K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201012<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201102
POSTE aux MEMORANDUM(1月)月次掲示板
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
0212163鮓エ縺ョ闊枩convert_20091007131354

     謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

2011年となりました。
デフレがつづき、政治的にも不安定で、何とも落ち着かない昨今ですが、何とか凌いで行かなければなりません。
十年一日のような私の記事ですが、よろしくお付き合いください。

 わが吐けるシガーのけむり光帯び新しき年周辺にあり・・・・・・・・・・・・・・・・窪田空穂
 衰へしかたち微かに生きをれば年あらたまり心あらたまる・・・・・・・・・・・・佐藤佐太郎
 うつくしきものは匂ひをともなひて晴着のをとめ街上を過ぐ・・・・・・・・・・・上田三四二
 あら玉の年のはじめの声出しの息松の香を深く吸ひたり・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 元日の朝にめざめてあはれあはれわがおもふことはきのふのつづき・・・・・・・小池光
 年祝ぎの黄菊白菊冴えかへり瓶に睦月の花凛と立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・成瀬有
 手洗いにたつまでは憶えていたはずなり今年も揮発してしまった初夢・・・佐佐木幸綱
 くろがねもち朱美かがやく睦月の庭。鶸も目白もいまだ寄りこず・・・・・・・・・岡野弘彦
 沁みとほる雑煮の味にひととせの天つひかりを思ふ。眠らな・・・・・・・・・・・・・・高島裕
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 八つ口をほころばせたり老の春・・・・・・・・・阿波野青畝
 正月や胼の手洗ふねもごろに・・・・・・・・・・・・杉田久女
 夢もなし吉凶もなし去年今年・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
 狎れるてふことを戒め去年今年・・・・・・・・・・・千原叡子
 さまよへるユダヤ人てふ冬の花・・・・・・・・・・・・・高島茂
 かぶら蒸し衆愚政治の見本のように・・・・・・原田否可立
 元旦や息をひそめる火山帯・・・・・・・・・・・・・・・・ 四 童
 我思ふ故に湯ざめして我あり・・・・・・・・・・・・・・・仁平勝
 冬の水一枝の影も欺かず・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
 群抜けし寒潮の魚左利き・・・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 初御空みづのあふみの揺るぎなし・・・・・・・・・・明隅礼子
 波寄せて詩歌の国や大旦・・・・・・・・・・・・・・・・大谷弘至
 枯蟷螂人間をなつかしく見る・・・・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 うたかるた恋の札詠むのどぼとけ・・・・・・・・・・三井葉子
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 白鳥定食いつまでも声かがやくよ・・・・・・・・・・田島健一
 涎いま夢の枯野へ落ちゆけり・・・・・・・・・・・・・男波弘志
 暖房機しくしくふうと止まりたる・・・・・・・・・・・・太田うさぎ
 鶴のこゑ絵具をしぼりだすごとく・・・・・・・・・・・八田木枯
 とつくりセーター白き成人映画かな・・・・・・・・・・・近 恵
 泥に降る雪うつくしや泥になる・・・・・・・・・・・・・小川軽舟
 海老蔵が来たので誰もゐなくなる・・・・・・・・・三島ゆかり
 テレビに半裸の男ゐて雑煮・・・・・・・・・・・・・・山下つばさ
 姫はじめ人に尾骨のありにけり・・・・・・・・・・・・山田露結
 声帯を震はせてをり大旦・・・・・・・・・・・・・・・・・吉田悦花
 初夢につながれている兎の眼・・・・・・・・・・・・・四ッ谷龍
 寒月や耳薄き人通り過ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。
コメントは各記事の末尾に「コメント」「CM」という欄がありますから、それをクリックしてお入りください。
私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
 GoogleYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。

閲覧の仕方
「当月」の記事は開いている状態でご覧になれますが、「先月」などのバックナンバーの閲覧は、上部のカレンダーの « の印を押して「過去」へ進んでください。
ただしカレンダーの無いものもあります。
「月別アーカイブ」は30件表示するようになっています。30件以上ある場合は「NEXT」を押して進んでください。
「カテゴリー」を選んでいただくと、当該カテゴリーの一覧として、ずらっと出てきます。よろしく。 
パソコンの画面は「最大化」でご覧ください
私のブログは大きい写真が入りますので、チョン切れを避けるためです、よろしく。

☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

banner99条守ろう

  9条守ろう!ブロガーズ・リンクに参加しています(0215)
 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

Banner_125x125_0003_D.jpg

   「地球上のすべての人が、
  人類すべての知識への自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、
  と想像してみてください。」
──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ

「角川書店」話題の新刊書籍
「新潮社」 今月の新刊
講談社BOOK倶楽部
「集英社文庫」新刊
「岩波書店」
「青土社・ユリイカ」
詩の本の思潮社
文芸春秋社・書籍ショールーム

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

私の新・詩集『愛の寓意』(角川書店刊)が出来上がりました。
      少部数発行のため書店配本ルートには乗っておりません。
この詩集『愛の寓意』(←リンクになってます)を私のWebのHPに載せました。
ほぼ全文(横書き)をネット上でお読みいただけます。お試し下さい。


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。・・・・・・・・・・三好達治
DSCN0866.jpg

      雪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三好達治

         太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

         次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

掲出の書は、この詩を書いた彼の「習作」である。

三好達治は、私が少年の頃から好きな詩人だった。大学に居るときに文芸講演会があって、大きな法経教室で三好達治が話をした。
題名も詳しい話の内容も忘れたが、その中でポール・ヴァレリーの言葉として
  <散文は歩行であるが、詩はダンスである>  という話が、私には数十年来、ずっと心に残っている。
このことは、あちこちに書いたし、このBLOGでも書いたかと思うが、散文と詩の違いを極めて的確に、この言葉は言い表わしている、と思う。
そんなことで三好達治は大好きな詩人として私の「詩」生活とともに、あった。
達治は私とは、もう二世代も前の人だが、彼の詩集は私の書架に残っている。
晩年の「駱駝の瘤に跨って」という枯淡の境に達した作品なども、舐めるようにして読んだ。

達治の詩は難解な詩句は何もない。俳句や短歌という日本の伝統詩にも理解があり、自分でもたくさん作っている。
「詩」の中に俳句や短歌をコラージュとして含めることも、よくあった。
と、いうより、短歌とか俳句とか詩とかのジャンルの区分をしなかった。

掲出した詩は、一行目と二行目との「太郎」と「次郎」の詩句の違いだけで、字数もきっちり同じという、すっきりした詩の構成になっている。
「詩」作りの常套的な手法として「ルフラン」(リフレイン)が有効であるが、この詩の場合には、これがお手本というような見事なルフランである。

この詩を下敷きにして短歌などがいくつか作られた。
もちろん、その作者なりの必然的な表現として、ではあるが・・・・・・・。

9_photo07三好達治

三好達治(1900年8月23日 ~ 1964年4月5日)は、大阪市西区西横堀町に生まれた。
父政吉・母タツの長男。家業は印刷業を営んでいたが、しだいに没落し、大阪市内で転居を繰り返した。達治は小学時代から「神経衰弱」に苦しみ、学校は欠席がちだったが、図書館に通って高山樗牛、夏目漱石、徳冨蘆花などを耽読した。大阪府立市岡中学に入学し、俳句をはじめ、「ホトトギス」を購読した。学費が続かず、中学2年で中退し、大阪陸軍地方幼年学校に入学・卒業、陸軍中央幼年学校本科に入学、大正9年陸軍士官学校に入学するも翌年、退校処分となった。このころ家業が破産、父親は失踪し、以後大学を出るまで学資は叔母の藤井氏が出してくれた。

大正11年、第三高等学校文科丙類に入学。三高時代はニーチェやツルゲーネフを耽読し、丸山薫の影響で詩作を始める。
東京帝国大学文学部仏文科卒。
大学在学中に梶井基次郎らとともに同人誌『青空』に参加。その後萩原朔太郎と知り合い、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる。シャルル・ボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の全訳を手がけた後、処女詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。

十数冊の詩集の他に、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』、随筆集『路傍の花』『月の十日』などがある。また中国文学者吉川幸次郎との共著『新唐詩選』(岩波新書青版)は半世紀を越え、絶えず重版されている。 

若いころから朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、彼女の両親の反対にあい、断念。
が、アイが夫佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、アイを妻とし、三国で暮らす。しかし、すぐに離婚する。
これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』(現在は講談社文芸文庫)である。

1953年に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』)、1963年に読売文学賞を受賞(『定本三好達治全詩集』 筑摩書房)。翌年、心臓発作で急死。
没後ほどなく、『三好達治全集』(全12巻、筑摩書房)の刊行が開始された。

20090426110815792s三好達治墓

三好達治の墓は大阪府高槻市の本澄寺にある。三好の甥(住職)によって境内の中に三好達治記念館が建てられている。
私の畏敬するBLOG友であるbittercup氏による「三好達治記念館、墓、伝記などの記事」と写真などがあるので参照されたい。


蟹の肉せせり啖へばあこがるる生れし能登の冬潮の底・・・・・・・・・・・坪野哲久
1618204ズワイガニ

    蟹の肉せせり啖(くら)へばあこがるる
       生れし能登の冬潮の底・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・坪野哲久


ここに書かれる「蟹」とは一般名「ズワイガニ」地域によっては「マツバガニ」「越前カニ」などの名前で呼ばれるものである。
この頃は味覚あさりが頂点に達しており、関東では、いざ知らず、関西では、冬場は「カニ」「カニ」とうるさい程である。
私は蟹を食べるのが下手で、そのせいでもないが、カニ、カニと騒ぐほど蟹が好きでもない。この世の中で絶品の味とも思わない。
私のような人は他にもいるようで、私の知人も蟹は好物でもないと「のたまう」。
蟹に限らず、私には、もともと「グルメ」嗜好は無いのである。

坪野哲久については先日も採り上げたが、掲出のような歌が見つかったので出してみた。
哲久は歌にもある通り、能登の生まれであり、この歌は味覚の歌というよりは、故郷の能登の冬潮のことを思慕のように思い出している、という主旨の歌である。
昭和33年刊『北の人』所載。

哲久には故郷・能登を詠んだ歌がいくつかある。

     能登できのしちりん一つ得しかばとうつくしき冬の火を点じたり

     ひたおしに押す黒潮の底ごもる孤独おもいきその黒き藍(あお)

     ふるさとを足蹴にしたる少年の無頼はやまず六十になる

     このくにのことばをにくみまたあいすおぼろめかしくこのしめれるを

     冷えびえと目覚めしときの雪の香よ浄なるものは天よりきたる

rekishii09_tsubono哲久あき歌碑

↑ 絶えず故郷への想いを詠った当町(高浜生まれ)出身の歌人・坪野哲久と彼を支えた妻山田あきの歌碑。
この歌碑には、ここに掲出した歌が彫られている。 つまり

蟹の肉せせりくらえばあこがるる生まれし能登の冬潮の底・・・・・・・・・・・哲久
  歌集「北の人」より

きみと見るこの夜の秋の天の川いのちのたけをさらにふかめゆく・・・・・・・・・・あき
  歌集「紺」より

坪野哲久については、← こんな記事がある。
この記事のリンクから彼ゆかりの場所を辿ることができる。アクセスされよ。

070424tubono1坪野哲久文学記念館

 すべて黙殺芥子効かせておでん食ふ・・・・・・・・佐野まもる
450px-Yataioden.jpg
  
  すべて黙殺芥子効かせておでん食ふ・・・・・・・・・・・・・・・佐野まもる

「おでん」は外でも家でも、冬の代表的な、あたたかい料理である。
『語源由来辞典』によると、「おでん」は「田楽(でんがく)」の「でん」に、接頭語の「お」をつけた女房詞、だという。
つまり、もともとは「煮込み田楽」の略称だった。
東京が本場で味付けも濃いが、関西では「関東煮」(かんとだき)と言われていたが、今では、どこでも「おでん」で通る。
もともとは焼き豆腐に味噌をつけたものだったというが、こんにゃくが使われ、菜飯田楽になり、やがて煮込みのこんにゃくとなって、
今日の煮込みおでんに変わったという。
焼き豆腐、こんにゃく、がんもどき、はんぺん、竹輪、すじ、だいこん、鶏卵などを煮込んだもので、芥子をつけて食べる。

tecchan_noyatai04.jpg

屋台やおでん屋では、おでんに燗酒、茶めしなどを組み合わせて食べられる。今では晩秋の頃から「コンビニ」のカウンターでも、おでんがクツグツ煮えている。
私の家の近所に大きな蒟蒻製造会社があるが、そこは先年から、コンビニのセブンイレブンに、おでん材料を売り込んでいるらしい。
とにかく、いろいろの種や具があり、冬の季節には、温まる、庶民的なたべものである。

掲出の句は「すべて黙殺芥子効かせて」という態度が決然として潔いのでいただいた。
ぐずぐずと決断の悪いのは私好みではない。

T001104.jpg

以下、おでんを詠んだ句を引いて終わる。

 戸の隙におでんの湯気の曲り消え・・・・・・・・高浜虚子

 人情のほろびしおでん煮えにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 亭主健在おでんの酒のよいお燗・・・・・・・・富安風生

 急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・百合山羽公

 おでん食ふよ轟くガード頭の上・・・・・・・・篠原鳳作

 おでん屋の月夜鴉の客ひとり・・・・・・・・龍岡晋

 おでん酒うしろ大雪となりゐたり・・・・・・・・村山古郷

 煮えたぎるおでん誤診にあらざるや・・・・・・・・森総彦

 大根細く侘しきことやおでん鍋・・・・・・・・中江百合

 おでんやは夜霧のなかにあるならひ・・・・・・・・久永雁水荘

 おでん屋に同じ淋しさおなじ唄・・・・・・・・岡本眸

 おでん鍋の湯気を小さく皿に頒つ・・・・・・・・手塚七木

 おでん屋の背の灯のいまだ更け足らず・・・・・・・・・久米正雄

 おでん屋に溜る払も師走かな・・・・・・・・日野草城

 おでん酒酌むや肝胆相照らし・・・・・・・・山口誓子

 雨だれにおでんのゆげのすぐもつれ・・・・・・・・阿波野青畝

 例へばやおでんの芋に舌焼く愚・・・・・・・・安住敦


冬麗のセーヌ河畔に小鳥市・・・・・・・・・・・・・・・・・・水谷岩雄
27483863_v1282209138パリ小鳥市

   冬麗のセーヌ河畔に小鳥市・・・・・・・・・・・・・・・・・・水谷岩雄

「冬日」とは、冬の太陽のこと、とも、冬の一日のこと、を指すこともある。
冬至が過ぎたので、昼の長さもどんどん長くなり、日差しも斜めから差していたものが、だんだん中天に向かって高くなってくる。
とは言え、まだまだ弱々しい太陽光線である。冬日というものを映像的に示すのは難しい。

     冬の日や馬上に氷る影法師・・・・・・・・松尾芭蕉

という句が、総じて、日照時間の短い、弱々しく、うすぐらい太陽のことを描いた典型として知られている。

掲出句はセーヌ河畔での「小鳥市」のことを詠んでいるが、私はまだ行ったことはない。
メトロの「シテ島」の出口を出た、すぐのところで開かれているらしい。
パリ郊外のクリニャンクールの泥棒市には行ったことがあるが。
小鳥市と言えば、中国人が有名で、長い通りが、おびただしい小鳥屋で一杯というところがある。
「パリ小鳥市」の写真をいくつか出しておく。

imgc_excite_co_jp.jpg
kotori3.jpg
paris_sado-0775.jpg

以下、冬日ないしは冬日和、冬晴、冬麗(うらら)などを詠んだ句を引いて終わる。

 冬の日の刈田のはてに暮れんとす・・・・・・・・正岡子規

 山門をつき抜けてゐる冬日かな・・・・・・・・・高浜年尾

 冬の日や前に塞がる己が影・・・・・・・・村上鬼城

 翔けるものなく天城嶺の冬日かな・・・・・・・・五所平之助

 冬の日を鴉が行つて落して了ふ・・・・・・・・橋本多佳子

 死や生や冬日のベルト止むときなし・・・・・・・・加藤楸邨

 冬落暉檻のけものら声挙げて・・・・・・・・三谷昭

 遺書父になし母になし冬日向・・・・・・・・飯田龍太

 山国や夢のやうなる冬日和・・・・・・・・阿波野青畝

 父の死顔そこに冬日の白レグホン・・・・・・・・森澄雄

 寒入日影のごとくに物はこばれ・・・・・・・・桂信子

 冬晴れの晴着の乳を飲んでをる・・・・・・・・中村草田男

 冬日和心にも翳なかりけり・・・・・・・・星野立子

 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ・・・・・・・・大野林火

 冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・野見山朱鳥

 冬麗口紅のこる微笑仏・・・・・・・・古館曹人

 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・・・・・・相馬遷子

 冬うらら海賊船は壜の中・・・・・・・・中村苑子

 冬晴のとある駅より印度人・・・・・・・・飯田龍太

 冬麗のたれにも逢はぬところまで・・・・・・・・黒田杏子

 帆柱に鴎が一羽づつ冬麗・・・・・・・・小笠原和男

 たはむれに蛸壺を買ふ冬日和・・・・・・・・丸山哲郎

 五位鷺のどろばう歩き冬うらら・・・・・・・・山口速



『木村庄助日誌』──太宰治『パンドラの匣』の底本・・・・・・・・・・・木村草弥
庄助日誌

     私たちの亡長兄・木村庄助のWikipediaの記事に彼の写真を口絵として登載するに当たって、
          私の畏敬するBittercup氏に大変お世話になった。
         おかげで鮮明な彼の写真が記事に挿入できて、有難く御礼申上げる。(2011/01/21木村草弥・記)
     この機会に以前に載せた記事だが、もう二年近く前のことでもあり、下記の通り再掲載しておく。
------------------------------------------------------------------------
──新・読書ノート──再掲載──初出2009/04/17

『木村庄助日誌』──太宰治『パンドラの匣』の底本、出版!・・・・・・・・・・木村草弥

先にも少し書いたことがあるが、私たち兄弟の亡長兄・木村庄助の療養日記を元にして、太宰治の小説『パンドラの匣』が書かれたことは、
この小説の「解説」などで、よく知られていることである。
この兄の日記が、次兄・木村重信編によって2005/12/26付けで出版された(編集工房ノア)。
写真①は、その外箱である。
「帯」には、こう書かれている。
 
 特異な健康道場における
 結核の療養日誌だが、
 創作と脚色のある自伝風小説。
 一少女に寄せる濃密な思いの詳細な描写が圧巻。


また、「帯」の背の部分には

 太宰を思い
 太宰に生かされた
 生のかたち


これらのキャッチコピーは、もちろん出版元である「編集工房ノア」の涸沢純平氏の手になるものであるが、
この日誌の性格を、実に簡潔にして要を得て、的確に捉えていると言えよう。
写真②は、本の表紙である。
庄助日誌本

編集工房ノアは大阪の小さい出版社だが、文学書、小説、詩集、エッセイなどの出版社として、よく知られた存在である。
詩集では、読売文学賞を得た詩人の天野忠さんの詩集『私有地』などが、ここから出版されているのが思い出される。
今回の編者・木村重信のエッセイ『右往左往』も、二十年も前に、ここから出されている。
写真③が、この日誌の著者・木村庄助である。
庄助写真

庄助は昭和18年5月13日に22歳で亡くなったが、この写真は、なくなる三ヶ月ほど前に撮ったもので、遺影と言えるだろう。
現在、私の手元にある彼のアルバムに残されているものだが、今回、この本の出版にあたって、巻頭口絵として収録した。

木村庄助と太宰治の関係については、この本に17ページにわたる「解説」を書いている浅田高明氏の「小説『パンドラの匣』の原資料「木村庄助日誌」をめぐって」に詳しい。

小説家とモデルないしは原資料、という関係は、あちこちに広く存在する。
よく言われることであるが、 「作家と作中人物」というのは、そういうことである。
フランスの作家フランソア・モーリアックに、その名も「作家と作中人物」Le romancier et son personage という著書があり、
この本はフランス語専攻のゼミの原書講読の上級のテキストとして使われていたこと、などを思い出す。
それは、現代小説のみならず、時代小説も、同じことである。
作家が下敷きとする資料3割、フィクション7割ということもあり得ることで「原」資料にいかに肉付けするか、そこにこそ、作家としての力量があるわけである。
場合によっては、1、2行の記録から、膨大な小説がたち上がるということもあるのである。それこそ、作家の力量、醍醐味というものである。

この本の校正は、重信兄と私の二人でやった。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
『木村庄助日誌』──太宰治『パンドラの匣』の底本
    ──(図書新聞掲載の編集工房ノアの広告から)

 太宰治が才能を惜しみ、庄助日誌をもとに『パンドラの匣』を書く。
 該当する昭和16年9月13日~12月26日の日誌。
 編集・木村重信、解説・浅田高明。 定価・3150円

 編集工房ノア
 〒531-0071 大阪市北区中津3-17-5
 TEL 06-6373-3641 FAX 06-6373-3642
 メールアドレス──hk.noah@fine.ocn.ne.jp
編集工房ノアのホームページから直接注文も出来る

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
なお「検索」で「木村庄助」と入れてもらえば、たとえばGoogleの検索では約2000件の検索結果が出て来る。
Wikipediaの検索でも記事が載っている。お試しあれ。
そこには浅田高明氏の、庄助日誌の探求、などの著書その他、が詳しく見られるだろう。
もちろん私が書いたBLOGの文章なども出て来る。
よろしくお願いいたしたい。
-------------------------------------------------------------
(追記)2005/12/28付けで「京都新聞」夕刊が、7段組みで大きく採り上げてくれた。編者・木村重信へのインタビューの形式である。
ネット上ではGoogleで「木村庄助」または「木村重信」と検索すると「京都新聞」電子版として見ることが出来る。お試しあれ。
太宰治「パンドラの匣」の底本──「城陽の男性闘病記」兄の日誌 後世に──
という見出しである。
サブ見出しには「会話や設定 随所に生きる」として
「日誌」原文 12月11日付け と、太宰の小説「パンドラの匣」の「マア坊 5」の文章を12行にわたって対比して掲載している。
極めて、適切な要を得た記事であり、私たちも喜んでいる。
余談になるが、私の住む地域を所管する京都新聞南部支社の編集デスクは、当時、大橋晶子さんで、
彼女に本を渡したのがキッカケで、城陽担当の記者が兄・重信宅に出向いて取材したものである。
大橋晶子さんの父上・大橋保夫氏は、私の大学のときの一年先輩で十数年前に亡くなったが、京都大学教授(フランス文学語学)だった。
在学中からピカ一の秀才で、在学中にフランス政府給費留学生試験に合格、3年間の留学から帰国すると、すぐ京都大学の助手に採用されるなど、才能ゆたかな人だった。
昭和42~3年に兄・重信が大サハラ学術探検隊(フジテレビ昭和43年1~3月、13回にわたってデレビ放映された)を組織したチームにも、
副隊長兼言語班長として参加して、苦楽を共にした、極めて親しい仲であって、私と兄との共通の友人であった。
私の歌集の出版の際に取材に来てくれたのも晶子さんで、その取材の話の中で、父上が故大橋保夫君であることが判り、何とも言えぬ不思議な縁(えにし)に驚いたのであった。
先に書いた大サハラ学術探検隊とフジテレビの取材チームが羽田国際空港(その頃は成田空港はまだ無い)に帰国したとき、
母上・大橋寿美子(元同志社女子大学長)さんが乳飲み子を抱えて出迎えに来ていたが、その乳飲み子こそ、晶子さんなのであったという。
あれも、これも不思議な縁というべきである。
   
大原女の足投出してゐろりかな・・・・・・・・・・・・・・黒柳召波
800px-Japanese_Traditional_Hearth_L4817囲炉裏

   大原女の足投出してゐろりかな・・・・・・・・・・・・・・・・・黒柳召波

床の一部を大きな炉にして、薪や榾(ほた)を燃やして、暖をとるとともに、煮たきもする。
「居る」の延音が囲炉裏だと言い、囲炉裏は当て字ながら、団欒の雰囲気をよく表している。
主人の座のほかに横座、嬶(かか)座、向座、木尻と、座るところが決まっているという。
一年中の団欒の場だが、厨や居間に解体してゆくのが現状だという。

この句の作者である黒柳召波は、与謝蕪村の高弟で、本来は漢詩人で、俳句は余技というが、色彩感覚に秀でた句を作ったという。
明和8年(1771)12月7日に45歳で没したという。それ以外には、私にはわからない。

event05_01big.jpg

「大原女」というのは、京都の洛北の大原の土地の女で、京の市内へ花、薪などを売りに来るので、よく知られている。
この写真は「大原女まつり」というのが近年催されていて、そのときのものである。
この行事は行列に参加する人を一般から募集して行われ外人たちも喜んで参加するという。
「白川女」というのもあり、白川女は野菜などの食べ物を主として売りに来るので、扱う品物に違いがある。
「白川女」は今でも京都市内には見られる。
だが「大原女」というのは「薪」「柴」などを扱っていたので、今の時代には廃れてしまって、一般的には見かけない。

「榾」という字は「ほた」または「ほだ」と訓む。
囲炉裏にくべる燃料で、木の枝や木の根などで、特に木の根をよく乾燥させたものは火力が強く火持ちがよいので、榾の中心的なものになる。
根の部分を特に根榾と呼ぶ。「かくい」という言葉があるが、それは「切株」を指すものである。

      おとろへや榾折りかねる膝頭・・・・・・・・小林一茶

という句があるが、木の根が中心であることを、よく表している。
「囲炉裏」または「榾」を詠んだ句を引いて終わる。

 火の色の夕間暮来る囲炉裏かな・・・・・・・・小杉余子

 松笠の真赤にもゆる囲炉裏かな・・・・・・・・村上鬼城

 とどまらぬ齢のなかの炉のあかり・・・・・・・・木附沢麦青

 囲炉裏の農夫一度だまれば黙深し・・・・・・・・福田紀伊

 いろいろのものに躓き炉火明り・・・・・・・・高野素十

 主の声炉辺へ出てくる戸の重さ・・・・・・・・中村草田男

 叱られてゐる猫ゆゑに炉辺をかし・・・・・・・・中村汀女

 炉火いよよ美しければ言もなし・・・・・・・・松本たかし

 榾尻に細き焔のすいと出で・・・・・・・・・高野素十

 大榾をかへせば裏は一面火・・・・・・・・高野素十

 そのなかに芽の吹く榾のまじりけり・・・・・・・・室生犀星

 黙々と榾火明りに物食ふ顔・・・・・・・・加藤楸邨

 大榾のおのが覆りて燃えつづく・・・・・・・・皆吉爽雨

 大榾の骨ものこさず焚かれけり・・・・・・・・斎藤空華

 炉の榾のやせ脛ほどになりて燃ゆ・・・・・・・・下村梅子

 榾足すや馬屋に馬の顔うるみ・・・・・・・・村上しゆら

 榾明り触れては消ゆる梁高き・・・・・・・・水原秋桜子

 榾の火にとろりと酔ひし眼かな・・・・・・・・日野草城

 時化海女の榾の香染みし腰ぶとん・・・・・・・長谷川せつ子



霙るるや鶴と大地を共にして・・・・・・・・・・・・・・・・藤田直子
0212163鮓エ縺ョ闊枩convert_20091007131354

──冬三態──

   ■霙るるや鶴と大地を共にして・・・・・・・・・・・・・・・・藤田直子

「霙」ミゾレとは、雨と雪が同時にまざり降るのをいう。冬のはじめや春のはじめに降ることが多い。
ちょっとした気温の変化で、雨になったり、雪になったりするし、同じ町の山手は雪なのに、下町ではミゾレのこともある。
掲出の句は北海道・釧路の阿寒辺りの冬の間の鶴への給餌場の風景だろうか。
「鶴と大地を共にして」という把握の仕方が秀逸である。
「霙」という名詞に対して、この句では「みぞるる」という「動詞」になっている。

 おもひ見るや我屍にふるみぞれ・・・・・・・・原石鼎

 霙るるや灯(ともし)華やかなればなほ・・・・・・・・臼田亜浪

 霙るると告ぐる下足を貰ひ出づ・・・・・・・・中村汀女

 みぞれ雪涙にかぎりありにけり・・・・・・・・橋本多佳子

 霙るるや小蟹の味のこまかさに・・・・・・・・松本たかし

 夕霙みんな焦土をかへるなり・・・・・・・・下山槐太

 みちのくの上田下田のみぞれけり・・・・・・・・角川源義

 みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・五所平之助

 てのひらの未来読まるる夜の霙・・・・・・・・福永耕二

 沢蟹を伏せたる籠もみぞれゐる・・・・・・・・飯田龍太

 霙るるもレーニン廟に長き列・・・・・・・・寺島初巳

 腹裂きし猪を吊せば霙くる・・・・・・・・茂里正治

jyuhyo2蜀ャ譎ッ濶イ_convert_20091007111114

  ■樹には樹の哀しみのありもがり笛・・・・・・・・・・・・・・木下夕爾

冬、風が吹いて、垣根の竹や竿竹などに当たるとき発するひゅーひゅーという音のことを「虎落笛」(もがりぶえ)という。
「もがる」というのは「反抗する」「さからう」「我を張る」「だだをこねる」などの意味を表す言葉で、竿や棒にあたる風が笛のように立てる音である。

 虎落笛子供遊べる声消えて・・・・・・・・高浜虚子

 日輪の月より白し虎落笛・・・・・・・・川端茅舎

 胸郭の裡を想へば虎落笛・・・・・・・・日野草城

 みちのべの豌豆の手も虎落笛・・・・・・・・阿波野青畝

 虎落笛吉祥天女離れざる・・・・・・・・橋本多佳子

 余生のみ永かりし人よ虎落笛・・・・・・・・中村草田男

 虎落笛叫びて海に出で去れり・・・・・・・・山口誓子

 虎落笛ひとふしはわが肺鳴れり・・・・・・・・大野林火

 虎落笛こぼるるばかり星乾き・・・・・・・・鷹羽狩行

 灯火の揺れとどまらず虎落笛・・・・・・・・松本たかし

 来ずなりしは去りゆく友か虎落笛・・・・・・・・大野林火

 牛が仔を生みしゆふべの虎落笛・・・・・・・・百合山羽公

 今日と明日の折り目にふかきもがり笛・・・・・・・・永作火童

001冬景色本命

   ■北風やイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

冬の季節風は北風で、強く、かつ寒い。
シベリア高気圧が発達して、アリューシャン大低気圧に向かって吹く風だと今までは言われてきたが、今では地球規模の気圧変動が北半球では「偏西風」に乗ってやって来るのだという。
昨年の冬のはじめにヨーロッパに寒波をもたらしたものが、どれだけかの日時を経て、日本に到達したのが、昨年暮からの寒波になるという。
とは言え、日本海側は吹雪、太平洋側は空っ風というのは変わりないことである。
「北風」と書いて、単に「きた」と読むこともある。

 北風(きた)寒しだまつて歩くばかりなり・・・・・・・・高浜虚子

 北風にあらがふことを敢へてせじ・・・・・・・・富安風生

 くらがりやくらがり越ゆる北つむじ・・・・・・・・加藤楸邨

 北風(きた)の丘坂なりにわが庭となる・・・・・・・・加藤楸邨

 北風や青空ながら暮れはてて・・・・・・・・芝不器男

 耳傾く北風より遠き物音に・・・・・・・・大野林火

 北風荒るる夜のそら耳に子泣くこゑ・・・・・・・・森川暁水

 北風鳴れり虚しき闇につきあたり・・・・・・・・油布五線

 北風の砂丘を指す馬ならば嘶かむ・・・・・・・・金子無患子



霧氷林中給油所の紅に会ふ・・・・・・・・・・・・・・石川桂郎
jyuhyo2蜀ャ譎ッ濶イ_convert_20091007111114

    霧氷林中給油所の紅(こう)に会ふ・・・・・・・・・・・・・・・・石川桂郎

「霧氷」「樹氷」というのは冬のシーズンの北国の風物詩と言えるだろう。
極度に冷えた霧が樹木その他に氷層をなして付着したものである。
掲出した桂郎の句は、そんな満目、白一色の林の中の道を車で行くと、突然、給油所の赤い建物の色が出現してきたという、色彩感覚も豊かなものである。

「霧氷」「樹氷」には、厳密な区別があるらしいが、ここでは、そんな野暮な説明は、差し控えたい。
掲出した写真を「樹氷」というのか「霧氷」というのか、私は知らない。 お教えいただきたい。
ただ、これらの季語は大正のはじめ頃から使われはじめた科学時代の季題であることだけ、書いておこう。
スキーの好きな人には、このような風景はおなじみだろう。
以下、これらを詠んだ句を引いて終わる。

 燦爛たる霧氷の原に麺麭(パン)を食ふ・・・・・・・・山口誓子

 樹氷林むらさき湧きて日闌けたり・・・・・・・・石橋辰之助

 霧氷林日を得て沼の瑠璃きはむ・・・・・・・・角川源義

 風鳴つて霧氷の空の動きをり・・・・・・・・石原八束

 霧氷ならざるは吾のみ佇みぬ・・・・・・・・稲畑汀子

 日の出いま手のピッケルに霧氷映ゆ・・・・・・・・岡田貞峰

 オリオンの楯の傾く霧氷林・・・・・・・・渡辺千枝子

 霧氷咲き町の空なる太初の日・・・・・・・・相馬遷子

 眼底に樹氷の像や立ちくらむ・・・・・・・・相馬遷子

 七つ星樹氷の空をありくなる・・・・・・・・中川宋淵

 リフト一路宙吊り婆に樹氷浮く・・・・・・・・秋元不死男

 霧氷林ぬけて焼岳より来しと・・・・・・・・福島吹斗

 霧氷林三日月紐の如く飛び・・・・・・・・岡部六弥太

 草千里霧氷千里となりゐたり・・・・・・・・谷川章子

 樹氷林男追ふには呼吸足らぬ・・・・・・・・寺田京子

 烈風に影をみじかく樹氷立つ・・・・・・・・望月たかし

 樹氷林ホテルのけぶり纏きて澄む・・・・・・・・橋本多佳子

 オーロラは天の羽衣樹氷立つ・・・・・・・・澤田緑生

 山彦をすぐに戻せぬ樹氷林・・・・・・・・北見弟花

 樹氷いま育ちざかりや蔵王山・・・・・・・・横山庄一

 ライターの炎ひとひら樹氷林・・・・・・・・高橋正子

 僧兵の古寺を奈落に樹氷咲く・・・・・・・・木村仔羊

 頂へ逆立つ樹氷奥信濃・・・・・・・・三栖隆介



たちまちにあられ過ぎゆく風邪ごもり・・・・・・・・・・・・・桂信子
16328790霰

    たちまちにあられ過ぎゆく風邪ごもり・・・・・・・・・・・・・・桂信子

「霰」あられには「雪あられ」と「氷あられ」の二つがあるという。一般には「雪あられ」のことを霰という。
「氷あられ」は雹の小型のもので、雪あられを芯にして、付着した水滴が凍りついたもので、積乱雲から降るので、夏なんかに農作物に穴をあけたりして大被害を与えたりする。
桂信子の句は「あられ」の吹き過ぎる寒々とした景色ながら、佳女が風邪で伏して籠っているという何となく色っぽい光景を連想させる。

霰を詠んだものとしては源実朝の『金槐集』の歌

   武士(もののふ)の矢なみつくろふ籠手(こて)の上に霰たばしる那須の篠原

というのが、よく知られていて、ここでは「霰」が勇壮さを演出する小道具になっている。「玉霰」という表現もあるが、これは美称である。

 いかめしき音や霰の桧木笠・・・・・・・・芭蕉

 霰聞くやこの身はもとの古柏・・・・・・・・芭蕉

 石山の石にたばしる霰かな・・・・・・・・芭蕉

 いざ子ども走り歩かん玉霰・・・・・・・・芭蕉

 傘さして女のはしる霰かな・・・・・・・・炭太祇

 玉霰漂母が鍋をみだれうつ・・・・・・・・蕪村

 玉あられ鍛冶が飛火にまじりけり・・・・・・・・暁台

 匂ひなき冬木が原の夕あられ・・・・・・・・白雄

 呼びかへす鮒売見えぬ霰かな・・・・・・・・凡兆

などの古句は、霰のいろいろの姿態を巧みに捉えている。
以下、明治以後の句を引いて終わる。

 雲といふ雲奔りくるあられかな・・・・・・・・久保田万太郎

 藁屑のほのぼのとして夕霰・・・・・・・・原石鼎

 降り止んでひつそり並ぶ霰かな・・・・・・・・川端茅舎

 灯火の色変りけり霰打つ・・・・・・・・内田百

 玉霰雪ゆるやかに二三片・・・・・・・・中村汀女

 人等来るうつくしき霰もちて来る・・・・・・・・山口青邨

 この度は音のしてふる霰かな・・・・・・・高野素十

 畦立ちの仏に霰たまりける・・・・・・・・水原秋桜子

 霰やみし静けさに月さいてをり・・・・・・・・内藤吐天

 霰打つ暗き海より獲れし蟹・・・・・・・・松本たかし

 鉄鉢の中へも霰・・・・・・・・・・・・・・種田山頭火

 玉霰人の恋聞く聞き流す・・・・・・・・清水基吉



はつとしてわれに返れば満目の冬草山をわが歩み居り・・・・・・・・・・・・若山牧水
1536012枯野

   はつとしてわれに返れば満目の
     冬草山をわが歩み居り・・・・・・・・・・・・・・・・・若山牧水


若山牧水は「酒」と「旅」の詩人だと、よく言われる。確かにそうだったが、彼は今日さかんな観光旅行の旅人ではなかった。
思いつめて旅に飛び出し、山間を歩み、水辺をさまよい、常に何ものかを追いつつ、結局は「放心」の旅であるような、そういう旅をしつづけたように思われる。
「酒」にしても、ただ酒好きというだけではなく、のめり込むように酒を飲んだ人のようである。
心に何かしら満たされぬものを抱きつづけて「生き急いだ」人だったようだ。
この歌にも、そういう牧水が居る。

photo01若山牧水

解題によると、この頃、牧水はまだ若かったが、苦しくてたまらない「恋」をしていたのだった。
この歌は明治44年刊の歌集『路上』に載るものである。
初句の「はつとして」という個所など、何か思いつめて考え事をして周りの景色も目に入らなかった様子が表現されている。

    幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

    けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く

この二つの歌は、掲出歌よりも3年前に出た処女歌集『海の声』に載るものだが、初期の歌集にも、すでに
「寂しさ」に満ちた歌の調子なのである。
牧水の代表作として、よく引用されるのは

    白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

    白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

などである。
牧水は「花鳥諷詠」のような景色を詠むことはしなかった。自分の「心象」にひびくものだけを詠んだと言える。
そして、牧水についてはBLOGにも載せたが、圧倒的に多いのが「酒」にまつわる歌である。
彼は44歳で亡くなっているが、「酒」によって健康を害して医師からも酒を控えるように言われても、なお、意地汚く飲酒から足を洗えない様子が歌にも見てとれる。

     酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかけり

というような歌がある。
彼の主宰した短歌結社「創作」は、孫か曾孫かの経営で、今もつづいている。
宮崎県の出身で、それを記念して「若山牧水文学賞」というものが先年創設された。

2010/09に角川書店新書で、俳優の堺雅人と歌人・伊藤一彦による『ぼく、牧水』という本が出た。
私はまだ読んでいないが、探してみてください。

霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・・・・・・・・油布五線
 shimo3_04.2霜柱

  霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・・・・・・・・油布五線

この句は、霜柱を踏むと、ざくりと崩れる様子を、人間が「犯した」と表現して秀逸である。
こういうのを「擬人化」した描法というが、きわめて的確な表現である。

「霜柱」は、寒さがきびしい冬でないと見られない。
土の中に含まれる水分が凍って、毛細管現象によって、その下にある水分が次々と供給されて氷の柱が成長し、厚さ数センチから10センチ以上にもなるのである。
霜柱は、土があるところなら、どこでも発生するものではない。
私の子供の頃には、今よりも寒さが厳しかったので、学校へ行く道すがらの脇の畑などでも、よく見かけて、わき道に逸れてザクザクと踏んでみたものである。
総体として「暖冬化」の傾向が進んでいるので、霜柱は段々見られなくなってきた。

otenki07-02霜柱本命

写真②は発生した霜柱がカール(反った)したものである。
関東ローム層の土粒の大きさが、霜柱の発生に丁度よいそうである。
岩波書店刊の「中谷宇吉郎全集」第2巻に、自由学園で行われた「霜柱の研究」について書かれたものが載っている。
それによると紅殻の粉や、澱粉類、ガラスを砕いた粉などを用いた霜柱の発生実験をしているが、赤土だけから霜柱が発生したそうである。
その赤土も、粒の粗いもの、細かいものに分けてやったところ、粒が粗くても、細かくても霜柱は発生しなかったという。
なお、中谷宇吉郎は、世界で初めて雪の人工結晶を作った学者で、これらの文章は戦前に書かれたものである。文筆上では夏目漱石に私淑した。
雪のエッセイなどは私の子供の頃に読んだ記憶がある。

simoba1植物シモバシラ

写真③は「シモバシラ」という名の植物である。
この草はしそ科の植物で学名を keiskea japonica という。これは明治時代の日本の本草学者の伊藤圭介氏に因むものである。
秋10月頃に枝の上部の葉の脇に片側だけにズラッと白い花を咲かせる。
冬になると、枯れた茎の根元に霜柱のような氷の結晶が出来ることから、この名になったという。
冬に枯れてもなお水を吸い上げるが、茎がその圧力に耐えきれずに破裂してしまい、水が外にブワッと出て凍る、という。

ps-shimobashira08-2.jpg

植物のシモバシラの凍結した写真を見つけたので④に載せておく。
写真はリンク ↑ に貼ったサイトから拝借したものである。気象条件によって「氷」の形も、いろいろあるらしい。

以下、霜柱を詠んだ句を引いて終る。

 掃きすてし今朝のほこりや霜柱・・・・・・・・高浜虚子

 霜柱ここ櫛の歯の欠けにけり・・・・・・・・川端茅舎

 落残る赤き木の実や霜柱・・・・・・・・永井荷風

 霜柱しらさぎ空に群るるなり・・・・・・・・久保田万太郎

 飛石の高さになりぬ霜柱・・・・・・・・上川井梨葉

 霜柱枕辺ちかく立ちて覚む・・・・・・・・山口誓子

 霜柱俳句は切字響きけり・・・・・・・・石田波郷

 霜柱倒れつつあり幽かなり・・・・・・・・松本たかし

 霜柱顔ふるるまで見て佳しや・・・・・・・・橋本多佳子

 霜柱傷つきしもの青が冴え・・・・・・・・加藤楸邨

 霜柱兄の欠けたる地に光る・・・・・・・・西東三鬼

 霜柱歓喜のごとく倒れゆく・・・・・・・・野見山朱鳥

 亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・秋元不死男

 霜柱深き嘆きの声に溶け・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・油布五線

 霜柱踏み火口湖の深さ問ふ・・・・・・・・横山房子




大寒の茜消ゆるに間ありけり・・・・・・・・・・・・・・・河合未光
20081024-01.jpg

     大寒の茜消ゆるに間ありけり・・・・・・・・・・・・・・・河合未光

今日1月20日は二十四節気の「大寒」である。寒さの最もきびしい時である。
とは言え、そろそろ梅、沈丁花、水仙、椿などが咲きはじめる。
もちろん日本列島は南北に長いから、場所によっては遅速があるのは当然である。
私の記事は、住んでいる「京都」を基準としているので了承されたい。

この頃の寒さを形容して、『年浪草』には、「栗烈として極まれり」という。
そのような峻烈な寒さの中で、寒さに強い花から咲きはじめて、春が用意されてゆく。
日本人の感性というのは、寒さに対しても、さまざまの表現を見せる。

「寒」に関していうと、寒に入って4日目が「寒四郎」、9日目を「寒九」と表現する。
北陸では「寒の入り」の日に「あずき餅」を食べ、これを「寒固」(かんがため)と称するらしい。
これは寒の入りに小豆を食えば、寒気にあたらず、という験(げん)かつぎらしい。

 うす壁にづんづと寒が入りにけり・・・・・・・・小林一茶

 宵過ぎや柱みりみり寒が入る・・・・・・・・小林一茶

のような句は、寒の感じをよく捉えている。
大陸高気圧が強いか弱いかによって、寒さや雪の程度が決まる。
この寒さの最もきびしい30日間の中に、小寒、大寒と呼び名を定めて、心の身構えをしたわけである。
以下、寒、大寒などの入った句を引いて終る。

 禽獣とゐて魂なごむ寒日和・・・・・・・・西島麦南

 背にひたと一枚の寒負ふごとし・・・・・・・・原子公平

 寒きびし一刀彫のごとくなり・・・・・・・・鈴木青園

 胎動を夫と分つや寒ゆるむ・・・・・・・・上田紀代

寒三日月凄しといひて窓を閉づ・・・・・・・・藤田烏兎

 松籟も寒の谺も返し来よ・・・・・・・・小林康治

 大寒の埃の如く人死ぬる・・・・・・・・高浜虚子

 大寒や転びて諸手つく悲しさ・・・・・・・・西東三鬼

 大寒や老農死して指逞し・・・・・・・・相馬遷子

 大寒の一戸もかくれなき故郷・・・・・・・・飯田龍太

 大寒の牛や牽かれて動き出す・・・・・・・・谷野予志

 薄日さし荒野荒海大寒なり・・・・・・・・福田蓼汀

 大寒の力いつぱい落つる日よ・・・・・・・・下村非文

 大寒ののつしのつしと来る如く・・・・・・・・中嶋音路

 大寒の堆肥よく寝てゐることよ・・・・・・・・松井松花

 大寒の鶏目を張つて摑まるる・・・・・・・・芦内くに



茶圃の施肥はじめむとする頃ほひは三寒四温北風さむし・・・・・・・・・・・・・木村草弥
茶園

    茶圃の施肥はじめむとする頃ほひは
       三寒四温北風さむし・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集「嬬恋」(角川書店)に載るものである。
「寒」に入った寒さも、一本調子ではなく、強弱のリズムを刻んで進んでゆくものである。こういうのを中国の古人は「三寒四温」と呼んだ。
峻烈を極めていた寒さも、平年なら「四温」の時期に入る筈なのだが、今年は「四温」の時期がなく、ずっと気温が低い。

木津川堤 003

写真②が私たちの「木津川」沿いの「冬」の茶園の集団である。朝なので霜が降りている。
この茶園は玉露、抹茶原料の碾茶用の高級茶の茶園で「手摘み」である。

茶の芽が動き出す前の冬季に「寒肥」という油粕などの有機質の肥料を与える。
大半の肥料は晩秋から初冬にかけての「秋肥」の時期に与えてしまうが、その補助的な施肥である。茶の樹の場合には化学肥料は殆ど与えない。
特に最近は「有機栽培」ということが、やかましく言われるが、茶に関しては昔から魚粕や油粕などを与えてきた。これらの肥料は茶の樹を養うためのものである。
お茶は他の農作物と違って、茶の葉を摘み取るものであるから、茶の樹をしっかり生育させなければならない。

「三寒四温」を詠んだ句は多くはないが、それらを引いて終る。

 凍てつぎて四温たまたま石蕗の濡れ・・・・・・・・飯田蛇笏

 軒しづく頻りに落つる四温かな・・・・・・・・・・白 樹

 三寒の心小さく炭をつぐ・・・・・・・・・・洲 風

 藁かごに乳のみ児あそぶ四温かな・・・・・・・・・・青水草

 三寒の日は蒼かりし山おもて・・・・・・・・・・三宅一鳴

 白珠の四温の星のうるむなり・・・・・・・・・・白葉女

 胎中の胎児三寒四温越ゆ・・・・・・・・清水基吉

 三寒四温ゆゑ人の世の面白し・・・・・・・・大橋越央子

 三寒の四温を待てる机かな・・・・・・・・石川桂郎

 雪原の三寒四温浅間噴く・・・・・・・・相馬遷子

 四温の日低き歓語の碁石たち・・・・・・・・吉田銀葉

 三寒のくらがりを負ふ臼一つ・・・・・・・・八重津苳二

 父の日の花買ひに出し四温かな・・・・・・・・細田寿郎



邱 海涛『チャイニーズ・レポート』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
キュウ

──新・読書ノート──

     邱 海涛『チャイニーズ・レポート』 あっと驚く! となりの国の性愛事情・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・宝島SUGOI文庫・2010/11/19刊・・・・・・・・・・

      中国4千年の歴史と13億人の民による、驚くべき性文化と風俗事情。
     小平の「改革・開放」政策により、経済成長だけではなく、人民のセックスは爆発状態!
     花咲き乱れる新風俗ビジネス、結婚前に夫婦生活をテストする「試婚」の流行、そして
     農村で出稼ぎ夫を送り出す“留守番妻”の性事情から、共産党役人たちの酒池肉林まで。
     現代中国の愛・欲・性と、最新セックス産業を赤裸々にリポートした書き下ろし文庫。


この本の目次を列挙して置こう。

     第一章★パワーが炸裂する「性意識革命」
     第二章★花咲き乱れる新風俗事情
     第三章★知られざる農村セックスライフの実態
     第四章★共産党役人の酒池肉林
     第五章★婚姻ビッグバン──「試婚」
     第六章★離婚自由時代のカーニバル
     第七章★中国同性愛者の昔と今

この本の著者・邱 海涛(キュー・カイ・トー)は、1955年上海生まれ。上海外国語大学日本語科卒業。
1985年に来日し、慶応義塾大学および東京外国語大学で学んだ後、日本企業で10年間勤務する。
現在、中国と日本の間で出版や映像プロデューサーとして幅広く活動中。
日本語著作に『中国セックス文化大革命』(新潮社)、『中国五千年 性の文化史』(集英社)、
中国語著作に『輝くスター・高倉健の世界』(上海文匯出版社)など。

本文中の記事によると、彼は日本国籍を取得しているらしいが、住まいは上海郊外、だと書いている。
「文化大革命」の時期には、かなりひどいめにあったらしいが、この悪夢の終結後、大学に入っているのである。
自身の受難についての記述は殆ど無いが、その世代の多くの人と同様に、ひどいめに遭ったと想像される。

この本の終りの方に載る「同性愛は罪なのか?」の中で、中国古来の思想─儒教文化と道教文化についての、日本人の余り知らない重要な記述がある。

<儒教は道教とならぶ代表的な宗教で、数千年にわたって中国人の精神を形成し、性の意識にも大きく影響した。
儒教のリーダー格の孟子が言う。「不孝有三、無後為大」。不孝には三つある。祖先を祭らないこと、親に孝養を尽くさないこと、子(男子)をなさないことである。儒教ではこの三つのうちの最後の「跡継ぎの男子がない」ことが一番の不孝であるという。
要は「子孫繁栄」が社会倫理の第一義であるからだ。子供を作るためには妻の数はいくら増やしても構わないという。
では、子孫繁栄を至上とする古代中国で、同性愛は、これが意外にも否定的ではなく、積極的に肯定しないまでも反対論は多くはない、と。
その理由には「道教」があるからである。道教は基本的にセックスと健康に関する学問であり、理論の核心「採陰加陽」の四文字にある。
男性は性交の際にできるだけ射精しないようにすれば、女性の陰の気を吸収でき、それによって長命が得られるという考え方である。>

この記述を読んで、私は江戸期の貝原益軒『養生訓』が長命の極意として「接して洩らさず」と説いていることの原典が「道教」にあった、のだと、すぐに気づいた。
また、中国の「一人っ子」政策に、特に農村部で反発が強く、法に反してでも「男の子」を作ろうとすると聞いたが、その行為の根拠も、これで説明がつくだろう。

これ以上の内容に立ち入っての解説はしない。
目次のタイトルを見れば、押して知るべし、の類であるからである。「拝金主義」と「性を含む欲望過多」がヒドイ現代中国であることを言っておきたい。

日本でもよく知られている♪草原情歌♪というのがあるが、その替え歌のエロチックなものが紹介されているが、
敢えて、それには触れず、元歌のしっとりしたものを動画で出しておく。



みちのくの町はいぶせき氷柱かな・・・・・・・・・・・・・・山口青邨
gal18.19つらら

   みちのくの町はいぶせき氷柱(つらら)かな・・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨

もうすぐ「大寒」であり、一年中で一番寒い時期である。
京都も連日、日中の最高気温も4度、5度という冷たさで、冷蔵庫、冷凍庫の中にいるような日がつづく。
今日は、そんな寒さに因んで、「氷」「氷柱つらら」「氷湖」などについて書きたい。

掲出句については、少し解説が必要だろう。
青邨の句には「いぶせき」という、あまりなじみのない表現がある。
古語辞典を引くと「いぶせし」という「ク活用の形容詞」は
①気が晴れない。うっとうしい。②様子がわからず気がかりだ。気が休まらない。③不快である。の意味だと書かれている。
言葉の意味は、①②③のように挙げられているが、一番元の意味は①であり、番号が増える順に派生した用法ということになる。
この句の場合の「いぶせき」というのは、「いぶせし」の連体形ということだが、意味としては、②の「気が休まらない」辺りがぴったり来るだろうか。

われわれ暖地に住むものは、雪が何メートルも積もる映像を見ては、「こんなところに住んでみたい」などと簡単に言うが、
そんな豪雪地帯に毎日居住する人にとっては、雪との格闘の毎日であり、深刻な「気が休まらない」「鬱陶しい」ことなのである。
話は飛ぶが、台湾の人は亜熱帯であるから、平生に雪は知らないわけで、台湾からの観光客には北海道の冬は人気があるらしい。
というのは、先に私が書いたことと同じ心理状態ということになる。地元の悩みも知らずに、珍しいもの見たさ、ということである。

 櫓の声波を打つて腸(はらわた)氷る夜や涙・・・・・・・・松尾芭蕉

 氷上や雲茜して暮れまどふ・・・・・・・・原石鼎

 蝶墜ちて大音響の結氷期・・・・・・・・富沢赤黄男

これらの句は「凍てる」風物を単に写生するのではなく、鋭く「心象」に迫るものがある。
三番目の赤黄男の句は「前衛」俳句と呼ばれるものである。
以下、「つらら」を詠んだ句を引いて終る。

 遠き家の氷柱落ちたる光かな・・・・・・・・高浜年尾

 一塊の軒の雪より長つらら・・・・・・・・高野素十

 楯をなす大き氷柱も飛騨山家・・・・・・・・鈴鹿野風呂

 絶壁につららは淵の色をなす・・・・・・・・松本たかし

 夕焼けてなほそだつなる氷柱かな・・・・・・・・中村汀女

 月光のつらら折り持ち生き延びる・・・・・・・・西東三鬼

 胃が痛むきりきり垂れて崖の氷柱・・・・・・・・秋元不死男

 嫁ぐ日来て涙もろきは母氷柱・・・・・・・・・中尾寿美子

 ロシア見ゆ洋酒につらら折り入れて・・・・・・・・平井さち子

 みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ・・・・・・・・鷹羽狩行



西崎憲 『蕃東国年代記』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
61w-fDY-TxL__SS500_.jpg

──新・読書ノート──

    西崎憲 『蕃東国年代記』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・新潮社2010/12/22刊・・・・・・・・・・・・

        日本によく似た文化を持つと言われる国〈蕃東〉の美しい都景京で、
        永遠を秘めた日々を過ごす、貴族宇内と少年藍佐。
        三尾の竜、絶世の美を誇る中将、海の都の怪しい料理屋、
        不可思議な霊験のある宝玉を捜す男、草や鳥を涙させる少女。
        古今東西の物語に通じた作者が虚空から取り出した、
        麗らかで懐かしく、普遍にして新しい物語。

新潮社の読書誌「波」2011年1月号より 書評を引いておく。
-----------------------------------------------------------------

     古今東西の幻想を極上の文体でブレンド   大森 望

 蕃東国とは、日本海に位置する国家。本州・海州・西州の三つの島からなり、現在の人口は六千万。
日本からの渡来民の子孫が人口の大半を占めるため、言語は日本語にかなり近く、
政治・文化・宗教には日本と中国の影響が非常に強い。
 西崎憲『蕃東国年代記』は、この架空の国を舞台にした五話からなる長編小説。
西崎憲と言えば、カーシュやチェスタトンの翻訳者として、また『英国短篇小説の愉しみ』などのアンソロジストとして名高いが、
作曲家・ミュージシャンでもあり、自主映画の監督でもあり――と多彩な活動で知られる。
小説家としては、第十四回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『世界の果ての庭』で二〇〇二年にデビュー。
本書はそれ以来八年ぶりの、待望ひさしい新作単行本となる。
 主な舞台は蕃東国の都、景京。時は中世後期。愚帝として知られた臨光帝の御代が中心になる。
貴族文化の爛熟期にあたり、経済的にも豊かになった時代ということで、雰囲気的には平安期の王朝もの+チャイナ・ファンタジーの趣。
 冒頭の「雨竜見物」は、有職故実を司る家に生まれた正四位の貴族・宇内が主人公。
飄然とした性格で、従者の藍佐をお供に遊び歩き、至って気ままな暮らしを謳歌する、文字通りの独身貴族である。
小説の魅力は、流麗な文章を読んでいただくのが手っとり早い。

 皓い春の雲のあいまから落ちてきた一滴がそのまま長い雨に変わり、三日目の朝になっても降りやまず、都の下々から上つ方まで、
珍らかなものに執心する者たちの心中には、早くも期待の念が萌しはじめたようでもあった。
宇内ももとより奇を嗜む性質だったので、渡り廊下に立って明るく繊い雨の源を見あげながら、
隣でやはり同じような姿勢で空を眺めやる従者の藍佐に云ったものである。
「どうだ、藍佐、今度の雨はなかなか見所がありそうではないか」

 卵から孵った竜の仔は、水底で力をたくわえたのち、雨を利用して天に昇る。場所とタイミングによっては、その現場を間近に目撃することができる。
今度の竜が昇る塞の大池は都からわずか半日の距離とあって、いよいよという日は見物客で大にぎわい。
時間いくらで貸し出す急ごしらえの四阿が岸辺に(海の家さながら)ずらりと並んでいる。

 まるで花園のようだった。
鮮やかな色の直衣を着た若い貴族たち、貴族たちのつれている相撲人や俳優、被衣姿の女房たち、白拍子、浮かれ女。ある者は傘をさし、
ある者は薄く温かい雨に濡れながら、動く花のように草地を歩きまわった。大きな者、小さな者、老いた者、若い者、人に飼われる犬や、
鸚鵡すらいる草地の賑わいは、たしかにこれまで見たことがないものだった。

 描写の美しさのせいか、どことなく頽廃的なムードのせいか、読みながら思い出していたのは、J・G・バラードの『ヴァーミリオン・サンズ』だった。
もっとも、大池には竜だけでなく河犬や河蜘蛛などの奇妙な生き物が棲息し、人間を襲うこともあるから、下手をすると雨竜見物も命がけだ。
のんびりした物見遊山に、それが鮮やかなアクセントをつける。
 いちばん長い第五話「気獣と宝玉」は、宇内が十六歳のときの話。
幼なじみの集流の姫君から、自分に求婚しろと強要され、宇内は“風帶の三玉”と呼ばれる伝説の玉を探索に出かける羽目に……。
「竹取物語」に始まる宝探し伝説に暗号解読や魔物との対決をミックスした中編。
澁澤龍彦『高丘親王航海記』の流れを汲む道中記であると同時に、スリリングで現代的な探求(クエスト)ファンタジーとも読める。
 古今東西の様々な幻想を極上の文体でブレンドし、限りなく魅力的な非在の国に結晶化させた一冊。
いつまでもこの世界に浸っていたい気分になる。ぜひとも早くこの続きを。  (おおもり・のぞみ 翻訳家・評論家)
------------------------------------------------------------------
西崎憲/ニシザキ・ケン

1955年青森県生まれ。作家、翻訳家、音楽レーベル主宰。
2002年、『世界の果ての庭』で第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。
訳書に『郵便局と蛇』コッパード、『四人の申し分なき重罪人』チェスタトン、『ヴァージニア・ウルフ短篇集』、『マンスフィールド短篇集』、
『英国短篇小説の愉しみ』(編・共訳、全三巻)、『エドガー・アラン・ポー短篇集』、『ヘミングウェイ短篇集』などがある。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
この小説の目次だけ書いておこう。 「立ち読み」も出来るので、さわりだが覗いてみられよ。 

1 雨竜見物
2 霧と煙
3 海林にて
4 有明中将
5 気獣と宝玉


火事を噴きあげては町の密集す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公
001a.jpg

   火事を噴きあげては町の密集す・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公

「火事」というのは「冬」の季語である。そう言われると、冬には火事が多いから、なるほど、と納得する。
一年中、火事はどこでも起こっているし、化学的な火災もあるが、俳句の題材になるのは、何と言っても「人家」の火事だろう。
近年は民家の火事が多い。暖房器具の不始末か、焼け死ぬ人も多発しており、消防が広報の車を出して注意を呼びかけている昨今である。
逃げ遅れて死ぬのは老人と子供が多い。可哀そうなことである。

kasai5s火事

私の住む所には、今は常設の「消防署」があるが、昔の村のときには、そんなものはなく、 「消防団」が唯一のものであった。
僅かな金額の手当ては出たが、基本的にはボランティアであったが、土着の住民にとっては青年期に達すると半ば強制的に入らざるを得ない性質のものだった。
少年期を脱したばかりの頃は「前髪」と称する使い走りをさせられるのであった。農村青年にとっては、一種の「通過儀礼」のようなものであった。
私は学校に行っていたので、そういう「前髪」的なことは経験したことがない。
私が家に帰って「消防団」に入ると、すぐ役員をさせられた。二三年後には旧村単位の「分団」長をさせられた。
私たちの「市」(当時は「町」であった)には分団が四つあったのである。私の下には副分団長以下、支部長四人、総勢約100名が居たのだった。
私の任期は一年だけで助かった。火事は任期中に一度あっただけだが、この仕事は火事だけではなく、水害などにも狩り出された。
治安を保つ一面も担わされていたのだった。
分団長の上には本団の団長、副団長が居た。
昔は田舎では、それらの役に就くことは名誉なこととされていたから、分団長クラスから上は、もっぱら飲み食いや遊興が主な仕事で、30代の血気盛んな頃であるから、
よく飲み歩いたものである。
その頃から私は酒には弱く、付き合いには閉口したが、逃げるわけにはゆかず、今から考えると、よく勤めたものだと思う。

以下、歳時記に載る「火事」の句を引いて終る。

 火事鎮むゆらめきありて鼻のさき・・・・・・・・飯田蛇笏

 火事見舞あとからあととふえにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 粥腹はうつつの夢によべの火事・・・・・・・・石川桂郎

 火事といへば神田といへば大火かな・・・・・・・・岡本松浜

 寄生木やしづかに移る火事の雲・・・・・・・・水原秋桜子

 遠き火事哄笑せしが今日黒し・・・・・・・・西東三鬼

 火事を見る脳裡に別の声あげて・・・・・・・・加藤楸邨

 焼跡の夜火事の雲や押しこぞり・・・・・・・・石田波郷

 泣く人の連れ去られゐし火事明り・・・・・・・・中村汀女

 火事遠し白紙に音のこんもりと・・・・・・・・飯田龍太

 暗黒や関東平野に火事一つ・・・・・・・・金子兜太

 また青き夜天にかへる火事の天・・・・・・・・谷野予志
--------------------------------------------------------------------
05061601kuboduka02SPB00068G050615T火事場

今日1月17日は「阪神大震災」が起こってから16年である。追悼行事などが行われ、今日一日は、あの災害のことを生々しく思い出すのである。
その日、私はシチリア島と南イタリアの旅から帰ったばかりで、時差ボケのため明け方まで眠れず、ようやく明け方にウトウトしはじめた時刻だった。
また、この日には次女がブラジルのサンパウロのストリート・チルドレン取材のために関空から発つ日だった。
地震のために交通は途絶し、もちろん出発は不能でキャンセルとなり、後日に発つことになったが、妻や娘の友人が神戸にはたくさん居て、
その救援に妻も子もリュックを担いで行ったものである。
娘なんかは、神戸の友人にあげるのだと言って京都から遥々バイクを運転して、自分の「バイク」を差し上げに行ったりもした。
西宮市の関西学院大学前には亡妻の同窓の大学教授が住んで居て、その人は、今でも、その時の救援を感謝しているらしい。
さまざまのことが走馬灯のように脳裏に浮かんで来るのである。
今日一日は「鎮魂」の日として、静かに過ごしたい。


鰤網に縋る蟹あり夜明けつつ・・・・・・・・・・・・・・吉沢卯一
352鰤網漁

    鰤網に縋る蟹あり夜明けつつ・・・・・・・・・・・・・・・・・吉沢卯一

鰤(ぶり)のおいしい季節になってきた。
鰤の産地としては「富山」湾が有名である。「鰤網」という大きな定置網で捕えるのである。
鰤は「出世」魚と言われて、関西ではツバス→ハマチ→メジロと大きくなってブリとなる。
念のために書いておくが、関東では呼び名が異なり、同じ時期のものが、ワカシ→イナダ→ワラサからブリとなるという。
掲出写真は「鰤網漁」の体験催しのものである。玄人の漁師は救命胴衣などはつけない。

6f4397f3f4c4659bfacee095c623922a鰤

ブリは、ぶり科の魚で、紡錘形の体形、青緑の体色で、体の中央に黄色い線が走っている。
秋から春にかけて、産卵のために陸地沿いに回遊する。
先に書いたように成長して「出世」し、90センチ以上になって、はじめてブリと呼ぶのである。
寒中に獲るので「寒鰤」と称する。漁期にあたる12月、1月に鳴る雷を「鰤起し」と呼ぶ。
『本朝食鑑』に「およそ冬より春に至るまで、これを賞す。夏時たまたまこれあるといへども、用ふるに足らず。かつて聞く、鰤連行して東北の洋より西南の海をめぐりて、丹後の海上に至るころ、魚肥え脂多くして味はなはだ甘美なり。ゆゑに丹後の産をもつて上品となす」とある。
当時は都が京都であったから、最寄りの海というと丹後ということになるので、ここの産が珍重されたのであろう。

鰤の料理としては、刺身のほかに照り焼き、ブリ大根、鰤の「沖すき」鍋なども季節の味覚である。

20080224_434337鰤大根

鰤ないしは鰤網を詠んだ句は多くはないが、それを引いて終る。

 鰤網を越す大浪の見えにけり・・・・・・・・前田普羅

 鰤網を敷く海くらし石蕗(つは)の花・・・・・・・・水原秋桜子

 鰤敷や隣鰤場も指呼の中・・・・・・・・鈴鹿野風呂

 血潮濃き水にしなほも鰤洗ふ・・・・・・・・山口誓子

 鰤が人より美しかりき暮の町・・・・・・・・加藤楸邨

 二三言言ひて寒鰤置いてゆく・・・・・・・・能村登四郎

 大き手もて鰤つかみ佇つ老いし漁婦・・・・・・・・柴田白葉女

 青潮のもまれ躍れり鰤と見ゆ・・・・・・・・出羽里石

 鰤と蜜柑夕日どやどや店に入る・・・・・・・・小原俊一

 虹の脚怒涛にささり鰤湧く湾・・・・・・・・楠美葩緒

 鰤来るや大雪止まぬ越の岬・・・・・・・・羽田岳水

 鰤網に月夜の汐のながる見ゆ・・・・・・・・原柯城

 鰤敷や海荒れぬ日は山荒るる・・・・・・・・西本一都

 
古暦雑用帖にまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規
暦

   古暦雑用帖にまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

今日は1月15日いわゆる「小正月」である。7日までを「松の内」というが、昔は「小正月」までが、お正月だった。
戦後の一時期、この日が「成人の日」となったことがあるが、近年では「成人の日」は移動休日になって、「第二月曜日」が、この日となって、何だか締まりのない休日になってしまった。
私の地方では、1月14日の夜に町内の者が寄って「日待講」を催し、小正月の朝を迎え、当日の朝に「注連飾り」や「古暦」、神社や寺院の「お札」などを持ち寄って「とんど」という焚火を焚いて、それらを燃やしたものである。
「小正月」には「小豆かゆ」を炊いて、その中に鏡餅の固くなったものを刃物で細かく切って食べたものである。

掲出した子規の句は、無用になった昨年の「暦」が、うち捨てられて粗末に扱われる様を、うまく描いている。

    古暦吹かるるや三輪の町はづれ・・・・・・・・与謝蕪村

この蕪村の古句は大和の三輪明神の町はずれの風景を心象ふかく描出している。三輪山を御神体とする「三輪」ならではの心象である。他の町の名には置き換えがたいものである。

    一日もおろそかならず古暦・・・・・・・・高浜虚子

この句も「古暦」への、なみなみならぬ愛着を盛っている。今は「古暦」になったとは言え、旧年中は、さんざお世話になった暦なのである。
現代は、こういう「暦」などにも世話になることはないが、昔は何事をするにも「暦」にはお世話になったのである。農事なども旧暦でする方がぴったり来たものらしい。

    大安の日を余しけり古暦・・・・・・・高浜虚子

この句は、まだ正月前の暮のことであろう。年内に、まだある「大安」の日のことが気になって「古暦」を捨てられずに居る、という意味であろうか。

    古暦日々の消えゆくたしかさに・・・・・・・・井沢正江

光陰矢のごとし、というが「日々の消えゆくたしかさ」という把握の仕方が秀逸である。

    古暦ひとに或る日といふ言葉・・・・・・・・長谷川照子

歳月というものは水の流れのようで、堰き止められるものではないが、人は誰しも「或る日」というのを記憶に留めたがるものである。そんな心象に迫るものとして非凡である。

    古暦焚く束の間の焔なりけり・・・・・・・・菊地久城

この句も「古暦」に多分の愛着を示して、それを燃やした後になっても「束の間の焔」というところに未練を残していて忘れがたい。
みなさん、いかがだろうか。


一人退き二人よりくる焚火かな・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
19110501.jpg

    一人退(の)き二人よりくる焚火かな・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

この頃では「焚火」も簡単には出来なくなってしまった。
条例で「野焼き」が規制されているのに表れているように、ダイオキシン規制の影響でもあろうし、「火」を焚くことに世の中が神経質になっているからである。

「たきび」という童謡の風景は、今や死語と化してしまった。念のために、この歌の動画をはめ込んでおく。



00376巽聖歌
 ↑ 巽聖歌

この歌は、作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂。(今風の表記になっているので了承を)

     <かきねの かきねの まがりかど
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      きたかぜぴいぷう ふいている>

     <さざんか さざんか さいたみち
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      しもやけ おててが もうかゆい>

     <こがらし こがらし さむいみち
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      そうだん しながら あるいてく>

という唄などは、もはや郷愁の中の一風物となってしまったのである。

800px-Takibi_birthplace_kamitakada_nakano_tokyo-2.jpg

この童謡「焚き火」の作詞者・巽聖歌に因む土地として伝えられるのが ↑ ここである。
中野区上高田にある『たきび』の歌発祥の地。一般人の住居であるが、中野区による説明板がここの傍にある。
歌詞冒頭の垣根の風情が現在も見ることができる。

当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。
同年の9月に、「幼児の時間」のコーナーの「歌のおけいこ」12月分で放送するために巽の詞に曲を付けて欲しいと、NHK東京放送局から渡辺のもとに依頼があった。詞を見て「ずっと捜し求めていた詞」だと感じた渡辺は、「かきねのかきねの」「たきびだたきびだ」などの繰り返す言葉を気に入り、詞を口ずさんでいるうちに自然にメロディが浮かび、10分ほどで五線譜に音符を書き込み完成させた。

今でも「行事」としての「どんど」「とんど」という大掛かりな焚火もあるが、これらは予め届け出て許可をもらったものである。
この唄にもある通り、「落葉焚き」というのは自然現象とは言え、降り積もる落葉という厄介ものを処分する良い方法だったのである。この燃えた灰の中にサツマイモを入れて「焼き芋」にして、ほかほかの熱いのを食べるのは、冬の子供の楽しみのひとつだったのに。。。
古来、洋の東西を問わず、「火」というものは「穢れ」を浄化するものとして崇められてきた。

himatsuri6.jpg

 ↑ 写真に掲げる「那智の火祭り」などは、その一例である。
ヒンズー教や仏教における「火葬」の風習なども「穢れ」を浄化する意味以外の何ものでもない。
京都の夏を彩る「大文字の送り火」なども、そういう意味であり、それに「鎮魂」「魂送り」の意味も含まれる。
「火」はあたたかい。万物を焼き尽くすものでありながら、「冷たく」はない。
輪廻し転生する思想が「火」には含まれているのである。

「焚火」を詠んだ句も、古来たくさんある。それらを引いて終る。

 焚火かなし消えんとすれば育てられ・・・・・・・・高浜虚子

 燃えたけてほむらはなるる焚火かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 離れとぶ焔や霧の夕焚火・・・・・・・・原石鼎

 夜焚火に金色の崖峙(そばた)てり・・・・・・・・水原秋桜子

 道暮れぬ焚火明りにあひしより・・・・・・・・中村汀女

 紙屑のピカソも燃ゆるわが焚火・・・・・・・・山口青邨

 とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな・・・・・・・・松本たかし

 ねむれねば真夜の焚火をとりかこむ・・・・・・・・長谷川素逝

 焚火火の粉吾の青春永きかな・・・・・・・・中村草田男

 隆々と一流木の焚火かな・・・・・・・・西東三鬼

 安達太郎の瑠璃襖なす焚火かな・・・・・・・・加藤楸邨

 若ものとみれば飛びつく焚火の秀・・・・・・・・能村登四郎

 夕焚火あな雪ぞ舞ひ初めにけり・・・・・・・・石塚友二

 わめきつつ海女は焚火に駈け寄りぬ・・・・・・・・稲垣雪村

 焚火中身を爆ぜ終るもののあり・・・・・・・・野沢節子

 ひりひりと膚にし響かふ焚火かな・・・・・・・・青木敏彦




凍仏小にしてなお地にうもれ・・・・・・・・・・・・・・・鈴木六林男
2701ac241df72953e782a5738387d041化野念仏寺

    凍仏(いてほとけ)小にしてなお地にうもれ・・・・・・・・・・・・・・・鈴木六林男

一昨日に紹介したが、嵯峨野の化野(あだしの)念仏寺の辺りは千年前には「風葬」の地であった。
風葬とは、今でもチベットなどで行われる死体を野っぱらに放置して、獣や鳥に肉を食わせ、あるいは腐るに任せる葬送の方法である。
この寺は現在は浄土宗に属する寺だが、およそ1000年前、空海が、ここに五智山如来寺を開創し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことにはじまるという。
「あだし野」というと『徒然草』にも「あだし野の露消える時なく、鳥辺野の烟立さらでのみ住み果る習なれば、如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ」と書かれている、
かつての葬送の地に建ち、境内に集められたおびただしい数の石仏が、葬送地としての過去を彷彿とさせる。
寺の本尊は阿弥陀如来で、湛慶の作。本堂は江戸時代に再興されたもの。
夏の8月23~24日の地蔵盆のときの「千灯供養」は有名である。
この寺の地番は 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町 という。

写真②に夏の「千灯供養」の様子を出しておく。

PN2010082301000790_-_-_CI0003千灯供養

掲出句は、夏の千灯供養が、凄絶ではありながら、火の力によって温もりを感じるのに対して、きびしく凍てる京都の冬の名も無き石仏のみじめな姿を、
よく活写しているというべきだろう。

 石くれ仏ひしめく限り冬茜・・・・・・・・文挟夫佐恵

 あだし野に日の一すぢの霰かな・・・・・・・徳永山冬子

 石仏の首から首へ虎落笛(もがりぶえ)・・・・・・・・鷹羽狩行

 冬ざれの片寄せ小さき仏たち・・・・・・・・二橋満璃

 化野のひとつづつ消ゆ冬灯・・・・・・・・間中恵美子
 
 鼻寒きわれに鼻なき餓死仏・・・・・・・・秋元不死男

 風葬の明るさの原ひかりは凍(し)み・・・・・・・・榎本冬一郎

のような句も、同じく冬の季節のあだし野の石仏を描いて秀逸である。
他の季節の、あだし野を詠んだ句は、また後日。
-------------------------------------------------------------
長い間、都の置かれてきた京都の地には土塁をめぐらせた「街区」が仕切られていた。そのなごりが、豊臣秀吉によって再整備された「お土居」である。
この区域より外は人間の住む場所ではなく、その「お土居」の外は「葬送」の地であった。
庶民の死者は、この「お土居」の外に置かれ、いわゆる「隠亡」(おんぼう)と呼ばれる葬送の専門職の人間が、
ここ、あだし野や、東山の鳥辺野、洛北の蓮台野などに死体を放置(風葬)したのであった。
今では京都市北区に「蓮台野町」という地番があり、住宅地になっていて、人々は何も知ることもなく平気に暮らしているが、
もともとは葬送地であったから、地名にそれが残っているのである。

隣家より子を叱るこゑ人間にわかき時間あることをまぶしむ・・・・・・・・・・村島典子
晶0002

──村島典子の歌──(9)

      予感30首・・・・・・・・・・村島典子

   隣家より子を叱るこゑ人間にわかき時間(とき)あることをまぶしむ

   大雨のあがりし街に紺青の空あり澄まして陽も覗きをり

   水漬く地表ぐすぐす踏みてあるくとき地中にくすくす声はせむかも

   飛びたたむその隙にして黒き鳥はひらり一本羽根おとしゆく

   水漬きたる道に出できて轢かれたりし蝮いつくしき紋様をもつ

   蝮すら轢かれて死にき太くみじかき胴にちりぼふ銭形模様

   蛇の屍のかたはら通る犬とわれしゆくしゆくい行く生きてあるもの

   父の忌を忘れてすぎし六月よほうたる呼べば闇を打つ雨

   「清涼のみづ」とぎれとぎれに言ひたまひし、こゑまた過る夜の耳もと

   今津浜に恨みのてがみ書きし日も雨打つ水面ひたすらなりき

                  八月四日未明、火事あり
   八月のぬばたまの夜家はぜて火柱は家の幅にたちたり

   火事や火事や火事やと騒ぐ老人の声か入りきつ浅き眠りに

   物干しにいでて驚くただならぬ熱さなりしよ隣家燃えをり

   まづ眼鏡、預かりし孫、犬、夫そのほか思ひつくもののなし

   消防車音消してくる夜の火事太きホースが道を走れる

   ただただに呆然と見る家々の戸口に人は佇むばかり

   ガラス融け熱風入る裏窓も樹木も炎ゆるほかなかりけり

   うしろ隣の二階の窓のすつぽりと融けてしまひぬ炎の舌に

   延焼をまぬかれしこと奇跡なりと消防士いへり現場検証に

   老人と孫のふたりの暮したる家なり門柱のみ焼け残りたり

           *

   あしたより予感はありき手から落ち壊れし皿のやうな一日

   ほうほうとゆかむか然うだ今生のこと今生に治まるなれば

   あづかりし大事の金魚死なしめり模造の青き水草のかげ

   死なせし日金魚の安否をたづね来ぬひらひら赤きスカートをはき

   葉やけせしおほプラタナスに風は来て色づくまでの時告げてゆく

   葭ペンの青きインクに風生れてたちまち秋の湖となりたり

   「転移日記」閉ぢて真底うべなへり中島梓の壮絶の日々

   あたりまへに生きゆくことの大切さ癌をかかへし人のいちにち

   まづ食べて寝て排泄し嗚呼けふもいい天気だと言ふことの謂

   日記とはカウントダウン終の日に近づくならむ残りの頁
-------------------------------------------------------------------
昨年十二月にいただきながら、拙詩集の上梓などに忙しく、紹介が今になった。

先ず「隣家」が火事で全焼し、その延焼をまぬかれ得たことを喜びたい。

一番はじめの歌

   <隣家より子を叱るこゑ人間にわかき時間(とき)あることをまぶしむ>

が何とも言えず秀逸である。
こういう心境は齢を取らないと判らないものである。
全篇しっとりとした歌群である。

はるかに遠い日々から/哲学の道は/古都に住む人々の息づかいを ・・・・・・・・・・・小沢千恵
Tetsugakunomichi01哲学の道

     哲学の道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小沢千恵

      一月の朝 絹さめの中を歩くと
      京都人の手入れの行き届いた
      清流の両側には
      三叉の木と苔むした桜の老木
      川面は霧に包まれて
      時折にポーンポーンと
      どこかの庭から鹿威しの音が聞こえる
      はるかに遠い日々から
      哲学の道は
      古都に住む人々の息づかいを
      清流に変えて流して

      近くにある安楽寺の庭の
      松虫と鈴虫姫の墓に詣でて
      古都の悲哀の女人が流した涙のように
      凛とした真っ赤に咲く寒椿
      巽橋のたもとには今でも変わらない
      純真さをひっそりと守っている三叉の白い花が咲き
      その側を
      穴あきジーンズの金髪の若者がオートバイをかつ飛ばして
      雨にぬれて通りすぎていく
----------------------------------------------------
この詩も昨日に続いて『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。

哲学の道とは銀閣寺を南に下がる辺りから南禅寺の辺りまでつづく水路に沿う散策路のことである。
むかし、哲学者の西田幾太郎たちが、この道を散策しながら、哲学の論理を考えた、と伝承される小道である。

原武史「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史―・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
51qtpQzY6XL__SS500_.jpg

──新・読書ノート──

    原武史「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・・・・新潮文庫 2011/01/01 刊・・・・・・・・・・・・

     鉄道は歴史を乗せているのです。国家の歴史から、個人の小さな淡い歴史まで。
     ――宮部みゆきさんおすすめ! 鉄道を通して時代を捉え直す「鉄学」への誘い。

      開業から百四十年、鉄道はもはや、日本人と切っても切れない存在になった。
   その発達は都市の形成に影響を与え、文学の一ジャンルを生み、沿線に特有の思想を育てた。
      また天皇制支配を視覚的に浸透させる目的で活用されたお召列車での行幸啓など、
      国家や政治とも密接な関わりがあった──鉄道を媒介にして時代を俯瞰する、
      知的で刺激的な「鉄学」入門。『鉄道から見える日本』改題。


新潮社・読書誌「波」一月号に載る対談を引いておく。
---------------------------------------------------------------------

      原 武史『「鉄学」概論』(新潮文庫)刊行記念対談
            我ら「鉄道マニア」に非ず?

              川本三郎×原 武史

      「紀行文」の衰退/鉄道と小説/やはり自分たちもマニア?

「紀行文」の衰退

川本 本日は原さんと鉄道についてのお話ができるということで、鉄道の旅が好きな人間として楽しみにして参りました。
原 どうぞよろしくお願いいたします。
川本 このたび『「鉄学」概論』という文庫を出されましたが、これは原さんがこれまで研究されてきた天皇と鉄道、郊外と鉄道、政治と鉄道などといったテーマが一冊で学べる本ですね。
原 もともとは、NHK教育テレビの「知る楽」という番組のために作ったテキストなので、そういう章立てになりました。今回、文庫として出し直すにあたり、増補や改稿を加えています。
川本 タイトルの「鉄学」というのは面白い言葉ですよね。
原 実はこのテキストのタイトルは、もともと「鉄道から見える日本」というものだったのですが、文庫化にあたってどうしても「鉄道」という言葉をタイトルに使いたくなかったのです。そこで「鉄学」という言葉を考えつきました。
川本 原さんがまえがきでお書きになっているように、この本は、鉄道マニア向けではありませんね。私も鉄道は好きなのですが、車両の種類とか仕組みとか、そういう細かいことには余り興味がないんです。ですから、鉄道を通して日本の歴史を振り返る、という原さんの視点については強く共感しました。
原 ありがとうございます。
川本 こんなことを言うとお叱りをうけるかもしれませんが、一般に鉄道マニアには、鉄道の周辺を見ようとする人が少ないですよね。列車に乗ることが第一で、たとえば、終点の町で降りて駅前の店でちょっとビールを飲んだりとか、町を歩きながら、どうしてそこに駅ができたのか、とかあまり考えたりはしない。
原 そうですね。マニアの興味の対象は、「人間の営み」としての鉄道ではなく、あくまでも「物」としての鉄道なんですよね。昨今、「鉄道ブーム」などと言われて鉄道趣味がもてはやされていますけれども、宮脇俊三さんが活躍していた時代に比べて、ある種の豊饒さを失っているような気がしてなりません。
川本 私もそれは感じます。
原 特に、かつて宮脇さんが書いていたような、文学として成立している「紀行文」というのが、どんどん衰退しているような気がするのです。昔に比べると、鉄道に関する細かいデータを網羅したような本はたくさん出ていますが、それに反していい紀行文が減っている。
川本 その一番の大きな原因は、かなりの数のローカル線がなくなってしまったことなのかもしれませんね。五能線なんて、昔は完全なローカル線だったのに、いまじゃ「リゾートしらかみ」でしょう。
原 あれも商売としては成功しているのかもしれませんが、地元の人にとってはかえって不便になってしまったようです。生活路線として機能しているローカル線に乗り、土地の人とのふれあいや現地の空気を描くという紀行文を書くのが、どんどん難しくなってくる。
川本 乗客が少なくなったからと本数を減らしていくと、客はさらに減る。そんな悪循環が生まれ、廃線へと追い込まれてしまう。とにかく無理をしてでも本数を増やすことが必要なんですよね。
原 九州の松浦鉄道は、国鉄時代は松浦線といって赤字廃止対象路線だったはずですが、本数を増やすことで存続できている。そんな路線はあくまでも少数です。
川本 北海道は悲惨な状況です。留萌本線は、「本線」とは名ばかりで、支線はぜんぶなくなってしまいました。東北新幹線の全通で青森のあたりもすっかり変わってしまうのでしょうか。
原 ただ、東北はわりと鉄道について思い入れが強い地方だと思います。第三セクターも新しく開業しているし、全体で見れば頑張っている方です。でも、安くて便利なバスがどんどんできているので、その影響も出てくると思います。
川本 ローカル線が減ったこともありますが、そもそも紀行文を発表できる場も少なくなりましたね。昔は、JTBの「旅」という雑誌が、鉄道と文学を結びつける役割を果たしていました。昭和二十年代、三十年代に「旅」の編集長だった戸塚文子さんに文人趣味があったので、作家に旅をさせて紀行文を書かせる、というスタイルを作ったんですね。
原 松本清張の『点と線』も「旅」の連載でしたね。「旅」は、いまでは新潮社にうつって女性誌になってしまいましたが。
川本 経費節減の世の中ですし、いま、三十枚、四十枚の長い紀行文を掲載できる雑誌はほとんどないんじゃないかな。
原 書き手の側の問題もありますね。最近の鉄道本は、わかりやすさや情報量の多さ、正確さを重視するあまり、文章がおざなりになって、まるでメールやブログを読んでいるような気持ちにさせられます。
川本 なるほど。私は内田百のエッセイって実は余り好きではないんです、同行者の「ヒマラヤ山系」とのおしゃべりが多くて。旅先で見たもの、観察したことの記録をもっと書いてほしい。でも、あれはあれで名人芸といえばそうなんですが。
原 百ぐらいの技がないと、同行者のエピソード中心で書かれても興ざめさせられるでしょう。やはり、紀行文というのは、書き手の観察眼や描写力、知識が問われるとても難しいジャンルなのだと思います。

 鉄道と小説

川本 エッセイではなく、鉄道が出てくる小説でいうと、松本清張の鉄道ものが好きですね。清張の脂が乗り切っていた時期というのは、ちょうどSLが走っていた最後のころと重なるので、小説の中にいろんな列車が出てくる。
原 実に多彩な鉄道が登場しますね。
川本 たとえば、『波の塔』では身延線に乗って下部温泉に行くくだりがあるし、『ゼロの焦点』では北陸鉄道能登線の旅をするシーンがあった。
原 清張の作品には中央本線もよく出てきますね。『たづたづし』とかね。
川本 『地方紙を買う女』もはっきり書いていませんが甲府が舞台。『眼の壁』にも中央本線の瑞浪が出てきますね。ただ、松本清張もすべて実際に行って書いていたわけではなかったらしい。自身で書いていたことですが、『眼の壁』を雑誌に連載していたとき、瑞浪の町をきれいな川が流れていた、と書いた。そうしたら、読者から「瑞浪は陶器の町なので、川の水は陶土で濁っています」と投書が来た。それで文章を直したと。
原 三島由紀夫の『金閣寺』にも、舞鶴線のことを書いた箇所に、実際には存在しない駅名が書かれていたんです。全集では編集部が直したようですが。
川本 三島はわかったうえで書いていたんでしょうか。
原 それはわかりませんね。でも、基本的に創作なわけですし、鉄道ミステリーでなければ、事実との違いにそれほど目くじらをたてる必要はないと思います。大西巨人なんかは、鉄道について書くとき確信犯的に事実からずらしているような気がしますし。
川本 私も映画を観ていて、鉄道に乗るシーンで事実とのずれを見つけてしまうことが多いんですが、もっと大らかに作品を見なくてはと反省することが多い(笑)。
原 鉄道マニアは事実誤認にとても厳しいですからね、表記の間違いなども絶対に見逃してくれません。私はかつて『「民都」大阪対「帝都」東京』という本を出したとき、読者から正誤表つきの手紙をもらったことがあります(笑)。
川本 映画マニアにも多いですよ、私もたまにそういう手紙をもらいます(笑)。かつて映画についての原稿は、記憶をたどって書くものだったので、美しい誤解も許されていました。でも、最近ではDVDで事実を確認する手段ができてしまったんです。これは厄介です。
原 鉄道に関しても、新潮社の「日本鉄道旅行地図帳」シリーズのような詳細なデータブックが出てきたことで、ますます読者からの指摘が増えてくるでしょう(笑)。

 やはり自分たちもマニア?

川本 けれども、「鉄道旅行地図帳」のような本が売れているということは、それだけ鉄道趣味が一般に浸透しているということなんでしょうね。マニアではない人も、移動の手段としてだけではなく、電車に乗ることを楽しむようになった。
原 川本さんもよく目的を持たずに鉄道旅をされるのですか?
川本 ええ。たとえば東海道本線で国府津まで行って、御殿場線に乗り、その後、身延線で甲府まで行き、中央線で東京に帰ってくる、というコースを日帰りでよくやっています。特に無人駅が好きなんです。
原 中央本線は無人駅が多いですね。梁川、東山梨、春日居町、新府……。
川本 原さんは山梨学院大学にお勤めでしたから、中央本線は特にお詳しいでしょう。山梨学院のある酒折という駅は、甲府の一つ前だから無人駅かな、と思っていたら、立派な駅舎があり驚きました。 
原 そうなんです。大学が目の前にありますからね。酒折は「山梨学院前」と駅名を変更して、特急を停めればいいと思うんです。箱根駅伝の常連校ですから、そこに「たすき」という名の特急を走らせれば完璧です(笑)。
川本 そういえば、秋ごろ中央本線に乗っていたんですが、四方津あたりのさびしい駅に、カメラを持った人が大勢いるんですよ。どうしてこんなところに?と思っていたんですが、その日はどうやら中央線のオレンジ色の車両がなくなる日だったらしいんですね。
原 いまはそれに代わってステンレスの車体の車両になってしまいましたね。
川本 オレンジ色の電車は廃車になるんでしょうか。
原 どうなんでしょう、きっと三十年は超えてると思うので、寿命なのかな。ただ、先日テレビを見ていたら、東急の8500系という電車がインドネシアに輸出されて活躍しているみたいですね。「中央林間」行きの表示のまま、インドネシアで走っているんです。8500系が登場したのが一九七五年ですから、中央線の201系よりも古いはずです。
川本 原さん、車両には詳しくないといいながら、結構ご存じじゃないですか。
原 いえいえ、そうではないんです。ちょうど鉄道趣味に一番燃えていた中学、高校の頃、東急沿線の学校に通っていたので、たまたま記憶に残っていただけなんですよ。
川本 本当にそうなのかなあ? 今日はさんざんマニアの悪口を言っておきながら、結局自分たちも同じ穴のムジナだということが判明してしまいましたね(笑)。
  (かわもと・さぶろう 作家/はら・たけし 明治学院大学教授)

---------------------------------------------------------------------
原武史/ハラ・タケシ

1962(昭和37)年、東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。
国立国会図書館、日本経済新聞社勤務を経て東京大学大学院博士課程中退。
現在、明治学院大学教授、専攻は日本政治思想史。
著書に『昭和天皇』(司馬遼太郎賞受賞)『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞受賞)
『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞受賞)『大正天皇』(毎日出版文化賞受賞)
『鉄道ひとつばなし』『皇居前広場』『〈出雲〉という思想』『可視化された帝国』『松本清張の「遺言」』
『沿線風景』などがある。

冬です/渡月橋に/雪が降り出すと/人通りが絶える。/竹林の中の ・・・・・・・・伊ケ崎淑彦
DSC01228雪の渡月橋

     京の四季・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊ケ崎淑彦

       冬です
       渡月橋に
       雪が降り出すと
       人通りが絶える。
       竹林の中の
       野宮神社は
       忘れられた辺境の地に変る。
       雪に誘われて
       鳥居本までくると
       雪が地面から降ってくる。
       北野念仏寺の
       五千体の石仏も
       雪だるまとなって遊んでいる。
       雪見酒と洒落ていると
       見えていた
       愛宕山もかくれて
       キンタマが縮んだ。

nomiya1野宮神社
 ↑ 野宮神社
071202_2化野念仏寺
 ↑化野念仏寺
sagano-toriimoto-kamimathi嵯峨鳥居本・上地区の民家
 ↑嵯峨鳥居本・上地区の民家

-----------------------------------------------------------------
この詩は、『滋賀・京都 詩歌紀行』(著者・日本詩歌句協会、発行・北溟社)に載るものである。
この詩はタイトル通り、京都の四季を、春、夏、秋、冬の順に描いたもので、今日は、その中から「冬」の部分を抄出した。
いずれ季節がめぐってきたら、他の部分も紹介する予定である。

渡月橋も、竹林も、野宮神社も、鳥居本も、化野念仏寺(詩の中で北野となっているのは「化野」の誤植であろう)も、愛宕山も、
いずれも京都市外の洛西と呼ばれる「嵯峨野」の一帯にあるものである。
この詩にあるように、いい季節には、この辺りには人出も多いが、渡月橋のある「嵐山」一帯を除いては、冬は閑散としている。
解説をしておくと、「渡月橋」は京福電車の終点「嵐山」駅から歩いて数分のところにあり、保津川の名前が「大堰川」(おおいがわ)と替ったばかりの川幅200メートルに架かる橋である。
嵐山側には「美空ひばり記念館」や土産物屋が軒を連ね、四季を通じて人通りが多い。「天竜寺」もすぐ近くにある。
「鳥居本」までは嵐山から歩いて行ける。更に足を伸ばすと「大覚寺」「大沢池」などがある。ここは昔、「嵯峨御所」があったところである。
渡月橋を渡った対岸には、俗に嵐山と呼ばれる「岩田山」が川岸に迫っている。
ここには餌付けされた一群の猿が棲んでいるが、先年、頭数が増えすぎて捕獲され、愛知県犬山の日本モンキーセンターに引き取られた。
この辺りを更にどんどん先へ進むと「桂」「物集女」(もずめ)という土地に至る。その奥に、いわゆる「洛西ニュータウン」という住宅地が広がる。
その西には桂川が流れ、有名な「桂離宮」がある。この桂川が京都市と「向日市」との境界になる。

この本には、私の歌も三首収録されているが、今日の一帯に因むものとしては

   虫しぐれ著(しる)く響かふ嵯峨の夜は指揮棒をふる野の仏はや・・・・・・・・・・木村草弥

が載っている。

「化野(あだしの)念仏寺」は嵯峨野にあり、無数の数の石仏、石塔が狭い境内に、ぎっしりと立っている。
ここは8月23日の地蔵盆のときには参拝者の供えるロウソクの炎がゆらゆら揺れて、さながら現世とは思えぬ幻想的な空間を現出する。
「愛宕山(あたごやま)」には火伏の神である「愛宕神社」が鎮座し、京の人々の「火の用心」の崇敬を集めている。
今でも「月参り」と称して、代表者が参詣と「お札」をもらいに月参する慣わしがある。
私の住む地域でも、以前は各町内で月参りを当番が務めていたが、険しい山道を登り降りするのは苦行であり、いくらか廃れて自治会の代表者が年に一回参ることに改められた。

藤崎憲治『昆虫未来学』─「四億年の知恵」に学ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
41fDdMrOQ7L__SS500_.jpg

──新・読書ノート──

   藤崎憲治『昆虫未来学』─「四億年の知恵」に学ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・・・・・新潮社2010/12/22 刊・・・・・・・・・・・・・・・・・

     人は、虫なしでは生きられない! みごとな進化に秘められた驚異の昆虫力。

   生態系で重要な役割を担い、産業にも欠かせない大切な存在でありながら、害虫という一面も持つ昆虫。
   その生態を科学的に分析した新しい害虫管理法や、チョウの翅の超撥水性、アメンボの水面滑走メカニズム、
   アリの情報伝達システムなど、昆虫の優れたデザインや機能を農業・工学・医学など
   さまざまな分野に応用する、革新的な研究成果。


新潮社の読書誌「波」一月号に載る書評を引いておく。
----------------------------------------------------------------------------
   かけがえのない人類のパートナー       最相葉月

 国際生物多様性年だった二〇一〇年、名古屋で生物多様性条約締約国会議COP10が開かれた。
メディアは絶滅危惧種や里山に関するさまざまな特集を組んだが、どれだけの人が生物多様性の本来の意味を正しく理解できただろうか。
本書はこの時期に出されるべくして出された格好の生物多様性案内であり、ここには人類がこの危機を乗り越えるための知恵がたくさん詰まっている。
 主役は、昆虫である。四億年前に誕生した昆虫は、三十数億年の生命史においてもっとも繁栄を遂げた生物で、
南極や砂漠などの過酷な環境から熱帯雨林まであらゆる場所に生息し、いまや全生物の約三分の二を占める。
地球はまさに「虫の惑星」なのである。
昆虫生態学者の著者は、昆虫がいかに環境に適応して進化を遂げ、人類にとってかけがえのないパートナーとなったか、最新の研究を交えつつ解き明かしていく。
 その一つは、食物連鎖を支える鍵としての昆虫の役割だ。たとえばシロアリは有機物を植物が利用しやすい無機塩類に変える分解者としての働きを担う。
家の柱を食い荒らす害虫として嫌われるシロアリだが、もし彼らが地球上からいなくなれば生態系は二、三十年で十億年前の姿に戻ってしまうのだという。
ちなみにシロアリは卵と間違えて似た形状の菌を巣に運ぶ習性があるが、これは菌のもつ抗菌作用によって巣が雑菌に侵されるのを防ぐので、
この性質を利用して最小限の殺虫剤でシロアリを駆除する方法も開発された。
 気候変動や二酸化炭素濃度を測るセンサーとしての昆虫の能力にも注目したい。
著者がリーダーを務める21世紀COE「昆虫科学が拓く未来型食料環境学の創生」で行われたミナミアオカメムシの分布拡大調査によれば、
熱帯から温帯にかけて生息する彼らの北限がこの四十五年で上昇しているという。
ただし温暖化が熱帯の昆虫に有利というわけではなく、子孫を残せない在来種と交配すれば相互作用で絶滅の途をたどる。
減反やスギ・ヒノキ植林という二大政策がもたらした罪も重い。昆虫相の破壊は植物相とそれに依存した動物相を、さらに海洋の生物相を次々となぎ倒していく。
シカやクマの出没は、生態系の悲鳴なのである。
 本書後半には、農耕文化の始まりと共に誕生した「害虫」のとらえ方が昆虫研究の成果を反映して変化しつつある現状が報告されている。
個々の体質に合った副作用の少ないオーダーメイド医療を目指す医学の道のりと似て、農薬万能から、環境と昆虫の性質に即して害虫を管理する「総合防除」の時代の到来である。
 昆虫は、最小エネルギーで最大の仕事をこなすインテリジェンスの持ち主。
近年、彼らを師として人類の未来に活かそうとするバイオミミクリーやバイオミメティクスの技術に産業界が注目するのも当然だろう。
昆虫なくして未来はない。読了後はその偉大さに、ただ頭を垂れた。    (さいしょう・はづき ノンフィクション作家)
---------------------------------------------------------------------------
藤崎憲治/フジサキ・ケンジ

1947年福岡県生まれ。京都大学大学院博士課程単位取得退学、沖縄県農業試験場主任研究員、岡山大学農学部教授を経て、現在は京都大学大学院農学研究科教授。
専門は昆虫生態学・応用昆虫学。農学博士。日本応用動物昆虫学会会長、日本学術会議応用昆虫学分科会委員長として、昆虫学や応用昆虫学の発展と普及に努めている。
主な著書に、『カメムシはなぜ群れる?―離合集散の生態学―』(京都大学学術出版会)、『飛ぶ昆虫、飛ばない昆虫の謎』(編著、東海大学出版会)、
『群れろ!―昆虫に学ぶ集団の知恵―』(共著、エヌ・ティー・エス)、『昆虫科学が拓く未来』(編著、京都大学学術出版会)など。

商ひも恋もたのみて宵戎・・・・・・・・・・・・・・・・島谷征良
800px-E4BB8AE5AEAEE6888EE7A59EE7A4BE.jpg

57-20.jpg
  
  商ひも恋もたのみて宵戎・・・・・・・・・・・・・・・・島谷征良

「十日戎」は大阪の今宮戎神社の祭礼である。
一年はじめの1月10日は「初戎」として何十万の人が、一説では百万人が、さほど広くはない境内に押すな押すなの様相を見せる。
 ↑ 今宮戎のホームページを見てもらいたい。
前日の9日夜は「宵えびす」、11日は「残り福」と称して、わざと、この日に参詣する人もある。
社殿の裏に廻って、羽目板をどんどん叩いて「えべっさん、頼んまっせ」と大声で言うのが上方風である。
掲出した写真が当日の神社の境内の様子である。
参拝のあと、「福笹」という笹の枝に小判やらをぶらさげたものを買い求めて、肩にかついで帰る。
笹は笹だけで売られ、それにつける小判などは、別途金を払って追加するのである。
東京の「熊手」に福面をつけたりするのと同様のことである。

57-27.jpg
 ↑ 写真③が公募された福娘が売る福笹。

『年浪草』という本に「諺にいふ、この神は聾にましますとて、参詣の諸人、社の後の板羽目を敲く。その音、昼夜にかまびすし。これ、今日参詣して諸願を訴ふる謂ひなり。」とある。
近年は「福娘」と称して公募して福笹の売り子を募っているが、応募者が多いので、なるべく美人を選ぶという。今年は45人採用したという。
57-09.jpg

1月10日前後には南地の花柳界の芸妓の綺麗どころを「宝恵かご」と称する駕籠に乗せて近在を練り歩く行事がある。これも神社の宣伝のためとは言え、人気がある。
この「宝恵かご」については今年は1月9日に練り歩かれたが「たまぞう」氏のサイトが詳しい。
ネット上では、他にも動画などがたくさん見られる。お試しあれ。

以下、十日戎を詠んだ句を引いて終る。

 福笹をかつぎ淋しき顔なりし・・・・・・・・高浜年尾

 地下道を華やぎ通る福笹持ち・・・・・・・・橋詰沙尋

 初戎ねがひのうなじうつくしく・・・・・・・・牧野多太士

 十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・中本圭岳

 大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・・・・・吉田すばる

 小火騒ぎありて今宮宵戎・・・・・・・・後藤鬼橋

 福笹にきりきり舞の小判かな・・・・・・・・倉西抱夢

 きらきらと賽銭舞へり初戎・・・・・・・・金田初子

 福笹の大判小判重からず・・・・・・・・嶋杏林子

 凶くれて残り福とは面白し・・・・・・・・細見しゆこう

 雑踏を夫にかばはれ初戎・・・・・・・・上野美代子

 残り福疲れし声をあげて売る・・・・・・・・大戸貞子

 吉兆や佳人に足を踏まるるも・・・・・・・・大野素郎

 初戎笹の葉一枚づつの福・・・・・・・・三島敏恵

 残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・吉川一竿

怖いもんって/そら嫁はんにきまってますがな/なにがやさしいですか ・・・・・・・・・根来真知子
vui-354.jpg

     怖い・・・・・・・・・・・・・・・根来真知子

     怖いもんって
     そら嫁はんにきまってますがな
     なにがやさしいですか
     なにがしとやかな京おんなですか
     芯はきついですわ
     こないだもな・・・・・・・
     <Nさんの眼がここでマジになった>

     ついこのあいだも
     捨てたつもりの電話番号のメモ
     見つけられましたんや
     へぇ ちょっとかわいらしい子ぉどしたんや
     嫁はん そのメモをつきつけてひと言
     「家(うち)にあるもんは買わんかてよろしい」

     それだけで終わりますかいな
     翌月 えらい金額の請求書がきましたわ
     へぇ わしあてに
     恐る恐る聞いたら
      なんたらちゅう名ぁのハンドバッグらしいですわ

     そんなん家(うち)にたんとあるのに・・・・・・

----------------------------------------------------
この愉快な詩は『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。
京都人の見かけでは判らない、芯は冷徹な人柄の一端を、巧みに捉えている。
掲出した写真は、私が勝手に載せたものであるが、このバッグも十数万円余りの値段がついている。
初めてパリに行ったとき、娘に頼まれてポシェットを買いにルイ・ヴィトンの本店に行ったことがある。
今まではシャンゼリゼを入った横丁にあったが、2005年にシャンゼリゼの大通りに面したところに「新」本店が出来たらしい。
もう、ん十年前の話である。


冬枯れの池に漁師は凍えながら/網を投げ入れて/遊ぶための骨を引き上げている・・・・・・・冨上芳秀
hs08-s広沢池朝霧

        骨遊び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨上芳秀

       都の外れには

       底なしの池があって

       坊主や女の骨が沈んでいる

       それを拾ってきて

       部屋の中で生き返らせて遊ぶ

       坊主は木魚を叩くが

       音感はまるでないので苛める

        女は酒を飲ませて

       算盤で計算させて間違えると

       足の裏をくすぐって

       死ぬほど笑わせる

       冬枯れの池に漁師は凍えながら

       網を投げ入れて

       遊ぶための骨を引き上げている。

----------------------------------------------------
この詩も『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。
ここにいう「池」とは、作者によると嵯峨野の「広沢池」のことである。
この池は周囲1.3キロほどの割合に広い池で、989年に宇多天皇の孫・寛朝僧正が池の北西に遍照寺を建立した際に造らせたとされる。
今はもう寺はないが、昔は釣殿や月見堂があったとされ、月見の名所として大宮人や歌人が訪れ、歌を詠んだという。
この詩は、一見すると何となく不気味な感じがするが、幻想を含んだ現代詩であって、面白い。
この辺りも幾多の戦乱に巻き込まれたので、この池にも屍などが放り込まれたらしい、という設定で、この詩は成り立っている。

copyright © 2017 Powered By FC2ブログ allrights reserved.