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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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和合亮一『詩ノ黙礼』ほか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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          ↑ 『詩の礫』 徳間書店 2011/6/16刊

──新・読書ノート──

   和合亮一『詩ノ黙礼』ほか・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・・新潮社2011/06/17刊・・・・・・・・・・・・

和合亮一は、今回の大震災に福島で被災し直後から「ツイッター」で詩を機関銃のように発し、多くの共感を呼んだ。
『詩の礫』は、そのツイッターを本にしたものである。
『詩ノ黙礼』は、それに続くものとして詩作されたものだが、発売は同じ日になっている。
この本『詩ノ黙礼』について新潮社「波」七月号に載る著者とのインタビューを引いておく。
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     家族、学校、自然、思い出、風と香り――どうか故郷を、福島を返してほしい。
     国語教師である福島在住の詩人が、被災以来、憑かれたようにツイッターで詩を書き続けている。
     怒りと悲しみ、絶望と希望、そして死者たちへの鎮魂。
     そこに暮らす者にしか産み出せない言葉をつむぐ。俺は修羅だ、詩を書き続けるしかない!

           【インタビュー】言葉の力、福島の魂・・・・・・・和合亮一

――今回の本『詩ノ黙礼』ができた経緯は?
 震災直後からおよそ一カ月の間、ツイッターに「詩の礫」を書き続けてきて、だんだん自分の中で気力がとり戻せてきたんです。それで、自分自身で何かできることはないかと思い始めました。外に出てみよう。被災地に行ってみようと思ったんです。そうして、震災から一カ月後の四月十日、「詩ノ黙礼」を始めました。
――震災後はじめて浜通りを訪れて感じたことは?
 報道を通して想像はしていたんですけれど、実際そこに立ってみて、戻ってこないものってあるんだなということを強く感じました。
 さまざまな瓦礫が果てしなく続く光景。風の音を聴いたり、潮の匂いを感じて、ただ呆然と現場を眺めるだけでした。この先、福島の浜通りは、いったいどうなってしまうんだろう。恐怖感に近い感情で、本当に言葉が浮かばなかった。被災地に眠る魂を鎮めたいという気持ちを強烈に感じました。
 相馬の松川浦は、小さい頃から父親とよく釣りに出かけた場所です。福島大学を出て教員となり、はじめて赴任したのは南相馬。この辺りは、僕の第二の故郷なんです。そうした馴染みのある風景がまったくなくなってしまった。
 道端に、誰かの家族アルバムが置いてあったんです。持ち主が取りに来てわかるようにと、誰かが置き直したんでしょう。でも、僕はこうも思った。もう誰もこのアルバムを引き取りに来ない。つまり、この家族のすべてが、すでにこの世に存在していないのかもしれない。そう考えると、そこに写されている家族の佇まいが、すごく悲しく見えてきた。写真の一人一人に魂があると思った時に、何か残しておかなければいけないと思った。魂があったということ自体、失われてしまうんじゃないか。すごくつらいことかもしれないけれど、この思いを封印せずに、向き合っていかなくちゃならないんだ、と。
――なぜ「黙礼」という言葉を使ったのですか?
 今回の『詩ノ黙礼』の最後は、「世界は永遠の黙礼の準備をし始める」という言葉で終わります。実はこの詩、十年前に書いたものなんです。その時から僕の頭の中には、「世界は永遠の黙礼の準備をし始める」という言葉がずっとあった。魂を鎮める、魂を受け継ぐ、感謝を捧げる、そういう「意味」が自分の中に宿されていたんです。このラストフレーズだけが、震災後はじめて浜通りを訪れた時に浮かんできた。死者への思いや過去への思い、悲しみや絶望など、すべてがその「黙礼」という言葉に収斂しました。言葉を書くことも、写真を撮ることも、すべて「喪の儀式」にしていきたい。詩が黙って礼をする、詩が黙礼する――そして『詩ノ黙礼』と名付けたんです。
――「言葉の力」とよく口にしますね?
 僕ら生きている人間は、震災で亡くなった方たちから、何かを受け継ぐ。それをきちんと継承していくことが、生きている人間の役割だと、今回ほど強く思ったことはありません。今、第二の故郷の浜通りが危機に瀕している。いや、東北地方全体が、放射能の降る福島が、変わらずに危険にさらされている。避難している人たちがいる状況の中で、これは全体の問題なんだ、みんなが考えていかなくてはいけないんだと思った時に、改めて生きていく力、どんな状況にいても生きていかなければならないという健康的な力を培っていくためには、やはり「言葉の力」が最も大切だと信じています。
――政治家も言葉に関わる仕事ですが?
 原発問題で情報操作があったんじゃないかと福島の人たちは誰もが思っている。口にしないだけで、個人を守らない政府だと思っているはずです。上辺だけの言葉が、首相をはじめとしたこの国の政治家の口から出てくる。個人より国家を優先する考え方をする限り、いつまでも言葉は磨かれない。
 僕は、いにしえの頃から持ち続けている、日本人の言葉の力、文学の力の可能性をすごく感じます。が、そのことと政治家が発している言葉の質が、あまりにもかけ離れている。「個の言葉」で人に訴えかけることのできる政治家がまったくいないというのは、言葉の衰退を招いていることと同義だと思うんです。

〈二〇一一年六月二日、東京新宿にて収録〉       (わごう・りょういち 詩人)
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この本については、次のような特別記事があるので、ご覧になってもらいたい。 → 和合亮一『詩ノ黙礼』 著者による詩の朗読もある。
「立ち読み」もできる。
今回の大地震・津波については、被災者にもさまざまの受け取り方があり、私が一方的に言うのは控えたい。
これは、ひとつの文芸作品としての見方であり表出であるからである。
彼自身は沿岸部に居住はしていないので津波の被災者ではないし、言わば、はじめから「客観視」できる場所に居たとも言える。
ただ、極めて今日的な作品であることは確かなので多くの方々に読んでもらいたい。


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