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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
e0016267_815090浜木綿

  海へ出る砂ふかき道浜木綿(はまゆふ)に
     屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。 初出は同人雑誌「かむとき」に発表したもの。

浜木綿の歌としては、古くは「万葉集」巻4(歌番号496)に柿本人麻呂の

   み熊野の浦の浜木綿ももへなす心は思へどただに逢はぬかも

という有名な歌があり、浜木綿の歌と言えば、この柿本人麻呂のものが本意とされてきた。
私の歌も、この人麻呂の歌を多分に意識した歌作りになっている。
この一連15首を全部再掲する。なお、この歌はWeb上でもご覧いただける。

       神の挿頭(かざし)・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  失せもののいまだ出でざる夜のくだち和紙の吸ひゆくあはき墨の色

  海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり

  わだつみの神の挿頭(かざし)か浜木綿の嬥歌(かがひ)の浜ぞ 波の音を聴け

  ぞんぶんに榎の若葉空にありただにみどりに染まる病む身は

  昂じたる恋のはたてのしがらみか式子の墓の定家葛の

  そのかみの恋文は美(は)し暮れがたの朴の花弁の樹冠に光(て)れる

  蝦夷語にてニドムとぞ言ふ豊かなる森はしろじろ朴咲かせけむ

  くちびるを紫に染め桑の実を食みしも昔いま過疎の村

  よき繭を産する村でありしゆゑ桑摘まずなりて喬木猛る

  桑実る恋のほめきの夜に似て上簇(じやうぞく)の蚕の透きとほりゆく

  絹糸腺からだのうたに満ちみちて夏蚕(なつご)は己をくるむ糸はく

  桑の実を食みしもむかし兄妹(きやうだい)はみんなちりぢり都会に沈む

  六地蔵の導く墓にとべら咲き海鳥の来て石碑(いしぶみ)穢す

  海女のもの脱ぎすててありとべらなる白花黄花照り翳る昼

  節分(しんねん)にとべらの枝を扉(と)に挿せる慣はしよりぞトビラと称(よ)べる


西條奈加 『善人長屋』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   西條奈加 『善人長屋』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・・・・・新潮社2010/06/22刊・・・・・・・・・・・・・・・・


   困った人は見過ごせない、人助けが生き甲斐のお人好し・加助がたどり着いた「善人長屋」。
   温厚篤実で気持ちのいい善人ばかりが住むという評判とは裏腹に、実は差配も店子も裏稼業の凄腕、
   その世界では一目置かれた悪党揃い。
   そうとは知らずに加助が持ち込む厄介ごとで、次から次へ大騒動。長屋の悪党たちが悪を討つ!

新潮社の読書誌「波」 2010年7月号に載る書評を転載しておく。

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       素晴らしき善人長屋          近藤史恵

 西條奈加さんの小説を読むと、わたしはいつもさらさらに乾いた洗濯ものを想像する。
 長屋のおかみさんが、井戸からくみ上げた水できゅっきゅっと音を立てて洗い上げ、伸ばして、お日様に当てて干した洗濯もの。
 漂白し、糊をきかせてアイロンを当てた、不自然な白さと皺のなさではなく、ぴんと張ってはいても布の風合いはどこか柔らかい。何度も洗い重ねた白は、目に痛いような純白というより、生成のような優しさを持っている。
 だいたい洗濯機だけでなく、乾燥機まである生活に慣れた現代人には想像もつかないが、洗濯というのはかなりの重労働である。井戸から水を汲み、冷たい水の中で布を洗濯板に擦りつけ、汚れを落とす。終われば力を入れて絞り、また水を汲んでゆすぐ。それを何度か繰り返して、やっと干すことができるのだ。
 太陽に当てた洗濯ものは不思議と心地いい匂いがする。いつまでも顔を埋めていたいようなそんな匂い。
『善人長屋』もそんな小説だった。
 西條さんと言えば、ゴメス親分などの魅力的なキャラクターを作り出す人でもあるのだが、この物語のキャラクターも魅力的で、強い印象を残す。
「善人長屋」という通り名なのに、長屋の住人はすべて裏稼業持ち。巾着切り、火付け、詐欺、美人局など、ある意味江戸の悪事のオンパレードである。悪人だからこそ、善人の仮面をつけて暮らしている人々なのだ。
 そこに、「本物の善人」である加助が、手違いでやってきてしまったのだから大変である。長屋の住人たちは、否応なしに、「悪の道」ではなく「善の道」に引き込まれてしまうことになるのである。
 だが、この物語は悪と善とを単純に対比させているわけではない。
 その証拠に、この物語は主にお縫という娘の視点で語られる。悪でもなく、善でもない、ニュートラルな存在であるお縫だが、彼女には悪人と善人を一目で見分けられるという能力があるのだ。
 小説を書いている人間から見ると、こういう能力のあるキャラクターを作ることは、作者としてかなり自分に厳しい縛りになる。
 悪に見えた人間が実は善だったとか、善に見えた人間が実は悪だったという、物語の王道である構成を使うのが難しくなるからだ。
 最後まで読めば、それがよくわかる。この小説は、単に悪人が更生していく話ではない。悪人には悪人の悲しみがあり、そして善人には善人の悲しみがある。
 悪人には悪人であることを貫く強い意志があり、そして善人は騙されて、痛めつけられたとしても善人でいるしかない悲しい理由がある。
 その中で、悪人の悲しみと、善人の痛みは静かに寄り添い合う。ただ、どちらかがどちらかを侵蝕していくのではなく、静かに融合するのだ。
 人の生き方を、根本から変えてしまおうと思うのは、たとえ好意からであっても不遜な考えだ。だが、根本から変えようとしなくても、一緒にいることで、人と人とは少しずつ影響し合っていく。
 加助が善人長屋に住まうことによって、住人たちに、そして加助にも少しずつ小さな変化が起こっていく。
 この小説を読み終えて、わたしはまた江戸の青い空の下で干される洗濯ものを想像する。
 わたしの気持ちもきれいに洗濯されて、砂埃を含んだ風と、太陽の下、ぴんと皺を伸ばされるのだ。   (こんどう・ふみえ 作家)

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西條奈加の本は、『 金春屋ゴメス』シリーズという江戸時代と今(現在)とを自由に往き来する異能の人物譚を読んだことがある。旧Doblogにも記事を書いたかと思う。

西條奈加(サイジョウ・ナカ)について少し書いておく。

1964年北海道生まれ。2005年、架空の江戸を舞台にした『金春屋ゴメス』で第17回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。
新鮮な趣向と爽やかな人情が魅力の時代小説で注目されている。
著書に『芥子の花 金春屋ゴメス』『恋細工』(ともに新潮社)、『烏金』『はむ・はたる』(ともに光文社)がある。

面白いプロットを考える作家である。
その人の新作が、これである。 気軽に読めるので、お勧めする。


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