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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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かすがの に おしてる つき の ほがらか に あき の ゆふべ と なり に ける かも/会津八一
kogetudaitotuki月光

  かすがの に おしてる つき の ほがらか に
   あき の ゆふべ と なり に ける かも・・・・・・会津八一


今日十月二十六日は暦によると「旧重陽の節句」の日である。
それに因んで、有名な会津八一の歌を載せる。

明治14年新潟県に生れた作者は、歌人としてのみならず、書家として一世に名高かった。没後その名声はますます高い。号・秋艸道人。
元来は英文学者だが、東洋美術への関心が強く、とりわけ奈良美術史研究は第一人者として有名である。
早稲田大学教授。
上の歌は、初出の第一歌集『南京新唱』(大正13年刊)では漢字になっている部分も、歌の声調を重んじる立場から、後年、かな分かち書きに変えた。
奈良春日野一帯に照り輝く初秋の月。「ほがらかに」の働きひとつで風景は一挙に大きくふくらんだ。
『鹿鳴集』昭和15年刊所収。

掲出の写真は銀閣寺の光月台に照る月である。
会津八一については以前に採り上げたが重複しないように少し引く。

かすがの の みくさ をり しき ふす しか の つの さへ さやに てる つくよ かも

もりかげ の ふぢ の ふるね に よる しか の ねむり しづけき はる の ゆき かも

からふろ の ゆげ の おぼろ に ししむら を ひと に すはせし ほとけ あやし も

あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ

かすがの の しか ふす くさ の かたより に わが こふ らく は とほ つ よ の ひと

あまごもる やど の ひさし に ひとり きて てまり つく こ の こゑ の さやけさ

さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を さみしみ こひ つつ か あらむ

みほとけ の ひかり すがしき むね の へ に かげ つぶら なる たま の みすまる

いろづきし したば とぼしみ つゆじも に ぬれ たつ ばら の とげ あらは なり

あき ふかき みだう の のき に すごもる と かや に はね うつ はち の むれ みゆ


十月二十六日午後十一時四十二分、私はなと書く。なの意味するところは/谷川俊太郎
na0035「な」

    な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷川俊太郎

十月二十六日午後十一時四十二分、私はなと書く。なの意味するところ

は、一、日本語中のなというひらがな文字。二、なという音によって指示

可能な事、及び物の幻影及びそこからの連想の一切。即ちなにはなに始ま

り全世界に至る可能性が含まれている。三、私がなと書いた行為の記録。

四、及びそれらのすべてに共通して内在している無意味。

十月二十六日午後十一時四十五分、私は書いたなを消しゴムで消す。なの

あとの空白の意味するところは、前述の四項の否定、及びその否定の不可

能なる事。即ちなを書いた事並びに消した事を記述しなければ、それらは

他人にとって存在せず従ってその行為は失われる。が、もし記述すれば既

に私はなを如何なる行為によっても否定し得ない。

なはかくして存在してしまった。十月二十六日午後十一時四十七分、私は

私の生存の形式を裏切る事ができない。言語を超える事ができない。ただ

一個のなによってすら。
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日付と時間の入っている谷川俊太郎の詩なので、今日の日付で載せた。これは『定義』という24篇の散文詩風の作品で構成される詩集で1975年思潮社刊に載るもの。
物事を「定義する」ということに拘って24もの詩をものした詩才に脱帽したい。こういう詩の作り方は詩作りのトレーニングになる。


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