K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月) 月次掲示板
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
FI249257_2E未央柳

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 ジーンズをずり落とし穿く少年の薄き腹だらだらと梅雨の雑踏・・・・・・・・・・・・・・・・梅内美華子
 雨降りてなほ動かざる蝶のむくろ羽の模様にひびが入りたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・沢村斉美
 人の死の続くはこれも世の常にて離合集散の遂のかたちや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大島史洋
 蔵という文字の中に月光と黴のにおいのするから覗く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松平盟子
 人間のための明かりを消ししのち暗闇にうごく機械七台・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松村正直
 六月のケンタウルス座があらはさぬ黄金の馬脚を吾がものとして・・・・・・・・・・・・・・・光森裕樹
 引きこもりの子の妙薬を尋めきて人帰りゆくなみだぐましも・・・・・・・・・・・・・・・・・・中埜由季子
 わが行きし三十分の異界あり梅雨につつまれ午睡より覚む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三枝昂之
 みづからに吐きとほす嘘いつぱつの弾痕のごとき月を仰ぎて・・・・・・・・・・・・・・・・・・松本典子
 今のわが思惟の如きか砂浜を掘つても掘つても形崩るる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤岡武雄
 洗ひあげし茶碗に残る口紅はあの女なりこすり落とさむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真中朋久
 一輪の花に世界を見よといふあなおそろしき花の前にて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・百々登美子
 卓上日記いま真二つ半夏生・・・・・・・・・・・・・・・鈴木栄子
 貝の砂噛んでむなしき半夏生・・・・・・・・・・・・・・羽田岳水
 子の脛の傷あたらしき晩夏かな・・・・・・・・・・・・・菖蒲あや
 祈りとは膝美しく折る晩夏・・・・・・・・・・・・・・・・・摂津幸彦
 みなづきの何も描かぬ銀屏風・・・・・・・・・・・・・・黒田杏子
 七月の孔雀の色を窺へり・・・・・・・・・・・・・・・・・・飯島晴子
 七月や新書にしるすダビデの詩・・・・・・・・・・・宮田登喜子
 分校の生徒は五人金魚飼ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
 陸封のドルフィン飛びをり日の盛り・・・・・・・・・・・高島征夫 
 湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
 失ひし帽子いよよに白き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子
 水中花一糸まといて咲きいたり・・・・・・・・・・・・・・渋川京子
 ほどほどに冷えてゼリーや梅雨の月・・・・・・・・・・・七風姿
 地はたちまち化石の孵化のどしゃぶり・・・・・・・・・豊里友行
 吊り革のしづかな拳梅雨に入る・・・・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 てのひらのまんなかに傷夏はじめ・・・・・・・・・・・・瀬戸正洋
 泳ぎ来し少年の耳美しく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茅根知子
 さらさらと基地のポストに蜥蜴入る・・・・・・・・・・・・松野苑子
 水着絞ればキュルキュルと手を逃げる・・・・・・・・・松野苑子
 うすごろもはらりといらんいらんの木・・・・・・・・・・ 四ッ谷龍
 愛言えば死のこと答うジギタリス・・・・・・・・・・・・・ 四ッ谷龍
 掌中に白蝶捕らえたるも憂き・・・・・・・・・・・・・・・・ 四ッ谷龍 


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このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数によるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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「集英社文庫」新刊
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「青土社・ユリイカ」
詩の本の思潮社
デュフィの海のやうなる空にさやぎ欅若葉は一会のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三
bin070326191301009デュフィ「波止場」

  デュフィの海のやうなる空にさやぎ
     欅若葉は一会(いちゑ)のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三


梅雨が上って、いよいよ照りつける太陽の季節が巡ってきた。
青葉、若葉が萌える時期である。
この島田修三の歌は、そんな季節の一風景をトリミングして見事である。『シジフォスの朝』(砂子屋書房01年刊)
掲出した画像は、デュフィ「波止場」である。

ラウル・デュフィについてWeb上から記事を引いておく。

ラウル・デュフィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 ~ 1953年3月23日)は、野獣派に分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。

画風
アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、VOGUE表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。

生涯
1877年 北フランス、ノルマンディーのル・アーヴルの港街に 貧しいが音楽好きの一家の9人の兄弟の長男として生まれる。父親は金属会社の会計係で、才能ある音楽愛好家。教会の指揮者兼オルガン奏者。母はヴァイオリン奏者。兄弟のうち2人はのちに音楽家として活躍。家計を助けるため14歳でスイス人が経営するコーヒーを輸入する貿易会社で使い走りとして働くためにサン・ジョセフ中学校を離れる。後にル・アーヴルとニューヨークを結ぶ太平洋定期船、ラ・サヴォアで秘書をする。
1895年 18歳のときに美術学校ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始めた。生涯愛したモチーフとなるル・アーヴルの港をスケッチ。右利きのデュフィは技巧に走り過ぎることを懸念し、左手で描いた。学校の友人フリエスらと共にアトリエを借り彼らとアーブル美術館でウジェーヌ・ブーダンを模写。ルーアン美術館でニコラ・プッサン、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、テオドール・ジェリコー、ウジェーヌ・ドラクロワを学ぶ。
1898年~99年 兵役 戦争から戻り病身でヴォージュ地方のヴァル・ダジョルに滞在
1900年 兵役の1年の後にル・アーブル市から1200フランの奨学金を得て23歳のときに一人故郷を離れパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学。モンマルトルのコルトー街で暮らす。レオン・ボナのアトリエで学ぶ。ジョルジュ・ブラックと学友だった。印象主義の画家クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、カミーユ・ピサロなどに影響を受ける。
1902年 ベルト・ヴェイルを紹介されて、彼女のギャラリーにパステル作品を納入。
1903年 アンデパンダン展に出品。
1905年 アンリ・マティス、マルケと知り合い、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、パブロ・ピカソなどの若いアーティストの作品をサロン・デ・ザンデパンダンを見てフォービズムに関心を向けリアリズムに興味を失う。
1906年 ベルト・ヴェイル画廊で個展を開く。
1907年 34歳の時に結婚。生活の為、木版画の制作を始める。
1908年 ブラックとレスタックで制作。セザンヌ風様式を採用。フォービズムから離れていく
1909年 フリエスとミュンヘンに旅行。
1910年 ギヨーム・アポリネール と親交を結ぶ
1911年 当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。
1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。
1913年 南仏イエールに滞在。
1914年 第一次世界大戦が起こり陸軍郵便事業に従事。
1917年 翌年まで、戦争博物館の図書室員となる。
1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。
1919年 ヴァンスに滞在。
1920年 パリに戻りモンマルトルのジョルジュ・ブラックの近所に居を構える。
1922年 フィレンツェ、ローマ、シチリアに旅行。
1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」シリーズが国際装飾美術展で金賞
1936年 ロンドンに旅行。
1938年 パリ電気供給会社)の社長の依頼でパリ万国博覧会電気館の装飾に人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」を描く。イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る。多発性関節炎発症。ポール・ヴィヤール博士は、デュフィの主治医
1943年~44年第二次大戦中はスペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らす
1945年 ヴァンスに滞在。
1950年~52年 リューマチのコーチゾン療法を受けるために米国のボストンへ。
1952年 ヴェネツィア・ビエンナーレの国際大賞を受賞。
1953年3月23日にフランス、心臓発作のためフォルカルキエにて死去。75歳没。ニース市の郊外にあるシミエ修道院墓地に埋葬される。

代表作
サンタドレスの浜辺(1906 年)(愛知県美術館)
海の女神(1936年)(伊丹市立美術館)
電気の精(1937年)(パリ市立近代美術館)長さ60メートル、高さ10メートルの大作
三十年、或いは薔薇色の人生(パリ市立近代美術館)

画集
小学館ウィークリーブック 週間美術館 ルソー/デュフィ 小学館
ユーリディス・トリション=ミルサーニ著 太田泰人訳 デュフィ 岩波世界の巨匠 岩波書店
島田紀夫 千足伸行編 世界美術大全集 第25集 フォービズムとエコールド・パリ 小学館
ドラ・ベレス=ティピ著 小倉正史訳 デュフィ作品集 リブロポート

収蔵
オルセー美術館
ポンピドーセンター
パリ市立美術館等の有名美術館
大谷美術館
国立西洋美術館
石橋財団ブリヂストン美術館
愛知県美術館
メナード美術館
三重県立美術館
島根県立美術館
大原美術館
ひろしま美術館
鎌倉大谷記念美術館
青山ユニマット美術館
ブリヂストン美術館
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島田修三は、こういう人である。

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 ~ )は、歌人、日本古典研究者。神奈川県生まれ。「まひる野」所属。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。現在愛知淑徳大学副学長・文化創造学部教授。短歌は窪田章一郎に師事。

受賞歴
2002年、『シジフオスの朝』で第7回寺山修司短歌賞受賞。
2008年、『東洋の秋』で第6回前川佐美雄賞受賞。
2009年、『東洋の秋』で第9回山本健吉文学賞短歌部門受賞。
著書
晴朗悲歌集 砂子屋書房 1991
離騒放吟集 砂子屋書房 1993
東海憑曲集 ながらみ書房 1995
風呂で読む近代の名歌 世界思想社 1995
古代和歌生成史論 砂子屋書房 1997
短歌入門 基礎から歌集出版までの五つのステージ 池田書店 1998
島田修三歌集 砂子屋書房 2000(現代短歌文庫)
シジフオスの朝 歌集 砂子屋書房 2001
「おんな歌」論序説 ながらみ書房 2006
東洋の秋 歌集 ながらみ書房 2007



 むずかしいことに/飽いて/どうしてもカンタンにしたい/すると/白いフェンスに/木槿のはなが咲いているのでした・・・・・・三井葉子
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       木槿のはな・・・・・・・・・・三井葉子

     むずかしいことに
     飽いて

     どうしてもカンタンにしたい

     では
     イチニのサン
     わたしたちは肉体のはずかしさを手で拭って
     拭っても
     また垂れている紐のくちをへの字にして
     東の角を曲がる

     すると
     白いフェンスに
     木槿のはなが咲いているのでした。
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この詩は、三井葉子詩集『草のような文字』(1998年5月深夜叢書社刊)に載るもの。

7/19付けで「ムクゲ」の記事を載せたときに

   ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・三井葉子

という三井さんの句を載せた。
この句は誰か判らないが「逝きたまひし」と尊敬語になっているので、親しい目上の人の死に際して作られたものだろう。
いま、たまたま開いてみた詩集の中に、この詩を見つけたので載せてみた。
三井さんの詩は、使われている言葉自体は何でもないのだが、「詩」としては、とても「難しい」と、よく言われる。
<非>日常である、詩句の典型であろう。
そこらに転がっている言葉を拾ってきて、<非>日常の詩句に仕立てる。
意味があるようで、無さそうで、それが三井さんの詩の特徴である。

例えば、この詩の 第二連の

   では
   イチニのサン

なんていうところが、それである。思いつきで付けられた詩句である。

「詩」は意味を辿ってはいけない。詩句に脈絡は無いのである。
詩人によって発想は、さまざまであり、詩句に起承転結のある人もあれば、「意味的」に辿れる人もある。私の詩などは、どちらかというと辿れる方である。
三井さんの場合は、「辿れない」典型であろう。だから、よく「難しい」と言われる所以である。
詩は、声に出して朗読してみるとよい。
この詩も短いから何度でも朗読できよう。
すると、この詩一編が、不思議な趣をもって立ち上がり、或る「まとまり」となって知覚できるだろう。
そうなれば「詩」の鑑賞として一歩近づけた、と言える。

激雷に剃りて女の頚つめたし・・・・・・・・・・・・・・・石川桂郎
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  激雷に剃りて女の頚(えり)つめたし・・・・・・・・・・・・・・石川桂郎

石川桂郎については前に少し書いたことがある。

俳人風狂列伝

『俳人・風狂列伝』(昭和48年角川書店刊)という11人の「風狂」の俳人を書いたものだが、先にも書いたように本人自身が、かなり、だらしなかったらしい。
私の付き合っていた高島征夫氏の父君・高島茂氏が新宿西口で「ぼるが」という居酒屋を営んでおられたのだが、彼・石川桂郎の酒の上の失敗や金銭的な「尻拭い」を、かなりされた、と聞いた。
かなり名の知られた俳人だが、女にだらしなく、金銭的にも俳句の友人たちに迷惑をかけたらしい。 「無頼」の徒と呼ばれる。
本職は「床屋」だった。だから掲出のような句があるのである。

Wikipediaに載る記事によると下記のように載っている。
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石川桂郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石川桂郎(いしかわ けいろう、1909年8月6日 ~ 1975年11月6日)は東京出身の俳人、随筆家、小説家、編集者。本名は一雄。

経歴
東京市芝区三田聖坂の理髪店の息子として生まれる。御田高等小学校卒。家業の理髪店の仕事をしながら、俳句を作りはじめ、1934年杉田久女に入門。1938年ごろ、石田波郷の『鶴』の同人となる。また、横光利一にも師事する。

父の死後に店主となっていた理髪店を、文具店とするが、店員が次々に召集されて人手不足となり廃業。工場・工事関係など様々な職を転々とする。また、1942年には、理髪店時代を描いた小説『剃刀日記』を発表。

戦後は水原秋桜子主催の『馬酔木(あしび)』に参加。また、いくつかの出版社に勤務した後、1953年から1958年まで雑誌『俳句研究』(俳句研究社)の編集に携わる。1960年には自らの俳誌『風土』を創刊して主宰。

また、1946年から鶴川村能ヶ谷(現・町田市能ヶ谷町)に居住し、以降、その地で過ごした。

様々な俳人たちの風狂ぶりを描いた読売文学賞受賞作『俳人風狂列伝』でも知られるが、桂郎自身も酒食と放言を好む、風狂の人であった。

1975年11月6日、食道癌のため死去。

受賞等
1951年 第1回俳人協会賞 『含羞』
1955年 第32回直木賞候補 『妻の温泉』
1973年 第25回読売文学賞・随筆紀行賞 『俳人風狂列伝』
1975年 第9回蛇笏賞 『高蘆』以後の作品
著作
句集
含羞 琅玕洞, 1956
石川桂郎集 八幡船社, 1968
竹取 牧羊社, 1969
高蘆 牧羊社, 1973
四温 角川書店, 1976
石川桂郎集 手塚美佐編 俳人協会, 1994
随筆・小説
剃刀日記 協栄出版社, 1942(のち、創元文庫・角川文庫)
妻の温泉 俳句研究社, 1954
俳人風狂列伝 角川書店, 1973(のち、角川選書)
残照 角川書店, 1976
面会洒舌 東門書屋, 1978
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「増殖する俳句歳時記・石川桂郎の句」というサイトが彼の句を引いて面白い。アクセスされたし。
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「雷」を「いかづち」と言うが、これは元は「いかつち」で、「いか(厳)」「つ(の)」「ち(霊)」の意味であり、「いかめしく、おそろしい神」の意であった。
だから古くから「いみじう恐ろしきもの」(枕草子)とされてきた。
そんなことを考えながら、以下の雷雨の句を見てもらいたい。
雷は「はたた神」とも言う。

 はたた神過ぎし匂ひの朴に満つ・・・・・・・・川端茅舎

 夜の雲のみづみづしさや雷のあと・・・・・・・原石鼎

 はたた神下りきて屋根の草さわぐ・・・・・・・・山口青邨

 赤ん坊の蹠(あなうら)あつし雷の下・・・・・・・・加藤楸邨

 遠雷や睡ればいまだいとけなく・・・・・・・・中村汀女

 遠雷のいとかすかなるたしかさよ・・・・・・・・細見綾子

 遠雷やはづしてひかる耳かざり・・・・・・・・木下夕爾

 真夜の雷傲然とわれ書を去らず・・・・・・・・加藤楸邨

 鳴神や暗くなりつつ能最中(さなか)・・・・・・・・松本たかし

 睡る子の手足ひらきて雷の風・・・・・・・・飯田龍太

 大雷雨国引の嶺々発光す・・・・・・・・鬼村破骨


心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
hyakun3百日草②

  心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦


「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも

   百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある。
私の歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
花言葉のことだが、私の歌の「離れゆきたる友」というのは正確ではなく、私の方から何となく離れていった、というべきだろうか。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。

hyakun2百日草③

百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。

nichin6日日草

今では、これも秋まで百日以上も咲きつづける写真③の「日日草」が、これに取って代わるだろう。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。

 百日草ごうごう海は鳴るばかり・・・・・・・・三橋鷹女

 蝶歩く百日草の花の上・・・・・・・・高野素十

 これよりの百日草の花一つ・・・・・・・・松本たかし

 一つ咲き百日草のはじめかな・・・・・・・・瀬野直堂

 病みて日々百日草の盛りかな・・・・・・・・村山古郷

 朝の職人きびきびうごき百日草・・・・・・・・上村通草

 毎日の百日草と揚羽かな・・・・・・・・三輪一壺

 母子年金受く日日草の中を来て・・・・・・・・紀芳子

 働かねば喰えぬ日々草咲けり・・・・・・・・佐伯月女

 日日草なほざりにせし病日記・・・・・・・・角川源義

 紅さしてはぢらふ花の日日草・・・・・・・・渡辺桂子

 日日草バタ屋はバタ屋どち睦び・・・・・・・・小池一寛

 嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草・・・・・・・・白川京子

 些事多し日日草の咲けるさへ・・・・・・・・・増島野花

 出勤の靴結ふ日ざし日日草・・・・・・・・鶴間まさし

石麻呂にわれ物申す夏痩せに吉しといふものぞ鰻とり食せ ・・・・・・・・・・・大伴家持
2k_19mうなぎ丼

  石麻呂にわれ物申す夏痩せに
     吉(よし)といふものぞ鰻とり食(め)せ・・・・・・・・・・・大伴家持


今日は土用に入って初めての「丑の日」である。この日には「うなぎ」を食べることになっている。
年によっては土用に二回「丑の日」があるが、今年は今日だけである。

この歌のように万葉の昔から、ウナギが夏の暑さで体力を消耗するときには、体にいいと考えられていたのである。

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)にも

   献立は有季定型と鰻丼を妻は供しぬ土用丑の日・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌がある。
亡妻は俳句をやっていたので、この歌は、それに因んだものであり、「ありきたり」の決まりきった食事というのを「有季定型」と表現してみた。

一昨年に「中国産」のものに発ガン物質などの混入事件、産地偽装などがあって、とかく「うなぎ」の評判が悪いが、今日の「丑の日」の記事として採り上げる。
「うなぎ」好きの私なればこそである。
今年は、ウナギ養殖の始まりになる稚魚「しらす」の不漁で国産ものの値段は高くなっているらしい。
私なんかは国産であろうと台湾産であろうと中国産だろうと、お構いなしにもりもり食べるので関係なしである。

「土用」あるいは「丑の日」などの言葉は、「暦」に関係するもので、土用は二十四節気のもの。丑の日は十二支のものである。
深遠な暦法の話が、こうして、すっかり日本人の庶民の生活に溶け込んでいるのも微笑ましいことである。

mainひつまぶし

それよりも先ず、二番目の写真は名古屋地方で食べられる「ひつまぶし」という鰻丼の一種である。セットになっていると結構高くて2000円くらいはする。中京圏ということで三重県でも出てくる。
名古屋は独特の生活慣習を持っているところで、うどんも「きしめん」という幅広のものが愛用される。

p000437うな重

三番目の写真は普通の「うな重」だが、このくらいの膳になると3000円~4000円は、する。肝吸いが付いていれば当然である。

ここで土用の丑の日に鰻が日を決めて食べられるようになったイキサツの薀蓄を少し。
江戸時代、何か鰻の食用増進に良い知恵はないかと、さる鰻屋が平賀源内に相談したところ、源内が「本日、丑の日」と紙に書いて店頭に張り出した、のがはじまりとされている。
土用の丑の日に消費される鰻の数は、物凄いもので、鰻屋としては平賀源内は神様みたいなものである。
この話には前段がある。掲出した「万葉集」の大伴家持の歌は有名なので、平賀源内は、この歌を知っていたものと思われる。
夏痩せに鰻が有効という、最古のキャッチコピーとも言えるだろう。

私はウナギが好きで夏でも冬でも一年中食べるが、娘なんかは食べない。

20040701lうなぎ丼ピリ辛風

この頃では、いろんなウナギの食べ方があり、四番目の写真は「ピリ辛風鰻丼」というもので、実は某スーパーの広告に載っているもの。ピーマンや赤ピーマンなども乗っている。ピリ辛というのだから唐辛子なども利いているのだろうか。

先に挙げた私の歌の一連5首を引用しておく。

   朱夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

三代に憂きこともあれ古時計いま時の日に平成刻む

缶を蹴る音からころと転がりて一学期終へて子ら帰りくる

夏風邪に声出ぬといふ電話口この夏も娘(こ)は里訪はぬらし

三伏の暑気あたりとて香水を一滴ふりて妻は臥しをり

献立は有季定型と鰻丼を妻は供しぬ土用丑の日
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土用の鰻を詠んだ句を引いて終りにする。

 土用鰻店ぢゆう水を流しをり・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 鰻食ふカラーの固さもてあます・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 うなぎ食ふことを思へり雲白く・・・・・・・・・・・・稲垣晩童

 荒涼と荒川鰻裂いて貰ふ・・・・・・・・・・・・・細見綾子

 まないたの疵曼陀羅や鰻割く・・・・・・・・・・・・百合山羽公

 うなぎ焼くにほひの風の長廊下・・・・・・・・・・・・きくちつねこ

 いのち今日うなぎ肝食べ虔めり・・・・・・・・・・・・簱こと

 うなぎひしめく水音朝のラジオより・・・・・・・・・・・・豊田晃

 一気に書く土用うなぎの墨太く・・・・・・・・・・・・吉田北舟子
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名古屋の友人の話によると、名古屋市内の某有名うなぎやさんは、土用の丑の日には、うなぎに感謝して、休業する、という。私は初めて聞く話だが、そのうなぎやさんの心意気をよし、としたい。あたら超繁忙期の日を棒に振って、うなぎに感謝するという何という心の優しい主人の哲学だろう。

軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・・・・・・・・・大牧広
aaoosarusu1さるすべりピンク

  軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・・・・・・・・大牧広


百日紅──「さるすべり」は漢字読みして「ひゃくじっこう」とも呼ばれるが、この木もインド原産という。
最初は仏縁の木だったという。インド=お釈迦様という連想になるのであろうか。だから、はじめは寺院に植えられ、次第に一般に普及したという。
百日紅というのは夏の間、百日間咲きつづけるというところからの意味である。
和名はサルスベリで、木肌がつるつるで、木登りの得意な猿でも滑りそうな、という意味の命名であろうか。
写真の木肌を見てもらいたい。
プロである「植木職人」でも、木から落ちることがある(実際に転落事故が多く体を痛めることがある)ので、験(げん)をかついで植木屋は「さるすべり」とは呼ばず「ひゃくじっこう」と言う。
元来、南国産であるから春の芽立ちは遅く、秋には早くも葉を落してしまう。
この木も夾竹桃と同じく、夏の代表的な花木である。

以下、歳時記に載る句を引く。

 炎天の地上花あり百日紅・・・・・・・高浜虚子

 さるすべり夏百日を過ぎてもや・・・・・・・・・石川桂郎

 いつの世も祷(いのり)は切や百日紅・・・・・・・・中村汀女

 朝よりも夕の初心百日紅・・・・・・・・後藤比奈夫

 さるすべり百千の花観世音・・・・・・・・松崎鉄之介

 一枝はすぐ立ち風のさるすべり・・・・・・・・川崎展宏

 さるすべりしろばなちらす夢違ひ・・・・・・・・飯島晴子

 さるすべり懈(ものう)く亀の争へり・・・・・・・・角川春樹

 秘仏見て女身ただよふ百日紅・・・・・・・・黛執

 いふならば余燼の生や百日紅・・・・・・・・能村登四郎

 百日紅ちちははひとつ墓の中・・・・・・・・上野燎


夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦
aaookyouch1夾竹桃赤

  夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦


夾竹桃は夏の花である。私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
夾竹桃は原産地はインドだが、江戸時代に中国から渡来して、当初は仏縁の木として寺院に植えられたが、後に一般に植栽されるようになった。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。

aaookyouch夾竹桃白

炎天下に咲く花というのは限られており、夾竹桃は夏の花として欠かすことの出来ない花となった。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。
明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
私の歌にも夾竹桃を詠んだものはあるが、今回は遠慮して、歳時記に載る俳句を引いて終わる。
句に詠まれるのも多く、俳人には好まれる花のようだ。

 夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男

 夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二

 夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子

 夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦

 白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子

 うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・高島茂

 歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子

 夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨

 夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介

 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨

 夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹

 夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男

 夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男

 鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏



草弥の詩「樹液と甲虫たち」・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
010704aokanabun1アオカナブン
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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 ──草弥の詩作品<草の領域>──(68)

   樹液と甲虫たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ──少年は樹液饐(す)えたる甘き香をにほはせ過ぎぬ露けき朝を──

学校の夏休みが始まり、いよいよ少年たちの楽しい夏だ。
家の中に閉じこもらずに野山に出かけよう。
雑木林に行くとナラ、クヌギなどの広葉樹の太い木には樹液の沁み出る傷がある。
そんなところには木の樹液に集る虫が寄ってきて樹液を舐めている。
カブトムシ、クワガタムシ、カナブンなどの甲虫やムカデなどである。
樹液は甘い香りがして、実際は酢と甘さとアンモニア臭と色々のものが混ざったものらしい。
とにかく、昆虫採集をして樹液の近くに居ると、体に樹液の匂いが沁みつくもので、
題名に添えた歌は、そんな少年の情景を詠んでいる。

樹液の沁み出す木の傷には、いろいろの虫が集ってくる。
虫にも強弱があり、力の強いカブトムシなどはズカズカと樹液に到達するが、弱い虫は遠慮がちに
オズオズと周辺から辺りをみながら近づいてくるから面白い。

少年は虚弱児で、活動的な子ではなかったが、田舎ですぐ近くには雑木林があるような環境
だったから上級生に連れられて虫を捕まえに行ったりした。
水泳なんかも、上級生に無理に川に突き落とされて、溺れまいと必死で泳ぎを覚えたものである。

おおよそ昆虫は雄が大きく牙も大きい。少年の頃は何も知らずに牙の大きいのを源氏、小さいのを平家
などと呼んでいた。
いま、昆虫の雄が大きい、と書いたが、それは正確ではない。
昆虫と言っても多くの種類があり、甲虫目(鞘翅目)は雄が大きいことが多い。
バッタ、イナゴ、カマキリなどバッタ目(直翅目)は雄が小さく、雌が大きい。
もっとも、これらは樹液にたかる虫ではなく、草を食べたり、草の汁を吸ったりする昆虫である。

とにかく、樹液の出る傷のある樹が見当たらない場合は、先に書いたように樹液に似た液を作って
樹の洞などに置いておくと虫が集ってくるものである。その辺は少年なりの知恵と言えようか。

蝉などは幾つもの種類が朝早くから、やかましく鳴いていた。あまり蝉採りなどはしなかった。
蝉の名前が思い出せない小さな蝉でじーじーと鳴くのがうるさかった。
夏の終りに近づくとカナカナと蜩(ひぐらし)が鳴き出す。ツクツクボウシも秋口の蝉である。

先日、暑いさなかをゴルフしていたら、何年も年月を経た大きなポプラの木に羽化した蝉の抜け殻があり、
木の周りに地下から幼虫が出てきた穴が、いくつもあった。
日本の蝉は地下に数年棲んでいるから、幼木にはまだ蝉は棲みつかない。

ノコギリクワガタという立派なクワガタが居て、体の色が赤銅色に光っているのが特徴。
この虫が子供たちにも人気があった。
昔はクヌギ、ナラなどの雑木は薪として利用されたので数年の更新期を経て伐採された。
そんなタキギとしての用途もなくなって、雑木林はうち捨てられた。
クヌギやナラは数年で更新されるから再生するのであって、切られなくなっては雑木林は
衰退するばかりである。

そんな虫たちを詠んだ草弥の歌がある。

             沙羅の寺(抄)

     楢の木の樹液もとめて這ふ百足(むかで)足一本も遊ばさず来る

     かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす

     蟻の国の事も知らずで箒もて掃くも殺すもガリバーの我

新潮社の読書誌『波』2004年8月号の連載コラム「猫の目草」103回で、
故・日高敏隆先生が「カブトムシたちの苦労」というのを書いていらっしゃる。
それを読むと、交尾の済んだカブトムシの雌は卵を生みつける手ごろな「腐葉土」を
見つけて産卵すると、雌の一生は終る。カブトムシの幼虫は腐葉土を食べて育つ。
カブトムシと並んで子供たちの関心の的であるクワガタムシは、親はカブトムシと同じく
樹液を唯一の食物としているのに、どういうわけか「朽木」に産卵し、幼虫は朽木を食べて育つ。
朽木により腐り方がいろいろあり、クワガタムシの種類によって好みも違うが、総じて朽木は
腐葉土に比べて栄養価がずっと低い。
だからクワガタムシの幼虫が親になるには、少なくとも2、3年はかかる。けれど、その代わり、
親は、カブトムシと違って2年以上生きられる。同じ樹液に集る虫なのに、カブトムシと
クワガタムシは、まるで違った一生を過ごしているのである。
──こんなことは、今はじめて知ったことである。自然は一面、公平なところがあるのだ。

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(2010/07/20作)
習作中のため改作することがあります。


つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・・・・・・・・・清崎敏郎
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     つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・・・・・・・・清崎敏郎


「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。
ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。
砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。
地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。

この清崎敏郎の句は、浜昼顔の生態をよく観察したもので、海辺に咲く浜昼顔を過不足なく描写して秀逸である。

私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。

 きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女

 浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂

 浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥

 はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏

 浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一

 浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一

 昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・飯島晴子

 海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠

 浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟

 浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治

 潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子

 天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子

 浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子

 風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子

 這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・高橋沐石

 海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子

 浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子


桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・・・・・・・きくちつねこ
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   桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・・・・・・きくちつねこ


白桃と言っても早生から晩生までいろいろ種類があるので一概には言えないが、そろそろ桃が出回る季節になってきた。
「白桃」というのは文学的なイメージの世界では「女性の臀部」を象徴するものとして知られている。
桃のもつ特有のなだらかな丸い形。それに胴に入るくびれの線から、そのように概念づけされて来た。
「シンボル・イメージ小事典」などにも、そう書かれている。

掲出した、きくちつねこ氏の句は、そういう「桃」のイメージでありながら、自身としては「子を産まなかった」と言っている。
女としては「子」を産む、というのが、ひとつの大事業であろう、と私なんかは思ってしまう。
男には子を産むということが出来ないから、羨ましいという気分もあって、そう思ってしまうのである。
  
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、こんな歌がある。自選にも採っているものでWebのHPでもご覧いただける。

   かがなべて生あるものに死は一度白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥

いま私の座っている座敷机の前の床の間に、この歌を吉川美恵子さんが書いていただいた軸が掛かっている。
吉川美恵子さんについては、ここで詳しく書いたので参照されたい。
この歌は、私の最近の「死生観」を濃密に反映したものと言えるだろう。
人間だれでも一度は死ぬものである。一世を風靡する権力者も市井の凡人も、すべて等しく「死」は免れない。
われわれは、そのことを忘れて過ごしがちである。
特に、若い時や健康に恵まれて順調な時には「死」は意識の中にないのが普通であろう。
だが、古来、賢人たちは、このことに何度もメッセージを発してきた。ヨーロッパにおけるキリスト教にいう「メメント・モリ」然りである。
私の歌は、先に書いた「白桃」というイメージを踏まえて「メタファー」を含んでいると理解いただきたい。
白桃という「生」に対応する「死」ということである。
字句の解説をしておくと「かがなべて」というのは、「かが」=日々である。
この言葉には歴史があって「古事記」の倭建命と御火焼の老人との会話

    新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる・・・・・
    日日なべて夜には九夜 日には十日を

というくだりに出てくるフレーズを踏まえている。「なべて」=並べて、であり、「かがなべて」=日々をかさねて、という意味になろうか。
意識して古代の文学的な伝統に連なりたい、というところから、こういう古語を使うことになる。

以下に歌集に載る当該の私の歌8首を引用する。

      かがなべて ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  臥す妻に紅ほのかにも合歓の花のこよひ咲き初む つぎねふ山城

  白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざしゐる宵

  唇(くち)を吸ふかたちにも似て水蜜桃(すいみつ)をすする夕べはほのあかりせり

  かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ

  わが味蕾すこやかなるか茱茰(ぐみ)ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ

  執着を離れ得ざればかたつむり寝ても覚めても殻の中なる

  この夏の去りゆくものを追ひたてて炎となりて夾竹桃もゆ

  夕つかた虹の脆さを哀しめばわが痩身をよぎるものあり

一番はじめの歌の終りの部分「つぎねふ」というのは「山城」にかかる「枕詞」である。
ここに引用した歌の小見出しの全体の章名を「つぎねふ山城」としてある。

私のことを喋るのに多言を費やした。お許しあれ。

歳時記から「桃」の句を引いて終わる。
なお俳句では「桃」は秋の季語である。今日では季節感とズレがある。

 さえざえと水蜜桃の夜明けかな・・・・・・・・加藤楸邨

 白桃を洗ふ誕生の子のごとく・・・・・・・・大野林火

 中年や遠くみのれる夜の桃・・・・・・・・西東三鬼

 朝市の雨沛然と桃洗ふ・・・・・・・・中島斌雄

 白桃に触れたる指を愛しみをり・・・・・・・・斎藤空華

 白桃に入れし刃先の種を割る・・・・・・・・橋本多佳子

 水蜜や足を清しく婚を待て・・・・・・・・秋元不死男

 白桃をすするや時も豊満に・・・・・・・・能村登四郎

 白桃や満月はやや曇りをり・・・・・・・・森澄雄

 白桃の浮きしが一つづつ沈む・・・・・・・・小松一人静

 桃冷す水しろがねにうごきけり・・・・・・・・百合山羽公

 乳房ある故のさびしさ桃すすり・・・・・・・・菖蒲あや

 と見かう見白桃薄紙出てあそぶ・・・・・・・・赤尾兜子

 白桃に触れてはがねの薄曇る・・・・・・・・松本秀子

 

日蝕のはげしきときに揚羽とぶ・・・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公
kuroageha-omoteクロアゲハ雌

  日蝕のはげしきときに揚羽とぶ・・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公


掲出の写真①は黒揚羽蝶の雌の羽の表の様子である。裏側の模様は少し違うが省略する。写真映りは白っぽいが、色は真っ黒である。

ageha032クロアゲハ

黒揚羽蝶の成虫は葉っぱを食べているわけではない。写真②のように花の蜜を吸って生きているのである。
揚羽蝶には色々の種類があるが、概して卵を生む植物は「香り」の強い草木に限定されているが、その中でも黒揚羽蝶は山椒、金柑などの柑橘類の木、パセリなどのハーブ類に卵を生む。
ハーブと言っても種類は多いので、その中でもパセリ類に限定される。
揚羽蝶の種類も色々あり、羽の模様もみな違うように取り付く草木も、それぞれ違う。
黒揚羽と並揚羽とは取り付く木も共通するものが多い。
ここでは要点を絞って黒揚羽蝶と、その幼虫に限定する。
kuroageha-youchu01クロアゲハ威嚇

気持が悪いかも知れないが、写真③は幼虫の蛹になる直前の終齢の頃のもので、頭の先に赤い角状のものを出して「威嚇」しているところ。
独特の臭気も発する。これも威嚇のためである。
この写真の一日後には、この幼虫は「蛹」(さなぎ)になった。
写真④に、その蛹の様子を載せる。
kuroageha4クロアゲハ蛹

糸を一本吐いて柑橘類の木の茎に体を固定して蛹の様態に入ったもの。
この段階で捕食者から襲われないように、周囲の木と同じ色になって保護色を採るというから、その知恵には恐れ入る。
幼虫は夏の間に何度も孵るが、晩秋に蛹になったものは、この蛹の状態で「越冬」して、翌年の春に「羽化」して黒揚羽蝶の成虫になり、雄、雌が交尾して、雌が産卵して新しい年度の命が発生する。
卵は纏めては生まない。ちょうど鰊の「かずのこ」の一粒のような大きさの卵を木の葉っぱのあちこちに、ポツンポツンと産み付ける。
色は葉っぱに似せて緑色をしている。この卵の段階でつまんで取り去ることも出来る。
この卵から孵ったものは黒っぽいが、黒揚羽も普通の揚羽も、とてもよく似ている。
この段階では緑と黒の保護色なので、葉っぱに紛れて見つけにくい。
写真⑤は蛹になる直前の終齢の幼虫を角度を変えて撮ったもの。
kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

黒揚羽の幼虫は、ここまで来ると、写真③も同様だが、いかにも気味の悪い毒々しい姿になったところである。

「蝶」は春の季語だが、春以外の季節にも居るので、その時は季をつける。
夏の蝶の代表は揚羽蝶である。これには十種類ほど居るという。
一番よく目に止まるのは黒と黄色の縦じまの普通の(並)揚羽蝶ということになる。
黒揚羽蝶は夏らしい強さ、激しさを持っていると言われている。
以下、それらを詠んだ句を少し引いて終わりたい。

 黒揚羽花魁草にかけり来る・・・・・・・・高浜虚子

 渓下る大揚羽蝶どこまでも・・・・・・・・飯田蛇笏

 夏の蝶仰いで空に搏たれけり・・・・・・・・日野草城

 碧揚羽通るを時の驕りとす・・・・・・・・山口誓子

 乱心のごとき真夏の蝶を見よ・・・・・・・・阿波野青畝

 山の子に翅きしきしと夏の蝶・・・・・・・・秋元不死男

 夏の蝶一族絶えし墓どころ・・・・・・・・柴田白葉女

 賛美歌や揚羽の吻を蜜のぼる・・・・・・・・中島斌雄

 夏蝶の風なき刻を飛べりけり・・・・・・・・池上浩山人

 黒揚羽舞ひ来て樹下に風起す・・・・・・・・茂恵一郎

 好色の揚羽を湧かす西行墓・・・・・・・・安井浩司

 黒揚羽黒と交わる神の前・・・・・・・・出口善子

 熟睡なすまれびととあり黒揚羽・・・・・・・・久保純夫

 魔女めくは島に生まれし黒揚羽・・・・・・・・大竹朝子

 摩周湖の隅まで晴れて夏の蝶・・・・・・・・星野椿

 乱心のごとき真夏の蝶を見よ・・・・・・・・阿波野青畝

 磨崖仏おほむらさきを放ちけり・・・・・・・・黒田杏子


桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
yun_448桔梗本命

  桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦


桔梗(ききょう)あるいは漢字の音読みにして「きちこう」とも発音される。
この時彦の句ではキチコウの読みである。

キキョウ科の多年草で「秋の七草」の一つであるから、俳句では秋の季語となるが、実際には六月中旬には咲きだすところが多い。
青みがかった紫のものが多いが、栽培種も多く、白、紫白色、二重咲きなどいろいろである。
矮性の小さな種類もあるが、在来の50センチくらいの高さで、紫色のものが一番ふさわしい。

kikyou4キキョウ白

この句は旅に出て、飛騨の地酒を口に含んでの寸感であろうか。
私も老来、日本酒を嗜むことが多い。ビールなどは夏場しか飲まないようになった。

「万葉集」にいう「あさがお」は桔梗のこととされている。

小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、きっぱりと、すがすがしい野性味のある花と言えるだろう。
私の歌にも桔梗を詠んだものがあるが、昨年に採り上げたので遠慮して、歳時記に載る句を引いて終わる。

yado33kikyouキキョウ矮性

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗の花の中よりくもの糸・・・・・・・・高野素十

 桔梗やまた雨かへす峠口・・・・・・・・飯田蛇笏

 桔梗には鳴る莟あり皇子の墓・・・・・・・・平畑静塔

 桔梗いまするどき露となりゐたり・・・・・・・・加藤楸邨

 桔梗一輪死なばゆく手の道通る・・・・・・・・飯田龍太

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 おもかげをさだかにしたり白桔梗・・・・・・・・細見綾子

 技芸天桔梗花びら露むすび・・・・・・・・沢木欣一

 誰やらの死をたとふれば桔梗かな・・・・・・・・石原八束

 桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・石田波郷

 百本の桔梗束ねしゆめうつつ・・・・・・・・藤田湘子

 桔梗の色を見てゐる麻酔の前・・・・・・・・宮岡計次

 桔梗咲く母のいのちのあるかぎり・・・・・・・・小桧山繁子
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写真③は矮性のキキョウである。
老後とは死ぬまでの日々花木槿・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
aaoomukuge1むくげ大判

  老後とは死ぬまでの日々花木槿・・・・・・・・・・・・・草間時彦


木槿あるいは槿と書かれる「ムクゲ」はアオイ科の落葉低木。
原産地は小アジアとも中国とも言われ、我が国への渡来は古く平安時代に薬用植物として中国から伝わったらしく『延喜式』に「卯杖」としてその名があるという。
「木槿」は中国名。韓国の国花になっているが「無窮花」ムグンファと呼ぶ。この名前から日本名の「むくげ」の発音が由来するという。
ムクゲは朝3時ころに開花した花は夕方にはしぼんでしまう一日花。
『和漢三才図会』に「すべて木槿花は朝開きて、日中もまた萎まず、暮に及んで凋み落ち、翌日は再び開かず。まことにこれ槿花一日の栄なり」とあり、ムクゲの花の特徴を的確に描いている。
「万葉集」のアサガオにムクゲを充てる説には植物学者は否定的であるという。
先に、古くは薬用植物として渡来したと書いたが、白花の乾燥したものは煎じて胃腸薬に、樹皮は水虫の特効薬になるという。

ムクゲは俳句では「秋」の季語になっているが、地方によって異なるだろうが、私の辺りでは、もう六月下旬から咲きはじめるから違和感がある。
花は長く咲きつぎ秋まで鑑賞できる。
私の歌にはムクゲを詠んだものは一つもないので、歳時記に載る句を引いておく。

 日の出待つやむくげいつせいに吹かるる中・・・・・・・・大野林火

 墓地越しに街裏見ゆる花木槿・・・・・・・・富田木歩

 台風まだ木槿揺るのみ舟溜り・・・・・・・・石田波郷

 他人の母の八重歯や木槿も若々し・・・・・・・・中村草田男

 木槿咲く籬の上の南部富士・・・・・・・・山口青邨

 白木槿嬰児も空を見ることあり・・・・・・・・細見綾子

 亡き父の剃刀借りぬ白木槿・・・・・・・・福田寥汀

 木槿咲かせて木曽人の無愛想・・・・・・・・森澄雄

 白木槿芯まで白し加賀女・・・・・・・・沢木欣一

 拭けば乾くみどり児の髪夕木槿・・・・・・・・岡本眸

 木槿咲くトランペットの破調音・・・・・・・・遠山弘子

 四五人の賛美歌木槿咲きそめし・・・・・・・・藤田湘子

 いい朝のいい顔でゐて白木槿・・・・・・・・能村登四郎

 むくげ垣なるほど馬の顔大き・・・・・・・・神尾季羊

 白むくげ燦爛として午前九時・・・・・・・・川崎展宏

 木槿咲き揚羽来る日の刻同じ・・・・・・・・佐久間東城

 白木槿湖畔を走る貨車の音・・・・・・・・皆川盤水

 木槿咲き円をいくつも湾の浮槽(ブイ)・・・・・・・・和知喜八

 花木槿素足はばかる尼寺の廊・・・・・・・・小宮山恭子

 ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・三井葉子

銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
img70合歓の花本命

  銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨


合歓(ねむ)の木はマメ科ネムノキ属。北海道を除く日本および東アジアから南アジアに広く分布し、山の浅いところに見かける落葉高木。
「ねむの木」というのは夜、羽状複葉の葉がぴったりと合わさるからで、眠るように見える。葉の付け根の細胞に水分が少なくなるからという。
七月ころ牡丹刷毛のような、先がほんのり紅い花を開く。今となっては少し時期が過ぎたかも知れない。
刷毛のようなところが雄しべで、花弁や萼はその下にある。
花は夕方開花し、日中は萎む。
芭蕉の句に

 象潟や雨に西施がねぶの花

というのがあるが「西施」というのは中国の女で異国に嫁いだ悲運の人。
この句はそれを踏まえており、夜咲き、昼つぼむ花は悲運の女性を象徴する。
葉が逆に夜閉じ、昼ひらくのも面白い。「ねむ」という名は、この葉の習性から名づけられたものである。

私にも合歓を詠んだ歌があるが、先に書いたので今は遠慮しておく。以下、句を引く。

 うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花・・・・・・・・松瀬青々

 総毛だち花合歓紅をぼかし居り・・・・・・・・川端茅舎

 雲疾き砂上の影やねむの花・・・・・・・・三好達治

 黒髪を束ねしのみよ合歓挿さな・・・・・・・・佐々木有風

 合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず・・・・・・・・安住敦

 合歓の花底なき淵の底あかり・・・・・・・・中川宋淵

 合歓の花沖には紺の潮流る・・・・・・・・沢木欣一

 どの谷も合歓の明りや雨の中・・・・・・・・角川源義

 風わたる合歓よあやふしさの色も・・・・・・・・加藤知世子

 花合歓に夕日旅人はとどまらず・・・・・・・・大野林火

 花合歓や補陀落といふ遠きもの・・・・・・・・角川春樹

 葉を閉ぢし合歓の花香に惑ひけり・・・・・・・・福田甲子雄

 花合歓の下を睡りの覚めず過ぐ・・・・・・・・飯田龍太

 合歓咲けりみな面長く越後人・・・・・・・・森澄雄

 合歓の花夜は蠍(さそり)座を掲げたり・・・・・・・肥田埜勝美

 花合歓の夢みるによき高さかな・・・・・・・・大串章

 日本に小野小町や合歓の花・・・・・・・・辰巳あした

 合歓の花不在の椅子のこちら向く・・・・・・・・森賀まり


大車輪ぎくりととまり鉾とまる・・・・・・・・・・・・・・・・・山口波津女
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  大車輪ぎくりととまり鉾とまる・・・・・・・・・・・・・・・・・山口波津女


京都の「祇園祭」は7月17日の今日、三十数基の山鉾が巡幸する。
この頃は梅雨末期で激しい雨が降ることもあり蒸し暑いが、京都では祇園祭が過ぎると梅雨が明けると言われている。
掲出の山口波津女の句は、スケールの大きい祇園祭を、「大車輪」に視点を絞って、リアリティふかく描いて秀逸である。
因みに、山口波津女は山口誓子の妻であり、この人も俳人として名のある人である。

写真①は鉾の行列の先頭を切る長刀鉾である。

03s祇園祭外人

祇園祭も国際化して、写真②の「くじ改め」の塗り箱を指し出すのは外人である。
外人は、こういうイベントに参加できるのが大好きなので、選ばれたことに大感激である。
裃(かみしも)姿で正装して張り切っている。
お断りしておくが、写真は、いずれもネット上から拝借した過年度のものである。

ここで「祇園祭」のことを少し振り返ってみよう。
02s稚児

写真③は巡幸にあたり道路に張られた注連縄を太刀で切る「稚児」である。
この稚児の役は資産家の子供が選ばれ、約1ケ月間、家族と離れて精進潔斎して奉仕するが、家からの持ち出しは大変な金額にのぼるので、誰でもがなれるものではない。

祇園祭は「町衆」の祭と言われる。この祭は八坂神社の祭礼の一環だが、貞観11年、疫病が流行し都も荒れ果てていた時に町衆が中心になって催行したという。

詳しいことはネット上で検索してみてもらいたい。
IMG_1333-01s胴がけ

写真④は鉾や山の胴体を飾る「胴掛け」と呼ばれるタペストリーなどである。掲出した胴掛けは尾形光琳の有名な「かきつばた」図を忠実に織物にしたもので、これは最近の新作である。古いものではヨーロッパから渡来したタペストリーなども幾つかある。この辺にも当時の町衆の財力のすごさを示している。
祇園祭方向転換

写真⑤は四つ角に差し掛かった時に鉾の方向転換の引き綱の様子を上から見たものである。「辻まわし」という。
昔と比べると、巡幸のルートも大きく変わった。昔は四条通よりも南の松原通などを通っていたが、道が狭いので、道路の広い御池通(戦争末期に防火帯として道路を使用する目的で沿道の建物を強制的に引き倒した、いわゆる疎開道路で拡幅されたもの)を通るように、当時の高山義三市長が強引に替えたものだが、今では、これが正解だったと判るのである。

ここで「宵山」と当日の大きな写真を載せておく。
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終りに歳時記に載る句を少し引く。

 月鉾や児(ちご)の額の薄粧(けはひ)・・・・・・・・曾良

 祇園会や二階に顔のうづ高き・・・・・・・・正岡子規

 人形に倣ふといへど鉾の稚児・・・・・・・・後藤夜半

 鉾の灯のつくより囃子競ひぬる・・・・・・・・岸風三楼

 神妙に汗も拭はず鉾の児(ちご)・・・・・・・・・伊藤松宇

 白炎天鉾の切尖深く許し・・・・・・・・橋本多佳子

 水打つてまだ日の高き鉾の街・・・・・・・・飯尾雅昭

 鉾の上の空も祭の星飾る・・・・・・・・樋口久兵

 鉾を見る肌美しき人と坐し・・・・・・・・緒方まさ子


咲きのぼるばかり葵の咲きのぼる・・・・・・・・見学玄
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  咲きのぼるばかり葵の咲きのぼる・・・・・・・・・・・・・・・・見学玄

アオイ科の越年草で人間の背丈よりも高くまで伸びる。単にアオイという植物はなく、一般にタチアオイのことを葵という。
原産地は中国、小アジアで、日本には室町時代に渡来し、鑑賞用に、また薬用に植えられたという。

葵の名が日本で最初に現れるのは「万葉集」だが、これはフユアオイまたはフタバアオイ(写真②)であるらしい。
futaba-aoiフタバアオイ本命

京都の「葵祭」に用いられるのもフタバアオイで、花ではなく葉を「挿頭」(かざし)にされるのである。
この植物は葵の名はついていても全く別のものでウマノスズクサ科のものである。
徳川家の家紋に使われたのが、これで、葉を三枚組み合わせて使われた。
先に5/15付けの「葵祭」の記事を書いた時に牛車の脇に吊るされるのが「藤の花」かと書いたのは正解で、葵祭は挿頭にフタバアオイの葉をかざしたので、この名がついたことが判明した。
写真③にフタバアオイの花をお見せする。
futaba-aoi3フタバアオイ花

話は変わるが、ネアンデルタール人の埋葬骨と一緒にタチアオイの花粉が発見されているという。
中国の唐代に牡丹が台頭するまではタチアオイが花の代表選手だったという。
花言葉は「平安」「単純」。花の色には白、赤、紫などがある。中国美女の立ち姿に似ており、古い中国で花の代表だったのも頷ける。

俳句にもたくさん詠まれており、それを引いて終わる。

 ひともとの葵咲きつぎたのしけれ・・・・・・・・日野草城

 門に待つ母立葵より小さし・・・・・・・・岸風三楼

 峡深し暮をいろどる立葵・・・・・・・・沢木欣一

 立葵のぞき棚経僧来たる・・・・・・・・石原八束

 己(し)が花粉浴びまみれてや立葵・・・・・・・・三橋敏雄

 蜀葵人の世を過ぎしごとく過ぐ・・・・・・・・森澄雄

 呼鈴を押してしばらく立葵・・・・・・・・鷹羽狩行

 雨はゆめなり雨の夜は白蜀葵・・・・・・・・阿部完市

 立葵まつすぐに来て破顔せり・・・・・・・・金谷信夫

 呼ぶ子帰る子十二時の立葵・・・・・・・・広瀬直人

 立葵大きな雨が三日ほど・・・・・・・・矢島渚男


杉深くいかづちの居る夏行かな・・・・・・・・・・・・・・・・富安風生
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   杉深くいかづちの居る夏行かな・・・・・・・・・・・・・・・・富安風生

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に

   木の椀に白粥さくと掬(すく)ひをり朝粥会の法話終りて・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが「夏安居」の庶民版の行事を詠んだものである。

京都の夏は、盆地性の気候のため、とても暑い。
この夏の間を利用して各地の寺院などで暁天座禅会や緑蔭講座などが催される。
この私の歌は、もう十数年も前のものであり、どこの寺のものか、などの詮索は止めて、一般的なものと受け取ってもらいたい。
掲出の「白粥」も、その場で写せるものではないので、あくまでもイメージであることを了承されたい。

hodo法堂

写真②は建仁寺の法堂(はっとう)であるが、ここ建仁寺でも毎年7月中旬に「暁天座禅会と緑蔭講座」が催される。
もともと昔からの行事として「夏安居」という90日間の僧の修行の行事があったが、それを庶民にも開放したのが、暁天行事として定着したと言えるだろう。
掲出した句の「夏行」というのも同じ意味である。

建仁寺の場合に触れると、暁天座禅会は6:30~7:10。緑蔭講座は7:10から約50分という時間割でやられる。
2010年の場合は

 7月09日(金)~11日(日)まで毎年恒例の

 暁天坐禅会並びに緑陰講座を開催された。

 6:30より坐禅を行い(20分×2回)、その後

 7:10~8:00頃まで緑陰講座を行った。

 3日間の講師は

7月9日(金) 落語家 森乃 福郎 氏

      演題 『はてなの茶碗』

7月10日(土) 服飾評論家 市田 ひろみ 氏

      演題 『京のくらし』

7月11日(日) 建仁寺派管長 小堀泰巌老大師

      提唱 『碧巌録第六則 雲門日日是好日』


 なお、最終日講座終了後、粥座(朝食)の接待がなされた。

このような催しはあちこちで盛んであり、京都でもたくさんあるが、朝粥の接待のあるところは、後始末が面倒なので減ってきたらしく、朝粥の出るのは、西本願寺の法話・朝粥、智積院の法話・朝粥などである。
後は「おにぎり」「点心」「そーめん」などの接待が見える。
全国各地で朝粥会は行なわれ、毎週おこなわれるところも見られる。

ここでは「夏安居」を詠んだ句を引いて終りたい。

 まつさをな雨が降るなり雨安居・・・・・・・・藤後左右

 夏行とも又ただ日々の日課とも・・・・・・・・高浜虚子

 食堂(じきどう)も炷きこめられし安居かな・・・・・・・・皆吉爽雨

 夏に籠る山六月の椿かな・・・・・・・・・喜谷六花

 山門に山羊の仔あそぶ夏の始め・・・・・・・・中川宋淵

 夏行僧白粥に塩落しけり・・・・・・・・土居伸哉

 土性骨敲かれて居る安居僧・・・・・・・・河野静雲

 黒揚羽絶えず飛びゐる安居かな・・・・・・・・川上一郎



けふのでましの/あなあら貴と/滝の流れも/さらさらと/塵も残さず/神風ぞ吹く/神風ぞ吹く・・・・・・・御滝御幸の歌  
0407524那智の火祭り

   けふのでましの あなあら貴と 滝の流れも さらさらと
       塵も残さず 神風ぞ吹く 神風ぞ吹く・・・・・・・御滝御幸の歌
 

毎年7月14日に行なわれる「那智の火祭」は熊野那智大社の例大祭である。
この祭は12体の熊野の神々が大滝の前の飛滝神社に年に一度の里帰りの様子を表したものである。
12体の大松明の迫力と熱気に、みんな我を忘れての歓声である。 

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る「み熊野」と題する一連の中のものにも

   昏(くれ)梅雨をつきて盛れる火の祭たいまつの男(を)は汗みどろなる・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、「那智の火祭」を詠んだものである。

2004年に「熊野三山の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて、観光客も大幅に増えて来たという。
参詣道として世界で二例目ということでスペインの「サンチアゴ巡礼の道」からの視察団も表敬訪問してくれたという。

himatsuri2那智大社

写真②が熊野三山のひとつ熊野那智大社だが、社殿の前に熊野三山の守り神、三本足の神鳥「八咫烏(やたがらす)」の像が建っている。
熊野三山というのは、この熊野那智大社のほかに熊野本宮大社、熊野速玉大社をいう。
熊野那智大社は、ご神体は那智の滝であり、自然信仰の原点のように考えられるところである。
この大社に隣接して青岸渡寺があるが、明治初期の廃仏棄釈までは、両社一体の神仏混交のものであった。
前に書いたが、この青岸渡寺は「西国三十三ケ所霊場」巡りの一番札所である。

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写真④は那智の滝の前での十二基の「扇神輿」の奉納である。
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写真⑤は、この火祭で松明をかつぐ役を奉仕した男たちが勢ぞろいして役目の報告をするところである。衣服が火の煤で汚れている。
himatsuri7那智火祭③

中世には「熊野詣で」と称して天皇や法皇などが行列をしつらえて京の都から遥々と参詣したのである。
今それらの道程が日の目を浴びて復活してきたのであるが、「歴史遺産」というのは古いままで保存されているのが原則であるのに、
道を整備し直して批判を浴びているという笑えぬ事態も出てきているらしい。

写真⑥は、この祭の一環として、火祭の前に奉納される「稚児の舞」である。和歌山県の無形文化財に指定されている。
himatsuri1火祭稚児の舞

詳しくは「熊野那智大社例大祭 那智の火祭り(扇祭)」というサイトにアクセスされたい。

いま歳時記を調べてみたが、那智の火祭ないしは火祭という項目は出て来るが、例句は無い。
今でこそ「熊野那智」の地は脚光を浴びているが1980年代あるいは90年代は、ローカルな行事として採録されなかったものと考えられる。
私の持っているようなものではなく、もっと大部の歳時記であれば載っているかも知れないが、お許し願いたい。
そんなことで、この辺で終りにしたい。


梅雨霽れの風がゆきまた還って来あんず畑の銀の脚立に・・・・・・・・・・・・・上野久雄
shirohige広重白雨

  梅雨霽(は)れの風がゆきまた還って来(く)
      あんず畑の銀の脚立に・・・・・・・・・・・・・上野久雄


いよいよ梅雨も終りに近づいてきた。激しい雨が降ったりする。
上野久雄は山梨県の人。近藤芳美の創った短歌結社「未来」の幹部として長く居られた。先年亡くなられた。
甲州は葡萄など果実の栽培の盛んなところで、この歌にある「銀の脚立」というのは、そんな果樹園の枝の剪定用のアルミ製のものであろう。
それを「銀の脚立」と表現したところなど秀逸である。歌集『冬の旅』(2001年刊)所載。

今の頃の驟雨の様子については、私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも

      土鈴ふる響きおもはせ驟雨きて梅雨あけ近しと知らすこのごろ・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌があるが、こういう状況を詠っている。

掲出の写真①は広重の「白雨」と題するもので、白雨とは俄か雨や夕立のことである。激しく降る雨を太い線で描いてある。

20050622231029.1土鈴辰

写真②は「土鈴」(どれい)で、これは辰をかたどったもので太った辰でユーモラスである。
土鈴とは、この中に粘土の玉が入っていて、振るとごろごろという野太い音がする。
梅雨の雨を表すのは難しいものなので、広重の白雨の絵や、私の歌に因んで「土鈴」を出してみた。お許しあれ。
この写真のもののように干支に因んだみやげ物などにされている。

今ごろになると梅雨末期に入ってきて、各地で集中豪雨が起きたりするが、梅雨入りと梅雨明けの大まかな目安として、どちらも雷が鳴ることが多い。
気象庁の発表よりも、この雷雨の方を目安にしている人が多い。それは、掲出した私の歌の通りである。

俳句の季語にも「梅雨入り」「梅雨明け」というのがある。
以下、歳時記に載る「梅雨明け」の句を引いて終わる。

 ばりばりと干傘たたみ梅雨の果・・・・・・・・原石鼎

 葭原に梅雨あがるらし鰻筒・・・・・・・・石田波郷

 梅雨去ると全き円の茸立つ・・・・・・・・西東三鬼

 梅雨あけの雷とぞきけり喪の妻は・・・・・・・・石田波郷

 梅雨明の天の川見えそめにけり・・・・・・・・加藤楸邨

 梅雨明けし各々の顔をもたらしぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 梅雨明けぬ猫が先づ木に駈け登る・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅雨明けのもの音の湧立てるかな・・・・・・・・・本宮銑太郎

 梅雨明けや胸先過ぐるものの影・・・・・・・・吉田鴻司

 子の目にも梅雨終りたる青嶺立つ・・・・・・・・谷野予志

小林朋道『タゴガエル鳴く森に出かけよう』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

  小林朋道『タゴガエル鳴く森に出かけよう』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・・・・・技術評論社2010/06/25刊・・・・・・・・・・・・・・・

この小林朋道という人については、いつも採り上げる新潮社の読書誌「波」6月号から連載が始まった「ヒト、動物に会う」で初めて知った。
7月号が出たから彼の文章は二回読んだことになる。

私は昆虫や動物のマニアでもないし、少年の頃も虚弱児で、昆虫少年でもなかった。
しかし、日高敏隆先生の文章を読んだり、このブログにも採り上げたりしたので、「読み物」「物語」として、好きなタイプの文章である。
そんなことで、気になって検索してみて、小林先生の本を数冊アマゾンから取り寄せてみた。
掲出の『タゴガエル鳴く森に出かけよう』が最新刊の本である。
この本は出たばかりなので、ネット上にもまだ書評は出ていない。
この本に関しては、一言、言いたいことがあるのだが、それは後に書くことにして、他の著書の紹介をする。
大きな出版社ならそのサイトに書評や紹介が出ているのだが、それも無いので、少し旧作になるが 『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学』─2007/03/23初版、2010/04/23・7刷発行─つまり大変よく売れている─に関する読者の感想を引いておく。
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驚きの発見がてんこ盛り!, 2009/1/21
By mizue -

レビュー対象商品: 先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!―鳥取環境大学の森の人間動物行動学 (単行本)
タイトルのインパクトどおり,コウモリが飛び,蛇やハムスターやが脱走し,シカやアナグマ,テン,柿の種をまくタヌキなど野生動物とのふれあいにほのぼの~とします。
鳥取環境大学のユニークな実習や生態調査,日々の出来事をとおして,教員・学生・職員の皆さんが一致協力して大学をかたち作っているのだという一端がかいま見られ,動物行動学研究室のゼミ生になった気分。怪我をしたタヌキにGPSをつけて生態研究をしたり,大学に山羊を育するヤギ部を作ったり。
造成工事でやむを得ずイモリを引っ越しさせるくだりは,自然と人間との共生とはいかにあるべきかを考えさせられます。
とても読みやすく,また身近に感じられる話題でこれから大学に入る高校生にも興味を持ってもらえるのでは?
動物行動学に興味を持たれた方は,
「ソロモンの指環 : 動物行動学入門」 / コンラート・ローレンツ著もオススメ!
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引きついでに、「先生シリーズ」と呼ばれる本の中から『先生、カエルが脱皮してその皮を食べています!』─築地書館2010/04/25初版、2010/06/15・2刷発行─と、
先生のマスコミ登場のきっかけとなった記念碑的な本『通勤電車の人間行動学』創流出版1999/11刊の写真をつづいて載せておく。
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さて、問題の『タゴガエル鳴く森に出かけよう』の本のことである。
本のはじめには「トモミチ先生の冒険と思索フィールドMap」なる折込のカラーイラストがあったりして読みやすい、初心者向けの、啓蒙的な本で親しみやすい。
「はじめに」という個所には故・日高敏隆先生に対する感謝の言葉があったりして、日高先生のファンであった私としても嬉しい限りである。
ところが
春 ビーチ・リーディングのすすめ という冒頭のところで

   <「春の海、ひねもすのたりのたりかな」という短歌がある。>

という文章に出くわして、私は、ものすごい当惑と怒りに襲われた。
これは、有名な与謝蕪村の「俳句」である。
私が短詩形という俳句や短歌に特化しているブログを書いているから言うのではないが、こういうのは伝統的な「日本文化」であり、五七五という音数律であれば「俳句」、五七五七七という三十一音であれば「短歌」古くは「和歌」というのが常識であり、これらのことは高校までの教科書でも教えられていることである。
いくら専門外とは言え、大学の先生たるヒトが書く文章ではない。
日高敏隆先生が聞いたら嘆かれますよ。
この本も恐らく、よく売れるだろうと思われるので再版の際には、必ず訂正されることを望みたい。
それに怒りついでに書いておくと「春の海」の後の「、」(読点)はやめてもらいたい。せめて「一字アキ」くらいで済ませてほしい。
あなたも「タゴ、ガエル」なんて書かれたら嫌でしょう。
引用とか記述は正確にお願いしたい。

この本の全体としては、記述も平易で何もイチャモンをつけるところはない。
専門外ではあるが、日高敏隆先生の本などに親しんできた者として、こういう本が売れるのは嬉しいことである。
「タゴガエル」については、← ここを参照されたし。

ここで小林先生のプロフィールを貼り付けておく。

小林朋道(こばやしともみち)
1958年岡山県生まれ。岡山大学理学部生物学科卒業。京都大学で理学博士取得。岡山県で高等学校に勤務後,2001年鳥取環境大学講師,2005年教授。

専門は動物行動学,人間比較行動学。

著書に『通勤電車の人間行動学』(創流出版),『人間の自然認知特性とコモンズの悲劇――動物行動学から見た環境教育』(ふくろう出版),『先生,シマリスがヘビの頭をかじっています!』(築地書館)など。

山あいで育ち,動物好きがそのまま成長して今日に至る。大人っぽいところもあり,家庭生活も無難にこなし,研究面では,野生生物以外にも,人間や社会に強い関心を示し,それらをテーマにした学術論文も多数ある。まとめると「動物行動学を基盤に野生生物・人間・社会それぞれについてのより深い理解と,それらの共存を目指して日夜考え行動している」という。


てんと虫一兵われの死なざりし・・・・・・・・・・・・・・安住敦
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    てんと虫一兵われの死なざりし・・・・・・・・・・・・・・安住敦

この句は安住敦の代表的な句として、よく採り上げられる。この句の前書きに「八月十五日終戦」とある。
つまり、兵隊に取られて苦労したが、幸いにして、遂に死ななかったな、という感慨の句である。

安住敦は明治40年(1907)7月1日、東京に生まれる。
立教中学卒業後、逓信省官吏養成所に入り、卒業後は逓信省に勤務。傍ら日本大学の夜学に通った。
逓信省勤務中に、上役の富安風生に師事し「若葉」に投句。昭和10年には、日野草城の「旗艦」に加わり、新興俳句の花形作家として活躍する。
草城が俳句を廃してからも「旗艦」を守り、同誌が官憲弾圧の為改題した「琥珀」を経て「多麻」を創刊する。
しかし太平洋戦争中に逓信省を退職。日本移動演劇連盟に参加したが、終戦とともに解散。
昭和24年、官業労働研究所に入り、同42年に理事に就任したが、翌年辞任している。
俳句は戦争後、久保田万太郎を擁して「春燈」を創刊。編集、経営に当たり、万太郎の没後、同誌を主宰する。
句集に「まづしき饗宴」「古暦」また、劇作家としても活動し、ラジオドラマ「女弟子」その他がある。
昭和四十一年には日本エッセイストクラブ賞受賞。元俳人協会理事長。昭和63年没。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも

   梅雨空へ天道虫が七ほしの背中を割りて翔びたつ朝(あした)・・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。 少し懐旧にふけるのを、お許しいただきたい。
制作時期は、もう10数年以上も前になるが、大阪、京都、奈良の30数人が出席した合同歌会が、奈良の談山神社で開かれたときの出詠歌で、出席者の大半の票を獲得した、思い出ふかい歌である。自選50首にも選んでいるので、Web上でも、ご覧いただける。
この談山神社は藤原鎌足を祀るが、蘇我氏の横暴を抑えようと、中大兄皇子と鎌足が蹴鞠をしながら談合したという故事のある所である。ここに務める神官で、かつ歌人でもある二人の友人がいるところでもある。

「テントウムシ」には、益虫と害虫の二種類があって、この「ナナホシテントウムシ」は作物にたかるアブラムシなどを食べてくれる「益虫」である。朱色の背中に黒い●が7個あることから、この名前になっている。テントウムシには、ほかに「二星」などの種類があるが、これらはすべて「害虫」とされている。つまり、作物の汁を吸ったり、食害を与えたりする、ということである。
今日、農業の世界でも農薬、除草剤などの薬害の影響が叫ばれ、できるだけ農薬を使用しないように、ということになっている。こういう化学合成による農薬ではなく、この「七ほし天道虫」のように「天敵」を利用するとか、害虫の習性を利用して、雌雄の引きあうホルモン(フェロモン)を突き止めて、それを発散する簡単な器具を作り、雄を誘引して一網打尽に捕える、などが実用化されている。

ここで私の歌集に載せた一連の歌を引いておきたい。

   天道虫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

菖蒲湯の一たば抱けばああ若き男のにほひ放つならずや

梅雨空へ天道虫が七ほしの背中を割りて翔びたつ朝(あした)

濡るるほど濃き緑陰にたたずめば風さわさわと松の芯にほふ

夏草の被さる小川は目に見えず水音ばかり韻(ひび)かせゐたり

散るよりは咲くをひそかに沙羅の木は一期の夢に昏るる寺庭

野良びとが家路を辿る夕まぐれ野の刻しんとみどりに昏るる

土鈴ふる響きおもはせ驟雨きて梅雨あけ近しと知らすこのごろ

茄子の花うす紫に咲きいでて農夫の肌にひかりあふ夕

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談山神社に関していうと、私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に、次のような歌がある。

談山の社に佇てば鞠を蹴る音のまぼろし「蘇我氏を討たむ」・・・・・・・・・木村草弥

この歌は、もちろん上に書いた鎌足と中大兄皇子の故事に因むものである。

安住敦の句をダシにして、すっかり私の作品などに多くの言辞を弄したが、お許しいただきたい。

天道虫は童謡にも登場する虫で、どこか人なつっこいところがある。
俳句にも、よく詠まれているので、それを引いて終わる。

 のぼりゆく草細りゆく天道虫・・・・・・・・・中村草田男

 旅づかれ天道虫の手にとまる・・・・・・・・阿波野青畝

 ほぐるる芽てんたう虫の朱をとどむ・・・・・・・・篠田悌二郎

 翅わつててんたう虫の飛びいづる・・・・・・・・高野素十

 天道虫だましの中の天道虫・・・・・・・・高野素十

 老松の下に天道虫と在り・・・・・・・・川端茅舎

 天道虫天の密書を翅裏に・・・・・・・・三橋鷹女

  愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ・・・・・・・・加倉井秋を

 砂こぼし砂こぼし天道虫生る・・・・・・・・小林恵子

 天道虫羽をひらけばすでに無し・・・・・・・・立木いち子

 天道虫バイブルに来て珠となりぬ・・・・・・・・酒井鱒吉

 天道虫玻璃を登れり裏より見る・・・・・・・・津村貝刀


小山登美夫 『見た、訊いた、買った古美術』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   小山登美夫 『見た、訊いた、買った古美術』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・・・・・・・新潮社2010/06/25刊・・・・・・・・・・・・・・・


    奈良美智、村上隆を見出した現代アートの目利きが買ったモノとは? 
    古陶磁、浮世絵、仏教美術、琉球紅型などの古美術からルーシー・リー、熊谷守一、
    小村雪岱など物故作家の名品まで、店主たちに根掘り葉掘り質問しながら買った13点。
    美しい写真を楽しみながら、値段の訊き方から家での飾り方まで学べる、実践的な入門書。

美術、絵画などを見るのは大好きで、海外に行って自由時間があれば、先ず美術館などに向かう私である。
しかし、お金の無いこともあって「買う」ことは滅多に、ない。
せめて目の保養をさせてもらおうと、はじめて会う人だが、この本を読んでみた。
新潮社の読書誌「波」2010年7月号より書評を貼り付けておく。
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     マッサージのノリで古美術を          佐藤和歌子

 上野の不忍池で蚤の市をやっているのを見かけると、つい足を止めてしまう。目が行くのは古い着物の端切とかお猪口や灰皿、和綴じの古本や褪色した絵はがきとか。何を探しているわけでもなく、律儀に全部見て回るなんてこともしない、何も買わずに立ち去ることがほとんどなんだけど、富岡八幡宮でたまたま蚤の市をやっていると、「おっ」なんつってまたぶらぶら。目立たないようにぐい呑みの底を返して見てみたり、これは灰皿に見えるけど灰皿でいいのだろうかと怪しんでみたり、内心手頃な蕎麦猪口があったら欲しいな、くらいには思っていたりするけれど。価値があるとかないとか、自分がそれを好きかどうかもよくわからない、わからないくせに買って悦に入るのは、どうも一種のナルシシズムみたいで気持ち悪い。だから買わない。向うからしてみれば私なんて「客」でも何でもないんだろうな。骨董屋とか行ったことないし、人に見せられるような絵や器を集めているわけでもない。そうです、わたしは「ひやかし」です、すみません、ではさようなら……そういう人のための本です。
「これ、いくらですか」
「いつの時代のものですか」
「一番高いのはどれですか」
「これは何ですか」
 そうそう、訊いてみたかったんだよ、本当は。現代美術の目利きが、『芸術新潮』誌上で十二軒の古美術商を訪ね歩き、十万円以下のものから八十万円まで計十三点を自腹でお買い上げ。素人感丸出しの質問が心強い。
「中国のやきものの場合、だいたい唐以前のものは埋まっていたと考えていいと思います。(中略)紀元前2000年のカップだったら今から4000年前でしょ、そのほとんどの間は土の中で、誰の目にも触れなかったというのが面白い」
「お経を見るときは、まず自分がその字を好きかどうか。いい悪いじゃなくてね。(中略)無理にこれはいいものなんだと見る必要はないんです」
「この部屋はいつも熊谷守一だけを飾っているんです。なぜかというと、朝、戸をあけて電気をつけたときに、なんか気分がいいんです(笑)」
 その道の玄人たちの答えも、易しいし優しい。「へー」の連続で、ありがとうございます、と頭を下げたくなる。
 著者の小山登美夫さん、メディア上のプロフィールは「奈良美智、村上隆を世に出した仕掛け人」で、ご本人曰く「山あり谷ありのアートビジネスをしています」。二〇〇〇年前後に大学生生活を送った私からすると、奈良美智さんや村上隆さんの登場は衝撃的だったわけで、作品、作家の力もさることながら、「仕掛け」の方も相当クレバーであったことが拝察されます。クレバーってつまり、狙いがあること、狙いに向けて的確に動けること、実際に動くこと。
 この本の狙いは、美術各ジャンル間の風通しをよくすることと、美術全般におけるマーケットの拡大と活性化です、多分。タイトルには「古美術」とあるけど実は「古」いかどうかは問題じゃなく、小山さんが「素人」になれる分野だったら何でもあり。ルーシー・リーもあれば熊谷守一もある。浮世絵の専門家にとってはアフリカのお面は専門外だろうし、その逆も然り。みんな何かの素人なんだから、わからなくて当たり前。資格が要るとしたら、美術が好きかどうか。
 だったら美術って何なの? おそらくは眼福。お茶を飲んだり煙草を吸ったり、寝る前に音楽をかけたり、顔面マッサージをしてもらったり。体の感覚に気持ちのよい刺激っていろいろあって、眼にもそれを与えることはできる。私がなんで用もなく蚤の市をうろついたか、眼が、ささやかな快楽を求めていたのかもしれない、と今になって考える。肩凝りに気がついてマッサージ屋を探すのと同じノリで、巻末のお店紹介のページに付箋を貼っている自分がいる。行ったことないけどさ、「小山さんの本を見て、来ました」って言えば大丈夫そう。やっぱりこれって、「見た、訊いた、買った」じゃなくて、「見ろ、訊け、買え」ってことですよね?   (さとう・わかこ フリーライター)
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小山登美夫とは、いかなる人物なのか。← ここにリンクしたところに詳しい。 京都にもギャラリーがあるらしい。


身籠りて子の手花火をまぶしがる・・・・・・・・・・・・・・遠藤とみじ
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   身籠りて子の手花火をまぶしがる・・・・・・・・・・・・・・・遠藤とみじ

はじめにお断りしておく。適当な手持ちの「手花火」の写真がないので、ネット上から拝借した。著作権は画像に明記されている通りである。

さて、私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に次のような歌がある。

   手花火が少し怖くて持ちたくて花の浴衣(ゆかた)の幼女寄り来る

   手花火の匂ひ残れる狭庭には風鈴の鳴るほど風は通らず
・・・・・・・・・・・木村草弥

一体として鑑賞してもらいたい。

この頃では、線香花火というような単純なものよりも、ロケット花火のような派手なものが好まれるようだが、危険も伴い、音も高く「幼女」向きではない。
私の歌のように手花火を「持ちたい」気持ちはあるが、といって「怖い」という幼女の心理状態を、少しは表現できたかと思っている。
線香花火はパチパチと弾けた後に赤い火の玉が夕日のように、しばらく残っているのが面白い。
手花火は幼い頃の郷愁の火の色と言えるだろう。
掲出した句は、里帰りか何かで「身籠った」娘か何かの感情を巧く捉えて句にしている。

以下、手花火を詠んだ句を引いて終わる。

 手花火に妹がかひなの照らさるる・・・・・・・・山口誓子

 手花火のこぼす火の色水の色・・・・・・・・後藤夜半

 手花火の声ききわけつ旅了る・・・・・・・・加藤楸邨

 手花火を命継ぐごと燃やすなり・・・・・・・・石田波郷

 手花火に明日帰るべき母子も居り・・・・・・・・永井龍男

 手花火にらうたく眠くおとなしく・・・・・・・・中村汀女

 手花火のために童女が夜を待ち待つ・・・・・・・・山口浪津女

 手花火にうかぶさみしき顔ばかり・・・・・・・・岡本眸

 
萩原朔美 『劇的な人生こそ真実』~私が逢った昭和の異才たち~・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   萩原朔美 『劇的な人生こそ真実』~私が逢った昭和の異才たち~・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・・・・・・・新潮社2010/06/22刊・・・・・・・・・・・・・・・

     戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』の覆面作者・沼正三、「パルコ」の時代を演出した増田通二、
     「暗黒舞踏」の王・土方巽、森鴎外の長女にして「ドッキリチャンネル」の森茉莉、
     「天井棧敷」で素人を演劇人に育てた寺山修司……。あの時代のホンモノの才人たちが鮮やかに蘇る。
     土方巽に「正統な不良」と評された男の不思議回顧録。

萩原朔美は、萩原朔太郎の孫にあたる。母・葉子も奔放な生き方をした人である。
その彼が書く昭和の奇才たちの物語である。
新潮社の読書誌「波」2010年7月号より書評をそのまま転載しておく。
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      新たなる地平をめざすというネガイ         竹宮惠子

 私たちは期せずして、お互いに同志となった。
 まったくかけ離れた場所にいて、成長し、共に知らずに同じ方向の価値観を持ち、新しい地平を見るために、大きくも、小さくもある一歩を踏み出した。それは私たちの年代の、ひとつの幸福な存在の形だったのだと思う。

 萩原朔美氏は、実際には私よりも4歳年長である。けれど、どちらも同じように昭和の綺羅星の活躍をその目で見て、その活躍に沿い、時々手を添えながら、その人たちと一緒に革命の中を歩いてきたのだ、と思う。この本はそのことをきちんと記録して残すために、また綺羅星の素晴らしい輝きが身近なところから生まれ、成長していく様を、こうであったと証言するために書かれたように見える。
 それは萩原朔美という人の人生における出会いと発見を、正直に書いた記録であると共に、当時、あらゆる方面から新たな時代を担う人物として一目を置かれた人々との、素晴らしい蜜月のひとときを詳細に示し、著わしたものである。萩原氏そのものが、詩人であり、編集者であり、映像作家であり、俳優であったために、この記録はそのままエッセイ集というにはもったいないような、きれいな作品になった。事実、というだけではない美しい視線がそこにはあって、何か詩的な絵画のような馥郁とした幸福感が、読後に残る。即ちそれは、ここに登場する綺羅星が、決してただの人間ではなく、他者を導く大いなる光明であったことを顕しているのだ。例えば「母親」に対してもその気持ちは変わらない。母親もまた、「会えてよかった人」の一人として数えられる。母に対して愛憎相半ばする寺山修司氏と較べて、なんと冷静なのだろうか。
 同じように革命の同調者として在った世代の私には、実は萩原朔美氏のそういう在り方がよく解る。そしてまた、綺羅星の人々への批評眼もそこに存在することも。決して尊敬の念ばかりではなく、批評的な見方もあったからこそ、革命の同伴者たり得るのだ。
 才能ある人々が何故、そう行動するのか。寺山修司氏の「演出家への非常に大きな許容」をポイントに、いくつもの例を挙げ、自身の演出家デビューにまつわる物語を萩原氏は書いていく。それは寺山氏への尊敬と共に、寺山氏の在り方への疑義でもあり、その疑義はまた、これを読む人々にとっての大きな収穫ともなるようなものだろう。革命の目撃者として、綺羅星の側面を観察できた立場の者として、それはとても正しい、と思う。

 萩原氏は、自らの天井棧敷退団のいきさつを「書く度に変化させていくだろう」と予言している。自らの行為を説明するということが、即ち既に「物語」であることをはっきりと自覚する――それもきっと、革命の中枢にいなかった者の特徴なのかもしれない。冷静にして熱を帯びず、燃えるような情熱を横目に見て、羨みながらも観察者としてつめたく事態を把握する。だからこそ、この本は美しいものになり得たのではないか。もちろん新たなる地平を見たい、それには熱さが不足している、けれどネガイは確かに手の内にある――ある種のじれったさが、ついには傍観者のような視線をつくる……そんな構造が垣間見え、劇団から「逃亡している」自分を嬉しがる萩原氏を、私はこっそりと微笑ましく思ってしまう。(たけみや・けいこ 漫画家)
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萩原家については、つい先日亡くなられた朔太郎の甥っ子の萩原隆氏の縁から、いくばくかの関心を抱いてきた。
『死んだら何を書いてもいいわ』(新潮社、2008年)という本もあるが、「死んだら何を書いてもいいわ」─これは母・葉子の言葉である。
朔太郎のみならず、葉子も波乱に満ちた生を過した人である。


郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・・・・・・・菅原多つを
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   郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・・・・・・菅原多つを

この句を見て、私はすぐに下記のようないきさつを思い出したので、貼り付けておく。

   <渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・・・・・・・・・・・高島征夫

この句は『獐』(一九九四年三月号)に載っているからその年の立春頃の作である。十年前(2004年現在)の作品ということになる。この句を一読、誰でも「ゴッホ」を連想するかもしれない。事実、「ゴッホの絵に、郵便配達夫ルーランがある。碧い鳥打帽をかぶって、青い服を着て正面を向く顔中髯だらけのような彼は、威厳すら感じられる。これを人は髯のルーランと呼んで親しんでいる。渦巻ける髯はゴッホの描く麦畑でもあり、糸杉でもある。髯の郵便夫が春を呼んでいるようでもある。」という撰評を師・高島茂から貰った。
 出来上がったものはすでに作者の手を離れているから、こういうことを言うべきではないのだろうが、正直なところ、作者はこの時、それをまったく意識していなかったのである。
 そういう意味で思い出の深い句となった。】
(自註:『獐』2004年4月号「150号記念特集」のための草稿より)>

高島氏亡き今となっては、懐かしい思い出になってしまったが、掲出した

    郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・・・・・・・菅原多つを

の作者としても、この絵の記憶があったのは確かだろう。
そう思ったので、「麦秋の麦畑」の下にゴツホの絵を出しておいた。

さて麦のことだが、私の辺りでは昔は米の「裏作」として秋に種を蒔いて麦を栽培していたが、今では全く作られなくなった。

「麦秋」と言う言葉は趣のあるもので秋蒔きの麦が初夏の頃に黄色く熟れるのを表現している。
あいにく日本では梅雨の頃に麦秋が訪れるので、雨の多い年などは大変である。
雨が多くて刈り取りが遅れると立った穂のまま湿気で発芽したりするのである。
以前に地方に出張していた頃は車窓から麦刈りの風景などが見られたものである。
九州などでは麦刈りの時期も早いので梅雨までには済んでいるようである。

私の歌にも麦を詠ったものがあり「・・・熟れ麦にほふ真昼なりけり」というようなものがあったと思って歌集の中を探してみたが、
なにぶん歌の数が多くて見つけられず、掲出の句にする。

麦にはいろいろの種類があり、用途によって品種改良がされてきた。
小麦粉にするのは「小麦」である。ご飯にまぜて食べるのは「裸麦」である。
ビール原料になるのは「大麦」で、専用のビール麦というのが開発されている。
因みに言うと「裸麦」は荒い石灰と一緒に混ぜて専用の臼で表面の固い殻を摺り落す。
その際に麦の割れ目の筋が褐色に残る。昔は、そのまま押し麦にして米飯と一緒に混ぜて炊いたが、今では、その筋に沿って縦にカットして米粒のような形に加工してあるから一見すると区別がつかないようになっている。
他に「ライ麦」や家畜の餌にする「燕麦」などがある。
むかし軍部はなやかなりし頃、「陸軍大演習」になると、私の辺りの農村も舞台になったが、空き地には軍馬が臨時の厩舎を作って囲われたが、馬に与えられた燕麦がこぼれて翌年に麦の芽が出て穂になったりしたものである。
参考までに言うと、馬に与える草などは地面に置いた餌箱に置かれるが、麦のような細かい粒のものは零れて無駄にならないように帆布のような厚い餌袋を耳から口にかけさせて食べさせるのである。馬は時々頭を跳ね上げて、袋の中の麦粒を口に入れようとするので、多少は辺りに飛び散るのだった。

以下、麦秋を詠った句を引いて終わる。

 いくさよあるな麦生に金貨天降るとも・・・・・・・・中村草田男

 麦熟れて夕真白き障子かな・・・・・・・・・中村汀女

 一幅を懸け一穂の麦を活け・・・・・・・・田村木国

 灯がさせば麦は夜半も朱きなり・・・・・・・・田中灯京

 麦笛に暗がりの麦伸びにけり・・・・・・・・山根立鳥

 少年のリズム麦生の錆び鉄路・・・・・・・・細見綾子

 麦の穂やああ麦の穂や歩きたし・・・・・・・・徳永夏川女

 褐色の麦褐色の赤児の声・・・・・・・・福田甲子雄

 麦は穂に山山は日をつなぎあひ・・・・・・・・中田六郎


川上未映子 『夏の入り口、模様の出口』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     川上未映子『夏の入り口、模様の出口』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥    
                   ・・・・・・・・・・・・新潮社2010/06/30刊・・・・・・・・・・・・・

   恋人の浮気を直感ピッコン!で突き止めた日、血まみれタクシー運転手がくれた物とは?
   襟足から下の方まで「毛」へのこだわり、午前二時の恐怖体験、
   なぜ冷蔵庫にハムスターの死骸を入れるのは嫌かという哲学的考察など、
   人気作家の摩訶不思議な頭の中と、世界の摩訶不思議な人間たちの姿が垣間見られる一冊。
   脳みその洗濯だ!

新潮社の読書誌「波」2010年7月号に載る書評を、そのまま転載しておく。
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     でっかくバクハツしそう         椎名 誠

 何時の頃からだったか「週刊新潮」のコラムがじわじわと増殖しはじめた。主に一ページものの新しい連載エッセイが多数加わった。そのニューフェイスに川上未映子さんの『オモロマンティック・ボム!』があった。
 これがすらすら読めて、毎回ここちよくおもしろい。このおもしろさはいったい何だ?
 二十年近く週刊誌のエッセイを書いていて話題やテーマの「枯渇」とか「立ち枯れ」などといった文字が脳内でチラチラしている当方としてはしばし考え込んでしまった。
 少しわかってきたのは「簡潔」なことだろう。たとえば本書の冒頭の一編「ピッコン!」などのっけから傑作だが、テーマはこの「ピッコン!」ひとつ。十年来の恋人がいま誰か別の女と接触している、というのがいきなりわかってしまう。それが「ピッコン!」なのだ。「ピッコン!とわかってしまう」。そうして後日恋人を追及する。まったくなんの推察的根拠も証拠も霊感もなーんにもないのに「そうだったでしょ!」と攻める。パーフェクトないいがかりだ。当然恋人はそんなわけないよ、と否定するが「ピッコン!」は強い。
 一テーマ、一話。簡潔にして痛快。そうして次にわかってくるのが、この短い文章のなかにチラチラ見えてしまうこの人の「知性」だろう。たとえば「特高か土の手触りだけで水脈をあてる井戸掘り職人のように」などという一文がある。川上さんはまだ圧倒的に若い女性なんだと思うが、こういう知識が自然にすらっと出てしまうところがニクイ。
 さらに文章のリズムが抜群にいいことで、これはまあ当然、といってしまえばそれまでだろうけれど、なんというのか全体にこの人の「文脈」がこれまた自然にできていて、なめらかなうどんのように、いつもするすると口あたりよく喉ごしよく飲み込めてしまう。
 小説とちがってこういうエッセイは、時事的なものに左右されがちで、極端にいえばその週におきた事件や世間の大きな話題に書き手が適当に「よこっちょ」から私見をもってかかわっていけばなんとかなってしまう。
 でもそれをやってしまうと、週刊誌の付属部品みたいな存在になってしまって、書き手のカタルシスがない。
 その路線を避けるとどうしても身辺雑記が中心になるから、毎週の話の核が重要になる。本書でもときどきそれに悩んでいる記述があって、ああそうなのか、これほどひらひらとここちよく世間のまわりを好きなように舞っているように思える人も「新潮」「新潮」などと呟いて困っているときもあるのだ、と知ってぼくなど逆に驚いてしまった。
 川上さんのエッセイはその身辺雑記の「話題」の目のつけかたが素晴らしいことと「本音」の含有率がかなり高いことも大きな魅力なんだろうと思う。この業界に入ってきたときに編集者との打ち合わせなどで「原稿料」のことがいっさい語られない、という話や、税務署で「有名な人なのに、こんなもんですか……」という窓口おじさんの話などは、川上さんの性格のよさが本音になってあらわれていて、身辺雑記エッセイにもこんなに力があるんだ、とぼくなど逆に勇気をもらった(ぼくは今ふたつの週刊誌の連載を抱えているので)。そうだ。エッセイでどんどん本音を書いていけばそれでどんどんいいんだ、という「どんどん型」のパワーだ。
「パワーはとっても必要だけど」という一編は、同じようなことをぼんやり考えていながらこれまで誰も「話」としてまとめられなかった人間観察論であり、「マジはがんばれ」の一編も「言葉の生死」をかろやかに、そうか、そうなんだな、と納得させてくれる。たぶんこの人の体のなかにはそういうセンスと文体がしなやかにいつも暴れているのだろう。歌手を経て芥川賞を受賞し、女優をやり、そうして毎週『ボム』でバクハツしているこの人の才能はますます文章界(つまりこの業界)のタカラモノのような存在になっていくのだろう。  (しいな・まこと 作家)
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私の好みを言えば、どちらかというと、川上未映子のような今はやりの文体は苦手であるが、これはエッセイなので気軽に読める。
しかし、作家として、音楽家として、詩人として、俳優として八面六臂の、めざましい活躍ぶりであり、リンクに引いたところでも見られる通りである。

2008年、「乳と卵(ちちとらん)」で第138回芥川龍之介賞を受賞。受賞の際の感想の言葉は「めさんこ、うれしい」。母への連絡の言葉は「お母さん、芥川賞とったでぇ。ほんま。ありがとぉ」。3月、特定非営利活動法人「わたくし、つまりNobody」より第1回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。

10月、MFUが主催する、ベストデビュタント賞2008を受賞。11月、ヴォーグ・ジャパンが主催する、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008を受賞。

2009年、4月、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞を受賞。

2010年、1月、映画『パンドラの匣』でキネマ旬報新人女優賞を受賞。同作で3月、おおさかシネマフェスティバル新人女優賞を受賞。

3月、小説『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

新潮社のサイトでは「立ち読み」もできるのでアクセスされたい。

黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・・・・・・阿片瓢郎
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   黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・・・・・・阿片瓢郎

ザクロは3メートルほどの高さになる落葉樹で、細長い艶のある葉が対生している。
梅雨の頃に赤橙色の六弁の花が咲く。肉の厚い筒型の赤い萼がある。

zakuro5石榴落花

写真②が落花である。先に書いたように厚い筒型のガクであるのがお分かりいただける。八重咲きや白、薄紅、紅絞りなど色々あるらしい。
中国から古くに渡来してきたもので、花卉として育てられてきたが、原産地はペルシアだという。
梅雨の頃に咲く印象的な美しい花である。
ザクロと言えば、花よりも「実」が知られているが、実は徳川時代から食べるようになったという。
ザクロは種が多いことから、アジアでは子孫繁栄、豊穣のシンボルとされてきた。実を煎じた汁でうがいをすると扁桃腺炎にいいと言われる。

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写真③がザクロの実である。この中には朱色の外種皮に包まれた種がぎっしりと入っている。
種は小さく外種皮を齧るように食べるのだが、甘酸っぱい果汁を含んだものである。果皮は薬用になる。
写真④のように実が熟してくると実の口が裂けて種が露出するようになる。実が熟するのは8、9月の頃である。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  梅雨空にくれなゐ燃ゆる花ありて風が点(とも)せる石榴(ざくろ)と知りぬ・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。降りみ降らずみの梅雨空に紅く点もる一点景である。


以下、歳時記に載る石榴の花を詠んだ句を引いて終わる。
花は夏の季語だが、実は秋の季語である。

 花柘榴また黒揚羽放ち居し・・・・・・・・中村汀女

 花柘榴病顔佳しと言はれをり・・・・・・・・村山古郷

 ざくろ咲き織る深窓を裏におく・・・・・・・・平畑静塔

 妻の筆ますらをぶりや花柘榴・・・・・・・・沢木欣一

 花柘榴の花の点鐘恵山寺・・・・・・・・金子兜太

 深爪を剪りし疼きや花石榴・・・・・・・・鈴木真砂女

 掃いてきて石榴の花が目の前に・・・・・・・・波多野爽波

 花石榴階洗はれて鬼子母神・・・・・・・・松崎鉄之介

 花石榴子を生さで愛づ般若面・・・・・・・・鍵和田柚子

 妻の居ぬ一日永し花石榴・・・・・・・・辻田克己

 
道尾秀介 『月の恋人~Moon Lovers~』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    道尾秀介 『月の恋人~Moon Lovers~』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・・・新潮社2010/05/31刊・・・・・・・・・・・・・・・・

     お前の一言が、俺の運命を変えていく――冷徹な手腕でビジネスを成功させる青年社長・葉月蓮介が、
     夜の上海で巡り合った女。
     ありえない二人の物語は、美貌の中国人モデル、部下の社員らを巻き込んで予測不能の展開に……。
     話題沸騰、いま最高潮の人気作家がフジテレビ月9ドラマのために書下ろした眩いラブストーリー!


前にも採り上げた 道尾秀介である。テレビ化されて話題にもなった原作の本である。
新潮社の読書誌「波」2010年7月号に載る書評を転載しておく。
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     道尾マジック、「月9」に登場!           村瀬 健

 今の日本で、最も映像化が難しい小説を書く作家。道尾秀介さんをそのように評しても、おそらく賛同していただけるのではないか。なにせあのベストセラー『向日葵の咲かない夏』には、いかなる名監督をもってしてもドラマや映画には絶対にできない驚きの仕掛けが施されているのだから。
 今回、フジテレビはその道尾さんに月9ドラマ(「月の恋人~Moon Lovers~」月曜夜9時放送中)の原作の執筆を依頼したのだが、その最大の理由も実はそこにあった。
 最近、テレビドラマは成熟したとも閉塞したとも言われている。刑事物や医療物がヒットすると各局がこぞってそのジャンルで競合する昨今、起爆剤になるような新企画を考えて、「ドラマはまだまだ面白い」と言われるものを作らなければ先行きが厳しい。そういった危機感をドラマ制作の現場の人間はみな抱いていると思う。
 その中で今回われわれが考えたのが、現在活躍中の人気作家に新たに小説を書いていただき、本の出版と同時期にそれをドラマ化するという、おそらくはテレビドラマ史上、前例がないであろうプロジェクトだった。そして数多くの作家の作品を読み漁った中で、白羽の矢を立てさせていただいたのが、“誰も映像化できない”道尾さんだったのである。
 この人なら、いい意味で映像と距離を置いた作品を書いてくれるに違いない。既成のドラマの枠組みにとらわれず、われわれには想像できない世界を書いてくれるだろう。それが道尾さんの小説を読んだスタッフ一同の感想だった。
 傑作揃いの道尾さんの作品の中でも印象に残ったのが「光の箱」という中篇だった。高校の同窓会を舞台にした小説で、ラブストーリーなのだが最後に鮮やかなどんでん返し的展開があり、読後感は実に心地よい。最近、ファンの間では「道尾マジック」という言葉が定着しているそうだが、その表現がピッタリの内容だった。監督以下、全員がこの小説に惚れ込み、「結末まで展開が読めないラブストーリーを書いてください」と、道尾さんにお願いする決意を固めた。
 新潮社経由での依頼を道尾さんが受けてくださった時は本当に嬉しかったのだが、驚いたのはプロットの原稿を読んだ時だった。今回、われわれが道尾さんに投げかけた設定は、「木村拓哉さん主演」「主人公は会社社長」「ラブストーリー」という三題噺だった。道尾さんだけにひねりの効いた展開の原稿が来ることも覚悟していたのだが、いただいたプロットはシンプルで明快な「ボーイ・ミーツ・ガール」の路線であり、しかもすでに個々のキャラクターが活き活きと動き出していた。正直なところ、ドラマの原稿で最初からここまで登場人物の性格が際立って書かれたものを読んだことはない。
 また、おそらく実在の人間を想定しながら小説をお書きになったのは初めてだと思うが、主人公の葉月蓮介やシュウメイといった登場人物たちは読みながらそこにいると錯覚するほどリアルな存在感を示していた上に、キャラクターとしての深みを醸し出していた。
 後で聞いたところ、道尾さんは今回かなり映像を意識してシーンを作られたそうだが、その中でも印象的だったのが第一話に登場した、正方形に並べた4枚のコインの形からある生物を連想するエピソードである。この話は道尾さんご自身の体験に基づくそうだが、お金も見方によっては異なるものに見えるという示唆は「お金と愛」というわれわれが考えていたドラマの主題にも見事に符合しており、そのイメージを広げて新たな場面も作らせていただいた。
 小説の魅力と、ドラマの魅力。今回の『月の恋人』プロジェクトは二つの異なる味わいを楽しんでいただけるストーリー展開になっている。この雑誌の発売時にはまだドラマは完結していないので詳細をお知らせできないのが残念だが、小説のラストに描かれている、4枚のコインがさらに別の物に形を変えて昇華していく話をドラマでも存分に使わせていただこうと考えている。私は原稿でこの結末を読んだときには体に電流が走るほどの衝撃を受け、脚本家と一緒に「これでドラマが完成する」という確信を深めることができた。
 そして、原作と並行して主題歌を依頼していた久保田利伸さんにもその場面を伝えたところ、それまで「今一つモチーフが足りない」と悩んでいた久保田さんが一言、「見えました。それこそがラブストーリーですね」。4枚のコインが“ある物”に見えた久保田さんは、その後ほどなく『LOVE RAIN~恋の雨~』を書き上げてくれた。これもまた道尾マジック、ではないだろうか。  (むらせ・けん フジテレビ・プロデューサー)
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道尾秀介については『球体の蛇』を見てもらいたい。
それ以後にも多くの新作が書かれている。 この近年、毎年のように直木賞候補に挙げられている。
詳しくは、Wikipediaの記事などを参照されたい。



↑ このフジテレビのドラマ「月の恋人」の中で歌われた主題歌・久保田利伸「LOVE RAIN~恋の雨~」を出しておく。削除されたらゴメンなさい。


 守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・・・・・・・服部京女
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   守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・服部京女

はじめにお断りしておく。掲出の写真はネット上でeco.gooの「ようちゃんの風景」2003/5/24から拝借したものである。
この写真はガラスに張り付いた守宮を撮ったものだが、グロテスクな感じを与えないので、丁度よいと思う。

そろそろ夜にガラス窓などに「ヤモリ」の姿が見られるようになってきた。
守宮は主に人家に棲み、壁や天井、ガラスなどに張り付いて明りに寄ってくる虫を捕らえて食べている爬虫類である。
指には吸盤があって、どんなところにも留まることができる。
体の色は環境によって変化するらしいが、私は夜に家で見かけるので灰色の時しか知らない。
毒はなく、害虫を捕らえる有益な生き物と居えよう。

ガラスに張り付いている場合は、守宮の腹の中の様子が少し透けて見えるので興味ふかい。
呼吸に応じて喉がひくひくと動くところなど面白い。
それにガラスに張り付いている場合は裏面から見えているわけで、守宮の目からは、こちらは見えないので、彼は気がつかないから、ゆっくり観察できる。
名前の由来は、だいたい家の中に居るので「家守」の意味で、この名がついたと言われている。
鳴声が嫌だと言われるが、私はまだ聴いたことがない。
守宮は家の壁や地下の暗いところに10個ほどの卵を生む。これは私は一度みたことがある。

この句は、ヤモリが外灯の笠なんかに張り付いているときには、ヤモリの体が灯に透けて「ももいろ」に見える、という設定が秀逸である。
「かなし」は「愛しい」「いとしい」に通じるだろう。

以下、守宮を詠んだ句を引いて終わる。

 河岸船の簾にいでし守宮かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 壁にいま夜の魔ひそめるやもりかな・・・・・・・久保田万太郎(カルカッタの飛行場にて)

 硝子戸の守宮銀河の中に在り・・・・・・・・野見山朱鳥

 灯を待てる守宮雌を待つごときかな・・・・・・・・阿波野青畝

 芭蕉葉に二重写しの守宮かな・・・・・・・・阿波野青畝

 獄いたるところに守宮の夫婦愛・・・・・・・・大喜多冬浪

 静かなるかせかけ踊守宮鳴く・・・・・・・・高浜年尾

 膝に蒲団はさみて寝るや守宮鳴く・・・・・・・・沢木欣一

 守宮ゐて昼の眠りもやすからず・・・・・・・・上村占魚

 昼守宮鳴く経蔵に探しもの・・・・・・・・能仁鹿村

 玻璃に守宮眠れぬ夜の星遠く・・・・・・・・長島千城



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