K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
貸切クルーズで行く瀬戸内アートめぐり二日間の旅・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
直島地図0002

t0.jpg
 ↑ 直島・ベネッセハウスほとりの海岸にある草間弥生の南瓜のオブジェ

  ──瀬戸内アートめぐり直島・豊島・犬島の旅──
   
 貸切クルーズで行く瀬戸内アートめぐり直島・豊島・犬島の旅二日間・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・2011/08/24~25クラブツーリズム・プレミアムステージ催行・・・・・・・・・・・・・

昨年2010年には「瀬戸内アート・フェスティバル」と銘打って大がかりの芸術イベントが開催されたが、行きそびれて、今回、標記のツアーがあることを知り単身参加することになった。

元・阪神球団の名三塁手・三宅秀史の兄弟の船に乗る
「貸切クルーズ」と書かれているが、何のことはない古い小型の渡船まがいの船だが、この船「からこと丸」の船長夫妻・三宅氏は阪神球団の往年の名三塁手・三宅秀史の弟という人であった。
彼のことを知らない人のために、三宅 秀史のことを書いておく。

三宅 秀史(みやけ ひでし、1934年4月5日 - )は、 1953年、岡山県立南海高等学校(現・岡山県立倉敷鷲羽高等学校)から阪神タイガースに入団し、3年目から三塁手のレギュラーに定着。俊足強肩の選手として吉田義男と鉄壁の三遊間を構成。守備の名手として知られ、簡単な打球でもファインプレーにみせる長嶋茂雄に対し、難しい打球もダイビングキャッチなどをせずに全て正面で捕ったといわれる。1957年にベストナインを獲得する。

以降も1958年に21本塁打、35盗塁を記録するなど活躍を続けるが、ベストナインは長嶋に独占される。だが、三塁守備の実力は日本球界でもトップクラスで、どんなに高度な打球処理もファインプレーに見せない神業ともいえる守備は、ファンや、さらには敵将であるはずの川上哲治監督にすら「三宅と長嶋の守備では大人と子供ほどに違う」といわれたという。同時期の阪神の遊撃手・吉田義男、二塁手・鎌田実との二三遊間はまさに鉄壁で、「日本球界最高の守備陣」といわれ「試合前のシートノックだけで金が取れる」と評された。(ただし、一塁手の藤本勝巳・遠井吾郎だけはお世辞にも守備がうまいとはいえなかったらしい)
1962年9月5日まで、882試合連続出場と700試合連続全イニング出場(2004年に金本知憲が更新、阪神球団在籍選手としての記録も金本が2007年に更新)の記録を継続していた。しかし翌9月6日の試合前、小山正明のキャッチボールの送球を左眼に受け、虹彩分離の重傷を負ってしまった。そのため1.5あった視力が0.1にまで低下。これが選手生命を絶たれる原因となる。以降、目立った活躍はできなかった。1967年現役引退。引退後はコーチを歴任。
2004年8月1日に金本が連続試合全イニング出場の新記録を更新した際には、金本に花束を贈呈している。

(参考)
red-pumpkin-thumb.jpg
 ↑ フェリーの着岸する宮の浦港にある草間弥生の「赤かぼちゃ」──私たちはチャーター船なので立ち寄らなかった

前置きが長くなったが、海の移動は、この船にお世話になった。
この三宅船長とは待ち時間などで、いろいろ話をした。
奥さんは十歳ほど若いが、日本野鳥の会の会員で、日本各地は勿論、鳥の渡りを追って台湾などにも行って撮影するのだという。
立派なデジタル一眼カメラをお持ちである。「連写」だから、撮った写真は、その場で見て不要のものはどんどん消すのだという。
旦那さんも同行して撮影機材などの重いものを運ぶ助手を務めるのだという。仲のいいオシドリ夫婦というというべきである。
閑散期は、こうして二人で各地を廻るので、儲けは、そちらの方に使っているらしい。
また燃料の軽油が高くて採算的に大変なこと。ガソリンや軽油にかかる税金は陸上交通のもので、海を走る船にはかからないこと。
その分だけ安く済む勘定だが、船のエンジンは燃料をがすがす食うこと。安いチャーター料では儲けはなく大変だが、遊ばせるよりいいと割り切ってやっている、など。
遊覧船なので船を着岸するときに操船しやすいようにエンジンを二基つけていること、など、いろいろ話を聞いた。

↓ さて本題である。

   第一日──直島

page_photo1.jpg
 ↑「地中美術館」の地上からの俯瞰

先ず「直島」に行くが、
「ベネッセアートサイト直島」は、瀬戸内海に浮かぶ直島、豊島、犬島を舞台に、ベネッセホールディングスと直島福武美術館財団によって運営されるアート活動の総称である。

ベネッセアートサイト直島(べねっせ・あーと・さいと・なおしま、英文名称:Benesse Art Site Naoshima)は、岡山市に本拠を置く教育関係企業ベネッセコーポレーションが、瀬戸内海に浮かぶ離島・直島(香川県直島町)で展開する、現代美術に関わるさまざまな活動の総称。ベネッセハウス、家プロジェクト(島内の海岸や集落を使ったアート作品のインスタレーション)、その他刊行物やシンポジウムなどを含んでいる。
ベネッセコーポレーションが1980年代後半より美術館・ホテル・キャンプ場の複合体「直島文化村」で行ってきたアート活動が、直島島内の海岸や古民家や路地なども舞台となるようになり、もはや美術館内部に納まらない規模になってきたため、2004年7月より「直島文化村」ほか島内のアート活動の総称を「ベネッセアートサイト直島」に改称した。以前からの企業コレクションであった美術品も多いが、ベネッセハウスの構造や瀬戸内の景観、集落の歴史などを踏まえて、直島だけのために構想し制作・設置され、直島以外では見られない場所限定的な(サイトスペシフィックな)インスタレーション作品が増えてきたのが特徴。

近年の作品新規購入(設置)の方法としては、「サイトスペシフィック・ワークス(特定の場所でつくられ成立する作品)」、つまり、アーティストを招き、直島や美術館を見て場所を選んでもらい、その場所のためにプランを立て、制作するという手法をとっている。海外などから来た作家が安藤忠雄の美術館建築や直島という場所をどうとらえたかが作品の成立の鍵となっている。癖の強いベネッセハウスの建築や、既にある島の風景や歴史に対し、対峙してそれでも負けない強さを持った作品がそろい、しかもそれを見ているうちに直島の風景や暮らしやベネッセハウスの建築などの隠れた魅力に気づくようになり、それらと自分自身の関係を考え始めるようなきっかけとなる優れた作品が多い。

また安藤忠雄設計のベネッセハウスへの宿泊、島内の集落でのアート作品鑑賞などのコースが、国内の旅行雑誌よりむしろ欧米の高級リゾートホテル誌に取り上げられることが多く、徐々に外国人観光客が増えている。

内部は写真撮影なども一切禁止であるから、詳しくはネット上で検索されたい。
初めに画像を出した「草間弥生」は現役の現代芸術家として著名な人であり、日本よりも海外で有名である。
つい先日、NHK・BSプレミアムが長時間特集していたから、ご覧になった方もあろうか。
以下に載せる写真などは、いずれも現地で買ってきた絵はがきをスキャナーで取り入れたものである。

「地中美術館」は三人の芸術家の部分に分かれている。
「ウォールター・デ・マリア室」「ジェームス・タレル室」「クロード・モネ室」だが、モネの睡蓮の連作シリーズの画像は無い。

地中美術館
 ↑ 上の画像が「デ・マリア」の作品

地中美術館0001
 ↑ この画像と先の画像の「下」の画像が地中美術館の建物を作った安藤忠雄のもの。コンクリートの打ちっぱなし。安藤の得意分野である。

地中美術館0002
 ↑ 「上」の画像がジェームス・タレルの「オープン・スカイ」の画像─ただし夜景のもの
   「下」はリチャード・ロングの「十五夜の石の円」という作品

これで作品は、すべてである。

とにかく、各々の芸術家のこだわりがひどく、かつ福武財団のこだわりも強いので、参観者は引き回される感じ。
瀬戸内の自然の景観に溶け込むように、との配慮もあり、とにかく参観者は「歩かされる」。
折しも蒸し暑い猛暑のこととて、大汗だくだくである。
ここを出たあと「本村」地区に移動して「直島・家プロジェクト」という土着の集落の建物などを利用した数件のプロジェクト作品を見ることになるが、私はくたびれて端折ってコーヒーを飲んで休息する。

直島・家プロジェクト
 ↑ 「上」宮島達男の「角屋」という作品
   「下」大竹伸郎の「舌上夢・ポッコン覗」の「はいしゃ」作品

念のために言っておくが、直島の芸術作品にじっくり触れるためには「ベネッセハウス」に宿泊して、ここの食事を食べ、夕陽、朝陽を見る、という余裕が必要である。
私のような駆け足では十全に感受出来ないことを声を大にして申し上げておく。

これで初日の参観は終わり、三宅氏の船で、今夜宿泊の小豆島の「ベイ・リゾート小豆島ホテル」に入る。
私の部屋は六階。大浴場は十二階で展望が素晴らしい。
夕食は洋食を選択。品数は多くはないが、おいしいコース料理。ツアーでは、こういう本式のコース料理は珍しい。
ホテルほか
このホテルのすぐ近くに「マルキン醤油」の工場や記念館があり、醤油のいい匂いがただよって来る。
そこで少しWikipediaの記事を引いておく。

丸金醤油株式会社(まるきんしょうゆ)は、かつて香川県に存在した食品メーカーである。
2000年4月1日に兵庫県神戸市灘区の食品メーカー、忠勇と合併し、マルキン忠勇(現・ジャパン・フード&リカー・アライアンス)となった。

社名の由来 地元香川県にある金刀比羅宮の社紋(丸に金)にあやかり、社名とした。
沿革 1907年1月22日 - 創業者である木下忠次郎が香川県小豆郡苗羽村(のちの内海町、現・小豆島町)に丸金醤油株式会社を設立。
1934年8月12日 - 内海醤油会社を吸収合併。
1949年5月 - 大阪証券取引所第2部に上場。
1962年8月1日 - 船山醤油、安田醤油、川野醤油、島一醤油の4社を吸収合併。
1988年3月 - 大阪府大阪市西区にマルキン大阪ビルを設置。
2000年4月1日 - 忠勇株式会社(同日付けでマルキン忠勇株式会社に社名変更)に吸収合併され消滅。
忠勇との合併は 商法上は、忠勇が丸金醤油を吸収合併した形だが、実際は経営不振に陥った忠勇が丸金醤油の傘下に入ったもので、いわゆる逆さ合併である。

「忠勇」というのは灘の古い日本酒メーカーだが、ここがマルキン醤油と経営統合しているとは知らなかった。
この頃は何の分野でも企業の経営環境は厳しく、私の家の近くにあった「藤清こんにゃく」も京伏見の日本酒トップメーカー「月桂冠」の傘下にM&Aで吸収された。
これらは、いずれも「食品」関連の企業であり多角経営を進める観点から、この業界では流行っているらしい。
参考までに書いてみた。

----------------------------------------------------------------------------
    第二日──豊島→犬島

瀬戸内海は日本のエーゲ海と称されるが、確かに「多島海」ではあるが、「海の色」が違う。
私はギリシアには二回行ったが、二回目はエーゲ海をクルーズ船で巡った。
真夏のことであるが、海はプランクトンの少ないせいか「真っ青」である。いわゆる「エーギアン・ブルー」と称するネイビー・ブルーである。
それに日本のような湿気はないから、真夏の日中の気温は四十度にも達するから猛烈に暑いが、湿気はないし、夜には気温がぐんと下がり、
二十度以下にもなったりするから快適である。

さて、私たちは小豆島のホテルを出て、三宅氏の船で一路「豊島」(てしま)に向かう。
言い忘れだが「直島」も「豊島」も行政的には香川県に属する。ただし午後に行く「犬島」は岡山県である。

豊島は結構大きい島である。ただし小豆島ほど大きくはない。小豆島は、この近辺では飛び抜けて大きい。(はじめに掲げた地図参照)
豊島というと、戦後一時、住民の住む集落の反対側に有害な産業廃棄物が投棄され、その処分をめぐって中坊公平弁護士たちが苦労した話が有名。
今では香川県もたちあがり、その処理が進められている。

この島には「家浦」港と「唐櫃」(からと)港と二つの港があり、豊島美術館のあるのは唐櫃港のすぐ傍である。
島の中は町営のシャトルバスが、この両港の間を一回200円で巡回している。
豊島0005
豊島0006
豊島0007
豊島0008
豊島0009

豊島美術館は、建築家・西沢立衛とアーチスト・内藤礼とのコラボレーションで誕生した。
写真のように瀬戸内の海を望む小高い丘に位置し、休耕田となっていた棚田を地元住民とともに再生し、その一角に水滴のような形をした建物が建てられた。
広さ40×60メートル。高さ4.5メートルの空間の中には柱が一本もないコンクリート・シェル構造で、天井にある2カ所の開口部から、周囲の風、音、光を直接とりこみ、自然と建物が呼応する空間となっている。
下で紹介する「豊島美術館ハンドブック」の中で、財団法人直島福武美術館財団理事長の福武總一郎は、こんな風に書いている。

<正式には香川県小豆郡土庄町豊島は、1975年から16年間にわたり約56万トンという大量の産業廃棄物が不法投棄され、県と住民の間で公害調停が成立したのは2000年のことです。
それから10年後の2010年にオリーブの木が記念植樹され、この豊島美術館が開館しました。
本来、豊島は湧き出る清水に象徴されるように自然に恵まれた島であり、島民の方々はこの清水を飲用、洗濯用などに利用してきました。
また眼下には海まで棚田が作られ豊かな田園地帯が広がっていました。ここを美術館敷地としたのは、耕作放棄されてきた棚田を再生し、大地の恵みが蘇り、清水が産廃の投棄にも関わらず今も枯れることなく湧き出ているこの場所こそが相応しいと考えたからに他なりません。
建築家も作者もこうした歴史を踏まえ、それぞれの代表作となるであろう作品を創り上げてくれたものと思います。
作家・内藤礼さんと建築家・西沢立衛さんによるこの美術館の構想は、2004年7月、地中美術館の完成後、ほどなくして始まりました。
私にとって優れた美術館とは、展示陳列施設としての建物ではなく、建築物とそこに在る作品が周辺環境を含め調和し対話しているものです。
豊島美術館の場合は、女性的、母性的であり柔らかな存在として意識していました。いわば「豊穣と再生」の空間として作家、建築家によって誕生したともいえます。・・・・・・>

この言葉こそ、この美術館のコンセプトと言える。
館内など写真は撮影禁止であるから、ここに掲出したものは、すべて「ハンドブック」から借りたものである。

豊島0010
豊島0011
豊島0012

内部のコンクリートの床には、水の出る小さな穴があり、あるかなきかの傾斜を水玉が、とどまり、流れて、ところどころに開く、やや大きな穴に吸い込まれてゆく。
内部に入るには靴を脱ぎ靴下や素足になって入る。
一番目の写真のように毛糸のような紐が二つ垂らされていて、自然の風に靡いている、という風情である。
この建物に入るにも島の植生を見ながら数百メートル歩くということになる。
周りの棚田は今では再生され、石垣も綺麗で、稲が青々と茂っていた。
脇に小さなトーチカのようにカフェ・ハウスがあり、ここも靴を脱いで入るが飲み物などを注文できる。

豊島0003
 ↑ 入場券ホルダー
豊島0002
 ↑ 豊島美術館ハンドブック

この島にも「家プロジェクト」があるらしく、ガイドブックには載っているが、今回は立ち寄らなかった。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
    犬島

title_photo1犬島
 ↑ 犬島の旧銅精錬所の風景
title_photo2犬島
 ↑ 犬島の旧銅精錬所のレンガ塀の風景
title_photo3犬島
 ↑ 「犬島美術館の内部・ミラーの迷路」

はじめに、Wikipediaに載る記事を要約して出しておく。

岡山県岡山市東区の離島。古代に犬を追放したという場所。『枕草子』に一条天皇の可愛がる猫「命婦のおとど」に飛びかかった犬の翁丸に対して、天皇が「この翁丸うちてうじて、いぬしまへつかはせ」と命じたとの話が見える(うへにさぶらふ御猫)。北村季吟の枕草子の注釈以来、一説に本項で扱う犬島を指すとされてきたが、藤原秀能の『如願法師集』(13世紀)に「いぬしまや 中なる淀の渡し守」の句が見えることなどから、淀川のあたりにあった地名ともいう。
島名は犬に似た巨岩に由来するといわれるが、その名に似ず、島内には猫が非常に多い(2009年以降は激減)。
花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、大坂城築城のほか、明治以降の大阪港築港の際には礎石の切り出し場となるなど、大阪の建設と縁が深い。

1909年(明治42年)から1919年(大正8年)まで島の東南部で銅の精錬を行っていた。精錬所の遺構として、朽ち果てたレンガ積みの煙突が数本残り、島のシンボルとなっている。

人口の減少に伴い小中学校は廃校になったが、郵便局は簡易郵便局として残っている。なお、犬島自然の家は、かつての小中学校舎を公営の宿泊施設として整備・増築したものである。

文化1984年に放送されたテレビドラマ『さよなら西部警察』のロケ地としても使われた(私有地内のため立ち入りは出来ない)。いまでも爆破ロケの残骸や足場が放置されるなど、当時のロケの荒っぽさを感じさせ、地元に映画ロケーションへの拒否感を起こしてきた。近年は映画「鉄人28号」のロケ地になるなどふたたびロケが活発化している。

近年、精錬所を使った演劇祭が開かれたほか、香川県直島町でベネッセアートサイト直島を展開するベネッセコーポレーション(岡山市)現会長が直島福武美術館財団を設立し、精錬所付近を使った恒久的なアートワークの設置を柳幸典と共に10年前から計画。2008年(平成20年)4月「犬島アートプロジェクト“精錬所”」が開館している。
以前は予約者のみ見学可能だったが、2010年度以降は事前予約が不要になり、自由鑑賞制を導入している。

また、2004年より「犬島時間」というアートプロジェクトが行われており、毎年夏頃に「犬島時間」というアートイベントを開催している。犬島の夏の恒例行事として賑わいをみせている。こちらのプロジェクトは、ベネッセの助成事業として犬島時間実行委員会が運営している。年間を通じて犬島とかかわり、その魅力を発振している。犬島アートの先駆け的な存在である。

犬島は2010年に開催されるアートの祭典瀬戸内国際芸術祭の開催地にもなっており、維新派の演劇が行われるなど、今後ますます地域の文化的な活性化が期待されている。

この島の参観は、先ず旧銅精錬所の廃墟の跡を使った「犬島アートプロジェクト・精錬所」だが、掲出した画像③のように煉瓦通路の暗い迷路の曲り角ごとに「ミラー」を置いた「仕掛け」があるが、真夏のこととて内部は蒸し暑くて、苦行。大汗だくだくである。
出たところに三島由紀夫の『英霊なんとか』という小説のセリフを取り込んだオブジェがあるが、この仕掛けとの関係は分らずじまい。
今では、三島由紀夫の自衛隊市谷での「自決」というものも、否定的な見方が一般的で、この両者をくっつけようとした作者の意図は疑問である。
この美術館(?)と称する作品は柳幸典/三分一博志の製作という。
かつて、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫を持ってきた、というのがモチーフらしい。

旧精錬所の遺跡めぐりも炎天下で苦痛であった。
休憩所での五百円の「紫蘇カキ氷」に涼を求めたのも、お愛嬌か。
島の集落の家を利用した「家プロジェクト」と称するものは、柳幸典、妹島和世、長谷川祐子の手になるもので、私は一応、全部みて歩いたが大汗をかいて苦痛だったことが印象に残るのみであった。
芸術家と称する者は、本来「ひとりよがり」のものであるから、それを知れば何も異を唱えることもないのである。
犬島

これで今回の瀬戸内アート巡りは終了した。

今のベネッセは、もと「福武書店」と称していた。受験指導の進研ゼミなどで儲けたのだが、書店の出版物として国語の辞書なども出している。
ここの「古語辞典」はよく出来ており、私はここのものを愛用している。
「岩波古語辞典」もあるが、ひとりよがりの編集で使いにくいので、私はもう二十年来、福武の古語辞典を愛用していることを、敢えて言っておきたい。
福武總一郎は岡山の「立志伝中の人物」であり、その意味で、このような企画も、次々と持ち込まれるのであろう。
ただ今後が問題である。期待して見守りたい。 お手並み拝見というところである。  以上。

(追記)
この記事を載せた直後に、新潮社・とんぼの本で、福武總一郎、安藤忠雄ほか『直島・瀬戸内アートの楽園』が出た。↓
直島

ここには詳しく載っているので、深く知りたい方は見てみられるとよい。
この本を読むと、これらを十全に鑑賞するには「ベネッセハウス」に泊って、かつ日程も三泊四日くらいして、ゆっくりと見なければ理解したとは言えないだろう。
直島の家プロジェクトの「護王神社」や大竹伸郎さんの「 I 湯」の銭湯にも入ってみたい。
いろいろ仕掛けがあるようで面白そうである。

なお福武 總一郎などについて、Wikipediaの記事を引いておく。↓

福武 總一郎(ふくたけ そういちろう、1945年12月14日 - )は、ベネッセホールディンクス取締役会長。

福武書店(現ベネッセコーポレーション、ベネッセホールディンクス)創業者・福武哲彦の長男。岡山県出身。早稲田大学理工学部卒業。日製産業勤務を経て、1973年福武書店に入社。2009年総務省顧問。

1986年、福武書店社長であった父の急逝に際し總一郎は、東京から岡山の本社へ戻ることになる。大都市から地方都市岡山へ戻った總一郎は、当初こそ、その環境の大きな落差に戸惑うが、数ヶ月もしないうちに東京にいないことの幸せを心底から感じるにいたる。總一郎の目には、歴史もなく自然も存在しない東京は「人間」の欠けた都市と映り始めた。岡山への帰郷は、その数年後に社名を「ベネッセ」(「よく生きる」の意味)に変更するほどに、總一郎に大きな影響をもたらせた。

「ベネッセアートサイト直島」の活動を始め、2004年地中美術館を開館。2008年3月東京大学に16億5千万円を個人寄付し、本郷キャンパスに「情報学環・福武ホール」が造営されている。

役職
1974年 - 東京支社長
1976年 - 常務取締役
1980年 - 専務取締役
1985年 - 副社長
1986年 - 父の急死により代表取締役社長に就任
1989年 - 直島国際キャンプ場をオープンさせる。
1995年 - 社名をベネッセコーポレーションに変更
1997年 - 家プロジェクト開始
2003年 - 代表取締役会長
2009年 - 持ち株会社制導入時に代表取締役を離れ、取締役会長となる。
受賞履歴
1991年 - 「財界」経営者賞
1995年 - 毎日経済人賞
2000年 - 岩切章太郎賞
2004年 - 岡山県文化賞
2008年 - ベネッセアートサイト直島などのプロデュースにより、芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)

株式会社ベネッセホールディングス
Benesse Holdings, Inc

本社所在地 日本
〒700-8686
岡山県岡山市北区南方3-7-17
設立 1947年11月(タバイサイエンス株式会社、注1)
業種 サービス業
代表者 代表取締役社長 福島保
資本金 136億00百万円
(2010年3月31日現在)
発行済株式総数 1億0635万3453株
(2010年3月31日現在)
売上高 連結4127億円
(2010年3月期)
純資産 連結1684億円
(2010年3月31日現在)
総資産 連結3431億円
(2010年3月31日現在)
従業員数 連結15666人
(2009年12月31日日現在)
決算期 3月31日
主要株主 野村信託銀行株式会社 14.75%(創業家出資分を含む)
主要子会社 グループ企業の項目を参照
関係する人物 福武哲彦,福武總一郎

かつては文芸誌「海燕」や「福武文庫」を出し、文芸・人文の出版も活発に行っていたが90年代後半までに全面撤退し、現在は「教育・語学・生活・福祉」の分野を中心に事業を進めている。
旧社名は株式会社福武書店であり、社名変更後も「福武文庫」など語学関係の書籍に福武のブランドが用いられてきた。現在は『福武国語辞典』など一般向けの辞典に用いられる。


copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.