
──新・読書ノート──
西崎憲 『蕃東国年代記』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・・・新潮社2010/12/22刊・・・・・・・・・・・・
日本によく似た文化を持つと言われる国〈蕃東〉の美しい都景京で、
永遠を秘めた日々を過ごす、貴族宇内と少年藍佐。
三尾の竜、絶世の美を誇る中将、海の都の怪しい料理屋、
不可思議な霊験のある宝玉を捜す男、草や鳥を涙させる少女。
古今東西の物語に通じた作者が虚空から取り出した、
麗らかで懐かしく、普遍にして新しい物語。
新潮社の読書誌「波」2011年1月号より 書評を引いておく。
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古今東西の幻想を極上の文体でブレンド 大森 望
蕃東国とは、日本海に位置する国家。本州・海州・西州の三つの島からなり、現在の人口は六千万。
日本からの渡来民の子孫が人口の大半を占めるため、言語は日本語にかなり近く、
政治・文化・宗教には日本と中国の影響が非常に強い。
西崎憲『蕃東国年代記』は、この架空の国を舞台にした五話からなる長編小説。
西崎憲と言えば、カーシュやチェスタトンの翻訳者として、また『英国短篇小説の愉しみ』などのアンソロジストとして名高いが、
作曲家・ミュージシャンでもあり、自主映画の監督でもあり――と多彩な活動で知られる。
小説家としては、第十四回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『世界の果ての庭』で二〇〇二年にデビュー。
本書はそれ以来八年ぶりの、待望ひさしい新作単行本となる。
主な舞台は蕃東国の都、景京。時は中世後期。愚帝として知られた臨光帝の御代が中心になる。
貴族文化の爛熟期にあたり、経済的にも豊かになった時代ということで、雰囲気的には平安期の王朝もの+チャイナ・ファンタジーの趣。
冒頭の「雨竜見物」は、有職故実を司る家に生まれた正四位の貴族・宇内が主人公。
飄然とした性格で、従者の藍佐をお供に遊び歩き、至って気ままな暮らしを謳歌する、文字通りの独身貴族である。
小説の魅力は、流麗な文章を読んでいただくのが手っとり早い。
皓い春の雲のあいまから落ちてきた一滴がそのまま長い雨に変わり、三日目の朝になっても降りやまず、都の下々から上つ方まで、
珍らかなものに執心する者たちの心中には、早くも期待の念が萌しはじめたようでもあった。
宇内ももとより奇を嗜む性質だったので、渡り廊下に立って明るく繊い雨の源を見あげながら、
隣でやはり同じような姿勢で空を眺めやる従者の藍佐に云ったものである。
「どうだ、藍佐、今度の雨はなかなか見所がありそうではないか」
卵から孵った竜の仔は、水底で力をたくわえたのち、雨を利用して天に昇る。場所とタイミングによっては、その現場を間近に目撃することができる。
今度の竜が昇る塞の大池は都からわずか半日の距離とあって、いよいよという日は見物客で大にぎわい。
時間いくらで貸し出す急ごしらえの四阿が岸辺に(海の家さながら)ずらりと並んでいる。
まるで花園のようだった。
鮮やかな色の直衣を着た若い貴族たち、貴族たちのつれている相撲人や俳優、被衣姿の女房たち、白拍子、浮かれ女。ある者は傘をさし、
ある者は薄く温かい雨に濡れながら、動く花のように草地を歩きまわった。大きな者、小さな者、老いた者、若い者、人に飼われる犬や、
鸚鵡すらいる草地の賑わいは、たしかにこれまで見たことがないものだった。
描写の美しさのせいか、どことなく頽廃的なムードのせいか、読みながら思い出していたのは、J・G・バラードの『ヴァーミリオン・サンズ』だった。
もっとも、大池には竜だけでなく河犬や河蜘蛛などの奇妙な生き物が棲息し、人間を襲うこともあるから、下手をすると雨竜見物も命がけだ。
のんびりした物見遊山に、それが鮮やかなアクセントをつける。
いちばん長い第五話「気獣と宝玉」は、宇内が十六歳のときの話。
幼なじみの集流の姫君から、自分に求婚しろと強要され、宇内は“風帶の三玉”と呼ばれる伝説の玉を探索に出かける羽目に……。
「竹取物語」に始まる宝探し伝説に暗号解読や魔物との対決をミックスした中編。
澁澤龍彦『高丘親王航海記』の流れを汲む道中記であると同時に、スリリングで現代的な探求(クエスト)ファンタジーとも読める。
古今東西の様々な幻想を極上の文体でブレンドし、限りなく魅力的な非在の国に結晶化させた一冊。
いつまでもこの世界に浸っていたい気分になる。ぜひとも早くこの続きを。 (おおもり・のぞみ 翻訳家・評論家)
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西崎憲/ニシザキ・ケン
1955年青森県生まれ。作家、翻訳家、音楽レーベル主宰。
2002年、『世界の果ての庭』で第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。
訳書に『郵便局と蛇』コッパード、『四人の申し分なき重罪人』チェスタトン、『ヴァージニア・ウルフ短篇集』、『マンスフィールド短篇集』、
『英国短篇小説の愉しみ』(編・共訳、全三巻)、『エドガー・アラン・ポー短篇集』、『ヘミングウェイ短篇集』などがある。
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この小説の目次だけ書いておこう。 「立ち読み」も出来るので、さわりだが覗いてみられよ。
1 雨竜見物
2 霧と煙
3 海林にて
4 有明中将
5 気獣と宝玉

火事を噴きあげては町の密集す・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公
「火事」というのは「冬」の季語である。そう言われると、冬には火事が多いから、なるほど、と納得する。
一年中、火事はどこでも起こっているし、化学的な火災もあるが、俳句の題材になるのは、何と言っても「人家」の火事だろう。
近年は民家の火事が多い。暖房器具の不始末か、焼け死ぬ人も多発しており、消防が広報の車を出して注意を呼びかけている昨今である。
逃げ遅れて死ぬのは老人と子供が多い。可哀そうなことである。

私の住む所には、今は常設の「消防署」があるが、昔の村のときには、そんなものはなく、 「消防団」が唯一のものであった。
僅かな金額の手当ては出たが、基本的にはボランティアであったが、土着の住民にとっては青年期に達すると半ば強制的に入らざるを得ない性質のものだった。
少年期を脱したばかりの頃は「前髪」と称する使い走りをさせられるのであった。農村青年にとっては、一種の「通過儀礼」のようなものであった。
私は学校に行っていたので、そういう「前髪」的なことは経験したことがない。
私が家に帰って「消防団」に入ると、すぐ役員をさせられた。二三年後には旧村単位の「分団」長をさせられた。
私たちの「市」(当時は「町」であった)には分団が四つあったのである。私の下には副分団長以下、支部長四人、総勢約100名が居たのだった。
私の任期は一年だけで助かった。火事は任期中に一度あっただけだが、この仕事は火事だけではなく、水害などにも狩り出された。
治安を保つ一面も担わされていたのだった。
分団長の上には本団の団長、副団長が居た。
昔は田舎では、それらの役に就くことは名誉なこととされていたから、分団長クラスから上は、もっぱら飲み食いや遊興が主な仕事で、30代の血気盛んな頃であるから、
よく飲み歩いたものである。
その頃から私は酒には弱く、付き合いには閉口したが、逃げるわけにはゆかず、今から考えると、よく勤めたものだと思う。
以下、歳時記に載る「火事」の句を引いて終る。
火事鎮むゆらめきありて鼻のさき・・・・・・・・飯田蛇笏
火事見舞あとからあととふえにけり・・・・・・・・久保田万太郎
粥腹はうつつの夢によべの火事・・・・・・・・石川桂郎
火事といへば神田といへば大火かな・・・・・・・・岡本松浜
寄生木やしづかに移る火事の雲・・・・・・・・水原秋桜子
遠き火事哄笑せしが今日黒し・・・・・・・・西東三鬼
火事を見る脳裡に別の声あげて・・・・・・・・加藤楸邨
焼跡の夜火事の雲や押しこぞり・・・・・・・・石田波郷
泣く人の連れ去られゐし火事明り・・・・・・・・中村汀女
火事遠し白紙に音のこんもりと・・・・・・・・飯田龍太
暗黒や関東平野に火事一つ・・・・・・・・金子兜太
また青き夜天にかへる火事の天・・・・・・・・谷野予志
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今日1月17日は「阪神大震災」が起こってから16年である。追悼行事などが行われ、今日一日は、あの災害のことを生々しく思い出すのである。
その日、私はシチリア島と南イタリアの旅から帰ったばかりで、時差ボケのため明け方まで眠れず、ようやく明け方にウトウトしはじめた時刻だった。
また、この日には次女がブラジルのサンパウロのストリート・チルドレン取材のために関空から発つ日だった。
地震のために交通は途絶し、もちろん出発は不能でキャンセルとなり、後日に発つことになったが、妻や娘の友人が神戸にはたくさん居て、
その救援に妻も子もリュックを担いで行ったものである。
娘なんかは、神戸の友人にあげるのだと言って京都から遥々バイクを運転して、自分の「バイク」を差し上げに行ったりもした。
西宮市の関西学院大学前には亡妻の同窓の大学教授が住んで居て、その人は、今でも、その時の救援を感謝しているらしい。
さまざまのことが走馬灯のように脳裏に浮かんで来るのである。
今日一日は「鎮魂」の日として、静かに過ごしたい。
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