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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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浮世絵春画コレクション(1)・・・・・・木村草弥(Doblogから転載)
浮世絵春画コレクション(1)

浮世絵・春画というのは日本の江戸時代の芸術作品であり
したがって単なるエロとして見る人には鑑賞をお断りする。


こちらが最終である。 始まりである(1)から順に見られよ。
     

2005/10/02のBlog

──浮世絵春画コレクション──(8)

  「肉筆」浮世絵名品聚芳─(6)
    17世紀末頃 尾形光琳ほか・・・・・・・・・・・・木村草弥


今回から有名な芸術家の作品が更に登場する。
図版①②③④は尾形光琳の絵である。
解説にあたる部分は美術史家・福田和彦氏の文章による。

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ここに紹介するのは尾形光琳作の「絵巻・花のにしき」と題するシリーズの一部である。
鑑賞に先立ち尾形光琳のことを概略で解説しておきたい。
尾形光琳は近世以前の日本絵画史の中で、もっとも知名度と人気の高い画家のひとりに数えられよう。
彼は1658年(万治元年)京都の裕福な呉服商雁金屋の息子として生れる。幼名・市之丞。名は惟富、才祝、伊亮など。尾形乾山の実兄。
30歳の時、父の死去により家督を継ぐが、生来の遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送って、相続した莫大な財産を湯水のように使い果たした。
江戸期の絵師、工芸家として元禄文化を代表する芸術家のひとり。
初め山本素軒に狩野派を学んだが、のち俵屋宗達に深く傾倒し、宗達の自由、奔放さの上に、独特の華麗で濃厚な絵画表現と、より技巧的な装飾理念を加味して、光琳派(略して琳派)と呼ばれる独自な作風を確立した。
彼は茶道、歌道にも通じ、蒔絵師としても卓抜な意匠(光琳派・光琳模様)を生み、水墨画は軽妙で風刺性に富み、弟の乾山の陶器の絵つけもしている。
姫路藩主・酒井氏、江戸の豪商・冬木氏の庇護のもとに製作をつづけ、1701年(元禄14年)法橋の位に叙せられた。
主な作品に「紅白梅図屏風」「燕子花屏風」「伊勢物語図」「八ッ橋蒔絵螺鈿」など国宝に指定されているものなど数多い。
一時江戸にも住んだことがあるが、1716年(享保元年)に京で亡くなった。

紹介が長くなったが、尾形光琳の特徴が春画にも明らかに出ているので、存分に賞味してもらいたい。彼の特徴として絵のバックを「金泥」で塗りつぶしているのも、その一つであろう。絵の構図、描線などは伝統的な描き方である。
「性器」の色を黒っぽく描くなど工芸家らしく、一物を際だたせて描いている上に、一物の形も綺麗に描いてあり、彼の特質をよく表現していて、秀逸である。

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図版⑤は「菱川派」の氏名不詳のものであるから、お間違えのないようにお願いしたい。
これも「逸題・絵巻」のシリーズのうちの一枚である。
先に四点掲げてきた尾形光琳の絵と比較すると、その絵の違いははっきりする。
光琳は登場人物の着けている着衣などの他には、バックはすべて書き込まないで「金泥」一色に塗りこめて単純化しているが、この菱川派の絵では周辺に「小道具」が描きこまれている。
光琳は、そういう物を排除して、絵の単純化を図ったものと言えよう。
しかし、この図版⑤の絵も、とても綺麗な絵で、秀作と言えるだろう。
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2005/10/01のBlog

──浮世絵春画コレクション──(7)

  「肉筆」浮世絵名品聚芳─(5) 
   17世紀初頭─狩野探幽ほか・・・・・・・・・・・木村草弥


先に予告した通り、今回から日本画壇でも著名な画家の描いた春画を紹介する。
これらは、いずれも美術史家・福田和彦氏の撰集になるものである。

作品は、いずれも17世紀初頭頃の製作と伝えられるもの。
図版①②③は、「絵巻・梅に鶯」と題する狩野探幽の描いたものである。
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作者名を聞くと、やはり今まで見てきた作品とは描線に特徴があるのが、素人目にも、はっきりと区別できる。
構図は、こういうものだから、ありきたりの形ではあるが、描き方は明らかに違う。さすがに大家だけあって類似の絵とは大違いである。
図版①の絵のペニスの亀頭の描き方もリアリスティックである。
図版②は女を組み伏せた姿なども類型的では、ない。
デッサンというか写生がしっかりとなされており、男女とも体つきが自然に近く描写されている。
ここで「狩野探幽」について少し書いておく。
狩野探幽は慶長7年~延宝2年(1602年~74年)に生をうけた江戸前期の画家。名は守信。狩野孝信(永徳の次男)の長男。幼少から天才的画才を発揮し1612年(慶長17年)駿府で徳川家康に謁見されて江戸に上り、1617年(元和3年)16歳で幕府御用絵師となり、鍛冶橋門外に屋敷を拝領した(鍛冶橋狩野の称)。
これ以後、1619年には京都御所、1623年には改築の大阪城、1636年に完成した日光東照宮、江戸城の障壁画の製作など多数。
1638年には法眼に、1662年(寛文2年)には宮内卿法印に叙せられた。
狩野派は、こうして幕府および諸藩の御用絵師としての地位を確立した。彼の遺作は大徳寺本坊方丈の障壁画など多く伝存している。

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図版④⑤は「菱川派」の描いたものだが、絵師の名前など不詳。
「逸題絵巻」と解説される17世紀初頭の作品である。
先の狩野探幽の描き方と比べていただくと、その違いが一目でお分かりいただけよう。
これらの絵の違いは、先にも書いたが、やはりデッサン力というか写生力の圧倒的な違いであろう。
しかし、この二点とも、線描などもしっかりした傑作であることには違いないが、所詮、狩野探幽と比べると見劣りする、というに過ぎない。

ここで「菱川派」について少し書いておく。
菱川派は菱川師宣、師房、師平など寛文、延宝年間の画派であって、「吉原遊里図」などの美人画、風俗画に特異な作品を残している有力な流派である。
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2005/09/29のBlog

──浮世絵春画コレクション──(6)

  「肉筆」浮世絵名品聚芳─(4) 
    17世紀初頭・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


前三回に引きつづき「肉筆」春画を紹介する。
解説にあたる部分は福田和彦氏の文章による。

今回の五点は、いずれも17世紀初頭の作者不詳の土佐派絵師によるものである。
図版①②は「絵巻・花山堂述懐」と紹介されている。その詳しいことは判らない。
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図版①は、いわゆる「シックス・ナイン」という体位である。ご存じない方のために説明すると、数字の6と9は、反転すると同じ形になる。セツクスの愛戯では、体を反転してお互いの性器を舐めあう体位をいう。男女がどちらが上になっても、よい。
これは男女の間の体位でなくても、同性の間での愛戯としても成立する。
この頃では、同性愛者が増えているらしいが、彼らの常套的な体位と言えるだろうか。
図版②は男1女2のからみである。
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図版③④⑤からは、前のものとは版が変わる。
「逸題・絵巻」と解説されているから、組み物を切り取ったものであろう。
作者は不詳ながら、いずれも土佐派絵師によるものである。
そういうと絵に共通点があるので、同じ絵巻から拾い上げられたものであろう。
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図版③も男1女2のからみである。こういう構図は現代の裏ビデオ、DVDの構図と何ら変わりがない、共通したものであり、古今東西を問わず、人の考えることは同じだなと納得する。
これらが絵巻である証拠に図版の右端に他の絵の端が覗いている。
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日本の古い絵には「絵巻」になつたものが多いが、それは保管するのに場所を取らずに便利だからであろう。シート状だと保管に際して場所を取るだけでなく、出し入れの際に作品を傷つける恐れもあるだろう。
その意味で巻物、掛け軸式にしておくと、これらの難点を避けることも出来る。
日本人の生活の知恵であろう。
図版⑤の絵も前の二枚と同じ描き方の特徴が見られる。
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この絵の特徴は、事が終わった後の情景らしく、ペニスが萎れていて、しかも日本人には珍しく「包茎」である。あるいは房事にとりかかる前かも知れない。
房事の後の高ぶりが残っているのか、女がペニスを弄っている図である。
こういう場合にも、春画の常套手段として、女の性器もうち開いて描いてあり、男が足の親指で女のヴァギナを弄っている。

さて次回からは皆さんも名前をよく知っている有名画家の描いた春画を採り上げるので、ご期待いただきたい。
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2005/09/28のBlog

──浮世絵春画コレクション──(5)

  「肉筆」浮世絵名品聚芳─(3)
   17世紀初頭・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


前回、前々回に引きつづき「肉筆」春画の世界に、ご案内する。
解説にあたる部分は福田和彦氏の文章によることを予め申し上げておきたい。

図版五点は全部17世紀初頭頃の作品と言われている。
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絵の筆遣いの「線」の使い方が繊細で女体のふくよかな線を、芸術性豊かに表現し得ている。
これらの浮世絵を、単なる春画として見るか、芸術作品として認めるかによって、人の評価は分かれるだろう。
単なる性欲をくすぐる春画としか見ない人は、これからの展開を見てもらわなくてもよいので予め通告しておく。
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このシリーズは『浮世絵:日本のエロス・シリーズ』として企画され、編者・福田和彦、訳者・カルロ・キエザ、発行人・津布久洋治で日本芸術出版社から刊行された。
発行年月日は明記されていないので記憶をたどるしかないが、もう20数年前であると思う。
この解説書の隅に「注意:この浮世絵コレクションの日本国内への持込はできません」とある。
これは当時はまだ検閲当局の理解が得られず、摘発される恐れがあったために、敢えて明記されているもので、今日とは違って、芸術作品とはいえ、まだまだ未理解の時期だったことが判るのである。
春画をふくむ浮世絵は、むしろ西欧から高く評価され、その評価の逆輸入のような形で日本国内でも再評価されてきたという経緯があるのである。
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絵に描かれる人物の髪形や着衣を見ていると、この時代の風俗が少しは判るのである。
前回につづいて描いた絵師の名前は不詳だが、「土佐派」の絵師であることは、同じである。
嬉々としてセックスにふける男女の姿態を描いて過不足がない。
何度も言うが「線」描きの美しさを堪能してもらいたい。
これが春画だけでなく、日本画全体の特色と言えるだろう。
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図版⑤は「絵巻・花山堂述懐」という名がついている。その詳細は判らない。
絵のサイズは45×33センチと書かれているから、さほど大きいものではない。A3版くらいのものであろうか。
図版⑤に描かれる人物のうち、女の被っている頭巾は「尼」ないしは「後家」の印であろうか。男は被り物から公卿あたりかと思われ、こういうところに「ストーリー」性を持たせてあると理解できる。
ヨーロッパなら、さしずめ修道女をめぐる「からみ」の絵図というところであろうか。
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2005/09/27のBlog

──浮世絵春画コレクション──(4)

  「肉筆」浮世絵名品聚芳─(2)
   16世紀末~17世紀初頭・・・・・・・・・・・・・木村草弥


そんな時代精神を反映して、好色美術としての春画は未曾有の発達を遂げ、当代一流の、現代では国宝級の画家と言われる画家たちが競って春画に染筆した。イタリアン・ルネッサンスで言えば、ボッチチェリやラファエロのごとき画家たちであった。

はじめに書いておく。
図版①②は16世紀末期頃の「土佐派」絵師による作品であるが、絵師の名前は不詳である。
図版③④⑤は17世紀初頭の作品で、これも「土佐派」の絵師の名前は不詳のものである。
解説にわたる部分は、前回に引き続いて美術史家・福田和彦氏の文章である。
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図版①は坊主とおぼしき男が女二人を相手にしている図で、一物を挿入している女の他の女のヴァギナを口で舐めているという、現代の裏ビデオの構図と同じようなことが、数世紀前にも東洋の日本で行われていたのであった。
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図版②にみられるように、男の髪型や女の着衣など、その時代の様子を、今となれば、よく表現していると言えるだろう。
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写真③は男女が首に紐をかけて、後ろにのけぞらないようにして行為に及んでいる、というところなど、構図上も一定の工夫を凝らしてあると言えるだろう。
江戸の時代の人たちが、結構、エピキュリアンであったことが察せられるのである。
女のエクスタシーに満ちた顔つきなど、先に見たインドの春画などには見られなかったリアリティが、よく描かれていると思うのである。
先の解説で福田氏が、日本の春画の特質を誇っていたのも、むべなるかな、と肯定させられるのである。
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図版④は、俗に「立ちぼぼ」と言われる性交体位が描かれている。
この図版は「巻物」の一部らしく右側につづきの絵が顔を出している。
「版画」の浮世絵でもストーリーとして「続き物」の作品が多い。
こういう「性交体位」というのは俗に「四十八手」と言われているが、アクロバチックな体位も多く、実際上は交接不可能なものもあったのである。
これらの体位は、すでにインドなどでも早くから発達しており、もっと多くの体位が説明されていたりするが、日本と同じで不可能な無理な姿勢も多いのは当然であろう。
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図版⑤も複数の男女の「からみ」の絵であって、これは男2に女1という構図である。
挿入していない男の一物も大きく勃起した状態で描かれている上に、女の口を吸っているのもリアリティがあると言える。
それに、どの絵にも言えることだが、男は浅黒い肌に描かれ、女は色白に描かれているのも、男女の機微に触れるものとして、当然であろうか。
女の顔つきが、とろりと上気した恍惚の状態にあるのを描写しているのも、好ましい。
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2005/09/26のBlog

──浮世絵春画コレクション──(3)

  「肉筆」浮世絵名品聚芳─(1) 
   13~16世紀・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


今回から「肉筆」春画の名品を8回にわたり掲載する。
このコレクションは美術史家・福田和彦氏の監修になる全75葉のうちから鮮明なもの40点を5点づつ紹介する。
浮世絵には「肉筆」のものと「版画」のものの二種類がある。はじめの8回は「肉筆」を採り上げることにする。
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図版①は「大和絵」古画と分類される、絵師の名は不詳だが「土佐派」画家の手になるもの。13世紀頃のものと言われている。
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図版②は16世紀末期頃の作品と言われ、同じく絵師不詳の土佐派によるものである。これは絵に少しストーリーがあり、浮気中に女房に見つかり後ろから女から引き剥がされようとしている面白い構図。絵巻物の一部を切り離したものという。

(以下の解説にあたる部分は、すべて福田和彦氏による)
日本の春画美術の伝統は約1000年の歴史を持つ。
山岡明阿が編集した「逸著聞集」(1800年代に成立、12、13世紀にかけて散逸した好色説話を収集して編述した文集)によれば、日本画の始祖と言われる巨勢金岡(9世紀初頭の宮廷画家)が春画を描き、それを妻女に披見したときの逸話が記述されている。この記述が事実だとすれば、日本の春画美術は、すでに9世紀初頭には成立していたことになる。
巨勢金岡は妻女の批判に耳を傾け、女人が愛欲に惑溺するときの表情を巧みに表現したという。すなわち、女人はその時<足の指が屈み、目を半ば開いて、眸が真ん中にある>表情を描いた。言うなれば、すでに、春画はその創始期からエクスタシーの好色情緒を表現していたのである。
「性器描写」においても、橘成季編集の「古今著聞集」(1252年に成立)の第11巻にも<その物(性器)の寸法は分に過ぎて大に描いて候>とあるように、すでに13世紀には春画は戯画的な手法をもって描かれていた。したがって、日本の春画美術は成立期に芸術的表現をもち、一つの好色美術としてのジャンルを確立していた。

図版③④⑤も16世紀末期頃の土佐派によるもの。
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日本の春画美術は、中国の春宮画と呼ばれる秘戯画の影響によって触発されたものであるが、中国においては、こういう芸術化はなされていない。むろん、モンゴル、朝鮮、トルコ、ラジャスタン(インド絵画)においても、好色情緒、戯画化の表現は見られず、日本の春画だけが唯一の美的昇華を成し遂げているのである。
日本の春画は大和絵のジャンルとして成立しており、画家の技術と情念を注いで創造された美の栄為であり、美の遺産であって、決して画家の余暇的な、遊びの仕事でも、画業でもない。
春画を描いた画家は、いずれも16世紀頃までは宮廷画家であった土佐派の画家によって描かれ、貴紳、高家の閨房美術として賞された。
日本の「肉筆」浮世絵(春画)が最も興隆をみたのは16世紀中葉から末期にかけての桃山時代から江戸初期にかけての美術の黄金時代であった。
この時期は貴族文化が崩壊し、新しい武家文化、大名文化が台頭した時期でもあり、長い戦国動乱時代が終息した平和な時世でもあった。そして人々は奢侈に流れ、好色に溺れた時代でもあった。
筆を執った画家の中には今でも有名な人の名があるが、それは追々、その作品を採り上げる時に書くことにする。

今回は「肉筆」浮世絵の皮切りであり、解説は、このくらいにして、作品をゆっくりと鑑賞してもらいたい。
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2005/09/24のBlog

──浮世絵春画コレクション──(2)

  インド秘戯細密画ミニアチュール・・・・・・・・・・木村草弥

今回は日本を離れて「インド秘戯細密画ミニアチュール」の世界にご案内したい。
ご承知のように、インドには「カーマ・スートラ」というセックスのバイブルとも言うべき古典がある。
そういう伝統を踏まえて、インドの春画とも言える細密画があるのである。
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今回ご紹介するのは、美術史家・福田和彦氏のセレクトによる「インドミニアチュール(1)」という12枚の細密画コレクションである。
今回は図版4枚を紹介するが、説明は順次することにする。
その前に、
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写真②は1999年正月に北インド旅行をした時に、ニューデリーのホテルのブックショップで買い求めた本である。130ページの極彩色のA5版の立派なもの。この中にもカラー図版のきれいな細密画がたくさん載っている。しかし、挿入図版は判が大きくないので、ここからの引用はやめて、掲出は福田セレクトのものだけにする。
福田和彦氏の解説を簡単に要約して、はじめに載せる。

・・・・・・・・・インドのミニアチュール(細密画)の濫觴は16世紀の初頭に起こったムガール絵画からであった。
北部インド大陸にムガール帝国を建設したバーブルの子で二代目帝王のフマーユーンが、ペルシアの宮廷画家を招いて細密画をインドに招来されたのが始まりであった。以来、ムガール帝国の宮廷文化に深く根をおろし、インド各地に広がり発展した。また、その画派も多岐にわたった。
本画集の細密画は、いずれも17世紀末から18世紀初頭にかけて台頭した宮廷画派による秘戯画作品である。
これらの秘戯画は一枚絵、好色文学の挿絵などのジャンルに分かれるが、圧倒的に多いのは好色文学の小説、詩歌の「挿絵」である。いずれも往時の貴族たちの閨房生活を活写したもので、インド的な快楽主義を謳歌し、婚遊の奢美を描いたものである。
この細密画に見る繊細な線刻描写は、いずれも鉄筆を用い、わずかに地塗り用として毛筆が使われる細密画特有の技術を駆使している。
顔料は岩絵の具であって、日本画の顔料と共通している。
この技術の精巧さは驚異的な精緻さに満ちており、細密画として卓越した画質を見せている。・・・・・・・・
以上で、福田氏の解説の概略を終る。

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ここに挙げた4枚の絵を拡大して、よく見てもらいたい。
写真③の絵は一人の男性が、二人の女性を相手にしているハレム的な構図。
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写真④の絵などは「馬」との交接を描いているが、これなどは実際には交尾不可能なもので、全般的に見て、絵の表情なども「類型的」で、性行為に際してのエクスタシーなどの「情感」が乏しいように、私には見える。
いかに王様ないしは貴族というお偉がたとの交情とはいえ、女性にも性の喜びはあった筈であり、それらの点で、日本の浮世絵春画における男女のとろけるような表情と引き比べて、私には、物足りなさが残るのである。
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しかし、同人誌「霹靂」(かむとき)のページに載せた「インド文学散歩」(一番後半のところ)を読んでもらえば判るように、多神教であるヒンズー教の性に対する大らかさもあって、「禁忌」のない開けっぴろげな明るさに満ちている。これらの点はキリスト教や東アジアの儒教の道徳という規範に毒されていない開放的な一面を見せる。
よく鑑賞してもらいたい。
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2005/08/27のBlog

──浮世絵春画コレクション──(1)

  上村松園の浮世絵春画と
    宮尾登美子『序の舞』・・・・・・・・・・木村草弥


今回から新しいシリーズとして私の所蔵する浮世絵春画を紹介する。
一番はじめは「上村松園」である。

京都の山や川に育まれた自然の中に、千年の歴史を持つ伝統ある文化、華やかにそして人間性豊かな美術・工芸が息づいてきた。
その中に美人風俗画において精彩を放つ女流日本画家・上村松園がいた。
松園春画

明治8年生れ、昭和24年、74歳没(1875~1946)、本名は津弥。京都四条御幸町の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生れる。幼くして絵に親しみ、12歳にして京都画学校に入学、鈴木松年に学ぶが、翌年には「松年塾」に通う。
入門3年目の15歳の時、内国勧業博覧会で「四季美人図」が一等の褒状を得、この作品はイギリスの殿下に買い上げられた。18歳の年、松年の許可のもと幸野楳嶺に入門、彼の死後、竹内栖鳳に師事した。楳嶺の柔らかな画風、栖鳳の近代的写実の極意を修得し、20歳にして絵を天職として身をたてる決心を固めたのであった。
以後かずかずの授賞を受け、作風においても独自の変化を見せながら、60年間にわたる日本画の閨秀作家として、美人画に終始し「近代日本画」の巨匠として不動の地位を得たのである。
66歳(昭和16年)で芸術院会員となり、次いで帝室技芸員になり、昭和23年73歳で女性として初めての「文化勲章」受章者になり画家としての最高の栄誉に輝いたのである。

長々と略歴を紹介したのには訳があるのである。
古来、画家の職は男の独占であって、その中に伍して女として身を立てるのに言うに言われぬ苦労をした。その一生を描いたのが宮尾登美子の小説『序の舞』(1985年中公文庫刊)である。
序の舞

この小説は私の入っていた或る読書会のテキストにも採用したこともあるが、もちろん小説であるから彼女の名前や師匠の名などは仮名になっているが、私が上に紹介した略歴の各人の本当の名と照合してもらうとよく判ると思う。

そういう生きてゆくにも苦労する日々の中で、彼女は薬を買うための金策として、勧められて「春画」を描いた。もちろん「芸の肥し」になるという美名のもとに、ではあるが。
そのうちの一枚が掲出した浮世絵春画「尻やぐら曲取り」と題する絵である。(全12図画帖)のうち。
私の所蔵するものは、もちろん復刻版であるが、或る浮世絵研究会が登録会員のみに配布した300部限定の出版である。これらが出た時は取り締まりも厳しかったが、今では、外国で評価されるように、日本でも美術として認められて来たのかどうか判らないが、こういうものの配布も認められるようになった。大量出版物としても、たとえば林美一氏の著作なども市販されるようになってきた。

宮尾登美子の小説では、その部分を、こう描写している。画商が言うのである。
・・・・・「ひとつ枕絵描いてみいひんか。あんたまさか生娘やおへんやろ。この絵の裸の娘さん、清らかな色気があってなかなかよろし。このいきで男女のナニ描いたらきっと喜んで買うてくれはるひともおっせ。」
枕絵とはまた何といやらしいことを、津也は顔から色の引く思いだったが、しかし見知らぬ男に体を売ることから考えると、こちらはまだしも、という気はする。もしこれが、平安なときの津也だったら、「筆が汚れます」とにべもなかったろうが、いまは追い詰められた果て、頼るは我が絵筆より他にないのであった。・・・・・

もっと前のページにも師匠の松渓から枕絵の修得を勧められる部分もある。
実際に、師匠に言い寄られて体の関係を強要され、彼女は「私生児」を生んでいる。彼女の息子の松篁が、それである。彼も日本画家として大成し、彼もたしか文化勲章の受章者ではなかったか。

彼女が文化勲章を受章するくだりを宮尾登美子の筆は、つぎのように描いている。
・・・・・「お母さあん」と大息をつきつき、「とうとう来ましたえ。文化勲章」といったきり絶句した孝太郎の手から電報を取上げ、電文を読んだあと、津也は腹の底から嗚咽がこみあげてくるのを抑えきれなかった。
電話という迅速な方法もあるものを、電報用紙をじかに手渡したさに京都から息せき切って駈けつけて来た孝太郎の気持も、津也はいま手に取るように判る。・・・・・
・・・・・世間から好奇の目でみられ続けて来た孝太郎と、一生を娘の画業に賭けた勢以、そして津也は、ただ意地ばかりで今日までを漕ぎ渡って来た感がある。・・・・・

長々と引用してきたが、この一枚の春画の背景に上村松園の並々ならぬ苦労の裏打ちがあるのである。
彼女の春画は「祐信」の構図を借りて女性の艶姿を描き、その気品の高さは清長や歌麿のごとくである。
いまは、ただ松園の春画を、存分に堪能してもらいたい。
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原画はもう少し大きいが、私のスキャナはA4版までしか出来ないので、上下左右が寸づまりになっていることをお断りしておく。
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