K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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紅いということはできない、色ではなくりんごなのだ。丸いということはできない・・・・・・・・・ 谷川俊太郎
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──初出・Doblog2004/11/02──

   りんごへの固執・・・・・・・・・・・・・・谷川俊太郎

紅いということはできない、色ではなくりんごなのだ。丸いということは
できない、形ではなくりんごなのだ。酸っぱいということはできない、味
ではなくりんごなのだ。高いということはできない、値段ではないりんご
なのだ。きれいということはできない、美ではないりんごだ。分類するこ
とはできない、植物ではなく、りんごなのだから。
花咲くりんごだ。実るりんご、枝で風に揺れるりんごだ。雨に打たれるり
んご、ついばまれるりんご、もぎとられるりんごだ。地に落ちるりんご
だ。腐るりんごだ。種子のりんご、芽を吹くりんご。りんごと呼ぶ必要も
ないりんごだ。りんごでなくてもいいりんご、りんごであってもいいりん
ご、りんごであろうがなかろうが、ただひとつのりんごはすべてのりん
ご。
紅玉だ、国光だ、王鈴だ、祝だ、きさきがけだ、べにさきがけだ、一個の
りんごだ、三個の五個の一ダースの、七キロのりんご、十二トンのりんご
二百万トンのりんごなのだ。生産されるりんご、運搬されるりんごだ。計
量され梱包され取引されるりんご。消毒されるりんごだ、消化されるりん
ごだ、消費されるりんごである、消されるりんごです。りんごだあ! り
んごか?
それだ、そこにあるそれ、そのそれだ。そこのその、籠の中のそれ。テー
ブルから落下するそれ、画布にうつされるそれ、天火で焼かれるそれなの
だ。子どもはそれを手にとり、それをかじる、それだ、その。いくら食べ
てもいくら腐っても、次から次へと枝々に湧き、きらきらと際限なく店頭
にあふれるそれ。何のレプリカ、何時のレプリカ?
答えることはできない、りんごなのだ。問うことはできない、りんごなの
だ。語ることはできない、ついにりんごでしかないのだ、いまだに・・・・

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この詩は谷川俊太郎の詩集『定義』に載る一篇。この詩集は「定義」ということに拘って作られた「散文詩」風の作品集。散文詩と断わってはいないが、分類するとすれば散文詩である。原作に忠実に行分けを再現した。
明晰なポエジーとパンセの結晶と言える。1975年思潮社刊。
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allex-j-s学童はさみ

──初出・Doblog2004/11/03──

    鋏・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷川俊太郎

これは今、机の上で私の眼に見えている。これを今、私はとりあげること
ができる。これで今、私は紙を人の形に切ることができる。これで今、私
は髪を丸坊主に刈ってしまうことすらできるかもしれない。もちろんこれ
で人を殺す可能性を除いての話だが。
けれどこれはまた、錆びつつあるものである、鈍りつつあるものである、
古くさくなりつつあるものである。まだ役立つけれど、やがて捨てられる
だろう。チリの鉱石から造られたのか、クルップの指が触れたのか、そん
なことをもはや知る術はないにしても、これがいつかはまたかつてそうで
あったように人間のフォルムから脱して、もっと無限定な運命に帰ること
は想像に難くない。これは今、机の上で、そういう時間を語っているもの
である。誰に向かってでもなく冷く無言で、まるでそうはしていないかの
ようにそうしているものである。自らに役立てようと人はこれを造ったの
だが、役立つより先に、これはこうしてここにどうしようもなく在ってし
まった。これは鋏としか呼べぬものではない。これは既に他の無数の名を
もってるのだ。私がそれらの名でこれを呼ばぬのは、単に習慣にすぎない
というより、むしろ自衛のためではあるまいか。
何故ならこれは、このように在るものは、私から言葉を抽き出す力をもっ
ていて、私は言葉の糸によってほぐされてゆき、いつかこれよりもずっと
希薄な存在になりかねぬ危険に、常にさらされているからだ。
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この詩も前の詩と同じく『定義』から引いた。改行は原文に忠実におこなったが、このように、いろいろな物の定義を厳密にすることは、対象物を子細に観察すること、それを言葉に表現することのトレーニングとなる。いくら胸の中で思っていても、言葉として表現しなければ、それは「詩」にならない。そういう意味で、この『定義』一巻で24もの「物」の定義づけをして、しかも、それを「詩」たらしめた谷川俊太郎の詩才に打たれる。
存在の本質に正確な意識の光をあてる緻密な散文体で構成されている現代詩の一達成、と言える。
特に、この詩の終りから三行目からの詩句は鋭い。人間の肉体というものの、「希薄な」存在、という指摘は、心にグサリと突き刺さるようである。


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