FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201012<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201102
原武史「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史―・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
51qtpQzY6XL__SS500_.jpg

──新・読書ノート──

    原武史「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・・・・新潮文庫 2011/01/01 刊・・・・・・・・・・・・

     鉄道は歴史を乗せているのです。国家の歴史から、個人の小さな淡い歴史まで。
     ――宮部みゆきさんおすすめ! 鉄道を通して時代を捉え直す「鉄学」への誘い。

      開業から百四十年、鉄道はもはや、日本人と切っても切れない存在になった。
   その発達は都市の形成に影響を与え、文学の一ジャンルを生み、沿線に特有の思想を育てた。
      また天皇制支配を視覚的に浸透させる目的で活用されたお召列車での行幸啓など、
      国家や政治とも密接な関わりがあった──鉄道を媒介にして時代を俯瞰する、
      知的で刺激的な「鉄学」入門。『鉄道から見える日本』改題。


新潮社・読書誌「波」一月号に載る対談を引いておく。
---------------------------------------------------------------------

      原 武史『「鉄学」概論』(新潮文庫)刊行記念対談
            我ら「鉄道マニア」に非ず?

              川本三郎×原 武史

      「紀行文」の衰退/鉄道と小説/やはり自分たちもマニア?

「紀行文」の衰退

川本 本日は原さんと鉄道についてのお話ができるということで、鉄道の旅が好きな人間として楽しみにして参りました。
原 どうぞよろしくお願いいたします。
川本 このたび『「鉄学」概論』という文庫を出されましたが、これは原さんがこれまで研究されてきた天皇と鉄道、郊外と鉄道、政治と鉄道などといったテーマが一冊で学べる本ですね。
原 もともとは、NHK教育テレビの「知る楽」という番組のために作ったテキストなので、そういう章立てになりました。今回、文庫として出し直すにあたり、増補や改稿を加えています。
川本 タイトルの「鉄学」というのは面白い言葉ですよね。
原 実はこのテキストのタイトルは、もともと「鉄道から見える日本」というものだったのですが、文庫化にあたってどうしても「鉄道」という言葉をタイトルに使いたくなかったのです。そこで「鉄学」という言葉を考えつきました。
川本 原さんがまえがきでお書きになっているように、この本は、鉄道マニア向けではありませんね。私も鉄道は好きなのですが、車両の種類とか仕組みとか、そういう細かいことには余り興味がないんです。ですから、鉄道を通して日本の歴史を振り返る、という原さんの視点については強く共感しました。
原 ありがとうございます。
川本 こんなことを言うとお叱りをうけるかもしれませんが、一般に鉄道マニアには、鉄道の周辺を見ようとする人が少ないですよね。列車に乗ることが第一で、たとえば、終点の町で降りて駅前の店でちょっとビールを飲んだりとか、町を歩きながら、どうしてそこに駅ができたのか、とかあまり考えたりはしない。
原 そうですね。マニアの興味の対象は、「人間の営み」としての鉄道ではなく、あくまでも「物」としての鉄道なんですよね。昨今、「鉄道ブーム」などと言われて鉄道趣味がもてはやされていますけれども、宮脇俊三さんが活躍していた時代に比べて、ある種の豊饒さを失っているような気がしてなりません。
川本 私もそれは感じます。
原 特に、かつて宮脇さんが書いていたような、文学として成立している「紀行文」というのが、どんどん衰退しているような気がするのです。昔に比べると、鉄道に関する細かいデータを網羅したような本はたくさん出ていますが、それに反していい紀行文が減っている。
川本 その一番の大きな原因は、かなりの数のローカル線がなくなってしまったことなのかもしれませんね。五能線なんて、昔は完全なローカル線だったのに、いまじゃ「リゾートしらかみ」でしょう。
原 あれも商売としては成功しているのかもしれませんが、地元の人にとってはかえって不便になってしまったようです。生活路線として機能しているローカル線に乗り、土地の人とのふれあいや現地の空気を描くという紀行文を書くのが、どんどん難しくなってくる。
川本 乗客が少なくなったからと本数を減らしていくと、客はさらに減る。そんな悪循環が生まれ、廃線へと追い込まれてしまう。とにかく無理をしてでも本数を増やすことが必要なんですよね。
原 九州の松浦鉄道は、国鉄時代は松浦線といって赤字廃止対象路線だったはずですが、本数を増やすことで存続できている。そんな路線はあくまでも少数です。
川本 北海道は悲惨な状況です。留萌本線は、「本線」とは名ばかりで、支線はぜんぶなくなってしまいました。東北新幹線の全通で青森のあたりもすっかり変わってしまうのでしょうか。
原 ただ、東北はわりと鉄道について思い入れが強い地方だと思います。第三セクターも新しく開業しているし、全体で見れば頑張っている方です。でも、安くて便利なバスがどんどんできているので、その影響も出てくると思います。
川本 ローカル線が減ったこともありますが、そもそも紀行文を発表できる場も少なくなりましたね。昔は、JTBの「旅」という雑誌が、鉄道と文学を結びつける役割を果たしていました。昭和二十年代、三十年代に「旅」の編集長だった戸塚文子さんに文人趣味があったので、作家に旅をさせて紀行文を書かせる、というスタイルを作ったんですね。
原 松本清張の『点と線』も「旅」の連載でしたね。「旅」は、いまでは新潮社にうつって女性誌になってしまいましたが。
川本 経費節減の世の中ですし、いま、三十枚、四十枚の長い紀行文を掲載できる雑誌はほとんどないんじゃないかな。
原 書き手の側の問題もありますね。最近の鉄道本は、わかりやすさや情報量の多さ、正確さを重視するあまり、文章がおざなりになって、まるでメールやブログを読んでいるような気持ちにさせられます。
川本 なるほど。私は内田百のエッセイって実は余り好きではないんです、同行者の「ヒマラヤ山系」とのおしゃべりが多くて。旅先で見たもの、観察したことの記録をもっと書いてほしい。でも、あれはあれで名人芸といえばそうなんですが。
原 百ぐらいの技がないと、同行者のエピソード中心で書かれても興ざめさせられるでしょう。やはり、紀行文というのは、書き手の観察眼や描写力、知識が問われるとても難しいジャンルなのだと思います。

 鉄道と小説

川本 エッセイではなく、鉄道が出てくる小説でいうと、松本清張の鉄道ものが好きですね。清張の脂が乗り切っていた時期というのは、ちょうどSLが走っていた最後のころと重なるので、小説の中にいろんな列車が出てくる。
原 実に多彩な鉄道が登場しますね。
川本 たとえば、『波の塔』では身延線に乗って下部温泉に行くくだりがあるし、『ゼロの焦点』では北陸鉄道能登線の旅をするシーンがあった。
原 清張の作品には中央本線もよく出てきますね。『たづたづし』とかね。
川本 『地方紙を買う女』もはっきり書いていませんが甲府が舞台。『眼の壁』にも中央本線の瑞浪が出てきますね。ただ、松本清張もすべて実際に行って書いていたわけではなかったらしい。自身で書いていたことですが、『眼の壁』を雑誌に連載していたとき、瑞浪の町をきれいな川が流れていた、と書いた。そうしたら、読者から「瑞浪は陶器の町なので、川の水は陶土で濁っています」と投書が来た。それで文章を直したと。
原 三島由紀夫の『金閣寺』にも、舞鶴線のことを書いた箇所に、実際には存在しない駅名が書かれていたんです。全集では編集部が直したようですが。
川本 三島はわかったうえで書いていたんでしょうか。
原 それはわかりませんね。でも、基本的に創作なわけですし、鉄道ミステリーでなければ、事実との違いにそれほど目くじらをたてる必要はないと思います。大西巨人なんかは、鉄道について書くとき確信犯的に事実からずらしているような気がしますし。
川本 私も映画を観ていて、鉄道に乗るシーンで事実とのずれを見つけてしまうことが多いんですが、もっと大らかに作品を見なくてはと反省することが多い(笑)。
原 鉄道マニアは事実誤認にとても厳しいですからね、表記の間違いなども絶対に見逃してくれません。私はかつて『「民都」大阪対「帝都」東京』という本を出したとき、読者から正誤表つきの手紙をもらったことがあります(笑)。
川本 映画マニアにも多いですよ、私もたまにそういう手紙をもらいます(笑)。かつて映画についての原稿は、記憶をたどって書くものだったので、美しい誤解も許されていました。でも、最近ではDVDで事実を確認する手段ができてしまったんです。これは厄介です。
原 鉄道に関しても、新潮社の「日本鉄道旅行地図帳」シリーズのような詳細なデータブックが出てきたことで、ますます読者からの指摘が増えてくるでしょう(笑)。

 やはり自分たちもマニア?

川本 けれども、「鉄道旅行地図帳」のような本が売れているということは、それだけ鉄道趣味が一般に浸透しているということなんでしょうね。マニアではない人も、移動の手段としてだけではなく、電車に乗ることを楽しむようになった。
原 川本さんもよく目的を持たずに鉄道旅をされるのですか?
川本 ええ。たとえば東海道本線で国府津まで行って、御殿場線に乗り、その後、身延線で甲府まで行き、中央線で東京に帰ってくる、というコースを日帰りでよくやっています。特に無人駅が好きなんです。
原 中央本線は無人駅が多いですね。梁川、東山梨、春日居町、新府……。
川本 原さんは山梨学院大学にお勤めでしたから、中央本線は特にお詳しいでしょう。山梨学院のある酒折という駅は、甲府の一つ前だから無人駅かな、と思っていたら、立派な駅舎があり驚きました。 
原 そうなんです。大学が目の前にありますからね。酒折は「山梨学院前」と駅名を変更して、特急を停めればいいと思うんです。箱根駅伝の常連校ですから、そこに「たすき」という名の特急を走らせれば完璧です(笑)。
川本 そういえば、秋ごろ中央本線に乗っていたんですが、四方津あたりのさびしい駅に、カメラを持った人が大勢いるんですよ。どうしてこんなところに?と思っていたんですが、その日はどうやら中央線のオレンジ色の車両がなくなる日だったらしいんですね。
原 いまはそれに代わってステンレスの車体の車両になってしまいましたね。
川本 オレンジ色の電車は廃車になるんでしょうか。
原 どうなんでしょう、きっと三十年は超えてると思うので、寿命なのかな。ただ、先日テレビを見ていたら、東急の8500系という電車がインドネシアに輸出されて活躍しているみたいですね。「中央林間」行きの表示のまま、インドネシアで走っているんです。8500系が登場したのが一九七五年ですから、中央線の201系よりも古いはずです。
川本 原さん、車両には詳しくないといいながら、結構ご存じじゃないですか。
原 いえいえ、そうではないんです。ちょうど鉄道趣味に一番燃えていた中学、高校の頃、東急沿線の学校に通っていたので、たまたま記憶に残っていただけなんですよ。
川本 本当にそうなのかなあ? 今日はさんざんマニアの悪口を言っておきながら、結局自分たちも同じ穴のムジナだということが判明してしまいましたね(笑)。
  (かわもと・さぶろう 作家/はら・たけし 明治学院大学教授)

---------------------------------------------------------------------
原武史/ハラ・タケシ

1962(昭和37)年、東京都生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。
国立国会図書館、日本経済新聞社勤務を経て東京大学大学院博士課程中退。
現在、明治学院大学教授、専攻は日本政治思想史。
著書に『昭和天皇』(司馬遼太郎賞受賞)『滝山コミューン一九七四』(講談社ノンフィクション賞受賞)
『「民都」大阪対「帝都」東京』(サントリー学芸賞受賞)『大正天皇』(毎日出版文化賞受賞)
『鉄道ひとつばなし』『皇居前広場』『〈出雲〉という思想』『可視化された帝国』『松本清張の「遺言」』
『沿線風景』などがある。

冬です/渡月橋に/雪が降り出すと/人通りが絶える。/竹林の中の ・・・・・・・・伊ケ崎淑彦
DSC01228雪の渡月橋

     京の四季・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊ケ崎淑彦

       冬です
       渡月橋に
       雪が降り出すと
       人通りが絶える。
       竹林の中の
       野宮神社は
       忘れられた辺境の地に変る。
       雪に誘われて
       鳥居本までくると
       雪が地面から降ってくる。
       北野念仏寺の
       五千体の石仏も
       雪だるまとなって遊んでいる。
       雪見酒と洒落ていると
       見えていた
       愛宕山もかくれて
       キンタマが縮んだ。

nomiya1野宮神社
 ↑ 野宮神社
071202_2化野念仏寺
 ↑化野念仏寺
sagano-toriimoto-kamimathi嵯峨鳥居本・上地区の民家
 ↑嵯峨鳥居本・上地区の民家

-----------------------------------------------------------------
この詩は、『滋賀・京都 詩歌紀行』(著者・日本詩歌句協会、発行・北溟社)に載るものである。
この詩はタイトル通り、京都の四季を、春、夏、秋、冬の順に描いたもので、今日は、その中から「冬」の部分を抄出した。
いずれ季節がめぐってきたら、他の部分も紹介する予定である。

渡月橋も、竹林も、野宮神社も、鳥居本も、化野念仏寺(詩の中で北野となっているのは「化野」の誤植であろう)も、愛宕山も、
いずれも京都市外の洛西と呼ばれる「嵯峨野」の一帯にあるものである。
この詩にあるように、いい季節には、この辺りには人出も多いが、渡月橋のある「嵐山」一帯を除いては、冬は閑散としている。
解説をしておくと、「渡月橋」は京福電車の終点「嵐山」駅から歩いて数分のところにあり、保津川の名前が「大堰川」(おおいがわ)と替ったばかりの川幅200メートルに架かる橋である。
嵐山側には「美空ひばり記念館」や土産物屋が軒を連ね、四季を通じて人通りが多い。「天竜寺」もすぐ近くにある。
「鳥居本」までは嵐山から歩いて行ける。更に足を伸ばすと「大覚寺」「大沢池」などがある。ここは昔、「嵯峨御所」があったところである。
渡月橋を渡った対岸には、俗に嵐山と呼ばれる「岩田山」が川岸に迫っている。
ここには餌付けされた一群の猿が棲んでいるが、先年、頭数が増えすぎて捕獲され、愛知県犬山の日本モンキーセンターに引き取られた。
この辺りを更にどんどん先へ進むと「桂」「物集女」(もずめ)という土地に至る。その奥に、いわゆる「洛西ニュータウン」という住宅地が広がる。
その西には桂川が流れ、有名な「桂離宮」がある。この桂川が京都市と「向日市」との境界になる。

この本には、私の歌も三首収録されているが、今日の一帯に因むものとしては

   虫しぐれ著(しる)く響かふ嵯峨の夜は指揮棒をふる野の仏はや・・・・・・・・・・木村草弥

が載っている。

「化野(あだしの)念仏寺」は嵯峨野にあり、無数の数の石仏、石塔が狭い境内に、ぎっしりと立っている。
ここは8月23日の地蔵盆のときには参拝者の供えるロウソクの炎がゆらゆら揺れて、さながら現世とは思えぬ幻想的な空間を現出する。
「愛宕山(あたごやま)」には火伏の神である「愛宕神社」が鎮座し、京の人々の「火の用心」の崇敬を集めている。
今でも「月参り」と称して、代表者が参詣と「お札」をもらいに月参する慣わしがある。
私の住む地域でも、以前は各町内で月参りを当番が務めていたが、険しい山道を登り降りするのは苦行であり、いくらか廃れて自治会の代表者が年に一回参ることに改められた。

copyright © 2019 Powered By FC2ブログ allrights reserved.