K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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京響第592回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
京響①
京響②

──京都市交響楽団を聴く──(3)

     京響第592回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・於・京都コンサートホール 2015/07/19・・・・

時しも七月二十日は「海の日」記念日ということで、演目も「海」に因むものが選ばれた。 図版を参照されたい。
図版に出したが、読みにくいので「指揮者」の経歴を出しておく。

ジョン・アクセルロッドは現代曲を含む幅広いレパートリー、革新的なプログラミング、そしてその力リスマ性で世界各国のオーケストラから常に共演を望まれている指揮者のひとりである。
ルツェルン交饔楽団・歌劇場の音楽監督兼首席指揮者、フランス国立口ワール管弦楽団音楽監督を歴任、現在はミラノ・ジュゼッぺ・ヴェルディ交響楽団首席指揮者を務めており、2015/16年シーズンからスペイン王立セヴィリア交響楽団芸術監督に就任する。また、2009年から2012年にはウイ一ン-コンツェルトハウスでのORFウィーン放送交響楽団との映画音楽ガラ•コンサート「ハリウッド・イン・ウィーン」の音楽監督も務めた。
これまでにベルリン放送交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ケルン•ギュルツェニッヒ管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴアントハウス管弦楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団、フランス国立リヨン管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤルフィルハーモニック、フィルハーモニァ管弦楽団、ローマ・サンタチェチーリア管弦楽団、トリノ RAI国立交響楽団,ロイヤル・ストックホルム管弦楽団,デンマーク国立管弦楽団,オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、スウェーデン放送交響楽団、グルベンキアン管弦楽bfl、ウィーン放送交響楽団、ザルツブルク-モーツアルテゥム管弦楽団、シンフォニア・ヴァルソヴィア、さらにワシントン・ナショナル交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニック、フィラデルフィア管弦楽団、シカゴ交響楽団、NHK交響楽団、京都市交響楽団、上海交響楽団等、これまでに150以上の世界各地のオーケストラを指揮、度々再招聘されている。

オペラ指揮者としても意欲的な活動を展開、ルツェルン歌劇場での数々のプロダクション、ブレゲンツ音楽祭でのクルシェネクの新作『聖ステフアン大聖堂の周りで』に加えて、ロバート・カーセン演出の『キャンディ一ド』でのパリ・シャトレ座、ミラノ ・スカラ座、オリヴイエ・ピィ演出の『トリスタンとィゾルデ』でのアンジェ=ナント歌劇場での成功は特筆される。
とりわけ現代作品の紹介には積極的に取り組み、ミシェル・ファン・デル・アー、カリム・アル=ザンド、マノレク=アンドレ・ダルバヴィ、アヴネル・ドルマン、パスカル・デュサバン、マイケル・ゴードン、ヴォイチェフ・キラール、ガブリエル・プロコフィエフ、ヴオルフガング・リーム、力イヤ•サーリアホ、マルコ・スト口ッパ、ヨルグ・ヴィトマン等の初演を手掛けている。

レコーディングも数多く、グレツキ《悲歌のシンフォニー》、そして最新盤の"Brahms Beloved""(ブラ一ムスの交饔曲全集、クララ・シューマンの歌曲を収録)は特に高い評価を得ている。

アクセルロッドは、1988年ハーヴァード大学を卒業、指揮をレナード・バーンスタインとイリャ・ムーシンに学んだ。
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Program Notes    増田良介(音楽評論家)• Ryosuke MASUDA

海と人間のかかわりは深い。海を描く絵画や物語や音楽は世界中に数え切れないほどある。そして、美しかったり優しかったり恐ろしかったり、海はたくさんの顔を持つ。だから芸術家たちの描く海も多様だ。海軍軍人として海をよく知っていたリムスキー=コルサコフは、《シェエラザード》で、どんな不思議なことも起こりうる遙かな異世界として海を描いた。対照的なのがドビュッシーで、彼は、豊かに表情を変えていく海の色彩と運動に着目し、それをそのものとして精緻に捉える。
そして、プリテンの歌劇《ピーター・グライムズ》に登場する海は、人々の心理と運命を敏感に反映する存在だ。

本日指揮をするジョン•アクセルロッドは京響に3度目の登場となるが、毎回筋の通ったプログラムを組んでくれるマエストロだ。初登場は2009年、ラヴェルやリムスキー=コルサコフなどの「スペイン」にちなんだプログラムだった。2回目は2013年、ベートーヴェンとワーグナ一の重厚なドイツ•プログラムを聴かせてくれた。大好評だった2度の演奏会に続く今回は、三人の大作曲家が描いた「海」がテーマだ。まさに海を越えて世界中を飛び回るアクセルロッド、極めつけの名曲3曲でどのような演奏を聴かせてくれるだろうか。

■プリテン:歌劇「ビータ一・グライムズJから「4つの海の間奏曲J op.33a
20世紀イギリスを代表する作曲家べンジャミン・プリテン(1913 — 1976)は多くの分野に作品を残したが、本領と言うべき分野は全15曲に及ぶオペラだ。ヴェルディやワーグナ一のオペラはどうも馴染めないという人がいたら、ぜひ一度、20世紀のオペラを試してみてほしい。ブリテンのほかヤナーチェク、ベルク、R・シュトラウスといった作曲家たちのオペラは、19世紀の名作オペラよりも近代演劇近く、我々の心をつかむリアリティのある物語が多い。ブリテンの最も有名な才ペラ、1944年から45年にかけて作曲されたくビータ一'グライムズ〉はまさにその典型だ。
イギリス東海岸の小さな村に住む漁師ピーターは、偏屈で粗暴な性格で、村の人々との付き合いもほとんどなく、 孤独に暮らしている。あるとき、ピーターのもとにいた徒弟が、二人連続で事故死してしまう。村人たちから虐待と殺人を疑われたピー夕一は錯乱状態になり、居場所のない村を出て、夜明け前の暗い海に一人漕ぎ出す…。このオペラは、そんな暗鬱な物語だ。ごく普通の村人たちの集合的な悪意(日本的に言えば「村八分」)によって破滅に追い込まれるビータ一の物語には,我々が観ても他人事とは思えない生々しさがある。
オペラは、プロローグと全3幕からなり、それぞれの幕は各2場に分かれている。
つまり、全部で7つの場面があり、それらの間にはオーケストラだけによる間奏曲が置かれている。ブリテンは、その6つの間奏曲から4曲を選び、《4つの海の間奏曲》として出版した。「海に依って生きる人々の絶えざる闘争に対する私の認識」を表現しようとしたというこのオペラにおいて、海はもう一人の重要な登場人物とも言える存在感がある。
これらの間奏曲は、海のさまざまな表情を描くと同時に、人々の心理や運命を映し出し、物語にいっそうの深みを与えている。

1 - 「夜明け」レント・エ・トランクィロ
第1幕への間奏曲。夜明けの静かな海を描く。かもめの声が波と対話する。

2 - 「日曜の朝」アレグロ・スピリトゥォーソ
第2幕への間奏曲。明るい光の中、教会の鐘が鳴り、人々が教会へ向かう。

3- 「月の光」アンダンテ・コモド・エ・ルパート
第3幕への間奏曲。静かな夜の海を月光が照らす。

4- 「嵐」プレスト・コン・フォーコ
第1幕第2場への間奏曲。荒れ狂う嵐の海を描く。

初演:1945年6月13日チェルトナム作曲者指揮 ロンドン•フィルハーモニー管弦楽団
編成:フルート2 (両者ピッコロ持ち替え),オーボエ2、クラリネット2 (第2は小クラリ
ネット持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、
トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、タムタム、チューブラーベル、木琴、シン
バル、大太鼓.小太鼓,タンブリン、ハーブ、弦五部

■ドビュッシー:交響詩「海」
クロード・ドビュッシー (1862〜1918)は、一作ごとに過去の自分を乗り越えなければ意味がないと考えていた作曲家だ。1903年夏に着手され、1905年3月5日に完成した《海》は、千変万化する海の色彩や運動を、大胆な響きと自由な形式によって描き出した傑
作で、いわゆる印象主義的な音楽の代表作と見なされている。
デュラン(楽譜出版社)宛の手紙(1907年)でドビュッシーは「音楽とは、その本質からして、厳格で伝铳的な形式の内«で流れることのできるようなものではないと、ますます感じています。それは、色彩と、リズム化された時間とから構成されているのです」と書いた。この「色彩と、リズム化された時間とからなる音楽」という考え方は、く海〉に最もよく当てはまるように思われる。
ところで、そのデュラン社から出版された《海》の楽譜の表紙には、北斎の版画『神奈川沖浪裏』の大きな波がデザインとして使われた。これについて、同社の経営者ジャック・デュランは、ドビュッシーの死後、次のように回想している。「…私はまた、大きな波を描いた北索の版画がこの書斎に飾られていたことを思い出す。
ドビュッシーはこの波に特別に魅了されていた。《海》を作曲する際、この波が霊感を与えたので、彼は我々に、楽譜の表紙にこの絵を使うよう求めた」具体的にどのように、そしてどの程度の影響があったかは不明だが、北斎の大胆な海の捉え方が、ドビュッシーにヒントを与え、あるいは少なくとも勇気づけたということはあったかもしれない。

1- 「海の夜明けから真昼まで」非常に遅く〜少しずつ活気づき
神秘的な暗い海に日が昇り、やがて壮麗な真昼のクライマックスに至る。

2- 「波の戯れ」アレグロ〜生き生きと
小さな音域を往復する動機が次々に姿を変え、尽きることのない波の変容が描かれる。

3- 「風と海との対話」生き生きと、そして、騒然と〜わずかに遅く
時には静かに、時には激しく、風と海との相互作用が繰り返され、激しいクライマックスを築く。

初演:1905年10月15日パリ力ミーユ・シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団
編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、ファ
ゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、コルネット2、トロン
ボーン3,テューパ、ティンパニ,大太鼓、トライアングル、シンバル、タムタム、
グロッケンシュビール、ハープ2、弦五部

■リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザードJ op.35
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844 ~ 1908)が1888年に完成した交響組曲≪シェエラザード≫は、『千一夜物語(アラビアン•ナイト)』の心躍る世界を描いている。といってもこの曲は、特定の物語を説明的に描写する音楽というわけではない。作曲者が4つの楽章に付けた標題も,便宜的に使われ続けてはいるが、実は最終的に撤回されているのだ。
とはいえ、作曲者の語り口は実に巧みだ。r千一夜物語』では、暴君シヤーリヤール王に対して、聡明な王妃シヱェラザードが毎晚いろいろな物語を聞かせる。
全曲の冒頭に出てくる威圧的な旋律が王で、それに続くヴアイオリン•ソロの楚々とした主題がシヱェラザードだ。二人の主題は全曲を通じて随所に顔を出すが、これは、物語の「地の文」にあたると考えればわかりやすいだろう。しかし、ただそのまま顔を出すのではなく、テンポや強弱が変わったり、出てくる場所も物語の最初だったり途中だったりと、実に表情豊かなのだ。このころリムスキー=コルサコフは《小ロシア幻想曲》、序曲〈ロシアの復活祭>、(スペイン奇想曲〉と、独奏ヴァイオリンが活躍する管弦楽曲を多く書いているが、《シェエラザ一ド》での独奏ヴァイオリンの扱いの巧みさは格別だ。
もう一つ重要なのが、華麗なオーケストレーシヨンだ。リムスキー=コルサコフは、クラシック音楽の歴史の中でも屈指のオーケストレーションの名手だった。
彼がいなければ、ストラヴインスキーの三大バレエもレスピーギのローマ三部作も生まれなかっただろう。
《シェェラザード》は、彼のオーケストレーシヨン技術の精髄というべき傑作だ。一つの旋律が、楽器の組み合わせだけを変えて繰り返され、多彩な表惰を見せる様子は、何度聴いても驚嘆させられる。

1- 「海とシンドパッドの船」ラルゴ・エ・マエストーソ〜アレグロ・ ノン・トロッポ
不機嫌そうな王も、シェエラザードが語り始めると、すぐに物語に引き込まれる。
そこに広がるのはシンドバッドの冒険する大海原だ。

2- 「カランダール王子の物語」レント〜アンダンティーノ
ファゴットの吹く東洋舞曲風の主題と、王の主題に似たもう一つの主題が、表情を変えながら繰り返される。

3- 「若い王子と王女」アンダンティーノ・クヮジ・アレグレット
優しさに満ちた甘美な弦の主題と、やや速く明るい舞曲主題が交代に現れ、のどかな物語が語られる。

4- 「バグダッドの祭り。海。船は靑銅の騎士のある岩で難破。終曲」アレグロ.モルト
心はやる王に促されてシェエラザードが語る物語は、息もつかせぬドラマティックなものだ。物語が余韻を残して終わり、静かに現れる王の主題からは、残虐さも消えている。

初演:1888年10月22日 サンクトペテルブルク 作曲者指揮マリインスキー劇場管弦楽団
編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2 (第2はイングリッシュホルン持ち替え),クラリ
ネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボ一ン3、チューバ
ティンバニ、タンブリン,大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、夕ムタム、
ハープ、弦五部
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貰ってきたパンフレットの増田良介が書いているように、リムスキー・コルサコフの見事なオーケストレーションに尽きる、と言っていいだろう。
バイオリン、チェロ、オーボエ、トランペット、ドラム、ハープなどの「ソロ」の演奏も見事だった。
十九世紀の華麗なオーケストラに酔ったマチネーだった。 現代音楽もいいが、この時代のオーケストレーシヨンの確かさを再確認した。
祇園祭の前祭が済んで、時しも梅雨が明けるという、蒸し暑い午後であった。





「京響」第590回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・木村草弥
京響①
京響②
京響③
京響④

──京都市交響楽団を聴く──(2)

       「京響」第590回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・・・2015/05/10 京都コンサートホール・・・・・・・

京響も最近は楽団員も技術が良くなって、しかも常任指揮者・アドヴァイザーの広上淳一などの努力もあって、満席札止めの好況がつづき、なかなか良い席が取れない。
座席は「友の会」優先で発売されるので、固定客が良い席から取ってゆくので困っていた。
2015年度から日曜日開演の枠が広がって、「日曜日マチネー」の一階前列の席が、年間を通じて確保できた。
私の席はS席で、「一階7列22番」というところ。通路側なので、人にお尻を向けて出入りすることもない。
齢をとると、夜間にわざわざ京都の北まで出向いて、というのが億劫で、夏はいいが、冬になって寒くなり、しかも終わってから帰宅するのが遅くなって困っていた。
今年から「マチネー」が取れたので幸運だった。

プログラムなどは図版で読み取っていただけると思うが、
今回の演奏は前半が、いかにもクラシックというベートーヴェンのもので、後半が、がらり変わって「現代音楽」の、けたたましい、荒々しい、という対極の構成だった。
この両者を貫くのが「チェロ」の役割で、前者の演奏では、ミッシャ・マイスキーが演奏した。
おまけにソリストとして、ピアノを娘のリリー・マイスキーが、ヴァイオリンを弟のサーシャ・マイスキーが演奏した。
この親子三人で三重奏団を組んで演奏旅行をしているらしい。
人物紹介によると、ミッシャはラトヴィア生まれということで、運命にもてあそばれたバルト三国の中でも最貧国の国だから、さぞ苦労をしたことだろう。
経歴などは図版で見られるだろう。
以下、配布されたパンフレットから引いておく。  ↓
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Program Notes 柴辻純子(音楽学)

   *ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲ハ長調op.56

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770~1827)の《ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲》は、交響曲第3番「英雄」(1803年)、ピアノ協奏曲第3番(1796~1803年)、ピアノ・ソナタ第21番「ヴァルトシユタイン」(1803~04年)はじめ、彼の創作において重要な作品が集中する時期に作曲された。
同時期の他の作品に比べて地味な存在であるが、すでに「エロイカ•スケッチ帳」にこの協奏曲のスケッチが登場することから、《英雄交響曲》とほぽ同じ頃から構想が練られたと考えられ、1804年末もしくは翌年に完成した。
ベートーヴェンは曲を完成させる前から楽譜出版の交渉や初演に向けた準備を行っていたが、どちらもなかなか思うように進まず、初演は、1808年のウイーンのアウガルテン•コンサートまで待たなければならなかった。
作品は、ベートーヴェンのパトロンのひとり、フランツ・ヨ一ゼフ・フォン・ロブコヴイッツ侯爵に献呈された。
3つの独奏楽器をもつ三重協奏曲が、一体どのような経緯で作曲されるに至ったのかは明らかではない。
18世紀後半には、複数の独奏楽器をもつ曲が「サンフォニー・コンセルタンテ(協奏交響曲)」の名称でパリを中心に流行していたが、この作品のようにピアノが、独奏楽器として入るのは珍しく、ひと昔前のパリの流行を意識したわけでも、名人芸を誇るソリストが身近にいて、その演奏のために書かれたわけでもない。完成はしなかったけれども同じ編成による「二長調」の協奏曲のスケッチも残されており、この編成にベートーヴェンがこだわりをもっていたことはうかがえる。
ベートーヴェンの伝記作者アントン・シンドラーによれば、ピアノはベートーヴェンの重要なパトロンであり、作曲の生徒でもあったルドルフ大公、ヴァイオリンはカール・アウグスト・ザイドラー、チェロはエステルハ一ジ侯爵やロブコヴィッツ侯爵の楽団に在籍した著名なアントン・クラフトのために書かれたとされる。
しかし今日の研究ではルドルフ大公のためという説は否定され、ベートーヴェン自身が演奏するためと推察する研究者もいる。
いずれにしてもベートーヴェンの協奏曲の中では異色の作品で、3つの独奏楽器は、オーケストラと協奏するだけでなく、
独奏楽器相互の関係が密接で、オーケストラ伴奏付きのピアノ三重奏曲のような性格をもっている。他のふたつの独奏パー卜に比べて、チェ口のパートが難しく書かれ、各楽章とも独奏楽器は、チェロから登場するのも特徴である。
まさに本日演奏するマイスキー•フアミリーにぴったりの曲目で、父ミッシャのチェ口の華麗な技巧と彼の主導で進められる三重奏は楽しみである。

第1楽章(アレグロ、ハ長調、4/4拍子)ソナタ形式。チェ口とコントラバスで静かに始まる付点が弾むのびやかな第1主題、明朗なト長調の第2主題はヴァィオリンで歌われる。しばらくすると独奏楽器がチェロ、ヴァイオリン、ピアノの順番で現れ、3つの楽器が華やかに活躍しながら展開する。

第2楽章(ラルゴ、変イ長調、3/8拍子)わずか53小節の緩徐楽章。弦楽合奏が弱音で開始されると独奏チェ口が叙情的な美しい主題を奏でる。やがて独奏ピアノの分散和音にのって、木管楽器の柔らかな音色とともに、2つの独奏楽器がたっぶりと表情豊かに歌い、対話を繰り返す。

第3楽章(ロンド•アラ・ポラッカ、ハ長調、3/4拍子)口ンド形式。「ボラッ力」とはポロネーズのことである。第2楽章の独奏チェロが、トレモロからそのまま続いて、ロンド主題を提示する。この生き生きとした主題が独奏ヴァイオリンに受け渡されると、すぐに独奏ピアノも加わる。3つの独奏楽器の掛け合いが絶妙で、音楽は大きく盛り上がる。

1808年の初演後、この作品はなかなか再演の機会に恵まれなかったが、終楽章だけはすぐにピアノ連弾用に編曲された。その後も様々な作曲家によって多くの編曲版が作られ、専ら室内楽作品として親しまれた。このようなかたちで作品の人気が高まるのも、ベートーヴェンの他の協奏曲とは違うところである。

  *コリリアーノ :交響曲第1番

往年のニューヨーク•フィルの名コンサートマスターを父にもつジョン・'コリリアーノは、1938年生まれのアメリカの作曲家である。コロンビア大学とマンハッタン音楽院で作曲を学び、音楽番組の制作やポピュラー音楽の分野で活躍しながら、舞合のための音楽や《「ハーメルンの笛吹き」幻想曲(フルート協奏曲)》(1982)や《クラリネット協奏曲》(1977)などの作品を書いてきた。さらに90年代に入ってから、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のためのオペラ《ヴェルサイユの幽霊》(1991)や映画「レツド・ヴァイオリン」 (1999)の音楽でアカデミー賞音楽賞受賞などで、彼の名前は世界的に知られるようになった。
交響曲は、現在まで3曲完成している。第1番(1990)はオーケストラ、第2番は弦楽合奏(2000)、第3番(2004)は吹奏楽のための作品で、《交響曲第1番》は、シカゴ交響楽団創立100周年の記念作品として委嘱され、1990年3月にダニエル・バレンボイムの指揮で初演された。日本では1993年に岩城宏之指揮、日本フィルによって初演され、2006年には本日の指撢者、下野竜也の指揮で読売日響が演奏している。
この交響曲は初演当初からアメリカで広く注目を集めたが、それは当時まだ原因不明とされた死の病に対する恐怖心や感染者に対しての社会的な偏見から大きな社会間題になっていたエイズ(後天性免疫不全症候群)を作曲の直接の動機としていたからであろう。コリリアーノは、この問題に向かい合うなかで、エイズの犠牲者の衣類をメモリアル•キルトとして繋ぎ合わせていく活動を知り、その発想を音楽で試してみることにした。「失った友人を音楽の中に記憶としてとどめるために、最初の3つの楽章にそれぞれ3人の友人の思い出を刻んだ」と記しているように、4楽章のうち終楽章を除く 3つの楽章は、コリリアーノの友人たちに捧げられ、第3楽章では「さらに他の友人たちもキルトのように旋律を編み合わせた」。厳しい現実に直面しながら作曲された作品であるが、 90年代後半にはブロードウェイ•ミュージカル『レント』(1996)がロングラン上演を続けたように、当時のアメリ力では誰もが避けては通れない問題になっていたことが改めて確認されるだろう。
多彩な打楽器を含む大編成のオーケストラから繰り広げられるコリリアーノの音楽は、圧倒的な音響で息をもつかせず、聴き手に強い衝擎をもたらす。なおこの作品で、コリリアーノは、アメリカの権威ある作曲賞・グロマイヤー賞を受賞した。以下、作曲者の言葉をもとに、この交響曲の各楽章を紹介したい。

第1楽章「アポローグ:憤怒と回想による」ピアニストの友人の死を嘆く楽章。
アポローグとは、教訓を含んだ寓話のことである。ABAの形式で、友人を失った怒りと彼の回想が対置される。Aの部分は、打楽器の一撃と怒り=angerを示すA音(イ音)で始まる。「凶暴に」の発想標語のとおり、打楽器の激しいリズムと鋭く攻撃的な金管楽器が交錯して厳しい音響が高まる。Bの部分では、弦楽器の透明な響きの背後から、舞台袖のピアノで演奏されるスペインの作曲家アルべニス(ゴドフスキ編曲)の《タンゴ》が聴こえてくる。このタンゴは、友人のお気に入りの曲で、彼の思い出を懐かしむかのように音楽は広がる。やがて冒頭の怒りの音楽が再現され、最後は途切れ途切れのタンゴが現れ、ピアノの音とともに静かに消えていく。

第2楽章「タランテラ」音楽業界のエリートで、アマチュアのピアニストだった友人の思い出のための楽章。コリリアーノは、かってピアノ 4手用のピアノ小品集(1971)の終楽章「タランテラ」を彼に献呈した。この楽章では、「音楽業界では伝説的なまでの機知と英知の持ち主だった友人が、エイズによる精神異常に陥ってしまった」と記しているように、タランテラの主題を用いて狂気へと向かう残酷な歩みを描いている。錯乱とまどろみのなかから、ゆっくりと明るく楽しげな主題がクラリネットに現れる。この主題はオーボエやフルートをはじめ様々な管楽器に現れるが、次第に歪み、バランスを失い、混乱していく。最後は、全楽器による溢れる大音響が続くなか、突然断ち切られて終わる。

第3楽章「シャコンヌ:ジュリオの歌」大学時代の友人で、アマチュアのチェリストだったジュリオのために書かれた。以前、コリリアーノと一緒に即興演奏したときの録音が残っていて、それをもとに作られた主題を、独奏チェロがピッチを変えながら反復する。静かで穏やかな音楽で、さらにもう1本、独奏チェ口が加わって(ジュリオの師であるチェリストもエイズで亡くなった)、2本のチェロが対話する。さらにこの主題に対する新しい旋律(楽譜には亡くなった友人たちの名前と職業が記されている)が、管楽器に現れる。彼らを回想しながら、それらの旋律を前述のキルトのようにつなぎ、音楽のなかに刻んでいく。再びA音が長く引き延ばされると音楽は一転して、第1楽章の怒りの音楽が戻ってきて、最後は独奏チェロのA音に集約されて収まる。

第4楽章「エピローグ」前楽章からそのまま切れ目なく始まる「アダージョ」の終楽章は、ささやくような音楽で、これまでの3つの楽章の主題の断片が現れる。
まずは舞台袖からピアノの《タンゴ》がかすかに聴かれ、クラリネットのおどけた楽しい主題も遠慮がちに、2本のチェロも静かに現れる。友人たちへ思いをめぐらせながら長い静寂で全曲は結ばれる。
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チェロ   ミッシャ・マイスキー   Violoncello:MischaMAISKY
ラトヴィア共和国生まれ。ロストロポーヴィチとヴィアティゴルスキ両巨匠に師事した世界で唯一のチエリスト。ロンドン、パリ、ベルリンなど世界の主要ホールに出演、熱狂的な支持を受け続けている。ドイツ•グラモフオンの専属アーティストやエコー•ドイツ・シャルプラッテン、バリのディスク・グランプリなど受賞多数。その輝かしいキヤリアのなかでも特にバッハの演奏では高い評価を得ており、2000年にはパッハ・プログラムで100以上の公演を行い、無伴奏チェロ組曲の3度目のレコーディングもリリースされた。
これまでにバーンスタイン、メータ、ムーティ、レヴァイン、シノーポリ、バレンボイムら名指揮者たち、さらにァルゲリッチ、ルプー、キーシン、P. ゼルキン,クレー メル、パシュメット、ヴェンゲーロフほか世界のトツプ・アーティストらと共演している。

ヴァイオリン  サ一シャ•マイスキー   Violin : Sascha MAISKY
1989年生まれ。3歳でヴァイオリンを始め、レオニード.力ーベル、レオン・スルゾン、ィ一ゴリ・オイストラフらに学ぶ。1997年熱帯森林保護団体のガラ・コンサートで力ーネギーホールにデビュー、ヴェンゲーロフ、ムロ ーヴァ、アルゲリッチらと共にサン=サ一ンスの「動物の謝肉祭」を演奏する。12歳で口ンドンのパーセル音楽学校に入学、マチェイ・ラコウスキおよびエフゲ二一・グラッハに師事する。
これまでにクイーン・エリザベス・ホール、ウィグモア・ホール、バッキンガム宫殿、ブリュッセル音楽院、プラハ城そしてパリの英国大使館などでソロ及び室内楽を演奏。また、父のミッシャ、姉のリリーとはトリオを組んで既に何度も舞台に立っている。このメンバーでは、ペートーヴェンの「三重協奏曲」も演奏している。これまでにラクリン、ヴェンゲー口フ、F.アンドリエフスキ、I.ラシュコフスキ—、V.グルツマン、E.グラッハ、N.Y.キム、シトコヴェツキーらの薰陶を受ける。パーセル音楽学校を優等で卒業後、現在はウィーンでポリス・クシュニーに師事。

ピアノ   リリー•マイスキ―   Piano:LilyMAISKV
パリに生まれ、ブリュッセルで育つ。4歳よりリル・ティエンポについてピアノを始めハギト・力ーベル、オルガ・モギレフスキー、イラナ・デイヴィッズ、アラン•ヴァイスらにも師事。2001年から2004年までのパーセル音楽学校在学中には、クラシックのほかジャズ・ピアノも学ぶ。アルゲリッチ、バシキーロフ、力リクシュタインらの指導を受ける。カーネギーホールの熱帯森林保護団体チャリティ・ガラ・コンサ一トでデビュー。ドイツ・グラモフォンで父ミッシャの録音に参加、またEMIからは「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」のライヴ録音をリリ―ス。ソロ、室内楽双方で活躍し、ヴュルビエ音楽祭、フィレンツェ五月祭、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭等に参加。またロイヤル・フェスティヴァル・ホ一ル、ウイーン・コンツェルトハウス、モスクワ昔楽院等各国主要ホールに出演。
ヨーロッパおよびアジア各国のラジオおよびテレビにも度々登場。室内楽では父ミッシャのほか、ラクリン、ヤンセン、カブソン、アンゲリッシュらと共演している。
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下野竜也 (常任客演指揮者)

1969年鹿児島生まれ。鹿児島大学教育学部音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室で学ぶ。
1996年にはイタリア・シェナのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮のディプロマを取得。1997年大阪フィル初代指揮研究
員として、(故)朝比奈隆氏をはじめ数多くの巨匠の下で研鑽を積む。1999年文化庁派遣芸術家在外研修員に選ばれ、ウィーン国立演劇音楽大学に留学、2001年6月まで在籍。
2000年第12回東京国際音楽コンクール< 指揮 >優勝と齋藤秀雄賞の受賞、2001年第47回ブザンソン国際指揮者コンクール優勝で、一躍脚光を浴びる。
以降、国内外の主要オーケストラに客演。2009年には、ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団、チェコ•フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会にデビューを果たし成功を収め、その後も2010年3月にシュツットガルト放送響にデビュー、10月にカンヌPACA管への再客演、2011年4月には南西ドイツフィル、2013年6月にはアメリカのシリコンバレー交響楽団にデビューを飾るなど、急速に国際的な活躍の場を拡げている。
国内では、2006年、読売日本交礬楽団の「正指揮者」に就任。2013年4月からは「首席客演指揮者」として,同楽団との意欲的な活動を継続している。
さらに、2014年4月からは京都市交響楽団の常任客演指揮者に就任している。近年はオペラの分野での活躍も目覚ましく、新国立劇場「沈黙」、二期会「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「メリー・ウイドー」「メデア」「リア」、日生劇場「ヘンゼルとグレーテル」「夕鶴」、首都オペラ「運命の力」などを指揮。吹奏楽にも熱心に取り組んでおり、2011年1月からは、広島ウィンドオーケストラの音楽監督を務めている。
アフイニス音楽祭、霧島国際音楽祭、宮崎国際音楽祭、別府アルゲリッチ音楽祭、サイトウ・キネン・フェスティバル松本など、各地の音楽祭にも招かれている。サイトウ・キネン・オーケストラとは、ニューヨーク・カーネギーホール公演にも同行、アメリカデビューを飾った。学校コンサート、親子コンサートなどの教育プログラム、ジュニアオーケストラの指揮、指揮マスタークラス等、後進の指導、育成にも熱意を注ぎ、その活動は多岐にわたる。
2007年4月より上野学園大学音楽学部教授。
2002年出光音楽賞、渡邊曉雄音楽基金音楽賞、2006年第17会新日鉄音楽賞・フレッシュアーティスト賞,2007年第6回齋藤秀雄メモリアル基金賞,2012年第24回ミュージック・ペンクラブ音楽賞、第32回音楽クリティック・クラブ賞、平成24年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣賞、2014年度第44回東燃ゼネラル音楽賞奨励賞などを受賞。
鹿児島市ふるさと大使。

京響574回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・木村草弥
京響

──京都市交響楽団を聴く──(1)

      京響574回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・木村草弥

演目  ■ショスタコーヴィチ:祝典序曲op.96(6分)
     ■ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番op.126(35分)
          チェロ:エンリコ・ディンド

     ■シューマン:交響曲第2番ハ長調op.61(36分)

であった。  
ディンドの演奏は素晴らしく、拍手が鳴りやまなかった。 アンコールとしてバッハの曲をディンドが弾いた。
このショスタコーヴィチの曲は難しいらしく、陽気な広上にとっても真剣な表情だった。
この第二番が演奏されるのは珍しいようだ。
プログラムには、その成立の詳しいいきさつも書かれている。
どちらかというと「現代音楽風」の作品で、メロディアスではないので、後に演奏されたシューマンの曲とは違いが際立った。
シューマンの曲に対するアンコールには「椿姫」から小曲が演奏された。

広上の指揮は初めて見たが、指揮の仕方は指揮法に忠実だった。
ぞんざいな指揮をする人が居るが、広上は、指の一本一本から指示が的確で、演奏するパートに顔の表情まで使って指示を出す。
小柄な体をしなやかに使って見事な指揮をする。
そんなところが、彼の人気をもたらす要因なのかと思った。

広上淳一

東京に生まれ、東京音大指揮科に学んだ広上淳一が「第1回キリル•コン
ドラシン国際青年指揮者コンクール」に優勝したのは1984年9月、 26歳の時
であった。その審査員の1人だったアシュケナージは広上を特に高く評価し、
翌年ピアニストとしてNHK交響楽団と協演した際には彼を指揮者に指名
(広上のN響初協演)したほどである。
1986年以降、広上の世界への快進撃が始まり、フランス国立管弦楽団やべ
ルリン放送交響楽団、コンセル卜へボウ管弦楽団、モントリオール交響楽団、
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ウィーン交響
楽団などメジャーなオーケストラへの客演が展開されていった。1991~95年
にはノールショビング交響楽団(スウェーデン)の、1998〜2000年にリンブ
ルク交響楽団(オランダ)の各首席指揮者を、1997〜2001年ロイヤル・リ
ヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者を歴任、このうち
ノールショピング響とは1994年に「来日」公演を実現している。この間、
1988年に日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会でマーラーの《交響曲第
6番》を指揮し成功を収め、1991~2000年にはその正指揮者をつとめて、
1996年の欧州演奏旅行を指揮したほか、R・シュトラウスの《英雄の生涯》
やハイドンの交響曲など、多くの瑞々しく壮大な快演を残した。
近年では、ヴアンク一ヴァー響、ミラノ・ジュゼッぺ-ヴエルディ響、サ
ンクトペテルブルク・フィル、ボルティモア響、シンシナティ響、力ルガ
リー・フィル、スタヴアンゲル響、ライプツィヒ・ゲヴアントハウス管、
ポーランド放送響、、スロヴェニア・フィル、サン・バウ口響等へ客演。
2006~2008年米国コロンバス交響楽団の音楽監督を務め、ヨー・ヨー・マ、
ミドリをはじめ素晴らしいソリストたちとの数々の名演とともにDenon
レーベルにはチャイコフスキーの録音を残し、その実力を内外に知らしめた。
2007年夏にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本に招聘され、ハイド
ンとラフマニノフのプログラムを指揮、2008年5月には小澤征爾の代役で急
遽、水戸室内管弦楽団定期演奏会を指揮、モーツァルト、ベートーヴェンほ
かのプログラムで聴衆、批評家からともに絶賛された。
才ペラ指揮の分野でも1989、 1990年のシドニ一歌劇場におけるヴェルディ
の《仮面舞踏会》や《リゴレッ》が高く評価されたのをはじめ、最近では
新国立劇場《椿姫》、日生劇場《フィガ口の結婚》が記憶に新しい。
また、多忙な指揮活動と並行して、母校東京音楽大学教授としても後進の
育成に情熱を注いでいる。京都市立芸術大学客員教授。2013年1月「第32回
藤堂音楽賞」受賞。
2008年4 月から京都市交響楽団第12代常任指揮者、2014年4月からは第12
代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザ一に就任。

エンリコ・ディンゴ

エンリコ・ディンドは、6歳でチェロを始め、アントニオ・ヤニグロに師
事。1997年、パリのロストロポ一ヴィチ・コンクールで優勝、この偉大なる
マエストロはディンドについて「稀有の才能を持ったチェリストだ。イタリ
ア人の伸びやかな声のように流れる並外れた音を持つ、完全な芸術家であり
完成した音楽家だ」と絶賛、世界に知られることとなった。
以来、彼はソリストとしてのキャリアをスタートし、BBCフィル、口ッ
テルダム・フィル、フランス国立管、トウ一ルーズ・キヤピトル国立管、ス
カラ・フィル、RAI国立響、ローマ・サンタチェチーリア管、ライブツイ
ヒ•ゲヴァントハウス管、hrフランクフルト放送響、サンクトぺテルブル
ク・フィル,サン・バウ口響、NHK響、トロント響、ピッツバーグ響、シ
カゴ響など数々の名門オーケストラに招かれている。また、リッカルド・
シャイ一、アルド・チェッカート、ジャナンドレア・ノセダ、チョン・ミュ
ンフン、 ィヴァン・フィッシャー、ダニェレ・ガッティ、パーヴォ•ヤル
ヴィ・ ワレリー・ゲルギエフ、リッカルド・ムーティ、そしてムステイスラ
フ・ロストロボーヴイチ等、権威ある指揮者たちと共演。またーロンドン
(バ一ビカン)、パリ、ウイーン、エヴィアン、モンペリエ、サンティアゴ・
デ・コンポステーラ、ブタペストの春、ストレーザの音楽週間、サンクトぺ
テルブルクの白夜祭、ドブロヴニク、口ッケンハウスなどの音楽祭、コン
サ—トホールにたびたび招聘されている。これまでジュリオ-カスタニョ一
リ、 カルロ・ボッカドーロ、カルロ・ガランテ・ロベルト・モリネッリ等の
数々の作曲家がディンドに作品を献呈している。
エンリコ.ディンドは名門デッ力から2011年にバッハの無伴奏チェロ組曲、
2012年にヴィヴァルディの協奏曲をリリース。またシャンドスからは、デン
マーク国立響とジャナンドレア・ノセダとの共演で,ショスタコーヴィチの
チェロ協奏曲をリリースしている。

使用楽器は,プロ・力ナーレ財団貸与の1717年製ピエトロ •ジヤコモ・口
ジェーリ(ex-Piatti)。
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久しぶりに「京響」の演奏を聴く機会が続いている。
ご存じのように「京響」は、自治体の経営する管弦楽団としては初めて設立されたが、発足当初は楽団員も寄せ集めで、例えば、私の知っている人は消防音楽隊から移った。
その人の悪口をいうつもりはないが、やはり正式の音楽過程の教育を受けた人が最低限必要である。
楽団員も京都市の職員だった。
昔は京都市職という労働組合も強くて、経営は大変だったらしい。芸術性との両立というのも必要だからである。
その後、有名な指揮者の招聘などのこともあり、京都コンサートホールという音響効果の素晴らしい建物も出来、質と量の両面が充実してきた。
ただ聴衆動員という面では苦労がつづき、今では独立法人として独立採算の方式が採られるともに、特に、今の広上さんになってから、
聴衆とのコミュニケーションに努め、練習風景を見せるとか、演奏前に「会話」を入れるなどが成功し、2013年度の「友の会」は満員。
今回の演奏会の券は完売したという。
それにつれて楽団員にも素質のある人の応募があり、質的にも有名楽団として数えられる域に達したと言えよう。
今後、「京響」を聴く機会も増えると思うので「カテゴリ」に「京都市交響楽団を聴く」を設けることにした。
定期演奏会は昼間に開催されるので、田舎暮らしで、かつ老人の私には、こういう「マチネー」は有難い。

私の三女は、曲りなりにも音楽過程を専門に学んだので音楽家のはしくれだと思うが、もうずっと以前になるが、フォーレの「レクイエム」合唱つき、で
臨時に編成された合唱団に入って、京響と、このホールに出演して歌ったことがある。
このときは亡妻も元気なときで、私たちの娘たち一家そろって聴いたものである。
彼らと幕間に「ホワイエ」で呑んだワインの旨さが今でも思い浮かぶのである。
そんなことで、このコンサートホールと「京響」には多少の縁(えにし)があることを記しておきたい。

上に書いたように最近は「京響」も満席がつづき、聴衆が多いので、幕間になっても、ホワイエが満員でワインなども、碌に呑めない始末である。

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