FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
200812<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>200902
高田敏子の詩②・・・・・・・・木村草弥(Doblogから再録)
2006/02/02のBlog

──高田敏子の詩──(20)
aaoosuisen2水仙

 水仙・・・・・・・・・・高田敏子

水仙が咲いている
昨年の暮れから ずっと
ひと月余り
水仙の花は咲いている
私の部屋の花びんに

花は少し疲れて
花びらのへりを少しちぢませて
花は私を見ている
夜 机の前に坐る私を
家族の目のないときの私を
誰にも知られない一人のときの私を
少し疲れた花のやさしさで

灯を消しても
花の視線は私の上にあるのだった
闇の中
ほの白い清らかな星のかたちで
私の生をいたわり
静かな眠りへと誘ってゆく

(詩集『こぶしの花』から)
---------------------------------------------------------------------------
2006/02/01のBlog

──高田敏子の詩──(19)

  雪・・・・・・・・・・・・・高田敏子

樹の根元のまわりから
雪はとけてゆく
樹の肌にそって まるく
くぼみを作ってゆく
その静かな環(わ)のかたちを見るのが
私は好きだ

雪はうっとりと
とけてゆくのだろう
とけて雪は
地の中にしみ入り
樹の根に吸いあげられて
樹液に変わるのだ

枝々の先に いっせいに
噴きだす芽!
 
うっとりと とけてゆく
雪の心が
あの環のくぼみから
伝わってくる

(詩集『こぶしの花』から)
-------------------------------------------------------------------------

2005/10/25のBlog

──高田敏子の詩──(18)
菊ピンク

 菊の花・・・・・・・・・・高田敏子

菊の花の
紅をふくんだうす紫が
箱にいっぱい

──さっとゆがいて召し上がって──
友のことばがそえられて

こんなにたくさん
菊畑がそのまま
送られて来たような
花のまぶしさ
花の香り

この美しさを
「食べる?」
私はそれにあたいするかしら
花のまえに はじらうばかり

お盆に盛って
棚においでの観音様に
まずお供えして
ご近所にもおすそわけしましょう

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)
------------------------------------------------------------------------------
2005/10/24のBlog

──高田敏子の詩──(17)
mikan21蜜柑本命

 みかん・・・・・・・・・・・高田敏子

みかんをむく
よい香りが部屋に満ちる
ただ一つのみかんから
ただよい出る
清らかな香り

みかんは
このときを待っていたように
ふっくらと落ちついて手の中にある

このときのために
樹は一年をかけて みのらせ
人は長い年月をかけて
樹を育て

一つのみかんにこめられた
樹の心 人の心
太陽の光も
蜜蜂の姿も
雨も風も

私の手の上の一つのみかんから
浮かび出る
風景のゆたかさ

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)
---------------------------------------------------------------------------
2005/10/23のBlog

──高田敏子の詩──(16)

 ぶどう棚の下・・・・・・・・・・高田敏子

ぶどう棚を渡る風に
葉は枝を離れて落ちる

実りを終えて
安堵の心をみせての
静かな落下

葉は落ちて
地から見上げているよう
光のよさを
光を受けて紫の色増す
実りのよさを

ぶどう棚の下に座って
落ち葉の一枚を
ひざにのせている私

風は少し冷たくても
秋の深まりを素直に受けて
落葉からまなぶ
心の静けさ

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)
---------------------------------------------------------------------------
2005/10/22のBlog

──高田敏子の詩──(15)
taiyou084夕日本命

  夕日・・・・・・・・・・高田敏子

すすきの穂のまねく
秋の道
まねかれ
歩みつづけて
岬のはずれまで来てしまった

もう先へは行きようもないけれど
ひろがる海はおだやかで
やさしい小舟を浮かばせている

水平線もはっきり見えて
海上近くに落ちかかる
夕日の赤
あれは ほおずきの赤
風車の赤
柿の実の赤
糸につるした折鶴の赤の色

夕日は刻々海に近づいて
円のはしが
水平線に接したと思うと
刻々の 時の早さを見せて
沈んでいった

沈みきったあとも
私はまだ 赤の色を追っている
母が髪に結んでくれたリボンの
赤の色も思い出され

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)
-----------------------------------------
今日から四日間、久しぶりに高田敏子の詩を4編のせることにする。
----------------------------------------------------------------------------
2005/08/03のBlog

──高田敏子の詩──(14)
yoruga3ヨルガオ

 壕の中・・・・・・・・・・・・・高田敏子

そそり立つ崖の上の壕の中は
熱い太陽をさえぎって冷たい
海に面した壁は
艦砲射撃にうちぬかれて
赤錆びた鉄骨が曲りくねった線を見せていた

鉄骨の間から外をのぞいた私の目に
朝顔に似た花の姿が映った
白い花の 一りん 二りん
熱帯樹の茂みに咲いて
それはまごうことなく朝顔の花

娘のころ作りつづけた慰問袋の中に
花の種を入れたことがあった
朝顔の種 コスモスの種
私の庭から摘みとった種の一つがここに蒔かれ
芽ばえ咲き 種をこぼして
二十年を咲きつづけていたとしたら?
この想像は少女趣味でありすぎるにしても
私の心は花から離れることができなかった

同行の若者たちは 壕の中でもしきりにカメラのシャッターを切っている
私のカメラはフィルムが切れていた
幸いにもフィルムが切れていたことで
鉄骨に手をかけたまま そこにしゃがんで
私は花を見つづけていた

ここから見える海はいっそうに青い
花は青い海を背景に次第に輪郭をはっきりと浮かばせ
細くのびたつるは 海からの風に倒れては
また支えを求めるようにして立ち上っている

(詩集『砂漠のロバ』から)
-----------------------------------------
紹介しだすときりがない程である。この詩も先の詩と同様に南の戦跡を訪ねた際のものであり、思慮ふかい雰囲気に満ちている。いかがだろうか。
-------------------------------------------------------------------------------
2005/08/02のBlog

──高田敏子の詩鑑賞──(13)
ginnemu_0303.jpg

 ダガンダガンは何故蒔かれたか・・・・・・高田敏子

ダガンダガンは何故蒔かれたか
ダガンダガンは何故茂ったか
ネムに似たその木は
私のめぐった南方の島々に茂り
熱帯樹の間を埋めて
丘にも平地にも バスの走る国道の両側にも
茂りに茂り 地をおおい
枝に垂れ下がる実を割ると
黒褐色の種がこぼれた

艶やかな黒褐色の種を手のひらに遊ばせながら 木の名を尋ねる私に
「ダガンダガン」と 裸の土民は答え
彼もまた腕をのばして頭上の枝から種をとり
手のひらにこぼして見せた

─この種は戦争が終るとすぐ
 米軍の飛行機が空から蒔いた
 島全体に 蒔いていった
土民は種を手のひらから払い落すと
空いっぱいに両手をひろげて説明した

 ダガンダガンは何故蒔かれたか
 ダガンダガンは何故茂ったか

ダガンダガンの種は首飾りや花びん敷になって
土産物屋に売られている
1ドル50セントの首飾りを二十本も求めたのは
この島サイパンで兄一家を失い 慰霊のために訪れたと語る中年の
 夫婦だった

テニヤン ヤップ ロタ
どの島々にもダガンダガンは茂りに 茂り 地をおおい

島の旅から帰って二カ月ほど過ぎた日
硫黄島に戦友の遺骨収集に行った元工兵の記事が目にとまった
─島はギンネムのジャングルにおおわれ 昔の地形を思い出すのに
 困難をきわめた。山刀でギンネムのジャングルを切り倒しながら進
 み ようようにしてかつての我々の壕を発見し 目的を果たすことが
 できた。これは全く死者の霊に導かれたと思うほかはない──

このギンネムとはダガンダガンに違いない

 ダガンダガンは何故蒔かれたか
 ダガンダガンは何故茂ったか
南の島々に蒔かれた種が 急速に成長し
茂り 隠したものの姿が 突然に私の目に浮かんだ
 ダガンダガンは何故蒔かれたか
首飾りを求めた夫婦はそれについて何んの疑問も持たなかった

ダガンダガンの首飾りは若い娘の胸にゆれて
どこかの町を歩いているだろう

 ダガンダガンは何故茂ったか

(詩集『砂漠のロバ』から)
-----------------------------------------
長い詩の紹介になったが、これも単なる観光客あるいは視察者の視点に終らず、この木の蒔かれるに至った原点に迫っている。
詩の技法としての基本であるが「ダガンダガンは何故蒔かれたか ダガンダガンは何故茂ったか」というフレーズのルフランが生きている。
この詩もまた、今月8月を偲ぶのに相応しいと思わないか。
----------------------------------------------------------------------------
2005/08/01のBlog

──季節の詩鑑賞──高田敏子の詩(12)──
akari212さくら灯り

 八月の若者・・・・・・・・・高田敏子

若者たちは出かけてゆく

かがやく太陽を浴びに

おいしい空気を吸いに

むかし このような若者たちは

軍服を汗にぬらし

火をふく風のなかへ

かりたてられていった


私が水筒に水を満たしてあげた

あの若者たちは

いま どこにいるのだろう

あの若者たちも出かけていった

笑顔を残して

(『月曜日の詩集』所載)
----------------------------------------
久しぶりに高田敏子の詩を載せてみる。
現代詩のような難しい語彙を連ねることもなく、平易な、判り易い言葉ながら、高田敏子の詩には深い思想が盛られている。

「八月」という月は日本人にとっては「鎮魂」の月である。
古来「盂蘭盆」の行事として祖霊をお迎えする季節だったが、8/15戦争に負けてからは、現代の鎮魂の行事が新しくはじまることになった。8/6の広島、8/9の長崎も同様の日々となった。
これらを風化させてはならないだろう。
八月のはじめに、この詩を掲げる意味は、それに尽きる。
---------------------------------------------------------------------------
2004/10/23のBlog

──高田敏子の詩──(11)

  つゆ・・・・・・・・・・・・高田敏子

草の音
虫の声

草の中に身を沈めていると
私も小さな 虫のよう
夏の葉に光る一滴の
つゆの面に
私が写っている

私の小さな存在が
なお小さな つゆの面に
写っている

私は つゆと一つになる
まろやかに その身をつつむ
つゆの心になってゆく

つゆの心に
なりきったとき
つゆは葉先にすべり
ころげて
地に落ちて 消えた

---------------------------------------
つづけて高田敏子の詩である。この詩は『薔薇の木』(昭和54年)に載るもの。

  
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.