K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。
 一徹のをとこありけりひと言の気に喰はぬまま逝かしめて今・・・・・・・・・・・・・・塚本諄
 秋さればありふれた秋のむらさきの野菜ひともり いつぴきの魚・・・・・・・・・・西海隆子
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 十歩ほど互みに過ぎて気づき合ふ秋の半ばのすずめいろどき・・・・・・・・・・・高旨清美
 しろがねのゆふぐれ近き雲の秋いづこかに水漬く鐘のあるべし・・・・・・・・・・・雨宮雅子
 涙もろくなりし秋かな耳もとに閑吟集の小歌ささめく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・島津忠夫
 球形はやさしき形果物屋の鏡の奥も累々と秋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・井谷まさみち
 ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮めがたきぞ・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 山の子が独楽をつくるよ冬が来る・・・・・・・・・ 橋本多佳子
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 菊の香や月夜ながらに冬に入る・・・・・・・・・・・・正岡子規
 冬がくるドレッシングの分離層・・・・・・・・・・・・・・ふけとしこ
 冬ざれや瀬音ま近く湯にひたる・・・・・・・・・・・・・角川源義
 くちづけも見慣れし駅の冬ざるる・・・・・・・・・・・・中西夕紀
 トラックの胴に歌麿冬ざるる・・・・・・・・・・・・・・・・山下和子
 雉子鳴いて冬はしづかに軽井沢・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
 しらたきと豆腐を買ひて冬ざるる・・・・・・・・・久保田万太郎
 あかんぼの笑ひもなくて寒くなる・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
 味噌包む青さの失せし朴落葉・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 栗食んで空の奥処に手の届く・・・・・・・・・・・・・・正木ゆう子
 とび散らふ黄葉の自由を好むかな・・・・・・・・・・・・三井葉子
 戻るすべ知らず黄落踏んでゆく・・・・・・・・・・・・・・・・大高翔
 コルク栓揺れて止まりし秋思かな・・・・・・・・・・・・・石井浩美
 秋深し何か幸ある今日あした・・・・・・・・・・・・・・池内友次郎
 声を消されてとどくガラスの外の修羅・・・・・・・・林田紀音夫
 おんなとか妻とか配線ややこしい・・・・・・・・・・・・・浪越靖政
 猫町に二つの月と猫車・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飯田良祐
 目を凝らすなぜ濁点が必要か・・・・・・・・・・・・・・佐藤みさ子
 カメレオン月まで届く舌を持つ・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木逸志
 チェリストを映してはるか露の玉・・・・・・・・・・・・・・杉山久子
 燈火親し課外授業の性愛論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

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閲覧の仕方
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
  国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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詩の本の思潮社
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夕焼は人のこころも染めてゆく空に見えざる工房あらむ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
taiyou084夕日本命

   夕焼は人のこころも染めてゆく
     空に見えざる工房あらむ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

空に工房がある筈もないが、文芸表現というものは、こういう擬人化の工夫をするものなのである。
夕焼というものは、洋の東西を問わず、人間を感傷的にするもののようである。
日本の文芸でも、夕焼、黄昏を詠んだ作品は、たくさんある。
俳句では「夕焼」は、夏の季語となっている。常識的に考えると「秋」の季語になってよさそうなものだと思うが、意外や、夏の季語なのである。

ここでは、その季節にかかわりなく夕焼の句を引いて終りたい。

 夕焼けて西の十万億土透く・・・・・・・・山口誓子

 歩を進めがたしや天地夕焼けて・・・・・・・・山口誓子

 下雲へ下雲へ夕焼移り去る・・・・・・・・中村草田男

 イタリーの風車見て夕焼けて・・・・・・・・星野立子

 子を遠く大夕焼に合掌す・・・・・・・・中村汀子

 遠き日のことのごとしや夕焼けて・・・・・・・・加藤楸邨

 大夕焼消えなば夫帰るべし・・・・・・・・石橋秀野

 一本づつ夕焼け終る天の松・・・・・・・・沢木欣一

 夕焼けて遠山雲の意にそへり・・・・・・・・飯田龍太

 血を喀いて大夕焼の中に臥す・・・・・・・・石原八束

 大き夕焼河も流れを止めてゐる・・・・・・・・相馬遷子

 夕焼や人のなげきはすぐ忘る・・・・・・・・油布五線

 死を囃すごと夕焼の空ベッド・・・・・・・・岡部弾丸



草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は夏が終っても暑い日が多く、11月中に紅葉の盛りが来るかどうか心配されてきたが、
果たして染まり具合は、どうだろうか。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



言ふほどの収穫もなき生業のひと日が終る すとんと暮るる・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   言ふほどの収穫もなき生業(なりはひ)の
     ひと日が終る すとんと暮るる・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌は、ある歌会に出して多くの票を得たことのあるもので、特に「すとんと暮るる」という表現がよい、と褒められた。
まだ現役で仕事をしていたときのもので「収穫もなき生業」というのも現実感があって、よいと言われた。

晩秋の日暮れというのは、よく言われるように「秋の日は釣瓶落とし」で、急速に落ちてゆく。

 此の道や行く人なしに秋の暮・・・・・・・・松尾芭蕉

 門を出れば我も行く人秋のくれ・・・・・・・・与謝蕪村

 秋の夕べ袂して鏡拭くをんな・・・・・・・・与謝蕪村

 青空に指で字をかく秋の暮・・・・・・・小林一茶

などの秀句がある。
以下、明治以後の句を引いて終る。

 山門をぎいと鎖すや秋の暮・・・・・・・・正岡子規

 日のくれと子供が言ひて秋の暮・・・・・・・・高浜虚子

 さみしさに早飯食ふや秋の暮・・・・・・・・村上鬼城

 大木を見つつ閉すや秋の暮・・・・・・・・飯田蛇笏

 釣瓶落しといへど光芒しづかなり・・・・・・・・水原秋桜子

 秋の暮山脈いづこへか帰る・・・・・・・・・山口誓子

 秋の暮大魚の骨を海が引く・・・・・・・・西東三鬼

 秋の暮川の向ふに子守歌・・・・・・・・秋元不死男

 はたとわが妻とゆき逢ふ秋の暮・・・・・・・・加藤楸邨

 マンホールの底より声す秋の暮・・・・・・・・加藤楸邨

 西天に引かれて歩む秋の暮・・・・・・・・相馬遷子

 胸先に黒き富士立つ秋の暮・・・・・・・・橋本多佳子

 足もとはもうまつくらや秋の暮・・・・・・・・草間時彦



しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・和泉式部
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izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/2付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。
これは10/2付けの記事にも使ったものである。


白鳥は/柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー
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    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

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この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
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詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
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西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
d0056382_20162867クヌギの実

   雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。
小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、
森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・藤野智寿子



おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子
aaoosyumei秋明菊大判

    おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子

この花は「秋明菊」と言うのだが、音数が多いので俳句などでは、掲出句のように「貴船菊」と五音で詠まれることが多い。
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事典には、次のように載っている。

■シュウメイギク キンポウゲ科アネモネ属
学名:Anemone hupehensis var. japonica(=Anemone japonica)
 別名:キセンギク(貴船菊),キブネギク(貴船菊)
 花期:秋

白く見えるのは花ではなく,萼です。花(萼)が散った後,黄色くて丸いものが残っているのもおもしろいです。葉は根本に大きいのがあり,花をつける茎には小さな葉しかありません。

中国と日本の本州、四国、九州に分布します。日本のものは古い時代に中国から渡来したという説が有力になっています。
大型の多年草で高さ0.5~1.0mになり、9~10月頃に咲くので秋明菊といいます。また、京都市北部の貴船に多く見られることから貴船菊(キセンギク・キブネギク)の別名があります。
花は紅色の八重咲で5~7cm位です。

1844年にフォーチュンにより、中国の上海からイギリスに送られ、1847年にアネモネ・ビィティフォリア(ネパール原産で30~90cmの多年草。白花、ピンク花等があり、シュウメイギクに似ている)と交配され、多くの園芸品種ができました。日本ではその後、一重で白花、ピンク花が知られていました。しばらくこの3種類(八重・紅色、一重・白、ピンク)しか栽培されていなかったのですが、近年、ピンクの矯性品種や、濃紅一重、白八重など、徐々に増えてきています。
また、この仲間(アネモネ属)は、花びらに見えるものは花びらではなく、萼片が花弁状になったもので花弁はありません。
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俳句にも詠まれていると思ったが、歳時記にも、少ししか載っていない。

 露霜にしうねき深し貴船菊・・・・・・・・・・・・我里

 菊の香や垣の裾にも貴船菊・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 観音の影のさまなる貴船菊・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 貴船菊一茎活けし直指庵・・・・・・・・・・・・右城暮石

 貴船菊活けて鏡にみどり差す・・・・・・・・・・・・岡本差知子

 山水を厨に引くや貴船菊・・・・・・・・・・・・坂巻純子

 寺の田も水を落とせり貴船菊・・・・・・・・・・・・大岳水一路

 こと艸にまじりてのびし貴船菊・・・・・・・・・・・・山本竹兜

 水をゆく真白なる雲貴船菊・・・・・・・・・・・・竹下白陽

 夕月に細き首のべ貴船菊・・・・・・・・・・・・関木瓜

 秋明菊カレーを食べし息に触れ・・・・・・・・・・・・大林清子
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「秋明菊」ということで掲出句を選びはじめたが、「キブネキク」という5音が俳句作りには適しているので、圧倒的に「貴船菊」の例句が多いので、ご了承を。



吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・・・・・・・角川源義
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   吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・・・・・・・角川源義


草紅葉クサモミジは野草や低木が初冬になって色鮮やかに色づくことを、こう形容する。特別に「草紅葉」という名の草や木がある訳ではない。
写真①のような鮮やかな場所は、どこにでもあるものではない。オトギリソウ、オカトラノオ、トウダイグサなどは特に美しい。

草紅葉を、古くは「草の錦」と呼んだが、『栞草』には「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」とある。
けだし、草紅葉の要約として的確なものである。
そして、その例として

  織り出だす錦とや見ん秋の野にとりどり咲ける花の千種は

という歌を挙げている。霜が降りはじめる晩秋の、冷えびえとした空気を感じさせる季語である。

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秋芳台のように草原と露出した岩石のコントラストが見られる所の草紅葉が趣があって面白い。(写真②③)
この季語は、小さく、地味で目立たない草が紅葉することによって、集団として錦を織り成す様子を表現しているのである。
その結果として、「荒れさびた」感じや「哀れさ」を表すのである。
古来、詩歌にたくさん詠まれてきたが、ここでは明治以降の句を引いておく。

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 猫そこにゐて耳動く草紅葉・・・・・・・・高浜虚子

 くもり日の水あかるさよ草紅葉・・・・・・・・寒川鼠骨

 帰る家あるが淋しき草紅葉・・・・・・・・永井東門居

 草紅葉へくそかつらももみぢせり・・・・・・・・村上鬼城

 大綿を逐うてひとりや草紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 内裏野の名に草紅葉敷けるのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 たのしさや草の錦といふ言葉・・・・・・・・星野立子

 草紅葉磐城平へ雲流れ・・・・・・・・大野林火

 絵馬焚いて灰納めたり草紅葉・・・・・・・・吉田冬葉

 白根かなしもみづる草も木もなくて・・・・・・・・村上占魚

 山芋の黄葉慰めなき世なり・・・・・・・・百合山羽公

 鷹の声青天おつる草紅葉・・・・・・・・相馬遷子

 菜洗ひの立ちてよろめく草紅葉・・・・・・・・小野塚鈴

 草もみぢ縹渺としてみるものなし・・・・・・・・杉山岳陽

 酒浴びて死すこの墓の草紅葉・・・・・・・・古館曹人

 草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・・・桂信子

 良寛の辿りし峠草紅葉・・・・・・・・沢木欣一

 屈み寄るほどの照りなり草紅葉・・・・・・・・及川貞

 学童の会釈優しく草紅葉・・・・・・・・杉田久女

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2008年初夏に旅した「能取湖畔のサンゴ草の紅葉」 ← も有名なところなので、ここにリンクに貼っておく。

あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・・・・・・・・橋本美代子
akebixaアケビ裂けたもの

   あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・橋本美代子

「あけび」は漢字では「通草」と書く。
雑木林などに生える落葉の蔓低木である。栽培のものもあるかも知れないが、野生のものであろう。
今ではアケビなんて言っても、知る人も少ないし、むかし食べたときは甘くておいしかったが、いまなら食べても美味とは思わないのではなかろうか。
写真①が熟して果皮が裂けた実である。黒い実のまわりの白い果肉を食べる。

アケビは春4月に写真②のように花を咲かせる。

akebi4aアケビの雄花と雌花4月

名前の由来は、裂けた「開け実」が転じてアケビになったと言われている。
果肉は甘くて、山の味覚として賞味されたが、果皮のことは、私は何も知らなかったが、干しアケビや塩漬けにしたりするらしい。
山形地方には春の彼岸の決まり料理として干しアケビを食べる習慣があるらしい。また秋の彼岸には、先祖がアケビの船に乗って来るという言い伝えから仏壇に供え、あとキノコ類を詰めて焼いて食べるという。

akebixcアゲビ若い実

夏に写真③のように緑色の若い実になり、秋になって熟して、果皮は紫色に熟して、果皮が縦に裂けて果肉が見えるようになる。
茎は「木通」モクツウ、果実を「肉袋子」ニクタイシと言うらしい。漢方では生薬として使われるし、蔓は籠などを編み、葉や茎は草木染の染料となる。
俳句にも詠まれているが、カラスなどが食べているのを見て、そこにアケビがあることが判明したりするらしい。
写真④は果皮が裂ける前のアケビの実である。

akebixbアケビ裂ける前

以下、俳句に詠まれる句を引いて終りたい。

 鳥飛んでそこに通草のありにけり・・・・・・・・高浜虚子

 むらさきは霜がながれし通草かな・・・・・・・・渡辺水巴

 主人より烏が知れる通草かな・・・・・・・・前田普羅

 垣通草盗られて僧の悲しめる・・・・・・・・高野素十

 通草食む烏の口の赤さかな・・・・・・・・小山白楢

 夕空の一角かつと通草熟れ・・・・・・・・飯田龍太

 滝へ行く山水迅き通草かな・・・・・・・・山口冬男

 採りたての通草を縁にぢかに置く・・・・・・・・辻田克己

 もらひ来し通草のむらさき雨となる・・・・・・・・横山由

 通草垂れ藤の棚にはあらざりし・・・・・・・・富安風生

 何の故ともなく揺るる通草かな・・・・・・・・清崎敏郎

 あけびの実軽しつぶてとして重し・・・・・・・・金子兜太

 通草熟れ消えんばかりに蔓細し・・・・・・・・橋本鶏二

 山の子に秋のはじまる青通草・・・・・・・・後藤比奈夫

 あけび熟る鳥語に山日明るくて・・・・・・・・福川ゆう子

 通草手に杣の子山の名を知らず・・・・・・・・南部憲吉

 口あけて通草のこぼす国訛・・・・・・・・角川照子

 山姥のさびしと見する通草かな・・・・・・・・川崎展宏

 のぞきたる通草の口や老ごころ・・・・・・・・石田勝彦

 八方に水の落ちゆく通草かな・・・・・・・・大嶽青児

 一つ採りあとみな高き通草かな・・・・・・・・嶋津香雪

 山の神留守のあけびを採りにけり・・・・・・・・浅井紀丈

 あけびなぞとりて遊びて長湯治・・・・・・・・阿久沢きよし



 ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実熟す白露の季に ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
6910252953f3茶の花本命

    ひととせの寒暖雨晴の巡り経て
       茶の実(さね)熟す白露の季に・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


今が茶の花の咲き始めるシーズンである。この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の巻頭を飾る歌である。
WebのHPでも載せているのでご覧いただける。

私は半生を「茶」と共に過ごしてきたので、これに対する思いいれは尋常なものではない。
だから、第一歌集の題名を「茶の四季」とした所以である。
茶の樹はツバキ科としてサザンカなどと同じ種類の木である。晩秋から初冬にかけて花をつける。お茶の花は主に茶樹の下の方に咲く。
茶の株の上部に花が咲くようだと、その茶園はあまり管理が良いとは言えない。植物の花や実がつく状態とは葉や茎があまり育たない状態である。
お茶は「葉」を収穫する作物だから、花や実は、むしろ好ましくない。一般に「剪定」をすると花つきは良くない。

otya-m茶の実

写真②は茶の実である。これは昨年の初冬に花が咲いて、一年かけて実になったもので植物の中でも息の長いものである。
掲出の私の歌は、その様子を詠んでいる。
この実を来春に蒔けば発芽して茶の木になる。
こういうのを「実生」(みしょう)というが、他の茶樹の花粉と交雑して雑種になるので、栽培的には「挿し木」で幼木を育てるのが一般的である。
今はやりの言葉で言えば「クローン」である。写真の実の形からすると、実は4個入っている。この実の形が三角形なら実は3個ということになる。
初冬になると、外皮が割れて、中の実が地面に落ちる。
物を作るというのは生産的で、収穫の時期など心が浮き立つものである。
掲出した歌のつづきに以下のような歌がつづいているので引いてみる。

   茶の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 茶畑はしづかに白花昏(く)れゆきていづくゆ鵙の一声鋭し

 酷暑とて茶園に灌(そそ)ぎやる水を飲み干すごとく土は吸ひゆく

 たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂(しべ)

 ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実(さね)熟す白露の季に

 白露してみどりの萼(がく)に包まるる茶の樹の蕾いまだ固しも

 川霧の盛りあがり来てしとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく

 初霜を置きたる茶の樹に朝日さす葉蔭に白き花ひかりつつ

先にも書いたように私の半生をかけた「茶」のことでもあり、また第一歌集でもあるので「茶」についての歌は非常に多い。
また季節に合わせて私の「茶」にまつわる歌を採り上げたい。


熱き血のなほ潜みゐむ現身のうすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・木村草弥
p2_ra乳房

   熱き血のなほ潜みゐむ現身(うつしみ)の
     うすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』((角川書店)に載るものである。
この歌は、亡妻がまだ元気であったときの思い出の作品であり、今となっては記念碑的なものであり愛着がある。

日本文学では、古来、乳房のことを、私の歌のように「垂乳」(たりち)と表現する。
散文的には「胸乳」(むなち)と言うこともあるが、私は「垂乳」の方が好きである。これは加齢によって「垂れてきた」乳房の意味ではないので、ご留意を。
「たらちねの母」という表現がある。これは母という言葉にかかる「たらちねの」という「枕詞」(まくらことば)であり、これは漢字で書くと「垂乳根」となり、乳房のことから転化して、母または親を修飾する「枕詞」になったものである。
近代短歌の頃には、枕詞なんて古臭いなどと言われたときもあったが、現代短歌では歌に深みを増すために最近は枕詞の使用が見直されてきているのである。
以下、百科事典に載る記事を転載して、お茶を濁したい。
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 乳房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間の乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、多くの哺乳類のメスに存在する、皮膚の一部がなだらかに隆起しているようにみえる器官で、その内部には、乳汁(母乳、乳)を分泌する機能を持つ外分泌腺の乳腺(にゅうせん)が存在する。幼児語ではおっぱいとも呼ばれる。

乳房の表面には、乳汁が外部に分泌される開口部を含む乳頭(にゅうとう)が存在する。哺乳類では、産まれてから一定期間の間の乳児は乳汁を主たる栄養源として与えられ、生育する。哺乳類の名前は、ここから来ている。オスの乳房、乳腺はその生産機能と分泌の機能を持たないため通常、痕跡的である。

哺乳類でもあるヒトの乳房は、通常は胸部前面に左右1対にて存在する。地球上に人類が誕生して以来、ヒトの乳房の存在意義は、出産後母乳を分泌し、乳児を育てることであるが、文明が発達した現代においては、母乳を代替品の粉ミルクにより置き換えることも可能ではあるが、医学的に考察すれば その与えられた免疫機能の重要性は極めて高く、代替品では近似してはいても、その本来の成分には遠く及ばない。免疫の極めて低い状態で出生する新生児に確実に免疫を獲得させる目的からも、母乳が勧められる。 また、ヒトの乳房は、乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。

乳房の構造
乳房の構造乳房の表面は皮膚で覆われる。ヒトの女性では、通常は胸部の大胸筋の表面の胸筋筋膜上に左右1対が存在し、およその位置は、上下が第3肋間~第7肋間、左右は胸骨と腋窩の間である。乳房は第一次性徴期は性差がなく男児と同じ(第1段階)であるが、第二次性徴期に脂肪組織が蓄積する(特に脂肪組織が蓄積するのは第2段階第3段階の間)。乳房の脂肪組織の形は人種差や個人差が非常に大きい。高齢者になると乳房の中身が徐々に衰退するため乳房が徐々に下垂する。

乳房の内容は、その容積の9割は脂肪で、1割が乳腺である。乳腺は、乳房一つあたり15~25個の塊として存在し、乳頭の周囲に放射状に並ぶ。それぞれの塊を葉(よう)と呼ぶ。それぞれの乳腺の葉からは乳管が乳頭まで続き、乳腺より機能し分泌された乳は、乳管、乳頭を通して体外へ出る。乳房組織の脂肪組織は乳の生産には全く関係しない。

乳房の成長
Tannerの分類によれば、両性において共通するのが第1段階である。その後、女性は第2・3・4段階の課程を経、第5段階において女性成人型に変化する。また、男性は第1段階を維持し、男性成人型になる。

女性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第2段階 乳輪下に脂肪組織が蓄積し始める。乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化。(定義上では、ここから思春期)
第3段階 脂肪組織が蓄積し外見差が出てくる
第4段階 乳輪が隆起し、ほぼ成人型になる
第5段階 女性成人型となる
男性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第1段階 乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化し、男性成人型となる。

乳汁の分泌とその調節
乳児に母乳を与える様子血液を原料に乳を作る。乳房組織の脂肪は乳の生産自体には関係がないため、その大きさと母乳の量・質には因果関係はない。乳(ちち)は、乳汁(にゅうじゅう)ともいい、ヒトや動物のうち哺乳類が幼児に栄養を与えて育てるために母体が作りだす分泌液で、乳房組織で作られ乳首から体外に出てくる。乳房組織は血液の赤みをフィルターして乳にする。出産直後に母体から出る乳は初乳と呼ばれ、幼児の免疫上重要な核酸などの成分が含まれている。

どんな哺乳類も本来子供を出産した後、数ヵ月から数年の哺乳期間だけ母体は乳を作り出す。タバコの喫煙習慣のある女性は脂肪組織に蓄えられたダイオキシンなどの極めて毒性の高い物質が母乳に混じり、排出される。

平時は母乳は決して出ないが、妊娠・分娩後には脳下垂体から泌乳刺激ホルモン(プロラクチン)、オキシトシンが分泌され、このときだけは母乳が生産されるようになる。まれにホルモン異常などの疾患により、妊娠しなくとも母乳が出る場合がある。稀に、男性から出ることもある。


他の哺乳類の乳房
仔豚に母乳を与える豚哺乳類の乳腺の発達する部位は、左右対称に前足の腋の下から後ろ足の間、恥骨に続く乳腺堤と呼ばれる弓状の線上にある。この上の発達部位の中で、それぞれ哺乳類の種によって、特定のいくつかが発達する。前の方が発達する場合、子供は前足の腋の下に口を突っ込むことになるし、後ろが発達すれば、腹部下面に乳房が並ぶことになる。

一般的に多産の動物ほど乳房の数は多く、牛は4つ、犬は8つ、豚は14個存在する。乳頭と子が産直後に固定されるものもある。

なお、ヒトにおいても極く稀に本来の発達部位より前(主に脇の下の部分に生じるが、同様に乳腺堤上にあたる腹部の左右から股関節にかけての部位に生じる場合もある)に1対(複数発生例もあり、最大で9対生じる事もあるという)の乳頭を持つ例があり、「副乳」と称される。稀に膨らむ場合もあるが、ほとんどの場合が発達せずホクロのように見える。これは現在、哺乳類でもある人類の、地球上での出現・進化と深く関連していると推測されている。

社会的存在 
一方、女性特有の器官である乳房の大小は、1970年代以降より女性の身体的魅力の一要因とされており、現代においては関心も高い(#関連を参照)。また、大小にかかわらず、均整の取れた美しい乳房を美乳と呼ぶ。



吾が贈りし口紅それは夢の色ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   吾が贈りし口紅それは夢の色
      ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「化粧」の一連の歌を採り上げたので載せておく。

亡妻は国産のものでは資生堂の化粧品を使っていたようだが、私が海外旅行の土産として買って帰った「シャネル」の製品も、よく常用していた。
香水やオーデコロンなどは「シャネル」の5番を愛用していた。マリリン・モンローがネグリジェ代わりに身につけて寝たというものである。
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以下に百科事典に載る記事を転載しておく。

 口紅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

口紅(くちべに、lipstick)とは、人が顔に着彩する目的で唇に塗るために使われる化粧品の一種である。

一般的に、ベニバナを原料とし、ワックスや顔料を溶かして型に入れ固めて作られるが、製品としての口紅にはこれらのほかにも色素、界面活性剤、酸化防止剤、香料など多数の成分が含まれる。

なお、口紅の訳語としてしばしば使われる「ルージュ(rouge)」とは、フランス語で赤という意味である。しかし、昨今では赤色でない口紅も存在するようになり、オレンジ系・ピンク系・ベージュ系など様々な色味に大別される。 唇に質感だけを加える半透明なグロスと呼ばれる物もある。

形状はスティック状の物が一般的で、フタをとり直接あるいは一旦口紅用の筆(リップブラシともいう)に取って唇に塗布する。スティック状でないものは直接唇には塗りにくいので、筆に取って塗布する。

なお、英語では「リップスティック(lipstick)」といい、略して「リップ」と呼ぶことがある。しかし、日本ではそのように略すと口紅より、主に唇の乾燥を防ぐために用いられる薬用リップクリームを連想させる。業界では、両方扱っているメーカーが多いために、この2つは使い分ける傾向にある。

歴史
約、7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが、始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、約、紀元前3000年の頃のエジプト人が使用されたと思われる口紅が発見され、約紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

効果
現代において、化粧のうちでも重要な要素とされ、色、質感などが重要である。光沢も重要であり、光彩を放つパールやラメが混入されていることがある。
保湿機能などが付加され、冬期の乾燥した環境に使用できる製品も開発されている。
夏期には紫外線防止効果のあるものも選ばれる。

口紅にまつわるエピソード
男性が女性に口紅を贈る場合に、「少しづつ取り戻したい」などという気障な言葉が添えられることがある。
本来の意図と反して、ワイシャツなどに付着した口紅は、浮気の証左としての痕跡とされるが、満員電車などで意図せずにつく場合もある。
食器などに付着すると、成分の関係で落ちにくい汚れとなる。最近では付着しにくいものも多い。
口紅を塗る動作そのものを「紅を引く(べにをひく)」と表現することがある。
かつて春先の化粧品のキャンペーンやプロモーションの中心商品といえば、口紅であった。
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掲出の私の歌だが「口紅それは夢の色」なんて、甘ったるい表現で、今となっては冷や汗ものだが、これも亡妻の元気なときの仲のいい夫婦の一点景として大目に見てもらいたい。


べに刷きてブラシにはつか残れるを目元にも刷く汝の朝化粧・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   べに刷きてブラシにはつか残れるを
     目元にも刷く汝(な)の朝化粧(けはひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私は男で化粧には弱いし、また、お化粧の仕方も時代とともに変遷するので、詳しいことは判らない。

以下に事典に載る記事を転載しておく。
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写真は化粧品会社のコマーシャルのサイトから

 化粧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

化粧(けしょう)とは、主に顔や体に白粉や口紅などの化粧品をつけて、人間が美しく粧うこと。祭礼など儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ、メイキャップ、メイクともいう。

古代
口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは、出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインを施していることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われた。また、貴族達もそれに倣うようになった。
この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。
当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した。

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。
口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸や京都などの都会の女性に流行した。
日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に鉛を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による死亡が多くみられ、戦後に規制されてからも、このような死者は後を絶たなかったといわれている。

舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧を行なう。目・眉・口などの顔のパーツや、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう、工夫がされている。また歌舞伎や京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧を施す。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMやドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

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↑ 写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。野草のように、どこにでも生えている花である。

私は先に2009/08/11に「化粧」について下記のような記事を載せたので、再掲しておく。

   私は化粧する女が好きだ
     虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。

    化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

   女の体はお城である、中に一人の甘えん坊の少女がかくれている

   女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている

   旅をする 風変りなドレスを着てみる 寝てみる 腋の下を匂わせる女

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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。

この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。
この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。
その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。
一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。 

ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵
image1銀杏の実

     ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

銀杏(ぎんなん)の実の採れるシーズンになってきた。
関西では、大阪のメインストリートである御堂筋の街路樹にイチョウの木がたくさん植えられており、茂った枝を刈り込むのに邪魔になるギンナンの実のふるい落としが年中行事として行われるので、例年多くの人が手袋と袋持参で下で待ち構えている。一つの風物詩である。

事典には、次のように書かれている。
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ギンナンは、つややかで半透明の深い緑色、ねちねちした歯ざわり、香ばしい木の香りとほろ苦い野生の味。 都会に住む私たちへの自然からの贈り物です。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、有名な大銀杏(おおいちょう)があるせいか、露店で焼きぎんなんを売っています。 アツアツの殻を苦労して割って中身を食べるのは最高ですね。

イチョウの種子。イチョウの木は古生代末期に出現。 今から一億5000万年前のジュラ紀には世界中に大規模な森林を作るほど栄えていましたが、 その後滅んだと欧米では考えられていました。しかし日本に存在するという事が知られ、 ダーゥインはこれを「活きている化石」と呼びました。樹皮のコルク質のおかげで害虫や火災にも強いのが特徴です。 コルク質に水を含んでいるので火事になると木から水を噴出すそうで、 大火の時に水を噴出して周りの人を救ったという水噴きイチョウの伝説が日本各地に残っています。 イチョウには雄の木と雌の木があり、10月頃に雌の木に実がなります。 オレンジ色の実の中の硬い殻に守られた胚乳がぎんなんです。

原産は中国。日本全国に植わっています。(ほとんどは人間が植樹したもの)
旬は 10月頃の採れたてから3ヶ月間ぐらいがおいしいです。半年も経つと実が縮み、 黄色くなって弾力も無くなって味が落ちてきます。
調理 ゆでる場合:まず、ペンチなどで殻を割って中身を取り出します。薄皮が付いたまま、 浅い鍋にヒタヒタの水を入れてゆでながら、玉じゃくしの底で転がすようにして薄皮を剥いていきます。
焼く場合 :軽く殻に割れ目を付けておいて、フライパンで空炒りするかオーブントースターで焼きます。

食べ方 焼いたぎんなんをそのまま食べてもいいし、茶碗蒸しやガンモドキのパーツに欠かせません。 ぎんなんの入っていない茶碗蒸しは、食べる者の期待を裏切りますよね。

秋も深まり、山々が色付く頃、葉っぱが黄色い樹木がイチョウです。
その木の実を【ぎんなん】(銀杏)といって、木には、雄(オス)と雌(メス)があり、雄の木には実がなりません。
街路樹に植えられているところも少なくありませんが、実には独特の強烈なにおいがあるので 雄の木を用いているところが多いようです。
「イチョウの木なのに、何故か実が付かない。」という経験のある方もいると思いますが それは、きっと雄の木だからでしょう。

雄の木と雌の木の違いは、葉に切り込みが入っているのが雄の木で、入っていないのが雌の木だという説や、雄の木の枝は立ち、雌の木の枝は横に広がるという説がありますが、確かなところは分かっていないのが現状のようですので、花や果実で識別するのが良いでしょうね。

街路樹だけではなく、神社の境内とか、結構身近にある木なので、機会がありましたらよ~く観察してみてください。

イチョウの実 を取り出す?!
ぎんなんは、店に売っているような形のまま、木に実ってるわけではありません。
ぢつは、ぎんなんは種なんです!

地面に落ちた実を拾い、バケツのような容器の中で果肉を腐らせてから流水でよく洗い、中の種を取り出します。
(これは匂いがきつく、果肉の油脂が白くかたまり手が荒れる作業、ぎんなん作りでもっともきつい。)

取り出された種は、天気のいい日を選んで天日に干されて何日も何日もかけ、じっくりと乾燥していきます。
(毎日のように空とにらめっこ。晴れたら出して雨が降ったら引っ込めて…。)

仕上げは、居間の薪ストーブの横に広げておいて、最後の乾燥作業を行います。
(部屋の中に、キョーレツなぎんなんの香りが充満するのは、言うまでもありません。
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↑ 樹になるギンナンの実

ぎんなんは「茶碗蒸し」や「がんもどき」の中に入れたりする。
上の文章にもある通り、ギンナンの実の「果肉」は熟すと、とても臭いし、おまけにウルシかぶれのようなひどい症状を呈するので皮膚にじかに触れるのは危険である。
おいしい実を取り出すのが、ひと苦労である。

折角、嵯峨野の句を出したので、関連する句を少し引いておく。

 薮中にある四辻や嵯峨の秋・・・・・・・・・・・・・・・森桂樹楼

 嵯峨硯(すずり)摺つて時雨の句をとどむ・・・・・・・・・・・・・青木月斗

 残る音の虫や嵯峨野に母を欲り・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 初紅葉日の斑を踏みし奥嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・明石真知子

 お薄所望嵯峨野の茶屋の竹床几・・・・・・・・・・・・・・有木幸子



目覚むれば露光るなりわが庭の露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二
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    目覚むれば露光るなりわが庭の
      露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二


この歌は『忘瓦亭の歌』(1978年刊)に載るものである。
今しも明け方には、露がしとどに置いている季節である。

「露」を詠んだ文芸作品としては

     露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

という句が何と言っても、ピカ一であろう。
宮柊二の歌を掲出しながらではあるが、小林一茶のことに少し触れてみることを許されよ。

江戸後期の代表的俳諧師の一茶は、信州柏原から15歳の時に江戸に出て、奉公生活にも俳諧修業にも辛酸をなめた。
異母弟との13年にも及ぶ遺産争いが解決し、51歳で帰郷、妻帯した。三男一女を得たが、長男、長女、それに次男と次々に幼くて死に、妻をも失った。
この句は溺愛していた長女・さと が、1歳余で天然痘のため死んだ時のもの。
この世ははかない露の世という。そんなことはよく知っている。よく知ってはいるが、知っていることが何になろう。くりかえし、くりかえし、私は悲しくてたまらないよ。ということであろうか。『おらが春』所載だが、「露の世」というフレーズの繰り返しが秀逸であり、かつ痛切である。
「露」の句としては代表的な秀句として、よく知られている。
以下、「露」を詠んだ句を引いておく。

 露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 芋の露連山影を正うす・・・・・・・・・飯田蛇笏

 蔓踏んで一山の露動きけり・・・・・・・・原石鼎

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 われもまた露けきもののひとつにて・・・・・・・・・・・・森澄雄

 牛の眼が人を疑ふ露の中・・・・・・・・・・・・福田甲子雄

 骨壷を抱きしこと二度露の山・・・・・・・・・・・・矢島渚男

 露の世の江分利満氏の帽子かな・・・・・・・・・・・・星野石雀

 「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・・・・・・・片山由美子

 まるきものに乳房心根露の玉・・・・・・・・・・・・鳥居真里子



柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規
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     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

この句は多くの人の口に愛唱されるもので広く知られている。今や「古典」となった感じがある。

この句については、下記のようなエピソードがあるのである。

     < 正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていたそうで
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿しています。

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白いもんです。>

このいきさつについては、ネット上に次のような記事がある。引いておこう。
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坪内稔典氏いわく

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」
(『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書,2003年))

 正岡子規自身,次のように書いています。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」
(「くだもの」明治34年)

 坪内稔典氏いわく

「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まいのことです。子規は,ここに50日余り暮らしていました。つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいたのです。
 「柿くへば…」は,子規が松山から東京へ帰る途中,奈良に立ち寄ったときに作られました。この奈良行きが,子規にとっては最後の旅となりました。この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなるのです。
 この旅の費用を貸したのが漱石でした。つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる。」
(『柿喰ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店,2005年))
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。
奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。
この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。
評 者 村井和一  「現代俳句協会」のホームページより
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松尾芭蕉の「虚構」の句作りについては前に書いたことがある。
「リアリズム馬鹿」には堕したくないものである。

「柿」は日本原産と言われるが、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
今では世界中「KAKI」で通用する。学名もDiospyros Kaki という。
パーシモンはアメリカ東部原生の、ごく小さなアメリカガキを指すので、日本の柿とは種が違う。
パーシモンというと、ゴルフをやる人には懐かしい名前でウッドクラブのヘッドには、このアメリカガキの硬い木が使われて来た。
今ではメタルウッドが全盛だが、パーシモンで打った時の打球音は特有の響きがあった。Powerbiltという名器があった。
柿は日本原産とは言うが、一説には、氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。その頃は干し柿として保存していたようだ。

kaki006柿の花
写真②は柿の花である。白い花で五月下旬頃に咲く。
昨年には「干し柿」のことも詳しく書いたので、参照してもらいたい。
柿には「甘柿」と「渋柿」があり、干し柿は渋柿の皮を剥いて天日にあてて甘く変化させたものである。
渋柿は、結構種類が多くて、全国各地の独特の干し柿がある。
以下、柿を詠んだ句を引いて終る。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ



胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・小沢克己
img_629514_26200550_0ムラサキシキブ実

   胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・・・・・・小沢克己

この句に詠まれているのは「ムラサキシキブ」の実のことである。


私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、秋の花のところに次のような歌がある。

  才媛(さいゑん)になぞらへし木の実ぞ雨ふればむらさきしきぶの紫みだら・・・・・・・・・・・・木村草弥

私宅にもムラサキシキブの小さい株が一つあるが、今年は太い虫(名前不詳だが、揚羽蝶の種類の毛のない毛虫)に、油断していたら、葉がすっかり食べられて、結局、実は一つもつかなかった。
事典を読むと、俗にムラサキシキブと呼ばれているものは正しくは「コムラサキ」というのが多いそうである。白い実のものもあるそうだ。 
ネット上から、下記の文章を載せておく。
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1734450コムラサキシキブ実
↑ コムラサキの実

 ムラサキシキブとコムラサキ
朝から冷たい雨の降る休日は、先日本屋の店先で見つけた毎日新聞社発行の「東京の自然」のページを繰って過ごす一日になりました。 「コムラサキの小さな秋」と題した項には、コムラサキがムラサキシキブと呼ばれることが多く、その名前に混乱があるとあり、千代田区大手町の北の丸公園でも「ムラサキシキブ」と名札を付けられた植物が、コムラサキのようだったと紹介しています。

牧野植物図鑑に「優美な紫色の果実を才媛紫式部の名をかりて美化したものである」
と牧野博士は述べています。 コムラサキは実のつきがが良いことから最近では生け
垣用に多く植えられているようですので、こうした記事を読むと、私達がムラサキシ
キブと称し果実の美しさを愛でているものには意外にコムラサキが多いような気がし
てきました。

   ムラサキシキブ最も早く実を持てど最も早く鳥の食い去る・・・・・・・・・・・・・土屋 文明

以前に発行された「趣味の園芸」11月号(NHK)に「ムラサキシキブとコムラ
サキ」と題して、園芸店でムラサキシキブを買ってきて楽しんでいたらこれは「コ
ムラサキ」だといわれたが、どう違うのかとの問があり答えが載っています。
回答では、園芸店ではコムラサキを通りが良いのでムラサキシキブとして売っている
ようだとの前談から、日本にはムラサキシキブ属(クマツヅラ科)のものには数種が
あり、このうち園芸店では、コムラサキ、ムラサキシキブ、シロシキブ(正確には白
実のコムラサキ)の三種が良く売られていること、そしてわりにコンパクトに仕立て
られて実つきが良く見栄えがするという点でコムラサキに人気があると記してます。
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Callicarpa20japonica20f_20albibacca20m1白式部
 ↑ 「白式部」と呼ばれる白いムラサキシキブ

別の事典には、次のような記載がある。

学名:Callicarpa japonica
 別名:ミムラサキ(実紫),コメゴメ
 花期:夏

 山野に生える落葉低木です。庭などに植えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるのはコムラサキ(小紫)のことが多いと思います。コムラサキに比べて実のつき方がまばらで,素朴な感じです。
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murasakisikibuL3ムラサキシキブ花

写真③はムラサキシキブの花である。6月頃に咲き始める。花言葉は「聡明」。

俳句にも多く詠まれているので引いておく。

 冷たしや式部の名持つ実のむらさき・・・・・・・・・・・・長谷川かな女

 うち綴り紫式部こぼれける・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 渡されし紫式部淋しき実・・・・・・・・・・・・星野立子

 うしろ手に一寸(ちよつと)紫式部の実・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・・・・・・・・・・草間時彦

 地の冷えの色に出でてや実紫・・・・・・・・・・・・林 翔

 実むらさきいよいよものをいはず暮れ・・・・・・・・・・・・菊池一雄

 眼(まなこ)よりこぼれて紫式部かな・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

 倖あれと友が掌に置く実むらさき・・・・・・・・・・・・石田あき子

 胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・小沢克己

 室の津の歌ひ女の哀実むらさき・・・・・・・・・・・・志摩知子

 寺に駕籠寺領にむらさきしきぶかな・・・・・・・・・・・・嶋野国夫

 月光に夜離れはじまる式部の実・・・・・・・・・・・・保坂敏子

 休日は眠るむらさき式部の実・・・・・・・・・・・・津高里永子

 ゆづり合ふ袖摺坂や実むらさき・・・・・・・・・・・・由木まり

 象牙玉小粒かたまり白式部・・・・・・・・・・・・石原栄子



紫の斑の賑しや杜鵑草・・・・・・・・・・・・・・・・・轡田進
aaoohototoホトトギス花

   紫の斑の賑(にぎは)しや杜鵑草(ほととぎす)・・・・・・・・・・・・・・・轡田進

私宅に杜鵑草(ほととぎすそう)の鉢植えが一つある。恐らく妻が誰かにもらって植えたものであろう。
一年中めだたない草で、毎年10月中ごろから11月にかけて花をつける。
今年も10月18日頃からぼつぼつと花をつけはじめた。

事典には、次のように載っている。
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ホトトギス(杜鵑) ユリ科 

 学名:Tricyrtis hirta
 花期:秋

 鳥の名前を持つ花は他に,サギソウ(鷺草),キジムシロ(雉筵)などがありますが,全く同じというのは他に思い当たりません。
もっとも,鳥の方は不如帰と書くようです。花の点々が不如帰の羽の模様(胸)に似ているということです。
 高原の日陰で夏~秋に見られます
 よく庭や花壇に植えられるものはタイワンホトトギスです。色も紫,白,黄色などがあります。
 ホトトギスは,葉の付け根に一つないし二つ花がつくものです。
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hototo10ホトトギス接写

写真②は「接写」である。
他の事典によると、ホトトギス属は東アジアにしか原生しておらず、このうちの大半が日本に自生し、固有種も多く、日本の特産的植物と言われているらしい。
花名は、この花の斑紋が鳥のホトトギスの胸毛の模様に似ていることに由来する。
「杜鵑草」と書いて、単に「ほととぎす」と読むのが正式らしい。
花言葉は「永遠にあなたのもの」。
以下、これを詠んだ句を引いて終る。

 時鳥草顔冷ゆるまで跼みもし・・・・・・・・・・・・岸田稚魚

 はなびらに血の斑ちらしてほととぎす・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 夜をこめて咲きてむらさき時鳥草・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 杜鵑草濡れて置かるる講の杖・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 水に映りて斑をふやす杜鵑草・・・・・・・・・・・・檜紀代

 杜鵑草日差衰へはじめたる・・・・・・・・・・・・児玉輝代

 かすかなる山姥のこゑ杜鵑草・・・・・・・・・・・・小桧山繁子

 古のそばかす美人杜鵑草・・・・・・・・・・・・吉沢恵美子

 杜鵑草人恋ふ色に咲きいでし・・・・・・・・・・・・轡田幸子

 杜鵑草遠流は恋の咎として・・・・・・・・・・・・谷中隆子

 死ぬ日まで男と女油点草・・・・・・・・・・・・中原鈴代

 この山の時鳥草活け手桶古る・・・・・・・・・・・・野沢節子

 ほととぎす草今日むなしき手をのべぬ・・・・・・・・・・・・八木林之助

 時鳥草三つ四つ母のうすまぶた・・・・・・・・・・・・水谷文子



山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子
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  山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子

私の家の前栽の生垣の一番西の端にあるサザンカが咲き始めた。4、5日前から咲きはじめたと思ったら、もう一斉に咲いて満開に近い。
サザンカにも遅速はあり、この木は例年一番早い。亡妻などは「あんまり早く咲きすぎる」と文句を言っていた。
というのは今なら菊などの花の彩りもあるからで、冬が深まって周りに花の色がない時に咲いてほしい、という願いである。
サザンカは「山茶花」と書くが字の通りに発音すれば「サンザカ」となるが発音し難いので、いつしかサザンカとなったという。
原産地は日本で、学名を Camellia sasanqua というが、ここでも日本の発音通りの命名になっている。
椿科というけれど椿との違いは、ツバキは花が落ちる時にはボテッと全部一緒に落ちてしまう(このことから斬首刑を連想するのか、武士は椿の花を嫌ったという)が、
サザンカは花びらが一枚一枚づつばらばらに落ちる。
サザンカは長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクがヨーロッパに持ち帰り西欧で広まったという。
なお、学名の前半の Camellia は椿のことで17世紀にチェコスロバキアの宣教師 Kamell カメルさんの名に因むという。

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サザンカはさまざまに改良され、もともとは5弁の茶の花に似ている花だったが今では色も花弁の枚数も多様である。
写真には色々のものを載せてみた。

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『和漢三才図会』には「按ずるに、山茶花、その樹葉花実、海石榴(つばき)と同じくして小さし。その葉、茶の葉のごとく、その実円長、形、梨のごとくにして微毛あり。・・・・・およそ山茶花、冬を盛りとなし、海石榴の花は、春を盛りとなす」とある。的確な表現である。なおサザンカは正式には「茶梅」と書いて「さざんくわ」と読むのが正しいという。サザンカは茶に近いものであるから、この説は了解できる。
サザンカは古来よく詠まれて来た花で芭蕉一門の連句などにも、よく登場する。

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以下、サザンカを詠んだ句を引いておく。

 霜を掃き山茶花を掃く許りかな・・・・・・・・高浜虚子

 山茶花は白一色ぞ銀閣寺・・・・・・・・小沢碧童

 無始無終山茶花ただに開落す・・・・・・・・寒川鼠骨

 花まれに白山茶花の月夜かな・・・・・・・・原石鼎

 山茶花やいくさに敗れたる国の・・・・・・・・日野草城

 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ・・・・・・・・加藤楸邨

 山茶花の金の蘂病癒えしかな・・・・・・・・石田波郷

 山茶花の散るにまかせて晴れ渡り・・・・・・・・永井龍男

 山茶花のくれなゐひとに訪はれずに・・・・・・・・橋本多佳子

 山茶花の咲きためらへる朝かな・・・・・・・・渡辺桂子

 山茶花の咲く淋しさと気付きたる・・・・・・・・栗原米作

 白山茶花地獄絵のごと蜂群るる・・・・・・・・高木雨路
 
 さざんくわにあかつき闇のありにけり・・・・・・・・・久保田万太郎 

 山茶花の落花並べば 神遊び・・・・・・・・伊丹三樹彦

 さざん花の長き睫毛を蘂といふ・・・・・・・・野沢節子

 不忠不孝の人山茶花の真くれなゐ・・・・・・・・飯島晴子

 山茶花の咲きて病ひの淵に入る・・・・・・・・保坂敏子


八十歳にひとつきをあまし/ひとにほこれるものは何もなく・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(3)再掲載・初出Doblog2005/11/10

     意外になが生きして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     八十歳にひとつきをあまし
     ひとにほこれるものは何もなく
     おのれにほこれるものは、
     運だ。
     あれ、
     これ、
     それ、
     をさけることはできた。
     そのくらいのことか。
     そしてときに
     おやじの復讐と
     感じることがある。
     突然に
     演説をはじめるときなど。

     概してしゃべりすぎる。
     はなしたりないおやじを
     私は内にもっている。

     八十八歳まで生きて
     最後の十五年、
     言葉をうしなった彼は
     まだはなしたりなかった。
     それが突然にわたしのなかで
     エンジンがかかる。

     ばからしいことだが、
     仕方がない。
     親不孝者のわたしには、
     このくらいしか、
     不孝のつぐないはない。
     他に何か?

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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全80ページという掌篇詩集とも言えるものだが、約10篇くらいのカミングズ、オウエン、エズラ・パウンドなどの「訳詩」と思われる詩を含んでいる。
また「北アメリカの先住民オマハ」の儀式の祝詞みたいなものも訳されている。
「本のなりたち」という、あとがきみたいなもので
・・・・・自己批評は、批評のむずかしい領域で、年をとるにつれ、作者本人のもうろくにあとおしされて、さらにむずかしくなる。
 これは、自選詩集ではない。
 ある日、黒川創がこの詩集をおくってきた。それに、私が前から考えていた題をそえた。
 「もうろくの春」は、私が編むことのできる詩集をしのぐ。そのことがうれしい。
 もっとも小さい出版社の出発にさいして、一言、おいわいの言葉を。
 2002年10月5日─────鶴見俊輔

と書いてある。これで、この詩集が2002年に編まれたことが判る。
「おやじ」というのは雄弁な自由主義者の政治家だった「鶴見祐輔」である。
雄弁家でありながら、晩年に「言葉」を失った父の代りに自分が「おしゃべり」だと書いているのは「親孝行」ではないのか。

国民の都 東京は・・・高く立て日の丸を/ゴッド・ブレス・アメリカ・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(2)再掲載・初出Doblog2005/11/09

       状況歌・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     国民の都 東京は

     日本の知識人(インテリ)を包む

     高く立て日の丸を

     ゴッド・ブレス・アメリカ

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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この詩は、痛烈な「アイロニー」に満ちている。
アメリカ育ちなのに、この視線の厳しさ、諷刺、はどうだろう。
今の首相・小泉純一郎の、ブッシュべったりの姿勢を批判しているとも受け取れる。
日本が、よく言われることだが、アメリカの51番目の「州」であるかのごとき現状へのアイロニーであろうか。

言うまでもないことだが、蛇足的に書いておく。
<高く立て日の丸を>のフレーズは、戦前、戦後に日本の労働運動などの時に歌われた革命歌「高く立て赤旗を」を踏まえているのは確かであり、
また<ゴッド・ブレス・アメリカ>のフレーズは、↓の歌に因んでいる。
念のために歌詞とYouTubeの動画を引いておく。

God Bless America, Land that I love.      
Stand beside her, And guide her,
Thru the night with a light from above.

アメリカに主の祝福あれ 我が愛する国よ
アメリカを守り 導きたもう
夜通し降り注ぎし 天上の御光

From the mountains,
To the prairies, to the oceans,
White with foam
God bless America,
My home sweet home.

解説
アーヴィング・バーリン(Irving Berlin, 1888-1989)作詞・作曲。元々は1918年の夏にブロードウェイでの小喜劇用に書かれたが、歌詞の内容が喜劇とマッチしなかったため一旦はお蔵入りとなった。1938年の冬、緊迫する世界情勢を前にバーリンは歌詞を書き改め、歌手のケイト・スミス(Kate Smith)がこれを同年の休戦協定の日に彼女のラジオ番組で歌ったところ、瞬く間にアメリカ国民の絶賛を受けることとなった。楽譜は飛ぶように売れ、バーリンはこの売り上げを元に「ゴッドブレスアメリカ基金」をボーイ/ガールスカウトのために設立した。


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はじめに書いてある通り、この詩は2005年に載せたものであるから、その当時のアメリカの大統領はブッシュ・ジュニアであり、日本の首相が小泉純一郎であった、ということである。
この私のコメントは今でも「生きている」と思っている。
もっとも現今の日本の状況は、一層の混迷を深めているというべきだろう。


きのこのはなしをきいた/きのこのあとをたぐってゆくと・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(1)再掲載・初出Doblog2005/11/08

       寓 話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     きのこのはなしをきいた
     きのこのあとをたぐってゆくと
     もぐらの便所にゆきあたった
     アメリカの学者も知らない
     大発見だそうだ

     発見をした学者は
     うちのちかくに住んでいて
     おくさんはこどもを集めて塾をひらき
     学者は夕刻かえってきて
     家のまえのくらやみで体操をした

     きのこはアンモニアをかけると
     表に出てくるが
     それまで何年も何年も
     菌糸としてのみ地中にあるという

     表に出たきのこだけをつみとるのも自由
     しかしきのこがあらわれるまで
     菌糸はみずからを保っている
     何年も何年も
     もぐらが便所をつくるまで

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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photo10鶴見俊輔

この詩集は13×15センチという、小型で変形のかわいいものである。
編集グループ<SURE>工房という京都市内の名も知らぬ出版社の発行である。
定価は3000円+税、と高いものだが、2003年3月の初版から2004年2月の3刷と版を重ねている。こんな本には珍しく700部も刷を重ね、今どき「著者検印」のハンコまで押してある。
ハンコは「狸男」というもので、人を食っている。
この詩集は出版元への直接注文でしか買えない。
写真は本を納める外箱である。

鶴見俊輔の専門は何なのだろうか。哲学者なのか心理学者なのか。もう80歳も半ばを超えた。鶴見和子の弟である。鶴見和子も先年亡くなった。
アメリカの大学で若い日々を過ごし、太平洋戦争に入る末期に在留邦人交換船で帰国したという経歴を持つ。都留重人などの次の世代にあたる。
掲出した「寓話」という詩は、とても佳いものである。引き続いて、あと二つほど詩を載せたいと思う。


尖閣諸島中国漁船衝突事件流出ビデオ コピー転載・・・・・1~6
     すでにニュースで報道され多くの人が視聴済みのことではあるが、
      尖閣諸島中国漁船衝突事件流出ビデオ
           をコピー転載しておく。
六番目の画像のサイズが小さいが了承されたい。
流出のきっかけは未だ不明だが、すでに削除された投稿者「sengoku38」なる人物の行為は、やむにやまれぬものであろう。
この「sengoku」というのは官房長官仙石の名前のもじりというべく、また「38」は現代中国語の隠語で「愚か者」の意味があるというのも、何だかアイロニーに満ちている。
では、ゆっくりと拝見したい。









肥後六花──「肥後菊」その他・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
20071106_438758肥後菊

──エッセイ──

     肥後六花──肥後菊その他について・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

「肥後六花」というのは季節順に「肥後椿」「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後山茶花」を指す。
肥後──熊本の藩主・細川家8代の細川重賢公の時代に薬草園が作られ、藩主の命によって植物の品種改良が行われ、その結果うまれたのが、これらの花である。

掲出写真は「肥後菊」である。
以下、季節の順に花の写真を出してゆく。

b0066409_147257肥後椿

↑ 写真②は「肥後椿」である。
ツバキについては寒い頃にいろいろの品種のものを紹介したことがある。そのうちの一つに、この「肥後椿」があるということである。

b0066409_1481022肥後芍薬

↑ 写真③は「肥後芍薬」である。大きな豊かな花が特長である。
古来、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と表現されるように花の代表とされてきた。これから転じて、美人の形容に使われたりした。

b0066409_1485176肥後花菖蒲

↑ 写真④は「肥後花菖蒲」である。
この花も彩りと言い、花の大きさと言い、豪華な花という感じがする。
この辺のところに藩主の派手好みが出ているというべきだろう。
ネット上に、この「肥後六花」のことも載っているが、細川家・現当主の元首相の細川護煕氏が談話を寄せて書いている文章が見られる。
細川護煕氏は今、伊豆で陶芸制作三昧の日々を送っているが、その伊豆の屋敷というのが、母方の近衛公のものであるという。
臍の緒を切ったのが高貴な生まれとは言え、優雅な世界である。

b0066409_1492581肥後朝顔

↑ 写真⑤は「肥後朝顔」である。
この朝顔も大輪で、たっぷりとした、あでやかな雰囲気を湛えている。色はいろいろあるらしい。

順番からすると、この花の後に「肥後菊」が来るのであるが、一番はじめに出しておいた。色についてはさまざまあるようである。
今の時代は海外との交流が、過剰とも思えるほどに激しく、日々あたらしい品種のものが導入されてくるが、昔は花の種類も多くはなく、
品種改良も重点的にやられたと言えようか。だから丹精の結果、花が豪華である。

b0066409_1503929肥後山茶花

↑ 写真⑥は「肥後山茶花」である。
この花もボカシ入りの大きなものである。

これで「肥後六花」と呼ばれるものを一渡り紹介したことになる。
季節としてはまだ寒い気候の「ツバキ」から、初冬の花「サザンカ」まで、ほぼ二ヶ月おきに一年を経過したことになる。
花は花ながら、こういう季節感というものを古人は、大切にしたのである。
終わりに、サザンカの句をひとつ引いて終る。

    山茶花の咲き散り呉須の手塩皿・・・・・・・・田口一穂



嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に老年といふ早き日の昏れ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
sagagiku00嵯峨菊①

   嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に
     老年といふ早き日の昏(く)れ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

今日は「嵯峨菊」について書く。
写真は、いずれも嵯峨菊の色違いである。
sagagiku02嵯峨菊②
sagagiku08嵯峨菊④
sagagiku03嵯峨菊③

嵯峨菊は、嵯峨天皇の御代、嵯峨御所の大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を、永年にわたって、王朝の気品ある感覚を持ったものに洗練し「天、地、人」の微妙な配置が仕立てあげた,格調高い菊である。
嵯峨菊は一鉢に三本仕立て、草丈は殿上から鑑賞するのに丁度よい高さの約2メートルに仕立てられる。
花は「弥彦作り」というが、先端が3輪、中程に5輪、下手に7輪と、七五三に。
葉は下部を黄色、中程は緑、上りの方は淡緑というようにして、春夏秋冬を表すことになっている。
花弁は平弁で54弁。長さは約10センチが理想とされ、色は嵯峨の雪(白)、右近橘(黄)、小倉錦(朱)、藤娘(桃)などの淡色が多く、あまり混植をしない。
大覚寺では、毎年11月に一般公開し、多くの参観者の目を楽しませている。
先に書いた「弥彦作り」などの菊作りの作法は、他の菊でも採用されているそうであり、嵯峨菊独特の作り方と、汎用の作り方と、併用されているようである。
もちろん私は菊作りにも素人であるから、間違いがあれば指摘してもらいたい。

掲出した私の歌も、嵯峨菊に仮託して「老年」というものの悲哀を詠ったもので、嵯峨菊そのものを詠んだものではないことを言っておきたい。

このように写真を見てくると、菊作りにかけた異常とも思える情熱を知るのである。
世上の現象に囚われず、些末的とも見えることに情熱を傾けた人々があったからこそ、嵯峨菊の今日があると知るべきなのだろう。

京都は、紅葉の美しい所も多く、それらもひっくるめた歴史的遺産のおかげで、11月になると入洛客で、一年中で、最も混むシーズンとなる。
ホテル、旅館は、この期間は予約で満室である。
以下、菊を詠んだ句を少し引いて終る。

 虫柱立ちゐて幽か菊の上・・・・・・・・高浜虚子 

 腹当の紺のゆゆしき菊師かな・・・・・・・・野見山朱鳥

 菊咲けり陶淵明の菊咲けり・・・・・・・・山口青邨

 乱菊を垣に代へゐて御師の宿・・・・・・・・森田峠

 菊提げて行きいつまでも遠ざかる・・・・・・・・山口誓子

 大雅堂墓畔の黄なる菊畑・・・・・・・・石原八束

 最後まで厚物咲の弁減らず・・・・・・・・三橋敏雄



菊の香はたまゆら乳の香に似ると言ひし人はも母ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・木村草弥
aaoosyumei秋明菊大判

   菊の香はたまゆら乳の香に似ると
     言ひし人はも母ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

菊の香りにも、さまざまの香りが複合しているようである。
母の背に負われて嗅いだ乳くさい匂いは、子供にとっては懐かしい母の匂いである。
「菊の香は乳の匂いがする」と言った人は、おそらく母が恋しかったのだろう、というのが私の歌の意味であるが、私も同感して、この歌になっている。
「たまゆら」とは「一瞬」ということである。

写真①は「秋明菊」であるが、この草は別名「貴船菊」とも言い、京都の北の貴船に多く見られるという。
菊という名前がついているが、中国原産のキンポウゲ科の植物で、花が菊に似ているので、この名がついているがキク科のものではない。

20071106_438758肥後菊

↑ 写真②は「肥後菊」である。
肥後─熊本には「肥後六花」と言って、藩主細川氏が命じて薬草園で改良させた植物があるが、これについては後日、
稿を改めて書く予定だが、そのうちの一つに「肥後菊」があるのである。花弁の形が独特である。色はいろいろある。
因みに「肥後六花」とは、季節の順に「肥後椿」「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後山茶花」のことを指す。
詳しいことは、いずれ稿を起こすときに譲りたい。

IMG_5636江戸菊

↑ 写真③は「江戸菊」である。
名前の通り、江戸で改良された品種であるが、私は美的なものとは思わない。
毎年、11月になると皇居外苑で菊花展が開かれるそうで、これらの花も展覧されるという。
江戸城ゆかりの皇居のことであるから由緒もあって、ふさわしいだろう。

4100948077_574c824c0b一文字菊

↑ 写真④は「一文字菊」という品種であり、それは花弁が16枚前後の一重の菊で大輪である。これは別名を御紋章菊ともいうという。
この菊は、江戸菊のような変な形のものではなく、シンプルなものである。

ki018奥州菊男咲き

↑ 写真⑤は「奥州菊」男咲き、というものである。
男咲き、というからには「女咲き」という花もあるのだろうが、花の写真が手に入らないが、二つに盛り上がるのを言うらしい。
女性特有の胸乳の形からの連想だろう。
「男咲き」は盛り上がりが一つで垂れた花弁が八の字になるという。大輪の菊で、一本仕立ての菊の花弁のうち、十数弁が下に長く垂れている。
こういう菊の形を総称して「大摑み」という。
奥州と言っても広いが、これは青森で開発されたものらしい。
日本人は、こういう品種改良に情熱を傾けたらしい。これは日本人のみならず、中国人にも、そういう性癖はあったらしい。
一年の半分を雪に埋もれて暮らす人々にとって、何か情熱を燃やす対象があって幸福だったというべきだろう。

ki011伊勢菊

↑ 写真⑥は「伊勢菊」である。
花弁が糸くずのように垂れているのが特長である。

他に京都の「嵯峨菊」という菊があるが、これについても、稿を改めて一日分を載せるので、ここでは触れない。
以下、菊の句を少し引いて終る。

 たましひのしづかにうつる菊見かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 わがいのち菊にむかひてしづかなる・・・・・・・・水原秋桜子

 伊豆の海星の消えゆく菊の雨・・・・・・・・角川源義

 菊日和暮れてすなはち菊月夜・・・・・・・・福田蓼汀

 きのふより後日の菊の晴れ渡り・・・・・・・・森澄雄

 我生きて在るは人死ぬ菊花哉・・・・・・・・永田耕衣

 菊匂ふ命を惜しと思ふとき・・・・・・・・小林康治



白菊に対ひてをればわが心しづかなりけり夕茜して・・・・・・・・・・・・・木村草弥
1101_94928Be3白菊

   白菊に対(むか)ひてをればわが心
     しづかなりけり夕茜して・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

天武天皇14年(685年)に、初めて菊花の宴が催された。
平安時代には、天皇の前で菊を飾った花瓶を置き、群臣に菊酒を賜る儀式が行われた。
古来、「白菊」が正式の菊とされていると言われる。
菊が皇室の紋章として固定するようになったのは、鎌倉時代に後鳥羽上皇が、この紋様を愛好されたのに始まる。
菊花紋を皇室以外で使用するのを禁じたのは、明治2年のことである。

「白菊」は清楚な感じがして、すがすがしいものである。
以下、白菊を詠んだ句を引く。

 白菊のあしたゆふべに古色あり・・・・・・・・飯田蛇笏

 大輪の白菊の辺がまづ暮れぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 菊白く死の髪豊かなるかなし・・・・・・・・橋本多佳子

 白菊のまさしくかをる月夜かな・・・・・・・・高橋淡路女

 菊白し死にゆく人に血を送る・・・・・・・・相馬遷子

 白菊とわれ月光の底に冴ゆ・・・・・・・・桂信子

 白菊や暗闇にても帯むすぶ・・・・・・・・加藤知世子

 白菊に恍惚と藁かかりけり・・・・・・・・金尾梅の門

 白菊や未生以前の渚見ゆ・・・・・・・・佐藤鬼房

 一輪の白菊に夜の張りつめし・・・・・・・・大嶽青児

 白菊を鏡中にして外出がち・・・・・・・・神尾季羊

 白菊や中年の膝崩すまじ・・・・・・・・中村苑子

 大名のごとき白菊家にあり・・・・・・・・阿部完市

 白菊や波郷一葉忌を隣り・・・・・・・・川畑火川



百菊の前過ぎにつつ百菊に百のまなこのありとおもへり・・・・・・・・・・・大塚布見子
009菊

   百菊の前過ぎにつつ百菊に
      百のまなこのありとおもへり・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚布見子


今日は「文化の日」で、菊の香る頃とされている。あちこちで菊花展なども開催され、文化の日を彩りよく演出している。
今日から5、6回にわたって「菊」に因む作品を連続して、採り上げる。

「菊」キクは、春の「桜」と並びたつ秋の花の代表である。
もともとは中国から渡ってきたものだが、徳川時代に鑑賞され、品種改良がなされて、日本独特の立派な「日本菊」となった。皇室の御紋章も十六弁の菊である。
大菊、中菊、小菊に分けられ、大菊は一本仕立て、中・小菊は懸崖づくりや盆栽にされる。江戸時代にマニアックに改良され、各地に独特の品種が開発された。
各地で改良されて「江戸菊」「伊勢菊」「奥州菊」「嵯峨菊」「肥後菊」などがある。
欧米でも改良が進み、それらの品種が輸入されて「切花」にされいてる。

文芸の世界でも、古来、詩歌にさまざまに詠まれてきた。
『古今集』に

     心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花・・・・・・・・・・・・・凡河内躬恒

と詠われて、色と香の移ろいの中の菊の鮮やかさが、秋の情感を強めるとされる。
菊は「散る」ことがなく「枯れてゆく」ところが情感の中心になる、とされる。また「不老不死」の霊草としても尊重されてきた。

俳句の世界でも

   菊の香や奈良には古き仏達・・・・・・・・松尾芭蕉

   黄菊白菊其の外の名はなくもがな・・・・・・・・服部嵐雪

   村百戸菊なき門も見えぬかな・・・・・・・・・与謝蕪村

などの名句がある。明治以降の近代俳句でも多くの作品があるので、明日以後、それらを紹介してゆくことにする。
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「文化の日」にあたり恒例の「文化勲章」の受賞者に勲章が授与された。
その中で選ばれた脇田晴子さんは日本の「中世史」の学者だが、私の同級生・脇田修の夫人である。
おめでとうございます、とお祝いを申し上げ、ここにその略歴などを引いておきたい。
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脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 ~ )は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。
兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。

略歴
1956年 神戸大学文学部史学科卒業
1963年 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学
1967年 京都橘女子大学文学部助教授
1981年 京都橘女子大学文学部教授
1984年 鳴門教育大学学校教育学部教授
1990年 大阪外国語大学教授
1995年 滋賀県立大学人間文化学部教授
2004年 城西国際大学大学院人文科学研究科客員教授
2007年 石川県立歴史博物館館長
研究活動
中世史を専攻し、商工業論、都市論等から、女性史、芸能史に及び、網野善彦の、中世非農業民が天皇直属であったという説に反対し、遊女の地位をめぐって論争した。また外国の日本学者との共同作業も多い。

受賞歴・叙勲歴
2003年 『日本中世被差別民の研究』で、角川源義賞受賞。
2005年秋 文化功労者
2010年秋 文化勲章
単著
日本中世商業発達史の研究 御茶の水書房 1969
日本中世都市論 東京大学出版会 1981
室町時代 中公新書 1985
大系日本の歴史 7 戦国大名 小学館 1988/小学館ライブラリー 1993 
日本中世女性史の研究 性別役割分担と母性・家政・性愛 東京大学出版会 1992
中世に生きる女たち 岩波新書 1995
中世京都と祇園祭 疫神と都市の生活 中公新書 1999
女性芸能の源流 傀儡子・曲舞・白拍子 角川選書 2001
日本中世被差別民の研究 岩波書店 2002
天皇と中世文化 吉川弘文館 2003
能楽のなかの女たち 女舞の風姿 岩波書店 2005
編著・共著
ジェンダーの日本史 スーザン.B.ハンレーと共編 東京大学出版会, 1994-95
アイデンティティ・周縁・媒介 アンヌ・ブッシィと共編 吉川弘文館, 2000
周縁文化と身分制 マーチン・コルカット・平雅行と共編 思文閣出版, 2005
物語京都の歴史 花の都の二千年 脇田修と共著 中公新書, 2008
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念のために、夫の脇田修の経歴も載せておく。

脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日~ )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。
妻は歴史学者で文化勲章受賞の脇田晴子。大阪市生まれ。

略歴
京都大学文学部卒業
大阪大学文学部教授を経て、同名誉教授
2001年より、大阪歴史博物館館長
著作
『近世封建社会の経済構造』御茶ノ水書房,1963年
『教養人の日本史(3) -戦国時代から江戸中期まで-』社会思想社現代教養文庫,1967年 
『織田政権の基礎構造』東京大学出版会,1975年
『近世封建制成立史論』東京大学出版会,1977年
『元禄の社会』塙書房,1980年
『近世大坂の町と人』人文書院,1986年
『織田信長』中公新書,1987年
『秀吉の経済感覚』中公新書,1991年
『河原巻物の世界』東京大学出版会,1991年
『近世大坂の経済と文化』人文書院,1994年
『日本近世都市史の研究』東京大学出版会,1994年
『平野屋武兵衛、幕末の大坂を走る』角川選書,1995年
『部落史に考える』部落問題研究所,1996年
『大坂時代と秀吉』小学館,1999年
『近世身分制と被差別部落』部落問題研究所,2001年


太田光・はじめての小説集『マボロシの鳥』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   太田光・はじめての小説集『マボロシの鳥』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・・・新潮社2010/10/29 刊・・・・・・・・

先ず「新潮社ラインナップ発表会より」動画を出しておく。
この動画は短期間しかアクセスできないと思うので、彼の所属事務所「タイタン」のHPに載る「出版記念の記者会見」の動画なら急には削除されないと思うからアクセスされたい。

   かつて読んだことのない感動の形がここにある。爆笑問題・太田光、待望の処女小説!

      「どこかの誰かが、この鳥を必要としている」――誰よりも小説を愛し、
       誰よりも小説に愛される芸人、太田光がついに作家デビュー! 
       舞台芸人の一瞬の輝きを一羽の鳥に託した表題作ほか、
       父との不和に悩む娘やイジメにあう男子高校生の葛藤から、
       人類の行く末、そして神の意志までを、
       持てる芸のすべてを注いで描き尽くした《希望の書》。

            「yom yom」から生まれた本

太田光/オオタ・ヒカリ

1965(昭和40)年埼玉県生れ。日大芸術学部中退後、1988年に爆笑問題結成。著書に『爆笑問題 太田光自伝』『パラレルな世紀への跳躍』などがある。2009(平成21)年には『向田邦子全集』の解説を手がけるほか、独自の短編セレクションによる『人間失格ではない太宰治:爆笑問題太田光の11オシ』を刊行。爆笑問題としての著書に『日本原論6 大恐慌時代』『日本文学者変態論』など。

新潮社の読書誌「波」11月号に載る著者のコメントを引いておく。
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      ライオンのように
        ───はじめての小説集『マボロシの鳥』のあとで

                   爆笑問題・太田 光


 子供の頃怖かったものは、なに?

 お化け?
 宇宙人?
 熊ん蜂?
 注射?
 学校の先生?

 私はライオンが怖かった。
 あのアフリカにいるライオンだ。百獣の王ライオン。
 じゃあ、子供の頃大好きだったものは、なに?

 ウルトラマン?
 ケーキ?
 ミニカー?
 野球?
 学校の友達?

 私はやっぱりライオンだった。
 金色のたてがみを風になびかせて崖の上に立つライオン。美しく勇敢なライオン。

 昼間のうちは、ライオンは私の憧れの象徴だった。
 その頃、上手く描けなかったが、画用紙に何枚も何枚も、ライオンの絵を描いた。
 なるべく強く、なるべく獰猛で、凶暴に見えるように。鋭い目と、尖った牙。世界の頂点に君臨する王者に見えるように、何枚も絵を描いた。

 夜になると、そのライオンが私を襲いにやってくるような気がして、怖くて怖くて眠れなくなった。
 闇の中から突然飛び出してくるような気がして、暗い窓の側に近寄れなかった。たとえ窓から離れていても、ライオンが来たら逃げられるわけがない。すぐに捕まって喰い殺されると思った。
 ライオンは、遠いアフリカにしかいないのだから大丈夫、と、思おうとしてもダメだった。アフリカと自分の家の距離がどれぐらい離れているかなんて、あんまりよくわからなかった。ひとっ飛びで来るかもしれない。そう思えて仕方なかった。
 考えれば考えるほど怖くて、私は子供なのに夜中になっても眠れなかった。
「いつまで起きてるの!」
 と叱る母に、
「ライオンは、日本にはいないよね?」
 と聞くと、
「動物園にはいるわよ」
 と言われ、私はますます不安になった。

 ……すぐ近くに、ライオンがいる!

 そう考えるととても眠る気になれなかった。
「ねえ。ライオンって、嘘の動物だよね?」
 子供心にそんなハズはない、とわかっていたが、私はライオンが“架空の動物である”と、誰かに言ってもらわなくては安心出来ない気持ちになって言った。
「ライオンは本当の動物よ」
 母は冷静に言い、私はとうとう泣き出した。
「ここには来ないよね?」
「来るわけないでしょ」
「嘘の動物だからでしょ?」
「本当の動物よ」
 私はますます泣いた。
 ライオンが実在するなら、ここに来る可能性だってある。動物園から逃げてここまで来るかもしれない。子供の私には、そのことが恐ろしくて仕方なかった。
 私は泣きながら、
「嘘でもいいから、今だけ、嘘の動物だって言って」
「本当の動物よ」
 母は頑なに言い張った。
「ライオンは、本当の動物」

 不思議なもので次の朝起きると、ライオンは再び、私の憧れの象徴に戻っているのだった。
 子供の頃。私は一番怖いものと、一番好きなものが同じだった。

 大人になると、いつの間にか怖いものだらけになった。

 男と女。
 時間。
 世間。
 異次元。
 表現。
 遺伝。
 自然。
 愛情。
 宇宙。

 子供の頃はちっとも怖くなかったものが、今では怖いものになった。
「ねえ。これってみんな嘘のことだよね?」
 夜になると、そう誰かに問いかけたくなる。
 嘘でもいいから、今だけ、架空のものだと言ってほしい。そう思う時がある。
 そしてやっぱり、朝になるとその気持ちは変わっていたりもするのだ。

 怖いものだらけになった代わりに、いつの間にか、夜のライオンはちっとも怖くなくなっていた。
 相変わらずライオンは本当の動物で、相変わらず動物園から逃げてくる可能性だってあるのに。
 あの頃と何一つ変わってないのに。
 私は、何を根拠にして今は安心して眠っているのだろう?

「ライオンは本当の動物」

 母が言ったことは正しかった。
 もしライオンが嘘の動物だったとしたら、それほどつまらない世界はないのだから。

    *

『マボロシの鳥』という短編集を書いた。
 嘘であってほしいと願うほど恐ろしく感じる時もあるが、本当でなければつまらないもの。
 私がそう感じるものを並べてみたつもりだ。
 この本自体が読む人にとってそんなイメージになれば嬉しい。

(おおた・ひかり 漫才師)
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「爆笑問題」は、並みのお笑い芸人とは一風変わったところがあり、私は割合みている方である。
NHKで今でも続いている大学シリーズなど「爆笑問題の日本の教養」など、とても面白い。
その太田の書いた小説というので興味を引かれて読んでみた。

「立ち読み」も出来るので、さわりだが読んでみられたい。

太田の妻である太田光代が社長を務める芸能プロダクション「タイタン」だが、太田光のスケジュールなど一切は彼女が実権を握っていると言われている。

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