
↑ 海津大崎の桜

↑ ビアンカ号



↑ 長浜曳山まつり山車の一景 (萬歳楼)
海津大崎の桜湖上鑑賞・長浜曳山まつり 見物記・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・クラブツーリズム2013.04.15催行・・・・・・・・・
当日は、京都駅八条口の団体バス乗り場を出発。琵琶湖岸の長浜港から貸切りのビアンカ号に載って琵琶湖北岸の海津大崎の桜を湖上から鑑賞。
京都からはバス三台。大阪からは五台。奈良から二台の合計十台、約400人から450人によるクラブツーリズムによる貸切である。

因みに「ビアンカ」は ← こういう船である。

この辺り琵琶湖北湖は気温が低いので、今が満開から散りはじめというところである。湖岸に延々とつづく桜の景色は見事である。
亡妻は友人たちと見に行ったものだが、私は初めて見た。小舟で、もっと近づいてみればいい写真が撮れたかもしれないが、この大きさの船では接写は無理である。
ゆっくり進むので往復二時間半の行程である。 写真を順不同で出来るだけ多く載せてみる。





↑ 大崎半島に建つ大崎寺の遠景
あと長浜港に戻って下船。 長浜曳山まつりを各自自由見学ということになる。
この曳山は日本三大曳山の一つと言われるらしいが、山車は小さく豪華ではない。
その代りに子供たちによる「歌舞伎」が演じられるのが名物である。
山車は十三基あると言い、三年に一度の出番年が回ってくるということで、四基が出演するらしい。
詳しくは、→ 「長浜曳山まつり」に各山車の写真などが見られる。
その後、ネット上に公表された当日のプログラムによると、今年練ったのは「萬歳楼」「翁山」「孔雀山」「常磐山」の四基である。
歌舞伎の行われる山車の舞台は四畳半という狭さ。
長浜曳山まつの由来
秀吉が長浜城主だった時代に始まる。
待望の男子誕生の祝いとして秀吉公から砂金を与えられた町衆が、それを基に曳山を造り長浜八幡宮の祭礼で曳き回したのが起こりである。
長浜の発展に伴い、江戸時代中期から各山組で競って曳山を改造して豪華な装飾に贅沢を尽くした。
子供歌舞伎は五歳から十二歳の男の子が役者になり春休みから稽古を始めるという。
掲出した「曳山まつり」パンフレットには、それらの由来が詳しく書いてある。
撮ってきた写真の幾つかを順不同で出しておく。 私には、どの場面が何かは判らないので、お許しを。
先ず、はじめに旅で出会った他グループの「奈良ジュニアファイターズⅢ」氏の撮られた見事な写真を、お許しを得て転載させていただく。
写真は、四枚いずれも「孔雀山」(義経千本桜道行初音の旅)である。 ↓




以下は、私の拙いカメラで撮ったものと、ネット上から拝借した過年度の写真が混在するので、ご承知を。











↑ 裏方として山車を押す人たち


↑ この二枚は常設の「曳山博物館」

↑ 商店街のアーケードぎりぎりを通過するところ (萬歳楼)
山車が通過したり、子供歌舞伎が演じられるときは人がぎっしりで動きが取れない混雑である。
商店街の奥のはずれに長浜別院の大通寺の立派な伽藍がある。
その参道の商店街の喫茶店でウインナー・カプチーノというアイスクリーム入りのコーヒーを呑んで休憩。
早めにバスに戻り、帰路に備える。
参考までに、2009年度の祭の様子の動画を出しておく。 ↓
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