K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(4月) 月次掲示板 
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
entry_25しだれ桜小渕沢

四月になりました。陽春の到来です。
新人の春です。 旧人はひっそりと暮らしましょう。

だんだんにわたしに占める死者の量増えきて傘にはりつくさくら・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺松男
うぐひすの声にうたた寝より覚めぬ紀伊の野べ行く列車にありて・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
春の花が咲きまだ声の調はぬうく゜ひすが啼きとりあへず 春・・・・・・・・・・・・・・・山埜井喜美枝
薔薇垣をかはるがはるに出でて入るほつそりとせる雀の春子・・・・・・・・・・・・・・・・・横山未来子
かつて海から上がりしときの足裏の記憶あたらし春の潮騒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐伯裕子
青空に群れ波だちてゐしのちのさくらの花のゆくへ知るなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松坂弘
おとろへて生あざやかや桜八重・・・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
さくら咲きあふれて海へ雄物川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
野を穴と思い跳ぶ春純老人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・永田耕衣
亜隆隆ほどの朝魔羅遠辛夷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
春昼のすぐに鳴りやむオルゴール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木下夕爾
極楽に風吹くときやさくら散る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子
急傾斜地崩壊危険蒲公英黄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
ときどきはポコと音たて春の水・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
千代紙をまき散らしては春の地震・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九堂夜想
手鏡にとるまつげの塵や春休・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神野紗希
スージーと逢魔が時を待つてをり・・・・・・・・・・・・・・・・・・三島ゆかり
げんげ田や点滴の液よく澄める・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・外山一機
天井に配管うねるさくらかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山口優夢
ペットボトル踏むとき春の東京都・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・関悦史
幅広く上つて下りる春の坂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四童
春の雨約束を置く水の縁・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿
石ころの正面がある春の風邪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・近恵
格子戸の奥男根をぶら下げる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石部明


ご来訪くださいまして有難うございます。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや・・・・・・・・・・・・・寺山修司
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   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
    身捨つるほどの祖国はありや・・・・・・・・・・・・・寺山修司


この歌は寺山修司の名歌として、よく引用されるものである。
この歌の言わんとするところは、現下の状況下で、逆説的な意味をたくさん含んでいると思うが、いかがであろうか。

寺山修司は昭和10年青森県三沢市生まれ。
高校生の頃は俳句に没頭する。
早稲田大学に入学、同年、第二回短歌研究新人賞受賞。以後、前衛短歌運動の一翼を担う。やがて映画、演劇に進み、次第に短歌から遠ざかるが、その青春性や土俗性に根ざした作品は今も多くのファンを持つ。昭和58年没。
近年、彼の名を冠した「寺山修司短歌賞」なるものが開設された。以下、彼の歌をみてみよう。
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  海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

  ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

  雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

  ドンコサックの合唱も花ふるごとし鍬はしずかに大きく振らむ

  人間嫌いの春のめだかをすいすいと統べいるものに吾もまかれむ

  一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

  茛火を床に踏み消して立ちあがるチエホフ祭の若き俳優

  アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ

  夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

  小市民のしあわせなどに遠くわれが見ており菜屑うかべし河口

  うしろ手に春の嵐のドアとざし青年はすでにけだものくさき

  ある日わが貶めたりし夫人のため蜥蜴は背中かわきて泳ぐ

  地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり

  地下鉄の汚れし壁に書かれ古り傷のごとくに忘られ、自由

  木曜日海に背かれきて眠るテーブルをわが地平線とし

  大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ

  売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

  生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘

  亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり

寺山修司については、2009/05/04に、彼の忌日に際して『月蝕書簡』に触れた記事を載せているので参照されたい。
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1311寺山修司

寺山修司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年(昭和10年)12月10日~ 1983年(昭和58年)5月4日)は日本の劇作家、詩人、作家、映画監督、競馬評論家など幅広い分野で活躍した。

1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山のこうした記述には多分に創作が混じっていると言われる。
戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」という。本籍地は青森県上北郡六戸村(現・三沢市)。
父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。
1941年(昭和16年)八戸市へ転居。
父八郎出征のため、母と青森市へ転居。青森市マリア幼稚園入園。
1942年(昭和17年)青森市立浦町尋常小学校(現浦町小学校)入学。
1945年(昭和20年)青森空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす、B29による集中砲弾攻撃だった。母ハツとともに命からがら逃げ惑い、焼け出される。家も焼けて一面焼け野原。
ハツの兄を頼って、六戸村古間木(現三沢市)の古間木駅前(現三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは米軍キャンプで働く。
米軍差し押さえの民家に移る。
1948年(昭和23年)古間木中学校入学。
秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校
1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。高校文学部会議結成。同期生に沢田教一。
1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。在学中から歌人として活動。18歳で第2回「短歌研究」新人賞受賞。
在学1年足らずで中途退学。
1967年(昭和42年)演劇実験室・天井桟敷を結成。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。
1970年3月24日、人気漫画「あしたのジョー」の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。
1971年、『書を捨てて町へ出よう』で劇映画に進出した。
1983年、東京都杉並区河北総合病院にて、肝硬変で死去。享年47。
その後、天井桟敷の劇団員を中心に演劇実験室「万有引力」結成。現在に至る。青森県三沢市に寺山修司記念館あり。

歌集
句集
寺山修司青春歌集


長編叙事詩・李庚順
未刊詩集ロング・グッドバイ
寺山修司少女詩集

評論など
幅広く評論をしており、ジャンルは漫画、歴史人物、小説、映画などジャンルは広い。 竹宮恵子の「風と木の詩」1巻に寺山修司の解説有り、また「サザエさんの性生活」について書いた事がある。

脚本
ラジオ
テレビ

映画
(監督作品を除く)

みな殺しの歌より 拳銃よさらば(1960年)
乾いた湖(1960年)
わが恋の旅路(1961年)
夕陽に赤い俺の顔(1961年)
涙を、獅子のたて髪に(1962年)
初恋・地獄篇(1968年)
無頼漢(1970年)
サード(1978年)
怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年)

長編

演劇
「演劇の文学ばなれ(戯曲ばなれ)」を主張し続けた。戯曲に書かれて完結した世界を、舞台でそのまま再現することが演劇なのか。「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」。演劇は、演劇という独自の表現なのであり、創造のきっかけとなるキーワードとしての「台本」(「戯曲」とは異なる)のみ許される、とした。
演劇の重要な構成要素であるはずの観客に焦点を当てる作品も上演した(「観客席」)。「俳優座や文学座があって、どうして観客座という名の劇団がないのか」。
彼の考え方は生前の演劇界においては異端視され、主に海外で評価されることになった。没後20年以上経った現在では、数多くの劇団が寺山作品を上演し、新たなる観客との出会いを試み続けている。

主な作品
毛皮のマリー
犬神
盲人書簡
邪宗門
阿片戦争
中国の不思議な役人
青ひげ公の城
身毒丸
奴婢訓
レミング

映画

長編
書を捨てよ町へ出よう(1971年)
田園に死す(1974年)
ボクサー(1977年)
草迷宮(1979年、1983年)
さらば箱舟(1984年)

短編
猫学(キャットロジー)
檻囚
トマトケチャップ皇帝
ジャンケン戦争
ローラ
蝶服記
青少年のための映画入門
迷宮譚
疱瘡譚
審判

消しゴム
マルドロールの歌
一寸法師を記述する試み
二頭女―影の映画
書見機

作詞
涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)
新 初恋(1968年、江夏圭介)
時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)
涙のびんづめ(1969年、伊東きよ子)
さよならだけが人生ならば(1969年、六文銭)
首つりの木(1970年、J.A.シーザー)
酔いどれ船(1970年、緑魔子)
あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)
戦争は知らない(1971年、本田路津子)
孤独よ おまえは(1971年、ザ・シャデラックス)
勇士のふるさと(1972年、ヤング101)
人の一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)
君にお月さまをあげたい(1973年、郷ひろみ)
海猫(1973年、北原ミレイ)
新宿港(1974年、桜井京)
浜昼顔(1974年、五木ひろし)
元気ですか(1976年、JOHNNYS'ジュニア・スペシャル)
ぼくの消息(1976年、豊川誕)
与謝野晶子(1978年、朝丘雪路)
もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)
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terayama寺山修司記念館
寺山修司記念館

 当館は遺族の寺山修司の母:はつ氏より三沢市に寄贈された遺品を、保存公開するために約3年の歳月をかけ建設されました。寺山修司と親しかった粟津潔氏のデザインをもとに、九條今日子氏をはじめとする元天井棧敷のメンバーなど数多くの関係者のアドバイスを得て平成9年7月に開館を迎えました。延床面積約833m2の展示棟とホワイエ棟が渡り廊下でつながり、上空から見るとその様はテラヤマ演劇・映画の小道具として登場した「柱時計」を彷彿とさせます。ホワイエ棟外壁には149枚の陶板が貼り込まれ、寺山修司と交流のあった約30人のメッセージ陶板がテラヤマ作品を題材にしたものとともに、にぎやかに彩っています。テラヤマ芸術はもとより、当市の総合芸術発信基地としての一翼も担っています。
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職業は、寺山修司です

 寺山修司は、昭和10年12月10日に寺山八郎、はつの長男として出生しました。9歳の時、青森空襲で焼け出され、父親の実家がある三沢市で小学校4年生から中学校1年生まで過ごしました。父親が戦死、母親は九州へ働きに出るようになり、そのため、青森市の母親の親戚宅である映画館歌舞伎座で生活し、青森高校へ進学します。
 学生時代は短歌や俳句などに没頭しました。早稲田大学教育学部国文学科へ入学し、18歳の時、『チェホフ祭』を発表し、第2回「短歌研究」新人賞を受賞しました。腎臓の難病ネフローゼとの3年半にわたる闘病生活を経て、ラジオドラマ『中村一郎』を発表し、民放祭会長賞を受賞した後、シナリオライターとして歩み始めました。ラジオドラマから、演劇、映画、テレビドラマへと活動範囲を広げていき、31歳の時に、横尾忠則、九條映子らと演劇実験室「天井棧敷」を設立しました。専用の劇場を備えた「天井棧敷館」を所有し、47歳で亡くなるまでの17年間、2千人近い団員が入れ替わり立ち代わり参加しました。国内だけでなく海外での公演活動も多く、特にヨーロッパでは前衛芸術への評価が高く、毎年のように招待されて公演を行いました。
 寺山修司は、いつも斬新な企画にあふれ、病身にもかかわらず演劇や映画の現場に参加し、死の直前まで執筆活動を続けました。詩や短歌、俳句、映画、演劇、ラジオドラマ、文学から競馬やボクシングにいたるまでの幅広い評論、小説、作詞、エッセイなど多領域にわたる前線で活躍していたため、「職業は、寺山修司です」と名乗っていました。
 時代の先駆者として疾走し続けた寺山修司が、故郷として振り返るのはいつも三沢でした。自叙伝的作品にはいつも、多感な少年時代を過ごした三沢市近郊の風景や同窓生の名前が登場します。

記念館の散策道に立てられた「文学碑」に彫られた彼の文章

― 百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる ―

 世代を超え、時代を超えて、人々の心に強烈に作用しながらテラヤマワールドは生き続けます。
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寺山修司については、高校生の頃には俳句に没頭していたが、のち短歌を手がけるようになって賞を得たが、他人の俳句作品からの「剽窃」であるとの指摘を受けた。しかし、彼は一切頓着しなかったらしい。
今なら、それは通らないと思われるが、とにかく彼は強烈な個性の持ち主であったようだ。
また自分の経歴なども「でたらめ」な記述をしたし、彼の死後も母上はご存命であったが、創作(歌など)の中では(私の引いた歌の一番最後の歌のように)「死なせて」しまっている。だから彼の言うこと、書くことは、すべて「創作」「虚構」と受け取ったほうが無難である。
俳句や短歌という古い世界に固執する性分ではなかったから、奔放な、太く短くという一生を遂げたと言えよう。


葱坊主子を憂ふればきりもなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
P618013621葱坊主

   葱坊主子を憂ふればきりもなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦

葱(ねぎ)はユリ科の多年草。原産地は中央アジアで、中国へは二千年以上も前に渡ってきて栽培されていたという。日本へも古くから渡来している。
葱は春になると茎の先に花の塊をつける。それがネギ坊主である。
花の一つ一つは小さいもので、全体が苞葉(ほうよう)に包まれている時は擬宝珠(ぎぼし)に似た形をしている。
そこから葱坊主の名前で呼ばれるようになった。この花の一つ一つが葱の種になる。

写真①はビニールハウスの中で一斉に葱坊主になった壮観さである。
普通、葱や玉ネギは種から発芽させた「苗」を買って植えつける。この方が品種ものが栽培できるからである。
自分の家で出来た種を蒔いて育てるといろいろの品種が交配して雑種になる。
しかし種採りの農家はなるべく交配しないように一種類のネギを大規模にかためて栽培し、ネギ坊主から種を採り、それを蒔いて苗にして販売する。
この苗栽培を専門にしている農家もある。

一概にネギ坊主と言っても、種類によってネギ坊主の花の色にも違いがある。

asatuki1アサツキ葱坊主
写真②は「あさつき」という細いネギの花である。淡いピンクあるいは薄むらさき色で美しい。
一般的にネギ坊主が出来ると、ネギはしわしわになり、食べられない。だからネギ坊主は、食用の場合には、早くにネギ坊主を切り取ってしまう。
この頃ではインスタントものの味噌汁やラーメンなどの具に刻んだネギの真空乾燥したものが入っているから、ネギなどの薬味野菜の用途も大きく膨らんだと言えよう。

negibozu葱坊主

歳時記に載る句を紹介して終りたい。

 泊ることにしてふるさとの葱坊主・・・・・・・・種田山頭火

 臀丸く葱坊主よりよるべなき・・・・・・・・西東三鬼

 水溜跳べぬがありて葱の花・・・・・・・・石川桂郎

 葱の花ふと金色の仏かな・・・・・・・・川端茅舎

 葱坊主灯台に風鳴るところ・・・・・・・・沢木欣一

 葱坊主干しひろげあり儚(ぼう)々と・・・・・・・・飯島晴子

 書くうちに覚悟となりぬ葱坊主・・・・・・・・宇多喜代子 

 葱坊主さびしき故にわが愛す・・・・・・・・吉川千代子

 葱坊主いつしか意地を折りゐたり・・・・・・・・三好潤子

 所在なき旅の日暮を葱坊主・・・・・・・・森澄雄

 干満をかさねて島の葱坊主・・・・・・・・藤田湘子

 葱の花少しひもじき日昏れ刻・・・・・・・・鈴木真砂女

 疲れどつと夕日のなかの葱坊主・・・・・・・・南部憲吉

 風筋のまだ定まらぬ葱坊主・・・・・・・・湯下量園

 良寛の地や不揃ひの葱坊主・・・・・・・・野本ナヲ子

 葱坊主にも横顔のありにけり・・・・・・・・榊原池風

 見抜かれし嘘にたじろぐ葱坊主・・・・・・・・田中洋子

 隣り家もひとりの暮らし葱坊主・・・・・・・・赤松シゲ子



ひと粒の種に還るべしたんぽぽの白き絮とぶ空はろばろと・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   ひと粒の種に還るべしたんぽぽの
     白き絮(わた)とぶ空はろばろと・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
同じ歌集の後半に

  やくざなる言葉あそびに過ごす身にひとひら落つる蒲公英(たんぽぽ)の絮

  終(つひ)の日はたんぽぽの絮とぶやうにふるさとの野の雲をゆきたし

  黒南風(くろはえ)に捲かるるやうにたんぽぽの絮ながれゆく涅槃あるべし


という歌が載っている。これらは掲出歌と一体として鑑賞してもらえば有難い。

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ところで、最近よく見かけるタンポポは「西洋タンポポ」である。
日本タンポポ(写真②)は花の萼(がく)片が反り返っていないので、区別は容易である。
今やわれわれの目にするほとんどは、西洋タンポポに侵食されてしまったと言える。
この頃では牧草の輸入が盛んで、それらの中に紛れて日本にはない植物の種が、すごい勢いでなだれ込んでいる。
西洋タンポポの渡来は、もっと早いが、「帰化植物」であることには違いない。

seiyoutanpopo西洋タンポポ

写真③に西洋タンポポの花をお見せする。ガク片が反り返っているのが判るだろう。
この頃では日本タンポポと西洋タンポポが交配して「雑種」が出来ていると言われている。
このような現象は、いろいろの植物で見られる。概して外来種の方が優勢であることが多い。
魚でも大問題になっている。
琵琶湖では外来魚の駆除のために条例を制定してブラックバスやブルーギルなどの釣の際のリリース(再放流のこと)を禁止している。

タンポポの綿の飛散は、もう始まっている。
先日、京都大学薬学部の構内を散歩していたら、タンポポの綿柄には、もう綿が飛んだ後で何もなかった。
もちろん全部が一斉に飛ぶのではないから、綿柄が生長中のものも、まだあった。
図鑑を読んでいると、四国、九州では白いタンポポが普通だという。
もちろん日本タンポポの話である。地域によって、こんなにも違うものなのである。

昔から蒲公英は俳句にもたくさん詠まれてきたので、それを引いて終る。

 たんぽぽや長江濁るとこしなへ・・・・・・・・山口青邨

 わが旅の蝦夷も果なるたんぽぽ野・・・・・・・・高浜年尾

 たんぽぽや日はいつまでも大空に・・・・・・・・中村汀女

 たんぽぽと小声で言ひてみて一人・・・・・・・・星野立子

 蒲公英や懶惰の朝の裾さむし・・・・・・・・石田波郷

 たんぽぽの折目乳出て新社員・・・・・・・・平畑静塔

 鼻先にたんぽぽ むかし匍匐の兵・・・・・・・・伊丹三樹彦

 たんぽぽの白の孤高に黄を配す・・・・・・・・稲畑汀子

 網干場ロシヤたんぽぽ増えにけり・・・・・・・・森田峠

 たんぽぽの絮の中なる無音界・・・・・・・・藤田湘子

 たんぽぽの絮とぶ誰も彼も大事・・・・・・・・岡本眸

 たんぽぽの絮のしきりに壬生の鉦・・・・・・・・大石悦子

 たんぽぽの絮わんわんと四囲に基地・・・・・・・・岸本マチ子



山口美智子『いのちの歌』─薬害肝炎、たたかいの軌跡・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

  山口美智子『いのちの歌』─薬害肝炎、たたかいの軌跡・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・・・・・・・・毎日新聞社2010年3月刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本は、もう皆さんご存じの「薬害肝炎訴訟全国原告団代表」である山口美智子さんの闘いの記録である。
この本は私の友人であるJR総連(全日本鉄道労働組合総連合会)の組織担当部長である糸山敏和氏から恵贈された。

この本の「帯」には

<薬害肝炎全国原告団代表の著者が、自作の心打つ短歌を折り込みながら、薬害肝炎とのたたかいの軌跡、いのちへの思いを綴る珠玉の書き下ろしエッセイ!>

と書かれている。
この本の書評をと探してみたが、まだ出ていないようである。
この本に添えられた糸山氏の手紙によると、

<終りの方に出てくる、2009年10月24日の全国一斉キャンペーンは、実は私が提起したものです。
 政局にほんろうされ、あきらめムードがただよい、団結を固めるためにバーベキューパーティをやろうといったことが、まじめに論じられるほど、支援者も原告も後ろ向きになっていました。それを打破し、新しいステップへと向かうことができたことは、私自身の誇りでもあります>

ということである。糸山氏のご苦労にも敬意を表したい。

山口美智子さんは小学校の教師を21年間勤められたが次男出生時に血液製剤(フィブリノゲン)を投与され肝炎を発症、インターフェロン治療の副作用に苦しみ教師の職を退職された。
そのころ「短歌」と出会い木原昭三氏(コスモス短歌会選者)に師事して来られた。
この本の中には、そんな闘いの日々に詠まれた歌が随所に挿入されている。
国による肝炎被害者救済の歩みの遅々とした取り組みへの怒りや悲しみなど、政治ないしは政治家の無知、無理解などに振り回される肝炎患者の姿が描かれる。
この本に載る彼女の短歌のいくつかを引いておく。

 二百万の代弁者として名を出して被害を語る吾が務めに

 吾ひとり肩の荷重きを理解して名を出す人の続くはうれし

 提訴よりもう一年かまだ一年勝利の日まで奮い起たせむ

 早々に長きトンネル抜け出して我人生を取りもどしたし

 老いし母また息子らをかえりみず闘いしこと脳裏を去らず

 肝炎に逝きたる仲間を地に伏して嘆くかなしみ裡を駆けたり
これは厚生省に対する抗議のダイ・インの光景を詠まれたもの

 「検討」のその期を待つは久しきにたちはだかりぬ国の厚き壁

 政治家と面談するを怖れざり多くの患者の支えのありて

 後にひかぬ決意の座り込み揺らぐ政局に翻弄さるる

 国会でいのちの重み問われたる大臣は「努力と解決」をただ繰り返す

 フィブリノゲン注たれし患者のリストの束地下に積まれいしとぞ厚労省官僚

 「切り捨ては許しません」とパレードすもし神あらば嘉し給えよ

 申し入れ四度目にして会い得たる総理に謝罪と労いを受く
これは時の福田康夫総理大臣のことである

 「賛成」と党派を超えて起立せり一月前は予期せざりしを

 電光板反対ゼロと映りつつ全会一致にて法成立す

 救済法の説明会場に集まりし未提訴の患者真剣に聴く

 幕引きをしたがる国会に足運び「まだ終らぬ」と言い続けたり

 支援者が常のごとくに集い来て励ましくれぬ今日和解の日

 衆・参議員七百二十の戸を叩き名刺配りて頭を下げぬ

 手柄取り透けて見えつつ国会はまたもや法案廃案にせり

 国会は化物屋敷と誰か言う浮世離れして国民見えずと

 定宿の小さき湯ぶねにも使えとぞ仲間の呉れしこの入浴剤

 がたが来て五十肩となりし身を運び紅葉散り敷く日比谷公園

 カレンダー捲るひまなく時遣りて気付けばはやも師走になりぬ

 ゴールまで勇猛邁進して来しが我にほっと息衝く時なし




ライラックそのむらさきの髪ふさの舞姫ソフィーゆめに顕てるは・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
   lilac3516リラ相生

   ライラックそのむらさきの髪ふさの
     舞姫ソフィーゆめに顕(た)てるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
これは歌遊びの一種の「沓冠」15首の中の一首として載っているもの。

ライラックというのは英語読みの名前で、フランス語では「リラ」となる。
原産地はイラン北部の山地と言われ、12世紀のイランの絵に出てくるので、古くから鑑賞されていたらしい。
十字軍によってヨーロッパにもたらされたと推測される。
シモーネ・マルディーニの「受胎告知」の一つに白花のライラックが描かれているので14世紀にはイタリアに入っていたと思われる。
18世紀の後半にはフランスで種間雑種が作り出された。
さらに19世紀にビクトル・レモアンが息子とともに改良をすすめ、花色を豊かにし、八重咲きを作り出した。
それらはフレンチ・ライラックとして知られる。
中国には野生種のライラックがあったが、20世紀初頭にアメリカにもたらされ、盛んに栽培されるようになった。
lilac3520リラ相生拡大

日本には明治になって渡来し、北星学園の創始者クララ・スミスが故郷のアメリカから導入したものが広がったという。
北大植物園の大株は日本最古の株という。
ライラックは寒冷地を好むので、札幌の代表的な花として定着し、5月末に大通公園でライラック祭が開かれる。

ものの本によると関西以西では栽培が難しいと書かれているが、写真①②は兵庫県相生市に住む人が栽培して2メートル以上に生長しているというライラックのものである。
その人の話によると、相生では4月下旬には咲くという。

先に書いたが、ライラックにもさまざまな種類の改良種があるらしい。
パリにゆくと見事な枝ぶりに、私の歌のように「むらさき色」豊かな「リラ」が群生しているが、これがフレンチ・ライラックと呼ばれるものなのだろうか。
また、香りがすごいのである。
aaoorairak1ライラック

掲出した私の歌は沓冠「秘めごとめく吾」の一連のものであるが、2009/04/15付けの記事に載せているので、← ここをクリックして見てもらいたい。

その後、ネットを検索して「フレンチ・ライラック」なるものの写真を入手したので、お目にかける。
Etoile20de20Maiエトワール・ド・メ

Henri20Robertアンリ・ロベール
写真④は「エトワール・ド・メ」(Etoire de mai)という名。
写真⑤は「アンリ・ロベール」(Henri Robert)という名。

二つとも八重咲きらしく、すごく豪華な花つきである。
パリ市内のリラの花が、すべて、こんな花だったとは記憶しないが、とにかく花が大きく、香りがすごかったという記憶がある。

以下、リラを詠んだ句を引いておく。「リラ冷え」「リラの雨」などの季語もある。

 夜話つひに句会となりぬリラの花・・・・・・・・・・高浜虚子

 空もまた暮れつつリラの色となる・・・・・・・・・・水原秋桜子

 舞姫はリラの花よりも濃くにほふ・・・・・・・・・・山口青邨

 リラ冷えてトラピスチヌは物を売る・・・・・・・・・・神尾季羊

 リラの花含羞の風過ぎにけり・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 リラ咲けば誰も旅人港町・・・・・・・・・・古賀まり子

 リラの花了ふ少女期の妻知らず・・・・・・・・・・倉橋羊村

 聖者には永き死後ありリラの花・・・・・・・・・・片山由美子

 リラの花餅の重さのチーズ買ふ・・・・・・・・・・松尾隆信

 リラ咲くや人の手紙に我のこと・・・・・・・・・・森賀まり

 リラ冷の香に快晴の朝あり・・・・・・・・・・日夏緑影

 ライラック少女小説いまもなほ・・・・・・・・・・筒井泰子

 リラ冷えや旅の鏡に灯を点す・・・・・・・・・・西田純子

 リラ冷えやダイヤは肌に着けてこそ・・・・・・・・・・丸山新太郎



食卓に置きたる壺の山吹は散るにまかせつ黄の濃き花びら・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   食卓に置きたる壺の山吹は
    散るにまかせつ黄の濃き花びら・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

030409t井手の山吹
山吹の花は太田道灌の逸話などで有名だが、写真②は私の住む隣町の井手の玉川の山吹である。
これは聖武天皇の義弟の橘諸兄がここに住むようになって山吹を愛でて植えさせたという故事に因む。
写真②では桜の花と一緒に咲いているのが判るが、山吹の種類や場所によっては遅速があるようである。

yamabuki04松尾大社ヤマブキ
写真③は、ここも山吹の名所として有名な松尾大社の花である。水路があって回廊の橋から撮ったもの。

山吹には一重と八重の両方がある。
私の家の山吹は八重であり、今が丁度みごろである。
山吹はせいぜい高さが1メートルくらいの木であり、単独で存在を示すというものではなく、他の大きい木に寄り添う形で存在する、控えめな木であると言える。

hitoeyoko1山吹一重
写真④は一重の山吹である。
先に書いた太田道灌の故事だが、それは花は咲いても実がならないという山吹の性質に由来する。
その問題の兼明親王の歌をお見せする。

   七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

というものである。「実の」は「蓑」に掛け合わせてあるのである。

万葉集巻10歌番号1860の「よみ人しらず」の歌にも

   花咲きて実はならずとも長き日に思ほゆるかも山吹の花

とあるように、同じ趣旨の歌は、いくつもあるようである。
というより兼明親王は、この万葉集の古歌を知っていて、本歌どりで作られたのであろうか。
時代的には、そうなる。

一番に掲出の写真は八重の山吹である。

図鑑によると山吹は日本原産だという。
・薔薇(ばら)科。
・学名 Kerria japonica
Kerria : ヤマブキ属
japonica : 日本の
Kerria(ケリア)は、19世紀のイギリスの植物学者「Kerr さん」の 名前にちなむ。

この八重ヤマブキは実がならないという。では、一重ヤマブキは実がなるのかというと、私の読んだ本には、そのことは何も書いていない。
古来、多くの句が詠まれてきたので、それらを引いて終りたい。

 山吹や宇治の焙炉の匂ふ時・・・・・・・・松尾芭蕉

 山吹にぶらりと牛のふぐりかな・・・・・・・・小林一茶

 山吹や小鮒入れたる桶に散る・・・・・・・・正岡子規

 蕎麦すする夕山吹のなつかしき・・・・・・・・渡辺水巴

 山吹の中に傾く万座径・・・・・・・・前田普羅

 あるじよりかな女が見たし濃山吹・・・・・・・・原石鼎

 濃山吹俄かに天のくらき時・・・・・・・・川端茅舎

 山吹の黄の鮮らしや一夜寝し・・・・・・・・橋本多佳子

 やすらかに死ねさうな日や濃山吹・・・・・・・・草間時彦

 わがいのち知らぬ我かも濃山吹・・・・・・・・原コウ子

 山吹や酒断ちの日のつづきをり・・・・・・・・秋元不死男

 山吹や庭うちにして道祖神・・・・・・・・石川桂郎

 山吹の黄金とみどり空海忌・・・・・・・・森澄雄

 山吹の真昼を伎芸天伏し目・・・・・・・・井沢正江

 童女とて愁ひ顔よき濃山吹・・・・・・・・倉橋羊村

 山吹や家ふかきより老のこゑ・・・・・・・・宇佐美魚目

 沢蟹の水へしだるる濃山吹・・・・・・・・市川つね子



雉子の眸のかうかうとして売られけり・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
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   雉子の眸(め)のかうかうとして売られけり・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

(きじ)は桃太郎の家来として日本人に親しまれている鳥。
世界で日本にしかいない固有種である。日本でも本州、四国、九州にいるだけである。日本の「国鳥」である。
狩の対象になって個体数が減ったので、この頃では人の手で孵化させて放鳥されている。

雄の羽は美しく、黒味を帯びた緑色で光沢があり尾羽は長い。雌は地味で、淡い黄褐色、黒い斑を一面にもち、尾羽も短い。一夫多妻というか、雄は多くの雌を支配する。
雉は狩の対象としてもよいが、「禁猟期」というのが決められており、春からの繁殖期は禁猟である。
雉の季語は「春」だが、掲出の楸邨の句に詠まれている時期は、つまり狩猟期は「冬」である。
だから、この句に関しては、季語と詠まれた時期とには、ねじれがある。春から夏の繁殖期の今の時期は禁猟期である。
楸邨の句の頃には、こういう制限はなかったかと思われるが、季語では、春と言っても二月はじめからあるから、その頃は結構寒いから、季語としても違和感もない、とも言える。

私の住む辺りでも、畑や河川敷や潅木の辺りには出没するので、よく鳴き声や姿を見ることがある。
一年中いる留鳥であるが、人里にも近くに寄ってくる。
雄は「けーんけーん」と鳴くが、これは雌を呼ぶ声で、雌は「ちょんちょん」と応える。
雉は鳴き声とともに羽音たかく飛び立つので猟の的とされ、肉もおいしい。
雉の親が子を守るのが、いじらしいほどである。

楸邨の句の雉の目が「かうかうとして」売られる、という把握の仕方は独特のもので、並の俳句の域を脱して秀逸である。

万葉集には、大伴家持の歌

   春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひに己があたりを人に知れつつ

は雉の夫婦愛を描いて、今に伝わる名歌である。

古今集には、平貞文の歌

   春の野のしげき草葉の妻恋ひに飛び立つ雉のほろろとぞ鳴く

も雉の生態を見事に捉えている。

雉を詠んだ句を引いて終りたい。

 父母のしきりに恋し雉子の声・・・・・・・・松尾芭蕉

 きじ啼くや草の武蔵の八平氏・・・・・・・・与謝蕪村

 撃ちとつて艶なやましき雉子かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 仔の牛を放てる野辺や雉子鳴けり・・・・・・・・水原秋桜子

 この空を蛇ひつさげて雉子とぶと・・・・・・・・高野素十

 雉子はいつも尾羽たひらに闘志もつ・・・・・・・・山口青邨

 雉啼くや胸ふかきより息一筋・・・・・・・・橋本多佳子

 生くること何もて満たす雉子食ひつつ・・・・・・・・細見綾子

 刻々と雉子歩むただ青の中・・・・・・・・中村草田男

 雉子啼いて安居に似たり夕日満つ・・・・・・・・大野林火



うらうらに照れる春日にひばりあがり心かなしもひとりし思へば・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
Alauda_arvensis_2ヒバリ

   うらうらに照れる春日(はるひ)にひばりあがり
    心かなしもひとりし思へば・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持


雲雀(ひばり)は春の鳥である。一年中いる留鳥ではあるが春以外のシーズンには目立たない。
スズメ科ヒバリ属という鳥で写真①のように保護色になっているので草叢や地面に居ると見分けにくい。頭には短い羽冠がある。
繁殖期の子育ての時期には囀りがいかにも春らしく、中空で歌い、一直線に地に下りる。これを落ちるという。
麦畑や河原の草に巣を作るが、巣から離れたところに下り、草かげを歩いて巣に至るので、巣を見つけるのは難しい。
ひばりは空にあがる時はヘリコプタの上昇のように一直線に真上に羽をはばたいて昇る。
hibari-5ひばり急上昇

写真②は、その急上昇の一瞬を捉えたもの。子育ての時期には敵の存在を確認すべく上空から監視するのではないか。いわゆる「ホバリング」が出来る鳥なのである。
この後、文字通り羽ばたきをやめて一直線に「落ちる」。

ひばりは虫や昆虫などを餌にしている。掲出した写真も虫をくわえている。
秋などに休耕田の草刈をしていると、虫が飛び出すのを知っていて、いろいろの鳥が寄ってくるが、ヒバリも寄ってくるものである。

ヨーロッパの詩などにもヒバリは、よく詠われ、イギリスの詩人パーシー・シェリーの有名な名詩"To a skylark"がある。
「壺斎閑話」という人のサイトに翻訳文と原詩が載っているので参照されたい。

日本の詩歌にも古来よく詠われ、掲出の大伴家持の歌も有名なものである。
「うらうらに」という出だしのオノマトペも以後多くの歌人に使われているものである。
以下、歳時記に載るヒバリの句を引いて終りたい。

 雲雀より空にやすらふ峠哉・・・・・・・・松尾芭蕉

 うつくしや雲雀の鳴きし迹の空・・・・・・・・小林一茶

 くもることわすれし空のひばりかな・・・・・・・・久保田万太郎

 わが背丈以上は空や初雲雀・・・・・・・・中村草田男

 なく雲雀松風立ちて落ちにけむ・・・・・・・・水原秋桜子

 雲雀発つ世に残光のあるかぎり・・・・・・・・山口誓子

 かへりみる空のひかりは夕雲雀・・・・・・・・百合山羽公

 初ひばり胸の奥処といふ言葉・・・・・・・・細見綾子

 虚空にて生くる目ひらき揚雲雀・・・・・・・・野沢節子

 ひばり野やあはせる袖に日が落つる・・・・・・・・橋本多佳子

 雨の日は雨の雲雀のあがるなり・・・・・・・・安住敦

 雨の中雲雀ぶるぶる昇天す・・・・・・・・西東三鬼

 腸(はらわた)の先づ古び行く揚雲雀・・・・・・・・永田耕衣

 いみじくも見ゆる雲雀よ小手のうち・・・・・・・・皆吉爽雨

 雲雀野や赤子に骨のありどころ・・・・・・・・飯田龍太

 ふるさとは墓あるばかり雲雀きく・・・・・・・・高柳重信

 雲雀落ち天に金粉残りけり・・・・・・・・平井照敏

 ひばりよひばりワイングラスを毀してよ・・・・・・・・豊口陽子

 揚雲雀空のまん中ここよここよ・・・・・・・・正木ゆう子

 ひばりひばり明日は焼かるる野と思へ・・・・・・・・櫂未知子

 揚雲雀空に音符を撒き散らす・・・・・・・・石井いさお

hibarini酒井抱一

俳句を載せてからの追加のような形になるが、「雲雀に春草図」という1817年頃絹本着色という酒井抱一の絵を見つけたので載せる。
この絵には歌人・千種有功の賛(画の内容に関連する文句を詩歌などに作って記したもの)がある。賛の文句は

  はるくさのはなさくのべをわけくれば こころそらにもなくひばりかな

この絵には、たんぽぽ、つくし、すみれ、わらびの生える野辺の上を雲雀が飛ぶのどかな風景を描いている。有名な絵らしい。



残生はいかに過ぐらむ老いの目に苺は朱し一つ一つが・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
ichigo3-450いちご

   残生はいかに過ぐらむ老いの目に
    苺は朱し一つ一つが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

今ではハウス栽培によって年中イチゴは出回っているが、本来は今の時期のものである。
年中出回るのには、訳がある。洋菓子の苺ショートケーキなどは一年中切らすわけにはゆかないし、年末のクリスマスの時期はデコレーションケーキの書入れ時であり、ケーキ会社ではイチゴ栽培農家と契約して供給を受けている。
今の時期は完全な露地栽培ではなくハウス栽培ではあるが、露地に近い時期で、あちこちで「いちご狩」が行なわれている。
その場で取って口に入れるので、地面にはビニールシートを敷いてある。

ph_ichigo1いちご畑

写真②は、その様子である。
苺農家にとっては、市場に出荷してもシーズンには、思わしいような値がつかないので、手間はかかるが、いちご狩をして現金収入を得る方が採算がいいのである。
この頃では品種改良されて「大粒」のイチゴが好まれる傾向にある。
私の住む近くでは、奈良県産の「アスカルビー」とかがある。
大きさと甘さが勝負のポイントで、他に「とちおとめ」「あまおう」「さがほのか」「ベリープリンセス」「女峰」「アイベリー」などがある。
一時日の出の勢いだった「とよのか」なども今では影が薄い。
「イチゴ狩」でも小粒の品種は見向きもされないというから恐ろしい。

10いちご棚作り

この頃では写真③のように「棚」作りの栽培があるらしい。
これらは「いちご狩」専用の施設だが、この方がお客さんが、屈まなくてもよいので体が楽である他に、地面に接していないので「衛生的」な印象を与えることが出来る、という利点があるらしい。
世はまさに「お客様」本位の時代である。
この写真は愛知県渥美半島での一駒である。
いちご狩は結構値段の高いもので、値段だけで比べるなら、市販のものを買って腹いっぱい食べても、その方が安いらしいが、それはそれで自然の中で食べるというプラスアルファーが付加されているのである。

ところで、掲出の私の歌のことであるが、上句の「残生はいかに過ぐらむ」というフレーズと下句の「苺は朱し一つ一つが」というフレーズには、直接の関係はない。
俳句でいう「二物衝撃」のように、この両者の間に「老いの目に」というフレーズが接着剤の役目を果たして一首のうちに「融合」させているのである。
私自身では、結構、気に入っている歌である。「老いの目に」赤いイチゴという取り合わせも成功している、と自画自賛している。いかがだろうか。

なお参考までに申し上げると「苺」「苺摘み」というのは「夏」の季語であり、今のようにビニールハウスとかが無い自然栽培の下では、もっと暑くならないと実らなかったのであった。
だから「春」の季語としては「苺の花」を指すことになっているので念のため。

e88bbae381aee88ab111苺の花
「苺の花」の句としては

 満月のゆたかに近し花いちご・・・・・・・・・・飯田龍太

 花の芯すでに苺のかたちなす・・・・・・・・・・飴山実

 惜しみなく日のふりそそぎ花苺・・・・・・・・・・水原京子

 花苺気丈な母になれず居る・・・・・・・・・・近藤美智子

「苺」の句としては

 青春の過ぎにしこころ苺喰ふ・・・・・・・・・・水原秋桜子

 怠たりそ疲れそ苺なども食べ・・・・・・・・・・中村草田男

 音もなき苺をつぶす雷の下・・・・・・・・・・石田波郷

 苺紅しめとりて時過ぎいまも過ぐ・・・・・・・・・・森澄雄

 ねむる手に苺の匂ふ子供かな・・・・・・・・・・森賀まり

 胎の子の名前あれこれ苺食ぶ・・・・・・・・・・西宮舞

などである。佳い句として挙げるようなものは多くはない。



すみれ花むらさきの香に咲き出でて吾に親しき春を挿したり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   すみれ花むらさきの香に咲き出でて
     吾に親しき春を挿したり・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

先日来、パンジーやビオラの写真を載せてきたが、「菫(すみれ)」というのは、古来、掲出した写真のものを言うのである。
葉が、この写真のように細長いのと、丸い葉のものとある。日本の野草らしく、小さく可憐な花である。

菫(すみれ)科。
学名 Viola mandshurica
Viola : スミレ属
mandshurica : 満州地方産の
Viola(ビオラ)は「紫色の」という意味。
私が子供の頃から親しんできたのは、この紫色の草だが、淡色や黄色などさまざまのものがあるようだ。
花の後には実が膨らみ、そこから出た種が雨に流されて、流れ着いたところで簡単に増える。
「すみれ」と名のつく草はいくつもあるが、植物学的には、掲出したものを指すと言われている。
日のあたる野や丘、畑に自生し、春に花茎を伸ばして濃い紫の花を一つ横向きに咲かせる。
茎がなく、葉は根元から出て柄を伸ばす。
「万葉集」巻8・春雑に詠われている歌

  春の野に菫採(つ)みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける・・・・・・・・・・・・山部赤人

俳句でも

  山路来て何やらゆかしすみれ草・・・・・・・・松尾芭蕉

  骨拾ふ人にしたしき菫かな・・・・・・・・与謝蕪村

などに詠われるように春の代表的な題材の一つだった。
野の可憐な花で、目立たぬが、心に沁みてくる、なつかしい花である。

sumire7すみれ本命

以下、歳時記に載る「すみれ」の句を引いて終りたい。

 菫程小さき人に生れたし・・・・・・・・夏目漱石

 手にありし菫の花のいつか失し・・・・・・・・松本たかし

 黒土にまぎるるばかり菫濃し・・・・・・・・山口誓子

 菫濃く雑草園と人はいふ・・・・・・・・山口青邨

 すみれ踏みしなやかに行く牛の足・・・・・・・・秋元不死男

 高館の崖のもろさよ花菫・・・・・・・・沢木欣一

 みちびかれ水は菫の野へつづく・・・・・・・・桂信子

 すみれ野に罪あるごとく来て二人・・・・・・・・鈴木真砂女

 摘みくれし菫を旅の書にはさむ・・・・・・・・上村占魚

 すみれ咲く聴けわだつみの声の碑に・・・・・・・・森田峠

 菫咲く微光剥落磨崖仏・・・・・・・・倉橋羊村

 すみれの花咲く頃の叔母杖に凭(よ)る・・・・・・・・川崎展宏

 「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク・・・・・・・・川崎展宏

 少年に菫の咲ける秘密の場所・・・・・・・・鷹羽狩行

 どちらからともなく言ひて初菫・・・・・・・・大石悦子

 老人に日暮が来たりすみれ草・・・・・・・・橋本栄治



一旦は赤になる気で芽吹きをり・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫
2005.3.16momijiichigoモミジイチゴ新芽

   一旦は赤になる気で芽吹きをり・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

草木が一斉に新芽を出す頃になった。
多くの「新芽」が赤っぽい色をして芽吹いてくる。
掲出の後藤比奈夫の句は、そういう新芽の様子を諧謔をもって描写している。
先では緑色になるとしても、新芽の時期には「一旦は赤になる気」という飄逸な描写が秀逸である。
写真①の新芽も赤っぽい。「モミジイチゴ」という木の新芽らしい。

写真②は「赤樫」の新芽である。
BTH1191161_3BアカメガシmicroCOSMOS
アカメガシと言われることもあるが、新芽の時期が過ぎてもしばらくは赤色の葉っぱをしている。
その時期が過ぎると緑色の成熟した葉になる。生垣などに採用される密植する美しい木である。
この木などを見ていると、掲出の後藤比奈夫の句の描写が的確であることが納得させられる。

「一旦は赤」どころか、新芽からずっと「赤」で通す木もある。

CIMG4676モミジ新芽

写真③はモミジの一種の新芽だが、このまま「赤」を押し通す木である。いま木の名前を探し当てられないので、失礼する。
モミジの成熟した葉もきれいだが、新芽は、もこもこした柔かさがあって、いとおしい感じがする。

後藤比奈夫は大正6年大阪生れ。本名・日奈夫。
大阪大学理学部物理学科出という異色の俳人。
父親が後藤夜半という有名な俳人で、早くから句作に親しんできた。

   鶴の来るために大空あけて待つ

という句なども、掲出句と同じような「諧謔」味のある句である。
少し比奈夫の季節の句を引いて終りたい。

 花おぼろとは人影のあるときよ

 首長ききりんの上の春の空

 法善寺横丁をゆく足袋白く

 人の世をやさしと思ふ花菜漬

 連翹に空のはきはきしてきたる

 辛夷散る百の白磁を打ち砕き

 蛞蝓(なめくじ)といふ字どこやら動き出す



連翹のまぶしき春のうれひかな・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
aaoorengyo2連翹①

   連翹のまぶしき春のうれひかな・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

連翹はモクセイ科の落葉低木で中国原産。古くから日本に渡来(『古今集』成立の延喜時代)したが、当時は薬用であった。
庭園木としては江戸初期からで、叢生して高さ2メートル前後にも達する。
垂れた枝は地面についた節から発根する。早春、葉に先立って葉腋に黄色の四弁花を無数につける。
公園などならよいが、個人の庭には植えるものではない。

   連翹の猖獗ぶりや黄みどろに・・・・・・・・百合山羽公

という句にもある通り、はびこって、はびこって仕方がない木である。私の方では、一度植えたが、はびこりぶりに懲りて引っこ抜いた。
連翹は早春の花の時期だけの木で、一年の後の大半は枝を伸ばしては、地面に触れると、そこから根を下ろして、はびこるばかりである。
派手に咲きさかる花なので目につきやすく、古来、多くの俳句に詠まれて来た。
後でそれらの句を紹介するが、私の個人的な感情を言うようで申訳ないが、私は好きになれない花である。

鹿児島寿蔵の歌に

   はじめより咲きさかる日をおもはする連翹千の枝かぜになびけり

と詠まれるように、わっと咲きさかる木である。
連翹には支那レンギョウ、朝鮮レンギョウなどの種類があるらしいが、ちょっと見には我々素人には区別がつかない。
連翹は学名をForsythia suspensa というが、これは18世紀のイギリスの園芸家Forsyth氏に因むが、朝鮮レンギョウは末尾がkoreana となる。

以下、レンギョウを詠んだ句を引いて終りたい。

 連翹の一枝円を描きたり・・・・・・・・高浜虚子

 連翹や真間の里ひど垣を結はず・・・・・・・・水原あき桜子

 連翹の垂れたるところ下萌ゆる・・・・・・・・山口青邨

 行き過ぎて尚連翹の花明り・・・・・・・・中村汀女

 連翹や歳月我にうつつなし・・・・・・・・角川源義

 連翹の鞭しなやかにわが夜明け・・・・・・・・成田千空

 連翹に月のほのめく籬(まがき)かな・・・・・・・・日野草城

 連翹の黄のはじきゐるもの見えず・・・・・・・・後藤夜半

 燦と日が連翹の黄はなんと派手・・・・・・・・池内友次郎

 連翹に頭痛のひと日ありにけり・・・・・・・・鈴木真砂女

 目に立ちて連翹ばかり遠敷(をにふ)郡・・・・・・・・森澄雄

 いかるがの暮色連翹のみ昏れず・・・・・・・・和田悟朗

 連翹の邪魔な一枝を括りたる・・・・・・・・北沢瑞史

 子を叱るこゑつつ抜けやいたちぐさ・・・・・・・・小山陽子

 連翹の黄に触れ胎の子が動く・・・・・・・・樟 豊



遠田潤子『月桃夜』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ──新・読書ノート──

   遠田潤子『月桃夜』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・・・・・・・・・・新潮社2009/11刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この小説は第21回「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞した作品である。

<死んでしまおうと海に出た彼女に、虚空を彷徨う大鷲が問う。いまは亡きお前の兄の、熱い吐息を受け止めないのか? かつて薩摩が支配した奄美にも、赦されぬ関係を望んだ兄妹がいた。運命に逆らった二人の悲話を、鷲は月光に濡れて語り出す……。想いは人知れず、この世の終わりまで滾り立つ――まさに至高のファンタジー!>

新潮社の読書誌「波」2009年12月号から書評を引いておく。
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計り知れない神との対決・・・・・・・・・・・・石井千湖

 南米、東欧、あるいは沖縄。苦難の歴史を歩んだ地域は、幻想文学の宝庫だ。過酷な現実に、想像力で破れ目を作ろうとするからだろうか。第二十一回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『月桃夜』の舞台は、奄美大島である。琉球王国、薩摩藩、アメリカ……歴代の支配者の都合に振り回されてきた島。著者は大阪出身で奄美には行ったことがないそうだが、土地の記憶をどこかでインストールしたんじゃないかと思うくらい、幕末の奄美で厳しい生活をおくる人々の姿、禍々しいけれど魅惑的な神の姿が、生々しく立ち上がってくる。
 カヤックに乗った若い女が、月夜の大海原を漂流している。そんなシーンから、本書は始まる。彼女の名は茉莉香。都会から訪れた旅行者だ。茉莉香が島で買った月桃水を浴びると、隻眼の鷲があらわれる。〈ごめんね。私はまだ死んじゃいないの。悪いけど出直してきてくれる?〉という茉莉香の言葉に、鷲はこたえる。〈気遣いはありがたいが、俺に屍肉を喰らう趣味はない〉。気の利いた口をきく鷲である。
 鷲によれば、茉莉香の体からは魂がぬけかけているらしい。だから鷲と話せるのだと。どういう経緯で茉莉香は魂を失おうとしているのか。鷲が月桃の香りに反応するのはなぜか。〈この世の終わりを待っている〉という謎めいた言葉の意味は? 茉莉香と鷲の対話を描く「海のはなし」を縦糸に、鷲が語る「島のはなし」を横糸にして、強い絆で結ばれすぎた兄妹のかなしい物語が織りあげられていく。
 奄美といえば大島紬と黒糖焼酎。それくらいしか思い浮かばない。茉莉香と同じで、まったくの無知である。だから「島のはなし」を読んで驚いた。当時の奄美では、砂糖が貨幣のようなものだった。支配者である薩摩藩に決められた量の砂糖をおさめられないときは、成り上がりの豪農に借りる。それを返せないと、ヤンチュと呼ばれる農奴になるのだ。両親がヤンチュだとヒザになる。「島のはなし」の主人公フィエクサは、ヤンチュのなかでも特に差別されるヒザの少年。天涯孤独のフィエクサは、親を亡くしてヤンチュになったばかりの少女、サネンと出会う。二人は山の神に、兄妹になるという誓いを立てる。そのことが自分たちにとって大きな苦しみになるとは知らずに。
 子供であっても重労働を課せられるつらい毎日。フィエクサとサネンの支えになるのはお互いの温もりだけだ。生まれたときから奴隷で、普通の暮らしを知らないフィエクサが、サネンが歌う鞠つき唄を聞きたがるところが切ない。二人は幻の鞠をついて遊ぶ。やがてフィエクサは由緒ある家柄の主だったヤンチュに囲碁の才能を見出され、サネンは針突(女性が手の甲に施す装飾的な刺青)にあこがれる。幻の鞠よりは、現実に近いはずの希望が芽生えるのだ。しかし――。
 二人を奈落の底に突き落とす、血のつながらない兄妹との恋。少女マンガでは王道だ。本書の場合、そこに奄美の山の神が絡む。この神がすごい。サネンの父の死に際の願いを聞き、二人の兄妹の誓いに立ち会った神だ。真っ白い振袖を着た、美しい女の姿をしている。振袖は、実は霊魂の化身である蝶でできていたりする。お洒落だ。見かけは人間に似ているのだが、本意は計り知れない存在として描かれている。神だから当然といえば当然だ。ただ、その計り知れなさのあり方に意表を突かれる。
〈山でのことはみな、山の神さまの心の内だ〉という警告の意味、山の神が〈憐れなフィエクサ〉と繰り返しいっていた理由がわかったときの戦慄といったら。二人と山の神の最後の会話は、次々と伏線が回収されていく感じが、まるでミステリーの謎解きのようだった。かといって、すべてが腑に落ちるわけではなく、もうひとつ別のタイプの、わけがわからない神を出しているところもいい。
 他にもフィエクサと薩摩藩の侍の囲碁対決や、「海のはなし」で少しずつ語られる茉莉香の過去など、緊迫感のある場面の連続。寝る前に読みはじめて、気がついたら、小説の終わりと一緒に夜が明けていた。 (いしい・ちこ ライター/ブックレビュアー)
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 遠田潤子(トオダ・ジュンコ) 略歴

1966(昭和41)年、大阪府生まれ。関西大学文学部独逸文学科卒業。ドストエフスキーや森鴎外の作品世界の「理不尽な何か」に惹かれ、創作活動を始めた。現在、大阪府在住。

この本の「帯」には

<奄美大島の伝説を圧倒的な構想力で甦らせた禁断の恋愛小説!>

とある。
私は酒見賢一以来、この賞を得た小説は何冊か読んできた。
この賞から一人前の作家として巣立って行った人も多い。 ぜひ読んでみてください。

先日来、昨年暮れから今年にかけて、まとめて買っておいた本を「新・読書ノート」としてブログに載せてきたが、一段落したので、この辺りにしておきたい。

もう おしまい つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして・・・・・・・・・三井葉子 
      
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        花・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

    もう おしまい

    つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして

    土も木も水も欲しがっていたけれども逃げていってしまった

    日のうつろいのあいまあいまに

    ふくらんで

    そんなに美しく鳴いていた呼ぶこえを

    日のあいまに置き残したかたみのかわりに

    逃げてしまって

    引きおとそうとしていたのに

    空(くう)をにぎっている手をやさしくなだめて

    欲しいものが地のうえに落ちている身替り
     のあなたがその手のうえにひらいて下さ
     ったのに それでも  
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この詩は三井葉子さんの『夢刺し』(1969年8月刊)に載るものである。
題名のように、まるで<夢見>の中に居るような詩句が並んでいる。
これを解説するのは、とても難しい。
夢見ごこちのままに、何度も繰返して鑑賞するしかないだろう。
そういうフェアリー・テールみたいな一連が、この詩集には、一杯ある。 


若き尼御厨子に春の灯をささぐ・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
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    若き尼御厨子に春の灯をささぐ・・・・・・・・・水原秋桜子

京の洛北の寂光院も由緒ある土地である。

寂光院
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寂光院(じゃっこういん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。山号を清香山と称する。寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。
平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。

起源と歴史
寂光院の草創について、明確なことはわかっていない。寺伝では推古天皇2年(594年)、聖徳太子が父用明天皇の菩提のため開創したとされ、太子の乳母玉照姫(恵善尼)が初代住職であるという。しかし、江戸時代の地誌には空海開基説(『都名所図会』)、11世紀末に大原に隠棲し大原声明を完成させた融通念仏の祖良忍が開いたとの説(『京羽二重』)もある。哲学者梅原猛は、大原が小野妹子の領地であったことなどから、聖徳太子開基もありうるとしている。現在、寂光院はそうした草創伝説よりも、『平家物語』に登場する建礼門院隠棲のゆかりの地として知られている。

建礼門院徳子(1155-1213)は平清盛の娘、高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母である。寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送った。寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった。平家一門と高倉・安徳両帝の冥福をひたすら祈っていた建礼門院をたずねて後白河法皇が寂光院を訪れるのは文治2年(1186年)のことで、この故事は『平家物語』の「大原御幸」の段において語られ、物語のテーマである「諸行無常」を象徴するエピソードとして人々に愛読された。

境内
本堂は淀殿の命で片桐且元が慶長年間(1596-1615)再興したものであったが、平成12年(2000年)5月9日の不審火で焼失した。この際、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった建礼門院と阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまった。現在の本堂は平成17年(2005年)6月再建された。同時に新しく作られた本尊や建礼門院と阿波内侍の像も安置されている。

宝物殿は「松智鳳殿」という名称で、平成18年(2006年)10月に開館した。建礼門院の陵墓はもともと境内地にあったが、明治以降は宮内省(現・宮内庁)の管理下に移り、境内から切り離されている。

文化財
地蔵菩薩立像(重文)-当寺の旧本尊である。寛喜元年(1229年)の作で、像高256センチの大作である。像内に3,000体以上の地蔵菩薩の小像ほか、多くの納入品を納めていた。2000年に起きた本堂の火災の際、(2007年5月9日時効成立)本体は焼損したが、像内納入品は無事で、現在も「木造地蔵菩薩立像(焼損)」の名称で、像内納入品ともども重要文化財に継続して指定されている。現在は本堂よりも高台にある収蔵庫に安置され、特定日のみ一般に公開される。
なお、新しい本尊像は財団法人美術院国宝修理所によって3年半をかけて制作され、2005年に完成した。ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模している。建礼門院と阿波内侍の像は、もともと張り子像であったが、今回木造で作り直された。
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掲出の水原秋桜子の句は、ここ寂光院で詠まれたものである。

以下、大原、寂光院を詠んだ句を少し引く。

     春雨や寂光院の傘さして・・・・・・・・・野村泊月

     五月咲きあはれやあはき大原菊・・・・・・・・水原秋桜子

     旅ここに寂光院は春の寂・・・・・・・・・飯田蛇笏

     春雨の冷ゆれば椿咲きつれば・・・・・・・・長谷川かな女

     寂光院春ゆくままの松さくら・・・・・・・・・萩原麦草

     翆黛とひもすがらある桜狩・・・・・・・・後藤夜半

     寂光院にゆきてもみたく花疲・・・・・・・・星野立子

     鮠(はや)透くや齢ひそかなる尼の肌・・・・・・・・飯田龍太

     ひそひそと女人の哀史桃の雨・・・・・・・・・山室善弘

     巣燕や寂光院前階(はし)まろし・・・・・・・・藤村多加夫

     花散りてなほ訪ふ人や若楓・・・・・・・・・高浜虚子

     廊わたる尼袖あはせ若楓・・・・・・・・・飯田蛇笏
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t_sanzen_01三千院

写真②は「三千院」である。
この寺についても、先に記事を書いたことがある。
以下、ここを詠んだ句を引いて終わる。

     このわたり魚山といへり春炬燵・・・・・・・・川崎展宏

     春惜む三千院の茶店かな・・・・・・・・野村泊月

     落つばきしてゐる上を仰ぎけり・・・・・・・・星野立子

     万作と教へて呉れし花に似る・・・・・・・・杉本零

     春雨や踏んでもみたき苔だたみ・・・・・・・・千田万秋



中村哲・聞き手─澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』・・・・・・・・・・木村草弥
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 ──新・読書ノート──

 中村哲・聞き手─澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』・・・・・・・・・・木村草弥
         ・・・・・・・・・・・・・・岩波書店2010/02刊・・・・・・・・・・・・・・・・

中村哲という人は、軍事力行使などとは別次元の真のアフガニスタン人に対する復興支援に携わる人だと、私は尊敬しているが、今回この本が出たので取り寄せてみた。
この本の「帯」に書かれているように、アメリカのオバマ大統領の最近の兵士三万人増派というニュースを聞くと、それはないのではないか、という気がするので、ぜひオバマ氏にも知ってほしい本だと思うのである。
偉い人が居るものである。同時に、日本政府当局者にも、ぜひ読んでほしいものである。

岩波書店サイトに載る記事をそのまま転載しておく。

「あとがき」より/「あとがきに添えて」より/著者略歴/目次 の部分である。

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「あとがき」(澤地久枝)より

 昨夏,水路建設が最後の追い込みに入っていた日々,現地の気温は摂氏50度を超えたという.苛烈な自然条件下,ふつうなら仕事を休むときに,職員も現地ワーカーも,働くことをやめなかった.
 達成できる目標が目の前にあり,時間が過ぎるごとに近づいてゆける喜び.こうして水路が通り,水が引かれるあとにくりひろげられる緑の世界を人々はすでに体験している.
 中村医師がただ一人の日本人として現地にとどまり,陣頭指揮をとる.働く人たちの報酬をはじめ,現地事業を可能にしているペシャワール会と,そこにつながる人たち.中村医師の活躍は容易ならないものである.
 なにか役に立ちたいと考え,こういう一冊をまとめる努力をした.かつての編集者であり,40年近いノンフィクションの書き手としての自負が,無謀に近いこの試みの底にあったと思う.
 しかし,わが誤算,うぬぼれの勘定書きをつきつけられた.精一杯つとめたが,中村先生とペシャワール会の仕事を伝えるべく,魅力的な一冊になり得たかどうか自信はない.素直に皆さんの判定にしたがう.手にあまる桁はずれに大きく,前例のないテーマであった.しかし,一人でも多くの人に受けとめられることを心から願っている.
 国連をふくめ,世界各国(米国,とくにオバマ大統領)は,アフガニスタン問題解決への,具体的方策を見失っているかのようだ.日本の国内政治も混沌としているが,大干ばつのもと餓死の危険にさらされるアフガニスタンの一般民衆のための貢献を,真剣に考えてほしい.そのひとつは鳩山内閣がきめた50億ドルの復興資金を生かして使う道だ.中村先生の仕事に,その答はある.
 いま必要なのは,他国の軍事力行使の即時停止,アフガン国内のどの勢力に対しても,武器の供給をしないきびしい節度.混乱はあってもいずれアフガニスタンおのずからの答が出る.
 過去の政治の産物である多数難民が日常生活へ,ふるさとへ戻る道.働いて生きてゆける道を切りひらくこと.その最大緊急の前提として,沙漠化した農地に水を引くこと.山岳国家アフガン全土で,農地をとりもどす可能性をさぐる必要があろう.ことはアフガン一国の問題のようだが,おそらく地球環境の未来にもかかわっている.
 中村医師と氏を支えた人たちは,マルワリード水路という,小さくても確実な回答を私たちに示し,その保全のために働きつづけている.
 1月26日の中村先生からのメールに,「アフガンは,今年は体験したことのないような少雨で,しかも積雪がありません.記録的な渇水が迫っています.戦雲が立ち込める中で,最後の大きな事業を完遂したいと思います」とあった.つけくわえる一語もない.

「あとがきに添えて」(中村哲)より

 澤地久枝さんと言えば,『記録ミッドウェー海戦』などで高名なノンフィクション作家で,遠い存在だと思っていた.それがひょんなことから私とのインタビュー記事をもとに出版をしたいと述べられたのは,2年くらい前のことだったと思う.
 本文にもあるように,帰国中の殺人的な講演スケジュールだったので,ゆっくりと語り合う時間は少なかった.だが,(中略)「若い人への励ましのメッセージだ」と熱心に頼まれて心が動き,快諾した.自分の年齢もある.子を持つ親として,次世代へ何かを伝えたいという気持ちがあった.それがどれだけ口から伝え得たか心もとないが,澤地さんの筆致でよく補われていると思う.
 インタビューは帰国中に断続して行われ,改めて「ノンフィクション作家」の凄さを知った.時には「警察の取り調べもここまでは」と思えるほど実際の出来事を熟知された上で行われたのである.参考資料を十分吟味した質問で,いい加減なことは言えなかった.自分の事を述べるとなると,どうしてもわが身にとって都合のいい話となり,正確な自画像を描くのは難しい.よく,「誰も分かってくれない」という不満を耳にする.しかし,では自分の全てが筒抜けになれば良いかといえば,そうではない.結局都合のいいところだけ分かってもらいたいのだ.そういう意味で,直截な表現で誤解も生もうが,よく自分の気持ちと考えがありのままに出ていると思う.

 アフガニスタンは日本人にとって最も解りにくい国の一つである.様々な意見や解釈が飛び交い,実像をつかみにくい.いわば「情報の密室」である.しかし,今アフガニスタンで進行している出来事は,やがて全世界を巻き込む破局の入り口にすぎない.
 私は九州と東部アフガンしか知らない田舎者である.人は自分が生きた時代と地域の精神的な気流の中でしか,言葉を発することができない.だが,どんな小さな村や町も,世界の歴史の反映ではある.25年前,遠いお伽の国の話だと思っていたことが,一人の日本人としてこれほど身近になったことはなかった.世界中で「グローバル化」の功罪がささやかれるが,その不幸な余波をまともに受け続けているのが,この国である.「アフガニスタン」は,良きにつけ悪しきにつけ,一つの時代の終焉と私たちの将来を暗示している.
 「破局」といえば響きが悪いが,それで人間の幸せが奪われる訳ではない.人間もまた自然の一部である.ヒンズークシュの壮大な山並みと悠然たる時の流れは,より大きな目で人の世界の営みを眺めさせてくれる.時と場所を超え,変わらないものは変わらない.おそらく,縄文の昔から現在に至るまで,そうであろう.私たちもまた時代の迷信から自由ではない.分を超えた「権威ある声」や,自分を見失わせる享楽の手段に事欠かない.世界を覆う不安の運動――戦争であれ何かの流行であれ――に惑わされてはならない.
 もし現地活動に何かの意義を見出すとすれば,確実に人間の実体に肉迫する何ものかであり,単なる国際協力ではなく,私たち自身の将来に益するところがあると思っている.人として最後まで守るべきものは何か,尊ぶべきものは何か,示唆するところを汲んでいただければ幸いである.

01中村哲

中村 哲(なかむら てつ)
1946年生まれ.医師.PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長.1984年,パキスタン北西部の都市ペシャワールに赴任し,ハンセン病の治療やアフガン難民の診療に従事.近年は,ペシャワール会現地代表として,アフガニスタンにおける水路建設など復興事業の先頭に立つ.若月賞やマグサイサイ賞など受賞多数.

中村医師関連の著作等
『アフガンに命の水を――ペシャワール会26年目の闘い』(語り 菅原文太)(DVD)2009年,日本電波ニュース社
『アフガニスタンの大地とともに――伊藤和也 遺稿・追悼文集』2009年,石風社
『伏流の思考――私のアフガン・ノート』福元満治著,2004年,石風社
『なぜ医師たちは行くのか?――国際医療ボランティアガイド』吉田敬三編,2003年,羊土社
『アフガン 乾いた大地――戦火の中の民』丸山直樹著,2002年,日本放送出版協会
『ドクター・サーブ――中村哲の15年』丸山直樹著,2001年,石風社

 ペシャワール会事務局連絡先
 〒810-0001 福岡市中央区天神3-4-7 福岡YMCA気付
 TEL:092-731-2372
 FAX:092-731-2373
 E-mail:peshawar@kkh.biglobe.ne.jp

聞き手
澤地久枝(さわち ひさえ)
1930年生まれ.作家.編集者生活ののち,1972年,『妻たちの二・二六事件』を著して作家として出発.『火はわが胸中にあり』(日本ノンフィクション賞),『記録ミッドウェー海戦』『滄海よ眠れ』〈全6巻〉(ともに菊池寛賞),『完本 昭和史のおんな』など,著作多数.朝日賞受賞.

この本の「目次」は次の通り。

  はじめに

I 高山と虫に魅せられて
ペシャワールとの縁
2001年10月,衆議院
髭と帽子
伯父火野葦平
洗礼と論語素読
川筋の気質
家族に対する情
対人恐怖症
精神の転機
典型的な日本人主婦
宗教の「共通性」

II アフガニスタン,命の水路
  よみがえる大地
「時差」4時間半
マドラッサ
家族
命の重さ
自爆テロ
後始末
流れ弾があたる
安全の限界
参議院,2008年11月

III パシュトゥンの村々
  復讐の掟
「戦争」の名分
現地スタッフの変化
ただ一人残って
精神のよりどころ
丸腰の米兵が水路を掘れば
リウマチ熱,カイバル峠

IV やすらぎと喜び
  日々の楽しみ
生きものたち
これからの見通し
「情を交わす」ハトの目
縁の下の力持ち
一人の父親
アフガンの再生
運命にみちびかれて

  あとがき 澤地久枝
  あとがきに添えて 中村 哲
  付録――中村医師関連著書等

池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖に扱入れな・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
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   池水に影さへ見えて咲きにほふ
    馬酔木の花を袖に扱(こき)入れな・・・・・・・・・・・・大伴家持


馬酔木の花は4月から5月にかけて咲きはじめる。山地に自生するツツジ科の常緑低木で、日本原産の木。
学名をPieris japonica という。私の推測だが、シーボルトが標本を持ち帰り命名したのではないか。
馬酔木は古典植物で、「万葉集」には10首見える。
掲出したのは、そのうちの一つで巻20の歌番号4512に見える大伴家持の歌。
もともと「巻20」は万葉集の一番終りで、大伴家持の歌が多い。
そこから万葉集は家持の編集になるのではないか、という説があるのである。

馬酔木(あしび)の木は有毒のもので、枝葉にアセボトキシンという有毒成分があるのである。
野生の鹿などは、よく知っているので食べないという。花は香りが強い。

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色は白が普通だが、写真②のようなピンクのものがある。木の姿もよく、昔から好んで「庭木」として植えられたので、栽培による改良種だと言われる。
先に馬酔木は古典植物だと書いたが、歌に「馬酔木なす栄えし君」と詠まれるように、古代には「賀」の植物であり、栄えの枕詞であった。

馬酔木については、3/23付けで俳句を引いて載せたが、今回は大伴家持の歌である。

俳句にも古来たくさん詠まれてきた。それを引いて終りたい。

 花馬酔木春日の巫女の袖ふれぬ・・・・・・・・高浜虚子

 春日野や夕づけるみな花馬酔木・・・・・・・・日野草城

 馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺・・・・・・・・水原秋桜子

 月よりもくらきともしび花馬酔木・・・・・・・・山口青邨

 染めあげて紺うつくしや夕馬酔木・・・・・・・・原コウ子

 花あしび朝の薬に命継ぐ・・・・・・・・角川源義

 花あしびかづきて鹿の子くぐり出づ・・・・・・・・阿波野青畝

 指さぐる馬酔木の花の鈴の音・・・・・・・・沢木欣一

 馬酔木咲き金魚売り発つ風の村・・・・・・・・金子兜太

 こころみに足袋ぬぎし日や花あしび・・・・・・・・林翔

 宵長き馬酔木の花の月を得し・・・・・・・・野沢節子

 邪馬台の春とととのへり花あしび・・・・・・・・小原青々子

 囀に馬酔木は鈴をふりにけり・・・・・・・・下村梅子

 父母に便り怠り馬酔木咲く・・・・・・・・加倉井秋を

 時流れ風流れをり花馬酔木・・・・・・・・村沢夏風



げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   げんげ田にまろべば空にしぶき降る
     架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(((角川書店)に載るもので、沓冠(くつかぶり)という昔からの歌遊びの形式による連作「秘めごとめく吾」の巻頭の歌。

この一連については2004/05/22のTB■<沓冠>という遊び歌について──草弥の<秘めごとめく吾>に則して──という「エッセイ」に全文と解説を載せたが、下記に再録しておくので、ご覧いただきたい。
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──初出Doblog・2004/05/22のBlog
  <沓冠>という遊び歌について・・・・・・・・・・木村草弥

──エッセイ──

<沓冠>(くつかぶり)という遊び歌について──

 ───木村草弥の作品<秘めごとめく吾(わ)>の場合── 

或る人との交信の中で「沓冠」(くつかぶり)という、中世から和歌の世界でやられてきた「遊び歌」について触れたところ、どういう仕組みかという質問があった。そこで私の作品を例にあげて説明してみたい。

これは「秘めごとめく吾(わ)」という題名の沓冠15首であるが、雑誌『未来』誌1996年9月号に、特集・異風への挑戦③で「課題・沓冠」が編集部から指名で課されてきたものに応じて発表したものである。
「くつかぶり」は漢字で書くと「沓」と「冠」とになる。
<冠>とは一首の歌の頭の音(おん)を①~⑮へ。
<沓>は歌の末尾の音を⑮~①へと辿ると
「現代短歌に未来はあるか
 そんなことは誰にもわからない」 となる。
この文をよく覚えておいてほしい。
これが「くつかぶり」という歌の遊びであるが、15首の歌の頭と末尾が、事前に決っているので、それに基づいて歌を作り、連ねて行かなければならない、という難しさがある。この、沓冠に宛てる「文」は作者の自由に決めてよい。なお沓冠には二種類あり、私は一首の頭と末尾に沓冠をあてはめたが、もう一種類は、各歌の5、7、5、7、7の各フレーズの区切りに、沓冠に選んだ字(音=おん)を当てはめてゆく、というもの。

では、実際に、私の作品を見てみよう。なお歌の頭に便宜的に①~⑮の数字を付けておいた。
実際の作品にはついていない。

 秘めごとめく吾(わ)──沓冠15首・・・・・・・・・・・・・・・・木村 草弥

①げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢

②ん、といふ五十音図のおしまひの大変な音(おん)が出て来ちやつたな

③だいぢやうぶ、忘八といふ大仰な題名つけた人がゐるから

④生きものはみな先ず朝を祝福せむ、徹夜してまで作るな短歌

⑤たまさかの独り居の夜のつれづれに十指を洗ふ秘めごとめく吾(わ)

⑥ん、ならね 人の世の運などといふ不確かなるに縋りてをるも

⑦革ジャンに素乳房を秘めハーレーに跨る少女、血を怖れずに

⑧にちげつを重ねて揃ふ茶のみどり摘むゆびさきは陽光(ひかり)に刺され

⑨みどりなす陽ざしに透ける茶摘女の肌うるはしき茶ばたけの段(きだ)

⑩ライラックそのむらさきの髪ふさの舞姫ソフィゆめに顕(た)てるは

⑪いなづまのびりりと裂きし樹の闇を殻もゆらさず蝸牛ゆく音

⑫花火果てて元のうつろな河となり晩夏の水を眺むるをとこ

⑬アポトーシス自然死なるにあくがれて華甲も六とせ越えし吾かな

⑭るいるいと海松(みる)の朽ち藻に身をまかせ記憶の森にトラウマ尋(と)めん

⑮愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるをもくれんの花は昼もだすとぞ

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お判り頂けただろうか。見ていただけば判るように、かなりの習練と、当意即妙な自由さ、が必要である。
私などは、かなり遊びの要素の多い人間で、こういう遊びは大好きであり、もう15年も前のことだが、これを制作中は、嬉々として楽しく作品作りに当った。実際の制作期間は2日ほどである。
先ず、当てはめる<冠>と<沓>になる「文」を作り、それを歌の頭と、歌の末尾に配置してから、歌の制作にかかる。
作ったあとには、大きな達成感があるのである。
並べる歌の数は15とは限らない。10でもよいし、30でも、よい。
ただし、30となると、かなり難しさが増すだろう。どんな数にするかは、課題を出す編集者の裁量である。
この一連は第二歌集『嘉木』に収録してあるが、自選50首には載せていないので、Web上では、ご覧いただけない。
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「げんげ」はレンゲ草というのが一般的な呼び方であるが、文芸の世界では「げんげ」と呼んで「非日常的」な演出をするのである。
レンゲ草は休耕田などに秋に種を蒔いて田一面にレンゲを生やし、春先に田植えのための田こなしの前にコンバインなどで土に鋤き込む。
「緑肥」というものである。
レンゲは根に「根瘤バクテリア」というのが着いて空気中の窒素を固定化する作用をする。昔から、このことは経験的に農民には知られていて、冬の季節に広く栽培されたのである。
しかし現在、栽培されているレンゲは西洋レンゲといって、茎も葉も花も大型のもので、昔の在来種のニホンレンゲとは、比べ物にならないお化けのような大きさである。この方が緑肥としての効率は、いいのだそうである。
ご参考までに申し上げると「根瘤バクテリア」を利用する植物としては「大豆」がある。これも根に根瘤バクテリアがつくので、後作に土の中に窒素分が多く含まれることになるのである。
耕作すると作物が土中の栄養素を吸ってしまい、地味が痩せるのが普通で、したがって肥料を補充しなければならないが、こういう根瘤バクテリアのつく植物は、そのような肥料の補充が助かるというものである。
もっとも、肥料には窒素、燐酸、加里という肥料の三要素が均衡していることが必要であることは言うまでもない。

掲出した私の歌については、先に書いた「エッセイ」をみて鑑賞してもらうとして、別に書き添えることもないが、「馬齢」というのは、いたずらに年齢を重ねることを言い、私のことを指している。

「げんげ」「げんげん」「紫雲英」などと書くが、それらの句を引いて終わる。

 野道行けばげんげんの束のすててある・・・・・・・・・・正岡子規

 桜島いまし雲ぬぎ紫雲英の上・・・・・・・・・・山口青邨

 げんげ田の鋤かるる匂ひ遠くまで・・・・・・・・・・阿部みどり女

 げんげ田はまろし地球のまろければ・・・・・・・・・・三橋鷹女

 頭悪き日やげんげ田に牛暴れ・・・・・・・・・・西東三鬼

 切岸へ出ねば紫雲英の大地かな・・・・・・・・・・中村草田男

 おほらかに山臥す紫雲英田の牛も・・・・・・・・・・石田波郷

 青天の何に倦みてはげんげ摘む・・・・・・・・・・鈴木六林男

 紫雲英野の道たかまりて川跨ぐ・・・・・・・・・・清崎敏郎

 睡る子の手より紫雲英の束離す・・・・・・・・・・橋本美代子

 げんげ田が囲む明日香の后陵・・・・・・・・・・石井いさお

 死ぬ真似をして紫雲英田に倒れけり・・・・・・・・・・山崎一生

 げんげ田に寝転ぶ妻を許し置く・・・・・・・・・・三好曲

 子山羊にも掛けて蓮華の首飾・・・・・・・・・・沢 聡

 紫雲英野を発つくれなゐの熱気球・・・・・・・・・・塩出佐代子

 畦ひとつとんで咲きたる紫雲英かな・・・・・・・・・・中山世一



09年版ベスト・エッセイ集『死ぬのによい日だ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
死ぬのによい日だ

 ──新・読書ノート──

日本エッセイスト・クラブ編 
09年版ベスト・エッセイ集 『死ぬのによい日だ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・・・・・・・文芸春秋社2009/08/30刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

見出しの通りの本である。
この本の「帯」には

  <死とは生涯をかけての達成、と書き残した父。「死ぬのによい日」があるのかを問う表題作のほか、
   歴史の奥行き、食の不思議、人の叡智など、
   五十五の名篇には短文の魅力があふれている。>

と書いてある。
本の題名だけ見ると深刻な本のようだが、選りすぐられたエッセイの名品が揃っている。
私がいつもお世話になっているネット書店BK-1の書評に載る投稿を下記に引いておく。
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   浜の真砂は尽きるとも

 毎年おなじみとなった、日本エッセイスト・クラブ篇のベスト・エッセイ集の最新刊である。
 最初の集『耳ぶくろ』が刊行されたのが1983年だから、もう27年つづいている。石川五右衛門ではないが、「浜の真砂は尽きるとも」と見得をきりたくなる。つづく言葉は「世にエッセイの種は尽きまじ」である。
 今回の集では、表題作となっている「死ぬのによい日だ」をはじめ、全55篇のエッセイが収められているが、書くことを生業としている、いわゆる作家とか随筆家といった人たちの割合が27年前と比べると、随分少なくなっている。書くことで自分自身をみつめなおすといったような、趣味でエッセイを書く人たちが増えているのだろう。こういうところにも高齢化社会の影響、もちろん、いい影響であるが、がでているといえる。

 表題作の「死ぬのによい日だ」は料理研究家丸元淑生さんの死へと向かう闘病の姿をご子息である康生さんが描いた短い文章ながら、父の食に対する心構えとゆるやかに訪れる死への旅立ちが温かな目線で語られている。「生まれ変わるとしたら何になりたい?」という妻に、「生まれ変わりたくない。パパは疲れたよ。もう休みたい」と答える病床の淑生さんの姿に、男子の一生とはかくも大変なものかと、ひどく胸を衝かれた。
 女優の十勝花子さんが「転ぶ老女」という文章に綴った、人とのつながりを求めて故意に転ぶ老女の姿などを読むと、丸元康生さんの文章とは肌合いのちがう、人生というものが儚さというだけでは表現できないアクのようなものを感じる。
 その一方で、三浦しをんさんのおばあさんのような明るい、ほほえましい老いを見させてもらい、ほっとする(「祖母とわたし」)。

 人生にこれが正解も、これがまちがいもない。
 人それぞれ、たった一篇の、小さな物語があるだけかもしれない。
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ここに納められたエッセイは、いずれも一篇は、せいぜい5ページ未満のものなので読みやすい、しみじみと心に沁みるものが多い。
今度のものは、2008年中に発表されたエッセイから二次にわたる予選を通過した128篇が候補作として選ばれ、日本エッセイスト・クラブの最終選考によって55篇が選ばれた。初出誌には「随筆春秋」というような雑誌も含まれ、エッセイを書くことに情熱を持っている、いわば無名人の作品も載っていることを書いておきたい。



道尾秀介『球体の蛇』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   道尾秀介『球体の蛇』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
         ・・・・・・・・・・・・・・・角川書店2009/11刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・

呑み込んだ嘘は、一生吐き出すことは出来ない-。青春のきらめきと痛み、そして人生の光と陰をも浮き彫りにした、極上の物語

  あらすじ
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あなたが殺してくれたのね
1992年秋。17歳だった私・友彦は両親の離婚により、隣の橋塚家に居候していた。主の乙太郎さんと娘のナオ。奥さんと姉娘サヨは7年前、キャンプ場の火事が原因で亡くなっていた。どこか冷たくて強いサヨに私は小さい頃から憧れていた。そして、彼女が死んだ本当の理由も、誰にも言えずに胸に仕舞い込んだままでいる。

乙太郎さんの手伝いとして白蟻駆除に行った屋敷で、私は死んだサヨによく似た女性に出会う。彼女に激しく惹かれた私は、夜ごとその屋敷の床下に潜り込み、老主人と彼女の情事を盗み聞きするようになる。しかしある晩、思わぬ事態が私を待ち受けていた……。

狡い嘘、幼い偽善、決して取り返すことの出来ないあやまち。矛盾と葛藤を抱えながら成長する少年を描き、青春のきらめきと痛み、そして人生の光と陰をも浮き彫りにした、極上の物語。
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道尾 秀介(みちお・しゅうすけ)
1975年東京生まれ。2004年『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、同作でデビュー。2005年『向日葵の咲かない夏』で注目を集める。2007年『シャドウ』で第7回本格ミステリ大賞、2009年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞を受賞。デビューからわずか5年ながら、ミステリー、ホラー、文芸など、ジャンルの壁を打ち破る大躍進を続ける、いま最も注目されている作家。著書に『鬼の跫音』『片眼の猿』『ソロモンの犬』『ラットマン』『龍神の雨』など

角川書店のサイトに著者の執筆について語る動画が出ているので、ご覧ください。 ↓

道尾 秀介「執筆を語る」

老いらくの肩にぞ触るる枝先のしだれてこの世の花と咲くなり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
entry_25しだれ桜小渕沢

   老いらくの肩にぞ触るる枝先の
    しだれてこの世の花と咲くなり・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』((角川書店)に載るものである。
この歌の前後に

   樹の洞に千年の闇いだくらむ三春の桜は滝の飛沫に

   一もとの桜の老木植ゑられてここが墓処(はかど)と花吹雪せる

   やすやすと齢加ふるにもあらず釈迦十弟子に桜しだれて
・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っている。
いずれも桜の「明」の部分ではなく、「暗」の部分を詠んでいる。
4冊も歌集を出すと、「桜」を詠った歌もかなりあるものである。
歌集を紐解いて、先日来、集中して桜にまつわる歌を載せてみたが、まだまだあるけれども、一応このくらいで打ち切りにしたい。
というのは、桜も、ほぼ散り尽くしてしまったからである。
桜が終ると世間では、フレッシュマンたちの入社式、入学式のシーズンも終る頃である。
若人たちには頑張ってもらいたい。老い人からのエールである。
私の初めての女孫も大学を出て、某社に就職して、もう五年が過ぎた。

終るにあたって、「花」=「さくら」を詠んだ句を引いておく。

 花万朶さゆらぎもなく蔵すもの・・・・・・・・山口青邨

 チチポポと鼓打たうよ花月夜・・・・・・・・松本たかし

 丹波山城ふた国わかつ花の塚・・・・・・・・角川源義

 椀に浮く花びら柚子も花の頃・・・・・・・・後藤比奈夫

 花の山ふもとに八十八の母・・・・・・・・沢木欣一

 花万朶をみなごもこゑひそめをり・・・・・・・・森澄雄

 永劫の途中に生きて花を見る・・・・・・・・和田悟朗

 吹き上げて谷の花くる吉野建・・・・・・・・飴山実

 京の塚近江の塚や花行脚・・・・・・・・角川照子

 白粥は花明りとぞ啜りけり・・・・・・・・山上樹実雄

 花の木や只木に戻る諸木中・・・・・・・・高橋睦郎

 獄を出て花の吉野をこころざす・・・・・・・・角川春樹

 桃山も伏見も匂へ花明り・・・・・・・・筑紫磐井

 鍵ひとつ掛けて余生の花の旅・・・・・・・・徳留末雄

 帯ひくく結びて花に遊びけり・・・・・・・・塚原岬

 母ひとりいかにいかにと花万朶・・・・・・・・佐藤宣子




ひとり連詩・「残 照」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
イコン

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(59)

        ひとり連詩・ 残 照・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
          ──春潮の快楽(けらく)か老いのうす明かり──



   <川は枕の下を流れ>
   と詠んだのは吉井勇
   川は きのうへ流れ
   ひとりぼっちの川は流れる 無信心
   性書ひらく一瞬 さくらが咲いた
   本なんか読むなよ 満開の桜だ
   母の展(ひろ)げる地図に さくらさくら
   襞(ひだ)をひろげると地図が消えている
   妻の手の鳴る方へ 魚形の眼(まなこ)だ
   春の夜の不思議な夢に家族の目だ
   私の咎(とが)で傷つくお月さまだ
   春の雨 やがて弔い唄になる。


   花は雫(しずく)して木偶(でく)の唇はひらき
   弱肉強食の歯にしらしらと桜満ち
   木偶に木偶来て きのうのさくらだね
   死者の目に残るさくらの幾ひらぞ
   生は死の一部分であり
   生きる証(あかし)の腐臭を放つのだ 贄(にえ)
   じっとしていると集(つど)う孤と孤と孤
   あこがれのあれは けだものの火のかたち
   青嵐 火の手が及ぶかもしれぬ
   待つ身ゆえに 郵便受に日が落ちる。


   野菜サラダの上を菜種前線通過中
   存在証明 大きな音で茶碗が割れる
   こっそりと研ぐ快感のナイフ
   ナイフ研ぐ かすかに青を零(こぼ)す指
   フラスコの中の白濁した未来
   黄泉比良坂(よもつひらさか) 缶を蹴ったり石を蹴ったり
   ガードレールをざくっと越えてゆく記号
   「柿の種」をポリポリ 遺産相続人になる
   木のぬくもり 男と女の過失率
   毀れゆく確かなものなど有りはしない
   屈託もなく春風が春画をめくる
   吉野は天川村洞川(どろがわ)から陀羅尼助丸が届く
   いいえ、言葉の置き薬です。


   体内と体外の毛の出来ごころ
   通せんぼは止(よ)して あなたの夢の中
   春の体内の橋はぐらぐらと危険だ
   木の腋をくすぐり女は雨を待つ   
   気持よさそうに紐がのびている
   そう、蛇になったら行くところがある
   しばらくは木の股に 生きているよと揺れている
   そう、ふんころがしの一生に似て来たな。
   
       ひとつぶの朱(あけ)の残照 生きている。

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(2010/04/10作)
原作は縦書きで、ルビも振れるが、このフォーマットではフリガナが振れないのでカッコに納めた。
見苦しいがお許しあれ。 習作中のため改作することがあります。
この四月で、母の十八周忌。妻・弥生の四周忌になる。 その菩提追善のための献詩として作った。

いま昼前に札幌に住む亡妻の妹・克子さんから命日の生花が届いた。仏前に供えた。

掲出した「ロシア正教のイコン」画像は手持ちの画像を出したもので、私の詩とは直接には無関係である。


三人子に何を残さむあてもなく花ひとひらを遺書となさむか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
sisters-03s三人姉妹

   三人子(みたりご)に何を残さむあてもなく
    花ひとひらを遺書となさむか・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』((角川書店)に載るものである。

私には三人の子があるが、いずれも女の子である。妻を入れて5人のうち、男は私ひとりだった。
女の子は男親の話し相手には、ならない。娘たちは、みな妻にばかり話をするのであった。
あげくに今は「独居老人」である。父親なんて、つまらないものである。

掲出した写真は、極めて恣意的ながら、

劇団俳優座創立60周年記念公演・チェーホフ連続公演No.2
アントン・П・チェーホフ原作「三人姉妹」
 訳・演出:安井武
劇団俳優座公演 270 平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業
 2003年11月12日(水)~23日(日) 俳優座劇場 六本木

の舞台稽古の写真から拝借した。 私の娘たちは、皆こんなに美人ではない。
「三人姉妹」というのを映像化しようとすると、こんな借用になった。お許し願いたい。

この頃は正式の公証人を立てた「遺書」というのではなく、略式の遺書ないしは自分史の記録的なものを書くのが、流行っているらしい。
私には、これといった物質的な遺産はないので心配はないし、すでに4冊の歌集も上梓したので、私の「生きざま」については、それを読んでもらえば、ある程度は「私」という人間は、知ってもらえるだろう。
先に書いたように三人娘とは若い頃から、じっくりと話し合ったことなど、ない。
最近になって、妻が病気がちになって、世話の必要上、娘たちが、話しかけてくるようになったに過ぎない。
妻が死んだ今となっては、元気な私の傍には寄り付きもしない。
やって来るのは、お盆と正月だけ、ということである。

yun_2351ソメイヨシノ

掲出した歌は、そんな気持から、「花ひとひら」を遺書にしようか、などという風流めかした表現を採ったものである。

同じ歌集の歌に

   草餅とひなあられ置く雛飾り子はをみなのみ三人姉妹

   姉妹(きやうだい)が縄とび遊びをくりかへす 姉は「ほらいまよ ぴよんと跳んで」
・・・・・・・・・・・木村草弥 

というのがある。
先に書いたような私の心境が詠み込まれていると思う。
そして、こうやって見ると、三人姉妹のことも小さい頃は、よく観察していると思う。
ただし歌にしたのは、ずっと後のことである。



吉村仁『 強い者は生き残れない』―環境から考える新しい進化論―・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ──新・読書ノート──

 吉村仁『 強い者は生き残れない』―環境から考える新しい進化論―・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・新潮選書 2009/11刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本の「帯」には

  <一人勝ちは、自然の法則に反していた。>

と書かれている。ショツキングな見出しであり、どうしても読みたいという衝動に襲われる。

約40億年という生物史を振り返ると、生き残っているのは「強い者」ではなかった。
ダーウィン進化論にはなかった、「環境は変動するもの」という斬新な切り口から、「協力行動」という生き残り戦略に注目する。
終章では自由市場主義の瑕疵まで論及。ダーウィンから総合学説に発展した進化論に、いま「環境変動説」が加わる。

はじめに新潮社・読書誌「波」2009年12月号に載る書評を引いておく。
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     「最適」よりも「そこそこ」・・・・・・・・・・・・西成活裕

 人類が地球に誕生したのが約四百万年前。一方、昆虫の起源は四億年前といわれている。人類の知恵は、昆虫の獲得してきた知恵に比べたら浅はかなもので、我々は生物からもっといろいろなことを学ばなければならない。そういったことを真剣に考えさせられる最高の一冊がついに出た。
 我々は進化の最終到達点にいる高等動物である、と考えるのは大変な驕りである。人間ももちろん例外ではなく、進化と絶滅の大きな流れの中にいる存在なのだ、と四十億年の生物史を深く知る著者は語る。どういう生物がこれまで長い間生き残ってきたかを調べれば、自ずと真の持続可能社会の姿が見えてくるのだ。
 進化論で知られるこの分野において、環境変動という視点がこれまでの研究には欠けていたと著者は主張する。自分の形質や遺伝子を持つ子孫を残すことのできる「強い者」が繁栄する、というのがダーウィンの説だったが、それは環境が変化しないことが前提であった。しかし生物にとっては、不確実な環境への対応こそが生きていく上で最も重要なことなのだ。
 例えばライチョウの羽の色は夏には黒褐色だが、雪の降る冬は白になり、これにより外敵から見つけられにくくなる。しかし暖冬で雪が少ないときもある。気候を予測することはできないので、集団の中には冬でも黒褐色のものがある割合でちゃんといるのだ。これではもちろん最適ではないが、絶滅を避けるという意味では素晴らしい知恵だ。ある環境に対して最適に進化していくのではなく、どんな環境にもそこそこ耐えられるように進化していくことが長期存続のためには重要なのだ。さらに環境の安定期にも、将来の環境変化に備えて突然変異によって多様性を常に増やしている。こうして生物は様々な保険をかけて環境変動に対処しており、子孫を最大限残す強者になるのではなく、絶滅しない戦略をとっている。
 さらに環境に対応して生存率を上げるためには、生物は集団を形成してお互い様々な利他行動をとる知恵を持つ。エスキモーの社会でも厳しい寒さを皆で乗り切るため、赤ちゃんを交換して育てることで、集団の絆を強くしているそうだ。
 生物は繁栄よりも存続することを優先する。これを企業に置き換えてみよう。いま無理に儲けても、数年後に倒産しては意味がない。したがって「儲ける」から「倒産しない」に発想を変えると、多くのことが見えてくる。社会も同じで、成長より存続であり、そのためには協調と利他が何より重要であり、利己では生き残れないのだ。
 本書は、世界が現在直面している経済の閉塞感に確かな見通しを与えている。読んでいると、迷える人類よ自然に学べ、という著者の叫びが聞こえてくるようだ。変動する環境こそが選択する、という「環境変動説」の誕生の瞬間に立ち会うことができた興奮はいまだ醒めない。 (にしなり・かつひろ 渋滞学者・東京大学教授)
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      吉村仁(ヨシムラ・ジン) 略歴

1954年、神奈川生まれ。ブリティッシュ・コロンビア大学研究員、インペリアル・カレッジ個体群生物学センター研究員などを経て、現在は静岡大学創造科学技術大学院教授およびニューヨーク州立大学併任教授、千葉大学客員教授。専門は数理生態学で、主に進化理論を研究している。1987年に発表した環境不確定性の論文が、進化理論研究の第一人者、英国のメイナード・スミスらが書いた「Nature」レビューに引用され欧米で一躍注目を集めた。一般書に、『素数ゼミの謎』(文藝春秋)、『17年と13年だけ大発生? 素数ゼミの秘密に迫る!』(ソフトバンク クリエイティブ)、『生き残る生物 絶滅する生物』(日本実業出版社、共著)など。

この本の「目次」は下記の通り。

まえがき
第一部 従来の進化理論
第一章 ダーウィンの自然選択理論
「環境」という言葉は使われなかった/生まれることより、生き残ること/相対適応度と平均適応度/「霧のロンドン」と黒い蛾/進化の速度は思ったより速い
第二章 利他行動とゲーム理論
人はなぜ溺れる子を助けるのか/溺れる子を助けない理由/ウソつき村は滅びる/にわか成金と歴史ある富豪とのちがい/協調すれば救われる
第三章 血縁選択と包括適応度
子供を作るより姉妹を助けた方が得/エスキモーの子育て/血縁選択か集団レベル選択か/操作される行動
第四章 履歴効果
三つ子の魂百まで/インカの王に数千の妻/昆虫が小さい理由/ユキヒメドリの実験
第五章 遺伝子の進化と表現型の進化
木村資生の大発見/進化はどう進むか/魚は意思では陸に上がらない
第二部 環境は変動し続ける
第六章 予測と対応
双子の電子カメはなぜちがう行動をとるのか?/季節は変わる/生き物も保険をかける/「マーフィーの法則」は当たっている/コンコルドの誤謬/宝くじ売り場の錯覚
第七章 リスクに対する戦略
モンシロチョウの悩み/1回繁殖と多回繁殖/リスキーかセイファーか/世代をまたがる環境変動/種子がとる戦略
第八章 「出会い」の保障
精子と卵子のリスクヘッジ/オスとメスの「出会い」/チョウはなぜ山に登るのか/出会いのために進化した素数ゼミ/浮気もリスク分散のため
第九章 「強い者」は生き残れない
最適が最善ではない/鳥はなぜヒナを少なめに育てるのか/3つの進化理論の違い
第三部 新しい進化理論――環境変動説
第十章 環境からいかに独立するか
進化は単なる「変化」/多産によって多死をカバー/逃げる/「休眠」というタイムマシン/体温を一定に保つ/群落という戦略/集団で越冬/育児というリスク回避
第十一章 環境改変
「巣」という環境改変/「家」とは何か/農業は大きな一歩/医療という環境改変/学習の進化/教育と科学と環境
第十二章 共生の進化史
協力し合って生き残る/真核生物の進化と多細胞化/「カンブリア爆発」と絶滅・進化/植物と組織分化/植物群落の意味/熱帯雨林も巨大共生系/共生が不可欠な地球
第十三章 協力の進化
生物が群れる理由/アラーム・コール/交尾集団「レック」/「一人勝ち」を避ける一夫一婦制/協同繁殖から家族へ/道徳と法律/民主主義は協同メカニズム
第十四章 「共生する者」が進化する
文明にはなぜ栄枯盛衰が起きるのか/資本主義も例外ではない/ゲーム理論の瑕疵/生物資源経済学が示唆すること
あとがき
参考文献


夜ざくらは己が白さに耐へかねてほろほろ散りぬ 死を覚えゐよ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
entry_24しだれ桜円山公園

   夜ざくらは己(おの)が白さに耐へかねて
     ほろほろ散りぬ 死を覚えゐよ(メメント・モリ)・・・・・・・・木村草弥


この歌の結句「死を覚えゐよ」のところには、「メメント・モーリ」という有名なラテン語の「警句」が「ふりがな」として付ってある。
この警句はヨーロッパの教会へゆくと壁画などとともに掲げてある。

メメント・モリのラテン語表記は memento mori であって、メメントとは、記憶する、覚えるという単語の命令形である。私は、それを覚えゐよ、と書いてみた。モリないしはモーリは「死」のことである。
この警句はヨーロッパ中世の頃にキリスト教会に掲げられるようになった。
この頃はペストその他の伝染病で多くの人が死んだ頃で「死」が日常的だった。
だから教会は人々に「死」ということに自覚的であるように求めた──つまり人間がいかに弱い、つまらない存在であるかを知れ、と言ったのである。

この警句は、藤原新也の写真文集の題名にも使われ、この本はよく売れた。

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せたものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。



中村弦『天使の歩廊』―ある建築家をめぐる物語―・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  ──新・読書ノート──

  中村弦『天使の歩廊』―ある建築家をめぐる物語―・・・・・・・・・・・・・木村草弥
      ・・・・・・・・・・・・新潮社2008/11刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時は明治・大正の御世。老子爵夫人には亡き夫と過ごせる部屋を、へんくつな探偵作家には永遠に飽きない家を――孤高の建築家・笠井泉二は、依頼者の心にひそむ「本当の望み」を叶える不思議な力を持っていた。選考会開始直後に受賞(ほぼ)即決! 天使の幻影にとり憑かれた造家師と、その優しい奇跡に酔いしれる人たちの華麗な輪舞曲。

この小説は第20回日本ファンタジーノベル大賞を受賞したものである。
新潮社の読書誌「波」2008年12月号に載る書評を引いておきたい。

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近代日本史への静かな拒絶・・・・・・・・・・・・・・・細谷正充

 第一回の受賞作となった酒見賢一の『後宮小説』から、常に固定化したファンタジーのイメージを突き崩す、斬新な才能が輩出してきた“日本ファンタジーノベル大賞”も、今年で二〇回を数える。その記念すべき年に相応しい、優れた作品が、大賞受賞の栄誉に輝いた。中村弦の『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語―』である。
 本書は、全六章から成り立っている。それぞれの章は独立した物語として読むことができるので、連作長篇といっていいだろう。全体を貫くのは、風変りな天才建築家・笠井泉二の、明治から昭和初期にかけての歩みだ。しかし主人公の軌跡の描き方は、一筋縄ではいかない。
 具体例を挙げよう。第一章となる「冬の陽」は、大正三年が舞台だ。ある子爵の母親から「生きている人間と死んでいる人間とが、いっしょに暮らすための家」の設計を依頼された泉二は、彼女の人生を聞き取り、そこに込められた想いを形にする。
 ところが、続く「鹿鳴館の絵」では、明治の鹿鳴館時代まで、時代をバック。尋常小学校一年生の泉二の描いた絵が、存在の意味を失った鹿鳴館の欺瞞を暴くことになる。このように作者は、明治・大正・昭和を自在に往還しながら、特異な建築家と、その建築物を必要とした人々の肖像を描いていくのだ。
 また、第三章「ラビリンス逍遥」では、泉二は登場することなく、ただ彼の造った迷宮建築が屹立しているなど、連作としてのアクセントの付け方も達者なもの。とても新人のデビュー作とは思えない、テクニカルな作品になっているのである。
 もちろん見事な小説作法で綴られた、物語の内容にも瞠目すべきものがある。幼少の頃から天使のごとき何かに導かれた泉二は、時代と隔絶したあまりにも特異な建築家として、奇抜な家を造る。上代子爵家別邸新館・迷宮閣・忘れ川の家……。依頼主の意向により目的は違うが、そこに建てられた家はすべて現実から別の世界へ繋がる場所と化す。そして自分の人生に何らかの蟠りを抱いている人の心を、慰撫するのだ。現実から異界へ往くというストーリーは、ファンタジーの基本形のひとつだが、そのための装置として“建築”を持ってきたところに、この作品の独創性があるといえよう。
 さらに、近代日本を舞台とした、歴史小説として読めることも、本書の魅力となっている。現実から別の世界に繋がる家は、必然的に現実を拒絶する。それは近代日本の歴史に対する、静かな拒絶でもある。泉二の建築を通じて暴かれる、日本の近代の姿に、作者の確かな歴史眼が感じられるのだ。
 ファンタジー・ファンだけでなく、歴史小説ファン、いや、エンタテイメント・ノベルを愛するすべての読者にお薦めできる一冊だ。将来性豊かな作家が、またひとり“日本ファンタジーノベル大賞”から現れたことを喜びたい。 (ほそや・まさみつ 文芸評論家)
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  中村弦(ナカムラ・ゲン) 略歴

1962(昭和37)年東京都大田区生まれ。國學院大學文学部卒業。2008年『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語―』で第20回日本ファンタジーノベル大賞を受賞、デビュー。「新しい伝奇ロマンの開拓者」(荒俣宏氏)「静かに着実に高みに上り詰めた傑作」(椎名誠氏)と絶賛を浴びた。丁寧な調査に裏づけされた構成、読みやすくゆきとどいた文章、明るい中にもどこか影のあるキャラクターが人気を呼ぶ。

この小説の「目次」は次の通り。

――明治十四年――
I 冬の陽
II 鹿鳴館の絵
III ラビリンス逍遥
IV 製図室の夜
V 天界の都
VI 忘れ川
――昭和七年――

同じ作者の2009/11刊の『ロスト・トレイン』がある。 ↓
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  中村弦 『ロスト・トレイン』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

吉祥寺の居酒屋で、心優しき鉄道ファンはそうつぶやいた。直後に彼は失踪。ぼくは彼を慕う「鉄子」の菜月さんとともに、その姿を追って北へと向かう。けれどその言葉は、思いもつかないところにぼくらを運んでいった――。誰かを想うよろこび、何かを失うさみしさ。なつかしくなる、旅に出たくなる、大人のための青春小説。

新潮社の読書誌「波」2009年12月号に載る書評を引いておく。
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乗換駅での決断・・・・・・・・・・・瀧井朝世

 昨今、コンビナートやジャンクションといった無機質な建造物とともに、廃墟がブームであるという。建造物に染みこんだ生身の人々の歴史の匂いが魅力だとすれば、すでに使われていない線路、つまり廃線を訪ね歩く人々がいるのも不思議ではない。むしろ、そんな趣味もあるのかと興味が湧く。
 昨年『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語―』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞した中村弦氏の第二作『ロスト・トレイン』の主人公は、廃線マニア予備軍の青年だ。前作では建物に託された人々の思いが、今作では森の奥の幻の廃線跡という存在中に染みこまされていて、憧憬と郷愁をそそる上質なファンタジー小説に仕上がっている。
 26歳の牧村は、廃線跡を散策するのが趣味。ある日、奥多摩の廃線跡で、平間という、60代の鉄道ファンの男と知り合う。共通の趣味を通じて親交を深める二人だが、突然平間は姿を消してしまう。彼が残した「日本のどこかにまだ誰にも知られていない、まぼろしの廃線跡がある。それを見つけて始発駅から終着駅までたどれば、ある奇跡が起こる」という言葉を頼りに、牧村は平間を慕っていた「鉄子」の菜月とともに、彼の行方を辿り始める。
 日常の中に潜む異世界との接点。それはファンタジー小説には欠かせない設定だが、王道の展開といえば、図らずもアナザーワールドへ旅立った主人公が何らかの成長を経て現実に戻ってくるというもの。しかし本書は、あちらへ行ってしまったと思われる人物、そして向こうの世界への入り口を探すところから出発する。そこに通常のファンタジーとはまた違う、謎解きの面白さがある。牧村と菜月が平間の知人一人ひとりと会って少しずつ情報を集めていく様子は、まるで地道な聞き込みを重ねる刑事の物語のよう。その過程が、実に丁寧に描かれていく。失踪した平間が、幼少期にどのような傷を抱えて生きてきたのか。鉄道ファンたちが、どのようにコミュニケーションをとっているのか。列車の型や線路の歴史など、鉄道の知識をストーリーに潜り込ませていく筆力も見事。他の電車に乗車してしまった人間に追いつくためのトリックなどにはうなってしまった。ファンタジー、ミステリー、冒険小説、そして牧村と菜月さんの、ほのかな恋物語が、ここにある。
 平間は牧村にこんな言葉を残している。
「人の一生というのは鉄道に乗るのと似ています」
 決められたレールの上を行きたくないなんていう、人生を線路に喩えるセリフは、人生設計の方向転換を試みる人たちからよく聞かれる言葉であるが、平間の言葉はこう続く。
「(略)ところどころに乗り換え駅があるけれど、よくよく注意しないと番線や列車をまちがえて、目指しているのとは全くちがう場所へ連れていかれてしまう」
 確かに、人はレールから降りたつもりでも、実は列車を乗り換えているだけ。やはりその先にも決められたレールがあるのだとすると、乗り換えのタイミングと、どの列車に乗り換えるかの決断は、人生の重要課題となってくる。
 牧村と菜月がもしも廃線跡を見つけたら、彼らはどんな決断を下すのだろう。一体どんな奇跡を目の当たりにして、どんな平間の姿を見て、どんなことを思うのだろう。牧村はともかく、現実世界に愛想をつかしている様子の菜月は、もしかすると平間の後に続きたいと思っているのではないか? とすると、牧村のほのかな恋心はどうなるのだ。
 人は乗換駅でどのように決断を下すのか、つまり自分の世界を、どのように手に入れていくのか。本書はそれを教えてくれる物語でもあった。素晴らしいスペクタクルの果てに迎えるラストでは、心温まると同時に、ニヤリとさせられた。本書は、ここではないどこかへ憧れるすべての人に届く、大人の青春小説なのだ。 (たきい・あさよ フリーランスライター)



浴槽に花の筏がただよふよ春のゆふべの花いちもんめ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   浴槽に花の筏(いかだ)がただよふよ
    春のゆふべの花いちもんめ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

「花筏」というのは散った桜の花が池や川の水面に散り敷いて、さながら「筏」のように連なる様をいう。

この歌を発表したとき、私の友人が[浴槽に桜のはなびらが入って来る、なんていうことは考えられない」と発言した。
なるほど、今どきの現代風の密閉した「浴室」ならば、そういうことは不可能だろう。
だが、そこが「想像力」の問題なのである。
私の歌は「現在形」で詠まれているが、それは必ずしも、現在のこととは限らない。
昔の古い家の窓を大きく開け放った「風呂」桶に、家の近くに生える桜の大樹から、おびただしい落花が舞い込んで来るのである。
「過去」のことを「過去形」で詠んでは、味気ない「回想」あるいは「思い出」に堕してしまう。
そういう時に「現在形」で詠むことによって歌にリアリティを与えるのである。それが歌作りの、ひとつのヒントである。
要は「想像力」の問題である。
この歌の下句で「花いちもんめ」と詠んである。
これは日本の古い童謡からフレーズを借用してきたもので、これによって子供の「メルヘン」を描くのに成功した、と思っている。

ここで注意しなければならないのは、植物の中に「ハナイカダ」と言う名のものがあることである。

hana310_hanaikadaハナイカダの花

写真②は、その「ハナイカダ」という植物である。
写真をよく見ていただくと判るように、この木の花は葉っぱの真ん中に付いている、極めて特異な形をしている。
丁度「筏」に花が乗っているようなので、「ハナイカダ」の名前を頂戴したらしい。
歳時記には、このことに注意するようにと明記されている。
このハナイカダが、如何なる種に属する植物なのか、寡聞にして私には判らない。花言葉は「移り気」「嫁の涙」「ままっこ」。
参考までに事典には、こう載っている。

ハナイカダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

学名 Helwingia japonica
和名 ハナイカダ(花筏)
ハナイカダ(花筏、Helwingia japonica)はミズキ科の落葉低木で、北海道南部以南の森林に自生する。葉の上に花が咲くのが特徴である。雌雄異株。花は淡緑色で、子房下位、花弁は3-4枚。春に葉の中央に1-2個(雌花)または数個(雄花)の花が咲く。果実は黒い液果で種子を2-4個含む。この液果は甘味があり食べられる。進化的には葉腋から出た花序の軸が葉の主脈と癒合したと考えられる。

分類
亜種として南西諸島にリュウキュウハナイカダvar. liukiuensis、台湾にタイワンハナイカダvar. formosanaが分布する。同属にはH. chinensis、H. himalaicaがあり、中国南部、ヒマラヤに分布する。

ハナイカダ科
ハナイカダ属は従来ミズキ科に入れられていたが、APG植物分類体系ではモチノキ目の中の独立のハナイカダ科としている。



上野誠『万葉びとの奈良』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  ──新・読書ノート──

上野誠『万葉びとの奈良』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・新潮選書2010/03刊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

奈良の道はいにしえの平城京へと続いている――。整然たる条坊、壮大な宮城、寺院や仏像。のびやかな天平文化、やまと初のみやびをはぐくんだ国際都市・平城京。万葉集や正倉院御物を手がかりに、ミカドから庶民までの仕事と恋と日常をありありと甦らせる。万葉学者が独自の視点で日本の源流に案内する、かつてない奈良論。

新潮社・読書誌「波」2010年4月号に載る紹介文を引いておく。

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   内側から眺め、内側から語る・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱

 平城遷都一三〇〇年。ゆるキャラのせんとくんが大活躍。奈良は多くの観光客で活気づいているようで、さまざまな場面で話題になる昨今である。平成十年に平城宮の朱雀門が復元され、大極殿正殿もいよいよ復元・公開される。
 本書は、そんないま話題の奈良を、内側から眺め、内側から語った楽しい一冊である。
 平城京は「律令国家の官人の街、天皇・皇族と役人、さらにはその家族の街だった」。
 平城京は「今日でいえば国立大学に当たる寺院群を各所に配置し、研究学園都市としての一面を持っていた」。
 私たちは「あおによし奈良」という観光ポスターを見て、「古都」というイメージで遠い街のように奈良をながめる。鹿が平気であるいている街、巨大な古代遺跡が広々とひろがっている街、公道をあるいているとそのまま古い大寺の境内にはいってしまう街。私たちが奈良をエキゾチックな街とおもうのは当然なのだが、本書は万葉集という視点、奈良に住む人の視点で、そのイメージをぐっと現代の方にひき寄せてくれる。じつにスリリングである。
 人口約十万ほど。万葉集時代の奈良は、中央集権国家、仏教国家という当時の日本が選択した国家の枠組みの方位にそって建設され、整備された活気のある首都だった。
 その奈良は過去完了ではない。たった一三〇〇年の時間ではないか。奈良を内側から語る著者の語り口のはしばしに、そうした実感が読みとれる。
「まず、本堂の屋根の瓦を見て下さい」。著者は元興寺を案内する時にかならず、こう言うのだそうだ。「あの瓦は、明日香で焼かれた瓦が七一〇年以降この地に運ばれて、元興寺のお堂の屋根に今も載っているのです。明日香の瓦が現役で使われているんですよ……」。
 過去ではない一三〇〇年昔が現存するのだ。
「大極殿は、国会議事堂。朝堂院は、霞ヶ関の官庁街。朱雀門は、皇居前広場。佐紀・佐保は高級住宅街。春日野は、休日を楽しむ行楽地。男と女が出会う歌垣の場は、大阪難波の引っ掛け橋。そして古都である飛鳥は、永遠のふるさと……」。
 生活も、政治も、男女の出逢いも、たった一三〇〇年ではたいして変わらないのだ。万葉人たちも、花を植え鳥を飼育し池をつくって、庭を楽しんだ。勤務先への不満や昇進の遅さをぐちりながら同僚と酒を飲んだ。道で出あった人妻に一目ぼれして、ねむれない夜をすごした。私たちとおなじ日本語をしゃべり、短歌をつくって楽しんだのだった。
 単なる歴史の解説書ではない。万葉集の時代を現に生きていた人々をクローズアップした日本人論であり、それはそのまま現代日本人論でもあるようだ。 (ささき・ゆきつな 歌人)
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上野誠(ウエノ・マコト)略歴

1960年福岡県生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。文学博士。奈良大学文学部教授。奈良県立万葉文化館万葉古代学研究所副所長。第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団学芸賞受賞。万葉文化論を標榜し、歴史学・民俗学・考古学など周辺領域の研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案している。著書は論文集『古代日本の文芸空間』、新書『大和三山の古代』、選書『魂の古代学―問いつづける折口信夫―』など。

この本の「目次」は下記の通り。

プロローグ
第一章 「ミチ」「ミヤ」「ミヤコ」
第二章 奈良に都がやって来た!
第三章 「奈良びと」の誕生
第四章 「ミヤコ」と「ヒナ」の感覚
第五章 半官半農の貴族たち、官人たち
第六章 女性・労働・地方
第七章 平城京の庭を覗く
第八章 渡来の僧・鑑真物語
エピローグ

あとがき
参考文献
本書を読むための平城京関連年表


はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  はねず色のうつろひやすき花にして
    点鬼簿に降る真昼なりけり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。

この歌については上にリンクとして示したWebのHPの後半部に載っているが、短歌時評として前衛短歌作家として著名な塚本邦雄氏が読売新聞平成11年6月28日夕刊に、この歌を引用して、次のように批評していただいた。

  <いずれも心・詞伯仲した好著であり、これだけ熟読すると現代短歌の、ある断面が眼前に出現し、はたと考えこみ、また二十一世紀に望みを託したくなる。>

そういう意味でも私にとって「記念碑」的な、思い出ふかい歌である。詳しくは、WebのHPを覗いてみてもらいたい。

「はねず色」というのは、日本古来の色見本として掲げられている色で「うすべに色」のことである。
また「点鬼簿」(てんきぼ)というのは、仏壇に納められている先祖さまの戒名や祥月命日を書いてある「過去帖」の別名である。
人間は死ぬと「鬼籍」に入る、などというように、死んだら「鬼」になるのである。だから別名を「点鬼簿」という。
詩歌では、こういう風に「過去帖」という日常的な表現を、わざと避けて、「点鬼簿」という非日常的な表現を採るのである。
詩歌というのは、日常を非日常化したものである。

この歌も、花の盛りを詠んだ華やかなものではなく、「死」の匂いに満ちた哀感の歌と言えるだろう。
私は、いつも「死」の隣にいるのである。



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