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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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諍ひて朝から妻にもの言はぬ暑い日なりき、月が赤いな・・・・・・・・・・・・木村草弥
0405_p1_1赤い月

  諍(いさか)ひて朝から妻にもの言はぬ
   暑い日なりき、月が赤いな・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せた歌である。
「諍い」とは「口げんか」のことを言う。
この歌は上4句までは、すらすらと出来たが、結句の7音がなかなか出来なかったので、半年ばかり放置してあったが、何かの拍子に、
この言葉が見つかり、くっつけた。私自身でも気に入っている歌である。
この歌は『茶の四季』の「族の歌」でWeb上でもご覧いただける。

「赤い月」というのは、月が出始めの低い位置にあるとき、または月の入りで西の空低くにあるときに、地球の表層の汚れた空気層を通過するときに、
空気に含まれる塵の作用で、赤く見えることがある。
月が中空にあるときには、めったに赤い月にはならない。

この歌は、妻と口げんかして、お前なんかに口もきくものか、とカッカしている気分のときには頭に血がのぼっているから、
赤い月が見えたというのは、絶好の舞台設定で、ぴったりだった。
歌作りにおいては、こういう、時間を置くことも必要なことである。
一旦、作った歌でも、後になって推敲して作り直すということも、よくある。
妻亡き今となっては、懐かしい作品になった。 ここで、この歌を含む一連を引いておく。

 月が赤いな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

路地裏の畳屋にほふ鉾町へしとどに濡れて鉾もどりけり

ガラスを透く守宮(やもり)の腹を見てをれば言ひたきことも言へず 雷鳴

諍ひて朝から妻にもの言はぬ暑い日なりき、月が赤いな

手花火が少し怖くて持ちたくて花の浴衣(ゆかた)の幼女寄り来る

手花火の匂ひ残れる狭庭には風鈴の鳴るほど風は通らず

機械音ふつと止みたる工場に赫、赫、赫と大西日照る

季節の菓子ならべる京の老舗には紺ののれんに大西日照る

秋季リーグ始まりにつつ球(たま)ひろふ明日の大器に大西日照る

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掲出の「赤い月」の写真はWeb上で拝借したものだが、撮影者の名前(市川雄一)や撮影日時が明記されており、著作権は撮影者にあることを言っておきたい。
この写真の場合の「赤い月」は皆既月蝕という特殊な環境下での赤い月である。

星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。・・・・・・・・・・・清少納言
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星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。
  尾だになからましかば、まいて。・・・・・・・・・・・清少納言


これは『枕草子』236段に載るものである。
この文の意味については、下記の解説の中で書いてある。

日本ではプレアデス星団のことを「昴」すばる、と呼ぶ。
以下にネット上から記事を引いておく。
♪「昴」♪というと、谷村新司の曲が思い浮かぶ。
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プレアデス星団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プレアデス星団 (M45) は、おうし座にある、散開星団である。 地球から400光年の距離にあり、肉眼でも輝く5~7個の星の集まりを見ることが出来る。
双眼鏡で観測すると数十個の青白い星が集まっているのが見える。
比較的近距離にある散開星団であるため狭い範囲に小さな星が密集した特異な景観を呈しており、このため昔から多くの記録に登場し、
各民族で星座神話が作られてきた。

1769年にメシエカタログの45番に加えられた。M45は、3回に分けて刊行されたメシエカタログの最初のカタログの最後の天体であった。

約6千万~1億歳と若い年齢の青白い高温の星の集団である。 多くの核融合の速度が速いため寿命は比較的短いと予想されている。
星団を構成する星の周囲には青白く輝くガスが広がっている。これは、星々とは元々関係のない星間ガス(IC349)が、星団の光を反射しているためである。

構成
プレアデス星団の構成プレアデス星団を構成する星のうち、以下の主要な明るい星にはギリシア神話での人物名がそれぞれに名付けられている。
(プレアデス星団にまつわるギリシア神話の内容については当該項目を参照されたし)

なお、名称後の括弧内は、それぞれの実視等級を示す。

アトラス(3.62) - 星団の左端に位置する明るい星。
プレイオネ(5.09) - アトラスの上に位置する星。
アルキオネ(2.86) - 星団中央の明るい星。星団の中では一番明るい。昔、トレミーやアル・ズーフィが記録した4個の星のうちに、この星がないため増光したのではないかとする説がある。
メローペ(4.17) - アルキオネの右下に位置する明るい星。
マイア(3.86) - アルキオネの右上(メローペの上)に位置する明るい星。
エレクトラ(3.70) - メローペの右上(マイアの右下)に位置する明るい星。
ケラエノ(5.44) - エレクトラの上、マイアの右に位置する星。
タイゲタ(4.29) - マイアの右上に位置する星。
アステローペ - マイアの上に位置する二連の星。
うち上側はアステローペI(5.64)、下側がアステローペII(6.41)。

観測
通常の視力の人が好条件のもとで、6~7個の星を数えることができる。大変視力が鋭い人が25個もの星を肉眼で見たとする記録が残されている。
昔イギリスのTV放送でアンケートを取ったところ、73%は6~8個だったという。
ホメロスは6個、トレミーは7個、アル・ズーフィは5~7個、ハイドンは7個見えたと記している。
望遠鏡を使えば飛躍的に星数も増し、ガリレオは36個の星を見ている。

双眼鏡で最も美しく見ることができる。
口径10cmの望遠鏡では星団としてのまとまりは無くなるが、代わりに星団の背後にある散光星雲が見えてくる。
メローペを囲む散光星雲(IC349)は、1859年にテンペルが口径10cmの望遠鏡で発見した。「鏡の上に息をかけたときにできるような、にじんだ光が見える。
大きさは約35'×20'で、メローペの南から広がっている。新彗星かと思ったが、次の日にも同じ所に見えていた」と記している。
1875年ミラノ天文台のスキャパレリは星雲がメローペからエレクトラ、ケレノまで広がっているのを確認した。
ウェップは「口径2インチで見え、11インチでは見えない。大口径では見えないが、時折どうにか見える。しかし、ファインダーではよく見える」としている。
通常は散光星雲IC349を見るためには口径20cm以上の望遠鏡を必要とする。

名称
プレアデス星団は肉眼でも見ることが出来る明るい星々の集まりであり、様々な文化で人々の興味を引き、聖書や伝説、民話、星座物語に登場し、数々の名称を持つ。

ギリシア神話
プレアデス星団の名前は、ギリシア神話に由来し、巨人アトラスとニンフのプレイオネの間に生まれたプレイアデス7人姉妹(アステロペ、メロペ、エレクトラ、マイア、タイゲタ、ケラエノ、アルキオネ)を指している。プレイアデスは女神アルテミスに仕えていた。

また、同じくおうし座にあるヒアデス星団のヒアデスの7姉妹は、アトラスとアエトラの娘たちであり、プレイアデス姉妹とは異母姉妹の関係である。

中国
中国では二十八宿から昴宿(ぼうしゅく)と呼んだ。

日本
日本では、プレアデス星団をすばる(昴)とも呼ぶ。
元々は、一つに集まっているという意味の「すまる」から転じて「統ばる(すばる)」と呼ばれていたとされる。
その後、中国でプレアデス星団を指す昴宿から「昴」を当てた。他にも地方によって、「六連星(むつらぼし)」や「羽子板星」などと呼ばれた。
奈良時代に成立したとされる『丹後国風土記』逸文に「其七豎子者(七人の童子)、昴星也。其八豎子者、畢星也」という記述があり、
それぞれ隣り合っているプレアデス星団、アルデバランとヒアデス星団の事と見られる。
日本でプレアデス星団について言及した最古の記録は、平安時代に醍醐天皇皇女勤子内親王の命で作成された百科事典『倭名類聚抄』だと考えられている。
この中で、昴星の和名は須八流と記されている。
清少納言は『枕草子』236段で「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」と書いている。(星はすばる、ひこぼし、宵の明星が良い。流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど。)

マオリ
ニュージーランドのマオリ族は、プレアデス星団をマタリキ(Matariki)と呼ぶ。マタリキとは、"小さな目"との意味を持つ言葉である。
また、マオリ族の人々は、プレアデス星団が見えるようになる時期を新年の基準としており、マタリキには新年という意味もある。

その他
西欧では「七人の姉妹」あるいは「七人の乙女」の名が通っている。ギリシャでは「ぶどうの房」という名もある。
アラブでは「群衆」や「小さきもの」、フランスでは「雛箱」、ドイツでは「とやについた牝鶏」、イタリアでは「小さな牝鶏」、スペインでは「小さな牝山羊」、イギリスでは「七人の乙女」の他「ひよこと牝鶏」とも呼ばれている。
ハワイのマウナケア山頂にある国立天文台の光学赤外線望遠鏡の名称は一般公募の中から選ばれ、すばる望遠鏡と命名された。
ハワイ語では「マカリイ」と呼ばれる。1994年にハワイ島で建造された航海カヌーの船名ともなっている。
ヘシオドスは夏の間、40日も太陽の後ろ側に隠される事に注目した。
プレアデス星団が、太陽から離れ、初めて暁の東天の地平線に姿を現す天体現象は古代には重要な出来事であるとされた。
ユリウス・カエサルは5月の暦にこの日を記した。
プレアデス星団は、スバルのブランド名で日本車を生産している富士重工業のロゴマークに採用されている。
これは富士重工業の創業時に合併した6社の旧中島飛行機系の企業を表す。(ただし現在使用しているマークは実際のプレアデス星団とは形が異なる)。
またアルシオーネ・マイア・アステローぺなど車名に星の名前が用いられている。
ヨブ記38章31節には「あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。」という文章がある。
ニューエイジ思想には、プレアデスに地球人と同等かそれ以上の知性・霊性を持つ地球外生命体がいると説くものがある。
そればかりでなくチャネリングの相手とされることもある。



流沙のごと流るる銀河この夏の逝かむとしつつ霧たちのぼる・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  流沙のごと流るる銀河この夏の
   逝かむとしつつ霧たちのぼる・・・・・・・・・・・・木村草弥


  わがいのちいつ終るべき
   ペルセウス流星群の夜にくちづける・・・・・・・・・・木村草弥


これらの歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
星座については明日付けでも記事を載せるので、今日は、このくらいで簡単にしておく。
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銀河のことについては何度も記事に書いたので今回は「ペルセウス流星群」ついてネット上から記事を引いておく。
 ↓ 写真②の画像は倉敷天文台の
「ペルセウス座からおうし座にかけて出現した流星で、途中爆発を見せながら雲を透して輝いたため、とてもきれいな印象の写真となりました。
 (撮影/岡山県井原市美星町 2008年8月13日04時14分)」
というところから借用したものである。借用の御礼を申上げておく。
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ペルセウス座流星群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ペルセウス座流星群(ペルセウスざりゅうせいぐん、学名 Perseids)はペルセウス座γ星付近を放射点として出現する流星群である。ペルセウス座γ流星群(ペルセウスざガンマ流星群)とも呼ばれる。7月20日頃から8月20日頃にかけて出現し、8月13日前後に極大を迎える。しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群と並んで、年間三大流星群の1つ。

母天体
母天体は周期133年のスイフト・タットル彗星である。この彗星は1862年にスイフトとタットルによって発見され、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキアパレッリによってペルセウス座流星群の母天体ではないかと指摘された。彗星が流星群の母天体であると指摘されたのはこれが最初である。当初は1982年頃にスイフト・タットル彗星が回帰するとされていたが発見されなかった。しかし1991年と1992年にペルセウス座流星群が平年の2倍以上という大出現をしたことから母彗星も回帰すると予測され、その年の9月27日に日本のコメット・ハンター木内鶴彦がスイフト・タットル彗星を再発見した。

活動
極大頃には1時間あたり30個から60個の流星が出現し、年間最大級の活動を見せる。極大の前後数日間は1時間に10個以上の出現がある。お盆や夏休みの時期にあたり、また夜間の気温も高い時期にあたることから、最も観測しやすい流星群と言われることもある。

ペルセウス座流星群の流星は、流れる速度が速く、途中で急激に増光することがある。また、明るい流星や火球が多く、流星痕が残ることも多い。これは、対地速度が59 km/sと流星群の中では比較的速いことによる。 比較的明るい為、薄曇りでも雲間から観測する事もできる。

観測しやすい事と、夏休みの時期とも重なり、夏休みの自由研究課題などとして子供向けに各地で観望会が開かれる。

歴史
ペルセウス座流星群の最も古い観測記録は西暦36年であり、1時間あたり100個以上の出現が観測されている。流星群として存在が明らかになったのは1837年であり、これはしし座流星群に次いで2個目である。19世紀までに少なくとも20回の出現記録があり、特にスイフト・タットル彗星が発見された1862年は、中国と日本で観測されている。中国では、満月の中4夜に渡って出現し、極大時には1時間あたり4800個に達する流星嵐を降らせたという記録が残っている。日本でも、「タバコを一服ふかしているうちに沢山見た」との記録がある。それ以降は1921年に少し多かったとされる以降、ここ数十年は安定した出現を見せている。ただし1980年8月12日の日本の明け方は、いつもより多少多く流れたとされる。(当時の天文雑誌を参照されたい。)また母彗星が回帰した前後の1991年から1994年にかけては出現数が平年の2倍以上になった。原因が同じと見られる小さなピークは、それ以降2-3年は見えていたようである。2004年は平常であったらしい。これらの現象は、今では流星雨のコンピューター・シミュレーションの格好の当否判断材料になっている。

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