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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十二回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(12)

   月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十二回・・・・・・・・・木村草弥

    ひととせを描ける艶(ゑん)の花画集ポインセチアで終りとなりぬ

 秋の期間、茶の木はたっぷりと秋肥(あきこえ)を与えられて、十二月の今は冬眠に入っている。
だから今月は茶からは離れて季節を詠んだ歌を採り上げようと思う。
 今の時期は花の彩りに欠ける。
そんな中にあって鮮やかな緋色を 見せつけるのがポインセチアだ。
最近は品種改良されてマーブル模様のものなどがあるが、私は緋色が好きである。

   黄落(こうらく)を振り返りみる野のたひら 野はゆく年の影曳くばかり

   野仏の翳(かげ)れば野には何もなくすとんと冬陽落ちてゆきたり


 黄落とは紅葉(こうよう)の別名である。歌の場面では平素は使わないような単語を使って趣向を凝らす。
 古い歴史を有する山城の地にはあちこちに石の野仏が見られ、動乱や戦に巻き込まれた人々の鎮魂の祈りが偲ばれるのである。
今では開発が進み変貌著しい当地だが古(いにしえ)人の情感を想起したい。

   雷鳴が記憶をつんざく夜明けにてまほろばの紙となりたる冬蝶

 冬の夜明けなどに突然、雷が鳴ったりする。これを「寒雷」と呼ぶが、れっきとした俳句の季語だ。
冬の間にいつの間にか家の隅などに蝶が越冬しているのが見られる。
紙のように静止して、じっと耐える蝶の姿は何ともいじらしいものである。

   垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる極月(ごくげつ)の夜に月の利鎌(とかま)だ

   振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく


 長い年月を生きて来ると心が垢じみてくる気がするものだ。そんな心境を詠んでみた。
 
一年間の連載のページを与えていただき、拙い歌と文章にお付き合い有難うございました。
 読者の皆様の健康と幸運をお祈りしてペンを置く。            

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一年間の連載が終わって、ほっとした気分と、一抹の寂しさも覚える。
それにしても、担当者がネットを調べ、アマゾンから私の歌集を買い求めて、拙宅を訪ねて来られたのは昨年の晩秋のことであった。
これらの営為に対して有難く御礼を申しあげたい。
この雑誌は、当地だけではなく、定期購読者など広く読まれているもので公称発行部数は40万部だと言われている。
その上に、一回の執筆料として15000円も戴ける。
短歌雑誌と比べると破格の高さである。 このことにも厚く御礼申し上げたい。
私のブログの読者の皆様も、お付き合いいただき有難うございました。
いよいよ十二月─師走である。 向寒の折から御身ご自愛くださるようお祈り申し上げる。   (完)




        
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十一回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(11)

     月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十一回・・・・・・・・・木村草弥

        釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

 秋から初冬の季節を迎えて、茶の美味(おい)しい季節になってきた。
 時しも菊の咲き誇る季節でもある。

     嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に老年といふ早き日の昏(く)れ

     菊の香はたまゆら乳の香に似ると言ひし人はも母ぞ恋しき


 そんな季節は遠い昔の思い出や乳ごもる記憶の母に心を馳(は)せさせたりする。
 この季節になると茶の木に初霜が置くようになってくる。
 そして葉蔭には、ひっそりと清楚な茶の白い花が見え隠れして咲いている。
 茶業者は、この季節を待ち構えていたのである。これからが一年の中で茶の需要の最盛期なのだ。
 年間の売上げの半分以上をこれからの二か月ほどで占めるのだ。
 夏の間に加工して冷蔵倉庫に貯蔵しておいた茶が、次々と出荷されて行く。何とも喜ばしい季節だ。

 連載もあと一回となるので亡妻を詠んだ歌の抜書きを許されよ。

      賞味期限切れた顔ねと言ひながら鏡の中の妻は紅ひく
 
      コーラスのおさらひをする妻の声メゾ・ソプラノに冬の陽やさし


 亡妻は大学に居るときは教会の聖歌隊でコーラスを歌っていた。
 結婚してからも地元のコーラスでソプラノを歌っていたが声が出なくなりメゾ・ソプラノに替わった。
 私は妻の晩年の闘病に付き添て伴走したのが唯一の救いである。
 そんな妻との日々を後の歌集などに記録し得たのが嬉しかった。 

 この季節はさまざまなことを思い出させる。そんな心境の歌を引いて終わりたい。

      秋暮れて歯冠の中に疼(うず)くもの我がなせざりし宿題ひとつ
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秋が深まってきて、お茶が美味しい季節になってきた。
今年の夏が異常に暑かったので、この思いが、ひとしお、である。
記事中にも書いたが、あと連載も十二月を残すのみになった。
連載の依頼を受けて取り組んだのが、丁度一年前の今頃である。
さまざまのことが去来するが、先ずは本文をお読みいただきたい。



                    
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(10)

     月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十回・・・・・・・・・木村草弥

     
   茶畑はしづかに白花昏れゆきて いづくゆ鵙の一声鋭し

 九月という、まだ残暑の残る季節を越えて十月になった。茶園の葉蔭に茶の花が咲き揃う。
そんな季節を待ちかねたかのように、モズの鋭い高鳴きが聞こえるようになる。
モズは一年中いる留鳥だが、この季節以外では目立たない。
 秋になるとモズは「縄張り宣言」するために、高い木の先端に止まってキ、キ、キと甲高い警戒音を出す。
これがモズの高鳴きと言われるもの。
私の歌の「ゆ」というのは場所を表す助詞で、「いづくゆ」は「どこからか」という意味を表すものである。
 この歌は私の第一歌集『茶の四季』の巻頭に載せた歌で思い出深い。
ついでに書いておくとモズは「百舌」とも書くように他の鳥の鳴声の真似をするので百舌と表記される。

   白丁(はくちよう)が「三の間」に身を乗りいだし秋の水汲むけふは茶祭

   三の間に結(ゆ)ふ祝竹この年の秋の茶事とて日射しに輝(て)らふ


十月の第一日曜日に宇治の「茶祭」が催される。
宇治橋の「三の間」から汲んだ水で、興聖寺(こうしようじ)の茶会が開かれ、秋の行事の始まりを告げる。
 橋の欄干に「三の間」の出っ張りがあるのは宇治橋のみだ。
 この行事で白丁などの役目を務めるのは宇治茶業青年団で、茶問屋の従業員などで構成される。
 京都には各地に数か所の茶業青年団があり、年間を通して「闘茶会」「茶審査技術競技会」などの行事で腕を競いあう。
 秋は好季節で、茶の旨味も一段と増すのである。
昔は涼しい土蔵などに囲っておいた「茶壷開き」などの行事が行われていた。
 保存技術が発達した今では、夏場は茶は冷蔵倉庫に保管されているので鮮やかな緑色を保つことができる。

   告ぐることあるごとく肩に蜻蛉(とんぼ)きて山城古地図の甦(よみがえ)る秋  

由緒ある王城の地である京都の秋を満喫したいものである。 
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めっきりと秋めいて来た。
今年の暑さは異常だったので、この涼しさが何よりの賜物である。
そして、お茶のおいしいシーズンになってきた。
ゆったりとした気分で一服の茶を味わいたいものである。

それと、私の記事とは関係がないが、
森下典子さんのロング・エッセイ集『日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫版)を原作とする、
大森立嗣監督の映画「日日是好日」が完成し、10月13日から全国ロードショーで公開されることになった。
主演は、先日亡くなった樹木希林、黒木華などである。
今号の「茶の間」十月号の巻頭には、「お茶から学ぶ、季節のように生きる日々」の題で、この映画のことが紹介されている。
全身をガンに侵されながら自然体で生き、かつ演技した樹木希林さんの生きざまも立派であった。
映画が公開されたら、ぜひ見てみたいものである。一言、書き添えておく。


       

月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第九回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(9)
     
     月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第九回・・・・・・・・・・木村草弥

    ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実(さね)熟す白露の季に

 厳しい暑さを越えて、ようやく秋めいて来た。
「白露」というのは暦でいう二十四節気の秋を告げる節目で、九月上旬にやって来る。
 茶の実というのは、昨年秋に咲いた花が、この歌にあるように一年間をかけて実になる。
これがツバキ科の植物である茶の特徴なのである。
 この実が熟すと今年の茶の花が咲き初める。真っ白の香り高い清楚な花だ。
私が茶業に携わるから言うのではなく、誰からも愛される花である。

    たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌(しの)ぎて金色の蘂(しべ)

 短歌を詠む場合には、雅な体裁を表すために、こんな凝った表現をする。
「たはやすく」とは「たやすくは」という言葉の言い換えだと受け取ってもらいたい。
 ここに言うように、茶の花というのは、白い花に金色の雄しべが映え、気品のある美しい花である。
 しかも夏の酷暑の季節を凌いで、凛々しく清楚に咲くのだ。
私は第一歌集『茶の四季』のカバーに、この花の写真を採用した。

     仏壇に供ふる花の絶えたりと母は茶花の露けきを挿す

 季節の変わり目には、生花にする花が一時的に無くなることがある。
そんなときに母の臨機応変の才能が発揮され、畑から切ってきた茶の花で代用するのであった。

     露けしや畑起しせむと分け入れば茶の木の葉末に濡れそぼちたり

 この季節は「白露」という節気の言葉にも見られるように、茶の木には、朝になると、しとどに露がつく。
身につける衣服も、たちまち濡れてしまう。そういう状況をこの歌は詠っている。

 このようにして秋は次第に深まってゆくのである。
そして、お茶の味が一層おいしく感じられる、好季節となる。          
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ここに「秋めいて」と書いたが、もうすぐ「処暑」だというのに、今年は暑くて、ここ二日ほど猛暑日で、この「くそ暑さ」は何だろう。
冷房の部屋を出たり入ったりで体調が悪い。なんだか風邪ぎみである。
老人は風邪には注意しないといけない。肺炎に移行するからである。
ぼやいても仕方がない。 せめて「涼しい」歌でも詠んで、乗り切りたい。
皆さまも、ご自愛を。






月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第八回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」──連載(8)

       月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第八回・・・・・・・・・・木村草弥 

     花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗白し

 忙しく仕事にあけくれる中にあっても、茶一服のゆとりを持ちたいものである。
 この歌は、そういう忙中閑ありの情景を活写して歌にしたものである。 
 茶室という改まった席でなくても、どこでも茶を喫(の)めるのである。

  亡き母が石臼ひきて麦こがし作りてをりき初なつの宵

  麨(はつたい)に噎(む)せたるわれに水くれし母おもひ出(い)づかの日の遠く


 麨(はったい)粉(こ)というのをご存知だろうか。大麦を焙じて粉にしたものである。
これに砂糖を混ぜたものを匙(さじ)で食べるのだが、粉っぽいので噎せることがある。
そんな情景を歌にしている。
昔は今とちがって田舎では菓子を買うのも容易でなかったから、農村では食べるものも母親の手づくりだった。

  明けやすく淡きみどりの玻璃(はり)かげに妻は起き出(い)で水働きす

  白桃を剥(む)く妻の指みてをれば寧(やす)らぐ日々といふべかりけれ        


 いつの時代でも妻の仕事は多くて忙しい。
「玻璃」とはガラスのことだが、夜の短い夏の朝早くから妻は起き出して、水仕事をしている。
そんな姿がガラス越しに見え隠れしているという景である。

 八月になると白桃が姿を見せる。
桃を剥いてもらって夫婦なごやかな一刻(ひととき)を過ごすのも佳(よ)いものである。

  唇(くち)を吸ふかたちにも似て水蜜桃(すいみつ)を すする夕べはほのあかりせり

  わが味蕾(みらい)すこやかなるか茱萸(ぐみ)ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ
 

水蜜桃の皮だけ剥いて、そのままかぶりつくのも趣のあるものだ。
それを「唇(くち)を吸ふかたち」と表現してみたが、いかがだろうか。
 味蕾(みらい)とは「舌」にある味覚を感じる器官である。
茱萸(ぐみ)も、この頃では見なくなった果樹である。
甘酸っぱい味だった。
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暑中お見舞い申し上げます。
今号から挿入歌の色が緑色に替えられた。編集部がやったことだが、おかげで読みやすくなった。
今年は早くから暑くて、まさに酷暑という言葉その通りである。
そんな中だからこそ、「一服の茶」は有難い。 「水だし緑茶」など最高である。
読者の皆様の、ご健康を、ひたにお祈り申し上げる。


      
    
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第七回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(7)

       月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第七回・・・・・・・・・・木村草弥

       朝まだき茶を焙(ほう)じをればかうばしき香りただよふ一丁先まで

忙しい新茶製造の時期が過ぎても、茶問屋には、やるべき仕事がたくさんある。
農家や仲間の問屋からの仕入れに忙殺され、茶の鑑別や値決めなど神経をすり減らす。
 その一方で、荒茶を加工して茶を「製品」にしなければならないし、得意先への商品の発送にも急(せ)かされる。
 掲出した歌は、そんな情景の一コマであり、小売店などでは客の勧誘のために店頭で「ほうじ茶」機を動かしたりするものである。

   遠赤外線の火を入れをればかぐはしき新茶の匂ひ作業場に満つ

   茶撰機(センベツク)はぷちぷちぷちと小さき灯(ひ)を点滅しつつ茶を撰(よ)り分くる

   定温の零度の気温保たれて冷蔵倉庫に茶は熟成す


 作業場での仕事も機械化されてて近代化が進んでいる。そんな情景の歌を並べてみた。        
 一方、季節は今しも「梅雨」の真っただ中である。  

   梅雨空へ天道虫が七ほしの背中を割りて翔(と)びたつ朝(あした)

   土鈴ふる響きおもはせ驟雨(しゆうう)きて梅雨あけ近しと知らすこのごろ


 梅雨は植物には天然の恵みなのである。葉を摘まれ、疲れた茶の木は水をたっぷりと吸って休む。
 ところが年によっては日照り続きとなることがある。

   酷暑とて茶園に注ぎやる水を飲み干すごとく土は吸ひゆく           
 
 強力なポンプを使って水を流し込むように潅水する。滅多にないが日照り続きの年には苦労する。

 夏場にも茶問屋にはやることが多い。秋から年末にかけての超繁忙期に備えて茶の製品の在庫を積み増して行かなければならない。
 こんな風にして茶問屋の夏は過ぎてゆくのである。               
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連載も半ばを越えた。
今号が着く頃には梅雨の最盛期になっている。
嫌な雨の毎日だが、茶の木にとっては休息の季節なのである。
記事の中で茶撰機(センベック)という個所があるが、これは、この機械の名前であり、この会社の「登録商標」になっている。
画像では「せんべつき」とルビが振られているが、これは編集者がしたことであり、私の原稿との「異同」を示すために、敢えて違った表記にしておく。
このリンクを見てもらえば判ることだが、この機械も今の新型は方式も違って、物凄く進化したのである。販売も世界に進出している。
私の歌の場面は「光電管式」選別ということになる。
本文には書ききれないことなので敢えて書き添えておく。 ご了承を得たい。



月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第六回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(6)

    月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第六回・・・・・・・・・・木村草弥

      葉の光さやにあえかに照りまさり光合成に茶の木は奮(ふる)ふ

 京都の新茶の製造は六月までかかることが多い。
 この歌に言うように「茶の木は頑張っているなあ」という涙ぐましいような感情になるものだ。
 茶摘みの頃は、辺り一面が茶の香りの満ちているようである。
 そんな風景を詠んだ歌いくつか。

   ふつふつと茶の呟きをまとひつつ 風はみどりを笛にして過ぐ

   艶やかな茶の芽の摘籠(つみかご)積まれゐて茶のエーテルは置場に満つる

        
 「ふつふつ」と表記しているがこれは新かなづかいでは「ふっふっ」となる。
茶の葉っぱを風が吹きすぎてゆく音の描写であるから、ご理解いただきたい。  

   葉桜の翳(かげ)る座敷に滴りの思ひをこらし利茶(ききちや)をふふむ

 この頃になると桜の木は、すっかり緑の濃い葉桜になっている。
父・重太郎は晩年、隠居所でのんびり過ごしていたが、この歌のように座敷で茶を賞味していた。
 茶の品質を判定したり吟味することを「茶を利(き)く」と言う。
 「ふふむ」とは「含む」の古い表現である。
           
   明日刈らん茶の畝のみどりまぎれなく陽の力なりびつしり生(お)ふる

   茶工場の夜半を灯して勤(いそし)めば茶の染みつける十指いとほし

   明け暮れをお茶に仕へし一日は抗(あらが)ひがたく眠りにぞ落つ


 茶製造の最盛期には夜中も休まず工場を動かすことが多い。そういう様子を歌に詠んでいる。
 茶の芽を素手で扱うので茶葉のタンニンが染みついて洗っても落ちないのである。
そういう手こそむしろ茶師にとっては勲章のようなもので、誇らしい気分なのだ。
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はじめに、重大な「校正洩れ」をしてしまったことを報告しておく。
「見出し」の結句の個所に「茶の」が脱落しているのに気づかなかった。
このブログの記事では正当に直しておいたが、ここに特に記して、お詫びしておく。
この「茶の」が無いと、結句は七音にならず、五音になってしまう。
「校正」のときに陥りがちなミスである。自分の原稿は、つい「読み流して」しまうのである。
連載も第六回となり、半年が過ぎようとしている。歳月の経つのも早いものだ。
今しも当地では、新茶製造のまっさなかである。
この記事は六月号のものだが、ただいま雑誌が届いたのでアップしておく。
どこからか茶工場から、かぐわしい新茶の香りが漂ってくる昨今である。
「茶師」として生きてきた往時を懐かしく思い出す。
拙いものだが、お読みいただきたい。


    
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第五回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(5)

      月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第五回・・・・・・・・・・・・・木村草弥


   茶に馴染(なじ)む八十八夜のあとやさき緑の闇に抱(いだ)かれて寝る

 前に住んでいた家は広い茶畑に囲まれていたから、この歌の通り茶の緑に囲まれている状態だった。
「八十八夜」とは立春から数えて八十八日目ということであるが、
われわれ茶業者にとっては、日本の暦の中で重要な日である。
                          
   萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ

   明日のため見ておく初夏の夕焼は茶摘みの季(とき)の農夫の祈り

   揉みあがる新芽の温み掌(て)にとれば溢るる想ひ思慕のごとしも

 新茶の茶摘みの頃にまつわる歌を列挙してみた。
 茶摘みの頃は季節の変わり目で天気が荒れることが多い。このような事象を歳時記では「青嵐」と表現する。
 俳句に
   「青嵐消えつつ飛べる雲ありぬ」
という句があるが、こういう気象変動が農家にとっては困るのだ。
 京都の茶園は「覆下園」と言って茶園に覆いをして若い新芽の旨味を引出す工夫をするが、それらが風で吹き飛ばされることがある。
だから私の二番目の歌の「祈り」という光景が生じるのである。
                   
   茶師なれば見る機(をり)もなき鴨祭むらさき匂ふ牛車(ぎつしや)ゆくさま
 
 この歌については説明が必要だろう。「鴨祭」とは毎年五月十五日に催行される葵祭の別名だが、
この頃は新茶製造の最盛期であり茶業者がのんびり見物できない。
前にも書いたが、前衛歌人として有名な塚本邦雄が読売新聞の「短歌月評」で採り上げて褒めてくれた歌で記念碑的なものである。
                     
   五月(さつき)の陽に新芽かがよひ見はるかす一山こぞりて茶の香にむせぶ        

 そして新茶の茶園は美しい起伏を見せて六月へと移ってゆく。
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この連載も第五回になった。
今しも茶の新芽が出始め京都のお茶のシーズンが迫ってきた。
今年は茶の芽立ちも早く、すでに早場の鹿児島、静岡では茶の製造が始まっており、静岡では「静岡茶市場」が取引を始めたらしい。
いよいよ茶のシーズンが動き始めた。
引退した今となっては「忙しい」という実感はないが、緊張感を持って新茶のシーズンを迎えていた頃を思い出す。
ご愛読をお願いしたい。



月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第四回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」──連載(4)

     月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第四回・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

     深ぶかと射しくる朝日うけとめて
         茶の樹の萌芽(ほうが)の季(とき)は到りぬ・・・・・・・・・・木村草弥

         
 この頃になると太陽は天空近く高くなって深ぶかと射してくる。
四月中頃から茶の新芽が出はじめ、専門的には、これを「萌芽」と呼ぶのである。
京都では宇治にある京都府立茶業研究所が付属茶園を見て「萌芽宣言」をすることになっている。

    春が来た春が来たよと菜の花よ生きるは愉(たの)し生きるは哀(かな)し

 春は一斉に、わっとやって来る。
菜の花は咲くし、色々の樹々も花を咲かせる。
そんな押し寄せるような光景に圧倒されて、私は少年の頃から春は余り好きでなかった。
そういう感情を、この歌は詠う。
 
     はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿(てんきぼ)に降る真昼なりけり

 「はねず色」とは薄紅色の紅梅などの花の色の呼び方で、この色については由来があるが長くなるので省略するが、
この歌は私には記念碑的な懐しい歌で、
前衛歌人として有名な塚本邦雄が読売新聞の「短歌月評」で採り上げて褒(ほ)めてくれたものである。
「点鬼簿」とは仏壇にある過去帳の別名だ。
 
     祖(おや)たちの墓をひたすら洗ふとき馬酔木(あしび)の花にふとも酔ひたり  
 
 早春に咲く花にも色々あるが、馬酔木なども早く咲く。
名前の通り、この樹には毒があるので鹿などは、それを知っていて食べない。
涼やかな爽やかな香りがする。

     水馬(あめんぼう)がふんばつてゐるふうでもなく水の表面張力を凹(へこ)ませてゐる

 この季節には動物も冬眠から覚めて活動を始める。
 水の表面に浮いているアメンボの生態を観察するのも楽しい。
 私の歌は、そんな光景を切り取っている。
 そして季節は、いよいよ新茶の摘み取りの季節になるのである。
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連載も第四回となって、いよいよ新茶の芽吹く季節になってきた。
ここでは、四月中旬から茶の芽が芽吹く、と書いたが、これは京都でのことであって、早場の鹿児島では四月半ばから、もう新茶の摘み取りが始まる。
鹿児島県の茶業の発展は凄まじく、今や静岡に次ぐ全国生産の第二位であり、茶の品質も極めて上質になってきた。
しかも「茶摘み」も機械化されていて大農的で、茶園を跨ぐトラクターで摘み取りを行う。
旧ソ連も紅茶の大産地だったが、ここは早くからトラクターで摘み取りを行っていたのである。
それと同じ光景なのである。
インドのアッサムや、スリランカなどでは今も「手摘み」で作業をするが、生産規模とスピードが違うというものである。
ご参考までに、今の日本の茶業の一端を書いておいた。

月刊というのは忙しいもので本が出たと思ったら、もう次の原稿の用意をしなければならない。
編集部には、もう五月号の原稿も提出済みで、記事の組版も出来あがっている。
月が替われば六月号の原稿を送らなければならない。
ご愛読をお願いしたい。 では、また。

(4/5記)
本文に書いた「萌芽宣言」のことだが、京都府立茶業研究所が四月三日「萌芽宣言」を発表した。
茶の「萌芽宣言」は、桜のような数輪花が開いたら宣言するようなのではなく、付属茶園の「やぶきた」種の茶の木の70%の新芽が出揃うと出す決まりだという。
昨年とは二日ほど早いという。これだと新茶の摘み取りも早くなると予想される。







月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第三回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」──連載(3)

     月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第三回・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        
       妻消す灯(ひ)わが点(とも)す灯のこもごもに         
              いつしか春となりて来にけり・・・・・・・・・・・木村草弥
   
  
 今回は少し茶から離れてみたい。
 この歌については奈良教育大学書道科教授の吉川美恵子先生が書にして下さって表装もして床の間に飾っている。
丁度、亡妻に病気が見つかった微妙な時期だった。
それだけに私にとっても思い出の詰まった歌である。  『嘉木』所載。
二つ書いてもらって、もう一首。

     かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫りふかきゆふぐれ

 少し説明が必要だろう。「かがなべて」というのは日数を重ねて、ということである。
人間はいつかは死ぬものである、という私の死生観を表現したものと言っていい。
 なお「桃」というのは、文芸では「女性の尻」を比喩(ひゆ)する約束事があるので、
私の歌は、それを踏まえて作ってある。つまり「死と生」という対比を表現したのだ。
           
 二月に咲き始めた「梅」が三月には満開になる。
 「花」というと俳句や短歌の世界では、「桜」を指すことになっている。
そういう約束事なのだが、『万葉集』の頃は「梅」の花を指していた。
それが『古今和歌集』の頃から「桜」に替わったそうだ。
 私の住む地域は青谷梅林として鎌倉時代から有名である。
 そんなこともあり私は「梅」が好きである。
香りも高く奥床しいところもよい。
桜のように一刻にわっと咲いて、すっと散る花よりも、一か月も長く咲き続ける梅が好きなのである。

     満開の梅の下にてわれ死なむと言ひし姉逝き五十年過ぐ

 梅に因んで二十二歳で死んだ長姉・登志子を詠んだ歌を上げた。
 春の野っ原には蓮華(れんげ)やたんぽぽが咲きはじめる。
 どちらも今では、すっかり西洋種に制圧されたようだが、そんな風にして次第に春は深まってゆくのである。 

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本文は字数の制限もあるので、書ききれなかった点を補足しておく。
三番目の私の歌のことだが、西行の有名な歌に「花の下にてわれ死なむ」というのがあるが、これは、もちろん「桜」のことである。それを知っていた姉・登志子は郷土の花─「梅」に置き換えて言っているのである。
姉の死は、時に昭和19年2月19日のことであった。

今号の表紙に載る女の人・山本未来は、デザイナーとして高名な山本寛斎の娘さんだという。
オーディションに応募するときも、寛斎の娘であることを隠して、自分だけの実力で選考に勝ち残ったのだという。立派なものだ。


     
  

    
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第二回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(2)

     月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第二回・・・・・・・・・・・・・木村草弥      

           立春の風は茶原を吹きわたり     
             影絵となりて鶸(ひわ)たつ真昼


 節分が過ぎ、立春を迎えた。
 光も風も「春が立つ」時季を待っていたかのように輝いて見える。
 ここに掲出した歌に出てくる「鶸」は、字の通りスズメほどの弱い小さな小鳥である。
 黄色い羽根がめだつ綺麗な鳥で、丁度いま頃の時季には二、三十羽の集団で群れて過ごす習性がある。
 草の実を食べたりするが、開けた茶畑などに好んで群れている。
一斉に飛びたつ時などは羽根の黄色が鮮やかで目立つものである。

    茶圃(ちやほ)の施肥はじめむとする頃ほひは三寒四温北風さむし

    固き芽の茶の畝耕し寒肥(こえ)を施(や)れば二月の風光るなり


 年が替わって小寒、大寒の時期を迎えると、この歌にあるように、季節は「三寒四温」の循環になる。

 茶事の行事に「夜咄(よばなし)の茶事」というのがある。
 茶道の流派によって違いはあるが、私たちは略式で肩肘張らずに楽しんだものである。

    冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛(くつろ)ぐ

    雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく


 短歌の場面では、古語を意識的に使ったりする。
 「風のむた」の「むた」は「風とともに」の意味である。
         
 また「野点(のだて)」という行事があるが気候のよい春先のことが多い。

   芝点(しばたて)の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘

   毛氈(もうせん)に揃ふ双(もろ)膝肉づきて目に眩しかり春の野点は

   野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明のうつつ


 「野点」とは野外で毛氈などを敷いて茶の湯を楽しむ行事で、芝の上でやるのが「芝点」である。
 男ばかりでは芸がないが、女の人の和服姿など、あでやかである。
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連載第二回の本誌が発行されて、今日、著者の私のところへ届けられたのでアップする。
ここに載せた歌は私の第一歌集『茶の四季』に収録したものである。
この頃は、歌を作るのが楽しくて、楽しくて、いくらでも歌が湧いてきたものである。鑑賞してもらいたい。

ここには字数の制限もあり、かつまた過激なことも書けないので遠慮しておいたが、このブログにもう十数年も前に書いた文章があるので引いておく。  ↓

<「夜咄の茶事」というのは伝統的な茶道の行事で、作法としても結構むつかしいものだが、私たちは、歌にも「寛ぐ」と書いたように略式にして楽しんだものである。
千利休などが茶道の基礎を固めはじめた頃は、茶道は、もっと融通無碍の自由なものであった。
それが代々宗匠の手を経るに従って、それらの形式が「教条主義」に陥ってしまった。
そういう茶道界の内実を知る私たちとしては、そういう縛りから自らを解放して、もっと自由な茶道をめざしたいと考えた。
だから先人にならって「番茶道」を提唱したりした。
利休語録として有名な言葉だが、

  「茶の湯とはただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなる」

というのが、ある。これは、まさに先に私が書いた利休の茶道の原点なのである。>

 
 
月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第一回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」──連載①

     月刊「茶の間」連載・「木村草弥の四季のうた」第一回・・・・・・・・・木村草弥

     香に立ちて 黒楽の碗に満ちてゐる     
     蒼(あを)き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ・・・・・・・木村草弥


 新しい年が始まった。そんな新年への感慨の一端として、この歌を挙げる。
 「わが腑を洗え」などと大きく出たが、新年に際しては、そう壮語するのもよいのではないか。
 この歌は私の第一歌集『茶の四季』に載る「野点(のだて)」の一連のものである。
 この歌に「蒼(あを)き茶」と表現したが、今どき我々が普通に呑んでいる「緑茶」は大昔からこんな緑色をしていたのではなかった。
 「緑茶」はいつ頃できたのだろうか。
ここで近代の茶業の祖と言う永谷宗円という人物が登場する。
 詳しくはWikipedia─永谷宗円 を参照されたいが、この人こそ、それまでの赤黒い茶に替わって「青製煎茶」製法を発明した江戸中期の人である。
 そして宇治田原の住人であり「茶祖」として崇敬されている。
 このように「宇治田原」の地は近代日本茶発祥の地と言って過言ではない。
                    
      茶の花を眩しと思ふ疲れあり 冬木となりて黙(もだ) す茶畑 
      
     野分のなか拝むかたちに鍬振りて 冬木となれる茶畝たがやす


 こんな私の歌があるが寒中の今の時期は茶の木は休眠の季(とき)である。
とは言っても茶の木は生きている。この時期に肥料を施すのである。
 「秋肥」といって大半の肥料は初冬までに与える。

      油粕、鶏糞、骨粉、刈草と有機栽培の肥(こえ)をほどこす
       
      農薬を使はぬ土の親しさや耕せば太き蚯蚓(みみず)跳ね出づ


 茶栽培では農薬を使うことは少ない。使うことがあっても茶葉を摘み取る直前に使用することはないので、ご安心を。
 私の歌で「拝むかたちに鍬振り」とあるが、今では耕すのにも機械を使うので回想の歌と受け取ってもらいたい。

「茶に因む」連載第一回として、この辺で終わりたい。
読者の皆様が本年も幸せに過ごされるようお祈りする次第である。
ご愛読をいただけば有難い。
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はからずも、月刊「茶の間」編集部から依頼があって、茶に因む私の歌と記事を一年間連載することになった。
その第一回である。
この雑誌は有料購読者と、茶を買った人に送られる。発行部数40万部という、ページ数240ページの分厚い本である。
たんまりと執筆料も頂ける。 乞う、ご期待。



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