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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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大聖堂のスズメたち「レーゲンスブルク少年合唱団」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
800px-Regensburg_08_2006_2レーゲンスブルク

  ──巡礼の旅──(2)

   大聖堂のスズメたち「レーゲンスブルク少年合唱団」・・・・・・・・・・・・・木村草弥

母なる大河ドナウにはローマ時代から築かれた石橋が架かり、今も街の人々が生活のために利用している。
その橋の先には大聖堂の二つの尖塔が聳えたち、街の中心であることを示している。
x1603レーゲンスブルク大聖堂

レーゲンスブルク(Regensburg)はユネスコの世界遺産に登録されているドイツ連邦共和国の都市。バイエルン州に位置する。人口は約12万人(2002年)。

ここはバイエルン州東部、オーバープファルツの中心都市であり、ドナウ川とレーゲン川の合流近くに位置する。
そのため、水上運輸の要所としての役割を果たしている。歴史的景観と穏やかな気候から夏の保養地としても多くの旅行客を集める。
近隣の都市としては、南西約55キロにインゴルシュタットが位置する。

歴史的には、 1世紀、ローマ帝国軍の駐屯地、カストロ・レギーナがおかれた。これが現在の地名の由来ともなる。
6世紀頃、バイエルン族が居住するようになり、バイエルン大公の居城がおかれた。その後、8世紀後半にタシロ3世がカール大帝に屈服し、フランク王国の統治下に入った。
その後も政治・経済の中心として重要な役割を果たしており、大司教座聖堂などを通じてその繁栄をうかがうことができる。
13世紀半ばに「帝国自由都市」としての特権を認められていた。
神聖ローマ帝国における帝国議会がこの地で幾度か開催され、1654年にレーゲンスブルクでなされた「最終帝国議会決議」は、正規の帝国議会における決議としては最後のものであった。
1663年以降、それまで各地で開かれていた帝国会議は、レーゲンスブルクに常置された。
1803年に独立を失い、マインツの代わりとしてマインツ大司教で神聖ローマ帝国の宰相であったカール・フォン・ダールベルクに引き渡された。
カールは街を近代化させ、プロテスタントとカトリック教徒に同じ権利を与え慕われた。1810年にバイエルン王国に引き渡され、カールはフルダへと移った。
1809年4月19日から4月23日までオーストリア軍とフランス軍が交戦し、街に大きな被害が出た。
第二次世界大戦中にはドイツ軍の第8軍管区本部が置かれたが、連合軍の空襲は小規模で、多くの歴史的建造物は破壊されずに残った。

x1607レーゲンスブルク少年合唱団
大きくて威厳ある大聖堂では、その堅いイメージとは対照的に「大聖堂のスズメたち」、ドイツ語で「ドームシュパッツェン」という名の少年合唱団が活躍している。
生徒たちは専門の学校で寄宿生活しながら学び、声楽のレッスンや音楽の授業のほかに通常の学校教育を受ける。
合唱団には約500人の生徒が所属。一千年以上の伝統があり、ドイツ最古の少年合唱団だけあって彼らの歌声を聴くためにここを訪れる観光客も多い。
毎週日曜日、大聖堂でミサが10時から始まり「スズメたち」の歌声が堂内にひびく。
ミサに着用するローブには赤白と黒白との二種類があるようであり、写真のものは黒白である。
大聖堂は十三世紀に建築が開始され、それから300年もの歳月をかけて完成した堂々たる姿のゴシック様式である。
「スズメたち」の歌声 ↓ (ただしミサのものではない。動画用に採録されたもの)


世界的に有名でアメリカやアジアの諸国、もちろん日本でも度々公演を行っていて、CDなどもネット上にも出ている。
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