐知子
フロイトも断念していた分裂病の精神療法を――野心的な冒険と私たちには思えた――敢えて行った何人かのパイオニアのうち、著名な数人が女性であった。この分野は未開拓であるが・・・・・

才ある人は早々として世を去って逝く。私よりもお若いお歳であるのに。間質性肺炎だとか。アーメン。
村島さんのフクシマの歌も身に沁みるものがある。

 
吊り橋を揺するのはだれ小雨ふる黒滝川の蛍舞台に・・・・・・・・・・・・・・・村島典子
晶71号

──村島典子の歌──(8)  

    吊り橋を揺するのはだれ小雨ふる
              黒滝川の蛍舞台に・・・・・・・・・・・・・・・村島典子


歌誌「晶」71号が送られてきた。
巻頭に「黒滝行」という村島典子さんの歌30首が載っている。
先師・前登志夫の三回忌に当っての行事に因む奈良県吉野の山中の「黒滝村」のことが詠まれているようだ。
佳い歌群である。 全篇を引いておく。

       黒滝行・・・・・・・・・・・・・・・・村島典子

  笹ゆりの咲く六月の山あひに来りけるかも死者を訪ねて

  ホタルブクロ道べに咲くはかの死者の招きならむか標のごとし

  歳の順にといはれ遺影のまへに坐す二年過ぎけりこの世の時間

  弟子五人寄りて語ればのびらかに師もいでませり落人の家

  泰山木の花も形見ぞ崖に咲く大き白はな今生の花

  芳香にことば立ちたり言問へば夏鶯の歓迎のうた

  ありありと師は佇みて山上に手を振りたまふ在りし日のごと

  雫とふバス停すぎて入りゆける吉野黒滝行者道なり

  村人のつくりし旨き蒟蒻を頬ばりゐたり雨の川原に

  目つむれば蛍飛び交ふわが闇にかの世の川のせせらぎの音

  吊り橋を揺するのはだれ小雨ふる黒滝川の蛍舞台に

  ほうたると呼べばもののけ闇なかのそこここにきて我をまどはす

  点滅し呼びあふほたる雨の夜の合図を送る人あらなくに

  手から手へひとつ蛍をうつしゆくかなしき儀式、死者みつらむか

  誰よりも哀しきものと子の傘に入り来て蛍しまらく宿る

  まつはりて離れぬひとつ放たむと川を覗けりかの世を覗く

  槇風呂に槇の床ふみやはらかき湯を浴びゐたり旅人われは

  河鹿鳴きほたる飛び交ふ黒滝のぶあつき闇につつまれ眠る

  腹這ひて朝明け聞かむ黒滝の夏うぐひすは人かなします

  面ふせて二輪咲きをり宿のうらの崖のささゆり佳人のごとし

  ささゆりの羞ひをこそ雨の日の霧湧く山に言問ふわれは

  目印をたてられ百合は咲きゐたり愚かよ人は標結ひにけり

  さ牡鹿の野にあらなくに川の辺に目覚めて鹿の鳴くをききをり

  またたびの白き葉光る黒滝の朝には朝の合図あるべし

  夢証すごとくに朝たどりたり吊橋かかる雨の黒滝

  猪鍋をふるまひくれし幸ちやんもいまは老いたり足元あやし
           森本幸造氏、黒滝村川戸の人、むかし猪撃ちの名人でありける

  みなそこに赤き岩あり放散虫の遺骸なりしと聞くはかなしき

  ものみなはわれより遠しとうたひたりし人ありしこと赤岩のみづ

  したしたと朱き雫に濡れやまぬ歌碑の背後に手を置きにけり

  岩角に水ほとばしる杳かなり人間も海へ帰る日あらむ

      
村島典子歌集『タブラ・ラサ』 抄・・・・・・・・・・・・木村草弥
タブラ・ラサ

タブラ・ラサCD


 ──村島典子の歌──(7)

  村島典子歌集『タブラ・ラサ』 抄・・・・・・・・・・・・木村草弥

私が敬愛する村島典子さんについては何度か記事にしてきたが、八月の私のバルト三国の旅の「エストニア」のところをご覧になった村島さんが、エストニアの現代作曲家
アルヴォ・ペルトのことを思い出されて、彼の楽曲「タブラ・ラサ」を題名にした第三歌集『タブラ・ラサ』(柊書房2000年5月刊)を恵贈された。
私はアルヴォ・ペルトについては何も知らなかったので、ネット上で調べてみて、また、この曲のCDもアマゾンから取り寄せて聴いてみた。
今この記事も、それをバックミュージックのように聴きながら書いている。
「タブラ・ラサ」=Tabula rasa とは、ラテン語で「きれいな石板、精神の無垢な状態」を言う、とあとがきに書かれている。村島さんは書く。

<喪失によって空っぽになった心に、ふつふつと湧いてきた歌が大半である。
 《タブラ・ラサ》との出会いが早くから用意されていたかのように。
 「たぶら・らさ」と呪文のごとく唱えると不思議に心が澄む。・・・・>

以下、私の好きな歌を引いて鑑賞したい。

 言問へば旧き村名を告げたまふ時間の迷路はゆつくりと来よ

 大いなる手があらはれて点灯す野辺いちめんのらふそくの花

 ひぐらしの声とぎれつつ従きてくる猿丸神社のまへ過ぐるとき

 すこしづつことばを捨ててゆきたまふ母のめぐりは初秋の湖

 人間の生死にちかく楽あれば夕はふかぶか楽にひれふす

 どんぐりを拾ひて母と日だまりに坐りてをれば彼岸図のごと

 冬ざれの禅定寺峠にてらてらと熟柿下がりて落暉を反照す

 喪の衣にうつしみ包み昼くらき岩船神社越えて母焼きに来し

 ならまちの庚申堂に背をみせてゆらり佇む石坂幸子

 ゆきこさんになりて渚を走りすぐ「トリカヘバヤ」と鳴くか小斑鳩

 死後のことまた言ひ出でてわれよりも五歳上なる夫を困らす

 夜すがらをみづは醒めをり隣室に舅もさめゐてしはぶきをする

 今朝夫といさかひし血が一本の採血管に立ちてしづけし

 体臭をもつことかなし夢に来てすれちがひざま ア と言ひにけり

 一人二人三人減つて桃の木のしたの家族のこゑも失せたり

 亀甲墓アダンの崖のほのあかる月うづむらむ慶良間の海は

 道の辺に野ばら咲きみつはつ夏の風のなかにて会はむと言へり

 軒いでて飛燕は空を截りゆきぬまぶかく夏の帽をかむらむ
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 タブラ・ラサ花をあふれてヴィオロンの潮は夜のそらを満ちくる

 アルボス<樹>のかなたから静寂の耳降りて来つ生れて久しき

 夏雲が窓より盗み見しものは身をほどきたる一本の紐

 はらりはらり布解かるるわれならむ二月の湖の陰(ほと)より生れて

 対面の長身のをとこの埴輪面にぶきひかりを呑まむとすらむ

 千の契り万の契りの水無月のみづより溢るみづの言葉に

 在るもののなべては音楽ささなみの志賀つ少女の絶対音感

 まるき口に青き葡萄をくくみゐる未生子よ野鳩のごとく八月

 十本の指あらはれて水面にさみだれの楽奏せられゐむ

 月清とふ神女ありけり十月のとほきみなみの青き海坂

 一里山のきつねは銀のふさふさの太き尻尾をもちて出でけり

 いまたれもわれに触るるな夕暮は泥人形になつてしまへる

 老ばかり集ひてなごむ冬の日に一人が質す死ののちのこと

 白桃の流れくるとふあかときの入江に待ちて百年が過ぐ

 生きながら懐かしきひとに抱かれて眠れり一山他界の匂ひ

 いまわれは湖にむかひて坐りをりとほく真水の気配たちくる

 不意打ちに彼岸は雪となりてけり咲きてさくらは花うちふるふ

 「無伴奏バッハ組曲」ボリュームをいつぱいにして窓を放てり

 水仙は水仙と別れこの春はわれに甘えてくることをせず

 するするとしろがねの身を泳がせて水よりわれらの夢に入りくる

 裸樹となり抱きあひたり死してのち土から生えしやはらかき枝

 犬の首撫でつつ思ふ首のべて翔びゐし記憶青のまなかを

 夏泊そのうつくしき名前もて岬に夏の客人(まらうど)は来む

 月読の桂の大樹のみどりかげみどり児の手が無数にそよぐ

 穂孕みの季(とき)は来しかな境いでて玉依姫の山をくだる日

 地を打つ無尽の雨の音きこゆわれら及ばぬこの単純に

 娘のシャツを肌に纏へばさわさわとさたうきび畑のわれは秋風

 くろぐろと日焼けせし夏の半身を立たせてゆふべ人送りたり

 すれ違ふわれらと蛇の尾の尖のかすかにつめたき秋と思へり

 ポケットに栗の実ひとつしのばせて空跳ばむとす月夜のうさぎ
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村島さんは<Ⅰは偶然、レクイエムの章となった>と書いている。
ここには私も旧知の間柄であった石坂幸子さんの名前も見える。石坂さんは、突然、私宅を訪問されて、驚いたものである。
禅定寺とか、猿丸神社とか、私方から大津へ抜ける沿道の名前もあり、抽いてみた。
引用する歌が多すぎたかも知れないが、この歌集の頃は、村島さんも作歌的にも、一番充実した時期だったように思える。だから、引く歌が多くなった。
この本の「帯」に

<エストニア生れの現代音楽家、アルヴォ・ペルトの曲《タブラ・ラサ》
 ──永遠の静寂を表現した音楽に寄せて、
 喪失した心に湧いた無垢な歌は、
 ある時は古代へ、ある時は逝きにし者へ、
 ある時は身めぐりの風物へと自在に飛翔する。>

と書かれている。
私が下手な鑑賞をするより、この帯文が村島さんの歌の特徴を端的に表現している、と言えよう。
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アルヴォ・ペルト

注文しておいたCD「タブラ・ラサ」の解説には、ウォルフガング・ザンドナー「アルヴォ・ペルトについて」に、こんなことが書いてある。

<エストニア人アルヴォ・ペルトは、彼が1980年まで住んでいたソヴィエト社会主義同盟という社会形態と関係なくはない。彼の作品──「クレド」「ヨハネ受難曲」「追悼曲」「タブラ・ラサ」「フラトレス」など──は、《受難曲》であり、それは同時にそのままその性格を越えている。
・・・・・彼は1972年に結婚したユダヤ系の妻と、ふたりの子供をつれて、1980年、イスラエルへ出国する許可を当局から得た。しかしその途上彼の音楽作品の出版元のあるウィーンに
一年半とどまり、そこでオーストリア市民権を得た。それから彼は西ベルリンへ移り、結局イスラエルには向かわなかった。
 「わたしは書くために長い期間の準備を必要とする。それに五年かかることもまれではない。そのあと一気に、とてもたくさん作品が生まれる。」
「フラトレス」「タブラ・ラサ」などは、1974年から1976年にかけての、この実りある沈黙から生み出されたのである。>

タブラ・ラサ
<「タブラ・ラサ」はある意味で、ギドン・クレーメルの委嘱によって作曲された。
わたしはいつも新しい楽想には自信がもてない。“ゆっくりしたテンポの音楽でもかまいませんか。”
“もちろん、かまいませんとも”とクレーメルは答えた。──この作品は思ったより早く完成した。楽器編成は、タリンで同時期に演奏されるはずだった、アルフレート・シュニトケの作品にのっとっている。
二つのヴァイオリンとプリペアード・ピアノ、それに弦から成る。
演奏者が楽譜を見たとき“音楽はどこにあるのだ”と叫んだ。しかしそのあと彼らはとてもすばらしく演奏した。それはとても美しかった。それは静かで美しかった。・・・・・>

字で書くと、こんな風になってしまうが、現実に、この曲を聴くと、「この世ならぬものの静寂」へ誘われるようである。
この曲が村島さんの心を浸し、歌集の題名となったいきさつを知る思いがするのである。
いい曲を知らせてもらって有難う!

アルヴォ・ペルトについては、 ← このリンクのWikipediaが詳しいので参照されたし)


鳥の樹と思ほえる日のにぎやかな小さき森でありしよ庭は・・・村島典子
晶0001

 ──村島典子の歌──(6)

     小さき森・・・・・・・・・村島典子

  半日をあふむきて聴くシンフォニー空をながれてゐるらしわれは

  ふかく目覚めて犬を思へり 犬は右耳を患ひをりき

  橋の上をぴよこぴよこ歩くハシブト 「この辺りの者でござる」

  花ゆれて夕暮あましこのくにを愛するものら野をわたりゆく

  雨に打たれ頭(かうべ)下げたる白薔薇を起せり人を抱へるさまに

  樹雨ふる軽井沢駅に立ちしときみづみづとせり指の先から

  わたくしは植物たりとつくづくと雨に濡るるをよろこぶ身体

  新緑のみどりの雨にぬれながら森の時間に針あはせたり

  見上ぐれば椽のさみどり雨の森千のこどもの潜めるごとし

  硝子のうちに雨が降りをり木もぬれて佇みゐたり直ぐなる一木

  朴苗木二本抜ききて木をさげて「あさま」車中に雫する友

  抗生剤ステロイド剤を処方され犬なれど食後つつましく服む

  耳治療に通ふわが犬診察台にみづから上がる耳洗ふため

  耳洗はれ恍惚となりしわが犬は力を抜きて瞑想したり

  ドアガラスに映りし犬とわたくしと硝子のなかに眼をあはせたり

  亡父もや生誕百年墓原にはらから集ふ二十五回忌

  ぶだう畑にぷだう実りぬ墓原の死者たち目覚むあまたの眼

  墓原にぶだう購ひこしわれらしみじみとしてぷだうの実を食ぶ

       向ひ隣の居住者替はり、三日の間に庭木ことごとく伐採さる。
  うかうかと昼寝せしまに声たてず伐られゆきにし槇と思へり

  動力鋸の音のみきこゆ壮年の木も逆らはず伐られたりけり

  木は動けず伐られゆくほかなきものを手斬りあし斬り胴体を斬り

  鳥の樹と思ほえる日のにぎやかな小さき森でありしよ庭は

  伐採されし庭の木々たちわたくしに森なればいま森消え失せし

  十年の歳月春夏秋冬を語りかけきつ窓をひらきて

  木々こそはわれのはらからまつさきに小鳥も歌ふ春のはじめは

  ある秋は雀蜂の巣見せくれし主も失せにけり雨のむかうに

  黐の木に夕日およびし荘厳も夢幻なりしかひと日の果ての

  真裸の家にとまどふわが窓のまむかふところ家のみ残る

  古の人にわれあれや壊す人を呆然とみてひと日暮れたり

  手足払はれ胴体切られ木は失せぬ雨の日暮の涙さうさう

  根こそぎにされし庭木々梅雨の雨凄まじく降る三日の間

  こんなにも小さき地面でありけるを十数本は森を生(な)しゐき
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この一連、耳の治療をする犬と言い、隣家の庭の鬱蒼とした立ち木が伐採されたこと、と言い、村島さんの心象に迫る佳い作品である。
こういう心に残る作品に接すると「文芸とは、いいものだなぁ」という気がするのである。
感謝して、ここに紹介しておく。
オトシブミとふ名前もらひし甲虫の青き葉つぱの早春の手紙  ・・・・・・・・・・・村島典子
木立

──村島典子の歌──(5)

     早春の手紙・・・・・・・・・・・村島典子

つくづくと見よと朝のむらさきの横雲にゐる比叡向つ嶺

百年の山栗の下につどふとき小啄木鳥(こげら)たちまちかくれてしまふ

ちよつきり虫が落して散らす若書きの数葉があり枯芝のうへ

オトシブミとふ名前もらひし甲虫の青き葉つぱの早春の手紙(ふみ)

菱餅もあられもなきに雛の日にあはあは春の泡雪ふれり

びちよびちよとみぞれ降る昼雛の日の硝子のうちにわたしはありて

胸の疼痛いつときなれどいまたしか死者通りけり胸のうちがは

「おくりびと」見てのち通る法務局庁舎のまへに鶯のこゑ

納棺師といふ職あることのつつしみて身を伸ばしたり夜の小床に

草木のこゑきくべしと説きしひと 樹となりたまふ一年が過ぐ
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この一連の歌は、高松秀明主宰の歌誌「木立」140号2009/5の「招待席」に載る村島典子さんの作品である。
多くの歌誌、結社誌、同人誌などが毎月、または隔月刊で、或いは季刊で出されているが、
村島さんは、その才(ざえ)を愛されて、「寄稿」を求められたのである。
なお、この一連の最後の歌は昨年亡くなった師・前登志夫に捧げた歌である。
歌の数は少ないけれど、ここに載せておく。 ゆっくりと鑑賞されたい。


村島典子「地上には春の雨ふる」30首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(4)

  地上には春の雨ふる・・・・・・・・・・・・・村島典子

きさらぎの淡海かすむ琵琶のうみ万(よろづ)の鳥のこの世にあそぶ

朝もやの水面に降りてあそびたり父ははそしてこぞ逝きしひと

     武田百合子『富士日記』を読みつつ五首
本の中のことにてあれど犬が死にわたしは哭きぬ机に伏して

著者の日々読みつぎくればその夫、娘、その犬身内のごとし

日に三度の献立よむも面白し濃やかなりし百合子の暮し

泰淳の死は近づくか、死の予感「日記」にあふる胸つまりたり

ただ過ぎに過ぎゆくものと記されし春夏秋冬しみじみとして

父ははも師もいませねば夜に爪切りて咎めらるることなしさみし

秋埋めし球根なれば芽を出せりはや忘れゐしところにも出づ

水の中歩かむとして出できたり雨しげきなか傘さしながら

きさらぎの水中ウオーク雨の日も春です雨を見ながらあるく

立ち話する肩ごしに見えゐたり美容室に髪洗はるるひと

此の月は修繕月となりぬべし外科歯科内科医者めぐりする

待ち時間二時間にしてぐらぐらと生身のわれ石となるまへ

神経を殺すとたやすく言ひきられ麻酔の口がまず従へり

「この歳になつても死にたいと思ふ日があるのよ」晩年に言ひしか白洲正子

かくありて春はめぐりぬひと日づつ死者にちかづくわれと思へり

地上には春の雨ふる雲上は快晴である昨日もけふも

父ははの位牌にならび微笑みます至誠院釈道登居士こぞの春より

    春浅き日、歌劇「トゥーランドット」のゲネプロを観る
「誰も寝てはならぬ」テノールの哀切のこゑ湖面をわたる

いつだつて女はつめたく美しく謎掛けをする血祭りをする

観客の一人にあれどわたくしは女奴隷となりかはりたり

昭和とふ時代のわが家の押入れにカズマスクあり、戦争ありき

藷釜と信じこみしにいま思へば防空壕でありしかしらん

花二三分咲くとし聞けば落ちつかずさむき夕べの川辺まで来つ

花冷えのあしたの堤かはいさうな桜と鳥といたはりあへる

とにかくに今年の春は気難しとささやきあふか首をすくめて

指ほどのつくしを摘みて食(たう)べしは二週間まへ比良山に雪

さりながらなづなたんぽぽほとけのざ可憐な花は野に揃ひたり

朝なさな鳴くウグヒスに声あはせ鳴かずにをれずほゝほゝほきい
--------------------------------------
村島典子さんについては何度も書いた。
先日、彼女の所属する歌誌「晶」66号、2009.5を恵送された。
ここに歌を転載しておく。
この号には彼女も執筆する小林幸子歌集『場所の記憶』(砂子屋書房刊)の批評特集が載っている。
この歌集はアウシュビッツ収容所などを巡った歌が中心に置かれた、重い主題が詠われている。

  方舟の内側からの声たち

  救助されたのは、
  口たちばかり。
  お前たち、
  沈みゆく者よ、聞け、
  私たち口のこの声も。    パウル・ツェラン「声たち」から
忘れないで下さい ひとりづつふりむきていふ口だけがうかぶ

ここに引いたフレーズを掲げて、村島さんは

<小林幸子の『場所の記憶』の、この一首の前にいまも立ち竦んでいる。鮮烈な「声」と無数の「口」の前で。
パウル・ツェランの「声たち」を枕にした、一首
   <救出されたのは口たちばかり> 声のなき六十年をあぎとへる口
にはじまる「場所の記憶」はこの歌集の前半の、いや一集のクライマックスとして、読む者を震撼とさせる。ツェランは、両親を強制収容所に喪い、自身も労働収容所生活を体験し、それを題材した幾つかの詩を書いた。ことばを基軸に死者に会おうとするが果たせず、セーヌ川に入水自殺をした詩人である。・・・・・・ >

と書く。
私事になるが、私たち夫婦もミレニアムの年2000年にエルサレムを訪問して、かの地の「ホロコースト記念館」を訪れた時のことを思い出す。詳しくは「ダビデの星─イスラエル紀行」をご覧いただきたい。
そこで私の詠んだ歌──

「永遠に続く思ひ出」(ヤド・ヴェシェム)と名づけたるホロコースト記念館に「子の名」呼ばるる
                        
私は、まだこの歌集を読んではいないが、ぜひ読んでみたいものである。
私事に脱線したが、村島さんの沈潜しているが、心に響く歌群を鑑賞してもらいたい。
この一連の2首目、19首目の歌は昨年亡くなった師・前登志夫のことを詠んだものである。


神遊びをさめたりしか蝉丸の琵琶の音色の谷を渡りし・・・村島典子
晶65号

──村島典子の歌──(3)

  蝉丸・・・・・・・・・・・・村島典子

神泉を降りて迷へり丸山町の交番にきて尋ね人われ

「クララ」へはもう四五回はきしならめ神泉巡れどゆきつけぬ店

「クララ」こそシューマンの妻、妖精のやうなる人の待ちくるるなり

あららぎの赤き実ともり新軽のきみの住まひは秋の森の中

「ごはんや」にごはんを食べに幸子さんの後ろにつきてたどたど歩く

のつしのつしと歩く人なり街道を脈うつごとくあたたかし君

礼拝堂の扉のまへに出会ひたる神のけはひを湛へたるひと

「せつかくですからお入りください」と促さる扉に顔をつけてゐたれば

幸福の谷につづける浅間石の石畳ふむ栗の毬ふむ

片足を群馬にかけて山上の秋白光にまみれてゐたり

身二つになれぬみ社秋天の碓氷峠に見てたつわれは

この峠越えてゆくべしささなみの近江草津へつづきたる道

ゆるやかな秋の坂道往き来する友ありてけふは天より出でく

須臾ふかき沈黙ののち鳴り出でしあしたのラジオ「雪の降る街」

手をあげて対岸に電車待ちゐたる若き日の師あり夢にふたたび

耳痛むひと日のをはりまはだかの柿の細木にあつまる光

冬の雷とよむあしたは偲びたりこの一年に訣れたりしひと

札の辻に別れを言ひき直(ただ)のあひ適はずなりぬわれら旅人

しろがねの実は街路樹にうつくしく冬の朝の鳥をあつむる

ばらばらと真珠をこぼす街路樹をしまらくながむ降誕の朝

日赤の裏の小さな無人駅の椅子に園児のごとき座布団

「神」一字の扁額かかげし冬のそら黄にもゆるかな蝉丸神社

蛇と見ゆ注連縄の下の神の文字神座(かみくら)なれば舞はしむるかな

神遊びをさめたりしか蝉丸の琵琶の音色の谷を渡りし

逆髪の姉をしづめて奏でられし、蝉丸の琵琶きかまほしけれ

これやこの手向の山の冬ざれの「藤三郎紐」たづねて歩く

旅人は華やぎにけむ逢坂に手にとり愛でしとりどりの紐

うつくしき三重の石塔見むがため逢坂山を越えて来りし

牛塔はふとぶとやさしはつふゆのみ魂やどると拝(をろが)みにけり

ヒマラヤゆ運ばれし乳ありけりと牛塔あふぎ慎むわれら

言葉みなとほく忘れてしまひし日ひかりと遊ぶわれは山姥
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これらの歌は2009年2月刊の季刊『晶』65号に載るもので、村島典子さんから早くにいただいていたものだが、D0blogの障害事故などで延び延びになっていたもの。
お詫びして、ここに載せる。

夏ごろも白きレースを脱ぎすてしうつくしき蛇を見まくほりすも  ・・・・・・・・・・・・村島典子
(初出・Doblog2008/12/24)
ひも

──村島典子の歌──(2)

   記 憶・・・・・・・・・・・・村島典子

島唄はラジオをあふれみんなみの海人(あま)の子どもを連れくるわれに

青銅の耳環いで来し夏見といふ未だ見ぬ丘近江にありぬ

炎なす百日紅の花かいくぐり埋蔵文化センターに入る

出土品置かれてあれど人はゐず地中のごとし八月の部屋

七年まへ契りしことの黎明の地表にいくつもの蝉の穴

骨折られ雨の路上に横たふはクローンならぬかビニール傘の

いくたびも轢かれしのちに透明のビニール傘は姿を解かる

 (写真家石山都さんとヒロシマを見てのち七首)

映像のなかとし言へど被爆せしワンピース六十四年目の夏

終戦は時間をとどむ誰もゐず凍れる夏のヒロシマの空

川七つ寄りゐる街に落されし 原爆 七つの川も燃えけむ

沈黙はつめたく烈し昭和二十年八月六日八時十五分

炎熱に落下せし首仏桑花地上に首は花を咲かしむ

生命の記憶とは何 水中をあるく 水面を首がゆきすぐ

映像にみし被爆者のワンピース水中にわれ纏へるこどし

ああ晩夏の夕暮なれど電線にテツペンカケタカと鳥は鳴くなり

みづうみを塞ぐ巨大な黒雲はまなく来らむわが街の上に

雷鳴のとどろくなかを帰りきぬ小さきくるま甲虫のごとし

車ごと驟雨に打たるこの夏はいくたび天の忿怒に触れむ

容赦なく雨に打たるるさま思ふけさ脱ぎ捨てし人のぬけがら

身じろがず雨に打たるる濡れそぼつ老人ふたりの洗濯物は

幻のひとと言ふべし「古代から来た未来人」ヲリクチシノブ──(中沢新一著書)

もう夢はなにもかも変、外套のうちより繋ぐ亡き人の手と

外套にくるまれあれど亡き人の指は冷たし死にびとの指

山道に金水引草を摘みたるはちひさな蛇の抜けがらのそば

尾の先まで見事に脱ぎありし衣(きぬ)顔ちかづけてつぶさに見たり

夏ごろも白きレースを脱ぎすてしうつくしき蛇を見まくほりすも

卵胎生とふ生態ふしぎ人間がたまごより生れしといふ神話

秋の野は匂ひたちたり紫の葛花あまた隠されてゐむ

するするとつめたき音を曳きながら水辺をい行く秋と思へり

昨夜(きぞ)見たりし夢を運びて来りけり精神科七番扉のまへに

入口は出口なるべし診察室の扉の中は真つ青な空

(歌誌「晶」64号2008.11所載)
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村島典子さん所属の歌誌「晶」64号をいただいたので、転載しておく。
この号の「あとがき」に村島さんは、こう書く。

<よく夢を見る。ほとんどがたわい無いものだが、わたしの夢によく登場するのは「蛇」。フロイトの言う、無意識の領域で抑圧されたリビドーと考えることもできるが、わたしの場合、記憶と関っているかもしれない。
秋、開け放たれた座敷に寝かされていた、生後間もない赤ん坊のわたしの枕元に、蝮の死骸が二匹置かれていたという。これは、夢ではなく実話として、幾度となく母に聞かされたこと。おそらく、猫が運んできたものであろうと、母もわたしも考えていたのだが、いつの間にか頭のなかに、霊異譚としてインプットされてしまったらしい。
「赤ん坊は人間ではなく蛇だったのではないか」。
見る夢は、いつも奇妙で、卵が木に一杯生っていたり、卵を生んでいる夢であったり、川を泳いでいる自分のまわりに蛇がうじゃうじゃいたり、前後左右蛇の中を歩いていたり、とにかくそれらの夢の後味はとても爽快とは言えないもの。けれども、どこか懐かしく、実際に池を泳いでわたっていく蛇を見たときなど、急に切なくなったものである。
記憶、それは単に、刷り込まれた母の話からではなく、折口信夫のいう「のすたるぢいの間歇遺伝(あたゐずむ)」として、現れたものではないかと、近ごろ考えたりする。
ゆるやかな雲の流れ/許された時間が ひととき/僕たちに立ち止まる/それぞれ速度のちがう身体をもつ僕たち/妻よ すれ違ってゆく<時>を/僕らは 持った/そして 一瞬のうちに/そして たぶん永遠に/光の風味──。(木村草弥 「パロール」から)
数日前届けられた、詩集『免疫系』の言葉に、蛇であっただろう日が甦る。>

村島典子さんについては11/26付け(再録・2009/04/27)に歌を載せてあるので参照されたい。

月夜茸ひかるを思ひねむりをり星への合図われもなすべく  ・・・・・・・・・・・・・村島典子
(初出・Doblog2008/11/26)
遊子

──村島典子の歌──(1)

  月夜茸ひかるを思ひねむりをり
   星への合図われもなすべく・・・・・・・・・・村島典子


村島典子(むらしま・みちこ)さんとは、私の歌集を贈呈するようになって以来の間柄であるから、もう十数年のお付き合いということになる。
大津市にお住まいで、前登志夫の「ヤママユ」門下の才(ざえ)豊かな人である。
近時、胸椎を骨折されるなど身辺に大事が起こり、「ヤママユ」も退会されたという。
そこへ今年春になってからの前登志夫の死であるから、さぞや、ご心痛のこととお見受けする。
今回、私の詩集『免疫系』を贈呈したお返しとして2006年夏に出された歌集『遊子』(柊書房刊)を恵贈された。

「遊子」とは「旅人」の謂いである。
カバー装は自筆の水彩画を版にしたものという。
掲出の歌は、『遊子』に載るものである。
なお村島さんには今までに『夕暮のみづ』 『時間(とき)の果実』 『タブラ・ラサ』の三冊の歌集があり、今回のものは第四歌集ということになる。

以下、私の好きな歌を抽出する。

人形を背にくくりつけ遊びゐしわがをのこごが妻を娶りぬ

草冠かむりし風の行列の白南風ならむ野をよこぎれる

草千里の牛にまじりて草を食む性愛ひとつ宥むるごとく

氷点下の朝(あした)の野辺に草木はつつましく立つ野の神は見よ

子を得たる女といふをしみじみとつくづくとわれは見届けにける

裏返しあをき斑あるを喜びぬちひさき人は紋章をもつ

子別れはきのふのごとし坂のへにひらひらひらと振りし手のひら

雨の樹のとなりに光の木が生ひてさくらよ千年まへの午後です

リハビリ室に骨を数へてゐたるかな頸胸腰仙尾なる椎骨

ああ折れて繊き背骨は夕凪のひとつ帆柱そらの入江に

ゆつくりとわれ癒ゆる日のゆふぐれを流るる秋あかねの赤い川

われに一歳零歳の孫あるを否否と言ひ諾諾と思ふ

蕪、大根白くまどかな形象を眺めてをりぬ夕ぐれながく

転生を信じてをらずさりながら五月の木々ははらからのごと

にがうりの腹に孕める赤き種子昼餉に食めばいのち熟るるよ

はや左腎切除されたる夫の身のその空洞の春のおぼろ夜

「きんの」とふことば昨日の謂なれば懐かしきかな大和の言葉

みづうみは黒を湛へてしづもれりこの沈黙のはての新年

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掲出歌の才気煥発な「比喩」表現の豊かな詩才は非凡なものである。
今宵も晩秋の森に月夜茸は蛍光を発していることだろう。
また引いたような佳い歌群を鑑賞させていただき、快く、満ち足りた気分である。深く感謝する。

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