
滝白く落ちて虚空のたそがれの
滴り一つ沢蟹を搏(う)つ・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に「茶の神」という小項目名で9首を載せたもののうちの一つである。
沢蟹は淡水の蟹だが、水気のあるところには、たくさん居た。今は農薬使用などで、農薬のかかるところでは見かけなくなったが、山手にゆくとたくさん居る。沢蟹にもいろんな種類があるらしく形、色ともさまざまである。
この歌の背景は、小さな滝らしきものが落ちていて、そのなけなしの飛沫が滴りとなって沢蟹の甲羅をうつ、という叙景である。しかも時間的には「たそがれ」だから、夕方ということになる。
この歌の一つ前には
天高し視野の限りの京盆地秋あたらしき風の生まるる
という歌が載っている。ここに詠ったような天高い秋の季節が、ようやく訪れようとしている。
私の少年期は、もちろん戦前で、食べるものも、遊ぶものも、今の比ではなく、素朴な自然を相手にするものだった。この歌は、そんな少年期の思い出を、現在形で歌にしている。回想にしてしまうと歌が弱くなるので、回想の歌でも現在形にするのが、歌を生き生きさせる秘訣である。孵化したばかりの小指の爪にも満たない子蟹の誕生など、何とも趣きのあるものである。少年期の回想シーンを自歌自注しておく。
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