K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(9月) 月次掲示板
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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九月になりました。
空には鰯雲、赤トンボが飛びます。

 遠き世の流人の心にわが聞きし夏も終りのひぐらしの声・・・・・・・・・・・・・・・・・安田章生
 岬遠く風吹く海に浜木綿は白き炎立つ夏の終りに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松本みよ
 青く透くホースのうちにさゐさゐと夏の終りの水うごきをり・・・・・・・・・・・・・・・・水沢遥子
 青ふかき夕空くぎる岩山の尖り鋭き日本晩夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤克巳
 薬草はひきだしごとに蔵はれてげにしづかなる晩夏の天・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池光
 みずうみの舟とその影ひらかれた莢のかたちに晩夏をはこぶ・・・・・・・・・・・・・佐藤弓生
 晩夏光さへぎる物の影もなしはみ出しさうな細道をゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川斎子
 秋がくれば 秋のネクタイをさがすなり 朽葉のいろの胸にしたしく・・・・・・・・・・土岐善麿
 つる草や蔓の先なる秋の風・・・・・・・・・・・・・・・・・・炭太祇
 誰かどこかで殺されてまた朝刊とどく・・・・・・・林田紀音夫
 木草にも九月のたゆさあるべきか・・・・・・・・・・相生垣瓜人
 黒揚羽九月の樹間透きとほり・・・・・・・・・・・・・・・飯田龍太
 天山南路九月の砂漠河消えて・・・・・・・・・・・・・・・・久保武
 八朔のででむしころげ落ちにけり・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
 襟足をきれいに剃つて白露の日・・・・・・・・・・・・・・中村契子
 吾亦紅壮なる時過ぎて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子
 天女より人女がよけれ吾亦紅・・・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
 情ふかきゆゑにうとまれ吾亦紅・・・・・・・・・・・・・・山仲英子
 野に吹かれやうやう個なれわれもこう・・・・・・・・・三井葉子
 かなかなや師弟の道も恋に似る・・・・・・・・・・・・・・・滝春一
 秋暑し死魚をむさぼる亀のをり・・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
 法師蝉なきやみ猫のあくびかな・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 あちらにも言ひ分のある残暑かな・・・・・・・・・・・小豆沢裕子
 ひまはりや雨にぬれたいから行くね・・・・・・・・・・・・小川楓子
 炎天の物売りのあやうい処暑・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤りえ
 鍋島の猫の眠りや合歓の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・秦夕美
 三角のPLAYボタンを押してみる・・・・・・・・・・・・・三島ゆかり
 伏せ字また煮魚の身を裏返す・・・・・・・・・・・・・・・・楢崎進弘
 弓形の不沈空母がありまして・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺隆夫
 この家は二酸化炭素でできている・・・・・・・・・・・・・浪越靖政
 プライドが記憶を少し変えている・・・・・・・・・・・・・・竹井紫乙
 秋天にキリンの首もぐんと伸び・・・・・・・・・・・・・・・斉藤幸男
 漢字の未来をひらがなで「いま」と読む・・・・・・・・原田否可立
 おっぱいを休火山だと思うなよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 海馬
 牛丼や遠くて近い滑落死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石田柊馬
 木の皮を剥がすと虫の時代劇・・・・・・・・・・・・・・・・小池正博
 ねじ穴はねじが好きではありません・・・・・・・・・・・・・・榊揚子
 快感と言えば背中を掻くくらい・・・・・・・・・・・・・・・・・・津田暹
 稲妻に枝分かれある祖母の嘘・・・・・・・・・・・・・・岡本飛び地
 夏の朝記憶喪失の隕石・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神野紗希
 ひらがなのやにねじれて夫人の夏・・・・・・・・・・・・・山口優夢
 アイスキャンデーの棒もて描く未来都市・・・・・・・・宮嶋梓帆
 この世かなあの世かしらと秋蛍・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿
 まるごとの檸檬に闘志の歯形あり・・・・・・・・・・俳句甲子園・首里高校
 先生の黒子の多き夏期講座・・・・・・・・・・・・・  〃    開成高校A
 先輩の黒き睫毛や流れ星・・・・・・・・・・・・・・・  〃  金沢泉丘高校


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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「角川書店」話題の新刊書籍
「新潮社」 今月の新刊
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「集英社文庫」新刊
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詩の本の思潮社
文芸春秋社・書籍ショールーム

私の手で作ったぶらんこが/乗り手もなくなったまま・・・・・・・・・・・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(5)─再掲──

       鞦韆(ぶらんこ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高田敏子

     私の手で作ったぶらんこが
     乗り手もなくなったまま
     庭木の枝から下がっていて
     子犬のおもちゃになっている

     夜中に目覚めて
     ぶらんこを押している犬
     ぶらんこは
     ときどき こつんと
     犬の頭をたたくらしい

     戸を閉した部屋の中で
     私は文字と遊んでいる
     愛とか死とかの文字を書きながら
     私はときどきちいさな悲鳴をあげる

     月夜か闇夜か知らない庭で
     子犬はぶらんこと遊んでいる
     小さな頭に こつんと当る
     その音だけを 私に聞かして
-----------------------------------------------------
この詩は詩集『砂漠のロバ』に載るものである。
詩人というのは、この詩に書かれるように「文字と遊ぶ」ものである。
「愛とか死とかの文字を書きながら/私はときどきちいさな悲鳴をあげる」というフレーズは、私も詩人として全き同感を表明する。

粟谷は山より暮れてゆく辺り夜目にも白く蕎麦の花咲く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
img_22ソバの草

     粟谷は山より暮れてゆく辺り
       夜目にも白く蕎麦(そば)の花咲く・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、この歌のつづきに

   窯元へぬかるむ道のつづきけり蕎麦の畑は白とうす紅・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   風かるき一と日のをはり陶土練る周囲ぐるりと蕎麦の畑ぞ

という歌が載っている。

私の住む辺りは大都会の近郊農村で、平地で、蕎麦は昔から栽培されるのを見たことがない。
写真①は蕎麦の草を接写したものだが、蕎麦畑の全体像は写真②のようなものである。

buckwheat-6ソバ畑

ソバは夏蒔きと秋蒔きと2回時期があるらしいが、いずれにしても稔るのが早く、2~3カ月で収穫できるらしい。
荒地を厭わないので救荒作物として高冷地では広く栽培されたという。

写真③で「ソバの実」をお見せする。
buckwheat-5ソバの実

この写真は、まだ脱穀したばかりで色が白いが時間が経つと皮が黒っぽくなる。
この実を臼で挽いて出来るのが「ソバ粉」で、粉に少し黒っぽい色がついているのは、皮が混ざっているためである。

 蕎麦はまだ花でもてなす山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 山畑や煙りのうへのそばの花・・・・・・・・与謝蕪村

 道のべや手よりこぼれて蕎麦の花・・・・・・・・与謝蕪村

 山畑やそばの白さもぞつとする・・・・・・・・小林一茶

というような昔の句にも詠まれているように、そのさりげない蕎麦の花の風景が愛(め)でられていたのである。
写真④はソバの花を接写したものである。

buckwheat-7ソバの花

今では「そば」と言えば食べるソバがもてはやされて、どこそこの蕎麦が旨いとか、かまびすしいことである。

しかし文芸の世界では「蕎麦の花」がもてはやされる。食べる「そば」では実態を描きようがないからである。
食べる「そば」は味覚の問題であって、文学、文芸上で描写する対象にはなり得ない。
仮に描写することが出来ても、そこから広がる世界、連想、想像を推し量ることには限界がある。

以下、俳句に詠まれた作品を引用しておく。


 そばの花山傾けて白かりき・・・・・・・・山口青邨

 浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花・・・・・・・・杉田久女

 花蕎麦のひかり縹渺天に抜け・・・・・・・・大野林火

 蕎麦の花下北半島なほ北あり・・・・・・・・加藤楸邨

 蕎麦畑のなだれし空の高さかな・・・・・・・・沢木欣一

 山脈の濃くさだまりてそばの花・・・・・・・・長谷川双魚

 蕎麦咲きて牛のふぐりの小暗しや・・・・・・・・中条明

 山村といふも四五戸や蕎麦の花・・・・・・・・長沢青樹

 月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花・・・・・・・・古賀まり子

 母にまだとる齢あり蕎麦の花・・・・・・・・村松ひろし



静かな海の波打際のように/静かに 水が流れている/その音は・・・・・・・・・・・山尾三省
PHT1018屋久島

      水が流れている・・・・・・・・・・・・・・・・・・山尾三省

     静かな海の波打際のように

     静かに 水が流れている

     その音は

     わたしの全身を流れ

     わたしを 浸している

     遠く 鹿が啼いている

     いっぴきの虫が なむあみだぶつ なむあみだぶつ と鳴いている

     水が流れている

     腰より下に

     水が

     真実に流れている

     静かな海の波打際のように

     静かに 水が流れている
-----------------------------------------------------
昨日に引続いて、今日も山尾三省の詩を、初期詩集『びろう葉帽子の下で』から引いた。
はじめの2行と終りの2行に同じフレーズを置いて、詩の常套手段だが、ルフランの効果を高めて成功している。
山尾の詩は難しい語句を使用することもないが、読者の心の中に、すっと流れるようにすべり込む。
仏教に帰依していた山尾なので「虫の声」が、「なむあみだぶつ」と鳴いている、というところが独特である。

掲出写真は、屋久島のものである。


星を見て つつしむ/星を浴びて いのちを甦らせる・・・・・・・・・・・・・・山尾三省
jyoumon2b5n縄文杉

      星・・・・・・・・・・・・・・・山尾三省

     星を見て つつしむ

     星を浴びて いのちを甦らせる

     星を定めて 死の時を待つ



     星を見て はなやぐ

     星を浴びて 法(ダルマ)を浴びる

     星を定めて 天にまじわる



     星を見て 究極する

     星を浴びて 地に還る

     星を定めて 星に還る

-----------------------------------------------------
この詩は山尾三省の胃がんで死を覚悟した晩年の頃の作品である。
山尾三省は、1938年東京・神田生れ。早稲田大学文学部西洋哲学科中退。
インド、ネパールを巡礼後、1977年家族とともに屋久島に移住。
耕し、詩作し、祈る暮らしをつづける。2001年8月28日死去。

山尾は全共闘世代として学園闘争などに明け暮れたが、そういう「闘争」というものに疑問を感じ方向転換した。
詩人としては初期詩集として『びろう葉帽子の下で』、仏教的な思想とアニミズムが結びついた独自の世界を詠んだ晩年の詩集『祈り』などがある。
平易な語り口ながら「メッセージ」性の強い詩である。
ほかに随筆集『南の光のなかで』や、琉球大学で若い人に向けて宗教性について真摯に語りかけた講演集『アニミズムの希望』
(ここに挙げた本は、いずれも野草社刊)などがある。

彼のことをWikipediaから引いておく。
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山尾 三省(やまお さんせい、1938年10月11日~ 2001年8月28日)は日本の詩人。東京市神田区神田松住町(現・東京都千代田区外神田)生まれ。

来歴
東京都立日比谷高等学校卒業、早稲田大学第一文学部西洋哲学科中退。1960年代の後半にナナオサカキや長沢哲夫らとともに、社会変革を志すコミューン活動「部族」をはじめる。1973年、家族と、インド、ネパールへ1年間の巡礼の旅に出る。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。以降、白川山の里づくりをはじめ、田畑を耕し、詩の創作を中心とする執筆活動の日々を屋久島で送る。1997年春、旧知のアメリカの詩人、ゲーリー・スナイダーとシエラネバダのゲーリーの家で再会。ゲーリーとは、1966年に京都で禅の修行をしていた彼と会ったのが最初で、そのとき、ふたりは1週間かけて、修験道の山として知られる大峰山を縦走している。ゲーリーがアメリカに戻り、三省はインドへ、そして屋久島へ移住したため、長い間交流が途絶えていた。三省は、ゲーリーの近年のテーマがバイオリージョナリズム(生命地域主義)であることを知り、自分が20年来考え続けてきた、「地球即地域、地域即地球」というコンセプトとあまりに近いことに驚いたという。2001年8月28日、屋久島にて胃癌のため死去。
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この詩は「星を見て」「星を浴びて」「星を定めて」というフレーズを一連、二連、三連と続けて「ルフラン」(リフレイン)の効果を最大限に生かした、簡潔ながら佳い詩である。
私の余計な発言はやめて、各自で、この詩を味わってもらいたい。
掲出の写真は屋久島の「縄文杉」である。
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上に引いたWikipediaの中に書かれている「ナナオサカキ」に関する記事が発売されたばかりの「現代詩手帖」10月号の小特集「ななおさかきの地球B」
として22ページにわたって載っている。
彼の選詩集『ココペリの足あと』というのが最近出たらしい。
私は彼については何も知らないので、この選詩集が手に入れば、また何か書いてみたい。


吊革にすがる背広の群見てはローマの漕囚ふとも想はる・・・・・・・・・・・・木村草弥
3419GalleyShipポルトガル海洋博物館ガレー船

    吊革にすがる背広の群見ては
      ローマの漕囚(さうしう)ふとも想はる・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

写真①はポルトガルのリスボンにある「海洋博物館」に展示される「ガレー船」の復元模型である。
これは、あくまでも一つの参考に過ぎないが、ギリシア、ローマ時代の昔から近世に到るまで使われて来た。
写真に見るように人力で櫂を漕いで進んだ。

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写真②は映画「ベン・ハー」で主人公がガレー船で奴隷としてオールを漕ぐところである。
こういうのを「漕囚」(そうしゅう)と歴史的に称している。

私の歌は、朝の通勤電車の吊革にすがっている背広姿のサラリーマンの姿に、ふとローマ時代の漕囚を連想してしまった、というものである。
サラリーマン諸氏には、申し訳ないが、文芸における連想というのは、そういうものである。

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写真③は、カトリックの支配していたルイ14世治下のフランスで、17歳から12年間ガレー船の徒刑囚として過ごした或るプロテスタントの記録(1757年)の本(岩波書店刊)である。
服役中に52%が死ぬというガレー船徒刑囚の過酷な体験を回想した唯一の記録である。

ガレー船は、あちこちに海洋博物館などに保存されたり、復元されたりしているが、ヴェネチアでも見ることが出来る。
漕ぎ手は、古代では「奴隷」が、中世、近世では、先に書いたように「囚人」が使われたようだ。
漕ぎ手も平面的な一層だけではなく、二層、三層の甲板を作って、漕がせたらしい。
三層を始めたのはギリシアだと言われるから、歴史的にも古いものである。

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写真④は、ギリシアの三段ガレー船を描いたイラストである。
有名なレパントの海戦などにも、このような帆船と兼用の漕ぐ船が使われた。動力で推進する船が出現するまで、このようなガレー船は唯一のものであった。
したがって、その船を漕ぐ人間が必要であり、過酷な労働であるから、船員は使えず、このような囚人が駆り出されたものと言えよう。

洋の東西を問わず、人間の営みなんていうものは、まじめに考えると吹き出しそうになるようなことの積み重ねなのであろうか。
同時代を生きているものには判らないが、こうして歴史的に振り返ってみると、人間の一生など、まことに、ちっぽけなものであることを痛感する。
私の、この歌については、サラリーマン諸氏には、一言あって然るべし、だと思うが、いかが?




黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む・・・・・・・・・・・木村草弥
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    黒猫が狭庭をよぎる夕べにて
      チベットの「死の書」を読み始む・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
この歌自体は季節に関係はないが、「死の書」というので、ちょうど秋の彼岸も過ぎたことなので季節の歌と受け取ってもらっても構わない。

430976018X.09.LZZZZZZZエジプト死者の書

関連はないが、同じ「死者の書」(ウォリス・バッジ著)というのが古代エジプトにも存在した。
写真②が、それであるが、チベットにおける「死者の書」の扱いと同じようなことをしたらしい。

チベットの「死者の書」はいくつかのヴァージョンがあるらしいが、説くところは同じである。
チベットでは宗派を問わず、一般に「死者の書」という経典を臨終を迎えた人の枕元でラマ僧が読む習慣がある。
死者がこの世に執着しないように肉親、親類は遠ざけられる。
その経典には、死者が死後に出会う光景と、その対処法が書かれている。
この本の「曼荼羅」に現れる神々は男女交合の姿で描かれるという。(写真③)

yabマンダラ交合図

青い仏に抱きつくようにして交合している髪の長い、白い体の女の姿が見えるだろう。女は「口づけ」しているようだ。
これは歓喜仏(ヤブユム)と呼ばれているが、これは神々の合体の姿の中に、究極的な境地の至福の状態である「大楽」が保持されているからだという。
日本に伝えられた仏教の「理趣経」がそれに当るが、これこそ密教の最も密教的な部分である。
日本では「聖天」さんとして祀られているところで見られる。

死者は49日間バルドゥと呼ばれる生の中間的な状態に留まるが、その間に死者は、死の瞬間に眩しく輝く光を体験する。
最初の一週間で死者は平和の様相の神々の、次の一週間で怒り狂った神々の来迎や襲撃を受け、遂には閻魔大王の前に引き出され、人によっては灼熱地獄に投げ込まれたりする。
そして死者は、それぞれのカルマに従い、六つの世界のいずれかに再誕生してゆく。

今日、仏教(場合によっては「神道」も、これらの影響を受けているという)の色々の行事──たとえば、四十九日の忌明、満中陰の決まりなどは上に書いたバルドゥの考えそのものである。「生れ変り」「輪廻転生」などの考え方も、上に書いたことの表れである。また「地獄、極楽」あるいは「エンマ様」のことなど、われわれ仏教徒が子供の頃から親に言われてきたことを思い出せば、よくお判りいただけよう。
こういう俗事はわかり易いが、哲学的にいうと、深い思想を含んでいると言われている。
哲学者の浅田彰氏の本など、結構むつかしいものである。
写真④の歓喜仏は1900年頃チベットで作られたと思われる金銅製のもので高さ15センチくらいの小さいもの。
00892side1歓喜仏1900頃

このような「歓喜仏」はチベット特有のものではなく、ヒンドゥー教には古くからあるものである。
北インドのカジュラホに行くと、寺院の外壁一杯にレリーフが大小さまざまの交合スタイルで彫刻されている。ズームカメラがあれば鮮明な写真を撮ることが出来る。

kan9ガネーシャ歓喜仏宮城県

写真⑤はガネーシャという象の頭の格好をした神の歓喜仏である。
このようなスタイルは珍しいが、インドはヒンドゥー教が主流を占める国である。
ヒンドゥー教は多神教で、一神教のような「禁忌」は殆ど、ない。
ガネーシャというのは主神シヴァ神の子供だが、父親の言いつけに背いて罰をうけ、このような象の頭に首をすげ替えられた。
ガネーシャに組み敷かれた女の表情も、むしろ嬉しそうで、エクスタシーの境地にあり、ガネーシャの首に手を廻しているほどである。 
書き遅れたが、この像は宮城県のお寺にあるという。
こういう性に関する大らかさが特徴であると言えるだろう。
余談になるが、インドに行くと、このガネーシャ神を祀った寺院がある。
どうも、このガネーシャは金儲けの神様でもあるらしく、お金持ちの事業家が金ピカの大きな寺院を喜捨して建てているのである。


鳳仙花一つはじけぬ死はそこに・・・・・・・・・・・・・・・・猿山木魂
housenka鳳仙花②

     鳳仙花一つはじけぬ死はそこに・・・・・・・・・・・・・・・猿山木魂

ホウセンカはツリフネソウ科の一年草。原産地は中央アジア南部のインド、マライ、中国南部だという。茎の高さは50~60センチに達する。
肉質で太く、下方の節がふくれ、不定根を出す。
花は夏から秋にかけて咲く。葉腋に2ないし3個の花が細い柄の先端に横向きに垂れて咲き、可憐である。花の色は赤、桃、白、紫、黄、絞りなどあり、八重咲きのものもある。
よく道端や垣根の裾に列をなして、咲きあふれてはほろほろと散り、散っても散っても咲き継ぎ、生命力を感じさせる。

hosenk3鳳仙花実
写真②は実で、先端が尖っている。熟すると五片に裂け、勢いよく黄褐色の丸い種を飛散させる。
昔、女の子が赤い弁をこすりつけて爪を赤く染めて遊んだところからツマベニ、ツマクレナイの名がある。
沖縄に「鳳仙花」という題の哀切極まりない調べの民謡がある。
歌詞を書いておく。日本語との対応になっている。

       「てぃんさぐぬ花」

1.てぃんさぐぬ花や ちみさちにすみてぃ うやぬゆしぐとぅや ちむに染みり

 (ホウセンカの花は 爪先に染めなさい、親の言うことは、心に染めなさい)

2.てぃんぬぶりぶしや ゆみばゆまりしが うやぬゆしぐとぅや ゆみやならん

 (天の群星は 数えようと思えば数えきれるけど、親の言うことは、数えきれない)

3.ゆるはらすふにや にぬふぁぶしみあてぃ わんなちぇるうやや わんどぅみあてぃ

 (夜、沖に出る舟は 北極星が目当て、私を産んでくれた親は 私が目当て)

 ↓ 夏川りみ の歌う「てぃんさぐぬ花」の動画を貼り付けておく。 削除されたらゴメンなさい。


inpach1インパチェンス
写真③に載せる「インパチェンス」も、同じ種類の草だという。
この花も色々の花色のものがある。白色のものが清楚で品があるが、私の方では夏の暑さのせいか、毎年づつけて途中で枯らしてしまう。
プランターで栽培していると、変な大きな虫が葉を食い荒らしたりするから油断できない。

以下、鳳仙花を詠んだ句を引いて終る。
掲出の猿山の句は、一般向きではないが、私の今の心象にぴったりだと思って載せる。

 汲み去つて井辺しづまりぬ鳳仙花・・・・・・・・原石鼎

 落日に蹴あへる鶏や鳳仙花・・・・・・・・飯田蛇笏

 煮炊して留守守る童女鳳仙花・・・・・・・・富安風生

 瑠璃光院鳳仙花咲き人が住む・・・・・・・・山口青邨

 呟きは黄泉(よみ)につながる鳳仙花・・・・・・・・橋間石

 足の向くつまくれなゐの田端かな・・・・・・・・古舘曹人

 かたまりて杣の部落や鳳仙花・・・・・・・・清水基吉

 鳥籠の影大きくて鳳仙花・・・・・・・・茨木和生

 よその子が少し憎くて鳳仙花・・・・・・・・辻田克巳

 つまべにの詮なきちから種とばす・・・・・・・・長谷川久々子

 種子はじくたびに陽が揺れ鳳仙花・・・・・・・・青柳志解樹

 つまくれや常に稚きいとこ同士・・・・・・・・橋本風車

 水浴びてをりし雀よ鳳仙花・・・・・・・・高田風人子

 掌に歩のなき将棋鳳仙花・・・・・・・・阿片瓢郎

 影踏みて鶏があそべり鳳仙花・・・・・・・・下村春美

 足音を消して猫くる鳳仙花・・・・・・・・小島花枝
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鳳仙花というと、島倉千代子のヒット曲を思い出す。YouTubeを貼り付けておく。削除されたらゴメンなさい。




病める手の爪美くしや秋海棠・・・・・・・・・・・・・・・・杉田久女
aaoosyukaiシュウカイドウ大判

     病める手の爪美くしや秋海棠・・・・・・・・・・・・・・・・・杉田久女

秋海棠(シュウカイドウ)は中国原産の多年草。陰湿地を好み、日本式の庭園で栽培されるが、ときに野生化しているらしい。
高さ60センチほどになり、八月末に花梗を出し、淡紅色の花を咲かせる。
宝暦年間(1704~11年)に日本に渡来したと言われる。
文人に喜ばれ、よく日本画に描かれるが、今ではすっかり日本の花になりきっている。
節の部分が紅色を帯びる。葉は大きなハート形で、縁にぎざぎざの歯がある。葉腋に肉芽が出来て、地に落ちて新しい苗が生ずる。
私の方の庭にも石の蔭に一株あるが、暑くて日差しがきつく乾燥しがちだと株が弱って元気がない。
地味な花であるが、日が射すとそこに日が溜まるような感じで、また雨の日でもしゃんとした姿を保っている。
大きな石の蔭に咲いていると、まさに処を得たという感じのする花である。
(草弥・注)掲出の久女の句の表記が「美くしや」になっているが彼女の書く表記のママであるから了承されたい。昔も今も「美し」が正当である。

古典となった句や歌にも秋海棠を詠んだものがある。

     秋海棠西瓜の色に咲きにけり・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

の句は、この花の爽やかな色合を捉えて流石だ。

江戸時代の風流人に大変好まれ、和歌にも詠まれているが、漢名をそのまま採り入れた「秋海棠」の語を歌中に入れることは憚られた。

        秋海棠といふ花をかきたるかた
     色も名も唐くれなゐの花のつゆかけそめて見む倭ことの葉・・・・・・・・・本居宣長 『自撰歌』

色も名も唐(から)めいた「秋海棠」の花。その花についた露に掛けて、「やまとことのは」すなわち和歌を詠みかけてみよう、という。花の画に添えた賛である。

画賛と言えば、長塚節(1879~1915)の名作もこの花の絵に添えた歌であった。

         秋海棠の画に
    白埴(しらはに)の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり

大正三年(1914)、「鍼の如く 其一」より。秋海棠を活けるなら白埴の瓶(かめ)が良い。白い光沢の肌をもつ花器に活けられ、霧がなお纏い付いているかのような冷たい水を吸って、秋海棠の淡い紅は生き生きと引き立つだろう。
読む者の心にまで命の水が沁みわたるかのような、清冽無比の一首だ。
同年九月三十日、「雨つめたし、百穂氏の秋海棠を描きたる葉書とりいだしてみる、庭にはじめてさけりとあり」の詞書のある歌では、

      うなだれし秋海棠にふる雨はいたくはふらず只白くあれな

の一首も見え、これも心に沁みる。

         秋海棠と一重菊と垣ねにさきたるかけるに 
     秋をしる庭の一花二花に色のちぐさの野べもおもはず・・・・・・・・・小沢蘆庵 『六帖詠草』

           秋海棠のゑに 
     いかなれば秋野の露の下草に春のにほひを猶とどむらん・・・・・・・・村田春海 『琴後集』

          秋海棠に鳥の絵
     比翼にはあらぬ一羽の烏鳴てねぶりをさます秋の海棠・・・・・・・・・大田南畝 『蜀山家集』

          秋海棠
     秋海棠のさはに咲きたる背戸山に米とぐ女(め)の児(こ)手白(てじろ)足白(あしじろ)・・・・・・・伊藤左千夫 『左千夫歌集』 
     朝顔は都の少女(をとめ)秋海棠はひなの少女(をとめ)か秋海棠吾は
  
     いささかは肌はひゆとも単衣きて秋海棠はみるべかるらし・・・・・・・・・長塚節

            亡妻小祥忌前後
     人の庭に秋海棠の花乞ひて妹(いも)が祀(まつ)りのよそほひとしつ・・・・・・・吉野秀雄 『寒蝉集』
  
     ここ過ぎてわが夏の門こぼれたる秋海棠を晩節となす・・・・・・・・山中智恵子 『短歌行』


などの名歌があるので少し引いてみた。

以下、歳時記に載る句を引いて終わりたい。「断腸花」とも呼ぶ。

 臥して見る秋海棠の木末かな・・・・・・・・・正岡子規

 花のなき秋海棠は唯青し・・・・・・・・高浜虚子

 梳る秋海棠の日和かな・・・・・・・・大野穆堂

 汝をそこに彳(た)たしめてよし秋海棠・・・・・・・・・富安風生

 美しく乏しき暮し秋海棠・・・・・・・・富安風生

 秋海棠一本ありて雨を愛す・・・・・・・・山口青邨

 花伏して柄に朝日さす秋海棠・・・・・・・・渡辺水巴

 そのほとり秋海棠の濡れ易し・・・・・・・・後藤夜半

 秋海棠遠きことのみよく覚え・・・・・・・・神蔵器

 秋海棠眉目よく古ぶ仏たち・・・・・・・・滝春一

 櫛拭いて秋海棠の花を見て・・・・・・・・藤田湘子

 断腸花飛鳥に石のものがたり・・・・・・・・大嶽青児

 秋海棠ほろほろ言葉染まるなり・・・・・・・・河野多希女

 筆洗ふ水を切りたり秋海棠・・・・・・・・中西舗土

露草は霧をあつめて花ひらく農夫は忌みて悪草と呼ぶ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
aaootuyuku1露草本命

     露草は霧をあつめて花ひらく
       農夫は忌みて悪草(わるぐさ)と呼ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

ツユクサはつゆくさ科の一年草で山野いたるところに咲く。
茎は20~50センチになり、はじめ地を這うが、後は茎先を立てて立ち上がる。
この歌に詠むように引抜いても枯れるということがなく、地面についたところから発根するので始末が悪く、
だから農夫は「悪草」と呼ぶのである。この草はまとめて竹薮などへ捨てたりする。

写真のように、夏6月頃から秋10月頃まで咲くが可憐な花で野草として人気がある。
緑色のハマグリ形の苞葉の外に二弁の青い花と、下方に淡白色の一弁を横向きにつける。雄しべ6個のうち4個は仮雄しべで、二個は花から長く突き出して花粉を持つのが極めて印象的である。
一日花というよりは、露のある間を開く半日花として「露草」の名がある。変異が多くあるらしい。
また花の形から万葉集では「鴨頭草」の字を宛ててツユクサと訓んだ。
この若葉は食用になり、また乾燥して利尿剤にも用いた。

古来よく俳句に詠まれてきたので、それを引いて終る。蛍草、青花、月草などと呼ぶ。

 露草の瑠璃をとばしぬ鎌試し・・・・・・・・吉岡禅寺洞

 ことごとくつゆくさ咲きて狐雨・・・・・・・・飯田蛇笏

 露草の露千万の瞳かな・・・・・・・・富安風生

 くきくきと折れ曲りけり蛍草・・・・・・・・松本たかし

 つゆくさの瑠璃はみこぼす耕馬かな・・・・・・・・西島麦南

 そこしれぬなが雨となり蛍草・・・・・・・・川上梨屋

 露草の青が濃くなる空よりも・・・・・・・・古屋秀雄

 露草のつゆの言葉を思ふかな・・・・・・・・橋間石

 露草も露のちからの花ひらく・・・・・・・・飯田龍太

 露草が咲きひろがりて水と空・・・・・・・・細見綾子

 露草の露や半身滴れり・・・・・・・・中村苑子

 蛍草しづかな声は溜るなり・・・・・・・・藤田湘子

 露草と朝の挨拶交しけり・・・・・・・・清崎敏郎

 人影にさへ露草は露こぼし・・・・・・・・古賀まり子

 露草の瑠璃いちめんの昼寝覚・・・・・・・・木村蕪城

 露草の群落に来て空淡し・・・・・・・・五十嵐播水

 露草の花にて染めし文字かな・・・・・・・・加藤三七子

 つゆくさや業平塚へ道細り・・・・・・・・今井千鶴子

 露草や父に老後の庭十坪・・・・・・・・高橋悦男

 露草や姉は都心に老ゆるのみ・・・・・・・・きくちつねこ

 露草のまこと小さき耳打ちよ・・・・・・・・中村明子

 仔牛の目露草の青映したる・・・・・・・・武市明子

 露草や林道ここより道をなさず・・・・・・・・平川巴竹

 ↓ 松下奈緒の「露草」の曲を見つけたので貼り付けておく。 削除されたらゴメンなさい。


忽然と野を満たしけり曼珠沙華・・・・・・・・・・・・・・沼田冨美江
aaoohiganb3ヒガンバナ大判

     忽然と野を満たしけり曼珠沙華・・・・・・・・・・・・・・沼田冨美江

私の歌にも、第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せたものに、こんな歌がある

 律儀にも今年の咲ける曼珠沙華一途なることふとうとましき・・・・・・・・・・・・木村草弥

この花は「ひがんばな」とも言うが、秋のお彼岸の頃に咲き出すから、この名前がある。ヒガンバナ科の多年生草本。
地下に鱗茎があって、秋に花軸を伸ばし、その上に赤い花をいくつか輪状に開く。
花弁が6片で反っており、雄しべ、雌しべが突き出している。人によっては妖艶ということもあろう。
葉は花が終ったあと、初冬の頃に線状に生えて、春には枯れる。

361白花ひがんばな

写真②は白花である。東京では皇居の堀の土手に密集して咲いているのを見たことがある。

030118higan01ヒガンバナ冬

↑  写真③は、その冬に生える葉の様子である。
根に毒を持つ有毒植物であり、墓地の辺りに咲いたりするので、忌まわしいという人もある。
「曼珠沙華」というのは「法華経」から出た言葉で赤いという意味らしい。
古来、俳句や歌謡曲などにも、よく登場する花である。
蕪村の句に

      まんじゆさげ蘭に類ひて狐啼く

というのがあるが、そういうと、この花は蘭に似ていなくはない。鋭い観察である。
以下、歳時記からヒガンバナの句を引く。

 葬人の歯あらはに哭くや曼珠沙華・・・・・・・・飯田蛇笏

 曼珠沙華消えたる茎のならびけり・・・・・・・・後藤夜半

 考へて疲るるばかり曼珠沙華・・・・・・・・星野立子

 論理消え芸いま恐はし曼珠沙華・・・・・・・・池内友次郎

 つきぬけて天上の紺曼珠沙華・・・・・・・・山口誓子

 曼珠沙華南河内の明るさよ・・・・・・・・日野草城

 曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり・・・・・・・・中村草田男

 四十路さながら雲多き午後曼珠沙華・・・・・・・・中村草田男

 まんじゆさげ暮れてそのさきもう見えぬ・・・・・・・・大野林火

曼珠沙華抱くほどとれど母恋し・・・・・・・・中村汀女

 彼岸花鎮守の森の昏きより・・・・・・・・中川宋淵

 寂光といふあらば見せよ曼珠沙華・・・・・・・・細見綾子

 曼珠沙華逃るるごとく野の列車・・・・・・・・角川源義

 西国の畦曼珠沙華曼珠沙華・・・・・・・・森澄雄

 曼珠沙華忘れゐるとも野に赤し・・・・・・・・野沢節子

 曼珠沙華わが去りしあと消ゆるべし・・・・・・・・大野林火

 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子・・・・・・・・金子兜太

 五欲とも五衰とも見え曼珠沙華・・・・・・・・鷹羽狩行


↓ YouTube 山口百恵の歌う「曼珠沙華」(まんじゅしゃか)を出しておくが、削除されたら、ゴメンなさい。



雨夜どよめく薄のはてもまた薄・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
susukiススキ

     雨夜どよめく薄のはてもまた薄・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

ススキも秋の七草のひとつで古来、詩歌にたくさん詠われてきた。
「おばな」とも「かや」とも言う。叢生する形から「すすき」と言い「芒」とも「薄」とも書く。
動物の尾の形に似ていることから「尾花」と言い、屋根を葺くものとして「茅」「萱」と言う。
ススキはイネ科の多年草で宿根から茎や葉を出すが、葉は細く鋸歯がついている上に、固い珪酸が含まれ、肌に触れると切れることがある。穂は花の集まりで、めしべ、おしべを備えている。風媒花である。いろいろ種類があり、先年、亡妻が生け花用にと、どこかから「斑入り」のススキの株をもらってきて菜園の隅に植えたが、繁殖力旺盛で他の作物の領分を侵食するので困りはてて除草剤の原液を振って退治したことがある。庭や畑には植えるものではない。

05曽爾高原すすき

私の住む辺りから一番近いススキの名所というと奈良県の曾爾高原ということになる。写真②は、その風景である。
昨年は私の歌を引いて、曾爾高原も含めて詳しく書いたので、今年は俳句に詠まれる句を引く。

古句には
 
 茫々ととりみだしたるすすきかな・・・・・・・・鬼貫

 山は暮れて野は黄昏の薄かな・・・・・・・・蕪村

 芒ちりて水かろがろと流れけり・・・・・・・・暁台

 古郷や近よる人を切る芒・・・・・・・・一茶

 ちる芒寒くなるのが目にみゆる・・・・・・・・一茶

などがある。美しさというより、荒れたさびしさ、つらさ、けわしさが詠まれている。
以下、明治以後の句を引いて終る。

 金芒ひとかたまり銀芒ひとかたまり・・・・・・・・高浜虚子

 目さむれば貴船の芒生けてありぬ・・・・・・・・・高浜虚子

 この道の富士になり行く芒かな・・・・・・・・河東碧梧桐

 折りとりてはらりとおもきすすきかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 大風に荒ぶ芒を刈りにけり・・・・・・・・高野素十

 なにもかも失せて薄の中の路・・・・・・・・中村草田男

 ひもじくて芒かんざししてゐたり・・・・・・・・斎藤玄

 金の芒はるかなる母の祷りをり・・・・・・・・石田波郷

 海鳴りのはるけき芒折りにけり・・・・・・・・木下夕爾

 みちのくの風の冷たき芒かな・・・・・・・・高橋淡路女

 生きてゐるわれ生きてゐる芒の中・・・・・・・・小寺正三

 花芒醜きものを地に埋む・・・・・・・・塩田紅果

 死後もこの青空あらむ紅芒・・・・・・・・那須乙郎

 青芒より現れぬ猫の顔・・・・・・・・平井照敏

↓ YouTube ちあきなおみ「昭和枯れすすき」 削除されたらゴメンなさい。


額田王ひれ振る萩やとほせんぼ・・・・・・・・・・・・・・・神蔵器
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     額田王ひれ振る萩やとほせんぼ・・・・・・・・・・・・・・・・神蔵器

ハギはマメ科の多年草で厳密には「草状木本」という。
ヤマハギとも言い、一般にはミヤギノハギ、キハギ、ミヤマハギ、マキエハギなどの総称だという。
いずれも日本原産で「秋の七草」のひとつ。
「萩」という字は草冠に秋と書くので、秋の七草のなかでも筆頭と言われている。
この「萩」の字は、実は「国字」である。日本で考えだされた漢字ということである。
萩は秋の七草ということで古来たくさん詠まれてきた。
俳句の古典として、芭蕉の

    一家に遊女も寝たり萩と月

    しをらしき名や小松吹く萩すすき

    白露もこぼさぬ萩のうねりかな

    浪の間や小貝にまじる萩の塵

などの句や、曾良の

    行き行きてたふれ伏すとも萩の原

の句は、萩の花を詠んだ代表作と言えるだろう。
萩の花の優美さ、可憐さ、動き、しおらしさ、草原の姿などを、よく表していると思う。
掲出した神蔵器の句は、古代の相聞として有名な額田王の故事を取り込んだ句として面白いと思っていただいた。

掲出した絵「額田王」は有名なもので、もちろん描いた安田靱彦の想像上のものであるが、ご覧のように記念切手になっているのである。

hagi_L4萩②

萩の花については前に詳しく書いたので、それに重複しないように、以下、明治以後の句を引く。

 萩咲いて家賃五円の家に住む・・・・・・・・正岡子規

 三日月やこの頃萩の咲きこぼれ・・・・・・・・河東碧梧桐

 つぎつぎに人現はるる萩の中・・・・・・・・五百木瓢亭

 日の暮は鶏とあそびつ萩の花・・・・・・・・福井艸公

 萩の花何か急かせるる何ならむ・・・・・・・・水原秋桜子

 低く垂れその上に垂れ萩の花・・・・・・・・高野素十

小さき虫とまることにも萩こたへ・・・・・・・・山口青邨

 雨粒のひとつひとつが萩こぼす・・・・・・・・山口青邨

 もつれ添ふ萩の心をたづねけり・・・・・・・・阿波野青畝

 旅三日馬を見ざりき萩の中・・・・・・・・加藤楸邨

 ある日ひとり萩括ることしてをりぬ・・・・・・・・安住敦

 手に負へぬ萩の乱れとなりしかな・・・・・・・・安住敦

 風立ちて萩の座とてもしどけなし・・・・・・・・鈴木真砂女

 萩散つて地は暮れ急ぐものばかり・・・・・・・・岡本眸

 萩流れ手毬の糸を解く如く・・・・・・・・上野泰

 萩紅し喪ごころのやや遠ざかり・・・・・・・・辻田克巳

 萩の風一文字せせり総立ちに・・・・・・・・田村木国

 紺青の空が淋しや萩の花・・・・・・・・石橋辰之助

 みごもりしか萩むらさわぎさわぐ中・・・・・・・・渡部ゆき子



いちにちを海の青さに染まるまで遊びし鷗かいま帰り来る・・・・・・・・・・・木村草弥
PICT0913-thumb飛ぶカモメ

     いちにちを海の青さに染まるまで
        遊びし鷗かいま帰り来る・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。「海処」(うみが)という14首からなる一連の中のものである。

カモメという海鳥は、いろいろの種類があるらしいが、一般的によく見られるカモメは、ほぼ人間の生活圏の傍にいて、漁業などのおこぼれを頂戴したりして生きているらしい。
また、たとえば「盗賊カモメ」と呼ばれる種類などは他の海鳥の繁殖地で卵や雛を盗んだりして食料にするらしい。
それに、あの目つきが気に入らない。
そんなことで、私は、もう一つ、この鳥が好きになれない。
しかし、それは私の感傷であって、カモメには関係のないことで「カモメの勝手でしょ」とカモメはいうことであろう。

掲出の私の歌は、珍しく素直にカモメを詠っている。
「海の青さに染まるまで遊び」というところに私の工夫が凝らしてある、と言える。
カモメは遊んでいるのではなく、真剣に生きているのだが、それは言葉のアヤであって、こういうのが文芸的表現というものである。

歳時記を引いてみても、私の持っているものでは「カモメ」という季語は載っていない。
ただ「海猫(ごめ)渡る」という春の季語が見つかった。ウミネコは鴎の一種で東北の蕪島、島根県の経島などが繁殖地として知られている。

 渡り来て遠突堤のこぼれ海猫(ごめ)・・・・・・・・しゅら

 陽を溜めし根精の祠海猫(ごめ)渡る・・・・・・・・憲曠

などの句が見える。
陸上の鳥などについては、たくさん季語に採用されているのに、身近の鳥なのにカモメが収録されていないのは、どうしてだろうか。
↓ 童謡「かもめの水兵さん」武内俊子・詞、河本光陽・曲、近藤圭子・歌、の動画を出しておく。 削除されたらゴメンなさい。


この他に「ユリカモメ」=「都鳥」というのが居るが、歳時記を繰ってみると「都鳥」が「冬」の季語として載っている。カモメの一種だという。
この鳥は渡り鳥で北の方から渡って来る。京都市内を流れる賀茂川にもやって来て橋のたもとに舞っていたりする。夜は禁猟区の琵琶湖をねぐらにしているようだ。
この鳥は、目が可愛い。優しい目をしている。
あいにく「冬」の句なので、今回は遠慮して冬のシーズンになったら書くことにする。


朱しるく落ちゆく夕日ゆゑもなく「叱られて・・・」の唄くちずさみゐつ・・・・・・・・・・・・木村草弥
taiyou084夕日本命

    朱(あけ)しるく落ちゆく夕日ゆゑもなく
      「叱られて・・・」の唄くちずさみゐつ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
歌の意味は、夕日を眺めていて「ゆゑ」=理由もなく「叱られて」の唄が浮かんできたというものである。
そんな経験は誰にでもあるのではないか。

kokoronouta-sikararetehirota2弘田龍太郎

「叱られて」の唄は、清水かつら作詞、弘田龍太郎作曲になるものである。写真②は弘田。
この唄は大正9年(1920年)に、清水かつらの歌詞とともに雑誌『少女号』に発表された。
現代の子供たちには、はるか昔の大正時代の村はずれの寂しさなど想像も出来ないだろう。
夕暮れともなれば灯ひとつない小径は薄気味悪いくらいに、ひっそりと静まりかえっている。ひとり家路を急ぐ自分の足音だけが、なぜかやたらに大きく聞こえる。

弘田龍太郎の曲は、詩のもつ情感をそのまま表現することに成功した。
弘田は、明治25年(1892年)高知県安芸市生まれ。
写真③は郷里に建つ「叱られて」の歌碑。

shika叱られて歌碑

ここで、この唄の歌詞を書き抜いておく。

katura2清水かつら
 ↑ 清水かつら

 「叱られて」─────清水かつら

   ①叱られて
    叱られて
    あの子は町まで
    おつかいに
    この子は坊やを
    ねんねしな
    夕べさみしい
    村はずれ
    コンときつねが
    なきゃせぬか

   ②叱られて
    叱られて
    口には出さねど
    目になみだ
    二人のお里は
    あの山を
    越えてあなたの
    花の村
    ほんに花見は
    いつのこと

この歌詞から判ることは、この子たちは、年端もゆかないのに、「山のあなたの、花の村の里」から奉公に出されて来ている少女だということである。子守りや雑用に少女たちが携わっていたのである。



清水かつら、のことは、先に彼の写真だけ出しておいたが、ネット上には次のように載っている。
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 清水かつら
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清水かつら(しみず かつら、1898年(明治31年)7月1日~ 1951年(昭和26年)7月4日)は男性詩人。
本名は、清水桂。特に童謡詩人として知られる。

生涯
本名は清水桂。東京深川生まれ。4歳で生母と父は離縁し、12歳で継母を迎え、本郷区本郷元町に住み、父と継母に育てられた。

京華商業学校(現在の京華商業高等学校)予科修了後、青年会館英語学校に進学し、1916年(大正5年)合資会社中西屋書店(書籍・文具店、東京市神田区表神田2番、後に丸善が吸収)出版部へ入社した。 中西屋書店は少年・少女向けの雑誌を刊行するため「小学新報社」を創設し、かつらは、少女雑誌「少女号」(1916年(大正5年)創刊)や「幼女号」「小学画報」を編集した。編集者には、鹿島鳴秋(「浜千鳥」「金魚のひるね」作詞者)や山手樹一郎がいた。

編集の傍ら童謡の作詞を始め、関東大震災で継母の実家に近い埼玉県白子村・新倉村(現・和光市)に移り、ここで生涯を送った。

1927年(昭和2年)小学新報社を退社。

1933年(昭和8年)-1943年(昭和18年)の間、花岡学院の講師となる。

1951年(昭和26年)7月4日に、「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて、享年53で永眠。同年7月11日に、文京区本駒込の吉祥寺で音楽葬が行われ、弘田龍太郎や中山晋平の弔辞の後、ビクター児童合唱団と音羽ゆりかご会が「靴が鳴る」を斉唱、最後に四家文子が「叱られて」を歌った。

墓所は、文京区本駒込の吉祥寺。

主な作品
戦前
靴が鳴る(1919年(大正8年)9月11日作曲、「少女号」同年11月号に発表、弘田龍太郎作曲)
叱られて(「少女号」1920年(大正9年)4月号に発表、弘田龍太郎作曲)
あした(「少女号」1920年(大正9年)6月号に発表、弘田龍太郎作曲)
雀の学校(1921年(大正10年)12月7日作曲、「少女号」1922年(大正11年)2月号に発表、弘田龍太郎作曲)

戦後
みどりのそよ風(1946年(昭和21年)、草川信作曲) - 新時代を象徴するような明るい曲で、現在も人気が高い。

作品集
『清水かつら童謡集』 上笙一郎、別府昭雄 編、海沼実 解説(ネット武蔵野、2008年3月) ISBN 4944237464
存命中も含めて、かつら唯一の作品集。
歌碑など [編集]
東武東上線和光市駅前に、「みどりのそよ風」、「靴が鳴る」、「叱られて」の歌詞が刻まれた歌碑がある。

東武東上線成増駅の南口に「うたの時計塔」(主な作品に掲げている5作品に、「浜千鳥」を加えた楽曲が流れる。1976年(昭和51年)8月8日設置。)、北口に「みどりのそよ風」碑、アクトホール外壁に「雀の学校」の楽譜と歌詞を刻んだプレートがある。
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埼玉県・和光市の「郷土の偉人 童謡詩人・清水かつら」という記事には彼の作詞による歌碑などのことが詳しく出ているので参照されたい。

蛇足的に書いておくと、私の子供の頃は、私の育った農村の村の中の道を、明け方にキツネが「ギァー」と鳴いて通ったりしたものである。この詩で「コンときつねが」と書いてあるし、キツネが「コン」と鳴くというのは、よく見る表現だが、キツネは「コン」とは鳴かない。キツネは犬科の動物なので、どちらかというと犬に近い鳴声といえよう。ただし「ワンワン」とは鳴かない。私が子供の頃に戸外で鳴く声を聞いたのは、先に書いたが「ギャー」というものであった。
農村でも「子守り」を雇えるのは地主などの富裕層だけであった。多くの農民は地主さんの土地を耕す「小作農」であった。戦後、マッカーサーの指令で「農地解放」の政策が執られたので、その後、もう60年の年月が経つから、地主と小作人との関係などについても、日本人の大半は、何らの知識も体験もない始末である。第一、都市生活者が多くて、彼らは農村については、何も知らないのが実情であるから、何をや言わん、である。
こんなことを書くつもりはなかったのだが、「この子」「あの子」は、「哀しい」子たちであり、ほだされて、つい筆がすべってしまった。この辺で終わりにしよう。



クールベのゑがくヴァギナの題名は「源」といふいみじくも言ふ・・・・・・・・・・・木村草弥
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    クールベのゑがくヴァギナの題名は
      「源」(スールス)といふいみじくも言ふ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
この歌に詠んだクールベの絵は、もう十数年も前になるが、ツアーの自由時間の一日を亡妻と「オルセー美術館」に遊んだ時に「クールベ」の室で見たものである。
この絵を、ここに出すのは躊躇されるので、→ 「世界の起源」(仏: L’Origine du monde)を呼び出して見てください。
この絵のモデルなど詳しく書いてある。

サイズは46×55センチの大きさである。この作品は館の図録(当時の定価で50フランだった)にも出ていないので、今でも常設展示されているかどうか判らない。
この絵は仰臥して股をやや開いて横たわる裸婦を足先の方から描いたもので、画面の中央に裸婦の「ヴァギナ」が大写しになっている大胆な構図である。性器が、もろに描かれているのである。
クールベは、ご存じのように「リアリズム」絵画の巨匠として、フランス画壇にリアリズム絵画の潮流を巻き起こし、一世を風靡して美術史に一つのエポックを画した人である。
前衛芸術運動華やかなりし頃には、ボロクソに言われたこともあるが、美術史の上での運動として欠かすことの出来ない存在である。
絵に戻ると、その絵の題名が「源」source スールス、だと私は記憶していて歌集にも、そのように書いたのだが、上のリンクに出したように原題は「世界の起源」(仏: L’Origine du monde)というのが正式らしいので、ここに訂正しておく。
もっとも「絵画の題名」というのは後年になって付けられることが多いので、私の記憶のように、私が見たときは「source」となっていたかも知れない。
「source」も「Origine」も同じような意味である。
それにしても「世界の起源」という題名には違和感がある。仰々しすぎるのではないか。

この歌については米満英男氏が、先に書いたリンクの批評欄で「木村草弥歌集『嬬恋』──感応」という文章で

・・・・・読み下した瞬間に「なるほど」とうなずく外はない愉快な歌である。下句の<いふ><言ふ>の駄目押しが決まっている。・・・・・

と批評していただいた。

 ↓ セルビアのパフォーマンスアーティスト、Tanja Ostojićは、2005年、この絵をパロディにして"EUパンティ"というポスターを制作した。
art3.jpg


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↑ 写真③はオルセー美術館の内部の一部

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 ↑ 写真④は、その外観の一部で入り口の辺りを望むもの

よく知られるように、ここはヴィクトール・ラルーが20世紀はじめに設計した鉄道の終着駅・オルセー駅舎であり、鉄道廃止後、放置されていたのを1986年に美術館として改装したもので、写真②に見るように駅の大きなドームの構造を利用したユニークな造りになっている。
ドームの突き当たりにかかる大時計は、当時の駅にあった金ピカの豪華な大時計そのままのものである。

この美術館には多くの入場者があり、1988年には216万人を記録したという。パリの新名所として人気が高い。ここには1848年から1914年までの絵画、彫刻が集められ、それまでルーブルに展示してあったものも、ここに移された。1914年以降の作品はポンピドゥセンターに展示するという、年代別に館を分けるという、いかにもフランス人らしい合理主義の棲み分けがなされている。
このオルセーに展示される年代というと、日本人に人気の高い「印象派」の作品は、すべて此処にある。
即ち、ミレー、マネ、ルノワール、ドガ、ロートレック、ロダン、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどなどである。
この場所はセーヌ川の川岸で、オルセー河岸(Quai d'Orsay ケ・ドルセーという)という船着場のあったところ。
ここはセーヌ川を挟んで、ちょうどチュイルリー公園とルーブル美術館の向い側にあたる。
はじめに掲出した写真がセーヌ川越しにオルセーを見たもの。

P9240981オルセー・レストラン
P9240985オルセー・レストラン

この館の玄関ホールの上の中二階には駅舎であつた当時の極彩色で金ピカの内装を生かした「レストラン・オルセー」があり、食事をしながら下の回廊の様子を見下ろすことが出来る。
天井画も、ステキ ! 写真⑤⑥が、その内部である。
私たち夫婦も、ここで昼食を摂ったのは、言うまでもない。ぜひトライしてみられよ。


こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶かしましき日の暮れなむとする・・・・・・・・・・・・木村草弥
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     こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶(きよほうへん)
      かしましき日の暮れなむとする・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
「こめかみ」は漢字で書くと難しい字だが、事典には下記のように載っている。
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こめかみ

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こめかみ(顳顬({需頁})、蟀谷)とは、頭の両側の目尻の後、目と耳のつけ根のほぼ中間にある、皮膚のすぐ下に骨(側頭骨)のある場所のことである。こめかみから下顎までを結ぶ側頭筋という筋肉があり、顎の動きに連動してこめかみが動く。

「こめかみ」の語は、物を噛むとこの部分が動くことから「米噛み」に由来するものである。米以外のものを噛んでも動くが、これを「米噛み」という理由として、日本の主食が米であったことや、かつては固い生米を食べており、よく噛む必要があったことなどが挙げられる。漢字の「蟀谷」は中国語の「こめかみ」を意味する語をそのまま導入したものである。「蟀」はコオロギのことであるが、この字が使われる理由は不詳である。

こめかみは骨の厚さが薄く、打撃に対して弱い。ボクシングやその他の格闘技では顎先と並んで急所としてとらえられている。こめかみに打撃をもらうと脳震盪を起こしやすい。
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この歌は、もう十年以上も前の作品で、作った当時の詳しい事情は忘れてしまって審(つまび)らかではないが、どこかの歌会に出した私の歌を巡って、賛否両論のかしましい議論が起こって、何で、そんなにつまらないことで、ギャーギャーいうのかと、作者としては、うんざりしたのが原因ではないかと思う。
それが「毀誉褒貶かしましき」という表現になっているのである。
私は、それを「こめかみのわびしき」と言ってみたのである。
このようなことは、ビジネスの世界でも、あり得るのではないか。サラリーマンの方、いかがであろうか。人間関係のむつかしいところである。

この歌も、或る歌会に出してみた。歌会には、うるさ型の人が必ず居るもので、そこでも、さまざまに言われた記憶がある。
「こめかみのわびしい」というのは、どういうことなのか、とかいうことである。
文芸表現は「直感」「感性」の勝負である。「こめかみがわびしい」と聞いて、ピンと来ないようなら詩歌作者をやめた方がいい。
歌作りにも、こうでなければならない、というような決まりは何もないのである。
文学、文芸表現というものは、本来、自由なものであり、どんな「作り方」をしてもいいのである。
ただ、俳句とか短歌の場合、定型を選ぶならば、575とか57577とかの定型の規定だけ守ればいいのである。中身は自由である。
それを、さも窮屈な決まり事があるかのように言う人があるから、困る。
私を短歌の世界に導いてくれた先生──安立スハルさんは、「自分の好きなように作ったらいいのだ」という人だった。

歌会というのは、よくあるスタイルは、出席者が30人くらいの会なら午後1時頃からはじまって5時くらいまでかかるのが普通である。楽しい雰囲気で盛り上がればよいが、的はずれの「毀誉褒貶」に遭うと疲れてしまう。
愚痴になってきたので、この辺でやめよう。
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「こめかみのツボ」は大切な場所で、このような記事があるので参照されたい。

眼精疲労に効くこめかみのツボ
読書のし過ぎ、テレビの見過ぎ、パソコンを使う時間が長いなど、目を酷使していませんか?
そんなとき、無意識にこめかみを押してしまいますよね。
事実、こめかみは目に近いので、眼精疲労によく効くツボがあります。
だからこそ間違った場所を押してしまうと、危険もあります。
しっかりツボの場所を覚えて、眼精疲労を解消しましょう。

そのツボは、目尻と髪の生え際を結んだ線の真ん中にあります。
太陽穴(たいようけつ)といいます。
そこを指先で軽く押さえ、円を描くようにゆっくり押します。
心地良い強さで、5~10回押してください。
ツボを押すと、他の場所とは違う痛みがあります。
個人差もあるので、うまく見つからない場合は、少し範囲を広げて探してみてください。
目がスッキリしたり、視界がはっきりしませんか?
しっかりツボを押せている証拠です。

ただし、あまり実感がないからといって、何十回も押したりしないでくださいね。
急に刺激を与えすぎると、頭痛の原因になってしまうこともあります。
そんなときは、無理せず休んでくださいね。

偏頭痛に効くこめかみのツボ
偏頭痛は、女性の多くがもっている悩みですよね。
頭が痛い日は何も手につかず、寝ているのもつらいと感じてしまうのではないでしょうか。
そんな偏頭痛に効くツボも、こめかみにあるのです。
それが頷厭(がんえん)です。

頷厭の場所は、こめかみから髪の生え際に沿って3cmほど上にいったところにあります。
そこを太陽穴と同じように、心地良い強さで5~10回、円を描くように指先で押してください。
その後指をはなしたとき、頭がスッキリしませんか?
これだけで偏頭痛が和らぐなんて、本当に助かりますね。

こめかみを強く押すと危ない…などという噂もありますが、絶対にそんなことはありません。
確かに強く押しすぎると良くはありませんが、それはこめかみに限らず、どこでも同じですね。
常識の範囲内、自分が心地良く感じる強さならば問題ありませんので、こめかみのツボ押しで痛みを和らげましょう。

古唐津で茶を飲むときにうら悲し妻が横向き涙を拭きぬ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
03-4絵唐津筒茶碗

    古唐津で茶を飲むときにうら悲し
      妻が横向き涙を拭きぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

写真①は「絵唐津橋農夫文筒茶碗」というもので、出光美術館蔵の桃山時代の逸品。
私の歌に詠んでいる古唐津は、もちろん無名の並物であることは言うもでもない。

先に私の歌の説明を済ませておく。
「うら悲し妻が横向き涙を拭きぬ」というのは、妻に病気が見つかって、自分の病状について妻がナイーブになっていた時期の作品である。
私としては、そういう妻を「いとしい」と思い、このような歌を残せたことを嬉しく思うものである。

さて、美術史からみた古唐津のことである。
唐津焼は肥前一帯で広範に焼かれ、生産時期も長期にわたっているため、多くの種類がある。
これを区別するため、美術史上では、主として釉薬や装飾技法の違いから、おおよそ次のように分類する。
奥高麗、斑唐津、彫唐津、無地唐津、絵唐津、青唐津、黄唐津、黒唐津、朝鮮唐津、三島唐津、瀬戸唐津、献上唐津、美濃風織部唐津など。

602113-7_1絵唐津
↑ 写真②は絵唐津と言えば松文だが、「絵唐津松文大皿」桃山時代、出光美術館蔵。

↓ 写真③は江戸後期の松江の名君で大茶人の松平不昧公が所持していた「奥高麗茶碗」銘<秋夜>、桃山時代、出光美術館蔵。
602113-7_3奥高麗茶碗

唐津焼に限らず、伊万里、有田、薩摩などの陶器産地は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮半島から多くの陶工を日本に連れてきて、陶土の探索や製陶に従事させたものから発展してきたと言える。
当時、朝鮮半島は製陶の先進地だったのである。

05large沈寿官
↑ 沈寿官作の薩摩焼の壺

薩摩焼の「沈寿官」家などは日本名を名乗らされてきたのを、最近になって先祖の朝鮮名を名乗るようになったものである。
これらの朝鮮半島ゆかりの陶工たちは、謂れのない民族差別に苦しんできたと思われるが、そんな中にあって、その唯一の救いは、我々は製陶の先進地から来たのだというプライドだったと思われる。
その生産品は献上品として各地の大名から喜ばれ、その故に或る程度の保護を受けられたのである。

このページは「唐津焼」について書いているので、つけたしになるが「沈寿官」家の名品を一点、写真⑤に紹介しておいた。



黄土あらは即ち黄河断流を目のあたりに見てこころ干からぶ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
img00001339黄河断流

    ■黄土あらは即ち黄河断流を
       目のあたりに見てこころ干からぶ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    ■見はるかす河原一面黄土にて
        土埃舞ふ済南郊外・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので「黄河断流」の一連のもので関連する歌も一緒に引いておく。
自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

00061794黄河断流
 ↑ 現地でも大問題になっているので、現地の記事にも、こんな画像が載っているので紹介しておく。

先年、NHK総合テレビで「ウオーター・クライシス」という水不足にまつわる特集を放映していた。
私の歌の元になっている実景は、もう数年前になるが、中国の山東半島の旅で見たものである。
済南という都市があり、その郊外に黄河が流れて最終的には東シナ海に注いでいる。
川幅は何キロ位あるだろうか、とにかく広い広い川幅一面が文字通り、黄土一面であり、一滴の水も見当たらないのであった。
異常気象とも、水の汲み上げ過多だと言われているが、とにかく心も干からぶような異常な光景であった。
もともと黄河の源である黄土高原は雨の少ないところで、その少ない雨を保水する森も殆どない、というところである。
現在、日本からの植林ボランティアなども行っているが、中国政府のテコ入れにもかかわらず、急激な経済発展のヒズミが水不足となって、ここにも見られるのである。
現在、水の豊富な長江流域から古代の「大運河」に習って、水供給だけにしぼった「大運河」掘削の計画があるやに聞いている。
中国の輝かしい成長の影で、水不足と水質汚染が静かに進行しているのだ。
黄河断流は、1970年代から見られるようになり、1990年代に、頻繁かつ長期的に見られるようになったのだそうで、水不足は黄河だけではなく、中国北部の多くの川が干上がっているのだ。
驚異的な経済成長を遂げる中国では、農工業の開発と都市化が急ピッチで進み、水需要が急増して、黄河が干上がりつつあり、しかも、わずかに残った水もひどく汚染されているのだと。

人間の欲望というのは、見境のないもので、利潤追求、欲望を果たすまで、無調和の動きをするから始末が悪い。
そして、その悪循環のツケが回ってきたときには、もう気づいても遅いのである。これは中国だけのことではない。
水に関しては、モンスーン地帯である日本はまだ恵まれているが、その他のことでは今や首が回らないような事態がやってきている。
食料自給や、財政破綻のことなどである。

私の、この時の旅は、黄河断流を目のあたりにして、「他山の石」として、わが国のことなど深く考えさせられたことであった。

「選挙」「檄をとばす」の語源・・・『漢字ワードボツクス』から・・・・・・・・・・・・木村草弥
漢字ワードボックス

──新・読書ノート──

   高田時雄・阿辻哲次『漢字ワードボックス』から・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     
先だって行われた「参議院議員選挙」では、民主党の稚拙な選挙対応によって、議席を大幅に減らした。
今しも、その時の敗戦の責任をめぐって二人の立候補者の派手な代表選挙が繰り広げられている。
今回は時事性を持った話題を取り上げる。

掲出の本は
高田時雄(京都大学人文科学研究所教授)
阿辻哲次(京都大学文学部教授)の二人が分担して書いた『漢字ワードボックス』(1997年大修館書店刊)の中から

「選挙」「檄をとばす」という二つを採り上げる。
おふたりとも中国語史と漢字の研究を専攻する人たちである。

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「選挙」
多人数の中から代表者を選びだす「選挙」は、もともと古代中国での高級官僚採用制度に由来する言葉であった。中国での官吏採用制度と言えば、世界史上もっとも難しい試験として知られる試験「科挙」が連想されるが、「科挙」が始まったのは隋代のことであり、それまでの人材登用は基本的には地方長官からの推薦に頼っていた。
秦の始皇帝がはじめた中央集権の官僚による統治制度を踏襲した「漢」は、建国当初は功臣や外戚の子弟、あるいは民間の資産家などの中から適当に選んでいたが、やがて「儒教」が国教化されると、儒学が重視する「道徳」に優れた者を採用するという制度が定着しはじめた。
儒教が重んじる「徳」──孝廉、賢良、方正といった分野から、それぞれに当てはまる人物を地方長官が中央に推薦するというもので、こういうのを「郷挙里選」と言い、略して「選挙」と呼んだ。今の日本語でいう「選挙」の語源である。
こうして推薦されることは、ちょうど今の日本の「キャリア組」として官僚のエリートコースを歩むのと同じくらいに栄達と権力を約束されたので、推薦にあたって不正が起きるようになった。
現在の日本でも選挙の度ごとに買収などの不正が報道されるが、これは古代中国の「郷挙里選」でも同じだったのである。
しかし、この「選挙」は、今の民主主義のもとでの大衆の選挙民による「投票」の制度とはかけ離れたものであったのは、言うまでもない。

「檄をとばす」
奈良の平城京にあった長屋王の屋敷跡から大量の「木簡」が発見されて話題になったが、木簡は文字を書くための「札」で、竹のものを竹簡、木製のものを木簡という。
スポーツの応援のときや、選挙運動のときなどに使われる「檄をとばす」という言葉に見える「檄」も、もともとは木簡の一種であった。
前漢の歴史を記した『漢書』の「高帝記」の一節に「われ羽檄をもって天下の兵を徴す」という文章がある。「檄」とは人員に召集をかける時に使われた木簡で、この文では兵士を緊急動員するために使用されたらしい。
檄に書かれた文章として著名なものは、漢代を代表する文学者である司馬相如の「喩巴蜀檄」などがある。
「檄をとばす」とは、緊急の事態に際して、危急を訴え、警戒を呼びかける文書を各地に迅速に届けることを、本来は指していたのである。

選挙に際しての、派手な「檄」とばしで成功したのは小泉純一郎であろう。
彼は難しいことも「単純化」して、派手なパーフォーマンスで、いわゆる「劇場型」の演出で成功した。
やったことについては、今では「否定」されるべき政策も多いし、すでに「失敗」と断定されていることもある。
選挙も「人気」に乗っかったものであるから、後々から考えると疑問が多い場合がある。
選挙である限り「衆愚」政治に陥る危険もある。

霧の空に太陽しろくうかびたり幻の騎馬に家持出でばや・・・・・・・・・・・・木村草弥
hs08-s広沢池朝霧

     霧の空に太陽しろくうかびたり
       幻の騎馬に家持出(い)でばや・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
この歌の前に

      朝霧にしとど濡れつつ佇めば木津川の波は悲傷を流す・・・・・・・・・・・・・木村草弥

というのが載っている。これは「山城郷土資料館」という一連の出だしの歌である。
先に書いておくと、私はしばらく京都府立山城郷土資料館というところで解説ボランティアをしていたことがある。
その経験も踏まえて短歌結社「未来」誌2001年8月号(連載特集・万葉集─この場所、この一首(8))に編集部から執筆依頼されて「恭仁京と大伴家持」という歌とエッセイを載せたことがあるので、それを参照してもらいたい。

今はまだ暑さが残るが、秋が深まってくると大気が冷えてくる。
そうすると、流れている川の水の方が温かいので、朝の冷気に冷やされて「朝霧」が発生する。
掲出した歌の背景には、木津川沿いに立ち込める朝霧があるのである。
京都府立山城郷土資料館は、もうすぐ奈良県という、京都府の南山城と称される土地の、最南端の木津川沿いに建っている。
このすぐ近くに「恭仁京くにきょう」という極めて短期間だった奈良時代・聖武天皇の頃の都があったのである。
私の歌とエッセイは、その都と宮廷歌人だった大伴家持のことについて書いている。
詳しくはエッセイを読んでいただけば判ることで、ここでは繰り返さない。

私の歌に言う「悲傷」とは、大伴家持(おおともやかもち)の、さまざまの悲哀に満ちた一生に思いを馳せたものである。
それについても、リンクにあげたエッセイを読んでもらえばお判りいただけよう。
そういう思いから、掲出した歌のような「幻の騎馬になって家持さん出てきてもらいたい」という表現に至るのである。
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「霧」は季節を問わずに発生するが、秋に移動性高気圧に覆われているとき、夜の放射冷却によって気温が下がると出やすい。場所によって「山霧」「海霧」「川霧」になる。
俳句では単なる「霧」というと秋の季語とされる。
以下「霧」を詠んだ句を引いて終る。

 霧黄なる市に動くや影法師・・・・・・・・夏目漱石

 霧雨に奈良漬食ふも別れかな・・・・・・・・小宮豊隆

 霧を透す日ざしこの世のものならず・・・・・・・・菅裸馬

 朝ぎりや紫動く牧の牛・・・・・・・・菅裸馬

 白樺を幽かに霧のゆく音か・・・・・・・・水原秋桜子

 霧こめて山に一人の生終る・・・・・・・・山口誓子

 ランプ売るひとつランプを霧にともし・・・・・・・・安住敦

 ピカソ見る人を見てをり霧なき日・・・・・・・・中川宋淵

 一本のマッチをすれば湖は霧・・・・・・・・富沢赤黄男

 霧を見る茛の灰を海におとし・・・・・・・・横山白虹

 霧月夜美しくして一夜ぎり・・・・・・・・橋本多佳子

 情死とはかく蒼からむ夜霧の笹・・・・・・・・長谷川秋子

 さやうなら霧の彼方も深き霧・・・・・・・・三橋鷹女

 四百の段の室生寺霧はやし・・・・・・・・石塚八束

 霧の村石を投うらば父母敬らん・・・・・・・・金子兜太

 霧の別れ人のかたちをなくしゆけり・・・・・・・・近藤馬込子

 水筒のろろんと鳴りて霧の中・・・・・・・・福田蓼汀

 霧吹けり朝のミルクを飲みむせぶ・・・・・・・・石田波郷

 月山といへ一切の霧の中・・・・・・・・岸風三楼

 肩抱けば霧の香まとふかなしさよ・・・・・・・・稲垣きくの




「海馬─みなとの詩歌ブログ」から抄出『川柳びわこ』&『ふらすこてん』・・・・・・・・・・木村草弥
ひも

「海馬─みなとの詩歌ブログ」から抄出『川柳びわこ』&『ふらすこてん』・・・・・・・・・・木村草弥

海馬─みなとの詩歌ブログという楽しく、かつ有益なサイトがあって、私はいつもひそかに閲覧させてもらっているが、私ひとりで楽しむのは勿体ないので最新号をコピペで貼り付けて、ご紹介するので読んでみてください。
リンクになっているので「みなと」(湊圭史)さんのサイトを辿れます。
ここに引用するのは、文芸のジャンルとしては「川柳」ということになります。 2010/09/06号です。
私の作為は全く加えていないので、原文のままです。
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『川柳びわこ』&『ふらすこてん』

『川柳びわこ』2010年9月号を送っていただきました。
8月のびわこ番傘句会におじゃましたのですが、
平賀胤壽さん、徳永政二さんをはじめ、個性的な柳人が
いらしゃって、みなとは興味しんしんなのでした。
平賀・徳永両氏ともどこかボーヨーとした印象があって、
お人柄にも興味しんしん。湖国の方だからかなあ。

「びわこ近詠」より、好きな句を。

じゃぶじゃぶと大阪弁を搔き分けて    久保田紺

一点差となって仰向く蝉の空       重森恒雄

気化熱で冷えることばのいくつかは    北村幸子

ベランダに蝉転がって夏終わる      中嶋百合子

やっと湧き出しそう砂が動いてる     山野博子

君はもう僕が誰だかわからない      倉田匡太郎

海辺にて口先だけの人になる       竹井紫乙

午前三時のブブゼラを聞いている     木村正夫

トンネルを掘ろう言葉を捨て去って    峯裕見子

ここにいてここにはいないこと話す    徳永政二

伝令の翼を広げ熱帯夜          平賀胤壽

隙間からにぶく光って秋という      徳田孝子

前がいい後ろがいいと楽しそう      小梶忠雄

あつあつのコロッケふはふは昼独り    笠川嘉一

「作品紹介」のコーナーに引かれていた高橋ふでこさんの句が面白かった。
本多洋子さんの「洋子の部屋」http://www7a.biglobe.ne.jp/~yoko-senryu/からの
引用のようですが、孫孫引きで失礼します。

あんがいに空に刺さったもの多し   高橋ふでこ

タンスとか浜辺とか夢見がちなり

手がもげてあとは沈んでいく夕陽

言葉がじつに自由です。





さて、『川柳結社 ふらすこてん』第十一号。
同人・誌友詠「たくらまかん」より。

殿中でござるカピバラの残像       井上一筒

サキちゃんの肘から先はトカゲ色     吉澤久良

終わり方ありき画鋲にひかる海      富山やよい

パピエスに断頭台の三拍子        上野勝比古

六条や浮力を思う乳母車         石田柊馬

物質をひゅうひゅう湯剥く義手の蜂    きゅういち

俎が立ってきゅうりが正座する      森茂俊

大きく振り被った次の音         蟹口和江

うっすらとなみだ昏睡のみみず      山田ゆみ葉

そこひかも自在仏が眇する        黒田忠昭

尾骶骨つかまれあるじにしてあげる    阪本きりり

否定した場所しか降りる所が無い     山本芳男

ピカチュウをお酢に漬ければ分かるはず  湊圭史

お祈りの両手にかける白い布       井上しのぶ

カエサルがよく描けたので二重丸     くんじろう

知らないか知らないかいつかのザラメ   山口ろっぱ

硝子の雨にくちづけ身を裂かれ      増田えんじぇる

コマ送り窓に下山の山男         兵頭全郎

戦線に戻る便座を首に掛け        小林満寿夫

もはやたまさか月刊狂気         酒井かがり

雲の峰ためらい傷を振り翳す       岩根彰子

ハンカチを三度振ったら思い出せ     筒井祥文


『バックストローク』第31号につづき、
きゅういちさんの充実ぶりが目立っているように思います。
「選者が揃って「低調」と評した今号」(編集・全郎さん)だそうで、
ちょっと夏バテだったか。フンばらねばなりませんぞ。



比喩のやうに宙のかなたから飛んで来る君のEメール詩句の破片が・・・・・・・・・・・・木村草弥
aaookanokoカノコユリ

     比喩のやうに宙(そら)のかなたから飛んで来る
       君のEメール詩句の破片が・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。この歌だけ単独で取り出すと何のことやら判らないが、「ドメイン」というインターネットを詠んだ一連8首の中のものである。

この一連の最初の歌は

  野兎の耳がひらひらしてゐるね<草原の風に吹かれてるんだ>・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

というものである。
これは「詩」である。
この詩句のあとを受けて、掲出した歌がある、のである。
「君のEメール」というところに、インターネットで発信された詩句であることの存在証明をしていると言えるだろう。
「Eメール」という言葉を修飾するものとして「比喩のやうに宙(そら)のかなたから飛んで来る」というフレーズを、私は選択した。
「比喩」という語句を辞書で引くと①「たとえること」②「類似したものを使って印象深く説明する表現法」というようなことが書いてある。これは辞書によって文句に違いはあるが、ほぼ大同小異といえよう。
「詩」というものは、極論すると「比喩」表現に尽きる、と言える。
その「詩」が成功するかどうかは、その「比喩」がぴったりと収まって、読者に十全に受け入れられるかどうか、によって決まる。

ここに挙げた歌が成功しているかどうか、私には何とも言いようがない。いかがだろうか。

無防備にまどろむ君よスカラベがをみなの肌にとどまる真昼・・・・・・・・・・・木村草弥
sukarabe_se.jpg
mus150スカラベ護符レプリカ

     無防備にまどろむ君よスカラベが
        をみなの肌にとどまる真昼・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

この歌では私はスカラベのペンダントをつけた「君」が夏の真昼を、まどろんでいるのを描いたのだが、本来の「スカラベ」というのは、甲虫の「フンコロガシ」のことである。
写真①は古代エジプトで崇拝された「スカラベの護符」のレプリカであり、いま土産物として手に入るもの。

volt01切手オートヴォルタ
 ↑ 写真②はオートヴォルタという国で1981年に発行された「フンコロガシ」の切手である。
この虫は日本には居ないが、世界各地には棲息していて、有名なファーブルの「昆虫記」に出てくるもので、正式には「タマオシコガネ」という名前である。
古代エジプトでは、この虫を「スカラベ」と呼んだ。

写真③は「昆虫記」の著者ジャン・アンリ・ファーブルである。
fabreファーブル

古代エジプトでは、糞玉をころがすスカラベを見て、日輪の回転を司るケペラ神の化身とみなした。世界的にも神格を与えられた昆虫は珍しいが、スカラベは、その最初の昆虫ということになる。
かくして、古代エジプトでは、スカラベを創造、復活、不死のシンボルとして崇め、四千年も前からスカラベの護符や装飾品で飾ったのである。
有名なツタンカーメンの墓からも、このスカラベの護符が「カルトゥーシュ」という「囲み枠」の中に絵文字の名前入りで造られている。他の王や女王、王妃などすべて、そうである。古代エジプトの絵文字は解読されていて、発掘された墳墓や彫刻などが、誰であるかが同定されているが、それは、この「カルトゥーシュ」という囲み枠に刻まれている名を解読すれば、すべて判るからである。

↓ 写真④はフランスで1956年に発行された切手で、ファーブルが糞ころがしタマオシコガネを虫めがねで観察している姿を描いてある。
fr11切手フランス

ネット上では糞ころがしを絵柄にした切手が世界各地で発行されているのを見ることが出来る。
オーストラリアでは「スカラベ」というと、この糞ころがしのことを指すらしい。
先に日本には糞ころがしは居ないと書いたが、それは日本には丸い糞玉にするような適当な固さの糞をする獣が居なかったことに原因があるだろう。牛の糞や人糞などはベタベタしているから、玉になりにくいだろう。

7321センチコガネ

 ↑ 写真⑤に日本にいる同種の甲虫の写真を出すが、この虫は「センチコガネ」という名のつくもので、大きさ2センチくらいのもので、センチという便所を意味する名の通り糞便を分解する虫だが、糞玉は作らない。「センチ」とは漢語で「賤地」のことである。
汚らしい話題になって申し訳ない。説明しかけると、こうなってしまうのである。

夏の季語である「こがねむし」黄金虫を詠んだ句を引いて終わりたい。金亀子とも書く。

 モナリザに仮死いつまでもこがね虫・・・・・・・・西東三鬼

 金亀子擲つ闇の深さかな・・・・・・・・高浜虚子

 恋捨つるごと金亀子窓より捨つ・・・・・・・・安住敦

 病めるわが胸より金亀子はがす・・・・・・・・加倉井秋を

 黄金虫雲光りては暮れゆけり・・・・・・・・角川源義

 死にて生きてかなぶんぶんが高く去る・・・・・・・・平畑静塔

 ぶんぶんに玻璃くろがねの関なすや・・・・・・・・・石塚友二

 金亀虫琵琶のおもてを打撙す・・・・・・・・佐野まもる
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少し余談を書いておく。
糞ころがしのことだが、この虫の作る糞玉は固くても、柔らかすぎても玉にならないらしい。
だから、この虫は山羊などの小さくて、固くて、コロコロしている糞は、苦手だと、ものの本に書いてある。
この虫が、なぜ糞玉を作って巣へ運ぶかというと、巣に帰ったら、この糞玉の中に卵を産むのである。
孵った幼虫は、この糞玉を食べて成長するという段取りである。
適当な固さで、というところに、虫と言えども「こだわり」があるのである。
何事も「こだわり」が大切らしい。では、また。

戻りたる太陽の彩まぶしかり「トラキア人の墓」も明るむ・・・・・・・・・・・・木村草弥
bulga20[1]1トラキア人墓壁画

     ■戻りたる太陽の彩(いろ)まぶしかり
       「トラキア人の墓」も明るむ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

      ■シプカ村に鄙びし聖歌ひびくとき
         バルカン山脈晴れて果てなし・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので「皆既日蝕」──ブルガリア1999年8月11日──という一連11首のところに収録したものであり、丁度、二十世紀最後という皆既日蝕に同地で遭遇した記念すべき作品群である。
掲出歌だけでなく現地の背景説明のためにつづく歌も出しておく。

私は当時まだ現役で仕事をしていたので、1999年のお盆休みを利用してJTBのツアーに乗っかって、ルーマニア・ブルガリアの旅に参加した。
丁度、その期間中に20世紀最後と言われる皆既日蝕に遭遇することになった。
もちろん私の旅は皆既日蝕を見るのが目的ではなかったのだが、現地の新聞などは、その報道一色だったことを思いだす。

ブルガリアでは「バラの谷」と呼ばれる地方に行った。
ここは広大なバラ畑がひろがり、バラ油が生産されているところ。
歌集の注書にも書いたが、ここで産するバラ油は世界シェア80%を占めるものである。
その辺りはシプカ村と称するが、その一角に「トラキア人の墓」の遺跡が存在する。
オリジナルの墓は現在、保存のため封印され、一般には非公開であり、その代わりに隣に忠実に再現したコピーを建ててあり、見学できる。
写真①は、そのコピーの古墳の内部に残る壁画の様子。

 ↓ 写真②はコピーの外部の建物。
bg-trakia-tombトラキア人墓

 ↓ 写真③は、その墓の内部の入り口付近である。
bg-trakia-in1トラキア墓コピー入り口

「トラキア人」と言われても、世界史の本にも余り出てこないことだが、トラキア人の名が歴史に登場するのは、ギリシアのヘロドトスの本によるという、もともとはユーラシア大陸の騎馬民族である。
ネット上ではGoogleで検索するとブルガリア科学アカデミー考古学研究所の記事の中で「トラキア人と魂の不滅」というディアーナ・ゲルコーヴァの論文などが見られるので参照されたい。
Googleでは「トラキア人」と検索すると多くの情報が載っている。

このコピーだが、忠実に再現された墓はBC4世紀ごろに造られた古墳で、中は大人4人しか入れない狭い空間。
しかし、そこには洗練された壁画の世界が広がっていた。
古墳は丘の上にあり、付近は公園になっている。1944年、軍が防空壕を掘っていて偶然に発見された。
その壁画はトラキア人が残した最大の遺産として、ブルガリアの誇りになっている。
壁画のなかで重要なのは、写真①に見るように、主室の葬送の様子を描いたものである。
丸天井に円環状に描かれ、中央に3台の戦車、その外側に多くの男女や馬車がある。
あの世に先だつ夫と、これを見送る夫人との決別の場と解釈されている。
トラキア人は、みな自らの意志によって死ぬことに敬意を払い、中には死者の魂が滅することなく、生存中よりも一層祝福されると信じたという。
この場所は、ブルガリア北部のカザンラク近くのシプカ=シェヨノボ地区である。
ルーマニアから国境を越えて、すぐの所。

ここの壁画の保存とコピー展示の様子を見ると、いま奈良県の高松塚古墳で問題になっている保存と公開のことが思い浮かぶが、ここでも、このような方法を採用したらよいのである。日本人はオリジナルを現地で保存し、かつ公開するのにこだわるが、オリジナルを破損してしまっては元も子もなくなるではないか。
トラキア人の墓だけでなく、アルタミラの洞窟などでも、オリジナルは非公開にして厳重に保存し、一般にはコピーを公開している。
世界的には、そういう趨勢なのである。



紺ふかき耳付の壺マグダラのマリアのやうに口づけにけり・・・・・・・・・・・・木村草弥
mary_magdaleneマグダラのマリア

     紺ふかき耳付の壺マグダラの
        マリアのやうに口づけにけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

「マグダラのマリア」は、磔刑で死んだキリストが復活して初めて会いに行った人である。
元は娼婦であることから、さまざまの物議をかもしてきた人物である。

はじめに写真①の説明を済ませておく。画像は16世紀のドイツの画家Jan van SCORELの描いたもの。
手にしているのがマグダラのマリアのシンボルである聖油の洗礼用容器である。

掲出した歌の関連で書いておくと、同じ歌集のイスラエル紀行の中で、次のような歌を私は作っている。
先に二つの歌の背景説明をしておくと、
「マグダラのマリア教会」は1888年ロシア皇帝アレキサンダー3世建立。
マグダラのマリアと母后マリアの二人を記念して建てた。聖地エルサレムの旧市街を見下ろすオリーヴ山の麓にある。
磔刑の死後3日後、復活したイエスをはじめて見たのはマグダラのマリアだった。

lrg_11707601マグラダのマリア教会

  娼婦たりしマグダラのマリア金色(こんじき)の教会に名とどむオリーヴ山麓・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  「マリアよ」「先生(ラボニ)!」ヨハネ伝20章に描かるる美(は)しき復活の物語

「福音書」は神殿娼婦マグダラのマリアから、イエスが七つの悪霊を追い出し、復活後、まずこの女のところに姿を現したと述べている(『マルコによる福音書第16章9節』)。
のちキリスト教徒が非難したため教令集から除かれた書物には、二人の関係についてさらに奇妙なことが詳しく述べられている。
すなわち、イエスは他の使徒たちすべてを合わせたよりもマグダラのマリアを愛し、「使徒たちの使徒」「すべてを知った女」と呼んで、しばしば接吻した、など。
グノーシス派の福音書が教令集から切り取られる前には、共観福音書やその他の新約聖書と同じくらい、「神の言葉」として受け入れられていた。
だからマグダラのマリアに関する中世の伝統は、この女性を初期の神秘的な最高位に戻している。
マリアは「マリア・ルシフェル(光を与えるマリア)」と呼ばれた。
「イエスがマリアに対して拒んだ恩寵は何ひとつなかった。イエスがマリアに与えない愛のしるしもなかった」と書かれている。

v-356耳つき壺

掲出した私の歌は「耳付の壺」を手に取って、連想としてマグダラのマリアを思い出したということである。
文学作品というのは、このように飛躍することがある。<非日常>と言われる所以である。
なぜ、そんな連想に至るのか、というような質問は野暮の骨頂である。



ドーパミンなだめかねつる此の宵を蛞蝓の辿れる白き這ひあと・・・・・・・・・・・木村草弥
dopamine゛ーパミン化学式

     ドーパミンなだめかねつる此の宵を
       蛞蝓(なめくぢ)の辿れる白き這ひあと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
写真①は、ドーパミンの化学式C8H11NO2の模式図である。物質名は2-ヒドロキシフェニルアミン。
ドーパミンは興奮や快感を伝達する神経伝達物質である。
脳には手綱核というものがあり、意欲や気分などの「情動機能」の調節に重要なドーパミン神経系の活動を調節する上位中枢として注目されいてる。
ドーパミンの放出によって「他では得られぬ」強烈な快感と幸福感を呼び起こす。
この物質はアミノ酸のひとつチロシンから作られたアミンの一種。
チロシンという物質が麻薬の主成分なので、脳内で公然と麻薬が作られていることになる。
最近になって知られることだが、ドーパミンの欠乏がパーキンソン病を引き起こす。

カナダのオームズやラウンテンバーグらによって、脳幹の中央部に沿って走る「A10神経」が快感神経であることを特定。
この神経ニューロンのシナプスに「ドーパミン」という「脳内快感物質」を発見した。
ドーパミンは脳を覚醒し快感を誘い、創造性を発揮させるという。

難しい話になったが、とにかくドーパミンは性行為にまつわる重要な物質である。内分泌ホルモンと言ってよいのであろう。
私の歌について書くと、ドーパミンというものの作用を知って、この歌が出来上がったといえる。
そして、ナメクジの「這いあと」というのは、男性の精液の白い液を、暗喩として表現している。
よく観察するとナメクジの這いあとには、さながら精液のようなねっとりした光る跡が残るからである。
ドーパミンをなだめることが出来るかどうか私は知らないが、文学表現として、このように書いてみたのである。

ナメクジというのは嫌われる存在で、所構わず這い回られるとゾッとするが、「性」というものには、何か日蔭の存在みたいなものがあり、日向には似合わないものとして、或る似かよったものがあるのではないか。
私自身は「性」は、そういう存在ではないと信じているので、じめじめした日蔭から、日のあたる日表に引き出したいと思っている。
今から振り返ると、この頃は私は、精気に満ちて充溢していたのである。
念のために「ナメクジ」の写真を出しておく。

1149353472ナメクジ

なお、蛞蝓は夏の季語であるので、それを詠んだ句を引いて終る。

 蛞蝓のはかなき西日青胡桃・・・・・・・・飯田蛇笏

 なめくぢの左曲りと右曲り・・・・・・・・・高野素十

 来しかたを斯くもてらてらなめくぢら・・・・・・・・阿波野青畝

 なめくぢのふり向き行かむ意志久し・・・・・・・・中村草田男

 蛞蝓急ぎ出でゆく人ばかり・・・・・・・・石田波郷

 かたまりて深夜の寺のなめくぢり・・・・・・・・中川宋淵

 たそがれは微光とならむなめくぢり・・・・・・・・能村登四郎

 蛞蝓に塩それからの立話・・・・・・・・・福永耕二

 なめくぢら這ひて呪文を残すごと・・・・・・・・露久志香女



吊り橋を揺するのはだれ小雨ふる黒滝川の蛍舞台に・・・・・・・・・・・・・・・村島典子
晶71号

──村島典子の歌──(8)  

    吊り橋を揺するのはだれ小雨ふる
              黒滝川の蛍舞台に・・・・・・・・・・・・・・・村島典子


歌誌「晶」71号が送られてきた。
巻頭に「黒滝行」という村島典子さんの歌30首が載っている。
先師・前登志夫の三回忌に当っての行事に因む奈良県吉野の山中の「黒滝村」のことが詠まれているようだ。
佳い歌群である。 全篇を引いておく。

       黒滝行・・・・・・・・・・・・・・・・村島典子

  笹ゆりの咲く六月の山あひに来りけるかも死者を訪ねて

  ホタルブクロ道べに咲くはかの死者の招きならむか標のごとし

  歳の順にといはれ遺影のまへに坐す二年過ぎけりこの世の時間

  弟子五人寄りて語ればのびらかに師もいでませり落人の家

  泰山木の花も形見ぞ崖に咲く大き白はな今生の花

  芳香にことば立ちたり言問へば夏鶯の歓迎のうた

  ありありと師は佇みて山上に手を振りたまふ在りし日のごと

  雫とふバス停すぎて入りゆける吉野黒滝行者道なり

  村人のつくりし旨き蒟蒻を頬ばりゐたり雨の川原に

  目つむれば蛍飛び交ふわが闇にかの世の川のせせらぎの音

  吊り橋を揺するのはだれ小雨ふる黒滝川の蛍舞台に

  ほうたると呼べばもののけ闇なかのそこここにきて我をまどはす

  点滅し呼びあふほたる雨の夜の合図を送る人あらなくに

  手から手へひとつ蛍をうつしゆくかなしき儀式、死者みつらむか

  誰よりも哀しきものと子の傘に入り来て蛍しまらく宿る

  まつはりて離れぬひとつ放たむと川を覗けりかの世を覗く

  槇風呂に槇の床ふみやはらかき湯を浴びゐたり旅人われは

  河鹿鳴きほたる飛び交ふ黒滝のぶあつき闇につつまれ眠る

  腹這ひて朝明け聞かむ黒滝の夏うぐひすは人かなします

  面ふせて二輪咲きをり宿のうらの崖のささゆり佳人のごとし

  ささゆりの羞ひをこそ雨の日の霧湧く山に言問ふわれは

  目印をたてられ百合は咲きゐたり愚かよ人は標結ひにけり

  さ牡鹿の野にあらなくに川の辺に目覚めて鹿の鳴くをききをり

  またたびの白き葉光る黒滝の朝には朝の合図あるべし

  夢証すごとくに朝たどりたり吊橋かかる雨の黒滝

  猪鍋をふるまひくれし幸ちやんもいまは老いたり足元あやし
           森本幸造氏、黒滝村川戸の人、むかし猪撃ちの名人でありける

  みなそこに赤き岩あり放散虫の遺骸なりしと聞くはかなしき

  ものみなはわれより遠しとうたひたりし人ありしこと赤岩のみづ

  したしたと朱き雫に濡れやまぬ歌碑の背後に手を置きにけり

  岩角に水ほとばしる杳かなり人間も海へ帰る日あらむ

      
蟻の列孜々と励みし一日は日の昏れたれば巣穴に戻る・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    蟻の列孜々(しし)と励みし一日は
      日の昏(く)れたれば巣穴に戻る・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌の前に

   ひたすらに地に生くるもの陽炎(かぎろ)ひて蟻の行列どこまでつづく

というのがあり、これも一体として鑑賞してもらいたい。

私は子供の頃、昆虫少年でもなかったが、内向的な性格で、蟻の行列などをじっと見ていて飽きなかった。
蟻を捕まえてガラス瓶に入れておくと巣穴を作るようになり、瓶のガラス越しに蟻道が見えたりして面白かった。
女王蟻がいないと正式には巣穴とは言えないが、少年の頃は、そんなことは知らなかった。
女王蟻がいなくても巣穴は作るのだろうか。それは習性だろうか。

蟻の列の途中に昆虫の死骸を置いておくと、蟻たちが相談するように寄ってきて、やがて、その餌を巣穴に運びはじめる。
たくさんの蟻が群がって、中には巣穴とは逆の方に引っ張るものも出たりするのも微笑ましい光景だったが、そんな混乱も乗り越えて、結局は餌はいつの間にか巣穴に引かれてゆくのだった。

夏の季語として「蟻」はあるので、歳時記から句を引いておく。

 蟻の道雲の峰よりつづきけん・・・・・・・・小林一茶

 蟻台上に飢ゑて月高し・・・・・・・・横光利一

 青だたみ蟻の這ひゐる広さかな・・・・・・・・小島政二郎

 木陰より総身赤き蟻出づる・・・・・・・・山口誓子

 這ひ渡る蟻に躑躅は花ばかり・・・・・・・・中村汀女

 大蟻の雨をはじきて黒びかり・・・・・・・・星野立子

 蟻殺すしんかんと青き天の下・・・・・・・・加藤楸邨

 ひとの瞳の中の蟻蟻蟻蟻蟻・・・・・・・・富沢赤黄男

 蟻の屍をありのひとつがふれて居る・・・・・・・・西尾桃支

 蟻の列しづかに蝶をうかべたる・・・・・・・・篠原梵

 蟻入れて終夜にほへり砂糖壺・・・・・・・・森澄雄

 一匹の蟻がビルより降りて来る・・・・・・・・葛西たもつ

 しづけさに山蟻われを噛みにけり・・・・・・・・相馬遷子

 蟻の道遺業はこごみ偲ぶもの・・・・・・・・雨宮昌吉

 蟻の列切れ目の蟻の叫びをり・・・・・・・・中条明



入りつ陽のひととき赫と照るときし猛々しく樹にのぼる白猫・・・・・・・・・・・木村草弥
taiyou084夕日本命

   入りつ陽のひととき赫(かつ)と照るときし
     猛々しく樹にのぼる白猫(はくべう)・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

私は猫は好きではないが、黒猫とか白猫とかの作品がいくつかある。
それらは、猫を詠ったものというよりも、或る主題の引き立て役として使っているに過ぎないが、珍しく、この歌は白猫を正面から詠っている。

猫は暑いときは、ぐうたらに涼しい所を求めて寝そべっていたり、寒いときはコタツに潜り込んだりと、余り活動的な姿態を見ることは多くないが、発情期とか仲間と争う時、夜間などには違った一面を見せるようである。
私の歌に詠んだように、何のはずみか、何か獲物でも見つけたのか、猛々しく樹にのぼる光景を目の当たりにして、とっさに出来た歌と言えようか。
s011白猫

考えてみれば、人間に飼いならされているとは言え、もともと猫は猛獣の端に連なる種類ではないか。
そう考えると、この猫の行動も納得がゆくのである。

およそ世の中には「猫好き」という人は多い。世界的にみても、そうである。
ギリシアのエーゲ海のサロニコス湾一日クルーズの船に乗ると、猫がやたらに多い島に寄港する。
いま島の名が、とっさに出て来ないが、とにかく猫だらけで波止場に着くと、先ず猫の出迎えである。
だから、この島は「猫島」と仇名がついているらしい。
「猫島」として有名になったので、あちこちから要らなくなった猫もここに持ち込まれるのではないか。
そして何よりも、この島に来た観光客が餌を与えるので栄養が豊富で、ますます数が増えるのではないか。エーゲ海の島であるから、漁師たちも屑の魚を与えるかも知れない。
とにかく猫は人間に寄生しているという印象が、私には強い。
私が猫嫌いである最大の理由は、何度も書くが、臭い臭い糞を私の方の庭に垂れ流されるのに困り果てているからである。
いろんな駆除の手段をとっても猫のことであり、神出鬼没で恐れ入る。

以下、猫を詠んだ歌を引いておく。

  みちのくの夜空は垂れて電柱に身をすりつける黒猫ひとつ・・・・・・・・・・岡部桂一郎

  生みし仔の胎盤を食ひし飼猫がけさは白毛となりてそよげる・・・・・・・・・・葛原妙子

  目的は何もなきゆゑ野良猫の来て寝のべりぬわが窓の下・・・・・・・・・・安田章生

  飼猫にヒトラーと名づけ愛しゐるユダヤ少年もあらむ地の果て・・・・・・・・・・春日井建

  さびしきは老か命かかの小猫庭のおち葉を追ひてよろこぶ・・・・・・・・・・・松村英一

  やがて発光するかと思うまで夕べ追いつめられて白猫膨る・・・・・・・・・・永田和宏

  蜘蛛ひとつおりくる空の透明に爪ひからせて猫はうかがう・・・・・・・・・・上川原紀人

  負けて帰りし猫抱きをり手に触れてふぐりぬくきを哀れがりつつ・・・・・・・・・・青木ゆかり

  眠りつつ時にその耳動かせり猫といへども夢をみるらし・・・・・・・・・・大塚布見子

  まどろみて四肢弛む猫わが膝に防備を解けるものをいとしむ・・・・・・・・・・高旨清美

  歩みつつ小さき舌を出す猫も今日のさびしき生きものの眼か・・・・・・・・・・河野愛子

  一日に一度はみせ場をつくるまで猫一匹を飼いならしたる・・・・・・・・・・高瀬一誌

  ひそやかに猫の眠りのなかをゆく痙攣といふ肉の気配は・・・・・・・・・・斎藤佐知子

  引き寄せしわれを拒みて飼ひ猫が自らを抱く形に眠る・・・・・・・・・・村松秀代

  好きなのかあんなところが自転車のサドルにいつも乗っている猫・・・・・・・・・・池本一郎

  春幹に爪とぐ猫を笑ひ合へばこちらを見たりまじまじと見る・・・・・・・・・・花山多佳子

  肛門をさいごに嘗めて目を閉づる猫の生活をわれは愛する・・・・・・・・・・小池光

  出会ひ頭の猫を蹴飛ばす 老妻に言ひつのられし後の腹いせ・・・・・・・・・・米口実
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猫嫌いの私などと違って、猫好きの人がいかに多いか。こんな歌が、まだまだあるのである。

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