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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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ブッダの「八大仏跡」を巡る・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ 「初転法輪像」サールナート考古博物館収蔵

──巡礼の旅──(3)

      ブッダの「八大仏跡」を巡る・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

経済発展が目覚しく、あらゆるものが急激なスピードで変わりつつあるインドは、今もっとも世界の注目を浴びる国といえるだろう。
だが同時に経済格差は著しく、貧富の差も極端である。
そんなインドは「仏教」が生まれた土地であるが、今のインドはヒンズー教が圧倒的に信者の多い国で、仏教徒は極めて少ない。
ヒンズー教に言わせるとブッダの教えはヒンズー教の一派として数えられているに過ぎない。
しかし、われわれ日本人は「仏教徒」を自認しているのであるから、その教えの由来や仏教聖地を辿るのも意味があるだろう。
私は1999年正月に北インドと仏跡を歴訪したことがある。
以下、仏教、仏跡について少し書いてみる。

仏陀(ブッダ、梵:बुद्ध buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。
buddha はサンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。

「佛」の字について─「仏」(ぶつ)の字は、通常は中国、宋・元時代頃から民間で用いられた略字として知られるが、唐の時代にはすでに多く使われており、日本の空海も最澄宛の『風信帖』(国宝)の中で使用している。これを漢字作成時の地域による使用文字の違いと見る有力な説がある。

中国において buddha を「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国に buddha に当たる意味の語がなかったためであろう。
この「佛」の語は、中央アジアの "but" もしくは "bot" に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。

4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが漢文訳されるようになると、buddha は「佛陀」と2字で音写されるようになる。
つまり、「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」が buddha を意味していたことに注意すべきである。

「佛」の発音については、「拂」「沸」の発音が *p‘iuet であるから、初期には「佛」も同じかそれに近かったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形声文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であって、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない・背くもの」という意味を持っている。その意味で、buddha が単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。なお、「仏」の右の旁(つくり)は、「私」の旁である「△」から来ていると見られている。

仏陀の範囲─ 基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。
しかし初期の経典でも燃燈仏や過去七仏など仏陀の存在を説いたものもあり、またジャイナ教の文献にはマハーヴィーラを「ブッダ」と呼んだ形跡があることなどから、
古代インドの限られた地域社会の共通認識としては既に仏陀が存在したことを示している。

しかして時代を経ると、その仏陀思想がさらに展開され大乗経典が創作されて盛り込まれた。
このため一切経(すべての経典)では、釈迦自身以外にも数多くの仏陀が大宇宙に存在している事が説かれた。
例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。

また、多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。
悟り(光明)を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教、ことに密教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではないと思われる。
一般には、釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を「ブッダ」と呼ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内在する真我を「ブッダ」と呼んだり、「仏性」とよんだりする。場合によれば宇宙の根本原理であるブラフマンもブッダの概念に含まれることもある。
近年になって仏教が欧米に広く受け入れられるようになって、禅やマニ教の影響を受けて「ニューエイジ」と呼ばれる宗教的哲学的な運動が広まり、光明を得た存在を「ブッダ」と呼ぶ伝統が一部に広まった。

仏陀への信仰─ 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主催神、絶対神)の存在を認めなかった。
その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」(deva, 天部)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。
その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。
また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。

なお、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。
当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。
したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。
しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。
とはいえ、死後300年を過ぎてから作られはじめたため実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。

IMG_0095ccマヤ・デヴィ寺院
800px-Lumbinibodhiルンビニ
 ↑ ブッダの生誕地ルンビニ──今のネパール南部にあるが今はマヤ・デヴィ寺院と菩提樹の立ち木と池があるに過ぎない。
寺院も、たとえば塔などもすっかりネパール風の装飾になっていて馴染めない。

仏教の八大聖地(はちだいせいち)は、仏教における重要な8つの聖地の総称。その全てがゴータマ・ブッダの人生に関わる遺跡である。

ルンビニ - 生誕の地。
ブッダガヤ - 成道(悟り)の地。
サールナート - 初転法輪(初めての説教)の地。
ラージギール - 布教の地。
サヘート・マヘート - 教団本部の地。
サンカーシャ - 昇天の地。
ヴァイシャリ - 最後の旅の地。
クシーナガラ - 涅槃(死)の地。

ブッダガヤ(仏陀伽邪 बोधगया)は、釈迦(如来)が六年の苦行の末に成道(悟り)の地で、八大聖地の1つ。ボードガヤーとも表記する。
また、ヒンドゥー教における聖地でもある。特に仏教では最高の聖地とされている。
450px-Mahabodhitemple大菩薩寺
Dscn1218_m金剛座
 ↑ 大菩提寺内の「金剛宝座」
ブッダガヤの大菩提寺-菩提樹はインド東部、ビハール州、ネーランジャヤー(尼蓮禅)河のほとりにある。
古い煉瓦構造建築様式の1つである。 ユネスコにより世界遺産に登録されている。
ブッダガヤには、中心にあるブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディー寺)と、そのまわりにある各国各宗派の寺院(例 中国寺、日本寺、ネパール寺など)がある。マハーボーディー寺の中には、その本堂である高さ52mの大塔と、ゴータマ・ブッダが成道したときに座っていた金剛宝座と、成道したときにその陰にいたゴータマ・ブッダの菩提樹、沐浴の蓮池がある。
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 ↑ ブッダガヤの大菩提寺脇にある菩提樹
釈迦牟尼が悟りを開いた場所であり、ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。
紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。
長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名による管理となった。
さらに1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、近年では仏教徒のみによる管理へと移行しつつある。
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 ↑ 日本寺の仏塔

 サールナート 
img_350964_32173841_1サールナート
 ↑ サールナート遺跡──俗に「鹿野苑」(ろくやおん)と呼ばれている。
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↑ サールナート ダメーク・ストゥーパ

サールナートは、インドのウッタル・プラデーシュ州にある地名。ワーラーナシー(ベナレス)の北方約10kmに位置する。
釈迦が悟りを開いた後、初めて説法を説いた地とされる。初転法輪の地。仏教の四大聖地のひとつ。
鹿が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも表される。

現在はインド政府によって整理され遺跡公園になっている。
またこの周辺からは「サールナート仏」と呼ばれる仏像が多数出土し、最高傑作とも評される「初転法輪像」がサールナート考古博物館に収蔵されている。
( ↑ 一番はじめに掲出した像)
サールナート出土初転法輪像はお釈迦さまの初めての説法を描写した傑作の仏像。5世紀頃の作と考えられる。
足元には中央に法輪があり、それを囲んで右に三人、左に二人の計5人の弟子がいる。左端には母と子が描かれているという。
また法輪の両側に鹿が二頭配置され、鹿野苑での説法であることを表わしている。

クシーナガラ
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 ↑ パリニッバーナ寺院の涅槃仏

クシーナガラ(英語:Kushinagar、タミル語:กุสินารา)は、古代インドのガナ・サンガ国であったマッラ国(末羅国)の二大中心地のひとつで西の中心地であり、
現在のインドのウッタル・プラデーシュ州東端のカシア付近の村。
釈尊入滅の地とされ、四大聖地のひとつ。ワーラーナシー(ベナレス)の北150kmの地にある。

死期を悟った釈尊は霊鷲山(ビハール州)から生まれ故郷に向う途中にこの地で亡くなる。
純陀(チュンダ)の供養した「スーカラ・マッダヴァ(sukara maddava)」(豚肉料理、あるいは豚が探すトリュフのようなキノコ料理とも)
を食して激しい下痢を起こしたのが原因とされる。
マハー・パリニッバーナ・スートラ(大般涅槃経)には、このクシナガラで釈尊が涅槃するまでの模様が書かれている。

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↑ インド人修行僧たち



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