FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
200812<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>200902
草弥の詩作品「草の領域」③・・・・・木村草弥(Doblogから転載)
   ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
  ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


──草弥の詩作品──(30)

  散文詩・欠乏の中の豊穣 manque et riche・・・・・・・・・・・木村草弥

中東という地域が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という世界宗教を生み出した背景には「欠乏と豊穣のコントラスト」があったのではないか。
かつてエルサレムを訪問した時、ふとそんなことを思った。

こんにち、パリをはじめとする都市で、あるエリアを指すために使われている「クォーター」(四分の一)という言葉は、エルサレム旧市街の小さなエリアが三大宗教者地区とアルメニア人地区の計4地区に棲み分けられていることに由来する。
信仰を異にする者たちが、狭い地域に、肩を寄せ合って生き、欠乏の中の豊穣を創り出す。このような知恵の中に、都市の起源がある。

宗教改革者としてのキリストの本領も、欠乏の中に豊穣を創り出した点にあったのだろう。
もし、世界が愛に満ち溢れているのであれば、ことさらに愛を説く必要はない。現実の世界が過酷で、悪意と悲惨に満ちているからこそ、愛を説くキリストは、不毛な世界に、都市と同じ豊穣のオアシスを現出させることに心を砕いたのではないか。
愛の宗教を生み出した土地の人々は、近現代史において、切実に愛を必要として来たのである。
かつてエルサレムを訪問した時、ふとそんなことを思った。

エルサレム旧市街の、モハメッドが天に昇ったとされる「岩のドーム」のすぐ下には、ユダヤ教徒にとっての聖地である「嘆きの壁」がある。
黒づくめの正統派ユダヤ教徒たちが、壁に向かって礼拝を繰り返し、祈りを捧げている。その上では、岩のドームに向かうムスリムたちが列をなしている。
イデオロギーにとらわれれば、水と油であるはずの人たちが、城壁の中の隣り合うクォーターの中に、お互いの息づかいが聞こえるほどの距離で生活している。
まるで魂の集積回路のような、そんな光景を思い起すと、都市というものは、やはり欠乏の中の豊穣をこそ、その本懐とするのではないかと確信する。

都市には溢れているが、その外にはないもの。それは、例えて言えば人々の「情熱」(パッション)である。エルサレム旧市街の城壁の中には、宗教的情熱が溢れていた。「パッション」は、キリストの受難を指す言葉である。もちろん、宗教だけが人間の情熱を独占しているわけではない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、「都市の宗教」であると言われる。「欠乏の中の豊穣」という視点から、その意味を捉え直すと、都市にも宗教にも新たな光が見えてくる。乾いた沙漠の中の水のように宗教の原始的意味が甦ってくる。
欠乏と豊穣のコントラストこそが、人々の魂を癒す。それが人間の魂の糧である。

都市は、宗教や愛と共通の起源を持つ。都市の高層ビルの間で、文明生活の豊穣を享受しながら、コンビニも水道も暖かなベッドもない原生林を夢みる。
その時、私たちの魂はきっとキリストや、嘆きの壁の前の正統派ユダヤ教徒や、クラブの中で踊る若者たちの魂に繋がっている。
かつてエルサレムを訪問した時、ふとそんなことを思った。
 (2005.02.02作)
----------------------------------------

2005/02/02のBlog

──草弥の詩作品──(29)

   散文詩・免疫系 Immunologie・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
         ──最新の免疫学の成果を踏まえて──

私たち人間が最期の時を迎えるときは、免疫を司るリンパ球がどんどん減少して10%以下になった頃である。健康に暮らしているときのリンパ球比率は35~40%であるが、30%以下になると何らかの病気が出てくるし、20%以下になると重病人である。

免疫系の元になっているのは、単細胞時代のアメーバが特殊化せずに残った細胞で、私たちの体の中で「マクロファージ」と呼ばれている細胞である。単細胞生物が多細胞化して起った最大の変化は、各細胞の「特殊化」である。たとえば、筋肉細胞になれば、収縮の機能に磨きをかけたが、体を守る力は却って失われている。骨の細胞に進化すれば、リン酸カルシウムを沈着させ丈夫さに磨きをかけるが、やはり体を守る力は失われる。
このような流れの中で、多細胞生物が、どのように我が身を守ったかというと、単細胞時代の自分自身をとどめ置いて守りとしたのである。マクロファージは擬足を出して体の中を移動するし、異物があれば飲み込む。アメーバとそっくりである。
マクロファージの食べる力をさらに退化させて、マクロファージが炎症部位にとどまる時に使っていた接着分子を発展させたのが「リンパ球」で、それらを合わせて「免疫系」を構成するようになった。
マクロファージはみずからの分身であるリンパ球を作って体を守る効率を高めているが、基本的な働きは今でも、やはりマクロファージが行なっている。サイトカインなどの高分子蛋白を分泌してリンパ球が働くか休むかを決定しているし、抗原をリンパ球に提示するのもマクロファージの働きである。マクロファージ無しで免疫系が動き出すことは出来ない。また、免疫反応が起こって組織が破壊された場合でも、最後の修復はマクロファージが行なっている。
このように、単細胞時代の生き残りは体の防御の基本になっているし、その個体の生死も決定している。

一つの組織を維持するのも、壊すのもマクロファージの仕事であるが、骨の場合はもっと関連が深い。マクロファージは栄養を貯めてやれば次世代を残すたるの生殖細胞になるし、脂を貯めて脂肪細胞にも変わる。
そして、細胞は興奮して生じるカルシウムやリン酸を一次的に貯め置くと骨になる。つまり、マクロファージがリン酸カルシウムという老廃物を貯め置いたのが骨細胞なのである。この骨を壊す破骨細胞も、そもそもマクロファージで、骨を食べて壊してゆく仕事をしている。
私たちは運動不足になったり、寝たきりになると細胞興奮で生じるリン酸カルシウムの生産が少なくなるので骨が出来にくくなる。さらに体を使わないので骨は不必要と判断して破骨細胞は骨を削って縮小させてゆく。寝たきりのおばあさんが骨粗鬆症になるのも、寝ている人に骨の丈夫さは不必要とマクロファージが決定して骨を溶かしはじめたのである。すべて、なるべくして、なっているのである。

よく「輸血」をするがA型、RHプラスとかの血液型が適合しても、自己血でない場合は免疫系は、他人血は「異物」と判定して、できるだけ早く分解しようとする。だから輸血の回数を重ねるに従って、輸血の効率は極めて悪くなる。この頃はできるだけ手術などの場合に、計画的に事前に「自己血」を貯めておく傾向は、そういうことを避けるためなのである。

癌の末期には「やつれ」が極限になるが、マクロファージが作る腫瘍壊死因子(TNF)が癌細胞を攻撃すると同時に、脂肪細胞を燃焼尽きさせ、いわゆる悪液質と言われる体調、体力状態を作る。ここでもマクロファージは個体を燃焼尽きさせて最期とするのである。
点滴や管で栄養を補給し続ける医療行為があるが、マクロファージは送られ続ける栄養を消費するために、大量の炎症性サイトカイン(先に挙げたTNFやインターフェロン)を出しながら、生き残っている細胞を攻撃しつづける。病院で死ぬと激しい苦しみとともに最期を迎えることが多い理由である。
その逆がある。
空海は死を迎える五日前に自分で食を断った、という。栄養無しになると、さすがのマクロファージも自己破壊の働きを止め、静かにして個体の死を待つのである。

私たちは無理な生き方をしていると「やつれて」来るが、それはマクロファージや、そこからのもう一つの分身である「顆粒球」が働きだして個体を消滅しにかかる。顔色が悪くなって、やせ細って命を終える。進化した細胞はだんだん枯渇して、マクロファージと顆粒球が全身にはびこり一生を終える。
 (2005.02.01.作)
----------------------------------------
2005/01/26のBlog

──草弥の詩作品──(28)

   弥生の不在──その(2)・・・・・・・・・木村草弥
     ・・・・・・absente ma famme < Yayoi >

たやすくは人は死ねない。
名古屋の愛知県がんセンターで
「あなたに効く抗がん剤はない」と宣告されて以来
弥生は「生きる苦しみ」を味わっている。
人の余命など誰にも判らぬ。
──イタリアの諺にいう
 <人は時を測り 時は人を計る>

がん細胞が増殖してエネルギーを猛烈に消費するので、
どうしてもカロリー不足に陥って、痩せ細ってしまった。
狭い骨盤内の空間で、がん腫瘍は八方に触手を伸ばし
腎臓を、膀胱を侵襲し、消化器にも風穴をあけているらしい。
それは下血している証しであるタール状便となって排出される。
膣口に腫瘍の押し出しの先端が大きな「瘤」となって露出して久しいが、
昨年十月までは主治医のK医師が何度も電気メスで切り取ってくれた。
今も膣口ににぎりこぶし大の異物が鎮座する。これは名古屋にいる時に
押し出して来たもので、向こうでは切除できなかったもの。
直腸にも「悪さ」をして出血が起き、名古屋では二針縫った。
人の余命など誰にも判らぬ。
──イタリアの諺にいう
 <人は時を測り 時は人を計る>

猛烈に増殖するがん細胞の中には、栄養が行き渡らずに「壊死」する部分が出て来る。
「壊死」(えし)というと好都合のようだが、この「壊死」した細胞の塊が破裂すると、
周りの健康な血管などを巻き込んで大出血を起す、と警告を受ける。
壊死したがん細胞が「下りもの」となって膣口から発する臭気──屍匂にも似た臭気を、
医師たちは「がん臭」と言う。
がん臭を発する「下りもの」と肛門から排出される糞便の臭い──
それらにまみれて、弥生は「襁褓」(むつき)を当てて生きている。
これが「生きる苦しみ」でなくて何だろうか。
人の余命など誰にも判らぬ。
──イタリアの諺にいう
 <人は時を測り 時は人を計る>

名古屋の主治医N医師から
「死ぬなら、いま住んでいる所が一番だよ」と言われて、
「それが私の持論」と言われて、
私たちも同意して、京都の元の病院に引揚げて来た。
まるで「帰心矢のごとし」という古言のように──。
「あなたに効く抗がん剤はない」と宣告されて、
他に、どんな選択肢があるというのか。
弥生の不在は、まだまだ続く。
「生きる苦しみ」も、ますます深いのだ。
人の余命など誰にも判らぬ。
──イタリアの諺にいう
 <人は時を測り 時は人を計る>

膣口に押し出していた腫瘍の先端部を
1月26日午後、K医師によって切除することに成功した。
炭酸ガス・レーザーによるメスは出血を抑制する作用がある。
膣内には、なお大きな塊が残っているので、根元を太い糸で縛り、
血流を阻止した上で、約2週間あとに切除する予定。
これで弥生の起居も少しは楽になるだろう。
人の余命など誰にも判らぬ。
──イタリアの諺にいう
<人は時を測り 時は人を計る>
 (2005.01.23作、01.26補作)
----------------------------------------

2005/01/23のBlog

──草弥の詩作品──(27)

  散文詩・ 生きる苦しみ agonie ・・・・・・木村草弥

人間以外の動物に「生きる苦しみ」なんてあるのだろうか。
怪我をした犬や猫の痛々しそうな表情を見れば、彼らが苦しみに耐えている
ことが判るが「生きる苦しみ」を感じているかどうか。
人間は格段に悩みの多い動物である。

 (1)人間は「死」を発見した
人間は、人間らしく生きたいと思っている。
この「人間らしく」という言葉が問題だが、その含む内容はじつに幅広くて、
しかも時代と共に、文化と共に、変化する。
人間という動物は、著しくすぐれた論理能力を身につけたので、人間は「死」を発見してしまい、
誰もが一生、大きな悩みを抱えることになる。
人間は健康に恵まれて生きている間は何でも出来るような錯覚に陥っているが、
「死」の発見によって断崖に立たされることになる。

 (2)生命とは?魂とは?
心は嬉しくなったり、悲しくなったり、怒ったりする。しかし、死んだら心は無くなる。
「心」とは「意識」の世界であり、肉体と不可分である。肉体と不可分なものは、
死んだら無くなっても不思議ではない。
ところが「無意識」の世界というものがある。これは自分でもはっきり意識できない
世界だが、この世界が魂とつながっているのではないか。
魂が無意識とつながっていて、そこから、大自然の偉大な働き──「サムシング・グレート」
の世界へ通じている、と生物化学者・村上和雄は考えた。

 (3)身体は大自然からの借り物
生きている時は肉体と心も大切。この二つがあって、はじめて生きられる。
人間を本当に理解するには「魂」にまで踏み込むことも大切だろう。
私たちの身体は、地球からの借り物である。借り物である証拠に、私たちの身体は、
一定期間、地球上に存在して、消滅する。つまり借りたものを地球に返すのである。
私たちの身体は、貸し主は地球、大自然やその奥にあるサムシング・グレートだ、
ということになる。
そうすると、借り主は誰か。それは「心」ではない。なぜなら意識できる「心」は、
「死」とともに消滅する。
そうすると借り主は、死によっても消滅しない「魂」しかあり得ない。
私たちの生命は「個体のいのち」の死とともに終っても、私たちの身体の元素は
世界に広がって生きつづける。古人は、これを「輪廻転生」と呼んだ。
(2005.01.23作)
----------------------------------------
2004/10/11のBlog

──草弥の詩作品(26)──

   散文詩・宇宙暗闇と生命の光 ・・・・・・・・木村草弥
     ───la obscurite cosmique dans la clarte de la vie

人間が集い住む場所──都市の中に、夜でも光が溢れるようになって、もうどれくらいの歳月が経ったのだろう? 人工衛星から地球を撮影すると、夜、宇宙の暗闇と一つながりの半球に、都市がある場所だけ光が見える。それは、天上に輝く星の光に似ているようでもあり、清流の上を飛ぶ蛍を思い出させるようでもある。
暗闇の中の光は、恐らく太古の人類にとっての炎の記憶に結びついている。蛍光灯によって照らし出されたフラットな室内照明よりは、暗闇に輝く街灯の方に喚起力がある。

この前の戦争に狩り出されて南の島で蛍の何万という大群が樹にむらがっているのを見た兵隊の話がある。「蛍の木」という。
本来、自然界の文法においては、地上や水中で光るものは、必ず生命である。
ライアル・ワトソンは著書『未知の贈りもの』の中で、インドネシアの夜の海で船の下の巨大な発光体に出会った体験について書いている。その正体は、無数のイカの発する光であった。この出会いが、ワトソンが地球上の生命潮流の中を彷徨する一つのきっかけになったのではないか。

死という絶対の暗闇と交錯する時、生命の光は世界そのものと同じくらいの強度をもって、私たちの心に焼き付けられる。
都市のビルの高層レストランから外の夜景を見るとき、そこに広がる光の海の正体が、判りきったものだと思うことで、私たちは何か大切なものを失ってはいないか?
地上の光は生命の作用であるという光の文法に立ち返るとき、はじめて私たちは、その大切なものを回復できるのではないか?
ユークリッドやトレミーをはじめとする古代の思想家は、光は目から放出されるものだと考えた。何かを「見る」ということは、何かを「触る」ということと同じであると考えた。生命の作用として、光の本性を考えると、それほど私たちの実感から離れているわけではない。

アマゾンのマナウス近郊で、夜、ワニの目を見に行ったことのある友人の話───。
ネグロ川に浮かぶフローティング・ハウスに一泊した。アレクサンドルというインディオの青年に率いられて、ボートに乗ってネグロ川に漕ぎ出した。
月のない晩で、川の油のように滑らかな黒い水面と、川沿いの木々、そして、その上の天空が、少しづつ質感の違う一連なりの黒として私たちを包んだ。
アレクサンドルがサーチライトで照らし出す水辺の暗闇に、丸々と光の点が見えて来た。それがライトを反射して光るワニの両眼であった。

死と隣りあわせの南の島で、蛍の木を見つめる兵士たちを包んでいたものも、夜の海で巨大な発光体のイカに接近されたライアル・ワトソンの頭上にあったものも、全てを包み込む一つの巨大な「宇宙暗闇」ではなかったか?
私たちが築きあげた都市の中で、もはや無数のイカの群にも、蛍の木にも、ワニの目にも出会うことはない。都市化によって、私たちが失ったもの、消え去ったものの大きさに心を震わせない人は果たしているだろうか?
私たちは何かを摑もうとしている。
太古から変ることなく私たちを包んできた宇宙暗闇の中で、何かを摑むために宇宙暗闇の中の光という文法が、太古から生命の印であった、という地点まで戻るしかない。

夜でも昼のように明々と照らし出された机の上で、私はインターネットをサーフィンし、エアコンの効いた部屋に閉じこもり、車のドアを閉める音が消えた後の静寂の中に、辛うじて文明以前の太古の響きを聴く。大自然の営みの気配は遠く去り、ガラスと鋼鉄の生命維持装置が、私の目を曇らせる。しかし、そんな私のちっぽけな生命をも、宇宙暗闇はきっと包んでいる。
今もなお、インドネシアの海で光るイカの群が、南の島の木に集う何十万匹という蛍が、ネグロ川の川辺に潜むワニが、しっとりと包まれているように、文明の中に棲む、この私も、どこまで続くか判らない、果てしのない深い闇に抱かれて、今までに見たこともない素晴らしいものとの出会いを夢みている。 (完) (2004.10.03作)
----------------------------------------
「草弥の詩作品」では今までから、題名の次に副題としてフランス語表記を書いてきたが、ご存じのようにフランス語には「アクサンテギュ」や「アクサングラーヴ」という記号が付く。私のワープロもフランス語表記の設定をしているが、これらは転送したりすると外されてしまう。これが日本語という特殊なワード・プロセッサの操作を経由したシステムの弱点である。英語、フランス語、ドイツ語など西欧語同士では、こういう障害は起らない、という。専門家にも聞いてみた結果がこれである。従って、私のフランス語表記の「副題」は、はじめから、そういう記号は、承知の上で外してあるので、予めご了承くださるよう一言申しあげる。
----------------------------------------
2004/08/02のBlog

──草弥の詩作品(25)──

   茶の悦楽 plaisirs du the ・・・・・・・・木村草弥

中国から世界に広まった喫茶文化は長い歴史を経て各国、各地に定着した。
背後に広大な茶産地を控え、広東省の飲茶(ヤムチャ)文化と英国の紅茶文化を継承する香港───。
茶の悦楽に出会うために、いくつかの心得を伝授しよう!


心得(1)
 飲茶は広東式お茶の時間。食事に非ず

広東省伝来の「飲茶」は文字通りお茶を飲むことであり、飲茶につきものの「点心」は間食のこと。点心をつまみながらお茶を飲み、飲んではまた点心をつまむティータイム。
20世紀の初めまで飲茶処は茶楼、茶室、茶居などと表示され、それらを引っくるめて「茶館」と呼んでいた。しかし昼は飲茶、夜は食事を提供する「酒楼」(レストラン)が徐々に増え、飲茶処と食事処の境界線は薄らいでいった。
香港で最も歴史のある「陸羽茶室」から、新感覚の茶芸館などバラエティがある。
心得(2)
 点心との相性を考えてお茶を選ぶ

香港では飲茶の席で人々が頼むのは黒茶と白茶が圧倒的に多い。
発酵度の違いにより、不発酵茶の緑茶、弱発酵の白茶、半発酵の青茶、完全発酵の紅茶、後発酵の黄茶と黒茶と便宜的に分けておく。
緑茶には淅江省産の龍井茶は釜炒り緑茶。ひなびた風雅な味わいだ。
海鮮素材や野菜中心の点心に合う。月餅にも向いている。不発酵茶には「花茶」という分類で、緑茶に開花したてのジャスミンを混ぜて茶の香りを移した茉莉花ジャスミン茶、菊の花を乾燥した菊花茶、野バラの一種のハマナスの玫瑰(メイクイ)茶などもある。
弱発酵茶の「白茶」には一芯一葉を摘んだ高級な「白毫銀針」があるが、日常茶の寿眉(さうめい)でよい。おだやかな味なので、ほとんどの点心に合う。
後発酵の「黒茶」には普洱沱(プーアールトウ)茶がある。血中コレステロール値を下げる効果があると言われ、脂っこい点心に合う。
香港の飲茶の席で人々が頼むのは黒茶と白茶が圧倒的に多いが「黒茶」のカビ臭さは日本人には違和感がある人が多い。
完全発酵の「紅茶」には茘枝(ライチー)紅茶というライチーの香りとほのかな甘みを紅茶につけたもので、香港ではよく飲まれて蓮餡の包子など甘い点心に合う。
半発酵の「青茶」には福建省産の「鉄観音」や武夷山一帯で採れる烏龍茶の「岩茶」がある。ほかに広東省産のフルーティな香りと、とろんとした飲み心地の「鳳凰単欉(タンソウ)」がある。
茶碗にお茶が注がれたら指先でトントンとテーブルを軽く叩いて謝意を表そう。

心得(3)
 伝統とモダン、両方の点心を味わおう

高層ビルに囲まれたポケットパーク香港公園は、アヘン戦争終結後に英国が初の駐屯地として使用した一帯。ここに2003年6月にオープンした「楽茶軒」はお茶の繊細な味が引き立つという理由から素食(ベジタリアンフード)に徹しているモダンな茶館。
一方、跑馬地にある「誉満坊」も現代人好みの食材を組み合わせたものながら、この道28年の点心シェフ曾さんの自信作。
また尖沙咀金巴利道の「福臨門」は高級料理店として有名だが、飲茶は割安でしかも高級食材を駆使している。
ペニンシュラ・ホテル2階の「嘉麟楼」は点心の旨さと茶の品揃えが魅力的である。
小鳥の声に包まれて飲茶を楽しめる九龍の川瀧村の「端記茶楼」は、早朝から鳥カゴを提げた男たちが集り、儀式のようにカバーをはずし、鳥の水浴びをさせ、歌声披露を競う。この風流な道楽を飲茶処で披露する伝統は広東から伝わった。

心得(4)
 香港流の蓋碗使いを会得する

香港のナイトスポットとして知られる中環蘭桂坊の「慶公宴」は昼下がりのティータイムに飲茶を楽しめる。ここでは、蓋碗使いの要領をスタッフに頼めば教えてくれる。「ハスのパイナップルソースかけ」などオリジナルの点心が供される。

心得(5)
 香港の知られざる悦楽は、アウトドア・ティー

茶を愉しむ極めつけは、自然の中で味わうこと──いにしえの文人たちは自然との一体感を大切にして、心を幽、閑、清、雅の境地に遊ばせた。喫茶風の創始者・陸羽の心意気である。新界の粉嶺に「雅博茶坊」が運営する香港唯一の茶園があり、緑一面の中で茶菜(お茶を使った料理)を味わい、食後にのんびり銘茶を味わいたい。
また九龍から1時間半で着く新娘潭付近は遊歩道が整備された景観区で、森林浴をしながら峡谷を歩き、中国本土まで見渡せる大帽山の山頂で飲む茶も、また佳いものだ。
 (2004.08.02作)
---------------------------------------

2004/08/01のBlog

──草弥の詩作品(24)──

   散文詩・ホルモン療法 Hormone sexuelle・・・・・・木村草弥

ホルモン療法とは何か?
これは読んで字のごとく、人間が内分泌するホルモンの働きを利用した治療法のことである。
癌細胞は、ある種のホルモンを《ドリンク剤》のように摂取して元気ハツラツ、活発に成長して行くのだから困ったものだ。
だとすれば、それを利用しない手はない。癌細胞の成長に必要なホルモンを与えないようにすれば、癌細胞は飢えて死ぬ。
ならば「ホルモンをコントロールすることで癌の成長を止めよう」というのが、ホルモン剤療法の基本原則である。
一般にホルモンは、癌細胞の核内にあるホルモン・レセプター(受容体)と結びついて癌細胞の増殖をうながす。その性質を逆手にとって、ホルモンによく似たホルモン剤を投与すると、癌細胞はだまされ、《偽物》をつかまされる。
癌細胞の分子を狙い撃ちする分子標的薬の先駆的な存在──これである。

前立腺癌では、男性ホルモンのテストステロンが癌細胞を活性化する。
脳下垂体は脳の下部にある内分泌腺で、黄体形成ホルモンなどの性ホルモンや、成長ホルモンなどを分泌する器官である。
黄体形成ホルモン放出ホルモン作用剤=LH-RHアゴニストは(Luteinizung Hormone Releasing Hormone Agonist)の頭文字を取った略称。Luteinizung Hormone(黄体形成ホルモン)は、女性に対しては成熟した卵巣に作用して排卵を促し、男性に対しては睾丸に作用して男性ホルモン=テストステロンの生産を促す。
LH-RH(黄体形成ホルモン放出ホルモン)は、下垂体に隣接した脳の視床下部から放出されるホルモンで、このホルモンの血中濃度が常時高いレベルに維持されると、LHが下垂体から分泌されず、結果として男性ホルモンの分泌が抑えられる。Agonistとは作動薬という意味。
つまりLH-RHアゴニストは、LH-RH(黄体形成ホルモン放出ホルモン)と同じ働きをするホルモン剤。
このような薬剤を一般的にアナログAnalogue(類似物)と呼ぶのでLH-RHアナログとも言う。
下垂体の中で、LH-RHの作用をブロックする(イス取りゲームのようにLH-RHのイスをLH-RHアナログが先取りする)。
武田薬品開発の世界特許ヒット薬品「リュープリン」は成分としては酢酸リュープロレリンで、リュープリンの下垂体に対する働きはLH-RHの100倍にも達して、逆に働く(逆調節)の作用を示すので1カ月に一本を皮下注射すればよい。
併用薬としてプロスタールL錠50mgを毎朝1錠服用する。この錠剤は体内の男性ホルモン「アンドロゲン」の働きを抑える「抗男性ホルモン剤=抗アンドロゲン剤」の一つで、生化学的にいうと「酢酸クロルマジノン」というステロイド剤である。
ホルモン療法には副作用として「更年期障害」が起きる。男性でも顔のほてりや多汗、むかつき、動悸など。そして深刻なのが精神面での影響である。これが必ず起きてくることを無視できない。
そして、わが草弥氏の前立腺Prostataの現状である。2剤の併用によって、ただいまは、すっかり大人しくなって、更年期障害らしきものもひどくはない。2003年12月にリュープリンの注射をはじめて丁度8カ月だが前立腺腫瘍マーカーPSAの数値も0.6と順調に下がっている。
来年になれば予約待ち中の、その筋の最先端医療機関、独立行政法人・国立病院機構・東京医療センターの「小線源療法」を受診、手術することになる。アメリカでは半数以上の件数が、この小線源治療を占めており、経験件数としても安定して増えてきている。
秋には上京して、先の治療方針を確認することになる。
(2004.08.01作)
----------------------------------------
2004/06/29のBlog

──草弥の詩作品(23)──

  散文詩・「ピエタ」 pieta -la mort et le corps・・・・・・木村草弥

 ────地のものは地へ、そして魂は天へ、 その他のものは死滅する。 
      ───────────────────<ミケランジェロ詩篇>───

89歳という長寿を全うしたミケランジェロは、1564年の死の瞬間まで、彫刻の鑿を振るっていたと伝えられる。最後の作品は「ロンダニーニのピエタ」と通称される。現在、ミラノのスフォルツァ城に収蔵されて、展示される。この作品は未完成である上に、たいそう問題含みの作品と言われる。
ピエタとは、イタリア語で「哀れみ」を意味する言葉。この作品は、磔刑に付されて死を迎えたイエス・キリストが十字架から降ろされたとき、母マリアが子イエスの遺体を抱きかかえて、悲嘆にくれる情景を表わす。ピエタは図像や彫像として表現され、ヨーロッパ美術の重要な主題とされて来た。恐らくは、ミケランジェロに先立つこと2世紀、北方ヨーロッパで発案されたという。中世末の聖堂で、イエス受難のクライマックスを表現するものとして、盛んに、この像が祈拝されたようである。
ミケランジェロは、生涯に四つのピエタ像を作った。現在ローマのヴァチカンのサンピエトロ大聖堂に納められるのは、ミケランジェロの最初のピエタで23、4歳の頃の作品である。ピエタという主題を表現した最高傑作として、特別の場所に置かれている。ルネッサンス芸術が理想とした、肉体と精神との確実な響和が、サンピエトロの建物の中にみなぎっている。
その最初のピエタ制作の日から約65年の年月が経過した。晩年のミケランジェロは、今またピエタの大理石に向かい合っている。これまでに、なお2点のピエタを作っている。
「ロンダニーニのピエタ」は、まずもって未完成である。イエスの遺体に添えられた右腕は、たぶん削除される筈だったのだろう。胸と腹の部分には、荒削りな鑿のあとが残る。それよりも問題なのは、イエスとマリアとの姿勢が、慣例と違って、二人とも立ち上がった形を取ること。マリアがイエスを引き立てて、死者を慈しんでいるのだろう。共に、力なくよろけ落ちんばかりに、辛うじて立体として支えられている。イエスの肉体は、すっかりと筋肉がこそげ落とされ、顔には疲労感が一杯に覆う。
ほとんど木彫とおぼしき鑿跡の像からは、死者と生者との、母子の温和な対話が聞こえて来るようである。このときイエスは30歳あまり、マリアは50歳ほど。大人の母子が、失われた幸福と引き換えに、永遠の安息に至った、そんな安堵感に捉われそうになる。
先にも述べたが、そもそもピエタとは「哀れみ」の意味である。「悲しみ」ではない。哀れみにふさわしい肉体の表現とは、一体どういうものなのか。ミケランジェロは、ひたすら思考したのだろう。若いときに制作したヴァチカンのピエタに見られる強靭な肉体力によって、受難に耐える像を制作したことのある芸術家は、今度は細々とした肉体を選択した。だが、しかし、それは単なる弱さや惨めさを表現するためではなく、現世の死という通過点を辛うじて受苦する母子の、今ひとつの強靭さを表現するためであった。哀れみは、ここではまた、安堵の喜びでもあった。
いずれにせよ、死期を悟ったかに見えるミケランジェロが、その晩年の肉体の感受性に依拠して生み出した、稀有の作品である。未完成なりに、完成したら、どうだったか、と色々想像させてくれる傑作と言えようか。
 (2004/06/29作)
----------------------------------------

──草弥の詩作品(22)──

   散文詩・イスラームの楽園 paradis d'islam・・・・・・・木村草弥

───敬虔な信者に約束された楽園を描いてみようなら、そこには絶対に腐ることのない水をたたえた川がいくつも流れ、いつまで経っても味の変わらぬ乳の河あり、飲めばえも言われぬ美酒の河あり、澄み切った蜜の河あり。また、そこではあらゆる種類の果実が実り、その上、神の赦しがいただける・・・・・。 ─────────────(コーラン第47章)───

「イスラーム」とは、「神に身をゆだねる」という意味である。
イスラーム教の楽園は、天国を指す。この世において信仰篤く、善行を励んだ者は、その報いとして、死後、楽園に入ることが許される。この楽園は、キリスト教世界とは異なり、禁欲的な世界が全く存在しない。コーラン第47章に書かれるような花園。
これは、現世のイスラーム教徒(ムスリムという)の抑圧された欲望の反映のようにさえ見える。
それに比して、地獄は業火と熱風の灼熱の世界として描かれる。喉の渇きをいやすために、ぐらぐらと煮えたぎる熱湯を、渇き病にとりつかれた駱駝さながらに飲み干さなければならない。
楽園にあるのは、砂漠で最も魅力的な存在である「水」のイメージである。イスラーム教徒にとって夢のような空間が、ここにある。

───えも言われぬ幸福の楽園に入る人々。
向かい合わせでゆったりと手足を伸ばせば、永遠の若さを受けたお小姓がお酌にまわる。この酒はいくら飲んでも、頭が痛んだり、酔って性根を失ったりしない。
その上、果実は好みに任せ、鳥の肉など望み次第。目涼しい処女たちは、そっと隠れた真珠さながら・・・・。もうそこでは、くだらない馬鹿話も罪作りな話も聞かないですむ。
耳に入るのは「平安あれ」「平安あれ」のただ一言
・・・・・・。
     ────────────────────(コーラン第56章)───────

地上のパラダイス「アル・アンダルス」
西暦711年、アラブ人とベルベル人からなるイスラム軍団が、ジブラルタル海峡を渡り、わずか2年足らずでイベリア半島を制圧した。イベリア半島は「気候はシリアのように温和で、土地はイエメンのように肥え、花や香料はインドにように満ち溢れ、吹く風も麝香のように芳しい」と表現され、広大なイスラム帝国各地から、この地上のパラダイスを求めて多くの人が集った。
その中に、アッバース朝の粛清を逃れたウマイヤ朝の若い王子がいた。長い放浪の末に王子はイベリア・ウマイヤ朝を築き、アッバース朝への敵愾心をむき出しにして帝国の繁栄に心血を注いだ。当時、パリやロンドンが人口3万にも満たない頃に、首都コルドバは100万近くの人口を抱えていた。世界中から一流の学者、芸術家が集り、医学、数学、天文学、文学などさまざまな分野で華々しい成果をあげていた。また、自由な気風の中で、宗教の垣根を越えてキリスト教徒も学問に励み、のちにヨーロッパ・ルネッサンスを生み出す基礎がここに築かれていた。
この繁栄も政権の内部崩壊とキリスト教徒のレコンキスタ運動に圧迫されて敗退するが、迫り来るキリスト教徒の気配を濃密に感じながら生きてきたイスラーム教徒の死の恐怖と悦楽・・・・・。
コーランには、このような美しい来世の楽園の話ばかりではない。生きるために、正当なイスラームの血の家系を守るためには、戦争、略奪、殺人も正当化される話も多い。今や「聖戦」の名のもとに繰り広げられる殺戮は、その一面の反映であろうか。
 (2004/06/29作)
----------------------------------------

──草弥の詩作品(21)──

    「弓を引くヘラクレス」 Herakles ・・・・・・木村草弥

               ───表面的な面は偶発的な出来事に過ぎない。
              しかし、構成的な深い面は、いわば運命なのだ。
 
                       ───アントワーヌ・ブールデル──

 (1)「弓を引くヘラクレス」 

「弓を引くヘラクレス」の矢は
どの標的を狙っているのか。
両足を しっかりと地につけ
歯を食いしばって強弓を構える──その姿。
ヘラクレスの狙うのは 天空を舞う鷲だ。
かの鷲は コーカサス山脈を棲みかとし
獲物を見つけては その鋭い嘴をもって 攻撃してやまない。
ヘラクレスが狙う鷲は
いまプロメテウスを獲物として
ほしいままにその内臓にまで食い込もうとする。

かつて ゼウスの不意をついて「火」を盗み出し
人間界に火の恵みをもたらしたプロメテウスは
その罪を問われて 高山の頂で
磔刑に服している。
人類の恩人を
こんな罪業におとしめるとは何事か。
ヘラクレスの義侠心が これを許さない。
弓を構え、鷲を射落とし、プロメテウスの縄を解いてくれよう!
剛力のヘラクレスにして
はじめて可能な人間技であった。

ブールデルの鑿をもって
その情景は現実になった。
ヘラクレスは あくまでも人間である。
けれども、ほとんど神々に近いとなれば
筋力すらも 何か自然を超えた魔性をたたえているかのよう。
ブールデルの師・ロダンの作品では
人間の筋肉は まさしく物理力の表現だが
ブールデルは どうだろう
ヘラクレスは天空を飛翔する形而上の化身とでも言うべきか。

ヘラクレスは不可思議な伝説上の英雄だ
ギリシアのいずれかの地──たぶんアルゴス地方に口承で伝えられ、
たちどころに剛力を発揮するようになる。
ゼウスのアルクメネとの不義の子で、若くして武芸を学ぶ。
テーバイ南方の山岳で 恐怖のライオンを退治し、
のちのちまで このライオンの皮を頭からかぶって威厳を示した。

「弓を引くヘラクレス」の矢は
プロメテウスを襲う鷲を狙っている。

 (2)オンパレに迷うヘラクレス

ヘラクレスがギリシアから東方にむかい、
アナトリア──つまり小アジアに向かうと
紀元前6世紀ころに、かの地に勢力を張り、
繁栄を誇ったリュディア王国にたどり着くが、
彼は この王朝の創始者とみなされるようになる。

リュディアはアナトリア半島の交通の要衝を占め、
貯えた富によって、早くも金貨を鋳造したという。
リュディア人は、その王朝の初発に、
こともあろうに英雄ヘラクレスの名を据えた。

因みに、リュディア王国の一氏族──アシア氏の名が、
のちの「アジア」という陸地名に受け継がれたのだ、と
ヘロドトスが書き残している。
つまり ヘラクレスの一族はアジアの王家として語り継がれることになる。

ヘラクレスがリュディア王朝を打ち立てる次第は
アポロドトスの『ギリシア神話』に由来する。
──遍歴する力自慢のヘラクレスが、
小アジアのリュディアに至ると、かの地の女王オンパレによって
奴隷として寵愛を受け、いつもの通りに悪蛇や盗賊を退治し、
国の安全を守ることに貢献する。
亡夫の王の死後、孤閨を守っていたオンパレは
ヘラクレスに惚れ込み、再婚して子供をもうける。
これがリュディアのヘラクレス王朝の創始であると伝える。

客分であったヘラクレスは女王オンパレの色香に迷い、
その手練手管に見事にはまってしまう。
剛力の英雄を前に、オンパレはサンダルを振りかざして叩きつけ、
いとも容易にヘラクレスを制圧する。
ヘラクレスの神通力のもとであるライオンの皮と棍棒を奪い取り、
みずから身につけて英雄ヘラクレスに命令する。
私に従順に従いなさい、と。
なんとも形無しのヘラクレスというべきか。

ヘラクレスとオンパレの王朝創設伝説は
のちにギリシア、ローマの話題となった。
いま ヴァチカン美術館に行けば
紀元前2、3世紀ローマの彫像「オンパレの姿をした女性」立像を
見ることが出来る。

ヘラクレスの弓は、天空に向けられるとしても
地上のヘラクレスは、容易に美女の前にひれ伏し、
武器をさし出して従順を誓う。
こうした起承転結のゆくりなさ故に、
我々は古代への共感を編み出すことになるのだ。
 (2004/06/29作)
copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.