K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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( 旅行記 ) 「秋の韓国周遊」大邱、慶州、釜山3日間・・・・・・・・・・・木村草弥
800px-Korea-Busan-Beomeosa_Iljumun_6410-07梵魚寺一柱門
↑ 梵魚寺一柱門
2590c3061d546be03289295526ff468c八公山紅葉
 ↑ 八公山紅葉とロープウエー
samugetan-5yrサムゲタン
 ↑ 「参鶏湯」(サムゲタン)
db4f1b2eeb2b31a9_Sアワビのお粥
 ↑ アワビのお粥
53c7ae21石焼ビビンパ
 ↑ 石焼ビビンパ
b0f0365d06ab7f33b2e4ac9d0df0247cアシアナA320
Map-Korea-Province-South-Gyeongsang韓国地図
 ↑ 韓国南東部地図─慶尚北道・慶尚南道
韓国マップ
 ↑ 韓国全図地図(折り畳みを広げると全地図) 
韓国通貨
 ↑ 韓国通貨1000ウォン(日本円で百円)
トラピクス

        「秋の韓国周遊」大邱、慶州、釜山3日間(1)・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・・・阪急交通社トラピックス催行10/27~29・・・・・・・・・

急に思いついての韓国南部への小旅行である。 韓国の「紅葉」鑑賞ということである。 日本よりも寒いので紅葉も少し早い。
天気は気になるが、予報によると三日間とも「晴」らしい。気温は最高17~19度、最低8~10度くらいらしい。雨に遭わないのを願うばかりである。

はじめに「韓国」には初めて行くことの説明をしておく。
亡妻も私も外国旅行は好きで、よく出かけたのだが、韓国は近いし、いつでも行けるという気持があったし、
特に、朝鮮半島は日本が苛酷な「植民地」支配を強制した「負」の遺産の記憶が私には強くて、私は子供だったので、私自身が責任を感じることはないのだが、
何となく積極的に行きたい国ではなかった。
今どき「アベノミクス」とかで、過去の日本軍国主義の「侵略」という「加害」を忘却するような言動には私は与しないので、
加害者としての最低限の「礼儀」と「謝罪」の気持は持っていたいと思うのである。
私は戦中派の一員として、戦後生まれの人々、特に為政者である政治家の人々には、そういう謙虚な態度を求めたいと思うのである。
最近は韓国ドラマの影響などもあり、特に若い女性の「韓国好み」が流行しているが、先に言った「歴史的」事実をよく理解して行動してもらいたいものである。
とは言っても中国には何度も行ったし、韓国以上に中国には、ひどい侵略をしたので、私の態度には矛盾があるかも知れない。
これは理屈ではないので、この矛盾については、うまく説明できないが、お許しあれ。 とにかく、私は初めて韓国の地を踏むことになった。

ここまで書いたついでとして、過日、このブログに載せた「従軍慰安婦」その他に関連する記事を、そのまま、ここに、転載しておくのでお許しあれ。 ↓
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最近、韓国で「従軍慰安婦の像」が設置されて、いろいろ物議を醸している。
「従軍慰安婦」に関連して、私の若い頃のエピソードを書いておく。
「従軍慰安婦などは無かった」という論者の意見というのがあるが、この「従軍慰安婦」という言葉は後になってから概念として付けられたもので、
当時には、そんな言葉で言われたものではない、ことを明確にしておかなければならないだろう。
日本軍当局の「意向」を受けて、いわゆる「女郎屋」の経営者が、従事する女を募る。
いわば、最末端の汚れ役に良家の女が応募するわけもなく、当時の植民地として悲惨な境遇にあった朝鮮人などが募集に応じたということである。
別の「キレイ」な仕事と騙されて募集に応じた女も居ただろう。 そういうことである。

「従軍慰安婦」というのは現実に存在していた、と断言できる。

昔は赤線(あかせん)と言って、 日本で1958年以前に公認で売春が行われていた地域があったのである。
この法律が施行されて以後、そういう地帯は無くなったし、「公娼」と言われていた女たちは「自由恋愛」という「私娼」となった。
それまでは男たちは、そういう「赤線地帯」=遊郭で性欲を処理していたのである。
それはインテリと言われる人たちでも同様であり、短歌の関係でいうと、有名な斎藤茂吉なんかの遊郭通いは事実として記録されている。
それは彼がすでに東大医学部の医師をしていた頃の話である。
 嘘だと思う人はネットを子細に検索されよ。
そういう時代だったのである。 ほんの数十年前のことである。 キレイゴトではないのである。

私がまだ若かった頃、近所のおじさんが茶飲みに事務所に遊びにきて、いろいろ世間話を聞かされたものである。
その人─仮にAさんとしておこう。 彼は戦争に召集されて最初は中国大陸、敗戦時にはビルマ(今のミャンマー)に居たのである。
その彼が中国での兵隊たちの性欲処理の場面を話してくれた。
いわゆる「慰安所」というのが開設されると兵隊たちが、行列をつくって順番を待っていて、コトは数分で済んだという。
「女」は寒いときには下着を脱ぐこともなく、厚い毛糸のズロースの局所だけ穴の開いているのを履いていて、その穴にペニスを挿入してコトを済ませる。
性病の感染を恐れた当局からはコンドームの使用を勧められたという。
今どきの感覚から言えば、そんなことまでして性欲を発散させるというのは理解できないだろうが、自分で手淫で処理するよりは、
局所に挿入して射精するというのが兵隊たちにとっては精神的に満足感が得られたものであろうか。
ついでに書いておくと、その人は先にも書いたようにビルマで悲惨な敗走を体験するのだが、その頃には年月を経て古参の下士官で経験豊富だったから、
敗走に当たっては武器は一切捨て、食糧だけを持って逃げた、という。武器を携えていた連中は「みんな死にましたなア」と言った。
戦争というのは、そういう苛酷なものである。
そういう戦争の苛酷さについては、前にこのブログでも書いたことがあるが、日中戦争のときに従軍記者として参加した石川達三『生きてゐる兵隊』という小説があった。
この本は、彼が軍部からの「おしきせ」の情報による記録でなく、自分から兵隊たちの生活の中に入って行って体当たりで書いた従軍記だった。
だから当局から「発売禁止」の処置を受け、彼自身も裁判にかけられた。敗戦により裁判は中止となり、戦後この小説は復刻され、少年の私も読んで大ショックを受けた。
この小説には「現地人の非戦闘員」虐殺や性のことなどが赤裸々に活写されている。
南京事件は無かった、とか主張する人には、私は、この小説を読むように勧めている。
ネット上の関連記事を見ていると、従軍慰安婦関係の東西の国の対応には、いろいろの違いがあった。
第2次大戦中の日独は軍が管理する慰安所型、米英は民間経営の売春宿利用型、そしてソ連はレイプ黙認型だった。

これも私の若い頃の体験である。
ソ連を解放軍として美化するような風潮のあった戦後すぐの頃、満洲からの引き揚げ者だったM氏の話。
ソ連軍は軍紀がでたらめで、女と見れば「強姦」して、あげくには銃殺されたりした。
皆を仰向けに並んで寝させ、胸をさわって乳房が手に触れれば女として引き摺りだして強姦したという。
だから日本人の女は胸に「晒」をきつく巻いて胸の段差をなくして男のような恰好をして難を逃れるようにしたという。

石川達三の小説にしろ、このソ連軍の兵隊の話にしろ、そんな理不尽な、今では有り得ないことが、平然と行われていたのである。
それが「戦争」というものである。 戦争は「キレイゴト」ではないのである。
私自身は、まだ少年だったので兵歴もないが、戦争中は授業からは引き剥がされて、軍需工場で旋盤工をしていた。いわゆる「学徒動員」である。
日本が戦争に負けたとき、私は中学三年生だった。
戦争末期には日本の空には「制空権」はなく、アメリカ軍の艦載戦闘機が飛びまわり、私たちもグラマンなどの艦載機から機銃掃射を受けて逃げまどった。
私たちは「非戦闘員」だった。だけど、戦争中は、そんなことは無関係に「殺戮」された。アメリカの残虐行為は日本だけでなくヨーロッパでも多くあった。
それが「戦争」というものである。

私は「勇ましいこと」を言う人は信用しない。戦争という理不尽な、悲惨な様相を見て、体験してきたものとして、言うべきことは言っておく義務を持っている。
憲法改正にしろ、靖国神社のことにしろ、「勇ましいこと」を言うならば、古今東西の歴史的事実をよく学んだ上で発言してもらいたい。
いま安倍首相なんかも、発言の言葉尻をとられて軌道修正しているようだが、「こう発言すれば、こう反応が返ってくる」と、よく勉強してから発言すべきである。
何度も言うが私は「勇ましいこと」は信用しない。
戦後生まれで、戦争の悲惨さも知らないくせに、ろくに調べもせずに「歴史的事実」を否定するのは止めてもらいたい。
「歴史的事実」は、率直に認めよ。 すべては、そこから始まらなければならない。
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私が、韓国旅行を躊躇するのには、こういう背景もあるのだ、と理解してもらうために敢えて引いておく。

関西空港11:55発アシアナ航空OZ143便釜山行きで出発。
日本と韓国との間には時差はなく、日本時間で推移する。
ただし、九州よりも西になるので、朝の明けるのは遅く、夕方の暮れるのも遅い、のは当然のことである。
私たちの住む関西地方とは一時間ほどの時間的ズレがあるようだ。
13:20釜山着。
総勢は35名ということだが、混成で私と同じ三日間の人は七人だけ。
あとの二十八人は四日間のコースでソウル近くの紅葉の名所にも回るのだという。第一日だけ合同で観光する。
現地ガイドは慮(の)さん。拡声マイクで案内するが、韓国語なまりで聞き取りにくい。

        釜山北の郊外・金井山へ。<紅葉ポイント①>「梵魚寺」・・・・・・・・・・・・木村草弥

img_402663_44572188_3金井山城北門
 ↑ 金井山城北門
800px-Korea-Busan-Beomeosa_Iljumun_6410-07梵魚寺一柱門
↑ 梵魚寺一柱門
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↑ 梵魚寺説明版
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 ↑ 四天王のうち二天王
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 ↑ トイレの標識
caption梵魚寺紅葉
 ↑ 梵魚寺紅葉

一旦、高速道路に乗り、釜山北の郊外・金井山へ。<紅葉ポイント①>「梵魚寺」へ。
ここは韓国五大寺院に数えられる屈指の名刹である。
梵魚寺(ぼんぎょじ、ポモサ)は、 釜山広域市金井区にある仏教寺院。韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第14教区本寺である。

新羅時代の 678年(新羅文武王18年)に、海東華厳宗の開祖である義湘大師が創建した。梵魚寺は華厳十刹の一つに数えられた。
李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に梵魚寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中に梵魚寺の名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。
1592年(宣祖25年)、日明戦争によって寺は焼失したが、1602年(宣祖35年)に再建された。その後また焼失したが、1613年(光海君5年)に再建された。
日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。
2010年12月15日、天王門が放火と思われる火事で全焼した。
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ガイドさんの説明によると、現今は韓国も「山歩き」ブームとかで、色とりどりの山歩きの服装をビシッと決めた人が多い。
韓国人は「赤い」色が好きである。山登り用のストックを持った人も多い。
本殿では喜捨をして祈っている人も多いが、これは日本のセンター試験のように、十一月八日に「統一試験」があり、それに子供や孫たちが受かるようにとの祈りという。

      高速道路で大邱へ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              
高速道路で大邱へ移動するが、日曜日で車が多く、また交通事故があったようで車が大渋滞である。
さすがに韓国車ばかりで日本車は見当たらない。現代自動車が圧倒的。六割がHyundai。KIAも見えるが起亜自動車だが一旦つぶれて今は現代の傘下にあるという。
ヨーロツパでも、この二つのブランドの車がよく走っている。
沿線ではよく植林されているが松の木が多い。
日本以上に山脈が多い印象。

1124589211韓国交通標識
img_1413837_28454768_1韓国街頭

      ハングル万能。漢字は使わない。・・・・・・・・・・・・木村草弥

私はハングルは全く勉強していないので、街角でも、道路標識でもハングルばかりでチンプンカンプンである。
せめて漢字を混ぜてあればいいのだが、ハングルばかりで疲れてしまう。
ガイドに聞いてみると、小学校では教えるのはハングルだけ。「漢字」は中学校で九百字、高校で九百字、合計1800字習うという。
後にガイドの成(ソン)さんに聞いてみたところ、釜山は「プサン」と言うが、これは米軍などが使った発音で、「ブサン」というのが韓国で発音される正式なので、
今は道路標識のローマ字表記に見られるように「BUSAN」と書くのが正しいという。
「慶州」も「キョンジュ」ではなく「ギョンジュ」と発音するのが正しい、という。そう言えば道路標識も、そうなってる。「清音」が「濁音」になる。

夕方遅くに大邱に到着。大邱薬令市場を歩いて見物。

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 ↑ 薬令西門─四隅の白い石像は韓方薬を刻んだりする作業をしている。
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big_94769big_94769韓方薬の原料
 ↑ 韓方薬の原料

韓国三大薬令市の一つ、大邱の韓方市場
韓国第三の都市、大邱の観光でおすすめの大邱薬令(ヤンニョン)市場は、350年の歴史がある韓方市場。約800mの通りに韓方薬局や韓医院(ハニウォン)、韓方薬材卸売店が密集。
「薬令市韓方祭り」も毎年開かれ、多くの人で賑わう。大邱が誇る名物通りで、古くから伝わる韓方の魅力に触れられる。

大邱薬令市場は、大邱市内の中心部に位置しており、最寄り駅の地下鉄1・2号線半月堂(パンウォルダン)駅から徒歩3分で到着する。
韓方の匂いがプンプン漂うストリートに350もの韓方関連店が軒を連ね、歴史を感じる建物も多く、見て回るだけで楽しめる。
韓方通りの西側にはこの通りのシンボルとなる薬令西門(ヤンニョンソムン)があり、門の屋根と柱には薬材として使われる植物などが描かれている。

朝鮮王朝孝宗9年(1658年)から始まった大邱薬令市場。
当時の王に質の良い薬材を供給するために作られたこの市場は、国内だけでなく日本や中国、ロシアなど世界各地の漢方薬が集まる拠点として発展した。
現在は韓方薬の購入だけでなく、韓方をテーマにした博物館なども楽しめる観光地となっている。

今日は日曜日なので大半の店は閉まっていた。 ただ見て歩くだけ。

日本では「漢方薬」というが、こちらでは中国本土から伝わったものの、朝鮮半島(こちらでは「韓半島」と言う)で独自に改良されたので「韓方薬」という。

朝鮮半島は地続きであり、何千年来、中国本土に支配され「属国」扱いされてきたので、それへの反発が物凄い。
今に始まったものではなく、李氏朝鮮の頃からであり、「漢字」支配から脱するために発明されたのが「ハングル」という表記法なのである。
こんなことを言うと韓国人はカンカンになって怒るだろうが、歴史的、客観的に見ると、こうなるのである。
筆が滑った。 ご寛恕あれ。


     夕食は「サムギョプサル」を賞味する・・・・・・・・・・・・木村草弥

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 ↑ 「サムギョプサル」

私は韓国料理を正式に食べたことがない。
断片的に「キムチ」とか「マッコリ」を食べたり、飲んだりにとどまるので、「サムギョプサル」という料理名は初体験である。
日本国内でも韓国料理店、焼き肉店はたくさんあるが、私は行ったことがない。
肉料理と言えば、ビーフステーキとか鉄板焼きとかで、煙のもうもうと出る、いわゆる焼肉屋には行かない。
ホルモン料理的なものも、ずっと昔には食べた記憶があるが、今は積極的には行かない。
焼いた肉をハサミで切って食べる、というのも話では聞いていたが、初体験であり、個人的には好きではない。
それに「箸」が金属製というのも違和感がある。むかし韓国は貧しかったので無駄にならない金属製のものを多用する文化が出来たのではないか。
そういう意味では、私は韓国好みではないのかも知れない。

以下、Wikipediaから引いておく。  ↓

サムギョプサル(三겹살、삼겹살)とは韓国の肉料理のひとつ。
「サム」は数字の3、「ギョプ」は層、「サル」は肉を表し、日本でいう三枚肉すなわちばら肉の意味だが、日常「サムギョプサル」と言えばこの豚の三枚肉の焼肉料理のことを指す。発音はパッチムと濃音化で発音は「sam-gyeopssal」となる。

概要
韓国の飲食店や家庭における一般的な調理法・食べ方は以下のようなものである。

味付けしていない豚の三枚肉を厚めにスライスし、鉄板上で表面がカリッとなる程度に焼く。
鉄板は斜めになっていたりジンギスカン鍋のように中央が盛り上がっていたりするが、これは余分な脂身を落とすためである。

焼けた肉は、岩塩を溶いたごま油につけたり、青唐辛子のスライスやネギの和え物、生もしくは一緒に鉄板上で焼いたニンニク、少量のサムジャン(味付け味噌や白飯などと一緒にサンチュやエゴマの葉などに巻いて食べる。食べる者が自由にアレンジできるようにするため、サムギョプサルひとつ頼むと食卓上は調味料や葉菜類の器がところ狭しと並ぶことになる(写真参照)。

サムギョプサルに、皮とカルビ肉の2層を加えた「オギョプサル(五枚肉、五겹살、오겹살)」もある。また、食べる際に魚の塩辛を使う事もある。
豚の三枚肉だけではなく牛肉の「ウサムギョプサル(牛三겹살、우삼겹살)」もある。

多様化するサムギョプサル
それまで大衆的な焼肉だったサムギョプサルだが、2000年前後から江南などソウルの人気スポットに登場したファッショナブルな店で、ワインに漬け込んだ「ワインサムギョプサル」や各種ハーブを使って香り付けをした「ハーブサムギョプサル」を提供するようになると、新たなイメージで若者を中心に人気を拡大することとなった。

ワインサムギョプサルは、ワイン漬けにして竹筒の容器の中で熟成させた豚肉を、まずブロック状のまま焼きながら、店員が途中でスライスしていく。焼きあがった肉の食べ方も、一般的な「ごま油+塩」や「サンチュ+サムジャン」のほか、ハニーマスタードやバーベキューソースにつけたりきな粉をまぶしたりと、その選択肢を増やしている。店によっては、サラダバーのように調味料や葉菜類を並べて好きなように取れるコーナーを作ったところもある。

こうした新しいスタイルのサムギョプサルの登場により、スタンダードなサムギョプサルにも、肉塊から焼き始めてスライスしたり、キムチを同時に焼いたりすることが定番になりつつあるなど、変化が生じている。外食産業では新規参入した店が差別化のために新しいサムギョプサルを開発することから多様化が進み、以下のようなものが登場している。
ワインサムギョプサル ─ ワインに漬け込み熟成させてある。
ハーブサムギョプサル ─ バジル、オレガノなどのハーブをまぶしてある。
緑茶サムギョプサル ─ 緑茶パウダーをまぶしてある。
コチュジャンサムギョプサル ─ コチュジャンで下味がつけてある。
トックサムギョプサル ─ 焼けた肉を薄い餅で包んで食べる。
テペサムギョプサル ─ 鉋(かんな)で削ったように薄い肉を焼く。
チーズサムギョプサル ─ チーズフォンデュの様に、熱して溶けたチーズと共に食べる。
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ただ、今回行った店は最低である。店内にトイレはなく、一旦店の外に出て、公衆トイレで用を足す始末。
この「サムギョプサル」も感心しなかった。
韓国に入って初めての食事が、これだったので参った、参った、である。
この夕食では「酒」類は呑めなかった。マッコリは大きな瓶しかないし、私の座ったテーブルの人たちは誰も酒を呑む人は居なかった。

11915660844705db04f29de_daeguprince大邱プリンスホテル
 ↑ 大邱プリンスホテル

大邱中心に位置するアクセス便利な特2級ホテル。
1988年にオープンした大邱プリンスホテルは、地上12階・地下4階の本館と、地上7階・地下3階の別館とでなりたっています。大邱の中心地に位置しているため交通の便もGOOD!地下鉄明徳(ミョンドッ)駅から徒歩圏内の特級ホテルです。
客室は全部で117室。ツイン、オンドル、オンドルベッド、デラックスダブル、デラックスツイン、デラックスオンドル、スイート、オンドルスイート、ロイヤルスイートの10タイプに分かれています。客室は柔らかい色使いでゆったりと落ち着けます。また、1階のコーヒーショップ『プリンセス』は都会的なインテリアが印象的。商談の場としてよく使用されるそうです。
テグの遊園地として、またテグタワーが建つテグのランドマーク的存在の友邦タワーランドまでは、ホテルからタクシーで10分程の距離です。 その他、聖母堂、大邱郷校、コブクバウィ、コンドゥルバウィなどの観光地もあります。

夕方すっかり暗くてからホテルに入る。 上の記事では、こう書いてあるが細部にはアラが目立ち、私の評価は低い。韓国伝統の「オンドル」ホテルのような感じ。  
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       「秋の韓国周遊」大邱、慶州、釜山3日間(2)・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・・・阪急交通社トラピックス催行10/27~29・・・・・・・

         タロ・クッパの朝食・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

第二日である。 今日から七人のみのツアーである。ガイドは「成」(ソン)さん。
この人の発音の方が聞き取りやすい。七人だけなので楽である。
ホテルを7:30に出て、市内で朝食を摂る。ホテルで朝食を摂らないで外で食べるというのも初体験である。大邱名物「タロ・クッパ」というものである。
タロ・クッパとはどんな料理なのか。 → 「一度は食べたい大邱のローカルフード」 に詳しい。

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 ↑ タロ・クッパ
とにかく、こんなものである。 ↓
<大邱(テグ)の郷土料理の一つにタロクッパがあります。
クッパとはスープの中にご飯が入っている料理を言いますが、タロクッパは、タロ(「別」の意味)という名前の通り、ご飯とスープが別々に出されます。
1950年の朝鮮戦争の際に始まったと言われるタロクッパ。
当時大邱に集まった避難民の中で名家の家柄の人々が、庶民たちがご飯とスープを混ぜて食べる姿を見て品がないと思い、別々に注文したことがタロクッパの由来になっているそう。
現在は滋養強壮のためのスープや、二日酔いの朝に飲むヘジャンクッとしても親しまれています。>

ネット上に載る記事を引いておくが、わざわざ外まで食べにゆくようなレベルのものではない。
韓国料理は、どれを食べても同じようなものが出てくる。取り合わせのキムチとかの「菜」は同じである。
そしてトウガラシがまぶしてあり、とにかく辛い。 しかし日数が経つと慣れてくるから不思議である。

 韓国の紅葉を求めて<紅葉ポイント②>八公山へ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

南韓国最大の紅葉の名所「八公山道公園」へ。 ロープウエイで展望台に上がり展望する。 <紅葉ポイント②>である。
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 ↑ 八公山紅葉とロープウエー
八公山ロープウエイ切符
 ↑ 八公山ロープウエイ切符
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↑ 八公山ロープウエー頂上から更に奥の山頂のアンテナ塔などを眺望

八公山は大邱広域市の中心から慶尚北道永川市、軍威郡などにかけて広がっており、海抜1,192mの毘盧峯を中心として東峯(別名、弥陀峰1,155m)と西峯(別名、三聖峰1,150m)が肩を並べている。
行政区域としては大邱広域市東区に属しており、広さは30.593㎢ほどになる。八公山は仏教文化の中心地のひとつで、大韓仏教曹渓宗第9教区本山である桐華寺をはじめとして、冠峰石造如来座像(カッパウィ)、元暁寺、千聖寺、仏窟寺などの数多くの寺院と仏教文化の遺跡が点在している。
o0800106711447970902カッパウィ 八公山
 ↑ 冠峰石造如来座像(カッパウィ)
「カッパウィ」は海抜850mの八公山の冠峰に屏風のように切り立った岩壁を背景として作られた座仏像である。
「カッパウィ」という名前は、仏像の頭にかさ(韓国語でカッ)のような平らな石(韓国語でパウィ)がかぶせてあるためにこのように呼ばれている。
9世紀の巨大な仏像群を代表する傑作品のひとつで宝物第431号に指定されている。
「真心を込めて祈ると願い事をひとつを叶えてもらえる」という伝説があるため、大学入試期間には合格祈願に訪れた人々の行列が一日中続く。
1月1日には初詣と日の出を見に来る人々で賑わう。
八公山は年間を通して観光客の足が絶えない名山で、春には鮮やかなツツジの花が咲き、夏には鬱蒼とした木が生い茂って清らかな水が流れ、秋は色とりどりの紅葉が循環道路沿いに16.3kmに渡って続き、四季折々の美しい風景が楽しめる。
ただ私たちは「カッパウィ」までは行かない。だから参考画像として見てもらいたい。

tour023_a桐華寺
o0500033312470167487桐華寺
 ↑ 桐華寺
桐華寺
 ↑ 桐華寺パンフレット

桐華寺(とうかじ)は、大韓民国大邱広域市東区にある仏教寺院。韓国仏教の最大宗派である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第9教区本寺。

曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)は寺の創建を新羅の炤知王の時代の493年(炤知王15年)としている。このとき極達和尚によって創建された瑜伽寺を桐華寺の前身と主張している。
新羅の興徳王(在位826年 - 836年)の時代に心地王師が寺を再建した際、冬にもかかわらず桐の花が咲いたため、「桐華寺」と名づけられたという言い伝えがある。
李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に桐華寺の名前はなく、廃寺になったようである。
世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中に名前はなく、引き続き廃寺だったようである。
現在の桐華寺は1732年(英祖8年)に再建されたものである。
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↑ レストラン「大湖」
山を下りて、慶州途中のレストラン「大湖」で昼食。

d0115136_3285655マッコリ
 ↑ 「生」マッコリ
20090218170047虎マッコリ
 ↑ 「虎」マッコリ

      韓国の酒・マッコリのこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

Wikipediaには、このように書かれている。 ↓
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マッコリ(막걸리)とは、朝鮮の大衆向け醸造酒の1つ。日本のどぶろくに相当する。仮名表記では、マッカリ、マッコルリとも書く。
マッコリは米を主原料とするアルコール発酵飲料で朝鮮半島の伝統酒の一種。
アルコール度数は6-8%程度で、同じく米を主原料とするが段仕込みと割水を経る日本酒、にごり酒の半分程である。
麹により糖化された米の強い甘味があり、またタンパク質やビタミン類に富む。
乳酸醗酵により雑菌の繁殖が抑えられる点は日本酒と同じであるが、一般にマッコリでは乳酸菌飲料のような微かな酸味と炭酸発泡の味がより顕著である。
醗酵を止めていないものも多く、醗酵の進み過ぎたマッコリは酸味と炭酸が強烈になる。生マッコリは劣化が早いので長期保存が不可能である。

語源は「マッ+コルダ」(막 거르다、粗雑に+濾す)という朝鮮語から来ており、「粗く濾した酒」という意味である。
その見かけから「濁酒」(タクチュ、탁주)、「滓酒」(ジェチュ、재주)と呼ばれる他に、昔は農作業をしながら水代わりに飲まれていたことから「農酒」(ノンジュ、농주)と呼ばれたり、家ごとに自家醸造し振舞われていたことから、「家醸酒」(カヤンジュ、가양주)とも呼ばれていた。

マッコリは朝鮮の固有語であるため漢字表記はないが、漢字を用いる中国語では「馬格利」と表記される。「ン」以外に子音のみの表記の無い日本語では、子音のみの「l」を「ル」で補って「マッコルリ」とも書かれてきたが、「マッコリ」の表記が一般化してきている。
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昔、学生の頃、友人の朝鮮人の家に行ったら「ドブロク」を飲ませてくれた。日本ではアルコール類の自家生産は禁止されていたから、今から思えば「密造」だった。
日本の「濁り酒」ドブロクとは、見かけは似ているが製造法も違うようである。
この頃では日本でも売られており、女子ゴルフのプレーヤーなんかも「JINRO」とかいう銘柄のキャップを被っていたりする。
サントリーも輸入して販売しているようである。750mlで400円台だから高いものではないので、何度かマッコリを呑んだことがある。
料理の種類によっては合うのである。
アルコール度数も低いので、こちらに来てからも「マッコリ」を呑むことが多い。 こちらでは「生」マッコリで、しかも発泡性なので清涼感がある。
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samugetan-5yrサムゲタン
c588ce146a878d5c_Sサムゲタン②
 ↑ 「参鶏湯」(サムゲタン)

     昼食は韓国伝統の薬膳料理「参鶏湯」(サムゲタン)を賞味・・・・・・・・・木村草弥

これについてはWikipediaは、こう書いている。 ↓
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サムゲタン(参鶏湯)は 韓国、北朝鮮に広まった料理でありチキンスープの一種である。
鶏肉と、高麗人参、鹿茸、ファンギ(牙なおぎ)などの漢方ともち米、くるみ、松の実、ニンニクなどを入れて煮込んだ料理であり、薬膳料理や補身料理(ポシン料理・滋養食)ともされている。

概要
鶏肉に高麗人参、もち米などを入れて煮込んだスープである。熱いスープ料理であるが夏の料理として提供する専門店が多い。
韓国において、日本の土用の丑の日におけるウナギのように「三伏の日に食べると健康に良い」とされ、夏バテ時の疲労回復としてよく食べられている。夏の間だけ提供する食堂が多いが、専門店では一年中食べることができる。
ただし韓国風の、高麗人参が入っているものは、風邪などで熱がある時に食するのは動悸を誘発するため禁忌である。

丸鶏を水炊きして塩などで食べるペクスク(白熟、漢方入り鶏煮込み)と、もち米で作る粥がひとつになってできたタックク(鶏肉のスープ)がサムゲタンの原型とされているが、このうちタッククが韓国で初めて文献に登場するのが、1917年に朝鮮料理研究家の方信榮が著した『萬家必備・朝鮮料理製法』(京城・新文館発行)であり、ペクスクが初めて登場するのは1924年に李用基が著した『朝鮮無双新式料理製法』(京城・永昌書館発行)である。1920年代当時朝鮮総督府は鶏卵生産のため、朝鮮全土の農村に副業として養鶏を始めるよう奨励しており、これがタッククなど参鶏湯の前身となる鶏肉料理の誕生に寄与したと考えられている。 やがて粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなり、1955年ごろ鷄蔘湯(ケサムタン)と呼ばれるようになったが、その後1960年代に入り、高麗人参の効能を強調するために蔘鷄湯(サムゲタン)とされた。ペクスクは参鶏湯と似た料理であるが、鶏肉をスープから出して皿に乗せて供することや、肉を食べた後にスープで炊いた粥が出てくることなどが異なる。台湾の麻油鶏などの他の薬膳と混同しているケースも見られる。

参鶏湯は材料さえ入手できれば家庭でも作ることはできる。韓国内ではサムゲタン用に若鶏を処理したものが販売されており、冷凍ものを扱う韓国食材店もある。
また調理されてパックされたレトルトパックも販売されている。
専門店では、烏骨鶏の肉を用いたオゴルゲタン(烏骨鷄湯、)や漆の木と一緒に煮込んだオッケタン(漆鶏湯)を出すところがあるが、通常のものより高級品とされ、値段が高い。

参鶏湯は鶏一羽を丸ごと入れて作る事もあり、高カロリーの食品である(レトルトで一人前とされている800g入りで720kカロリー。大象ジャパンが輸入している製品の場合)。

作り方・食べ方
鶏の腹から内臓を出して、そこに高麗人参と洗ったもち米、さらに干しナツメ、栗、松の実、ニンニクなどを詰めた後、水に入れて最低2~3時間じっくり煮込む。
長い場合は丸一日煮込むこともある。煮込む際に長ネギなどを加えることもある。ひとり1羽ずつ、熱々のスープに入れてトゥッペギ(小さい土鍋)で供する。

韓国風では調理時に味付けはほとんど行なわず、食卓で塩・コショウ、キムチなどで味を整えて食べる。
小皿に塩を入れ、少量のスープで溶き、そこに肉片をひたすという食べ方もある。よく煮込んだ場合には簡単に骨がはずれ、また軟骨まで食べることができる。
小骨も食べられるとされるが、鶏の小骨は鋭くとがった形に砕けて胃を傷つけるので食べないほうが安全である。スープを残し、そこにご飯を入れることもある。
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↑ 「参鶏湯」(サムゲタン) いろいろのバリエーションがある。
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 ↑ この店のスプーンカバー紙─漢詩が何ともステキ

このレストランは建物も立派だし、清潔感もある。
「参鶏湯」(サムゲタン)は今まで食べたものの中で一番口に合う。薬膳料理というのも、うなづける。

ここで初めて韓国の酒にありつく。マッコリを注文する。ドブロクに発泡性を加えた感じ。
後でもマッコリを愛飲するが、店により味がそれぞれ違う。 缶入りのものは発泡が強くて清涼感がある。

あと一路、慶州へ。

     石窟庵と仏国寺 <紅葉ポイント③>・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

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 ↑ 石窟庵石仏
石窟庵チケット
 ↑ 石窟庵チケット
石窟庵パンフ
 ↑ 石窟庵パンフレット
keisyu仏国寺
 ↑ 仏国寺
仏国寺チケット
 ↑ 仏国寺チケット
仏国寺パンフ
 ↑ 仏国寺パンフレット

石窟庵と仏国寺(ソックラムとブルグクサ、석굴암과 불국사)は、大韓民国の慶州市の南にあるユネスコの世界遺産(文化遺産)登録施設名。

慶州周辺は、紀元前1世紀から10世紀に栄えた新羅王朝の都が置かれていた。石窟庵と仏国寺は、8世紀ごろ新羅の景徳王の時代、宰相の金大城により建立。
石窟庵と仏国寺は、新羅美術の最高峰・集大成という呼び声もある。
石窟庵は、東向きに作られており、日の出、月の出の名所でもある。
1995年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録。

20121124161918_93502166_2658_9仏国寺の紅葉
 ↑ 仏国寺の紅葉
worldheritage133_1_20120403005536参道の石彫
↑ 参道の石彫

「石窟庵」も「仏国寺」も歩くところが多い。 そこに団体客や修学旅行生や外人も多い。
とにかく列を成して大混雑である。

       古墳公園・天馬塚・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

古墳公園の中にある「天馬塚」 ← については、ここが詳しい。

korea_tenma07大陵苑
 ↑ 「大陵苑」 入口
大陵苑パンフ
 ↑ 大陵苑パンフレット
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 ↑ 古墳公園大陵苑 俯瞰
korea_tenma17天馬塚
 ↑ 「天馬塚」
天馬図
 ↑ 「天馬」画像 本物は慶州博物館に保存される
 
3万8000坪にのぼる「大陵苑」には古墳が23あり、ぐるりと石垣で囲ま れている。付近一帯では古墳が155見つかっている。

実は「天馬塚」は1973年、偶然に見つかった。
石舞台でわかるように日本の古墳は石槨(せっかく)で守られているが、 韓国の古墳は木槨(もっかく)で作られその上に赤ちゃんの頭ぐらいの石を積んで作っている。
長い年月の間に木槨の部分が崩れ、石積みの古墳は崩壊する。
発見当時、この付近の古墳は崩れ落ち、平らになって、あるものは畑とな り、あるものはその上に民家が建っていたという。

だから、いまある「天馬塚」も点在する古墳も、日本の仁徳天皇陵や高松 塚古墳のように築造された当時のものではなく、30年前に復元したものだ。
ここだけが内部が公開されている。
修学旅行生が一杯、引率されてくる。六年生が大体ここに来るらしい。
古墳内部に展示されている出土品は本物ではなく、全部レプリカで、本物は慶州博物館にある。

古くは「白村江(はくすきのえ)の戦い」、豊臣秀吉の文禄・慶長の役、そし て朝鮮戦争など幾多の侵略、戦火を経てきた朝鮮半島で歴史的な建造物が創建当時のまま残っていることが奇跡なのだ。

     「高麗青磁」の窯元で、青磁の「一輪挿し」を買う。・・・・・・・・木村草弥

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慶州窯元

慶州最後の立ち寄り所として、郊外の山裾の「高麗青磁」の窯元に寄る。
女主人は、もう初老の人だったが、きれいな関西弁で、恐らく日本は関西育ちだと推察した。
細かい作業の工程を説明してくれて「登り窯」も遠くから見て、製品の陳列の見物である。
私は青磁の「一輪挿し」を買った。少し負けてもらって一万円ちょうどである。
高いのか安いのか、どうでもいい。私の気に入った品だから。
掲出した写真は、帰宅してから私が撮ったものだが、光線の具合が、うまく行かない。現物は、文字通り緑色あざやかな美しいものである。 
次女・ゆり が一時、修行中にカタログ制作の助手をしていたことがあるが、こういうものは光線配置が完備したスタジオでないと無理だと、いま理解した。

    夕食は慶州名物の「サムパブ」を賞味する・・・・・・・・・・・木村草弥

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 ↑ サムパブ料理

「食べ方」について ↓ こんな記事がある。
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野菜いっぱい、ヘルシーなサムパブで至福のときを
日本人の友人によくリクエストされるのが「サムパブ」です。野菜にご飯を包んで食べるこの料理は、韓国人にはもちろん、外国人にもヘルシー料理として大人気。
テーブルに出された15~20種類もの野菜に、アツアツご飯とサムジャンを載せてほおばっていると、それだけで幸せになれます。

タレには食べる分だけそのつど漬けて食べたほうが、私はおいしいと思います。タレには食べる分だけそのつど漬けて食べたほうが、私はおいしいと思います。

サムパブ定食の肉は牛肉と豚肉から選べる
メニューは「サムギョプサル」と「サムパブ定食」の2種類。せっかくこの店に来たからには「サムパブ定食」がオススメです。
牛肉と豚肉から選べるので、どちらかお好きなほうを。ちなみに、私は豚肉派です(豚肉は韓国産、牛肉は外国産なんです……)。
テーブルには、山いっぱいの野菜と各種おかず、そして肉が出されます。薄くスライスされた肉は自分でタレに漬けて焼きます。
タレの漬け込み具合は好みですが、私はあまり漬けすぎないほうが好きです。野菜のお代わりも自由なので、思う存分、お召し上がりを。

2人で食べるなら一度に4枚ぐらいがベター。それ以上焼くと、焦げた肉も食べることになりそう。

肉は薄くてしゃぶしゃぶ肉のよう。どんどん焼けてくれます。私はよく、一度にたくさん鉄板に載せて、食べきる前に焦げてしまうという失態を犯します。
丁寧に1枚ずつ焼くゆとりが大事なのですね。肉は追加料金で注文できます。
ただ、定食に付いてくる肉よりも量が多いので1人前ずつ頼んだほうが後悔しなくて済みます。
なにせ、味噌チゲやナムル、魚と大根の煮物など、おかずだけでもおなかがいっぱいになりますから。
最後におこげスープが出されますが、お茶代わりにどうぞ。
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今夜の泊りは「コモド慶州チョースン ホテル」  ↓
119139876147034d697cc2a_commodoregyeongjuコモド慶州チョースン ホテル

< 1979年に慶州ウェリッチ朝鮮ホテルとしてオープン、2001年10月に現在の商号に変更したコモドホテル慶州朝鮮は、レストラン・ビジネスセンターなどの付帯施設はもちろん、カジノまである特1級ホテル。映画『ブラザーフッド(原題:太極旗を翻して)』の撮影時にチャン・ドンゴンとウォンビンが宿泊したホテルとしても有名です。
そして、慶州でカジノを楽しめるのはこちらのホテルだけです。日本には存在しないカジノを試してみるのはいかがですか?カジノ内でプレイしている人には無料ドリンクのサービスもあるのでぜひご利用を!そしてなんと、ホテル直営の36ホールのゴルフコースも完備しています。昼はゴルフ、夜はカジノで楽しむのもいいですよ!
客室は全部で262室です。お部屋はシックな色合いでまとめられているため、ゆっくりと安らげるスペースになっています。そして普門湖に面しているため、お部屋のベランダからは湖が一望できますよ。遊覧船乗り場もすぐそこですので普門湖を探索してみるのもオススメです!>

このように書かれているが、このホテルは近代的な西洋風のホテルで快適である。
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 ↑ ホテル自室(七階)からの紅葉の眺望─朝なので光度不足で画像が暗い。 

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         「秋の韓国周遊」大邱、慶州、釜山3日間(3)・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・・・阪急交通社トラピックス催行10/27~29・・・・・・・・・

いよいよ最終日である。
この朝もホテルは素泊まりで、ホテルを歩いて出てすぐのレストランで「アワビのお粥」の朝食を摂る。 ↓
db4f1b2eeb2b31a9_Sアワビのお粥
中国でも「お粥」が出てくることがあるが、白粥が普通で、ここのような少し茶色に色づいたのは初めて。
朝にお粥だけの食事を摂っておくと腹の調子がよい。
朝食後、釜山へ向け出発。

     韓国では住宅でも「風水」を重視する。・・・・・・・・・木村草弥

長い移動時間に、ガイドさんが色々話してくれる。
韓国では、住宅を選ぶ際にも「風水」を重視するという。背後に山、前に水があるのが尊ばれるらしい。
それに、ひょろ高いマンションが見られるが、これは韓国人は大きな建物で長い廊下があるような集合住宅は嫌う。一階にエレベーターを挟んで一戸づつ、計二軒というのを好むので、ノッポになってしまう。
同じ開発業者の団地でも、そういう考えから、鉛筆のような細長い二十階くらいのマンションを少しづつ間隔をあけて十棟、二十棟と建てる、という。
建てても、建ててもどんどん売れるので、値下がりすることはないという。

韓国では、少子化、晩婚化、一人暮らしの増加、自殺者が多い、などの問題が出てきている。
それらの問題が、住宅事情にも反映して、いつか「住宅バブル」が起こる危険性はあるだろう。
日本の過去の経験からの忠告である。

       朝鮮戦争のことは「南北戦争」という・・・・・・・・・木村草弥

日本では、1950年から始まった北朝鮮対南朝鮮の戦争を「朝鮮戦争」と呼ぶが、こちらでは「南北戦争」と称するらしい。
「北」が攻めてきて、米韓は負けて、押されて追い込まれたが、釜山を前にして「洛東江」で食い止めた。
「洛東江」というのは、そういう記念碑的な川でもある、川幅の広い川である。
朝鮮では「川」とは言わず「江」と表現する。
また「朝鮮」という言葉は韓国では使わない。「北韓」「南韓」などと呼ぶ。何事にも、北朝鮮と差別化しようとする意図がみえみえである。
「朝鮮半島」☓、「韓半島」〇 というような具合である。
南北融和を主張した大統領も居たが、北朝鮮の挑発的な行動もあり、南北統一は極めて難しいと言えるだろう。


     釜山観光は龍頭山公園。チャガルチ市場など・・・・・・・・・・・・・木村草弥

釜山に入って、すぐ「LOTTE DUTY FREE」の店に入る。頼まれていたシャネルのネイル液を買う。
あと龍頭山公園と釜山タワーに上る。
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 ↑ 龍頭山公園と釜山タワー

釜山タワー切符
 ↑ 釜山タワー切符(4000ウォン)
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↑ ↓ ↓ 釜山タワーからの眺望
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龍頭山公園(ヨンドゥサンこうえん)は、大韓民国釜山広域市中区にある公園。龍頭山と呼ばれる丘が公園となっており、山頂部には釜山タワーがある。

釜山南部の繁華街・南浦洞に隣接し、商店街からエスカレータで登ることができる。
公園からは釜山港や影島を一望でき、また釜山タワーの下には李舜臣の巨像がそびえ立っている。
朝鮮王朝後期(日本の江戸時代)には、この山を含む一帯は倭館(草梁倭館)の敷地であり、釜山開港後は日本人居留地となった。
龍頭山には倭館時代に社が建てられ、のちに龍頭山神社となった。
現在、公園の一隅にこの周辺が倭館だったことを記す石碑が建てられている。
「李舜臣」の銅像も鮮明な写真が撮れたのだが、取り込もうとすると何度やっても横になった画像にしかならないので、残念ながら割愛する。

3efa23989fb195a8_Sチヤガルチ市場
 ↑ チヤガルチ市場
ja017チヤガルチ市場
photo600-38チャガルチ市場

チャガルチ市場(-いちば)は、大韓民国釜山広域市南部、中区南浦洞から西区忠武洞にかけての海岸部にある、韓国最大級の海産市場。

「チャガルチ」は砂利・小石を意味する。チャガルチ市場ビル周辺部にも露店街が発達しており、観光地となっている。

この付近にできた最初の市場は、1924年8月に開設された南浜市場である。
しかし、この市場の「チャガルチ市場」としてのアイデンティティの起源は、朝鮮戦争の頃、釜山に集まった避難民や戦争未亡人、在外韓国人たちが、南浦洞の露店で海産物の取引や加工を行い、「チャガルチ魚貝類処理場」と呼ばれたところに求められている。
1960年代、露店街は当局との間に摩擦も生じさせたが、1969年に露店主たちによって社団法人釜山魚貝類処理組合が結成され、海岸部の埋め立て地に1970年に3階建てのビルが建設されることで、露店群が市場として整備されるようになった。
1986年1月に改築を行ったあと、2006年8月、地下2階・地上7階の現在のビルに建て替えられた。



     昼食は「石焼きビビンパ」を賞味・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

53c7ae21石焼ビビンパ

朝がお粥だったので、腹もよく空いていたので「石焼きビビンパ」は、おいしくいただいた。
今回の旅行は、どこに行っても、日本人観光客は阪急交通社・トラピックスばかりだった。ここは商売熱心なので、急速に勢力を伸ばしている。
ただ別に起きた阪急系列ホテルの食品偽装事件のように、若干「儲け主義」の気味がある。

あと韓国食料品店に寄ったりして、釜山空港へ。 
16:00 アシアナ航空OZ146で、関西空港へ17:25 に到着。


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