K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201708<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>201710
木村重信・毎日新聞執筆記事「文化庁の京都移転」・・・・・・・・木村草弥
重信

──書評・評論──

    木村重信・毎日新聞執筆記事「文化庁の京都移転」・・・・・・・・木村草弥

私の兄・木村重信が毎日新聞に執筆した記事のコピーを送ってきたので「画像」として出しておく。
鮮明に見られると思う。 彼も老来、ますます元気の様子で何よりである。



三井修歌集『汽水域』・・・・・・・・・・・・木村草弥
汽水域_NEW

       三井修歌集『汽水域』・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・ながらみ書房2016/05/25刊・・・・・・

この歌集は、三井修氏の第九歌集になる。 2005年6月から2013年1月までの506首の作品が収録されている。
三井先生には、私の第四歌集『嬬恋』の合同出版記念会に出席して批評していただいたのを初めとして、第五歌集『昭和』の読む会を東京で開いてもらうなど、多大のお世話になった。

この本をご恵贈いただいてから、もう一か月を過ぎている。 このように紹介が遅れたのには理由がある。
私は四月はじめから体調に異常を来たし、上肢、下肢に力が入らず、むくみ、全身の脱力感、肩や股関節の痛みなど突然の不調に見舞われた。
また夜間の頻尿による「小便垂れ」にも襲われ「おむつ」を当てる仕儀となった。
あちこち整形外科などを渡り歩き、自費で鍼治療などを鋭意やったが軽快せず、いろいろ自分でネットなどを調べた結果、「リウマチ」に関係するのではないか、と思い当たり、宇治市で開業されるリウマチ学会所属の専門医M先生の診察を受け「リウマチ性多発筋痛症」の診断を得ることが出来た。
先生は京都府立医大の出身であられるが、その先輩にあたる兵庫医大教授・佐野統先生が新設、移転した京都岡本記念病院に隔週に来ておられることを伝えられ、今はこの病院のリウマチ科で治療を受けている。
おかげで原因も判り、的確な治療で、ずんずん回復し手、指のむくみや硬直も解消してペンや箸を持つことも可能になった。
このような心身不調に陥ったのには或る「引き金」になったことがある。
それは妻・弥生の死後、十年間にわたってお世話になった稲田京子さんを喪ったことである。
二月七日の私の誕生日を祝うというので、当地のフランス料理店で、ささやかなランチを友人も交えて三人で摂った。
その際、京子さんがひどく痩せているのが判った。 実は亡夫君・道夫氏の十三回忌の法事が昨年末あり、それに引き続いての新年の行事など、しばらく会っていなかったのである。
すでに病院の見落としによる腹部の癌が進行し、二月下旬に入院したときには手の打ちようがなかった。 もちろん毎日、私は病院に通ったが日々衰弱して三月二十五日に亡くなった。
これが「引き金」である。 今になって判ることであるが、それらの「ストレス」による自律神経の失調により交感神経、副交感神経のバランスに異常を来たし、今回の病気に至ったと主治医の先生は言う。

遅くなったが、以下に三井先生の本を紹介することとする。

この本の「帯」文にも書かれているが、全般に「やわらかな言葉、おだやかな調べ」に終始する。 激しい言葉や調べは無い。
題名の「汽水域」とは「あとがき」に書かれているように、沖縄の石垣島を訪ねられたときの歌

  <右左マングローブを眺めつつわれらの船は汽水域ゆく>

から採られている。
<海水と淡水の交じり合った状態が、決して若くもなく、かといっていまだ老人の気持ちにもなれない、現在の自分の曖昧さとどこか通じるような気がしたからである>と書いてある。
この期間には継母を送り、孫が生まれたりの身めぐりの変遷があったが、作者は、もともと身内のことは詠わない人である。
以下、歌を引いて鑑賞することにする。

*抒情詩と叙事詩鋭く交差するアラビアなりしか 若く旅しき
*四年間アラビア語学を学びいし四十年前ただ貧しくて
*読む暇あるとはもはや思わぬが古書店に購う『アラビア詩集』
*若き日にヨルダン川にもとめたる聖水の壜乾き果てたり
*交易を生活となして充実の若き日ありき歌も詠みつつ
三井さんはアラビア語の学習者として、かつ、それを日常に操る商人として中東に在った。 それらは『砂の詩学』などの歌集に結実している。
これらの歌は、まとまって連作に配されているのではないが、歌集の中から拾って、まとめて載せてみた。 三井さんとはアラビアは切っても切れない終生のテーマであろう。

*靴紐が緩みたるまま行くような心もとなさ 母病みており
*係累のなければ故郷へ行く汽車も<帰省>にあらずもはや<旅>なり
*再びの母の忌終えて去る能登よ 雨に靴下湿らせながら
*子らが去り夕陽の去りたる後の苑 ぶらんこに今は月光が乗る
*幼な子が手のひら開けばうすべにの雛のあられ畳に零る
三井さんは家族のことは歌にしない人であった。 今回も数は少ないが、いくつか拾ってみた。 みな読者の胸にしんと迫る歌である。 継母との別れなども詠まれている。

*一代とはまことにかかる闇ならむ 見えつつ見えず時に躓く
*エンディングノートがなかなか埋まらない額紫陽花の花の咲きいて
*地の上に花影深き裂をもつその裂の間は渡りゆく蟻
*古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず
*何をどう歌えばいいのか三十と余年詠みきて今も苦しむ
ところどころに人生を問う深い歌が挟まれる。 「時に躓く」という修辞など秀逸である。

*復興支援酒場に我ら食むみいるは鮫の心臓翻車魚の胴
時には、こういう時局からみの歌もある。 これも今を生きる同時代人としての矜持であろうか。

そろそろ鑑賞を終りにしたい。
*早春の光は人を強くする少年の日も老い初めし今も
*右左マングローブを眺めつつわれらの船は汽水域ゆく
*はるかなる歳月はるかなるアラブはるかなる父母はるかなる愛
一番後の歌は巻末近くに置かれたもので、この一巻を締めくくるものとして「絶唱」だと私は思う。

体調が、まだ万全ではないままペンを執ったことを了承されたい。 大部の本のため見落とした歌も多いかと思う。 お許し願いたい。
読み終えた快い昂ぶりの中に居ることをお伝えして鑑賞を終わる。 有難うございました。



木村草弥歌集『嬬恋』──感応・・・・・・・・・・・・・・・・米満英男
嬬恋

──書評・評論──初出・『霹靂』16号2004/05/01所載

     木村草弥歌集『嬬恋』──感応・・・・・・・・・・・・米満英男(黒曜座)
                 ──その多様な発想と表現に向けての恣意的鑑賞──

 今、眼前に、四八二首を収載した歌集『嬬恋』がある。まずその歌の抱える幅の広さと奥行の深さに圧倒された。
東はユカタン半島から、西はエーゲ海に到る<規模雄大> なる覊旅の歌にも目を瞠ったが、その現地体験もなく、宗教や風習にも全く疎いと気付き直し、
敢えてそれらの歌からは、紙数の関係もあって降りることにした。
 私が平素上げている専用のアンテナに、強く優しく伝わってくる歌からの電波をとらえて、私なりの気ままな読み取りを行い、それを返信の言葉に代えて述べてみることにする。

①目つむれば菜の花の向うゆらゆらと揺れて母来るかぎろひの野を
②父を詠みし歌が少なし秋われは案山子(かかし)やうに立ちてゐたりき
③うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり
④夜の卓に土筆の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言へず
⑤石ひとつ投げし谺がかへりくる花の奈落の中に坐れば
⑥うつしみは欠けゆくばかり月光の藍なる影を曳きて歩まむ

 いずれの作品も、まさに現代短歌の本筋とも言うべき、肉眼と心眼、写実と抽象、正視と幻視が一元化した上で、さらに濃密性と透明感を秘めた歌に仕上がっている。
 一首ずつ、恣意的に味わってみる。
 ①の歌、目つむれば常に花の向うから現れる母の姿。おそらくは母が纏う甘い匂いも嗅ぎ分けていよう。
②の作品、父と同様、作者自身も、父となった以後は、子から見れば孤独な存在に過ぎない。
③真昼間の春爛漫のさくらではない。若気の至りを越えた後をふり返りつつ、その回想を子に聞かせている。
④上句にこめられている妖気が、下句の願望を妨げ作者の口を閉ざさしめる。
⑤花にかこまれて坐っている自分の姿を、奈落の中と観じた刹那、投げた石の谺のひびきがわが身を禊ぐ。
⑥の歌、白い月光の下、藍色の影を曳きゆくほどに、うつしみの欠落部分が、いよいよつよく感じられると詠じている。
 次に、上掲の歌とがらりとかわって、何とも言えぬユーモア、あるいは洒脱な語り口からくる、本音に近い発想の楽しさを湛えている作品を抜き出してみよう。

⑦重たげなピアスの光る老の耳<人を食った話> を聴きゐる
⑧手の傷を問ふ人あれば火遊びの恋の火傷と呵々大笑す
⑨クールベのゑがくヴァギナの題名は「源」(スールス)といふいみじくも言ふ
⑩春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじやくし)の語尾活用を君は見るだらう
⑪園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた
 ⑦の作品、車内で見た<老婦人>であろう。隣の老人の語る<人を食った話>、つまり人を馬鹿にした話をじっと聴いている。
そしてその話をまた作者自身も、思わず聴いてしまう。
⑧は、これまた、何とも鮮やかな応答である。結句の<呵々大笑>の締めがよく効いている。
⑨読み下した瞬間に「なるほど」とうなずく外はない愉快な歌である。下句の<いふ><言ふ>の駄目押しが決まっている。
⑩さてさて、こういう発見もあったのかと頷き返す。<君> が何者かと思案する楽しさも残されている。
⑪<レンブラント>という重々しい命名のトマト─是非食べてみたい。
こういう、絶妙な軽みを持つ歌を随所に据え置いているのも、作者のすぐれた<芸> の内であろう。

 さて、ここら辺りで、題名の『嬬恋』にぴたりと即した作品をとり上げてみよう。
⑫雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)まぬがれがたく病む人のあり
⑬億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
⑭生き死にの病を超えて今あると妻言ひにけり、凭れてよいぞ
⑮ゆるやかに解(ほど)かれてゆく衣(きぬ)の紐はらりと妻のゐさらひの辺に
⑯水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら
ありきたりの感想など入れる隙間などない、まさに絶唱としか言いようのない作品である。が、それではいささかこちらが無様すぎるので、敢えてひとこと述べてみる。

 ⑫雷鳴が葵というはかない存在を経て、病む人につながるその緊迫感。
⑬永遠の時間に比べれば、人のみならずすべての生き物は瞬間の命しか持ち得ないという詠嘆。
⑭四句から結句に至るその間に付けられた<、>の重さによって、<凭れてよいぞ>という作者の肉声が何とも切なく伝わって来る。
⑮若かりしころの艶なる妻の姿態がふと浮かぶ。歳月の流れ。
⑯一歩踏み出せば一種の惚気とも取られかねない際どい線の手前に踏みとどまって、己れの身をその<女>(ひと)に委ねている。

 好き勝手な、自己流の鑑賞──というよりも、一方的な受容と合点を行って来た。そこであらためて気付いたのは、この歌集のもつ多様性であった。
しかもそれは、歌の表層部分の言葉の置き換えから来るものではなく、作者自身のその場その時における情念と直感が導き出す重厚にして膨みのある、ユニークな詠嘆であった。 
 その詩的詠嘆の、さらなる充溢と進展に向けて、惜しみなき拍手を送りたい。 (完)


「地球はアポリア」・・・・・・・・・・・・・・・秋山律子
嬬恋

──書評──木村草弥歌集『嬬恋』(角川書店)「未来」誌2004年1月号 所載


    地球(テラ)はアポリア・・・・・・・・・・・秋山律子

『嬬恋』は木村草弥氏の第四歌集にあたる。
その歌集名と響きあうようなスリランカの岩壁画という「シーギリア・レディ」のフレスコ画のカバーが印象的である。
十数年来の念願が叶って実際に見に行かれたそうだが、かすかに剥落しながら浮かび上がっている豊潤な像に女性への、妻への思いが象徴されているのだろう。
『嬬恋』は群馬県北西端の村の名に因んでいるが、それは二度の大患を乗りこえて戻ってきた吾が妻へのそのままの気持ちであると記す。

  ・妻病めばわれも衰ふる心地して南天の朱を眩しみをりぬ
  ・羽化したやうにフレアースカートに着替へる妻 春風が柔い
  ・壺に挿す白梅の枝のにほふ夜西班牙(スペイン)語の辞書を娘に借りにゆく
  ・嬬恋を下りて行けば吾妻とふ村に遇ひたり いとしき名なり
  ・睦みたる昨夜(きぞ)のうつしみ思ひをりあかときの湯を浴めるたまゆら

という風に、妻や娘を詠むときに匂うような視線がある。
そういった家族への濃い思いもこの歌集の特徴だが、一方でもう一つ大きなテーマとして、アジアや中東を旅し、
その土地から発信する幾つかの連作に、旅行詠を越えた力作が並ぶ。
その中の一つ「ダビデの星」というイスラエル、エルサレムを旅した時の散文を含んだ一連は、この歌集のもう一つの要であろう。

  ・今朝ふいに空の青さに気づきたりルストゥスの枝を頭(づ)に冠るとき

に始まる八十余首の連作は、イエスが十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサの歴史的場所の十四のポイント(ステーション)を辿るのも含めて、そのほとんどを叙事に徹しながら、自らの足を運び、自らの目で視ることの迫力で一首一首を刻んでゆく。

  ・主イエス、をとめマリアから生まれしと生誕の地に銀の星形を嵌む
  ・ほの赭きエルサレム・ストーン幾千年の喪ひし時が凝(こご)りてゐたる
  ・異教徒われ巡礼の身にあらざるもヴィア・ドロローサ(痛みの道)の埃に塗(まみ)る
  ・日本のシンドラー杉原千畝顕彰の記念樹いまだ若くて哀し
  ・「信じられるのは銃の引金だけ」そんな言葉を信じるな! 君よ
  ・<国家の無化>言はれしも昔せめぎあひ殺しあふなり 地球(テラ)はアポリア

宗教、民族の紛争地のただ中を歩みながら事実のあるがままの呈示の中に、自分の思念を映し出す。
そして連作の最後に置く一首

  ・何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ

その他風景を詠ったものなど詩情豊かだ。
  ・月光は清音(きよね) 輪唱とぎるれば沈黙の谷に罌粟(けし)がほころぶ
  ・睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたびよぎる

そして、本歌集の最後に置かれた一首

  ・水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら

-------------------------------------------------------------------------
秋山律子 ← Wikipediaにリンクあり。

春日真木子「自己存在の起源を求めて─木村草弥歌集『嘉木』書評」・・・・・・・・春日真木子
嘉木0002

──書評・評論──(角川書店「短歌」平成11年9月号所載)

        「自己存在の起源を求めて」・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
              ・・・・・・木村草弥歌集『嘉木』書評・・・・・・・・・・

『嘉木』は、木村草弥氏の第二歌集。
集名は、陸羽の『茶経』の「茶は南方の嘉木なり」によるもの。
表紙の「製茶の図」が格調を示すのも「生業である<茶>に対するこだわり」のあらわれであろう。

    ・汗あえて茶を刈る時にそぼつ身を女神のごとき風通るなり
    ・<汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ
    ・立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり
宇治茶問屋の経営主の木村氏が、自ら茶摘みに励まれる歌。
一、二首目のヨーロッパ的教養が、茶摘みにあらたな匂いを添え、
三首目、立春の日脚の伸びる茶畑は、次の芽生えを育む光を浴び明るく健やかである。

    ・山城の荘園領主に楯つけば「東大寺文書」に悪党と呼ぶ
    ・年貢帳にいみじくも記す八十六人、三石以下にて貧しさにじむ
    ・女の名は書かず女房、母とのみ宗旨人別帳は嘉永四年
氏の住む周辺は、玉つ岡、青谷の里、つぎねふ山城、と地名うつくしく、また豊かな歴史がある。
古典、古文書を身近に引き寄せ、その上に数十首の歴史詠があるが、
抄出のように弱い立場の階級に視点をとどめる歌に注目した。
古文書の謎めいた一行が明快に甦るのも韻律の働きであろうか。
実証的な内容に雰囲気が加わり、つぎねふ山城は生命ゆたかに、木村氏の精神風土となっている。
「自らのアイデンティティを求めたのか」と川口美根子氏の帯文にある。
まことに自己存在の源を求めて郷土への執着が窺われ、この上に茶園があり、氏の四季詠がしずかに光を放っている。

<ともしびが音もなく凍る冬の夜は書架こそわれの黄金郷(エルドラド)たれ>の一首もあるが、
旺盛な知識欲と博識は、自から一集に滲む。

    ・葡萄摘むアダムの裔(すゑ)の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす
    ・押し合ひて群集はときに暗愚なり群を離れて「岩うつモーゼ」
    ・ヘブライの筆記のごとく右から左へ「創造」の絵はブルーに染まる
海外詠も、キリスト教的起源に触れ、英知を求めての旅であったろうか。
旧約を力づよい詩魂で描いたシャガールの図像に、知識人らしい見方がもりこまれている。

    ・黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む
    ・サドを隠れ読みし罌粟畑均されて秋陽かがやく墓地となりたり
「死の書」もサドも、日常現実のなかでうまく溶けあい、言葉の繋りにより気配が生れ、雰囲気のひろがる歌。
「詩はダンスである」、氏の心得とされるヴァレリーの言葉を重ねて味わっている。

「短歌以前─木村草弥の歌集のトポス(共通場)」・・・・・・・・・・・・・ 南日耿平
かむとき
 ↑ ──『霹靂』13号2001/09、題字は山中智恵子・筆

──書評・評論──『霹靂』13号2001/09掲載

      「短歌以前─木村草弥の歌集のトポス(共通場)」・・・・・・・・・・南日耿平

プロローグ
『霹靂』(かむとき)はもとの『鬼市』という名を変えて、その通巻として出発したが、
のちに短詩型文学全般にも通じる新しい視座へと拡大され、俳句の堀本吟さん、川柳Z
賞受賞の樋口由紀子さん、碧梧桐賞受賞の異色作家・森山光章さん、そして僅か十年の間
に三冊も歌集を出された木村草弥さんなど多彩な作家たちによって、新しくスタートが切
られたのです。
新世紀をむかえ、『霹靂』の天空での大音響の現出に、佐美雄、冬彦、赤黄男、重信など
の先駆者の方々の拍手喝采が聞こえそうであり、短歌一首も作っていない私にとっても新
しい<共時的詩的世界>への開眼の機をいただく思い。
何故私がこうした文芸の世界に興味をもったかは、五十年前、体育、スポーツの研究者と
して<愛と美と力>のデルタ構造で未来像をかかげ、<スポーツ美学論>を初めて講義題目と
して講じてきたこと。昨年、「新世紀スポーツ文化論」(タイムス社)で、<スポーツ曼荼
羅>の胎蔵部として、宗教・哲学・芸術。金剛界として体育学、スポーツ人約150名の方
々を五芒星形図として、図像学的(イコノグラフィー)手法で示し学会発表の機を得た。
本文の「短歌以前」の表題も、短歌音痴の私が、短歌の技法でなく、その深層部に秘めら
れた歌人・木村草弥さんの独自の境位を、私なりに楽曲分解(アナリーゼ)させていただい
たものとしてご笑覧いただければ幸いです。

(一) 木村さんの短歌作品の胎蔵部
木村さんとの出会いで驚いたのが、お住まいが山城の青谷村。私が三十代、三年も結核で
お世話になった国立の療養所のある茶処の問屋さんのお生まれで、また府立桃山中学校の
第23回卒。私が6回卒ということで二度びっくり。さらには長兄が、<兄の書きし日記を
もとに書かれたり太宰治の『パンドラの匣』>の作品にみられるよう夭折されたのも同じ
療養所だったと思われること。
早世の兄・木村庄助さんも弟の草弥さんが文学の血を引き継いでいることを喜んでおられ
るだろうと、「未来」の川口美根子さんが第一歌集の序で述べられるよう感性ゆたかな芸
術一家。兄上が京都大学に学ばれ、美術評論家・阪大教授でもあった木村重信先生(現在
兵庫県立近代美術館館長)がご生存とわかれば、世阿弥の<稽古の位>をこえた<生得の位>
にめぐまれた方、非凡な才能ゆたかな詩人・歌人・評論家。
先日、十年前『日本歌人』同人の横田利平さんの歌集『宇宙浪漫主義へ』での利平美学の
極みとしての<いまいまやいまいまいまやいまいまやいまいまいまやいまいまや我>をお送
りした所、これはセックスに於けるエクスタシーの瞬間(道元では<有事>(うじ)空海の<理
趣経>の十七清浄句の<妙適>の世界)と断じられ驚いた所。
一休の『狂雲集』におけるかずかずの作品は、第二歌集にはこれに関連十一首もあり、仏
典に関する御研鑽の広さと深さに驚くのみ。なるほどフランスの仏は仏教にも通じるかと
ほほえまれるしだい。
さらに、この「理趣経・十七清浄句」についての金岡秀友師とその弟子の論争の事も示さ
れた学識の深さに、長年空海の世界にあこがれ文献を集めていた老生とも照合するものと
先の七月の草田男をテーマとした短詩型文学を語る会に、横田さんの歌集への私の『日本
歌人』へ発表した感想文をお配りしたのです。その木村さんの冴えわたった感性・直感力
の非凡さには驚くのみです。
医学の近藤俊文博士の『天才の誕生-南方熊楠の人間学』にかかれた「ゲシュビント症候
群」とも照応、俳句の岡井省二先生と同じ天来の霊的人間(ホモ・スピリチュアーリス)の
天性。
第四にかかげたいのが木村さんが現代詩から短歌に転向されたこと。歌人・前登志夫さん
も私と共に敗戦後、奈良より詩誌《斜線》を出していましたが、詩集『宇宙駅』を残して
短歌に転じ、あっというまに歌壇に新風をおこされた吉野山住みの快男子。迢空賞受賞の
とき恩師代表で祝辞を求められたことが忘れられません。木村さんが文語定型、口語律、
定型、非定型にこだわらぬ自由多彩な韻律世界に遊んでおられるのもこの故と思います。
五番目にあげたいのは、木村さんが外語、京大の仏文科に学ばれたこと。九鬼周造の『い
きの構造』にも似てヨーロッパで一番あかぬけしているフランス語を学ばれ、更には全世
界を旅されたコスモポリタン。スケールの大きさは格別。やっておられないのは宇宙遊泳
のみ。この世界を埋めようと遊んでおられるのが木村さんの新しい短歌的世界。
先の短詩型の会に御来会の津田清子さんの句集『無方』で詠まれた<はじめに神砂漠を創
り私す><自らを墓標となせり砂漠の木><女には乳房が重し夜の砂漠>とも共鳴するコスモ
ロジーの世界が感じられてなりません。
木村さんは、一口で申せば静かな熱血漢。情感ゆたかなロマンと強力な実践力。只今は同
じ山城地区の法蓮寺にお住まいの山本空外先生の書法芸術に心酔。ハイデッガー、ベルグ
ソン、フッサールと共に学ばれた哲学者であり、その書は書家の書とは異なる<書法>とし
て出雲に<空外記念館>もある方。
幸い、黒谷住の戸川霊俊博士とは二十年前より御指導いただいているので空外先生につい
て御教示いただくよう予定している所。御年九十九歳。私も空外ファンの一人であり、偶
然の一致に驚いている所です。

(二) 木村さんの歌集について
第一歌集『茶の四季』(1995年)は、茶問屋の社長ながら、土耕、茶摘み、製茶などの実
務にたずさわり、茶道をたしなみながらの体験の中から生まれたもの。五章からなるが、
家族や山城の風光の他、海外旅行詠と多彩。<茶畑はしづかに白花昏れゆきていづくゆ鵙
の一声鋭し>の見事な序歌から始まる。好きな歌は、<茶に馴染む八十八夜のあとやさき緑
の闇に抱かれて寝る>、<茶の花を眩しと思ふ疲れあり冬木となりて黙す茶畑>
川口美根子さんの「俳諧的な魅力さえ感じさせる」の言葉に同感。
<兄の書きし日記を元に書かれたり太宰治の『パンドラの匣』>、<葬り終へ寝ねたる妻が
寝言にて姑との別れを嘆きて叫ぶ>、<汝が額の汗をガーゼでぬぐひつつ不意にいとしく掻
き抱きたし>、<原始の美を尋ね求めて駆けきたる兄は「大地の人(ホモ・フムス)たれ」と
唱ふ>の家族の歌につづいて、外国旅行の歌がうたわれている。中国での<ふたたびは訪ふ
こと無けむ竜門の石の洞をぞ振り返りみつ>は戦争で雲岡の石仏群近くまで行った私とし
てはなつかしい限り。<ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし「別れの曲(し
らべ)」<さびしさを青衣にまとひエーゲ海の浜辺に惑ふ「沈思のアテナ」>なども四十年
前ヨーロツパで学んだことのある私としては感激ひとしお。<六人の乙女支ふる露台には
裳すそ引きたる腿のまぶしさ>。スペインで詠まれたフラメンコの踊り、ガウディの作っ
た教会の尖塔の歌など、さすが美の世界を一瞬につかまれる見事な「視覚構造」と嘆ずる
のみ。
第二歌集『嘉木』は、中国の古書の茶の木を詠まれたもの。『茶経』の出だしに「茶は南
方の嘉木なり」と記されているよう、日本の茶道の源流としての利休につらなる家元体制
であるとも記されているが、<明日のため見ておく初夏の夕焼は茶摘みの季の農夫の祈り>
にはじまり<汗あえて茶を刈る時にそぼつ身を女神のごとき風通るなり>とし、<茶の湯と
はただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなり>と詠じて、自らは「番茶道」を
提唱されているのも独自の木村さんの、形式化した家元を頂点とするヒエラルキー体制批
判として注目されます。
興味あるのは、一休(宗純)を詠んだ<夢に見て森女の陰に迷ひ入り水仙の香に花信を覚ゆ>
<風狂と女犯にふける宗純は妙適清浄これ菩薩なれ>と空海の理趣経につながっていると見
立てた眼力。
秘めごとめく吾-沓冠十五首-からは、現代短歌に未来はあるか、として展開。
<いなづまのびりりと裂きし樹の闇を殻もゆらさず蝸牛ゆく音>、<フランスのをみなが髪
をかきあぐる腋あらはにてむらさき匂ふ>、<場所(トポス)はもペロポネソスに満ち満てる
悦楽の言辞(トポス)に通ふと言へり>、<白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざ
しゐる宵>、<汗匂ふゆゑにわれ在り夏草を刈りゐたるとき不意に思ひぬ>、<季節くれば
花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶>、<失せもののいまだ出でざる夜のくだち
和紙の吸ひゆくあはき墨の色>、<牧神の午後ならねわがうたた寝は白蛾の情事をまつぶさ
に見つ>、<病む妻のため娘らはひたすらに石切神社にお百度を踏む>、<人知りて四十年経
ぬ萌え立てる君は野の花ムラサキハナナ>、<引退はやがて来るものリラ咲けばパリの茶房
に行きて逢はなむ>など、心にしみこむ秀歌が、それぞれの韻律と木村さんのいう<幻の領
域(トポロジー)>として<ゆほびかに>展開されている。
第三歌集『樹々の記憶』は、序で宮崎信義さんが述べられているよう<定型の魔力>からの
脱皮・転進・挑戦。デリダ流に言えば「短歌の脱構築」新短歌への序曲と申せよう。
巻頭<茶どころに生まれ茶を離れられない 茶の樹の霜が朝日に白い>、<季節(シーズン)
は春から夏へ蒼ぐろい樹の場面転換(ディゾルブ)にいそしんでいる>、ルビが外国語にな
っている。
<わたくしが愛するものは仮借なき攪拌だとは挑発的(プロヴォカティヴ)ね>、<美しく老
いる そんな言葉は糞くらえだ 美しい老年などどこにある>
一字あけの三段構成に注目されたい。
<瞬間(とき)の迷路を辿れば ここは何処? 地平線まで歩いてゆこう>と<?>が入る。
<にじむ脂汗の不眠の夜 墓標の在処(ありか)は教えるな>の歌には高柳重信の俳句が思い
出される。俳諧の二段構成。<沈黙の中で長く枝分かれしてゆく夜の闇-それが時間>-----
断章(パガテル)への郷愁。<私は一つの場所を探している 墓をつくるばかりの広さの>、
<死は甘美か 生者と死者の間に月がのぼる 死は甘美だ>-------くりかえしの美学。
<そり うねり 巻き込み 波うち ちぢれ 花の肢体>六つのシラバス構成。<秋だ 鉄
道の白い柵に電車の音にみじろぎもせず野菊は咲いていた>自由律。メルヘン的な詩秋の
詩。
木村さんが、あとがきで申されるよう、この第三歌集は、自由律短歌へのかずかずの挑戦
の詩。現代語なりの韻律に<現代の非定型・自由律運動の目標>とされる<短歌的自由詩>と
しての新しいポエジーの波動を目指す絵画的な「コラージュ」あるいは「パロディ」と記
しておられるのも、あるいは兄上・木村重信先生の影法師かも知れない。
問屋を娘さん夫婦にまかされ、これからが自由の身で、「方円宙遊」の新しい詩(ポエジ
ー)の歌、つくって下さい。

コーダ
短歌の木村草弥さんとの奇しき邂逅は、俳句の岡井先生と共に、私にとってはまこと有難
い御縁と感謝しています。お二人とも、デリダの「脱構築」--------奇しくも道元の<身心
脱落>にも共響する自在自由な新天地めざされ、新風を目覚めさして下さいました。
益々の御活躍をお祈りしています。

(奈良教育大学名誉教授・近藤英男) ──「南日耿平」は詩歌に遊ぶときの近藤先生のペーンネーム。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
近藤英男氏死去 奈良教育大名誉教授

 近藤 英男氏(こんどう・ひでお=奈良教育大名誉教授、体育理論)
3月15日午後7時2分、肺炎のため京都府木津川市の病院で死去、94歳。京都府出身。自宅は木津川市木津大谷31。葬儀・告別式は既に営まれた。喪主は長女の東典子(あずま・のりこ)さん。
近藤氏は1990年勲三等旭日中綬章・受賞。「身体文化論」など専攻。1984/12:座長・「祭儀と芸能──身体文化の原点」(近藤英男),奈良体育学会定例会,於佐保女子短期大学 など。      2008/04/01 13:01 【共同通信】

copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.