K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(9月)月次掲示板
aaoohiganb3ヒガンバナ大判

私の詩の良き批評者であられる谷内修三氏のサイトに「病気療養のため、当分のあいだ、当ブログを休ませていただきます。(代筆)」というお知らせが載り、ショックを受けています。
一日も早い、ご回復を心からお祈りいたします。
私の詩や詩集について、もう三度、書いていただいた。有難いことである。

九月になりました。
空には鰯雲、赤トンボが飛びます。
 木草にも九月のたゆさあるべきか・・・・・・・・・・相生垣瓜人
 黒揚羽九月の樹間透きとほり・・・・・・・・・・・・・・・飯田龍太
 天山南路九月の砂漠河消えて・・・・・・・・・・・・・・・・久保武
 八朔のででむしころげ落ちにけり・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
 襟足をきれいに剃つて白露の日・・・・・・・・・・・・・・中村契子
 吾亦紅壮なる時過ぎて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子
 天女より人女がよけれ吾亦紅・・・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
 情ふかきゆゑにうとまれ吾亦紅・・・・・・・・・・・・・・山仲英子
 野に吹かれやうやう個なれわれもこう・・・・・・・・・三井葉子
 かなかなや師弟の道も恋に似る・・・・・・・・・・・・・・・滝春一
 秋暑し死魚をむさぼる亀のをり・・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
 法師蝉なきやみ猫のあくびかな・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 蟷螂に耳打ちをする舌足らず・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。
コメントは各記事の末尾に「コメント」「CM」という欄がありますから、それをクリックしてお入りください。
私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
 GoogleYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。

閲覧の仕方
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは5/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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「集英社文庫」新刊
「岩波書店」
「青土社・ユリイカ」

葡萄食ふ一語一語の如くにて・・・・・・・・・・・・中村草田男
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 葡萄食ふ一語一語の如くにて・・・・・・・・・・・・中村草田男

秋は果物のおいしい季節である。ブドウもそのうちに数えられる。
品種改良されて、さまざまの種類がある。梅雨の終る頃には、もう早生種のデラウエアが出回ってくる。岡山のマスカットのように芸術作品のような高級品ではなく、気軽に食べられるものがよい。
掲出の草田男の句は葡萄のひと粒ひと粒を口に入れながら、それを文士らしく「一語一語」と表現したのが面白い。

   葡萄一粒一粒の 弾力と雲・・・・・・・・・・・・・・富沢赤黄男

という、いかにも前衛俳句らしい──短詩のような句も面白いと思ったが、無難な草田男の句にした。

写真②は、ブドウの若い実である。
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種無しブドウは、一種のホルモン剤のジベレリンという液にひと房づつ浸してゆく処理をするのである。噴霧器で撒布してもよいが大半の液が無駄になるので高くつき過ぎるのでやらない。とにかく日本の農作業は労働集約的な手間をかけるもので、世界一高い労賃が、さらにコストを押し上げて果物も一個一個が高くつく。この段階を過ぎて実がある程度に大きくなると「摘果」といって、そのまま放置すると粒が多いままだと粒が大きくならないので、鋏で実を間引く。これも根気の要る作業だ。さらにひと房づつ紙袋をかぶせる作業をする。もちろん殺虫剤の撒布も必要である。商品として店頭に並ぶブドウには、こんなにもさまざまな手間がかかっている。

9.19koushuuhatake葡萄畑

写真③はブドウ畑である。レクリエーションでブドウ狩に行ったことのある人もあるだろう。白い紙袋がかかっているのが見える。最初は完全に隠れるように袋に入っているが、完熟するにつれて紙袋の底をあけてゆく。もちろん最初から「無袋」(むたい)といって袋かけしないものもある。岡山のマスカットなどは「温室」栽培のもので、ものすごくコストがかかっているから、とびきり高価である。このマスカット系の品種は皮と実が剥しにくく食べ難いので私は好みではない。

ここらで本題の文学作品の中の葡萄のことに戻る。

 のちの月葡萄に核(さね)のくもりかな・・・・・・・・夏目成美

 食むべかる葡萄を前にたまゆらのいのち惜しみて長し戦後は・・・・・島田修二

ここに引いた島田修二は、2004年9月半ばに睡眠中に死去された。もと読売新聞記者で「コスモス」の宮柊二の高弟で朝日新聞歌壇の選者だった。島田は海軍兵学校在学中に敗戦を迎えたあと東京大学を出た。そういう人だから、「たまゆらのいのち惜しみて長し戦後は」という述志の歌になるわけである。
歳時記にも葡萄の秀句も多いが、少し引いて終る。

 天辺や腋毛ゆたかの葡萄摘み・・・・・・・・・・・・平畑静塔

 原爆も種無し葡萄も人の智慧・・・・・・・・・・・・石塚友二

 黒葡萄ささげて骨のふんわりと・・・・・・・・・・・・飯田龍太

 色惜しみつつ夜明けつつ黒葡萄・・・・・・・・・・・・広瀬直人

 レマン湖のひかりに熟れて葡萄畑・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 老いてゆく恋人よ葡萄棚の下・・・・・・・・・・・・今井杏太郎

 少年がつまむ少女の掌の葡萄・・・・・・・・・・・・藤岡筑邨

 葡萄垂れ献身といふ言葉かな・・・・・・・・・・・・永島靖子

 黒葡萄聖書いつよりなほざりに・・・・・・・・・・・・山岸治子

 葡萄ひと粒を余して本題に・・・・・・・・・・・・松下美奈子

 青葡萄ひとつぶごとの反抗期・・・・・・・・・・・・宮里晄

 手秤の葡萄ひと房聖書ほど・・・・・・・・・・・・小倉通子


梨食ふと目鼻片づけこの少女・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
housui015豊水梨

  梨食ふと目鼻片づけこの少女・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

梨に無心にかぶりつく少女──この情景は、梨を四分割ほどにカットして食べ易い形にしたものを想像すると面白くない。
この句の情景は、梨を丸ごと、かぶりつく、ということであろう。
「目鼻片づけ」という表現は、目も鼻もどこかへ片づけて、食べることにひたすら没頭している少女、なのである。
余談だが、俳句の「俳」の字は、もと一般人と変ったことをして人を興じさせる芸人の意味だという。俳優の語は、そこから来た、と言われている。
明治以降の「俳句」も、和歌に対抗して滑稽な詩情を開拓した俳諧から出ているが、現代の俳句はもちろん、滑稽みや軽みだけですべてが表現されるものではない。新しい短詩形文学の一形態として多種多様な心情を盛る。
この楸邨の句は、抜群の俳味をたたえてふくよかである。昭和51年刊『吹越』所収。

「梨」については、すでに9/8付けのBLOGで、私の歌を掲出して書いた。俳句についても、いくつか引用したので、改めて付け加えることもないが、「梨」=無し、に通じるとして昔の人は言葉忌みをして「ありのみ」などという命名をしたものである。

先日は引かなかった句を少し引いて終る。

 仏へと梨十ばかりもらひけり・・・・・・・・・・・・正岡子規

 梨売りの頬照らし過ぐ市電の灯・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 孔子一行衣服で赭い梨を拭き・・・・・・・・・・・・飯島晴子

 有の実やわれの故山を何処とも・・・・・・・・・・・・上田五千石

 勉強部屋覗くつもりの梨を剥く・・・・・・・・・・・・山田弘子

 さみしさを八つに割りし梨一個・・・・・・・・・・・・鳴戸奈菜

 一目瞭然の室内ラ・フランス・・・・・・・・・・・・有沢榠櫨

 老成も若さも遠し梨をむく・・・・・・・・・・・・深谷義紀

 梨甘き夜を欠くるなく集ひけり・・・・・・・・・・・・塙告冬

 夕刊に音たてて落つ梨の汁・・・・・・・・・・・・脇屋善之

 ラ・フランス花のごとくに香りけり・・・・・・・・・・・・佐々木まき

 梨半分ラップに包み逝きにけり・・・・・・・・・・・・近藤紀子

 袋よりはち切れさうな梨の尻・・・・・・・・・・・・間部美智子

自が開く力に揺れて月下美人ひそけき宵に絶頂ありにけり・・・・木村草弥
2002gekkabijin0716b月下美人

  自(し)が開く力に揺れて月下美人
   ひそけき宵に絶頂ありにけり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「月下美人」は長らく名前は聞いていたが十数年前に知人から一鉢もらって今も栽培している。珍しい神秘的な花として当初は、わくわくだったが、栽培してみると毎年いくつも花が簡単に咲くので拍子抜けするようである。

040626蕾はじめ①

写真②が「つぼみ」の段階である。最初は垂れているが成熟するにつれて「勃起」するように花が上を向いてくる。写真は、最初の下向きに垂れている段階。写真に写っている右の二本の蕾は、これ以上発育せずに、落ちてしまった。
月下美人は、もちろん外来の植物で「サボテン」の類である。栽培本によると直射日光を避けるように書いてあるものもあるが、それはおかしく、本来、熱帯地方の植物であるから、寒さには弱いが暑さには強い。私の家では半日以上直射日光の当るところに置いてある。
写真③が、その段階を過ぎて、蕾が上向きになりかけたところ。
040629蕾起き上がり

私は知人が栽培していた月下美人の鉢を、ここ一両日で咲くという段階のものを頂いた。十数年前のことである。月下美人の名の通り、夕方から、晩になって、とっぷりと夜のとばりが下りた夏ならば午後9時ころから開花しはじめる。大振りの花で直径は10センチ以上ある。もちろん手入れの仕方によって花にも大小はある。
花芽は写真③に見られるように葉の切れ込みの辺りから出てくる。葉の出てくる場所も同じような処からである。先にサボテン類と言ったが、シャコバサボテンの花芽の出方と同じである。
写真④は勃起しかけた蕾が複数ついているところ。
626_5月下美人蕾

とにかく月下美人の蕾の発育の仕方を見ていると、男性性器が平常時のしぼんだ状態から「勃起」し、かつ大きさも何倍にもなるのと同じような動きを示すので、ある意味でエロチックである。
花はとっぷり夜になってから一時間余りかけて完全に開く。
そして翌朝には完全に「しおれて」勃起していた花も下を向いて、だらんと垂れている。この様子も、事が終ったあとの男性性器の状態を思わせて、むしろ嫌らしい感じさえする。しおれた花は葉の付け根から、すぐに切り取る。そうしないと次の開花に影響があるようだ。
写真⑤が、そのしおれた花の様子である。
bijin-11萎んだ花

とにかく月下美人は強い植物で、冬の間は屋内の南側のガラス越しの場所に置いてやれば栽培には問題はない。私の家では、夏場はほったらかしである。水やりは、たっぷりと毎日夕方にやる。

掲出の歌は歌集には未収録のものである。第四歌集『嬬恋』(角川書店)には収録歌数が多くなりすぎて削ったので

月下美人たまゆらの香を漂はす明日ありや花 明日ありや花

という歌だけ載せた。しかし、この歌よりも、掲出した歌の方が佳いと思って、これにした。初出は「地中海」誌に載せた7首であり、以下に、それを引用する。

  月下美人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

かのひとに賜ひし一鉢ふくらめる月下美人の咲くを待つ宵

この宵は月も出でざれば月下美人一花乱るる刻きたりけり

蛇皮線を弾いて月下美人の花待つと琉球の友の言ひしも愛(かな)し

白き焔(ほ)を吐きて月下美人のひらき初む一分(いちぶ)の隙もなきしじまにて

友の喪より帰り来たれば月下美人咲き初めむとす 梅雨ふりしきる

自(し)が開く力に揺れて月下美人ひそけき宵に絶頂ありにけり

月下美人たまゆらの香を漂はす明日ありや花 明日ありや花
----------------------------------------
月下美人に驚きを感じなくなった今なら、こんな感動に満ちた歌は作れない。詩歌は「刻の産物」と言われるが、まさに、そのことを、この一連は証明している。

例年だと梅雨頃から咲きはじめる。昨年は、たくさんの花がつぎつぎと咲いて、うんざりする程だったが、今年は7月は梅雨が長引き、8月はじめまでかかるという異常さで花は咲かなかった。秋口になってから咲くようになったが、花の数は少ない年である。

秋 ぼくは時の階段をおりてゆく/生はゆきつくことのない吊橋 揺れながら・・・・・・大岡信
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     痛み・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

   秋 ぼくは時の階段をおりてゆく

   永遠の岸に腰をおろして

   空をわたる人の微(かす)かな足音にききいるために

   そこを一つの肉体が 時間が通る



   風がしげみを吹きわけるように

   永遠がぼくらのあいだを横切っている

   ぼくらが時おり不安にみちて

   恋人の眼をのぞきこむのはそのためなのだ



   遠い地平を魚がゆきかう暗い夜明け

   夢がふいに過去を抜けでて

   ひらきかけた唇のうえにやってくる

   誰にも知られずそこで乾いて死ぬために



   生はゆきつくことのない吊橋 揺れながら

   水と空とに映えながら 愛は死の

   死は愛の旗をうち振っている

   ぼくらの中でそれにひそかに応えるものに応えながら

----------------------------------------
この詩は学習研究社『大岡信・うたの歳時記』──秋のうた(1985年9月刊) に載るもので、書き下ろしの詩だという。現代詩読者向けではなく、一般読者向けの平易な、分り易い詩である。
冒頭の「秋 ぼくは時の階段をおりてゆく」という出だしから、4連冒頭の「生はゆきつくことのない吊橋 揺れながら」という個所など秀逸である。題を「痛み」としたところに作者の内面を知ることが出来よう。


大高翔『漱石さんの俳句』─私の好きな五十選─・・・・・・・・木村草弥
漱石さんの俳句

──新・読書ノート──

  大高翔『漱石さんの俳句』─私の好きな五十選─・・・・・・・・・・・木村草弥 

この本は実業之日本社2006年12月刊のものである。これもネット古書店から買った。
タイトルにある通り、漱石の俳句から彼女の好きな句50を選び出し、鑑賞を加え、文末に彼女の句を添えたものである。漱石の俳句が全体で何句あるのか私は知らないが、年譜によると、夏目漱石は東京大学予備門(のちの一高)から正岡子規と同級であり、子規が死ぬまで深い友情で結ばれた二人だった。
この本の巻頭には彼らの写真や原稿の図版が載せられ、漱石が俳句の草稿を子規に送り、子規が添削や、○◎などの選をして送り返したのが、まざまざと見られる。
参考文献として『漱石全集第17巻 俳句・詩歌』坪内稔典注解(岩波書店)、『夏目漱石事典』平岡敏夫ほか編(勉誠出版)、『俳人漱石』坪内稔典(岩波書店)などの本が載っている。

漱石は明治28年に愛媛県尋常中学校(のちの松山中学)英語教師として松山に赴任。彼の下宿(愚陀仏庵)に転がり込んできた子規が毎晩のように開く句会に影響されて、漱石は俳句に熱中するようになる。
日清戦争に記者として従軍し結核で喀血するという病気の子規は故郷・松山に帰郷、50余日にわたって漱石の下宿に同居して、俳句の魅力を漱石に伝えたのち、子規は詩歌の革新を志して単身上京する。
漱石が松山から熊本の第五高等学校に移ったのちも、子規との間の俳句指導の句稿が残っている。
以下、この本に収録されている漱石の句を引いて見てみよう。
下記のうち <>内は、大高翔のオリジナルの文章の引用である。

 ★春雨や柳の下を濡れて行く
この句は親友にして俳句の師であった子規に送った手紙の中に記されているらしい。実は、その少し前に学友の菊池謙二郎に送った、漱石が軽い喀血をしたことを伝える手紙の中に「・・・柳の中を・・・」と出てくるらしい。この頃は結核が流行っていた様子が窺えるが、そういう喀血して傷心の漱石の心境が見えるようである。
彼女は書いていないが、歌舞伎の月形半平太の「春雨じゃ濡れて行こう」の台詞を漱石が踏まえているのは確かだろう。彼女は「寄り添う」女性とかを想像して書いているが、それは強引すぎるというものだろう。
文末には、彼女の句 「笹鳴や捨つべきものを捨つるのみ──翔」 が添えられている。

 ★弦音にほたりと落る椿かな
<この句、「ほたり」に参りました!
 椿の花の落ち方を「ほたり」と表現したところがすごい。
 ・・・「ほとり」では、湿っぽい気がするし、「ぽとり」や「ぱさり」では大げさでいただけない。
 「ほたり」ということばは、漱石さんオリジナルの新しい擬音語でありながら、不思議なくらい、
 耳なじみのいい響きをしている。・・・
 漱石さんの俳句をしってから、椿が落ちるのをみると、あっと思う。・・・椿の落ちる音があると
 したら、やっぱり、「ほたり」しかない、と。
 じゃあ、わたしも落椿の句を。  「触れずおく搦手門の落椿──翔」 >

 ★この夕野分に向て分れけり
この句は「子規を送る」と前書のついた五句の四句目に置かれている。彼女は、こう書く。
<実は、子規はすでに脊髄カリエスによる腰痛を抱えていたというから、文字どおり「決死の覚悟」で
 の旅立ちだ。
 松山の愚陀仏庵では一緒に生活し、「大将」とも呼びかけていた子規との親密さが窺える。
 別れていく友は、もう背中を見せている。愛すべき、遠ざかる後ろ姿に、漱石さんは、大声で呼び
 かけている・・・・そんな光景が目に浮かぶ。
 子規は、いつも自分の夢に前のめりで向かっていく。
 江戸っ子で、都会人の、そんな漱石が創作の道に足を踏み出すためには、子規のような、周囲を
 巻き込む野分のような人間に、背中を押してもらう必要があったのだろう。
 その子規との別れは、ひとり取り残されるような寂しさを、漱石さんに抱かせたのではなかろうか。
 ・・・明治という時代を背負ったものたちの宿命として、漱石さんもまた、新しい日本を担う役割を果た
 さなければならなくなる。ともあれ、このとき、偉大なふたりは各々の野分に向かって、別れることに
 なったのだった。 「夏蝶の二頭の別れゆく高さ──翔」 >

 ★長けれど何の糸瓜とさがりけり
<アハハハ、こりゃ可笑しい!
 漱石さんの明るいユーモアに満ちた傑作だ。・・・江戸っ子の漱石さんらしい、負けん気のある
 ユーモアだ。
 これも子規に送った句稿(その17)にある。
 もちろんこの句、子規の評点は「◎」だったそう。きっと、子規は、お腹の底から笑っただろうなぁ。
 「何の糸瓜」というのは、なんとも思わない、少しも価値がないという意味の「何の糸瓜の皮」という
 ことわざを意識しているのだといわれている。
 季語としての実物の「糸瓜」に、ことば遊びとしての「糸瓜」を重ね合わせているというわけだ。
 のちに漱石さんは『吾輩は猫である』のなかで、苦沙弥の家に集まってくる変人、暇人たちを
 「太平の逸民」と呼び、「糸瓜の如く風に吹かれて超然と澄し切って居る様なものの、其の実は
 矢張り娑婆気もあり、慾気もある」と書いている。だから、この句の糸瓜は「太平の逸民」をイメ
 -ジしていると考えられている。・・・つまり、漱石さんが憧れた「高等遊民」のことだ、ということに
 なるんだろう。 「水の意にあらがふことも花藻かな──翔」 >

彼女は、ここには書いていないが、「糸瓜」と言えば、子規の辞世の句というのがある。

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

 痰一斗糸瓜の水も間にあはず

 をととひのへちまの水も取らざりき


この故事から子規の忌日を「糸瓜忌」と称するのであるから、子規が糸瓜に寄せる気持のただならぬことを考えれば、ここの鑑賞文に、この辞世の句などに触れるべきだったと思うが、いかが?

 ★本名は頓とわからず草の花
<これも子規に送った句稿(その35)にある句。子規は「○」をつけていないが、彼が執筆・編集して
 いた新聞「日本」に掲載されているところをみると、やはりおもしろいと思ったのだろう。
 しかし、漱石さんが子規に送った句稿は、この35が最後。漱石さんは、一年後にはいよいよ英国
 に向かって出発するのだ。五年にも及んだ、俳句の添削を通じての交流はこれで終り、間もなく
 漱石には運命の大転換が、子規には人生の最後がやってくる。そう考えると、漱石さんが自身の
 職場である学校の様子をユーモラスな俳句で子規に伝えたのは、病が重くなってきた子規を気づ
 かってのことだったとも思える。そんな句稿が最後になったなんて、ちょっとしんみりしちやったな・・・
 「誰彼に草の名問ふや鰯雲──翔」 >

 ★筒袖や秋の柩にしたがはず
 <子規が死んだ・・・・!遠からずその日がやってくるとは覚悟していたものの、遠き異国で、
 いざ訃報に接してみると、その悲しみはことばにならないほどに深い・・・・そんな漱石さんの心境
 を表すかのような、淡々とした詠みぶりが、逆に切ない。
 これは漱石さんが要請された子規への追悼文にかえて、虚子に宛てて送った「倫敦にて子規の
 訃を聞きて」という前書のある五句のうちのもの。
 「筒袖」とは洋服のこと。「筒袖」姿の日本人である自分。・・・日本を恋しがりながらも、親友の死も
 しらずにいた自分への責めの気持ち。・・・今よりはるかに遠い、イギリスと日本。異郷の地で悪化
 する神経衰弱と闘いながら苦学している漱石さんと、死の恐怖をいよいよ目の前にした子規との、
 どうしようもない距離。・・・
 「遠き国へ手紙を出しに十三夜──翔」 >

 ★秋立つや一巻の書の読み残し
<実は、この句は、前年に弟子入りした芥川龍之介に宛てた手紙のなかに記されているもの。
 「読み残し」には、まだなすべきことをやりとげていないという、残念な思いと同時に、できるところ
 まではやったという充足感の先の諦念、があるような気がする。
 この句を記した、約三ケ月後に、漱石さんは、49歳で亡くなった。
 漱石さん自身に、辞世の句だなんてつもりはなかった。けれど、この句には、そう遠くないかもしれ
 ない人生の終りを意識し、その後に思いを馳せたことで、漱石さんの一生が、十七音に凝縮された
 かのように思えてくる。自分がいなくなった後を託せると信じた、弟子・芥川龍之介への伝言は、
 半分は、遺言だったのだろうと思う。・・・完成していれば生涯の最高傑作となったことはまちがい
 ない『明暗』を、未完のままに遺して、漱石さんはパタリと逝く。執筆のために書斎に入り、そこで
 倒れたのだそうだ。
 そんな漱石さんの、清潔で気高い生涯をしめくくるのに、こんなに、ふさわしい句はない。>

以下、彼女のコメントなしで、この本に載る漱石の句を、いくつか引いておく。

 夕月や野川をわたる人はたれ

 奈良の春十二神将剥げ尽せり

 物草の太郎の上や揚雲雀

 海見えて行けども行けども菜畑哉

 端然と恋をして居る雛かな

 どこやらで我名よぶなり春の山

 永き日や欠伸うつして別れ行く

 ぬいで丸めて捨てて行くなり更衣

 仏壇に尻を向けたる団扇かな

 枕辺や星別れんとする晨

 君が名や硯に書いては洗ひ消す

 人に死し鶴に生れて冴返る

 菫程な小さき人に生れたし

 行く年や猫うづくまる膝の上

 馬の子と牛の子と居る野菊かな

 秋の川真白な石を拾ひけり

 日は落ちて海の底より暑かな

 引窓をからりと空の明け易き

 加茂にわたす橋の多さよ春の風

 二人して片足宛の清水かな

 吾影の吹かれて長き枯野哉

 二人して雛にかしづく楽しさよ

 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉

 有る程の菊抛げ入れよ棺の中

 そぞろ歩きもはなだの裾や春の宵

 春の川を隔てて男女哉

 耳の穴掘つて貰ひぬ春の風
---------------------------------------
以上で、この本の鑑賞を終る。
夏目漱石の句は、ユーモラスなところがあり、独特の趣を漂わせている。
私のブログにも何度か引いたが、この本で集中して読ませてもらって有難かった。
若いが、才気煥発な大高翔という人を得て、漱石を別な面から掘り下げられていて、面白かった。

鈴虫を塞ぎの虫と共に飼ふ・・・・・・・・・・・・草間時彦
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  鈴虫を塞ぎの虫と共に飼ふ・・・・・・・・・・・・・草間時彦

スズムシは8月中旬から10月末まで鳴く。もともとは野原の草むらで鳴く虫だが、今では籠に入れて飼ったり、甕にいれて繁殖させて越冬させたりする。日本では本州にいるが北にゆくほど居なくなるという。コオロギに近い種類で、黒く西瓜の種に似ている。リーンリーンと鈴を振るように鳴く声が美しい。ただ平安時代にはマツムシと言われ、逆に松虫はスズムシと呼ばれたというから、ややこしい。
『和漢三才図会』には「夜鳴く声、鈴を振るがごとく、里里林里里林といふ。その優美(やさしさ)、松虫に劣らず」とある。清亮さが尊重されてきた虫である。
写真②はスズムシが羽を擦りあわせて鳴いているところ。
suzu0137鈴虫鳴き

スズムシの飼育の難しさは餌が切れたりすると「共食い」することである。平生はキュウリやナスなどの野菜の切り身を食べるが、繁殖期には「カツオブシ」の削ったものなどを与えて栄養をつけさせる。
こういうスズムシの繁殖などに文字通り命をかけている人たちがいるらしい。

suzu0147鈴虫交尾

写真③はスズムシの「交尾」の様子である。こういうのを写真に撮るのもたいへん難しいものである。
交尾のエクスタシーに片方が羽を震わせている貴重な写真。野生の状態では、カマキリと同じように、交尾が済むと雌が雄を食べて栄養分を補給したのではないか、と思われる。飼育に際しては、それでは困るので、カツオブシの削ったものなどを与えるのである。

suzu0150鈴虫産卵

写真④は交尾が済んで受精した雌が輸卵管を土の中に差し込んで産卵しているところ。じめじめと湿気の多い、暗い環境が必要である。飼育中は「霧吹き」で湿気を与える細心の注意が必要である。普通は産卵の済んだ雌は死ぬが、飼育環境が良い場合は、雄も雌も生きたまま越冬することもあるという。飼育も、その辺の域に達すると「スズムシ博士」と言われるのである。何事も、その筋の最高権威と言われるには、口には言えない苦労と独自のノウハウが必要である。

suzu0160鈴虫卵

写真⑤は産みつけられたスズムシの卵である。晩秋に産みつけられるので、この卵の状態で越冬し、次の年の春に、可愛いスズムシの幼虫が孵化してくるのである。ここでも適度の湿気が冬の間も必要で、乾燥させてはならない。孵化した幼虫は何度も脱皮して少しづつ大きくなって成虫になる。
スズムシ ← このサイトでは、スズムシの脱皮なども観察でき、きれいな声も聞けるので、お試しあれ。

古来、スズムシの声を愛でて俳句などに詠まれてきた。
それを少し引いて終る。
掲出の草間時彦の句は鈴虫を直接に詠むのではなく「塞ぎの虫」と共に飼う、というところが面白い。

 飼ひ置きし鈴虫死で庵淋し・・・・・・・・正岡子規

 寝(い)も寝(いね)ず甕の鈴虫長鳴くに・・・・・・・・富安風生

 鈴虫や早寝の老に飼はれつつ・・・・・・・・後藤夜半

 鈴虫は鳴きやすむなり虫時雨・・・・・・・・松本たかし

 鈴虫や甕の谺に鳴き溺れ・・・・・・・・林原耒井

 鈴虫を死なして療者嘆くなり・・・・・・・・秋元不死男

 戸を細目に野の鈴虫の声入るる・・・・・・・・篠田悌二郎

 鈴虫の生くるも死ぬも甕の中・・・・・・・・安住敦

 膝がさみしと鈴虫育てゐるか母・・・・・・・・鈴木栄子

 鈴虫のひるも鈴振る地下茶房・・・・・・・・福島富美子

 鈴虫のりんりんと夜をゆたかにす・・・・・・・・永井博文


縷紅草みれば過ぎ来し半生にからむ情の傷つきやすき・・・・木村草弥
rukousou0111ルコウソウ
  
  縷紅草(るこうさう)みれば過ぎ来し半生に
   からむ情(こころ)の傷つきやすき・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、
この歌の前に

父母ありし日々にからめる縷紅草ひともと残る崩(くえ)垣の辺に

という歌が載っている。
2003年10月に開いてもらった私の出版記念会で、光本恵子氏が、この歌について喋っていただいた。これについてはリンクにしたWeb上の『嬬恋』の「出版記念会」のところで、お読みいただける。
その時、光本さんは「ルコウソウ」が消えかかっている草、のように仰言ったが、今回、これを入力するに当ってWebを検索してみたら、ルコウソウというのは熱帯アメリカの原産で、今ではさまざまの改良種が出て園芸店でも蔓草として人気らしい、という。
写真②も、そういう色とりどりの改良種という。

rukonsouルコウソウとりどり

ルコウソウは、ひるがお科の一年草で、日本では6月から夏から秋にかけて次々に咲きつぐ。本来は五角形の真紅または白の筒型の花であるが、丸葉ルコウソウというのがあり、それと本来のルコウソウとの交配で「はごろもルコウソウ」という新しい品種が、アメリカのオハイオ州で作られたという。この花は大げさな花ではなく、また今どきの住宅事情からもフェンスにからませたりして丁度時代に合うのだろう。
写真③以下、いろいろの色のルコウソウの写真を載せておく。

rukousouルコウソウ白

marubarukousouルコウソウ

掲出した私の歌2首は、光本さんが仰言ってくださったように(消えかかっている花、というのは別にして)私の心のうちをルコウソウにからめて表現したもので、的確に言い当てて下さったと感謝している。
以下、俳句に詠まれた作品を引いておく。

 縷紅草のびては過去にこだはらず・・・・・・・・中村秋一

 縷紅草垣にはづれて吹かれ居り・・・・・・・・津田清子

 縷紅草のくれなゐともる昼の闇・・・・・・・・小金井欽二

 軽みとは哀しみのこと縷紅草・・・・・・・・瀧春一

 垣越すと揃ふ縷紅の花の向き・・・・・・・・堀葦男

 羚羊のごとき少女や縷紅草・・・・・・・・古賀まり子

 雀らの影ちらちらと縷紅草・・・・・・・・村沢夏風

 草市のをとこの提げる縷紅草・・・・・・・・吉田鴻二

 縷紅草文(あや)目にからむ情の罠・・・・・・・・田口一穂

律儀にも今年も咲ける曼珠沙華一途なることふとうとましき・・・木村草弥
aaoohiganb3ヒガンバナ大判

  律儀にも今年も咲ける曼珠沙華
   一途(いちづ)なることふとうとましき・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せたものである。ただし自選の中には採っていないので、Web上ではご覧いただけない。
この花は「ひがんばな」とも言うが、秋のお彼岸の頃に咲き出すから、この名前がある。ヒガンバナ科の多年生草本。地下に鱗茎があって、秋に花軸を伸ばし、その上に赤い花をいくつか輪状に開く。花弁が6片で反っており、雄しべ、雌しべが突き出している。人によっては妖艶ということもあろう。葉は花が終ったあと、初冬の頃に線状に生えて、春には枯れる。

361白花ひがんばな
写真②は白花である。東京では皇居の堀の土手に密集して咲いているのを見たことがある。

写真③は、その冬に生える葉の様子である。
030118higan01ヒガンバナ冬

根に毒を持つ有毒植物であり、墓地の辺りに咲いたりするので、忌まわしいという人もある。「曼珠沙華」というのは「法華経」から出た言葉で赤いという意味らしい。
古来、俳句や歌謡曲などにも、よく登場する花である。
蕪村の句に

   まんじゆさげ蘭に類ひて狐啼く

というのがあるが、そういうと、この花は蘭に似ていなくはない。鋭い観察である。
以下、歳時記からヒガンバナの句を引く。

 葬人の歯あらはに哭くや曼珠沙華・・・・・・・・飯田蛇笏

 曼珠沙華消えたる茎のならびけり・・・・・・・・後藤夜半

 考へて疲るるばかり曼珠沙華・・・・・・・・星野立子

 論理消え芸いま恐はし曼珠沙華・・・・・・・・池内友次郎

 つきぬけて天上の紺曼珠沙華・・・・・・・・山口誓子

 曼珠沙華南河内の明るさよ・・・・・・・・日野草城

 曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり・・・・・・・・中村草田男

 四十路さながら雲多き午後曼珠沙華・・・・・・・・中村草田男

 まんじゆさげ暮れてそのさきもう見えぬ・・・・・・・・大野林火

 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し・・・・・・・・中村汀女

 彼岸花鎮守の森の昏きより・・・・・・・・中川宋淵

 寂光といふあらば見せよ曼珠沙華・・・・・・・・細見綾子

 曼珠沙華逃るるごとく野の列車・・・・・・・・角川源義

 西国の畦曼珠沙華曼珠沙華・・・・・・・・森澄雄

 曼珠沙華忘れゐるとも野に赤し・・・・・・・・野沢節子

 曼珠沙華わが去りしあと消ゆるべし・・・・・・・・大野林火

 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子・・・・・・・・金子兜太

 五欲とも五衰とも見え曼珠沙華・・・・・・・・鷹羽狩行

稲刈つて飛鳥の道のさびしさよ・・・・・・・・・・・・日野草城
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  稲刈つて飛鳥の道のさびしさよ・・・・・・・・・・・・・日野草城

この頃は米の栽培も超早場米、早場米などが出てきて8月になると、もう新米が市場に出回るようになってしまった。九州に行くと、たとえば宮崎県などではコシヒカリの品種ものの稲刈りが8月下旬には、みな済んでしまって一面稲を刈り取った後の風景が見られる。
日本の風土には「米作り」が一番合っているようで、農家の年間の稲作従事日数は、あらゆる作物の中で最短だという。だから出来れば、みな米を作りたいのだが、米の消費量の減退などで米余りの状態で国として「減反」政策が取られている。
おそらく、殆どの人が稲の花の咲くのは見たことがないだろうと思うので、写真②に掲出しておく。
この写真から更に完全開花の状態に進む。
sum2稲の花
「陸稲」(おかぼ)という畑で栽培する米もあるが、おいしくないので、米といえば「水稲」のことをいう。名前の通り水管理の出来る水田で栽培する。写真にはないが水を張った田に稲の苗を「田植え」する。今では「田植え機」でやるのが普通。米作りには、田に水を張ったり、水を遮断して田を干上がらせたり、と水の管理が大切で、「穂水」と言って出穂期には水をたっぷり張ることが必要である。水管理も今は地下水をポンプで汲み上げたりするので楽である。

photo-2コンバイン
地域によって農家の栽培面積に違いがあるので一概には言えないが中程度の規模になれば写真③のようなコンバインを使用する。

もちろん「手刈り」にこだわる小規模の人もあるだろう。棚田などでは手刈りしか出来ない場合もある。写真④に「棚田」の稲刈り風景を紹介しておく。
47棚田

ついでに言うと、この頃では「棚田」の「景観」としての保存を主義としてボランティアで推進してゆこうという運動があり、一定の成果を収めているようだが、棚田は急斜面に石垣を積んで狭い田をいくつも作るという重労働であって、採算面では全く割りに合わない農法である。
そういうボランティアの人々の意思と情熱がいつまで保てるかが「棚田」の運命を決めてしまうであろう。こういう棚田では、ボランティアも年間を通じて労働に従事できるわけではないから、田植えとか稲刈りのシーズンに顔を出すくらいで、後の年間の管理は地元の農家にお願いし、その代りに年間なにがしかのお金を拠出して経費に当てるという方法が採られている。
写真④の棚田の場合も刈り取りには手押しの「バインダー」という刈り取り機が使われている。写真では、まだ刈っていない稲がS状に残っているが、周囲から、ぐるぐる廻るように刈ってきて、真ん中の部分がS状に残ったもので、人がこちら向きに立っているのが、バインダーという刈り取り機を押して、こちら向きに刈ってくるのである。ひと束分になると、麻紐で自動的に結束して、脇にバサッと投げる。結束された束が田の全面に見えている。そういう風景である。
写真④は、畦に彼岸花が赤く咲いているのも見てとれる。

rice19稲
写真⑤には、田に生えている稲の株をご覧に入れる。この株も田植えをしたときは1~2本に過ぎなかったのが「分蘗(ぶんけつ)」して20~30本になるのである。この辺のところに「物つくり」の面白さがあるのだが、現代人には、言ってもムダか。

以下に俳句に詠まれたものを紹介するが大半は今では農作業として見られないものである。腰まで浸かるような湿田での稲刈りも今では灌漑施設が整備されて水管理が自由に出来るようになり、風景としても見られない。句を読まれる前に一言申し上げておく。

 待ちかねて雁の下りたる刈田かな・・・・・・・・小林一茶

 順礼や稲刈るわざを見て過る・・・・・・・・正岡子規

 婆ひとり稲穂に沈む鎌の音・・・・・・・・石川桂郎
 
 水浸く稲陰(ほと)まで浸し農婦刈る・・・・・・・・沢木欣一

 稲を刈る夜はしらたまの女体にて・・・・・・・・平畑静塔

 太陽に泥手あげ稲刈り進む・・・・・・・・落合水尾

 孕れば腰立て勝ちに稲を刈る・・・・・・・・福田紀伊

 田より夕日を引き剥すごと稲を刈る・・・・・・・・細谷源二

 稲刈の海に出るまで雄物川・・・・・・・・森澄雄

 疲れ来て田舟にすがる深田刈・・・・・・・・吉良蘇月

 稲架の上に乳房ならびに故郷の山・・・・・・・・富安風生

 稲架の間に灯台ともる能登の果・・・・・・・・水原秋桜子

 稲架が立つ因幡の赫き土にして・・・・・・・・辻岡紀川

 架稲も橘寺も暮れにけり・・・・・・・・日野草城
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掲出句と引用の最後の句は共に草城のもので、おそらく同じ吟行の時期の作品であろうと思われる。

大高翔句集『キリトリセン』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
キリトリセン

 ──新・読書ノート──

  大高翔句集『キリトリセン』・・・・・・・・・木村草弥

大高翔については、このリンクをご覧いただきたい。ここから彼女のHPにアクセスできる。
略歴は、先に『17文字の孤独』のところで書いたが、母は「藍花俳句会」主宰・谷中隆子。

この句集は大高翔の第三句集になる。(求龍堂2007年4月刊)収録句は62句にすぎないが、本作りは大変凝ったもので、句の他に彼女の文がそれぞれ入っている。
アートディレクション=八木義博(電通)、プランニングとコピー=筒井晴子(電通)、デザインと小道具=辻井宏之(CPU)、撮影と料理=市橋織江、というスタッフの名前が明記してある。こんな本作りは句集、歌集には珍しい。

第二句集までは「新かなづかい」で作られていたが、この本から作者は「歴史的かなづかい(旧かな)」を採用している。母親が俳句結社の主宰者ということもあり、若いけれども句歴も長いので、主義として旧かな採用となったらしい。私も旧かなを歌作りには採っているので、それも判らなくはない。つまり、俳句という長い「伝統」に繋がろう、という決意の表明である。

この句集の「プロローグ」に当る巻頭に、こんな言葉がある。

<わたしの内と外に風景があり、
 それは、今のわたしが、今の季節にしか、出会えないもの。
 だから、
 その風景を切り取ってしまいたくなる。一瞬を、自分の大きさに、切り取ってしまいたくなる。
 だって、それは、わたしのかけら。こんな短い言葉のなかで、思いは自由になる。
 自由になって、羽ばたこうとする。 そう、あなたのもとへ。>

並みの句集のように句の羅列を見せるだけでなく、こういう「文章」というか「コピー」というか、を抱き合わせで載せる、というのも新しい、若さの特権の表白であろう。
私などは、「お喋り」の人間なので、こういう試みには大賛成であり、興味をそそられる。私も第四歌集『嬬恋』で試みた。
では、私の選んだ句──数は多いのだが──を引いてみる。

 息ひそめても揺れてゐる春の燭

 黒髪のにほひとも思ふ秋薔薇(そうび)

 君は私の舟だつたのに秋麗

 髪解きて秋思こぼるる洗面器

 革命やいま黄落のすさまじき

 戻るすべ知らず黄落踏んでゆく

 秋宵のいま光りだす塔のなか

 天辺はさみしきところ秋の星

 セーターをくぐる両手が宙を突く

 風船揺れさみしくないといへばうそ

 藤棚の真昼間吾を幽閉す

 踏青や愛されてゐるかもしれず

 ゼリー掬へばぷるんと応ふ街若葉

 きらきらと一粒の嘘片かげり

 逢ふことも過失のひとつ薄暑光

 炭酸水千の光をとぢこめる

 跣足ならふるさとの海にゆるされる

 夏蝶の二頭の別れゆく高さ

 夏怒涛ひとりでゆけるところまで

 何かしら昼寝のなかに置いてきし

 繚乱の薔薇の香りの行き止まり

 薔薇の香に吾より痩せて吾の影
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薔薇の季は「夏」である。 この二句には、作者のこんなコメントがある。

<満たされると、どこかが軋む。
 強く抱きしめられたときのような、甘い息苦しさ。
 満たされることは、縛られることに似ている。>

 光りつつ来たるべき恋待つ林檎

 秋の旅船首を高く我等ゆく

 秋水にかのひとの影揺れやすき

 水を恋ひ人を恋ひたる秋の蝶

 驟雨来るこの沈黙に耐へきれず

 言の葉をさらつてしまふ驟雨かな

 秋刀魚焼くいつしか君の妻となり
--------------------------------
いつの日かは知らぬが、彼女は結婚して「妻」となったのである。
そして、次の句のように妊娠して「母」となる日がやってきたのである。
この句には、次のような彼女のコメントがある。 一緒に鑑賞されたい。

 母となる吾母とゐて冬隣

<信じられないけど、わたしも、母のお腹のなかにいた。
 信じられないけど、わたしも、母になる。
 あたたかで、おだやかで、きっと特別な、冬はすぐそこ。>

 かじかんだ手で真つ白の封を切る

 啓蟄やきりきり結ぶ朝の髪

 菜の花に吾がつまさきを見失ふ

 春雪や産み月の身のうすくれなゐ

 産みをへしことやすなはち花疲れ

 朝桜吾子は零歳零カ月

 春暁の美しき眠りのつづきかな

 名を呼んで子を振り向かす花の昼

 白木蓮むすんでひらいて吾子一歳

 「はいどうぞ」しろつめくさといしころと

 折り紙のピアノかたむく花ぐもり
--------------------------------------
齢を経るとともに、人の感性も変化する。だから、若いときには若い句や歌を作っておくことである。
年とったときには、年とった句や歌しか作れない。年とってから若いときを詠っても、それは「回想」のものになってしまって、人の感動を呼ばなくなる。
上に引いた彼女の句は、たとえば

  <「はいどうぞ」しろつめくさといしころと>

の句など、幼子とクローバーの草の上で遊んでいる風景を想像させて秀逸である。
この句が「ひらがな」ばかりで作られているのも、子供と対応していることを思わせて、的確である。
こういう神経の行き届いた作品作りをしたいものである。

彼女には、句集以外の著作にも『夢追い俳句紀行』があるが、手に入らなかった。『漱石さんの俳句─私の好きな五十選─』は入手したので、後日ブログに書く予定である。
 
土間夕焼じやが藷の山夕刊のせ・・・・・・・・・・・椎木嶋舎
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  土間夕焼じやが藷(いも)の山夕刊のせ・・・・・・・・・・椎木嶋舎

芋が、馬につける鈴に似ているので、馬鈴薯(ばれいしょ)の名があるという。オランダの船がジャワから持ってきたので、ジャガタラ芋と呼ばれていた。早春に種芋を植えると、初夏から地中にたくさんの塊茎を作る。これが芋である。貯蔵が効くので保存され、食用、澱粉原料、アルコール製造などに用いられる。
掲出の句は馬鈴薯の収穫時期で、農家の土間にジャガイモが山積み状態で、一家を挙げてテンテコマイの様子を描き、その山積みの芋の上に夕刊配達人が夕刊を置いていった、というほのぼのとした情景を巧く句に仕立ててあり、現場の様子がありありと目に浮かぶようだ。

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写真②は、畑に植えた種芋から新芽が出て、少し大きくなった頃の写真。ジャガイモの大産地は、今や北海道であり、種芋の植え付けから、秋の新ジャガイモの収穫まで、すべて機械でやる。

写真③はジャガイモ畑の様子である。
imo4.7.16馬鈴薯畑

ジャガイモも日本にはジャワから伝来したというが、もともとはアメリカ大陸の原産であり、アンデスの何千メートルという高地でも主食として栽培されている。コロンブスたちとともにヨーロッパへ齎され、冷害に苦しんでいた北ヨーロッパでは救荒作物として貴重だったことは、よく知られていることである。
日本では「男爵」「メークイン」などが主として栽培されている。ジャガイモ栽培には種芋が必要だが、品種ものの種芋の供給地としても北海道は有名である。

imo4.6.29.04馬鈴薯花

殆どの人がジャガイモの畑も、馬鈴薯の花も見たことがないだろうと思うので、写真④にジャガイモの花を載せる。薄紫色の可愛らしい花である。品種によって色や形などが微妙に異なる。
新ジャガイモは、もう殆どのところで収穫は済んでいる。一番遅いのは「種芋」の収穫で、これで北海道のジャガイモのシーズンは終る。

以下、ジャガイモ=馬鈴薯を詠んだ句をひいて終りにしたい。

 新馬鈴薯や農夫の掌(てのひら)よく乾き・・・・・・・・中村草田男

 新じやがのえくぼ噴井に来て磨く・・・・・・・・西東三鬼

 新じやがをほかほかと食ひ今日を謝す・・・・・・・・大野林火

 新じやが匂ふ塩焼小屋の厚き煤・・・・・・・・沢木欣一

 馬鈴薯を夕蝉とほく掘りいそぐ・・・・・・・・水原秋桜子

 幸福の靴首にかけ馬鈴薯を掘る・・・・・・・・山口青邨

 塩が力の新じやがを煮て母子生き・・・・・・・・沖田佐久子

 幸を掘るごとし馬鈴薯さぐり掘る・・・・・・・・瀬沼はと江

 じやがいもの北海道の土落す・・・・・・・・中田品女

 馬鈴薯掘る土の匂ひの日の出前・・・・・・・・山崎明子


ほつこりとはぜてめでたしふかし藷・・・・・・・・・・・富安風生
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  ほつこりとはぜてめでたしふかし藷(いも)・・・・・・・・・・・・富安風生

昔、私の子供だった頃はこれからの時期のおやつというと必ず「ふかし藷」だった。
お腹をすかせて学校から帰ると、台所には、ほっかりとふかしたサツマイモが湯気を立てて待っているのだった。私たちの辺りで栽培していた「赤いも」は皮膚は赤いが中身は白くて、甘くて、おいしい品種だった。
掲出の風生の句の風景そっくりだった。

サツマイモ──甘藷も原産地は中央アメリカだという。多年生の蔓草で、寛永年間に薩摩の前田利右衛門が琉球から持ち帰り、青木昆陽が享保年間に関東地方へ普及させた。
サツマイモというのは、渡来の順路を知らせる命名である。
蕃藷、唐藷、琉球藷、薩摩芋という各地の呼び名は、この藷の渡来の経路を知らせるもので「薩摩」では「琉球」藷と呼んでいた。
サツマイモも青木昆陽の普及により「救荒作物」として関東以西に広がり、飢饉から人々を救ったのである。
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都会人でも子供の頃に田舎に「イモ狩り」に出かけた記憶のある人があろうが、どういう栽培をするのか知らない人が大半だろう。サツマイモは寒さに弱いので、昔は秋に収穫した種芋を地中に貯蔵して冬を越した。今は定温倉庫で20度くらいで保管する。春になると、それを出して苗床に定植し保温しながら発芽させて育て、初夏になると伸びてきた蔓を長さ25~30センチに切り取り、畑に挿して定植する。どんどん蔓が延びて畑一面を覆うようになり、根に新しい芋が出来る。

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写真③がサツマイモの葉である。先に言ったように、この蔓の茎を葉っぱもつけたまま、切り取って土に挿すのである。苗は土に横たえる状態で土に植える。その挿した地中の部分から芋が生育するのである。種を蒔くというようなことはしない。第一、本州ではサツマイモの花が咲くことは、ないのである。植えた苗が生育すると畑一面を覆うので雑草などは余り生えないから、管理はどちらかというと楽である。
戦争中は食べるものがなくて、このサツマイモの蔓が貴重品として、よく食べられた。
写真④がサツマイモ畑の全体の様子である。
satsuma-1サツマイモ畑

サツマイモにもさまざまな品種があり、真っ赤なもの、ピンクのもの、白いものなど。今どきはサツマイモというと「焼き芋」として一般的に知られていると思うがビタミンCなども豊富であり、また食物繊維が多いのでダイエット食としても適しているという。
最近ではサツマイモの生産地は徳島県(鳴門金時という焼き芋専用種を開発した)、鹿児島県(昔はアルコール原料にサツマイモを広く栽培していたが、醸造用アルコールの需要の衰退とともに減り、今は鹿児島茶産地として静岡県に次ぐ茶の大産地となった。今は焼酎ブームとあって、芋焼酎の原料として広く栽培されている)が知られる。
1407im8白芋

写真⑤は芋焼酎の原料の「白芋」である。
白芋は昔からあったが、甘みの少ない、生食した場合には、おいしくない芋であった。この芋焼酎原料専用の白芋も、おそらく甘みのない、澱粉質のみの品種だろう。なまじ甘みがあると製造工程で、うまくないのだろう。澱粉だけだと酵素によって多くがアルコールに転換できるのであろうか。芋の名前も「サツマ・・・・」とついている。
今しもアルコール飲料の中で、空前の「しょうちゅう」ブームである。私の知っている人でも老齢者は皆しょうちゅうである。年取ると糖尿病に罹る人が多く、さりとてアルコールは飲みたいということで、糖類を含んでいないから、焼酎が持て囃されるのであろう。私は糖尿病っけは全くないので、ワイン、ビール、日本酒など「味」のある酒を少量たしなんでいるので、焼酎は旨いとは思わない。

以下、サツマイモ=甘藷を詠んだ句を挙げて終る。

 君去なば食はむ藷君に見られしや・・・・・・・・石田波郷

 藷たべてゐる子に何が好きかと問ふ・・・・・・・・京極杞陽

 甘藷穴より突き出て赤き農夫の首・・・・・・・・野沢節子

 甘藷掘りを牛はかなしき瞳もて待つ・・・・・・・・才記翔子

 八方へ逃げゆく藷を掘りあぐる・・・・・・・・神生彩史

 藷掘られ土と無縁のごと乾く・・・・・・・・津田清子

 新甘藷を一本置けり童子仏・・・・・・・・中山純子

 生きて会ひぬ彼のリュックも甘藷の形(な)り・・・・・・・・原田種茅

 甘藷穴のひとつは満ちて掃かれけり・・・・・・・・遠藤正年

 やはらかき土につまづく藷集め・・・・・・・・市村究一郎


大高翔句集『17文字の孤独』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
17文字の孤独

 ──新・読書ノート── 

   大高翔句集『17文字の孤独』・・・・・・・・・・・・・木村草弥

新聞を読んでいて、大高翔という若い俳人の作品を読んだので、ネット古本屋で、この句集を手に入れた。
同時に、これは新本で『キリトリセン』という句集も買ったので、後日これについても書きたい。
大高翔は1977年徳島生まれ。お母さんが俳句結社を主宰しているらしく、子供の頃から俳句に親しみ13歳から句作を始めたという。
高校卒業時に第一句集『ひとりの聖域』を出したというが、これは手に入らなかった。
高校卒業後、上京して立教大学文学部に入学。20歳で、ここに紹介する第二句集『17文字の孤独』(角川書店1997年刊)を上梓した。
NHK-BSの俳句番組の司会などを経て、現在は毎日新聞まいまいクラブ「ケータイ俳句写真」選者。西武鉄道「秩父・川越でんたび大賞」審査委員長。徳島新聞の中高大生の俳句コーナー選者を務める。

この句集は、先に紹介した通り、20歳のときの句集だから、青春まっただ中の作品として、若さと恋の悩みなどを詠んでいる。文学作品というのは「虚構」であるから、虚実取り混ぜたものと理解するのが前提であるから、この句集の作品すべてをリアルとして捉えるつもりはないが、瑞々しい若者の感性に満ちた、よい句集である。
では、先ず私の好きな句をいくつか引いてみる。

 八朔柑背のびをしても見えぬ未来

 春浅し泣きだすようにモーニングコール

 春の行方坂かけのぼる荒息に

 春の窓ふいて故郷に別れ告ぐ

 春愁のままに十指の爪を染め

 ぶらんこ漕ぐ胸の矛盾を波立たせ

 夏の手紙青いにじみは海の色

 まぶしいほど恋の予感の夏帽子

 薄暑のベンチ待つひとのなく足を組む

 ひきとめてみたい背中に青嵐

 聖五月コーヒー色の肌つかむ

 成熟へ満ちゆく恐さ五月闇

 ひとを恋うみじんに刻むパセリほど

 コーラ飲むふたり微妙な距離のまま

 夏帽子逃げるわたしをつかまえて

 鏡のなかへ投げだす傷ついた素足

 Tシャツのはりつく背中西日さす

 夏の海ことばが欲しいたった今

 十九歳秋空に名を刻みたし

 十六夜ひっくりかえすおもちゃ箱

 危ういかもしれず言葉は海の雪

 Vネックセーター君の胸に風

 思い出は発作のように雪時雨

 奪いたくとも奪えないもの風花舞う

 雪景色飢えてるまんなか軋みだす

 自己肯定ぬるいココアを飲み込んで
-----------------------------------
  猫の鈴鳴る新緑の木を登り

 シャム猫のようにまどろむ夏座敷

 猫やせて無言は重し秋暑し

 猫の背に降りおちていく秋の光

 死んだように眠る猫いて月の舟

 老猫の眠りは深く夜の吹雪
---------------------------------------
作者は猫好きらしいので、終りに猫の句を6句引いておいた。

この句集の「あとがき」に、彼女は、こう書く。

<ことばなんて、簡単にあふれて、簡単に忘れられていく。
 だからこそわたしは俳句と向き合って、自分のまんなかの未だ埋まらない空白に書き込む決定的な ことばを探している。>

若いけれども、俳句作家として、彼女は、一番大事なところを、ちゃんと捉えている。

この頃の師匠は青柳志解樹らしい。この句集の「解説」で、こう書く。

<大高翔の俳句は詩である。青春のリリシズムはもとより、現実感に溢れているのは、自分の“いま”をうたうからである。彼女は言う。「言いたいのは、瞬間の感情の傷口です」。そしてまた「自分のこころが死なないように探してきた生きる場所が、いまのわたしにとって、俳句なのです」と。
 彼女に私は「葦」をイメージする。葦は春、強い芽を立て、若葦に生長し、青葦となって風にそよぐ。そして秋には大きな花穂をきらめかせるのである。冬の荒涼とした風景もこころに響く。それぞれ“いま”の風景である。
 最近、俳句は若い人たちに支持されるようになってきた。
 きっぱりと言い切る切り口の新鮮さが求められるのだろうか。>

この青柳の解説も的確で鋭い。
次の第三句集『キリトリセン』では、彼女の俳句は新しい展開を見せる。乞う、ご期待である。

唐黍やほどろと枯るる日のにほひ・・・・・・・・・・芥川龍之介
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  唐黍やほどろと枯るる日のにほひ・・・・・・・・・・・・・・芥川龍之介

トウモロコシは高さ2メートル程に伸び、夏の終りに茎の上に芒の穂のような雄花を咲かせ、葉腋に雌花穂をつける。雌しべに花粉がつくと稔って、雌しべ穂は茶褐色の毛のように苞の先端に残る。
『和漢三才図会』には「蛮舶将来す。よつて南蛮黍と称す。その形状、上に説くところははなはだ詳らかなり。ただし、苞の上に鬚を出だす。赤黒色にして長さ四五寸、刻煙草に似たり。その子(み)、八月黄熟す」と記述しており、特徴をよく捉えている。
夏の終りの時期の北海道の名物で、実を焼いて露店などで売る秋の味覚の風物詩である。
写真①は畑の状態である。原産地はアメリカ大陸である。インカの民は、これを主要な食料源としている。
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写真③は畑の状態だが、実の鬚が上端からはみ出ているのが見られるだろう。
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この頃では実を採取するのが目的でなく、茎と葉を家畜の飼料として刈り込む品種のものもあるようだ。これを「デントコーン」という。北海道に行くと、よく見られる。
家畜を養うには莫大な量の飼料が必要で、トウモロコシのほかに麦なども配合飼料として使われる。日本は家畜用の配合飼料の完全な輸入国で、殆どをアメリカに依存している。
考えてみるとアメリカ大陸由来の植物が多い。ジャガイモ、トマトなどもアメリカ原産である。昔はヨーロッパでは冷害による飢饉に瀕していたが、救荒作物としてのジャガイモの到来によって救われた、という。

掲出の龍之介の句はトウモロコシの中に「日の匂い」を感じたのである。
以下、トウモロコシを詠んだ句を引いて終わりにする。

 もろこしを焼くひたすらになりてゐし・・・・・・・・中村汀女

 唐黍の影を横たふ舟路かな・・・・・・・・水原秋桜子

 唐黍の葉も横雲も吹き流れ・・・・・・・・富安風生

 もろこしを焼いて女房等おめえ、おら・・・・・・・・富安風生

 貧農の軒たうもろこし石の硬さ・・・・・・・・西東三鬼

 唐黍焼く母子わが亡き後の如し・・・・・・・・石田波郷

 海峡を焦がしとうもろこしを焼く・・・・・・・・三谷昭

 唐もろこし焼く火をあふり祭の夜・・・・・・・・菖蒲あや

 充実せる玉蜀黍を切に焼く・・・・・・・・本田青棗

 中腰の唐黍焼きに昔あり・・・・・・・・石川桂郎

 雷の遠く去りたる唐黍をもぐ・・・・・・・・横山丁々

 唐黍と学生帽と一つ釘・・・・・・・・上野鴻城

 几帳面な玉蜀黍だと思はないか・・・・・・・・櫂未知子


新涼のいのちしづかに蝶交む・・・・・・・・・・・松村蒼石
SAVE0018キアゲハ交尾

  新涼のいのちしづかに蝶交(つる)む・・・・・・・・・・・・・松村蒼石

秋になって感ずる涼しさのことを「新涼」という。
「涼しさ」だけでは夏の暑さの中で味わう涼しさで、新涼とは別のもの。
本意としては「秋になりて涼しき心をいふなり」と『改正月令博物筌』にある。

  秋来ぬと思ひもあへず朝げより初めて涼し蝉の羽衣・・・・・・・・新拾遺集

の歌が知られている。また

  秋涼し手毎にむけや瓜茄子・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

の句が「新涼」「秋涼」「爽涼」「初涼」「涼新た」などの類語の季語の本意とされている。
心地よい涼しさの中に一抹の「寂しさ」「心細さ」をも伴う感覚である。
掲出の蒼石の句は、その「新涼」の季節の中で、ひそかな「生命力」の凄さを一句の中に凝縮した、みごとなものである。

以下、これらの類語の句を引いて終る。

 新涼の月こそかかれ槇柱・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 爽涼と焼岳あらふ雲の渦・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 新涼や白きてのひらあしのうら・・・・・・・・・・・・・・川端茅舎

 新涼の身にそふ灯かげありにけり・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 新涼の咽喉透き通り水下る・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼

 新涼やたしなまねでも洋酒の香・・・・・・・・・・・・・・中村汀女

 新涼の水の浮べしあひるかな・・・・・・・・・・・・・・安住敦

 新涼の剃刀触るる頬たかく・・・・・・・・・・・・・・西島麦南

 新涼の画を見る女画の女・・・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

 新涼や尾にも塩ふる焼肴・・・・・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 新涼や白粥を煮る塩加減・・・・・・・・・・・・・・久米はじめ

 新涼や相見て妻の首ながし・・・・・・・・・・・・・・細川加賀

 新涼や素肌といふは花瓶にも・・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 新涼の母国に時計合せけり・・・・・・・・・・・・・・有馬朗人

 新涼の山に対へる木椅子かな・・・・・・・・・・・・・・水田清子

 新涼や掌のくぼにある化粧水・・・・・・・・・・・・・・高山夕美

 新涼の道の集まる凱旋門・・・・・・・・・・・・・・村上喜代子

 新涼の豆腐を崩す木のスプーン・・・・・・・・・・・・・・浜田のぶ子

 新涼の水にこつんと鬼やんま・・・・・・・・・・・・・・中拓夫

 新涼の香ともハーブを刻みけり・・・・・・・・・・・・・・鈴木喜美恵

 灯を入れずおく新涼の青畳・・・・・・・・・・・・・・貝瀬久代


丈高く咲いて風よぶ紫苑には身をよぢるごとき追憶がある・・・・木村草弥
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  丈高く咲いて風よぶ紫苑(しをん)には
   身をよぢるごとき追憶がある・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「紫苑」の花言葉には追憶とか身をよじる思慕、とかがある。この歌は第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたものだが、ひところ花言葉を読み込んだ歌に集中していた時期があり、この歌は、その一つである。

紫苑はキク科の多年草で、日本の原産とある。紫色の頭状花をつける。風にも強い。
『古今集』に

  ふりはへていざ古里の花見むとこしを匂ぞうつろひにける

という歌があるが歌の中に「しをに」と紫苑を読み込んである。

私の方の菜園にも一群の紫苑が咲きかけてきたところである。

以下、紫苑を詠んだ句をひいておく。

 栖(すみか)より四五寸高きしをにかな・・・・・・・・小林一茶

 紫をん咲き静かなる日の過ぎやすし・・・・・・・・水原秋桜子

 野分して紫苑の蝶々けふはゐず・・・・・・・・星野立子

 この雨や紫苑の秋となりし雨・・・・・・・・加藤楸邨

 紫苑にはいつも風あり遠く見て・・・・・・・・山口青邨

 台風の紫苑もつともあはれなり・・・・・・・・石塚友二

 紫苑といふ花の古風を愛すかな・・・・・・・・富安風生

 頂きに蟷螂のをる紫苑かな・・・・・・・・上野泰

 山晴れが紫苑切るにもひびくほど・・・・・・・・細見綾子

 古妻も唄ふことあり紫苑咲き・・・・・・・・橋本花風

 露地の空優しくなりて紫苑咲く・・・・・・・・古賀まり子

 丈高きことが淋しく花紫苑・・・・・・・・遠藤梧逸


おしろいばな狭庭に群れて咲き匂ふ妻の夕化粧いまだ終らず・・・・木村草弥
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  おしろいばな狭庭に群れて咲き匂ふ
   妻の夕化粧いまだ終らず・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「オシロイバナ」は熱帯アメリカ原産で、元禄の頃日本に入ってきたという。この花は英語では four-o'clock と呼ばれるようで、これは夕方の午後4時ころに咲き出し、朝まで咲くからだという。
色は赤、白、黄、斑とさまざまなものがあるようだ。
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種の中に、白粉質の胚乳があるので「オシロイバナ」というらしい。
この草は今では野生化して、路傍のあちこちに群れ咲いている、ありふれた花である。
後で、いろいろの色をお見せする。

この歌は、まだ妻が元気であった頃の歌である。私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、妻も念入りにお化粧をする気分的なゆとりがあったのである。

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私の歌集には「妻」を詠ったものが多い、と、よく言われる。そう言われて子細に見てみると、なるほどたくさんある。妻のことは一切詠わないという男性歌人も多いから(逆に夫のことを、滅多に詠わない女性歌人も)私はむしろ妻を詠むことが多いのかも知れない。私は恐妻家でもないし、特別に愛妻家でもないと思うが、他人から見ると愛妻家に見えるのだろうか。
私の作歌信条は、先に書いたと思うが宮柊二が「コスモス」創刊の際に高らかに謳いあげた「歌によって生の証明をしたい」というのであり、従って私のことであれ、妻のことであれ、その時々の出来事を歌にして残したい、ということに尽きる。
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だから、今の時点を大切にしたいと考えている。私も他人様から歌集の贈呈を受けることが多いが、もう何冊も歌集を出している人で、出版時点での掲載される歌が10年とか15年とか前の時点で締め切られているのがある。なるほど、それは一つの考え方であって、年数を経ても歌が生きている、というか、年月を越えての普遍性を持っている場合、を執着したものらしい。しかし今どき変化の激しい時代に、そんな時代性を超越したような歌など、存在し得るのであろうか。
つい最近も或る中堅級の才能ある歌人から歌集をもらって、この人も某有名企業を退職してもう10年になるが、今回の歌集の収録年は、まだ在職中、が最終ということで私は苦言を呈しておいた。今の某氏を知る人は、もう10数年も前のことを詠んだ歌群を前に、どのような反応を示せばよいというのか。昔のトップ歌人と言われる人には、たしかに、そういう歌集編集の好みがあったが、現代の歌人はトップと言えども、現時点を詠って、すぐに出版にこぎつけている。それが本当ではないのか。

以下、オシロイバナを詠んだ句を少しひいて終りにする。

 おしろいの花の紅白はねちがひ・・・・・・・・富安風生

 おしろいが咲いて子供が育つ露路・・・・・・・・菖蒲あや

 おしろいは父帰る刻咲き揃ふ・・・・・・・・菅野春虹

 白粉花吾子は淋しい子かも知れず・・・・・・・・波多野爽波

 白粉草の花の夕闇躓けり・・・・・・・・渡辺桂子

 わが法衣おしろい花に触れにけり・・・・・・・・武田無涯子

 白粉花やあづかりし子に夜が来る・・・・・・・・堀内春子


一茎のサルビアの朱もえてをり老後の計画など無きものを・・・・木村草弥
aaoosarubiサルビア大判

   一茎のサルビアの朱(あけ)もえてをり
     老後の計画など無きものを・・・・・・・・・・・・・木村草弥


サルビアは南ヨーロッパ原産の華やかな夏の花である。シソ科の多年草。葉が薬用、香料になるという。寄せ植えが普通で、群れとしての印象の強い花である。
写真のように群生して咲かせるのが豪華である。
掲出の歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、私がまだ現役で仕事をしていた時の作品である。だから後段で「老後の計画など無きものを」と詠んでいる。この真紅の花を前にしていると何だか勇気づけられるような気がするではないか。
だから、この歌を作ったときは、老後、引退など、まだまだ先のことと、他人ごとのように思っていたのかも知れない。

ところで、この頃では品種改良の結果、これが「サルビア属」と目を疑うようなさまざまな色と形のサルビアがあるらしい。
uliginosa1_1ウリギノーサ

写真②は「ウリギノーサ」という属の一つである。花のつき方が、そういうとサルビアの花と一緒である。詳しくはネット上で検索してもらいたい。

以下、サルビアを詠んだ句を引いて終りにしたい。

 屋上にサルビア炎えて新聞社・・・・・・・・広瀬一朗

 サルビアに染まりし霧の湖へ出づ・・・・・・・・武井耕天

 石垣にサルビアの燃え移りたり・・・・・・・・吉田貞造

 学校花壇サルビアつねに軽騎兵・・・・・・・・鈴木蚊都夫

 サルビアの地をたしかなる猫の歩み・・・・・・・・原子順

 鈴の音は驢馬の曳く馬車サルビア緋・・・・・・・・竹尾夜畔

 別れゆくときもサルビア赤かりき・・・・・・・・木村浅香女

 サルビアの真つくれなゐに自負一つ・・・・・・・・松本千恵女

 サルビアのなだるるごとく月日かな・・・・・・・・黒川路子


桔梗の紫さける夕べにておもかげさだかに母の顕ちくる・・・・・木村草弥
yun_448桔梗本命

  桔梗(きちかう)の紫さける夕べにて
   おもかげさだかに母の顕(た)ちくる・・・・・・・・・・・木村草弥


キキョウも秋の七草のひとつで、古来から詩歌によく詠まれてきた。
派手さはないが清楚な花である。もっとも秋の七草に数えられる草は、みな地味なものである。
『万葉集』にいう「あさがお」は、キキョウのこととされる。
この花は漢字の音読みをして「キチコウ」と呼ばれることも多い。
私の歌もキチコウと読んでいる。
小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、キキョウの特色を見事に捉えている。
きっぱりと、すがすがしい感じの花である。
写真②は白いキキョウである。
kikyou4キキョウ白

掲出した私の歌は第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、母への思いを詠んでいる。
この歌のつづきに

乳ごもる肉(いきみ)の背(せな)に吾(あ)は負はれ三十路の母はまだ若かりき

という歌が載っている。私は母の30歳のときの子である。そんな感慨を歌に込めてあるのである。

この頃では品種改良で、色々のキキョウがあるが、やはりキキョウは在来種のものが、よい。
以下、キキョウを詠んだ句を引いて終わりたい。

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・石田波郷

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 我が身いとしむ日の桔梗水換へる・・・・・・・・富田木歩

 桔梗の露きびきびとありにけり・・・・・・・・川端茅舎

 姨捨の畦の一本桔梗かな・・・・・・・・西本一都

 桔梗や信こそ人の絆なれ・・・・・・・・野見山朱鳥

 桔梗やいつより過去となりにけむ・・・・・・・・油布五線

好きよと書いて/封をして/手紙にするとてがみは・・・・・・・・・・三井葉子
草のような文字゛

akatoアカトンボ②

         とんぼ・・・・・・・・・・三井葉子

     好きよと書いて

     封をして

     てがみにするとてがみはわたしの身替りになり

     いまごろは

     静岡かしら

     はるばると

     もみじの山を越えて行く


     夜になると霜がふる

     いちばん逢いたくなるそのときは

     七色の魔除けの紐でからだじゅう ぐるぐる巻いて寝ていましょう

     そらがあかねに染まるころ

     わたしのてがみが発って行く


     おお とんぼ

     あきつあかねというような

     よい名貰って

     まちがえないで行けるかしら


     わたしのひたいに当るほど

     低くとんぼが飛んでいる

     ねえ あなた

     そのうちに届きます

     いまごろは箱根の山をこえている。
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この詩は、三井葉子さんの詩集『草のような文字』(深夜叢書社1998年5月刊)に載るものである。
この詩集には全部で32篇の詩が載っているが、女が男に語りかけるような体裁になっている。
この本の装丁が、昔の源氏物語絵巻のような図版になっていて、まるで「王朝物語」に出てきそうな雰囲気を漂わせている。
三井さんが「王朝風」詩人、と呼ばれる所以である。
をみなへしそよろと咲きて賞でらるるをとこへしの茎逞しかりき・・・・木村草弥
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  をみなへしそよろと咲きて賞(め)でらるる
     をとこへしの茎逞しかりき・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「おみなえし」は古来、秋の七草の一つで、詩歌にもよく詠まれて来た。
『万葉集』に

   手に取れば袖さへ匂ふをみなへしこの白露に散らまく惜しも

という歌があり、その風情が詩歌のテーマになって来た。女性のやさしさ、なまめかしさを思わせる花である。
写真①は接写したもので、生えているオミナエシの全体像は写真②の方が自然に近い。
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小野頼風を愛した女が、頼風の心がわりを恨み、八幡川に身を投げて死ぬが、その衣が朽ちて、オミナエシになったという伝説があり、謡曲「女郎花」にもなっている。女性の恨み、嘆きを表す花とも言える。
私の方の庭にも二株いまオミナエシが咲き誇っている。私の歌は第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたものである。歌の中に「オトコエシ」が対象として出てくるが、この草も同じオミナエシ科の多年草である。
『万葉集』に

  秋の野に今こそ行かめもののふのをとこをみなの花匂ひ見に・・・・・・・・大伴家持

というのがある。男郎花と書くがオミナエシと対比させて詠まれている。
以下、オミナエシ、オトコエシの花を詠んだ句を引いておく。

 ひよろひよろと尚露けしやをみなへし・・・・・・・・松尾芭蕉

 霧深き野のをみなへしここに挿す・・・・・・・・山口青邨

 をみなへし又きちかうと折りすすむ・・・・・・・・山口青邨

 夕冷えの切石に置くをみなへし・・・・・・・・日野草城

 壺の花をみなへしよりほかは知らず・・・・・・・・安住敦

 をみなへしといへばこころやさしくなる・・・・・・・・川崎展宏

 女郎花月夜のねむり黄にまみれ・・・・・・・・六角文夫

 女郎花揺れ合ふ霧の船つき場・・・・・・・・岩城のり子

 相逢うて相別るるも男郎花・・・・・・・・高浜虚子

 藁屋一つ祈るかたちの男郎花・・・・・・・・丸山海道

 これやこの富士の裾野のをとこへし・・・・・・・・村松ひろし

 不退転とは崖に咲くをとこへし・・・・・・・・鷹羽狩行

IMGP0548オトコエシ
参考までに「オトコエシ」の花を出しておく。
そして「葉」は、こんな感じ。 ↓ オミナエシに比べると、葉がとても大きい。下の方の葉は、もっと大きく、そして深く裂ける。
IMGP0549オトコエシ葉

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「をみなへし」の歌としては、下記のようなのがある。ネット上の「古今和歌集の部屋」から引いておく。


朱雀院の女郎花あはせの時に、女郎花といふ五文字を句のかしらにおきてよめる

439 をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき ・・・・・紀貫之

たちならし ・・・ 足で土地を平らに均す(ならす)ほど頻繁に行き来して (立ち均す)
410番の業平の 「かきつばた」の歌と同じく、各句の先頭の文字をつなげると「をみなへし」になるという折句(おりく)の歌であるが、この歌が何故、物名の部に入れられているのかは不審である。確かに折句は一字づつ散らした隠し題であるとも言えるが、それにしては物名に含まれる折句の歌はこの貫之の歌一つだけである( 468番に僧正聖宝の 「は」ではじまる 「る」で終わる歌というのが採られているが、それは同時に 「ながめ」の隠し題も含んでいる)。

先行する友則の二つの女郎花の歌( 437番と 438番)からのつながりとも言えるが、その二つ自体があまり出来がよいものとは思われないので、まるでこの歌の前振りのようにしか思えない。秋歌下に紛れ込ませてもよさそうなものだが、撰者たちの感覚では、これは物名の部類であるということだったのだろう。 422番の藤原敏行の 「うぐひす」、453番の真静法師の 「わらび」の二つの歌とはまた違った意味で、この歌は物名の部の中の例外と考えられる。

歌の意味は、小倉山の峰を均すほど行き来して鳴く鹿が過ごしてきただろう秋を知る人はいない、ということ。 「そうして秋を過ごしてきた鹿の気持ちを知る人はいない」という意味である。

歌の中では 「たちならし」という言葉が気になる。この歌では 「鳴く」とあるので 「たち鳴らし」のように見えるがそうではなく、一般的には上記のように 「たち均し」と解釈されている。 1094番の 「さがみうた」にも 「こよろぎの 磯たちならし」とあり、「峰」も 「磯」も足で平らに均すには固すぎるような気もするが、一種の慣用句としておくのが妥当か。 「たち習し」であるという説もあるが、それだとじっと立っているようなイメージがあるので、「頻繁に行き来する」という意味が欲しいために 「たち均し」の方の説が優勢になったものであろう。

貫之には 「をぐら山-鹿-声-秋」と似た言葉を使った次の歌があり、この歌は、それを元にしているように見えるが作成時期の前後はわからない。 「鹿」を詠った歌の一覧は 214番の歌のページを参照。

312 夕月夜 小倉の山 に 鳴く鹿の 声 の内にや 秋 は暮るらむ

さて、詞書にある 「朱雀院の女郎花あはせ」とは宇多上皇が朱雀院で催した歌合であり、その時の女郎花の歌が古今和歌集の秋歌上に七つ集められている。そのうち五つが古今和歌集の撰者三人のものである。貫之の歌は次の一つ。

232 たが秋に あらぬものゆゑ 女郎花 なぞ色にいでて まだきうつろふ

躬恒の歌は次の二つ。

233 つま恋ふる 鹿ぞ鳴くなる 女郎花 おのがすむ野の 花と知らずや

234 女郎花 吹きすぎてくる 秋風は 目には見えねど 香こそしるけれ

忠岑の歌は次の二つ。

235 人の見る ことやくるしき 女郎花 秋霧にのみ 立ち隠るらむ

236 ひとりのみ ながむるよりは 女郎花 我が住む宿に 植ゑて見ましを

ただし、古今和歌集で 「朱雀院の女郎花あはせ」の時の歌とされているもののうち、現存する
「亭子院女郎花合」に載っているものは三首のみ(上記の躬恒の 234番、忠岑の 235番、そして藤原時平の 230番)である。この八首中三首という数は微妙であるが、一応 「朱雀院の女郎花あはせ」=「亭子院女郎花合」と見てよさそうである。そして 「亭子院女郎花合」が昌泰元年(=898年)という記を持つので、「朱雀院の女郎花あはせ」は898年の秋に催されたものとされる(宇多上皇=朱雀院=亭子院)。

この貫之の 「をぐら山 」も「亭子院女郎花合」に載っていない歌だが、「亭子院女郎花合」には
「これはあはせぬうたども」という前書きがあって、二種類の言葉遊びの歌が記録されている。一つは 「をみなへしといふことを句のかみしもにてよめる」歌で、

折る花を むなしくなさむ 名を惜しな てふにもなして しひやとめまし
折る人を みなうらめしみ なげくかな 照る日にあてて しもにおかせじ

というようなものである。 「をみなてし」となっているのは 「へ」ではじまり 「へ」で終わるものは難しかったからか、発音が似ていたからか。もう一つは 「これはかみのかぎりにすゑたる」というタイプのもので、この貫之の歌と同じ趣向である。

尾の上は みな朽ちにけり なにもせで へしほどをだに 知らずぞありける
をぜき山 みちふみまがひ なか空に へむやその秋の 知らぬ山辺に
折り持ちて 見し花ゆゑに なごりなく てまさへまがひ しみつきにけり

これも三つ目が 「をみなてし」となっている。これらと比較すると貫之の 「をぐら山」の歌がだいぶ引き立って見える。恐らく古今和歌集で選ばれた他の物名の歌のうしろにも、こうした感じの歌が大量にあったのだろう。

秋歌上には十三、そして雑体には四つの女郎花の歌があるが、それらはすべて初句か三句目で 「女郎花」という名詞単体で使われている(「亭子院女郎花合」の中でも五十一首中、例外は一つしかない)。好まれた花とはいえ、古今和歌集の中に限っても、すでにマンネリ化していると言えるだろう。折句や物名(隠し題)は、その流れから外れてみたいという試みとも感じられる。

はまなすの丘にピンクの香は満ちて海霧の岬に君と佇ちゐき・・・・木村草弥
020509ハマナス

  はまなすの丘にピンクの香は満ちて
   海霧(じり)の岬に君と佇(た)ちゐき・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「はまなす」は北海道から本州の海岸の砂地に生える植物で、その実が茄子の形をしいてることから、この名前がついたと言われている。
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、亡妻との思い出を歌にしている。海霧を「じり」と呼ぶことは、歳時記から見つけて、ここに使ってみた。北の海は夏でも霧が出やすく、一般には「ガス」と呼んだりするが、私は余りなじみのない「じり」という言葉を使いたかった。

hamana7ハマナスの実

写真②が、ハマナスの実である。茄子というよりも、トマトに似ているが、トマトと茄子は近縁の植物である。丁度いまころは実が赤く色づいている頃であろうか。
ハマナスは漢字で書くと「玫瑰」となるが、花は6月頃から五弁の花を咲かせる。香りが良い。初秋に赤い実が生り、熟して甘いという。しかし、今どき食べる人はいないであろう。私も食べたことがない。
いま歳時記を当ってみたら、生息域は北海道から茨城、島根あたりまでだという。九州や四国などの暖地には生息しないらしい。

hiP622立待岬

写真③は函館の立待岬である。ここもハマナスの群生地として有名で、歌謡曲にも歌われている。
写真にもハマナスの花が一面に咲いている。
私の歌を、ここと結びつけて想像してもらっても、別に構わない。文芸作品は、一旦、発表されて作者の手を離れると、どう想像、連想されようと、作者には無関係であり、それは、読者の自由だから。
実際、この立待岬は、いつもカップルたちで混んでいる。
以下、ハマナスを詠んだ句を引いて終りにしたい。

 玫瑰の丘を後にし旅つづく・・・・・・・・高浜虚子

 玫瑰に幾度行を共にせし・・・・・・・・高野素十

 玫瑰や仔馬は親を離れ跳び・・・・・・・高浜年尾

 玫瑰や今も沖には未来あり・・・・・・・・中村草田男

 玫瑰を噛めば酸かりし何を恋ふ・・・・・・・・加藤楸邨

 玫瑰に紅あり潮騒沖に鳴る・・・・・・・・橋本多佳子
 
 玫瑰や波のうへより涛襲ひ・・・・・・・・岸風三楼

 玫瑰に海は沖のみ見るものか・・・・・・・・井沢正江

 はまなすや親潮と知る海の色・・・・・・・・及川貞

 はまなすや湖に影ゆく親仔馬・・・・・・・・沢田しげ子
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引用した句の終りから二番目の及川貞さんの句のように、ハマナスは「親潮」のかかる流域に限定されるらしいことが、よく判った。


赤まんま幼のあそぶままごとの赤飯なれどだあれも来ない・・・・・木村草弥
img548赤まんま本命

  赤まんま幼のあそぶままごとの
   赤飯なれどだあれも来ない・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、この歌のつづきに

   老いぬれば無性に親しき赤まんま路傍にひそと咲いてゐるゆゑ

という歌が載っている。この歌も愛着のある歌で、放しがたい。
「赤まんま」または「赤のまま」などと呼ばれるが、それは赤い実の形からきている。
植物名としては「イヌタデ」という蓼の仲間である。タデ科の一年草。いたるところに自生する。花は夏から秋にかけて咲くが、どちらかというと秋の花と言った方がよい。紅紫色の穂になって咲くが、花びらが無く、萼だけである。役にたたない蓼ということでイヌタデと名づけられたというが、赤飯のような花なので赤まんまという。子供のままごとに使われるというので、それが俗称の名前になった。ややメルヘンチックな印象の花である。
子供のままごとと言っても、おおよそは女の子のすることで、お招待でままごとに呼ばれることはあっても、お義理であって男の子は、もっと乱暴な、活発な遊びがあった。しかし、赤まんまが赤飯の代りであることは知っていた。先に書いたように、この草は、どこにでもある、ありふれた草だった。
だから、二番目に掲出した歌のように「老いぬれば」こそ、この草の平凡さ、目立たなさ、に心が引かれてゆくのである。
『万葉集』に

  我が宿の穂蓼古韓(ふるから)摘みはやし実になるまでに君をし待たむ

という歌があるが、実になるまで待つと言って少女への恋の実りを待つに重ねて詠っている。
以下、赤まんまを詠んだ句を引いておく。

 日ねもすの埃のままの赤のまま・・・・・・・・高浜虚子

 手にしたる赤のまんまを手向草・・・・・・・・富安風生

 勝ち誇る子をみな逃げぬ赤のまま・・・・・・・・中村草田男

 赤のまま妻逝きて今日は何日目・・・・・・・・小川千賀

 山羊の貌朝日うけをり赤のまま・・・・・・・・坪野文子

 赤のまま此処を墳墓の地とせむか・・・・・・・・吉田週歩

 ここになほ昔のこれり赤のまま・・・・・・・・桜木俊晃

 出土土器散らばり乾き赤のまま・・・・・・・・水田三嬢

 縄汽車のぶつかり歩く赤のまま・・・・・・・・奥田可児

 犬蓼にある明るさよ野草園・・・・・・・・青柳志解樹


鳥の樹と思ほえる日のにぎやかな小さき森でありしよ庭は・・・村島典子
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 ──村島典子の歌──(6)

     小さき森・・・・・・・・・村島典子

  半日をあふむきて聴くシンフォニー空をながれてゐるらしわれは

  ふかく目覚めて犬を思へり 犬は右耳を患ひをりき

  橋の上をぴよこぴよこ歩くハシブト 「この辺りの者でござる」

  花ゆれて夕暮あましこのくにを愛するものら野をわたりゆく

  雨に打たれ頭(かうべ)下げたる白薔薇を起せり人を抱へるさまに

  樹雨ふる軽井沢駅に立ちしときみづみづとせり指の先から

  わたくしは植物たりとつくづくと雨に濡るるをよろこぶ身体

  新緑のみどりの雨にぬれながら森の時間に針あはせたり

  見上ぐれば椽のさみどり雨の森千のこどもの潜めるごとし

  硝子のうちに雨が降りをり木もぬれて佇みゐたり直ぐなる一木

  朴苗木二本抜ききて木をさげて「あさま」車中に雫する友

  抗生剤ステロイド剤を処方され犬なれど食後つつましく服む

  耳治療に通ふわが犬診察台にみづから上がる耳洗ふため

  耳洗はれ恍惚となりしわが犬は力を抜きて瞑想したり

  ドアガラスに映りし犬とわたくしと硝子のなかに眼をあはせたり

  亡父もや生誕百年墓原にはらから集ふ二十五回忌

  ぶだう畑にぷだう実りぬ墓原の死者たち目覚むあまたの眼

  墓原にぶだう購ひこしわれらしみじみとしてぷだうの実を食ぶ

       向ひ隣の居住者替はり、三日の間に庭木ことごとく伐採さる。
  うかうかと昼寝せしまに声たてず伐られゆきにし槇と思へり

  動力鋸の音のみきこゆ壮年の木も逆らはず伐られたりけり

  木は動けず伐られゆくほかなきものを手斬りあし斬り胴体を斬り

  鳥の樹と思ほえる日のにぎやかな小さき森でありしよ庭は

  伐採されし庭の木々たちわたくしに森なればいま森消え失せし

  十年の歳月春夏秋冬を語りかけきつ窓をひらきて

  木々こそはわれのはらからまつさきに小鳥も歌ふ春のはじめは

  ある秋は雀蜂の巣見せくれし主も失せにけり雨のむかうに

  黐の木に夕日およびし荘厳も夢幻なりしかひと日の果ての

  真裸の家にとまどふわが窓のまむかふところ家のみ残る

  古の人にわれあれや壊す人を呆然とみてひと日暮れたり

  手足払はれ胴体切られ木は失せぬ雨の日暮の涙さうさう

  根こそぎにされし庭木々梅雨の雨凄まじく降る三日の間

  こんなにも小さき地面でありけるを十数本は森を生(な)しゐき
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この一連、耳の治療をする犬と言い、隣家の庭の鬱蒼とした立ち木が伐採されたこと、と言い、村島さんの心象に迫る佳い作品である。
こういう心に残る作品に接すると「文芸とは、いいものだなぁ」という気がするのである。
感謝して、ここに紹介しておく。
妻を恃むこころ深まる齢にて白萩紅萩みだれ散るなり・・・・・・木村草弥
aaoohagi001萩大判

  妻を恃(たの)むこころ深まる齢(よはひ)にて
   白萩紅萩みだれ散るなり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので「牧神の午後」という項目の中の一つである。自選50首にも入っているのでWeb上でもご覧いただける。
萩にもいろいろの色があり、栽培種として品種改良されている。
昔は、一番美しいのは「みやぎのはぎ」ということで、紅紫色か白で、庭などに植えられた。
hagi_M2萩白

秋の七草の筆頭になる花で、字で書くと草かんむりに秋と書くように、秋を代表する花とされた。
古来、芭蕉の句に

    一家に遊女も寝たり萩と月

    しをらしき名や小松吹く萩すすき

    白露もこぼさぬ萩のうねりかな


などの名句もあり、また曽良の句の

    行き行きてたふれ伏すとも萩の原

なども有名である。

私の歌は、齢を取ってくると妻を恃む気持ちが、だんだんと強くなってくる心情を詠んでいる。若い時の愛情とは、また変った心境が生れるからである。
また、妻の病気が進行して介護の日々が殆どとなり、支えてやらなければならないという気持ちと、裏腹になったような微妙な気分をも含んでいる。
私たちは、そんな風にして、お互いを支えあって生きてきたのである。
妻亡き今となっては、懐かしい追憶の歌となってしまった。
今は、私は一人で生きてゆかなければならない。
同じ歌集に

萩に蝶の風たつとしもなきものをこぼして急ぐいのちなりけり・・・・・・・・・・木村草弥

という歌も、すぐ後に載っている。
蝶が来るだけで、はらはらと花を散らす萩の姿を見て、そこに、はかない「いのち」を見たのである。
以下、歳時記から萩の句を引いて終わりにしたい。

 三日月やこの頃萩の咲きこぼれ・・・・・・・・河東碧梧桐

 日の暮は鶏とあそびつ萩の花・・・・・・・・福井艸公

 萩の花何か急かるる何ならむ・・・・・・・・水原秋桜子

 低く垂れその上に垂れ萩の花・・・・・・・・高野素十

 もつれ沿ふ萩の心をたづねけり・・・・・・・・阿波野青畝

 雨粒のひとつひとつが萩こぼす・・・・・・・・山口青邨

 せはしなき萩の雫となりにけり・・・・・・・・五十嵐播水

 ある日ひとり萩括ることしてをりぬ・・・・・・・・安住敦

 手に負へぬ萩の乱れとなりしかな・・・・・・・・安住敦

 萩の風一文字せせり総立ちに・・・・・・・・田村木国

 降り止めばすぐ美しき萩の風・・・・・・・・深川正一郎

 みごもりしか萩むらさわぎさわぐ中・・・・・・・・渡部ゆき子

 白萩のやさしき影を踏みゆけり・・・・・・・・山内きま女

「誹風京の町」・・・・・・・・・・・・・渡部兼直
江戸は川柳京は軽口0002

渡部兼直詩集

     誹風京の町・・・・・・・渡部兼直

         相傘を
         さびしくとほす
         京の町  *1
         江戸は
         なまやすくない
         よつぱらひ
         通せんぼする
         女にめぐり会へぬ
         若いもの
         下卑た
         憎まれ口あびせる  *2
         カウボオイすこしはまし
         京の町
         平らなとこで
         上り下り  *3
         花の雨
         をしさうに帯を解く  *4
         寝ずに縫つたのに  *5
         うちにゐる顔にはをしい  *6
         花の雨
         添ひ遂げて
         覗けばこはい
         清水寺  *7

          *1 誹風柳多留第三篇
           *2 同第八篇    にくらしい口だと前をよくあはせ
           *3 同三十八篇
            *4 同五篇     をしさうに腰帯を解く御延引
            *5 同二十五篇  花の雨寝ずに縫つたをくやしがり
            *6 同六篇     うちに居る顔にはをしい御延引
            *7 同三篇

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この詩は、つい最近、恵贈されてきた渡部兼直氏の詩集『梨の体をしてゐるいくつかの詩』(編集工房・遊 2009/06/12刊)に載るものである。
この詩集には全部で17篇の詩が載っているが、皆、「歴史的かなづかい」を採用したものである。
この詩集につけられた略歴によると、
1931年 米子生まれ
早稲田大学文学部国文科卒
1970年代から現代詩を作りはじめ、今までに七冊の詩集を刊行されている。
私は、つい最近になってから「楽市」の同人になったばかりだが、渡部さんは2003年からの同人である。

この詩は「誹風柳多留」という江戸時代の「川柳」のアンソロジーに載る句を取り込んだ「コラージュ」の作品である。
私にもコラージュの歌もあるが、短歌界というのは煩いところで、こういうコラージュというような、西欧の詩などで常用されるような手法が認められず、私も困った記憶がある。
この渡部氏の作品には、下注として、引用句の出典が掲げられている。
私の創作ではないが、2008/06/05付けで、下山山下『江戸は川柳 京は軽口』という本を紹介しているので、参照されたい。

この詩集には、他に「夢の女」という36ページにも達する長い詩もある。

なお、はじめに掲げた図版は下山山下の本に収録された昔の「読み本」のカットである。
小さき雄が背中に乗りてオンブバッタ交尾の様も秋空の下・・・・・木村草弥
p39おんぶばった

  小さき雄が背中に乗りてオンブバッタ
   交尾の様も秋空の下・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


バッタ類の雄はみな雌よりも格段に体が小さい。交尾のために雄が雌の背中に乗っていると、まるで子供がおんぶしているように見える。この虫はおんぶしている場面をよく見られるので、名前までオンブバッタとつけられてしまった。この虫は畑といわず野っぱらにも、やたらにいる虫で、葉っぱを食べる害虫である。

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、自選60首には入れていないのでWeb上ではご覧いただけない。
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バッタの仲間には40種類くらいのものがいるらしいが、写真②は「いなご」の雌雄である。これも雄は小さい。漢字では、蝗と書くが、これは稲につく害虫である。
掲出の歌のオンブバッタは別名「きちきち」ともいう。飛んで逃げるとき、きちきちという羽音をたてて飛ぶからである。これも「聞きなし」のものである。また地方によっては「はたはた」と呼ぶらしい。これも飛ぶ音からの命名だろう。
私の地域ではオンブバッタのことを「おんめ」と呼ぶ。これは交尾のオンブの姿勢でみられることが多いので「雄雌」がつづまって「おんめ」となつたと思われる。この虫は後ろ足を持つと体を揺するので「機織バッタ」とも呼ぶ。私の住む地域では子供が「おんめ、機(はた)織れ」とはやして後ろ足を持ったりする。

この私の歌の収録されている一連の歌を引いておく。

  草 刈・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

田の平に立ちて眺むるふるさとは秋のさ中の青谷百町歩

わが盆地幅三里ほど南北長し右は生駒山系ひだりは笠置山系

草を刈るあとを追ひ来る鳥のむれ生きゆく知恵ぞ虫を啄む

めざとくも雲雀来たりて虫を食(は)む警戒しつつ鴉もくるよ

人が草を刈れば虫が食へるといふ生き物の知恵いぢらしきかも

小さき雄が背中に乗りてオンブバッタ交尾の様も秋空の下

草刈機の振動の余韻とどまりて腕(かひな)と指の揺るるを覚ゆ

湯浴みして洗ひたれども我の身に草の匂ひの残る宵なり
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歳時記から「おんぶばった」「いなご」の句を少し引いて終りにする。

 きちきちといはねばとべぬあはれなり・・・・・・・・富安風生

 はたはたのつるみてぬぎしもののなし・・・・・・・・秋元不死男

 はたはた飛ぶ地を離るるは愉しからむ・・・・・・・・橋本多佳子

 はたはたのゆくてのくらくなるばかり・・・・・・・・谷野予志

 はたはたのおろかな貌がとんで来る・・・・・・・・西本一都

 はたはたの脚美しく止りたる・・・・・・・・後藤比奈夫

 はたはたの空に機織りつづけつつ・・・・・・・・平井照敏

 ふみ外す蝗の顔の見ゆるかな・・・・・・・・高浜虚子

 一字(あざ)や蝗のとべる音ばかり・・・・・・・・水原秋桜子

 豊の稲をいだきて蝗人を怖づ・・・・・・・・山口青邨

 蝗の貌ほのぼのとして摑まるる・・・・・・・・原田種茅

 蝗とび蝗とび天どこまでも・・・・・・・・平井照敏

妻の剥く梨の丸さを眩しめばけふの夕べの素肌ゆゆしき・・・・・・・・・・・・・木村草弥
housui015豊水梨

  妻の剥く梨の丸さを眩しめば
   けふの夕べの素肌ゆゆしき・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、まだ亡妻が元気で「素肌」にも張りがあって魅力的だった頃に詠ったものである。そういう気持ちが「ゆゆしき」という表現になっている。
今では、もう懐かしい追憶の歌になってしまった。
この歌は私には思いいれのある歌で、自選50首にも入っているのでWeb上でもご覧いただける。

掲出の写真①は「豊水」という早生種の梨で「幸水」なども、この系統である。私の子供の頃は、近くでも水田に畦(くろ)を作って土を盛り、長十郎という褐色で、やや小ぶりの梨の畑があったが、ざらざらした食感が二十世紀梨などに比べて嫌われて、いつしか姿を消した。豊水、豊水は、この長十郎を最近になって品種改良したもので、今ではよく食べられるようになった。
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写真②は二十世紀梨畑のものだが、普通は紙袋をかぶっているが、これは撮影のために紙を剥がしてある。
写真③は二十世紀梨の花である。
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梨栽培というのも手間の要るもので、筆に花粉をつけて一つ一つ受粉させる。その写真もあるが省略する。
二十世紀梨というと鳥取県などが生産地として有名だが、この梨の発祥の地は千葉県東葛飾郡八柱村大字大橋(現・松戸市)で、明治に松戸覚之助翁が発見、育成し全国で栽培されるようになった。現地には発祥の地の記念碑が建っている。
ただ、この品種は黒斑病に罹りやすいという弱点があり、鳥取県などは、この障碍を克服して今日の地位をえたものだという。しかし、今や二十一世紀となり、先に書いたように早生種の食感のよいものが出て来たりして、その印象は過去のものとなりつつあるようだ。
この頃では梨の世界にも西洋梨のラ・フランスなども栽培されるようになり、梨の食感も大きく広がるようになった。
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写真④が「ラ・ルクチェ」という更に高価な洋ナシ。汁が多く、なめらかで香りがいい。この種類の収穫は遅く、出回りは正月贈答用として出荷される。西洋梨は、まだ珍しいので、結構値段が高く、栽培農家にすると、この高価格というのが、人件費の高い日本では魅力で、手掛ける農家が増えてきたらしい。
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写真⑤は二十世紀梨の箱詰だが、平成14年には鳥取県が、発祥の地の松戸市に感謝して、発祥の地の記念碑の隣に感謝の碑を建てた、という。
『和漢三才図会』には、いろいろの梨の種類を挙げ、紅瓶子梨は「肉白きこと雪のごとし」、江州の観音寺梨は「汁多く、甘美なること、口中に消ゆるごとし」、山城の松尾梨は「甘やわらかなること雪のごとし」などと褒めているが、これらの品種の名前は、今や聞くこともなく淘汰されてしまったと言える。果物の世界も生き残るのは過酷である。
梨を詠んだ句も多いが、少し引いて終わりにする。

 梨をむく音のさびしく霧降れり・・・・・・・・日野草城

 これやこの梨金のごとし君にすすむ・・・・・・・・山口青邨

 梨出荷大き麦藁帽に青空・・・・・・・・大野林火

 梨を分け病人のことたづねけり・・・・・・・・大野林火

 真夜覚めて梨をむきゐたりひとりごち・・・・・・・・加藤楸邨

 落梨を農婦の給ふ無造作よ・・・・・・・・殿村莵糸子

 梨と刃物しづけきものは憤り・・・・・・・・長谷川朝風

 梨採りしあと梨の木のしづかさよ・・・・・・・・辻岡紀川

 梨食うて口さむざむと日本海・・・・・・・・森澄雄

 梨狩や遠くに坐りゐるが母・・・・・・・・細川加賀


すいつちよの髭ふりて夜ふかむらし・・・・・・・・・・加藤楸邨
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  すいつちよの髭ふりて夜ふかむらし・・・・・・・・・・加藤楸邨

スイッチヨは「馬追」のことである。キリギリスより少し小さく、体は緑色。翅はぴったりと烏帽子のように背中で合わされる。7月末から鳴きだす初秋の虫。スイッチョ、スイッチョと鳴くのが普通である。
その鳴き声が馬を追う声に似ているというので「馬追」の名がある。この虫は、1カ所にとどまらず、移動して鳴く特徴がある。
掲出の楸邨の句は、馬追の長い髭を捉えて巧く作ってある。

以下、歳時記からスイッチョの句を引いておく。

 馬追や海より来たる夜の雨・・・・・・・・内藤吐天

 すいつちよや闇に人ゐて立去れり・・・・・・・・池内たけし

 馬追や更けてありたるひと夕立・・・・・・・・星野立子

 馬追の身めぐり責めてすさまじや・・・・・・・・角川源義

 馬追が機の縦糸切るといふ・・・・・・・・有本銘仙

 馬追や水の近江の夜は暗く・・・・・・・・小林七歩

 馬追がふかき闇より来て青き・・・・・・・・上林白草居

 すいつちよのちよといふまでの間のありし・・・・・・・・下田実花

 馬追のうしろ馬追来てゐたり・・・・・・・・波多野爽波

 馬追の見えゐて鳴かず短編集・・・・・・・・野沢節子

 すいつちよの酒呑童子となりにけり・・・・・・・・平井照敏
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