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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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志野暁子歌集『つき みつる』・・・・木村草弥
志野_NEW

──書評──

      志野暁子歌集『つき みつる』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・角川書店2018/07/25刊・・・・・・

同人誌「晶」で作品を拝見している志野暁子さんの23年ぶりの本が恵贈されてきた。
先ず、志野暁子の略歴を本書から引いておく。

1929年 新潟県に生まれる
1975年 作歌を始める。「人」短歌会に入会、岡野弘彦先生の指導を受ける
1981年 「花実」50首により第27回角川短歌賞受賞
1995年 歌集『花のとびら』上梓
1996年 「人」短歌会解散により季刊同人誌「晶」に参加、現在に至る
2012年 「しろがね歌会」に入会

本名 藤田昭子

この本には別冊子として、志野暁子の短歌による合唱組曲「九月の花びら」より「サフラン」 「九月の花びら」 「蕊」の三曲の楽譜が添えられている。
因みに、その原歌は下記の通り。   作曲者・筒井雅子

  <薄き翅畳むにも似てサフランの花閉ぢしのちながきゆふぐれ>
  <秋の日のなぜにみじかき サフランは地にわき出でて葉を待たず咲く>
  <かごめかごめ唄ふ幼き輪の中に瞑りて一本の蕊となりゆく>

画像でも読み取れるように、この本の刊行に合わせて、師・岡野弘彦による「帯」の歌

  <おのづから胸に涙のあふれくる シューマンの曲 聞きて眠らむ>
  <今半の牛のそぼろは ほろほろと膝にこぼれて かなしきものを>

が贈られている。何とも微笑ましい師弟愛である。
「つき みつる」という題名が何とも言えない趣があるが、歌集の中を仔細に読んでみても、そのままのフレーズの歌は無い。
岡野弘彦は折口信夫─釈迢空の弟子で、歌の表記について独特の主張を持っていた。
歌の中に句読点を付けるとか、一字空けとかである。
そんな弟子らしく、この歌集でも「一字空け」が多用される。題名の「つき みつる」から、そうである。

この本の「あとがき」に中で、こう書かれている。

<世に言う〈老老介護〉十年間の作品を主に、452首をまとめました。
 ・・・・・少しでも楽なように、喜んで貰えるようにとささやかな努力を重ねてきたという点で、介護の歌も相聞に通じるところがあるのかもしれません。
 ・・・・・夫の余命と示された時間はとうに過ぎました。この世の残り時間、かけがいのない時間を二人で大切に生きたいと思っております。>

何とも羨ましい、お二人の関係である。
巻末の辺りの歌には介護施設に入られたとおぼしいものもあるが、多くは自宅で介護されているようである。

以下、本の順序に沿って歌を見て行きたい。

*ひと日生きて残り世ひと日費(つひ)えたり 今日初蝉を夫はよろこぶ
*余命といふこの世の時間──夫と歩む 小鳥来るさへよろこびとして
*〈おーい〉 呼べばおりてきさうな春の雲 介護タクシー夫と待ちをり

この本の巻頭に載る歌である。
これらの歌は「老老介護」の時間の中でも初期の頃の歌かと思われるが、著者の「夫(つま)恋い」の歌とも思われて微笑ましい。
それらの歌に続いて、巻頭近くに、歌曲にもなった歌の一連がある。下記に引いておく。

*さくら貝は九月の花びら あかときの渚をわれは素足に歩く
*薄き翅畳むにも似てサフランの花閉ぢしのちながきゆふぐれ
*秋の日のなぜに短き サフランは地にわき出でて葉を待たず咲く

作者の故郷は新潟県の、佐渡であるらしい。

*〈佐度ノ嶋生ミキ〉古事記に誌さるる島山あをきわれのふるさと
*朱鷺の棲むあたりと指され目を凝らす日照雨降る刈田かすめり
*雪国生まれの夫と見てをり舞ひながら土に届かず消ゆる淡雪

夫も雪国生まれらしい。故郷を同じくするということは話題性も合って、いいことなのだ。
この本は老老介護の歌ばかりではない。「孫」を詠んだと思われる、こんな歌もある。

*一年生百五十人が遠足の列をゆき麒麟がじつと見おろしてをり
*宿題の片仮名書きつつ好きなのは体育、図工、給食よと言ふ
*一年生八十メートル走のゴール前わが子わが子とカメラが並ぶ

いつ頃の歌であろうか。奈良、京都、ハワイ真珠湾などの歌が見られるが省かせてもらう。
介護の歌にも「二年目」とかの文字が見えて「経年経過」である。

*母ひとりとり残されしふるさとよ ふりむけば暗く海ふぶきゐる

など「母」を詠んだ一連もある。

*ギニョールのごとく病み臥して耳さとく聴きをりつばくろ帰りたるこゑ
*朝空に郭公鳴けり病むわれに吉事を運ぶこゑと思へり
*落ちこんでゐる隙はないといふこゑす この世は花がもう散つてゐる

介護する作者も病気になったのである。さぞや、やきもきされただろうとお察しする。

*われに昭 弟に和と名付けたる父よ 昭和も弟も逝きぬ
*葉に透きて殻脱ぎてあり脱ぎて羽を得しもののこゑ木立より降る
*眠られぬわがため子守歌くちずさむ窓に夜明けのひかり来てをり
*〈また来ます〉〈またとはいつか〉問ひかへす夫の眼差し抱きて帰る
*麻痺やがて嚥下に及ぶを言ふ医師のしづかなる声背をたてて聞く
*九十五年の生涯に他に語らざるインパール戦線の三年があり
*〈また明日ね〉うなづかせて夜を帰りきぬ 夫よかけがへのなき時が過ぎゆく

鑑賞も、そろそろ終わりたい。
挽歌を詠う前に、歌集を纏められた労を多としたい。
癌を病む妻と最後の年月を伴走した私には、よく分るのである。
大変だと思うが、あと、しばらく頑張っていただきたい。
ご恵贈ありがとうございました。 
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角川書店「短歌」誌2018/06月号に、志野さんの新作が掲載されている。  ↓   
志野_NEW

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画像としても読み取れると思うので、ご鑑賞ください。           (完)




松林尚志『一茶を読む やけ土の浄土』・・・・木村草弥
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──書評──

     松林尚志『一茶を読む やけ土の浄土』・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・鳥影社2018/07/24刊・・・・・・

敬愛する松林氏から標記の本のご恵贈をいただいた。
松林氏の略歴を本書から引いておく。

1930年 長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
現代俳句協会、現代詩人会 各会員。
俳誌「木魂」代表、「海程」同人。
著書
句集 『方舟』 1966 暖流発行所 他
詩集 『木魂集』 1983 書肆季節社 他
評論 『古典と正統 伝統詩論の解明』 1964 星書房
    『日本の韻律 五音と七音の詩学』 1996 花神社
    『子規の俳句・虚子の俳句』 2002 花神社
    『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』 2005 沖積舎
    『斎藤茂吉論 歌にたどる巨大な抒情的自我』 2006 北宋社
    『芭蕉から蕪村へ』 2007 角川学芸出版
    『桃青から芭蕉へ 詩人の誕生』 2013 鳥影社
    『和歌と王朝』 2015 鳥影社 他

私が松林氏を知るきっかけになったのは 『日本の韻律 五音と七音の詩学』 の本を読んで「新短歌」誌に小文を書いたことによる。
私の文章を今ここに引くことが出来ないのだが、以後、御著を恵贈されたりして今に至っている。

この本は主宰される俳誌「こだま」に連載されたのを一冊にまとめられたのである。
金子兜太の本『荒凡夫 一茶』 『小林一茶』 『一茶句集』などの労作があるが、略歴にも書かれているように兜太主宰「海程」にも籍を置かれていたようである。
その兜太も亡くなって、手元にある文章を世に出す気持になられたようである。

私は、この本の題名である「やけ土の浄土」という言葉に注目した。
本を読み進めるうちに巻末の近いところの「十三、晩年の一茶」を読んで納得した。
「柏原焼亡夢」という文字が日記に登場し、現実に、文政十年(1827年)六月に柏原は大火で焼尽、一茶の家も類焼、焼け残りの土蔵で暮らす始末となる。
その年の十一月十九日、その土蔵で死去。
その頃、一茶は
<おろかなる身こそなかなかうれしけれ弥陀の誓ひにあふとおもえば    良寛>
と詠まれる境地に達していたのであろうか。
その頃の句に

       土蔵住居して
  <やけ土のほかりほかりや蚤さはぐ>

というのがあり、この句から題名の「やけ土」というフレーズが思い付かれたようである。

この本の「帯」文に

  <終始芭蕉を意識しつつ
    独自な境地を切り開いた一茶、
    その歩みを作品を通して辿る。>

とある。
そして「あとがき」には

  <私の文章は広い視野からの一茶俳句鑑賞ではなくて、
    俳句を通じて俳人一茶の歩みを追い、
    その人間像に迫るという形のものになった。>

と書かれている。
一読して、読みやすい本である。
ご恵贈に感謝して、ご紹介の一端とするものである。 有難うございました。    (完)






長嶋南子詩集『家があった』・・・・木村草弥
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──書評──

      長嶋南子詩集『家があった』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・空とぶキリン社2018/08/15刊・・・・・・

未知の長嶋さんから標記の本が贈られてきた。 高階杞一氏の指示によるものだろう。
高階氏には、さまざまのお世話になっている。
長嶋氏の略歴を、この本から引いておく。

茨城県常総市生まれ。
既刊著書
詩集
『あんぱん日記』 1997年 夢人館 第31回小熊秀雄賞
『ちょっと食べすぎ』 2000年 夢人館
『シャカシャカ』 2003年 夢人館
『猫笑う』 2009年 思潮社
『はじめに闇があった』 2014年 思潮社
エッセイ集『花は散るもの人は死ぬもの』 2016年 花神社

既刊本についてネット上に載る「馬場秀和ブログ」という記事を少し長いが引いておく。

『はじめに闇があった』(長嶋南子) 

--------
早く死んでしまう夫も
暗い目をして引きこもっている息子も 職のない娘も
いっしょに住んでいるこの家族は
よその家族ではないかと疑いはじめた
夜になるとわたしの家族をかざしてうろつく
--------
『別の家族』より

 この人たちはなぜこの家にいるのか。家族という不可解な存在を前にして、困惑し、殺し殺され、わあわあ泣く。家族という闇を直視する、気迫のこもった家族詩集。単行本(思潮社)出版は2014年8月です。

--------
むっちり太った息子のからだ
シゴトに行けなくなって
部屋にずっと引きこもっている
どんどん太ってきて
部屋のドアから出られなくなった
餅を食べたら追い出さなければならない
ころしてしまう前に
家のなかに漂っている灰色の雲
--------
『雨期』より


 引きこもりの息子、殺したり殺されたり。
 家族というものは毎日毎日一瞬一瞬が殺し合いです。疲れ切って手を離したら、そのときすべてが終わってしまう。そんな息詰まるような家族というものを、ひたすら書き続けています。
 とりあえず、殺される前に殺します。

--------
ムスコの閉じこもっている部屋の前に
唐揚げにネコイラズをまぶして置いておく
夜中 ドアから手がのびムスコは唐揚げを食べる
とうとうやってしまった
ずっとムスコを殺したかった
--------
『ホームドラマ』より

--------
二階から階段をおりてくる足音が聞こえる
息子が包丁もってわたしをころしにくるのだ
ぎゅっと身が引き締まる
早く目を覚まさなくては
ゆうべは
足音をしのばせて
わたしが階段をあがっていく
ビニールひもを持っている
息子が寝ているあいだに
首をしめて楽にしてやらなくては
ぎゅっと身を引き締める
--------
『こわいところ』より

--------
自分が生んだのに悩ましい
わたしは何の心配もなく眠りたい
息子に毛布をかけ床にたたきつける 火事場の馬鹿力
なんども足で踏みつける
生あたたかくぐにゃりとした感触
大きな人型の毛布が床の上にひとやま
こんにゃく じゃがいも ちくわぶ 大根 たこ 息子
--------
『おでん』より


 思い切って息子を殺せばそれでもう安心かというと、そんなこともなく、家族がいる限りどうしようもありません。泣くことも出来ません。猫にもどうしようもありません。

--------
いっそのこと原っぱにいって
オンオン泣けば
ためこんでいたものが一気になくなって楽になるだろう
人前でひそかに泣かなくてすむだろう
まわりは新しい建売住宅ばかりで
原っぱはない
家の前の小さな空き地で大声で泣いたら
頭がおかしい人がいるどこの人だろうかと気味悪がられるだろう
部屋のなかで泣いていると猫が
よってきてなめまわしてくれるだろう
猫になぐさめられるとよけいに泣きたくなるだろう
--------
『泣きたくなる日』より

--------
安泰だと思っていた家なのに
子どもはひきこもりになっていた
傾いたらあわてて窓からとび出してきた
あさってごろには家は沈むでしょう
沈む家からはネズミが
ゾロゾロ這い出してきます
猫 出番です
わたしにはもう出番はない
舞台のそでからそっと客席をのぞき見している
猫 お別れです
--------
『尻軽』より

 猫との別れ。そして家族との別れ。いったい、あれは何だったのか。家族って、いったい何なのか。

--------
仕事を終えて家に帰ると
息子が死んでいた
猫も母もと思ったら
その通りだった
ご飯を食べさせなくていいので
調理しない
レトルトのキーマカレーを食べる
のぞみ通りひとりになったのに
スプーンを持ったまま
わあわあ泣いている
--------
『さよなら』より

--------
ついきのうまで家族をしてました
甘い卵焼きがありました
ポテトコロッケがありました
鳩時計がありました
夕方になると灯がともり
しっぽを振って帰ってくるものがいました
家族写真が色あせて菓子箱のなかにあふれています
しっぽを振らなくなった犬は 息子は
山に捨てにいかねばなりません
それから川に洗たくにいきます
桃が流れてきても決して拾ってはいけません
--------
『しっぽ』より

 というわけで、家族という闇を直視した作品がずらりと並んでいて、一つ読むごとに息詰まるような思いをしました。一番悲しかったのは、猫との別れを書いた詩です。以下に全文引用します。

--------
猫は猫でないものになりかけています

腹の手術あとをなでてやると
のどをならすのでした
荒い息をしながらまだ猫であろうとしています

キセキがおこるかもしれないと
口にミルクを含ませます
飲み込む力が弱く
わたしの腕のなかでじっとしています

重さがなくなったからだを
抱いています
わたしは泣いているのでした
猫は最後まで猫で
のどをならすのです

わたしはわたしでないものになろうとしています
のどをならします
泣いてくれるよね 猫

キセキは起こらないでしょう
季節の変わり目の大風が吹き荒れている夜です
--------
『大風が吹き荒れた夜』より
-------------------------------------------------------------------
長い引用になったが、これらの作品が、今回の本に繋がると思うからである。
どこまでがリアルで、どこまでがフィクションかを問うつもりはない。
所詮「詩」はフィクションの世界である。

長嶋さんのことは何も分からない。ただ若くはないことは確かだろう。
この本の「帯」文には、こう書かれている。

  <すっかり世話を焼かれるからだになった
   もうすぐ焼かれるからだになる

   来し方を振り返れば夢のように浮かんでくる故郷。
   土手下の二軒長屋、ちゃぶ台、草餅、若い父と母・・・・・。
   老いていく日々の感慨を不条理の笑いでくるんだ新詩集。>

この高階氏によるキャプションは、この詩集を要約していると言ってもいいだろう。
長嶋氏の作品を引く前に、こう言ってしまっては身も蓋もない。
少し作品を引いてみる。

     鬼怒川      長嶋南子

   川のなかに呑みこまれそうになった
   鬼がきたのだ
   怒らせてはいけない
   力を抜いてあお向けになって流されていく


   子のないおばさんが
   養女にと母に言ってくる
   おばさんの子になって
   誰もいない昼間こっそり
   タンスのひきだしを開ける
   ひきだしのなかを川が流れている
   女の子が浮いている
   ここに流れついたのかとひとりうなずく

   家が恋しくなるとひきだしをあける
   川に飛び込む
   土手下二軒長屋
   五人きょうだいがいる六畳ひと間に流れつく
   ひきだしのなかを行ったりきたりしていた

   あの夏 わたしは鬼に呑みこまれたのだ
   ずっと鬼の腹のなかにいる
   腹のなかで男と出会い子どもを生んで
   気がついたら
   しらが頭に角を隠したうす汚れたお婆さんがいる
   どこからみてもわたしではないのに
   わたしだ

        からし菜      長嶋南子

   食べすぎて吐く
   口から子どもがでてきた
   口から出まかせの子どもは育たない
   水に流す
   流した子どもは数えきれない

   夜ふけ 寝ているわたしの頭のなかに
   流した子どもが
   ずるずる入り込んでくる
   私の脳に住みついてしまった

   二月の食卓にからし菜
   こまかく刻んで醤油たっぷりかけて
   炊き立てのご飯にのせて食べる
   母親ゆずりの好物
   おいしいと脳は反応する
   脳内の子ども
   おいしいといっている

   子どもは海馬を乗りまわして
   遊び呆けている
   わたしの年金を食いつぶす気でいる

        家があった      長嶋南子

   草ぼうぼうのあき地に立っている
   ここに家があった

   庭先で酔った弟が大の字になって寝ている
   もう少ししたら奥さんと別れることになる 知ってた?
   生れたばかりの娘は別の男に育てられる
   知ってた?

   そんなところで寝てないで
   奥さんと娘のところへ早く行きなよ
   弟はろれつが回らないことばで
   姉さん 早く夫に先立たれること知ってた?
   子どもが引きこもりになること
   知ってた?

   知らない 知らない
   弟がいたことも子どもがいたことも
   おかっぱ頭のわたしはあき地でままごとしている
   子ども役の弟に
   早く学校に行きなさいといっている
   生きたくないと子ども役の弟は
   大の字にむなって寝ている
   草むらでムシが
   知ってる知ってる と鳴いている

   家があった
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この本のⅠ Ⅱ Ⅲ の項目名になっている作品を引いてみた。
項目名にするくらいだから作者にとって愛着のある作品だと思うからである。
これらの詩の醸すアトモスフェアは共通している。
帯文で高階氏が書く通りである。

<すっかり世話を焼かれるからだになった
   もうすぐ焼かれるからだになる

   来し方を振り返れば夢のように浮かんでくる故郷。
   土手下の二軒長屋、ちゃぶ台、草餅、若い父と母・・・・・。
   老いていく日々の感慨を不条理の笑いでくるんだ新詩集。>

不十分ながら、ご恵贈に感謝して鑑賞を終わりたい。
有難うございました。       (完)




詩誌「芸術と自由」2018/7月号・・・・木村草弥
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──書評・批評──

      詩誌「芸術と自由」2018/7月号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

敬愛する梓志乃さんの主宰する詩誌である。
戦前から続く「芸術と自由」誌を戦後に復刊して今に至っている。
会員が高齢化して若い人が居ないのが難である。
今号からは会員の歌のいくつかを抜き出してみたい。

  五月 父の忌 幾年になろうか空は虹を抱き蒼深い・・・・・・・・・・梓志乃

  月の明るい夜は昭和の詩人が蘇る 老いはしのびやかにくる

  歌を書く 歌を詠む 歌を歌う 歌は滅びを示唆する

  たよりない歩幅どのように視えているのかしばらく犬が従いてくる・・・・・・・・・・藤原光顕

  ペコちゃんの頭叩いてみたい日があってわたしこれからどうなるのかな

  グリーンのベレーちょっと斜めに戦場に行きたがってた 生きてるかまだ

  今日は檸檬が出てこない 憂鬱は指が勝手に文字にしたのに

  コーヒーのにがさと飲み込む異議 提案通りがまかり通る淀んだ空気・・・・・・・・・・宮章子

  茶菓子つまんで帰っただけの会議の顛末 夕日が妙にゆっくり沈む

  赤い紙にしわを寄せてひなげし 五月の風に虫に喰われた‥‥・・・・・・紫あかね

  赤い蝶 黒い蝶が去った後に来て残りの蜜を葉の裏に探す

  「書き換えは改竄でない」国だから 道徳が無限におちてゆく
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いくつかをアトランダムに引いてみた。
生の言葉を連ねるだけでは「詩」とは呼べない。
生の言葉を「ひとひねり」ほしい歌が多い。
同人たちの「研鑽」に期待する。
有難うございました。





  

  
西村美智子歌集『邂逅や』・・・・・木村草弥
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──書評──

     西村美智子歌集『邂逅や』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・青磁社2018/06/15刊・・・・・・・・

西村美智子さんが標記の本を上梓されて送られてきた。
かねてメールで六月には出ると知らされていたものである。 おめでとう、と申し上げる。
先ず、お断りしておくが、図版の絵の向日葵と思われる花びらの部分は「金色」なのだが、図版では再現できていないのでお詫びしておく。
この本については色々言わなければならないことが多々あるが、この本には載っていないので、先ず、西村さんのことを書いておく。
以下は前の本に載る西村さんの略歴である。  ↓

1931年生まれ。関西学院大学英文科卒、東京都立大学大学院英文学専攻修士。
 法政大学女子高等学校教諭、1997年定年退職。
 もと同人誌「零」の会同人として小説など執筆。 日本シェイクスピア協会会員。
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↑ 著書 『新釈シェイクスピア 神々の偽計』(近代文芸社)2003/06/10刊
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↑ 著書 『無告のいしぶみ』─悲謡 抗戦信長─(新人物往来社) 2009/02 刊 
フォルモサ
↑ 著書 『イル・フォルモサ』(文芸社)2012/08/15刊

この略歴でも判るように、西村さんは英文学徒であり、長らく教職にあられた。
『新釈シェイクスピア 神々の偽計』の本の「あとがき」に、こう書かれている。

<六年前に高等学校の英語教師を定年退職した。その年の夏からケンブリッジ大学のシェイクスピアサマースクールに参加、
Dr.Cristopher Btistowのシェイクスピアを中心にした悲劇についての講義を聴講した。
講義に触発され、シェイクスピアの悲劇をもう一度自分なりに読み直しはじめた時、同人誌「零」に誘われた。四大悲劇を、短編に出来ればと思った。>

「零の会」は、同志社に居た亡・田中貞夫や西井弘和らが執筆していた会で、いつからか私も頂くようになって、彼らの名前を知ることになった。
同志社ではない西村さんが誘われたいきさつなどは知らない。
西村さんは台湾から引き揚げてきたあと、京都府立第一高等女学校の編入試験を受けて編入された。
そのときに「出崎哲朗」という国語の先生から「短歌」の手ほどきを受けることになった。
それらにまつわる歌があり、「あとがき」にも書いておられる。
私も間接的に出崎氏に触れる機会があって拙ブログにも載せたので、下記にリンクで引用しておくので見てもらいたい。 ↓

出崎哲郎については → のリンクを参照されたい。 「出崎哲朗の歌」

出崎哲朗たちの拠った「ぎしぎし」はアララギ系の結社で、関西におけるアララギの有力な拠点だった。
私が「未来」川口美根子欄に居たときも、川口さんから何度か聞かされたことがあった。
近藤芳美が「未来」を立ち上げたときの創刊同人に、関西からは高安國世の名が見られる。高安は後年、短歌結社「塔」を創刊するに至るのである。
この本の「解説」で編集者の永田淳が、それらのことに触れて書いている。

先ず、この本の題名の「邂逅や」のことである。
「邂逅」とは和語やまとことばで言えば「巡り合い」を表す漢語である。
この言葉に西村さんは「わくらば」というルビを振られている。「わくらば」という和語に漢語を宛てるとすれば「病葉」となる。
私も日本国語大辞典など多くの辞書にあたってみたが、邂逅=わくらば の解説は無い。
しかしネット上で調べてみると、この説明が載っているのであり、恐らく西村さんも、それに拠ってルビを振られたものと思われる。
この本の「あとがき」の中に
<「家族と戦争」は自信がなかったので、畏友木村草弥氏にご一読願い、アドバイスをいただいた。>
という個所がある。
この一連は「塔」の五十首詠の企画に西村さんが応募された作品であり、その後で私にコピーを送って来られたことがあり、私の意見を申し上げた。
それは、この「邂逅」という言葉の「読み」に関することであった。
上に書いたように私は「邂逅=わくらば」には異論があることを、はっきり申し上げたが、この「あとがき」の文章では、私が承知しているように受け取れる。
私の意見として西村さんが受け入れたのは「邂逅や」の後に一字分の「空白」を置く、ということだけである。
この本は西村さんの長い人生にあって、さまざまのことが生起したが、それらを一つの「邂逅」めぐりあい、と把握したところに深い洞察があると思うのである。
深読みすると、邂逅=わくらば、とされたことにも一理はある。西村さんは先年以来、何とかいう難病に侵され車椅子生活を余儀なくされている。
だから自身を「わくらば」病葉と把握されるのも納得するのだが、それならば、この「邂逅」の歌ではなく、別の「わくらば」の歌を詠まれるべきだ、と私は思うが、いかがだろうか。


この本は、恐らく発表の年代順だと思うが、Ⅰ Ⅱ Ⅲという章建てになっているが、「家族と戦争」の一連50首だけは、それらの前に特別に置かれていて、作者の執着の程を思わせる。
その冒頭の歌が

  <邂逅や 葉月に生まれ長月に満州事変われ戦の児>

末尾の歌

   <天そそるビル陰に臥すデイケアに老いどち語ればいくさは昨日>

この歌には「れんぎょうに巨鯨の影の月日かな   兜太」  という前書きが付けられている。

西村さんは一週間に何度か介護保険のデイケアに通っておられるらしい。
それらに因む歌が歌集の中にいくつか見られる。 いくつか引いてみる。淡々と詠んでいて秀逸である。
   <雪のくる気配を告げてヘルパーさん赤きコートを羽織りて去りぬ>
   <折れるのは鶴だけなればデイケアの折り紙の時間鶴を積むのみ>
   <それぞれの背中に過去は重けれどわれらは遊ぶ園に児のごと>
   <梅さくらツツジ紫陽花幾めぐり歩行リハビリ望みなおもつ>
   <青葉雨ホームを巡るケアバスが次に拾うは元特攻兵>

西村さんには女の子供が居られると仄聞するが、「孫」が居るらしい。カープを応援するらしい。
しかし、次のような歌を見ると西村さん自身も孫に感化されたのか野球に熱心である。
   <丸、菊池、田中のような青年が爆弾抱きて空征きし昔>
   <ベイスターズ負けを続ける球場に月まんまるくせりあがりくる>
   <満塁ホーマー逆転サヨナラ新井打つテレビへ拍手われとわが影>

西村さんは横浜は「仲町台」という高層団地に住まいされている。それを詠んだ歌を引く。
   <仲町台辛夷並木の多き街児らが競いて花びら拾う>
交通の便のよいところである。
私の第五歌集『昭和』を読む会を三井修氏のお世話で東京で開いてもらった翌日、出られなかった西村さんに会うために渋谷から東横線に載って会いに行った。
もう数年も前のことである。

巻末の近いところに載る歌。 何事につけても過去にかこつけて詠まれていて読者の心に沁みる。
   <さらば夏八十五歳の夏さらば十四の夏に国は滅びき>

そろそろ鑑賞も終わりにしたい。 巻末に載る歌
   <みどり児と同じ高さで笑みかわすきみ乳母車われ車椅子>

この歌は、NHK横浜の短歌大会で、小池光 選で優秀賞を得た、という記念碑的な作品である。
「きみ乳母車われ車椅子」という対句表現が秀逸である。 2017年9月のことである。
メールで知らせてもらって、さっそく私のブログで紹介したことである。
この歌を巻末に持ってこられたのは成功している。

これからも病気と付き合いながら、お元気で歌を紡いでいただきたい。
有難うございました。        (完)



武藤ゆかり詩集『夢の庭』・・・・木村草弥
武藤_NEW

──書評──

       武藤ゆかり詩集『夢の庭』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・南天工房2018/07/07刊・・・・・・・

武藤ゆかりさんから標記の詩集が届いた。
何冊目かの詩集である。
この頃は本の出版費用も高くなった。南天工房というのは武藤さんの自前の出版社である。発行所も自宅の住所である。
印刷所は加藤治郎らがやっている「ブイツーソリューション」である。
パソコンで編集した原稿を送れば、安価で印刷してくれる。私も何度か検討したことがある。
武藤さんは若い頃、地方紙の新聞記者をやっておられた。
写真もプロの域である。歌集も何冊も出されていて、短歌結社「短歌人」の所属である。
武藤さんのことは歌集、詩集を頂いた際に何度も、このブログで採り上げたので参照されたい。
武藤さんは、私の第五歌集『昭和』の「読む会」を三井修氏のお世話で東京で開いてもらったときに、長い精細な批評文を書いていただいた。
「読む会」には武藤さんは出席されなかったが、それは三井修編集の「りーふ」六号に収録されていて、次のリンクで読むことが出来るので、 → 「魂は痛みを越えて」 ご覧いただきたい。

いよいよ、この詩集に触れたい。
「あとがき」によると、この本は80編の作品が収録されているが、ここ数年間に書かれたものだという。
とにかく武藤さんは多作である。歌なんかも数が多い。それだけ発想が次々と湧いてくるのだろう。

       夢の庭     武藤ゆかり

  チューリップの球根を植えたいと
  私はいつも思っている
  春になったら
  まだ冷たい空気を押して
  色鮮やかな花を開いて
  私と母に見せてほしい
  来年もその次の年も
  球根はひっそりと太り続ける
  季節が巡るたびに
  山里の小さな庭は華やぐ

  ひまわりの種を蒔きたいと
  私はいつも思っている
  夏になったら
  照り付ける太陽のもとで
  顔のような花を開いて
  私と母に見せてほしい
  来年もその次の年も
  種は限りなく増え続ける
  季節が巡るたびに
  山里の小さな庭は喜ぶ

  私は毎年
  同じことを思うのだが
  庭の土を掘るスコップでさえ
  私は持っていない
  私と母の夢の庭に
  年ごとに花はあふれ
  幻の種がこぼれる
---------------------------------------------------------------------
「夢の庭」と題されるように、これは武藤さんの頭の中にある「庭」である。
それを全くの空想であるとは言えない。
武藤さんが育った家に庭があって、かつては、そこにチューリップや向日葵が咲いていたのだろう。
今は嫁いで、そんな庭のない日常かも知れないので、頭の中にある「庭」であるという所以である。
短い詩だが、詩の作詩の原則が、きちんと踏まれている。
作詩する場合に「リフレイン」という効果がある。
この詩でも、「私はいつも思っている」 「私と母に見せてほしい」 「季節が巡るたびに」などの詩句のリフレインが効果的である。
また「山里の小さな庭は華やぐ」 「山里の小さな庭は喜ぶ」などの「結句」を取り換えるだけの技法もリフレインの一種であり、武藤さんが優れた詩人であることを表している。
この短い詩から、この本の題名を採られたというところに、武藤さんの自負が表れていると思うのである。

       捨てた日記     武藤ゆかり

  日記を書いていたことがある
  手元にはもう残っていない
  残らないもののために
  時間を使い頭を使った
  時には英語の日記をしたため
  私にとって特別な記憶を
  いつまでも残そうとした
  何もかも捨ててしまうことが
  本当にいいことなのか
  地震が起こったり
  火山が噴火したりする国ではあるが
  汚染水が漏れたり
  原油が漂ったりする海ではある
  持っていても仕方ないと
  捨ててしまった過去だけが
  私にとって真実な気がする
------------------------------------------------------------------------
この詩は巻頭近くの第一部のはじめの方に載る作品だが、心に残る。
また「時には英語の日記をしたため」という詩句があるが、以前に見た経歴によると、武藤さんは東京外国語大学を出られたらしい。
だから外国語には堪能なのであろう。また別の詩には「フィリップさんは遠くへ行った」というのがあり、「ずっと以前仕事でパリに行った時 フィリップさんは奥さんのマリアさんと わざわざホテルまで訪ねてきてくれた・・・・」などの描写がある。
新聞記者などの広い交友を思わせて納得するのであった。

第一部、第二部、第三部 という章分けが、どういう根拠に基づくのか分からない。単なる作詩の年代によるものなのかとも思う。

       雷の人     武藤ゆかり

  今年初めての本格的な雷だ
  赤い高圧線の彼方に
  幾つも幾つも落ちた
  亡くなった人は
  時に稲妻となって
  合図を送ってくるのだ
  お久しぶり
  また会えたね
  激しい光が夜空を切り裂く
  あの人もこの人も
  駆け足で逝ってしまった
  街はいよいよ暗くなった
  かつて地上に住んでいた人々が
  雨雲の中に潜んでいる 

        窒息     武藤ゆかり

  人材って材料のことですか
  活用って物品のことですか
  輝くって本当ですか
  生涯現役って墓場までですか
  自己実現って何ですか
  自己責任って何ですか
  私はどこにいるべきか
  誰かが決めてくれるんですか
  違う考えは駄目ですか
  醸されていく空気の中で
  窒息したら負けですか
------------------------------------------------------------------------
今どき「働き方改革」などということが言われ、自己責任が強調される世の中である。
そのような風潮に対する武藤さんなりの「警句」であろう。次のページの詩の題が「警告」とあるので、敢えて引いておく。

この本の装丁の「花」の写真も武藤さんのものだろう。豪華な花だが何の花だろう。決めつけたくないので敢えて、これ以上踏み込まない。
長い長い詩もあるが、引用も、この辺りにしたい。
益々お元気のご様子なので、これからも、ご健筆の程お祈りするばかりである。
ご恵贈有難うございました。       (完)


 
  
木村重信・毎日新聞執筆記事「文化庁の京都移転」・・・・・・・・木村草弥
重信

──書評・評論──

    木村重信・毎日新聞執筆記事「文化庁の京都移転」・・・・・・・・木村草弥

私の兄・木村重信が毎日新聞に執筆した記事のコピーを送ってきたので「画像」として出しておく。
鮮明に見られると思う。 彼も老来、ますます元気の様子で何よりである。



木村草弥歌集『嬬恋』──感応・・・・・・・・・・・・・・・・米満英男
嬬恋

──書評・評論──初出・『霹靂』16号2004/05/01所載

     木村草弥歌集『嬬恋』──感応・・・・・・・・・・・・米満英男(黒曜座)
                 ──その多様な発想と表現に向けての恣意的鑑賞──

 今、眼前に、四八二首を収載した歌集『嬬恋』がある。まずその歌の抱える幅の広さと奥行の深さに圧倒された。
東はユカタン半島から、西はエーゲ海に到る<規模雄大> なる覊旅の歌にも目を瞠ったが、その現地体験もなく、宗教や風習にも全く疎いと気付き直し、
敢えてそれらの歌からは、紙数の関係もあって降りることにした。
 私が平素上げている専用のアンテナに、強く優しく伝わってくる歌からの電波をとらえて、私なりの気ままな読み取りを行い、それを返信の言葉に代えて述べてみることにする。

①目つむれば菜の花の向うゆらゆらと揺れて母来るかぎろひの野を
②父を詠みし歌が少なし秋われは案山子(かかし)やうに立ちてゐたりき
③うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり
④夜の卓に土筆の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言へず
⑤石ひとつ投げし谺がかへりくる花の奈落の中に坐れば
⑥うつしみは欠けゆくばかり月光の藍なる影を曳きて歩まむ

 いずれの作品も、まさに現代短歌の本筋とも言うべき、肉眼と心眼、写実と抽象、正視と幻視が一元化した上で、さらに濃密性と透明感を秘めた歌に仕上がっている。
 一首ずつ、恣意的に味わってみる。
 ①の歌、目つむれば常に花の向うから現れる母の姿。おそらくは母が纏う甘い匂いも嗅ぎ分けていよう。
②の作品、父と同様、作者自身も、父となった以後は、子から見れば孤独な存在に過ぎない。
③真昼間の春爛漫のさくらではない。若気の至りを越えた後をふり返りつつ、その回想を子に聞かせている。
④上句にこめられている妖気が、下句の願望を妨げ作者の口を閉ざさしめる。
⑤花にかこまれて坐っている自分の姿を、奈落の中と観じた刹那、投げた石の谺のひびきがわが身を禊ぐ。
⑥の歌、白い月光の下、藍色の影を曳きゆくほどに、うつしみの欠落部分が、いよいよつよく感じられると詠じている。
 次に、上掲の歌とがらりとかわって、何とも言えぬユーモア、あるいは洒脱な語り口からくる、本音に近い発想の楽しさを湛えている作品を抜き出してみよう。

⑦重たげなピアスの光る老の耳<人を食った話> を聴きゐる
⑧手の傷を問ふ人あれば火遊びの恋の火傷と呵々大笑す
⑨クールベのゑがくヴァギナの題名は「源」(スールス)といふいみじくも言ふ
⑩春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじやくし)の語尾活用を君は見るだらう
⑪園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた
 ⑦の作品、車内で見た<老婦人>であろう。隣の老人の語る<人を食った話>、つまり人を馬鹿にした話をじっと聴いている。
そしてその話をまた作者自身も、思わず聴いてしまう。
⑧は、これまた、何とも鮮やかな応答である。結句の<呵々大笑>の締めがよく効いている。
⑨読み下した瞬間に「なるほど」とうなずく外はない愉快な歌である。下句の<いふ><言ふ>の駄目押しが決まっている。
⑩さてさて、こういう発見もあったのかと頷き返す。<君> が何者かと思案する楽しさも残されている。
⑪<レンブラント>という重々しい命名のトマト─是非食べてみたい。
こういう、絶妙な軽みを持つ歌を随所に据え置いているのも、作者のすぐれた<芸> の内であろう。

 さて、ここら辺りで、題名の『嬬恋』にぴたりと即した作品をとり上げてみよう。
⑫雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)まぬがれがたく病む人のあり
⑬億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
⑭生き死にの病を超えて今あると妻言ひにけり、凭れてよいぞ
⑮ゆるやかに解(ほど)かれてゆく衣(きぬ)の紐はらりと妻のゐさらひの辺に
⑯水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら
ありきたりの感想など入れる隙間などない、まさに絶唱としか言いようのない作品である。が、それではいささかこちらが無様すぎるので、敢えてひとこと述べてみる。

 ⑫雷鳴が葵というはかない存在を経て、病む人につながるその緊迫感。
⑬永遠の時間に比べれば、人のみならずすべての生き物は瞬間の命しか持ち得ないという詠嘆。
⑭四句から結句に至るその間に付けられた<、>の重さによって、<凭れてよいぞ>という作者の肉声が何とも切なく伝わって来る。
⑮若かりしころの艶なる妻の姿態がふと浮かぶ。歳月の流れ。
⑯一歩踏み出せば一種の惚気とも取られかねない際どい線の手前に踏みとどまって、己れの身をその<女>(ひと)に委ねている。

 好き勝手な、自己流の鑑賞──というよりも、一方的な受容と合点を行って来た。そこであらためて気付いたのは、この歌集のもつ多様性であった。
しかもそれは、歌の表層部分の言葉の置き換えから来るものではなく、作者自身のその場その時における情念と直感が導き出す重厚にして膨みのある、ユニークな詠嘆であった。 
 その詩的詠嘆の、さらなる充溢と進展に向けて、惜しみなき拍手を送りたい。 (完)


「地球はアポリア」・・・・・・・・・・・・・・・秋山律子
嬬恋

──書評──木村草弥歌集『嬬恋』(角川書店)「未来」誌2004年1月号 所載


    地球(テラ)はアポリア・・・・・・・・・・・秋山律子

『嬬恋』は木村草弥氏の第四歌集にあたる。
その歌集名と響きあうようなスリランカの岩壁画という「シーギリア・レディ」のフレスコ画のカバーが印象的である。
十数年来の念願が叶って実際に見に行かれたそうだが、かすかに剥落しながら浮かび上がっている豊潤な像に女性への、妻への思いが象徴されているのだろう。
『嬬恋』は群馬県北西端の村の名に因んでいるが、それは二度の大患を乗りこえて戻ってきた吾が妻へのそのままの気持ちであると記す。

  ・妻病めばわれも衰ふる心地して南天の朱を眩しみをりぬ
  ・羽化したやうにフレアースカートに着替へる妻 春風が柔い
  ・壺に挿す白梅の枝のにほふ夜西班牙(スペイン)語の辞書を娘に借りにゆく
  ・嬬恋を下りて行けば吾妻とふ村に遇ひたり いとしき名なり
  ・睦みたる昨夜(きぞ)のうつしみ思ひをりあかときの湯を浴めるたまゆら

という風に、妻や娘を詠むときに匂うような視線がある。
そういった家族への濃い思いもこの歌集の特徴だが、一方でもう一つ大きなテーマとして、アジアや中東を旅し、
その土地から発信する幾つかの連作に、旅行詠を越えた力作が並ぶ。
その中の一つ「ダビデの星」というイスラエル、エルサレムを旅した時の散文を含んだ一連は、この歌集のもう一つの要であろう。

  ・今朝ふいに空の青さに気づきたりルストゥスの枝を頭(づ)に冠るとき

に始まる八十余首の連作は、イエスが十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサの歴史的場所の十四のポイント(ステーション)を辿るのも含めて、そのほとんどを叙事に徹しながら、自らの足を運び、自らの目で視ることの迫力で一首一首を刻んでゆく。

  ・主イエス、をとめマリアから生まれしと生誕の地に銀の星形を嵌む
  ・ほの赭きエルサレム・ストーン幾千年の喪ひし時が凝(こご)りてゐたる
  ・異教徒われ巡礼の身にあらざるもヴィア・ドロローサ(痛みの道)の埃に塗(まみ)る
  ・日本のシンドラー杉原千畝顕彰の記念樹いまだ若くて哀し
  ・「信じられるのは銃の引金だけ」そんな言葉を信じるな! 君よ
  ・<国家の無化>言はれしも昔せめぎあひ殺しあふなり 地球(テラ)はアポリア

宗教、民族の紛争地のただ中を歩みながら事実のあるがままの呈示の中に、自分の思念を映し出す。
そして連作の最後に置く一首

  ・何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ

その他風景を詠ったものなど詩情豊かだ。
  ・月光は清音(きよね) 輪唱とぎるれば沈黙の谷に罌粟(けし)がほころぶ
  ・睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたびよぎる

そして、本歌集の最後に置かれた一首

  ・水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら

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秋山律子 ← Wikipediaにリンクあり。

春日真木子「自己存在の起源を求めて─木村草弥歌集『嘉木』書評」・・・・・・・・春日真木子
嘉木0002

──書評・評論──(角川書店「短歌」平成11年9月号所載)

        「自己存在の起源を求めて」・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
              ・・・・・・木村草弥歌集『嘉木』書評・・・・・・・・・・

『嘉木』は、木村草弥氏の第二歌集。
集名は、陸羽の『茶経』の「茶は南方の嘉木なり」によるもの。
表紙の「製茶の図」が格調を示すのも「生業である<茶>に対するこだわり」のあらわれであろう。

    ・汗あえて茶を刈る時にそぼつ身を女神のごとき風通るなり
    ・<汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ
    ・立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり
宇治茶問屋の経営主の木村氏が、自ら茶摘みに励まれる歌。
一、二首目のヨーロッパ的教養が、茶摘みにあらたな匂いを添え、
三首目、立春の日脚の伸びる茶畑は、次の芽生えを育む光を浴び明るく健やかである。

    ・山城の荘園領主に楯つけば「東大寺文書」に悪党と呼ぶ
    ・年貢帳にいみじくも記す八十六人、三石以下にて貧しさにじむ
    ・女の名は書かず女房、母とのみ宗旨人別帳は嘉永四年
氏の住む周辺は、玉つ岡、青谷の里、つぎねふ山城、と地名うつくしく、また豊かな歴史がある。
古典、古文書を身近に引き寄せ、その上に数十首の歴史詠があるが、
抄出のように弱い立場の階級に視点をとどめる歌に注目した。
古文書の謎めいた一行が明快に甦るのも韻律の働きであろうか。
実証的な内容に雰囲気が加わり、つぎねふ山城は生命ゆたかに、木村氏の精神風土となっている。
「自らのアイデンティティを求めたのか」と川口美根子氏の帯文にある。
まことに自己存在の源を求めて郷土への執着が窺われ、この上に茶園があり、氏の四季詠がしずかに光を放っている。

<ともしびが音もなく凍る冬の夜は書架こそわれの黄金郷(エルドラド)たれ>の一首もあるが、
旺盛な知識欲と博識は、自から一集に滲む。

    ・葡萄摘むアダムの裔(すゑ)の青くさき腋窩あらはに濃むらさきなす
    ・押し合ひて群集はときに暗愚なり群を離れて「岩うつモーゼ」
    ・ヘブライの筆記のごとく右から左へ「創造」の絵はブルーに染まる
海外詠も、キリスト教的起源に触れ、英知を求めての旅であったろうか。
旧約を力づよい詩魂で描いたシャガールの図像に、知識人らしい見方がもりこまれている。

    ・黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む
    ・サドを隠れ読みし罌粟畑均されて秋陽かがやく墓地となりたり
「死の書」もサドも、日常現実のなかでうまく溶けあい、言葉の繋りにより気配が生れ、雰囲気のひろがる歌。
「詩はダンスである」、氏の心得とされるヴァレリーの言葉を重ねて味わっている。

「短歌以前─木村草弥の歌集のトポス(共通場)」・・・・・・・・・・・・・ 南日耿平
かむとき
 ↑ ──『霹靂』13号2001/09、題字は山中智恵子・筆

──書評・評論──『霹靂』13号2001/09掲載

      「短歌以前─木村草弥の歌集のトポス(共通場)」・・・・・・・・・・南日耿平

プロローグ
『霹靂』(かむとき)はもとの『鬼市』という名を変えて、その通巻として出発したが、
のちに短詩型文学全般にも通じる新しい視座へと拡大され、俳句の堀本吟さん、川柳Z
賞受賞の樋口由紀子さん、碧梧桐賞受賞の異色作家・森山光章さん、そして僅か十年の間
に三冊も歌集を出された木村草弥さんなど多彩な作家たちによって、新しくスタートが切
られたのです。
新世紀をむかえ、『霹靂』の天空での大音響の現出に、佐美雄、冬彦、赤黄男、重信など
の先駆者の方々の拍手喝采が聞こえそうであり、短歌一首も作っていない私にとっても新
しい<共時的詩的世界>への開眼の機をいただく思い。
何故私がこうした文芸の世界に興味をもったかは、五十年前、体育、スポーツの研究者と
して<愛と美と力>のデルタ構造で未来像をかかげ、<スポーツ美学論>を初めて講義題目と
して講じてきたこと。昨年、「新世紀スポーツ文化論」(タイムス社)で、<スポーツ曼荼
羅>の胎蔵部として、宗教・哲学・芸術。金剛界として体育学、スポーツ人約150名の方
々を五芒星形図として、図像学的(イコノグラフィー)手法で示し学会発表の機を得た。
本文の「短歌以前」の表題も、短歌音痴の私が、短歌の技法でなく、その深層部に秘めら
れた歌人・木村草弥さんの独自の境位を、私なりに楽曲分解(アナリーゼ)させていただい
たものとしてご笑覧いただければ幸いです。

(一) 木村さんの短歌作品の胎蔵部
木村さんとの出会いで驚いたのが、お住まいが山城の青谷村。私が三十代、三年も結核で
お世話になった国立の療養所のある茶処の問屋さんのお生まれで、また府立桃山中学校の
第23回卒。私が6回卒ということで二度びっくり。さらには長兄が、<兄の書きし日記を
もとに書かれたり太宰治の『パンドラの匣』>の作品にみられるよう夭折されたのも同じ
療養所だったと思われること。
早世の兄・木村庄助さんも弟の草弥さんが文学の血を引き継いでいることを喜んでおられ
るだろうと、「未来」の川口美根子さんが第一歌集の序で述べられるよう感性ゆたかな芸
術一家。兄上が京都大学に学ばれ、美術評論家・阪大教授でもあった木村重信先生(現在
兵庫県立近代美術館館長)がご生存とわかれば、世阿弥の<稽古の位>をこえた<生得の位>
にめぐまれた方、非凡な才能ゆたかな詩人・歌人・評論家。
先日、十年前『日本歌人』同人の横田利平さんの歌集『宇宙浪漫主義へ』での利平美学の
極みとしての<いまいまやいまいまいまやいまいまやいまいまいまやいまいまや我>をお送
りした所、これはセックスに於けるエクスタシーの瞬間(道元では<有事>(うじ)空海の<理
趣経>の十七清浄句の<妙適>の世界)と断じられ驚いた所。
一休の『狂雲集』におけるかずかずの作品は、第二歌集にはこれに関連十一首もあり、仏
典に関する御研鑽の広さと深さに驚くのみ。なるほどフランスの仏は仏教にも通じるかと
ほほえまれるしだい。
さらに、この「理趣経・十七清浄句」についての金岡秀友師とその弟子の論争の事も示さ
れた学識の深さに、長年空海の世界にあこがれ文献を集めていた老生とも照合するものと
先の七月の草田男をテーマとした短詩型文学を語る会に、横田さんの歌集への私の『日本
歌人』へ発表した感想文をお配りしたのです。その木村さんの冴えわたった感性・直感力
の非凡さには驚くのみです。
医学の近藤俊文博士の『天才の誕生-南方熊楠の人間学』にかかれた「ゲシュビント症候
群」とも照応、俳句の岡井省二先生と同じ天来の霊的人間(ホモ・スピリチュアーリス)の
天性。
第四にかかげたいのが木村さんが現代詩から短歌に転向されたこと。歌人・前登志夫さん
も私と共に敗戦後、奈良より詩誌《斜線》を出していましたが、詩集『宇宙駅』を残して
短歌に転じ、あっというまに歌壇に新風をおこされた吉野山住みの快男子。迢空賞受賞の
とき恩師代表で祝辞を求められたことが忘れられません。木村さんが文語定型、口語律、
定型、非定型にこだわらぬ自由多彩な韻律世界に遊んでおられるのもこの故と思います。
五番目にあげたいのは、木村さんが外語、京大の仏文科に学ばれたこと。九鬼周造の『い
きの構造』にも似てヨーロッパで一番あかぬけしているフランス語を学ばれ、更には全世
界を旅されたコスモポリタン。スケールの大きさは格別。やっておられないのは宇宙遊泳
のみ。この世界を埋めようと遊んでおられるのが木村さんの新しい短歌的世界。
先の短詩型の会に御来会の津田清子さんの句集『無方』で詠まれた<はじめに神砂漠を創
り私す><自らを墓標となせり砂漠の木><女には乳房が重し夜の砂漠>とも共鳴するコスモ
ロジーの世界が感じられてなりません。
木村さんは、一口で申せば静かな熱血漢。情感ゆたかなロマンと強力な実践力。只今は同
じ山城地区の法蓮寺にお住まいの山本空外先生の書法芸術に心酔。ハイデッガー、ベルグ
ソン、フッサールと共に学ばれた哲学者であり、その書は書家の書とは異なる<書法>とし
て出雲に<空外記念館>もある方。
幸い、黒谷住の戸川霊俊博士とは二十年前より御指導いただいているので空外先生につい
て御教示いただくよう予定している所。御年九十九歳。私も空外ファンの一人であり、偶
然の一致に驚いている所です。

(二) 木村さんの歌集について
第一歌集『茶の四季』(1995年)は、茶問屋の社長ながら、土耕、茶摘み、製茶などの実
務にたずさわり、茶道をたしなみながらの体験の中から生まれたもの。五章からなるが、
家族や山城の風光の他、海外旅行詠と多彩。<茶畑はしづかに白花昏れゆきていづくゆ鵙
の一声鋭し>の見事な序歌から始まる。好きな歌は、<茶に馴染む八十八夜のあとやさき緑
の闇に抱かれて寝る>、<茶の花を眩しと思ふ疲れあり冬木となりて黙す茶畑>
川口美根子さんの「俳諧的な魅力さえ感じさせる」の言葉に同感。
<兄の書きし日記を元に書かれたり太宰治の『パンドラの匣』>、<葬り終へ寝ねたる妻が
寝言にて姑との別れを嘆きて叫ぶ>、<汝が額の汗をガーゼでぬぐひつつ不意にいとしく掻
き抱きたし>、<原始の美を尋ね求めて駆けきたる兄は「大地の人(ホモ・フムス)たれ」と
唱ふ>の家族の歌につづいて、外国旅行の歌がうたわれている。中国での<ふたたびは訪ふ
こと無けむ竜門の石の洞をぞ振り返りみつ>は戦争で雲岡の石仏群近くまで行った私とし
てはなつかしい限り。<ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし「別れの曲(し
らべ)」<さびしさを青衣にまとひエーゲ海の浜辺に惑ふ「沈思のアテナ」>なども四十年
前ヨーロツパで学んだことのある私としては感激ひとしお。<六人の乙女支ふる露台には
裳すそ引きたる腿のまぶしさ>。スペインで詠まれたフラメンコの踊り、ガウディの作っ
た教会の尖塔の歌など、さすが美の世界を一瞬につかまれる見事な「視覚構造」と嘆ずる
のみ。
第二歌集『嘉木』は、中国の古書の茶の木を詠まれたもの。『茶経』の出だしに「茶は南
方の嘉木なり」と記されているよう、日本の茶道の源流としての利休につらなる家元体制
であるとも記されているが、<明日のため見ておく初夏の夕焼は茶摘みの季の農夫の祈り>
にはじまり<汗あえて茶を刈る時にそぼつ身を女神のごとき風通るなり>とし、<茶の湯と
はただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなり>と詠じて、自らは「番茶道」を
提唱されているのも独自の木村さんの、形式化した家元を頂点とするヒエラルキー体制批
判として注目されます。
興味あるのは、一休(宗純)を詠んだ<夢に見て森女の陰に迷ひ入り水仙の香に花信を覚ゆ>
<風狂と女犯にふける宗純は妙適清浄これ菩薩なれ>と空海の理趣経につながっていると見
立てた眼力。
秘めごとめく吾-沓冠十五首-からは、現代短歌に未来はあるか、として展開。
<いなづまのびりりと裂きし樹の闇を殻もゆらさず蝸牛ゆく音>、<フランスのをみなが髪
をかきあぐる腋あらはにてむらさき匂ふ>、<場所(トポス)はもペロポネソスに満ち満てる
悦楽の言辞(トポス)に通ふと言へり>、<白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざ
しゐる宵>、<汗匂ふゆゑにわれ在り夏草を刈りゐたるとき不意に思ひぬ>、<季節くれば
花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶>、<失せもののいまだ出でざる夜のくだち
和紙の吸ひゆくあはき墨の色>、<牧神の午後ならねわがうたた寝は白蛾の情事をまつぶさ
に見つ>、<病む妻のため娘らはひたすらに石切神社にお百度を踏む>、<人知りて四十年経
ぬ萌え立てる君は野の花ムラサキハナナ>、<引退はやがて来るものリラ咲けばパリの茶房
に行きて逢はなむ>など、心にしみこむ秀歌が、それぞれの韻律と木村さんのいう<幻の領
域(トポロジー)>として<ゆほびかに>展開されている。
第三歌集『樹々の記憶』は、序で宮崎信義さんが述べられているよう<定型の魔力>からの
脱皮・転進・挑戦。デリダ流に言えば「短歌の脱構築」新短歌への序曲と申せよう。
巻頭<茶どころに生まれ茶を離れられない 茶の樹の霜が朝日に白い>、<季節(シーズン)
は春から夏へ蒼ぐろい樹の場面転換(ディゾルブ)にいそしんでいる>、ルビが外国語にな
っている。
<わたくしが愛するものは仮借なき攪拌だとは挑発的(プロヴォカティヴ)ね>、<美しく老
いる そんな言葉は糞くらえだ 美しい老年などどこにある>
一字あけの三段構成に注目されたい。
<瞬間(とき)の迷路を辿れば ここは何処? 地平線まで歩いてゆこう>と<?>が入る。
<にじむ脂汗の不眠の夜 墓標の在処(ありか)は教えるな>の歌には高柳重信の俳句が思い
出される。俳諧の二段構成。<沈黙の中で長く枝分かれしてゆく夜の闇-それが時間>-----
断章(パガテル)への郷愁。<私は一つの場所を探している 墓をつくるばかりの広さの>、
<死は甘美か 生者と死者の間に月がのぼる 死は甘美だ>-------くりかえしの美学。
<そり うねり 巻き込み 波うち ちぢれ 花の肢体>六つのシラバス構成。<秋だ 鉄
道の白い柵に電車の音にみじろぎもせず野菊は咲いていた>自由律。メルヘン的な詩秋の
詩。
木村さんが、あとがきで申されるよう、この第三歌集は、自由律短歌へのかずかずの挑戦
の詩。現代語なりの韻律に<現代の非定型・自由律運動の目標>とされる<短歌的自由詩>と
しての新しいポエジーの波動を目指す絵画的な「コラージュ」あるいは「パロディ」と記
しておられるのも、あるいは兄上・木村重信先生の影法師かも知れない。
問屋を娘さん夫婦にまかされ、これからが自由の身で、「方円宙遊」の新しい詩(ポエジ
ー)の歌、つくって下さい。

コーダ
短歌の木村草弥さんとの奇しき邂逅は、俳句の岡井先生と共に、私にとってはまこと有難
い御縁と感謝しています。お二人とも、デリダの「脱構築」--------奇しくも道元の<身心
脱落>にも共響する自在自由な新天地めざされ、新風を目覚めさして下さいました。
益々の御活躍をお祈りしています。

(奈良教育大学名誉教授・近藤英男) ──「南日耿平」は詩歌に遊ぶときの近藤先生のペーンネーム。
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近藤英男氏死去 奈良教育大名誉教授

 近藤 英男氏(こんどう・ひでお=奈良教育大名誉教授、体育理論)
3月15日午後7時2分、肺炎のため京都府木津川市の病院で死去、94歳。京都府出身。自宅は木津川市木津大谷31。葬儀・告別式は既に営まれた。喪主は長女の東典子(あずま・のりこ)さん。
近藤氏は1990年勲三等旭日中綬章・受賞。「身体文化論」など専攻。1984/12:座長・「祭儀と芸能──身体文化の原点」(近藤英男),奈良体育学会定例会,於佐保女子短期大学 など。      2008/04/01 13:01 【共同通信】

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