
ある晴れた日につばくらめかへりけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
日本で夏の間、巣をつくり子を育てていた燕も九月に入ると、大きな川や湖などの葦原などに大集結して南へ海を越えて帰る準備に入る。
京都近郊では、淀川などが集結地となっているようである。何千羽、何万羽という大きな集団である。
この間もツバメは餌になる飛ぶ虫を捕らえなければならないから、そういう条件を備えた場所というと大きな川や湖ということになる。
この渡りは九月から十月にかけて続く。
この渡りを「帰る」と表現するが、日本が生まれ故郷なので「去る」というのがふさわしい、と書かれている本もある。
しかし彼らは南方系の鳥なので、日本は子育ての地とは言え、やはり仮住まいの土地というべく、南へ帰るというのが本当だろう。
「渡り鳥」の大型のものは渡りのルートが、ある程度解明されているが、ツバメのような小型の鳥は何万羽の集団とは言え、渡りが話題になることは少ないようだ。
私自身もツバメの渡りを見たこともない。日本列島を南下し、後は島伝いに南へゆくのであろう。
↑ マリア・カラスの歌う「蝶々夫人」から「或る晴れた日に」
掲出した安住敦の句は、歌劇「蝶々夫人」の有名な歌のフレーズ「ある晴れた日に」を踏まえているのは明らかで、そういう連想が、この句をなお一層、趣のあるものにしている。
私は第二歌集『嘉木』(角川書店)の中で
翔ぶ鳥は群れから個へとはぐれゆき恐らくは海に墜つるもあらむ・・・・・・・・・木村草弥
という歌を作ったことがある。これはツバメその他の「渡り鳥」のことを思って詠ったもので、渡りの途中で多くの鳥が命を落とすことになるのであろう。
俳句でも古来たくさんの句が作られて来た。「燕帰る」「帰燕」「秋燕」などが秋の季語である。単なる「燕」というと春の季語であり、「燕の子」というと夏の季語ということになる。
古句としては
落日のなかを燕の帰るかな・・・・・・・・与謝蕪村
乙鳥は妻子揃うて帰るなり・・・・・・・・小林一茶
などが知られているが、一茶の句は年老いるまで妻子を持てなかった一茶の「羨望」の心情を表現しているようである。
以下、明治以後の句を引いて終わる。
燕の帰りて淋し蔵のあひ・・・・・・・・正岡子規
いぶしたる炉上の燕かへりけり・・・・・・・・河東碧梧桐
高浪にかくるる秋のつばめかな・・・・・・・・飯田蛇笏
やがて帰る燕に妻のやさしさよ・・・・・・・・山口青邨
身をほそめとぶ帰燕あり月の空・・・・・・・・川端茅舎
ふる里の古き酒倉秋燕・・・・・・・・・大竹孤愁
秋燕や靴底に砂欠けつづけ・・・・・・・・加藤楸邨
去ぬ燕ならん幾度も水に触る・・・・・・・・細見綾子
ひたすらに飯炊く燕帰る日も・・・・・・・・三橋鷹女
秋燕に満目懈怠なかりけり・・・・・・・・飯田龍太
秋つばめ少し辛めの五平餅・・・・・・・・岸田稚魚
胸を蹴るごとく秋燕かぎりなく・・・・・・・・二枝昭郎
つばめ去る空も磧も展けつつ・・・・・・・・友岡子郷
海へ向く坂がいくつも秋燕・・・・・・・・田中ひろし
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