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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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隣家より子を叱るこゑ人間にわかき時間あることをまぶしむ・・・・・・・・・・村島典子
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──村島典子の歌──(9)

      予感30首・・・・・・・・・・村島典子

   隣家より子を叱るこゑ人間にわかき時間(とき)あることをまぶしむ

   大雨のあがりし街に紺青の空あり澄まして陽も覗きをり

   水漬く地表ぐすぐす踏みてあるくとき地中にくすくす声はせむかも

   飛びたたむその隙にして黒き鳥はひらり一本羽根おとしゆく

   水漬きたる道に出できて轢かれたりし蝮いつくしき紋様をもつ

   蝮すら轢かれて死にき太くみじかき胴にちりぼふ銭形模様

   蛇の屍のかたはら通る犬とわれしゆくしゆくい行く生きてあるもの

   父の忌を忘れてすぎし六月よほうたる呼べば闇を打つ雨

   「清涼のみづ」とぎれとぎれに言ひたまひし、こゑまた過る夜の耳もと

   今津浜に恨みのてがみ書きし日も雨打つ水面ひたすらなりき

                  八月四日未明、火事あり
   八月のぬばたまの夜家はぜて火柱は家の幅にたちたり

   火事や火事や火事やと騒ぐ老人の声か入りきつ浅き眠りに

   物干しにいでて驚くただならぬ熱さなりしよ隣家燃えをり

   まづ眼鏡、預かりし孫、犬、夫そのほか思ひつくもののなし

   消防車音消してくる夜の火事太きホースが道を走れる

   ただただに呆然と見る家々の戸口に人は佇むばかり

   ガラス融け熱風入る裏窓も樹木も炎ゆるほかなかりけり

   うしろ隣の二階の窓のすつぽりと融けてしまひぬ炎の舌に

   延焼をまぬかれしこと奇跡なりと消防士いへり現場検証に

   老人と孫のふたりの暮したる家なり門柱のみ焼け残りたり

           *

   あしたより予感はありき手から落ち壊れし皿のやうな一日

   ほうほうとゆかむか然うだ今生のこと今生に治まるなれば

   あづかりし大事の金魚死なしめり模造の青き水草のかげ

   死なせし日金魚の安否をたづね来ぬひらひら赤きスカートをはき

   葉やけせしおほプラタナスに風は来て色づくまでの時告げてゆく

   葭ペンの青きインクに風生れてたちまち秋の湖となりたり

   「転移日記」閉ぢて真底うべなへり中島梓の壮絶の日々

   あたりまへに生きゆくことの大切さ癌をかかへし人のいちにち

   まづ食べて寝て排泄し嗚呼けふもいい天気だと言ふことの謂

   日記とはカウントダウン終の日に近づくならむ残りの頁
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昨年十二月にいただきながら、拙詩集の上梓などに忙しく、紹介が今になった。

先ず「隣家」が火事で全焼し、その延焼をまぬかれ得たことを喜びたい。

一番はじめの歌

   <隣家より子を叱るこゑ人間にわかき時間(とき)あることをまぶしむ>

が何とも言えず秀逸である。
こういう心境は齢を取らないと判らないものである。
全篇しっとりとした歌群である。

はるかに遠い日々から/哲学の道は/古都に住む人々の息づかいを ・・・・・・・・・・・小沢千恵
Tetsugakunomichi01哲学の道

     哲学の道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小沢千恵

      一月の朝 絹さめの中を歩くと
      京都人の手入れの行き届いた
      清流の両側には
      三叉の木と苔むした桜の老木
      川面は霧に包まれて
      時折にポーンポーンと
      どこかの庭から鹿威しの音が聞こえる
      はるかに遠い日々から
      哲学の道は
      古都に住む人々の息づかいを
      清流に変えて流して

      近くにある安楽寺の庭の
      松虫と鈴虫姫の墓に詣でて
      古都の悲哀の女人が流した涙のように
      凛とした真っ赤に咲く寒椿
      巽橋のたもとには今でも変わらない
      純真さをひっそりと守っている三叉の白い花が咲き
      その側を
      穴あきジーンズの金髪の若者がオートバイをかつ飛ばして
      雨にぬれて通りすぎていく
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この詩も昨日に続いて『滋賀・京都 詩歌紀行』に載るものである。

哲学の道とは銀閣寺を南に下がる辺りから南禅寺の辺りまでつづく水路に沿う散策路のことである。
むかし、哲学者の西田幾太郎たちが、この道を散策しながら、哲学の論理を考えた、と伝承される小道である。

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