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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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光は直進し/あるいは屈折する/卓上に盛られる果実や/…非時香菓・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠
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   ──鈴木漠の詩──(1)

        橙・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

    光は直進し
    あるいは屈折する
    卓上に盛られる果実や
    壜の頸(くび)の丸みのあたりでは
    光は滑降しているようだ
    壜の中に水は あくまで
    透きとおっているのだが
    水はけっして自分自身を
    裸だなどと思わないだろう
    不定形の水にとって
    折々の容器のかたちは
    折々の衣裳であるからだ
    夕闇に囲まれた家庭の
    小さな食卓を
    一顆の灯(あか)りが蜜柑色に照らし出し
    その点灯をまねて 籠の中の
    柑橘の類は香りを揮発させる
    果実のめぐりで 光は
    わずかに彎曲しているようだ
    …一般相対性理論演習
    …非時香菓(ときじくのかくのこのみ)
    光源は ほんとうは何処にあるのか
    これら光は
    何処から来て何処へ消えていくのか
    明滅するすべての存在の
    その末端に連なって
    家族はそれぞれに
    光の劇を眺めている
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実は、私は、この鈴木漠氏の詩集『色彩論』(1993年書肆季節社刊)は見ていない。
この詩集はいろいろの「色彩」の色を一つ一つ取り出して詩を構成してあるらしい。
この詩は「橙色」オレンジを題にして作られている。
鈴木氏は近畿大学文芸学部で詩歌論を講じておられたらしい。
ここに引いたのは、村山精二氏の「ごまめのはぎしり」というサイトを偶然ネット上に見つけて、そこに載るものの転載である。
鈴木氏とは私の詩集を贈呈した縁で、塚本邦雄の死去に伴う思潮社発行の月刊詩誌『現代詩手帖』の「特集」に書かれた「押韻芳香領へ」という記事のコピーをいただいたのが発端である。
以下、村山氏が、この詩について書かれるのを引いておく。

 <書名だけは以前から知っていた『色彩論』をいただきました。感激です。さすがに高名な詩集だけに、色彩を操った作品は見事です。その中で、どれを紹介するかは迷うところですが、やはり私の感性に最も合うのは、これでしょう。
硬質な、いい作品ですね。惚れ惚れします。私も興味をそそられている光と水についての、詩人らしい考察。蜜柑と家族との平易に見える組み合わせも、光と水があることによって、まったく違った意味合いに捉えられます。私がやりたかったことを、93年にすでにやられてしまった、という思いです。
 作品としては、もちろん私という個人が書いて、それが残るのが一番いいと思っています。しかし人類という立場に立てば、誰が書いてもいいでしょう。そういう意味で、科学と詩という分野で、この作品が出現したことは喜ばしいことです。後世の批評家がこの作品についてどう判断するか判りませんが、少なくとも私は20世紀の成果と考えています。
 「詩人のための物理学」、「水とはなにか」、「ろうそくの科学」など科学と詩を結ぶ著名な本がすでに存在します。しかし、それらはあくまでも科学という目で書かれたもので、詩人の側からの接近はあまりありません。鈴木漠さんがそれをすでに達成していることに驚き、賞賛を惜しみません。>

この原文にある漠という字が獏になっている誤りのみ訂正しておいた。
一度、この詩集を全部見てみたくなった。
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以上の記事は、実は2008/12/18付けでDoblogに載せたのだが、Doblogが二月はじめに障害を起こし、記事の掲出も取り出しも不可能になっていたのだが、最近、一時的に見られるようになったので、急いで取り出して、ここに転載するものである。
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(追記・2011/02/20)
つい最近ネット古書店から鈴木漠の詩集、連句集をいくつか買ったので、本の画像を出しておく。
多くが書肆季節社の制作になるものである。前衛歌人であった塚本邦雄が拠った出版社として知られる。
今から、もう三十数年か四十年も前になるが、この出版社の本を何度か買ったことがある。
政田岑生は懐かしい名前である。

  

朝の少女に捧げるうた・・・・・・・・・・・・大岡信
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   朝の少女に捧げるうた・・・・・・・・・・・・大岡信

     おまえの瞳は眼ざめかけた百合の球根
     深い夜の真綿の底から
     朝は瞳を洗いだす そして百合の球根を

     おまえの髪はおまえの街の傾いた海
     光の輪が 無数のめまいと揺れている海
     おまえの潮の匂いだって嗅げるのだ ぼくは

     おまえの腕は鉄のように露を帯びる
     おまえの脚は車軸の速さで地下道を抜ける
     おまえのからだの曲線は光の指に揉まれているが
     そのいたずらがいつもおまえを新しくする
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つい昨日に、佐佐木幸綱の青春の歌を引いたが、この大岡信の詩も、彼の青春まっただ中を歌った詩と言ってよい。
ただ、この「少女」というのが、ここに描かれる色々のものの比喩になっているのだが、「今どきの」少女というイメージとして比較するとミスマッチな面もあろうか。
今どきの少女というのは一種の「怖さ」が付きまとうから悲しい。
大岡や私のような世代が少女に抱いていたイメージというのは「新鮮な」ものだった。

大岡信の詩については、何度も引いてきたので、ここでは余り多くのことを喋るのは止めにしたい。
大岡信は2003年度文化勲章受章者である。
朝日新聞朝刊に長い間連載してきた「折々のうた」が執筆を打ち切りになって感慨ふかいものがある。
ここで大岡の別の詩の一部を引用しておく。
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 ooka大岡信

  春のために(後半の一部)・・・・・・・・・・・大岡信

    ぼくらの腕に萌え出る新芽
    ぼくらの視野の中心に
    しぶきをあげて回転する金の太陽
    ぼくら 湖であり樹木であり
    芝生の上の木洩れ日であり
    木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
    ぼくら

    新しい風の中でドアが開かれ
    緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
    道は柔かい地の肌の上になまなましく
    泉の中でおまえの腕は輝いている
    そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
    静かに成熟しはじめる
    海と果実
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掲出の詩と、後に引用した詩とは、ほぼ同じような心象の詩になっていることが判るだろう。

  
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