
一人退(の)き二人よりくる焚火かな・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
この頃では「焚火」も簡単には出来なくなってしまった。
条例で「野焼き」が規制されているのに表れているように、ダイオキシン規制の影響でもあろうし、「火」を焚くことに世の中が神経質になっているからである。
「たきび」という童謡の風景は、今や死語と化してしまった。念のために、この歌の動画をはめ込んでおく。

↑ 巽聖歌
この歌は、作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂。(今風の表記になっているので了承を)
<かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている>
<さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい>
<こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく>
という唄などは、もはや郷愁の中の一風物となってしまったのである。

この童謡「焚き火」の作詞者・巽聖歌に因む土地として伝えられるのが ↑ ここである。
中野区上高田にある『たきび』の歌発祥の地。一般人の住居であるが、中野区による説明板がここの傍にある。
歌詞冒頭の垣根の風情が現在も見ることができる。
当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。
同年の9月に、「幼児の時間」のコーナーの「歌のおけいこ」12月分で放送するために巽の詞に曲を付けて欲しいと、NHK東京放送局から渡辺のもとに依頼があった。詞を見て「ずっと捜し求めていた詞」だと感じた渡辺は、「かきねのかきねの」「たきびだたきびだ」などの繰り返す言葉を気に入り、詞を口ずさんでいるうちに自然にメロディが浮かび、10分ほどで五線譜に音符を書き込み完成させた。
今でも「行事」としての「どんど」「とんど」という大掛かりな焚火もあるが、これらは予め届け出て許可をもらったものである。
この唄にもある通り、「落葉焚き」というのは自然現象とは言え、降り積もる落葉という厄介ものを処分する良い方法だったのである。この燃えた灰の中にサツマイモを入れて「焼き芋」にして、ほかほかの熱いのを食べるのは、冬の子供の楽しみのひとつだったのに。。。
古来、洋の東西を問わず、「火」というものは「穢れ」を浄化するものとして崇められてきた。

↑ 写真に掲げる「那智の火祭り」などは、その一例である。
ヒンズー教や仏教における「火葬」の風習なども「穢れ」を浄化する意味以外の何ものでもない。
京都の夏を彩る「大文字の送り火」なども、そういう意味であり、それに「鎮魂」「魂送り」の意味も含まれる。
「火」はあたたかい。万物を焼き尽くすものでありながら、「冷たく」はない。
輪廻し転生する思想が「火」には含まれているのである。
「焚火」を詠んだ句も、古来たくさんある。それらを引いて終る。
焚火かなし消えんとすれば育てられ・・・・・・・・高浜虚子
燃えたけてほむらはなるる焚火かな・・・・・・・・飯田蛇笏
離れとぶ焔や霧の夕焚火・・・・・・・・原石鼎
夜焚火に金色の崖峙(そばた)てり・・・・・・・・水原秋桜子
道暮れぬ焚火明りにあひしより・・・・・・・・中村汀女
紙屑のピカソも燃ゆるわが焚火・・・・・・・・山口青邨
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな・・・・・・・・松本たかし
ねむれねば真夜の焚火をとりかこむ・・・・・・・・長谷川素逝
焚火火の粉吾の青春永きかな・・・・・・・・中村草田男
隆々と一流木の焚火かな・・・・・・・・西東三鬼
安達太郎の瑠璃襖なす焚火かな・・・・・・・・加藤楸邨
若ものとみれば飛びつく焚火の秀・・・・・・・・能村登四郎
夕焚火あな雪ぞ舞ひ初めにけり・・・・・・・・石塚友二
わめきつつ海女は焚火に駈け寄りぬ・・・・・・・・稲垣雪村
焚火中身を爆ぜ終るもののあり・・・・・・・・野沢節子
ひりひりと膚にし響かふ焚火かな・・・・・・・・青木敏彦
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