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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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書評『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』・・・平賀冨美子
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↑ 角川書店「短歌」誌2022年二月号
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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書評・木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄 三』・・・高階杞一
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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     書評 木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄 三』
           ~朝(あした)の色に明けてゆく道~       高階杞一

                   ・・・・・・季刊詩誌「びーぐる」53号所載・・・・・・・・

 著者は活力にあふれた人である。昭和五年(一九三〇年)生まれ。今年で九十一歳。そのお年で(と言ったら失礼かもしれないが)パソコンを使いこなし、ホームページを作り、ブログやフェースブックなどもされている。うちの母親は著者と同い年だが、パソコンのパの字も分からない。まあそれがこの年代の人の普通であるのだが、それからしたら著者は規格外の人だと言える。
 本書の元になっているブログにいたっては、毎日更新され(これもすごい!)、さまざまな写真とともに、詩歌の紹介や書評などがされている。書籍からの引用も多く、打ち込むのは大変でしょうと以前伺ったら、OCR(文書をスキャナーで読み取ってデータ化するソフト)を使っているとのこと。これにもびっくり。パソコンを相当使い慣れた人でないと難しい。何かIT関係の仕事でもしてこられた人なのかと思いきや、宇治で代々続く家業の製茶問屋を経営されてきたとのこと。従ってパソコンはまったくの独学で習得されたのだろう。パソコンが一般に普及しだしたのはウインドウズ95が発売された一九九五年から。そのときから始めたとしても、逆算すれば、六十六歳からの手習いということになる。
 著者の創作の本流は短歌。こちらは一九九一年から始めたというからこのとき六十一歳。文芸創作の出発としては遅い。しかしそれからの創作活動には目を瞠るものがある。四年後の一九九五年には第一歌集『茶の四季』を刊行し、これまでに七冊の歌集が出ている。さらに二〇〇〇年代の中頃からは詩作も始め、二〇〇八年には第一詩集『免疫系』を刊行し、これまでに四冊の詩集が出ている。また散文集も本書を含め六冊出ている。まさに堰を切ったように、という表現がぴったり当てはまるような創作ぶりである。
 ウィキペディアで著者の履歴を見ると、長兄木村庄助は若い頃に文学を志し、太宰治とも交流があったという。太宰の「パンドラの匣」はこの庄助の日記が元になっている。また次兄木村重信は美術史家として知られている。著者も大学でフランス文学を専攻したというから、文学を志してもいたのだろう。それが六十代になるまで手を染めなかったのは、家業を優先したからではないかと察せられる。
 本書は二〇〇四年から始めたブログの中から選りすぐった文章を集めたシリーズの三巻目。これまでの二巻と同様、さまざまな詩歌句が紹介されている。既刊二冊と違う点を挙げれば、比較的新しい作品(近現代)の紹介が多いこと、そして亡き妻への鎮魂の思いを込めた文章(「巡礼の道」)や短歌(「順礼」)を収録したことの二点。
 前書きには次のように記されている。
「私も、はや九十一歳を超え次兄・重信の死んだ歳に追い着いた。/母の死んだのも数えで九十三歳だった。随分、長命だと思っていたのだが、よもや私が、その歳まで生きられるとは思ってもいなかった。/(中略)万感胸に迫るものがある。」
 何だかもうこれで最後のような書きぶりだが、創作年数はまだ三十年。まだまだこれからですよ、草弥さん。
「順礼」で次のように歌っているではないですか。
     春くれば辿り来し道 順礼の朝(あした)の色に明けてゆく道
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畏敬する高階杞一氏が、このような「書評」を書いてくだった。
高階先生、有難うございます。
先生については、このシリーズの第二巻<続>に採り上げたが、カテゴリ「高階杞一の詩」に詳しいのでアクセスされたい。

高階氏の書かれたことは、ほぼ正確だが、私から少し補足しておく。
家業の商売は長兄・庄助が継ぐことになっていたが、茶業見習い修行中に結核に感染して死んで、次兄・重信が継ぐことになっていたが学者の道に進んで、結局三男の私が継ぐことになった。
庄助も重信も商人に仕立てるべく「商業学校」を出ているが私は普通の「中学校」に通っていたから商売には極めて疎く苦労した。
玉露茶園を六反歩も所有する「製茶問屋」であり、茶製造から卸売の茶問屋というこである。そういう様ざまなことを覚えなければならなかった。
宇治茶の場合は、大正時代半ばから、茶の生産できない北海道などの消費者向けの「通信販売」があった。今では一般的な通信販売だが、当時は対面販売ばかりで極めて特殊だった。
私宅でも、そんな宇治茶の通信販売に手を染め万単位の得意先が存在して、新茶時や年末に「山城園報」というカタログを送っていた。
宛名印刷機というガリ版様のもので、もちろん手刷りである。
そういう事務処理をコンピュータ化しようとする傾向が起こってきたのを見て、当社も、そういう情報処理システムを採りいれることになった。もちろんパソコンなどない頃のことでコンピュータと言えば「ビシネスコンピュータ」ビシコンと呼んでいた。NECが当時の覇者で、コンピュータ言語「コボル」で動いていた。これは良くできた言語だったが今では使いこなせる人も居ないという。ビジコンは高価だった。操作には、もちろんワードプロセッサが必要で付随していた。私は当時はワープロは使っていたのでビジコンのワープロに親しんだ。
得意先の人名・地名などのデータを入力する作業が大変だった。事務員が大半をやったが、字を読み解けなければ前に進まない、こうなると国語の読解力が必要になってきて、国語辞典、漢和辞典を机辺に置いて「音訓」を学ばせたものである。
何枚か並んだラベル用紙をセットすると次々と宛名がスピードよく印刷されて目を見張ったものである。納品書、請求書発行と同時に処理される。
得意先を管理するのを、どうするか、が問題だった。私は普及しだした「郵便番号」ごとにコード番号を付けることにした。先に書いた消費者と卸売とを区別しなければならないので頭に「1」を付けたものを通信販売、「3」が卸売と区別した。
その何年か後になって「パソコン」が普及しだしてきて、今は事務処理の端末はパソコンでやられる。
コンピュータ言語のことだが、マイロソフトは「ベーシック」という言語だが、これは世界制覇したからに過ぎず、もっともすぐれた言語という訳ではない。これと同じことは、例えばビデオの規格でソニーの開発した「ベータ」はカセットの形もコンパクトで色も鮮明だったが、VHSが世界制覇してしまい敗けてしまった。
そのマイクロソフトもモバイルという移動体通信の台頭を見誤り、マックのスマホ独走を眺める仕儀となっている。
マイクロソフトは、ただいまWindows10だが、まもなく「11」が始まるらしい。これはスマホでの入力に便利にするつもりらしい。
私の経験した事態の一端を書き記してみた。





 
『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』批評・・・冨上芳秀
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   草弥の詩作品<草の領域>
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     『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』批評・・・・・・・・・冨上芳秀
            ・・・・・・「詩的現代」38号Sep.2021掲載・・・・・・・

  ジジイの覗き眼鏡 11     冨上芳秀
▼木村草弥著『四季の〈うた〉草弥のブログ《三》』(二〇二一年七月七日刊、澪標)を手にして、そのエネルギーに驚いた。
〈前著『四季の〈うた〉草弥のブログ《続》』を出したばかりだが、何だか気分が急(せ)いて《三》を出すことにした。ブログに書いた文章は、いずれも愛着のあるものばかりなので、「捨てる」のが惜しいのである〉冒頭に載せられた「はしがき」のこの文章は木村草弥の出版に対する気持ちがよく表れている。
『《続》』』の出版は、二〇二一年五月二十五日刊である。計画したものではなく、刊行してすぐ出したい気持ちになったことはよくわかる。
〈私も、はや九十一歳を超え次兄・重信の死んだ齢に追い着いた。/母の死んだのも数えで九十三歳だった。随分、長命だと思っていたのだが、よもや私が、その齢まで生きられるとは思ってもいなかった〉
九十一歳にして、毎日のようにブログを書き、次々に著書を上梓する情熱とエネルギーはすばらしいものである。
これは、ブログというものによってこれだけ自由にたくさんの文章を書くことができたのである。
私もグループ内の場で、メールによって詩を発表することによって、十七年ほどの間に、二千二百篇の詩を書くことができた。これは、日記のような生活の感想ではなく、現実を超えた世界を詩の作品として書きあげたものである。おそらく木村草弥もブログという場によって、他者を意識した文学作品としてのエッセイを書くことができたのであろう。
私などは、詩については、かなり読むことができるが、短歌や俳句については、眼にする機会が少ないので、すぐれた歌人でもある木村草弥の取り上げる短歌や俳句はなるほど、と納得させられるものばかりである。
木村草弥という人をよく表している部分を引いておこう。
〈唐国の壺を愛して梅を挿す/妻の愁眉や未だ寒き日 木村草弥//この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので妻の体調が悪くなりかけた頃のものである。それは「妻の愁眉」という個所に表現してある。/自分の体調に愁眉の愁いを表しながら、妻が唐国の壺に梅を活けている、という歌である。/―中略―/梅の花については、先に姉・登志子のところでも挙げたが、私は梅の歌をいくつも詠んでいる。提出した歌の次に/壺に挿す白梅の枝のにほふ夜西班牙(スペイン〉語の辞書を娘に借りにゆく/という歌がある。実は、私の次女は外国語学部でスペイン語が専攻だった。歳時記にも「梅」の句は多い。それらを引いて終りたい〉として〈梅が香にのつとり日の出る山路かな 松尾芭蕉〉を冒頭に、〈紅梅の天死際はひとりがよし 古賀まり子〉を末尾に置いて、その間、服部嵐雪、与謝蕪村、水原秋桜子、中村草田男、石田波郷、星野立子、安住敦、石川桂郎、西島麦南、飯田龍太の句が並んでいる。この本には各所にこうした俳句が紹介されている。
エッセイを楽しみながら俳句の世界も知ることができる実に手軽な俳句入門書でもある。
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当該部分だけを引いた。冨上さん、有難うございました。


『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・小西亘
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   草弥の詩作品<草の領域>
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     『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・・・・・・・・小西亘

木村草弥 様
 立秋が過ぎても、厳しい残暑の日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
 御恵贈賜りました御著『四季のうた〈三〉』、お礼を申し上げるのが大変遅くなりまして申しわけございません。
 7月の考査後から、始業前の朝を拝読の時間にあて、辞書やグーグル地図、ネットの画像などを調べながら、じっくりと拝読いたしました。
 冒頭の、誰もが持つ心の機微を詠んだ吉野弘の詩「四葉のクローバー」、自らの命に対する慈しみの情を歌った詠んだ御作「1/f のゆらぎ」をはじめとして、日々新たな詩歌とその解説を読めるという、豊かで楽しい時間を賜りました。
       ・池水は濁り太宰の忌の来れば私淑したりし兄を想ふも
 やはり第一にあげたいのは、太宰に私淑したお兄様を詠まれたお歌です。伊藤左千夫の
       ・池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨ふりしきる
を響かせた一首、改めてしみじみと拝読しました。左千夫の歌は、太宰の小説の文庫本に太宰の墨蹟があったのをよく覚えています。高校の時に印象に残り暗記した歌ですので、自分の高校時代をも思いながら拝読いたしました。
       ・あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
 よく知られた小野茂樹の歌ですが、妻の小野雅子の歌により惹かれました。
       ・明けそむる窓の幅よりなほ長き雁の棹ひがしを指して消えゆく  
 この具体描写はすごいと思いました。まさにご解説のごとく「しっかりとした叙景に支えられた心象詠」。
       ・闇にゐてスイッチの位置さがしゐるこの指先をいのちと言はむ  
       ・闇の中に力をこめて手を開くかく生きそしてにんげんは死ぬ
 三五歳の夫を亡くし、悲しみを抱えて生きたいのちが、歌に深さとふくらみを与えたのかと思っておりました。小野雅子は忘れられぬ歌人となりました。
 武藤ゆかりさんの詩も、やさしくて好きな詩です。
      人材って材料のことですか   
      活用って物品のことですか
       輝くって本当ですか
 再任用として現役の生活をしている自分にとっては的確に心に届いた詩でした。
       ・天王寺西門前のバス停にほうと夕陽を見守る人ら     小谷陽子
       ・平城京右京五条二坊あたりついとなかぞら鳥よこぎりぬ
 「地名の喚起力」に度々言及しておられます。地名はまさに「詩」であると思いました。固有の地名には、其の地の歴史や習俗・文化、そこに住む人々の思いが籠ります。歌枕の語を出さずとも、詩歌にとって、季語と共に、地名は非常に大切なものです。南山城の文学研究をライフワークにする私にとって、その学びの方向性を示唆していただいたものでした。
 書物を読む楽しみには、伝記的要素を読むことが含まれます。特に面識のある方の書を拝読する時は、いっそう関心を持ちます。
       ・あめんぼと同じ身軽さ職退けり      
岡崎伸の句評のところとで「私は幼いころから、内向的な性格で、こんな虫や蟻などの生態を、じっと眺めているのが好きだった」と記されます。同じような回想がもう一ケ所あったと記憶します。木村様の小動物に対する詳しい記述の源はこのようなところにあったのかと思っておりました。そうして何よりも小説や詩歌を夢中になって読み、「心ふるえた」という感性、それを生涯育てられて、今溢れるように密度の濃い書物を次々と上梓されるのかと思っておりました。
 いつものごとく、勝手なことを、思うままにだらだらと書いてしまいました。お許しください。他にもまだまだ恩恵を受けたものは多いのですが。
 これからは、御著で知り惹かれた詩歌や、御評の表現を読書ノートに写す作業に入ります。拝読を遅々と、まだ続けます。
 近頃は書店に行っても、軽く浅い本が多く、こんな内容で出版してもよいのかと思う書物もあります。そのようななかで、読みごたえのある書物を賜りましたことを、お礼申し上げます。
 今後とも御指導賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 8月10日                             小西亘
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敬愛する小西亘氏から精細な「評」を賜った。
小西氏の最近の著書については、ここで採り上げたので参照されたい。 → 「詩歌でめぐる南山城・月ケ瀬」
生徒の進学指導などでお忙しい中、ご面倒を掛けました。 有難うございました。





『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』評・・・野﨑憲子
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     『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』評・・・・・・・・・・野﨑憲子

     谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな     金子兜太

「谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな」金子兜太師の真骨頂である<いのちの賛歌>そのものの一句。
師は、「古池や蛙飛びこむ水の音」の句についても、芭蕉は、侘び寂びではなく<いのちの賛歌>を詠ったものだと明言していました。
いのち漲る世界の表現を何よりも大切にしていました。
晩年になっても東京新聞第一面で「平和の俳句」を公募し発表するなど、精力的に世界の平和への思いを実践していらっしゃいました。

因みに「平和の俳句」掲載の拙句の中から・・・・・
     ・九条や風の宮から揚羽蝶
     ・大いなるいのちのなかや冬銀河
     ・痛え痛えと石の斉唱爆心地
私は、これからも、師の思いを胸に俳句を創ってまいります。
奇しくも貴ブログで師の句に付いてコメントさせていただけて幸いです。




『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・永井章子
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・永井章子(詩人・イプリスⅡ会員) 

木村草弥さま。
前略。 『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』ご恵贈有難うございました。
先の<続>から二か月足らずのご出版またまた大変驚いております。
今回の<三>の御本も、先に頂いた二冊と同様とても興味深く拝読いたしました。

草弥詩「1/f の揺らぎ えふぶんのいちのゆらぎ」命の讃歌の詩と存じました。
あたたかい血のぬくもりのリズム、ローソクの炎が揺れているリズム、年輪が等間隔でない樹の生成のリズム、小川のせせらぎの音のリズム、奥様の弾かれるピアノの音の間にラジオのノイズやメトロノームの音の入り混じったリズム。
規則正しいものと不規則なものが程よく混じり合った 1/f のやさしい揺らぎが、体と同じリズムに集結していくという安定感。
そして何より「今日いちにち快適に過ごそう!」という結語で、豊かなご心情が感じ取れます。
また「旅」の記述も詳しく、フランス、ドイツ、ギリシア、スペイン、ポルドガル、イスラエル、メキシコ、北インドと多岐にわたり、それもただ観光というものではなく、その地の歴史、文化、建築、聖像、絵画と広がりを持ち、どの項も読みごたえがありました。
その中でも「サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道」やイスラエルやインドの仏教のこと等が強く印象づけられました。

下記に、特に好きな草弥さまの短歌を引かせていただきます。

   ・唐国の壺を愛して梅を挿す妻の愁眉や未だ寒き日
   ・さゐさゐと鳥遊ばせて一山は楢の若葉に夏きざし初む
   ・夕されば仄と咲きいづる合歓の香に待つ人のゐる喜びがある
   ・水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら
   ・告ぐる ことあるごとく肩に蜻蛉きて山城古地図の甦る秋
   ・黄落を振り返り見る野のたひら野はゆく年の影曳くばかり

その他では

小野茂樹さまの
   ・見しために失ひしもの雪の夜の深き眠りに癒されむとか
   ・垣間見しゆゑ忘れえぬ夕映えのしたたる朱は遠空のもの

高木貞子さまの
   ・寒月の作れる蔭につまづける
岡田貞峰さまの
   ・紅葉照るしづけさに耳塞がれつ
中条明さまの
   ・馬の眼に遠き馬ゐて雪降れり

草弥さまの三冊のブログ抄で、たくさんの短歌や俳句等読ませていただき、その他さまざまなことを学ばせていただきました。
重ねて御礼申し上げます。   7月28日            永井章子   

   
 
『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・三浦好博
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・三浦好博(「地中海」元・編集委員) 
      
木村 草弥 さま。 
「四季の〈うた〉草弥のブログ抄(三)」をありがとうございました。立て続けのご出版誠におめでとうございます。
私にとりましては短詩系の集成を読んでいますようで、大変ためになります。
歌人はともかく、詩人や俳人の年譜と作品を読ませて戴くことは、作品を理解する助けになりますので、御本は私のような者に向けて書かれたと理解できます。

 今回印象に残りましたのはやはり、「サンチャゴ・デ・コンポステーラ、順礼の旅」と「地中海」を背負って立つ筈だった小野茂樹の事でした。
世界遺産の旅の重要な場所、キリスト教の三大聖地の一つとして、私は何度かテレビで見たことがありました。
この「星の野原の聖ヤコブ」の巡礼を取り上げた放映はずっと昔から何度も見ておりました。
他界された奥様の鎮魂の意味と、イスラエルの旅の後、本当は奥様もこのコンポステーラの旅を一緒にしたかったのだと、「同行二人」の意味も含めて何度も何度もこの「四季の〈うた〉」に取り上げておりましたね。
イスラエルとパレスチナ問題は国連決議の事と、イスラエル人の音楽家・指揮者ダニエル・バレンボイン、パレスチナ人の哲学者サイードの対談を少し読んだことがありますが、三千年の歴史に端を発するとはいえ、本当に複雑な思いにかられます。
 それから小野茂樹が大変詳しくとりあげていただいてうれしかったです。もちろん草弥様の「地中海」誌への文章は昔、読んでおりました。
再度読ませていただき感慨を深く致しました。小野茂樹・雅子夫妻のお嬢さんは随分前に結婚され、女のお子さん(つまり雅子さんのお孫さん)が一人居られます。
雅子さんは地中海の総務部、玉井綾子さんは編集部で活躍されております。彼女の第一歌集は現代歌人協会賞候補になったことがありました。これからが楽しみです。

 前の方に載る、第二歌集『嘉木』の合歓の花歌と「若き日の恋」はとてもいいですね。千葉に「合歓」という短歌結社があり、久々湊盈子さんが主宰しておりまして、とても魅力的な季刊誌を発行しております。

 「フジタ礼拝堂」のことも、やはりテレビからの知識で存じておりました。彼はやはり戦時の日本に帰って来るべきではありませんでしたね。
あの一世を風靡した乳白色の品格のある裸婦の絵はすごいものでした。日本に一時帰ってからの、彼の圧倒的な描写力が仇になって、戦争に協力させられた部分は、被害者なのか加害者なのか意見が分かれるところですが、結局戦後の日本人の目が気になってフランスに戻ってからのフジタが本当のフジタであると私は思っております。

 イスラエル紀行は、サンチャゴ・デ・コンポステーラの旅と同じくらい沢山出てきますが、私がまだ十代の頃、亀井勝一郎の宗教選集を読んで特に『三人のマリア』が心に残っているものですから、木村さんの紀行文にいちいち頷いて読ませていただきました。

 大変雑駁な読み方で申し訳ありません。木村様のエネルギーを私も頂戴したいなと思いながら読ませて戴きました。
 ありがとうございました。どうぞお元気で。     七月二十四日          @三浦好博
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敬愛する三浦氏から、今回も自分の読書に引き付けて精細な「評」を賜った。
このようによく読み込んでいただくと、作者冥利に尽きるというものである。
触れて頂いているイスラエルの旅は、ミレニアムの年、2000年に行ったものだが、亡妻も幾つかの旅の中でも一番印象に残っている旅のようで、友人にも、しきりに話していたようである。
この旅は五人だけのもので、小さな車バンに私たちと添乗員、現地ガイドと、イスラエル国民だがイスラム教徒の運転手という構成で十日間イスラエル各地を周遊するというものだった。
運転手が礼拝する時刻が来ると、車を停めて私たちは待機するという、なごやかな雰囲気で運行された。これこそイスラエルとアラブの共存を象徴するものではないか。
これらについては私の歌集と紀行文に詳しいので参照されたい。 → 「ダビデの星─イスラエル紀行80首─」
三浦さん、いつものことながら有難うございました。




『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・秋山律子
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       『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・・・・・秋山律子(「未来」会員)

拝啓。
『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』ご恵贈頂きまして有難うございます。
私の書かせて頂いた『嬬恋』の書評も載せて頂いて、懐かしく嬉しく読ませて頂きました。
それにしても弛まぬ旺盛なご活躍を敬服しつつ、その詩歌を愛しておられる歓びをこそ、読む者を魅きこんでゆく一番の所だと拝読させて頂いています。
少しのご縁を持たせて頂いたことも嬉しく、あちこちにページを繰りながら楽しく読ませて頂いています。
ありがとうございました。    敬具。        秋山律子
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この書評は秋山律子『嬬恋』書評「地球はアポリア」 で読めるのでアクセスされたい。
秋山律子さんは近藤芳美の古参の弟子で、「未来」誌の広告にも「主要作家」として名前が出ている人である。
有難うございました。


『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・武藤ゆかり
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       『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・・・・・武藤ゆかり(「短歌人」会員)

このたびは、ご高著『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』を賜り、誠に有難うございます !
拙著へのご批評もあり、嬉しくて夢中で読んでいるところです。
   <ひともとの八つ手の花の咲きいでて霊媒の家に灯りつき初む>
かつて日本に多く存在していた霊媒に、私も思いを馳せてみました。
とても印象的な一首ですね。
同梱したのは旧著です。ご笑納ください。  七月十五日      武藤ゆかり
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敬愛する武藤ゆかり氏から私信と評と旧著・詩集『水の一族』が恵贈されてきた。
この本に載せた文章は → 武藤ゆかり詩集『夢の庭』 で読めるのでアクセスされたい。
この本については別項で採り上げることになる。 有難うございました。



『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・小谷陽子
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       『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・・・・・小谷陽子(「ヤママユ」会員)

蝉の声に目覚める日々となりました。
御著『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』を賜り、心より嬉しく、感謝申し上げます。
拙歌集『ねむりの果て』の拙歌をたくさん引いて下さり、御文章と共に改めて活字になり、本当に有難い思いにおります。
一番うれしかったのは、愛する大阪の地名の歌について言及して下さったことです。
総合誌などの書評では、他の作についての文章が殆どで(関西圏の方がおられなかったという事もあり)、本当に有難く存じました。
また犬のミサキの歌も多く引いて下さいました。
このミサキは、前登志夫先生の愛犬サクラの産んだ雌犬で、思いがけない妊娠で困っておられたのを貰い受けた大切な宝でした。
私たち夫婦には子供のない事もあり、密接に関わったせいか、やはり詩人の孫(?)のせいか、とっても人間くさい面白い犬でした。
「ゆったりとした「かな」文字の起承転結にたゆたう心地がした。」という御鑑賞には、木村さんの独特の詩的感受性を深く感受し、とても嬉しく存じました。
巻頭の吉野弘の詩から得る人間の謎、木村さんの「1/fの揺らぎ」の、いのちに対する思念と、その波動の伝わってくる詩から始まり、他の詩形の作品の紹介と鑑賞(特に自注)と、多彩な内容は今までと同じく、刺激的で、面白く勉強になります。
<サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道(7)>でパウロ・コエーリョの言葉「巡礼とは、生まれ変わること。」というのに呼応して玉井清弘さんの四国遍路への思いを載せておられるのを、普遍的な人の心の奥底を見るようで興味深く思いました。
  <水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり誰よりもこの女のかたはら    木村草弥>
人と人との「えにし」の深さを思いつつ、今日の月を眺めています。
炎暑の折くれぐれも御身ご大切にと念じ申し上げます。   七月十九日    小谷陽子
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火谷陽子さんから、お喜びの私信と評の手紙が届いた。
なお、小谷陽子歌集『ねむりの果て』 ← こで読めるのでクリックしてみてください。
有難うございました。



『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・貝沼正子
参_NEW
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・・・・・貝沼正子(「未来山脈」編集委員)

木村草弥さま。
うっとおしい長雨が続いておりますが、お変りございませんか。
今回は『四季の〈うた〉<三>』のご出版まことにおめでとうこざいました。
ブログ抄とは言え、ここ半年余で三冊も出版される精力的なご活躍には圧倒され感心するばかりです。

木村様の博識の詰まった本をゆっくり拝読したいと思います。

   楢の木の樹液もとめて這ふ百足 足一本も遊ばさず来る

   水馬がふんばつてゐる風でもなく水の表面張力を凹ませてゐる

   黄落を振り返り見る野のたひら野はゆく年の影曳くばかり


印象的な歌で面白いと思いました。
暑さの折柄ご自愛の程お祈りいたします。     2021年7月12日       貝沼正子




『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』関連Word資料・・・山崎輝男
参_NEW
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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木村草弥 様
頂戴しました歌集の中でイスラエルの事も述べられていましたので講演録をお送りしました。
アナビアンさんは父がイスラエル人、母がイラン人なので、いつも生々しい中近東情勢などをお聴きしています。興味深いと
思いますのでお読みいただければ幸いです。
山﨑 輝男 拝

      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』関連Word資料・・・・・・・・山崎輝男(「未来山脈」会員)

山崎氏から、この資料が送られてきた。長い文章だが、面白い内容の記事なので、ここに貼り付けておく。読んでみてください。
挿入写真も山崎氏の提供によるものである。

IMG_1041 (002)サントゥール演奏
 ↑  サントゥール演奏 プーリー・アナビアン 

          泊まり火会特別企画
             講 演 録    平成30年7月2日  場 所:神戸市勤労会館

        70歳の誕生日を迎えたイスラエル
         ~小さな砂漠の国から技術大国へ~

IMG_1047 (002)講演者
↑ 講演者 ダリア・アナビアン

                 サントゥール演奏者 プーリー・アナビアン
                 ペルシャ文化伝道師 ダリア・アナビアン

聖書に描かれている乳と蜜が流れるイスラエル国は70歳の誕生日を迎えました。イスラエルは若くて旧い歴史を持っています。ヘブライ人はバビロニア時代からユダヤ暦を使用してきました。今年は5778年です。2千年前にイスラエルは、ローマ帝国との戦争に負けて国がなくなりました。ユダヤ人は、国を失い、世界中に散らばり、国を持たなくてもユダヤの伝統、言語、教会を守り、国が亡くなっても生き延びてきた唯一の民族です。そして、100年前に再びイスラエルを建国する運動が始まりました。それをシオニズムといいます。シオンの丘、エルサレムに戻りましょうという意味です。私のおじいちゃんもシオニストの一人でした。 

■ 祖父はイラン出身のシオニスト
紹介します。テルアビブの父方の祖父です。
96歳になっても、毎日地中海沿いのカフェに行って、カプチーノを楽しんでいました。彼は1948年の建国以前から住んでいるのですが、実はイランからイスラエルにやってきたのです。
祖父はイランの兵役を逃れるために、何頭ものロバを乗り継いでイラクからレバノンに渡り、フランス語がペラペラだったのでフランス人になりすましてフランスの船に乗ってイギリス支配下のパレスチナに着きました。密入国で国ごとに次々と刑務所に入れられ、袖の下のお金を払って自由になりました。

■ パレスチナに生まれた父
白いシャツを着て手を引いているのが私の父です。今は、イスラエルに住んでいます。父は、イギリス政府が統治していたパレスチナに生まれ、小学生のころ、イスラエルが建国されました。大きな歴史の変わり目に育っていったのです。

■ フィリピン看護師に介護された祖母
この写真に見えているのが私のおばあちゃんです。後ろに立っているのはフィリピンから出稼ぎに来ている看護師ですが、イスラエルの至れり尽くせりの介護福祉士制度で10年間も介護がつきました。このナースとは7年間一緒でしたのでファミリーの様になりました。最後の方では二人も介護がつきました。フィリピンの物価はイスラエルの1/10ですので多くのフィリピン人が出稼ぎにきており、すぐに本国で家が建つと言っていました。
イスラエルは日本と同じように高齢化が進んでいますが、日本以上に手厚い介護制度があります。中東は親の面倒をみなくてはいけないと言う旧い文化が残っています。
手厚い看護のお蔭様で、おばあちゃんは96歳まで長生きしました。
おばあちゃんは、アルツハイマーとパーキンソン病。毎日ちびマルコを見ていました。日本の漫画はぜんぶヘブライ語にふきかえられ、毎日放送されています。イスラエルは、医学が発達しているため、パーキンソン病を抑える薬が開発され、病人は悪くも良くもならない状態で長生きし、周囲はさらなる看病で嘆いています。「私らが先に天国行って、おばあちゃん、生き残るんちゃうかー」って我が家では言っていました。10年間も家で看病し、最後の2年間は喉の筋肉が緩んで水も飲めなくなりました。水をジェルで固めて、スプーンで飲ませていました。
 ある日、ジェルの水がとうとう喉に引っかかってしまいました。本当はそのまま天国に行かせてあげた方がお祖母ちゃんの幸せだったのに、つい電話をとって「助けてー」と救急車を呼びました。これが人間の本能ですね。天国に行った方が楽なのに、どんな状況でも最後まで命を救いたいのですね。そこから病院で入院し、1年間、三つのチューブに繋がれたままでした。

■ シオニストのためのヘブライ語の学習
イスラエルに移民すると聖書の言葉ヘブライ語を無料で学べます
語学学校が沢山あり、私も1年間ヘブライ語を勉強しました。ヘブライ語を学ぶと、初めてイスラエルの社会にとけ込んでいけるのです。写真に見られるように教室にいるのは世界中からイスラエルへ移民してきた人たちです。
■ ユダヤバージョンのハロウイン:プリム祭
イスラエルに住み、イスラエルの歴史に彩られた様々なお祭りを一年間体験しました。まず春は、プリム祭、ユダヤヴァージョンのハロウイーンのようにみんな仮装します。
写真は私が毎朝、学校に通っていたバス停です。お姫様の恰好をした少女がいます。
ユダヤ暦アダルの月の14日に開催されます。2016年は3月23日に当たります。イスラエルではその数日前から大人も子供も皆仮装して楽しみます。
 プリム祭は聖書のエステル記に由来し、紀元前586年にエルサレムはバビロニアに滅ぼされユダヤ人の多くは捕囚となりバビロニア各地に強制移住させられました(バビロン捕囚)。またペルシャ王の側近の高官ハマンは中東全域に住んでいるユダヤ人を皆殺しにする虐殺計画を立てました。ペルシャ帝国時代一番の美人のユダヤ人女性、ペルシャ王后エステルはこの計画を知り王に虐殺を止める様に進言したのです。エステルの叔父であるモルデハイはエステルの協力を得て、ユダヤを迫害する敵と戦い大勝利を収めたのがアグルの月13日でした。翌14日は喜びに溢れ大宴会を開き、民族が救われたことを喜び踊り狂ったとされています。彼女は虐殺を止めることができたヒロインなのです。だから、この時は皆ヒロインになりたいから街中お姫様だらけになります。

■ 過ぎ越し祭(ペサハ)
冬は、過ぎ越し祭りです。シナイ山で十戒を受ける物語です。十戒と言えば「チャールトンヘストン」主演の映画で有名になりました。最近では十戒が「エキソドス」という題名の映画でも描かれましたが、聖書物語が恋愛物語に改編されていました。チャールトンヘストンが活躍していたころの黄金時代のハリウッド映画には及ばなくなりましたね。
モーセがエジプトから逃げて、ミルクと蜂蜜が流れる国を探すためにシナイ山で40年間砂漠でさ迷ったとき、パン種を発酵させて、焼く暇もありませんでした。それを思い出すために、わざわざパンの代わりにまずいクラッカーを一週間食べます。
先祖がどれほど苦労して砂漠をさ迷ったか、発酵していない固いぺっちゃパンを食べて我慢していたか一週間体験し、思い起こします。ユダヤのお坊さんが工房で一生懸命にまずいパンを作ります。この約束された土地に住めるのは先祖の忍耐のお陰です。

■ 植樹活動
毎年一人一本の木を植える運動です。オリーブの木からヤシの木まで様々な木を植えるのです。砂漠に花を咲かせた国で、イスラエルの茂った森を見るとそれが人工栽培とは信じられないのです。世界の大統領が訪れれば誰でも皆木を植えさせられるのです。ペルーの大統領が来ようと、ザンビアの大統領が来ようと、バチカンが来ても皆木を植えないと帰らせてもらえないのです。テルアビブを見ると都会も砂漠も樹が一杯です。テルアビブを離陸する時も大地にしっかり根を張った樹木が茂り、深い緑が広がっています。21世紀に入ってこれだけ樹が増えている国はイスラエル以外にはないのではないでしょうか。

■ 私は年に3回お正月を祝う
・(日本の西暦)1月1日:日本のお正月
・(ペルシャの拝火教の太陽暦)3月21日:イランのお正月
・(イスラエルの陰暦)秋 9~10月:イスラエルのお正月
秋は果物が実る季節だからイスラエルでは秋にお正月を祝います。スイートな年になるようにと願いを込めてリンゴを蜂蜜につけるのです。
日本のお節料理の様に、お節料理それぞれに意味があり、一つ一つお祈りして食べていくのです。豆は懐に沢山お金が儲かりますように。ザクロは良い種が一杯ばらまかれますように。ニラは人生の苦味が消えますように。人参は友人が増えますように。魚は頭がいつも前を向いているので、前のみを向いて人生を歩んでいきましょう。後を向いたら聖書に書いてあるように塩の柱になるのです。旧約聖書の『創世記』19章に登場する聖書物語でソドムとゴモラというモラルが悪化した都市からユダヤ人が去る時に後ろを向いてはならないと約束したのに、一人が後ろを向いてしまい、塩の柱になってしまったのです。この話はハリウッドの映画にもなっています。

■ ヨムキプール(贖罪の日、断食の日)
 甘いお正月が終わると10日後に断食の日が巡ってきます。イスラム教の1ヶ月も続くラマダンとは違って、ユダヤ教では一日の断食です。国の法律でも、この日は24時間、車、バス、タクシーが一切走ってはいけないのです。この日は、鳥の囀り、風の音、子供の笑い声がよく聞こえ、日常とぜんぜん違う世界が広がります。日本にも一年に一日だけこういう日を取り入れたら、国民に違う世界が見えると思います。昭和の時代は、デパートや工場、ほぼすべての店が閉まっていました。だからお節料理もコンビニや電気屋さんで買うのではなく、家で心を込めて一品一品を作っていました。
 この日、超正統派ユダヤ教徒の男性は髭を剃ったり、女性は化粧をしたり労働することは禁じられます。
 イスラエルのユダヤ教人口の半数近くは「世俗派」で日常生活ではユダヤ教の規定に則った生活をしていませんが、ヨムキプールだけは特別で世俗派ユダヤ人もこの日だけはユダヤ教規定を守ります。大半の人は断食し、運転はしません。普段、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)に行かない人もこの日だけは行きます。とは言っても町中のレンタルビデオ店でビデオがなくなっているので、聖なる静寂な街のなかで家にこもってビデオを見まくりですね。

テルアビブの風景は、静寂に包まれた道路。子供が主人公になっている道路。私は祖国にいながら、こんなことも知らされていなかったのかとカルチャーショックを受けました。イスラエルでも、日本よりも平和な一日があるということに驚きました。
断食の日はショファールと言う羊の角笛を百回吹きます。その姿が山岳信仰の山伏によく似ています。イスラエル人が頭にテヒリンという小さな箱を付けて角笛を吹きます。日本では「トキン」という同じ様なものを額につけてホラ貝を吹きますね。断食と角笛を吹く行事が終わると秋の収穫祭「スコット」になります。果物や、全粒粉のパンなど、今年実った農作物を野外で食べます。

■ 聖書祭(トーラー祭)
聖書のことをヘブライ語でトーラーと言います。聖書の1頁目から読み始めて1年53週、最後のページをめくった時に「トーラーの巻」を御輿の様に担いで道路に出てダンスします。ロック音楽がかかってお坊さんもヒップホップするのです。下記の写真にあるように男性たちは何故カッパのような帽子を被るのか。その帽子のことを「キッパ」と言います。ユダヤ人は、2千年間、世界を放浪し住処を作っては、追放されてきました。そのたび家、財産、お金、仕事を取り上げられました。ひとつだけ取り上げられないものがあります。それは頭脳です。だから小さな帽子で被せて守るのです。
しかし、この言われを一人一人のユダヤ人に聞くと違う答えが返ってくると思います。

下記の写真はうちの父です。トラノマキを担いでいます。トラの巻の形が祇園祭に使われる鉾によく似ています。
祭で山車を運ぶとき「えっさ」という掛け声がありますね。これも日本語とヘブライ語の類語です。担ぐという意味です。他にも類語がいっぱいあります。「アンタ」という言葉はアラム語からきています。アラム語→ヘブライ語→アラビア語では「アンタ」のことをアンタと言います。ヘブライ語ではアタといいます。「だべる」もヘブライ語で話すということです。「ばれる」もヘブライ語では明らかになるという意味です。乳と蜜が流れる国の「ミツ」もヘブライ語です。
実は、日本語に500ほどのヘブライ語が伝えられていると記録されています。「日本書記と日本語のユダヤ起源」ヨセフ・アイデルバーグ著 久保有政訳 徳間書店から引用。「今日」とか、「肩」とかもそうです。著者ヨセフ・アイデルバーグによると大和朝廷の国作りのときに、大陸の騎馬民族が伝えたようです。放浪ユダヤ民族の歴史の足跡が残されたと思われます。
祇園祭りもイスラエルと深いかかわりがあります。祇園祭のメインである山鉾巡行が行われるのが7月17日。この日イスラエルでノアの箱舟がアララテ山の頂上に漂着し、神の救いを確認したお祝いの日。この祭の原点が「シオン祭」と思われます。
聖書のソロモン王から二分だけ引用します。「ソロモン王の神殿が完成したとき、ソロモン王は、イスラエルの部族長をダビデの街、エルサレムに呼び、シオンから契約の箱、アークを担ぎ上ることを計画した。・・・第7の月の祭りにイスラエルの全長老が集まるとアークの箱を担いだ」
小さな神殿幕屋を並列に担いて行進する聖書の描写は、まるで祇園祭りの風景ですね。
昭和時代までは、節分になると日本中にイワシを焼き、匂いがすごかったんですね。聖書でも魚の内臓を燃やして煙で悪魔を追い出すことが書かれている。ここに由来しているに違いないです。今はスーパーで焼かれた魚が売られ、肝心な煙の効果が忘れ去られ、ますますその由来が分からなくなっている。
祭が好きなのも共通点です。秋は祭ばかりで、もうこれでしばらく祭はこりごりだとみんなが言い出します。商売も仕事も止まって、料理とパーティーの準備ばかりで、くたびれます。宴会の後の掃除もたいへんです。毎晩パーティー、パーティーで、早く日常生活に戻りたいとみんな嘆きます。秋の祭の連続が終わると、みんな自分のお仕事に戻ってほっとします。

■ 光の祭典
冬には、光の祭「ハヌカ」がクリスマスと同じ時期に巡ってきます。8本のろうそくを飾ります。
紀元前二世紀、ヘレニズム文明が広まり、ユダヤの掟が禁じられ、割礼や安息日を守ることや律法の勉強が禁じられました。ギリシャ軍がユダヤ神殿を占拠して、燭台に炎を灯すための油壷をぜんぶ壊してしまいました。ユダヤ人がギリシャ軍をやっつけて神殿を解放したとき、ひとつだけ油壷が見つかりました。一日分の油しか入っていなかったのに8日間も燃えつづけました。その炎は、ユダヤ人が滅びない証でした。この奇跡を記念して、ハヌカ祭で燭台の8本の蝋燭立て(ヘブライ語で「ハヌキア」)に毎晩一本ずつ増やして、灯していきます。
アメリカのクリスマスのようなギラギラした飾り付けと違って、街中、素朴なロウソク立てに火を灯し、その静謐さが私は好きです。
このときに、中にジャムが入ったドーナッツを食べる伝統があります。ユダヤ帰還運動のために建てた学校に通っていた時もクラスの中にヘブライ語の先生がドーナッツを配りました。

■ 年越しドーナッツが配られるヘブライ語学校
教室にはいろんな国の生徒さんがいました。グルジア、ウズベキスタン、ロシア、ドイツ、南アメリカ等など。ちょうどクリスマスの時期に当たるユダヤ教のハヌカ(光の祭)に年越しそばならず年越しドーナッツで光の祭を祝いました。
このクラスにいた生徒さんは、何故ドーナッツが配られるか、そのユダヤの習慣を知らないことに驚きました。どうなっているのかと思ったら、ユダヤ人が教室にいないことに気付きました。いろんな国から出稼ぎにきているか、ユダヤ人と結婚してイスラエルに移住したか、ユダヤ帰還運動のために建てた学校であるのに、ユダヤ人は私一人しかいないことに気づきました。

■ イスラエル人は関西人と似ている 
ヘブライ語学校の入学式に校長先生が挨拶しました。「皆さん、慣れないイスラエルに住むことになり、これから1年間ヘブライ語を学ぶことは大変ですが頑張ってください。もうすでに気づいていることでしょう。スーパーに行ってもバスに乗っても、イスラエルは度々戦争があるため、国民がナーバスになって攻撃的になることがあります。イスラエル人は表現がとてもストレートです。嘆き、押しの強さ、感情や情緒をオープンに表すことが人間の素敵な要素とされているけれど、感情におぼれるのがいけないのです。これはイスラエル人にとって、改善することが難しいことです。大声を出してブラックジョークを飛ばしたり失礼なことを言って笑いをとったり(ここが関西人との共通点)すのは得意ですが、人の話を聞くのは苦手です」
「ヘブライ語が一夜で学ぶことができない様に、一日で平和を取得することは出来ません。家族や隣人と平和に暮らしていくことだけではなく、テロリストが何を言っているか耳を傾けなくてはいけません。これからは忍耐力を持って頑張ってください」と校長先生は言われました。
10年前に聞いたイスラエルでのスピーチは、もはやイスラエルの問題だけではありません。テロが氾濫している世の中の問題になっています。イスラエルは、先駆けてテロの問題に向き合ってきたのです。

■ 仲良く暮らすアラブとイスラエル
2016年、私はイスラエルの西岸地区に滞在しました。実はここに私の伯父さんが住んでいるのです。エルサレムのセントラルバスステーションでバスにのって西岸地区にいきます。
砂漠の丘の上を走ります。道路を挟んでユダヤとアラブの街に別れ、右と左で異なる世界が広がります
一方、アラブ側は荒野に羊や驢馬が放牧されて、煙がいつも上っていて聖書で描かれている遊牧民の生活そのもの、それがアラブの地域です。
もう一方では整然とした建造物、公園、カフェ、ショッピングモール。ネオンライト、ヤシの木が立ち並ぶのがユダヤ人側です。コンクリートの壁で区別されているところもありますが、イスラエル側だけアラブとユダヤが混じって生活しているのです。イスラエルは民主主義だからです。
イスラエルのタクシードライバーが言うには、アラブ人の方が絶対長生き
すると。なぜなら、近代化しているイスラエル人は防腐剤の入った食物ばかり食べていますが、アラブ人は自然食を食べているからです。

■ テルアビブの下町
テルアビブのダウンタウンです。大阪の下町の様なところですが、アラブ人もイスラエル人も一緒に買い物をしています。赤いシャツを着ている人は私の従兄です。
こういう場所でもよくテロ事件が起こります。巻き込まれるのはイスラエル人だけではなくアラブ人です。発表される死亡者の数字はイスラエル人と表示されていますが、多くのアラブ人も入っているのです。

■ イスラエル料理は世界の料理
イスラエルのレストランにアラブ人だってたくさん食べにくるし、私たちもアラブ人のレストランによく行きます。野菜中心に、パンと乳酸品、地中海だからお魚も、お肉も、豆も、オリーブオイルも、料理の種類がすごく豊富でバランスがとれているんです。まずレストランに入るとテーブルに10種類のサラダが並びます。でも、それはまだ前菜です。まだ注文もしていないのにこれだけ出てくるとお腹がいっぱいになります。
豆類もいっぱい食べます。とくにひよこ豆、それをペースト状にします。
世界のあちこちに2千年間散らばっていたユダヤ人がイスラエルに帰還してきたときに皆それぞれの国の料理を持ち込んできました。なので何がイスラエル料理かぜんぶは紹介し切れないんです。東ヨーロッパの人が持ち込んできたのがプレッツェルやベーグル、オーストリアの人はスパイシーなシュニッツェル、ポーランドの人はまずいスープ等。
今一番人気があるのはイスラエル寿司です。どこのショッピングモールに行っても、必ず色々な形の寿司が提供されています。「こんなん寿司と違うわ」と言われる様な寿司もあります。こんなにチャンスがあるのに日本人の進出はなく、タイ人などが「寿司」を握っています。ハリケーン寿司、クレイジー寿司等の名前がついた、天かすやマンゴーがのった寿司ですが、バラエティに富んで、クリエイティブで、なんと味がイ
ケるのです。
商店街と最近はアメリカンスタイルの巨大なスーパーもいっぱいできてきました。
果物をひとつ抓んで食べても怒られないんです。みんな一キロ単位でかうので平気です。
建国当時、父が子供のころは、ヨーグルトといえば2種類、チーズも2種類、牛乳は一種類。人生はシンプルでした。選択がなかったから、みんなハッピーでした。これほど、乳酸物の種類が増えると悩みと欲が増えるばかりです。
写真にあるように父がどのヨーグルトにするか悩んでいるところです。最近は、牛より羊、やぎ、水牛の乳酸物の方がよいと研究で発表され、スーパーで一度に増えました。聖書の時代の食べ物に戻っているんですね。

■ テルアビブダウンタウンとガザ地区の協業で作られるジーンズ
ジーンズをデザインする従兄弟ジャッキーのアトリエは、テルアビブの下町にあります。
ジャッキーは、型紙を使ってジーンズの裁断をします。裁断が終わると、大きなポリ袋に布地を放り込み、その袋をガザ地区に送っていました。
ガザ地区に住んでいるアラブ人に縫製をしてもらっていたんです。ジャッキー曰く「私達は25年間もアラブ人と一緒にいい仕事をしてきた。お互いを支え合ってきた。彼らは、僕が布地を送るのをずっと待っている。
40家族も待っている。でも僕達たちが仕事できないように邪魔をされているのだ。イスラエルを認めてくれないガザ地区の政府、ハマスは、パレスチナの政府を名乗ったテロ組織です。目的はイスラエルを地図から抹殺すること。日常茶飯事のようにイスラエルへどこに落ちるか分からない風任せのミサイルを発射しているのです。
従妹は、言います。「ガザ地区でどれだけの家族が僕たちのために働いているか。下町だけでも、どれぐらいの経済貢献か。でも、少数のテロリストがガザとテルアビブ行きの小荷物にも爆弾を隠していたために、荷物の運搬までが閉ざされてしまった。ガザの門が封鎖され、普通の荷物が送れなくなった。アラブ人が仕事を待っても届けることができない。ガザの境界線が早く解放されないと僕のデザインしたジーンズが流行遅れになってしまう。ヒットラーは6百万人のユダヤ人を殺戮し、ハマスはそれを完成させるためにイスラエルに住んでいるアラブ人も巻き込みながら、さらなる9百万の人々を虐殺したいのか。ナチは、ハマスに代わり、風邪任せのミサイルをイスラエルに送り込み、その理由を正当化してメディアはそれを取り上げ、イスラエルをモンスターとして報道し、テレビを見ている人の感情だけが煽られる。地図にも見えないぐらいの小さなイスラエルで、ジーンズをデザインしているような私は、世界にとって そんな重要人物か。」
ずっと経済で繋がっていたガザのアラブ人と仕事が途切れ、彼らの顔も見られなくなり、今は電話だけで繋がっている。
僕と25年間、仕事をしてきたガザのアラブ人たちの電話番号を壁に貼ったままだ。
彼らとの電話の会話。
「僕はもう、疲れた。髪が真っ白になったよ」
「真っ白だったら染めたらいいじゃないか、僕は禿げたので、どうしようもないよ」
「僕は、縫製をしてもらうために中国にいくよ」

■ テルアビブに初めてミサイルが届く
イスラエルは、国際社会の言っていることに従っても上手くいかないことを何度も経験しました。ガザ地区から出たら平和になると国際社会は言い続けました。シャロン首相は、国際社会(国連とメディア)に従ってイスラエルはガザ地区をハマスに返還しました。しかしそこから10年間、平和の代わりに1万発のミサイルがイスラエルに飛んできました。ついにはテル・アビブにも届くようになりました。子供は、昼は学校にも行けない、夜は寝られない、おまけにパレスチナ人の生活水準もさらに低くなりました。自分の一生をイスラエルに捧げたシャロン首相が何故、最後にこのような失敗をしたのか。イスラエルにとってはこの衝撃が酷すぎて、以後国際社会の声に耳を傾けることはありませんでした。
2014年夏にイスラエルはガザ地区にあるミサイルの倉庫を攻撃せざるを得ない立場に追い込まれました。7月20日、イスラエルの祖母がとても調子が悪くなり、戦争中に私は日本からイスラエルに飛んで行き、祖母に会える最期の機会だと思ったのです。
父は祖母のことを神に祈ったのです。「母は3本のチューブに命が繋げられて、あんまりです。神様、なんとかしてください」3日後に祖母は内出血を起こしました。それを止めるために医者は新しい薬を処方しましたが、間違った抗生物質を与え、お祖母ちゃんは風船のように
膨らみました。そして、神が迎えに
来ました。
うちのテルアビブのリビングルームは、9年間、老人ホームでした。残りの1年、祖母は病院で植物人間になりました。祖父母が揃って撮った最後の写真です。祖母は大きなあくびをしています。

■ イスラエルのお通夜
祖母は2014年7月23日に亡くなりました。今まではミサイルが届くのはイスラエルの南部地方だけで中部のテルアビブまでは届かなかったのです。
私が日本からテルアビブへ、葬式に飛んでいく日にミサイルがベングリオン空港の近くに落ちました。私の叔母の住んでいるイエフードという町に落ち、家が一軒燃えました。道ひとつ違っていたら叔母の家に当たっていたところでした。アメリカ連邦航空局が “イスラエル・ガザ地区紛争による危機回避” と表明し、それに従った主要航空会社の60ものフライトが36時間飛行中止しました。お陰で私は祖母のお葬式に間に合いませんでした。「空港にミサイルを落とさせない技術を持っているのに、これはテロリストのご褒美ですね」とイスラエルはアメリカ連邦航空局をはじめ、世界の航空会社に表明しました。
日本でも御通夜がありますが、イスラエルでは1週間も行うのです。家のドアを一日中開けっぱなしにし、お悔やみのために友人や長いこと会っていない親戚がやって来ます。
その1週間は停戦になり、まるで祖母の為の束の間の平和でした。
お通夜にはナツメヤシやアラビアコーヒーで思い出話をしながら心を鎮魂します。そのお通夜が終わった夜、初めてミサイルの音を聞きました。「お父さん、これ花火?」と私が聞くと「ミサイルが空中で爆発した」と父が答えました。
イスラエルではミサイルが飛んできたら95%は迎撃できるのですが、落ちてくる破片に当たると危険なのです。イスラエルではいつ戦争が起こるかわからないので、すべてのマンションにシェルターの設置が法律で義務づけられています。ミサイルが落ちる前にサイレンが20秒鳴ります。サイレンが鳴り続けるのをずっと聞いていると、オートバイのエンジン、風の音、猫の鳴き声、子どもの笑い声、すべてがサイレンの音に聞こえてくるのです。
日本で地震や津波が起こったときのようにどこへ行ってもテレビで戦争の情報を見たり聞いたりしていました。そればかり見ていると戦争トラウマになるので、イスラエルのテレビ局も方針を変え、戦争の真最中に日本に負けないくらいのバカ番組をやるようになりました。お料理番組も増えます。どこかでミサイルが落ちてサイレンが鳴っているのに、テレビのスタジオでは、チョコレートケーキに生クリームをのせているんです。戦争をチョコレートケーキで乗り越えるのかと思いました。
戦争をお笑いで乗り越えること番組も制作されます。サイレンがなったときに、アナタが持ち出す一番大切なものをものは何ですかと喜劇番組で問われました。テレビの部隊では、一人のお父さんは、子供のことをすっかり忘れて、サッカーで優勝したときの額入り写真を壁から外して逃げました。

■ ガザ地区からイスラエルに通じる600のトンネル
ハマスは、ガザ地区からイスラエルに通じる600本もの違法なトンネルを作りました。武器がそのトンネルを通ってイスラエルに流れ、テロを起こすのです。武器は全てイラン製です。これは非常に難しいオペレーションなのです。イスラエルとしては一瞬に破壊することは技術的には可能なのです。しかし、トンネルはどのようなところで作るかと言うと、普通の家のキッチンにパレスチナのリーダーが来て、ここでトンネルを作りますと言い、反対すると即銃殺です。民間の家の台所などに強制的にテロトンネルを作らせているハマスは、パレスチナ人を一番可哀想な立場においているのです。イスラエル兵士がトンネルを攻撃するために一軒一軒各家を訪ねて確認しなくてはならない危険な立場に追い込まれます。イスラエル兵士も可哀想な立場に置かれているのです。初期のテロトンネルはモグラが掘るような粗末な穴だったのが、いつの間にかコンクリートで加工された立派なトンネルが出来上がっていたのです。これらのコンクリートは元々イスラエルが病院や学校を建てるためにガザ地区に送ったものです。インフラの整備や教育をさせる代わりに子供達の手でトンネルを建設させたのです。コンクリートがこの様に使用されているのを見て、イスラエル人も驚きました。
2014年の戦争では、ミサイルの倉庫とテロトンネルを爆撃したのです。倉庫に使っていたのは国連が建てた学校です。国連は、そのことを知って知らんふりしてきたのです。可愛い子供達が遊んでいる地下にテロリストがうろうろしています。
テロトンネル爆撃オペレーションするイスラエル兵士は、ガザ地区に住んでいる国民に対してメガフォンで「危ないですから皆出てきて下さい」と忠告しながら爆撃していきます。しかし、ハマスは民間人を人間盾として家に閉じ込めるのです。病院や子供の学校からミサイルを発射させ、イスラエルをそこに攻撃せざるを得ない立場に追い込まれます。マスメディアでイスラエルは女性や子供を爆撃するモンスターとして描くのです。世界で反ユダヤ主義がどんどん生まれます。イスラム諸国で「ユダヤ人虐殺は手ぬるかった」、「本当のホロコーストを待て」と書かれているバナーが道で挙げられます。
パレスチナ国民とイスラエル兵士を白と黒に色分けして、チェスの駒のように動かし、ゲームの汚いトリックのなかで抹殺されていくのです。このようなゲームを生きた人間を使ってやるから恐ろしいのです。それをテレビで見ている人たちは感情を煽られるだけです。冷静にこのような話をすると、「裏付けは?」と問われるのです。しかし、テレビの情報に対しての裏付けは問わないのです。マスメディアが一面的な映像を繰り報道することで集団催眠術にかけているからです。
現実は決してチェスの駒のように白と黒に分けることができません。ヘナで染めた真っ赤な髭のアブ・ティールというパレスチナ暫定政府自治評議会の副議長がいつもテレビでイスラエル抹殺運動を宣伝しています。でも彼は、エルサレム生まれのイスラエル国籍でイスラエルの国民年金をもらいながら、イスラエルの破壊工作をどうどうとやっています。ハマスがイスラエルのデモクラシーを悪用しているところは、メディアは見せないのです。

■ マスコミ報道は明らかに偏っています
アメリカの歴代大使館は1999年から大使館を首都のエルサレムに移転させるべきだとずう~っと言ってきましたが、この度トランプが実施し、エルサレムのアラブ系市長は「私の一生の中で一番嬉しい出来事だ」と喜んでおりました。しかし、市長が喜んでいた事は報道されませんでした。大使館移転問題を取材するため、NHKのレポーターもエルサレムに行きました。彼女は帰国後私のところにも話を聴きにきました。NHKは、他のマスメディアと同様にネガティブな報道しかしません。NHKのレポーターが、イスラエルでインタビューすると場所によって色々な意見を聞き、一つの答えはないと分かったのです。彼女はNHKの指示通りネガティブ報道をしましたが、全然ネガティブではないアラブ人もたくさんいたことが解ると、真実が分からなくなったのです。

■ ユダヤオーソドックス(正統派ユダヤ教)
朝から晩まで聖書ばかり読んでいるユダヤオーソドックスはイスラエルが建国した当時は総人口の5%だけしめていたのです。彼らを税金で支えても、お祈りしてくれているので最初の首相ベイクリオンは彼らの生活を保証したのです。しかし彼らは一家族で10人も15人もの子供を生み一家幼稚園の様な状況がドンドン増えてきたのです。イスラエル建国、70年経つと5% から30%を占めるようになりました。さすがに大半のイスラエル人から不満が噴出してきました。私たちが骨折って稼いだお金を、四六時中聖書しか読まない人たちに譲るのか。英語も喋れない、科学も知らない、数学も知らない聖書三昧の人達のために私たちの汗水流して稼いだ税金を投入するのは如何なものかと問題になってきました。そこで、イスラエルは方針を変更して、彼等も兵隊に行かせ、仕事をさせる様になりました。

■ イスラエルの選挙
私がイスラエルの好きなところは、いろんな国の人が集まっていることです。まさに異民族異文化多言語共存国家です。イスラエルにいるだけで世界中から情報が入ってきます。イスラエルにはアラブの政党もあります。このバスを見てください。
これは選挙の時に撮った写真です。
クローズアップします。
ベールを被っているのはアラブ系イスラエル人です。国会議員にはアラブの人も沢山います。多分、皆さんご存じないと思いますが、今のエルサレムの市長はアラブ人です。
祖父、父、私と親子三代で選挙に行きました。投票相手はそれぞれ違いました。祖父はネ
タニヤフーに投票し、父はオーソドックスのユダヤ人に、私は世俗的なオルベルトに投票しました。その2006年の時はオルベルトが勝利しましたが、2009年にはネタニヤフーが勝ちました。この時、お祖父ちゃんは自分の選んだ首相が当選したことを天国から喜んでいたにちがいないです。

■ 砂漠のイスラエルの食糧自給率100%
日本は雨がよく降り、海に囲まれた平和な国。イスラエルは四国ほどの面積しかない敵に囲まれた砂漠国家。国土の60%が乾燥地帯、人口800万人、農産物に関しては日本の50倍もの生産性を持っています。イスラエルは砂漠の国でありながら世界有数の農業立国でもあり、食料自給率は100%に近く、自国で自給するだけでなくヨーロッパを中心に多くの農産物を世界中に輸出しています。
日本でもあちこちのスーパーでは必ずイスラエル産のグレープフルーツを売っていますね。四国よりも小さい国なのに年中戦争を戦いながらも、世界中にあれだけの果物を送れるのです。
平和を待っていたら生存できないので、戦場で研究精神を持って、世に何を貢献できるかです。イスラエルは、1948年に建国される前から、すでにシオニストたちが化学からテクノロジー、医学の革新までイスラエルだけではなく、世に貢献してきました。中東のなかの僅か0.16%の土地のみを占めているイスラエル。科学者、技術者、工学者、博士、医者が占める比率が世界一高いのです。優秀な軍事技術からIT産業や農業が発展したのです。数え切れないほどの分野に広がり、ノーベル賞と数学のフィールズ賞を世界でもっとも多く受けているユダヤ、イスラエル人のリストは多く、紹介し切れないほどです。
アメリカと自由貿易協定を初めて締結した国。これからイスラエルに投資している企業が多いので、ネタニヤフー首相は外国からのお客さんばかり迎え、イスラエルの国会議員のメンバーとほとんど会う時間がないと言っています。
携帯電話はイスラエルのモトロラ開発センターで軍事用に開発されました。XPのOSやUSBフラッシュメモリー、ちょっと昔のPentium4、マイクロソフトNTとXPのoperating system、Voice messengerもすべてイスラエルで初めて開発されました。
聖書の3000年前の麦の原型を発明して、砂漠の荒れ果てた地で、少量の雨でも大量の麦が栽培できるように100年前に発明した。種なしブドウ、段ボールの中でも長持ちする種類を栽培し、世界中に輸出するだけではなく、古い出土品の杯からDNAを抽出し、聖書の時代のワインもよみがえらせました。テクノロジーで聖書のイスラエルを実現化して世界中に輸出するのです。
 イスラエルはテクノロジー開発をするとき失敗を見越して技術者に対して資金を用意します。自由な環境のなかで恐れずに想像力を発揮できるのです。知的好奇心を持つ事、外国とコミュニケーションをとる事、国を超えてグローバルな発想で考える。それがイスラエルのメンタリティーなのです。

■ 技術大国イスラエル
 イスラエルは常に緊張感のなかで暮らしています。最大の発明は95%のミサイルを迎撃するアイアンドーム(鉄のドー ム)です。イスラエルに飛来するミサイルを発見すると一秒後にはドームは自動的にそのミサイルを把握し、より早い迎撃ミサイルで迎撃することが可能なのです。イスラエルは先日めでたく70歳の誕生日を迎えましたが、テロと戦争の千夜一夜が続いています。

■ 空気から水を抽出する技術をイランへ
最近の素晴らしい発明は空気から水を抽出する技術開発です。新しいテクノロジーのスタートアップ国家イスラエルは、空気から水を抽出して、イスラエルは約90%の水を再生利用しています。1960年代に点滴灌漑を発明したイスラエルは植物ごとに正確に必要な栄養素・肥料分を把握する技術を高めています。
  生命に欠かせない水をも奪われているイラン国民は冷酷な独裁者の被害者です。イスラエルはその様なイラン国民の立場に共感し応援しています。下記のネタニヤフ首相の画期的なメッセージがありますが、こちらの方もマスメディアは報道していないため、日本語に訳しました。

イスラエルがイランの水不足危機を救う
ネタニヤフ首相からイラン国民へのメッセージ
引用と日本語訳 https://www.youtube.com/watch?v=e48YzZf1gGA 

今日は、イランに対してこれまでに例のない申し出があります。それは水です。生命に欠かせない水をも奪われているイラン国民は、冷酷な独裁主義の被害者です。イスラエルは、そのようなイラン国民の立場に共感して応援しています。私は数えきれないほどのイラン人の生命を助けるべきだと思うのです。
その訳は次の通り。
イランの気象協会は発表している。96%のイラン人が干ばつの被害に遭っている。農業省大臣のイサ・キャランタリー氏が発表。50万のイラン人が環境破壊のために家から追い出される危機に直面している。イランの政権の戦略のなさ、方針のなさ、そして、生命に必要な資源を奪われていることで、何百万のイランの子供たちの生命が脅かされている。イスラエルも今、乾燥気候で水不足に直面し、解決策を最先端技術で克服している。
イスラエルは約90%の水を再生利用している。それは地球上のどの国よりも進んでいる。私達は点滴灌漑を発明した。さらには植物ごとに正確に必要な栄養素・肥料分を把握する技術を持っている。イランの環境破壊を解決するためのノウハウを持っている。この情報をイラン国民と共有したい。
しかし悲しいことに、イラン政府はスラエル人の訪問に対して禁止令を出しているので、ここは想像力を働かせないといけない。イラン国民に向けて、捨てた水を再利用できる詳細な計画をペルシャ語のウェブサイトでアップする。イランの農民がいかにして穀物を救い、家族を養えるか私たちは指導する。
イラン政府は年中「イスラエルに死を!」と叫んでいる。私達はそれに答えて「イランに生命を!」と叫ぶ。
イラン国民は、まともな考えの持ち主である。残酷な政権に対して一人で孤独に立ち向かうべきではない。私達も、イランの残酷な政権の被害者である。(年中イラン製のミサイルがイスラエルに打ち込まれている)だから何百万人ものイラン人が同様に被害を被ることがないように援助する。イラン政府の憎しみは、二国民の尊敬と友情を止めることができない。            
ダリアの付け足し:イラン政府は、金曜モスクのお祈りで信者に「イスラエルに死を」と叫ばしている。それに対抗して「パレスチナに死を」がデモ抗議になっている。なぜなら、本来イラン国民のためであるべきインフラ・教育・水などが現政権によってパレスチに供給されているため、残念ながら供給の大半はテロリストに渡りパレスチナ国民に届いていない。

民衆同士は手を結ぼう、選手同士の友情を育もう
引用と日本語訳 https://www.youtube.com/watch?v=oqD_JODzta4

こんなことを言える日が来ると思わなかったが、イランの敵対心は、アリレザという名の一人のレスラーの経験がすべてを物語っている。アリレザに、世界チャンピオンであるロシアのレスラーを破る機会がやってきた。そこで、彼のコーチは彼に命令した。「この試合に負けろ」その理由は?次の試合ではイスラエルの選手と当たるから。
イランの選手は、イスラエルの選手と戦うことが禁じられている。それは驚くことではない。テヘランの政権は常にイスラエルの破壊を要求している。しかしイスラエルの破壊はありえない。そんなことを絶対にさせる訳にはいかない。今のところ、その対価を払わないといけないのはイラン国民である。
このコーチがアリレザに試合を放棄せよと言ったとき、彼は自分の世界が終わってしまったと語った。想像してみてください。政府が選手に、黒人だからと言って、同性愛者だからと言って、アラブ民族だからと言って、対戦を禁じますか。目を閉じて、一瞬だけでもアリレザのことを考えてみてください。彼は膨大な時間をトレーニングに費やし、ワールドチャンピオンになる夢を見てきた。しかし、イランの政権は、選手がイスラエルと戦うよりも負けた方がよいという。イランの政府は、寛大さと共存共生を最も嫌い、破壊したい。それに抵抗し私はアリレザが将来発奮するような運動を起こしたい。他の国籍、違った肌の色、他の信仰の者と精一杯戦っている場面の映像を作ってください。戦いの後に握手し、一緒に一杯飲む場面を想像してほしい。それをソーシャルメディアでアップし「他に対する憎しみでは世界チャンピオンになれない、自信のない哀れない敗北者になるに過ぎない」メッセージをイランの政権に見せつけよう。勝者は、寛大さと尊重を見せることを恐れない。想像力と競争心を踏みにじるような政府は自ら没落する。今回の試合は、アリレザを負けさせたイラン政府の負けだ。

【ダリアの注釈】
アリレザは、レスラーだけではなく、サッカー選手にも逆境から立ち上がった別のアリレザがいる。ヨーロッパリーグで初めてアジア選手として得点王になったアリレザはイランのガズヴィーン地方で育った。サッカー少年だったが父にサッカーボールをいつも取り上げられていた。にも拘わらずサッカーを熱心に続け、皿洗いのアルバイトをしてお金を貯めてはテヘランのサッカーの試合を見にいっていた。17歳になったとき、ダマシュ・テヘランの監督にスカウトされた。テヘランでも掃除のアルバイトを続けたが中央広場に寝る夜もあった。コーチはそれを知って哀れに思って涙ぐみ、正式選手に出世させた。その後、オランダのチームにも所属し、ヨーロッパリーグでも活躍した。

IMG_1043 (002)聴講風景
↑ 聴講風景
        
(記録:山崎輝男)   


『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信・・・苗村和正
参_NEW
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信・・・・・・・・苗村和正(詩人)

木村草弥さま。
このたびは、ご著作「四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>」を御恵贈たまわり心よりお礼申しあげます。
このたびの「四季の〈うた〉」を拝読させて頂き、大変おどろいたことがありました。
    あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
の歌の作者・小野茂樹について、木村さんが多くのページをさいて記しておられることです。
小野茂樹は早大在学中に私が最も親しくしていた年下の友人でありました。
私は小野に誘われて香川進主幹の「地中海」に入れてもらい、しばらく短歌の世界に打ち込んだことがありました。
当時、東京中野に住んでいた小野のところにもよく立ち寄ったことを思い出しました。
大学を卒業後、高校の教師になって近江に身を置くようになり、しばらく歌の世界から遠ざかった私は、おおきな心境の変化があって「詩」に心を惹かれるようになりました。詩の方が表現の様々な可能性があることに気付いたのです。
そんなときに小野の奥様から小野の自動車事故による突然の死の知らせを受けたのでした。
しばらくして小野の奥様から送られてきた小野の遺稿歌集の「交友録」には私のことが書かれており、胸が熱くなりました。
寺山修司全歌論集(沖積舎)には寺山の撰で
    鬼やらひの声うちにするこの家のかげりに月を避けて抱き合ふ
という小野茂樹の歌が出ています。いかにも小野らしい軽快でいて鮮烈なドラマのある歌です。
小野の二度目の妻となった人は小野の初恋の相手の人だそうです。
長々と記してしまいました。
御著書の中のたくさんの句、拝読のたび楽しませて頂いております。
コロナ禍で心いぶせき日々、お蔭で豊かな心で過ごせそうです。
有難うございました。        2021年7月8日         苗村和正 
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苗村氏から、思いがけず「小野茂樹」にまつわる手紙を頂戴した。世の中、狭いものである。
私も小野茂樹未亡人とは多少の関わりがあるので、今回の本では少し多めのページを割いたので、嬉しい。
ここに全文を披露する次第である。有難うございました。


『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・木下海龍
参_NEW
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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      『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』私信と評・・・・・・木下海龍(「未来山脈」会員)

木村草弥 様
 ここのところ、東京の練馬区では雨がよく降っています。雨間を見計らって自転車で頼まれた食材を買い出しに出かけております。
 木村草弥様からは、「四季の<うた>草弥のブログ抄<三> が贈られて、驚いております。内心の叫びは「すごいな!!」
 「木村草弥のブログ<続>」を未だ読みおえず、自分には初めて読む歌人たちの歌から新しい知識を得ている処であったのですが・・・。
<三>の中の紹介文では、相生垣瓜人の俳句に出会って嬉しかったです。
相生垣先生は、私が県立浜松工業高等学校機械科の生徒であった時期の国語の先生でした。授業風景が懐かしく思い起こされました。
 次に印象深く受け取りました<うた>は

    <終末に向き合ふものの愛しさか ハル・メギドの野は花に満ちたり>  

私の中で、とても印象深くイメージが広がりました。
聖書の世界の知的造詣の深さが感じ取れ、出典や辞書で確認しながらこの文書をしあげているのではないか!!
 と自分自身が昨今はうろ覚えの状態で文章作成をしている状況とかさねて思ったりしながら、楽しみ啓発されつつ読ませていただきました。
なかなか完食ならぬ完読には参りませんが、少しずつ楽しんで消化しているところでございます。
思いがけなくこれで三冊も頂きました。
三度のありがとうございました。と なり 光栄でございます。
季節柄御身大切になされますようにとお祈り申し上げます。
2021年7月8日           木下海龍 拝
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木下氏は「未来山脈」誌上で作品を拝見するだけの仲で、親しく付き合っている訳ではないが、この手紙に書かれているように、俳人として有名な相生垣瓜人の教え子であっ、とのこと。
相生垣瓜人の句は私も好きで、何度も引いてきたので、奇遇とは言え、とても嬉しい。
ここに披露する次第である。有難うございました。



木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』(全) 
参_NEW
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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       木村草弥『四季の〈うた〉草弥のブログ抄<三>』 (全) 
                 ・・・・・「澪標」2021/07/07刊・・・・・・・

       「帯」文   表

      サンチアゴ・デ・コンポステーラ
      ──亡妻への鎮魂の順礼の道
      K-SOHYA POEM BLOG
      78篇の文章たちよ、いざ、翔び立て !


       「帯」文   裏

       ■ 風 吹いてゐる
          木 立ってゐる               吉原幸子                                
       ■ ひとつ咲く酒中花はわが恋椿     石田波郷 
       ■ 谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな     金子兜太
       ■ 夜の書庫にユトリロ返す雪明り      安住敦

       ■ 黄落を振り返り見る野のたひら
             野はゆく年の影曳くばかり     木村草弥

はしがき

前著『四季の〈うた〉草弥のブログ抄《続》』を出したばかりだが、何だか気分が急(せ)いて《三》を出すことにした。ブログに書いた文章は、いずれも愛着のあるものばかりなので、「捨てる」のが惜しいのである。
今回は部立てはしないが配列は春夏秋冬の順番にした。その中に「雑」として書評や「巡礼」の文章を入れたりした。「巡礼の旅」はスペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道に繋がるもので私は亡妻への「鎮魂」の意味も込めて拘って来たので、その一部を収録した。
親しく付き合って頂いた人たちへの文章も収録し得たので、これで何とか、お叱りを受けることも解消できたかと思っている。
私も、はや九十一歳を超え次兄・重信の死んだ齢に追い着いた。
母の死んだのも数えで九十三歳だった。随分、長命だと思っていたのだが、よもや私が、その齢まで生きられるとは思ってもいなかった。
これらの本を歌集、詩集と共に彼らに捧げるものである。万感胸に迫るものがある。
七八篇の文章たちよ、いざ、翔び立て! 羽ばたけ!


目次
                           かたつむり    永田耕衣
四つ葉の      吉野弘           みほとけの   能村登四郎
1/fの揺らぎ  木村草弥           黒南風      西東三鬼
凍蝶の     相生垣瓜人           白南風や     野崎憲子
風 吹いて    吉原幸子           楢の木の     木村草弥
東岸西岸の    慶滋保胤           あめんぼと     岡崎伸
唐国の壺     木村草弥            池水は      木村草弥
小谷陽子歌集   木村草弥           ゆるやかに     桂信子 
ひとつ咲く    石田波郷            乾盃の唄      川崎洋
来しかたや   水原秋桜子           沙羅の花     石田波郷
春浅き耳      林 桂             蜥蜴照り     山口誓子
金雀枝や     石田波郷             ねそびれて     穂積忠 
さゐさゐと    木村草弥             どの谷も     角川源義     
泰山木の     木村草弥            紫陽花に     川崎展宏

 
ナオミ・シェメル 木村草弥         『やけ土の浄土』   松林尚志    
青蛙喉の    松根東洋城        『夢の庭』     武藤ゆかり
をさなごの    日野草城        ポーランドを     木村草弥
コンク      木村草弥         地球はアポリア   秋山律子
枇杷の木の    秋篠光宏         鰯雲        加藤楸邨
谷に鯉      金子兜太         告ぐること     木村草弥
完全にわれを   菅八万雄        野兎の耳      木村草弥
虚国の      芝不器男         はじめに言葉    木村草弥
あの夏の     小野茂樹        ハル・メギド    木村草弥
ポン・タヴァン  木村草弥        彼一語我一語    高浜虚子
水洟や      木村草弥         娼婦たりし    木村草弥
人魂で行く    木村草弥         わが泊る      木村草弥
フジタ礼拝堂   木村草弥         小さき泉      木村草弥
志野暁子歌集   木村草弥         『邂逅や』     西村美智子


『家があった』  長嶋南子         降る雪や      中村草田男
山茶花は     細見綾子         枯野起伏      加藤楸邨
へそまがり    木村草弥          シトー会      木村草弥
垢じみた     木村草弥         フォントネー    木村草弥
冬薔薇を     木村草弥          ヴェズレー     木村草弥
ひともとの    木村草弥          ストラスブール   木村草弥
スズメたち    木村草弥           『シーグラス』     金子敦
ブッダの     木村草弥          サンチアゴ     木村草弥
ポイ谷の     木村草弥           順礼        木村草弥
イエスの最初の  木村草弥
褐色の聖母    木村草弥
黄落を      木村草弥
夜の書庫に     安住敦  
一人退き   久保田万太郎





                        
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