K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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木村草弥歌集『昭和』読後感・・・・・・・・・・・・高橋初枝
純林

──草弥第五歌集『昭和』──批評

     木村草弥歌集『昭和』読後感・・・・・・・・・・・・・高橋初枝
           ・・・・・・・・短歌結社誌「純林」2012/11月号掲載・・・・・・・

この歌集は2012年の春に、角川書店から上梓された第五歌集である。
最後の歌集を上梓してから9年の歲月が経ったが、この間に最愛の奥様の介護に忙殺され、
そしてその甲斐もなくお亡くなりになられた。
氏は短歌歌誌「未来」「地中海」「新短歌」「未来山脈」「角川短歌」「草の領域」などに亘って発表され、
そのために短歌の数としては490首に達した。

*わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬

とあるように、生涯の大半を「昭和」という年号と共に過ごしたことになるので歌集名を『昭和』としたとある。
青春、玄冬に、激動の昭和を生き抜いてこられた作者像が浮かぶ。

*きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
*明けやすく淡きみどりの玻璃かげに妻は起き出で水働きす
*うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
*妻呼ぶに愛称「弥ぃちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ
*愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり

さりげなく控え目な、亡き妻を恋う眼差しが愛おしい。

*ゲルマンの民を東西に分けゐたる「壁」残す遗跡と五百メートル
*門上の勝利の女神とカドリガは統一なれる菩提樹を見放く
*イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
*指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
*皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとしビン・ラディン斃る  ─2011秋─

東欧紀行など外国の旅行詠も多く見られ、歴史を踏まえた確かな眼が自在に飛翔していく。

*花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗晳し
*萩の碗に新茶を吞めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ

作者は京都で家業の宇治茶問屋を経営していたが、今はリタイアしている。京都のはんなりした風情がただよう。

*日々あゆむ我が散歩みち歩数計が八千五百を示せば戻る
*方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
*わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

老いに溺れず充足していない作者は、昨年の東日本大震災を、同時代を生きた者として、
28連からなる鎮魂の「プロメ —テウスの火」として、長歌と散文を記録された。
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「純林」は塩野崎宏氏の編集する月刊の短歌結社誌である。
今回執筆いただいた高橋初枝氏は、その編集委員をなさっている。
拙歌集を、よく読み込んでいただいて、ご懇篤な批評をして下さった。
心より厚く感謝申し上げ、ここに全文を掲載して御礼といたしたい。有難うございました。

(お断り)
本文は原稿をスキャナで読み込んだので、文字化けが生じる。子細に訂正したが、まだあれば指摘いただきたい。
すぐに直します。 よろしく。


『昭和』を読む会─記録抄・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
昭和

     『昭和』を読む会─記録抄・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・2012/07/28 於・東京ルノアール池袋西武横店マイスペース・・・・・・・・

三井修氏のお世話で、表記の会が開催されて二十人余の人々に来ていただいた。
厚く感謝するとともに、その会の抄録を記しておく。
録音したのだが不十分だったので、三井氏の指名による評者のレジュメのコピーを中心に、まとめるので了承されたい。
これらはスキャナで取り込んだが、どうしても「文字化け」が生じる。大方は修正したが、もし洩れているものがあれば指摘してほしい。修正します。
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 評者① 山本登志枝(晶)

木村草弥歌集『昭和』を読む会 平成24年7月28日     山本登志枝

多様性
〇表現 定型.非定型 枕詞.俳句.外国語
ああ昆虫少年には夢がある展翅板に載る秋の黄蝶よ (24)
〈青蛙おのれもペンキぬりたてか〉ひくりひと息やはらかき (107)
         *芥川龍之介
灯(ともし)してさざめくごとく金魚売る大和の町の水蒼(あを)みたり (108)
額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ(127)
フ—コ—は「思考の台座」と名づけたがエピステ—メ—、白い裸身だ(197)

〇素材花•小動物•妻・母・氷河・スワジランドのオークル・昭南・ベルリンの壁・
ショパン・バッハ・ヤン・フス•.額田王・シルヴィア・プラス・
絵画.志野焼・マイセン・ミトウ—ナ・夢違観音

よろこびが悲しみとなり苦しみも一つ增えたりゴッホの「夜空」(16)
母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて(22)
オークル的な「血の永遠」のあとに超越的な「意識の光」の時代(26)
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き(62)
うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく (128)

時空とわれ

〇存在
どの橋を渡ってみても存在論を抱へて行き来するばかりなり(12)
順礼は心がすべて歩きつつ自が何者か見出ださむため(44)

〇歴史
落日の真っ赤に染めし平原を駆け抜けたりしマジャ—ルの馬(73)

〇自然を聴く
しゃくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり (111)

〇生と死
もはや視力矯正かなはぬ目借り刻ねむりの刻と思ふたまゆら(37)
日常の一歩向うの月光(かげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ (116)
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間(125)
わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ(152)
われわれはひととき生きてやがて死ぬ白い紙子の装束をまとひ(198)
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評者② 北神照美(塔)

   木村草弥第五軟集『昭和』を読む   北神照美

1、昭和という時代への憧憬
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橘渡りゆく 11
身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋 12
白魚を呑みたるゆうべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ  14
クレソンの花のみくまり人の世に師弟のえにしの水が流れる  22
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬  32
懸命にわらび伸びれば空がある山の麓に茶工場がある  35
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり  37

2、巡礼 旅のうた
銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程 43
きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり  49
ものなベて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏  50
金髮のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す  55
ブラジャ—とビキ二の農婦が大鎌を振り牧草(くさ)刈るドイツの夏は  66
干し鳕を天井より吊り帳簿置けるハンザ商館往時傯ばす  79

3、詩人の心 恋心 若々しい精神
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵をしろく灯りぬ  95
との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措く 108
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ  11
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス) l37
藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳憶ひいづるよ  15
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麵の茹で加減  15
真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず 17
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光それはあなただ 19
振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな  19

4、社会的な視野
『沈黙の春』を思へばこの地球あやふしと啼くか今朝の鶯  54
プロメ —テウスの「第二の火」と もてはやされし「原子力の火」が  20
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   評者③ 小澤京子(パニア)

    木村草弥歌集『昭和』を読む    小澤京子

旅行詠を読む
◊歌枕・・・・平安中期には枕詞•歌詞の解説書や、全国各地の名所を書き集めた書物の
       ことをいつたが、その後は、和歌の題材として詠まれる名所そのものを指
       すようになった。諸国の名所も当時は単なる名所ではなく、古い社を擁す
       る信仰の中心地であった。それが拡大解釈されて、現代では歌を詠むとき
       に各自が体験にもとづいて個別の思いをもっている場所とか、それに付随
       する物体や人物、動植物から自然現象などが、やがて大勢の人に共通し固
       定化されたものとなった。 (『短歌鑑賞.批評用語』田島邦彥)

※国内
川湯五首 (27ぺ—ジ〜)
・和歌山県田辺市本宫町川湯—文字通り川原からもくもく立ち上る湯けむり
・〈小砂利かき分け川湯をたたへ、石を枕に月を見る〉川湯小唄
三井寺(大津市)十一首 (109ぺージ〜)

•さみだるる心に電車をやりすごす弾まざる身のァレキシシミア
.この大寺つつみ込むがに樟の芽は山を揺らしてぞめき初めたり

他に北海道、奈良、京都など

※国外
スペイン十首 (4 3ぺージ〜)
•春くれば辿り来し道巡礼の朝(あした)の色に明けてゆく潮
・わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨
・サンチアゴ・デ・コンポステ—ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

ドイツ三十五首 (55ベ—ジ〜)
・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
・ヒロシマの原爆ド—ムのごとくしてウィルへルム教会廃墟を残す
・門上の勝利の女神と力ドリガは統一なれる菩提樹を見放(みさ)く
・イシユタル門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

東欧三十一首  ポ—ランド、ハンガリ—、チェコなど (67ぺ—ジ〜)
•時ならぬ「ァヴアンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌
・カナレット描きし風景そのままに復元されたる街を歩みぬ
・ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし〈別れの曲(しらべ)〉
・ヴルタヴァの流れはカレル橘をゆきさざめくごとく 〈わが祖国〉響(な)る
・強き酒トカイ•ワインにほろ酔ひてジプシーの楽チヤルダーシュ聴く
・落日の真っ赤に染めし平原を駆け抜けたりしマジャールの馬

ノルウェー 十四首 (78ぺ—ジ)
・押されたるべルゲンの入国スタンプはべルゲンの家をかたどりてあり
・人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
・しぐれたるグリ—クの墓に佇めば〈ソルべ—グ〉流るる幻聴に居る

シンガポール 二十九首 (83ぺ—ジ)
・腕くみて自(し)が築かせし港べを睥睨すなりラッフルズ像
・チュ—インガム煙草を持込み不可としてリ・クアンユウ統ぶる芥なき都
・野の鳥に餌与ふるを禁ずとふ条例きびし、されど鳥啼く
・ケンタツキ—フライドチキンは「背徳基家郷鶏」たり、背徳とはいかに
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 評者④ 小圷光風(塔)

  木村草弥歌集「昭和」を読む。     小圷(あくつ)光風   二〇一二年七月二十八日

作者は豊富な教養と経験で様々なモチーフを扱う。欧州世界、京都周辺、また、草花や小動物を観察したり、
亡妻への愛を詠い、不変の真理を追究したりする。ときには、男性とは対極の存在である女性というものを詠う。
作品の物理的特徴を挙げれば、輪郭の克明さということだろうか。
特に気に入った作品を抽出してみたが、あらためて振り返るとだいぶ偏っている。旅行詠が少ない。「東欧紀行」
(五九頁から)を例にとると、歴史的事実や人物、楽曲名などを詠い込むことが叙情性をかき消す結果となった歌
もあるようだ。連作集「東欧紀行」として評価すべきものなのだろう。
老境とは薄明を静かに歩むもの、という先入観をもっていたが、作者はなかなか意気軒昂である。ウェブサイト
では「木村草弥の詩と旅日記のぺ—ジ」を運営し、いまも文芸と哲学のなかを生きている。

 I 昭和
祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橘渡りゆく  11
道ならぬ未知にさ迷ふ春の夜のわが熟睡の夢の細道 29
まみどりの宙(そら)を孕みし雨娃野あざみ色に黄昏は来る 30
まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢う 31
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春 玄冬 32
春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光をはなつ 33
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿遊びて 33
秋の蚊のしつこくまとはるあかときをめざめて君の寝息聴きおり 38

   作者はよく夢を見るようだ。静かに過去を捩り返る。本人の能動的な意志で振り返っているのではなく、
   脳が、本能が思い出を求めているのだろう。

 Ⅱ 順礼
順礼は心がすべて歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため  44
日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ 45
サンチアゴ・デ・コンポステ—ラ舂ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく 46
君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すじ 48
              *のれそれ—魚の穴子の稚魚
ものなベて光らぬものなかりけりのれそれは海を光らせて 夏 50
むささびに夢齧られし夏の木は榭液の饐えし香を漂はす 50
ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき 52
夏逝くとはっかなる香をとどめつつ葉脈透かせ蛍は果てぬ 52
すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき  53
人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ螨牛に久々の雨 54

「ベルリンの壁崩ゆ— 一九九〇年夏─」(五五ぺ—ジから)以降は欧州とアジアのショーウィンドウを見るよう
  ににぎやかだ。 歴史への造詣が相俟った旅の思い出集といえる。

 Ⅲ 花龍
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ  99
小鶏幾のちよとこいと鳴く藪を背に羅漠は独り笱に添ふ 100
激(たぎ)つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水 106
         *芥川龍之介
〈青娃おのれもペンキぬりたてか〉ひくりひくりと息やはら力き 107
との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措く 108
日常の一歩向うの月光(かげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ 116

   京都とその辺りの身近な生活詠に風流を感じる。「蜜蜂の欲情一シルヴィア•プラスの詩によせて」(117
   頁から)は斬新な取組み。一編の詩として読んだ。

 Ⅳ やってみなはれ(エトヴァス・ノイエス)
につこりと笑ひて裏切る女怖し見え隱れする人の思惑  125
死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれて肯ふ 126
じやがいもの花のはるかに目をやれば美瑛の果てに大雪山系 126
枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐっ 128
ある日ふと とうの昔に振り切った夢が出できてわれを覆ふも 129
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり  130
髮しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ 131
あかときの小用を足せる後にみる夢につづきのあるがおかしく 140
仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり 151
わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ 152

   この章は一首一首に作者の心の漣が見えるよう。飽くなき闘争心を詠うかと思えば、夢の続きを追いかけ
   たり。 美瑛の眺めは沁みるほどくきやかだったことだろう。

 V エピステーメ—
かの女史住む住宅地すぎゆけば楢の並木の黄菜つもる  164
摘みくれし堇(すみれ)をはさむ旅の書は汝(なれ)が誠を忘れざるべし 174
ひたぶるに夏に溺れて競ひたる蝉死にたり短き生を 191
楓(かへるで)は赤く染まりて散りゆけり樹に季節(とき)の来て身軽になるらむ 194
老いてゆく不毛の日々を掬いとるひとすぢの光それはあなただ 195

   「妙子の画集」(179頁から)は亡妻の友人へのレクイエム。「七曜」(186頁から)は曜日の題詠集。
    こうした取組みを参考にしたい。

最後に
一般的な受け止め方として、昭和とは、天皇と戦争、経済復興の時代だと思うが、耿集「昭和」には不思議
と、その色彩が希薄である。作者は戦中戦後を、どう生きたのだろうか    (完)

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この後、三井氏から発言があったり、休憩したりして、出席者から短い評を賜ったが、録音状態がよくなく、ここには収録を断念する。
悪しからず了承をお願いしたい。
評者以外の出席者のお名前を列記して御礼に代えたい。

梓志乃(芸術と自由)。天野和子(塔)。石川一郎(角川学芸出版)。押切寛子(宇宙風)。小野雅子(地中海)。岸顕樹郎(装丁家)。小林サダ子(からの)。
清水麻利子(花実)。鈴木朝雄(ブログ友)。高旨清美(晶)。林広樹(塔)。春澄ちえ(塔)。日向輝子(綱手)。平田恵美(颷)。光本恵子(未来山脈)。
武藤ゆかり(短歌人)。吉浜みち子(国民文学)
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この会の中でも、みなさんから著者である私に聞きたいことがあったようであるから、ここで少し書いてみたい。

「ベルリンの壁」─1990年夏─の項の歌だが、
①ビルギュップ女史というのは東独の日本語通訳者だったが、東欧圏はなやかなりし頃は政界、学界、大企業などの重要な通訳者として活躍されていたらしい。
それが体制崩壊に伴い、仕事がなくなり、私たちのようなツアーのガイドをして食いつないでおられたのだった。
金髪の大柄な美女だったが、真夏のこととてノースリーブの上着を着ておられた。
壁などを説明されるときに「腋毛」が露わになるのであった。
一般的に共産圏、東欧圏では腋毛は剃らない。西欧でも、女権意識の強い人は「男の腋毛は良くて、女に剃れとはおかしい」という時期があったのである。
今では女の人で腋毛などを剃らない人の方が、むしろ珍しい。
女の人が「体毛」を剃るか剃らないかは古代から変遷があった。その時代が「父権」が強いか、「女権」時代かによっても異なる。
その時期の宗教支配のありようによっても異なった。
詳しく知りたい方は、身内だが木村重信の著作などに出ているので当たってみてほしい。
②「菩提樹」には世界的に見て二種類ある。
ドイツのベルリンのブランデンブルク門から続く大通りは「ウンターデン・リンデン」というが「リンデン」とは「ヨーロッパ菩提樹」のドイツ語である。
もう一つの菩提樹は「インド菩提樹」という種類の木で、この木は寒さに弱く、西欧や日本では育たない。この木の下で釈迦が悟りを開いたというエピソードが有名。
③ポーランドの首都ワルシャワに行くと観光名所として「旧市街」があるが、ここは第二次大戦のときに徹底的に破壊され瓦礫の山と化した。
たまたまカナレットのいう画家の精密な絵があるので、その絵を基にして、旧市街の街並みは復元された。これも有名な話。
④「ブラジャーにビキニの・・・」の歌があるが、牧草なども全部機械で刈り取るが、四角い畑の四隅などは機械では刈り残る。
それを農婦が大鎌で手刈りするのである。そのスタイルが日本では考えられないビキニとブラジャーということに驚いて歌にした次第。

「川湯温泉」の歌があるが、これは光本恵子さん主宰の「未来山脈」に出したときには「和歌山県田辺市」の記載はなかった。
その後、平成の大合併で、この地も田辺市に編入されて分かりにくくなってはと思って地名を書くことにした。
川湯は「川の流れの中から湧く温泉」で有名なところで、<川湯小唄>も現実に存在する。

「ジプシー」という言葉が「差別用語」ではないか、という指摘があった。
こういうのは世界的な流れであり、特に、非難の集中攻撃を受けるマスコミの自己防御の色彩が濃い。
たとえば「盲めくら」というのが問題があるというので代替して使われる「視覚障碍者」と言う言葉自体が、今では差別用語として独り歩きしているのではないか。
「視覚障碍者」という言葉が「差別語」に成り下がっている現状である。これは単なる「言葉の置き換え」に過ぎない。
「ジプシー」については会の中で三井氏から「ジプシー」とは「エジプト」という言葉から発している歴史的な発言があったが、彼らの民族が自らを「ロマ」と称しているのも私は承知している。
しかし「ロマ」にも、いくつかの流派があり、単一ではない。また「ジプシー音楽」という学問的なジャンルもあるのである。
それと同じことが「エスキモー」にも言える。今では「イヌイット」というように言われることが多いが、これも彼らの種族的な一流派を指す言葉に過ぎない。
私は第一詩集『免疫系』を出したときに、時の角川学芸出版の山口十八良氏から、それらのことを指摘されたが、私は上に述べたような反論をして私の原文通りの文章を押し通した。
これらはマスコミの自己防御、悪く言えば「自己保身」に過ぎないか、過剰反応と言わざるを得ない。
要は、著者が何もかも判ったうえで、自分で責任を取ればいいことなのである。
同じようなことが、今の世の中には、さまざまのところにある。
たとえば「東北の被災者を支えましょう」と一方では善人面をしていながら「被災堆積物ガレキ」の各地での処理には反対する。おかしいではないか。
これこそ現代の差別の最たるものである。
「自分で責任を取る」──これの逆の立場にあるのが「官僚」であり、彼らは「責任を取らない」。今そのことが厳しく問われている。
何らかの形で「行政」と関わったことのある人にはわかることである。私も伊達に齢を重ねていないので、彼らには再三「煮え湯」を呑まされてきたから判る。
私は全責任を取りますから編集者の方は安心してください。

他に「ケンタッキー・フライドチキン」の歌については、このブログに「正誤表」として四月に載せたので、ご覧あれ。
なお私は「旅行詠」という分類は採らない。たまたま旅先の歌というだけで、単なる紀行の歌にしたつもりは無い。
感銘を与えないとすれば、それは私の腕の未熟さ以外の何者でもない。

小圷氏は長文の鑑賞をしていただき感謝する。
この文の末尾に「作者は戦中戦後を、どう生きたのだろうか」とある。
ひとくちでは言えない命と引き換えのような過酷な戦中があり、私は十代の少年だったが、学校の勉強からは引き剥がされて軍需工場で旋盤工をしていた。
もともとは造船のリベット(鋲)を打つ器具を作る工場だったが、戦争が烈しくなり、米軍に船も沈められて造船も立ち行かぬようになって、
戦争末期にはロケット弾の部品を削ったりしていた。
航空母艦から発進してくる艦載機(グラマンなど)の「機銃掃射」に逃げ惑ったりした。ダダダッと連射してくる機関砲の弾の一発、一発の間隔が地上では数メートルになり、
命中すれば即死だし、間隔のあいたところに居れば、運よく生き延びられるということである。生死など文字通り「紙一重」ということである。
こういう辛い経験は誰も話したがらない。体験しなければ理解不能だからである。
原爆体験者しかりであろう。
「戦争」とは、どういうものか。
「徴兵令状」は当時は俗に「赤紙」と呼ばれたが、それは赤い紙に印刷されていたからである。
普通に生活している人に、或る日、突然「赤紙」が来て徴兵される。
残された女、子供に何の生活の保証もないのである。
自分が今日、急に徴兵される場合を想像してもらいたい。戦争末期には若い人が居なくなって、四十、五十の所帯持ちが徴兵されていった。
その頃は世の中に相互扶助の気持ちがあったからましだが、今みたいに核家族で、近所付き合いもない世相では、どうして生きてゆけるのか。
考えるだに恐ろしいことである。簡単に「戦争」なんて口走ってもらいたくない。
軍人のみならず、一般人(非戦闘員と呼ばれていた)も何百万人も死んだ。
敗戦後は、体制が崩壊したこともあって、秩序が乱れ、食糧事情などは戦中よりもひどかった。
私は田舎に住んでいたから街中の連中よりは「自給自足」できるだけ恵まれていたかも知れない。
私は昭和23年に大阪外語に入ったが、着ている服装は戦争中と同じカーキ色の軍服様の制服と戦闘帽だった。
大阪市内の学校は戦災で無くなり、高槻の淀川べりの工兵隊兵舎に間借りしていた。
国立の専門学校だったから、国有財産である旧軍隊の兵舎を提供されたのだった。
その頃は外語は東京と大阪しかなかった。
因みに書いておくと東京外語は、最初から国が建てたが、大阪外語は有志が建てて、国に寄付したものである。
中目悟という人が関西にも外語教育が必要だと説いて経済界などに寄付を募ったのである。初代校長は中目悟であったのは言うまでもない。
大阪外語の校歌は ♪ 世界を籠めし戦雲ようやく晴れて
          東の空に明けの明星ひとつ
          これぞ大阪外国語学校・・・・・ ♪
というもので、大正の第一次世界大戦後のことであった。

私の歌に野に棲む生き物の名前が頻出するのも「田舎」ゆえと知ってほしい。
こうして見てくると、私も伊達には齢を重ねては来なかったことが判り感慨あらたなるものがある。
「詩歌」というものは、すべてを語り尽くすものではなく、言外に読者に「想像」させるものが佳い。


「魂は痛みを越えて」── 木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・武藤ゆかり
りいふ

   魂は痛みを越えて──木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・武藤 ゆかり
             ・・・・・・歌誌「りいふ」6号 2012/07 所載・・・・・・・・・
 
 『昭和』は木村草弥の第五歌集である。『茶の四季』『嘉木』『樹々の記憶』『嬬恋』に続き、二〇一二年四月一日に角川書店より発行された。
前作から九年の歳月を経ており、四百九十首を収めている。著者は昭和五年生まれ。
「生涯の大半を『昭和』という年号と共に過ごしたことになるので、この歌集の題名を『昭和』とすることにした」とあとがきに記されている。
詩人でもあり、『免疫系』『愛の寓意』という二冊の詩集と、他に紀行歌文集三冊を出版している。他にも何らかの著書があるかもしれない。
 本書の構成は順番に「昭和」「順礼」「花籠」「やつてみなはれ(エトヴァス・ノイエス)」「エピステーメー」「プロメーテウスの火」である。
各章の冒頭には他の歌人の歌が一首掲げられ、章全体を暗示する構成となっている。最終章は短歌ではなく、東日本大震災に触発された長歌と散文である。
 
一、 旅行と歴史を詠う

 学生時代に仏語仏文学を専攻した著者の国際色豊かな一面を物語る第二章「順礼」から見ていきたい。
なお、章の番号はローマ数字のみであるが、便宜上本稿ではこのように表記する。

  銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程
  順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため
  丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る
  わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨
  サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

 ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつで、スペイン・ガリシア州の州都サンチアゴ・デ・コンポステーラ。
フランス側からは四本の主要な道がピレネー山脈を越え、聖地へと続いている。
「順礼は心がすべて」と歌う木村草弥にとって、行程は単なる観光旅行以上のものであるだろう。
草や雨や風と一体となり、無辺の大地を一歩一歩あゆむ人の群れ。作者が注目するのは人や風物ではなく、自らの心の内である。
海外では気候風土の違いからか、日本的な抒情を保ちつつ平常心で歌うのは難しいが、この一連は見聞中心の旅行詠とは違う、深いおもむきを宿しているように思う。
なお、作者は「順礼」と表記するが、「巡礼」との違いは何だろうか。
「順」には道理、したがう、素直、穏やかなどの意味があるので、ただ巡り歩くだけではなく、物事の道理を究めたいとの含意があろうか。

  金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
  ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
  ロシアから来たる香具師(やし)らが売りつくる「壁」とふ破片一つ五マルク
  ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
  シュプレー川の青みどろ浮く川の面に緑青の屋根うつす大聖堂

 冷戦の最中に東西ベルリンを分断し、多くの犠牲者を出した後、一九八九年に破壊されたベルリンの壁。
作者は一九九〇年夏、ちょうど東西ドイツ統一直前にこの地に立ったようだ。
過去を糾弾したり、壁の消滅を歓喜したりする表層的正義感からは遠く、複雑な歴史の一こまを大観する態度がここにある。
苦難を口にしない市民や、壁の破片を土産物にする香具師(やし)、芸術家の描いた風刺画などに状況を語らせている。
逃亡を企て射殺された最後の人、クリス・ゲフロイに思いを馳せた歌もある。

  心臓を納むる聖十字架教会見ゆ、生きては祖国に帰れざりしショパン
  をちこちの塔に鳴り出づる鐘の音にプラハの街は明け初めんとす
  夏霧の途切れて蒼き水見ゆるカレルの橋はヴルタヴァ川に架かる
  強き酒トカイ・ワインにほろ酔ひてジプシーの楽チャルダーシュ聴く
  皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る

 人間は戦争に翻弄され、思想に身を投じ、考えてもみなかった人生を送る。
東欧の町を眺める作者の目には、重層的な時間が画像処理のレイヤーのように映り、その耳には悲哀の旋律が辻音楽師のアコーディオンのごとく響くのではないだろうか。
外国の地名や固有名詞の入った歌を多く抽出してみたが、いずれも素直な韻律に乗せており、片仮名のストレスを感じさせない。
「くらやみに悪夢のごとし」と詠うビン・ラディンの一首は、世界を震撼させた男の最期を短歌に刻印したもので、同時代を生きる我々に忘れ難い印象を残す。

  黒き顔、緋の胴体、白き胸のシンガのゐたる都の由来
  京都にてオートバイ隊の演習をわれは見てゐし昭和十五年
  ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき
  使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
  フィリピンの出稼ぎメイド処刑せるリ・クワンユウの裔(すえ)信念曲げず
  米少年むちたたき百の刑罰はファー・イーストの儒教の教へ
  夫への永遠(とは)の操の証とて額に赤き印(しるし)つけたり
  ケンタッキーフライドチキンは「背徳基家郷鶏」たり、背徳とはいかに
  イングリッシュを公用語とせるシンガポール話す抑揚は福建なまり
  ムルタバなるお好み焼風のもの旨しアラブ人街のムスリムフード

 獅子の都シンガポールを訪れた時、第二次世界大戦を知る作者の胸中は大きく波打ったに違いない。
ゴム林を走っているオートバイを見て、少年の日に見たオートバイ隊の演習を想起する。
大戦が勃発し、当時イギリスの植民地であったマレー半島とシンガポールは日本軍によって陥落。
列強から解放された一方で、運命を狂わされた現地人の数は計り知れない。
「半島(マレー)を攻めき」「みな撃たれしといふ」と、判断を交えない抑制された口調で詠われ、静かな意志が読み手の側に染み出してくる気がする。

二、 地震と原発を詠う

 第六章「プロメーテウスの火」では、長歌の韻律に乗せた木村草弥の詩的感受性がより際立っているように思われる。
あとがきに「私は被災者でもなく、したがって臨場性には欠けるので、この歌集を編むに際しても、せめて同時代に生きた者として歌集に留めて記録したい」と記している。
むしろ遠方から状況を観察し、主情に客観性を加えた歌にいい作品がある場合があって、東北ほどではないにせよ、被災地に暮らす本稿の筆者にすれば忸怩たる思いである。
各長歌の冒頭に他の歌人の一首が置かれる。長歌と呼応関係にあるので併せて引用する。

  —─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし 福島泰樹—─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何を思ひて 死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を

  ─—騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら 佐々木六戈—─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

  ─—黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も 春日真木子—─

  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食べず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつはら)に!

  ─—余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す 米川千嘉子—─

  三陸の 死者と生者を 憶(おも)ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ

 これが長歌の全文で、以後散文が続く。作者はなぜ、五七五七七の短歌形式ではなく、長歌の形で詠嘆したのだろうか。
恐らく短歌も作ったであろうが、未曽有の大震災に直面した時の心情に最もふさわしかったのが、長い気息と独特のうねりを持つ長歌だったのかも知れない。
また、核種の名称や半減期なども克明に記述したい場合は、短歌では字数が足りない。
俳人が短歌を選び震災を詠んだように、歌人もまた、津波が堤防を越えるごとく、馴染んだ定型の枠を打ち破り、慟哭を存分にあふれさせたのではないか。
冒頭の三首の、姿整った名歌と共に鑑賞することで、この大事件の衝撃と作者の煮えたぎる感情が相乗効果を持って迫ってくる。

三、 昭和と人生を詠う

 木村草弥の真骨頂のひとつは、大小の自然を見つめながら、縁ある人々へ愛の波長を声低く送るところにあると思う。
もうひとつの味わいは口語自由律短歌である。
第一章「昭和」には歌自身がうきうきと散歩するような感じの作品が混じっていて、しがらみを取り去った軽みと、少年のみずみずしいまなざしを感じる。

  空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける
  ああ秋の風船の快さ 少年はしばし虫を捕る
  見上げる空には何もなくなつた ヘリコプタが一機とび去つた
  ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  ああ昆虫少年には夢がある 展翅板に載る秋の黄蝶よ

 この一連は「昆虫少年」と題されている。
口語短歌とは、発した言葉をそのまま記述したものではないとの、歌人の美意識が現れているような作品群である。
文学を経由した詩語と言い回しを大切に扱う、独特の甘やかな味わいが顕著だ。一行の詩とはこのような作品を言うのだろう。
口語自由律短歌はあと数首あるのみで、歌数としては少ないが、本集の一角を成しているのではないだろうか。

  祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
  私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

 長歌と散文を除く歌集の最初と最後を飾る歌である。
薄闇に揺らめく魂が、祈るような気持ちで人生という危なげな橋を渡ってゆく。
もうじき陸にたどり着こうというのに、摑もうとしたものの正体は知れない。
そして我が身を育んできた偉大なる地球はもろく壊れそうである。
人間と地球は等しく弱い、痛々しい生命体であるとの洞察。命の始まりと終わり、その間にさまざまな出来事があり、思いがあり、別れがあり、一生がある。

  どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
  白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
  一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
  みたりめを身ごもりをりし妻はるか胡麻の花淡く咲きゐたりけれ
  放たるる心に寝れば短夜の夢美しく果てなかりけり
  しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
  わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
  闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蟬は啼くなり

 第一章ほか「花籠」「やつてみなはれ(エトヴァス・ノイエス)」「エピステーメー」から引いた、ルビや記号、片仮名のない作品である。
歌うためにはどれだけの言葉と表記法を手に入れなければならないのだろう。
夢に花に山吹に、空海に土に蟬。歌人木村草弥の、ここにひとつの回答がある気がする。歌に自らを歌わせて本稿の締めくくりとしたい。 (完)


木村草弥第五歌集『昭 和』 自選63首 付・三井修「帯」文ほか批評など
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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昭和

     木 村 草 弥 第 五 歌 集 『昭 和』 
            ・・・・・・・・角川書店2012年4月1日刊・・・・・・

       自 選 6 3 首 抄  ◆長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火

 Ⅰ 昭和
    雨しぶく昭和最後の夜の更けの大き寂寥はのちも思はむ──安立スハル『安立スハル全歌集』
欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
システム手帳に白ばかり殖え日々すごす存在論を抱へて浮遊す
花だより<落花しきり>と告げをればそを見に行かむ落花しきりを
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶(おも)ひぬ
マンハッタンチェリー掬(すく)へば人生を違(たが)へたるものカクテルの夢
ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくおたまじやくしの尻尾
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 Ⅱ 順礼
    方舟を降りたるのちの永かりしノアの老後をさびしみ思ふ──菊地原芙二子『雨の句読点』
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
ほむら立つまでに勢へる詩(うた)ことばあなたはいつまで生きられますか
AIBOに尾を振らせゐし少年が新世紀に挑むロボットサッカー
ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
                *のれそれ──魚の穴子の稚魚
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつしてみせう
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋(うづ)む
ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
ヴルタヴァの流れはカレル橋をゆきさざめくごとく<わが祖国> 響(な)る
J・Sバッハ二十七年を合唱長(カントール)として働きし聖トマス教会
皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る

 Ⅲ 花籠
    ことばとことばかもす韻きのうつくしと残り生の花残り生の霜──坪野哲久『胡蝶夢』
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ
灌仏の日に生まれ逢ふ鹿の仔はふぐりを持ちてたのもしきかな
蛇(くちなは)は己が脱皮を見せざりき蒼ざめし肌を膚(かは)うすき艶を
<青蛙おのれもペンキぬりたてか>ひくりひくりと息やはらかき
          *芥川龍之介
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ

 Ⅳ やつてみなはれ
    一脚の椅子しろくして闇ありきつねに疲るるあゆみといふは──小國勝男『飛鏡』
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
夏果てて紅蜀葵の紅(こう)いろ褪せぬ非ユークリッドは君は言へども
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ〉見る季節なり
髪しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ
ほろ酔ひて寝てしまふには惜しきなり五月の夜の美しければ
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス)
おろかにも日々を過してゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
孵化したるばかりの仔蜘蛛が懸命に糸張りをるも払はねばならぬ
光合成終へし落葉が地に還るいのちの核を揺る大欅
汝(な)をそこに佇たしめてみむ岩かげの秋海棠のうすくれなゐの
大和摂津河内和泉を一望に国見せりけむ葛城族長
一九三○年午年生まれ私の七度の干支(えと)かりそめならず
老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麺の茹で加減

 Ⅴ エピステーメー
    朱漆の小さき櫛を秘そめ持ち万緑のなか陽に触れしめず──長岡千尋『天降人』
イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど> に潜みゐるといふ
この世にはこの世の音色 鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
葛城の山ふところに大き寝釈迦の若き御顔よ涅槃西風(ねはんにし)吹く
エリカ咲く日影のけぶるむらさきも孤りなるゆゑ思ひ出でつも
仲良し三人組と言はれ変はらぬ友情で結ばれた妙子とF子と弥生
何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
青蝉(ひぐらし)ははかなく死にき葉のかげに身すぎ世すぎのはざまを墜ちて
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ
千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ
フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず
私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

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 Ⅵ プロメーテウスの火
     ─苦艾(チェルノブイリ)の香りかすかに移りたる雪かロシアの雪ひとつかみ──塚本邦雄『約翰伝偽書』
       =「苦艾(にがよもぎ)の香り」がかすかにある「ロシアの雪」のひとつかみは三月にフクシマに降った雪に繋がる=



         長歌と散文    プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
        ─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし  福島泰樹─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何思ひつつ
  死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を
  
     ─騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら  佐々木六戈─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ  meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ 
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂(い)ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

    ─黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も  春日真木子─
  
  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食へず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
 
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつばら)に!   
     
     ─余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す  米川千嘉子─
  
  三陸の 死者と生者を 憶ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ
  

二〇十一年三月十一日十四時四六分十八秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖一三〇kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード九・〇を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五〇〇km、東西約二〇〇kmの広範囲に及んだ 。この地震により、場所によつては波高十m以上、最大遡上高四〇・五mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。

また、大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによつて、東北と関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は二万人以上、建築物の全壊・半壊は合せて二四万戸以上、ピーク時の避難者は四〇万人以上、停電世帯は八〇〇万戸以上、断水世帯は一八〇万戸以上に上つた。政府は震災による被害額を十六兆から二五兆円と試算してゐる。

地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、過熱による水素爆発で大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した。これにより、周辺一帯の住民は長期の避難を強ひられてゐる。

    ─「電力を生むために人を殺すな」と静かなる怒り湛へて言ひき  大口玲子─

プロメーテウスは、神々の姿に似せて創造された人類に、ヘーパイストスの作業場の炉の中に灯芯草を入れて点火し、それを地上に持つて来て「火」を伝へた。
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考へた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しさうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しさうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるやうに計画してゐた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考へを見抜き、不死の神々にふさはしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のやうに死ねばすぐに腐つてなくなつてしまふ運命を持つようになつた。
その行ひに怒つたゼウスは、プロメーテウスをカウカソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強ひたが、プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問を受けた。
プロメーテウスが天界から火を盗んで人間与へたことに怒ったゼウスは、人間に災ひをもたらすために「女性」(パンドーラ)といふものを作るように神々に命じた。
パンドーラは人間の災ひとして地上に送り込まれた人類最初の女性とされる。「パン」=全てのもの、「ドーラー」=贈り物ドーロンの複数形。
「パンドラの匣」のエピソードで有名。

原子力発電が、プロメーテウスの「第二の火」に擬(ぎ)せられて久しいが、パンドラの匣ならぬ、厄介な火を抱え込んだものである。
「想定外」といふ言葉に誤魔化されてはならない。
千二百年も前に今回と同じやうな規模の地震・大津波襲来の歴史的記述が残つてゐる。   
延喜元年(九〇一年)に成立した公式史書『日本三代実録』に載る。

貞観十一年五月二十六日(ユリウス暦八六九年七月九日、グレゴリオ暦換算七月十三日)の大地震発生と大津波について、次のやうに記述する。

五月・・・廿六日癸未 陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝諸J漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乗船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

同年十二月十四日には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣はして奉幣し、神前に告文を捧げ国家の平安を願ってゐる。この年は、貞観大地震・大津波をはじめとして相次ぐ天災や事変が相次ぎ世の中は騒然としてゐた。
京の都では、町衆が祇園社に御霊鎮を祈願して今につづく「祇園祭」を巡行させたのも、この年である。

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     三井修 「帯文」 と 抄出 9首

              木村草弥の心は自在である。

    「昭和」という時代を見つめつつ、その眼差しは遥か彼方へ飛翔する。

             その世界は山城から東欧まで、

            その言葉は万葉語からラテン語まで、

            その心は亡妻からプロメテウスまで、

         空間、時間を自由に行き来している。───三井修


   祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

   まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

   わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬

   順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため

   イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

   花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗皙(しろ)し

   方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず

   わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

   修二会果て火の行法の終るとき寧楽の都に春は来にけり

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 ──書評──

     木村草弥歌集『昭和』・・・・・・・・・松村由利子
           ・・・・・・・・・角川書店「短歌」誌2012年8月号所載・・・・・・・・・・

 二十代の若者はともかく、「昭和」という元号は多くの人に、いくつもの
重い歴史体験を想起させると同時に、懐かしく慕わしい思いを抱かせる。

  わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬

 著者は、昭和一ケタ生まれの歌人。
年齢を感じさせない、かろみのある詠みぶりが魅力である。自在な歌ごころ
が、読むほどに心地よい。

  ちぎれ雲がひとつ  へうへうと少年の心の中をとび交つた

  ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて

  ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麵の茹で加減

 少年の心は、肉体の加齢とは関係なく、夢想を育て続ける。日常生活の中
に漂う「ちぎれ雲」のような想念や、温めてきた「物語」の数々には、はっ
とさせられる。

  追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向うから来る

  あり余る愛でわたしは白い肌に灰青色の釉薬をかけた

  老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後

  私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

 この作者は、日常詠から思いがけない奇想へといきなり飛躍する。その振
幅の大きさと文体の多様なことには、魅了されるばかりだ。
 卷末には、長歌と散文「プロメ—テウスの火」も。充実の第五歌集。 〈松村由利子・評〉

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「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』を紹介
           ・・・・・・・・・京都新聞 2012/04/14 朝刊掲載・・・・・・・・・・・・・・

城陽市で宇治茶問屋を経営してきた木村草弥さん(82)がこのほど、山城地域の風景や妻への思いなどを詠んだ歌集「昭和」を自費出版した。
九年ぶり五冊目の歌集で、昭和の時代を見つめつつ、日常から異国の情景まで、幅広いテーマで詠んだ490首が紹介されている。
木村さんは、家業の製茶業のかたわら、国内外を旅して歌を詠み、これまでに四冊の歌集を自費出版してきた。
五冊目は、九年間に詠んだ新作が中心で、自身の人生の象徴である激動の時代「昭和」への思いでまとめた。
巻頭歌は、祈りのイメージを歌にした
    祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
また、亡き妻との思い出を詠んだ
    妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ

    イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

山城地域を題材にした
    梅の花の記憶の村に相違なし雨から雪に変はる早春

など、日々の暮らしから異国の情景まで、「気まま」な独自の世界を表現している。
A5版215ページで、角川書店刊。        (京都新聞南部支社・小坂綾子)

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       詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
               日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)

 木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、

イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

 というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
 この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
 で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
 「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
 あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
 私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
 「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
 歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
 こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。

祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

 ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
 「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
 それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。

 木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。

まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

 歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
 「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
 宙→野→黄昏。
 この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
 いいなあ、この「来る」は。
 この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
 繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。

 こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。

 あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
 日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。

ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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    「寸簡」・・・・・・・西井弘和・私信より

全部を読みきっていませんが、ぼくの好きな歌、気になる歌。いうてもいいですか。
巻頭歌がいい。

 祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

祈らばや、胸中の沼、なんていいですね。みなさんおっしゃるのではないですか。

   身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙の浮き橋

身のうちに曳きずるものあり……宙の浮き橋、とは。定家の、春の世の夢の浮橋……横雲の空、など、柄にもなく思い出したり。
大体、貴兄の歌で、新古今調の華やぎや流麗さをしばしば感じたりするのはぼくだけかしら。

   ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり

ひっそりと……、がいいなあ。徐かにうるほひにけりと文語体を使ってるのも、夕顔が出てくるのも大共感。うまいなあこの優婉なる色気。

   ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて

ひとむれの花のゆきつく先には……、と散文があって、あまりにも寂しい物語があって、と散文的助詞でくくって。いやらしいほどうまい。
律を破ってのやないかと思うけど、やはりリズムがあって。

   ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた

昆虫少年はまたいいなあ全部。ちぎれ雲がひとつ、が好きだ。へうへう、とは。

   目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ

生きてゐることに理由は要らぬ、目を閉ぢて耳を傾け……。静かなる喝破。

   きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり

きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ、この、ひとつというのがいい。昼やね。苦し紛れかも知れんけど。

   男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう

これからは姿をやつして見せう。なりをやつしてみせう、いいねえ。いなおり。

   熟したる躰の張りも誇らかに若き男女は抱き合ひ眼交ふ

熟したる躰の張りも誇らかに……オスロの若者たち、抱き合い眼交うてはりましたか、圧倒されますね。

   小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり

小手毬は花虻の群れ……、揺れ戻しけり、まで見ている。怖い作者の目。

   日常の一歩向こうの月光(つきかげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ

日常の一歩向こうの月光に……、素晴らしい表現。こうはなかなか歌えないですね。

なんかいえそうに思ったのはこの辺まで読んでの気持でした。
あとはまだ読んでないのです。旺盛な詩作・思索活動、すてきですねえ。
ただ、外国旅行の歌は目を瞠っているのはわかりましたが、どうしてか、あんまりぴたーっとくるのがなかったですねえ。

   時ならぬ「アヴァンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌

アヴァンティポポロ、まだ歌われているのかと思ったりしましたが。

でもこの歌集、痛快でした。楽しかった。も少し読ませてもらいます。
三井さんの感覚はどうなんやろと思いました。

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  歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・三浦 好博──私信より抄出

  四月に入って遅い桜が一斉に咲き出して来ました。
 これから花狩人になって野山を歩きまわりたい季節です。
 この度は御歌集『昭和』ご出版誠におめでとうございます。九年ぶりのご出版だそうで、たくさんの歌の中から纏める作業は大変であったろうとお察し致します。
その間には2冊の詩集を編まれているので、詩作に力が入っていたかもしれません。
 文学者はひとの生き死ににはとても敏感ですので、昨年の3・11について詠まれないひとは居ないと思いました。
木村様もこの『昭和』の巻末にて「プロメーテウスの火」の項を立ち上げておられました。私は先ずそこから読ませて頂きました。
原子力にも豊富な知識から噛んで含めるように、私にも解りました。
ありがとうございます。
 以下、内容に即して鑑賞させて頂きました。
『西行花伝』は辻邦生の小説で私も読んだ事があります。
現在、大河ドラマ「平清盛」がやられて居ますが、待賢門院藤原璋子との関係は、ドラマのようには辻邦生は描いていなかったと思います。
出家の大きな原因であった事はたしかな事のようですが。。。。
 橋閒石の〈お浄土が……〉の句と下句の奥様の状況がぴったりの雰囲気でした。
 木村様は多くの短歌結社の誌に作品を発表されて居る関係で、とても自由に作歌されていることが解ります。
自由律は短詩にも通じますので、インパクトがありますね。
大和言葉にある春夏秋冬のさまざまな言霊をあやつるというか、遊ぶというか、美しくも愉しい事ですね。
 昭和という時代の殆どを生きて来た木村様にとって、青春と玄冬の歌よく解ります。
この昭和の間には朱夏と白秋もあったと思うのですが、この期間はどんなものであったのでしょう。HPやブログにあるいは書いてあるかもしれませんね。
 巡礼の項は国内の例えば四国八十八ヶ所の寺巡りもやられたでしょうし、スペインの巡礼の道も辿られた事が解ります。
まさしく「道」という言葉が美しいです。
その道のひとつ「 海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも」(万葉集)の「海柘榴市」を山辺のみちに私も訪れました。
「ヒロシマの原爆ドームの、、、、、」と詠まれましたウィルヘルム教会はその後、何年かをかけて元通りにしたようです。
落成式(?)の前の年に殆ど修復されかかった教会を見ました。
 ルターよりも百年も前に改革の旗を揚げたフスは時節を誤ったのでしょう、未だ力が弱かったのですね。
 木村様は積まれた深い教養から、諸外国のあらゆる対象に深く分け入ることができます。
同じものを見てもまったく私などとは違う見方考え方ができて、歌が流れるように出来てしまいます。羨ましく思っても詮無い事ですが。。。。
 旧日本軍が東南アジア、わけてもシンガポールで行った行為の詳細が歌を読んで分かりました。
最近たまたま、岩波現代文庫にてクリスチャンの「汝殺すなかれ」の父の教えを忠実に守り、学徒動員で徴兵された初年兵が、中国にて八路軍の捕虜を刺殺する訓練にて、これを拒否し、その後のありとあらゆる上官の拷問的な暴力に耐えた歌集を読んだばかりでした。「渡部良三歌集『小さな抵抗』殺戮を拒んだ日本兵」でした。
 夕顔の花は私も大好きです。宵闇に白く浮き立つ姿が素敵ですね。
又、池坊の若き女師範が朝顔を茶の湯に飾っておりましたのを、テレビ(日めくり万葉)で見ましたが、そんな素敵な花飾りもあるのですね。
 シルヴィア・プラスの詩は読んだことがありませんので、この項は理解が及びませんでした。
才能をもっともっと発揮して欲しかったのに自殺してしまったそうですね。
 インド・カジュラホのミトゥーナの寺院のヒンズーのエロチックな群像には私も驚きました。写真をたくさん撮ったのを覚えております。
 大和葛城山は躑躅の名所ですね。私も行きました。山頂一面に咲いて圧巻でした。大混みでしたが自分もその一人でしたから我慢しました。
「春の花言葉」はそれぞれの花の花言葉を一首に入れて詠むやり方で、私も第三歌集の『ときの扉』にたくさん収録しました。
連翹、アネモネ、エリカ、ヒヤシンスなどの歌が好きです。
 伊能忠敬の生家は当地から一時間の佐原で、何度か資料館に行きました。本当に凄い人でした。努力という言葉がぴったりの方でした。
彼の末裔になる人が時々当地で、伊能忠敬について講演して呉れるのを聴いたことがありますが、大変謙虚な方で、血筋であると納得しました。
死ぬことを意識に置いてやれば、彼のような偉業が達成できるのですね。
 わたしが選んだ好きな歌は下記に挙げさせていただきました。
 
   木村 草弥歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・・・三浦 好博

  ・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
  ・身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋
  ・君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
  ・ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
  ・〈お浄土がそこにあかさたなすび咲く〉病みあがりの妻うたたねしゐき
  ・春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花----日本の美神の終楽章
  ・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  ・希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
  ・わが生はおほよそ昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬
  ・上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず
  ・放物線の最高点にゐる時を噴水は知つてきらめき落ちる
  ・日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
  ・サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく
  ・海柘榴市に逢へば別れの歌垣ぞ名残りの雪の降る弥生尽
  ・きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
  ・すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
  ・金髪のビルギュップ女史きらきらと脇毛光らせ「壁」さし示す
  ・戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
  ・皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
  ・尖塔のセント・アンドリュース教会に日本軍の慰安所ありき
  ・使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
  ・かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ
  ・激つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
  ・昼ふかき囀りやがて夢となり欅(けやき)は今し木語を発す
  ・沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
  ・額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ
  ・枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪るりゐつ
  ・乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちぶさ)の静脈青しはつ夏の来て
  ・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
  ・悲しみの極みに誰か枯木折る臥床に首を捩ぢて聴く夜半
  ・起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖

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     藤原光顕 『昭和』読了しました ──私信より抄出

歌集『昭和』ようやく読み終わりました。
批評などとはとても言えませんが、二、三の感想と心に残った歌を記してみます。

●祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
 西井さんの仰るとおり、いい歌です。「胸中の沼」わずか4文字からのイメージの拡がり… もちろん「橋渡りゆく」という結句あってのことですが。
一集を象徴するようで、巻頭にふさわしい一首と思います。
●欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
 「身の幅の橋」短歌ならではの見事な表現と思います。
●白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
 「白魚」「桜」「行きつ放しの世」 うまく言葉で繋げませんが、心奥深くへ沈み拡がってゆく淡い哀しみ。
●ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
 まさに草弥短歌というべき一首でしょうか。自分では正しく使えないのですが、ここは旧かなでないと歌にならないと思います。
●一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
 病をかかえて生きる日々の頼りない時間と「豌豆の花の白さ」と…
●蕗の薹の苦さは古い恋に似て噛めばふるさと今もみづみづしい
●わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
 さりげない状況説明のような末尾に置かれた「玄冬」の二字の重さ。
●目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
●男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
●すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
●金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
●イエス・ノー迫りたる日の将軍の蝋人形据ゑわれらに見しむ
 「東欧紀行」に続く一連の旅行詠。短歌という不自由な形式での叙景ということもあるのか、充分に感情移入できないもどかしさが残りました。
私も何度か試みましたが、当事者の感動はなかなか伝わらないようです。旅行詠の難しさを思います。
●流沙のごと流るる銀河この夏の逝かむとしつつ乏精液症(オリゴス・ペルミア)
 「オリゴス・ペルミア」の詳しい意味を調べてみて「流沙のごと流るる銀河」の象徴する意味や切なさがわかりました。
●乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちふさ)の静脈青しはつ夏の来て
●藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳(め)憶ひいづるよ
●老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
●「生きているの」といふ絵は男と女の下半身をオブジェのやうに描く

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    白子れい 私信より(抄出)

ひと雨ごとに桜のつぼみがふくらんでまいります。
御歌集『昭和』の御上梓おめでとうございます。
早速にお送りいただきありがとうございました。
私とほぼ同年輩(私は昭和二年生)、同じ戦時下で、また終戦後の不自由な生活の中で生きられながら、
大きく羽搏かれた一生の、なんて広く大きい世界で生きられたものよと、ほとほと見上げながら、
また短歌のみならず長歌、散文、そしてお茶の製造と幅広く奥ゆき深く生きられたお姿に感服いたしました。

★祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
★花の季大人のいしぶみ輝きて春日連山いま旺んなり
★春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花・・・・日本の美神(ミューズ)の終楽章(コーダ)
★母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて
★まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢ふ
★わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
★日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
★きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
★むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
★ブラジャーとヒギニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
★指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
★ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲>
★人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
★かの人に賜びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
★生活の醗酵しゆく日の暮れを人はそれぞれ家を目指せり
★湖を茜に染めて日の照ればひしめき芽吹く楢の林ぞ
★鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
★死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれ肯(うべな)ふ
★枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
★生死のみ韻律にのせ詠みたかり秋野をゆくと人に知らゆな
★もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
★うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
★麟片に覆はれねむる冬の芽の満天星あかしことごとく紅し
★三輪山の檜原の端に木いちごの赤き実熟るる冬となりたり
★まぼろしの皇子馳せゆけよ標野なる草のひろらの錦の中を
★わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
★この世にはこの世の音色鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
★真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず
★愛ひとつ告げし日ありき愛ひとつ失くしし日あり過去は茫々
★私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

日本各地のみならず世界を舞台に、また哲学的思考があると思えば楽器のリズムあり、
本当にぐいぐい引き込まれてゆきました。
同じ戦後の生き方の、かくも異なる生き方があるものよと眼をみひらくおもいで、お作品の数々をみせていただきました。
とりだしたら六十首を越えましたので、しぼりにしぼって三十首を書かせていただきました。
素晴らしいよみごたえのある御歌集、本当に有難うございました。
またグループの勉強会の折みんなに紹介させていただきたいと思って居ります。
季節の変り目どうぞくれぐれも御身体に御留意下さいませ。     三月二十八日

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     鎌田弘子  私信より(抄出)

春になりました。
御歌集『昭和』ご上梓お祝い申上げ、拝読のこと、いつも乍らまことに有難うございます。
オペラのバリトンの歌手に聞きほれるような感じのお作品と思うなど、おめにかかったことはありませんのに、ご想像申上げて居ります。

☆どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
☆花だより<落花しきり> と告げをればそを見に行かむ 落花しきりを
☆ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
☆手すさびに眉ひき直し唇(くち)を描く重ねる愛戯うち返す波
☆男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
☆人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
☆干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
☆白堊なる三層のホテル・ラッフルズかつてサマセット・モーム逗留す
☆「昭南」と改めしめし日本軍ラッフルズ・ホテルも高級宿舎とす
☆老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
☆開帳を晴れがましとて観音は切れ長の目を伏してゐたまふ
☆涅槃図の白きは象の嘆くなり土踏まずゆたかに臥し給ひける
☆涅槃図に摩耶夫人とぞ見いでたる白き御顔は沙羅双樹の下
☆楊貴妃の白き顔(かんばせ)ひき寄せて梨花のもとにび玄宗愉快
☆スィートピー 香のよき花と選ばれてエドワード戴冠の出でたち寿ぐ
☆四十は「人生の正午」とユングいふかの佳人まさに燦とかがやく
☆千年で五センチつもる腐葉土よ楮の花に陽があたたかだ

「長歌と散文 プロメーテウスの火」も後世へのよい記録となりましょう。

<昭南>について
  白靴や名も昭南と改まり   多羅尾 豪
職場(舞鶴の海上保安部)の句会で、海軍時代の一句と教えてもらいました。思い出です。

多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
三月十一日、私はあの日の朝発って京都府の綾部市 もう誰も住まぬ(弟の歿後)屋敷(家と土地)を見に行っておりました。古木の紅梅がさかりでした。
翌日の帰途、新幹線や東京の電車ちょっと心配しました。
ひどい揺れを経験せずに済んだこと恩寵かどうか・・・です。
短歌に対する気持が変ってしまいましたね。
昨年は八十歳(昭和六年生)記念 自祝の鳩杖を購って少しおしゃれをした日の外出に携えて居ます。
広辞苑にも載ってますが、鳩は食するときむせないのです。おろす故の由。
把手が銀製の鳩の型。杖の部分は軽いように籐の太いのです。
短歌新聞社が終りになって、私の歌集『むべ』『時の意味』何冊も引き取りました。
佐藤祐禎氏(大熊町、未来、新アララギ)の歌集『青白き光』が原発のことゆえに話題になり、個人的にも電話、お手紙などで行き来があります。
それともうひとつ 細野豪志(原発担当・環境大臣)四十歳は私の妹の長男で京大卒後しばらく私の家から三和総研に通っており、
鳩山さんのスカウトで三島から二十七歳のとき以来民主党です。
私たちには子供がありませんので、豪志は幼いときから私たちもとても可愛がって大きくなりました。
豪志は背丈185cm、靴30cmですから、靴下掛りと寸法を置いてある三越でシャツそしてネクタイの掛りをして居ります。

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    黒松武蔵   私信抄と抽出歌 

歌集『昭和』の上梓おめでとうございます。
とりわけ「順礼」は私も旅が大好きなので、ウン、ウンと頷きながら読むことでした。
かつて私も観て廻った地が沢山出てきましたせいでもあります。
プラハ城では、黄金の小道の途中にカフカがよく訪ねて作品を書いたという店がありましたが、カフカ大好きの私はすっかり舞い上がってしまって、
ぼーっとしている間に財布を掏られて、頭の中真っ白、再び「ぼーっ」でした。
その後のカレル橋もミュシャも半ば茫然として歩き訪ねました(一文なしでは絵も買えず)。
フスの像は市民広場のことかと思いますが、すぐその近くにカフカ記念館がありましたがご存じでしたか。
私たちのツアーは、その日の午後自由時間でしたので、私独り通訳の方を予約しておいて、カフカ関係の場所を巡りました。
とてもいい記念になり、記念館で求めたメダルは今も机上を飾ってくれております。 平成24年4月5日

  抽出歌・・・・・・・・・・・・・・・黒松武蔵

   Ⅰ 昭和
 ○一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
 ○希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
 ○あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
 ○たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり

   Ⅱ 順礼
 ○繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
 ○君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すぢ
 ○むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
 ○すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
 ○人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
 ○まなかひにベルリン・フィルが竪琴のごとくに建てりポツダム広場
 ○ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
 ○ボヘミアの自立叫びしフスの像「真実は勝つ」の文字を刻めり
 ○干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
 ○ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき

   Ⅲ 花籠
 ○冬眠より覚めて幾月くちなはは早も脱ぎたり去年の衣を
 ○手づくりの柏餅とて志野の皿納戸に探しぬ母の日なれば
 ○しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
 ○昼ふかき囀りやがて夢になり欅は今し木語を発す

   Ⅳ やつてみなはれ
 ○おろかにも日々を過ごしてゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
 ○磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東の冬
 ○こだはらず肥れる女がシクラメン抱きて過ぐる聖夜(きよしよ)の街
 ○わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

   Ⅴ エピステーメー
 ○何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
 ○闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蝉は啼くなり
 ○茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき

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     辰っちゃんblogより抄出

・木村草弥氏の「昭和」について
「あとがき」によるとこの歌集は氏の第五歌集で「嬬恋」を出したあと「九年も放置していたので、たくさんの歌が溜まってしまい、前歌集の発刊の際に歌の数が多くなり過ぎて削除した旧作にも愛着があり、捨て難いので、いくつか拾った」とあるからはっきりしているのは前歌集出版から最近までの作品ばかりではなさそうだということである。そこに氏の最近の心境の一端が見えるような気がする。文学的にもきっと高い評価を受けるだろう歌集でありながら敢えてメモリアルなものに執着されているのはどうなんだろうという思いもあるが氏もとうに八〇歳を越えておられるはずだ。そこに私は気むずかし屋?の木村氏の人間性の暖かさを感じるのだ。そして少し安心する。
「〇〇君 歌集は生きている内に出すもんだよ」と、かつて私に言われたことがある。
今 思うとそれは氏の生き様を直に教えていただいた私にとっては最初の大切な忠告なのでありまた多様な人生哲学を感じさせた一瞬でもあった。
どこか超越したような風貌と言動は時に人を寄せ付けないような厳しさを感じさせるが内なるものはさびしく 少年のような純粋さと憧憬を持った夢見る やさしくて義理堅い人なのだ。そうでなかったらあの奥様亡き後の連綿とした思いは説明が付かないのである。
この歌集はⅥ章からなっている。そのうち大部分は(歌集より後記に曰く)「歌集出版の際削除したもののうち捨て難いと思う歌を拾った」とあるように大部分は旧作が占めているのであろうか。
つまり私はある目的を持ってこの歌集を読み始めたのであった。
たとえばこの歌集の作品の中には先に出版された詩集「免疫系」と重複する部分がかなりあるのだ。
それは何か意図的なものがあるのだろうが私には少しだけ見えるような気がしている。それは具体的なものではなく情緒的な観測なのだが。
しかし 私は木村氏の家近くに住まいながら実はあまり木村氏を知っているとは言えないのに気づく。
    (Ⅰ)
  ・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡り行く
ペ-ジを繰るとまずこの何とも言えぬはじめの一首にどきりとさせられる。いつ頃の作品であろうか。不思議な世界に引き込まれるような一瞬である。
おそらくまだ奥様存命中の歌なのだろうがこの歌の沼の不気味さは異様だ。
木村氏の内側深く巣くうあらゆる負の連鎖に繋がるかなしみの原点を見るような心象風景にちがいない。
如何ともしがたい人間が負っている業の象徴としてこの沼がある。しかし氏はただの傍観者ではない。
「一つの橋渡り行く」が実に力強く 夢想的、情緒的ではあるが強情的な意志を示している。
不思議な異次元に入り込んだような気持ちの良い感動が襲う。このあたりの表現が何とも言えず巧なのだ。
この初出の歌が示すごとくこの歌集は人生の奥深い何かに向かってまだ見ぬ普遍性を見極めようとする木村氏の渾身のかなしみを表現しようとしているような いわば鎮魂歌にさえ見える。それは恣意的でありながら文学に嵌ってしまった者の宿命なのだが木村氏の場合あまりにも次の空間が見えてしまうのではないかとさえ思われるのだ。
今 一つの例歌を上げたがこの歌集全体をを貫いているのはまさにそのことなのである。
しかし その歌ですらいつ発表されたものなのか私は知らない。多分奥様の亡くなるずっと前のことなのかも知れない。そしてそれは最後まで分からなかった。
先にも書いたがこの歌集は木村氏の単なる記念碑的な記録誌ではないのだ。
常識的に見るならばそれは木村氏の自分史でもあろうが自分史に止まらない品格と重量感をもっているのだ。
つまりこれは木村氏の気力と気迫を込めた至高の文芸作品を目指したもので木村氏の豊かな資質を遺憾なく見せつけた いわばそれに値するような優れた歌集なのだ。
ある一つのことに拘らない姿勢が見て取れるのだ。いつ出来た作品など どうでも良いことなのだから。
   (Ⅱ)
先に私は「氏も八十歳を過ぎ・・・」と書いたがいたって意気軒昂なのである。
いま最近長く御会いしていないが昔の歌仲間がその元気さにあきれていたのであった。
以下私が気に入ったものを記しておきたい。
・まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る(Ⅰ)
・ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくあたまじゃくしの尻尾
・春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光を放つ
・あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
・ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
・春くれば辿り来し道 巡礼の朝の色に明けてゆく潮(Ⅱ)
・サンチァゴ・デ・コンポステ-ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美しく
・睦みあひ光るものらの返り梅雨さかる水馬の真昼がありぬ
・ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
・しぐれたるグリ-クの墓に佇めば<ソルベ-グ>流るる幻聴に居る
・激つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水(Ⅲ)
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す
・藤咲くや温き触覚たのしみて水をざぶざぶ使い慣れゆく
・愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり
・鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
・道をしへ去りにしかなた鶺鴒は尾羽を水に石たたきゆく(Ⅳ)
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・きりぎしの垂水のしぶくつはぶきの黄の花よりぞたそがれにける
・わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
・追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向こうから来る
・四十から四十も齢かさね来つ曲がり角などとつくに過ぎた(Ⅴ)
・茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
・振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな
        2012/04/04

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      村島典子私信と『昭和』抄

いつの間にか晩春の候となりました。お茶の新芽も美しいことでしょう。
沖縄から帰り、御歌集再読いたしました。
「昭和」という歌集名は少し、意外な感触があり、ああそうなのだ、木村さんは昭和一桁のお生まれだったのだ、と、その時代へのスタルジーを改めて感じた次第です。
だからこそ、詩人であられるのだろうと、納得いたします。
東洋と西洋、ギリシャ神話から 、記紀万葉集、と、三井さんも語られていますように、時空のはるけさが、木村さんの世界。
ときどき私は置いてくらいますが、この迷路は何篇かの短編小説を愉しむように、従来の歌集にはない、きらきらした世界であると思います。
はがきにて申し上げました通り、長歌と散文「プロメテウスの火」は迫力あるお作品。
とりわけ、長歌という詩形の、訴える力に感動いたしました。
お歌を抄出して感想に代えさせていただきます。

◆家族図鑑のページめくれば蘇る田の橋わたる大祖母の翳(かげ)
◆白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
◆あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
◆繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◆ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
◆戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◆三本の高き茎立ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し
◆青桐は夜も緑なす夏なれば顔(かんばせ)あをく端居に睡る
◆激(たぎ)つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
◆小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
◆うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
◆うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
◆いづこより母の声するあすときか隧道の向ういまだ見え来ず
◆あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◆何もない何も持たない人やある心やさしき愛もてる人

          四月二十三日

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   木村草弥歌集『昭和』 愛惜の三十首・・・・・・・・石山淳(詩人)

◇祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
◇どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
◇君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
◇ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
◇わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
◇もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り
◇楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌
◇繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◇レモン一顆のやうなる愛か花火果て夏終章のオルガスムスか
◇「壁」取れし歓喜の日々も遠のきて物の値あがりてビールが苦し
◇ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
◇戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◇との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措(お)く
◇一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
◇愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙(もだ)しをり
◇この広野まつ黄に染むる菜の花をうちひらき顕(た)つ女体は幻
◇柔らかで快いものそは汝(なれ)の秘め処なる火口(ほくち)が叫ぶ
◇沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
◇言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごと夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり
◇春の夜に奈良墨にほふ街ゆけば大和ことばの「おいでまし」浴ぶ
◇磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東(くにさき)の冬
◇仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり
◇わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
◇老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
◇しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
◇人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
◇一冊の作品集にまとめた、まるで自らの手で撒く散華のやうに
◇あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◇フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ

以上30首、抄出の楽しみとむつかしさを学ばせていただきました。
詩集『愛の寓意』の流れが、いまもたゆたう、亡きご令室様への想いが胸を打ち、
私にも近いうちに訪れるであろう「死」との対峙を照らし合わせて味読させていただきました。
崇高な愛の形が、私の心のうちを駆け巡っていきます。
密度の高い感性と個性豊かな思考に感動いたしました。   2012年4月23日

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   木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・・・・光本 恵子

  ・わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬

「昭和」はこのテーマでもあり、木村草弥の経歴を考えると、納得するのである。
下の句の「青春、玄冬」のとくに玄冬は冬とか暗い、黒の意ではあるが、辞書によれば、五行説からとある。
そもそも五行説とは、漢代に陰陽説が説かれたが、そのなかの教えに「宇宙の満物のすべては五行の相生、相克によって生成される、の説で一生は「青春、朱夏、白秋、にして玄冬でおわる」という。
木村の青春時代は、大阪外語──現在の大阪大学外国語学部で、後には京都大学文学部を専攻しているが、中途で結核という病で療養した。
本人曰く「文芸など遊学に没頭し同校に七年間在籍するが」一九五六年には在籍期間満了のため余儀なく中途退学をしている。
 いずれにしても、勉学や文芸、旅をして、自由に学んだ時代であった。そしては玄冬の時代にさしかからんとするところで昭和は終わった。
木村は一九三〇年(昭和五)に京都府下(現在の城陽市)の宇治茶問屋に生まれた。
姉兄妹六人きょうだいの四番目に生まれているにも拘らず、結局、親の茶問屋を継ぐことになったようである。
それは文芸好きな茶問屋のおっさんなのである。

京都には江戸時代から文人茶が隆盛し、文人気質の知的な人が大勢いた。
江戸の政治に口出ししても詮無いと決めては、茶を呑みながら、道具を手の平で愛で、文学を語り、旅の思い出をぼつぼつ喋っては随想を書き、茶道具を自らの手でひねった文人ら。
まさに木村はそういった京都人の血を引く文人である。

 ・どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり  p12

文人気質の 木村草弥は自己意識の強い人である。ちょっとやそっとでは妥協しない、妥協したくない。
結局あれこれ他者という壁にぶつかっては、また自分のところに戻ってくる。結局どこにも従わず、所属せず、自分で自己を探そうとする。
自己鍛錬は欠かさない。それが「存在論を抱へて行き来するばかり」であろう。
 また、木村の短歌にエロス的な歌が多いのはなぜか。

 ・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
 ・ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草(くさ)刈るドイツの夏は

大らかで、合理的なドイツ女性のさっぱりした気性が垣間見える作である。
木村の作はエロスとはいえ、じめじめしたところはなく、自由で大らかな点が特徴だ。
それはフランス文学を学んだ人だからいえる洗練されたロマンチシズムが流れている。
その上、彼は若くして病気に罹り、学校を中退せざるを得なかった。それだけに身体への関心たかく、「生きる」「生ききる」ことへの思いは強い。
生きることは人や自然を愛することだとの意識が強くて愛情の深い人である。

 ・萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ  p113
 ・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す    p113
 ・もはや夢みることもなき此の我に眩しき翳を見する藤波  p114

「人間学」というのか、人間探求を怠らない作者・木村草弥は常に夢をもち夢を追い求めてきた。

<私が掴まうとするのは何だらう 地球は青くて壊れやすい>

の歌のように、追求して追い求めても、それを手にしたとたん、シャボン玉のようにパッと弾けてしまう。
まさにパスカルの言う「人は無限の偉大さと無限の卑小の中間にある存在」だからだろうか。

 ・「夢なんて実現しない」といふ勿れ「夢しか実現しない」と思へ  p178
 ・老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ  p195

「夢を持たないと実現もしない」と言い切る強さを持つ。
木村はアイロニーの強い人と思ってきたが、本書の短歌は率直で若やいでいる。人は夢を追いかけ、青い鳥を尋ね、捜し求める生き物だから。
最後に少年の日の歌を。

 ・母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて  p22
 ・空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける  p23
 ・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた  p24
 ・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ  p35
 ・もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り  p38

                              (2012/05/18)

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