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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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佐々木丞平ほか『蕪村』─放浪する「文人」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ──新・読書ノート──

佐々木丞平、佐々木正子、小林恭二、野中昭夫『蕪村』─放浪する「文人」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・・・・・・・・新潮社・とんぼの本2009/11刊・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本の「帯」に

(蕪村は)  <江戸ルネサンス最大の総合芸術家マルチアーティストだった!>

と書かれている。

蕪村というと現在では俳人として名高いと思うが、明治の頃までは画家としての知名度の方がはるかに高かったようである。
俳人として再評価したのは明治になってから、正岡子規の力によると言われている。
画家としては、当時の京都の文化人名鑑というべき「平安人物志」の安永四年(一七七五)版では、画家の部で蕪村は、円山応挙、伊藤若冲、池大雅に続く四番手として掲載されている。応挙、大雅といえば日本美術史の巨人、若冲は今や人気絶頂の画家であることは皆さん、御存知の通り。蕪村の書もなかなかセンスのいい文字で惹かれる方も多いところだから、編集者としては、本書で江戸ルネサンス最大の総合芸術家とした所以だという。

絵筆をとれば文人画から俳画まで自在にこなし、俳句を詠んでは芭蕉とならび、書にも抜群のセンスを示す、蕪村こそ詩・書・画、いわゆる三絶をきわめた、たぐいまれな総合芸術家だった! 旅を重ねた若き日から、京都に腰を落ち着けた円熟の晩年まで、大胆に変貌しつづけた蕪村の世界を、やさしく、懇切丁寧に追う。

この本の執筆者の略歴を書いておく。

佐々木丞平
ササキ・ジョウヘイ

1941年、兵庫県生れ。1965年、京都大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程修了。日本近世絵画史専攻。京都府教育委員会、文化庁、京都大学教授をへて、2005年、京都国立博物館館長に就任。

佐々木正子
ササキ・マサコ

1950年、神奈川県生れ。1976年、東京芸術大学美術学部絵画科卒業。日本画家、京都嵯峨芸術大学教授。1999年、夫・丞平とともに、円山応挙の研究で日本学士院賞受賞(夫婦での受賞は同賞の創設以来初めて)。丞平との共著に『円山応挙研究』(1996 中央公論美術出版)、『文人画の鑑賞基礎知識』(1998 至文堂)、『古画総覧 円山四条派系』1~6(2000~2005 国書刊行会)、『古画総覧 文人画系』1(2006 国書刊行会)などがある。

小林恭二
コバヤシ・キョウジ

1957年、兵庫県生れ。1981年、東京大学文学部美学科卒業。1984年、「電話男」で第3回「海燕」新人賞受賞。1998年、『カブキの日』(1998 講談社)で第11回三島由紀夫賞受賞。主著に『ゼウスガーデン衰亡史』(1987 福武書店)、『半島記・群島記』(1988 新潮社)、『父』(1999 新潮社)、『宇田川心中』(2004 中央公論新社)など、俳句関係の著書に『俳句という遊び』(1991 岩波新書)などがある。

野中昭夫
ノナカ・アキオ

1934年、新潟県生れ。1957年、早稲田大学商学部卒業後、新潮社写真部に入社。「芸術新潮」のスタッフ・カメラマンとして長年、活躍。連載「ローカルガイド」及び「現代人の伊勢神宮」で日本雑誌写真記者会賞受賞。現在、フリー。撮影を担当した単行本には、白洲正子ほか『白洲正子のきもの』(2002)、牧山桂子『白洲次郎・正子の食卓』(2007)、『白洲次郎・正子の夕餉』(2008 全て新潮社)など、とんぼの本シリーズにも『道祖神散歩』(1996)などがある。
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私が初めて「蕪村」の書画に会ったのは、一昨年に滋賀県甲賀市信楽町にある私立美術館 MIHO MUSEUM(みほ・みゅーじあむ)の「蕪村─翔けめぐる創意─」展であった。

ここは、神慈秀明会の会主・小山美秀子のコレクションを展示するため、1997年(平成9年)11月に開館した。コレクションには、ギリシア、ローマ、エジプト、中近東、ガンダーラ、中国、日本など、幅広い地域と時代に渡る優品2000点以上が含まれている。コレクション形成に数百億円をかけたともいわれ、日本にある私立美術館のコレクションとしては有数のものである。館長は辻惟雄東京大学名誉教授。

信楽町郊外の自然豊かな山中にある美術館は、「桃源郷」をイメージして造られている。レセプション棟から桜並木を通ってトンネルをくぐり、その先の吊り橋の向こうに展示館がある。利用者の移動の便のために電気自動車がレセプション棟と展示館の間を往復している。建物は、ルーヴル美術館の「ガラスのピラミッド」、ワシントンのナショナル・ギャラリー東館で有名な建築家、イオ・ミン・ペイの設計である。建築容積の8割が地下に埋没しているというこの建物は、周囲の自然景観保全に配慮したものである。
この美術館の広い窓から遥か彼方の山の中腹に、この美術館を建てた「神慈秀明会」の宗教施設の本部の建物が聳えているのが見える。
この建物は「新名神」高速道路を走っているときにも、くっきりと遥かに見える。

下世話なゴシップ的な話をすれば、新興宗教である神慈秀明会の会主・小山美秀子は「世界救世教」の教祖だった岡田茂吉の彼女だったと言われており、岡田茂吉死後に分裂して出来たものである。
この美術館の建物も立派なもので、かつ、先に書いたように美術館長にも当代一の学者を招致しており、美術館界においても一目おかれる存在である。

参考までに、世界救世教(せかいきゅうせいきょう)とは、大本教の幹部であった岡田茂吉(おかだ もきち、1882年(明治15年)12月23日 - 1955年(昭和30年)2月10日)が1935年(昭和10年)に立教した新宗教系の教団で、熱海の聖地・熱海瑞雲郷にはMOA美術館があり、教団所蔵の美術品を展示している。
世界救世教の特徴的な宗教活動は、浄霊という手かざしの儀式的行為を各信者が行うこと、自然農法という農法を推進すること、芸術活動を行うことである、という。
熱海のMOA美術館も、もう二十年前に見学したことがあるが、宗教法人は無税だから金に明かして糸目もつけずに収集した美術品が展示されている。

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 ↑ この冊子がミホ・ミュージアムであった「蕪村」展のカタログである。厚さ4センチもある大部のもの。有料 2900円。
以下に載せる図版は、これから採録しておく。

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 ↑ 蕪村が終生敬慕したという「松尾芭蕉」の肖像画である。時代が違うから、もちろん想像上の絵である。

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 ↑ 有名な「鴉」図である。

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 ↑ これも有名な「富嶽列松」図の部分。現物は長いものでトリミングしきれない。ご了承を。

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図版には活字で句などを明らかにしてあるのがあるので解説は控える。
もっともっと採録すべき絵があるのだが、見開き2ページになっていたりしてスキャナでは巧く取り込めないので、ご了承を。
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この展覧会や、この本の絵を見た興奮のうちに「落花譜」と題する詩を作って、詩誌「楽市」に投稿しておいたのだが、楽市が諸般の都合で原稿が印刷にも回っていない、という。
蕪村の絵とも関連するので近日中にブログに載せたいと思っている。

加太の海の底ひの鹿尾菜花咲くと・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
  2007_2_6_E381B2E38198E3818DE7B791芽ひじき
 
  加太の海の底ひの鹿尾菜(ひじき)花咲くと・・・・・・・・・・・阿波野青畝

「ひじき」は大豆や油揚げなどと一緒に炊いたものがおいしい。
私の好物である。
字で書くと「鹿尾菜」「鹿角菜」「羊栖菜」などと難しいが、冬から春にかけて採取される。
俳句では「春」の季語である。 写真①は柔らかい芽ひじきである。
写真②は岩の上に流れついたヒジキの拡大で、「浮き」のように膨らんだ部分で水に浮く。
12_hiziki_2ひじき拡大

ヒジキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒジキ(鹿尾菜、羊栖菜、英語 hizikia、学名 Hizikia fusiformis)は、褐藻類ホンダワラ科ヒジキ属の海藻、海苔の一種。波の荒い海岸近くの岩場の低潮線付近に繁茂し、春から初夏に胞子嚢を付けて成熟する。

粘りの成分があるため、古くは食用以外にも、紙と紙を貼り合わせる糊としても使われた。

「ひじきを食べると長生きする」と古くから言われており敬老の日に因んで9月15日は「ひじきの日」となっている。

食材
ヒジキは、天日干しなどにより 干ひじき(ほしひじき)として販売されることが多い。生きている間は茶色~褐色だが、加工するにつれ真黒になる。干ひじきは、水で戻してから醤油、砂糖などで煮て食べる。「ひじきの煮つけ」(ひじきの磯煮)が有名。春物と冬物の違いは胞子嚢の有無で見分けられる。冬物は春物に比べ柔らかく、採取している地区も少ないため高価である。

春物は細長い茎の部分と葉や芽のように出ている胞子嚢の部分を分離して製品化されることが多い。茎の部分だけにしたものを長ひじき、茎ひじきなどという。茎以外の部分、あるいは、芽の部分だけにしたものを 芽ひじき、姫ひじき、米ひじきなどという。また、胞子嚢のあるものを米ヒジキ、冬物を岩場から生えた新芽を摘むため、芽ヒジキということもある。

安全性
2004年7月28日英国食品規格庁 (FSA) は、日本産ヒジキについて発がん性のある無機ヒ素を多く含有しているため食べないようにとする勧告を出した。それに対し日本の厚生労働省は、調査結果のヒ素含有量からすると、成人では継続的に毎週30g以上を摂取しない限り世界保健機関 (WHO) の暫定的耐容週間摂取量を上回ることはなく、現在の日本人の平均的摂取量に照らすと、通常の食べ方では健康リスクが高まることはないものと考えられる、との見解を示した。
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山口県の瀬戸内海、周防灘に浮かぶ離島「初島」もヒジキの産地として有名で、このHPを見ると写真などもたくさん載っているので、ご覧いただきたい。
このHPでは、刈り取りから茹でて製品にする工程や出来上がった製品など詳しく書いてある。
写真③は、その初島の磯の岩に生えるヒジキを持ち上げて刈り取るところ。
hijiki20b31初島ひじき

黒潮の洗う太平洋岸が産地らしく暖地性の海草らしい。
写真④⑤は「ヒジキの釜炊き」の様子。
080208hijiki20(2)1ヒジキの釜炊き

080208hijiki20(3)1ひじき釜炊き

炊きはじめると最初は緑色になり、だんだん黒くなるという。

2006_8_2ひじき野菜煮

以下、俳句に詠まれた句を引いて終わる。

 生鹿尾菜干して巌を濡れしむる・・・・・・・・・・富安風生

 日当れるひじき林をよぎる魚・・・・・・・・・・五十嵐播水

 ひじきうまし遠い目でみる昼の湾・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 潮去れば鹿尾菜は礁にあらあらし・・・・・・・・・・倉橋羊村

 鹿尾菜刈岩の天辺昏れて来る・・・・・・・・・・大沢ひろし

 ひじき刈凪の挨拶かはしけり・・・・・・・・・・浜口今夜

 波来れば鹿尾菜に縋り鹿尾菜刈る・・・・・・・・・・土屋海村

 女衆の総出の鹿尾菜炊かれけり・・・・・・・・・・石田勝彦

 海暮れて火を落しけり鹿尾菜釜・・・・・・・・・・斎藤通子

 引く波が岩間の鹿尾菜くしけづる・・・・・・・・・・茂木連葉子

 地図にない島に住まひてひじき刈る・・・・・・・・・・神野島女

 手秤で買ふ腰越の生鹿尾菜・・・・・・・・・・高橋寛子



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