
新しき年のはじめの初春の
今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)・・・・・・・・・・大伴家持
これは『万葉集』巻20の巻末の歌である。天平宝字3年(759年)元日、因幡(鳥取県)の国守として赴任していたときに詠んだものである。
『万葉集』は、この歌をもって全巻の幕を閉じることになる。
「いや重(し)け」は、いよいよ重なれよ、ということで、命令形。「吉事(よごと)」は、めでたいこと。
新年とあるが、現代の陽暦では二月になろうか。
新春の雪が降りつもる。このようにめでたいことは、いよいよ積み重なれよ、という祈願をこめて詠われている。
家持の因幡行きは左遷だったと言われているが、この賀歌は国守にふさわしい堂々たる風格が感じられるものである。
『万葉集』は大伴家持の編集によるものではないか、と言われているが、その根拠の一つとして、このように重要な巻末に自作の歌を置いていることもあるのである。
この歌は有名な歌で、よく引用されるもの。
大伴家持と万葉集については、私も浅学ながら「未来」誌2001年8月号に、特集として連載された「万葉集─その時、その一首」という企画に編集部から指名されて一文を載せたことがあり、
その時に、少しまとまって万葉集に関する本を読んだことがある。
その文章「恭仁京と大伴家持」はWeb上のHPでもご覧いただける。
ここで「新年」を詠んだ句を引いておく。
年改まり人改まり行くのみぞ・・・・・・・・高浜虚子
年立つや音なし川は闇の中・・・・・・・・久保田万太郎
新年の山重なりて雪ばかり・・・・・・・・室生犀星
新年を見る薔薇色の富士にのみ・・・・・・・・西東三鬼
星恋のまたひととせのはじめの夜・・・・・・・・山口誓子
犬の鼻大いにひかり年立ちぬ・・・・・・・・加藤楸邨
年いよよ水のごとくに迎ふかな・・・・・・・・大野林火
オリオンの楯新しき年に入る・・・・・・・・橋本多佳子
老いざまはとまれ生きざま年初め・・・・・・・・安住敦
年立つて自転車一つ過ぎしのみ・・・・・・・・森澄雄
これからは引算ばかり年迎ふ・・・・・・・・清水基吉
雪に音楽雪に稲妻年始まる・・・・・・・・加藤知世子
人死んでまた死んで年新たなり・・・・・・・・草間時彦
年立つや華甲きのふと思ひしに・・・・・・・・野見山ひふみ
をのこ子の小さきあぐら年新た・・・・・・・・成田千空
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昔は、元日が家族のみで過す印象が強いのに比べ、「一月二日」は、初荷、初商い、書初め、掃き初め、縫い初め、などの行事の日とされた。
これは、この日が初仕事の吉日とされていたためである。
農家では「鋤初め」、漁師では「船乗り初め」などとなる。
私の家は商家だったので、正月休み中にも拘らず従業員が出勤してトラックなどに「初荷」を積んで出発を見送った。
その後には、酒肴のもてなしがあったので、みな、喜んで出社したものである。
荷物そのものは年内に注文を受けて荷造りを済ませてあったもの。
元日は嬉し二日は面白し・・・・・・・・・・丈左
という古い句のあるのも、そういう情景を活写していよう。
今でも「初荷」の習慣はあるが、正月休み明けの日にやるところが多い。
以下、「一月二日」に因む句を引いて終りたい。
鞆の津や既に二日の船出ある・・・・・・・・・・松根東洋城
海鼠あれば二日正月事足んぬ・・・・・・・・・・田中田士英
船神のかざりしづかに二日の夜・・・・・・・・・・伊東月草
客のあと硯開きぬわが二日・・・・・・・・・・石塚友二
蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・橋間石
つねのごと烏賊売の来て二日かな・・・・・・・・・・鈴木真砂女
窯元の賀状届きぬ二日かな・・・・・・・・・・宮田正和
腹の上に猫のせてゐる二日かな・・・・・・・・・・行方克巳
二日はや猪撃ちとめて担ぎこし・・・・・・・・・・大口元通
ざくざくと歩く二日の雑木山・・・・・・・・・・飯田晴
子が駆けて二日いろどる宇治堤・・・・・・・・・・小松初枝
磨る墨の吸ひつきのよき二日かな・・・・・・・・・・澤田佳久
二日はや鑿研ぐ阿波の人形師・・・・・・・・・・溝淵匠史
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