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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・橋爪さち子 
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・橋爪さち子(詩人)「青い花」同人

前略。
『詩遊』(冨上氏メモ)により御著『四季のうた』 『修学院夜話』を取り寄せ、とりわけ『四季のうた』の面白さに、とても沢山な事を学ばせていただきました。
とりわけ住宅顕信の事、津村信夫の〈小扇〉と杉山平一の〈パラソル〉のメタファなつながり。
宮沢肇のウィーンにおける“一茶”との「邂逅」、などとても美しく心に深く残りました。
その他、いっぱい木村様の引かれる俳句の数々に魅せられております。
どうか、お元気で、これからも多くを学ばせて下さい。
私は現代詩を少し書いている者です。太宰治の『パンドラ』も読みました。では、御礼まで。
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橋爪さんは全く付き合いのない未知の人であるが、突然ハガキをいただき、私の本を買っていただいたそうで恐縮している。
有難うございました。
「詩人住所録」によると大阪に住んでおられる人で詩集も何冊か出しておられる。
2008年 『乾杯』 第17回「詩と思想」新人賞受賞副賞として出版
2012年 『愛撫』
2015年 『薔薇星雲』
2018年 『葉を煮る』
などである。私の本を買っていただいたお返しにアマゾンから古書を買い求めたので、後日その評をブログに載せる予定である。
なおネットを検索してみたら、「国民文化祭わかやま」の投稿詩の審査員のところに、私の知る詩人と一緒に彼女の名前があることも付記しておく。




木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・河西志帆 
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・・・・・・・・・河西志帆

FB友である河西志帆さんから「評」のメールを賜った。
河西さんは「京鹿子」を経て、金子兜太「海程」同人、今は後継誌「海原」の同人のようである。
FBの「メッセージ」欄からの送信なのでコピペなどの手段が使えないので、画像として取り込むことにした。
何とか読み取れると思うので下記に貼り付けておく。
なお河西志帆さんの句集『水を朗読するように』 評を2020/10/05付でブログに書いた。← リンクになっているのでクリックして読んでください。
彼女の句を、この本に載せたかったが、本の締切を過ぎていたので叶わなかった。お詫びする。

河西①_NEW
河西②_NEW
木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・宮章子 
潮_NEW

潮②_NEW

四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・宮章子(「潮」)

敬愛する宮章子さんが主宰誌「潮」184号2021/1月号に、私の本の書評を載せていただいた。
画像として出したもので鮮明に読み取れると思うので再掲はしない。
有難うございました。


木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・沢良木和生 
びーぐる_NEW

びーぐる②_NEW

四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・沢良木和生(小説家)
              ・・・・・・季刊詩誌「びーぐる50号」所載・・・・・・・・・・

敬愛する沢良木和生氏が季刊詩誌「びーぐる」に評を書いてくれた。
一見すると、私の本と何の関連もないように見えるが、それにはいろいろ事情があるのである。先ず ↓ の私のブログの旧記事をクリックして読んでみてもらいたい。
「出崎哲朗」読本

この記事は私のブログ2012/10/23に載せたもので、アララギ革新運動に携り、機関誌「ぎしぎし」に拠っていた出崎哲朗の物語を描出したものである。
私は短歌の勉強を「未来」マリオン集の選者・川口美根子に師事して本格的に始めた。川口さんは「未来」の創刊同人であられたが、それらの短歌革新運動の前身として出崎哲朗らの「ぎしぎし」の動きがあった。
詳しくは、リンクにした、この記事の中に書いてある通りである。
沢良木和生氏は、書きたいように書いていただいたので、不審を抱かれたかも知れないと思うので、敢えて付記しておく。
文章も画像として出したもので鮮明に読み取れると思うので「再掲」はしない。
リンクの中に書いた米田(秦)律子さんも「未来」選者欄を持っておられた。井上美地さんは現在「綱手」の発行編集人を務めておられる。
因みに書いておくと、高安國世も「未来」創刊同人だったが、のちに「塔」を創刊して「主知的リアリズム」の主張を掲げて自立され、今の「塔」隆盛の基礎を作られたのである。


『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・小林サダ子
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
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       『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・・・・小林サダ子(「からの」)

・・・・・『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』それにしても大作でした。面白うございました。
あらゆる面での景色の多さに驚きました。
一番に心に残り、最大に心を動かされた一つは、「三月十一日の悲劇を忘れないために」であります。
私は何も知らなかったのです。知らされなかったと言いますか、本当に驚き以外の何ものでもありません。
佐藤祐禎さんの歌のことも、原発以前の本当のことも初めて知りました。何という恐ろしいことが政治と経済によって侵されてきたのでしょうか。・・・・・
今また北海道に核廃棄物の処理場建設問題が起こって住民の反対運動が弱められているようです。フクシマのことが、もっともっと人に知られなければならないのでしょう。
あなたのブログを読む人は一部分です。・・・・・世間の人々は結構に自分本位であって、無知無関心に日を過ごしているのですから。
あのフクシマは、人災だったということすら忘れてしまっているのです。恐ろしいことです。・・・・・
玉城入野の奥さんの三原由起子は浪江町出身ですよね。
その電力を頼りにして生きてきたのが、われわれ東京人というわけですか。
「日本のマスコミは一行も書かなかった」マスコミも大資本の味方なのです。 『青白き光』を探してみます。
・・・・・精力的にご活躍の様子うかがえます。今後とも、どうぞ、紙面にて読ませていただきたいものです。
珠玉の131篇でした。  桂信子さんは晩年、玉城徹と行き来ありましたっけ。
   2020年12月29日               小林サダ子 拝
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小林サダ子氏は玉城徹の結社「うた」に居た人である。今は「からの」に所属しておられ、角川「短歌」誌の12首欄で私とご一緒する仲である。私より一歳若い。2020年に夫君を亡くされた。
私の歌集『昭和』を読む会を東京で開いてもらった際に出席していただいた。その節はお世話になりました。



『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・冨上芳秀
詩遊_NEW

四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・・・・・・・・冨上芳秀
             ・・・・・・「詩遊」No.68所載「詩についてのメモ 19」・・・・・・・・

木村草弥著『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』(二〇二〇年十二月一日刊、澪標)の帯文には
〈2004年2月から十数年書き綴ったK―SOHOYA POEM BLOG その中から珠玉の131篇 草弥の〈うた〉の華よ、はばたけ-〉とある。
これは帯文の性質上、このような文章になっているが、本文中の「はしがき」の要点から抜き出しているので木村草弥自身の手になるものと推察できる。
実際、私もそのブログを拝見して、精力的に毎日のように書かれていることがわかる。
ブログという性質上、記述としても、わかりやすく、『修学院夜話』の資料の説明が論文に近い客観的な記述ではなく、より自由に自分の意見を述べているので、木村草弥という詩人の生身の姿が感じられるように思われる。
短歌や俳句を紹介しながら、自分の感想を述べている。私などは、その道に暗いから、知らない短歌や俳句を教えてもらうのは、大いに勉強になる。
例えば「ルノアールの女に毛糸編ませたし 阿波野青畝」という一文がある。俳句をタイトルにしてその句について語るのである。
〈「毛糸編む」というのが冬の季語である。/この頃では、昔のように毛糸を編む人を余り見かけなくなったが、「ニット手芸」は相変わらず盛んで、亡妻の学友であった人は、今やニットサロンを経営し、NHKの趣味講座の先生をするなど大活躍している。この頃では男のニットの先生も出てきたりしている。/この句は、ルノアールの絵に出てくる豊満な女の人に毛糸を編ませてみたい、という、いかにも男の人らしい句である。//この句については亡妻との間の会話について、私には哀しい思い出がある。/もう二十年も前の今ごろ、食事も録に摂れずの最悪期から食欲も出て、体力も戻りかけた時期に、私がこの句を見つけて、病院に行って妻に見せたら、これが大変気に入ったらしく、いろんな人に、この句を披露していた姿を思い出す。/妻の死後、家の中を整理していたら、妻の仕事部屋にしていた二階の南向きの陽のよく当たる部屋に、未使用の毛糸玉がたくさん出てきた。私の娘たちも仕事に忙しくて、毛糸編みなどはしないし、捨てるのも忍びないので、そのままにしてある。/こういう遺品というものは、見るのも辛いものである。/昔は私たち兄妹の着るセーターは、みな母の手編みだった。着込んだセーターは解いて皺を伸ばし、また編み直して新しいセーターに仕立てたものだった。/亡妻も編み機を使って私のセーターも手作りだった。(後略)〉こうした記述をブログとして発表したのである。
これを木村草弥は詩と言っていないので、本人が詩と言えば詩であるという私の考え方からはこの文章を詩であるとは言わないが、この話をテーマにいい生活詩が書けるような気がする。
ここには、生身の木村草弥が息づいている。〈このブログはヴァーチャルなもので、私が死んだら消え失せてしまうので、何とかして「紙媒体」として残したかった〉(「はしがき」)とあるように、現代においてはブログで発信し、書物にするというのが、いいような気がする。
来年、二月には、九十一歳になるという木村草弥のエネルギッシュな活躍がますます期待できる。私もその姿に勇気づけられ、見習わなくてはいけないと思う。
〈やっておきたいことは、ほぼやり終えた心境である〉と書いておられるが、まだまだ書いておいてほしいことがある。それは、これまでの人生の自伝的なエッセイである。
本当の仕事はまだ、これからなのでないだろうかと若輩の身でありながら、大先輩にお願い申し上げる次第である。
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畏敬する冨上氏が、自身が発行する詩誌で、この評を載せていただいた。
この「詩についてのメモ 19」には、前の本についても書かれているので、項を改めて載せる。
有難うございました。



 

『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・三浦好博
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
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     『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・三浦好博(「地中海」元編集委員)

新年あけましておめでとうございます。
『四季の〈うた〉』を頂戴してから随分と時間が経ってしまいました。
京都新聞に写真入りの書評が出ておりまして、草弥様のお顔をしっかりと拝見させていただきました。
『四季の〈うた〉』には夏や冬の何倍もの春や秋の〈うた〉に力が注がれていますのは、勅撰和歌集などの歌合わせにもある「春」と「秋」のそれぞれの趣と共通するものがあるのかも知れませんね。
私が持っている歳時記は小さなもので、それにも例句はそれなりにありますが、これとは別に「花の大歳時記」(角川出版、秋山庄太郎、森澄雄監修)で美しい沢山の写真と俳句を楽しんでおります。
『四季の〈うた〉』は万葉集や、古今新古今和歌集を初めとする勅撰和歌集などの古典や近現代短歌、歳時記よりの古い俳句や近現代俳句、更には洋の東西の近現代詩など、短詩型全般の膨大な引用等を縦横無尽に駆使して紡ぎ出したエッセイになっておりまして、一度読んだだけでは惜しいような作りになっております。
佐藤祐禎の『青白き光』は原発事故のある前に私も読んでおりました。その予言が的中してしまったと事故の後思ったものです。
鈴木真砂女は千葉の出身で才能豊か、瀬戸内寂聴と同じく奔放な方でしたね。橋本多佳子などと私好みの句を取り上げて下さって喜ばしいです。
これらに限らず、草弥さんの艶っぽいうたが随所に出て来てこれも嬉しいです。映画『ベニスに死す』の映画の美意識も何か共通していて嬉しいです。
アテルイの項、私も東北出身で、都からの被征服者の末裔としてアテルイに、又、その二百年後の「前九年の役」「後三年の役」など藤原氏の戦いに大変興味がありました。東北の至る所に坂上田村麻呂や八幡太郎義家の像が建っていて、被征服者が何故にかような像を建てているのか疑問でしたが、建てさせられたのだと思いました。吉川宏志の歌は弱者を意識していて好感を持っています。
ベルリンの二度目のツアーの時のウィルヘルム教会の件で私の名前を入れて戴き恐縮です。
角川短歌集成では草弥さんのうたも散見されますね。私は歌会では、参加者の作品の主題となる歌語について、この角川短歌集成の5つの分冊から調べて「このような短歌があるので参考にされたい」を、歌の批評と合わせて発言するのを常としています。
このメールを書きながらも、「YouTube 」で音楽をかけながらやっています。長いものでは6時間のクラシックメドレーがありますね。水瓶座のひとは芸術家に多く、それだけ感覚感情が鋭く深いのでしょうか。私の好きなモーツアルトやシューベルト、それに大江健三郎やチェーホフなどなど。その代わり出鱈目なところもあるそうですね。草弥さんも水瓶座ですか。
ハマナスの花は千葉の隣りの茨城の海岸でも見られます。函館の立待岬は石川啄木の墓がある処で、啄木を訪ねて北海道のあちこちを回った時に寄りました。海霧は当地でも夏は普通に見られます。
以上、大変雑な読後感になってしまいました。これからもこの『四季の〈うた〉』を横に置いて、歌会の時の参考にしたいと思います。
大変ありがとうございました。       2021年1月2日     三浦好博
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敬愛する三浦氏から懇篤な評をいただいた。心より御礼申し上げます。
「花の大歳時記」(角川出版、秋山庄太郎、森澄雄監修)は私も愛用しておりました。
そのメールの中で、私の本の中で「地中海」編集委員とあるが「元・編集委員」と訂正せよ、と書いてある。
三浦氏の後任は、ここでも採り上げた大阪の高尾恭子さんだとのこと。ここに記しておきます。



 
京都新聞に『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』紹介される
京都_NEW

四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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      京都新聞に『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』紹介される

かねて京都新聞南部支社の記者・西田昌平氏が取材に来た記事が、本年どんじりの年末の本日、掲載された。
画像として出したもので記事も読み取れると思う。
これで、この本の上梓のケリが本年中についてホッとしている。
西田昌平は、佳い記事を書く人で、先日は笠置寺の訪問記を書いて、夕刊一面のトップ記事として大きく掲載された。
気鋭の記者として、これからが期待される逸材である。有難うございました。



『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・小西亘
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・・・小西亘 

拝啓 
歳晩の候、木村様には益々ご清祥のことと拝察いたします。
 御著『四季の〈うた〉』をご恵贈賜りましてありがとうございました。お礼を申し上げるのが大変遅くなって申し訳ございません。
コロナ禍で延長された長い2学期の授業を終え、やっと今宵パソコンに向かっております。
 今までも幾篇か拝読したブログをまとめられた、私にとって待望の一書でした。歳時記的なアンソロジーとして、また詩歌に関わる知識の宝庫として、書架に加えさせて頂きます。
 「はしがき」に「やっておきたいことは、ほぼやり終えた」と記しておられます。宮柊二の「歌によって生の証明をしたい」の言の如く、木村様の生(いき)の証として魂を込められた気迫のようなものを感じました。
 400頁に余る御著を拝読し、なによりもまず感じたのは、著者がまがうことのない詩人であるということでした。多くの詩歌を引用し語られていますが、著者がその作品にびんびんと響き感じている、鋭い詩的感受性の持ち主であるということが伝わりました。
 それにしても・・・それらが何と幅広く深いものであることか、文学に関わる一教員として、大げさに言えば途方に暮れる思いでした。古典や叙情詩、生活や社会批判の詩、前衛的な作品にいたるまで、あらゆる分野の詩歌が網羅されています。著者の詩人としての感性の多様さ、懐の深さに改めて、驚きの念を抱きました。感服いたしました。そうして、著者の特質である、洋の東西に渡る歴史や、動植物等の該博な知識が踏まえられ、詩歌とともに展開されています。私の知らない、多くの詩人や歌人俳人の作品に触れられたのも大きな収穫でした。
 あれもこれもと思う中で、ひとつのみ取り上げれば、
      ・ いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる
佐藤裕禎の章は衝撃でした。歌集の前書きに、原子力発電所の誘致にともない「ゆい」を持つ共同体が崩れてゆく現地の様が、詳細に綴られています。東芝の社員すら「こんな危険なもの」という原発の工事の杜撰と危険を、国も企業もマスコミも報じない中、体験をもって実感した歌人は、「予言」の歌で告発したのでした。『青白き光』の「まえがき」は、何かの機会にプリントして生徒にも読ませたいと思っております。
 その他にも、様々に新たなご教示を受けました。
 これまでも、木村様の詩集・歌集を拝読して参りましたが、このような形式でお歌が掲載されると、また新鮮に感じられ、新たな作品に出合うかのようでした。
    ・うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり
    ・〈汗匂ふゆゑにわれ在り〉夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ
    ・イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
    ・億年のなかの今生と知るときし病後の妻のただよふごとし
    ・〈国家の無化〉言はれしも昔せめぎあひ殺しあふなり 地球(テラ)はアポリア
一首目は、子が大人になるにつれ、私も同じ思いを持ちます。
二首目、木村草弥という詩人に近づくためには、作者が農に生きた人であることを、忘れてはならないと思いました。詩人の言葉は感性に優れ、表現の妙を尽くしたものであるが、それは観念によって作られたものではく、農の仕事の実体験を踏まえたものである、と。
 恥ずかしいことを申し上げます。私は、前衛詩歌というものが、あまりわからないのです。「詩はダンス」・「詩は意味を辿ってはいけない」・「詩歌というのは日常を非日常化したものである」ーーー木村様の感性が作品に響き、「見事なものである」と評されます。(まさに詩人です)しかし、野暮な私には、引用は控えますが前衛的な作品のなかに、それがなぜ詩として成立するのからないものがあるのです。教室でどう扱うべきだろう、などと考え込んでしまいます。前衛詩の、論理によるときほぐしをしていただきたいと思いつつ、拝読した作品がありました。(それこそ無用のことかも知れませんが)
 一首をとりあげ、あれやこれやと伺い、私の味わいも申しながら、お教えを請いたいと思いました。そのような機会を設けていただければ、嬉しく存じます。
 とりとめも無いことを綴って参りました。失礼なことも申したのではないかと案じます。
 実は私も南山城文学関係の原稿を、昨日、澪標の松村様にお渡ししたばかりです。またお送りさせていただくと思います。
 拙い感想を述べて、御著ご恵贈のお礼に替えさせていただきます。
 今度とも御指導賜りますようお願い申し上げます。
 末尾ながら、寒い折、またコロナ禍収まらぬ折、ご自愛下さるよう念じ申し上げます。 
敬具

12月24日                              小西 亘
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敬愛する小西先生から懇篤な手紙をしただいた。
取捨すると誤解を招くと思うので、ほぽ全文を引いた。読み易いように適宜改行などを施した。
受験の時期を直前にして、進路指導にお忙しい中ありがとうございました。



『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・田畑千草
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・田畑千草(読書会「独楽の会」)

(前略) 
季を追って編集され簡潔なエッセイが短歌、詩と一体となって読み易く抒情の世界へ誘われました。
三輪茂雄先生の登場にはびっくりしました。以前、「鳴き砂」の見学会で一泊旅行に同行下さり、砂を踏むときキュッと鳴る訳を丁寧に説明して下さいました。
島根県太田市の大砂時計の指導もされましたが、まだ見学出来ていません。
どのページにも、ぎっしり詰め込まれた旅、音楽、美術、文化、宗教・・・・・何もかも興味深く拝読させて頂きました。
『卒寿になってなお、衰えぬ詩人としての覚悟、あるいは創作者の止むことのない思い、あるいは業とも呼べる何かが潜んでゐと感じられ・・・・』と評された言葉に、全く同感です。
私が、この一冊を読み終えたとき──この何かが潜んでいる魅力に惹かれて、時には辞書をひき、時には地図を広げて読み進みました。
いろいろな世界へ誘って頂きましたこと心よりお礼申し上げます。 ・・・・・・・
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短期間ではあったが、地元の読書会「独楽の会」で、ご一緒した田畑千草さんから、私の執筆意図を的確に突いた評をいただき作者冥利に尽きるというものである。
有難うございました。ここに紹介する次第である。


           
『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』評・・・谷内修三
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)                     2020-12-09 10:58:09 | 詩集

       木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』                    
                       (澪標、2020年12月01日発行)

 木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』は木村がブログで書いてきた詩歌の批評集。私はあまり本を読まないので、知らないことばかりが書いてある。さらに私は、本を読むとき好き勝手に読んでいるので、「常識」とはかけはなれた読み方をしてしまう。木村の批評に出会って、えっ、そういう意味だったのか、とびっくりする。「そういう意味だったのか」と書いたが、私にあらかじめ感想があるわけではなく、そのとき初めて知った作品に対してそう思うのだけれど。
 その例をひとつ。
 飯田蛇笏の「老いの愛水のごとくに年新た」という句を引いて、こう書いている。

彼は、老いの愛は「水のごとく」と詠むが、今の老人がどうかは読者の想像にまかせたい。

 この木村の批評を読んで、あ、「老いの愛/水のごとくに/年新た」と詠むのかとはじめて気がついた。私は「老いの/愛水のごとくに/年新た」と読んでいたのだ。そう読んで、この「愛水」を木村はどう読むのか、と期待した。
 その期待(?)に答えるように、木村は

老人にも「愛」の感情とか「性」の欲求というものは、あるのである。

 と書き始めている。「性」ということばがちゃんと出ている。

今の時代は、文明国では人々は長生きになり、老人も「性」を貪るらしい。
飯田蛇笏は七七歳で亡くなっているが、いまの私は彼の没年を超えた。

 と文章はつづいている。
 いよいよ木村自身が「性」を語るか、と思っていたら、冒頭に引用した一行である。あ、「愛水」ではなく、「愛/水のごとく」なのか。「愛=水」なのか。
 まあ、「淫水」ということばはあるが、「愛水」ということばはないようだから、私が誤読しただけなのだけれど。「淫水」ではなく「愛水」か、ちょっとしゃれているなあ、詩につかえるかもと思ったのが間違いの最初だったのだ。
 詩は、テキトウなことば、でたらめな(つまり流通していない)比喩があたりまえというか、「売り」のひとつになっているから、「新しいことば」に出会うと、私はついつい興奮してしまう。その「癖」がでたということか。
 しかしね、

■八十の恋や俳句や年の花 細見しゆうこ

こうなると、「すごいね」と言う他はない。
ピカソは八〇歳にして何番目かの妻に子を産ませているから不思議ではない。

 と木村は書いている。
 やっぱり「性」について書いている。だったら「愛水=淫水」であってもいいじゃないか、と思うのである。
 私の大好きなスケベなピカソのことも書いてあるし。
 で、少し脱線して書いておくと、ピカソが何回結婚したか知らないが、七人の恋人がいる。そして子どもは四人。最後の子どもはパロマで、1449年生まれ。ピカソは1881年生まれだから、八十歳のときの子どもではない。ただし、ピカソの最後の妻(恋人)ジャクリーヌとは1953年に出会っている。七十歳すぎである。このジャクリーヌとの出会いがもう少し早かったら、「私はピカソの隠し子」として生まれていた可能性がある。……私は、どこまでもどこまでも、自分中心に「世界」を見つめるくせがあるので、こんなことを考えたりもするのである。
 こういう私の「脱線」を修正するためではないだろうけれど、木村は、こんなふうに締めくくっている。

最後に、きれいな、美味な、美しい句を引いて終わりたい
■明の花はなびら餅にごぼうの香
(略)
この餅を貫いている「棒」は、「ごぼう」を棒状にカットして甘く柔らかく煮たもので、微かに牛蒡の香りがする。掲出句は、それを詠んでいる。

 なるほど。
 しかし、「棒」とか「貫く」ということばは、やはり、私には性につながることがらを思い起こさせる。
 いくらていねいに説明されても、なかなか最初の「思い込み」を洗い落とすのはむずかしい。

 こういう奇妙なことは、ふつうは思っても書かないかもしれない。でも、私は思ったことは思ったこととして、それが間違いだとしても、あるいは筆者に対して失礼だとしても、書いておきたいのである。
 何かしらの「必然」があって、私はことばを「誤読」する。もちろん「必然」というものはなく、単なる「無知の誤読」ということかもしれないけれど、それはそれで「無知」であることが私の生き方なのだから。

 別のことも書いておく。坪野哲久というひとの短歌が紹介されている。そのなかに、こういう一首がある。

母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零すなり

 なんともいえず「肉体」そのものに迫ってくる。「夜天は炎えて雪零すなり」という情景を、私は知っている、と思う。私の母は冬ではなく、五月に死んだのだが、冬に死んだらやっぱり「夜天は炎えて雪零すなり」という日だったか、と夢想する。私は冬に生まれ、雪になじみがあるので、雪にひっぱられるようにして、そう読んでしまうのだろう。
 この歌について、木村は、こう書いている。

ふるさと石川県に臨終の母を看取った時の歌であろうか。
ときあたかも冬の時期であったようで、能登の怒濤の寄せる海の景物と相まって、母に寄せる心象を盛った歌群である。

 私は富山の生まれである。能登半島の付け根である。だから能登の海は知っている。能登の雪も知っている。
 知らず知らずに、私は私の「肉体」が覚えていることを通して坪野の歌に向き合っていたことになるのだろうか。
 こんな歌も、坪野は書いている。

母のくににかへり来しかなや炎々と冬濤圧して太陽沈む

 この冬の海も、私は「肉体」で知っている。「肉体」が覚えている。私は「肉体」が覚えていることをひっぱりだしてくれることばが好きである。
 木村の書いていることへの「批評」ではなく、私の「肉体」が感じていることを、木村が書いているものを借りて書いてみた。木村が引いている膨大な詩歌(短歌、俳句が中心)のほとんどが私の知らないものである。「頭」で読み、「頭」で書いても、きっと「誤読」になる。おなじ「誤読」なら、「肉体」が感じるままの「誤読」の方が嘘を書かずにすむだろうと私は考えている。
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畏敬する谷内修三氏が、私の最新刊の本『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』のことを書いてくださった。
有難うございます。 ここに全文を引いておく。



『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評とケーキ・・・神田鈴子
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評とケーキ・・・・・・・・・・神田鈴子(「地中海」所属)

十二月に入って寒さも加わり、コロナ禍に振り回された、この一年も過ぎ去ろうとしておりますが、お変わりございませんか。
先日は、ご立派な著書「四季の〈うた〉」を御上梓されまして本当におめでとうございます。・・・・・
亀甲模様の美しい装丁にも惹かれ、ずっしりと重量感のあるご本をこれからゆっくり拝読させて頂きたいと思っております。
今年卒寿を迎えられた木村様のバイタリティに只々感嘆しておりますが、コロナの終息の目処も立たないこの日頃をどうぞお体お大切にお過ごし下さいますよう心より祈っております。
心ばかりの御礼にケーキを焼きましたので御賞味下さいませ。           神田鈴子
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敬慕する神田さんから私信と見事なオレンジケーキ一本を賜った。
神田さんはケーキ作りの名手で、ケーキ教室を主宰されていた。
有難く拝受して、少しづつ頂くことにする。 有難うございました。
お礼に即詠の拙作を一首
       君賜びしオレンジケーキ深き香の切ればたちくる真昼なりけり      草弥





     
『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・永井章子
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・永井章子(詩人「イプリスⅡ所属」)

前略ごめんください。
先日は御本「四季の〈うた〉」をご恵贈いただきまして誠に有難うございました。
ついこの間、御詩集「修学院夜話」を戴きましたばかりですのにと本当に驚き感嘆いたしました。
いつも、いろいろなことに、ご造詣が深くていらっしゃいますことは存じ上げておりましたが、御書にも春日真木子氏が「旺盛な知識欲と博識」と書いていらっしゃいますように、「四季の〈うた〉」を拝読いたし、その思いがさらに強いものになりました。
物知らずの私は、短歌の言外の意味を理解できる程の知識が乏しく、難しく感じますが、その反面、詩より短歌でこそ気持ちをより鮮明に表すことが出来ることがあるということを、この御本で感じました。
特に奥様のこと、お母様のこと、そしてお茶のことを詠まれましたものに、そのように思いました。
例えば奥様のこと
  ・コーラスのおさらひをする妻の声メゾ・ソプラノに冬の陽やさし
  ・妻消す灯わが点す灯のこもごもにいつしか春となりて来にけり
  ・ががんぼを栞となせる農日記閉ざして妻は菜園に出づ
  ・母よりも姑と暮らすが長しと言ひ妻は庭べの山椒をもぐ
  ・たそがれて皆居なくなる茶の花の夕べを妻はひとりごつなり
  ・はまなすの丘にピンクの香は満ちて海霧の岬に君と佇ちゐき
  ・億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
  ・「弥いちゃん」と妻を愛称で呼ぶこともなくなつたかな、ふと思ひ出す
  ・水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり誰よりもこの女のかたはら
例えばお母様のこと
  ・菊の香はたまゆら乳の香に似ると言ひし人はも母ぞ恋しき
  ・この世紀はじまる年に生れ来て戦も三たび経し我が母は
  ・仏壇に供ふる花の絶えたりと母は茶花の露けきを挿す
  ・しぐれつつ十二月七日明け初めて母は九十一、われ六十一
例えば御茶のこと
  ・茶師なれば見る機のなき鴨祭むらさき匂ふ牛車ゆくさま
  ・日月を重ねて揃ふ茶のみどり摘むゆびさきは陽光に刺され
  ・白丁が「三の間」に身を乗りいだし秋の水汲むけふは茶祭
  ・たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂
その他では
  ・別離とは白き紙かも夏逝くといのちの影をうつして居たり
  ・真実とはいかなる象なすものか檀のまろき実くれなゐ深く
  ・生きものはみな先ず朝を祝福せむ、徹夜してまで作るな短歌     (これは、つい笑ってしまいました)
そして「はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり」に関連して─詩歌というのは日常を非日常化してたものである─と述べておられることが深く心に届きました。
また多くの俳人、歌人の方のご批評も興味深く、中でも千種創一氏の─事実ではなく真実を─木村様が感動したと書かれておりますのを、私も、とても感銘を受けました。
その他でも、古歌のこと、原発のこと、イスラエルやドイツ等々の外国旅行のこと、音楽のこと、と多数、数え上げるときりがない程いろいろ教えていただきました。
私事で恐縮ですが、2002年に60歳の夫を亡くしましたが、他のテーマの中で、少し夫のことに触れることがありましても、夫をメインにした詩をどうしても書くことが出来ないできました。
今回、御本をいただきまして特に奥様への短歌では一首で思いや状況の広がりが目に浮かび、短歌の凄さを知りました。

「イプリス」32号に一作参加しています。相変わらず言葉を重ねても言い足りないような詩を書いています。ご笑覧いただけましたら嬉しいです。
時節柄くれぐれもご自愛下さいませ。
重ねて御礼申し上げます。    12月5日         永井章子
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永井章子さんから詳細なお手紙を賜った。
私の制作意図と、「抒情詩」である短歌の特質をみごとに読み解いていただき有難うございます。
永井さんとは三井葉子さんの詩の会で、短時間ご一緒したに過ぎないが、今に至るまでお付き合いいただき有難うございます。 
頂いた「イプリスⅡ」の詩作品は別途ここで紹介させていただく。



  
『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・大橋晶子
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・大橋晶子

木村さま
コロナ第三波到来で気の抜けない日々が続きますが、その後いかがお過ごしでしょうか。
お礼をお伝えするのが遅くなって失礼いたしましたが、「四季の<うた>」をお送りくださり、どうもありがとうございました。
書き続けられた文はいつの間にかこんな量になっていたのですね。
季節に合わせて少しずつ読み進めたいところだけれど、と惜しみながら、読み通しました。
さまざまな<うた>や詠み手との出会いをいただき、感謝しております。
木村さんが私にも馴染み深い京都の、それも城陽で暮らし、茶業を営みながら歌を詠み、詩を書き、ブログを綴ってこられたこと。
いろんなご縁があり、幅広いご教養の一端は私も関心を抱くものであること。
共有するものが多いゆえに、より心に響くのかもしれません。

木村さんから長年いただいてきた歌集、詩集は全て本棚(重信さんの著書とは別の棚)にあるのですが、数々の歌との再会にも感慨を抱きました。
一首一首、結構よく覚えているものです。
弥生さまのことを詠まれた歌はやはり胸を打ちます。
夫が妻を詠むことが少ないのは、夫婦関係が露わになるのを妻が嫌うからでしょうか。
それとも、夫の方が妻を詠むのをよしとしないからでしょうか。
古には妻を詠んだ名歌が多々あったというのに、いつの時代から変わったのでしょうね。
惜しい気がします。

週末からは冷え込むようです。
おひとり暮らし、しかもコロナ下ゆえ、どうぞご自愛の上、よいお年をお迎えくださいね。

大橋晶子
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前・京都新聞南部支社長の大橋晶子さんから懇篤な私信をいただいた。
よく読んでくださり有難く拝受いたしました。
大橋さんは、私の第二歌集『嘉木』の取材に来てくださった。早稲田大学を卒業されて、まもなくの頃であった。
話していると、私の一年先輩の京都大学教授を務められた大橋保夫氏の娘さんであることが分かった。
保夫氏はフランス語の秀才で、在学中にフランス政府の給費留学生試験に合格して三年間パリ大学(ソルボンヌ)に留学。
帰国して、すぐ京都大学助教授に就任された。後に兄・重信と一緒に大サハラ探検隊の言語班長として参加し、兄たちと苦楽を共にされた。
そんなことで私たち兄弟にとっても極めて親しい間柄だった。惜しくも早くに死去された。
大橋さんとは、そういう奇しき因縁があるのであった。有難うございました。





『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・高尾恭子
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・・・高尾恭子

高尾です。はや師走、コロナウイルスの勢いはとどまるところをしりません。大阪では不要不急の自粛要請がでて、私の ボランティア活動等も15日まで休止になりました。
 さて、このたび『四季の〈うた) 草弥のブログ抄』をご恵送いただきましてありがとうございます。
 短歌にとどまらず文芸全般におよぶブログの数々、お送りいただいた時は正直なところ私には荷が重いと感じました。しかしながら読みはじめると、一気にはまり込んでしまいました。
草弥さんが「地中海」の浜田昭則さんと親交のあったことなど、思いがけない交友関係の広さにも驚きました。

 特に何度もくり返していらっしゃるヴァレリーの言葉「散文は歩行であるが、詩はダンスである」は心に響きます。拙い歌つくりにモヤモヤすることもありますが、そのたびにこの言葉に戻りたいものです。
・ペン胼胝の指を擦ればそのさきに言葉乞食が坐つてゐるよ
言葉乞食、なんと端的に言い得た表現でしょう。「文芸表現というのは、つまるところ斬新な言葉探しに尽きる」と。そのキャリアがずっしり詰まった一冊でした。
 ブログという電子媒体を駆使されている草弥さんが一冊の紙の書にこだわられたことが、衰退しつつある紙媒体の可能性を示唆するように感じます。

取り急ぎ御礼申し上げます。寒さも厳しく、何かと不穏な昨今ですが、どうぞくれぐれもご自愛下さい。
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敬愛する高尾恭子さんから私の制作意図を鋭く着いたメールを賜った。作者冥利に尽きるというものである。
高尾さんは退職されたが、現役のときは高校の国語の先生だった。有難うございました。




『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』私信と評・・・山本孟
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄』私信と評・・・・・・・・・・・山本孟

拝復。「四季の〈うた〉」受取りました。
このたびの本は、あなたの詩魂と多くの詩歌人との火花の出るような美しい結晶、そんなアンソロジーですね。
俳句の引用が、平井照敏編の歳時記であると明記されていましたが、私も常にそれを使っています。大そううれしく思いました。
御本の内容は、歌壇、俳壇の裏話があり、あなたの制作の裏話にも及んでいて大層おもしろく読みました。
特に「私の本の本題は言葉乞食」と謙遜しておられますが、私には「言葉の宝石を発掘し貯え、そして詩として輝かす業師」と見えます。
卒寿にして、この集大成は誰も及ばないでしょう。
コロナ禍の世、どうぞお体に注意して活躍して下さい。 草々。
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畏敬する山本先生から私の制作意図を的確に突いた手紙をいただいた。作者冥利に尽きる、というものである。
国語、国文学の専門家として、畏怖して教えてもらった人である。
今年、長年連れ添った令夫人を亡くされ、お寂しいと思うが、お力落しなく消光されるよう祈っています。
多くの私信の中から敢えて紹介する次第である。有難うございました。




木村草弥『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄─』 (全)
四季_NEW

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     木村草弥『四季の〈うた〉─草弥のブログ抄─』 (全)

   「帯」表面   ↓

      2004年2月から十数年書き綴った
         K-SOHYA POEM BLOG
        その中から珠玉の131篇
      草弥の〈うた〉の華よ、はばたけ!


   「帯」 裏面   ↓

  ・太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
   次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。   三好達治

    ・梅白し死者のログインパスワード   折勝家鴨
    ・桔梗や男も汚れてはならず       石田波郷
    ・雪の日の浴身一指一趾愛し     橋本多佳子

  ・ひととせを描ける艶の花画集
        ポインセチアで終りとなりぬ    木村草弥
 

     はしがき
この本は私のブログK-SOHYA POEM BLOGの抄出である。
私がブログをやるようになった「いきさつ」などを書いておきたい。
二〇〇一年九月にニューヨークの高層の世界貿易ビルが、イスラム過激派の攻撃を受け、乗っ取られた民間航空機が二機ビルに突入して炎上し崩壊する事件が起こり、世界中が震撼した。
この事件をきっかけに一般市民が「私にも発言させろ」と、そのツールとして利用し始めたのが少し前に考案されたブログなのである。
プログラミングに不慣れな人でも、既成のフォームを使えば誰でも文章が簡単に打てるようになった。
日本では二〇〇三年の秋頃、富士通が「ココログ」を有料で始めたばかり。
私は二〇〇三年秋にアメリカのblogspotというサイトを利用し始めた。
日本語は西欧語と違って特殊なので、ワードプロセッサによる変換を行う必要があり、そんな変換が巧く行かなくて、私の打った文章が「文字化け」を起こし、それが二度三度と続くので放棄した。 二〇〇四年になって、他のところもブログをやり始め、私はNTTのやっていたDoblogに拠って二〇〇四年二月から本格的にブログを始めた。
どういう形態のブログにするか考えて、朝日新聞連載の大岡信の「折々のうた」、同じ大岡信が学習研究社から出した「うたの歳時記」全五巻を参照して、詩・短歌・俳句という「短詩形」の文芸を扱うのに特化して執筆している。自作も多めに採っている。
途中、二〇〇九年にNTTのホストサーバーが障害を起こし、結局廃止されたので、アメリカはラスベガスに本拠を置くFC2に移り現在に至っている。FC2はアメリカ籍ではあるが、やっているのは大阪の日本人らしい。
私のブログ執筆は文章を書くトレーニングにもなり、私は、それらを「草の領域」と名づけて保存して来て、ここからは私の歌集、詩集など数冊が誕生している。
以来、十数年にわたって書いてきた。もちろん重複や再掲載もあるが総数は数百件になるだろう。
この本では「古今和歌集」以来の伝統に即して、季節毎の「部立」を採ることにしたが、季節分類はアバウトなのでお許しいただきたい。
もとより拙いものではあるが総数131篇となる。
この本では多くの「俳句」を引いてあるが出典は河出書房新社刊の平井照敏編『歳時記』に拠る。
平井本は例句や出典、古典の記載も詳しく、よく出来た本だった。
平井照敏は元々はフランス文学専攻だが俳句に転向、加藤楸邨の「寒雷」編集長を務めた。
「俳句は世界一短い詩」が持論だった。
元のブログでは見やすくするためにカラー画像を入れたり、YouTubeの画や音楽が聴けたり、また関連記事の「リンク」を貼ることも出来たが、この本では不可能である。
そんなことでヴィジュアル的には無味乾燥したものになるが仕方ない。
この本を書くに当って 光本恵子『人生の伴侶』
               三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』を参照した。
このブログはヴァーチャルなもので、私が死んだら消え失せてしまうので、何とかして「紙媒体」として残したかったので、今回何とか念願を果たせて幸運だった。
同好の人たちの閲覧をお願いしたい。
私は来年二月で満九十一歳となる。
一応、元気にはしているがいつ死ぬか分からない昨今である。
今年は溜まっていた原稿を歌集・詩集二冊にして上梓した。今回の本で三冊目になる。
やっておきたいことは、ほぼやり終えたという心境である。

   私の珠玉の詩・歌・句の〈うた〉の華(はな) よ、はばたけ!

     目次

   新年                       
閑         大岡信        ログインパスワード  折勝家鴨
老いざまは     安住敦      砂丘律          千種創一
老いの愛  飯田蛇笏         少年は星座の本    木村草弥
人日の日もて   稲畑汀子     芝点の茶事      木村草弥
蝋梅が咲く 青柳志解樹        人生は遍路      玉井清弘
凍仏小にして  鈴木六林男     石ばしる垂水     志貴皇子
かなしみの    坪野哲久      ルノアルの女    阿波野青畝 
干鮭も空也の   松尾芭蕉     一二輪まこと     木村草弥
冷えまさる    木村草弥      詩に痩せて      三橋鷹女
雪        三好達治       白い手紙が       斎藤史
つらら落つる   木村草弥     菜の花や       与謝蕪村
                      水滴のひとつ     住宅顕信
                      水あふれゐて      森澄雄
 



浅田高明氏亡   木村草弥      花衣ぬぐや     杉田久女
三月十一日の   佐藤祐禎      はねず色の     木村草弥
鮭ぶち切って   赤尾兜子       げんげ田に     木村草弥
妻消す灯     木村草弥       アダージェット     木村草弥
花冷や     鈴木真砂女       うらうらに     大伴家持
なで肩の     木村草弥
水取りや     松尾芭蕉        
春潮の      坪野哲久       暗闇を泳ぐ     佐藤弓生
生きる途中   鳥居真理子      からころも     在原業平
妻抱かな    中村草田男      享けつぎて     木村草弥
群れる蝌蚪     宮柊二       ががんぼの     木村草弥
長年のうちに  安立スハル      万緑の中や    中村草田男
チューリップ   木村草弥       しぼり出す    鈴鹿野風呂
ねがはくは    西行法師       重たげなピアス   木村草弥
『体内飛行』   石川美南       イシュタルの門   木村草弥
うすべにの    木村草弥       鶴首の瓶の     木村草弥


虹消えて      三橋鷹女      おのづから     木村草弥
『嬬恋』感応    米満英男        のれそれは     木村草弥
国家の無化     木村草弥       蛸壺や      松尾芭蕉
エロイ、エロイ   木村草弥       海へ出る     木村草弥
『アホバカ考』    松本修       陽が射せば    木村草弥
はじめに言葉    木村草弥      木槿のはな    三井葉子
     秋                 てのひらの    永田和宏
秋来ぬと      藤原敏行      百日草ごうごう    三橋鷹女
白丁が「三の間に」 木村草弥     あの父の八月   直江裕子
玉の緒の      木村草弥      雷鳴の一夜の   木村草弥
北天の雄アテルイ  木村草弥    けふありて    秋元不死男
「女の栽培」     冨上芳秀      その背中ふたつ  前登志夫 
『信天翁』書評    梓志乃       老後つて     木村草弥
『雪降る国から』   三井修      みづがめ座    木村草弥             
向日葵は      前田夕暮      つつつつと    清崎敏郎            
蝙蝠や       平畑静塔       小扇       津村信夫              


突つ張つて    片桐てい女       ある晴れた日に   安住敦
フィンランディア  木村草弥       竹杭が      木村草弥
忽然として     佐藤通雅       牧神の午後    木村草弥
夏の終り       大岡信        かすがのに    会津八一
妻の剥く梨の    木村草弥       こめかみの    木村草弥
はまなすの丘    木村草弥       幻影       中原中也
おしろいばな    木村草弥       萩の花/尾花    山上憶良
スカラベが     木村草弥        夕日       高田敏子
クールベの     木村草弥       菊の花      高田敏子
傷み         大岡信        
八十の少年      高島茂       な       谷川俊太郎
月下美人      木村草弥       真実とは     木村草弥
桔梗や       石田波郷        AIBOに    木村草弥
『嘉木』書評   春日真木子       秋暮れて     木村草弥
あらざらむ     和泉式部        菊の香の     木村草弥
むらさきしきぶ   木村草弥       死後は火を    木村草弥


ひととせの     木村草弥
ペン胼胝の     木村草弥
妥協とは      木村草弥
明るい日暗い日   木村草弥
水昏れて      木村草弥
伊勢からの     坪内稔典
がんがんと鉄筋   高柳重信
詩「邂逅」      宮沢肇
京訛やさしき    木村草弥
詩「寓話」      柴田三吉
恋ともちがふ    飯島晴子
草紅葉        桂信子
ひととせを     木村草弥
雪の日の浴身   橋本多佳子
Wikipediaについて   木村草弥


     ここに「掲出」する作品は、当該の詩・歌・句など「見出し」のみとする。
                 

            新 年         

           閑           大岡信
      ハツ春ノ
      空ニタチマチ湧キイデテ
   
   ■老いざまはとまれ生きざま年初め    安住敦

   ■老いの愛水のごとくに年新た     飯田蛇笏
    
    ■人日の日もて終りし昭和かな     稲畑汀子

   蝋梅が咲くとろとろととろとろと  青柳志解樹

    凍仏小にしてなほ地にうもれ 鈴木六林男

   かなしみのきわまるときしさまざまの
      物象顕ちて寒の虹ある       坪野哲久

   干鮭も空也の痩せも寒の中        松尾芭蕉

   冷えまさる如月の今宵
    「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ   木村草弥

         雪             三好達治
     太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
     次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

   つらら落つる朝の光のかがやきが
      横ざまに薙ぐ神経叢を       木村草弥        


         春

   折勝家鴨句集『ログインパスワード』
      *梅白し死者のログインパスワード  折勝家鴨

   千種創一歌集『砂丘律』
     *瓦斯燈を流沙のほとりに植えていき、
        そうだね、そこを街と呼ぼうか  千種創一

   少年は星座の本に夢みてゐる
      オリオンの名をひとつ覚えて    木村草弥

   芝点の茶事の華やぎ思ひをり
         梅咲き初むる如月の丘    木村草弥
 
   人生はすなわち遍路 しみじみと
        杖を握りて山を越えゆく    玉井清弘

   石ばしる垂水の上のさ蕨の
      萌え出づる春になりにけるかも   志貴皇子

   ルノアルの女に毛糸編ませたし     阿波野青畝

   一二輪まことに紅濃き梅の花
     かなしきかなや若き死者のこゑ    木村草弥

   詩に痩せて二月渚をゆくはわたし     三橋鷹女

   白い手紙がとどいて明日は春となる
     うすいがらすも磨いて待たう      斎藤史

   菜の花や月は東に日は西に        与謝蕪村

   水滴のひとつひとつが笑っている顔だ   住宅顕信

   水あふれゐて啓蟄の最上川         森澄雄
  
   太宰治研究者の浅田高明氏が亡くなった  木村草弥

   三月十一日の悲劇を忘れないために    木村草弥
     *いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め
      原子炉六基の白亜列なる  佐藤祐禎

   鮭ぶち切って菫ただようわが夕餉     赤尾兜子

   妻消す灯わが点す灯のこもごもに
      いつしか春となりて来にけり    木村草弥

   花冷や箪笥の底の男帯         鈴木真砂女

   なで肩のたをやかならむ真をとめが
      パットの肩をそびやかし過ぐ    木村草弥

   水取りや氷の僧の沓の音         松尾芭蕉

   春潮のあらぶるきけば丘こゆる
      蝶のつばさもまだつよからず    坪野哲久

   生きる途中土筆を摘んでゐる途中    鳥居真理子

   妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る     中村草田男

   群れる蝌蚪の卵に春日さす
      生れたければ生れてみよ       宮柊二

   長年のうちに短くなりし分われらは
         食みしやこの擂粉木を   安立スハル
  
  チューリップはらりと散りし一片に
       ゴッホの削ぎし耳を想ひつ    木村草弥

   ねがはくは花のもとにて春死なむ
         その如月の望月のころ    西行法師
 
     石川美南歌集『体内飛行』      木村草弥

   うすべにの行く手に咲ける夕ざくら
       父なる我の淡きものがたり    木村草弥

   花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ      杉田久女

   はねず色のうつろひやすき花にして
       点鬼簿に降る真昼なりけり    木村草弥

   げんげ田にまろべば空にしぶき降る
        架かれる虹を渡るは馬齢    木村草弥

   散文詩・アダージェット         木村草弥

   うらうらに照れる春日にひばりあがり
        心かなしもひとりし思へば   大伴家持

          夏

   暗闇を泳ぐ生きものだったから
     まなこむをなくしたのねペニスは   佐藤弓生

   からころも/着つつなれにし/妻しあれば
     はるばる来ぬる/旅をしぞおもふ   在原業平

   享けつぎて濃く蘇るモンゴル系
      ゐさらひの辺に青くとどめて    木村草弥

   ががんぼの五体揃ひてゐし朝       平山邦子

   万緑の中や吾子の歯生えそむる     中村草田男

   しぼり出すみどりつめたき新茶かな   鈴鹿野風呂

   重たげなピアスの光る老いの耳
     〈人を食った話〉を聴きゐる     木村草弥

   イシュタルの門の獅子たち何おもふ
       異国の地にぞその藍の濃き    木村草弥

   鶴首の瓶のやうなる女うたふ
     〈インパラディスム〉清しき声音   木村草弥

   虹消えて了へば還る人妻に        三橋鷹女

   木村草弥歌集『嬬恋』感応        米満英男

   〈国家の無化〉言はれしも昔せめぎあひ
       殺しあふなり 地球はアポリア  木村草弥

   「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」
     声高くイエス叫びて遂に息絶えぬ   木村草弥

   松本修『全国アホバカ分布考』      木村草弥

   「はじめに言葉ありき」てふ以後われら
        混迷ふかく地に統べられつ   木村草弥


             秋        

   秋来ぬと目にはさやかに見えねども
      風の音にぞおどろかれぬる     藤原敏行

   白丁が「三の間」に身を乗りいだし
        秋のむ水汲むけふは茶祭 木村草弥
  
   玉の緒の花の珠ぼうと浮きいづる
      いで湯の朝をたれにみせばや    木村草弥

   北天の雄「アテルイ、モレ」伝説     木村草弥

   冨上芳秀の詩「女の栽培」ほか      木村草弥

   衰えぬ反骨の詩人の評魂『信天翁』評    梓志乃

   三井修エッセイ集『雪降る国から砂降る国へ』  木村草弥

   向日葵は金の油を身にあびて  
     ゆらりと高し日のちひささよ      前田夕暮

   蝙蝠や西焼け東月明の           平畑静塔

   おのづから陥穽ふかく来しならむ
         蟻地獄なる翳ふかき砂 木村草弥

   ものなべて光らぬもののなかりけり
      〈のれそれ〉は海を光らせて 夏   木村草弥

   蛸壺やはかなき夢を夏の月         松尾芭蕉

   海へ出る砂ふかき道浜木綿に
     屈めばただに逢ひたかりけり      木村草弥

   陽が射せばトップレスもゐる素裸が
      ティアガルテンの草生を埋む     木村草弥

      木槿のはな             三井葉子

   てのひらに蝉のぬけがら ぬけがらを
         残して人はただ一度死ぬ    永田和宏

   百日草ごうごう海は鳴るばかり       三橋鷹女

あの父の八月十五日の最敬礼        直江裕子

   雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵
     まぬがれがたく病む人のあり      木村草弥

   けふありて銀河をくぐりわかれけり    秋元不死男

   その背中ふたつに割りて緑金の
      山のなだりを黄金虫翔ぶ       前登志夫

   老後つてこんなものかよ二杯目の
      コーヒー淹れる牧神の午後      木村草弥

   みづがめ座われのうちらに魚がゐて
       しらしらと夏の夜を泳げり     木村草弥

   つつつつと浜昼顔の吹かるるよ       清崎敏郎

 小扇               津村信夫
     嘗つてはミルキー・ウエイと呼ばれし少女に

   突張つてゐる蟷螂を応援す        片桐てい女

   これを聴くと勇気が出ると
   「フィンランディア」を聴いて妻は手術へ   木村草弥

   忽然としてひぐらしの絶えしかば
       少年の日の坂のくらやみ       佐藤通雅

       夏の終り              大岡 信

   妻の剥く梨の丸さを眩しめば
      けふの夕べの素肌ゆゆしき       木村草弥
  
   はまなすの丘にピンクの香は満ちて
         海霧の岬に君と佇みゐき     木村草弥

   おしろいばな狭庭に群れて咲き匂ふ
        妻の夕化粧いまだ終らず      木村草弥

   無防備にまどろむ君よスカラベが
       をみなの肌にとどまる真昼      木村草弥

   クールベのゑがくヴァギナの題名は
      「源」といふいみじくも言ふ      木村草弥

          痛み             大岡 信

   八十の少年にして曼珠沙華          高島 茂

   自が開く力に揺れて月下美人
    ひそけき宵に絶頂ありにけり        木村草弥

   桔梗や男も汚れてはならず          石田波郷

   「自己存在の起源を求めて」        春日真木子
     木村草弥歌集『嘉木』書評

   あらざらむこの世のほかの思ひ出に
     いまひとたびのあふこともがな      和泉式部

   才媛になぞらへし木の実ぞ雨ふれば
       むらさきしきぶの紫みだら      木村草弥

   ある晴れた日につばくらめかへりけり     安住 敦

   竹杭が十二、三本見えてをり
    その数だけの赤トンボ止まる        木村草弥

   牧神の午後ならねわがうたた寝は
     白蛾の情事をまつぶさに見つ       木村草弥

 かすがの に おしてる つきの ほがらか に
   あき の ゆふべ となり に ける かも  会津八一

   こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶
      かしましき日の暮れなむとする     木村草弥

         幻影              中原中也

   萩の花/尾花 葛花/瞿麦の花/
    女郎花/また 藤袴/朝貌の花       山上憶良

        夕日               高田敏子

        菊の花              高田敏子


         

       な                 谷川俊太郎

   真実とはいかなる象なすものか
      檀のまろき実くれなゐ深く        木村草弥

   AIBOに尾を振らせゐし少年が
     新世紀に挑むロボットサッカー       木村草弥

   秋暮れて歯冠の中に疼くもの
    我がなせざりし宿題ひとつ          木村草弥

   菊の香のうごくと見えて白猫の
      音なくよぎる夕月夜なる         木村草弥

   死後は火をくぐるべき我が躯にあれば
       副葬の鏡に映れ冥府の秋        木村草弥

   ひととせの寒暖雨晴の巡り経て
        茶の実熟す白露の季に        木村草弥

   ペン胼胝の指を擦ればそのさきに
       言葉乞食が坐つてゐるよ        木村草弥

   妥協とは黙すことなり冬ざれの
       ピラカンサなる朱痛々し        木村草弥

   明るい日暗い日嬉しい日悲しい日
         先ずは朝を祝福して        木村草弥

   水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり
      誰よりもこの女のかたはら        木村草弥

   伊勢からの恋文めいて枇杷の花         坪内稔典

   ■がんがんと鉄筋のびる師走かな        高柳重信

       詩「邂逅」               宮沢 肇

   京訛やさしき村の媼らは
   「おしまひやす」とゆふべの礼す        木村草弥

       詩「寓話」              柴田三吉

   恋ともちがふ紅葉の岸をともにして       飯島晴子

   草紅葉人のまなざし水に落つ          桂 信子

   ひととせを描ける艶の無花画集
    ポインセチアで終りとなりぬ         木村草弥

    ■雪の日の浴身一指一趾愛し         橋本多佳子

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    『浅田家文書』をめぐって  木村草弥   
  
             
 
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