K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(2月)月次掲示板
このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
CAAZK7U2篠山・追手神社セツブンソウ藤目俊郎撮影
     篠山・追手神社セツブンソウ(藤目俊郎氏撮影)

今年も、はや二月になりました。 
「二月は逃げる」と言われて早く経ちます。

 新しい読みが一行を変へて、おおその瞬間に雪ふりはじむ・・・・・・・・・・・・・岡井隆
 啄木を思ひつつ来ればきさらぎの朝の渋谷に牡丹雪降る・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 はるかなる冬のすばるに見透かされときに亀裂の走る母性よ・・・・・・・・・・大口玲子
 誰が前世あるいは後生 穏やかな冬日を浴びて目つむる老猿・・・・・・・・・・・三井修
 ほんのりと色さへ添へて花の野にいざなひくるる眠剤ひとつぶ・・・・・・・・秋山佐和子
 次の雪が降るまで消えず残れるを「友待つ雪」と言ふことも知る・・・・・・・・・神作光一
 薄雪の庭に佇む水仙の風姿花伝といふ一書あり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本喜典
 燦々と降るは光か春雪かふりかへるべき一生茫々・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎左永子
 白梅の狭山を出でて乗り継がむ武蔵野線や二月尽きなむ・・・・・・・・・・・・・田井安曇
 腸(はらわた)に春滴るや粥の味・・・・・・・・・・・・・夏目漱石
 雨の中に立春大吉の光りあり・・・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子
 立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男
 われら一夜大いに飲めば寒明けぬ・・・・・・・・・・・・石田波郷
 早春の湾パスカルの青き眸よ・・・・・・・・・・・・・・・・多田裕計
 薄紙に大吉を刷る印刷所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤文香
 冬帽が飛んだマイケルジャクソンも・・・・・・・・・・・・坪内稔典
 被写体をあへていふなら春隣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四 童
 紅梅や失ひしものありにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子
 渡良瀬は利根につづけり柚子は黄に・・・・・・・・・・・・・高島茂
 むめがかや昼寝の猫の耳たてて・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 愛欲の温もりを帯び管楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・三島ゆかり
 冴返る旧居住者の鏡かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北大路

 凍滝を置き去りにする山の神・・・・・・・・・・・・・・・・・三木基史
 自我いつかしづかな琥珀霜の夜・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 俺か俺か非詩か非詩かひしひしと・・・・・・・・・・・・原田否可立
 丹田は排他的利用と雪女・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・須藤徹
 ムクドリの温さに達すヒートテック・・・・・・・・・・・・・山口ろっぱ
 おきなわの音のようなる白き雪・・・・・・・・・・・・・・・伊庭日出樹
 故西脇順三郎氏訳つるのことば・・・・・・・・・・・・・・・・阿部完一
 男老いてコップの水をひといきに・・・・・・・・・・・・・・・柴田午朗
 冬の蝿冬の蜂みなわれに似る・・・・・・・・・・・・・・・・   〃
 春になるぶらさがりたる人間も・・・・・・・・・・・・・・・・・男波弘志
 師系子規にて永き日の球を追ふ・・・・・・・・・・・・・・・久野雅樹
 文鳥は温し牡蠣フライは熱し・・・・・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 厳かに枯野ランゲルハンス島・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
 GoogleYahooで「木村草弥」や「K-SOHYA POEM BLOG」で検索して頂くと数千件のヒットがあります。重複も多いのですが、ここでしか読めないものもあります。

閲覧の仕方
「当月」の記事は開いている状態でご覧になれますが、「先月」などのバックナンバーの閲覧は、上部のカレンダーの « の印を押して「過去」へ進んでください。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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   「地球上のすべての人が、
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──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ

「角川書店」話題の新刊書籍
「新潮社」 今月の新刊
講談社BOOK倶楽部
「集英社文庫」新刊
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詩の本の思潮社
文芸春秋社・書籍ショールーム

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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私の新・詩集『愛の寓意』(角川書店刊)が出来上がりました。
      少部数発行のため書店配本ルートには乗っておりません。
この詩集『愛の寓意』(←リンクになってます)を私のWebのHPに載せました。
ほぼ全文(横書き)をネット上でお読みいただけます。お試し下さい。



薄氷を揺すりせせらぐ野川かな/言葉はづみて摘む蕗の薹/果実盛る赤絵の皿もうららかに・・・・・・・・圭介・漠・英治
鈴木漠五

  ──鈴木漠の詩──(6)

          薄 氷(半歌仙)・・・・・・・・永田圭介・鈴木漠・三木英治

   春  薄氷(うすらひ)を揺すりせせらぐ野川かな         圭介

   春   言葉はづみて摘む蕗の薹                   漠

   春  果実盛る赤絵の皿もうららかに                英治

       碁盤に石の響き定まり                      圭

   夏月 冷奴くづして独り月涼し                      漠

   夏   蛍火舞ふは仮名文字のごと                   英

      世の外(ほか)のひかりこの世へ移しけり             圭

   恋   眩みて白き肌に入れ揚げ                     英

   恋  ひたすらに生くる証しの恋もして                  漠

   秋   ものの形のかげる秋風                       圭

   月  夜もすがら月の射しこむ廃屋に                   英

   秋   紅葉手折りて媼(おうな)歩み来(く)                漠

      あさきゆめいまあやかしの郷(さと)にあり              圭

   冬   狼遠く吠ゆるらしきを                         英

   冬  猟銃をほてる片頬(ほ)に当てしのみ                漠

       宮仕へ辞しはや十年(ととせ)経ぬ                 圭

   花  数奇者の衣を染めて花ふぶき                    英

   春   ポストへ落す春の音信                        漠

                                 圭介・漠・英治 各六句
                          1992年二月首 同年四月尾(文音)

  連句集『虹彩帖』鈴木漠・編 1993年11月書肆季節社刊より
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この本は「連句集」の三番目として刊行されたもので、この本には連句の形式の中で「歌仙」「半歌仙」のみ25件が収録されている。
当初は鈴木漠も、形式には、まだバラエティが無かった様子である。
先に紹介したようなソネット形式も何もない、からである。
この本には連衆として25人が参加されている。
この本の巻末に、鈴木漠が「虹のエクリチュール」という5ページの文章を書いている。一部を引く。

<近年、連句見直しの機運が高まるのに呼応するかのように、現代詩の分野でも、盛んに連詩の試みが行われるようになっている。
共同制作のメリット、その新鮮さなどが、あらためて注目されはじめているのであろう。・・・・・・
こと連詩に関しては、詩人たちの間でも、まだなお方法論の端緒すら見出し得ない状況だといってよいのではないか。・・・・・
自由詩(フリー・ヴァース)としての現代詩が書かれはじめて、すでに百年ちかい歳月が経過している。そして、それはそれなりに、現代の詩想や詩情を叙べるべき器として定着し、相当の成果を挙げてもきたのだったが、その黄金期はすでに過去のものになった、と私などは認識している。
もっと限定した言い方をすれば、活字文化の精粋としての現代詩、あるいは言語表現上のさまざまな制約から「自由」であるべき詩形式としての現代詩の役割は、1950、60年代を頂点として、ほぼ終わっただろうと感じているのである。
その背景、その要因には、何と言っても、情報メディアの革新が挙げられるであろうか。かつて活字一辺倒であったメディアが、いまや映像と音声を中心としたものへと様変わりしたなかで、文芸各ジャンルのそれぞれの在りようも、多様に変化せざるを得ない状況におかれていると言ってよい。・・・・・
袋小路へ向かいつつあるかに見える現代詩に、虹のエクリチュール、その七彩の言葉の富を回復することが出来るかどうか。
遠からぬ日の現代詩の滅びを予感しながら、なおしばらく、詩のトポスから連句の詩法との接点を模索し続けるほかはないと思い定めているのである。>

これは現代詩の実作者としての実感であろうか。
近年、「連句」に注力する彼の熱い思いを見知るのである。



つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が降り来る・・・・・・・・・・・・安永蕗子
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    つきぬけて虚しき空と思ふとき
      燃え殻のごとき雪が降り来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安永蕗子


安永蕗子は熊本の人。父の創刊した歌誌「椎の木」を主宰して今日に至る。
昭和31年「棕櫚の花」50首で第2回角川短歌賞を受賞。
この歌は、「つきぬけて」と表現されるのだから「虚しい」とでも言うような、ポワンと何もない空だと思っていたら、突然、空から「燃え殻」と言われるように、
一般には「牡丹雪」と呼ばれる大きな雪がはらはらと降ってきた、という意味であろうか。
自然のあり様をよく観察して歌にされている。昭和37年刊『魚愁』所載。
川野里子の「短歌とエッセイ」に安永蕗子第二歌集『草炎』に触れたものがあるので、ご覧になるとよい。

以下、安永の歌をひいておく。

   何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる

   かすかなるものに見をれど降る雪の当然にして虎杖(いたどり)を博つ

   飲食(をんじき)のいとまほのかに開く唇(くち)よ我が深淵も知らるる莫けむ

   紫の葡萄を運ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく

   街上にさるびあ赤きひとところ処刑のごとき広場見えゐる

   かへり来てたたみに坐る一塊の無明にとどく夜の光あり

   死を越ゆる方途たまはらざりしかば今の現つのくれなゐ椿

   文芸は書きてぞ卑し書かずして思ふ百語に揺れたつ黄菅(きすげ)

   西安と呼びてほのかに翳りくる四声悲泣の音あるらしも

   いづくにか水をついばむ嘴(はし)の音一尾呑まれてゐる水の音

   もろともに愛(を)しき命は満月に遠く礼(いや)して吾と吾が犬

   薄明の西安街区抜けてゆく奥のかまどに粥煮ゆる頃
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「雪」も、いよいよ終わる季節である。
内村直也作詞、中田喜直作曲になる♪「雪の降るまちを」♪という歌があるが、私はこの歌が大好きで、
カラオケで歌えと言われれば、冬ならば、この歌を選ぶ。
このサイトはメロディーと歌詞と楽譜が出るので、ご覧いただきたい。

↓ 今は「動画」時代であるから一応は載せておくが著作権の関係で削除されたらゴメンなさい。




刹那とは永遠に似て花吹雪/帆に光る風受けて解纜/初虹へ母の願ひは届くらん・・・・・・・・・・・・鈴木漠ほか
鈴木漠四

──鈴木漠の詩──(5)

        連句(ソネット)刹那と永遠・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠ほか

     刹那とは永遠に似て花吹雪         小林三千子(花)

      帆に光る風受けて解纜            鈴木  漠(春)
    
     初虹へ母の願ひは届くらん          在間 洋子(春)

      どうにかなるさそつと嘯(うそぶ)き     森本 多衣(雑)



     エアコンを止めて持ちだす渋団扇       香山 雅代(夏)

      カットグラスが棚を占めをり          山名  才(夏)

     たとふれば君の笑顔は樹の香り        宅見 まき(恋)

      忍ぶ恋にもさがない口端            松本 昌子(恋)



     月と来て愁はしげなる影法師              多衣(月)

      傘開ききる紅天狗茸                  洋子(秋)
     
     土瓶蒸し旬の野菜もありつたけ              才(秋)



      孫に絵手紙贈る折ふし                 雅代(雑)

     誰(た)が弾くや琴の音色は浜千鳥           昌子(冬)

      寒九の雨にぬれ船宿り*                 まき(冬)


2004年四月首尾 NHK神戸文化センター おたくさの会
   *寒九の雨。寒の入り九日目に降る雨。豊年の吉兆。
        ソネット抱擁韻=abba/cddc/eff/egg

鈴木漠・編 連句集『ぜぴゅろす抄』2004年・編集工房ノア刊より

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鈴木漠は最近は「連句」に注力している。
彼の編になる連句集も十以上にものぼるようだ。
この『ぜぴゅろす抄』は10集目にあたる。
これには46篇の連句作品が収録されている。連衆は46人にものぼる。
簡単に説明するのは難しいが、連句にはさまざまな制約、約束事があるが、
ここに採り上げた「座」は西欧詩の十四行詩(ソネット)の形式を取ったものである。
ソネットとは四行、四行、三行、三行に分けた計十四行からなる詩の形式である。
古来の連句には、こういう形はなかったが、西欧詩に慣れた文化人によって取り入れられた。
また、この座では「ソネット抱擁韻=abba/cddc/eff/egg」という韻の踏み方も採用されている。
「脚韻」であるから、↑ の説明を参照して、読み解いてもらうと興味も増すというものである。
これも明治以後に西欧詩に倣って取り入れられたものである。
(注)「ソネット」とは中世イタリアに起源をもつ「脚韻定型詩」。ヨーロッパ中に広まり、17世紀初頭のイギリスではシェイクスピアが多作。
19世紀フランスでも、ボードレール、ランボー、ヴァレリーなどが秀作を残した。わが国では立原道造、中原中也などの無押韻ソネットが知られている。
平坦韻、交差韻、抱擁韻など三種の修辞法がある。
詳しい説明はWikipediaで。
フランスのソネット形式については ← の記事を参照されよ。

「連句」には色々な形式がある。「歌仙」「半歌仙」が主なものだが「二十韻」「百韻」「二十八宿」「短歌行」などがある。
ここでは、以下に「短歌行」という一連を引いておく。
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          寒 駅(短歌行)・・・・・・・・・・宮崎修二朗・鈴木漠・松本昌子


     寒駅の玻璃戸うすづく夕陽かな                 宮崎修二朗(冬)
      越年蝶は羽たたむのみ                     鈴木  漠(冬)
     小豆粥幸ほどほどに侘び住んで                松本 昌子(新年)
      昼食(ひる)はタンポポサラダなど如何(どう)?         修二朗(春)
  ウ 東風(こち)吹いて月を笑はせゐたりけり                 漠(春月)
      真珠色せる石鹸玉消ゆ                         昌子(春)
     mer mere頬触れし児の母となる                    修二朗(恋)
      草矢投げては癒す失恋                           漠(夏恋)
     遠花火音なくひらき崩れゆき                        昌子(夏)
      積木のぬしも三代目なる                        修二朗(雑)
     黄菊白菊さらには青き菊もがな                        漠(秋)
      鶸(ひわ)の群れ来る屋上庭園(ルーフガーデン)           昌子(秋)
 ナオ 有明にまぼろしのファド舟も宿も                     修二朗(月)
      今は昔の銅鑼よ汽笛よ                            昌子(雑)
     地球儀をまはす端居の語らひに                         漠(夏)
      ぬつと現(あ)れたる隣家の蝦蟆(がま)                 修二朗(夏)
     文のせて紙飛行機が垣根越え                         昌子(恋)
      幼馴染みのままの夫婦(めをと)で                       漠(恋)
     パソコンに蜜月(ハネムーン)写真取り込まん               修二朗(恋)
      喜怒哀楽の古日記読む                          昌子(冬)
 ナウ 更くる夜の情念さらと細雪                           漠(冬)
      固茹(かたゆで)たまご若者は欲(ほ)り                 昌子(雑)
     花筵軍歌労働歌より知らず                        修二朗(花)
      大漁旗揚げめざせ魚島                            漠(春)

   2003年一月首尾(ファクシミリ) ひょんの会
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(お断り)
7句目の 「mere」の前の「e」の上には、フランス語なので「アクサングラーヴ」という記号が付くのだが、
表示できないので、ご了承いただきたい。
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ここに作品を収録するのに手間が掛かるし、余り多くても退屈だと思うので、今回は、この辺で。


足もとに降り積む雪を見てをれどさびしくてわれは木などになれず・・・・・・・・・・・・・大西民子
4219-36-w520雪景色③

   足もとに降り積む雪を見てをれど
     さびしくてわれは木などになれず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大西民子


大西民子は奈良女高師在学中に前川佐美雄に歌を学ぶ。のち木俣修に師事し「形成」創刊に参加。二十数年前に死去。
生別したというより、彼女を捨てて他の女に走った前夫との間の心の揺れなどを心象ふかく詠んだ人である。
ネット上では「埼玉の文学・現代篇」に彼女に触れたエッセイがあるので読んでみられるとよい。
以下、歌を挙げておきたい。

   かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は

   帰らざる幾月ドアの合鍵の一つを今も君は持ちゐるらむか

   完(まつた)きは一つとてなき阿羅漢のわらわらと起ちあがる夜無きや

   夢のなかといへども髪をふりみだし人を追ひゐきながく忘れず

   手に重き埴輪の馬の耳ひとつ片耳の馬はいづくにをらむ

   前髪に雪のしづくを光らせて訪(おとな)はむ未知の女のごとく

   切り株につまづきたればくらがりに無数の耳のごとき木の葉ら

   煽られし楽譜を拾ふ時の間にドビュッシイもわれは逃がしてしまふ

   てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る

   伝言板のわが名すばやく拭き消して駅を出づれば木枯しの町

   青みさす雪のあけぼのきぬぎぬのあはれといふも知らで終らむ

   妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか
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今日二月二十六日は昔、昭和11年に陸軍の青年将校が叛乱を起こした「二・二六事件」があった日である。
この頃には太平洋岸に低気圧がもたらす「ドカ雪」が降ることが多く、この事件については何度も記事にしてきたので、
それは遠慮して、大西民子の掲出の歌に因んで書いてみた。

三月中旬になって突然、石川朗という人からコメントが来て、「大西民子の西欧絵画に因む歌」などをお知らせいただいた。アクセスされたい。
この人は大西民子についてWikipedia に作品研究などの記事を執筆しているらしい。 これもご覧になるとよい。

草弥の詩作品・短歌 「エピステーメー」12首・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
短歌
kozo3bigコウゾの雌花
↑ コウゾの花=雌花
kouzo09コウゾの花
↑ 下の白いのは雄花と雄花のつぼみ

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──(71)

       エピステーメー ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ

    手漉紙のやうにつつましく輝(て)る乳房それが疼くから紅い実を蒔かう

    紅い実をひとつ蒔いたら乳房からしつとりと白い樹液が垂れた

    呵責(かしゃく)とも慰藉(ゐしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

 プラトン、アリストテレス「感覚的知覚=ドクサ」に対立する「理性的認識=エピステーメー」『哲学用語辞典』
    フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ

    振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな

    われわれはひととき生きてやがて死ぬ白い紙子の装束をまとひ

    惜しみなく春をひらけるこぶし花、月出でぬ夜は男に倚(よ)りぬ

    くるめきの季(とき)にあらずや<花熟るる幽愁の春>と男の一語

    花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず

    異臭ある山羊フロマージュ食(は)みをりぬ異臭の奥に快楽(けらく)あるかと

    私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

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昨年の十二月中旬に角川書店・月刊誌「短歌」三月号用に、「短歌」編集部から私の新作の歌12首の
投稿依頼があって、締切が1月20日なので、すぐに用意して一月上旬に発送した。
この三月号は本日2月25日発売されたので、今日の日付で載せるものである。

縦書きと横書きでは印象が全然違うので、大きな書店の店頭で立ち読みしてもらいたい。
これには、安いが原稿料が支払われる。

格子戸を開けると外は雪/桜色がよく映えた・・・・・・・・・中原道夫
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    春の雪──京都嵐山にて・・・・・・・・・・・・・・中原道夫

       行きずりのその店の
       それは女将であったか
       仲居であったか
       女の笑顔が
       桜色の着物によく映えた
       迷ったあげくのことであったが
       ぼくはこの店を選んだことが嬉しかった
        ──どうぞ、お茶を
       一口、志野焼きの湯飲みに口をつけたものの
       料理ができるまで少々時間がかかるらしい

       ──ちょっと、用を足してきますから
       ──そちらの奥どすが
       指差す桜色の襟元が旅情をひとしおかきたてた

       ──お戻りやしたか
       席にもどるぼくに新しい茶を出す女の手は美しかった
       ──今日は、よう冷えますので、熱いのを
       ぼくはこの店を選んだことがふたたび嬉しかった
        ──料理もおいしくいただけたけれど、
       お茶がとてもおいしくて
       京女に東男というけれど
       ぼくはこの店を選んだことがまたまた嬉しかった

       格子戸を開けると外は雪
       桜色がよく映えた

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』より)
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写真は「花灯路」という行事の時の嵐山・渡月橋である。
京都は観光地として根強い人気があり、私の首都圏に住む知人など、折にふれて一年に何度も京都に通っている。
そんな中では「冬」はオフシーズンではあるが、「通」の人には、この冬場こそ京都観光の穴場なのだという。
オン・シーズンの時は観光客で混んでしまって、ゆっくりすることも出来ないが、冬なら、ゆつくり見て歩くことが出来よう。
平素は公開しない所も、冬場に公開されることもあり、それが「穴場」と称される所以である。
お試しあれ。


ゆるがせにあるとは見えぬ牡丹の芽・・・・・・・・・・・・・・・・・・後藤夜半
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   ゆるがせにあるとは見えぬ牡丹の芽・・・・・・・・・・・・・・・・・後藤夜半

牡丹の花は四月から六月にかけて咲くが、牡丹の芽は例年だと一月下旬から二月中旬には芽を出すようになるが、今年は寒さが厳しいので、遅れているようだ。
この頃には色々の木や草が芽吹いてくる。
牡丹はキンポウゲ科の落葉低木で中国原産だが、たいへん寒さには強く、晩冬、早春の今の時期に芽を覗かせる。
まだ辺りが枯れ一色の中に、その赤みがかった明るい芽は印象的であり、一種の潔さを感じさせる。

写真①のような芽は、三月頃に成長した芽らしい芽になったものである。

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今の時期では、まだ芽が出始めたもので、せいぜい写真②の程度である。↑

「起てば芍薬、坐れば牡丹・・・」という譬えがある通り、日本でも豪華な花とされるが、中国では古来、牡丹の花が国を代表するものとして珍重される。
写真①と写真②との間に

    折鶴のごとくたためる牡丹の芽・・・・・・・・・山口青邨

というような時期があるのであるが、写真③のような芽である。↓
35753092_v1291497006牡丹の芽

俳句の世界では、「春先の、その逞しい炎のような芽の勢い」を賞するのである。
いわば春の勢いの象徴とも言えよう。
以下、牡丹の芽を詠んだ句を引いて終わる。

 牡丹の芽或ひと日より伸びに伸ぶ・・・・・・・・菅裸馬

 牡丹の芽萌えむとすなりひたに見む・・・・・・・・加藤楸邨

 牡丹の芽ほぐるるは刻かけて待つ・・・・・・・・安住敦

 牡丹の芽当麻の塔の影とありぬ・・・・・・・・水原秋桜子

 牡丹の芽一つ二つを雪つつむ・・・・・・・・山口青邨

 咲かねばならず待たねばならず牡丹の芽・・・・・・・・加藤楸邨

 牡丹の芽すでに紅糸をほぐしたる・・・・・・・・安住敦

 ゆつくりと光が通る牡丹の芽・・・・・・・・能村登四郎

 うごくかと思ひ見てゐる牡丹の芽・・・・・・・・斎藤玄

 人ごゑの遠巻きにして牡丹の芽・・・・・・・・岸田稚魚

 牡丹の芽青ざめながらほぐれけり・・・・・・・・加藤三七子

 日にちから風にちからや牡丹の芽・・・・・・・・大嶽青児

 よろこびのきわまるときの牡丹の芽・・・・・・・・高橋沐石

 南面の仏の視座に牡丹の芽・・・・・・・・北沢瑞史

 牡丹の芽まだ火の匂ひなかりけり・・・・・・・・坂本俊子

 むきだしの力を見せて牡丹の芽・・・・・・・・青柳照葉

そして五月になれば ↓ のような見事な牡丹の花ざかりとなるのである。

botan142牡丹



飢渇は屡々 魂を星に似せる/飢えは 年わかい隻眼の狼を 純粋にしていったのだ・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠③

  ──鈴木漠の詩──(4)

        天 狼・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     飢渇は屡々(しばしば) 魂を星に似せる
     
     古代中国の草原を あるとき はてもしれぬ飢餓が覆うた
     飢えは 年わかい隻眼(かため)の狼を 純粋にしていったのだ
     また幾夜かは皓々たる月明がつづき やがてその月の虧(か)けはじめる夜
     ついに彼の渇仰は頂点に達した 杳(くら)く永遠のようにけぶる地平線にむかって
     彼は疾駆しはじめた
     最後に──人々は 美しく恚(いか)りを燃やして 溶けて空間を 翔(か)けり行く
     悽愴な一頭のけだものを 目撃したのであった


     飢渇は屡々 魂を星の如くする
     古代中国の人々が 光度負(マイナス)一・六等のあの大輝星を「天狼」と名づけた由来は
     つまびらかにするべくもないが 何ものへともなく はげしく閃いた狼の忩怒は
     私の内なるなべての志向と渇仰の果てに つめたく いまも輝くのである
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処女詩集『星と破船』1958年濁流の会刊 に載るものである。
原本は見つからないので、掲出画像の『鈴木漠詩集』(現代詩文庫・思潮社2001/02/28刊)「初期詩篇」から引いた。
鈴木漠はWikipediaなどによると1936年徳島生まれというから、この詩集が出たとき彼は弱冠22歳ということになる。
このアンソロジーの巻末には彼の師とも言える前衛歌人の塚本邦雄が「いづくにか船泊(ふなはて)すらむ」という7ページ半にわたる解説の文を寄せている。
今ここに、それを引くことはしないが、先に掲出した「天狼」の詩も引用されている。
あと、塚本も引いているいくつかの詩を以下に載せておく。
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        風景のなかの人体図・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     風景のなかで人体は
     噴泉となって立ちあがり
     それからそのままで
     ほとんど涸れてしまっている
     それは粘土の骨格からなる
     一縷の望楼である
     あらゆる洪水の先触れとして
     まずやってくるだろう時間の
     断崖(きりぎし)を見張る哨兵である

第五詩集『風景論』1977年書肆季節社刊より
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        坩堝(るつぼ)について・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     坩は土の器
     堝は磁器
     けだし錬金術師の俤(おもかげ)は
     蒼白として土人形に似るであろう
     はじめて火事を目撃した夜の
     甘美な怖れと呪縛と

     坩堝は発熱する
     たとえば水を掬いあげる掌のかたち
     火がそれを願望したなら
     すでにそこに坩堝はある
     これはまた幻想の茂み
     どんな主題をも錯綜させる
     抽象された物質の火を責めるために
     自身はどんな火に抱かれるのか

     樅のなかにひそむ火
     麦わらの火
     本を焦がしあらゆる記憶を焚く火
     ここでは坩堝を
     もっと熱するための炎が必要か?
     娘たちが跳び越える夏至の火?
     木の太腿を擦りあわせ
     ふいごに汗をしたたらせる火?

     坩堝の奥は夜の庭園
     これはまた火の食事
     けれどこころしなければならない
     坩堝の飽食するときを
     叡智を煮る仕事に倦む日日を
     虚空を裂き大地を割って
     地獄からの悪意がふいに
     眼の前に直立するであろう必至の刻を

     弁証法の螺旋階段をかけ昇るばかりではない
     火を汲む愚かな容器のかたち
     火もまた輪廻の器をめぐるのだ
     終りのない遍歴を旅人は続けているのだろうか
     風はあくまで青いのに?
     坩堝が冷めるまでの
     つかの間を
     山は移し終えられただろうか?
     星は微塵となっただろうか?

第六詩集『火』1977年書肆季節社刊より
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        井 筒・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     心の種を播き
     いつか茂らせる ことばの
     ささやかな果樹園
     見えない水脈(みお)を掘りあてる
     婚姻とは
     真新しい井桁を組むことだ
     流れ来(きた)り 流れ去る
     すべてのもの
     ときに地表にあふれ出て
     泉は澄んだ笑い声をたてる
     本来は無一物たるべく
     若い夫と妻の組みあわせ
     婚姻とは
     家具調度の倹(つま)しいたたずまい
     夏の終りには
     精いっぱいにかがやく洗濯物
     都市であれば その平面上に積む
     田舎のイリュージョンを
     丘の起伏や野火などを
     できるだけ原初的に
     かつは音楽的に!
     齲歯の位置ほどにも
     相互にずれる遠近感の中へ
     西風の呼気
     潅木と腐葉土の匂いを
     与えられた小さな秩序に
     かてて加えるならば
     深井に映る星
     嬰児の
     愛くるしい笑顔をこそ

第九詩集『妹背』1986年書肆季節社刊より
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メタファを駆使してあるので、慣れない人にはわかり難いかも知れない。
たとえば『妹背』の中の一連などは、この頃、彼が結婚したことが判る。仔細に読み解いてもらいたい。
     
          
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女
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   詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

もう二月も終わりに近づいてきたので「二月」「如月」「余寒」「冴え返る」などの季語に因む記事を急いで書くことにする。
二月とか如月とかを映像で示すのは、どうしてよいか判らない。
そこで写真には「冬の渚─砂浜に残る人の足跡」を掲出することにした。

掲出した三橋鷹女の句は、季語として二月という言葉はあるけれども、極めて観念的な句で、そこがまた、類句を超えていると思って出してみた。
「詩に痩せて」というところなど、今の私のことを言っているのではないか、とドキリとした。

 うすじろくのべたる小田の二月雪・・・・・・・・松村蒼石

 竹林の月の奥より二月来る・・・・・・・・飯田龍太

 雪原の靄に日が溶け二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 枯れ伏せるもののひかりの二月かな・・・・・・・・遠藤悠紀

 山彦にも毀れるひかり二月の樹・・・・・・・・速水直子

 二月果つ虚空に鳩の銀の渦・・・・・・・・塚原岬

「二月」という季語を使った句を挙げてみた。
「如月」というのは陰暦の二月のことであるから、陽暦では二月末から三月に入るだろう。
「衣更着」の字を宛てるのは、寒さが戻って衣を更に着るからで、「きぬさらぎ」を誤って「きさらぎ」と使ったのだという。
したがって、この言葉は「余寒」のあることを念頭に置いて使うべきだという。

 きさらぎのふりつむ雪をまのあたり・・・・・・・・久保田万太郎

 如月や十字の墓も倶会一処(くゑいつしよ)・・・・・・・・川端茅舎

 きさらぎの水のほとりを時流れ・・・・・・・・・野見山朱鳥

 きさらぎやうしほのごとき街の音・・・・・・・・青木建

 きさらぎは薄闇を去る眼のごとし・・・・・・・・飯田龍太

二十四節気あるいは季語の上では「立春」以後は「春」である。
だから、立春以後、まだ残る寒さを「余寒」という。「冴え返る」という季語も、そういう時に使う。
「春寒」という季語と違うのは、力点が残る寒さの方にあるのである。

 鎌倉を驚かしたる余寒あり・・・・・・・・高浜虚子

 鯉こくや夜はまだ寒千曲川・・・・・・・・森澄雄

 余寒晴卵を割つて濁りなし・・・・・・・・青柳菁々

二月の終わりを「二月尽」という。この「尽」というのは毎月の終わりの日に使える。
もうすぐ三月だという季節感が盛られている季語である。

 ちらちらと空を梅ちり二月尽・・・・・・・・原石鼎

 束の間のかげろふ立てば二月尽・・・・・・・・森澄雄

 風邪の眼に雪嶺ゆらぐ二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 よべの雨に家々ぬれて二月尽・・・・・・・・内田百



芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅咲き初むる如月の丘・・・・・・・・・・木村草弥
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     芝点(しばたて)の茶事の華やぎ思ひをり
       梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。

掲出の写真は野外で茶をたてる時に使う「野点(のだて)セット」というもので、この携帯用のものの中に茶をたてる最低必要なものが入っている。
「芝点」と称して芝に毛氈を敷いて茶会をやる時には、もう少し道具類を用意するのが普通である。
寒い風の吹く季節をやり過ごして、うららかな春になると、家の中ではなく、野外に出て「野点(のだて)」をやりたくなる。芝生の上でやるのが「芝点(しばたて)」である。
「芝点」では「旅箪笥」などを使って茶を点てるのが普通である。
その由来についてWEB上では、次のような記事が出ているので貼り付けておく。

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<旅箪笥(写真②)は桐木地・ケンドン扉・鉄金具の鍵付きの小棚で、小田原出陣の折、陣中にて茶を点てる為に、利休居士により創案されたものだそうです。
道具を中にしまって背中にしょって出掛けたのでしょうか。

旅箪笥を使って「芝点て」の稽古です。
準備は地板に水差しを、2枚ある棚板の下方に棗と茶碗を飾り、上方の棚の左端の切り込みに柄杓を掛け、柄杓の柄の元に蓋置を飾り、ケンドン扉を閉めます。
建水だけを持ち手前座に入り、扉を開け(この開け方もなめらかに静かに行います)道具を取り出しお茶を点てるのですが、棚板の1枚を抜き出し、
その上に棗・茶筅を置く「芝点て」は、花見時の野点の光景が目に浮かぶ様な気がします。その雰囲気を楽しむ為か旅箪笥はよく釣り釜とあわせられるそうです。
特に季節を選ぶ棚ではないと言われますが、その風情から早春~春に用いられることが多いそうです。風炉との取り合わせはないそうです。>
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上の記事にあるように、本来は野外で点てるのを、後世になると、「芝点」と称して家の中でお点前をするようになったものであり、
ここまで来ると、「先ず茶道の作法ありき」という気がして嫌である。
私が「芝点」というのは文字通りの芝生の上での野点である。
私の歌は、梅が咲き初めた如月の丘に居て、もうしばらくすると芝点の時期がやって来る、楽しみだなあ、という感慨である。

以下、掲出の歌につづく一連の歌を下に引いて、ご覧に入れる。

      野 点

   芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・木村草弥

   毛氈に揃ふ双膝肉づきて目に眩しかり春の野点は

   野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明(むみやう)のうつつ

   香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ




冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    冷えまさる如月の今宵
     「夜咄(よばなし)の茶事」と名づけて我ら寛ぐ・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、「夜咄の茶事」という11首からなる一連のはじめの歌である。
WebのHPでも自選に採っているので、ご覧いただける。

「夜咄の茶事」というのは伝統的な茶道の行事で、作法としても結構むつかしいものだが、私たちは、歌にも「寛ぐ」と書いたように略式にして楽しんだものである。
千利休などが茶道の基礎を固めはじめた頃は、茶道は、もっと融通無碍の自由なものであった。
それが代々宗匠の手を経るに従って、それらの形式が「教条主義」に陥ってしまった。
そういう茶道界の内実を知る私たちとしては、そういう縛りから自らを解放して、もっと自由な茶道をめざしたいと考えた。
だから先人にならって「番茶道」を提唱したりした。
利休語録として有名な言葉だが、

  「茶の湯とはただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなる」

というのが、ある。これは、まさに先に私が書いた利休の茶道の原点なのである。

この「夜咄の茶事」の一連は、私にとっても自信と愛着のあるものなので、ここに引用しておく。

     夜咄の茶事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ

   風化せる恭仁(くに)の古材は杉の戸に波をゑがけり旧(ふる)き泉川

   年ごとに替る干支の香合の数多くなり歳月つもる

   雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく
   
   釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

   緑青のふきたる銅(あか)の水指にたたへる水はきさらぎの彩(いろ)

   恭仁京の宮の辺りに敷かれゐし塼(せん)もて風炉の敷瓦とす

   アユタヤのチアン王女を思はしむ鈍き光の南鐐(シヤム)の建水

   呉須の器の藍濃き膚(はだへ)ほてらせて葩餅(はなびらもち)はくれなゐの色

   釉薬の白くかかりて一碗はたつぷりと掌(て)に余りてをりぬ

   手捻りの稚拙のかたちほほ笑まし茶盌の銘は「亞土」とありて


潰えた家々は/月明りの中で/自らの全き形態を/夢見ていただろうか・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠②

  ──鈴木漠の詩──(3)

        変容 * * * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     日々に積み累ねる
     時間の柱にも
     地異によってもたらされた
     断層があり
     さらでだに
     変貌を続ける都市図がある
     たとえば それは
     脇道と本通りの
     埋めがたい段差ともなるだろうか
     水道管からは
     秩序なく水が溢れ
     建築は しばしば
     その骨格を露わにするのだが
     潰(つい)えた家々は
     月明りの中で
     自らの全き形態を
     ときには球体や円錐形を
     夢見ていただろうか
     変容 とは
     内なる他者に出遇うこと
     言葉の新しい脈絡を
     見出だすことだろう
     空を刷く彗星の尾は
     夜々を遠離(ざか)り
     明日はパステルで描かれた太陽が
     癒しのように
     市街図の上を回るだろう

   詩集『変容』(編集工房ノア1998年5月刊)より
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ご承知のように、1995/01/17夜明けに阪神大震災が起こり、神戸をはじめとする地域は大きな損害を受けた。
作者は神戸在住の人であるから、この地震に遭遇しているわけである。
この詩集は、これを受けて書かれたものである。「変容」という題名が、それを物語っている。
「変容」という詩には「*」から「****」まであり、掲出したものは「***」であり、題名の横にアスタリスクが記載されている。
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        形態 * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     一斉に緑の火を点じて
     萌黄 若草 うぐいす色
     重畳する植物相の下陰に
     脱皮したばかりの蛇は はやくも
     エロスの滑(ぬめ)りをかがやかせる
     知恵の輪を 結んだり解(ほど)いたり
     その疑問符
     ときには間投詞
     言葉とは 光の
     ひとつの形態だと思えてくる
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        変容 * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                          太陽が臀を燻すと
                              われらは変容(メタモルフォズ)した  竹友辰


     殻を割って
     羽化する昆虫たち
     橋の下の薄暗がりで
     ひめやかに
     脱皮をおえたばかりの蛇
     みずみずしい少年は
     徒歩(かち)でもって水を渉る
     その指でめくられる
     見えない日捲(めく)り暦
     めくるめく太陽の変貌は
     固くて青い房から
     やがて熟成する葡萄 のようだ
     橋の下を水は流れ
     すべては停(とど)まることを知らぬ
     須臾の少年も
     時々刻々を変容し
     老いと死と
     自らの再生に向かって
     すでに急ぎ足だ
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         虹 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     幼子が開く絵本の
     その彩色の中から
     そのまま続くかのように
     雨の霽(は)れ間を
     淡い虹は 懸かる

     悲しみ苦しみ そして愁い
     日々に過ぎていく事象は
     ときに苛酷でさえある
     絵本の物語が
     しばしばそうであるように

     物語の結末はどのようであれ
     いっさいを慰藉(いしゃ)するために
     天と地を結んで
     虹は懸からなければならぬ
     虹を
     懸けなければならぬ

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この詩集には全部で45篇の作品が収められているが、うち15篇は阪神大震災以前に発表されているので、別の性格を持っていると言えるだろう。
ここに引いた4作品は、読めば判るように、何らかの意味で大震災を惹いていると言える。
詩としてのメタファーも駆使してあるので玩味してもらいたい。     


     
ペン胼胝の指を擦ればそのさきに言葉乞食が坐つてゐるよ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   ペン胼胝(たこ)の指を擦(さす)ればそのさきに
     言葉乞食が坐つてゐるよ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。

今どきの若い人のペンの持ち方は変な指使いになっているので、ペン胼胝が、指のどの辺に出来るのか、あるいは出来ないのか、私には判らない。
いちばん自然なペンの持ち方をすれば、親指と人差し指でペンをつまんで、中指に添えて握るので、ペン胼胝は中指の第一関節の前あたりに出来るのが普通である。
「事務屋」として人生の大半を過ごした人には、この「ペン胼胝」があるのが普通だろう。
もっとも、この頃では事務処理もコンピュータになったから入力も「キーボード」で、したがって指先を使うことが多い。
以前は手書き伝票などは何枚複写かになっていて、力を入れて書く必要があったから、職業病として「ペン胼胝」は、その人の証明書のようなものであった。
ネットを検索していたら、以下のような記事に当たったので転載しておく。
掲出画像は、この記事「ぺんだこを防止できる鉛筆の握り方」に載るイラストである。
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<PC中心のデジタル化された現代のお仕事とはいえ、手書きもまだまだなくなりませんね。
ライフハッカー過去記事「ノートを上手にとるための4つのコツ」でも触れたとおり、書くことで頭の中を整理したり、記憶にとどめやすくなるという効果もあるようです。
そこで、今回はこの番外編として、ペンだこを防止できるちょっと新しい鉛筆の握り方をご紹介します。

米紙「New York Times」では、力をあまり入れずにサラリと文字が書ける鉛筆の握り方を紹介しています。
その方法とはナント、鉛筆を人差し指と中指ではさんで、親指を沿えて動かすというもの。冒頭の画像の右側のような具合です。
日本の小学校でも学ぶ従来の"正しい握り方"は、冒頭画像の左側のように、親指と人差し指で持って、中指を添えるという方法ですが、
この記事が紹介している方法のほうが、指や腕に負担がかかりにくく、ペンだこや腱鞘炎を防げるそうですよ。>
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「ペン胼胝」のことを長々と書いたが、私の歌の本題は「言葉乞食」ということにあるのだった。
文芸表現者の端くれとして長年やってきたが、文芸表現というものは、つまるところ斬新な「言葉」探しに尽きると言えるだろう。
それを、私は「言葉乞食」と言ってみた。言葉探しにうろうろと歩き回る乞食のような存在だということである。
聖書の言葉に「はじめに言葉ありき」というのがある。
これは、キリストの教えが、すべてに優先する、というのが厳密な意味ではあるが、この言葉をもじって言えば、
文芸表現者にとっては、何よりも「言葉」が大切であって、
いかに表現する言葉を選ぶかに腐心するかに執着するからである。
「言葉」探しは、散文よりも「詩」においては、特に大切である。
なぜなら、詩は短いから、言葉を、より的確に選ばなければならない。
何度も書くので恐縮だが、ポール・ヴァレリーの言葉に

      <散文は歩行であるが、詩はダンスである>

というのがある。
この言葉に初めて遇ったのは、まだ20歳くらいの頃、三好達治の文芸講演会があって、彼の口から聞いて、他のことは忘れたが、
この言葉だけは、今も鮮明に記憶の中にあるのだった。
これこそ、散文と詩との違いを過不足なく、的確に言い表したものであろう。
「詩」の用語というのは、それだけ吟味して選び抜く必要があるということである。
私の詩や歌が、果たして、それを勝ち得ているかどうかは心許ないが、その方向に努めているということだけは言えるだろう。
どうしても「日常」に堕してしまいがちなので、日常の「陳腐」な言葉に埋没してしまっては、いけない。
もっとも、日常の陳腐な言葉でも、使い方によっては「詩語」に転化できるということは、ある。
要は、それらの言葉の使い方が「斬新」であるか、どうかが問題になって来るのである。

牡蠣の酢に和解の心曇るなり・・・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
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    牡蠣の酢に和解の心曇るなり・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷

冬の季節には「牡蠣」(かき)が美味なるものの一つである。
写真①は「焼き牡蠣」である。

掲出の波郷の句の牡蠣は何だろうか。単純に「酢牡蠣」としてよかろう。
フランス人も牡蠣をよく食べることは知られている。
Web上で見つけた「フランス落書き帳」というサイトによると、ボルドー(正確にはアルカッション)の牡蠣生産は有名らしい。
フランス国内需要の元になるチビ牡蠣の約70%を供給しているという。

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↑ 写真②の、牡蠣9個、白ワイン、パン、海を見ながらのロケーションを含めて6ユーロ(約1000円)くらいだという。
(もっとも、これは産地で食べる値段であって、パリのそこそこの店で食べたら20ユーロ以上取られるらしい)
日本でも酢牡蠣にして食べるが、フランスでは生牡蠣にレモンをしぼって食べる。
また、この地方では焼いたソーセージと一緒に食べることも多いと言い、その場合は赤ワインとともに賞味するらしい。
私はオランダで「ムール貝」を食べたことがあるが、フランスで「牡蠣」を生食したことはない。

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↑ 写真③は「牡蠣フライ」だが、外食しても、家庭でも、この牡蠣フライが一番ポピュラーではないかと思う。
牡蠣は「海のミルク」と表現されるように、栄養素を豊富に含んでいる。出来れば、海の汚染されていない、きれいな海の産地のものが望ましいだろう。
写真①に載せた「焼き牡蠣」は適当に水分が飛んで、しかも海水のほのかな塩気が食欲をそそる。
この1月下旬に安芸の宮島に遊んだが、そこで「焼き牡蠣」を食べた。
目の前で網で焼いてくれて熱々を食べる。ふーふー言いながらの美味で2個で400円だった。

写真には載せないが土鍋での水炊きもおいしいものである。冬の季節には暖かい鍋物は、体が温まって、ほっこりした気分になる。
妻が元気な時は、家でも、よく食べたが、妻が亡くなった今では鍋物はほとんど姿を消した。

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↑ 写真④は牡蠣とホーレン草のクリームパスタである。
このように和風、洋風さまざまに料理は工夫できよう。今は年代によって料理の好みもさまざまであるから、ある料理法に固執する必要はないのである。
年配者向きには、牡蠣の使い残りで「牡蠣のしぐれ煮」なども喜ばれる。ご飯が少し余った時など、こんな佃煮も重宝なものである。
牡蠣雑炊なども水炊きの後のエキスの入った汁の活用として、おいしくいただける。
何だか、料理番組みたいになってしまったが、冬の味覚として私の大好きな食品である。

以下、牡蠣を詠んだ句を少し引いて終りたい。

 牡蠣はかる水の寒さや枡の中・・・・・・・・高浜虚子

 牡蠣鍋の葱の切つ先そろひけり・・・・・・・・水原秋桜子

 だまり食ふひとりの夕餉牡蠣をあまさず・・・・・・・・加藤楸邨

 牡蠣むきの殻投げおとす音ばかり・・・・・・・・中村汀女

 灯の下に牡蠣喰ふ都遠く来て・・・・・・・・角川源義

 母病めば牡蠣に冷たき海の香す・・・・・・・・野沢節子

 牡蠣好きの母なく妻と食ひをり・・・・・・・・杉山岳陽

 牡蠣そだつ静かに剛き湾の月・・・・・・・・柴田白葉女

 夕潮の静かに疾し牡蠣筏・・・・・・・・打出綾子

 亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・・・・・・本多静江

 牡蠣殻が光る鴉の散歩道・・・・・・・・藤井亘
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今日19日は「雨水」である。
立春から15日経ち、これからは、この二十四節気の字の通り、一雨こどに暖かくなって、春に刻々と季節が移ってゆくことになる。
あれだけ寒かった日々が嘘のようである。

ようやく太陽は生まれて/ひとすじ/洗朱の帯が解かれている・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
鈴木漠

──鈴木漠の詩──(2)

        洗朱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     沖の方には
     巨きな器があって
     絶えず時間を汲み上げている
     夜明けちかく
     波打際はめくれていて
     それは 婚姻の床の
     柔らかく冷たい敷布だ
     群れて飛んで
     鳥たちはそのまま
     愛憐の文様となるのだろう
     ここでは
     自然が 人間を
     人間の営みを模倣するのだ
     ひっそりとして
     死者と生者とが
     交わる気配もする
     天地に慈しみはない*
     と いわれるのだが
     あの 雲と波との重なるあたり
     ようやく太陽は生まれて
     ひとすじ
     洗朱(あらいしゅ)の帯が解かれている*
     曙
     蕩児のように
     光を背負って
     船が一艘帰ってくる

         *天地に・・・。老子「上篇」
          *洗朱。色名、黄色を帯びた薄い朱色。

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        銀・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     年老いて
     樹木は眠っているが
     その枝々の固い芽も
     心なしか少しくふくらんで
     春隣(はるとなり)
     という優しい言葉
     万物ほほえむ季節は
     すぐ手の触れるところまで
     近づいたらしい


     明け方
     青年の夢の中に降り積んで
     淡雪
     更衣(きさらぎ)
     消えがての
     名残の銀箔世界
   
   鈴木漠詩集『色彩論』(1993年書肆季節社刊)から
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ようやく鈴木漠の詩集を手に入れたので披露しておく。
2009/04/29には、この詩集から「橙」の詩を引いたことがある。
難しい語句はないが、しみじみとした詩境が盛られているので鑑賞されたい。
二番目の詩には、今の季節がらの詩を引いておいた。
引き続き、いくつかの詩集から作品を引く予定である。
鈴木漠については ← Wikipediaに詳しい。

<地の意思を空に刻みて冬木立つ>男ごころと言ふべし 冬木・・・・・・・・・・・木村草弥
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    <地の意思を空に刻みて冬木立つ>
          男ごころと言ふべし 冬木・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


< >内の俳句は馬場駿吉の作品である。
馬場は名古屋市立大学病院の教授で医師であるが、前衛的な俳句作者としても著名な人である。
馬場の句は「地の意思」を「空に刻み」という立体的な句作りが独特である。
このような他人の作品を、歌なり句なり詩の中などに取り込むのを「コラージュ」という。

私の歌も、それを採用している。
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、「阿音の形而上学」という13首からなる一連の中の一首である。
冬のきびしい空気の中に立つ冬木に「男ごころ」を読み取ったというのである。

「冬木」という冬の季語には、冬の間の、息をひそめたような木々を表わすものがあるのである。
以下、少し冬木の句を引いて終りたい。

 大空にのび傾ける冬木かな・・・・・・・・高浜虚子

 冬木中一本道を通りけり・・・・・・・・臼田亞浪

 夢に見れば死もなつかしや冬木風・・・・・・・・富田木歩

 つなぎやれば馬も冬木のしづけさに・・・・・・・・大野林火

 その冬木誰も瞶めては去りぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 わが凭れる冬木ぞ空の真中指す・・・・・・・・八木絵馬

 みちのくの夕日あまねき冬木かな・・・・・・・・五所平之助

 猫下りて次第にくらくなる冬木・・・・・・・・佐藤鬼房

 冬木伐り倒すを他の樹が囲む・・・・・・・・武藤不二彦

 大冬木鹿の瞳何にうるほふや・・・・・・・・松野静子

 冬木の手剪られ切り口鮮しき・・・・・・・・稲垣きくの


赭土の坂をのぼれば梅の香はすがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   赭(あか)土の坂をのぼれば梅の香は
     すがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の住む「青谷」という所は鎌倉時代からの梅の名所である。
今では「城州白」という品種の梅が「梅酒」の原料としてピカ一であるとかで珍重されているらしい。
「梅」の歌は、私はいくつも作ったし、BLOGにも再三載せてきた。
特に2月19日は私たちの長姉・登志子の死んだ日であり、このこともBLOGに書いたことがある。

梅の花は、その香気と花の姿が万葉集の頃から愛でられた。その頃は「花」と言えば梅のことであった。
桜が花の代表のようになるのは「古今和歌集」になってからである。
それに、梅の花は花期が長く、桜のように、わっと咲いて、わっと散ることはないから趣がある。
私は梅の名所に住んでいるから言うのではなく、梅の方が好きである。

hana565_1_ume紅梅

紅梅は白梅よりも花の開花がやや遅いのが普通である。
濃艶な感じがする。
尾形光琳の「紅白梅図」の絵の紅梅、白梅の対照の美しさが思い出される。

梅の花は古典俳句にもたくさん作られてきた。

 梅が香にのつと日の出る山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 むめ一輪一りんほどのあたたかさ・・・・・・・・服部嵐雪

 二もとの梅に遅速を愛すかな・・・・・・・・・与謝蕪村

などの句が、それである。
その香気、春を告げる開花の時期に、句眼がおかれている。
以下、梅を詠んだ句を引いて終わる。

 山川のとどろく梅を手折るかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 梅一枝つらぬく闇に雨はげし・・・・・・・・水原秋桜子

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・中村草田男

 悲しめば鱗のごとく梅散りしく・・・・・・・・原コウ子

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・石田波郷

 てのひらを添え白梅の蕾検る・・・・・・・・大野林火

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・・星野立子

 梅が香に襲はれもする縋られも・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・西島麦南

 静けさのどこか揺れゐて梅白し・・・・・・・・鷲谷七菜子

 月光に花梅の紅触るるらし・・・・・・・・飯田蛇笏

 うすきうすきうす紅梅によりそひぬ・・・・・・・・池内友次郎

 紅梅に雪かむさりて晴れにけり・・・・・・・・松本長

 伊豆の海や紅梅の上に波ながれ・・・・・・・・水原秋桜子

 一本の紅梅を愛で年を経たり・・・・・・・・・山口青邨

 紅梅の燃えたつてをり風の中・・・・・・・・松本たかし

 紅梅や熱はしづかに身にまとふ・・・・・・・・中村汀女

 梅紅し雪後の落暉きえてなほ・・・・・・・・西島麦南

 厄介や紅梅の咲き満ちたるは・・・・・・・・永田耕衣

 紅梅や一人娘にして凛と・・・・・・・・上野泰

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の紅のただよふ中に入る・・・・・・・・吉野義子

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・古賀まり子



凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人
muraムラサキシジミ

──京の冬の庭の句いくつか──

   ■凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「凍蝶」については何度も書いた。最近にも載せたが、成虫のまま冬を越す蝶のことである。
写真①のムラサキシジミも、成虫のまま越冬することが知られている本州に棲む蝶である。
「築地」とは築地塀とも言うが、泥土を固めて作った塀で上に瓦を乗せてある。
京都の寺院の塀などは、みな築地造りである。
この句は、冬の季節の今、そんな築地を眺めながら、「凍蝶は、この庭のどこかで越冬しながら春を待ちこがねて、やがて春になれば、
この高くはない築地を越えてゆくのだろう」と思いをめぐらしているのである。
しみじみとした情趣のある句である。

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   ■如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

俳句は17字と短いので語句を省略することが多い。この句も「ひとひら」ということについては何も書いてない。
この句の場合、「ひとひら」というのが、今の季節の梅の花びらが浮いているのか、あるいは水に映る金閣を花に譬えて「ひとひら」と言ったのか、
読者にさまざまに想像させる言外の効果をもたらすだろう。
何もかも言い切ってしまった句よりも、「言いさし」の句の方が趣があるというものである。

   春雪や金閣金を恣(ほしいまま)・・・・・・・・松根東洋城

   池にうつる衣笠寒くしぐれけり・・・・・・・・・名和三幹竹

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   ■寒庭に在る石更に省くべし・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

   梅天やさびしさ極む心の石・・・・・・・・・・中村汀女

   みな底の余寒に跼み夕送る・・・・・・・・・宮武寒々

これらの句は龍安寺で詠まれたものである。
写真③には雪の石庭を出してみた。
掲出の誓子の句は「石更に省くべし」という大胆なことを言っている。
この寺は臨済宗妙心寺派の古刹だが、応仁の乱の東軍の大将・細川勝元が創建したが応仁の乱で消失し、勝元の子・政元が再興したが
寛政9年(1797)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失い、現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものという。
因みに、最初に掲出した相生垣瓜人の句は、ここ龍安寺で詠まれたものである。

kakura-nisonin35w愛新覚羅浩(嵯峨)家

  ■僧も出て焼かるる芝や二尊院・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

   雪解(ゆきげ)水ここだ溢れて二尊院・・・・・・・・・波多野爽波

二尊院は嵯峨野の西の小倉山の山懐にある。
ここには正親町三条を源とする「嵯峨」家30代にわたる菩提寺で、写真④に掲出する嵯峨家の墓がある。
愛新覚羅浩という、元の満州国皇帝の弟に嫁いだ浩は嵯峨家の出身である。

    からくにと大和のくにがむすばれて永久に幸あれ千代に八千代に

昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、愛新覚羅浩が、わが身を顧みて、心からその喜びを歌に詠んだ。まな娘・慧生の23回忌であった。
小倉山というのは「百人一首」で知られるところである。

giouji1祇王寺

   ■祇王寺と書けばなまめく牡丹雪・・・・・・・・・・・・・・・高岡智照尼

    句を作る尼美しき彼岸かな・・・・・・・・・吉井勇

    祇王祇女ひそかに嵯峨の星祭・・・・・・・・・岡本綺堂

    声のして冬をゆたかに山の水・・・・・・・・・鈴木六林男

    祇王寺の暮靄(ぼあい)の水の凍てず流る・・・・・・・丸山海道

    しぐるるや手触れて小さき墓ふたつ・・・・・・・・・貞吉直子

「祇王寺」とは平家物語で知られる白拍子祇王ゆかりの寺である。寺というよりも庵であろうか。
平清盛の寵愛を受けていたが、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで尼となった。
後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたという。
この庵は法然上人の門弟・良鎮によって創められた往生院の境内にあったが、
今の建物は明治28年に、時の京都府知事・北垣国道が嵯峨にあった別荘の一棟を寄付したものである。
所在は嵯峨鳥居本小坂町である。
この句の作者高岡智照尼については←ここを参照されたい。

木村草弥詩集『愛の寓意』の山田兼士ツイート「短評」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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   木村草弥詩集『愛の寓意』について山田兼士ツイート「短評」・・・・・・・・・・・木村草弥


詩人・評論家の山田兼士さんのHPのdiaryからのツィート2011/02/15 に下記のような「短評」が出ているので引いておく。

<木村草弥『愛の寓意』(角川書店)ブロンツィーノの「愛の寓意」など西洋名画への解説や長歌や短歌をすべて「詩」として編纂したミクスト詩集。
通常の行分け詩もあるが、中心を成すのは伝統的詩型と散文詩型の対照。いわゆる「現代詩」の領域を思う存分拡大するとこういうかたちになるのか、と納得。>

山田兼士(やまだ・けんじ)

1953年岐阜県大垣市生れ。フランス文学者・詩評論家。大阪芸術大学教授。大阪文学協会理事。
著書『ボードレール《パリの憂愁》論』『小野十三郎論』『ボードレールの詩学』(共に砂子屋書房)
『抒情の宿命・詩の行方―朔太郎・賢治・中也』(思潮社)『百年のフランス詩―ボードレールからシュルレアリスムまで』(澪標)
詩集『微光と煙』(思潮社)など。編著『対訳・フランス歌曲詩集』(彼方社)『歌う!ボードレール』(同朋舎)『小野十三郎を読む』(思潮社)など。
共著『萩原朔太郎の世界』(砂子屋書房)『谷川俊太郎《詩》を語る』(澪標)など。
訳書『ボードレールと「パリの憂愁」』(ヒドルストン著、沖積舎)、
『フランス歌曲の珠玉―深い理解と演奏のために』(フランソワ・ル・ルー他著、春秋社、美山節子との共訳)など。
詩誌「別冊・詩の発見」主宰。季刊「びーぐる―詩の海へ」編集同人。



淡雪にいたくしづもるわが家近く御所といふふかきふかき闇あり・・・・・・・・・・・・林和清
800px-Kyoto_palace02御所・紫宸殿

──冬の京の歌5題──

   ■淡雪にいたくしづもるわが家近く
     御所といふふかきふかき闇あり・・・・・・・・・・・・・・・・・林和清


この人・林和清 は若手のホープとして期待される京都在住の歌人である。
このサイト↑ からは彼の写真も見られる。甘いマスクの美男子で、文化講座ではオバさんたちに人気があるらしい。

御所を「ふかきふかき闇」と把握するところが、この人らしい独自性のあるところである。
実際のところ、天皇家などというものは、われわれ庶民にはわかり難い世界であって、それらを「闇」と把握したのであろう。
2005年に亡くなった、前衛歌人の双璧と呼ばれた塚本邦雄の結社「玲瓏」のホープとされているのが、この人である。
二十三歳のとき塚本邦雄に師事し、創刊まもない「玲瓏」に入会。現在「玲瓏」選者。第一歌集『ゆるがるれ』(1991年)で第十八回現代家人集会賞受賞。
現在、多数の文化センターで和歌や古典講座を担当。

掲出画像は「御所・紫宸殿」である。「左近の桜、右近の橘」と配されるうちの「桜」が写っている。

503-ponto-tyou先斗町

   ■京三条木屋町雪に薄紅の
     粧いのごと夜に入るらし・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野朱玖子


    ■先斗町あゆみゆくとき鳥の群れ黒い車に映りて過ぎつ・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志

昨日にも書いたが、木屋町とか先斗町というのは、京都の歓楽街と言える。写真は先斗町。
夜には、この界隈には酔客がそぞろ歩き、中には泥酔した人も居る。木屋町通は「高瀬川」に面している。
この川は今は細い掘割に過ぎないが、昔は、京の船便の南の入り口である伏見まで通じていた交通の要路であった。
角倉了以によって開削された人工の川で途中には「一の船入り」などの船溜りがあったりした。
もっとも、時代とともに繁華街も様変わりするもので、この木屋町の一つ西隣の繁華街「河原町」通は映画館や大型書店などの閉鎖もあり、
ショッピング街としての魅力が薄れつつある。

    ■駸々堂もナガサキヤも昔語りになるのだろう人出の少ない師走河原町・・・・・・・・毛利さち子

この歌には、まだ詠まれていないが、丸善も東宝映画館も撤退した。

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   ■東寺にも雪は積もれりさくさくと
     その白を踏む夢の中に居て・・・・・・・・・・・・・・・・高貝次郎


昔は「東寺」と対になって「西寺」というのがあった。
それは京都だけではなく、中国伝来の幾何学的な配置だったのであるが、いつしか「西寺」は廃れてしまって、今は、ここ東寺しかない。
それは、ここ東寺(正式には教王護国寺という)が「空海」弘法大師ゆかりの寺であって、一大教団である「真言宗」の拠点だったからであろう。
空海は中国から「密教」をもたらし、時の朝廷からも密教秘儀の儀式などを通じて厚く遇された人であった。
昨日に引用したのだが

    ■西寺廃れ東寺栄ゆる成りゆきのさあれ水煙の上の夕雲・・・・・・・・岩田晋次

の歌にある通りである。

Kitano-tenmangu_haiden北野天満宮

   ■あをむまで白しづめたる白梅の
      韻(ひび)かふごとし風花の舞ふ・・・・・・・・・・・・・・・・神谷佳子


この歌は北野天満宮の梅林を詠んだものである。写真は「拝殿」だが、その手前に「梅」の木が植えられている。
また、こんな歌もある。

      ■竹林に風遊ばせる地蔵院雀の宿のおもむきをもつ・・・・・・菅原恵子

この歌の舞台は「地蔵院」またの名を「椿寺」という。
ご承知のように雀は、春から初夏にかけての繁殖期が終わると、秋口から集団生活に入り、竹やぶなどに夜、集団で一泊する習性がある。
だから昔は、そういう竹やぶに霞み網を仕掛けて、寝静まったところを勢子がはやし立てて追い出し、一網打尽にするという猟があった。
そして獲ったスズメは焼き鳥屋に卸されるのであった。これを「スズメのピン焼き」と称する。

1207E7B485E89189E381A8E99BAAE381AEE5A4A7E69687E5AD97雪の大文字山

   ■一夜さに霏々と降りしか東山の
      大の字白く中腹に臥す・・・・・・・・・・・・・・・竹田京子


大文字の送り火は夏の時しか注目されないが、この送り火の行事は、一種の宗教行事であって、「講社」が組織されて、火を扱う神聖な営みとして代々うけつがれているのである。
山の火床には雑草が生えたりするので、その管理とか火床の崩れを修復するなどの必要がある。
また送り火に使う「薪」は火付きのよい松材だが、そのために松の木の伐採から小伐りと束結わえ、乾燥など一年を通して準備作業があるのである。
それらの費用の一端は京都市からも補助されるとは言え、講社の人々の負担は大変なものである。
その結果である送り火を詠った歌

    ■送り火の文字燃えさかり死者生者さだかならざる闇深めゆく・・・・・・・・・神谷佳子

を引いておく。

今日は楽しいバレンタイン・デー。あなたはチョコを貰いました?・・・・ ・・・・・・・・・・・木村草弥
chocotop02抹茶チョコ

──エッセイ──

   今日は楽しいバレンタイン・デー。
     あなたはチョコを貰いました?・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真①は宇治茶の茶問屋さん発売の「抹茶濃厚生チョコ」である。

今日2月14日は、女の人が男性にチョコレートを呉れる日とされている。
しかし、案外、なぜそうなったかを知る人は少ない。
「義理チョコ」なんていう奇妙な習慣まで出来てしまった。歴史的沿革をひもといてみよう。
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 バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。
つまり、バレンタインというのは、人の名前なのです。どんな人だったかというと・・・。

 西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまったのです。

 ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンチノはそれを拒否しました。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまったということです。(269年という説もあります)。

Q) バレンタインデーはどのように始まったの?

A) ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。

 496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを、新しい行事の守護聖人としたのです。

 次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。

Q) バレンタイン・カードの始まりは?

A) バレンチノは、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語りました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンチノと親しくなりました。そして、バレンチノが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンチノは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

 そのうち、若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行きました。現存する最古のものは、1400年代初頭にロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたもので、大英博物館に保存されています。

 しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女とも、お互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。バレンチノがしたように「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもあります。現在アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

Q) どうしてチョコレートをあげるの?

A) 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

 では、チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。

 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。
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layer4_118ロイズ生チョコ
写真②は北海道の「ロイズ」ROYCE’の「生チョコレート<山崎シェリーウッド>」735円、である。
写真①のような抹茶を使った変り種(定価1050円)もいいが、私はオーソドックスに生チョコと行きたい。
数年前に「ロイズ」の生チョコをもらってから、すっかり、ここの贔屓になった。北海道では他にも「六花亭」のものも有名ではある。
ROYCE'と書いてロイズと読ませるのも印象に残る。

バレンタイン・デーには、何もチョコをあげるばかりが能ではない。
ネット上では、さまざまのギフトが載っている。中には男性下着を贈るというのがあり、なまめかしい「Tバック」を贈る人もあるらしい。
「一緒に旅行に行く」というギフトもあるというが、これなど、まさに本命中の彼氏であり、身も心も捧げようという、いじらしい女心の発露と言えるだろう。

私のことだが、つい先日2/7が誕生日だったので、先取りで娘から衣料品とチョコをもらった。生チョコがROYCE’のものであるのは、言うまでもない。
はんなりと京都ことばは耳に沁む奈良びととして街を歩めば・・・・・・・・・・・・櫟原聰
31e1n9WnmnL京ことば玉手箱

──京都に因んで──

    ■はんなりと京都ことばは耳に沁む
      奈良びととして街を歩めば・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰


先ののBLOGで「京言葉」の句を採り上げたので、その関連というのもおかしいが、「京都に因んだ」歌を挙げてみることにする。
掲出画像は『京ことば玉手箱』(加納進・著、越水利江子・イラスト)という本。
どんな内容かというのが、→ このリンク で読める。

また ↓ こんな本もある。入江敦彦『KYOのお言葉』 → 内容に触れたい人は、こちら 
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掲出した歌の作者・櫟原聰 は奈良在住の日本文学専攻の人である。
この歌は「奈良びと」として京の街を歩きながら「はんなりとした京都ことば」を聴いている、という面白い歌である。
「奈良」「平城」は京都に都が設営される前の宮都であった。昨年は「平城京遷都1300年」ということで盛大な通年のイベントが催された。
だが、その都のあった期間は京都に比べると長くはない。それは地理的なものも大いに関係しているようだ。
藤原京、平城京とも、大きな川に恵まれなかった。今でも現地に行ってみられたらよい。
やはり日本の宮都として大きく発展するためには、相当の「川」が必要なのである。
奈良朝の末期に聖武天皇が、九州で叛乱があったためとは言え、「恭仁京」を木津川沿いに造営されようとしたが、
平城京に家、屋敷があって狎れてしまった宮人に背かれて、それは叶わなかったが残念なことであった。

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    ■炎ゆるもの心に持たぬ身はひとり
      白砂の庭にながく遊びぬ・・・・・・・・・・・・・・・・永井聿枝


俳句と短歌の違いは、575と57577というフレーズの長短ばかりではない。
俳句でも「心象」を盛ることは出来るが、短歌はフレーズの多さの分だけ「心象」としての抒情を深めることが出来るということである。
この歌などは、読者にさまざまの感懐を心のうちに引き起こす。

    ■秘めし思ひ熱きわが頬濡れながら歩む河原町雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・中埜由季子

この歌も、上の歌と同様である。
「秘めし思ひ」とは、どんなことなのだろうか、「わが頬濡れながら」というのだから、心の痛む悲恋か何かだろうか、などと言外に読者の想念を誘うのである。
まして「河原町」という京都のショッピング街としての地の道具立ても出ている。そこに「雪降りしきる」である。
余りにもお膳立てが出来すぎているとも言えるが、こういう芸当は俳句には出来ないことである。
反面、短歌は冗長に堕してしまいがちで、だから心ある歌人は、俳句の持つ「衝撃性」に学ぼうとしたりするのである。

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   ■今しばし夕やけてゐよ比良・比叡 
      寒の入陽はひとを優しくす・・・・・・・・・・・・・・・・広瀬範子


    ■噛みつかれし如くにわが額痛むまで
      北山おろし吹く京の町角・・・・・・・・・・・・・・・・山野井珠几


    ■町寺の白壁冬の日を浴ぶる
      ところ通りて素直になりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・山野井珠几


これらの歌も「比良・比叡」とか「北山」とかの地名のもたらす効果が一首の歌の中に生きている。これこそ「地名」の持つ「喚起力」というものである。
短歌の発する「抒情性」というものが余すところなく、発揮された歌群と言えるだろうか。

ここで「京ことばカルタ」という動画を出しておく。カルタの読み手は「市田ひろみ」さんである。No.2、No.3があるようだ。



凍蝶の恋に終止符仁王門・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野英歩
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──京の冬の句アラカルト──

立春も過ぎたので歳時記の上では、もう「春」だが、まだまだ寒いので「冬」の季語の句を、まとめて載せてみたい。
掲出写真には京都名産の「すぐき漬」を出しておいた。

    ■凍蝶の恋に終止符仁王門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野英歩

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「凍蝶」については後にも書くが、蝶の種類によっては成虫のまま冬を越すものがいくつかある。
↑ 写真に載せる「黄蝶」も、その中のひとつである。
凍蝶が恋をする筈もないが、作者の中の恋の思い出が「仁王門」と結びついているのだろう。
面白い、ふくらみのある句である。

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   ■冴えざえと宿に非常の縄梯子・・・・・・・・・・・・・・・・中田多喜子

「冴え」が冬の季語である。
普通、旅館や病院、ホテルなどには「非常階段」というのが設置されていて、緑色の避難経路の標識がある。
ただ小規模な建物の場合、非常の場合に備えて脱出口と縄梯子があるところもあるようだ。
この句は、そういう非常の時を想定する場合のさむざむとした印象を、うまく一句にまとめている。

    ■酢茎買ふ京の言葉にさそはれて・・・・・・・・・・・・・・・・松下セツ子

京都の冬の味覚として千枚漬や「すぐき」がある。千枚漬は初冬のものであるが、すぐきは保存が利くので一冬中ある。

      柴漬の茶づけ旨きや冬の京・・・・・・・・星野茜

      冬紅葉余韻涼しき京ことば・・・・・・・・清水雪子

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     ■「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・・・・・・・・・・・・・・戸田静雄

「梅」は厳密には春の季語だが、ここでは大目にみてもらおう。
「おこしやす」は「よくおいで下さいました」ということである。
「やす」とか「やして」とかいう接尾語が京言葉の特徴である。
「やす」と「やして」とは、ちょっとニュアンスが違う。「やす」は言い切りの形だが、「やして」は語尾の余韻の引いたような言い方である。
「おいでやす」は標準語の「いらっしゃい」にあたるが、「おいでやして」は「よくいらっしゃいました」とか「よく来てくれましたなぁ」とかの言い回しになるだろうか。
こういう言い方は若い人には、段々忘れられて、というか「言い回しが使いこなせなくなって」廃れる傾向にある。

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    ■なはとびにおはいりやしてお出やして・・・・・・・・・・・・・・・・西野文代

「縄跳び」が冬の季語である。
この句は「京言葉」をうまく句に取り入れて成功しているだろう。
「おはいりやして」という京言葉は「お入りになってちょうだい」ということであり、「お出やして」とは「出てください」ということである。
丁寧語の「お」が頭についているのは、言うまでもない。

     漬茄子は一夜にかぎる京の宿・・・・・・・・務中昌己

     京ことば聞こゆる街の暖簾かな・・・・・・・・松井広子

     はんなりと京の言の葉あたたかし・・・・・・・・八木沢京子

後の二句の季語がどれか、何時の季語なのかは今わからない。
京言葉に「おおきに」という感謝を表す言葉がある。
標準語でいうと「有難うございます」ということだが、この言葉の語源は「大きく有難う」の「大きく」=「大きに」という表現のうち、
後の方の「有難う」以下が省略されたものである。
大阪弁でいう「まいど」=「毎度」が「毎度有難う」の後半が脱落したのと、同じことである。

いずれにせよ、今では大阪弁というより吉本芸能系のドハデな、かつ「下品な」大阪弁というより汚い「河内弁」が、
あたかも大阪弁ないしは関西弁かのごとく振舞っているが、残念なことである。
正式の大阪弁というのは「島の内」辺りのものが純粋のものであるが、それらは今では形が崩れてしまって無くなってしまったと言える。
「知ったかぶり」をして京言葉なり関西弁を乱用してもらいたくないものである。


あおくけぶった空から/紙鳩のように/冬のひかりがおちてきた・・・・・ ・・・・・・・・・・・苗村和正
d0054276_19415167枯れ葦

     あおい朝の湖辺で・・・・・・・・・・・・・・・・苗村和正

     あおくけぶった空から
     紙鳩のように
     冬のひかりがおちてきた

     こんな朝の
     だれも通らない湖へかたむく道は
     むきたての木の実のように固くしめっている

     こどもは
     そのひかる道を 髪をゆさぶってかけてゆく

     きくきくと風をならす
     折れ葦の中に ああ めざめている
     ちいさな太陽
     遠い距離となった
     こどもとわたしの間に
     駱駝のかたちで垂れさがっている

     まぶしい風景の
     きれぎれの寒さ

     撓みながらうごく
     遠い湖の波のうえに
     しろくしきりにうごくものはなんだろう

     あかあかと
     染まって
     こどもは まだ はしっている

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』から)
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この詩に出てくる湖は「琵琶湖」である。
冬の琵琶湖に行く人は、観光客では、めったにないだろう。
枯れ葦も火を放って焼かれて、春の芽だちを促すようにされているだろう。
人も自然も、みな、来ん春の用意をしているのである。



水仙が咲いている/灯を消しても/花の視線は私の上にあるのだった・・・ ・・・・・・・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(20)再掲載・初出Doblog2006/02/02

       水仙・・・・・・・・・・高田敏子

      水仙が咲いている
      昨年の暮れから ずっと
      ひと月余り
      水仙の花は咲いている
      私の部屋の花びんに

      花は少し疲れて
      花びらのへりを少しちぢませて
      花は私を見ている
      夜 机の前に坐る私を
      家族の目のないときの
      誰にも知られない一人のときの私を
      少し疲れた花のやさしさで

      灯を消しても
      花の視線は私の上にあるのだった
      闇の中
      ほの白い清らかな星のかたちで
      私の生をいたわり
      静かな眠りへと誘ってゆく

(詩集『こぶしの花』から)



雪はとけてゆく/樹の肌にそって まるく/くぼみを作ってゆく・・・・・ ・・・・・・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(19)再掲載・初出Doblog2006/02/01

         雪・・・・・・・・・・・・・高田敏子

     樹の根元のまわりから
     雪はとけてゆく
     樹の肌にそって まるく
     くぼみを作ってゆく
     その静かな環(わ)のかたちを見るのが
     私は好きだ

     雪はうっとりと
     とけてゆくのだろう
     とけて雪は
     地の中にしみ入り
     樹の根に吸いあげられて
     樹液に変わるのだ

      枝々の先に いっせいに
      噴きだす芽!
 
     うっとりと とけてゆく
     雪の心が
     あの環のくぼみから
     伝わってくる

(詩集『こぶしの花』から)

佐伯泰英『新・古着屋総兵衛①血に非ず』ほか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
佐伯泰英

──新・読書ノート──

   佐伯泰英『新・古着屋総兵衛①血に非ず』ほか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・新潮文庫2011/02/01刊・・・・・・・・・・

     新潮文庫・ 血に非ず―新・古着屋総兵衛 第一巻―─佐伯泰英

      六代目総兵衛の活躍した元禄・宝永年間から九十余年。
      享和二年(1802)、九代目総兵衛勝典は、労咳で瀕死の床にあった。
      嫡子幸之輔を流行病で亡くし、大黒屋内には直系の者はいない。
      深川で女郎屋を営む女はかつて勝典を誑かして子を孕んだというのだが。
      後継について勝典は謎の言葉をつぶやいた──「血に非ず」。
      あの大黒屋総兵衛が帰ってきた。満を持して放つ待望の新シリーズ第一巻。


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佐伯泰英というと、昨年か一昨年か二度かに分けて「居眠り磐音 江戸双紙」をNHKの総合テレビで連続シリーズとして放映された。
それまで彼のことは知らなかったが、時代小説作家として、かなりの力量の持ち主と知った。
その彼は、岩波書店創業者・岩波茂雄の熱海の山荘の跡を譲り受けて住んでいるという。
熱海湾を一望する風光明媚なところらしい。そんなことからも、私は彼に関心をもったのである。
新潮社の読書誌「波」2011年2月号より対談を引いておく。
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       [佐伯泰英◎新シリーズ「新・古着屋総兵衛」刊行開始記念]
       【特別対談】古着屋総兵衛は、なんとも贅沢な時代小説だ。

                     児玉 清×佐伯泰英


書下ろし時代小説の雄・佐伯泰英5年ぶりの新シリーズ《新・古着屋総兵衛》の刊行が、いよいよ新潮文庫で始まります。加えて、著者が大幅に手を入れた《決定版・古着屋総兵衛影始末》全11巻も8ヶ月連続で登場。今年2011年は、「佐伯泰英作品はまだ読んだことがない」という時代小説ファンにとって、入門に恰好の年となるでしょう。新作に意欲を燃やす作家と、佐伯ワールドをこよなく愛する児玉清氏が、大いに語り合いました。

 ベトナム旅行

児玉 ベトナムに行ってらしたとか。
佐伯 半月ほどのんびり過ごしてきました。
児玉 今回の新シリーズ「新・古着屋総兵衛」の取材ですね。
佐伯 それもあったんですが、実はあることがあって、頭の中を真っ白に一度リセットしてみようと思ったんです。サイゴン(ホーチミン)から入って、ホイアン、ダナンを経て最後にハノイを訪ねるという旅でした。サイゴンのホテルは、マジェスティックというところだったんですが、これがたまたま……。
児玉 開高さんでしょう。
佐伯 そうです。開高健さんが従軍記者としてベトナム戦争を取材されたときの宿だったんです。ちょうど私の取った部屋の下の部屋に開高さんが泊まっていたそうです。
児玉 それは奇遇ですね。
佐伯 驚きました。サイゴン川沿いのホテルならどこでもいいと思って取った宿でしたから。
児玉 サイゴンはいかがでした。
佐伯 商都ですから、人のエネルギーは感じました。なによりもバイクの数が凄いんです。原付のスーパーカブで何でも運ぶんです。冷蔵庫は運ぶ、生きた豚七匹を運ぶ、長梯子は運ぶ、シェパードを四匹運ぶ、人間なんかは五人まで乗っているのを見ました。
児玉 まさに曲芸ですね。
佐伯 そうしたたくさんのバイクが川の流れのようによどみなく続くんです。サイドミラーなんか外してしまっていますし、ウインカーもほとんど付いてません。
児玉 前しか見ないんですね。潔いですね。
佐伯 道を横切るのは大変ですよ。信号はないし、止まってくれないし。
児玉 止まると荷が崩れてしまう。
佐伯 そうです。あの荷造りは神業ですね。
児玉 サイゴンには綾縄小僧(編集部注・「古着屋総兵衛影始末」シリーズの登場人物・駒吉の異名)が何人もいるんですね(笑)。
佐伯 次に向かったのが、近郊のミーソン遺跡が世界遺産に登録されたホイアンです。
児玉 ホイアンは中部ですね。南から北上したことになりますね。
佐伯 サイゴンから七百キロくらいです。日本の長崎・中国とインド・ヨーロッパを結ぶ中継貿易で栄えた河港の町です。今から四、五百年前でしょうか、日本人町があって最盛期には千人くらいは暮らしていたようです。
児玉 徳川幕府の鎖国政策が最終的に成立したのが、一六三九年ですから、それまでは日本人が行き来していたんですね。シャムのアユタヤ、フィリピンのマニラなどにも日本人町はありましたね。
佐伯 来遠橋という当時の日本人が作ったという橋が残っていて観光名所になってました。
児玉 鎖国以降は、日本人は現地の人たちと同化していってしまいますね。
佐伯 その当時の日本人のお墓が残っていて、谷弥次郎兵衛らのお墓参りが、今回の目的でもあったんです。花と線香とチャッカマンを持って、自転車を借りて。
児玉 それは素晴らしいことをされましたね。
佐伯 ホイアンは本当に美しい街でした。次に訪ねたのはダナンです。ホイアンから三十キロしか離れてないところですが、中部最大の商業都市です。古代から中世期に勢力を誇ったチャム族のチャンパ王国の都がダナン近郊にあったらしいのですが、ひょっとすると『交趾』(「古着屋総兵衛影始末第十巻」)で、大黒丸が辿り着いたツロンがこのダナンだったんじゃないかと思うのです。
児玉 三百年前には名門グェン家の今坂理右衛門が闊歩していたわけですね。

 古着屋という設定

児玉 古着問屋にして影の旗本という設定は大変面白いですね。物語を噴出させる装置です。初代鳶沢総兵衛は家康との密約で古着商いの権利を与えられる一方で、影の旗本として武力行使の権利をも与えられた。
佐伯 「影始末シリーズ」はそれから八十五年後の元禄・宝永期、六代目総兵衛の時代になります。
児玉 大黒屋は古着問屋の大きな商家ですが、徳川家の危難があれば立ち上がる武装集団でもあるわけです。そして、当主の総兵衛は戦国の気風を遺した剛剣、祖伝夢想流を会得したただ一人の奥義継承者であり、さらに秘剣、落花流水剣を編み出した剣豪です。これらの前提はいくつもの物語が重層的に立ち上がる構造を持っています。
佐伯 とおっしゃいますと?
児玉 まずは、史実に基づく前提の中で縦横無尽に架空の物語を描くという、「伝奇時代小説」であるということです。また、秘剣をあやつる主人公を擁した「剣豪小説」でもあります。一方で表の顔は商人ですから古着を廻る「経済小説」にもなります。そしてここが一番感心するのですが、古着というものの流通が情報を付着させて行われるというところに目をつけた点です。古着の売買は売る人買う人の個々の事情が品物と同時にやりとりされます。そうした江戸市中の町人・御家人のプライベートな内情までが、大黒屋に集まります。
佐伯 享保八年ですから、史実的にはこの元禄・宝永期より少し後になるのですが、幕府は「質屋、古着屋、古着買い、古道具屋、小道具屋、唐物屋、古鉄屋、古鉄買い」について「八品商売人」として定めました。この八品は当時、盗品を売って、現金化する者が横行したため、それぞれに組合を組織させ、盗品かどうか調査するための帳簿を作らせるのが狙いだったそうです。これがヒントになって、古着には情報が集まると思ったわけです……。
児玉 素晴らしい着眼点です。情報の駆け引きで物語が動く、つまり、インテリジェンス小説、「諜報謀略小説」でもあるということです。実際、どの巻でも敵方の屋敷に忍び込んでいち早く情報を集めたり──このあたりは「忍者小説」の趣があります──、流通網を生かして人捜しをしたり、大和柳生や京都に奉公人を派遣して諜報活動させるシーンが出てきます。情報を総兵衛に集約し、敵の動きに一歩先んじた、先の先の手を打つことが出来るわけです。
佐伯 なるほど、インテリジェンス小説ですか、伺ってみるとそうかもしれませんね。

 頭ではなく体質で書く

児玉 とおっしゃると、この重層的な構造は、はじめから意図されていた訳ではない?
佐伯 明確に意図はしていません。ただ無意識の中で、いくつもの補助線を張っておけば、物語を紡いでいくのに窮することがなくなるのではと思っていたのかもしれませんね。
児玉 意図しないものほど怖いものはありません。頭だけでこねまわした小説は、物語の流れがギクシャクしたものになっていることがありますから。
佐伯 私の場合は、頭というより体質で書いているという感じでしょうか。
児玉 なるほど。ところで佐伯さんの原点は映画ですよね。
佐伯 はい。日活や大映の青春もの、東映ヤクザものチャンバラもの、東宝の黒沢映画、松竹の文芸もの等々、家業の関係で無料の鑑賞券が手に入ったので、みな映画館で見ましたよ。
児玉 一方で大衆時代小説も相当お読みになっていた。
佐伯 中学高校の頃ですね。貸本屋や図書館で片っ端から読んでましたね。私の家には蔵書の一冊もなかったし、映画にもお金を払ってないですね。
児玉 昭和三十年代は仕方がありませんよ。家に本があるのは相当裕福な家庭でした。大学では映画の勉強をなさり、社会人になって実際、映画やテレビCMの撮影に携わられた。
佐伯 アルバイトに毛が生えたような身分でしたが。
児玉 以降はスペインで、真剣勝負の中にも美しい舞踊の要素のある闘牛というものと写真家として格闘された。
佐伯 女房子供には迷惑を掛けました。
児玉 そして最初にお書きになったのが闘牛やボクシングなどに材を得たノンフィクションですね。
佐伯 ノンフィクションライターとしても写真家としても飯が食えなかったのです。失格です。
児玉 そして、海外在住経験を生かして国際謀略小説をお書きになった。
佐伯 なかなか売れなかったですが。
児玉 ざっと佐伯さんの経歴を振り返ったのは、そのすべてが、この古着屋総兵衛シリーズに生きているということがいいたかったのです。このまるで一般的でない人生の一瞬一瞬が佐伯さんの体質を形作った。
佐伯 時代小説デビューは五十七歳の時ですから、遠回りしていたようにも思うのですが。
児玉 まったく回り道はされてないと思いますよ。史実から立ち上るドラマを掴み取る眼はノンフィクション修業から、剣の立ち合いの息詰まる動きは闘牛から、汲めど尽きせぬ豊かな物語や人情の陰影は映画から、インテリジェンスの扱いは海外在住と国際謀略小説の経験から、定評ある描写の手腕は、写真家だったことが大きく影響しているはずです。
佐伯 どれをサボっていても、「古着屋総兵衛」は書けなかったわけですか……。

 最後の新シリーズ

児玉 そして、旧版の「古着屋総兵衛影始末全十一巻」が二〇一一年の一月下旬から新潮文庫として刊行が開始されます。
佐伯 随分、手直ししましたので、「決定版」と謳いたいくらいです。
児玉 旧版の最終巻『帰還』が〇四年の刊行ですので、実に丸六年振りに古着屋が戻ってくることになりますね。新シリーズとしては「交代寄合」以来ですから、五年半振りになります。この満を持して始める、あるいは再開する「古着屋総兵衛」ですが、第一巻のタイトルが……。
佐伯 『新・古着屋総兵衛「血に非ず」』です。最後のシリーズになるかもしれません。
児玉 早速、読ませていただいたのですが、冒頭数ページで虜になりました。実に素晴らしい引き込まれる展開です。
佐伯 ありがとうございます。
児玉 時は「影始末」から九十三年後の享和年間です。数年後には江戸文化が爛熟した文化文政期になります。九代目総兵衛は労咳で死の床ですが、跡継ぎは早世してしまっていて、大黒屋内には十代目がいない。九代目が昔、手を付けた女中が子を産んでいるはずだ……というところが発端です。
佐伯 発端部分は随分前から頭にありました。
児玉 ネタバレになってしまうので、詳しくは申し上げられませんが、「影始末」第十巻『交趾』の伏線が生きてきます。一読して驚いたのですが、この『交趾』を書いていらっしゃった時点ですでに、新シリーズの構想がおありになったのでしょうか、そうとしか思えない流れです。
佐伯 うーん。いわぬが花ということもありますし。
児玉 了解いたしました。読者の皆さんにはヒントだけ差し上げておきましょう。『血に非ず』は、この対談の冒頭のベトナム紀行に大変縁が深いものである、ということです。

 告白

児玉 『血に非ず』というタイトルですが、この言葉が脳裏に浮かんだ瞬間は、病院のストレッチャーの上だったとか。
佐伯 そうなんです。ある検査の直後、急に血の気が引いて、意識を失ったんです。それでストレッチャーで病室に運ばれたんです。
児玉 それは、健康診断の一環かなにかで?
佐伯 いえ。実は癌と診断されたんです。その検査だったんです。
児玉 えっ……。
佐伯 前立腺癌です。最初の病院では初期段階と診断されたのですが、次の病院では、そう簡単なものではないと……。
児玉 前立腺癌は、肺やリンパへの転移があることがあると聞いたことがあります。
佐伯 そうしたことを入念に検査してもらったんです。
児玉 大丈夫でしたか?
佐伯 ええ、転移は認められませんでした。
児玉 よかった。本当によかった。
佐伯 その本格的な治療が始まる前に、一度、転地療養もかねて、海外に出て頭の中を真っ白にしてみようと思ったのです。
児玉 大きな意味を持つベトナム旅行だったんですね。これから治療という戦いですね。早期の完治を心よりお祈りしております。
佐伯 ありがとうございます。    (二〇一〇年十一月二十九日 青山にて)
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上に引いた新シリーズの前に、掲出図像の右側のシリーズ「古着屋総兵衛影始末・全11巻」があるのだが、このシリーズは徳間書店から刊行されたものに、
新潮文庫版となるに際して大幅加筆されたという。
今回は第一巻『死闘』と第二巻『異心』の二冊が出た。あと引き続き出る予定。
一日一冊のペースで読了した。
「新シリーズ」は前シリーズの後半を受けて、東南アジアの国にも舞台を広げているので面白さも一層増している。お試しを。

「立ち読み」も出来る。ここでは「古着屋総兵衛影始末」の第一巻「死闘」からリンクしておく。

枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
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   枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼

普通、「ハス」は蓮根を採るための農作物だが、この頃では「生け花」用に「花蓮」が栽培されている。
私の方の近所でも花卉栽培農家があちこちに「蓮田」を作っている。
もっとも忙しい時期は、月遅れ盆の前10日間くらいである。お盆の行事に蓮の花を仏前に供えるからである。

「枯れ蓮」というのが冬の季語で、葉や蓮の実が残骸のように転がっているのが「あわれ」を催すというので、古くからの季語になっている。
掲出の西東三鬼の句は、見ようによっては「暗喩」の句とも読み取れよう。
以下、枯れ蓮を詠んだ句を引いておく。

 枯蓮の銅(あかがね)の如立てりけり・・・・・・・・高浜虚子

 蓮の骨日日夜夜に減りにけり・・・・・・・・青木月斗

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し・・・・・・・・水原秋桜子

 湖の枯蓮風に賑かに・・・・・・・・高野素十

 枯蓮をうつす水さへなかりけり・・・・・・・・安住敦

 ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・・秋元不死男

 枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・・・・松尾いはほ

 白くさむく枯蓮の裾透きにけり・・・・・・・・草間時彦

 枯蓮の敵味方んく吹かれゐる・・・・・・・・清水昇子

 枯蓮(はちす)考へてゐて日が動く・・・・・・・・岸田稚魚

 枯蓮の折れたる影は折れてをる・・・・・・・・富安風生



草弥の詩──「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──再掲載・私の誕生日に因んで

  草弥の詩─「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・木村草弥

   心拍の打つリズムを聴いている。
   ああ!私のいのちのリズム!
   あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
   時にはドキドキしたり
   落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
   1/f のいのちの揺らぎ!

   ロウソクの炎が揺れている。
   今日は私のン十年の誕生日
   自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
   火をつけて
   じっと見つめている。
   ハピーバースデー ツー ユウ!
   口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
   ローソクの炎が揺れている。
   1/f の炎の揺らぎ!

   買って来た「物」についているバーコード。
   同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
   細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
   その線の間隔の並びが心地よい。
   もっとも バーコードとは言っても
   マトリックス型二次元コードは駄目!
   1/f のバーコードの線の揺らぎ!

   どこかで メトロノームが
   かちかちと リズムを刻んでいる
   ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
   規則正しい、ということもいいことだが
   一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
   強弱、弱強の、
   寄せては返す波のようなリズムの
   波動が欲しい!
   1/f のおだやかな波動の揺らぎ!

   杉板の柾目の箱を眺めている。
   寒い年、暑い年、
   雨の多い年、旱魃の年────
   それらの気候の違いが
   柾目の間隔に刻印されている柾目。
   等間隔ではない樹のいのちのリズム!
   1/f の樹の柾目の揺らぎ!

   そよ風が吹いている。
   小川のせせらぎが聞こえる。
   自然現象は
   時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
   今は
   そよ風が吹き
   小川のせせらぎの音が心地よい!
   1/f の自然のささやきの揺らぎ!

   どこかで
   ラジオの「ザー」というノイズが流れている
   周波数が合わないのか─────。
   もう片方の耳には
   妻の弾くピアノの音の合間に
   かちかちというメトロノームの
   規則正しい音が聞こえる。

   そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
   メトロノームの規則正しい音とが
   いい具合に調和するような
   ちょうど中間にあるような
   1/f の調和したリズムの揺らぎ!

   私の体のリズムと同じリズムである
   <1/f の揺らぎ>に包まれて
   <1/f のやさしさ>に包まれて
   今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
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この作品は私の詩集『免疫系』(角川書店)に収録した。
これは<1/f えふぶんのいち>という言葉に触れて、私の詩作の感受性が一気に開花したものである。
因みに申し上げると「1/f 」とは音楽用語というよりは科学用語である。関心のある方は、お調べ願いたい。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。
この詩が成功しているかどうか、は読者の判定に待つほかないが、いかがだろうか。

今年は一緒に祝ってくれる人があって、ケーキを切って、ささやかな祝宴を開いた。


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