K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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咲くことはなく散るのみの古稀になる「置かれた場所で咲きなさい」まだ・・・・・・・・・三浦好博
三浦

───<三浦好博の歌>──(2)

   咲くことはなく散るのみの古稀になる
           「置かれた場所で咲きなさい」まだ・・・・・・・・・三浦好博

          ・・・・・・・・・・歌集『日々片々』九曜書林2012/10/25刊・・・・・・・・・・・

歌友の三浦好博氏の第五歌集『日々片々』が恵贈されてきた。
2012/01/01から06/30までの六か月、日付順に毎日二首づつ詠まれた歌で構成された独特の本づくりである。
先ず、一日に二首づつ毎日歌を作る、という精力的な意欲には脱帽である。 それを半年間ずっと続けるというのである。
ここに載せた歌以外にも作られた筈だから、物凄い多作ということになる。
この意欲とは裏腹に、それなりの無理が祟って、何らかの「瑕疵」が生じた、ということである。それは追々書く。
「あとがき」で作者は書く。

<この十月末にていよいよ古来稀なる歳になってしまう。
 その記念に・・・・・単純な日常の繰り返しの中で感じた日々の事を、日記代わりに
 単に定型的に綴ったものである。 それでタイトルも『日々片々』である。>

彼は七十歳になったからと言って、妙に年寄ぶっているが、古稀などという概念は人生五十年の頃の言葉であって、老い込むのは早すぎると忠告申し上げる。
私など満八十二歳を半ばも過ぎた。私とは干支でいうと一回りも若いのである。

掲出した歌は「六月三十日」付の歌で、巻末の歌ということになる。
カッコ内の言葉の説明をしないと判らない人も居るだろう。 少し書いておく。
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渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』
Bloom where God has planted you.
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。

「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください」
結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。

彼女は二・二六事件で陸軍教育総監の任にあって、反乱軍によって数十発の銃弾を浴びて殺された渡辺錠太郎大将の二女ということである。
修道女として教育を受け、ミッションスクールで教育に全精力を傾けている人。
この本は、ベストセラーとなり、図書館では広く貸し出されているという。
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私は作者の妙に斜(しゃ)に構えたポーズが嫌いである。
この歌の出だしの<咲くことはなく散るのみ>という「決めつけ」が嫌いである。
七十になっても<花は咲く>のである。 
他に書いてあるのを見ると、医者から経過観察を受けているとあるが、今どき五体満足などということは無いのである。
多少は、ひしゃげた花でも、咲くことは咲くのである。

他の歌も引いてみよう。

  二月十日
 ■子供らの戯れだけで済むものか回文ホアンインゼンインアホ

「回文」は、いま流行っている。この回文は<子供の戯れ>と把握することは出来ないだろう。私は大いにギモンである。
<子供の戯れ>と把握することで、この歌が軽くなってしまった。「回文」は大人のものである。ましてや思想性を盛った回文は大人のものである。
そういう妙に斜(しゃ)に構えたポーズは止めた方がいい。

  二月九日
 ■椰子の実のチャイムと寺の鐘の音と犬の遠吠え一斉七時
 ■林立の風車のあかりの点滅が屏風ケ浦の月に浮きたつ

作者は千葉県は犬吠埼の近くに住む。朝(あるいは夜か)七時になると当地では「椰子の実」の唄がチャイムで流されるのだろう。
そして風車の林立海岸として有名な屏風ケ浦に風車に点る灯が点滅するのであった。

  四月十二日
 ■咲き満ちる桜の上の鯉幟風の伴奏喜びてゐる

こういう口語発想の佳い歌なのに、どうして「喜びて」などと文語にするのか。ここは素直に「喜んで」の方がピッタリ収まると思うが、いかが?
こういうのが全般に見られて、私には違和感がある。

  四月十八日
 ■「良く顔を見るがお宅はどちらさん」「お隣さんの三浦さんですよ」

呆けた隣人の老人とのやりとりであろうか。こういう諧謔を含んだ素直な歌が読者には快い。

  四月三十日
 ■子の収入訊きし事なしその子らを育てていけるものにあるやら
  福島第一原発1~3号機原子炉格納容器から大気中に放出されている放射性セシウムの量は、
   前月と同じ一時間当たり1000万ベクレルと発表

 ■巨大なる核融合の火の玉に我は手を合はす朝の山頂

子を思う親心と、後の歌の今日的な、素直な詠いぶりは秀逸である。

  五月十三日
 ■嬰児の指のサインも添へられて贈り物来し今日は母の日

  五月十七日
 ■終点でも降りるブザーを押せといふこのドライバー腹の虫悪

  五月三十一日
 ■この人はどうせ分からぬ花の切手季節外れを平気で貼りぬ

  六月十一日
   頼朝の妻は北条政子足利義政の妻は日野富子夫婦別姓
 ■温泉の好きな息子と許(キヨ)さんなり宿帳に記す夫婦別姓
  
  六月十七日
   「原発は災害の種」ミツバチのささやきアナ・トレントの三分間スピーチ
 ■美しき野の字の姓の羨しきにそれ原発と野田枝野細野

この「羨しき」の字には、ルビ「とも」しき、と付けるのが親切だろう。一般人にはわかり難いからである。これは歌人特有の訓(よ)みかたである。

文句ばかり書いたが、素直な佳い歌も、まだまだあるが、一応この辺にしたい。
総体に、歌の文脈が辿りにくいものが多いので、推敲、改作されるようお勧めする。それが読者への親切というものである。拙速は勧められない。
ご恵贈に感謝して、鑑賞の筆を擱く。   (完)



メタボリック症候群というなかれ俺はれっきとした河馬なのだ・・・・・・・・三浦好博
(初出・Doblog2008/11/28)
ときの扉

  メタボリック症候群というなかれ
   俺はれっきとした河馬なのだ・・・・・・・・・・三浦好博


三浦好博さんは千葉県銚子市在住の人である。
長年、NTTに勤めておられたが、今は退職されているようだ。
1942年、宮城県生れ、現在は「地中海」編集同人という。
第三歌集『ときの扉』(新葉館出版刊)は『水辺のうた』 『流星』に続くものである。
この歌集の「あとがき」に彼は書く。

<いつの間にか社会的・時事的な歌の方に感動を覚えるようになりました。つまり生きることに直接関わりある事で、今の政治状況の中で如何に人間が貶められ、恥ずかしい目に逢っているかということでした。>

ネット上に載る記事を読むと、ひところ、彼はNTTという会社の社員処遇の不当性を訴えて裁判にかけている、ということだった。それはそれで人の生き方として尊敬に値することだと私は思う。
この歌集も、ありきたりの歌集の体(てい)ではなく、時事がふんだんに盛られているので、鑑賞してもらいたい。歌の前書きのような形でゴシック体の字列が多く見られるが、これらは前書きではなく、一つの独立した歌、になっているのだった。450首を収録となっているが、実際には700首くらいになるだろう。
ネット上の歌会「題詠マラソン」に参加しての歌も多い。
なお広い分野にわたる話題を採り上げた三浦好博ホームページがあるので、ここからアクセスされたい。

以下、私が目を留めた歌を引く。私の引いたものは、どちらかというと大人しいものである。

風邪のため銃弾二粒飲みにけり強いられし死をふと思うなり

「ぬくめしー」は正岡子規が言えばこそ風邪に臥す妻に一声われも

磔刑の釘跡残すはなみずき皐月の空へ神の返礼

童心はデイゴの落花を投げ合いて獅子の甍の道を海まで

虐待死交通事故死テロ自殺過労死孤独死嗚呼嗚呼戦死

築山の陰より高くユッカ咲く勇壮恥辱の歴史を鎮め

人はみな死への囚われ人なるを長蛇の列に香月泰男も

ココシカの『風の花嫁』に封じられマーラー夫人アルマのその後

河口にて解放されし利根川の海に注ぎてなお水の道

潮騒に応えて揺るるはまゆうの花ぐるまかもやがて汚れむ

「鉄兜蹴飛ばせば人の首だった」沖縄の人の言葉忘れじ

うつせみの命枯れゆき死ねざれば老い人が老い人を介護す

死滅する弱き遺伝子の裔ならん貧乏というものを組み込み

貝になり雲丹となりゆく社の中の息苦しさを漏らし居たれど

「忙」と「忘」は心の亡びにありたれば忙にて心の解放にせん

友情の育みがたき世にありて茶房の真昼赤ゼラニューム

返答にいっも困りぬ床屋にて相田みつをの額がいっぱい

ナルシスは水の仙人自己愛を咲かせてシルクロードを来たり

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掲出の「河馬」の歌の何とも言えぬ「諧謔性」は、見事なものである。

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