K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(3月)月次掲示板
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今回の東日本の地震、津波災害により被災された方々に
心よりお見舞い申上げます。
一日も早い復興をお祈りいたします。
呑気そうな記事があっても、これらは既に予約してあったものですから、お許しを。
                                       木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
kohakucyou02-1コハクチョウ飛翔

弥生三月になりました。
寒暖を織りまぜながら春は一歩づつ深まり、白鳥の「北帰行」も始まってます。

 くちびるが乾かないように春風を避けて光のフルートを吹く・・・・・・・・・・・・・・・・加藤治郎
 吉野山。胸せまりくる花のかげ 西行のごとく われは死なむよ・・・・・・・・・・・・ 岡野弘彦
 海に散る桜をどこかで見たやうに思へど遠し亡きははの声・・・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 まつさきに地上をおほふいぬふぐりつくしはこべら光の娘ら・・・・・・・・・・・・・・・・日高堯子
 宙をゆく老人あらば 早春のてふてふよ それは父ですから・・・・・・・・・・・・・・小島ゆかり
 穏しかるひと日にあらな一束にくくられしより水仙にほふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・篠 弘
 地下深く木々の根伸びてゆくさまを思えば突然さみしい地上・・・・・・・・・・・・・・・・小島なお
 赤土に赤き土偶の眠れるをしずかに満ちて桜ひらきたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・奥田亡羊
 死はそこにあるかと思ふあかるさに菜の花咲けりその花を食ふ・・・・・・・・・・・・・・・外塚喬
 いつまでも暮れない空にくたぶれて門鎖しにゆく草匂ふところ・・・・・・・・・・・・・河野美砂子
 春の旅はげしき海に出会ひけり・・・・・・・・・・・・・阿部みどり女
 一燭に春寧からむ伎芸天・・・・・・・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
 蟇ないて唐招提寺春いづこ・・・・・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
 麗しき春の七曜またはじまる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子
 バスを待ち大路の春をうたがはず・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
 春は白い卵と白い卵の影と・・・・・・・・・・・・・・・・・・富沢赤黄男
 人妻に春の喇叭が遠く鳴る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村苑子
 連翹に腑抜けのまなこ射られけり・・・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
 朧月グラプトペタルムといふは何・・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 そんならと猫化けの出る春芝居・・・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子
 定型をきちんと守る千鳥足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸山進
 責任のすべては海綿体にある・・・・・・・・・・・・・・・・・・浪速靖政
 やわらかな雨木炭画を抜ける裸婦・・・・・・・・・・・・・・・田中峰代
 さすがですねぇ肩書きの多い肩・・・・・・・・・・・・・・・・井上せい子
 カップめんの縁に乾びし葱一片・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 関悦史
 まだ何年生きるのだろう星月夜・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中博造
 桜餅ひとりにひとつづつ心臓・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮本佳世乃
 色も線も奔り上がりて春の夢・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐怒賀正美
 簡単なことよ兎は生きている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神野紗希
 薗八はさみだる節やまくら紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤郁乎
 ひといろの青きものなく風光る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・籾山梓月
 赤ん坊を重(おもし)にしたり花筵・・・・・・・・・・・・・・・・ 広渡敬雄
 三月の風の匂いの切手貼る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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私の新・詩集『愛の寓意』(角川書店刊)が出来上がりました。
      少部数発行のため書店配本ルートには乗っておりません。
この詩集『愛の寓意』(←リンクになってます)を私のWebのHPに載せました。
ほぼ全文(横書き)をネット上でお読みいただけます。お試し下さい。


桜草買ひ来このごろ気弱にて・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
226さくら草満開

  桜草買ひ来このごろ気弱にて・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦

サクラソウ科の多年草。
江戸時代、武士の内職として、サクラソウの栽培が流行し300種類もの品種があったという。その品種の一部が小石川植物園などに維持されているらしい。
サクラソウは、日本種のサクラソウと、プリムラと呼ばれる西洋サクラソウがあり、本来は違うものであるが、
今では、どちらをも桜草と一くくりにして呼ばれている。
掲出した画像は西洋サクラソウ──いわゆるプリムラのものである。

掲出した安住敦の句は、丁度この頃なんとなく気鬱で「気弱」だったのであろうか。
自分の心象を詠んでいて秀逸である。

桜草は湿地に群落をなす花で、今では野生のものは絶滅しかかっており、
「田島が原サクラソウ自生地」に自生するものが特別天然記念物として保存されており、有名である。埼玉県の郷土の花になっている。
写真②が、その「ニホンサクラソウ」である。 ただし、これが咲くのは、ずっと先の五月頃であるから念のため。
sakurasouニホンサクラソウ

sakurasoニホンサクラソウ

ただし、↑ この写真は軽井沢町植物園のもの。町花になっている。
葉の様子もよく判る。

 我国は草もさくらを咲きにけり・・・・・・・・小林一茶

の句があるが、山桜の花に似て、清純な可憐な美しさの花である。

桜草は亡妻が株を大切にして来たが、病気中に私の不注意で枯らしてしまい、新しい苗を買ってきて、今に至っている。私の買ってきた株は、色が少し濃い。
桜草ないしはプリムラとして多くの句が詠まれているので、下記に引いて終りたい。

 葡萄酒の色にさきけりさくら艸・・・・・・・・永井荷風

 桜草灯下に置いて夕餉かな・・・・・・・・富田木歩

 咲きみちて庭盛り上る桜草・・・・・・・・山口青邨

 そはそはとしてをりし日の桜草・・・・・・・・後藤夜半

 わがまへにわが日記且(かつ)桜草・・・・・・・・久保田万太郎

 桜草の野に東京の遥かかな・・・・・・・・富安風生

 少女の日今はた遠しさくら草・・・・・・・・富安風生

 まのあたり天降(あも)りし蝶や桜草・・・・・・・・芝不器男

 一杯のコーヒーの銭さくら草・・・・・・・・細見綾子

 プリムラやめまひのごとく昼が来て・・・・・・・・岡本眸

 カーテンと玻璃とのあひだ桜草・・・・・・・・森田峠

 桜草寿貞はそつと死ににけり・・・・・・・・平井照敏

 プリムラや母子で開く手芸店・・・・・・・・高橋悦男

 下に鍵かくして桜草の鉢・・・・・・・・木内怜子

 さくら草入門のけふ男弟子・・・・・・・・古賀まり子

 これからのこの世をいろに桜草・・・・・・・・和知喜八

 三鉢買って二鉢は子へ桜草・・・・・・・・大牧広

 卓上は文字の祭壇桜草・・・・・・・・馬場駿吉

 鉄橋を貨車ことことと桜草・・・・・・・・中丸英一

 泣くときは見する素顔や桜草・・・・・・・・平賀扶人



参考資料 「原子力発電」の危険性と今後について
TKY201103290529.jpg

(参考資料)
   2011/03/28福島原発敷地内の土壌からプルトニュームが検出された。
 今や排水中から極めて高い数値の放射能が測定されている。  
 極めて危険な時期に突入したのは確かである。
   ここに改めて資料を掲載して注意を喚起したい。
 福島原発三号機の燃料としてプルサーマルでプルトニュームが使われている。
 その燃料棒が破損して大気中にプルトニュームが放出されたのは間違いない。
 長崎に落された原爆はプルトニュームの核分裂によるものである。
 今まで、その危険性が再三指摘されているのに国民─特に周辺住民を欺いて
 今日の危険な領域に立ち至ったのは残念である。
 今の危機はソ連のチェルノブイリ事故に匹敵する段階に近づきつつある。
 これらの危険性については、つとに内橋克人などが警告してきたところである。
 原発の危険性に頬かむりをして原発建設を推し進めた政府、御用学者、経営者、
 マスコミの責任を声を大にして申上げたい。
 政府は速やかに事態を終息させるために、また周辺住民の避難に全力をあげよ。
 このままでは、一帯の農、畜産物、魚などが食べられなくなってしまうだろう。
 「大したことはない」と言われているうちに事態は益々ひどくなってきたではないか。
 一帯の住民の「健康被害」が出てからでは手遅れである。
 福島原発は、もちろん「廃炉」だ。
 周辺住民の皆さんも重大な危険を認識して速やかに行動されたい。
 情報も良いか判断する力を持ちたい。
 安斎育郎などは原子力の専門家でありながら一貫して平和を追求してきた人なので信頼できる。
 つい昨日あたりからNHKラジオに呼ばれるようになってきた。


枝野幸男官房長官は29日、福島第1原発の敷地内でプルトニウムが検出されたことをめぐり「燃料棒がある程度溶けたことを立証するもので、
とても深刻な事態だ」と発表した。
21日と22日に採取した原発敷地内5カ所の土壌から、プルトニウム238、239、240などが検出された。
プルトニウム238の濃度は土壌1キロ当たり0.54ベクレルと、通常日本で検出される濃度の約3.6倍だった。

 原発監督機関の原子炉安全・保安院の西山英彦審議官はこの日、毎日新聞とのインタビューで
「放射性物質が露出しないよう、福島第1原発にあるべき5重の壁が破損したということを意味する」と話した。
5重の壁とは、燃料棒、覆管、圧力容器、格納容器、格納庫(建屋)のことを指す。

 日本政府と東京電力は深刻な状況を認めている。「現段階では人体に影響を与えない程度の微量だ」としながらも、かなり緊張した状態だ。
調査時点が1週間前のため、新たに調査を行えば検出量はさらに増加する可能性が高いためだ。

 プルトニウム238の半減期は88年で、239の半減期は2万4000年だ。人体に蓄積されると肺がんなどを誘発する。
京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は「プルトニウムが検出されたということは、炉心の状態が非常に悪化したという証拠だ」と話した。
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原子力発電
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原子力発電の施設に関しては原子力発電所を参照
核分裂反応を安全に維持する装置については原子炉を参照
核融合炉に関しては核融合炉を参照
軍用の推進機関としての原子炉については原子力空母、原子力潜水艦、原子力船を参照
宇宙での核反応を使った発電については原子力電池を参照
原子力関連の事故に関しては原子力事故を参照

概要
原理
原子力とは、原子核反応により得られるエネルギー、核エネルギーのことである。原子核反応には核分裂反応と核融合反応の2種類の反応があるが、現在原子力エネルギーとして実用化されているのは核分裂反応のみであり、そのため、単に「原子力発電」と言う場合には核分裂反応のエネルギーを熱エネルギー、運動エネルギーへと変換し、発電する方法を指す。

原子力発電には、大きく分けて3つの要素が必要である。核分裂反応を起こす元となる核燃料、核分裂反応を起こさせる原子炉、そして原子炉から取りだした熱で発電を行う発電施設である。

核分裂反応 詳細は「核分裂反応」を参照

核分裂反応とは、何らかの要因で中性子を捕捉した原子が2つないしそれ以上に分裂することをいう。このとき、その原子は中性子を放出することがある。そして放出された中性子がまた別の原子に捕捉され、さらにまたその原子が分裂を起こし、そしてそこからまた中性子が放出され、という連鎖反応が起きることがある。こうした連鎖反応により核分裂反応が持続している状態を臨界と呼ぶ。原子炉において初めて臨界が達成された時を初臨界といい、これはその原子炉が実際に稼働した最初の時とされる。

基本要素
核燃料
燃料ペレット詳細は「核燃料」を参照

原子には、中性子を捕捉して分裂する物と、捕捉しても分裂しない物があることが知られている。分裂する物として代表的なものは、ウランの放射性同位体であるウラン235、プルトニウム239である。しかし、プルトニウム239は天然にはごく微量しか存在しないため、核燃料としてはウラン235が使われる。このウラン235は天然鉱石である閃ウラン鉱に含まれる。しかしこの中にはウラン235が0.7%程度しか含まれていないため、21世紀初頭現在の一般的な原子炉で核燃料として利用するには、ウラン濃縮工程とよばれるウラン235の濃縮作業が必要となる。

また、分裂しない物としては、ウラン238が知られている。ウラン238は、中性子を捕捉することによってプルトニウム239に転換でき、これを核燃料として使用することができる。

原子炉
原子力発電における核分裂反応において必要なことは、核分裂反応を制御することである。核分裂反応の制御とは、開始、持続(臨界)、そして停止である。原子力発電においては、これらが自由に制御されなければならない。この、核分裂反応を制御できるということが原子力発電と原子爆弾を分ける大きな違いである。そして核分裂反応を制御する装置が原子炉である。

原子力発電に使用される原子炉には様々な種類がある。原子炉の種類は、減速材と呼ばれる中性子の制御を行う素材と、冷却材と呼ばれる原子炉から熱を運び出す素材の2つによって分類される。減速材としては、黒鉛、重水、軽水[注釈 1]などがある。冷却材としては、炭酸ガスや窒素ガスなどのガス、重水、軽水などがある。現在の日本の商用原子力発電では、減速材、冷却材のどちらとも軽水を使用している。これは軽水炉と呼ばれる。

核分裂炉を、用いる減速材で分類すると以下のように分けられる。

軽水炉
加圧水型原子炉 - 沸騰水型原子炉
重水炉
CANDU炉 - 新型転換炉 - ガス冷却重水炉
黒鉛炉
黒鉛減速ガス冷却炉 - 黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉 - 溶融塩原子炉
高速炉
高速増殖炉

発電施設

加圧水型原子炉原子力発電は、核分裂反応で発生する熱を使って水を沸騰させ、その蒸気で蒸気タービンを回すことで発電機を回して発電する。一方、火力発電では石油や石炭、液化天然ガスといった化石燃料を燃やして熱を作り出して蒸気を発生させ、発電を行っている。つまり、原子力発電と火力発電では、発生した蒸気でタービンを回し発電機で発電するという点で、同じ仕組みを利用しているといえる。

原子力発電所の象徴として、冷却塔の写真が使われることが多いが、これは発電に使用できなかった余りの熱を外部へ水蒸気として排出するためのものである。蒸気による発電では、熱力学第二法則により、発生した熱のすべてを電気エネルギーに変換することは出来ず、必ずある程度の廃熱が発生してしまうことが分かっている。冷却塔はその廃熱を処理するためのものである[注釈 2]。一部の原子力発電所は海や川のそばに建設し、熱を温水の形で海や川に排出することで冷却塔を省いている。日本国内の原子力発電所は全てこのようにして冷却塔の必要がない構造となっている。

施設構成
加圧水型原子炉の模式図
Schema_Druckwasserreaktor.png

1. 原子炉圧力容器
2. 燃料棒
3. 制御棒
4. 制御棒駆動装置
5. 加圧器
6. 蒸気発生器
7. 低温の二次冷却水
8. 高圧蒸気タービン
9. 低圧蒸気タービン
10. タービン発電機
11. 励磁機
12. 復水器
13. 冷却水
14. イオン交換器
15. 二次冷却水循環ポンプ
16. 冷却水供給ポンプ
17. 一次冷却水循環ポンプ
18. 電力配線
19. 蒸気
20. 原子炉格納容器

汽力発電の一種である原子力発電も原理はランキンサイクルであるため、作動流体である冷却材のサイクルを形成する原子炉、蒸気タービン、復水器、ポンプが中心となる。

またこの他にも補助的な役割を果たす多くの機器や設備が必要となる。

軽水炉を使用する原子力発電所の敷地内における施設、機器の構成の概要は以下のようになっている。

原子炉建屋
原子炉格納容器
燃料交換機
燃料貯蔵プール
原子炉圧力容器
制御棒
燃料集合体
燃料被覆管
燃料ペレット
原子炉補助建屋
放射性廃棄物処理設備
中央制御室
タービン建屋
蒸気タービン
タービン発電機
変圧器
送電線
非常時発電機
固体廃棄物貯蔵庫
取水口
原子力発電プラントで特徴的な設備は気体、液体、固体の放射性廃棄物処理設備や放射線を検出するための環境センサー類、放射線管理区域の出入りを管理する設備である。

火力発電所との差異
横浜火力発電所
タービン発電機一般的には、分かりやすく「原子力発電所でも火力発電所でも、蒸気タービンによる発電方式ということでは同じである」と説明されることがある。しかし、厳密には以下の点で違いがある。

蒸気
タービンを回す蒸気が原子力発電所では約284度、6.8MPa[1]であり、石炭火力発電所の蒸気の約600度、25MPa[1]よりも温度、圧力が低く設計されている。この理由は、核燃料棒の被覆に使われているジルコニウムが比較的高温に弱いために[2]一次冷却水を高温には出来ないためである。また、火力発電所では超臨界流体である超臨界蒸気が使用されている。超臨界流体とは、液体の性質と気体の性質を持った非常に濃厚な蒸気であり、熱を効率良く運ぶことが出来るが高温高圧状態が必要なため、原子力発電ではこれを利用することは現在は出来ない。これらの理由から一般的な火力発電所の熱効率は約47%程度[3]であるのに対し、21世紀初頭現在の原子力発電における熱効率は約30%程度である[4]。尚、冷却材に超臨界流体である超臨界圧軽水を用いた超臨界圧軽水冷却炉が現在研究中であり、これを原子力発電に用いれば熱効率は45%程度まで上昇すると考えられている[5]。

タービン
原子力用タービンの回転数は1500rpm又は1800rpmであるが、火力用タービンは3000rpm又は3600rpmである[6]。

歴史
アメリカ、EBR-I 世界初の原子力発電を行った発電所
アメリカ、シッピングポート原子力発電所
世界の原子力発電の推移グラフ。上段 : 発電容量、下段 : 発電所数
アメリカ、スリーマイル島原子力発電所
日本、東海発電所史上初の原子力発電は、1951年、アメリカ合衆国の高速増殖炉EBR-Iで行われたものである[7]。この時に発電された量は、200Wの電球を4個灯しただけであった[8]。

本格的に原子力発電への道が開かれることとなったのは、1953年12月8日にドワイト・D・アイゼンハワー大統領が国連総会で行った原子力平和利用に関する提案、「Atoms for Peace」がその起点とされている。これは、従来核兵器だけに使用されてきた核の力を、原子力発電という平和利用に向けるという大きな政策転換であった。アメリカではこの政策転換を受け、1954年に原子力エネルギー法が修正され、アメリカ原子力委員会 が原子力開発の推進と規制の両方を担当することとなった[9]。

1954年6月27日、ソビエト連邦のモスクワ郊外オブニンスクにあるオブニンスク原子力発電所が、実用としては世界初の原子力発電所として発電を開始し[10]、5MWの発電を行った。

1955年に、原子力平和利用国際会議が開催され、原子力技術の発展について討議した[11]。

1956年に、世界最初の商用原子力発電所としてイギリスセラフィールドのコルダーホール発電所が完成した[12]。出力は50MWであった。アメリカでの最初の商用原子力発電所は、1957年12月にペンシルベニアに完成したシッピングポート原子力発電所である。

1957年にはEEC諸国によりユーラトム が発足した。同年に国際原子力機関 (IAEA) も発足した[12]。

原子力発電初期のキャッチフレーズは、「Too cheap To meter」であった。これは、「原子力発電で作った電気はあまりに安すぎるので、計量する必要がないほどだ」、という意味である[13]。原子力発電はそれだけ安く大量に電気を供給できるものと期待されていた。しかし現実はそうではなかった。バックアップ装置の増設等により、建設費が高騰したのだ[13]。原子力発電は他の発電に比べて設備費の割合が非常に大きいため、建設費が高騰するとその影響がより大きくなってしまった。

1974年には、アメリカ原子力委員会 (AEC) が推進と規制の両方を担当する事への批判から、AECを廃止し、推進をエネルギー研究開発管理部 (ERDA)、規制を原子力規制委員会 (NRC) に分割することとなった[9]。

1977年、アメリカでは民主党のジミー・カーター政権が誕生した。カーター政権は1977年4月に核拡散防止を目的としてプルトニウムの利用を凍結する政策を発表した。これによりアメリカでは高速増殖炉の開発が中止され、核燃料サイクルが中止された。これ以降アメリカでは核燃料は再処理されず、基本的にワンススルー利用されるものとなった[14]。

1979年3月28日、スリーマイル島原子力発電所事故が発生した。この事故は、世界の原子力業界に大きな打撃を与えた。特にアメリカ国内では先述した建設費用の高騰と合わせる形での事件であったため、原子力発電の新規受注は途絶えた[15]。

続いて1986年には人類史上最悪の原子力事故であるチェルノブイリ原子力発電所事故が発生。これにより原子力のリスクに対する大衆の認識は大幅に上がることになった[16]。

日本
1945年8月、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された[注釈 3]。しかし1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力研究は解禁されることとなった[17]。

日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[18]。

1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」[注釈 4]の「原子力三原則」であった[19]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[20]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[21]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。

1956年6月に日本原子力研究所、現、独立行政法人日本原子力研究開発機構が特殊法人として設立され、研究所が茨城県東海村に設置された[22]。これ以降東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。

1957年11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社[注釈 5]および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された[23]。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている[24]。

日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。しかし経済性等の問題[25]によりガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉であった。

略年表
1895年 - 放射線の発見[7]。
1939年 - 原子核分裂の発見[7]。
1951年 - 世界初の原子力発電がEBR-Iで実施[7]。
1953年 - Atoms for Peace提案[12]。
1954年 - ソビエト連邦のオブニンスク原子力発電所発電開始[10]。
1955年 - 原子力基本法が成立[26]。
1956年 - 初の商用原子力発電所、英国のコルダーホール発電所運転開始[12]。
1957年 - 国際原子力機関発足[12]。
1963年 - 日本初の原子力発電実施[12]。
1966年 - 日本初の原子力発電所、東海発電所完成[7]。
1974年 - アメリカ原子力委員会分割[9]。
1979年 - スリーマイル島原子力発電所事故発生[16]。
1986年 - チェルノブイリ原子力発電所事故発生[16]。
1999年 - 東海村JCO臨界事故発生[27]。
2006年 - 国際原子力パートナーシップ発表[28]。

原子力発電の現状 : 2009年
■青 : 原子力発電を実施中で新規建設も実行中の国。
■水 : 原子力発電を実施中で新規建設を計画中の国。
■緑 : 原子力発電を実施していないが新規建設中の国。
■薄緑 : 原子力発電を実施していないが新規計画中の国。
■橙 : 原子力発電を実施中。
■赤 : 原子力発電を実施中だが段階的に廃止予定の国。
■黒 : 商用原子力発電が認可されていない国。
■灰 : 原子力発電を実施していない国。
各国の原子力発電比率2008年の実績では、原子力発電は世界の全発電量の内、約15%を占めている[29]。また世界30か国で432基の原子力動力炉が運転されている[29]。

以下に各地域の原子力発電の現状を記載する。

米国
米国は最も多くの量の原子力発電を行っており[29]、原子力発電によってアメリカ国内の総電力の20%を賄っている[30]。

中南米
2005年12月の時点で中南米で原子炉を運転している国はメキシコ、アルゼンチン、ブラジルの3か国である。尚、キューバは1983年に原子力発電所の建設を開始した事があったが資金面の影響により1992年に工事を中断し現在に至っている[31]。

ロシア
ロシアで運転している原子炉は計27基2.319万kW[32]、2005年の発電量に占める原子力発電の割合は15.8%[33]。ロシアでの問題は老朽化である。運転中の原子炉の内、6割が老朽化していると言われている[34]。

欧州
欧州全体での発電量に占める原子力発電の割合は2009年の時点で28%[35]。EUでの原子力政策はEU加盟の各国によって違いがあり、ノルウェー、アイスランド、ポーランド、イタリア等の国では原子力発電は行われていない[35]。反対にフランスは発電量に占める原子力発電の割合が世界で最も高い国である。59基もの原発が稼動しており[35]、総電力の約80%もの電気エネルギーを原子炉から得ている[30]。2007年には国内純発電量の12.4%に相当する電力を輸出している[36]。

また、ベルギーでは2004年の時点で7基の原子炉を使用しているが、既に2003年1月に脱原子力法が議会で可決、成立しており、2025年までに原発を廃止するとしている[37]。

アフリカ
アフリカ地域の1人あたりの電力使用量は先進国と比べるとまだまだ低い水準であり[38]、原子力発電を実施している国は南アフリカ共和国ただ1国である。実施は1984年。発電量に占める原子力発電の割合は2005年の実績では5.5%であった[39]。その他、エジプト、ケニア、ナイジェリアといった国々が2011年2月時点では原子力発電の導入を検討しているとされている[40]。

中東
中東地域ではイランのブシェール原子力発電所が唯一の稼動中の原子力発電所である[41]。しかし、トルコ[42]、UAE[43]で原子力発電所の新規建設が決定されている。

中国
中華人民共和国における原子力発電は1994年に開始されたばかりで後発国といえる。2003年の発電量に占める原子力発電の割合は1.5%となっている[44]。

日本
日本の原子力発電は、経済性や安全性から軽水炉の2つのタイプ、沸騰水型原子炉 (BWR) と加圧水型原子炉 (PWR) が使われている。また、需要に合わせた電気出力の増減、負荷追従運転は行わず、常時一定の電力供給を専門としている。

2010年現在、日本における電力量の約23%を原子力が担っている[30]。一次エネルギーとしての原子力エネルギーは電力事業のみであり、日本での一次エネルギーに対する割合は2002年の時点で15%程度となっている[45]。

また、2010年3月に営業運転期間が40年に達した敦賀発電所1号機をはじめ、長期運転を行う原子炉が増加する見込みである事から、これらの安全性の維持が課題となっている[46]。

発電比率
日本の各電力会社での全発電量に占める原子力発電比率は以下の通り。

北海道電力 : 約40%[47]
東北電力 : 約16%[48]
東京電力 : 約23%[49]
中部電力 : 約15%[50]
北陸電力 : 約33%[51]
関西電力 : 約48%[52]
中国電力 : 約8%[53]
四国電力 : 約38%[54]
九州電力 : 約41%[55]
沖縄電力 : 0%[56]
世界の原子力発電所開発状況
詳細は「原子力発電所」を参照

31か国中上位15か国を掲載。2007年のデータ[32]。

アメリカ : 104基 10,606万kW
フランス : 59基 6,602万kW
日本 : 55基 4,958万kW
ロシア : 27基 2,319万kW
ドイツ : 17基 2,137万kW
大韓民国 : 20基 1,772万kW
ウクライナ : 15基 1,384万kW
カナダ : 18基 1,343万kW
イギリス : 19基 1,195万kW
スウェーデン : 10基 938万kW
中国 : 11基 912万kW
スペイン : 8基 773万kW
ベルギー : 7基 612万kW
台湾 : 6基 516万kW
インド : 17基 412万kW
世界合計 : 435基 39,224万kW

今後
核融合の実験施設である国際熱核融合実験炉の炉心モデル
第四世代原子炉に挙げられる高速増殖炉の「もんじゅ」
核燃料サイクルの概念図。1. 閃ウラン鉱の採掘、2. 発電所から再処理工場へ、3. 地層処分、4. 発電所の燃料へ再加工現在、世界的には2つの流れがある。すなわちエネルギー源としての原子力の利用を削減、廃止していこうとする流れと、エネルギー源としての原子力の利用を推進していこうとする流れである。

原子力撤廃 詳細は「原子力撤廃」を参照

この立場に立つ主な国としてドイツがある[57]。また、ベルギーも2003年1月に脱原子力法が成立し、2004年現在7基ある原子炉を2025年までに全廃することになっている[37]。

スウェーデン、イギリス、イタリアは脱原子力を過去に目指していたものの、現在では地球温暖化等の問題によりその政策を見直した[58]。

原子力推進 詳細は「国際原子力パートナーシップ」を参照

一方、アメリカは2006年に輸入化石燃料への依存量を減らすなど幾つかの目的を持つ新しいエネルギー政策「国際原子力パートナーシップ」を発表。日本、フランス、中華人民共和国、ロシアなどとの協力によってこの政策を推進してゆくことを発表した。

2007年にはオーストラリア、ブルガリア、ガーナ、ハンガリー、ヨルダン、カザフスタン、リトアニア、ポーランド、ルーマニア、スロヴェニア、ウクライナ、イタリア、カナダ、大韓民国がこの計画への参加を表明している。

この計画の中心となるのは核燃料サイクルと超臨界圧軽水冷却炉、ナトリウム冷却高速炉、鉛合金冷却高速炉、超高温ガス炉、ガス冷却高速炉、溶融塩原子炉といった第4世代原子炉[59]である。また、本質的に安全な原子力発電プラントや核融合炉の開発、海水淡水化、暖房供給への利用等の研究が現在も世界各国で続けられている。また、トリウム232をウラン233へと転換させ、核燃料として利用する、トリウムサイクルの実用化に向けた研究も行われている[60]。

また2008年7月の洞爺湖サミットに際して行われたG8エネルギー大臣会合関連ではエネルギー供給源の多様化等の観点から、原子力発電の重要性を確認した[61]。

2010年6月に2010年日本APECの一貫として福井市で開かれたエネルギー担当相会合 (EMM) では、域内での温室効果ガス排出削減や省エネ製品の普及などで協力することを盛り込んだ議長声明を採択した。同声明は「エネルギー安全保障に向けた低炭素化対策に関する福井宣言」と題される。声明ではAPECとして初めて、原子力発電所が温暖化対策に貢献することを認め、建設促進を盛り込んだ[62]。

国際原子力パートナーシップ参加国以外では、アラブ首長国連邦 (UAE)[63]やベトナム[64]などが原子力発電所の建設計画を持っている。UAEは2020年頃の稼動開始を目指している他、ベトナムは2030年までに原子炉14基を稼働させる計画を明らかにしている[65]。

日本
日本の原子力政策は、原子力設備の更新が予想される2030年以後も原子力発電が現在の総発電量の3割程度という水準か、それ以上の割合を占める事が適切であるとしている[66]。

また、増え続ける使用済み核燃料に含まれるプルトニウムの処分方法とウラニウムの輸入量を減らすための解決策として、高速増殖炉計画が推進され、2010年現在は原型炉のもんじゅが試験を繰り返し行っている。平行して核燃料サイクル政策としてMOX燃料によるプルサーマル計画が進められている。

原子力産業
エネルギー安全保障問題、地球環境問題等の影響で世界的に原子力への期待が高まっている。そのため、原子力エネルギー政策の国際的な協調が行われるようになってきており、アレヴァと三菱重工、ウエスチングハウスと東芝、ゼネラルエレクトリックと日立製作所が提携するなど原子力産業界に変化が見られる[67]。

日本では、国外の売り込みにおいてUAEで韓国勢に[63]、ベトナムではロシア勢に[64]それぞれ敗れるなど遅れが目立ち始めたため、2010年10月には東芝・日立・三菱重工に加え東京電力などの電力会社を交えた合弁会社として国際原子力開発を設立し、海外向けの受注活動で相互協力する姿勢を示している[68]。

諸議論
利点 現行の原子力発電の利点として、以下の諸点が挙げられている。

発電時に地球温暖化の原因とされる二酸化炭素を排出しない[69]。
中東に大きく依存するガス、石油と違い、ウラン供給国は政情の安定した国が多い[70]。
酸性雨や光化学スモッグなど大気汚染の原因とされる窒素酸化物や硫黄酸化物を排出しない[71]。
発電コストに占める燃料費の割合が他の発電方法に比べ極めて低いため、燃料価格が上昇してもトータルの発電コストが上昇しにくい[72]。
核燃料の交換頻度が低い事や核燃料物質の国際的な入手ルート・価格がほぼ確立し安定している為に、化石燃料型の発電に比べて相対的に安定した電力供給が期待できる[73]。
発電量当りの単価が安いため経済性が高い[74]。
化石燃料資源の乏しい国でも比較的少量の核燃料を繰り返し使用する再処理技術、核燃料サイクルの確立により核燃料物質の入手に関わる制約が圧倒的に緩和できる[75]。
技術力がある、と国際的にアピールできる。
優秀な原発技術は海外へ売り込むことができる[76]。
海水からのウラン採取が実現すれば燃料はさらに豊富となる。尚、採取技術は既に存在している[77]。
日本では、原子力発電所ができると地元には一定の雇用が期待できるほか、電源立地地域対策交付金などの電源三法交付金、固定資産税、法人税などの税収も確保できる[78]。

問題点
現行の原子力発電には以下の問題点が指摘されている。

原子力発電所の稼動中に発生する放射線への対処が必要となる。
原子炉の運転に伴い中性子線やガンマ線が発生するため、発電施設で働く作業者が過度に被ばくしないよう、遮蔽を考慮した設計にする、管理区域を設けるなど特別の対応をする必要がある[79]。
重大事故が発生すると周辺環境に多大な被害を与え、その影響は地球規模に及ぶ。国土が狭い日本において、一旦チェルノブイリ級の事故が発生した場合、放射性物質による国土の汚染は日本国内の非常に広範囲に及ぶ[80]。
放射性物質であり生物化学的な毒性もある放射性廃棄物が発生する[81]。
放射性廃棄物の処分問題
数十億年の長い半減期を持つ高レベル放射性廃棄物に対しては、地下深くに埋設して処分する深地層処分が検討されている。しかし、放射性物質の漏洩のリスクなどから、地域住民の多くがその近隣での処分に反対するため、広大な国土を持つアメリカ合衆国やロシアのような例を除き、多くの国で地下埋設の処分地確保に問題を抱えている[82]。
原子炉の解体処分にともない、低レベル放射性廃棄物に相当する廃棄物が大量に発生するため、これらの処分方法が課題となっている[83]。
日本では高レベル放射性廃棄物の最終処分地が決定していない[84]。
発電施設および核廃棄物へのテロリズムの危険[85]。
ウラン資源の可採埋蔵量に由来する資源枯渇問題
地殻中のウラン235のみの利用を考えた場合、資源がそれほど豊富なわけではない[86]。
軍事転用の問題
天然ウランから核燃料を作る工程で発生する劣化ウランは劣化ウラン弾として使用可能[87]。
使用済み核燃料に含まれるプルトニウムは原爆などに転用することが可能。ただし、抽出には非常に高い技術と専用の設備が必要である[88]。
通常停止の場合、停止までの所要時間が長い[89]。
日本においては負荷追従運転を基本的には行っていない[90]。
周辺整備などに多大なコストがかかる
対応する揚水発電所の建設コスト[91]。
日本において地方に建設されることによる弊害。
電力の生産地と消費地が離れて存在するため、長距離送電時の電力ロスが大きい、送電網のコスト、また送電線事故での停電リスクが増大する[92]。
海水を使用する場合、立地場所が限定される[93]。
海岸沿いに作られると、津波の被害を受ける可能性がある[94]。
後進国や発展途上国で原発が建設された場合、安全性が懸念される[95]。
日本では、将来の原子力発電を担ってくれる技術者が減少傾向にある[96]。
日本では原子力関係の学科が減少傾向にある[97]。

事故
チェルノブイリ原子力発電所4号炉
福島第一原子力発電所詳細は「原子力事故」を参照

原子力事故
臨界状態は、核分裂反応が連鎖している状態であるが、仮にこの連鎖が異常に高い効率で核分裂反応が進むとすぐに核燃料内部が中性子であふれ、出来るだけ速やかに全てのウラン235の原子核が核分裂する方向へと働いてしまう。制御を超えて一度に進む核分裂反応は、エネルギーの発生も一度に起こり、発生する高熱と強力な放射線があたりに放たれてしまう。これが核爆発である。ただし現在の発電用原子炉で核爆発が起きることは全く無い[98]とされ、起こり得る事故は以下のようなものとなる。

炉心溶融 詳細は「炉心溶融」を参照

原子力発電所で起こり得る最悪の事故としては炉心溶融が挙げられる。これは、原子炉の炉心冷却が不十分な状態が続いた結果、若しくは炉心の異常な出力上昇の結果、炉心温度が上昇して溶融に至る事故である[99]。最悪の場合は水素爆発等を誘発し、原子炉圧力容器、原子炉格納容器、原子炉建屋等の構造物を破壊する事で、原子力発電所の外に放射性物質を大量に拡散させる恐れもある[100]。

炉心溶融を防止するために現在は冷却材喪失事故の防止策として非常用炉心冷却装置等の設置[101]、また異常な出力上昇の防止策として原子炉に自己制御性を持たせている[102]。

しかし、現在までに3件の事例が記録されており、最も深刻なチェルノブイリ原子力発電所事故では広範囲に放射性物質を拡散させた。

臨界事故
臨界事故とは、制御棒の予期せぬ引き抜け等により想定外の臨界状態になることである。1978年11月2日に福島第一原子力発電所3号機で発生した事例がある。

国際原子力事象評価尺度
原子力発電所の事故、故障は国際原子力事象評価尺度に照らされ、0 - 7のレベルに分けられることになっている。放射線被曝を伴わない事故の場合でも安全管理不適切と判断されレベル1以上になることがある[103]。

データ
発電コスト 経済産業省による試算 [編集]1999年に通商産業省資源エネルギー庁が発表した試算によれば、1kWhあたりの発電コストは以下の通り[104]。

原子力 5.9円
LNG火力 6.4円
石炭火力 6.5円
石油火力10.2円
水力 13.6円

尚、この試算は漁業補償金や原子力に特有な再処理費用、1kWhあたり1円 - 2円の燃料費等のバックエンドコストを含んだ物だが、電源三法による地元交付金等は含まれていない。原子力発電コストは燃料費の割合が低いが故に、燃料費の高騰を原因とする値段の高騰を招きにくい特性がある。

原子力資料情報室による試算 [編集]2005年6月に特定非営利活動法人原子力資料情報室が発表した試算によれば、運転年数40年の場合、1kWhあたりの発電コストは以下の通り[105]。

原子力 5.73円
LNG火力 4.88円
石炭火力 4.93円
石油火力 8.76円
水力 7.20円
二酸化炭素排出量 [編集]温室効果の原因となる二酸化炭素の排出量が少ないことは、原子力発電の利点の一つとされている。電力中央研究所が平成12年に発表した試算によれば、原子力をはじめとする各種発電方式について、発電所の建設から廃止までの発電量と二酸化炭素排出量を考慮した、1kWhあたりの二酸化炭素排出量は以下の通り[106]。

原子力 22グラム
水力 11グラム
LNG火力 608グラム
石油火力 742グラム
石炭火力 975グラム
原子力発電では核分裂反応に起因する二酸化炭素の排出は全くないが、発電所の建設、運用、廃止や燃料の生産、輸送、廃棄物の処分等に起因する二酸化炭素の排出も上記の試算には含まれているため、若干の排出が見られる。この点は水力発電も同様である。

発電所建設費の例
原子力 北海道電力泊発電所3号機 約2,926億円 91.2万kW 平成21年12月営業運転開始[107][108]
揚水型水力 東京電力葛野川発電所 約3,800億円 160万kW 平成11年12月3日1号機営業運転開始[109]
天然ガス 電源開発株式会社市原発電所 約100億円 11万kW 平成16年10月営業運転開始[110]
石炭 北陸電力敦賀火力発電所2号機 1,275億円程度 70万kW 平成12年9月営業運転開始[111]
風力 電源開発株式会社郡山布引高原風力発電所 約120億円 6.6万kW 平成19年2月 営業運転開始[112]
注釈
^ 原子炉においては、重水と区別するため、一般的な水は軽水と呼ばれる。
^ 同様に、廃熱のための施設は火力発電所でも必要となる。
^ 連合国軍最高司令官総司令部指令第三号第八項『日本帝国政府はウランからウラン235を大量分離することを目的とする、また他のいかなる不安定元素についてもその大量分離を目的とする、一切の研究開発作業を禁止すべきである』
^ 原子力基本法 第2条-原子力開発利用の基本方針
平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
^ 1957年当時。現在は沖縄電力も含めて10社。ただし現在でも沖縄電力は日本原子力発電に出資していない。
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^ 電力中央研究所 ライフサイクルCO2排出量による原子力発電技術の評価研究報告 - 2010年11月14日閲覧
^ 「北海道電力株式会社泊発電所 原子炉設置変更許可申請」平成15年6月 (PDF)
^ 北海道電力 泊発電所3号機の営業運転開始について - 2010年11月7日閲覧
^ TEPCO プレスリリース - 2010年10月30日閲覧
^ 「市原パワー株式会社市原発電所の運転開始について」平成16年9月30日
^ 北陸電力「敦賀火力発電所2号機(70万kW)の運転開始について」平成12年9月28日 (PDF)
^ 電源開発株式会社 「郡山布引高原風力発電所の竣工について」平成19年1月31日
参考資料 [編集]JAIF資料
神田 誠他 『原子力教科書 原子力プラント工学』 オーム社 2009年 ISBN 9784274206603
原子力ハンドブック編集委員会編 『原子力ハンドブック』 オーム社 2007年 ISBN 9784274204432
バーナード・L・コーエン著 近藤駿介監訳 『わたしはなぜ原子力を選択するか 21世紀への最良の選択』 ERC出版 1994年 ISBN 4900622052
有馬哲夫 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』 新潮新書 新潮社 2008年 ISBN 9784106102493
吉岡斉 『原子力の社会史 その日本的展開』 朝日選書 朝日新聞社 1999年 ISBN 9784022597243
至るところ蒸せ返る小便と汗の匂いに/否応なく鼻孔と肺と脳とを犯されながら・・・・・・・・・・・・四元康祐
四元康祐

──四元康祐の詩──(2)

   ニューヨーク サブウェイライド・・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

   至るところ蒸せ返る小便と汗の匂いに
   否応なく鼻孔と肺と脳とを犯されながら
   時間を訊かれるたびに脅え頸筋を強張らせ
   眼の前で若い娘がホームから突き落とされるのを見て
   その視線をゆっくりとタブロイドの活字に戻す
   いけにえを捧げるべきどんな神が
   いると云うのかこの地底の祭壇に
   史上最高の富と文明が
   密林に勝る混沌と恐怖の上に成り立っていて
   白い人は白い膚を呪い
   老人は衰えた脚力を呪い
   女たちは突き出た乳房と尻に恥じ入って
   垂れかかる葉と蔓のように車両を充たす
   その呪いと恥の間を黒い若者がしなやかに歩いてゆく
   禁欲と勤勉で地上を律する膨大な法の体系も
   悪意がないと云うただそれだけのことを
   乗客たちに示す手立てを若者には与え得ないから
   彼もまた黒い膚を呪い盛り上がった筋肉に恥じ入って
   列車は耳を弄するきしみをあげてカーブを曲がり
   その一瞬人々は遥か頭上に広がる筈の夜空を
   かけがえのない恩寵のように思い浮かべる

四元康祐・詩集『世界中年会議』2002/09/30思潮社刊より
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四元康祐は、いま注目されている詩人である。
この本が出たとき彼はドイツのミュンヘンに住んでいたが、掲出の詩を書いたときはアメリカに居た。
この詩はニューヨークの地下鉄の様子を描写している。時は1980年代から1900年代にかけての頃のことである。
ニューヨークの街は荒れ果て、物騒で、特に地下鉄は怖かった。みんな見て見ぬ振りをして暴力がのさばっていた。
地下鉄だけでなく、地上でもメインストリートの脇道は立ち小便をやたらにするので「小便臭かった」。
それを改革したのが何とかいう市長だった。
その頃、私もアメリカに行ったことがあるが、他の都市も同様で、例えばロサンゼルスの有名な「サンタモニカ」の海岸なんかも、汚くて、まさに小便臭かった。

つづいて他の詩集から詩を引いておく。
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四元康祐②

     Beatrice,who?・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

   第六の地獄から第七の地獄にいたる断崖を
   そろりそろりと
   ダンテが這い降りてゆく
   とうに死んでいるヴェリギリウス先生は気楽なものだが
   生身のダンテは細心の注意を払わねばならない
   自らが生み出した夢の中とて
   落ちれば死ぬのだ

   ダンテが必死で握り締めているもの
   なんとそれは
   言葉で編んだロープであった
   三行ごとに束ねられた透明な縄梯子
   喉の奥から吐き出された逆さまの「蜘蛛の糸」 
   足元から立ち昇る糞尿の匂いは
   筆舌に尽しがたいのに

   そんなにまでして会いたいのか
   愛しのベアトリーチェに
   地面に腹ばいになって裂目から呼びかけると
   こっちを見上げてダンテは答える
   ベアトリーチェって誰だい?
   俺はただ拾いにゆくだけだよ
   完璧な比喩を

   浮かばれないのはベアトリーチェの魂である
   ヴェルギリウス先生も
   浮遊したまま心を悩ませていらつしゃるが
   ダンテは構わずずんずんと降りて行く
   毒食らわば皿まで、と云ったかどうかは定かでないが
   この年ダンテ前厄
   「神曲」約三千六百行目に差し掛かった秋であった


・詩集『噤みの午後』2003/07/25思潮社刊より
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この詩集の題字は谷川俊太郎の筆による。

ダンテの「神曲」は、以前に鈴木漠の連句の紹介のときに触れたが「テルツァ・リーマ」という三韻詩の形式で書かれている。
この四元康祐の詩の「三行ごとに束ねられた透明な縄梯子」の部分は、それを踏まえている。
さりげなく書かれていても、「古典」を深く踏まえていることを知ってほしい。
彼の詩は、とても長いものが多いので、なるべく短めのものを選んで掲出した。

先に紹介したアンソロジー『四元康祐詩集』の解説に載る文章を引いておく。

   噤みの午後にダンテと出会う──四元康祐読解ノート    栩木伸明 (抄)

日本がバブル景気に沸いていた当時、日本企業のひとりの駐在員が、アメリカ東海岸の大学院で経営学修士号を取得した。
やがて月面(のようなところだったらしい、本当に)へ赴任して子育てをしたのちの転勤先は、旧大陸の、午後と週末に口を噤むことが定められた国だった。
周辺には独自の文化と歴史を誇る国が綺羅星のごとくに点在し、各国間の出入りは前世紀末からフリーパスになったので、
仕事の合間に美術館を訪れることが趣味になった。中年の呼び声を聞いたのちの人間にはふさわしいたしなみといえるだろう。
一番の愛読書はダンテの『神曲』だという。・・・・・・・
1991年、帯に谷川の推薦文をつけ、大岡の肝いりで第一詩集『笑うバグ』が発表された直後、高橋源一郎は朝日新聞の文芸批評にこう書いた──

「この詩にはぼくたちも登場している。だが、ぼくたちは自分がこの詩に登場していることを知らない。
なぜなら、ぼくたちは複雑なシステムの一部として登場していて、それがどういうシステムなのかぼくたちとにもわからないからだ。
かれはそれをはじめて言葉に変えた。・・・・・
流動する世界の中で自分の位置を確かめるために、かれは高い場所から俯瞰するように詩を書く。」

これは四元の詩にたいする最も初期のコメントのひとつだが、彼の詩が世界規模の後期資本主義経済のシステムという巨大な相手を前にして、
その全貌を視野におさめようとして十分引いた立ち位置から書かれていることを、的確に言い当てている。・・・・・


   
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ・・・・・・・・・・・・高浜虚子
kityou4黄蝶

     初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

この句は昭和21年3月29日の作である、とされているので、どうしても今日の日付で入れたかった。
虚子くらいの俳人になると弟子も多くて作品解題も詳細を極めているのである。

初出誌「ホトトギス」昭和21年6月号では、「初蝶来何色と問はれ黄と答ふ」だった。
それが再掲誌「玉藻」(虚子の二女星野立子の主宰誌)同年9月号までの間に「問はれ」が「問ふ」に修正された。
この修正は、まことに興味深い。虚子の句作の実際を具体的に例示してくれるからである。
「問はれ」から「問ふ」に変ることによって、この句は単に実際の体験を詠んだだけの句から、もう一つ別の次元へ移ったと言える。
「問はれ」て「黄と答ふ」という、ひと連なりの句では、この句は「作者」一人が詠んで、それでお終い、という、つまらない句になってしまう。
それを「何色と問ふ」「黄と答ふ」としたことによって、「誰か」を見事に押し隠しているために、句に対話性が導入され、句が大きく、広くひろがった。
言い換えると、或る種の超越的な象徴性を生み出し得た、と言えるのである。
なお、この句には「来」(来る、の終止形)「問ふ」「答ふ」と三つの動詞の「終止形」が使われている。
そのことによって、この句がきりりと引き締まった感じがする作品に仕上がっている。秀逸というしかない佳句である。
昭和22年刊『六百句』所載。

「蝶」を詠んだ句を少し挙げてみよう。

 蝶々のもの食ふ音の静かさよ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 一日物言はず蝶の影さす・・・・・・・・・・・・尾崎放哉

 うつうつと最高を行く揚羽蝶・・・・・・・・・・・・永田耕衣

 閉ぢし翅しづかにひらき蝶死にき・・・・・・・・・・・・篠原梵

 きらきらと蝶が壊れて痕もなし・・・・・・・・・・・・高屋窓秋

 大空にたはるる蝶の一つがひ・・・・・・・・・・・・香川景樹

 ほそみとはかるみとは蝶生れにけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 回想のうちそと蝶が舞ひはじめ・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 初蝶を見し束の間のかなしさよ・・・・・・・・・・・・松本たかし

 音楽を降らしめよ夥しき蝶に・・・・・・・・・・・・藤田湘子

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 《てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた》

これは安西冬衛の詩集『春』に載る詩である。
この詩は詩人たるものにとっては、見過ごすことの出来ない歴史的な名詩である。
この詩は、杉本良吉と岡田嘉子の樺太の荒野を越えての恋の逃避行を詠んだ、などと言われているが、それは野次馬の付け足しであろう。
私も、これに触発されて、歌を一首ものにしたことがある。



直感を信じちゃいけない/分析するんだありとあらゆる手管を尽くして/ばらはらにしてさらけだすんだ・・・・・・・・・・・・・四元康祐
四元康祐①

──四元康祐の詩──(1)

        意思決定・・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

     直感を信じちゃいけない
     分析するんだありとあらゆる手管を尽くして
     ばらばらにしてさらけだすんだ眩しい陽の下に
     それから数量化するそれが出来たら
     あとは一気に公式まで持ってゆく
     相関関数の多少のずれは気にするな
     直感のいい加減さに較べればよっぽどマシさ
     君の幸福はどんな曲線だい
     波打際のおんなの背中
     ダウジョーンズの震える罫線
     それとも黄金のコンソメの上のさざ波
     最後に微分して最大値を求める
     さよなら、ロレンス

        秘書・・・・・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

     「社内秘回覧を読むあなたの横顔がわたしは好き
     眉間にしわを寄せ小首をかしげて
     風に吹かれ星々を読む船乗りみたい
     読み終わったら律儀な仕草で印鑑を取り出して
     ゆっくりと力をこめて捺印する
     そのときの一文字につぐんだ唇も素敵
     秘密を許されてあなたは嬉しい?
     それとも脅えているの少しだけ?
     いつかもっと偉くなってあなたは
     秘密の中心まで辿り着く そしたら
     真昼の砂丘でよろめくあなたに
     わたしが何もかも教えてあげる」

四元康祐・第一詩集『笑うバグ』1991年花神社刊(引用は現代詩文庫『四元康祐詩集』2005年思潮社刊より)
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このアンソロジー詩集の裏表紙に、大岡信が、こう書いている。

<四元康祐をアメリカ文学者金関寿夫の紹介で知った。『笑うバグ』より三年ほど前、「会社めぐり」の時期だった。
 「コンピュータ時代のアンニュイとウィットと感性で日本で初めて出た詩人です」と金関さんへの礼状に書いた。
 四元君はそれ以後ずっと大詩人への道を歩んできた。
 『世界中年会議』の“思いつき”の面白さは抜群。
 彼の作品やエッセーは、どれをとっても人類の未来への不安を隠し持った、微苦笑や皮肉のきいたユーモアを持ち、
 <現代の怪談>めいたスリルに富む。
 個別の詩の背景に常に「大文字の詩」への熱い思いがあって、一見クールな外見をしっかり支えている。
 純正な日本語の詩が、多年日本を離れている純然たる勤め人によって書かれたみごとさ。>

四元 康祐
出典─Wikipedia

四元 康祐(よつもと やすひろ、1959年 - )は、日本の詩人。

大阪府寝屋川市生まれ。中学・高校を広島学院の寮で過ごす。1982年上智大学文学部英文学科卒業。
1983年結婚。1986年、製薬会社の駐在員としてアメリカに移住。1990年ペンシルベニア大学経営学修士号取得。
1991年第1詩集『笑うバグ』を刊行。1994年ドイツ移住。
2002年の『世界中年会議』で第3回山本健吉文学賞、第5回駿河梅花文学賞、2004年詩集『噤みの午後』で第11回萩原朔太郎賞受賞。ミュンヘン郊外在住。

ビジネスマンとして長く欧米暮らしを経験し、日本語を話す機会の限られた生活を送った。経済・会計用語を駆使する斬新な作風であるが、ユーモアも発揮されている点が特徴。

著書
笑うバグ 詩集 花神社 1991.11
世界中年会議 思潮社 2002.9
噤みの午後 思潮社 2003.7
ゴールデンアワー 新潮社 2004.2
四元康祐詩集 思潮社 2005.7 (現代詩文庫)解説:穂村弘
妻の右舷 集英社 2006.3
言語ジャック 思潮社 2010.3
共編著
四元康祐 詩のなかの自画像 前橋文学館特別企画展 第11回萩原朔太郎賞受賞者展覧会 萩原朔太郎記念水と緑と詩のまち前橋文学館 2004.9
詩と生活 対詩 小池昌代 思潮社 2005.10
泥の暦 対詩 田口犬男 思潮社 2008.5
翻訳
動物たちの謝肉祭 サン=サーンスの音楽に誘われて エイドリアン・ミッチェルほか詩 BL出版 2007.7
キッド サイモン・アーミテージ 栩木伸明共訳 思潮社 2008.10
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四元康祐③

         ゴッホ道・・・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

     あたり一面どろどろの泥濘である
     但しその泥は
     光沢のある明るい絵の具
     田舎道と波打つ麦畑その向こうの地平線と青空には
     境い目がない ただ虹のようにおぼろげな
     意味の霞がたなびいているだけ
     逆巻く雲や跳び交う鴉までがひと塊にこねくりまわされて
     俺はブルーの一筆書きだ

     地面からはにょろりにょろりと
     先端が髭と化した円錐形が生え出してきて
     捩じれる樹木に絡みつく
     大気中に吹きすさぶ色彩の暴風雨
     そこへケシの花びら達が傘もささずに駆け出してゆく

     描写は退屈だな
     言語の本質は命令形にあり
     「光よ。あれ」
     爾後はみなオノマトペ
     うおーひぇってるぅひとあでんげ?
     おお数式よ 高分子化合物よ
     析出する立方体へと滑り出してゆくものよ!
     舌先で飴が溶けるよ

     波打つ古都の甍のように
     少しずつ角度を変えて合わさった平面の向こうから
     奥行の亡霊達が(土煙あげて)凱旋してくる
     風なきところに風が発ち
     道は、滔々と、道の真ん中を流れてゆく
     泥濘は色鮮やかなまま透き通り
     事物の輪郭だけが骸骨の楽隊さながら踊りだす

     ああ、では俺も
     一本の線にほどけて
     コバルト色の空に舞おう
     色即是空 牛はオランダ語でKoe(ku:)

四元康祐、詩集『言語ジャック』思潮社2010/03/01刊より
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この詩集は題名の通り、ダンテや宮沢賢治や新幹線の車内放送や「奥の細道」や「名詞」や、ありとあらゆるものから、言語や絵画が「ジャック」されているのである。
この詩集から、もう一つの詩を引いておく。

        言葉苛め・・・・・・・・・・・・・・・・・・・四元康祐

     言葉で苛めるのではなく
     言葉が苛められているのである
      
     車座に胡坐をかいた男たちの真ん中に
     縛られて、芋虫のように転がされた哀れな言葉

     句読点ひとつ欠けたところのない玉のような肌である
     厳格な文法の父と優しい音声の母のもとで大切に育てられてきた

     男たちは揃ってみな三つ口である 僅かばかりの
     常套句を使い回して暮らしているのだ

     「へっへっへ、口じゃ嫌がったってカラダは正直だぜ」
     「もっとええ声あげて鳴いてみんかい」

     言葉は歯を食いしばって堪えている
     自分の中から淫らな間投詞が漏れてしまうのを

     そして必死で願っている
     聖なる剣が男たちを微塵に分節してくれることを

     だが、いま彼女の構文は恥ずかしい姿勢を取らされて
     ツンと尖った単語の先を執拗に撫でられ──

     男たちは注視している
     彼女の中心から透明なしずくが垂れ落ちるのを

     獣の股ぐらのような暗い眼差し
     無言のままひくひく震える割れた吻(くちびる)

     決壊の予感に打ち震えながら、言葉は今
     眩しい海を見ている

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比喩メタファーでくるまれているので、難しいかも知れないが、さまざまに想像してみると面白い。






ムスカリは紫の彩に咲きいでて小人の国にシャンデリア点す・・・・・・・・・・木村草弥
kyukon4musuムスカリ本命

  ムスカリは紫の彩(いろ)に咲きいでて
    小人の国にシャンデリア点(とも)す・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

ムスカリは丁度シャンデリアをひっくり返したような形をしており、私は、それを「小人の国のシャンデリア」と表現してみた。
ムスカリの特徴を示すものとして、この歌は私の気に入っているものである。

ムスカリも、そうだが、総じて草花などの名前や栽培は亡妻がやっていたか、または教わったものが多い。
ムスカリは小アジアのアルメニア辺りが原産地と言われている。
学名のMuscariはギリシア語のmoschos(麝香)に由来するという。強い香りから来ているのだろうか。

musukari2ムスカリ

このムスカリは花壇などにびっしりと密植されているのが豪華で風情がある。
球根植物の例で、暑い夏には地上部は消えてなくなってしまうが、晩秋になると芽を出してくる。
2、3年はそのまま放置して置いてよいが、数年経ったら堀り挙げて保存し、秋に植えなおすのがよい。

   ムスカリの傍(かたへ)に置ける愛の詩集
      湖(うみ)より吹ける風はむらさき・・・・・・・・・・・・・木村草弥


同じく「ムスカリ」を詠んだ歌として私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
「愛の詩集」という言葉などは、少し甘すぎるかも知れない。

muscari2ムスカリ白

写真③のような白いムスカリもあるようである。
もちろん栽培種であろう。

ムスカリはカタカナ語であり、季語としての市民権を得て日が浅いので、ムスカリを詠んだ句は極めて少ないが、それを引いて終わる。

 ムスカリは和蘭渡り施薬寺・・・・・・・・・・有働亨

 かたまりてムスカリ古代の色放つ・・・・・・・・・・青柳照葉

 ムスカリや石を起せば何かゐて・・・・・・・・・・永作火童

 ムスカリや川に火を焚く誰かゐて・・・・・・・・・・ながさく清江



パンジーの仔熊の顔に似たりけり・・・・・・・・・・・・・森田峠
pansy3パンジー

     パンジーの仔熊の顔に似たりけり・・・・・・・・・・・・・森田峠

そう言われると、たしかに似ているが、今なら、さしずめ「パンダ」に似ていると言われるかも知れない。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものには

     パンジーは思案する花かなしきは忘るるに委せ風と遊べり・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。
この歌にあるように「パンジー」という名前の由来はフランス語の「パンセ」(考える)という言葉から命名に至っているという。

私の方では、毎年、晩秋になると、冬から春への定番の花として「パンジー」あるいは「ビオラ」を買ってきて、プランターに植えることにしている。
種類が豊富だし、病気らしいものは、先ずないし、第一、値段が安いので、気兼ねなくたくさん植えられる。
直列のプランターには大輪のパンジーを、丸いプランターにはビオラを植えつけるのが定番である。今年の冬は寒くて氷点下の朝が多かったがパンジーは、平気だ。

panji-y-lp-1パンジー

panji-0112-39パンジー

昔は「三色すみれ」などと言って、宝塚少女歌劇的な甘ったるいロマンチックな雰囲気のする花だったように思うが、それはまんざら的外れでもなさそうで、
宝塚の歌にも「スミレの花咲くころ・・・」というような歌の歌詞があったではないか。
今では宝塚も、すっかり大人の雰囲気になって「少女歌劇」とは呼ばない。
「ベルサイユの薔薇」などの芝居は華やかなインターナショナルな雰囲気のもので、海外公演もしている現状である。
写真④にビオラのヨーロッパ原野に咲く「野生種」の写真を載せる。
histry_1ビオラ野生種

このように「ビオラ」はヨーロッパが原産地らしい。
野生種は単色であるのも自然かと思う。この「ビオラ」の野生種は地味な花だ。

話は変わるが、与謝野晶子の歌で有名な「コクリコ」(ひなげし)の花が草原に彩りも鮮やかに群生しているのを見たことがあるが、
もちろん「ひなげし」と「ビオラ」は別の花で咲く季節も違うが、同じくヨーロッパの野っぱらに群生する「野生種」というところからの連想である。

ビオラは、小さな花がびっしりとプランターに密植されている様子は華やかである。
冬は花が少なく彩りに欠けているからビオラの醸しだす雰囲気は貴重なものである。
花が、ほぼ二色に彩られているのも面白い。
写真⑤はビオラである。
biora-yv-02パンジー

ビオラにも実にさまざまな色の取り合わせがある。掲出したものなどは、むしろ地味な方であろう。
先にも書いたが、ビオラは定植する場合は、やはり丸い鉢が似合うようだ。

俳句にもパンジーやビオラが詠まれているので、それを引いて終りたい。
花言葉は「思案」「物思い」「私のことを忘れないで」。

 パンジーの畑蝶を呼び人を呼ぶ・・・・・・・・松本たかし

 三色菫は治癒の日の花子より享く・・・・・・・・石田波郷

 三色菫買はしめおのれやさしむも・・・・・・・・森澄雄

 彼岸の墓どれも親しや遊蝶花・・・・・・・・角川源義

 妻が植ゑて三色菫黄がちかな・・・・・・・・安住敦

 三色菫勤勉をただ誇りとし・・・・・・・・藤田湘子

 パンジーの仔熊の顔に似たりけり・・・・・・・・森田峠

 ことごとく風の虜や遊蝶花・・・・・・・・岡本眸

 三色菫コップに活けて退職す・・・・・・・・菖蒲あや

 太陽へ三色すみれ笑ひだす・・・・・・・・青柳照葉

 パンジーを貌と見てゐる西東忌・・・・・・・・辻田克巳

 パンジーの大いなる斑の吹きゆがむ・・・・・・・・堀古蝶

 パンジーの今日泣き顔と思ひけり・・・・・・・・木田千女

 岡鹿之助の遊蝶花とてニルヴァーナ・・・・・・・・伊丹さち子

 遊蝶花日暮は人のふりむかぬ・・・・・・・・永島靖子

 三色菫働けばくる日曜日・・・・・・・・横沢放川

 パンジーは摘む花ならず月のぼる・・・・・・・・岸本尚毅


昨日今日比良八荒といふ寒さ・・・・・・・・・・・・・・・鈴木光紫朗
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     昨日今日比良八荒といふ寒さ・・・・・・・・・・・・・・・鈴木光紫朗

比良八講または八荒というのは関西だけに通用することで関東その他では意味が判らない行事ないしは言葉である。
「比良八講」というのは、本来は旧暦2月24日に比良大明神=白鬚神社で比叡山の僧が比良山中で行なっていた修法。
天台宗の僧侶が法華経全8巻を、それぞれ朝夕一巻づつ4日間読経する法会で、天台宗の試験を兼ねた大切な法会であったが、戦後に復活された、という。
今では日を固定して3月26日に行なわれる。

「源氏物語」には、この法会の場面が出てくるという。
この行事の頃、琵琶湖ないしは近畿地方では、寒気がぶり返し、突風が吹いたりするので「比良八講の荒れじまい」などと言われ、
季節の一つの目安とされているのである。
これが終ると湖国にも本格的な春が訪れるという。

行事の解説をしておくと、法会は日吉大社西本宮に集合して、志賀町の打見山頂で取水行事をし本福寺に至る。
3月26日午前9時、大津市長等3丁目の本福寺を出発した僧や修験者らが、ホラ貝を響かせながら大津港までお練りをし、
浜大津港から船に乗って、比良山系から取水した「法水」を湖面に注ぎ、物故者の供養や湖上安全を祈願する湖上修法と浄水祈願を行ないながら、堅田へと向かう。
堅田に到着後は「びわ湖タワー」で護摩供法要が営まれ、これで行事は終る。
この行事については、この記事に詳しい。

98-03p比良八講     98-03m比良八講コース
↑ 写真③は琵琶湖上の船に乗り込む一行のもの。
カラーの写真が見つけられなかったので、お許しいただきたい。
右並びの図像④は、その湖上コースの地図。

「琵琶湖哀歌」に歌われている昭和16年(1941年)の金沢の旧制四高ボート部遭難事件も比良八講(八荒とも書く)によるものと言われている。

極めて地域的な言葉、風習であるから、文芸作品にも詠んだものは多くない。

     比叡おろし今日もまた吹く舞姫の恋やぶれよと伝ふがごとく・・・・・・吉井勇

以下に「比良八講(または八荒)」を詠んだ句を引いて終わる。

 比良八荒沖へ押し出す雲厚し・・・・・・・・・羽田岳水

 八講や魞を流しし比良颪・・・・・・・・・・吉田冬葉

 八荒の雲とも見えて比良の方・・・・・・・・・・能村登四郎

 比良八荒波蓮殻を打ち上ぐる・・・・・・・・・・岡井省二

 伊賀に吹く比良八荒の余り風・・・・・・・・・・宮田正和

 比良八荒波濤にまさる山の音・・・・・・・・・・松本可南

 農鳥の身を削り飛ぶ比良八荒・・・・・・・・・・西村和子

 洗堰にも八講の荒れ及ぶ・・・・・・・・・・三村純也

 八荒や鵜の見え隠る波頭・・・・・・・・・・蟇目良雨

 竹生島比良八荒の浪に乗る・・・・・・・・・・大竹萌

 八講の比良山見ゆれ枯木原・・・・・・・・・・松瀬青々

 杉山の杉擲つ風や比良八講・・・・・・・・・・梶山千鶴子

 松籟も比良八講の荒びかな・・・・・・・・・・向田貴子

 法螺の音に比良八講の船出づる・・・・・・・・・・田中由子

 湖荒るる比良の八講春縮む・・・・・・・・・・岩本愛子

 比良八講らしさの湖の騒立ちに・・・・・・・・・・成宮紫水

はいてもはいても女人禁制の庭椿・・・・・・・・・・・・・・・仁平勝
t-syuzan周山椿

   はいてもはいても女人禁制の庭椿・・・・・・・・・・・・・・・仁平勝
 
今回は、そろそろ咲きはじめる「椿」を採り上げる。
椿には何百という栽培品種があるようだが、関西で産出された椿の写真を四つお目にかける。
トップ掲出の写真①は「周山」椿というもので、周山というのは京都市の北方にある町の名前である。そこで産出されたものだろう。

写真②は「谷風」という椿である。
t-tanikz谷風(関西)

写真③は「淡粧」という命名を持つピンク系の椿である。
t-tanso淡粧(関西)

椿と「さざんか」は同じツバキ科の木であり、この花は一見するとサザンカに似ているが、
椿とサザンカの違いは、サザンカは花びらが、ばらばらと落ちるの対して、ツバキは萼の付け根から花全体がぽろりと一度に落ちる、という違いがある。
だから昔の武士は首が落ちると言ってツバキを嫌ったという。
ツバキの名前だが、それぞれ趣向を凝らしてつけてある。花と名前を比べて見られよ。
写真④は「百合椿」という命名である。
t-yuri百合椿(関西)

先に書いたように、ここに挙げる4点のツバキは、みな関西で産出されたものである。
④のものは花びらの形が独特である。唇を尖がらしたような特異な形をしている。
育種に携わる人は根気のある人なのだろう。たくさんのツバキの中から突然変異で出て来たものを品種固定することもあろうし、
今ではバイオテクノロジーの技術を駆使することもあろうが、それにしても手間のかかることである。

写真⑤は「酒中花」という名前の「やぶ椿」である。
syucyuka00801やぶ椿

伝統的なやぶ椿の系統らしいが、縁取りに薄紅色の「ふくりん」というのかボカシが入っており、
これが何だか酔っ払っているようで「酒中花」という名がついたようである。
3/18付けのの石田波郷のところを見られたい。

豊臣秀吉の椿好きは有名で、
俳人では石田波郷も、椿を好んだと言われている。

    一つ咲く酒中花はわが恋椿・・・・・・・・・・・・・・石田波郷

この句から彼の句集『酒中花』の題名が採られている。

文芸では「万葉集」以来、詩歌に詠われてきた。「玉椿」はツバキの美称である。
「つらつら椿」は連なり生えた椿のことで「万葉集」巻1(歌番号54)につらつら椿の有名な歌がある。

   巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲ばな巨勢の春野を・・・・・・・坂門人足

咲いている椿よりも「落ち椿」を文人は好んで詠った。掲出した私の歌なども「落ち椿」を詠んだものである。

   水入れて鉢に受けたる椿かな・・・・・・・・鬼貫

の古句なども、そういう詠みぶりのものである。

椿を詠んだ句は古来たいへん多いが、「落ち椿」を詠んだものを少し引いておく。

 落ちざまに虻を伏せたる椿かな・・・・・・・・・・夏目漱石

 掃くは惜し掃かぬは憂しや落椿・・・・・・・・阿波野青畝

 はなびらの肉やはらかに落椿・・・・・・・・・・飯田蛇笏

 椿つなぐ子に父問へばウン死んだ・・・・・・・・・・渡辺水巴

 椿流るる行衛を遠くおもひけり・・・・・・・・・・杉田久女

 椿見る落ちよ落ちよと念じつつ・・・・・・・・・・相生垣瓜人

 愛すとき水面を椿寝て流る・・・・・・・・・・秋元不死男

 椿落つおろかにものを想ふとき・・・・・・・・・・稲垣きくの

 いま一つ椿落ちなば立去らん・・・・・・・・・・松本たかし

 落椿美しければひざまづく・・・・・・・・・・田畑美穂女

 落ちる時椿に肉の重さあり・・・・・・・・・・能村登四郎

 海女の村昼の男に椿満つ・・・・・・・・・・飯田龍太

 犇きて椿が椿落としけり・・・・・・・・・・岡本眸

 落椿われならば急流へ落つ・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ・・・・・・・・・・池田澄子

 神が来し海上の道岬椿・・・・・・・・・・本井英

 椿千われ白骨と化する日も・・・・・・・・・・永島靖子



聞酒に誘はれ口にふふみたる此の旨酒の銘は「神奈備」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
kikizake04利き酒茶碗

    聞酒(ききざけ)に誘はれ口にふふみたる
        此の旨酒(うまさけ)の銘は「神奈備」・・・・・・・・木村草弥


冬は日本酒の「仕込み」のシーズンであり、今はおいしい新酒が出来て来ている。今日は「利き酒」の話題を。
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
この「神奈備」という銘は私が勝手につけた名前で実在しない。
全国どこかにあるかも知れないが、この歌とは関係がない。
私が参加した「利き酒会」は平凡な名前の蔵で、歌に詠む時には乗り気になれなかったので、架空の名にした。

写真①の茶碗は「審査茶碗」と言って、利き酒をする場合に使用する独特の茶碗である。
「神奈備」というのは、大和の三輪山その他、全国各地に存在する地名で「神の坐(いま)す地」という意味で、古代から信仰の対象として崇められてきた。

写真②③は、私の住む所から木津川を隔てて対岸の丘にある「神奈備神社」である。

kannabi_shrine_2神奈備神社

kannabi_shrine神奈備神社

写真でも読み取れるが「式内」社の字が見え、この字のつく神社は古代はじめからの神社であることを示している。
この山一帯は甘南備山と呼ばれ、一帯には古代の古墳が多数存在する。継体天皇の「筒城宮」もこの一角にあったとされる。
ついでに言うと、この丘の一角に近年、同志社大学が「田辺校地」を構え、女子大学と工学部の全部と各学部の「教養課程」の2年間の学生が通学する。
チャペルも設置され、丘の上の煉瓦づくりの校舎が遠望できる。
もっとも、全国的な傾向だが、大学発祥の地に回帰するのが風潮で、同志社も京都市内の「今出川」校地の周辺を買収して校地を広げて、
教養課程も今出川校地に戻すことになっている。だから田辺校地に残るのは女子大学と工学部だけとなる。
それと海外からの帰国子女のための「同志社国際高校」がある。
また、この丘の麓には「一休禅師」が晩年隠れ住んで、森女と愛欲のかぎりを尽したという「一休寺」がある。
このいきさつについては私は第二歌集『嘉木』(角川書店)の中で「狂雲集」という一連で歌にしておいた。
そのうちの一首を抜き出すと

    一休が森手をみちびき一茎を萌えしめし朝 水仙かをる・・・・・・・木村草弥

というものである。
これはメタファーに仕立ててあるので、解説すると「森手」というのは「森女」の手ということであり、「一茎」というのはpenisのことであり、
「水仙」というのは文芸の世界ではvaginaのことを指す隠語として定着しているのである。

「利き酒」から話題が逸れたようだが、そういう「いわれ」のある名前を私は歌の中で使いたかったのである。
私が酒の蔵元だったら、この「神奈備」の名前を必ずつけるだろう。

写真④⑤には全国的にも銘酒の誉れ高い京都伏見の蔵元の写真を掲げておく。

kiki01大倉

kiki02黄桜カッパカントリー

清酒醸造石数トップクラスの「月桂冠」の大倉酒造(現・月桂冠)と、新興勢力だが醸造石数もトップクラスに躍り出た「黄桜」の黄桜酒造(現・黄桜)の本社である。
黄桜はコマーシャルでも才を発揮し、この本社も「黄桜カッパカントリー」と称している。これらのところでは有料だが、利き酒と料理が楽しめる。
京都の観光コースにも入っていて、工場見学と「利き酒」と料理などがセットになっているものもある。

清酒・日本酒業界は日本酒離れに見舞われ、出荷量は最盛期の半分に落ち込んでいるという。
下記に引いた資料のように2007年度には「白鶴」がトップになっている。
誤解のないように申し添えると、現在では大手の酒造会社では、工場、蔵全体が空調になっていて、年中休みなく醸造する、いわゆる「四季醸造」になっている。
だから冬の間だけ酒を仕込むということがない。また酒仕込みに特有の「杜氏」(とうじ)という専門職は無くなって、
彼らの「ノーハウ」をコンピュータ制御の数値化して、工場の従業員が扱える蔵になっているのである。
もちろん「生きている」発酵菌を扱うのであるから、それなりの苦労があるのは自明のことである。
正確に言うと、「杜氏」という出稼ぎの専門職が無くなって、年中働く、連休もボーナスもある、健康保険も有給休暇もある、普通の工場労働者になったということである。
もちろん「酒作り」という特殊な技能を持った技能者であるのは当然のことである。

ついでに付け加えておくと、以前は国税庁が清酒の仕込みの「酒米」の石数を割り当てていて、制限があった。
だから地方の小さな蔵元は醸造した酒を「桶売り」と称して、大手酒造に買い取ってもらっていたのである。
中には酒の仕込みもせずに割り当ての原料米の権利だけを売り渡していたところもあったという。
私の村にある酒造会社も、ひところは月桂冠に「桶売り」していた。
そんな枠もなくなって仕込みは自由であるが、地方の小さな蔵元は販売先を確保するのに大変であり、また独自の吟醸酒などに特化して、
それなりの成功を収めているところもある。清酒だけでなく「梅酒」を作ったりして門戸を広げて生き残りに必死である。
なお参考までに以下のような統計記事をお見せする。最新の統計数字が手に入らないので少し古いが。。。
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清酒のランキング10を見てみましょう、下図のように成っています。

  銘 柄  企業名  製造石数
01、白 鶴 白鶴酒造㈱ 347,000石
02、月桂冠 月桂冠㈱ 300,000石
03、松竹梅 宝酒造㈱ 259,000石
04、大 関 大関㈱ 225,000石
05、日本盛 日本盛㈱ 178,000石
06、世界鷹G ㈱小山本家酒造 133,000石
07、黄 桜 黄桜㈱ 125,900石
08、菊正宗 菊正宗酒造㈱ 118,000石
09、オエノンG オエノンHD㈱ 107,778石
10、白 雪 小西酒造㈱ 89,500石
 出典:酒類統計月報(07年02月号)

どのメーカーも努力されてはいますが清酒飲酒の減少傾向は続いています。
この清酒減少傾向は、トレンドですのでこの流れが変化する様子は今のところ見られません。食生活や消費者の意識が少しでも変化し、変化の兆候が見られれば傾向は変る可能性が有りますが、今のところ変化の兆候は見られません。

清酒に取って現在は受難の時代なのです。
昭和48年を境に清酒の減少傾向が今も続いています、
ピーク時の半分以下です、焼酎にも抜かれてしまいました。

清酒の合計数量は、3,941,506石です。
焼酎の合計数量は、4,200,000石と成っています。



野ゆき山ゆき海辺ゆき/真ひるの丘べ花を藉き/つぶら瞳の君ゆゑに・・・・・・・・・佐藤春夫
佐藤春夫記念館

   少年の日・・・・・・・・・・・・・・・佐藤春夫

     野ゆき山ゆき海辺ゆき

     真ひるの丘べ花を藉(し)き

     つぶら瞳の君ゆゑに

     うれひは青し空よりも


この「少年の日」という詩の全文は、下記の通りである。

      1.
     野ゆき山ゆき海辺ゆき
     真ひるの丘べ花を藉(し)き
     つぶら瞳の君ゆゑに
     うれひは青し空よりも。

      2.
     影おほき林をたどり
     夢ふかき瞳を恋ひ
     なやましき真昼の丘べ
     花を藉(し)き、あはれ若き日。

      3.
     君が瞳はつぶらにて
     君が心は知りがたし。
     君をはなれて唯ひとり
     月夜の海に石を投ぐ。

      4.
     君は夜な夜な毛糸編む
     銀の編み棒に編む糸は
     かぐろなる糸あかき糸
     そのラムプ敷き誰がものぞ。

佐藤春夫は小説家でもあったが、大正10年刊の第一詩集『殉情詩集』以来、大正、昭和の詩壇に特異な地位を占めた。
多く恋愛詩から成る、この詩集は、詩形においては古格を守りつつ、盛られた詩情の鮮烈さ、憂愁の情緒、鋭敏な神経のおののきによって、多くの人の心を捉えた。
掲出の詩は「少年の日」と題する四行詩四章の初期作品で、「四季」に分けられており、掲出のものは一番「春」である。
表現が古風な型を守っているため、却って少年の恋ごころを、よく歌い得て、愛唱された。

この詩は7、5調のリズムで作られており、日本の伝統的な音韻構造を採っていると言える。

掲出した写真は故郷の新宮市にある「佐藤春夫記念館」のパンフレットである。
佐藤春夫は創作を止めた後は、多くの弟子をとり文筆指導で多額の指導料を得ていた。
今では見られない処世術であったと言える。文壇に絶大な影響力があり、文化勲章の受章にも至っている。



生きる途中土筆を摘んでゐる途中・・・・・・・・・・・・・・鳥居真理子
tukusikinokawa土筆

     生きる途中土筆を摘んでゐる途中・・・・・・・・・・鳥居真理子
 
掲出したこの句は「土筆を摘んでゐる途中」の描写の中に「生きる途中」という心象を盛って秀逸である。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものに、こんな歌がある。
 
    夜の卓に土筆(つくし)の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言へず・・・・・・・・・・木村草弥

川の堤防の土手などに「つくし」が頭を出す時期になってきた。
採ってきた「つくし」をテーブルの上などに置いておくと、未熟なものでは駄目だが、生長した茎が入っていると、
私の歌にあるように「胞子」が白く下に溜まってばら撒かれることがある。

この頃では季節の野草としてスーパーなどで「つくし」が売られるような時代になってきたが、本来は春の野にでて「摘草」を楽しむものであろう。
「つくし」は「スギナ」の若い芽(正しくは胞子茎)で、学名をEquisetum arvense という。
スギナは嫌われものの野草で深い根を持ち、畑などに侵入すると始末に負えないものである。
食料として「つくし」を見ると、子供には、苦くて、旨くなくて、なじめない野草だった。大人の、それも男の大人の酒の肴というところであろうか。

昔の人は、土の中から、あたかも「筆」先のような形で出てくるので、これを「土筆」(つくし)と呼んだのである。

tukusi土筆

私の歌は「国原」という長い一連の中のもので、この歌の前に

    土筆(つくし)生(お)ふ畝火山雄々し果せざる男の夢は蘇我物部の

    あり無しの時の過ぎゆく老い人にも村の掟ぞ 土筆闌(た)けゆく


という歌が載っている。
こうして一首あるいは二首を抜き出すと判りにくいかも知れない。一連の歌の中で、或る雰囲気を出そうとしたものだからである。
掲出した歌も上の句と下の句とが、ちょうど俳句の場合の「二物衝撃」のような歌作りになっていて、
この両者に直接的なつながりはなく、それを一首の中に融合させようとしたものである。
敗戦後しばらくまでは、私の地方では、伝統的に「土葬」だった。
私なども町内の手伝いとして何度も、土葬のために墓の穴掘りに出たものである。すでに埋葬された人の人骨などが出てくることもあった。
キリスト教では基本的に土葬であり、土葬が野蛮とか遅れているとかいうことは出来ない。風習の問題である。
「火葬」は仏教に特異な遺体の処理法であると知るべきである。今では、当地も、すっかり火葬一色になってしまった。
墓が石碑で固めた墓地になってしまったので、私だけ「土葬」にしてくれ、といっても出来ない相談である。

二番目の歌について少し解説しておくと「蘇我物部」(そが・もののべ)というのは、蘇我氏、物部氏とも滅びた氏族である。
ご存じのように蘇我氏は渡来人系であり、物部氏は日本古来の氏族であったが蘇我氏などとの抗争で滅ぼされた。
だから私の歌では、それを「果せざる男の夢」と表現してみたのである。

墓地にはスギナが、よく「はびこる」ものである。
私の歌の一連は、そういう墓地とスギナとの結びつきからの連想も歌作りに影響している、とも言えようか。
「つくし」を詠んだ句は大変多いので、少し引いておく。
写真③が土筆が生長した「スギナ」である。まだ遅生えの土筆も見える。

sugina-apスギナ

 土筆野やよろこぶ母に摘みあます・・・・・・・・・・長谷川かな女

 病子規の摘みたかりけむ土筆摘む・・・・・・・・・・相生垣瓜人

 つくづくし筆一本の遅筆の父・・・・・・・・・・中村草田男

 土筆見て巡査かんがへ引返す・・・・・・・・・・加藤楸邨

 まま事の飯もおさいも土筆かな・・・・・・・・・・星野立子

 土をでしばかりの土筆鍋に煮る・・・・・・・・・・百合山羽公

 土筆折る音たまりける体かな・・・・・・・・・・飯島晴子

 生を祝ぐ脚長うしてつくしんぼ・・・・・・・・・・村越化石

 土筆の袴とりつつ話すほどのこと・・・・・・・・・・大橋敦子

 惜命や夜のつくしの胞子吐く・・・・・・・・・・神蔵器

 一行土筆を置けば隠れけり・・・・・・・・・・小桧山繁子

 土筆など摘むや本来無一物・・・・・・・・・・矢島渚男

 週刊新潮けふ発売の土筆かな・・・・・・・・・・中原道夫

 着ると暑く脱ぐと寒くてつくしんぼ・・・・・・・・・・池田澄子

 「はい」と言ふ「土筆摘んでるの」と聞くと・・・・・・・・・・小沢実

 生き死にの話に及び土筆和え・・・・・・・・・・増田斗志

 末黒野の中の無傷のつくづくし・・・・・・・・・・村上喜代子

 摘み溜めて母の遠さよつくづくし・・・・・・・・・・田部谷紫

 土筆たのし巨木のやうに児は描く・・・・・・・・・・国分章司



卒業研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細見和之
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──細見和之の詩──(1)
     
      卒業研究・・・・・・・・・・・・・・・細見和之

     高橋君の卒業研究のテーマは
     絵本とデリダ
     彼が言うには
     絵本の本質はめくること
     だから
     <メクリチュールと差異> ───
     すると犀が一頭あらわれて
     河馬との違いを証明してくれと泣きすがる
     そんな懐かしい
     <ソシュール以前の>土手のうえで
     日がな一日過せたらいいね
      
     あっ あれは明けの明星? 宵の明星?
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この詩は「季刊びーぐる 詩の海へ」第十号(2011/01/20刊)に載るものである。
細見和之については前に山田兼士のところで引用して書いておいた。
「びーぐる」の四人の編集同人のうちの一人である。
哲学者のソシュールの「エクリチュール」を、うまくもじって作ってある。
四行目の下線部の「めくること」のところは原文では「傍点・・・・・」だが、表示できないので下線にした。
ご了承を。
次に、もう一篇、引いておく。
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      手前の虹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細見和之 

     結婚して間もないころ
     妻とふたりで城崎へ出かけた
     福知山線の丹波大山駅を過ぎたところで
     窓の外に虹が見えた
     山の彼方ではなく
     山の手前
     ほとんど手で掴めるすぐそこに
     その虹はかかっていた

     その後三年で
     私たちは早々と破局を迎えていた
     私は昼間翻訳の仕事にかかりきりで
     夜はひたすら酒をあおっていた
     私が飲み疲れて眠るころ
     ようやく妻は外の勤めから戻ってきた
     やがて妻は
     いくつかの家財道具とともに
     家を出た

     それから
     月に一度だけ妻と食事をしたり
     映画を見たりする日々が続いた
     右往左往ののちに
     私たちは元の暮らしにもどったが
     その間たがいに
     虹の話はしなかった
     これからもきっとしないだろう

     私たちのまなざしに
     ぼんやりとした
     その始まりと終わりまでを
     まるで無防備に差し出していたあの虹

『家族の午後』(澪標、2010年12月20日発行)から


この詩について、谷内修三が、こんな批評を書いている。 ↓
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細見和之『家族の午後』(澪標、2010年12月20日発行)
私は3連目がとても好きだ。特に、「その間たがいに/虹の話はしなかった」というところが好きだ。もっと厳密にいうと、「その間」が好きだ。
 「その間」って何?
 「学校教科書文法」から言えば、月に一度食事をしたり、映画を見たりする「間」、ということになる。別居して、右往左往して元の暮らしにもどるまで、ということになるかもしれない。
 ところが、私の「印象」では、そうはならない。
 「その間」は、「学校教科書文法」の指し示す「その間」とは違う。「その間」ではなく、むしろ、「その後」である。元のように二人で暮らしはじめてから以降、そのときから「いままで」である。
 だからこそ「これからもきっと」ということばが続くのだ。
 別れて、またくっついてから「いままで」虹の話をしなかった。だから、これからも話しはしない。しないだろう。

 「その間」は別れてからくっつくまで(もとにもどるまで)ではない--ということは、また別の意味も持ちはじめる。別れて、くっついて、それからいままで、であるなら、「その間」は、また「別れる前」をも指しているかもしれない。ごたごた(?)がある前--つまり、虹を見て、それから別れるまでの間、その間も二人は虹の話をしなかったのだ。二人は一度も虹の話をしていない。
 けれど。
 その、虹を見た記憶は、話さなくても二人に共有されている。
 私には、そんなふうに読めるのである。私はそんなふうに「誤読」してしまうのである。

 このとき「手前」ということばが不思議な感じでなまなましく生きはじめる。


山の彼方ではなく
山の手前
ほとんど手で掴めるすぐそこに
その虹はかかっていた


 ここにあるのは不思議なレトリックである。
 虹は山の彼方であろうが、山の手前であろうが、「ほとんど手で掴めるすぐそこに」など、ありはしない。手に掴めるところにある虹は、水道管が破裂したときにできる虹くらいなものである。列車が走りながら見る虹は、どんなに山の手前にあっても手に掴めるはずはない。
 「手に掴める」はレトリックである。そうであるなら「山の手前」もレトリックである。「山」と「私」の「間」が「山の手前」であり、そこにあるのは「はっきりしない間(ま)」である。そして、はっきりしないからこそ、その「間(ま)」はなまなましく動く。「間(ま)」の距離、広がりは、存在しながら、存在しない。「距離」は存在しないが、隔たっているという感覚は存在する。
 「間(ま)」は感覚なのである。「手前」も感覚なのである。「私」が感じている「もの」なのである。
 この存在しながら存在しない「間(ま)」--それこそが、二人がくっついたり、わかれたり、そしてまたくっつくときに、二人の間(あいだ)にあるものなのだ。
 それは明確にしてはいけないもの、明確にはならないものなのだ。ただ、あ「間(ま)がある」と感じて、それを受け止めていくしかないものなのだ。


私たちのまなざしに
ぼんやりとした
その始まりと終わりまでを
まるで無防備に差し出していたあの虹


 この最後の4行は、虹のことを語ってはいない。ふたりのことを語っているのである。ふたりは、ふたりの関係を、その始まりと終わりまでを、まるで無防備に、たがいに差し出している。その始まりと終わりはぼんやりしているけれど、つまりことばにしようにも明確にはならないものだけれど、「肉体」のなかではしっかりとわかっていることである。どこを踏み外せばまた別れるのか、どこに手をさしのべればこのままつづいていくことができるのか--そういうことが「手で掴む」ではなく「手に触れる」ようにわかるのだ。それは、いわば「手の前」にあるのだ。
 1連目「山の手前」は「山の」「手前」ではなく、「手の前」であり、その手の向こうに(手の彼方に)山があるのだ。

 細見にとって、大切なものはいつでも「手前」、「手の前」にあるのだ。「手前の虹」とは「手の前の虹」である。

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細見和之
ほそみ・かずゆき
1962年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了、現在 大阪府立大学人間社会学部教授。博士(人間科学、大阪大学)。ドイツ思想専攻、詩人。
主な著書に『アドルノ』(講談社)、『アドルノの場所』、『ポップミュージックで社会科』(以上、みすず書房)『アイデンティティ/他者性』、『言葉と記憶』、『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』(以上、岩波書店)。主な訳者にべンヤミン『パサージュ論』(共訳、岩波現代文庫)、アドルノ『否定弁証法講義』(共訳、作品社)、ヨーナス『生命の哲学』(共訳、法政大学出版局)。
主な詩集に『言葉の岸』(思潮社)、『ホッチキス』(書肆山田)、『家族の午後』(澪標、2010年12月20日発行)などがある。

今日の逢ひいや果ての逢ひと逢ひにけり村々に梅は咲きさかりたり・・・・・・・・・・・中野重治
nakanosigeharu中野重治墓

    今日の逢ひいや果ての逢ひと逢ひにけり
        村々に梅は咲きさかりたり・・・・・・・・・・・中野重治


今日逢うのが最後、と思いつつ恋人に逢った。村々は梅の真っ盛りだった、の意味である。
「逢ひ」という言葉を三回繰り返すルフランの効果が、すばらしい。
この歌の他に

    相よりてくらやみのなかに居りしかば吾が手かすかに人の身に触れつ

    風吹けばただに逢はんと手をのべつ心かよふといへどせつなく


などの歌も並んでいる。
掲出した歌は大正12年に四高の校友会雑誌に発表した恋歌の一首。
後のプロレタリア作家として著名な中野重治の若い頃の歌である。
この頃の室生犀星や窪川鶴次郎らとの交遊のさまは小説の初期代表作「歌のわかれ」にうかがわれる。
『中野重治全集』から。

img中野重治

後年のプロレタリア作家あるいは評論家として戦争中は投獄されたり、執筆禁止を食らったり、という境遇からは、想像できないような、真っ当な、伝統的な詠いぶりである。
『中野重治詩集』などに見られるような政治性、プロパガンダ性の強い詠いぶりとは、大違いである。
そういう時期もあった、という見本として引いておく。
作者は戦後、参議院議員として政治活動にも携わった人である。

掲出写真は中野重治の墓である。
彼の墓というよりも「中野家」の墓であり、彼の故郷の村の「太閤さんまい」だと書かれている。詳しくは、このリンクの記事を読んでもらいたい。
彼の夫人は新劇俳優の原泉だった。

他に「中野重治記念文庫」「Wikipedia」などに詳しく出ているので参照されたい。

中野重治の著作で注目すべきものは、ほぼ戦前に出つくしていると言ってよい。
『詩集』にせよ『歌の別れ』にせよ『斎藤茂吉ノオト』にせよ、特高警察の厳しい監視の中にありながら書かれたものである。
戦後の政治活動などは、文学者らしい偏狭な拘りは見られるものの、彼の執筆者としての生涯からすると蛇足みたいなものである。

春くれば田んぼの水に蝌蚪の語尾活用を君は見るだらう・・・・・・・・・・・・木村草弥
img1098ヒキおたまじゃくし
 
     春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじゃくし)の
           語尾活用を君は見るだらう・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

「蝌蚪」(くわと)とは「おたまじゃくし」のことだが、以前にも書いたが、この字は中国の上代に、竹簡に漆の汁をつけて字を書き、その字の形が頭が大きく尾が小さい、おたまじゃくしに似ているので、そう名づけられ、それを明治以降、俳人たちが「音読」利用しているものである。

私の歌は、「おたまじゃくし」の尻尾を、日本語の「語尾活用」と捉えて、いわば「比喩」的に表現したものである。一種のユーモアと受け取ってもらっても結構である。
歌としては、取り立てて、どうという歌ではないが、「比喩」表現を理解する人には好評だった。
歌作りでは、こういう「凝った」作り方を時としてやってみたくなるものである。
所詮は短歌も「歌遊び」「言葉遊び」であるから、さまざまの趣向を考えることが必要だろう。
こういう「言葉遊び」を理解しようとしない頭の固い人が往々にして存在するので、困るのである。
いかがだろうか。

「おたまじゃくし」は俳句の世界では「春」の季語で、歳時記には多く見られる。
先に引いたものと多少は重複するかも知れない。ご了承を。

 川底に蝌蚪の大国ありにけり・・・・・・・・・・村上鬼城

 蝌蚪の水わたれば仏居給へり・・・・・・・・・・水原秋桜子

 流れきて次の屯へ蝌蚪一つ・・・・・・・・・・高野素十

 枕べに蝌蚪やすみなき手術以後・・・・・・・・・・石田波郷

 蝌蚪に足少しいでたる月夜かな・・・・・・・・・・長谷川双魚

 蝌蚪つまむ指頭の力愛に似て・・・・・・・・・・金子兜太

 吾のため歌ふ子蝌蚪の水昏るる・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 蝌蚪かくも群れて天日昏めたる・・・・・・・・・・桑田青虎

 蝌蚪沈みゆけり頭を真逆さま・・・・・・・・・・大橋敦子

 蝌蚪の水少年のなほ女声・・・・・・・・・・辻田克巳

 蝌蚪生れて白き窓もつ文学部・・・・・・・・・・原田青児

 心ざし隆々たりし数珠子かな・・・・・・・・・・大石悦子

 散り散りの幼な馴染や蝌蚪の陣・・・・・・・・・・船平晩秋

 蝌蚪離合集散のたび数を増す・・・・・・・・・・長田等

 うたたねのはじめに蝌蚪の紐のいろ・・・・・・・・・・鴇田智哉

 紐を出て紐に縋れる蛙の子・・・・・・・・・・木場瑞子

 泡一つ置きに来て蝌蚪沈みけり・・・・・・・・・・江川虹村

 やはらかき泥にくすぐりあうて蝌蚪・・・・・・・・・・高田正子

 蝌蚪生(あ)れてまだよろこびのほかしらず・・・・・・・・・・和田知子

 尾を振つて蝌蚪と生れたる嬉しさよ・・・・・・・・・・井上松雄

 底深く動かぬ蝌蚪の生きくらべ・・・・・・・・・・谷口栄子



ひとつ咲く酒中花はわが恋椿・・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
syucyuka00801やぶ椿

     ひとつ咲く酒中花はわが恋椿・・・・・・・・・・・石田波郷

今日3月18日は石田波郷の生れた日である。
この句は彼の晩年の昭和43年に出た句集『酒中花』の題名にもなった句である。
掲出した写真①が「酒中花」という名の伝統種のやぶ椿である。
「酒中花」という呼び名の由来は判らない。漢和辞典にも載っていないから、中国由来の漢語ではないらしい。
この花の花弁の縁取りが、ほんのり染まっている(ふくりん、と言うのか)様子が、何だか酔っ払っているようで、こんな名がついたのかも知れない。
なお「酒中花」についてはネット上で、下記のような説明がある。

酒中花(しゅちゅうか)
あんどんの灯は昔は普通、菜の花の油に山吹の茎の芯を浸してその先に火をつけましたが、その山吹などの髄芯を使った酒興の一つがあります。山吹などの茎の髄を花や鳥の形に作って押し縮めておきます。これを、盃に入れておいて酒を注ぐと、酒を吸って開くという趣向です。遊び心をたっぷり持った江戸人の考えそうなことですが、今私たちが粋がって行うほとんどのことは、100年以上前にすでに行われていたといって良いように思われます。>

cbccbc11-s花菖蒲

この説明にあるようなものが「玩具」として売られているようだが、私は見ていない。
ついでに申しあげておくと、酒中花というのは、写真②に挙げた花菖蒲にもあるのだ。
この花も椿と同じく花弁の縁が彩られている。

石田波郷は成人してからの大半を、持病の結核との闘病に費やした人である。
以下、事典に載る記事を先ず引いておく。

石田波郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石田 波郷(いしだ はきょう、1913年3月18日~ 1969年11月21日)は、昭和期の俳人。本名哲大(てつお)。正岡子規、高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(はぶむら)(現・松山市西垣生)に生まれた。明治大学文芸科中退。戦後の俳壇を先導し、俳句文学に大きな功績を残した。
草弥注・この記事では「垣生」となっているが、ハブと発音する限りでは「埴生」が正しいと思われる)

早くから句作
愛媛県温泉郡垣生村大字西垣生980番地に、父惣五郎、母ユウの次男として生まれる。1919年4月、垣生尋常高等小学校に入学。小学生の頃から友人と俳句を作って遊んでいたが、本格的に句作を始めたのは県立松山中学(現・松山東高校)4年の時で、同級生の中富正三(後の俳優・大友柳太朗)に勧められたことによる。俳号は「山眠」、「二良」とつけた。ちなみに中富は「如煙」、「悠々」と号した。中学5年の頃、同級生と「木耳(きくらげ)会」を起こす。同村の村上霽月主宰の今出(いまづ)吟社に出入りし、句作に励む。

本格的に活動
1930年3月、松山中学を卒業した波郷は自宅で農業を手伝いながら、同年4月、近くに住む俳人、五十崎古郷(いかざきこきょう)に指導を受けた。「波郷」という俳号は古郷による命名。水原秋桜子の指導を受けたことのある古郷の勧めで秋桜子主宰の『馬酔木(あしび)』に投句を始める。高屋窓秋らとともに流麗清新な抒情俳句に新風を開き、水原秋桜子門の代表的俳人となった。1932年2月20日、単身上京。5月頃、東京市経営の深川一泊所に勤務。10月頃、秋桜子の下で『馬酔木』の事務を、後に編集を担当するようになる。石橋竹秋子、牛山一庭人らと親しく交わり、俳句以外の文芸の世界にも目を開く。1934年4月、明治大学に入学(第3期生)。1935年11月、第1句集『石田波郷句集』を刊行。1936年3月、大学を中退し、久保田万太郎を慕って句作に専念する。同年9月、馬酔木新人会『馬』創刊。同人として加わる。1937年9月、『馬』と『樹氷林』を合併し、句誌『鶴』を創刊、主宰となる。波郷24歳であった。秋桜子は波郷の句を「昭和時代を代表する秀句」と絶賛した。1938年6月末、目黒区駒場町761駒場会館アパートに転居する。1939年8月、『鶴の眼』を上梓。新興無季俳句運動の素材的・散文的傾向に同調せず、韻文精神に立脚した人間諷詠の道を辿り、中村草田男、加藤楸邨と共に「人間探求派」と呼ばれた。

戦争と病苦
第二次世界大戦中は、俳句固有の方法と格調を元禄俳句に探り、古典と競う俳句一途の決意を深めた。1942年3月、縁談の人、吉田安嬉子(本名せん)と初めて会い、同年6月27日九段軍人会館にて結婚挙式。1943年5月19日、長男修大(のぶお)が誕生し、同年6月、浦和市本太後原2145の岳父の家作に転居する。同月、未召集兵教育を受ける。波郷の禍福は9月23日、30歳で召集されたことに始まる。月末、千葉佐倉連隊に入隊し、10月初旬、華北へ渡り、山東省臨邑に駐留する。1944年、元旦を不寝番兵として迎える。同年3月、左湿性胸膜炎を発病、陸軍病院を転々とし、1945年1月22日夕刻に博多に帰還する。同年3月9日、安嬉子と修大を伴い北埼玉樋遺川村に疎開する。6月17日兵役免除となり、8月15日、盆休みの農家の庭先にて終戦の玉音放送を聞く。この頃より病気が再び悪化、以後、1969年に死去するまで、手術と入退院を繰り返す。

生をかみしめる秀句
しかし波郷は、病気との闘いを通して、生をかみしめ自分を見つめる数々の秀句を詠みついでいった。1946年1月、妻子を伴って上京、葛西の吉田勲司宅に仮寓。同年3月10日、江東区北砂町1-805に転居。3月15日、長女温子(はるこ)が誕生。9月、綜合雑誌『現代俳句』を創刊、編集に当たり、1947年11月には現代俳句協会の創立など、俳壇の再建に尽力する一方、焦土俳句を経て、1950年6月に刊行された『惜命(しゃくみょう)』は、子規を先駆とする闘病俳句の最高傑作と位置付けられている。「俳句は生活そのもの」とする波郷は、『ホトトギス』の「花鳥諷詠」に対する「人間探求の」俳句を深化させることに成功した。その後、病苦を乗り越え人生の日々を静かに凝視した句境を格調正しい表現によって詠み続けたが、1969年11月21日、肺結核で病没した。

作品リスト
1935/11 石田波郷句集
1939/08 鶴の眼
1940/03 行人裡
1941/01 俳句愛憎
1941/04 大足
1943/05 風切
1946/11 病鴈
1947/05 風切再刻版
1947/12 風切以後
1948/03 雨覆
1949/05 現代俳句大系第一巻 石田波郷集
1949/11 胸形変
1950/06 惜命
1952/03 石田波郷句集
1954/04 定本石田波郷全句集
1954/05 臥像
1954/12 自註石田波郷集上
1955/05 定稿惜命
1956/06 清瀬村
1957/03 春嵐
1957/04 現代俳句文学全集 石田波郷集
1957/05 俳句哀歓 俳句と鑑賞
1957/10 波郷自選句集
1966/07 江東歳時記
1967/11 定本石田波郷全句集
1968/04 酒中花
1970/05 酒中花以後
1970/11 石田波郷全集(1972年完結、全9巻、別巻1)
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上の記事にも書いてあるが「現代俳句協会」も彼が呼びかけて結成されたものである。参照されたい。
水原秋桜子門下からは彼の他にも加藤楸邨なども出ており、私も彼や楸邨は好きで何度も採り上げてきた。
季節の句として掲出句を挙げたが、改めて私の好きな句を引いて終る。

 プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ──昭和七年二月二十日上京

 あえかなる薔薇撰りをれば春の雷──銀座千疋屋にて

 女来と帯纏き出づる百日紅

 葛咲くや嬬恋村の字(あざ)いくつ

 雁や残るものみな美しき

 秋の風万の祷を汝一人に

 牡丹雪その夜の妻のにほふかな

 稲妻のほしいままなり明日あるなり

 妻が来し日の夜はかなしほととぎす

 桔梗や男も汚れてはならず

 たばしるや鵙叫喚す胸形変

 麻薬うてば十三夜月遁走す

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ

 接吻もて映画は閉ぢぬ咳満ち満つ──患者慰問映画

 為さざりしことのみ春の落葉焚

 柿食ふや命あまさず生きよの語

 寒菊や母のやうなる見舞妻

 春雪三日祭のごとく過ぎにけり

 安心(あんじん)の一日だになし稲妻す

 蛍籠われに安心あらしめよ

 萬両や癒えむためより生きむため

 息吐けと立春の咽喉切られけり

 わが死後へわが飲む梅酒遺したし

 今生は病む生(しやう)なりき鳥頭(とりかぶと)
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末尾の6句ほどは死の間際の「辞世」と言える作品である。
末尾の句の「とりかぶと」というのは、ご承知のように「麻酔薬」であるが、彼の死の間際には痛みなどを和らげるためにモルヒネなどの麻薬が使われたかも知れないので、私の独断による推察だが、「とりかぶと」という表現は、その麻薬治療を踏まえてあるのかも知れない。
いずれにしても、この末尾の句は死の間際に際して、「俺の一生というのは、本当に病気との付き合いに終始した人生だっな」という悲痛な述懐の句と言えよう。
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電気が到来する明治以前は「明り」には蝋燭や行灯などが唯一の照明だったが、仏壇の灯明などは、私の子供の頃も、菜種油のかわらけに「灯芯」を浸して火をつけていた。だから、仏壇も煤けていたものである。蝋燭や菜種油を求めてネズミが仏壇の中に入り込んだりした。上の「酒中花」の遊びの記事は、そういう実生活の「灯明」を遊びないしは玩具化したものである。

なお松岡正剛の「千夜千冊」というサイトは私の愛読するところだが、波郷句集『鶴の眼』の記事も面白いので参照されたい。
波郷のご子息修大氏が日本経済新聞の論説委員だったことなど、私はこのサイトで知った。

googleの検索で「石田波郷」で探すと「風鶴山房」というご長男・修大氏の制作されるサイトがある。
ご覧になってみてもらったらよいが、目次のページに「あき子の部屋」というのがある。
これは夫人の名だが、そのページのドアが「寒菊や母のやうなる見舞妻」という波郷の句になっている。上に私が引用した句である。
なお、夫人の名は安嬉子(本名せん)であり、ペンネームとしては「あき子」になつているらしい。
この「あき子の部屋」には、波郷と妻との相聞の句のやりとりなど、私生活にわたって書かれているので、ほのぼのとした雰囲気にひたれる。
ぜひアクセスされることをおすすめする。
「波郷語録・著作」のページのドアは「霜柱俳句は切字響きけり」という句になっているが、この句は、かの桑原武夫の「俳句第二芸術論」に反論した句として知られている。
松岡正剛の記事にも書かれているが、これらのいきさつを読みすすむのも、私には、とても楽しい時間である。

それにしても、このご子息・修大氏のページの最終更新が2004年末以後ないのが気にかかる。
他の記事で「腎臓癌の手術うんぬん」とあるので、それ以後、体調を壊しておられるのか。
その後、ネットを見ていると石田修大氏は2008年から流通経済大学法学部教授をなさっていて「メディア論」「現代文章論」を講じておられるようである。
お元気と知って嬉しいかぎりである。

角川書店刊「石田波郷読本」というのを7&yを通じて買い求めた。これには全句集も入っているし、随筆もたくさん収録されている。つれづれに目を通すのに最適である。
先に「今生は病む生なりき鳥頭」という句の「解」を書いたが、これらを読んでいると「痛み止め」に麻薬を何度も使っているようで、私の「解」に自信を深めた。
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この記事をご覧になった未知のO女史から

<石田波郷ご子息 修大氏について
2008年5月にNHK教育テレビの「俳句の風景」に出演されたようです。
ゴスペラーズの酒井氏が、朗読したとのこと。
 秋の風万の祈りを汝一人に
 朝顔の紺のかなたの月日かな
その他の句とともに。「祈り」は自信ありませんが。>

というコメントが到着した。
私は、それを見ていないので、ここに紹介して御礼に替えたい。
有難うございました。





YouTube自主制作音楽アニメ「さかなのうた」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
yun_1316ナポレオン・フィッシュ

──エッセイ──旧Doblog2008/03/25の記事・再録

 YouTube自主制作音楽アニメ「さかなのうた」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

ネットをサーフィンしていて、たまたま見つけた YouTube自主制作音楽アニメ♪「さかなのうた」♪は面白い。
投稿者: kirinsansuki | 作成日: 2008/02/27

この動画についてのコメントには

<大学の卒業制作でこれを­たった一人で作り上げたなんて、驚きの一言です。
 この表現力、映­像センスはすごいと思います。
 私は門外漢だから、このマルチな才­能にはただただ脱帽です。>

と書かれている。 では鑑賞されたい。 ↓



この歌の歌詞のことだが、歌のフレーズが「句またがり」に発音されるのが新鮮だ。
ひと頃、前衛短歌華やかなりし頃には、こういう「句またがり」が意識的に多用された。
「句またがり」というのを、実際にやってみよう。
3/16付けで掲出した私の歌を例にすると
 おぼおぼと/春の宵月/赤ければ/土龍は土を/もくもく盛りぬ
というのが、私の目指した「区切り」である。
「句またがり」というのは
 おぼお/ぼと春の宵/月赤ければ/土龍は土をも/くもく盛りぬ
というように「意味の区切り」で切るのではなく、「恣意的」に切るのを言う。
もっとも、前衛短歌では、伝統的な57577という「音数律」を断ち切るために意識してやられたのだったが。。。

この歌に即して言うと
 空にある/森にすむ/魚の声
のところが、
 空にあるも/りに住むさ/かなの声
と区切って発音される。これが「句またがり」である。
次のフレーズも
ぼくの声/きみの声/ひろいあつめて歌う
のところが
 ぼくの声き/みの声ひ/ろいあつめて歌う
というように発音される。
画面のアニメの金属製の魚の映像の「無機質な」のと相まって不思議な効果を出している。
ぜひ、この「さかなのうた」の歌詞の切り方を聴いてみられるといい。

参考資料─福島第1原発事故、海外で「スリーマイル島原発の同等以上」との見方広がる・・・・・・・・・産経新聞
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──参考資料──

  福島第1原発事故、海外で「スリーマイル島原発の同等以上」との見方広がる・・・・・・産経新聞
                          3月15日(火)21時44分配信

東電・福島第1原発事故は一号機から始まって次々と拡大し、点検のために休止中の四号機などにも冷却水が減って、温度上昇のために危険性が出てきたと報道されている。
当事者ではない海外からの視線の方が客観的に見られているので、それらの報道には注目したい。↓

 東日本大震災に伴う東京電力の福島第1原子力発電所の事故について、国際社会は、炉心の大規模溶融が起きた米スリーマイル島原発事故や、炉心もろとも大爆発を起こし多数の死者を出した旧ソ連のチェルノブイリ事故と並ぶ大規模事故だと受け止めている。少なくともスリーマイル島原発と同等以上の規模になるとみる声も強まっている。

 ロイター通信によると、フランス原子力安全当局は14日、原子力施設事故に関する国際原子力事象評価尺度(INES)で定められたレベル0~7までの8分類のうち、福島第1原発事故は「レベル5か6に該当する可能性がある」という見解を明らかにした。

 スリーマイル島原発事故は「施設外へのリスクを伴う事故」に当たるレベル5なので、それと同等以上の規模だという見方だ。福島第1原発事故がさらに拡大すれば、「大事故」に相当するレベル6だとみられる可能性が強まる。

 これを上回るのが最悪のレベル7に該当するチェルノブイリ原発事故だ。
欧州からの報道によると、国際原子力機関(IAEA、本部ウィーン)の天野之弥事務局長は14日の会見で、チェルノブイリ原発事故との違いについて「福島第1原発事故は人間や設計のミスが原因ではなく巨大な自然災害によって引き起こされた」と強調した。

 実際、チェルノブイリ原発事故が未曽有の被害を出したのは、旧ソ連政府の情報隠蔽など人災の側面が大きい。さらに原子炉の構造が福島第1原発と違う。

 チェルノブイリ原発の原子炉は「黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉」と呼ばれ、格納容器がなく原子炉が密閉されていないことが特徴だ。このため放射性物質が大量に放出された。

 これに対し福島第1原発が採用する「沸騰水型軽水炉」と、スリーマイル島の「加圧水型軽水炉」の原子炉には格納容器がある。

 ただ、15日には福島第1原発の2号機で、格納容器につながる設備が爆発で損傷を受けた。同原発に対する国際社会の目はさらに厳しくなる可能性がある。
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日本の原子力発電所 を列挙する。 ↓

歴史などは省略。

一覧 稼動中

 名称       電力会社     立地場所      炉数      炉型             備考
泊発電所      北海道電力   北海道泊村   3基   加圧水型原子炉
東通原子力発電所  東北・東京電力 青森県東通村  1基 沸騰水型原子炉   東北電力2基、東京電力2基
女川原子力発電所  東北電力   宮城県女川町   3基  沸騰水型原子炉
福島第一原子力発電所 東京電力  福島県大熊町、双葉町 沸騰水型原子炉 (1号機~4号機は大熊町,5~6号機は双葉町) 6基/ほか計画中2基
福島第二原子力発電所  東京電力  福島県富岡町  4基  沸騰水型原子炉
東海第二発電所  日本原子力発電  茨城県東海村  1基  沸騰水型原子炉
柏崎刈羽原子力発電所  東京電力  新潟県柏崎市  7基  沸騰水型原子炉
浜岡原子力発電所  中部電力    静岡県御前崎市  3基  沸騰水型原子炉    ほか計画中1基
志賀原子力発電所  北陸電力    石川県志賀町   2基  沸騰水型原子炉
敦賀発電所   日本原子力発電   福井県敦賀市   2基  沸騰水型原子炉、加圧水型原子炉  ほか計画中2基
美浜発電所   関西電力       福井県美浜町   3基  加圧水型原子炉
大飯発電所   関西電力       福井県おおい町  4基  加圧水型原子炉
高浜発電所   関西電力       福井県高浜町   4基  加圧水型原子炉
島根原子力発電所 中国電力     島根県松江市   2基  沸騰水型原子炉    /ほか計画中1基
伊方発電所    四国電力     愛媛県伊方町   3基  加圧水型原子炉
玄海原子力発電所  九州電力    佐賀県玄海町   4基  加圧水型原子炉
川内原子力発電所  九州電力  鹿児島県薩摩川内市 2基 加圧水型原子炉    /ほか計画中1基
もんじゅ 日本原子力研究開発機構  福井県敦賀市   1基   高速増殖炉   2010年5月6日に運転を再開

非稼動中、着工断念 など省略
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上の一覧を見れば判るように「沸騰水型」と「加圧水型原子炉」の二種類がある。
「沸騰水型」は格納容器などの大きさが小さく建設経費なども安いが、世界的な趨勢は「加圧水型」に移っているという。
今回事故を起こしている東電のものは前者であるとともに稼動以来40年も経過する旧型である。
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   プルサーマル─MOX燃料棒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プルサーマルとは、プルトニウムで燃料を作り、従来の熱中性子炉で燃料の一部として使うことを言う。なお、プルサーマルとは、プルトニウムのプルとサーマルニュートロン・リアクター(熱中性子炉)のサーマルを繋げた和製英語(plutonium thermal use)である。なお、軽水炉は熱中性子炉の一種である。


名称の由来 もんじゅのような高速増殖炉では、高速中性子によってプルトニウムを核分裂させるが、プルサーマルでは、通常の軽水炉と同様に、熱中性子によってプルトニウムを核分裂させることから、このような名称が作られた(和製英語)。

通常の軽水炉との違い 通常、軽水炉ではウラン235とウラン238を混合したウラン燃料(二酸化ウラン)を核分裂させることで熱エネルギーを生み出すが、ウラン238が中性子を吸収し2度のβ-崩壊を経てプルトニウム239が生成され、そのプルトニウム239自体も核分裂する。その結果、発電量全体に占めるプルトニウムによる発電量は平均約30%となる(プルサーマル発電を行なわない場合でも、運転中の軽水炉の中にはプルトニウムが存在し、ウラン同様に発電に利用されていることに注意)。それに対し、プルサーマルではMOX燃料と呼ばれるウラン238とプルトニウムの混合酸化物(Mixed Oxide)を燃料として使用する。プルサーマルで使われるMOX燃料はプルトニウムの富化度(含有量)が4~9%であり、MOX燃料を1/3程度使用する場合、発電量全体に占めるプルトニウムによる発電量は平均50%強となる。

なお、高速増殖炉でもMOX燃料が使用されるが、プルトニウムの富化度は20%前後である。

プルサーマル方式の利点と欠点
・利点
原則として、従来の軽水炉のままで運用が可能である。
従って、高速増殖炉の実用化を待たずに、再処理された核燃料(プルトニウム)の消費が可能になる。
これにより、資源の有効利用が図られるだけでなく、エネルギー自給率を高めることができる。さらに、余剰のプルトニウムを持たないという国際公約を守ることができる。
プルサーマル方式そのものについてでは無いが、再処理をするということは使用済み燃料からウランを回収するということであって、ワンススルー方式に比べ高レベル放射性廃棄物の量が大幅に減る。放射能の量が減るわけではないし、ガラス固化体の取り扱いは大変(20年間常時監視、その後深地層処分が必要)だが、輸送や処分場の規模を1/10程に抑えることができる。
・欠点 しかし、プルサーマル方式は、元々ウラン燃料を前提とした軽水炉でプルトニウムを(一部)燃やすこともあり、経済的な課題のほか、技術的に見て課題点が多い。

再処理に関わる部分
軽水炉からの高レベル核廃棄物をそのままガラス固化させる場合と比べ、事故が発生する可能性が飛躍的に高まる
再処理によって核廃棄物は却って増える(一般的な資源のリサイクルと異なる点)
冷戦終結後、ウラン資源の需給は安定しており、再処理で製造したMOX燃料では経済的に引き合わない状態になっている(つまり、プルサーマル計画自体が不経済)。
再処理を行なうと核燃料の高次化が進むため、最大でも2サイクルまでしか行なえない(高速増殖炉の場合はこの問題は発生しにくい)
これに対し原子力関係者は使用済み燃料の発生量や再処理工場の能力などから1サイクル目が終わるのは来世紀などと考え向き合うことを避けている。
再処理を行っても、利用できるのは使用済み核燃料のうち1~2%を占めるプルトニウムのみで、燃え残りウランは高速増殖炉のメドが立っていない現在、利用するアテがない。
MOX燃料の軽水炉での燃焼に関わる部分
高速増殖炉と比べて燃焼中に核燃料の高次化が進みやすく、特にアメリシウム241が生成されやすくなる。核燃料の高次化が進むと、反応が阻害され、臨界に達しなくなってしまい、核燃料として使用できなくなる。
上記と関連し、事故が発生した場合には従来の軽水炉よりプルトニウム・アメリシウム・キュリウムなどの超ウラン元素の放出量が多くなり、被ばく線量が大きくなると予測される。
原子炉の運転や停止を行う制御棒やホウ酸の効きが低下する。
燃え方にムラが生じ、よく燃えるところの燃料棒が加熱・破損しやすくなる。もっとも、これは現行の方式ではコストを下げるために一部の燃料棒のみにMOX燃料を入れるから起きる現象で、コスト面を犠牲にして全燃料棒にMOX燃料を入れるように変更すれば回避できる。
水蒸気管破断のようなPWRの冷却水温度が低下する事故や、給水制御弁の故障のようなBWRの炉内圧力が上昇する事故が発生した場合において、出力上昇速度がより速く、出力がより高くなる。(燃料体の設計および原子炉内での配置を工夫することによって対処が可能)

MOX燃料そのものの持つ危険性
:MOX燃料を参照。

日本国外での動向 冷戦の終結と、ソビエト連邦の崩壊によって核兵器の解体が進んでいるため、世界的なプルトニウムの剰余が核不拡散の観点から問題になっている。一方で、プルトニウム利用の主流である高速増殖炉については、各国で計画の中止や遅延が相次いでおり、プルトニウム処理の有効な方法として、プルサーマルを捉える向きもある。

ヨーロッパでのプルサーマルの実績は長く、1963年に開始したベルギーを始めとして、イタリアやドイツでは1960年代からの経験がある。また、オランダやスウェーデンでも行われたことがある。ただしドイツ・スイス・ベルギーでは抽出済みのプルトニウム在庫を燃やしたらプルサーマルは終了とされており、今後も再処理を行ってプルトニウムを抽出し、積極的にプルサーマルを続けようとしているのはフランスだけとなっている。

アメリカ合衆国では1960年代にプルサーマルが始められたが、20年間ほど中断が続いた。その後、2005年6月から、カトーバ1号機でMOX燃料の試験運転が開始され、同年10月には、エネルギー省所有のサバンナリバーサイトで、解体核用のMOX燃料加工工場の建設が開始された。また、同年11月には、これとは別に使用済燃料再処理・MOX加工・廃液ガラス固化・中間貯蔵を目的とした複合リサイクル施設建設の予算が議会を通過、承認された。こちらは2007年までに建設場所を選定し、2010年までに着工する予定となっている。

2006年には、アメリカが国際原子力パートナーシップを発表し、日本を含む国際協力による高速炉を用いた核燃料サイクルの実施計画が開始された。

日本国内での動向 この節は現在進行中の事象を扱っています。記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。

日本においてプルサーマル計画が注目を集めたのは、もんじゅの事故により高速増殖炉の開発の見通しが立たなくなったことがきっかけである。日本においても、プルサーマルの開始に向けて、国による安全審査や地元の事前了解が進んでいたが、住民投票による反対(新潟県)などにより、計画は遅れていた。他の反対の事例としては、福島県知事(当時)の佐藤栄佐久が、発電所から距離のある地域を含めた県全体の観点や自身の戦略等から、地元の意向を別に強く反対してきた、といったことがある。

一方で、2006年(平成18年)3月に、九州電力の玄海原子力発電所3号機で実施したいという申し入れに、佐賀県知事の古川康は事前了解を出した。また、2008年(平成20年)1月には、福井県知事の西川一誠が高浜原子力発電所の3、4号機で、2010年(平成22年)までにプルサーマル発電を実施する計画に事前了解を、静岡県知事の石川嘉延が浜岡原子力発電所でのプルサーマル発電に事前了解を出す など、地元の同意も背景に、プルサーマル発電計画は着実に実施に向かって進んでいる 。

プルサーマル発電での営業運転中の原子炉
九州電力 玄海原子力発電所3号機 2009年(平成21年)11月5日より試運転開始。同年12月2日より、営業運転を開始。
四国電力 伊方原子力発電所3号機 2010年(平成22年)3月2日より試運転開始。同年3月30日より、営業運転を開始

東京電力 福島第一原子力発電所3号機 2010年(平成22年)9月18日より試運転開始。同年10月26日より、営業運転を開始。

関西電力 高浜原子力発電所3号機 2010年(平成22年)12月25日より試運転開始。2011年(平成23年)1月21日より、営業運転を開始。
現在までに事前合意が成立しているプルサーマル発電計画 中部電力 浜岡原子力発電所4号機 2012年(平成24年)3月以降に導入予定。
関西電力 高浜原子力発電所4号機 2011年(平成23年)夏から導入予定。
中国電力 島根原子力発電所2号機
北海道電力 泊原子力発電所3号機
東北電力 女川原子力発電所3号機 2015年(平成27年)度までに導入予定。
現在計画中のプルサーマル発電計画 電源開発 大間原子力発電所1号機 2014年(平成26年)度に運転開始予定。(建設中)
プルサーマル計画の進捗状況 プルサーマル計画は、核燃料の検査データ不正や原発事故により、当初計画が10年以上遅れている。

主なメーカー 
アレヴァNP(Areva NP)(三菱重工業と業務提携)
三菱重工業
東芝(ウェスティングハウス・エレクトリック (WH)を買収)
ゼネラル・エレクトリック (GE)(日立製作所と原子力事業で経営統合)
日立製作所
日立GEニュークリアエナジー
世界的なメーカーの寡占化が進んだ結果、2008年現在では、アレヴァ-三菱、東芝(WH)、GE-日立の3グループに絞られている。
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引用記事ばかりになって、読みにくいと思うが、上に書かれているところに、今回の「東京電力 福島第一原子力発電所3号機 」の爆発事故について見逃せないと思う。
公表されたアメリカの衛星写真が、この三号機の破損を捉えたが、損傷も一号機とは大きく、しかも発表される「放射能」の数値も極めて大きいのは、
この「MOX燃料棒」に由来すると考えられるからである。
もとより私は原子力については素人であり、断定的な発言は控えるが、一号機とは、質的に違うということを理解した上で、今後に生かしてもらいたい。


平井憲夫氏(故人)の「原発がどんなものか知ってほしい」という記事は、原発工事の最前線で働いてきた人の体験談として貴重である。
長いので読みにくいが真ん中は端折っても、終りの方は必ず読まれたい。

川上武志氏の「原発ジプシー」という記事も炉心で働かされる人について生々しいので、ご覧あれ。

原子力工学の博士号と技師としての経験を持つ大前研一「原発はもう民間企業では継続できない」の動画は示唆的である。長いが聞いてみてほしい。

今回の事故の対応として「冷却系」に対する拙速さが目だっている。
原発にとって、ここが一番肝要なところであり、しっかりやっていただきたい。
ご参考になれば幸甚である。 必要があれば、また追記する。

  間違った伝聞や風評被害が広がっている。
   惑わされず冷静に行動したい。


おぼおぼと春の宵月赤ければ土龍は土をもくもく盛りぬ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
Mogura1もぐら

     おぼおぼと春の宵月赤ければ
        土龍(もぐら)は土をもくもく盛りぬ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

写真はモグラ。
百科事典によると、東日本にはアズマモグラ、西日本にはコウベモグラ、九州にキュウシュウモグラ、佐渡にサドモグラ、高山限定のシナノミズラモグラ、などが居るという。
近年大型のコウベモグラが勢力を拡大して東は箱根山に及んでいるという。
この解説を見て気付くことは海で種が異なっていることである。つまりモグラは海を渡れないということであろうか。
写真はネット上から拝借したもので、何モグラなのか私には判らない。

モグラは土の中のミミズや虫などを食べているもので、巣から餌場への往復に、もくもくとトンネルを掘り、農作物の根を荒らすので嫌われものである。
私の方の菜園でも、ひどい被害を受け、ペットボトルを再利用した「風車」などを設置してみたが、風がなければ地中に音が響かないし、
殺鼠剤は使いたくないし、なかなか効き目がない。巣は雨水が入らない、何かの物体の下などに作るらしい。
私の方の菜園ではコンポストの下に、どうも巣をしているらしいので、そこにトンネルを利用して石油ストーブ用の「灯油」を流し込んでみたら効果があった。
また、風車も、そうだが、地中に響く振動が嫌らしいので、菜園の4、5個所に長めの杭を打って、一日に数回、その杭を槌で20回くらい打つ、
というのをやってみた。昨年は効果があった。
モグラは冬眠するので、今年また冬眠から覚めて悪いことをするようなら、試してみたい。
モグラの思い出としては、昔、少年の頃、モグラの被害を防ぐためにモグラの捕獲を奨励し、モグラを捕まえて農協へ持ってゆくと賞金をくれた。
私の方は農家ではないのでやってみたことはなかったが、農家の子供たちはモグラを捕まえて小遣いかせぎをしていたのを覚えている。

天人といえども時至れば身に現れる五衰/移りゆく季節に魂たちは感じ易い/万物は流転する・・・・・・・・・鈴木漠
遊戯論

──鈴木漠の詩──(7)

          天人五衰・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠

     傾く太陽に殉じて散る白い花 沙羅
     天人といえども時至れば身に現れる五衰
     移りゆく季節に魂たちは感じ易い
     万物は流転するそのサンサーラ

     大道芸の撓む竿先に回る危うい皿
     自転を停められない我ら愛(いと)しの地球で
     愛し合う者どうしが優しく組む腕
     不安や痛苦に向き合う気持はいつも真っ新(さら)

     宇宙開闢(かいびゃく)をもたらしたビッグ・バンとは
     蕾から須臾にして解放された花びらだ
     我ら皆 相対性理論の海原漂う舟の舵(ラダー)

     詩が求める不易なるもの即ち常永遠(とことわ)
     太陽は日日に昇りまた沈む しかし
     その太陽にして変容するのだ 疾(と)っくの昔

ソネット抱擁韻。押韻形式は abba/acca/dee/dff
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この詩は鈴木漠詩集『遊戯(ゆげ)論』編集工房ノア2011/02/01刊 に載るものである。
ここには「遊戯」という小項目の自由詩が9篇。
「愛染」という小項目の「ソネット」形式の詩が18篇。
「果樹園」という小項目の「テルツァ・リーマ」形式の詩が9篇 収録されている。

「押韻形式」に書かれているように詩の行の末尾が、それぞれ「脚韻」を踏んでいる。

次に「テルツァ・リーマ」形式の詩をひとつ引いておく。
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          愛 染 ****・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
              まことに 愛にあふれた家は/のきばから 火を吹いてゐるやうだ   八木重吉

     愛し愛される数式とは そんなにも
     激しく哀しい方程式なのだろうか
     ボードレールの謂う火龍(シメール)の如き背の荷も

     気付かぬまま時間の翼は徒(いたずら)に老化
     恩愛の現場はまた燃える家でもあるらしい
     扉を推せば奈落へまで続くその渡り廊下

     生老病死や五蘊盛苦(ごうんじょうく)に囲繞される四囲
     業火を忘れがちな私たちは玩具と遊ぶ子供
     エコーしてやまぬ言霊のエクスタシー

     愛とは他者に自らを投影することだと雖(いえど)も
     自己の内部にも異形の者は棲みつき
     方便の比喩の車は門外を去る気配だけれども

     遂には愛染の炎に身体髪膚包まれて尽き
     美人の香骨もいつか車塵と化さざるを得ず*
     世界の終りにも背後を昇る不可思議の月*

     遺される一枚の羽とニルヴァーナの絵図

*テルツァ・リーマ Terza Rima (三韻詩) 押韻形式は aba/bcb/cdc/ded/efe/f
*「美人香骨 化作車塵(美人の香骨化して車塵となる)」古代銭塘の美妓・蘇小小による(「楚小志」)
*不可思議の月。「三輪山の背後より不可思議の月立てり はじめに月と呼びしひとはや」山中智恵子
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            心象の帆・・・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                    暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外   子規

     連句嫌いだった筈の正岡子規に
      同い年幸田露伴と付合いした記録
      しかも旧派宗匠幸堂得知の捌きに

     あの子規の句が一直された事実に驚く
      立句に据えた大島蓼太の句は「春雨に傘」
      露伴「柳四五本並ぶ」と続く脇句も漫(すず)ろく

     子規の第三句初案は「陽炎に」と付く丈高さ
      だが春雨に陽炎では天象の打越しは自明
      すかさず得知が「蛙の声」と匡(ただ)した確かさ

     セオリーとしては常識ながら文学の革命
      志す矜持を傷つけられたか 美食の舌
      子規の連句嫌いは多分この挿話が発端の頑迷

     後日 連句は文学に非ずと論断した
      連句三つの要因は対話と変化と虚構を当てる
      然るに写生主義を掲げる子規の文芸観の下

     虚構などとはもっての外まして十九世紀も果てる
      近代の文学に対話や付合など不要とばかり
      脇句以下一切の付句を切って捨てる

     発句は文学なり連句は文学に非ずと憚り
      大見栄を切った子規の俳諧革新の手付き
      そのラディカリズムが裂く世界の薄明かり

     須磨の寓居に労(いたつ)きの身を養う有明の月
      座右に典籍を積み獺祭書屋(だっさいしょおく)主人を自称
      時代は文明開化の波濤 近代の暁

     折しも沖を過ぎる白い帆の心象

*テルツァ・リーマ 押韻形式は aba/bcb/cdc/ded/efe/fgf/ghg/hih/i
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三番目に引いた詩は巻末に載るものであるが、子規のことが書かれていて、とても面白い。
子規の文学革新の功績はめざましく、認めなければならないが、反面、我田引水式に自分の意図を強調するために、
かなり牽強付会的な面もあったことは否めない。
与謝蕪村は、それまでは絵画の作者としてのみ評価されていたのを、俳句作者として再評価したのは子規であるが、
その評価も「写生」の一面からのみ評価されているようで、蕪村という作家の全面目を評価し得ていない、と今では言われている。
そのようなことは「万葉集」は評価するが、「古今集」や「新古今集」は一蹴する、など極端であった。

この詩集の「帯」で、関西での詩壇の重鎮・杉山平一が

<鈴木漠さんは、早くより九鬼周造に発したソネット14行詩に注目し、
 わが国の詩には困難と思われた脚韻の面白さを探求し、40年に及ぶ。
     韻を工夫した精妙な手際の良さにはね感心させられる。
        前人未踏の境地を生み出しつつある。>

と書いている。けだし鈴木漠の「執念」というべきであろう。敬意を表しておきたい。
日本詩の韻律には57577などの「音数律」が万葉以来ぴったりで、今もなお、その命脈を保持していると思うが、
ヨーロッパ詩などに一般的な「脚韻」は、試みられたものの「定着」はして来なかった。
日本でも古来「沓冠」(くつかぶり)などの「頭韻」「脚韻」の組み合わせなどが試みられ、近年それらを再評価して、
歌人たちの中でも修練としてやられてきたので、私も「未来」誌に居るときに編集部から指名されて企画に加わったことがある。
それらについては、このブログでも紹介したことがある → 沓冠「秘めごとめく吾」の一連のもの──が、現実の持続した文学運動としては定着しなかった。

四面楚歌とも言える中で、執拗に、この面を追及してきた鈴木漠の執念に脱帽して、鑑賞を終わる。

     
       

     
春雷一閃あやとりの糸からみつつ迷路をくぐりゆくらし・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 春雷一閃あやとりの糸からみつつ
    迷路(ラビュリントス)をくぐりゆくらし・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
「春雷」は別名「虫起し」とも言い、そのことは3/6付けの「啓蟄」のところでも書いた。

この歌を発表したときも評判は良くなかった。やはり判り難いということである。
この歌は「春雷一閃」「あやとりの糸」「からみつつ」「ラビュリントス」などの言葉が日常生活の情景と、どう関わるのか、というわけである。
この一連は「神経叢」という標題のもので8首の歌から成るが、全体として「暗喩」を利かした歌作りになっている。
ここで、そのメタファーを解き明かすことは、しない。いいように鑑賞してもらえば有難い。
一つだけヒントを差し上げると、掲出した写真の春雷の「いなづま」が「あやとりの糸」に見えないだろうか。
要は「想像力」の問題である──「メタファー」というのは。

以下「春雷」を詠んだ句を引いて終わる。

 下町は雨になりけり春の雷・・・・・・・・・・・・正岡子規

 比良一帯の大雪となり春の雷・・・・・・・・・・・・大須賀乙字

 再びの春雷をきく湖舟かな・・・・・・・・・・・・富安風生

 春雷や俄に変る洋の色・・・・・・・・・・・・杉田久女

 春雷や刻来り去り遠ざかり・・・・・・・・・・・・星野立子

 春雷や三代にして芸は成る・・・・・・・・・・・・中村草田男

 春の雷焦土しづかにめざめたり・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 あえかなる薔薇撰りをれば春の雷・・・・・・・・・・・・石田波郷

 句縁ただ仮りそめならず春の雷・・・・・・・・・・・・石昌子

 三山の天心にして春の雷・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 春雷の闇より椎のたちさわぐ・・・・・・・・・・・・飯田龍太

 春雷の七十歳はなまぐさき・・・・・・・・・・・・伊藤白湖

 春雷を殺し文句のやうに聴く・・・・・・・・・・・・鈴木栄子

 春雷の余喘のわたる野づらかな・・・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 春雷やかの日の銀の耳飾り・・・・・・・・・・・・坪内稔典

 窯出しの壺がまづ遇ふ春の雷・・・・・・・・・・・・辺見京子

 鞭のごと女しなえり春の雷・・・・・・・・・・・・岸本マチ子

 鶸飛べり出雲平野の春の雷・・・・・・・・・・・・葛井早智子

 幸せも過ぎれば不安春の雷・・・・・・・・・・・・黒田達子



老いづけるこころの修羅か春泥の池の濁りにひるがへる紅絹・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 老いづけるこころの修羅か春泥の
     池の濁りにひるがへる紅絹(もみ)・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでも、ご覧いただける。

掲出した写真が「紅絹(もみ)」の裏地である。この紅色は「紅花」を揉みだした色素で染める。
この鮮やかな緋色の長襦袢もある。
これを着物の下着として身に着けたり裏地としたりして、歩くとか、あるいは身をくねらせるとかの時に着物の裾から、ちらりと、この紅絹の緋色がこぼれ見えるというのが、
和服の「色気」というものである。
こういうチラリの美学というのを古来、日本人は愛したのである。
あからさまに、大げさに見せるのではなく、つつましやかな所作のうちに「情(じょう)」を盛る、というのが美学なのである。
もちろん、愛する人のために着物を脱いで寛ぐ場合には、この紅絹の緋色が、もろに、愛し合う男女の情感をあくまでも刺激すると言うのは、野暮であろう。

この歌も「玄人」好みの歌作りに仕立ててある。
春になって池の水も何となく濁る、これを古来「春泥」と表現してきた。寒い間は池の底に潜んでいた鯉も水面に姿を見せるので、春泥である。
人間界もなんとなく「なまめかしい」雰囲気になる春であるから、私は、それを少し大げさだが「修羅」と表現してみた。
読者のご批評を賜りたい。

「春泥」というのは、季語では「春のぬかるみ」のことを指す。泥んこ道も指すが

    鴨の嘴(はし)よりたらたらと春の泥・・・・・・・・・・高浜虚子

という句があり、この句は類型的な「春泥」の句とは一線を画して、春の池の泥のことを詠んでいる。
この句は、掲出した私の歌に言う「春泥」に通じるものがあるので、一言つけ加えておく。

以下、「春泥」を詠んだ句を引く。

 春泥や石と思ひし雀とび・・・・・・・・佐野良太

 春泥や遠く来て買ふ花の種・・・・・・・・水原秋桜子

 春泥に押し合ひながらくる娘・・・・・・・・高野素十

 春泥にいゆきて人を訪はざりき・・・・・・・・三橋鷹女

 北の町の果てなく長し春の泥・・・・・・・・中村汀女

 月読の春泥やなど主を避くる・・・・・・・・中村草田男

 放吟や高校生に春の泥・・・・・・・・石橋秀野

 春泥の恋文横丁今いずこ・・・・・・・・戸板康二

 春泥に手押車の鳩かたかた・・・・・・・・横山房子

 春泥の靴脱ぐひまもほとけ恋ふ・・・・・・・・伊丹三樹彦

 踏み滑る泥や春こそめでたけれ・・・・・・・・三橋敏雄

 午前より午後をかがやく春の泥・・・・・・・・宇多喜代子

 春泥やお伽草子の碑にまゆみ・・・・・・・・高岡すみ子

 
砂浜にまどろむ春を掘りおこし/おまえはそれで髪を飾る おまえは笑う/海は静かに草色の陽を温めている・・・・・・・・・・・・・大岡信
yun_596砂浜

         春のために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     砂浜にまどろむ春を掘りおこし
     おまえはそれで髪を飾る おまえは笑う
     波紋のように空に散る笑いの泡立ち
     海は静かに草色の陽を温めている

     おまえの手をぼくの手に
     おまえのつぶてをぼくの空に ああ
     今日の空の底を流れる花びらの影

     ぼくらの腕に萌え出る新芽
     ぼくらの視野の中心に
     しぶきをあげて廻転する金の太陽
     ぼくら 湖であり樹木であり
     芝生の上の木洩れ日であり
     木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
     ぼくら

     新らしい風の中でドアが開かれ
     緑の影とぼくらとを呼ぶ夥しい手
     道は柔らかい地の肌の上になまなましく
     泉の中でおまえの腕は輝いている
     そしてぼくらの睫毛の下には陽を浴びて
     静かに成熟しはじめる
     海と果実
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この詩は1986年8月刊学習研究社『うたの歳時記』恋のうた・人生のうた、に載るものである。
みづみづしい現代詩の息吹に触れてもらいたい。

今日の記事は短いので ↓ イブ・モンタンの動画を出しておく。私など古い人間には懐かしいが、もう古いかな。


妻消す灯わが点す灯のこもごもにいつしか春となりて来にけり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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     妻消す灯わが点(とも)す灯のこもごもに
        いつしか春となりて来にけり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。
この歌については若干の思い出がある。
近藤英男先生と一緒に同道して出雲の「空外記念館」を訪ねたりしたことがあるが、先生は脚がお悪いので、往復の飛行機や乗物、ホテルなど、その面倒などを私がみたことがあり、
そのお礼にと何か「書」を先生が言われたので、いただけるなら前衛的な書ではなく、伝統的な「かな書」の水茎麗しいものを所望しておいたところ、
先生の旧知の後輩の奈良教育大学書道科の 吉川美恵子教授の書をお手配くださった。
吉川先生は日展書道部の現役作家として数々の賞に輝く逸材であられる。また読売書法展などでも活躍される。
その時に吉川先生が書いて下さった私の歌が、掲出したものである。
二つ書いていただいた、もう一つは

    かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ

というものである。この歌については先に、このBLOGで採り上げたことがあると思う。
「灯り」(あかり)と言っても、その種類はさまざまである。
掲出の歌を作った頃は、妻が病気になりはじめた頃ではないか、
と思う。この歌の続きに

    丹精の甲斐もあらずて大根の花を咲かせて妻病んでをり

の歌が並んでいるからである。
わが家では一番遅くに寝るのが妻であり、「妻消す灯」である。
朝ないしは夕方に私が灯を点すこともある。
それが「わが点す灯」ということである。誰が消すか、誰が点すか、ということは逆でもいいのである。
そういう順序にこだわってもらっては困る。
そういう日々の何気ない繰り返しがわが家の日常であった。
妻も私も元気であった頃は、そんなことは考えもしなかったが、妻が病気がちになって、こういう日常の何気ない光景が、貴重なことに思えるようになったのである。

この「書」二つは奈良の有名な店で表装してもらい掛け軸にし、吉川先生には「箱書」をお願いした。
妻亡き今となっては、この歌と掛け軸は、深い思い出とともに、この時期になると床の間に掲げて、妻を偲ぶのである。

奈良東大寺二月堂の「お水取り」が終ると関西では春らしくなるという。
その修二会は3月1日から14日間行なわれるのであった。
この言葉通りに、とは行かずに最近は厳しい寒さのぶり返しであるが、そのうちに暖かい日も来るようである。
今年は「寒」に入ってから寒かったので、地虫が穴から出てくる「啓蟄」さながらに、戸外に出るのが愉しくなってきてほしいものである。
その「お水取り」も、いよいよ14日で終わる。いよいよ本格的な「春」の到来である。

唐国の壺を愛して梅を挿す妻の愁眉や未だ寒き日・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   唐国の壺を愛して梅を挿す
     妻の愁眉や未だ寒き日・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、妻の体調が悪くなりかけた頃のものである。
それは「妻の愁眉」という個所に表現してある。
自分の体調に愁眉の愁いを表わしながら、妻が唐国の壺に梅を活けている、という歌である。
この歌は自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。

梅の開花は、その年によって遅速があるが今年は寒さが厳しいので果して、いつごろ満開になるだろうか。
何度も書いたことだが、私の住む「青谷村」は鎌倉時代以来、梅の名所として規模は大きくはないが、伝えられてきた。
「万葉集」では、「花」というと「梅」のことだった。今では俳句の世界では「花」と言えば「桜」を指すことになっている。
「和歌」「短歌」でも同じである。気候的にも桜の咲くころは春まっさかりという好時期であり、日本人は一斉に花見に繰り出すのである。
しかし、「梅」には、馥郁たる香りがあり、しかも花期が極めて長くて、長く楽しめる。
梅の産地生まれだからというわけではなく、どちらかというと、私は「梅」の方が好きである。

hana565_1_ume紅梅

梅の花については、先に姉・登志子のところでも挙げたが、私は梅の歌をいくつも詠んでいる。
掲出した歌の次に

     壺に挿す白梅の枝のにほふ夜西班牙(スペイン)語の辞書を娘に借りにゆく

という歌がある。実は、私の次女は外国語学部でスペイン語が専攻だった。

歳時記にも「梅」の句は多い。それらを引いて終りたい。

 梅が香にのつと日の出る山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 むめ一輪一りんほどのあたたかさ・・・・・・・・服部嵐雪

 二もとの梅に遅速を愛すかな・・・・・・・・与謝蕪村

 梅一枝つらぬく闇に雨はげし・・・・・・・・水原秋桜子

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・中村草田男

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・石田波郷

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・星野立子

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・西島麦南

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・古賀まり子
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普通、紅梅は白梅よりも時期があとになることが多い。

山田兼士『百年のフランス詩』─ボードレールからシュルレアリスムまで・・・・・・・・・木村草弥
山田憲士②

──山田兼士の詩と詩論──(2)

     山田兼士『百年のフランス詩』─ボードレールからシュルレアリスムまで・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・・澪標2009/05/20刊・・・・・・・・・
この本は、今はもう無くなったが月刊「詩学」2003/01~2006/04号まで全36回にわたって連載された「フランス詩を読む─ボードレールからシュルレアリスムまで」に加筆修正を施したものだ、という。

先ずはじめにネット上で見られる細見和之の、この本の紹介を引いておく。
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        山田兼士『百年のフランス詩――ボードレールからシュルレアリスムまで』

         七つの引き出しをもつ書物(「樹林」2009年秋号より)  細見和之

 本書はタイトルにあるように、ボードレールからヴェルレーヌやランボーを経てブルトン、エリュアールのシュルレアリスムまで、じつに百年におよぶフランスの近現代詩の流れを、対訳形式で追ったものである。その百年の歴史を彩る、二六人の詩人、三六篇の詩の原文と著者自身による翻訳を見開きの形で掲載した部分、それが本書の骨格を形づくっている。読者にとっては懐かしい詩人もあれば、未知の詩人もあるだろう。ランボーやヴェルレーヌあたりからぱらぱらめくってもいいし、最初からきちんと通読してもよい。各作品に添えられた、詩人紹介と作品解説は、文字どおり読者にとってフランス詩への手ほどきとなるはずだ。

 同時に本書は、いろんな仕掛け、引き出しをそなえている。私がざっと数えただけでも七つぐらいはありそうだ。

(1)ボードレール、とりわけその後期の「散文詩」を軸に、「ボードレールから始まる現代詩」という詩観・詩論をもつ著者によって、フランス詩百年の歴史に明確な輪郭が与えられていること。それぞれの詩人と作品はたんに年代順に網羅されているのではないのだ。これによって、ロートレアモン『マルドロールの歌』のような出所不明の作品も、収まるところに収まるという印象になる。

(2)とはいえ、本書はいかめしい「フランス文学史」の本ではない。とくにアポリネール、プレヴェールあたりはシャンソンとして歌われる作品が採られている。現代詩を同時に「歌」と地続きのものとして捉えること、そこにも著者の詩観・詩論が生きているのだが、ここではそれが、フランス詩を親しみのある日常的なものとして受けとめようという姿勢と結びついている。プレヴェールの「バルバラ」なんかやっぱり泣ける。これとマラルメの「海の微風」を等距離で感覚すること。この視点はとてもだいじだ。謎めいたロートレアモンも難解な印象のマラルメも、著者の翻訳と解説で読むと、なにかとても軽やかだ。

(3)その「歌」の訳でもそうなのだが、それぞれの翻訳にずいぶん工夫が凝らされている。シャンソンになっている作品では実際に唄える形での新たな「訳詞」が心がけられているし、しばしば脚韻の再現もなされている。もちろん、日本語での脚韻による再現には無理があるのだが、著者の翻訳は、苦心惨憺というよりも一種の遊び心を伝えてくれるようだ。いっちょおれもやってみようか、という気にさせてくれるのである。

(4)たとえば、ゴダールの映画でロートレアモン『マルドロールの歌』の一節が朗読されていたシーンの紹介など、サブカルチャーとフランス詩のゆたかな結びつきを想起させること。日本でも寺山修司全盛のころにはいくらもありえたことだろうが、いまでは現代詩が映画やテレビで朗読されるシーンはちょっと考えにくいだろう。これは(2)と関わって、現代詩を日常的なものにしたいという著者の願望をも伝えているに違いない。

(5)作品解説において、随所で日本の詩人、作家が引き合いに出されている。いちばん多いのは谷川俊太郎だが、萩原朔太郎、中原中也、宮沢賢治、さらには小野十三郎、村上春樹が、たんにフランス詩からの影響ではなく、詩人として、作家としての体質という観点でも論じられている。その意味でこの本は、同時に「百年の日本詩」という性格をひそかにそなえている。とくに谷川俊太郎と小野十三郎の絡みは、大阪文学学校の関係者には意外であるとともに、とても親しみやすい切り口だろう。

(6)最後の九篇として収められているのはいずれも「散文詩」であって、ボードレールの『パリの憂愁』に始まる表現形態を現代詩の本質として理解する、という姿勢があらためて打ち出されている。個人的にはマラルメの『ディヴァガシオン』が好きな私は「パイプ」の孤独な痛みに打たれたが、「詩論詩」という著者自身が実作で提示してきた作品形態へとそれは収斂するのである(これについては、著者の試みが間もなく詩集として結実するはずだ)。

(7)ロートレアモン『マルドロールの歌』に始まってボードレール『パリの憂愁』において本格化した著者自身のフランス詩体験、ひいては現代詩体験を伝える、一種の自伝的な本でもあること。これはこの一冊からは見えにくいことかもしれないが、他の著者の本と照らせば明らかだ。ゆたかな学識を背景にしながらも本書の記述がけっして重くないのは、著者自身がいわば好奇心に駆られるままに接してきた作品体験が根底にあるからだと思う。

 ざっと七つの仕掛けないしは引き出しをあげてみた(開けてみた)。全体で一五〇頁足らずの本に、最低限これだけの襞が抱え込まれている。いや、ほんとうはもうひとつある。

本書の原型はいまでは廃刊になってしまった月刊の詩誌『詩学』に二〇〇三年から二〇〇六年にかけて連載されたものだ。当時、『詩学』の編集も、その発行元である詩学社自体も、大阪文学学校に在籍していたことのある詩人寺西幹仁が懸命に支えていた。詩学社最後の社主として『詩学』を廃刊することにもなった寺西は、その後不意に病死してしまった。『副題 太陽の花』という詩集を刊行した寺西は、私の同世代で、なにより詩が好きな男だった。私は本書を読みながら、これを編むことは寺西への著者なりの追悼であるという印象を拭えないのだ。

最後に、その寺西幹仁への追悼の意味もこめて、本書からプレヴェール「バルバラ」の一節を引用しておきたい。

思い出せバルバラ

あの日

雨が降った

幸せそうな

きみの顔に

町に海に

船にも

やさしい雨が

おおバルバラ

バカな戦争が

ふたりを分けた

鉄の雨

火の雨が降った

きみをいとしく抱いた

あの人は

生きているのか死んでしまったのか
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細見和之
ほそみ・かずゆき
1962年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了、現在 大阪府立大学人間社会学部教授。博士(人間科学、大阪大学)。ドイツ思想専攻、詩人。主な著書に『アドルノ』(講談社)『アドルノの場所』『ポップミュージックで社会科』(以上、みすず書房)『アイデンティティ/他者性』『言葉と記憶』『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む』(以上、岩波書店)。主な訳者にべンヤミン『パサージュ論』(共訳、岩波現代文庫)、アドルノ『否定弁証法講義』(共訳、作品社)、ヨーナス『生命の哲学』(共訳、法政大学出版局)。主な詩集に『言葉の岸』(思潮社)、『ホッチキス』(書肆山田)などがある。

山田憲士③
高階杞一、細見和之、山田兼士、四元康祐の四人を編集同人として『びーぐる─詩の海へ』(季刊・澪標刊)という詩と詩論の雑誌を出している。
↑ 最新号(2010/10)は「詩人の遺言/死と詩人」という特集だった。
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もうひとつ下記の書評を引いておく。
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  山田兼士『百年のフランス詩』書評 フランス詩の窓から 文月悠光(「現代詩手帖」2009年9月号より)         

フランス詩を代表する二十六の詩人の紹介と、詩三十六篇の対訳、日本現代詩との接点に触れた解説文から成る一冊である。フランス詩入門書としての性格を持ち合わせながら、解説の言葉はそれ自体に深入りしない。むしろ、フランス詩の百年間を通して、今日に受け継がれる日本現代詩の精神を解き明かしている。また特筆すべきは、翻訳に対する著者の細やかな心遣いだ。原語特有である韻文詩のリズムを再現すべく、日本語と果敢に戦う。対訳という、逃げ場のない形式を自らに課して、訳詩のはかり知れない奥深さを読者に示している。

各詩人の肖像画や自画像なども、対訳と同様にこの本を際立たせている。時代によるものなのか、写真など、詩人の顔そのものをはっきり観察できるものはあまり用いられていない。しかし、ときに緻密で、ときに大胆な肖像画たちは、その詩人独特の雰囲気を強く醸し出している。ヴェルレーヌが描いたランボーを見れば、「そんなにパイプを吹かしたいか」という突っ込みは必至であろうし、コクトーの自画像(こけた頬、二つの目から放たれる激しい光線)に関しては「怪人」としか言いようがない。ダリやマネ、ピカソによる肖像も多く、詩人と画家の間に築かれていた交友関係も窺うことができる。

 対訳の中から、ユゴーの「開いた窓」、ボードレールの「窓」を紹介したい。前者は朝方ベッドの中でまどろみながら、窓から入り込む外界の音を追いかけた、聴覚のみから成る作品である。「フランス語の声。メルシー。/ボンジュール。アデュー」とは素直で面白い。一方、散文詩である後者は「開いた窓を通して外から見る人には、閉じた窓を見る人ほどに多くのものが見えることは決してない」という逆説的な一文から始まる。引き籠もりがちなある女性の人生を、彼女の家の窓から僅かに観察できる容貌や所作を頼りに作り上げた・僕・は、その仮想の物語を自分自身に同化させる。それを可能にしたのは、窓の切り取る不鮮明な像に、彼が想像を掻き立てられたからに他ならない。その点に留意してこの詩を読み解いていけば、一つの感覚を失うことは、想像力や他の感覚を逆に研ぎ澄ませることが発見できる。それは、音だけで率直に世界を捉えたユゴーの作品にもいえる。確たる感覚を持つことが、描写への近道ではない。くっきりと結ばれた像が、忘れ難い印象を残すとは限らない。強い言葉の集合体が、読者の心を打ち抜く一篇になりえないように。

あらゆる物を克明に写しすぎた、暴きすぎた現代社会は、何か大事な事柄を見落としているように思える。如何にもそれらしく見える虚像に騙されてはならない。今こそ窓ガラスを一枚差し入れるときだ。目の前にある事物を絶えず疑い、真実を手繰り寄せていく詩人の姿勢が必要なのだ。彼らの曖昧な肖像は、そのことを一種の希望と共に呈している。

僕の外にある現実なんかどうでもいいだろう?それが僕が生きることを助け、僕があることを、また僕が何であるかを、感じる助けになったのなら。

  (シャルル・ボードレール「窓」結び)


 フランス詩の窓から、日本の現代詩が見えてくる。

文月悠光については← Wikipediaに詳しい。
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他人の文章の引用ばかりで申し訳ないが、これらの文章に見事に要約されているのでお許しを。
この本にはイラストや写真、詩の原文などが配置され、さぞや編集者は苦労しただろうと思われる凝った本である。一度試されよ。
かつて大昔に、フランス文学の一端を齧ったものとして、座右に置いて、ぼつぼつと読み進めている。

なお「山田兼士の研究室」というサイトをお持ちである。アクセスされたい。

いねがたき夜半にしあれば血統をかなぐり捨てて恋猫が鳴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   いねがたき夜半にしあれば血統を
     かなぐり捨てて恋猫が鳴く・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
猫の繁殖期は春と秋の二回あるが、春のものは、まだまだ寒い今の時期に始まる。
去勢手術をしてある猫ならいざ知らず、何もしていない猫は、このシーズンになると、狂気にとりつかれたように昼も夜も相手を求めて鳴きながら徘徊する。
夜など家の周りでギャーギャー鳴きたてられては安眠妨害である。
このような現象は、野良猫であろうと、由緒ただしい血統書つきの猫であろうと違いはない。
掲出写真は、いわゆる「ブランド猫」と呼ばれる由緒正しい、高価な猫の画像である。
私の歌の趣旨は、そういうことである。

私は基本的に「猫嫌い」である。
というのは、わが家の庭は、放し飼いにされた猫たちの通り道に当り、臭い臭いウンチはされるわ被害甚大で、
通り道に忌避剤を撒いたり、灯油を撒いたりして対応しているが、じきに効力がなくなり困り果てているからである。
猫を飼っている人の言い草も気に入らない。
「犬は毎日、散歩に連れてゆかなければならないが、猫は一人で、どこかでしてきてくれるから楽だ」。
そのトバッチリが私の方に降りかかっているのである。
いつか散歩をしていたら、猫に手綱をつけて散歩させている飼い主さんに出会った。
「猫の散歩とは珍しいですね」と言ったら「猫のウンチも迷惑ですから」という返事があって感心したものである。
こんな人は滅多に居ない。

    大比叡の表月夜や猫の恋・・・・・・・・・・鈴木花蓑

という句があるが、これなどは猫の恋を美的に、大きな景物の中に捉えて成功している。
猫の交情というのは、観察した人の文章などを見ると、凄まじいらしい。
猫の交尾というのは何回も執拗に雄、雌を問わず求めるようで、お互いを挑発したりして延々とつづくらしい。私は見たこともない。
交尾期が終わって家に戻ってきた猫は毛は傷つき、精力を使い果たしたようになっているらしい。
ライオンの交尾というのをテレビで見たことがあるが、腹ばいの雌の上に、雄がかぶさるようにするらしい。
猫も同じ種らしいから交尾の姿勢も同じらしい。人目につかない夜などが多いそうである。
犬の交尾は人が居ようがお構いなしで、これはこれで凄まじいものであるが、犬の交尾と狐の交尾は、種が同じだから、そっくりだという。

歌に戻ると、うるさくて安眠妨害のときはバケツに水を用意しておいて、ぶっかけて追っ払ったりする。
野良猫でもボス的なものが居て、やはり強いものの遺伝子を受け取りたいという雌の本能があるのか、多くの雌に種付けするようだ。
私の他の歌にも「猫」を詠ったものもあるが、それらはあくまで「道具建て」として使ってあるに過ぎない。
それらの歌のいくつかを引いて終わりたい。

   三毛猫の蹠(あしうら)あかく天窓の玻璃に五弁の花捺しゆけり・・・・・・・・・・木村草弥

   入りつ陽のひととき赫と照るときし猛々しく樹にのぼる白猫

   菊の香のうごくと見えて白猫の音なくよぎる夕月夜なる

   黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む

歳時記の春を見ると季語「猫の恋」として、たくさん載っているので、それを引いて終わりたい。

 菜の花にまぶれて来たり猫の恋・・・・・・・・小林一茶

 おそろしや石垣崩す猫の恋・・・・・・・・正岡子規

 色町や真昼ひそかに猫の恋・・・・・・・・永井荷風

 恋猫の丹下左膳よ哭く勿れ・・・・・・・・阿波野青畝
 
 恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく・・・・・・・・加藤楸邨

 老残の恋猫として啼けるかな・・・・・・・・安住敦

 悪猫が舐めあふ春の猫の味・・・・・・・・三橋敏雄

 奈良町は宵庚申や猫の恋・・・・・・・・飴山実

 猫の恋パリの月下でありにけり・・・・・・・・山田弘子

 あらすぢも仔細もあらぬ猫の恋・・・・・・・・三田きえ子

 八車線渡り切ったる猫の恋・・・・・・・・出口善子

 エジプトの恋猫の闇青からむ・・・・・・・・布施伊夜子

 借りて来し猫なり恋も付いて来し・・・・・・・・中原道夫

 山形訛り恋猫をわしづかみ・・・・・・・・今井聖

 恋をしてわが家の猫と思はれず・・・・・・・・小圤健水

 よれよれになりたる恋のペルシャ猫・・・・・・・・藤井明子

 西鶴の墓にかしまし恋の猫・・・・・・・・倉持嘉博



山田兼士・詩集『微光と煙』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
山田憲士

──山田兼士の詩と詩論──(1)

      山田兼士・詩集『微光と煙』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                     ・・・・・・・・思潮社2009/09刊・・・・・・・・・

先ず初めに、この本から「微光と煙、また」という詩を引いておく。
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               微光と煙、また

 二〇〇五年秋。大阪天王寺にモンペリエ・ファーブル美術館展がやって来た。半年前に東京新宿ビル四十二階の美術館で見た詩人の肖像画をもう一度見ようと、ぼくは駅を出たところだ。美術館に行くには阿倍野橋を渡らなければならない。橋、といっても川があるわけではない。何条もの線路が走る谷間にかかる橋だ。詩人が歩いたセーヌの橋とはまるでちがう。湯沸かし器が転がっていたりして。西に傾いた太陽の方に走り去る列車を横目で見ながら、橋を渡って天王寺公園の入り口に着く。

 チケットを示して有料ゲートを抜けると「フェルメールの小径」がある。フェルメール展の時に造られた通路だが、要するに偏狭な近道にすぎない(迷路みたいな)。本当は噴水のある公園内を抜けて行くのが好きなのだが、時間を気にしてつい近道を選んでしまう。日本庭園の片隅を過って美術館の表にまわると、石造りの玄関が目に入る。東京の美術館とは対照的に、かなり古い建物だ。十九世紀半ばあたりまでの絵画には、こちらの方がふさわしい。どことなくモンペリエの美術館と似ている。

 目当ての肖像画は、会場の中ほど、陽の射さない一画にあった。照明もかなり暗い。明るすぎた東京の美術館で居心地悪そうにしていた詩人が、ここではゆったり寛いでいるように見える。ガウン姿でネッカチーフを巻きパイプをくわえて(館内禁煙)読書するおなじみのポーズで。ソファに置かれた左手にだけは力がこめられているが、これは詩人の意志を暗示しているのだろうか。

 美術批評家でもある詩人は、これより十年ほど後に、天才的な肖像画家にのみ許される「ロマネスクな要素」について「軽やかで空気のような背景、詩的な家具、ぐったりした姿勢、大胆な態度、等々」と書いている。パイプ、本、ソファ、机、ペン立て……いずれも詩人の内面を暗示するロマネスクな要素といえるだろう。もっとも、ここに描かれた机とソファが「詩的な家具」かどうかは疑問だ。これより更に数年後、詩人は理想の家具を、

《家具はみな、長々と伸びて、ぐったりと横たわり、物憂げな様子をしている。家具たちは夢を見ているようだ。植物や鉱物のように、夢遊病的な生命を与えられている、とでもいえばいいだろうか。織物たちは沈黙の言語を話している、まるで花のように、天空のように、落日のように。》

と、書くことになる。理想的な部屋の理想的な家具たちだ。クールベにここまで期待するのは無理だった。たとえばコローなら……詩的風景画の数々が脳裏に浮かぶ……あの手法で肖像画を描いてくれるなら……《夢想にも似た部屋、本当に霊的な部屋》にくつろぐ姿を思い描いてみる。

《そこでは澱んだ空気が淡く薔薇色と青色に染まっている。/魂はそこで、悔恨と欲望に風味付けられた怠惰に湯浴みする。――それは何か黄昏めいて、青みがかり薔薇色がかったもの、日蝕の間の悦楽の夢ともいうべきものだ。》

 このような部屋には煙がふさわしい。パイプの口から立ち昇るごく微かな芳香を伴った煙が。自分自身が気化して宙を漂うような感覚をもたらしてくれる、阿片とハシシュの代替物であるあの煙。

《この上なく繊細に選定されたごく微量の芳香が、ほんの僅かな湿り気に混じってこの大気の中を漂い、そこでまどろむ精神は、温室さながらの感覚にうっとり揺られている。》

 目の前の絵にもう一つの絵を重ねて、二重の肖像画を思い描いてみる。例えばコローの「青衣の婦人」の背景にクールベの「ボードレールの肖像」を重ねて。

 外に出ると陽はすっかり傾いて、通天閣の後ろに今にも消え入りそう。薔薇色と青色のネオンサインを一瞥してから、前を歩く男の背中をぼんやり見ていると、白い煙がゆるやかに流れてくる(構内禁煙)。湿った芳香がかすかに漂ってくる。いくぶん脚を引き摺ってフェルメールの小径に向かうその人物は、見慣れた例のガウンを纏ってネッカチーフを巻いている。ぼくは足を速めて後を追う。庭園の片隅を抜けて。偏狭な迷路を抜けて川に出て、橋を渡ってパリの路地へと。


*《 》内はボードレールの散文詩「二重の部屋」からの引用。「微光と煙」は後に『パリの憂愁』と呼ばれる散文詩集表題原案の一つ。
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以下の文章はネット上に載る 瀬崎 祐さんのこの本についてのコメントの引用である。
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詩集「微光と煙」
 帯には第1詩集と書かれているのだが、中を開いてまずは戸惑う。これが詩論集ではなく、詩集? 27タイトルの作品が収められているのだが、その大部分はボードレールやコクトー、中原中也、小野十三郎などについての文章である。そして書の後半になり、幾つかの詩の形をとったものが収められている。散文は「八島賢太」名で発表されており、「あとがき」によれば「近現代の詩人達との対話を<詩論詩>として成立させ」ようとしたとのこと。

 「石蹴りの少女と葦の地方」は神戸から京都に向かう車中のジャン・コクトーと、河原にいる小野十三郎の視線が交叉するという一編。

   葦原を背に工場群を見詰める男がいる。汽車が通過しようとするその瞬間、
   男がふと振り返る。一瞬、二人の視線が交叉する。人を見るまなざしと物を
   見るまなざしが、窓ガラスを隔てて雷鳴を轟かせる。無数の葦が揺れ動き
   「ガラス管(チューブ)」のように光りだす。ガラスが静かに砕け散る。
                  (「石蹴りの少女と葦の地方」最終部分)

 <詩論詩>とは興味深い試みである。そこにあるのは、詩論を誰のために何を求めて書いているのかという、非常に原初的とも言える命題である。著者は詩論を書くために「自らは詩を書かないという姿勢を貫いてきた」とのことだが、この1冊を詩集として提示するという気持ちには、詩論を書くという行為が詩を書くという行為と同じ意味あいであっったことを認めたからであろう。ここにあるのはもう散文詩と言ってもよいのかもしれない。
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私の感想を言う前に、瀬崎 祐さんの文章を引いた無礼をお許しいただきたい。
私の言うべきことが、ここには要約されているからである。
ここに書かれているように、この本は特異なもので、著者も<詩論詩>という新しい地平を切り開く気なのではないか。
このような試みは、岡井隆『注解する者』(思潮社刊2009/07/25)にも見られた。
岡井の本の初出は「現代詩手帖」2008/01~2009/02に連載したものであるから、ほぼ同じような時期に書かれたものと言え、興味ふかいものがある。
岡井のこの本は後に「高見順」賞を得ている。これによって「注解詩」というべき新しい境地が開かれたなどと言われた。

「大阪文学学校」というサイトでは山田兼士の顔写真も見られる。そこに載る記事で彼の著作とコメントが読める。
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山田 兼士(やまだけんじ)
1953年生

☆詩集『微光と煙』(思潮社)。著書『小野十三郎論』『ボードレールの詩学』『ボードレール《パリの憂愁》論』(いずれも砂子屋書房)『抒情の宿命・詩の行方――朔太郎・賢治・中也』(思潮社)『百年のフランス詩』(澪標)『谷川俊太郎の詩学』(思潮社)『詩の現在を読む』(澪標)。編著『小野十三郎を読む』(共編、思潮社)『歌う!ボードレール』(同朋舎)『対訳フランス歌曲詩集』(彼方社)。共著『萩原朔太郎の世界』(砂子屋書房)等。翻訳『ボードレールと「パリの憂愁」』(ヒドルストン著、沖積舎)『フランス歌曲の珠玉』(ル・ルー著、共訳、春秋社)『オレゴンの旅』『エヴァ』(文ラスカル、絵ジョスの絵本、セーラー出版社)。大阪文学協会理事。関西学院大学卒。大阪芸術大学教授。

★詩論家に必要な唯一の使命は「詩人の鏡であること」だと考えています。その鏡を磨きながら、あらゆる表現領域に通底する(はずの)ポエジーを発見する旅こそ己の天職(?)と認識しつつ、散文詩、ライトヴァース、歌詞といった(比較的)周縁に位置すると考えられているポエジーと、いわゆる純粋詩との間を、なんとか往復し続けていたいと思っています。多様性と一貫性の間を揺れ動きながら、ですが。

賞味期限切れた顔ねと言ひながら鏡の中の妻は紅ひく・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   賞味期限切れた顔ねと言ひながら
     鏡の中の妻は紅(べに)ひく・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
亡妻は、この歌の頃、体調を崩して体重も激減してやつれが目立つようになっていた。
「賞味期限」とは食品に付けられている期限の数字であるが、今では、日常会話の中でも、よく言われるようになっている。
亡妻が実際に、この言葉を言ったのか、それとも私が作品化するときに採り入れたのか、今となっては判然としないが、いずれにしても面白い歌に仕上がっている。
掲出した写真は、もちろん妻のものではない。この写真の女の人などは、まさに「賞味期限」最中である。
化粧品会社のサイトから拝借したものである。

女の人が、お化粧しているのを、こっそり眺めるのは面白いものである。
私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社)の中で「化粧」という一連10首を作ったことがある。その中に

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムだと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。 化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

というような歌がある。この歌集は「自由律」のものなので定型をはみ出た自由なリズムで作っている。
いかがだろうか。
もっとも、この頃では男も化粧に精を出すような時代になった。
着るものも「ユニセックス」の時代と言われ、男性、女性という区別が明確ではなくなり、「中性」の時代とも言われている。
男性と女性とが「結婚」するという時代でもなくなり、同性同士の結婚が、法的に認められるところも出てくる、という時勢なのである。
私などは時代に取り残された「骨董品」的な価値しかないかも知れない。
それでも、私でも女の人に「まぁ、おしゃれね」と言われたら嬉しいのだから、何をか言わんやである。
この辺で、退散しよう。チャオ!
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この記事は2006/02/19に初出のもので、当時これをご覧になったChibisaruさまが、こんなコメントをお寄せになった。

   <私はコンタクトを入れるときは「ウロコをいれる」といい
    お化粧するときは「化ける」もしくは「変装する」といい
    着替えるときは「武装する」といいます
    家から一歩でると私にとっては戦場なのかな?(笑)>

とても面白くて、的確な表現なので、ここにご紹介しておく。
その人もDoblogの廃止騒動前後の頃から音信不通である。

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