K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(1月) 月次掲示板
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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  謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
2010年となりました。
1930年代の世界恐慌の再来かと言われる大不況ですが、何とか凌いで行かなければなりません。
十年一日のような私の記事ですが、よろしくお付き合いください。

 わが吐けるシガーのけむり光帯び新しき年周辺にあり・・・・・・・・・・・・・・・・窪田空穂
 衰へしかたち微かに生きをれば年あらたまり心あらたまる・・・・・・・・・・・・佐藤佐太郎
 うつくしきものは匂ひをともなひて晴着のをとめ街上を過ぐ・・・・・・・・・・・上田三四二
 あら玉の年のはじめの声出しの息松の香を深く吸ひたり・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 元日の朝にめざめてあはれあはれわがおもふことはきのふのつづき・・・・・・・小池光
 こちらから野火を放てばよろこびて火はわが拓地一帯に燃ゆ・・・・・・・・・・・野原水嶺
 北ぐにのはげしき雪に立ちながら防雪林と終ふる林か・・・・・・・・・・・・・・・・・岡部文夫
 空ひびき土ひびきして吹雪する寂しき国ぞわが生れぐに・・・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 八つ口をほころばせたり老の春・・・・・・・・・阿波野青畝
 正月や胼の手洗ふねもごろに・・・・・・・・・・・・杉田久女
 夢もなし吉凶もなし去年今年・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
 狎れるてふことを戒め去年今年・・・・・・・・・・・千原叡子
 さまよへるユダヤ人てふ冬の花・・・・・・・・・・・・・高島茂
 ステンドグラスの果てが初日の燃え殻・・・・志波響太郎
 カラオケのような穴から初日の出・・・・・・・・原田否可立
 元旦や息をひそめる火山帯・・・・・・・・・・・・・・・・ 四 童
 世を窺ふ寒波肩こり偏頭痛・・・・・・・・・・・・・・・・美代子
 冬の水一枝の影も欺かず・・・・・・・・・・・・・中村草田男
 群抜けし寒潮の魚左利き・・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 ZIPPO擦る雪のすれ合ふ音たてて・・・・・・・・木村酔山
 うたかるた恋の札詠むのどぼとけ・・・・・・・・・・三井葉子
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 ぶら下がる定めによりて烏瓜・・・・・・・・・・・・三島ゆかり
 螺旋(ねじ)式の笑ふ鳥飼ひ冬ざるる・・・・・・・・・七風姿

 三日月のひたとありたるかな・・・・・・・・・・中村草田男

ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
 GoogleYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。

閲覧の仕方
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

「夢占い診断書」(ユメカルテ) というサイトは面白い。 一度トライしてみられよ。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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   「地球上のすべての人が、
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──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ

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「集英社文庫」新刊
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「青土社・ユリイカ」

黒田末寿『ピグミーチンパンジー』、榎本知郎『ボノボ』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
ピクミー

──新・読書ノート・・・初出・Doblog2005/08/28 改稿──

  黒田末寿『ピグミーチンパンジー』(1982年筑摩書房刊)
  榎本知郎『ボノボ』(平成9年丸善ブックス刊)・・・・・・・・・・・・・木村草弥


ここには刊行の期間は大分あいているが、関連のある本なので一緒に採り上げることにする。
先ず古い黒田の本から。この本は上に書いた年に発行されたのだが、この頃は、この類人猿は「ピグミーチンパンジー」と呼ばれていた。
しかし、その後、現地の住民の呼称に合わせて「ボノボ」と呼ばれるようになったので、今ではピグミー云々と呼ぶことはない。
榎本の本が出たのが平成9年だから西暦では1997年ということになろうか。この間15年である。この間に、この類人猿の呼称の変更が学者の間で合意されたのである。

一般的に、現人類(ホモ・サピエンス)は生殖に直接結びつかない「性生活」をする唯一のサルと見られて来たが、そうではなく、生殖に関係なく、日常的に広く「性交」行為を繰り返すサルとして「ボノボ」が、観察と研究の結果、登場してきたのである。
黒田の本を読んだときは、もう28年も前のことだが、まさに「目からウロコ」だったことを思い出す。

黒田の本では本のタイトルの左肩に「未知の類人猿」と書かれていて、次のような文章が書いてある。
・・・・・メスの発情期が長期化され
性行動と生殖が分離している。
挨拶行動やオスから食べ物を得るために
交尾が社会交渉の手段として駆使される。
たがいの緊張をほぐすための
メス同士の性器のこすり合い、など
すぐれて<人間的な>性行動をもつ
未知の類人猿ピグミーチンパンジーの生態を
世界ではじめてリポートする。・・・・・

ボノボ

榎本の本にはタイトルの左肩に「謎の類人猿に性と愛の進化を探る」と書かれていて、次のような文章が書いてある。
・・・・・ボノボとは人間に最も近い類人猿である。
デズモンド・モリスはヒトを「性的なサル」と言った。
ボノボの生態と行動は、われわれ人間の
性、愛、結婚の由来を知るヒントとなる。・・・・・

これらの二冊の本の表紙や帯に書かれている文章は、この二冊の本の内容を、簡潔に、かつ十分に要約していて、過不足がない。また黒田の本はアフリカの現地での観察記録として精細を極めている。
本に載る写真は黒田のものは大きさも小さく鮮明ではないが、榎本のものは少し大きくて画像も鮮明である。たとえば、ボノボのオスがペニスを勃起させてメスを交尾に誘っている写真など、迫力がある。

黒田末寿は1947年生まれ。榎本知郎も同じ年生まれであり、二人とも京都大学理学部で「霊長類」の研究に携わってきた。黒田は、たしか母校の京都大学の教授をしていたと記憶するが、その後、彼は滋賀県立大学人間文化学部教授を務める。
榎本は、この本の出た時点では東海大学助教授となっている。
私の若い頃は、そのリーダーは、伊谷純一郎だった。京都大学は、サルの研究を通して霊長類、現人類(はっきりさせるために「ヒト」と表記される)の比較研究、文化人類学などの世界的な一大中心となっている。

榎本の文章の一部を引いて、終わりにする。これらの本をまだ知らない方は、ぜひお読みになることをお勧めする。

・・・・・「動物の性は繁殖のためにあるが、私たち人間の性は・・・・」という言い方をよく耳にする。すこし考えてみると、なるほど、私たちの人間の性には、いろんな意味が込められているようである。もちろん、性には、子どもをつくる営みという意味がある。そのほかに、オーガズムとかエクスタシーなどの快楽を得ることもあげられるだろう。男と女の関係をつなぎとめることにも働いたり、好意を伝えるコミュニケーションとして使うこともある。場合によっては、セックスすることで、お金や物やサービスを得ることもあれば、人生の伴侶を獲得したり、愛を確かめたり、結婚生活を維持するため、など多様な意味が含まれている。
では、ほんとうに人間以外の動物は、性が繁殖のためだけにあるのだろうか。これは間違いである。それは、ボノボの性行動を見れば、たちどころにわかる。・・・・・
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人間の性行動については、「宗教」が大きな「規制」を加えて来た。その一番強いものが「キリスト教」だった。それは中世に発する。
古代ギリシアや古代ローマは「多神教」であったから性もおおらかだった。
今に残るイタリアのポンペイの遺跡に見られる壁画には「女騎乗位」の絵が描かれている。当時、そのような性交の体位が執られていた証拠である。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に、次のような歌がある。

  ヴェスヴィオ山噴火の迫るポンペイのヴェチイ家に凄まじ女騎乗位・・・・・・・・・・木村草弥

ところが、中世キリスト教の時代になると、性交の体位も男女が向き合う、いわゆる「正常位」が、人間の性交に際しての体位とされ、後背位などは「獣」の性交体位として「禁忌」とされた。
このような規制は今でもカトリック圏では生きているらしく、いわゆる「裏ビデオ」などの販売、流布についてもフリーではない。
プロテスタント圏では、それらの規制が緩い。こんにち性ビデオやDVDが白昼堂々と販売されるのはドイツ、オランダ、デンマークなどの新教圏が中心である。
アメリカは自由な国との見方が多いが、アメリカには宗教的に保守派が多く規制が厳しいところがある。
元大統領のブッシュなどは、そういう宗教的保守派に乗っかっていた面が多い。
だからアメリカの裏ビデオには、いわゆる「獣姦」のものは全くと言ってよいほど出回っていない。
「獣姦」ものが自由に見られるのはヨーロッパの新教圏である。

「ボノボ」の性交体位は、人間のいわゆる「正常位」と「後背位」などを自由に使い分けて性交するという。
こうなると、中世キリスト教が「正常位」を人間独自の性交体位として規制してきた、ことなど、どこかへ吹っ飛んでしまうではないか。

急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・・・・・百合山羽公
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  急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・・・・・百合山羽公

「おでん」は外でも家でも、冬の代表的な、あたたかい料理である。
『語源由来辞典』によると、「おでん」は「田楽(でんがく)」の「でん」に、接頭語の「お」をつけた女房詞、だという。
つまり、もともとは「煮込み田楽」の略称だった。東京が本場で味付けも濃いが、関西では「関東煮」(かんとだき)と言われていたが、今では、どこでも「おでん」で通る。
もともとは焼き豆腐に味噌をつけたものだったというが、こんにゃくが使われ、菜飯田楽になり、やがて煮込みのこんにゃくとなって、今日の煮込みおでんに変わったという。
焼き豆腐、こんにゃく、がんもどき、はんぺん、竹輪、すじ、だいこん、鶏卵などを煮込んだもので、芥子をつけて食べる。

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屋台やおでん屋では、おでんに燗酒、茶めしなどを組み合わせて食べられる。今では晩秋の頃から「コンビニ」のカウンターでも、おでんがクツグツ煮えている。
私の家の近所に大きな蒟蒻製造会社があるが、そこは先年から、コンビニのセブンイレブンに、おでん材料を売り込んでいるらしい。
とにかく、いろいろの種や具があり、冬の季節には、温まる、庶民的なたべものである。

掲出の句は「急流のごとき世」という出だしが、今の世相にぴったり合うのでいただいた。

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以下、おでんを詠んだ句を引いて終わる。

 戸の隙におでんの湯気の曲り消え・・・・・・・・高浜虚子

 人情のほろびしおでん煮えにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 亭主健在おでんの酒のよいお燗・・・・・・・・富安風生

 おでん食ふよ轟くガード頭の上・・・・・・・・篠原鳳作

 おでん屋の月夜鴉の客ひとり・・・・・・・・龍岡晋

 すべて黙殺芥子効かせておでん食ふ・・・・・・・・佐野まもる

 おでん酒うしろ大雪となりゐたり・・・・・・・・村山古郷

 煮えたぎるおでん誤診にあらざるや・・・・・・・・森総彦

 大根細く侘しきことやおでん鍋・・・・・・・・中江百合

 おでんやは夜霧のなかにあるならひ・・・・・・・・久永雁水荘

 おでん屋に同じ淋しさおなじ唄・・・・・・・・岡本眸

 おでん鍋の湯気を小さく皿に頒つ・・・・・・・・手塚七木

 おでん屋の背の灯のいまだ更け足らず・・・・・・・・・久米正雄

 おでん屋に溜る払も師走かな・・・・・・・・日野草城

 おでん酒酌むや肝胆相照らし・・・・・・・・山口誓子

 雨だれにおでんのゆげのすぐもつれ・・・・・・・・阿波野青畝

 例へばやおでんの芋に舌焼く愚・・・・・・・・安住敦


西村美智子『無告のいしぶみ』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   西村美智子『無告のいしぶみ』─悲謡 抗戦信長─・・・・・・・・・・・木村草弥                
                 ・・・・・・・新人物往来社 2009/02 刊・・・・・・・・・・・・

この本は、先に採り上げた沢良木和生と同じ同人誌「零」の会で一緒に競っていた人の小説である。
先ず、ストーリーを辿る意味からも、オンライン書店BK-1に載る書評を引いておく。
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戦国滅亡の民の栄光 (執筆者・摂津の国の住人) 2009/01/26 16:15:45

世に多くの歴史時代小説が送り出されていますが、この小説は珍しく勁烈な歴史小説だと思いました。
ときは戦国真っ只中、織田信長の暴虐と戦う長島一向一揆から、伊丹有岡城壊滅のころまでのほぼ二十年余の凄惨な戦いが描かれています。
中心は長島の戦いで結成され、一艘の川舟を巧みにあやつって信長軍を悩ます名も無き雑兵、若者5人の集団「阿ノ伍」とそのひとり吾市です。吾市ははるか遠くの物音を感じ、また見通すことができる特異な才能の持ち主ですが、生来の臆病者で戦うことが得手ではありません。そして彼は伍頭の憂愁に満ちた一向宗の戦士周作に、ある種の思慕を寄せています。
一揆はよく戦いますが、善戦かなわず信長の二万人虐殺によって壊滅し、「阿の伍」の仲間も吾市を残して劫火の中で死んでいきます。生き残った彼は石山本願寺を経て摂津有岡城へ潜行します。
やがて城主荒木村重は信長に反旗を翻します。城を包囲する信長軍による残忍な干し殺し作戦に苦しむ城内の領民たちと共に吾市は生きるのですが、長島で共に戦った阿ノ伍の仲間への想いが彼を支え続けるのです。
やがて領主村重は、城も一族も領民も捨てて逃亡し、残された武将たちは戦意を失って開城し、いずれかへ逐転します。最後まで戦って捕らえられた一向宗徒と市民たちは、茅舎に閉じ込められて悉く焚殺されます。
吾市も彼らと共に焼き殺されるのですが、最後に彼が見るのは、阿鼻叫喚の焦熱地獄ではなく、空高く昇華していく阿ノ伍の仲間と巨大となった川舟に乗る、火に取り巻かれた無数の無告のひとびとでした。このとき念仏の声が響き渡っているのです。

一方、この間の戦国角逐の状況、信長と傘下武将たちの息詰まる緊張関係などが凄まじく描写されています。また、なぜ村重は信長に反旗を翻したか、なぜ村重は逃亡したか、なぜのちに秀吉に仕えまた放逐されたか、が描かれています。またキリシタン大名高山右近はなぜ村重を裏切って信長についたか、また同郷の者たちが焚殺されるのにいかに苦しんだか、なども克明に描写されています。
その他、ものがたりのディテイルが史料をしっかりと掴んでけれんなく組み立てられ、引き締まった流麗な文体によって見事な世界を構築していると思いました。
最後に、村重の室陀子をはじめ一族ことごとく京都六条川原で首を打たれるのですが、その姿がまことに華やかで美しいのです。殺戮に次ぐ殺戮といってもよいほどの戦国無残の物語ではありますが、ここに描かれる死んでいったものたちは、すべて清冽で、けなげで美しいのです。
時代小説と申しましたが、これはむしろ、高い志で描かれた宗教小説といった方がよいのかもしれません。
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この本の作者・西村美智子は 、この本に載る略歴によると

<1931年生まれ。関西学院大学英文科卒、東京都立大学大学院英文学専攻修士。
 法政大学女子高等学校教諭、1997年定年退職。
 「零」の会同人。 日本シェイクスピア協会会員。
 著書『新釈シェイクスピア 神々の偽計』(近代文芸社)
 神奈川県在住。>

とある。

この本の「帯」文には

  <火あぶりを待つ民に
   光はいずこよりさし、
   いずこに導くか

    長島一向一揆で・・・有岡城篭城で・・・信長の皆殺し号令に抗した民のものがたり>

と書かれている。

先に引用した書評にも書いてある通り、この小説の中心人物は「吾市」で、作者によると架空の人だというが、この「吾市」という人物の設定が、この小説の縦糸としてストーリーを貫くものとして成功している。
この本の執筆に当っての参考文献も巻末に載っているが、よく読み込まれているようである。
私は謹呈されて、すぐ一読したが緊迫感を持った小説で一気に読ませる。
ただ、文体が、ぎっちり詰め込まれているという印象で、望むらくは、「間」(ま)が、言葉を変えれば「遊び」が、もう少し欲しい。
作者は英文学徒ということだが、資料にもよく当って、このような立派な小説を仕上げられたことに敬意を表したい。

ネット上で、例えばGoogleで「西村美智子」と検索すると、同姓同名の競輪選手の有名人が居て、その名前がわーっと出てきたりするが、この本はアマゾンも取り扱っているようで、すぐに買えるから一読願いたい。ユーズド本もいくつか出ている。

よい本を恵贈いただいた。 ここに深い感謝の意とともに、次作を期待したい。

終りに、『新釈シェイクスピア 神々の偽計』という本の写真を出しておく。

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(追記)この本も後日、恵贈されたので一読した。
シェイクスピアの四大悲劇から「オフィーリア賛歌」「マクベスの旗」「コーディリア刑死」「デスデモーナの恋」と題して、四篇を小説化されたものである。これらの初出も同人誌「零」に2001年から2002年にかけて発表されたものである。
「あとがき」によると、高校の英語教師を定年退職した後、その年の夏からケンブリッジ大学のシェイクスピアサマースクールに参加され、Dr.Cristopher Bristow のシェイクスピアを中心にした悲劇についての講義を聴講した。
講義に触発されて四大悲劇を、短編に出来ればと思った、と執筆動機を書いておられる。

私はシェイクスピアには疎いのだが、これらの作品も小説として成功しているだろう。
ご恵贈に感謝して付記するものである。有難うございました。


相寄りしいのちかなしも冬ごもり・・・・・・・・・・・・・安住敦
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  相寄りしいのちかなしも冬ごもり・・・・・・・・・・・・・安住敦

「冬籠」ふゆごもり、とは冬の寒さを避けて、あたたかくした一間にこもって暮らすことをいうが、現代生活においては、そういうことは不可能である。
暑くても寒くても出かけて行って仕事などをしなくてはならないからである。
北国では外に出ずに家にこもる。こたつ、いろり、ストーブの周りで寒さを避けている。樹木は支えをつけ、花の木も雪囲いをし、家の周りには雪を防ぐ特別の囲いをする。

古代では、冬のうちは、人は静止的な物忌みの禁欲生活に入り、仮死のような状態にあり、復活によって蘇生し、物忌み状態を脱却するのが「はる」であると考えられていた。
自然物も冬には同様の状態になる。
それが「冬ごもり」であった。
俳諧では専ら「人」について言うようになった。

松尾芭蕉の

 冬籠りまたよりそはん此の柱

 折々に伊吹を見ては冬籠り

 金屏の松の古さよ冬籠り

与謝蕪村の

 桃源の路地の細さよ冬籠り

黒柳召波の

 住みつかぬ歌舞伎役者や冬籠り

などの句が「冬籠り」の典型的なものであるとされている。
今日では、多分に「比喩」的な意味で「冬ごもり」という表現を捉えた方がよいだろう。
中国からもたらされた表現だが、「一陽来復」という言葉があるように、それまでの季節は、せいぜい忍耐の、雌伏の季節だろうということである。
その方が、「春」になったときの開放感、喜びも大きい、というものである。

以下、「冬籠り」を詠んだ句を引いて終わる。
掲出句の「かなし」は、漢字で書けば「愛し」「いとし」の意味に、私は採りたい。
 
 書きなれて書きよき筆や冬籠・・・・・・・・正岡子規

 冬籠人を送るも一事たり・・・・・・・・高浜虚子

 冬籠座右に千枚どほしかな・・・・・・・・高浜虚子

 人間の海鼠となりて冬籠る・・・・・・・・寺田寅彦

 いまは亡き人とふたりや冬籠・・・・・・・・久保田万太郎

 死んでゆくものうらやまし冬ごもり・・・・・・・・久保田万太郎

 鏡とりて我に逢はばや冬籠・・・・・・・・原月舟

 読みちらし書きちらしつつ冬籠・・・・・・・・山口青邨

 香の名をみゆきとぞいふ冬籠・・・・・・・・竹下しづの女

 夢に舞ふ能美しや冬籠・・・・・・・・松本たかし

 木の洞にをる如くをり冬籠・・・・・・・・上野泰

 冬籠伴侶の如く文机・・・・・・・・上野泰

 戦へる闇と光や冬籠・・・・・・・・・野見山朱鳥

 もう急がぬ齢の中の冬籠・・・・・・・・村越化石

 冬ごもり鶏は卵を生みつづけ・・・・・・・・鈴木真砂女

 誰彼の生死気になる冬ごもり・・・・・・・・古賀まり子

 冬籠文来ぬは文書かぬゆゑ・・・・・・・・高木時子


冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
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  冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

「冬日」とは、冬の太陽のこと、とも、冬の一日のこと、を指すこともある。
冬至が過ぎたので、昼の長さもどんどん長くなり、日差しも斜めから差していたものが、だんだん中天に向かって高くなってくる。
とは言え、まだまだ弱々しい太陽光線である。冬日というものを映像的に示すのは難しい。だから、掲出の野見山朱鳥(あすか)の句を挙げることにした。

rouault_20ルオー キリスト

写真はジョルジュ・ルオーの連作<ミゼレーレ>の描く「キリスト」像である。
野見山朱鳥という人については私は多くを知らないが、先にも引用したが

 北風へイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・野見山朱鳥

の句にもある通り、或る拘りがあるのは確かだろう。クリスチャンかも知れない。
「冬日よりあをし」という把握の仕方が独特である。ルオーの<ミゼレーレ>の連作のキリストは、確かに「青いキリスト」を描いているのである。

ここでジョルジュ・ルオー Georges Rouault について少し書いておきたい。
ルオーは1871年パリ北東部のラ・ヴィレット街で生れる。はじめステンドグラス職人の徒弟になる。1890年エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドローネの教室に入る。92年ドローネの後任としてギュスターヴ・モローが教授に就任、ルオーはモローに師事。98年モローが亡くなり悲嘆にくれるが、5年後の1903年モロー邸がモロー美術館になり、ルオーは初代館長となる。同年サロン・ドートンヌの創設に参加。
1924年レジオン・ドヌール勲章を受章。1958年2月13日、パリの自宅で死去。87歳だった。国葬がサン・ジェルマン・デ・プレ教会で営まれた。
フランスは熱心なカトリックの国であり、ルオーが生涯をかけてキリストを描いたという縁で絶大な国民的支持を得ていたからである。
キリストの生涯を Miserere ミゼレーレという把握の仕方で描く、という独特の視点を持った画家であり、世俗的にもレジオン・ドヌール勲章受賞や国葬という最高の待遇を受けたのであった。

ルオーの紹介が長くなったが、話を「冬日」に戻したい。

 冬の日や馬上に氷る影法師・・・・・・・・松尾芭蕉

という句が、総じて、日照時間の短い、弱々しく、うすぐらい太陽のことを描いた典型として知られている。
以下、冬日ないしは冬日和、冬晴、冬麗(うらら)などを詠んだ句を引いて終わる。

 冬の日の刈田のはてに暮れんとす・・・・・・・・正岡子規

 山門をつき抜けてゐる冬日かな・・・・・・・・・高浜年尾

 冬の日や前に塞がる己が影・・・・・・・・村上鬼城

 翔けるものなく天城嶺の冬日かな・・・・・・・・五所平之助

 冬の日を鴉が行つて落して了ふ・・・・・・・・橋本多佳子

 死や生や冬日のベルト止むときなし・・・・・・・・加藤楸邨

 冬落暉檻のけものら声挙げて・・・・・・・・三谷昭

 遺書父になし母になし冬日向・・・・・・・・飯田龍太

 山国や夢のやうなる冬日和・・・・・・・・阿波野青畝

 父の死顔そこに冬日の白レグホン・・・・・・・・森澄雄

 寒入日影のごとくに物はこばれ・・・・・・・・桂信子

 冬晴れの晴着の乳を飲んでをる・・・・・・・・中村草田男

 冬日和心にも翳なかりけり・・・・・・・・星野立子

 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ・・・・・・・・大野林火

 冬麗口紅のこる微笑仏・・・・・・・・古館曹人

 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・・・・・・相馬遷子


みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・・・・・・・五所平之助
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──季節の一句鑑賞──冬の風雨3態──

  ■みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・・・・・・・・・・五所平之助

「霙」ミゾレとは、雨と雪が同時にまざり降るのをいう。冬のはじめや春のはじめに降ることが多い。
ちょっとした気温の変化で、雨になったり、雪になったりするし、同じ町の山手は雪なのに、下町ではミゾレのこともある。
掲出の句は映画監督の五所平之助の作品で、私も初めて目にするものである。
私も一度だけ、ここ陸奥(みちのく)の下北半島の「恐山」(おそれざん)には行ったことがある。
ここの祭事のときでもない限り、ただの茫漠とした荒地という感じである。ただ硫黄の匂いが鼻をつき、噴火口なのだと実感する。
霊よせの「いたこ」などが集う時期だけが、おどろおどろしい雰囲気になるのだと思う。
写真①はその風景のひとつ。

「霙」という名詞に対して、この句では「みぞるる」という「動詞」になっている。

 おもひ見るや我屍にふるみぞれ・・・・・・・・原石鼎

 霙るるや灯(ともし)華やかなればなほ・・・・・・・・臼田亜浪

 霙るると告ぐる下足を貰ひ出づ・・・・・・・・中村汀女

 みぞれ雪涙にかぎりありにけり・・・・・・・・橋本多佳子

 霙るるや小蟹の味のこまかさに・・・・・・・・松本たかし

 夕霙みんな焦土をかへるなり・・・・・・・・下山槐太

 みちのくの上田下田のみぞれけり・・・・・・・・角川源義

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  ■樹には樹の哀しみのありもがり笛・・・・・・・・・・・・木下夕爾

冬、風が吹いて、垣根の竹や竿竹などに当たるとき発するひゅーひゅーという音のことを「虎落笛」(もがりぶえ)という。
「もがる」というのは「反抗する」「さからう」「我を張る」「だだをこねる」などの意味を表す言葉で、竿や棒にあたる風が笛のように立てる音である。

 虎落笛子供遊べる声消えて・・・・・・・・高浜虚子

 日輪の月より白し虎落笛・・・・・・・・川端茅舎

 胸郭の裡を想へば虎落笛・・・・・・・・日野草城

 みちのべの豌豆の手も虎落笛・・・・・・・・阿波野青畝

 虎落笛吉祥天女離れざる・・・・・・・・橋本多佳子

 余生のみ永かりし人よ虎落笛・・・・・・・・中村草田男

 虎落笛叫びて海に出で去れり・・・・・・・・山口誓子

 虎落笛ひとふしはわが肺鳴れり・・・・・・・・大野林火

 虎落笛こぼるるばかり星乾き・・・・・・・・鷹羽狩行

 灯火の揺れとどまらず虎落笛・・・・・・・・松本たかし

 来ずなりしは去りゆく友か虎落笛・・・・・・・・大野林火

 牛が仔を生みしゆふべの虎落笛・・・・・・・・百合山羽公

 今日と明日の折り目にふかきもがり笛・・・・・・・・永作火童

001冬景色本命

  ■北風やイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

冬の季節風は北風で、強く、かつ寒い。シベリア高気圧が発達して、アリューシャン大低気圧に向かって吹く風だと今までは言われてきたが、今では地球規模の気圧変動が北半球では「偏西風」に乗ってやって来るのだという。
昨年の冬のはじめにヨーロッパに寒波をもたらしたものが、どれだけかの日時を経て、日本に到達したのが、昨年暮からの寒波だという。
おまけに、この偏西風が大きく南に蛇行して寒気を南まで吹き降ろしたものだという。
とは言え、日本海側は吹雪、太平洋側は空っ風というのは変わりないことである。
「北風」と書いて、単に「きた」と読むこともある。
この句で詠まれている「イエスの言葉」というのは、どんな言葉だろうか、読者の方、お教え願いたい。

 北風(きた)寒しだまつて歩くばかりなり・・・・・・・・高浜虚子

 北風にあらがふことを敢へてせじ・・・・・・・・富安風生

 くらがりやくらがり越ゆる北つむじ・・・・・・・・加藤楸邨

 北風(きた)の丘坂なりにわが庭となる・・・・・・・・加藤楸邨

 北風や青空ながら暮れはてて・・・・・・・・芝不器男

 耳傾く北風より遠き物音に・・・・・・・・大野林火

 北風荒るる夜のそら耳に子泣くこゑ・・・・・・・・森川暁水

 北風鳴れり虚しき闇につきあたり・・・・・・・・油布五線

 北風の砂丘を指す馬ならば嘶かむ・・・・・・・・金子無患子


傘さして女のはしる霰かな・・・・・・・・・・・・・炭太祇
yasya7霰

  傘さして女のはしる霰(あられ)かな・・・・・・・・・・・・・・・・炭太祇

「霰」あられには「雪あられ」と「氷あられ」の二つがあるという。一般には「雪あられ」のことを霰という。
「氷あられ」は雹の小型のもので、雪あられを芯にして、付着した水滴が凍りついたもので、積乱雲から降るので、夏なんかに農作物に穴をあけたりして大被害を与えたりする。
太祇の句は、にわかな霰の襲来に、あわてて佳人が傘をさして走り逃げてゆく様を臨場感に満ちて描いている好句である。浮世絵の一場面にありそうな光景である。

9ec812b7-sあられ

写真②は山茶花の上に積もった霰である。この写真の方が風情がある。
霰を詠んだものとしては源実朝の『金槐集』の歌

 武士(もののふ)の矢なみつくろふ籠手(こて)の上に霰たばしる那須の篠原

というのが、よく知られていて、ここでは「霰」が勇壮さを演出する小道具になっている。「玉霰」という表現もあるが、これは美称である。

 いかめしき音や霰の桧木笠・・・・・・・・芭蕉

 霰聞くやこの身はもとの古柏・・・・・・・・芭蕉

 石山の石にたばしる霰かな・・・・・・・・芭蕉

 いざ子ども走り歩かん玉霰・・・・・・・・芭蕉

 玉霰漂母が鍋をみだれうつ・・・・・・・・蕪村

 玉あられ鍛冶が飛火にまじりけり・・・・・・・・暁台

 匂ひなき冬木が原の夕あられ・・・・・・・・白雄

 呼びかへす鮒売見えぬ霰かな・・・・・・・・凡兆

などの古句は、霰のいろいろの姿態を巧みに捉えている。
以下、明治以後の句を引いて終わる。

 雲といふ雲奔りくるあられかな・・・・・・・・久保田万太郎

 藁屑のほのぼのとして夕霰・・・・・・・・原石鼎

 降り止んでひつそり並ぶ霰かな・・・・・・・・川端茅舎

 灯火の色変りけり霰打つ・・・・・・・・内田百

 玉霰雪ゆるやかに二三片・・・・・・・・中村汀女

 人等来るうつくしき霰もちて来る・・・・・・・・山口青邨

 たちまちにあられ過ぎゆく風邪ごもり・・・・・・・・桂信子

 この度は音のしてふる霰かな・・・・・・・高野素十

 畦立ちの仏に霰たまりける・・・・・・・・水原秋桜子

 霰やみし静けさに月さいてをり・・・・・・・・内藤吐天

 霰打つ暗き海より獲れし蟹・・・・・・・・松本たかし

 鉄鉢の中へも霰・・・・・・・・・・・・・・種田山頭火

 玉霰人の恋聞く聞き流す・・・・・・・・清水基吉


倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし・・・・・・・・・古事記
hondenn大神神社

  倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣
    山隠(ごも)れる 倭しうるはし・・・・・・・・・・・・・・・・・・古事記


『古事記』に上のように詠われる大和盆地。その東の山裾に沿って、日本最古の道といわれる「山の辺の道」がある。
その道に沿って南の端に「大神神社」(おおみわじんじゃ)がある。
大和の国には古い社が多いが、日本最古の社としては、この神社をおいて他には、ない。
「三輪山」の麓にある大神神社は、三輪明神と呼ばれる。
大神と書いて「おおみわ」と読むのは、昔は神様と言えば、三輪さんのことだったのである。

記紀神話では、悠久の昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)が国家の政治に行き詰まり、祈念したところ、海を照らして神がやってきた。
「我は汝の幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)である。我を祀れば平らかになるだろう。我を倭の青垣、東の山の上に斎(いつ)きまつれ」という託宣を受けた。
そこで、大和の東の青垣に、その神「大物主大神」(おおものぬしのおおかみ)を祀ったのである。その地が現在の三輪山だという。
この神社には本殿、すなわちご神体を鎮座させる建物がない。
古代の信仰そのままに、三輪山そのものをご神体とし、参拝者は「拝殿」から山を直接拝む。
熊野那智大社が「那智の滝」をご神体にするのと同じ扱いである。
写真①は拝殿である。拝殿の奥、神体山の「禁足地」の間に「三ッ鳥居」がある。
文字通り三つの鳥居が合体したもので、平安時代以前の創建とされるが、禁足地のため一般には見られないので、「摂社」の桧原神社の三ッ鳥居を写真②に掲げておく。

hibara1桧原神社三つ鳥居本命

なお桧原神社には拝殿も本殿もない。この三ッ鳥居があるのみである。
この三ッ鳥居を拝んで、その背後の三輪山を拝する、というものである。

miwa1三輪山

「三輪山」は、三輪の神奈備と呼ばれる円錐形の秀麗な山。
写真③は穴師というところから撮影。
山中には大岩が露出して、頂上の奥津磐座、中腹の中津磐座、麓の辺津磐座があり、それぞれ大物主大神、大巳貴神(おおなむちのかみ)、小彦名神(すくなひこなのかみ)が鎮まるという。
磐座(いわくら)は、神が降臨する神聖なところとされる古代祭事遺跡。
三輪山そのものを御神体として古くから信仰されている。
先に書いた「桧原神社」は、北へ1.5キロほど上がったところにある「摂社」だが、この桧原の地こそ、天照大神が祀られていた大和の笠縫邑(かさぬいのむら)だという。
ここから倭姫命(やまとひめのみこと)の伊勢への旅が始まったという。
ちなみに、三輪から、ほぼ真東、つまり日の出の方角に「伊勢神宮」があるのである。だから、「元伊勢」と別称されるのである。

ここで「三輪」の由来について書いておく。それは三輪の「環緒」(おだまき)塚の伝承である。
イクタマヨリ姫は、大変美しい乙女だった。
ある夜、姫のもとにこの世のものとも思われぬ立派な男が現われ、二人はたちまち恋に落ちて結ばれ姫は身ごもった。
不思議に思った両親が「床のまわりに赤土を撒き、巻いた麻糸(おだまき)の糸先に針をつけ、男の着物の裾にさしておくように」と言いつけ、姫が言いつけ通りにして、翌朝になってみると、糸は入口の戸のカギ穴から外に出ており、辿ってゆくと美和山の社まで来ていたので、男が神の御子であることが判った。
麻糸の残りが家の中に三勾(みわ)あったので、ここを三輪と呼んだ。
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「まほろば」については辞典にあたってみてもらいたい。
参考までにWeb上のフリー百科事典Wikipediaに載る英文の記事を引いてみる。

Mahoroba
From Wikipedia, the free encyclopedia

Mahoroba is an ancient japanese word describing a far-off land full of bliss and peace. It is roughly comparable to the western concepts of arcadia, a place surrounded by mountains full of harmony and quiet.

Mahoroba is now written only in hiragana as まほろば. The origins of the word are not clear; it is described in a poem in the ancient Kojiki (古事記) as being the perfect place in the mythical country of Yamato:

Poem from the Kojiki
Japanese Romanized version
大和 は
国のまほろば
たたなずく
あおかき山ごもれる
やまとしうるわし。

Yamato ha

Kuni no mahoroba

Tatanatsuku

Awo-kaki yama-gomoreru

Yamato shi uruhashi

(Note that the Kojiki itself did not use hiragana; the above is a modernized version)
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この英文の解説は「まほろば」を西欧でいう「アルカディア」と同じようなものと書いているのは、けだし名解説であろう。なお、古事記についても、その頃にはまだ「ひらがな」は無かったことも明記されていて正確である。


亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男
 shimo3_04.2霜柱

  亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

「霜柱」は、寒さがきびしい冬でないと見られない。
土の中に含まれる水分が凍って、毛細管現象によって、その下にある水分が次々と供給されて氷の柱が成長し、厚さ数センチから10センチ以上にもなるのである。
霜柱は、土があるところなら、どこでも発生するものではない。
私の子供の頃には、今よりも寒さが厳しかったので、学校へ行く道すがらの脇の畑などでも、よく見かけて、わき道に逸れてザクザクと踏んでみたものである。

otenki07-02霜柱本命

写真②は発生した霜柱がカール(反った)したものである。
関東ローム層の土粒の大きさが、霜柱の発生に丁度よいそうである。
岩波書店刊の「中谷宇吉郎全集」第2巻に、自由学園で行われた「霜柱の研究」について書かれたものが載っている。
それによると紅殻の粉や、澱粉類、ガラスを砕いた粉などを用いた霜柱の発生実験をしているが、赤土だけから霜柱が発生したそうである。
その赤土も、粒の粗いもの、細かいものに分けてやったところ、粒が粗くても、細かくても霜柱は発生しなかったという。
なお、中谷宇吉郎は、世界で初めて雪の人工結晶を作った学者で、これらの文章は戦前に書かれたものである。文筆上では夏目漱石に私淑した。
雪のエッセイなどは私の子供の頃に読んだ記憶がある。

simoba1植物シモバシラ

写真③は「シモバシラ」という名の植物である。
この草はしそ科の植物で学名を keiskea japonica という。これは明治時代の日本の本草学者の伊藤圭介氏に因むものである。
秋10月頃に枝の上部の葉の脇に片側だけにズラッと白い花を咲かせる。
冬になると、枯れた茎の根元に霜柱のような氷の結晶が出来ることから、この名になったという。冬に枯れてもなお水を吸い上げるが、茎がその圧力に耐えきれずに破裂してしまい、水が外にブワッと出て凍る、という。

ps-shimobashira08-2.jpg

植物のシモバシラの凍結した写真を見つけたので④に載せておく。
写真はリンク ↑ に貼ったサイトから拝借したものである。気象条件によって「氷」の形も、いろいろあるらしい。

以下、霜柱を詠んだ句を引いて終る。

 掃きすてし今朝のほこりや霜柱・・・・・・・・高浜虚子

 霜柱ここ櫛の歯の欠けにけり・・・・・・・・川端茅舎

 落残る赤き木の実や霜柱・・・・・・・・永井荷風

 霜柱しらさぎ空に群るるなり・・・・・・・・久保田万太郎

 飛石の高さになりぬ霜柱・・・・・・・・上川井梨葉

 霜柱枕辺ちかく立ちて覚む・・・・・・・・山口誓子

 霜柱俳句は切字響きけり・・・・・・・・石田波郷

 霜柱倒れつつあり幽かなり・・・・・・・・松本たかし

 霜柱顔ふるるまで見て佳しや・・・・・・・・橋本多佳子

 霜柱傷つきしもの青が冴え・・・・・・・・加藤楸邨

 霜柱兄の欠けたる地に光る・・・・・・・・西東三鬼

 霜柱歓喜のごとく倒れゆく・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱深き嘆きの声に溶け・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・油布五線

 霜柱踏み火口湖の深さ問ふ・・・・・・・・横山房子

温石の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
antigorite蛇紋石

──季節の一句鑑賞──冬の暖房3題──

  ■温石(をんじゃく)の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・飯田蛇笏

温石オンジャクとは昔なつかしいものである。
写真①は「蛇紋石」を細工して磨き上げ、いわゆる「温石」用にしたもの。
石を熱湯で暖め、布で包んで身体にあてて暖めたのである。この句の作者は山梨県の昔の人であるから、この頃には普通に見られたものであろうか。
歳時記を見ると、長野県高遠辺で採れる黒い石─その名も温石石も広く用いられたという。また石の代りに「こんにゃく」なども茹でて使われたという。
これを器具化したものが「懐炉」であり、これにも色々のものがあった。
私の母も懐炉のことを「おんじゃく」と呼んでいた。これも「温石」の本来のものの呼び名が変化して使われていたものである。

 草庵に温石の暖唯一つ・・・・・・・・高浜虚子

 温石のただ石ころとさめにけり・・・・・・・・野村喜舟

 温石や衾に母のかをりして・・・・・・・・小林康治

 温石の冷えて重しや坐薬了ふ・・・・・・・・木附沢麦青

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  ■みたくなき夢ばかりみる湯婆(たんぽ)かな・・・・・・・・久保田万太郎

「ユタンポ」は今でも使われているもので、ブリキ製、プラスチック製、ゴム製などさまざまある「保温器具」である。 掲出したのは「銅」製で高価なもの。
中に入れるのは熱湯だから、それ以上には過熱しないから、安全で、むっくりした温さのものであった。
『和漢三才図会』には「湯婆 太牟保(たむぽ)。唐音か。按ずるに湯婆は、銅をもつてこれを作る。大きさ、枕のごとくして、小さき口あり。湯を盛りて褥傍に置き、もつて腰脚を暖む。よりて婆(うば)の名を得たり。竹夫人とこれと、もつて寒暑懸隔の重器たり」と書かれている。寒さの折の身辺の必要品であったことを面白く記している。
折しも不況下の今とあって、「ユタンポ」が見直されて、よく売れているらしい。
私は二月七日生まれだが、この年は大変寒い年で、私は病弱でもあったから、「陶」製の、かまぼこ型のユタンポを体の両脇に二個抱えて寝かされていたらしい。
上部に穴があって、お湯を注ぐ式のものである。 母から、よく聞かされた。

 碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな・・・・・・・・正岡子規

 湯婆の一温何にたとふべき・・・・・・・・高浜虚子

 寂寞と湯婆に足をそろへけり・・・・・・・・渡辺水巴

 老ぼれて子のごとく抱くたんぽかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 湯婆や忘じてとほき医師の業・・・・・・・・水原秋桜子

 湯婆抱く余生といふは侘しくて・・・・・・・・栗生純夫

 ゆたんぽに足あたたかく悲しかり・・・・・・・・三浦ふみ

I01091817122648手あぶり

  ■手あぶりや父が遺せる手のぬくみ・・・・・・・・・・・北さとり

「手焙」とは小さな個人用の火鉢で、手をあぶるのに使うが、膝に乗せるほどのものもある。陶器、金属などで作る。形も色々である。
蓋がついて穴の開いているもの、つるや紐をつけて持ち運びできるようにしたもの、籐のかごをかぶせたものなどある。
数人から十数人の宴席などでは、その人数分の「手あぶり火鉢」を各人の席の横に配置する。
昔は建物や部屋全体を暖めるということはしなかったから、「火鉢」というのが唯一の暖房器具だった。「手炉」とも言う。
今では、こういう小さな火鉢は室内装飾用に売られていて、一個数千円からある。

 ぼんのくぼ夕日にむけて火鉢かな・・・・・・・・小林一茶

 手あぷりに僧の位の紋所・・・・・・・・高浜虚子

 かの巫女の手焙の手を恋ひわたる・・・・・・・・山口誓子

 彫金の花鳥ぬくもる手炉たまふ・・・・・・・・皆吉爽雨

 かざす手の珠美しや塗火鉢・・・・・・・・杉田久女

 手あぶりや雪山くらき線となりぬ・・・・・・・・大野林火

 縁談や手焙の灰うつくしく・・・・・・・・・萩原記代

 手炉の火も消えぬお経もここらにて・・・・・・・・森白象
鼻眼鏡ずり落ちさうにかけゐつつ母はこくりと日向ぼこする・・・・・・・・・・木村草弥
bde6043338658086a8b9e786e6dea216ひなたぼこ

  鼻眼鏡ずり落ちさうにかけゐつつ
     母はこくりと日向ぼこする・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「人」のひなたぼっこの写真がないので、猫のもので代用した。
冬の日、風の当たらない南側の日向で「ひなたぼっこ」をするのは気分のいいものである。
掲出した私の歌は、93歳で亡くなった母の往時の姿を偲んで歌にしたものである。

aegean_l戸口老夫婦

写真②はギリシアの「エーゲ海」クルーズを旅したときのもので、戸口に座る老夫婦で、これも基本的には「ひなたぼっこ」と言ってもよいだろう。
この写真には

  歩く我に気づきて「やあ」といふごとく片手を挙ぐる戸口の老は・・・・・・・・・木村草弥

  戸口の椅子二つに坐る老夫婦その顔の皺が語る年輪

  愛よ恋よといふ齢こえて枯淡の境地青い戸口の椅子に坐る二人


の歌が、私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載っている。
なお私のWebのHP「エーゲ海の午睡」の紀行文にも収録してあるので、ご覧いただきたい。

以下、「ひなたぼっこ」を詠んだ句を引いて終わりたい。

 日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ・・・・・・・・高浜虚子

 うとうとと生死の外や日向ぼこ・・・・・・・・村上鬼城

 冬日掬ふ如き両掌や日向ぼこ・・・・・・・・池内友次郎

 日向ぼこ笑ひくづれて散りにけり・・・・・・・・富安風生

 つかのまのきづなをたちてひなたぼこ・・・・・・・・飯田蛇笏

 日向ぼつこ日向がいやになりにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 日向ぼこ神の集ひも日向ならむ・・・・・・・・大野林火

 ふるさとにたよりおこたり日向ぼこ・・・・・・・・中村汀女

 日向ぼこ父の血母の血ここに睦め・・・・・・・・中村草田男

 かへる山ありて猿たち日向ぼこ・・・・・・・・山口波津女

 けふの日の燃え極まりし日向ぼこ・・・・・・・・松本たかし

 胸もとを鏡のごとく日向ぼこ・・・・・・・・大野林火

 手に足に青空染むとは日向ぼこ・・・・・・・・篠原鳳作

 犬がものを言つてきさうな日向ぼこ・・・・・・・・京極杞陽

 デスマスクある壁を背に日向ぼこ・・・・・・・・石原八束

 太陽の手をいただいて日向ぼこ・・・・・・・・堀内薫

 太陽に吾も埃や日向ぼこ・・・・・・・・平赤絵

 日向ぼこ身のうちそとに母のゐて・・・・・・・・長谷川せつ子




水底を見て来た顔の小鴨かな・・・・・・・・・・・・・・・内藤丈草
magamoマガモ雄

──季節の一句鑑賞──「水鳥」3態──

  ■水底を見て来た顔の小鴨かな・・・・・・・・・・・・・・・内藤丈草

今日は「水鳥」を詠んだ句三題をオムニバス風に採り上げる。
丈草は芭蕉の高弟で、禅に学ぶところ深く、芭蕉とはとりわけ心の通じあう門弟だったと言われている。尾張犬山藩士だったが、病弱のため「遁世」した。
この句は、鴨が水に潜っては、ついと浮かぶ。そのけろりと澄ました表情に「水底を見て来た顔」を見てとったところが面白い。
丈草の俳諧作者としての天分は、芭蕉一門の数ある作者の中でも抜群だったという。彼は芭蕉の「さび」の精神を最もよく伝えた弟子と言われるが「飄逸な俳味」においても抜きん出ていた。その笑いには品格の高さと洒脱さがあるという。『丈草発句集』所載。
写真①は、マガモ雄の成鳥である。

magamo5マガモ雌

  ■海暮れて鴨の声ほのかに白し・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

気鋭の俳人として江戸で名を挙げつつあった芭蕉は、貞享元年41歳の時、門人千里を連れて『野ざらし紀行』の旅に出発した。蕉風確立の基礎をなす撰集『冬の日』を尾張で生んだ記念碑的な旅であった。
上の句は、その滞在中のものである。海辺で一日を過ごした時の作と自注している。
とっぷりと暮れた海づらを、鴨の声が渡ってくる。「白し」は「顕(しる)し」を内に含んでおり、感覚の鋭さが、このような用語法に表れている。その白く顕きものが、「ほのかに」海を渡って来るから余情が広がったのである。
中七は「鴨の声ほの」「かに白し」と句跨りになるが、これを5、5、7の破調と読むのもよいが、私は句跨りと捉えたい。『野ざらし紀行』所載。
写真②は、マガモの雌である。

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  ■水鳥やむかふの岸へつういつい・・・・・・・・・・・・・・・広瀬惟然

放浪の俳人惟然は美濃の酒造業の家に生れたが、妻子を捨てて家出し、剃髪して芭蕉晩年の弟子となる。惟然坊と通称された。
天真爛漫に行動する風狂な人となりは、句作にもそのまま表れ、口語の擬声、擬態語を多用して、対象を活写する技法を開発した。これは、つと口を出る心の動きをとらえる上で優れた技法だった。
「梅の花赤いは赤いは赤いはな」のような句が、よく知られている。
上の句でも水鳥の生態を「つういつい」に活写したが、常にこれが成功する訳ではない。擬音語や擬態語は印象が強いだけに、惰性的に用いると、たちまち陳腐なものになってしまうからである。『惟然坊句集』所載。

私の住む辺りに一番近いところというと「琵琶湖」が水鳥の大棲息地だが、ここは、かなり前から「禁猟区」になっているので野鳥にとっては天国である。ここは鴨肉の生産地でもあるが、養殖したり、他所からの移入鳥で仕事をこなしている。

「鴨」「水鳥」というのは冬の季語で、歳時記に載る例句も大変多い。少し引いて終る。

 水鳥や氷の上の足紅く・・・・・・・・・・・・・野村喜舟

 水鳥の沼が曇りて吾くもる・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 水鳥のしづかに己が身を流す・・・・・・・・・・・・柴田白葉女

 寝るときはひたすら眠れ浮寝鳥・・・・・・・・・・・・吉田やまめ

 小閑充実鴨くさきまで鴨の群・・・・・・・・・・・・中村草田男

 幻の母来て 屈む 鴨の岸・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦

 さみしさのいま声出さば鴨のこゑ・・・・・・・・・・・・岡本眸

 抜け目なささうな鴨の目目目目目目・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 うたかたとなるまで鴨の漂へり・・・・・・・・・・・・小沢克己

 寝化粧を長しと思ふ鴨の声・・・・・・・・・・・・星野石雀

 見事なる腹が頭上を鴨返す・・・・・・・・・・・・市村究一郎


大寒の力いつぱい落つる日よ・・・・・・・・・・・・・・・・下村非文
  taiyou084夕日本命

    大寒の力いつぱい落つる日よ・・・・・・・・・・・・・・・・下村非文

今日1月20日は二十四節気の「大寒」である。
寒さの最もきびしい時である。
とは言え、そろそろ梅、沈丁花、水仙、椿などが咲きはじめる。
もちろん日本列島は南北に長いから、場所によっては遅速があるのは当然である。
この頃の寒さを形容して、『年浪草』には、「栗烈として極まれり」という。
そのような峻烈な寒さの中で、寒さに強い花から咲きはじめて、春が用意されてゆく。
今年は、先日来きびしい寒波がやってきて北国は吹雪とかなりの積雪を見たほか、九州、中国、四国でも雪が積もった。
ヨーロッパや中国では、新年早々に寒波が襲来して死者が出た、というニュースを見た。
日本の気候推移は「三寒四温」と言われるが、目下は「四温」の時期に入ったようで、今日の天気予報では最高気温は京都では18度にもなるという。
まるで三月下旬か四月上旬の気温である。これから天気がぶりかえして、更に寒くなるかも知れない。

日本人の感性というのは、寒さに対しても、さまざまの表現を見せる。
「寒」に関していうと、寒に入って4日目が「寒四郎」、9日目を「寒九」と表現する。
北陸では「寒の入り」の日に「あずき餅」を食べ、これを「寒固」(かんがため)と称するらしい。これは寒の入りに小豆を食えば、寒気にあたらず、という験(げん)かつぎらしい。

 うす壁にづんづと寒が入りにけり・・・・・・・・小林一茶

 宵過ぎや柱みりみり寒が入る・・・・・・・・小林一茶

のような句は、寒の感じをよく捉えている。
大陸高気圧が強いか弱いかによって、寒さや雪の程度が決まる。この寒さの最もきびしい30日間の中に、小寒、大寒と呼び名を定めて、心の身構えをしたわけである。
以下、寒、大寒などの入った句を引いて終る。

 禽獣とゐて魂なごむ寒日和・・・・・・・・西島麦南

 背にひたと一枚の寒負ふごとし・・・・・・・・原子公平

 寒きびし一刀彫のごとくなり・・・・・・・・鈴木青園

 胎動を夫と分つや寒ゆるむ・・・・・・・・上田紀代

 寒三日月凄しといひて窓を閉づ・・・・・・・・藤田烏兎

 松籟も寒の谺も返し来よ・・・・・・・・小林康治

 大寒の埃の如く人死ぬる・・・・・・・・高浜虚子

 大寒や転びて諸手つく悲しさ・・・・・・・・西東三鬼

 大寒や老農死して指逞し・・・・・・・・相馬遷子

 大寒の一戸もかくれなき故郷・・・・・・・・飯田龍太

 大寒の牛や牽かれて動き出す・・・・・・・・谷野予志

 薄日さし荒野荒海大寒なり・・・・・・・・福田蓼汀

 大寒の茜消ゆるに間ありけり・・・・・・・・河合未光

 大寒ののつしのつしと来る如く・・・・・・・・中嶋音路

 大寒の堆肥よく寝てゐることよ・・・・・・・・松井松花

 大寒の鶏目を張つて摑まるる・・・・・・・・芦内くに


「交配中」のビラを掲げてマルハナバチがトマトの黄花の花粉にもぐる・・・・・・・・・木村草弥
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07セイヨウオオマルハナバチ
  
   「交配中」のビラを掲げてマルハナバチが
    トマトの黄花の花粉にもぐる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選60首にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いたたげる。

「マルハナバチ」は温室やビニールハウスでの野菜、果実などの交配に導入されたもので、園芸先進国オランダで実用化され、
今も写真①のような段ボール箱に入って空輸されて来る。段ボールには「精密機械」「チェック貨物」などのステッカーが貼られている。
箱の中には女王蜂1匹を筆頭に、オス蜂、働き蜂の計50匹くらいの一家族が入っている。ただし巨大なコロニーは作らず家族に近い。
値段は何と1箱19635円(税、送料込み)もする。
写真②に、その「セイヨウオオマルハナバチ」学名・Bombus terrestris の写真を出しておく。
日本産の「クロマルハナバチ」もオランダで飼育され輸入されるが、これになると21945円もする。

日本では平成2年に国内に導入されたばかりだが、ヨーロッパではすでに早くから実用化され、一般的な技術として普及しているという。
彼らを有効にトマトの花を訪れさせる最大のコツは「学習飛行」だという。マルハナバチは、ある一定種の花をつづけて訪花する習性があるのである。
このため、はるばるオランダからやって来たマルハナバチは最初、ネットで囲った1棟のハウス内で学習飛行した後、開け放たれたハウスの中をトマトの花を求めて移動するという。
通常、1棟のハウスの中に1匹のマルハナバチが活動していれば充分という。
とは言っても、先年、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げられたように、ヨーロッパから移入した「セイヨウオオマルハナバチ」が生命力旺盛であるため、日本の野外に出てしまったら、在来の「ニホンマルハナバチ」を駆逐してしまう恐れがある、という。
移入したトマト農家などの厳重な管理が必要になってきた。

写真③は「ミディトマト」である。ここで「トマト」について書いて置こう。
12003-01ミディトマト①

トマトは17世紀にポルトガル人によって伝えられ、最初は鑑賞用に栽培されていたという。「蕃茄」と呼ばれた。
今日では、最もポピュラーな果実として広く食べられている。
露地ものもあるにはあるが、通年作物として「ハウス栽培」されるのが普通である。
元来トマトは夏の果物だが、今ではハウス栽培のおかげで一年中食べられるようになった。
後でも書くが、マルハナバチに花粉の媒介をしてもらうということは、「農薬」を使えないということでもあり、食べる上でもトマトは安全な果物と言えよう。

photo-02トマトの種床

写真④がハウスに植えつけるトマトの苗床である。スポンジ様のものに一粒づつ種を蒔いて発芽させる。
これをハウスに定植し液肥を入れた水を循環させる「水耕栽培」が普通である。
その間、余計な葉や枝を取り去ったり、枝を吊り上げるなど人手のいる作業が要る。
日本の夏は暑いので、この期間中はハウスの中が高温になり過ぎるので栽培は休んで、ハウスの消毒や秋からの定植に備えて苗などの準備をする。
私の知人も大規模なトマト栽培家がいるので、よく見せてもらった。

掲出の歌を含む一連8首を読んでもらえば、よく判っていただけると思うので、それを引いておきたい。

  マルハナバチ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 外は寒い北風が吹く温室の中はぽかぽか春の暖かさ

 「交配中」のビラを掲げてマルハナバチがトマトの黄花の花粉にもぐる

 温室は液肥の流れる礫耕栽培トマトには農薬は使はぬ

 虫を殺す農薬が人間に良い筈がない「自然の知恵」に戻れよ

 葡萄のやうな房生(な)りでミディトマトが鈴なりに垂れる壮観

 園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた

 この列はイタリア品種の料理用「サンマルツァーノ」トマトが真つ赤だ

 次々と温室トマトの直売所に車が来て採りたての果実が買はれてゆく

240px-Fleurtomateトマト花

「トマトの黄花」といっても判らないので写真⑤に出しておく。

トマトの効用を、このように言っても「露地」栽培で「旬」のトマトなら、昔の風味も味わえるだろうが、今は消費者が一年中トマトが食べられるという生活に狎れてしまい、このような旬の味を求めるというのは「ないものねだり」の感がある。
それともうひとつ、大量生産、大量消費の時代になると、生産者から末端の消費者の手に渡るまでの日数を考えると「品傷み」のしない品種がタキイ種苗などの大手の育種メーカーで開発され、今の主流をなす「桃太郎」などの品種が市場を占める事態となるのである。したがって味も画一的になってしまう。
今の主流の「桃太郎」というトマトも完熟したものを、その場で食べれば、とてもおいしい品種なのだが、今では流通過程で日数がかかってしまい、かつ家庭でも野菜室に入れておいて、すぐに食べるというものでもないから「味」が劣化する。
昔のトマトには適当な「酸味」があったが、今のトマトには、それがない。
これは消費者が「甘い」トマトを求めるからだという。確かに「桃太郎」などは酸味は殆ど感じられない。
このようなことを知ると、今のトマトの風味については、消費者にも、その責任の一端がありそうであるが、いかがだろうか。
昔わたしたちの子供の頃は(農村だったから)学校から帰ると、冷たい水にトマトが冷してあり、それを皮もむかずに、そのままかじりついたものである。
適当な酸味もあり自然の風味というものがあった。
しかし、いまでは、そんなことを言ってみても「詮ない」ことである。

P1030584ミニトマト

写真⑥に「ミニトマト」を出しておく。
最近の学者の研究で、トマトに癌予防の著効があるということが判ったという。そんなことで亡妻にはせっせとトマトを食べさせていた。
少なくとも「免疫力」を高める作用はあるのではないかと思う。
病院では皮をむくのが面倒なので、専ら「ミニトマト」を愛用していた。皮ごと食べるので、しっかりした歯ごたえもあり、おいしいものである。
なお夏季には私の家では菜園にトマト、ミニトマトを栽培しているがミニトマトは実が鈴なりにわんさとついて、おびただしく生るものである。


沢良木和生『めおと剣 蝶の舞』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──
  
  沢良木和生『めおと剣 蝶の舞』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
         ・・・・・・・牧歌舎 2009/10/16 刊 発売 星雲社・・・・・・・    

この本の著者は私の友人である。本名は別にあるが敢えて書くことはしない。
本のカバーにも「京 北白川物語」と載っているように、著者にもゆかりのある土地を舞台とする武闘物語である。
ネットを検索すると、この小説の書評が、いくつか見られるが、Yahoo書評に載るものの一つを転載しておく。
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めおと剣 蝶の舞     2009年10月28日 10:26

早速買って今、読み終えました。実に楽しくかつスリリングな筆運び。
戦闘場面から夫婦愛まで、躍動感と甘美なぬめぬめした表現に真実感動しまくりました。
おなむり、お迎え、日子など独創的な語彙が一層怪しげな情緒を奏でています。
丁寧語で睦み合うというのが新しいエロスだという発見も。
戦闘の場面の剣豪小説風の描写と和合のシーンはまるで好対照で動と静、戦と和という対比が鮮やかに浮かび出ています。
そして背後に潜む京都の歴史浪漫が個々の街道や街角の具体的名称と一体となって絵空事とは思えないリアリティーをもって読む物をぐいぐい引きつけますす。
新しい伝奇小説の誕生ですよ。この本を片手にぞくぞくしながら京都を歩いてみたくなりました。
なんだか、上質な時代劇を見終わったようで、緋刈は女優の小雪さん、右也は松田龍平さんというイメージです。
是非映画化されるといいですね。 tony koga
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ここに引用した書評は、短い文章の中に、この本の本質を捉えている。

この本の「帯」に、次のように書いてある。

<幕権ようやく揺るぎ始めた天保年間の京。
 打ち続く飢饉災害激乱の中、恣に跋扈する魔のみなごろし集団。
 古来より北白川に隠れ住む武勇の結党白川党あり。
 恐怖に戦く町びとたちを果敢に護り抜く若き頭領・右也と修験法術を駆使する新妻・緋刈。
 若きめおとの織りなす華麗壮絶不殺の剣。 五話連結の武侠譚。>

要を得た紹介だと言えよう。
帯文だから、抑制して、敢えて触れられてはいないが、私が先に引いた「書評」文のように、艶めかしい描写も秀逸の活劇であるから、一気に読める。
読後感は、しっとりしたエロスに満たされて、かつ実にすがすがしい。

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この著者には、すでに ↑ 『町人剣―たかとみ屋晃造 幕末京都大火秘聞 』(学習研究社2001/12刊)の小説があるが、古本でも格安で出回っているのでアマゾンなどで買っていただきたい。

この前著に比べると、今回の本は、筆致も一段と流麗になり、五話の連なりも起承転結も鮮やかで、一気に読ませる。
北白川や京都の土地についての書き込みも歴史的に正確で、たとえば、一乗寺にある蕪村ゆかりの「金福寺」にも言及するなど、物語の素地となる地名や固有名詞についても、よく書かれている。

私は友人の端くれとして「謹呈 木村草弥様」と、墨痕あざやかな署名とともに恵贈されたことを書き添えておく。
ぜひ、一読されることを、お勧めする。


かなしみのきわまるときしさまざまの物象顕ちて寒の虹ある・・・・・・・・・・・坪野哲久
990930a虹
  
    かなしみのきわまるときしさまざまの
     物象顕(た)ちて寒の虹ある・・・・・・・・・・・・・・・・・坪野哲久


俳句の場合の季語としては「虹」は夏季のものとされる。
日本での気象条件からすると、高温多湿の夏に虹が多いのは当然である。
冬に虹を詠む場合には、季節の言葉をつけて「寒の虹」のようにして季語とする。

この坪野哲久の「寒の虹」の歌は、そういう点から見ても面白い。
雨と太陽光線とがあって虹が立つのが普通だが、哲久は「物象顕ちて寒の虹」が立つと詠っている。
これは上の句に「かなしみのきわまるとき」と書いているように、作者の心が空に立たせた幻の虹かとさえ思わせる。
「きわまるときし」の「し」は強調の助詞である。
このように上の句と下の句とが相まって、歌に独特の孤高性と浪漫性をもたらしている。『碧巌』所載。

加藤楸邨の句に

 Thou too Brutus ! 今も冬虹消えやすく

というのがあるのを思いだした。冬の虹というのは、そういう消えやすい「はかない」ものである。
坪野哲久の歌の「かなしみのきわまるとき」という把握の仕方と相通じるものがあるかと思う。
坪野哲久については前にも一度採り上げたことがあるが、昭和初期にプロレタリア短歌運動で活躍、昭和5年、第一歌集『九月一日』を刊行したが発禁処分を受ける。
昭和46年『碧巌』で読売文学賞受賞。石川県生まれ。昭和63年没。
哲久の歌は心象を詠いあげたものが多い。叙景だけの歌というものはない。
「物象」などという「漢語」の使い方が独特である。仏教用語も多用する。
以下、少し哲久の季節の歌を引いて終わりにする。

 母のくににかへり来しかなや炎々と冬涛圧(お)して太陽没(しづ)む

 母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零(ふら)すなり

 天地(あめつち)にしまける雪かあはれかもははのほそ息絶えだえつづく

 牡丹雪ふりいでしかば母のいのち絶えなむとして燃えつぎにけり

 寒潮にひそめる巌(いはほ)生きをりとせぼねを彎(ま)げてわが見飽かなく

 死にゆくは醜悪(しうを)を超えてきびしけれ百花(びやくげ)を撒かん人の子われは

 もろもろのなげきわかつと子を生みき子の貌(かほ)いたしふる霜の花

 冬星のとがり青める光もてひとりうたげすいのちとげしめ

 冬なればあぐらのなかに子を入れて灰書きすなり灰の仮名書き

 曇天の海荒るるさまをゆめにみき没細部なる曇天あはれ
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はじめから8首までの歌は、ふるさと石川県に臨終の母を看取った時の歌であろうか。
時あたかも冬の時期であったようで、能登の怒涛の寄せる海の景物と相まって、母に寄せる心象を盛った歌群である。
歌集『百花』『桜』『留花門』から引いた。



干鮭も空也の痩せも寒の中・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
c0061761_1244391干し鮭
  
  干鮭も空也の痩せも寒の中・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

1月5日に二十四節気の「小寒」に入った。いわゆる「寒の入り」であり、大寒の1月20日を経て、節分(立春の前日)までの30日間を「寒」という。
この間を「寒の内」と言い、寒さの一番きびしい頃である。
この冬は、昨年暮れからプレ・クリスマス寒波と、年末押し詰まってから今冬一番の寒波が襲来して、また今年に入っても上旬から中旬にかけて寒波が来て、ところによっては吹雪嵐になり、今年一番の寒さとなったが、「三寒四温」の言葉通り、寒さのゆるむ数日がやってくる。

10空也上人像

芭蕉の句に因んで、写真①には「干し鮭」を、写真②には「空也上人像」を載せた。
空也上人像については、多少の説明が必要だろう。
「空也」上人は「念仏行者」の始祖と言われる人で「南無阿弥陀仏」と唱えながら京の町や、日本中の村々を歩いて「念仏」行を提唱して回ったという人である。
上人像はあちこちにあるらしいが、この像は、京都の北西の端に聳える愛宕山の尾根を東に30分ほど下る月輪寺にある。
この寺は、寺伝によると藤原京時代の大宝4年(704年)に泰澄が開山した寺で、空也はここで修行したという。
像の口の前に変なものが出ているが、これは「仏」さまが数体、空也の口から出ているもので、その意味は、空也が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて行をしたので、有難い仏さまが空也の口から出て来る、ということを表しているらしい。
どこの像も、みなこのようになっているという。

芭蕉の句にある空也の像が、どこのものかは判らないが、芭蕉の旅日記があるから、恐らく解明済みであろうと思われる。
諸国を行乞して歩いた空也であるから、像の上人も、ひどく痩せている。芭蕉の句は、その「痩せ」を寒の歳時として峻しく捉えて句にしている。

結城音彦氏からお聞きしたところによると、この句の制作場所について、参考になるかとお知らせいただいたので載せておく。
それにによると、元禄13年12月、48歳、京都での作、ということである。
また、この句の出だしは「乾鮭」となっている。私の読んだ資料には「干鮭」となっていたので、こう引用したが、「乾鮭」が原典に合致しているのであろう。
また、結城氏の意見では「空也」=「空也僧」とされており、この句には
「都に旅寝して、鉢叩きのあはれなる勤めを夜毎に聞き侍りて」という前書きがあるようで、この解釈が正確なのであろう。
だから、掲出句は「空也」像を見ての作句ではないのである。
その結城音彦氏も昨年、突然亡くなられてしまって寂しい限りである。
ここに結城氏の御教示を載せて、ありし日を偲ぶよすがとしたい。

「寒の入り」あるいは「小寒」「寒」を詠んだ句を引いて終わりたい。

 きびきびと万物寒に入りにけり・・・・・・・・富安風生

 校正の赤きペンもつ寒の入り・・・・・・・・山口青邨

 寒の入り心あやふき折には旅・・・・・・・・中村草田男

 寒に入るわが跫音は聴くべかり・・・・・・・・加藤楸邨

 百はある鶏卵みがく寒の入り・・・・・・・・及川孤雨

 中年のどれも足早や寒に入る・・・・・・・・宮尾苔水

 小寒のひかり浸して刷毛目雲・・・・・・・・火村卓造

 一切の行蔵寒にある思ひ・・・・・・・・高浜虚子

 捨水の即ち氷る寒に在り・・・・・・・・池内たけし

 黒き牛つなげり寒の真竹原・・・・・・・・水原秋桜子

 乾坤に寒といふ語のひびき満つ・・・・・・・・富安風生

 約束の寒の土筆を煮て下さい・・・・・・・・川端茅舎

 痩せし身をまた運ばるる寒の内・・・・・・・・石田波郷

 寒の日の爛々とわれ老ゆるかな・・・・・・・・中川宋淵


新年の色あざやけき青竹を結界として茶の湯点てけり・・・・・・・・・・木村草弥
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  新年(にひどし)の色あざやけき青竹を
       結界として茶の湯点(た)てけり・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌は自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
この歌のつづきに

 をろがみて三啜り半に服したる新年の茶のこのほろにがさ・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っている。この一連は「結界」という小項目の13首からなるが、この項目の一番終わりの歌は

 黒光る帳場格子の結界に大福帖吊りき創業の祖(おや)・・・・・・・・・・木村草弥

このように「結界」という言葉は、さまざまに使われているので、少し説明したい。

k-13kihon結界

写真②は茶道で使う「結界」である。形は色々あるが、私のはじめの歌の場合は、これを「青竹」で作ってあるということである。この写真のものは茶道具屋が売っているものだが、茶道の原初的な意味から言うと、どんなものでもよいのである。
そもそも「結界」とは、Simabandhaという言葉の訳語とされ、仏教教団に属する僧尼の秩序を保つため一定地域を区画すること、に発する。いわば聖と俗との境界である。それが茶道その他にも取り入れられたもの。「女人結界」というのも宗教界にはある。また神社などの「注連縄」(しめなわ)も結界の一つである。先に書いた聖と俗との境界を示すものである。
私の三番目の歌に則して言うと、昔の商家の、いわゆる「帳場」の一角を区切る「格子」(こうし)も一つの結界なのであった。店頭とは違った空間を作るものだからである。
こういう風に「結界」という言葉は便利なもので、さまざまに変形して使われている。

kazuho茶筅

写真③には茶道で使う「茶筅」を掲げてみたが、新年に使うものは「青竹」で作られ、緑色あざやかなものである。もっとも茶道具というのは三千家でも少しづつ変化しているので、ここではあくまでも一般論として読んでもらいたい。茶筅の穂先の形からして変わる。

私の二番目の歌の「をろがみて」というのは「おしいただいて」ということで、茶道で茶を呑む時に茶碗を両手で持って顔のあたりにもってきて「おしいただく」動作のこと。「拝む」というのが「をろがむ」である。
「三啜り半」というのが、茶碗に入った抹茶の湯を呑む時の作法とされる。一番最後の茶は音をたてて「啜る」のである。このことを誤解して、音をたてずに服する人があるが、それは「勘違い」というものである。ズルズルと音をたてて啜るのが正解である。
なお、この「啜る」という口の動きが、外国人には出来ない。西洋人には、先ず無理である。
英語の「drink」(飲む)という言葉は、たとえばスープを飲む時にスプーンの先を唇にあてて、舐めるように、あるいは、注ぎ込むように飲むのが「ドリンク」なのである。日本人は「啜る」ことが出来るので、スプーンの横から「啜り」がちである。
文化あるいは風習というものは、このように変わっていて、一つの言葉の「翻訳」されたものの中だけでは、表現し切れないものが含まれているのである。
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今日、1月15日は古来「小正月」と言って、正月の行事があった。一般的には、この日には「小豆かゆ」を食べる風習があった。今でも我が家などでも、この行事を守っている。
この日をもって一応、正月行事は終ることになる。
祝日の「成人の日」は、今は移動休日になってしまったが、前は先に述べたような理由から「小正月」に因んで1月15日に決めて制定されたのであった。
そんな日にちなんで、今日は「新年」「茶道」ないしは「結界」のことを書いてみた。



法師出て嫌はるるなり歌がるた・・・・・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
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   法師出て嫌はるるなり歌がるた・・・・・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

正月の遊びとして「カルタ」は必須のものであった。カルタの語源はポルトガル語であるらしい。
カルタ遊びには「歌かるた」という小倉百人一首、「花かるた」、「いろはかるた」、「ウンスンかるた」、「トランプ」などがある。今ではトランプが主流であろうか。
掲出の写真①は「歌かるた」の小倉百人一首のもの。競技用のものは「読み札」と「取り札」とに分れているが、掲出のものは歌を全部書いてあるもの。
掲出した阿波野青畝の句について言うと、この場面は「坊主めくり」というゲームをやっているのだろう。
「坊主」=「法師」であるから、法師が出てくれば何か余興をやるとか、墨をつけられるとか罰を受ける。
だから「坊主が出てきたら、嫌だ嫌だ」となる。トランプならば「ジョーカー」を引く、というような感じ。

「いろはかるた」は、たとえば「犬も歩けば棒にあたる」のようなもの。もっとも、これは江戸の文句で、京では「一寸先は闇」、大阪では「一を聞いて十を知る」などと変化していたという。

写真②は、「ウンスンかるた」の内の絵札(スン唐人)である。
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詳しくは下記の ↓ リンクを見てもらいたい。絵札、数札などカラーで綺麗に載っている。
「ウンスンかるた」 は、南蛮かるたを元に日本で作られた「天正かるた」から作られたと思われる日本独自のカルタ。元禄年間の成立と言われる。75枚1組。滅亡したと思われていたが、熊本県人吉市で遊び継がれているのが発見された無形文化財という。
ヨーロッパのカードの影響を大きく受けており、歴史的にも貴重なものという。
スーツ(マーク)は、いす(棒)、ぱお(剣)、こつ(聖盃)、おうる(貨幣)、ぐる(巴)の5種類。数札は1-9まで。絵札はスン(唐人)、ウン(七福神)、レイ(王)、カバ(従士)、ソウタ(女王)、ロバイ(龍)の6種類。代表的な遊び方に「8人メリ」がある。8人が4人づつ2組に分かれて行なうゲームで、敵味方が交互に座ってトリックテイキングゲームを行なうという遊び方をする。
詳しくはリンクに貼ったところを参照されたい。

01001093_Unsunkarutanoyuugihou-2ウンスンかるた

写真③は、その遊びの写真。この写真では老人ばかりだが、検索した他のものには若い人がプレイするものもあったことを付記しておく。
九州国立博物館のサイトにも関連記事が載っているので参照されたい。

「ウンスンかるた」の名前の由来ついて次のように書かれているものがあるので紹介しておく。

<ポルトガル語で1を意味する「ウン」、最高を意味する「スン」が名前の由来とされています。また、カルタ遊びの禁止令で、昨日まで盛んに遊んでいた人が「うんともすんとも言わなくなった」ということからこの名前が付いたともいわれています。 
ウンスンカルタは、江戸時代に全国で流行しましたが、賭博(とばく)に使われたため寛政(かんせい)の改革(1787年~93年)で禁制になりほとんど廃れてしまいました。
しかし、人吉にだけは残り、今日まで伝えられてきました。> 
(「うんともすんとも」という慣用句の語源でもある)

なぜ私が、ここに「ウンスンかるた」のことを、長々と書くかというと、
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  沙羅の花ひそかに朝の地(つち)に還りつぶやく言葉はウンスンかるた・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるからである。この歌は「ウンスンかるた」なるものが、いかなるものか知らない人がほとんどなので、判りにくいと評判は良くなかったが、私には愛着のあるものなので、ここに引用してみた。

以下、歳時記に載る「歌留多」の句を少し引いて終る。

 歌留多とる皆美しく負けまじく・・・・・・・・高浜虚子

 かれがれの日々を歌歌留多そらんじぬ・・・・・・・・滝井孝作

 かるた切る心はずみてとびし札・・・・・・・・高橋淡路女

 歌かるたよみつぎゆく読み減らしゆく・・・・・・・・橋本多佳子

 刀自の読む咳まじりなり歌留多とる・・・・・・・・皆吉爽雨

 歌留多読む恋はをみなのいのちにて・・・・・・・・野見山朱鳥

 掌に歌留多の硬さ歌留多切る・・・・・・・・後藤比奈夫



ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ・・・・・・・・・・・・・・・細川加賀
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──季節の一句鑑賞──おせち「ごまめ」「数の子」

  ■ごまめ噛む歯のみ健やか幸とせむ・・・・・・・・・・・・・・・細川加賀

今ごろになると、もう正月の「お節料理」もなくなったと思うが、お節(せち)料理の代表選手である「ごまめ」を採り上げたい。
これは「カタクチイワシ」の稚魚を天火乾燥させたもので、「五万米」とも「田作り」とも呼ばれる。
このカタクチイワシを焦がさぬように煎り、あめ煮にしたもの。
小さいながら、ゴマメには「尾かしら」もついており、安価でありながら縁起物として重宝されたのである。
カタクチイワシの体全体が食べられるので、栄養的にも優れている。私も大好きである。
私は「入れ歯」が一本もない。全部、自分の歯であるが、虫歯などで修復はしてある。
ゴマメなどの固いものも支障なく噛めるので快調である。
私の歯は掲出句そのものである。

ゴマメを詠んだ句を少し引く。

 自嘲して五万米の歯ぎしりといふ言葉・・・・・・・・富安風生

 噛み噛むや歯切れこまかにごまめの香・・・・・・・・松根東洋城

 田作や河童に入歯なかるべし・・・・・・・・秋元不死男

 口ばつかり達者になりしごまめかな・・・・・・・・橋場もとき

 田作や箸に触れ合ふ海の色・・・・・・・・柴田清風居

 齢重ねなほ田作のほろ苦き・・・・・・・・鷹野映

 孫の顔ひとりふえたるごまめかな・・・・・・・・三宅応人

 こしかたの正直すぎしごまめかな・・・・・・・・川上梨屋

 田作の秤りこぼるる光かな・・・・・・・・永井暁江
つぎに、もう一つの代表として「数の子」を採り上げよう。

img10131191068数の子

  ■ひとり飲む酒数の子の粒々も・・・・・・・・・・・・・・佐野良太

「数の子」は、アイヌ語で「かど」というのが「にしん」のことで、その卵巣を「かどの子」というのが語源だと言われている。
粒々の数が多くて「多産」の卵であるところから、子孫繁栄の意味もこめてある。
ニシンの漁期は4、5月だと言われ、乾燥したり塩蔵にしたりして保存する。
日本近海では獲れなくなったが、本来は食べる習慣がなかったカナダや北欧から大量に輸入されるようになり、今では一年中出回っている。
このぷりぷりとした歯ごたえが私は好きである。
数の子を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 数の子を好む子は皆母似にて・・・・・・・・大谷句仏

 数の子にいとけなき歯を鳴らしけり・・・・・・・・田村木国

 今は亡き子よ噛めば数の子の音のして・・・・・・・・加藤楸邨

 数の子をかみかみひとりなるを思ひ・・・・・・・・龍岡晋

 数の子の妻のこめかみめでたけれ・・・・・・・・石田波郷

 数の子を噛む音子より起りけり・・・・・・・・浦野芳南

 数の子や一男一女大切に・・・・・・・・安住敦


木村重信『美術史家 地球を行く』・・・・・・・・・・・木村草弥
美術史家地球をゆく

──新・読書ノート──

  木村重信『美術史家 地球を行く』・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・・・・・2008/12ランダムハウス講談社刊(定価2100円)

この本は一昨年12/17に発行されたもので、著者は私の、すぐ上の次兄である。
この本の「帯」には、こう書かれている。

 <美術史界の重鎮、地球を走る!
 本書は、1956年、フランス・スペインの洞窟美術遺跡を
 オートバイで踏査以来、現在まで、地球のほぼ全域で
 多くのフィールドワークを行ってきた著者が、
 その厖大な資料を基に、美術のみならず、そこに住む人々との
 交流を通じ、生活、文化、自然をルポルタージュした
 壮絶な体験記録である>


この帯文は、この本を要約して過不足がない。

ネット上に載る「白鳥正夫のぶんか考─新聞人から見たアートの周辺」というサイトには木村重信の顔写真入りで対談が載っているので、ご覧いただきたい。

この本の「帯」の裏面に、この本で取り上げられている地域が列記されている。
Ⅰヨーロッパ
アルタミラ(スペイン)、アルシー・シュル・キュール(フランス)、クレタ(ギリシア)、ミュケナイ(ギリシア)、モナスターボイス(アイルランド)、モルドヴァ(ルーマニア)、ブルッヘ(ベルギー)、マイセン(ドイツ)
Ⅱアジア
ウル(イラク)、カルバラ(イラク)、サマルカンド(ウズベキスタン)、慶州(韓国)、ビーマーベトカ(インド)、ニアス島(インドネシア)、ランテバオ(インドネシア)、バリ島(インドネシア)、景徳鎮(中国)
Ⅲアフリカ
トンブクトゥ(マリ)、タッシリ・ナジェール(アルジェリア)、エネディ(チャド)、メロエ(スーダン)、イフェ(ナイジェリア)、ツォデイロ・ヒル(ボツワナ)、大ジンバブエ(ジンバブエ)
Ⅳオセアニア
カカドゥ(オーストラリア)、イースター島(チリ)、ヒヴァ・オア島(仏領ポリネシア)、トロブリアンド諸島(パプア・ニューギニア)、セビク地方(パプア・ニューギニア)、スヴァ(フィジー)、ナン・マトル(ミクロネシア)
Ⅴアメリカ
サンライムンド・ノナト(ブラジル)、ティアワナコ(ボリビア)、ラ・ベンタ(メキシコ)、パレンケ(メキシコ)
----------------------------------------
この私のHPおよびBLOGとの関連で見てみると、「クレタ」について20~25ページにクノッソスについて書かれている。
またアイルランドについては「モナスターボイス」のことが32~37ページに関連記事が載っているのでWeb上の私の記事を補足して読んでもらいたい。

竹馬やいろはにほへとちりぢりに・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
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  竹馬やいろはにほへとちりぢりに・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

竹馬はかつて子供の遊び、特に冬の遊びだった。
幼な友達を「チクバの友」というのも、ここから出ているが、長ずれば皆それぞれに散ってゆくのが世の定めである。
「いろはにほへと」を一緒に習った仲間が、「色はにほへど散りぬる」さまに散ってゆく。

万太郎は浅草に生まれ育った人だが、この句の下町少年の感傷は、また万人の感傷だろう。
明治44年に小説『朝顔』が永井荷風に、戯曲『プロロオグ』が小山内薫に認められ、文壇に登場した万太郎は、俳句は小説、戯曲の「余技」との考えを変えなかったが、下町の情緒や雰囲気、人情の機微をとらえた句は他の追随を許さない趣がある。
昭和2年刊『道芝』所載。

googleなどで「竹馬」と検索すると、「竹馬の作り方」というのがいくつか載っているが、私たち農村の子供たちが、手づくりで作っていた頃と違って、この写真のようにもアルミのパイプにプラスチックの「足置き」がついている。
私たちが子供の頃の竹馬は、本体の竹にカマボコの板を縦に半分に割って、二本の板棒を荒縄で軸にくくりつけただけの簡単なものだった。
竹馬に乗る時は、わら草履履きか、はだしで乗って足の指の股で軸の竹を挟んでいたものである。
今の子供は、みな靴履きのままだから、どうしても乗るのが安定しないから、頑丈な「支え」が必要なのだろう。
だから竹馬に乗っての「騎馬戦」などというものは、先ず不可能である。

先にも書いたが「竹馬」は冬の季語である。竹馬の句を少し引いて終りにする。

topimg竹馬


 竹馬や青きにほひを子等知れる・・・・・・・・中村草田男

 わが竹馬ひくきを母になげきけり・・・・・・・・大野林火

 竹馬のめり込む砂地にて遊ぶ・・・・・・・・山口波津女

 竹馬の雪蹴散らして上手かな・・・・・・・・星野立子

 竹馬に土ほこほこと応へけり・・・・・・・・山田みづえ

 戞々と来しは竹馬女の子なり・・・・・・・・井沢正江

 竹馬の濶歩行先なけれども・・・・・・・・橋本美代子

 竹馬の土まだつかず匂ふなり・・・・・・・・林翔
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今日1月11日は「鏡開き」の日と言って、正月の間、神棚や仏壇などにお供えしてあった「お鏡餅」を割って、お雑煮などにする「正月行事」の日である。
関西では「松の内」──1月7日が過ぎると飾ってあった餅を下げ、寒い寒気で餅がひび割れるのを避けるために、釜や大鍋などの中に入れて置いた鏡餅を木槌などで割って食べられる大きさにするのである。
正式には、包丁を使うのは忌む、とされるので、木槌などで割るのが、いい。
もっとも、私の家では、包丁を使って薄く切り、「かきもち」にしていた。
昔は大きい鏡餅をお供えしたから、こういう行事も必要だったが、今ではスーパーなどに、プラスチックで成形した鏡餅があるので、それで済ませてしまう。
これなどは、重ね餅が一体化したもので、およそ趣はないが、独り暮しでは、それも致し方ない始末である。
なお、京都では神棚など神事のところは二段重ねの餅を、仏壇など仏事のところには三段重ねの鏡餅を供えるのが普通である。
だからスーパーなどでも三段重ね鏡餅が、ちゃんと売られている。
この鏡開きで割った餅を大釜で炊いて「ぜんざい」をふるまったりしたものである。
関西では、奈良の天理教本部での、この行事が今でも盛大に催される。


残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川一竿
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  残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・・・・・・吉川一竿

「十日戎」は大阪の今宮戎神社の祭礼である。
一年はじめの1月10日は「初戎」として何十万の人が、一説では百万人が、さほど広くはない境内に押すな押すなの様相を見せる。 ↑ 今宮戎のホームページを見てもらいたい。
前日の9日夜は「宵えびす」、11日は「残り福」と称して、わざと、この日に参詣する人もある。社殿の裏に廻って、羽目板をどんどん叩いて「えべっさん、頼んまっせ」と大声で言うのが上方風である。
掲出した写真が当日の神社の境内の様子である。参拝のあと、「福笹」という笹の枝に小判やらをぶらさげたものを買い求めて、肩にかついで帰る。笹は笹だけで売られ、それにつける小判などは、別途金を払って追加するのである。東京の「熊手」に福面をつけたりするのと同様のことである。

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写真③が福笹。
『年浪草』という本に「諺にいふ、この神は聾にましますとて、参詣の諸人、社の後の板羽目を敲く。その音、昼夜にかまびすし。これ、今日参詣して諸願を訴ふる謂ひなり。」とある。
近年は「福娘」と称して公募して福笹の売り子を募っているが、応募者が多いので、なるべく美人を選ぶという。今年は45人採用したという。
1月10日前後には南地の花柳界の芸妓の綺麗どころを「宝恵かご」と称する駕籠に乗せて近在を練り歩く行事がある。これも神社の宣伝のためとは言え、人気がある。
この宝恵駕籠行列については ← リンクに貼ったところの尾林正利による写真とエッセイが詳しい。
ネット上では、他にも動画などがたくさん見られる。お試しあれ。
今年は1月9日に盛大に練られた。

以下、十日戎を詠んだ句を引いて終る。

 福笹をかつぎ淋しき顔なりし・・・・・・・・高浜年尾

 地下道を華やぎ通る福笹持ち・・・・・・・・橋詰沙尋

 初戎ねがひのうなじうつくしく・・・・・・・・牧野多太士

 十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・中本圭岳

 大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・・・・・吉田すばる

 小火騒ぎありて今宮宵戎・・・・・・・・後藤鬼橋

 福笹にきりきり舞の小判かな・・・・・・・・倉西抱夢

 きらきらと賽銭舞へり初戎・・・・・・・・金田初子

 福笹の大判小判重からず・・・・・・・・嶋杏林子

 凶くれて残り福とは面白し・・・・・・・・細見しゆこう

 雑踏を夫にかばはれ初戎・・・・・・・・上野美代子

 残り福疲れし声をあげて売る・・・・・・・・大戸貞子

 吉兆や佳人に足を踏まるるも・・・・・・・・大野素郎

 初戎笹の葉一枚づつの福・・・・・・・・三島敏恵


蝋梅が咲くとろとろととろとろと・・・・・・・・・・・・青柳志解樹
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  蝋梅が咲くとろとろととろとろと・・・・・・・・・・・・青柳志解樹

蝋梅は年末から年始にかけて咲くが、花期は長いので今がポツポツ咲きはじめたというところである。
この句の「とろとろと とろとろと」というオノマトペが秀逸である。
この句に添えた彼のコメントには「老人がローバイの花を見ながら、日向でとろとろと、うたた寝している」様という。
蝋梅は、丁度いま年末から新年の時期にかけて咲く花である。
花期は寒い時期なので満開になるには一ヶ月くらいは綺麗に見られる。
昨年末からプレ・クリスマス寒波が来たりしたが、まだ葉が残っていて、葉が残っていると、黄色の花が見え難いので葉をむしって落したりする。
蝋梅は学名をChimonanthus praecoxというが、中国には広く分布している。花びらが芯まで黄色一色なのが「素心蝋梅」という。花びらが「蝋」に似ているので蝋梅という。
いかにも蝋細工で出来ているという感じの花である。

sosin-roubai3蝋梅

花は下向きにつく。
下から見上げると青空に花びらが少し透けて見える。

sosin-roubai2蝋梅の実

写真③は蝋梅の実である。この実が地に落ちて新芽が出てきて新しい幹が育つ。日当たりのよい場所を好むが、条件が整えば、やたらに増える木である。
梅と同じく、花は旧い枝につき、その年に伸びた徒長枝にはつかない。放っておくと木はどんどん大きくなって始末に負えないので、成長期には徒長枝は、どんどん切る。
中国から渡来したので「唐梅」の名もあるが、梅とは別種のもの。
きわめて香りの強いもので、屋内であれば頭痛を起すのではないかと思われる。
私の家の庭の一角にも、他所から頂いた蝋梅が位置を占めているが、樹形を大きくしないように維持するのに苦心している。放っておくと大きくなりすぎて、他の木を日蔭にしてしまうので始末に悪い。
しかし花の少ない冬の景物として貴重な存在である。
以下、蝋梅を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 蝋梅のこぼれ日障子透きとほす・・・・・・・・菅裸馬

 蝋梅のかをりやひとの家につかれ・・・・・・・・橋本多佳子

 蝋梅の咲くゆゑ淡海いくたびも・・・・・・・・森澄雄

 蝋梅に斎庭(ゆには)は雪を敷きにけり・・・・・・・・宮下翠舟

 蝋梅やいつか色ます昼の月・・・・・・・・有馬朗人

 蝋梅の光沢といふ硬さかな・・・・・・・・山上樹実雄

 蝋梅のぬかるみ匂ふ鯖の道・・・・・・・・吉田鴻司

 蝋梅の蕾の数が花の数・・・・・・・・倉田紘文

 蝋梅に虻は上向きつつ移る・・・・・・・・高木石子

 蝋梅につめたき鳥の貌があり・・・・・・・・岸本尚毅

 蝋梅の蕾ながらも黄の目立つ・・・・・・・・江口竹亭

 蝋梅の咲く日溜りを皆好む・・・・・・・・佐藤兎庸

 蝋梅の花びら重し花透けて・・・・・・・・安田建司
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なお蛇足だが、橋本多佳子の句にあるように、「香る」という言葉の歴史的かなづかいは「かをる」が正しい。「香り」ならば「かをり」である。布施明が歌ってヒットした歌 「シクラメンのかほり」 というのがあるが、なまじ大ヒットしたが故に、この仮名づかいが正しいように誤解されているが、これは作者の小椋佳の勘違いによる間違いであり、いつまでも恥を曝しているようなものである。知ったかぶりをして、歴史的かなづかい(旧かな)にしたために間違ったのである。ここは素直に「新」かなづかいにしておいたら、恥をかかずに済んだのである。
ブログ上でも、これにつられて「かほり」と書いてあるのを時々見かける。念のために申し上げておく。
ただし「人名」である場合は、この限りではない。


喪中欠礼の葉書数葉脇に置き生ける人らに賀状書き継ぐ・・・・・・・・・・・米満英男
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──季節の歌鑑賞──年頭の歌風景いくつか

  ■喪中欠礼の葉書数葉脇に置き
     生ける人らに賀状書き継ぐ・・・・・・・・・・米満英男


米満氏は私の兄事する歌人である。昭和三年生まれ。
この歌は角川書店「短歌」一月増刊号の「短歌年鑑」の「自選作品集」に載るもので、
「賀状欠礼」と題する5首のうちのものである。
前後に載る歌を引くと

・しんかんと大根抜かれし畑の穴満月の下いよよ冥(くら)かり・・・・・・・・・米満英男
・朝夕に向かふ食卓この狭く温き平面を日常と呼ぶ
・目頭が目尻を詰(なじ)り言ふことにお前すこしはその尻拭へ
・この歳まで生くればついで百歳まで生くるべしなんて はい冗談冗談

とあり、何とも洒脱なものである。以下、引用は同じところから。

  ■新(にひ)年のふるさとの山明けそめて
    はろばろとおもふ <春はあけぼの>・・・・・・・・・・・・・・・志野暁子

  ■波の穂に止(とど)まれるかにかもめ飛び
    沖ほの暗し冬の日本海・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子正男

  ■無尽数の雪片意思をもつごとく
    海に降り陸(くが)に降り人間(じんかん)に降る・・・・・・・・橋本喜典

前後に載る歌を引く。

・この年の初の買物ずつしりと上下二冊の『道元禅師』・・・・・・・・・・・橋本喜典
・白き葉を紅がつつめる寒椿眼を遣るたびにわれをみつむる
・初出勤の朝戴きしチョーク箱いづれはわれの柩に入れよ
・少(わか)き日の疑問の奥に在りしもの解らねばいまだ老いに到らず

この人は早稲田高校の校長をされた人である。

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  ■ふるふると宇宙に地球が浮いてゐる
    サッカーボールのやうな淋しさ・・・・・・・・・・・・・・由良琢郎


地球は、まさに宇宙に宙づりに浮いているのであるが、それを「サッカーボール」のような「淋しさ」と捉えたところが凄いと思う。
いつも言うことだが、詩というのは陰影を深めるためには「比喩」表現に尽きる。
そういう観点から見ても、この歌は詩として自立し得ているだろう。

「凄い」と言えば、この歌の前に載る作品を引く。

・このごろのわれの自在は一瞬に物忘れする凄さもち初む・・・・・・・・・・・・・・・由良琢郎
・夜半覚めてふとかなしめり抽出しに余分の時計刻(とき)きざみつぐ

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  ■いつの日か惚け行くらむ素焼の皿に
    盛らるる夢のはんなりとあり・・・・・・・・・・・・・・・山中加寿


ここに引く何人かの人の歌群は、いずれも「老い」の寂寥を湛えていて、それぞれの様相の違いはありながら、いずれも秀逸である。
この山中さんの歌は「素焼きの皿に盛られる夢」という表現が、何とも「詩的」である。
この後につづく歌には

・箒持つをりに嗚咽の始まりぬ梅雨のさなかに南瓜はな持つ・・・・・・・山中加寿

この歌は、一昨年春四月に亡くなった師・前登志夫の死を思っての「嗚咽」であろう。

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  ■パイロットインクをずっと使ってた
    あなたに遭えたころのブルーよ・・・・・・・・・・・・・・・上野久雄


上野久雄氏は一昨年秋9月17日に亡くなった。
この一連は死の前に投稿されていたものである。
上野氏は昭和二年生まれ。短歌結社「未来」創刊以来の同人で、「みぎわ」という自分の歌誌を創刊して才能ある歌人を育てられた。
私なども若い頃は万年筆のインクはパイロットの「ブルーブラック」のインク壺を愛用していた。ご冥福を祈りたい。
この歌は、「未来」の主宰者だった近藤芳美の若い頃の「相聞歌」そっくりの趣を湛えている。

この歌の前後につづく一連を引いて、終りたい。

・一切れのロールケーキを食いて立つ死はたしか四時過ぎであるから・・・・・・・上野久雄
・午後からは編集会に行くのだと晴れた球場の空に手を振る
・稀にしてああ病感のなき目覚め味噌汁の具に今朝はしじみを
・西空に集まっている雲たちや一番知っているのは俺さ


人日や江戸千代紙の紅づくし・・・・・・・・・・・・・・・木内彰志
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  ■人日(じんじつ)や江戸千代紙の紅づくし・・・・・・・・・木内彰志

  ■人日の日もて終りし昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・稲畑汀子


先に書いたように元日から六日まで「六日年取り」として過し、七日は年改まる日と考えられていた。
今日、七日は七種粥を食べる風習が平安時代から行われ、今に続いている。
一年の無病息災を祈りつつ粥を食べる日であり、七日に門松などの正月飾りを外す地域も多い。
「人日(じんじつ)」 という呼称の由来については、五日付けで先に書いた。
「七種粥」についても、昨年までに何度も書いたので参照されたい。
正式には、七日の前日に、今日七日朝に食べる七種の草の材料として用意したものを賞味するのである。
昨日付けで書いたものを再録すると、天明頃の本『閭里歳時記』に「七種の菜を採りて明朝の粥にまじへ食ふこと、旧きならはしなり。城下にてはわづかに芹・菘等を用ひて、必ずしも七草を用ひず。今夕、かの菜を魚板に置き、桶の上にあげ、擂木(すりこぎ)・魚箸(まなばし)等をも載せて、菜を割りながら節あり、<七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に>と、はやすなり。時々にはやして暁に至る。家々にすることなり」とある。

二番目に掲出した稲畑汀子の句について言うと、昭和天皇の亡くなったのは昭和64年の1月7日だった。
翌日1989/01/08をもって、元号は「平成」と改まったのであった。
私は、その時、ニュージーランドのオークランドからオーストラリアのシドニーへの飛行機の中に居て、そのニュースを聞いたのだった。
思えば、昭和も遠くなったものである。
なお「元号一覧」について考えてみるのも面白いので見てみてください。

img_1210957_43046191_2原節子

  ■人日や古き映画に原節子・・・・・・・・・・・・・・・木内満子

「原節子」は往年の大スターだった。キリッとした美貌が、まぶしかった。
一時代を画した彼女の写真を掲げておく。

1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌「青い山脈」とともに大ヒットとなった。また同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも有名になった。
1962年の『忠臣蔵』を最後に映画界を引退。1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。

ここでは、「人日」に因む句を引いて終る。

 何をもて人日の客もてなさん・・・・・・・・・・高浜虚子

 人の日や読みつぐグリム物語・・・・・・・・・・前田普羅

 人日のこころ放てば山ありぬ・・・・・・・・・・長谷川双魚

 人日の厨に暗き独言・・・・・・・・・・角川源義

 人日の夕凍み頃をふらり行く・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 人日やにぎたまもまた臓のうち・・・・・・・・・・野沢節子

 人日の納屋にしばらく用事あり・・・・・・・・・・山本洋子

 人日の肝胆沈む枕かな・・・・・・・・・・宇多喜代子

 人日や粥に小匙の塩加減・・・・・・・・・・伊藤白雲

 人日の空のぼりつめ観覧車・・・・・・・・・・星野恒彦

 人日の暮れて眼鏡を折り畳む・・・・・・・・・・岩城久治

 人日や日暮れて鯛のすまし汁・・・・・・・・・・秋篠光広

 人の日の墓に備への竹箒・・・・・・・・・・熊田侠邨

 人日や昭和を楯のわれも老ゆ・・・・・・・・・・江ほむら

 人日や海鵜は高き杭を得て・・・・・・・・・・玉木郁子

 人日の日を分け合ひし烏骨鶏・・・・・・・・・・天野きく江

一きほひ六日の晩や打薺・・・・・・・・・・・・・・・・・・鬼 貫
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  ■一きほひ六日の晩や打薺(なづな)・・・・・・・・・・・・・鬼 貫

  ■祓はれて馬の嘶(いなな)く六日かな・・・・・・・・・・・・・・原茂美


節日である七日正月の前夜である。
天明頃の本『閭里歳時記』に「今日七種の菜を採りて明朝の粥にまじへ食ふこと、旧きならはしなり。城下にてはわづかに芹・菘等を用ひて、必ずしも七草を用ひず。今夕、かの菜を魚板に置き、桶の上にあげ、擂木(すりこぎ)・魚箸(まなばし)等をも載せて、菜を割りながら節あり、<七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に>と、はやすなり。時々にはやして暁に至る。家々にすることなり」とある。
また文化五年刊の『改正月令博物筌』に「今日を馬日とす。○六日年越し、七日は式日なれば、今日をいふにや」とある。
「馬日」に因んで、馬の写真を出してみた。

「正月六日」を詠んだ句も多くはないが、それらを引いて終る。

 六日はや睦月は古りぬ雨と風・・・・・・・・渡辺水巴

 凭らざりし机の塵も六日かな・・・・・・・・安住敦

 六日夜も灯のついてゐる手術室・・・・・・・・石井保

 眠りの森の美女を見にゆく六日かな・・・・・・・・須川洋子

 冷えきつて賀状の戻り来し六日・・・・・・・・福井隆子

 海を見に来てゐて松も六日かな・・・・・・・・中野あぐり

 活け直し六日の床を新たにす・・・・・・・・鵜飼濃尾女

 朝食をはやばらばらに摂る六日・・・・・・・・細川洋子

 賀状来し人の訃へ発つ六日かな・・・・・・・・伊藤真代

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今日も記事が短いので、いつも拝見している「週刊俳句」から作品を引いておく。

 空港やマスクをかけて一人客・・・・・・・・櫂未知子

 外套の汲めども尽きぬあをさかな・・・・・・・・  〃

 飛行機はいづこに眠る冬初め・・・・・・・・  〃

 冬ざれて贅を尽くせる港かな・・・・・・・・  〃

 雪虫の嵩とも言へぬ嵩に酔ふ・・・・・・・・  〃

 冬の灯のひとつと思へ無影燈・・・・・・・・  〃

 丘の木に日月疾し狐罠・・・・・・・・大井さち子

 雪の夜はやさしい時間つもり来る・・・・・・・・  〃

 雪降り積む岡井隆の若書きに・・・・・・・・  〃

 落葉松に雪降り夢のかへる場所・・・・・・・・  〃


江ノ島や五日の磯に人のせて・・・・・・・・・・・・・・・星野恒彦
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  ■江ノ島や五日の磯に人のせて・・・・・・・・・・・・・・・星野恒彦

  ■牛日や駅弁を買いディスク買い・・・・・・・・・・・・・・・木村美智子


正月の各日に獣の名を宛て、元日=鶏日、二日=狗日、三日=猪日、四日=羊日、五日=牛日、六日=馬日とし、七日=人日つまり人を占い、人を尊ぶ日、とされていた。
人勝節などとも言い、中国の前漢時代に定められた日だという。

元日から六日まで、天候によりその年の禽獣や農作物が豊かかどうかを占い、七日は人の世界の運勢を占ったらしい。
昔の『歳時故実』という本に「牛日といふ。○木造り始め 禁裏にあり。千寿万歳ならびに猿楽等来たる」とある。
掲出した二句目に「牛日」とあるのは、その意味である。

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図版②は葛飾北斎「富嶽三十六景」相州江ノ島の図である。

歳時記に載る「正月五日」の句は多くはないが、引いて終る。

 水仙にかかる埃も五日かな・・・・・・・・松本たかし

 黒燦々正月五日の護美袋・・・・・・・・林 翔

 五日まだ賀状整理に更くる妻・・・・・・・・水島涛子

 蛸干すや五日の凪を讃へつつ・・・・・・・・中村君永

 歳徳の護符の舞い落つ五日かな・・・・・・・・渋谷天眠

 五日舞ふ大袖の振り潮を呼ぶ・・・・・・・・猪俣洋子
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今日は記事が短いので、いつも見せてもらっている「週刊俳句」から句を引いておく。
いずれも現代俳句らしい才気煥発な作品である。少しは秋の季語のものも入っているかも知れない。
私は俳句の実作者ではないが、いつも文芸表現として面白く拝見して刺激を受けていることを言っておきたい。

 つまべにや祇園の路地の身幅ほど・・・・・・・・角谷昌子

 秋のこゑ箱階段の箱を引く・・・・・・・・  〃

 天窓に嵌る青空小鳥来る・・・・・・・・  〃

 うつぱりのうへにうつぱりそぞろ寒・・・・・・・・  〃

 奥の間に蒲団伸べある町屋かな・・・・・・・・  〃

 おでん屋のあたりまで君居たやうな・・・・・・・・西村麒麟

 学校も冬眠もないなんにもない・・・・・・・・太田うさぎ

 冬の月差す射す刺すと変換す・・・・・・・・吉田悦花

 絶頂の手まへの銀杏黄葉かな・・・・・・・・  〃

 土日のみ開く蕎麦屋よ冬ぬくし・・・・・・・・  〃

 押上タワー建築途上年暮るる・・・・・・・・  〃

 あなたへの秋思はコーヒー一杯分・・・・・・・・月野ぽぽな

 霧の道ゆかねば木霊さみしがる・・・・・・・・  〃

 秋天の汲んでマンハッタンに棲む・・・・・・・・  〃

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今日は「寒の入り」である。
今年は、昨年末に「プレ・クリスマス寒波」と言われる第一波に続いて年末・年始は山などは大荒れだった。
北の雪国は馴れているが、首都圏などでは交通混乱など大変だった。
が、言ってみれば「極寒」というほどでもなく、今日から「寒」に入って、いよいよ寒さも本格的になるということである。
昨日の夜半には雷がゴロゴロと鳴っていた。いわゆる「寒雷」である。
これが鳴ると、間もなく天気が悪くなるという予兆だと言われており、今朝の天気予報は強い冬型の気圧配置になって、北国を中心に大雪になるという。九州、中国も寒くなる、という。
当地(京都)でも未明から電線がヒューヒューと鳴っている。この音を聞くと寒くなるなぁ、と実感させられる。

「寒の入り」に合せて本格的な冬になるということで、季節の推移というものは正直なものである。
なお「大寒」は一月二十日ということである。


一人居の四日の風呂を溢れさす・・・・・・・・・・佐怒賀直美
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──季節の一句鑑賞──正月「四日」3

■一人居の四日の風呂を溢れさす・・・・・・・・・・佐怒賀直美

正月四日となった。
「二日」「三日」と書き続けてきたが、念のために申しておくが、これらの「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」というのは、いずれも、これらの日は「正月の季語」であるから、ご注意願いたい。
つまり「四日」と言えば、正月四日の日を指すということなのである。


三が日の正月行事が終り、職人は仕事の道具を揃え、農家では軽く農事をおこない、仕事始めとして祝う。
サラリーマンもこの日から出勤することが多いが、本年は明日、火曜日からの出勤が多いだろう。

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  ■ひとり分珈琲豆を碾く四日・・・・・・・・・・・・・・染谷佳之子

コーヒー愛好者には、凝る人が多い。
写真②はプジョー社製のコーヒー・ミルである。
クラシックな機能のもの。
コーヒーを淹れるのにもサイフォンとか、いろいろあるが、単純に「ドリップ」式のものが風情がある。
淹れ方よりも、コーヒー豆のブレンドの配合の方が、私なんかは重要視したい。
外に出て、有料で飲むコーヒーにも値段の割りにおいしくないものが多い。
つい最近になって知ったことだが、エチオピア産の「モカ」の豆から残留農薬が検出されて輸入禁止になったため、コーヒーのメーカーはブレンドに困っているいるという。
「モカ」豆の「酸味」はコーヒーの風味を左右するもので、ブレンドには欠かせないが、先に書いた「おいしくない」云々という件に、このことが影響しているのかも知れない。この影響は当分つづくだろう。
以上、ひとこと書き加えておく。
私が三ヶ月に一度、定期診察にゆく京都大学病院の玄関フロアに出店する「ドトールコーヒー」のカプチーノを私は、値段の割りにおいしいと愛用している。

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  ■舟一艘二艘三艘四日かな・・・・・・・・・・・・・・・渡辺恭子

写真③は銚子港に停泊する漁船である。
昨年暮には、銚子港は魚の水揚げが好調で、折しもジーゼル燃料油の値も下り、漁民は久々の活気に浸ったという。

以下、「四日」を詠んだ句を列記して、終る。

 コンドルの貧乏歩きも四日かな・・・・・・・・飯島晴子

 気が付けば頬杖癖も四日かな・・・・・・・・小桧山繁子

 合点してざぶざぶ使う四日の湯・・・・・・・・宇多喜代子

 磨ぎ終へし四日の米の白さかな・・・・・・・・若井新一

 心音を拾ふ四日の聴診器・・・・・・・・細川洋子

 好きなものゆつくりと煮て四日かな・・・・・・・・大橋麻沙子

 俎にのせて四日の豆腐かな・・・・・・・・今関淳子

 卓袱台は昭和の匂ひ四日かな・・・・・・・・端山日出子
 
 ビードロとビーチグラスと四日かな・・・・・・・・高島征夫



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