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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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静脈や いのち支えし青き河かなしき流れよ一条の孤独・・・宮田美乃里
乳房、花なり。
──初出・Doblog2005/06/17、18──(再録に際して編集した)

  静脈や いのち支えし青き河
   かなしき流れよ一条(ひとすじ)の孤独・・・・・・・宮田美乃里


掲出したのは、宮田美乃里さんと写真家・荒木経惟氏の共著になる写真歌集『乳房、花なり。』(ワイズ出版刊)である。
この本についてはネット上でも紹介されているが、この本が陽の目を見るようになったイキサツが「癌の歌人からヌードを撮ってほしい、という手紙が来て」と言い、またショッキングな手術痕も露わな胸の写真も公開されているのである。
宮田①

荒木氏のコメントによると「手紙が来て、2004年1月4日に冬の海で撮影をはじめた」とある。
宮田さんの書いた「あとがき」によると

<31歳のとき乳がんを告知され、32歳で左乳房を全摘出した私が、ヌードになった理由は、簡潔に言えば一つです。
乳房を失っても「私は女である」ということを世の中に示したかった、ということなのです。
私は、自分の胸の傷跡も、痛みも、悲しみも、すべて自分を「誇り」だと思っています。
だから、世の中にさらしたとしても、それを恥だとは思いません。>

と書いている。
写真家の荒木氏は、癌で失った妻の陽子さんの最期の日々を綴った写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991/2/25、新潮社刊)を出しておられるから、宮田さんは、どうしても荒木氏にヌードを撮ってもらいたかったのであろう。
宮田②

宮田美乃里──1970/11/23静岡市生まれ。大学で心理学を専攻。在学中および卒業後、フラメンコ・ダンサーとしてイベント等に参加。フラメンコ・ダンス教師となるが、乳がん手術後の転移のため平成17年3月28日死去。
この写真歌集が遺書となった。

2005年に、この本──宮田美乃里さんと写真家・荒木経惟氏の写真歌集『乳房、花なり。』を紹介したとき、多くのコメントをいただいた。(ただし、コメントは再録できていない。お許しを)賛否さまざまであった。しかし、私がこの本に出会ったことは、私にとって、一つの事件であったので、ここに再録して、お示しするものである。

掲出したのが宮田さんのポートレートである。綺麗な女(ひと)である。
写真③は五体万全のときのものであろうか。

宮田ポートレート

以下、宮田さんの歌を出来るだけ多く載せることにする。
写真はアート紙を使ってあるが、歌番号のついた歌は袋とじの和紙様の薄い紙が使われている。1ページに6首づつ載っている。
そのように歌番号のついた歌は、この歌集に初めて載るものだが、掲出歌のように番号外のものは歌集『花と悲しみ』からのものである。

昨日の記事で荒木氏のコメントを書いたが、「2004年1月4日から冬の海で撮影をはじめた」とあるが、写真⑤は、その時のものと思われる。

宮田海岸

この写真には宮田さんの筆跡で「アラーキーのために」とサインされている。
アラーキーとは荒木氏の愛称であり、荒木氏を知る人は、みな知っていることである。
因みに「アラーキー」は「荒木」に因むものであるだけでなく、氏の作風が「アナーキー」であることにも由来する、と聞いたことがある。
Tokira氏がTBして下さったが、氏はアラーキーとは30年来の知人であるという。
荒木経惟(のぶよし)氏のことを知らない人のために少し書いておく。1940年、東京生れ。千葉大学工学部写真工学科卒業。電通を経て、1972年以降フリー。写真集として「さっちん」「センチメンタルな旅」「東京物語」「愛しのチロ」「ARAKI by ARAKI」など多数。当年69歳。
ご覧のように宮田さんは、フラメンコダンサーとして鍛え抜かれただけあって、見事なプロポーションである。
このヌードの写真が、いつ撮影されたものか判らないが、この頃は、まだ豊かな体型であったことが判る。というのは、癌が進行すると、ガン細胞に栄養を奪われて、体がひどく痩せ衰えるからである。
残っている右の乳房も大きく、恥毛も豊かで黒々としている。腋を見せた写真もあるが、腋毛はつるつるに脱毛してあるが、そうしなければ、腋毛も黒々と豊かであったろう、と思われる。

この本の「あとがき」には「2004年三十三歳の初夏に」宮田美乃里、の記述があり、発行は2004年7月7日、ワイズ出版刊、定価3990円である。
「あとがき」の中で、宮田さんは、こう書く。

<乳がんで乳房を失った女性は、もう自分は女ではない、温泉にも入れない、夫や恋人にも傷跡を見られたくない、などと思い悩むと耳にします。
心痛む話です。その気持ちは、私なりに理解できます。・・・・・・
私の職業は歌人です。
まわりの知人にヌードになることを話したとき、反対する人が少なからずいました。私の肩書きに傷がつくのではないかと心配されました。・・・・・
私は一輪の花。いいえ、すべての女性が花であるのです。>

なお彼女は「私」と漢字表記にした場合は「わたし」と訓(よ)ませているので留意してほしい。
(歌の終りの数字は歌番号である)

モルヒネも効かぬ五月の病床であなたの指に指を絡める(282)

乳がんで乳房を切った女たち夜風に揺れる野の花となれ(7)

わたくしを批判するならご自由にならば自分も脱いでみなさい(256)

わたくしは同じ病の人たちをはげましたかったそれだけでした(257)

わたくしの瞳の主張うけとめて「もっと激しく生きていきたい」(21)

わたくしが女であるということを切除されたる乳房が語る(29)

塩漬けの桜の花に湯をそそぐ陰部のようにほころんでゆく(78)

生きていることに疲れて真夜中に泣くわたくしを抱きしめに来て(113)

生きている私に触れて今朝咲いた桜のように濡れているから(120)

モルヒネも効かぬ五月の病床であなたの指に指をからめる(282)

紫陽花(あじさい)はただ雨だけを待っている恋と命をつちかう雨を(275)

聖処女にもどる私は進行がん神のもとへとお嫁にいきます(270)

情念を燃やし尽くしていま枯れる薔薇に幸あれヒバリが歌う(258)

いらだって叩き壊したティカップ私の乳房かえしてほしい(248)

菖蒲湯に白肌ひたし香るときひとりの”つう”は何を想うか(247)

薔薇ほどの赤いドレスをひるがえし踊ったことも もう夢のよう(243)

砂時計ガラスの中にわたくしの海が見えます懐かしい海(239)

もう誰も私の体を抱けないわ処女のくちびる神に捧げる(238)

葉桜の裏の真赤なサクランボ五月の歌をくちずさんでる(227)

母の日に真赤なカーネーション贈る(私も子供を産みたかったの)(186)

藤の花あなたは知っているのでしょう私の余命がどれほどなのか(174)

目が覚めて猫のひたいにキスをする「お互い今朝も生きてたね」って(168)

この歌集に載る歌の数は300以上あるので、まだまだ書き抜きたいものはあるが、今日は一応このくらいにしたい。
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宮田美乃里さんの、他の著書

第一歌集『花と悲しみ』(沖積舎)
第二歌集『死と少女』(沖積舎)・・・・・・・(この出版社は詩集などで著名である)
自叙伝『乳がん 私の決めた生き方~限りある命を花のように』(リヨン社)

いずれもネット上で見る限り取り寄せ可能の様子である。彼女は「アロマテラピスト」の資格も持つ。
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宮田さんの場合、三十代半ばという「女ざかり」の時期に、理不尽にも命を奪われるという「無念さ」を想うとき、やりきれないと思うのである。昨日書いたように彼女は2005/3/28死去。
私はコスモスの創始者で主宰だった宮柊二の言葉「歌でもって生の証明をしたい」という宣言文を作歌の信条としてきたので、宮田さんの歌なり、ヌード写真を撮らせた心情が、痛いほど判るのである。私の真意を汲んでもらいたい。

五体健全な女の人でヌード集を出す人が何人も居る。たとえば松坂慶子なども、もう結構な年齢だと思うが、お美しくて、セミヌードになって化粧品会社のコマーシャルに出たりしている。女の人の肢体の美しさは、一つの財産であるから、その時々のヌード写真を撮らせる気持ちも判る気がする。一種のアルバムとして貴重なものである。
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写真家と呼ばれる人にも報道写真、風景写真、人物写真など専門的な何かを持っている。
先年亡くなった秋山庄太郎は女の人の写真が得意で「女性専科」などと呼ばれたことがある。「解語の花写真家倶楽部」というのがあり「写ガール」という年刊のシリーズを出していたことがある。私の壮年期に10年間ほど買っていたことがある。
彼が死んだ時に、彼に因んで歌を数首作ったことがある。

余談だが、私の知人で、同級生の「俵萌子」という人が居る。旧姓は中野萌子である。この人は元新聞記者で俵幸太郎の奥さんだったが、離婚しても姓は子供の姓との関係もあり「俵」を名乗っているが、評論家としても著名な人である。その彼女も乳がんで乳房切除の口で、彼女は「仕切り屋」らしく、乳房をなくした女で温泉に入る「1、2の3で 温泉に入る会」なるものを組織したりしていた。
その彼女も2008/11/27に死去された。

余計なお喋りが過ぎたかも知れない。
改めて、宮田美乃里さんのご冥福を祈り、合掌。


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